1: 2012/04/06(金) 19:50:19.55 ID:eRjtIBs70
格闘道場──

ある夜、格闘家は一人きりで遅くまで鍛錬をしていた。
といっても、この道場に所属するのは道場主である彼一人だけなのだが。

格闘家「──せいいっ!」

バシィッ!

格闘家の蹴りで、サンドバッグが揺れる。

格闘家「……ふう」

格闘家(長い戦いの末、ようやく世界チャンピオンへの挑戦権を得られた……)

格闘家(俺の最強を証明するためにも、この道場を立て直すためにも、必ず勝つ!)

彼は一週間後に大一番を控えていた。

3: 2012/04/06(金) 19:53:53.24 ID:eRjtIBs70
格闘家「!?」ピクッ

格闘家(──今、なにやら気配を感じた!)ザッ

格闘家「だれかいるのかっ!?」

シ~ン…

格闘家「……気のせいか」

吸血鬼「気のせいじゃないわよ」

格闘家「!?」

吸血鬼「こっちこっち」

格闘家(──上っ!?)サッ

5: 2012/04/06(金) 19:56:29.24 ID:eRjtIBs70
女が天井に立っていた。

格闘家「なっ……!」
   (ど、どうなってるんだ!?)

吸血鬼「よっと」スタッ

格闘家「君は……何者だ!? どうやって天井に立っていた!?
    ……いや、どうやってここに入った!?」

吸血鬼「アタシは吸血鬼。ちょっと栄養が足りなくてね」

格闘家「吸血鬼!?」

吸血鬼「アナタの血をいただくわ」

格闘家「なんだと!?」

7: 2012/04/06(金) 19:59:25.04 ID:eRjtIBs70
格闘家は身構えるが、得体の知れない相手に心は引けていた。

吸血鬼「どうしたの?」

格闘家「なにっ!?」

吸血鬼「抵抗しないの? アナタ、鍛えてるんでしょ?」

吸血鬼「ま、大人しく吸われてくれるんなら、それに越したことはないけど」スタスタ

格闘家「ち、近づくな!」

吸血鬼「どして?」

格闘家「俺は女性を……殴りたくない!」

吸血鬼「クスクス……」スタスタ

格闘家(くっ、やむを得ない!)
   「とりゃあっ!」

ビュッ!

11: 2012/04/06(金) 20:06:39.61 ID:eRjtIBs70
──ピタッ

拳は寸止めだった。

吸血鬼「あら、優しいのね……クスクス」

格闘家「……くっ!」

吸血鬼「でも優しいだけじゃ、自分の命は守れないわよ?」

格闘家「いいから消えてくれ!」

吸血鬼「イヤよ」

吸血鬼「……もしかしてアナタ、怖いんじゃないの?
    吸血鬼(アタシ)に自分の技が通用しないかもって……」

吸血鬼「だからパンチを当てないことで情に訴えようとしたり、
    口で説得しようとしてるんでしょ?」

吸血鬼「見た目に反して、ずいぶんと女々しいヒト……ガッカリね」

格闘家「な、なんだと……!」

13: 2012/04/06(金) 20:10:22.75 ID:eRjtIBs70
格闘家(ここまでいわれて黙っていられるか……やるしかない!)

吸血鬼「あら、やる気になったみたいね。さ、どうぞ」

格闘家「はぁっ!」

ズガァッ!

格闘家の手刀が、吸血鬼の肩に炸裂した。

吸血鬼「フフ……攻撃を通して、アナタの怯えが伝わってくるわ」

格闘家(笑ってる……!? 俺の手刀が、効いてないのか!?)

吸血鬼「肩を狙ったのは、やっぱりアナタなりの優しさなのかしら?
    でもどんどん攻撃しないと、一滴残らず吸われちゃうわよ?」

格闘家「うぅっ……!」

格闘家「うわあぁぁぁっ!」

16: 2012/04/06(金) 20:15:16.63 ID:eRjtIBs70
ドボォッ!

吸血鬼の腹に、格闘家の拳がめり込む。

吸血鬼「クスクス……」

格闘家「うぐぅ……!(やはり全然効いていない!)」

格闘家「せりゃあっ!」

脇腹への回し蹴り。

ドガッ!

肩への正拳突き。

バキッ!

さらには顔面へのヒジ打ち。

ベキッ!

しかし、これだけの攻撃をもってしても、吸血鬼の微笑みを消すことはできなかった。

18: 2012/04/06(金) 20:22:14.94 ID:eRjtIBs70
格闘家(なぜだ……たしかに攻撃が柔肌に食い込んでいる感触はある。
    なのに、なぜ効いていないんだ!?)

吸血鬼「フフ……もう終わり?」

格闘家「うっ……」ギクッ

格闘家「ま、まだだァッ!」

敗北すなわち死。

格闘家は己の格闘人生の全てを賭して、猛ラッシュを仕掛けた。
鍛え抜かれた拳足が、吸血鬼の全身を打つ。

バキッ! ドゴッ! ガスッ! メキッ! ドスッ!

吸血鬼はかわすことも守ることもせず、全てを受け入れた。
不敵な笑みを浮かべながら。

10分後──

格闘家「はぁっ……はぁっ……!」

吸血鬼「……ん、もう終わったの?」

格闘家(ダ、ダメか……!)ドサッ

無駄を悟った格闘家は、大の字になって崩れ落ちた。

19: 2012/04/06(金) 20:26:13.40 ID:eRjtIBs70
吸血鬼「よく頑張ったわね。じゃあ、さっそく──」

血を吸おうと、吸血鬼が横たわる格闘家に近づく。

すると──

格闘家「……うぅっ」グスッ

吸血鬼「あらあら、死ぬのが怖くなっちゃったの? クスクス……」
   (安心なさい。アナタを殺すつもりはないから……。
    ちょっとだけ血をもらうだけだから……)

格闘家「ぢ、ぢくじょう……」グスッ

吸血鬼「?」

格闘家「おれのわざ、全然きがなかった……」グスッ

格闘家「おれの今までのじんぜいは、なんだったんだ……!」グスッ

吸血鬼「…………」

20: 2012/04/06(金) 20:27:29.27 ID:Y8FFI+590
ドン!が抜けてる

21: 2012/04/06(金) 20:30:14.01 ID:eRjtIBs70
吸血鬼「よいしょ」スッ

吸血鬼は涙を流す格闘家の頭を、膝枕の上に置いた。

格闘家「な、なにを……?」グスッ

吸血鬼「ごめんなさいね。少しやりすぎてしまったみたい」

吸血鬼「アタシはアナタを殺すつもりはないし、
    ましてやアナタの人生を否定するつもりなんて毛頭なかった」

吸血鬼「アナタは強そうだったから、
    ちょっとからかってみたかっただけなの……本当にごめんなさい」

23: 2012/04/06(金) 20:36:13.06 ID:eRjtIBs70
格闘家「君は……人の血を吸って生きているんじゃないのか?」

吸血鬼「別に血を吸わなくても生きてはいけるわ。
    アタシが血を吸う時は、本当に命が危ない時くらいよ」

吸血鬼「それに……アタシは人を殺したことはないわ」

吸血鬼「血を吸うといっても、献血の量よりずっと少ないくらいだし」

吸血鬼「吸う前にはちゃんと下調べをして、
    吸っても健康に影響がない人間だと判断した上で吸うわ」

吸血鬼「吸った後にこちらから魔力を注入しなければ、
    アナタに呪いが移るということもないしね」

格闘家「──ってことは、俺のことも……?」

吸血鬼「えぇ、とても大きな試合を控えている格闘家さんでしょ?
    ちゃんと調べてあるわ」

吸血鬼「アナタは強い……それにものすごく努力している。
    だからアタシに勝てなかったからって、気に病む必要なんてないのよ」

24: 2012/04/06(金) 20:39:33.87 ID:eRjtIBs70
格闘家「……なぜ俺の攻撃は、君に効かなかったんだ?」

吸血鬼「人間とアタシたちじゃ、肉体の頑強さがちがいすぎるわ。
    たとえ銃でもアタシに傷一つ付けることはできない」

吸血鬼「生身でアタシを倒そうというなら、それこそ大地を割るくらいのパワーか、
    あるいは拳に魔力を付加する、とかしないと無理でしょうね」

吸血鬼「もちろんそんな術、格闘家であるアナタが知るはずがない」

吸血鬼「だから……気にしないでいいの」

吸血鬼「アタシは下調べした時、修業するアナタにずっと見とれてた。
    とてもかっこよくて、美しかった……」

格闘家「かっこよくて美しい……? まるで君に歯が立たなかった俺が?
    なにをバカな……」

25: 2012/04/06(金) 20:45:29.99 ID:eRjtIBs70
吸血鬼「あらそう?」

吸血鬼「一生懸命努力している姿って、とても尊いじゃない」

吸血鬼「それともアナタは、アナタより弱いヒトが一生懸命練習してるのを見て
    俺より弱いくせにってバカにするの?」

格闘家「いや、そんなことは……ない、けど」

吸血鬼「でしょ?」

吸血鬼「実力はたしかに大事だけど、努力している姿はそれだけでも美しい。
    少なくともアタシにとってはね」

格闘家「…………」

格闘家「さっきまで、俺は君のことを非常識な存在だと思っていた」

格闘家「……しかし、だんだんと親しみを持ってきたよ。
    俺なんかより、よっぽど正しい心を持ってるしな」

吸血鬼「ありがと」

26: 2012/04/06(金) 20:48:12.40 ID:eRjtIBs70
格闘家「なぁ……もう一度、改めて俺と勝負してくれないか?
    君が勝ったら……俺の血を吸ってもいいってことでどうだ?」

吸血鬼「えっ?」

格闘家「むろん、勝敗は分かり切っている」

格闘家「君との差を……知りたいんだ」

吸血鬼「……分かったわ」

二人とも立ち上がる。

格闘家「行くぞっ!」ダッ

27: 2012/04/06(金) 20:51:18.28 ID:eRjtIBs70
シュッ!

格闘家の右ストレートを、吸血鬼は指一本で止めた。

格闘家「…………!」

吸血鬼「じゃあアタシから……」

ピンッ

なんの変哲もないデコピン──

ドガァン!

しかし、百戦錬磨の格闘家はなんの変哲もないデコピン一発で、
壁まで吹き飛ばされ、ノックアウトされた。

30: 2012/04/06(金) 20:55:28.10 ID:eRjtIBs70
格闘家「デコピンでKO、か……」

吸血鬼「……本気でやらなかったこと、怒ってる?」

格闘家「いいや」

格闘家「君が本気を出してたら、俺は今頃三途の川にいるだろう」

格闘家「俺の君との差は、それだけのものがあるってだけのことだ。
    怒る理由なんか、あるはずがないさ」

格闘家「もちろん、もう自分の人生を否定したりはしない。
    君には通用しなかったが、俺は俺なりに精一杯やってきたんだからね」

格闘家「さぁ、俺の血を吸うといい」

吸血鬼「……うん」

31: 2012/04/06(金) 20:59:13.91 ID:eRjtIBs70
格闘家は首筋を差し出した。

吸血鬼「いただきます」カプッ

吸血鬼の牙が、首筋に甘く刺さる。

吸血鬼「…………」チュルッ

吸血鬼「…………」ゴクゴク

吸血鬼「──っぷはぁっ」

格闘家「え、もういいのか?」

吸血鬼「えぇ、これだけで十分よ。いったでしょ、献血よりずっと少ないって」

格闘家「変な質問だが、俺の血の味ってのはどうだった?」

吸血鬼「クスクス……気になる?」

格闘家「いや、まぁ……変な味だったらやっぱりイヤだしな」

吸血鬼「血の味なんか、だれでも大差ないわよ。
    少なくともまずくはなかったわ。安心して」

吸血鬼は嘘をついていた。

33: 2012/04/06(金) 21:07:15.65 ID:eRjtIBs70
吸血鬼(な、なんて……)

吸血鬼(なんて力強く、濃厚な味……!)

吸血鬼(こんな血を飲んだのは、生まれて初めて……。
    ああ、アタシの全身にこの人の炎のような闘志が浸透していく……!)

吸血鬼(体内でこの人の赤い血が、縦横無尽に暴れ回っている……!)

吸血鬼(スゴイ、なんてスゴイんだろう!)

吸血鬼(ああ、全て飲みたい……この人の血の全てを!)

吸血鬼(でもダメ……アタシには自分で決めたルールがあるんだから……)

吸血鬼(拳ではアタシにダメージを与えられなかったけど、
    アナタの血はまちがいなくアタシに大ダメージを与えたわよ。
    ……格闘家さん)

34: 2012/04/06(金) 21:10:19.77 ID:eRjtIBs70
吸血鬼「ねぇ」

格闘家「ん?」

吸血鬼「アナタ、ここに住んでいるんでしょう? アタシをしばらく置いてくれない?」

格闘家「かまわないが」

吸血鬼「えっ、ホント?」

格闘家「ああ。世界チャンピオンとの試合の前に気が立ってたところに、
    君のおかげでだいぶ気がほぐれたしな」

吸血鬼「ありがとう……」

37: 2012/04/06(金) 21:16:20.53 ID:eRjtIBs70
吸血鬼「ところで、なんでこの道場ってアナタ一人なの?」

格闘家「元々はオヤジが建てたんだ」

格闘家「オヤジは強かったから、どんどん人が集まってきたんだが、
    絶望的なまでに教え方がヘタでな」

格闘家「厳しい上に分かりにくかったら、ついてくる人間なんているわけない」

格闘家「門下生は一人、また一人と去っていき、残ったのは息子の俺だけだった」

格闘家「……で、意外に繊細なとこもあったのか、急に体を悪くして
    今はお袋と一緒に田舎で暮らしてる」

格闘家「そして後を継いだ俺が、道場の立て直しを図ってるってわけだ。
    俺もそれなりに有名になったが、オヤジの悪評も根強く残ってて
    入門してくるヤツは一人もいない……」

吸血鬼「……イヤになったことはない?」

格闘家「辛い時はあるが、イヤになったことはないな。好きでやってることだし」

吸血鬼「やっぱりアナタってステキね」

41: 2012/04/06(金) 21:20:27.62 ID:eRjtIBs70
格闘家「じゃあ今度は俺から質問だ」

格闘家「吸血鬼ってのは君以外にもいるのか?」

吸血鬼「もちろんいるわ」

格闘家「……ってことは、家族も?」

吸血鬼「えぇ、父と母と兄がいる。
    もっとも、もう何十年も会っていないけどね……」

格闘家(何十年……そうか、若く見えるけど人間よりずっと長生きなんだな)

格闘家「なぜ、離れ離れになってしまったんだ?」

吸血鬼「アタシたちは常に人間の“ハンター”に狙われてるわ。
    ひと固まりになっているワケにはいかないの」

43: 2012/04/06(金) 21:26:12.22 ID:eRjtIBs70
吸血鬼「実はね……ここに来る前にも、アタシ狙われてたの」

格闘家「ハンターってヤツにかい?」

吸血鬼「そうよ」

格闘家「君ほどの力なら、そんなヤツら簡単に倒せるんじゃないのか?」

吸血鬼「彼らの装備は万全の魔物対策をしてあるから、アタシは絶対に勝てないの。
    アタシの攻撃は彼らに一切通用しないわ」

格闘家「そういうもんなのか……」
   (なるほど……そいつらとなにかあって、俺の血を欲してたってワケか)

吸血鬼「もし興味があったら、コンタクト取ってみたら?
    アタシを倒せるようになるかもよ」

格闘家「……興味ないな」

格闘家「あくまで俺は人間としての最強を目指すよ」

45: 2012/04/06(金) 21:28:22.27 ID:eRjtIBs70
夜が更けてきた。

格闘家「──さて、俺はそろそろ寝るが、君はやっぱり箱の中で寝るのか?
    棺桶とか……。ロッカーならいっぱいあるんだけど」

吸血鬼「アナタたちと同じよ。フツーでいいわ」

格闘家「そうか。じゃあ向こうの部屋に布団を敷いておくよ」

格闘家「おやすみ」

吸血鬼「えぇ、おやすみなさい」

48: 2012/04/06(金) 21:33:12.68 ID:eRjtIBs70
明朝から、格闘家は黙々と鍛錬を続けた。

格闘家「──せりゃあっ!」

ビュババッ! ババッ!

吸血鬼「………」

吸血鬼(キレイ……)

吸血鬼(この人は、一人きりのトレーニングで、世界チャンプに挑めるまでになった。
    よほど血のにじむ努力をしてきたんでしょうね……)

吸血鬼「ねぇ」

格闘家「ん?」

吸血鬼「もしジャマでなければ、アタシにも手伝わせてくれない?」

格闘家「かまわないけど……吸血鬼なのにこんなに朝早くて平気なのか?」

吸血鬼「夜じゃない時はたしかに動きは鈍るけど、大した影響はないわ」

49: 2012/04/06(金) 21:37:28.19 ID:eRjtIBs70
格闘家「つおぁっ!」

格闘家の繰り出す拳を、ミットで受ける吸血鬼。

バシッ! バババッ! バシィッ!

吸血鬼(拳を通じて、この人の熱いハートが伝わってくる……)

吸血鬼(昨日のこの人の攻撃には焦燥と困惑しかなかったけど、
    今日のこの人の攻撃は熱い……!)

吸血鬼(闇に生きるアタシには、熱すぎるくらい……!)

吸血鬼(んもう……ダメだったら……そんなに激しくしちゃ……!)

格闘家(妙にニコニコしてるな。そんなにミット打ちが面白いのか……?
    なんにせよ、練習相手になってくれるのはありがたい。
    彼女なら、怪我させる心配もないしな)

シュババッ! バシッバシッ!

50: 2012/04/06(金) 21:43:16.05 ID:eRjtIBs70


……

………

格闘家「はぁ、はぁ、はぁ……」

吸血鬼「ねぇ、アナタってなんで世界チャンピオンになりたいの?
    やっぱり道場を立て直すため?」

格闘家「それもあるが……俺は今のチャンプを尊敬している。
    尊敬してるからこそ、勝ちたいんだ」

格闘家「なにしろデビュー戦以降、無敗……。
    そんな相手とようやく戦えるんだ、悔いのない試合をしたい」

吸血鬼「ふうん……」

51: 2012/04/06(金) 21:48:12.85 ID:eRjtIBs70
吸血鬼と格闘家の奇妙な同居生活は続いた。

吸血鬼「ねぇ、なんでカーテン全部閉めるの?」

格闘家「え、だって太陽の光とかマズイだろ」

吸血鬼「平気よ。暗所の方が好きだから浴びないに越したことはないけど、
    浴びたって体がどうなるわけじゃないしね」

格闘家(けっこう俺が考えてた吸血鬼とはちがうんだな)



格闘家「せいぃっ!」

バオッ!

格闘家「つぁりゃっ!」

ブオンッ!

吸血鬼(いいわぁ~……この人のトレーニング姿って、ホントドキドキする)

52: 2012/04/06(金) 21:51:30.56 ID:eRjtIBs70
ワー…… ワー……

吸血鬼「なんのビデオを見てるの?」

格闘家「今度の対戦相手、つまりチャンピオンの試合だ。もちろんチャンプが勝つけど」

吸血鬼「えっ……」

格闘家「どうした?」

吸血鬼「いえ、すっごい険しい顔してて強そうだなぁ、と思って……」

格闘家「このチャンプは無口でいつも険しい顔してるけど、最後には勝つんだよ」

吸血鬼「負けてもめげないでね」

格闘家「お、おいおい……」



吸血鬼「ちょっと、何やってるの!?」

格闘家「ニンニクだよ。精がつくからな」ポリポリ

格闘家「食う?」

吸血鬼「やめて、絶対近づけないで! アタシ、ニンニクだけはダメなのっ!」

格闘家「わ、分かった、分かった。悪かったよ」
   (そういやニンニクって、吸血鬼の弱点だっけ)ポリ…

53: 2012/04/06(金) 21:55:18.63 ID:eRjtIBs70
ついに試合前日となった。

格闘家「これがチケットだ。けっこう貴重品なんだぞ」

格闘家「──といっても、貴重品なのはチャンプのおかげなんだけどな。
    他にも数試合あるが、客の目当てはチャンプただ一人だろう」

格闘家「俺の勝利を予想してるヤツなんて、ほとんどいない。
    いたとしても、競馬の大穴くらいに思ってるにちがいない」

格闘家「だからこそ……勝つ」

格闘家「……最前列の特等席、必ず見に来てくれよ」

吸血鬼「えぇ、絶対行くわ」

吸血鬼「……頑張ってね」

格闘家「もちろんだ」

54: 2012/04/06(金) 21:59:15.03 ID:eRjtIBs70
格闘家「俺は君と出会えてよかったよ」

吸血鬼「どして?」

格闘家「一週間前まで、俺は自分が世界でトップクラスに強いと本気で思っていた。
    チャンピオンにだってなれると思っていた。
    それが誇りでもあり、また重圧でもあったんだ」

格闘家「しかし、君に出会い──」

格闘家「世の中には俺なんか到底敵わないような存在がいると知った」

格闘家「泣きベソをかくくらいショックだったが、なんかとても気が楽になったんだ。
    肩の荷が下りた気がした」

格闘家「こんな気持ちで明日の試合に臨めるのは、君のおかげだ」

格闘家「ありがとう」

吸血鬼「……こちらこそ」

59: 2012/04/06(金) 22:06:13.52 ID:eRjtIBs70
格闘家「……なぁ」

格闘家「明日の試合、もし俺が勝ったら──」

格闘家「この道場もきっと忙しくなる。
    そしたら、少しの間だけでいい。俺を手伝ってくれないか?」

吸血鬼「……ん、考えとく」

こうして二人は試合当日を迎えた。

60: 2012/04/06(金) 22:10:14.67 ID:eRjtIBs70
翌日──

吸血鬼「いよいよね……」

格闘家「よし……行くか!」

格闘家「じゃあ俺は、試合の準備とかがあるから先に会場に行ってる。
    リングの上で……待ってるからな」

吸血鬼「うん……分かった」

格闘家は道場を後にした。

61: 2012/04/06(金) 22:14:08.21 ID:eRjtIBs70
会場 選手控え室──

通常、選手には誰かしらスタッフがつくものだが、格闘家には誰もいない。
一人で黙々とストレッチを行う。

格闘家(なんだか気持ちがとても楽だ……)

格闘家(これも彼女のおかげで、自分が世界最強だのという自惚れから
    解放されたおかげだ)

格闘家(彼女の見ている前で、恥ずかしい試合はできない……)

格闘家(いや、勝って彼女の前に立ってみせる!)

63: 2012/04/06(金) 22:18:13.71 ID:eRjtIBs70
会場 観客席──

最前列の席で、格闘家の試合を待ちわびる吸血鬼。

数試合が終わり、次が格闘家と世界チャンプによる試合(メインイベント)である。
観客の盛り上がりも最高潮に達している。

ワアァァァァァ……!

吸血鬼(いよいよ次ね……)

しかし──

「こんばんは」

65: 2012/04/06(金) 22:24:15.22 ID:eRjtIBs70
ワアァァァァァ……!

ハンターA「お元気そうでなによりです」ニコッ

吸血鬼「アナタたちは……!」

吸血鬼「!」ビクッ

吸血鬼(体が……動かない……!)

吸血鬼(くぅっ……!?)ビクッ

ハンターA「おっと、話しかける前にあなたの肉体と魔力は封じさせてもらいました。
      もうあなたは人間の女性よりも無力な存在です」

ハンターB「格闘家の道場に逃げ込んで、たらしこむとは考えたもんだな。
      俺たちは対魔物には万能だが、人間相手じゃ分が悪い」

ハンターB「だが、ヤツはまさにこれから試合のハズ……助けに来られるはずがない。
      もう前みたいに逃げられないぜ」

ハンターC「逃げられないぜぇ~」

66: 2012/04/06(金) 22:29:25.37 ID:eRjtIBs70
ワアァァァァァ……!

ハンターA「……多少あなたを動けるようにしました。さぁ、我々についてきて下さい。
      この騒がしさの中では、いくら叫んでも無駄ですよ」

ハンターA「もっとも、あなたがそんな見苦しい真似をするとも思えませんが」

ハンターC「思えませんがぁ~」

吸血鬼「分かったわ……」スッ
   (ごめんなさい。アナタの試合……見られそうにないわ)

ワアァァァァァ……!

68: 2012/04/06(金) 22:35:15.23 ID:eRjtIBs70
司会『お待たせいたしました!』

司会『いよいよ本日のメインイベント、チャンプVS格闘家です!』

ワアァァァァァ……!

司会『青コーナーより挑戦者、格闘家選手の入場ですっ!』

声援に応えながら、リングインする道着姿の格闘家。
だが、すぐに気づいた。

格闘家(──いないっ!?)

いるはずの特等席に、吸血鬼がいない。

格闘家(そんな……どうしていないんだ!?)

同じように、赤コーナーからチャンピオンが入場してきた。

71: 2012/04/06(金) 22:39:20.51 ID:eRjtIBs70
リング上──

何年もの間、対戦を熱望してきた世界チャンピオンと向き合う格闘家。
しかし、彼の心は、一週間寝食を共にしただけの吸血鬼でいっぱいだった。

実況『お~っと、挑戦者の格闘家、チャンプと目を合わせようともしない!
   これは臆してしまったのか!? はたまた挑発の類でしょうか!?』

ワアァァァァァ……!

格闘家(どうしていないんだ!?)

格闘家(来てくれなかったのか……? いや、そんなハズがない!)

格闘家(彼女は絶対来る! ……だが、現に来てないじゃないか!)

格闘家(なら……何かがあったとしか──)

格闘家(何か……。まさか、彼女がいってたハンターとかいうのが来たのか!?)

格闘家(しかし今さらどうしようも──!)

格闘家(とにかく早いとこ試合を終わらせて、彼女を探しに行こう!)

ワアァァァァァ……!

73: 2012/04/06(金) 22:45:21.96 ID:eRjtIBs70
カァンッ!

ゴングが打ち鳴らされた。

ワァァァァァ……!

格闘家(早く──早く終わらさねば!)

格闘家「つおぉっ!」

チャンプ「…………」

ガガッ! バシッ! ドカッ!

試合は打撃アリ、関節技アリ、寝技アリの総合格闘技ルール。
格闘家もチャンプも打撃を得意としており、両者立ったまま戦いを繰り広げる。

お互い一歩も引かぬ攻防──といいたいが、明らかに格闘家が押されていた。

75: 2012/04/06(金) 22:50:20.16 ID:eRjtIBs70
格闘家「はぁっ!」

格闘家のハイキックをガードしたチャンプが、右ストレートでの反撃。

ガッ!

格闘家「……ぐっ!」

格闘家(ダメだ……こんな心持ちじゃ、とてもかないっこない!)

チャンプ「…………」

チャンプ「君は……」

チャンプ「なにか……重大な問題を抱えているようだな」

格闘家「!?」

滅多に口を開かないといわれるチャンプが、よりにもよって試合中に口を開いた。

76: 2012/04/06(金) 22:53:16.49 ID:eRjtIBs70
格闘家「な、なんのことだ……試合中だぞ」

チャンプ「口で語らずとも、拳で語らえば分かるというもの。
     君の拳からは焦りしか伝わってこない」

ドヨドヨ…… ガヤガヤ……

審判「コラッ、両者減点するぞっ!」

チャンプ「黙れ」

審判「……は、はいっ!」

格闘家「……だったらなんだというんだ。アンタにゃ関係ないだろう。
    人間、誰だって重大な問題を抱えているもんだ」

チャンプ「迷いのある挑戦者を打倒しても、なんの価値もない……」

チャンプ「行け」

77: 2012/04/06(金) 22:56:36.85 ID:eRjtIBs70
格闘家「行け……っていわれても……」

チャンプ「東だ」

チャンプ「東へ向かえ」

格闘家「東……!? なぜ分かる……!?」

チャンプ「王者としての……本能(カン)だ」

格闘家「…………」ゴクッ

格闘家「分かった……。ありがとう、チャンプ……!」

格闘家はリングの外へ飛び出した。
当然、会場は大騒ぎになる。

実況『どうしたんでしょう!? 挑戦者の格闘家、リングから飛び出してしまった!』

ザワザワ…… ドヨドヨ……

「どうしたんだァ!?」 「試合放棄か!?」 「逃げちまったぞ!」

すると──

83: 2012/04/06(金) 23:05:21.81 ID:5p09elNP0
王者の本能(カン)わろた

78: 2012/04/06(金) 22:59:11.94 ID:eRjtIBs70
チャンプはマイクも使わずに、凄まじい大声を発した。

チャンプ「たった今っ!」

チャンプ「試合中ではあるが、挑戦者が重大な問題を抱えていることが分かった!」

チャンプ「私とて、100パーセントの力が出せぬ相手に勝っても嬉しくはないっ!」

チャンプ「だから私はチャンピオンとして、彼がリングから降りることを許したっ!」

チャンプ「だが案ずるなっ!」

チャンプ「彼は30分もすれば必ず戻るっ!」

チャンプ「ゆえに、しばしの休戦をお許し願いたいっ!」

ワアァァァァァ……!

チャンプのド迫力に巻き込まれ、観客は大盛り上がりとなった。
こうして異例の試合中断が成立してしまった。

82: 2012/04/06(金) 23:03:15.18 ID:eRjtIBs70
格闘家は走る。
体を鍛えてきたのはこの時のためだ、とばかりに走る。

もはや彼に、試合のことなど頭になかった。

格闘家(東へ──)

格闘家(東へ……)

格闘家(東へっ!)

格闘家(きっと彼女はそこにいるっ!)

84: 2012/04/06(金) 23:09:13.25 ID:eRjtIBs70
吸血鬼は三人のハンターに連行されていた。

ハンターB「チンタラしやがって、さっさと歩け!」

吸血鬼「アタシは……どうなるの?」

ハンターA「我らが拠点に連れて行き、身も心も浄化してあげますよ」

ハンターB「テメェの薄汚れた魂をキレイにしてやるんだ。感謝しろよ」

ハンターC「感謝しろよぉ~」

吸血鬼(つまり、魂ごと焼き尽くされるってワケね)
   「分かったわ、もうジタバタしない。連れてって」

ハンターA「ふふふ、潔いですね。
      大抵の魔物は、動きを封じてもわめき散らすものなのですがね。
      さすがは誇り高き吸血鬼、往生際がよろしくて助かりますよ」

ハンターA(女とはいえ吸血鬼をハントすれば、私の名も上がるというもの……。
      組織内での待遇もよくなる……!)

85: 2012/04/06(金) 23:13:33.30 ID:eRjtIBs70
吸血鬼「最後に……一つだけいい?」

ハンターA「なんでしょう?」

吸血鬼「さっきの試合……結果が分かったら、教えてくれる?」

ハンターA「気になるんですか?」

吸血鬼「…………」

ハンターB「あの格闘家もとんだバケモノに惚れられたもんだな! こりゃ傑作だ!」

ハンターC「傑作だぁ~」

ハンターA「まぁ、結果は分かり切ってますがね。おそらく──」

「試合再開後、挑戦者である格闘家が勝つ、だ」

88: 2012/04/06(金) 23:19:27.83 ID:eRjtIBs70
ハンターA「なっ!?」

吸血鬼(どうしてここに!? まさか試合を放棄して──)

格闘家「間に合った……ようだな」ハァハァ

ハンターB「この野郎、試合はどうしたんだよ!」

格闘家「チャンピオンの協力で、一時中断してもらった」ハァハァ

ハンターA(そんなバカなコトが……!)

格闘家「……さて」

格闘家「彼女を渡してもらおうか。
    ハンターってのがなんなのかはよく知らんが、素人を殴りたくはない」

ハンターA「あなたは……人間なのに、吸血鬼の味方をするおつもりですか?」

格闘家「俺は人間の味方でもなければ、吸血鬼の味方でもない。
    ──同じ釜の飯を食ったスパーリングパートナーの味方だ」

90: 2012/04/06(金) 23:25:15.54 ID:eRjtIBs70
格闘家「どうするんだ?」

ハンターA「たしかに我々は魔物にはめっぽう強いですが、
      同じ人間相手には大した戦力を持たない……」

ハンターA「なにしろ魔物の味方をする人間などレアケース……。
      対人間など想定する暇があったら、魔物対策をしていますからね。
      ……が、今日はちがいます」

ハンターA「なぜなら、我々の組織きっての武闘派である彼がいますからね!」

ハンターB「頼むぜ、お前の怪力を見せてやれ!」

ハンターC「見せてやるぅ~」ドドドッ

格闘家「…………」

ガシィッ!

93: 2012/04/06(金) 23:28:10.54 ID:eRjtIBs70
ハンターCの猛突進を、格闘家は真っ向から受け止めた。

ハンターC「ふぅぅぅぅ~!」グイッ

ハンターA(いくら格闘家でも、彼には手こずるはず……! そのスキに吸血鬼を──)

ハンターC「う、うぅう……」グイグイ

ハンターC「う、動かないぃ~……」グイグイ

格闘家「どうした、こんなもんか」

ハンターA「ウ、ウソ……」

94: 2012/04/06(金) 23:32:16.37 ID:eRjtIBs70
ゴッ!

顎へのジャブ。ハンターCの巨体が崩れ落ちる。

ハンターA「こんなハズが……」
ハンターB「マジかよ……!」

格闘家「魔物退治もけっこうだが……俺は人間を倒すのが得意なんだ。
    ずっとそればっかやってきたからな」

格闘家「お前たちは彼女には勝てても、俺には絶対に勝てない」ズイッ

ハンターA「う……くっ……」ジリ…
ハンターB「こっち来るな!」ジリ…

格闘家「今すぐ彼女にかけた呪縛だかなんだかを外して、ここから消えろ。
    今度彼女に近づいたら、格闘仲間全部集めてお前らを叩き潰すぞ」
   (格闘仲間なんていないけどな)

格闘家「彼女は俺の大事なパートナーなんだ」

96: 2012/04/06(金) 23:36:17.36 ID:eRjtIBs70
ハンターA「……正気ですか!?」

ハンターA「吸血鬼など助けても、いつかあなたは餌にされるのがオチですよ!?」

格闘家「かまわんさ。俺はすでに命懸けで挑んで敗れている。
    たとえ体中の血を吸い尽くされようと、悔いはないし、文句もいえない」

ハンターA「…………!」

格闘家「だが……俺はそうなっても、彼女の血となって彼女をお前らから守る」

格闘家「もう一度だけ忠告する」

格闘家「彼女の力を戻して、ここから消えろ。そして、二度と現れるな」

97: 2012/04/06(金) 23:40:31.36 ID:eRjtIBs70
ハンターA「…………」ギリッ

ハンターA「ま、まぁ……いいでしょう」

ハンターA「この女吸血鬼は人間への危険度としては、ほとんどゼロのようです。
      たしかに吸血鬼は惜しいですが、やっきになるほどの獲物でもありません。
      我々も忙しいですからね」

ハンターA「引き上げますよ」

ハンターB「お、おう」

格闘家(色々言い繕ってはいるが、ようするに降参ってことか)

格闘家「よし、彼女の力を戻して、とっとと消えろ!」

ハンターたちは吸血鬼を呪縛から解放すると、夜の闇に消えた。

100: 2012/04/06(金) 23:46:37.71 ID:eRjtIBs70
格闘家「……大丈夫か?」

吸血鬼「ありがと……まさかアナタに助けられるなんてね」

格闘家「君より遥かに弱い俺が……不思議なもんだ。
    俺と君とヤツらの関係は、ジャンケンみたいなもんなんだろうな」

格闘家「これで最初に会った時の醜態はチャラ……って感じかな?」

吸血鬼「クスッ……」ケホケホッ

格闘家「……だいぶ弱らされたようだな。血を吸え」

格闘家は腕を差し出した。

吸血鬼「ダメよ。アナタ、今から戻って試合をするんでしょう?」

格闘家「関係ない。吸え」

吸血鬼「ダメ……」

格闘家「ダメじゃない。吸え」

103: 2012/04/06(金) 23:51:01.79 ID:eRjtIBs70
吸血鬼の脳裏に、ハンターたちの言葉がよぎる。



『あの格闘家もとんだバケモノに惚れられたもんだな! こりゃ傑作だ!』

『吸血鬼を助けても、いつかあなたは餌にされるのがオチですよ!?』



吸血鬼「──ダメなのよ……!」

吸血鬼「アナタの血を飲んだ時……アタシ、あまりの美味しさに気が狂いそうだった。
    少しタガが外れただけで、全部飲んでしまいそうだった!」

吸血鬼「こんなんじゃ、いつかアタシはアナタを殺してしまう!」

格闘家「よかった……美味かったのか」

吸血鬼「え?」

格闘家「これでも俺は、なんとなく自分の血に自信があったからな。
    “血なんてみんな同じ味”っていわれた時は正直ショックだったんだ」

105: 2012/04/06(金) 23:53:20.17 ID:eRjtIBs70
格闘家「吸え」

格闘家「大丈夫……俺だって死にたくはない。
    もし君が俺の血を全部奪いに来たら、返り討ちは無理だろうが、
    なんとか逃げ切ってみせる。約束する」

格闘家「俺は君を助けたんだ。一回くらいいうことを聞いてくれよ」

吸血鬼「強引なんだから……」

吸血鬼「…………」カプッ

吸血鬼「…………」チュルッ

吸血鬼「…………」ゴクゴク

吸血鬼「──っふぅ」

格闘家「回復したか?」

吸血鬼「えぇ、ありがとう」

格闘家「よし、俺も頭に血が上ってたからちょうどよくなった。会場に戻ろう!」

106: 2012/04/06(金) 23:56:25.45 ID:eRjtIBs70
吸血鬼(ちがう……)

吸血鬼(前とはちがう……)

吸血鬼(前はこの人の熱すぎる血が私の中で暴れ回ったけど……)

吸血鬼(今度は……優しく全身を撫でてもらってるような感触だわ。
    私、この人に抱擁されている……)

吸血鬼(とても優しくて、温かい血……)

吸血鬼(ありがとう……格闘家さん)

吸血鬼(試合、頑張ってね)

吸血鬼(でもアタシは……結果を知っているの。アナタは──)

109: 2012/04/06(金) 23:59:16.51 ID:eRjtIBs70
試合会場──

チャンプ「来たか」
格闘家「待っててくれて、ありがとう」

チャンプの予告通り、格闘家は30分で戻ってきた。
会場のテンションは、試合中断によってかえって高まっていた。

ワアァァァァァ……!

実況『さぁ、挑戦者である格闘家、トラブルを解決してきたのでしょうか!?
   前代未聞の試合中断を経て、いよいよ試合再開ですっ!』

「やったれー!」 「待たせやがって!」 「つまんない試合すんなよー!」

観客の声援にも力が入っている。

112: 2012/04/07(土) 00:07:19.10 ID:tBl9+NFg0
カァンッ!

ゴングが鳴る。先ほどとは見違えるような動きで、格闘家が攻める。

左右の拳でのラッシュで防御を上げさせ、ローキック。
動きが止まったチャンプに、アッパーカットが炸裂した。

ガゴォッ!

実況『格闘家の強烈なアッパーが決まったぁっ!』

ワアァァァァァ……!

113: 2012/04/07(土) 00:11:10.77 ID:XD+V7SoC0
だが、さすがはチャンプである。
すぐに態勢を立て直し、幾人もの猛者を倒してきた重い打撃を振るう。

ズドンッ! ドゴォッ! ドカンッ!

実況『チャンプも負けてはいなーいっ! 象でも倒せそうな猛ラッシュだっ!』

防御に徹する格闘家。
が、重い打撃の間隙を突いて、的確に反撃を与えていく。

観客が息を飲むような、一進一退の攻防が続く。

まったくの互角。

実況『お互いに激しく打ち合いながらも、有効打を許しませんっ!
   リングの上で、まるで将棋のような読み合いが展開されているっ!』

これは判定決着になる──誰もが思った。

115: 2012/04/07(土) 00:17:16.21 ID:XD+V7SoC0
しかし、試合が動く。

チャンプが勝負に出たのだ。

蹴りのフェイントから、全身を駆動させての右ストレート。
だが、格闘家はこれをかわし、同じく渾身の右ストレートでカウンターを決めた。

バキィッ!

チャンプ「ぐぉ……っ!」

顔面へクリーンヒット。チャンプが勢いよく前のめりに倒れた。
カウントを数えるまでもなく、審判が試合を止めた。

カンカンカンカンカンカン……

ワアァァァァァ……!

会場が沸く。この瞬間、格闘家が新しい世界チャンピオンに決定した──

実況『チャンピオンの不敗神話がついに破れましたァッ!
   ──と同時に、新チャンピオンの誕生だァーッ!』

しかし、この勝利を信じられない者が、この会場に二人いた。

吸血鬼(ウソ……どうして……!?)

格闘家(なんでだ……)

試合は大盛り上がりの末、幕を閉じた。

117: 2012/04/07(土) 00:20:00.68 ID:XD+V7SoC0
チャンピオンの控え室──

敗れたチャンプは一人、後片付けをしていた。

コンコン

チャンプ「どうぞ」

ガチャッ

チャンプ「……君か」

格闘家「……アンタ」

格闘家「なんで、わざと負けた?」

120: 2012/04/07(土) 00:24:00.18 ID:XD+V7SoC0
チャンプ「わざと……とは、どういうことだ?」

格闘家「奇しくもアンタがいったことだ。拳で語らうと分かることがある」

格闘家「試合中断前は、気持ちが焦っていて分からなかったが、
    再開後はすぐに分かった」

格闘家「アンタ──吸血鬼だろ」

チャンプ「……よく、気づいたものだ」

格闘家「最近、吸血鬼と交流があってね。そうでなきゃ絶対気づかなかっただろう」

122: 2012/04/07(土) 00:28:33.69 ID:XD+V7SoC0
格闘家「アンタの異常な強さ……不敗神話もこれで説明がつく。
    アンタが試合中、いつも険しい顔をしていたのは、
    手加減が大変だったからだろう?」

格闘家「指一本でヒトを殺せるようなヤツが、
    相手を殺さないように、なおかつ格闘しているようにするのは、
    とんでもない難作業だったろうからな」

チャンプ「……ヒトに混ざった私を、責めるか?」

格闘家「いいや。アンタにはアンタの事情があるんだろう」

格闘家「ただし、アンタなら俺なんかいつでも倒せたハズだ」

格闘家「お情けでもらったチャンピオンベルトなんてまっぴらだ。
    アンタの答え次第では、すぐに返上させてもらう」

125: 2012/04/07(土) 00:32:31.07 ID:XD+V7SoC0
チャンプ「……我々吸血鬼は常に人間のハンターに追われている。
     ハンターの目を紛らわすのに、もっともいいのが人に紛れることだ」

格闘家(……ハンター、か)

チャンプ「私は格闘家として生きることを選んだ。
     まさかヤツらも、闇に生きるべき吸血鬼が光に照らされたリングの上で
     活躍しているとは夢にも思わないだろうからな」

チャンプ「身分を偽証し、強さを見せつけ……瞬く間に世界一となった」

チャンプ「しかし、もう疲れたのだ……。
     君の言うとおり、人間と戦うのは非常に繊細な作業だ。
     私はこの試合を最後に、再び闇に消えることに決めていた」

格闘家「……ただ消えるだけなら、別に俺に負ける必要はなかったはずだ。
    なぜ俺に勝ちを譲った!?」

格闘家「俺が先に出会った吸血鬼は、人間(おれ)と吸血鬼(アンタら)の差を
    きちんと思い知らせてくれた。だが、俺はむしろそれがありがたかった」

格闘家「アンタのやったことは……ただの侮辱だ!」

129: 2012/04/07(土) 00:37:20.76 ID:XD+V7SoC0
チャンプ「たしかに……私は勝って姿を消すこともできた」

チャンプ「最後の試合で君に勝ちを譲ったのは……せめてもの礼だ」

格闘家「礼?」

チャンプ「同族を助けてくれた……君に対する、な」

格闘家「…………!」

チャンプ「私は会場内に私とは別に、吸血鬼がいることを察知していた。
     その同族がハンターたちに捕まり、どの方角に連れ去られたかまでな」

格闘家(王者としての勘じゃなかったのか……少しショック)

130: 2012/04/07(土) 00:40:06.42 ID:XD+V7SoC0
チャンプ「吸血鬼同士がひと固まりになることはご法度……。
     同族が私を見に会場に来るなど、絶対にありえない。
     だから、あの吸血鬼は君と縁がある者だとすぐに分かった」

格闘家「そうか……。だからアンタは俺に仲間を助けさせるために……
    試合を中断させたのか……」

チャンプ「私では、ハンターには絶対勝てないからな」

格闘家「……安心してくれ。ちゃんとアンタの仲間は助けた。
    二度と近づかないよう脅しもつけといた。多分……大丈夫だ」

134: 2012/04/07(土) 00:47:12.56 ID:XD+V7SoC0
チャンプ「そうか……やはり君に託して正解だったようだ」

格闘家「…………」

チャンプ「あとは君の心ひとつだ。チャンピオンの座を、返上したくばすればいい」

チャンプ「君の実力であれば、空位になったチャンピオンの座を
     すぐモノにできるだろうしな」

格闘家「俺は……」

うつむく格闘家。

チャンプ「最後に一言だけ」

チャンプ「妹を助けてくれて……ありがとう」

格闘家「!」

格闘家が顔を上げると、チャンピオンは部屋から姿を消していた。

格闘家(チャンプ……)

135: 2012/04/07(土) 00:50:40.51 ID:XD+V7SoC0
その後、格闘家は吸血鬼のところに向かった。

格闘家「……やぁ」

吸血鬼「おめでとう、新チャンピオン」

格闘家「……ありがとう」

格闘家「君も知っていたんだろう? チャンプの正体を──」

吸血鬼「…………」

吸血鬼「えぇ、ビデオを見て一目で分かったわ。兄さんだって。
    だから正直……アナタは勝てないと思っていた」

格闘家「だろうな。多分、君の兄さんは君よりも強いんだろうから」

136: 2012/04/07(土) 00:53:32.85 ID:XD+V7SoC0
格闘家「譲られた勝利、はっきりいって気持ちがいいものとはいえない」

格闘家「だがきっと、俺は彼に託されたんだろう」

格闘家「だから、俺は世界チャンピオンとして生きていく」

格闘家「……だから……」

格闘家「約束通り……君にも、手伝って欲しい……」

吸血鬼は笑った。

吸血鬼「クスクス……いいわよ。いつまでとは約束できないけど……。
    これから忙しくなりそうね」

格闘家「……ああ!」

139: 2012/04/07(土) 00:56:42.92 ID:XD+V7SoC0
三ヶ月後──

世界チャンピオンとなる道を選んだ格闘家。
彼の格闘道場は大勢の門下生でにぎわっていた。

世界チャンピオンの名声に加え、世界最強という地位におごらぬ格闘家の謙虚な態度や
指導の上手さもあり、道場の評判は上々だった。

「えいっ!」 「やぁっ!」 「とぉっ!」

格闘家「もっと声を大きく!」

「せやぁっ!」 「ていっ!」 「はあぁっ!」

140: 2012/04/07(土) 01:00:18.50 ID:XD+V7SoC0
格闘家(やれやれ、指導やら経営やらで大忙しだ)

格闘家(有名になるってのも、考えものだな。
    かといって、まだ人を雇えるような段階じゃないし……)

格闘家(……彼女がいてくれて助かるよ、ホント)チラッ

この道場が人気になった理由はもう一つあった。
道場主をサポートしている、美人のパートナーがいるからだ。

門下生(ここは練習は厳しいけど、的確に欠点を指摘してくれるから、
    やりがいがあるな……)ハァハァ

吸血鬼「……疲れたでしょ、はいトマトジュース」

門下生「(嬉しいけど、なぜトマトジュース……?)あ、ありがとうございますっ!」

141: 2012/04/07(土) 01:06:05.84 ID:XD+V7SoC0
だが、人々は知らない。

夜中に密かに二人きりで行われている鍛錬を──

ドカァンッ!

格闘家「く、くそっ……やはり勝てない……!」

吸血鬼「クスクス……でも今のはけっこういいセンいってたわよ」

格闘家「本当か!?」

吸血鬼「ウソよ。熱い攻撃だったけど、痛くもかゆくもなかったわ」

格闘家「ようし、もう一回だ!
    君と戦うのは、どんな修業よりも修業になるからな!」

吸血鬼「……今夜は疲れちゃったから、もう一回だけよ」

格闘家「じゃあラストだ! 勝負っ!」

世界チャンピオンのパートナーは、世界チャンピオンよりも強いということを──



                                   ~おわり~

142: 2012/04/07(土) 01:06:43.69 ID:Rx7uWkSG0

147: 2012/04/07(土) 01:08:53.35 ID:2O40J2+10
いい終わり方

149: 2012/04/07(土) 01:10:48.14 ID:6n3uZZqM0
爽やかで良かった

引用元: 吸血鬼「アナタの血をいただくわ」格闘家「なんだと!?」