3: 2011/03/06(日) 22:05:13.25 ID:Lp+Xs1DK0
「東中学出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません……」

 振り返ると、女のわたしから見ても美人な女の子が威風堂々そんなことを言っていた。

 ここは笑ってあげるところなのかなと戸惑いつつ、わたしはその女の子――涼宮さんの自己紹介が終わるのを待った。

 しかし、涼宮さんがどんなつもりでそんなことを言ったのか、結局最後まで聞いてもわたしにはちょっと解らなかった。

 変な子……そんな第一印象だった。

4: 2011/03/06(日) 22:09:41.92 ID:Lp+Xs1DK0
 でも、涼宮さんは決して頭がおかしいってわけでもないみたいだった。

 授業の受け答えを聞く限り、言っていることは整然として無駄がなく論理的で、頭の回転が速いことは明らかだった。
 普段の様子も、顔は仏頂面で態度はぶっきらぼうな感じを装っていたけれども、
 よく観察すれば立ち振る舞いが綺麗で、細かい仕草からは繊細な印象を受けた。
 涼宮ハルヒという人は、本来はすごく魅力的な、凛とした女性なのだろう、とわたしには思えた。

 そんな、頭も育ちも良い子が、どうしてわざと人の輪から外れるようなことをするのだろう。

 わたしは涼宮さんに気付かれないように彼女を盗み見ながら、首を傾げた。

6: 2011/03/06(日) 22:12:56.44 ID:Lp+Xs1DK0
 涼宮さんはなんでもできた。

 例えばスポーツ。身体測定では全ての測定で十点満点という信じられない偉業を成し遂げた。
 どこからともなく耳にしていた、全運動部から熱心に入部を勧められているという噂は本当だったようだ。

 しかし、当の涼宮さんはこんなの嬉しくもなんともない、という不機嫌そうな顔で汗を拭いていた。

 当然のように涼宮さんは勉強もできた。が、特にがりがり勉強をしている様子はない。おそらく飲み込みが早いのだろう。
 中間テストはまだだけれど、彼女ならきっと上位に食い込むはずだと思える。

 しかし、当の涼宮さんはこんなの楽しくもなんともない、という不機嫌そうな顔で黒板に模範解答を書き込んでいた。

 これで涼宮さんが周囲ともっと協調できる人だったらと思って、わたしは思わず溜息をついてしまった。

7: 2011/03/06(日) 22:18:08.58 ID:Lp+Xs1DK0
 ゴールデンウィークを過ぎた頃。クラスの誰とも口を聞かなかった涼宮さんに話し相手ができた。
 みんなからキョンと呼ばれる、涼宮さんの前の席の男の子だ。
 最初こそお互いさぐりさぐり喋っていたけれど、日に日に二人が話す時間は長くなっていった。

 わたしは、あるときキョンくんに訊いた。

「わたしがいくら話しかけても、なーんも答えてくれない涼宮さんがどうしたら話すようになってくれるのか、コツでもあるの?」

「解らん」

 キョンくん自身も本当に解ってないようだった。わたしは可笑しくなった。

「ふーん。でも安心した。涼宮さん、いつまでもクラスで孤立したままじゃ困るもんね。一人でも友達が出来たのはいいことよね」

 わたしはほっと胸をなでおろす。これで一歩、みんなの仲が良いクラス、という理想に近付いた。
 わたしはキョンくんに感謝しつつ、もっと頑張って、と両手を合わせる。

「よろしくね。これから何か伝えることがあったら、あなたから言ってもらうようにするから。お願い」

 キョンくんは曖昧に「ああ」とか「うう」とか呻いた。
 わたしはそれを肯定の意思表示と受け取って、ありがとう、と笑顔を投げかけた。



「涼宮ハルヒの憂鬱」のパラレル話。
ただの人間の朝倉さん視点。
です。
応援ありがとうございます。

8: 2011/03/06(日) 22:22:31.04 ID:Lp+Xs1DK0
 しかし、キョンくんにばかり任せていては委員長失格かな、と思い直して、わたしは涼宮さんに話しかけてみることにした。
 でも、今までの経験上、
 わたしが「やっほーこんにちは」と言っても涼宮さんは無言でそっぽを向いてしまうだろうことは目に見えていた。

 そこで、わたしはちょっとズルをして、涼宮さんがキョンくんと喋っているところにお邪魔してみることにした。
 これなら、キョンくん越しになるかもしれないけれど、涼宮さんとなんらかのコミュニケーションが取れると思ったのだ。

「なんの話をしていたの?」

 わたしは、作戦通り、キョンくんと涼宮さんの話が盛り上がってきたところを見計らって二人の間に入った。

 しかし、涼宮さんはふっと顔を上げてわたしを見ると、ぷいっと窓の外に目をやった。

9: 2011/03/06(日) 22:24:48.26 ID:Lp+Xs1DK0
 キョンくんが「やれやれ」と言ってわたしの問いに答えてくれる。

「涼宮とうちの高校の部活について話していたところだ。ミステリ研とか超現研とかな。ほら、こいつ片っ端から仮入部してるから。
 でも、こいつはその程度の部活じゃ満足できないんだと。もっと面白くてラディカルな部活動をご所望らしい」

 わたしは「へえ」と微笑んで、言った。

「ないなら作ってみればいいんじゃない? 新しい部活動や同好会を発足させることも可能よ。校則に書いてあるもの。
 きっと涼宮さんなら出来るわよ」

 ずっと窓越しに遠くの空を眺めていた涼宮さんはそこでやっとわたしに振り向いた。
 その表情はいつもの苛々したような表情だったが、僅かに瞳の奥が輝いていることにわたしは気付いた。

10: 2011/03/06(日) 22:26:51.01 ID:Lp+Xs1DK0
 その日の放課後のこと。

「あんた、ちょっと来なさいよ」

「え?」

 見ると、帰り支度をしていたわたしの前に、涼宮さんは腰に手を当てて傲然と立っていた。

「あたしに協力しなさい」

「……え?」

 わたしはわけがわからず再度聞き返す。
 しかし、涼宮さんはわたしのことなどお構いなしに、いきなりわたしの手を掴んできて、教室の外にわたしを連れ出し、どこかへ向かって走り始めた。
 わたしは鞄を教室に置き去りにしないようにするのが精一杯だった。

「涼宮さん、廊下は走っちゃダメよ」

 一応わたしは注意したけれど、涼宮さんは止まらなかった。

11: 2011/03/06(日) 22:29:21.46 ID:Lp+Xs1DK0
 涼宮さんとわたしは校舎を一階まで降り、そこから一旦外に出た。
 そこで涼宮さんは立ち止まり、わたしの手を離して振り向いた。

「あたし、あんたのおかげで気付いたの。どうして今までこんな簡単なことを思いつかなかったのかしら」

「なんのこと?」

「作ればいいのよね!!」

 そう言った涼宮さんは――初めて見る――太陽のように笑っていた。

「……何を?」

「部活よ。部活!!」

「……それで?」

「なによ、あんたが言い出したくせにノリが悪いわね。だから新しい部活を作るの。
 あんた、そういうの得意そうだから部創設に係る書類関係は任せるわ。そのうち作っといてね。
 で、今日はとりあえず部室に行ってみましょうか。ああ、ワクワクするわ!」

 涼宮さんは再びわたしの手を掴んで、文化系部の部室棟に突進した。

14: 2011/03/06(日) 22:33:24.09 ID:Lp+Xs1DK0
 部室棟の薄暗い廊下の半ば、涼宮さんは一枚の扉の前で立ち止まった。わたしは足だけじゃなく心臓も止まりそうになった。

「ここは……」

 わたしはその斜めに貼られたプレートに書いてある部活名を凝視する。
 わたしの読み間違いでなければそこには『文芸部』という三文字が刻まれていた。
 現在、確か文芸部の部員はたった一人しかいないはずだ。
 わたしが絶句していると涼宮さんは元気いっぱいに宣言した。

「ここが部室よ!」

「え!? ちょっ!? 涼み――」

 止める暇もなかった。涼宮さんはノックもせずに勢いよく目の前の扉を開け放った。

「ちょっと待ってってば!!」

 わたしは文芸部の部室に突入した涼宮さんを慌てて後ろから羽交い絞めにした。

 しかし、遅かった。

 わたしは、その、部室の隅っこで一人パイプ椅子に座って本を読んでいる少女に目をやる。

 少女は、ひどく驚いた表情で口を開け、眼鏡のレンズ越しにわたしたちを見つめていた。

15: 2011/03/06(日) 22:36:06.16 ID:Lp+Xs1DK0
「長門さん……」

 わたしは、そのどうしようもなく気の弱い少女に、安心させるように微笑みかけた。
 しかし、涼宮さんを押さえつけながらだったから少し顔が引き攣っていたかもしれない。

「朝倉さん……」

 長門さんはしばらく口をぱくぱくさせてから、ようやく言葉を絞り出した。
 それを聞いて涼宮さんが素っ頓狂な声を上げる。

「え? なに? 二人知り合い?」

 長門さんが口の前に拳を当ててこくんと頷いた。

16: 2011/03/06(日) 22:39:59.31 ID:Lp+Xs1DK0
 涼宮さんを開放したわたしは、涼宮さんから彼女を守るように長門さんの前に立って、涼宮さんに訊く。

「それで、涼宮さん、これは一体どういうこと?
 新しい部活とは何かとか、どうしてわたしを引っ張ってきたのかとかは、この際なんでもいいの。
 ただ長門さんを困らせるようなことはしないで。
 涼宮さん、それで、これは一体どういうことなの?」

 涼宮さんは有体に言うと文芸部を乗っ取って新しい部活を始めたいらしかった。

「あのね、そんなこと許されるわけないじゃない」

「でも、前にここに来たとき、有希はここを好きに使っていいって言ったわよ」

「それ本当? あなたが強引に言わせたんじゃないの? そもそも涼宮さんと長門さんはどういう関係? お友達なの?」

「む……。そう言うあんたこそ、有希のなんなのよ」

「わたしは長門さんの遠い親戚で、友達で、ご近所さんなの。三年前から同じマンションに住んでて、よく長門さんの面倒を見てるのよ。夕ご飯持って行ったりとか」

「……押しかけ女房みたいなもの?」

「押し付けじゃない。長門さんはわたしを必要としているの」

17: 2011/03/06(日) 22:43:12.92 ID:Lp+Xs1DK0
 わたしと涼宮さんの間の空気が急速に張り詰める。
 と、それを敏感に感じ取った長門さんが後ろからわたしの袖をちょいと摘んで引っ張った。
 わたしが振り返ると、長門さんは首を横に振った。

「朝倉さん……いい」

「長門さん……?」

 わたしが目を丸くして二の句が継げないでいる隙に、長門さんは涼宮さんの方を見てコスモスのように小さく微笑んだ。

「涼宮さん、文芸部はわたし一人で、部屋のスペースも空いている。好きに使って、いい」

 長門さんは長門さんにしてははっきりとそう意思を示した。
 涼宮さんがバンザイして喜ぶのを見ながら、わたしは長門さんがそう言うなら、と肩を落とした。

18: 2011/03/06(日) 22:45:56.53 ID:Lp+Xs1DK0
 帰り道、わたしたちは三人で一緒に歩いていたが、やがてわたしと長門さんは涼宮さんと別れた。

 二人きりになったところで、わたしは問う。

「長門さん。ちょっと説明してくれない? 涼宮さんと出会った経緯とか、色々。わたし、納得いかないもの」

 長門さんはせわしなく左を見たり右を見たりして、最終的に瞼を少し閉じ、俯いた。
 否、それは俯いたのではなく頷いたのだった。

「わたしの家に、来て」

 そこで話す、ということなのだろう。長門さんは頼りない足取りでまた歩き始めた。

19: 2011/03/06(日) 22:50:10.01 ID:Lp+Xs1DK0
 長門さんの家は相変わらず殺風景だった。わたしの部屋と間取りが同じだとは思えないほど広く感じる。

 わたしはリビングにある唯一の家具――コタツ机――に入り、座った。
 長門さんはしばらくお茶を入れたりなんだりとぱたぱたしていたが、
 わたしが「いいから」と言うと、おずおずとわたしの向かいに座った。

「それで、何を話してくれるの?」

 長門さんは何度か躊躇ってから、ついにその薄い唇を開いた。

「涼宮ハルヒさんのこと」

 そこで長門さんは一度深呼吸して、背筋を伸ばした。それから強張った表情で真っ直ぐにわたしを見つめ、また口を開いた。

「それと、わたしのこと。朝倉さんに教えておく」

 そう言ってからの長門さんは、普段の無口が嘘のように、流れるように語り出した。

21: 2011/03/06(日) 22:52:33.28 ID:Lp+Xs1DK0
「信じて」

 長門さんはそう結ぶと、今まで呼吸するのを忘れていたかのように大きく息を吸い込んだ。
 わたしはかつてなく混乱していた。

「長門さんが……えっと、宇宙人に作られたヒューマノイド・インターフェース?」

「……そう」

 わたしは鈍痛のする頭を押さえる。

「それで……わたしがその……なんだって?」

「あなたは、たぶん、涼宮さんにとっての鍵。あなたと涼宮さんが、すべての可能性を握っている」

22: 2011/03/06(日) 22:55:09.07 ID:Lp+Xs1DK0
 わたしはコタツ机の角に頭を打ち付けたくなった。
 それは、長門さんが突然わけの解らない話を始めたからではない。

 そのわけの解らない話をする長門さんが一つも嘘を言っていないことが、長い付き合いでわかってしまうからだった。

 長門さんの語ったことは悉く事実であり真実なのだろう。長門さんは嘘を言えるような子ではない。

 ひょっとすると本の読み過ぎで妄想を信じ込んでしまったのか、ということも可能性としてはあるが、
 長門さんに限ってそれはないだろう。
 長門さんはちゃんと虚実を見分ける賢さを持っている。

 長門さんが真実を語っている以上、長門さんの親友であるわたしはそれがどんなに真実らしからぬ話でも受け入れるべきだ。

 でも……ちょ……えぇー……?

24: 2011/03/06(日) 22:58:17.09 ID:Lp+Xs1DK0
「それで、わたしはとりあえず、どうすればいいのかな?」

「いつも通りにしててくれればいい。ただ、情報統合思念体が地球に置いているインターフェースはわたし一つではない。
 統合思念体の意識には積極的な動きを起こして情報の変動を観察しようという動きもある。
 朝倉さんは涼宮さんにとっての鍵。危機が迫るとしたら……まずあなた」

 ああ、そういうことか、とわたしは気付く。

 長門さんは、ただわたしのことを心配してくれているのだ。

 わたしは一瞬でも長門さんを疑った自分を恥ずかしく思った。
 長門さんはわたしに気をつけろと言うためにこの話をしてくれたんだ。

 なら、わたしが今ここで言うべきことは、一つだろう。

「話してくれてありがとう、長門さん」

 長門さんはかあっと顔を赤らめて下を向いた。

25: 2011/03/06(日) 23:01:46.96 ID:Lp+Xs1DK0
 次の日の放課後。

「朝倉さんってすごいよね。なんでもできて」

「なんでもできるわけじゃないよ」

「いつ勉強してるのね?」

「授業中にちゃんとノートを取って、たまに放課後に図書館でちょっとと、あとは朝早起きしてやっているかな」

「ええー? 夜は何してるの?」

「好きなことしてるわよ。本を読んだり、音楽を聴いたり、あと、ランニングしたりとか」

「すっごーい。真面目!」

「そんなことないって。普通」

「それが普通って言えるのがすごいんだよー」

 などと掃除をしつつクラスの女友達たちと微笑ましくお喋りをしていたわたしに、
 突然現れた涼宮さんは一方的に「先に行ってて!」と言い残して教室を出ていった。
 友人たちは驚きの表情でわたしを見た。わたしは、わたしに奇異の目を向けた友人たちに、
 「大丈夫わたしはあなたたちと同じ一般的な人間だから」という意味の微笑を返してその場を取り繕った。

26: 2011/03/06(日) 23:04:04.31 ID:Lp+Xs1DK0
 掃除を終え、ゴミ出しはわたしがやっておくからとわたしは友人たちを先に帰らせた。
 どのみち学校に残らなくてはいけないのだから、わたしがやった方が効率的だろう。

 わたしは一人、長門さんのことを考えつつ、金属製のゴミ箱を運んだ。

 人気のない校舎裏にある焼却炉に着くと、わたしはゴミ箱を置いた。思っていたよりも重くて腕が疲れた。

 わたしは一息ついて、ゴミを焼却炉の中に入れるため、ゴミ箱を持ち上げる。

 と、手が滑ってゴミ箱をひっくり返してしまった。

27: 2011/03/06(日) 23:06:30.94 ID:Lp+Xs1DK0
 どんがらがっしゃんとすごい音を立ててゴミを撒き散らしながら五メートルほど地面を転がるゴミ箱。
 わたしは「何をやっているんだ自分」と顔を顰めてそれを取りに歩き出した。

 と、わたしがゴミ箱に辿り着く前に誰かがその倒れたゴミ箱を立ててくれた。

「よう。お疲れだな」

 キョンくんが片手を挙げて立っていた。わたしはちょっと驚いて口に手を当てる。

「お前はクラス委員長の鏡だな。ゴミ出しもするし、クラス一の問題児を手懐けるし。脱帽だぜ。
 アホの谷口に爪の垢でもいいから分けてやってくれないか?」

28: 2011/03/06(日) 23:09:50.46 ID:Lp+Xs1DK0
 そう言ったキョンくんは曖昧に苦笑していた。わたしが近付くとキョンくんはわたしを制した。

「あとは俺がやっとくよ。大丈夫。涼宮に呼ばれてるんだろう? 早く行ってやれ。
 あいつのことだ、お前があいつより先に行ってなかったら、それはそれはものすごい勢いで騒ぎ出すに決まってる」

 もっともな意見だった。文芸部の部室でそんなことをされたら長門さんが卒倒してしまう。
 しかし、わたしは一度やり始めた仕事はきっちり最後までやりたいタイプだった。
 わたしが迷っていると、キョンくんはまた苦笑して言った。

「心配するな。俺は何も言わねえよ。だから、行っていいぞ」

 何も、というのは、わたしが涼宮さんに言われた通りに行動していることだろうか。
 確かに涼宮さんの奇抜な行動の片棒を担いでいると思われるのは困ったことだけれど。

「そう、優しいのね。ありがと」

 結局わたしはキョンくんの好意に甘えることにして、その場を去った。

29: 2011/03/06(日) 23:14:00.59 ID:Lp+Xs1DK0
 部室の近くまで来ると中から涼宮さんの騒ぐ声がした。しまったことに先を越されたらしい。

 わたしは長門さんを助けに急いで扉に駆け寄った。

 しかし扉には鍵がかかっていた。

 そして、部屋の中からは涼宮さんのこんな声。

「童顔でデカ乳。萌え要素の一つよね。あー、本当におっきいなー。
 んー、でもなんか腹立ってきたわ。こんな可愛らしい顔して、あたしより大きいなんて!」

 長門さんになんてことをしているんだ!!?
 とわたしは叫びそうになったが長門さんの慎ましやかな胸部を思い出してぎりぎり堪えた。

 すると長門さんでも涼宮さんでもない黄色い声が聞こえてくる。

「たたたす助けてえ!」

 とりあえずわたしは扉をノックした。

30: 2011/03/06(日) 23:16:22.38 ID:Lp+Xs1DK0
「朝比奈みくるちゃんよ! こういうマスコット的キャラも必要だと思って」

 紹介された朝比奈みくるさんは乱れた制服をバタバタ叩き直し、上目遣いにわたしをじっと見た。

 どうやらわたしの守るべきものがまた一つ増えたらしかった。

 涼宮さんはそんなわたしの気苦労など知ったことじゃないといった風なはしゃぎっぷりで、
 この集まりの名称――SOS団と命名された――や、放課後は毎日部室に集まることという規則を言うだけ言って、
 その場を解散させた。

 わたしは肩を落として帰ろうとしていた朝比奈さんを廊下で呼び止めた。

「朝比奈さん」

「あ……」

31: 2011/03/06(日) 23:21:03.93 ID:Lp+Xs1DK0
 朝比奈さんは、わたしの存在を確認するや否や慌てて襟を正し、きをつけをした。

「朝倉様。さささ先ほどは大変ししつ、失礼いたしました。朝比奈みくると申します。不束者ですがどうかよろしくお願いいたします。……いかがなさいましたか?」

 可愛らしい顔が緊張で青くなっている。どういうことだろう。

「えっと……朝比奈さん、何を畏まっているんですか? 自然にしてください。わたし、あの、後輩ですので」

「ごめ……あ、いえ、申し訳ないです。で、ででもですね……」

 何やらワケありのようだった。なので、今はそのワケは置いておくことにする。
 わたしは最初に予定していた話ができるように軌道修正する。

「あの、SOS団のことなんですが、もし嫌なら入団を断ってもいいと思いますよ。
 涼宮さんにはわたしがよく言っておきますから心配しないでください」

「いえ……ご心配していただきまことに有難き幸せでございます。しかしながらわたしは大丈夫です。
 恐らくこれがこの時間平面状の必然なのでしょうし……それに長門さんがいるのも気になりますし……」

33: 2011/03/06(日) 23:30:44.97 ID:Lp+Xs1DK0
 朝比奈さんの半分独り言のようなセリフには聞き捨てならない単語が二つあった。
 一つは時間平面状の必然で、もう一つは、

「長門さんが……どうかしたんですか?」

「え、や、何でもないです。何でもありません。何でもございません」

 絶対に何かあると思った。例えば、長門さんが実は宇宙人だってことがバレている、とか。

 が、涼宮さんに辱められて衰弱している上になぜかわたしに対して恐縮している朝比奈さんをこれ以上問い詰めるのは酷かと思い、
 また今度質問し直すことにした。

「まあ、そう言われるんでしたら……」

35: 2011/03/06(日) 23:39:14.43 ID:Lp+Xs1DK0
 わたしが話を切り上げようとすると、朝比奈さんは何やらもじもじしながら呟いた。

「あ、朝倉様。その、わたしのことはどうぞ……えっと……あのう……あのその……」

 朝比奈さんはこれでもかというくらい顔を赤くして、言った。

「【禁則事項】とお呼びくださいっ!」

 全世界が停止したかと思われた。

 朝比奈さんは羞恥で顔を真っ赤にし、目に涙をいっぱいに溜めて走り去っていった。

 本当になんだったのだろう……。

 わたしは、わたしの後ろでこの会話をひっそり聞いていた長門さんが【禁則事項】を漢字変換できないようにするにはどうしたらいいかを必死に考えた。

36: 2011/03/06(日) 23:41:38.61 ID:Lp+Xs1DK0
 さて、コンピュータ研からパソコンを強奪したり二匹の兎がビラ撒きをしたりと、
 だんだん涼宮さんがわたしの手に負えなくなってきた。
 涼宮さんが何かしようとするたびにわたしたちは衝突した。

「そんな公序良俗に反することが許されるわけないじゃない!」

「あんたは黙ってなさいよ。いいでしょ、あたしがやりたいんだから!」

 しかし、こうやって衝突するものの最後に折れるのは必ずわたしの方だった。なぜかというと……、

「朝倉さん……」
「朝倉様……」

 長門さんと朝比奈さんが二人揃って涙目の上目遣いでわたしに涼宮さんを止めないよう懇願するからだった。

「……わかったから泣かないで」

 そうして、か弱い子羊二匹を守りつつ先生への言い訳を捻り出す日々が続いていたある日、

 涼宮さんが一人の男を部室に連れてきた。

38: 2011/03/07(月) 00:06:37.10 ID:we1kebb60
「へい、お待ち! 一年九組に本日やってきた即戦力の転校生、その名も、」

 その男は如才ない笑みを浮かべて言った。

「古泉一樹です。……よろしく」

 いかにも礼儀正しくて優しそうな古泉一樹くんは、長門さんや朝比奈さんを見て、最後にわたしを見た。

 古泉くんの口元が一瞬ぴくんと引き攣ったように見えたのは気のせいだろうか。

「それで、ここは何をするクラブなんですか?」

 古泉くんは涼宮さんにそんなことを訊いた。そう言えばそれはわたしたちも知らないことだった。

「SOS団の活動内容、それは、宇宙人や未来人や超能力者を探して一緒に遊ぶことよ!」

 わたしが宇宙人はいるんですけど……と言おうとするのを長門さんが目で止めた。




39: 2011/03/07(月) 00:10:15.78 ID:we1kebb60
 後日、わたしは朝比奈さんと古泉くんから告白を受けた。もちろん愛の告白ではない。

 まずは朝比奈さん。

 週末にあった涼宮さん主催の不思議探しツアーで二人きりになったとき、
 わたしがずっと気になっていたことを訊いたところから、告白は始まった。

「あの、朝比奈さんはどうしてわたしにそんなに畏まるんですか? わたしとしては、できることなら普通の先輩後輩同士のような感じでお付き合いしたいのですが……」

 正直言って、天使のように愛らしく幼げな娘さんからおっかなびっくり接されるのは、
 何か良くないものが刺激されている気がして落ち着かない。

42: 2011/03/07(月) 00:24:28.60 ID:we1kebb60
 朝比奈さんは途切れがちに言葉を紡いだ。

「わたしも……本当にそうできるならしたいのでございますが……朝倉様は涼宮さんにとってとても大事な人――」

 そう言えば前に長門さんもそんなことを言っていた気がする。あのときは涼宮さんにとっての鍵、だったか。
 でも長門さんはわたしに特に畏まったりはしない。

「――であらせられるので決して間違っても絶対に失礼のないようにと……」

「ないように、と……?」

「上から厳命されているのです」

「上……?」

 一緒に横を歩いていた朝比奈さんはそこで突然早足になってわたしの前に出て、振り返った。

「お話したいことがございます」

 そして、わたしは朝比奈さんが未来から来たことを知った。


43: 2011/03/07(月) 00:29:17.52 ID:we1kebb60
 別の日。今度は古泉くんだった。

 昼休み、わたしは古泉くんから呼び出された。そこで、古泉くんが超能力者であることを聞かされた。

「残念ながら今ここでは超能力をお見せすることができないのですが……信じていただけますでしょうか?」

「まあ、似たような話を聞かされているから」

「そうですか。それは有難いです」

「ところで……古泉くん」

「なんでしょう?」

 わたしは、ちらりと古泉くんを見た。

「どうしてそんなに緊張しているの?」


44: 2011/03/07(月) 00:32:31.36 ID:we1kebb60
 古泉くんの貼り付けたような笑顔の上にぽつぽつと冷や汗が浮かんでいた。

「緊張、ですか。どうかお気を悪くしないで下さい。
 あなたのような聡明で秀麗な非の打ち所のない女性を前にすると、男性とはどうしても自分を良く見せようと苦心するものです。
 僕も機関によってそれなりの訓練を受けた身とは言え、元は一人のごく平凡な男に過ぎません。
 ですから、ついあなたに惹かれてしまうのを抑えられないのですよ」

 古泉くんは嘘だか本当だかわからないことを言って誤魔化した。

 わたしのことはともかくとして、
 涼宮さんだって十分に素敵な女性なのに、彼は彼女には自然体で接している気がする。

 わたしはその違いについてじっと考えてみたが、昼休み終了を告げる鐘が鳴ったところでやめてしまった。

45: 2011/03/07(月) 00:36:04.84 ID:we1kebb60
「あんたはさ……」

「何?」

 涼宮さんは口を開けたり閉じたりしたかと思うと、ぶんぶんと首を振って机に突っ伏してしまった。

「……なんでもない」

 なんでもないわけがない。

「どうしたの? 気分でも悪いの?」

 涼宮さんは顔を上げる。眉がハの字になっていた。

「なんでもないって言ってるでしょ!」

 涼宮さんは唐突に大声を出し、また机に突っ伏す。わたしは思わず周囲を見回し微笑を振り撒いた。

 みんなが同情するような頷きを返した。

46: 2011/03/07(月) 00:39:34.12 ID:we1kebb60
「あのね、涼宮さん」

「何よ」

「SOS団のことなんだけど」

「それが何?」

「涼宮さんの不思議なことを探したい、っていう気持ちはよくわかるんだけど、
 もし本気でそういうことがしたいんだったら、やっぱりちゃんと学校の規則に沿ってやった方がいいと思うの。
 ほら、却下されちゃったけど申請書類に書いたでしょ?
 あんな感じで、本当に学校とか地域とかでボランティア活動をして、先生たちに認めてもらった上で、
 やりたいことをやるのがベストだと思うの。
 それなら、今よりもっと人も増えるし、堂々と涼宮さんのやりたいことができる。
 規模が広がれば自然と色んな情報――不思議に関することも含めて――が入ってくるようになる。
 ねえ、そっちの方が効率的だと思わない?」

「うるさい」

 涼宮さんは、きっぱりとそう言った。

47: 2011/03/07(月) 00:42:42.18 ID:we1kebb60
 放課後、部室に行くと涼宮さんと古泉くんは来ていなかった。

「朝倉様。ご機嫌麗しゅう」

 朝比奈さんがメイド姿で出迎える。その言葉遣いや丁寧な物腰もあいまってわたしはあまりの可愛さに頭がくらくらした。
 このままでは本当に変な気持ちになってしまいそうだ。

「涼宮さんは? ご一緒ではないのでございますか?」

 わたしは「知らないです」と簡単に答えた。

 なぜだか、そのときのわたしは少しじれったいような気分だった。朝比奈さんが可憐だからか。涼宮さんの不機嫌が感染したのか。

 それとも――あのことが気になっているのだろうか。

48: 2011/03/07(月) 00:45:54.44 ID:we1kebb60
 この日わたしは朝から一つの懸案事項を抱えていた。

『放課後誰もいなくなったら、一年五組の教室に来てほしい』

 男の人の字でそう書かれたノートの切れ端がわたしの下駄箱に入っていたのだ。

 SOS団の活動(活動と言えるような活動はしていないが)が終わると、
 わたしは長門さんに用事があるから先に帰っててと言って教室に向かった。

 時刻は五時半くらい。

 人気の絶えた廊下でわたしは深呼吸した。
 窓は磨りガラスなので教室の中は伺えないが、西日でオレンジ色に染まっていることだけはわかった。

 わたしは一年五組の引き戸を開けた。

 黒板の前に、一人の人物が立っていた。

50: 2011/03/07(月) 00:51:56.15 ID:we1kebb60
「遅かったな」

 キョンくんはわたしに笑いかけ、招くように手を振る。

「何ぼさっと突っ立ってんだ? 入れよ」

 わたしは教室の扉を閉めて、キョンくんに近付く。

「あなたなの……」

「そう。意外か?」

「なんの用?」

「いや、用があることは確かなんだけどな。ちょっとお前に訊きたいことがあるんだ」

「何?」

「人間はよく、『やらなくて後悔するよりも、やって後悔したほうがいい』って言うよな。これ、どう思うよ?」

「質問の意図が……よくわからないんだけど」

51: 2011/03/07(月) 00:55:12.12 ID:we1kebb60
「いやさ、たとえ話なんだけど、
 現状を維持するままではジリ貧になることは解ってるんだけど、どうすれば良い方向に向かうことが出来るのか解らないとき。
 お前ならどうする?」

「やっぱり、あなたの言っていることはよくわからない」

「とりあえず何でもいいから変えてみようと思うんじゃないか? どうせ今のままでは何も変わらないんだし」

「それはそうかもね」

「ところがだ、上の方にいる奴らは頭が固くて、急な変化についていけないんだ。
 でも現場はそうもしてられない。手をつかねていたらどんどん良くないことになりそうなんだ。
 だったらもう現場の独断で強硬に変革を進めちゃってもいいと思わねえか?」

 わたしはキョンくんをじっと見つめる。

「何も変化しない観察対象に、俺はもう飽き飽きしてるんだよ。だから……」

 キョンくんは「やれやれ」と言った風にわたしに両の手の平を見せて肩を竦める。

「お前を頃して涼宮ハルヒの出方を見る」

53: 2011/03/07(月) 00:58:31.51 ID:we1kebb60
 次の瞬間。キョンくんの上着の袖からマジシャンがステッキを出すときのようにするりとナイフが飛び出してきた。
 キョンくんは慣れた手つきでナイフのグリップを握ると一閃、
 さっきまでわたしの首があった空間にナイフの尖端を突き立てた。

 縁側で日向ぼっこをしているような緩い笑顔で、キョンくんはゴツいナイフを振りかざした。

 キョンくんから目を離さなかったおかげでわたしはなんとか最初の一撃をかわすことができた。
 しかし、キョンくんの動きは明らかに常人のそれではなかった。
 わたしはキョンくんから距離を取る。
 キョンくんはなぜか追ってこない。

「どういうこと……?」

「どういうこと……だと……?」

 キョンくんは虚ろな目でわたしを見てにやりと笑った。

「それはこっちのセリフだよ。お前、こんな状況になってもまだ、それを通すつもりか?」

54: 2011/03/07(月) 01:01:38.28 ID:we1kebb60
「心配すんな。この空間は俺の情報制御下にある。現在なんとこの教室は完璧に密室ってやつになってる。
 ゆえに誰もここから出ることはできない。つまり、だ……」

「誰もここには入ってくることはできない……そういうこと?」

 わたしはキョンくんの後を引き取って言った。キョンくんは手の中でナイフをくるくると回しながら答えた。

「そういうこと。だから、早く本当のお前を見せてくれよ。じゃなきゃつまらん。張り合いがない」

「そう……」

 カチリと、何かのスイッチが入る音が、わたしの耳元で鳴った気がした。

55: 2011/03/07(月) 01:05:18.28 ID:we1kebb60
「あーあーバレちゃったか。バレちゃったらしょうがないよね。頃すしかないよね。うん、頃そう。
 あんたのことは前々から挙動不審な野郎だとは思ってたの。涼宮ハルヒなんて非常識な人間に話しかけるなんて絶対におかしいと思ってた。
 そっかあー……そういうことだったんだね。宇宙人だったんだ。それは迂闊だったなあ。
 長門有希から話を聞いたときに思い当たっていてもおかしくはなかったのよね。初めからわかってればこんなことになる前にブッ頃してやったんだけどな。
 えっとね、そう、ちょうどあんたが今持っているようなナイフを、まずあんたのお腹に深々と刺すの。
 それから、あんたって悪運が強そうで下手すると一命を取りとめちゃいそうだからぐりぐりぐりってナイフを捻って腹の中の臓物を掻き回すの。
 きっと素敵な感触だろうなあ……ハイになっちゃいそう。クセになっちゃいそう。いっそあんたをぎりぎりのところで生かしておいて何度も襲うっていうのも良いかもね。
 その度にあんたは苦痛と恐怖に顔を歪めて『やめてくれ』とか『ホワイ、なぜ?』とか言って尻尾巻いて逃げるのよね。
 無様。本当に無様。でもそれがイイ……。
 無様な人間ってついつい可愛がりたくなっちゃうのよね。脆弱な人間ってついつい庇護したくなっちゃうのよね。
 こんなあたしって性格が歪んでいるのかな。まあでも人間ならだれしもこれくらいの歪みは持っているものよね。
 なーんて独り言を呟いてたらなんだか今すぐ誰かを刺したくなっちゃったなあ……あ、そこにいい獲物がいるわね……獲物は頃さなきゃいけないわよねえ」

56: 2011/03/07(月) 01:08:50.80 ID:we1kebb60
 言い終えてあたしは大きく息を吸った。そして、その肺に溜め込んだ空気を三十秒くらいかけてゆっくりと吐き出し、わたしはキョンに微笑みかけた。
 キョンはうんうんと頷く。

「いいねえ、いいぜ、いい顔だ。やっぱりお前はそうでなくっちゃ嘘だってもんだ。なあ、朝倉涼子」

 あたしはキョンの持っているナイフに映る自分の顔を見た。
 いつも周囲に振り撒いているのと変わらない、聖母のような微笑を浮かべている。
 ただ、その目だけは暗く濁っているようだった。

「いつから気付いていたの?」

「最初っからだよ。何せ俺の操り主ってのは地球人からすりゃ全知全能だからな。知らないことなんてあるわけがねえ」

「そっか……じゃあ焼却炉で焦ったのは杞憂だったのね」

「ああ。誰も見てないところでこっそり憂さ晴らしに全力でゴミ箱を蹴り飛ばすお前はなかなか可愛かったぜ?」

「一々詳細に説明しなくていいから。ちょっとぺらぺら喋り過ぎなのよ少しくらい黙ってなさいこのポンコツ人造人間。
 さもないと本当に頃すわよ?」

「おっと、その睨みはきっつーいな。トラウマフラッシュバックだぜ。勘弁してくれ」

 キョンはハンズアップした。その手にはまだナイフが握られている。降伏の意思は皆無。

 あたしはぺろりと唇を舐めた。

 上等じゃない、このゲス野郎。

57: 2011/03/07(月) 01:11:54.78 ID:we1kebb60
「パーソナルネーム、朝倉涼子。完全無欠の才色兼備な優等生。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花っと」

「それ褒めているつもり? だったらあたし、あなたの語彙力のなさに笑っちゃうな」

 あたしは笑おうとして自分の頬が引き攣っていることに気付いた。が、今は考えないことにした。

「その表の顔は優しく礼儀正しく真面目で世話好きで先生からも生徒からも信頼される最高に素敵なクラス委員長。
 勉強をやらせれば中間テストでトップを取り、身体測定をやらせれば全種目学年一位なんて大記録を打ち立てる。
 まさに超ハイスペック女子高校生。そのポテンシャルはあの涼宮ハルヒをも凌ぐ」

「どうしてそこであの女の名前が出てくるわけ?」

 あたしは言いながら太腿に吊り下げて隠し持っていたアーミーナイフを手に取る。

「その裏の顔は――」

「このあたしを無視するなんていい度胸じゃない!!」

 あたしはキョンに向かって一直線に切り込む。キョンはひらりと身を捩ってそれをかわす。

「――この通り性格は凶暴で狂暴にして凶悪で狂悪。
 他人をナイフで串刺しにすることにこれっぽっちの躊躇いも持たない冷酷非道な加虐趣味の自己中人間。
 その内面のエグさはあの涼宮ハルヒをも凌ぐ」

「だから――どうしてあの女の名前を出すのって言ってるの!」

 あたしは腹立ち紛れにそこらへんにある机を蹴り倒した。

58: 2011/03/07(月) 01:15:03.12 ID:we1kebb60
 キョンは薄ら笑いを浮かべている。
 あたしを頃すと言っておきながら一つも攻めてこないその余裕が頃してやりたいほどムカつく。

「あんた、何がしたいわけ?」

「さっき言っただろ。お前を頃して涼宮ハルヒの出方を見る」

「どいつもこいつも――頭おかしいんじゃないの?」

「学校にナイフ持ってくるやつに言われたかないぜ」

 こいつはどうしてもあたしにメッタ刺しにされたいようね。よーしわかった。お望み通りハラワタ抉り出してあげる。

「朝倉はいつものように無邪気に微笑んでいる。
 しかしその微笑の仮面の内はドス黒い狂気と憂鬱が渦を巻いていてとてもとても見れたものじゃない。
 もし並みの人間がそれを見たら即座に発狂すること間違いなしだ。もっとも俺は宇宙人だから問題ないがな」

「何だらだら語っているのよ。あんたが来ないならあたしから行くわよ」

61: 2011/03/07(月) 01:18:47.98 ID:we1kebb60
「朝倉はじりじりと俺との間合いを詰めてくる。と、ナイフを腰だめに構えた姿勢で突っ込んできた。速い!
 俺は朝倉が動く前に脱兎のごとく走り出して逃げた。朝倉は舌打ちをして俺を睨む。僅かに眉が顰められている。
 朝倉は徐々にではあるが無邪気な微笑の仮面が剥がれてきたようで、本来の極悪な顔が見え隠れしていた」

「何やってるの、って訊いてるの」

「実況。つい癖でな。そこに出来事があったら面倒臭そうに回りくどく喋って描写する癖があるんだ、俺」

「最低の悪癖よ。即刻直すか舌を噛み切った方がいいわね」

「言っとくが、俺が描写しないと、お前がいざ死ぬってなったときその苦痛に歪む可愛い顔が誰にも伝わらないんだぜ?」

「これっぽっちも意味がわからない!」

 あたしは背筋にビリビリと走る悪寒を吹き飛ばすように大声を出す。声は放課後の教室に空しく響いた。

 そこは本当に異次元空間みたいだった。

62: 2011/03/07(月) 01:20:49.03 ID:C5Phno890 BE:2151024184-2BP(100)
どこがただの人間なんですか

63: 2011/03/07(月) 01:22:14.13 ID:we1kebb60
「朝倉は俺を強襲するのをぴたりとやめた。体力を温存するつもりらしい。
 頭に血が上っていても冷静に状況を分析し最善の行動をとることができる……このあたりは涼宮にも見習ってほしいところだな。

 ……と俺がわざわざ涼宮の名前を出しても何も言い返してこないところをみると、
 突っ込みも入れられないほど必死になって考えを巡らしているのだろう。なにせ相手は宇宙人。出会ったことのない未知数の敵。

 ただの人間たる自分がどうやってその力に対抗できるのか……。

 しかしなあ、やっぱお前はすげえよ、朝倉。
 どうやったってただの人間が宇宙人に敵うはずないのにそれを諦めようとはしないんだからな」

 あたしは唇を噛んで唸った。

「あたし、諦めるって言葉、好きじゃないの」

「だろうな。だからこそお前は涼宮に張り合うことが……わかったわかったもう言わねえよ。
 そう、それで俺は思ったわけだ。場合によってはお前こそ世界のヒロインに相応しいんじゃないかってな。
 それを今、俺は試している。朝倉、もしお前が俺に勝ったら、俺のこの予想は正しかったってことになる。
 まあ、もしお前が俺に負けたら俺はばっちり任務を果たしたことになるんだがな。
 どうだ? どっちに転んでも俺は得をする。けっこうよくできてるだろ?」

64: 2011/03/07(月) 01:25:36.30 ID:we1kebb60
 キョンは首を傾けてそう問うと忽然とその場から姿を消した。

 あの野郎どこに行ったとあたしが周囲を見回そうとすると、首が動かなかった。頭部が固定されている。
 あたしは全身から吹き出そうになる冷や汗を気力で押しとどめて思考する。

 何が起きた?

「俺がお前の背後に瞬間移動してお前の長い髪を一本の束にして片手で鷲掴みにして持ってるんだよ。
 あ、言ってなかったっけな。実は俺ポニーテール萌えなんだ。
 本当はお前のより涼宮のポニテが見たかったんだけど……入学当初に一度見たからそれで良しとするか」

 あたしは全身の血液が沸騰するような激しい怒りを覚える。

「あたしの前であの女の名前を言わないで!!」

 あたしは持っていたナイフで自分の髪――キョンに掴まれて束になっている部分――を切り裂いた。

 頭が拘束から解ける。あたしはすぐに背後のキョンに向き直り、そのアホ面の鼻先にナイフを突きつける。

「肩で息をしながらこっちを睨んでくるショートカット朝倉……うん、これはこれで悪くねえな」

「黙れえええええええええええ!」

 あたしは躊躇いなくキョンの顔面にナイフを突き刺す。しかし、なんの感触もなかった。
 それもそのはずでキョンはまた瞬間移動していた。今度は黒板の前に立っている。一足には届かないところだ。

「やれやれ」

 キョンが溜息交じりにそう言ったのと、あたしの身体が動かなくなったのはほぼ同時だった。

65: 2011/03/07(月) 01:28:43.44 ID:we1kebb60
「朝倉の冷徹な心が驚愕に揺れていた。
 身体が指一本動かせない。目を閉じることすらできない。呼吸をしていられるのが不思議なくらいに硬直している。
 そんな朝倉に俺は至極残念そうにつまらなさそうに言う。

『お前はやっぱりまだまだだったな、朝倉。
 この程度の宇宙的パワーで一瞬でも臆してしまうようなお前は、どんなにハイスペックだろうとただのちっぽけな人間だ。
 やっぱり、所詮お前はバックアップだったんだなあ……』」

 キョンは悲しそうに言った。

「お前――朝倉涼子は涼宮ハルヒのバックアップだ。わかるか?
 この世界は涼宮を中心に回っている。お前はその歯車のスペアだ。予備だ。代用品だ。

 そして、決してお前は涼宮という歯車を正しく回すための鍵なんかじゃない。
 どうやら他のやつらは世界の歪に気付いてないからわからなかったみたいだけどな。俺にはわかる。

 なんでかって?

 他ならぬ俺が涼宮ハルヒの鍵だからだよ」

66: 2011/03/07(月) 01:32:33.41 ID:we1kebb60
「『そして同時に俺はお前の鍵でもある。もちろんそれは涼宮が壊れちまった場合の世界の話だけどな。
 涼宮を中心とした世界……そのバックアップたる朝倉を中心とした世界……そのどちらかが本来の世界の在り方だった。
 どうやらこの世界はその歯車が狂っちまったみたいだな。
 笑えるぜ。まさか世界が鍵なしで成立するとはな。あるのは大きなメインとサブの二つの歯車だけ。
 ったく、じゃあその歯車の調節を一体誰がやってくれるんだっつーの。
 俺がいなきゃお前らは二人とも自滅する運命なんだぜ?
 そこんとこわかってるか?』

 俺は朝倉に問いかける。
 当然、朝倉は俺の話を聞いてもなんのことかさっぱりで俺が微笑みかけても憮然と睨み返してくるだけだった。

 ……で、朝倉よ、最後に何か言いたいことはあるか?」

 急にあたしの口だけが動くようになった。あたしは低い声で一言だけ言った。

「あたしはあんたを絶対に許さない」

 キョンは「やれやれ」と肩を竦める。

「ま、悪く思うなよ」

 キョンが一歩一歩あたしに近付いてくる。やがて、キョンはあたしの目の前まで来て悠然と立ち止まった。

「涼宮ハルヒさえいなければ俺たちはけっこう仲良くやれてたと思うんだ。
 惜しかったよな。お前もそう思ってくれるだろう、朝倉?
 そういうわけでこの世界は救いようがなく間違ってるから俺はそれを修正しなければならない」

 キョンがナイフを振り上げる。

「じゃあ――氏んでくれ」

67: 2011/03/07(月) 01:35:29.07 ID:we1kebb60
 空気が動いた。ナイフがあたしに降ってくる。

 その時。

 天井を破壊する轟音とともに、瓦礫の山が降ってきた。

「……遅くなった」

 それは、その日あたしが一番驚いた瞬間だった。

 有希があたしとキョンの間に割り込み、キョンの振り下ろしたナイフを素手で止めた。

68: 2011/03/07(月) 01:35:46.27 ID:84UibimM0
怖い

69: 2011/03/07(月) 01:38:28.79 ID:we1kebb60
「ごめん」

 有希は泣くのを堪えているような口調で言う。
 キョンは安心したように肩の力を抜いて、ナイフから手を離し、一飛びに有希から退いた。

「よう、長門。俺の情報制御空間によこうそ」

 有希はそう言ったキョンの顔を見て硬直した。

「あなた……図書館の……?」

「久しぶりだな、長門。お前が来ちまったんだから俺の命運もここまでだな。
 お前に刃を向けるなんて考えただけでも俺の本能が号泣する。よし、さっさと終わらせてくれ」

 有希の歯がかちかちと鳴っている。

「……わたしには……できない……」

「長門、構うことはねえ。俺はお前の親友を傷つけたゲロハゲ野郎だ。遠慮すんな。お前の情報操作能力をフルに使え。
 ほら、長門。やっちまえ」

 有希は、長いことキョンを見つめた末に小さく頷いた。

「そう」

 頷いた拍子に有希の目から大粒の涙が零れた。

「情報連結解除、開始」

 有希がそう呟くと、キョンの身体が光る粒子となって分散していった。

70: 2011/03/07(月) 01:41:32.38 ID:we1kebb60
「なあ……朝倉よ」

 キョンは身体が動くようになって床に膝をついているあたしに優しく語りかける。
 キョンからはさっきまでの得体の知れない雰囲気は綺麗さっぱり消え去って、まるで十年来の友人みたいに感じた。

 どうしてかわからないが、随分とひどいことをされたはずなのに、あたしはキョンの言葉に全身全霊で耳を傾けていた。

「朝倉涼子、実際のところ、俺はお前が嫌いじゃないんだよな。
 今更こんなことを俺が言うのもどうかと思うがまあ、もしよかったら聞いてくれ」

 キョンは穏やかな調子で話す。あたしも有希も黙って聞いた。

「俺はな、本当は宇宙人なんかじゃない。長門が異常に気付くのが遅れたのはそのせいだ。長門はよくやったよ。

 つまりあれだ、俺は異世界人なんだな。

 ちょっとした演出効果を期待して宇宙人のフリをしてみたが少しはサマになってたか?
 ま、ぐだぐたと話した諸々は百パーセント俺の主観だ。信じるか信じないか忘れるか忘れないかはお前が勝手に決めてくれていい。

 ってなわけでどういうわけか涼宮的変態パワーのおまけ付きで俺はこの世界に来ちまってそんで、まあ、驚いたぜ。

 まさかお前と俺の立場がひっくり返るとはな」

71: 2011/03/07(月) 01:44:33.52 ID:we1kebb60
「さすがに焦ったさ。
 世界は俺の知らない方向にどんどん変化していく。俺の大好きだった元の世界からどんどん遠ざかっていく。
 となれば――いくら俺がやる気ゼロの倦怠ライフ至上主義人間だって――こういう強硬手段を取るに至るのは仕方がないってもんだろ。
 ここでお前がいなくなって俺が残れば……或いは世界は俺のよく知っている感じになったのかもな。

 ま、そんなことは後の祭だが……。

 本当にお前には悪いと思ってる。この世界のお前にはなんの非もないのに恐い思いをさせちまってよ。

 にしても俺はいつからこんな最低野郎になったんだろうな。

 たぶんいつものように涼宮のせいなんだろうなあ……あいつが俺を選ばなかったから……。

 と……やべえ、もう下半身がなくなってら」

72: 2011/03/07(月) 01:51:24.53 ID:we1kebb60
「とにかくだ。こうなった以上、俺がお前に望むことは一つ。

 みんなと仲良くやれよ。それだけだ。

 長門と朝比奈さん、それに古泉、あと……できれば涼宮ともな。あ、ついでに俺の妹もよろしく頼む。
 ひょっとするとお前の頑張りによっちゃ案外この世界は俺の世界より上手く回るのかもな。
 お前と頃し合っているうちに俺はなんかそんな気がひしひしとしてきたぜ」

 キョンの胸から足は既に光る結晶となって消えていた。

「そうそう、朝倉。これは俺の私的意見だが、お前ってやつは素のお前が一番だと思うぜ。
 俺に仮面属性はないからな。顔ってのはよく見えたほうがいい」

 そして、キョンは「やれやれ」と溜息をついた。

「ありがとよ、二人とも。他のやつらにもよろしく言っといてくれ。この世界もけっこう楽しかったぜってな。
 じゃあな……朝倉。
 これからもいつまでもフォーエバー、みんなとお幸せにな」

 それがキョンの最期の言葉だった。

73: 2011/03/07(月) 01:54:31.03 ID:we1kebb60
「教室を再構成する」

 有希がそう言うと、まるで逆回しのビデオのように教室が元の姿を取り戻していった。

 あたしはその場に倒れそうになるのをなんとか有希に支えられてもらっている状態だった。膝が笑っている。

「朝倉さん……」

 有希が泣きながらそう言った。あたしは有希の小さな身体を正面から抱いて、背中を擦った。
 有希の身体は雪山で遭難しているかのようにガタガタと震えていた。
 だから、あたしは安心して、自分の身体が震えているのは有希と共振しているからだと思うことができた。

「……大丈夫……わたしは大丈夫だから……」

 あたしが慰めると有希はますます泣いてしまった。有希の涙があたしの胸に染みた。

「……朝倉……さん……ごめんなさい……わたしが遅れたせい……」

 あたしは有希の頭をそっと撫でる。

「わたしは全然平気。本当よ」

 あたしたちは放課後の教室で、誰にも邪魔されることなく、しばらく抱き合っていた。

74: 2011/03/07(月) 02:09:31.41 ID:we1kebb60
 もうここからは面倒なので猫は容赦なくシャミセンにしていこうと思う。
 いや、決してあいつに言われたからではないからね。勘違いしないで。

 翌日。

 涼宮ハルヒにとってはあたしの髪型が変わったことよりもキョンがいなくなったことのほうが一大事らしかった。

「これは事件だわ」

 涼宮は後ろの席からあたしの背中を突いた。あたしは教師に聞こえないような小声で「そうね」と同意した。

「SOS団として、学校の不思議を座視するわけにはいかないわ。あんた、放課後付き合いなさい。キョンの家に押しかけるわよ」

 はっきり言って気乗りしなかった。

75: 2011/03/07(月) 02:12:55.22 ID:we1kebb60
 ところで、どうやら世界というものはあたしの都合を無視して回っているらしく、
 その日もあたしは懸案事項というか禁則事項を抱えていた。

『朝倉様へ。
 昼休み、部室でお待ちしております。このような無礼な形でのお呼び出しなにとぞご容赦ください。
 貴女様の【禁則事項】より』

 頭が痛い……。あの先輩は一体何を考えているのだろうか。

 で、部室に行ってみる。一応扉をノックする。

「朝倉様!! いらっしゃいませ。ささ、どうぞ!」

 扉は内側から開いた。そこには朝比奈さんに良く似た一人の大人の女性が立っていた。

 なんというか、奇抜な、あられもない格好で。

「お久しぶりでございます。朝倉様。ああ、わたしったら、いけませんね。
 【禁則事項】の分際でいきなり朝倉様のお麗しいそのお御足をお舐めしたいと思うだなんて……。
 しかし……それほどにわたしは朝倉様の【禁則事項】として付き従った日々を懐かしく嬉しく思っているのでございます」

76: 2011/03/07(月) 02:16:08.22 ID:we1kebb60
 あたしは心の中で果てしなく引いた。というか、あたしはこんなときでも微笑を保っていられる自分がちょっと悲しい。

「あの……どちら様ですか?」

 あたしが尋ねると、女はあたしにそのやたらおっきい胸を見せ付けてきた。
 見ると、その胸の真ん中あたりに星型のピアスがついていた。

「お忘れですか……? この【禁則事項】の印……朝倉様がわたしの珍しいホクロをお見つけになってそこにこのピアスを……」

 女はそこで言葉に詰まり、何かを思い出すように首を傾げ、それから悲鳴を上げた。

「はううううう! いやあああああ!! 申し訳ございませんっ!! そうでしたこの頃はまだ……はああああああああ!?」

 女は全力で廊下を走って逃げどこかへと消えた。

 ………………全力で忘れよう。

78: 2011/03/07(月) 02:19:19.92 ID:we1kebb60
 放課後、あたしは涼宮ハルヒとともに学校を出た。そう言えばこいつと二人きりで街を歩くのは初めてな気がする。

「昼休みに職員室で聞いたんだけどね、キョンの転校って朝になるまで誰も知らなかったみたいなのよ。
 朝イチでキョンの父親を名乗る男から電話があって急に引っ越すことになったからって、それもどこだと思う?
 カナダよカナダ。そんなのあり? 胡散臭すぎるわよ」

 よく喋るなと呆れつつあたしは適当に相槌を打っていたが、だんだん聞くのがつらくなってきた。

「ねえ、涼宮さん」

「何?」

「あなたって、どうしてそう不思議なものを求めるの?」

「普通じゃつまらないからよ」

 あたしは眉を顰めたくなるのを我慢して、つとめて微笑むようにした。

79: 2011/03/07(月) 02:22:21.85 ID:we1kebb60
「涼宮さんの言う普通って何?
 学校で友達とテストの結果に一喜一憂したり、誰かとありふれた話題でお喋りしたり、放課後は部活動で汗を流したり、
 そういうのが普通ってこと?
 でも、わたしはそれってそんなにつまらないものじゃないと思うな」

「あんたはそうでしょうね。でも、あたしはそうじゃないの。
 ねえ、あんたは自分が世界でどれだけちっぽけな存在なのか、感じたことある? あたしはあるわ」

 涼宮は小さい頃に野球を見に行った話をした。

「あたしは急にあたしの周りの世界が色あせたみたいに感じた。それまであたしは自分がどこか特別な人間のように思っていた。
 でも、そうじゃないんだって気付いた。だから、あたしは自分を変えてやろうと思ったの」

「涼宮さんの言いたいことはわかる。誰だって自分は特別に、一番になりたいって思う。わたしもそう。
 でも、その過程で誰かに迷惑をかけたりみんなに嫌われてしまったら、意味がないと思わない?」

80: 2011/03/07(月) 02:25:17.10 ID:we1kebb60
 あたしが何を言おうと涼宮ハルヒが自分の意見を取り下げるはずなかった。

「それでもあたしは面白くなりたいの。あんたもそうじゃないの?
 SOS団だってないなら作ればいいって言い出したのはあんたじゃない」

「それにしたって、もっとうまいやり方はいくらでもあると思う。
 どうせ部活を作るんだったら、みんなが幸せになれるような、みんなと仲良くやれるような、そんな部活の方がいいと思わない?」

「そのために自分が我慢することになったら本末転倒よ」

「だけど少しくらいはしょうがないと思うの」

「ダメ。そんなの全然つまんない」

「涼宮さんの言うつまらないとか面白いとか普通とか不思議って概念、わたしにはよくわからないな。
 普通って涼宮さんが思っているほど悪くないと、わたしは思う」

「あんたはなんでそんなに普通がいいの? そんなにそこは居心地がいい? それとも周りから変だと思われるのが嫌?
 あたしは、自分自身を曲げたくはない」

「わたしだって、別に自分を曲げているわけじゃない」

「……それ、本当……?」

81: 2011/03/07(月) 02:28:08.50 ID:we1kebb60
 涼宮ハルヒは立ち止まって、あたしを見た。あたしも立ち止まって涼宮を見た。

 涼宮の顔は言葉よりずっと雄弁に、不安とか不満とか不平とかを語っていた。

 反対に、涼宮の黒々とした瞳に映るあたしの顔は、情報のない微笑に固定されていた。

「朝倉涼子、あんたの話をしてよ。あたしは散々喋ったから。今度はあんたの番」

 あたしはなんのことかわからないといった風に小さく首を振った。

「わたしは、あなたみたいな人が聞いて喜ぶようなエピソードなんて持ってない。
 不思議なこと? 面白いこと? そんなの考えたことないもの。
 あなたがわたしの話を聞いてもきっとつまらないと思う。だってわたしは普通の、ただの人間だもの」

「違う。あたしが聞きたいのは――」

 涼宮ハルヒはそこで言葉を切った。口を開けたままであたしを見つめていた。

 あたしの微笑の仮面を、恨めしそうに、哀れむように見ていた。

82: 2011/03/07(月) 02:31:22.13 ID:we1kebb60
「えっと……ここね!」

 そうこうしている間に、あたしたちはキョンの家に着いた。
 涼宮はさっきまでの暗い空気を吹き飛ばすように急に笑顔になって明るく振舞い出した。

「よし、即刻突入するわよっ!」

 あたしは暴走したがる涼宮の腕を掴んだ。

「待って。わたしが先に行くわ。あなた、ドアを蹴破りそうだもの」

 涼宮は一瞬目を丸くしてから、また笑った。

「よくわかってるわね!」

 きっと涼宮ハルヒもあたしに対してそう思っていると思うのだけれど。

 あたしにはどうしても、この状況で笑っていられる涼宮が信じられなかった。

83: 2011/03/07(月) 02:34:15.13 ID:we1kebb60
 インターホンを押すと中から小さな女の子が出てきた。

「どなたー?」

 少女はにっこりと笑っていた。あたしと涼宮は驚いて顔を見合わせる。

「あなた、とても素直そうないい子に見えるけど……もしかしてキョンの妹?」

「うん。そだよー」

 あたしと涼宮はもう一度顔を見合わせる。今度はあたしが訊いた。

「あのね、あなたのお父さんとお母さん……それにお兄さんは、今どこにいるの?」

「えっとね、それはね、どこだったかな……あ、そう、カナダ!」

 あたしはキョンの消える前の言葉を思い出した。あの男、妹をよろしくとか言ってたよな……それってまさか。

「ねえ、この子、どうなってるの? いや、違うわね。この子の親は何を考えているわけ?」

 涼宮がえらく真面目な口調でひそひそとあたしに耳打ちした。あたしはごく一般的な回答を述べる。

「警察に連れて行きましょう。これはわたしたちの手に負えないわ。社会的に由々しき事件よ」

84: 2011/03/07(月) 02:37:51.05 ID:we1kebb60
 結局のところ、このキョン妹についてはあたしのマンションで一緒に住むことになった。

 説明すると、
 紆余曲折あって――あろうことか涼宮はキョン妹が警察に渡る前に面白がってあれこれ聞いたりそこら中を引っ張り回したりしたのだった――、
 警察にキョン妹を届けて自宅に帰ったらマンションの前にキョン妹がいた。

「けーさつさんがね、ここでお世話になれって」

 あたしはそんなことを言った警察官を張り倒したくなった。
 しかし、しょうがない。きっとこれはキョンの陰謀か何かなのだろう。
 有希なら解除できなくはないだろうが、結局キョンが帰ってこないことにはキョン妹は一人だ
 だったらあたしが引き取るしかない……のか?
 いやおかしいだろう。

「ねえ、お姉ちゃん?」

 キョン妹はあたしのスカートの裾を引っ張って、ちょっと不安げに上目遣いにあたしを見た。
 あたしはじんじんと痛くなる頭を押さえたくなった。

「妹ちゃん、いいこと? これからわたしのことは、お姉さん、と呼びなさい。わかった?」

 どうにもあたしは可愛い女の子の上目遣いに弱いのだった。

「わーい! お姉さん! ねえ、お姉さん、さっきの長い髪のお姉ちゃんもここにいるの?
 またさっきみたいに三人で遊びたいなー」

 それを聞いたあたしの頭痛はさらにひどくなった。

86: 2011/03/07(月) 03:01:05.26 ID:we1kebb60
 翌日の涼宮ハルヒはまた不機嫌に戻っていた。

「あんた、キョンの妹を引き取ったんだって?」

「そうだけど……誰から聞いたの?」

「有希から」

「そう……。ええ、まあ、その通りよ」

「ふーん」

 その日のあたしたちの会話はそれで終了だった。

87: 2011/03/07(月) 03:05:02.59 ID:we1kebb60
 団活が臨時休業となったのであたしは有希と一緒にマンションに帰ることにした。
 しかし、昇降口で古泉に呼び止められた。何の用だろう。あまりいい予感はしない。

「僕が超能力者である証拠をお見せいたします」

 古泉とあたしは学校を出てタクシーに乗った。
 車内で古泉は人間原理について語ってくれたが、その語り口はあまり滑らかではなかった。

「古泉くん、そんなにわたしが苦手?」

「いえ。そんなことはありませんよ。本当に、これは僕の修行不足が全ての元凶なんです。面目ありません」

 古泉は柔和な笑みを浮かべて、あたしに頭を下げた。

 あたしは、そっかこいつはあたしの裏の顔を見抜いているのか、と思った。

 涼宮と朝比奈さんと有希は見えてないみたいだけど、そこはなんといっても古泉は同類だもんな、と。
 キョンが言ってたっけ。あたしの内面のエグさを見たら一般人は発狂するって。

 ならば、古泉は頑張っている方だろう。彼を責めてはいけない。悪いのはそんなものを抱えているあたしの方なのだ。

 その後、あたしたちはぎくしゃくとした会話を続けたが、
 タクシーの運転手が咳払いをしたところで会話は打ち切りとなった。

 それから、あたしは閉鎖空間と言われる涼宮ハルヒの内面世界に足を踏み入れ、ちょっとしたスペクタクルを見て、帰宅した。

88: 2011/03/07(月) 03:08:06.01 ID:we1kebb60
 その夜のことだ。

 あたしはキョン妹に頬を叩かれて目覚めた。

 嘘。

 目を開けると、そこに涼宮ハルヒの顔があった。

 周囲を見回すとそこは閉鎖空間だった。

「どういうこと?」

 涼宮は言った。

「外に出れない。携帯電話も繋がらない。誰もいない……」

 涼宮はちょっと怯えているようだった。

 それを見ていたら、あたしは無性に腹が立ってきた。

 どうしてかって?

 あたしは叫びたかった。

 全て、あんたのせいなのよ、と。

89: 2011/03/07(月) 03:11:01.94 ID:we1kebb60
 涼宮ハルヒの憂鬱が限界に達したように。

 さすがのあたしも限界だった。

 暴露しようと思う。

 あたしは涼宮ハルヒに出会ってからずっと憂鬱だった。

 苛立ちっぱなしだった。

 何もかも。

 本当に何もかも。

 キョンに襲われたことすらその何もかもの一部に過ぎない。

 はっきり言ってやる。

 あたしは、涼宮ハルヒが大嫌いだ。

90: 2011/03/07(月) 03:14:27.30 ID:we1kebb60
「うるさいな。どうだっていいじゃない。どうせ夢。気にするだけ損よ」

 あたしは涼宮ハルヒに向けて微笑を送った。優しげな、無邪気な、完璧な微笑。あたしの仮面。

「どうしたの……?」

 涼宮はあたしから一歩後ずさって訊いた。
 あたしの目が全く笑ってないことに気付いたのだろう。
 あたしが仮面を取ろうとしていることに気付いたのだろう。

 でも、だからなんだというのだ。

 ここはどうせなんでもありの夢の中。
 だったら、あんたがそうであるように、あたしだって好き勝手にやらせてもらう。

「よく聞いて。あたし、あんたが大嫌いなの」

 涼宮ハルヒは頬を引き攣らせた。

「はあ?」

 聞こえなかったのか? 何度でも言ってやる。

「あたし、あんたが嫌いだって言ってるの」

 涼宮ハルヒは今度こそ本当に絶句してそして――、

 高らかに笑った。

91: 2011/03/07(月) 03:18:32.41 ID:we1kebb60
「あんたが、あたしを嫌い? なによそれ?」

 涼宮ハルヒは笑っている。腹を抱えて笑っている。

 対するあたしも笑っている。

 唇を薄く開き、冷たく微笑している。

 そして、涼宮ハルヒは笑いやむと、光を放つような挑戦的な笑みを浮かべてあたしに言った。

「それはこっちのセリフよ!!」

 そこから、あたしと涼宮ハルヒはぴたりと笑うのをやめた。

92: 2011/03/07(月) 03:21:15.82 ID:we1kebb60
 灰色の世界で叫ぶ少女というのは中々壮絶な絵だと思う。

「なんなのよ、あんた、一人で我儘ばっかりやって! 自分勝手にもほどがあるわ!
 少しは周りと協調しなさいよ。子供じゃないんだから!」

 あたしが毎日毎日どんな思いで作り笑いをして他人の信頼を勝ち取っていると思っている。
 どういう思いで周囲に馴染もうと努力していると思っている。

「目障りなのよ。あんたのその学校や日常なんてくだらないって仏頂面が! 何をお高くとまってるの?

 あたしはあんたのそのくだらないと思っている世界で必死になって生きてるの。
 あんたのくだらないと思っている世界で一番であることがあたしの誇りなの。
 そのためなら早起きして勉強するわ。体力だってつける。教養も身につける。外見にも気を遣う。

 それでいて周囲から疎まれないようにあたしは全力で微笑むの。

 そうやってあたしはわたしを造り上げてきたの!

 なのに……あんたはそれを……。あんたを見てると……あたしはそれがひどく虚しいことだって気付いてしまうのよ!!」

93: 2011/03/07(月) 03:23:56.65 ID:we1kebb60
 涼宮ハルヒには才能がある。

 世界の中心に居座れる魅力がある。

 それは別に願望実現能力のことを言っているんじゃない。

 涼宮ハルヒは美人で、頭も良くて、本当はマトモな性格で、何をさせてもピカイチで、勉強もスポーツもそつなくこなして。

 あたしがやっとの思いで築き上げた能力をけろんとした顔で装備してる。しかもそれを自ら無駄にしている。

 こんなものでは自分は満足できない。

 こんなものに頼って生きているただの人間になんて興味ない。

 興味がない?

 ぶさけんな!!

96: 2011/03/07(月) 03:27:01.80 ID:we1kebb60
「何よりあたしが一番許せないのは――」

 あたしは頑張っている。きっと誰よりも頑張っている。みんなあたしのことは完璧だ素敵だ理想だ――そう言ってくれる。

 それでも、あたしが本当に欲しいものはこれがなかなか手に入らない。

「あんたはそんなに我儘なのにどうして友達ができるのよ!!」

 涼宮ハルヒは傍若無人に振舞っているが決して傍に誰もいないわけじゃない。

 朝比奈さんも、古泉も、キョンも、キョンの妹も……。

 それに有希も――、

 涼宮ハルヒは無自覚に他人を惹き付ける。

 世の中には、有希や朝比奈さん古泉は任務のために仕方なく一緒にいるんだ、という穿った見方をする人もいるだろう。

 しかし、そうじゃない。

 誰よりも他人の目に敏感なあたしにはわかる。

 みんな二言目には涼宮さん涼宮さんと。

 どいつもこいつもみんな揃って涼宮ハルヒが大好きなのだ。

97: 2011/03/07(月) 03:30:01.36 ID:we1kebb60
 どんなに振り回されてもどんなひどいことをされてもどんなに報われなくても。

 彼らは涼宮ハルヒが好きなのだ。

 あたしではなく、涼宮ハルヒを選ぶのだ。

 あたしが憂鬱でも、彼らはあたしを助けてはくれないのだ。

 涼宮ハルヒが涼宮ハルヒが涼宮ハルヒがってそればっかり。

「あんたは自分がいかに恵まれているかを全然わかってない。自分がどれだけすごいことをやっているのか全然わかってない。

 あんたはあんた自身が十分に面白いのよ。どうしてそれに気付かずにそんなつまらなそうにしているわけ?

 あんたの周囲にはあたしが欲しくて欲しくて手に入らないものがたくさんある。

 それなのにあんたはそれをただの普通のつまらないものって足蹴にして、ありもしないモノを求めようとする。

 ねえ、涼宮ハルヒ、そんなにそれが要らないんだったら――」

 あたしは灰色の空に吼えた。

「あたしにちょうだいよ!!」

99: 2011/03/07(月) 04:03:37.98 ID:we1kebb60
「ずるいじゃない! あんたばっかり長門さんを有希って呼んで。いいえ、それだけじゃない。
 古泉くんから好かれてキョンくんから好かれて朝比奈さんから好かれてキョン妹からもまた一緒に遊びたいって思われて……」

 常に薄皮一枚の壁を挟んでみんなと付き合っているあたしとは大違い。
 涼宮ハルヒは何も隠さない涼宮ハルヒのままでいて許されるんだ。
 有希のことを有希と呼べたらあたしはどんなに幸せだろう。
 でも、あたしにはそれができない。

「あたしだって……みんなと無茶やって遊びたいのに。
 あたしだって、あたしが笑顔になったらみんなが笑顔になってくれるような、
 あたしが落ち込んでいたらみんなが全力で励ましてくれるような、
 あたしが思ったら世界の全てが思ったようになるような……そんなすごい力があたしも欲しかったのに!!」

 あたしはかれそうになる声をなんとか絞り出す。

「どうしてあんたばっかりいつもいつもうまくいくのよ」

 涼宮ハルヒ。世界の中心。メインの歯車。

「どうしてあたしはこんなに……何やっても空回りなのよ」

 あたし。涼宮ハルヒのバックアップ。スペアの歯車。

「あたしは――」

 あたしはずっと黙っている涼宮ハルヒを見据えて言った。

「あんたになりたいの……」

100: 2011/03/07(月) 04:06:18.22 ID:we1kebb60
 あたしは愕然とした。

 誰かになりたいなんて。

 そんなことを思って、しかもそれを本人に伝えるなんて。

 あたしはそんなにも弱い人間だったのだろうか?

 いや……そんなことは知っていた。

 あたしは弱い。

 他人に嫌われるのが心の底から恐い。

 自分に欠点があるのが胸が焼けるように嫌だ。

 異世界人に命を狙われたらみっともなく泣き叫んで誰かに助けを求めたい衝動に駆られる。

 そして、自分の存在なんて誰かの代わりで、そいつがいれば自分は要らないんだって思えてしまうのが、悲しい。

 色んなものがあたしを憂鬱にする。

 色んなものにあたしは縛られている。

 色んなものに縋ってあたしは生きている。

 あたしはそんな、特別なものは何一つ持っていない――、

 ただの人間なんだ。

101: 2011/03/07(月) 04:09:16.45 ID:we1kebb60
「言いたいことはそれだけ?」

 涼宮ハルヒは今すぐ唾でも吐きそうな凶悪な表情で言った。

「だったら、あたしにも言わせて」

 涼宮は、すうっと息を吸い込んで、叫んだ。

「あたしもあんたになりたいわ!!」

 あたしは耳を疑った。

「あんたがただの人間? そんなわけないじゃない。あんたみたいなデタラメな人間がいてたまるもんですか!
 テストをやらせれば一位。運動をやらせればトップぶっちぎり。あんたは向かうところ敵なしの最強クラス委員長。そうよね?

 その何がすごいって?

 わからないならあたしが教えてあげる。

 あんたはそれだけ飛び抜けた存在なのに誰からも嫉妬されることなく男子からも女子からも大人からも子供からも慕われているの!

 これがただの人間にできること!?

 あんたの言うことはいつだって正しい。
 あんたは常識と良識に溢れていて、優しさと思いやりに溢れていてそして、
 あんたはこんな面倒臭い性格のあたしにまで付き合ってくれた」

 涼宮ハルヒの声は震えていた。目にはうっすらと涙が滲んでいる。

102: 2011/03/07(月) 04:12:57.26 ID:we1kebb60
「あたしはあんたみたいになりたかった。
 あんたみたいに、本当はすごく寂しいくせにそれを乗り越えて完璧に振舞えるような、強い人間にあたしもなりたかった。

 でもダメ……あたしがそれをやるとどっかで破綻しちゃう。

 あたしはどうしようもなく弱いの。
 しかも、あたしは自分のその弱さを認めることができない。
 あたしはあなたの言う通りの子供よ――我儘で聞き分けがないどうしようもない子供。きっといつまで経ってもそう。

 どうしたってあたしはあんたみたいになれない。

 あたしには誰からも好かれるなんて離れ業できないのよ。できなかった。
 いつだって一人や二人あたしを良く思わないやつが現れる。
 だからあたしはそいつらを嫌ってやった。思いっきり背を向けてやった。

 でも……あんたは違う。

 あんたはあたしのことが嫌いなはずなのに、気に入らないはずなのに、あたしの相手をしてくれた。

 それがあたしは嬉しくて、悔しかった。

 そして、ムカついた。

 あんたが仮面を被っていることはわかってたから。

 本心を隠していることはわかっていたから。

 心を開いてないのがわかっていたから。

 だからあたしはあんたが大嫌いなのよ!!」

104: 2011/03/07(月) 04:15:55.54 ID:we1kebb60
 あたしたちはお互いはあはあと肩で息をしていた。あたしはぐっと拳を握って全身に力を込めた。

「二言、いい?」

 あたしは涼宮ハルヒを睨みつけて言ってやった。

「あんたみたいに、力はあるくせにちょっと失敗したくらいで自分にはできないって決め付ける甘ったれの卑怯者は、最低よ。
 あんたには願うだけでなんでもできる最高の能力があるのに」

 涼宮ハルヒは涙を拭って、あたしに言い返した。

「なら、あたしも言わせてもらうわ」

 あたしは黙って聞く。

「あんたみたいに、自分は距離を取っておきながら他人からは歩み寄ってほしいなんて願うような甘ったれの臆病者は、最低よ。
 あんたには隠す理由なんてない最高の魅力があるのに」

 あたしたちはしかめっ面のまま見つめ合った。

「やっぱり、あんたのことは好きになれそうにない」

「あたしだって、あんたほど好きなれないやつはいないわ」

 そのとき、大地が大きく揺れた。

105: 2011/03/07(月) 04:19:53.77 ID:we1kebb60
 何事かと思えば古泉の言うところの神人が現れたのだった。

「すっかり忘れてた。そういえばいたっけ、あんなのが」

「あんた……何か知っているの?」

「知っていると言えば知っているし知らないと言えば知らない」

「鬱陶しい性格ね。あんたの根性って曲がりに曲がってぽっきり折れてんじゃないの?」

「あんたにだけは言われたくないけど」

 神人は好き勝手暴れまわっている。校舎がどんどん破壊されていく。

「ねえ、涼宮ハルヒ」

「何よ、朝倉涼子」

「あんたって、あの世界、好き?」

「あの世界って?」

「あの世界はあの世界よ。あんた曰く毎日が憂鬱で面白いことなんか一つも起こらないっていう世界」

「大嫌いよ。作り変えられるなら作り変えたいわ。そう言うあんたは……どうなの?」

「あたしは……」

106: 2011/03/07(月) 04:24:26.06 ID:we1kebb60
 あたしは思った。

 あの憂鬱に満ちた世界のことを。

 そこには長門有希がいて。

 朝比奈みくるや古泉一樹がいて。

 みんな大好き涼宮ハルヒがいて。

 幼い居候が増えて。

 あとは、彼がいた。

『みんなとお幸せにな』

 そう言って彼はいなくなった。

 あとに残されたのは鍵を失ってぎちぎちと軋む歯車だけ。

 そして、あたしはただのバックアップ。

 そんな、あたしのせいで歪んでしまった、救われない世界。

107: 2011/03/07(月) 04:27:04.58 ID:we1kebb60
「朝倉……あんた……泣いてるの?」 

 泣いている?

 このあたしが……?

 そんなバカな。涙なんてとうの昔に封印したはずなのに。

 しかし、あたしの視界は滲んでいた。
 生ぬるい液体が目から零れて頬を伝う感触がした。
 その液体を指で拭って舐めると、しょっぱかった。

「あたしね、涼宮ハルヒ……やっぱり思うのよ」

「何……?」

「あたしがここにいて、彼がここにいないのはきっと間違っている。この世界は本当の世界じゃないの。
 そう思えてならないのよ」

「それってどういう――」

 あたしは涼宮ハルヒの言葉を遮るように涼宮ハルヒに抱きついた。あたしは涼宮ハルヒの耳元で囁く。

「涼宮ハルヒ、あたし、あんたに一つだけ聞きたいことがある」

「うん……」

「あたしはここにいてもいいのかな?」

108: 2011/03/07(月) 04:34:25.84 ID:we1kebb60
 涼宮ハルヒはあたしの背中に腕を回して言った。

「当たり前じゃないの!」

 涼宮ハルヒの大声はあたしの耳の傍で発せられたから痛いほどよく聞こえた。

「あなたがいなくなったらみんな悲しむわ。クラスのやつらも、みくるちゃんも、古泉くんも、キョンの妹も、それに有希も」

「あんたは?」

「あたしはあんたが嫌いだもん。清々するわ」

 でも、と涼宮ハルヒは続ける。

「みんなが悲しいのは、あたしも悲しい」

 涼宮ハルヒのあたしを抱く力が強くなる。

「だから、あたしはあんたにいてほしい。何が間違っているのか知らないけど、あんたがいなくなって正しくなるような間違いなら、あたしは間違った世界を選ぶ。
 本当の世界なんてあたしの知ったことじゃないわ!
 だから、朝倉涼子。あんたはここにいていいの。ここはあんたのための世界なの」

 あたしはもう自力では涙を止められそうになかった。あたしはしゃくり上げながら精一杯強がって言い返す。

「偉そうに……何様のつもり?」

 訊いておいて、神様なんだろうな、とあたしは確信していた。
 あたしたちの周囲に神人が吹っ飛ばしたと思われる校舎の一部が降ってきた。
 それでも、あたしたちは抱き合ったまま動かなかった。

109: 2011/03/07(月) 04:37:59.91 ID:we1kebb60
「あのね、涼宮ハルヒ」

「その呼び方すごく鬱陶しいわね……何よ?」

「あたしはね、たとえ毎日が憂鬱でも面白いことが何一つ起こらなくても……あの世界が好き。
 だって、あの世界には、そこにあたしがいてもいいって言ってくれる人がいるから」

「そう……」

 地面の揺れが大きくなる。神人がこちらに近付いてきているのだろう。

「ねえ、朝倉涼子」

「その呼び方すごく鬱陶しいんだけど……何?」

 涼宮ハルヒはあたしからちょっと離れて顔を突き合わせた。

「朝倉涼子……あたしね、実は……」

 あたしを見つめる涼宮ハルヒの顔がゆっくりとあたしの顔に近付いてくる。

「委員長萌えなの」

 涼宮ハルヒの唇が、あたしの唇に重なった。

112: 2011/03/07(月) 05:00:07.96 ID:we1kebb60
 目覚めると、あたしはあたしの家のベッドで寝ていた。隣にはすうすうと寝息を立てるキョン妹。

 いわゆる一つの悪夢だった。

 あたしは目を閉じて、寝返りを打ち、キョン妹に背を向けた。

 今は何も見たくなかった。

 今は何も聞きたくなかった。

 今は何も言いたくなかった

 今は何も考えたくなかった。

 あたしはただ、その存在を確かめるように、指で自分の唇をなぞった。

113: 2011/03/07(月) 05:02:18.32 ID:we1kebb60
 翌朝。

 登校してみると、涼宮ハルヒはあたしの後ろの席に既に着席していた。頬杖をついて窓の外を見ている。

 あたしは涼宮ハルヒに近寄って朝の挨拶をする。

「おはよう、ハルヒ」

 涼宮ハルヒは窓の外を見たままで挨拶を返した。

「おはよ、涼子」

 それを聞いたあたしは、自分でも気付かないうちに、この上なく完璧な微笑を浮かべていた。

115: 2011/03/07(月) 05:05:01.64 ID:we1kebb60
 後日のことだ。

 休日のSOS団不思議探しツアー。

 本来ならこんなもの行きたくもなんともないのだが。
 あのバカ女が何かしでかすとあたしの監督不行き届きとなって内申に響く可能性があるので嫌々ながらもあたしは駅に向かった。

 少しすると涼宮ハルヒがやってきて、

 あとは誰も来なかった。

 あたしたちは二人きりで近くの喫茶店に入り、お茶を飲んだ。

116: 2011/03/07(月) 05:08:00.14 ID:we1kebb60
 さて。

 涼宮ハルヒはあたしに仮面を取るように言った。

 ならば取ってみせようじゃないか。

 あたしには仮面を取って涼宮ハルヒに話しておきたいことがたくさんあった。

 あたしに調教される運命にある繊弱な未来人の辱め方について。
 あたしの裏の顔に気付いて怯えている貧弱な超能力者の虐め方について。
 あたしのことを優しい人と信じて疑わない脆弱な宇宙人の弄び方について。
 あたしをバックアップとぬかしやがったあの口の悪い軟弱な異世界人の嬲り方について。

 もう後悔しても遅いから。

 仮面の裏にいるあたしはドス黒く冷酷非道で加虐趣味の凶暴な自己中人間なんだから。

 今更ちょっと待ってとかやっぱやめたとか冗談じゃないぜなんて。

 うん、

 それ無理。

<完>

117: 2011/03/07(月) 05:14:57.38 ID:we1kebb60
最後まで読んでいただきありがとうございます。
楽しんでいただけたら幸いです。

・キョンの嫁は朝倉さん。
・ハルヒと朝倉さんのキャラは鏡写し。
・消失SOS団はキョンの穴を朝倉さんで埋めるはず。
・朝倉さんは裏表のない素敵な人なはず。

という想定の下に書きました。
でもちょっと長かったですね。

あと、おまけになりますが。

最後に、キョンくんのエピローグを……。

118: 2011/03/07(月) 05:18:15.68 ID:we1kebb60
「どうしたの、キョン? なんかやつれてるけど?」
「ちょっと心にぐっさりくる悪夢を見てな。お前こそ、何を難しい顔して考えてんだ?」
「遠く海の向こうに思いを馳せているのよ。昨日の夜、世界一周旅行の特集をテレビで見たの」

「何よ、溜息なんかついて。気持ち悪いわね」
「なあ、ハルヒ。朝倉涼子って覚えてるか?」
「覚えてるわよ。当たり前じゃない。転校しちゃったけど、あたしたちのクラスの委員長だった女の子でしょ。
 びっくりするくらい隙のない真面目人間でショートカットがよく似合ってたわよね。正直あたしは苦手だったけど」

「で、それがどうかしたの? ……あんたまさか?」
「断じて違う! お前はいい加減その短絡思考をなんとかしろ!」
「ふん。で、涼子がどうしたのよ」

「何? あたしの顔に何かついてる?」
「いや、なんでもないんだ。ただお前の中で朝倉があんな風に生きているとは意外だったってだけだ。意味はわからなくていい」
「なんなの? さてはあんた、あたしに何か隠しているわね?」
「だったらなんだってんだ。普通は誰だって一つや二つ秘密があるもんなんだよ。お前はそうじゃないって言うのか?」
「うるさい! とにかく団員が団長に隠し事なんて許されないんだから! 全部まとめて晒しなさい!」

「やれやれ……誰か助けてくれ」

<おまけ・おわり>

119: 2011/03/07(月) 05:23:24.00 ID:J3JMldDi0
おつかれさん
おやすみ

121: 2011/03/07(月) 07:18:17.25 ID:rM1K5A1zO

引用元: 朝倉「ただの人間です」