82: 2010/11/13(土) 11:57:43.96 ID:zdMm1vBqO
佐々木「ねぇ、キョン。君は特別では無いのかい?」

突拍子の無い質問だった。
久しぶりに会った友達と、当たり障りの無い会話、つまりは、最近どうしたとか学業はどうかというような話をしていた時に、そんな妙な質問が飛んできたのだ。
俺が特別?妙なことを聞くもんだ。普段は変なSF集団に囲まれてはいるが、俺はまだ普通の人間を自負している。気付かないうちに頭がおかしくなっていなければだが。

「どうしたんだ急に。それとも俺が特別に見えるのか?」

「疑問を疑問で返さないで欲しいな。まぁそこが君らしくて良いんだが」
佐々木はそう言ってくっくっと喉を鳴らして笑った。
「僕が言いたいのはね、キョン。普通の人間がなぜSOS団なんて特別な集団の一員でいれるのかってことさ」

84: 2010/11/13(土) 12:14:17.25 ID:zdMm1vBqO
「さぁな、俺にはわからん」

それは事実だった。俺だってその事については何度も考えを巡らせていたし、今まで一度だって答えが得られたことは無いのだ。

「じゃあ聞き方を変えよう。君は自分が普通だと思うかい」

そりゃあな。“狂人に自分は普通か”と聞いたところで、答えはYESだろうよ。

「くっくっ。まあ今は君の精神がいたって健康だと仮定しようじゃないか。でないと僕は精神病患者のカウンセリングをしていることになるからね」

佐々木はそこで一息つき、向かい合って座ったテーブルに少し身を乗り出して言った。

「でも、それは変な話だと思わないか?SOS団の性質と、彼女の体質からして」

86: 2010/11/13(土) 12:30:30.09 ID:zdMm1vBqO
「そんなことを言われてもな」

「僕にはそれが納得いかないのさ。だってそうだろう?宇宙人、未来人、超能力者ときて、君だけが普通ですだなんて、そんなのあると思うかい?それに……」
続く何かの言葉を発していいものかどうか、少し悩むような表情を浮かべて口籠もる佐々木を、俺はそっと促す。
「それに?」

「……そんなのつまらないじゃないか」

その佐々木らしくない子供っぽい理由と、彼女の浮かべた少し気恥ずかしそうな表情に、俺は自然と笑ってしまった。
その笑みは佐々木の機嫌を些か損ねたのか、佐々木はぷいとそっぽを向いて話を続けた。
「君が彼女に気に入られた理由。それを僕は是非とも明らかにしたいんだ」

87: 2010/11/13(土) 12:52:34.29 ID:zdMm1vBqO
「そりゃあ、構わんが、俺をつぶさに調べたところで、何もわからんだろうよ。俺自身が何もわからないんだから」

「さあ、それはどうかな」
佐々木は今いる喫茶店の窓ごしに流れる通行人の服装を何とはなしに目で追いながら、言葉を繋げる。
「自分のことは自分では存外わからないものさ。自己を認識しようとするとき、人は無意識的に都合の悪い事実を隠蔽しようとする。例えば反社会的な欲求だとか、性衝動だとか……、そんな抵抗を取り除くには第三者の視線、つまり今は僕が、必要なのさ」
いつだってこいつはこんな難しい言い回しを使う。俺はこいつのこういうところは嫌いではなく、むしろ好ましく思える。
「つまり、俺は何をしたらいいんだ?」
俺じゃくて俺“たち”、と佐々木はいたずらっぽい笑みを浮かべて、俺の言葉に訂正を加えた上で答えた。
「君が普段、涼宮さんとどのように過ごし、どんな生活を送っているか、今日1日教えて欲しいんだ」

90: 2010/11/13(土) 13:13:20.90 ID:zdMm1vBqO
佐々木はまだ、外を眺めている。教えて欲しい、という割に、暇だからとりあえず話が聞きたい、と言った風にも見えるし、子供っぽい自分の考えを内心気恥ずかしく思って外面を取り繕ってるようにも見えるが、横顔からではその表情はよく見て取れなかった。

「そうだな、休日は──今日は無いんだが、不思議探索とか言ってな、この喫茶店に集まって、くじを引いたあと、たいていは駅の方に……」
そこで急に佐々木はきっとこちらを向き直った。
「違うよキョン。せっかくの休日なんだ。実際によく歩くコースを僕と一緒に歩いてくれないか。口頭だけじゃ伝わらないことも多分にあるだろうし」
その口調には穏やかな怒気のようなものが込められていた。
ざっくりと口で説明しようとした俺の態度が気に入らなかったのか?まあいい。今日は珍しく暇だ。たまには旧友とだらだらと過ごすのも悪くない。
──と、そこで思い出した。
「そう言えば、今日は同窓会についての打ち合わせをするとか、そういう話じゃなかったっけか?」
佐々木は中学の同窓会の幹事に図らずも任命されてしまっていた。
一人で全てを決めるのは大変だから、友達の意見が聞きたい、相談に乗って欲しい、と言われたので俺たちはここにいるのだ。

91: 2010/11/13(土) 13:31:25.08 ID:zdMm1vBqO
しまった、という表情を一瞬浮かべた佐々木は、しかしすぐに平静を取り戻し

「同窓会の話なら歩きながらでも出来るじゃないか」
と言いつつ、すっきりしたピンク色のダウンジャケットをはおった。

俺もダッフルコートに袖を通しながら伝票を取り、立ち上がってレジに向かって会計を済ませ、店を出た。

先に出ていた佐々木は、微笑を浮かべながら、手を出すように俺に促した。
言われた通りにすると、そっと430円を手渡された。
思わず礼を言うと
「自分の飲んだコーヒー代を払っただけじゃないか」
と言って、佐々木はおかしそうにくっくっと笑った。
自分が“奢り慣れ”してしまっていることに気付いた俺は途端に恥ずかしくなり、ああ、なんて生返事をして誤魔化したが、そんな様子を佐々木はさらに面白がっているようだ。
「さて、これからまずはどこにむかうんだい?きちんとエスコートしてくれないと」
そう言うと、また彼女はくくっと短く笑った。

99: 2010/11/13(土) 15:27:53.77 ID:zdMm1vBqO
「エスコートなんて言うと大袈裟だな」
「キョン、エスコートと言うのは女性に付き添うとか、護衛するとか言った意味さ。だからなにもおかしなところは無いよ」
佐々木は楽しげに俺の横を並んで歩く。
それを横目に見ながら、俺はこいつをどこに連れていくべきか、と悩んでいた。
長門なら図書館、朝比奈さんならお茶や服屋、古泉はまぁ適当に、と人によってよく行く場所があるのだが、佐々木の場合、どの場所を好みそうか、という情報をまったく知らなかった。
というより、こいつはどんな場所でも楽しそうにするだろう。好奇心が旺盛なのだ。
あれこれ、考えを巡らせていると、俺はふとあることに気付いた。
「そういえば」
「どうしたんだい?」
佐々木が不思議そうに尋ねた。
「俺とハルヒが組になったことって、今までほとんど無いな」

102: 2010/11/13(土) 16:31:06.10 ID:zdMm1vBqO
正確には一度だけ、ハルヒと組になったことはあった。まだこの妙な高校生活が始まったばかりの第二回不思議探索の時だ。
あれは俺とハルヒ以外が全員欠席という特殊なケースの時で、だからといって内容には変わったこともなく、無駄に元気なハルヒに市中引き回しよろしく市内をつれ回されただけだったのだが。
「実にすごい話だね」
「ハルヒのバイタリティのことか?」
違うよ、と佐々木は少し呆れ、こう続けた。
「君たちが何回不思議探索をしたのかわからないから細かい計算は出来ないが、君と涼宮さんが組にならない確率は五分の三だ。これを乗じて行くわけだから、何か作為的な力が働いていない限り君と彼女が組にならないのはおかしい」
瞬時に計算してのける佐々木に感心した。有名私立の実力は伊達じゃない。
「おいおい、キョン。高校生ならこれしきの計算は当たり前だ。君はもっと勉強したほうがいいね」
俺のオツムの程度は良く知ってるだろうに。
「しかし、これが涼宮さんの力だとすると、キョン、なにか涼宮さんに避けられるようなことをしたのかい?」

105: 2010/11/13(土) 16:44:21.77 ID:zdMm1vBqO
「……いや、思いあたる節は無いな」
こっちが向こうを避ける理由はあっても、向こうから避けられるいわれはない。断じて。
「ふうん」
つまらなさそうに、佐々木はポケットに手を入れ、

「それじゃあやっぱり……」
呟くようにひとりごち、うんうん、と頷いて納得したような表情を見せた。

「やっぱり、なんだ?」
佐々木に飲み込まれて途切れた言葉の続きを促すように尋ねたが、
「キョン、あれをみてくれないか」
と、佐々木は掲示板に貼り付けられたチラシを指さして誤魔化し、俺の知りたかった文章は完全に彼女の中に消え去った。

108: 2010/11/13(土) 17:22:13.36 ID:zdMm1vBqO
「フリーマーケット?」
チラシにはそうかかれていた。
「まさに今日、今時刻にやってるみたいだ。行ってみないか?どうやら不思議探索というものは場所に重要なファクターはないようだしね。大事なのはキョン、君自身のようだ」
「ああ、かまわんが」
俺は返事をしながら、佐々木はこんなに能動的に動くやつだったか?と思った。
佐々木は自分で言うとおり、大抵の欲望は希薄な質で──少なくとも中学の時はだが──周りに合わせて動き誰よりも静かに好奇心を満足させる。そういうタイプだった。
見ない間に変わったということだろうか。
そう思って、よく見れば外見や纏った雰囲気もいくぶんか大人びたように見える。
春に再開したときは変わっていないと思ったものだが、それはそうであって欲しいと思った自分の無意識の起こした錯覚だったのかもしれない。

「ほんの少しばかり距離があるね。僕は今日は徒歩なんだが、君は……」
「自転車で来た」
佐々木はそれを聞いてにっこりと微笑んだ。
その顔が語る可愛らしい言葉は、どんな言葉よりも明瞭だった。
俺たちは一旦駅に引き返すと、停めてあった自転車を出し、俺がサドルに座ると、佐々木は荷台に座った。
佐々木の手が俺の肩にかかり、俺はペダルを踏む足に力を込める。
自転車がふらつきながら走りだす一瞬、佐々木の手にぎゅっと力が入り、自転車が安定すると、その手はふわりと乗せられているだけになった。

110: 2010/11/13(土) 17:44:53.69 ID:zdMm1vBqO
頬にあたる冬の風が冷たい。
それは佐々木も同じなようで、俺の体を風避けにしようと、背中に顔を近付ける佐々木の気配がうっすらと伝わってくる。
ペダルを漕ぐ足にかかる二人分の抵抗が、俺の精神を佐々木と塾に通っていた日々に戻ったような気にさせた。
と同時に俺は朝比奈さんと過去に戻った時のことも思い出し、TPDDの時間遡行で感じた目眩のような感覚をも思い出した。
そうしているうちに、今が実は塾に行っている途中で、妙竹林な高校生活を夢想しているだけなのかもしれない、なんて思った。
その時、ガタッ、と敷石に乗り上げる振動で危うくバランスを崩しかけ、慌てて軌道を修正する。
佐々木はキャッ、と珍しく年相応の女子らしい悲鳴をあげ、俺の肩にしがみついた。
「危ないじゃないかキョン」
「すまん、ちょっと考え事をしていてな」
謝る俺に佐々木は、君もかい、と言った。
「僕も実は目を閉じて昔を思い出していたんだ。“昔を思い出す”なんて言うと婆くさいかもしれないが」違いない、と俺は笑う。

111: 2010/11/13(土) 18:01:41.13 ID:zdMm1vBqO
「ねえ、キョン。昔は良かったって、思うことは無いかい?」
後ろからでも俺の耳に届きやすいよう、佐々木は文節ごとにはっきりと力強く発音する。
「あまり思わないな。どうしてだ?」
俺はなんだかんだ言って、今のぶっとんだ生活を楽しんじまっているからな。
「そうか……」
風の音に負けそうな音量で淋しそうに呟いた佐々木の声が辛うじて俺の耳に届いた。
この時、佐々木がどんな顔をしていたか気になったが、俺には想像もつかない。
この話はそれきりで、目的地までは他愛も無い話──須藤と岡本さんはその後どうなったとか、国木田は相変わらずだとか言った話で盛り上がった。

113: 2010/11/13(土) 18:29:22.67 ID:zdMm1vBqO
フリーマーケットはなかなか広い公園に仮設テントを立てて、各々が品物を持ち寄る形で行われていて、地域で運営されるものとしてはなかなかに立派なものだった。
「へぇ、思ったより大きいじゃないか。ねえキョン」
寒さで頬と鼻が少し赤らんだ佐々木の声色は、僅かながら嬉しそうな雰囲気を帯びている。
そう言えば、春にこいつと再会した時も、フリーマーケットに行く途中だったっけか。
ひと昔前に流行ったCDやおもちゃ、まだ使えそうな食器や家電、何故か理科室にあるビーカー等の実験器具など、会場には色とりどりの商品が並んでいた。
その中を、どこかふわふわといった雰囲気で歩く、佐々木のまるで年端もいかない子供を思わせる様子は、今まで俺が佐々木に持っていたイメージを改めさせるには十分だった。

114: 2010/11/13(土) 18:58:26.17 ID:zdMm1vBqO
佐々木は、ルービックキューブを手にとって少しいじってみたり、音に反応して踊る古くさい花のおもちゃの前で手を叩いて遊んだり、わりとおもちゃに対して興味をしめすらしい。
かと思えば、長門が好みそうなSFものの文庫本を面白そうにパラパラとめくっている。
「キョン、僕はこのSFを中学校の図書室で読んだんだ。いたく感動してね。なんとかこのお話の女の子を救えないものかと、ずっと考えていたものだよ」
俺はそのSFを読んだことが無かったので、へえ、だとかふうん、だとか適当な相づちをうった。
佐々木はそれに気を悪くしたような素振りもなく、並んである文庫本をとっかえひっかえして物色していた。
こういうさっぱりしたところが、俺が佐々木のことを友達だと思う大きな理由だ。
俺は無愛想だと言われることが多いが、佐々木はそれを気にしない。少なくとも表には出さない。だから、一緒にいて気疲れすることが無い。
結局、佐々木はSFの文庫本数冊と、二、三のちょっとしたおもちゃを買っていた。
どっかの団長と違って、馬鹿みたいに買い込んだりはしない。見習ってほしいね。
俺はというと、佐々木が他の物を見て回っているうちに、さっき佐々木が見ていたルービックキューブと、妹が喜びそうな猫の小さな人形を買った。

122: 2010/11/13(土) 20:49:36.72 ID:zdMm1vBqO
俺たちがフリーマーケットを出ることにした頃には、すでに日は傾きかけ、夜の気配が東からじわりと感じられた。
俺は停めていた自転車の傍に行き、寒さにかじかむ手でロックを外した。
「籠に荷物載せろよ」
促すと、佐々木はありがとう、といって、丁寧に紙袋を籠に載せた。
「すっかりはしゃいでしまった。すまないね、寒かっただろう」
自分も寒いのだろう、手をこすりあわせながら佐々木は言った。その動作は俺に気を使わせないようにいたって控えめなものだった。
「暗くなってきたね。あともう少ししたらオリオン座が見えるだろう」
佐々木は空を見上げた。
「ああ、そうだな」
その横顔を見てまたもや中学時代を思い出す。
受験勉強もいよいよ大詰めという時期、これとまったく同じ会話をしたことがあった。
回想を振り払って俺も同じように空を見上げた。一面に広がる灰色の空。
閉鎖空間みたいだ、と心の中で苦笑する。
そういえば、俺がまじまじと空を見上げたのは今年の七夕以来だったか。
つくづく、俺の人生には涼宮ハルヒが入り込んでいるのだと思い知らされ、また苦笑した。

124: 2010/11/13(土) 21:11:43.98 ID:zdMm1vBqO
「佐々木、行くぞ」
声をかけるが、聞こえているのかいないのか、依然として佐々木は空を見上げている。
何事かを思うその顔には、どことなく悲しげな表情を浮かべているように見えた。
「佐々木?」
「あ、ああ、すまない。少し物思いに耽っていた。何故だろうね、空を見ると何事か考えてしまうのは。星座の話を考えたギリシャ人も同じだったのだろうか」「さあな、お前の言う通りかもしれんし、ただの暇人かもしれん」
佐々木は短く笑って、自転車の荷台に上品に腰掛けた。冷たい手が俺の首筋に一瞬だけ触れた後、そっと肩に置かれた。

俺は自転車を漕ぎだしつつ尋ねた。
「さあ、どうする?そろそろ日が暮れるが、今日はこのまま解散か?」
「キョン、何を言ってるんだい?君は大事なことを忘れているよ」
「ああ、そうか。同窓会の話だったな。それなら駅前のファミレスに入って──」
「違うよ、キョン。全然違う」
佐々木の言葉が出し抜けに俺の言葉を遮った。

126: 2010/11/13(土) 21:30:51.57 ID:zdMm1vBqO
俺は思わず自転車を止め、佐々木のほうに向き直った。
佐々木は、何かおかしなことでも言ったかい、とでも言いたげな目をしている。
「君は僕が昼間に言ったことを覚えてないのかい?」
俺は少し考えて、答えた。
「言われた通りに、いつもの不思議探索の再現をしただろう?後は同窓会について取り決めをして──違うか?」

にやり、と佐々木は不適に笑った。
「不正確だよ、キョン。僕が言ったのは正しくはこうさ。“君が普段、涼宮さんとどのように過ごし、どんな生活を送っているか、今日1日教えて欲しい”とね」
「だから、不思議探索に……」
そこまで言ったところで気づいた。なるほど、そういうことか。
「そう。普段、というのは休日だけでは無いだろう。平日は君は涼宮さんとどう過ごしているんだい?まさか、放課後しか会ってないとは言わせないよ」
佐々木は柔らかな、それでいて意志の強い微笑を浮かべて、言った。
「僕を北高に連れて行ってくれ。なに、今日1日とは言ったけど、何も0時までつれ回したりはしないよ」

130: 2010/11/13(土) 22:02:53.97 ID:zdMm1vBqO
えっちらおっちらとしつこいまでに長い坂道を登り、俺たち二人は毎朝通う北高への通学路を歩いていた。

通い慣れた道ではあるが、辺りが暗いと言うだけでこんなにも雰囲気が変わるものだろうか。
休日の通学路、しかも夜ということもあって、馴染みの坂道はひっそりと静まり返っていた。
「なかなかにハードワークじゃないか、キョン。君が体型を維持できている理由がわかるね」
口ではそう言いながらも、佐々木は息を切らすこともない。健脚だと誇ってもいいと思うぜ。
「これでも健康には気を使っているのでね。老化は足から来るとも言うし」
その年で老化の心配をするやつがあるかよ、と言うと、それもそうだ、と佐々木。
門の前まで来ると、警備員がいないことを確認して、門によじ登り、佐々木にも手を貸してやった。
「運がいいね。実際、警備員に追い返されるかと思っていたよ。来てみるものだ」
随分と行き当たりばったりじゃないか。
「たまにはね。キョンの教室はこっち?」
いや、こっちだ、と案内をしながら、俺は疑問を拭えずにいた。
なぜ、佐々木はこうもハルヒが俺に興味を持つ理由にこだわるのか?
こんな危険を冒してまで、北高に忍び込む理由はなんだ?
何度考えてもわからなかった。

132: 2010/11/13(土) 22:22:23.85 ID:zdMm1vBqO
「ここが普段、君が授業を受ける教室か」
どん、どん、と仰々しく足音をたてながら、教壇に登り、さながら舞台挨拶をする女優のように、ものいわぬ机達を見下ろしながら、佐々木は言った。

ここまで入ってこれたことははっきり言って奇跡だ。
たまたま校舎の一階の窓が開いていて、しかも二年五組の窓も開いていた。
おかげで、俺たちは運動場で妙な記号を書くでもなく、まっすぐにここまで侵入できた。
元々この学校のセキュリティレベルが低いのか、それとも……
本当の神的存在は佐々木……、と言っていた橘京子のことを思い出す。
もしかして、佐々木も自覚しない願望実現能力とやらを持っているのではないか。
今日1日佐々木と行動をともにしたあとでは、突拍子も無い話とは思えなかった。
ハルヒは思いついたら即実行を絵に書いたようなやつで、佐々木は理性が服を着て歩いているようなやつだ。
しかし、中身はそう変わらないんじゃないだろうか?

135: 2010/11/13(土) 22:54:23.58 ID:zdMm1vBqO
佐々木とハルヒの大きな違いは常識と理性だ。
佐々木は若干理性的に過ぎるし、ハルヒは常識が欠如しすぎている。
だからこそ、ハルヒの願望実現能力は荒唐無稽なことを現実にし、俺たちをいつもぐちゃぐちゃに引っ掻き回す。
じゃあ、佐々木に同じ能力があったら?
答えは簡単だ。能力を理性でもってねじ伏せるだろう。ハルヒでさえ、残った僅かな常識で能力にセーブをかけるくらいだからな。
しかし、無意識で、しかも常識の範疇にあり、本人が意識しないぐらいに能力を発揮しているとしたら?
例えば、電車に乗り遅れそうな時に、30秒ほど発車が遅れるだとか。
それならありそうな話だし、佐々木が気がつかないというのも──
「──ョン、キョン」
「おおっ!?どうした佐々木?」
「どうしたはこっちの台詞さ、キョン。ぼーっと黒板を眺めて。くっくっ」
どうやら考えこんで、呼び掛けを無視していたらしい。
「で、君の席はどこかな?」

137: 2010/11/13(土) 23:13:32.78 ID:zdMm1vBqO
ああ、それなら、と窓際の後ろから二番目の席を指し示す。
文字どおりの定位置だ。目を瞑ってたって指差せる。
「確か涼宮さんは後ろの席だったね」
そう言って、佐々木はハルヒの席に静かに座った。
「キョン、君も自分の席に座ってみてくれないか」
俺はその言葉の糸がつかめないまま、言われたとおりに席に着いた。
「前を向いて。授業を受けているときみたいに」
なぜ、と尋ねてみたが、いいから、と返ってくるばかりだ。
仕方なく指示に従う。
警備員にばれないように、教室には電気が灯っていない。
既に目は闇に慣れているので、うっすらと黒板や机の輪郭はわかるが、この場所が昼間に授業を受けているのと同じ空間だとはまったく思えなかった。
「へえ。これが涼宮さんのみている景色か」
こんなに暗くはないがな、とおどけてみせた。
しかし、佐々木の返事はなく、闇にしばしの沈黙がながれた。

141: 2010/11/13(土) 23:29:29.82 ID:zdMm1vBqO
痺れを切らして、後ろを振り向こうとした、まさにその時だった。
「ねえ、キョン。そのまま……、そのままで聞いて欲しいんだ」
その声音は、今まで俺が聞いたことのない、憂いに沈んだ声音だった。
「君は、選ばれなかった自分の可能性について、考えたことがあるかい?」
一瞬、何の話かわからなかった。
言われた言葉を咀嚼し、燕下して、一通り消化する。
それは例えばつまり、俺がSOS団に入らなかったら、とかそういうことか?
「うん、そうだね。そういうことだ。つまり人生とは選択することで、僕たちは常に可能性を捨て続けている」
「話が見えないな。言ってる意味はわかるが、全体像がまるでわからない」
一拍の間。
「つまり、キョン。ここに座っている僕、という可能性もあったってことさ」
先ほどまでとはうってかわって、感情も抑揚も無い声だった。

143: 2010/11/13(土) 23:53:18.63 ID:zdMm1vBqO
「このところ、そんなことばかり考えるんだ」
考えてもしょうがないことなのはわかっているのにね、と自嘲気味に続けて呟いた。
「しかし、お前は有名私立に入って、成績も優秀。このままいけば充実した人生が送れるだろうに。北高なんかに入るよりよっぽど──」
「違うんだキョン。人生設計の話がしたいんじゃない。いま。そう、今現在の僕は空っぽなんだ」
だんだんと佐々木の口調が早くなっていく。
その声は震えているようにも聞こえる。
「不満があるわけじゃない。決して多いわけじゃないが友達もいる。勉強はついていけている。金銭面に不安があるわけでもない。でもただそれだけなんだ。それ以上でも以下でもないんだ」
だんだんと語気が強まっていた。
俺は、佐々木の発する雰囲気に気圧されて、ふり向けずにいた。
「勉強をするために勉強をしているような気分だ、と前に言っただろ。実際その通りさ。大学に行くために高校に通い、就職するために大学を目指す」
くくっ、と笑う声がした。
「空っぽな気分さ。まるでマトリョーシカだ。一体何が残るって言うんだ?」

148: 2010/11/14(日) 00:17:57.48 ID:IXRdQlwOO
佐々木の声は今にも泣き出しそうだった。
「こんな気分になった時、いつも思い出すんだ。君と、塾に通っていた時のこと。あの頃は楽しかった。嘘じゃない。本当に楽しかったんだ」
“昔は良かったって思うことはないかい”と、昼間の佐々木の言葉をふと思い出し、今さらその問いの意味を理解した。
佐々木は俺に、そうだな、とかなんとか、同意を求めていたのだ。
「まったく馬鹿な話さ。もし、北高に言っていたら、君と同じ高校に通っていたら、と思ってるんだよ。滑稽だろう?」
滑稽、というにはあまりに悲しい言い方だった。
俺はなんと声をかけていいかわからず、沈黙を貫いた。
「はっきり言うよ、キョン。聞かないで欲しいけど、親友の君だから言うんだ。だから聞いて欲しい」
俺はたまらず振り向いた。佐々木がどんな表情をしているか、気になったからだ。
しかし、佐々木の表情はいつもと変わらなかった。
暗闇の中でもはっきりと認識できる程に、いつもの佐々木だった。

「僕は、涼宮さんに、嫉妬している」

150: 2010/11/14(日) 00:55:45.03 ID:IXRdQlwOO
嫉妬?嫉妬だって?
およそ佐々木らしくない言葉に、俺は面食らった。
第一、佐々木は恋愛は精神病で、感情はノイズだと言い切ったやつだぞ?
あり得ない、と思う。実際に佐々木の口からその言葉を聞いてなお、あり得るはずがないと思うのだ。
「自分でも驚いてるんだ」
こちらの心の内を見透かされたようだった。
「抑えられないんだ。辛いのさ。自分にこんな心があるってことが」
佐々木は落ち着いたのか、冷たい口調で淡々と続ける。
そういえば、古泉がハルヒに関してこう言っていたことがある。
“ハルヒが恋愛についてすべてを語れるほど心理学に秀でて見えるのか”と。
ハルヒと佐々木は似ている、とは俺の受けた印象だ。
ならば、古泉の弁は佐々木についても言えるだろう。
“佐々木は感情全般について論じれるほど心理学に通じているか”とな。
答えはNOだ。もちろん佐々木に限らない。そんな人間はいやしない。
なぜなら、あの完璧宇宙人の長門でさえ、感情はなかなか理解できないと見えるからだ。
それだけで難易度の高さが垣間見えるってもんだ。
それを佐々木はなまじ優秀なばかりに、理性と論理で感情を押さえ付けてガタがきちまったんだ。
無理も無い話だ。

155: 2010/11/14(日) 02:41:29.83 ID:IXRdQlwOO
「なあ佐々木、お前はいろいろと難しく考えすぎなんじゃないか」
そう、難しく考えすぎなんだ。水は高きから低きに流れる。感情が生まれるというなら、別に摘み取る必要なんか無いのさ。
自然の摂理に逆らうってのはそれだけで負担がかかるもんだ。
「お前はもっと自然体で生きたほうがいい。まだ17歳だろ?四角四面に堅苦しく生きる必要は無いんじゃないのか。友達だって作ればいい」
「そうだね。キョン、ありがとう」
しかし、返ってきた謝辞には、感謝の意の代わりに悲痛さだけが詰まっていた。
「でも、駄目なんだ。僕は普通じゃないから」
「普通じゃない?どこが──」
不意に、俺の言葉を遮るように、佐々木は右手を顔の高さに上げた。
と、同時に、俺の視界の闇が一気に光に照らされた。教室の電気が一斉に着いたのだ。
振り返って電灯のスイッチを見るが、当然のように誰もいなかった。
「願望実現能力……?やっぱりお前にも──」
「そう、僕にもあったんだよ。彼女と同じ力が」
そう言って佐々木は最大限に自嘲的な笑みを浮かべた。

172: 2010/11/14(日) 12:58:28.96 ID:IXRdQlwOO
「いよいよ、僕は人外だ」
クックッ、と独特な笑い声が夜の教室に染み渡る。
「さっきのは意識的にやったけどね。この力は無意識でも作用する。これがどういうことかわかるかい?」
これがどういうことかわかるか、だって?
わかるさ、俺はハルヒのことをよく知ってるから──
「違うよ、キョン。彼女は無自覚で、僕は自覚している。これは大きな違いだ」
こいつはこういう時でさえ回りくどい言い方をする。
「はっきり言ってくれ」
「僕の人生はまがい物だったってことさ。高校に受かったことや、今まで健康に生きられたこと、自分の能力や友人関係、全部僕が無意識に望んだんだとしたら?」
そんなことあるわけが、と言いたいが言えない。
なぜなら、俺はハルヒをよく知っている。
そして、ハルヒがSOS団を作る過程を見てきたからだ。
あいつも無意識にすべてをやってのけたのだから。
「自分でレールを敷いて、その上を走っていたのさ。まるで茶番じゃないか。僕はそれに気づいてしまったのさ」

174: 2010/11/14(日) 13:33:22.44 ID:IXRdQlwOO
以前、佐々木は言っていた。自分がハルヒのような力を持ったら、精神を病むだろうと。
佐々木の様子を見るかぎり、その自己分析は当たっていたと言えるだろう。
当たって欲しくは無かったが。
「気づいたのは一月ほど前さ。些細な幸運が続いたんだ。確率的にあり得ないほどにね。涼宮さんのくじ引きみたいに」
ハルヒなら偶然で済ませただろうな。
「こんなことを相談できるのは君しかいないんだ。橘さんに話したら面倒なことになりそうだし、一般人に話せばたちまち精神科に連れていかれるだろう」
佐々木は心底まいっている、といった面持ちだ。
気休めでもいい。こいつに何か言ってやらなければと思った。
「いいか佐々木。俺がいまお前の目の前にいるのは俺の意志だ。違うか?ハルヒやお前の力だってすべてに及ぶわけじゃない」
「そこなんだよ、キョン。僕はこのところ中学時代を懐かしく思っていた。君に会って相談したいとも思った。ところで今日、君を呼び出した用件を覚えているかい?」
用件?それならもちろん覚えているさ。同窓会だ。
「そうだ。同窓会。おかしいだろ?前の同窓会は夏休みだったんだよ。そんなに頻繁に同窓会が行われるほど僕たちのクラスは仲良しだったかい?」

176: 2010/11/14(日) 13:52:58.37 ID:IXRdQlwOO
クラッ、と眩暈のような感覚を覚えた。
そうだ、なぜ失念していた?
夏休みに同窓会があったばかりじゃないか。
須藤が岡本に告白して、それを皆が囃し立て……
はっきりと思い出せるのに忘れていた。
「自分で自分が気持ち悪かったよ、キョン。だって、幹事を依頼してきた子だって、その事をなんの不思議にも思っていなかったんだから」
ハルヒだったら、時空を歪めて俺たちを中学時代に戻しただろうな、と思った。
同窓会という形で力を発動させたのは、佐々木に良識があるからだろう。
「自分の力に気づいてからというもの、僕はこの上ない閉塞感と圧迫感を感じるよ。何かぶよぶよとした膜のようなものが、ゆっくりと僕を押し潰そうとしているような……」
突然、ガシッ、と力強く佐々木が手を握ってきた。
「僕はどうしたらいい、キョン。このままだとおかしくなってしまう……」
顔を俯け、絞りだしたような声を出す佐々木に、俺は何かしてやりたいと思った。
でも、俺に何ができるんだ?
こんなとき……

179: 2010/11/14(日) 14:42:27.92 ID:IXRdQlwOO
情けない話だが、こんな時に頼れる人物を俺は一人しか知らない。
以前、ハルヒが能力を失ったことがあった。その事件を起こした人物であり、SOS団の最終兵器にして地球外少女。
「一緒に長門のところに行こう」
長門ならきっと、現状を打破してくれるはずだ。
いつも長門に迷惑をかけるのは心苦しいが、友達を失うよりはマシだ。
「アイツは前にハルヒから力を奪ったことがあるんだ。きっとアイツなら対処法を知っているはずだ」
「長門さんのところへ……?」
佐々木は顔を上げ、俺の顔を見つめて何事かじっと考えている様子だった。
しばしそのまま時が流れ、意を決したように佐々木は静かに頷いた。
俺は立ち上がり、佐々木に向き直った。
佐々木もゆっくりと力なさげに腰を上げた。
だが、その振る舞いは、これで問題から解放されるという喜びはまったく感じられず、むしろ懸念がまったく消えてはいないと語っているような、悩ましさが見て取れた。
そして、それはまったくその通りだった。

180: 2010/11/14(日) 15:01:37.75 ID:IXRdQlwOO
俺たちは教室を後にし、廊下を歩き、階段を降りた。
その間、佐々木は一言も発しなかった。
俺はその様子をてっきり、よく知らない長門に頼ることへの不安からくるものだと早合点していた。
おそらくそれもあったに違いないが、それは100点満点で10点といった解答だった。
玄関の鍵を開け、外にでた。
そこで異常事態に気づいた。
いつからだ?少なくとも、さっき廊下から見た景色はこんなでは無かった筈だ。
「これは、一体……?」
呆然と空を見上げ、驚きを隠そうともせず佐々木が呟く。

空が明るかった。

それだけでは無い。世界の雰囲気、そのものが一変していた。
セピア調のモノトーンの空。世界を彩るオックスフォードホワイト。
この、穏やかな光に満ちた世界を俺は知っている。
ああ、知っているとも。

「閉鎖空間……」

誰に言うでもなく、俺はこの世界の名を、口に出して言った。

183: 2010/11/14(日) 15:44:09.06 ID:IXRdQlwOO
「へえ、僕の中はこうなっていたのか。実に妙な気分だよ」
平静を装った声だった。
無理も無い話だ。あのハルヒでさえ閉鎖空間に来たときは怯えていたのだ。
どうやら神人はいないらしい。
「神人?なんだいそれは?」
俺は神人について掻い摘んで説明をしてやった。
それを聞いて
「どうやら僕には破壊衝動はあまり無いみたいだね」
と自己分析をしている。
努めて普段の自分を演じることで、気持ちを静めているようだ。
それから二人で学校の敷地をぐるりと、どこかから出れるところは無いかと、空間の切れ目を探して歩いた。
恐らくは無駄だろうと思っていたし、そしてその予想は果たして現実だった。
ぐにぐにとした、見えない膜で二人の世界は覆われていた。
出口が無いことを一通り確かめた後で、俺たちは中庭の木の側に座り込んだ。
この閉鎖空間内は元の世界と違って、寒くも暖かくも無かった。
暗いわけでも無かったが、かといって明るいわけでも無かった。
要するに、どっちつかずなのだ。何物にもなることができず、もやもやした世界。
時間の感覚ですら希薄なこの場所に、俺は形容しがたい居心地の悪さを感じていた。

185: 2010/11/14(日) 16:10:47.90 ID:IXRdQlwOO
「キョン、知ってるかい。人間を暑くも寒くも無い、空っぽの静かな部屋に閉じ込めておくのは、最大級の拷問だそうだ」
さらっと恐ろしいことを言うな。縁起でもない。
「僕たちが発狂するまでに残された時間はあとどのくらいだろうね?」
「それまでに脱出してやるさ。必ずな」
見栄で啖呵をきってみたが、どうしたらいいか皆目見当もつかない。
またあの時みたいに古泉あたりが来て、助言の一つや二つを投げ掛けてくれないものか。
「ねえ、キョン。ねえ……」
鼓膜を震わせた空気の振動に、まとわりつく艶めかしさを感じて、飛び上がるほど驚いた。
それが佐々木から発せられたものだと理解するのに、さほど時間はかからなかった。
「もし、この世界も、僕が望んだものだとしたら、君は僕を憎むかな……?」
息遣いが肌で感じれるほどの距離まで、その端正な顔を近付けて佐々木は言った。
「どういうことだ?」
「さっきは拷問だなんていったけどね、僕はいま安らぎを感じているんだ。なぜかわかるかい?」
口調こそ男のそれだが、いまや佐々木の口調には女性の香りのようなものが漂っていた。

187: 2010/11/14(日) 16:41:50.55 ID:IXRdQlwOO
今まで見たことが無い同級生の側面に俺は戸惑っている。
「……もし僕にこの力が無かったら、君と僕は再会できただろうか。もし僕からこの力が失われたら、これから先、僕は君と再会できるだろうか」
「でも、お前はその力をどうにかしたいんじゃないのか?さっきだって……」
「そうさ、どうにかしたい。本心だよ。でもね、君と会う理由にもなる。自己矛盾してるのさ。葛藤してるんだ」
佐々木の顔は、肌の感触が空気を伝わってきそうなぐらいに、俺の顔のそばまで来ていた。
「君のせいだ」
「どうしてそうなるんだ」「言わせる気?」
佐々木はそっと俺の頬に柔らかい手のひらをあてがった。
そして、佐々木の顔が近づき──柔らかな唇が、俺の唇に強引に重なった。

189: 2010/11/14(日) 17:12:19.57 ID:IXRdQlwOO
「!!」
俺は驚いて、咄嗟に佐々木の肩を突き飛ばした。
俺をじっと見つめる佐々木のつぶらな目は潤んでいた。
「ごめん、キョン。でもこんな時で無いと駄目なんだ。君の側にはいつも涼宮さんがいるから」
「ハルヒがどうしていま関係あるんだ?」
思わず声を荒げた。
「気づいてるくせに」
そう言われて、俺は何も言い返せなかった。
「今日は本当に楽しかった。でも、明日になったら君はまた涼宮さんとの生活に戻るんだろう?僕にはそれが堪らない。そんな明日は来てほしくない」
「俺とならまたいつでも会えるじゃないか!」
「確かにね。でもそれは中学卒業から再会までの一年間も同じことだった。会おうと思えば会えたさ」
木陰で淡々と話す佐々木の姿は、今にもこの空間の空気に染み入ってしまいそうに儚かった。
「どうせ、現実に帰っても良いことなんか無いし、ここで穏やかに君と朽ち果てるならそれも悪くないかな、って思うよ。だからキョン、わたしを見てよ。お願いだから」
佐々木の目からポロポロと涙がこぼれた。

194: 2010/11/14(日) 17:46:09.64 ID:IXRdQlwOO
「佐々木……」
呼び掛けたはいいが、俺は何と声をかけていいかわからず、むなしく言葉は虚空に吸い込まれた。
佐々木は必死に涙をこらえようと、手で目を拭っている。
俺は思わず、その手を取って、佐々木を抱き寄せた。
なぜそうしたかはわからない。でもそうする他は無いと思った。
俺の胸に佐々木の頭の感触がする。
指の先に、くしゃっとした髪の感触が伝わる。
「佐々木、ごめん。俺は今までお前のことを、ちゃんと見たことが無かった」
佐々木の俺の服を掴む手に、きゅうっと力がこもる。
「なんて言ったらいいのかわからないけど、お前が困ってたら、俺は全力で力になって助けるよ。でもな……」
これから先の言葉を、胸に抱くこの少女に言っていいものか、しばし逡巡し、思い切って口を開いた。
「でも、俺は元の世界に帰りたい。すまん」

197: 2010/11/14(日) 18:15:49.53 ID:IXRdQlwOO
佐々木のことは憎からず思っている。
でもそれは断じて心中してもいいなんて思う程ではない。
第一俺はこんな刺激の無いところに閉じ込められて一生を終えるなんて真っ平ごめんだ。
いや、違うな。これも正確じゃない。
俺はSOS団のみんなに会えなくなるのが嫌なんだ。
なあ佐々木。日常が退屈だって言うんなら、SOS団に入ってみちゃどうだ?
お前なら、案外ハルヒのやつと意気投合すると思うぜ?
他校のやつでも入団できるらしいし、いっぺん試験を受けてみちゃどうだ。
現実は変えようとしなきゃ変わらないぜ。
そう言って俺は佐々木の頭をなるべく優しく撫でてやった。
途端に、感情の奔流が堰をきったように佐々木はわっと泣き出した。
号泣。
辞書を引いたら載ってそうなぐらい、見事な号泣だった。

199: 2010/11/14(日) 18:29:34.80 ID:IXRdQlwOO
佐々木の嗚咽の声が辺りに響く。
やがてはそれも勢いを失い、すすり泣きに変わった。
俺は空を見上げ、佐々木をギュッと抱き締めた。
その時、セピア色の空に、細かい亀裂が走った。
そして、空は細かい破片となり、まるで雪のように辺りに降り注ぐ。
欠けた空の隙間からは夜の闇が差し込み、それが次第に広がると、やがて夜の静寂が世界を支配した。
さっきまで空だった光の破片はその力を失って消失し、夜空の星が代わりに瞬いていた。

「ありがとう、キョン……」
いつの間にか泣き止んだ佐々木は呟いた。
返事代わりに、佐々木の背中をぽんぽんと叩く。
冷たい冬風が中庭に吹き、思わず二人で身を強ばらせた。
「ねえ、寒いからしばらくこのままでいていいかな。寒いから……」
俺は無言で返事をした。

203: 2010/11/14(日) 19:18:38.98 ID:IXRdQlwOO
「泣くっていうのはストレス解消に良いね。胸の奥が軽くなったような気がするよ」
校門をくぐり、下りの坂道にさしかかった辺りで佐々木は言った。
さっきまでの態度を微塵も感じさせない、凛々しい少女の姿がそこにあった。
「まあな、たまにはたまった鬱憤を掃除することも必要だ」
「キョンも泣きたい時があったら、いつでも僕の胸を貸すよ」
くっくっ、といつもの独特な笑い方で佐々木は悪戯な顔をした。
「さて、これからどうする?今日1日はまだ終わってないみたいだが」
「そうだね、とりあえずお腹が空いたよ」
じゃあ飯でも食いに行くか、と言うと、そうだね、と笑顔の返事。
「しかし、あのままだったら飯屋にもいけなかったな」
「違いない。ぞっとしない話さ」
二人で並んで、坂道をテクテク下る。
まるで佐々木と一緒に下校しているような錯覚を覚えた。
「佐々木」
「なんだい?」
すっかり普段の姿を取り戻した佐々木に、俺は言ってやった。
「お前の女言葉、なかなか可愛かった」
ありがとう、と佐々木は寂しく笑った。

204: 2010/11/14(日) 19:34:37.97 ID:IXRdQlwOO
それからどうなったかって?
別にこれといったことは無かった。
佐々木とは今も友達だし、俺は北高でそれなりに楽しくやっている。
以前と同じだ。そう、たった一つを除いては──
「居眠りするなとは言わないけどね、キョン。君のは少し度が過ぎてると思うな」
いま、俺の隣には佐々木が座っている。なぜか。なぜだ?
「親に必死で頼んだんだ。転入したいってね。両親にはっきり意見するのは初めてだったからさぞかし驚いたろう。二人とも目をまんまるくしていたよ」
傑作コメディ映画を見てきたかのように面白そうに佐々木は語った。
能力のほうも、
「上手く使えばこれはこれで便利だから。大学受験までには長門さんに消してもらうつもりだけどね。実力で受けたいから」
と、結局いまだに持ち続けている。あの大騒ぎは一体なんだったんだ。
そのことと、何度席替えしても、こいつが隣になることと何か関係があるかは、俺の知るところではない。

209: 2010/11/14(日) 19:54:14.02 ID:IXRdQlwOO
何度問い詰めても、偶然さ、の一点張りで通す佐々木。
困るのは、こいつと話してると後頭部に突き刺さる背後からの不機嫌な視線である。
しかし、自分で用意した実に第15次にも及ぶ入団審査をすべてパスした新団員佐々木にきつくあたれないのが、後ろの独裁者様の弱みだった。
このことと、最近古泉が寝不足なこととの寡聞にして知らない。
ある日、隣の佐々木に言った。
「変わったよな、お前」
すると、佐々木はこう返した。
「人の中身はそう変わらないよキョン。考え方が一変するような聖パウロ的、コペルニクス的転回が無い限り──つまり、君が見て僕を変わったと思うなら」
そこでフフッ、と佐々木は微笑んだ。
「僕にとって君がそれくらい特別ってことさ」


〈了〉

210: 2010/11/14(日) 19:59:11.62 ID:IXRdQlwOO
投下時間かかりすぎですいませんでした。
地の文つきのSSは即興で書くようなもんじゃないですね
本当はハルヒと佐々木のスラップスティックラブコメディにしようと思ってたんですが、どうしてこうなった……
伏線回収できなかったところもあり、自分の力不足を痛感する次第です
読んでくださった方ありがとうございました!

224: 2010/11/14(日) 21:29:55.97
乙!すごい良かった

226: 2010/11/14(日) 22:42:49.89

引用元: 佐々木「ねぇ、キョン。 君は特別では無いのかい?」