1: 2009/05/07(木) 01:16:24.90 ID:lWdz+E4/0
災いポケモンなんて呼ばれているもんだから、ちょっと人前に顔を出せばみんなが私を怖がる。

化け物でも見るかのような目つきをする人間達。
「アブソルが出た。この街ももう終わりだ」
そう口ぐちに叫んで、にぎやかだった街は一気に閑散とする。

所詮都市伝説なのに、人間とは、なんと馬鹿馬鹿しいのであろうか。
だから私は、人間を信用していない。

3: 2009/05/07(木) 01:17:24.04 ID:lWdz+E4/0

そんな私の目の前に、ある日一人の少年が現れた。
私お気に入りの草むらで、喉の渇きを潤している最中だった。

「アブソルだ…」

少年は、私が見た事のないタイプの人間だった。
私を見る目が、怯えていない。
あいさつ代わりに、フォウ、と軽く威嚇の意味を込めた鳴き声を出すと、少年はきゅう、と眉間を寄せて、口元に笑みを浮かべた。

5: 2009/05/07(木) 01:20:07.16 ID:lWdz+E4/0
少年の傍らで、ピカチュウが私を威嚇していた。
頬の電気袋を光らせて、戦闘準備は万端。主人を傷つける恐れのある、要注意ポケモンとみなしたのだろう。
相手がやる気であれば、こちらも容赦はしない。

私は人間が嫌いなので、人間に仕えているポケモンも好きではない。
そんな単純思考で、このピカチュウを敵だと判断するまでに、そう時間はかからなかった。

9: 2009/05/07(木) 01:24:19.28 ID:lWdz+E4/0
赤い頬袋に電気を溜めているピカチュウ。
ピカチュウの周りを渦巻くように、黒い霧を噴射した。

「待って、ピカチュウ。アブソルと戦う気はない」

黒い霧の中、ピカピカと光る電気を遮るように、少年はピカチュウを制した。

「このアブソルは無害だよ」
「ピカ、ピカチュウ」

捕まえなくていいのか?と、ピカチュウは暗に少年に問いかけているようだった。
頬袋の電気をピリピリを抑えながら、少年はピカチュウの頭を撫でてこう言った。

「アブソルは、そっとしておいてやりたいんだ」

驚かせてごめんね、と言って、そのまま少年は私の元から立ち去っていった。

10: 2009/05/07(木) 01:28:06.54 ID:lWdz+E4/0
その夜、私は再び街へ降りた。
特に災害を感じた訳ではないが、ここ最近、私が気に入って使っている水辺を荒らす人間がいたからだ。

人間排除は簡単だ。その人間が住む街に、少し私が顔を出せばいい。
数日とかからず、その街から人間は消えていなくなる。
人間が消えた街から、食糧をたっぷりと頂いて、再び私は平穏な生活を送る。
そんな毎日の繰り返しだった

12: 2009/05/07(木) 01:30:53.23 ID:lWdz+E4/0
街へ降りた途端、人間達は私を化け物を見た瞳で見つめた。

「わ、わざわいポケモンが来た…!」
「大変だ!村長に知らせなくては…」

青年二人組だったろうか。私を見つけた彼等は、文字通り裸足で逃げ出した。
それから数日して、街から人が消えた。
今回も同じ。私の策略に人間がはまったのだ。

何とも、人間は愚かだと思う。

13: 2009/05/07(木) 01:34:22.20 ID:lWdz+E4/0

再び静けさを取り戻した、私お気に入りの水辺は、何とも綺麗だった。
水辺に白い毛並みを映しながらそう思う。

(いっそ、人間なんか滅びてしまえばいいのに)

わざわいポケモン、なんて呼ばれているくせに。
ほろびのうた…そんな、全てを無にする歌も歌えるけれど、そんな願いはかなわない。

所詮我々ポケモンは、人間の道具だ。

街では、コンテストだバトルだといって、ポケモンが食い物にされ、見世物になっている。
私は絶対に、人間のおもちゃにされるのは嫌だ。

14: 2009/05/07(木) 01:38:56.84 ID:lWdz+E4/0

水辺でまどろんでいると、誰かの足音が聞こえた。
この足音は、ポケモンの足音ではない。つまり、人間の足音だ。

毛並みを逆立てて気配に集中すると、見たことのある黄色いポケモンを連れた人間が顔を出した。
…ピカチュウを連れた、あの少年だ。

少年は、困ったような笑顔で私に近づいてきた。
全身の毛並みを逆立てて威嚇する私に、少年はもっと困った表情を浮かべた。

「…お腹すいてない?」

フォウ、と威嚇を続ける私をなだめるように、そろり、そろりと近づいてくる少年。

「何色のポロックが好きか分からなかったから…」
「一応、一通りのポロックは持ってきたんだけど」

15: 2009/05/07(木) 01:43:16.40 ID:lWdz+E4/0
距離を置いたまま、少年は私に菓子を差し出してきた。

「どれでも好きなの、食べていいよ」

色とりどりの菓子を置いて、そう言った少年。
少年の隣で、ピカチュウは黄色い菓子を食べたそうに眺めていたが、「ピカチュウにはまた後で」と言ってピカチュウを静止していた。

人からもらう菓子なんかに興味はないが、それでも、とても良い匂いがしてきた。
人間が去った街で、この類の菓子を物色した事があるが、どれもこれも美味しいとは感じなかった。

だけど、今目の前に置かれている菓子は、とても美味しそうな匂いがする。


…一瞬躊躇ったが、あくまでも全身の毛並みで威嚇を続けながら、その菓子を一つ口に入れてみた。

17: 2009/05/07(木) 01:46:00.67 ID:lWdz+E4/0

まず手始めに、赤い菓子を口に入れると甘い香りが全身を擽った。
つまり、美味しかった。

続けて食べた青い菓子も、なかなか渋みがあって美味しいと感じた。

気付けば、手元に並べられた菓子を残さず食べていた。

菓子を食べる私を見て、少年は嬉しそうに、それでいて寂しそうにしていたと思う。

24: 2009/05/07(木) 01:49:03.82 ID:lWdz+E4/0
初めて会った時もそうだった。
少年は、私を見る目が寂しそうだ。

人間の、怯えた視線には慣れているが、こんなにも慈しむような視線は初めてで、少し戸惑った。

ピカチュウを見たら、やはり私に警戒心をむき出しにしてはいるが、それよりも主人の寂しそうな視線を心配そうに眺めている。

私は、なぜこの少年が私をこんな瞳で見るのか、少しだけ気になった。

25: 2009/05/07(木) 01:53:58.29 ID:lWdz+E4/0


少年に問いかけたい思いが生まれたが、隣にいるピカチュウが邪魔だと思った。
ピカチュウは、少年にぴたりと寄り添って動かない。

きっとこの黄色いポケモンは、自然の怖さや、私の境遇になど立ち会った事がないんだろう。
人間の愚かさも、人間の弱さも、全く知らないんだろうと思った。

一通り菓子を食べ終えてから、やはり挨拶代わりにピカチュウを威嚇した。
黒く渦巻く霧を見て、ピカチュウは戸惑いながら主人である少年を見ている。

人間の指図がないと何も出来ないのか…と思ったら、何とも弱いポケモンだと思った。
私は、菓子で満足した腹の底で、このピカチュウを思い切り見下した。

26: 2009/05/07(木) 02:00:46.79 ID:lWdz+E4/0

「お前みたいな、人間のおもちゃにされているポケモンに用はない」
「今すぐここから立ち去れ」
「そして二度と姿を見せるな」

きっと人間からしたら、フォウ、と鳴く鳴き声にしか聞こえないだろう。
だけど、ピカチュウには私の言葉は届いているはずだ。

赤い瞳をギラギラと光らせて、威嚇しながらピカチュウへ伝えた私の言葉。
ピカチュウは、相変わらず戸惑った表情で主人を見ている。情けない腰ぎんちゃくだ。

少年は、鳴き声を出した私の声をじっと聞いて、その場から動かない。
言葉が通じないので仕方ないと思い、ツン、と少年から視線を反らしてみせた。

お前には興味がない。
早くいなくなれ。

そう、暗に体で示してみせたのだ。

27: 2009/05/07(木) 02:04:38.65 ID:lWdz+E4/0
そんな私を見て、少年はただ一言、「また来る」と言った。

腰に付けたいくつかのモンスターボールを手にとって、こうも言った。

「きみを捕まえるのは簡単だけど、捕まえる気はないよ」
「ただ、きみともう少し仲良くなりたいんだ」

次は、もっともっとポロックを持ってくるね、と言って、少年はピカチュウを連れて去って行った。

何とも不思議な少年だと思った。
まぁ、そうは言っても口だけだろうと思っていたが、それから少年は、毎日のようにこの水辺に現れたのだ。

29: 2009/05/07(木) 02:08:39.71 ID:lWdz+E4/0
時間は決まって、太陽がてっぺんに登っている時。
相変わらず水辺でまどろんでいる私に、少年は言葉なく近づいてくる。
そして黙って、色とりどりの菓子をおいていく。

水辺の憩いの時間を邪魔されたくなくて、常に毛並みを逆立てて威嚇はしていたが、少年は無理に私に近づこうとはしない。

私が、紫色の菓子にやたら食いついていると判断したのか、それ以降紫色の菓子をやたら持ってくるようになっていた。

少年は、何もしない。
何も聞かないし、何も話さない。

ただ夢中に菓子を食べている私をじっと眺めて、嬉しそうに笑っているだけだ。

31: 2009/05/07(木) 02:12:42.35 ID:lWdz+E4/0
少年の顔も見なれた頃になると、私は太陽が昇る時間を気にし始めた。
あともう少し太陽が上に登れば、少年が菓子を持ってここに来る。

別に楽しみにしていた訳ではないが、ただで菓子がもらえる現状はありがたいと思っていた。
少年のおかげ…ではないが、最近人間の街を潰して食糧を確保しなくとも、菓子で腹を満たすことが出来ていたから。

少年は何も話さない。
人間が嫌いな私にはちょうどいい。

だから毎日、私は紫色の菓子を持ってここへ来る少年を、ひたすらに待つ生活を送っていた。

32: 2009/05/07(木) 02:16:58.01 ID:lWdz+E4/0
ある日、水辺で行くと、同胞に会った。
黒に、白い毛並みの相手は、私と同じ種族だろう。

一度目が合ったが、相手は私に何も問いかけてこなかった。
当然だ。私達種族には、仲間意識という物が存在しない。
だからといって、敵意識もない。

絶妙な距離を保って、互いに水辺でまどろむ。

ふと見上げた空を見て思った。
もうすぐ少年がやってくる時間だ。

二匹並んだ我々を見て、少年はどう思うだろう。

34: 2009/05/07(木) 02:19:30.36 ID:lWdz+E4/0
見た目もまるっきり一緒。
当然だ、同じ種族なんだから。

飼われている何かでもないから、当然区別する物理的な何かもない。

私は少しだけ、賭けをしようと思った。

少年が、私と相手、どちらに菓子を渡してくるか…

面白くもなんともない賭けではあったが、暇を持て余した今、こんなくだらない事でも面白いと感じる。

35: 2009/05/07(木) 02:23:52.78 ID:lWdz+E4/0

空を見たら、まもなく少年がやってくるであろう時間になった。
もうすぐだな、と思ってすぐに、人間の足音がした。

ふと相手を見れば、足音にぴくりと反応して、全身の毛並みを逆立てていた。
それもそうだろう。私達種族は、人間が何よりも嫌いな筈だから。

だけど、ここで相手が威嚇をしていて、私が余裕を構えていたら、少年はすぐにどちらがどちらか気付いてしまうかもしれないと思った。
そこで私は、相手と同じ威嚇のポーズで少年を迎える事にした。

鏡に映ったような、相手と私。

さくさくと進む足音が近づき、いっそう白い毛並みを逆立ててその人を待った。

37: 2009/05/07(木) 02:28:31.51 ID:lWdz+E4/0
茂る木の奥から顔を覗かせた少年は、一瞬目を丸くさせた。
やがて、少しだけ柔らかく笑った少年は、迷わずに足を進めてくる。

ぴたりと止まったのは、私の目の前。

「友達?」

それとも家族かな?なんて言いながら、少年は何の迷いもなく、私に菓子を差し出してくる。
思わず、全身の毛並みを逆立てる作業を忘れてしまった。

39: 2009/05/07(木) 02:32:35.87 ID:lWdz+E4/0


少年に、迷いはなかった。
一瞬でも躊躇うか迷うかするだろうと思っていたが、彼の行動にそんな物は微塵も感じなかった。

「今日はかなり良いなめらかさのポロックが出来たよ」

バラバラ、と地面に菓子を並べて、少年は私に笑顔を向けてくる。
少年の隣で、相変わらず黄色い電気ネズミが私を睨んでいたけれど、そんな事は気にもならなかった。


なぜ、私に気付いたのか。
なぜ、躊躇わず私を断定出来たのか。

疑問で頭がいっぱいで、もぞもぞと食べた菓子の味もいまいちよくわからなかった。

41: 2009/05/07(木) 02:37:30.71 ID:lWdz+E4/0



もう一方の同族は、気付けば水辺からいなくなっていた。
それに気付いたのは、随分時間だ経ってから。

私は、同族がいなくなる気配を感じる暇すらなく、ただただこの少年が不思議でならなかった。


なぜ私に気付いた。
私には、そんなに特徴があるのか?


少年に聞きたいと思った。

だけど、聞くに聞けない。
今更聞こうにも、何だか人間に手慣れたポケモンのようで嫌だ。
そこで私は、黄色い電気ネズミを使って聞こうと思った。

フォウ、フォウ…と小さくピカチュウを呼び掛けたが、ピカチュウは知らん顔をしている。
聞こえていないのか?と思い、もう少し大きな声で、フォウ、と呼び掛けた。

ピカチュウは、その無駄に長い耳を手で折りたたんでしまって、「聞こえない」と全身で私にアピールしてきた。

44: 2009/05/07(木) 02:42:50.76 ID:lWdz+E4/0
「フォウ、フォウ(いい加減にしろ、私の声は聞こえているはずだろ)」
「ピカピッカ(言いたい事があつなら自分で言えよカスwww)」

耳を自ら折りたたんだまま、ふんとそっぽを向いたピカチュウを切り裂いてやろうかと思った。

自然と体が黒い霧を覆っていく。
イライラした私を見て、少年は「大丈夫、分かるよ」と言った。

分かる、と言った少年は、私の言葉が分かると言いたいのだろうか。
そんな訳ない。
こんなどこにでもいるピカチュウなんかと違って、私はかなり希少価値の高いポケモンだ。

ちらりと少年の顔を見ると、何とも穏やかに笑っていた。
その笑顔に、不思議と心が安らぐ。

一つ、少年を試す意味を含めて、言葉をかけてみた。

“本当に分かるのか?”と。

46: 2009/05/07(木) 02:47:07.68 ID:lWdz+E4/0

少年は、「分かるよ」と返してきた。
正直驚いた。

自分の赤い瞳を丸くさせている私に、少年は安らぐ笑顔を向けてくる。


「何か話したい事があるの?」

「……」

「あ、でも。無理に話さなくてもいいよ」

「……」


少年は、腰に付けた赤いモンスターボールを一つ取り出して、聞き覚えのある言葉を言った。


「きみを捕まえるのは簡単だけど、捕まえたい訳じゃないから」


モンスターボールを再びしまった彼は、ごろんと地面へ寝ころんだ。

48: 2009/05/07(木) 02:51:55.76 ID:lWdz+E4/0
少年の笑顔が、怖いと思った。
何だか、全てを見透かしているような。私を全て分かっている。そんな余裕のある表情だったから、怖かった。
思わず視線を反らしたが、やはり少年は黙っている。

どのくらいの時間が経っただろうか。

互いに何も話さない、そんな時間を破ったのは私だった。


「…なぜ、私が分かった?」


ぽつり、とこぼした言葉に、少年は待っていましたとばかりに早急な返事を寄こした。

「分かるよ。だって、きみはきみだろ」

「…全く同種なのにか」

「俺、ピカチュウが300匹目の前にいても、俺のピカチュウを探し出す自信あるよ」

少年の言葉に、耳を抑えていたはずのピカチュウが自慢げにふんぞり返っていた。
まぁ当然だろう、と言った所だろう。

52: 2009/05/07(木) 02:58:06.27 ID:lWdz+E4/0
「俺は人間、という種族。きみはアブソルという種族」
「でも、俺は“サトシ”。きみは、“きみ”という存在」
「間違える訳ないよ」


へへ、と安っぽい笑いを浮かべた少年を眺めていた。
少年は、サトシという名前である事を今初めて知った。

…サトシ、と、胸の中でその名前を呼んでみた。

ふと水辺に映った私の顔が、黒い毛並みの奥底で少しだけ赤みを帯びている事に気付き、すぐにサトシから視線を反らした。


サトシは、寝そべっていた体を起こして、「また来るよ」といつもの言葉を言った。

「今日は、話せて嬉しかった」

ありがとう、と何故か私に礼を告げたサトシ。
器用そうな右手を振っているその姿に、特別嫌な感情を抱いていない事に初めて気付いた。

54: 2009/05/07(木) 03:03:46.79 ID:lWdz+E4/0
支援とか本当嬉しいです。
やる気になる。あと数時間で出勤だけど。


次の日も、次の日も、サトシは私に紫色の菓子を届けにきてくれた。

生まれて初めて、話せる人間が出来た。
サトシは、私に会話を強要しない。

私が気まぐれに鳴いてみせると、サトシは何かを察したように話しかけ始めてくれる。

会話の内容は、特に面白くもない事だ。

サトシのピカチュウ自慢がほとんどで、その度にピカチュウは私に向かってふんぞり返ってみせた。
その姿が何とも憎らしかったので、黒い霧で威嚇した。

私が、私自身の話をする事はほとんどなかった。
サトシも特に聞いてこなかったし、私もそんな面白みのある話をするネタもなかったし。

57: 2009/05/07(木) 03:08:04.52 ID:lWdz+E4/0
ある日、サトシは恒例の時間に水辺へやって来なかった。
別に待っていた訳ではないが、サトシがいない時間は何とも退屈であると感じた事は否めない。

結局その日は、夜になってもサトシは姿を現さなかった。

翌日も、太陽がてっぺんより外れても、サトシが姿を見せる事はなかった。

私は、だんだんイライラし始めた。
きっと、もう私に飽きたんだろうと思った。
サトシも所詮人間だ。きっと、私以上に珍しいポケモンを見つけたんだろう。

別に寂しくなんかないし、悲しくもない。
ただ、ここしばらく、人間に振り回されていた私自身に凄く腹が立った。

58: 2009/05/07(木) 03:13:22.34 ID:lWdz+E4/0
ある日、サトシは恒例の時間に水辺へやって来なかった。
別に待っていた訳ではないが、サトシがいない時間は何とも退屈であると感じた事は否めない。

結局その日は、夜になってもサトシは姿を現さなかった。

翌日も、太陽がてっぺんより外れても、サトシが姿を見せる事はなかった。

私は、だんだんイライラし始めた。
きっと、もう私に飽きたんだろうと思った。
サトシも所詮人間だ。きっと、私以上に珍しいポケモンを見つけたんだろう。

別に寂しくなんかないし、悲しくもない。
ただ、ここしばらく、人間に振り回されていた私自身に凄く腹が立った。


サトシがいなくなり、実生活で困る事と言えば食事だ。
菓子がなければ、自分で食糧を何とかしなければいけない。
ついこの間までは当然にしてきた事なんだから。特別、何も感じない。

久しぶりに、人間の街へ降りてみた。

60: 2009/05/07(木) 03:14:42.10 ID:lWdz+E4/0
「…ひっ!!」

私を見た一番の人間は、何とも形通りの反応をする。

「わざわいポケモンが出たぞ!!」

「アブソルだ!!逃げろ!!」

大変だ!!と大騒ぎしながら、逃げ出していく人間達。

何とも見なれた光景ではあるが、心の奥底に、ふと悲しい気持ちが遮った。


…サトシは、私に微笑みかけてくれたのに。

63: 2009/05/07(木) 03:17:08.20 ID:lWdz+E4/0

過った気持ちに、寒気がした。

この私が、人間に慣れてしまった?
人間に無碍にされて悲しい?
そんな馬鹿な!

やはり、文字通り裸足で逃げ出していく人間達の背中を見つめながら、茫然としてしまった。
自分で自分が気持ち悪いと思った。

その夜、きっと今頃人間達がいなくなった街には、食糧が溢れているのに、それを取にいく気にもなれず、あの水辺で、ぼんやり月を眺めていた。


65: 2009/05/07(木) 03:21:58.35 ID:lWdz+E4/0

ピカチュウや、プリンに産まれてくれば。もっと違う人生だったかな…

水辺に浮かぶ、白と黒と赤の顔を眺めがらぼんやりと思った。
手を見れば、黒々とした爪が月の光に反射してギラギラ光っている。
人間からポケモンから、何でも食いちぎりそうだ。

自分の姿を改めて見る事なんかなかった。
きっと産まれて初めて、こうしてしげしげと自分の姿を見ただろう。

思わずため息をつきそうになって、やめようと思った。
これ以上、自分が変わるのが嫌だったからだ。

68: 2009/05/07(木) 03:25:21.14 ID:lWdz+E4/0

ぼんやり水に浮かぶ月を眺めていたら、気配にも気付かなかったんだろう。
黒と白と赤。そして黄色い月しか浮かんでいない筈のそこに、サトシの姿が映った。
慌てて振り返ると、サトシがぽつんと立っていた。

驚いた感情を全身で示した私に、「驚かせてごめん」と、ただ一言だけ呟いたサトシ。
久しぶりに見るサトシに、色んな感情が沸いたが、私はただ、初めて会った時のように全身の毛並みを逆立てて威嚇する方法を選んだ。

70: 2009/05/07(木) 03:31:14.17 ID:lWdz+E4/0

言葉の意味もなく、フォウ、と鳴き声を上げて威嚇する私に、サトシは物怖じする様子もない。
黒い霧を立ち込めたら、サトシの表情がぼやけてきたけれど、そんなぼやけた表情は、いつもの柔らかい笑顔ではなかった。

ぽつぽつ、と雨が降っていたようだ。
あまり天候を気にしない私だが、サトシの黒い髪の毛がしっとりと濡れ始める姿を目に映して、初めて雨が降っている事に気付いた。


「俺は、ポケモンマスターになりたかったんだ…」


黒い霧の中、水気を帯びたサトシの口がそう動いた。


「ポケモンマスターって、どうすればなれるのかな」
「ジムリーダーを制覇して、四天王を倒せば、ポケモンマスターなのかな」

雨の音が邪魔して、聞こえにくいサトシの声。
それでも、大切であろう音だけは、しっかりとこの耳に届いていた。

72: 2009/05/07(木) 03:35:12.41 ID:lWdz+E4/0
「ピカチュウが、瀕死なんだ」

ぱちぱち、と瞬きを繰り返した私の目を見るでもなく、ただ地面一点を見ているサトシ。

「ポケモンセンターに行けば治るよ」
「だけど、瀕死のポケモンをセンターで治して、どうする?」
「また再び同じ危険を味あわせるだけだろ」

サトシが言っている言葉の、半分も理解出来なかった。

ピカチュウが瀕死?
ポケモンセンターで治る?

そういえば、今日はサトシの隣に、いつもの腰ぎんちゃく…黄色いネズミがいない事に、今気付いた。

78: 2009/05/07(木) 03:40:18.10 ID:lWdz+E4/0
「…お前のピカチュウ…どうかしたのか」

ぼそり、と零した私の声と同時に、自ら発していた黒い霧が収まった。
それと同時に、いっそう雨が強くなった事を体感する。

雨を、体で受けるなんて感じるのは、産まれてはじめてだ。


「…どうしても倒せないトレーナーがいて、ピカチュウの奴、無理して挑んだもんだから、怪我して死にかけたんだ」

ぐ、と唇を噛んだサトシの前髪から、雨がぽたぽた落ちて、草むらへ落ちていく。
話がよく分からない私は、その図をひたすら眺めていた。


「俺、…前にきみを同じ目に合わせた事がある」

85: 2009/05/07(木) 03:44:44.47 ID:lWdz+E4/0

ぱちぱち、と瞬きを繰り返した私の瞳を、やはりサトシは見ようとしない。

「…きみは、覚えてないだろうけど。俺の勝手な夢で、きみは何度も瀕死に陥ったんだよ」

「……」

「分からなくて当然だよ。だって、きみの記憶を消して、また逃がしたんだから」

そこまで言って、サトシはがっくりと膝を落としてしまった。
キャップと前髪のせいで、サトシの顔が見えないけど、きっとサトシは、いつもみたいに笑っていないと思った。
それが何だか寂しい気がして、私は自然とサトシの前へ近づいた。

163: 2009/05/07(木) 16:56:33.44 ID:9TeNb9N40
「俺が叶えたかった夢って、こんな物だったのかな」

距離にして数十センチ。私のギラギラと光る爪にサトシのうつむいた表情が映った。
サトシは、肉が破れてしまうのではないかというほど、自分の唇を噛みしめて動かない。

「ポケモンを悪い事に使ってる組織を、悪の団だと思って戦ってきたけど」
「組織と戦うのだって、ポケモンとポケモンを傷付け合わせて勝敗を決めてるだろ」
「結局、組織を悪だ、と思っているのは俺等だけで。もしかしたら、悪の組織も俺等も変わりないのかもしれない」

ピカチュウ、ごめん。と呟いて、サトシは雨とは違う物を地面へ落とした。
涙だ。

ざぁ、と大きな音を立てて降り続く雨に、サトシの衣服が濡れていく。
透けた洋服の奥に見えるサトシの肩が震えていて、寒そうだと思った。

165: 2009/05/07(木) 17:02:01.15 ID:9TeNb9N40
深く考えずに、近くの落ちていた大きな葉をくわえて、サトシへ放り投げた。
頭の皮膚をかすめたそれに気付いて、サトシはやっと私を見る。

その時のサトシは、私と同じ目の色をしていた。
人間は泣くと、目が赤くなるらしい。

まるで宝物を抱くように、サトシは私が投げた葉っぱを胸に抱いた。

「…やっぱり、ここにきて良かった」

「俺、ポケモンマスター諦めるよ」

沈んでいたサトシの顔が、形だけは笑顔になったと思う。
ありがとう、と礼を言われて、私はどんな表情をサトシに向けていいのか戸惑った。

169: 2009/05/07(木) 17:08:17.12 ID:9TeNb9N40

私はそれから、サトシが言っていたポケモンマスターとは何であるのか調べようと思った。
私には情報をくれる知り合いなどいない。だから、調べたい事は己の足で調べるしかない。

なるべく人目に入らぬよう警戒しながら、そろりと街に降りてみた。
童話の様に明るい世界が目の前に広がる。

人間達は、道端で我々ポケモンの人形や、ポケモンを育成するための道具を売っていた。
人々の隙間から、小さな子供たちが、ピチューやマリルを戦わせて遊んでいた。

「ピチュー!でんこうせっかだ!」

主人であろう子供の声と同時に、ピチューは黄色い小さな体を、相手のマリルへぶつけた。
倒れ込むマリル。丸い体をころりと転がして、痛む体を自らかばっているように見えた。

171: 2009/05/07(木) 17:14:34.71 ID:9TeNb9N40
「マリル!反撃のころがる攻撃だ!!」

まだ痛むであろう体をかばいながら、マリルは体を丸めてピチューへ突進していく。
今度は、ピチューの黄色い体が吹き飛ばされた。

「…チュウ…」

地面に打ち付けた衝撃で目を回すピチューに、主人である子供が近づく。
子供は、ピチューを心配する言葉一つかけず、続けざまにこう言った。

「今度はでんきショックで反撃するぞ!!」

はっきりしていないであろう意識に鞭打つように、ふらふらと立ち上がったピチューは、小さな電気をマリルへ向けて放出した。
マリルは、青い体をびくびく痙攣させてその場に倒れ込んだ。

「やったぁ!!」

マリルを倒したぞ!と、無邪気に喜ぶ少年。その笑顔には何の曇りもない。

172: 2009/05/07(木) 17:22:26.20 ID:9TeNb9N40
傷を負ったピチューを、子供は当たり前の様にモンスターボールへ戻した。

「この勝負に勝ったら色違いのギャラドスくれるって約束だからな」

どうやら、珍しいポケモンを掛けて勝負していたらしい子供たち。
マリルを使っていた子供もまた、深く傷ついたであろうマリルをモンスターボールに戻して、小さく舌打ちしていた。

「3本勝負にしようぜ」
「えぇ!?約束は約束だろ!」
「このマリルは弱いから駄目なんだよ。全然使えない」
「確かに弱かったww」
「だろ?ポケモン選択ミスった。次はこんな弱いのじゃなくて、もっと強いの出すから」

ピチューを使っていた子供は、にんまりと笑って、マリル使いの子供にこう提案する。

「じゃあ、次の勝負で最後な。その代わり、今度勝ったらお前のミロカロスももらうからな」

そんな提案に、笑顔で頷いたもう一方の少年。

173: 2009/05/07(木) 17:28:08.22 ID:9TeNb9N40


ピチューは、あんなに主人の為に尽くして戦ったのに。どうしてそれを労ってやらないんだ。
あれだけの傷を負ったマリルを、弱っちいだと?

元々分かっていた事だった。
やはり人間は汚くて、自分の事しか考えていない生き物だと、分かっていた事なのに。目の当たりにすると、やはり苛立たしく思える。

気配を断たなくてはいけない筈なのに、私の中の野生のポケモンの血が、ざわざわと蘇り始めた。
殺気立つその姿に、何人かの人間どもが気付き始めたらしい。

草陰をかきわけて、私を探し始める人間。

「珍しいポケモンでもいるんじゃないのか?」
「おい、最初に見つけた奴に捕まえる権利があるんだからな」
「独り占めしようとするなよ!」

ざわめく人間達を、この場で全てかみ殺してやろうかと思った。

174: 2009/05/07(木) 17:32:04.62 ID:9TeNb9N40
ほろびのうたを歌おう…

この歌を歌えば、この場にいる全てのポケモンが消滅する。
私も消えてしまうだろうけど、それでも別に構わない。
こんな人生は、あってもなくても一緒だ。


黒い霧を辺りに包んで、姿を見せないまま人間達を威嚇した。
晴れ晴れとした天気だった街が、黒い気配に覆われて、人間達がよりいっそうざわめきだす。

フォウ、といつもの鳴き声を小さくあげた時、ざわめく人間達のシルエットの中から、見なれたポケモンが見えた。
サトシのピカチュウだ。

177: 2009/05/07(木) 17:40:53.21 ID:9TeNb9N40
サトシは瀕死だ、と言っていたはずのピカチュウが、私の発した黒い霧に怯えた様子を浮かべている。

この時、私は何故かこのピカチュウがサトシのピカチュウだとすぐに分かった。
ピカチュウなんかどこにでもいるポケモンなのになぜ分かったのだろう。

怯えたままのピカチュウの後ろから、やはり見なれた人間が顔を見せる。
サトシだ。

サトシは、きょろきょろと周りを見渡して、霧の発生元を確かめているようだった。
やがて、茂みの向こうからサトシがこちらを見つめた。

サトシは、迷いなく茂みをかきわけてこちらへやってくる。
思わず後ずさりした。

178: 2009/05/07(木) 17:46:41.62 ID:9TeNb9N40

がさがさ、と生い茂る木をかきわけて、サトシは私の目の前に現れた。
立ち込める霧を手で払いながら、サトシは一歩、また一歩と私に近寄ってくる。

フォウ、と一声鳴いて、「邪魔するな」と伝えた私。
爪をギラギラ光らせてサトシを挑発したが、サトシに怯える表情はない。

「アブソル」
「……」
「アブソル」

やはり迷いなく近づいてくるサトシ。気付けば、私の目の前でその膝を折りたたんで、私の瞳をじっと覗きこんでいた。

「ほろびのうたは、歌っちゃいけない」

そろりと近づくサトシの手。私の体を撫でようとしたのだろう。
人間に触られるのは嫌だったので、咄嗟にサトシの腕に爪をひっかけた。
皮膚が破ける感触が、黒く大きな私の爪を通して伝わる。

179: 2009/05/07(木) 17:50:22.78 ID:9TeNb9N40

傷ついた腕をかばうでもなく、サトシは私に再び触れようとする。
だからもう一度爪を立てた。
サトシは、自らの腕に食い込み爪を外そうともせず、黒く光る爪ごと、もう片方の手で撫でた。

「お腹すいた?」

「……」

「今日は、むらさきポロックはないけど…」

優しく優しく私の爪を撫でながら、サトシは菓子が入ったケースを取り出す。
あくまでも威嚇を続ける私なんか、全く気にした様子はない。

181: 2009/05/07(木) 17:55:36.64 ID:9TeNb9N40

「あ!一個だけむらさきポロックあった!」

ほら、と紫色の菓子を差し出してくるサトシ。
腕の肉に食い込む爪から、痛みの血が流れている。

「お腹すいただろうから食べていいよ」
「ピカ、ピカ」
「ピカチュウにはまた後で!今はアブソルがご飯の時間だから」

ざく、と食い込んでいた爪を外した。
ぽたぽた血が垂れる腕を見て、サトシは一瞬驚いた表情を見せる。

「きずぐすりって人間でも使えるのかな…」

傷ついた腕を見ながら苦笑いするサトシ。
隣にいたピカチュウが、心配そうな表情を浮かべてサトシの腕を撫でていた。

182: 2009/05/07(木) 18:00:59.62 ID:9TeNb9N40
並べられた菓子に口をつける気になれなかったが、そんな心情は空腹には勝てない。
躊躇いながら菓子の一つに口をつけると、サトシはまた、前のような笑顔を私に向けてきた。


サトシはやはり、何も話さない。
ただ黙って、私を見つめている。

ピカチュウがどこからか取り出した布で、サトシの腕の傷を処置していた。
傷の手当てを行ったピカチュウの頭を撫でて、サトシは「ありがとう、ピカチュウ」と言う。

私は、サトシに聞きたい事がたくさんあった。
でも私は、自分の口を開くことが出来ない。人間と話した事なんかほとんどないから、どう切り出せばいいか分からなかったからだ。

184: 2009/05/07(木) 18:05:06.04 ID:9TeNb9N40
結局この日は、サトシと何も話さなかった。

だけど、少し前の様に。サトシは決まって同じ時間にあの水辺に現れる様になった。
太陽がてっぺんをさした時だ。

ある日に、瀕死だったはずのピカチュウを見つめる私にサトシが気付いた。

「もうピカチュウは元気だよ」

「ポケモンセンターっていう、病院に連れていけば、瀕死状態でも蘇る事が出来るんだ」

短い足をちょこちょこ動かしながら、舞う白い蝶々を追いかけるピカチュウ。
黄色いその丸い体からは、確かに瀕死に陥ったような傷跡は見当たらない。

186: 2009/05/07(木) 18:09:35.85 ID:9TeNb9N40
「もう、ピカチュウを戦わせるのはやめたんだ」

蝶々を追いかけたはずみで、草むらに転んだピカチュウ。
柔らかそうな体を起こして、サトシへ泣きそうな視線を向けていた。

「ピカチュウだけじゃなくて、もうポケモンバトルはしない」

「今まで捕まえたポケモンも逃がしたんだ」

泣きだしそうなピカチュウを抱きかかえて、サトシは自分のズボンを指さす。
そういえば、ずっと付けていたいくつものモンスターボールがなくなっている。

「コイツだけは、俺の傍にいてくれるみたいだから今も一緒にいるけど」

膨らんだピカチュウの頬を指で押しながら、サトシは笑う。

188: 2009/05/07(木) 18:14:44.72 ID:9TeNb9N40
「ピカチュウは、ポケモンじゃなくて俺の友達だから」

な?とピカチュウに同意を求めたサトシ。
ピカチュウはふざけた表情でそっぽを向いてみせた。

「ポケモンは道具じゃない、って言っても、ポケモンバトルを続ける限り、結局道具にしてるのと同じだから」
「だから、ごめんね、アブソル」

ごめん、ともう一度繰り返したサトシ。
私は、なぜサトシが謝っているのか分からなかった。


その後も、その後も、サトシは変わらずピカチュウを連れて水辺へやってきた。
私が何か話すことはなかったけど、サトシはずっと、私に色んな話をしてくれた。

191: 2009/05/07(木) 18:19:20.94 ID:9TeNb9N40
ある日、いつもの時間にサトシは顔を見せなかった。
…また何かあったのだろうか。

以前顔を出さなくなったサトシに対しては、どうせ私に飽きたんだろう、という怒りに近い気持ちしか沸かなかったが、今回は違う。
もしかしたら、サトシに何かあったのかもしれない。

ざわざわとした胸騒ぎは、私の本能だ。
“わざわいポケモン”としての本能が、サトシに何かあった事を暗に知らせたと思った。

あてもなく、サトシとピカチュウの姿を探した。
探した、とはいっても、この世界もそこまで狭くない。
簡単に目当ての人物が見つかる訳ではないけど、それでもいいと思った。
見つからないかもしれないけど、探さないと後悔する。そんな気がしたからだ。

194: 2009/05/07(木) 18:25:06.08 ID:9TeNb9N40

「アブソルが走り回っているなんて珍しいね」

茂みに足を進めていると、頭上からそんな声が聞こえてきた。
見上げれば、ピジョンが羽を広げたまま珍しそうに笑っている。

「ついにこの世界も終わりかい?」
「…そんなんじゃない」
「なんだ、違うのか」

つまらない、と言いながら、面白くもなさそうに笑ったピジョン。
一瞬迷ったが、そろりそろりとそのピジョンに訪ねてみる事にした。
…何でもいいから、手がかりが欲しかったから。

「人間と、ピカチュウを見なかったか?」

茂みに影を落として、ピジョンの姿は見えにくい。だけど、ひどく驚いた表情をしている事だけは分かった。

「アブソルともあろうポケモンが、人間探しかい?」

「…いや、そういう訳じゃないけど」

「こりゃ、雷が落ちるかもしれないね。野生のアブソルが人探しなんて」


198: 2009/05/07(木) 18:31:09.84 ID:9TeNb9N40
天変地異だ。大変だ。と、ピジョンは羽をばたばたさせながら言う。
面白がられている事は分かっていたが、ひこうを持ち合わせない私の体では、ピジョンに何か危害を加えようにも術がない事はよく分かっている。

地面の土を爪でがりがり掻きながら、黒い霧を発射して怒りを表す事しか出来なかった。

こんな鳥ポケモンに構っていられないので、ひときわ大きく霧を噴射した所で、再び走り出した。
走る背中の向こうから、ピジョンの羽音が聞こえる。
まだ何か用なのか、と瞳をぎらつかせて睨み返したら、ピジョンは茶色い羽をはばたかせながらこう言った。

「そのピカチュウって、モンスターボールに入っていないピカチュウだろ?」

「…!知ってるのか?」

「さぁ。知らないけどね。西の方で今朝見かけた気がするだけだよ」

「…西…」

「あくまでも気がするだけだからね」

199: 2009/05/07(木) 18:34:28.55 ID:9TeNb9N40

ばさばさと羽音を立ててそう言ったピジョン。

「…ありがとう」

噴射していた霧を納めて、西の方向へ走りだした。

「…アブソルがお礼を言うなんて…これは本当に天変地異が起こるかもね」

ぼそりと呟いたピジョンの声なんか、もう聞こえない。
ただとにかく、西の方角へ向けて走り出した。

自分でも、何にここまで必死に追い立てられているのか分からなかった。

202: 2009/05/07(木) 18:38:41.47 ID:9TeNb9N40

西の方向へ近づくにつれて、自然と毛並みが逆立ってくる。
私の本能が、何かを察しているんだろう。

あの水辺から、まるっきり西の方向に、一つの街があった。
茂みで隠せるだけ体を隠して、街を覗く。
ぶるりと寒気がするほど、全身が何かを察知している。

間違いなく、ここにサトシはいる。

そう確信した時、私の赤い瞳が、自然と光ったと思った。


「答えろよ!サトシ!!」

サトシ、という名前に、大きな耳が反応した。
声が聞こえた方へ視線を合わせると、そこにはサトシと、一人の少年がいた。

206: 2009/05/07(木) 18:53:44.02 ID:9TeNb9N40

カメックスを従えたその少年は、サトシをきつく睨んでいる。

「逃げるのか!?」

「…逃げる訳じゃないよ」

「逃げてるだろ!!お前がバトル引退したら、俺はどうなる!!一生お前に負けたままじゃないか!!」

そんなのは許さない、今すぐに勝負しろ。
そう詰め寄る少年を、サトシはただ、真っ直ぐ見つめるだけだ。

やがて少年は、腰につけたモンスターボールを地面に叩きつけて、唇をかみしめた。

「…俺は、四天王にも何度も勝った…!少なくとも、カントーやジョウトで俺にバトルを申し込んでくる奴はいない…!」
「俺は絶対に無敵だ!俺のカメックスだって、絶対に負けない!!」

「お前だけだ!!お前だけ…」


「お前に勝たないと、俺は真のポケモンマスターにはなれないんだよ!!」

208: 2009/05/07(木) 18:55:27.06 ID:9TeNb9N40

少年の叫び声に、サトシは肩を揺すっていた。
サトシの隣で、ピカチュウは相変わらず小さく丸くなっている。
サトシをちらちらと見て、心配そうに黄色い体を縮めていた。

「シゲル、俺はもうポケモン同士を戦わせる事はしたくない」

「やっぱり逃げてるじゃないか!!お前は負けるのが嫌なだけだ!!」

「違う!!逃げてるんじゃないよ…」

ピカチュウを片手で抱きよせて、サトシは悲しそうな表情をする。

「ただ、もうこいつ等を傷つけたくないだけなんだよ」

「…そんな甘っちょろい事を言ってるやつに、俺は負けたままなのか…」


少年が、怒りで震えだした。
少年の怒りを察した様に、カメックスが威嚇する様にピカチュウを睨みつける。

209: 2009/05/07(木) 19:00:49.30 ID:9TeNb9N40
カメックスの威嚇に、ピカチュウのポケモンの本能を返す。
私と会ったばかりの頃のように、頬袋に電気を溜めて、ぱちぱちと放電の準備を整えていた。

「シゲル、俺にはもう戦わせるポケモンがいないんだ」

「そのピカチュウは飾りか!?」

「ピカチュウは友達だ!」

「友達でもなんでも、ポケモンはポケモンだ!」

「そうだけど…!」


威嚇を続けるピカチュウをなだめるように、サトシはピカチュウの頭を撫でている。


「…シゲル、最後に戦った時の事覚えてるか?」

「……」

「もう俺には手持ちがいなくて…みんな瀕死で…」

「あぁ」

「シゲルのカメックスだけ、元気なまま。俺も、傷つききったアブソルしか手元にいなくて…」

211: 2009/05/07(木) 19:06:47.64 ID:9TeNb9N40

「もう絶対に勝てない、と思った」
「だけど、アブソルは、何も言わないまま、“ほろびのうた”を歌ったんだ」

痛み分けになるかもしれないけど、負ける俺を見たくないとアブソルが言った。
静止する俺の命令を、アブソルは聞かなかった。

何も出来ないまま、気付けば目の前でカメックスもアブソルも倒れていた。

審判が、手持ちのポケモンを調査し始めた。
俺のリザードンがかろうじて立っていたので、勝者は俺になった。

「覚えてるか?」

「…忘れるわけないだろ、お前が俺からチャンピオンの座を奪っていった瞬間なんだから」

悔しそうに拳を握る少年、シゲル。
そんなシゲルに、サトシは小さく首をふって見せた。

「違う、おれはチャンピオンになったんじゃない」
「アブソルの命を犠牲にして、名前だけ手に入れたんだ」

213: 2009/05/07(木) 19:13:34.39 ID:9TeNb9N40
じばく、みちづれ、だいばくはつ、ほろびのうた…
自滅的な攻撃を覚えているポケモンから、その技を忘れさせようとした。

「だけど、アブソルだけは、絶対に嫌だと言ってほろびのうたを忘れようとしなかった」

『私は、サトシに仕えているけど、それでも所属の誇りだけは忘れたくない』
『“ほろびのうた”は、私の誇りだ』

だから、サトシはアブソルを手放そうと思ったらしい。

「博士に相談したら、人間になついたアブソルは野生に返すと生きていくのが難しいって言われて」
「人間の街を荒らして生きていくポケモンだから、人間になつくと生きるための材料を揃えられなくなるって」

博士に言われて、悩んだサトシは、そのアブソルの記憶を消して野生に返そうと思ったようだ。

214: 2009/05/07(木) 19:18:25.13 ID:9TeNb9N40
シゲルは、一通りサトシの言葉を聞いていたが、やがて皮肉の笑みを浮かべた。

「結局、ポケモンは友達なんて言ってるけど、お前もポケモンを道具として見ているじゃないか」

「そんな事…」

「お前が育てたアブソルだろ。お前と一緒にいた記憶すら奪われて、今もそのアブソルはどこかで人間に忌み嫌われてるんだぜ」

「……」

「責任持って最後までお前が育てるべきだったろ」

「……」

「結局、ポケモンが自滅していく姿を見たくない、というお前のエゴで、アブソルは人生をめちゃくちゃにされたんだよ」


シゲルの言葉に、頭のどこかが痛かった。
ズキズキ痛み過ぎて、思わずその場にうずくまってしまったほどだ。

216: 2009/05/07(木) 19:23:29.08 ID:9TeNb9N40
ズキズキ痛む頭の片隅で、ふと見えた映像は、何とも懐かしい。

サトシが笑っていて、ピカチュウも笑っている。
あの、紫色の菓子を食べて、サトシにもっと菓子をくれ、とねだる自分の姿。
これはひどく、遠く昔の記憶に思える。

「それでも!!」

サトシの大きな声に我に返った。

「…それでも、瀕死のポケモンをポケモンセンターに連れていって蘇生させて…また戦わせる…」
「そんな事は、もうやりたくないんだ」

サトシは、シゲルに頭を下げていた。
戦えない、と言って、深く頭を下げている。

シゲルの隣にいるカメックスも、サトシの隣にいるピカチュウも、戸惑っていた。

217: 2009/05/07(木) 19:28:29.93 ID:9TeNb9N40

「とにかく、シゲルとはもう戦えないから」

じゃあ、と背中を向けたサトシに、シゲルは全身で怒りを表せていた。

「…勝ち逃げなんか…一番卑怯じゃないか…」

怒りで震えるシゲルは、カメックスに視線を送る。
カメックスは躊躇いなく、背中を向けたピカチュウに向かって突進していった。

気配に気づいたのが少し遅かったらしい。
自分よりも何倍も大きな体に突進されたピカチュウは、軽々と宙を舞って地面へ叩きつけられた。

「ピカチュウ!」

土に汚れたピカチュウの体をかばいながら、サトシはまた、あの悲しそうな表情を浮かべる。

「ピカチュウ…大丈夫?ピカチュウ…」

サトシが、泣きそうだと思った。
きっとまた泣いて、目が赤くなろうだろう。
それは見たくないと思った。

219: 2009/05/07(木) 19:33:14.44 ID:9TeNb9N40
茂みの奥から、全身の気を逆立てて霧を噴射した。
どす黒い霧に、シゲルもカメックスも困惑した表情を見せる。

爪で喉を切り裂いてやろうと思った。
こいつ等は邪魔だ、と本能的に察したからだ。

存在を示すように、鳴き声を上げた。

「…アブソル?」

私の鳴き声に気付いたのはサトシで、傷ついたピカチュウを抱きしめながら周りをきょろきょろと見渡し始める。

「アブソル!!やめてくれ!!」

私を静止するサトシの声が聞こえてきたが、もう狙いは定まっているので、関係ない。
ザクザクと土を踏んで、勢いよくシゲルへ向かって飛びかかった。

「アブソル!!」

サトシの声が聞こえるのと、黄色い体が目の前を塞いだのは、ほぼ同時だ。

220: 2009/05/07(木) 19:39:04.61 ID:9TeNb9N40
思いきり尖らせた爪は、目当ての人間ではなく、黄色い体をかすめた。

「…!」

しっかりと切り裂いた体は、ピカチュウの体だ。

「ピカチュウ!!!」

慌ててサトシがやってきて、深く傷を負ったピカチュウを抱き起した。

「ピカチュウ!…すぐ、すぐにポケモンセンターに連れていくから!」
「ピカ…」

情けない声を上げたピカチュウは、傷を自らの手で覆って、サトシに見せないようにしていた。


私の爪を見れば、しっかりと黄色い体を傷つけた跡が残っている。
唖然としたまま、ただこう叫んだ。

「なぜだ!!なぜこんな人間をかばう!!」

私の叫び声に、ピカチュウとサトシは同時に顔を上げた。
ピカチュウは、苦しそうな表情のまま、こう言った。

「分からない」


222: 2009/05/07(木) 19:43:56.01 ID:9TeNb9N40
「でも、人間は傷つけたらいけないよ」

「本当に悪い人間なんて、きっといないから」

ぽつぽつと聞こえるピカチュウの声。
サトシは、私を見るでもなくすぐに走り去っていった。きっと、ピカチュウをポケモンセンターへ連れていくんだろう。

私は、その姿を見たことがあると思っていた。
それは昔むかし、ぼんやりと薄れる記憶の中の思い出。

『アブソル!アブソルしっかりして!!』

ごめんね、ごめんね、と繰り返す声は、サトシの物だ。

そして私は、サトシへこう返す。

『お前が負ける姿なんか、似合わない』


ふと気付けば、眠っていたらしい私。
水辺に浮かぶ月も、大分傾いていた。

夢ではないと思った。これはきっと、過去の私の記憶だ。

224: 2009/05/07(木) 19:48:59.97 ID:9TeNb9N40

それからしばらく、またサトシは水辺に現れなくなった。
きっと、ピカチュウの看病で忙しいのだろう。

ふぅ、とため息をつく音すら聞こえてくるほど、この水辺は静かで綺麗だ。

そんな静かなこの場所に、人間の足音が聞こえた。
一瞬サトシかと思ったけど、違うだろう。足音が複数だから。

「オーキド博士、さすがですね」
「この辺りはまだ誰も開拓していないですよ」
「…えっと、資料によるとこの辺りはアブソルが多く生息している洋ですね」

話声に集中していると、やがてその声の人間達が姿を現せた。
白衣を身にまとった数人の人間。

「アブソルか…どうりで誰も開拓しない訳だ」

あの種族は災いを呼ぶからな、と言った人間は、周りの奴らから『オーキド』と呼ばれていた。

277: 2009/05/07(木) 23:04:12.43 ID:9TeNb9N40

咄嗟に木の陰へ身を隠すと、人間達はずかずかと水辺の中心までやってきた。

「しかし、本当にアブソルが生息してるんですかね」
「いまだ一匹も見当たりませんけど」

きょろきょろと辺りを見渡す人間の後ろに、気配を感じた。
この気配は、同族だろう。

「!博士!アブソルが…!」
「しかも色違いですよ!」
「凄い!!」

人間の前に姿を見せた同族は、私と同じ姿をしてはいるが色が違う。
赤い毛並みの相手は、ざわざわと背筋を張り詰めて、人間を威嚇していた。

279: 2009/05/07(木) 23:09:49.97 ID:9TeNb9N40


白衣を着た一人が、赤いモンスターボールを取り出した。
赤い色の同族を、捕まえる気なんだろう。

「オーキド博士、今月の研究対象はアブソルで決まりですね」

「アブソルというだけで珍しいのに…まさかこんなに早く色違いに遭遇出来るとは…」

モンスターボールを見た赤いアブソルは、咄嗟に影へ隠れようとしていた。

「逃がすか!!」

赤いアブソルが影へ入り込むより前に、モンスターボールの光が相手の体を包みこむ。


「やった!捕まえたぞ!!」


私は、“野生のポケモン”を捕まえる姿をこの目の前ではじめて見たと思った。
同族に仲間意識などないが、捕らえられる姿を見るのも、あまり良い気がしない。

280: 2009/05/07(木) 23:14:36.85 ID:9TeNb9N40
「博士、明日にでも調査員をもっと多く導入しましょう」
「あぁ、そうだな」

赤いアブソルが入ったモンスターボールを大切そうに抱えて、人間達は口ぐちに何かを言っている。
もっと色の違うポケモンがいるかもしれない。
実は、赤いアブソルはそこまで珍しくないのかもしれない。

「どちらにしても、アブソルについてはまだまだ謎が多いポケモンだ。捕らえるにしても慎重にな」

オーキドがそう言うと、白衣の人間達はそろって返事をした。

人間は、何かガラスの入れ物に水辺の水を一つ組み上げてしまった。
足元に咲く花々も毟っていった。

「アブソルの食糧かもしれない」

そう言って、静かな水辺を汚い手で触り始めた。

282: 2009/05/07(木) 23:21:07.88 ID:9TeNb9N40
来る日も来る日も、水辺にはサトシではなく、オーキド達がやってきた。
水に汚い温度計を突っ込み、花を毟りとり、現れた同族…に限らず、どんなポケモンでも残らず捕えていく。

この日も、オーキド達は水辺へやってきた。
また同じ事を、今日もするのだろう。

「ん?」

花を毟っていた一人の人間が、何かに気付いたように腰を折り曲げた。

「博士、ポロックの食べ残しです」

人間の指先に、紫色の菓子のかけらが握られている。

「アブソルの餌ですかね?」
「どこかのトレーナーがここで手持ちのポケモンに餌をあげてたんじゃないか?」
「野生のアブソルが食べていたとしたら、どこで手に入れたんだろう」
「アブソルは人間の街を荒らす習性があるからな、どこからか持ち出してきたのかもしれない」

一応持って帰ろうと言ったオーキドの指示で、その菓子のかけらはビニールの袋へと入れられた。

284: 2009/05/07(木) 23:26:09.34 ID:9TeNb9N40

確かに私は、人間の街“だった所”から、食糧を調達して生活していた。
だけど、その菓子は違う。サトシがくれた物だ。

足跡のない水辺は、人間達の汚い足跡でいっぱいになった。
その夜、月に浮かぶ水辺を見ながら、一つ決意をかためた。

オーキドの街を、潰してしまおう。

もうこれ以上、この水辺を荒らされる訳にはいかない。


翌日、やはり“調査”にきたオーキド達が引き返す後をそろそろと付けていった。
水辺からさほど遠くない街の建物に、オーキド達は入っていく。

「マサラタウン…」

小さなその街にかけられた看板。
家が数件しかないその街の真ん中に、やたら大きな建物がある。
きっとここで、オーキド達は研究をしているんだろうと思った。

286: 2009/05/07(木) 23:31:11.07 ID:9TeNb9N40
消していた気配を戻して、全身で殺気を立てながらマサラタウンへ降りた。
小さな街で、ほとんど人がいない。
早く誰かに見つけて欲しい、と思った時、一人の人間が現れた。

「…あ、」

恰幅の良い人間は、私を見て瞬時にかたまる。
手に何やら菓子を持っていたが、それを地面へと落としていた。

「か、かがくのちからってすげぇ…!」

ぶるぶる震えだした人間は、慌てて走り出して逃げ出す。

やはり、人間は愚かで、簡単な生き物だ。


やがて、大声で叫びながら逃げる人間を呼びとめる少年がいた。

「どうしたんだよ?」

「か、かがく…かが…」

「んだよ、このピザ。話も出来ないのか?」

少年に見おぼえがあった。
シゲルだ。

289: 2009/05/07(木) 23:34:41.76 ID:9TeNb9N40
シゲルは、恰幅の良い人間がぶるぶると指さした私へ視線を流した。

「アブソルじゃん…」

私の事など覚えていないだろう。
覚えていたとしても、あの時の私と、今シゲルの目に映る“アブソル”が同一だとは気付いていないようだ。

「大変だ!母さんに知らせなきゃ…!」

やがてシゲルも、ばたばたと走り出してどこかの家へ駆け込んだ。

もうこれで、このマサラタウンも終わりだろう。

一仕事終えた私は、数日しない内に人気がなくなろうであろう街へ背を向けて、水辺へ戻ろうとした。

291: 2009/05/07(木) 23:38:43.93 ID:9TeNb9N40
背中を向けた私の耳に、聞きなれた声が聞こえてくる。

「アブソルが出たって本当!?」

シゲルが入っていった家から、シゲルではない人間が出てきた。

サトシだ。

「どこに出たの!?シゲル、どこで見かけたの!?」

やがて同じ家から顔を出したシゲル。
サトシに向かって、私の背中を指さした。

「あそこだよ…!ほら、まだいるじゃん!」

背中を向けたまま、視線だけサトシを見た。
大分遠くにいて、サトシの表情は分からないけど、間違いなくサトシだ。
頭の上にピカチュウを乗せて、怯えた表情でこちらを見ていた。

292: 2009/05/07(木) 23:42:33.25 ID:9TeNb9N40

サトシの街だったのか…

ぼんやりとそんな事を考えた。

悪い事をしたかもしれない。
そう、一瞬思ったが、それよりもサトシの視線が気になった。

私を見る目が、怯えている。
今まで一度だって、私を見てそんな視線を寄こしてこなかったのに。

…結局、サトシも一緒か。

生まれついた属性の、冷たい考えが頭を過る。

294: 2009/05/07(木) 23:47:39.71 ID:9TeNb9N40


もうこれで、サトシともお別れだな。
サトシの本質を見抜いてしまったようで、そうどこかで気持ちが冷めていた。

自分の住んでいる街に、何か大きな災害が起きるかもしれない。
そう思えば誰だって怯える事は当たり前かもしれないけど。


水辺に戻ってから、久しぶりの静かなこの場所を堪能した。

正直、サトシと目が合った時、気付かれたと思った。
私に気付くと思った。
だけど、サトシは気付かなかった。
私の嫌いな人間と、同じ視線を投げてきた。

黒い毛並みに覆われた胸が、もやもやしてきた。
何故もやもやしているのか分からない。

サトシに気付かれなかったからか?それとも、サトシの街を潰してしまったからか?

297: 2009/05/07(木) 23:52:59.14 ID:9TeNb9N40
きっと、頭に過る事は全て正解だ。

人間の街を潰して生活する。
それは私達からすれば当たり前の事。

それなのに、私は少しだけ後悔していた。
サトシの街へ顔を出した事を、後悔していたのだ。

悲しい、という気持ちは持ち合わせていないと思っていたのに、悲しい、と思った。
人間の街へ降りて後悔した事なんかないのに。
水辺を荒らす人間も始末出来て、きっと食糧も手に入る。こんなに嬉しい事はないはずなのに。


「…結局、あれだけ嫌っていた人間に、慣れてしまったんだな」

目をつぶれば、サトシの顔しか浮かんでこない。
この時初めて、この場所で過ごしたサトシとの時間が楽しかったと気付いた。

301: 2009/05/08(金) 00:00:36.89 ID:MHIHQbPB0
その夜、どうしても気になってしまい、再びマサラタウンへ行ってみた。
草むらに身を隠しながら見れば、何やら外に人が集まっている。

その中に、オーキドの姿も、シゲルの姿も。そして、ピカチュウを連れたサトシの姿もあった。

人々の会話に耳を傾けていると、サトシの声が聞こえてきた。


「アブソルはただ、俺に会いに来てくれただけかもしれないから!」

「そうじゃないとどうして断言出来る!サトシ、お前の甘っちょろい考えで、みんなに何かあったらどうするんだよ!」

「わざわいポケモンなのよ、アブソルは!絶対に何か悪い事を運んできたに違いないわ」

「母さんまで…もしそうだとしても、アブソルが悪い事をした訳じゃないだろ!」


大声で叫ぶサトシの隣で、ピカチュウも頷いている。


「アブソルは、悪い事が起きるかもしれないから避難しないといけないって、教えてくれるポケモンだよ!」
「どうしてみんな、アブソルを嫌うんだよ」

人間思いの、良いポケモンじゃないか、と言ったサトシは、また悲しそうな表情になってしまった。



305: 2009/05/08(金) 00:05:45.54 ID:MHIHQbPB0

「…俺、確かめてくる!」

「アブソルに会って、本当に災害警告なのか確かめてくるから!」

ピカチュウを抱えたサトシが、こちらに向かって走り出してきた。
私はこの時、サトシは私に気付いてくれていた事を知って、少しだけ嬉しくなった。
そんな場合ではない事もよく分かる。
サトシを取り囲んでいた人間達の表情を見れば、全員俯いて動かないから。
それでも私は嬉しいと感じた。

ざくざくと生い茂る木をかきわけて走ってきたサトシの前に、ふらりと姿を見せてみた。

「…アブソル…」

久しぶりに見るサトシに、当然ではあるが笑顔は浮かんでいない。
今にも泣きだしそうな、そんな表情でこちらを見ている。

308: 2009/05/08(金) 00:11:26.68 ID:MHIHQbPB0
私に会うと、サトシは悲しそうな表情ばかりになると思った。
サトシのこの顔は、あまり好きではない。

「ねぇ、きみだろ?今日マサラタウンに降りてきたのは」

「……」

「何か悪い事が起きるの?それとも、俺に会いにきてくれたの?」

どちらも正解ではなかったので、じっと黙った。
何気なくピカチュウを見れば、私の爪で切り裂いた傷も完治している。
その姿にほっとした。

「答えてよ、アブソル」

縋るようなサトシの声に、どちらも違う、と。間をおいて答えた。

「どっちも違う?じゃあ何?」

「…オーキドが、邪魔だっただけだ」

「博士が?博士が何かしたの?」

「私の水辺を荒らした」

だから、降りてきたんだとサトシに伝えると、サトシはいっそう顔をくしゃくしゃにして、今にも泣きだしそうな表情を作った。

313: 2009/05/08(金) 00:18:21.44 ID:MHIHQbPB0


「水辺を荒らされたくないんだったら、そう言ってくれたら良かったのに…」

「言った所でどうなるんだ」

「…何とかなったかもしれないじゃないか」

心のどこかで、サトシを見下していた。
つまり、街へ降りてきて迷惑だったんだろう?降りてくるな、とはっきり言えばいいのに。
言い淀むサトシを赤い視線で見つめていると、ピカチュウがサトシの頭によじ登って、黄色い腕でその髪の毛を撫でていた。

「二度と人間の前に姿を現わさなければいいんだろう?」

「ちがう、」

「本当に災害が起きない限り、人の前に姿を現すなと」

「ちがう!」

何が違うのかさっぱり分からなかったが、サトシは俯いたままだ。

316: 2009/05/08(金) 00:25:15.28 ID:MHIHQbPB0
「きみは、傷つかなかった?」

「……」

「自分の姿を見て、怯える人間を見て、傷つかなかった?」

「……」

「きみの能力は、凄く良い能力だよ。人を助ける力がある」

「……」

「だけど…こんな事したら、きみはどんどん人間から嫌われて、きみも傷つくだけじゃないか…」


きみは凄く良いポケモンなのに、悲しい。と言ったサトシの俯いた顔から、涙が流れていた。
なぜ泣いている?と問いかけたら、悔しいから泣いているんだ、とサトシは答えた。

「一瞬でも、きみを見て…マサラタウンに何かあると思った時、きみに対して酷い目を向けてしまった」

だから、そんな事言ったって、やっぱり俺もみんなと同じただの人間なんだと思って、恥ずかしくて悔しかったらしい。

サトシの言う事がよく分からない。
人間の感情は複雑らしいとよく聞くが、まさにその通りだろう。

319: 2009/05/08(金) 00:33:34.54 ID:MHIHQbPB0
「一度手放したはずなのに、またあの時きみに偶然会えて…俺は嬉しかったんだ」

「これっきりにしよう、これっきりにしようって思いながら、いつもきみにポロックをあげに行ってしまった」

「ピカチュウに何度も止められたけど、でも会いに行ってしまった」

「やっぱり俺は、ポケモンマスターにはなれないんだよ」

ポケモンの気持ちも考えない、自分勝手な人間だとサトシは自らを罵っていた。
だから私から、「もう会いにこないでくれ」と伝えた。

「水辺さえ荒らさなければそれでいい。オーキドにも伝えてくれ」

サトシに嫌悪感を覚えた訳ではない。
ただ、私といると、いつもサトシは悲しそうだから。見ているのが嫌になった。

320: 2009/05/08(金) 00:34:54.61 ID:MHIHQbPB0
その夜は、全く眠れなかった。
水辺に浮かぶ自分の顔を見て、少しだけ腹が減ったと思った。
そういえば、ここ最近何も食べていない。

元々そこまで食事を取らなくても平気な体らしいが、こうも食事をしないとさすがにマズイ。
マサラタウンで食糧を確保し損ねたので、また明日でも違う街へ降りなければ。

『きみは、傷つかなかった?』

サトシの言葉が耳から離れなくてうるさい。
傷つくわけがないだろう。だって、私達はみんな、そうして生きているのだから。

何度も何度もそう言い聞かせて、目を瞑った。

321: 2009/05/08(金) 00:37:54.29 ID:MHIHQbPB0
翌日、再び食糧が豊富そうな街を物色した。
なかなかうまく見つかるものでもないが、今日はラッキーだったのだろう。めぼしい街をすぐに見つける事が出来た。
見つければすぐに行動だ。とにかく腹が減った。

殺気立たせた体を人間へ見せると、見なれた表情が返ってきた。

「うわぁああ!」

一目散に逃げ出した人間。
また、明日の夜にでも来れば、空家から食糧を得る事が出来るだろう。

いつもの作業。
そう、いつもの作業なはずなのに、水辺へ戻る足取りが重かった。

『きみは、傷つかなかった?』

「うるさい!傷つくわけないだろう!!」

頭に浮かぶ声へ、怒鳴り声で反論する。

またこの日も眠れなかった。

324: 2009/05/08(金) 00:41:38.23 ID:MHIHQbPB0
そろそろ、あの街から食糧を取りにいってもいいと思った。
だけど、体が上手く動かない。動かないというか、動かしたくない、が正解だろう。

ぼんやり眺めた空が能天気に青い。

人間に慣れてしまえば、私のような種族は野生で生きていく事は無理だ。

しばらくの寝不足と空腹で、考えが後ろ向きになってしまう。
サトシの笑顔を思いだせば少しだけ元気になったけど。

紫色の、あの菓子が食べたいと思った。
サトシの隣で、あの菓子を食べたい。

「腹がすいたな…」

ぽつりと零した言葉と同時に、やっと訪れてくれた睡魔に目を閉じた。

327: 2009/05/08(金) 00:46:44.47 ID:MHIHQbPB0

空腹にも慣れてきたある日、私の本能的な何かがざわざわと身をかすめた。

「…サトシ?」

サトシに何かがある、と思った。
シゲルとやりあったあの時と、同じ感覚だ。

でも、もう私には関係ない。
サトシと私は、もう会わないのだから。

そう言い聞かせても、ざわつく毛並みがどうにも治まってくれない。
空腹の体を起こして、随分と痩せた足でのろのろと走り出した。

特に何をしようと思った訳じゃない。
ただ、ざわつく毛並みを何とかしたかっただけだ。
サトシが心配だ、なんて。そんなはずはない。

一体誰に言い訳しているのか、そう並べた言葉を呪文のように繰り返しながら走った。

途中、あのピジョンがまた私に声をかけてきた。

赤い視線を向けると、「今日は南だね」と、ピジョンは返してくれる。
南の方へ走り出すと、すぐに見覚えのある街へたどりついた。

私はここに来た事がある。

330: 2009/05/08(金) 00:51:23.55 ID:MHIHQbPB0

いつ来たかは分からない。遠く遠く頭の隅の記憶だろう。

『ポケモンリーグ』と書かれた大きな建物があるそこに、サトシがいた。
サトシだけじゃない。シゲルもいる。

「不戦勝なんて許さないからな!!」

この間と同じようなシゲルの怒声が響く中、サトシは建物の前で真剣な表情をしていた。

「リーグ制覇のバッジ…ポケモンマスターの称号を返すだけだよ」

「ふざけんな!じゃあ俺はどうなるんだよ!不戦勝でお前に勝っても、意味ないだろ!!」

「……」

「名前が手に入るだけじゃ意味ないんだよ!!お前に勝たなきゃ何の意味もない!!」

「シゲル」

「俺は、絶対にお前を倒してポケモンマスターになるんだ!!」

335: 2009/05/08(金) 00:58:05.84 ID:MHIHQbPB0
「もう俺には、戦えるポケモンがいないんだよ!何度言えば分かるんだ」

「ピカチュウがいるだろ!!」

「ピカチュウは戦わせられない!」


人間の会話に、少しだけ呆れた。
前も全く同じ会話をしていると思ったからだ。成長がないと思った。

「…戦う気が起きないなら、起こしてやるよ」

シゲルは、腰に付けたモンスターボールから、あのカメックスを出した。

「カメックス!ずつきだ!」

ピカチュウを狙え!!と言ったシゲルの言葉に、カメックスは臨戦態勢に入る。

「シゲル!ルール違反だろ!!」

「ルール違反はお前だ!申し込まれたバトルを断るトレーナーがどこにいる!!」

「俺はもうトレーナーじゃない!!」

「いいや!!お前はポケモントレーナーだ。そして、俺の永遠のライバルなんだよ!!」

シゲルの声を皮切りに、カメックスはピカチュウへ飛びかかる。
瞬間的に、ピカチュウは頬袋から電気を集めて、カメックスへ向けて発射した。

338: 2009/05/08(金) 01:02:41.16 ID:MHIHQbPB0


「やめろピカチュウ!!」

サトシの声が響く中、ピカチュウはポケモンの本能だけで戦っていると思った。
いや、本能ではないか。きっと、サトシを守ろうとしているのだろう。

所詮は水ポケモンと電気ポケモン。
ピカチュウの発射した電気に、カメックスは目を回していた。

シゲルは、手負いのカメックスをしまうと今度はニドキングを取り出した。
電気が通らない相手に、ピカチュウは全力で突進していく。

「やだよ…俺、もうバトルは嫌だ…」

何倍にも大きな体へ、黄色い体をぶつけていくピカチュウ。
ふらふらに倒れそうになりながら、呼び戻すサトシの声を、耳を折りたたんで聞こえないふりをしていた。

341: 2009/05/08(金) 01:07:56.88 ID:MHIHQbPB0

「ピカチュウ!もういいよ、やめろ!!」

サトシの悲痛な声が響く中、ピカチュウは土で真っ黒に体を汚して、たいあたりを繰り返す。

「ピカチュウ…」

また、サトシが泣きそうだ。
私が嫌いな、あの情けない表情で、サトシは俯いてしまう。

サトシの胸に輝くバッジの数々。
それを一つ乱暴に衣服からもぎ取って、サトシは地面に叩きつけていた。

「こんなのがあるから…!」

私はそのバッジを見たことがある。

『アブソル、ありがとう!』
『きみのおかげで、あとバッジ一つでポケモンリーグに挑戦出来る!』

サトシの嬉しそうな顔と、手に持つ、綺麗なバッジ。
夜中に、野宿をしながら、…そうだ。あのピカチュウや、リザードン、色んな仲間と一緒に、サトシのバッジを見たんだ。

342: 2009/05/08(金) 01:13:00.65 ID:MHIHQbPB0


「なんで、忘れてたんだろう…」

一つ一つのバッジを手に入れる度に、サトシは綺麗な笑顔で、私達にバッジを自慢した。

「世界一のポケモンマスターになるって、サトシはそう言ってたじゃないか…」

不覚にも人間に捕らわれた私。捕まえたのはサトシ。
ずっと一緒に旅をしていた。

人間と、人間に飼われるポケモンが嫌いな私は、ずっとサトシのパーティーになじめなかった。
だけど、あの時も一緒だ。
サトシが、菓子をくれて、少しずつ私に話しかけてくれて。
いつのまにか、私は凄く、サトシが好きになって…

「サトシがポケモンマスターになる夢を、一緒に叶えようと思ったんじゃないか」


人間に慣れるはずだ。
だって、私は人間に飼われていたポケモンだったんだから。

サトシを好きになるはずだ。
サトシが、ずっと好きだったんだから。

346: 2009/05/08(金) 01:18:14.54 ID:MHIHQbPB0
ニドキング相手に奮闘しているピカチュウ。
あれだけ大切にしていたバッジを地面に叩きつけているサトシ。

「…情けないな」

空腹で、ふらふらとおぼつかない脚を進めて、サトシの前へと行った。

「…アブソル!」

「そんな情けないお前は、好きではないぞ」

目を丸くしているサトシをしり目に、シゲルの手持ちポケモンを確認した。
腰につけるモンスターボールを見れば、おそらく先ほど倒したカメックスと、このニドキングの二匹だけだろう。

「サトシ、ピカチュウに戻るよう指示してくれ」

「…でも!」

「あのままだと、ピカチュウは死んでしまう」

黄色い体が真っ黒になっても、ピカチュウはサトシの前で、両手を広げてサトシを守ろうとしている。

349: 2009/05/08(金) 01:25:54.17 ID:MHIHQbPB0
「サトシ、お前はポケモンを大切にしたいからバトルをやめたいんじゃなかったのか?」
「……」
「ピカチュウを傷つけたくなかったから、もうやめようと思ったんだろう?」
「そうだよ、だから俺は戦いたくなかったんだ…!」

サトシの顔が、情けない。
私はこの顔が一番嫌いだ。

「お前が戦いたくなくても、今目の前でピカチュウはお前のために必死で戦っているじゃないか!!」

どなりつけると、サトシはぴくりと体を揺すった。
ピカチュウの赤い頬袋から電気が漏れている。
だけど、その量は明らかに少なくなっていた。

「甘っちょろいと言ったシゲルの言う通りだ!お前は結局、自分が嫌な事から逃げてるだけだ」

「アブソル…」

「私は、お前が負ける姿は見たくない」

「……」

「今日の後は知らない…だけど、私が生きている内は、お前にはポケモンマスターでいて欲しい」

「……」

「それが私の夢だと、一年前も言っただろう」

352: 2009/05/08(金) 01:31:42.15 ID:MHIHQbPB0

「覚えてたのか?」

「いや、たった今思いだした。あのピカチュウのおかげで」

地面に落ちたバッジを拾って、土がかぶったそれをサトシへ押しつけた。

「選手交代だとシゲルへ言ってくれ」
「駄目だ、アブソル」
「大丈夫。私は平気だ」
「きみを戦わせる事は出来ない」
「ピカチュウが死んでもいいのか!?お前の友達なんだろ!?」
「そうだけど、きみも友達だ!」

サトシは、やっぱり最後まで情けない顔をしている。
私は一度瞬きをして、最後に見るサトシの顔は、笑っているようにと思った。

「人間に慣れた私は、もう野生では生きていけない」
「……」
「人間の街を荒らす事も、もう出来ないだろう」
「……」
「だから私は、もう生きていく事が出来ないんだ」
「そんな…」


「さぁ、ほろびのうたを、歌おうか」

361: 2009/05/08(金) 01:38:59.83 ID:MHIHQbPB0

もう黄色いネズミではなく、黒いネズミになってしまったピカチュウを無理やり退かした。
後ろからサトシの声が聞こえたけど、ピカチュウを真似して、耳を自ら折りたたんで聞こえないふりをした。

黒い霧を立ち込めると、ニドキングが一瞬ひるんだのが分かった。
狙いは定めた。
ピカチュウはまだ立っていられるだろうから、私がほろびのうたを歌いきれば、サトシの勝ちだ。

「サトシ、最後に言っておくけど、私をポケモンセンターへ連れていく事はしないでくれ」

「アブソル…」

「人間が嫌いだから、人間の手でこの体を治されるのはもう嫌だ」

あの時、サトシに何度言われてもほろびのうたを忘れなかった時のように、私達種族は、誇りを大切にしている。

「アブソル!!」


足がガクガクしてきた。
自分で放出した霧の向こうで、ニドキングが倒れ込む姿が見える。
サトシを見れば、ピカチュウは真っ黒な体をしっかりと立たせて、泣いていた。
ポケモンも泣くのか、と思った。

最後に、何か食べたかったなとも思ったが、思う前に意識が途切れた。
私は、自分の手でサトシを二度もポケモンマスターに出来た事に、喜びを感じていた。

365: 2009/05/08(金) 01:44:25.56 ID:MHIHQbPB0
ポケモンが死んだ後の天国は、随分と見なれた場所だと思った。
あの水辺によく似ている。
花も綺麗に咲いているし、とても静かだ。

寝そべる体が温かいので、気持ちが良い。

ふと影を感じて見上げれば、目の前にサトシがいた。

「…?お前、死んだのか?」

ぽつりと零した疑問に、サトシは首をいっぱいに振った。
天国は、サトシの幻影までつけてくれるのか。なんとサービスが良いのだろうと思ったが、体の痛みに気付いて、一気に目が覚めた。

体が痛い…
つまり、私は生きている?

茫然としている体に、真っ黒なネズミが飛びかかってきた。

ぴかちゅうぴかちゅう、とやたらうるさいネズミは、めそめそ泣いていた。

370: 2009/05/08(金) 01:49:47.57 ID:MHIHQbPB0
「助けるなと言っただろう…!」

しがみついてくるピカチュウを引きはがして、サトシへ向かって怒鳴りつけた。

「違うよ、きみは自力で目を覚ましたんだ」
「嘘をつけ!私のほろびのうたは完璧だった筈だ!なのに…」
「ピカチュウが頑張ってくれたおかげで、きみが死ぬ前にニドキングが力尽きたんだ!」
「……」
「本当だよ、後でシゲルに聞いてくれてもかまわない」
「…ほろびのうたが解除されたのか…」

信じられないが、サトシの言う事は本当だろう。
傷ついた体は、ばたりと倒れ込んだ拍子に出来た傷だろうし、何か延命的な薬を使ったのであれば、この傷も治っているはずだ。

唖然としている私の前で、サトシはぼろぼろと泣き始めた。

「とにかく…きみが生きててくれて良かった…」

サトシと同じくらい顔を崩して、ピカチュウも泣いている。

372: 2009/05/08(金) 01:54:50.71 ID:MHIHQbPB0
「私は、もう野生では生きていけないと言ったはずなのに…」

「俺と一緒に来ればいいよ」

「嫌だ!人間の世話にはなりたくない!」

「人間もポケモンも関係ないよ!俺ときみは、もう友達なんだから!」

もうきみと離れるのは嫌だ、と言って、サトシは私をきつく抱きしめてきた。
久しぶりに感じる人間の体温に戸惑って、体を引き離そうとしたけど、私の爪でサトシの体を押せば、サトシが傷つくと思った。
だから、そのままにした。

「ごめんね、アブソル…本当にごめん…」

どうしたら良いのか分からない。
ただ、これだけは思った。

人間は、とても温かい。

374: 2009/05/08(金) 02:00:06.68 ID:MHIHQbPB0
私は、サトシと行く事を最後まで拒んだ。
人間に飼われるのは、どうしても嫌だったからだ。

それでも、サトシは毎日、また水辺へ来てくれるようになった。
私に菓子をくれて、何でもない話をする。

この生活も悪くないと思う。

私は今日も、太陽がてっぺんに上るのを待っている。
サトシが来る時間。

サトシの衣服に、バッジが戻ってきた。
綺麗に磨かれたそれは、サトシの宝物だと言う。

「きみがくれた勝利だから、簡単に手放したらいけないと思った」

そう言って、サトシは衣服で一番目立つ場所にバッジをつけ直していた。

私はそのバッジを見て、久しぶりに笑顔になった事を思い出した。


終わり

375: 2009/05/08(金) 02:00:50.53

アブソルかわいいよアブソル

376: 2009/05/08(金) 02:01:07.31

383: 2009/05/08(金) 02:03:35.38
乙でした!

アブソルたんもふもふしたい

引用元: アブソル「ほろびのうたを歌おうか」