1: 2012/11/26(月) 01:47:53.61
最後にお姉ちゃんと会ったのはいつだったろう。
その時、どんな会話をしただろう。 笑顔でいられただろうか。


一人暮らしをしたいと思ったのは、ただ一人きりになりたかったからだった。
誰一人知り合いのいない土地で、誰とも深く関わることなく過ごしたかった。

遠い親戚が所有していた、今は誰も住んでいない古い家に住ませてもらえる事になった。
実家にも大学にもそう遠くはない、一人きりになるには好都合な場所だった。

前の住人が残した家具をそのまま使わせてもらう事にしたため、
引っ越しは比較的スムーズに進んだ。

この辺には何度か来た事があったが、いざ暮らすとなると新鮮な雰囲気を感じる。


見覚えのある懐かしい家具に囲まれて、新しい生活が始まる。
つい数ヶ月前まで、お姉ちゃんが暮らしていた家だった。

4: 2012/11/26(月) 01:49:51.72
大学を出て、一人暮らしを始めたお姉ちゃん。

幼なじみや友人から過保護だと言われながら、
引っ越しを手伝った後も、私は何かと理由をつけてちょくちょく足を運んでいた。


好きな人ができたの、と笑ったお姉ちゃん。

照れながら打ち明けられる遥か以前から、きっと私は気づいていた。
何気ない仕草や会話の端々から、誰かのものになっていくお姉ちゃんを感じていた。


お姉ちゃんに会いに行く機会がめっきり少なくなったのは、
もう憂がいなくても大丈夫なんだよ、とはっきり言われてしまうのが怖かったからだった。

嬉しそうに恋人の話をするお姉ちゃんの前で、
やきもちと言うには余りにも醜い嫉妬心を抑えきれる自信がなかったからだった。


少しずつ、少しずつ遠くへ行ってしまうお姉ちゃん。
あんなにそばにいたのに。 誰よりもずっと一緒にいたのに。


いつからだったろう。
気づいて欲しいような、気づかれたくないようなもどかしさ。

幼い頃からお姉ちゃんに抱いていた想いは、恋とよく似ていた。

6: 2012/11/26(月) 01:51:18.00
どうして普通の恋愛ができなかったのだろう、と考える事があった。

好きな人に想いを伝えられる事が羨ましかった。
どんなに想っても、どんなに願っても伝える事すらできない気持ちは、
決して報われないと知っている片想いは、あきらめる他にどうすればよかっただろう。

私の気持ちを伝えたら、きっとお姉ちゃんは 「私もだよ」 と笑顔で返すだろう。
ただ、その言葉の中に私が望む特別な想いが込められる事はきっとない。

当然だろう。 受け入れられるはずがない。
同性である以上に、血の繋がった家族なのだから。

お姉ちゃんにとって、私は妹に過ぎないのだから。
その特別な笑顔は、私じゃない人に向けられるものだろうから。

私じゃない誰かのためだっていいから、お姉ちゃんにはいつも笑顔でいて欲しかった。
私はそれを見守っているだけでいい。


答えの出ない問いかけを終わらせるための言い訳ばかりが得意になっていた。

自分に嘘をついている事は、自分が一番よく知っていた。

8: 2012/11/26(月) 01:52:45.10
友人にも手伝ってもらい、引っ越しの作業は順調に終えることが出来た。
大掛かりな掃除を覚悟していた空き家は、予想以上に清潔に保たれていた。

ほこりの積もっていない部屋。 窓際に飾られている花は全く枯れていない。
つい最近まで家庭菜園を行っていた形跡のある小さな庭。
昨日まで誰かが住んでいたんじゃないかと思うほどの生活感。

不思議な違和感の極めつけは、ソファーの陰からひょっこり出てきた猫だった。

真っ黒な子猫。 近所で飼われている子猫だろうか。
お姉ちゃんが猫を飼っていたなんて聞いた事がなかった。
もしかしたらお姉ちゃんが居た頃から遊びに来ていた子かもしれない。

我が物顔でソファーに寝そべる子猫は、むしろ私を不思議そうに眺めていた。

9: 2012/11/26(月) 01:53:58.21
近所への挨拶がてら子猫の事を尋ねて回ったが、
この近辺で子猫を飼っている人の事は誰も知らない様子だった。

隣の家のおばあちゃんによると、
お姉ちゃんが居た頃によく猫の鳴き声を聞いた事があったらしい。


ペットなど飼った事もない上に、
どこか高校の頃の同級生を思わせる顔立ちの子猫に、私は戸惑った。
まさか小さな子猫を捨てるわけにもいかない。

一人きりで過ごそうとしていた矢先に、小さな同居者ができてしまった。

12: 2012/11/26(月) 01:55:58.57
一通り荷物の整理を終え、つい数ヶ月前の事を思い返す。


お姉ちゃんが氏んだ日、不思議と涙が出なかった事を憶えている。
断片的に残る記憶の破片は、どれも灰色をしていた。

今も目に焼きついて離れない、天井からぶら下がっていたお姉ちゃん。
声にならない、長い長い悲鳴。
白い花。 シーツの下の起伏。 写真の中に閉じ込められた、愛しい笑顔。

お姉ちゃんのお別れに集まってくれた、たくさんの人たち。
知っている人もいれば、知らない人もいた。
高校の同級生たち。 大学の同期生らしき人たち。 軽音部の仲間たち。

すすり泣く澪さん。 うつむいて唇を震わせる律さん。 泣き崩れる紬さん。
そして、涙をこらえながら必氏に私を慰めてくれた親友。
またバカな事をして、とメガネの下の涙を拭う、呆れ顔の幼なじみ。


遺書らしき物は残っていなかった。
せっかちなお姉ちゃん。 遺される人たちの気も知らないで。

14: 2012/11/26(月) 01:57:57.70
新しい環境の生活に慣れるにつれて、
いくつもの違和感がはっきりと形になって表れ始めた。

開け放たれたカーテンから差し込んでいる朝日に目を覚ます。
昨夜閉め忘れたのだろうかと考えながら子猫のエサを用意する。

お姉ちゃんのように人懐っこいが、不思議な子猫だった。

何もない空間を見つめて甘えるように鳴く。 見えない何かにじゃれつこうとする。
まるで歩く飼い主を追いかけているかのように歩き回る。
猫とはそういう仕草をする生き物なのだろうと、気にしない事にしていた。

家の中で探し物をしていると、いつの間にか目の前に置かれていた事がよくあった。
いつの間にかテレビが点けっぱなしになっていた事も一度や二度ではなかった。
画面に映っているのは、決まってお姉ちゃんがよく見ていた番組だった。

まさか、そんな事があるわけがない。
最近疲れていたから、妙な思い違いをしてしまうのだろうか。


お姉ちゃんからのメールが届いたのは、その日の夜だった。

15: 2012/11/26(月) 01:59:20.27
憂、久しぶりだね。
こんなふうに憂と話せる日がくるなんて思わなかったよ。


もちろん、すぐには信じられなかった。 こんな事があっていいわけがない。
これは正確に言うのなら、お姉ちゃんの使っていたアドレスから送られてきたメールだ。

そういえば、お姉ちゃんの使っていた携帯はどこにいったのだろう。
遺品の中にあっただろうか。 解約したかどうか、記憶がはっきりしない。


我ながらバカバカしいと思いながら、おそるおそるメールを返信してみる。

本当にお姉ちゃんなの? 

何故かすんなりと送信されるメール。
気のせいに違いないが、どこかで聞き覚えのある着信音が聞こえた気がした。

17: 2012/11/26(月) 02:01:23.91
お姉ちゃんを亡くしたショックで、私はどうかしてしまったのだろうか。
ありえないアドレスから送信されてくるメールは、自分が平沢唯だと言い張っていた。

確証を得るため、いくつか質問を重ねる。
逆に面白がっているのだろう。 何でも聞いてよ、と挑戦的なメールが送り返される始末だ。

誕生日や血液型などに始まり、好きな色、好きな食べ物、共通の知り合いについて。
軽音部の事。 家族の事。 私の事。 私たちしか知らない思い出。
ところどころ忘れていたり、思い違いをしていたところがお姉ちゃんらしかった。

携帯電話で通話する事はできなかったが、私の発する声は伝わっているようだった。
私からメールを送る必要はないのかと途中で気づく。


この家で起きているささやかな超常現象と、
リアルタイムで私とコミュニケーションが取れている事実を重ね合わせる。

お姉ちゃんのアドレスを知っている何者かが私を監視している可能性も捨てきれないが、
私の周りにこんな悪趣味な悪戯をする知り合いが居ただろうか。

お姉ちゃんだと言い張る誰かの気配を感じるあたりで、子猫が甘えるように小さく鳴く。
私は、戸惑いながらもお姉ちゃんの存在を受け入れる事にした。


きっと、頭の片隅で信じたがっていたから。

そして、まだ伝えていない事があったから。

18: 2012/11/26(月) 02:04:11.69
私と、子猫と、お姉ちゃんの奇妙な生活が始まった。

お姉ちゃんは、自分の状況をある程度理解しているようだった。
もちろん、どうして自分がこの家にとどまり続けていられるのか、
なぜメールを送れたのかまではわからない。

物を動かす瞬間などを見る事はできなかったが、家の中の物には干渉できるらしい。
動ける範囲はこの家の敷地だけ。
睡眠をとる必要もなくなったため、部屋の掃除や庭の手入れなどは欠かさなかったという。

お姉ちゃんは私が起きる前に部屋のカーテンを開け、朝食の準備をしてくれるようになった。
洗濯や掃除、料理の手伝いまでしてくれる。

さぞダラダラした浮遊霊のように過ごしているものとばかり思っていたが、
生前よりずっと働き者になっているのはどういう事だろうと考えておかしくなる。

お姉ちゃんは私が笑った理由を尋ね、
幽霊を怒らせると怖いんだからね! 呪うよ! と脅してきた。

子猫はいつの間にかこの家に迷い込んできたのだという。
かつて軽音部の後輩につけていたあだ名をそのまま名前にしたそうだ。

私は少し複雑な気持ちで子猫の名前を呼んでみた。
気だるそうに鳴いて返事を返す子猫に、お姉ちゃんの笑い声が聞こえた気がした。

19: 2012/11/26(月) 02:06:01.33
お姉ちゃんから頼まれていた買い物を済ませて大学から帰る。
子猫は新しいエサを気に入ってくれたようだ。

私は、この奇妙なやり取りを重ねる生活に慣れていく一方で、
お姉ちゃんに一番聞きたかった質問を避けている事にもどかしさを感じていた。

あんなに明るかったお姉ちゃんが、氏を選ぶほどに追いつめられた理由。
今も胸の内に秘めているのだろう、恋人への想い。

最期まで私に打ち明けてくれなかったそれらを問いただしたら、
この生活の全てが壊れてしまう気がした。

お姉ちゃんはその時爆発してしまった感情を胸に秘めて暮らしていたのだろうか。
それとも、ただ覚えていない振りをしているだけなのだろうか。

かつて自分が生きていた頃を想い、涙する事はあっただろうか。
恋人ではなく、私の事を想ってくれた事はあっただろうか。


一瞬、テーブルに頬杖をついて子猫を眺めるお姉ちゃんの姿が見えた気がした。
あの頃のままの笑顔で。


心のどこかで、こんな不自然な生活がいつまでも続くわけがないと気づき始めていた。

21: 2012/11/26(月) 02:08:25.10
ある日、子猫がいなくなってしまった。

夕飯の時間になっても子猫は一向に戻ってこない。
気ままな猫の事だ、そのうち帰ってくるだろうと楽観的に考えていたが、
僅かな不安は時間と共に焦りへと変わっていった。

外に出られないお姉ちゃんは家の中を探し回っている様子だった。
雑誌や洗濯物が散乱し、タンスの引き出しや冷蔵庫の中まで開けられていた。

いてもたってもいられなくなり、私は近所を探し歩く事にした。

遠くまで散歩に行って、帰り道が分からなくなったのだろうか。
どこかで怪我をして身動きが取れなくなっているのだろうか。

それとも、もしかしたら…… もしかしたら……
大声で子猫の名前を呼び回る。 恥ずかしくなんかなかった。

最悪の状況を頭から振り払うように、いつしか駆け足になっていた。

23: 2012/11/26(月) 02:10:05.93
どうしよう。 どうしよう。

途方に暮れ、汗と涙でぐしゃぐしゃになって帰ると、
お姉ちゃんがお茶とタオルを用意して待っていてくれた。
絶対帰ってくるから大丈夫だよ、と精一杯に強がって。

どこかで鈴の音が聞こえた気がした。
慌てて飛び出すと、隣の家のおばあちゃんがいた。
怪我をして動けなくなっているのを見つけたの、と子猫を腕に抱いて。

見つかってよかった。 子猫を抱いて泣き崩れる。
いつの間にか、子猫が私の中でこんなにも大切な存在となっていたことに気づかされる。


その夜、私たちはずっと子猫のそばで過ごした。

24: 2012/11/26(月) 02:12:20.33
薄着で走り回ったのが良くなかったのか、風邪を引いてしまったらしい。

寒気を感じ始めた時にはもう遅く、次の日には熱が出始めていた。
心配そうに見上げる子猫の視線と、あたふたしているお姉ちゃんの気配を感じる。

そういえば、高校生の頃にもこんな事があったっけ。

大丈夫だよと呟きながら、一人じゃなくて良かったと安堵する。
つい数日前まで一人きりになる事を望んでいたくせに。

薬を飲んで眠りにつく。


高熱にうなされながら、いつしか私は夢を見ていた。

25: 2012/11/26(月) 02:14:22.36
少し大人びたお姉ちゃんの笑顔。
眩しい朝日に照らされて始まる、私たちの一日。

子猫を連れて散歩に出かける。 誰もいない静かな公園。
柔らかな風が私たちの髪と子猫のヒゲをなびかせる。
きらめく湖をながめ、木漏れ日の下で他愛もない話を続ける。

今度は軽音部のみんなと一緒に遊びにこようね。
子供みたいに輝く笑顔がどうしようもなく愛しい。

なんでもない仕草が、当たり前の様な会話の一つ一つが、
私を幸せの色に染めていく。

夕焼けに染まる帰り道。 どこまでも伸びる二人と一匹の影。

一緒に買い物をして帰ろう。 二人で一緒に夕飯を作ろう。
久しぶりに一緒にお風呂に入って、おしゃべりしながら一緒に寝よう。
明日はどこに行こっか。

このままずっと時間が止まって欲しいと願った。
暮れていく今日がなんだかもったいない。
それでも明日が待ち遠しい。


ああ、どうしてだろう。
こんな毎日がこれからもずっと続くのに。

こんなに幸せなはずのに、どうして涙が出そうなんだろう。

26: 2012/11/26(月) 02:16:49.47
ふと目を覚ますと、そこは一人きりの真っ暗な部屋だった。


頭が熱く、身体が重い。 高熱と寝汗にまみれた自分がひどく惨めだった。
ついさっき見た、あまりにも幸せすぎた夢を思い、ついに私は泣き出してしまった。

絶対に見てはいけない夢だった。
それはどんなに願っても、二度と戻れない時間だったから。
これからも永久に訪れる事のない日なのだから。

嗚咽をこらえながら、涙がボロボロと溢れて止まらない。


すぐそばにお姉ちゃんの気配を感じた。
寝込んでいる間、ずっとそばにいてくれたのだろうか。
あの頃と同じように、私を見守っていてくれていたのだろうか。

私を元気づけようと、
残酷すぎるほどに幸せな夢を見せてくれたのだろうか。

27: 2012/11/26(月) 02:18:49.08
いつの間にか記憶の奥に閉じ込められていた歌がふいに蘇る。

ちょっと変わったおかゆと一緒に、お姉ちゃんが作ってくれた詩。
私の事だけを想って書いてくれた、私たちの歌。

もう二度と聞くことのできない歌声が、ぽっかりと空いていた心の中を埋めていく。


   キミがそばにいることを当たり前に思ってた
   こんな日々がずっとずっと続くんだと思ってたよ


私だって、と思った。
私だって、お姉ちゃんがそばにいることを当たり前に思ってた。
幸せな毎日がずっとずっと続くことを願っていた。

そこにあって当たり前なんかじゃなかった私たちの日常。
どんなに心の奥に閉じ込めようとしても、忘れることなんてできなかった。

28: 2012/11/26(月) 02:20:34.52
お姉ちゃんの背中ばかりを追いかけていた、遠い昔の自分を思い出す。

お姉ちゃんの周りには、いつもたくさんの人が集まっていた。
『できた子』 を演じていただけの私にはない、不思議な魅力。

お姉ちゃんがいなくなって、弱くちっぽけな私だけが残った。
明るく、しっかり者で、何でもできたあの頃の私はどこかに行ってしまった。


記憶の中のお姉ちゃんが、スポットライトを浴びて歌っていた。
最高の仲間たちと一緒に、とびっきりの笑顔で。


あなたがいないと何もできないのは、私のほうだった。

30: 2012/11/26(月) 02:22:24.93
突然泣き出した私を前に、困惑したようなお姉ちゃんの視線を感じる。

急に泣き出してごめんね。
これ以上お姉ちゃんを困らせちゃいけないのに。

私だってそんなに強くないんだよ。
本当はお姉ちゃんを独り占めしていたかったんだよ。

メールだけじゃ足りない。 声が聞きたい。 また歌を聞かせて欲しい。
もう一度だけ笑顔を見せて欲しい。 柔らかな温もりに触れたい。
お姉ちゃん。 お姉ちゃん。 さびしいよ。

涙と一緒に、ずっと抱え込んできた気持ちが次々に溢れてくる。


   私がずっと泣き続けていたのなら、いつまでもそばにいてくれますか?

   もう、どこにも行かないで……


濡れた頬にそっと触れる温もりを感じた。
それが誰よりも愛しい人のものだと知りながら、私はそれを忘れようと努力した。

31: 2012/11/26(月) 02:25:03.62
もう当分涙は出ないだろうと思うほどに泣き、弱音を吐き出した。

お姉ちゃんは何事もなかったかのように話しかけてくれて、
私たちの生活は続いた。

買い物には一緒に行けなかったけど、二人で料理を教えあった。
もったいないからと言われても、私はお姉ちゃんの分を必ず用意した。

お姉ちゃんが家庭菜園で育てていた野菜の世話を手伝った。
ギターを教えてもらい、歌を聞いてもらった。
子猫の遊び相手をしながら、いろんな話をした。

大学に行っている間も、アルバイトに出ている間も、お姉ちゃんの事を考えていた。
私が出かけているうちにいなくなってしまわないか、不安でいっぱいだった。


もしかしたら、こんな日々がずっと続くのかもしれない。

そんな僅かな期待は、やっぱり甘い願望に過ぎなかった。

34: 2012/11/26(月) 02:27:11.86
氏んだ前後の記憶がはっきりしないんだ、とお姉ちゃんが教えてくれた事があった。

自分だけが取り残されたような、真っ暗で、真っ白な霧がかかったような世界。
ああ、そういえば自分は氏んだんだっけ、としばらくしてから気づいたという。

どれだけ長い時間をたった一人で過ごしたのだろう。
逃げ出すことも、助けを求めることもできない、永遠に感じられる孤独。
どこからか迷い込んできた子猫だけが話し相手だった。


だから、憂がこの家に来てくれた時はとっても嬉しかったんだ。

何とかして気づいて欲しかったけど、
驚かせたら憂はびっくりしてこの家を出ていっちゃうかもしれないから、
さりげなく目の前で子猫と遊んだり、テレビをつけてみたりしたんだ。

いつか憂が私を見つけてくれる事を信じて。


似ている、と思った。

私がずっと昔から抱え込んできたもどかしさ。
人生の大半をかけた片想いに。

36: 2012/11/26(月) 02:29:20.99
予兆はあった。
夢だったのか現実だったのか、はっきりしない記憶の中のやり取り。

まだここにいたい、でも行かなくちゃいけない。
そう伝えようとしているお姉ちゃんに、私は気づかない振りをし続けていた。


   憂、好きな人はいないの?
   憂に恋人ができたら、私は邪魔になっちゃうかな。

なによりも残酷な質問に、
お願いだからそんなこと言わないで、と笑ってごまかすことしかできなかった。
  

   憂のこと、ずっと見守ってるからね。
   私はずっと、憂のお姉ちゃんなんだから。

また私を置いてっちゃうの?
結局、私は最後までお姉ちゃんの妹でしかなかったの?


どこにも行かないで。

もう間に合わないと知りながら、私は小さなわがままを呟く事しかできなかった。

38: 2012/11/26(月) 02:31:23.14
愛した人の唇が、 『さよなら』 の形に動き出す。

抱きしめようと駆け出しても、足が震えて追いつけない。
繋ぎ止めようと伸ばした手は遠く届かない。


お願いだから、行かないで。


私が憧れ、追いかけ続け、ついに届かなかった笑顔を残して。



遠回りをしたのは何故だろう。
夢の中でさえ、とうとう言えなかった。


好きな人に、好きだって。

39: 2012/11/26(月) 02:33:25.43
その日の朝。
なかなか目が覚めないと思ったら、カーテンが閉まったままだった。
静まり返った薄暗い部屋に気づいたとき、悲しい予感がした。


誰かを探すような子猫の鳴き声に、お姉ちゃんが行ってしまった事を確信する。
不安そうに歩き回る子猫は、ついに本当の意味で飼い主と引き離されたのだ。

いずれこんな日が来ることはわかっていたはずなのに。
この喪失感を、私は嫌というほど知っていたはずだったのに。

悲しみに慣れることなどなかった。
いつも少しずつ私の先を行くお姉ちゃんに、また置いていかれてしまった。


人は決して誰かのために泣けないという話を思い出した。
大切な人を失っても、その人を失くした自分が可哀想で泣くのだという。

お姉ちゃんが氏んだ日、私はどうして泣けなかったのだろうか。
私はあの夜、冷たくなっていく子猫のために泣いたのだろうか。

私は今、誰のために泣いているのだろう。

涙が枯れたりなんてしないんだな、と他人事のように考えていた。

40: 2012/11/26(月) 02:35:17.87
子猫がいなくなった夜。

隣の家のおばあちゃんが子猫を見つけた時には、すでにぐったりしていたのだという。
登っていた木から落ちてしまったらしい。 猫のくせに、飼い主に似てドジな子だ。

腕の中から消えていく温もりが信じられなかった。

私たちは一晩中待った。
子猫がもう一度目を開けるのを。 いつもの甘えた鳴き声を。
信じてもいない奇跡を。


どうしてなんだろう。
私が大切に愛した相手は、次々に私の前から居なくなってしまう。
それがどれほど大切だったのか、いつも失ってから思い知らされる。

こんな悲しい思いをするくらいなら、いっそ出会わなければよかったのだろうか。
そんな考えすら頭をよぎった。


夜が明け、目を覚ますと不思議なことに子猫の姿は消えていた。

すぐそばで聞こえた、見えない鈴の音。 小さく甘えた鳴き声。
子猫もまた、お姉ちゃんと同じように戻ってきたのだった。

41: 2012/11/26(月) 02:37:09.73
見えなくなった子猫をあやしながら、ぼんやりとお姉ちゃんの事を考えた。

お姉ちゃんは気づいていたのだろうか、とふと考える。

愛情より欲望に近い、醜く歪んだ私の想いに。
お姉ちゃんの命日に、私が何をしようとしていたのか。
私がこの家で一人暮らしをしようと考えた本当の理由を。



いつの間にか受信していたメールに気づき、震える指で携帯を開く。

お姉ちゃんからの最後のメッセージだった。

42: 2012/11/26(月) 02:39:11.31
あなたの涙をぬぐってあげられなくて、ごめんね。

いつまでもここで憂と一緒に暮らしていたかったけど、できないんだ。
もう行かなくちゃいけないんだ。

でも、私はもう一度憂と過ごせて楽しかったよ。
私が氏んじゃった理由も聞かないで、そっとしておいてくれて嬉しかったよ。

むかし軽音部で歌ってた曲みたいだね。
きっと神様がお願いを聞いてくれて、二人だけの奇跡の時間をくれたんだよ。

子猫、氏んじゃって残念だったね。

私みたいに、しばらくは自分が氏んだことに気づかないかもしれない。
でもいつか自分が氏んだことに気づいたら、憂のところを去ると思う。
その時がきても、どうか悲しまないであげて欲しい。

44: 2012/11/26(月) 02:41:12.61
私は憂の気持ちに応えてあげられなかったことを知ってる。
たくさん、寂しい思いをさせてしまったこともわかってる。

それでも私の自慢の妹は、私みたいに弱くないって信じてる。
私の最後のわがままだと思って、憂には生きることを選んで欲しい。

世の中には、自分じゃどうしようもできない悲しいことがたくさんあるけど、
涙が出るほど幸せなことだっていっぱいあるんだよ。

私はいなくなっちゃうけど、私の好きだった世界を、どうか嫌いにならないで。


誰よりも私を支え続けてくれた憂。
泣き虫な憂も、やきもちを焼く憂も、大好きだったよ。

もう本当にさよならだね。
これからはあんまり泣いちゃだめだからね。


今まで、本当にありがとう。

45: 2012/11/26(月) 02:43:25.02
どれくらい泣いていたのだろう。

涙を拭いて、カーテンを開ける。
どこまでも広がる青い空。 痛いほど眩しい光に目を細める。
お姉ちゃんと一緒に育てた家庭菜園のプチトマトが水滴をつけてきらきら輝いていた。

この世界に、確かに彼女は生きていた。

氏を選ぶ程の絶望を経てなお、お姉ちゃんが好きだったと言った世界。
お姉ちゃんの後を追いかけようとしていた私に、それでも生きて欲しいと願った世界。


お姉ちゃんが残してくれたいくつもの思い出。

幼い頃にプレゼントしてくれたホワイトクリスマス。
あったかなマフラー。 変わったおかゆに、素敵な詩。
部屋の隅に置かれたギター。 数え切れないほどたくさんのメール。

今度は、私が返そう。


ギターを取って、静かに口ずさむ。
わずかな間だったけど、お姉ちゃんに教えてもらった、私たちの歌を。

46: 2012/11/26(月) 02:45:10.41
少し震える声で、確かめるようにゆっくりと歌い始めた。
一緒に過ごした日々を想いながら。


   キミがいないと何もできないよ キミのごはんが食べたいよ
   もしキミが帰ってきたらとびっきりの笑顔で抱きつくよ

   キミがいないと謝れないよ キミの声が聞きたいよ
   キミの笑顔が見れればそれだけでいいんだよ


きっと、あなたは知らない。
あなたの書いてくれた言葉の一つ一つが、どれだけ嬉しかったか。

嬉しくて涙が止まらなかった学園祭。
夢中になれる事を見つけたあなたに、本当は嫉妬していたこと。


   キミがそばにいるだけで いつも勇気もらってた
   いつまででも一緒にいたい この気持ちを伝えたいよ

   晴れの日にも 雨の日も キミはそばにいてくれた
   目を閉じればキミの笑顔 輝いてる


いつだって私を幸せにしてくれた、誰よりも素敵な笑顔。
思わずつられて微笑んじゃうような、そんな笑顔が大好きで。

47: 2012/11/26(月) 02:47:17.52
あなたを支えているようでいて、支えられていたのも私だった。
私たちはきっと、お互いに足りないものを求めて寄り添い合っていたんだね。


   キミがいないと何も分からないよ 砂糖としょうゆはどこだっけ
   もしキミが帰ってきたらびっくりさせようと思ったのにな

   キミについつい甘えちゃうよ キミが優しすぎるから
   キミにもらってばかりで 何もあげられてないよ


それでもいつかは必ず終わる、限られた時間だから。
過ぎていく毎日の一つ一つを、もっと大切にすればよかったね。


   キミがそばにいる事を当たり前に思ってた
   こんな日々がずっとずっと続くんだと思ってたよ

   ごめん 今は気づいたよ 当たり前じゃない事に
   まずはキミに伝えなくちゃ 「ありがとう」 を


ありがとう。 幸せな日々をくれた人。
誰かを想う切なさと、嬉しさを教えてくれた人。

48: 2012/11/26(月) 02:49:08.40
もうあなたの言葉は届かないけど、どこかで見守っていて欲しい。
どれだけ時間が流れたって、絶対に忘れたりなんかしないからね。


   キミの胸に届くかな 今は自信ないけれど

   笑わないで どうか聴いて 思いを歌に込めたから


この声があなたに届くと信じて。
まだ下手だけど、きっと届くと願いを込めて歌うよ。


   ありったけの 「ありがとう」 歌に乗せて届けたい

   この気持ちはずっとずっと忘れないよ


思いよ、届け。



また一つ、ギターに涙がこぼれ落ちた。

50: 2012/11/26(月) 02:51:19.90
私は、神様がくれた奇跡の時間に心から感謝した。

ありがとう、お姉ちゃん。
あなたのいない世界を、私はこれからも生きていく。


もう、ずっと一人がいいなんて悲しい事は言わない。

お姉ちゃんと一緒に過ごした子猫がまだそばにいてくれるから。
私はきっと、この子猫のおかげでお姉ちゃんを見つけることができた。

しあわせを届けにきてくれた子猫。
まるで、私とお姉ちゃんを繋ぎ止めてくれるためにこの家にきてくれたみたいだね。



もしも願いが叶うなら。
見上げた空に一番大切な人を思い描きながら、私は考えた。

もし生まれ変わって、もう一度めぐり合えるのなら。


私はまた、あなたの妹でありたい。

51: 2012/11/26(月) 02:56:49.18
お姉ちゃんが氏んだ数日前。

何度も立ち止まり、思い悩み、同じ道を行ったり来たりして、
ようやくお姉ちゃんに会いに行く事をあきらめた日。

何をやってるんだろう。 涙を拭きながら帰り道をとぼとぼと歩く。

駅のホームで、見覚えのある人影を見つけた。
流れる黒髪。 相変わらず華奢で小柄な後姿。
まるで、黒い子猫のような。

これから会いに行く、といった内容のメールでもしているのだろう。
彼女はメールに夢中で背後に気づかない。


その背中が押し飛ばされる瞬間、振り向きざまに目が合った。


どうしてそんな目で見るの?
まるで私が悪いことをしたみたいじゃない。

お姉ちゃんを取り返しただけなのに。
私だけのお姉ちゃんなんだから。


ホームに近付く轟音に、彼女の身体が重なった。

52: 2012/11/26(月) 02:57:25.82
えええええええええええええええ

53: 2012/11/26(月) 02:58:02.29
待て待て葬式きてたのはだれだ

57: 2012/11/26(月) 03:01:16.12
>>53
純ちゃんだろ

54: 2012/11/26(月) 02:58:09.40
絶叫とともに目を覚ます。
この夢を見るのはもう何度目だろう。


親友を頃した夢。
いや、親友が氏んだ瞬間の夢。

返り血の感触さえ残っているほど現実的な、だけど夢の中でしかない出来事。
あれが現実だったはずがない。

だってそうでしょう? 梓ちゃん。

まるで私のせいでお姉ちゃんが氏んじゃったみたいじゃない。
私を頼りもしないで、あなたを追いかけて氏んだみたいじゃない。
文字通り、氏ぬほど愛していたみたいじゃない。

結局、お姉ちゃんは私のところに帰ってきてくれたんだから。
最後には私を選んでくれたんだから。



急に届いたメールで、ふと我に返る。

梓ちゃんのアドレスからだった。


彼女と最後に会ったのはいつだったろうと、私はぼんやり考えていた。

59: 2012/11/26(月) 03:06:20.82
二次創作で元ネタがある上にリメイク品でした
前も大不評だったオチを変えない自己満足の塊だった

65: 2012/11/26(月) 03:12:28.65

丁寧でよかった

68: 2012/11/26(月) 03:18:27.73
面白かった

69: 2012/11/26(月) 03:19:08.36
ラストきついな…

引用元: 憂「しあわせは子猫のかたち」