1: 2009/07/11(土) 13:31:20.02 ID:aH0ACZkS0
「あずにゃんってギター上手だよね~」

唯先輩が私のことをじっと見て呟く。恥ずかしいです。
けれど、その瞳は真剣そのもので、私の練習姿をずっと見ていました。
…練習しなくて大丈夫なのでしょうか。

「そうでも…ないです」

私はそんなに上手ではありません。
小さい頃からギターはやっているので、それなりに出来るとは思っていますけど……。
他人に上手と言われるほど思ってはいません。

「いや、梓は上手だと思うぞ」

澪先輩も同様に褒めてくれます。
本当は上手と言われて嬉しいのは山々なんですが……。
素直には受け取れませんでした。

3: 2009/07/11(土) 13:32:05.35 ID:aH0ACZkS0
ある日のことです。
次のライブで披露する新曲が出来ました。
澪先輩の独特な雰囲気のある歌詞は可愛らしくて、とても好きです。

「よし、じゃあさっそく練習始めるか!」

律先輩が大きな声で皆をまとめます。
私たちはそれぞれ楽器を持って、練習の準備にとりかかります。

「~♪」

しばらく新曲の練習をしていますが、なかなか覚えられません。
今回の曲は難しいです。
皆さんもどうやら苦戦しているらしく、唯先輩に至っては覚えられる領域を遥かに超えていて、頭から煙が出ています。

「唯ちゃん大丈夫?」
「う~…む、無理っぽい…」

ムギ先輩が心配そうに唯先輩を見ています。
何かを思いついた顔をして、ムギ先輩はケーキを取り出しました。

「はい、唯ちゃんこれ食べて?」

ムギ先輩の差し出したケーキを食べると、唯先輩はあっという間に息を吹き返して練習に没頭しました。
……凄い単純です。

4: 2009/07/11(土) 13:32:53.93 ID:aH0ACZkS0
「さて、そろそろ帰るか~」

律先輩がガタリと席を立ち、また大きい声で言います。
一々ここまで大きな声を出さなくても聞こえますけどね……。
窓を見ると既に日も暮れて、いつの間にか時間がこんなにも通り過ぎているのに気付きました。

「そうですね。そろそろ帰りましょう」

私が律先輩に同意すると、それに続くように先輩たちも席を立ちます。

5: 2009/07/11(土) 13:34:21.15 ID:aH0ACZkS0
次の日、今日も新曲の練習です。
私が音楽室にやってくると、既に先輩たちが揃っていました。
……最近思った以上にやる気があるみたいです。
私が入った瞬間、律先輩は「よし、梓も来たことだし練習するぞー!」と元気一杯にドラムスティックを持ち始めました。

「今日は合わせてみないか?」

澪先輩が律先輩に提案しました。
そういえば昨日はずっと個人練習で合わせてなかったなぁ……。

「それもそうだな~ よし、合わせるか!」

今日は新曲を初めて合わせる日です。

「~♪」

…………。
正直私は驚いています。
先輩たちの上達っぷりにです。

6: 2009/07/11(土) 13:35:34.03 ID:aH0ACZkS0
「今回は中々うまくいったな!」

律先輩が私たちに向かって言います。
中々どころじゃありません。
先輩たちの演奏が私の想像を遥かに超えていたのです。
唯先輩の演奏も……ハッキリ言って私よりずっと上手……。

「あずにゃんはどうだった?」
「えっ…?」

唯先輩が突然話かけてきたので、考え事をしていた私は吃驚しました。
私がこんな反応を示してしまったので、唯先輩は「あ…ごめん」と謝って来ました。
…唯先輩は全然悪くないです。寧ろずっと考え事をしていた私が悪いんです。

「唯先輩は悪くないですよ…。先輩たちの演奏はとても上手です」

私は正直な感想を言った。
私がここに入部した時に聞いた演奏よりもずっと…ずっと先輩たちの演奏は上手になっていました。

7: 2009/07/11(土) 13:37:11.41 ID:aH0ACZkS0
「そっか~?梓も相変わらずうまいよな~」
「そうそう!私なんか全然追いつけないよぉ」

律先輩も唯先輩もそう言うけど……。
今の私にはお世辞にしか聞こえなかった。
だって……。

「…そんなこと、ないです」

何故でしょう……。
先輩たちと私の前に、壁が出来てしまった気分です。

9: 2009/07/11(土) 13:39:10.78 ID:aH0ACZkS0
部活も終わって家に帰宅した後、私は布団に蹲りながら今日の出来事を思い出していました。

私は何かを覚えるというのがそこまで早くありません。
集中しても、全然早くありません。
今回の新曲だって、まだ半分も覚えられなくて、澪先輩が合わせてみないか?と言った時はビクッとなってしまいました。
先輩たちは私を買いかぶりすぎているんです。

唯先輩は集中すると凄いです。
私がまだあんまりおぼえられていないのに、唯先輩は既に粗方弾けるようになっていました。
唯先輩は自覚が全くないみたいです。
最近の私は集中するとなんでもすぐに吸収出来る唯先輩がとても羨ましいです。
他の先輩たちも私よりずっと覚えるのが早かったです……。

何故だろう……。
そんな考え事をしていると涙が出てきた。
必氏に抑えようとするけど、止まってくれはしなかった。

11: 2009/07/11(土) 13:41:12.35 ID:aH0ACZkS0
それからも、私たちは練習を繰り返しました。
けれども、ここ最近の考え事のせいで私はちっとも上達しません。
唯先輩以上に失敗はするし、テンポも速くなったり遅くなったりと不安定です。

「梓……どうしたんだ?」

澪先輩が私を心配そうに覗いて来ます。
私は何も答えることが出来ませんでした。
ただ、何も言えずに俯くことしか……。

「最近どうした?ずっと俯いてさ」
「そうだよ…あずにゃんらしくないよ…」
「梓ちゃん…何か悩み事でもあるの?」

先輩たちが一斉に私を心配します。
けれど、それは私にとっては逆効果でした。
心配されればされるほど、私の目から涙が零れて……。

「なん……でも…ない……です……」

言葉が途切れ途切れになりながらも私はなんとか一言言い切って……両手で顔を覆いました。
唯先輩が「あずにゃん!?」と言った瞬間には私は荷物を持って音楽室を飛び出していました。
後ろからは「お、おい梓どうした!?」と律先輩の声が聞こえますが、私は覆った手を下ろして一目散に逃げました。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら。

12: 2009/07/11(土) 13:43:13.83 ID:aH0ACZkS0
どうして私は逃げてしまったんだろう。
昔から私は引っ込み思案で、あまり意見とかをハッキリ言えるような人間ではない。
だからと言って……考え事で演奏が上達しない上に、先輩たちから心配された挙句、泣きだして逃げ出してしまうなんて最低だ。
私は……最低だ。

「どうしよう……」

涙は治まったが、私はとんでもないことをしてしまった。
部活の途中で逃げてしまった。
……先輩たちに合わせる顔がないです。
どうしてこんなことをしてしまったのだろう。
私は後悔したまま、帰宅することを選んでしまった。

15: 2009/07/11(土) 13:44:34.48 ID:aH0ACZkS0
あれから私はしばらく部活を休んだ。
学校ではなるべく先輩たちに会わないように避けて過ごしていた。
憂から何かか質問されたけど、私がもうやめてと言ってから憂は何も言わなくなった。

……もう私は軽音部にいる資格はない。
私は退部することを決意した。

16: 2009/07/11(土) 13:46:18.95 ID:aH0ACZkS0
それから何もすることのなくなった私は近くのライブハウスに足を運ぶことにした。
ここならひょっとすると私を受け入れてくれるかもしれない……。
皮肉にもそう思ってしまった。

「やっぱり上手な人が多い……」

以前軽音部の練習風景が嫌になった時のことを思い出す。
あのときもこうしてここに足を運んでいた。
……やっぱり、あの頃と同じ。
ここの人たちは先輩たちより上手だけど、先輩たちの方がよかった。
でも、私はあんなことをしてしまった最低な部員。
今更帰ることなんて誰も許してはくれないだろう。
ならば、もうここで頑張るしかなかった。

20: 2009/07/11(土) 13:48:45.41 ID:aH0ACZkS0
「ちょっと良いかな?」

それはライブハウスに入り浸る生活が始まってすぐのことだった。
私は突然誰かに声を掛けられた。
振り向くと、爽やかな男の人が3人横に並んで私を見ていた。
……多分、バンドを組んでいる人たちだろう。

「はい、なんでしょう」
「君が背中に背負っているのはギターだよね?」

男の人は私の背中に指を指して言う。
もしかすると……この人たちはギターを探しているのでしょうか……。
とりあえず、私は頷いた。

「よ、よかった…!もし…君さえ良ければ俺達のバンドに入らないか!?」
「え……」

22: 2009/07/11(土) 13:50:44.60 ID:aH0ACZkS0
それから私はその人たちのことを色々と聞かせてもらった。
小さい頃からデビューを目指して頑張っていたこと。
小さいながらもライブハウスでたくさん演奏をしたこと。
……ギターの人が抜けてしまったことも。

やっぱり、自分たちのバンドにはギターが必要だ!と思っていたらしくて、色々なライブハウスで新しいメンバーを探していたらしい。
でも、頼んだ人にはことごとく断られ、中々新しいメンバーは入らなかった。
それで、あのライブハウスで私を見つけて……。

私は思わず「はい」と答えてしまった。
男の人たちも「そんなに軽く決めちゃって良いのか?」と言ってたけど、今の私には断る理由はなかった。
今の私には居場所がない。
軽音部からは退部をし、ただライブハウスで過ごすだけだった私には転機だったのかもしれない。
これをキッカケに新しい世界に飛び出して成功するかもしれない。
そんな希望が私の心の中で渦巻いていた。

23: 2009/07/11(土) 13:52:17.00 ID:aH0ACZkS0
バンドに誘われてから数ヶ月後。
メンバーの人から突然言われた一言。
「デビューが決まったよ」
デビュー………。思ってもみなかった言葉であった。

その日の練習が終わった後、私は早々に帰宅した。
そして、いつかの日みたいに布団に包まって考え事をした。

デビューという人生の岐路に立たされている私。
普通の人なら、このままデビューを選ぶはずだ。
私もそうする気だった。
でも……。何故だろう。私どうかしちゃったのかな。
頭の中で先輩たちとの思い出がよぎる。

25: 2009/07/11(土) 13:53:49.11 ID:aH0ACZkS0
私が軽音部に入ってからそんなに時間が経過しているわけでもない。
けれど、何故か私は軽音部のことが忘れれなかった。
先輩たちより上手で、先輩たちよりも優しくて、先輩たちよりも練習に励むバンドの人たち。

状況で言えば、バンドの人たちに付いていけば楽しい生活が私を待っているだろう。
デビューをして雑誌の取材やテレビ番組の出演も夢じゃないかもしれない。
だけど……だけど……。
音楽室でムギ先輩の出す紅茶を飲みながらお菓子を食べて、頻度は高くないけど練習をして、皆で楽しく話し合うの方が数千倍……数万倍楽しいと思った。
まだ……デビューは夢のままの方が良いと思えた……。

26: 2009/07/11(土) 13:56:02.71 ID:aH0ACZkS0
「あ…あの……」

私は決意した。
軽音部に戻ろう、と。
今更何しに戻ってきたんだ。と言われるかもしれない。
それに、ここから抜けることはバンドの人たちは良いとは思わないはずだ。
折角見つけたギターが抜けてしまうのだから。
でも……私が居たいのは…ここじゃなかった。

私は全て吐露した。
ホントはデビューはしたくないと。
元々軽音部にいて、そこから退部してしまったこと。
それでも……やっぱり軽音部に戻りたいということを。

バンドの人たちはそれを真剣に聞いてくれている。
私は涙声が混じりながらも心にあったもやもやを全て吐き出した。
全て話し終わった後、泣き崩れてしまった。
何かの止め具が外れたように……。

28: 2009/07/11(土) 13:57:39.66 ID:aH0ACZkS0
バンドの人たちは「それなら仕方ない……またギターを探しにいくよ」と言って、私に「戻れると良いね、軽音部。いや、梓ちゃんなら戻れる」と背中を押してもらった。
私は「はい」と答えて、ライブハウスを後にしました。


梓が立ち去った後のライブハウス。
先ほどまでいたギターが抜けたバンドのメンバーは梓の姿が見えなくなると、緊張の糸が切れたように一斉にだらける。
そこに立派な執事服を身に纏った男性が現れた。
男性が現れると、バンドメンバーは慌てて整列した。

「彼女は無事に行きましたな」
「は、はい。なんとか返すことが出来ました」

バンドのメンバーの一人が胸をなでおろして、梓が戻って行った方向を見つめた。

「やっとこれで紬お嬢様に顔向けが出来る……ご苦労」
「それにしても……俺たちでよかったんでしょうか? ――斉藤さん」

29: 2009/07/11(土) 13:59:04.09 ID:aH0ACZkS0
私は今音楽室の前に来ています。
あれ以来、結局一度も音楽室には入っていません。
退部届けを出したのも職員室にいたさわ子先生に渡していたので……。

久しぶりに見るこの扉。
久しぶりに聞く先輩たちの話し声。
久しぶりに立つ、この場所。

音楽室からは相変わらず先輩たちの話し声がよく聞こえます。
唯先輩が楽しそうに今日あったことを話したり。
律先輩も澪先輩のことを話していたり。
それを阻止しようとする澪先輩の声が聞こえたり。
お菓子を皆に振舞うムギ先輩の声が聞こえたり。
そこにはいつもの日常が繰り広げられていた。

33: 2009/07/11(土) 14:01:10.28 ID:aH0ACZkS0
この中に私が入って果たして大丈夫なのだろうか。
この楽しい日常が崩れてしまいそうで、扉を開けるのを躊躇わせる。
もう一度、唯先輩と練習がしたい。
もう一度、澪先輩とお話がしたい。
もう一度、律先輩と言い合いっこがしたい。
もう一度、ムギ先輩とお茶がしたい。

ガチャリと音楽室の扉を開けた。
先輩たちは一斉に私の方を向く。
やっぱり……私は要らない子なんでしょうか……。
先輩たちの視線がグサグサと刺さる。

しばらくの沈黙が続き、恥ずかしさから私の目頭が熱くなってきた時。
唯先輩が突然私に向かって走り出しました。

「あずにゃん……寂しかったよぉぉぉぉぉぉ!!!」

34: 2009/07/11(土) 14:03:11.80 ID:aH0ACZkS0
唯先輩は私をキツく抱きしめてきました。
そして大声で寂しかったと何度も叫んで、泣いていました。
……唯先輩はこんなにも心配してくれたんですね。
私も唯先輩を抱きしめました。

律先輩と澪先輩は「やれやれ」とした表情で私と泣きつく唯先輩を見ていました。
ムギ先輩はニコリと笑顔になり、私と唯先輩の様子を伺っていました。

しばらくして唯先輩が落ち着きを取り戻して、全員いつもの席に座りました。
私はまず、謝りました。
勝手に先輩たちとの間に壁を作って、勝手に出て行って、勝手に帰って来て……。
先輩たちにはいくら謝っても足りないぐらいに迷惑をかけてしまいました。

すると律先輩がある物を取り出します。
それは私がさわ子先生に提出したはずの退部届出した。

「こんなのもらっても、梓は絶対にやめない!ってさわちゃんが言っててさ、結局これ受理されてないんだよねぇ」

……あの先生はホント何者なんでしょうか。
未来でも分かるのですか……。などと、思いつつも私はもう一度謝る。
すると、澪先輩が私の頭を撫でてこう言いました。

「大丈夫だって、皆は怒ってないよ。皆梓が帰ってくるのを待っていたんだから」

35: 2009/07/11(土) 14:05:17.38 ID:aH0ACZkS0
あれから私は軽音部の一人として、再び先輩たちの輪に加わりました。
相変わらず、唯先輩はたくさんスキンシップをして来ます。
律先輩は中々練習しませんし、澪先輩も呆れるようにお茶を飲んでいます。
ムギ先輩はニコニコしながら私を見ています。……私に何か付いているのでしょうか?

私が新曲の練習があまり出来ないままにライブの本番が来てしまいました。
少しの間でしたけど、軽音部を抜けてしまった自分に悔やみました。
けれども、その代わりに私は色々と大切なことを学びました。
私の居場所は……ここしかない、と!

「私、いつまでも先輩たちの傍にいます!」

終わり

37: 2009/07/11(土) 14:06:36.62 ID:TYps4lOi0
スレタイ見た時は心霊ものだと思ったが乙

39: 2009/07/11(土) 14:09:12.45 ID:iE+GGBPf0

泣いた

引用元: 梓「私、いつまでも先輩たちの傍にいます!」