2: 2010/07/24(土) 20:35:11.44 ID:zLInBVzd0
『プロローグ』



「何をどう意図してこうなったのか、教えて頂きたいものですが」

 どこぞの神様も「暑すぎるわ」と根を上げるような7月の初旬、
周囲を見渡せば人、人、そして人。
眼鏡をかけた偉い人がゴミと形容したくなる気持ちもわかるような人波のど真ん中で、
あからさまな非難をミックスしつつ古泉は言った。

「意図なんてないさ。今のこの状況だって、別に俺が仕掛けたわけじゃない」
「それは……確かにそうですが」

 ついさっき買った焼きそばを片手に持ったまま、小さく溜息をつく。

「とは言え、断ることも出来たのでは」
「親友の頼みを断るのは忍びないだろ。今日はハルヒだっていないし、
 閉鎖空間だって発生してないんだろ?」
「……その通りです」

 喧騒をよそに、俺は古泉と談笑する。そう思っているのは多分俺だけで、
相対するイケメンは普段の無駄を極めた爽やかスマイルを喫茶店に忘れてきたらしく、
さっきから愚痴ばっかり溜息ばかりだ。さながら古泉一樹の憂鬱ってところか。

 その古泉が再び口を開き小言を発しようとしたところで、
たこ焼きを買いに行っていた女性陣2名が俺たちの腰掛けるベンチへと帰還を果たした。

3: 2010/07/24(土) 20:36:44.80 ID:zLInBVzd0
「待たせたね、キョン」
「いや。無事に買えたか?」
「勿論さ。よければひとつあげようか」
「まだ焼きそばが残っているし、遠慮しとくよ」

 俺の親友、といえば別に特筆すべきこともない。ご存知、佐々木である。
 そしてその横には、黄色の浴衣に身を包み、ツインテールをぶら下げつつ、
買ったばかりのたこ焼きを美味そうに頬張る相方がいた。
 古泉とは対極の組織団体に所属する超能力者、橘京子だ。

「キョンさん! せっかく佐々木さんがあげるっていっているのに断るなんて!」

 どう見ても年下にしか見えないそいつは、よくわからない罵倒をするために
金切り声をあげた。ハルヒに負けず劣らずの声量である。

「お前は何を言っているんだ」
「いいから、ごちゃごちゃ言わないで貰っておけばいいのです! ほら、佐々木さんも!」
「おい」
「なんですかっ」
「口元にソースがついてる」

 俺の指摘に顔を耳まで真っ赤にし、袖から取り出したハンカチで必氏にそれを拭う。
どうでもいいが、和の象徴である浴衣に西洋からの伝来品であるハンカチを
突っ込むってのはどうなんだろうね。これぞ和洋折衷とでも言うつもりだろうか。

5: 2010/07/24(土) 20:37:58.22 ID:zLInBVzd0
 横を見ると、古泉がもう苦笑するしかないという表情で
俺たちのやり取りを見ていた。まぁな、古泉の立場を考えると、
とても橘や佐々木らと仲良くやるわけにはいかんのだろう。


 だが、こいつは忘れていたのである。
自分が認めた人間が険悪あるいは気まずいムードでいるなんて状況を、
ハルヒが許すはずがないって事を。


 そう、話は数時間前に遡る。




・・・
・・




6: 2010/07/24(土) 20:40:10.10 ID:zLInBVzd0

 ハルヒが長門に勝負を吹っかけたのは数週間前。
どうやら春に行われた試験の順位で長門に負けたのが悔しかったらしく、
あいつらは明日行われる某資格試験を受けるため、目下勉学に勤しんでいる。

 ちなみに俺の順位については深く考察しないで頂きたいのだが、
とにかく俺にとって嬉しいのは、それにより本日の不思議探索が中止になったということだ。

 曰く、

「別にたいして勉強なんてしなくても受かるわよ。でも有希に勝つためには
 100点取らなきゃならないから、いくらあたしといえども前日は勉強漬けね」

 とかいう事情によるもので、俺としては何でこんな女にあらゆる才能を注ぎ込んだのか
神様に小一時間問い詰めたいと思いつつも、そう言えば
この世界の神様はハルヒなんだから仕方ないと言えば仕方ないと項垂れていた次第である。

 ただ、今日を休日にしたのはハルヒにとって別の意図もあったらしいとわかったのは、
午前中にかかってきたあいつからの一本の電話によるものだった。

7: 2010/07/24(土) 20:43:07.07 ID:zLInBVzd0
『キョン! どうせあんた今日暇でしょ!
 だったら古泉くんを誘ってどっか遊びに行きなさい!』

 どうして俺がせっかくもらった暇を持て余していると知っているんだと思いながら、
俺は返答する。

「なんでよりによって古泉と」
『話は最後まで聞きなさい。実は昨日佐々木から聞いたんだけど――』

 ハルヒが佐々木を呼び捨てにするようになったのはいつからだったか。
おそらく春の事件が片付き、佐々木を気に入ったハルヒがSOS団の活動に
あいつらを巻き込むようになってからだろうか。

 あの二人の何処に波長が合うような部分があるのか疑問で仕方ないのだが、
長門と朝比奈さん曰く「似た者同士」で、
古泉を問うと「やれやれ」とお決まりのポーズを取ってきやがったので、
俺の疑問は未だ解決していない。

8: 2010/07/24(土) 20:45:42.87 ID:zLInBVzd0
 と、記憶の海にトリップしていたおかげでハルヒの言葉をまったく聞いていなかった。
 すまんがもう一回言ってくれ。

『だからぁ! 今日あんたの地元で花火大会があるらしいじゃない?
 それにあんたと、古泉くんと、佐々木と京子の4人で行ってきなさいよ』
「花火大会?」

 そんなもんあったっけか――と電話帳付近に積まれているチラシを弄ってみると、確かにあった。
毎年行われているそれなりの規模の花火大会で、そういや中三の時にその佐々木と行った覚えがある。
受験勉強の気晴らしにと誘われたんだったかな。

「それは構わないが、突然だな」
『実はね。前から思ってたんだけど、
 古泉くんと京子ってなんとなくギスギスしてるというか、気まずそうじゃない?』
「あぁ……まぁ、な」

 敵対する組織に所属する二人に和気藹々としろといっても酷というものだが、
ハルヒはそんなこと知らんからな。俺の目にはそう映っていたわけではなかったのだが、
勘が犬並みに鋭いこいつからしたら、体面を取っ払ったその本質が見えていたのかもしれない。

9: 2010/07/24(土) 20:49:19.42 ID:zLInBVzd0
『でね? そんなのあたしとしては許容できないわけよ。
 確かに京子や佐々木はSOS団の団員じゃないけど、もはや準団員といっても過言ではないわ』
「お前が事あるごとに引っ張りまわしたからな」
『言い方は気に食わないけど、その通りね。とにかく、あたしのSOS団にそんなのは認められないの。
 だから今日の花火大会を利用して、あんたと佐々木で何とかしなさい。それに――』
「それに、なんだ」
『……なんでもないわ。じゃ、あたし勉強するから、あとよろしく!』

 ハルヒは自論を一方的に展開したかと思いきや、
俺の返答ひとつ待たずこれまた一方的に電話を切りやがり、
ツーツーという空しい機械音だけが鼓膜を反響した。やれやれ。

 とは言え俺としても、ハルヒの頼みを断るつもりは特になかった。
例の問題は一応解決――とまではいかなくても、その礎を築いたわけだし? 
せっかくの高校二年生の夏、青春を満喫したいとは思うし? 何より暇を持て余しているのは事実だし?

 色々と頭の中で理屈をこねくり回しつつ、俺は佐々木に事情を説明するため電話をかけ、
次に古泉を呼び出した。佐々木との話し合いの結果、佐々木が俺を呼び出す形を取ることになり、
俺と古泉は佐々木から連絡があるまで適当にブラブラ散策することになった。
 曰く、ハルヒの頼みだと言ってしまうと、古泉が仕事モードになってしまうかららしい。
それはハルヒの願いとは方角を違えてしまうし、俺としても勘弁願いたい形だ。

10: 2010/07/24(土) 20:52:04.23 ID:zLInBVzd0
 俺たちはこの一年と数ヶ月、苦楽を共にしてきた。
 絶望的な危機さえも共に乗り越えてきた。

 だから、そろそろ古泉一樹の素の姿ってやつも、拝んでみたかったのさ。




・・
・・・


11: 2010/07/24(土) 20:56:17.98 ID:zLInBVzd0
 そんな感じで、話は冒頭に戻る。
 俺たち4人はその後出店を回りながら、花火開始まで時間を潰していた。
ちなみに古泉といえばボードゲームのみならず射的や輪投げといったゲームと名の付くもの全てがダメらしく、
ちょいちょいと橘にバカにされつつも、もう開き直って楽しんでいるように俺には見えていた。

 さて、現在。女性二名はトイレに行っているので、またもや俺と古泉の二人きりである。
 二人きりといえば甘酸っぱく聞こえるが、嬉しくもなんともない。

「それには同感です。僕としましても、こういったイベントの最中に二人きりになるのは、
 やはり美しい女性の方が望ましいですね」
「お前が健全な思考の持ち主でよかったぜ」

 こいつはなんとなく顔が近いイメージがあったからな、
もしかしたらそっちの人間なんじゃないかと心配していたところだ。

「ところで、古泉」
「なんでしょう」
「お前、今日はどうだ。楽しいか?」

12: 2010/07/24(土) 20:59:23.66 ID:zLInBVzd0
 俺の不意打ちの質問に、ようやくいつもの無駄スマイルを取り戻しつつあった
古泉の表情が驚愕に包まれる。今日のこいつはコロコロ表情が変わって実に面白いな。

「楽しいか、と言われると、そうですね。楽しいと答えざるを得ません。
 高校二年生の夏、花火大会で男2名、女性2名の4人組。
 これを青春と言わずして何を青春といえばいいのでしょう」
「そうだな。しかも2人とも容姿端麗ときた」
「まさしく。僕も機関……いえ、超能力者の枠を取っ払ってしまえば唯の高校生男子に過ぎません。
 この状況に心躍らない、といえば嘘になります」

 そいつはよかったぜ。
 確かに今日の古泉は本当に楽しそうで、普段の大人びた姿は影を潜め、
俺と変わらない一介の高校生といった無邪気な雰囲気を醸し出していた。
それはハルヒを中心とした非日常から離れ、一人の"古泉一樹"という人間として捉えた時の、
こいつそのものなのかもしれない。

「たまにはいいだろ、こういうのも」
「……そうですね」
「釈然としない表情だな。何かあるのか?」
「……行く道は違えど、橘京子は悪い方ではありません。組織的なカテゴリーで区切るような
 偏見じみた考え方は、SOS団にいることですっかり無くなりましたよ。ただ、
 それでも僕は機関の人間なんです」

 どういう意味だ。

14: 2010/07/24(土) 21:03:39.21 ID:zLInBVzd0
「プライベート、というものがあるべきではないんですよ。
 ましてや今この場には涼宮さんがいらっしゃいません。
 にもかかわらずあなたはいらっしゃる上に、佐々木さん、そして橘京子という対立的存在と談笑している。
 言語道断、もし仮に今日の件が涼宮さんの耳に入り、結果として閉鎖空間を発生させてしまったとしたら、
 機関の人々に何度土下座しても足りません」
「……何だそんなことか。安心しろ、今日の事があいつの耳に入ったとしても、絶対に閉鎖空間は出来ん」
「何故そう言い切れるのです?」
「それはだな、」

 俺があいつの真意をこいつに告げてやろうとしたところで、
突然中空に巨大な花びらが湧き上がったかと思うと、その一瞬あと、
耳をつんざく爆発音が木霊した。

「「あっ!」」

 と同時に、後方からハモった二人の声があがる。佐々木と橘が戻ってきたようだ。

15: 2010/07/24(土) 21:06:57.67 ID:zLInBVzd0
「もう始まってしまったのか。キョン、ほら早く。行こう!」
「え、おいちょっと待て、引っ張るな!」

 俺の制止などまったく耳に届いていないように、佐々木は俺の手を強引に引き、
逆手で人ゴミを掻き分け、どんどん進んでいく。
藍色の浴衣が型崩れを起こしそうな勢いだ。せっかく似合っているのにもったいない。

「古泉! 橘! あとで合流しよう!」
「え、キョンさん!」

 二人が何か叫んだであろうことが口の動きでわかったが、同時に打ち上げられた花火の音でかき消され、
上手く聞き取ることが出来なかった。そんな俺たちのやり取りを無視するように、
佐々木は次々と人を押しのけて進んでいく。俺はその手を離さないように何とか足を進めた。

 夏で、夏だった。

16: 2010/07/24(土) 21:09:11.14 ID:zLInBVzd0
『第一章』



 その翌々日のことである。
7月6日、あの花火大会は嘘のように夢のように、そして当然のように俺は地獄坂を登り、
学校に到着し、そしてハルヒが陣取る窓際最後尾の前の席に腰を下ろした。日々繰り広げられる一連の流れだ。

「遅いわよ」
「いつも通りだろ。で、昨日はどうだったんだ?」

 その後ハルヒからも長門からも特に連絡があったわけでもないので、俺は率直に結果を問いかける。

「受かったのは間違いないわね。有希に勝ったかどうかは、何とも言えないわ。結果が届いてみないと」
「……そうかい」

 さて、長門なら満点間違いなしで、実際のところハルヒはせいぜい同列一位が限度でどうあっても勝てない。
可能性があるとすれば長門が空気を読んで手を抜くことだが、あの負けず嫌いの塊がそうするとはとても思えん。
こりゃ第三戦確定かな。

「で、あんたは?」
「何がだ」
「土曜日よ、土曜日。正確にはあんたじゃなくて、古泉くんと京子について聞きたいんだけど?」


17: 2010/07/24(土) 21:12:27.20 ID:zLInBVzd0
 あぁ、それか。実は古泉と橘とは途中で逸れてしまってな、
結局そのまま解散したから顛末は知らないんだ、すまん。

「はぁ!? ってことは何、あんたは佐々木と二人でいたってこと?」
「まぁそうだな。あっちも二人だったが」

 こうして考えるとデートにしか思えんが、佐々木と俺じゃ色気など皆無である。
一方の古泉・橘ペアといえば水と油の組み合わせだ。
もっとも後半はそうでもなかったから、逸れた後の二人がどういう会話を繰り広げたのかはさっぱりである。

「……くぁっ……あぁもう!」

 突然、ハルヒは苦虫を食いつぶしたかのような声をあげたかと思うと、
イライラを隠さずに俺のネクタイを引っ張り上げ、すぐに下ろした。
 なんだよ。

「別にー? まぁ……いいわ」

 何を愚痴愚痴言っているのか、らしくないな、と問い質す前に岡部がやってきてHRを始めてしまったので、
そのイライラの原因を聞きそびれてしまった。閉鎖空間が発生しなければいいが。

18: 2010/07/24(土) 21:17:08.30 ID:zLInBVzd0
 その後、いつものように午前中を寝て過ごし、いつものように昼休みのハルヒは何処かへ消えてしまったので
昼食を国木田・谷口と共にし、そしていつものように午後の授業も寝て過ごした。たった2行であっという間の放課後である。

「キョン、あたしちょっと寄るところあるから、先行ってて! じゃあね!」

 そいつの言葉は稲妻の如き速度で俺の右耳から左耳を貫通したかと思うと、
次の瞬間俺の目に飛び込んできたのはほんの数秒前までそこにあったはずのハルヒの鞄の残像のみであった。
これぞ一人台風である。気象予報士も真っ青だな。

 部室をノックすると、忌々しいことに朝比奈さんではなく古泉の声が俺を迎えた。

「どうも」
「よう。長門もいたか」
「そう」

 俺が声をかけると、定位置である窓際に座っているそいつは本から目を離し、上述の台詞をか細く零し、
そして本に目を戻した。動作を羅列してみるとやけに冷めた奴に思えるかもしれんが、
最初はこっちを見てくれもしなかったんだ。それに比べると今やヒマラヤ山頂とこの時期の沖縄くらい寒暖の差がある。
絶対零度と比喩していた頃が懐かしい。

「朝比奈さんは、まだか」
「朝比奈みくるなら、少々遅れると先ほどメールが来た」
「珍しいな、いつも先に来て着替え終わっているのに」


20: 2010/07/24(土) 21:22:30.23 ID:zLInBVzd0
 そうは言ったが、事の珍しさ以上に俺は長門と朝比奈さんがメールのやり取りをしているということに
軽く衝撃を受けていた。朝比奈さんはともかく、長門が携帯をいじっている姿が上手く想像できん。
 だが、二人が仲良くやっているというのは、特に長門にとって良い傾向だ。
この一年数ヶ月でこいつはかなり変化したが、やはりまだまだ他人とのコミュニケーションという点については
不充分だと思う。だからこういったサプライズには心から喜びたい。

「そちらこそ、涼宮さんはどうなさったので?」

 せっかく俺が二人仲良く電話している姿を想像して和んでいたというのに、
この男は空気を読むという言葉を知らんのだろうか。

「『先行ってて!』だとさ。何の用事かは知らん」
「そうですか。となると――」

 そう、知らん、などと言ったのは何もなければいいなぁという俺の願望に過ぎん。
そして俺の願望などあいつの権力の前にはいとも容易く砕かれるのであって、
何かを祈ったり願うことなんて無意味なんだなぁと俺はまた無気力に苛まれるのであった。

 本日は7月6日である。この日付だけを見るとなんて事はない唯の平日に思えるが、
ここで問題となるのは明日が何日か、ということだ。
去年の夏休みのようにループに陥らない限り6日の次は7日がやってくるはずであり、
それに月を足してみるとあら不思議。

「七夕だろうな」

 SOS団、特にハルヒにとって重大な意味を持つ日に成り下がる。

21: 2010/07/24(土) 21:25:42.58 ID:zLInBVzd0
「へーい、お待ち!」
「こんにちは~」

 いい加減金具を補正しないとそろそろ蹴っ飛ばされたそれがそのまま窓ガラスを突き破るんじゃないかと
疑いたくなる勢いでドアが開かれたと思うと、渦中の人物、我らがSOS団団長涼宮ハルヒの四肢と、
麗しのマイエンジェル朝比奈さんの声だけが現れた。
 声だけ、という描写はなんとも不気味であるが、それは朝比奈さんの姿が見えていないためである。
なぜ朝比奈さんの姿が見えないのかというと、それはハルヒが肩に背負っている笹の葉にカモフラージュされているからだ。

 またか、こいつは。

「今度は何処からかっぱらってきやがった」
「失礼ね、ちゃんと合法的に譲り受けてきたわよ。とにかくはい、男性陣。これ窓際に運んでくれない?
 ここまで運んでくるの大変だったんだから」

 いったい何処から譲り受けたのか、それは本当に合法的だったのか、運んで来いなんて誰もいってない、
等々つっこみたいところは山ほどあるのだが、言ってみたところでまともに取り扱ってくれないどころか
余計めんどくさい事態になるのは目に見えているので、ここは素直に従っておくことにしよう。

 古泉を一瞥すると軽く頷いて立ち上がった。やれやれ、それで、何処に置けばいいんだ?

「そうね、有希が座ってる反対側に立てかけてちょうだい」


22: 2010/07/24(土) 21:29:02.86 ID:zLInBVzd0
 この狭い部室内で笹の葉なんてものを抱えるのは大仕事で、
あげく男二人がかりだから余計手間がかかった。
いっそ一人でやったほうがまだマシだったかもしれん。心なしか、去年より一回りぐらい小さいく思えるしな。
でなきゃさすがにハルヒ一人で持ってくるのは無理か。

 俺が椅子に戻り朝比奈さんのお茶を一飲みしたところで、ハルヒがホワイトボードをバンッ!と叩いた。
演説の始まりである。もうこいつは政治家にでもなった方がいい……いや、やっぱりそれはナシだ。
世界崩壊への第一歩としか思えん。

「さ、みんなもうわかってると思うけど。明日は七夕です。
 というわけで例年通り、みんなには願い事を書いてもらうわ!」

 その例年というのは去年しかないわけだが、もうなんでもいいか。

「ただし! 今回は今すぐ書いてもらうわけじゃありません。
 今日の深夜午前0時――つまり7日になった瞬間。それをみんなで迎えたいと思います!
 それまでに、みんな願い事考えておくのよ!」
「なんだと?」
「だから、今日は解散してからもう一度集まるってことよ」
「集まるって、何処にですかぁ?」
「部室に決まってるじゃない」

 俺は盛大な溜息をついた。古泉を見ると、なんとなく苦笑しているような気がする。
朝比奈さんは呆気に取られたように口を開き、そして長門は本を置きホワイトボードを見つめていた。

24: 2010/07/24(土) 21:33:49.61 ID:zLInBVzd0
「あのなぁハルヒ、鍵はどうするつもりだ、鍵は」
「そんなものどうにでもなるわよ。なんなら合鍵でも作りに行く?」
「やめんかバカたれ。それに、仮に入れたとしてもだ。警備員だっているんだぞ?
 いくらなんでも、五人でいちゃ目立つだろう」

 SOS団のハチャメチャな活動に文句を言うつもりは今更無いが、
それにしたって俺はまだ高校生活を満喫したいぜ。

「もう! ごちゃごちゃ言わない! ……もう決めたんだからっ」

 その時ふと――この感覚をなんと表現したらいいだろうか。悲壮感? いや、少し違うか。
そう叫んだハルヒの姿が、なんとなく……そう、必氏に見えた。ダダをこねる子供のような。
それでいて、何か強い意志を持っているような。そんな感じだ。
 だから俺は、

「あー……わかった。わかったよ」

 意識よりも先に肯定してしまったのである。
 それにだな。

 たとえ古泉に小言を囁かれても、教師に頭を下げる羽目になっても、はたまた神様に天罰を下されても。

「よく言ったわ、キョン! それでこそSOS団の雑用係よ!」
「せめて団員にしてくれ」

 この百万ワットの笑顔を曇らせたくなんて無い。
 そう思ってしまう俺を、いったい誰が責められようか?

25: 2010/07/24(土) 21:39:37.14 ID:zLInBVzd0
 夜のこともあり早々に解散宣言が出された俺たちは、最前列をハルヒと朝比奈さん、
真ん中に本を読みながら歩く長門、そして最後尾を俺と古泉という恒例の組み合わせで帰宅の途についていた。
もう何も考えずにこうなってしまうのだから、習慣というものはある意味で恐ろしい。
 それにしても。

「深夜0時、部室に、か」
「どうかなさいましたか? 涼宮さんの提案としては、それなりに対応しやすいものだと思いますが」
「いや。ハルヒはどうして、わざわざこんな手間のかかるやり方をしたんだろうな?」

 あいつの内心としては、まだ入学して間もない去年の方が七夕に執着があっただろうに。
しかしながら、去年の七夕は俺のタイムリープを除いて特段ぶっ飛んだことをやった覚えもない。
もっとも、学校に笹の葉を持ってくるなんて事がそもそもアレなのかもしれんが。

「ふむ。そうですね……それはむしろ逆、なのではないでしょうか」
「逆?」
「つまりこういうことです」

 古泉は見慣れた動作で前髪を弾いた後、長くなるであろう解説を始めた。

「涼宮さんにって七夕とは、ある意味で転換期であったはずです。ジョン・スミスという、
 自らでさえ否定しそうな非常識を全面的に肯定してくれる存在に出会ったのですからね」
「おい、聞こえるぞ」
「おっと失礼。話を続けましょう。ところがその後の涼宮さんは、その"彼"に再会することも叶わず、
 あけすけに言ってしまえば荒んだ中学生活を送ることになります。
 そしてそのまま高校に入学、彼女が退屈という日常は永遠に続くかと思われた。しかしながら」

26: 2010/07/24(土) 21:42:56.18 ID:zLInBVzd0
 視界を前にやると、ハルヒは朝比奈さんを弄って遊んでいた。羨ましいな、この野郎。

「あなたが現れ、共にSOS団を創設し、彼女の高校生活はまさに充実そのもの、退屈など感じている暇すらない。
 信頼できる仲間もできた。あなたは元より、長門さん、朝比奈さん、そして及ばずながら僕も。
 加えて、佐々木さんや阪中さんといった、SOS団外部とも交流の輪が広がっています。
 今となっては、七夕に執着する必要もなければ理由もない。そこで、」
「なるほど、わかったぜ。つまりあれだな、ハルヒは七夕にケリをつけようとしているんだな」
「そういうことだと思われます。もっとも、あくまで僕の推測に過ぎませんがね」

 ふと、思う。
 もしも。ハルヒにとっての七夕が、それほど大層な意味を持たないようになったら。
昔のことを振り返ることが、今よりもっと少なくなったら。超自然的事象よりも、平凡で当たり前な幸せを尊ぶようになったら。

 その時は、あの日のことを笑って話せるだろうか。
 ジョン・スミスの名を、あいつに告げられるだろうか。

「それはともかくとして、あなたは何を願うおつもりで?」
「そんなもん、金か一軒家、それか平々凡々な日常に決まっているだろう。
 一年やそこらで願いが派手に変わってたまるか」

 俺にとってはベストな解答なのだが、どういうわけか古泉は明らかにつまらない顔をして首を振ってみせた。
 おい、この野郎。そういうお前はどうなんだよ。

「え? 僕ですか。そうですね……。僕は――」

27: 2010/07/24(土) 21:48:40.47 ID:zLInBVzd0
「そうだ、古泉くん!」

 珍しく少し焦りつつも古泉が口を開こうとしたところで、前方からハルヒが大声をあげたおかげで、
その願いとやらを聞きそびれてしまった。

「どうなさいましたか?」
「今日のことなんだけど、京子たちにも連絡しておいてくれる?」
「え……あぁ、はい。わかりました」

 というハルヒの独断により、本日の七夕イベントに佐々木団の参加も決定してしまった。とは言え、
佐々木と橘はともかくあの忌々しい藤原(仮称)の野郎は何かと理由をつけて参加しないし、
周防九曜はまちまちである。よって、結局追加されるのは今回も前者2名のみとなるだろう。

 ちなみにその周防九曜――いや天蓋領域というべきか――に対しては長門を含む情報統合思念体による
積極的なコンタクトが図られているらしいが、未だ成功と呼べる水準には達していないらしい。
まぁ俺たちが長門とコンタクトなんてレベルに到達したのも相当後だったからな、やはり異種間ではなかなか難しいさ。

 だが、不可能じゃない。
 誰よりもそれを実感しているのは俺たちだ。形式的で体面上の亀裂や衝突なんてのは、
勿論最重要項目となる場合も多々あるだろうけれど、それ以上に、
個々人間の付き合い方という点においては蚊帳の外に置かれるべきものである。

28: 2010/07/24(土) 21:51:02.41 ID:zLInBVzd0
「急に黙ってしまいましたが、どうかなされましたか?」
「ん? いや、別に。ただあれだ、最終的に効いてくるのは、
 自分がそいつをどう思っているかなんだろうな、と思ってさ」
「……なるほど。確かにそうかもしれませんね」

結局コミュニティの規模が小さくなればなるほど大切になってくるのは、
自分が相手をどう思っているのか、自分にとって相手はどういった存在なのか。
ただそれだけだ。
でなけりゃ、SOS団なんてものが今この瞬間まで存続しているはずないんだ。

そうだろう、ハルヒ。

31: 2010/07/24(土) 22:12:23.11 ID:zLInBVzd0
『第二章』



 帰宅して早々、俺の胸ポケットが振動した。俺は迅速に妹をあしらいつつ
自分の部屋へと上がり発信者を確認すると、予想通りというかなんというか、佐々木である。
こいつもこれまたベストタイミングで掛けてくる奴だ。
古泉橘経由で聞くかもしれないが、ついでだし俺から伝えておくか。

『やぁ、キョン。そろそろ帰宅する頃だと思っていたよ』

 こいつも実はエスパーなんじゃないだろうか。
それか俺の部屋に監視カメラでも仕掛けてあったり? なんてな、某氏神漫画じゃあるまいし、
一般人のしかも単なる高校生の部屋にそんなものを仕掛けるメリットなどありゃしない。

「まさに今帰宅したところだ。そして丁度いい。実は今夜なんだがな」
『その前に、ひとつ謝らせてくれたまえ。
 先日はすまなかったね、情けないところを見せた。忘れてもらえるとありがたい』
「……お前がそう言うなら、そうするとも」
『感謝しよう。それで、遮ってしまった用件はなんだい?』

 俺は簡潔に詳細を説明した。

『その件なら先ほど涼宮さん直々に頼まれたよ。こちらとしては構わない、と伝えておいた。
 ただ藤原くんは今回もパスで、周防さんは連絡が付かないのだけどね』
「橘はどうした?」
『彼女も連絡が付かないね。まぁ……そちらの神様にとって重要な日、
 その前夜祭に向けて何か準備でもしてるんじゃないかな?』

32: 2010/07/24(土) 22:16:51.25 ID:zLInBVzd0
 その割には古泉の奴は普通に学校に来ていたがな。
 あぁ、そう言えばあの後どうなったのか古泉に何も聞いてなかった。
向こうから何もアクションを起こしてこなかったということは、
特に重要視するような出来事があったわけではないのかもしれないが。

『僕の方も何も聞いていないよ。ということは、
 やはり君の言うとおり、健全な高校生らしく解散したんじゃないかな』
「それならいいさ。まぁ、何も説明出来なかったおかげで俺はハルヒに怒鳴られたんだが」
『……もしかして君は、最終的に彼らとはバラバラになってしまったと言ったのかい?』
「そうだが」

 俺の台詞に対して、電話越しでも明らかに溜息をついて呆れているというのがわかるほどの反応があった。
 なんだよ。

『つくづく君という人は……。しかしまぁ、それで何か問題があったわけじゃなかったんだろう?
 例えば彼女の閉鎖空間が発生するとか、そういった事はなかったはずだ』
「その通りだが、何故わかる」
『そういう約束だからね』
「……何がだ?」

33: 2010/07/24(土) 22:20:35.81 ID:zLInBVzd0
 しかし佐々木は俺の質問には答えることなく、話を強引に戻した。

『それよりも、今夜の件について話をしよう。北高へ行くことは構わない、いや、
 むしろ行ってみたいと常々思っていたこともあり、高ぶる好奇心を抑えることが出来ないよ。
 ただひとつ、問題がある。僕は北高の制服を持っていないということだ』
「別に普段着でいいだろう。どうせ不法侵入には変わりない」
『しかし、仮にバレた時に他校の生徒がいたとしたら余計に問題が広がるだろう?
 連れ込んだとして、君たちの処分も重くなる可能性がある。リスクは出来るだけ回避したい』

 個人的な見解としてはまずバレることはない、と思っていた。
それはハルヒの願望実現能力が作用するであろうことや、機関・情報統合思念体といった
超自然的存在が事前的処置を講ずるであろうといったことなどが予想されるからだ。

 とは言え、佐々木の言う事も最もである。最近ではハルヒの能力も減退傾向にあるらしいし、
古泉や長門からお墨付きを頂いているわけではない。加えて言えば、
これはあくまでSOS団としての行動であるから、あいつらの力を借りるのは少し躊躇いたい。
 だからここは、より現実的な対応をしておくのも悪くはない。

「わかった。その点に関しては、こっちの誰かに頼んでおくよ。二着でいいか?」
『感謝する。二着で充分さ。恐らく、残りの二人は今回も来ないだろうからね』


34: 2010/07/24(土) 22:23:36.76 ID:zLInBVzd0
 話が纏まったところで下から晩飯のコールがかかったので、俺は佐々木と軽く挨拶を交わし、
電話を切り、家族が待つ下階へと向かった。大声をあげた妹曰く、今日の夕食はハンバーグらしい。
こうやって何もしなくても衣食住が確保されている学生という身分は素晴らしいな。

 少し早めの風呂に入りつつ、制服の件を誰に頼むか考えてみた。まず朝比奈さん。数秒考えた後、
これは却下となった。佐々木と橘には大変失礼な理由となるので、それをここでは公言しない。
次にハルヒであるが、なんとなくこれも却下しておいた。深い意味も浅い意味もない。ただなんとなくに過ぎない。

 さて、そうすると長門か。あいつなら情報操作を駆使しその場であいつらの私服を
制服へと変換してくれそうな気がするが、それは2人に悪いな。風呂から上がったら電話しておくか。

 バスタオルを肩にかけたまま部屋に戻り携帯を開くと、一件の不在着信が表示されていた。マズイ、
これがハルヒだったとしたら開口一番罵声が一方的に飛び交う、と焦ったのも無意味に、
着信履歴は古泉一樹の名前を表示していた。夜に男からの電話があって喜ぶ趣味もないのだが、
まためんどくさい用事だったら敵わん。嫌々ながらも俺は電源ボタンを押した。

「……? あれ、珍しいな」

 ところが、古泉の野郎は応答しやしない。俺があいつの着信を無視したことは数知れず、
あいつが俺の電話に出なかったことは、記憶の限りではなかったはずだ。
もしかして何か非常事態か……と思ったのだが、不意に佐々木の言葉を思い出す。橘よろしく、
こいつも前夜祭の準備で忙しいのかもしれない。そもそもこれまでが不自然だったのであって、
電話を掛けたからといって必ず相手が出てくれるとは限らないのが普通である。


35: 2010/07/24(土) 22:27:21.38 ID:zLInBVzd0
 着信があったのはホンの十数分前。忙しい合間を縫って今夜の事について確認してきただけかもしれない。
春にかけて、恐らくハルヒを中心に繰り広げられる非日常の中で最も厄介な出来事は一応終結した。
それは朝比奈さん(大)のお墨付きである。ならば、ここで悪い方悪い方に考えてしまうのは精神衛生上
あまりよろしくなさそうだし、実益もなさそうだ。

 そう結論付けた俺は、どうせ夜更かしするであろう数時間後から明日のために仮眠を取ることにした。
長門には家を出る時に連絡しておけばいいだろう。それよりも、
いつもの数割増しどころか数倍増しのテンションでやってくることが規程事項であるハルヒの対策を考えると、
今は英気を養っておくべきだ。そして俺は布団を被った。

 しかし、これが間違いだったんだ。
 そう俺が気付いたのは、この数時間後、日付が変わる少し前のことである。



・・・
・・


36: 2010/07/24(土) 22:32:10.05 ID:zLInBVzd0
<Side S>



 何処まで行っても人の波が途切れることは無かった。いや、より正確に言うのであれば、
波ではなく壁である。そこに何の違いがあるのか? つまり、移動中であるか、そうでないかということだ。

 誰もが空を見上げていた。夏の少し手前、肌に触れる空気は心地良い程度なのだろうが、
いかんせん疾走した事で汗がダラダラであるし、密集度がW杯日本戦の渋谷ぐらいになっていることもあって、
とても気持ち良いとは言い難い。

「以前より随分参加者が増えたようだね」
「そうだな。一昨年来た時は、のんびりと見れるスペースがあったような気がするが」

 先程まで繋がれていた(引っ張られていたと言う方が正しい)手は、俺が呼吸を整える数秒の間に
離されていたようだ。しかし、何故こいつは息ひとつ上がっていないのだろうか。
男としては情けなさを感じるべきなのか? 普段から周囲にビックリ人間しかいないおかげで感覚がマヒしがちである。

「おや、ちょうど良くそこのベンチが空いているようだよ。座らないかい」
「……あぁ」

 注意して見なくてもすぐ見つかるような位置に、それこそ都合良くポッカリと、まるで俺たちのために
用意されたかのようにその席は誂えられていた。これだけの人がいるにもかかわらず誰も気付かないなんてことは
常識的に考えてあり得ないのだが、常識なんてものが果たしてこの世界で役に立つかと聞かれたら俺は
全力をもって否定するだろうと言うべきであって、それなら素直に座っておくのが吉である。足も疲れているしな。

37: 2010/07/24(土) 22:35:11.72 ID:zLInBVzd0
 まだまだ打ち上げられる空に咲く華。ベンチに座ってみると意識しなくても俺たちの視線に飛び込んでくる。

「やはり僕には、」
「どうした?」
「いや。……キョン、聞いてくれるかい」

 改まって言わなくても、お前が俺に何か言いたいというのなら、俺は喜んでそれを聞き入れるさ。

「ありがたい話だよ。……さて、キョン。君も当然既知のことであろうが、
 僕には涼宮さんの有する願望実現能力を受け入れるだけの器がある。そうだね?」
「そうらしいな。俺はその類の話題について古泉や長門ほど詳細を理解できているわけじゃないが、
 どいつもこいつもそう言っているんだからそうなんだろう」
「……キョン。君なりに答えて欲しい。願望実現能力とは、いったい何だと思う?」

 さて、どういう意味だろうか。単純に考えればその言葉通り願いを叶える力だろうし、実際今までそう思っていた。
事実、ハルヒが"桜が咲けばいい"と思えば桜が咲くし、挙句の果てには朝比奈さんの目からレーザーが飛んだりする。
その気になれば地球の回転さえ操作できるんじゃないだろうか。

「そうだね、多分そういうことなんだろう。でも、ふと思ったことはないだろうか。
 そんなまるで神の如き力を、たった一人の少女が許容できるのだろうかと」
「……何が言いたいんだ?」

 横を見ると佐々木の顔があった。並んで座っているんだから当然である。
 しかし、俺と目が合うことはなく、その視線はただ飛び交う花火を見つめていた。


38: 2010/07/24(土) 22:38:56.92 ID:zLInBVzd0
「思うに、願望実現能力は、それこそ神様が授けた力だ。世界を改変、
 いや、創生することさえ出来る能力。その対象が何故涼宮さんなのかはわからないし、
 何故僕が器として選ばれたのかはわからない。でもね、これだけはわかる」

 一呼吸置いたかと思うと、佐々木は顔を少しだけこちらへ向けて、こう言った。

「僕にも願望実現能力がある……いや、生まれた、と言うべきかな。器なんてものじゃない、
 本当に願いが叶う力だ。それが芽生えたのは最近の話だし、涼宮さんのような強大なものじゃない。
 せいぜい人ゴミの中で席を空けてもらう程度の微弱なものだよ。
 ……でも、それが日々強くなっていっている、そう感じる」

 眩暈がした。
 決して良い意味で、というわけではない。

「……それはマジで言っているのか」
「事実さ。こんな嘘を付く意味もなければ、その気もない。春の事件の後、そう、
 君たちと行動を共にするようになってからかな。
 やけに物事が僕の都合良く、効率良く進むような気がしたんだ。そしてある日、気付いた」

 まだ君にしか言っていないけどね、と呟き、佐々木は視線を落とした。

 一方で、俺は言葉を失っていた。ハルヒのトンデモ能力に関しては、もう疑う余地がない。
初っ端から世界をぶっ壊そうとしやがったくらいだからな。その後に生じた数々の非現実的事象も踏まえると、
少なくともこの世界には、俺の与り知らなかった、しかし何処かで夢見ていた摩訶不思議な存在がいる。
それはもうとっくの昔に認めてやったさ。


39: 2010/07/24(土) 22:41:17.01 ID:zLInBVzd0
 ただ、表があれば裏もある。SOS団の面々が有する反則的な属性とちょうど相対するような存在もまた、
この世界には存在していたのである。古泉には橘が、朝比奈さんには藤原の野郎が、長門には周防九曜が。
そして――ハルヒには佐々木が。

 八百万の神様、という文化がある。生きとし生ける者のみならず、傘や、机といった人工物にも神は宿る。
それはこの国に根付いた伝統的な考え方だ。言ってしまえば古臭く、そんなものを否定しようとは思わない。
信じる、信じない以前の問題だ。

 だが、少なくとも今、不特定多数の存在に神と呼ばれる人物が、確かに二人いる。

「……佐々木」

 かける言葉は見つからなかった。それは、佐々木がそれを認識して以来、
どういった思考を経て今に至ったのか、手に取るように理解できてしまったからだ。

「この程度で留まってくれたら……便利だな、で済むんだけどね。キョン、僕はどれだけ高説を垂れてみても、
 やはり一介の高校生に過ぎなかったようだ。もっとも、わかりきっていた事ではあったのだけど」

 佐々木は俺の袖を引っ張ったかと思うと、そのまま肩に頭を預けてきた。顔は見えないので、
こいつが今どんな表情をしているのかはわからない。
ただ、腕を経由して伝わってくる佐々木の震えだけが、妙にリアルだった。

「涼宮さんは凄いね。僕は……怖いよ」

 締めを飾る大きな花火は、見逃してしまった。

40: 2010/07/24(土) 22:44:38.09 ID:zLInBVzd0

・・
・・・



 目を覚ました時刻は、俺がアラームに設定したはずの時間より随分早かった。それは何故か、
と聞かれたら、何者かが俺の睡眠を妨げようと顔を叩いたせいである、らしい。
らしい、というのは叩かれた記憶はないのだが、まさに今頬を引っ叩こうと準備している右手が視界に入ったからだ。

 では、その右手の主とは。

「起きて」
「……長門?」

 寝惚け眼の先には、いつも通りの制服に身を包んだ長門有希の姿があった。
 何だこりゃ。

「無断で侵入したことは謝罪する。でも、緊急事態」

 その言葉で、ボケボケの脳が一気に覚醒する。何があった。

「ここで詳細を説明するには時間が惜しい。まずは現地へ向かうべき」
「現地?」
「そう、向かう先は――東中学校」

41: 2010/07/24(土) 22:47:37.71 ID:zLInBVzd0
 長門が空間転移とやらで瞬間移動した後、俺は家族に外出する旨を伝えながら上着を着、靴を履いて、
玄関の扉を開いた。そこには当たり前のように佇む長門と我が麗しの朝比奈さん、そして……佐々木の姿。

「やぁ、先刻の電話振りだね……と、ふざけている場合ではないようだ」
「何があったんだ?」
「それは長門さん、そして朝比奈さんの2人から聞いた方がいいだろう」

 視線を長門にやると、そいつはミクロ単位で頷き、振り向いて足を進めた。時間が無いんだったな、そういや。
こいつが緊急事態なんていうからにはよほどの事なんだろう。
心なしか、その歩みも早足に思える。と言うか、さっきの空間転移を使えばすぐなんじゃないか?

「現在の私が有する情報操作能力では複数人を運ぶことは出来ない。
 機関の協力が得られない今、我々は自らの足で進むしかない」
「機関と言えば、古泉はどうした? こういう問題が生じたら、真っ先に首を突っ込んできそうだが。
 それに、橘だって」
「……聞いて」

 声に含みを持たせながらもその足は止めないまま、長門は説明を開始した。

「古泉一樹・橘京子両2名がこの時空間から消失した」


42: 2010/07/24(土) 22:51:06.25 ID:zLInBVzd0
 ――長門の言葉を理解するまで数秒を要した。

 今まで散々憔悴した顔を見せながら、立てまくった氏亡フラグを次々とへし折りながら
無事に生き抜いてきたあの古泉が? 悪い冗談としか思えなかった。
一方の橘なんて、あの周囲の誰もを脱力させる能天気さからして、
そもそもこういったシリアスな問題の当事者になるタイプじゃないだろう。

 しかし、淡々と言葉を紡ぐ長門や、黙ったままでいる佐々木、
珍しく神妙な面持ちの朝比奈さんを見て、
それを悪い冗談だとかそういったことで片付けることは、とても出来そうになかった。

45: 2010/07/24(土) 22:54:04.43 ID:zLInBVzd0
『第三章』



 顔を上げると、視界の端から端までを星々の帯が繋いでいた。どれが織姫でどれか彦星なのかは
残念ながら発見できそうもないが、こんな夜なら何か奇跡みたいなことが起こってもおかしくない、そう思った。

「今から30分ほど前に確認された時空振動は、規模としてはそれほどのものでもありませんでした。
 例えば去年の大規模閉鎖空間のように、この世界を脅かすようなものではありません。
 でも、それに伴い古泉くんと橘さんの存在が一瞬にして消えてしまいました。
 恐らく、時空振動に際して発生した異次元空間に飲み込まれてしまったんだと思います」

 時空振動。それはハルヒが閉鎖空間なり何なりの能力を発動した時に観測されるらしい現象であり、ということは今回も、

「ハルヒですか……」
「はい……こんな凄いことが出来るのは涼宮さん以外にいません。目的も、理由もわからないけど」

 目的。仮に、この時期に閉鎖空間が発生したとするならば、それは予想の範囲内の出来事である。
何度も言うように七夕はハルヒにとって重要な意味を持つ日であって、落ち着いてきた今であっても、
無意識下では情緒不安定になっている可能性はある。しかしながら、今回のこれは閉鎖空間とは違うらしい。

47: 2010/07/24(土) 22:57:29.93 ID:zLInBVzd0
「古泉一樹らが言うところの閉鎖空間とは、その発生座標から拡大していく特徴を持つ情報の断絶空間を言う。
 故に、その拡大を防がなければこの世界が飲み込まれてしまう。
 しかし、当該空間は拡大する予兆を見せることもなく、ただそこに存在しているだけ」
「仮にだぞ。放っておいたとしたら、どうなるんだ?」
「何もない。この異次元空間は、パラレルに存在するいくつもの世界とのちょうど狭間に生成されている。
 この世界や、他の平行世界に何らの影響を及ぼすこともない」

 一応安心できるとは言え、あの2人が囚われの身である以上、無視するわけにもいかん。やれやれ、
こう言うのは古泉の専門分野じゃなかったのかよ。普段はやれ自分もタイムリープさせろとかぼやいているくせに、
肝心な時に姿を現さないどころかピー○姫状態である。

 それにしても、まさか今更になってこんな大事件が発生するとは思ってもいなかったぜ。
最近は極めて安定傾向にあったからな、油断していたのかもしれん。だがそれを除いても、
これに関してはハルヒの意図がさっぱりわからんぜ。まぁおそらくお得意の無意識なんだろうが、
それにしたって何で古泉と橘を閉じ込める必要がある。
どっちも今夜呼び出しているくせに、自分の計画を破綻させたいのか?

「ふむ……」
「どうした、佐々木」
「いや。涼宮さんが何をしようとしているのか考えてみたんだがね、さっぱりだよ。
 やはり僕には彼女になり切るなんて事は出来ないようだ」

 そりゃそうだし、そうなってしまったら困る。ハルヒが2人なんて状況になったら、
俺の心の平穏が完全に崩壊するどころか、朝比奈さんや古泉辺りが再起不能の状況に陥りそうだぜ。


49: 2010/07/24(土) 23:02:10.06 ID:zLInBVzd0
「そうは言うけどね、キョン。おそらくこの中で最も彼女の思考を読み取れるであろう人物は、僕なんだよ」
「……そうなのか?」
「あぁ。能力の面で見ても、精神的な観点から見てもね」

 出来なかったけどね、と佐々木は苦笑してみせた。そこにはいつもの余裕綽々な様子は微塵も感じられない。

「ただ、別の点でひとつ気になっていることがある」
「何だ?」
「君には言ったと思うが、夕方頃だったかな。橘さんに連絡が付かなかった、という話さ。
 実は彼女が僕の電話に出なかったのは今日が初めてでね。
 今にして思えば、多少不可思議ではあった」

 ――それを聞いて思い出した。仮眠なんかとったせいですっかり忘れていたが、
その直前に古泉からの不在着信があったんだった。平和ボケを考慮したって、もう少し考えてやるべきだったか。

「ならば、その時点で何事か彼らの身に生じていたことは間違いないと思われる。
 古泉一樹から電話があったのはいつ?」
「多分7時くらいだな」
「……異次元空間の発生が確認されたのは、午後10時03分28秒。
 その間については、少なくともこちらは何も把握していない」
「私も、何も起こっていないと思っていました。未来からの指示も、特に……」
「……空白の3時間か」


50: 2010/07/24(土) 23:06:32.46 ID:zLInBVzd0
 考えれば考えるほどわからない。あの2人に何があったのか、
ハルヒは何のためにあの2人をこの世界から連れ去ったのか、それに何の意味があるのか。
パズルのピースは揃っているようで、四つ角が足りない感じだ。合いそうで合わない。
 何だ、何が足りないんだ。

「キョン、もうすぐつくよ」

 思考の海を漂っていた俺を、佐々木の言葉が現実に引き戻す。気付けば東中はもう目と鼻の先にあった。
そんなに歩いた覚えはないんだがな、これだけの集中力を勉学の側面でも見せることが出来れば、
俺の成績だって谷口とイーブンなんて悲惨な状況にはならないだろうに。

「興味と真剣さの差だよ。君にとって勉強はそれほど大切なものじゃないんだろう。だが、SOS団……いや、
 仲間というべきかな。それらはかけがえのないものだという事さ。願わくば、そこに僕も含まれていて欲しいものだね」
「何言ってるんだ、そんなの願うまでもなく当たり前だろう」

 お前だけじゃない。長門も、朝比奈さんも古泉も、言いたかないがハルヒも。橘や周防、
不本意ながら藤原だって加えてやってもいい。俺はお前らとそんなに上っ面の付き合いをしてきた覚えはないぜ。
これから先も、な。

「……嬉しい限りだね」
「私も、私もです!」
「以下同文」



51: 2010/07/24(土) 23:10:29.57 ID:zLInBVzd0
 正門の真ん前で、奇妙な会話が繰り広げられる。いや、青春のど真ん中にいる高校生の会話としてみれば
不自然とは言い切れないのだが、如何せん気恥ずかしいな。
こういうのはもっと危機的状況に陥ってから遺言チックに伝えるべきだ。

「これが危機的状況ではないとでも?」
「あぁ、思わないな。あいつらを助け出すことは必ず出来るし、真相を明らかにすることもできる。
 それだけの日々は過ごしてきたし、それだけのメンツは揃っているさ」
「ふむ。何故だろうね。根拠も何もないのに、君の言葉なら信じられる。
 もしかして、それが君の能力なんじゃないかな? なんてね。……さぁ、行こうか」



 以前子供ハルヒと訪れた時のように原始的で犯罪チックな侵入方法に手を染めることもなく、
長門が情報操作によって施錠を解除し、俺たちは警備員に見つからないよう気をつけながら
その小さな背中についていった。一応例の不可視フィールドだかをかけてもらっているから、
心配する必要もないんだがな。なんとなく、気分の問題だ。

「ねぇ、キョンくん」

 校舎の角を曲がったあたりで、朝比奈さんが声を潜めつつ話しかけてきた。


53: 2010/07/24(土) 23:14:35.18 ID:zLInBVzd0
「古泉くんから、何か聞いてなかった?」
「何か、とは」
「最近機関で問題があったとか……」

 ううむ、そう言われても何もないな。というか、あいつの個人的な話を聞いたことは殆どないような気がする。
そういえば住んでいる家の場所も知らない。もう一年半もの付き合いになるのに、なんてこったい。

「そっか……」
「すいません」
「ううん、気にしないで。もし話してるとしたらキョンくんだろうな、って思っただけだから」
「何故ですか?」
「それは……」

 特に意味を込めて放ったわけでもない疑問だったのだが、朝比奈さんは顔を伏せて黙りこくってしまった。
 え、地雷踏んだ? あれ?

「涼宮ハルヒを中心に集結した組織団体には、決して相容れない利害があるため。
 我々情報統合思念体も、そう。
 互いの情報も必要最低限しか提供しない。現状も手を組んでいるわけではなく、冷戦状態にある」

 その朝比奈さんに代わって、長門が言葉を引き継いだ。
いつだったか、部室はあらゆる超自然的能力がせめぎ合ってカオス状態になっていると古泉が言っていた。
それは部室というひとつの空間に留まることなく、いやむしろその外部でこそ広がっていたのかもしれない。


54: 2010/07/24(土) 23:18:06.12 ID:zLInBVzd0
 三つ巴。思い返せば機関と、未来人組織と、そして思念体は、目的も違えば理念も異なる。
ハルヒという存在の捉え方も。ただ、目的を達成するための手段がハルヒであって、
互いが互いを牽制しあい下手に衝突することも出来ないから、停滞している。そんな感じか。

「そう……なんです。私個人が古泉くんに含むところがあるわけじゃありません。
 でも、私はやっぱり私の属する未来を守るためにここにきているから……」

 朝比奈さんは言う。
 初期の頃といえば、古泉がどんなに奮闘していたって長門は観測の名の下に一切協力していなかった。
他方で朝比奈さんも、古泉をあまり信用するな、と言った事もあった気がする。
そして古泉だって、2人に関しては何かに付けてトゲトゲした物言いをしていたな。

 だけど。

「いいんじゃないですか? 俺だって機関や未来人組織、思念体を全面的に信用しているわけじゃありません。
 でも、今こうして古泉と橘を助けるために集まっています。動機はどうあれ、ね。
 だから朝比奈さんが気に病むことなんてないですよ」

55: 2010/07/24(土) 23:21:37.79 ID:zLInBVzd0
 本当は、たぶん。
 俺たちはSOS団っていう奇妙奇天烈な団体で繋がっているんだ。より正確に述べるのであれば、
ハルヒを軸として。何せあの古泉だって一度だけ捨て身の覚悟で協力するって言ってたからな。
とは言え、表面上は対立してる。上の方では一触即発状態。下手に動くわけにはいかないんだろう。

「キョンくん……。うん、ありがとう」

 それでもいい。その所属団体は別としても、俺はこいつらのことを信じている。
そして、きっとこいつらも俺のことを信じてくれている。それでいいだろ。他に何を求めるっていうんだ?

「やれやれ。キョン、君は少し言葉に気をつけた方がいい。
 僕と涼宮さんの苦労も考えてくれたまえ」
「……? 何の話だ?」
「なんでもないさ。ねぇ長門さん、あなたもそう思うでしょ?」
「……思念体は、あなた達の心労を考えると深い同情を禁じえないと結論付けた」
「くつくつ……。ホントよね、まったく」

 なんだかよくわからんが、酷く非難されている気がするが、まぁいい。どうせ考えたってわからないんだろうし、
聞いたって教えてくれないんだろう。それより今は古泉と橘を何とかすることが先決である。

「ところで長門、何処に向かっているんだ?」

 中学校といえど結構な広さがあるのだが、淀みない足取りから考えるに、
こいつは明確な目的地を持って進んでいるように思える。まぁだいたい予想はつくんだがな。


56: 2010/07/24(土) 23:24:39.53 ID:zLInBVzd0
「もう少し」

 長門はこちらをチラっと見るとそう言った。小さい頃よく親とドライブする際にこれと似たような会話が
繰り広げられた気がするのだが、大体あと何分くらいとか目安も言わないのは何でなんだろうかね。

 数分後、俺たちはだだっ広いグラウンドに立っていた。そこはかつてハルヒ(むしろ俺)によって
巨大な宇宙文字が描かれたその場所であり、谷口の話だと地方新聞にも載ったらしい。
俺の時間軸ではあれを書いたのはちょうど一年前なんだよな。なんだか随分前のことのように思える。

 思えば、朝比奈さんと一緒に時間跳躍をしたのはあの時が初めてである。
よもや現時間軸上でこの場所を訪れる事になるとは思わなかったぜ。というか、
もう二度と来ないものだと思っていた。

 そのままさらに歩き続けたが、不意に長門は足を止めてこっちを振り向いた。記憶の限りで、
確かここはあの幾何学模様のちょうど中心点に位置していたはずだ。何せ肉体労働をしたのは俺だからな、
間違いないだろう。

「ここ」
「……凄いね、これは」

 長門が指差したそこを見つめて、佐々木が呟いた。


57: 2010/07/24(土) 23:29:11.35 ID:zLInBVzd0
「そうなのか?」
「あぁ。次元の裂け目、といえばいいのかな。まさに空間を切ったような状態になっている。
 もっとも、僕にはこの程度まで近づいてかつ集中しないと認識することは出来ないけどね」

 ふと、以前古泉に連れて行かれた閉鎖空間を思い出した。あの時俺にはまったく確認できなかったし、
当然今回もさっぱりだ。指先のその先を注意深く観察しても地面しか見えん。残念に思うべきなのかはわからないが。
 それはともかくとして、長門。どうやって入るんだ?

「……」

 長門は数秒沈黙したかと思うと、例の如く超高速詠唱を始めたかと思うと右手を伸ばし、
その次元断層があるらしい場所へ触れた。しかしながら次の瞬間、バチッと火花が散ったかと思うと、
長門の指先が焼け爛れたようにボロボロになっていた。

「おい、大丈夫か!?」
「ななな長門さん!」
「だいじょうぶ。でも……」

 振り向いたその表情は、俺の見間違いじゃなければ、悲壮感と情けなさが入り混じっていたように見えた。

「入る手段は、ない」

 空気が凍てついた。ちょうどパソコンがフリーズするような感じだ。

60: 2010/07/24(土) 23:34:08.97 ID:zLInBVzd0
「……それはマジで言っているのか」
「異次元の空間へと介入する術を持つのは、この世界では古泉一樹や橘京子ら、
 涼宮ハルヒに超能力者として認められた存在、あるいは涼宮ハルヒ本人に限られる。
 ましてやこの空間は、通常の閉鎖空間と比して外部からの侵入を特に拒絶する。
 思念体の情報操作が及ぶ領域ではない」
「つまり?」
「……私にはどうすることも出来ない。ごめんなさい」

 俯きながらそう呟く。爛れたはずの右手はいつの間にか再生していた。
 万事休す、絶体絶命などなど、もはやどうしようもない時に発すべき単語の数々が脳裏をよぎったが、
即座に追い出した。長門が謝るようなことじゃない。謝るべきなのはむしろ俺である。あの冬、あの病室で、
俺が力になるだとか何だとか調子良いことを豪語しといて、結局その後も長門頼りだった。
 これはそのツケだ。

「だから謝るな。必ず、必ず何か方法はある」
「……そう」

 どうしたら、どうしたらいい。情けないことに俺には何の力もない。
だからといって丸投げすることは出来ない、というかしたくない。
これまでだって崖っぷちの危機をみんなで何度も乗り越えてきたんだ。だったら今回もなんとかなるに決まっている。

 他の機関員に頼んでみたらどうだ? ……いや、そもそも他の機関員の連絡先なんて知らん。
朝比奈さんは専門外、同様の理由で藤原も無し。なら天蓋領域は?
しかし長門で不可能だったことを周防に出来るとは思えない。春の事件では思念体に軍パイが上がったわけだし。

 ……クソッ! 何かないのかよ!


61: 2010/07/24(土) 23:38:19.08 ID:zLInBVzd0
「長門さん」
「何?」

 俺が自分の不甲斐無さに辟易していると、しばらく黙っていた佐々木が一歩踏み出た。

「この空間、涼宮さんなら入れるのよね?」
「そう。当該異次元空間を使役する権利は涼宮ハルヒにある。創生した本人なら至極当然のこと」
「だよね……。うん、わかった。ちょっと、どいていてくれるかな?」

 すると佐々木は一瞬だけ俺の方を見てから、恐る恐る手を伸ばす。止めようとしたのだが、
何故か声が出なかった。あいつの目が止めるなと言っているような気がしたんだ。
そしてその手が断層に触れたかと思うと、さっきと同様火花が――散らなかった。ただ、
弾かれたように大きく身体を揺らす。俺は咄嗟に、倒れそうによろめいたその背中を支えた。

「……ダメなのか。すまない、キョン。
 先日はああ言ったが、こうなると自身の中途半端な能力が情けないね」
「お前が謝ることでもないさ。情けなさのレベルなら俺の方が数段上だぜ。
 自分で言ってて悲しくなるがな」

 俺の言葉に軽く微笑んだ佐々木は、腕に捕まりながら身体を立て直した。
足がフラついているように見えるが、どうやら大丈夫そうだ。長門と違ってこいつは修復できないからな、
怪我したら一大事だったぜ。おっと、一応言っておくが修復できるからといって
長門が怪我してもいいなんて微塵も思っていないぞ。

77: 2010/07/25(日) 05:54:15.12 ID:l5P63f4L0
 しかしてその長門はというと、

「……いつから?」

 朝比奈さんと一緒に呆気にとられていた。

「やっぱり、わかっちゃったのかな」
「今の反応は涼宮ハルヒの願望実現能力と酷似していた」
「そっか……。黙っててごめんなさい。私が自分自身の能力を自覚したのは、
 あなた達との一件があって一ヶ月ほど経ってからよ。
 それから徐々に徐々に発芽してくるように、能力は強くなっていったわ。
 多分、もっと時間が経てば、もっと強くなると思う」
「ふぇぇ……でもでも、今まで佐々木さんの能力の発動を観測したことはありません」
「隠していましたから。バレないように、願ったんです」

 佐々木は淡々と語る。さもそれが当然の事であるかのように、そうなければ間違っているかのように。
かつて古泉はハルヒを神と呼んだ。
もしもハルヒが神様であれば同等の能力を有する佐々木も神様ってことになる。

 なら、佐々木やハルヒが正しいと思っていることが、この世界においては正しいのだろうか。
というか、神様って何だよ。と思えば、ある時は「時間の歪み」で、「進化の可能性」で。
どいつもこいつも勝手な事言いやがって、統一してくれ。

78: 2010/07/25(日) 06:05:05.25 ID:l5P63f4L0
「……思念体は困惑している。あなたのそれは涼宮ハルヒと同じく、
 無から有を発生させる情報創造能力に相違ない。
 私がそれを認知した現在では正確に観測できている」
「もう隠す必要もないからね。とは言え、涼宮さんには遠く及ばなかったけど。役に立てなくてごめんなさい」
「おいおい、それはナシって決まっただろ」
「そうだったね、すまない」

 佐々木の覚醒が周知されたことで、今後また何かしらの動きがあるんだろうか。
あるんだろうな。せっかく築いた一歩もなかったことにされるんだろうか。
機関と組織の対立。思念体と天蓋領域の対立。未来人組織の対立。
有耶無耶にしてきた問題は山積していて、いったい何から手を付ければいいのかわからない。
 誰も悪いわけじゃないのに。

「しかし、僕でも手出しできないとなると、いよいよ打開策が無くなってしまったね。
 これでも最後の手段、ジョーカーだと思っていたのだけれど」

 確かに佐々木の言うとおりである。今後の事は一先ず置いておくとしても、
現状を突破する手段がない。とうとう手詰まりになってしまった。
 誰一人としてOBでなければOGでもない中学校のグラウンド、そのど真ん中で立ち往生する高校生4人。
傍から見なくても滑稽で、通りすがりの誰かさんに通報されても文句ひとつ言えやしないぜ。


79: 2010/07/25(日) 06:13:58.07 ID:l5P63f4L0
 沈黙が痛かった。少し風が出てきたらしく、目のそばを砂埃が舞う。
朝比奈さんが靡く髪の毛を抑えた。
次元の断層を悔しげに見つめたまま、誰も言葉を発しない。

 今、何時なんだろうか。そろそろ北高に向かわなければ、
ハルヒがまた閉鎖空間を発生させてしまうやもしれん。
古泉がいない今、機関の戦闘力はどれほど落ちるのだろう。

 突風が吹いた。咄嗟に目頭を手で覆う。

 空気を切り裂く音が煩くて、俺たちの誰も。

 背後から近づいてくる足音に気付いていなかった。

105: 2010/07/25(日) 19:35:31.22 ID:l5P63f4L0

109: 2010/07/25(日) 20:07:59.38 ID:l5P63f4L0
 沈黙が痛かった。少し風が出てきたらしく、目のそばを砂埃が舞う。
朝比奈さんが靡く髪の毛を抑えた。
次元の断層を悔しげに見つめたまま、誰も言葉を発しない。

 今、何時なんだろうか。そろそろ北高に向かわなければ、
ハルヒがまた閉鎖空間を発生させてしまうやもしれん。
古泉がいない今、機関の戦闘力はどれほど落ちるのだろう。

 突風が吹いた。咄嗟に目頭を手で覆う。
 空気を切り裂く音が煩くて、俺たちの誰も。

 背後から近づいてくる足音に気付いていなかった。

「あんた達、こんなところで何してんの?」

 右耳から左耳へと流れていきそうだったその言葉を何とか留めた俺は、まず幻聴を疑い、
次に振り向いて自分の目を疑い、そして現実を疑った。
しかし一連の行動はすべて空振りに終わり、三者凡退、
突きつけられた現実に「どうして予想できなかった」と自分自身を呪った。

「ハルヒ……。お前こそ、こんなところで何してんだ」



110: 2010/07/25(日) 20:11:23.15 ID:l5P63f4L0
 深夜にもかかわらず、そいつは制服を着ていた。鞄を持っていないところを見ると、
部室へ向かう前の寄り道ってところだろうか。

「別に。一応こんなんでもあたしの母校だしね、
 来ておかしいもんでもないでしょ」
「そういう訪問は深夜にやるもんじゃないだろ」
「煩いわね、ここには色々あるのよ」

 冷や汗が背筋を貫く。ついでに額からも嫌な汗が湧き出てきた。

 ハルヒへの言い訳などこれっぽっちも考えていない。そりゃそうだろう、これだけドタバタしてる中、
よもやこいつに会うことがあろうと誰が考えるだろうか。その証拠に、長門も、朝比奈さんも、
珍しい事に佐々木も絶句していた。こいつのこんな顔を見るのは今回が初めてで、そして最後になるだろうね。

 なんて冷静に周囲を分析してる場合じゃない。何故だか知らんがさっきまでの八方塞とは
別の絶望感がヒシヒシと伝わってくる。どうやら誰も頼れそうにない。
まぁ元々ハルヒへの言い訳やら何やらは俺の役目で、それを放棄するつもりは毛頭ないがな。

「……なーんてね」

 と気合を入れたのだが、ハルヒの悟ったような柔らかな表情に顎が抜けた。
 何だこれは。


111: 2010/07/25(日) 20:15:03.72 ID:l5P63f4L0
「もう七夕まで時間ないんだから、さっさと片付けるわよ」
「……何の話だ?」
「決まってるじゃない。古泉くんと京子を助けに行かなきゃ」

 抜けた顎がさらに下降し、もうこのまま口を閉じれなくなるんじゃないだろうかと
我が身を心配した。なんてくだらない上につまらん冗談をモノローグしてる場合じゃない。

今、ハルヒは何て言った? 古泉と橘を助ける?
確かにそれは最優先事項である。何なら過酷な肉体労働をしてやってもいい。
例えば先輩が所有する山の頂まで登って穴掘りとかな。
それで何とかできるんなら何でもやってやるさ。しかしだな。

 何でこいつがそれを知っているんだ。おかしいだろ、おい。

「何で知ってるんだ、って顔してるわね」

 俺をマジマジと見ながら、ハルヒはニヤニヤと笑った。

113: 2010/07/25(日) 20:17:05.47 ID:l5P63f4L0
「……」
「ゴメンね、有希。
 色々聞きたいことはあるってわかってるけど、それは全部あとで」
「…………了解した」

 ゆっくりと、ハルヒは俺たちを横目に歩きながら断層の真ん前に立つと、両手を翳した。
すると呼応するように、その指先から光が漏れる。
粒子のひとつひとつが意思を持っているかのように瞬き、俺たちの周囲を舞い、そして。

 俺がハルヒの肩を掴んだのと、視界が暗転したのは、ほぼ同時だった。

114: 2010/07/25(日) 20:20:16.14 ID:l5P63f4L0
『第四章』



<Side T>



 気まずい。そう古泉一樹は思っていた。彼ら二人が人波の中に消えてから僅か
5分ほどしか経過していないにもかかわらず、話題は既に枯渇していた。
機関の訓練では学問的知識のみならず、コミュニケーション能力など対人関係に
支障をきたさないようなスキルを叩き込まれた。
すべては涼宮ハルヒを頂点とした、この世界の構造を守り続けるためである。

 にもかかわらず、喋る言葉が思いつかずにいた。それも当然といえば当然である。
SOS団という仕事の一環としての活動ではなく、今回のこれは完全なるプライベート。
そこに涼宮ハルヒの姿は無い。
そんな中で、敵対勢力の幹部である橘京子と話す話題などあるはずがない。そう思っていた。

「……あの、古泉さん」
「なんでしょう」
「少し移動しませんか? 道の真ん中で立ち尽くしているのは周りの人達に迷惑なのです」

 酷く当然のことを目の前の女に先に言われ、古泉一樹は軽くショックを受ける。
自分が狼狽していることに気付いてしまったからだ。情けない。


116: 2010/07/25(日) 20:24:14.01 ID:l5P63f4L0
 しかし、それを悟られてはいけない。
 鍛え上げた隙のない笑顔を絶やさず、同意する。

「そうですね。道をひとつ外れたら多少余裕がありそうなので、そちらはどうですか?」
「はいっ」

 喧騒から少し遠ざかる。しかし、この位置からでも打ち上げられる花火を見ることは出来るようで、
無意識にホッとする。そして、それがまた古泉一樹を悩ませた。

 先刻、彼に言ったことは嘘ではない。自分はこの状況を素直に楽しいと感じていて、
そして橘京子その人自身について言えば、決して悪い感情を抱いているわけじゃない。ただ、
機関員としての立場を考える時、それすらも自己嫌悪の対象となってしまうのである。

「綺麗なのです、本当に」
「えぇ、まったくです」
「……こうやって2人で話すのは初めてですね。
 あなた達と共に行動する機会は何度もあったのに」

 何の前触れもなく、橘京子は古泉一樹にとってあまり触れて欲しくなかった話題を振ってくる。


117: 2010/07/25(日) 20:28:12.46 ID:l5P63f4L0
「それは……仕方ないでしょう。僕らが和気藹々としていると、
 こちらとそちらの均衡が崩れる可能性がある。
 つかず、離れずにいるように、あなたも命じられているのでは?」
「はい。世界の平穏を保ちたいのは、組織も同じなのです。
 そちらの神様に刺激を与えないよう、細心の注意を払うよう命令されています」
「ならば、それでいいではありませんか。利害は一致しています」
「でも……でもでもっ!」

 橘京子は顔を逸らし頬を膨らませたかと思うと、

「佐々木さんも涼宮さんも、そんなの望んでないのです……」

 小さく呟いた。

 古泉一樹も以前からそれには気付いており、懸念材料のひとつとしていた。
しかし上層部は現状維持を優先。現実として、
閉鎖空間が発生するなど世界に影響を与えるような事象は発生していないのであるから、
それもまた当然の選択といえる。保守的と言われればそうなのかもしれないが、
ならば革新的な選択をすることにより世界崩壊の危機を招いたら?

 誰も責任をとるつもりはないし、そもそも終わった世界に責任などない。

「このままじゃ……」
「なんです?」


118: 2010/07/25(日) 20:31:38.85 ID:l5P63f4L0
 数秒後、意を決したかのように、橘京子がこちらへ向き直った。
 その瞳には普段見せるあどけない光はなく、むしろ、毎朝鏡で見る自身のそれと同じ色をしていた。

「ここから先はオフレコなのですっ」
「はい?」
「佐々木さんが願望実現能力の片鱗を覗かせています。まだ、
 涼宮さんほど大規模に影響を及ぼすことは出来ないですけど……。
 際限なく拡大しているのです」

 全身に電撃が走る、とはこのような感覚を言うのだろうか。
彼女にその器があることはわかっていた。勿論、頭の固い上層部はそれを認めようとはしないけれど。
涼宮ハルヒに超能力者として選ばれた、自分だからわかる。異能の力を持つものだけが纏う、特殊な空気。

 しかし、それはあくまで器に過ぎず、能力を行使することはできない。
 それが機関に属する超能力者たちの結論だったはずだ。

「そんなバカな……」
「事実なのです。佐々木さんの最も傍にいる私だけが、それに気付いているはずです。
 何も言ってくれませんし、そもそもまだ本人も気付いていないのかもしれません。
 でも、わかってしまうのだから仕方ないのですっ」


119: 2010/07/25(日) 20:35:20.23 ID:l5P63f4L0
 わかってしまうのだから仕方ない――。
 いつだったか。まだ入学当初、まったく同じ言葉を彼に言ったことがある、と記憶が反応する。
だからこそ、橘京子が真実を述べていると確信してしまった。
彼女らに選ばれた超能力者は、その能力の性質上、彼女らの精神と深くリンクせざるを得ない。
その精神の揺れ動きに、敏感になるのである。

「……」

 言葉が出なかった。普段はあれほど饒舌に話せるというのに、今日の自分はどうしたというのだろうか。
 しかし、それも至極当然のこと。彼女に願望実現能力が宿ったとすると、
涼宮ハルヒを絶対神と崇め確立された機関のシステムが根本から否定されることになる。
自分は少なからず、機関に愛着を持っている。それこそSOS団と同じくらいに。
簡単に処理できるはずがない。

「だから。聞いてください、古泉さん」
「……はい」

 すると彼女は大きく息を吸い込む仕草を見せ、

「機関と私たちの組織、協力しませんか」

 そう、悲痛な響きで零した。


・・
・・・

120: 2010/07/25(日) 20:39:41.02 ID:l5P63f4L0
 次に意識を取り戻した時、俺は地球と触れ合う感覚を失っていた。何故だろうか。
単純な話である。俺の身体が宙を舞っているからだ。
視線の先には漆黒の夜空と、煌びやかな星々のレール。……星だって?

 ドスン、と鈍い音が聞こえた。背中が地面に叩きつけられた音である。

「いっ……てぇな!」

 誰が聞いているわけでもないのに叫ぶ。そんなに高いところから落ちたのだろうか?
というか、なんで俺は落ちていたんだ。どうせならもう少し優しく連れてきてくれたっていいだろうが。
団長なら団員の健康くらい考えろよ。

 さて、恐らくハルヒが異次元空間への道を開いたのであろう、ということはわかる。
だから、今俺が落ちたこの空間こそがその異次元空間のはずだ。
見上げると天の川があった。決して灰色の夜空ではない。
よって、長門が言っていた通りここは閉鎖空間ではないのだろう。

 なら何だよ、と聞かれても困るがな。それこそハルヒに聞いてくれ。

「どんくさいわね、受け身くらいとりなさいよ」

 精一杯皮肉を込めた声を投げかけてきたのは、まさに涼宮ハルヒその人である。

122: 2010/07/25(日) 21:01:16.50 ID:l5P63f4L0
「……もっと丁重に扱えよ。というか、他の奴らはどうした?」
「まだ慣れてないんだから仕方ないじゃない。みんなは他の座標に着地したはずよ。
 ちょっと……失敗しちゃって。やっぱり大人数は難しいわ」

 朝比奈さんや長門が好んで使うような単語がこいつの口から自然に出てくることに
不自然さを感じずにいられない。まだ慣れてないって、いつから自覚してたんだよ?

「まずはみんなを探しましょ。
 古泉くんと京子を見つけられたらベストだけど、そう上手くはいかないかしらねぇ」

 そう言ってハルヒは歩き出したので今は話す気はないのかと思いきや、ポツリポツリと呟き始めた。
 その視線は先にある旧校舎を見つめている。

「5月の終わりくらいだったかしらね……。佐々木や京子たちと一緒に行動するようになってからよ。
 っていうか佐々木ね。なんか不思議な感じがしたのよ、変だなって」
「そりゃあ、口調を抜きにしてもあいつは普通とは言い難いだろ」
「誰が見てくれの話をしてるのよ。こう、上手く言えないんだけど……。
 会話をしなくても、相手の言いたい事がわかるような。よくわかんないわ」

123: 2010/07/25(日) 21:05:18.74 ID:l5P63f4L0
 俺もさっぱりわからん。

「とにかく、佐々木は何か違うな、みたいな。そんなある日、
 一人で街をフラフラしてたのよ。何か不思議が落ちてないかなーって」

 こいつは入学当初も一人不思議探索をやってたっけな。もっとも、
あの頃とは精神の向きが180度異なった上での行動なんだろうが。
要するにただの暇つぶしである。結局こいつは不思議云々なんてわりとどうでもよくて、
ただ単にみんなで楽しくワイワイやりたいだけなんだからな。
そして、それが悪いなんてこれっぽっちも思わないさ。むしろ大歓迎だ。

「その時、ふと思ったの」
「何を?」
「『佐々木に偶然あったりしないかな』って。
 そう思った直後に本当に会うんだもん、ビックリしたわ」

 願望実現能力は、それこそ気に入らない世界なんてぶっ壊れてしまえなんていう
排他的な願望から、人ゴミの中でベンチが空いていたらいいとかいう何気ない願望まで、
上限も下限もない、らしい。
誰も説明してくれないから詳しくはわからんが、この1年半程度を踏まえるとそんな感じに思える。

125: 2010/07/25(日) 21:10:18.73 ID:l5P63f4L0
 つまり、ハルヒの中で意識的にでも無意識にせよ、俺たちの知らないところで
「こうだったらいいな」と考えたのはこれまで何度もあったことだろう。
そして、こいつが認識できていたかは別として、おそらくその全てが叶ってきた。

「で、思った。『そういえば、今までもこういう偶然、よくあった気がする』」

 だから、気付くきっかけなんてものはいくらでもあったんだよ。
例えば雪山の遭難事件。ハルヒはあれを本当に全部夢で片付けていたのか?
それについては俺も懐疑心を抱いてた。
勘の鋭いこいつが、果たして夢ってことで全て良しとするだろうか、と。

「振り返ってみると、おかしな事っていっぱいあったのよね。
 桜が咲いたらいいな、って思ったら桜が咲いた。
 みんなの行動や言動だって、思い返せば不自然な事だらけだわ。
 後は実験してみて、確信しちゃった」

 答えはいつもこいつの中にあった。
導火線には、既に火がついていたんだ。

「実験って?」
「簡単よ。『こうなって欲しい』って思って、本当にそうなったら、
 あたしの理屈は正しい。それだけ」
「……そうか」


127: 2010/07/25(日) 21:16:14.50 ID:l5P63f4L0
「でもね、そのせいで色々弊害も生まれちゃったのよ」

 例えば何だよ。

「まず、コントロールが上手く出来ないわ。
 発動しないようにするのはそんなに難しくないんだけど、まだ思い通りに活用できないわね。
 あと、あんた達にどう接すればいいのかわからなかった」
「普段通りでいいだろ……って、それが難しいのか」
「そうよ。あと、これが一番困ってるんだけど……」

 しかしハルヒが台詞を続けようとした瞬間、ターンッという聞き慣れているんだか慣れていないんだか
よくわからん音が木霊した。断言してもいいが、俺みたいな凡人一般人が日常的に耳にしていていい音じゃない。
ただ、それはドラマやら映画やらでは積極的に使われているもので、誰もが知識としては存在を知っているもの。

 銃声じゃねぇのか、今の。

「おいハルヒ!!」
「ちょっと待って! ……たぶん、グラウンドの方よ!」

 俺は咄嗟にハルヒの手を掴んで、暫定的目的地であった旧校舎を通り抜け、
いつも野球部やサッカー部が練習している青春の舞台へと駆け出した。
騒がしくも微笑ましい歓声は姿を見せず、代わりに聞こえてくるのは、連続した鉄の声と、
聞き覚えがなくもない冷徹な響きだけだった。

 どうか、そうであらないで欲しい。俺の想像しているものとは違っていて欲しい。
 握り締めた手をきつく強く握り締めながら、俺の視界に飛び込んできたのは。


129: 2010/07/25(日) 21:21:25.85 ID:l5P63f4L0
「古泉いいいいいいいいいいいいいいい!」
「……な!? 撃ち方やめ! やめなさい、『鍵』の少年よ!」

 我武者羅に身を投げたおかげで受け身を取ることもできないまま、
俺に吹っ飛ばされた古泉ともどもグラウンドに倒れこんだ。
履いていたズボンが擦り切れ、膝から血が滲む。だがこんなもの痛くもなんともないぜ。
何せ俺の目の前にいる副団長さんは、膝どころか全身の至る所から血を流しているんだからな。

 視線を後方にやると、ハルヒが駆けてきていた。古泉に飛び掛ったのと
同時に後ろに倒したような気がするが、無意識だったからな。無事でよかった。

「おい古泉!」
「古泉くん、立ちなさい!」
「え……なぜ涼宮さんが」
「ごちゃごちゃ言ってないで早くこっちに来るの!」

 スーツに身を包んだ年齢不詳の元メイドさんと彼女が率いる小団体が呆気に取られている隙に、
俺とハルヒは古泉を抱え校舎へと走った。痛そうに呻くそいつは見ているだけで辛いが、
せめてもう少しだけ耐えてもらわなきゃならん。

130: 2010/07/25(日) 21:24:58.47 ID:l5P63f4L0
 向かう先は旧校舎の、我らが本拠地、元文芸部室――ではない。
そんなわかりやすい場所に行ってちゃすぐに見つかるだろうからな、
とハルヒが機転を利かせたと聞いたのは後日のことであった。
壁伝いに迂回して、校舎裏の茂みに隠れる。古泉は木にもたれかかりながら息を荒げていた。

「……古泉くん、ちょっと待ってね」
「涼宮さん……?」

 ハルヒが古泉の肩に手をやると、目を瞑って何やら呟いた。するとどうだろう、
血が流れていた箇所が制服ごと徐々に塞がっていくではないか。
しかし、その再生は完治するか否かぐらいのところで止まってしまった。

「この空間じゃ、これが限界ね……ゴメン」
「どういうことだ?」
「ここを創った時は本当に時間がなかったのよ。2人の危機が直感的に伝わってきて、
 守らなきゃ、って思ったから。異能の力を弾くように構成されてる。ただ、
 タイミングを見計らって脱出してもらおうとしてたせいで、古泉くんみたいな超能力者は別だったんだけど……」

 機関に何があったのか、あるいは橘らの組織に何があったのかはわからなんが、
どうやらハルヒの設定が仇となってしまったらしい。それは今のこいつの悔しそうな表情や、
ついさっき見た目を背けたくなる光景から明らかである。

131: 2010/07/25(日) 21:29:53.87 ID:l5P63f4L0
「説明して下さい」

 息を整えながら、古泉は必氏の形相で俺を見る。傷は塞がっても、
ほんの一瞬前まで感じていた痛みからは抗えないようだ。人間はそんなに簡単にできていない。

「俺もまだよくわかってない。ただ、
 見ればわかるようにハルヒが自分の能力を自覚している。それは確かだ」
「…………何故、こんなことに」

 それは俺も聞きたいぜ、とはとても言えない。初めてみせる古泉の絶望的な表情を見て、
それでもそんな軽口叩ける奴がいるなら表に出ろ。性根を叩き直してやる。

 古泉ら機関の見解に従うなら、ハルヒが自らの力を自覚することはすなわち世界の破滅を意味する。
ずっと寝る間も惜しんで、どれだけ傷付きながらも守ってきたこの世界。
それが報われなかったっていうんだ、すべてを諦めたくなっても仕方ない。

 だが、少しおかしくないか?

 ハルヒが自覚したのは、さっきの話を聞く限りで少なくとも一ヶ月以上前だ。しかし、
ここ最近で何かしらの超常現象が起こったかと聞かれたら、俺はノーと即答できる。
精神的に狼狽することによって発生にタイムラグがあったとしても、一ヶ月はちょっと長すぎるだろ。

132: 2010/07/25(日) 21:34:56.62 ID:l5P63f4L0
 つまり、こういうことだ。
 機関の導き出した結論は間違っている。

 だいたいだな。
ハルヒは、もう世界をぶっ壊したりしない。世界に絶望したりもしない。
退屈なんて感じるわけがない。よく考えなくても、
そんな事俺たちならとっくに確信していたはずじゃないのか。
誰よりもこいつの傍にいた、SOS団団員の俺たちなら。

「おい、古泉。痛みは引いたか?」
「え? あぁ、はい。涼宮さんのおかげで」
「だったら立て。腑抜けてる暇はないぞ。まだ橘を助けなきゃならんし、
 佐々木、長門、そして朝比奈さんとも合流しなきゃならん。
 それに、この状況について説明してもらわないとな」
「ちょっとキョン、今は……」
「いいや、こいつは甘えてるだけだ」

 悲劇のヒロイン、いやヒーローを気取っている暇はない。
 どうせなら橘を助け出して、全部解決して、本当のヒーローになるべきだろ。

「よく聞けよ古泉。こいつが自覚したのはもう一ヶ月以上も前だ。その間、
 俺たちはややこしい事件に巻き込まれることもなかった。俺の言いたいことがわかるな?」
「……あ」

135: 2010/07/25(日) 21:39:31.68 ID:l5P63f4L0
 瞬間的に、古泉の表情がみるみる生気を取り戻す。あっという間に普段のニヤケ面だ。
 やっぱりこいつは、この方が似合うな。

「……機関がすべてではない、なんて事はわかっていたはずだったんですがね。
 骨まで染み付いたものは容易く消えてくれないようです。
 洗脳教育と言っても過言ではないのかもしれません。ご容赦を」
「別にいいさ。それより、俺たちはどうするべきだと思うよ」
「そうですね。まずは橘京子や皆さんを探しながら、ご説明致しましょうか」





「あの後、そんなことがあったのか」

 俺たちはできるだけ物音を立てないように気配を消しつつ、仲間たちを探した。
まぁ気配の消し方なんて知らないから、実際に出来ていたかどうかはわからん。
とにかく、慎重に進んでいることは確かだ。

 先導する古泉は、周囲に気を配りつつ一連の出来事を述べる。

「えぇ。そこで僕と橘京子は合同の臨時会議をそれぞれに提案し、
 開催されたのが今日の放課後のことです。
 しかし、僕らの主張は討論するまでもなく拒絶されました。いえ、
 拒絶どころか、僕らを反乱分子として排除することをその場で採択」

136: 2010/07/25(日) 21:43:25.85 ID:l5P63f4L0
 そりゃあ敵対組織が手を組むなんてのは簡単にはいかんだろうが、
頭ごなしに否定するのもどうかと思うぜ。

「保守的なんですよ、皆さんね。……一瞬の隙をついて僕らは逃げ出したのですが、
 すぐに追っ手がやってきました。恥ずかしながら氏を覚悟しましたね。
 拳銃を額に押し付けられ、もうどうすることも出来ない。
 そう諦めかけた瞬間――気がつくと、僕らはこの空間にいました」
「なるほど、話はだいたいわかったぜ。だが、俺に電話してきたのは?」
「……超能力者を自称していますが、僕は閉鎖空間外では一般人に過ぎません。
 機関という強大な権力を敵に回し、明日を迎えられるとは思いませんでした。
 ですから最後に、あなたに……謝罪の言葉を」

 謝罪だと?

「僕らは僕らの都合であなたを僕らの世界に巻き込みました。
 それをいつか詫びなければならない、そう思っていました」
「それは違うぜ、古泉。最初こそはその通りだったのかもしれんが、
 俺は今、俺の意思でこうしている」

139: 2010/07/25(日) 22:01:23.03 ID:l5P63f4L0
何せSOS団は居心地が良すぎてな、時には逃避したくなるような現実と
向き合わなきゃならんこともあるが、本気で逃げ出したいとは思わん。
そうじゃなきゃ、わざわざ次元の狭間まで来るわけがない。なぁハルヒ?

「よく言ったわ、キョン。あんたも雑用としてなかなか板についてきたじゃない、
 昇格を検討してあげてもいいわよ。……古泉くん、こういうことだから。
 副団長がわざわざ雑用なんかに頭を下げる必要はないの」

 褒めるのか貶すのかどっちかにしろよ。

「ふふっ。ありがとうございます、御二人とも。……おっと、静かにっ」

 人差し指を自らの口元にやりながら、古泉の表情が真剣なそれへと移る。
逆の手で出される指示に従って身を低く隠すと、何やら物騒なものを持った集団が
20メートルほど先を駆けていった。あれは……機関の奴らじゃないな。森さんがいなかったし。

「……行ったようですね」
「あれは橘の方か?」
「そうです。先回りして橘京子と合流しましょう。あちらは――本校舎ですか」


141: 2010/07/25(日) 22:05:46.92 ID:l5P63f4L0
 俺たちは奴らと別のルートで向かう。ところで、さっきからハルヒが黙ったままで何やら気味が悪い。
喋った言葉といえば、それこそ先程の会話の中で俺が促して返答をしたあれくらいだ。
また何か企んでやがるのか? このタイミングで空気読めないようなことをする奴ではないだろうが、
突飛であることに変わりはないからな。一抹の不安がある。

 その時100メートルほど目先を、誰かが走りぬける――いた。

「橘!」

 しかし、そいつは俺の叫びには気付かないまま、こちらを振り向かないまま、疾走する。
聞こえない距離でもないと思うのだが何故だ、と思っているとすぐに理由が明らかになった。
ついさっき目にした集団が、数秒遅れで視界に入る。すると間髪いれず銃声が鳴り響いた。

「おい古泉、どうにかならねぇのか!」
「僕の超能力は有効ではあるのですが、このタイミングでは間に合いません!
 何より機関に居場所がバレてしまいます!」

 機関までここに来ると、俺たちも後方から終われることになる。まさに針のむしろだ。
自分の無力さに嫌悪していると、突然橘が転んだ。どうやら弾が足を掠めたらしく、
血が滲み出ている。あと30メートル。だが、組織の奴らはもう橘のすぐ手前まで来ていた。

 その時。

142: 2010/07/25(日) 22:09:27.11 ID:l5P63f4L0
「有希ぃ!!!!!!!」

 だんまりを決め込んでいたハルヒが叫んだ。と同時に、
校舎2階から佐々木と朝比奈さんを抱えた長門が飛び降りてきて、
両者の間に割って入る。すると組織の奴らが不自然に倒れこんだ。
おそらく例の防御壁を貼ったんだろう。

 長門たちは圧倒的なプレッシャーを持って君臨する。
 数秒後、俺たちもようやく追いついた。涙目の橘を佐々木が抱きかかえる。

「感謝する」

 長門がハルヒを見ながら呟いた。何かしてたのか?

「この空間に張り巡らされた情報制限が一定レベルまで解除された。
 未だ思念体には接続できないが、私というインターフェイス固有の能力なら行使可能となった」
「なるほど、だからさっきから黙っていたのか」
「そういうことよ。思ったより時間かかっちゃったわ」

 組織がマシンガンらしきものを乱射するが、長門の防御壁の前では人間に戦いを挑む
アリ以下だった。いつも頼ってばっかりなのは耐え難いのだが、やっぱり頼りになるぜ。

「何でみんな来ちゃったんですか!」

144: 2010/07/25(日) 22:14:56.87 ID:l5P63f4L0
 ギリギリ我慢してたように見えた涙を存分に垂れ流しながら、橘が声をあげた。
気付けば足から流れていたはずの血も止まっている。どうやら佐々木が治してやったらしい。

 ところが、その佐々木が橘の頬を引っ叩いた。驚きで目の色が染まる。

「勝手なこと言わないで!」
「……っ」
「友達でしょ……」

 不思議な空気が流れた。組織の抵抗が急に止まる――友達。
まるでその言葉タブーであるかのように、世界が停止する。
古泉が息を呑んだ。それは目の前の光景、佐々木の発言に対してか。
 それとも、

「止まって。手を上げて下さい」

 時計の秒針を指先で強引に動かすが如く、後方から冷たい声が聞こえた。
同時に機械の擦れ合う音がする。孤島では世話になった。
雪山、鶴屋さんの別荘でも。ちょうど今目の前にいる、組織とのカーレースの時もだ。

「森さん……」

 振り向くとその人がいた。古泉が悲しげに呟く。
 あの時橘に向けられた非情な眼差しは、今、確かに俺たちに向けられている。

146: 2010/07/25(日) 22:19:02.85 ID:l5P63f4L0
「古泉。何故涼宮さんがこちらにいるの?」
「それは、」
「待って下さい、森さん!」
「こんばんは、お久しぶりですね。ですが、これは我々の問題。
 怪我をしたくなければ口を挟まないで頂きたい」

 足が竦む。心が折れそうだ。
 だが、俺が負けるわけにはいかない。ハルヒは何処まで知っているのかわからないし、
長門は交渉には向いていない。朝比奈さんは論外として、
こういうのを得意とする古泉は焦りが目に見て取れるほど狼狽している。

「そうはいきません。古泉はSOS団の副団長ですから」
「……そうですか。涼宮さんがいる限り、こちらは下手なことを出来ません。
 そちらの端末も防御壁を張っているようですし。
 以上を踏まえて仰りたい事があるならば、お聞きします」

 確かに、全員揃った俺たちはここから逃げ切れることは間違いない。
森さんも言うように機関はハルヒに手出しできないし、
そもそも願望実現能力を自覚したハルヒに敵う奴なんていないだろう。
加えて長門も佐々木もいる。負ける要素はないんだ。

148: 2010/07/25(日) 22:23:34.11 ID:l5P63f4L0
 だがな、勝ち負けの問題ではないんだよ。仮にここから逃げ出したとして、
だからなんだっていうんだ? 結局古泉の問題も、橘の問題も何ら解決していない。
戻ったところで居場所がないどころか、また同じように追いかけっこが始まるだけだ。

 いつ殺されるかもわからない日々を、こいつらに過ごさせるわけにはいかない。

「どうして古泉や橘を殺さなければならないんですか」
「背信者は速やかに排除しなければ、秩序が乱れますから。
 それは本人も理解しています」
「こいつらは裏切ろうとしたわけじゃないじゃないですか。むしろ、
 無益で不毛な争いを避けるために出来得る限りの案を出した。それの何がいけないんです?」
「つまり、そうあることで益を得る方々がいらっしゃるということです」

 聞くと言ったは言ったが、受け入れる気はなさそうである。

「古泉はまだ若い。いえ、幼いと言ったほうがいいかもしれませんね。
 機関の一員としての役割を忘れ、敵と馴れ合う道を選んだ。あなた方に感化されたのでしょう。
 年齢的に考えればそれは微笑ましいことなのでしょうが、古泉にその権限はありません」

 森さんが一歩、小さく踏み出す。
 思わず後退りしそうになったが、俺の後ろに控える面々が脳裏に浮かび、何とか踏み止まった。

「この空間では、未だ我々の能力が勝ります。本体と接続できないそちらの宇宙人さんよりもね。
 ……どいて下さい。傷は完璧に塞いであげますが、痛いものは痛いですよ?」

149: 2010/07/25(日) 22:27:38.83 ID:l5P63f4L0
 風が出てきた。しかし、かつて訪れた閉鎖空間のように周囲が崩壊の音頭を
奏で始めるわけでもなく、極めて安定しているように思える。
それはきっと、この世界に対するハルヒの心の向きが変化したからだ。

 古泉が、無言で俺の前に出る。

「何のつもりだ」
「僕は機関の人間です。SOS団副団長である、その前からずっと。
 これ以上彼らに迷惑はかけられません。それ以上に、あなた方に。
 ……大変お世話になりました。そして、楽しかった。願わくば――」

 こいつは氏亡フラグを立てるのが好きらしい。いや、この場合は
自己犠牲の精神で世界を救おうとか考えちゃう物語の主人公気取りってところか?
いずれにせよ、そんなもん俺は認めねぇぞ。おい、話を聞けよ。

「あなた方と、友人になりたかった」

 俺が何かを発する前に古泉は赤い光を纏う。と同時に、パリンと
ガラスのカップが割れるような音がしたかと思うと、
長門の防御壁の境界があるはずの箇所を衝突することもなく経過し、
森さんの前に立った。

 動けなかったし、声も出なかった。森さんが構えた拳銃を、古泉は黙って受け入れる。
銃口が額の数センチ先で止まった。何やら二言三言会話を交わしたように見えたが、
それは囁きと呼ぶべきで、俺たちには聞こえてこなかった。

151: 2010/07/25(日) 22:33:49.60 ID:l5P63f4L0
 銃を持つ手に力が篭る。
 俺は、自分がたった数メートル先を目指して駆け出していたことにも気付いていなかった。

 吹き荒ぶ風の音を引き裂くように、銃声が鳴る。
 衝撃で倒れこんできたその長身を、俺の頼りない2本の腕が受け止めて。

 何処にも血は流れていなかった。

「……え?」
「あれ?」

 何が起こったのかよくわからない。目の前には真っ二つに割れた細長い弾丸。
呆気に取られていると、地べたに座り込んだ俺と俺に支えられる古泉の横に誰かが立った。

 そいつはいつだって自信たっぷり唯我独尊で、
時には俺たち(主に俺)の頭痛の種となるような事を言い出したり、やり出したり、
予測不可能な人間台風。この世界の主導権を握る存在。

「勝手なこと言ってんじゃないわよ!」

 ついさっき聞いたような台詞と共に、涼宮ハルヒが古泉をぶん殴った。グーで。

「……痛っ」
「噛み締めなさい」

 

153: 2010/07/25(日) 22:39:08.75 ID:l5P63f4L0
 第三者的視点から見て、俺はまさに目が点になっているのだと思う。
ハルヒが古泉を褒めることは何度もあり、そしてそのたび俺は比較され罵倒されてきたのだが、
こうやってマイナスな方向にそれが動くことはついぞなかった。

 鬼がいるなら、こんな感じなんだと思う。そんなオーラを纏ながら、ハルヒは言葉を続けた。

「いい? よく聞きなさい。あたしは古泉くんの身辺に何があるのかなんて知らない。
 心を読むことは出来るんだろうけど、そんな事したくないから。だけどね、
 自分の身を投げ打って全てを解決しようなんて、そんなのは許さないわ。
 だってそれは妥協だから。考えることを放棄した愚か者のすることよ。あたしは認めないわ!」

 俺たちは一言も口を挟むことが出来なかったし、挟む気にもなれなかった。
 その時、不意に背後で誰かが動く気配がした。そいつはそのまま足を進め、ハルヒの横に並び立つ。

「同感だね。どうやら僕らの周囲には、自身を案じることもせず世界を救えるなんて
 考えている者が多いようだ。しかしそれはあり得ない。
 自分すら守ることも出来ずに、不特定多数の人々を守ることが出来ると本気で思っているのかい?
 ならばそれは思い上がりも甚だしいと言わなければならない」

 ハルヒは古泉を見つめ、そして佐々木は橘を見つめながら言った。さらにその視線の先には、
機関、そして組織の面々が銃を構えながら立ち並ぶ。
しかし、たったふたりのちょっと特殊な女子高生は、臆することもなく話し続けた。

154: 2010/07/25(日) 22:44:01.10 ID:l5P63f4L0
「それにね――協力しない、などという選択肢を、あなた達は取ることが出来ない。なぜなら、」
「あたしがあたしの能力を自覚することによって、容量を認識してしまったから」

 容量。いつだったか言っていたのは長門だっただろうか。ハルヒの願望実現能力は、
本来有機生命体ひとりに収まる程度の情報量ではない。ところがこいつは、
脳に障害を起こすこともなくそれをひとりで許容している。そもそもがおかしいことだが、
ハルヒだから全て許される、と。こんな感じだったか。

 だが、知ってしまえば話は別である。呼吸の仕方を意識すると上手く出来ないように、
歩行することが出来る理由を考え出すと上手く歩けなくなるように、
人間は無意識を意識すると、普段当然のように出来ていたことが出来なくなるもんだ。
 それはきっと、こんな非現実的な範疇の話でも同じで。

「溢れ出た水は、受け皿がない限り地に放たれ世界に散在するだろう。
 それは自然の摂理だ。しかし今回は例外だった。僕という容器があるのだからね」
「……佐々木に情報創造能力が芽生えたのは、あたしのせいってことよ」
「それを責めるつもりはないわ。怖くはあったけど。でも、今回の件もあって、
 自分が何も出来ないことに情けなさを感じた。
 だから今は、涼宮さんからのプレゼントだと思うことにしている」

 なるほど、さっき言いかけた弊害ってのはこれだったのか。

157: 2010/07/25(日) 23:02:29.73 ID:l5P63f4L0
「そこで、あなた達に提案がある。
 僕は涼宮さんから半分ほど能力を譲渡してもらおうと思っている。
 すると互いに神の如き力は使えなくなる代わりに、
 互いが互いを牽制し合い、結果として世界の均衡を取ることが出来るようになると思う。
 いかがだろうか?」
「……それは」

 銃を握る手の力を緩めながら、森さんが呟く。
古泉が埃を払いながら立ち上がり、俺に手を差し伸べた。
男の手を握りながら立ち上がりたくなんてないが、ここは素直にその気持ちを受け取ってやろう。

「あなた達の負担も当然減るだろう。おそらく、
 世界を揺るがすほどの閉鎖空間は発生しなくなるはずだ」
「そうね。……あたしの能力の一番の問題点は、あたしがコントロール出来るかとかそんなのじゃなくて、
 暴走しちゃった時に誰にも止められないってことなのよ。
 今までも無意識に迷惑かけちゃってたんだと思う。ゴメンなさい」
「謝らないで下さい。僕らは僕らの意思で、閉鎖空間へと向かっていました。それに、
 これは個人的なことになりますが、他人とは異なる特殊な能力を行使できるというのは、
 なかなかに乙なものですよ?」
「ふふっ。ありがとう、古泉くん」

 古泉がいつもの調子を取り戻した。ハルヒと佐々木が、誰に選択を委ねるわけでもなく、
自分たちのことを自分たちで決めている。これはもう俺の出番はまったくなさそうだ。

158: 2010/07/25(日) 23:06:03.22 ID:l5P63f4L0
「私も、私もなのです!
 この力のおかげで佐々木さんや皆さんと会えたのですから、
 ちょっとぐらいへっちゃらなのです!」

 いつの間にか橘も普段の天真爛漫少女に戻ってピョンピョン飛び跳ねていた。
緊張感の欠片もない。だが、それで安心してしまっている俺がいることに、俺自身気付いていた。
そしてそれを悪いとも思わない。そうだろ?

「私個人としましては異論はありません。むしろ願ってもいないことです。
 もっとも、上層部が如何に判断するかは未知数ですが」
「もしもの時は、あたしたちが何とかしてあげるわよ!」
「……ありがとうございます」
「見逃す理由ができて、よかったですね」
「何もかもお見通しですか……」

 何やら大団円の空気が辺りに漂い始めていた。機関も組織も、
放心したように武器を下ろし、座り込んでしまっている。そりゃあそうだよな。
この人達はいつだって想像し難い精神的肉体的プレッシャーと闘いながら生活していたんだと思う。
それは古泉を見ていてなんとなくわかっていた。

 ハルヒと佐々木の提案は、そんな彼らの終わりのない闘いに終止符を打つようなものである。
例えば、夜はゆっくり眠れる。定期連絡も「異常なし」の一言で終わる。
世界崩壊の序曲が奏でられることは金輪際なく、万が一億が一それっぽいことがあったとしても、
一方がもう一方を止めることが出来る。

 第一線で獅子奮迅の活躍をしてきた彼らにとって、これ以上の申し出はないだろう。


160: 2010/07/25(日) 23:10:33.31 ID:l5P63f4L0
「良かった。じゃあ、涼宮さん?」
「任せなさいっ」

 ハルヒが佐々木の手を掴み、何やら地球上の言語ではなさそうな言葉を囁く。
すると周囲が光に包まれたかと思うと、名状し難い浮遊感が俺を襲った。
しかし、例の時間移動のように吐き気を催すようなものではない。何処か暖かくなれる、
そんな感覚だった。

 遠くで、聞き慣れた声が響く。

「さぁ、みんな。
 さっさとあたしたちの現実に戻って、七夕するわよ!」
「願い事を考えておくんだよ」

 俺は大きく頷き、と同時に、視界と意識が纏めてブラックアウトした。

162: 2010/07/25(日) 23:17:53.27 ID:l5P63f4L0
『エピローグ』



 物凄い勢いで頭をぶつけた先が部室のテーブルだと気付いたのは、
俺が立ち上がって現在地を認識し、周囲の人物を確認し、
定位置に座り例の如く古泉と対面してから数秒後のことだった。
 戻ってきたのか。

「やぁ、どうも」
「ようやく全てが解決し現実に戻ってきてから一番最初に声をかけてきたのは、
 つい先ほどまでの狼狽した様子を微塵も感じさせない不愉快なイケメンスマイルだった」
「……怒りますよ」

 すまんすまん、悪気はないさ。気にするな。

「余計タチが悪いと思いますが」
「まぁ勘弁しろよ」

 俺と古泉がいつもの遣り取りをしていると、
後方からくつくつとある特定の人物にしかできないそれはもう独特な笑い声が耳に届いた。

「やれやれ。なかなかの労働をした後だと言うのに、君こそ普段通りじゃないか」
「言っただろ、必ず何とかなるって。だからそんなに冷静さを失うこともないんだよ。
 まぁ最終的に何とかしてくれたのはお前らだったがな」
「僕は何もしていないよ。それは涼宮さんに言ってくれたまえ」
「そういや、そのハルヒは?」
「長門さんと朝比奈さんを連れてどこかへ行かれましたよ」


163: 2010/07/25(日) 23:24:27.41 ID:l5P63f4L0
 あいつも騒々しい奴だ。佐々木じゃないが、あいつだって
走り回ったり能力を使ったりで、疲れているはずなんだがな。
無尽蔵のスタミナとはまさにハルヒを形容するための言葉である。

「ちなみに、橘さんは組織の方に連絡をとっている」

 何? 大丈夫なのだろうか。

「心配することもないでしょう。僕も機関に連絡を取りましたが、
 現状としては結論を出せないので保留とのことでした。
 ですが、もはや我々に選択の余地は残されておりませんので、
 そう時間を要せずして各組織の方向性は定まるでしょうね。
 組織間の妥協、という形で」

 俺はそんなことを心配しているんじゃなくてこいつらの処遇について
考えていたのだが、それを口に出す前にドアが蹴破られたので、
開いた口の処遇にこそ困ることになってしまった。

「お待たせー! あらキョン、起きたの。ねぇ見て見て、可愛いでしょっ!」

 何がだ、と問うまでもなかった。なぜなら、そこには七夕というイベントに相応しく、
織姫に扮した朝比奈さんと、彦星に扮した長門が立っていたからである。
どうして長門をチョイスしたのかを訊ねるつもりはない。似合っていれば何でもありだ。



166: 2010/07/25(日) 23:29:58.71 ID:l5P63f4L0
「恥ずかしいですぅ……」
「ユニーク」

 二人の気の抜けた台詞が俺を安心させる。っていうか、俺が目を覚ますまでに
手間のかかりそうなこの衣装に着替えるほどの時間があったなんて、
いったい俺は部室の床でどれだけ寝ていたんだ。誰か起こしてくれてもいいだろうに。

「みくるちゃんの織姫が似合うのは当然として、有希の彦星も我ながらベストチョイスだと思うわ。
 ちょっと表情がクールすぎるかもしれないけど。
 ……ほらキョン、鼻の下のばしてないで、行くわよ!」
「行くって、何処に」
「決まってるじゃない! せっかくの七夕なんだから、こんな狭い部室じゃなくて、
 天の川の下で願い事を掲げるのよ!」



 後頭部あたりで笹の葉がユサユサと揺れる。昼間の反省を生かし、今回は俺がひとりで運んでいた。
それなら古泉ひとりでもいいんじゃないかと思うかもしれないが、
団長命令なので従うしかない。縦の関係というものはこの日本社会では絶対である。ガッテム。

 グラウンドには人っこひとりいなかった。そりゃそうだ、何せ現時刻は午後11時57分。
深夜手前と言っている間に日付を超えてしまいそうなギリギリの時間帯である。

167: 2010/07/25(日) 23:33:19.80 ID:l5P63f4L0
 見上げれば、今度は本物の天の川が夜空を横断していた。
ところどころ雲がかかっていることが逆にそれっぽくて、
俺は瞬間的に自分という存在を見失いそうになった。
簡単に言えば吸い込まれてしまいそうな煌きということである。

「あんた、そういうロマンチックな台詞、似合わないわね」
「うるさい。で、こいつはどうすりゃいいんだよ。
 地面に穴掘って立てるのか?」
「そのまま持ってて。今願い事書く紙を配るから」

 配るのはいいが、このままこれを抱えてちゃ紙を受け取れないだろう。

「肩とかを上手く利用しなさいよ、ほら。はい、みんなも」

 ハルヒはそう言いながら細長い例の紙とペンを押し付けてきたので、
俺は指示通り笹を肩に立てかけながらそれを受け取った。
用意のいいことに上部に穴を開けて紐まで通してある。あとは願い事を書くだけだ。

「ちゃっちゃか書くのよ! 書いたらキョンに渡して、キョンはそれを括り付けてね」

 俺もイベント参加者のはずなのだがなぜか裏方を兼任させられることについて、
もはやとやかく言う気はない。慣れというものは恐ろしいもので、
俺ぐらいになると言われる前から括り付け方について考えていたレベルに達している。
実は真性のマゾなんじゃないかと疑いたくなってくるが、それだけはないと断言したい。


169: 2010/07/25(日) 23:37:31.16 ID:l5P63f4L0
 数分後、続々と書き上がった用紙が俺に渡されてくる。
最初に持ってきたのは朝比奈さんで、一言「頑張りますっ!」と書かれていた。
これじゃ願いではなく決意表明である。だが、可愛ければすべてが許されるのだ。

 片手が満足に使用できない状態でいったい全体どうやってこれらを
括り付ければいいんだとひとり奮闘していると、
同じく書き上げたらしい長門が笹を押さえながら紙を差し出してきた。さすがタイミングがいいぜ。

「気をつけて」

 ある初夏の日の記憶がフラッシュバックする。不意に周囲の風景が見慣れた
マンションかのように思えてきた。なんてこと考えてる場合じゃない。なんだ、まだ何か起こるのか?

「思念体は今回の件について判断を保留している。しかし、
 涼宮ハルヒが情報創造能力を委譲した結果、自律進化の可能性は限りなく減少した。
 それは事実。よって、何らかの処置が施されるかもしれない」
「ってことはなんだ、次のドタバタはお前のパトロン絡みってことか?」
「否定はできない」

 ……やれやれ。
 だが項垂れてなんていられないぜ。最後はハルヒ頼み、なんて手段が使えなくなった今、
俺たちに全宇宙を統括するそれこそ神様みたいな奴らと戦う術はない。
それは認めざるを得ないところである。

170: 2010/07/25(日) 23:42:11.22 ID:l5P63f4L0
 とは言え、果たして本当に戦う必要があるのだろうか。今回の件も、
結局具体的な戦闘をすることなく解決を迎えた。
それはハルヒや佐々木という彼らにとって崇めるべきであるが裏を返せば懸念材料でもある存在と、
互いに歩み寄るという選択をとったことによる。それすなわち、
世界の安定という機関や組織の目的を達成できるかもしれない手段を提供できたことである。

 ならば、思念体にとっての目的――自律進化の可能性とやらを提示することが出来れば、
また何とかなるんじゃなかろうか。

「なんて、考えが甘すぎるか」
「わからない。でも、」
「でも?」
「私は信じている。私たちなら、必ず"何とかできる"、と」

 長門が感情論ならぬ根性論的な台詞を吐いたことに驚愕を隠せないでいると、
当の本人は自分で笹の葉に願いを掲げ、さっさと戻ってしまった。見れば『安寧』と書いてある。
思念体の願いそのものだった前回と違い、今回のこれは長門自身の願いと考えてまず間違いないだろう。

 長門にとって、SOS団は安らぐ場所なのだろうか。
 そうであったらいい。観測ばっかりじゃ、疲れちまうからな。


174: 2010/07/25(日) 23:48:55.93 ID:l5P63f4L0
「何黄昏てんのよ。ほら、あたしのもさっさとやりなさい」
「……なぁハルヒ」
「なによ」

 願いをヒラヒラさせて中空を泳がせているそいつに、
俺は気になっていたことを聞いてみることにした。

「4年前の七夕を覚えているか」
「……覚えてるわよ」
「なら、気付いてるんだな」
「そうねぇ。でも、もういいわ」

 もういい?

「だって、ずっと捜し求めてたあいつが、まさかあんただったなんて。
 そんな思い出もうどうでもいいわよ。現状には満足してるし。
 だから、もう決めたって言ったんじゃない」

 随分あっさりとしたものである。
 しかしまぁ、そんなもんか。結局、ハルヒの最後の台詞に集約されるのだろう。
思い出は思い出に過ぎず、今は今である。そんな当然のことを論じるまでもない。
ましてや、過去を振り返るなんてこいつらしくもない。
 この辺りで、ひとつの区切りなんだろう。


175: 2010/07/26(月) 00:00:56.82 ID:0Rs75hWn0
「仲良く会話しているところ悪いけど、僕のも頼むよ」

 力を分かち合った元神様と元神様代理が揃って俺に願い事を手渡してきた。
何の特殊能力を持たない俺みたいな一般人がこういったヘンテコ属性を持つ奴らと
一緒に七夕をしてるってのは、よく考えなくてもおかしな話だ。まぁ、この立場を譲るつもりはないがな。

「……って、お前ら、こりゃなんだ」

 2人が掲げたそれには、『佐々木には負けないわ!』『涼宮さんには負けない』と書かれていた。
これも朝比奈さん同様唯の宣言であり願いではない。
しかも意味がわからない分、彼女の可愛らしく素敵なそれと比べて俺の印象として良いとは言い難い。

「君は何も考えず、何も問わず、黙ってそれを括り付ければいい」
「そうね。雑用は雑用らしく、上からの命令に従いなさい」

 酷い扱いである。しかもハルヒだけならともかく佐々木まで俺を邪険にしやがって、
せっかく笹をここまで運んでやったっていうのにグレるぞこの野郎。

 しかしそいつらは俺の批判を存在ごと無視し、スタスタと戻って談笑し始めてしまった。
 入れ替わりにやってきたのは、

「仲睦まじくて宜しいではありませんか。僕としては、
 あなたがの立場が羨ましくて仕方ありませんが」
「この雑用という名のパシリポジションが羨ましいというなら、喜んで交換してやろう」
「それに限定するのであれば、謹んでお断り致しましょう。
 この副団長というポジションに、何ら不満もございませんので」


178: 2010/07/26(月) 00:06:27.54 ID:0Rs75hWn0
 副団長、ねぇ。

 今回の一件に際しての古泉の判断は、果たしてSOS団副団長としての古泉が
、いつかの約束を守って機関を裏切った結果なのだろうか。それとも、
世界の平穏と安定を願う機関員としての古泉一樹が、機関員としての判断に
基づいて行動した結果なのだろうか。どちらなのかはわからないし、
きっと問い質しても答えてはくれないだろう。こいつはそういう奴だ。

 一方で、俺はこうも思う。SOS団だとか、機関だとか、そういう柵に囚われて
判断し行動したわけじゃないんじゃないか、と。古泉は俺と同い年のくせに、
もう何年もこの世界のために心身ともに削りながら日々を過ごしてきた。
多分俺たちぐらいの年齢っていうのは、俺たち個人個人の性格なんかを創り上げていく過程で、
一番周囲の環境からの影響を受けやすい年齢だ。
俺だって、たかだか一年程度で随分変わったように思えるしな。

 だから、こう思う。
 きっと古泉は、一人間としての古泉一樹の理念やら、信念やらに従って、
この世界を守りたくて、機関に声を挙げたのではないか、と。

「ずるいのです! 私も佐々木さんに何か任命されたいのです!」

 なーんて、俺のどうでもいい思考の展開に土足で入り込んでついでに
靴底の砂を撒き散らすが如く、橘が暢気で陽気な声を発した。


179: 2010/07/26(月) 00:10:26.95 ID:0Rs75hWn0
「そんなのは佐々木に言ってくれ」
「キョンさんから頼んでくれませんか? きっとキョンさんのお願いなら、
 佐々木さんも聞いてくれるのです!」
「そんな恥ずかしい願い事できるかっ」

 やれやれである。
 見ると、古泉が何やら穏やかな瞳を携えて橘と俺のやり取りを見つめていた。
こいつのこんな表情はめったに見ないが、とても同い年とは思えんな。もっとも、
俺が子供っぽいのかもしれんが。橘? こいつは子供っぽいとかそういう次元じゃないだろう。
どちらかと言えば俺たちより俺の妹の方に近い。ミヨキチより年上なんて嘘だろ。

「ところで、僕も短冊を書き終えましたので、お願いできますかね」
「あ、私もなのですっ」

 俺は軽く溜息をつきながら二人から献上されたそれを受け取る。
しかしその内容を目にした瞬間、俺はさらに溜息をつくと同時に呆れ返る羽目になった。


「おいハルヒ、佐々木。ちょっと来い」

 古泉と橘を尻目に、談笑していた二人を呼び寄せる。

「何?」
「どうかしたかい」

182: 2010/07/26(月) 00:13:06.80 ID:0Rs75hWn0
「俺個人としてはこいつらの短冊は受け取れないんだが、
 団長様・保護者様としてはどう判断するかと思ってな」

 俺から差し出された二枚の紙切れを見て、二人は苦笑いをした。
ふと古泉と橘を見ると、こいつらも苦笑いをしてやがる。お前らわかってやっただろ。

「キョンと同じ思考回路ってのは納得いかないけど、
 あたしもこれをSOS団の笹に掲げることは許可できないわ」
「僕は彼女の保護者になった覚えはないが、そうだね。
 僕もこれは嫌かな。僕自身の内心的意思を否定された気分になって、不愉快だ」
「だ、そうだが。お前らどうする?」

 昼間のことを思い出す。
 俺の願いを問う古泉。俺の答えに肩をすくめた。そして、俺からの問いに戸惑った。

「しかし、これが僕の切なる願いです」
「私もなのです」

 異次元空間での出来事を思い出す。
 楽しかった、と。そうこいつは言った。そして、俺は多分その時初めて、
こいつがSOS団――いや、"俺たち"をどう思っていたのかを知ったんだ。
確かに俺はこれまで一度たりとも古泉に対して"それ"を言ったことはないが、
それは口にするのが小っ恥ずかしいからであって、
あるいは、わざわざ口にする必要なんてないと思っていたからだ。

183: 2010/07/26(月) 00:17:14.89 ID:0Rs75hWn0
「アホらしいぜ」

 宇宙人、未来人、超能力者、そして異世界人と一緒に遊ぶために創設されたSOS団。
そのうち異世界人だけはまだ見つかってないし、
きっとこれからも見つかることはないんだろう。ハルヒの能力は半分になっちまったしな。

 あれからもう一年と数ヶ月が経過した。気分としては三年ぐらい過ぎてるような感じだがな。
それはともかくとして、俺たちは決して浅くもなく、簡単でもなく、
狭くもない時を共有してきた。言うなれば仲間であるのは相違ない。

「いい、古泉くん。短冊に願うのは、まだ叶ってない願いじゃないとダメよ」
「橘さん。あなたがそんなに薄情な人だとは思ってなかったわ」

 だが、俺は知らなかった。
こいつらは実は物凄く不器用で、繊細で、臆病だったってことを。
誰もが当たり前に形成する関係を、言葉にせずとも形成される関係を、
いちいち確認しなきゃ不安に思っちまう奴らだってことを。

185: 2010/07/26(月) 00:19:57.78 ID:0Rs75hWn0
 ふたつの願い事は、こう記されていた。

「お前らの願いは――」
「「もうとっくに叶ってるのよ!」」



 "みんなと、友達になりたい"







>”涼宮ハルヒの親愛”
>”the Affection of Haruhi Suzumiya”

>了

186: 2010/07/26(月) 00:21:30.62 ID:LUb+yhh40
おつかれー
寝る前にいいもん読ませてもらったよ!

191: 2010/07/26(月) 00:24:24.06 ID:0Rs75hWn0
二日間支援や保守ありがとうございました
ラスボスは森さんでも組織でもなく猿さんでした

古泉にスポットを当てようと思ったのに
気付けば殆ど出番がなく
どうしてこうなった

何か質問があれば受け付けます

196: 2010/07/26(月) 00:34:35.27 ID:0Rs75hWn0
>>194
過去には2作
http://www.vipss.net/haruhi/1264171755.html
http://www.vipss.net/haruhi/1265990506.html

文量は今回と同じくらいか少し短い

197: 2010/07/26(月) 00:41:21.98 ID:0Rs75hWn0
もうない感じかな
予想以上に多くの人がいたようで多謝

次こそはみくるを中心に書きたいと思う
まず時間移動概念を理解しないと><

それでは寝る
読んでくれてありがとうございました

引用元: キョン「お前らの願いは――」