1: ◆qwglOGQwIk 2011/11/30(水) 18:01:23.65 ID:8fJ4TftWo



 例えばここで眼前のそこそこの値段のコートを羽織った背中を突き飛ばすほどの勢いで押してみたらどうなるのか。最近の私の詩にはそういうものから得たインスピレーションが足りないように思う。
 雨上がりの夜の街、乾き損ねた水飛沫を巻き上げながら走る車の行列を歩道橋の上から眺めているときに唐突に背中を押される、それほどのインパクトのあるインスピレーションが。
 「される側の話かよ!」と幼馴染のアイツならツッコミを入れるだろうけど、実際のところ恐怖という感覚に何よりも敏感な私にはそれが最も効果的だろう。しかし生憎、眼前の栗色のショートヘアは恐怖を受けるにしても与えるにしても不適切な存在で、有り体にいえば天然な奴だ。ゆえに役不足…じゃない、役者不足? まぁとにかく不適格な存在というわけだ。
 だがそんな天然ガールも最近はらしくないほどいろいろ考えているらしい。現に私をこうして夜の街に連れ出したのもこいつで、そのくせ行くアテもないのかブラブラと休日デートの如く彷徨って今に至る。実にたちが悪い。天然のクセに人畜無害ではいられないのか。人畜有害か。そうなのだろう。
 そんな人畜有害ガールに文句の一つや二つや三つやそれ以上はとうに告げた。今まではこうして振り回されるのも口ほどは嫌なものではなかったのだが、今日は実に不愉快だ。別に私がそういう日なわけではなく、強引に連れ出され文句を黙殺されながらアテもなく歩くだけの時間なんて誰にとっても不愉快なはずだと私は思うし、こいつもそれくらいはわかっているはずなんだが。

けいおん!college (まんがタイムKRコミックス)

2: 2011/11/30(水) 18:02:19.15 ID:8fJ4TftWo



「唯」

 声をかけるとコートは反転して正面を見せてくれた。プライスレスな笑顔を貼り付けたそのコートは一気に金銭的価値が下落したような気がして、あとでデジカメのフレームに捉えておけばそれだけで充分なモノとして私の目に映る。
 氷菓一個分くらいで買えるのであろうその笑顔は眠らない街の明かりに照らされてどこか切なく見えて、いっそこの雨上がりの湿気を孕んだ空気がこいつの頭をいつかの寝起きの放課後のように逆立ててくれれば私も心置きなく笑い飛ばせて逆立ち髪ガールも照れたような珍しい笑顔を見せてくれてハッピーエンドなんだろう。その後に街の電気が一斉に落ちたりしてくれれば尚良い。私が情けない声を上げて紺色のコートにしがみついて、そんないつもの光景に戻れるはずだ。そんな事をした覚えは無いが。

「帰ろうよ」

 その言葉にうんと頷くならばすぐにでもデジカメを取り出す準備は出来ていたのだが、生憎眼前の黄色のヘアピンは横に揺れていた。
 別にそれならそれで私自身もインスピレーションを求めて空を眺めて星の数を数えてみたり遠くに行ってしまった雨雲を探してみたり道を歩くカップルに小石を投げたりとする事自体はたくさんあるのだが、生憎今の私は前述した通り不愉快モードなので眼前の私を見ていない天然スマイルの真意を突き止めるほうが先だと判断した。

 ……もしかしたら、私を見ていないことが何よりも私を不愉快にさせているのかもしれない。
 人間は悩んで苦しんで壁を乗り越えて成長するものだというのは知っている。こいつだって18年以上生きているのだからそういう気分になる日が一日くらいあってもいいだろう。雨上がりだし。
 でもそれなら私を誘わずに一人でやってくれ、と思う。そしてそれは同時に、私を誘ったのだから責任持って私に構えよ、という意味でもある。何様だ? 誘われたんだから私はお客様だ。食客だ。VIPだ。Very Important Personだ。構え。構ってくださいお願いします。

 その願いが届いたのか、彼女は私を見つめて、困ったように笑って、冬の空気に乗せて一言、紡ぐ。


3: 2011/11/30(水) 18:02:55.49 ID:8fJ4TftWo



――わかんない。


 ……何がだ。何がわかんないんだ。私もわかんないよ。
 意味のわからない一言だけを告げてくしゃみをした唯に私のお気に入りのマフラーを巻いてあげた。持ってきたはいいけど雨上がりの湿気の中で巻く勇気は長髪の私には無くて持て余していたところだから丁度いい。
 巻いてあげながら「ちゃんと説明して」と言うと、彼女はやっぱり困ったように「全部」とだけ答えるから私は余計に不愉快になって逆に質問形式で問い質して答えを導き出した。

 要するに今の唯は、何に悩んでいるのかわからないし何故私を誘ったのかもわからないし私の全ての問いに何を返せばいいのかもわからなかった、ということらしい。

 私の問いに答えられない理由は、もちろん唯自身に目的がないのだから仕方ないこと。

 何に悩んでいるのかわからない、というのは…きっとあれだ、漠然とした不安だ。「このままでいいのかな」っていう、他者と自分を比べてしまった時の不安。新しい環境で、唯は急激に多くのものに触れすぎたのかもしれない。良くも悪くもマイペースだった唯の、成長と言ってしまえばそれまでだけどそうとも言い切れないところ。

 そして、何故私を誘ったのか…って、そんなのどうせ唯のことだから「そこに澪ちゃんがいたから」とでも言うのだろう。


4: 2011/11/30(水) 18:03:45.86 ID:8fJ4TftWo



――違うよ。


 澪ちゃんなら、答えをくれる気がしたんだ、と。
 唯はハッキリそう告げた。振り返って、歩道橋から身を乗り出しながらそう告げた。その行動に意味はあるのか。無いんだろうなぁ。あぁ、背中押してやりたい。押したい背中。
 でも生憎私は答えを持っていない。唯に温かさも冷たさもあげることは出来ない。夜でも人を頭上から照らし続ける街頭のような頼りない温かさも、もしかしたら明日の朝には降るかもしれない雪のような喜ばしい冷たさもあげることは出来ない。

 だって、似たような悩みを抱えていたときはいつも誰かがそばにいてくれたから。

 だから、私に出来る事があるとするならば。答えを持たず、悩みを解消してあげることの出来ない私に出来る事があるとするならば。



5: 2011/11/30(水) 18:04:22.16 ID:8fJ4TftWo



「……付き合うから」


 唯の答えが出る時まで付き合うこと。それだけだろう。
 誰かが傍で待っていてくれる。時に支えてくれて、時に見ていてくれて、何よりいつまででも信じて待っていてくれる。
 それだけで案外、人は頑張れるものだ。自分の為ではなくその人の為に頑張ろうという気持ちになって、それがいつか自分に返ってくるんだ。

 今この時間に言える、止まない雨は無い、とか。
 明日の朝には言える、明けない夜は無い、とか。

 そんな陳腐でありきたりで何番煎じかわからない感動ポエムを送ることもできるけど、唯にインパクトのあるインスピレーションを与えるのにはそれらは全く向いていない。
 というか、もっと言ってしまえば唯みたいな脳内ショートケーキには言葉なんてきっと何の意味も成さない。心の奥底からの揺るがない気持ちと、それを唯の目に直接見せる行動だけが、きっと唯が理解できる全てだろう。

 私の考えや気持ちまで届いたかはわからないけど言葉は届いているようで、唯が唸りながら首を捻っている。もちろん私には背を向けたまま。
 そんなに難しいことを言った覚えも無いんだけどなぁ。

「唯?」

 声をかけながら唯の隣に並んでみる。眼下を走る鉄の塊を眺めているのかと思えば私に反応してちゃんとこっちを見る。首に巻いたマフラーを握り締めるその手には、どこか無駄に力が入っているように見えた。
 その手にばかり気を取られていたから、唯の表情には気づけなかったけど、


「……やだ。私そんな軽い女じゃないもん」


 ……その言葉の意味を理解した時、私はそのインパクトあるインスピレーションのお礼に左手を勢いよく振り上げた。

6: 2011/11/30(水) 18:05:13.22 ID:8fJ4TftWo

おわり

7: 2011/11/30(水) 20:09:18.43 ID:plG/ig/1o

8: 2011/11/30(水) 20:27:03.90 ID:8fJ4TftWo
どうでもいいけど誤字ってた

>>4
街頭じゃなくて街灯だね

9: 2011/11/30(水) 22:13:28.51 ID:Mev4wStw0
乙乙
すっきりしてるね
よい終わり方だ

引用元: 澪「拳骨ポエマー」