262: 2017/12/18(月) 23:20:36.42 ID:O0KD8HKMo

「~♪」


 吹き付ける風がとっても気持ちよくて、思わず歌ってしまう。
 伴奏は、風と、揺れる木々が奏でる音。
 それに合わせてランランと歌うだけで、特に曲は意識していない。
 ふふっ、これじゃあアイドル失格かしら?


「高垣さん」
「はい、何ですか?」


 観客は一人だけ。
 背の高い、無表情で、とっても可愛らしい彼だけ。


「あまり遠くに行くと、戻るのに時間がかかってしまいます」
「は~い♪」


 私達は、田舎の温泉街に来ている。
 ……と言っても、彼の担当する子達も一緒のロケ。
 此処には、お仕事で来ているのだ。


「あの……」
「うふふっ、だって、こんなに綺麗な空気の中をお散歩しないなんて、勿体ないと思いません?」
「……」


 彼は、右手を首筋にやりながら、困った顔をした。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(12) アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場 (電撃コミックスEX)
263: 2017/12/18(月) 23:32:07.08 ID:O0KD8HKMo

 けれど、あんまり困らせちゃ可哀想よね。
 だって、彼には無理を言って付き合ってもらってるんですもの。

 ……それにしても失礼しちゃうわ!
 高垣さんを一人で散歩に行かせるのは不安だ、って皆口を揃えて言うのよ。
 私だってね、子供じゃないんですから。


「私も、そう思います」
「ですよね!」


 あっ、話してた事と話してた事の答えが一緒で、大げさに答えちゃった。
 でも、この人も散歩するのは悪くないと思ってるのは、嬉しい。
 私の我儘に付き合わされてると思われるより、断然良い。


「ですが……残念ですが、もう戻りませんと」
「……はーい」


 渋々といった体で返事をしたけど、私だってわかってたのよ。
 だけどしょうがないじゃない。
 こんな機会、滅多に無いんだもの。


「撮影が終わったら……良い日本酒を用意していますので」
「まあ! 本当ですか?」
「はい」


 それを早く言ってくれれば良いのに!

264: 2017/12/18(月) 23:45:00.75 ID:O0KD8HKMo

「おっさけ~♪ おっさけ~♪」


 行きも帰りも楽しいというのは、とても素晴らしい散歩だと思う。
 見慣れない光景を映して進むのはワクワクするし、
戻ってからの楽しみがあると思うと、同じ光景なのに帰り道もまた違って見える。
 楽しみすぎて、歌に歌詞がついちゃったわ。


「戻ったら~♪ 温泉~♪ おっさけ~♪」
「……」


 少し後ろを歩く彼から、呆れるような気配が漂ってくるが気にしない。
 だって、今私がこんなにご機嫌なのは彼のせいなんですもの。
 呆れる資格なんて、ありませんからね。


「前半の撮りとテンションが違いすぎてしまうと思ったので……黙っていたのですが」
「私にお酒があると伝えて、失敗だと思いました?」
「半分成功で、半分失敗ですね」
「……?」


 どういう意味かしら?


「今の高垣さんは、とても良い笑顔をしていますから」
「あら、だったら次の機会があれば、今度は最初からお酒を――」
「――飲んでいて良い……と、言うと思いますか?」


 思いません。
 思いませんけど、


「ただ、言ってみただけです。うふふっ、タダ酒は美味しいって言うでしょう?」
「……」

265: 2017/12/18(月) 23:59:15.37 ID:O0KD8HKMo

 そんな、旅館への帰り道の途中で、ベンチに腰掛ける二人を見かけた。
 とても可愛らしいおじいちゃんとおばあちゃんで、穏やかに、とてもゆっくりとした時間を過ごしている。
 二人共浴衣姿なので、ご旅行にでも来てるのかしら。


「――こんにちは」


 おじいちゃんの方が、こちらの姿を見ると挨拶してきた。
 左手に杖を持ち、右手で帽子をひょいと持ち上げるのがとても様になっている。
 でも、挨拶されるとは思わなくて、ビックリしてすぐには返せない。


「――こんにちは」


 少し後ろから、彼の低い声が聞こえた。
 とっさの挨拶にもすぐ返せるのは、職業的なもの?
 私だってアイドルだけど……ちょっと、人見知りなのだ。


「こんにちは。ご夫婦で、ご旅行ですか?」


 だけど、ここで何も言えないでは負けた気がする。
 だから、挨拶に続く言葉は私が先に言ってやるんだから。


「こんにちは。ええ、ごめんなさいね。この人ったら、美人を見るといつもこうなの」
「まあ、私もそういう人に心当たりがあります」


 私達の視線に、おじいちゃんは帽子で顔を隠し、彼は右手を首筋にやって返した。

266: 2017/12/19(火) 00:13:37.99 ID:cpQj0swpo

「あら、とっても真面目そうに見えるのに!」
「……」


 おばあちゃんが驚いているが、事実だから彼は何も言い返せずにいる。
 可愛い子が居たら、すぐ笑顔が見たいって声をかけますものね。


「あいや! そいつはイカンよキミ!」


 おじいちゃんも、自分への追求を恐れてか彼へと口撃。
 ……した途端、隣に居たおばあちゃんに腕をつねられている。
 それがとても仲睦まじく、様式美のような流れに見えるのは、いつもの事だからだろう。
 うふふっ、とっても簡単に想像出来るのが不思議ね。


「おぉ、痛い痛い!」
「貴方が調子に乗るからですよ。人のことが言えますか」
「言えるともさ」


 おじいちゃんは、自信満々に言い切った。


「お前とこんな歳まで一緒に居るんだ。そりゃ言えるよ」


 呵呵と笑うおじいちゃんを、おばあちゃんは呆れ顔で見ている。
 私には、そんな二人がとても輝いて見えた。

267: 2017/12/19(火) 00:26:08.83 ID:cpQj0swpo

「だからキミ。こんな美人の奥さんが居たら、目を離しちゃイカンよ!」


 美人の奥さん。
 それは……もしかして、私の事を言ってるのかしら?


「待ってください。私達は、夫婦では――」
「何? まだ結婚してないのかい?」
「まだ、という話でなく――」
「あいや! そりゃあ尚更目を離せんな!」
「……」


 彼が頑張って口を挟もうとしているが、おじいちゃんの勢いに押されっぱなし。
 その様子が可笑しくて、私は笑う事しか出来ない。
 本当は何か言わなきゃいけないんだろうけど、駄目、笑っちゃう!


「うふふっ!」


 まさか、お散歩の帰り道で、こんなに面白いものが見られるだなんて!


「あの……笑っていないで、助けてください」
「ご、ごめんなさい……ふふっ! でも……あぁ、おかしい、ふふっ!」
「……」


 彼は何も言わず、笑う私をただ見ていた。

268: 2017/12/19(火) 00:41:20.66 ID:cpQj0swpo

「――ほら、あんまり引き止めちゃ悪いですよ」
「おおう、それもそうだな」


 おばあちゃんがおじいちゃんを窘めて、話はおしまい。
 あれだけ勢いがあったのに、ピタリとそれが止まるのは夫婦ならでは?


「いいえ、とても楽しいものが……うふふっ、見られましたから」
「そう言って頂けると助かります。主人も、余計な事を言っちゃったようですから」
「確かにその通り。キミ、すまなかったね」
「いえ……お気になさらず」


 心なしか、二人が彼に向ける視線が優しげになっている。
 さっきのやり取りで、そうなる理由があったかしら?
 けれど、優しげな視線を向けられて駄目な理由は無いわよね。


「それでは……失礼します」
「失礼します」


 私と彼は、二人揃って、おじいちゃんとおばあちゃんに軽く会釈。


「「良い旅を」」


 それに対して、綺麗に揃った二つの声が返された。
 私達は旅行で此処に来ているのでは無いし、この人達が思うような関係ではない。
 でも、それを今言うのは野暮というもの。
 だから、今はこう返すのが正解。


「「良い旅を」」


 二つの声が、綺麗に揃った。

269: 2017/12/19(火) 00:55:48.82 ID:cpQj0swpo
  ・  ・  ・

「とっても可愛らしい方達でしたね」
「……はい。私も、そう思います」


 もうすぐ旅館に到着する。
 お散歩は、帰り着くまでがお散歩だ。


「夫婦と間違われちゃいましたね」
「……」
「そんなに熱々に見えたのなら、ふぅふぅしないといけませんね」
「そうですね……とても、困りました」


 ええ、それは見ていてわかりましたよ。
 だけど……うふふっ、思い出しても笑えちゃう。


「だけど、これから温泉です。ふぅふぅしても、また温まっちゃうわ」
「……確か、水風呂があったと思います」
「まあ! 冷たいことをおっしゃるのね!」


 あのおばあちゃんなら、こんな時どうするかしら?
 ……あっ、そうだわ!


「えいっ」
「痛っ!? た、高垣さん!?」


 こうやって腕をつねれば良いのよね。



おわり

引用元: 武内P「便秘、ですか」