223: 2018/04/25(水) 23:31:56.74 ID:CDPImiM0o

「プロデューサーさん、お疲れじゃないですか?」


 千川さんが、心配そうに声をかけてくる。
 質問の体を取っているが、彼女には、私の疲労が溜まっているのはバレているのだろう。
 その証拠に、千川さんの手にはスタミナドリンクの大瓶がある。
 休めと言わないのは、言っても無駄だと、諦められてしまっているからか。


「ありがとう、ございます」


 スタミナドリンクを受け取りながら、礼を言う。
 千川さんには、いつも助けられてしまっている。
 彼女の業務内容に、私の体調管理は含まれていないのだ。
 いつか、きちんとしたお礼をしなければと思っているのだが、
そのタイミングはいつかと考えている内に、なあなあになってしまっている。


「……」


 パキリ、と、スタミナドリンクの蓋が開く音が、妙に大きく聞こえた。
 カチコチと、時計の針が進む音が、耳に響く。
 一体、どうしたと言うのだろうか。
 今まで、こんな風に感じる事は、無かったと言うのに。


「……やっぱり、無理があると思うんです」


 瓶を口につける直前、千川さんのつぶやきが届いた。
 声の調子はとても暗く、いつも明るく良い笑顔を向けてくれている、
彼女の普段の声のトーンとはかけ離れていた。
 しかし、私は、その言葉に反応出来ない……いや、しない。
 無理をしているのは百も承知で、言葉に出すと、認めてしまいそうだからだ。


「いただきます」


 今度こそ、スタミナドリンクを飲むため、瓶に口をつける。
 私のためを思っての差し入れが、私のためを思っての言葉を誤魔化す、良いきっかけになる。
 ある意味では、千川さんの優しさに甘え、利用していると言えるかもしれない。
 そんな、彼女の優しさの詰まったドリンクが喉を通り抜け、疲れた体に、活力を与えてくれる


「――ありがとう、ございます」


 空になったスタミナドリンクの瓶をデスクに置き、お礼を言う。
 この言葉は、差し入れに対してのお礼だけでは無い。


 ――心配してくれて、ありがとうございます。


「……はい、どういたしまして」


 千川さんは、空き瓶を渡すようにと、手を差し出してきた。
 そこまでしていただくのは申し訳ないが……甘えてしまおう。
 スタミナドリンクの、上の蓋の部分をつまみ、千川さんに差し出す。


「……どう、いたしまして」


 千川さんは、空き瓶をきゅうと強く握りしめた。
アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場(12) アイドルマスター シンデレラガールズ シンデレラガールズ劇場 (電撃コミックスEX)
226: 2018/04/26(木) 00:03:19.64 ID:5dOKcPTgo
  ・  ・  ・

「……ふぅ」


 作業が一段落したので、少しだけ、一息入れよう。
 これ以上通して作業をしても、効率が落ちるだけだ。
 シンデレラプロジェクトのメンバー14人に加え、
先の件でサポートに回っていただいた方達へのフォロー。
 更に、346プロダクション内だけでなく、ファンの方達も大きな関心を寄せている、
シンデレラプロジェクトの、二期メンバーの選出。


「……」


 やるべき事は、山のようにある。
 本来ならば、私一人で担当するのは、間違いなのだろう。
 人気も出て、仕事も多く入るようになってきたシンデレラプロジェクトの一期生。
 新人にしては、多忙すぎるとも言える彼女達には、
ユニット毎に、それぞれマネージャーをつけるなりの措置は……当たり前の事だ。


「……」


 だが、私は、それをしようとは思わない。
 彼女達、シンデレラプロジェクトのメンバーは、今が一番大切な時期なのだ。
 新人として、一つ壁を乗り越え、成長した事は担当として、とても嬉しい。
 しかし、この先も階段を登り続けるには、やはりまだ不安定な部分もある。


「休憩スペースに……いや、よそう」


 彼女達から、目を離す訳にはいかない。
 私は、約束したのだから。


 ――ちゃんと見ててよね。


 彼女達の成長を見守り……輝き、階段を登り続ける姿を見続ける、と。
 プロデューサーとアイドル以前の、私の大人としての、意地。
 頼ってくれる少女との約束を破るまいと言う、男の意地だ。


「……」


 椅子にもたれかかり、光り続けるパソコンの画面に目を向ける。
 そこに映っているのは、シンデレラプロジェクトのメンバーの姿。
 彼女達のキラキラと輝く笑顔は、輝く星空に、勝るとも劣らない。


「良い、笑顔です」


 そう……本当に、いい笑顔だ。
 こんな笑顔から――彼女達から、目を離してなるものか。

227: 2018/04/26(木) 00:30:22.88 ID:5dOKcPTgo

「……」

 彼女達と交わした約束以上に、強い想いが私を突き動かす。
 そのためならば、無理だと思われる事も、やってのけよう。
 他の誰にも、この役目を任せるつもりは、無い。
 何故ならば、彼女達のプロデューサーは、私だからだ。



「……プロデューサー」



 唐突に、声をかけられた。


「っ!?」


 今まで、一人で此処に居たはずだ。
 いつの間に、部屋に入ってきたのだろうか。
 それに、この距離に居て、声をかけられるまで気付かなかったとは。


「おはようございます、渋谷さん」


 自分でも、思っている以上に疲れが溜まっているのかもしれない。
 だが、それを彼女達――アイドルに、悟られる訳にはいかない。
 心優しい彼女達は、きっと、私の事を心配してくれるだろう。
 そう思える程の信頼関係を私が築けるとは思わなかった分、余計に思う。


 ――それだけは、あってはならない。


 そう、彼女達は、私などを心配するべきでは無いのだ。
 私の事で悩み、その笑顔に陰りが出るのは、断じて許されない。
 私は、プロデューサーだ。
 彼女達、アイドルの魅力を引き出し、より、輝かせるための役目を負った者が、
階段を登る彼女達の足をどうして引っ張ることが出来ようか。



「――ふざけないでよ!」



 デスクに叩きつけられる、渋谷さんの……少女の、小さな手。
 この手で、部屋に響く程の音を出すには、どれだけの力で叩きつければ良いのだろう。
 きっと、彼女の手の平は、かなりの痛みを訴えているに違いない。
 しかし、その表情は微塵もそれを感じさせる事なく、


「ふざけないでよ……!」


 激しい感情によって、既に歪まされていた。
 前にもこのような事があったが、その時とは、似ているようでまるで違う表情。
 以前の渋谷さんの表情が燃え盛る炎だとすれば、今は、土砂降りの雨と暴風。
 私は、慌てて彼女に、


「どうぞ、使ってください」


 ハンカチを差し出した。

228: 2018/04/26(木) 01:00:43.99 ID:5dOKcPTgo

「渋谷さん」


 差し出したハンカチは、受け取られない。
 吹き荒れる風は止まることなく、雨はさらに大粒となり降り注ぐ。
 それを拭うこと無く、渋谷さんは、真っ直ぐに私を睨みつけている。
 それが、彼女が、今こうしている原因が私だと、雄弁に物語っている。


「アンタ……本気で、今のままで良いと思ってるの!?」


 渋谷さんの言葉に、息を呑む。
 やはり、私の考えていなかった部分で、彼女達に迷惑をかけてしまっていたのだろうか。
 それに対して、彼女は、こうして抗議をしているのだろうか。
 だとするならば、もっと、


「申し訳ありません。何か、至らない点がありましたか?」


 もっと、頑張らなくては。
 そのために、彼女には具体的に問題点を挙げて貰おう。
 私が忙しいからと、遠慮をして、言い出せなかったのかも知れない。
 今後のために、それについても改善していかなければ。



「そういう事を言ってるんじゃない!」



 響く、怒声。
 眉間に大きな皺を寄せ、唇を噛み締める、その渋谷さんの顔。
 本来ならば、歪んでいると評するべき表情なのだろうが、
私は今の彼女を――


 ――美しい。


 と……そう、思う。
 だが、アイドル活動をする上では、眉間に皺が残るようではいけない。
 それに、艶のある唇に歯型がつくなど、事だ。
 そして、このままでは……嗚呼、瞼が腫れてしまうのは、避けられないかも知れない。


「アンタ、今……自分がどんな顔してるかわかってる!?」


 はい、わかっています。
 クライアントが最初に会うのは私ですから、身だしなみには気をつけてはいるつもりです。
 ですが、はい、何とも……しようがなく。


「……」


 右手を首筋にやり、無言で渋谷さんを見る。
 彼女に出会った頃よりも、かなり悪くなった……私の人相。
 元からあまり関わりのない方からも、言われる程のそれは、
渋谷さんからしたら、とても、みっともなく見えるのかも知れない。


「申し訳、ありません」


 貴女のプロデューサーとして、努力不足でした。

229: 2018/04/26(木) 01:29:21.11 ID:5dOKcPTgo

「……もう良い」


 渋谷さんはデスクに乗せていた手をどけ、袖で、顔を拭いた。
 ハンカチを受け取る気はない、という意思を感じる。
 しかし、もう良い、とはどういう意図で放った言葉なのだろう。



「目を離したら承知しないって言葉、取り消す」



 ……今、何と?


「目を離しても良い。ずっと見てなくて良い」


 ……待ってください。


 待ってください! お願いします! 待ってください、渋谷さん!


「待ってください! 私は、まだ!」


 まだ、貴女を見続けていたいのです!
 だから、どうかそんな事を言わないでください!
 私は、階段を登り続ける貴女を見続けていたい!
 その役目は、決して、誰にも譲りたくはないのです!


 だから――!


「だからっ! だから……プロデューサー……」


 ……何てことだ。



「‘ちゃんと’見ててよぉ……!」



 私は、私の思いを優先するばかりに、彼女の思いやりを無にする所だったのか。
 

「う、えっ、ぐ! ふっ、ううう~っ!」


 先程までよりも、激しく溢れ出す――涙。
 大人びて見える彼女も、まだ、十五歳の少女なのだ。
 そんな渋谷さんに、泣きながら叱られてしまっている。
 これでは、大人失格だ。


「すみません……すみません、渋谷さん」


 泣きじゃくる渋谷さんの顔に、ハンカチを当てる。
 それを払われたらどうしようかと一瞬考えたが、無駄な心配だった。
 両手をダランと横に下げ、彼女はされるがままになっている。


「すみません……ありがとう、ございます」


 渋谷さんは、泣きながらコクリと頷いた。

230: 2018/04/26(木) 02:04:49.05 ID:5dOKcPTgo
  ・  ・  ・

「……ふぅ」


 休憩スペースに設置された椅子に座り、缶コーヒーを飲んで一息つく。
 座ったまま、姿勢を正して背筋を伸ばすと、大分筋肉が固まっていたのがわかる。
 しかし、この程度なら問題はない。
 この位の疲労なら、十分許容範囲内だろう。


「……」


 あの日から、私は行動を少し改めた。
 彼女達と接する時間は減ってしまいはしたが、
それにより、結果的に今までよりも密度の高い時間になるようになった……と、思う。
 理由は、笑顔。
 以前よりも、彼女達の笑顔の輝きが、より強くなったように見えるからだ。


「……」


 接する時間を減らすと、メンバー達に伝える時は、不安だった。
 しかし、起こったのは――歓声だったのだ。
 どうやら、私の体調を彼女達はとうの昔に心配してくれていたようなのだ。
 皆、口々に「良かった」と言っているのを見て、私は大いに反省した。


「……ふぅ」


 プロデューサーは、アイドルをより輝かせるための存在だ。
 だが、どんな言い訳をしようと、人には限界というものがある。
 その限界を越えた先にあるのは、破綻しかない。


「……」


 私は、彼女達を導き見守るどころか、迷わせ目をそらしていた。
 いや、目がくらんでいたのだ。
 彼女達の輝きと、それを見続けたいという己の欲望に。


「……よし」


 そろそろ戻り、仕事を再開しなくては。



 気をつけてはいるものの、未だ、時々「働きすぎだ」と叱られてしまう。
 しかし、その時は、大人しくそれを聞き入れ、休むようにしている。
 そうでなければ、私の……そして、彼女の望みを叶えられない。


 ‘ちゃんと’見る。


 そのためならば、何だって受け入れようではないか。
 私が、彼女達の担当であり続けるために。
 彼女達の、素晴らしい輝きを見続けるために。
 ……この役目は、誰にも譲れない。


 私は、とても強欲なプロデューサーだ。



おわり

引用元: 武内P「あだ名を考えてきました」