1: HAM ◆HAM.ElLAGo 2018/04/07(土) 21:20:03 ID:8uyxuEAo

カランコロン

BARの扉を開けると、小気味いい音が響いた。

何度となく聞いた音だ。

僕は今日も、この音を聞いて気を引き締める。

「やあ、隣いいかな?」

僕は今日も、彼女に声をかける。

2: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 21:25:46 ID:8uyxuEAo

「ちょっと飲みすぎじゃない?」

「いーいーのーよー、今日くらいっ」

彼女は酒が大好きなようだ。

今日もすでにたくさん飲んだ後だった。

「なにかあったの? 今日?」

「部長に怒られたのー! 服装がなってないとかー! 言葉遣いが間違ってるとかー!」

「へえ、それは大変だ」

3: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 21:34:10 ID:8uyxuEAo

彼女はいつも愚痴を言う。

日によって少しずつ違うようだけど、基本的には仕事がうまくいってないという内容だ。

彼女の部長さんは彼女に期待しているのか単に嫌味なのか、よく彼女に当たるようだ。

「なんかー、TKOだかPTAだかがナントカカントカってー」

「TKO?」

「TKOってなに?」

「ボクシングの、なんかヤバめのノックアウトじゃない?」

「へー、ボクシングとか詳しいんだ、なんか意外、うふふ」

別に詳しくはないけどね。そう心の中でつぶやく。

4: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 21:41:46 ID:8uyxuEAo

「TKOは関係ないと思うよ?」

「じゃあPTAだったかな?」

「それあれでしょ、小学校とかの保護者会でしょ」

「服装それ関係ある?」

「ないな」

「ないのか」

「あ、服装がオバサン臭かったとか?」

「バカ!! 失礼!! セクハラ!!」

5: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 21:48:07 ID:8uyxuEAo

「それはね、多分TPOに合ってない、って言いたかったんじゃないかな」

「ああそれ! そんな感じのこと言われたの!」

だろうね、と心の中でつぶやく。

似たようなやりとりは、前にもあった気がする。

「で、なんだっけ、TPOって」

「時と場合と、場所? それに合ってない服装をしていたんじゃないかな」

「今日の、この服、だめ?」

「んー、ちょっと胸元開きすぎ?」

「えろい?」

「えろい」

6: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 21:59:21 ID:8uyxuEAo

ふふーん、と言って、彼女は少し上機嫌になった。

えろいと言われて嬉しいのか。

取引先にこの服で行ってたんだとしたら、確かにTPOに合ってない。

いつもはもう少しおとなしめの服装で来ているのに、今日はなんだか珍しい。

だけど僕はどういう言葉をかければいいかわからなかった。

だからちょっと誤魔化して言った。

「いつもそんなセクシーな服を着ているの?」

7: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 22:07:00 ID:8uyxuEAo

「んー、いつもってわけじゃないけど、今日はちょっとおしゃれしたい気分だったの」

「取引先に行く予定なんて聞いてなかったし」

「そんな予定聞いてたら、もうちょっとおとなしい服で行ってたし」

「あーもう、だから部長の言うこともわかるんだけどさー」

「なんかさー、腑に落ちないっていうかさー」

「あー!! もう!!」

そう言いながらまたお酒をあおった。

8: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 22:12:40 ID:8uyxuEAo

「見返したいんだ? 部長さんのこと」

「んーまあ、ねえ……」

「部長さんっていえば、かなり偉い人でしょう?」

「まあ、そりゃ」

「そんな人が、末端の服装にまで気を配ってくれるのって、すごいことなんじゃない?」

「末端……」

「ね?」

「むう、あんたわりと若造のくせして核心をついたことを言うわね」

「若造……」

9: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/07(土) 22:19:30 ID:8uyxuEAo

「ねえ僕、何歳くらいに見える?」

「キショイそれ言って許されんのは妙齢の女性だけだからね」

「キ……」

「あんたなんか、20そこそこでしょ、酒飲めるようになってすぐでしょ」

「んー、ふふふ、ほんとは100くらいだよ」

「なにそれ面白くない」

でも、本当のことだった。

11: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/08(日) 20:48:43 ID:V3W1cuJ.

―――
――――――
―――――――――

「今日は僕のおごりです、だからあまり無茶な飲み方をしないように、ね」

「えーまじ? やったー! タダ酒だー!」

今日何杯目かわからない、きつめの酒をあおる。

「ほらほら、もっと上品に、ゆっくり飲んで」

「いいのいいの、タダ酒は遠慮せず、ってのが私のモットーなのでして、はい」

知っている。

「たまーにこう、あなたみたいな人がね、同情しておごってくれたりするしね」

別に同情じゃないんだけどな。
気分だよ、気分。

12: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/08(日) 20:56:48 ID:V3W1cuJ.

「ふんふふふ、ふんふんふんふ、ふんふふふん♪」

突然、彼女は鼻歌を歌いだした。

これもいつものことだ。

いい感じに酔いが回ってくると、機嫌が良くなって歌いだす。
結構な量を飲んでいたと思うんだけど、これでもまだ「ほろ酔い」なのか。

その歌は僕も知っていた。
大好きな曲だ。
何年か前にはやった有名な曲だった。

「ふふふふん、ふん、ふん、ふふふふん♪」

彼女はとても上機嫌だった。

13: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/08(日) 21:04:10 ID:V3W1cuJ.

「あ、あなたはなに飲む? 私もう一回同じのね! おにーさん!」

「じゃあ僕は……緑色のお酒をください、おにーさん」

「緑色!? 色を指定するって珍しいわね、あなた」

「ちょっとね、緑色が好きなもので」

「ふうん」

本当はあまりお酒に強くない。
だけど、彼女となら、飲んでいて楽しい。
たとえそれが愚痴だらけだとしても。

「おしゃれな飲み方するのね」

そう、呆れながらも褒めてくれることが、嬉しい。

14: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/08(日) 21:14:49 ID:V3W1cuJ.

味わうように、ちびりちびりと飲む。
彼女の愚痴を聞きながら。

「なーんで私の周りにはいい男がいないんだろー」

今日は男運の話らしい。

「そりゃ絶世のイケメンじゃなくったっていいよ? でもね? 年齢近い男すらほとんどいないのよ?」

いないらしい。
僕にどうすることもできないが。

「あなたはどうなの? 彼女いないの? それとも奥さんか」

「……いないよ」

「……そーよねー、いたらこんな日にBARで一人で飲んでないわよねー」

15: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/08(日) 21:25:49 ID:V3W1cuJ.

彼女とか奥さんとか、僕には不要のものだ。

歩む時が違いすぎる。
仮初の関係に、なんの意味があるだろう。

だから僕は、一人BARでさみしく飲みつつ、彼女の話に耳を傾ける。
それが十分な幸せだった。

「いつか、いい男と出会えるよ」

僕は、形だけの気休めを言う。

「……変なの」

16: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/08(日) 21:36:40 ID:V3W1cuJ.

「変って、なにが?」

「ふつうこういう時はさ、大して気がなくてもさ、『僕がいるよ』くらい言わない?」

「……僕、そんな気障なタイプに見えるかな」

「口説くってまではいかなくてもさ、『君の周りは見る目がない男ばかりだね』とかさ」

まあ、それは思うけど。
実際、彼女は美人だ。
酒を飲んでいる姿は決して上品ではないし、むしろ男が敬遠するタイプの飲み方だが。

「こんな美人を放っておくなんて、君の周りの男たちはみんな甲斐性なしだね」

「そうそう! そういうセリフ!」

17: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/08(日) 21:45:36 ID:V3W1cuJ.

「とりあえずリクエストにお答えして言ってみただけだよ」

「わかってるわよう、どうせこんなBARで運命の出会いとか期待してないわよ」

時折ふっと見せる憂鬱と諦めの中間のような表情が、とてもきれいだ。

カウンターのおにーさんが、こちらをちらっと見た。

「こんなBAR」はまずかったらしい。そりゃ気に障るよね。

「おにーさん! おかわり!」

そしてまた、居酒屋のように注文する。
よく飲む人だ。

「ほら、あなたも! もっと飲みなさい! また緑のでいいの?」

「そうだね、緑で」

20: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 21:14:18 ID:tOwbD2fk

―――
――――――
―――――――――

「どうして緑色が好きなの?」

「……昔、好きだった人が弾いていたギターの色が、緑色をしていたから」

僕はそう答えた。
嘘はない。
それがなぜお酒にも影響しているのかは、僕にもわからない。

「あー、ギター、格好いいよね」

じゃーん、と、彼女はギターを弾く真似をする。

「音楽するの?」

「いや、僕はしないよ」

あれは真似できないな。
僕には到底無理そうだ。
どれだけ長く生きていても、無理そうだ。

21: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 21:20:36 ID:tOwbD2fk

「僕っていうの、なんか似合わないね」

「そう?」

僕は僕だ。
変かな。

「まあ、自由だけどさ」

「今日は優しいね」

「私はいつでも優しいのよ!」

「そっか」

部長にも、周りの頼りない男どもにも、彼女は不必要に悪いことは言わない。
愚痴は言っても、自分で反省することが多い。
それは彼女の美点だと思う。

22: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 21:25:44 ID:tOwbD2fk

「『今日は』って、私、普段は優しくないように見えた?」

おっと危ない。
なんだか変なことを口走らないように気をつけないと、

「あいにく酔っぱらってない時を知らないので、わからないな」

「あ、言ったな」

僕たちは何度も一緒にお酒を飲んでいる。
だけど、そのことを彼女は知らない。

23: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 21:34:57 ID:tOwbD2fk

「ねえ、酔い覚ましに付き合ってくれない?」

彼女が赤い顔でそう言いだした。
いつものことだ。
僕に異論はない。

「ね、おにーさん、お会計」

僕が財布を出そうとすると、彼女がそれを止めた。

「いいからいいから、ここは私が出すから」

珍しい。
こんなことは初めてじゃないか?

「あんたみたいな若い子に出させるほどお金に困ってないから」

「……ごちそうさまです」

24: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 21:40:46 ID:tOwbD2fk

「ごめんねー、愚痴ばっか聞いてもらっちゃって」

「いえ」

慣れてますから、とは言わないでおいた。

「あんたもストレスあるだろうし、BARでさらにストレス溜めちゃってたら申し訳ないからね」

「だからそのお礼に、ってことで」

「……ごちそうさまです」

素直におごってもらうことにした。
相手によってさまざまに対応が変わる。
その日の気分によって行動が変わる。
やっぱり人間ってのは、面白い。

25: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 21:47:23 ID:tOwbD2fk

だけど、僕もそういえばおごってあげたことがある。
あれも、ただ単なる気分だった。
気まぐれだった。
あの日、なにかが特別ってこともなかった。

僕も、人間らしくなっているのだろうか。
100年も生きて、少し人間らしくなれただろうか。

「僕、どう見える?」

「突然なに?」

「僕、あなたから見てどう見えている?」

「んー? うふふ、可愛い」

「可愛い?」

「面白くて可愛い存在」

26: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 21:56:45 ID:tOwbD2fk

風通しの良い、高台の公園で、酔いを醒ます。
風に髪がなびいて、とてもきれいだ。

夜景もすごくきれいな場所だが、それよりも彼女を見ていたい。

「あー、酔っぱらっちゃった」

「いつもこんな風に飲むの?」

「まあ、お酒で仕事のストレスを忘れるってのが、私の日課でね」

「そんなにストレスが溜まるもの?」

「ま、私、要領がよくないからね」

そんな風に自虐的に言って、笑う。

27: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/10(火) 22:09:26 ID:tOwbD2fk

「明日は、頑張れそう?」

「そうね、たくさん愚痴聞いてもらっちゃったし、引きずっちゃだめよね」

「そうそう、気分を入れ替えて、ね」

「うん、ありがとう」

いつも仕事で辛そうな彼女は、見ていて痛々しい。
「よし、頑張ろう!」と前を向いていてほしい。

「よし、明日も頑張ろう!」

そうして、「おやすみ」を言って、僕たちは別れる。

30: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 21:36:01 ID:hqLvDnAE

―――
――――――
―――――――――

いつも、ここで、お別れだ。

酔いが醒めたら、彼女はまた自宅に戻ってゆく。

そして、また明日の生活に向けて気分を入れ替えてゆく。

それを僕は、巻き戻す。

もう一度、今日を繰り返す。

不幸な明日を迎えないために。

今日もまた、そうなるはずだった。

31: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 21:40:03 ID:hqLvDnAE

「ねえ、私たち、今日が本当に初めて?」

別れのあいさつではなく、彼女はそんなことを言い出した。
僕はびっくりしすぎて、一瞬時が止まってしまった。
こんなことは初めてだ。

「初めてだ……」

「本当に?」

「あ、いや、今の初めてってのは……」

僕は言い淀む。
口が滑ってしまった。
口が滑ったついでに、言ってしまおうか。
すべて、言ってしまおうか。

これもまた、気分だ。

32: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 21:44:17 ID:hqLvDnAE

「君が、『私たちは本当に初めて?』なんて聞くことが、初めてなんだ」

「……どういうこと?」

「つまり、今までの君は、それに気づきもしなかったってこと」

「……」

考え込んでいる。

僕の存在を訝しんでいる。

まあそりゃ、そうだよね。
初めて飲んだ日に、なにか違和感があって言ったとしても、変な返しをされたんだから。

33: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 21:57:28 ID:hqLvDnAE

「私、何度かあなたとお酒を飲んでいる?」

「うん」

「あのBARで?」

「うん、いつもあのBARで」

それにしても、どうして彼女は違和感を持ったのだろう。
僕は失言をしただろうか?
でも酔っぱらっていたのだから、少々の失言はスルーされるものと思っていた。

いつもと違う雰囲気だっただろうか?
変なしゃべり方をしただろうか。

34: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:03:56 ID:hqLvDnAE

「どうして、僕たちは初めてか、なんて思ったの?」

そこが気になる。

「僕たち、本当は、世間的には、今日がはじめましてのはずなんだけど」

BARの店員さんや、他のお客さんで、そこが気になった人はいないはずだ。

「なんかね、怪しかったんだ」

「するっと私の心に寄り添う感じが」

「初めて会ったはずなのに、なんか、心地よくて。心地よすぎて」

「あれ、これは私のことを知ってるぞ、とね、どこかで思ったんだ」

35: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:12:57 ID:hqLvDnAE

積み重ねか。

僕はいつの間にか、彼女のことを知りすぎていた。

愚痴に対する相槌も、こなれてきていたのかもしれない。

「あー、そうだよねーわかるー」みたいに。

「あーあの部長ねー、だよねだよねー」みたいに。

いやもちろんそんな言い方はしていないが。

36: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:22:04 ID:hqLvDnAE

「なんか性欲に任せて若いねーちゃんを口説きに来てる感じでもなく」

「常連って感じでもないのに、店のことをよくわかってる感じだったし」

「他にも若くて可愛い子いるのに、私のところにまっすぐ来るし」

見抜かれている。
僕は少々、彼女に入れ込みすぎてしまったようだ。

「あなたみたいなお爺さんが、どういう目的で私に話しかけにきているか、よくわからないんだけど」

37: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:28:03 ID:hqLvDnAE

「信じてもらうのは、少々難しいかもしれないけど……」

「僕は、実は神様でね」

「……」

「たまたま入ったBARで、君のことを見つけて、気になって」

「それで話してみたら気のいい人で」

「ああ、いいお酒だった、と思って別れるわけだよ」

「明日も行ってみようかな、なんて思ってね」

「そうしたら、明日、君はあのBARにいない」

38: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:34:42 ID:hqLvDnAE

「そりゃ、別に毎日毎日行ってるわけじゃないし……」

「そう、僕もそう思ってまた出直したんだ」

あの頃、君を待つってことが、どんなに楽しみだったか。
あの素敵な笑顔と一緒に、またお酒を飲むってことが、どれだけ僕の心を躍らせたか。

「だけど、君は、来なかった」

「ひと月経っても、来なかった」

「さすがにBARの店員さんに怪しまれたよ、毎日君を待っている僕のことを」

39: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:45:56 ID:hqLvDnAE

「だから、君にきっと不幸があったんだって、思った」

「調べて、そして、それはやはり正しかった」

「だから僕は、君に不幸が訪れる明日のことを、迎えたくないんだ」

「だから僕は、今日、君とお別れしたら、また今日を繰り返すんだ」

僕は一気にしゃべった。
これは人間への過干渉かもしれないが、でも、まあ大目に見てくれるだろう。
なんせ僕が神様なんだから。

僕を罰する人は、いないんだから。

40: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:52:00 ID:hqLvDnAE

「私には明日は来ないの?」

「……来ないというか……僕が止めてしまったというか……」

「だけど私にとっては不幸な明日だとしても、他の誰かの『幸せな明日』かもしれないのに?」

「それは……考えなかったな……」

「神様って、結構自分勝手なのね」

「そりゃあ、そうさ」

41: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 22:59:49 ID:hqLvDnAE

「あなた、いつもいつも同じことを言ってた?」

「同じ格好で?」

「同じお酒を?」

違う。
僕は時々気まぐれに、全然違う人間に化けて君の前に姿を現していた。

「いや、いつも話す内容は君に合わせて変わってたよ」

「僕の方は、青年のときもあれば、中年男性のときもあったし、女性のときもあったよ」

「まあ、青年の姿のことが多いかな」

42: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/12(木) 23:07:01 ID:hqLvDnAE

「お酒は?」

「ああ、それは、いつも大体同じだったよ」

「緑のお酒?」

「そう」

「緑のお酒が好きっていうのは、本当なのね」

かといって、店員さんがいつも同じものを出してくれたわけではなかった。
炭酸がきついときもあれば、南国系の甘ったるい時もあった。
僕の姿によって、店員さんも出すお酒を変えていたのかもしれない。

そう思うと、色んな姿で同じ行動をするってことは、なかなか発見のある面白い試みだったかもしれないな。

45: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 19:52:29 ID:h016hzZA

「ね、明日私は、どういう不幸を経験するの?」

「それを回避する術はないの?」

「だって、ずっとこのままじゃ、他の人に迷惑じゃない」

回避する方法。
あると言えばある。
今まで彼女が僕にそんな風に聞いてくること自体がなかったから、忠告もできなかった。

だけど、彼女が不幸を回避しようとしてくれるなら。

僕の言葉をちゃんと信じてくれるなら。

もしかしたら、彼女の不幸は霧散するかもしれない。

46: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 20:07:43 ID:h016hzZA

「まず、ね、明日はヒールを履かないこと」

「ヒール……うん、わかった」

「それから、カバンに入れてある大事な書類は、ビニールに入れて保護すること」

「……うん、帰ったらすぐやる」

「あとマスクね。カバンに入れておいた方がいいと思うな」

「マスク……ふつうの風邪のとき用のでいいの?」

「うん、それで大丈夫」

47: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 20:18:24 ID:h016hzZA

「え、それだけなの?」

「うん、まあ、僕からできるアドバイスはそれくらいかな」

「それを怠ると、私はどうなるの?」

「聞きたい?」

「……聞きたいよ」

「本当に?」

「……怖いけどね」

「……まず、君は出勤途中に駅の階段で足を踏み外す」

「……う」

「高いヒールのせいだね」

48: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 20:26:32 ID:h016hzZA

「そこで顔から落下し、前歯を折る」

「……」

「それから庭の水やりをしているおばさんに水をかけられ、カバンも含めてびしょぬれになる」

「……」

「持ち前のファイトで出勤するも、大事な商談にそのまま参加することになる」

「……あるわ、明日商談あるわ」

「大事な書類は濡れているし、笑顔は見事な歯抜けだしで、商談はパァ」

「……」

「怒り狂った上司によって厳しく叱責され、出勤する意欲を失い、絶望し……」

「……」

49: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 20:40:14 ID:h016hzZA

「BARで憂さ晴らしする気力もなくなり、実家に逃げ戻り、無職となる」

「……」

「……って感じ」

「え、氏なないの!?」

「し、氏なないよ!?」

「え、氏なないの!? 私!?」

「氏なないよ!? なんで氏ぬと思ったの!?」

「あなたが『不幸』とか紛らわしい言い方するからじゃん!!」

50: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 20:48:28 ID:h016hzZA

「……わかった」

「無理してヒールを履かなけりゃ、階段を踏み外す心配も減ると」

「さらに書類を濡れないようにビニールで守っておくと」

「万一歯を折っても、マスクがあれば少しは隠せると」

「そういうことね?」

すべてがうまくいくとは限らない。
だけど、起こるらしい未来に対して防衛策を講じれば、少しはマシな未来になるかもしれない。

「もしかしたら、また別の不幸が起こるかもしれない」

「だけど、今言ったことは、防げるかもしれない」

51: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 21:05:39 ID:h016hzZA

「……よっし、頑張ってみる」

「私の不幸を、吹き飛ばしてみせる」

「なにがなんでも、明日もBARで飲む」

「だから……ふつうに、明日を迎えさせて?」

酔いのさめたすっきりした目で、彼女は僕を見て言った。
素敵だ。
お酒を飲んでいない時の彼女も、きっととても素敵な女性なんだと思う。

「……わかった」

永遠なんて、どうせないってわかってた。
何度今日を繰り返したところで、彼女の不幸を先延ばしにしていただけだ。
歩みを止めていただけだ。

52: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 21:12:35 ID:h016hzZA

「じゃあ、おやすみ」

「面白かったよ」

彼女はあっさりと別れを告げた。
僕がまた性懲りもなく今日を繰り返しても、彼女は気づかない。
今の会話はなかったことになる。
でも、僕は繰り返しをやめてみようと思う。

楽しみだった。

久しぶりの明日が。

53: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 21:22:08 ID:h016hzZA

―――
――――――
―――――――――

カランコロン

BARの扉を開けると、小気味いい音が響いた。

何度となく聞いた音だ。

昨日と同じ音だ。

だけど、いつもと違う気分になるのは不思議だ。

「やあ、隣いいかな?」

僕は今日も、彼女に声をかける。

54: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 21:30:09 ID:h016hzZA

「あれ、今日は若造バージョンか」

すぐに見抜かれた。

「どうしてわかった?」

「だって、しゃべり方が同じじゃん」

そう笑って、僕のために「緑のお酒」を注文してくれた。
店員さんは少し怪訝な表情。

55: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 21:39:42 ID:h016hzZA

「今日こうしてお酒が一緒に飲めるってことは、大きな不幸はなかったのかな?」

「まあね、あんたのアドバイスのおかげ」

昨日は「あなた」だったのに、今日は「あんた」と呼ぶ。
やっぱりこの姿はなめられやすいらしい。

「ありがと」

礼を言われるほどのことはしていない。

僕は自分の都合で時間を巻き戻していただけだ。
不幸になる君を見たくなかっただけだ。

56: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 21:47:40 ID:h016hzZA

「さ、おいしいお酒を飲みましょ!」

「今日は愚痴は?」

「ないない! 部長も優しかったし!」

けらけらと笑い、強いお酒をぐっと飲む。

「で、明日は私、なにに気をつけたらいいの?」

「知らない!」

僕の知らない、今日が来た。
それはなかなか、刺激的な経験だった。


★おしまい★

57: HAM ◆HAM.ElLAGo 2018/04/15(日) 21:52:06 ID:h016hzZA
めっちゃ久しぶりのSSです
「ずっと明かりの消えた街で」に出てきた少年(青年?)再び、です

    ∧__∧
    ( ・ω・)   ありがとうございました
    ハ∨/^ヽ   またどこかで
   ノ::[三ノ :.、   http://hamham278.blog76.fc2.com/
   i)、_;|*く;  ノ
     |!: ::.".T~
     ハ、___|
"""~""""""~"""~"""~"

58: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 22:02:58 ID:6tzbNXdY

59: 以下、名無しが深夜にお送りします 2018/04/15(日) 22:28:11 ID:gamym1oM
おつ

引用元: 男「この夜は僕らのもの」