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                   【Main Episode】


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                   【Main Episode】
718:2015/04/17(金)22:00:18 oaL


1945年8月9日 


( ・`ω・´)「ベトナムにある”南方軍・総司令部”から呼び出しが来たよ」 

( ・`ω・´)「独立準備委員会も設立したばかりなのに、一体なんだろうね?」 

(^)'・▲・`(^)「独立も間近なんだし、悪い話じゃなければいいけど…」
719:2015/04/17(金)22:01:33 oaL
1945年8月11日 

ベトナム・サイゴン郊外ダラト:日本軍 南方軍 総司令部
720:2015/04/17(金)22:02:31 oaL
彡(゚)(゚)「私が南方軍総司令官の元帥・寺内寿一だ」 

彡(゚)(゚)「今日君たちを招待したのは他でもない」 

彡(゚)(゚)「君たちの”インドネシア独立”が認められることになった」 

彡(゚)(゚)「来月の7日は”小磯声明”の一周年だ」 

彡(゚)(゚)「その日、君たちインドネシアは独立する」 

彡(゚)(゚)「今日はそれを祝して、私たちからささやかなセレモニーを贈らせてもらう」 

彡(゚)(゚)「おめでとう、君たちの念願はようやく叶うんだ」 


日本の制空権、制海権が奪われ、東京への交通が確保できない現状。 
日本は、南方軍総司令部が代行として、インドネシアの独立承認を告げました。
721:2015/04/17(金)22:03:34 oaL



(^)'・▲・`(^)「おめでとう、遂にここまで来たね」 

( ・`ω・´)「うん、いよいよ独立だ」 

( ・`ω・´)「これまで本当に、長かったなぁ…」
722:2015/04/17(金)22:04:44 oaL


シンガポール 


( ・`ω・´)「さて、急いでジャカルタに戻らないと…」 

(・民・)「あ、スカルノさん」 

( ・`ω・´)「あれ?あなたはマレー半島の民族主義運動家さん」 

( ・`ω・´)「何かごようですか?」 

(・民・)「いや、特に用という程のことではないんだけどね…」
723:2015/04/17(金)22:05:55 oaL

(・民・)「聞いた話じゃ、日本は敗色濃厚だそうじゃない?」 

(・民・)「なんでも”凄まじい破壊力の爆弾”が落とされたとか…」 

(・民・)「いよいよ戦争が終わるのかねぇ」 

( ・`ω・´)「そうですねぇ…」 

( ・`ω・´)「でも、こっちにいる日本軍はまだまだ元気ですからね」 

( ・`ω・´)「さっき南方軍の総司令官さんとも会ってきたんですが、そんなそぶりは微塵もありませんでしたし」 

( ・`ω・´)「この戦争はもうちょっと続くんじゃないでしょうか?」 

(・民・)「そんなもんかねぇ…」
725:2015/04/17(金)22:06:53 oaL
1945年8月14日 

ジャカルタ空港
726:2015/04/17(金)22:07:56 oaL

( ・`ω・´)「みなさま!お待たせしました!」 

( ・`ω・´)「”今やトウモロコシの花は咲く寸前だ!”」 

( ・`ω・´)「遂に、インドネシアの独立が承認されたよ!」 

( ・`ω・´)「近いうちに、ぼくたちは独立するんだ!」 




( ・◇・)「……ねぇ、知ってる?」 

(´・ω・`)「うん、ソ連がこの戦争に参戦したんでしょ?」 

(´・ω・`)「爆弾で日本は焼け野原だって話もあるし、いよいよ日本は……」
728:2015/04/17(金)22:08:57 oaL
1945年8月15日 


その日の午後、”日本が敗戦した”という噂が、各地で流れ始めます。
729:2015/04/17(金)22:09:58 oaL


( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………いや、噂なんか信じないぞ」 

( ・`ω・´)「だって軍の人たちは昨日まで、あんなに元気だったじゃないか」 

( ・`ω・´)「それが今日突然”敗戦”だなんて………」 

( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………念のため、確認しに行こう」
732:2015/04/17(金)22:11:07 oaL


[陸軍・軍政監部] 


( ・`ω・´)「こんにちは、スカルノです」 

( ・`ω・´)「どこも”日本が敗戦した”という噂で持ちきりです」 

( ・`ω・´)「この噂の真偽を確かめに来ました」 

( ・`ω・´)「どうか西村少将のお話をお聞かせ下さい」 

(・日・)「………少々お待ち下さい」
733:2015/04/17(金)22:12:09 oaL


(・日・)「………お待たせしました」 

( ・`ω・´)「それで、何と?」 

(・日・)「………」 

(・日・)「………残念ですが、西村少将との面会はできません」 

(・日・)「………ただ、伝言があります」 

(・日・)「………”独立への援助ができなくなった”」 

(・日・)「………以上です」 

( ・`ω・´)「そうですか…」
734:2015/04/17(金)22:12:54 g9x
察し
735:2015/04/17(金)22:13:14 oaL


( ・`ω・´)「とても嫌な予感がする、どうしよう…」 

( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「…そ、そうだ!」 

( ・`ω・´)「武官府の前田少将に話を聞きに行こう!」 

( ・`ω・´)「彼ならきっと何か知っているはずだ!」
736:2015/04/17(金)22:14:16 oaL


[海軍・武官府] 


彡(゚)(゚)「…待たせてすまんな」 

( ・`ω・´)「いえ、それよりも…」 

( ・`ω・´)「………一体、これはどうなっているのですか?」 

彡(゚)(゚)「………」
738:2015/04/17(金)22:14:59 g9x
友好な関係を築けてたんやなぁ
739:2015/04/17(金)22:15:44 oaL

彡(゚)(゚)「………」 

彡(-)(-)「………」 

彡(-)(-)「………すまん、ワイにもまだ正式な通知は来とらんのや」 

彡(-)(-)「せやから、今この場で答えられることは何もないんや」 

彡(-)(-)「せやけど、通知を受け取ったら必ずお前にも知らせるわ」 

彡(-)(-)「………ホンマにすまんな」 

( ・`ω・´)「……分かりました、ありがとうございます」 


前田の苦悩に満ちた表情。 
それは日本の敗戦を窺わせるには、十分なものでした。
740:2015/04/17(金)22:16:47 CuS
悲しいなぁ…
741:2015/04/17(金)22:16:50 oaL
1945年8月15日夜 

[スカルノ邸]
742:2015/04/17(金)22:17:33 oaL


(^)'・▲・`(^)「今日は大変な一日だったね…」 

( ・`ω・´)「きっと明日も大変だよ、一体この先どうなるのやら…」 

(^)'・▲・`(^)「先が思いやられるね…」 

(^)'・▲・`(^)「それじゃ、ぼくはこれで」 

( ・`ω・´)「うん、おつかれさま」 

(^)'・▲・`(^)「………ん?なんだ、あれは?」 





(*^◯^*)「待っていたんだ!スカルノ!」 

( ・`ω・´)「!?」 


帰宅したスカルノたちを待ち構えていたのは”青年グループ”でした。
744:2015/04/17(金)22:18:36 oaL


( ・`ω・´)「一体何の用だ?」 

(*^◯^*)「日本は敗戦したんだ!」 

( ・`ω・´)「!」 

(*^◯^*)「もう邪魔者はいない!」 

(*^◯^*)「今こそ立ち上がるときなんだ!」
745:2015/04/17(金)22:19:35 oaL


数刻前… 


( ・◇・)「ねぇ聞いた?日本が敗戦したんだってよ」 

(*^◯^*)「それは本当なんだ!?」 

(*^◯^*)「こうしちゃいられないんだ!」 

(*^◯^*)「今こそ革命のときなんだ!」 


”インドネシア独立”に対して、完全に蚊帳の外にあった”青年グループ”。 
彼らは日本の敗戦を知るやいなや、すぐさま立ち上がろうとしました。
746:2015/04/17(金)22:20:18 g9x
おお…もう…
747:2015/04/17(金)22:20:38 oaL


( `o´) 

(*^◯^*)「ジャカルタ地区・ジャワ郷土防衛義勇軍”ペタ”所属、カスマン大団長!」 

( `o´)「なんだ?」 

(*^◯^*)「日本が敗戦しました!」 

(*^◯^*)「今こそ我々が立ち上がるときです!」 

(*^◯^*)「武装蜂起して日本軍と戦いましょう!」 

( `o´)「………」
748:2015/04/17(金)22:21:40 oaL

( `o´)「………いや」 

(*^◯^*)「!?」 

( `o´)「我々だけの判断では、軍を動かすことはできない」 

( `o´)「どうしてもと言うのなら…」 

( `o´)「”スカルノ氏の承認”を要求する」 

(*^◯^*)「なんだって!?」 

( `o´)「彼が”良い”と言ったら、軍を動かすことに同意するよ」 

(*^◯^*)「………あのクソジジイめ…」
749:2015/04/17(金)22:22:44 oaL


1945年8月15日夜 

[スカルノ邸] 


(*^◯^*)「というわけなんだ!」 

(*^◯^*)「さぁ、スカルノ!」 

(*^◯^*)「軍を動かす許可を出すんだ!」 

(*^◯^*)「それでこの国は独立できるんだ!」 

( ・`ω・´)「………」 



( ・`ω・´)「………それはできない」 

(*^◯^*)「!?」
750:2015/04/17(金)22:23:51 oaL


( ・`ω・´)「私たちは”日本との話し合いによる独立”を進めてきた」 

( ・`ω・´)「そして南方軍総司令官・寺内元帥は、既にインドネシアの独立を認めている」 

( ・`ω・´)「それなのに、今敢えて武力蜂起する意味はなんだ?」 

( ・`ω・´)「独立予定日まで、あとたった数十日だ」 

( ・`ω・´)「何故、それが待てないんだ?」 


(*^◯^*)「そんなの知ったこっちゃないんだ!」 

(*^◯^*)「”日本から与えられた独立”なんて、ぼくたちはいらないんだ!」 

(*^◯^*)「ぼくたちは”武力”によって独立を勝ち取るんだ!」 

(*^◯^*)「今こそ革命のときなんだ!」
751:2015/04/17(金)22:24:52 oaL

( ・`ω・´)「…馬鹿馬鹿しい」 

(*^◯^*)「なんだと!?」 

( ・`ω・´)「日本軍は未だに武力を保持したまま存在している」 

( ・`ω・´)「”敗戦した”といっても、その事実は変わらない」 

( ・`ω・´)「一方のインドネシア側に武力はない」 

( ・`ω・´)「ほとんど素手同然だ」 

( ・`ω・´)「歯向かえば壊滅する、それだけだよ」 

(*^◯^*)「やってみないと分からないんだ!」 

( ・`ω・´)「なら、やれるものならやってみろ」 

( ・`ω・´)「これだから青年グループは…」
752:2015/04/17(金)22:25:27 g9x
今までの話の総決算やな
753:2015/04/17(金)22:25:53 oaL

(*^◯^*)「………」 

(*^◯^*)「もういい!お前とは話にならないんだ!」 

(*^◯^*)「帰るんだ!」 

(^)'・▲・`(^)「全く、なんて奴らだ…」 


そうして、スカルノと”青年グループ”の交渉は決裂。
754:2015/04/17(金)22:26:57 oaL
8月15日深夜から8月16日未明にかけて。 


就寝中のスカルノ一家、ハッタ一家は、”青年グループ”に拉致されたのでした。
755:2015/04/17(金)22:27:29 CuS
おお、もぅ…
757:2015/04/17(金)22:28:20 oaL
彡(゚)(゚)「スバルジョ、急に呼び出してすまんな」 

(o‘ω‘ n)「いえ、それよりも…」 

(o‘ω‘ n)「スカルノとハッタが行方不明って、本当ですか?」 

彡(゚)(゚)「…せや、一家揃って行方不明や」 

彡(゚)(゚)「昨日、ここで話をしていったんやけどな…」 

彡(゚)(゚)「…この混乱の中、何かあったら大変や」 

(o‘ω‘ n)「はい、私の方で彼らの行方を捜してみようと思います」
758:2015/04/17(金)22:29:33 oaL
( ・◇・)「スカルノさんの家に男たちが乗り込んできてね」 

( ・◇・)「みんな車に乗せて、向こうの方に行っちゃったんだ」 

( ・◇・)「多分、”レンガスデンクロック”の方じゃないかな…?」 

(o‘ω‘ n)「”レンガスデンクロック”か…」 


レンガスデンクロック。 
そこは民主主義運動の影響を受けた、スチプト中団長が指揮する街。 
そして急進派”青年グループ”の巣窟でもありました。
759:2015/04/17(金)22:30:34 oaL


レンガスデンクロック:”ペタ”兵舎 


(*^◯^*)「ただいまなんだ!」 

(・団・)「お、連れてきたか!」 

(*^◯^*)「スカルノ一家、ハッタ一家の拉致に成功したんだ!」
760:2015/04/17(金)22:31:01 g9x
愛国主義も変な方向に向かったら破滅にしかならないな
761:2015/04/17(金)22:31:38 oaL


( ・`ω・´)「君たち!我々を連れてきて一体どうする気だ!」 

(*^◯^*)「そんなの決まってるんだ!」 

(*^◯^*)「今すぐ武装蜂起を承認するんだ!」 

(*^◯^*)「ぼくたちは今すぐ独立戦争を始めるべきなんだ!」 

(*^◯^*)「そのためにはジャカルタの”ペタ”も一緒に武装蜂起するべきなんだ!」 

(*^◯^*)「許可さえ出せば、すぐにでもお前たちは開放してやるんだ!」 

(*^◯^*)「だからさっさと許可を出すんだ!」 

( ・`ω・´)「馬鹿馬鹿しい、こんなことで我々が大人しく従うと思うなよ!」 

(^)'・▲・`(^)「そうだ、話にならんよ」 

(*^◯^*)「ぶざけたことを抜かしてるんじゃないんだ!」 


このレンガスデンクロックでは、以前から着々と武装蜂起の準備が進んでいたのでした。 
全ては、”インドネシア共和国最初の解放区”となるため。 
日本軍による統治は、ほとんど限界に達しつつあったのでした。 

日本軍の影響が及ばない”レンガスデンクロック”。 
”青年グループ”はこの場所で、スカルノとハッタに即時独立を強要したのでした。
762:2015/04/17(金)22:32:46 oaL
[レンガスデンクロック] 


(o‘ω‘ n)「やっと着いた、ここがレンガスデンクロック…」 

(o‘ω‘ n)「スカルノたちはきっと”ペタ”の関係施設に拉致されてるはずだ」 

(o‘ω‘ n)「虱潰しに探してみよう」
763:2015/04/17(金)22:33:48 oaL


8月16日深夜 

[レンガスデンクロック:ペタ兵舎] 


(*^◯^*)「つべこべ言わずさっさと承諾するんだ!」 

(*^◯^*)「家族がどうなってもいいのか!?」 

( ・`ω・´)「卑怯者め、だからお前たちの話には乗れないと言ってるんだ」 

(*^◯^*)「なんだと!?」 



(o‘ω‘ n)「そこまでだ、君たち!」 

(*^◯^*)「!?」 

(o‘ω‘ n)「ぼくはスバルジョだ、大人しく彼らを引き渡すんだ」 

(*^◯^*)「そういう訳にはいかないんだ!」 

(*^◯^*)「ぼくたちは今すぐ武装蜂起するべきなんだ!」 

(*^◯^*)「今更後には引けないんだ!」
764:2015/04/17(金)22:35:01 oaL


(o‘ω‘ n)「どうしても武装蜂起するというのかい?」 

(*^◯^*)「そうなんだ!今まで準備を進めてきたんだ!」 

(*^◯^*)「この期を逃したらもうないんだ!」 

(*^◯^*)「独立は、ぼくらの手で勝ち取るべきなんだ!」 

(o‘ω‘ n)「……交渉は難しそうだな…」 



(o‘ω‘ n)「………分かった、ならばこうしよう」 

(*^◯^*)「?」
765:2015/04/17(金)22:35:32 g9x
悲劇にしかならないのか
766:2015/04/17(金)22:36:21 oaL
(o‘ω‘ n)「我々は、独立準備の最終段階として、」 

(o‘ω‘ n)「8月18日に委員会会議を行う予定だった」 

(o‘ω‘ n)「終戦で、それはご破算になってしまったけど…」 

(o‘ω‘ n)「遠方からの参加者は、既にジャカルタに到着している」 

(o‘ω‘ n)「近場の者は、すぐに集まれるだろう」 

(o‘ω‘ n)「つまり、今、」 

(o‘ω‘ n)「このジャワ島では、独立に関与する者が全て集まれるんだ」 




(o‘ω‘ n)「………我々の手で、明日、独立を宣言しよう」
768:2015/04/17(金)22:37:34 oaL


(*^◯^*)「!?!?」 

(*^◯^*)「…そ、そんなことが本当にできるんだ!?」 

(o‘ω‘ n)「…ああ、条件は全て揃っている」 

(o‘ω‘ n)「独立は明日、果たされる」 

(o‘ω‘ n)「これは他の誰でもない、インドネシア人による独立だ」 

(*^◯^*)「………!!」 


(o‘ω‘ n)「そして君たちにも、この独立に協力してもらいたい」 

(*^◯^*)「!?」 

(o‘ω‘ n)「我々は共に、独立を宣言しようじゃないか」 

(*^◯^*)「………わ、分かったんだ!」 

(*^◯^*)「その提案に乗るんだ!」
769:2015/04/17(金)22:38:20 CuS
onちゃんGJ
770:2015/04/17(金)22:38:23 mcM
有能有能&有能
771:2015/04/17(金)22:38:38 oaL



( ・`ω・´)「助けてくれてありがとう、スバルジョ…」 

(o‘ω‘ n)「ああ、でもすまない、あんなことを宣言してしまって…」 

(^)'・▲・`(^)「………確かに、独立を強要されたこの事件はとても不愉快だ」 

( ・`ω・´)「だが、丁度良かったのかもしれない」 

( ・`ω・´)「待っていては駄目だったんだ」 

( ・`ω・´)「やはり我々は、我々の手で、独立するべきだったんだ」
773:2015/04/17(金)22:39:35 oaL


8月16日夜 

[ジャカルタ] 


( ・`ω・´)「やっと戻って来られた…」 

( ・`ω・´)「でもぐずぐずしてはいられない」 

( ・`ω・´)「まずは日本軍の陸軍幹部に報告しに行かないと」
774:2015/04/17(金)22:40:05 g9x
最悪のbadエンド回避
775:2015/04/17(金)22:40:32 oaL


[陸軍・軍政監部] 


(・日・)「………どうぞ」 

( ・`ω・´)「失礼します、軍政監部・総務部長、西村少将」 

( ・`ω・´)「夜分遅くにすみません」 

( ・`ω・´)「ですが、事が急でしたのでご容赦下さい」
776:2015/04/17(金)22:41:20 oaL


( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………我々は今日、独立を宣言します」 

( ・`ω・´)「これまでお膳立てをして頂いたのに、申し訳ありません」 

( ・`ω・´)「ですが、我々は今、独立するしかないのです」
777:2015/04/17(金)22:41:50 mcM
歴史ってほんま絶妙なタイミングで最悪の事態を回避しとるよなあ
781:2015/04/17(金)22:43:10 oaL


( ・`ω・´)「戦争が終わり、オランダの進駐軍が迫っています」 

( ・`ω・´)「彼らがやってくれば、きっと戦前のインドネシアに戻ってしまうでしょう」 

( ・`ω・´)「………植民地だったあの頃に、搾取されるだけの私たちに、戻ってしまうでしょう」 

( ・`ω・´)「それだけは、避けなければなりません」 

( ・`ω・´)「やっとここまで来たんです、独立の準備は全て、終わったんです」 

( ・`ω・´)「あとは、独立するだけなんです」
783:2015/04/17(金)22:44:07 oaL


( ・`ω・´)「………今日、我々は日本軍の承認を得に来ました」 

( ・`ω・´)「独立の承認を、得に来ました」 

( ・`ω・´)「どうか、お願いします…」 

(・日・)「………」 



(・日・)「………申し訳ない」 

(・日・)「………我々は、連合軍より”現状維持”を厳命されている」 

(・日・)「………独立を認めることは、できないんだ…」
786:2015/04/17(金)22:45:10 oaL


(・日・)「………」 

(・日・)「………だが、」 

(・日・)「”我々は、何も聞かなかった”」 

(・日・)「我々は、何も知らない」 

(・日・)「だから、君たちを止めることも、ない」 

(・日・)「………さぁ、早く行くんだ」 


( ・`ω・´)「…ありがとうございます、失礼しました」
789:2015/04/17(金)22:46:42 mcM
>>786 
かっこええ……
792:2015/04/17(金)22:48:12 CuS
>>786 
優しい嘘やな
790:2015/04/17(金)22:47:20 g9x
>>786 
本当にこんなドラマみたいな感じだったの?
796:2015/04/17(金)22:49:56 oaL
>>790 
陸軍による独立承認は拒否されました。 
しかしそれは同時に”黙認”され、独立に対する妨害もありませんでした。 

”黙認”、それが彼らの精一杯の”誠意”だったのかもしれません。
788:2015/04/17(金)22:46:22 oaL
[海軍・武官府] 


(o‘ω‘ n)「…失礼します、前田少将」 

彡(゚)(゚)「おう、どうした」 

(o‘ω‘ n)「”独立養成塾”では大変お世話になりました」 

彡(^)(^)「ええんやで、あんなん先行投資や」 

彡(゚)(゚)「………独立できんで、すまんな」 

(o‘ω‘ n)「いえ、それはもういいんです…」 

(o‘ω‘ n)「………」 

(o‘ω‘ n)「………明日、我々は独立を宣言します」 

彡(゚)(゚)「!」 

(o‘ω‘ n)「今、スカルノが西村少将に独立の最終承認をもらいに行っています」 

(o‘ω‘ n)「………ですが、承認を得るのは難しいかもしれません」 

彡(゚)(゚)「………」
791:2015/04/17(金)22:47:32 oaL
(o‘ω‘ n)「独立宣言はつい先ほど決まったことです」 

(o‘ω‘ n)「下準備もまだで、我々はこれから、独立宣言の起草を行わなければいけません」 

(o‘ω‘ n)「……陸軍による妨害があるかもしれません」 

(o‘ω‘ n)「我々には今、安全な場所が必要です」 

(o‘ω‘ n)「………どうか、前田少将の武官邸を提供してもらえませんでしょうか?」 

彡(゚)(゚)「…そか、分かったで」 


海軍武官府の前田武官邸。 
そこは、万が一陸軍による妨害があったとしても、それを排除できる唯一の場所でした。
794:2015/04/17(金)22:49:24 g9x
>>791 
仲の悪い海陸が、すれ違いで同じ決断してたなんて 
歴史って面白いな
797:2015/04/17(金)22:51:19 oaL
8月16日午後11時 

[前田武官邸]
798:2015/04/17(金)22:52:14 oaL


彡(゚)(゚)「…よー来たな、まぁ座っとき」 

(o‘ω‘ n) ( ・`ω・´) (^)'・▲・`(^) (*^◯^*) (・日・) 


前田少将はスカルノとハッタを公邸に迎え入れ、打ち合わせを行いました。 

会議には50人ほどが出席しました。 
日本人は前田の他に、日蘭商業新聞記者・吉住留五郎、第一六軍軍政監部司政官・三好俊吉郎、海軍嘱託・西嶋茂忠が同席したそうです。
799:2015/04/17(金)22:53:16 oaL
彡(゚)(゚)「それじゃ、ワイはもう寝るわ」 

彡(゚)(゚)「ワイが関わったらいかんしな」 

彡(゚)(゚)「………頑張れや」 


会議は16日23時から17日2時過ぎまで続きます。
800:2015/04/17(金)22:53:59 oaL



( ・`ω・´)「さて」 

( ・`ω・´)「”独立宣言”の原案は、既に”独立準備委員会”で採択されている」 

( ・`ω・´)「あとはこの原案を調整して、”独立宣言”を起草するだけだ」
802:2015/04/17(金)22:54:45 oaL


( ・`ω・´)「まずは問題は権力の”委譲”という言葉について」 

(*^◯^*)「これは革命なんだ!」 

(*^◯^*)「”委譲”ではなく”奪取”とするべきなんだ!」 

( ・`ω・´)「ここまで来てワガママを言わないでくれよ」 

( ・`ω・´)「ここは”委譲”で押し切らせてもらうよ」
803:2015/04/17(金)22:55:40 oaL


( ・`ω・´)「ここに記す署名についてだが…」 

( ・`ω・´)「”独立準備委員会”は、日本によって用意された委員会だ」 

( ・`ω・´)「”独立準備委員会”の名を使用すると、”日本の与えた独立”に繋がってしまう」 

( ・`ω・´)「さて、どう署名するか…」 


(*^◯^*)「この会議の出席者全員の署名をするんだ!」 

(*^◯^*)「それで万事解決なんだ!」 

( ・`ω・´)「うーん、でもちょっと長くなりすぎるなぁ…」 

( ・`ω・´)「………よし、まず私とハッタが署名する」 

( ・`ω・´)「そして”インドネシア民族の名において”と記そう」 

( ・`ω・´)「これで”我々インドネシア人による独立である”と主張できるぞ」
804:2015/04/17(金)22:56:30 oaL


( ・`ω・´)「最後は”日付”についてだけど…」 

( ・`ω・´)「”西暦”は論外だ」 

( ・`ω・´)「あれはオランダ時代の忌むべき遺物、絶対に使うべきではない」 

( ・`ω・´)「さて、どうするか…」
806:2015/04/17(金)22:57:35 oaL

( ・`ω・´)「…そろそろ眠くなってきたぞ」 

( ・`ω・´)「よく考えたら、昨晩から一睡もしてない」 

( ・`ω・´)「独立宣言の時間も迫ってる、どうしよう…」 

( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………なんだか熱もでてきた」 

( ・`ω・´)「もう疲労も限界だ………よし、」 

( ・`ω・´)「こうなったら”皇紀”を使おう、それで解決だ」 


一枚のシワだらけの紙に書かれた、たった数行の独立宣言文。 
8月17日未明、後に国宝となるそれは、遂に完成したのでした。
805:2015/04/17(金)22:56:45 g9x
クライマックスやな
807:2015/04/17(金)22:58:36 oaL
・豆知識『皇紀』 

”西暦”に対抗するため、日本が作った年号です。 
神武天皇が即位したとされる紀元前660年を元年とします。 
科学的根拠に乏しいものですが、日本は政治的意図をもって”皇紀”の普及をはかりました。 
”皇紀”は戦時中に使用され、戦後に姿を消しました。 

”インドネシア独立宣言”にある”05年”とは、”皇紀2605年”のことを指します。 


( ・`ω・´)「あとから考えたんだけど…」 

( ・`ω・´)「”インドネシア暦元年”とするべきだったんだね」 

( ・`ω・´)「それだけが反省材料だよ」 

( ・`ω・´)「まぁあの時は、マラリア発熱で倒れる寸前だったからね」 

( ・`ω・´)「睡眠もほとんど取れてなかったし、仕方ないか…」 


”インドネシア独立宣言”は、今でもレリーフとして公開されています。 
”皇紀”は”インドネシア独立宣言”と共に、永久に保管され続けるのでした。
809:2015/04/17(金)22:59:40 oaL
(o‘ω‘ n)「こうして、一人の勇敢な日本海軍少将の家での、」 

(o‘ω‘ n)「忘れることのできない夜の会合は終わったんだ」
815:2015/04/17(金)23:00:55 oaL
8月17日午前10時 


[中央ジャカルタ、東ペガンサアン通り56番地、スカルノ邸]
817:2015/04/17(金)23:01:57 oaL


( ・`ω・´) (^)'・▲・`(^) 


( ・`ω・´)「お集まりのみなさん」 

( ・`ω・´)「本日はお越し頂き、ありがとうございます」 

( ・`ω・´)「それでは、これより”インドネシア独立宣言”を読み上げさせて頂きます」
818:2015/04/17(金)23:03:01 oaL

( ・`ω・´)「宣言」 

( ・`ω・´)「我らインドネシア民族は」 

( ・`ω・´)「ここにインドネシアの独立を宣言する」 

( ・`ω・´)「権力委譲などに関する事柄は、完全かつ速やかに行われる」 

( ・`ω・´)「ジャカルタ、05年8月17日」 

( ・`ω・´)「インドネシア民族の名において」 

( ・`ω・´)「スカルノ / ハッタ」 


( ・`ω・´)「ありがとうございました」 


式典には、噂を聞きつけた500人ほどの人たちが集まりました。 
スカルノ夫人手製の”メラ・プティ”が掲げられ、伴奏なしで”インドネシア・ラヤ”も歌われました。
820:2015/04/17(金)23:03:56 oaL
終戦直後。 
その大混乱の中で発せられた、インドネシアの独立宣言。 
8月15日~17日の3日間は”疾風怒濤の日”として、インドネシアの歴史に刻まれています。
863:2015/04/25(土)20:36:41 nmC

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867:2015/04/25(土)21:00:17 nmC
8月18日 


( ・`ω・´)「独立宣言の発布によって、”独立準備委員会”は”独立委員会”になったよ」
868:2015/04/25(土)21:00:49 nmC

( ・`ω・´)「早速、閣僚人事を発表しますね」 

( ・`ω・´)「初代大統領はぼく、スカルノ」 

(^)'・▲・`(^)「初代副大統領は私、ハッタです」 

(o‘ω‘ n)「初代外務大臣にはぼく、スバルジョ」 


(*・公・*)「初代共和国首相は私、シャフリルです」 

(*・公・*)「”独立養成塾”時代には、アジア史と社会主義の講義も担当しました」 

(*・公・*)「外相も兼任するので、ちょっと大変ですね…」
869:2015/04/25(土)21:01:47 nmC


( ・`ω・´)「次に、議会で憲法を制定します」 

( ・`ω・´)「国家の骨格は、既に論議が尽くされてるからね」 

( ・`ω・´)「憲法の前文に5原則”パンチャシラ”を折り込むよ」
870:2015/04/25(土)21:02:48 nmC
8月19日 


( ・`ω・´)「今日は中央政府12省、地方行政8州の設置を決定したよ」 

( ・`ω・´)「8月29日には閣僚と知事を任命するんだ」 


準備は全て、終わっていました。 
だからこそ、彼らは素早い対応を見せられたのでした。 

終戦から数日間、戦勝国からは何の指示もありません。 
この権力の空白期を利用し、インドネシアは着々と”独立”を既成事実にしていきました。
871:2015/04/25(土)21:03:49 nmC
夜中、日本軍の目を盗んで行われたラジオ放送。 
独立宣言のニュースは世界中に発信されます。 

視聴者は僅かだったかもしれません。 
ですが、独立を世界中に発信したこと。 
それは彼らにとって、とても大きな意味があったのでした。
872:2015/04/25(土)21:04:50 nmC
(U・×・U)「東インドが独立?」 

(U・×・U)「いや、知らんし」 


”インドネシアの独立宣言”は、国際社会から無視されました。 

そして、インドネシア国家誕生の試練が始まります。
873:2015/04/25(土)21:06:02 nmC
(●▲●) 

(●▲●)「久々の出番やで~」 

(●▲●)「ワイら”蘭印・植民地軍”は”ニカ”に改名したんやで~」 

(●▲●)「改名理由は……まぁ、”植民地軍”だと、色々都合が悪いからな」 


(●▲●)「さて」 

(●▲●)「原住民どもめ、待っとれよ」 


かつての宗主国・オランダが、連合軍の尻馬に乗って”戦勝国”として帰ってきました。
874:2015/04/25(土)21:07:04 nmC
(●▲●)「ワイらの任務はな、東インドを”日本占領前の状態”に戻すことなんや」 

(●▲●)「つまり、植民地の復活やな」 

(●▲●)「独立?そんなん関係ないわ」 

(●▲●)「東インドが独立したのは”日本がお膳立てしたから”やろ?」 

(●▲●)「日本がしたことは全部無効!白紙撤回!」 

(●▲●)「当然、”独立”なんて”なかった”んやで(ニッコリ」
875:2015/04/25(土)21:08:06 nmC


( ・`ω・´)「そんな!」 

( ・`ω・´)「独立は確かに、インドネシア人によって果たされたんだ!」 

( ・`ω・´)「日本が用意した”独立予定日”も回避したし!」 

( ・`ω・´)「そこに日本の介入はなかった!」 

( ・`ω・´)「だから独立が無効だなんて間違ってるよ!」
876:2015/04/25(土)21:09:06 nmC
(●▲●)「せやろか?」 

(●▲●)「なんでも日本時代、”独立準備委員会”なるものがあったそうやないか?」 

(●▲●)「独立宣言には日本の”皇紀”も使われとるし?」 

(●▲●)「大体、独立宣言の起草には、日本人が立ち会っていたそうじゃないか?」 

(●▲●)「日本の関与があったことは、明白やろなぁ?」
877:2015/04/25(土)21:10:07 nmC


( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………いや」 

( ・`ω・´)「”日本人はいなかった”」 

( ・`ω・´)「これは全て、インドネシア人だけで行われたことだ!」 


インドネシア人だけによる、インドネシア独立宣言の起草。 
これが“インドネシアの建国神話”です。
878:2015/04/25(土)21:10:58 nmC
(●▲●)「はー、全く、話が通じん奴らやなー」 

(●▲●)「イギリスはん、イギリスはん」 

(U・×・U)「お、なんや?」 

(●▲●)「どうか協力、頼んまっせ」 

(U・×・U)「しゃーないな…」
879:2015/04/25(土)21:11:59 nmC
(U・×・U)「おう、日本軍」 

彡(゚)(゚)「は、はい、東南アジア方面総司令官、マウントバッテン大将」 

(U・×・U)「ワイらと”ラングーン協定”を結ぶんやで」 

(U・×・U)「ワイら連合軍の進駐が整うまで」 

(U・×・U)「日本軍は、現地での治安維持の責任を持つんや」 

(U・×・U)「兵器は保持したまま、到着した連合軍に引き渡すんや」 

(U・×・U)「………武器を住民に渡したりしたら絶対にいかんのやで」 

彡(゚)(゚)「は、はい、分かりました…」 


こうして、現地の治安維持が日本軍に任されました。
880:2015/04/25(土)21:12:53 nmC



( ・`ω・´)「みんな、聞いてくれ!」 

( ・`ω・´)「まもなく、あの忌々しいオランダ兵が帰ってくる!」 

( ・`ω・´)「ぼくたちは戦わなければいけない!」 

( ・`ω・´)「戦って、勝たなければいけないんだ!」 

( ・`ω・´)「旧”ペタ”、旧”ヘイホ”の諸君には、是非とも”インドネシア共和国軍”に参加して欲しい!」 

( ・`ω・´)「ぼくたちの手でインドネシアを守るんだ!」 


1945年8月19日。日本軍が組織した”ペタ”は、解散しました。 
インドネシア政府は旧”ペタ”、旧”ヘイホ”らに、新たな軍への参加を呼びかけます。
881:2015/04/25(土)21:13:34 nmC
10月5日。 
後に”建軍記念日”となるその日、”インドネシア共和国軍”は結成されます。 

”タンゲラン青年道場”から始まり、”ジャワ郷土防衛義勇軍・ペタ”を経て、祖国インドネシアのために鍛え続けてきた彼ら。 
それは遂に、本物の国防軍となったのでした。
882:2015/04/25(土)21:14:28 nmC


[ジャワ島・スラバヤ] 


(´・ω・`)「急げ、急げ!オランダ兵が来るぞ!」 

(´・ω・`)「もっと武器を集めるんだ!」 

(´・ω・`)「ぼくらは独立したんだ!もう奴らの好きにはさせない!」 

(´・ω・`)「何としてでも、闘ってでも!」 

(´・ω・`)「奴らから、この国を守らないと!」 

(´・ω・`)「これはぼくたちの”独立戦争”なんだ!」
883:2015/04/25(土)21:15:30 nmC
彡(゚)(゚) 

(´・ω・`)「日本兵のおにいちゃん!」 

(´・ω・`)「どうかぼくたちに武器をちょうだい!」 

(´・ω・`)「ぼくたちはこれから、オランダと闘わなきゃいけないんだ!」 

(´・ω・`)「ぼくたちは勝たなきゃいけないんだ!」 

(´・ω・`)「負けられないんだ!」 

(´・ω・`)「どうか、奴らと闘うための武器を貸してください…」 

彡(゚)(゚)「………」 


10月に設立された”インドネシア共和国軍”。 
彼らには、武器がなく、弾薬がなく、食料がなく、医薬品がありませんでした。 
たった一つ、あるのは兵士たちの愛国心だけ。 
彼らは、日本軍の武器が喉から手が出るほど欲しかったのでした。
884:2015/04/25(土)21:16:06 nmC


彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………」 

(´・ω・`)「……おにいちゃん?」
885:2015/04/25(土)21:16:43 nmC


彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………いや」 

彡(゚)(゚)「ワイらはお前らに、武器を譲れん」 

(´・ω・`)「!」 

彡(゚)(゚)「これは上からの命令なんや」 

彡(゚)(゚)「命令は絶対遵守なんや」 

(´・ω・`)「そ、そんな…」
886:2015/04/25(土)21:17:45 nmC
彡(゚)(゚)「…せやけどな」 

(´・ω・`)「?」 

彡(゚)(゚)「ワイらはこれから”古くて使えない武器”を”破棄”する」 

彡(゚)(゚)「当然”破棄”やからな、武器は”解体”してから”破棄”するで」 

彡(゚)(゚)「”破棄”する場所は……せやな、河原とかその辺でええか」 

彡(゚)(゚)「こんな”ゴミ”を拾う物好きなんて、きっとおらへんからな」 


彡(゚)(゚)「………まぁ万が一、それらが拾われて、」 

彡(゚)(゚)「再び武器として組み立てられたとしても」 

彡(゚)(゚)「それはワイの知らんことや」 

彡(゚)(゚)「拾った奴の好きにするとええ」 

彡(゚)(゚)「…ワイの話はここまでや」 

彡(゚)(゚)「健闘を祈る」 


(´・ω・`)「ありがとう、日本兵のおにいちゃん…」
887:2015/04/25(土)21:18:47 nmC
10月3日 


彡(゚)(゚)「…すみません、オランダ海軍・フェーエル大佐」 

(●▲●)「なんや?」 

彡(゚)(゚)「我々は今、原住民たちとの間で板挟みになっています」 

彡(゚)(゚)「原住民たちは皆、我々に武器をよこせと押しかけてきています」 

彡(゚)(゚)「しかし、我々は命令により、武器を引き渡すことができません」 

彡(゚)(゚)「彼らを裏切るのは心苦しい、しかし武器は渡せない…」 

彡(゚)(゚)「我々は、とても困っているのです」
888:2015/04/25(土)21:19:40 nmC
(●▲●)「ほーん、で?」 

彡(゚)(゚)「なので、連合軍サイドの方で、我々の武器を引き取ってもらえないでしょうか?」 

彡(゚)(゚)「我々の方では、もう限界なのです…」 

(●▲●)「ほーん……まぁ、ええやろ」 

(●▲●)「武器はワイらの方で引き取ったるわ」 

彡(゚)(゚)「ありがとうございます、大佐」
889:2015/04/25(土)21:20:41 nmC
彡(゚)(゚)「…ところで、大佐」 

(●▲●)「なんや、まだあるんか?」 


彡(゚)(゚)「大佐は以前、こうおっしゃいましたよね?」 

彡(゚)(゚)「”オランダはインドネシアを完全に把握している”と」 

(●▲●)「あぁ、確かに言ったかもなー?」 

(●▲●)「大正義オランダが、こんな小さな島国一つを把握するなんて他愛もないことやで」 

彡(゚)(゚)「そうですか……ならば」 

(●▲●)「?」 


彡(゚)(゚)「インドネシアに武器を引き渡すのも、オランダに武器を引き渡すのも」 

彡(゚)(゚)「それは全く、同じことなのではないでしょうか?」 

(●▲●)「ファッ!?」
890:2015/04/25(土)21:21:51 nmC
(●▲●)「な、なんやその理屈は!?」 

彡(゚)(゚)「おや?どうかしましたか?」 

彡(゚)(゚)「…もしかして、あの発言は嘘だった、と?」 

彡(゚)(゚)「オランダは実は大したことなどなく、」 

彡(゚)(゚)「こんな小さな島国一つを把握することすら困難だ、と?」 

(●▲●)「ぐぬぬ…」 


(●▲●)「……まぁええわ、原住民如きに武器が少々渡ったところで、どうということもない」 

(●▲●)「インドネシアに武器を引き渡すのを許可するで」 

(●▲●)「その武器でインドネシア人が治安活動をするとええ」 

(●▲●)「これでええんやろ!」 

彡(^)(^)「ありがとうございます、大佐」
891:2015/04/25(土)21:22:21 nmC
武器の引き渡しを禁じられていた日本軍。 
彼らはこのような手段を用いて、インドネシア側に武器を横流しします。 

特にスラバヤでは、大量の武器がインドネシア側に渡りました。 
スラバヤには、陸軍・混成旅団と海軍司令部がありました。 
陸軍・岩部少将と、海軍・柴田中将は、インドネシア人が武器を奪うのを黙認します。 
日本軍は竹槍相手に武器や通貨を置いて逃げたり、治安維持を名目にインドネシア人警官へ武器を渡したりもしました。 
そして、それらは日本とインドネシアの摩擦を最小限に留めたのでした。 

インドネシア側に渡った武器の数は、6万個と言われています。 
それらは中古といえど、何もなかったインドネシア軍には重宝されたのでした。
892:2015/04/25(土)21:23:20 nmC
しかし。 

全ての場所で、事が円滑に運んだ訳ではありませんでした。
893:2015/04/25(土)21:23:57 nmC
[スマトラ島・トゥビンティンギ] 


(*^◯^*)「武器をよこすんだ!」 

(・日・)「………」 


地元の青年グループが武器の譲渡を迫っていました。
894:2015/04/25(土)21:24:58 nmC

(・日・)「………」 

(・日・)「…我々は、抵抗を禁じられている」 

(・日・)「………仕方ない」 

(・日・)「君たちに武器を譲渡するよ」 

(*^◯^*)「ありがとうなんだ!」 



(*^◯^*)「それじゃ、死ぬんだ!」 

(ターン) 

(日) 

丸腰になった日本兵60人は全員、その場で青年グループに惨○されました。
895:2015/04/25(土)21:25:20 NGw
おお、もぅ…
896:2015/04/25(土)21:25:59 nmC

(*^◯^*)「おい、日本兵!」 

(*^◯^*)「もっと武器をよこすんだ!」 


青年グループは更に武器を求め、日本軍を襲いました。 



(・日・)「は?(威圧)」 

(パパパパッ) 

(*◯*) 


流石に堪忍袋の緒が切れた日本軍は、機関銃で青年グループに反撃。 

『トゥビン・ティンギ事件』 
インドネシア人2000名と日本人の双方が犠牲になった事件です。
897:2015/04/25(土)21:27:03 nmC
スラバヤでの武器引き渡しを先例として、各地域では武器引き渡し要求が活発になります。 
そしてその度に、犠牲者が出ました。 


ジャワ島西部バンドン。 
多数の住民が、軍や飛行場を襲撃。 
日本兵3名と、インドネシア人十数名が死亡しました。 

ジャワ島西部ガルー。 
住民が工場を襲撃。 
工場の警備していた日本兵24名、その全員が無抵抗のまま死亡しました。 

ジャワ島西部ブカシ。 
海軍・竹下大佐ら86名が、武器提供を拒み、拉致され、○害されました。 

ジャワ島中部ジョグジャカルタ。 
武装集団が日本軍駐屯部隊を襲撃。 
日本軍は一旦応戦するも、翌日、部隊員300名が日本人民間人100名と共に投降。 
日本人らは4ヶ月間投獄され、赤痢と栄養失調で多数が死亡しました。
898:2015/04/25(土)21:28:04 nmC
[ジャワ島中部・スマラン] 

10月3日 


(●゚◇゚●)「最近、付近の治安が悪いんだ」 

(●゚◇゚●)「ぼくたちが治安回復活動をするから、武器を貸してよ」 

(・日・)「……いいだろう、少しだが武器を貸してやる」 


その夜、飛行場の弾薬が略奪されました。
899:2015/04/25(土)21:28:55 nmC
10月12日 


(●゚◇゚●)「治安活動にはもっと武器が必要だ」 

(●゚◇゚●)「武器を貸してくれよ」 

(・日・)「………お前たちは信用ならん」 

(・日・)「武器を貸すことはできない」
900:2015/04/25(土)21:29:26 nmC
10月14日 


(●゚◇゚●)「武器を貸してくれよ」 

(・日・)「無理だ」 

(・日・)「そもそも、武器の引き渡しは命令で禁じられている」 

(・日・)「残念だけど、諦めてくれ」
901:2015/04/25(土)21:30:18 nmC
(・日・)「……ここ最近、この辺りの治安は急速に悪化している」 

(・日・)「やはり奴らが何かをしていると見るべきか…」 



('ω`)「大変です!」 

('ω`)「インドネシア人が日本人の軍人、軍属、民間人を無差別に拉致しました!」 

('ω`)「彼らはすぐにでも人質を処刑する、とのことです!」 

(・日・)「なんだって!?」
902:2015/04/25(土)21:31:17 nmC
10月12日。 
スマラン製鉄所にて。日本の軍人や作業員339名が、現地人警察隊によって拘束、監禁されます。 
10月13日。 
市街での外国人狩りにより、日本人を含む2000名の外国人が刑務所に監禁。 

更にマゲランでは、駐屯日本軍が包囲されます。 
司令官・中村少将が応戦を禁じたため、司令部全員が拉致され、憲兵隊10名が○害されました。 

10月14日夜。 
監禁されていた製鉄所関係者が見張りを撲○して脱出。 
この際、日本人13名が射○されます。 

これらの事件が現地指揮者・城戸少佐の耳に入ったのは、10月14日の夜でした。 


(・日・)「今すぐ現場に向かうぞ!」 

(・日・)「なんとしてでも、彼らを救出するんだ!」
903:2015/04/25(土)21:32:18 nmC
10月15日未明 


[ブル刑務所] 


(ターン) 

(・日・)「よし、入口の民兵を倒した!」 

(・日・)「すぐさま刑務所内に突入するぞ!」 

(ギャァア゛ア゛ア゛ア゛ァァアアァアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッ!!!!!!!) 

(・日・)「な、なんだ!?」
904:2015/04/25(土)21:33:09 nmC

(・日・)「こ、これは!!」 

彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 

(・日・)「な、なんてことだ、既に○されている…」 


民間人が○されたから日本軍が出撃したのか。日本軍が出撃したから民間人が○されたのか。 
それは今でも定かではありません。 
しかし、彼らが突入した時には既に、牢獄は血の海。 
日本人149名は、虐○されていたのでした。
905:2015/04/25(土)21:34:06 nmC
このスマランは、オランダ植民地時代から社会主義勢力の強い場所でした。 
”赤い都市”と呼ばれたスマラン。 
そこは終戦と共に、無法地帯と化していたのでした。 

今まで必死に耐えてきた、精鋭・城戸部隊。 
しかしそれは最早、限界でした。 


(・日・)「………絶対に許さん、皆○しだ!!!!」 


『スマラン事件』。 
5日間に渡って続く、インドネシアで”五日間戦争”と呼ばれる事件。 
捕らわれていたオランダ系市民900人は救出されたものの、 
日本人460名、インドネシア人2000名の犠牲者を出す惨事となりました。
906:2015/04/25(土)21:34:49 nmC
戦後の武器引き渡しによる混乱。 
それによる日本人犠牲者は、戦死者562名、自○60名、病死・事故死456名。合計1078名に及びました。 

日本軍は”ラングーン協定”に基づき、現地の治安戦闘任務を任されていました。 
しかし、この時点の日本軍は、実質的には捕虜に相当します。 
にも関わらず、このような危険な治安任務を任されていたこと。 
これは捕虜虐待であり、重大な国際法違反ではないか、とも指摘されています。
907:2015/04/25(土)21:35:51 nmC


数刻前… 


彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 彡()() 


彡(゚)(゚)「ア、アカン、血が止まらん…」 

彡(゚)(゚)「他の奴らはみんな○られてもた」 

彡(゚)(゚)「残っとるのはワイだけや……」 

彡(゚)(゚)「……なんでこんなことになったんやろな…」 

彡(゚)(゚)「……一体何が、悪かったんやろな…」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………それでもワイは、インドネシアの独立は正しかったと思うで…」 

彡(゚)(゚)「…こんな目に遭ってもたけどな……」 

彡(゚)(゚)「……この血はきっと、必要な血やったんや………」
908:2015/04/25(土)21:36:52 nmC

彡(-)(-)「………」 

彡(-)(-)「…………アカン、ホンマにアカン………」 

彡(-)(-)「………せや、最期に何か残そうか」 

彡(-)(-)「……幸い、ここには幾らでも”書くもの”がある」 

彡(-)(-)「………書き放題、やで…」 


彡(-)(-)「………」 

彡(-)(-)「……インドネシア語が書ければ良かったんやけどな」 

彡(-)(-)「しゃーないからカタカナや…」
909:2015/04/25(土)21:37:55 nmC
彡(-)(-)「………」 

彡(-)(-)「………”バハギア・インドネシア・ムルデカ”………」 

彡(-)(-)「………………」 

彡(-)(-)「………”インドネシアの”……”独立のために”……”喜んで死す”………」 

彡(-)(-)「………………………」 

彡(-)(-)「………………………”大”………”君”……………」 

彡(-)(-)「…………………………………」 


彡()() 



”バハギア・インドネシア・ムルデカ”。”Bahagia Indonesia Merdeka”。 
それはつまり”インドネシア独立万歳”。 

雪印乳業・阿部頌二。 
彼が牢獄の壁に”血”で記した、最期の言葉でした。
910:2015/04/25(土)21:38:59 nmC




(´・ω・`)「絶対勝つぞ!」 

(●゚◇゚●)「おー!」 

(*^◯^*)「オランダなんかにインドネシアを渡して堪るもんか!」 



( ・`ω・´)「どうか日本兵の皆さんも、この戦争に協力して欲しい!」 

( ・`ω・´)「ぼくたちの独立のため、ぼくたちの悲願成就のため」 

( ・`ω・´)「どうか、ぼくたちに力を貸して欲しい!」 



彡(゚)(゚)「………」
911:2015/04/25(土)21:40:00 nmC


彡(゚)(゚) 

(・日・)「…何してるんだい?早く行くよ」 

(・日・)「ぼくたちは日本へ引き揚げるんだ」 

(・日・)「もうここでやり残したことなんて、何もないんだよ」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(^)(^)「………すまんな」 

(・日・)「え!?…ちょ、どこへ行くのさ!?」
912:2015/04/25(土)21:41:01 nmC


彡(^)(^)「よう、お前ら」 

(´・ω・`)「あ、日本兵のお兄ちゃん!」 

彡(^)(^)「久しぶりやな、”ペタ”が解散して以来か」 

(´・ω・`)「そうだね…」 

(´・ω・`)「………」 

(´・ω・`)「…今までありがとう、日本兵のお兄ちゃん」 

彡(^)(^)「なんや、いきなり?」
913:2015/04/25(土)21:42:01 nmC

(´・ω・`)「ぼくたちは”ペタ”の過酷な訓練で、戦うための力を身に付けた」 

(´・ω・`)「オランダを倒すための、力を手に入れた!」 

(´・ω・`)「軍政時代はとても辛かったけど…」 

(´・ω・`)「もうぼくたちは、かつてのぼくたちじゃない」 

(´・ω・`)「ちゃんとオランダと戦えることを、証明してみせるんだ!」 

彡(^)(^)「そか……」 

彡(^)(^)「………」 

彡(^)(^)「………」 


彡(゚)(゚)「………けどな」 

彡(゚)(゚)「お前らには、決定的に足りないもんがある」 

(´・ω・`)「え?」
914:2015/04/25(土)21:42:58 nmC
彡(゚)(゚)「確かにワイらは”ペタ”で、お前らを徹底的に鍛え上げた」 

彡(゚)(゚)「武器の扱いももう大丈夫やろ、ワイらが残した武器でちゃんと戦えるはずや」 

(´・ω・`)「それなら」 

彡(゚)(゚)「でもな」 

彡(゚)(゚)「………”実戦経験”、それが圧倒的に足りんのや……」 

(´・ω・`)「あっ……」
915:2015/04/25(土)21:43:51 nmC
彡(゚)(゚)「オランダ軍は精鋭揃いや」 

彡(゚)(゚)「ワイらかて、正面から勝った訳ではない」 

彡(゚)(゚)「幾らお前らが鍛え上げられた兵士やったとしても」 

彡(゚)(゚)「………お前らはきっと、負ける」 

(´・ω・`)「そ、そんな……」
916:2015/04/25(土)21:44:52 nmC
彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………せや」 

(´・ω・`)「……?」 

彡(゚)(゚)「お前らはまだまだ頼りない」 

彡(゚)(゚)「考えてみたら当たり前や、お前らはまだまだひよっこや」 

彡(゚)(゚)「そんなお前らだけを残して、行ける訳がなかったんや」 

彡(゚)(゚)「何より、”実戦経験者”が必要やろ?」 


彡(^)(^)「………ワイも、お前らと一緒に戦うで」
917:2015/04/25(土)21:45:52 nmC
(´・ω・`)「ほ、ほんとう…?」 

彡(^)(^)「ああ、せやで」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「ワイ一人が残ったところで、戦局が変わるとは思えん」 

彡(゚)(゚)「けどな」 

彡(゚)(゚)「ワイは見たいんや」 

彡(゚)(゚)「ワイらが鍛え上げたお前たちが、どう戦っていくのかを」 

彡(゚)(゚)「この国が、どう変わっていくのかを」 

彡(゚)(゚)「……だからワイは、お前らのために、戦うんや」
918:2015/04/25(土)21:46:53 nmC
戦中、日本軍は太平洋戦争を”植民地解放の戦い”と謳いました。 
それはあくまで表向きのスローガンであり、軍部の考えとは違うものだったのでしょう。 

ですが、そのスローガンは内外に発せられました。 
インドネシア人は元より、それは日本人にも発せられました。 
そして、それに共感した日本人がいました。 
軍人にも、民間人にも。 
彼らは”インドネシア独立”を心から信じ、そして戦ったのでした。
919:2015/04/25(土)21:47:56 nmC
彼らの理由は様々でした。
920:2015/04/25(土)21:48:26 nmC


彡(^)(^)「スカルノの演説、凄かったなー」 

彡(^)(^)「原住民らの熱気も凄かった」 

彡(^)(^)「よっしゃ、ワイも男や!」 

彡(^)(^)「最後に一花、咲かせたろか!」 


スカルノの演説に奮い立った者。
921:2015/04/25(土)21:49:28 nmC
彡(゚)(゚)「噂で聞いたんやが、ワイの故郷は全滅したらしい…」 

彡(゚)(゚)「日本兵は全員、米帝の奴隷になったそうだ」 

彡(゚)(゚)「ワイ自身も身体を壊して、長くはない」 

彡(゚)(゚)「……もうワイには、帰る故郷も、未来もないんや」 

彡(゚)(゚)「せやからな」 

彡(゚)(゚)「ワイは”インドネシア独立”のために戦って、」 

彡(゚)(゚)「そして、死のうと思うんやで」 


その境遇から、覚悟を決めた者。
922:2015/04/25(土)21:50:33 nmC
彡(゚)(゚)「陛下…」 

彡(゚)(゚)「玉音放送で、陛下はおっしゃった」 

彡(゚)(゚)「”東亜解放に協力してくれた、同盟諸国たちに申し訳なく思う”と」 

彡(゚)(゚)「ワイは陛下の御心を果たす」 

彡(゚)(゚)「同盟諸国のために、インドネシアのために」 

彡(゚)(゚)「”独立戦争”に参加するで!」 


玉音放送で発せられた昭和天皇の言葉を受け、意思を継ごうとした者。
923:2015/04/25(土)21:51:34 nmC
彡(゚)(゚)「生まれ故郷の台湾にはもう戻れん…」 

彡(゚)(゚)「かと言って日本にも……」 

彡(゚)(゚)「戦犯裁判で処刑される?そんなのはご免や」 

彡(゚)(゚)「ワイはこの戦場で、最期を遂げるで」 


戦犯裁判で処刑されることを恐れた者。
924:2015/04/25(土)21:52:38 nmC
(´・ω・`)「”ペタ”教官のお兄ちゃん!」 

(´・ω・`)「ぼくたちと一緒に戦って欲しいんだ!」 

彡(゚)(゚)「ワイはお前らを裏切るなんて出来へん…」 

彡(^)(^)「ええで!お前らのために戦ったるわ!」 

彡(^)(^)「ワイらは共に生き、共に死ぬんやで!」 


”ペタ”の教え子に懇願され、受け入れた者。 


彼らにどのような理由があったとしても、 
彼らは皆、”インドネシア独立”に情熱を持っていたのでした。
925:2015/04/25(土)21:53:39 nmC
[スマトラ島] 


彡(゚)(゚)「終戦か…」 

彡(゚)(゚)「………」 


彡(゚)(゚)「ワイらは日本軍主力の近衛師団、”第25軍”や」 

彡(゚)(゚)「”蘭印作戦”からずっと、この地を統治してきた」 

彡(゚)(゚)「ジャワ島の兵士はその後、各諸島に散らばったらしいけどな」 

彡(゚)(゚)「スマトラ島のワイら”第25軍”は、最後までずっと、この地に残っていたんや」 

彡(゚)(゚)「せやからな、他所の兵よりもよっぽど、」 

彡(゚)(゚)「この”インドネシア”に愛着があるんや」
926:2015/04/25(土)21:54:40 nmC
彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「ワイらの師団は、全国から選抜された者が集うエリート師団や」 

彡(゚)(゚)「そんじょそこらの兵士とは違う、責任感と使命感を持っとる」 

彡(゚)(゚)「そんなワイらが何もせず、ただこの地を離れる、とでも?」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「ワイらは戦うで」 

彡(゚)(゚)「”インドネシアの独立”のために」 


戦いに赴いた日本兵は、ジャワ島とスマトラ島の双方にいました。 
その中でも特にジャワ島の日本兵が多かったのは、そのような理由があったからと推測されます。
927:2015/04/25(土)21:55:48 nmC
彡(゚)(゚)「敢えて大命に抗い、独自の行動に出ようと思う」 

彡(゚)(゚)「敗れた弱者は天下に用無し…そんなことは言わんでくれ」 

彡(゚)(゚)「生きて米英の犬となるより、想いに殉じて火に入る虫となろう」 

彡(゚)(゚)「天道は正義にあり!」 

彡(゚)(゚)「歴史の行く末に正義がなくて、どうするというのか!」 

彡(゚)(゚)「…戦友諸君」 

彡(゚)(゚)「敢えて不遜の行動に出ることを、どうか許してくれ」 


宮山滋夫。 
彼を含め、彼らはそのように”遺書”を残して、軍から去っていきました。 

彼らの”遺書”は長らく公開されませんでした。 
”遺書”に共鳴して軍を離れる者。その増加が恐れられたからでした。
928:2015/04/25(土)21:56:52 nmC
彼らは、その全てが”脱走兵”です。 

例え、彼らにどのような理由があったとしても、それが隣人を助けるためだったとしても。 
彼らは軍命に背いて軍を離れたのです。 


彼らは軍属1000人とも、総数3000人とも言われています。 
しかし、正確な実態は未だに分かっていません。 

彼らの行動に、政府は「日本の国体維持、天皇の維持に悪影響を与える」と危惧しました。 
そのため、彼らは明確に”脱走兵”であると定義され、軍人恩給も支払われません。 
その存在が日本国内に伝えられることはほとんど無く。 


故に、彼らが日本の歴史で語られることは無く。
929:2015/04/25(土)21:57:55 nmC
彡(゚)(゚)「………ほな、そろそろ行くか」 

彡(゚)(゚)「準備はええか?」 

(´・ω・`)「うん、日本兵のおにいちゃん!」 


彡(゚)(゚)「ワイらは明らかに劣勢や」 

彡(゚)(゚)「せやけど、ワイらには独立に懸ける、熱い情熱がある」 

彡(゚)(゚)「これさえあれば、インドネシアが真に独立するその日まで、」 

彡(゚)(゚)「ワイらはきっと、戦い続けられる」 


彡(^)(^)「ワイらの戦いは、これからやで!」 



そうやって、彼らは皆。 

歴史から消えていきました。
934:2015/04/25(土)23:46:13 pRn
最終回の前に聞きたいんやけど、イッチはなんでそんなにインドネシアの現代史に詳しいんや? 
勉強したとしたら、そのきっかけは何だったんや?
935:2015/04/26(日)06:17:44 N1H
>>934 
きっかけは3月始め頃、たまたま海外系まとめサイトをチラ見したことですね。 
そのページの趣旨からは若干外れたとある一文に興味を持って、”ジョヨボヨ王の予言”に行き着きました。 
内容は忘却してしまいましたが、おそらく独立に関する”ペタ”か”武器”のどちらかだったと思います。 

今となっては膨大な情報量を会得しましたが、これを始める前の自分の知識はほぼまっさらです。 
取りこぼしてしまった情報も多いでしょうし、まだまだ勉強する余地はあるでしょうね。
967:2015/05/04(月)20:56:06 kUi



   __,,,,,,,,,,,,,,,,,..................._..........................,,,,,,,,,,,,,,,,,__ 
 ̄               ̄                 ̄ ̄ """"" 
         _,,. -=- .,,_ 

                                     _,,..、 - 
                             _,,..、 - ‐ '''' "´ 
                    _,,..、 - ‐ '''' "´ 
_     ____ ,,..、 - ‐ '''' "´ 
./ = /    / 
   /    / 
_,/ ̄ ̄ ̄ 

                [ Now loading...] 

Next Time 21:30.                 Last Stage Indonesia.
971:2015/05/04(月)21:32:33 kUi
[スラバヤ・ヤマトホテル] 


(●▲●) 

(●▲●)「………よし、誰もいないな?」 

(●▲●)「国旗を立てるなら今のうち、やで~」
972:2015/05/04(月)21:33:44 kUi


(´・ω・`)「…なんだ、あれ?」 

(´・ω・`)「あれは…オランダ国旗!?」 

(´・ω・`)「冗談じゃないぞ!」 

(´・ω・`)「オランダ国旗はポイ―で」
973:2015/05/04(月)21:34:55 kUi

(´・ω・`)「さて、この旗はどうしよう」 

(´・ω・`)「………」 

(´・ω・`)「………そうだ!こうしよう!」 

(´・ω・`)「オランダの国旗は、上から順に”赤白青”の三色旗だ」 

(´・ω・`)「このうち”青い部分”だけを引き裂いて、取り除いて……」 

(ゴソゴソ) 

(´・ω・`)「………よし、できた!」 

(´・ω・`)「赤と白の紅白旗!」 

(´・ω・`)「ぼくたちの国旗”メラ・プティ”の完成だよ!」
974:2015/05/04(月)21:36:09 kUi
・豆知識『国旗”メラ・プティ”』 

インドネシア国旗”メラ・プティ”。上から順に”紅白”の二色旗です。 

”メラ・プティ”の意味は”紅白”。 
”紅白旗”自体は13世紀頃から存在し、代々の王家が使用しました。 
彼の”マタラム王国”では、祝祭日には数多くの市で掲揚されたそうです。 

1923年。オランダ留学生が連合印として”メラ・プティ”を使用。 
その後、インドネシアに帰国した彼らは集結し、スカルノらと共に”インドネシア国民党”を結成。 
”メラ・プティ”は”インドネシア国民党”の党旗として使用されました。 

やがて、紅白旗は”独立の象徴”としての地位を獲得。 
インドネシア独立後。”メラ・プティ”は正式に国旗として採用されたのでした。 

”独立宣言の日”。 
当時のスカルノ夫人が一晩で縫い上げた”メラ・プティ”。 
それはまるで神器の如く、今でもジャカルタで厳重に保管されているとのことです。
975:2015/05/04(月)21:37:20 kUi
(☆●●●●)「正直、オランダとイギリスへの植民地復帰は感心しないな」 

(☆●●●●)「我々アメリカは、日本、ドイツ、イタリアから、民主主義を守るために戦ったのだ」 

(☆●●●●)「植民地を取り返すために戦ったのではない」 

(☆●●●●)「大体、植民地が復活してしまえば、それは大義に反してしまう」
976:2015/05/04(月)21:38:32 kUi
(●▲●)「そんなん言うてもな」 

(●▲●)「このまま日本軍に自治を任せるのもな?」 


(U・×・U)「ではこうしましょう」 

(U・×・U)「東インドをこのまま放置はできません」 

(U・×・U)「ひとまず、東インドとは無関係の我々イギリス軍が、彼の地へ向かい、」 

(U・×・U)「連合軍代表として、日本軍から占領統治を引き継ぐ、ということで」 

(☆●●●●)「…そうだな、それではひとまずそれで」
978:2015/05/04(月)21:39:45 kUi
(●▲●)「………」 

(●▲●)「………まぁ正直、ワイらも戦争でボロボロや」 

(●▲●)「軍を派遣する余裕なんてないからな」 

(●▲●)「イギリスはんがやってくれるんなら、それはそれでありがたいんやけど…」 


(●▲●)「………」 

(●▲●)「………ま、全てをイギリスなんかに任せてはおけんよな」 

(●▲●)「ファン・オイエン少将、分かっとるな?」 

(・軍・)「御意」
979:2015/05/04(月)21:41:29 kUi
1945年10月23日 [ジャカルタ]


(・蘭・)「私が”オランダ領東インド政府”、ファン・モーク副総督だ」

(・英・)「私はイギリスの調停役です」

(・英・)「これからは我々イギリスが、インドネシアとオランダの仲介をしますよ」

( ・`ω・´)「…分かりました」


980:2015/05/04(月)21:43:03 kUi
1945年10月26日 [スラバヤ]

(・英・)「原住民のみなさん」

(・英・)「戦争は終わったんです、速やかに武装解除に応じて下さい」

(●゚◇゚●)「オランダ兵メ……コレハ”宣戦布告”ダナ…?」

(●゚◇゚●)「タタカエ……タタカッテ、ドクリツヲカチトルンダ……」

(・英・)「ファッ!?」


スラバヤの住民は”イギリス軍とオランダ軍は同一”とみなしました。
”武装解除の要求”を、”宣戦布告”と受け取ったスラバヤの住民。
彼らは3日間に渡り、イギリス軍を攻撃し続けたのでした。


981:2015/05/04(月)21:44:17 kUi
( ・`ω・´)「おいおい、今は平和的な交渉中だぞ」

( ・`ω・´)「今暴れられると、色々と困るんだけどなぁ」

( ・`ω・´)「すみません、こちらの者が色々と迷惑をかけています」

( ・`ω・´)「我々も今、交渉の場が荒らされるのは困ります」

( ・`ω・´)「私が”停戦協定”に調印しますので、どうか穏便に済ませてもらえませんか?」

(・英・)「了解しました、我々はその提案を受け入れます」

(●▲●)「ほ~ん、”停戦協定”ね…?」



982:2015/05/04(月)21:45:28 kUi
1945年10月30日

(・英・)「”停戦協定”は無事、調印されました」

( ・`ω・´)「ありがとうございます」


(・英・)「それでは、私はこれで失礼させて頂きます」



983:2015/05/04(月)21:46:39 kUi
(・英・)「………」

(・英・)「……ふぅ、全く」

(・英・)「まさか我々が、オランダの尻拭いをさせられるなんてなぁ」

(・英・)「本当に大変なところに来てしまったよ」

(・英・)「でも、これで暫くは安心だ」

(・英・)「よかったよかった…… (ドンッ)

( 英 )「」

停戦協定の調印から、僅か5時間後。
旅団長マラビー准将は、白昼、乗用車を爆破され、死亡しました。



984:2015/05/04(月)21:47:46 kUi
(U・×・U)「マラビー准将が、暗○された…!?」

(U・×・U)「絶対に許さんぞ、原住民どもめ!!」

(U・×・U)「我々はインドネシアに武器と犯人の引き渡しを要求する!」

(U・×・U)「要求に従わなければ、報復としてシンガポールから軍を派遣する!」



985:2015/05/04(月)21:48:56 kUi
暗○事件の真犯人は不明。
”イギリス軍を巻き込むためのオランダによる謀略”という説もあります。
インドネシアへの進駐軍の中には、蘭印軍、陸軍司令官ファン・オイエン少将の
”蘭印陸軍七個中隊”が含まれていました。

この部隊は破壊工作を主目的とし、インドネシア人の○害・誘拐・放火など、
数多くの事件を起こしています。 オランダの破壊工作。
それによって、インドネシアと連合国側の交渉環境は、著しく悪化したのでした。



986:2015/05/04(月)21:50:12 kUi
(●゚◇゚●)「暗殺?そんなのは知らないね」

(●゚◇゚●)「それに武器をよこせだって?」

(●゚◇゚●)「そんな要求は断固拒否する!」

(●゚◇゚●)「やっぱりお前らは敵だったんだ!」

(U・×・U)「なんだと!?」

(●゚◇゚●)「死か、独立か!」

(●゚◇゚●)「我々スラバヤ市民は、絶対に屈しないぞ!」

スラバヤには、独立宣言を発したジャカルタへの強い対抗意識もありました。
インドネシア政府の制御も及ばず、スラバヤ市民は戦いに身を投じていきました。



987:2015/05/04(月)21:51:23 kUi
1945年11月10日。

インドネシアとイギリスの両軍は、市街地で全面衝突。

イギリス側は将軍2名が死亡、死傷者1000名。
インドネシア側は艦砲射撃と空襲を受け、一般市民を含む5000人~20000人の犠牲者が出ました。

”100日戦争”、又の名を”スラバヤ血の海戦争”。

独立宣言から100日目に発生した戦争。




988:2015/05/04(月)21:52:34 kUi
「インドネシア独立は、全インドネシア人の願望である」


それを世界に知らしめた、”インドネシア独立戦争”の始まりです。

 
2:2015/05/04(月)21:54:13 kUi
( ・◇・)「いよいよ”独立戦争”が始まったね」 

( ・◇・)「知ってる?スラバヤもそうだけど、バンドンの街も火に包まれたんだって」 

( ・◇・)「なんでも、インドネシア軍自らが市街地に火を放ったんだってさ」 

( ・◇・)「イギリス軍はバンドンを”オランダ軍”に引き渡すため、バンドンの街を占領する寸前だった」 

( ・◇・)「インドネシア軍はそれを絶対に阻止したかったんだってさ…」
3:2015/05/04(月)21:55:32 kUi
( ・◇・)「それと、首都ジャカルタの治安が悪化してきたんだってさ」 

( ・◇・)「共和国派とオランダ派の武装対立が表面化してきたんだ」 

( ・◇・)「それに伴って、首都はジャカルタから”ジョグジャカルタ”に移ったそうだよ」 

( ・◇・)「ジャカルタはジャワ島西部、それに対してジョグジャカルタはジャワ島中部」 

( ・◇・)「名前は似てるけど、場所は全然違うから間違えないでね」 

( ・◇・)「ちなみにジョグジャカルタはね、昔”マタラム王国”が栄えた土地なんだ」
4:2015/05/04(月)21:56:44 kUi
( ・◇・)「新首都ジョグジャカルタに大統領と副大統領が避難して、」 

( ・◇・)「旧首都ジャカルタにはシャフリル首相が残って、イギリスオランダとの交渉を継続するんだって」 


( ・◇・)「…戦争が始まった以上、ぼくたちはもう引き返せない」 

( ・◇・)「一体この先、ぼくたちはどうなってしまうんだろうね…」
5:2015/05/04(月)21:57:54 kUi
・豆知識『独立戦争に参加したインドネシア人』 

実は、インドネシア人の中にも”親オランダ派”はいるのです。 
インドネシア各島によって傾向が違い、”親オランダ派”の多い島もあったそうです。 
そのような島では”親オランダ派”のインドネシア人がオランダ人に協力し、 
”蘭印作戦”の時には、オランダと共に戦ったそうです。 

この”インドネシア独立戦争”でも、それは例外ではなく、 
オランダ軍の上陸を歓迎し、オランダ軍に参加するインドネシア人兵士もいました。 
更に”ジャワ郷土防衛義勇軍・ペタ”出身者の中にも、親オランダ派は存在したそうです。 

あまり目立たない彼らは、どちらかというと少数派だったのかもしれません。 
ですが、やはりインドネシアも一枚岩ではなかったものと思われます。
6:2015/05/04(月)21:59:17 kUi
(・印・)「ぼくはインドから派遣されて来た”インド人兵士”だよ」 

(・印・)「インドネシアにやって来てるイギリス軍の、そのほとんどは”インド人兵士”なんだ」 

(・印・)「インドはイギリスの植民地だからね」 

(・印・)「だから、ぼくたち”インド人兵士”は、イギリス軍としてインドネシア人と戦わなきゃいけないんだ」
7:2015/05/04(月)22:00:41 kUi
(・印・)「だけど…」 

(・印・)「正直、ぼくたちも”独立”したいんだ」 

(・印・)「インドネシア人たちの独立願望は、とてもよく理解できる」 

(・印・)「日本軍政時代は一緒に戦った仲間同士だしね」 

(・印・)「だから……」 


(・印・)「ぼくはこれから、インドネシア軍に味方するよ」 


インドから派遣されたイギリス軍インド人兵士。 
彼らは、インドネシア独立運動の理解者でした。 

彼らの中には兵舎を抜けだし、インドネシア軍に参加する者もいたそうです。
8:2015/05/04(月)22:01:52 kUi
(●▲●)「は?」 

(●▲●)「おい、お前んとこの兵士がインドネシア軍に加わっとるぞ!?」 

(●▲●)「一体どうなっとんのや!?」 

(U・×・U)「そんなこと言われても…」
9:2015/05/04(月)22:03:03 kUi
(・露・)「今まで黙って見とったんやけど…」 

(・露・)「最近のイギリスはんは、インドネシアを支配しとるそうやないか?」 

(・露・)「これな~、どう見ても”植民地化”狙っとるんちゃう?」 

(・露・)「アカンな~、アカンやろな~、”植民地帝国”の復活やろな~」 

(・露・)「人道的に、こんなのは許されんやろな~」 

(・露・)「せやろ?」 

(U・×・U)「ぐぬぬ…」
10:2015/05/04(月)22:04:20 kUi
1946年11月 


(U・×・U)「なんでぼくたちばかり、こんなに責められないといけないんだ…」 

(U・×・U)「ぼくたちはあくまで、オランダの代わりに来ているだけなのに…」 

(U・×・U)「………」 

(U・×・U)「……ああ、またインドのネール首相から非難の声明が来た」 

(U・×・U)「”インド人をインドネシアで戦わせるな”って」 

(U・×・U)「………インド兵の派遣も、そろそろ限界だ」 

(U・×・U)「何より、インド人兵士たちが、インドネシアの独立に同情し始めている」
11:2015/05/04(月)22:05:32 kUi
(U・×・U)「………」 

(U・×・U)「我々だって、インドネシアの独立願望は、理解しているつもりだ」 

(U・×・U)「だけど、ぼくたちはオランダの準備が整うまでは、この地に留まらないと…」 

(U・×・U)「………あー、もう…」 

(U・×・U)「大体これは、オランダとインドネシアの問題なんだ」 

(U・×・U)「ぼくたちイギリスは、全く、関係ないんだ」 

(U・×・U)「正直、さっさとここから手を引きたいよ…」
12:2015/05/04(月)22:06:43 kUi
(U・×・U)「なぁ、もういい加減にしてくれないか?」 

(U・×・U)「こっちはインドの独立問題で手一杯なんだよ」 

(U・×・U)「これ以上、こんなところで油を売ってなんかいられない」 

(U・×・U)「早くインドネシア側と協定を結んでくれよ」 

(・蘭・)「仕方ないですね…」
13:2015/05/04(月)22:07:54 kUi
[ジャワ島・チルボン] 


(U・×・U)「インドネシア共和国の領地は『ジャワ島』『スマトラ島』『マドゥラ島』である」 

(U・×・U)「インドネシア共和国には『オランダ・インドネシア連合王国』の『インドネシア連邦』に加盟してもらう」 

(U・×・U)「以上をもって、”リンガルジャティ協定”を締結するよ」 


(*・公・*)「はい、分かりました」 

(・蘭・)「異論はないです」 


イギリス・キーラン郷の斡旋により、インドネシア首相・シャフリル、オランダ領東インド政府副総督、ファン・モークが交渉。 
彼らによって”リンガルジャティ協定”が締結されました。
14:2015/05/04(月)22:09:13 kUi
・豆知識『バリ島の独立戦争』 

バリ島にも”インドネシア独立戦争”を戦ったインドネシア人の英雄がいました。 
貴族出身、インドネシア軍中佐、グスティ・ングラライ。 
ゲリラ戦で8ヶ月間を戦い抜くも、最期の戦闘でオランダ軍の降伏勧告を拒否。 
壮絶に戦い抜き、残留日本兵12名を含む同志94名と共に、玉砕したそうです。 

後に彼の名は国際空港の名として残り、像や紙幣の肖像にもなります。 
彼は今でもインドネシアの地で、同志らと共に眠っています。 


しかし残念ながら、バリ島での独立戦争は、実質彼らだけだったそうです。 
バリ島はオランダの支配下に収まり、 
”リンガルジャティ協定”によって、バリ島は”インドネシア共和国”から切り離されたのでした。
15:2015/05/04(月)22:10:23 kUi
(U・×・U)「よし!これで協定締結だね?」 

(U・×・U)「それじゃぼくらはすぐに兵を引き上げるから」 

(U・×・U)「これからはインドの独立問題に取り組まないとね…」 


協定が締結するや否や、イギリス軍は速やかにインドネシアから撤退したのでした。
16:2015/05/04(月)22:11:34 kUi
・豆知識『イギリス領インド帝国の分離独立』 

第二次世界大戦終結後、イギリスは”イギリス領インド帝国”の放棄を検討し始めます。 
イギリスは世界大戦での疲弊によって、経済力、軍事力が破綻。 
インドの軍人・官僚からの忠誠を得るのも難しくなっていたのでした。 

1947年8月15日。インドとパキスタンが分離独立。(これには後の東パキスタン・バングラデシュも含まれます) 
更に1948年にはビルマ(ミャンマー)とセイロン(スリランカ)も分離独立し、 
”イギリス領インド帝国”は完全に消滅したのでした。 

なお、インドとパキスタン。これは二つの宗教を分離するため、国自体を分離した結果です。 
これにより各地で強制移動・流入による大混乱が発生。 
暴動や衝突、虐○が発生し、死者は100万人にも達したと言われています。 
インド独立運動・最大の悲劇とされ、今日においても両者の対立は続いています。
17:2015/05/04(月)22:12:46 kUi
さて、この協定に携わった両国の二人ですが…。 



(●゚◇゚●)「は?」 

(●゚◇゚●)「インドネシアがオランダに組み込まれる?」 

(●゚◇゚●)「そんなの認められないよ、何勝手にやってんの?」 

(*・公・*)「そ、そんな…」 

(*・公・*)「ぼくは”インドネシア共和国”の存在をオランダに認めさせることが第一だと思うんだ」 

(*・公・*)「多少譲歩してでも、対等であることを示すことに意義があるんだよ」
18:2015/05/04(月)22:13:56 kUi


(●゚◇゚●)「だとしても譲歩しすぎだよ」 

(●゚◇゚●)「ふざけてんの?」 

(●゚◇゚●)「大体シャフリル首相って、以前から気にくわなかったんだよね」 

( ・`ω・´)「まあまあ」 

( ・`ω・´)「ぼく、スカルノはこの協定を支持するよ」 

( ・`ω・´)「だからこの話はもうおしまい、ね?」 

(●゚◇゚●)「まぁ、スカルノさんが言うなら…」 


インドネシア側は、スカルノが支持することで、この問題に決着を付けました。
19:2015/05/04(月)22:15:14 kUi
一方のオランダ側では…。 



(●▲●)「”インドネシア共和国”を認める?」 

(●▲●)「そんなん無理に決まっとるやろ」 

(●▲●)「あれは、悪漢日本が馬鹿な原住民をそそのかして出来たもんや」 

(●▲●)「真夏の夜の夢みたいなもんやで」 

(・蘭・)「で、ですが!」 

(・蘭・)「我が国の権益を守るためにも、共和国には妥協すべきかと!」 

(●▲●)「は?妥協?」 

(●▲●)「何言っとんのや、お前」 

(●▲●)「大体どう見ても、今回のそれは、お前の権限を越えとるやろ!」
20:2015/05/04(月)22:16:33 kUi
(●▲●)「既にお前を支持した政権は交代した」 

(●▲●)「もうお前が好き勝手出来る時代は終わったんや」 

(●▲●)「それにお前は、ジャワ島生まれだそうじゃないか?」 

(●▲●)「原住民に情でも湧いたんか?」 

(●▲●)「そんな奴に任せたのがアカンかったんや」 

(●▲●)「ここから先は、ワイらの指示に従ってもらうで」 

(・蘭・)「はい…」
21:2015/05/04(月)22:17:45 kUi
1947年1月24日 


(●▲●)「治安維持活動の時間やで~」 

(●▲●)「ジャワ島東部のクリアンとシドアルジョを攻撃や!」 

(●▲●)「占領したら、次は内陸のモジョクルトも攻めるで~」 


( ・`ω・´)「ファッ!?」 

( ・`ω・´)「まだ協定の最終手続きも済んでないんだぞ!?」 

( ・`ω・´)「オランダは一体何を考えているんだ!!」
22:2015/05/04(月)22:18:56 kUi
( ・`ω・´)「どうする?徹底抗戦するべきか?譲歩するべきか?」 

( ・`ω・´)「一体どうしてこうなった…」 

(●゚◇゚●)「それもこれも、全部シャフリルのせいだ!」 

(●゚◇゚●)「お前が無責任な協定を締結するから、こんなことに!」 

(●゚◇゚●)「もうお前は辞めてしまえ!」 

(*・公・*)「うぅ…」 


党争に破れたシャフリルは、首相を辞任することになりました。 
しかし、オランダとの交渉をシャフリル首相が主導していたのも事実。 
スカルノはシャフリルを顧問に命じ、オランダとの外交交渉を継続させました。
23:2015/05/04(月)22:20:08 kUi
1947年6月28日 


(●▲●)「スラバヤ、ジョグジャカルタ周辺への空爆も開始するで~」 

(●▲●)「………」 

(●▲●)「……よし、そろそろええかな」
24:2015/05/04(月)22:21:50 kUi
1947年7月17日 


(●▲●)「あー、東インドの諸君、よく聞くんやで」 

(●▲●)「我々は東インド治安維持のため、オランダを含めた”共同警察”の設置を要求する」 


(●▲●)「これは我々からの”最後通牒”である」 

(●▲●)「この最後通牒が無視された場合、」 

(●▲●)「我々は、東インドの治安維持のため、」 

(●▲●)「東インド全域への”警察行動”を開始する!」
25:2015/05/04(月)22:23:03 kUi


( ・`ω・´)「そんな理不尽な要求をされても困るよ!」 

( ・`ω・´)「我々はインドネシア治安へのオランダ介入を、断固拒否する!」
26:2015/05/04(月)22:24:16 kUi
1947年7月21日 


(●▲●)「ワイらは待った」 

(●▲●)「待って、そして返答は変わらなかった」 

(●▲●)「決まりやな」 

(●▲●)「そんじゃ、始めるか」 

(●▲●)「原住民は一人残らず、叩き潰すんやで」
27:2015/05/04(月)22:25:27 kUi
ジャカルタ。 
チルボン。 
チアミス。 
タシクマラヤ。 
スマラン。 
マグラン。 
更にスマトラ島メダン、パレンバン。 

12万を越すオランダの大軍は、インドネシア共和国全域への侵攻を開始。 
そしてオランダ軍は、主要都市、農園や油田など、主立った拠点を次々と占領。 

オランダで”第一次警察行動”と呼ばれる大規模侵攻。 
それは、オランダの圧勝でした。
28:2015/05/04(月)22:26:45 kUi
[ジョグジャカルタ] 


( ・`ω・´)「うぅ、とうとう我々も追い詰められてしまった…」 

( ・`ω・´)「…こうなったら、都市部は破棄するしかない」 

( ・`ω・´)「農村に隠れて、ゲリラ戦に移行するよ!」 


オランダ軍は首都ジョグジャカルタにも攻め入り、共和国軍は都市部を破棄。 
以後、戦闘は農村部でのゲリラ戦に移行しました。
29:2015/05/04(月)22:27:55 kUi
1947年8月1日 



(●▲●)「フハハ!ワイらの勝利は目前や!」 



(☆●●●●)「そこまでだ!」 

(●▲●)「なんや?」
30:2015/05/04(月)22:29:08 kUi
(☆●●●●)「我らは”国際連合・安全保障理事会”」 

(☆●●●●)「我々はこの戦争の”即時停戦”を求める!」 

(☆●●●●)「オランダとインドネシアは、”平和的手段”をもって紛争を解決してほしい!」 


インドネシア共和国・国連代表シャフリルは、この戦争の解決を国連で求め続けていました。 
やがて、設立したばかりの”安全保障理事会”によって”戦争の即時停戦、及び和平解決を求める決議”が採択。 
この決議に基づき、8月4日、停戦は成立されました。
31:2015/05/04(月)22:29:56 nUB
シャフリルイケるやん!
32:2015/05/04(月)22:30:10 AV6
国際連合GJ
33:2015/05/04(月)22:30:23 kUi
しかし。 


(●▲●)「停戦?知らん知らん」 

(●▲●)「ワイらのこれは、あくまで治安維持活動」 

(●▲●)「ただの”警察行動”なんや」 

(●▲●)「国民の秩序と安全を守るため、これは仕方のないことなんや」 

(●▲●)「なぁ、せやろ?」 

(*^○●)「ウン、ソウナンダ…」 

(●▲●)「な?」 


停戦成立後もオランダの攻撃は止みません。 
占領地域には次々と”傀儡国家”が設立され、インドネシアは追い込まれていきました。 

1947年12月9日には、ジャワ島西部ラワゲデ村で、男性150人以上が虐○される事件も起きました。
34:2015/05/04(月)22:31:22 jFD
うおー…
35:2015/05/04(月)22:31:34 kUi


(*・公・*)「お願いです!どうかオランダを止めて下さい!」 

(*・公・*)「ぼくたちはもう限界です」 

(*・公・*)「このままではインドネシアは、本当に滅んでしまいます」 

(*・公・*)「どうかぼくたちを助けて下さい!」 


(☆●●●●)「う~ん……そうですね……」 

(☆●●●●)「それでは”仲裁委員会”を設置しましょう」 


シャフリルの求めに応じ、国連は”仲裁委員会”の設置を決定します。
36:2015/05/04(月)22:32:31 AV6
おいオランダゴラァ
37:2015/05/04(月)22:32:47 kUi
(*・公・*)「ぼくたちインドネシアは、オーストラリアを指名します」 

(●▲●)「ワイらはオランダは、ベルギーを指名するで」 

(・豪・)(・白・)「ぼくたちはアメリカを指名します」 

(☆●●●●)「それでは、アメリカ、オーストラリア、ベルギー」 

(☆●●●●)「この3カ国による”仲裁委員会”を設置」 

(☆●●●●)「各代表者はジャカルタにて、停戦協定の締結を目標に活動して下さい」 


こうしてようやく、停戦協定締結に向け、事は進んで行きました。
38:2015/05/04(月)22:33:57 kUi
1948年1月17日 


[ジャカルタ沖・米国軍艦レンヴィル・艦上] 


(☆●●●●)「インドネシア共和国の領地は『ジャワ島中部』『ジャワ島西端部』『マドゥラ島』である」 

(☆●●●●)「これにて停戦協定”レンヴィル協定”を締結する」 


( ・`ω・´)「……了解しました」 


インドネシア共和国の領土は、更に狭まりました。 
しかし他に手段はなく。インドネシア共和国はそれを認めるしかありませんでした。
39:2015/05/04(月)22:35:45 kUi
( ・◇・)「この停戦協定で、戦闘はようやく小休止したんだ」 

( ・◇・)「でも、この協定を認められないシャリフディン内閣は総辞職したんだって」 

( ・◇・)「しかし、代わりを務める政治家は誰もいなかった」 

( ・◇・)「だから、ハッタ副大統領が首相と国防相を兼任」 

( ・◇・)「新内閣を組織して、国内の混乱収拾とオランダとの外交交渉を継続していったんだ」 


( ・◇・)「………」 

( ・◇・)「…語り部みたいな役になってしまったね」 

( ・◇・)「まぁ何はともあれ」 

( ・◇・)「独立戦争はいよいよ、クライマックスに突入するよ」
40:2015/05/04(月)22:37:19 kUi
( `(エ)´)「”レンヴィル協定”なんて認められん!」 

( `(エ)´)「我々”インドネシア共産党”は徹底抗戦を主張する!」 

( `(エ)´)「スカルノ大統領!ハッタ副大統領!」 

( `(エ)´)「お前たちの外交路線は間違っている!」 


ムソ。 
ジャワ島東部出身。 
社会主義を経て、”インドネシア共産党”創立に参加した人物。 
1926年。共産党の武装蜂起失敗と共に、ソビエトへ逃亡。 
やがて独立戦争が始まると、彼はインドネシアに戻ってきていました。 

彼が帰国したことで、”インドネシア共産党”は再び勢力を伸ばすようになります。
41:2015/05/04(月)22:38:35 kUi
('ω`) 

シャリフディン前首相。 
戦前。彼は弁護士として開業する一方、反ファシズム運動に身を投じます。 
戦中。彼は日本軍に逮捕されますが、スカルノらの嘆願により一命を繋ぎ止めました。 

戦後。彼はシャフリルと共に、日本協力者を批判した”非日協力者”として政界で頭角を現します。 
情報相・国防相の要職に就き、シャフリルの後を継いで首相にもなりました。 
首相在任中。彼ははオランダとの協調路線を進めていました。 

1948年1月23日。シャリフディン内閣が総辞職。 
1948年2月。シャリフディンは、共産党・社会党を中核とした”人民民主戦線”を組織。 
1948年8月。ムソの帰還と共に、シャリフディンはムソと行動を共にするようになります。
42:2015/05/04(月)22:40:10 kUi
1948年9月18日 

[ジャワ島東部・マディウン] 


(・軍・)「もう我慢ならん!」 

(・軍・)「これ以上奴らに好き勝手やられて堪るか!」 

(・軍・)「我々はマディウンの政府機関を奪取し、」 

(・軍・)「”インドネシア・ソビエト共和国”樹立を宣言する!」 


”マディウン事件”。 
”人民民主戦線”ダフラン中佐の率いる第29旅団が、マディウンの政府機関を襲撃。 
”インドネシア・ソビエト共和国”を宣言し、シャリフディン派の政権が作られました。 

これにより、ジャワ島中部・東部の各都市にも流れが波及。 
ジョグジャカルタとマディウンによる、内戦状態となりました。
43:2015/05/04(月)22:41:21 kUi


-- ラジオ放送 -- 


( ・`ω・´)「全国民に告げる!」 

( ・`ω・´)「これは、インドネシア共産党による、」 

( ・`ω・´)「インドネシア共和国、転覆の企てである!」 

( ・`ω・´)「我々は、これを絶対に許さない!」 

( ・`ω・´)「国民諸君!」 

( ・`ω・´)「ムソらによる共産党を選ぶか!」 

( ・`ω・´)「それとも我々、スカルノ・ハッタによる共和国を選ぶか!」 

( ・`ω・´)「好きな方を選ぶと良い!」
44:2015/05/04(月)22:42:32 kUi
インドネシア軍の主流は、反共産党でした。 
そのため、共和国は断固たる態度で対応。国民に二者択一を迫ります。 


やがて、反乱は一ヶ月ほどで鎮圧されました。 
ムソは射○され、ムソに内通したシャリフディン元首相も逮捕、処刑されました。
45:2015/05/04(月)22:43:39 kUi
しかし…。 




(●▲●)「来たな、この時が」
46:2015/05/04(月)22:45:01 kUi
1948年12月11日 


(●▲●)「我々は”レンヴィル協定”の破棄を通告する!」 



(●▲●)「そして我々は」 

(●▲●)「インドネシア共和国への」 

(●▲●)「”第二次警察行動”を開始する!」 



”第二次警察行動”。 
内乱により、インドネシア軍の軍事力は低下していました。 
これに乗じ、遂にオランダが、最終攻撃を仕掛けたのでした。
47:2015/05/04(月)22:45:41 nH4
オランダきたねぇなぁ
48:2015/05/04(月)22:46:12 kUi
[ジョクジャカルタ] 

1948年12月19日早朝 



オランダは、ジョグジャカルタ飛行場を襲撃、飛行場を占拠。 
海兵隊と蘭印軍が陸路で侵攻し、市内要所を強襲。 



そして…。
49:2015/05/04(月)22:47:23 kUi
( ・`ω・´)「………」 

(^)'・▲・`(^)「………」 

(●▲●)「………」 

(●▲●)「………」 

(●▼●)「………(ニッコリ」 

(●▲●)「捕らえろ」 

( ・`ω・´)「うわああああああああああああああああ」 


1948年12月23日までに、ジョクジャカルタの3個中隊は敗北。 
臨時首都ジョグジャカルタは陥落。 

ジョグジャカルタのスカルノ大統領、ハッタ副大統領、そして閣僚の大半。 
彼らは全て、オランダに逮捕されたのでした。
51:2015/05/04(月)22:48:34 kUi
(●▲●)「勝ったでー、大勝利や!」 

(●▲●)「いやー、長い戦いやったな」 

(●▲●)「でもそれもこれも全て終わり」 

(●▲●)「これからはやっとワイらの時代やな!」 


”第二次警察行動”。 
インドネシアは存続の危機に追い詰められ、オランダは圧倒的な”軍事的勝利”を治めました。
52:2015/05/04(月)22:49:46 kUi
それは、 


オランダの”外交的敗北”の始まりでした。
53:2015/05/04(月)22:51:03 kUi
1948年12月24日 

[国連安保理] 


(☆●●●●)「オランダのやり方は、全くもって論外だ!」 

(☆●●●●)「オランダは”植民地主義”に固執している!」 

(☆●●●●)「そんなオランダを、我々は支持することはできない!」 

(☆●●●●)「我々は早急に、逮捕した指導者の解放を要求する!」 

(☆●●●●)「そして、オランダは速やかに和平協議に復帰するように!」 


(☆●●●●)「これを無視した場合、我々アメリカは」 

(☆●●●●)「オランダへの経済援助を停止する!」 


(●▲●)「ファッ!?」
54:2015/05/04(月)22:52:23 nUB
これは世界の警察
55:2015/05/04(月)22:52:32 kUi
アメリカは、ソビエトの共産主義と真っ向から対立していました。 
その共産主義は”マディウン事件”でインドネシアを取り込もうとしますが、ハッタ政権はそれを断固たる態度で鎮圧しました。 
これを、アメリカは高く評価していたのでした。 

また、当時のアメリカは”レンヴィル協定”の実施に向けて動いている最中でした。 
その最中に起きた”第二次警察行動”。それはアメリカの逆鱗に触れました。 

こうしてアメリカは、 
「オランダが”インドネシア独立”を容認しない場合、戦争被災国への復興援助”マーシャル・プラン”を取り消す」 
と宣告したのでした。
56:2015/05/04(月)22:53:50 kUi
(U・×・U)「やっぱりオランダのやり方は間違ってるよねー」 

(=◎ω◎=)「せやな、ワイが言うのもなんやけど、やっぱり植民地は不味いと思うわー」 
  _、_ 
( ,_ノ` )「俺達はオランダを非難するよ」 


また、インドネシア独立問題の実態が明らかになるにつれ、国際世論は植民地帝国に厳しくなっていきました。 
1949年1月には、国連で”オランダ非難決議”が採択されました。 

そして国連は、新しい理念”民族自決”を掲げます。 
”自らの意思に基づいて政治運命を決定し、他国の干渉を認めない権利”。 
国際世論は”脱植民地”へと加速していったのでした。
57:2015/05/04(月)22:55:04 kUi
(●▲●)「な、なんや?一体どうしたんや?」 

(●▲●)「もしかして、みんなあいつらの味方なんか?」 

(●▲●)「……ま、まぁええわ、経済援助停止はかなり痛いけど」 

(●▲●)「まずは一刻も早く、この事態を収拾せな」
58:2015/05/04(月)22:56:17 kUi


(●▲●)「おう、スカルノ!お前らはもう終わりや!」 

(●▲●)「速やかに我々と交渉すれば、悪いことにはならんはずやで!」 



( ・`ω・´)「いや、それは無理だよ」 

( ・`ω・´)「”既に権限は委譲されている”」 

( ・`ω・´)「ぼくたちはもう、何の権限も持ち合わせちゃいないんだ」 

(●▲●)「な、なんやて!?」
59:2015/05/04(月)22:57:30 kUi
(´・ω・`)「そうだね」 

(´・ω・`)「君たちオランダが、協定を一方的に破棄することは読んでいた」 

(´・ω・`)「だからぼくたちは、事前に準備していたんだ」 

(´・ω・`)「我々インドネシア共和国は、スマトラ島に”臨時政府”を樹立する!」 


非常時に備え、インドネシア側はスマトラ島に臨時内閣を組織する準備を進めていました。 
そして、共和国首脳が逮捕されるや否や。 
スマトラ島・大蔵大臣シャフルディンは、”共和国臨時政府”として名乗りを上げたのでした。 

オランダは捕らえたスカルノらと交渉しようとしますが、スカルノらはこれを拒否。 
権限は既に、スカルノらの手からは離れていたのでした。
60:2015/05/04(月)22:58:42 kUi
・豆知識『ジョグジャカルタ陥落以後』 


( ・`ω・´)「国民のみんな!」 

( ・`ω・´)「我々はオランダとの交渉継続を破棄する!」 

( ・`ω・´)「オランダの卑劣な手段に屈するな!」 

( ・`ω・´)「インドネシア人よ!オランダとの徹底抗戦に協力してくれ!」 


ジョグジャカルタが陥落した後も、オランダ軍の侵攻は止まりません。 
獄中のスカルノは、全国民に徹底抗戦を訴えます。 

ジョグジャカルタを追われた共和国軍は、山岳地帯に逃げ込みます。 
彼らはゲリラ戦によってオランダ軍に抵抗しました。 
村から村へ行方をくらまし、オランダに通じている村を避け、彼らは逃避行を続けます。 

1949年3月1日。 
スハルト中佐指揮下で行われた”ジョグジャカルタ奪還作戦”。 
この作戦では一時、ジョグジャカルタ都市中心部を6時間占領したそうです。 
作戦こそ失敗したものの、彼らはインドネシア共和国存続をアピールし続けたのでした。
61:2015/05/04(月)22:59:08 AV6
スカルノすげえな
62:2015/05/04(月)23:00:01 kUi
(・印・)「インドネシアでは今、お米が不足しているらしいね」 

(・印・)「ぼくたちがお米を送ってあげるよ」 


独立したばかりのインド。 
彼らはオランダ海軍の牽制も振り切り、インドネシアへ米を輸送しました。 

国連に加盟した新独立国は、こぞってインドネシアを支持しました。
63:2015/05/04(月)23:01:16 kUi
(・豪・)「ワイらは基本的に白人主義なんやけど」 

(・豪・)「ワイらもイギリスの植民地から独立した経緯があるからな」 

(・豪・)「やっぱりインドネシアには、共感せずにはいられんのよ」 

(・豪・)「せやから、ワイらはオランダ船舶の支援はせぇへんよ」 

(・豪・)「ストライキで応じたるわ」 


オーストラリア。 
大戦時、彼らは連合軍としてオランダと共に戦いました。 
日本のインドネシア占領時代、蘭印亡命政府はオーストラリアに間借りする程の仲でした。 
オランダの後援者、オーストラリア。 
そんな彼らですら、オランダを批判したのでした。
64:2015/05/04(月)23:02:46 kUi
(●▲●)「なんでや!インドネシアは日本の傀儡国家やで!?」 

(●▲●)「それやのに、一体どうしてみんな、あいつらの味方なんや!?」 


(●▲●)「ワイらかて、ドイツに占領されたせいで、経済はボロボロや」 

(●▲●)「それでもインドネシアを取り戻すため、莫大な軍事費に耐えてきたんやで?」 

(●▲●)「同じ戦勝国同士、少しはワイらの味方してくれてもええやないか?」 


(●▲●)「……分からん、一体どうして、こんなことになったんや…?」
66:2015/05/04(月)23:03:55 kUi
やがて国際世論の圧力の下、オランダは追い込まれていきます。 


そして…。
67:2015/05/04(月)23:05:12 kUi
1949年2月 


(●▲●)「………」 

(●▲●)「………我々オランダは、 

(●▲●)「インドネシア共和国と交渉することに、」 

(●▲●)「………同意する」 


遂にオランダは、国際世論に屈したのでした。
68:2015/05/04(月)23:06:24 kUi


1949年5月 


(*・公・*)「”ルム=バン・ロイエン協定”が締結されます」 

(*・公・*)「これにより、インドネシアとオランダの停戦合意が、完了されました」
69:2015/05/04(月)23:07:09 AV6
数の暴力はおそろしいなあ
70:2015/05/04(月)23:07:37 kUi


1949年7月6日 

[ジョグジャカルタ] 


( ・`ω・´)「ただいま!」 

( ・`ω・´)「我々の勝利だ!」 

( ・`ω・´)「7月13日には、スマトラ島臨時政府が解消される」 

( ・`ω・´)「首都ジョグジャカルタの政府機能が復活するよ!」 


インドネシア指導者は解放され、ジョグジャカルタは歓声に包まれました。
71:2015/05/04(月)23:09:14 kUi
1949年8月23日 


[オランダ・首都ハーグ] 

(●▲●)「……これより、”ハーグ円卓会議”を開催します」 

(^)'・▲・`(^) (*^○●) 


インドネシア共和国代表ハッタ、そしてオランダ傀儡諸国の代表たちが集まり、”ハーグ円卓会議”が始まります。 
”ハーグ円卓会議”は11月2日まで続きました。 


そして…。
72:2015/05/04(月)23:10:27 kUi
1949年12月27日 


(●▲●)「”インドネシア連邦共和国”を樹立する」 

(●▲●)「オランダは無条件で、インドネシアの主権を”インドネシア連邦共和国”に引き渡す」 

(●▲●)「”インドネシア連邦共和国”は、オランダ女王を元首とする”オランダ・インドネシア連合”に参加する」 

(●▲●)「”インドネシア連邦共和国”の外交・国防・財政などに、オランダは永久に協力する...などなど」 


(●▲●)「以上をもって、”ハーグ協定”を締結する」
73:2015/05/04(月)23:11:39 kUi
インドネシア共和国 
東インドネシア国 
パスンダン国 
東ジャワ国 
マドゥラ国 
東スマトラ国 
南スマトラ国 
中部ジャワ自治国 
バンカ自治国 
ビリトン自治国 
リアウ自治国 
西カリマンタン特別地域 
大ダヤク自治国 
バンジャル地域 
東南カリマンタン 
東カリマンタン 
これらの国、自治地域から構成される”インドネシア連邦共和国”。 

インドネシア共和国以外の構成国は、その殆どが”オランダの傀儡国家”です。 
とは言え、インドネシア共和国はジャワ島半分とスマトラ島大部分を有し、 
”インドネシア連邦共和国”4600万人のうち、3100万人がインドネシア共和国だったそうです。 

何にせよ、遂にオランダは”インドネシアの独立”を認めたのでした。
74:2015/05/04(月)23:12:56 kUi


[ジャカルタ] 


( ・`ω・´)「ここに掲揚されているオランダ旗は全部外すよ!」 

( ・`ω・´)「そして、ぼくたちの国旗”メラ・プティ”を掲揚するんだ!」 

( ・`ω・´)「……遂にぼくたちは、独立したんだなぁ…」
75:2015/05/04(月)23:14:11 kUi


( ・`ω・´)「オランダがインドネシアに17億3200万ドルの債務負担を要求してきたよ」 

( ・`ω・´)「なんとか11億3000万ドルの債務負担で合意したけど」 

( ・`ω・´)「何はともあれ、これで独立戦争はおしまい」 

( ・`ω・´)「インドネシアはオランダから独立し、ぼくたちの悲願は成就した」 

( ・`ω・´)「めでたしめでたし、だね。」 

( ・`ω・´)「………」 

( ・`ω・´)「………でも、まだやることがあるよね」
76:2015/05/04(月)23:15:31 kUi


(*^○●) 

(^)'・▲・`(^)「こんにちは」 

(*^○●)「あ、ハッタさん」 

(^)'・▲・`(^)「”ハーグ協定”以来だね」 

(^)'・▲・`(^)「それで、あの時の話、考えてくれたかな?」 

(*^○●)「………」 

(*^○●)「………うん、決めたんだ」 

(*^○●)「ぼくらはオランダを排除し、再び集わなくてはいけない」 

(*^◯^*)「ぼくたち”傀儡国家”は、”インドネシア共和国”に合流するんだ!」 


彼らは”傀儡国家”と言えど、インドネシア共和国に賛同する者も多かったそうです。 
”ハーグ円卓会議”にて、彼ら”傀儡国家”は、インドネシア共和国の主張に耳を傾けました。 



そして…。
77:2015/05/04(月)23:16:43 kUi
1950年8月15日 


( ・`ω・´)「”インドネシア連邦共和国”諸国の権力は、」 

( ・`ω・´)「全て”インドネシア共和国”のジャカルタ中央政権に委譲されました!」 

( ・`ω・´)「これにより”インドネシア連邦共和国”は事実上の解体!」 


( ・`ω・´)「これより我々は、」 

( ・`ω・´)「真の”インドネシア共和国”の樹立を宣言します!」 


”インドネシア連邦共和国”の全ての国が、インドネシア共和国に主権を委譲。 
そして遂に、単一の国家”インドネシア共和国”が宣言されます。
78:2015/05/04(月)23:17:53 kUi
それは、インドネシアの独立が、完全に果たされた日。 

300年に及ぶオランダの影響力が今、完全に潰えたのでした。
79:2015/05/04(月)23:19:16 q2C
イイハナシダナー
80:2015/05/04(月)23:19:21 kUi
・豆知識『インドネシア独立戦争』 

1945年から1949年までの4年5ヶ月にわたる戦争。 
インドネシア全土で80万人が犠牲になりました。 

その中でも特に目立つのが、1947年7月21日と1948年12月19日の二度に渡って起きた”警察行動”。 
このオランダの軍事侵攻は、二回ともインドネシアに壊滅的被害を与え、 
二回ともオランダに致命的な逆風をもたらしました。 

結局、イギリスと違い、オランダは最後までインドネシアに拘り、全てを失いました。 
仮に名誉ある撤退が可能だったとすれば、それはあの”リンガルジャティ協定”の時点ではないでしょうか。 
当時のオランダで酷評された”リンガルジャティ協定”と、ファン・モーク。 
それらがオランダで再評価されるのは、遥か後年になってからのことです。 

時は流れ、2005年。 
オランダは初めて、インドネシアへの謝罪を行いました。 
そして、”インドネシアが1945年8月17日に独立したこと”。 
これをオランダは、遂に認めたのでした。
81:2015/05/04(月)23:20:31 kUi




                【エピローグ】
82:2015/05/04(月)23:21:40 kUi
1949年1月9日明け方 

[ジャワ東部・スメル山麓ダンピット]
83:2015/05/04(月)23:22:51 kUi
彡(゚)(゚) 

彡(゚)(゚)「ハァ…ハァ…」 

彡(゚)(゚)「……あそこがオランダの兵舎か」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「……この戦争も、そろそろ終わりやな」 

彡(゚)(゚)「何せ、あのアメリカが動き出したらしいからな」 

彡(゚)(゚)「いよいよ、インドネシアの独立が、」 

彡(゚)(゚)「世界中に認められるんやな」
84:2015/05/04(月)23:24:02 kUi
彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「”インドネシア共和国”」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………そこに、ワイらの居場所はない」 

彡(゚)(゚)「分かっとったんや、最初から」 

彡(゚)(゚)「ここは、インドネシア人のための国や」 

彡(゚)(゚)「ワイらは、彼らの国を作るために、この戦争に協力したんや」 

彡(゚)(゚)「見返りなんかいらん」 

彡(゚)(゚)「そういうもんやろ?」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………よし、いくか」
85:2015/05/04(月)23:25:13 kUi


彡(゚)(゚)「ぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁああぁああ゛あ゛あ゛あ゛ 

(ターン) 

彡(゚)(゚)「あっ」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(^)(^)「………」 

彡(^)(^)「………ほな」 

彡()()
86:2015/05/04(月)23:26:27 kUi
ゲリラ隊隊長、アブドゥル・ラフマン。 

戦前、彼は”トコ・ジュパン”の店員として渡り、やがて新聞記者として独立運動に共感しました。 
戦中、彼は”タンゲラン青年道場”で”ペタ”に情熱を傾けました。 

”脱走兵”として日本軍を離れ、インドネシアに協力した彼ら。 
彼らは皆”インドネシア名”を持ち、インドネシア人として戦いました。 

アブドゥル・ラフマン。 
彼は、市来龍夫という日本人でした。
87:2015/05/04(月)23:27:39 kUi
”脱走兵”として軍を離れ、独立戦争を戦い抜いた彼ら。 

彼らは常に最前線で指揮を執り、その死亡率はとても高かったそうです。 
オランダは日本人に特別な懸賞金をかけ、逮捕された日本人は処刑されたそうです。
88:2015/05/04(月)23:28:51 kUi
やがて、独立戦争は終わります。
89:2015/05/04(月)23:30:03 kUi
3000人と言われた”残留日本兵”。 
そのうち1000人は、最前線で戦い、戦死したと言われています。 

インドネシアでは、独立戦争を戦った”英雄”は、死後”カリバタ英雄墓地”に埋葬されます。 

”残留日本兵”。 
日本人の彼らもまた”英雄”であり、”英雄墓地”に眠ることを許されているのです。
90:2015/05/04(月)23:31:12 kUi
彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「………結局、ワイらは生き延びてしまった…」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「さっき、日本への引き揚げ船が来たわ」 

彡(゚)(゚)「ワイら脱走兵も、日本へ帰国してええんやとさ」
91:2015/05/04(月)23:32:22 kUi
彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「…あそこに居るあいつは、インドネシアに留まるらしい」 

彡(゚)(゚)「ワイらはもう、インドネシア名を得たインドネシア人や」 

彡(゚)(゚)「帰ったところで”非国民”と罵られるかもしれん」 

彡(゚)(゚)「それに、ワイらは旧軍刑法を違反しとる」 

彡(゚)(゚)「下手すると処刑もんや」 

彡(゚)(゚)「………あいつは、日本に戻るのが怖いらしい」 

彡(゚)(゚)「見つかるのが怖いから、もう、日本名は名乗らんそうや…」 

彡(゚)(゚)「………」 

彡(゚)(゚)「……ワイは、どうするかな………」
92:2015/05/04(月)23:33:33 kUi
生き残った2000人のうち、 
1000人は、日本に帰国したそうです。 
1000人は、インドネシアに残ったそうです。 

インドネシアに残った彼らは、やがてインドネシア人と結婚し、 
インドネシアへ帰化し、インドネシア国籍を取得し、インドネシアに永住しました。 
その中には、終生日本名を名乗らず、時の流れに埋もれていった者たちもいたそうです。 


1960年代。日本企業が本格的にインドネシア進出し始める頃。 
日本とインドネシアの橋渡しをしたのは、彼ら”元残留日本兵”でした。 
彼らはその後も、日本とインドネシアの交流に貢献したのでした。
94:2015/05/04(月)23:34:47 kUi
その後のインドネシアにも、色々ありました。 
政治では”議会制民主主義”を忠実に実行していたのですが………。 


1954年。インドネシアは”オランダ・インドネシア連合”を解消。 
1956年には”ハーグ協定”も正式に破棄。インドネシアは非同盟中立国家として歩み始めます。 

1960年。ソビエトの軍事援助を受けたスカルノは、オランダとの国交断絶を宣言します。 
そして”ハーグ協定”で決着しなかった問題、オランダ支配下の”イリアンジャヤ”へ進軍。 
1962年にアメリカの調停を経て、”イリアンジャヤ”はインドネシアに組み込まれたのですが………。 


ここから先も、まだまだ歴史は続きます。 
ですがひとまず、今回はここまで、ということで。
99:2015/05/04(月)23:36:12 kUi
( ・`ω・´) 


スカルノ。 
ハッタと共に”建国の父”と呼ばれる人物。
103:2015/05/04(月)23:37:23 kUi
後に彼は”独裁者”として君臨し、”終身大統領”となります。 
シャフリルを退け、ハッタとも袂を分かつこととなりました。
104:2015/05/04(月)23:38:34 kUi
好色、好戦、浪費、容共。 
この4つがスカルノの特長であり、欠点でした。 
特に、晩年、スカルノには第四夫人までが存在し、更にそれ以外にも二人以上の愛人がいたそうです。 
昼寝用の女性が毎日取っ替え引っ替え同衾し、婦人なしではいられない病気だったとも言われています。
105:2015/05/04(月)23:39:44 kUi
”9月30日事件”。 
このクーデターを境に、スカルノのカリスマ性は地に落ちます。 
”終身大統領”の称号は返上させられ、晩年は宮殿に幽閉されていたそうです。
106:2015/05/04(月)23:40:56 kUi
1970年、死去。享年69歳。 

その最期は宮殿の中で一人、ひっそりと。 
多くの家族を持ちながら、その誰にも見取られず。 
数多の称号を持ちながら、その墓碑銘には”工学技師”としか刻まれず。 
”建国の父”としては寂しい、最期でした。
107:2015/05/04(月)23:42:07 kUi
・豆知識『デヴィ・スカルノ』 

本名・根本七保子。 
好色のスカルノ大統領に取り入る目的で、日本があてがった女性です。 
イスラム教では、4人の妻までがコーランで認められていました。 

既に同じ目的で送り込まれた女性がいましたが、用済みとなった彼女は自○したそうです。 
なお、マスコミの執拗な取材で体調を崩した実母は亡くなり、その二日後には実弟が自○しています。 

彼女の名”デヴィ”は、インドネシアの稲の女神”デウィ・スリ”から取ったものです。 
スカルノの複数妻問題、外国人を第三夫人に迎えたこと、女神の神聖な名を与えたこと。 
これらは問題になりましたが、独裁者スカルノを批判することは誰にもできませんでした。 

やがて彼女は、スカルノから”インドネシア・日本親善協会会長”に任命されます。 
日本との経済関連事項、利権の絡む物件に口を挟むようになり、日本も国をあげてそれを利用しました。 

”9月30日事件”にて。 
デヴィ夫人は日本大使館に保護を求めますが、政治的行為になるとして断れます。 
海外へ逃亡したデヴィ夫人は、その後スペインの貴族と再婚し、離婚。 
後に、彼女の裸の写真集が刊行された時は、インドネシア当局も困惑したそうです。
108:2015/05/04(月)23:43:20 kUi
・豆知識『賠償協定』 

1958年1月20日。ジャカルタにて、日本とインドネシアの賠償協定が締結されます。 
インドネシアの経済悪化に伴い、協定締結は早急に済まされました。 

総額2億2300万ドル(当時803億円)。これを物資か役務で提供。 
その他貿易債権破棄、経済協力4億ドルを加えると、総額約8億ドルの規模だったそうです。 

当時のインドネシアは地方の反乱、オランダがインドネシアから船舶を引き揚げるなどで、 
船舶が大幅に不足し、軍事・経済の両方に支障をきたしていました。 
インドネシア側はとにかく船舶を要求し、日本側は足元を見る形で、中古船を高額で売り飛ばしたそうです。 

賠償では他に、ダム、橋、工場などの有用なものから、ホテルやデパートなどのスカルノ大統領好みの物も贈られました。 
前述のデヴィ・スカルノ夫人も、その一環と思われます。 
この”インドネシア賠償汚職”は中々に真っ黒で、1959年には日本の国会でも取り上げられたそうです。 

なお、スカルノ大統領は反米を煽り、外国企業農園への不法接収を黙認しました。 
そのため、外国企業は相次いで撤退。 
結果、”戦時賠償”という特殊な関係の日本のみが、外国との唯一の繋がりとなるのでした。
110:2015/05/04(月)23:44:33 kUi
(^)'・▲・`(^) 


ハッタ。 
スカルノと共に”建国の父”と呼ばれる人物。
111:2015/05/04(月)23:45:45 kUi
スカルノとハッタ、そしてシャフリル。 
彼らは一枚岩ではなく、対立も多かったそうです。
112:2015/05/04(月)23:46:54 kUi
スカルノは”土着派”……”土着的・権威主義思想”を持つ人物です。 
それに対して、シャフリルは”西欧派”……”西欧的・合理主義思想”を持つ人物でした。 
思想の異なるスカルノとシャフリルは、よく対立しました。
113:2015/05/04(月)23:48:07 kUi
ハッタは”西欧派”だったため、シャフリル寄りの人物でした。 
ですが彼は、スカルノら”土着派”の思想もよく理解していました。 
そのため、スカルノとシャフリルが対立すると、ハッタが二人を調停することが多かったそうです。 
彼らは絶妙なバランスで成り立っていたのでした。
114:2015/05/04(月)23:49:16 kUi
やがて、シャフリルが失脚します。 
残ったスカルノとハッタは、様々な方針を巡って対立します。 
ハッタはスカルノの”容共産主義”や、”政権の汚職体質”も批判したそうです。
115:2015/05/04(月)23:50:30 kUi
そして、遂にハッタは辞任を決断します。 
スカルノとハッタは、決別したのでした。 

残されたスカルノは独裁化を加速し、”9月30日事件”に行き着くのでした。
116:2015/05/04(月)23:51:40 kUi
その後、ハッタが政界に復帰することはありませんでした。 

後に、政界での汚職や不正批判が高まるたび、”ハッタ待望論”が唱えられたこともありました。 
しかし彼は静かに、政界の行く末を眺め続けたのでした。
117:2015/05/04(月)23:52:52 kUi
1980年、死去。享年77歳。 
スカルノの良きパートナー、ハッタ。 
彼は最期まで、スカルノと決別したままでした。
118:2015/05/04(月)23:54:01 kUi
(*・公・*) 


シャフリル。 
独立宣言後、インドネシア初代首相となった人物。
119:2015/05/04(月)23:55:09 kUi
彼は、日本への協力者を厳しく批判した”非日協力者”です。 
そのため、彼が最高権力者となることで、独立戦争中も、オランダとの外交交渉が可能となっていました。
120:2015/05/04(月)23:56:24 kUi
首相から降りた後。 
彼は政府顧問として諸国を遊説し、インドネシア独立の支援を説いて回りました。 
国連でも積極的に支援を求め、彼の求めに応じて国連が動いた形となりました。 
彼もまた、独立戦争の貢献者でした。
121:2015/05/04(月)23:57:38 kUi
なお、シャフリルは社会党を結成していました。 
そして、シャリフディンの社会党と合併し、新たな社会党を結成していました。 

しかし”レンヴィル協定”の混乱の際、シャフリルはシャリフディンではなくハッタを支持。 
社会党は分裂し、シャリフディン派はインドネシア共産党に合流。 
そして”マディウン事件”が勃発するのでした。
122:2015/05/04(月)23:58:46 kUi
独立戦争終結後。 
インドネシアで史上初めての、総選挙が実施されます。 
シャフリルは自身の社会党を率いて総選挙に挑みます。 
しかし得票率わずか2%。惨敗でした。
123:2015/05/04(月)23:59:57 kUi
弱小政党となった社会党は復活を目指しますが、 
1958年”スマトラ反乱”に党関係者が参加していたため、社会党は活動停止処分。 

更に1962年、政権転覆を謀ったとして、シャフリルはスカルノ政権に逮捕されてしまいます。 
こうしてシャフリルは、スカルノに”長年の政敵”として、葬り去られてしまったのでした。
124:2015/05/05(火)00:01:02 zep
その後、シャフリルは病気を理由にスイスへ出国、亡命。 
1966年、亡命先のスイス・チューリッヒで死去。 
享年57歳でした。 

その後、スカルノが失脚した頃。 
彼の遺体は、インドネシアに帰還します。 
彼もまた、英雄墓地に埋葬されたのでした。
125:2015/05/05(火)00:02:12 zep
彡(゚)(゚) 


柳川宗成。 
”タンゲラン青年道場”で指導に当たり、後のインドネシア共和国軍・幹部を育成した人物。
126:2015/05/05(火)00:03:15 zep
残念ながら、彼は”インドネシア独立戦争”に参加することはできませんでした。 
終戦後、彼は日本への帰還を余儀なくされたのでした。
127:2015/05/05(火)00:04:19 zep
1964年。 
柳川は家族と共に、再びインドネシアへ渡ります。 
そして日本料理店を営み、インドネシアに永住しました。 

1985年9月、死去。 
彼は今でも、インドネシアの地で眠り続けています。
128:2015/05/05(火)00:05:20 zep
彡(゚)(゚) 


前田精。 
”独立養正塾”を設立し、民主主義運動家を支援。 
独立宣言時には、その邸宅を提供した人物。
129:2015/05/05(火)00:06:19 zep
戦後。前田は不遇が続き、経済的に失敗したそうです。 
1958年にはスカルノ大統領が初めて日本を訪問し、病床の前田を見舞ったそうです。
130:2015/05/05(火)00:07:21 zep
1976年。 
一度だけ健康が回復した前田は、インドネシアからの招待を受けます。 
そこで”インドネシア独立記念祝典”に出席した前田は、”ナラリア勲章”を受賞します。 
それは独立名誉勲章。 
インドネシア独立に貢献した者に贈られる、国家最高の栄誉でした。 


1977年、死去。享年79歳。 
彼もまた、インドネシアで讃えられる人物でした。
131:2015/05/05(火)00:08:39 zep
1979年 


彡(゚)(゚)「…終戦から随分経った」 

彡(゚)(゚)「孤立したまま独立戦争に参加したワイらも、年を取った」 

彡(゚)(゚)「そろそろワイらは、また共に集おうと思う」 

彡(゚)(゚)「”福祉友の会”を結成するで」 


日本人残留者180名により、インドネシアで”福祉友の会”が結成されます。 
独立戦争から時は流れ、やがて彼らは再び集結するようになりました。
132:2015/05/05(火)00:09:57 zep
1991年 


彡(゚)(゚)「日本では”平成”という年号になったらしい」 

彡(゚)(゚)「ワイらの中で生き残っとるのも、あと21人だけや」 

彡(゚)(゚)「……ホンマに、随分と時が過ぎたんやなぁ…」
133:2015/05/05(火)00:11:02 zep
(・日・)「”一時軍人恩給”の支払いが決定されたよ」 

(・日・)「戦後、”脱走兵”とされた彼ら残留日本兵に」 

(・日・)「今まで軍人恩給は支払われてこなかった」 

(・日・)「今回、彼らには特別に、恩給が支払われるよ」 


”一時軍人恩給”。 
既に日本人ではない彼らへの支給には、法律の壁が立ちはだかったのでしょう。 
それは、平均額5万円程度。たった一度きりの恩給でした。
134:2015/05/05(火)00:12:03 zep
それでも。 


彡(;)(;)「お……おぉ……」 

彡(;)(;)「ワイらはワイらの理由で、祖国に背を向けた…」 

彡(;)(;)「そんなワイらでも、」 

彡(;)(;)「祖国から、許されたんやな…」 


彼らにとって、金額は問題ではありませんでした。 
”祖国からの名誉が回復された”。 
彼らはそれを、心の底から喜んだのでした。
135:2015/05/05(火)00:13:08 zep
時は流れ…。
136:2015/05/05(火)00:14:09 zep
2014年8月25日。 


彡(-)(-) 


その日。 
最後の”元残留日本兵”の方が亡くなりました。 
享年94歳でした。 

彼の棺には、国旗”メラ・プティ”が被せられ、英雄墓地へと送られます。 
彼もまた、インドネシアの英雄となったのでした。
137:2015/05/05(火)00:15:10 zep
これで、この物語はおしまいです。 



ここから先の未来。 

平和国家を目指す日本に、彼らの物語は不要になるかもしれません。 

あの時代から学ぶべきは、犯した罪と戦争の傷跡だけなのかもしれません。
138:2015/05/05(火)00:15:40 zep


ですが、それでも。 

どうか、忘れないで下さい。 


混沌に包まれたあの時代。 

”彼ら”の想いを救うため、立ち上がった人がいたことを。 

時代の流れに抗った人がいたことを。 

戦い、散っていった無銘の”英雄”がいたことを。 




         彡(^)(^)っc(´・ω・`) 




どうか、忘れないで下さい。 




  【 原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係 】 

                【  完  】
139:2015/05/05(火)00:16:11 zep
これにて”原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係”は完結です。 
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
146:2015/05/05(火)00:42:20 Uma
おっつ
149:2015/05/06(水)01:53:25 ZaF
今更だけどおつかれ!勉強になりました!
152:2015/05/09(土)14:43:06 Q5g
超大作やったわ。 
お疲れやでイッチ





【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係
【歴史】原住民と学ぶインドネシア独立と大日本帝国の関係【完結編】
引用元:http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1430743980
http://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1426336637/