2: 2014/05/27(火) 15:08:09.71 ID:NfFDgbCzo
千早「……」


私は今、事務所の扉の前です。

最近増えた収録などの仕事。
大抵の仕事はお昼に始まり夕方や夜までかかるのですが、今日の収録は朝からなので、お昼で終わり。
何とはなしに、寄ってみました。


千早「…こんにちは」


ちなみに、「ただいま帰りました」と言わない理由は、事務所からではなく家から直接仕事場に行ったためです。

3: 2014/05/27(火) 15:09:05.24 ID:NfFDgbCzo
小鳥「あ、千早ちゃん。こんにちは。お仕事、終わったの?」

千早「はい。自分でも、なかなか良い仕上がりになったかと」

小鳥「まぁ、それは良かったわね。お疲れさま。飲み物、いる?」

千早「お願いします」

小鳥「日本茶とコーヒーがあるけど、どっちがいいかしら」

千早「コーヒーで」

小鳥「ちょっと待っててね」


鼻歌を歌いながら台所へ消える音無さん。

そういえば、音無さんの歌声を聴いたことが一度だけあった。
『眠り姫』の後、社長に連れられて入ったバー。
あの時の歌声は、とても綺麗で…機会があればもう一度聞きたい。

4: 2014/05/27(火) 15:09:52.48 ID:NfFDgbCzo
少し周りを見渡す。
事務所に入る前から気づいていたけれど、やはり誰も居ない。

ホワイトボードは…。


千早「…皆、仕事とオフなのね」


泊まりの仕事が何名か、オフが何名か、スタジオで収録中が何名か。


千早「うーん……」


まあ、なんでも、いいですけれど。
確か楽譜があったはずだから、奥で譜読みでもして時間を潰しましょう。

5: 2014/05/27(火) 15:10:55.59 ID:NfFDgbCzo
小鳥「コーヒー、ここに置いておくわね。ブラックで良かったのよね?」

千早「はい、大丈夫です」


こと、とマグカップを事務机に置く音無さん。
湯気に誘われて、香ばしい匂いがこちらまで漂ってくる。


小鳥「私は仕事があるんだけど、千早ちゃんはどうするの?」

千早「奥で譜読みをしようかと」

小鳥「それじゃあ、何かあったら呼んでね」

千早「はい」


マグカップを手に奥のソファへ座る。
ところどころ皮が破けて中身が見えてしまっているこのソファ、いつ買い換えるのかしら…。
座り心地も、あまり良くないし。

6: 2014/05/27(火) 15:12:18.46 ID:NfFDgbCzo
千早「…………」


がさがさ。

ずずずっ。

かち、こち。


音無さんが書類仕事をする音と、秒針の進む音だけが聞こえます。たまに、私がコーヒーを啜る音。

次第に、秒針も、紙の擦れる音も、私が立てる音すら意識から遠ざかり―――

7: 2014/05/27(火) 15:14:05.62 ID:NfFDgbCzo
とん、小さく床を叩く音がした。
かさりと衣擦れの音も聞こえた。

誰かが事務所に来て、ソファのある奥の方に入ってきたのでしょう。
しかし、音無さんに挨拶せずに通る子が居るだろうか。
私の知る限りでは居ません。

つまり、会話に気付かないほど、楽譜に熱中していたということ。
窓の外に意識を向けると、頂まで昇っていた陽が少し傾いています。
そんなに長い時間、ここにいたのね。
少し恥ずかしくなりつつ、目を横に流す。

8: 2014/05/27(火) 15:15:45.37 ID:NfFDgbCzo
千早「あら」


ミュールから覗く磁器のような美しい脚。
白と水色の、柔らかな印象を与えるワンピース。
小さな手には恐らく変装用の茶色い帽子。


千早「萩原さん」

雪歩「こんばんは、千早ちゃん」


花のような微笑み。
あぁ、すごく女の子らしいな、と思う。

9: 2014/05/27(火) 15:16:53.20 ID:NfFDgbCzo
雪歩「こんな時間なのに、どうしたの?」

千早「別に、何がというわけでもないのだけれど。少し寄ってみたくなって」


こういう時、真なら「雪歩に会いに来たんだ」なんて言っちゃうのかしら。
無自覚でそういうことを言うんだから、美希や萩原さん、あと女性ファンに囲まれて大変な目に遭うのよ。


雪歩「えっと…この時間に?」

千早「この時間に」


正確にはもっと前だけれど。
説明を求められると、少し面倒くさいから。

10: 2014/05/27(火) 15:18:48.87 ID:NfFDgbCzo
雪歩「音無さん以外、誰もいないとは思わなかったのかな…」

千早「えぇ、すっかり失念していたわ」

雪歩「あ、あはは…」


さすがに苦笑される。
だって、いくら最近仕事が多くなってきたとはいえ、まさか事務所に誰も居ないとは思わなかったんだもの。

このあと萩原さんと少し会話を交わし、珍しく強い口調に押されて駅まで一緒に帰ることになりました。

楽譜を片付け、音無さんに一言告げてから事務所を後にします。
机には大量の書類が積まれていたのですが、音無さんは今日、家に帰れるのでしょうか。

16: 2014/05/29(木) 21:29:11.28 ID:BP6z4N0Wo
駅までの道。
別段、何もない並木道が続きます。

街路樹や季節の話に花を咲かせつつ、ふと思い出したことを萩原さんに伝えます。


千早「萩原さんの歌声はとても綺麗だと思うの」

雪歩「はい?」


笑顔で聞き返されると案外怖いものなのね。
本人に自覚はないと思うけれど。

17: 2014/05/29(木) 21:30:57.13 ID:BP6z4N0Wo
千早「とても透明感のある声で…」


風鈴…とかは、少し違うわね。


千早「ガラス細工というより、それこそ雪みたいな。慎重に扱う以前に、触れただけで消えてしまいそうな」

雪歩「……?」

千早「そうね…。響くのではなく、沁みる」

雪歩「!」


ぴこん、と音を立てて電球が光った気がします。
私の分かり辛い説明を理解してくれたようです。


千早「ゆっくりと時間をかけて、心に溶けていく。そんな感じがするわ」

雪歩「な、なんだか照れちゃいますぅ…」


顔を少し赤らめ、口元に手を遣る萩原さん。
花も恥じらう乙女とは彼女のようなことを言うのね。

18: 2014/05/29(木) 21:34:02.32 ID:BP6z4N0Wo
雪のような歌声の楽曲例としては…そうね、『夏影』や『アムリタ』とかも良いけれど、やっぱり。


千早「カバーの『恋』、あれは特に素晴らしかったわ…」

雪歩「ほ、本当?」

千早「ええ。自分の事じゃないのに、何故か責められている気がして」

雪歩「えっ」

千早「とても謝り倒したくなったわね」

雪歩「え、えぇぇ……」


困り顔の萩原さん。とても可愛くて、思わず笑みが漏れます。
たまに萩原さんを困らせて楽しんでいる春香を見るけれど、その気持ちがよく分かったわ。

19: 2014/05/29(木) 21:36:09.67 ID:BP6z4N0Wo
千早「あら」


気付けば駅が目の前。
楽しい時間というのはあっという間なんですね。

名残惜しくなりつつも、萩原さんに向き合います。


千早「今日は楽しかったわ。それじゃ、また」

雪歩「私も、すごく楽しかったですぅ。またね、千早ちゃん」


胸元で小さく手を振る萩原さんに背を向け、駅へ歩き出します。

20: 2014/05/29(木) 21:37:47.25 ID:BP6z4N0Wo
千早「……」


萩原さんは、まるで雪のようです。
冷たくて鋭い氷とは違って、どこかやわらかくて、暖かみを感じます。

でも。

21: 2014/05/29(木) 21:41:20.88 ID:BP6z4N0Wo
千早「近づいても、何ともないのに」


儚くて、触れただけで消えてしまいそうで。


千早「……抱きしめるなんて、もってのほかね」

22: 2014/05/29(木) 21:46:59.39 ID:BP6z4N0Wo
電車に揺られながら、窓の外を見つめる。

仄暗い空。

僅かに光る星が、私に瞬いてみせた。

23: 2014/05/29(木) 21:51:23.24 ID:BP6z4N0Wo
お粗末様でした

タイトルは「ほどけたこおり」と読んでいただければ嬉しいですが、「とけた」でも何でも構いません
千早と雪歩は二人とも人に対して不器用で、そんな二人だからこその微妙な距離感がたまらなく好きです
ゆきちは増えろ

それでは

26: 2014/05/30(金) 20:31:24.89
乙ですわ
ゆきちはわっほい

引用元: 雪歩「解けた氷」