1: 2011/12/27(火) 23:52:17.81 ID:zRNVJTfyo
臆病な自分から変わりたいと思う少女のお話です。

本編10話あたりまでの設定を引き継いでいます。
もしワルプルギスの夜がやりたい放題暴れていたら、どうなっていたのだろう。
そこから始まります。

2: 2011/12/27(火) 23:52:57.16 ID:zRNVJTfyo

【Side:暁美ほむら】

残っているのは、瓦礫の山。
広がっているのは、泥水の海。
浮かんでいるのは、人々の死体。
そして地獄に取り残されたのは、ボロボロの私と、一人の少女だった。

地獄を地獄と捉えない存在。
キュゥべえはただ飄々と、不協和音を発している。


「まどか、君の願い事はなんだい?」


「たった一つだけ僕は叶えてあげられるよ」


「父を生き返らせたい? 母を生き返らせたい? それとも弟を生き返らせたい?」


「好きに選ぶといい。君にはそれだけの資質があるのだからね」


「たった一つ、君がこの状況で選ぶ願いを」


それは言外に、全てを引っくり返す解など存在しないことを示していて。
でもそんな必要はなかった。
ただの女子中学生だったまどかの心には、もうすでに、正常な思考の余地など残されてはいなかっただろうから。
その証明として、彼女はただ叫んでいる。
感情のまま叫んでいる。

3: 2011/12/27(火) 23:53:41.41 ID:zRNVJTfyo


「わたし、もうイヤだよ」


「願い事なんていらない、そんなものわたしには選べない」


「魔法少女になんて、魔女になんて、なりたくないよ」


「どうしてわたしが、こんな、選ばなきゃいけないの……」


彼女はただ言葉を発し続ける。
私の胸を鋭く抉りながら。
何度も繰り返してきた世界、その命運。
全てを一身に背負う彼女は、その重さに壊れ、ただ声を枯らす。

背負わせたのは、私。
因果を寄せ集め、その特異点にまどかを置いたのは、私。
どんな非難をされようとも、仕方のないことだった。

暴れに暴れたワルプルギスの夜は、ここ見滝原の街を完全に壊滅させてしまった。
私が助けられたのは、まどかただ一人。
そのまどかも、目の前で家族が沈んでいく所を見てしまって、このような状態。
心までは助けられなかった。

遥か彼方に巨大な竜巻が見える。
ワルプルギスの夜は、ここ見滝原を潰しただけでは飽き足らず、さらに進んでいくだろう。
どれだけのものを呑み込むのだろう。
もしかしたら、地球を丸ごと水に沈めてしまうのだろうか。
もう私には分からなかった。
周りに広がる地獄絵図。
つい先ほどまで、人と活気に溢れた街がここにあったなど、もはや分かり得ない。

4: 2011/12/27(火) 23:54:55.52 ID:zRNVJTfyo

だから私は、また巻き戻さなくてはならない。
またあの日に戻って、まどかを助けるために、あの一ヶ月をやり直さなければならない。
だけど。


「やれやれ、これは無理そうだね。ちょっとやりすぎたかな」


「さて暁美ほむら、君はまた世界を渡るのかい?」


「君が平行世界を創造する度に、僕が回収できるエネルギーは大きくなっていく」


「君が絶望した時のエネルギーはどれほどだろう? それもまた楽しみだよ」


「僕は君にいくらでも付き合おう。君の希望が尽き果てるまでね」


キュゥべえの言葉もまた、胸に突き刺さっていく。
もし時を戻したなら、またまどかに因果を集めてしまうだろう。
あなたをがんじがらめに縛り取ってしまうだろう。
絶望にとりつかれた私の口からも、ぼろぼろと言葉が流れ出て止まらない。


「まどか」


「あなたに、幸せになってほしかった」


「でもね、何をやっても、空回ってばっかりで」


「何度も何度もあなたを泣かせて、死なせて、挙句の果てには殺してしまって」


「ごめんね、私にはもう、何をしていいのか全然わかんない」

5: 2011/12/27(火) 23:55:26.81 ID:zRNVJTfyo

繰り返した果てに、私があなたにあげられたものは。
この現実。
何もかもを失い、ただ一人心を壊して生き残る、そんな状況。
泣き崩れる彼女の姿は、罪悪感という刃を成し、私の心に深く深く突き刺さる。

ソウルジェムが黒くどす黒く濁っていく。
盾を纏う右腕に感覚はなく、それを持ち上げる事すらままならない。
もし死力を尽くして砂時計をひっくり返してみても、おそらく何も起きないだろう。
自分の事だから分かってしまう。
分かりたくもないのに。
そして同じように、自分の最後が近いこともまた、分かってしまったから。


「もう、これしか」


私に遺された選択肢は、たったひとつ。
これから魔女になってしまう私が、最後にできるかもしれないこと。
頭はロクに動かないが、何故かその答えを私はずっと前から知っていたようで。
僅かに残る未練を絶ち切るように、首を振り、息を吸って、息を吐いて。



「私なんて、いなければよかったんだ」


6: 2011/12/27(火) 23:55:59.05 ID:zRNVJTfyo


私なんていなければ。
私なんていなければ、きっとみんなこんな目に遭うこともなかった。
私なんかを助けたりしなければ、ちゃんとまどかたちも逃げてくれただろう。
あんな化け物に対抗なんてしないだろう。
私という疫病神がいなければ、きっとみんな幸せに毎日を過ごせたんだ。

過去の記憶が蘇る。
私のしてきたことは、確かに私の望んだ事だけど。
私がまどかを苦しめ続けた事も、おそらくは事実。
情けなくて、情けなくて、あまりに情けなくて、肉を引き千切り血が溢れるほどに唇を噛み締めて。

吐いたその一言で、まどかはぴたりと動きを止めていた。
もしかしたらここで踏み止まれるかもしれなかった。
だけど一度口にした言葉は、力を以って私の口を開かせていく。
気付けばキュゥべえがすぐ横にいたが、しかし今更気に留める必要もない、無視して言葉を継いでいく。


「まどか、あなたにお願いがあるの」


「『暁美ほむらを消し去りたい』と、願って欲しいんだ」


すぐに返事はない。
彼女はその言葉の意味をうまく理解できないようで、狐に化かされたような顔で、問いを返してくる。


7: 2011/12/27(火) 23:56:59.95 ID:zRNVJTfyo

「ほむらちゃん、何、言ってるの」

「あなたの願いを使って、私の存在を消して欲しいって」

「だから何を言っているの。わけわかんないよ」

「あなたに絡んだ因果は、あなたたちに訪れる悲劇は、きっと全部わたしのせいだから」

「そんなのわたしには分かんないよ、そんな、どうしてほむらちゃんが消える必要があるの」

「わたしはね、もう」


力の入らない右手を体の前に持ってくる。
黒く淀んだソウルジェムを見て、まどかがひっと声を上げる。
それはもうグリーフシードに変わろうとしていて。


「だめなんだ」

「そんな、こんな」

「もうだめだって認めちゃった、諦めちゃった」


ああ。
その言葉の響きのなんと甘美なことだろう。
心を侵して行く諦観の毒は瞬時に体を支配して、抗う事を許してなどくれない。
四肢から力は抜け、息をすることすら億劫になり、重力に従って地面に這い蹲る。

8: 2011/12/27(火) 23:58:12.53 ID:zRNVJTfyo


「もう時間、戻せなくなっちゃったよ」


「このまま私は魔女になって、みんなに八つ当たりして、最後はきっとワルプルギスの夜に吸収されて」


「あなたのことも喰らってしまって」


「そして世界は、ここで固定されてしまう」


「そんなのは、イヤなんだ」


もう自分で息をすることは出来ない。
でも、腐り果てた私の死体があなたに害を為すのは、耐えられない。
どこまでもワガママなことを言っていると、理解はしているけれど。


「だから、その前に」

「っ、あ、そんな、そんなのって」

「私が消えれば、私のいない歴史が始まって、もしかしたら全部うまくいくかもしれない」

「イヤ、イヤだよ、わたしにはそんなこと、ほむらちゃんを[ピーーー]なんてこと、できない」

「私はあなたにとって、そう大切な存在でもないはずでしょう」

「バカなこと言わないでよ」

「むしろ憎むべき存在かもしれない。あなたの友達の、美樹さやかを、殺そうとさえした」

「――やめてよ、やめてってば、そんなウソ付いたりしないで」

「ううん、これは本当のこと。少なくとも今回は本気で[ピーーー]つもりだった」

「――――――――やめてって言ってるじゃん、ほむらちゃんのバカァ!!」


怒声が響く。
キュゥべえはやれやれといった感じで、耳?を抑えている。
私はと言えば、予想外の大声と予想内の拒絶に頭をぐわんぐわんと揺らしていた。

9: 2011/12/27(火) 23:59:04.52 ID:zRNVJTfyo

「やめてよ、ほむらちゃん」


「そんなこと言ったって、わたしは、ほむらちゃんのこと、憎んだりできない」


「あなたのこと、消したりなんて、できない…………」


そしてまどかは、大粒の涙をぼろぼろと零していた。
言葉を吐き出しながら、ぎゅうっと私のことを抱きしめてくれるまどかは、とても暖かく。
冷え切った感情に、とても穏やかな熱を与えてくれる。
彼女はそんなに弱くなかった。
折れてしまっていたのは、ただ私の心だけだった。

だけど。
尽きてしまった力は、生み出されてしまった流れは、もはやどうしようもなかった。
だからせめて。
あなたに一欠片の可能性を。


「ごめんなさい」

「やだ、やだよ、ほむらちゃん」

「分かってる。どれだけ酷い事を言ってしまっているか」

「じゃあやめてよ、わたしに、わたしにそんな重いものを背負わせないで」

「ごめん、なさい」

10: 2011/12/27(火) 23:59:43.98 ID:zRNVJTfyo


ただ謝る事しかできない。
口を動かす事しかできない。
そしてそれすらも、もうじきできなくなるだろうから。


「どうか人として、私を」


「殺してください」


ぎゅうっと、一際強く抱きしめられ。
そしてすぐに、その感覚は消え去った。


11: 2011/12/28(水) 00:00:21.43 ID:mZs0K1sPo

少しずつ私の体は溶かされていく。
立ち昇る黒い粒子は、きっとこれから消えていく私の欠片。
最期に見る景色としては、十分に美しく、それでいて残酷なもの。
この愚か者には過ぎた褒美だろうか。

せめてと、言葉を投げかけるべく、口を開く。
あなたを絶対に救ってみせると、心に刻み込んだその誓いを破る悔しさは。
どこかへ消えてなくなってしまっていた。

みんなを助ける事も、きっと優しいあなたならできるはず。
私にできなかった事すべてを、きっと強いあなたならできるはず。
卑怯な卑怯な私は、あなたの未来をあなたに返して、絡めた因果を引き受けて、沈んで逝く。


「あなたの因果、もらっていくから」


意識が薄れていく。
身体が消えていく。
最期を理解して、大切だった人に、拙劣な言葉を遺す。


「ごめんね」


どうか幸せに。その言葉は声にならない。
返される声はもはや聞こえない。

せめて笑いながら別れたかった。
別れたかったけれど。
ただ見えたのは、魔法少女になった彼女の、ひどいひどい泣き顔だった。

15: 2011/12/28(水) 22:25:26.73 ID:mZs0K1sPo

【Side:鹿目まどか】


ジリリリリリリリリリリ。

耳元から騒音がして、目を覚ましてしまう。
朝くらいゆっくり寝かせて欲しいんだけど。
こんなにお布団が気持ちいいんだから、騒がないで、静かにしてよ。

朝。

……朝!?


「あああああああ! ちーこーくー!!!」


バカげた思考を放り捨てて目を覚ます。
叫びながら布団を蹴り飛ばし、起き上がり、洗面所へと脱兎。
滑りそうになる足元を懸命に堪えながら、右手に歯ブラシを取り、左手にドライヤーを取った。


「おーうまどか、寝坊しても髪の手入れだけは欠かすなよ、女のたしなみだからな」

「うわあああんママ起こしてよ! いつも起こしてあげてるじゃない!!」

「ママねーボクが今起こしたんだよー」

「ああ、おはようまどか。今起こしに行こうと思ったんだけど、必要なかったみたいだね」

「ふたりともねぼすけー」


掛けられる声に言葉を返す時間もない。
最低限の身だしなみを整えると、朝食代わりのパンをひっつかみ、カバンを抱えて駆け出す。

いってらっしゃいと掛けられる声にも返事をする余裕がない。
というか、パンで塞がった口を開けられなかった。

16: 2011/12/28(水) 22:26:22.89 ID:mZs0K1sPo

風が体を冷やして行く。
車道を走る車の起こす向かい風が、さらにその勢いを増す。
春先の朝はまだ相応に寒くて、全力ダッシュのせいで火照ったこの体には、この上ないご褒美だった。


「うう、もう間に合わない……」


寝坊のせいで、見事に遅刻確定。
走るのもやめ、ゆっくりといつもの道を歩いている。

いつもは寝坊なんてしないんだけど。
疲れでも溜まってたのかな?
ふと考え、昨日の出来事を思い出そうとする。
だけど。


「…………?」


いつも通りに学校から帰って、さやかちゃんと仁美ちゃんと放課後のんびりして、宿題やって眠って。
それだけの一日を思い出すのが、何故か大変だったと感じている。

何でだろう?
まるで夢を思い出すような感覚。
愛しくて仕方ない所まで含め、確かにそれは夢のようだった。


「変なの」


17: 2011/12/28(水) 22:27:00.77 ID:mZs0K1sPo

しばらく歩き、ふと横を眺める。
そこにいたのは黒い猫。
白を基調とした街の中で、鮮やかにその存在を主張している。


「わ、かわいい」


街を闊歩する黒い子猫。
なんとなく目を奪われて、そして我に返って時間を確認する。
もういいよね、どうせ遅刻なんだし。
そう思って横断歩道を探してみると、幸い少し進んだところに見つけられた。

その子はわたしに気付いているのか、道の反対側を並行して進んでいく。
触っても逃げないかな、とか、そんなことを考えながら信号が変わるのを待つわたし。
黒猫は道の反対側にいて。

そのまま信号を無視して、こちらに駆けてきた。


「!?」


歩行者信号は赤。
車両用信号は青。
当然の道理として、あるいは不運の結果として、巨大なトラックが十分な速度で迫り来る。

18: 2011/12/28(水) 22:27:57.55 ID:mZs0K1sPo

騒音と振動に驚いて逃げてくれれば良かったものの、その子は無邪気に道を渡ろうとする。
間に合わない。
轢かれてしまう。
どくんと心臓が脈打ち、視界がスローモーションで動き始める。

普段なら体はすくみ動かない。
だけど、今は何故か違う。
足に力は入る。
視界もクリア。

ほんの一瞬だけ、迷ったけれど。
何かに心を押され、わたしは行動を決めていた。

速度の戻った世界の中、走り出す。

響くクラクションを耳をつん裂くブレーキ音を振り払い、駆け寄り、腕を広げ、猫を胸に包み込む。

最後に地面を強く蹴り、飛んで。



トラックの前方が運動量のままお腹に突き刺さり、わたしはくの字に折れ曲がって撥ね飛ばされる。
痛いなあと思うのも束の間、歩道の生垣に突っ込み、全身を擦り下ろされるような感覚に襲われる。
痛覚は最初の一瞬で麻痺してしまったらしい。
訳も分からず咳き込むと、口から鉄臭い何かが面白い勢いで吹き出て。
視界はぼやけ、もはや感じられるものは、周囲の喧騒と腕の中の温度だけだった。

19: 2011/12/28(水) 22:29:04.43 ID:mZs0K1sPo

「おい、大丈夫か!?」

「なんだよ何かあったのか?」

「誰か救急車、救急車呼んで!」

「てめえ何撮ってんだ、それでも人間かよ!?」


怒声に悲鳴に、ろくな言葉は聞こえてこない。
お腹の辺り熱は収まらず、何かが体から抜けていく感覚もある。
その辺りでようやく痛覚が戻ったのか、ぼやけていた意識は急に現実へと引き戻された。

痛い、痛い。
すごく痛い。
ああ、このまま死んじゃうのかな。
どう考えたって手遅れだろう。

そんなことしか考えられない。
だが突然、一人痛みと戦うわたしに、一つ冷静な声が聞こえてきた。


「応急処置の心得があります。
 野次馬が多いとやりにくいので、救急車を呼んだらみなさん離れて頂けますか」


その人の不思議な圧力は、わたしにも感じ取れた。
女の人だろうとは思うけれど、頭を動かして顔を見る余裕もない。
ただ足音が近付くことを確認するくらい。

20: 2011/12/28(水) 22:29:35.14 ID:mZs0K1sPo

コツコツコツ。
コンクリートを踏み鳴らす靴の音。
そのリズムを頭の中で反芻させ、辛うじて意識をつなぎとめる。


「ひどい傷……」

「放っておいたら、間違いなく死ぬね」

「放っておけないわよ」


近くに来てくれたことで、なんとか視界に姿を捉えられた。
わたしより幾つか年上だろうか。
この年でこれだけ落ち着いていて、しかも応急処置できるなんてすごいなあと、思考は無駄に巡る。
およそ痛みを忘れたいのだろう。
その効果はあまりなかったが。


「もう大丈夫よ。よく頑張ったね」


その一言を区切りに、わたしは眠りに落ちた。
暖かい何かに包まれるような感覚に導かれて。

21: 2011/12/28(水) 22:30:56.66 ID:mZs0K1sPo


『よく頑張ったね』


頭に何故か、その一言が残っていた。
ゆっくりと瞼を開ける。
そこは車道のど真ん中ではなく、清潔に整えられた個別病室。
次に上体を起こそうとして、お腹を走る激痛にその動きを止められる。


「――――っつっっ!!?」


そう言えば、思い切りトラックに撥ね飛ばされたんだった。
動けるわけもない。
どうしてわたしは飛び出したんだろう。
自分で言いたくはないけれど、あんなところで動けるなんて、あまりにもわたしらしくない。
いざというときに勇気を出せない、そんなコンプレックスはどこぞへと行ってしまったらしい。
そんなことで頭を悩ませていると、病室のドアが開き、白衣の集団が入ってきた。

22: 2011/12/28(水) 22:32:27.79 ID:mZs0K1sPo

「おや、目を覚ましたかね」

「あ、はい」

「ここは病院、そして私は君の主治医だ、よろしく頼むよ。身体の具合はどうだい?」

「少し、痛みます」

「その程度で済んだのは奇跡としか言いようがないね。しばらく様子は見るが、早期に退院できそうだよ」

「はい、ありがとうございます」

「目撃情報からすると、即死していても不思議じゃないんだが、運が良かったのだろうね」

「応急処置をしてくれた人がいたみたいで」

「ふむ、そういえば付き添ってくれた子がいたな。確か猫を預かると言って連絡先を渡してきた」

「本当ですか!?」

「一応渡しておくけれど、今は絶対安静だからね。ゆっくり休みなさい、明日からは細かい検査だよ」


看護師さんが何人か慌しく動いている中、そう言い残して、お医者さんは出て行こうとする。
言われずとも痛みのせいで動きようがないし、そのつもりだけど。
一つだけ確かめておきたかった。

23: 2011/12/28(水) 22:33:22.00 ID:mZs0K1sPo


「あ、の、小猫は」

「大丈夫だよ、君のおかげでね」

「良かった……」


ドアを閉めながら、そう伝えてくれる。
その事実はとても喜ばしいものだった。

だけど、何故か嬉しさはない。
代わりにあるのは、何か荷を降ろしたような開放感。
それから、まだやらなくちゃいけないことがたくさんあるような、何とも言葉にしがたい不安。

天井を見上げる。
そこには白しかない。
病室を見回す。
わたし以外には誰もいない。
仄暗い殺風景な部屋に淀む空気は、重い。

どうしてだろう。
わたしの心を埋め尽くすのは罪悪感。
そして、喪失感。


「ごめんね」


「わたし、がんばるから」


口にした言葉は意味のわからないもの。
だけどなぜか、その一言は胸に突き刺さり。
ぼろぼろと涙を止め処なく流しながら、声を押し殺して泣きながら、少しずつ眠りに落ちていった。

24: 2011/12/28(水) 22:36:49.60 ID:mZs0K1sPo

結局その日は、そのまま泣き疲れて眠ってしまったらしい。
目を覚ましたら、パパとママと、それとさやかちゃんに徹底的に怒られて。
そしてわたしの、入院生活が始まった。


「自分の体以上に、大切なものなんてないんだからね」

「顔出せや、一発殴らせろ」

「おばさん落ち着いて……でも、あたしも同じ気持ちだからね」

「うん、心配掛けてごめんなさい、みんな」


大まかな検査の結果は、およそ異常なし。
ただ筋肉が驚くほど衰えているらしく、これから細かい検査をして、午後からはリハビリに入るんだとか。
そんな説明を、ちょうどやってきたお医者さんがしてくれた。


「じゃあ、しばらくまどかはリハビリなんだね」

「もしかしたら新学期には間に合わないかもしれないって、当分は車椅子だってさ」

「焦っても仕方ないだろう、ゆっくり治しなさい」

「はい、パパ」

「じゃあ、あたしらはそろそろ行こうか。お腹だったらあまり喋らせるのもよくないね」


そう言って、ママは一人さっさと病室を出て行ってしまう。
でもその足取りは、少しおぼつかないものだった。

25: 2011/12/28(水) 22:37:34.97 ID:mZs0K1sPo

「おばさんすごい心配してたんだからね。退院したらもっかいちゃんと謝りなよ」

「見栄っ張りだからね、詢子さんは」

「うん、わかってるよ」

「ふふ、言うまでもなかったかな。じゃあ僕も今日は帰るけど、必要なものがあったら連絡してね」

「あたしも今日は行くね。この病院恭介もいるから、ちょくちょく見舞いに来るよ」

「ありがと、パパ、さやかちゃん」


そうして二人も帰っていった。
そして今更、会話のせいか、死なずに済んでよかったという安心感が湧き上がってきた。
トラックの迫り来る瞬間を思い出すと、また背筋がぞくりと来てしまうから。

だけど実際、どうして軽傷で済んだのかは、わたしにもよく分からない。
あの人の応急処置が本当に良かったのだろうかと考えた所で、連絡先を貰っていた事を思い出す。
そこには、こう書かれていた。


「――――――巴、マミ」


26: 2011/12/28(水) 22:39:04.27 ID:mZs0K1sPo

「よいしょ……うんしょ」

「がんばれまどか、あとちょっとだよ」


そうして始まったリハビリは、正直言って相当つらかった。
まず下半身が鉛でも詰められたように重い。
足を動かそうとしても、かなり集中しないと意識が届いてくれない。
まるで自分の足ではないみたいだった。

それでも、がんばらないと。
せっかく助かったんだし、リハビリを終えて退院しないと、あの人に会いに行けない。
頑張って助けたあの黒猫が元気でいるかどうかも確認したいし、他にも。


「…………??」

「ん、どったの、まどか」

「あ、ううん、なんでもないよ」


何を言おうとしたんだろう。
最近こういう感覚がよくある。
何かとても大切なものがあったような、なかったような、それすらも良く分からないけれど。
この病院に来てから、ずっとだった。

27: 2011/12/28(水) 22:40:00.40 ID:mZs0K1sPo

「やあ鹿目さん、精が出るね」

「おー恭介じゃん、恭介もリハビリ?」

「さやか。うん、僕も負けてられないからね」

「こんにちは、上条くん」

「よーし、二人ともがんばれ!」


大体この辺りで思考は中断し、リハビリに専念することになる。
もっとも、本人もリハビリが必要な上条くんはともかく、付き合ってくれるさやかちゃんには感謝の言葉もない。

わたしは足、上条くんは腕。
全然部位が違うのに、わたしにも的確なアドバイスをくれる上条くんは凄いと思う。
きっと頑張って勉強したのだろうと、そんなことを思って頷いていたら、さやかちゃんがジト目でこちらを睨んできた。


「まどか……?」

「違う違う、そういうのじゃないから!?」

「ならいいけど、ほらまだ三セット残ってるよ!」

「うう、スパルタ反対」

「やんないと動かないんでしょ、ほら気張った気張った」

「ふふ、一人でリハビリするのと違って、飽きなくていいね」


まあ、確かに。
鬱々と汗を流し続けるよりは、ずっと健全だった。
痛みも苦しみも想像を超えたものだけど、一人じゃないから、頑張れる気がした。

28: 2011/12/28(水) 22:41:38.75 ID:mZs0K1sPo

「じゃ、あたしそろそろ帰るよ。また来るからねー」


日も傾き、病院に赤色が差し始めた頃。
元気に手を振って力強く地面を踏んで、さやかちゃんは帰っていった。
そんな親友の姿を見ていると、少し心がちくりとする。
それがとても汚い感情に思えて、表情を歪めてみたところに声を掛けられ、すっとんきょうな声を上げてしまう。


「つらいよね」

「ひゃあ!?」

「悪気なんてないだろうし、どう見ても八つ当たりだから余計、ね」

「上条くん」


さやかちゃんが見えなくなって少しして、わたしはその言葉を聞いた。
胸は確かにもやもやしている。
学校の話とか世間の話とか、聞くたびに溜まっていったもの。
これは一体なんだろうとずっと思っていた。
八つ当たりで、嫉妬、だったのかな。


「ずっと、なの」

「僕は随分長いんだ。いつになってもこの手は動かないから」

29: 2011/12/28(水) 22:42:05.42 ID:mZs0K1sPo

気付いてしまったわたしも、上手く二の句は紡げない。
この感覚はきっと、そうなってみないと分からない。
その気持ちを押し殺し続けてきた上条くんは、どれほどの負担に耐えてきたのだろうか?


「きっと治るよ」

「だといいな」


でも結局、出来ることはリハビリしかない。
その言葉を発する元気はまだある。
わたしには、まだある。
だけど。


「鹿目さんが頑張ってるのに、僕が頑張らないのも格好悪いね」


こうして手に力を込める彼は。
思うように動かない体と、どれだけの時を寄り添ったのだろう。
強いなと、そう思った。

33: 2011/12/29(木) 23:58:47.41 ID:mdae9XbUo

「まどか、来たよー」

「お邪魔しますわ」

「さやかちゃん、仁美ちゃん、いらっしゃい」


そんな日々を過ごして、はや数週間。
そろそろ桜の蕾も色付いてきた、春の半ば。
終業式を終えたという二人がお見舞いに来てくれた。


「お体の具合はいかがですか?」

「松葉杖があれば、ある程度歩けるようになったよ。付き添いがあれば外出許可もそろそろ出るみたい」

「それはいい知らせじゃん、付き添いってあたしたちでもいいの?」

「うん、たぶん」

「よっしゃ、ならさやかちゃんに任せなさい! どこでも連れていってあげますぞ」

「病院の中ならともかく外は危ないですし、出来れば車を出して頂いた方がいいのではないですか?」

「うんと、車は、まだちょっと……」

34: 2011/12/29(木) 23:59:16.62 ID:mdae9XbUo


あまり乗りたいとは思えない。
パパがそう提案してくれたこともあるのだけど、結局断ってしまったし。
仁美ちゃんの手配してくれる車に不安があるというわけではないけれど、どうしても、怖かったから。


「すみません、軽率でした」

「気にしないで、わたしが自分でやったことなんだし」

「まあでもそれなら、あたしたちで丁度いいよね、どこ行きたいの?」


ただ、その申し出はとてもありがたかった。
だから素直に甘えようと思う。
どうしても会いたい人が一人、いるから。


「わたしを助けてくれた人に、お礼を言いに行きたいんだ」

35: 2011/12/30(金) 00:00:02.20 ID:SvurrUL3o

「まどか、やっぱやめたほうがいいんじゃあ」

「だい、じょうぶ、だから」

「ちっとも大丈夫に見えませんわ……」


外を歩くのは大変だった。
病院の中とは違って、地面は凸凹だし、座れる場所もないし。
そして何より、すぐ横を車がびゅんびゅん通り抜けていくし。
両脇に抱えた松葉杖が肩に刺さるようで、骨の周囲が痛くて痛くて仕方ない。
正直、車椅子にしておけばよかったと思う。
それでもなぜか、一度帰るという選択肢も取らず、わたしは何かに突き動かされるように足を動かし続けていた。


「これくらいも、歩けなかったら、学校になんて戻れっこないもん」

「もう、頑固なんだから」

「どうしてもダメになったら仰ってくださいね。二人がかりなら抱えられますわ」

「そうだよ、無理しすぎたらまた足悪くしちゃうからね」

「うん、わかってる」


横で心配そうな視線を送ってくれる二人には、心底申し訳ないと思いつつ。
意地になって、紙に書かれた住所へと進んでいく。
息は乱れ、足取りはとてもおぼつかず、それでも背中を何かに押されて。

会いたいと。
それだけを一心不乱に思って。

36: 2011/12/30(金) 00:01:38.50 ID:SvurrUL3o
そうしてようやく辿り着いた目的地。
インターフォンを押すのもすごく勇気が必要だったけど、それはなんとか乗り越える。
ここで帰ってしまったら、何をしに来たのか分かったものじゃないから。


「どなたかしら?」

「あの、えっと、わたし」


インターフォン越しに声が聞こえる。
確かに記憶の声とも一致した。この人で間違いないだろう。
緊張と疲労で上手く舌が回らないけれど、なんとか状況を説明しないと文字通り話にならない。


「いつか、車に撥ねられて、助けてもらったお礼を言いに来ました」

「……ああ、あの時の子ね。猫ちゃんは元気にしてるよ」


その言葉と同時に、ドアからガチャリと鍵の空く音が聞こえる。
入ってきてという合図なのだろう。
両手は松葉杖でふさがっているので、さやかちゃんと仁美ちゃんにお願いして、開けてもらって。

37: 2011/12/30(金) 00:02:47.68 ID:SvurrUL3o
開いたドアの向こう側に見えるのは。
人ではなく、猫。


「みゃああああああああー」

「きゃっ!?」


叫び声と共に黒い弾丸が飛びついてくる。
突然、それもお腹に向かってきたから、わたしは反射的にお腹に手をやって、松葉杖を落として。
バランスを崩して、玄関に向けて倒れこもうとして、


「っと、大丈夫かしら」

「は、い」


いつの間にかドアの傍にいたその人に、抱き止められていた。
両手両足をじたばたさせる黒猫も一緒に。

38: 2011/12/30(金) 00:04:06.05 ID:SvurrUL3o

「おもてなしの準備もないんだけど」


部屋に通され、しかも紅茶にお茶菓子まで出されてしまう。
お礼を言いに来たのに、逆にもてなされているみたいで、何も持って来なかった自分が恥ずかしい。
来るのに必死だったんだもん、なんて言い訳はぐっと飲み込んで。

そして会いたかったその人は、意外にもわたしたちと同じ形式の制服に身を包んでいた。
つまるところ、同じ学校の先輩あるいは同級生なのだろうか。


「巴マミよ。よろしくね」

「わたし、鹿目まどかです。助けていただいて、本当にありがとうございました」

「あ、あたし美樹さやかです」

「志筑仁美です。私たちからも、ありがとうございました……えっと、巴さん」

「マミでいいわ」

「ありがとうございました、マミさん」

「やれることをしただけだから。でも、その松葉杖は」

「まだちゃんとは歩けなくて。でも、命があっただけ奇跡だって、お医者さんには言われました」

「奇跡、ね」

39: 2011/12/30(金) 00:04:36.74 ID:SvurrUL3o

マミさんはそう言って、静かに黒猫の方に顔を向ける。
あのまま逃がしてやるわけにもいかず、私が入院している間、世話をしていてくれたらしい。
今はちょこんと座っている。
ちょっと退屈そうに毛づくろいをしているけれど。


「リハビリは辛いでしょうけど、がんばってね。あの子もきっとあなたと遊びたいでしょうから」

「はい、がんばります」

「まどか、あの猫を助けようとして事故に遭ったんだっけ……ほんと、なんていうか」

「まどかさんらしいと言えば、らしいですわ」

「そういえばその制服、マミさんはうちの学校の先輩さんなんですか?」

「今二年、そろそろ三年よ。世界ってのは狭いものね」

「あら、この紅茶おいしいですわ」

「趣味なのよ。口に合ったみたいでよかったわ」


そんな取り留めもないことを話して、時間が過ぎていく。
初めて来るはずの場所なのに、こんなにも居心地がよいのはとても不思議だった。

40: 2011/12/30(金) 00:06:08.51 ID:SvurrUL3o

そうして居心地のいい空間だから、時間が過ぎるのもとても早い。
気付けば、仁美ちゃんが時計を見ながら、慌しく立ち上がっていた。


「ごめんなさい、私そろそろ時間が」

「あー忙しいもんね、しかたない」

「しかし、まどかさんを置いて行くのも」

「大丈夫よ、帰りは私が付き添ってあげる」

「申し訳ありません。不躾ですが、よろしくお願いします」


そう言い残して、それでも礼儀正しく仁美ちゃんは出ていった。
時計を見ると確かに、いつもの時間を大きくオーバーしている。
相当に無理をしてくれたらしい。


「いいお友達を持ってるのね」

「わたしも、そう思います」

「心配したんだからね、もうやめてよほんと」

「うん」

41: 2011/12/30(金) 00:07:10.94 ID:SvurrUL3o

申し訳なさやら照れやら安心やらで胸の内がごちゃごちゃになって。
何となく子猫を引き寄せて、ふとあることに気付く。


「この子、名前は付けたんですか?」

「うーん、まあ一応クロって呼んでたけど、ちょっとね」

「ああ、黒いから……」

「鹿目さんが決めてあげるといいんじゃないかしら」

「いいんですか?」

「あなたがいなければ、この子は死んでいたでしょうから」

「うーん、じゃあ」


黒く小さい体に赤い瞳。
ちょっとだけ悩んで、出したアイデアは――

42: 2011/12/30(金) 00:08:02.57 ID:SvurrUL3o


「ホム、でいいかな」


了承を示すように、子猫、いやホムはわたしの足にすりよってくる。
わたしはその頭をなでて、それで、


「うん、いい名前じゃん、まどかの割には……まどか?」

「え、あれ、わたし、あ」


ぼろぼろ、ぼろぼろと。
涙があふれて、こぼれて、とまらない。
何に泣いているのかなんて分からない。
悔しくて、嬉しくて、切なくて、哀しくて、いろいろな感情が折り重なって。


「ああ、う、ああ、あああああああああああああ」

「……大丈夫だよ。痛かったよね、怖かったよね、でももう大丈夫だから」


傷が痛むわけじゃない。。
事故がどうとか、そういうのじゃない。
でもそれは言葉にできなくて、結局、さやかちゃんの胸でわたしはずっと泣き続けた。

43: 2011/12/30(金) 00:10:01.23 ID:SvurrUL3o

それ以上、誰も何も言わなかった。
ただ少しずつ感情の波が引いて、落ち着くまで、わたしはずっとそうしていた。
そしてようやく、平静を取り戻す。


「落ち着いたかしら」

「……はい、みっともないところ見せてしまってごめんなさい」

「いいわよ。でも、そろそろ帰った方がいい時間でしょうね」

「うわヤバ、外出許可カードの時間とっくに過ぎてる!」

「ホムの散歩もあるし、送るわ。行きましょう」


何故か首をゆるゆると左右に振って、ホムを抱いて、マミさんは立ち上がる。
わたしはまだ帰りたくなかったけれど。
そんなワガママを言うわけにもいかず、二人に手を貸してもらって。


「また、来てもいいですか」

「足を治したらね。それまでホムは預かっておくから」

44: 2011/12/30(金) 00:11:19.43 ID:SvurrUL3o

まだ何か、果たしていない用件がある気がして。
お礼は言ったし、ホムのことも話したし、考えられる限りではすべて済ませたのだけれど。
そんな不確定事項を口に出せるわけもなくて。
結局わたしは黙り込んで、また松葉杖を握って立ち上がり、玄関から出て行くしかない。

何かをやり残した感覚に後ろ髪を引かれながら。
不思議に思いながら、マミさんに導かれてマンションの間を縫うように、松葉杖を頼りに、歩いている。
やっぱりこの辺りに来たことはない。
どこを見回しても、見たことのある景色は映らない。

そしてふと、視界にわたしとマミさんしかいないことに気付いて、後ろを振り返ってみると。
さやかちゃんが数歩遅れて、立ち止まっていた。


「どうしたの、さやかちゃん」

「まどか、マミさん、あれ」

「…………!?」


声に導かれて見上げた方向にも、当たり前のようにマンションが高く聳えている。
ただ一つ決定的におかしいのは、そこにあるべきでない人影。
屋上の柵を乗り越えて、一人の男性が今にも飛び降りようとしていた。
何を考えるでもなく、わたしはそっちへ向かおうとして、その進路を阻まれる。

45: 2011/12/30(金) 00:12:13.27 ID:SvurrUL3o

「まどか、あんたどこ行くつもりなの!?」

「さやかちゃん、だってあの人、あのまま落ちたら」

「自分の状態を考えなよ! ううん、たとえ大丈夫でも、巻き込まれたらあんたどうなるか」

「それでもイヤだもん! わたしの前で、誰かが、死んじゃうかもしれないんだよ!?」

「こんの分からず屋が、生きるか死ぬかのケガした身で、一体何ができるって……」


どうしてそんなに。
わたしにだって分からない。
ただなぜか、心の奥の奥の方から、足を止めるなという声が聞こえるから。

それでも。
わたしはただの怪我人で、何の力もなくて。
男性は縁に足をかけ、そして、


「だめえっ!?」


飛んだ。
落下するだろう地点までは、とても遠い。
しかもさやかちゃんが、体を割り込ませてわたしを前に進ませてくれない。


「行かせる訳ないでしょうが、このアホンダラ!」

「どいてよ!」

「どかない!」

46: 2011/12/30(金) 00:12:48.58 ID:SvurrUL3o


「任せて」



いつかを思い出させるような、落ち着いた声。
ホムを渡される感触に、二人そろって振り向けば、マミさんが鋭く駆け出していた。
その姿は、さっきまで見ていた見滝原中学の先輩のそれではない。


「ふっ!」


白と黄色のどこかファンタジーの世界から飛び出てきたような衣装を纏って。
どこから出したのか、手元から幾条ものリボンが延ばされる。
それは空間を進みながら肥大化し、互いに編み込まれ、落下の衝撃を和らげる繭となって。
猛スピードで落下するその人を、衝突直前、受け止めた。

47: 2011/12/30(金) 00:14:01.11 ID:SvurrUL3o

「魔女の口付けね」

「マ、マミさん! その人大丈夫ですか!?」

「それにマミさん、今の、一体」

「ごめんなさい、説明してあげたいんだけど、やることが出来ちゃったみたい」

「それって、もしかして、あれのせいですか」

「わたしも見える。なに、あれ」


マンションの屋上に、空間の裂け目のようなものが見える。
その周辺には、何か黒い瘴気みたいなものも見える。
明らかな異常を理解すると共に、わたしがずっと抱えていた感覚も消え去った。
わたしは、これを求めて来たんだと、理解して。


「察しがいいのは嬉しいけれど、できるだけ早く逃げて」

「走れないです」

「あたしが抱えてもスピード出せないし、ホムもいるし、何よりマミさん一人残して行けないって!」


どんどん歪みは大きくなっていく。
屋上の空間を喰らいつくして、マンションの敷地から漏れ出て行く。


「……仕方ないわ、一緒に来て」


さやかちゃんと二人、視線を一度交わして、頷く。
頷くや否や、わたしたちの体にリボンが巻き付き、牽引されて一気に空へと飛び上がった。

風を切る感覚。
私の顔に、手に、胴に、足に、全身に、粒子がぶつかって跳ね返っていく。
これからきっと危険な所へ飛び込むのに。
とても心地よいと、ホムを抱きながら感じた。

48: 2011/12/30(金) 00:15:05.54 ID:SvurrUL3o

飛び込んだ空間は異界。
極彩色が散りばめられた世界に、どこまで続くとも知れない穴がそこら中に開いている。
筋肉に魚の頭を付けた鳥のような、まるで意味の分からない生き物がそこら中を飛びまわっている。

恐怖を通り越して、ただただ呆れるばかりだった。


「ちょっと、なによこれ、なんだってのよ」

「落ち着いて、さやかちゃん」

「落ち着いてられるあなたの方が異常よ。ほら二人とも、その中にいて、暴れないでね」

「あ、はい、ありがとうございます……ぎゃあ!?」


私達を牽引していたリボンは、形を変えかご状になって、わたしたちを包む。
そしてマミさんに引っ張られるまま、穴へと落下していった。

気味の悪い謎の生命体も付いて来るけれど、片っ端から木っ端微塵にされていく。
何かと目をやってみれば、マミさんがマスケット銃を呼び出して射撃していた。


49: 2011/12/30(金) 00:16:06.80 ID:SvurrUL3o

「ほら、そろそろ着地するわよ」

「はい」

「だからなんであんたはそんなに落ち着いてるのうわああああああ!?」


風を切る感覚は、一度途絶える。
ズシンと着地の振動が響くけど、着地した床は脆くも抜けてしまって。
結果またわたしたちは落ちていく。
今度の違いとしては、わたしたちが入っているのよりもずっと大きな鳥かごが、下に見えること。

異常としては。
女性の下半身しか、そこには入っていないこと。


「あれね」

「マミさん、あれって」

「魔女よ。私の仕事はね、魔法少女としてあの存在を退治することなの」


まあ、詳しくは後で話すわ、と言って、会話を打ち切って。
なおも落下し続けるわたしたちと、その巨大な鳥かごの化け物との間を遮るように、壁が作られた。

それはマスケット銃の雪崩。
莫大な質量があたかも道を塞ぐ壁であるかのように見えただけ。
その全ての引き金が引かれ、下方を爆発と炎上によって火の海にした。

火の粉がぎらぎらと散っていく。
燃え盛る欠片は空を飛び、筋肉鳥に飛び移り、また燃え上がる。
空間そのものまでを燃やし尽くし、そしてやっと、消え果てた。
視界が晴れたとき、そこに極彩色の世界はもはやなく、わたしたちは男性が落ちてきた地点に戻っていた。

50: 2011/12/30(金) 00:18:33.19 ID:SvurrUL3o

戻ってきた世界には、先ほどの男性が意識を失って倒れている。
どうすればいいかと慌てるわたしたちを余所に、マミさんは迷いなく歩み寄り、手をかざして光を当てる。


「大丈夫ですか」

「――――う、うん? 私は、どうしてこんなところに」

「きっと夢でも見たんですよ」

「確かに、何か恐ろしい夢を見た気がする。それよりまずいな、会社に戻らないと」

「この道を真っ直ぐ行くと大通りに出られます。気をつけてくださいね」

「ああ、ありがとう、親切なお嬢さん」


そしてスーツを直しながら男性は歩き去ってしまう。
その会話をぼーっと眺めてるうちに、わたしも現実世界の都合に引き戻された。


「あ、時間……」

「……怒られる、めっちゃ怒られるッ!!」

「行きましょうか。詳しい話は、また今度お見舞いに行ったときにでもするわね」

「はい、お願いします」

「なんかあたしまで夢見てた気がするわ、すみません、よろしくお願いします」


放り出していた松葉杖を抱えなおして、ホムをマミさんに返して。
病院へと歩き出した。
よく分からない満足感と、やっぱりよく分からない浮遊感に浸りながら。

51: 2011/12/30(金) 00:19:44.43 ID:SvurrUL3o


「さすがにちょっと、疲れたかも」


病室のベッドに疲労しきった体を横たえて呟く。
結局病院に帰り着いた時には、外はもう真っ暗で、わたしたちは散々に怒られてしまった。
さやかちゃんはともかく、マミさんまで縮こまって怒られているのが、何故か少し新鮮で。

二人とも、また明日来ると言ってくれた。
そこで今日あったこと、魔法少女とか魔女とかについても、詳しく話してくれると。

きっとわたしが求めていたものは、これなのだろうけど。
どうしてわたしはこんなものを求めていたんだろう。

そして、もう一つ。
この病室で目を覚ました時からそうだった。
どうしてここにいるときだけは、心がざわめくんだろう。

この部屋全体に棘が張り巡らせてあるよう。
締め付けられる感覚は時が経っても消えてくれない。
この部屋の主人は、わたしじゃない。
そう言われているような。


なんだろう、これは。


分からない。
分からないまま、わたしは眠りに落ちていった。

57: 2011/12/30(金) 23:55:05.05 ID:SvurrUL3o

目が覚めても、同じだった。
心にぽっかりと穴が空いてしまった感覚。
何をなくしたのかは全く分からないけれど、それがかえって空白を際立たせる。

昨日さんざん粘って、マミさんの正体に行き着いたように。
多分この『何か』もまた、わたしが突き止めなければならないものなのだろう。
ただ、今はまず、マミさんの話をちゃんと聞こう。
昨日あったことはあまりにも非現実的で、この目で見なければとても信じられるようなものではなかったから。

そう考えていると、ドアをノックされる音が聞こえて。
返事をして了承を伝えると、さやかちゃんとマミさんが、入ってきた。


「おはよーまどか、起きてたんだね」

「うん、ちょっと前にね」

「おはよう、鹿目さん」

「マミさん、おはようございます」

「待ってたかしら」

「はい」

「ごめんなさいね。この子と話してたら時間取っちゃって」

「あそこまで巻き込んでおいて、話さないほうが失礼だろう」

「分かってるわ、もう納得したって言ったじゃない」


何か別の声が聞こえる。
そしてマミさんがそう言い切った所で、その肩を越えて白い小動物が現れた。
その姿に一致する情報はわたしの中になく、結果わたしは至極単純な問いを口にする。

58: 2011/12/30(金) 23:56:26.99 ID:SvurrUL3o

「……誰?」

「僕の名前はキュゥべえ、君に頼みがあって来たんだ!」


頼みがあると。
わたしの体は何故か動かない。
ただ耳だけが異常に、次の言葉を聞き逃すまいとして、その感覚を鋭敏にする。


「鹿目まどか、僕と契約して、魔法少女になってよ!」


満面の笑顔、と評していいのだろう。
でもなぜだろう、わたしにはその表情が、窓から射す日光の作ったその影が、とても不気味に映った。
さらりと言ってのけた、魔法少女という、ある意味ではとてもロマンチックなその言葉すらも。

きっとそれはマミさんのような人のことを指した言葉なのに。
ぞくり、と。
わたしが求めていたはずのものに、言い知れぬ恐怖を感じる。


「ごめんなさいね、ちゃんと説明するわ」

「はい、お願いします」

59: 2011/12/30(金) 23:57:44.53 ID:SvurrUL3o

「願い事を代償に、命を懸けて戦うってことですか?」

「そうね、そんなところで合ってると思うわ」

「マミさん、一体いつからあんなのと戦って」

「マミはかなりのベテランだからね、もう数年は下らないと思うよ」

「別に大したものじゃないわよ? 死ぬのがイヤだっただけなんだから」

「そんなの、当たり前じゃん……」


聞かされた内容は、それこそマンガとか、アニメとか、そんな世界のもの。
わたしたちの世界は人知れず食い荒らされ、また守られているらしい。
でも、その話が本当であることは、わたしは自分の身を以って理解できる。


「わたしを助けてくれたのは、本当にマミさんなんですね」

「マミの魔法は”結び合わせる事”に特化しているからね、傷の治療なんかはお手の物だよ」

「嘘を付いたつもりはないのだけど、そうなるかしらね」

「じゃあ、マミさんがいなかったら、まどかは」

「……やめてよ、さやかちゃん」

「うっ、ごめん」

60: 2011/12/30(金) 23:58:15.44 ID:SvurrUL3o

死んでいたのだろう。
文字通りの奇跡によって、わたしはここに生きて留まっている。
事ここに至って、どれほど恐ろしい綱渡りをしてきたのか理解して、また身を震わせる。


「鹿目まどか、美樹さやか、君たちには才能がある。訓練次第ではマミのようになれるかもしれないよ」

「こら、どうしてそこで私の名前が出てくるの」

「この子たちは明らかに君に憧れているよ。さすがに見れば分かるさ」

「そういうことじゃないの。女の子を急かす男子は嫌われるぞ」

「僕に性別の概念はないんだけどなあ」

「えっと、その」

「あたし、いきなりそんなこと言われましても、一体どうしていいのやら検討も」


さすがにこの事態は想定してない。
何故か最近妙によく回る頭も、大きすぎる選択肢を前にさっぱり動いていない。
ただ恐怖が、ぼんやりとわたしの心を占めていた。

61: 2011/12/31(土) 00:00:46.34 ID:eN5beZ+ao

頭の上にクエスチョンマークを浮かべているわたしたちに、助け舟を出してくれるのは、結局この人。
マミさんがもう少し大雑把にまとめるわね、と言って、話し出す。


「この世界は魔女に蝕まれている。誰かが魔法少女としてそれを止めないといけない」


「魔法少女って誰にでもなれるものじゃないの。で、あなたたちにはその素養があるってこと」


「だからこの子はあなたたちに、魔法少女になって欲しいと頼んでいるの」


「ただ二人とも、ゆっくり考えて決めなさい。願い事ってそんなに軽いものじゃないから」


「そして、この魔法少女というモノもね」


マミさんはどこまでも親切だった。
一人より二人、二人より三人なのは当たり前なのに。
確かに、この人のようになれたらどんなにいいだろうと、そう思うけれど。


「ごめんなさい、あたし一つだけ質問してもいいですか」

「何かしら」

「その、マミさんは何を願ったんですか」


62: 2011/12/31(土) 00:01:19.19 ID:eN5beZ+ao

さやかちゃんのその質問に。
魔力の源であるという飴色のソウルジェムを、ぎゅっと握り締めながら、マミさんは応える。
それが自身の義務であるかのように。


「状況は鹿目さんと同じよ。事故で死にそうになって、生きたいと願ったの」


「だからね、あなたを助けられたのは、私、誇りなのよ」


吹けば飛ぶような儚い笑顔に乗せられた言葉。
それを最後にその日は解散となった。

63: 2011/12/31(土) 00:02:10.86 ID:eN5beZ+ao

「いいのかい、マミ?」

「何のことかしら」

「あの二人のことだ。きっと君が強く勧めれば、すぐにでも契約したと思うけれど」

「ちゃんと納得しないで契約するのはだめ、って言ってるじゃない。それに」

「?」

「優しすぎて、弱すぎるのよ。あの子たち」

「二人とも才能は並ってところだし、そんなに弱くもないと思うんだけどな」

「もう、そういうことじゃないの」

「そうだなあ、まどかは確かにメンタルに難があるかもしれないね」

「特に鹿目さんは、まだ事故のショックからも抜けられていないみたいだし」

「ただ何だろう、どうにも見てて違和感があるんだ、不思議なものだよ」

「違和感?」

「さあ、僕にもさっぱり分からないよ」

「とにかく、言うべきことは言ったはず。余計なちょっかいは出さないでね」

「やれやれ、僕の仕事は魔法少女を増やす事なんだけどなあ」

64: 2011/12/31(土) 00:03:05.66 ID:eN5beZ+ao

命を懸けるほどの願い事は、わたしにも、さやかちゃんにも、度を越えたものだった。
だからわたしたちは何も決められなくて、ただ時間が過ぎていって。
いつの間にか新学期が始まっていて、わたしも退院を明日に控えていた。


「おめでとう、鹿目さん」

「ありがとう、上条くん」

「まどかはリハビリよく耐えたよ。走ったり飛んだりはできなくても、歩けるだけで十分十分」

「上条くんも、きっと、きっとよくなるから、くじけず頑張ってね」

「もちろんだよ、負けてられないもの」

「おーその意気だ恭介! あたしはまどかが退院しても来るからな!」

「さやかも、少しは自分の事に時間を使いなよ」

「うっ、それは最近成績が無残なことになってきたこととまさか関係はあるまいね」

「さやかちゃん、この前持ってきてくれたテスト赤点だったよね」

「あれ僕でも解けるよ」

「うるさいうるさい! 恭介のばーかばーか!」

65: 2011/12/31(土) 00:05:45.33 ID:eN5beZ+ao

この病院最後のリハビリは、そんな風に和やかに終わった。
さやかちゃんがちょっと不憫だったけど、まあ。

結局わたしは、激しい運動はともかくとして、日常生活に不自由しない程度にまでは回復できた。
でもそれはすでに奇跡で。
そもそも、生きていること自体が奇跡で、その上に、また歩けるようになって。
まだ入院生活を続けなければならない上条くんには、少し申し訳なさを感じてしまう。

長いようで短かった入院生活。
それを乗り切れたのは、間違いなくさやかちゃんと上条くん、二人によるところが大きいから。
だから頑張って、腕を治して、お互いに完治した状態で学校で会いたいと思う。
さやかちゃんと一緒にお見舞いに来る事も約束した。


「わ、いい風」

「ほんとだ、だいぶあったかくなってきたね」


窓からはいい風が吹いている。
病院独特の消毒液の匂いと、ちょっと部屋にこもった汗の匂い。
それなりの期間をここで過ごしたことのだから、未練はないと言えば嘘だった。

それでも、また学校に通える。
それをここで喜ばないのは、きっと誰に対しても失礼だと思う。
だから、がんばれ、わたし。

66: 2011/12/31(土) 00:08:18.23 ID:eN5beZ+ao

そして、初日。
必死の思いで登校したわたしを待っていたのは、とても厳しい現実だった。


「……あの、鹿目まどかです、よろしくお願いします」

「鹿目さんは、交通事故でしばらく入院していたの。
 まだうまく動けない時もあるみたいだけど、皆さんよくしてあげてくださいね」


まるで転入してきたような扱いで。
久し振りに学校に来てこの状況は、さすがに照れくさいとか以前に、キツかった。

そして、その原因は、もう一つ。
あの病室に強く焼きついていた感覚は、学校にも強く残っていた。
ないはずの喪失感。
あるはずのない空白。
訳の分からない罪悪感。
とてもじゃないけれど、わたしは平常心を保っていられなくて。


「ごめんなさい、ちょっと、保健室に」

「あ、じゃああたし付き合うよ」

「私も行きますわ、さやかさん一人では不安ですし」

「どーいう意味だよこら仁美」

「いえ、決してそういう意味ではなく……」

67: 2011/12/31(土) 00:09:42.97 ID:eN5beZ+ao

二人はいつものように接してくれる。
それだけが、どうしようもなくありがたかった。
少しいつもよりおどけて見えるのは、きっと気を使ってくれているのだろう。

でも。
保健室の前に着いた瞬間、それまでとは比にならない感覚に襲われて。
吐き気が、


「うぇ、うっ…………ああう、えっぷ」

「わっ、ちょ、まどか!?」

「まどかさん、手を離して、窒息してしまいます!」


込み上げて、堪え切れなかった。
辛うじて仁美ちゃんの持ってきたバケツにぶちまける程度で済んだけれど。
吐き気はなくならず、苦しみも消えてくれず。
完全に出尽くしてしまった胃の内容物の代わりに、今度は言葉をぶちまけた。


「わたし、わたし、おぼえてないんだ」


「何かがあったのに、誰かがそこにいたのに、全然思い出せないんだ」


「ただずっと申し訳ないって、ごめんなさいって、ずっと」


「でも、なにも、わたし、おぼえて、わたし」


「うっ、う、ああああああああああああああああ、ああああああああああああああああ」


もう何も考えられない。
ただ子供のように声を上げて。
途中からさやかちゃんがまた胸を貸してくれたみたいだけど、わたしは何も気付かずに泣き続けた。

68: 2011/12/31(土) 00:12:47.18 ID:eN5beZ+ao

「目、覚めた?」

「はい」


声を受けて、もそもそとベッドから起き上がる。
場所は変わらず保健室。
ただ時間だけは随分と過ぎたらしく、部屋は一面オレンジに染められていた。
声を掛けてくれたのは、マミさん。
あれから時々お見舞いに来てくれたけれど、学校でこうして会うのは初めてだった。


「美樹さんと志筑さんに頼まれてね」

「ごめんなさい、わざわざ」

「いいよ、他にやることもないし」


背を向けて座っているマミさんの顔は見えない。
わたしも下を向いているから、逆に見られることもないだろう。
こんなぐしゃぐしゃの顔を。


「わたし、弱いです」


「何かを忘れてしまったことだけは分かってるのに」


「それが何か分からないってだけで、こうして何もできないで」


「知るための手段もきっとあるのに、怖いからって立ち止まって」


「わたし、こんな自分、大嫌いです」

69: 2011/12/31(土) 00:13:49.74 ID:eN5beZ+ao

ホムを助けたときのわたしは、どこへ行ってしまったんだろう。
マミさんに必死で会いに行って、かっこいいマミさんに憧れたわたしは、どこへ。


「ホムがね」


「最近寂しがってしょうがないの、早くあなたに会いたいってね」


「あの子を助けられたのは、あなたがいてくれたから」


「魔法少女になんて、ならなくてもいい。だけど」


「あなたがあなた自身を否定するのは、あなたが助けたあの子にとって、どう映るのかしら」


「あの時私が見たあなたは、世界の誰よりも勇敢だったよ」

70: 2011/12/31(土) 00:14:39.93 ID:eN5beZ+ao

そう言って、マミさんは立ち上がる。
窓に背を向けて、窓から射す夕陽に背を向けて、ドアノブに手を掛ける。


「どこに、行くんですか」

「魔女を探しに行かないと。また誰かを、喰ってるかもしれない」


その背中はとても眩しくて。
だからわたしは、ほんのちょっと残った勇気をかきあつめて、その台詞を言う事ができた。



「連れて行って、くれませんか」

71: 2011/12/31(土) 00:16:51.80 ID:eN5beZ+ao

廊下に出ると、そこには見慣れた友人が一人。
手持ち無沙汰に携帯を弄っている。


「あれ、さやかちゃん」

「おっすまどか、もういいの?」

「大丈夫だけど、なんで」

「実はね、私が頼んだのよ。二人で話がしたいって」

「仁美は時間になっちゃって帰ったよ。あたしはマミさん待ってたんだけど、その分じゃ、まどかも一緒なのかな」

「うん、ごめん、迷惑掛けて」

「うむ、今度駅前のクレープおごりで手を打ってやろう」

「ほら二人とも、ついてくるんじゃなかったの、置いて行くよ」


それは困る。
せっかく決意したんだから、無理矢理にでもついていかないと。
横を見れば、さやかちゃんも同じ顔つきで。


「悩んだけどね、あたしにも叶えたい願いあるから」

「だったら、置いてかれちゃ困るね」

「そうだね、さっさと行こ」

78: 2011/12/31(土) 17:39:41.01 ID:eN5beZ+ao


「ティロ・フィナーレ!」


掛け声一閃、大砲から放たれた弾丸が魔女を粉砕する。
砲撃と着弾の余波はこちらにも届き、暴風としてわたしたちの間を通り抜けていった。
耳を押さえても、気休めにすらならないくらい。


「おお、さすがマミさん」

「耳がジンジンする……」


軽やかな着地音と共に、マミさんがわたしたちの元へと戻ってくる。
それに前後して空間もほどけて、ショッピングモールの景色が戻ってくる。
魔女の結界という場所はちょっと目に毒毒しかったため、殺風景な裏路地すらも、十分安らげる景色だった。


「はい、大体これでおしまい。感覚はつかめたかしら?」

「すごすぎて戦闘はさっぱりでしたけど、それ以外はなんとか。あたしでもあんな風に戦えるものなんですか?」

「うーん、いきなりマミのようには厳しいね。最初はみんなぼろぼろだよ」

「え、ってことはマミさんも?」

「あまり昔の話はしたくないのだけれど、はっきり言ってひどいものだったわね」

「聞きたいです!」

「もう、やめてってば」

79: 2011/12/31(土) 17:40:15.21 ID:eN5beZ+ao

魔法少女体験ツアーは、それはとても怖かった。
平気で会話をこなしているさやかちゃんには驚いてしまうくらい。
でも、普段の表情を崩さずに立ち振る舞うマミさんを見ていると、それだけで勇気をもらえる気がするから。
あとはわたしが決心するだけ、なんだけど。

ここで決められるのなら、それが望ましいんだけれど。
まだそれは出来そうにない。
憧れていた非日常、そこに飛び込むのを怖いと思えるほどに、わたしはこの日常が大切で。
でも同じくらい、今ここで戦っているマミさんは眩しくて。
そんな思いがぐるぐると回って、どうにも考えはまとまらない。


「マミさん、本当にありがとうございました」

「あたしも。ちゃんと気持ち固まったら、マミさんとこ行きますね」

「僕は別にいつでもかまわないけれどね」

「私もいつでもいいわ、待ってるからね」


そうして二人と一匹と別れ帰途に着いた。
もう外は真っ暗で。
パパやママに心配かけちゃってるかなと、そう思って。
魔法少女になるなんて伝えたら、どんな顔をするだろうとまで考えて、つい笑みがこぼれて。
そんな余裕を持たせてくれた大切な友人たちには、感謝しないといけないみたい。

80: 2011/12/31(土) 17:40:52.73 ID:eN5beZ+ao


「思い出したい」


人なのか物なのか、それすらも分からない。
そんな欠落を求めて命を懸けようとするわたしは、多分変わり者なのだろう。
でもそれほどに、わたしの中の空白は大きかった。


「魔法少女になって、マミさんの力になりたい」


命の恩人、憧れの人。
そんな人のそばで、わたし自身も誰かを助けていくことができたら、それはどんなに素敵だろう。
こんなわたしでも、誰かの力になれるのかな。

まだ怖いと言って手をこまねいているくせに。
広がる色々な可能性に、ついつい浮き足立ってしまう。
まだ完璧には動いてくれない足だけれど、それでも一人で歩く分には不自由しないようになった。

……そういえば、上条くんはどうしているだろう。
明日の放課後にでも、お見舞いに行ってみようか。

81: 2011/12/31(土) 17:41:26.60 ID:eN5beZ+ao

「さやかちゃん、どうだった?」

「会えないってさ、せっかく来たのに失礼しちゃうー」

「そっか、残念」


そうして一念発起して来てみたはいいものの、徒労に終わってしまった。
わたし以上にさやかちゃんの落ち込み方は相当のもので。
声をかけるのも躊躇われ、ただ病院の敷地を歩いていた。

病院と言っても、いるのは病気の人やケガをした人ばかりではない。
お見舞いの人やお医者さん、看護師さんなど、健康な人もそこにはいる。
さやかちゃんは後者に当てはまるはずなのに、その様子はまるで前者のそれのようで。
見ているこっちが辛いくらいだった。
でも何も出来なくて。
ただわたしたちは歩いている。


ただ歩いていて。
こういうものに出くわすのは、何の因果か。

82: 2011/12/31(土) 17:41:57.33 ID:eN5beZ+ao

グリーフシードが一つ。
病院の壁に突き刺さり、カラフルな何かが滲み出て、異様な雰囲気を醸し出している。
その意味が分からないわたしたちでは、もはやなく。
互いに顔を見合わせる。
横にあるさやかちゃんの顔は、魂の抜けたようなものから、決意を秘めた力強いものへと、変わっていた。
眩しかった。


「まどか」

「マミさんに連絡、だね」

「あたしたちはここの人を避難させないと」

「でもどうするの、ただの中学生が避難してって言っても」

「まあ、無理だろうね」


声と共に現れたのはキュゥべえ。
何もない空間から、まるで染み出すように。


「マミは今魔女と戦っている所だ、携帯はちょっと通じないんじゃないかな」

「あれ、ほんとだ、つながらない!」

「どうしよう、ここ病院だよ!? こんなところで魔女が生まれたりしたら」

「普通の街中よりは、きっと被害は甚大だろう」

83: 2011/12/31(土) 17:42:30.39 ID:eN5beZ+ao

とつとつと語るその姿に、何か違和感を覚える。
表情を映さないその顔が、何故かとても恐ろしい。
感情を伝えないその口調が、何故かとても不気味で。
それでも今のわたしたちにとっては、この子しか頼れるものはなかったから。
焦りを体現しながら、さやかちゃんがキュゥべえを問い詰める。


「マミさん、どれくらいかかるの」

「さてそれは分からないけれど、あちらの仕事を終わらせ次第向かってはくれるだろう」

「このグリーフシードが孵るまではどれくらいなのさ」

「もう孵るんじゃないかな」

「え、ちょっ」


空間の歪みは加速度的に拡大して、わたしたちを丸ごと呑み込んで。
覚悟を決める時間すらなく。
都合三度目の魔女結界へと落ちて行った。


ただし今度は、守ってくれる人など、どこにもいない。

84: 2011/12/31(土) 17:43:02.85 ID:eN5beZ+ao

「なに、ここ」

「これは、また……」


空間を占めるのは、色とりどりのお菓子、それも山ほどの。
ピンクや白、赤といった女の子らしい色調で埋められた世界は、病院を模しているようで。
そこらじゅうに、ばらまかれた薬瓶、首の取れたお人形、壊れたベッドなどが。

そして動くものは、わたしたちだけではなく。
よく分からない欠片を抱えた、これまたよくわからない人形?が、群れをなしてぞろぞろと行進している。

よくわかる。
ここは普通の人間が、立ち入っていいものではないと。
覚悟をした人間が、また覚悟を決めて、ようやく入る事を許される場所だと。
今のわたしたちは、あまりにも分不相応だった。

85: 2011/12/31(土) 17:45:36.99 ID:eN5beZ+ao

「まどか、あたしの後ろに付いてきてね」

「でも、さやかちゃん」

「あんたまだ走れないでしょ。どっか隠れられる場所見つけてマミさんが来るの待とう」

「それがいいだろうね、君たち人間では使い魔にすら敵わないだろう」

「一応聞いとくけど、出る手段とかないの?」

「ないね。それが出来るのは魔法少女だけだ」


絶望的な回答を貰い。
そして一拍置いて、さらに一言が付け加えられる。


「最悪の場合、僕の準備は出来ているからね」


その言葉は毒か薬か、わたしとさやかちゃんの心の中に、おそらくは深く染み込んでいった。
わたしは何も返事をすることが出来ない。
そしてそろりそろりと歩き出した。
悪夢のような空間を、何の手立ても、頼りもないままに。

86: 2011/12/31(土) 17:46:53.64 ID:eN5beZ+ao

「……ねえ、まどか」

「なに?」

「まどかはさ、魔法少女になって叶えたい願い、あるの?」


しばらく探して見つけた、不思議と開けたスペースに二人と一匹で身を隠して。
息を潜めていると、突然横に座ったさやかちゃんがそんな質問をしてきた。
そういえば、さやかちゃんと魔法少女について話し合うことは、まだなかったんだっけ。
ちょうどいい機会かもしれない。
その横顔に、これといった感情は見えない。


「わたし、最近なにかおかしいんだ」

「おかしいってのは、昨日叫んでた辺りのこと」

「うん、そう」

「覚えてないとか思い出せないとか言ってたけど、事故のショックでとかなんじゃないの?」

「かもしれない」


言われてみれば、確かに時期は一致している。
よく分からない喪失感を覚え始めたのは、入院して病室を眺めた時が最初だった。
でも、まずあの事故そのものが、わたしにとっては不釣合いなものだった。
普段のわたしだったら、身を竦ませている間に、ホムは車に轢かれてしまっていただろうから。
でも。

87: 2011/12/31(土) 17:48:06.70 ID:eN5beZ+ao

「でも、そうじゃないかもしれないんだ」

「まあ、まどかが猫をかばって車にはねられて、なんて、ちょっと想像も付かなかったしねえ」

「何かおかしいの。違和感があってどうしても消えてくれない」

「んでなんかあったんじゃないかと考えてると」

「そう、だから思い出したい。願うとしたらきっとそれ」

「そっか」


命を懸けた願いとしては、あまりに不釣合いかもしれない。
もしただの思い過ごしだったら、どうしようと。
そういう不安が心を縛って、どうしても最後の一歩を踏み出せない。
ただそれは、言葉にしてはいけない気がして、あえて口には出さなかった。
そこで一度会話は途絶え、またさやかちゃんが話し始める。


「あたしね」

「……?」

「実はさっき、恭介に会えたんだ」

88: 2011/12/31(土) 17:48:58.12 ID:eN5beZ+ao

声の色は灰。
普段のような明るさはどこにもなく、吐くように言葉が投げ出されていく。


「会ってさ、しばらく会いにこないでくれってさ」


「うざいんだって。元気に手を動かしながら、弾けもしない音楽を聞かせて来るあたしが」


「あたしってほんと無神経だよね。そんなことちっとも思ってなかった」


「ずっと傷付けてた」


「きっと……ううん、これはいいや」


「んでどうしたらいいのか、あれこれ考えてたんだけ、ど!」


呆気に取られるわたしを尻目に、さやかちゃんは立ち上がり、正面の空間を見据える。
そこには今にも割れてしまいそうに震えるグリーフシード。
どうやらぽっかりと開けたこの空間は、この結界の主のために用意されたものだったらしい。
気付けない自分の鈍臭さに嫌気が差す。

周囲がねじれ変わっていく。
魔女の誕生を祝うために。
迷い込んだ獲物を生贄として捧げるために、使い魔たちもわらわらと集まってくる。

山のような有象無象。
きっと私たちを殺してしまうだろうそれら。
でもさやかちゃんの視線は揺らがず、両の足で確かに地面を踏み締めている。
それはつまり、きっとそういうことなのだろう。

89: 2011/12/31(土) 17:49:39.02 ID:eN5beZ+ao

さっきからさやかちゃんを見ていると、妙な胸騒ぎがして。
だけどそれを止める権利なんてわたしにはなくて。
だから何も言えなくて。


「マミは間に合うかもしれない」

「間に合わないかもね」

「いいえ、間に合ったわ」


でも、その必要はなかった。
壁が弾け、使い魔たちが弾け、一人の魔法少女が私たちと魔女との間に舞い降りる。
轟音と砕け散った諸々の破片と閃光と、五感を満たす感覚は全くハチャメチャで。
胸の高鳴りは抑えられない。
つい、叫んでしまった。


「マミさん!」

「おやマミ、間に合ったようだね」

「二人とも、無茶しすぎ」

「うっ、でも」

「ごめんなさいね、私が遅くなったのは間違いないんだけど、でも無茶はダメ」

「……はい、すいません」

「ちょっと話さなきゃいけないこともあるようだし、速攻で済ませてくるわね!」


ちらりとさやかちゃんの方を見てから、そう言い、魔女の方へと大きく跳ぶマミさん。
聞こえていたのだろうか?
いずれにせよ、ひとまずここでさやかちゃんが契約することはなさそうだった。
軽く肩を落としながら、すごすごとこちらに戻ってくる。


「あはは、なんか肩すかし」

「でも、よかったよ……わたし、なんか不安で」

「まあ実際あたしも、ちょっと安心しちゃったりなんかしてるわけなんだけどさ」

90: 2011/12/31(土) 17:50:16.68 ID:eN5beZ+ao

手が差し出される。
握ってみればその手は、小刻みに震えていた。
体も揺らしながら吐くその言葉に、私は同意以外の何もすることはできない。


「すごいや、マミさんは」

「うん」


目をやると、もうあらかた使い魔たちは片付けられていた。
あと残っているのは、かわいいぬいぐるみのような、おそらくは魔女本体。
こんな見た目で魔女というのもまた、ちょっと違和感があるけれど。

そしてその違和感は、瞬く間に現実に。
砲撃でぬいぐるみのような魔女が蜂の巣になった、そこまではよかったのだけれど。

足元から突き上げるような衝撃。
二撃目を待たず地面は割れ、黒く巨大で何が何だかよく分からない塊が飛び出して。


宙に打ち上げられ身動きをとれずにいたマミさんのところへ伸びていって。


がばあと大口を開けて。


首が千切れて飛んだ。

98: 2012/01/01(日) 13:22:48.06 ID:knSQZWSRo

マミさんは視界にいない。
転がっているのは、首と胴が鋭利に切り離された死体。
切り飛ばされた頭部がどろどろと溶ける。
その中から這い出る影が一つ。


「油断、しちゃったなあ」

「マミさん、大丈夫ですか!?」

「ええ、この通り無事よ。飲み込まれたときはどうなるかと思ったけれど」

「良かった、良かったです……本当に無事で良かった…………」


液体を拭い取りながら立ち上がるその姿は、いつも通り。
どこかにケガをしている様子もなかった。
それを確認して、わたしは思わず安堵のあまり崩れ落ちてしまう。

マミさんが打ち上げられた瞬間、わたしの後ろで突風が起きたのは感じていた。
わたしに見えていたのは、一気に伸長した魔女が、その勢いのまま斬り飛ばされてマミさんを飲み込むところまでで。
すぐそこにあった最悪の事態が今更ながらに想像できて、一気に冷や汗が溢れ出て止まらない。
そして何故そうならなかったのかは、考えるまでもなく、明らかだった。

99: 2012/01/01(日) 13:23:26.46 ID:knSQZWSRo

「……美樹さん、ありがとう。あなたのおかげ」

「さやか、ちゃん」


わたしは無事なわたしの首を、機械のようにキリキリと回して彼方を見遣る。
結界の中に立つ影がもう一つ。
青い騎士装束を纏った魔法少女で、わたしの親友。
抜き身の剣をその手に握り締めて、少し離れたところで呆然と立ち尽くしている。


「さやかちゃん」

「大丈夫、まどか。聞こえてるから」


そこで結界は消えた。
再び病院がわたしたちの視界に戻り、いつもの世界を取り戻す。
違うのは二箇所。
地面に転がるグリーフシードと、魔法少女になったさやかちゃん。
いくつか深呼吸をして、二人の魔法少女は口を開く。


「マミさん、良かったです、無事で」

「助けられておいてこんなことを言うのも……ううん、だめだな、ありがとうね」

「あたしはきっかけが欲しかったんです。だから、大丈夫です」

「願い事は、ちゃんと考えていたのね?」

「はい」

100: 2012/01/01(日) 13:25:28.77 ID:knSQZWSRo

さやかちゃんの願い事。
その言葉が示す中身は一つしか思い浮かばず、それはキュゥべえによってすぐに肯定された。


「幸か不幸か、ここは病院だったね。確認してくればいいんじゃないかな?」

「あーそうだね、じゃあちょっと気になるしあたし行ってきます!」


そうさやかちゃんは言って、振り向いて駆け出し、そのまま転ぶ。
よく見たらまだ元の姿に戻ってもいない。
剣は手に握られたまま、深々と柄まで地面に突き刺さっていた。
うつ伏せになったその姿勢のまま、さやかちゃんは遠目に分かるほど、激しく震え出す。


「っは、はあ、はあ、っうう、あ」

「大丈夫!?」

「っう、あは、あはは、大丈夫、ごめ、ちょっとビビっちゃってさ」


何に恐れを抱いているかと聞かれれば、それはきっと明らか。
さっきの巨大な魔女本体、あれに自分の力で立ち向かったさやかちゃんの心中は、どんなものだったのか。
さやかちゃんはそれ以上何も言わない。
起き上がろうともせずただ震えている。
いや、起き上がれないらしい。

代わりに口火を切ったのは、魔法少女の変身を解いたマミさん。
手を差し伸べながら。
さやかちゃんがその手を取る様子は、ない。

101: 2012/01/01(日) 13:26:09.59 ID:knSQZWSRo

「怖いよね」

「そりゃ怖かったけど、もう倒しましたし、全然、大丈夫ですよ」

「そうじゃないわ」

「あちゃ、お見通しですか」

「通った道だもの」

「……あたし、今、なんなんですかね? さっき一瞬で10メートル以上跳んじゃいましたよ」

「魔法少女さ」


キュゥべえのその一言で場は静まり返る。
さやかちゃんはただ下を向き、地面に突き刺さった剣を抜こうとして悪戦苦闘している。
わたしは固まって、動けないし、声も出せない。


「素晴らしい力だろう? 願いを叶え、そして大切な人も守れたじゃないか」


「君は一体何に怯えているんだ。わけがわからないよ」


誰も口を開かない。
開く事はできない。
ただざくざくと、剣を掘り出そうと地面を刻む音だけが響き続ける。
立ち尽くすわたしたちから、風が体温を奪って逃げて行く。

102: 2012/01/01(日) 13:27:02.40 ID:knSQZWSRo


「……結局、何も出来なかったな」


さやかちゃんはそのまま、マミさんが連れて帰った。
話す事があると言って。
わたしはこうして一人家に帰り、夜の闇の中無力感に打ちのめされている。

さやかちゃんは覚悟していたのだろうか。
おそらくはそのつもりでいたのだろう。
だけどきっと、現実はそれほど軽いものではなかったのだろう。

じゃあ、わたしは?
わたしなんかよりずっと強いさやかちゃんが挫けそうになったものの前で、わたしは正気を保っていられる?
自信は、なかった。

魔法少女のことをマミさんから聞いたときは、とても興奮して、憧れた。
でもキュゥべえの話を聞いた途端、得体の知れない恐怖に襲われた。
またマミさんと話をしてなんとか勇気を取り戻せたけれど。
さやかちゃんの姿を見て、こうしてまた萎縮してしまっている。

あっちにいったりこっちにいったり。
本当、弱いなあと、情けなくって。

103: 2012/01/01(日) 13:28:51.42 ID:knSQZWSRo

「無理もないことだ」

「キュゥべえ」

「美樹さやかはちゃんと心を決め切る前に、反射的に契約を交わしたからね」

「それが分かっていて、あなたはどうして」

「あの場面で彼女の選択を責められる者はいないよ。そうしなければみんな死んでいたから」


どこからわたしの部屋に入ったのかは知らないけれど、そんなキュゥべえの吐いた言葉は、きっと事実で。
さやかちゃんはあそこにいた全員の命と引き換えに、魔法少女という存在になった。
また助けられた。
今度はマミさんだけじゃなく、さやかちゃんにも。
いてもたってもいられず、部屋着を脱ぎ捨てて着替えの用意をするけれど。


「やめておいたほうがいい」

「どうして」

「さやかは今、君に強く焦がれている。異常な力を持ったりしないただの一般人である君にね」

「っ、それは」

「今君が行っても、火に油を注ぐだけさ」

「じゃあ、わたしは、どうしたら」

「さて、それは僕に答えの出せるものではないね、ただ」

「ただ?」

「君がさやかの所へ行かなくとも、状況を窺う事くらいは出来る」

104: 2012/01/01(日) 13:29:59.35 ID:knSQZWSRo

「よーホム、元気にしてるか」

「にゃあああああ」

「紅茶、入ったわよ」

「あ、ありがとうございます」


マミさんとさやかちゃんの声が聞こえる。
結局わたしはキュゥべえに頼んで、マミさんと感覚を繋げてもらった。
覗き見のような形で、いい気はしないけれど。
それくらいには心配だった。

二人はただ座って、紅茶を飲んでいる。
マミさんもさやかちゃんも言葉を発する気配はない。
ホムも静かにさやかちゃんの膝の上で縮こまっている。
重い沈黙が部屋を満たしている。



たっぷりと時間を使って、マミさんが紅茶を飲み干して。
口を開いた。


105: 2012/01/01(日) 13:30:31.38 ID:knSQZWSRo

「治っていたの?」

「はい、しばらくは検査と様子見らしいですけど、特に問題なければ退院できるみたいです」

「そう」

「…………手、差し出してくれたんです」

「あなたの癒した手を」

「でもあたし、握り返せませんでした」

「それは」

「握り潰してしまいそうで」


わたしの声や挙動は、あっちには伝わらない。
だからわたしの息を呑んだ声は聞こえなくて、それはとても幸いだった。

106: 2012/01/01(日) 13:31:38.36 ID:knSQZWSRo


「わかってます、この力はちゃんと扱えればすごく素敵なものだって」


「マミさんみたいに、色んな人を救えるって」


「でもあたし、怖いんです。怖くてどうしようもなくて動けなくて考えられなくて」


「この力で誰かを傷付けちゃうのが、怖いんです」


「弱いんです」


「マミさん、あたし、あたしどうしたら強くなれますか」


マミさんはしばし黙り込んで。
でも沈黙の中で言葉を選んで、それに返事を。

107: 2012/01/01(日) 13:32:07.01 ID:knSQZWSRo


「私だって、強くなんかないよ」


「誰かの前でいい格好をしようとしているだけで、心の中では怯えてばっかり」


「今日だって死にかけてあなたに助けられて、きっと布団に入ったら震えが止まらなくて眠れない」


「でもね」


「それでも戦い続けるのは、魔法少女になった事を後悔したくないから」


「願いを叶えて、私は幸せになれたと、信じたいから」


顔は下を向いていて。
でも、どちらが合図をしたのかは分からないけれど、自然と視線が交差する。
さやかちゃんは泣いていた。
さやかちゃんの瞳に映るマミさんもまた、泣いていた。


「あたしも、後悔したくない、です」

「うん」

「これから、よろしくお願いします、先輩」

「うん」

108: 2012/01/01(日) 13:33:08.16 ID:knSQZWSRo

(マミさん、ありがとうございました)

(美樹さんのことはしばらく任せて。あの子、私の命の恩人になったし)

(はい、よろしくお願いします)


そう念じて、通信を打ち切った。
わたしの出る幕は、本格的になさそうだったから。

さやかちゃんはこれで、魔法少女として戦っていく事になるのだろう。
その命を賭して。
とても不安だった。
ベテランと言われるだけのマミさんですら、時にはああやって死に掛けてしまうのに。
でも今の私には、どれだけさやかちゃんが窮地に陥っても、祈る事しかできないのだろう。
ただの人間だから。


「君も魔法少女になれば、美樹さやかをすぐ隣で助けてあげられるけれどね」

「うん、それにマミさんとも、一緒に戦えるんだよね」

「魔法少女の共闘というのは結構珍しいんだけどね。グリーフシードの奪い合いになることもあるし」

「そんなことって、あるの」

「十分考えられるよ。グリーフシードでソウルジェムを浄化できなければ、君たちは力を振るえなくなるから」

「そんな、なんで魔女でもないのに……」

「人間の性とはそういうものさ、幸い、君たちにその心配はないだろうけど」

「そんなこと、絶対にしないもん」

109: 2012/01/01(日) 13:33:49.09 ID:knSQZWSRo

わたしも魔法少女になったら。
わたしとさやかちゃん、マミさん、三人がかりで魔女と戦っていけることになる。
とても危険であることに変わりはないだろうけど、それでも危険はきっと格段に減るだろう。
ただあとは、わたしが踏み出せるかどうか、それだけ。

さやかちゃんは踏み出した。
じゃあ、わたしは?

布団にくるまって、熱を体の底から感じながら、少しずつ眠りに落ちて行く。
頭の中で思考が止まる事はない。
その対象は願い事について。

わたしの記憶から消えた何か。
あなたを、わたしは、思い出せるかもしれないよ。


でも。



わたしはどうして、忘れちゃったの?



110: 2012/01/01(日) 13:36:11.78 ID:knSQZWSRo

眠い目を擦りながらいつもの集合場所へ歩いていく。
その足取りは少しばかり重い。
心配でたまらなかった、けれど。


「おっすまどか、昨日は心配かけてすまんかったね」

「さやかちゃん、もう大丈夫なの?」

「うん全然平気だよ! これからはマミさんと二人で見滝原の街をバンバン守って行っちゃいますよー」

「お二人とも、一体何の話をしてるんですの?」

「んふふ、二人、いやもう一人加えて三人の秘密のお話だよ」

「ふ、不潔です……」

「仁美ちゃん、変な事考えないで……」


翌朝会ったさやかちゃんは、いつも通りだった。
様子がおかしかったり、目元におかしなクマがあったりするわけでもなく。
それだけでわたしの心は少し軽くなった。


「今日の一限なんだっけ?」

「数学だったと思いますわ」

「げーしょっぱなから……っていうか宿題出てたじゃん手をつけてすらいない!」

「あはは、じゃあちょっと急いで学校行かないとね」

「うむ、書き写す時間が欲しいのう」

「ご自分でおやりになった方がいいと思いますわ」


そんな他愛もない話をしながら、いつもの日常を過ごしていく。
それはあまりに平和で、まるで昨日までの事件が夢か何かであるようだった。


111: 2012/01/01(日) 13:37:33.73 ID:knSQZWSRo

「ふああ終わったー」

「さやかちゃん、寝てただけ……」

「いやっははは、なかなか昨晩は寝れませんで」


終業を示すチャイムが鳴り響いた所で、ずっと眠っていたさやかちゃんが目を覚まし、大きく伸びをした。
寝れなかったというのは、やはり昨日のことなのだろうか。

朝見た感じではそんなことはなかったのに、と不思議に思い、怪しまれない程度に顔を覗き込んでみる。
すると目元には、うっすらと粉が流れたような跡があった。
つまるところ、そういうことらしい。
なんとか顔には出さなかったが、それも仕方ないと言うか、当たり前のことなのだろう。
こうして元気に振舞っていることも、すごいことなのだから。


「さって、あたしは行かないと」

「珍しいですわね、どちらに行かれるんですか?」

「んーちょっと年上の先輩が出来てね、その人と街に遊びに行くのだよ」

「ま、まあ、まどかさんだけではなく年上の方まで」

「仁美ちゃーん違うからね……」

112: 2012/01/01(日) 13:39:26.25 ID:knSQZWSRo

マミさんと一緒に街のパトロール、ということだろう。
魔法少女になったさやかちゃんは今から、戦う相手を探して街を歩き回るのだろう。
分かっていた事だけれどもやっぱり、つらくて。


「美樹さん、いるかしら?」

「あーマミさん、今行きます!」


そしてそのマミさんが顔を出して、わたしと仁美ちゃんに軽く挨拶をして、さやかちゃんを連れて行って。
さやかちゃんはまた明日ねーと言い残して、歩き去っていった。
わたしはその背中を見送る。
ただがんばってと、聞こえないような大きさで呟く事くらいしかできなかった。


「まどかさんは、この後は?」

「わたしはリハビリがあるから、病院に行かないといけないかな」

「それならばお付き合いします。私も病院に用がありますし、一人で歩かせるのはまだ不安ですわ」

「うん、ありがとう」

113: 2012/01/01(日) 13:40:41.78 ID:knSQZWSRo

「さっきの方、いつかお会いしましたわ」

「わたしが交通事故に遭った時、助けてくれた人だよ」

「紅茶を頂きました、いつかちゃんとお礼をしなければと思っていたのですが」

「うん、ちゃんと紹介するよ」

「よろしくお願いします。それにしても、まどかさんもかなり歩けるようになって、何よりですね」

「人間ってすごいなーって思う」

「そうですわね、本当に」


病院へと歩く道のりは、あまり苦ではなくなっていた。
松葉杖を使い、少しおぼつかない足取りではあるけれど、ちゃんと自分の力で前に進める。
素直に嬉しかった。
春の風はまだ少し冷たい。
だけど寒いと感じない程度には温まっていて。
すぐ隣を通り抜けていく車にも、恐怖はあまり覚えなくなっていた。

114: 2012/01/01(日) 13:41:39.55 ID:knSQZWSRo

「そういえば、仁美ちゃんは病院に用があるんだよね」

「そうですね、私用ですが」

「どうしたの? ケガしたとかじゃ、ないよね」

「ふふ、ご心配ありがとうございます。もっと嬉しい事ですわ」

「嬉しい事?」

「実際の所、まどかさんはご存知かもしれません」


そう前置いて。
確かにわたしのよく知る所の事実を口にする。


「上条恭介さんの腕が、治ったそうなんです」

「うん、さやかちゃんから聞いたよ」

「何度かお見舞いに上がったのですが、その時はとても治らないだろうと言われていたんです」

「一緒にリハビリしたりしてたんだけど、つらそうだった」

「それが治ってしまったのですから、奇跡という物もあるのかもしれませんわね」

「…………そう、だね」

115: 2012/01/01(日) 13:42:08.77 ID:knSQZWSRo

上条くんがどれだけ苦悩していたか、その片鱗はわたしも知っている。
最も近しく親しいはずのさやかちゃんに対して八つ当たりをしてしまうくらいのものであると。
どうか治って欲しいと思っていた。
そしてその願いは現実に叶えられた。
さやかちゃんが魔法少女になるという代償を払って。
快癒の報せは喜べるものであるはずなのに、今のわたしには、とてもそうはいかなかった。


「まどかさん、どうかされましたか?」

「あはは、ちょっと疲れちゃって」

「これからリハビリでしたよね? 無茶はいけませんわ、少し休みましょう」

「ううん、これからリハビリなんだから、これくらいでへこたれてられないよ。がんばる」


もしかしたら今頃は、さやかちゃんも命懸けで戦っているかもしれないから。
わたしが弱音を吐く訳にはいかないよね。

116: 2012/01/01(日) 13:42:56.27 ID:knSQZWSRo

「上条くん、良かったよ、本当に」

「おめでとうございます」

「ありがとう、二人とも。治らないと宣告されていたから、本当に嬉しいよ」


上条くんとは、奇しくもリハビリをしていた部屋で会った。
もう必要はないと分かっているらしいのだが、つい習慣で来てしまったそうだ。
それだけの時間をここで過ごしたんだろう。
愛おしそうに機器やら何やらを撫でていた。


「鹿目さんや、さやかのおかげかな。諦めないでここに通えたから」

「わたしなんて、何もしてないよ?」

「そんなことはありませんわ」

「志筑さん」

「私がお見舞いに来た時、まどかさんのことをとても羨ましそうに話していらして」

「わたしのことを?」

「まず助からないようなケガをしたのに、生き延びて、しかも歩けるようになるまで努力した凄い人って」

「志筑さんってば」

「ふふ、申し訳ありません」


からからと笑う妙に仲の良さそうな二人。
まあ上条くんは、誰に対してもこんな感じではあるのだけど。
ただその横顔は本当に幸せそうで、邪魔をすることはできなかった。


「よいしょ」

「あ、僕も付き合うよ。せっかく来たんだしね」

「うん、それがいいと思う」

「では私は、お飲み物でも取ってきますわ」

「助かるよ、ありがとう」

117: 2012/01/01(日) 13:43:55.47 ID:knSQZWSRo

「ねえ、上条くん」

「何だい?」

「お願いがあるんだ」


仁美ちゃんは席を外している。
話をできるのは、このタイミングを除いて他になかった。
わたしが口を出すのはお門違いかもしれないけど、何もしないでいるのは、イヤだった。


「さやかちゃんのこと、許してあげて欲しいんだ」

「……ああ、あのことだね」

「さやかちゃん、不器用だけど、いつも必死なだけだから」

「大丈夫だよ」

「え?」

「あれは僕の八つ当たりだ。さやかに悪気がないことくらいは、僕だって分かってる」

「じゃあ」

「ちゃんと謝るよ。だって、彼女は僕の大切な」


廊下に足音が聞こえる。
横で手を曲げ伸ばしする上条くんに、気付いている気配はない。


「幼馴染だからね」


そして仁美ちゃんが部屋に入ってきて、飲み物を渡してくれて。
その場はお開きになった。
それ以上を追求する事は、わたしにはできなかった。

123: 2012/01/02(月) 16:01:03.39 ID:NhZcWyz0o

お稽古事があるという仁美ちゃんと別れて、わたしは一人帰路に付いていた。
結構リハビリも疲れるもので、あまり体力があるわけでもない体はへとへとで。
それでもこの人を見かけたら、声を掛けない訳にはいかなかった。


「マミさん、お疲れ様です」

「あら、鹿目さん」

「パトロールですか?」

「ええ、そんなところ」

「さやかちゃんは一緒じゃないんですね」

「美樹さんは今、隣街にいるの」

「隣街?」

「魔法少女がいるって話したら、会いに行くって聞かなくて」


ケンカになったりしてないといいんだけど。
唐突にそんなことを思ってから、さすがにさやかちゃんに失礼だと思い直し、意識の外へ追いやる。
わたしはわたしのことを考えようか。

124: 2012/01/02(月) 16:01:49.82 ID:NhZcWyz0o

「パトロール、付いて行っていいですか」

「危険だってことくらいは承知してるよね?」

「はい」

「それなら約束して」

「約束、ですか?」

「ええ」


頷いたマミさんは、少し角度を変えて遠くを見やる。
そちらはおそらく、さやかちゃんが向かったという隣街の方角で。


「結界を発見したら、すぐに逃げるって」


そのお願いの持つ意味ぐらいは、いくらわたしでも理解できる。
一人の魔法少女がマミさんの目の前で生まれた事。
おそらくはマミさんが陥ったピンチが、その出来事を引き起こしたから。
あの時さやかちゃんの瞳の中で泣いていたマミさんはきっと、何よりもそれを後悔していたのだろう。
責任感の強い人だから。
そして目の前にいるのがそんなマミさんだからこそ、わたしにこう答える以外の選択肢はなかった。
マミさんの肩の上にいるキュゥべえに軽く視線を合わせ、そしてまた戻す。


「大丈夫です」

「オーケー、行きましょう」


当たり前です。
そんなこと、できません。

125: 2012/01/02(月) 16:03:47.08 ID:NhZcWyz0o

そして異変に気付くのに、時間は掛からなかった。


「仁美ちゃん、ねえ仁美ちゃん! どうしちゃったの!?」

「鹿目さんではありませんか。あなたも一緒に参りましょう。とてもすてきな場所にご案内して差し上げますわ」

「ごめんなさい、この子私とこれから用事があるのよ」

「あら、残念ですわね」


少し前に病院で別れたはずの仁美ちゃん。
ちょっと時間を空けて再会してみれば、瞳に生気はなく、虚ろな顔をして、ふらりふらりと彷徨っている。
明らかに異常だった。

それなのに、ごめんなさいねと言いながら、マミさんはわたしの手を強く引いて仁美ちゃんから引き剥がす。
とても従えたものではないけれど、その力は強く為すがままに引っ張られてしまう。
あんな状態の仁美ちゃんを、どうして放っておけるというのか。


「落ち着きなさい」

「だって、だって」

「ふむ、魔女の口付けだね。それも比較的強力な」

「ちょっと厄介ね」

「へ?」

「魔女は呪いによって人々を殺す、その第一段階といった所だよ。いつかマンションから飛び降りた人を見ただろう?」

「じゃあ、尚更放っておいたら!」

「よく周りを見て」

126: 2012/01/02(月) 16:06:21.26 ID:NhZcWyz0o

促されるままに辺りを見渡せば、そこには驚くほどの人の波。
その全てが亡者のように一方向に行進している。
何よりも先に感じるのは、ただ恐怖のみ。


「っ、あ」

「全員口付け済みね。幸い、今すぐにどうこうというよりは、ある場所に引き寄せられているみたい」

「じゃあ、そこに」

「結界と魔女がいるだろうね、この強さならグリーフシードも持っていそうだ」


そしてマミさんは、わたしに背を向けてその一団に混ざっていく。
ようやく恐怖を振り払ったわたしも、その後姿に続こうとして。
強い口調で発せられた一言に体を縛られる。


「帰りなさい」

「わたしだって、仁美ちゃんのことが心配なんです」

「聞き分けなさい。約束したでしょう」


決して振り返ろうとはしない。
そして、決して自分の意見を折ろうともしない。
最初に約束した事もあり、これ以上粘る事は出来なさそうだった。


「あなたはあなたの事を考えなさい。あなたのお友達は、何があろうと絶対に死なせたりしないから」


そう言って雑踏へと消えていく。
その群集の中で。
マミさんの肩にいて頭の抜けていたキュゥべえが、一つこちらに目配せをする。

どうやらキュゥべえにはバレていたらしい。
だからと言って行動を変えるわけにもいかない。
ひとり静かに、脇道へと入って行った。

127: 2012/01/02(月) 16:09:04.71 ID:NhZcWyz0o

こっそりと集団を尾行して、着いたのは街外れの工場跡。
ある倉庫の、下ろされたシャッターの内側には、おそらく仁美ちゃんやマミさんと、他大勢の人たちがいる。
どうにかして中まで入りたいけど、さすがにこれを上げたらバレてしまうだろう。
さて、どうしよう。


「うう、いくらなんでも正面からは入れないよね……わっ!?」


がっしゃあんと。
そんな不安をよそに、倉庫の中から何かが割れるような音が聞こえる。
あれはガラスか何か、そういえば窓のようなものがあるかもしれない。
運が良ければ、そっちから入れるかも。


「ちょっと怖いけど、行かないと」


ガラスを割って放り出されたと思しきバケツを傍目にして、倉庫の側面に目を凝らす。
そうして見つけた割れた窓の窓枠にしがみつき、中を覗き込んでみた。
下半身をふと心配したが、もうそういう行動を取っても問題ないようだった。

中には変身したマミさんと、各々武器を取って襲い掛かる暴徒たち。
でもマミさんは全く動じず、銃を呼び出すこともなく、リボンで次々に縛り上げて意識を奪っていく。
そして最後の一人、仁美ちゃんを締め落とした所で、こちらに視線をやることなく言葉を飛ばしてきた。

128: 2012/01/02(月) 16:10:16.75 ID:NhZcWyz0o

「やっぱり、付いて来たのね」

「ひゃあ!?」

「あれほど帰りなさいと言ったのに、鹿目さんはウソつきだな」

「ご、ごめんなさい……」


やっぱりということは、初めから予想はされていたのか。
隠れている意味もなくなり、しがみついていた窓から降りようとして。
リボンに体の自由を奪われる。


「きゃっ!?」

「ごめんなさいね、これ以上あなたを巻き込めない」

「マミさん、でも、わたし」

「言ったでしょう、あなたはあなたのことを考えてと。お願いだから私のことなんて」

「イヤです! マミさんだっていつか死んじゃう、その時にわたしが何もしないでいるのはイヤなんです!!」

「あなたの気持ちは嬉しいけど」

129: 2012/01/02(月) 16:11:09.85 ID:NhZcWyz0o

わたしの視界にあるのは、マミさんの背中。
その顔は当たり前ながら、見えない。


「マミさん、こっち向いてください」

「できるわけないじゃない」

「どうしてですか」

「こんな、こんな顔、見せられる訳ないじゃない」


そうしてマミさんは、結界へと歩いていく。
わたしの拘束は緩まない。
締め落とされるかと覚悟したが、その気配はなく、これ幸いと声の限りに叫ぶ。


「マミさん、ほどいて、ほどいてください!」

「私が間違ってた。あなたをこんな道に誘うべきじゃなかった」

「こんな道って何ですか! マミさん、魔法少女になったこと、後悔していないんでしょう!?」

「あなた、魔法少女になること、まだ怖いでしょう」

130: 2012/01/02(月) 16:11:57.81 ID:NhZcWyz0o

質問には答えず、逆にこちらへの質問を投げ返してきた。
そしてそれは、思いっきりわたしの心に突き刺さる。


「友達が魔法少女になって、置いていかれたと思ったのよね」


「叶えたい願いもあって、だけどあなたの心は恐怖に揺れて定まらない」


「だから後押しが欲しい。私を助ける、友達を助ける、そういう後悔の残らないような理由が欲しい」


「でも、そんな心構えでは、魔法少女は務まらないわ」


押し殺して見ない様にしてきたあれやらこれやら。
何もかもマミさんはお見通しだった。
どこまでも汚く、弱い心を見透かされたわたしは、声も出せずただ口を開閉する。


「その優しさはきっと素敵なもの。そしてその臆病さもきっと人間として当たり前に持っているもの」


「私はそれを責めるつもりはないよ」


「だからこそあなたは、人間として生きなさい」


「暴れないでね。暴れなければ、ケガをすることもないわ」


「戻ってきたら、ほどいてあげるから」


そしてマミさんは結界に消えていく。
その背中をわたしは、ただ呆然と見送る事しかできない。
暴れるような気力はもう、どこにも残っていなかった。

131: 2012/01/02(月) 16:12:49.04 ID:NhZcWyz0o

魔法少女になりたいと思ったのは、事実。
記憶から消えた何か、それを思い出したいと考えているのも事実。
さやかちゃんに置いて行かれたと思ったのも、また事実。
そしてマミさんやさやかちゃんに死んで欲しくないのも、当然の事実。

そして。
わたしが弱いあまりに契約へと踏み切れず、二人を助けるという後押しで誤魔化そうとしたのも。
厳然たる事実であり、何も言い返せるものではなかった。

リボンに包まれて考える。
考えてはいるものの、何を考えているのかすら定かではない。
ぐるぐると漠然とした恐怖、そして漠然とした義務感が漂っている。
魔法少女になってはいけない。
魔法少女にならなくてはいけない。

そこにはわたしの意志だけではなく、何か別のものが介在しているようで、それでいて霧の様に掴めない。
五里霧中。
結局、わたしはどうしたいのか。
考えても答えは出ない。
答えが出る前に、現実はわたしを選択肢へと突き落とす。

132: 2012/01/02(月) 16:14:26.86 ID:NhZcWyz0o

しゅるりしゅるりと、リボンが解けて消えていく。
少し高い所で拘束されていたわたしは、高さのまま地面に落ちてその衝撃に顔をしかめるけれど。
肝心なのはそこじゃない。
視界にマミさんがいない。
結界からマミさんが戻ってくる様子は、ない。
その意味は。
頭でそれを理解するよりも早く、自由になった両手で携帯を取り出し、よく知る番号に通話を掛ける。


「っさや、さやかちゃん、マミさん、マミさんが!?」

『分かった落ち着け! 分かったからまずは落ち着いて状況をしっかり話して!』

「今街外れの工場跡で、結界があって、リボンで捕まって、ほどけて、マミさんがいないの!」

『……全然分かんないんだけど、マミさんがピンチっぽいことは分かった』

「とにかく早く来て、早くしないと、早くしないとマミさんが、キュゥべえもどこにもいないんだもん!」

『了解、街外れの工場って言うとあそこね。あんた変な気起こすんじゃないよ!』


そこで通話は切れる。
本当に自分でも、何を言っているのかよく分からない。
ただ分かるのは、これで全部終わったというわけでは全くないこと。

133: 2012/01/02(月) 16:15:05.53 ID:NhZcWyz0o

「美樹さやかに連絡したのは、いい判断だ」

「っあ、キュゥべえ、マミさんは」

「囚われたよ」

「生きてるの!?」

「ここの魔女はなかなか悪趣味でね。心の中を覗き込んで嬲るのが好きみたいだ」

「心の中って、じゃあマミさんは」

「君とやり合って相当に消耗していてね。戦う間もなく、内側からへし折られてしまった」

「そんな、それじゃ、わたし」

「まあ、君が追い詰めたようなものだね」


いつの間にか結界の外に現れていたキュゥべえ。
その子の話すことは、尽くわたしの心を引き裂いていく。
ほんのちょっとの希望と、圧倒的な絶望で。

134: 2012/01/02(月) 16:16:02.12 ID:NhZcWyz0o


「でも、これは君が望んでいた未来ではないのかい?」


「マミは窮地に陥った。そして、君には彼女を助ける力があるじゃないか!」


「さあ、何も恐れる事はない」


「僕と契約して、魔法少女になってよ!」



どこまでも自分が恨めしい。
こんな状況を期待して、わたしはマミさんの後ろを付いて行こうとしていたのか。
臆病なわたし。
ここまで来てまだ、マミさんの命が危険に晒されてなお、わたしは足踏みをしている。
決意なんて、ちっともできていない。
でも。
何もしなければ、もしかしたらマミさんが死んでしまうかもしれない。
わたしのせいで。
わたしのせいだ。

135: 2012/01/02(月) 16:16:54.89 ID:NhZcWyz0o


「ううう、うあああ、ああああああああああ」


「あぅぅぅああああ、うああああああああああああああ、あああああああああ」


「ああああああああああああ」


両目から涙がぼろぼろと溢れ出す。
恐怖に顔は歪み、体は震え、とても立っていられない。
そんなことをしている間にも、時間は過ぎていく。
マミさんがマミさんとして生きている、貴重な時間が過ぎていく。

へたり込んだわたしの手に触れる何か。
それは割れたガラスの欠片だった。
ちくりと指に感じた痛みは、一瞬だけわたしを現実に引き戻す。
そしてわたしは、一際大きい欠片を握り締め、


「っうわあああああああああああああああああああああああああっ!!」


力の限り、お腹へと突き刺した。
溢れる血と駆け巡る激痛。
頭の中すべてをそれで塗り替え、押し流し、ほんの少しの間だけ空っぽにする。

136: 2012/01/02(月) 16:17:32.50 ID:NhZcWyz0o

思い出すのは、いつか事故に遭った時のこと。
あの時わたしは猫を助けて死にかけて、そしてマミさんに助けられた。
その時に思った。
わたしも誰かを、誰かの命を助けられるんだと。
そして誰かをまた、助けたいと。
出来る事ならば、わたしを助けてくれたマミさんを助けるような形で、恩返しをしたいと。

わたしの考えていた事は、どうしようもない弱虫で臆病者のそれだと思う。
自分で歩き出せないから背中を押してもらおうだなんて。
でもこれまでわたしが何を考えていようと、どんな行動を取っていようと。
大切な人が窮地に陥っているのならば、やるべきことは一つのはずだ。

必要なのは、ほんの少しの勇気。
大切なものを守り通したいと、ただそれだけの簡単な気持ち。
そして、願い。
わたしを突き動かす何か、欠けてしまった記憶の欠片、それを取り戻したいと思う単純な気持ち。

それら全てを縒り合わせて。
かすむ視界と意識の中、一字一句漏らさぬよう、口にする。


「キュゥべえ」


「わたしの願いを、どうかかなえて」


「欠けてしまった記憶を取り戻したい。なくしてしまった勇気を取り戻したい」


「そして今度こそ、わたしはわたしの力で歩いてみせるから」


見えたのは、光。
お腹の熱は次第に消えて、全身に力が漲り、体が内から外から変わっていく。
そしてわたしの頭の中に、忘れていた記憶を呼び戻す。

137: 2012/01/02(月) 16:18:31.68 ID:NhZcWyz0o

「こんなことは、僕も初めてだよ」


「君にも同じ光景が見えているのかな」


「君の記憶は確かに欠けていた」


「しかし、欠け方が尋常ではないね。こんなに強い意志と力で消し去られるとは」


「残念ながら、君の力では、その全てを復元することはかなわなかったよ」


「まあでも、君が知りたい事は知れたんじゃないかな?」


「そうだ、君が――――名前も出てこないか、彼女を」





殺したんだね。





決意とわずかな勇気は、絶望によって塗り潰される。
その言葉が事実であると理解できてしまうわたしは、何も言えず、ただ崩れ落ちる。

138: 2012/01/02(月) 16:19:39.50 ID:NhZcWyz0o

「――――ッあああああああああああァァァァァァああああアアアアアアアアッアアアア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」


そして、叫んだ。
もう何も考えられない。
ただ罪悪感がどうしようもなく膨張し、心を黒く塗り潰していく。


「ほら、何を叫んでいるんだ」


「君は願いを叶えて魔法少女になったんだ。やるべきことがあるだろう」


「早くしないと、死んでしまうよ?」


脳裏に蘇ったのは、わたしが彼女を抱いているところ。
その体が溶けてなくなっていくところ。
わたしは何度も何度も謝っている。
ごめんねと、ごめんねと止め処なく繰り返している。
あなたを殺してしまって。

そして今は、マミさんを殺そうとしている。
同じようなものだ。
マミさんを追い詰めてしまったのは、間違いなくわたしだから。

手も足も頭も何もかもが動かない。
見れば手に入れたソウルジェムは、もうどす黒く濁っていた。
なんとも、あっけないなと思って。


「――――――――――――寝てろバカ野郎ッ!」


よく知った声が響き、首筋に何か衝撃を受けて。
意識が飛んだ。

145: 2012/01/04(水) 00:19:51.85 ID:4PHCwqlYo

【Side:美樹さやか】

ガタンゴトンと電車が揺れる。
あたしは今、マミさんから隣街にいるという魔法少女の話を聞き、そいつに会いに向かっている。
随分と妙な魔法少女らしい。
自分とはかなり考え方が違うとこぼしていたマミさんの姿を思い出す。
あたしにとっての理想はマミさんで、だからこそ、それとは違う魔法少女を見て、話をしてみたかった。

現状確認は、それでオーケー。
今気になってるのは、いきなり会いに行って、変な奴だと思われたりしないだろうかということ。
いやまあ、十中八九思われるだろう。

何と切り出せばいい?
戦い方を教えてください、あたりが無難な線だろうか。
あたしは剣、そいつは槍らしく、お互いに近接型ということでそれなりに妥当な理由になりそう。

まあ、偶然を装って知り合うのが一番なのだが、それ以外の相手の情報が少なすぎてどうしようもない。
唯一分かっているのは、人相と名前くらいで。
赤く長い髪をポニーに結んだ、少し目つきの悪い(らしい)少女。
名前は、


「…………佐倉、杏子だっけ」


名前を復唱した辺りで、目的地に到達したアナウンスが流れる。
慌ててシートを立ち、電車を降りた。

まずは接触しないと、話を聞くも戦い方を聞くもあったものじゃない。
ひとまずは街の中を歩き回って、彼女、あるいは魔女のいた跡を探してみよう。
そのついでに練習が出来れば、それに越した事もないし。

146: 2012/01/04(水) 00:20:35.15 ID:4PHCwqlYo

気付けば、夕方だった。
知らない街を歩き回るのは、それだけで中々面白くて、途中からは体よく散歩を楽しんでしまって。
結局、探し人どころか、魔女や使い魔を見つけることすらできなかった。
それはつまり平和ってことで、それだけ喜ばしい事なのだけれど。

ひとまずは駅に戻ろう。
マミさんに約束したため、夜になる前には戻らないといけない。
せっかく一緒に戦うと約束したのだから、それをあたしの方から破るのは、さすがに申し訳なかった。
ただしそれには一つ問題があって。


「どこよ、ここ」


完全に迷っていた。
日中は色々と人の流れがあって、どこに行くにも適当に付いて行けばよかったけれど、さすがにそうはいかない。
周囲に人気は、びっくりするほどなかった。
いや、なさすぎた。
それはつまり、そういうことだった。


「そういえば夕方は色々ヤバイんだ、気を付けてって言われたばっかなのに」


ぐらりと世界が歪み、人ならざるものの気配が周囲を満たす。
その圧力は使い魔のそれではない。
腕試しと言うには少々手に余りそうだったけれど、無理矢理に恐怖を押し殺して、ソウルジェムを輝かせる。
一人で戦うのはこれが初めてだけど。
あたしのやるべきことはこれだからと言い聞かせて。
飛び掛かった。

147: 2012/01/04(水) 00:21:17.54 ID:4PHCwqlYo

「ったく、見てらんないよ」

「ありがと、助かった」

「あんた新米? 見ない顔だけど、この辺あたしの縄張りだって知ってんの?」

「マミさんから聞いてる」

「あーあいつ、ってことは見滝原から来たのか?」

「うん、あんた佐倉杏子でいいんだよね」

「そーだよ」


一人での初陣は結局、ちっとも敵わずに終わった。
死にそうになった所で、探していたどうやらその人らしい魔法少女に助けられ、今に至る。
グリーフシードはこの子が持って行くことになったが、さすがに異存がある訳もない。

ぶっきらぼうに応対する佐倉杏子という魔法少女。
でもその実力は本物で、あたしが苦戦していた魔女をあっさり倒してしまった。
体勢を崩す一撃と、スピードに乗せた一撃の計二発。
今のあたしには、どっちも到底真似できっこない芸当。

148: 2012/01/04(水) 00:21:44.54 ID:4PHCwqlYo

「何しに来たの? まさか連れ戻しに来たとかそんなバカ話じゃないよね」

「何で連れ戻すのさ、あんたはこの街守ってるんでしょ」

「まあそうなんだけど」

「あんたに頼みたい事があって」

「はあ? あたしに?」

「さっき見たとおり、あたしまだ新米で、どうしていいのかさっぱり分からなくてさ。
 その、できれば、どうやったら上手く戦えるのかとか、教えてもらえたら、なんて」

「いや、んなもんマミに聞けよ」


結構真面目に考えた理由だったのに。
ばっさりと切り捨てられてしまった。

149: 2012/01/04(水) 00:23:26.29 ID:4PHCwqlYo

「う、それは確かにそうなんだけど、マミさん銃であたし剣だから、どうにもよく分かんなくって」

「槍と剣も全然違うっての」

「ううう……」

「そもそも、同じ武器扱ってたにしてもさ、何であたしがあんたに教えたりしなきゃいけないんだよ」


これまでは正論ばかりで言い返すことも出来なかったけど。
その一言には、何かトゲを感じた。
そのトゲはどんどん大きくなり、気付けば敵意となってあたしに突き付けられている。


「もしかして、魔法少女はみんななかよしこよしとか思ってるお花畑の住人さん?」


「じょーだんじゃないって。あたしたちはグリーフシードを奪い合う敵なんだよ、敵」


「そんなことも教えてないのか、マミの奴は」


「とっとと消えなよ。あたしの気が変わらない内にさ」


膨らんだ敵意は長大な槍を形作り、その先端はあたしの目と鼻の先に。
構えた仕草も、気配すらも感じず、ただそこに。
一拍遅れて、背中から嫌な汗がどくどくと噴き出す。

150: 2012/01/04(水) 00:24:39.70 ID:4PHCwqlYo

確かにマミさんとは、余りにもタイプの違う魔法少女だったようだ。
震える声を自覚しながら、それでも否定したいその一言に、子供のように抗う。


「じゃあ、なんであたしのこと、助けてくれたの」

「……あまりにも弱いから、巻き込まれた一般人かと思っただけ」


取り付く島もない。
反論したかったけど、今のあたしには何もかも足りなかった。
歯を食い縛りながら、視線を外し、一歩後ろに下がろうとして。

プルルルルル。
空気を破って、携帯がいきなり鳴り響く。
正直言ってだいぶ驚いたけど、なんとか表情に出さず、槍を挟んだ向こう側に問い掛けた。


「出ていい?」

「好きにしやがれ」

151: 2012/01/04(水) 00:26:43.23 ID:4PHCwqlYo

電話の向こうは完全にパニックに陥っていた。
声の主は間違えようもないが、その慌てようは、何かの間違いであって欲しいくらいだった。


『っさや、さやかちゃん、マミさん、マミさんが!?」

「分かった落ち着け! 分かったからまずは落ち着いて状況をしっかり話して!」

『今街外れの工場跡で、結界があって、リボンで捕まって、ほどけて、マミさんがいないの!』

「……全然分かんないんだけど、マミさんがピンチっぽいことは分かった」

『とにかく早く来て、早くしないと、早くしないとマミさんが、キュゥべえもどこにもいないんだもん!』

「了解、街外れの工場って言うとあそこね。あんた変な気起こすんじゃないよ!」


携帯の通話モードを切り、一度深呼吸をして状況を整理する。
情報は聞き出せた、が。
何をするべきか頭では分かっていても、体がそれに付いていかない。
マミさんがピンチ。
それは魔女がそこにいるということ、そしてその相手を出来る人がいないということ。
それはつまり。


「行かなきゃ」


そこまで考えて、さっきまで話していた相手の方を振り返る。
佐倉杏子は、槍も下ろし、変身も解き、こちらに背を向けてぼんやりと空を眺めていた。
頼れないか。

152: 2012/01/04(水) 00:27:27.33 ID:4PHCwqlYo

「もう一個頼みがあるんだけど」

「お断りだ」

「まだ何も言ってないじゃん。マミさんがピンチらしくて」

「知るかよそんなの」

「あんた、マミさんの弟子だったんじゃないの」

「昔の話」

「……じゃあ、もう、いいよ」


時間の無駄だったらしい。
踵を返して、駆け出そうとして。
すぐに足を止めた。
このまま我武者羅に走っても、とてもマミさんのところに辿り着けそうにはない。


「駅の方向だけ」

「あっち」

「さんきゅ」


指で示してくれた方向を睨んで。
駆け出した。


「……クソが」


背中越しに聞こえた声には、苛立ちが含まれていたけれど。
何を言ってるのかはもう分からなかった。

153: 2012/01/04(水) 00:28:59.36 ID:4PHCwqlYo

走っても走っても、周囲の光景は変わっていかない。
時間はないのに。
こうしてる間にも、マミさんやまどかが、ピンチに陥っているのかもしれないのに。

どうしよう。
頭は焦りで動かないため、ひとまず足を動かし続けることにして、結局事態は打開されない。
そして突き当たったT字路を右に曲がったところで、街灯の上から声が飛んできた。
声の主は、さっきまで話していたはずの、真っ赤な魔法少女。


「バカかてめーは」

「あんた」

「ついさっきまで槍を突き付けてた相手が、素直に方角なんか教えてくれると思うのかよ」

「なに、ってことは」

「おまけに呑気に道なんて辿るしさ。下手すると信号に踏切まで守る勢いだね、時間もないのにさ」

「バカにしやがって何しに来たんだよ、騙されたあたし笑いに来たっての!?」

「まあ、それもいいかもしれないんだが」

「……ぶっ飛ばしてやる」

154: 2012/01/04(水) 00:30:19.10 ID:4PHCwqlYo

頭に血が昇るのがはっきりと分かる。
どうやらこの子は、とても協力なんて仰げる子ではなかったらしい。
そう言えばマミさんも、あたしを止めようとする素振りを見せていたと思う。
あたしが傍にいれば、こんな子に会いに来ようと思わなければ、こんな事にもならなかったかもしれないのに!


「落ち着けよ。同じ醜態なら、マミの野郎のを見てやるのもいいと思ってな」

「えっ、ちょっと」

「ほら選べ。このまま時間切れになるか、もう一度あたしのことを信用してみるか」


その血は思わぬ言葉に冷やされ降りていく。
そして道にすら迷う有様のあたしに、選択肢なんてある訳もなくて。


「……信じる」

「物好きなヤツだな。場所教えろ」

「見滝原の工場跡。だいぶ前に操業停止した」

「ああ、あそこね。んじゃ飛ぶからしっかり掴まってろ」

「飛ぶって何ひゃああああああああ!?」

「魔法少女なんだろお前、これくらい出来ないでどうするんだよ」


手を掴まれて、そのまま一気に空へと飛び出した。
勢いの元は槍。
何がどういう理屈なのかは分からないが、巨大な槍に牽引される形で、あたしたちは空を飛んでいる。


「条理を超えた存在なんだろ、あたしたちってのはさ」


とてもまずい状況にいるのは確かだし、こいつはろくでもない奴であるはずなのに。
見せ付けられた力を前にして、どこか高揚しているあたしがいた。

155: 2012/01/04(水) 00:31:31.55 ID:4PHCwqlYo

「ほら、もう着くぞ」

「ちょっと、こ、これどうやって降りるの?」

「あ? 飛び降りるんだよ」

「は!?」

「口は閉じてな、舌千切れるよ」


空中に居た時間は数分もなかったかもしれない。
言うや否や、下方向へと一気に飛ぶ。
慣性に従って強烈な速度で落下するあたしの視界は、何もかもが光の尾を引く直線になってもう何が何だか。
ただ出来る限りの手を尽くして、身を守ろうと力を外に放出して。
重力に引かれるまま、少し空いたスペースに、とてつもない勢いで突っ込んだ。


「う、ううう……あれ?」

「こんなモンで魔法少女が死ぬかっつうね、ビビってんじゃないよ」

「っそんな事言ってる場合じゃない、マミさんとまどかは!?」

「多分あの倉庫、行くよ」

156: 2012/01/04(水) 00:32:21.74 ID:4PHCwqlYo


「――――――――――――寝てろバカ野郎ッ!」


中に入るなり見えたものは、聞こえたものは、この世の物とは思えない声で叫び続ける親友。
その姿は、誰がどう見ても、魔法少女のそれだった。
不安が胸を埋め尽くし、体が動くに任せて、まどかの意識を奪う。
力加減は心配だったが、とてもそんなことは言っていられなかった。

意識を失ったまどかを床に横たえると、一緒に突入した杏子の姿を探す。
彼女はすぐに見つかり、そしてまたすぐに視界から消えていく。
結界の中に沈んでいく。


「ごめんまどか、ちゃんと起こしてあげるから」


目まぐるしく移り変わる状況に頭の整理は付かない。
ただ杏子の後を追おうと思って。
余計なことを考えるまいと首を振って、視界の隅に、一つの存在が映りこむ。


「危ない所だったね」

「キュゥべえ。あんたまどかに何したの」

「僕は彼女の願いを叶えただけさ」

「まあいいや、あとでしっかり聞く」

157: 2012/01/04(水) 00:33:47.88 ID:4PHCwqlYo

聞くも何も、今言った以上のことはないんだけど、と不思議そうに首を傾げるキュゥべえ。
これ以上は時間がもったいなく感じて、結界へと足を向ける。
回りには恐らく魅了されたらしい一般人が大量に眠っている。
その中には恐ろしい事に、仁美の姿もあった。

その事実は強烈なショックだったが、しかし、気絶しているという事は今は大丈夫だろう。
だが逆に、一刻も早くこの魔女を倒してしまわないと、目を覚ましたら何をするとも分かったものではない。
まどかをそんな場所に放っておいていいものか、少し悩んで。


「……連れて行こう」


背にまどかの小さい体を抱え、半ばまで黒く濁ったまどかのソウルジェムをしっかりとしまった。
その軽い軽い体は、だけど重くあたしの両肩に圧し掛かる。


「しっかりしろ、あたし」


あたし一人の命じゃないんだから、絶対に死んだりできないからね。
そう言い聞かせ、置いていかれたかと心配しながら、結界へと侵入して行った。

158: 2012/01/04(水) 00:34:51.06 ID:4PHCwqlYo


「んだよ、連れて来たのか」


結界の中は狭かった。
フラスコのように下部が少し広がった円筒空間に存在しているのは、二人と一つと有象無象。
杏子と、マミさん、それに魔女と思しきモノと使い魔。
マミさんはぐったりしながら、杏子に抱えられていた。


「マミさん!?」

「無事だよ。ほら」

「わわっと」


まどかに割いていた両手のうち、何とか片手でその体を支える。
それは驚くほど軽くて。
本当に生きているのかと不安になってしまうくらいに。


「二人抱えて動けるなら結界から出ろ。動けないならそこで使い魔どもの相手しとけ」

「え、でも、あんたは」

「足手まといを連れて戦うのは趣味じゃないんだよ」

159: 2012/01/04(水) 00:35:29.87 ID:4PHCwqlYo

そう言い捨ててまた飛んでいく。
その動きを目で追うのもやっとだったあたしは、確かに今は足手まといなのだろう。
悔しいが事実だから。


「マミさん、マミさん! 大丈夫ですか!?」

「………………う、ん」

「よかった……」


それよりも、あたしはあたしのやれることを。
手伝わないと一度言った杏子が結局助けてくれたのは、きっとこの人を助けたかったからで。
その人を預かった以上、ヘマをする訳にはいかない。


「来なさいよ。あたしはまだ半人前だけど、一丁前には怒ってるんだからね」


まどかとマミさんを後ろに降ろし、庇う位置で使い魔どもと対峙する。
構えた剣の震えはどうにもまだ誤魔化せないが、それを向ける相手は間違えようもない。

160: 2012/01/04(水) 00:36:49.06 ID:4PHCwqlYo


「ったく、くだらねえ魔女に苦戦しちゃってさ」

「ごめんなさい、面目ないわ」


そしてすぐに戦いは終わった。
あたしが使い魔を必死に数体潰した所で、杏子が本体の魔女を貫いて。
グリーフシードを落とし、結界が消えて、倉庫に全員で戻ってきて、それだけだった。

マミさんは何とか立って歩けるくらいには回復した。
でも、まどかがまだ目を覚まさない。
状況を詳しく聞きたい所だったけれど、この子が起きないことにはそれどころじゃない。


「どうしよ、強く叩き過ぎたかな……」

「そんなヤワなもんじゃねえし、その内起きるだろ」


そう言って杏子は、まどかのソウルジェムを持ち上げる。
それは尋常ではなく濁り、明らかな異常を示している。
やや表情に影を落としたマミさんが、ソウルジェムを受け取り、懐からグリーフシードを取り出し、穢れを移していく。

161: 2012/01/04(水) 00:38:00.28 ID:4PHCwqlYo

「ごめんなさい、私がいない間に何があったのか、教えてもらえないかしら」

「はい、ただ、あたしも良く分かってないんです。まどかから妙な電話があって、急いで駆け付けたら」

「ヤバイ声で叫んでて、こいつが殴って気絶させた」

「この子、忘れた何かを思い出したいって言ってました。その内容に何かあったのかも」

「……そう、ありがとう」


そう言うとマミさんは、濁り切ったグリーフシードを一つ、沈黙を続けるキュゥべえに与え、もう一つ取り出す。
とても一つでは浄化し切れないらしい。
一体何があったのか、そういえばこいつに問い詰めることにしていたんだった。


「キュゥべえ、何したんだよ」

「だから言ってるだろう、僕は彼女の願いを叶えただけだ」

「じゃあ、どうしてまどかはあんなことになってんのさ」

「あんな記憶を思い出した割には、まだマシな状態だと思うよ? 君の処置が良かったからね」


まだマシ。
その一言に強い引っかかりを感じて。
アレ以上悪い状態がどこにあるのかと問おうとして、その必要はすぐになくなる。

162: 2012/01/04(水) 00:39:50.74 ID:4PHCwqlYo


「あと少し遅ければ、まどかは、魔女になっていただろうからね。まったく、気絶させるというのは確かに有効だ」


「……へ?」


「ソウルジェムが無事なのだから、君の心配しているようなことも起きないよ。安心するといい」


「ちょっと、何言ってるのさ、訳分かんないんだけど」


「君を褒めているんだよ。良かったじゃないか、親友をその手で殺さずに済んで」


「だから何を」


言葉を受けた頭が麻痺したように動かない。
壊れたレコーダーのように同じフレーズを繰り返していると、背後でどんと音がする。
振り返れば、杏子がマミさんのお腹に拳を叩き込んでいた。


「ああ、なるほど、確かに気絶させんのは有効だな……クソッタレが」

「ちょっと、あんた何してんの!?」

「うっせーなとっとと転がってるグリーフシード取ってこい、こっちも余裕ねえんだよ!」

163: 2012/01/04(水) 00:40:54.46 ID:4PHCwqlYo

言いながら杏子もグリーフシードを取り出し、マミさんのソウルジェムに押し当てていた。
その濁り方はまどかの時と同じくらい、いやもっと酷いかもしれない。
慌てて駆け出し、ついさっき手に入れたグリーフシードを拾い、投げ渡した。
それすらもすぐに使い切り、杏子は舌打ちをしながら二つ目三つ目と次々に取り出しては濁りを移していく。

マミさんの表情は、普段とあまり変わっていない。
異常なのは顔色。
真っ青だった。
おそらくは自分もそうなっているだろうと想像しながら。


「ちょっと、なんなのさ、これ、説明してよ」

「考えた事なかったのか、力を使い果たし、ソウルジェムを完全に濁らせた魔法少女がどうなるのかなんて」

「そりゃあ、力を使えなくなるってマミさんが」

「そんでどうなるんだよ」

「え、っあ、ああ」

「アイツの言った事が正しければ、だがな」


杏子はキュゥべえの方を振り向く。
その視線にあたしにもわかるぐらいの殺意を込めて。
あたしも戸惑いながら、それが意味するところを必死に考えながら、首を動かす。
キュゥべえは、何も動じていない。

164: 2012/01/04(水) 00:41:39.82 ID:4PHCwqlYo

「僕は嘘は付かないよ? ただ聞かれなかったから言わなかっただけで」

「あーそうだな、骨身に染みてるよクソが」

「もうちょっとでその証拠を見せてあげられたんだけどね。君たちはさすがに優秀だ」

「ぶっ殺すぞ?」

「ああ、それは勘弁してほしいな。スペアを用意するのもタダじゃな」


二人の会話の途中だったけど、抑え切れなくなった。
それがどういうことなのかようやく理解して、怒りに任せて剣を横薙ぎに振り抜く。
キュゥべえの体を綺麗に二分割したところで、


「タダじゃないんだけどな」


頭の上に、声と重み。
さらに頭に血が昇るけれど、位置が位置でうまく剣を当てられない。

165: 2012/01/04(水) 00:42:14.64 ID:4PHCwqlYo

「あんた、あんた、何てことを」

「やだなあ、僕は君たちの願いをちゃんと叶えてあげたじゃないか」

「その代わりに魔女になって死ねだなんて、ふざけんじゃないわよ!」

「仕方ないだろう。奇跡の代償とはそういうものだ」


さらに挑発され。
何が何でもいいからとにかくこいつを切り刻んでやると、さらに怒りを燃やして。
もう自分ごとでもいいからたたっ切ろうとして。
目の前に赤い影が入り込む。


「おい、落ち着け」

「これが落ち着いてられる訳ないでしょうが!」

「いいから、落ち着け」


そう言われ、一拍置かれた後。
思いっきり左頬をぶん殴られ、一瞬だけ意識が飛んだ。

166: 2012/01/04(水) 00:43:38.13 ID:4PHCwqlYo

「頭冷えた?」

「痛くて熱持ってるけど、まあ」

「そっか、あんたまで殴り倒さなきゃいけないところだったよ」

「殴り飛ばされはしたけどね」


ちょっとだけ冷静さを取り戻して。
あたりを見回してみれば、もうキュゥべえはいなくなってしまっていた。
言うだけ言って、行ってしまった。
残されたのは、気絶した群集と、気絶させた魔法少女二人と、あたしと杏子。
呆然とあたりを見回してみて、ここまで起きた事を頭の中で整理してみて、改めて爆発しそうになる。
キャパ超えって奴だった。


「で、どうしよう……」

「とりあえず、こいつら寝かせっぱなしにする訳にもいかねーし」

「警察呼んで、あとは」


仁美たちは、警察に任せておけばいいだろう。
でもこの二人は訳が違う。
今は眠っているけれど、一度起きてしまえば、どうなってしまうのか想像も付かない。

167: 2012/01/04(水) 00:44:28.77 ID:4PHCwqlYo

「マミはあたしが預かる。家なら知ってるから、連れて行く」

「うん、よろしく、あたしはまどかを」


家に連れて帰せばいいかと思ったけれど、この状況をどう説明したものか。
殴って気絶させましたなんて言う訳にもいかないし。
そして良く見てみれば、魔法少女の変身を解いたまどかの制服は、血塗れだった。


「このバカ、一体何してんのよ」

「ソウルジェムさえ無事なら、あたしらは大丈夫みたいけどね」

「そういうことじゃないの、もう、せっかく治ったのに……」


病院に連れて行こう。
それなら、あたしがずっと傍にいても怪しまれない。
何よりも、こんな姿のまどかを、家に連れて行けるわけがなかった。

およそ行動の指針は決まった。
でも、どうしても一つだけ理解できなくて、横でマミさんを抱えようとしている杏子に問い掛ける。

168: 2012/01/04(水) 00:45:11.07 ID:4PHCwqlYo

「あんた、どうして平気なの」

「あたしは自分のためだけに魔法少女をしてた。今更どう死のうが、おんなじだ」

「じゃあ、どうしてあたしたちを助けてくれたの」

「……気まぐれ」


言い残して、壁の穴から飛び立って行った。
でもその気まぐれがなかったら、今頃あたしたちは全員仲良く魔女にでもなっていたのだろうから。
今度会った時にはちゃんとお礼を言おう。

そんな普通の思考が出来ている事に今更ながら非現実感を覚える。
今まで倒してきた何体かの魔女も全部、元は魔法少女だったのだろうか。
それを考えるだけで背筋に寒気が走って、無理矢理頭から押し出した。

同じ道を歩もうとした親友と、道の先を歩んでいた先輩。
二人はどうなってしまうのだろう。
あたしはこれからどうなるのだろう。
頭を満たす苦悩は留まる事を知らず、ただあたしはそこに居続ける事が怖くなって、病院へと飛ぶ。
皮肉にも、手に入れた力を存分に揮いながら。

178: 2012/01/04(水) 22:59:57.73 ID:4PHCwqlYo

「う、ん」

「ようマミ、気付いた?」

「佐倉さん、どうしてここに」

「あたしが運んだからな。そりゃいるだろ」

「そう、ごめんなさい、また迷惑を掛けてしまって」

「いいよ別に」

「あら、優しいのね」

「そんなんじゃねーし」

「ねえ佐倉さん、質問があるんだけど」

「何だよ」

「私のソウルジェム、どこにあるのかしら」

179: 2012/01/04(水) 23:00:38.25 ID:4PHCwqlYo

「あたしが持ってる」

「返してくれない?」

「ダメだ」

「何でよ」

「お前の考える事くらい、お見通しなんだよ」

「そっか」

「ちょっと寝てろよ。色々ありすぎて疲れただろ」

「うん、そうしようかな」

「しばらく住まわせてもらうからね。空き部屋借りるけど拒否権ねーから」

「断ったりなんてしないよ。おかえりなさい、佐倉さん」

「ああ、ただいま」

180: 2012/01/04(水) 23:02:05.44 ID:4PHCwqlYo

「ん、早いじゃん」

「佐倉さんこそ、もう起きてたんだ」

「まあそりゃ、寝てる間にこれ取られる訳にもいかないからね」

「私のなのに」

「今はあたしのだから」

「あれ、今私プロポーズされたのかしら?」

「バカなこと言ってんじゃねーよ」

「ちぇっ」

「学校は行くのか?」

「ううん、ちょっと気分じゃないかも」

「そっか」

「一日ゴロゴロしてたいな。佐倉さん、ご飯作ってもらってもいい?」

「仕方ねーなー」

「わあい、楽しみ」

181: 2012/01/04(水) 23:02:57.35 ID:4PHCwqlYo

「んーテレビつまんないなあ」

「あたしは普段見ないし、なかなか新鮮だけど」

「バラエティが面白くないのよね。そのせいで後に続く番組も流れで」

「お前ドラマとかあんまり見ねーの?」

「演技が臭すぎて、あまり好きじゃないのよ」

「まあそれはなんとなく」

「ちょっと前までは毎週楽しみでたまらないくらいだったんだけど、不思議なものよね」

「大体そんなもんだろ」

「そうかもしれないわね」

「でもじゃあ何でテレビ付けてんの?」

「惰性みたいなものかしら」

「金もったいねーな」

「ずっと静かなのも、何かイヤじゃない」

「そうか? あたしは別に嫌いじゃないけどな」

「ふふ、たまにはいいかしらね」

182: 2012/01/04(水) 23:03:43.07 ID:4PHCwqlYo

「もう夕方か」

「意外と早いのね。何もせずにいるのも、悪くないな」

「晩飯の材料でも買ってくるよ」

「あ、それなら私も行くわ。ホムの散歩もしなきゃいけないし」

「ホム? ああ、この黒猫か」

「にゃーん」

「コイツ何食うの?」

「基本的にはキャットフードだけど、ぬるく温めた牛乳も必要かな」

「へー」

「ふふ、嬉しそう。散歩に連れて行ってあげるの久し振りなのよね、悪いことしちゃったな」

「んじゃ行こうぜ、日が暮れちまう」

「あ、ソウルジェムも持って行くのね」

「当たり前だろ、ただ魔女に会っても使わせないからな」

「じゃあちゃんと守ってね、ナイト様」

「きめえ」

「うるさいなー」

183: 2012/01/04(水) 23:04:50.37 ID:4PHCwqlYo

「そうだ佐倉さん、お風呂一緒に入らない?」

「は?」

「そんな変な顔しないでよ、いいじゃない少しくらい」

「まあ別にいいけど」

「やった」

「そんな大きかったっけ?」

「ちょっときついけど、どうにかなるわよ」

「どうにかってお前」

「ほら、バスタオル。行きましょ」

「楽しそうだな」

「ええ、とても楽しいわ」

184: 2012/01/04(水) 23:05:17.32 ID:4PHCwqlYo

「そろそろ寝るか」

「そうね」

「んじゃまた明日な、おやすみ」

「ねえ佐倉さん」

「何だよ」

「もう一度だけお願いしたいんだけれど、私のソウルジェム、返してくれないかしら」

「今日ずっと隙あらば奪い返そうとしてたな」

「ああ、やっぱりバレてるんだ」

「ダメなのかよ」

「……もう私、限界みたい」

185: 2012/01/04(水) 23:06:02.14 ID:4PHCwqlYo


「怖いの。ずっと、ずっと、ふと気を緩めたら、このまま魔女になっちゃうんじゃないかって」


「考えないようにすればするほど、忘れようとすればするほど、頭に鮮明に浮かび上がってくるんだ」


「魔女に囚われた時ね、ずっと言われ続けたんだ。お前がまた一人引き摺り込んだって」


「あの時はよく分からなかったけれど、今なら分かる」


「しかも、気付いたら、また一人」


「この子だけは魔法少女にしてはいけないと、そう思った子まで」


「ヒーローになりたかった。みんなを救って幸せを振りまく、そんな存在になりたかったんだ」


「でも私が振りまいたのは、絶望だった」


「美樹さんも、鹿目さんも、きっとそれ以上多くの人も、全部、私がこの手で」


「私なんか、あの時死んでれば良かったんだ!」


「魔法少女になんてならずに、パパやママと一緒に死んでれば良かったんだ!!」


186: 2012/01/04(水) 23:06:28.77 ID:4PHCwqlYo

「言いたいことはそれだけか」

「まだ色々あるけれど、概ねそんなところかしら」

「よし、殴らせろ」

「……殴ってから言わないでよね、痛いなあ」

「二度と言うなよ」

「手厳しいな、佐倉さんは」

「お前にそんなこと言われたら、あたしやあいつらは、どうしたらいいんだよ」

「ごめんなさい」

「あいつら、お前が助けたんだろ?」

「そうね」

「お前が死んでたら、あいつらも死んでたんだろう」

「この状態も、同じようなものじゃない」

「……なあ、マミ………」

「ごめんなさい……」

187: 2012/01/04(水) 23:06:55.91 ID:4PHCwqlYo

「私、眠ろうと思うの」

「マミ」

「あなたがそれを許してくれないなら、せめて」

「やめてくれよ」

「ごめんなさいね、私、弱虫だ」

「頼むから」

「あなただって、私の頼みを聞いてくれないでしょう。お返しよ」

「マミ」

「意地悪したい訳じゃないの」

「んなこと分かってるよ」

「ただ、私は、もう、ダメなんだ」

188: 2012/01/04(水) 23:07:26.11 ID:4PHCwqlYo

「マミ」

「佐倉さん、ありがとう」

「マミ」

「この一日の思い出、ずっと忘れないから」

「マミ…………」

「もしあなたがその気になったら、私はいつでも構わないから」

「死んでもやってやるもんか」

「死なないでくれると嬉しいな」

「お前がそれを言うのかよ」

「ふふ」

189: 2012/01/04(水) 23:07:56.14 ID:4PHCwqlYo

「布団、一緒に入ってもいいか」

「大歓迎」

「んじゃ失礼して」

「冷えてるわね。風邪引いちゃダメよ」

「ああ、気をつけるよ」

「うん、でもあったかい。人肌っていいな」

「そっか」

「色々押し付けちゃうけど、ごめんね」

「そう思うならさ」

「ごめんね」

「ったく」

190: 2012/01/04(水) 23:08:24.69 ID:4PHCwqlYo

「…………」

「なあ、マミ」

「…………」

「あたしもさ、お前がいたからここまでやってこれたんだと思うよ」

「…………」

「ごめんな。あんな風に飛び出しちゃって」

「…………」

「また会えてよかった」

「…………」

「それなのにさ」

「…………」

「なあ、目開けてくれよ。イヤだよこんなの」

「…………」

「マミ」

「…………」

「マミ………………」





「……………………バカ」

191: 2012/01/04(水) 23:09:22.54 ID:4PHCwqlYo

「あれ、杏子」

「呼び捨てかよ」

「いいじゃん別に」

「まあいいけどさ」

「どうしたの?」

「伝える事と、聞く事があってね」

「何さ」

「マミは寝たよ。しばらく起きないらしい」

「そうなんだ」

「驚かないんだな」

「そんな気はしてたから」

「あのバカ野郎、あたしに押し付けるだけ押し付けて、行きやがった」

「ごめんね、世話になるよ」

「泣いてんじゃねえよ」

「無理だって」

192: 2012/01/04(水) 23:09:59.96 ID:4PHCwqlYo

「で、聞く事って何?」

「もう一人いたろ。あいつは起きたのか」

「ううん」

「そうか」

「あんたらしくないね」

「言ったろうが、押し付けられたって」

「ろくでもないヤツかと思ったけど、律儀なところもあるんだね」

「またぶん殴ってやろうか」

「遠慮しとく」

「あたしはしばらくマミのマンションにいるから。なんかあったら適当に連絡して」

「うん、ありがと」

「落ち着いてんだな」

「なんか容量オーバーしちゃってさ、考えようとしても頭うまく動かないんだよね」

「長生きしたいなら、それが一番じゃないの」

「そうかもね」

198: 2012/01/07(土) 01:05:14.88 ID:UYdO573Zo

【Side:美樹さやか】

結局、しばらくはあたしと杏子との二人で、見滝原と風見野を守っていく事になった。
突きつけられた問題は全部横に置いておいて。
考える事は諦めて、ただ、生きるために。
戦いの中でケガをしては、杏子に怒られて、魔力を使って治療して、グリーフシードを使って穢れを取って。
学校にも行って、依然として目を覚まさないまどかとマミさんのお見舞いに行って。
そんな生活を一週間くらい続けた。
そして今日もまた、あたしはまどかの病室に来た。


「あれ、仁美じゃん」

「さやかさん、お邪魔しています」

「それって別にあたしに言う言葉じゃなくない?」

「まどかさんに言っても、返事が貰えないものですから」


何度か来ているみたいではあったけど、こうして仁美と同時に病室にいるのは初めてだった。
言って向ける視線の方には、なおも眠り続けるまどかの姿。
色々と取り付けられた機器の数値は、ここ一週間全く変わっていない。

199: 2012/01/07(土) 01:06:11.61 ID:UYdO573Zo

「どこも悪くないのに、どうして目覚めないんでしょう」

「仁美さ、いつか保健室でまどかがおかしくなったの覚えてる?」

「ええ、忘れたくても忘れられませんわ」

「あの時の記憶、戻ったみたいでね」

「どんなものだったのか、分かりますか」

「ううん。でも、思い出した結果はこれだった」

「……そうなんですの」


二人揃って顔を下に向ける。
そういえばもう、ここ数週間は、三人で一緒に行動していなかった。
まどかがいなかったり、あたしがいなかったり、仁美がいなかったり。
普通に日常を過ごしていた日々は、遥か遠くに消えてしまっていた。

ただ一人残った普通の友人。
彼女もまた魔女に囚われていた事を思い出し、無性に不安になって問いを投げ掛ける。

200: 2012/01/07(土) 01:06:41.38 ID:UYdO573Zo

「仁美はさ、どこかおかしくなったりしてないよね?」

「実は私も少し、本当に大したことではないのですが」

「何があるってのさ」

「寂しいです」

「寂しい?」

「まどかさんが眠ってしまって、さやかさんは何か他の方と忙しそうで、一人になるとつい考えてしまうんです」

「……ごめんね。あたしのせいか」

「そんなことはありませんわ、どう考えても私のワガママです」

「説明できるのならしてあげたいんだけど」

「事情があるみたいですし、無理に聞こうとは思いませんわ」

「悪い、ありがと」

「ただ、まどかさんみたいに眠ってしまったら、許しませんわよ」

「うん、気をつけるから」

201: 2012/01/07(土) 01:07:09.29 ID:UYdO573Zo

あたしたちと同じように、仁美にも相応の負担が掛かっていて。
まどかを見つめる目はとても悲しそうだった。
当たり前だ。
仁美ならなおさら、だった。


「また、まどかさんはここに戻ってきてしまいましたね」

「そうだね」

「せっかく歩けるようになりましたのに、今度は起き上がることもできないなんて」

「きっと目覚めるよ。歩けるようにもなったんだからさ」

「そう信じますわ」


今日はもう帰ろう。
そう提案して、久し振りに仁美と二人で帰路に着いた。

202: 2012/01/07(土) 01:08:31.95 ID:UYdO573Zo

学校のことやら将来のことやら、他愛のない話に没頭していると。
前から見知った顔が歩いてきた。
買い食いも大概にしないと太るよ、と言いかけて、殴られそうだと思い直し適当に呼び掛ける。


「杏子ー」

「よ」

「あら、新しいお友達ですの?」

「そんなんじゃねーよ。ただの仕事仲間だ」

「仕事ですか、お疲れ様ですわ」


あたしたちの年齢で出来る仕事なんてないはずなんだけど。
仁美は追求せず飲み込んでくれた。
そして、杏子がここに来たってことは、やらなきゃいけないことが出来たということだった。
寂しいとこぼしていた彼女を置いていくのはとても心が痛むけれど。
絶対に巻き込むわけにはいかないから。


「ごめんね仁美、あたし用事が」

「ええ、わかってますわ」

「悪いね、借りるよ」


手を弱弱しく振る仁美を残して、路地裏へと走っていく。
やるべき事があるのだからと自分に言い聞かせて。

203: 2012/01/07(土) 01:10:21.52 ID:UYdO573Zo

魔女も何とか一人で片付けられるようになった。
収束して消える空間を傍目に、剣を振るった上空からなんとか姿勢を崩さずに着地する。


「ふう、おしまいっと」

「一撃が軽い。そもそも速度が足りない」

「厳しいなー」


まあもっとも、こんな評価は相変わらずなのだけど。
肩をすくめながら落ちたグリーフシードを拾って、しばし考える。

生きることは殺すこと。
殺した時に否応無く思い知らされてしまう。
誰かに絶望を押し付けて生きていると。


「ほら、杏子」

「使わなくていいのかよ」

「マミさんのソウルジェムを保つ分も必要でしょ」


ただ死にたくないから生きているあたしたち。
生きていることにも疲れ眠ってしまったマミさん。
どちらの選択が正しかったのだろう。
いや、そもそも正しい選択はそこにあるのだろうか。

204: 2012/01/07(土) 01:11:03.96 ID:UYdO573Zo

グリーフシード、悲しみの種。
絶望が絶望を産んで、生まれた絶望はまた誰かに押し付けられていく。
誰も幸せになれない。
魔法少女というシステムは、とことん皮肉に出来ていた。

まどかは何も知らずに眠っている。
それはきっといいことかもしれなかった。
このまま目覚めないほうが、と一瞬考えてしまって。


「おい」

「っ、わ」

「考えんなっつったろ」

「悪いね、どうも」

「誰だって誰かを殺して生きてる。魔法少女も、人間も、その他の動物諸々も」

「そんな簡単に割り切れないよ」

「割り切れない奴から死んでくだけだよ」

「あんた……」

「……言い過ぎた。今日はもう行くわ」


そう言って杏子は立ち去っていく。
残されたあたしは、家に帰るという気にもならず、かといってそこに残り続けるわけにもいかず。
気付けば足は、病院へと向いていた。

205: 2012/01/07(土) 01:12:23.07 ID:UYdO573Zo


「まどか、あたし分かんないよ」


「死にたくないけど、生きていていいのかも分かんない」


「願いを叶えるってことは、そんなにいけないことだったのかな」


もうすっかり日は暮れてしまって。
とっくに面会時間も過ぎていたけど、窓から忍び込む事くらい今のあたしには造作もない。
一人部屋のまどかの病室には誰もおらず、ただ機器がピッピッと定期的に音を出している。

話し相手が欲しくて。
一人だと潰されてしまいそうで。
ただ言葉を吐き出していく。


「恭介が治ったのは、すごく嬉しい」


「でも、そのツケがこんなに大きいなんて、思ってなかった」


後悔している訳じゃない。
それしか選択肢はなかったと思っている、けど。

206: 2012/01/07(土) 01:13:16.85 ID:UYdO573Zo


「あたしもいつか死んじゃうのかな」


「あんな風に、何もかもを呪いながら、殺されていくのかな」


「イヤだよ、死にたくないよ」


「でも、いっそのこと」


「死んじゃった方が、楽なのかな」


口が歪むのを自覚して。
まどかの腕を握りながら、ベッドへと突っ伏してしまう。
点滴用の管を刺されたまどかの腕はとても細かった。
その感触が、まるでこれから死に逝く者のそれのようで、思わず涙が溢れて。
布団をどんどんと塗らしていってしまう。

怖い。
死ぬのは怖い。
自分からそんな選択は、とてもできない。

ただ緩慢に生き続けて。
いつか魔女になって殺される、そんな未来しか見えない。
そしてそれは、あまり遠い未来ではないのかもしれない。
自分のソウルジェムに、ごぽりと濁りが現れるのが、分かってしまった。

207: 2012/01/07(土) 01:14:05.18 ID:UYdO573Zo


「ダメだよ、死んじゃ」


「死んだら何も出来ないんだから、絶対に死んじゃダメだよ」


思わず顔を跳ね上げた。
その先には、両目に涙を溜めながら天井を見上げる、まどかの顔があった。


「……まどか」

「そんな悲しい事言わないで。お願いだから」

「誰が言わせたと、思ってんだよこのバカ野郎!」

「ごめん、ごめんね」


実際まどかは何も悪くないと、言ってから気付くけど。
心配を掛けさせたというのは事実だから、とりあえず撤回はしない。

握る細い腕には仄かな体温。
それは命がそこにあると、言っているようだった。

208: 2012/01/07(土) 01:15:59.88 ID:UYdO573Zo

部屋の静寂を、まどか言葉が少しずつ壊していく。
その響きに、目覚めの喜びの感覚は、不穏な何かに塗り替えられていく。


「ほんの少しだけど、思い出せたんだ」


「わたし、人殺しだったよ」


ううん、人消しかな?
あはは、まるで消しゴムみたい。
そんなことを自虐的に呟くまどか。
言ってる中身は半分も理解できないのだけど、相当に物騒なことを言っていることは分かって。


「あんた、何言ってんのさ」

「わたしもよく分からないんだ。記憶のほんのひとかけらだったから」

「じゃあ、なんで」

「なんでだろうね。わたしも信じたくないけど、でも分かっちゃうんだ」


そう言ってまどかは、ベッドから上体を起こすと、虚ろな目で病室を見渡す。
そこに異常は感じられない。
あたしには、ただの病室に見えるけれど。

209: 2012/01/07(土) 01:16:56.80 ID:UYdO573Zo


「この部屋にいたはずの、あなたを」


「わたしは、消してしまった」


その目は何を見ているのか。
その声は、誰に語りかけているのか。
それは分からない。
分からないけれど。


「だから、なんだってのよ」


腹から声を吐き、立ち上がり、強引に肩を掴み、まどかの意識を引き戻す。
面食らったような顔。
急なトラブルにうまく対応できないところは、昔と何ら変わっていない。
素直で優しくて親切だけれど、強気になりきれず一歩を踏み出せないのが、あたしの知ってるまどかだから。


「あんたが悪い子じゃないのは、あたしがよく知ってる」


「殺したんだか消したんだか知らないけど、引っ込み思案で臆病なあんたがそんなことをするんだから」


「どうせなんか事情があったんでしょ?」


210: 2012/01/07(土) 01:17:55.87 ID:UYdO573Zo

強く揺さぶる。
どうか目を覚ましてと願いながら。
今のまどかは、こうして動いて喋っているけれど、起きていない。

たった一つの記憶に支配されて。
それだけで自分の存在を、否定しようとしている。
だったらその目を覚ますのは、親友と自負するあたしの役目のはずだったから。


「さやかちゃんにはわかんないよ」

「分かるわけないでしょうが、あんただって分かってないくせに」

「わたしは」


尚も拘泥しようとするまどかを、睨んで無理矢理黙らせる。
体を揺さぶるのはやめて、代わりに思い切り力を握る肩に込める。
顔が少し歪んでいるけれど、やめてやるつもりもない。


「もしあんたが、自分のしたことに対して何か償いをしようとしているのなら」


「まずは全部思い出して、それから何をするのか考えなよ」


211: 2012/01/07(土) 01:20:13.66 ID:UYdO573Zo

【Side:鹿目まどか】

正論だった。
わたしに言い返すことは、できなかった。

もう願い事は使ってしまったけど。
どうやったら思い出せるのか、まるでわたしには分からないけれど。
消してしまった存在の記憶。
その欠片を探し集めることが、わたしのやるべきことのようだった。

そこまで考えた所で、急速に頭が冷えていく。
脳いっぱいに広がっていた罪悪感に隠れていた、もう一つの不安が現れた。


「マミさん、マミさんは、どうしてる?」

「家にいる、けど」


その言葉はマミさんの無事を示しているはずなのに。
どうしてかさやかちゃんの歯切れは悪い。
今度はわたしが、さやかちゃんを揺さぶる番だった。


「マミさん、何かあったの、もしかしてわたしが」

「ううん、まどかのせいじゃない」

「……会いに行ける?」

「う、ん」


どうしてかさやかちゃんは、視線を下に落として目を合わせてくれない。
じっとしてはいられなかった。
体に刺さっている管やら何やらをまとめて引き抜いて。
病院服の代わりに魔法少女の衣装を纏って、窓を開け放つ。
あんな別れ方イヤだから。
さやかちゃんが後ろに続いていることを確認して、壁を蹴り外に飛び出した。

212: 2012/01/07(土) 01:22:59.30 ID:UYdO573Zo

到着したマミさんの家で出迎えてくれたのは、見たことのない女の子。
さも当然のように振舞うその様子に、一瞬だけパニックに陥ってしまう。


「ああ、来たのか」

「え、あれ、わたしここ」

「大丈夫、ここマミさんの家で間違いないから」

「古い知り合いでな。ちょっと居候させてもらってる」

「マミさん、いますか?」


そのパニックはすぐに落ち着くけど。
ああ、いるよと返る声が、どこか重い。
その子の表情にもまた、翳りがあった。

胸を締め付けられる悪寒に耐えながら、いつか歩いた廊下を自分の足で進む。
進む内に、わたしの胸にホムが飛び込んできた。


「にゃーお」

「ごめんねホム、しばらく会いに来れなく、て」


その名前を発すると同時に、何か突き刺されたような痛みが脳髄に走った。
それはきっと、わたしの記憶に関係する何かに違いないのだけど、今はそれよりも確認しなきゃいけないことがある。

213: 2012/01/07(土) 01:24:12.72 ID:UYdO573Zo

ドアの一つを開けて、寝室と思しき部屋に入って。
そこにはマミさんがいた。


「マミ、さん」


とても穏やかに、眠っていた。
その寝顔はとても安らかで、とても幸せそうだった。


「マミさん」


ほんの僅かに寝息が聞こえて。
それはマミさんの生きている証で。
ソウルジェムも、少し濁ってはいるけれど無事にそこにあって。

だけど掛ける声に返事はない。
わたしの瞳に映るマミさんは、もう、憧れた魔法少女ではなくなっていた。
かつてマミさんだった人。
深い深い眠りに就いて、きっともう、目覚めない眠り人。

無駄だと分かっていながらも。
声を掛けて、揺り起こそうとする。

214: 2012/01/07(土) 01:25:00.83 ID:UYdO573Zo


「マミさん、マミさん」


「わたし、魔法少女になったんですよ」


「ずっと臆病で卑怯者だったわたしも、一歩踏み出せたんです」


「あなたと一緒に戦いたいと、思えたんです」


「だからマミさん」


「目、開けて、ください…………」


ゆらゆらぐらぐら。
マミさんがわたしの腕の力で揺れている。
わたしの視界の中で揺れている。
わたしの視界は歪んでいる。
涙で滲んで、光が屈折して、ゆがんでいる。

そんな中でも。
マミさんの寝顔だけはとても、とてもとても、静かだった。

215: 2012/01/07(土) 01:25:53.66 ID:UYdO573Zo


「マミ、さん」

「まどか、もうやめてあげて」


気がつけば、わたしはベッドに突っ伏していて。
声を上げて泣いていて。
さやかちゃんがわたしの肩に手を置いて、そう静止の声を掛けている。

振り向いたさやかちゃんも、やっぱり、泣いていた。
何かを諦めたような顔をして。


「静かに、寝かせてあげて」

「どうして、どうして、こんなことに」

「誰も悪くない。ただ、マミさんはもう、疲れちゃっただけ」

「わたしのせいじゃ」

「ちげーよ」

216: 2012/01/07(土) 01:26:31.20 ID:UYdO573Zo

辛辣な声が空気を破る。
その声には怒りが込められていて、そして同じくらいに、悲しみが込められていて。
黙って聞かなければいけないと、そんな気がして。


「こいつは、こいつなりに必死だった」


「この終わり方だって、こいつが自分で選んだ結末だ」


「誰かのせいにしないとやりきれないほど、こいつは落ちぶれちゃいなかったよ」


「だから、もうそっとしといてやれ」


言葉を必死に理解しながら考える。
ずっと真っ直ぐ生きていた。
だからこそわたしは憧れた。
最後の最後まで、きっと真っ直ぐだったんだろう。
満たされて眠るその顔は、何故かどこか、誇らしげですらあった。
その横顔に向けて、声には出さず、言う。

おやすみなさい、マミさん。
でもわたしは。
あなたがいつか目覚めることを、心から願っています。

222: 2012/01/08(日) 00:52:40.84 ID:hECzvffYo

「あの、あなたの名前は」

「佐倉杏子。杏子でいいよ」

「あれ、まどかは呼び捨てでいい訳?」

「っせーないちいち」

「うん、よろしく、杏子ちゃん」


寝室を後にして、居間になんとなく三人で集まった。
どうやらわたしが気絶した後、さやかちゃんと一緒にマミさんを助けてくれた魔法少女らしい。
マミさんの古い知り合いでもあると言っていたし、悪い子じゃなさそうだった。
ちょっと言葉遣いはきついけれど。


「お願いがあるの」

「なんだよ」

「あの後何があったのか、教えて欲しいんだ」


マミさんはもう疲れてしまったと、ずっとさやかちゃんは言っていた。
理解はできるのだけれど、納得はできなかった。
わたしの知らない何かが、そこにあるような気が、なぜかして。

223: 2012/01/08(日) 00:53:52.49 ID:hECzvffYo

そしてその予感は的中していて。
二人の表情が、目に見えて変わったのが、見て取れた。


「まどか、特にあんたには知って欲しくない」

「同感」

「できることなら、あたしも知らずにいたかったもの」

「どういうこと」

「言ってんだろ。聞くなってことだよ」


強い口調で杏子ちゃんが会話を切る。
何かあったことは多分事実で。
でも、それを二人は話したくなくて。
そしてわたしもまた、ここで諦めるわけにはいかなくて。

224: 2012/01/08(日) 00:54:50.38 ID:hECzvffYo


「わたしにはまだ、思い出さなきゃいけないことがあるの」

「まどか」

「それにつながることかもしれないなら、何が何でも聞かないといけない」

「まどかってば」

「お願い、教えて」


さやかちゃんの制止の声にも、耳は貸せない。
何があっても譲れない。
ここで諦めたら、わたしがここにいる資格なんて、風に飛ばされてなくなってしまうから。
あのマミさんが折れてしまうような事実は、それだけのものであるはずだから。

でも、さやかちゃんも杏子ちゃんも、口を開こうとはしない。
きっと二人の頭の中には、わたしが見る事のなかったマミさんの最後の姿が蘇っているのだろう。
ただ沈黙と共に、時間が過ぎていって。

そしてついに、一人が声を発する。
ここまで姿を消していて、わたしも身の回りの状況に気を取られて、すっかり存在を忘れていたあの子が。


「聞きたいことがあるなら答えるよ、鹿目まどか」


一瞬で空気は張り詰める。
杏子ちゃんはともかく、さやかちゃんはもう、怒りを隠そうともしていなかった。

225: 2012/01/08(日) 00:56:04.15 ID:hECzvffYo

「まったく、嫌われたものだね」

「ったりまえでしょうが、またぶった切られに来た訳!?」

「斬ったところで何も変わらないと知っているだろうに、まったく訳の分からない」

「意味ないと分かってても、どうしようもないことだってあるわな」

「ちょっと、ちょっと待ってよ二人とも、一体どうしちゃったの」


二人とも立ち上がって、各々の武器を手に取っていた。
向けられる殺気はすべて、キュゥべえへのもの。
それも尋常のものではなかった。
魔女に対してだって向けることはないような、それこそ大切な人の仇に向けるそれのような――


「もしかして、あなた」

「僕じゃないよ?」

「どの口がああああああああああああッ!?」


目の前を刃が通り過ぎる。
怒りに任せて振られたさやかちゃんの剣は、だけどマミさんの家のものを一切壊すことなく、キュゥべえを切り捨てた。
切れて分かれた二つの体は、蹴り飛ばされて開けっ放しの窓から外に飛んでいく。
そして代わりに、キュゥべえが入ってくる。

226: 2012/01/08(日) 00:57:28.06 ID:hECzvffYo

「本当に学習しないね」

「今更だけど、あんたを消す事を願うんだったよ」

「それは叶えられないから、まあ君が魔法少女になる事もなかったかな」

「バカにしやがって……あいた」

「アホ、乗せられてるんじゃねえよ」


怒り心頭という様子のさやかちゃんを抑えたのは、杏子ちゃんだった。
わたしは何が何だか分からずただあわてているばかり。
でも杏子ちゃんも、ただ落ち着いているわけではないようで、その声には恐ろしいまでに凄みがあった。


「とっとと消えろ」

「ふむ、確かに君たちはそれでいいかもしれないが、まどかはどうなのかな」

「……え、わたし?」

「僕は願いを叶える存在だ。君たちがどう否定しようとも、君たちの願いが確かに叶ったようにね?」

227: 2012/01/08(日) 00:58:42.06 ID:hECzvffYo

でも、キュゥべえは素知らぬ顔で、話を続けていく。
そこに一切の感情は見えない。
言葉の中には、わたしたちへの悪意も好意も、存在していないようで。


「願いを叶えて欲しいと誰かが願えば、そこに僕は現れるのさ」


「今、君はまた、願っているね。真実を知りたいと」


「条理に反する願いを叶えてあげられるのは一回きりだが、僕の力でしてあげられることならその限りではない」


「今ここで僕を追い払っても、必ず僕は君の前に現れる」


「真実を知りたいと君が願って、そして君の知らない真実を僕が知っている限りね」


何の色も無い言葉は、それだけに受け入れる事も簡単で。
わたしが知らないことをキュゥべえが知っているのは確かで。
そして二人も、何も伝えない事は不可能だろうと考えたみたいで。
武器を下ろして、言った。


「……まどか、話すけど、頼むから落ち着いて聞いててね」

「先に言っとくけど、後悔……いや、無理だな」

「あんまり考えすぎないようにね。あたしもまともに考えようとするとパンクするから」

「君たちがちゃんと把握してない事は付け足すからね」

「外道が、勝手にしやがれ」

228: 2012/01/08(日) 01:00:29.22 ID:hECzvffYo


聞かされた内容は、悪夢だった。
この体はもはや容れ物でしかないこと。
わたしたちの魂は抜き取られ、ソウルジェムとして結晶化していること。
わたしたちがいつか魔女になること。
これまで倒してきた魔女は、すべて過去の魔法少女の成れの果てだったこと。
でも、聞いている内に、ほんの少し思い出せることがあったから。
なんとか正気を繋ぎ止めていられた。


「だからわたしは、あの子を消したんだ……」


そしてマミさんが眠ってしまった理由も分かった。
誰かを助けたいとずっと言っていた人だったから。
自分が壊す側に回ってしまうくらいなら、いっそ死のうとするかもしれなかった。

信じたくないような内容では、あったけれど。
ただ理由もなく誰かを消したわけではないようで、そしてこの状況はわたしに対する罰のように思えて。
むしろ少し心を軽くしてしまっている自分がいて、また自己嫌悪に襲われる。

人殺しのくせに。
あたかも免罪符か何かのように。
何も変わってないんだよ。
消してしまったあの子は、もうどこにもいないんでしょ?
どんどん負のループにはまっていきそうになったところで、強い声に意識を戻される。

229: 2012/01/08(日) 01:02:00.38 ID:hECzvffYo

「おい、大丈夫か」

「っあ、うあ、うん」

「全然大丈夫に見えないんだけど」

「こいつ、無茶ばっかするから」

「ほんとに大丈夫、ちょっと眩暈しただけ」


震える体と頭を無理矢理に押さえつけて。
聞いたことを整理して、それでもまだ分からないことを探して。
残った疑問符をぶつける。


「キュゥべえは、どうしてこんなことを」


その答えはとても長かった。
そして、訳が分からなかった。

230: 2012/01/08(日) 01:04:47.36 ID:hECzvffYo


「僕達は宇宙のエネルギー問題の解決に取り組んでいるんだ」


「簡単に説明すると、エネルギーは使えば使うほどその品位が落ちていくという性質があってね」


「エントロピーという単語くらいは聞いたことがあるだろう?」


「エネルギーの品位低下は、エントロピーの増大にほぼ等しいと考えられている」


「エントロピー増大の果てにある破滅を熱的死と呼んでいるが、これを防げる手段が発見された」


「君たち人類に代表される、感情を持った知的生命体、特に第二次成長期の少女の、希望から絶望への相転移を利用することだ」


「そして僕達インキュベーターは、この魔法少女システムに最も適応すると判断された地球に送り込まれた」


「宇宙の破滅を防ぐために、より高級なエネルギーを取り出すために」


「ちなみに、君たちがどのように生きて、どのように死んだかは、グリーフシードにすべて刻まれている」


「君たちはこの宇宙の礎となって語り継がれるだろう。それはきっと嬉しいという感情に匹敵すると思うんだけどね」


「だから安心して魔女になるといい。君たちの死は決して無駄にはならないのだから」


231: 2012/01/08(日) 01:05:38.29 ID:hECzvffYo

そう締めくくってキュゥべえは無邪気に笑った。
一切の悪意はそこになかった。
一切の善意もそこになかった。
その目はただひたすら、わたしたちが家畜を見る目そのものだった。

これから食べられてしまうわたしたちを可哀相だとも思わずに。
当たり前のことなのだから理解しろと言わんばかりに。
そして到底、わたしたちは理解など、ましてや納得など、できるはずもなかった。


「……あなたたち、おかしいよ」

「君たちからするとそう見えるのかな。まあ、そんなこと僕にはどうでもいいんだけど」


そして窓へと飛び移っていく。
相変わらずその目に感情はない。


「およそ聞きたい事はなくなったみたいだね。また何かあったら呼んでよ」


そしてさっさと立ち去っていった。
残されたわたしたちの間に広がる空気は、言うも無残。
誰も何も言えないし、また何かを言おうとすらとも思えなかった。

232: 2012/01/08(日) 01:07:32.16 ID:hECzvffYo

「まどか、大丈夫?」

「うん、なんとか」

「そっか」


マミさんの家を後にして、杏子ちゃんを残して、さやかちゃんと二人夜道を歩く。
日付も変わろうかという時間になって、さすがに外は冷え込んでいて。
吐く息は白く変わってしまうのではないかと錯覚するほどだった。

それは単純に寒さによるものなのか。
この背筋に走る悪寒は、ただ気温が低いだけだからなのか。
言葉を吐き出す気にはなれない。
沈黙を破るのは、さやかちゃん。


「なんか、現実味ないんだよね」

「うん」

「あまりにも度を過ぎててさ、どうリアクション取ればいいのか分からないって言うか」

「いきなり言われても、整理つかないよね」

「あなたはもう死んでますーとか宇宙のためにーとかね、何言ってんのって感じ」

233: 2012/01/08(日) 01:08:38.89 ID:hECzvffYo

とぼとぼと夜の街を歩く。
足取りは重い。
電灯の落とすわたしたちの影は長く伸びて、仄かな明かりの中に、黒々とした威圧感を放っている。

しばらくは気付けなかった。
それが当たり前の光景だったから。
異常だと感じたのは、落とし続けていた視線を上げた時。

そこには影があった。
大きな大きな女性の影があった。
祈りの形で静止するそれは、自らの影を大樹のように四方八方に伸ばしていて。
先鋭な槍に変えてわたしたちへと撃ち放った。
物理的にも、精神的にも、何の準備もしていなかったわたしたちに。

世界は変わっていた。
そこはもう、魔女の結界の中だった。

234: 2012/01/08(日) 01:10:57.99 ID:hECzvffYo


「ッ動けバカ!」


それでもさやかちゃんは反応して、ソウルジェムを輝かせて。
怯んで固まるわたしを突き飛ばして、自分も斜めに飛びながら伸ばされた影を切って捨てた。
地面に体を強かに打ち、先を切られた影が一度引っ込んでいった辺りで、わたしはなんとか正気を取り戻す。


「これ、これって」

「魔女だよ、あんた初めてだろうけど戦える?」

「……うん、がんばる」

「無茶しちゃダメだからね、あたしの言う事をまずは聞いて」


魔法少女は半分以上が初戦で負けて死んでしまうらしい。
そんなことをキュゥべえが言っていた。
生きていたってロクなことはないかもしれないけど、死にたいとは思わない。

魔法少女の衣装を体に纏う。
恐怖で足は震えるけれど、さやかちゃんの促すまま力を両手に込める。
光が集まって形作ったのは弓だった。
それは何十年も使い続けたような錯覚に陥るほど、わたしの手にすんなりと馴染んだ。

235: 2012/01/08(日) 01:11:31.17 ID:hECzvffYo


「おっけーまどかは遠距離ね。援護しっかり頼むよ」


そう言ってさやかちゃんも剣を両手に構える。
でも、突っ込んでいく様子は無い。


「相手の力量が分からない時に先手を取って突っ込むには相応の技量が必要なんだってさ」


あたし、まだそんなに強くないからねと笑う声。
それでもその背中は大きく見えて。


「しばらくは迎撃に徹するよ。あたしが盾になるから、まどかは弓であいつの本体を撃ってみて」


わたしにはやらなくちゃいけないことがあった。
こんなところで死ぬ訳にはいかないし、これからも生きていかなきゃいけなかった。
だから勇気を振り絞って戦おう。
消してしまったあの子の分まで。


「思い出すまで、死んでも死ねないもんね」

「思い出したって死なないでよね、縁起でもない」

「えへへ、ごめんね」

236: 2012/01/08(日) 01:13:23.13 ID:hECzvffYo

ただし、現実は全く甘くなかった。
初めて戦う敵としては、どうやらこの魔女は、破格に強かったらしい。
影の密度はいつまで経っても衰える気配を見せない。
地面を走って近付く事はおろか、そもそも回避行動を続けるだけで精一杯だった。
ほんの少し間隙を縫って矢を撃ってみても、闇をほんのちょっと削ってそこで止まってしまう。


「くそっ、全然近付けない!」

「さやかちゃん、無理しないで……きゃあ!?」


足を止めて、声を掛けようとしただけで。
わたしの立っているところに、意志を持っているように正確に破壊が降りてくる。
体勢を崩したわたしの目に映るのはしかも、弓で振り払えるようなものではなく。
それはもう柱だった。
刺すのではなく、潰すのが目的のように見えた。
眼前に迫るそれを、わたしはぼうっと他人事のように眺めて。

237: 2012/01/08(日) 01:14:18.00 ID:hECzvffYo


「余所見してんじゃないよ」


粉々に砕け散った。
破片がそれなりの勢いで降り注ぎ、それを痛いと感じて、ようやく我に返る。


「杏子ちゃん、ありがとう」

「ったく、なんでよりによってこんな魔女と戦ってるんだよあんたたちは」

「わたしたちが悪いわけじゃないもん……」

「まあ、そりゃ違いないが」


間髪入れず今度は細分化された影が迫るけど、杏子ちゃんはそれを片端から砕いていく。
長槍の刃だけでなく柄も器用に使って戦うその姿は、どこか見たことのある後姿に重なる。
そう、マミさんのように。

238: 2012/01/08(日) 01:15:44.28 ID:hECzvffYo

「杏子ちゃん、すごいね」

「そりゃどーも、伊達に長く戦ってないから」


結局守られてしまうわたしにはほとほと嫌気が差すけれど。
でも今は守られるだけのわたしじゃない。
弓に矢を番えて、杏子ちゃんが守ってくれる後ろから全力で撃ち放つ。
腰を下ろして力を込める時間があり、同じ場所に続けて撃ち込める分、これまでとは効果が違う。
影の山は少しずつ削れて、そこに穴が出来た。


「杏子、そのまま頼んだ!」


そしてわたしたちよりも魔女の近くにいたさやかちゃんは、その機を逃さない。
剣を体の前に構え、影にぽっかりと空いた空間めがけて突き進んでいく。
その奥には影の心臓、魔女の本体とも言うべきモノが鎮座している。
さやかちゃんを撃ち落そうと何本も影が伸びるけれど、それはわたしが逆に撃ち落とす。
阻むものは無い。
ただ一直線に進むだけ。


「でやあああああああっ!!」


そしてそのまま、貫いた。
それはここからでもはっきりと見えた。
剣を突き刺された部位から影が変質してしなる木の枝となり、さやかちゃんの腕を剣ごと捉えて、微塵に引き千切る様が。

239: 2012/01/08(日) 01:17:27.89 ID:hECzvffYo

声にならない声が口から漏れ出る。
影の嵐は止んでいた。
影は形を貰い、まるで生きているように木の枝の体を取って蠢いていた。


「撃ち続けろ!」


呆然とするわたしを置いて、杏子ちゃんは地面を強く蹴り飛び出す。
さやかちゃんのところに向かって。


「コイツはきっと、殺される事で体を持って蘇る魔女だ。もう一度殺せばそれで終わる!」


見てみれば、祈りの体勢はやや崩れていた。
杏子ちゃんが進みながら砕いた木の枝は、地面に落ちてもう動かない。
わたしが避けながら矢を撃ち込んで削った部分は、凹んでもう戻らない。
少しずつ影の魔女はその体を減らしていく。
樹木の影は四方八方に伸ばされ、その一部は右腕を失って崩れ落ちているさやかちゃんへと向けられていたけれど。
それも斬り落とされる。

240: 2012/01/08(日) 01:18:00.62 ID:hECzvffYo

でも、杏子ちゃんはまだ辿り着いていなかった。
斬り落としたのはさやかちゃんだった。
左腕だけで器用に剣を扱い、四方から襲い掛かった黒い蔦をバラバラにした。


「あは」


そのまま、数刻前と同じように、同じ位置に飛び込んで。
全く同じ位置に剣を突き刺した。
今度はそれ以外に何も起きることなく、魔女は呻き声を上げて消えていく。
黒い火の粉を散らしながら布のような何かを散らしながら、モノクロの結界も消えていく。

そして現実の世界へと戻ってくる。
失われたものがあった。
さやかちゃんの右腕は、粉々になっていて、もうどこにもなかった。

241: 2012/01/08(日) 01:19:05.52 ID:hECzvffYo


「まどか、杏子、ケガない?」


呆然とするわたしたちに、さやかちゃんは素知らぬ風で質問をする。
なんでそんなに落ち着いていられるのか、まったくわからない。

さやかちゃんの右腕があったところからは、リズミカルに血が吹き出ている。
白い骨と黄色い脂肪と赤い血と、その他色々良く分からないものが見えて、わたしは吐き気に襲われる。
思わず口を手で押さえてうずくまるわたしの代わりに、杏子ちゃんが声を荒げた。


「お前、何平気な面してんだよ」

「いや、全然痛くないんだよね、これが」

「何言ってんだよ右腕吹っ飛んでんだぞ!?」

「本当だって。何なら触ってみてもいいよ」


さやかちゃんの返す言葉は恐ろしく平坦で。
普通なら死んでしまうほどのケガをしていながら、その様子は、異常と言う他無くて。
その目はどこを見ているのか、虚ろで、光をなくしていた。

242: 2012/01/08(日) 01:19:58.65 ID:hECzvffYo


「痛くないんだ。でも、寒いとか、何かが抜けていくとか、そういう感覚はあるんだ」


「あたし、やっと分かった気がする」


「キュゥべえの言ってること、全部本当なんだ。あたしたちはとっくに死んでて」


「あとは絶望して、魔女として収穫されるだけなんだ」


「あたしってほんとバカだなあ。こうなってみないと分からないなんて」


その独白は、あまりにも。
さやかちゃんが自分の体でその事実を証明したのは、わたしたちにとっても同じことで。
どこか彼方の話に聞こえて現実味の無かった絶望が、かつて右腕のあった空間を握り締めるさやかちゃんの形を取って。
わたしたちの間に降りて来る。
だからわたしは、それに抗おうとした。

243: 2012/01/08(日) 01:20:38.60 ID:hECzvffYo


「そんなこと、ない」


「魔女になって終わりなんて、絶対に認めないんだから」


何が出来るかなんて何も分からない。
でもそれを認めたくはなくて、だからわたしにできる最大限のことをしようとして。
さやかちゃんの元に駆け寄る。
今も血を噴き出し続ける傷口に両手をかざして、力を込めた。

どうか治って。
どうか戻って。
このまま放っておけば、きっとさやかちゃんは絶望してしまう。
そんな未来は、絶対に見たくないから。

少しずつ光は収束していく。
それはまず輪郭を形作って、次第に密度を増していく。
根元から実体を得た粒子たちは、ゆっくりとゆっくりと時間を掛けて、腕を成していく。
体から何かが抜けていく感覚が分かる。
恐ろしいほどの喪失感を伴うそれは、それでも、無視しないといけなかった。
わたしがわたしであるために。

そしてついに。
わたしの体力と気力のほとんどを引き換えにして、さやかちゃんの右腕が戻る。
それと同時にブラックアウト。
またわたしは、意識を飛ばしてしまう。

251: 2012/01/08(日) 21:46:55.03 ID:hECzvffYo

【Side:美樹さやか】


腕が戻っている。
それは千切り飛ばされる前と全く同じように感じ、また全く同じように動く。
その代わりにまどかが、力を使い果たして倒れていた。
杏子が歩み寄って状態を確認している。


「……外傷は無い。力使い果たして、疲れただけだろ」

「あたしのせい、か」

「そうだな」


歩み寄って、戻った右腕を使って、倒れたまどかを抱き起こす。
まどかは変身も解けて、見慣れた入院服姿へと戻っていた。
また目を閉じて眠っていた。

この子が穏やかに眠る姿を、ろくに見た記憶もない。
ある日を境にずっと何かに悩んでいて。
何かを見つけてからも悩み続けて、何かを思い出してからも悩み続けて。
その一端を担ってしまったあたしには何を言う権利もないけど。

心の中は穏やかでなくとも、せめて暖かい布団の中で寝せてあげよう。
自分の事はそれから考えよう。
こんなバカに相応しい罰は何なのか、さっぱり思いつきはしないけれど、それも後で。
そう思って、立ち上がろうとした。

252: 2012/01/08(日) 21:47:48.16 ID:hECzvffYo


「誰だ」


立ち上がれなかったのは、正面に座り込んでいた杏子が発した言葉に不意を突かれたから。
あたしの視界には何も見えない。
でも、ここは、よく考えれば、もう結界の中ではなくて。
どこかに人がいても、そしてその人が突然現れたあたしたちに驚いて身を隠していても、不思議ではなかった。

そして。
あたしたちに対して、身を隠すような必要がある人間は。


「鹿目さんと、さやかの友達だよ」

「私たちからもお聞きしたいのですけれど、一体何をしているのですか」


恭介と仁美が、電信柱の裏から現れた。
どこまで見られてしまっていたのか、どこまで問いに答えていいのか。
あたしの思考は、大きく揺れ動く事態に付いて行けず、ただ空回りして熱を吐き出している。

253: 2012/01/08(日) 21:48:36.53 ID:hECzvffYo

「どこから、見てたの」

「鹿目さんがさやかの腕を治した辺りから」

「ほとんど全部じゃん。もう、覗き見なんて、性格悪いなあ」

「さやかさん」


茶化して誤魔化す事は、できそうにない。
仁美の雰囲気がいつもとは違った。
無理に聞こうとはしない、そう言って見逃してくれるのは、期待できなさそうだった。


「私たち、まどかさんを探していたんです。病院を抜け出して大騒ぎになっていましたから」


「ある程度の事情なら、見過ごそうと思いました」


「でも、ここまで訳の分からないことに巻き込まれているとは、思っていませんでした」


「話して下さい。友人として、このような事態、放っておけませんわ」


254: 2012/01/08(日) 21:49:44.31 ID:hECzvffYo

返す言葉が見つからない。
沈黙のまま二人を見上げていると、今度は恭介が語り始める。


「ここ最近、不可解なことが続いたね」


「絶対に治らないと言われていた僕の手が治ったかと思えば、鹿目さんが原因不明のまま倒れたり」


「こうして、目の前で奇跡まで見てしまったし」


「さやかも、僕のことをどこか避けているようだった」


「始めは僕のせいだとばかり思っていたのだけれど、どうやら」


「そうとも限らないのかもしれない」


そう言って恭介は右手をあたしに差し出してきた。
反射的に、体が反応して、触れてしまうまいと後ろに飛び退いて。
恭介はとても悲しそうな顔をしている。

255: 2012/01/08(日) 21:50:49.23 ID:hECzvffYo

「僕が酷い事を言ったから、僕の事を嫌いになってしまった?」

「違う、そんなことない!」

「ならやっぱり、さやかのその格好が関係しているんだね」


どんどん墓穴を掘っていく。
もうこの二人は、ほとんど確信しているだろう。
でも、だからと言って、喋ってこっちの世界に引き込んでしまうことだけは、したくない。

どうすればいい。
どうしたら。
ぐるぐると回る頭は、ただ一つの視覚情報を認める。
杏子が槍を構えていた。


「悪いが忘れてもらう」


「物騒だね、随分と」


「脅されても、こればかりは退けませんわね」


仁美は何やら妙な姿勢で構えていた。
合気道をやっているとは聞いたことがあるから、そっちの関係かもしれない。
あたしたち魔法少女に敵うはずもないのに。
そして仁美以上に力のないはずの恭介は、その仁美を背にして立っていた。
治ったばかりの右腕で仁美を庇いながら。

256: 2012/01/08(日) 21:52:07.81 ID:hECzvffYo

どうしても二人には話せない。
だから、忘れてもらうしかない。
それは当然の道理で、だからあたしも剣を構えるんだけど。
そこで視界はぐにゃりと曲がった。
頭が突然透き通った。

どうしてあたしは剣を構えている?
その剣は誰に向けて振るつもり?
仁美に?
恭介に?
二人はこの剣で守ると誓った、まさにその人たちじゃないのかな?


「え、あ、はは」


思わず笑いが漏れてしまう。
人間じゃない。
まともな人間の思考じゃない。
頭が割れるような音が頭蓋に響き、声も出せず倒れ込む。
このまま死んでしまおう。
本気でそう思った。

視界は九十度回転し、目の前に広がるのはアスファルトで口の中に広がるのは鉄の味。
例のごとく痛みを感じられないことに不満を覚えながら、意識は消えていく。

257: 2012/01/08(日) 21:53:22.61 ID:hECzvffYo

途絶えた意識は、不思議な空間で蘇った。
暗い暗いその空間に、あたしが膝を抱えて座り込んでいる。
ただうつむいて、陰鬱な言葉を吐き出している。


『もうみんなに、会わせる顔ないよ』


『こんな不気味な体で、こんな汚い心で、守りたいものも守れなくて傷付けようとさえして』


『こんな役立たず、生きてたってしょうがないよ……』


黒一色の空間の中に、少しずつ白が混じる。
それは光の粒子で、少しずつあたしの右腕から放出されていた。
互いに積み重なるそれらは次第に、あたしの親友の姿を取っていく。
盛大に迷惑を掛けてしまった、もはやそう呼ぶ事が許されるかも分からない、まどかの姿を。
光のシルエットはあたしに向けて、少しずつ語りかける。


『死んじゃ、ダメ』

『なんでさ』

『死んじゃったら、何も出来ないんだから』

『生きてたってあたしは何も出来ない』

258: 2012/01/08(日) 21:54:21.78 ID:hECzvffYo

『さやかちゃんがしてくれたこと、いっぱいあるよ』

『ほとんどロクなものじゃないよ……』

『じゃあ、マミさんを助けたことも、ロクなことじゃないの?』

『マミさんは結局、眠っちゃったじゃん』

『でも、死んでないよ』


光のシルエットは、本当にまどかなのだろうか。
それほどその言葉は力強くて。
へたり込むあたしの右腕を掴んで、立ち上がらせる。


『気持ち悪くなんてない、汚くなんてない。魔法少女になってこの腕で掴めたもの、あるはずだよ』

『掴めたもの、ね』

『思い出して。あなたの希望を、あなたの勇気を』

『そんな無茶な』

『わたしも、さやかちゃんに助けられたんだよ。だから今度はわたしの番』

『……ま、努力してみますよ』


でも、その強い言葉は、何故かあたしの心に響いた。
胸の奥にほんの少し灯った光は、空間の闇を払って、あたしの意識を白で塗り潰していく。

259: 2012/01/08(日) 21:55:52.68 ID:hECzvffYo

夢を見ていた気がする。
ひどい倦怠感を覚えつつ起き上がってみれば、そこは病室のベッドの上だった。
辺りを見回してみると、良く見知った顔がそこにはあった。
ついさっきまで睨み合っていた顔が。


「気が付きましたか」

「仁美」

「突然倒れたのですから、心配しました」

「……ごめん、あたし」

「誰もケガはしていませんし、大丈夫ですわ」


病室には、あたしと仁美だけだった。
間取りは見知ったものと良く似ていたから、つまりここはいつもの病院。
倒れたあたしを杏子あたりが引きずって、まどかと一緒に送り返されたというところか。
もう世話にはなりたくないと思っていたが、今度はあたし自身が入れられるというのも、皮肉なものだった。

260: 2012/01/08(日) 21:56:57.86 ID:hECzvffYo

「恭介は?」

「今日のところは、お帰り頂きました」

「鋭いんだね」

「どんなニブチンにだって分かりますわ、それくらい」


どうやらこれは、覚悟を決めなければいけないようだった。
でもなぜか少し気は楽になっている。
仁美はきっとそんなに弱い子じゃないから。
何だかんだであたしたちだって耐えているんだから、きっと何とかなるよね。
それでもちょっとだけ、駄々を捏ねてみたくなって。


「話さなきゃダメ?」

「もう逃がしませんわ」

「だよねー」

「覚悟が出来ているとは言いません。腕などそう簡単に挿げ替えられるものではないのですから」

261: 2012/01/08(日) 21:57:36.46 ID:hECzvffYo

ですが、と。
一呼吸置いて、仁美はさらに言葉を続ける。
あたしの右腕に、あたしの体に視線を送りながら。


「一人で抱えきれないものは、きっと分け合えます」


「一人でダメなら二人。二人でダメなら三人、それでもダメなら四人五人」


「まどかさんやさやかさんだけで悩むのは、卑怯ですわ」


「逆に、もし私が抱えきれなくなったら、支えて下さいね?」


この子には敵わないなと。
そう思いながら、あたしは口を動かし始める。
零れる言葉は絶望的なものばかりであるはずなのに。
どうしてだろう、心は不思議と、軽かった。

262: 2012/01/08(日) 21:58:37.90 ID:hECzvffYo

恭介にだけは内緒でよろしく。
そう締め括って、一世一代の大暴露を終わらせた。
当の仁美はと言えば、予想していたよりもずっと落ち着いている。


「そこだけは譲らないんですのね」

「頼むよ」

「一つだけ条件を付けて頂ければ」

「条件?」

「いつか、ご自分で話して下さい」


自分で話せ、か。
そんな日は果たして来るのだろうか。
でもそれは逆に、そんな日が来るまで諦めないで、と暗に言われているようで。
仁美なりの励ましなのだろうかと思い、頷いて返す。
納得はしてくれたようだった。

263: 2012/01/08(日) 21:59:20.31 ID:hECzvffYo

「そのキュゥべえという子は、この部屋に?」

「いるよ、忌々しい事にね」

「おや、気付かれていたのか」

「バカにしないでよね」

「……私には見えませんし、聞こえませんわね。それはつまり、魔法少女としての素養が無いと」

「たぶん、そういうことだと思う」

「そうですか」


目に見えて沈んでいたけど。
それはあたしにとって、むしろ歓迎すべき事だった。
この手で被害者を増やす事は、確かに、耐えられるようなものではなかった。

同時に、あたしの存在がマミさんを追い詰めたんだろうとも思う。
今になってやっと分かる。
どれほどマミさんが心を磨り減らしたかは、想像もつかないほどだけど。
それは間違いなくとても痛いのだろうと、それだけは分かる。

264: 2012/01/08(日) 22:00:02.32 ID:hECzvffYo


「事情を踏まえた上で、さやかさん、あなたにお願いがあります」


読心能力でもあるのかと疑いたくなるくらいに。
核心を突いた発言ばかりしてくるから、困ってしまう。


「あなたは間違った事をしていません。ですからどうか、ご自分を責めないで下さい」


それはこの上なく優しい言葉で。
とても素直に、あたしの中へと染み込んでいった。


「まずはまどかさんが目覚めるのを待ちましょう。聞かなければいけないことが山ほどありますわ」

「うん、そうだね」


まどかが目覚めたら。
ちゃんとお礼、言わないと。

265: 2012/01/08(日) 22:01:49.94 ID:hECzvffYo

【Side:鹿目まどか】


三度目を覚ます場所は、またこの病院だった。
嫌と言うほど繰り返したこの感覚。
天井に広がる白は、いつも通りだった。


「よう、起きたか」

「杏子ちゃん」

「お前らよく気絶するよな。もうちょいメンタル鍛えとけよ」

「うん、ごめんね」

「あたしに謝られても」

「さやかちゃん、大丈夫だった?」

「あーまあ、手は動くみたいだよ」


どこか歯切れが悪い。
そして先ほどの言葉に感じた妙な引っ掛かりもあって、胸がざわつくのを自覚してしまう。


「何かあったの」

「本人に聞けばいいんじゃねーの?」


そう言って杏子ちゃんはドアに歩み寄り、ドアを開け放つ。
その向こう側には、突然開いたドアにちょっと驚いている、とても見慣れた顔があった。
ここにいるはずのない一人と、心配していた当の一人。

266: 2012/01/08(日) 22:02:46.40 ID:hECzvffYo

「まどかさん、無事のようで何よりです」

「ごめんまどか、本当に助かった!」

「何だかんだで何事もなく済んだみたいだけどね」

「杏子、あたしら運んでくれたのあんただよね、あんたもありがと」

「ったく、いい迷惑だっつの」

「でも、助かりましたわ。ありがとうございます」

「聞いたの?」

「はい」

「まあ、そんだけ落ち着いてんなら大丈夫かね」


勝手に話を始めてしまう三人。
まったく会話には付いていけず、無理矢理に口を挟む。


「ちょっと、みんな、わたしだけおいてけぼりなんだけど」

「ごめんごめん、これから話すよ」


そうして、何故だか仁美ちゃんも交えての話し合いが始まった。
帰ろうとした杏子ちゃんも無理矢理さやかちゃんが捕まえて。
不思議な組み合わせだと感じたけど、その空間はイヤじゃなかった。

267: 2012/01/08(日) 22:03:48.14 ID:hECzvffYo



「ここは病室で君たち二人は患者、そして今は真夜中だ。少しは静かに寝ていなさい!」


「はーい……」



およそ話が済んだあたりで、それぞれの場所に帰されてしまったけれど。
さやかちゃんもわたしも、仁美ちゃんも杏子ちゃんも、驚くほど穏やかな顔付きになっていた。
また明日ねと言って、別れる事ができたのは、三人から聞いたその後の顛末からはとても信じられないようなもので。

ただただ巡り合わせに感謝するばかりだった。
そして、わたしの中に一つ、残ったものがあった。

268: 2012/01/08(日) 22:04:53.75 ID:hECzvffYo

部屋に残されたのはわたしとキュゥべえ。
キュゥべえは棚の上で置物のように、ただじっとわたしのことを観察している。
わたしもすっかり疲れは癒えて。
体調が悪いわけでもなかったから、ベッドの上で膝を抱え、座っている。


「さっき、みんなと話して、思ったんだ」


「わたし、信じられないような事をしてきたって」


独白は聞かせるためのものではなくて。
ただわたしが、自分のなかに抱えたもやもやを整理するため。


「命懸けでホムを助けて、必死でマミさんのところまで行って、魔法少女のことを聞き出して」


「マミさんの背中を追い掛けて、契約のために一歩を踏み出して」


「心が折れても、こうしてまた戻ってこれて、不可能だって可能にして」


「マミさんは眠ってしまったけれど」


「それでも信じる。願ってる。いつか目を覚ましてくれるって」


「この心の中に、信じられないくらいの勇気がある」


269: 2012/01/08(日) 22:06:29.60 ID:hECzvffYo

一つ一つ思い返してみれば、どれもわたしには到底できっこないようなことばかり。
わたしの考えるわたしは、どこで躓いていてもおかしくないのに。
わたしは今、ここにいる。
生きて、この足で、歩いている。

キュゥべえは口を挟もうとしない。
わたしはただ、自分の思いを吐き出し続ける。


「さっき、みんなに説明して、思ったんだ」


「どうしてわたしは、あの子のことを忘れてしまったと、覚えていたんだろうって」


「存在を消してしまったのなら、忘れたことすら、忘れているはずなのに」


「わたしは覚えていた」


「喪失感、違和感、この世界のいろいろなモノが、わたしに語りかけてきた」


「あの子はここにいたよ、ここにいたよって」


270: 2012/01/08(日) 22:07:16.23 ID:hECzvffYo

病室で目を覚ましたとき。
ホムと名前を付けたとき。
学校で自己紹介をしたとき。
保健室に入ったとき。
さやかちゃんが魔女を倒したときや、マミさんにリボンで縛られたとき。
消しても消しきれなかったあなたの欠片は、その存在を確かに主張していた。

どこで。
それは。
わたしの、こころのなかで。


「わたし、思うんだ」


「わたし一人じゃ、きっとこの道は歩けなかった。でもわたしはここにいる」


「わたしの心の支えになってくれたなにか、それはなんだろうって考えて、分かったんだよ」


「きっとね」


「あなたの欠片は、ここにあるんだ」


ソウルジェムを両手に持ち、高く掲げる。
空中に浮き上がり、光を放ち始めるそれに、魔法少女に変身して、力を込める。
わたしが手に入れた、取り戻す願いが与えてくれた、『復元』の力を。

279: 2012/01/09(月) 22:44:39.16 ID:HSNU4VB3o

光の軌跡がソウルジェムの周りで模る図形は、円。
粒子はある距離までしか近寄れず、ソウルジェムを取り囲んでいる。
ソウルジェムと光子の間に色の無い空白地帯があり、それが侵入を拒んでいるような形。

それはまるで中身を守る壁のような。
それを越えれば、きっとわたしの勝ちだった。


「なるほど、さやかの腕を治したのはその力だったわけだ?」


「確かに、記憶を取り戻すという願いの反映は、そういうことになるかもしれないね」


「だが君の力で、その封を解くのは不可能だよ」


「願いを使ってもできなかったことを、普通にやって出来る訳がない」


「僕だって、こんな力で閉じられたものを見るのは初めてなんだ」


280: 2012/01/09(月) 22:45:39.78 ID:HSNU4VB3o

それは確かに道理。
でもなぜか、わたしの口は異論を唱える。


「そうかな」


「やってみなくちゃ、わからないよ」


ベッドを降りて、しっかりと二本の足で床を踏み締めて。
両手に力を集中させて、念じる。
どうか開いて。
どうか。

光の粒子は代わる代わる円の内側へと突っ込んでいくけれど。
片端から弾かれて、周りに溢れてばかり。
空間は次第に飽和して、それでも壁は崩れない。

少しずつ体から力が抜けていくのが分かる。
魔力はわたしの生命力とも等しいという話だったから。
これが全て抜け切ってしまったとき、わたしは死んでしまうのだろう。
魔女になってしまうのだろう。

281: 2012/01/09(月) 22:47:04.68 ID:HSNU4VB3o

それでも、力を落とす事はしない。
進むべき道は分かったんだから。
あとはただ、そこに向かって突き進むだけ。

ちょっとずつ、ちょっとずつ削っていって。
進んでは弾き返され、弾き返されては進んでを繰り返して。
壁は薄くなっていく。
わたしの力も減っていく。
その抵抗を無くしていく。
その輝きを失っていく。
空間に亀裂の走る音が聞こえた。


「お願い……!」


そして、限界に達した所で、壁が割れて透明な破片が弾け飛ぶ。
わたしの力はソウルジェムへと雪崩れ込んでいく。


そして、弾かれる。
内から新しい壁が現れて、ソウルジェムを取り囲んで、全ての光を弾き返していた。
力は抜けていく。
膝を折り、勢いのままベッドへと倒れこんでしまう。

282: 2012/01/09(月) 22:47:31.11 ID:HSNU4VB3o


「これが現実だ」


「君の力はもう残っていない。その体を維持する事すらままならないだろう」


「残念だったね」


「君は君自身の祈りに裏切られて絶望する。そういう風に魔法少女システムは出来ているんだ」



283: 2012/01/09(月) 22:49:02.12 ID:HSNU4VB3o


「ううん、違う」


せめて声は力強く。
わたしは確信と共に、その言葉を口にする。
心の奥底に、ほんの僅かな火が灯って、光っている。
突っ伏した顔を起こし、上体を起こし、ふらふらの体で立ち上がる。


「わたしのかなえてもらった願いは、『なくしてしまった記憶を取り戻すこと』じゃない」


「確かにそれはわたしの願いだった、けど」


かなえられたわたしの願い。
失った記憶を蘇らせること、だとしたら。
全部の記憶が一度に蘇って、わたしの心は折れてしまっていたのではないだろうか。
わたしが取り戻したのは、記憶のほんのひとかけら。
わたしの弱い心が、ほんの少しの支えに助けられて耐えられる、ギリギリのひとかけら。

そんなに都合よく、耐えられる程度に蘇らせてくれるものだろうか。
わたしの記憶が強い力で封じられていたから、本当にそうなのだろうか。
小さな火は消えそうになりながら、それでもわたしの体に熱を与えている。
そのまま続けなさいと、そう言っているようで。

284: 2012/01/09(月) 22:52:39.57 ID:HSNU4VB3o


「だってさ、願いが叶わないなら、魔法少女にもなれないんでしょう?」


「わたしの記憶は不完全にしか戻らなかったのに、あなたの名前すら思い出せなかったのに!」


「わたしは、こうして魔法少女になってる」


あの時の言葉を思い出す。
わたしはあの時何を言った。
そんなこと、確認するまでもない。
わたしは願い事を二つ口にしていた。

わたしのもう一つの願いは、『なくしてしまった勇気を取り戻すこと』。
だからきっと、わたしの取り戻せたものは、ほんのわずかな勇気、ただのそれだけ。
あの時記憶を取り戻せたのは、きっと無意識のままに力を、わたしの記憶に対して使っただけ。
でも、だから。
こういう状況に陥っても、わたしは、それでも前に進める。

絶望という名の壁に行く道を塞がれてしまっても、希望の灯りが途絶えてしまっても。
ほんのわずかな勇気を何十回も何百回も繰り返し点す。
暖められた心のエンジンは次第に音を立てて回り、わたしという存在を突き動かす。

285: 2012/01/09(月) 22:53:21.41 ID:HSNU4VB3o


「だからわたしは、絶望なんてしない」


「道を見失って心が折れても、何度だって立ち上がるんだ!」


砕けた壁の欠片、空間の欠片は、微細な粒子となって部屋に螺旋を描いている。
片手をそちらに向けて。
持てる残りの力すべてで、その結晶の渦を体の中へと、引き込んだ。

ほんの僅かな記憶が蘇る。
それはたった一言、二言、その程度。
でもその言葉はまさしく、値千金のもの。


「そうだね」


「あなたに、わたしの因果を預けてたんだよね」


「返してもらうね」


286: 2012/01/09(月) 22:54:24.83 ID:HSNU4VB3o

果てたはずの力はすべて、増幅して舞い戻っていた。
壁を壊すのにありったけの力を使ったけれど、壁の中には文字通り力の源が眠っていて。
あなたの記憶を取り戻す度に、あなたの存在をこの世界に取り戻す度に。
わたしの力もまた、わたしの因果もまた、取り戻されていく。


それを理解した瞬間、わたしはまた全力で壁に力をぶつけていた。


声が蘇った。
仕草が蘇った。
表情が蘇った。
次々と、次々と、わたしの中にあなたが、戻ってくる。
聳え立つ壁はあまりに多く、それでもあなたに届くまで壊し続ける。

越えた壁が力をくれる。
乗り越えた壁はわたしを高みに運ぶ足場になって。
どこまでも、どこまでも遥か高く。

わたしに集まった因果は、いくつもの世界の記憶そのもの。
あなたの欠片と共に、あなたの思いも、あなたの記憶も、わたしの中に復元される。

287: 2012/01/09(月) 22:55:07.76 ID:HSNU4VB3o

喜びがあった。
怒りがあった。
哀しみがあった。
楽しみがあった。
それらすべてを塗り潰して余りあるほどの、あなたの絶望があった。

何度も何度もわたしは死んでいた。
みんなも死んでいた。
ただあなただけが、何度も繰り返し、その絶望の果てに自身の消去を願っていた。
とても悲しかった。
あなたのその終わり方が。
だからわたしは、どこまでも進んでいく。
あなたに行き着くまで。


そしてとうとう最後の壁を超える。
高く聳え立った塔の中に、ひとり少女が佇んでいる。

さあ。
残る仕事は、あとひとつ。

288: 2012/01/09(月) 22:55:38.31 ID:HSNU4VB3o


「ここまで来たよ」


「あとはあなただけ。あなたがこの世界に戻ってくるだけ」


「ねえ、そうでしょ」


「ほむらちゃん」


取り戻したのはあなたの名前。
一つのはずのソウルジェムには影が二つ伸びている。
ほむらちゃん、ほむらちゃんと、わたしは何度もあなたの名前を叫びながら、力と意識を集中させる。
もはや火は消えない。
消える訳もない。

289: 2012/01/09(月) 22:56:43.27 ID:HSNU4VB3o

【Side:???】


ゆっくりと視界が開けていく。
目蓋を開けた私の周りに広がるのは、とても白い、白い、病室だった。
何度も何度も目を覚ましたこの病室で、私はまた目を覚ました。

白い枕とベッドとシーツ。
白い壁と白い天井。
そして、私が横になっているベッドの傍に、黒く染まった誰かが、佇んでいる。

黒い影は言う。
私はあなただと。

半身を起こして良く見ればその姿は、確かに私のそれとよく似ていた。
黒く流した髪は編んでこそいないものの、確かに私のそれとよく似ていた。

黒い私は言う。
もう疲れてしまったと。
戦いの果ての結末に絶望して、疲れてしまったと。

意味の分からない言葉は、だけど空っぽの私の胸に沈み込んでいく。
自分の言葉を自分でなぞって、記憶の欠片を体へと染み渡らせていく。

絶望した私は言う。
強くなりたかったと。
弱い私なんていらなくて、大切な人を守れる強い私が欲しかったと。
でもその結果はこれだと、自嘲気味に声を歪める。

290: 2012/01/09(月) 22:57:44.31 ID:HSNU4VB3o

手も足も、体も顔も、どこもかしこもキズだらけ。
痛みが鮮明に、まるで今体験したものであるかのように、私の体の上でその存在を主張する。
体だけでなく、また心も、ぼろぼろだった。

傷だらけの私に言う。
想いを込めて、言う。


「それで終わって、満足なの?」


強くなりたいがために、弱さという私を捨てた私。
私は傷を認めようとせずに、感情を凍らせて、必死にもがいていた。
痛いと心が叫んでも。
それを許そうとはしなかった。
ただ被った仮面にしがみついて。
狭くなった視界の中で、暗闇を手探りで進んでいた。
そして落ちた。
戻ってこれなくなった。

291: 2012/01/09(月) 22:58:46.15 ID:HSNU4VB3o


「違うよね」


本当の強さってなんだろう。
傷つかない事なのかな?
昔はそう思っていた。
でも今はそう思わない。


「だから、さ」


私を強く抱きしめる。
こんなにぼろぼろになってもまだ、必死に前に進もうとした、一人ぼっちの私の体温を感じる。
あなたはとてもよく頑張ったから、だから次は。


「私が、戦うから」


腕の中で震える私は、色をなくしていて、ヒビだらけで。
もう声も出せなくて。
もう息もできなくて。
最後に、目を静かに閉じて、朽ち果て砂粒と崩れて消えていく。
そのすべてを受け止めて、受け入れて、ありがとうと声が零れた。
私が立ち上がれるまで戦ってくれていた私に。
どうしようもないほど傷ついて、それでもまだ必死に未来を見ようとした私に。
あなたがいなければ、きっとこの未来を勝ち取る事はできなかったから。

292: 2012/01/09(月) 22:59:31.77 ID:HSNU4VB3o


「約束する。絶対に、無駄になんてしないって」


さあ、胸に宿った、ほんの小さな勇気の篝火を抱きしめて、目を覚まそう。
生きて未来を掴むために。
私は一人じゃない。
私の背中を、押してくれる人がいる。
折れた私の心を、つなぎとめて励ましてくれた人がいる。
だから進んでいく。
傷だらけになっても進んでいく。
傷と引き換えに手に入れるほんの少しの何かを抱えながら。

決意と共に、空間が歪む。

歪みから現れた私の大切な大切な誰よりも大切な友達の手を、握る。

目と目を合わせて。

頷いて。

引き上げられる。


光へと。


293: 2012/01/09(月) 23:00:23.70 ID:HSNU4VB3o

――――そして、目を覚ます。
開いた目に飛び込むのは天井。
いつも見てきた、何度も見てきた、白い古ぼけた天井。

もう未来はないと思っていた。
彼女達がたとえ未来を掴み取れたとしても、そこに私の居場所はないと思っていた。
だからこうして目覚められたことは。
奇跡という言葉をおいて、他に表現できるべくもなかった。
いつもの目覚めは、ただ、奇跡だった。

動悸が止まらない。
心臓は早鐘のように打ち、視界はすでに滲んでいる。

必死に上体を起こして。
横を向けば、そこには。
魔法少女の姿をした、彼女が、いた。

294: 2012/01/09(月) 23:01:06.44 ID:HSNU4VB3o


「おかえり、ほむらちゃん」


ぼろぼろと涙が頬を伝う。
もう堪える必要はなかった。
感情を殺す必要も、なかった。
ただ、体だけがうまく動かなくて、震えるばかりで、どうしていいのか分からなくて。

手を伸ばして、互いに重ねた。
それは幻ではなく、夢でもなく、そこにある現実だった。

それ以上の言葉はいらなかった。
何を言っても蛇足になってしまいそうだったから。
ただ、二人で手を握ったまま、夜が明けるまでずっとそうしていた。

295: 2012/01/09(月) 23:01:50.95 ID:HSNU4VB3o

窓から日差しが差し込む。
白と黒しかなかった病室は、次第にオレンジ色で染められていく。
陽光が照らし出すまどかの表情は、私が心から求めて、そして得られなかったはずのもの。

笑っていた。
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、笑っていた。


「わたし、がんばれたよ」


「あなたのこと、取り戻せた、よ…………」


涙を流して笑いながら、まどかはそう語りかける。
彼女はやっぱり、私なんかより、ずっとずっと強かった。

296: 2012/01/09(月) 23:02:17.76 ID:HSNU4VB3o


「ありがとう、まどか」


「私、弱かったね」


「どうしようもないくらい弱かった」


手を離して自分の胸に当てる。
そこには心臓があって、トクトクと脈を打っている。
熱を持って、強く強く、動いている。


「弱かった」


297: 2012/01/09(月) 23:02:47.40 ID:HSNU4VB3o

確かに私は弱かったけど。
こんなことが起きてしまって、それでもなお弱くあり続ける必要なんて、もうないよね?
不可能を可能にしてしまうのなら。
不条理を覆してしまえるのなら。
私がたった一人でいなければならない理由なんて、一体どこにあるだろう?

ごめんねと言いたいけれど、それはありがとうに代えて許してもらおう。
それより私が言わなきゃいけないことは、他にあるから。


「だから、変わる」


「まどか、あなたの力を」


「私に貸して下さい」


298: 2012/01/09(月) 23:03:49.51 ID:HSNU4VB3o

ゆっくりと、まどかは首を横に振った。
でもその瞳にあるのは拒絶の色ではなく、優しい優しい希望の光。


「まだ違うよ、ほむらちゃん」


「力を貸すんじゃない」


「一緒に戦うんだよ」


「わたし、全部見てきた」


「あなたを取り戻すために、あなたの記憶を、あなたの想いを、あなたの傷を」


「ほむらちゃんがいてくれたから、今のわたしたちがいる」


「だけどね、わたしたちも、あなたに守られるばかりじゃないから」


「わたしたちだって、あなたのことを守れるんだよ」


「だからわたし、今、こう思うんだよ」


「魔法少女になれて―――――――良かったって、思うんだよ」



あったかい言葉の中で、まどかを抱き締めて、まどかに抱き締められて、私は思う。
私も、魔法少女になれて良かった、って。

308: 2012/01/11(水) 00:19:10.46 ID:83RZktFxo


「僕はどうやら、とんでもない拾い物をしたようだ」


そうキュゥべえが口を開く。
音をなくした世界の中で、その一言だけがやけに響いて残って消えない。


「君がなぜそれほどの因果を持ったのか、そして君は誰なのか、聞きたいことは山ほどあるが」


「まあ、聞いても答えてくれないんだろうね」


尚も言葉を継ぐそいつに、目だけで答える。
お前の言うことに従ってやるつもりなど毛頭ないと。
それを汲み取ったのか、キュゥべえは開け放たれた窓枠に飛び乗って、捨て台詞を残して消えていく。


「それじゃあ、僕は一度退散するとしよう。また後でね」


その姿が消えても、私は虚空を睨み続ける。
自分のなすべきことを再び確認しながら。

309: 2012/01/11(水) 00:20:29.65 ID:83RZktFxo

いつまでもこうしている訳にはいかないと、そう思ったのは同時だった。
声を上げようとした私に先んじて、まどかが私の手を引き立ち上がらせる。


「じゃあ、行こうか」

「どこへ?」

「さやかちゃんを連れて、マミさんの家にね」


その意味は。
この世界がどのように移ろっているのか、それは私には分からなくて。
その説明をお願いしようかと思ったけれど、その話し振りから何となく察する事ができたから、やめておいた。


「美樹さやかも、魔法少女に」

「……うん」


もう立ち上がってドアの方を向いているまどかの表情は窺う事はできない。
でも、その声は沈んだものじゃなく、力強いものだった。


「大丈夫。あんなことには、絶対にさせない」


310: 2012/01/11(水) 00:21:03.51 ID:83RZktFxo

「そう、ね」

「大丈夫だから」


私は何度も何度も美樹さやかを魔女にしては殺してきてしまったのだけれど。
そしてそれをまどかは知っているはずだけれど。
まどかがそれを責める事はなかった。
卑怯だと思いつつ、黙ってその後ろに続く。
そして、投げ掛けられる言葉に、身を震わせる。


「ほむらちゃん、変な事考えてるでしょ」


「ダメだよ」


「あなたのしてきた事は誰にも責められない。だからといって、あなたがあなたを責めるのも違う」


「ほむらちゃんは必死に頑張ってた。だから、胸を張って」


難しい要求だった。
でも、努力します。

311: 2012/01/11(水) 00:22:29.73 ID:83RZktFxo

「さやかちゃん、さやかちゃん、起きて」

「んーぬ……ふぇ、はれ、まどか、どしたのこんな朝早く」

「マミさんを起こしに行くよ」

「!?」


どうしたことか美樹さやかも、病院にいた。
どこも調子は悪くないように快眠していた彼女は、巴マミを起こしにいくと聞いて飛び起きる。
驚愕に目を見開きながら。

起こしに行く、という単語は私にとっても気になるもので。
だけどそれは何となく理解できる気がした。
いつか銃口を私に向けた彼女の歪んだ表情は、今でも鮮明に思い出せるから。


「あんた、なんかあったね」

「ふふ、やっぱりさやかちゃんは鋭いな」

「ちゃんと答えてよ。そういえば、見慣れない子がいるけれど、その子と何か関係あるの?」

312: 2012/01/11(水) 00:23:30.08 ID:83RZktFxo

そんな思考の中、話を振られて視線を向けられて固まってしまう。
心の中の黒い靄が体を縛って声を出せなくて、何を言ったらいいのか分からなくて。
できたのは、お辞儀だけ。


「さやかちゃん、あんまり虐めないであげて」

「うっ、いやいじめてるつもりはないんだけど」

「大丈夫、ちゃんと全部話すから。でもそれはできれば、マミさんや杏子ちゃんと一緒がいいんだ」

「黙って付いて来いってことね。わかりましたよ、しょうがないなもう」


そう言って美樹さやかはベッドを降りて、ソウルジェムを輝かせる。
まどかが窓を開けるために歩いていって、少しだけ私は時間を貰えて。
そのわずかな時間の中で、あるだけ勇気を振り絞って。

313: 2012/01/11(水) 00:24:07.57 ID:83RZktFxo

「あの……私」

「あたしは美樹さやか。あんたの名前は?」

「っえ、え、えっと」

「あんた、まどかの友達ってことでいいんだよね」

「は、はい」

「まあ詳しい事は後で聞くとしてだ」

「はい」

「まどかの友達ならあたしの友達だ。ほら、早く名前を教えたまえ」


そう言って屈託のない笑みと共に差し出された右手。
それを取る事に、ほんの少しだけ躊躇したけど。
それでも私は手を伸ばして、握手をして、名前を言う事ができた。


「……暁美、ほむらです。よろしくね」


314: 2012/01/11(水) 00:25:14.28 ID:83RZktFxo


「まどか、待って」


屋根を伝い空を駆け、巴マミのマンションの正面に辿り着いた時。
こんな深夜に感じるはずのない視線を感じて、先頭に立つまどかを呼び止める。
私だけではなく、まどかも、さやかも、それには気付いているようだった。

でも、二人はそう深刻そうな顔をしていなかった。
どちらかというと、愛しいものを見るような、そんな目をしている。


「仁美ー」

「仁美ちゃん、隠れなくていいよ」

「全く、敵いませんわ」


マンションの陰から出てきたのは、確か……志筑仁美。
二人の学友で、時々上条恭介を巡ってさやかと争い、結果としてさやかが魔女になってしまう一つのトリガー。
思わず身を構えたが、まどかの視線にそれを止められる。
大丈夫だからと。
そう目が言っている。
ゆっくりと歩み寄ってきた志筑仁美が、穏やかな表情で言う。

315: 2012/01/11(水) 00:26:34.93 ID:83RZktFxo


「また病室がもぬけの殻だと連絡を受けて、勘を頼りに張り込んでいたのですが」


「どうやらその様子では、私の役目は終わったようですわね」


その言葉は私に向けられていた。
ほとんど面識もない彼女は、それでも何故か、私の事を見ていた。


「何か足りないと思っていたんです。あなた方はどこか不完全だと」


「私に何か出来るのなら、と行動したまではよかったのですが」


「話を伺った時、とても私に御しきれる問題ではないと、はっきり思いました」


「きっと私に出来ることは何もないのでしょう」


「あなた方と同じ場所に立つことさえ許されない。でも、それでも、私はあなた方の友人です」


「口出しはしません。話が分からなくとも説明も求めません。ただ、傍に居させて頂けませんか」


316: 2012/01/11(水) 00:28:24.82 ID:83RZktFxo

私を見てはいるものの、きっとその言葉はまどかとさやかに向けられているもの。
だから私は何も言わず、委ねるように一歩下がる。

二人の横顔に迷いはない。
放つ言葉の中には、ただただ、喜びだけ。


「まどか、あたしらいい友達持ったね」

「……うん、本当に」

「こっちからお願いしたいくらいだよ。傍に居て励ましてくれるだけで、いくらでも力を貰えるからさ」

「ありがとう、仁美ちゃん」


四つに増えた影がマンションへと吸い込まれていく。
このマンションを出るとき、影はいくつになっているのだろうか。
どうか増えていて欲しいと、願う。

317: 2012/01/11(水) 00:29:36.82 ID:83RZktFxo

巴家のインターフォンを押しても反応はなく。
鍵を開けて入ってみれば、何故か佐倉杏子が、一人膝を抱えて眠っていた。

眠っている場所は廊下。
周囲にファーストフードの空き袋を散らかしながら。
髪はろくにまとめられず、その表情を隠している。
はるか遠くの記憶を辿れば、そこは確か寝室のドアの前のような気がする。

杏子のその姿はとても、心安らかに眠っているとは言い難かった。
おそらくはその部屋の中で、巴マミが静かに眠っているのだろう。


「起きて、杏子ちゃん」

「……んだよ、こんな朝っぱらから雁首揃えて」

「マミさんを起こしに来たの」

318: 2012/01/11(水) 00:30:25.45 ID:83RZktFxo

そのまどかの一言で、杏子の空気が変わった。
被っていた毛布を放り出し、髪をまとめることもせず、魔法少女へと変身して。
見せる表情は、怒り。


「マミの奴は、自分でそういう道を選んだって言っただろう」


「自分で自分のソウルジェムを壊そうとさえしやがった」


「あんだけ希望に満ち溢れてたくせにさ、皮肉なもんだよな」


「……無理矢理起こすってんなら、容赦しないよ」


私でもこれほどの敵意を向けられた事はなかった。
構えているわけでもないし、得物を取り出しているわけでもないのに。
佐倉杏子はドアの前に一人立ち塞がる。
その表情は、暗い。
こんなことにしか力を使えないことが、何よりも悔しいと、そう眼が雄弁に語っていた。

319: 2012/01/11(水) 00:31:31.88 ID:83RZktFxo

魔法少女の事実を知って、その結末に絶望して、といったところだろうか。
最悪の事態に発展していないのが不思議になるくらいだった。
まどかの言葉は止まらない。
なすべきことを見つけた彼女は、とても勇敢で、優しかった。


「無理矢理になんて、起こさないよ」


「わたしはほんのちょっと背中を押すだけ」


「ただ、マミさんがかつて懐いていた希望と勇気を、もう一度心の底に」


「立ち上がるか立ち上がらないか決めるのは、マミさんだから」


さやかがその言葉の後を継ぐ。
杏子とまどかと自身の右手、三様に視線を送りながら。


「なんかさ、みんなタイミングなんだよ。悪い状態に悪いことが重なるせいで必要以上に凹みすぎちゃう」


「あたしはそうだったから、そんでまどかに気付かせてもらったから」


「マミさんだって、もしかしたら同じかもしれない」


まあだからと言ってあんなことしちゃったのが許されるとは思ってないのですが、と苦笑して志筑仁美の方を向くさやか。
やや面持ちは重いものの、そこに絶望がある訳ではない。

二人の言葉を受けて、杏子は静かに横に動く。
その手をまどかはがっちりつかんで、杏子を引っ張りドアを開けて入っていく。

320: 2012/01/11(水) 00:32:28.79 ID:83RZktFxo

部屋の中では、巴マミが眠っていた。
とても穏やかな顔をして。
起こしてはいけないと、そう思わせるような雰囲気を纏って。
そんな彼女を見て固まる私をよそにして。


「始めるよ」


まどかの行動は早かった。
寝室に入るなり巴マミのソウルジェムを手に取り、そこに力を込める。
集められた光は、収束したまま吸い込まれる。


「はい、終わり」


そして終わるのも早かった。
私やさやか、杏子が、思わず声を上げてしまうほどに。
私たちを代表するかのように、さやかがまどかを問い詰める。


「ちょ、まどか、それだけ?」

「言ったじゃん、わたしはただ背中を押すだけだって」

「あとは、マミ次第なのか」

「うん、あとわたしたちにできることは、見守ることだけ」

321: 2012/01/11(水) 00:33:07.55 ID:83RZktFxo

そう言ってまどかは、巴マミの手を取った。
取った手を握って目を瞑る。
それしか出来ないとしても、出来ることはすべてやるんだと言わんばかりに。
その手に重なる手が二つ。
さやかもまた歩み寄って、重ねた両手に想いを込めている。
どうか起きてと、その願いを込めている。

そしてその想いはまた、私も同じだった。
この世界の彼女は私のことを知らないだろうけど、私は彼女のことをあまりにもよく知っている。

救ってくれた。
教えてくれた。
時を戻す内に敵対することが多くなった。
殺されかけた。
見殺しにした。
いつしか彼女のことを諦めて、まどかを救うための障害物としか捉えないようになった。

322: 2012/01/11(水) 00:34:09.30 ID:83RZktFxo

そしてそれは間違いだったと、思い知った。
諦めていれば傷つかないなど、大嘘だった。
彼女の死に直面するたびに、私は荒れて、でもその全てを無理矢理に押し殺していた。
どうでもいいのだから問題ないと、そんなことを言い聞かせていた。
全部、全部、どうしようもない間違いだった。

だからどうか起きて。
私はあなたに言わなくちゃいけないことがあるから。
その前に一人眠っちゃうなんて、許さないんだから。

空いているもう片方の手を強く強く握る。
それだけでは飽き足らず、手を胸元へと引き寄せてその脈動を感じる。
あなたはまだ生きている。
だからどうか目を覚まして。
手遅れになるギリギリで踏み止まってくれたあなたは、きっと立ち直ることもできるから。
どうかお願い。
その言葉は、自然と私の口からも零れていた。

323: 2012/01/11(水) 00:36:42.86 ID:83RZktFxo

志筑仁美は関わらないと言った。
だから残っているのは、杏子。

彼女もまた、こちらへと歩いてきた。
けれどその足取りは穏やかなものではなく、ずっと荒々しいもの。
そのままベッドに上がった彼女は巴マミの胸倉を掴んで上体を起こす。
ついでに私たちも少し引っ張られるけれど、その程度で手を離したりはしない。

杏子は一言も発さない。
ただ歯を食い縛って、両手で巴マミの寝巻きを掴んで、震えている。
沈黙がただ、彼女の空気を凍らせている。

ぐったりと垂れ下がる巴マミの半身は、さらにその心を突き刺しているだろう。
がんじがらめで動けないその姿は、昔の私と重なって見えて。
私の口は動いてしまう。


「あなたが本当に望むようにすれば、それでいいんだと思います」


「きっと、それだけで」


324: 2012/01/11(水) 00:37:40.91 ID:83RZktFxo

甘えに甘えたその言葉は、きっと昔の私ではとても言えないのだろう。
視線は巴マミに向けて動かさないから、杏子がどう反応したかは見えない。
そんな甘えに対する彼女の返事は少し経ってからだった。


「どこの誰だか知らないけど、知った風な口叩きやがって」


「でも、ま、そうかもね」


「この甘ちゃんのことだしな」


そう言って掴む手を離す。
重力に従ってベッドに沈み込もうとする巴マミの体を寸前で再び支え、静かに元の位置に戻す。
巴マミの寝顔は、変わらず穏やかなまま。


「けどやっぱりさ、無理矢理起こしても意味ないんだよ」


「だから頑張って、自分で起きてくれ」


そう言って首を左右に振って、ベッドから降りて、私の隣へと歩いてくる。
重なる手の温度を感じながら、再び目を瞑って想いを込める。

325: 2012/01/11(水) 00:38:25.54 ID:83RZktFxo


「夢を見ていたの」


「覚める事のない夢は、現実と変わらないと言い聞かせて」


「とても楽しかった、とても幸せだった」


「でも、なんとなく分かってた」


「夢は夢でしかなくて、私の居場所はここじゃないって」


「それに向き合うのが怖くて目を閉じていたはずなのに」


「気付いたら、この目は開いていた」


326: 2012/01/11(水) 00:39:23.32 ID:83RZktFxo


「そしてそれでも、私の心は凍らなかった。何かに支えてもらってとても温かかった」


「今はこうして、両手がとても温かい」


「ごめんね。心配かけちゃったね」


私たち四人の手は同時に引かれる。
手を引くのが誰かなんて、今更確かめるでもなかった。

目を覚ましたその人に向かって、まどかとさやかが突っ込んでいく。
起き上がってすぐベッドに倒れ込む彼女は少し困ったような顔をしていた。
そして、とても嬉しそうな顔をしていた。

私はぐっとこらえて動かない。
先にやるべきことがあるから。
私の隣に居る赤い少女もまた動かない。
いや、ちょっとだけ震えていた。


「行かないんですか?」

「行けるかバカ」

「ハンカチ、どうぞ」

「……悪い」

327: 2012/01/11(水) 00:40:36.76 ID:83RZktFxo

結局、下を向いて動かない杏子は、巴マミに抱き寄せられていった。
その慌て振りといったらなかったが、気持ちは分かり過ぎるくらいに分かるから、からかいようもない。
興奮冷めやらぬといった空気が部屋に満ちている、けど。
私の仕事は、これからだった。

まどかに視線を送ってみると、涙に濡れた目で気丈に目配せを返してくれた。
いつでも大丈夫と言わんばかりの表情にやや説得力はないけれど。
多分それは私も同じだから、指摘するのはやめておいた。

息を吸って、そして吐いて。
全てを知った皆が生きている、この奇跡に感謝して。
言葉をかたどる。


「ごめんなさい、聞いて下さい」


「ここに居る皆さんは、きっと私のことを知らないと思います」


「けど、私は皆さんを知っています」


「話さなきゃいけないことがあります」


「だからどうか、聞いて下さい」


328: 2012/01/11(水) 00:42:43.34 ID:83RZktFxo

私の肩の荷は、もう随分降りている。
魔法少女の真実、その結末、それはもうみんな聞かされていて、そして耐えたのだろう。
あと乗り越えなければいけない壁はたった一つ。
最後の関門を抜けるべく、私は自分の中の知識を整理して、ただ話す。
何度も何度も、その中で謝罪の言葉を零しながら。

私という存在。
何の取り柄もない少女だった私が、魔法少女の巴マミとまどかに助けられた始まり。
街にワルプルギスの夜が訪れて、全てを壊し、やり直すことを願った瞬間。
時を覆し、幾度も繰り返し、未来を求めて彷徨った日々。
いつしか仮面を貼り付けて、犠牲を厭わなかった罪。

そして何もかもに絶望してしまったこと。
諦観の果てに、自分のしてきたことがあなたたちを苦しめていると理解してしまったこと。
自身の存在を消して、この世界への関与をなかったことにして、あなたたちの手で未来を掴んで欲しいとまどかに願ったこと。

最後のはずだった世界で、まどかが私の存在を取り返してくれたこと。
潰えたはずの希望をまた取り戻すための、勇気を手に入れられたこと。

329: 2012/01/11(水) 00:56:49.58 ID:pcUKEDTyo

私はとてもとても希薄な存在になって、まどかの中に溶けていた。
実在と非実在の狭間で見えたいくつかの事実は、私にほんのわずかな希望を見出させてくれた。
いずれ到来する災厄の魔女との戦いの中に。
だから私は今、この言葉を言うことができる。


「統計によると三日後、ワルプルギスの夜がこの見滝原にやってきます」


「お願いします」


「未来を掴むために、私と一緒に戦って下さい」


338: 2012/01/11(水) 22:12:07.13 ID:pcUKEDTyo


「話としては興味深いが、証明する手段はあるのかい」


「君のその話が、君の頭の中にしかない夢物語では、ないと」


情報に圧倒され、誰も何も言わない部屋の静寂を裂いて現れるのは、全ての元凶。
キュゥべえを睨み付けながら考える。
私の言葉が彼女たちに通じたことは、これまで一度もなかった。
私の言葉では、不可能だった。
でも、今の私には、とても心強い味方がいる。


「わたしが保証する」


「みんなが望むのならば、わたしの力で証拠を見せたっていい」


私の横にはまどかが立っている。
彼女の力で、私の記憶をここに復元すると、言っている。

339: 2012/01/11(水) 22:12:38.88 ID:pcUKEDTyo

蘇る光景は私の心をきっと抉るだろう。
けれどその程度の痛み、彼女たちが実際に味わったものとは比較にならないだろう。
だから、彼女たちに辛い思いをさせてしまうのは、どうしても避けられない。
それだけが心苦しくはあった。

でも、三人はお互いに目を合わせ、頷く。
覚悟はあるとそう頷く。
それを確認して、私は記憶へと浸っていく。


「皆さんにとっても、辛い記憶だと思います」


「どうか、耐えて下さい」


あなたたちを失った記憶の彼方へ。
隠しようのない本音を露にしながら。

340: 2012/01/11(水) 22:13:28.50 ID:pcUKEDTyo


まず蘇ったのは巴マミの記憶。
彼女は絶望のまま叫んでいる。


『みんな……みんな死ぬしかないじゃない、あなたも、私もッ!』


そう叫んで私に銃口を突き付けて。
彼女のソウルジェムは砕かれて、事切れる。



次に蘇ったのはさやかの記憶。
彼女は希望を失って呟いている。


『魔女に勝てないあたしなんて、この世界には要らないよ』


私は彼女に銃口を突き付けて。
引き金を引こうとして、押さえ付けられる。


341: 2012/01/11(水) 22:14:35.82 ID:pcUKEDTyo


次に蘇ったのは杏子の記憶。
彼女は血塗れで、満身創痍で、槍を支えに立っている。


『悪い、その子頼む……あたしのバカに付き合わせちまった』


私は彼女を見捨てて逃げる。
響く爆音を最後に、私は彼女を見ることはない。



最後に蘇ったのは、まどかの記憶。
彼女はグリーフシードを掌に包んで微笑んでいる。


『ほむらちゃん、やっと名前で呼んでくれたね』


私は彼女のグリーフシードを撃って彼女を殺す。
涙で滲んだ視界もそのままに、世界は歪み時は巻き戻る。


342: 2012/01/11(水) 22:15:18.76 ID:pcUKEDTyo

そして、元の世界を取り戻す。
巴マミのマンションの内装が視界に戻って。
私は倒れ込み、それでも尚、言葉を続ける。


「どうか、信じて、下さい」


「こんなことを繰り返さないために、どうか私に力を貸して下さい」


「お願いします」


返事はない。
痛む頭を抑えながら、それでも意識だけは辛うじて繋ぎとめながら、顔を上げて。
言葉を待つ。
いくらでも。

343: 2012/01/11(水) 22:16:23.58 ID:pcUKEDTyo


「起きてからずっとね、不思議だったの」


「私に力をくれたこの子は誰なんだろうって」


「あなたは私を知っていたんだね」


「きっとあなたの言っていることは本当で」


「私はあんな風に死んでしまっていた」


「でも、今、私は生きてる」


「私は魔法少女。見滝原を守る魔法少女だから」


「あなたと一緒に、戦うわ」


344: 2012/01/11(水) 22:16:53.19 ID:pcUKEDTyo


「過去のあたしとか言われても、あたしはあたしでしかない」


「だから正直、あたしにはよく分からない」


「でも、あんたが嘘を付いてないのは、なんとなく分かる」


「心を込めた言葉を必死に喋ってるって、それだけは分かる」


「だから、あたしも戦うよ」


「あたしもこの街が大好きで、それで」


「友達と先輩が戦うって言ってるんだからな!」


345: 2012/01/11(水) 22:17:21.35 ID:pcUKEDTyo


「自分のためだけに、力を使うって決めたんだけどな」


「なんで気付いたら、色んなものを捨てられなくなってんのかな」


「あんた、道理で馴れ馴れしい口を利くわけだよ」


「あたしは、魔法少女だからどうとか、そういうのはどうでもいい」


「ただ、守りたいものがある」


「いいよ、戦うさ」


「たまには、そういうのもいいだろ」


346: 2012/01/11(水) 22:18:08.42 ID:pcUKEDTyo


「わたしは、言うまでもないけど」


「未来のために、生きるために、戦う」


「だからわたしたちからもお願いがあるんだ」


「ワルプルギスの夜について」


「あなたの知っていることを、教えてください」


泣き出したくなるような衝動を、ぐっと堪えて。
声を受けて私は話し出す。
私たちの未来の前に立ちはだかる、最後の関門。
何度も何度も私たちの大切なものを奪い去ってきたその魔女の存在を、その概念を。

347: 2012/01/11(水) 22:19:43.83 ID:pcUKEDTyo


「ワルプルギスの夜は名前ではなく、通称。割り振られた役割の名称です」


「その役割は、物凄く嫌な言い方をすれば、ゴミ箱」


「私たち魔法少女の魂は、絶望を経て魔女となり、エネルギーを取り出されるけれど」


「取り出されたエネルギーをプラスとするなら、残された魂はマイナス」


「これを放置していたら、取り出されたエネルギーはまた元の通りに吸い取られてしまうから」


「穢れ切った私たちの魂を、隔離する場所が必要でした」


「魔女と化した私たちの魂は円環の理、輪廻転生の淵から零れ落ち、ワルプルギスの夜に取り込まれて」


「その中で未来永劫、何もかもを呪い続けます」


「その力で世界を滅ぼすことのないようにコントロールされながら」


「その力で、かつて同じ存在だった魔法少女を絶望へと引きずり込む役割も兼ねながら」


「魔法少女システムの要であり、始まりにして終わり。それがワルプルギスの夜――【死者を囲い込むもの】」


348: 2012/01/11(水) 22:20:34.29 ID:pcUKEDTyo


「繰り返しの中で、まどかがワルプルギスの夜を倒したことはありました」


「でも、その度にまどかはソウルジェムを濁らせて魔女になってしまいました」


「文献を引っくり返してみると、確かに時々ワルプルギスの夜を倒したという記述もあるんです」


「ただ、そこに記されている魔女の特徴が、私の知るものと一致しない」


「ワルプルギスの夜が倒されたら、魔法少女システムは瓦解する」


「ワルプルギスの夜は役割」


「以上から、立てた仮説です」


「ワルプルギスの夜を倒した魔法少女が、次のワルプルギスの夜となる」


「全ての呪いを一身に受けて、その心をへし折られて、その役割を引き継いで」


349: 2012/01/11(水) 22:22:00.28 ID:pcUKEDTyo


「文献にはこうもありました」


「ワルプルギスの夜の圧倒的な力、理不尽なまでの絶望を指して」


「オチをつけるもの、機械仕掛けの神――――デウス・エクス・マキナ」


「どんな争いも、どんな悲劇も、彼女の元へと還っていくと、そう書いてありました」


350: 2012/01/11(水) 22:22:55.38 ID:pcUKEDTyo

一気に話し終えて、息を吐く。
私が折れてしまった現実。
それを前にして。
皆は等しく、その瞳に闘志を燃やしていた。


「神サマ、上等じゃん」

「ひよっこのくせに元気なもんだ」

「ぶん殴る相手がいるんだから、今までよりずっといいじゃん」


さやかの目線はキュゥべえに。
怒りは全く隠されていない。
視線を受けるインキュベーターは、それでもまったく動じていない。


「ふむ、仮説とは思えない。大したものだよ」


「だが現実は何も変わっていない。これだけの因果を集めたワルプルギスの夜は無敵だ」


「事実を確認して、それでどうするというんだい?」


351: 2012/01/11(水) 22:24:05.14 ID:pcUKEDTyo

確かにワルプルギスの夜の力は遥か高み。
どれほど繰り返しても、私の力では及びも付かなかった。
それは悔しさに唇を噛み切りそうになるほどの事実だった。
けれど。


「これだけの予想をしたのなら、策が無いという訳ではないのでしょう?」

「話してみろよ。可能かどうかはそれから考えようぜ」


今の私は一人じゃない。
たった一人の力で、対抗する必要など、どこにもない。
そしてそのためのピースは、私がこの世界に復元された時にまた現れていた。
だから私は彼女に、発言権を譲る。


「ワルプルギスの夜は、倒すんじゃない」


「救う」


まどかはそう宣言する。
救済の魔法少女として。

352: 2012/01/11(水) 22:25:15.56 ID:pcUKEDTyo

【Side:美樹さやか】


夜道はもう、かなり寒い。
まどかから詳しいことを聞き、概ね合意して、一度解散したあたしたちは思い思いに残りの時間を過ごすことになって。
こうしてあたしは仁美と夜の見滝原を散歩している。
ただ一人の一般人としてあの場に居た仁美が思い詰めてはいないか、心配だったから。


「仁美はさ、あの話聞いてどう思った?」

「どうもこうもありませんわ。デウスなんて言葉を聞くことになるとは思ってもいませんでした」

「まあ、神サマだもんねえ」


適当に相槌を打っては来るけど、その面持ちは暗い。
少し先を歩く彼女の横顔はいつか見たものとよく似ていた。
何も出来ないと自分を責めていた、まどかのそれとよく似ていた。
何か言葉を選ぼうとするけど、どうしてもうまい言葉が思い付かず、結果的に先手を取られてしまう。


「私、無力です」


「私には何も出来ないのでしょうか」


「あなた方が無事に帰るのを、ただ座して待つことしか出来ないのでしょうか」


353: 2012/01/11(水) 22:25:59.08 ID:pcUKEDTyo

その問いの答えはきっと仁美には分かっている。
そしてあたしにも分かっている。
だからそう答えたくはなかった。
そして考えて、でもその答えはすぐに出た。


「ワルプルギスの夜は、スーパーセルっていう超大型竜巻として観測されるんだってさ」


「きっと何もしないでいたら、酷い被害が出ると思う」


「だから仁美には、見滝原に普通に暮らす人たちを避難させて欲しい」


「普通の人間として、あたしたち魔法少女に出来ないことをさ」


「仁美だってあたしたちの仲間だろ。抜け駆けして楽しようったってそうはいかないからな!」


振り返って笑った顔は、とても明るく。
返事もまた、とても心強いものだった。


「はい、お任せ下さい」


354: 2012/01/11(水) 22:26:45.73 ID:pcUKEDTyo

「さやかさん、お聞きしたいことがあるんです」

「どったの」

「墓の中まで持って行くつもりだったのですが、気が変わってしまいました」


決意はそのままに、微笑みを消して。
道の真ん中で仁美は立ち止まる。
見たこともないほど真剣な表情から、問いが投げ掛けられた。


「さやかさんは、上条恭介さんのことをどう思っていますか」


その問いに、少し前のあたしは答えられなかったかもしれない。
でも今は不思議と、それを言うことに抵抗はなかった。


「好きだよ」


真っ直ぐに仁美の目を見る。
その質問の意味が分からないほど、あたしもバカじゃないから。
対峙して視線を外さない仁美の顔には、また笑顔が戻っていた。

355: 2012/01/11(水) 22:27:28.13 ID:pcUKEDTyo


「私も」


「上条恭介さんを、お慕いしています」


「本当は、さやかさんのお話をお聞きした時から身を引くつもりでした」


「私の割り入る余地はないと。そう思っていました」


「あなたの絶望を見て、私がその原因になってしまったのではないかとも、考えました」


「でも、今のあなたになら」


「正面からぶつかっても、大丈夫な気がしてしまいました」


「そしてあなたは、真っ向から答えを返してくれました」


356: 2012/01/11(水) 22:28:17.10 ID:pcUKEDTyo


「同情されて譲られて、それであたしが満足すると思う?」

「全く、思いませんわね」


目の前にいるのは、力のない一般人などでは、もはやなく。
大切な人の一番を争う好敵手。
右手を突き出し、突き合わせ、言葉を交わす。


「ワルプルギスの夜を越えて」

「選んで頂きましょう。同時に、思いを伝えて」

「余計なことは一切なし。あたしの願いのことも、あたしの体のことも」

「上等ですわ」


これでますます死んでやるわけにはいかなくなった。
どれほどの困難が待っているのかは知らないけれど。
今のあたしを、生半可なことで殺せると思うんじゃない。

357: 2012/01/11(水) 22:29:18.36 ID:pcUKEDTyo

【Side:巴マミ】


手早に防寒対策をして、右手に地図を握って、玄関まで出た所で。
久し振りの同居人に呼び止められた。


「マミ、どこ行くんだ」

「あと三日でしょ。やれることはやっておこうと思って」

「そういや出現予測言ってたっけ」

「ええ、何とかカバーできる範囲だから」


ワルプルギスの夜の出現場所は、かなり事細かに特定されていて。
それだけ統計を正確に取れるほど、その夜は訪れたのだろう。
そしてその度に、この街の命を狩り尽くして行ったのだろう。
考えるだけで寒気が走る。
そんな少しの動揺も、この子には簡単に見抜かれてしまうらしく。

358: 2012/01/11(水) 22:30:22.04 ID:pcUKEDTyo


「なあマミ」

「何かしら」

「お前、本当に大丈夫なのか」


見抜かれているということは、きっと誤魔化しても無駄だから。
素直に答えておこう。
嘘を付いてもしょうがないし。


「……本当は、ちょっと怖いかな」

「本音を言うとさ」


そんな私の本音に、佐倉さんも本音で返してくれるらしい。
この子の本音をぶつけられるのはいつ振りか、少しだけ感慨に浸りながら、耳を傾ける。

359: 2012/01/11(水) 22:30:50.64 ID:pcUKEDTyo


「お前には、戦って欲しくない」


「もうごめんなんだよ。誰かがいなくなるの」


「あいつらはあたしが守るから」


「お前には、後ろで見ててほしいんだ」


「……まあ、とか言っても」


「どうせ聞いちゃくれないんだろうけどさ」


「お前は、魔法少女だもんな」


360: 2012/01/11(水) 22:32:35.60 ID:pcUKEDTyo

その要求は当然受け入れられない。
それは言ってる本人も、とてもよく分かっているようだった。


「ええ、無理ね」


「私が目覚められたのは、あなたたちと同じ所に居たいと思えたから」


「あなたたちをこの手で、守りたいと思えたから」


「もしもここで逃げてしまったら、私はまた眠ってしまう」


「そんなのは、イヤだから」


どれだけ痛くても、傷つく世界でも、私はみんなのいるこの世界が好き。
色々なものを犠牲にしてきたけれど、その上で勝ち取ってきた、この居場所を今、何よりも愛しく思う。

だから、私は私の居場所を守りたい。
臆病な私はいつでも戦いから逃げようとするけど。
私の心が保つ限りは、厳しくも優しいこの世界で生きていたい。


「私は、見滝原を守る魔法少女だから」


「あなたたちの友人の、巴マミだから」


「だから戦うの。どんなに怖くても、私が私であるために」


361: 2012/01/11(水) 22:33:27.41 ID:pcUKEDTyo

ポリポリと頭を掻きながら、佐倉さんは溜息を吐く。
その目には、いつか見た希望がまた、灯っていた。


「じゃあせいぜい頑張らないとな」

「ふふ、佐倉さんがいれば百人力よ」

「足引っ張んなよ」

「あら、あなたこそ」


その変化は何が齎した物だろうか。
もしかしたら、私が為せたものだろうか。
その答えは彼女にしか分からないけど、今はその変化を喜ぼう。


「……無事に戻ってこれたら、またケーキと紅茶、よろしくな」

「そういえば用意してなかったわね。うん、楽しみにしてて」


用意するのは六人分かな。
葉っぱは何がいいだろう。
それを考えるのもまた、とても、楽しかった。

362: 2012/01/11(水) 22:34:55.26 ID:pcUKEDTyo

【Side:鹿目まどか】


わたしはほむらちゃんを連れて、病室へと戻っていた。
パパやママに余計な心配をかけたくなくて。
幸い仁美ちゃんはそのあたり気を遣ってくれたらしく、大きな騒ぎにはなってなくて。
なんとかこうして、二人で腰を落ち着けている。


「まどか、ごめんね」

「どうしたの、いきなり」

「どうしてもこれだけは謝りたかったの。私は、あなたとの約束を、破ってしまったから」


会話はほむらちゃんの謝罪から始まった。
思い当たる節は一つ。
わたし自身の記憶ではなく、ほむらちゃんの記憶を通して。


「こうして一番大変な仕事まで押し付けて」


「無理をさせてしまって」


「本当に、ごめんなさい」


363: 2012/01/11(水) 22:35:57.00 ID:pcUKEDTyo

そんなことないと、否定しようとした。
でも、わたしは自分の体が震えていることに気付いてしまっていたから。
何も言えなかった。

ほむらちゃんの言葉は止まらない。
わたしは自分の震えを抑え込むのに必死で、彼女に口を挟めない。
目の前の壁。
ワルプルギスの夜、そしてその先にあるもの、手に入れたい未来が、掛け替えのないものであるからこそ。
わたしの心は、怯えて、震えてしまっている。


「でも」


「一人で無理なことも、きっと一緒になら背負えるから」


「勝手なことを言っていると理解しているけど」


「どうか私に、もう一度機会を下さい」


「あなたともう一度、約束をする機会を」


364: 2012/01/11(水) 22:36:28.84 ID:pcUKEDTyo

口を挟む必要はなかった。
ほむらちゃんはもう、弱くなんてなかった。
ただわたしの心を支えようと、それだけを。


「この命尽き果てるまで」


「あなたと共に、戦います」


胸の奥で焔が、紅く美しく燃え上がる。
震えはいつしか止まっていた。

371: 2012/01/12(木) 22:09:24.28 ID:Z92gKdK4o

決戦の日。
人気のない見滝原を背に、五人の魔法少女が立っている。
各々の決意を胸に、各々の武器をその手に。
十の目で見据えるのは、巨大な積乱雲と、幻想のサーカス。
闇夜の空に、カウントダウンが浮かび上がる。
わたしたちの前に立ち塞がる最後の壁、ワルプルギスの夜が、その姿を現そうと。

心を奮い立たせて。
カウントダウンの最中、何よりも頼もしい仲間へ声を掛ける。


3.


「みんな、少しだけ時間を稼いで」


2.


「でも、絶対に死なないで」


1.


「そしてその先にある未来を、全員の手で掴み取ろう」


0.


372: 2012/01/12(木) 22:11:00.79 ID:Z92gKdK4o

そして、惨劇の開始を告げる笑い声が、辺りに響き渡る。
巨大なスカートをはためかせて現れたワルプルギスの夜は、陽気な笑い声を上げながら破壊を撒き散らす。
四人が思い思いに飛び掛かっていく。
彼女たちの無事を願いながら、わたしは両手を天に掲げ力を集め始める。

全ての魔法少女の魂の成れの果ての成れの果て。
あらゆる世界から魂を集めたワルプルギスの夜は、世界を束ねる因果の特異点そのもの。
そして、わたし。
ほむらちゃんの手によって数多の平行世界の因果をこの身に寄せ集められた、因果の特異点。

よく似た存在を前にして。
わたしは力を、自分の限界を越えて、この世界からも引き寄せる。
魔法少女が喪った希望のエネルギーを。
体に満ちる力はとても温かい。
彼女たちの祈りが、希望が、そこに結晶して漂っていた。

373: 2012/01/12(木) 22:11:38.24 ID:Z92gKdK4o

「君は、悪魔だね」

「キュゥべえ」

「今からしようとしている事が、どういう事か分かっているのかい」

「わかってるよ」

「僕たちの集めたエネルギーを、君は全て水泡に帰してしまう」

「それでも、わたしは人間だから」


キュゥべえの言葉は、もっともだけど。
わたしは彼らの努力を全て、踏みにじっていくのだろうけど。


「あなたがその道を選んだように」


「わたしはわたしのために、みんなのために、この道を選ぶ」


まだ力は足りない。
焦燥感を圧し殺しながら、ただ祈る。

374: 2012/01/12(木) 22:12:58.95 ID:Z92gKdK4o

【Side:暁美ほむら】


ワルプルギスの夜。
幾度も幾度も私は道を阻まれ、希望を砕かれ、迷路の入り口へと戻されてきた。
でもそれは当たり前の事かもしれなかった。
私が時を戻す度に繰り返される希望と絶望のサイクルは、私が存在しなければ起き得なかったもの。
あの魔女の中で呪いに浸る彼女達が恨むべき対象など、私を置いて、他に居ないだろうから。

でも今、私は彼女達に道を示せる。
それがこの手によるものでないのは、どれほど謝罪しても足りる事はないだろうけど。
それでも、今の私のやるべきことは、たった一つ。

誰よりも長く戦ってきた。
だからこそ私が先陣に立つのは必然だった。
雨を風を雷を従えて進軍するワルプルギスの夜に向けて、ありったけの火器を向ける。
極力煙で視界を隠さないように選んだそれらは、続け様に着弾し、ワルプルギスの夜の侵攻をやや遅れさせる。


「まったく、これ全部ホンモノよね? どこから調達してきたのかしら」


そして続くのは、巴マミ。
私のそれは物理的な破壊だった一方、彼女の攻撃は魔法によるもの。
数えるのを諦めたくなるような銃が呼び出され、嵐のような銃弾がすべて地面に降り注ぎ、その尽くからリボンが生まれる。
おびただしい量のリボンはワルプルギスの夜に巻き付き、なお絡み付き、ほぼ完全にその動きを止めた。

375: 2012/01/12(木) 22:13:40.08 ID:Z92gKdK4o

「うお、やるじゃん」

「マミさん、さっすがー」

「時間があったから、このために準備しておいただけよ」


念のために私たちの警護に付いていた杏子とさやかも、感嘆の声を上げる。
その拘束は確かに、そう簡単に外れるものではないように見える。
でも、その程度では済まないだろうと、私の中の経験と知識が告げていた。


「飛んで下さい!」


間一髪で、さっきまで立っていた足場が攻撃を受けバラバラになる。
私たちは散り散りに飛んでいた。
孤立させられた私たちへと、ワルプルギスの夜の使い魔が襲い掛かる。

376: 2012/01/12(木) 22:14:16.35 ID:Z92gKdK4o

ワルプルギスの夜とは、全ての魔法少女の絶望を内包する魔女。
魔女の成れの果てを従える魔女。
繰り返した時間の中で、あまりに多くの魂が絶望の果てに吸い込まれていった。
ワルプルギスの夜の使い魔はそれゆえに、とても馴染みのある形をしていた。

さやかの所には、さやかの成れの果ての成れの果て。
巴マミの所には、巴マミの成れの果ての成れの果て。
杏子の所には、杏子の成れの果ての成れの果て。


「あ、あ」


そして、繰り返した時の中でも、一度も魔女と化さなかった私の所には。
まどかの成れの果ての成れの果てが、現れていた。

まどかの影は、私に向けて弓矢を構えている。
分かっていてもそれは、私に致命的な隙を生む。

377: 2012/01/12(木) 22:15:09.82 ID:Z92gKdK4o

【Side:佐倉杏子】


目の前に現れた黒い人影。
どこからどう見てもあたしだった。
声を上げて笑っていた。
夢とか希望とか正義とか、バカみたいと言って嗤っていた。

魔女になった連れを見捨てて、そのまま緩慢に絶望して。
バカにしてるなら絶望もしないだろうに。

大笑いするそいつは、あたしと同じように槍を振るうけれど。
負けてやる気は欠片もしない。
その耳障りな笑い声を止めてやらないことには、あたしの気が収まらない。


「最後に正義が勝つ希望の物語の、何が悪いってんだよ」


「お前だって、そういうのを信じたかったんじゃないのかよ!」


少し前までのあたしの写し身を、四方八方からの挟撃で貫き砕く。
ずいぶん久し振りに使ったその力は、昔と同じように、この体を守ってくれた。
ちょっと、名前を叫ぶのは無理だったけど。

378: 2012/01/12(木) 22:15:54.85 ID:Z92gKdK4o

【Side:巴マミ】


絶え間ない銃撃は、精度が低いにしろ厄介だった。
その源となっている影には、見覚えがありすぎるほどにある。
どう見てもそれは自分のシルエットだったから。

その影は微笑みながら泣いている。
独りぼっちは寂しいと、泣きながら微笑を顔に貼り付けている。
その気持ちは分かりすぎるほどに分かってしまう。


「強がって意地を張って」


「引っ込み、付かなくなっちゃったよね」


ほんのわずかに呟いただけなのに、それだけで弾幕の密度は更に上がる。
どんなに些細な言葉でも聞き逃すまいと。
そうアンテナを張り巡らせる自分の影は、あまりにも痛ましくて。


「わたしはもう、独りじゃないから」


間隙を突いて身を躍らせて、真正面から特大の砲弾を撃ち放つ。
浴びせられたすべての砲撃を押し潰し、そのまま影ごと貫いて遥か彼方へと消えていく。

379: 2012/01/12(木) 22:16:56.77 ID:Z92gKdK4o

【Side:美樹さやか】


目の前で鍔迫り合いをする相手は、あたしと瓜二つだった。
違うのは表情と、影か実体か。
目の前の影はただ泣いている。
恭介を手に入れられなかったと泣いている。

でも、あたしはそれが気に入らない。
ただ誰かを呪い続ける、そんなあたしが気に入らない。


「でもさ、あたしはそのために何をしたの」


「恭介の手を治したのは、振り向いて欲しかったからなんでしょ」


「それなのに街のため、マミさんのためって別の理由で塗り潰して、自分の気持ちを偽って」


「そんなんじゃ、あんなに真っ直ぐな仁美に勝てるわけないじゃん」


剣を握る腕に力を込め、弾き飛ばす。
開いた距離を即座に詰めて、そいつの目の前で、言う。


「あんたの分まで、あたしが言っておくからさ」


一瞬固まったそいつを切り捨てて。
ワルプルギスの夜へと、また向き直る。
切って散った影は吸い込まれ、すぐに新しい影が生まれて襲い来る。
気は緩めずに、また同じように泣いているあたしへと切り掛かる。

380: 2012/01/12(木) 22:17:44.36 ID:Z92gKdK4o

【Side:暁美ほむら】


ギリギリのところで身体は動いた。
腕を掠めて彼方に消えていく矢は黒く。
その絶望を呪いを、象徴しているかの如く。

ニ撃三撃と続けざまに撃ち込まれる。
全く思うように動かない身体を引きずり、僅かに残された砂で時を止め、かろうじて致命傷は負わないけれど。
いずれそうなるのは目に見えていた。

何をすることも私の心を砕いてしまいそうだった。
まどかを守ってまどかの影を壊すか。
まどかの影を壊せずにまどかを失うか。
選ぶべき道はただ一つのはずなのに。
私の心は囚われて動けない。

影はからからと笑っていた。
誰も救えなかったと笑っていた。

魔女になってまで全てを救おうとした彼女は、自分自身をどうしようもないほど貶めていた。
どうしようもない役立たずだと、世界の何よりも自分自身を呪っていた。
そんな姿がとても痛々しくて。
そしてようやく、私は道を選び取る。


「必ず、助けるから」


銃口を向ける手は震えない。
砕かれた影はワルプルギスの夜に回帰し、また新しい影となって戻ってくる。

381: 2012/01/12(木) 22:19:13.47 ID:Z92gKdK4o

私が苦戦している間に、ワルプルギスの夜の拘束は解けてしまっていて。
魔女本体と使い魔と私たちと、戦いはもはや個別のものではなく乱戦となり破壊の嵐が吹き荒れる。
それでも私たちは下がらない。
一歩たりとも進ませるものかと、全員で力の限りに力を振るう。

降り注ぐ炎は大きく避ける。
飛び交う岩は撃ち落とし、切り砕き、時には勢いのまま投げ返す。
ビルが投擲されても、緊急回避のために温存した時間停止が機能して。
全てのピースは、しっかりと噛み合っていた。


大丈夫だと思っていた。
ワルプルギスの夜が、奇怪な声を上げて、引っくり返るその瞬間までは。


最初に感じたのは烈風。
次に感じたのは、やけに低い笑い声。
自分が空高く打ち上げられていると気付いたのは、それからだった。

どこまでも運ばれてしまうような恐怖。
それに従って本能のまま、時間停止を行おうとするけれど、もう時の砂は残っておらず。
掴まるものは何もない。
私を止めたのは、強烈な痛みを伴って私の腕に絡み付き一体化した、巴マミのリボンだった。

382: 2012/01/12(木) 22:20:27.67 ID:Z92gKdK4o

混乱のまま、それでも状況を確認しようとして。
風の音に掻き消されないよう大声で叫ぶ。


「……状況は!?」

「なんとか全員掴まっているけれど、最悪ね」


呟くような巴マミの声は、リボンを経由しているからか、それでも私の耳に届く。
どうやら誰も彼方へと飛ばされてしまってはいないらしい。
ただ確かにこの状況は、最悪だった。
視界は皆無で、少し下にいるらしい巴マミはおろか、他の誰も見ることは出来ない。


「鹿目さんの周りは、比較的風がおとなしいみたい」


「近くに居た佐倉さんが、ギリギリでそこに避難して、鹿目さんを守りながら、飛ばされた私を繋ぎとめて」


「私がリボンを伸ばして、何とか美樹さんとあなたを引き止めている」


焦りで頭が空回りして上手く考えがまとまらない。
ただ自分の中に、一つ引っかかるものがあった。
リボンを経由すれば届くとはいえ、何故巴マミの声は、こんなにも小さい?

383: 2012/01/12(木) 22:22:10.22 ID:Z92gKdK4o

「巴さん、どうやって杏子と、結ばれているんですか」

「……あはは、鋭いな」

「早く、早くリボンで繋ぎ直して下さい!」

「無理よ。私の両手、あなたたちで塞がっちゃってるもの」


それはつまり、杏子の側から巴マミを繋ぎ止めているということ。
杏子が距離の空いた人を捕まえられるのは、掴めるのは、たった一つしか思い浮かばない。
そしてそれは、とてもそういう用途に使うようなものではない。


「そん、な」

「ふふ、コルセット付いててよかった、かな」

「そんなもの、気休めにもならないじゃないですか!?」


早くしなければ。
私たちは巴マミの結び合わせる魔法で繋がっているから、そう簡単に飛ばされはしないだろう。
でも、鎖で繋がれた彼女は、そうはいかない。
時間が過ぎる毎に、気流が私たちを襲う度に、彼女は少しずつ削られていってしまう。
最悪の事態の想像は、とてもしたくないけど、簡単にできてしまう。
その時はきっと、私もさやかも、彼女の上半身と一緒に、どこまでも飛ばされていくだろう。

風が耳元をごうごうと通り過ぎる。
冷や汗は雨と混じり、私の体温を凄まじい勢いで奪っていく。

384: 2012/01/12(木) 22:24:37.76 ID:Z92gKdK4o

なすべきこと。
その答えは、出た。
一つだけ確認をするべく、巴マミに強く呼びかける。


「さやかと私、どちらが上ですか?」

「あなたのほうが、五メートルほど上、かな」

「それなら、大丈夫です」


ただ、完全に博打だった。
全員の命を危険に晒し、そして成功するかも分からない、恐ろしい博打だった。
それでも、やるしかないから。


「巴さん、どうかもう少し耐えて下さい」


「今からそっちに行きます。ちょっと荒っぽい方法ですけど」


「さやかに、巻き込むから覚悟をしておくよう伝えてもらえますか」


385: 2012/01/12(木) 22:25:24.32 ID:Z92gKdK4o

もう時間は止められない。
今の私に残されたのは、魔法少女であるという事実と、いくつかの武器。
爆煙を過剰に出してしまうことを嫌って使わなかった、爆弾の数々。

とても怖いと怯える私の心を燃え上がらせる。
今の私が背負っているものは何か。
今の私を支える、たった一つの約束は何か。
私のいるべき場所は、こんな所じゃない。


そして、盾から爆弾を取り出して、点火して。
風の成すがままに後方へと流して。


爆発して、強烈な爆風と、凄まじい熱と、破片の雨を体に受けて。
上昇気流を打ち消して、下へと吹き飛んでいく。
ソウルジェムだけを、必死に守りながら、目を必死に凝らしながら。

386: 2012/01/12(木) 22:26:41.31 ID:Z92gKdK4o

まず一人。
さやかは、すぐに見つかった。
風があまりにも強いため、私たちは殆ど一直線上に並んでいたから。
勢いのまま私は彼女に覆い被さり、さらに爆弾を点火して後ろに放り投げ、爆風を生んで推進力を受ける。


「ほむら、あんた何てことしてんの!?」

「大丈夫、だから」


痛みは感じないから。
ただ恐怖だけがこの心に降り積もっていくけれど、それでもこれしかきっと方法はないから。
限られた時間の中で、選んだ最低限の言葉をさやかに伝える。


「信じるから、信じて」


「ソウルジェムだけ、しっかり守って」


背中が焼けていく感覚はある。
何かが私の背中に突き刺さる感覚もある。
それでも、私は私のいるべき場所へと、進んでいる。

そして巴マミが見える。
彼女は案の定、鎖でがんじがらめに縛られて、両手を天に差し伸べて、まるで磔のように。
そのお腹から信じられないほどの血を滲ませて、呆然とした顔で私たちを見ている。

387: 2012/01/12(木) 22:27:49.41 ID:Z92gKdK4o


「さやか!」

「ッ了解!」


そしてさやかが、自由な二本の手で巴マミを抱え込んだ。
私の手は絶えず爆弾を取り出し、点火し、投げているために使えない。
でも彼女は、このギリギリの時間でそれを理解してくれた。


「……荒っぽいってレベルじゃ、ないわね」


「後のことはあたしが引き受けますから、マミさんは休んで下さい」


三人の塊になって、風の源に近付いて、さらに抵抗は増している。
ワルプルギスの夜が近いと、そういうことだろう。
もう盾の中の爆弾も残り僅か。
それでも、やれることがある限り、私は止まらない。
生きている限り、絶対に止まらない。

光が見える。
そこにはまどかと杏子がいるはずだった。
きっと杏子は、鎖の感覚から私たちが近付いている事を理解しているだろう。
だから、迷わない。


最後の一つを爆発させて、加速して、抵抗を振り切る。
風を受ける感覚は途端に消え失せた。
私たちを地上へ運んだ力は、その瞬間、私たちを地面へ叩き付ける力となって。
落下するその先には、杏子がいる。
その目に覚悟があることを安堵して、私は着地の衝撃を受けて。

388: 2012/01/12(木) 22:28:40.58 ID:Z92gKdK4o

【Side:鹿目まどか】


「いや、いや……いやだよ、こんなの、いやだよ」


「ほむらちゃん、さやかちゃん、マミさん、杏子ちゃん」


「どうして、どうして、こんな、あと少しなのに」


目の前には、地獄絵図。
ついさっきまで戦っていた仲間が、血みどろの中で転がっている。
杏子ちゃんが近付くなと言った、その意味は、こういうことだった。

暴風、竜巻の影響がここになかった原因はわからない。
でもそんなもの、今はどうでもいい。
頭は全然回らなくて、何をすればいいのか全くわからない。

みんな吹き飛ばされてしまった瞬間、とてつもなく嫌な予感はした。
でもそれがこんな形で実現するなんて、信じられなかった。

ほむらちゃんとさやかちゃんは、全身に凄まじい火傷を負っている。
マミさんは火傷だけじゃなく全身血塗れで、ほぼ力も尽き果てている。
そして手を広げて全員を受け止めた杏子ちゃんは、自分自身の赤と合わせて、真っ赤だった。

389: 2012/01/12(木) 22:29:39.82 ID:Z92gKdK4o

ほむらちゃんから、霊脈という場所から動かないよう、念を押されていた。
動かないのであれば、首を向けてただ見ていることしかできない。
でも、限界だった。


「動いちゃ、ダメ」


その限界で、瀕死のほむらちゃんが微かに声を漏らす。
その制止はだけど、とても、とても、聞けるようなものではない。


「大丈夫、だから……きっと」

「そんな、そんな訳ない、このままじゃ、みんな、みんな死んじゃう!」

「……わたしたち、魔法少女だよ? きっと、大丈夫だから、あなたは……」

「でも、そんな状態で襲われたら、みんな、戦えないでしょ!?」

「……いつまで、黙ってるの、かな」

390: 2012/01/12(木) 22:30:14.64 ID:Z92gKdK4o


その声は、わたしに向けられたものじゃなかった。
その声は、この状況を引っくり返せる彼女に、向けられたものだった。


「ごめん、ちょっと大変だったから……さ」


そして、眩い光が四人を包み込む。
癒しの願いを叶えた彼女が、その力を解き放つ。
自分自身も瀕死の状態で、それでも。


「……まどか、死んじゃダメだって、あたしに……言った、ね」


「その通りだわ、生きてれば、大抵何とか……なるもんだね」


癒しの力が、四人のいる空間を満たしていく。
さやかちゃんのほとんどの力を使い果たすほどのその行為は、確かにそこにいた魔法少女達を癒していく。
目を逸らしたくなるような火傷も、裂傷も、少しずつ消えていって。
光が晴れたとき、そこには傷一つない四人が、横たわっていた。

391: 2012/01/12(木) 22:31:35.37 ID:Z92gKdK4o

「鹿目さん、私たちは大丈夫みたいだから」

「お前にしかできないことが、あるんだろ」


残る二人も、弱弱しくはあるものの、声を出して無事を教えてくれた。
その事実に励まされて、また前を向いて。
目の前のワルプルギスの夜と目線を合わせて。
力を集め始める。
残りほんのわずか、それだけの力を。


そしてついに、その時は訪れる。


「ごめんね、長引いちゃって、ケガさせちゃって」


「でも、もう大丈夫だよ、みんな」


「わたしの準備、できたから」


わたしはいつしか変わっていた。
髪は長く伸びてたゆたい、蕾が花開いたような白と桃の衣装を纏い、薄く光の翼を背負い。
温かい力が周囲へと、迸っている。

手を上に横に掲げ、光の弓矢を呼び出して。
わたしの後ろでみんなもまた、力を振り絞って立ち上がるのを、感じる。

時が、満ちる。


392: 2012/01/12(木) 22:32:10.66 ID:Z92gKdK4o

弦を強く引き絞る。
キリキリと張り詰めるその音は、やけに強く耳に残る。

それは正面からも発せられていた。
わたしの影は、わたしとワルプルギスの夜を結ぶ一直線上に割り込んで、黒い弓を構えていた。

絶望したわたしの成れの果て。
その奥には、もっともっとたくさんの、魔法少女の成れの果て。
彼女たちの祈りは、希望は、この身体に満ちていた。
わたしの心にあるのは、ただ愛しさだけ。


「もう、いいんだよ」


「あなたたちはもう誰も呪わなくていい。そんな姿でいなくたっていい」


それはとてもとても温かい。
それはとてもとても力強い。
だからそれは在るべき所へ。


393: 2012/01/12(木) 22:32:50.66 ID:Z92gKdK4o


「今からあなたたちに、返します」


「あなたたちの祈りを。あなたたちの希望を。あなたたちの愛した世界を」


「勇気を」


「どうか、受け取って」


痛いほどに力を込めた矢の羽根を、離す。
希望を載せた光の束は、向かって放たれた呪いを包み込み、虹を引いて流星と疾る。
全ての魂を擁いて、ワルプルギスの夜という概念を貫いて、空に煌々と光の柱が立ち昇る。


そして、朝陽が射す。
長い長い夜が、たった今明けて、その先に未来が覗く。

396: 2012/01/12(木) 23:03:13.06 ID:Z92gKdK4o

射した光が、反射を受けて鮮やかに色付く。
数え切れないほどの魂がワルプルギスの夜から解き放たれ、浄化され、輝いていた。
彼女たちの声が聞こえる。
ありがとう、ありがとうと。
そう言いながら円環の理に導かれ、輪廻転生の内に還っていく。

その中には、たくさんのわたしがいた。
平行世界で息絶えたわたしがいた。
もはや形はないけれど、わたしの欠片は光の粒子としてわたしのところに降りてきて、一つ置き土産をして消えていく。

それはわたしの記憶だった。
何度も何度も絶望した、それでも未来を見ようとした、わたしの希望のひとかけら。
躊躇なく受け取るわたしは、感情を抑えきれず泣き出してしまって。


「あ、ああ、うあああああ」


口を押さえても声は漏れ出て。
それはみんな同じだった。
記憶を受け取って、思い出して、泣いていた。
自分の記憶を、みんなの記憶を混ぜ合わせた坩堝の中で。

397: 2012/01/12(木) 23:04:08.36 ID:Z92gKdK4o


「ごめんなさい」


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


その中でたった一人。
ほむらちゃんだけは、泣きながら謝っていた。
両手を固く組んで、跪いて、祈っていた。
昇って逝く魔法少女に向かって。


「……私、絶対に、忘れません」


「生きている限り、背負い続け、ます」


嗚咽の中でそれだけを何とか言葉にして、また彼女は謝罪に戻る。
そんな彼女を見ていられないのは、みんな同じだった。

398: 2012/01/12(木) 23:04:54.83 ID:Z92gKdK4o

ただ、一番乗りを譲るつもりはない。
後ろからほむらちゃんを抱きしめて。


「ほむらちゃん、一人じゃないよ」


「わたしも一緒に、背負うから」


続いたのはマミさん。
正面から、ほむらちゃんを窒息させてしまいそうなほど。


「立派になったね、暁美さん」


「ずっと一人にしちゃって、ごめんね」


さやかちゃんは右肩に手を置いて。
その手に力を込めて。


「転校生とは呼ばないよ、ほむら」


「ごめんね。あたしあんたのこと、ずっとずっと誤解してた」


最後に来たのは、杏子ちゃん。
笑いながら左肩を掴んで、揺さぶって。


「随分と丸くなったもんだ」


「胸張れよ。守りたいもの、守れたんだろ」


まだほむらちゃんの顔はぐしゃぐしゃだったけど。
もう泣いてはいなかった。

399: 2012/01/12(木) 23:06:26.81 ID:Z92gKdK4o

そして長い時間を掛けて、光の柱は消えていく。
その役目を終えて、元の見滝原の様相を取り戻していく。

当然、そこは前のままではない。
吹き飛ばされたビルの残骸、吹き上げられた瓦礫の被害、周囲の光景は散々なもの。
でも、誰も欠けてはいなかった。
わたしたちは五人並んで、ただ何も言わず、陽の光を浴びている。


「皆さん、ご無事ですか!」


瓦礫の向こうから、一つ声がする。
聞き慣れたその声を認めて、わたしは瓦礫を飛び越えて声の主を連れてきた。


「仁美ちゃん、おつかれさま」

「まどかさん、それに皆さん、本当にお疲れ様でした……」

「ちゃんと避難させてくれたんだね。ありがと、仁美」

「礼には及びません、当然のことです」


見滝原の街はかなり破壊されてしまったけれど、犠牲者はいなかったそうだ。
そこに人がいるのならば、きっと少しずつではあるけれど復興していくだろう。

400: 2012/01/12(木) 23:07:26.04 ID:Z92gKdK4o

そしてわたしには、まだ残った仕事がある。
それをこなさなければ、終わりとは言えないだろうから。


「さやかちゃん」

「……うん」


わたしに残った仕事。
魔法少女はグリーフシードがなければ、いずれ力尽き魔女になること。
それを、覆す。


「ワルプルギスの夜は、もういない」


「わたしたち魔法少女の魂を縛るルールは、魔法少女システムは、もうない」


「だったら、わたしの力で、抜き出され結晶化させられたあなたたちの魂を」


「もとあった場所に復元することだって、できるはずなんだ」


そして、差し出されたさやかちゃんのソウルジェムに、力を込める。
ソウルジェムは力を受けて、少しずつ空中を進んでいく。
さやかちゃんの心臓、心のあるところに向かって。

401: 2012/01/12(木) 23:08:17.33 ID:Z92gKdK4o

抵抗する概念はない。
ただ、抵抗する力は、あった。

ソウルジェムは押し戻される。
他ならぬ、さやかちゃんの手で。


「まどか、あんた隠してることがあるよね」


「この世界には、きっとまだ沢山の魔法少女がいて、沢山の魔女がいる」


「あたしらを人間に戻して、それからあんたはどうするつもりだったの」


「あたしらをこの街に残して、自分一人で行くつもりだったの」


「冗談じゃないよ」


さやかちゃんは笑っていた。
口調は厳しいものだったけれど、笑っていた。


「ここまで付き合わせといて、最後だけ別行動なんて、そりゃないでしょ」


「連れて行けよ、親友」


402: 2012/01/12(木) 23:09:07.43 ID:Z92gKdK4o

見れば他のみんなも、全く同じ顔つきをしていた。
みんなにはみんなの生活があるから、と思っていたけれど。
どうやらこれでは、連れて行かないほうが恨まれてしまいそうで。


「私も、今度こそは付き合いますわよ」

「仁美ちゃん、すごく長い旅になるよ?」

「地球を文字通り一周するのでしょう」

「それがわかってるのなら」

「旅費はどうするんですの。翻訳は。移動手段は。現地での行動拠点の確保はどうするんですか」

「えっと、魔法少女の力でなんとか……」

「あなた方の力の源は、無限に在るものではないのでしょう。省けるものは省くべきです」


もう、何も言えなかった。
仁美ちゃんにも、十分な覚悟があるのなら。


「お願い、していいの?」

「もちろんです。私もまだまだ半人前ですが、家の者の助けも借りて、きっと十分にサポートしてみせますわ」

403: 2012/01/12(木) 23:10:37.79 ID:Z92gKdK4o

「僕は、帰るとしよう」

「キュゥべえ」

「この星で、僕のやるべき事はなくなったからね」

「使ったグリーフシードは」

「君の力で、還してあげられるんじゃないかな」


キュゥべえは相変わらず、何の感慨もないように言葉を継ぐ。
帰るとは、つまりインキュベーターの生まれた星へと、帰っていくのだろう。
そしておそらく、もう二度とわたしたちとは会わないのだろう。


「ありがとね、キュゥべえ」

「一体どういう風の吹き回しだ、僕は君たちにとって不倶戴天の敵ではなかったのかい?」

「あなたのしていたことは、認められないけど、それでも」


わたしたちが手に入れられたもの。
繰り返した悲劇の果てに、こうして掴み取った未来は、間違いなく。
キュゥべえなしにもまた、存在し得なかったものだろうから。

404: 2012/01/12(木) 23:11:10.62 ID:Z92gKdK4o


「助けてもらったから」

「本当に不思議な存在だね、君たちは」


わけがわからないといった様子で、歩いていく。
どこまで歩いていくのかは、わたしには分からない。


「わたし、勉強するよ。わたしだけじゃない、きっとこれから生まれる全ての人たちも」


「そして、人類が宇宙のエネルギー問題に取り組めるようになったら、また地球においで」


「その時はまた、一緒に戦おうね」


小さな姿は少しずつ小さくなって消えていく。
またね、というやはり小さな言葉を残して、消えていく。

405: 2012/01/12(木) 23:11:56.64 ID:Z92gKdK4o

【Side:美樹さやか】


仁美と一緒に避難者の帰りを待って、待ち人を見つけて、そして真っ先にやったこと。
それはたった一つ、ここまで先延ばしにし続けてきた、そして最後に約束したこと。


「恭介」

「上条恭介さん」

「あたしは」

「私は」

「「あなたのことが、好きです」」

「あーっとストップ。返事はまだね」

「私達、これから長い旅に出なければならないんです」

「いつ帰ってくるかも分からないけど、返事はそれまで待って欲しいんだ」

「勝手な事を言うようで、申し訳ありませんけど」

「帰ってきたら、秘密にしてたことも全部話すよ。だからお願い、どうかそれまで待ってて」

406: 2012/01/12(木) 23:12:27.67 ID:Z92gKdK4o

呆けた顔の後に呆れ返った顔。
それでも恭介は、頷いて、約束すると言ってくれた。

まだ心臓のバクバクが収まらない。
答えをあそこで聞いていたら、心臓が止まっていたかもしれなかった。

でも、今のあたしには、一つ確信していることがある。
たとえその結果がどのようなものでも、あたしは、絶望などしないだろうということ。


「ねえ、ちゃんと言えたよ」


「あんたはちゃんと生まれ変わったのかな」


「どうか次は、幸せに生きてね」


空に向かって言う。
絶望の果てに死んでしまった自分に向かって。
どうかあなたの来世に、幸運のありますようにと、願う。

407: 2012/01/12(木) 23:13:12.51 ID:Z92gKdK4o

【Side:巴マミ】


近所の花屋で買った花束を抱えて、訪れた先には先客が居た。
同じように花を抱えているのだけれど、その違和感は隠し切れない。


「佐倉さん」

「おう、マミ」

「それ、何」

「見りゃ分かるだろ、花だよ花」

「いや、そうじゃなくて」

「……金無いから、その辺の取ってきた」

「だったらちゃんと摘みなさい。なんで木の枝を折って持ってくるのよ」


彼女が抱えていたのは、どういうことか桃の木の枝。
花としてはやや季節はずれのそれは、それでもいくつかの花をそこに咲かせている。
ここは墓地。
見滝原を離れるのならその前にと、パパとママに花を供えに来た、のだが。
ちょっと憂鬱な気分は、どこかへ吹っ飛んでしまった。


「いいじゃん、別に」

「半分あげるから、半分よこしなさい」

「ああ、ありがと。やっぱ種類は多いほうがいいよな」

408: 2012/01/12(木) 23:13:46.73 ID:Z92gKdK4o

朗らかに笑う彼女も、やはり献花に来ているのだろう。
彼女の家族のお墓がここにあるとは知らなかったけど。
私の気も知らず、彼女は墓に花を供えていく。
意外にも手馴れたものだった。


「いろいろ、なくしちゃったけどさ」

「うん」

「その代わりに、手に入れたものもあるんだよな」

「そうね」

「大切にしないと、バチが当たるね」

「大切にしましょう。最後の最後まで、気を抜かないで」


私たちの戦いは、まだ終わらない。
地球を周る旅は決して楽なものにはならないだろう。
それでも、一緒に戦う仲間がいるから、不可能とは思わない。


「これからも、私たちは生きていきます」


「どうか、見守っていてください」


そう言って目を瞑る。
私は今、とても幸せです。
そしてきっと、これからも。

409: 2012/01/12(木) 23:14:20.30 ID:Z92gKdK4o

【Side:鹿目まどか】


みんなと待ち合わせた橋の上。
わたしはほむらちゃんと一緒に支度を済ませ、こうして一足早く待っている。
ホムを抱えながら、パパとママの見送りを後ろに受けて。


「ホム、元気でね」

「みゃーお」

「この子、エイミーじゃないの?」

「ふふ、この世界ではホムって名前を付けたんだよ」

「なんか恥ずかしいな」


ホムはさすがに連れて行けないため、うちで預かってもらうことになった。
そもそも旅に出ることから大騒ぎになったため、かなり交渉は大変だったけれど。
それでも二人とも、最後には、笑って送り出してくれた。

ホムを撫でながら、思う。
この子がわたしの全ての始まりだった。
この子を助けたいと願ったのが、わたしの魔法少女としての最初の一歩だった。
そしてこの世界で、ほむらちゃんの欠片を真っ先に感じた、最初の一歩だった。

410: 2012/01/12(木) 23:14:53.89 ID:Z92gKdK4o


「この子も、きっとわたしたちのこと、必死に助けてくれたんだ」


「わたしが辛い時、ホムはホムなりに元気付けようとしてくれた」


「あなたも、わたしたちの仲間だったんだよね」


掛け替えのない宝物。
わたしがこの世界で手に入れた、たくさんの宝物の中の一つ。


「じゃあ、ちゃんと帰ってこないとね」

「うん。きっと大丈夫だよ」

「みゃーお」


その顔はまた、これまでと同じように。
大丈夫だから頑張れって、そう言っているように見えた。

411: 2012/01/12(木) 23:16:22.26 ID:Z92gKdK4o


「これまで、すごく沢山のことがあった」


ほむらちゃんがそう呟く。
その目は空を見て、いつかそこにあった光の柱を見ているようで。


「こうして私は今、光の中にいるけれど」


「ずっと闇の中で彷徨って、閉ざされた世界の中で廻り続けて」


「大切なあれもこれも、忘れてしまっていた頃があった」


その表情は、冷たい。
いつか見ていた、心を閉ざしていたほむらちゃんに、そっくりだった。


412: 2012/01/12(木) 23:16:49.13 ID:Z92gKdK4o


「だから、もう一度」


ほむらちゃんは一つ息を吸う。
深く深く、深呼吸をして、言う。


「私をあなたの、お友達にしてくれますか」


それに対するわたしの答えなど、もう決まっている。
目を見て、笑って、手を握って。


「もうわたしたちは、友達だよ」


「これからも、いつまでも、ずっと。ずっとね」


そして表情は崩れて、満面の笑みが浮かぶ。
わたしがそれを与えてあげられたことに満足して、大きく手を振る。
橋の向こうに、さやかちゃんと仁美ちゃん、マミさんと杏子ちゃんが見えた。

413: 2012/01/12(木) 23:17:17.50 ID:Z92gKdK4o


「じゃあ、行こうか」

「うん」


まだまだ、わたしたちの戦いは終わらない。
わたしたちの人生も、始まったばかり。

この世界を生きていこう。
大切な友達と、宝物に囲まれて、幸せに包まれて。



                        ――fin.

414: 2012/01/12(木) 23:18:22.74 ID:Z92gKdK4o
以上、閉幕となります。
長らくお付き合い、ありがとうございました。

今日はしばらく居ますので、何か質問などありましたら。

415: 2012/01/12(木) 23:46:00.00
乙!

419: 2012/01/13(金) 00:11:04.81

面白かった!

428: 2012/01/15(日) 05:54:14.93
よかった!
やっぱりハッピーエンドが好きだよ。

引用元: まどか「勇気を」