4: 2011/02/19(土) 02:54:57.75 ID:/VDOMEkj0


ーーこの学校の先生になってくれて、私嬉しかったんだ。


雪景色の校庭で彼女はそう言って、無邪気な顔で笑った。



5: 2011/02/19(土) 02:58:09.94 ID:/VDOMEkj0
…………


「あ、おいし……」

お猪口の温燗をクイとあおって、ほう、と幸せそうに息を吐く。

「なかなかの飲みっぷりね」

そう言うと、憂は少し恥ずかしそうに微笑み指先で唇を拭った。

「お父さんがね、娘とお酒飲むの夢だったんだって」

「へえ、」

「でもお姉ちゃんがこんなだから、付き合うのはいつも私で」

「……なるほどね」

憂から視線を落とすと、そこには妹の膝枕で気持ち良さそうに眠る姉の姿。

6: 2011/02/19(土) 03:02:26.02 ID:/VDOMEkj0
「雪見酒だなんてはしゃいでたくせに、潔いくらいの下戸だものね」

「和ちゃん、お姉ちゃんが晩酌に付き合えないの、寂しい?」

「そうねぇ。でも憂とふたりでこうやってのんびり飲めるのも嬉しいわ」

「お姉ちゃんが聞いたら拗ねちゃうよ」

「いいのよ、拗ねさせておけば」

憂は姉を起こさないように、口元を両手で覆ってクスクスと笑う。

前日から降り続いた雪はあっという間に街を白く覆った。
カーテンを半間ほど開けた窓から、雪景色を淡く照らす朧月が見える。

「あ、和ちゃん、そろそろ作っちゃう?」

スープと少量の具が残った土鍋を指差し、憂が私に訊ねた。
憂を見て、壁の時計に視線を移す。22時を少し回ったところだった。

「そうね。ご飯は私が持ってくるから唯を起こしちゃいなさい」

「うん、冷やご飯が冷蔵庫に入ってるよ」

「わかった」

コタツから出てキッチンに向かう。灯りを落としたキッチンの冷えた空気に身震いする。
リビングから、お姉ちゃん起きて、と憂の声が聞こえた。

7: 2011/02/19(土) 03:06:24.33 ID:/VDOMEkj0
冷蔵庫からご飯の入った器と生卵を取り出し、ラップを外してリビングに戻る。

「唯、起きた?」

「ううん、ダメ」

姉の頭を膝に乗せたまま、私を見上げた憂が苦笑いをした。
卓上のカセットコンロは既に土鍋の底を炙り始めている。

「お姉ちゃん、雑炊作るから起きて」

「ん~」

「ねえ、」

「う~ん……」

「もう、お姉ちゃんってば」

憂が肩を揺すっても、唯は唸るばかりでなかなか起き上がらない。
子供みたいな姉と、母親みたいな妹。見慣れた光景につい笑ってしまう。
私の笑みに気付いた憂が、頬を膨らませた。

「もう、和ちゃんも笑ってないでお姉ちゃん起こしてよ」

「どうせ雑炊が出来る頃には勝手に起きるから、放っておきましょ」

「えー……。ちょっと、足痺れちゃってるんだけどな……」

そう呟きながら、憂は困った笑みを浮かべて姉の髪を優しく撫でた。

8: 2011/02/19(土) 03:10:13.72 ID:/VDOMEkj0
…………


「ふぁー、おなかいっぱい!ごちそうさまでした!」

ぱん、と音を立てて、唯が両手を合わせる。

「ごちそうさまでした。憂、ほんとに美味しかったわ」

「ふふ、お粗末さまでした」

3人分のお茶を注ぎながら、憂が微笑む。

「ねえ、和ちゃんもアイス食べるよね?」

一直線にキッチンへ向かった唯が、
ハーゲンダッツのミニカップを3つこちらに掲げてみせる。

「ええ、いただくわ」

少し首をのばしてキッチンを見やり、唯に答えた。
私の前に置かれた湯飲みから、ふんわりと暖かい湯気が立つ。

「ありがと」

「ほうじ茶とハーゲンダッツじゃ、ちょっと合わないかな?」

憂がいたずらっぽく笑う。

11: 2011/02/19(土) 03:15:14.11 ID:/VDOMEkj0
「ねえねえ、ストロベリーとグリーンティーとハニーミルク、どれがいい?」

「唯が先に決めていいわよ」

「おぅふ……そう言われると迷うなぁ」

「どうせ私と憂のぶんもひとくちずつ食べるんでしょ?」

「えへへ……よくお分かりで……」

唯は再びコタツに潜り込んで、自分の前にハニーミルクとスプーンをひとつ置く。
残りのふたつを差し出されて憂に視線を送ると、先に選んでいいよと目で応えてきた。
少し迷って、グリーンティーを受け取る。

12: 2011/02/19(土) 03:21:12.90 ID:/VDOMEkj0
「やっぱりそっちを選んだねぇ」

計算通り、と唯がちょっと悪そうな顔で笑って、ストロベリーを憂の前に置いた。

「お姉ちゃん、アイス食べたらお風呂入っちゃってね」

「私はあとからでもいいよー?」

「片付けがあるし、ちょっと酔いも醒ましたいから」

「そっか、わかった」

そう言い終わるか終わらないかのうちに、
唯はひと掬いしたハニーミルクをぱくりと口に入れた。

16: 2011/02/19(土) 03:32:05.28 ID:/VDOMEkj0


「……憂は、ほんとうにそれでいいの?」

卓上の片付けを終えて台拭きを滑らせる憂に、私は尋ねる。

「うん、それがいいの」

憂は私の目を見てまっすぐに答える。私はそう、と小さく息を吐く。

もうじき大学を卒業する憂は、もう進路を決めておかないといけない時期だ。
就きたい職業のためではなく、姉を追って同じ大学に入った憂の将来を
私は少し気にかけていた。

17: 2011/02/19(土) 03:36:15.96 ID:/VDOMEkj0
「それにね、お姉ちゃんのお世話をするっていうよりも、」

「うん?」

「お姉ちゃんだけじゃなくて、みなさんの活動をサポートしたいって思ったの」

「そう」

「だって、私、HTTの音楽大好きなんだもん」

「……そうね」

姉が所属するバンド、HTTのマネージャーになる。それが彼女の選択だった。

18: 2011/02/19(土) 03:40:37.71 ID:/VDOMEkj0
元々、HTTがメジャーデビューして所属事務所のマネージャーが付いてからも
唯のスケジュール管理は自然と都内で一緒に暮らしている憂の役目になり、
その正確さと献身ぶりを事務所社長がいたく気に入って、話を持ちかけられたらしい。

「正社員になるのは卒業してからだけど、ちょっとずつ仕事を教えてもらってるの」

「そう。がんばってね」

「うん、ありがと」

煎れ直してくれたほうじ茶を、ひとくち啜る。
ほう、と溜め息を吐くと、おばあちゃんみたいだよと憂が言った。

19: 2011/02/19(土) 03:45:00.52 ID:/VDOMEkj0
「……私も憂も、唯からは離れられないってことか」

「それ、ちょっとノロケに聞こえるよ?和ちゃん」

「あらそうだった?そのつもりはなかったんだけど」

真面目に応えた私が可笑しかったようで、憂が声を出して笑う。

「なに~?ふたりで何の話してるの?なんか楽しそう」

肌を桜色に染めた唯が、タオルで髪を拭きながら戻ってきた。
湯冷めするからちゃんと乾かしなさいと言うと、
唯はハーイと間延びした返事をしながら再びコタツに潜り込む。
憂が馴れた調子でドライヤーを手渡し、じゃ、私入ってくるね、と脱衣所へ向かった。

20: 2011/02/19(土) 03:49:30.48 ID:/VDOMEkj0
「ねえ、何の話してたの?」

栗色の柔らかな髪をドライヤーの熱で踊らせながら、唯がもう一度聞く。

「唯の悪口言ってたのよ」

「えぇー……。和ちゃんの冗談は時々冗談に聞こえないよ」

顔をしかめる唯に少し笑って、憂から話を聞いたことを報告すると、
唯は、あー……と呟いて目を泳がせた。

「うん。なんか、そういうことになっちゃって」

「まあ憂が側にいてくれるなら、私も安心だけど」

「うーん、でもね、ホントにこれでいいのかな」

そう口にした唯に、どうして?と聞き返す。
ドライヤーのスイッチを切り、乾いて広がった髪を整えながら唯は言葉を続ける。

21: 2011/02/19(土) 03:55:20.97 ID:/VDOMEkj0
「憂を、私の生活に縛り付けていいのかなって」

「……」

「憂には憂の人生があるし、もっとやりたいことあるんじゃないかなって」

「……あんたの口から人生なんて単語が出てくるとは思わなかったわ」

「もう、和ちゃん、私は真面目に悩んでるんだよっ!」

唇を尖らせ、コタツの天板を両掌で叩く。
その手を握ってやると、唯はむぅ、と唸って上目遣いに私を見た。

「憂とは、ちゃんと話し合ったの?」

「……うん、ホントにいいの?って聞いたよ。何回も」

繋いだ手に視線を落として、唯が答える。

22: 2011/02/19(土) 03:59:36.37 ID:/VDOMEkj0
「それで、憂はなんて?」

「うん、聞くたんびに、私がやりたいからやるんだよって言われた」

「そう」

「……でも、」

「唯」

静かに名前を呼ぶ。唯は言葉を切って視線を私に向けた。

「唯自身はどう?憂があんたたちのマネージャーをすること。憂の気持ち抜きで」

「…………」

唯は私と視線を合わせたまま、考える。
ひとつ瞬きして、少し俯いて口を開いた。

「……嬉しい」

23: 2011/02/19(土) 04:04:02.07 ID:/VDOMEkj0
「ならいいじゃない。それがあの子が選んだ人生、よ」

「なんか重いな、人生って言い方」

「あんたが言ったんじゃない」

「そうだけどさぁ」

子供のように拗ねる唯の頭を撫でてやる。
ドライヤーの熱が少し残っているのか、ふわふわと暖かい。

「唯は、憂が路頭に迷わないようにちゃんと練習していい歌うたってあげなさい?」

「……うん」

唯はコクリと頷くと、ようやく柔らかい笑顔を見せた。

24: 2011/02/19(土) 04:07:46.70 ID:/VDOMEkj0
…………

「和ちゃん、お湯張り直したからあったかいうちに入って」

リビングに戻ってきた憂にそう言われ、
今日泊まる気は……と応えかけたところで唯にじろりと睨まれた。

「ない、なんて言わないよね?和ちゃん」

「……言うつもりだったんだけど」

「嫌だよこの子ったら、その冗談は笑えないよ」

「ええと、私明日も仕事なんだけど」

「早めに起きるって手もあるよね?」

「……着替え、持ってきてないわよ?」

25: 2011/02/19(土) 04:11:55.06 ID:/VDOMEkj0
「……」

これで諦めるだろう。
そう思った矢先、唯は突然立ち上がってどたどたとリビングを出ていった。
階段を上る音、ドアが開く音、閉まる音、階段を降りる音と続いて、
再びリビングのドアが勢いよく開く。

「はぁ、はぁ……、わ、わあ不思議、こんなところに新品のおぱんつが!!」

肩で息をしながら唯が突き出したのは、
値札付のビニールパッケージに入れられたままの下着。

「…………。憂、お風呂いただくわね」

溜息を落として立ち上がると、洗いたての髪をドライヤーで乾かしながら、
パジャマはお姉ちゃんの置いておいたから、と憂がにっこり微笑んだ。

26: 2011/02/19(土) 04:15:58.79 ID:/VDOMEkj0
…………

「……いい香り。ひさしぶりだな、この家のお風呂入るの」

唇のすぐ下までたっぷりと湯に浸かって呟く。
吐いた息で、お湯の表面が小さな波を立てる。

最後に平沢家のお風呂に入ったのはいつだっただろう。
小学生の時?中学時代に入ったことがあったかしら。
あの子たちと一緒にいた時間が長過ぎて、よく思い出せない。

27: 2011/02/19(土) 04:21:07.61 ID:/VDOMEkj0
「憂の、人生……か」

唯の言葉を反芻してみる。

憂が唯と同じ大学に入ってから、姉妹は都内のマンションで再び一緒に暮らし始めた。
唯なりに、自分でできることはするようにがんばっているようだけど、
場所が実家から賃貸マンションに移動しただけの、変わらないふたりの距離。

岐路に立ってなお、憂は姉の側にいることを選んだ。

28: 2011/02/19(土) 04:25:39.61 ID:/VDOMEkj0
私は進学で地元を離れ、母校の教員としてこの街に戻ってきた。
日帰りでは逢えない遠距離恋愛の4年間と、一緒には暮らせない中距離恋愛の今。

唯との将来を、考えたことがないといえば嘘になる。
実際、こうして今、漠然とした不安を抱えた自分がいる。

「……不安、なのかな」

頭に浮かんだ単語を口に出してみる。言葉にしてみると、少し違う気がする。

29: 2011/02/19(土) 04:31:46.64 ID:/VDOMEkj0
別に、憂に嫉妬しているわけじゃない。
憂との関係は極めて良好だし、以前よりも私を姉のように慕ってくれる。

控えめに桜の香りがする薄紅色のお湯を、右手で掬いあげる。
指の間からこぼれた雫が、ぱたぱたと水面ではねた。

30: 2011/02/19(土) 04:35:29.07 ID:/VDOMEkj0
「……ああ、そっか、」

唐突に、私は答えに辿り着く。
憂もきっと、私と同じ「こちら側」を選んだのだ。
私とはそのやり方が違うだけで。

気持ちが軽くなったら、無意識に歌のフレーズがこぼれた。
まだ少し、酔いが残っているのかもしれない。

31: 2011/02/19(土) 04:42:07.40 ID:/VDOMEkj0
「和ちゃん、さっきお風呂で懐かしいの唄ってたね」

部屋の灯りを点けた唯が振り返って笑う。

「聴いてたの?」

「トイレ行こうとしたら、聞こえたんだよ」

唯は私が抱えていた枕代わりのクッションをひょいと奪うと、
自分の枕の隣にそれを並べた。

32: 2011/02/19(土) 04:49:44.10 ID:/VDOMEkj0
♪お気に入りのうさちゃん抱いて 今夜もおやすみ……

私のつたない鼻歌と同じフレーズを楽しげに唄いながらベッドに腰掛け、
私を見上げてポンポンと布団を叩く。

「おいで子猫ちゃん。あれ、この場合うさちゃん?」

「ふざけてないで早く寝なさい。電気消すわよ」

眼鏡とアラーム代わりの携帯電話を唯の勉強机に置き、灯りを落とす。
儚い月明かりが射し込む部屋の中、唯の楽しげなハミングが響いた。

33: 2011/02/19(土) 04:55:46.79 ID:/VDOMEkj0
…………

日々は巡り、また校庭が桜色に染まる季節が訪れた。


今日最後の授業を終えて職員室に戻る途中、
入学したばかりの1年生2人に呼び止められた。

「あの、真鍋先生」

「はい、なあに?」

34: 2011/02/19(土) 04:59:31.85 ID:/VDOMEkj0
「先生ってHTTのメンバーと同級生ってほんとですか?」

ええそうよ、と答えると、生徒たちはきゃあと歓声を上げた。

「私、澪さんの大ファンなんです。それで軽音部に入ろうと思って桜高にしたんです」

「そうなの。がんばってね」

失礼しますと駆け出した2人に、走っちゃ駄目よと注意する。

職員室に戻ろうと振り返ると、丁度階段を降りてきた山中先生と目が合った。

35: 2011/02/19(土) 05:05:14.91 ID:/VDOMEkj0
「あら、真鍋先生」

「おつかれさまです、山中先生」

「おつかれさま。今日もいい天気ね」

「そうですね」

彼女とふたり、肩を並べて歩く。
もうずいぶん馴れたけれど、まだ少し不思議な感じ。

「今、軽音部に入るって1年の子から声を掛けられましたよ」

「へえ」

「澪のファンですって」

「そう。今年も盛況かしらね、軽音部」

「そうですね」

37: 2011/02/19(土) 05:10:18.89 ID:/VDOMEkj0
HTTがデビューして数年。時折ヒットチャートの上位に顔を出すようになってから、
軽音部はずいぶんとにぎやかになった。
音楽準備室だけではスペースが足りず、現在は音楽教室も練習用に開放されている。

「今年も充実したティータイムを過ごせそうねぇ」

「……山中先生、もう顧問ではないじゃないですか」

うっとりと頬に手を添えた彼女に、事実をひねることなく伝える。

38: 2011/02/19(土) 05:14:47.58 ID:/VDOMEkj0
私が桜ヶ丘高校の教員になってから、
彼女が吹奏楽部と兼任していた軽音部の顧問を私が引き継いだ。

それでも彼女は相変わらず、部の伝統となったティータイムに顔を出す。
……楽器が弾けない私に代わって時々生徒を指導してくれるのは助かるけれど。

「野暮なこと言わないで頂戴、あれが学校での唯一の楽しみなんだから」

「それもどうかと思いますけど」

「もう、和ちゃんのいじわる」

そう言って、さわ子さんは子供のように頬を膨らませる。
同じ教員という立場になって、職務以外ではお互いを名前で呼び合うようになった。

39: 2011/02/19(土) 05:19:33.89 ID:/VDOMEkj0
「しっかし、出世したわねえあの子たち」

「そうですね」

「もう私と会っても、仲良くしてくれないかしら」

「そんなことないですよ」

「唯ちゃんとはうまくやれてる?」

世間話の延長といった軽いノリでさらりと聞かれた。

「ええ、相変わらずです」

さわ子さんは、そう、と相槌を打って、ふと足を止めた。
彼女の視線を追うと、窓の外は青空を背景に校庭へ降り注ぐ桜吹雪。

41: 2011/02/19(土) 05:24:47.53 ID:/VDOMEkj0
「綺麗ねえ」

「……そうですね」

そう言ったきり、私たちはしばらく無言でその景色を見つめた。

運動部の掛け声や帰宅する生徒の笑い声に混じって、
かすかにギターの音が聞こえてくる。
あの曲は、たぶん2年生。まだ少しつたないメロディライン。

ふと、制服を着て楽しげにギターをかき鳴らす、かつての唯の姿を思い出す。

42: 2011/02/19(土) 05:28:46.61 ID:/VDOMEkj0
「……気が滅入っている時なんかにね、」

唐突に、さわ子さんが口を開いた。

「時々、自分はここに閉じ込められているんじゃないか、って気持ちになるの」

「……」

「おかしいわよね、自分で選んだ場所なのに」

私は何も答えず、さわ子さんの横顔を見る。
彼女は桜を見ているようで、どこかぼんやりとした視線を空に投げている。

43: 2011/02/19(土) 05:33:29.08 ID:/VDOMEkj0
「教え子が活躍してるの見てると、もちろん嬉しくて仕方ないんだけど」

「……はい、」

「どこかで、寂しくなっちゃうのよね」

「……」

「なんて、おかしな話しちゃったわね。忘れて」

さわ子さんは私に視線を戻して、少し困った顔で笑ってみせた。

44: 2011/02/19(土) 05:37:01.75 ID:/VDOMEkj0
「……護り人、なんですよ。私たち」

歩き出そうとした彼女の背中に向かってそう言うと、さわ子さんは立ち止まり、
半身だけ振り返って再び私を見る。

「まもりびと?」

「はい」

意味がわからないという顔で、さわ子さんは首をかしげる。

45: 2011/02/19(土) 05:41:31.77 ID:/VDOMEkj0
「唯に言われたことがあるんです。私がこの学校の先生になってくれて嬉しいって」

「……」

「ここにはいろんな宝物が詰まってるから、って」

「……あの子たちの歌に、確かそんな感じのフレーズがあったわね」

目を細めたさわ子さんに小さく頷いて、言葉を続ける。

「でも、ここは宝物を仕舞っておくだけの場所じゃなくて、」

「……」

「毎日、新しい宝物が生まれる場所でもあるんです」

47: 2011/02/19(土) 05:45:15.31 ID:/VDOMEkj0
私は、再び窓の外に視線を移した。さわ子さんもそれを追う。
真新しい制服を来た生徒たちが、桜吹雪に手を伸ばしながら歩いていく。

「……私たちは、あの子たちの宝物のまもりびと……ってことかしら」

「半分正解です」

さわ子さんの回答に、私は笑顔で応える。

48: 2011/02/19(土) 05:49:46.27 ID:/VDOMEkj0
「護り人は、宝物だけじゃなくて、」

そこで一旦、言葉を切る。
こちらを向いたさわ子さんと視線を合わせて、また言葉を繋ぐ。

「あの子たちの未来を見守ることも許された存在なんです」

……それがきっと、私の誇り。

49: 2011/02/19(土) 05:52:48.62 ID:/VDOMEkj0
「……数学教師の真鍋先生にしては、ずいぶんと歯が…こほん、詩的な表現ね」

「そうですか?」

「唯ちゃんたちに影響を受けてるのかしら」

「かもしれませんね」

さわ子さんは少し笑って、それから大きく伸びをした。

50: 2011/02/19(土) 05:55:14.10 ID:/VDOMEkj0
「あーあ、かつての教え子に、教えられちゃった」

「恐縮です」

「ねえ、和ちゃん、」

「はい?」

さわ子さんは私の名を呼び、いたずらっぽく小首を傾げてみせる。

「あの子にとっても、あなたはそんな存在?」

51: 2011/02/19(土) 05:57:56.15 ID:/VDOMEkj0
「……ずっとそうありたいと思っています」

真面目な顔でそう応えると、彼女は妬けるわねと呟いて、柔らかく微笑んだ。






おしまい

52: 2011/02/19(土) 05:59:14.54
おっつんこ

引用元: 和「桜の護り人」