2: 2013/01/07(月) 21:43:32.80 ID:Kk3nTVTAo
 何事においても、人は知らないことに対して恐怖を抱く傾向にある。
 知らない土地然り、知らない言語然り、知らない人然り……。

 その無知の度合いが強ければ強いほど、恐怖心もそれだけ強く大きくなる。

 私は今、恐れとまではいかないけれど、
 ごく身近な人に対して、ある種の抵抗ないし苦手意識を持っている。

 顔を合わせることが多くある彼女のことを、実はよく知らない。
 というより、彼女を掴めていないと言った方が正確かもしれない。

 だから私は、意識的にしろ無意識的にしろ、彼女を避けている節があった。
 必要以上に話しかけたりはせず、あまり積極的に関わろうとはしていなかった。

 決して嫌っているというわけではないし、お互いに悪い印象は持っていないと思う。
 ただ、彼女には独特の存在感があるというか、独特のオーラがあって、
 そのオーラゆえに、きっとこの狭い事務所でたった二人きりになったりすると、
 彼女は素知らぬ顔でいつも通りだとしても、私の方は気まずさを感じてしまうかもしれない。


 某月某日、某時刻、某芸能事務所

 雲ひとつ見当たらない快晴の空に太陽が一つ。
 今日は機嫌が良いのか、全身からぽかぽか陽気を放出している。

 名も知らぬ小さな鳥が2羽、仲良さげに囀り合いながら飛び回っている。
 これからいつもの電線に止まって、お話したり、歌を歌ったり……。

 視線を落とし、町並みを眺める。

 それは目まぐるしく動く都会にしては変化が少ないように思えた。
 人工物も自然物も、有機物も無機物も、全てが穏やかな午後を演出している。

 私はアイドルを多く抱える芸能事務所『765プロダクション』で事務員として働いている。

 この事務という仕事は、パソコンに向かってカチカチカタカタと資料作成をしたり、
 多機能ボールペンを回しながら、計算機に翳した手を忙しなく動かしたり、
 かかってきた電話に、付け焼刃的に上品さを貼り付けた“よそ行きの声”で応対したり……。

 とかく移動範囲の狭く、大した動きの無いようなものが多い。

 たまに立ち上がってストレッチを始めたり、事務所内の掃除をしてみたりと、
 お尻から根っこが生えてきそうな身体を無理やりに動かしたりはする。

 だけど所詮は雑居ビルの狭苦しい一室。
 大した息抜きも出来ずに、お尻の形に窪んでしまったオフィスチェアーに逆戻り。
 冷めたコーヒーを飲み干して、その香りを溜息と共に吐き出すだけ。

「…………」 

 年の所為か独身の性か、最近独り言が多くなってきたとはいえ、
 事務所に居るとき、基本的には黙ったまま仕事をしている。

 でも頭の中では常に饒舌で、自転車操業気味の経営状態に困窮し頭を抱えたり、
 あるいは、所属アイドル達を動物に例えるとしたら……とあれこれ考えを巡らせてみたり、
 はたまた、宇宙人は居るのだろうかと妙にマジメになって考え込んだり……。

 妄想、空想の類は尽きるところを知らず、それは机上に積み上がった書類も同じこと。

3: 2013/01/07(月) 21:47:24.10 ID:Kk3nTVTAo
 そんな中、何の考えも頭に浮かべず、ただ窓から空を見上げることがある。
 青く澄んでいたり、灰色の曇天模様だったり、夕日に染まっていたり……。
 どの情景も素晴らしく、私の心と目はそこに縫い付けられる。

 そして、ひとしきり無心になって空を眺めた後、ふとした瞬間あることを思う。


 ――――私はみんなの役に立っているのだろうか。


 スケジュールの管理、アイドルに対するオファーや問い合わせへの対応、その他諸々。
 間接的ではあるけれど、そういった面で言えば役に立っていると思う。

 私は所詮事務員。
 
 歌やダンスを教えることは当然出来ないし、アイドルとしての、
 芸能人としての立ち振る舞いを指導することも出来ない。

 彼女達を上手く導いて、芸能界というフィールドで羽ばたかせるのは、
 歌やダンスの講師、そしてなによりプロデューサーさんの仕事。


 ――――では私の仕事は?


 私は事務所を安息の地だと考えていた。
 戦いに疲れて帰ってきたアイドルやプロデューサーが、身体を休めるところ。

 私の使命は、ここへ無事に帰ってきたみんなが十分に休息を取って、
 また元気よく飛び立っていけるよう、リラックス、リフレッシュさせてあげること。
 
 アイドル達が万全の状態で各種メディアに出演し、
 さらに、プロデューサーさんがそのサポートに集中する為には、
 『アイドル』や『プロデューサー』といった重たい鎧をとりあえず脱ぎ捨てて、
 気を落ち着かせ、休息する時間と場所が必要不可欠。

 私が事務所をそういう場所にしなければならないと考えていた。

 でも…………

「ただいま戻りました……」

 ゆっくりとドアが開いて、赤いリボンが二つ顔を覗かせる。
 そのことから、春香ちゃんが戻ってきたことに間違いはないだろうけど、
 私の心は強烈な違和感に苛まれることとなった。

「おかえりなさい、春香ちゃん」

「……はい」

 本来なら、静かな事務所に響き渡るはずの、元気いっぱいなはずの春香ちゃんの声は、
 エアコンの風音にすら掻き消されてしまいそうなほど、小さく頼りなさげだった。

 普段の明るい春香ちゃんを知る人物なら、それがどれほど異常なことか分かる。

4: 2013/01/07(月) 21:49:54.77 ID:Kk3nTVTAo
「プロデューサーさんも、お疲れ様です」

「はい」

 続いて入ってきたプロデューサーさんに、にこやかに声を掛ける。
 それでも、違和感は消えるどころか、より一層深まってしまった。

「ふぅ……」

 本来なら、私に微笑みかけてくれるはずの、優しさが滲み出ているはずのプロデューサーさんの顔は、
 優しさではなく疲労感が滲み出て、それでも苦心して搾り出したというような笑顔だった。

 普段の好青年なプロデューサーさんを知る人物なら、それがどれほど異常なことか分かる。

「あのっ、コーヒー淹れますね!」

「あっ、いいですよ。 少ししたらまた出ますんで」

「そ、そうだっ! 春香ちゃん、冷蔵庫にデザートが……」

「いえ……また、今度にします」

「そっか……」

 プロデューサーさんやアイドル達の疲れきった表情を目の前にすると、
 勤めて明るく作った私の笑顔がとても不謹慎に思えて、やがては虚空に消えてしまう。

 事務所には当然のように沈黙が訪れ、乾いたキータッチ音がむなしく響く。

「よし春香、そろそろ行くぞ」

「……はい」

「い、いってらっしゃ―――」

 私の言葉を遮るように、バタンと大きな音を立ててドアが閉まる。
 引きつった笑顔のまま、しばらくそのドアを見つめたあとで、
 私はまた一人パソコンに向かい、寂しさを紛らわすようにデータ入力に勤しむ。

「…………」

 765プロダクションは、今日も静寂に包まれている。
 でもそれは、穏やかな静けさというよりはむしろ、廃墟じみた陰鬱なもの。

 チカチカと瞬きを繰り返す、両端の黒くくすんだ蛍光灯の音が、いつもより大きく聞こえた。

 分厚い大きな雲が日の光を遮った。
 小鳥の囀りは、もう聞こえてこない。

5: 2013/01/07(月) 22:01:06.56 ID:Kk3nTVTAo
 私は事務所を安息の地だと考えていた。
 安息の地にしなければならないと、そう考えていた。


『いってきます小鳥さん』

 みんなが笑顔で仕事に向かうことが出来るように。


『ただいま小鳥さん』

 安心した表情で帰ってくることが出来るように。


 でも、ふと気が付いてみれば、ここは逃げ込むだけの場所になっていた。

 それはまるで……大戦中において、戦場の縦横に掘られた塹壕のよう。
 轟々と放たれる砲火の中、ただの一時、震えを抑えるかのように
 自分の身体を両手で抱いて、背丈ほどの穴に隠れているだけ。

 しばらくすると彼女達は、恐怖を感じまいと銃を強く握って、また戦場へ飛び出していく。

 私は彼女達の手当ても出来ず、手を振って見送ることすら出来ない。
 段々と小さくなっていくその背中に『どうかご無事で』と届かぬ声を送るだけ。

 私には、みんなの疲れを癒すことなんて到底出来やしなかった。
 出来ると思い込むなんておこがましいことで、彼女達に対して失礼だった。

 そしてそれが出来ないのなら、私の存在価値はゼロ、もしくは限りなくゼロに近い。
 そう思うと、自分が情けなくて情けなくて、視界が少しだけ滲んだ。

「……泣いておられるのですか? 小鳥嬢」

「えっ?」

 年甲斐もなく目を潤ませ、鼻をすする私への突然の呼声。
 思わず身体をビクリと跳ね上げて、声のした方向、声を発した人物に顔を向ける。

「た、貴音ちゃん!? いつからそこに?」

「刹那の刻すら経ってはおりません。 つい先ほど戻ってまいりました」

「そう……今日は一人でレッスンだったわね」

「はい」

 貴音ちゃんは表情を一切変えることなく、透き通った瞳で私を見返している。
 その瞳が心情を探ろうとしているように思えて、私は咄嗟に目を逸らした。

「お、お茶を……」

「小鳥嬢、しばしお待ちを」

 自分の心を見透かされない内にと、急いで立ち上がった私の腕を、
 貴音ちゃんの白く細い手が、その細さからは想像も出来ないほど強い力で掴んだ。

6: 2013/01/07(月) 22:10:14.78 ID:Kk3nTVTAo
「なにゆえ、泣いておられたのですか?」

「いや、ちがっ……あ、欠伸よ欠伸! 最近寝不足で……あははは」

 懸命な作り笑いも、貴音ちゃんの向ける真剣な眼差しに掻き消される。
 眉をひそめたその表情から、私のゴマカシが通用していないことは明らかだった。
 私の心臓が一つまた一つと脈動するたび、その強さ、速さを増していく。

「小鳥嬢」

「……はい」

「今こちらにはわたくしと貴方様だけ……。
 何をお話しても、誰にも知られることなどありません」

人差し指をまっすぐ立てて、口元に当てる。

「わたくしと小鳥嬢の、とっぷしーくれっと なのです」

「…………」

「よろしければ、お聞かせ願えませんか?」

 抗うことなんて不可能だった。
 ゆっくりで、少し古風な独特の言葉遣いに、心の防衛線は破られてしまった。

「私ね……みんなの役に立ってるのかなぁーって、ふと思ったの」

「皆の役に?」

「うん……。 事務員としての仕事をするのは当たり前のことでしょ?
 そうじゃなくて、みんなの心のケアっていうか、精神的なサポートっていうか……」

 春香ちゃんの落ち込んだような、暗い表情。
 プロデューサーさんの疲れきった、辛い表情。
 頭に浮かべた二人の顔は、私を攻め立てているようだった。

「私はみんなの疲れを癒してあげないといけないのに……」

 その為の事務所で、その為に私はここにいるのに。

 ……何もしてあげられない。

 自分に何が出来るのか、何をしてあげたらいいのか、それがわからない。
 力になりたいと思っていても行動が伴わないのなら、思っていないのと同じ。

「結局は何も出来ないで、みんな溜息だけを残して仕事に向かうの…………」

 それは当然のことなのかもしれない。
 みんなは夢の実現、夢の継続の為に必氏で頑張っている。
 それに対して、私はいったい何を夢見て、何を頑張っているというの?

 私はパソコンを扱いまわすか、電話の応対をするか、来客に飲み物をお出しするだけ。
 大した夢も希望もなく、ただ毎日をテキトーに過ごしているだけ。
 そんな無気力で自堕落な人間に、みんなを労う資格なんてあるわけがない。

 私は所詮事務員。

 間接的にしか役に立てないくせに、さも自分が765プロの一員であるかのように振舞って、
 みんなが努力する姿を勝手に自分と重ね合わせ、頑張っている振りをしているだけ。

7: 2013/01/07(月) 22:19:17.00 ID:Kk3nTVTAo
「私は何の役にも立たない、価値の無い人間なのよ」

「小鳥嬢……」

「いまさらそんなことに気付いて悲しむなんて……都合が良すぎるのよ」

「……れは…………っています」

「え?」

「それは間違っています!」

 睨むような眼差しを向ける貴音ちゃん。
 その目がどこか潤んでいるように見えたのは、多分気のせい。

「皆が疲れた表情を見せたり溜息を付いているのは、それが許される場所であるゆえ」

「許される場所?」

「わたくし共はひとたび表舞台に立てば、内に如何なる感情を抱えていようと、
 笑顔という名の仮面を被って、歌い、踊り、語らなくてはなりません」

「…………」

「アイドルを夢見、望んだ結果だとは承知の上……しかし、時にそれが枷となってしまうのです」

 貴音ちゃんの手が、私の頬に優しく触れた。
 それはひんやりと冷たい手なのに、私にはとても暖かく感じられた。

「小鳥嬢……事務所がここに有り、そこに貴方様がいらっしゃるからこそ、
 わたくし共はその仮面を外して、本当の自分を晒すことができるのですよ」

「貴音ちゃん……」

「しかし……わたくしを含め皆、小鳥嬢のお心遣いを当然と感じておったのかもしれません。
 いつしか貴方様への配慮を忘れ、ねがてぃぶ な姿ばかりをお見せしていたのですね」

 申し訳なさそうに目を伏せて、小さく短い溜息を付いた貴音ちゃんは、
 すぐに顔を上げると、目を細めて優しく微笑んだ。

「小鳥嬢……わたくし共は皆、貴方様のことをお慕い申しておるのですよ」

「……私を?」

「ですからどうか……どうかご安心をなさってください。
 そしてこれからもずっと変わらぬ、心優しい小鳥嬢であってくださいませ」
 
 いつの間にかまた顔を覗かせた太陽の光が、まるで光芒のように降り注ぎ
 貴音ちゃんの銀色の髪は、その光に呼応するかのように強く輝き始めた。

「ありがとう……私もみんなのこと、大好きよ」

 涙が出そうになるのをなんとか堪え、そう言葉を返すと、
 貴音ちゃんは目を細め、まるで幼い我が子を見つめる母親のような、
 慈愛に満ちた表情をして、私の頬に触れたその手を、ゆっくりと……。

8: 2013/01/07(月) 22:21:21.79 ID:Kk3nTVTAo
「あの……貴音ちゃん?」

「いかがなさいましたか?」

「ど、どうして……私の頭を撫でているのかしら?」

 顔から火が出るという表現は大げさなものだと思っていたけど、
 そんな言葉では足りないくらい、私の顔は一瞬にして熱くなった。

「今の小鳥嬢はまるで幼子のよう……。 つい頭を撫でてあげたくなるのです」

「うぅ~」

「お嫌ですか?」

「そんなことない……けど」

「そうですか。 ふふっ、いい子いい子♪」

「あはは……」

 正直に言うと、私は貴音ちゃんのことをよく知らない。
 こんなに長い時間会話したことなんてなかったし、恐らく一対一では初めて。
 どこかミステリアスなオーラを放つ彼女に、少々取っ付き難さを感じていた。

 もちろん嫌いだったわけじゃない。
 ただ少しだけ、彼女の心に触れることを恐れていた。
 自分の心の中を覗かれてしまうことに恐れを抱いていた。

 今日こうして話をして、貴音ちゃんのことがますます分からなくなった気がするけど、
 やっと……やっと貴音ちゃんと親密になれたような気がする。

 貴音ちゃんは不思議な子。
 でもその不思議はとても優しくて、暖かくて、心地良い。
 触れ合った人を幸福な気持ちにさせてくれるその姿を、私も見習わないと。

「貴音ちゃん、ありがとう。 それから……ごめんね」

「はて? 貴方様に謝って頂くようなことなど、された覚えはありませんが……」

「それでも、ごめんなさい」

 ただ自分の持つイメージだけで貴音ちゃんの人格を決め付けて、
 自分とは合わないんだと、不干渉を決め込んでいた。
 
 でも貴音ちゃんは、そんな私を慕っていると言ってくれた。
 だから私は貴音ちゃんに感謝しないといけないし、謝らないといけない。

「……わかりました。 深くはお聞きせず、その御心だけ頂きましょう」

「うん」

「では……よしよし♪」

「や、やっぱり撫でるのね」

「ぐっどがーる……ぐっどがーる……」

「犬になったみたい……」

まさかこの年になって誰かに頭を撫でてもらうなんて思わなかった。
嬉しいような嬉しくないような、懐かしいような懐かしくないような……。

9: 2013/01/07(月) 22:28:09.51 ID:Kk3nTVTAo
「しかるに……春香のことが気に掛かります」

 名残惜しそうに私の頭から手を離すと、貴音ちゃんはまたもや心配そうな面持ちになり、
 春香ちゃんのことを思い浮かべているのか、口に手を当てて少し俯いた。

「春香は強い子です。 アイドルの気苦労を嘆くより、
 それを強靭なバネに変え、自分自身を鼓舞するはず……」

 確かにそうかもしれない。

 春香ちゃんだけじゃなくて、765プロのみんなは総じて頑張り屋さんで、
 可愛い外見の中にはきっと、芸能界の荒波にも飲まれないような強い精神が宿っているはず。

「しかし小鳥嬢のお話では、春香は酷く落ち込んでいる様子だった……と」

「えぇ」

 いつも元気な春香ちゃんが、表情を曇らせ、溜息を付いていた。

「恐らく、深き故あってのことなのでしょう」

「そうね……春香ちゃん、一体どうしたのかしら?」

 お仕事に関係しないことだとするなら、学校生活における悩みの可能性もある。
 成績が悪くなったと、勉学に関することに嘆いているのかもしれないし、
 好きな人が出来たとか誰かに告白されたとか、色恋に関する悩みかもしれない。

 でも、あの深刻そうな顔を見るに、そういった普遍的な悩みではないように思える。

「小鳥嬢……今こそ、貴方様が手を差し伸べる時なのでは?」

「え?」

 演劇のように大げさな身振り手振りをしながら、貴音ちゃんは私に向かって言う。

「貴方様は否定なさいましたが、ここはわたくし共にとって安息の地です。
 そしてその安息は、貴方様がお在りになるからこそ、得られるものなのですよ」

「そ、そうかしら……」

「それゆえ、春香の案じ事を取り除けるのは小鳥嬢……貴方様以外におりません」

「でもプロデューサーさんだって……」

「プロデューサーは殿方であらせられます。 同性だからこそ癒せる傷もあろうかと」

「さ、左様でございますか」

 同性だからこそ癒せる傷。

 春香ちゃんはプロデューサーさんに言い辛いことで悩んでいるのかもしれない。
 それなら貴音ちゃんの言うように、私にだったらその悩みを聞いてあげられるかも。

「うん……そうね! 私、やってみるわ!」

「その意気です……こ、小鳥嬢」

 思わず貴音ちゃんの両肩を力強く掴み、深く頷いた私に気圧されたのか、
 貴音ちゃんは目を見開いて、ピコピコと音が鳴りそうな勢いで瞬きを繰り返す。

 既に春香ちゃんとの会話のシミュレート(という名の妄想)を始めた私には、
 そんな貴音ちゃんの戸惑いオーラに気付くことができなかった。

17: 2013/01/08(火) 21:27:46.35 ID:1eFAdvOBo
 某月某日、某時刻、765プロダクション

 遥か上空に浮かぶ飛行機が、細長い雲を作りながら空を横切っている。
 粘着テープで乱雑に象られた“765”の隙間から外を眺めていた私は、
 下界にプロデューサーさんと春香ちゃんの姿を確認し、慌てて机に座りなおした。

 朝事務所には寄らずに、そのまま現場へ向かった春香ちゃんとプロデューサーさんが、
 昼近くまで続いた雑誌社のインタビューを終え、今まさにビルの階段を上がっている。

 春香ちゃんが今しがた、プロデューサーさんとの距離を縮めようと小走りで追いかけていたことから、
 なんとなく、今日はこの前みたいに酷く落ち込んでいるわけではなさそう。

「すぅ……はぁ……」

 大げさに深呼吸をして、気を落ち着かせる。

 とりあえずはいつもどおり、笑顔で二人をお迎えしよう。
 そしてやっぱり春香ちゃんの様子がオカシイようであれば、それとなく尋ねてみよう。
 他人に言い難いことかもしれないし、無理に聞き出そうとはせずに、あくまでもそれとなく。

「ただいま戻りましたー」

「お帰りなさい、プロデューサーさん」

 まず事務所に入ってきたのは、右手に鞄を持ち、左腕に上着を掛けたプロデューサーさん。
 気温が日によってまちまちで、体温調節が難しくなる季節……それが今日この頃。
 
 仕事に対する熱意が、そのまま体温へと反映されてしまったのか、
 ネクタイを引き伸ばし、ワイシャツのボタンを二つ目まで外して、ハタハタと風を送り込んでいる。
 そのたびに顔を覗かせる鎖骨が妙に色っぽく、ついついそこへ視線を送ってしまう私だった。

「…………ゴクリ」

「小鳥さん? どうしました?」

「えっ!? い、いえ……なんでも」

 ……っと、いけないいけない。
 こんなことで鼻の下を伸ばしている暇なんてない。

 今は春香ちゃんの悩みを解消してあげることが最優先事項。
 私の欲求不満を解消するのは、また別の機会に……って誰が欲求不満よ!

「あれ? 春香ちゃんは……?」

「あぁ、もうすぐ上がってくると思いますけ――」

 プロデューサーさんがドアへと視線を移したその瞬間。

「わぁー!!」

 ウルトラマンか、もしくはゴジラか、はたまたマシュマロマンか、
 とてつもなく大きな何かが事務所の傍を歩いたような、ズーンという音。

 身体の奥にまで届く地響きと、それプラス春香ちゃんの叫び声。
 私たちの間で『どんがらがっしゃん!』と表現される、強い衝撃が襲う。

18: 2013/01/08(火) 21:33:15.34 ID:1eFAdvOBo
『ギギギ……』

 潤滑油の切れた金属摩擦音を発しながら開いたドアから、
 その音を口で表現しているかのように歯を食い縛り、目に涙を浮かべ、
 苦痛に顔を歪めた春香ちゃんが、それでも頬を赤く染めて、恥ずかしそうに入ってきた。

「痛つつつ………」

「大丈夫か!?」

「は、はい……」

「春香ちゃん、おかえりなさい」

「ただいまです……えへへ」

 春香ちゃんはポリポリとこめかみ辺りを指で掻きながら、舌を出して笑う。
 その苦笑からは、心に何の不安も、危惧の念も抱いていないように感じられた。
 いつも通りの春香ちゃん、いつも通りの照れ笑いであるかのように思えた。

「えへへ……へへ……」

 でも、その笑顔から普通の表情へと戻る、ほんの一瞬の間。
 時間にしてどれくらいかは分からないけど、貴音ちゃんの言う刹那と呼ぶべき瞬間。
 表情が無くなるというか、黒い影が差すというか、黒く濁るというか……。

 やっぱり春香ちゃんは心に何かしらの不安を抱えているらしい。
 そうでないと、サブリミナル的なコンマ数秒とはいえ、あんな表情は見せない。

 誰だって他人に言えないような悩みを持っているだろうとは思う。
 だから、もしそういった悩みではなく、かつ私でも乗ってあげられる相談なら、
 大したことは出来ないだろうけど、手を差し伸べてあげたい。

「あ、あの……」

 恐る恐る声を掛けると、二人ともどちらが呼ばれたのか分からないようで、
 二人同時に私に視線を向け、プロデューサーさんは眉を上げ、春香ちゃんは首を傾げた。

「春香ちゃん、ちょっといいかしら?」

「あっ、はい! えっとぉ……」

 語尾を濁らせながら、春香ちゃんはちらりとプロデューサーさんの様子を伺う。
 私の要求に答えていいのかどうかの判断を仰ぐ為、無言の訴えを送っているらしい。

「えぇ、大丈夫ですよ」

 プロデューサーさんは一度だけ頷くと、私に軽く微笑んだ。
 
 その瞬間、甲高い電子音が事務所内を駆け回った。

 それはプロデューサーさんの上着のポケットに入ったままの、
 故障して買い替えを検討していたのに、通話料が高くなるからとスマホへの乗換えを見送り、
 結局は修理に出したスライド式のガラパゴスケータイが発する音だった。

 携帯電話販売店からもらってきた大量のスマホのパンフレットを片手に
 『これじゃ団扇にもならない』って嘆いていたっけ。

「はい! もしもし!」

 慌てて携帯を取り出し、こちらに背を向けて電話を受けるプロデューサーさん。
 その電話を合図にするように、私は『よいしょ』と年寄り染みた掛け声とともに立ち上がり、
 『一体何の用があるのだろう?』といった表情をした春香ちゃんを
 会議室へ連行……もとい、エスコートした。

19: 2013/01/08(火) 21:38:51.28 ID:1eFAdvOBo
 決して広くはない会議室に並んだイスにチョコンと座った春香ちゃんは、
 手をフトモモ辺りに乗せて背筋を伸ばし、とてもお行儀が良かった。

 育ちの良さに感心する反面、そんなに畏まらなくても良いのに……と、
 他人行儀な春香ちゃんとの微妙な距離に、少しだけ悲しくなる自分が居た。

「あのぅ……小鳥さん?」

「あっ、ごめんね」

「いえ」

「別に大した用事は無いのよ? ただ、最近みんな忙しくて、
 ゆっくりお話できないから……さ、寂しいなぁーって思って……」

「あぁ、そうだったんですか」

 春香ちゃんは安心したように大きく息を吐き出して、肩を落とした。
 そっか……春香ちゃんは自分が怒られるんだと勘違いして、少し緊張していたのね。
 でも、私が本題を切り出したらもっと緊張してしまうかも。

 そうやって彼女の不安を煽っていたら、何のためにこの場を用意したのか分からない。
 とはいえ、いつまでも世間話をしていたら、それはそれで意味が無い。
 
「それでね……ストレートに尋ねるけど……」

「はい」

「春香ちゃん、何か悩みがあったりしない?」

「えっ? 悩み……ですか?」

 人差し指を頭に翳し、パッチリおめめをキョロキョロと右往左往。
 そんな、はるるんお決まりのポーズを決めた後、春香ちゃんは首と両手を横に振った。

「や、やだなー小鳥さん。 私に悩みなんてあるわけないじゃないですかー」

「……ホントに?」

「はい!」

 『アハハ』と乾いた笑い声を発し、春香ちゃんは照れくさそうに微笑んだ。
 その笑顔は、春香ちゃんの答えが本当であることを物語っているように見えた。
 だけれどその反面、強がりでコーティングされているようにも見える。

「そっか……だったらいいんだけど」

「…………」

「ほ、ほら! 仕事のこととかだったらプロデューサーさんがいるけど……。
 それ以外で、例えば……男の人には言い難いような悩みとかもあったりするでしょう?」

「まぁそんなこともあるかもです」

「それで、その……私なんかで良ければ、いつでも相談に乗るから……ね?」

「はい! ありがとうございます」

 春香ちゃんはまたも姿勢を正して、私に向かって深々と頭を下げた。
 左右のリボンがふわりと揺れて、甘いシャンプーの香りが鼻をくすぐる。

20: 2013/01/08(火) 21:41:48.98 ID:1eFAdvOBo
「もう……そんなに畏まらなくてもいいのよ?」

「で、でも……」

「年だってそんなに……は、離れてはいるけど…………。
 私のことは友だ……お姉さんぐらいに思ってくれたらいいんだから」

「は、はぁ」

「私だって、みんなの役に立ちたいしー」

「え? みんなの……役に?」

「うん!」

 何も出来ない私だけど、どんな形でも良いから力になってあげたい。
 みんなが心に抱え込んでいる重荷の全てを持ってあげられはしないけど、
 せめて私の非力な両手で持つことが出来る分だけでも、取り除いてあげられたら……。

 そうしたら、私も自分に自信がつくかもしれない。
 ここに……765プロに居ていいんだって、そう思えるかもしれない。

 それだと、ただの自己満足になっちゃうのかな……?

 春香ちゃんはやっぱり何か悩みを持っていそうだけれど、無理に聞き出すのも良くない。
 あまりしつこいと鬱陶しく感じちゃうだろうし、この辺にしておこう。

「さてと、それじゃ……」

「あ、あのっ!」

 そろそろ仕事に戻ろうとドアノブに手を掛けた瞬間、
 春香ちゃんは私の背中に向かって、半ば叫ぶようにそう言った。

「あの……その……」

「どうしたの?」

 振り返ってみると、その顔からはさっきまでの照れ笑い、苦笑いは消え失せ、
 変わりに神妙で、悲痛で、物悲しい表情がそこにあった。

「やっぱり、あるかもです…………悩み」

 その表情は髪に飾ったリボンの可愛さとはあまりにかけ離れたもので、
 私は貴音ちゃんの言った“笑顔の仮面”という言葉を思い出さずにはいられなかった。

「……聞かせてくれるかな?」

「はい」

 私が座り直すのを待って、春香ちゃんは始めは小さく言い難そうに、
 段々ハッキリとした口調になりながら、その胸の内を語り始めた。

21: 2013/01/08(火) 21:49:37.50 ID:1eFAdvOBo
「最近……夜寝る時とか、お風呂に入ってる時とか、ふと思うことがあるんです」

「うん」

「私は誰かの役に立ってるのかな? って……」

「えっ」

 意外にも、それは私と同じ悩みだった。
 もちろん私なんかとは次元が違うというか、似て非なるものではあるんだろうけど……。

「私は今、夢だったアイドルのお仕事をさせてもらってます」

「えぇ」

「それで、やっぱり思い描いていたのと違うこともありますけど、
 夢が少しだけ実現できて、毎日がすごく、すっごく楽しいんです」

 楽しいことを語るにしては、春香ちゃんの表情は暗く、
 その悩みの程度というか、深刻さが目に見えて分かる。

「でもそれはただの独りよがり、ただの自己満足なんです」

「自己満足?」

「口では『ファンの皆さんに喜んでもらう為に……』とか言っておきながら、
 結局は自分がアイドルであり続ける為だけに歌ったり、踊ったりしていたんです」

「そ、そんなこと……」

「私には観客席も、テレビやスピーカーの前に居る人も、まったく見えていなかった。
 自分の評価ばかりを気にして、自分を評価してくれる人の存在には目もくれなった……」

 春香ちゃんは悔しそうに顔を顰めて、いつの間にか拳を握り締めていた。

 『まるで繊細なガラス細工のよう』

 ありふれた形容の似合う華奢な手が握る、ちぐはぐしたその拳。
 大人の社会で生きていかざるを得ないアイドル達の宿命を物語っているようで、
 私は胸がキリキリと締め付けられるような思いだった。

 そうよ……だから私が、そんな感情を取り除いてあげないといけないのよ。
 今の春香ちゃんのように、みんなが悔しさや恐怖心で震えることの無いように。

「私は、自己満足で良いと思うなぁ」

「え?」

「ファンの人たちは、春香ちゃんが楽しそうに笑ったり、
 歌ったり、踊ったりする姿を見て、その元気を分けてもらってるのよ」

「…………」

「私だってそうよ? 春香ちゃんの笑顔に何度も勇気付けられたわ」

ファンの大半は心のどこかで、春香ちゃんの見せるとびきりの笑顔が
自分だけに向けられているわけではないということを理解しているはず。

それでもなお春香ちゃんのことを応援してくれるのは、
やっぱりその笑顔にそれだけの力があるから。

「春香ちゃんの笑顔でみんなが元気になって、勇気を貰えるのなら、
 それが誰に対するものかなんて、大して重要なことじゃないのよ」

「でも……」

22: 2013/01/08(火) 21:59:21.69 ID:1eFAdvOBo
「一番大事なのは誰の為かじゃなくて、それが100%の笑顔かってこと。
 そしてその笑顔の力で、どこかの誰かが幸せな気持ちになれるってことよ」

 よく聞くような意見で、よく聞くような反論だと思うけど、
 ボランティア活動をしている人に対して『偽善だ』という声が挙がることがある。

 曰く、自分が善人であることを周囲にアピールしたいがために、善人を気取っている――と。

 でも私の個人的な意見としては、そのお陰で助かる人がいるのなら、
 それが偽善だろうがなんだろうが関係ないと思う。

「春香ちゃんは“人の為になる”ように、自分の為に笑えば良いの。
 だって自分が幸せじゃなかったら、人を幸せになんて出来るわけないもの」

 春香ちゃんは私の言うことにウンウンと頷いて見せたり、
 じっくりと考え込む素振りを見せたりと、私の話を真剣に聞いてくれた。

 そして小さく呟いた。

「そっか……良いんだ…………自分の為で」

 胸に手を当て、大きく深呼吸をする春香ちゃん。
 ほんの少しかもしれないけど、心の葛藤が解消されたみたい。

「小鳥さん」

「はい」

「少しだけ、気持ちが軽くなった気がします……ありがとうございました」

 春香ちゃんは立ち上がるやいなや、背筋をピンと伸ばし、深々と頭を下げた。
 その客室乗務員顔負けのお辞儀は、私も見習わないといけないかな。

 とはいえ、テレビ局のお偉方に対してならまだしも、
 同じ事務所の冴えない事務員に向けるようなお辞儀ではないような気がする。

「ほらほら、畏まらなくていいって言ったでしょ?」

「え? あぁ、そうですか……それじゃ……」

「……あっ」

 一瞬だけ垣間見せたイタズラスマイルを、私はしっかり―――

「ちょ、ちょっ……」

「小っ鳥さーん!」

「わわっ! は、春香ちゃん!?」

 ―――見逃さなかったんだけど、私が春香ちゃんの企みを察知してイスから立ち上がり、
 たった半歩後退りをした頃には、もう既に春香ちゃんの小さな顔が胸元に迫り、
 その細い両腕は、私の細い……かもしれない腰に回されていた。

23: 2013/01/08(火) 22:05:34.58 ID:1eFAdvOBo
「えへへっ♪ ハグですよ、ハ~グ!」

「い、いやぁ~! 恥ずかしいから離れてぇ~!!」

「よいではないか~よいではないか~」

「ぴ~よ~! じゃなかった……あ~れ~!」

 恥ずかしさで爆発してしまいそうな私を尻目に、春香ちゃんは顔をグリグリと押し付けてくる。
 引き離そうにも、ガッチリとホールドされて、肩に手を掛けることすら出来ない。

 それだけならまだしも、さらにくすぐったさまでもが加わって、
 私の顔はこれ以上無いというほど熱くなり、口元は緩みに緩んでいた。

「制服で隠れがちですけど、小鳥さんってスタイルいいですよねぇ~」

「そそそそうかしら!?」

「特にこのフトモモなんて、触り心地が……」

「あ……ちょっ……んんっ………やぁ」

 春香ちゃんの手付きといったら、アイドルであること以前に、
 とても10代女子のそれとは思えないほど、変態じみたイヤラシイものだった。

 同性間のちょっとした悪ふざけ、スキンシップの限度を高々と越えた、
 犯罪色の強い、込み合った電車内で起こり得るような、そんな触り方。

「そ、そろそろ離れてくれないと、私ヘンな気持ちに…………」

「別にいーですよヘンになっても……今は二人っきりで――」

「……コホン」

 春香ちゃんの言葉を遮ったのは、ワザとらしく、それでいて酷く気まずそうな咳払いだった。
 
 二人抱き合ったままの状態で、ドアの方へ同時に視線を向けると、
 そこには、顔を真っ赤に染め上げては目を泳がせる、メガネの好青年が立っていた。

「プロデューサーさん!? いつからそこにいらしたんですか!?」

「そ、そうですね…………春香が抱きついた辺り……かな」

「私が抱きついた……って一部始終じゃないですか!」

「あはは……そうだな」

 今この瞬間、事務所内には赤面した人しか存在していなかった。

 右手を後頭部に回し、照れ笑いを浮かべていたプロデューサーさんは、
 ここへ来た本来の目的を思い出したのか、『あっ』と殆ど吐息に近い声を挙げると、
 そのトマトのように赤い顔のまま、表情だけはマジメになって私を見た。

「そうだ小鳥さん、電話です電話」

「え? あっ、はい!」

24: 2013/01/08(火) 22:09:31.33 ID:1eFAdvOBo
 ようやく春香ちゃんの手から開放された私は、いまだ高鳴り続ける鼓動を感じながら、
 ドアの傍らに立つプロデューサーさんの元へ駆け寄りつつ、ちらりと春香ちゃんを見た。
 なんとなく頷いて見せると、春香ちゃんはそれに答えるように、ニッコリと微笑んでくれた。

 そうそうこれよこれ、この笑顔よ。

 やっぱり春香ちゃんには、笑顔が一番よく似合う。

 あんなに暗い表情だった春香ちゃんが、抱きついてくるようになるまで
 元気を取り戻してくれたのは、私にとってすごく意味のあること。

 その笑顔が、役に立つことが出来た証のように思えて、
 電話応対での“よそ行きの声”のトーンが、嬉しさで少し高くなってしまった。

25: 2013/01/08(火) 22:12:20.64 ID:1eFAdvOBo
 春香ちゃんとお話をしたその日を境に、
 みんなの悩みを聞いたり、相談に乗ったりすることが多くなった。

 会議室のドアの真ん中辺りに張ってある室名札を覆い隠すように、
 亜美ちゃんと真美ちゃんが個性的な筆づかいで書いた、
 
 『小鳥お悩み相談室』
 
 という文字と、独創的な色づかいで描いた私の似顔絵に加え、
 さらには極彩色のヒヨコのイラストが堂々と貼られている。

 『小鳥お悩み相談室』には、今日もまた、悩めるアイドル(一部例外あり)が訪ねて来ては、
 時に深刻な、時に他愛も無い相談話を持ちかけてくる。


 さて、今日は一体どんな悩みが……?

26: 2013/01/08(火) 22:15:31.56 ID:1eFAdvOBo
千早「最近……上手く歌えているのか不安で……」

小鳥「おごれる人も……って言うし、それも一種の向上心だと言えるんじゃないかしら?」

千早「そうでしょうか……」

小鳥「でも、時には根拠の無い自信を持つことも大切よ?」

千早「根拠が無ければ自信は持てません」

小鳥「そういうところは響ちゃんの“なんくる精神”を見習わないとね」

千早「なんくる精神?」

小鳥「ちょっと『千早は完壁さーっ!』って叫んでみて?」

千早「……字が違ってませんか?」

小鳥「……字?」

千早「い、いえ」

27: 2013/01/08(火) 22:16:38.51 ID:1eFAdvOBo
律子「どこで経費を抑えるか……ジリ貧弱小事務所は辛いですね」

小鳥「んーと……人件費とか?」

律子「小鳥さん、それ自分の首を絞めてません?」

小鳥「えっ」

律子「えっ」

高木「えっ」


小鳥「なにそれこわ……って社長!?」

28: 2013/01/08(火) 22:19:09.86 ID:1eFAdvOBo
雪歩「よ、夜中に強い光に包まれて……気が付いたら三時間も経っていたんですぅ……」

小鳥「ア、アブダクション!?」

雪歩「それ以来、何だか頭が痛くて……」

小鳥「…………」

雪歩「あの……」

小鳥「ワレワレハ、ツルンツルン ダ!」

雪歩「???」

小鳥「もし宇宙人に襲われたら、インディアン・ラブ・コールって曲を流すのよ! 大音量で!」

雪歩「は、はい……」


小鳥「大音量よ!」

29: 2013/01/08(火) 22:21:08.60 ID:1eFAdvOBo
響「あの時、一瞬でもへび香を美味しそうだと思った自分が嫌で……」

小鳥「ヘビは骨が多くて食べ難いらしいから、止めた方がいいわよ」

響「……えっ」

小鳥「ワニは結構美味しいらしいから、そっちの方がいいんじゃないかな」

響「…………」

小鳥「ひ、響ちゃん?」

響「……鶏肉にする」

小鳥「えっ……」

30: 2013/01/08(火) 22:22:46.02 ID:1eFAdvOBo
貴音「どのお食事処へ赴いても、入店を拒否されてしまうのです……」

小鳥「き、きっとファンが集まって、お店がパニックになっちゃうからよ!」

貴音「そうでしょうか……」

小鳥(そうよね、あんなに食べられちゃ商売あがったりよねぇ~)

貴音「……何か?」

小鳥「いーえいーえ!」

31: 2013/01/08(火) 22:24:24.46 ID:1eFAdvOBo
あずさ「この季節は化粧のりが悪くなってきちゃって……」

小鳥「そうよねぇ年取ってくると肌が……って、まだ若いでしょうに!」

あずさ「足腰も弱くなってきちゃって……」

小鳥「そうよねぇ年取ってくると節々が……って、まだ若いでしょうに!」

あずさ「最近は『よいしょ』が口癖になってるんです……」

小鳥「そうよねぇ年取ってくると階段上がるのも……って、まだ若いでしょうに!」

あずさ「よく道に迷うし……」

小鳥「私なんて人生に迷って……」








小鳥「キィーーー!!!」

32: 2013/01/08(火) 22:25:37.79 ID:1eFAdvOBo
やよい「あの時、河川敷の葉っぱを見て美味しそうだと思った自分が嫌で……」

小鳥「ヘビを見てそう思わないだけ、まだセーフよ!」

やよい「…………」

小鳥「それに、大体の草は煮詰めれば食えるっちゃー食えるわよ!」

やよい「そ、そうですか……」

小鳥「そうですよ」

やよい「……鶏肉にします」

小鳥「えっ……」

33: 2013/01/08(火) 22:31:00.07 ID:1eFAdvOBo
亜美「悩み? あるわけないっしょ→」

小鳥「きっと、真美ちゃんも同じことを言うのね…………」

亜美「ねぇねぇピヨちゃん、ギャラクシアンやろ→よ!!」











真美「悩み? あるわけないっしょ→」

小鳥「…………やっぱり」

真美「ねぇねぇピヨちゃん、バラデュークやろ→よ!!」

34: 2013/01/08(火) 22:31:45.81 ID:1eFAdvOBo
伊織「な、悩みなんて無いわ……でも、もう少しこのままで……」

小鳥「えぇ、私の膝でよかったらいつでも枕にしていいわよ。 もちろん、うさちゃんもね♪」

伊織「……ありがと」






小鳥「寝顔……撮ってもいい?」

伊織「ダメよ」

35: 2013/01/08(火) 22:32:23.56 ID:1eFAdvOBo
真「朝起きたら男になってるんじゃないかって……怖くて眠れないんです」

小鳥「男になったら、それはそれでまた…………ゴクリ」

真「…………」

小鳥「す、少し仮眠を取ったほうが良いんじゃないかしら?」

真「そ、そうですか……じゃーそうします!」






小鳥「寝顔……撮ってもいい?」

真「ダメです」

36: 2013/01/08(火) 22:34:22.69 ID:1eFAdvOBo
美希「最近……眠いの」

小鳥「す、少し仮眠を取ったほうが良いんじゃないかしら?」

美希「すぴー」

小鳥「ってもう寝てるし!!」

美希「ぐぅーぐぅー」






小鳥「寝顔……撮ろうかしら……」

美希「ダメなのぉ……ムニャムニャ」

小鳥「( ゚Д゚)ハッ!?」

美希「絶対ダメなのぉ……ぐぅぐぅ」

小鳥「星井美希! きさま! 起きているなッ!」

美希「すーすかぴー」

小鳥「おれはアイドルをやめるぞ! シャチョーーッ!!」

美希「すぅーすぅー」

小鳥「ねむい 実に! ねむいぞ」

美希「やかましいのッ! うっおとしいのッ!」

小鳥「あっ、すいません」

37: 2013/01/08(火) 22:35:53.41 ID:1eFAdvOBo
P「時々アイドル達が何を考えているのか、分からないことがあるんです」

小鳥「あの子達も年頃の女の子ですからねぇ……」

P「まぁ、たまに小鳥さんも何考えてるか分かんないですけどね」

小鳥「年増の“元”女の子ですからねぇ……ってバカ!!」

P「…………」

小鳥「な、なんですか?」

P「やっぱり何考えてるか分かんないです」

小鳥「がびーん」

38: 2013/01/08(火) 22:40:03.77 ID:1eFAdvOBo
高木「いやー最近どうも物忘れが酷くてねぇ」

小鳥「私も名前と顔が一致しないんです……」

高木「はっはっは、私の名前は忘れないでくれよ“音有”くん」

小鳥「分かってますよー“低木”さん」

高木「…………」

小鳥「…………」


高木「はっはっはっはー♪」

小鳥「うふふふふ♪」

39: 2013/01/08(火) 22:42:13.62 ID:1eFAdvOBo
『小鳥さん、聞いてくださいよ』

『ねぇねぇピヨちゃーん』

『小鳥嬢、折り入ってお話が……』

『音無君、ちょっといいかな』


 相談を受けることについては、嫌な気はしないし、むしろ光栄なことだと思う。
 だけど、たまに責任の重大さを感じて、自分なんかでいいのだろうかと不安に思ったりもする。

 そんなとき、元気の無い顔や深刻そうな顔をして部屋に入ってきたみんなが、
 満面とはいかないまでも、それなりに笑顔を取り戻して出て行く姿を見ると、
 やっぱり凄く嬉しく思うし、完全な形ではないにしても悩みを解消できて良かったと、
 相談を受ける立場でありながら、こちらまでハッピーな気持ちになれる。

 これからは出来る限り親身になって、みんなの相談に乗ってあげよう。

 もう愚痴でも不平不満でもなんでもいいから、その捌け口にしてもらえたらと思う。
 みんなの心が晴れるのなら、八つ当たりをされたって構わない。

 事務所にいる間だけは、アイドルでなくても、プロデューサーでなくてもいい。
 そういったしがらみは全て取っ払って、休息を得ることだけに時間を費やせばいい。

 ここはRPGに出てくる宿屋のようなもの。

 失ったHP、消費したMPを回復させて、またフィールドへ旅立つ。
 そうやって経験値を増やしていけば、きっとみんなのレベルは上がるはず。

 だったら私がしないといけないことは唯一つ。
 ゲームのNPCがそうであるように、いつも同じ笑顔でみんなをお出迎えすること。

40: 2013/01/08(火) 22:44:50.57 ID:1eFAdvOBo
貴音「もし……小鳥嬢」

小鳥「どうしたの? 貴音ちゃん」

貴音「小鳥嬢には無いのですか?」

小鳥「えっと……何がかな?」

貴音「お悩みや相談事など、わたくしで良ければ……お聞かせください」

小鳥「え?」

貴音「貴方様はわたくし共のお相手ばかりなさっておいでです」

小鳥「まぁ……そ、それが私の使命かなぁーなんて……」

貴音「では貴方様ご自身のお悩みは一体誰が?」

小鳥「え!? わ、私は別に……」

貴音「いいえ、ここは貴方様にとっても安息の地でなくてはなりません」

小鳥「私は十分安息できてるから……」

貴音「たとえ貴方様が普段、おサボり遊ばされているとしても すとれす は溜まるものです」

小鳥(最近言葉遣いがオカシなことになってる……)

41: 2013/01/08(火) 22:49:17.11 ID:1eFAdvOBo
貴音「さぁ小鳥嬢、お悩みを……」

小鳥「悩み……」


 ――――頭に浮かぶは、一つの言葉。


小鳥「…………」

貴音「小鳥嬢?」



 ――――私はみんなの役に立っているのだろうか。



小鳥「私の悩みは……」
















小鳥「もう……忘れちゃった。 ふふっ♪」

42: 2013/01/08(火) 22:49:57.98 ID:1eFAdvOBo
終わりです
お粗末さまでした

43: 2013/01/09(水) 05:06:12.41

短編ですっきり終わってよかったわ

引用元: 小鳥「小鳥お悩み相談室?」