1: 2011/08/13(土) 06:21:05.36 ID:WIqvE111O

 唯先輩たちがいないというのに、学校は朝からどこか騒がしかった。

 今日から3年生は修学旅行で、来週明けまで戻ってこない。

 他の部活は違うだろうけど、その間私一人になる軽音部はお休みだ。

 先輩たちは、たくさんメールをするからねと言ってくれたけれど、今のところまだ1通だ。

 楽しくて忘れてしまっているなら、別に……構わない。

 だけどさっきから何度も横で憂の携帯がぶるぶる震えているのを見ていると、

 少し、嫉妬がましい気持ちも芽生えるかな、などと思うところ。

 ほら、また。

憂「お姉ちゃんからだ」

梓「見せて見せて」

 私は憂の開いた携帯を半ば強引に覗き込んで、メールを見せてもらう。

 今日の私は、そうしてなんとか寂しくならないよう保っていた。

3: 2011/08/13(土) 06:23:13.09 ID:WIqvE111O

 授業が終わるまでに、メールはあと2通来た。

 4時間目の真っ最中に律先輩から来た金閣寺の写メ(自称、金閣! と寒い上に間違ってるダジャレ付き)と、

 6時間目の終わる直前にムギ先輩から来た、お茶用意できなくてごめんね、という律儀なメール。

 後者には、今日はそんなこと気にしないで楽しんでください、と返信を打っておいた。

 律先輩は、ほうっておいたら追撃してくるかと思ったけれど結局そのままだったから、

 帰りのHRのあと、おもしろくありませんと返しておいた。

 ともあれ、どうにか居たたまれない思いがこらえきれなくなる前に学校が終わってくれた。

 明日と明後日は休みだから、寂しければ泣いても、先輩に電話したっていい。

 私はかばんを肩にかけ、立ち上がる。

憂「梓ちゃん、純ちゃん、ちょっといい?」

 そしてドアに向かおうと歩き出す前に、憂が声をかけてきた。

5: 2011/08/13(土) 06:25:43.33 ID:WIqvE111O

純「どうしたの、憂?」

 部活に行く準備をしていた純が答えた。

 私も憂に顔を向ける。

憂「ちょっと、お姉ちゃんの教室寄りたいんだけど……」

 相手が純だったら、一人で行ってればとあしらって帰ることもできた。

 ほんとなら一刻も早く一人になりたいし、唯先輩たちの教室なんて入りたくない。

梓「唯先輩の教室って、どうして?」

憂「私もメールで言われて気付いたんだけど、お姉ちゃん昨日お弁当箱忘れてきちゃったみたいだから」

純「ああ、持って帰らないとって」

憂「うん。ちょっとだけつきあってほしいかなって……」

 だけど憂は、そういうことを言われるキャラじゃないし、何より私たちの友達だ。

 私はそれとなく純を窺ってから、あきらめて頷いた。

梓「まあそのぐらいなら……」

6: 2011/08/13(土) 06:27:27.33 ID:WIqvE111O

 当然だけど、3年生の教室は電気がついておらず、うす暗かった。

 私は廊下の窓から、唯先輩たちの教室に誰もいないことを確認すると、そっとドアを開けた。

憂「失礼しまーす……」

純「別にどろぼうしようって訳じゃないんだし、そんなにコソコソしなくても」

梓「そうだよ、憂」

純「いや、梓に言ってるんだけど……」

梓「……」

 純の言葉は都合が悪いので無視して、私は足音を立てないように教室の真ん中へと行った。

梓「唯先輩の席は、窓際のいちばん後ろだよ」

憂「ほんとだ、お弁当箱あった……ありがとう、梓ちゃん」

梓「どういたしまして」

7: 2011/08/13(土) 06:29:45.78 ID:WIqvE111O

純「澪先輩の席は?」

梓「たしか、そのあたりだったと思うよ」

 答えてから、私は内心、身構えた。

 純も少しにやりと口元を歪める。

純「唯先輩の席はわかるのに」

梓「覚えやすい場所にあるから」

 そう、隅のわかりやすいところにある。

 だから覚えていただけ、と口の裏で繰り返した。

純「まあいいけど……うーん、この席!」

 純はいじわるな顔をやめ、並んだ机を見比べた後、適当な席に座った。

梓「……なにしてんの?」

純「澪先輩の席に座って、澪先輩の魅力をいただけないかと」

梓「ばかすぎるね」

純「私は本気だ」

8: 2011/08/13(土) 06:32:24.94 ID:WIqvE111O

 でも、言われて少し思うことがあり、私はちょっと鼻をきかせてみた。

 さすがにほこりっぽい匂いがするだけで、先輩たちの匂いを感じられるわけはなかった。

 毎日かけている席でも、堅い木には人の匂いなんてしみつきはしない。

 しみつくとすれば、彼女のぬくもりくらいだけれど、少し風が通ればすぐに冷め、

 表面にニスのつややかな発光を残すだけになる。

 それはまるで私と、彼女のように匂い、彼女のように暖かい憂との違いに思えた。

憂「お姉ちゃんの机だ……」

 憂も純のように、唯先輩の席におさまっていた。

 私だけ立っているのは落ち着かないけれど、

 この教室の椅子に座るということの意味を思うと、仲間外れの心地に耐えるほうがよほどよかった。

梓「……はぁ。嬉しそうに」

純「でもまあ、仕方ないよね。憂は今日から2日、一人で家に留守番なんでしょ?」

憂「え?」

 机の落書きを恍惚とした顔で眺めていた憂は、ふいに顔を上げてまばたきをした。

9: 2011/08/13(土) 06:34:46.39 ID:WIqvE111O

純「うん、だって唯先輩修学旅行じゃん……」

憂「……そうだった。お姉ちゃん、帰ってこないんだ」

純「いや、2日したら帰ってくるから」

憂「お姉ちゃぁん……」

純「泣いたー!?」

梓「……」

 憂は机に伏して、しばらくわんわん泣いていた。

 純が頭を撫でて、すぐ帰ってくるからと何度か励ましたけれど、おさまらず。

 ポケットの携帯が震えて、唯先輩からのメールだと気付いたとたんに、泣き止んでいた。

梓「……憂って寂しがりなんだね」

憂「そうみたい。……えへへ」

純「まったく、焦ったよ……梓もちょっとは手伝ってよ」

梓「ごめんごめん。……じゃ、帰ろっか」

11: 2011/08/13(土) 06:37:11.06 ID:WIqvE111O

 憂の携帯は、その後もよく震えた。

 そのたびに憂は、ちょっと待ってと足を止め、にこにこして返事を打っていた。

 ……唯先輩からの、私へのメールが少ないんじゃない。

 唯先輩からの憂へのメールが、ずっと多いだけなんだ。

 唯先輩は、憂がすごく寂しがりなことを知っている。

 ふた晩会えずに過ごすだけで憂は泣き出してしまうことも予想できるくらい、しっかりと。

 だから唯先輩は、ほとんど絶え間なく、憂にメールを送り続けている。

 憂が寂しがって、泣いてしまわないように。

 そして唯先輩は、ただ知らないだけなんだ。

 私が先輩たちにたった3日会えないくらいで、今にも泣き出したいくらい寂しがりなことを。

 それぐらいに、もしかしたら……唯先輩のことを、好きなのかもしれない、ということを。

 私とふれあった時間なんて、ぬくもりもしみつかないほど短いのだし、

 私は決してそれらを悟られないように強がってきたのだから、知らないのは当たり前だ。

15: 2011/08/13(土) 06:39:21.07 ID:WIqvE111O

梓「……ふぅ」

 罪に身を浸した心地に、私は空へため息を吐きかけた。

 特別な想いなどありはしない。

 唯先輩は、軽音部の先輩のひとりだ。

 そう弁明して、憂を振り返る。

憂「よしっ……ごめんね、おまたせ」

 憂は慌てて駆けてきた。

 それに合わせるように私も歩き出そうとしたけれど、

 手を腰に当てて止まったままの純を見てなんとか足を止めた。

純「……憂、よほど寂しいんだね」

憂「うん……」

 憂は恥ずかしそうにうつむいた。

16: 2011/08/13(土) 06:41:16.94 ID:WIqvE111O

純「……よし、決めました!」

 いやな予感がする。

 私は純をひっぱたいて、さっさと行くよと歩き出し……といきたい気持ちをぐっとこらえた。

梓「なにを……」

純「唯先輩が帰ってくるまで、私と梓が一緒にいてあげる! ていうか憂んち泊まりたい」

憂「純ちゃん……」

 本音出すの早すぎない? とつっこむ前に、憂はくすりと笑った。

憂「ありがとう。助かるけど……梓ちゃんはいいの?」

梓「私は……」

 できれば、いいかげん一人で堰を切って泣き出したいところだ。

 だけど、そうして流す涙は、本当に寂しいだけの涙なんだろうか。

 一人でいたら、そんなことを疑いだしそうだ。

17: 2011/08/13(土) 06:44:02.41 ID:WIqvE111O

 それが何より重要なことなのだ。

 きっと私は一人で泣いていれば、

 憂が今ごろ唯先輩と電話をして、寂しさをやわらげてもらっているんじゃないかと考えだし、

 もはや言い訳もつかないぐらいの嫉妬に駆られる危険性があった。

 唯先輩を好きだというのは、ちょっとした気の迷いにすぎない。

 今まで、あんな風に抱きついてくる女の子はいなかったから、1年たっても、驚きが抜けないだけなんだ。

 私は女の子で、唯先輩も女の子。

 好きになるなんてありえっこない話。

 気を確かにもって、狂気をおさえたいんだったら……

梓「……憂さえ、いいなら」

憂「大歓迎だよ! 梓ちゃんも来てくれる?」

梓「うん。私も先輩たちに会えなくて、ちょっと寂しかったところだし」

19: 2011/08/13(土) 06:46:15.61 ID:WIqvE111O

憂「じゃあ、私さきに帰って準備するよ。純ちゃんたちも2日泊まるなら、お家帰って支度しないと」

純「いやいや、買い物とかするなら量多くなるでしょ。とりあえず買い物付き合うよ」

憂「それでも夜からで大丈夫だよ。純ちゃんも梓ちゃんも、そんなに家遠くないでしょ?」

純「んー、じゃあ一旦帰って準備するか、梓」

梓「そうだね」

 あまり気の進まない私の前で、これからのことはどんどん決まった。

 走っていく憂をぼうっと見送り、私たちは一度家に帰って泊まり支度を整え、憂の家の近くで落ち合った。

梓「あれ、純の荷物少ないね」

純「ああ、着替え削ったんだ」

梓「削ったって……裸で過ごすつもり? やめてよね」

純「いや、洗濯させてもらおうかと」

梓「遠慮ってものがないね」

20: 2011/08/13(土) 06:48:19.66 ID:WIqvE111O

 まあまあ、と笑った純に付いていき、憂の家へとやってきた。

 ……唯先輩の家か。

 純がインターフォンを鳴らすと、足音が駆けてきて、普段着の憂がドアを開けた。

憂「いらっしゃい。待ってたよ」

純「ごめんね。寂しかったかいお嬢ちゃん」

憂「お姉ちゃんがメールくれてたから、大丈夫」

純「あ、さいですか……」

梓「……とりあえず、お邪魔するね」

 私の携帯には、律先輩の楽しそうな返信があったぐらいで、唯先輩からは朝の1通以来なにもない。

 唯先輩が知っている私は、気が強くて抱きつきやすい普通の女の子だし、私はただの後輩だ。

 だから、それでいい。

 そうでなければ困ってしまう。

23: 2011/08/13(土) 06:50:44.20 ID:WIqvE111O

 私たちはリビングに荷物を置いて、純をすこしくつろがせてから買い物に出た。

 憂と献立を相談しながら食材を選ぶ。

 一緒にいるのが憂と純じゃなく、唯先輩だったらと心から思う私は最低だ。

 家に帰って調理を分担し、みんなで夕ご飯にして、お皿を片付ける。

 別々にシャワーを浴びて、他愛ない話で盛り上がっているうちに、あくびが漏れるようになった。

 もちろん、そのうちにも唯先輩の憂へのメールが、少し頻度は下がっても止むことなかったのは言うまでもない。

純「ふわああぁ……そろそろ寝ようかあ」

憂「そだね……おねえちゃんにもおやすみって言う」

 憂もあくびを噛み頃しながら、ぽちぽちとメールを打った。

梓「それで憂、私たちはどこで寝たらいいの?」

憂「ん、お母さんたちの部屋はさすがに怒られるから、私の部屋とお姉ちゃんの部屋だね」

24: 2011/08/13(土) 06:52:54.65 ID:WIqvE111O

梓「唯先輩の部屋は使っていいんだ?」

 できるだけ冷めたように言ってみせるけれど、言い終えたとたんに、肌を熱いものが走った。

純「うん、去年は合宿のときに泊まらせてもらったんだけど、私そのときも唯先輩の部屋で寝たから」

梓「そうなんだ」

 からかわれるかと身構えたけれど、純は指を振って言っただけだった。

純「もしかしたら、私だから唯先輩はベッドを許してくれたのかもしれないけどね……」

梓「自分が何言ってるか理解してるの、あんた」

憂「まあまあ……だけど、今回はベッドが足らないね」

 のらりくらりと憂は言う。

 わざわざ数えないでも、ベッドの不足はわかりきっていた事態だ。

純「だったら」

梓「じゃあ純がソファか……かわいそうに」

純「遮んな」

25: 2011/08/13(土) 06:54:47.61 ID:WIqvE111O

純「なにもベッドは一人ひとつって決まってる訳じゃないじゃん。憂、一緒に寝よ」

憂「うん。梓ちゃんはお姉ちゃんの部屋でいい?」

 口を挟んだもむなしく、二人は手を繋いで立ち上がった。

梓「……まあ、かまわないよ」

憂「明日は、梓ちゃんと一緒に寝るから」

梓「そんな気の使い方しなくていいって……まあ、ありがと」

 はじめから結託していたような流れだ。

 私の、曖昧な想いを知っていて……?

 まさか。誰にも伝えていないのに、バレているわけがない。

 純の言う、私が唯先輩を好きだなんて説も妄想の果ての悪ふざけにすぎない。

 本気で同性愛者を応援しようなんて、私にはとてもできない。

 いやそもそも、私は同性愛者ですらないのだけど。

27: 2011/08/13(土) 06:57:09.12 ID:WIqvE111O

 私は憂について階段を上がり、トイレの場所を示された後、唯先輩の部屋へと通された。

 部屋に入ったとたん、ふわりと軽くて透明な唯先輩に抱きつかれた気がした。

 鼻で記憶した、言葉にできない唯先輩の匂いがする。

 憂が電気をつけると、唯先輩の腕に絡めとられている幻想は消え去った。

 代わりに、ありありとした唯先輩の痕跡が、現実となって視界に現れた。

憂「それじゃ、何か困ったことがあったら私は隣の部屋にいるから言ってね」

梓「うん、ありがとう……」

 あのめくれて、ぐちゃぐちゃにされた毛布に、唯先輩はいつも包まれているんだ。

 皿のようにへこんだ枕にいつも頬を乗せ、眠っているんだ。

 憂が、おやすみといって扉を閉めた。

 私は、唯先輩の痕跡と、二人きりになる。

30: 2011/08/13(土) 07:01:13.14 ID:WIqvE111O

 なぜか私には、そこがいつもの唯先輩と違う匂いを吸い込んでいることが、近づく前に簡単に悟れた。

 純はその匂いが特別なことすら知らないで、ここに寝たのか。

 いまさらになって、嫉妬の情念がめらめら炎を吐いた。

 そしてその火を、私は知っているという優越感が覆い消し、

 なにをくだらないことを考えているんだろうと平静が冷まし、

梓「っ!」

 そしてまた、憂への嫉妬が体をぶわっと震わせた。

梓「……」

 ふわり。

 唯先輩が背中から抱きついて、私はひざまずいた。

31: 2011/08/13(土) 07:03:15.01 ID:WIqvE111O

 やめてくださいって、いつも言っているのに、唯先輩はちっともやめてくれなかった。

 それどころかもっと愛しそうに、かわいいかわいい言って私を抱いてきた。

 もし、私の言うことをきいて、やめていてくれたら。

 私は唯先輩の柔らかい匂いも、声の甘さも、ほおずりの幸福も、

 腕の中の居心地さえも本当の意味で知ることはなかったし、愛することもなかったはずなのに。

 いくつもいっぺんに教えられて、唯先輩のことがどんどん気になるようになって。

 すぐ。ほんとうにあっという間に、唯先輩の全てが愛しくなっていた。

 こんな情けない理由で好きにさせるから。

 私は素直に、唯先輩に大好きだって言うことができないんだ。

梓「……」

梓「やめてくださいよ……」

 言うと、唯先輩はショックを受けたような顔をして、なおも抱きすがってくる。

32: 2011/08/13(土) 07:05:47.59 ID:WIqvE111O

 ……唯先輩のことはすきじゃありません。

 心の中で強く、願うように言いつけると、唯先輩の重みが、息をのむ気配とともに消えた。

梓「……ふぅ」

 私はバカか。

 好きなはずがない。

 唯先輩は女の子なのだから、これを恋と呼べるはずがない。

 これは尊敬と、親愛と、安心と、あと何かが混ぜこぜになった感情だ。

 唯先輩とは、そういう相手に過ぎない。

 だから私はのっそり立ち上がって、毛布をぐっと引っ張った。

梓「失礼します……」

 どこかにいるような唯先輩の気配に向けて言い、

 私は初めてふれる唯先輩の香りに包まれて目を閉じた。

 とても心地よい香りは、唯先輩とともに液体になり、ともに溶けていくような夢に誘った。

34: 2011/08/13(土) 07:07:31.00 ID:WIqvE111O

 びしょびしょの体で、唯先輩が私に抱きつく。

 私の体の中に唯先輩がしみこみ、私の体は唯先輩に溶かされていく……

憂「梓ちゃん」

梓「うわっ!?」

 唐突に現れた憂に名前を呼ばれ、びくりと体が跳ねた。

 反射的に体を起こし、腕があることに驚く。

憂「ご、ごめんね起こしちゃって……」

梓「いや……いいけど、どうしたの?」

憂「ちょっと、純ちゃんがね……」

 まさか純、襲ったのか。

 完全にただれていた私の頭は、純を私と同じような人間に貶めて、そんなことを考える。

憂「……寝相が、ひどくって。ベッドを追い出されちゃったから、梓ちゃんと一緒に寝ていい?」

 そりゃそうだよね。

 いくら純でも、レズじゃあない。

36: 2011/08/13(土) 07:10:07.38 ID:WIqvE111O

梓「別にいいよ。……ほんと純って遠慮ないよね」

憂「純ちゃんはそこがいいところなんだよ。悪いところでもあるにはあるんだけど」

 私は憂のほうに枕をずらし、壁ぎわに寄ってまた横たわった。

梓「……まあ私だったら、今日憂の家に泊まるとは言い出せなかったかも」

憂「うん、すごく嬉しかった」

 憂は枕を突っ返して、部屋から持ってきたらしいクッションを置くと、そこに頭を乗せて毛布に入る。

 顔に乗せられた枕から、唯先輩の使っているシャンプーの匂いがした。

梓「ぷは」

 枕をひっくり返して敷きなおすと、私は毛布の位置を調節した。

憂「梓ちゃん、もうちょっと近くに来ないと毛布足らないかも」

梓「そうかな……じゃそっち行くよ」

 私は体を起こして、また枕をずらし、おしりを憂のほうに動かした。

 ふと、憂の顔を見る。

 ポニーテールをほどいた表情は、きょとんと私を見つめ返していた。

37: 2011/08/13(土) 07:12:17.19 ID:WIqvE111O

憂「どうかした?」

梓「……うーん。何でもない……と思う」

 たった今、憂でもいいからこの匂いの中、口付けてしまいたいと思った私は、

 よほど最低な欲望にとりつかれて、しかもそれを愛と呼ぼうとしているようだった。

憂「変な梓ちゃん」

梓「そうかも」

 笑う憂に笑顔を返して、枕に頭をうずめた。

 そして目を閉じると、液体の唯先輩を何度も蹴飛ばして拒絶しながら眠った。

 その夜みた夢は覚えていないけれど、とにかくひどく暑くて、起きてすぐシャワーを借りた。

 髪をかわかしていると案の定、

純「あこがれの唯先輩のベッドの寝心地はどうだった?」

 と純がにやにや聞くものだから、

梓「澪先輩のベッドぐらいには心地よかったよ」

 と答えてやったら、本気で信じて悔しがっていた。

38: 2011/08/13(土) 07:15:55.48 ID:WIqvE111O

 憂と純と過ごす丸一日は、かくして始まった。

 ごろごろして動かない純と、ぐったりして動かない私に、

 憂は当たり前のように朝食を作って出し、にこにこして箸を渡した。

 憂はきっと、唯先輩だけを愛しているのではない。

 だけど憂は、唯先輩だけを特別に愛しているのは間違いないな。

 なんて味噌汁を吸いながらぐちゃぐちゃ思った。

純「ごちそうさま」

 早々に純が食べ終えると、ぱしんと手を合わせて頭を下げた。

 憂を見てみると、嬉しそうにしながらきゅうりの漬物をかじっているところだった。

 それだけの、普通の顔だ。

 ごちそうさまと言ったのが唯先輩だったら、憂はきっとなにか言う。

 なにか言ったら、唯先輩は負けないくらいの笑顔でなにか返す。

 そうなんだろう。

39: 2011/08/13(土) 07:17:33.42 ID:WIqvE111O

 じわりと、食べた朝食が胃で嫉妬に変貌するのを感じる。

 私が欲しくてたまらない日常は、いま憂が独占しているのだ。

 そこまで考えがいって、思い直す。

 私もたいがいではあるにしろ、憂は私が欲しくてたまらない非日常は、決して手に入れられないのだ。

 悪い心はおさまってくれて、私はほどほどに冷めたごはんをぱくりと食べた。

純「このあとどうするー?」

 退屈そうに純は言った。

憂「んー。どこか遊びにいく?」

梓「どこかと言ってもね……雨の予報出てるから、外はどうかな」

 携帯の予報を見ながら答える。

 今日はいよいよ、先輩たちみんな夢中になっているみたいで、メールは1通もなかった。

 お土産を忘れやしないだろうか。

 もちろんそのくらい忘れたって、ちゃんと4人揃って部室に戻ってきてくれたらそれでいいけれど。

40: 2011/08/13(土) 07:20:05.70 ID:WIqvE111O

憂「じゃあ家で過ごそっか。傘持っていくのもめんどうだしね」

純「だねー。もう一眠りするかあ」

 純がソファにのぼって、ばたりと倒れた。

梓「……え、まだ寝るの?」

 純に安眠を妨害された憂か、ろくに眠れなかった私が言うならわかるけれど、

 豪快に寝ていたはずの純が言うと、なんていうか引く。

純「そりゃあ女子高生がろくにすることない時にやることといえば、昼寝しかないでしょ」

憂「確かにお姉ちゃんもよく昼寝してるけど……」

梓「純、いまは人んちに泊まらせてもらってる立場なんだよ」

純「……じゃあ憂、あそぼっか」

 しぶしぶといったご様子で鈴木女史は起き上がりになられた。

憂「なにして遊ぶ?」

純「私にまたがれ」

梓「やめろよ!」

41: 2011/08/13(土) 07:22:20.24 ID:WIqvE111O

 あやうく純にグーパンかますところだった。

 憂は憂で、ちょっと照れたような顔しちゃってるし。

 キャラは守ろうよ、憂。

純「冗談冗談。んー、考えてみりゃ、家の中で遊べることってないよねー」

梓「あるでしょ、折り紙とかトランプとか」

憂「ごめん、どっちもうちには……え、折り紙?」

純「まあ……あったとしても、トランプでこれから10時間以上潰すのは厳しいっしょ」

梓「……」

 折り紙って今はもう遊びにならないんだ……覚えておこう。

 それはそれとして。

 話はまた振り出しに戻ってしまった。

43: 2011/08/13(土) 07:24:31.05 ID:WIqvE111O

純「はー。こんなときその辺の萌えアニメだったらツイスターゲームとか出てくるのに」

梓「あれ手足短い私が不利すぎてやだ」

憂「あるけど……ツイスターゲームのボード」

純「いや、ノーサンキューで……」

憂「……じゃあ普通にお茶飲んで、お話しながら過ごそうよ」

純「おっ、いいね。休日ティータイム! 優雅なおぜうの午後……」

梓「純、まだティータイムに変な憧れ持ってるんだ」

純「先輩に変な憧れ持ってる梓に言われたくない」

梓「それむしろあんたでしょ」

 頼むから日常会話に織り混ぜてこないで。

憂「……とりあえず、お茶わかしてくるから待っててね? 軽音部と違ってティーパックだけど」

 憂はいたたまれなさそうに、とことこ台所に走っていってしまった。

44: 2011/08/13(土) 07:27:04.76 ID:WIqvE111O

梓「ちょっと……憂怒ってたよ」

純「だってねぇ」

梓「今日……っていうか昨日からだけど、なんか純おかしいよ」

梓「純って、まさかほんとにレズなの?」

純「だったらどうする?」

 純のこの意地悪な笑顔が、すごく苦手だ。

梓「べつに、だったらどうとかじゃないけど……」

梓「と、とりあえず自分を棚にあげて人を同性愛者扱いするのやめてよ。唯先輩とは普通に部活の仲間なの」

純「唯先輩が単純にそうは思ってないとしたら?」

梓「え……!」

 何を言っているんだろう、純は。

 唯先輩が私を好きってこと?

 なんでそんなこと純が知ってるの?

46: 2011/08/13(土) 07:30:07.40 ID:WIqvE111O

純「なにキラキラ目輝かせたまま俯いてんの? 仮定の話だよ」

梓「えっ……あっ、へっ!?」

純「もし相手に好かれてるって分かってたら? 私に言うように、やめろ気持ち悪いって言うわけ?」

梓「そ、そこまでは、言えないよ……私に、その、好意をもってくれるなら……ふつーに、嬉しいし」

 なにを私はもにょもにょしているのか。

 だいたいこんなくだらない仮定の話、どうしてまじめに付き合ったりするんだ。

 もしかしたら純のことだし、仮定と言いつつ仮定じゃないかも、なんて可能性に懸けてるの?

純「そんな煮えきらないことを聞いてるんじゃないの。だっから梓ってイライラするんだよなあ」

純「付き合うか付き合わないかだけ聞けたらいいの、私は」

梓「な、なんでそんなこと聞きたいのさっ」

純「だって私も同じだから、梓の気持ちすごくわかるんだもん」

純「だからこそ、きちんと答えを出さないといつまでも辛いままだってわかるんだよ」

48: 2011/08/13(土) 07:32:27.35 ID:WIqvE111O

梓「……」

 同じ、ということは、やっぱり純もレズビアンだったというわけか。

 正直、昨日今日で予想はしてたことだけれど、正面切って言われるとなんとも返せない。

純「梓……わかるでしょ。今の自分がすごく辛いの」

純「好きなのかさえわからないことにしてる。だから諦めることも踏み出すこともできないでいるじゃん」

純「そういう思春期のバカによくあるんだよ。ておくれになってようやく、好きだったことに気づくとかさ」

梓「……そう」

 私はいつもより低く結んだ髪に触れた。

梓「……でも、好きじゃない」

純「……後悔するとしても?」

梓「好きだって言って、軽音部にいられなくなるほうがずっと後悔するよ」

 ため息をつくと、外でざあざあ雨が降りだしていたのに気付いた。

49: 2011/08/13(土) 07:35:05.58 ID:WIqvE111O

純「……私には、軽音部がその程度で崩れるとは思えないけどな」

純「私も憂も、梓のこと大好きだし、唯先輩も澪先輩も律先輩も紬先輩も」

純「みーんな、梓の性癖なんか関係ないところで、梓のことを好きなんだよ」

純「……うらやましいところだよ? ほんと、軽音部って」

 少し泣きそうに純は言った。

梓「でも、ほら。それと、私が唯先輩を好きなのかって話は関係ないし……」

 私は確かに、唯先輩を好きなふしはあるのかもしれない。

 純がこれだけ言うのだから、外から見てもそうなのだろう。

 だけど、だったらなんだっていうんだ。

 好きなら、傷つくこと、壊すことのリスクも背負って、告白しないといけないんだろうか。

 繊細に築き上げた砂の城を土台から突き崩してまで、この恋は成就させなければならないものなのだろうか。

 付き合うって、そんなことが許されるほど尊いことなのだろうか。

50: 2011/08/13(土) 07:37:17.74 ID:WIqvE111O

純「……梓。あのさ」

 純は重たそうに言った。

梓「なに?」

純「梓は一度、唯先輩でオナニーしてみたらいいと思う」

梓「……」

純「たぶん梓がもってる、面倒な倫理観だとか理性だとか全部すっとばして、素直になれると思うよ」

純「梓みたいなバカは、そうでもしないと自分のこと認めたがらなそうだし」

 バカみたいだ。

 いや、純はまごうことのないバカなんだ。

梓「……そんなことで、ハッキリする?」

 だけど、ちょっとばかりやってみたいと思うのは、なぜだろう。

 私は前から、そうしてみたいと思っていたのかな。

純「少なくとも、今よりはね」

53: 2011/08/13(土) 07:40:06.57 ID:WIqvE111O

梓「じゃあ、帰ったら……試す」

純「うん。ガンバ」

 純が親指を立てるのを、私は苦笑して眺めた。

 紅茶とクッキーの香ばしい匂いをまとって憂が戻ってくると、

 私たちはなんてことのない話題にシフトして、憂を混ぜた。

 唯先輩が好き……か。

 嘘ならいい、間違いならいいと思う。

 純のいうように、完全に壊れることはないのかもしれない。

 だけど、どこかがこじれて、ぎくしゃくするのは間違いない。

 その歪みは、私が唯先輩を好きだと心にきめてしまったときから発生するのだ。

 どちらにせよ、今は考えたところでどうしようもない。

 私がクッキーをかじり、談笑に身を向けようとした、そのときだった。

 私のポケットに、コンビニのレシートのごとくしまいこまれていた携帯電話が、ぶうんと震えた。

55: 2011/08/13(土) 07:42:44.06 ID:WIqvE111O

梓「わ、唯先輩!」

 慌てて携帯電話を引き出すと、唯先輩からのメールが来たところだった。

 私は思わず喜びで体が跳ねそうになって、ぐっとこらえる。

 件名は、「緊急事態!!」……?

憂「お姉ちゃんがどうかしたの?」

梓「ちょっと待って」

 メールを開き、中身を読むと、それはこれまですっかり忘れていた、確かに緊急事態だった。

梓「……とっ、トンちゃん!」

純「とんちゃん?」

梓「トンちゃん! 軽音部で飼ってるカメ! エサあげるの忘れてた!」

 本来、この土日にエサをあげる当番は律先輩、唯先輩だった。

 だけど先輩は修学旅行なんだし、もとより言われないでも私が当番を代わるべきだったのに、

 一人が寂しかったからとでもいうのか、トンちゃんのエサやりのことなどすっかり忘れていた。

56: 2011/08/13(土) 07:45:05.99 ID:WIqvE111O

憂「ええっ! 大変、すぐ行かないと!」

 外は雨が降っているところだけど、それどころではない。

梓「うん、急ごう!」

純「うわー、めんどくさ……」

 渋る純に支度させ、私たちは雨の中、学校に急いだ。

 部室にいくとトンちゃんは水槽の真ん中でゆらゆらと浮いており、

 なるべくエネルギーを消費しまいとしているようだった。

梓「よかった、生きてる……」

 急いでエサを落とすと、

 トンちゃんは水面に上がってエサにぱくつくと、身を翻して手で水を叩いて撥ね飛ばした。

純「うわあ、怒ってる」

梓「うっ……まあ怒るよね。2日もご飯抜きじゃ」

57: 2011/08/13(土) 07:47:20.49 ID:WIqvE111O

 お腹がすいてるだろうから、もう少しとエサを与えておく。

 トンちゃんは少し無視して泳いでいたけれど、やがて水面近くに浮いてぱくりと食べた。

純「なんか梓みたいだねー」

梓「いや、私じゃなくてもあんなナチュラルに忘れられたら怒る……」

純「そうじゃなくて、エサもらってる感じが」

梓「……」

憂「純ちゃんが言うのもわかるな。梓ちゃん、メールがくるたびにすごく嬉しそうだし」

憂「トンちゃんは、修学旅行の3日間メールをもらえなかった場合の梓ちゃんかなーって」

梓「私は別に……先輩たちが楽しんでたなら、忘れられててもいいよ」

純「素直じゃないなあ……さてと」

 純は水槽を見るのも飽きたらしく、膝を伸ばして部室を見渡した。

58: 2011/08/13(土) 07:50:06.61 ID:WIqvE111O

純「ドラム叩いていい?」

梓「いいけど、壊したら弁償だよ」

純「壊さない壊さない……スティックは?」

梓「律先輩の家じゃない?」

純「……じゃあ叩けないじゃん! なんだもー、せっかく来たのに」

憂「それじゃあ家に帰ったら、ギー太さわってみる?」

純「おぉ、いいね! 早く帰ろう!」

梓「長居してもあれだし、もう行こうか」

憂「そうだね。それじゃお話の続きしよっか」

 私たちは再度、傘をさして外に出た。

 雨の中で唯先輩からまたメールが来る。

 さっきのメールに返信をしていなかったので、トンちゃんと私を心配する内容だった。

59: 2011/08/13(土) 07:52:47.98 ID:WIqvE111O

 返事が遅れて申し訳ありません。ちょっと焦ってました。

 トンちゃんには、いまエサをあげたのでもう大丈夫です。

 そう返すと、すぐ携帯が震える。

 開くと純からで、一言「告白しろ」とだけ書いてあったので、私はぞくりとした。

 少しして唯先輩から、安堵を示す内容と、感謝のメールが送られた。

 その後は平和なやりとりをいくつか行い、家につくころにはもう途絶えていた。

 憂の家に戻ってすぐ、私たちは唯先輩の部屋に入った。

 壁に立て掛けるような形でスタンドに立っていた唯先輩のギターは、

 相変わらずメンテナンスが行き届いているとは言いがたかった。

 弦には少し錆があり、音階がずれているのを、

 無理やりそれっぽくチューニングして使い続けているような感じだ。

 本来、天性の才覚となる絶対音感も、唯先輩にはマイナス要素な気がしてならない。

60: 2011/08/13(土) 07:56:04.61 ID:WIqvE111O

 とりあえず私は、ギー太の具合がよろしくないのを憂と純に説明した。

憂「わかんないけど、とりあえずギー太はいま弾けないってこと?」

梓「弦を張り替えたら問題なく弾けるはずだし、唯先輩も替えの弦ぐらい持ってるだろうけど……」

梓「勝手に弦を張り替えたらまずいよね。そもそも、いまチューナーないし」

純「いいよ、私絶対音感だからチューニングする」

梓「うそつけ。それに、そこまでして触るのも悪いよ」

純「んーまあ、確かに。楽器は演奏者のソウルだからね」

 私はギターをスタンドに戻し、手をはたいた。

梓「そういうこと。おとなしくお茶でも飲んでよう」

 私たちは唯先輩の部屋を出て、下の階に戻ることにした。

 憂の部屋に飛び込もうとする純の襟を掴んで、階段を引きずり下ろす。

61: 2011/08/13(土) 07:58:05.68 ID:WIqvE111O

憂「お菓子いっぱい食べてるし、お昼はいいかもね」

梓「そうだね」

純「ねぇ、私絶対音感っていうの嘘じゃないよ」

梓「……」

純「この雨の音は嬰ロ」

梓「雅楽かよ」

純「憂と梓が階段を降りる音は……ありゃりゃー、Cとみせかけて耳障りな不協和音」

梓「憂、こいつ突き落としていい?」

憂「純ちゃん、私でも適当に言ってるってわかるよ」

純「ぐすん……」

梓「ぐすんはこっちのセリフじゃ」

63: 2011/08/13(土) 08:00:45.61 ID:WIqvE111O

 それから、意外と話のたねが尽きることはなく、私たちは語らっていた。

 夕方になってまた買い物に出掛け、雨で寒いからと鍋料理にしようとなって、

 憂から唯先輩の独創的な創作鍋をすすめられたけれどさすがに断った。

 イチゴトマト鍋ってマジでやったんだろうか。

 きっと憂の冗談だ。

 夕食のあとまた談笑し、交代でゲームをしたりして、眠たくなるとみんなであくびをした。

 憂が今日こそはというので、無駄だろうけれど純と一緒に寝てもらうことになった。

 まったく意味のない不撓の精神はどこから生まれているのだろう。

 もしかしたら憂は、純のことが好きなのかもしれない。

 それならそれで、まあ、ガンバ。

 閉じられたドアの前でそんな妄想を抱くと、私も廊下の明かりを消して唯先輩の部屋に突入した。

 急いで電気を付け、ひとまず深呼吸。

 唯先輩などいない。

 2日あけられた部屋では、少し唯先輩の気配はゆらいだように思う。

64: 2011/08/13(土) 08:02:43.49 ID:WIqvE111O

梓「……よし」

 少なくとも今日のベッドには、唯先輩の残滓はない。

 今夜は余計な意識をせずに眠れそうだ。

 私はベッドの脇のギー太を眺めつつ、へりに腰かけた。

 あずにゃん、と呼ばれた気がした。

梓「……」

 まだ生き霊がいる。

 この部屋で何年も暮らしているのだから、ここに唯先輩がしみついていても当然だ。

 換気をしたいところだけど、雨はまだ降り続いている。

 そのまま腰をひねって、倒れこむように布団に覆い被さってみる。

 今日の唯先輩は、ふわふわ漂う透明な気体だった。

 きっと部屋が暗くなったとき、その姿を目にすることができるだろうと思った。

65: 2011/08/13(土) 08:05:10.51 ID:WIqvE111O

 体を起こし、鼻に残る唯先輩ガスを吐き出した。

 私はギー太のほうに近寄って、そっと手を伸ばす。

 重すぎて片手を伸ばしただけでは持ち上げられず、結局立ち上がって持ち、また座るという作業をやらされた。

 ギー太を膝の上に乗せ、蛍光灯の明かりにあてて眺める。

 つややかに赤茶けたボディには、唯先輩がべたべた触った指紋がついている。

 修学旅行の前日に触った後は、拭いていないのだと思う。

 ネックとフレットを見ていき、私はふと気付いた。

 ピックを使う唯先輩の場合、弦が錆びるのはネックの上部のほうが早い。

 指でじかに触れるから、手汗と手垢がつきやすく、そのぶん錆びやすい。

 なにも、何か特別なことに気付いたわけではない。

 わざわざ言うほどでもない、当たり前のことだけれど、

 ……ギー太の弦は、唯先輩の汗と垢によって、錆びているのだ。

66: 2011/08/13(土) 08:07:13.29 ID:WIqvE111O

梓「……」

 今晩は雨で冷えているのに、私はシャワーを浴びたときの熱さをよみがえらせていた。

 こめかみをつうっと汗がつたい、耳がドクドクと激しく脈打つ。

 純の言っていたことを思い出す。

 一度、唯先輩でオナニーしてみるべきだ、と。

 純はそう言ったのだから。

 きっとなにかしら気配が伝わったときには、フォローしておいてくれるだろう。

 私はギー太をベッドにそうっと寝かせ、その上に四つん這いになった。

 私が息を吐くと、ギー太の弦がわずかに震えたようだった。

 まるで緊張に震えた唯先輩のくちびるのようなそこに、私はくちびるをつける。

 んっ、と唯先輩がくちびるを塞がれてうめく声。

 離れる音の代わりに、聞き慣れない和音が長く伸びた。

67: 2011/08/13(土) 08:10:11.36 ID:WIqvE111O

 あずにゃん、だめだよ。

 そんなことを言われる。

 私は舌を伸ばし、4弦をつーっと舐め上げた。

 鉄の味がしたのは、これが強姦だからだろうと思う。

 フレットにそって舌で6本の弦をはじくと、唯先輩は嬌声をあげて体をくねらせた。

 とても、素敵です。唯先輩。

 ネックに鼻をつけ、すうっと嗅ぎ、キスマークをつけてやろうと幾度もくちびるで強く吸った。

 汗と血の味。

 涙と愛液の匂い。

 腰を動かすと、股がパジャマまでぐっしょり濡れてしまっているのに気がついた。

梓「はぁ、はぁ……」

 ああ。

 唯先輩とをすると、私はこんなに嬉しいんだ。

68: 2011/08/13(土) 08:12:08.06 ID:WIqvE111O

 私はギー太にギュッとしがみついた。

 戸惑ったように唯先輩は私のあだなを呼ぶ。

 暑苦しいズボンを下ろし、すうっとした夜の空気に、汗と愛液が冷たい感覚をうったえた場所を、

 私は強く、ギー太の体にこすり付けた。

梓「ぁっう……」

 腰骨からびりっと電流が走ったような感覚。

 知っている感覚、なのに初めての感覚だった。

梓「あぁあっ」

 私は抱いていたギー太ごとひっくり返った。

 重たいギターが私にのしかかり、大事なところにぐいぐい押し掛かった。

 唯先輩が、笑う。

 私の大事なところを太ももで広げるようにこすりながら、私にキスをする。

71: 2011/08/13(土) 08:14:38.20 ID:WIqvE111O

梓「唯先輩、唯先輩っ」

 くちびるを夢中で吸う。奏でるようなキスのリズムが興奮を高まらせる。

 何度も何度もキスをしながら、唯先輩は遠慮もなく私の性器を擦りつづける。

 そのうち、偶然か故意か、クリトリスをちょうど唯先輩の膝がとらえて、押し潰した。

梓「っんんうーっ……!!」

 その瞬間、感覚が限界を迎えたのがわかった。

 私は唯先輩を強く抱きしめて、くちびるをひたすら押しつけ、声を抑えた。

 体ががく、がくと痙攣して、唯先輩は優しく、あ、ず、にゃん、と歌うように私に微笑みかけた。

梓「……」

梓「……うぁ」

 唯先輩との行為の果てにあったものは、

 熱い熱い高ぶりの臭気と、

 聞き苦しいギターの雑音だった。

73: 2011/08/13(土) 08:16:25.43 ID:WIqvE111O

 私は何度もギー太に謝りながら、つけてしまった唾液と愛液をけんめいに拭いた。

 臭いは結局とれないまま、私はシャワーを浴びてきて、昨日つかったパジャマをまた着ることにした。

 下着もむろん替えて……シーツは、バレないことを祈るしかない。

 私は、いよいよ唯先輩の匂いなど完全にかき消えたベッドに寝転び、目を閉じた。

 唯先輩とギー太と憂、それに私のムスタングにも悪いことをしたけれど、とてもよく眠れそうだった。

 私は、幻想の(よりしろはあったにせよ)唯先輩と、をした。

 好きではない、と言い訳を続けられないでもない。

 むしろ私なら、こんなのただの欲望じゃないかと否定に走るところだ。

 だけど私は、もう唯先輩を好きではないだなんて言いたくない。

 私は唯先輩を愛したくなったのだ。

 そのきっかけは、ただの自慰にはすぎないけれど。

 結局のところ私は、愛する甘さ、愛される甘さを知ってしまったのだ。

 だからもう、否定できない。

75: 2011/08/13(土) 08:18:21.94 ID:WIqvE111O

 日々抱きつかれただけで、同性の先輩を好きになるだけならまだしも、

 ただ一度をして、彼女のことを隠しようもないほど愛してしまうなんて。

 私はどうやら、純にどうこう言えないほどのバカだと思っていいようだ。

 レズはだいたいバカだという法則が生まれる。

 だったら唯先輩も、とか失礼なことを思った。

 明日、唯先輩はこの家に帰ってくる。

 そうしたら私は、まずお帰りやお疲れさまやお土産くださいの前に、唯先輩に好きだと言うことにしよう。

 誰が一緒にいても、おかまいなしに。

 そんなの、私の恋路の邪魔にはならない。

 彼女が帰ってきたら、寂しがりな私はまず大泣きして困らせてやろう。

 私は、明日の期待に胸ふくらませ、あたたかい夢の中へと飛び込んだ。


 終

80: 2011/08/13(土) 08:40:08.78
乙~、てかそっからが知りたいですね…

84: 2011/08/13(土) 09:17:59.40
おつ

引用元: 唯「抱きつかれて好きになっちゃったの?」梓「はい」