4: 2013/02/17(日) 22:24:49.16 ID:Ccq74m1p0
「……」

ざあざあと降る雨。
窓の向こうに水滴と、霧と、それから。

「……」

柔らかいベッドに真っ白なシーツ。
温かに包まれて、もそもそと起き上がる。

「眠れそうにないわね」

一枚羽織って、部屋を出た。

5: 2013/02/17(日) 22:31:37.52 ID:Ccq74m1p0
橙の灯りを手に廊下を歩く。
毛足の長い絨毯の上を、もこもこのスリッパで一歩。二歩。三歩。

「あら、こっちに来ていたの」

ジャン・バルジャン。
彼女の愛犬。
少女がその小さな手を差し出せば、嬉しそうに頭を擦り寄せてくる。

「いいわね、毛皮。暖かそう」

頭を、首元を、耳の裏を撫でながら呟いた。
不思議そうな顔で少女を見つめる毛むくじゃら。

「……ふふ」

自然と笑みがこぼれた。

7: 2013/02/17(日) 22:38:30.27 ID:Ccq74m1p0
「ジャン、おいで」

彼を台所へと招き入れる。
料理長に見つかったら、また小言を言われるだろうか。

「飲む?」

冷蔵庫からミルク、戸棚からチョコレートを取り出しながら聞いてみる。
何も言わず、首をかしげるジャン・バルジャン。

「駄目よ、あなた犬だもの」

不思議そうな顔で少女を見つめる毛むくじゃら。

「……ふふ」

また自然と、笑みがこぼれた。

9: 2013/02/17(日) 22:44:52.57 ID:Ccq74m1p0
鍋にミルクを流し込み、とろ火にかけた。

「ねぇ、あなたはケンカしたことある?」

ジャン・バルジャンは何も答えない。

「……」

座り込む犬、しゃがみこむ少女。
見つめ合う内に、鍋からは湯気があがっていた。

「しょっ、と」

白いマグカップにホットミルクを注ぎ、チョコレートを一片、二片、三片。
スプーンも持って台所を後にした。

13: 2013/02/17(日) 22:58:30.17 ID:Ccq74m1p0
「私は今日、ケンカしたわ。そんなつもりじゃなかったのに」

スプーンでくるくるかき混ぜる。
褐色が白に溶けていく。

「言い合いなんてしなかったわよ、二人とももう立派なレディだもの。でも……」

テーブルの脇に伏せたジャン・バルジャン。
鼻をひくつかせ、少女の顔を窺っていた。

「あんな顔するぐらいなら、言いたいことを言えばいいのよ。なのに黙って、困ったように笑って」

スプーンでくるくるかき混ぜる。
頬杖をつき、揺れる水面を睨んだ。

「だから私、頭に来て怒鳴ったの。ちょっとはワガママ言いなさいよ、って。でもまたあの子、困ったように笑って」

高槻やよい。
快活な少女。
お人良しな彼女。
眩しい笑顔が思い出された。

15: 2013/02/17(日) 23:07:29.48 ID:Ccq74m1p0
スプーンでくるくるかき混ぜた。
チョコレートはとっくに溶けて、甘い香りが漂っていた。

「んっ」

こく、こくり。
喉を鳴らして、少しずつ満たしていく。

「苦い……分かってるわよ、ケンカじゃない。私が勝手に怒って、私が勝手に落ち込んでるだけ」

水面を睨みながら呟いた。

「……ジャン」

足元に擦り寄ってくる感触。
視線を落とせば、背中を向けて座り込んでいた。

「撫でてほしいの?」

言いながら、指先を沈み込ませた。
しゃがみこんで、首の裏から腰へと撫で下ろす。

「何よ、気持ち良さそうにしちゃって……甘えん坊ね、あふ」

一人と一匹があくびした。

18: 2013/02/17(日) 23:20:17.15 ID:Ccq74m1p0
「私の部屋で一緒に寝たいの? もう、今日だけよ? おいで」

大きな体、ヒゲもじゃの顔。
黒い毛並みは艶やかで、性格は温厚。

「お休み、ジャン・バルジャン」

彼女はベッドへ、彼は傍らの床へ。
それが小さい頃のお決まりで、けれど。

「……なに?」

ジャン・バルジャンは両前足をベッドの端にかけ、少女をじっと見つめていた。
黒い毛、黒い目、黒い瞳。
ベッドライトの暖かな光に照らされ、物言いたげに、じっと。

「心配性。言われなくたって、明日ちゃんと謝るわ」

少女の言葉を聞いて気が済んだのか、彼は大人しく床に伏せた。

「今度こそお休み、ジャン・バルジャン。良い夢見なさい」

灯りを消して、少女も眠りに就いた。

19: 2013/02/17(日) 23:28:58.60 ID:Ccq74m1p0
「ただいま、良い子にしてた?」

体を撫でられて、気持ち良さそうに目を細める黒い犬。
少女の体へと鼻を押し付ける。

「うん、大丈夫だった、許してくれたわ……ねぇジャン、私、まだまだレディには遠いと思う?」

不安気に呟いた少女の頬を、ペ口リと彼の舌が撫でた。

「きゃっ」

驚き、尻餅をついた少女。
不思議そうな顔で少女を見つめる毛むくじゃら。

「……ふふ。ありがと、ジャン・バルジャン」

見つめ合う内に、いつも通り、自然と笑みがこぼれた。



終わり

21: 2013/02/17(日) 23:33:38.43
ジャンバルジャンに毛むくじゃらのイメージはなかった乙

22: 2013/02/17(日) 23:42:22.49
乙でござった!

引用元: 伊織「ホットミルクとビターチョコ」