1: 2014/05/25(日) 23:37:47.02 ID:C/cu1UT00
唯の声が部室に響く。

「よ、よくないと思うぞ。そういうのは」
「おー、楽しそうだな!」
「あらいいわねぇ。夏には早いけど」

澪は反対したが、律と紬は乗り気な様だった。

「いつ、行くんですか?」

梓が質問した。

3: 2014/05/25(日) 23:39:29.52 ID:C/cu1UT00
「今晩だよ! こ・ん・ば・ん!」

唯がさも楽しそうに言った。

「あー、じゃあ私ダメです。
家にあずにゃん2号がいるので」

梓は至極残念そうに俯いてしまった。
あずにゃん2号とは、純から預かっている猫の名前である。

「そりゃあ、しょうがねぇな!」

律がケラケラと笑った。

4: 2014/05/25(日) 23:40:25.30 ID:C/cu1UT00
「これ、私だと思って持って行ってください」

梓が唯に黒猫のキーホルダーを渡す。
魔女がホウキに乗って宅配をする映画のキャラクターだった。

「うん! 分かった!」

唯はそれをしっかりとポケットにしまう。

「それで、どこへ行くつもりなのかしら」

紬が首を傾げた。

7: 2014/05/25(日) 23:41:54.29 ID:C/cu1UT00
「何年か前に合併して廃校になった小学校があるでしょ?
あそこ”出る”らしいんだよね」

唯が胸の前で揃えた指先を下に向けて、
ありがちな幽霊のポーズをとる。

「あー、あれか。
生徒が何人か事故で氏んだらしいな」

律が何かを思い出すようにして言った。
唯はきょとんとした顔をする。

「え、そうなの?」

「お前、知らなかったのかよ」

律が呆れて言った。

8: 2014/05/25(日) 23:43:36.33 ID:C/cu1UT00
「ちょうど私たちと同世代だったんじゃないかな。
大きなニュースになったからみんな知ってるはずだぞ」

律が言うと紬、澪、梓の三人は黙って頷いた。

「あれ、知らないの私だけかぁ」

唯がえへへ、と笑う。

「なんかその頃の記憶が無くってねぇ」

「その頃?忘れっぽいのはいつものことだろ」

律の発言にみんなが笑った。

9: 2014/05/25(日) 23:45:30.48 ID:C/cu1UT00
同日深夜。
今は使われていない小学校の前に、
唯、律、紬の三人は集まっていた。

「梓はしょうがないにしても、澪のやつはなぁ」

律がふん、と鼻を鳴らす。

「まぁ仕方ないじゃない。怖いものは怖いのよ」

うふふと紬が笑った。
澪は「急に腹痛が痛くなった」と言ってドタキャンしたのだった。

「じゃあ行くよ! みんな!」

唯はポケットのキーホルダーを握りしめながら言う。
「おー!」という掛け声が、校庭の暗闇に吸い込まれていった。

10: 2014/05/25(日) 23:47:43.94 ID:C/cu1UT00
「うへぇ。なんか雰囲気あるなぁ」

律が窓枠を乗り越えながら、恐々とした声を出す。

「そうねぇ。なんか肌寒いし」

紬は校舎の中から、律に手を貸している。

「でも唯。よく見つけたな、鍵が開いてる窓なんて」

律は校舎に入り込むと、
手についたほこりを落とすようにパンパンと叩きながら言った。

「うん。なんか開いてるのが分かったんだよね」

まだ外にいる唯が真顔でそう答えた。

11: 2014/05/25(日) 23:50:39.47 ID:C/cu1UT00
最後に校舎に入った唯が窓を閉めると、カラカラと派手な音がした。

「開いてるのが分かったって……。
そういう演出なのか? なんかオカルト的な」

律はそう言ってから、「ふう」と息を吐いた。

「私にも分かんない」

えへへ、と唯は笑う。
なんだかここへ来たことがあるような気がする。
そう思ったが二人には黙っていた。

「まぁどうでもいいじゃない。そんなことは」

紬がうずうずとして言った。

「早く奥へ進みましょう」

12: 2014/05/25(日) 23:54:24.66 ID:C/cu1UT00
誰もいない夜の校舎は、
そこだけ時間が切り取られたかのように静まり返っていた。
三人の足音が、嘘みたいに大きな音で反響する。

「よく考えたら、セコムとか入ってるんじゃねーの?」

律が言った。声が少しうわずっている。

「ALSOKかも知れないね」

唯もうわずった声で冗談を言った。
予想していたよりも、はるかに、怖い。
照明は外から入り込む月明かりしかなく、
せめて懐中電灯くらい持ってくればよかったと後悔した。
紬がずっと無言なので、不思議に思った唯が横に視線を送ると、
そこには目をキラキラと輝かせている紬の姿があった。

13: 2014/05/25(日) 23:55:39.07 ID:C/cu1UT00
三人はしばらく無言で歩いていた。
突如。

ガタン!

と大きな音が鳴った。

「な、なんだよ。今の」

律の声は震えている。
どうも廊下の奥の部屋から聞こえたようだ。

「行って、みる?」

青ざめた顔の唯がそう提案すると、
紬はその横を無言でスタスタと通り過ぎて行った。

14: 2014/05/25(日) 23:57:59.09 ID:C/cu1UT00
「ここから聞こえたみたいね」

紬は潜めた声で言った。
三人は「保健室」と書かれた扉の前にいる。
無言でガタガタと震えている律と唯を尻目に、
紬は扉に手をかけた。

「や、やめた方が」いいぞ。
律がそう提案するより早く扉を開け放つ。

扉がガラリ、と大きな音をたてた。
そこには金髪の、チャラチャラとした見た目の三人組がいた。

15: 2014/05/25(日) 23:59:15.11 ID:C/cu1UT00
「なんだ? お前らは?」

タバコをふかしながら鼻ピアスのお兄さんが言う。
どうやら不良のたまり場になっていたらしい。

「あの、私たちは通りすがりで」

律がそう言い訳したが、
到底納得させられるようなものではない。

「そんなわけあるか! 馬鹿が!」

タンクトップでむき出しの肩に、
タトゥーを彫っているお兄さんが簡易ベッドを蹴りつけると、
がぁんと大きな音が鳴った。

16: 2014/05/26(月) 00:01:12.60 ID:EghGgxiY0
「逃げるぞ!二人とも!」

律は踵を返して走り出した。
一瞬遅れて唯がついて行く。

「あ、待てよ。この野郎!」

短髪のお兄さんがそう叫んだ。

17: 2014/05/26(月) 00:03:17.78 ID:EghGgxiY0
誰が待つか!
律は全速力で走りながら心の中でそう呟く。

どれくらい走っただろうか。
滅茶苦茶に校舎内を走ると、どうやら巻いたようだった。
しばらくは二人とも「はぁはぁ……。」と苦しそうに息をついていた。

「なんだよあいつら」
「怖かったねぇ」

そして二人は一息ついたところで気付く。

「あれ、ムギちゃんは?」

18: 2014/05/26(月) 00:06:39.64 ID:EghGgxiY0
「で? お前は逃げねぇのか」

タトゥーがぺっ、と唾を吐いた。

「足が竦んじまったか?」

鼻ピアスがへらへらと嫌な笑いを浮かべる。
短髪は品定めをするようないやらしい目つきで、
ジロジロと紬を見ていた。

「まぁ、どうでもいいか。
ここに残ってるってことは、俺らを楽しませてくれるんだよな?
ちょうどここにはベッドもあるし」

三人は口元を歪めて間合いを詰めてきた。

19: 2014/05/26(月) 00:09:21.02 ID:EghGgxiY0
紬が笑顔でパン!と手を叩いた。

「たった三人で、私の相手が務まるかしらね」

顎に人差し指を当てて、上目づかいで三人を見る。

「へへ……。もう我慢できねぇ!」

短髪が紬に飛びかかった。

「もう、せっかちなんだから」

紬はほっぺをぷうと膨らませた。

22: 2014/05/26(月) 00:13:22.73 ID:EghGgxiY0
「ぎゃあああああああああ!!!!!!!!」

短髪が股間を押さえて床を転げまわる。

「あら、悪いことをしたわねぇ。
少し強く蹴りすぎちゃったみたい」

紬はうふふと満面の笑みを浮かべた。

「て、てめぇ!何してやがる!」

言うが早いかタトゥーが紬に殴りかかった。
その拳をギリギリでかわし、みぞおちに肘を叩きこむ。
タトゥーは驚いたような顔をしながら、ゆっくりと地面に沈んだ。

24: 2014/05/26(月) 00:15:41.03 ID:EghGgxiY0
「な、な、な」

鼻ピアスは言葉を失っていた。
紬は一気に間合いを詰めると、
鼻ピアスの顎下に蹴りをブチ込んだ。
棒立ちのまま後ろ向きに倒れると、
意識を失い、伸びてしまった。

「全く、手ごたえが無いわねぇ」

紬はふうと息を吐いた。

25: 2014/05/26(月) 00:17:32.46 ID:EghGgxiY0
「さて、二人を探さないと」

廊下に出て、唯と律が走り去った方向を見やる。
そのとき。
背後に気配を感じた。
やおら振り返る。

「あら」しぶといのね。
そう言い終わる前に紬は慌てて行動した。
地面を蹴り距離を取る。

「なんなの、こいつら」

26: 2014/05/26(月) 00:20:17.19 ID:EghGgxiY0
「あああああ!!!!!」

両手を前に突き出してタトゥーが突進してくる。
顔が正気のそれではなかった。
そのみぞおちに蹴りをブチ込む。
が、そのまま掴みかかられた。

「きゃあ!」

すごい力だ。
ギリギリと両腕をねじ上げられる。

その後ろから虚ろな顔の鼻ピアスと短髪が近づいてくるのが見えた。

27: 2014/05/26(月) 00:23:18.58 ID:HHpmkNFL0
「離しな、さい!」

紬はそのまま飛びあがり、
タトゥーの胸のあたりに両足の裏をあてがうと、
そのまま一気に押し込んだ。
なんとか引きはがす。
両腕に痣がくっきりと浮かび上がっていた。

「まともにやったらまずいわね」

こうしている間にも三人は間合いを詰めてくる。
紬は踵を返して疾走すると、校舎の闇に溶け込んでいった。

28: 2014/05/26(月) 00:27:08.65 ID:HHpmkNFL0
「なんで開かねぇんだよ!」

「ちょ、ちょっと。声が大きいよ、律ちゃん」

唯が律の袖を引っ張りながら、あたりを警戒する。
律が窓を叩くと、バァン!と大きな音がした。

「はぁ」とため息をついて廊下に座り込む。
「なんなんだよ。クソ」

律は途方に暮れた。
何回試しても、どこの窓も全て開かなくなっていたのだった。

「閉じ込め、られちゃったね」

唯はしょんぼりと俯いた。

31: 2014/05/26(月) 00:30:14.01 ID:HHpmkNFL0
教室にあった椅子で叩いても割れないので、
二人は諦めることにした。

「玄関も開かなかったねぇ」

しょんぼりとしたままの唯が言った。

「とにかくムギを探さないとなぁ。
どこ行っちゃったんだろう、あいつ」

先程まで恐怖に震えていたが、
外に出られないという怒りが優ったのか、
律は元気になっていた。

「あの三人に見つかってなきゃいいけど」

二人はあてもなく歩き続けていた。

32: 2014/05/26(月) 00:33:52.89 ID:+ZxCVWYX0
「理科準備室?」

開け放たれた扉の上にそう書かれていた。
唯はそのまま中へ入ろうとする。

「お、おい。ちょっと待て。
開いてるってことは誰かいるんじゃないのか?」

不良三人組に鉢合わせたらたまらんぞ。
律は警戒していた。

唯はチラリと振り返ったが、
「ここは大丈夫だよぉ」そう言ってずかずかと入っていく。

律は「はぁ」とため息をついた。
「また”分かる”とかそういうやつか」
呆れた顔で唯のあとに続いた。

33: 2014/05/26(月) 00:35:00.17 ID:+ZxCVWYX0
使われなくなって何年も経つはずなのに、
そのまま使えそうなくらい、整然と物が並んでいた。
用途不明の薬品類や、ホルマリン漬けの標本、
人体模型、鉱石などが目につく。

「あー、なんか懐かしいなぁ」

律は棚の隅々まで観察した。
アルコールランプなどまで置いてある。
さすがに中身は空っぽだったが。

そのときだった。

「やぁ」

と声が聞こえた。

34: 2014/05/26(月) 00:37:45.93 ID:+ZxCVWYX0
律はゆっくりとした動作で声がした方へ向き直る。
その先には人体模型があった。
こいつが、喋ったのか。まさか。
律が固まっていると、唯がつかつかと人体模型に近づいて行った。

「お、おい」

律は止めようとしたが、足が竦んで動かない。
唯は人体模型の顔を、至近距離でジロジロと眺めている。

「ちょっと、顔が近いよ。照れる」

人体模型がまた喋った。

「うっそだろ……」

律は身動きが取れなくなった。

35: 2014/05/26(月) 00:40:40.61 ID:+ZxCVWYX0
「あー、たかし君! たかし君でしょ?」

唯がうれしそうに言った。

「うん、そうだよ。よく分かったね」

たかし君と呼ばれた人体模型がそう答える。

「分かるよぉ。だって面影があるもん」

ニコニコとしながら抱き付いた。

「なんだよ、こりゃあ」

人体模型に面影とかあるのか?
律は疑問に思った。

37: 2014/05/26(月) 00:43:15.72 ID:+ZxCVWYX0
「ちょっと待って。ちょっと待って」

人体模型は慌てて唯を手で押し戻した。
唯はきょとんとした顔をする。

「こんな見た目だけど、僕だって一応男なんだから。
唯ちゃんみたいなかわいい子に抱き付かれたら、ドキドキするよ」

そう言って自分の心臓を鷲掴みにした。

「それは、人体模型ギャグなのか?」

律は問いかけた。
人体模型の首がギリギリと動き、
無表情の顔をそちらに向ける。

「えへへ、僕の鉄板ネタなんだ」

人体模型は相変わらず無表情のまま笑った。

38: 2014/05/26(月) 00:45:53.08 ID:+ZxCVWYX0
「それで、唯とその、たかし君はどういう関係なの?」

怪訝そうな顔で律が言った。

「私とたかし君はね。えーと、なんだっけ」

唯が首をかしげている。
人体模型が慌てて遮った。

「子供の頃よく遊んでたんだよ。
昔は僕も普通の人間だったからね」

そうだったそうだった、と唯が頷く。

「? ふぅん……」

律はあまりよく分からないという顔をしたが、
詳しく聞いても理解できないだろうからと、
それ以上の追及を諦めた。

39: 2014/05/26(月) 00:48:19.94 ID:+ZxCVWYX0
「良かった。ようやく見つけたわ」

唯と人体模型が思い出話に花を咲かせていると、
憔悴しきった顔の紬が理科準備室に入ってきた。

「ムギちゃん! 無事だったんだね!」

唯が駆け寄り抱きしめる。

「おい、ムギ。どうしたんだよ、その腕」

「ホントだ! どうしたの? これ」

律の言葉に唯が紬の腕を見ると、
青紫色に変色しているのが分かった。

「実は……」

紬が事の顛末を説明した。

40: 2014/05/26(月) 00:51:27.95 ID:+ZxCVWYX0
「その三人組、あの子達に憑りつかれたみたいだね」

人体模型が言う。

「……!? 人体模型がしゃべった!!」

驚いた紬が蹴りをブチ込もうとした。

「ちょっと待って! その子はたかし君だよ!
悪い人体模型じゃないよ!」

唯が紬にしがみついて止める。

「そ、そうなの。ごめんなさいね。
見た目がちょっと、グロテスクなものだから」

「うん。よく言われるよ」

紬が謝ると、人体模型は快く許した。

43: 2014/05/26(月) 00:55:28.37 ID:+ZxCVWYX0
「その、あの子達ってのは、何者なの?」

紬が問いかける。
人体模型はしばらく考え込むようにして
「うーん」と唸ってから答えた。

「元々は僕の友達だったんだけど、悪ガキでね。
結局三人とも悪霊になっちゃったんだよ。
もう自我も何もないと思う」

寂しげに俯いた。

「それがあの不良に憑りついた、と」

紬はそう言うと、腕を組んで考え込んでしまった。

44: 2014/05/26(月) 01:00:42.40 ID:+ZxCVWYX0
「悪霊ってことは、もう氏んでるのか?」

横から律が割り込んだ。

「うん。そうだよ。僕も氏んでるしね」

そう言って人体模型は笑った。

「えー!! たかし君、氏んでたの!?」

唯が大げさに驚く。

「それはなんとなく分かるだろ……」

律が呆れて言った。

45: 2014/05/26(月) 01:05:05.63 ID:+ZxCVWYX0
考え込んでいた紬が顔を上げる。

「でもなんで、今まで騒ぎにならなかったのかしら。
人に憑りつく悪霊なんてよっぽどのことだと思うけど」

「それは」言いかけて人体模型はしばらく黙ってしまった。
そして「説明するのが難しいんだけど」と前置きをして話し出した。

「あの三人は学校から出られないんだよ。まぁ僕もだけど。
運良く人体模型に憑りつけた僕は学校内なら自由に動ける。
だけど彼らは空中をずっとさまよっていなきゃいけないんだ」

ここでいったん息をつく。

「今日はたまたま気絶していた三人組がいたから憑りついたんだろうね。
例えばこれが二人とか一人だったら、
誰が入るかで喧嘩になって、憑りつけなかったと思うよ」

46: 2014/05/26(月) 01:08:23.09 ID:+ZxCVWYX0
「なるほどねぇ」と紬は言った。

「本当はもっと色々な要因があるんだけど、
ざっくり言うとこんな感じかな」

人体模型はそう言って手を広げた。
話が終わったのを見計らって、律が口をはさんだ。

「学校から出られないのも、その悪霊の仕業なのか?」

「出られないって言うのは、どういうこと?」

人体模型がそう口にすると、律の代わりに唯が答えた。

「窓は開かないし、椅子で叩いても割れないんだよ。
鍵はかかってないのに、玄関も開かなかったし」

また唯はしょんぼりとした顔になった。

47: 2014/05/26(月) 01:10:32.60 ID:+ZxCVWYX0
「それは大変だ! 早く脱出しないと!」

「どうしたの? そんなに慌てて」

紬が首を傾げた。

「彼らにそんな力はないはずなんだ!
軽いいたずらをする程度が関の山で、
学校全体に影響を及ぼすなんて、できないんだよ!」

人体模型が叫ぶ。

「でも実際、開かなかったぜ?」

律が肩を竦めて言った。

「そこが問題なんだ!
彼らの力が強くなってるんだよ!」

48: 2014/05/26(月) 01:12:35.33 ID:+ZxCVWYX0
「くそ! やっぱり割れねぇな!」

言って、律が椅子を放り投げる。
けいおん部の三人と人体模型一体は、
一階校庭側の窓の前にいた。

「こうして見るまで半信半疑だったけど、
やっぱりこの世に与える影響力が強くなってるみたいだ」

人体模型がそう言う横で、紬が窓ガラスに蹴りを放った。
ガァン!と大きな音がする。
が、傷一つつかずに変わらず一行の行く手を阻んでいた。

「おかしいわね。強化ガラスでも簡単に蹴りぬけるのに」

紬が窓の方へ鋭い目つきを向けた。

49: 2014/05/26(月) 01:15:21.92 ID:+ZxCVWYX0
「どうやったら帰れるんだろう」

唯がしょんぼりとしたまま言う。
人体模型がその肩に手を置いた。

「心配しないで、唯ちゃん。
僕がちゃんと家に帰してあげるからね」

唯の顔がパッと笑顔に変わる。

「ホント! ありがとね、たかし君」

抱き付かれると、「ドキドキするから」
と言って自分の心臓を鷲掴みにした。

「何回やるんだよ、それ」

律が呆れて言う横で、紬がおなかを抱えて笑っていた。

50: 2014/05/26(月) 01:18:37.78 ID:+ZxCVWYX0
ぽっかりと開いた穴のように、暗く落ち窪んだ廊下の向こうで、
何やらチラチラと動いている物が見えた。
唯は目を凝らす。
それはどうやら人のようだった。

「ねぇ、あれって。さっきの不良じゃないの?」

唯の言葉に、全員が廊下の奥を凝視した。
確かに人が動いているように見える。

「そうかも、知れねぇな。
でも近づいてくるわけでもなく、何してんだろ」

律が疑問を口にした。
そのとき。

「きゃあああああ!!!!」

紬の悲鳴が聞こえた。

51: 2014/05/26(月) 01:22:39.68 ID:+ZxCVWYX0
油断した。
完全に、油断をしていた。
紬は一瞬のうちに後悔の色に染まる。
前方に見える人影に、意識の全てを持っていかれていた。
後ろから迫りくる気配に、全く気が付かなかったのだ。

「うあ、あ」

短髪にギリギリと首を締め上げられていた。
鼻ピアスに腕をねじ上げられているため、全く抵抗ができない。

「あ、あ」

腕を取られたときに悲鳴だけは上げられたので、
仲間に危機は伝えられたはずだ。

逃げて、みんな。

紬はそれだけ願うと、意識を失った。

52: 2014/05/26(月) 01:24:22.63 ID:+ZxCVWYX0
「ここは僕に任せて! 二人は逃げて!」

人体模型が紬を締め上げている不良に突進する。
悪霊に憑りつかれているため、
その力は尋常ではないはずだ。

「で、でも」

唯は一瞬躊躇したが、後ろから腕を引っ張られ走り出した。

「私らがいても何もできねぇだろ!
ここはあいつに任せるんだ!」

律はそう叫ぶと、唯を連れて階段を駆け上がった。

53: 2014/05/26(月) 01:27:02.33 ID:+ZxCVWYX0
「大丈夫かな。ムギちゃんと、たかし君」

唯は目に涙を浮かべている。

「たかし君ってのは頼りになるんだろ?
そいつが任せろって言ったんだから、信じろよ」

律は精いっぱいの虚勢を張った。
内心は二人のことが心配で心配で、
気が気では無かったのだったが。

「うん、そうだよね。律ちゃんありがとう」

唯が涙を浮かべたまま笑顔を作った。
二人は今、理科準備室にいる。

54: 2014/05/26(月) 01:29:29.59 ID:+ZxCVWYX0
「そっちの扉に入ったら、隠れられるとことかねーかな」

じっとしていると不安に押しつぶされそうだったので、
準備室内をウロウロしていた律が不意に言った。
目の前に木製の扉がある。

「行ってみよっか」唯も同調した。

律がノブを回すと、
ガチャリ、と古い扉が音をたてる。

「ああ、こっちは理科室なんだな」

当然と言えば当然だが、
理科準備室と理科室が直接行き来できるようになっていたらしい。

「あれ、この部屋」

入るなり、唯が声を上げた。

55: 2014/05/26(月) 01:33:13.94 ID:+ZxCVWYX0
なんなんだろう。
この感覚。
心臓がドクンドクンと狂ったように跳ねている。

「お、おい」

律の制止も無視して、唯は理科室の奥に向けて歩き出した。

「私。ここに見覚えがある」

どんどんと歩を進める。
鼓動で胸がはじけそうだ。
それでも足は止まらなかった。
何者かの意志によってそうさせられているかのように、
唯は理科室の奥へ奥へと吸い込まれていく。

56: 2014/05/26(月) 01:35:52.89 ID:+ZxCVWYX0
ドクン。

ひときわ大きく心臓が跳ねた。
震えが、止まらない。
唯はそこへ辿り着くと、
自分の体を抱きしめるようにして、立ち竦んだ。

「ここは、ここは」

うわ言のように繰り返す。
理科室の奥。
壁や床、備え付けのテーブルなどが真っ黒に焼け焦げている一角がある。

「そうだ。私、ここで」

唯は全てを思い出した。

58: 2014/05/26(月) 01:39:22.56 ID:+ZxCVWYX0
ガラガラガラ!
派手な音をたてて理科室の引き戸が開いた。

「あいつら……!」

律の顔に焦燥の色が浮かぶ。
開け放たれた扉の向こうに不良三人組が立っていた。

「おい! 唯! 逃げるぞ!」

そう叫ぶが、唯は震えて動こうとしない。

「おい!」

駆け寄って肩を掴むと、
異様なほど青ざめた顔で、何やらぶつぶつと呟いていた。

59: 2014/05/26(月) 01:46:11.24 ID:+ZxCVWYX0
「こっちに来るなよ! 馬鹿!」

律は掃除用具箱に入っていたモップを振り回していた。
その後ろには虚ろな顔の唯がいる。
不良三人組は周りを取り囲むようにして、
ジリジリと間合いを詰めてきていた。

「寄るんじゃねぇよ!」

なんとか耐えているが、いつまで持つか分からない。
律はだんだんと恐怖に支配されていて、
いつしか膝がガクガクと笑っているのに気付いた。

61: 2014/05/26(月) 01:48:18.63 ID:+ZxCVWYX0
もう掴みかかられそうなところまで迫ってきている。

「やめろおおおおお!!!!
来るなあああああ!!!!」

律はモップを振り回しながら、半ば半狂乱で叫ぶ。
そのとき、後ろから声がした。

「もういいよ。律ちゃん」

振り返ると、虚ろな目をした唯が目に映った。

「私も、その子達と一緒に行かないと」

フラフラと歩きだす。

「何を言ってるんだよ、お前……」

律は言葉を失った。

62: 2014/05/26(月) 01:52:11.43 ID:+ZxCVWYX0
唯は焼け焦げた床の上に立っていた。
悪霊が周りを取り囲んでいる。

「私も一緒に行くよ」

イコウイコウ
イッショニイコウ
コッチハタノシイヨ

唯の言葉に悪霊が反応した。

「なんだってんだよ! 唯!
お前どうしちまったんだ!」

律がそう叫ぶと、悪霊たちが振り返る。
唯がそれを咎めた。

「だめだよ。律ちゃんは違うから」

何が、違うんだよ。
律の疑問は、声にはならなかった。

63: 2014/05/26(月) 01:55:27.29 ID:+ZxCVWYX0
「そう。みんな、友達だもんね」

悪霊たちが唯の首に一斉に手をかける。
唯は一瞬苦しそうな表情を浮かべたが、
無理矢理に笑みを作った。

「唯ちゃん! 何をしてるんだよ!」

突如声が聞こえた。
律がその方へ向き直ると、
理科室の前に人体模型が立っている。

「唯ちゃんを放せええええ!!!!」

人体模型が突進した。

64: 2014/05/26(月) 01:57:57.00 ID:+ZxCVWYX0
全員が弾かれるように倒れた。
唯がゴホゴホと咳き込んでいる。

「たかし君、なんで。私もそっちに」

「何を言ってるんだ!君は生きなきゃダメなんだよ!」

唯の言葉に人体模型は激昂した。

「だって、私」

唯は涙を浮かべて俯く。

「みんな氏んじゃったのに、私だけ生きてるなんて」

ボロボロと涙をこぼした。

65: 2014/05/26(月) 01:59:59.50 ID:+ZxCVWYX0
「唯ちゃん! ちゃんと僕の分まで生きてよね!」

人体模型は唯の肩に手を乗せた。
唯は体をブルブルと震わせてむせび泣く。

「あのときも、たかし君は私のせいで」

「唯ちゃんのせいじゃないよ!
僕が勝手に助けたんだ!
今日は元気な君を見られて、すごくうれしかったんだよ!」

数年前この場所で。
悪ガキ三人組のイタズラで漏れたガスが爆発し、
当事者の三人と唯をかばったたかしが、
爆発に巻き込まれ氏亡するという事故が起きたのだった。

66: 2014/05/26(月) 02:02:38.16 ID:+ZxCVWYX0
悪霊たちが立ち上がる。

ジャマヲスルナ
コロソウコロソウ
アハハハハ

人体模型はチラリとそちらを見たが、
踵を返して数歩、歩いた。
そしてテーブルについているコックをひねる。

「ガス? でもそんなもの通ってないんじゃ」

律が言った。

ナニシテルンダ
ヤメロヤメロ
フザケルナ

悪霊たちが慌てだした。
ガス管からはなんの反応もない。

「どう、したんだ?」

67: 2014/05/26(月) 02:04:36.41 ID:+ZxCVWYX0
シューシューと、通っていないガスの漏れる音が聞こえる。

「唯ちゃん。
これでお別れになるけど、元気でね」

唯が人体模型に縋り付く。

「嫌だよ! たかし君!」

人体模型がブンブンと首を振る。
そして「じゃあね」と言った。
悪霊の方へ向き直る。

「今日は、色々なタイミングがうまく重なったんだね」

68: 2014/05/26(月) 02:07:03.03 ID:+ZxCVWYX0
「僕らが事故に巻き込まれたのと同じ日に、
唯ちゃんが君たちにおびき出されて、
うまいこと不良三人組に君たちが乗り移ることができて、
しかも理科室にまで誘導することができたんだ」

人体模型は続ける。

「あの時と全く同じなんだ。
あの日の再現だよ」

暗闇に染まる理科室に、
シューシューとガスの漏れる音が響いていた。

69: 2014/05/26(月) 02:09:42.75 ID:+ZxCVWYX0
ハヤクトメロ
イヤダイヤダ
シニタクナイ

悪霊たちが人体模型に襲い掛かる。
激しい揉み合いになった。

「呼び寄せたのは君たちの方だよ。
ガス爆発の、幽霊をね」

人体模型がそう言うのと同時に、
不良のポケットからライターがこぼれた。
それは、ゆっくりゆっくりと、
回転をしながら落下していく。
そして。
地面にぶつかると、火花を散らした。

暗闇の校舎の一角が、まばゆい光に包まれた。

70: 2014/05/26(月) 02:11:09.39 ID:+ZxCVWYX0
「たかし君! たかし君!」

駆け寄った唯が、人体模型を抱え上げるが、
それはただの人体模型で、
それ以外の何物でもなく、
決して口を開かず、自らのむき出しの臓器と筋肉を晒していた。

「たかし君……」

唯は俯いてしまった。その目に光るものがある。
足元には不良三人組が気絶していた。

「すごかったのは光だけで、
熱とか爆風は無いんだな」

身を伏せていた律が立ち上がりながら言った。

71: 2014/05/26(月) 02:13:32.04 ID:+ZxCVWYX0
「あー! やっと外に出られた!」

律は校舎の窓の前で背伸びをした。

「ホント、良かったわねぇ」

そう言って笑う紬だったが、
腕と首筋に残る青あざが痛々しい。
保健室のベッドに寝かされていたのを、
律が発見したのだった。
おそらく人体模型が運んでくれたのだろう。

「なぁ、元気出せよ。唯」

俯いたままの唯に、律はそう声をかけた。

72: 2014/05/26(月) 02:15:54.09 ID:+ZxCVWYX0
「なんでこんなに大事なことだったのに、
私、忘れちゃってたんだろう」

唯が俯いたまま言った。
紬が沈痛な面持ちでそれに答える。

「あまりにつらい思い出だったから、
記憶に蓋をしちゃってたんでしょうねぇ」

「そうなのかなぁ」と唯は言った。
「でも、もう忘れないよ。
たかし君の分まで、ちゃんと生きる!」

唯が力強い眼差しを向けた。

「そうだな。それがいいと思うぜ」

律がそう言って笑った。

73: 2014/05/26(月) 02:22:37.16 ID:+ZxCVWYX0
「ちょっと、それ! 近づけないで!」

澪はそう叫ぶと、部室の隅に蹲ってしまった。

「こんなかわいい見た目なのに、
何が嫌なのかなぁ」

唯が不思議そうに首をかしげた。

「ねぇ、たかし君」

「そうだよね。人体模型だった頃なら、分かるんだけど」

黒猫のキーホルダーがそう言った。

74: 2014/05/26(月) 02:26:57.42 ID:+ZxCVWYX0
「それすごいですね! 私も行けばよかった!」

梓が目をキラキラとさせて言った。
律が呆れた顔をする。

「お前なぁ、こっちは大変だったんだぞ」

そのやり取りを見て、紬がニコニコと笑っていた。

「近くに乗り移れるものがあって助かったよ。
本当なら、あのまま消えちゃうはずだったんだ」

黒猫のキーホルダーが言う。

「ホント、良かったね!」

唯が笑顔を浮かべた。

「もう! それ、どっかやってくれ!」

澪が叫ぶと、部室が笑いに包まれた。

終わり

76: 2014/05/26(月) 02:28:06.58
おつ

77: 2014/05/26(月) 02:33:10.85 ID:+ZxCVWYX0
ここまで読んでくれた方、レスくれた方、ありがとうございました

引用元: 唯「ねぇみんな!私、心霊スポットに行きたい!」