1: 2011/10/21(金) 23:48:46.06 ID:NGykMsi70

澪「ひいぃっ!?」

穏やかな平日の午後、桜が丘高校 軽音部部室に少女の悲鳴が響いた。
彼女の名前は秋山澪。極度の怖がりである。

律「あれぇ~?澪ちゅわん、怖いんでちゅかぁ~?」

澪「こ…怖くなんてないぞ!?怖くない!!」

強がってみたものの、怖いものは怖い。
できれば怖い話など聞きたくはなかったが、その気持ちを察してか察せずか、彼女の唯一の後輩、中野梓が口を開いた。

梓「それってどんな話なんですか?」

澪「あ…梓!?」

唯「あのね、友達から聞いた話なんだけど…」

澪「や…やめておけ唯!?」

澪「危険だぞ~?呪われるぞ~!?」

澪の必氏の制止も空しく、澪の向かい側右手の席に腰かける少女、平沢唯が語り出す。

2: 2011/10/21(金) 23:53:49.08 ID:NGykMsi70

唯「ウチの学校ってね、昔火事が起こったことがあるんだって」

紬「そういえば、聞いたことがあるわ…幸い被害は小さかったって聞いたけど…」

唯「うん、火事自体は規模が小さかったみたい。でもね、その火事でたった一人、氏者が出たんだって」

律「何か生々しいな…」

唯「髪が綺麗でワンピースの似合う、美人の先生だったんだって」

唯「でも、その火事で綺麗な顔は焼け爛れて、自慢だった髪もボロボロ、トレードマークの黒いワンピースもズタズタになって…」

唯「氏体が発見された時には以前とは似ても似つかない姿だったんだって…」

澪「ミエナイキコエナイ…」

唯「不思議なことに、その先生の氏体は鏡に囲まれた状態で発見されたらしくて…」

唯「その時から、その先生の魂は鏡の世界に封印されて、今も鏡の中を彷徨ってるらしいんだ…」

唯「そして、ある呪文を唱えるとこっちの世界に現れて、その人を一生追い掛け回すんだって…」

紬「そ…その呪文って?」

唯「トイレの鏡の前に立って、こう唱えるの…」

唯『リリーちゃん、リリーちゃん、妖怪リリーちゃん』

スカッ…スカッ…スカッ…

唯「……」

律「……」

紬「……」

梓「……」

唯「…って」

律「『…って』って、指鳴ってねーぞ!?」

唯「だってできないんだもん!指パッチン!!」

唯「とにかく、生前のあだ名を呼ばれたその先生は、こっちの世界にでてくるんだって!」

律「全く…途中までいい感じだったのに、緊張感なくなったじゃねーか」

梓「でも、中々怖い話でしたね…」

紬「Don’t コイデス…」

律「まぁ確かに怖かったけどな~。澪じゃなくてもこれは…って澪!?」

澪「」プクプク

梓「気絶してますね」

3: 2011/10/21(金) 23:56:01.55 ID:NGykMsi70
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紬「帰るのすっかり遅くなっちゃったね~」

金髪に碧眼が美しい少女、琴吹紬の言う通り、気絶した澪を復帰させるのに手間どり、時刻は下校時間を大きく過ぎていた。
沈みかけた夕日が下校中の彼女たちの目に強く差し込み、眩しさでつい目を細めてしまう。

律「全く、澪のせいだぞー」

澪「うぅ…だって…」

唯「ごめんね澪ちゃん。まさかあそこまで怖がるとは思わなくて」

澪「い…いや!?唯が悪いんじゃなくて…」

梓「唯先輩はデリカシーが無さすぎです!」

律「お前が言うか」

話の催促をしたのはお前だろ、とでも言うように、カチューシャで前髪を挙げた活発そうな少女、田井中律が鋭いツッコミを入れる。

彼女がふと隣へ目をやると、そこにはいまだに『リリーちゃん』に怯える怖がりの幼馴染の姿があった。

澪「……」ビクビク

律「リリーちゃん」ボソッ

澪「ひいぃ!?」

律「火事」ボソッ

澪「うわぁ~!?」

律「トイレ」ボソッ

澪「やめろ~!?」

澪「うぅ…」グスン

唯・紬・梓(か…可愛い!)

3人の反応を見ればわかるように、彼女達は澪に嫌がらせをしている訳ではない。
ただ、少しちょっかいを出したくなる…彼女達にとって澪はそんな存在なのだろう。

4: 2011/10/21(金) 23:58:49.64 ID:NGykMsi70

律「そんな怖がるなよ。家の前まで送ってやるから」

澪「うん…」グスッ

澪にとってもまた、彼女達軽音部員は共に語らい、笑いあってきた、『仲間』であった。

律「ほんっと澪は手がかかるな~」

澪「うるさい、バカ律…」

特に幼馴染であり、澪を音楽の世界へと引きずり込んできた律は、普段は茶化してくるものの、いざというときには澪の味方となり守ってきてくれた、かけがえのない『親友』であった。

梓「それでは私たちはこっちなので。みなさんお疲れ様です」

紬「私も今日はバイトだからここで…」

唯「それじゃあ澪ちゃんにりっちゃん、また明日」

律「おう。また明日な」

澪「ああ、お疲れ様」

5: 2011/10/22(土) 00:00:49.80 ID:9yuxyDT00

3人の友人たちと別れを告げた後、二人きりとなった道中で、澪は自分よりほんの少し前を歩く律の背中を見つめていた。

自分よりも小さなその背中は、いつだって何よりも頼もしかった。

小学生の頃、隣のクラスの男子に虐められたとき…

作文の発表のとき…

初めての文化祭の前、緊張していたとき…

助けてくれたのはいつも律だった。

思えば助けられてばかりで、自分は何か律の支えになれているのだろうか…

そう考えながら歩いていると、律が振り返り、こちらに向き直るのが目に入った。

律「着いたぞ」

いつの間にそんなに歩いたのか、家まで辿り着いていたらしい。

澪「あぁ…わざわざありがとうな、律」

律「いいよ別に。お化け怖いでちゅもんね~」

澪「うるさい!! …じゃあ、また明日」

律「うん。じゃーなー」

澪(……)

澪はすぐには家に入らず、少しの間、律の後ろ姿を眺めていた。
頼もしいその背中は次第に小さくなって行き、やがて夜闇に消え、見えなくなっていく。

律の後ろ姿を見届け、澪が自宅の扉に手をかけたその時、ぽつん…と彼女の頬に冷たい水滴が当たった。
空を見上げると、月を取り囲むかのように雨雲が浮かんでおり、小雨を降らせているのが見えた。

どんよりとした雰囲気を醸し出す月の涙は、すっかりと暗くなった辺りと相まって、澪の恐怖心を一層煽った。

6: 2011/10/22(土) 00:02:31.90 ID:9yuxyDT00

澪「ただいま」ガチャッ

澪母「おかえりなさい、澪ちゃん」

澪(今日の話…怖かったな。でも、家に入ると少し安心する…)

長年過ごしてきた二つとない我が家であるからか、それとも母親の温かい笑顔を見たからか、先ほどまで恐怖に怯えていた澪も、帰宅すると少し落ち着きを取り戻してきた。

澪母「?」

澪母「どうしたの? また怖いお話でも聞いちゃった?」

澪「うん…ちょっと。どうしてわかったの?」

澪母「わかるわよ。娘のことなんだもの」

澪母「今日の晩御飯は、澪ちゃんの好きなハンバーグよ」

澪「ほんと? ママ、ありがとう!」

澪母「どういたしまして。ほら、早く手を洗っていらっしゃい」

澪「うん!」

今日の夕飯はハンバーグだ。
今日は好きなものを食べて、嫌なことは忘れて早く寝ようと、澪はそう考えながら洗面所へと歩を進めた。

澪(唯の話は怖かったけど…変なことしなかったら大丈夫だよな)

洗面所に着くと、澪は汚れと共に恐怖心を洗い流すかのように、丁寧に手を洗った。
石鹸を水で流し、蛇口を閉める。
水の流れが完全に止まったのを確認し、身なりを整えようと目の前にある鏡に目をやった。

澪(あっ…)

鏡に映った自身の姿を目にした瞬間、澪の脳裏に忘れたいあの話がフラッシュバックする。


『トイレの鏡の前に立って、こう唱えるの…

リリーちゃん、リリーちゃん、妖怪リリーちゃん』


澪(鏡…)

一度は治まったかのように思われた恐怖心が再び姿を現し始める。

その恐怖心を振り払うかのように、澪はサッっと踵を返し、リビングへと歩を進めた。

澪(ご飯…食べにいこう)

7: 2011/10/22(土) 00:05:41.31 ID:9yuxyDT00

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翌日の午後、板張りでどこかレトロな雰囲気を醸し出している3年2組の教室には、教師の淡々とした声と時計の秒針が動く音が静かに響いていた。

律(つまんねーなー…)

律(世界史なんて、覚えさせてどうするんだよ…澪は真面目によくやるよ)

そう思いつつ、斜め後方の席にいる幼馴染に目をやる。

澪「……」ソワソワ

律(?)

一見、普段と変わらず真面目に授業を受けているようであったが、どこか挙動不審のように見える。

それは澪と深い関わりのない者であれば見逃してしまうような僅かな違和感であったが、律には思い当たる節があった。

律(ははーん…)

律(澪のやつ、まだ昨日の話にビビッてるな… よーし、授業が終わったらまたからかってやろう!)

退屈な授業の内容はおざなりにして、怖がりの幼馴染を次はどのようにしてからかってやろうかと考えていると、終業のチャイムが鳴り響いた。

和「起立。礼!」

「ありがとうございましたー!!」

6限全ての授業が終わり、部活の顧問でもある担任・山中さわ子によるHRが終わると、次は待ちに待った部活動、ティータイムの時間である。

律「やーっと終わったぁ~!! みんな、部室行こうぜ~!!」

澪「それなんだけど…みんな、部室に行く前にトイレに行かないか?///」モジモジ

唯「ほぇ? いいけど、みんなで行くの?」

澪「う…うん。できれば、その方がいいかな…///」

律「あっれぇ~? 澪ちゅわん、もしかしてリリーちゃんが怖くて一人でトイレに行けないんでちゅか~?」

澪「う…うるさい!!」

唯「えっ!?それじゃあ澪ちゃん、今日はまだトイレに行ってないの!?」

澪「うん…。 家のトイレには鏡がないから、朝は行けたんだけど…」

紬「あらあら、それは大変ね。いいわよ、みんなで行きましょっか」

澪「ありがとう…」

律「じゃあ、先にトイレに行くか」



ガヤガヤ…



ねぇ、リリーちゃんって知ってる?

え? なにそれー?

さわ子「こら、話してばかりいないでちゃんと掃除しなさい」

は~い。
ごめんねさわちゃん先生。



さわ子「……」



8: 2011/10/22(土) 00:08:33.15 ID:9yuxyDT00

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澪「みんな、わざわざごめんな」

登校してから6~7時間、我慢し続けた末にやっと用をたし終え、澪はトイレまで着いてきてくれた友人たちに礼を告げる。
高校生にもなって…普通ならそうからかわれるようなことだと本人も自覚していた。

唯「いいよぉ~。元はと言えば私のせいなんだし」

澪「そんなことないよ。これだけ噂になってればいつかは耳に入っただろうし…」

紬「そういえば、教室でも話してる子、たくさんいたね」

律「大体澪は怖がりすぎなんだよ~。大丈夫だって、ただの噂話なんだし」

澪「それはわかってるけど…」

律「あぁ~もう!! それじゃあ私が試しにやってやるよ」

澪に怖がるな、という方が無理なのだろう。それは律も承知していた。
しかし、これだけ校内で噂になっている怪談だ。澪が四六時中怯え続けているのはどうにも具合が悪い。

となれば、澪にこの怪談は作り話であり、怖がる必要は無いと示す他ないであろう…

澪「えっ!?」

律『リリーちゃん、リリーちゃん、妖怪リリーちゃん』

パチンッ…パチンッ…パチンッ…

錯覚だろうか。
彼女の声帯から…指から発せられたその音は、奇妙なまでに反響したかのように感じられた。

唯「ホントにやっちゃった…」

紬「だ…大丈夫?」

澪「……」プルプル

9: 2011/10/22(土) 00:12:03.64 ID:9yuxyDT00

律「ほら、何も出ないだろ?」

律「呼んでも出ないのに、普通にしてて呪われるわけないって」

澪「うん…」

律「ほら、髪がボサボサだぞ?」

澪「今日は怖くてあんまり鏡見れなかったから…」

律「全く…せっかくの綺麗な髪が台無しだぞ?」

澪「そんなことない…律の髪だって短いけど、その…綺麗だし///」

紬「まあまあ」

唯「美しい友情だねぇ~」

律「う…うるさぁーい!!」

律「ほらっ!!さっさと部室行くぞ~!!」


バタン!




『照れてるりっちゃんきもーい』

『うるさーい! お前には言われたくねー!』


『あらあら』


『アハハハ』





…………………





人の気配は無くなり、静まりかえったトイレ。
そこには、先ほどまでそこにいた少女達4人の談笑がわずかに届いていた。

その声はしだいに小さくなっていき、やがて聞こえなくなった。

それを合図にしたかのように洗面台の上にある一つの鏡が…

その鏡面に映った左右反転の世界が一瞬、赤く澱んだ…


10: 2011/10/22(土) 00:13:23.10 ID:9yuxyDT00

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梓「えぇ!? それじゃあ律先輩、『リリーちゃん』を呼んじゃったんですか!?」

数時間後、今日も練習らしい練習はたいして行わず、恒例のティータイム中にふと出た話題に梓が反応した。

唯「そうなんだ~。りっちゃんったら、急に呪文を唱え出したからびっくりしたよ~」

梓「……」

唯「ん? あずにゃん、どうしたの?」

紬「お菓子になにか入ってた?」

梓「いえ、そうじゃないんですけど…」

梓「実はこの間、クラスの友達も『リリーちゃん』を呼んだらしいんです」

澪「えぇ!?」ビクッ

紬「それで、その子がどうかしたの?」

紬の反応を受け、梓は静かに語り始めた。

梓「はい…。実は今日、その子が階段から転んで腕を骨折したんですよ」

梓「その子が言うには、転げ落ちた目の前に髪の毛の束が落ちてたらしくて…」

梓「みんなが『リリーちゃんの呪いだ』なんて言うからちょっと…」

律「ぐ…偶然だろ、アハハハハー」

梓「まぁ私もそうだと思うんですが、わざわざ自分から危険を冒すなんて律先輩もバカだなーって思って」プッ

律「なぁにいー!中野~!!」グリグリ

梓「きゃーっ!」

紬「あらあら」ウフフ

11: 2011/10/22(土) 00:16:17.76 ID:9yuxyDT00

唯「でもでも! さわちゃんみたいに結婚できない呪いとかだったらどうする~?」

律「そ…それは嫌だな…マジで」

神妙な空気もそこそこに、いつもの部活動のように和気あいあいとした空気が流れ始める。
と、ふいに部室のドアが開き、一人の生徒が入室してきた。

和「楽しそうなところ悪いけれど」

唯「あっ! 和ちゃん!」

真鍋和、桜が丘高校の生徒会長である。
唯の幼馴染ではあるが、普段部室に顔を出すことはあまりなく、彼女の訪問は何かしらの用事があることを表していた。
桜彩る4月、今の時期を考えると彼女の用事は…

和「これ、〆切今日までよ」

案の定、和の手には、『講堂使用届』と書かれた紙があった。

和「今日中に出しておかないと、明後日の新歓ライブ、できなくなるわよ」

律「あちゃー、忘れてた」

澪「忘れてたじゃないだろ!!」

ゴチンッ!!

律「あいた!」

部長としての責任感が足りない、その思いを込めたげん骨が律の頭にヒットした。
更にもう1発…2発。
計3発の愛のムチを受けた律の頭には、見事な鏡餅ができていた。

和「…それじゃあ私は生徒会室にいるから、書き終わったら持ってきて」

律「あいっ…」ヒリヒリ

澪「ごめんな和」

和「いいわよ、もう慣れたし。それじゃあ私は失礼するわね」

唯「あっ!まって和ちゃん!」

唯「私たち、これからビラ配りにいくんだ~。よかったら途中まで一緒に行こうよ」

和「そうなんだ。じゃあ私生徒会に行くね」

唯「えぇ!?」

和「冗談よ冗談。それじゃあ皆、行きましょうか」

澪「律はちゃんとそれ書いとくんだぞ?」

律「あいよー」

紬「プリント出し終わったらりっちゃんも来てね。校庭にいるから」


ガチャッ…バタン!


12: 2011/10/22(土) 00:19:46.16 ID:9yuxyDT00

一人となった部室は、先ほどまでの喧騒がウソであるかのように静まり返っていた。
こんなことならプリントを貰った時にすぐ書いているのだったと反省しながら、猛スピードで必要事項を書き進める。

律(意外と書くこと多いんだよなーこれ…あ~めんどくせ~…)





「 」





律「…っ!?」

その時だった。身の毛がよだつような冷たい視線が律に突き刺さった。

蛇がヌルリ…ヌルリと背中を這いまわるような錯覚を覚えるような、そんな視線。

ヌルリ…

体中に鳥肌が立ち、背筋が寒くなる。

口内が渇き、息苦しさを感じる…

ヌルリ…

体が上手くいう事を聞かず、時計の秒針が動く音がやけに遅く感じられた。

全身から刺すような汗が噴き出してくる。


律「だれ…?」




13: 2011/10/22(土) 00:20:32.28 ID:9yuxyDT00

辛うじて出た言葉はそれだけだった。
これ以上ヌメリとした蛇の体をまとわりつかせまいと、律はありったけの勇気を振り絞り、ぎこちなく扉の方へ顔を向ける。


……


返事はない。
だが、木製の扉を隔てたその先には必ず誰かがいる…
そう感じさせるには十分の気配がそこから発せられていた。

それは、彼女がこれまでに感じてきた、どのような気配とも異なる歪なものだった。

そこには人の温かみというものが存在していなかった。

生気が感じられなかったのだ。

生気はなく、しかし確かにそこに存在を主張している、只々冷たい気配…

この只ならぬ気配の正体を確かめるべきだろうか…
いや、自らの保身の為、このまま“ヤツ”が去るのをじっと待つべきか…

しかし、このまま時が経てば“ヤツ“が立ち去るという保証がどこにあるのどろうか?

ヌルリ…

不快な感触が再び動き出す。

それが引き金となり、律の体は動き出した。

最早感覚の無い脚に力を込め、椅子を引き立ち上がる。

体にまとわりつく蛇を振り払い、扉を睨み付ける。

意を決して扉の方へ一歩、歩き出そうとした瞬間、バァーン…という大きな音と共に、扉が開かれた。






さわ子「チョリーッス」






14: 2011/10/22(土) 00:25:05.58 ID:9yuxyDT00

律「さわちゃん…」

体中の力が抜け、ガックリとうなだれる。

さわ子「あれ? りっちゃん?
    どうしたの? っていうかみんなは?」

律「ビラ配りにいったよ…」
  
さわ子「え~、なによ~。ひとがせっかく演劇部から着ぐるみ借りてきたってのに~」ブーブー

律「またそれかよ…
そういえばさっき、部室の前に誰かいなかった?」

さわ子「え?誰もみてないわよ」

律「そっか…それならいいんだ」

さわ子「…どうしたの?」

律(さわちゃんな訳…ないよな。 気のせいか…?)


気が付けば、先ほどまでの視線は、息苦しさと共にどこかへ消え失せていた。

ヌルリ…

先ほどまで体にまとわりついていた蛇が、階下へと這い下りていく気がした。


15: 2011/10/22(土) 00:26:01.19 ID:9yuxyDT00

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澪「律、今日は何か元気なくないか?」

翌日の昼休み、澪はそう律を気遣った。
今日の律は休み時間にもあまり喋らず、しきりに周囲を見回しては黙って俯いていた。

律「何でもないよ。ただ、きのう夜更かししちゃってさー」

たはは、と笑いながら澪に心配させまいと嘘をつく。

律(澪には…言えないよな)

律は登校してから一日中、昨日と同じあの視線を感じ続けていた。
昨日ほどの強い気配と息づまるような空気は感じないものの、蛇がユラユラと獲物を待ちながら、遠くで舌舐めずりしている様な感じがしていた。

始めは「もしかしたら澪のファンが嫉妬して…」などとも考えたが、それではいく分納得いかない。
澪のファンクラブの子なら授業中にまで視線を感じることはないだろう。
しかし、学内に部外者が侵入しているとは考え難いが…

澪「ほんとに大丈夫か? 顔色よくないぞ?」

どちらにしろ、これ以上澪に心配させる訳にはいかない。
いつも通り、できるだけ明るく振舞おう。

律「大丈夫だって。ほら、もうすぐ授業はじまるぞ?」

澪「ああ…。律、何かあったら相談してきていいんだからな?」

律「わかってるよ。ほら、次、理科室で実験だろ?
  唯たちが待ってるぞ」

これ以上澪に突っ込まれる前にと、律は教室の入り口で待つ唯と紬の元へと駆け出した。

律「わりぃ、遅くなっちまった」

もー!遅いよりっちゃーん!

16: 2011/10/22(土) 00:27:00.99 ID:9yuxyDT00

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唯「あれっ? 透析チューブがないよ?」

紬「本当ね、前からとってこないと」

律「ああ、ムギはいいよ。私が取りに行くから」

紬「ほんとう?ごめんねりっちゃん」

律「いいって別に」

律(まだ…ついて来やがる。
  いったい何なんだっていうんだよ…。)

棚の前まで歩き、透析チューブを手に取る。


律(あっ…落としちまった)


スルリ…とチューブが指の間をすり抜け、床へと落ちた。

それを拾い上げようと屈んだ瞬間、またあの悪寒が律を襲った。

17: 2011/10/22(土) 00:27:36.20 ID:9yuxyDT00

全身を蛇が這いずり回る。

反射的に、刺すような視線の元へ視線が動く。
見てはいけないと、本能が制止をかけるが、それを止めることは敵わなかった。

視線の先には、フラスコなどの実験器具が収納されてある、木製の棚。

半分近く開かれたその扉の隙間から、充血し瞳孔の開いた、凍ったような瞳がこちらを覗き込んでいた。

年期が経ち、茶味がかった包帯が顔を包み込んでおり、その隙間から覗く皮膚は焼け爛れた、赤剥けのどす黒い醜悪なものだった。
所々、焦げ付き、ボサボサとなった灰色の髪が包帯から顔をだしている。

黄味がかり、ギョロっとしたその瞳と目があった瞬間、体の内側を無数の虫が這いまわっているような感覚に襲われた。

矮小な虫たちは、耳の奥へと入り込み、喉を通って肺の周りを這い、律の体を内側から蝕んでいく。

首元には、ヌルッとした蛇の嫌な感触が走り、チロッ…チロッ…と耳元で舌舐めずりをする音が聞こえる。

目の前のモノが、律の瞳をじっと見つめながらニヤリ…と不気味に微笑んだのが包帯越しにも見て取れた。

鼻の奥に腐臭が漂う…

寒気と共に嫌な汗が噴きだした。

律「きゃああっ!!」

律は尻餅をつき、その衝撃で棚からフラスコが数個降り注いだ。

先生「大丈夫か、田井中!?」

紬「りっちゃん、血がっ!」

先生「琴吹、平沢、すぐに保健室に連れて行きなさい!
   秋山は、担任の先生を!」

唯「大丈夫? りっちゃん?」

本人の意思に関わらず、律の体はガクガクと震えていた。

目線が逸れても尚、律の体は内外から蹂躙され続けていく。

律は気を失いそうになりながら、保健室へと運ばれた。

18: 2011/10/22(土) 00:33:00.32 ID:9yuxyDT00

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保健室の先生「これで大丈夫。軽い切り傷で良かったわね」

律「はい…」

保健室に運ばれた律は、養護教諭から軽い消毒と絆創膏による治療を受けていた。
切り傷自体は浅いもので、幸い明日の新歓ライブでの演奏にも影響はなさそうであった。
普段ならばすぐにでも部活へ行くよう指導するところであったが、律の様子がどう見ても不安定だったこと、
そして現在軽音部は、明日の新入生への部活紹介の為に、講堂へ使用機材を運び込んでいる最中である、
ということもあり、養護教諭は「もう少しここで安静にするように」と指示した。

律(……)

律は膝を立て、それを腕で抱え込むようにして小さく縮こまり、保健室の角で震えていた。
律は理科室で“アイツ”の姿を見てからずっと、あの悍ましい視線が自分の後を付いて来ているのを感じていた。

“アイツ”がすぐそこにいる…

蛇が四肢に纏わりつき、首元で牙をむき出しにしながら、自分が一人になるのを今か今かと待ちわびているのを感じる。

これから氏ぬまでの数十年間、この恐怖に怯え続けなければならないのだろうか。

いや、自分はその寿命を待たずして、“アイツ”の手によってその人生を終えるのだろうか。

焼けただれ、腐食したあの腕に首を絞められ、息絶える自分を想像し、律は吐き気を覚えた。

律「先生…エチケット袋あります?」

養教「あるけど…大丈夫?気分悪いの?」

そう律の体調を伺いながら、養護教諭はエチケット袋を手渡した。

律はその問いには答えず、すぐさま袋に胃液を吐き出した。
そうすることで、この恐怖心が少しでも安らぐ気がした。

養教「もう大丈夫?そこの水道でうがいしてきなさい」

律「はい…」

律は養護教諭にエチケット袋を手渡し、保健室の出入り口付近にある水道で口をすすいだ。


養教「疲れてるみたいね。今日は少し休みなさい?」


19: 2011/10/22(土) 00:35:08.43 ID:9yuxyDT00

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唯「りっちゃん、大丈夫かなぁ?」

紬「もう機材も運び終わったし、様子を見にいってみる?」

梓「血が出てたんですよね? 明日のライブ、大丈夫なんでしょうか?」

講堂に機材を運び終え、唯・澪・紬・梓ら4人の話題は自然と律を心配するものになっていた。

澪「傷は多分…大丈夫だと思うけど」

梓「どうかしたんですか?」

澪「いや…あいつ、なんか様子おかしくなかったか?」

抽象的ではあるが、唯と紬の二人には、澪の言おうとしていることがよくわかった。

保健室まで律に付き添った二人であったが、道中での律の様子が異常なことは誰の目にも明らかであった。
なるほど、確かに腕には多量ともいえる血が流れて痛々しく、仮に澪が付き添っていれば患者が一人増えたかもしれない。

しかし、血の勢いに反して傷は浅く、止血さえ正確に行えば、なんてことはない傷だということも、彼女達にはわかっていた。

元来、田井中律という少女は活発で少し男勝りと言える面もあり(反面、軽音部で一番乙女らしい一面もあるが)、なんにせよその程度の切り傷などで泣いたり、ましてやその程度でわななくことは無い、というのが彼女達の見解であったし、それは決して間違ってはいなかった。

律の異常な様子自体もそうだが、もう一つ、彼女達にとって不可解なことがあった。
律が傷のことを気にする素振りを全く見せなかったことである。

仮に異常の原因が傷であったとするなら、それを無視するようなことがあるだろうか。
また律の場合、終始周りを警戒して、何かに怯えているようにも見え、その様子は何か別の原因があるのではないかと思わせるのには十分であった。


彼女達が律を気に掛けた理由もそこにあった。

唯「うん…なんていうか、何かに怯えてるみたいだった」

紬「ケガが原因じゃなさそうだったね…」

梓「そうなんですか…心配ですね。保健室に行ってみましょう」

澪「そうだな。とりあえず、様子を見てみようか」

保健室にはさわ子先生もいるし、と付け加えた。

20: 2011/10/22(土) 00:38:38.44 ID:9yuxyDT00

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唯・澪・紬・梓「失礼しまーす」

4人が保健室の扉を開けると、そこに養護教諭の姿はなく、ベッドに寝そべる律と、それに寄り添うようにして座るさわ子の姿が目に入った。

さわ子は4人の姿を確認すると、優しく微笑み、律の頭をそっと撫でて立ち上がった。

さわ子「それじゃありっちゃん、私は仕事があるからもう行くわね。今日はゆっくり休みなさい」

さわ子「あなた達、あとはよろしくね」

そう言い残して、さわ子は部屋を後にした。

梓「律先輩、大丈夫ですか?」

律「大丈夫だよ。心配かけて悪かったな、梓」

言葉の通り、律の挙動に不審な点は見当たらず、いつもと変わらぬ『田井中律』の姿がそこにあった。

21: 2011/10/22(土) 00:39:43.71 ID:9yuxyDT00

唯「よかった~。心配してたんだよ~」

律「大事な新歓ライブの前に、迷惑かける訳にはいかないからな」

紬「ライブも大切だけど、無理はしないでね?今日はもう帰りましょう?」

律「悪い悪い、あはは」

澪「……」

律「澪?どったの?」

澪「律…お前、ホントに大丈夫なのか?」

律「大丈夫だって、澪は心配しすぎなんだよ」

澪「そうか…それならいいんだ」

ただ、この場で唯一、澪だけが違和感を感じていた。
あるいはこの違和感というものは、人生の半分近くを律と共にしてきた澪だからこそ感じられたものかもしれない。

律は場の空気を読むことに長けている。
そして、彼女はその長所を生かし、常々『明るく元気なムードメーカー』という役割と、『常識的なリーダー』という役割を使い分けてきた。
その根底にあるものは彼女が気配り上手であるということだろう。

律は空気が読める為、他人の目から見た自分の姿を理解していた。
『明るく元気な女の子』という姿である。

律はこの時、他人から期待されたキャラのままでいようとしていた。
自分が周りからどういう人物として見られているかを十分把握しているが為に、不安定な心境を隠そうとしていた。

これが澪の感じた違和感の正体であったのだろう。
しかし澪にしてみれば、これは『違和感』以上の何物でもなく、確固とした不信感がある訳ではなかった。

それ故澪はこれ以上、このことについて追及することはしなかった。

22: 2011/10/22(土) 00:40:33.01 ID:9yuxyDT00

律「そういえば唯~。この間の話なんだけどさ」

唯「こないだ? 何の話だっけ?」

律「あ~ほら、リリーちゃんの話」

律は悪戯っぽく笑いながらそう言った。
というのも、澪が自分に対して、少なからず違和感を覚えていることは律にも伝わっていた。
これ以上、その違和感を拡大させることがない様、律には『普段通りの自分』を演じる必要があった。
ただ、澪が自分に対して違和感を覚えている以上、彼女がこの程度で普段のように怯えることはないことも、律は承知していた。

実際、澪の反応は薄かった。

この行動の目的は、次の2点にあったと言えるだろう。

1つ目は、他のメンバーにまで違和感を波及させないことである。
付き合いの長い澪には不信感を抱かれたものの、まだ他のメンバーの目には普段と変わらぬ『田井中律』の姿が映っていた。

しかし、律と澪との間に普段と違いがあれば、その違和感は間もなく彼女達に波及するだろう。
それを防ぐためには、普段と変わらぬやりとりを見せることが必要であった。

そして、2つ目の目的こそが、最も重要な点であった。

唯「あ~、あの話か。どうしたの?」

律「いや、この間はリリーちゃんを呼ぶときの話しかしてなかったけどさ、やっつける方法とかってあるのかなって」

これである。
律には早急に“アイツ”を何とかする必要があった。
一時はこれから一生、“アイツ”に怯えながら生きていかなければならないのか、
とも考えたが、しかしこの手の怪談には大抵、対象を呼び出す方法と共に、退治する方法も存在する。

律はそこに賭けようとしていた。
誰にも悟られぬままに“アイツ”を何とかして、あとは何事もなかったかのように、みんなと楽しく過ごしていこうと、そう考えていた。

23: 2011/10/22(土) 00:41:27.40 ID:9yuxyDT00

唯「簡単だよ~。鏡でリリーちゃんに、自分の顔を見させればいいんだって。」

唯「そうして、リリーちゃんに自分はこの世界にいたらいけないんだって思わせればいいんだって」

律「な~んだ。そんな簡単なのか」

本心であった。
それなら1人でも、何とかなりそうである。

唯「それにしてもりっちゃん、意外と怖がりさんなんだね」

律「はぁ?なんでそうなるんだよ?」

唯「だって自分でリリーちゃんを呼んじゃったから、ちょっと不安になっちゃったんでしょ?」

梓「ベタですね」

律「ち…ちげーし!!」

当たらずとも遠からず、律は多少の動揺を見せたものの、この動揺は彼女にとって好ましい方向に働いた。

唯「ベタ子さん」

紬「わ~!」

律「…?」

紬「……」ショボン

律「う…うわぁ!びっくりしたなぁもう!」

紬「えへー」

先の唯の発言があたかも図星であるかのように捉えられたのである。

『リリーちゃん』の噂話が流行っているとはいっても所詮、友達同士での話のタネになる程度であり、その話を本気で信じている者はいなかった。
最も、それを実行しようとなると話は別で、恐怖心により彼女を呼び出せないものが殆どであったが。

兎にも角にも、律を除く彼女達4人の中で、律の動揺の原因が『リリーちゃん』であると考えている者はいなかった。
かくして、律の本心に誰も気づかぬまま、彼女達は帰路につくことになった。


24: 2011/10/22(土) 00:45:26.39 ID:9yuxyDT00

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律は、一人で通学路を歩いていた。
歩いていた、とは言っても、彼女は家路についているのではなく、学校への道を引き返していた。

日はすっかり沈み、通いなれた街並みはどこか哀愁を帯びているようにも感じられた。

律(みんなに迷惑はかけられないよな…)

律が周りの空気を優先し、本心を隠していたことは先に述べた。
そのことは、別に今回に限ったことではなかった。

普段は明るく元気で、おちゃらけたイメージのある彼女である。
そのイメージは決して間違っているとは言えない。

唯の悪ふざけに乗り、逆に唯を乗せることもあれば、澪をからかったりと、普段の行動からは『好き放題』という快楽主義者的な印象も少なからず感じられる。

しかしその一方で、唯の行き過ぎた行動にはブレーキをかけ、許容できる範囲・できない範囲の線引きを行っている側面もあり、
澪に関しても、何かがあればすぐに味方となり、一般に言う『幼馴染ならでは』という以上の仲の良さを感じさせる部分も存在する。

一見まとまりのないように感じられる彼女の行動だが、先に述べた彼女の『空気が読める』・『気配り上手』といった気質を考えると、彼女の軽音部においての役割というものが見えてくる。

律は、軽音部においてバランサーとしての役割を果たしていた。

25: 2011/10/22(土) 00:45:58.17 ID:9yuxyDT00

元来軽音部は、練習に真面目に取り組もうとする澪と、あまり練習に乗り気にならず、快楽主義者的な性格を持つギター初心者の唯、そして『世間知らず』ともいえるほど世俗とは住む世界の違うお嬢様の紬、といった性質の全く違う3人が律の元に集まる形で発足した。

このバラバラな思考を持つ3人の、鎹としての役割を果たしているのが律であった。
律は普段からその場の空気を読み、その場で浮いてしまいがちな者を立てようと気配りをしてきた。

そのため、今回のように自分の気持ちよりも相手の気持ちや周りの空気を優先し、自分の気持ちを隠して器用に振舞うことも少なくはなかった。

それ故、彼女は本音でのコミュニケーションに慣れていないのかもしれない。

本音を言えば、律は仲間たちに頼りたかった。
「助けて」と、その一言を発したかった。

しかしそれができなかったのは、彼女のそういった気質によるものであった。

現にほんの数分前、律は『家まで送ろうか?』という澪の申し出を断り、『用事があるから』といって途中で別れ、そのまま学校への道を引き返していた。

今回の問題を一人で解決する、という命題のもとでは、澪の申し出を断る必要など無かった。
家まで送ってもらった後で、学校へ引き返せば良かったのである。

ただでさえ律の挙動に違和感を感じている澪である。
そうする方が良かったのは自明であった。

ただそうしなかったのは、澪とこれ以上一緒にいれば彼女を頼ってしまいそうであり、それによって自分の繊細な内面が壊れてしまいそうな気がしたからであった。

26: 2011/10/22(土) 00:47:30.99 ID:9yuxyDT00

律(一人で終わらせよう…誰にも気づかれないように)

律はほの暗い通学路を黙々と歩き続けていた。
鞄のポケットには、手鏡が入ってある。
すぐに取り出せるように、鞄の内ポケットから移動させておいたものである。

学校の正門前に着く。
下校時間もとっくに過ぎ、職員たちも既に仕事を終えたようで、校舎内の明かりは消えて非常口の緑色のランプが怪しく輝いていた。

夜の学校というものは不思議なもので、その独特の雰囲気からは自然と恐怖心を掻き立てられる。
ましてや律の場合、自ら霊に会いに行っているようなものだった。

このまま学校に行けば、あの校舎内に存在するのは自分と“アイツ”だけになる…
そう考えると、昼間目にした“アイツ”の姿がフラッシュバックしてきて、足がすくんだ。

行きたくない…しかし、行かなくてはならない…
“アイツ”が本格的に自分の命を狙いに来る前に、こちらから攻めなくては。

“アイツ”が自分に有利な状況で、自ら攻めてきた時には最早どうすることもできない。

この手で悪夢を終わらせるのだと奮起して、律は強く前を見据えた。

視線の先の学校は、普段とは違う異質な空間のように感じられた。
律は意を決してその敷地内へと歩を進めた。

27: 2011/10/22(土) 00:49:23.63 ID:9yuxyDT00

一歩…

二歩…

三歩…

あと一歩。

ここから先はもう学校の敷地である。
律は覚悟を決めて、左足を地面から離した。

四…

澪「一人で何やってるんだ、律?」

聞きなれた声が聞こえた。
すんでのところで足が止まり、律は後ろを振り返った。

そこには律が求めたくても求められなかった、仲間たちの姿があった。

律「み…んな?」

唯「やっぱり今日、なにかあったの?」

紬「私たちのこと、もっと頼ってくれてもいいのよ?」

梓「どうして何も話してくれないんですか。律先輩のバカ…」

澪「みんなの言う通りだぞ?私たちの関係は、その程度のものだったのか?」

4人の言葉を聞いて、律の繊細な内面を覆っていた殻が破れた。

虚勢を張り、自分を偽りながら隠していた感情が溢れ出してきた。

気が付けば、律の目からは涙が流れていた。
4人の温もりを感じた事による安心感、恐怖心、不安、葛藤、自己嫌悪…今までため込んできた感情が入り混じった涙であった。

律「みんな…どうして…えっぐ…」

唯「澪ちゃんが、みんなに連絡をくれたの」

澪「今日のお前、明らかに様子がおかしかったからな」

梓「不躾ですけど、みんなで律先輩の後、つけてました」

紬「みんなりっちゃんのこと、心配してたんだよ?」

律「みんな…うぇっ…」

澪「クスッ…みんな律のことが、大好きだよ?」

澪の言葉を引き金にして、嗚咽と共に、律の口から、彼女がずっと隠してきた本心が溢れ出してきた。

律「みんな…たすけてぇ…」

律は今まで、本音をぶつけることを恐れていた。
大好きな仲間たちに、本音でぶつかって拒絶されたときのことを考えれば怖くてできなかった。

律「ぐすっ…」

普段周りを気遣って器用に振舞える分、こういう時にどうすればいいのか分からなかった。

結果、周りに頼らず一人で解決する道を選んでしまった。

ここに、律の精神的に憶病な一面が現れていた。

人見知りで、相手の前に壁を作ってしまう澪とは対照的に、誰にでも仲良く接する反面、自分の前に壁を作ってしまう所にこそ、律の弱さがあった。

気を配りすぎるが故に、自分の本音をさらけ出せない。さらけ出すのが怖い。
みんなに心配させたくないから、危険な目に合わせたくないから弱さを見せたり真剣な相談を持ちかけたりできない…

しかし、仲間たちは律の本音を受け入れてくれた。
律の憶病で弱い面も含めて、彼女の全てを受け入れてくれた。

そんな仲間たちに、律はぽつり…ぽつりと事のあらましを話していった。


28: 2011/10/22(土) 00:52:23.50 ID:9yuxyDT00

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律「ホントにいいんだな…?」

校舎の脇、保健室の窓の前で、律は仲間たちにそう確認をとった。
先ほど律の話を聞いた時から、4人に覚悟はできていた。

怖がりの澪ですら、怯えながらも律に同行することを決意したのである。
この確認は、4人にとってする必要は無かった。

律「ありがとう…」

4人の反応を見て、律は静かに窓を開けた。
この窓は、侵入経路の確保の為、律が下校前に鍵を開けていたものであった。

窓を乗り越え、保健室内に降り立った。
月明かりによって照らされた室内は薄暗く、開いた窓から吹く風が冷たく感じる。

周囲に“アイツ”の気配は無い。
律は周囲を見渡し、そっと4人に目配せをしてからドアに手をかけ、静かに開いた。

廊下に出る。
闇に伸びる長い廊下は突き当りが見えず、途中非常口の緑と、消火栓の赤色灯が頼りなく灯っているだけで、いよいよ気味が悪い。

彼女達は周囲を見渡し、ここにも“アイツ”の姿が無いことを確認すると、律を先頭にしてゆっくりと歩きだした。

頭上にある緑の蛍光灯が床にぼんやりと反射し、歩くたびに彼女達の影が斜めに伸び、魔物のように壁に立ちはだかっては消えて行った。

昼間は活気と喧騒に満ち溢れている校庭も、夜は木々のざわめきが地を這うように渡り、プールの水面に吸い込まれていく。

プールの側にある簡易トイレの換気扇が風に揺られてカラカラと笑っている。

…この階には“アイツ”はいなさそうである。

29: 2011/10/22(土) 00:54:10.75 ID:9yuxyDT00

5人は途中の階段を上がり、2階へ行くことにした。
消火栓の赤色灯の下、階段横を通り過ぎる際に窓ガラスに映った彼女達の顔は真っ赤に染まり、いよいよ気味が悪い。

階段を踏み外さぬよう、ゆっくりと登っていく。
途中、ギシ…ギシ…と木張りの床が軋む音が響いた。

階段を登り終えた刹那、流れる空気が先ほどまでと変わった。
冷たく、重い空気…

(ギシ…ギシ…)

間違いない。“アイツ”がいる。

“アイツ”は律が校舎内にいることは察知したものの、まだ位置までは把握できていないようである。

足音が、ゆっくりと廊下に響いていた。

5人は息を頃して、壁に張り付いた。

律は“アイツ”の姿を確認しようと、壁越しにそっと廊下を覗き見た。



……



ドクン…!

心臓が大きく波打った。

視界にはギョ口リと見開かれた、濁った眼。

“アイツ”も律と同様、廊下側から壁越しにこちらを覗いていた。

鼻息がかかるほどの距離である。

生暖かい腐臭が鼻の奥に入り込む…

一気に血の気が引いた。
思考よりも早く肉体が動いた。

5人は一斉にその場から駆け出し、律と澪は3階へと階段を駆け上り、唯・紬・梓の3人は1階へと駆け降りた。

30: 2011/10/22(土) 00:55:24.98 ID:9yuxyDT00

“アイツ”のターゲットは律である。
もちろん、“アイツ”も3階へと駆け出した。

しかし不幸中の幸いというべきか、反射的に律が振り回した鞄が体に当たり、“アイツ”は動き出すのが遅れていた。

律(マジかよ…あんなのありかよ…)

律は澪の手を引いて、階段を駆け上っていた。
といっても、これは理性的な行動ではなく、本能的な行動であった。

律の頭は、冷静さを欠いていた。
それ故、律は階段を上りきった直後、愚策ともいえる行動を選択してしまった。

愚策、というのには語弊があるかもしれない。
彼女達はそもそも“アイツ”に関する認識が甘かったのだ。

ともあれ、律はこの状況下において最も愚かな行為を選択してしまった。
トイレの個室へと逃げ込んでしまったのである。

31: 2011/10/22(土) 00:56:18.42 ID:9yuxyDT00

律「ハァ…ハァ…」

律「大丈夫か?澪?」

澪「う…うん…」

律(大丈夫だ…落ち着け。体勢を立て直して、ちゃんと準備すれば大丈夫…。 鏡を“アイツ”に向けるだけじゃねーか)

(ギシ…ギシ…)

“アイツ”の足音が聞こえる。
足音から判断するに、“アイツ”はトイレの周囲を徘徊しているようである。

律(見つかるのも時間の問題か…)

先ほどの失敗から、律も学習していた。
今度は壁越しに直接覗き込むのではなく、トイレの個室から手鏡を利用して“アイツ”の様子を伺った。

…鏡越しに目があった。
その冷たい視線からは、鏡越しでも十分な殺意が感じられた。

(ギシ…ギシ…)

“アイツ”が近づいてくる。

今回は鏡越しに“アイツ”の動きが良く見える。

一歩…

また一歩…

“アイツ”はさながら獲物を追い詰めた肉食獣のように、ジリジリと距離を詰めてくる。

律(もう少しだ…あと一歩、踏み込んで来たらこいつを食らわせてやる)

手鏡を持つ手に力が入る。

汗ばんだその手が小刻みに震えだす。

鼓動が早まっているのを感じる。

(ギシ…)

澪(見えない聞こえない…!)

床が軋む音と同時に、律が個室から飛び出した。

32: 2011/10/22(土) 00:58:03.66 ID:9yuxyDT00

律が鏡を“アイツ”の前に掲げようとした刹那、古びた包帯で覆われた腕が首元に伸びてきた。

律「なっ…!?」

律は咄嗟に体を捻ってそれを避けようとする。
が、時は既に遅かった。

律は恐怖心が故に、冷静な判断ができないままでいた。
それ故、相手から仕掛けてくる可能性というものを失念していた。

やるかやられるかのこの状況において、『やられる』場面を想定していなかった弊害は大きい。

焦りにより無鉄砲に飛び出してしまった挙句、相手の行動への反応が一瞬遅れてしまった。

腐食した腕が律の喉元をとらえる。
乱雑に巻かれた包帯の隙間からは、焼けただれた皮膚が覗いている。

律(……!)

沸騰したのか、と錯覚するほどに律は顔が熱くなるのを感じた。

息を吸うことができず、体が痙攣する。
律は気力を振り絞り、痙攣する腕を上げた。

鏡が“アイツ”の顔を捉える。



……が、何も起こらない。



何故だ。コイツは自分の顔を見れば消えるのではなかったのか。

苦しみと絶望が律の頭を支配した。




…目の前が真っ白になった。



33: 2011/10/22(土) 01:01:17.99 ID:9yuxyDT00



澪「あ…あっ…」

澪は茫然自失していた。
頭の中が真っ白で、思考が上手く働かないでいた。

目の前には、一昨日聞いてから恐れ続けていた“リリーちゃん”の姿があった。
その姿は話に聞いていたよりも数段恐ろしく、おぞましかった。

全身が古びた包帯で覆われており、その包帯には火傷の出血による血が染みつき渇いていた。
乱雑に巻かれた包帯の隙間からは焼けただれた醜悪な皮膚と、焦げ付いて灰色となったボサボサの髪が覗いている。

生前、トレードマークだったらしい黒いワンピースは無残な程ズタズタになり、ワンピースとしての形状を保っていなかった。

脚の指先は上手く包帯で巻かれておらず、露出したその指からは爪が剥がれ落ちていた。

神の悪戯でこのような醜悪な姿となってしまったかつての人間。

人にして人にあらざる者となった彼女の腕は、幼馴染の首を強く締め上げていた。

澪(り…つ…いやだよ…)

できる事なら、目の前で苦しんでいる幼馴染を助けたかった。

だが、体がいう事を聞かない。

叫びたくても声がでない。

いくら力を込めようと、彼女の四肢はガタガタと震えるだけだった。

目の前の“リリー”は、腕の力をますます強め、律の体を宙へと浮かせた。

澪(やだ…このままじゃ…律が、氏んじゃう…)

体の動かぬ澪は、その光景を見ていることしかできなかった。

34: 2011/10/22(土) 01:02:58.65 ID:9yuxyDT00

首を締め上げられた律の体が限界なのは、澪の目から見ても明らかであった。

そして遂に、僅かながらも抵抗を見せていた律の体はその動きを止め、手鏡を掲げていた腕は力なく垂れ下がった。

律の手から手鏡が滑り落ちる光景が、やけに遅く感じられた。

手鏡は律の手を離れ、ゆっくりと落ちていく…


落ちていく…


落ちていく…


そして、ついに手鏡は床に触れ、ゆっくりと砕け散った。

破片が四方に飛び散り、月明かりを反射して鈍く輝く。



刹那、破片の背景に黒い物体が現れた。



否、それは人影であった。

人影は手にした円筒形の物体を振り回し、リリーの足元を殴打した。

鈍い金属音が響く。

足元を殴打されたリリーは体勢を崩し、床へと崩れ落ちた。

律「ゲホッ…ゲホッ…かはっ…!」

間一髪、リリーの腕から解放された律は落下の衝撃で意識を取り戻し、呼吸を吹き返した。

35: 2011/10/22(土) 01:05:14.46 ID:9yuxyDT00

澪「律っ!」

澪の体も咄嗟に動いた。
先ほどまでの痙攣が嘘のようであった。

律の側に駆け寄り、膝の上に頭を乗せてやる。

「久しぶりね、リリー」

人影が静かに呟いた。

「相変わらずシケた面してんじゃないの…」

コツ…コツ…と、靴の音が響く。

彼女の問いかけには反応せず、リリーはターゲットである律に再び腕を伸ばした。

さわ子「教師が生徒に手ぇあげてんじゃねーよ!」

叫ぶと同時に、さわ子は手にした消火器の栓を抜き、リリーに中身を噴出した。

さわ子「あなたたち!外に逃げるわよ!」

粉末状の消火薬剤が直撃し、もがいているリリーに中身の無くなった容器を投げつけながらさわ子は叫んだ。

36: 2011/10/22(土) 01:06:04.69 ID:9yuxyDT00

澪「は…はい!」

澪と律はおぼつかない足取りで立ち上がり、さわ子に続いて走り出した。

廊下を駆け抜け、階段までたどり着いた。

ふと後ろを振り返ると、リリーは既に廊下に出て、駆けはじめていた。

澪(うそ…!)

リリーは先ほどさわ子に足を強烈に殴打されたにも関わらず、異様な速度でこちらに走ってきていた。

殴打された左足を引きずり、上体をカクカクと揺らしながら迫ってくるその姿はおぞましく、血の気がゾッと引いた。

このままでは追いつかれる。
澪は前に向き直り、さわ子・律に続いて階段を急いで駆け降りた。


37: 2011/10/22(土) 01:07:28.40 ID:9yuxyDT00


3階から2階へと駆け降りる…

後ろから近づいてくる足音が大きくなってきた。

そのまま振り返ることはせずに、1階へと駆け降りる…

足音はとうとうすぐそこまで来ていた。

リリーの折れた左足の骨が、腐敗した肉をえぐる音が聞こえて来る。

クチャ…クチャッ…

澪の焦り、そして恐怖心も膨れ上がる。

グチャッ…!

澪(ひっ…!)

その時、今まで軽快に駆けていた澪の脚がもつれ、安定を失った体が前につんのめった。

先ほどまで動かず、痙攣していた足である。無理もないことだった。

前に倒れ込んでいく澪の体。
木製の階段の角が迫ってくるような感覚。

恐怖からギュッと目をつぶるが、しかし彼女の体に痛みが走ることは無かった。

手のひらには、金属の冷たい感触。
おそらく手すりにあるブロンズ像に手が突っかかったのであろう。

ともあれ、転倒を免れた澪であったが、状況は最悪であった。


リリーである。


振り返らずともわかる。
鼻をつく腐臭と、地獄の底から這い上がって来たかのような、低い呼吸音。
そして何よりも、多足類が全身を這いずり回っているような、ゾッとする冷たい気配が、リリーが背後にいることを物語っていた。

ヤツに追いつかれてしまった。

38: 2011/10/22(土) 01:09:06.57 ID:9yuxyDT00

律「澪っ!」

更に最悪なことは、先ほどのさわ子の攻撃により、リリーはさわ子と、そしてその場にいた澪を排除するべき“邪魔者”として認識したことであった。

澪「えっ…」

澪が後ろを振り返った時には、リリーの腕は澪の首に伸びようとしていた。

が、律がそうはさせなかった。

元々が自分の撒いた種である。
澪にまであんな苦しい思いをさせる訳にはいかないと、その思いが律を奮い立たせた。

律「おらぁ!」

律はリリーの腕を掴み、思いっきり後ろへ引き寄せた。

その勢いでリリーの体は階段を転げ落ちていった。

3人はリリーが起き上がるより先に、彼女の隣を通り過ぎ、昇降口へと駆け抜けた。

が、リリーも執念深かった。
既に立ち上がり、3人への追跡を再開していた。

3人は全力で走り続けていた。
特に律などは、つい先ほどまで首を絞められていたのである。
酸素は欠乏し、体力の限界も近づいていた。

しかし背後のリリーは容赦なく近づいてくる。

3人が昇降口を出ようとしていたとき、リリーは再び彼女達に追いつこうとしていた。

先頭のさわ子が扉をくぐり、律がそれに続く。

最後に澪が校舎を出たとき、リリーは手を伸ばせば澪に触れられる距離まで来ていた。

澪の頬に外の冷たい風が吹き付ける。

それと同時に、見慣れた3つの人影が目に入った。

その姿を確認した後、さわ子が扉へと向き直る。

さわ子「おらぁ!」

澪が通り過ぎるや否や、さわ子はフロントキックを打ち込み、リリーを後ろへ大きくのけぞらせた。

さわ子「逃げるわよ!あなた達も!!」

さわ子は3つの人影…唯・紬・梓に向かって叫んだ。

その言葉を引き金にして、6人は正門へと走り、敷地外へと逃げ出した。


39: 2011/10/22(土) 01:39:38.88 ID:9yuxyDT00

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--------------

さわ子「みんな、止まって」

校外にでると、さわ子がそう呼びかけた。

梓「でもっ! あいつが…!」

さわ子「大丈夫よ。あいつはここまで追って来れない」

紬「そう…なんですか?でもどうして先生がそんなことを…」

さわ子「あいつとは昔ちょっと…色々あってね」

律「そ…そういえばさわちゃん、さっき『久しぶり』って…」

唯「えっ!?さわちゃん、前にもアレを見たことがあるの!?」

さわ子「ええ…。私がまだここの学生だった頃にも、リリーの噂が流行ったことがあってね」

さわ子「その時に、呼んじゃったのよ。りっちゃん…あなたの様に」

律「っ…」

さわ子「それにしても、こんな状況になってるなんて…あなた、リリーを呼んだ鏡の前で髪の毛の話をした?」

律「した…かもしれない。 …!?っていうか、さわちゃんアイツと昔…直接会ったんだよな?」

さわ子「ええ、そうよ」

律「それじゃあ、さわちゃんはアイツを上手く封印できたってことだよな!?どうやって!?」

さわ子「そうね…今流れてる噂は少し、事実とは食い違っているみたいだから、そのあたりと一緒に順を追って説明するわ」

40: 2011/10/22(土) 01:40:13.37 ID:9yuxyDT00

さわ子「まず、どうして私が学校にいたのか、ということから話した方がいいかしら…」

さわ子「春休み中だったかしら、部活をやっている生徒の間でリリーの噂が流れ始めたのは」

さわ子「その時から、私は生徒たちに注意を配っていたの。そもそも教師になったのが、私の後輩がリリーを呼んじゃった時に守ってあげたい…っていう動機からだったから」

さわ子「私が助かったのはたまたま…そういうのに詳しい男の子と出会えたからだしね。とにかく、そんな時にりっちゃん、あなたの様子がおかしくなったことに気が付いたの」

さわ子「すぐにリリーのせいだと分かったわ。当時の私とそっくりだったから。
    そして、保健室でのあなた達の会話を聞いて、確信を持ったの。りっちゃんの性格からして、今日ここに戻ってくることも」

梓「あのときの会話…聞いていたんですね」

さわ子「ごめんなさいね。立ち聞きなんてしたくなかったんだけれど…」

梓「とんでもないです! 現に先生のおかげで、律先輩は助かりましたし…」

さわ子「クスッ…ありがとう。」

さわ子「…そして私は校内であなた達が階段を駆け下りる音を聞いて…」

紬「私たちと出会ったんですね」

さわ子「ええ、そうよ」

唯「さわちゃんが、私たちに校舎の外に出るようにって言ってくれたんだよ」

さわ子「私は校外に出るように言ったつもりなんだけど…私も気が動転してたのかしらね」

さわ子「まぁそれはさておき…それから唯ちゃんたちに、りっちゃんと澪ちゃんが3階へ行ったということを聞いて、トイレまで辿り着けた訳」

律「そうだったのか…」

さわ子「何よその顔は~!せっかく人が助けてあげたってのに~!」ブー

律「いや…それはホントに感謝してるんだけどその…」

さわ子「クスッ…わかったわ。そろそろリリーについて教えないとね」

41: 2011/10/22(土) 01:40:46.28 ID:9yuxyDT00

さわ子「まず今の噂では言われてないんだけど…リリーは呼ばれただけでは今みたいに直接人を襲うことはないわ」

さわ子「せいぜい校内で自分を呼んだ人間に不幸を運ぶくらいね。階段から転落させたり。
    それに、その段階ではターゲットは一人まで。もし他の子がアイツを呼んだら、ターゲットはその子に移るわ」

梓「だから単なる噂話として広まっていったんですね。律先輩以外にも、噂を試した人は他にいたのに」

さわ子「その通りよ。いくら自分に不幸が起きたからって、それをリリーのせいだと言い切ることはできないから」

さわ子「でも、他の子がリリーを呼ぶ前に、アイツを呼んだ鏡の前であることをしちゃったら、さっきのように直接その人間を襲いに来るの。氏ぬまで永遠に…ね」

紬「鏡の前で髪の毛の話をすること…ですね」

さわ子「そうよ。厳密には、髪の毛を褒めるようなことを言うこと。
    そうすると、新たに自分を呼んだ人間をターゲットに加えることはあっても、その人間はターゲットから外れることが無くなるの」

さわ子「女のヒステリーってやつかしら。生前アイツは髪が自慢だったらしいから…」

さわ子「とは言っても、リリーは校舎から出ることはできないんだけど。アイツはここの地縛霊みたいなモノなのかもしれないわね」

梓「だからここまで逃げてきたんですね」

さわ子「次に、リリーの封印の方法についてね…
    これが真実と違っているのは痛かったわね」

さわ子「今の噂では、鏡でリリーに自分の顔を見させる事で間違いなかったかしら?」

唯「うん…私はそう聞いたよ」

梓「他の子達もそう言ってました」

さわ子「そう…」

42: 2011/10/22(土) 01:41:12.64 ID:9yuxyDT00

さわ子「本当はね、アイツに自分の姿全てを見せる必要があるの。
    つまり、体全部が見えるような大きな鏡で360度囲う必要があるってこと」

さわ子「そして、その状態でこう言う必要があるわ」

さわ子『リリー、去れ。リリー、去れ。リリー、去れ』

さわ子「ってね。
あなた達も、リリーの遺体が鏡に囲まれていたって話は聞いたでしょ? 要はその時と全く同じ状況を作って、呼び出したときと反対の、封印の呪文を唱えるって訳」

律「なるほど…」

さわ子「とはいっても、言うほど簡単なことじゃ無いわ。
    ちゃんと計画を立ててからじゃないと、こんなことできっこない」

律「だろうな…」

澪「………」

律と澪はそれがどれだけ難しいかということを嫌というほど実感していた。
片足は折れ、消火器で目がやられても尚、自身の肉を抉りながらお構いなしに迫ってくるあの姿を思い出すだけで、吐き気がこみあげてくる。

さわ子「それでも、手が無い訳じゃないわ。
    それには、みんなの協力も必要になるけど…やってくれる?」

唯「あったりまえだよ!」

紬「りっちゃんの為ならえんやこらです!」フンスッ!

唯「ぁあ~!ムギちゃんそれ私の~!!」

紬「えへ~」ポワン

梓「やってやるです!」

澪「………」

さわ子「澪ちゃんは…やめておいた方がいいかしら」

澪「…」

唯「澪ちゃん…」


43: 2011/10/22(土) 01:41:42.76 ID:9yuxyDT00

澪は葛藤していた。
元来怖がりの彼女である。見るも悍ましいこの世ならざる者と相対した時点で、普段の彼女なら卒倒していたであろう。
そうならずに、彼女が今なお自意識を保つことができているのは、幼馴染を思う強い心からであるだろうか。

澪(私は…あの亀と一緒だ)

澪は先ほど右手に触れた、ブロンズ像を思い出していた。

澪(のろまで憶病で…うさぎさんのような律に迷惑ばかりかけて、守られて…)

今の澪には、あの亀が、踊り場で待つうさぎの影に隠れ、守られている臆病者の自分であるように思えてならなかった。

澪(思えば今まで本当にずっと、律に頼って生きてきた…)

『4年1組 秋山澪さん、どうぞー!』

『澪~!!軽音部に入ろうぜ~!!』

『軽音部が誇るデンジャラス・クイーン! 秋山~!み~お~!!』

律と過ごした思い出が甦ってくる。
今まで律はずっと自分を守ってきてくれたのに、彼女が苦しんでいる現在、自分は何もすることができないのか…

できることなら助けてあげたい。
しかし、グズでのろまで…憶病な自分が行ったところで、足手まといにしかならないのではないか。

澪(そういえばあの亀…)

ふと、どこかで聞いたあの手すりにあるウサギとカメに関する逸話を思い出す。

澪(この学校の創設者も、昔はグズでのろまで虐められてて…)

澪(そんな時に、先生に『誰も見ていないところで努力をし、ゆっくりでもいから前に進め』って言われたんだっけ…)

私にも、なれるだろうか。

あの亀のように前に進んで、律を守れるようになるだろうか。

目を見開いて、前を向く。

澪「私もやります」

澪「やらせてください!」

その眼は、今まで見た彼女のどんな表情よりも、力強かった。


44: 2011/10/22(土) 01:44:42.07 ID:9yuxyDT00

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律「そろそろ…か」
月明かりに照らされた時計の長針を見ながら、律がそう呟く。

澪「ああ…」
小さく、しかし力強く澪は答えた。

律「さわちゃんの作戦だと、こっちから仕掛けるんだよな…?」

澪「……」

あの後、さわ子から聞かされた作戦を思い出す。

45: 2011/10/22(土) 01:45:09.30 ID:9yuxyDT00

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さわ子「それじゃあ…作戦を説明するわね」

さわ子「まず、4人のメンバーに鏡を用意してもらうわ。
    場所は講堂。鏡は全部で4枚必要だから…1人1枚。いえ、2人で4枚の計算なるわね」

さわ子「次に、りっちゃん。あなたにはその間、リリーを引き付けてもらうわ」

さわ子「もちろん1人でとは言わないし、残った1人にはサポートとして付いてもらうわ。」

さわ子「別にリリーを目の前で挑発する必要なんてないわ。
    ただ校舎内に入って、どこかに隠れてるだけでいい。
    それだけで、アイツはりっちゃんを探すことだけに集中するはずよ」

さわ子「それとりっちゃんの補佐に付く人なんだけれど…ごめんなさい、私は行けないわ。
    鏡の配置について監督しないといけないから…」

さわ子「一番危険な役割なのに、ごめんなさいね」

紬「仕方ありませんよ。鏡の配置を間違えたら、封印自体できないんですもの」

梓「後は人選が問題ですね」

唯「そっかぁ…りっちゃんのサポートに、誰がつくかだね」

澪「…私がつく」

律「!? …いいのか?」

紬「澪ちゃん、大丈夫?」

澪「私なら大丈夫。それに、さっき邪魔をしたせいで、私とさわ子先生もリリーに敵として認識されたみたいだったからな」

澪「私たち2人が揃って不審な動きをしていたら、アイツに狙われてしまうかもしれないだろ」

さわ子「…そうね。もしかしたら、りっちゃんより先に私たちを排除しようとするかも」

さわ子「でも…本当にいいの?」

澪「…大丈夫です」

さわ子「そう…」

さわ子「気を付けてね。何かあったら、すぐに私たちを呼んで」

澪「わかりました…」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

46: 2011/10/22(土) 01:45:46.98 ID:9yuxyDT00

澪「…行こう」

そう、律に優しく語りかけた。

教室の隅で隠れている間、律が小刻みに震えているのに澪は気づいていた。
自分の命が狙われているのだ、当然だろう。

澪も当然、恐怖に駆られていた。
正直に言うと、今にも逃げ出したいくらいである。
しかし、『変わろう』と決意したあの瞬間から、何故か落ち着いていられた。

律「…ああ」

澪の言葉に答え、立ち上がる。
震える手をギュッと握り締めて、澪と目を合わせた。

普段より力強い澪の瞳は、どこか頼りになる気がする。

携帯電話を取り出し、サイレントモードを解除する。

律「じゃあ…いくぞ」

周りにリリーがいないか細心の注意を払いつつ、扉を開いた。

ギィー…と扉の軋む音が、どんよりとした廊下の暗闇に消えていく。

気付かれたか、と危惧するが辺りにヤツの気配は無い。

耳を澄ますと、ガラン…ガラン…と金属が転がるような音が遠くで聞こえた。

リリーだろうか。
音から察するに、ゆっくりと階段を下りてきているようだった。

ヤツは2階に着いた頃だろうか。

律たちのいる1階まで、あと少し。

音が次第に大きくなっていく。

47: 2011/10/22(土) 01:46:36.76 ID:9yuxyDT00



ガラン…



ガラン…



ガラン…


ガラン…


ガラン…

ガラン…

ガラン…
ガラン…
ガラン…ガラン…ガラン…

『Pppppppppp…Ppppppp…』

携帯の着信音が鳴り響いた。
さわ子からの、準備が完了したという合図。

ガランガランガランガランガラン!!

リリーが走り出したようだ。
その音とほぼ同時に、律と澪の2人も行動に向かって走り出す。

講堂まで、一直線に走り続ける。

ガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガランガラングチャgチャグチャガラン

月明かりの差し込む渡り廊下に出る。

講堂まであと数メートル。



ゴキッ…



澪の視界の端で、律が崩れ落ちた。



48: 2011/10/22(土) 01:47:15.23 ID:9yuxyDT00


澪「律っ!!」

なんで…

どうして…

あと少しなのに…

振り返ったその先には、頭から血を流す幼馴染の姿。

その傍らには、中身の抜けた消火器を手に持ったリリーの姿があった。

リリーは律を一瞥した後、もう一度消火器を振りかぶった。

…ふざけるな。

もう二度と、律に手を出させるものか。

澪「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁあっーーー!!!」

リリーに向かって、決氏のタックルをぶちかます。

鼻をつく腐臭、体の内外問わず這いずり回る蛇、ムカデ、ゲジ、ヤスデ、クモ…

関係ない。
コイツもろとも吹き飛ばしてやる。

澪はリリーの放つ不快感を押し切り、そのまま後ろへ大きく吹き飛ばした。

澪「律!!大丈夫か!?」

律「ああ…」

急所は外れたのだろうか。意識ははっきりとしているようだった。

澪はそのまま律の手をとり、講堂へと走り抜けた。

49: 2011/10/22(土) 01:47:45.90 ID:9yuxyDT00


講堂の中は閑散としており、冷たい空気が張りつめていた。

澪は暗闇の中、目を凝らして目的のモノを探す。

…あった。
ステージ前に凹字に並んである3つの四角い物体。あれが目的のモノだろう。その傍らには、同じような四角い物体がもう一つ並んである。

澪はちょうど3つの四角形に囲まれるようにして立ち止まり、後ろに律を避難させる。

入口の方へと振り返ると、リリーがこちらと少し距離を置き、立ち止まっていた。

これで、全てを終わらせる。

講堂の空気と共に、神経が張りつめていく…

リリーの表情がニヤっと歪む。

そして勝利を確信したかのように、リリーはゆっくりと歩き出した。

律「澪…」

50: 2011/10/22(土) 01:48:14.01 ID:9yuxyDT00


リリーが近づいてくる。


澪(………)



人生の半分近くを共にした、律との思い出が脳裏をよぎる。



『澪ちゃんをいじめるなー』



澪(律…今まで守ってくれてありがとう)



リリーが目の前で立ち止まる。



『パイナップルのまねー』



澪(今度は私が…守るから)



『男っぽい言葉を使うと、自信満々に見えるよ!』



澪「どうしたリリー…びびってるのか?」




澪「かかって来いよ」



51: 2011/10/22(土) 01:48:41.50 ID:9yuxyDT00

リリーの腕が澪の首元へと伸びてくる。

刹那、まばゆい光が辺りを埋め尽くし、リリーは動きを止める。

紬「スイッチオン~♪」


作戦開始の合図。

先ほどまでの静寂が嘘のように、講堂の空気が動き出した。

さわ子「おぉらぁあああーー!!!」

唯・梓「せーのっ!!」

掛け声とともに、さわ子・唯・梓の3人が鏡を動かし、凹字に蓋をした。

リリーは手で影を作りながら辺りを見回し、そして気づいた。

前、右、左、後ろ…四方に見える自身の姿。

自分の周囲を囲んでいる物体の正体に気づいた瞬間には、もう遅かった。




律『リリー、去れ。リリー、去れ。リリー、去れ』




52: 2011/10/22(土) 01:51:30.03 ID:9yuxyDT00

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明るい日差しの差し込む軽音部部室。

春の陽気に彩られたそこには、昨晩の恐怖は微塵も感じられなかった。

和「もう少しで出番よ。スタンバイをお願い」

唯「ほーいっ!」

梓「みなさん、新歓ライブ頑張りましょうね!!」

紬「梓ちゃんの為にも、ね」

唯「あずにゃんの為ならえんやこら、だよ!」

いつもと変わらぬ部員の笑顔。

律「よ~し!それじゃ、行くか」

その中でも、とびっきりの笑顔で律は高らかに宣言した。

律「いくぞ~!!」

澪・唯・紬・梓「お~!!」

掛け声とともに、階段を駆け下りていく軽音部メンバー。

1階へとたどり着き、講堂へと駆け出していく。

最後尾の澪は、そんな仲間たちの姿を見ながら、手すりにあるブロンズ像をそっと撫でていた。

律「みーお! おいてくぞ~?」

そんな澪に、律は振り返り、向日葵のような笑顔で呼びかけた。

澪「今いく~!」

親友の元へ、綺麗な黒髪を揺らしながら駆け出していく澪。

その傍らには、ウサギとカメの像が寄り添うようにして鎮座していた。

~Fin~


54: 2011/10/22(土) 01:56:40.75 ID:9yuxyDT00

もしもし かめよ かめさんよ せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない どうして そんなに のろいのか

なんと おっしゃる うさぎさん そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山(こやま)の ふもとまで どちらが さきに かけつくか

どんなに かめが いそいでも どうせ ばんまで かかるだろう
ここらで ちょっと ひとねむり グーグーグーグー グーグーグー

これは ねすぎた しくじった
ピョンピョンピョンピョン ピョンピョンピョン

あんまり おそい うさぎさん さっきの じまんは どうしたの


童謡『ウサギとカメ』

これで終わりです。
読んでくれた人、いたらありがとう。ホラーは俺には難しすぎた…

55: 2011/10/22(土) 02:05:39.62
乙華麗

引用元: 澪「妖怪リリーちゃん」