1: 2011/05/31(火) 00:09:09.79

陽が落ちる。見滝原はまだ若い街だ。鈍くきらめくビルが,道路が,工場が,強烈な西日を散らして,
街は鮮やかな茜色に染まる。

金糸に血をかけたような色。あの人がいなくなるのは,いつもこんな日。

私は林立する高層マンションのひとつを選び,非常階段を登る。35階の踊り場で足を止め,向かいのマン
ションを見やる。数百並んだ茜色のドア,そのひとつがそっと開き,髪を二つ結びにした少女が現れる。
少女はうつむいたままドアを閉めると,逃げ出すようにして小走りで去って行った。

2: 2011/05/31(火) 00:10:58.14
ひとつ深く息を吐いて,私は移動をはじめる。向かう先は,さっきまであの少女がいたマンションの一室。
ここからは空中回廊でつながっているけど,私は一度階段を降り,向かいのマンションにエントランスホー
ルから入り直す。なんとなく,それが礼儀な気がしたから。あの人ならきっとそう言うから。

魔法でエントランスのセキュリティを突破する。まるで遊園地の入園ゲートをくぐる時のように,期待に胸
が高鳴ってしまう。その期待が叶えられることはもうないのに,胸の奥に染みついた条件反射がいつになっ
ても治らない。

目的の部屋にたどりつく。私はそっと表札の文字を撫でる。

巴マミ。

3: 2011/05/31(火) 00:12:16.73

ずっと秘密にしていること。はじめは,友江さんだと思っていた。学校は休んでばかりだったから,巴とい
う字を知らなかった。今でも,漢字は嫌い。私たちが口に出せるのは,ひらがなだけだから。私の心を掻き
むしるのは,巴マミっていう三つの文字じゃなくて,ともえまみっていう五つの音だから。

ドアを開け,玄関に入る。かすかに,人の温もりを感じる。あの子がさっきまでここにいたから?あの人が
数時間前までここにいたから?それとも。

私が,あの人の影を求めているから?

私はまた,ひとつ深く息を吐く。陽当たりのいいリビングが茜色に輝いているのが見える。目を背けるよう
にして,ゆっくり,ゆっくり,学生靴を脱ぐ。勝手知ったる自宅のように,私は左の戸棚を開け,新品の来
客用スリッパを取り出す。本を抱えた黒猫がプリントされているやつが「私の」だ。

4: 2011/05/31(火) 00:16:49.69

リビングに入り,少し目を細める。ガラスのテーブルには数冊の紅茶の本と一冊のキャンパスノートが置かれ,
その脇にはティーセットが散乱していた。お気に入りのフォションの茶葉,それを計量する小さな木匙。可憐
な花柄で統一されたポットとカップとソーサー。少しだけ自慢げだった,ヴェネチアン・グラスのティースプ
ーン。

飲みさしの冷めた紅茶は,今も部屋を華やかな香りで満たしている。後輩の危機の一報を受けて,文字通り全
てを放り投げて飛び出したのだろう。ティースプーンの柄の先についていた妖精のガラス細工は,テーブルの
上で粉々に砕けてしまっていた。

強すぎる正義感がいつでもあなたの弱点だった。でも,私たちは,そんなあなたに憧れた。あなたのそんなと
ころが大好きだった。

5: 2011/05/31(火) 00:17:46.60

ティーセットをまとめて,流しに持って行く。本を本棚に戻す。栞はそのままにしておいた。キッチンから
布巾を取り,ガラステーブルに点々とついた紅茶の飛沫を拭き取っていく。

ぽたり,ぽたりと新しい水滴がテーブルに落ちて,いつまで拭いても終わらない。自分が汚したものくらい
自分で洗う,そう言ってもあの人は絶対に洗い物を手伝わせてくれなかった。いつしか私の手は止まり,テ
ーブルは涙の水たまりだらけになってしまった。

「…マミさん……」

だめ。泣いてはだめ。心が折れたから涙が出るんじゃない。涙が,心を折ってしまう。

7: 2011/05/31(火) 00:18:30.32

必氏に口元を抑えて嗚咽をかみころし。乱暴に瞼をこすり,洟をすすり,頬を叩く。カチューシャを引きちぎ
るように抜き取り,滅茶苦茶に髪を掻きむしる。ああきっといま,私ひどい顔してる。

女の子がそんな顔しちゃダメよ,もっと可愛く笑いなさいな。

ああやめて。やめて。だめ。何度繰り返そうと,この日だけは耐えられない。どんなに心の準備をしてきて
も,私はぐしゃぐしゃになってしまう。言葉にならない大声をあげ,手当り次第にクッションを殴りつける。

まどかは特別。でも,本当は,あの人も同じくらい特別な,大切な,愛しい人。

8: 2011/05/31(火) 00:19:45.17

あの人は,私のループが始まる時点ですでに魔法少女になってしまっている。だから,どうしても,どう
やっても,救うことができない。何度も何度もあの人を救う道を探した。でもその度に,私の希望ははか
なく打ち砕かれてしまった。

私の目的はまどかを救うことだけ。そう言い聞かせて,ほかの全てに目を瞑って,なんとか自分を守って
きた。でも,でもね。本当は。




……言わない。言ってしまったら,私はもう戦えない。だから,その代わりに,私はこうしてこの部屋に
来る。そして,あの人を見捨てた罰を受けるの。

9: 2011/05/31(火) 00:21:18.94

先輩。ずっと学校に行けなかった私の,はじめての先輩。やさしくて,少しお姉さんで,面倒見がよくて,
時々お茶目で,頼りがいがあって。真っ白な病室で夢見ていた,少女漫画に出てくるような理想の先輩。
人を頼るのがすごく下手だった私が,はじめて心から信頼することのできた人。

何だってあの人が教えてくれた。魔法の効率のいい使い方,魔女空間を通り抜けるコツ,銃の狙いの定
め方。見滝原のお洒落なカフェ,おいしいケーキ屋さん。ニキビ予防にいい化粧水,学校につけて行っ
ても怒られないアクセサリーの限度,男の子への仕事の押し付け方。いつだって正しかった。

あの金髪が視界の隅でふわふわと揺れているだけで,魔女なんてちっとも怖くなかったの。どんな牙も,
爪も,刃も,触手も,あの銀の銃弾が全て撃ち落としてくれたから。ちょっと派手なポーズも,必殺技
も,あの人がやると本当に様になっていて,私はいつだって自分が脇役だと思い知った。

10: 2011/05/31(火) 00:22:12.53

リビングの茜色は少しずつ褪せていく。いつしか涙も涸れてしまった。もう一度テーブルを拭いて,布巾を
キッチンに返す。バルコニーへと続くガラス戸に,私の姿が映り込む。予想通りとても不細工な顔。そして
どこか,はじめてあの人と会ったときの私に戻ったみたい。

マミさん。マミさん。マミさん。ごめんなさい。

私があなたを守る番なのに。でも,あなたはきっとこう言うの。

「先輩が後輩を守るのよ。逆じゃないわ」

11: 2011/05/31(火) 00:22:55.27

紅茶の香りを胸一杯に吸い込んで,もう一度大声をあげる。さあ,おしまい。戻れなくなる前に。カーテン
を閉め,茜色の光線をかき消す。

大丈夫。私はまだ,戦える。

外に出て,そっと慈しむようにドアを閉める。魔法で鍵をかける。

せめて思い出だけは,もう誰にも傷つけられないように。


(終)

12: 2011/05/31(火) 00:23:29.95
本当に短くてごめんなさい。ほむマミがもっと流行るといいな。

14: 2011/05/31(火) 01:24:16.47
乙ー
マミほむいいよね

引用元: ほむら「ごめんなさい,マミさん」