1: 2011/03/20(日) 22:11:22.13
意識が浅く浮かび上がって、うっすらと瞼を開く。
ベッドサイドの出窓から射し込んだ日が枕元に落ちてまぶしい。

「ん……」

掛け布団から左手だけ引っ張りだして、てのひらを額の上に乗せる。
もうひとつの枕の主は、既に抜け出したあとだ。

「……いま何時、」

サイドテーブルの携帯に手を伸ばして液晶パネルを確認する。
デジタルの数字が11:25と表示されているのを見て、溜息がこぼれた。

少し重い頭を振って寝室を出ると、
ローテーブルの上にはラップの掛かったおにぎりと小さなメモ書き。

  たまった洗濯物とゴミをやっつけに一旦部屋に帰ります。
  昼過ぎにまたくるよ。

走り書きされた乱れ気味の文字に少し笑って、
ありがと、と今ここには居ない相手に礼を言った。

5: 2011/03/20(日) 22:14:51.49




…………

「なんだ、まだ食べてなかったのか?」

濡れた髪をタオルで拭いながらダイニングに戻ると、
小振りなメッセンジャーバッグをたすき掛けにしたままの律が
こちらを振り返った。

「あ、うん。ごめん、さっき起きたばかりだから」

そう応えた私に、夜更かしはお肌の大敵ですわよと笑って
バッグをソファーに放り投げ、腕まくりしながらキッチンに向かう。

「締切まで余裕あるんだろ?あんまり根を詰めてたら書けるものも書けないぞ」

「うん、わかってはいるんだけどさ」

「お茶いれとくから、先に髪乾かしておいで」

キッチンカウンターの向こうでケトルをゆらしてみせた律に、
ありがと、と微笑みを返す。

8: 2011/03/20(日) 22:18:08.26
髪を整え着替えを終えて再びダイニングに戻ると、
律が作り置きしてくれていたおにぎりの他に、おかずがいくつか増えていた。

「あったかいうちに食べようぜー」

急須と湯呑みを持ってキッチンから出てきた律に頷いて、
向かい合わせでローテーブルに座り、いただきます、と手を合わせる。

「あ、そうだ」

ブランチになったおにぎりを頬張る私の向かい側で、
律が思い出したようにメッセンジャーバッグに手を突っ込んだ。

「ほい、こないだの写真」

「あ、プリントしてきてくれたんだ」

ローテーブルの空いた場所に小さな山を作ったサービスサイズのプリントを、
ふたりで一緒に覗き込む。

10: 2011/03/20(日) 22:21:20.56
「……みんないい顔してる」

「うん」

「あー、梓、泣きすぎてメイク落ちちゃってるよ」

「澪も人のこと言えないから。ほれ、これなんか」

律は笑いながら、手元の写真を1枚、私のほうに寄せた。

「うわ、ほんとだ酷い顔」

「でも、幸せな顔、だろ?」

「ふふっ、そうだな」

ふと、目に留まった一枚を拾い上げてみる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で肩を組んで、カメラにピースサインを向けた律と私。

12: 2011/03/20(日) 22:24:45.75
「……夢じゃ、ないんだな」

「当たり前だろ。……あっ、夢と言えばさ、」

「ん?」

顔を上げて、視線を合わせる。

「今朝寝ながら笑ってたけど、なんかいい夢見てたのか?」

「えっ?……ああ、そういえば」

夜明け前、熟睡している律を起こさないように潜り込んだ布団の中、
浅い眠りで見た夢を断片的に思い出す。

「高校の時の夢、見てた。みんな部室にいて」

「へえ」

「さわ子先生もいたよ」

14: 2011/03/20(日) 22:27:52.74
「トンちゃんは?」

少し笑って訊いた律に、どうだったかな、多分いたんじゃないかなと返す。

「夢の中で、何かやってた?」

「いつものティータイムだった気がするよ。ムギの紅茶とお菓子が美味しくて」

夢の中じゃ味なんてわかんないだろ、と律がまた笑う。

「いっぱい喋って、いっぱい笑ってた」

「ああ……。毎日そんなだったな」

「うん」

拾い上げて手に持ったままだった写真に視線を戻す。
ほんの数日前に撮ったその写真に、じんわりと涙腺が緩むのを自覚する。

17: 2011/03/20(日) 22:31:03.37
「さわちゃんと撮ったのもあるぞ。ほら、これこれ」

律はそう言って、写真の山から引き抜いた一枚を私の前に置いた。

まるで高校生の頃に戻ったような、子供みたいな顔で先生に抱きつく私たちと、
大きく両手を広げて私たちの肩を抱いているさわ子先生の温かな笑顔。

「さわ子先生、すごく喜んでくれてたね」

「……さわちゃんに、恩返しできたよな?私ら」

律の言葉に頷いたら、鼻の奥がツンと痛んだ。
緩んだ涙腺が熱を持って、視界が潤む。

「あれ?みおちゃーん、また泣いてるんでちゅかー?」

茶化すように覗き込んだ律を、うるさい誰のせいだ、と軽く睨む。
それからひとつ息を吐いて、持っていた写真をテーブルに戻した。

19: 2011/03/20(日) 22:34:39.79
「……夢じゃないんだな、ほんとに」

「それ2回目だぞ?」

「うん、でもなんかまだ、夢みたいで」

「演ったんだよ私ら。武道館でライブ」

夢じゃないぞー、と、律は目一杯伸ばした右手で私の頭をぐしぐしと撫でながら
みんなの分もプリントしたから渡さないとな、と、やさしい笑顔を見せた。

20: 2011/03/20(日) 22:37:54.37




…………

食器を洗う私の隣で、律がドリップの準備をする。

今朝見た夢のせいなのか、
ふと、この風景にリンクした記憶が脳裏に浮かび上がってきた。

「ん、なーに笑ってんだ?澪」

クスクスと笑う私に気付いた律が、
火にかけた細口ケトルから私に視線を移す。

21: 2011/03/20(日) 22:41:23.74
「や、ちょっと思い出しちゃって」

「何を?」

「律が、告白してくれた時のこと」

私がそう言うと、律は口を結んで少し眉を上げた。

今よりもっと狭い、ふたり並べばいっぱいになってしまう小さなキッチンで、
あの時もこうやって食器を洗い、律はコーヒーを淹れていた。

私が落とした箸を拾おうとふたり同時にかがんで、
お互いの額を酷くぶつけたっけ。

「あの時は、ほんと、痛かった」

私が思い出したことが伝わったかのように、律が苦笑いしながら呟く。

22: 2011/03/20(日) 22:45:17.85
「あの時、いきなり律が、キ」

「皆まで言うなっ!」

大きな声を出して両方のてのひらを私に向け、律が拒絶のポーズを取る。
その姿にちょっとした悪戯心がわいて、私はかまわず言葉を続けた。

「キスしない?なんて言うから、びっくりしたよ」

「だーっ!言うなってば!」

私に向けていた手で顔を覆って盛大に照れる律に、こらえきれず噴き出してしまう。

「だから痛かったって言ってるじゃんか……」

耳と頬を染めて拗ねる律にごめんごめんと謝ったけれど、
声が笑ってんだよ、と、律はますます唇を尖らせた。

23: 2011/03/20(日) 22:49:03.32
「私あの時、てっきり梓への返事のことを言うのかと思っててさ」

「……」


私たちが大学1年生になった年の秋。

音楽の道を志すため専門学校への進学を決めた梓が、
放課後ティータイムでメジャーデビューしたいという想いを私たちに告げた。
返事は待ちます、考えてみてください、と真剣な顔で言った梓を思い出す。

即日返事をした唯とムギとは違って、律と私はなかなか返事を出来ずにいた。

もっとも、私の答えは既に決まっていたのだけれど。

24: 2011/03/20(日) 22:52:26.21
私の気持ちを知ったら、律はきっとそれに合わせてくれようとする。
幼馴染として接してきた年月で、そのことはよく分かっていた。

だから本当に大切なことは、
律が自分で答えを出すまで何も言わずにおこうと決めていた。

バンドのことも、……私たちの気持ちのことも。


「……だから、あの不意打ちはホントびっくりした」

「……」

律はまだ耳を赤くして黙ってまま、ケトルを炙っていた火を止めた。
ふたつのマグカップに沸騰した湯を注ぎ、
湯を少し冷ますためケトルを一旦ガス台に戻す。

25: 2011/03/20(日) 22:55:57.41
「律?」

「……」

「律ってば。返事してよ」

「るさいっ。言うなって言ったのに」

どうやら本当に拗ねてしまったようだ。
しかし拗ねながらもきちんとコーヒーを淹れる準備を進める姿に
ああ可愛いなあ、なんて思ってしまう。

私はにやけそうになる口元を引き締め、手にしていた布巾をシンクの上に置いた。

27: 2011/03/20(日) 22:59:49.52
一歩半ほど近づいて彼女の肩に左手を乗せ、少し力を入れて引く。
上半身をこちらに向けさせても顔は背けたままの強情さに少し笑って、
りつ、とその名を呼ぶ。

ほんの少しこちらを向いた彼女の唇に、軽く触れるだけのキスをする。
柔らかい感触が離れたところで、ゴメン、と謝った。

律は少し眉を寄せて私を睨んでから、ふ、と表情をやわらげた。

「あの時のこと言うのほんとにやめろって。恥ずかしいから」

「もう言いません」

「ニーヤーニーヤーすーんーなー」

「いひゃい、いひゃい」

律の指が私の両頬をつまんで、強く横に引っ張る。
ごへんひゃひゃい、と間の抜けた発音で謝ると律は一瞬笑いをこらえ、
けれど結局我慢しきれずに声を上げて笑った。

28: 2011/03/20(日) 23:03:13.28




「……なあ、明日どうする?」

武道館ライブの打ち上げ写真をめくる手を止めて、顔を上げる。
明日は一日オフで、早急に片付けなければいけない用事もない。

「頼まれた歌詞、まだ出来てないしなぁ……」

「だから、根詰めるなって」

「そうだけど」

最近は自分達の歌だけでなく、
時折他のミュージシャンが唄うための歌詞を依頼されるようになった。
とても嬉しいことなのだけれど、そのぶんプレッシャーも大きい。

30: 2011/03/20(日) 23:06:35.06
「あっ、そだ」

「なに?」

「桜高行かない?さわちゃんと和に渡す写真持って」

「え、」

「夢の話聞いたら、なんか行きたくなっちゃって。澪の気分転換にもなるし」

どう?と、律がキラキラした眼で私を見る。
その表情を見せられたら、もう断りようがない。

「じゃあ、明日何時に出る?」

「んー、実家にも顔出したいし、今日行っちゃうか」

なっ?と笑った律に、私はそうだな、と口角を上げて頷いた。

32: 2011/03/20(日) 23:09:59.35




…………

地元にいちばん近いインターチェンジを降りて、幹線道路に繋がる交差点を左折する。
ラジオから流れるJ-POPに、運転席でハンドルをさばく律の鼻歌が乗る。

「律、流行りの歌けっこう知ってるよな」

感心してそう言うと、まあこれもお付き合いの一環?と前を向いたまま律が応えた。
ラジオは20時の時報を鳴らし、車窓には街灯とテールランプの光が流れる。

「お、」

前置きなく流れ始めたキーボードの旋律に、ふたりの声が重なった。
間もなくして、唯のヴォーカルが車内にふわりと広がる。

34: 2011/03/20(日) 23:13:16.96
「もう解禁になったんだな、新曲」

「そういや、憂ちゃんがそんなこと言ってたっけ」

指でトントンとハンドルを弾きながら、律が応える。
思いがけないタイミングで自分達の曲を聴くのは、なんだかくすぐったい。
ノッてきた鼻歌にコーラスを重ねてやると、律はちらりと私を見て照れ笑いした。

いくつかの交差点を越えるうちに窓の外には見慣れた風景が広がり、
ほどなくして私たちの母校が見えた。

桜高の敷地内は既に最低限の灯り以外が落とされ、
夜に溶け込むようにたたずむ校舎がぼんやりと見える。

35: 2011/03/20(日) 23:16:52.13
「明日、何時にする?」

「できれば授業中のほうがいいよな」

混乱を避けるために……と口には出さなかったけれど、
頷いた律を見るに、同じことを思ったようだ。

「じゃ、午後の授業が始まった頃にしようか」

「そうだな」

「いきなり行って、さわちゃんびっくりさせてやろうぜ」

語尾に音符を飛ばすような口調で、律がニヤリと笑う。

「事前連絡なしじゃ入れないんじゃない?いくらOGでも」

「うーん、そだな。じゃあ和に連絡しとく?」

「電話してみる」

38: 2011/03/20(日) 23:20:20.20
ジーンズの後ろポケットに入れた携帯を抜き出して、
アドレスをスクロールして和の名前を表示する。
発信ボタンを押して耳に当てる。5つ数えたところでコール音が途切れた。

『もしもし、澪?』

「こんばんは、和。この間はありがとう。今大丈夫?」

『こちらこそ。大丈夫よ』

「いま律と地元に戻ってきてて、明日桜高に行こうと思うんだけど」

39: 2011/03/20(日) 23:23:28.79
『そうなの?何時頃?』

「えっと、一応午後の授業が始まった頃で考えてる。長居はしないよ」

『そう、分かった。5限目だと私は授業に出てるけど、守衛さんに伝えておくわね』

さすが和、話が早い。
ありがとうと伝えて、二言三言他愛もない話をして、それじゃ明日と通話を終えた。

「マナベセンセー、なんだって?」

「守衛さんに伝えておいてくれるって」

「そっか」

40: 2011/03/20(日) 23:26:56.52
3年間通った通学路は、車に乗ればほんとうにあっという間の距離だ。
律はハザードを焚いて、私の実家の玄関前に車を停めた。
助手席から降りて後部座席に置いたバッグを引っ張り出し、ドアを閉める。

助手席側のウインドウを下げて、律が少し体を乗り出して私を見上げた。

「じゃ、明日13時前に迎えにくるよ。今日は早く寝ろよ?」

「わかった。気をつけて」

おやすみと挨拶を交わして、見えなくなるまで律の車を見送る。
ほう、と一息吐いて振り返ると、玄関のドアから顔を出したママが
お帰り澪ちゃん、と満面の笑みで私を出迎えてくれた。

41: 2011/03/20(日) 23:30:10.22




…………

「あなたたち、来るなら来るで連絡くらいしなさいよ」

職員室の懐かしい匂い。
呆れた口調とは裏腹に、さわ子先生は嬉しそうな様子を隠しきれていない。

「だって、さわちゃんをびっくりさせたかったんだもーん」

頭の後ろで手を組んで、律がいたずらっ子のように笑った。
相変わらずねりっちゃんは、と溜息を吐きながら先生もつられて笑う。

43: 2011/03/20(日) 23:33:59.28
「はいこれ。お土産と、打ち上げの時の写真」

「え、これをくれるためにわざわざ?」

「久し振りに母校を覗いてみたくなっちゃってさ~」

「……ここで立ち話もなんだから、部室行く?」

お茶とお菓子は出せないけどね、あ、お土産開けちゃおうか?と、
さわ子先生は以前と変わらない笑顔を私たちに向けた。

44: 2011/03/20(日) 23:37:03.51




「おお、なんかまた雰囲気変わってるな」

久し振りに入る音楽準備室。前に来たのは、一昨年の学園祭の時だったか。
机や椅子の配置、置かれた機材は、私たちがいた頃とはもう随分違う。

「そりゃあね。HTTのお陰で、今年も軽音部は大盛況よ」

生徒用の机を集めたスペースに腰掛けて、さわ子先生が律に応える。

「おっ、トンちゃんも健在かぁ」

キョロキョロと部室内を眺めていた律が、
部屋の隅に置かれた水槽に向かって駆け出す。
なんかまた大きくなってね?ご長寿の割に元気だな、と
水槽をコツコツ指で弾きながらトンちゃんに話しかけている。

45: 2011/03/20(日) 23:40:49.92
「写メ撮ってみんなに送ってやろっと」

「ほんとに、変わらないわねえりっちゃんは」

武道館でライブやったばかりの人には見えないわ、と
さわ子先生はお土産のマドレーヌを頬張りながら、私を見て小さく笑う。

カシャ、と律の手元から電子音が聞こえた。
本当にトンちゃんの写真を送るつもりらしい。

「さわちゃんどうだった?私らのライブ。まあ打ち上げの時も聞いたけどさ」

律は携帯をいじりながらようやく椅子に座り、マドレーヌに手を伸ばす。

「もちろん楽しかったわよ。……でもそれより、」

さわ子先生が一旦言葉を切る。

「ほんとに何なのよあのMC。うっかり泣いちゃったじゃないの」

ぶっきらぼうにそう言ってから、先生は困ったような笑顔を見せた。

46: 2011/03/20(日) 23:43:59.70




ライブの中盤、少し長めに時間をとったMC。
最初は唯と気の抜けた掛け合いをしていた律が、ひとつ咳払いをしてから、
急に真面目な顔をして”私たち”のことを話し始めた。

それはリハーサルの段階では予定になかったことで、
淡々とした口調で話す律を、唯と梓とムギ、そして私は黙って見つめていた。

廃部寸前だった軽音部で4人が出会ったこと。
1年後、梓が入部してきたときのこと。
目標は武道館!なんて言って皆で笑っていたこと。
本気でメジャーデビューを目指し始めた頃のこと。

それから、放課後ティータイムという名前をつけてくれた恩師のこと。

ひととおり話し終えた律は少し照れ笑いを浮かべて立ち上がると、
先生ありがとう、と客席に向かって深くお辞儀をした。

48: 2011/03/20(日) 23:47:09.13




「にしし、サプライズ成功!ってことで」

「最近ただでさえ涙もろいんだから、ああいう不意打ちはよして頂戴」

携帯を握ったままの右手でピースサインを作って見せた律に、
さわ子先生と私の溜息が重なる。

「私たちにまで隠すことなかったじゃないか」

「そのほうが感動すると思って。ちゃんと舞台監督さんには許可もらったぞ?」

「そういう問題じゃない!」

49: 2011/03/20(日) 23:50:15.38
そのサプライズのお陰で律を除くメンバー全員が泣いてしまい、
MC明けの歌がグダグダになったことは頭の中から消去されているらしい。

律がパチンと携帯を閉じるのとほぼ同時に、私の携帯が着信を告げた。

「なに、私にも送ったの?トンちゃんの写メ」

「あーうん、面倒だったからいつもの一斉メールにした」

大きく溜息を落としたら、5時限目終了を告げるチャイムが響いた。

50: 2011/03/20(日) 23:53:47.45




…………

6限目開始のチャイムが鳴るより少し早く、
軽音部の現顧問が部室に顔を出した。

真鍋先生おつとめご苦労様でした!と直立不動で出迎えた律に、
どこの極道よ、と和が笑う。

「和、おつかれさま。今日はありがとうな」

「どういたしまして。あら、お茶いれてないの?ちょっと待ってて」

「さすがに部外者が勝手にお茶いれるのはどうかと思ってね~」

てきぱきと動く和を目で追いながら、
頬杖をついたさわ子先生がのんびりと応える。

51: 2011/03/20(日) 23:57:18.80
「山中先生が部外者だなんて、部員は誰も思ってませんよ」

和は水を張ったポットに電源を入れ、ティーバッグを取り出しながら
毎日ティータイムに顔出してる人が何言ってるんですか、と
呆れ顔をさわ子先生に向ける。

「いやーでも、和が顧問なら軽音部は安泰だなー」

「ちょっと、それどういう意味よ」

「えっ、別にさわちゃんがどうとか言ってないよ?」

「言ってるようなもんじゃない!だいたいりっちゃんは……」

さわ子先生が律を指差して少し腰を浮かせたところで、
机の上に置かれた律の携帯がぶるぶると着信を知らせた。
同時にジーンズの後ろポケットに入れた私の携帯も振動する。

54: 2011/03/21(月) 00:00:51.94
「おっ、唯からだ」

唯、という名前に反応して手を止めた和が目の端に見えて、ちょっと笑う。

  りっちゃんなんで部室行ってるの?!!
  ずるいよ私だって和ちゃんに逢いたいのに!声掛けてよぉ!!
  澪ちゃんもいっしょ?

「……まあ、こういう反応になるよな」

苦笑いして視線を向けると、ですよねー、と律が眉を下げた。

55: 2011/03/21(月) 00:04:13.85
「あっ、そうだ。せっかくだから4人で写メ撮って送んない?」

「トドメさしてどうする」

「ほら、和もこっち来いよ」

「律、ちょっとはしゃぎ過ぎだぞ?」

「いいからいいから」

律は椅子に座ったさわ子先生の右後ろに立ち、右手を目一杯のばして携帯を構えた。
私はさわ子先生の左肩に顎を乗せる格好で腰を曲げる。
私と律の肩に手を添えた和が、3人の上から携帯のレンズを覗き込む。

「みんなもっと寄って。んじゃ撮るぞー。せーのっ」

カシャッ、と、軽快な電子音が部室に響いた。

57: 2011/03/21(月) 00:08:56.97





唯からの電話で次のデートの約束をさせられながら
打ち上げ写真を手元で揺らしている和を横目に、暖かい紅茶を啜る。

律は相変わらず携帯をいじって、
梓とムギ、憂ちゃんからのメールに返信している。

ふあ、と、さわ子先生がひとつ欠伸をこぼした。

「いい天気ねえ。このまま寝ちゃいそう」

「そうですね」

目尻の涙を拭うさわ子先生に相槌を打つ。
ぱちんと携帯を閉じた律が、あそうだ、と声を上げた。

59: 2011/03/21(月) 00:12:14.68
「さわちゃん、授業終わるまであとどんくらい?」

律にそう訊かれ、さわ子先生は腕時計に視線を落とす。

「あと30分くらいね」

「じゃあそろそろ、おいとましないと」

「相変わらず慌ただしいのねえ」

「次は全員で来ますから、一緒に飲みに行きましょう?先生」

そう言った私に顔を向けて、
さわ子先生は、楽しみにしてるわと穏やかに笑った。

61: 2011/03/21(月) 00:15:51.84




…………

遠回りして帰ろうか。
律はそう言って、私が頷くのを待たずに
湾岸方面を示す矢印に沿ってウインカーを出した。

私は小さく息を吐いて、カーオーディオに繋いだiPodから
最近買ったジャズバンドのアルバムを選ぶ。

63: 2011/03/21(月) 00:19:59.71
「HTT参上って、今時小学生でも書かないだろ」

手元の携帯に表示しているのは、
軽音部部室のホワイトボードに大きく書かれた律の落書きを撮った画像。
それからふたりのサインと、ライブに来てくれた部員へのお礼のメッセージ。

「書き逃げといえばやっぱり参上だろ?」

ジャズのリズムに指を弾かせながら、律がにししと笑う。

64: 2011/03/21(月) 00:23:36.71
「で、澪ちゃんは気分転換できましたか?」

ついでのようにそう訊かれ、携帯から顔を上げて律の横顔を見る。

「うん。アイデアも浮かびそう」

「そか、よかった」

律は前を向いたまま微笑んだ。
近いうちにみんなで帰る算段しないとな。そう言葉を続けた律に頷く。

65: 2011/03/21(月) 00:26:36.29
手に持ったままの携帯が振動して、着信を知らせた。
平沢憂、とディスプレイに表示されている。

「憂ちゃんから」

「なんて?」

「明日、15時に一旦事務所に集合だって」

「一緒に行く?」

「そうしよっか」

なんか一気に現実に戻ったな、と、独り言のように律が呟いた。

66: 2011/03/21(月) 00:29:47.38




窓の外を、一定のリズムで首都高の灯りが流れて行く。
追い越して行く大型トラックの風圧で、車体が軽く揺れる。
律は左車線をキープしたまま、ハンドルをコツコツと弾いている。

「……なあ澪」

「んー?」

「私、変わったかな」

「え?」

質問の意図を掴みあぐねて、律の横顔に視線を戻す。

68: 2011/03/21(月) 00:33:05.37
首都高の灯りやテールランプに照らされるその表情はただ淡々としていて、
特別な感情を抱いているようには見えない。

「高校の頃から、私ら、どのくらい変わったのかな」

「……」

年齢を重ねて、経験を重ねて、
律も私もそれなりに変化しているのは当然のことで。

無邪気に音楽を楽しんでいたあの頃には想像出来なかった
色々なものを背負って、綺麗にメイクをして、ステージに立つ。

でもそれは、果たして変わったってことだろうか?

69: 2011/03/21(月) 00:36:29.36
スッピンのまま前髪をパイナップルみたいに結んで、
私の名を呼んで無邪気に笑う。そんな律の姿を思い浮かべる。

愛おしいその姿に、つい笑みがこぼれる。

いい加減で、そのくせ気遣い屋で、意外とナイーブで。

「……成長はしたけど、別に変わってはいないんじゃない?」

ぽろりと自然に言葉が出た。
律は目線だけ一瞬こちらに向けて、成長、と反芻する。

72: 2011/03/21(月) 00:39:57.16
「さわ子先生も言ってたじゃない。りっちゃんは変わらないねって」

「うーん」

「納得いかない?」

「そういうわけじゃないけど」

律は少し口を尖らせると、首を軽く捻った。コキン、と小さく音が鳴る。

「律、」

「んー?」

「今の律の感情をなんて言うか、教えてあげようか?」

「なに?」

73: 2011/03/21(月) 00:43:16.59


「センチメンタル」

しばしの沈黙。
律はゆっくりと息を吐いて、痒い、と低く呟いた。
苦虫を噛み潰したようなその横顔に、少し笑う。

「もし変わってたとしてもさ、」

「……」

「今が幸せだと思えるなら、その変化は悪いもんじゃないよ、きっと」

「……」

律は黙ったまま、ハンドルを握り直す。

74: 2011/03/21(月) 00:46:38.41
「ねえ律、」

「……なに」

「今日は、気分転換できた?」

つい先程訊かれた質問を、そっくりそのまま返してやった。
律はわずかに目を見開いて、ちらりと視線だけ動かして私を見る。

75: 2011/03/21(月) 00:49:51.67

少しの沈黙のあと、律は参りましたと言わんばかりに眉を下げて、
いい休暇だったよ、と、昔と何も変わらないやわらかな笑みを浮かべた。





おしまい

78: 2011/03/21(月) 00:53:12.81
読んで下さった方&支援ありがとうございました。

気付いて下さった方もいますが、律「行こう!!!!!」等と同じ世界観の話です。

一応オムニバス形式で、単体でも読んで戴けるように書いているつもりですが
至らない部分はどうかご容赦下さい。精進します。

79: 2011/03/21(月) 00:54:34.53
和「桜の護り人」
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1298051416/
            ↓
律「行こう!!!!!」
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1299071536/
            ↓
澪「センチメンタル」
http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1300626682/

82: 2011/03/21(月) 00:57:46.36
>>79 わざわざありがとう。
いちばん上に、もうひとつ入ります。

唯「せんせい!」
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1297692807/

81: 2011/03/21(月) 00:56:29.98
おつおつ!いつもキャラが自然ですごく読みやすいよ。
今回も楽しめた。また期待してるよ

85: 2011/03/21(月) 01:16:18.02
他のssも読んで下さった方、ありがとうありがとう。
またどこかでノシ


>>77のパイナポーいま気付いた

引用元: 澪「センチメンタル」