1: 2012/09/18(火) 00:07:26.18 ID:gKlX2DC/0
8月が終わり、空に浮かぶ雲も入道雲からいわし雲へと姿を変えていた。

蜩の鳴き声が時折聞こえる夕暮れ時。

CDの収録を終えた千早は事務所で帰宅の準備を進めていた。

2: 2012/09/18(火) 00:08:31.40 ID:gKlX2DC/0
背後でドアが開く音がする。

春香「ふぅ あっついー・・・」

珍しく髪を後ろで纏めた春香が、うちわで胸元をぱたぱたと仰ぎながら事務所へと入ってきた。

千早「あら お疲れさま。今帰り?」

春香「うん。千早ちゃんも?」

千早「ええ。」

3: 2012/09/18(火) 00:12:08.02 ID:gKlX2DC/0
手近にあったトートバッグに2、3荷物を放り込んだ春香はにっこりと笑いながら千早の隣に並ぶ。

春香「一緒に帰ろ?」

千早「ええ。」

二人並んで事務所の扉をくぐる。

「先にあがりまーす。お疲れさまでしたー。」

5: 2012/09/18(火) 00:16:28.52 ID:gKlX2DC/0
小鳥「はーい。」

P「気をつけて帰れよー。」

中から音無さんとプロデューサーの声が帰ってくる。

エアコンの効いた室内から一歩でると、もう9月だというのに暑さが押し寄せてくる。

6: 2012/09/18(火) 00:21:12.37 ID:gKlX2DC/0
千早「あついわね・・・ そういえば春香、どうして今日は髪をあげてるの?」

春香「ちょっと役作りというか、今度出演するドラマの役がこんな髪型でさ。」

千早「へぇ よく似合ってるわ。」

十代半ば、等身大のたわいもない会話に興じながら道を二人歩く。

8: 2012/09/18(火) 00:26:50.56 ID:gKlX2DC/0
春香「あ、そういえばさ」

交差点で止まった所で春香が思い出したように話を切り出した。

トートバックの中を探り、中から一枚のチラシを取り出す。

春香「見てみて!今年最後の花火大会やるんだって。ここからかなり近いよ!」

千早もチラシをのぞき込む。

9: 2012/09/18(火) 00:31:16.51 ID:gKlX2DC/0
殆どの夏祭りが終わってしまったこの時期に、夏の見納めにと企画されたらしい祭り。

夜空に花咲く尺玉をバックに立ち並ぶ露店を描いたそのチラシに、年頃の少女である千早は等身大の関心を持った。

千早「あら。そういえば今年の夏はみんなで何処かに行ったりできなかったわね。」

あのライブ以降一躍有名になった765プロのアイドル達は、ここぞとばかりにプロデューサーが仕事を大量にとってきたためもあり、この夏は殆ど仕事に悩殺されていたのである。

10: 2012/09/18(火) 00:36:49.54 ID:gKlX2DC/0
春香「でしょでしょー!だから、みんなで行こうよ。」

千早「ええ。いいわね。明日さっそく誘いましょう。」

待ちきれないと言わんばかりにはしゃぐ春香と、冷静に自分のスケジュールを確認する千早。

千早「この日は特になにもないわね。春香も大丈夫なの?」

12: 2012/09/18(火) 00:41:16.25 ID:gKlX2DC/0
春香「うん。昼にレッスンがあるだけだよ。」

千早「ならよかったわ。」

あれこれ花火大会についてはなすうちに、いつものT字路にたどり着く。

春香「じゃぁ千早ちゃん。また明日ねー。」

13: 2012/09/18(火) 00:46:25.36 ID:gKlX2DC/0
千早「ええ、また明日。」

心なしかいつもより軽い足取りで千早は家へと向かった。

太陽は既に姿を消し、見上げた空は少しばかり雲で霞んだ星々に彩られていた。

14: 2012/09/18(火) 00:51:02.53 ID:gKlX2DC/0
~翌日~


千早「おはようございます。」

朝9時、いつもより随分と早い時間に千早は事務所に到着した。

春香「えーー?!うそぉ。」

扉をくぐるや否や、春香の悲鳴じみた声が耳に入る。

15: 2012/09/18(火) 00:56:11.17 ID:gKlX2DC/0
千早「どうしたの?春香」

荷物をソファにおろした千早は奥のデスクへと駆け寄ってそう問う。

春香「花火大会の日みんな夕方まで仕事があって、誰も来られないって・・・」

千早「えっ 残念ね・・・ 折角の機会だったのに。」

16: 2012/09/18(火) 01:00:58.67 ID:gKlX2DC/0
亜美「亜美達だって行きたいよー でもりっちゃんが・・・」

律子「仕事をサボって遊びにいくようなアイドルはうちにはいませんよね?」

伊織「ってなわけで、私達は無理ね。」

貴音「御一緒できないのは真に残念極まりないですが、仕事とあらば仕方ありません。」

18: 2012/09/18(火) 01:05:11.73 ID:gKlX2DC/0
真「だよねー・・・」

みな口々に不満を口にするが、今が勝負時であるということも心得ているためか、それ以上駄々をこねる人もいなかった。

雪歩「その、二人だけで行ってきたらどうかな?」

千早「ううん。そんなのみんなに悪いわよ。」

19: 2012/09/18(火) 01:11:22.52 ID:gKlX2DC/0
P「俺も雪歩の提案に賛成だな。」

春香「えっ それってどういう・・・」

P「ここのところ二人は特に仕事が詰まってたからな。オフがうまいこと重なったのも何かの縁だろ。行ってこいよ。」

千早「でも・・・」

20: 2012/09/18(火) 01:15:24.05 ID:gKlX2DC/0
真「たまには息抜きもしないと、身体が持たないよ。」

春香「うーん じゃぁそうしよっかな・・・?」

響「そうそう、折角のチャンスなんだから楽しんでくるといいさー。」

千早「ありがとう、そうするわ。」

21: 2012/09/18(火) 01:20:26.46 ID:gKlX2DC/0
このときプロデューサーが机の上にあった「歌姫×人気芸人 大座談会」と書かれた資料をさっとゴミ箱の中に突っ込んだことに気がついた人は居なかった。

小鳥「プロデューサーも、ちょっと粋なことしますね。」

暇を持て余した事務員をのぞいては。

22: 2012/09/18(火) 01:25:31.69 ID:gKlX2DC/0
~花火大会当日~


春香「うわぁ すごい人。」

千早「本当ね。」

小さな丘の上に立つ神社へと続く道には露店が立ち並び、さながら仲見世のような雰囲気を醸し出していた。

24: 2012/09/18(火) 01:29:43.38 ID:gKlX2DC/0
お揃いの淡い夕顔模様の浴衣に身を包んだ二人は人混みの中にあっても一段目立っていた。

春香「こんなにたくさんあると、何しようか迷っちゃうね。」

千早「そうねぇ。 まず何か食べましょう?」

春香「うん。」

25: 2012/09/18(火) 01:34:32.10 ID:gKlX2DC/0
カラコロと下駄を鳴らして歩き始める。

定番のたこ焼きや焼きそばといったものからクレープ、鈴カステラのような甘味まで、春香は目ざとく食べ物屋を見つけ、五分後には二人とも両手にいっぱいの食べ物を抱えていた。

千早「こんなに食べきれるかしら・・・?」

春香「思ったより少ないから大丈夫だよ。」

26: 2012/09/18(火) 01:39:05.34 ID:gKlX2DC/0
たこ焼きを頬張りながら笑顔を見せる。

千早(ゆっくり春香とはなすのは久しぶりね。なんだか、落ち着いた気分になるわ。)

春香「あ、次あれやろう?水風船釣るの。」

早くも大半を食べ尽くした春香は返事を待たず店のののれんをひょいと潜った。

27: 2012/09/18(火) 01:43:49.82 ID:gKlX2DC/0
千早(水風船・・・)

(あのことを思い起こさせる物だけど)

(もう心の中では整理がついていること。)

(何より今の私には)

(隣を一緒に歩いて、笑ってくれる友達がいる。)

(悲しい気分には、ならないわ。)

28: 2012/09/18(火) 01:48:36.87 ID:gKlX2DC/0
かがんだ春香の後ろ姿を見ながら、少しだけ感慨に浸る。

千早(思えば、春香にはほんとうに感謝することだらけね。)

どこか愛おしげな眼差しを向ける。

春香「ちーはーやーちゃん?」

29: 2012/09/18(火) 01:53:46.36 ID:gKlX2DC/0
千早「わっ  ごめんなさい。ぼーっとしてて・・・」

我に返ると、右手から2、3水風船を下げた春香が目の前に立っていた。

春香「どしたの?なんか悟ったような表情してたよ?」

千早「ふふっ なんでもないわ。」

31: 2012/09/18(火) 01:59:14.71 ID:gKlX2DC/0
少し不思議そうな表情で首を傾げる春香。

再び二人で歩き出す。

千早「そろそろ花火が始まるころかしら。」

春香「あと五分くらいかな。そろそろ神社に行こっか。」

32: 2012/09/18(火) 02:05:13.11 ID:gKlX2DC/0
時計を確認した春香が先導する。

神社は小高い丘の上に建っていて、その裏手は花火がよく見える上に人がほとんど居ない絶好の鑑賞ポイントであった。

随分前にプロデューサーが、みんなでお祭りに来たときにそう教えてくれた気がする。

千早「もう少しね。」

慣れない小ぶりの下駄でゆっくりと歩む。

33: 2012/09/18(火) 02:11:38.61 ID:gKlX2DC/0
春香「あれ、千早ちゃん、それって・・・かんざし?」

頭の後ろで纏めた髪からそっと顔をのぞかせている簪を指さして春香が聞く。

千早「ええ。家にあったからつけてみたの。どうかな?」

春香「すっごく似合ってるよ。千早ちゃんの髪の色によく合ってる。」

35: 2012/09/18(火) 02:16:07.20 ID:gKlX2DC/0
千早「ありがとう。春香もたまには髪をのばしてみれば良いのに。」

春香「私はショートの方が好きなんだよね。」

千早「そう。ロングの春香も可愛いと思うけど。」

春香「ふふっ じゃあ冬休みにでもやってみようかな。」

春香が喜んでいるような、恥じらっているような複雑な表情をして、少しだけ頬を赤らめる。

36: 2012/09/18(火) 02:21:02.14 ID:gKlX2DC/0
千早「ここらへんね。」

春香「うん。」

神社の裏手に回った二人の前にはやや急な斜面が続き、その下には打ち上げ場所である川が流れている。

春香「すわろっか。」

千早「ええ。」

37: 2012/09/18(火) 02:26:30.31 ID:gKlX2DC/0
二人寄り添って地面に腰をおろす。

ひんやりとした土の感触が心地よく感じられる。

露店付近の喧噪とは打って変わって、神社の裏手には虫が鳴く声を除きほとんど音が無かった。

沈黙が流れる。

とうに夜の帳が落ちた空には雲が所々浮かび、時折ふく風にゆらゆらと流されていた。

40: 2012/09/18(火) 02:31:08.92 ID:gKlX2DC/0
千早はふと隣をみる。

春香は慣れない紅を指した唇を気にして、口元に手をやっていた。

一緒にライブに出たり、画面を通して見たりするのとは随分と違った春香の姿。

年相応のあどけない少女の姿。

ここのところ、仕事でしか会っていなかったせいか、一人の「親友」としての春香が愛おしく感じられる。

41: 2012/09/18(火) 02:36:31.71 ID:gKlX2DC/0
千早「ねぇ、春香。」

春香「ん?」

千早「ううん。なんでもないわ。」

名前を呼んでみただけ、と言おうとしたが、まるで恋人にかける言葉のように感じられて口をつぐんだ。

42: 2012/09/18(火) 02:42:08.54 ID:gKlX2DC/0

春香「あっ うちあがったよ、千早ちゃん。」

見上げると、ちょうど色とりどりの花火が一斉に花開くところであった。

一瞬遅れて腹にひびく爆発音が届く。

千早「すごい、綺麗・・・」

春香「こんなに近くで見るのは初めてだね。」

45: 2012/09/18(火) 02:47:40.59 ID:gKlX2DC/0
しばし二人は一尺、三尺と夜空に弾ける花火に見とれていた。

次々と打ち上げられる花火は明るい光を放ち、地上の人達の楽しげな表情を照らす。

そんな中、春香の表情が不意に曇った。

わずかに下を向いた彼女に気づき、千早が声をかける。

46: 2012/09/18(火) 02:52:31.45 ID:gKlX2DC/0
千早「春香?」

春香「・・・」

千早「どうしたの?春香」

春香「なんか、ちょっと悲しくなっちゃってさ。」

千早「悲しく?」

春香「うん。」

春香「最近みんな忙しくなったから、こうやってどこかへ行くこと、少なくなったよね。」

47: 2012/09/18(火) 02:57:44.09 ID:gKlX2DC/0
千早「そうね。でも仕事が増えるのは良いことだわ。」

春香「それは分かってるんだけど、これから多分もっと忙しくなるからさ。」

春香「もうこうやって千早ちゃんとも一緒に遊びにいくことなんて出来なくなっちゃうんじゃないかなって思って。」

春香「もしそうなっちゃったら、みんなとの間に距離が空いちゃったりするのかなって。」  

春香「そう思ったら、ちょっと寂しくなっちゃったんだ。」

春香「ごめんね、こんな時に急に。」

千早「春香・・・」

48: 2012/09/18(火) 03:02:19.10 ID:gKlX2DC/0
そう言って隣で俯く春香は、いつもよりも幼く、か弱く見えた。

千早は春香の方に向きなおる。

そして、僅かに震えるその身体をそっと抱きしめた。

あたかも弟を抱くように、とても自然に。

50: 2012/09/18(火) 03:08:33.26 ID:gKlX2DC/0
千早「春香は、本当に優しいのね。」

千早「優しくて、友達思いで、寂しがり屋。」

千早「私、そんな春香が大好きよ。」

春香「千早ちゃん・・・」

千早「確かにこれから先、忙しくなってお互いちゃんと会える時間は少なくなるかもしれないわ。」

「でもね。」

「一緒に遊びにいけなくても、なかなか会えなくても。」

「いつもどこかで繋がっている気がする。」

「『あの子がいるから頑張れる。』って」

「そう思えるのが、親友じゃないかしら。」

「春香、貴女は私の親友よ。」

「ちょっと会えないくらいで、心が疎遠になることなんてないわ。」

51: 2012/09/18(火) 03:14:12.71 ID:gKlX2DC/0
春香を抱きしめる手に力を入れる。

千早「きっと765プロの誰に聞いても、同じような答えが返ってくるわ」

千早「だってみんな、親友だもの。」

春香「うん・・・うん。」

春香もおずおずといった手つきで、千早の背中に手を回す。

千早はそれ以上は何も言わず、ただ春香の頭を撫でていた。

春香「千早ちゃん。」

千早「何?」

春香「ありがとう。」

52: 2012/09/18(火) 03:19:23.40 ID:gKlX2DC/0
春香「少し、落ち着いたよ。」

千早「よかった。」

春香「一つお願いしていいかな。」

千早「ええ。」

春香「もう少しだけ、こうしていたい。」

千早は無言で、春香を抱きしめなおす。

すぐ近くで鳴る花火の音が、少し遠く聞こえた。

夏水蓮の香りが辺りを満たしていた。

53: 2012/09/18(火) 03:23:37.98 ID:gKlX2DC/0
しばらく千早に身を預けていた春香が、再び口を開く。

春香「もう一つだけお願い、聞いてくれないかな。」

千早「私に出来ることなら、幾つでも。」

春香「こんな泣き虫の私だけど。」

春香「これからも、親友でいてね。」

千早「もちろんよ。春香は、最高の、友達だもの。」

春香「えへへ ありがとう。」

55: 2012/09/18(火) 03:28:10.63 ID:gKlX2DC/0
二人を彩るかのように満開の花火が一気に現れる。

春香「あっ。フィナーレだね、いよいよ。」

肩を並べて空を見上げる二人の視線の先。

胸を揺らす轟音があたりに響き、夜空に炎の花が咲く。

それはまるで絆を確かめ会った親友達を祝福するかのように。

そして、親友達のこれからの未来を象徴するかのように。

明るく咲き乱れていた。

57: 2012/09/18(火) 03:32:52.20 ID:gKlX2DC/0
~エピローグ~


肌寒さを感じる秋の夜道を二人は歩いていた。

春香「千早ちゃん。」

千早「何?」

春香「今日が終わっても、来年になっても、10年、20年経っても、いつまでも今日の花火大会のことは忘れないよ。」

千早「私も、きっと忘れないわ。」

会話を交わす二人の顔には、不安の色は無かった。

千早「寂しくなったら、いつでも電話してきていいのよ。   10年後でも20年後でも。」

春香「ありがとう。」

春香「でも千早ちゃんも忙しいし、迷惑じゃないかな。」

千早「何言ってるのよ。」

千早「そんなこと、気にするわけないじゃない。」

59: 2012/09/18(火) 03:37:05.83 ID:gKlX2DC/0


「だって」

「私たちはずっと 親友 でしょう?」





仲間となら、行ける気がする。
いつまでも、
どこまでも。

おしまい。

61: 2012/09/18(火) 03:40:17.95 ID:gKlX2DC/0
お付き合い頂きありがとうございました。

62: 2012/09/18(火) 04:01:53.53
どういたしまして

60: 2012/09/18(火) 03:37:45.19
いい話でした
乙です

引用元: 春香「夏の見納めに行きましょう、千早ちゃん」