2: 2010/08/02(月) 10:50:55.19
土曜日の午後。14時30分をまわったところ。
田井中律は、自分の所属する3年2組の教室で、あるクラスメイトと向き合って座っていた。
本来ならば、休日なので教室の鍵は閉められている。
が、クラスメイト――真鍋和が教室でと言ったので、鍵を借りて開けた。
大昔は土曜日は半日授業なんてものがあったんだっけ、などと思いながら、律はグラウンドを見つめる。
風にあおられて、砂が宙を舞っている。
さきほどまで自分はあそこで声を張り上げていた。
「ひどい風ね」
和は、いつもの通りの落ち着いた口調で言った。少し低めの声が、彼女の冷静な性格とよく合っていた。
律は「そうだな」とだけ言って、まだ窓の外を見る。
どうしてだか、所在ないような気分になる。
4: 2010/08/02(月) 10:52:20.39
和は、この学校の生徒会長である。
本人は他にいなかったから仕方なくやっているのだと言っていたが、律は、和ほどふさわしい人材はいないと思っている。
基本的に何をやらせてもそつがなく、しかし一方で、誰にでも気安いところもある。
自分が目立とうというよりは、人を立てる性格で、唯の世話やらなにやら他人のことに忙しく、ときどき損をしているのではと感じることもある。
しかし、本人は楽しんでサポート役をやっているようだ。
どちらかというとサポートされる側の律は、そんな彼女をすごいと思う。
そんな和と、律がなぜ休日の教室に二人きりで向かい合っているかというと、数時間前。
律がまだグラウンドにいて、自分が部長を務めるけいおん部のライブに臨んでいたときのことから始まる。
和は、律からライブのことをきくと、一週間ほど前からクラスの生徒や他の学年の知り合いなどに呼びかけ、観客を集めてくれいていた。
その甲斐あって、かなりの人数が集まり、今日の演奏を見てけいおん部に関心を持つ生徒も増えたようである。
なぜそこまでしてくれるのかと理由をきけば、和は「同じクラスの子たちが頑張ってるのを応援したいだけ」と言った。
表情にこそあまり出さないものの、和は熱いハートの持ち主なんだな、などと律は思った。
この至って冷静な彼女が、なんだか自分に似ているとさえ感じた。
他人にいえば、十中八九否定の声が返ってきそうだが。
7: 2010/08/02(月) 10:53:37.08
そして、そのおかげもあってか、けいおん部のライブは大成功をした。
MCの挨拶もおわり、歓声が沸くなか、和はずんずんとグラウンドの中心に入ってきた。
応援の礼を言おうと律が歩み寄った瞬間、腕を掴まれた。
「話があるの」
そう言うと、そのまま律を引き摺るようにグラウンドを出て、どこかに向かう和。
律は、そんな彼女の行動を不思議に思った。
いつもならばこんな強引なことをする子ではない。
「どうしたんだよ、和」
本当に、わからなかった。
しかし和は小さくため息を吐いて言った。
「保健室って、開いてるかしら?」
「え? いや、今日は開いてないと思けど」
「じゃあ、2組の教室でいいわ。ちょっと待ってて」
そう言うと、和は職員室から鍵を持ってきた。
律は言われるがままに、和と共に2組へと向かった。
歩いている間、和が少し不機嫌そうなのが気になったが、とりあえず黙って歩くことにした。
9: 2010/08/02(月) 10:56:05.33
「少し痛いわよ」
「……ッ、」
教室に連れて来られた理由は、律の怪我だった。
ライブに熱中しすぎて、自分でも知らぬうちに肘を打っていたらしい。
和によれば、かすり傷とちょっとした打撲とのことだった。
夢中になりすぎて怪我なんて、なんだか気恥ずかしい。
そう告げると、和は無表情のまま、言った。
「恥ずかしいとかそういう問題じゃないでしょ。そこまで試合に集中することはすごいと思うけど、もう少し周りを見ないと、危ないわ」
「だ、だよな~……ごめん」
「あ、いえ、出すぎたことを言ってごめんなさい。口出し過ぎよね、私」
正直そんなことはまったく思わなかった。
幼なじみの澪をはじめ、人から口やかましく注意されることには慣れている。
そしてそれが律のことを想って言ってくれているのだということも知っている。
「何度も、手を振ったんだけどね。気づいてなかったわね」
「え、あれは私に!?」
曲の間に唯が「和ちゃんが私にエールを送ってるよ!」なんて言っていたが、それがまさか自分に対するものだとは思わなかった。
唯のためとはいえ、そんなに大げさな応援をするなんて、和らしくないなとは思ったが。
10: 2010/08/02(月) 10:59:47.01
「曲の間も忙しそうだったし、誰も気がつかないから、いっそ入っていっちゃおうかなんて考えたんだけどね」
「そ、そっか、悪かったなー」
「でも、みんな一生懸命でとてもそんな雰囲気じゃなかったから」
ガーゼで患部を押さえながら器用にテープを貼る和はとても様になっている。
慣れた手つきで、綺麗に巻かれていく包帯を見て、思わず言葉がもれた。
「すごいな……なんか経験とかあるの?」
「包帯?」
「つーか、治療とかさ」
「あー……すごくはないけど、前にボランティアとかの講習でちょっとやってことあるの」
「へー」
でもまだまだよ、と苦笑する和を、律は素直にすごいと思った。
「それで私の怪我にも気づいたんだな!」
「いや、それとこれとは関係ないし、見ていれば誰でも気づくと思うけど。というか、自分で気づかないのも異常よ。けっこう痛いはずなのに」
「あー、今は痛いと思うんだけどな、不思議と演奏中は気づかないものなんだな。悪いな、心配かけて」
軽く笑うと、和はしまったという顔をした。
「ごめん、私また言い過ぎたわね……なんでだろう、いつもは唯以外にはそんなことないのに」
「別に私は全然いいぞー。怒られるのは澪で慣れてるしな!」
「そ、そう? でもちょっと言い方が横柄だったかしらと思って」
「横柄……つーより意見、いや、ありがたい忠告だよ。私にとっては」
12: 2010/08/02(月) 11:02:19.96
和が少し困ったように首を傾げる。
和にとって、まだ律は『唯の部活仲間』以上の存在ではないのかもしれない。
何も考えず注意できるほどの仲とは思われていない。
そう考えると、律は、不思議なような不満なような、おかしな気持ちがした。
「このりっちゃんだって間違うことはあるさ。だから気にせず注意してくれよな!」
自分にはもう少し気安く接してくれてもいいのだと言いたいのだが、上手く伝わるかどうかはわからない。
別に、和の今の態度がよくないとか、そういうことはまったくない。
むしろ、普通の友達としては、好感の持てるものだ。
だが――自分は例外にはなれないのか?
「間違って……いるというわけじゃないわ」
「え?」
「律は、間違ってなんかいないのよ」
真剣な瞳で言った和を、律は思わず見つめた。
そういえば、自分は今日ここに来て、いま初めて彼女の顔を正面から見つめた、と律は気づいた。
どうにもまっすぐ見ることが躊躇われたからである。
理由は、わからない。
14: 2010/08/02(月) 11:06:49.32
「多分、これは勝手な心配で……私の、個人的な意見で、自分が気になってしまうから」
普段の和らしくない、歯切れの悪い言い方だ。
だが、そんなことよりも律は「気になってしまう」の部分に引っかかった。
「でも、それはその……やっぱり私が頼りないから、なんじゃないか?」
もしくは、違う意味で、気になってしまう、なのか。
心の中に浮かんだふわふわした甘ったるいような考えを、律は慌ててかき消した。
なにを考えているんだ私は。少女まんがでもあるまいに。
だいいち、和にかぎって、そんなことはありえない。ましてや女同士だし。
「逆、よ。頼り……というか、なんだろう、なんていったらいいのかしら、これはきっとみんなが思っていることだと思うんだけど」
和は、きゅ、と巻き終えた包帯の端を縛る。それを目立たぬように中に織り込んで、完成だ。
「律たちと会って、すごく変わったの、唯。いいえ唯だけじゃなくて、クラスも。
けいおん部のみんながいることで、クラス、だけじゃなくて学校自体もね」
「や、いや……そんなことないってぇ」
15: 2010/08/02(月) 11:12:14.76
「私にはできなかったことよ。生徒会長として頑張ってはいるつもりだけど、雰囲気を盛り上げるとかそういうことは苦手だから。
部室の私物化とか、ちょっと困ることもあるけど、でも、あなたたちの存在がすごくありがたいのよ」
「でも、私、書類のこととかで迷惑かけたりしてるし」
こうも真っ直ぐに褒められると、なんだか照れてしまう。
普段なら「そうだろ、もっと言え!」なんて茶化すことができるのに、和の真剣な瞳で見つめられると何も言えない。
「唯のことだって、私にはできなかったわ。後ろからサポートはできても、一緒になにかをするって、なかなか難しい。
たまたま軽音楽が唯に合っていたってこともあると思うけど、友達としてもっとなにかできたんじゃないか、って」
ふう、とため息を吐く和を見て、律は、責任感の強さに感心半分、心配半分だった。
そんなにがんばるな、と喉まで出かかったが、自分らしくないと思い、やめた。
けれど、彼女は、話す内容とは裏腹に、暗い顔をしてはいなかった。
「だって、現に、律はできたのよね」
「!」
「それでね、ぜんぜん敵わないなあと思ったの」
「……和」
自分のせいで、起こらなくてもいい余計な騒動が起こったこともあったかもしれない。
他の生徒からすれば、迷惑なこともあったかもしれない。和のような立場ならなおさらだ。
それでも、彼女は、こんなふうに言ってくれている。
16: 2010/08/02(月) 11:15:43.89
「律たちと会って、唯や、学校が変わった。そうしたら、なんだか、自分の責任や、できなかったことに対しての後悔とか、全てなくなってしまったの。
結果、こうなったのだからいいじゃないか、って。無責任極まりないんだけど、なんだか全て忘れて、あなたたちがいてくれてよかったって思うことだけで……」
だから今更だけれど、これからもっと学校を良くしていきたい、みんなの力になりたい。
穏やかな口調で話す和を、律はぼーっと見つめた。
くすぐったいような、むずがゆいような、でもどこかきゅうっと痛む、この気持ち。
「だから――最初に戻るんだけど、心配になるの」
「え? あ、ああ……」
そういえば自分が不甲斐ないせいで和にダメ出しをされているのでは、という話だったのだ、と律はいまさらだが思い出した。
「怪我は、今回は、そんなに大きくなかったけど……けっこういつも無茶するじゃない?」
「は、は、は……ごめんな」
「いえ、それは、迷惑とかじゃなくって、律は思い違いをしてるみたいだけど。
そういうとこも含めてみんな律を慕っているんだと思うし、納得はしがたいけど、間違っているなんて思わない。でも」
でも、の続きが出ず、和は黙ってしまった。
「べ、別にはっきり言っていいんだぞ? 失礼とかそんなこと私は思わないって」
「そ、そうじゃなくて……うーん……ああ、これって結局、私のわがままなのよ。そんなあなたが心配だって」
「……へっ?」
「思っても、それこそ、こうやって面と向かって言っても、無駄なんだってことはわかってるのに。それでも思ってしまうのよね」
17: 2010/08/02(月) 11:19:14.26
律は、自分が赤面していくのがわかった。
その理由……理由?
そんなこと、友達として彼女にそこまで心配されるのが嬉しいからに決まっている。
そう、だ。友達としてだ。
「あなたになにかあったら、唯や澪やみんなが心配する、なんて思うけど、本心は違うのよね。
これは私の個人的な気持ちで……みんなのためなんて言っても、結局は自分が嫌なだけ」
告白、なのか。これは。
窓の外でざわざわと木々の揺れる音。砂の舞うクラウンド。
もう、ここへ来た目的である治療は終わっている。
「和、あの、私は……」
言いかけた瞬間、和が口を開いた。
「ごねん、なんだかべらべらと。私、全然だめね。律といると、いつもと違うみたい。図々しくておしゃべり」
「そんなこと、」
18: 2010/08/02(月) 11:21:37.63
「ふふ、これじゃ、いいわけね。でも、すっきりした。ずっと言いたくて」
「な、なにを……」
どきりとする。
こんなことを期待するのは間違っている。
しかし、和の口からあの言葉が出るのを自分は待ってしまっている。
「ありがとう、って。この学校に来てくれて、唯やみんなを笑顔にしてくれて、本当にありがとう」
思わずずっこけそうになった。
真面目すぎる。
いや、自分が和に対して不真面目すぎるのか。
彼女は真剣にクラスのこと、生徒会長としての自分のこと、そして律の心配をしてくれているというのに。
それにしても思わせぶりすぎる、と、そういうことにはてんで鈍い律でさえ思った。
こんなにまっすぐ、友達相手とはいえ、気持ちをぶつけられる思春期の女子がいるだろうか。
だが、今はそのまっすぐさが、気持ちいいというよりは痛い。
律の心にぐっさりと刺さる。
「ま、まあ結局なんだその……和には心配をかけてるってことだな!?」
「だ、だからそれは私が勝手にで……今日も勝手に見てて、それだから気づいて、」
「あ……、え?」
19: 2010/08/02(月) 11:25:22.06
そういえば、和は律の怪我を「見ていれば誰でもわかる」と言った。
けれど、他の誰が気づいただろうか。
ライブの最中に、誰が目立つヴォーカルやギターより、後ろのほうにいる律の様子に注意を払っていたというのだろう。
ましてや、唯の保護者的存在であるはずの和が、唯ではなく律を見ていたなんて。
「でも、律がそれでいいっていうなら、お言葉に甘えてこれからはビシバシ行こうかしら。
みんなの律を心配して、ときには忠告するのも、生徒会長の仕事ということで」
「しご、と、か……はははは」
悪戯っぽい笑顔は、いつもの彼女らしくはなかったけれど、とても魅力的だった。
どうやら自分の気持ちを認めざるを得ないようだ、と律は思った。
「そうよ、仕事よ」
笑顔。
冷静で表情をあまり変えない和の。
ふつふつと沸き上がる甘く暖かい心の奥のなにかがあふれ出してしまわないかと、律は胸を押さえた。
なんだか私はだいぶ参ってしまっている。
20: 2010/08/02(月) 11:29:04.83
「あ……もうこんな時間」
教卓の真上の、教室の真ん中の時計は、16時を差していた。
和は席を立った。けれど律は帰りたくなかった。
二人きりの空間。ここを出ても出なくても関係は変わらないけれど。
「律?」
顔をのぞき込まれてどきっとする。彼女はこちらの気持ちなんておかまいなしだ。
そんなことをすると、そんなことをするとキス して しまう ぞ …
――いやいやいや、と律は思い直した。私は、少し冷静になるべきだ。
それでも和は容赦なく顔を近づけ、果てにはくっつけた。唇ではなく額だったが。
「の……のど、か……ちょ」
「平気、みたいね。私体温低いからわかりにくいけど」
「え?」
「ぼーっとしてるから、熱でもあるのかと思って」
だからって普通、額と額をくっつけるだろうか。
しかしなるほど、低体温のせいか、治療しているときの和の手はひんやりしていた。
しかしライブ後の身体にはそれが心地よかった。
22: 2010/08/02(月) 11:34:44.88
こんなの、卑怯だ。
意識させるだけさせておいて、仕事だなんて。生徒会長だからとか、応援したいからとか、卑怯だ。
だが、もう自覚してしまった気持ちは止まらない。
「和、あのな……」
おわり
意識させるだけさせておいて、仕事だなんて。生徒会長だからとか、応援したいからとか、卑怯だ。
だが、もう自覚してしまった気持ちは止まらない。
「和、あのな……」
おわり
25: 2010/08/02(月) 11:38:17.61
朝だ。
やっぱり雨は降っていた。
昨日の夜からずうっと窓の外を見張っていたけれど、ちっとも止んではくれなかった。
今日という日にこの天気。あんまりにおあつらえ向きすぎて、笑えない。
部屋のすみっこ、綺麗に折り畳まれたとっておきのワンピースを手に取る。
こんな雨じゃ、汚れてしまうかもしれない。
でも、いい。だって、今日しかないんだから。
「りっちゃん!」
待ち合わせの駅前。手を振ると、りっちゃんはびくっと肩を揺らした。
26: 2010/08/02(月) 11:40:34.84
「お……よぉ、ムギ」
「早いのね」
時間ぴったり。学校ではしばしば遅刻することもあるりっちゃんが、ちゃんと間に合ってくれたことが嬉しい。
雨はいつの間にか上がっていて、バッグの中の折りたたみ傘が重い。
「なんか今日、大人っぽい」
「そ、そうか? 変かな」
二枚重ねたカットソーにインディゴブルーのスキニー。
変じゃないし、むしろ妙にちゃらちゃらしているよりセンスがいい。なにより彼女に似合っている。
りっちゃんも、私を上から下まで眺めて言った。
「なんかいつにも増してお嬢様ってかんじだな」
「それって、いい意味かしら? それとも悪い意味?」
「あっ、いや、似合ってる……と思うよ」
少し照れたふうに目を逸らすりっちゃんがかわいい。
特別な意味なんてないんだとは思うけれど、似合っていると言われたことは単純に嬉しかった。
27: 2010/08/02(月) 11:43:27.21
「どこに行こっか」
「うーん、私はこのへんは全然来たことがないんだけどぉ」
「私もなの」
学校からも家からも離れた場所にしたのにはわけがある。
誰にも邪魔をされたくはないからだ。
今日くらいは誰の目も、気にしないでいたい。
同じ学校の同じ部活の同性の友達じゃなく、ただの二人でいたい。
りっちゃんは、いつでもりっちゃんだから、そんなことちっとも思ってはいないだろうけど。
「デートのときって、いつもりっちゃんはなにをするの?」
「い、いや、私はそんなのしたことないからな~……」
「そうなんだ。ほんとかしら」
「ほ、ホントだよ。残念だけど」
多分、本当なんだろう。でも、これからいくらでもそういう機会はあるだろうし、なくてもいつかは誰かと結ばれるんだ。
ああ、いけない、こんなこと最初から考えてたら。今日は楽しむんだって、決めたのに。
「じゃあ、あそこの百貨店に行ってもいいかしら。お洋服を見たいの」
「おう。じゃあ行こっか」
さりげなく、でもしっかりと、りっちゃんの手を取った。りっちゃんは一瞬目を見開いたけれど、なにも言わなかった。
それが嬉しくて、痛かった。
28: 2010/08/02(月) 11:46:38.63
「これ、どうかな?」
「いいんじゃないか?」
「りっちゃん、さっきからそればっか」
「いや、ほんとにいいと思ってるんだって」
「じゃあ、これとこれだったら?」
スカートを二枚、左右に並べて訊くと、りっちゃんは少し困ったような顔をしながら、白いシフォン素材のほうを指差した。
「りっちゃん、こういうののほうが好きなんだ。意外だわ」
「いや、自分では着ないけどさー……ムギに似合うと思って。それにこっちは短すぎるんじゃないか?」
そう言ってりっちゃんが眉間に皺を寄せたタイトめのグリーンのスカートは、確かにかがんだら見えそうな丈だった。
「でも制服ってこんなくらいかもっと短いわよ」
「うーん、言われてみればそうだな。うわ、そう考えると私らって普段大胆なカッコしてる!」
「ふふ、そうね。なぜか制服だと気にならないわよね」
それでも長いほうがいい、とりっちゃんが言うので、私は白を買うことにした。
りっちゃんは、「私の意見なんかアテにしなくても」と言って慌てたけれど「私もこっちが気に入ったから」と誤魔化した。
着たところをりっちゃんが見るかわからないけれど、それでも好きなひとの好む格好をしていたいと思うのは、変なのだろうか。
30: 2010/08/02(月) 11:49:07.37
「ごめんね、時間かかっちゃって。それに、なんだかりっちゃん落ちつかない感じだったし……」
「ん~ああいうところには初めて行ったからな。普段はお嬢系なんて見ないからさ」
「でもりっちゃんの服もいつもかわいいわよ」
「へへーそう? なんつって!」
私がにっこりしながら頷くと、りっちゃんは顔を赤くして「ツッコめよ!」と肩を叩いた。
「じゃあ、今度はりっちゃんの好きなところ行きましょう」
「私の? うーん……そうだなぁ」
とりあえず考えながら散策するか、と歩き回ったけれど、りっちゃんは唸ってばかりでなかなか何をするのか決められないみたいだった。
デートをしたことないというのは本当なのかもしれない。
「あ」
そう呟いてりっちゃんが足を止めたのは、楽器屋さんだった。
「お、試し演奏できるっぽい」
「まあ! それに、なかなか大きなところね」
「あ、ムギはでもいいの? こんなので」
「ぜんぜんいい!」
やっぱりいつでもけいおんのこと考えてるんだな、なんて、ちょっと悔しいけど、そんなりっちゃんが好きだ。
私はりっちゃんの手をとって、スキップしながら楽器屋さんへ入っていった。
たくさん並ぶ楽器。ギターや電子ピアノ、管楽器なんかもある。
31: 2010/08/02(月) 11:52:27.62
「いろいろあるわね」
「バイオリンとかフルートとかって高いんだなー」
「ものによって色々ね。けいおんと同じで」
「あ、もしかしてムギってそういう系の楽器もできたりするのか?」
ヴァイオリンは小さい頃習っていたことがある。
試しにディスプレイされているものを手にとって弾いてみたけれど、やっぱりさすがに綺麗な音は出せなかった。
「ずっとやっていないと駄目なものね」
「でも立ち姿サマになってるぞ。ていうかなんだこれ音出ねー!」
「あ、そうじゃなくて、こう」
ぎこちない手つきでヴァイオリンを持つりっちゃんはなんだか可愛らしかった。
「おおっ、こうか?」
「そうそう!」
やっと出たギギギ、という呻き声のような音に、二人で歓喜した。
「私これ才能あるんじゃないか!? 初めてなのにすぐ音出た!」
「ええ、きっとそうよー!」
ささいなことではしゃげるのが、嬉しい。
店員さんに苦笑いされてしまったけれど。
33: 2010/08/02(月) 11:55:05.87
「今度うちに来て練習する?」
「マジかよ! って、冗談だよ、才能なんかないって。あーけどドラム以外の楽器って新鮮だな」
「うん、ドラム以外のりっちゃんも素敵よ。でも、やっぱりいつものりっちゃんが一番だけど」
「そうか? ま、ドラマーといえば私、私といえばドラムさ!」
「そう。私の中で最高のドラマーはずっとりっちゃんよ。……ドラム以外、でも」
すると、笑っていたりっちゃんが少し表情を変えた。
「あ、そ、そか……?」
小さく返事したりっちゃんの表情は読めない。
なにを考えているの、困っているの、と口に出すのは簡単だけれど、今日は言わない。
今日は、楽しく過ごすんだ。
恋人として。
34: 2010/08/02(月) 11:59:16.49
それからお茶をして、また散策をしていたら、公園があったので入ってみた。
そこが意外と広くて、フリーマーケットなんかやってたので、ちょっと冷やかしながらのんびり歩いた。
親子連れやカップル、小学生の集団、お年寄り、いろんな人たちがいて、その中で私たちがこうして手をつないで歩いていても、誰も気にしないし、咎めない。
なんだか不思議な気分だ。
私がどんな気持ちでいても、ここでは、今日に限っては、いいんだ。
「もうこんな時間かー」
噴水の上にある大きな時計を見たら、六時半を指していた。
「これからどうするか」
「りっちゃん、お夕飯は?」
「考えてなかったなー」
「じゃ、食べていく? 私も家の者にはデートって言ってあるから、多分食べてくると思われてるわ」
私がそう言うと、りっちゃんは複雑な顔をした。
「ムギの、おうちの人……」
「言っていないわ。言うわけ、ないわ」
相手がりっちゃんだなんて。
36: 2010/08/02(月) 12:01:57.69
「だ、よな……まあ別にかまわないけどさ。冗談だと思うだろうし」
「そう、ね」
冗談。
私がりっちゃんに抱く気持ちを知られたら、咎められるかもしれない。
女の子相手に、と。
だとしても、別にりっちゃんにはやましいことなんて何もない。
今日は私が無理矢理付き合わせているんです、って、その一言で済む。
だって、りっちゃんにとって、私の気持ちは、悪い冗談のようなものだ。
「やっぱり、帰りましょうか」
楽しいんだって、私たちは今日は恋人なんだって、そう思って一日過ごそうと思ったけど、もう限界かもしれない。
りっちゃんも、頑張ってくれていたけれど。
「もう、じゅうぶんもらった、もらいすぎたみたい」
そういう約束だった。
一日でいいから、恋人になって、って。そしたらもうなにも言わないから、諦められるから。
37: 2010/08/02(月) 12:06:52.94
りっちゃんは、困った顔をしながらも、承諾してくれた。それが嬉しかったけれど悲しかった。
だって、そんなに優しいのは、私がけいおん部員で、友達だからだ。
初めて気持ちを伝えたときのりっちゃんの表情は忘れられない。
蔑みでも失望でもなく、本当に困っていた。
「ムギ……」
「りっちゃんは、優しすぎるよ」
りっちゃんにとってきっと私はずっと友達で、私だけではなく友達はみんな大切で、それ以上でもそれ以下でもない。
りっちゃんにとって、とてもとても大切な存在だけれど、その気持ちは私の望むものとは違う。
「あのね、ほんとに嬉しかったの、今日」
自分で言い出したのに、なぜだろう。
諦めるどころか、もっと好きで、でも絶対叶わないってことを、もっと思い知った。
昨日よりも、ずっとずっと、痛くなっただけだ。
38: 2010/08/02(月) 12:11:03.91
「ムギ、」
「名前、呼んで?」
「……紬」
「ありがとう」
少し屈む。服の裾を掴んで、りっちゃんの顔を引き寄せ、頬にキスをした。
「……っ」
「ふふ、おみやげ貰っちゃった」
今できる一番笑顔に近い表情をした。
りっちゃんは頬に手を当てて、呆けている。
きっと、私たちのことなんて誰も知らないこの場所では、ほほえましい風景。
ちょっといきすぎた友情の、かわいらしい光景。
39: 2010/08/02(月) 12:16:29.88
ぽつぽつと降り出した雨に動かされるように、私とりっちゃんは駅に戻った。
別れ際の階段で、りっちゃんに言った。
「じゃあ、また明日」
「ああ、また明日な!」
にっこり笑って、手を振り合う。
この気持ちの明日は、もう、ないけれど。
また、あした。
――でも、さよなら。
人混みに消されていくりっちゃんの背中を見つめながら、小さく呟いた。
40: 2010/08/02(月) 12:19:24.48
おわり
42: 2010/08/02(月) 12:25:51.21
面白かったぞ
43: 2010/08/02(月) 12:27:14.05
同性愛の趣味などなかった。
かといって特別忌み嫌っていたわけでもない。
興味がなかった。
そんなのもは自分には関係ないと、そう思っていた。
44: 2010/08/02(月) 12:33:22.53
ふとしたきっかけであった。
その日、けゐをん部では、地獄のような日々にやっとぴりおどが打たれようとしていた。
らいぶまで間もないある日。
意識も朦朧とするけゐをん楽部屋に籠もりきりでの徹夜三日目、やっと最後のうたの合わせが仕上がった。
部の長としての手前、何とか踏ん張ってはいたが、正直、お律は倒れる寸前であった。
お律以外で唯一意識のあるおアズも、何とか疲労に耐えながらも頭をふらつかせていたし、お唯に至っては随分前から起きている気配が感じられなくなっていた。
澪吉と紬の介は折り重なるようにして寝息を立てている。この二人は初めから頑張っていたぶん、疲労も大きいのだろう。
45: 2010/08/02(月) 12:41:52.90
無理もない。昼は寺子屋で勉学に励み、そのまま帰宅もせず音合わせ、半刻の猶予もない時間を送っていたのだ。
自分も限界であったお律は、やっと終わった最後のうたの楽譜を乱暴にまとめながら、おアズに眠るよう促した。
するとおアズが、眠い目を擦りながら、「私も手伝いまする」と言うので、手に持っていたお唯のぶんを渡そうとした。
そのときだった。お律はうっかり手を滑らしてしまった。
自らもふらついていたお律は、不意に、おアズの手を掴んだ。
思わず強く掴んでしまった。
46: 2010/08/02(月) 12:42:16.40
おアズww
47: 2010/08/02(月) 12:43:14.25
いきなりなんぞ
48: 2010/08/02(月) 12:47:46.11
「……お律先輩、」
見上げた目の、目元がほんのりと赤かった。
何かに耐えるように結ばれた唇に目が行った。
衝動的に、掴んだ手を引き寄せようとすると、おアズは恥らうように視先を逸らし、身を捩った。
艶っぽい。単純にそう思った。
「おアズ」
名前を呼ぶと、おずおずと顔を上げる。
そのまま顎を引いた。
驚いた表情のおアズの口を、貪るように吸った。
その唇はまるで赤子のもののように柔く、お律は興奮した。
49: 2010/08/02(月) 12:54:30.79
本当に衝動に駆られたとしかいいようがない。
そのまま、おアズを抱え、隣の教室へと走った。
おアズは何も言わなかった。
ただ、腕の中で驚いたような顔をして、時折不安そうにお律を見上げるのだった。
それからは、想像の通りである。
着物を剥がす手、組み敷いたときのおアズの表情、声。
動くたびに鼻をくすぐる、い草の甘やかな香り。
忘れようとしても忘れられない。
確かに、彼女を抱いた。
51: 2010/08/02(月) 13:00:13.49
次の日、けゐをん部。
あれからお律は、おアズと顔を合わすことはなかった。
おアズはあの後すぐ家へと帰ったし、お律はお律で、けゐをん楽部屋へ戻って、お唯たちと共に眠った。
皆のいる場で鉢合わせるよりも、できれば誰もいないところで会っておきたかった。
自分から廊下などでは神経を張り詰めて注意深く接触の機会を避けていたにも拘らず、お律は思った。
さて、しかし――皆のいる場で、一体、おアズがどのような表情を見せるのか。
それには興味をそそられた。
52: 2010/08/02(月) 13:07:15.22
下世話だなどというのは今更の話だ。
なんせ、自分は勢いに任せて後輩を抱いてしまったのだ。
それも、艶姿をひとつ残らず覚えているほどはっきりとした意識があったというのに。
戸から長い髪に、お律は唾を飲み込んだ。
ちらりと見えた顔は、いつも通りに可愛らしかった。
目が合う。
おアズは遠慮がちに視線を逸らし、目を伏せた。
どうにもその動作が色っぽく感じてしまう。
思わずお律はおアズを見つめた。
おアズもそれに気づき、頬を染める。
53: 2010/08/02(月) 13:16:11.38
しかし、その様子を陰から見て、手ぬぐいをぎりりと引きちぎらんばかりに噛み締める者がいた。
べぇす奏者の澪吉である。
澪吉はお律の竹馬の友である。
お律にとって澪吉は、気の置けぬ友、一番の親友であったが、澪吉にとっては場合が違った。
澪吉は随分前からお律に懸想していた。
「おのれ、おアズ、にっくき泥棒猫よ。許せぬ……絶対に許さぬぞ」
「こ、これ澪吉、どうしたのえ。それはわらわのぎぃたぞよ」
自分のぎたぁを踏みつけられ困惑するお唯に目もくれず、澪吉はお律に秋波を送るおアズを睨んだ。
その後ろから「これはこれは、楽しそうなことが起こる予感がするぜよ」と、紬の介は嗤った。
54: 2010/08/02(月) 13:21:29.02
…………
律「えっなにこれ」
紬「現代文の授業の課題で書いてみたのー」
唯「そっか、ムギちゃん現国選択してたね!」
澪「ところどころ変な表現がないか? 寺子屋とか」
紬「書いたとき着物萌えが来てたからそれっぽくしてみたのー」
おアズ「色々とムチャクチャですね」
紬「歴史はあまり得意じゃないのー」
紬「それに先生に大事なとこ省略するなってダメ出しされたのー」
唯「おアズニャン!」
おアズ「やめてくださいです」
55: 2010/08/02(月) 13:23:33.36
紬「私、実は国語も苦手なのー」
律「ていうかそんな問題じゃない」
56: 2010/08/02(月) 13:25:30.13
本当におわりです
ありがとうございました
ありがとうございました
58: 2010/08/02(月) 13:25:55.67
いえいえお疲れ様でした
59: 2010/08/02(月) 13:25:57.67
終わったみたいなのでおアズにゃんはもらっていきますね
引用元: 律「りっちゃんは真のイケメン」
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