1: 2013/08/21(水) 01:27:04.23
「よう…」
俺を見るなり雪ノ下雪乃は深いため息をついた。
「はぁー…… 今日は比企谷くんしか来ないことはわかっていたのに…… 期待してしまった私が馬鹿だったわ……」
こめかみのあたりに手を当て、まるで痛恨のミスをしでかしたような仕草を見せる。
「うっせー」
いつも俺の方が由比ヶ浜より先に来てるじゃねーか。
その由比ヶ浜は昼前に体が熱っぽいと言って早退した。
由比ヶ浜から、何あのヒ工口グリフもどきがいっぱいの頭の悪そうなメールを受け取ったのだろう。
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1377016024/
俺を見るなり雪ノ下雪乃は深いため息をついた。
「はぁー…… 今日は比企谷くんしか来ないことはわかっていたのに…… 期待してしまった私が馬鹿だったわ……」
こめかみのあたりに手を当て、まるで痛恨のミスをしでかしたような仕草を見せる。
「うっせー」
いつも俺の方が由比ヶ浜より先に来てるじゃねーか。
その由比ヶ浜は昼前に体が熱っぽいと言って早退した。
由比ヶ浜から、何あのヒ工口グリフもどきがいっぱいの頭の悪そうなメールを受け取ったのだろう。
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1377016024/
2: 2013/08/21(水) 01:29:15.23
「今日は私たち二人だけのことだし、もうお茶の時間にしましょう」
ガラス製のティーポットに湯を注ぎこむ音が聞こえてくる。
すっかりと奉仕部の日常となった。
そう、最初はティーカップに、次はマグカップに、最後に紙コップに注がれて…
ジャー --
突然、陶器のポットに煎れたての紅茶が注がれる音が聞こえてくる。
予想外の音に驚いて顔を上げると雪ノ下と目が合った。
「紙コップが切れてしまったのよ」
雪ノ下は、そう言いながらポットに保温用のカバーをかぶせた。
ガラス製のティーポットに湯を注ぎこむ音が聞こえてくる。
すっかりと奉仕部の日常となった。
そう、最初はティーカップに、次はマグカップに、最後に紙コップに注がれて…
ジャー --
突然、陶器のポットに煎れたての紅茶が注がれる音が聞こえてくる。
予想外の音に驚いて顔を上げると雪ノ下と目が合った。
「紙コップが切れてしまったのよ」
雪ノ下は、そう言いながらポットに保温用のカバーをかぶせた。
3: 2013/08/21(水) 01:32:12.29
-昨日のことだ。
「ひ、比企谷君…… そ、そのゴキブリをどうにかなさい。あなた仲間でしょ……」
ついに俺もゴキブリ扱いされてしまった。
あまりにも理不尽だ。理不尽すぎる。
すでに帰り支度の終わった俺はそのまま無視して帰ろうとする。
「ヒ、ヒッキーひどい… ゆきのんがちゃんとお願いしているのに無視するつもり」
雪ノ下と由比ヶ浜は、互いのブレザーの袖をつかみあいながら震えていた。
どこがちゃんとしたお願いだ?
思いっきり罵倒しているじゃねーか
「ったくー…… 今退治するからおとなしくしていろよ」
「ひ、比企谷君…… そ、そのゴキブリをどうにかなさい。あなた仲間でしょ……」
ついに俺もゴキブリ扱いされてしまった。
あまりにも理不尽だ。理不尽すぎる。
すでに帰り支度の終わった俺はそのまま無視して帰ろうとする。
「ヒ、ヒッキーひどい… ゆきのんがちゃんとお願いしているのに無視するつもり」
雪ノ下と由比ヶ浜は、互いのブレザーの袖をつかみあいながら震えていた。
どこがちゃんとしたお願いだ?
思いっきり罵倒しているじゃねーか
「ったくー…… 今退治するからおとなしくしていろよ」
4: 2013/08/21(水) 01:34:45.84
-格闘すること数分。
箒ではたかれてすでにこと切れたゴキブリをポットの横に置いてあった紙コップで掬い取り、窓から放り棄てた。
ああ… そういえば、あの時使ったのは最後の1個だったな。
悪い、何も考えないで使ってしまったから、お前だけでも飲めよと言おうと思っていたら、思いもかけない言葉を耳にした。
「私一人だけ飲むわけにはいかないじゃないの」
いつから俺にこんな気遣いをするようになったんだ、雪ノ下は。
それなら、普段もっと俺にかける言葉にももっと気を遣ってくれてもいいんじゃないの?
雪ノ下は、顎のあたりに手を当てて考え込んだのち、こう告げた。
「比企谷君、今からティーカップを買いに行かない?」
箒ではたかれてすでにこと切れたゴキブリをポットの横に置いてあった紙コップで掬い取り、窓から放り棄てた。
ああ… そういえば、あの時使ったのは最後の1個だったな。
悪い、何も考えないで使ってしまったから、お前だけでも飲めよと言おうと思っていたら、思いもかけない言葉を耳にした。
「私一人だけ飲むわけにはいかないじゃないの」
いつから俺にこんな気遣いをするようになったんだ、雪ノ下は。
それなら、普段もっと俺にかける言葉にももっと気を遣ってくれてもいいんじゃないの?
雪ノ下は、顎のあたりに手を当てて考え込んだのち、こう告げた。
「比企谷君、今からティーカップを買いに行かない?」
5: 2013/08/21(水) 01:41:06.80
紅茶を煎れるのが趣味だというだけあって、雪ノ下が出してくれるのはおいしい。
確かに紙コップで飲むのより、ティーカップで飲んだら雰囲気も違ってさらにおいしいものになることだろう。
でも、俺は由比ヶ浜とは違って、好き好んでこの部活に入ったわけではない。
この部屋にマイカップを置くってことは、俺が奉仕部に入れられてしまったことを肯定してしまうことになってしまう。
「帰りにコンビニで紙コップ買ってくるから気にするな」
「紙コップって持つ時熱いのよ。紅茶を煎れる私の身にもなって」
「熱いんだったらコップの上の方を持てばいいだろ」
「嫌よ。私が持ったところに比企谷君の唇がつくと思うと… 気持ち悪い。」
ふと雪ノ下の指に目が行ってしまう。
細くしなやかに伸びる指。
雪のように白く透き通っている。
でも、こいつの場合かしづかせて手の甲にキスをさせ、服従を誓わさせられそうでなんか怖いな…
しかも、それが妙に様になっていそうで、俺の理性も吹き飛んでしまうかも…
「比企谷君、私の指を見てまた何か変な妄想をしていない? セクハラで訴えるわよ。気持ち悪い。」
手をネコ型ロボットのようにグーにして、胸元に押し当てている。
やがて、その手をグーのまま下ろして再び口を開く。
「ところで、その… 紙コップが切れてしまったからだけではないの… あの… あなたにはいろいろと助けてもらったわけだし…
そ、その… お礼がしたいのよ…」
確かに紙コップで飲むのより、ティーカップで飲んだら雰囲気も違ってさらにおいしいものになることだろう。
でも、俺は由比ヶ浜とは違って、好き好んでこの部活に入ったわけではない。
この部屋にマイカップを置くってことは、俺が奉仕部に入れられてしまったことを肯定してしまうことになってしまう。
「帰りにコンビニで紙コップ買ってくるから気にするな」
「紙コップって持つ時熱いのよ。紅茶を煎れる私の身にもなって」
「熱いんだったらコップの上の方を持てばいいだろ」
「嫌よ。私が持ったところに比企谷君の唇がつくと思うと… 気持ち悪い。」
ふと雪ノ下の指に目が行ってしまう。
細くしなやかに伸びる指。
雪のように白く透き通っている。
でも、こいつの場合かしづかせて手の甲にキスをさせ、服従を誓わさせられそうでなんか怖いな…
しかも、それが妙に様になっていそうで、俺の理性も吹き飛んでしまうかも…
「比企谷君、私の指を見てまた何か変な妄想をしていない? セクハラで訴えるわよ。気持ち悪い。」
手をネコ型ロボットのようにグーにして、胸元に押し当てている。
やがて、その手をグーのまま下ろして再び口を開く。
「ところで、その… 紙コップが切れてしまったからだけではないの… あの… あなたにはいろいろと助けてもらったわけだし…
そ、その… お礼がしたいのよ…」
6: 2013/08/21(水) 01:48:19.83
「別にお前に礼を言われるようなことなんて何もしてねーよ」
事実、俺は何もしていない。
雪ノ下に非難されるようなことはしてきても、感謝されることなど何一つしてきてはいないのだ。
「でも… それでは私は… 」
「気にするな。俺は金欠だ。財布の中に400円しかない。ティーカップなんて高価なものどころか、マグカップだって買えやしない」
小町め、妹を愛する兄の気持ちに付け込んでおねだりしやがって。
このシスコン頃しのおねだり上手が。
おかげで、小遣い日まであと半月もあるのにひもじい思いをしないといけないじゃないか。
昼飯のあとのMAXコーヒーが飲めないなんて悲しすぎるだろ?
事実、俺は何もしていない。
雪ノ下に非難されるようなことはしてきても、感謝されることなど何一つしてきてはいないのだ。
「でも… それでは私は… 」
「気にするな。俺は金欠だ。財布の中に400円しかない。ティーカップなんて高価なものどころか、マグカップだって買えやしない」
小町め、妹を愛する兄の気持ちに付け込んでおねだりしやがって。
このシスコン頃しのおねだり上手が。
おかげで、小遣い日まであと半月もあるのにひもじい思いをしないといけないじゃないか。
昼飯のあとのMAXコーヒーが飲めないなんて悲しすぎるだろ?
7: 2013/08/21(水) 01:52:55.70
「比企谷君、あなた馬鹿? 私が礼をしたいと言っているのよ。あなたは私からカップを受け取ればいいだけなのよ。それに、あなたに合った腐ったようなカップを見つけることは容易ではないのよ。」
なんだこいつは。
俺はそもそも雪ノ下から礼をされる覚えはない。
そう言っているのに何逆ギレしているんだ。
しかも、なんで貶められないといけないの?
「そもそも修学旅行のときにあなたが…」
雪ノ下は、突然語気を強めたかと思うと、手をもじもじとさせて急に黙り込んだ。
うつむき加減に目をそらしている雪ノ下の顔は、秋の早い夕日に照らし出されたせいか赤い。
修学旅行の三日目の晩に雪ノ下を怒らせてしまったことをふと思い出してしまった。
あの時の雪ノ下の表情といったら…
よせよせ、俺は過去を振り返ったりしないんだ。
ちょっと惨めになるじゃねーか。
なんだこいつは。
俺はそもそも雪ノ下から礼をされる覚えはない。
そう言っているのに何逆ギレしているんだ。
しかも、なんで貶められないといけないの?
「そもそも修学旅行のときにあなたが…」
雪ノ下は、突然語気を強めたかと思うと、手をもじもじとさせて急に黙り込んだ。
うつむき加減に目をそらしている雪ノ下の顔は、秋の早い夕日に照らし出されたせいか赤い。
修学旅行の三日目の晩に雪ノ下を怒らせてしまったことをふと思い出してしまった。
あの時の雪ノ下の表情といったら…
よせよせ、俺は過去を振り返ったりしないんだ。
ちょっと惨めになるじゃねーか。
8: 2013/08/21(水) 02:07:15.70
なおも食いついてくる雪ノ下に根負けした俺は、一緒にティーカップを買いに行くことにした。
「ちょっと待っててくれ」
急いで自転車を用意して戻ってきた。
「じゃ行くか」
雪ノ下に追いつきざまに声をかけるが、そのまま追い抜いてしまった。
振り返って、
「おい、早く行かないのか」
そう声をかけるが、雪ノ下は歩き出そうとしない。
9: 2013/08/21(水) 02:08:59.65
「その……、一緒にいるのを見られると、ちよっと……」
いつかも聞いたことのあるセリフだ。
こうなったときの雪ノ下は埒が明かない。
「お前が誘ったんだろ。それにどこに行くのかも聞いていない。さらにお前が迷子になったらどうやって連絡とるんだよ」
そう、俺と雪ノ下は互いに携帯の番号はもちろん、メアドの交換をしていない。
方向音痴も甚だしい雪ノ下が迷子になってしまったら、どうするんだよ。
今頃家で寝ているであろう由比ヶ浜にでも訊くつもりか。
小町だってお前の連絡先は知らないし…… まさか、平塚先生にでも電話するつもり?
そんなことにでもなったら、電話とメールの着信がものすごいことになっちゃうよ… それだけはやめてくれない?
平塚先生、どんだけ俺のこと好きなんだよ… 誰か早く貰ってやってよ……
いつかも聞いたことのあるセリフだ。
こうなったときの雪ノ下は埒が明かない。
「お前が誘ったんだろ。それにどこに行くのかも聞いていない。さらにお前が迷子になったらどうやって連絡とるんだよ」
そう、俺と雪ノ下は互いに携帯の番号はもちろん、メアドの交換をしていない。
方向音痴も甚だしい雪ノ下が迷子になってしまったら、どうするんだよ。
今頃家で寝ているであろう由比ヶ浜にでも訊くつもりか。
小町だってお前の連絡先は知らないし…… まさか、平塚先生にでも電話するつもり?
そんなことにでもなったら、電話とメールの着信がものすごいことになっちゃうよ… それだけはやめてくれない?
平塚先生、どんだけ俺のこと好きなんだよ… 誰か早く貰ってやってよ……
10: 2013/08/21(水) 02:10:56.44
「そうね……、誠に遺憾だけど、……一緒に行きましょ」
そう言うと雪ノ下は、俺を追い抜いていく。
毎朝小町にそうしているように雪ノ下を後ろに乗せても良かったが、俺は雪ノ下のあとを自転車を押しながら追っていった。
駅に自転車を置いて京葉線に乗った。
隣同士に座ったが、特に会話はない。
互いにぼっち同士、こうしているのがベストの選択だ。
誰が見てもたまたま隣り合って座った2人しか見えない。
これなら雪ノ下も誰も気にすることはないだろう。
そう言うと雪ノ下は、俺を追い抜いていく。
毎朝小町にそうしているように雪ノ下を後ろに乗せても良かったが、俺は雪ノ下のあとを自転車を押しながら追っていった。
駅に自転車を置いて京葉線に乗った。
隣同士に座ったが、特に会話はない。
互いにぼっち同士、こうしているのがベストの選択だ。
誰が見てもたまたま隣り合って座った2人しか見えない。
これなら雪ノ下も誰も気にすることはないだろう。
16: 2013/08/21(水) 03:36:53.55
京葉線を下車して歩くこと数分、目指していたと思われる場所に着いた。
雪ノ下の動きからそのことがわかった。
いつしか、小町と3人で来たことのある場所だ。
あの時は、陽乃さんに絡まれるわ、由比ヶ浜に勘違いされるわで散々だったな。
雪ノ下は、迷子の仔猫のようにきょろきょろしながら進む。
俺は、そのあとに従う。
あまりにも挙動不審なほどに前後左右を気にするようだったら、そのときはどこへ行きたいのか
声をかけてやろうと思っていた。
しかし、それは杞憂に終わり、紅茶専門店の前で雪ノ下は立ち止った。
雪ノ下の動きからそのことがわかった。
いつしか、小町と3人で来たことのある場所だ。
あの時は、陽乃さんに絡まれるわ、由比ヶ浜に勘違いされるわで散々だったな。
雪ノ下は、迷子の仔猫のようにきょろきょろしながら進む。
俺は、そのあとに従う。
あまりにも挙動不審なほどに前後左右を気にするようだったら、そのときはどこへ行きたいのか
声をかけてやろうと思っていた。
しかし、それは杞憂に終わり、紅茶専門店の前で雪ノ下は立ち止った。
17: 2013/08/21(水) 03:39:33.34
「ここよ」
さすが紅茶好きの雪ノ下だ。
よくとまではいかなくても、たまに訪れてはいろいろとチェックしているのだろう。
さっきの迷い方で、なんとなくそんなことがわかった。
店内に入ると雪ノ下は、物色し始める。
俺は、適当にその辺のものを眺めている。
MAXコーヒー命の俺には、見慣れない嗜好品がいろいろとある。
さすが英国紳士や貴婦人が嗜むだけのことはある。
そう感心していると、ふと雪ノ下が視界から消えていたことに気付いた。
18: 2013/08/21(水) 03:42:41.43
「雪ノ…」
雪ノ下の姿を見つけた俺は一瞬声をかけるが、すぐにやめた。
雪ノ下雪乃は、真剣なまなざしでただ一点だけを見つめていた。
口許に手を伸ばし、なにやらブツブツと独り言を言っている。
「これにしようかしら……、でもそれだと……、いいえ……、やっぱりこれに……」
意を決して手を伸ばそうとする。
しかし、急にそわそわし始めて右を向き、左を向いた。
そして、雪ノ下の美しい横顔に見惚れていた俺と目が合うと何事もなかったようにすっと手を引っ込めた。
前にもこんなことがあったな……
19: 2013/08/21(水) 03:45:47.32
顔をそむけた雪ノ下は、ややしばらくすると、今度はいつものようにジト目を向けてきた。
それを無視するように近づいていく。
「比企谷君、何?」
「何かいいものでも見つかったのかと思ってな」
しらっとそんなことを言いながら、さらに雪ノ下に近づいた。
そして、ほどよい距離感のところで立ち止った。
20: 2013/08/21(水) 03:48:35.58
「じゃあ俺、それにするわ」
「へっ……? 本当にこれでいいの…?」
「だってお前が選んだんだろ?」
「いえ、私はまだその……」
雪ノ下はまだ何か引っかかることがあるのか、歯切れが悪い。
俺がお前のために何をしてやったのかは知らないが、俺なんかのために時間を費やすのは、
人生の駄使いっていうもんだろ…
雪ノ下が決断できないのであれば、俺が解を示したっていいだろう。
「それでいい……、いや、それがいい」
21: 2013/08/21(水) 03:51:30.47
「そう……、それじゃあ会計を済ませてくるわ」
さっと背を向けてレジに向かっていく雪ノ下。
彼女がどんな表情をしているかはわからない。
ひょっとして、俺が選んだのって自分用に買おうと思っていた高価なものなの!?
もしかして怒ってるの?
明日になって法外な金額の請求書を手渡されたりしない?
いや……、俺知ーらない……
22: 2013/08/21(水) 03:54:04.71
先に店を出て、店先の小物を前のめりになって眺めていると、すっと紙袋を持った腕が目の前に
延びてきた。
「はい、お礼…… 比企谷君受け取って。明日部室に持ってくるのよ……」
雪ノ下の表情を確かめたかったが、気が変わらないうちに早く受け取れと言わんばかりに腕を
さらに突き出す。
「ありがとよ」
と一言礼を述べて素直に好意を受け取った。
26: 2013/08/21(水) 06:38:14.93
これで用は済んだ。
もうこれ以上、雪ノ下とここにいる理由はない。
再び互いに無言で歩き始めようとすると、不意に雪ノ下にそっくりな声に呼び止められた。
「あらー雪乃ちゃんじゃないの。それに比企谷君も」
「あー、2人してこんな時間にこんな場所で一緒にいて、ねーデートなんでしょ……、このこの……」
いつもの調子で陽乃さんは、肘で俺をつついてくる。
「デートじゃないわ」
「デートじゃねーって」
「2人ともやっぱり息ぴったりじゃない」
27: 2013/08/21(水) 06:39:53.49
「姉さん、何度言ったらわかるの? なんでこんなのとデートしなければならないの?」
雪ノ下の発言には、全くもって同感なのだが、どうしていつもこういう扱いを受けなきゃならないの?
八幡そろそろ心が折れてしまいそう。
「もうこんな時間だし、そろそろ帰りたいのだから、用がないならさっさと行って」
「雪乃ちゃんのいじわる。どうして、お姉ちゃんにそんなことばかり言うの。でも、今日は用事かあるから
もう行くわね。比企谷君も雪乃ちゃんを泣かせたら、お姉ちゃん許さないわよ……」
陽乃さんは本当に急いでいたようである。
おかけで、俺が手にしている紙袋については、まったく触れられることはなかった。
28: 2013/08/21(水) 06:44:09.37
台風一過である。
再度沈黙の時間が始まる。
俺と雪ノ下は、陽乃さんの瞬間最大風速的な登場について特にコメントすることなく、再び歩き出そうとする。
「くしゅん!」
その時、雪ノ下が普段のイメージとは似つかわしくないほどのかわいいくしゃみをした。
もう冬の始まりだ。
季節の変わり目は風邪をひきやすい。
「由比ヶ浜は風邪を引かない」ってことわざがあるくらいの奴が早退するくらいだ。
いくら氷の女王とはいえ、急激な温度変化には弱いのだろう。
気づけば、俺も肌寒く感じていた。
いつもはとっくにもう家に帰って小町の手料理を食べ終えている頃だ。
こんな時間に出歩くことを前提にしていない俺も雪ノ下も初冬の晩にしてみれば薄着であった。
29: 2013/08/21(水) 06:46:44.98
「雪ノ下、寒いのか?」
「いいえ、大丈夫よ」
「風邪を引いても困るし、なんか温かいものでも飲んでいかないか?」
「あなたさっき400円しか持っていないって言っていたでしょう。私にティーカップ買わせた上におごら
せようとするとは、さすがヒモになりたいって言うだけのことはあるわね」
「うっせー、ヒモじゃない! 専業主夫だっつーの。今ATMで金下ろしてくるから、そこで待ってろよ!
とにかくそこから動くなよ」
30: 2013/08/21(水) 06:49:58.35
全力疾走でATMまで行って金を下ろす。
いざというときのためにお年玉の残りを貯金していたが、思わぬところで使うことになった。
こりゃ、ますます小遣い日が待ち遠しいな……
いざとなったら小町から金を借りるか……
俺ってここまで情けない奴だったとはな…
再び全力疾走で雪ノ下の元へと戻る。
息が絶え絶えしてゼーゼーいってている。
「あなたって人は……」
雪ノ下は呆れたように声をかけるが、その表情は息切れも収まりそうになるくらい明るいもの
であった。
31: 2013/08/21(水) 06:58:52.30
「ところで、この辺に喫茶店はないか?」
「そんなことも知らないでお茶に誘ったわけ?」
雪ノ下は、フゥーとため息をついた。
「リア充じゃあるまいし、こんなところ一人で来るかよ。ぼっち舐めんなよ」
「……。それって、そんな胸を張って言うことかしら……」
こめかみの辺りに手をやり、まるで痛々しいものを見つめるような視線を送ってくる。
悲しくなってしまうから、そんな目で見るのはやめて…
「まぁいいわ……、それならここで飲んでいきましょ」
32: 2013/08/21(水) 07:02:00.76
この店には喫茶コーナーも併設されている。
俺と雪ノ下は適当に目についた席に着いた。
メニュー表を見ても俺には紅茶はさっぱりわからない。
ただひとつわかることは、ここにはMAXコーヒーは置いていないということだけだ。
「お前のおすすめは何だ?」
「そうね、シャンパーニュロゼ辺りは好きだわ。若い女性に人気があるのよ。あなたには全く無縁でしょうけど」
相変わらず俺に容赦のない言葉を浴びせる雪ノ下。
でも、的確過ぎて何も反論できねぇ。
「じゃあ、それにするわ。シャンパーニュロゼを2つ…」
いつも部室で飲む紅茶とは一味違った大人の上品さ。
若い女性に人気があるというだけあって、香りも味も心なしか心地が良い。
雪ノ下が煎れてくれる紅茶もなかなか良いが、これはこれで違う良さを感じる。
33: 2013/08/21(水) 07:06:34.39
紅茶で温まると再び京葉線に乗った。
行きとは違い、家路に向かうスーツ姿の男女で混み合っている。
隣り合った吊り革を並んでつかまっているが、もちろん俺たちの間に会話はない。
そう、これが俺と雪ノ下雪乃の距離感の取り方だ。
ぼっち同士互いに必要最低限以上にはかかわらない。
由比ヶ浜のように俺のパーソナルスペースを肉体的にも精神的にも侵してこない雪ノ下と
過ごすのは心地がいい。
そんなことを考えているうちに、雪ノ下が降りる駅に着いた。
普段は俺もここで降りるのだが、これから自転車を取りにもう2駅乗らなければならない。
34: 2013/08/21(水) 07:10:20.25
「じゃあ」
とだけ述べて雪ノ下は吊り革を離す。
「じゃあな」
と俺も一言返答する。
そんな感じでいつものように別れるのだ。
日々変わらぬ会話、変わらぬ関係―
しかし、雪ノ下雪乃は予想外にも振り返ると満面の笑みでこう語りかけるのであった。
「比企谷君、今日はとても楽しかったわ。ありがとう」
不意を突かれてしまった俺は、すっとんきょうな声で
「ああ…」
と返すのがやっとだった。
36: 2013/08/21(水) 07:16:05.70
それを見てくすっと笑う雪ノ下。
さらに何か話そうと口を開きかけようとする。
しかし、その瞬間ドアが開き、家路に急ぐ人波に押されてしまう。
雪ノ下はドアの外で背を向けて立ち尽くしている。
あまりにも突然のことで驚いてしまったのだろう…
こんなにも動揺する雪ノ下が珍しくて、思わず俺もくすっと笑ってしまう。
そんな雪ノ下の背中を見送るように電車は動き出す。
慌てて振り返った雪ノ下はの右手は胸の近くで中途半端に上げられている。
そして、これまた中途半端に開かれた掌をかすかに振りながら、なにやら口を動かしていた。
「また明日な」
雪ノ下には当然聞こえてはいないが、俺も声に出して応えた。
38: 2013/08/21(水) 07:17:38.43
レスどうもです。
せっかくご覧になっていただいたところですが、これから仕事に行きます。
次はいよいよ最後の場面です。
晩にまたお会いしましょう。
せっかくご覧になっていただいたところですが、これから仕事に行きます。
次はいよいよ最後の場面です。
晩にまたお会いしましょう。
46: 2013/08/21(水) 18:22:25.73
「よう」
「こんにちは、比企谷君」
席に着くと、鞄から小さな包みを取り出し包装紙をはがす。
「あら、ちゃんと持ってきたのね。比企谷君にしては良い心がけじゃない」
俺だって一応学習能力はあるさ。
伊達に総武高に入学してないぞ。
「また紙コップがないからって、入れたての紅茶をすぐにポットに移し替えられてしまっては、
いくら俺でも心苦しいからな」
「そうね……、私もせっかく入れたお茶を捨てるような真似はしたくはないもの」
罵倒されるのかと思っていたら、雪ノ下はくすっと笑いながらそう応えた。
雪ノ下のティーカップの横に自分のカップを並べると、読書を始める。
夏に比べるとすっかりおとなしくなった陽光が心地よい。
47: 2013/08/21(水) 18:26:01.34
「やっはろー」
静寂を破るように部室に入ってきたのは、総武高という単語が最も似合わない由比ヶ浜結衣だ。
「こんにちは、由比ヶ浜さん」
「おう、由比ヶ浜」
「みんな揃ったことだしお茶にしましょう」
「やったあ、おやつの時間だぁ」
48: 2013/08/21(水) 18:27:16.69
いつものように、ガラス製のティーポットに湯を注ぎこむ音が聞こえてくる。
そして、いつものように3つのカップに注がれて、残りは陶製のポットの中へ注ぎ込む。
それから、いつものように保温カバーをかぶせて、紅茶が供される。
幾度となく繰り返されてきたいつもの奉仕部の日常だ。
しかし、今日はいつもと違うことがある。
由比ヶ浜のマグカップが置かれた後、俺の前に真新しいティーカップが置かれる。
「小町がせっかくお兄ちゃんのために温かい料理を用意して待っていたのに、黙って寄り道するんなんて。
今のって小町的に……、えっ……。……ところで、その紙袋の中に入っている包みって何……? もしかして
お兄ちゃんにプレゼント? えっ、結衣さん? もしかして、雪乃さん? ……」
昨晩帰宅した時、小町から厳しい尋問を受けて追及をかわすのにひと苦労した代物だ。
50: 2013/08/21(水) 18:31:44.96
「ヒッキーもやっとカップを持ってきたんだ…」
雪ノ下が煎れてくれた紅茶をすすろうと口元に運ぼうとすると…
「あー、そのカップ…」
途端に檻の中で落ち着かなくなった動物園の猛獣のようにキョロキョロ首を動かし始める。
そして、由比ヶ浜は雪ノ下のカップに目をやると突然静止してしまった。
51: 2013/08/21(水) 18:33:44.39
由比ヶ浜の視線を追った俺も一瞬目を疑った…
「なんで、ヒッキーとゆきのんがおそろいのカップを使ってるの!?」
由比ヶ浜はジト目で俺をにらむ。
「ねー、何でヒッキー!」
黙ってすすっていると、今度は雪ノ下へと体ごと向き直る。
「ねー、何でゆきのん!」
雪ノ下は、まるで他人事のようにまっすぐ前を見つめて紅茶をすする。
「ねー、なんで、なんで」
52: 2013/08/21(水) 18:37:27.34
いよいよ落ち着かなくなって、ますます左右に体を揺さぶり始めた由比ヶ浜。
俺をにらみつける由比ヶ浜のその先に視線を向ける。
それに気づいた雪ノ下がそっとこっちを向く。
そして、ゆっくりと片目をつむった雪ノ下雪乃は、これまで見せたことのない満面の笑みをたたえながら
小首を傾げてこっちを見つめてくる。
恥ずかしさのあまり、思わず目をそむけたくなるほどの眩い視線。
でも、もうここできょどる俺ではない。
胸に湧き上がる想いをすべて目に集めて俺も負けじと見つめ返す。
目をそらすんじゃねーぞ、雪ノ下さんよ…
53: 2013/08/21(水) 18:42:29.03
「ねーねー、ヒッキー聞いてんの!?」
かしましい由比ヶ浜の声は、耳から耳へと抜けていく。
そんなことには、構っていられない。
雪ノ下雪乃は一瞬困惑の表情を浮かべるが、すぐにありったけの笑みでウインクを送り返してきた。
何それ、反則的なまでに眩しすぎるその笑顔…
思わずきょどっちゃってしまいそう…
俺と雪ノ下の大切な確認作業を終えると、再び互いの視線は離れた。
「ねーヒッキー、ちゃんと答えてよ!」
「なんだ、由比ヶ浜。茶ぐらい静かに飲ませろよ…」
-こんな俺にだってラブコメの神様はちゃんといるんだな。
雪ノ下にこんなことを話したら、あいつなんて顔をするんだろうか……
―完―
54: 2013/08/21(水) 18:43:46.91
お粗末さまでした。
初投稿でしたが、楽しんでいただけたでしょうか?
レスをくれた皆さん、最後まで読んでくれた皆さん、ありがとです。
初投稿でしたが、楽しんでいただけたでしょうか?
レスをくれた皆さん、最後まで読んでくれた皆さん、ありがとです。
55: 2013/08/21(水) 18:46:27.49
面白かったよ
乙乙
乙乙
90: 2013/08/24(土) 23:58:41.32
12月。世間一般でいう師走の慌ただしさとは全く無縁の奉仕部。
どこの誰が東やら西やらを向いて走り回っていようが、そんなことはぼっちには関係ない。
そのぼっち代表である俺と雪ノ下雪乃は、いつものように文庫本を読み耽っている。
それにぼっちというよりピッチがもう一人……。
おそらく夏休みの宿題に出された読書感想文を書くとき以外に本を読んだことのないであろう由比ヶ浜結衣。
由比ヶ浜は他愛のないことを雪ノ下に話しかけ、そのたびにニコニコしたりしょぼんとしたり明滅している
照明のごとくその表情が交互に変わる。
そして、取り付く島がなくなると、雪ノ下に抱き付いたりしがみついたりする。
それでも、なおもどうしようもなくなってしまうと俺に助けを求めてくる…
いつもと変わらぬ奉仕部の日常だ。
91: 2013/08/25(日) 00:05:10.72
「ヒッキー、ゆきのんに何か言ってやってよー」
「お前が言って駄目なら俺なんてなおさらだろ……、なに俺を昇天させたいの?」
「あら、比企谷くん、……あなた自殺願望があるの? 昇天したいだなんて……。 確かに、あなたのように無為に
人生を送ってきたために『未来』という言葉が『絶望』という言葉に置き換わるような存在であれば仕方がないのだ
けれど……」
なにそれ、お前の座右の銘ってもしかして「常在戦場」なの?
きっとバレーでサーブが自分の方に飛んできたら、パブロフ先生もびっくりの条件反射でレシーブなしの即スパイク
とか決めちゃうんでしょ?
「ゆ、ゆきのん……」
「お前の耳は腐ってんのか?」
「えっ、あなたは自分の目だけではなく耳までも腐ってしまったことを認めてしまったのね?」
雪ノ下は、こめかみに手を当てて憐れむ目で俺を見つめる。
なんでそうなるんだよ……。
これ以上、雪ノ下と話していたら本当に俺の未来が真っ黒く塗りつぶされてしまいそうな気がしたので、会話を打ち切る。
これまでの人生はほとんどが黒歴史なのに、この先未来永劫真っ暗闇が続くだなんてマジ勘弁。
92: 2013/08/25(日) 00:10:51.19
フー……
ため息を吐きつつ、天敵である雪ノ下が煎れた紅茶に手を伸ばす。
……。
天敵だなんて言っておきながら、一口飲んだだけで自然と笑みが漏れてしまった。
もしかしたら俺はマゾ体質なのかと思ってしまい、自己嫌悪に陥ってしまう……
でも……
-やっばり、こいつの煎れてくれる紅茶ってどういうわけか無性にうまいんだよな……
……否、うまいと言ったらMAXコーヒーでしょ? いかんいかん、MAXコーヒー最高、超最高!
そんなことを考えながら、再び元の場所へと手を伸ばす。
93: 2013/08/25(日) 00:16:57.15
カチャ……
我に返って音の発生源に目をやると、ソーサーに乗ったカップが一つ。
雪ノ下から貰ったお揃いのティーカップだ。
そういえば、あんなにしつこくこのティーカップのことを気にしていた由比ヶ浜が近頃何も話題にしなくなったな…
「ゆ、ゆきのん……、そのー……、ヒッキーと付き合っているの?」
「……由比ヶ浜さん。……私を愚弄しているの? いくら私でも怒ることはあるのよ……」
この時の雪ノ下の放っていた殺気の末恐ろしいこと。
あまりにもの本気度でかなり凹んじゃったんだけど。
いや……、確かに俺と雪ノ下は付き合っていないから間違ってはいないんだけど……。
-でも、あの時俺だけに向けられていた目は一体全体なんだったの……?
94: 2013/08/25(日) 00:19:49.27
再び、この空間に意識が戻される。
ドアが開く音につられて目をやると平塚先生がそこにいた。
「平塚先生、ノックを……」
「いや、悪い……」
雪ノ下の言葉を最後まで聞かずに平塚先生はそう答えた。
そして、さらに言葉を続けながらこっちへと向かってくる。
「比企谷、ちょっと来たまえ」
95: 2013/08/25(日) 00:24:20.04
はぁー……。
職員室から奉仕部の部室までの道すがら、いったい何度ため息を吐いたのだろう……。
ほころびなんてものは何一つなかった。
形式に則ってただその通りにしただけだった。
俺は雪ノ下はもちろんのこと由比ヶ浜にも小町や両親にだってこのことは話していない。
平塚先生が抱いたちょっとした違和感……。
そこからすべてを看破され、俺の心の奥底まで覗かれてしまった。
平塚先生は、こんな俺に対しても気をかけてくれる優しい先生だ。
そんな平塚先生だからこそ、すぐにすべてを理解してしまったのだろう……。
96: 2013/08/25(日) 00:27:07.09
でも怖いよ、平塚先生怖いよ。
俺ってどれだけ愛されちゃっているの?
このままだったら、平塚静トゥルーエンドに向かっていっちゃいそうだよ……。
……そりゃ昔の俺にも「女教師」という単語に反応した時期はあったよ。
美人の女教師に養ってもらって、それから夜はムフフ……なんてことを考えたりもしたけどさ……。
あれっ……、平塚先生で想像しちゃったよ。
……いかん、いかん、これは遺憾だ。
誰か早く先生貰ってやってよ! じゃないと俺が貰われてしまいそうだよ!
97: 2013/08/25(日) 00:31:25.67
「よう……」
「ずいぶん長かったわね」
「ヒッキー、さえない顔しているよ」
「由比ヶ浜さん、この男がさえていたことなんて一度たりともあったかしら? どうせまた、作文か
レポートにくだらないことを書いて説教されていたのでしょう」
その額に手を当てるのいい加減にやめてくれない?
「えーと……、最近作文だとかレポートなんて書いたことないよ。……まさか、ヒッキーとうとう
トイレの壁とかに落書きしちゃったの?」
「なんだよそれ、どこの15歳だよ……。バイクを盗んで夜の街を走り回ったり、それとか校舎に忍び
込んで窓ガラスを割りまくったりしないといけないわけ?」
それに僕はもう17歳ですよ。
由比ヶ浜さんのおつむはまだまだ15歳にも満たないかもしれませんけど。
「なんか今ヒッキー私のこと馬鹿にしたでしょ?」
えっ、由比ヶ浜さん何でわかるの?
もしかして、あなたエスパー?
98: 2013/08/25(日) 00:37:30.99
ブーブーと怒る由比ヶ浜を尻目に席に着く。
そういえば紅茶飲みかけだったな。そんなことをふと思い出す。
気分転換に飲もうと手を伸ばす。その刹那俺のティーカップは雪ノ下に持ち去られてしまった。
えっ、これって会社でよくあるいじめ?
一人だけお茶が出されなかったり、「明日から君の席はないよ」とかいうやつ?
会社ヤベェ、マジヤベェ……、絶対働いてなるものかと思っていると、目の前に再びティー
カップが戻ってきた。
全くの予想外のことに驚いてしまった。
カップを離したその手の先を見上げると雪ノ下と目が合った。
99: 2013/08/25(日) 00:43:25.81
「さ、サンキュー…」
「べ、別にあなたのために紅茶を煎れたわけではないのよ。そ、その、下校時間が近く
なってきて、早く飲み切らないといけないからそうしただけよ。せっかくの紅茶を飲み
切らないで捨ててしまったらもったいないでしょ。あなたそれくらいのことわからない
の? だから、あなたは社会不適応者と言われるのよ」
俺と目をそらすと、一気にまくしたてて俺のことを罵倒した。
よくもまぁこんなにも次から次へと罵詈雑言が出てくるものだなと呆れていると、息
切れでも起こしたのか顔が真っ赤になっていた。
それともう一つ、「下校時間」じゃなくて正しくは「下校時刻」だぞ、雪ノ下さん……。
100: 2013/08/25(日) 00:51:09.07
至福のティータイムを再開しようと思っていたら、再び平塚先生がやってきた。
「君たち、もうそろそろ下校の時間だぞ」
このあと、雪ノ下からは「一滴でも残したら氏んでもらうわよ」と凄まれ、一気に
紅茶を飲み干すはめになった。
この部室にいる限り俺の心に平和は訪れない。
このあと、帰り支度の済んだ2人のプレッシャーを感じながら、ティーカップを洗い
に行った。
大急ぎで戻ってきて素早くカップを拭く。
さすが俺、専業主婦を目指すだけあって手際が良い。
しかし、小6レベルならトップクラスの家事能力という奢りが俺の心の隙を生んだの
だろうか?
雪ノ下のカップの隣に並べて置こうとした時、「カツーン……」と澄んだ音が部室の
中に響き渡った。
なんていうか、余韻が半端ないよ?
こんな「もののあはれ」だとか「侘び・寂び」なんかいらないんだけど。
このときなぜか、背後にいるはずの雪ノ下の怨念の籠った視線や心の声、凄まじい殺気……と
いったものを感じてしまった。
105: 2013/08/25(日) 04:25:57.42
「よう」
「こんにちは、比企谷くん」
「由比ヶ浜は今日……」
「三浦さんとカラオケに行くってメールが来たわ」
俺の言葉を遮るように雪ノ下は言った。
「おい、俺にしゃべらせない気か?」
「だって比企谷くんの声を聞くと私の目まで氏んだ魚のようになってしまいそうだもの」
そうやって、手で目を覆い隠すのはやめてくれない?
比企谷菌はバリアなんて効かないんだから。
あれっ……、なんで俺自分でそういうこと考えちゃうの? 悲しくなってきたよ……
106: 2013/08/25(日) 04:28:35.82
「今日は2人だけだし、早いけどお茶の時間にするわ」
そう言って、パッと手を離す雪ノ下。
比企谷菌の脅威を本気で信じていたのか、よほど強く目を押さえていたらしい。
目隠しがなくなったものの、左目はつぶったままだ。
お前、いくらなんでも押さえ過ぎだろ……なんて思っていると、左目を開けずにそのままスマイル。
「お、おう……」
あまりにも気恥ずかしくて思わず目をそらしてしまった。
「くすっ」
今なんか幻聴を聞いてしまった。
俺は受験を意識して、最近難しすぎる問題集に手を付け始めた。
あまりにもの難しさからストレスを感じている。
きっとその疲れのせいだろう。
107: 2013/08/25(日) 04:31:06.35
いよいよもって俺は病院に行かないといけないようだ。
雪ノ下が紅茶を用意する音に混じって時折鼻歌が聞こえてくる。
しかも、とびきり楽しげな感じのする鼻歌だ。
「比企谷くんどうぞ」
いつもは無言で差し出す雪ノ下がにこっとしながら差し出す。
どうやらおかしいのは俺の方ではなくこいつの方だ。
もしかして、この紅茶に毒でも盛られている?
「さ、サンキュー」
やっぱり俺もおかしいようだ。
いつもは無言で受け取るのにどうしちゃったの俺?
何か緊張してきたよ……。
なぜか上機嫌な雪ノ下の動作をついつい目で追ってしまう。
そんなことにお構いなしの雪ノ下はトレイをポットの隣に戻して、自分の席に戻る。
しばらくティーカップをじっと見つめると微かに笑みをたたえた。
そして、俺の視線に気づいたのか急にいつものすました表情に戻ると俺とお揃いのカップを持ち
上げた。
108: 2013/08/25(日) 04:34:47.98
その瞬間、
「ピシッ……」
華やいだ空気に包まれた部室に乾いた音がにわかにこだました……。
これが号砲だと言わんばかりに、俺はさっと前に向き直る。
我ながら素早い反応だ。
これだと100mで世界新を狙えるかもしれない。
こんなバカな思考でいつまでも気を紛らわすことができるわけもなく、現実の恐怖と向き合わな
ければならない。
や、ヤバい……。
もしかして、これって昨日の……。
落ち着け八幡、落ち着くんだ八幡……。
紅茶を飲んで落ち着くんだ……。
そう自分に言い聞かせて、震える手でティーカップを口元に運んだ。
猫舌の俺にはちょっと熱すぎるが、上品な香りのする液体が口の中に流れ込んで……。
「!」
この風味ってまさか……。
109: 2013/08/25(日) 04:39:09.49
しかし、悲劇は修羅場へと一気に加速する。
「ピシピシッ……」
どうしよう、俺のカップまでも……。
しかも、さっきよりもはっきりと響き渡ってしまったよ。
今すぐこの場から逃げ出そうと避難行動に移ろうとした瞬間、絶対零度の冷気に襲われた。
「ひ、比企谷くん」
「ふぁ、ふぁ~い」
や、ヤベェ、こ、声がうまく出せない……
「い、いったいこれって……、どういうことかしら!?」
冷たいオーラを放った氷の女王が迫ってきた。
-俺のLPはこの瞬間ついに0になった。
110: 2013/08/25(日) 04:48:52.08
思い出すだけでおぞましい氷河期と間違えてしまいそうな罵詈雑言のブリザードがようやく去
った。
絶対零度の寒気にすっかり身も心も凍てついてしまった。
間違いなく人生最大のトラウマになりそうだ。
雪ノ下のスキル「瞬間冷凍」が発動され、このまま永眠までいざなわれてしまうかと思ったが、
俺の機転の利かした言葉でその効果は解除された。
「せ、せっかく今日は……、あ、あの時の紅茶を煎れてくれたのに……」
そう、今日雪ノ下が煎れてくれた紅茶は、俺のティーカップ -それも雪ノ下とお揃いのものを
買いに行った時に2人で飲んだシャンパーニュロゼだった。
「比企谷くん、ちゃんとこの味覚えていたのね……」
にこっとした顔を見せるが、目は笑っていない……。
「……この味忘れていたら……」
わ、忘れていたら……、ゴクリ。
「……比企谷くん、あなた氏んでいたわよ」
そ、その顔、シャレになってないから!
この紅茶の持つ特別な意味を理解したうえで味をどうにか覚えていたおかげで、俺はどうにか雪
ノ下に殺されずに済んだのだ。
111: 2013/08/25(日) 04:52:12.59
しかし、余熱でときどきパリッと音がする。
そのたびに雪ノ下の目に射すくめられる。
早く有効な手立てを打たなければ、雪ノ下の前に伏せられているトラップカードを発動させること
になり、今度こそ確実に息の根を止められてしまいかねない。
それに、いつまでも雪ノ下に黙っているわけにはいかないことがあった。
自分でどうにかするわけにもいかないので、このことは自分の口からしっかりと伝えなければなら
ないだろう。
こうなると導き出される結論はただ一つだ。
112: 2013/08/25(日) 04:56:25.85
「なぁ雪ノ下、悪いけど今からティーカップ買いに行くの、……付き合ってくれないか」
あまりにもの緊張のあまり一瞬言葉に詰まってしまった。
心臓の鼓動がドキドキなんてものではない。
もうバクバクと動悸していたといった方が正しいだろう。
特に「付き合ってくれないか」のところが……、下手したら瞬殺されちゃいそうだし。
いや、自己欺瞞だ。
雪ノ下にあのことを話すのが怖くなってきた……。
「いいわよ。断る理由何ないし」
いとも簡単に笑顔でにっこり返されてしまった。
極度の緊張状態から予想外な解放のされ方をしたためか、膝がカクっとして安堵のため息が出た。
……しまった! 雪ノ下に今のを見られてしまった。
「……比企谷くん、今のリアクションは何かしら。私のことを一体全体何だと思っているのかしら」
再度雪ノ下の鋭い眼光の餌食になった俺は、LPがまた0になってしまった……。昇天。
113: 2013/08/25(日) 05:00:37.16
京葉線の各駅停車に乗って4駅先に向かう。
隣同士に座ったが、やはりぼっちの習性上会話はない。
でも、決して息苦しいわけではない。
むしろ互いに心地よい距離感を保っているのである。
そう、俺と雪ノ下雪乃はこれでいい。
でも、これからは……。
そんなことを考えていると、ブルッとポケットの中で携帯が震えた。
平塚先生からメールだ。
雪ノ下の目を気にしながらメールを開く。
相変わらずの長文だ。
思わずゲッ……と声が漏れてしまう。
120: 2013/08/25(日) 05:30:54.82
「小町さんからメール?」
いつもは俺のことなんかそこら石のように無視するのに今日はやけに食いついてくる。
「いや違う」
そうだったらどんなにありがたかったことか。
いや、小町からだなんて贅沢はこの際言わない。
材木座からでも良かった。
なんでこんな時空気読んでくれないんだ、材木座……。
あまり思い出したくない奴だが、こんなときに頼りにしてしまう自分が心底情けない。
……あっ、そういえば、あいつからの鬱陶しいメールを受け取りたくないばかりにメアド変えた
んだったけ……
そうだ、あいつが俺にメールを送るとメーラー・ダエモンさんとかいう外国人が俺に変わってレス
してくれるようになっていたんだ。
なんてことしてしまったんだ、俺。
115: 2013/08/25(日) 05:20:04.73
「……誰?」
誰とおっしゃいましても、ねぇ……。
ところで、ちょっと目つき悪くなっていませんか?
「……誰?」
なおも追及が続く。
浮気の証拠を見つけたときの妻ってこんな感じなんでしょうか?
そういえば小町が嫁度チェックをした時にこいつは、「追い詰める」って答えていたよな。
そのあと、「問い詰める」とも言っていた。
まさか、これ?
僕怖いよ。
ところで小町、嫁度ってなに?
間違いなく、雪ノ下は鬼嫁だよ……。
116: 2013/08/25(日) 05:22:01.33
雪ノ下の視線がいつまでも絡み続けているので、とうとう観念して答えた。
「平塚先生だよ」
「そう…」
大して関心がなかったのか、前を向き直す。
ホッと胸をなでおろしたのも束の間、隣で顎に手をやり考え始める。
そして、一体どういう結論が導き出されたのか急に険しい表情に変わる。
「比企谷くん、そういえばいつだったか平塚先生とメールを交わしているような口ぶりで話していたわね……」
顔は笑っていても目が怒っているんだけど…
「……どんなやり取りをしているのか見せてもらえないかしら?」
117: 2013/08/25(日) 05:23:52.39
こ、怖ぇよ超怖ぇよ、雪ノ下さん。
少しずつ視線をそらすと顔ごと動かして俺の目をじとっと睨んでくる。
「いや、ちょっとデリケートな問題がありまして……」
言葉を続けようとしたが、ぴしゃりと打ち切られた。
「私にとってもデリケートな問題であるのだけど……」
平塚先生、なんでこんなタイミングにこんなメール送ってくるんだよ。
もしかして俺貰われてしまうの?
「比企谷くん……、あなた私に……、一体何を隠しているの!?」
雪ノ下がそう言い終えたところで降車駅に着いた。
134: 2013/08/25(日) 15:36:09.30
俺と雪ノ下雪乃は2人並んで次の駅のホームにあるベンチに座っている。
京葉線の中でも特に利用客の少ないこの駅。
まだ夕ラッシュの時間帯を迎えていないせいか、ホーム上にはまばらにしか人がいない。
なんでこんなところにいるのかって?
前の駅に着いた時、俺が立ち上がっても雪ノ下はただうなだれているだけで反応しなかった。
せっかく2人で新しいカップを買いに来たのだ。
このまま置き去りにしていったら本末転倒だ。
お前の知りたいことを全て話すから次の駅で一緒に降りてくれと説得してここに至ったわけだ。
135: 2013/08/25(日) 15:38:03.04
しかし、俺も雪ノ下も会話のきっかけがつかめないまま空虚な視線を足元に送って、ただ無言で
座っている。
俺が隠し事をしていると確信に至った時の雪ノ下の表情は、修学旅行で海老名さんに嘘の告白を
した時に俺に向けられたものと同じだった。
あの時、足早に立ち去っていった雪ノ下を追いかけることが俺にはどうしてもできなかった。
でも、それ以上に雪ノ下の背中を見ているのはもっと辛かった。
もう2度とあんな雪ノ下の表情なんか見たくないし、繰り返したくはないと思っていた。
それなのに……。
136: 2013/08/25(日) 15:39:14.28
快速電車が勢いよく通り過ぎる。
凄まじい風圧と一緒に感触の違うものが頬に当たってくる。
水滴……いや、雪ノ下の涙だった。
最後の一両が眼前を通り過ぎたとき、西日に照らされてきらりと滴が光った。
そして、俺の頬に当たって弾けた。
ホームの上には再び静寂が訪れた。
雪ノ下と話をするのは今しかない。
なぜかわからないが、そんな気がして口を開いた。
137: 2013/08/25(日) 15:41:48.10
「雪ノ下……」
長く感じられるほどの間をあけて雪ノ下は答えた。
「何?」
「さっき、あとで全部話すって言ったよな……」
「ええ……」
雪ノ下に届くはずの夕陽は俺の体が遮っているので、表情はわからない。
「あれな……、決してお前を失望させるものではないから……」
「そう……」
足元をおぼろげに見ている雪ノ下の表情はやはりわからない。
138: 2013/08/25(日) 15:43:42.88
地平に向かって赤々さを増していく冬の太陽へと顔を向けた。
太陽の放射熱を浴びて俺の顔は紅潮した。
「でも……、お前に呆れられるかも知れない……」
力なくだらんと垂れ下がっていた雪ノ下の掌が急にギュッと固まった。
そして、俺の方に向かって体を斜めに向けた。
その気配に慌てて俺も雪ノ下の方に体傾けると、夕日に照らし出された雪ノ下の顔が眩しく見えた。
「それって、信じていいのかしら?」
「もちろんだ!」
雪ノ下がこのあと、くすっと微笑んだ時の赤味を帯びたあの美しい笑顔は決して忘れることはないだろう……
139: 2013/08/25(日) 15:46:45.77
「そろそろいったん改札を出て乗り換えようか」
そう言って立ち上がろうとすると、雪ノ下がこう言った。
「以前、小町さんが『信じる』って言ったことがあるわよね……」
「ああ……」
「あの時はまだ中学生なのにってただただ小町さんに感心したのだけれど、今はそんな気持ちにさせて
くれる言葉を教えてくれた小町さんに心から感謝しているわ」
まっすぐな目をしてこう言ったあと、今度はいたずらっぽい表情で俺の方を見ながらこう続けた。
「小町さんがあんなにもしっかりとした子に育ったのは、あまり認めたくはないのだけれども、あなた
のおかげでもあるわね」
小町のお兄ちゃんとしてはちょっと微妙だけど、俺の屑っぷりも賞賛されてしまったよ。
でもあれだな……、雪ノ下と小町だと末永くうまくやっていってくれる気がする……っておい、
俺何考えているんだよ。
ひとりで妄想を膨らませてしまって、勝手に赤面してしまった。
140: 2013/08/25(日) 15:50:44.42
再び京葉線に乗って駅そばの巨大商業施設の中にある紅茶専門店を訪れた。
目が合った店員に「あら……」という表情をされた。
確かに、制服を着た高校生が2人で何度もやってくるような店ではない。
それに何度か訪ねているうちに顔を覚えられているであろう雪ノ下もいつもは一人で来ているはずだ。
店内に入ると、雪ノ下は俺から幽体離脱をした魂のごとくスッと離れていく。
悲しいかなぼっちの習性だ。
141: 2013/08/25(日) 15:54:13.17
俺はすかさず雪ノ下の横に並び、一緒にティーカップをのぞき込む。
「ひ、比企谷くん……」
顔を赤らめ、一歩後ずさりしながら弱々しい声でこう言った。
「せっかく2人で見に来ているだろ……」
お前何やってんの? という感じに軽く溜息を吐いてみせる。
俺に馬鹿にされることは雪ノ下にとっはて最大の屈辱のはずだ。
しかし、雪ノ下はなにをそんなに焦っているのだろう。
「だ、だって……、……恥ずかしいでしょ」
声が小さすぎて、何言ってんのか聞こえないよ。
144: 2013/08/25(日) 15:56:43.93
フッと思わず自嘲した笑いが漏れてしまう。
「なに笑ってんの!?」
これ以上笑ったら頃すわよという凄みのある顔で睨んでくる。
「違うって……。さっきまでの俺がくだらなく思えただけだ」
自分のくだらない手順とやらにとらわれて、雪ノ下を失おうとしていたのだ。
その愚かさに今更ながら気づいたのだ。
145: 2013/08/25(日) 16:00:36.21
俺が雪ノ下の横に立つたびに、一緒にカップをのぞき込むたびに、わさわざ横に一歩後ずさる
雪ノ下に苦笑しながら俺たちはおそろいのティーカップを選んだ。
俺が珍しく真剣になって眺めていたカップを雪ノ下が気に入ったのでこれに決定した。
「腐った目をしているのにこういうものを見つけ出すことができるのね」
きょとんとした仕草をしながらこう言った雪ノ下。
なにそのしぐさ……
可愛すぎるだろ!
俺が店員を呼びに行っている間に、店内を一人回っている雪ノ下。
会計を済まそうとレジの前に立っていると、ひょこっとやってきた。
146: 2013/08/25(日) 16:03:20.36
店員がカウンターの奥からティーカップの箱を持ってくる。
それを見て、雪ノ下の表情が一瞬こわばった。
「ああ、これか……。これはな- 」
俺の説明に耳を傾けて納得した雪ノ下。
そして、その表情が柔和さを取り戻した。
151: 2013/08/25(日) 20:44:44.48
会計を済ませ、店を出た俺たち。
さて、いよいよ本丸だな。
雪ノ下を促して俺が先に歩きだした。
慌ててひょっこり俺の横に並んで歩く雪ノ下。
そんなに慌てなくてもいいよ。
俺がお前のこと離すわけないだろ……。
152: 2013/08/25(日) 20:46:28.21
吹き抜けになっている広場に向かって歩く。
ここからエスカレーターに乗って上の階に行くと俺の目指す場所がある。
広場には巨大なクリスマスツリーが立っていた。
リア充どもが信奉する偶像だ。
いつもならすぐさま視界の外に追いやってしまうのだが、心に余裕が少しできたせいだろうか、
今日の俺はいつもとちょっと違った。
ふと、高さはどんなもんだろうかと思って、根元から先端にある星まで視線をずらしていった。
そんなことをしていると、自然と足もはたと止まってしまった。
153: 2013/08/25(日) 20:48:12.57
「比企谷くん、あなたにとってこういう都合の悪いものは透けて見えて、存在しなかったことに
なるのかと思っていたわ?」
俺は裸の王様かよ。
それに透けて見えるって……、その慎ましやかな胸とか見たいとか思ったことはないからね? ゴクン……
「あ、あなた、いったい今どんな妄想をしていたのかしら?」
胸のあたりで手をクロスして身を縮みこませながらも、見るものを瞬く間に殲滅させるような
強烈な殺気を放ちながら思いっきり睨んでいる。
「きれいだな」
ごまかすようにツリーに目をそらしぼそっと呟いた。
「ええ、きれいね……」
機嫌を直した雪ノ下が乗ってくる。
「ちょっとあそこで休むか」
クリスマスツリーを見上げることのできるベンチに腰掛け、2人ともぼーっとツリーを眺めて
いた。
時折お互いの表情が気になって目が合うと、また慌ててツリーの方を見てしまう。
そんなことを何度か繰り返し、至福の無言のひとときを過ごした。
154: 2013/08/25(日) 20:49:27.17
「じゃあ、そろそろ行こうか」
真顔でそう話しかけると、ちょっと緊張した面持ちで
「ええ」
と答えが返ってきた。
いよいよ雪ノ下に全て打ち明ける時が来た。
今度こそ……。
155: 2013/08/25(日) 20:51:48.27
エスカレーターに乗って2階の書店へと向かった。
「ここだ」
店内に入ると俺が先頭になって書架と書架の間を縫うように歩く。
雪ノ下も俺に続く。
「書店と何か関係あるの?」
雪ノ下はまだ何も飲み込めていないようだ。
まるで、これって何か隠すようなことかしらという風にきょとんとしていた。
真実を知ったとき、一体どんな反応をするのだろうか。
156: 2013/08/25(日) 20:53:40.92
「参考書を買うんだよ」
振り向きざまにこう短く答えた。
再び体を反転して先へ進もうとしたとき文庫棚の下の方に平積みになっていた本に俺のカバンが
引っかかってしまった。
その衝撃で棚から何冊もこぼれ落ちてしまった。
「笑ってないで手伝ってくれよ」
雪ノ下は一冊の本を拾い上げて表紙を見ると顔を赤面させながらキッと睨んできた。
えっ、何? こっちはテンパっていて本の表紙を見るどころじゃないよ。
「比企谷くん、あなたはいったいこんな本で何を参考にしようとしていたのかしら」
えっ、何? その凄まじいまでの殺気は。スカウター壊れちゃうよ?
プルプル震える雪ノ下の手に掴まれていたのは「喪服妻」だとか「絶頂」だとか18禁的なワードが
強調フォントで躍り、淫靡な表紙絵が扇情的に描かれている官能小説だった。
えーん。これは事故、事故だってー。
157: 2013/08/25(日) 21:01:19.57
「高校用参考書」と書かれた一角に来た。
そして、とある教科のコーナーで立ち止まる。
雪ノ下はその教科名を知って目を真ん丸に見開いて驚く。
こんな驚いた顔を見るのは、由比ヶ浜んちの犬を見た時以来だよな。
「ま、まさか、あなた……国立文系を……」
「そうだよ」
横を向いてぶっきらぼうに答える俺。
「だ、だから、俺はさっきのメールでお前に知られたくなかったんだよ……。ほら……」
158: 2013/08/25(日) 21:02:56.72
-------------------------------------------------------------------------
差出人:平塚静
題名「雪ノ下さんにはちゃんと伝えました か(笑)」
本文「比企谷くん、昨日は君の口からあん な重大発表を聞かされるとは思っ
て いませんでした。正直なところ大変 驚いています。数学を捨てていた君
が、まさか今から勉強して国立文系 を志望するだなんて今までの君から は考
えられません。まさに恋は盲目 ですね。おっと、しつれいしました (笑)た
だ闇雲に問題集を解いてい ても君は基礎学力がついていないか ら学習の仕方
を考えなければならな いと伝えました。せっかくすぐそば に雪ノ下さんがい
るのだから、彼女 の力を借りて本当の春を掴んでみて はどうでしょうか(笑)
応援しています。
-------------------------------------------------------------------------
メールを見るや、かぁーーっと顔を真っ赤にした雪ノ下。
テンパりながらも言葉を紡ごうとする。
「それって……、私と……お、同じ大学に……」
一所懸命言おうとしているのだから最後まで待ってやるのが礼儀だろう。
「同じ大学に……入りたい……ってこと……」
164: 2013/08/25(日) 22:02:25.07
でも、俺は礼儀に反してこくりと頷いて返答に変えた。
ああ、そうだよ。
俺はお前のことが好きだ。好きで好きでたまらない。雪ノ下雪乃のことを心底愛している。
だから片時もお前のそばを離れたくない。
だけど、今更俺には国立理系は無理だ。
努力もせずに無理だというのは、お前嫌いだったな……
でも、俺に今できる精一杯の努力をしたら国立文系に……、お前と一緒の大学に通うことぐらい
ならできるかもしれない。
女の子にあんなことを言わせておきながら自分の気持ちを言わないのは卑怯だ。
しかし、今はこうするしかないんだ。
165: 2013/08/25(日) 22:04:34.39
そう心の中で言い訳しても雪ノ下は許してはくれない。
「あなた、すべて話すって言ったのに、私にだけあ、あ、……あんなこと言わせるつもりなの」
さっきのことを思い出したのか、もうしどろもどろだ。
こんな雪ノ下だったら毎日でも見てみたい。
俺も見ていて赤面しちゃった……。
「いや、俺も言葉にできなくてなんていうかものすごくもどかしいんだけど……」
「たけど?」
雪ノ下が早く言ってよと言わんばかりに迫ってくる。
176: 2013/08/25(日) 22:44:59.06
「だけど、これの件があるだろ……」
右手に提げていたティーカップの入った紙袋を持ち上げて見せつける。
雪ノ下は顎に手をやりながら、
「そうねぇ……、比企谷くんの意気地なしな部分を差し引いてもそれについては致し方ないわね……」
と自分に言い聞かせるようにブツブツと言う。
そして、俺に軽くウインクしながらこう言った。
「国立に入ったらいつでも聞かせてくれるはずだもんね、ひ・き・が・や・くん」
俺、浪人しちゃたら本当に殺されるかもしれない……
雪ノ下の笑顔に負けないくらいの笑顔を作ったのに、いつの間にか顔が引きつって来ちゃったよ……
「あら心配しなくても大丈夫よ。私が調きょ……いえ、たっぷり勉強を見てあげるわ」
いやいや、そんな笑みにごまかされませんよ。今あなた調教って言っていませんでしたか。
167: 2013/08/25(日) 22:09:28.79
雪ノ下雪乃監修のもと初歩的な参考書とページ数の少ない問題集を1冊ずつ購入した。
まるで自分のことのように真剣になって探してくれた雪ノ下の横顔に魅了されっぱなしだった。
このあと、南館まで移動してサイゼに入った。
雪ノ下にはいろいろと謝ったり、礼をしなければならない。
それから、雪ノ下に話す前になぜ平塚先生に知られてしまったかもまだ説明していない。
とりあえず、今回のいきさつについて説明した。
168: 2013/08/25(日) 22:11:24.83
来週、センター対策のマーク模試がある。
学校で申し込みの斡旋をしていたので、俺はそれに申し込んだ。
元来受験しようと考えていた私立文系は英・国・社の3教科だけでよかったが、今回俺が申し込
んだ国立文系は数・理も含めた5教科だ。
模試の当日は個人シートに志望校を書くので、このときはさすがに平塚先生にはバレてしまう。
だから、そうなる前に雪ノ下にはちゃんと話そうと思っていた。
しかし、模試の代金は3教科と5教科で違っていた。
平塚先生のことだから封筒に書かれた金額と中身があっていることだけ確認して、誰が何教科
受験するなんて気にしないだろうと思っていた。
事実そうだったらしい。
169: 2013/08/25(日) 22:17:32.47
でも、ふと俺の名前を見つけたときに「比企谷ももう少し数・理に身を入れて勉強すれば国立
だって行けるのになぁ」と思ったそうだ。
それと俺がもしかして模試代をちょろまかしていないかと中身を改めようと思って表書きを見る
とそこにはなぜか5教科の金額が書かれていた。
これは親を騙しているなと確信して腕まくりしたそうだ。
ところが、封筒の中身もちゃんと5教科分入っていた!
そこ驚くところじゃないでしょ……。
それで思わず面喰って俺を呼び出したっていうのが事の概要だ。
もうちょっと続けると、国立文系から雪ノ下とのことを勘ぐられことになった。
追及の手から必氏に逃れようとしたが、ついには完落ちさせられてしまった。
170: 2013/08/25(日) 22:26:56.31
「あなたがあまりにもあなたらしかったせいで、余計なことまでバレてしまったのね」
と手で額を押さえていた雪ノ下に思わずごめんと謝ってしまった。
「だけれども、私はそんなあなたが……」
といたずらっぽく笑った。
その続きが気になるんだけど、ねー聞かせて。
「……嫌いではないわ」
えっ……。
なんだよそれ……。
期待していた言葉が聞けず、ショックのあまりがくっと肩を落としてしまった。
「あら比企谷くん、この私になんて言って欲しかったの?」
ものすごく意地悪な言い方で言われてしまった。
「なんでもねーよ」
こういうのは相手にせがまれて言う言葉ではないしな。
「それに……、あなたもさっき言ってくれなかったしね」
そう告げた雪ノ下の表情は笑っているのか怒っているのかは俺には理解しかねた。
171: 2013/08/25(日) 22:29:23.87
「ところで……」
言葉を区切って話す雪ノ下の表情が急にじとっとしたものに変わった。
「ところで……?」
なんか嫌な予感がしてきたよ。
「……平塚先生と親しげにメールしているのは看過できないわね」
なに、急に声まで怖くなったんだけど。これって、今日何回目?
だから平塚先生、もう貰ってあげたり、貰われたりできないから!
誰か、誰か早く貰ってあげて!
178: 2013/08/25(日) 22:53:31.68
「よう」
「こんにちは、ひっきが~やくんっ」
甘ったるい声であいさつをしてくる。
「バカっ! 由比ヶ浜に見られたらどうするんだよ!?」
「由比ヶ浜さんなら今日は進路相談の日なんでしょ。由比ヶ浜さんがそう簡単に平塚先生が帰して
貰えるわけないじゃない」
はい、ごもっとも。
由比ヶ浜には悪いが2人で声に出して笑ってしまった。
雪ノ下がこうやって声に出して笑ったところなんて見たことがないな。
いや、俺も声を出して笑うのは何年振りだろう。
179: 2013/08/25(日) 22:56:38.17
「早くお茶の時間にしたいのだけれど」
もじもじする雪ノ下を見ると怒っているようにも照れているようにも見えて何とも判断しかねる。
ただ、じらしプレーや放置プレーは禁物だ! 俺の命が危うくなる!
「悪い……」
慌ててカップの入った包みを開いて取り出す。
俺のカップを手に取った雪ノ下は満足げにふふんと鼻歌を歌いながらポットまで移動した。
「さぁ、いただきましょう」
「いただきます」
「いただきます」
2人でハモって紅茶を啜る。
もちろん、茶葉はシャンパーニュロゼだ。
慈しむかのように上機嫌でカップを撫でる雪ノ下を見ると、まるで自分が撫でられているみたい
でなんだかこそばゆい。
180: 2013/08/25(日) 22:58:45.88
確かに、俺と……、比企谷八幡と雪ノ下雪乃は付き合ってはいない。
でも、……
「やっはろー」
「こんにちは、由比ヶ浜さん」
「お、おう……」
シリアスなことを考えているときに由比ヶ浜がやって来たもんだから、思わずきょどってしまった。
平常心を装うために紅茶を口元に運ぼうとする。
そのカップを見た由比ヶ浜が疑問を口にする。
「あれー、ヒッキーそのカップどうしたの?」
「……。おととい雪ノ下のカップにぶつけてしまっただろ、それで割れてしまったんだ」
紅茶を一口飲んでからそう答えた。
181: 2013/08/25(日) 23:00:46.29
「……。うーん、そうなるとゆきのんも……」
なんだかぶつぶつ言いながら考え込んでいる。
そして、雪ノ下の方を向いた。
「あー、ゆきのん! ヒッキーと同じカップだー! どういうこと!?」
雪ノ下は相変わらず涼しい顔で「それが何か?」と無視せんばかりに飲んでいる。
「ねー、ゆきのん!」
雪ノ下はなおも由比ヶ浜を無視して、すたすたとポットの方に進んでいく。
由比ヶ浜はただただオロオロするばかりで、雪ノ下の背中と俺とを何度も交互に見比べる。
182: 2013/08/25(日) 23:03:35.17
「はい、由比ヶ浜さん」
真新しいティーカップに煎れたての紅茶を注いだ雪ノ下が戻ってきた。
「……!! ゆきのん! ヒッキー! ありがとう」
由比ヶ浜は騒々しいくらいに大喜びした。
そう、由比ヶ浜の前に差し出されたのは俺と雪ノ下と同じティーカップだ。
183: 2013/08/25(日) 23:09:02.85
-俺がティーカップを購入した時のことだ。
店員がバックルームからレジカウンターに3箱持ってきたのを見て、雪ノ下の表情が一瞬に
してこわばった。
「ああ、これか……。これはな……」
こんなこと自分で言うのは恥ずかしいが、俺しか見えなくなった雪ノ下は冷静な判断ができなく
なっていた。
なら、大事なことに気付かせるのが俺の役目だ。
「……さすがに今回も俺たちだけ別のお揃いのティーカップってわけにはいかないだろ。だから、
もう1個買うんだよ。もし、よかったらこのカップだけ折半してくれないか」
俺のその言葉にハッとした雪ノ下は顔を朱に染めて、明後日の方向を向いた。
「そ、そんなことぐらいわかっているわよ。ひ、比企谷くん」
羞恥のあまりに声が震えていた雪ノ下を笑わないようにこらえるのが大変だったことは、本人に
黙っておこう。
184: 2013/08/25(日) 23:14:54.82
「やったー、ゆきのんとヒッキーと同じカップだ~。同じカップで同じ紅茶だ~」
そうはしゃながら飲む由比ヶ浜を挟んで俺と雪ノ下の目と目が合った。
「俺は知っているぞ」と目で合図をする。
「えっ、何のこと?」と小首を傾げてとぼけている。
雪ノ下はティーポットにいつもの茶葉と一人分のお湯を入れて紅茶を作っていた。
だから、由比ヶ浜は俺たちとは違う紅茶を飲んでいる。
雪ノ下はあの紅茶を2人だけの特別な紅茶だと考えているようだ。
もちろん、俺もそのつもりだ。
仕切り直しに再び視線を合わせなおす。
もう一度互いの気持ちを確かめ合うための大切な儀式だ。
お互い柔和な笑みをたたえると目と目は離した。
186: 2013/08/25(日) 23:17:59.65
確かに、比企谷八幡と雪ノ下雪乃は決して付き合ってはいない。
直接的な言葉で互いの気持ちを伝えあってもいない。
傍から見れば、ただ単にそれっぽい視線を交わしただけにすぎないだろう。
たけど、そこには当事者たる2人にしかわからない意味はちゃんとある。
それに俺たち -比企谷八幡と雪ノ下雪乃はしっかりと心で結ばれている。
だから、今は言葉なんか必要ない。
……いや、いつの日か必要となるその時のために大事にとっておこう……。
-ラブコメの神様よ、これでいいんだよね?
でも、ちょっと自信がないから雪ノ下に訊いてみてくれない?
―完―
187: 2013/08/25(日) 23:19:07.05
以上でした。
皆さん、どうもありがとです。
皆さん、どうもありがとです。
189: 2013/08/25(日) 23:38:11.35
乙
面白かったよ
面白かったよ
190: 2013/08/25(日) 23:44:04.83
おつ!
196: 2013/08/26(月) 05:52:51.91
レスどうもです。
大学編って…… ゴクリ……
続編書いていたときに一度没にしたネタから一つと書いている途中にちょこっと浮かんだ
「ゆきのんの八幡専用家庭教師 in 奉仕部」みたいのを合わせたものだと書けるかも……
ただ、今週は週末になるまでプロットを立てる時間が取れません。
一度全部書き上げてから分割して貼っていくスタイルなのでちょっと時間がかかりますが、
まずはそんなところでもいいですか?
大学編って…… ゴクリ……
続編書いていたときに一度没にしたネタから一つと書いている途中にちょこっと浮かんだ
「ゆきのんの八幡専用家庭教師 in 奉仕部」みたいのを合わせたものだと書けるかも……
ただ、今週は週末になるまでプロットを立てる時間が取れません。
一度全部書き上げてから分割して貼っていくスタイルなのでちょっと時間がかかりますが、
まずはそんなところでもいいですか?
214: 2013/08/31(土) 22:27:17.68
フゥー……。
日曜日だというのになんでこんな時間まで学校にいるわけ、俺。
只今の時刻は、18時55分。
もうすぐ冬至を迎える時分だ。
窓の外を見ると夜の帳がすっかりと下りている。
今日は学校で斡旋していたセンター対策のマーク模試で朝の8時過ぎから登校していた。
3教科3科目の私立文系から急遽国立文系へと鞍替えした俺は5教科7科目に渡る長き戦いから、よう
やく解放された。
もうだめだ、目だけでなく頭まで氏んできた。
こんな自虐ネタが思いついてしまうくらい本当に疲れた。
このまま机に突っ伏して寝てしま…
「比企谷、もうそろそろ帰りたまえ」
俺の睡眠を阻んだのは、担任の平塚先生だ。
「私はこれから君たちのマークシートをチェックして予備校に発送する仕事が残っているんだ。
だから早く下校してくれ」
クラスの連中は俺がぼーっとしている間にすでに下校していた。
215: 2013/08/31(土) 22:29:02.10
さて、俺も……。
マークシートの数を数え直している平塚先生を教室に残し俺は廊下に出た。
普段は喧騒に包まている廊下には俺一人しかいない。
無理に人付き合いすることをあきらめてぼっちの道を究めんとする俺にとっては最高のシチュエー
ションだ。
気付けば疲れも吹き飛んでしまい、むしろすがすがしい気分になった。
階段を下りて玄関に向かう。
もう既に俺以外の生徒は下校したのだろう。
玄関ホールの電気は必要最小限にぽつぽつと点いていた。
その薄明かりの中に人影が一つ、ぽつりとあった。
もしかして見えてはならないものが見えてしまったのではないだろうか……。
一瞬ひるんだが、いくら霊でも俺みたいな捻くれたぼっちには用はないはずだ。
どうせならリア充にでも取り憑いてくれと思っていると、その人影が見覚えのある人物であること
に気が付いた。
それは雪ノ下雪乃 - 人嫌いの俺がそのすべてを受け入れることができるただ一人の人物だ。
おっと……、妹の小町を忘れていた。
216: 2013/08/31(土) 22:31:33.55
「あら比企谷くん、こんな遅くに奇遇じゃない」
何があら奇遇だよ。
こんな時間に薄暗い玄関にたたずんでいるお前の方がよほど奇特だよ。
そう思いながら声をかける。
「雪ノ下、お前こそこんなところで突っ立ってなにしているんだ」
「あ、あなたの結果が気になって、……待っていたのよ」
俺が近づくと顔をそらしてだんだんと消え入りそうな声でそう答えた。
てっきり悪態をつかれるものだと思っていた俺はいきなりのときめきシチュエーションに戸惑って
一瞬返す言葉を失ってしまったが、
「結果か……、帰ってからもうひと勉強だな……」
となんとか言葉を繋いだ。
217: 2013/08/31(土) 22:33:58.77
玄関を出ると、暗闇が広がっていた。
いつもならここで分かれて自転車乗り場に向かって別れていく。
でも、今日はそういうわけにはいかないだろう。
急に国立文系を目指すことになった俺の受験科目は国語、社会、英語の3教科3科目から国語、社会
2科目、数学2科目、理科、英語の5教科7科目に増えた。
そんな俺のこと心配して雪ノ下は待ってくれていたのだ。
それに雪ノ下と一緒の時間だって過ごしたい。
「なぁ雪ノ下、一緒に自己採点しないか」
218: 2013/08/31(土) 22:34:51.41
いったん休憩します。
219: 2013/08/31(土) 22:47:01.77
再開します。
220: 2013/08/31(土) 22:48:16.90
今日は日曜日だ。それにちょうど夕飯の時間帯だ。
きっとファミレスは家族連れでごった返しているだろう。
そこで喫茶店に入ることにした。
ここはどうやら老舗の喫茶店のようだった。
年老いたマスターはレコードをターンテーブルの上にゆったりとした動きで載せた。
そして、ゆっくりと回りゆく様子を確かめると静かにレコードに針を落とした。
ジジジ…… と音を立てたのちジャズが流れ始めた。
「雰囲気のいいところね」
「ああ、そうだな」
ジャズの音色がうるさ過ぎず、静か過ぎずちょど良い音量で届いてくる。
心地よいBGMに身を委ねてゆっくりと時を過ごしたくなる。
221: 2013/08/31(土) 22:50:20.19
「ところで比企谷くん、こういうお店に詳しいようだけど……」
へっ?
ここに来たのは今日が初めてなんだけど……。
雪ノ下の表情が急に険しいものになってくる。
「まさか……、ほかの女性と……、来たことなんて……ないわよね」
えっ……、なにそれ?
俺を何だと思っているの?
222: 2013/08/31(土) 22:52:07.86
今まで過去の痛い体験を身を抉られる思いで話してきたのに、一体俺にどういう人物像を抱いて
いるの?
だいいち、普段の俺のぼっちぶりをよく見ているだろ……。
平塚先生のメールにあった「まさに恋は盲目ですね」の言葉をそのままお前にくれてやるよ。
「どこをどういう風に考えたら、そんな思考にたどり着くのか俺に教えてくれ」
呆れた視線を送りながら答えると、
「……そうよね。比企谷くんだもんね。……安心したわ」
とホッと安堵の表情を浮かべたあと極上の笑みを見せた。
223: 2013/08/31(土) 22:54:11.56
なんだ……、その……、俺も雪ノ下の過去には興味がある。
俺と同じく今まで男女交際っていうのはなかっただろうから、これについては気にならない。
ただ……、俺のように過去のことをあまり詳らかに明かしたりしない雪ノ下。
家庭のことはなおのこと語らない……。
今までは気にしないようにしていたが、何でもいいから雪ノ下のことを知りたくなってしまった。
でも、こいつとはこれからも長い時間をかけて付き合うことになるのだろうから、少しずつ何か
聞かせてくれるだろう……。
そんなことを考えていると不意に不安がよぎった。
……もしかして、そんな時が来る前にさよならってことはないよね……。
224: 2013/08/31(土) 22:57:06.58
店内の雰囲気にすっかりあてられてしまった。
こんなところで自己採点なんて野暮なことはできない。
カップを傾けながら窓の外を眺めて道行く人々の姿をぼーっと眺めたり、時折どちらともなく視線
が合って慌ててぱっと離したり…… と2人だけの時を過ごした。
時計を見た。
いつまでもこの雰囲気に浸っていたいが、こんなことをするために誘ったわけではないしな……。
すっかりと重くなってしまった腰を上げることにした。
228: 2013/09/01(日) 02:06:46.61
ローゼンメイデン終わったから再開です。
>>226
八幡に倣って存在感を消していますw
最初の書き込みだけageときます。
>>227
戸塚のことは素で忘れていました…… orz
残念ながら、今回も出番はありません (´・ω・`)
>>226
八幡に倣って存在感を消していますw
最初の書き込みだけageときます。
>>227
戸塚のことは素で忘れていました…… orz
残念ながら、今回も出番はありません (´・ω・`)
229: 2013/09/01(日) 02:08:23.74
いつだか雪ノ下と由比ヶ浜と3人で勉強会なるものをやったファミレスへ場所を移した。
ピークの時間帯を過ぎたようで、待たされることなく座席へと案内された。
食事を注文した後、ドリンクバーで飲み物を確保した。
ちょっと心配になって雪ノ下の様子を観察していたが、ドリンクバーの勝手もわかったようだ。
さて、自己採点を始めるか。
数学のことを考えるとちょっと気が重いけど。
230: 2013/09/01(日) 02:09:53.39
まずは今までの俺の受験教科であった私立文系3教科から一緒に採点することにした。
雪ノ下は勝負事となるとたとえじゃんけんであっても熱くなる。
「比企谷くんには負けないわよ…、フフフ……」
既に何かに覚醒したようだ。
これが海老名さんだったら「腐腐腐」なんだろうけど。
とにかく怖ぇよ半端なく怖ぇよ……。
231: 2013/09/01(日) 02:10:59.52
最初に国語の採点から始めた。
188点だった。
これはかなり自信があったが、雪ノ下に4点差で負けた。
「……危なかったわ。比企谷くんに負けたら一生の不覚だったわ」
ホッと胸をなでおろした雪ノ下は、俺の顔を見るなりフフンと鼻を鳴らした。
なんかムカつくぞ、こいつ。
232: 2013/09/01(日) 02:12:24.78
次に社会。
俺は2科目で雪ノ下は1科目だ。
どちらも90点台を取ったものの点数が良かった方の日本史は雪ノ下の世界史と同点だった。
「比企谷くんにしてはなかなかやるわね」
と悔しさを滲み出しながらも感心された。
いや、あなた理系でしょ……、悔しいのは文系の俺の方だわ。
雪ノ下をこれ以上勝ち誇らせたくなかったのでこの言葉は封印した。
233: 2013/09/01(日) 02:13:46.99
私立文系3教科の最後は英語だ。
帰国子女の雪ノ下は200満点だった。
俺は160点台。
これでも御の字だったが、雪ノ下から
「あと20点は欲しいわね」
とさらりと言われてしまう。
234: 2013/09/01(日) 02:15:17.26
「ところでリスニングは? ……私は50点満点だけど」
とさも当たり前のことのように言う雪ノ下。
「俺は35点だ。」
「うちの学校は英語に力を入れているのだけれども」
と呆れ顔で見つめられた。
あなたバカ? とでも罵られそうな雰囲気だ。
235: 2013/09/01(日) 02:17:24.27
「……まぁこんなもんだろうな。前にも言ったけどオーラルコミュニケーションになると隣の女子が
携帯をいじり始めるし……」
と自嘲気味に言うと、今度は雪ノ下はうんうん頷き始める。
そう簡単に納得するなよ。
「比企谷くんに……、変な虫がついても困るだけだし。まぁいいわ、受験の際にリスニングは考慮
されないから」
なにやらブツブツ独り言を言っていたので前半は全く聞こえなかったが、「まぁいいわ」ってにっ
こりするのやめてもらえない。
俺ってやっぱりあきらめれているの?
勉強の話題になったときの由比ヶ浜の気持ちが少しだけわかってしまった。
でも、リスニングは考慮されないってわかって少し気が楽になったな。
これからもオーラルコミュニケーションのときは、ぼっちを続けてもいいんだよね?
ちょうど前半の採点が終わったところで、注文したカットステーキが届いた。
236: 2013/09/01(日) 02:20:01.29
「この値段でこの味はなかなかのものだわね」
と雪ノ下は感心している。
お嬢様育ちの雪ノ下。
母親と何があったかは知らないが一人暮らしを始めた。
ドリンクバーといいこのカットステーキといい、こうして見聞を広めて世間を知っていくことは
雪ノ下にとってプラスになったはずだ。
……いや、俺が立ち入ることではないな。
すぐにその考えを打ち消した。
242: 2013/09/01(日) 18:48:10.32
食事を終えると、自己採点の続きを始めた。
今回から受験科目に加えた数学と理科だ。
急に現実から目を背けたくなったが、今更結果はどうにも変わらない。
理科から採点を再開した。
俺は1科目、雪ノ下は2科目だ。
コンスタントに両方とも90点台を取った雪ノ下は余裕の表情だ。
243: 2013/09/01(日) 18:49:38.56
俺は70点台。
にわか仕込みながらよくやったと思う。
しかし、そんな自己満足もいとも簡単に打ち砕かれた。
「こちらもあと20点ね」
とあっさり、バッサリと斬られる。
これってなんの事業仕分けだよ。
……そういえばこんなのあったよね。
少しくらい建前を…… なんてことを雪ノ下に期待する方が無駄だろう。
ここは現実を直視して氏に物狂いで勉強するしかないだろう。
考えたくもないが、もし浪人してしまったら……、来年から理科がもう一科目追加になるらしい。
理科2科目の5教科8科目って、文系受験者に一体どういう仕打ちをするわけ。
何この大学?
244: 2013/09/01(日) 18:51:02.55
最後は数学だ。
……。
急に現実と向き合うのが怖くなってきた。
惨めな思いをするのが怖くなってきた。
こんなことにはとうの昔に慣れてしまったはずなのに。
いや、それが一番の理由ではない……。
「さぁ、採点するわよ」
という雪ノ下の声に反応できない自分がいた。
伏目がちになっていくのが、自分でもわかった。
245: 2013/09/01(日) 18:52:44.19
「比企谷くん……」
それはとても冷淡な口調だった。
今まで聞いたことのないくらい冷淡な口調であった。
もうどうしようないくらい、いたたまれない気持ちになってしまった。
そして、俺はとうとう生気を失ったようにただ力なく頭を垂れてしまった。
雪ノ下は何かを言いかけていたのをやめてフーっとため息をついた。
246: 2013/09/01(日) 18:55:05.23
すっかり沈鬱な気分に支配されてしまい思考が停止しかけてようとしていた。
その時、俯いている俺の視界の端っこにぼんやりと映っていた問題用紙の冊子が外へ外へと引き
ずられるように動きはじめた。
気が付けば視界から消えゆく冊子の行方を目で追っていた。
すると前に進んでいた冊子は、いったんその動きを止めた。
そして、冊子が再び動き出したと思うと今度は宙に浮かび上がり始めた。
俺の目もそれに呼応したが、もはや目だけではその動きは追えなくなっていた。
自然と顔もその動きにつれ上へ上へと浮かび始めた。
それは、まるで引力によって引き寄せられているがごとく……。
248: 2013/09/02(月) 00:01:31.43
顔がすっかりと浮かび上がったところで冊子は宙に浮いたまま静止した。
一瞬止まるのが遅れた俺の眼前には数学ⅠAとゴシックででかでかと大書きされた文字があった。
ただぼんやりとその4文字を見つめていると、不意にそれが視界の外へと消えてしまった。
あまりにも突然のできごとで焦点が狂ってしまいピンボケの世界が広がった。
ハッとして必氏に焦点を合わせると、問題用紙の冊子の代わりに穏やかな笑みをたたえていた
雪ノ下の顔が大写しに映っていた。
「比企ヶ谷くん、お帰りなさい。今までどこに行っていたのかしら?」
その温かな声に全身がつつまれ、雪ノ下と一緒にいる時の心地よい感覚がよみがえってくるのが
わかった。
249: 2013/09/02(月) 00:03:07.04
-「雪ノ下は優しくて往々にして正しい
」
平塚先生から聞かされた雪ノ下評がふと頭をよぎった。
俺に向けられた雪ノ下の優しさなんてこれまでこれっぽっちも感じたことのない俺だったが、この
時初めてその優しさに気付くことができた気がした。
一度俺のことを突き放そうとしながらも、ぐっとこらえて俺を正気に戻してくれた雪ノ下の優しさ
に感謝の気持ちでいっぱいだった。
俺はますます雪ノ下雪乃のことが好きで好きでたまらなくなった。
252: 2013/09/02(月) 07:17:10.35
「……仕方ないわね、私が採点してあげるわ」
そう言って雪ノ下は微笑むと肩より垂れてくるぬばたまの長い髪を手で掻き上げて、俺の問題用紙と解答とを見比べ始めた。
そんな雪ノ下の姿を見つめていると無意識のうちに何かを掴んでいた。
雪ノ下の問題用紙だった。
一枚めくってみると、まるで雪ノ下の美しさをそのまま表したような文字で計算式が整然と書かれていた。
思わず息をのんでその文字に見惚れてしまった。
いつの間にか俺は夢中になって雪ノ下の計算式を目で追っていた。
なんだか物語を読んでいるうちにその世界観に引きずり込まれてしまうのと同じ感覚だった。
253: 2013/09/02(月) 07:18:38.60
同じ計算式が左右に対になって書かれていることにふと気付いた。
見直しのあとだ。
ぼっちであるがゆえに口数の少ない雪ノ下。
そんな雪ノ下の頭の中をなんだかトレースしている気分になってきた。
雪ノ下のことをもっと知りたいという欲求が頭をもたげ、自然と解答に手が伸びていった。
254: 2013/09/02(月) 07:19:57.99
俺も雪ノ下の採点を始めた。
雪ノ下の計算式にはところどころ、ぐしゃぐしゃと力が入って濃い目になった乱雑な線で消されている箇所があった。
そのすぐ真下からは再び整然と計算式が並んでいく。
また別のページには左右で違う解が導き出されている箇所があった。
そこには途中まで計算しては式を立て直し、計算しては式を立て直しした跡があった。
雪ノ下雪乃といえども、完璧ではないのだ。
雪ノ下雪乃といえども、地道な努力を積み重ねているのだ。
雪ノ下雪乃といえども、迷ったり悩んだり不安に感じたりすることがあるのだ。
俺はこんなところで自分の弱さに負けてはいられない。
255: 2013/09/02(月) 07:21:09.77
互いの採点が終わった。
雪ノ下は200点満点中193点、俺は数学Ⅰが20点と数学Ⅱが34点の計54点だった。
「比企谷くん、あと130点足りないわね」
と不甲斐ない点数に当然のダメ出しをされた。
しかし、不思議なことに絶望感や不安感といった類のものを感じることはなかった。
こうして、自己採点は幕を閉じた。
261: 2013/09/02(月) 19:33:13.97
翌朝は不思議なくらい寝覚めがよかった。
寝覚めがよかったせいか、頭が冴えていていつもより授業の内容をよく呑み込めた気がした。
そのためか、休み時間と英語のオーラルコミュニケーションのとき以外はぼーっとすることはなか
った。
だから、いつもより足取りが軽く部室に向かうことができた。
「よう」
「こんにちは、比企谷くん……」
いつものようにすぐさま椅子に座らず立ったままの俺を雪ノ下は怪訝そうに見つめている。
昨日は礼を言うタイミングを逸してしまったが、そのままにしておくわけにはいかない。
「雪ノ下、昨日はありがとな」
自分でこんなことを言うのも恥ずかしいが、珍しくきょどったりど照れ隠しに悪態をつかないで
素直に自分の気持ちを伝えることができた。
262: 2013/09/02(月) 19:35:47.50
「えっ何が? 私はあなたの模試の結果が気になっていただけだから、そんな礼を言われるような
ことは何もしていないわ」
目をそらしながら雪ノ下はこう答えた。
「フッ……」
素直じゃないなぁ、こいつは。
そういえば、似たような捻くれ者がいたな。
そいつ誰だっけ?
「何?」
ギ口リと雪ノ下が睨みつける。
「数学の答え合わせの時、お前の手を煩わせただろ。あの時俺に愛想つかしそうになったよな。
でも、そんな俺にお前は優しく手を差し伸べてくれた。そのおかげで俺は自分の心の闇から救われ
たんだよ。本当にありがとう……」
最後は雪ノ下に深々と礼をした。
こんな気持ちを込めた感謝なんてぼっちになってから一度もしたことなかったな。
「べ、別にそんなつもりではないわ。……ひ、比企谷くんの思い違いよ」
顔を真っ赤にしながら全力で否定する雪ノ下がいとおしくてたまらない。
もし、あの時、雪ノ下がぐっと気持ちを抑えて機転を利かしていなかったらどんなことになっていたのだろうか。
263: 2013/09/02(月) 19:37:59.04
-「比企谷くん……」
「あなた馬鹿じゃないの? あなたが数学が苦手なことなんて百も承知よ」
「それを急に取り繕うとするなんてあなたらしくないわ。そんなことくらいで、私があなたのことが
嫌いになるとでも思っているのかしら?」
「そんなことくらいで、私があなたから遠ざかっていくとでも思っているのかしら? 私のことを
見くびらないでほしいわ」
「あなたのやっていることは自分の弱さからのただの逃げよ。もし、そんなくだらないことを考えて
うじうじしているようであれば……、私は今の比企谷くんが嫌いよ」
おおよそ、こんなことを言われていたのだろう。
そこから雪ノ下に鼓舞されて正気に戻ったか、そのまま雪ノ下とは終わってしまったのかは
わからない。
でも、そんなことはもう、どうでもいい。
こうして今があるのだから。
266: 2013/09/02(月) 20:05:58.34
「……比企谷くん、席に座ったら?」
「……お、おうっ」
今の姿雪ノ下にすっかり見られていたな。
気恥ずかしさのあまり焦ってしまい着席するときに尻餅をついてしまった。
「比企谷くん、一体何を妄想していたのかはしりたくもないのだけど、今の顔はいつもよりも倍
くらい気持ち悪かったわ」
相変わらずの毒舌ぶりだが、屈託のない笑顔が差し向けられていた。
これをどう解釈していいのかわからず、ボリボリと頭を掻いてしまった。
267: 2013/09/02(月) 20:07:57.27
「比企ヶ谷くん、私は……、あなたの自分の弱さを肯定する部分嫌いではないわ」
「あぁ、前にそう言っていたな」
「でも、自分の弱さに負けてしまいそうになったあなたは嫌い……」
「昨日は一度は負けてしまったしな……」
ぼっちの道を歩もうと決心した時、絶対に自分の弱さには負けたりしないと心に誓った。
むしろ、弱さだと思わなくなってしまっていた。
でも、修学旅行の時、自分の弱さに気付いてしまった。
そして、昨日はじめて自分の弱さに負けてしまった。
まさかこんな日が来るとは思ってもいなかった。
ましてや、他人に見られるとも思ってはいなかった。
ただ救いなのは見られた相手が雪ノ下だったこと、だからこうして今があるのだ。
それを俺は危うく大切なものを失いかけてしまった。
そう、失ってはならない。一度失ったものは元には戻らないのだから。
268: 2013/09/02(月) 20:10:07.67
「……でも、自分の弱さと向き合ってそれに打ちかった比企谷くんは……」
比企谷くんは? 比企谷くんは? ……。
その続きが聞きたくて、体ごと雪ノ下に向けた。
そんな俺に気付いた雪ノ下は、顔をかーっと真っ赤にして俯いた。
そして、一言、
「……は、恥ずかしくて言えないわ……」
独り言をつぶやいた。
もっと雪ノ下のこんな姿を見ていたかったのだが、これからもいっぱい見られるはずだ。
それに俺が一番見たい雪ノ下雪乃はこんな表情ではない。
雪ノ下から視線を外して正面へ向き直った。
269: 2013/09/02(月) 20:18:52.97
「そろそろ部活始めっか」
「ええ、そうね」
雪ノ下は声を弾ませ、特上の笑みを見せた。
そう、時折俺にだけこの眩しい笑顔を見せてくれる……、これが俺が一番見たい雪ノ下雪乃だ。
そんな雪ノ下雪乃を見るのが好きだ。
一点の曇りもなく眩しすぎるその笑顔。
俺の心の底まで明るく照らし出してくれる、そんな雪ノ下雪乃を愛してやまない。
270: 2013/09/02(月) 20:19:58.28
そんな俺の心を見透かしたように、再びフフッと微笑む。
思わず俺も笑みが漏れだしてしまった。
そんな互いのことを見つめ合った。
一瞬、時が止まった気がした。
それは雪ノ下も同じだったようだ。
2人同時にはっとすると、互いに視線をさっとそらした。
そして、互いの本のページをめくる音だけが静かに続いた。
271: 2013/09/02(月) 20:22:35.40
「やっはろー」
静寂が打ち破られ、いつものように奉仕部の活動はここで仕切り直しとなった。
「よう、由比ヶ浜」
「こんにちは、由比ヶ浜さん」
「ねーねー、ゆきのん、ヒッキー、昨日の模試の答え合わせしよう!」
「えっ?!」
「えっ?!」
思わず雪ノ下と顔を見合わせてしまう。
「なにか私変なことでも言った?」
「由比ヶ浜さん、模試というものは模擬試験といって本番さながらの緊張感で……」
にわかに騒々しくなり始めた。
こうしてまた今日も奉仕部でのひとときを過ごすのであった。
- ラブコメの神様に一つお願いがあるんだけど、今度学問の神様を紹介してくれない?
雪ノ下にあんな姿を見せてしまった以上、何としても合格しないといけないんだけど……
―完―
272: 2013/09/02(月) 20:25:39.22
以上です。
お粗末さまでした。ほんとに……
当初のプロットで途中まで書いているものがありますが、ラストがどうしても決められません。
今回は本当に粗末な出来だったので、このまま封印します。
お粗末さまでした。ほんとに……
当初のプロットで途中まで書いているものがありますが、ラストがどうしても決められません。
今回は本当に粗末な出来だったので、このまま封印します。
273: 2013/09/02(月) 20:34:57.20
乙
281: 2013/09/05(木) 22:03:58.00
12月も第3週に入った。
あと数日で冬休みだ。
来年のセンター試験まであと1か月と数日なった。
3年生はいよいよ追い込みの時期だ。
しかし、大学受験を目前に控えている者の中で、追い込みをかけているという余裕を感じている者は
ごく少数だろう。
ほとんどの者がまだ先の見えない栄冠というものに不安を感じ、むしろ追い込まれているのではない
だろうか。
283: 2013/09/05(木) 22:05:11.26
普段は他人のことなんか全く意に介さないぼっちの俺にもその緊張感が伝わってきた。
先週のマーク模試で数学200点満点のところ、たったの54点という結果に終わった。
あと1年の猶予がある俺はまだ悲観はしていない。
だが、あと130点は取るように言われている。
184点か……。
この先待ち受けているであろう苦難を考えると思わず遠い目になってしまう。
284: 2013/09/05(木) 22:06:39.99
しかし、184点取れるようになったところで不安は決して尽きないだろう。
苦手な教科には受験で命取りとなるくらい特に不得手な領域がある。
それゆえに、その領域が出題されてしまうとたちまちボトルネックとなって点数を大きく下げて
しまう。
その変動幅を考えると模試で確実に190点台に到達しなければ、本当に力がついたとは言えず、本番で大
失敗することもあるだろう。
285: 2013/09/05(木) 22:08:29.21
かつて、専業主夫を目指していた頃はこれをかなえるためにどんな努力も惜しまない覚悟であった。
その努力を勉強へと振り向けたわけではあるが、覚悟の方は全くできていない。
正直なところ、自信がない。
一年後の自分をイメージしてもろくなイメージしかわかないのだ。
「比企谷くん、あなたと一緒に大学に行けると思っていたのに……。私の気持ちをもてあそんだ
のね」
って合格発表の掲示板の前で刺されるとかいうバッドエンドが浮かんでくる。
ああ怖い、あな恐ろしや……。
そんなことを考えているうちに部室に着いた。
286: 2013/09/05(木) 22:11:03.01
「よう」
「こんにちは、比企谷くん」
「由比ヶ浜は今日……」
「三浦さんとカラオケに行くってメールが来たわ」
俺の声を遮ってこう話すのは雪ノ下雪乃だ。
「……って、おい、また俺にしゃべらせない気かよ」
「あら、ごめんなさい。比企谷くん何か喋っていたのね」
「ぼっちはただでさえ口数が少ないんだから、その限られた機会を奪うのはやめてくんない?」
「あら、奇遇ね。私も口数が少ないのだけれど」
なにこの弱肉強食の世界。
弱きものは強気ものに挫かれる、まさに社会の縮図がこんな場末の部室でも繰り広げられている。
287: 2013/09/05(木) 22:14:17.41
「由比ヶ浜さんといえば、……その、模試のとき大丈夫だったかしら?……」
こないだのマーク模試で俺は雪ノ下と同じ国立大学を目指すべく受験科目の変更を行った。
俺は由比ヶ浜と同じ3教科3科目だったのが、雪ノ下と同じ5教科7科目となった。
学校申込みのため、いつもの教室での受験だった。
受験科目で登校時刻が違うので、そこから勘づかれていないのか雪ノ下は気にしているのだ。
288: 2013/09/05(木) 22:17:12.30
「ああ、大丈夫だったと思うぜ。あいつの受験科目の最初の英語が始まる前と最後の社会が終わったとき
は速攻でトイレに行って時間いっぱい籠ってたからな」
「そう……」
歯切れの悪い返事が返ってきた。
俺もそれ以上深入りしたくなかったので、一旦会話は途切れた。
289: 2013/09/05(木) 22:18:16.97
そういえば、模試が終わったときに葉山に声をかけられたな。
「ヒキタニ君も国立志望だったんだ。意外だなぁ……」
なんてな。
まぁ、修学旅行のときのことがあるからあいつらのグループ内で俺の話題はNGだ。
だから、葉山から由比ヶ浜に筒抜けとなることもないだろう。
そんなどうでもいいことを考えていると、雪ノ下が嫌な話題に触れてきた。
292: 2013/09/05(木) 23:15:28.59
「比企谷くん、あなた算数の勉強ははかどっているかしら?」
小首を傾げながら算数とか俺のことを軽くバカにしてくるのやめてくれない。
その仕草がかわいすぎて、反撃できないじゃないか。
「算数か……。そういえば、高学年の頃から嫌いになったな」
「あら、あなたの算数嫌いはもともとではなかったの?」
意外だったわねという表情を浮かべている。
もともとはそんなに苦手ではなかった。
九九だってすぐに覚えた。
293: 2013/09/05(木) 23:16:34.86
「俺の通っていた小学校は問題解決学習だかってのを研究していたんだよ。教科書閉じさせて、
黒板に問題張り出して解き方考えろとかってやるんだよ……」
「私もそのように習ったことがあるわ……」
雪ノ下の表情も曇り始めた。
この学習法にあまりいい思い出がないのだろう。
294: 2013/09/05(木) 23:19:45.59
「一例をあげるとだな、体積の単元の一番最初の授業でルービックキューブのような立体図形がでて
きて、『この立方体のかさを求めなさい』ってやるんだよ。『かさ』の単位っていったらそれまで習っ
ているのはL、dL、mLだから、その単位を使って出そうとするんだけど、1Lの体積の立方体の1辺の長さ
なんて習っていないだろう。そんなもん当然解が出せるわけがない……」
ところで、リットルはなんで唐突に小文字から大文字に変わったの?
しかも書体まで。
教科書なんかなんの理由の説明もなく「えっ、いままでそうだったっけ? テヘヘ☆」って感じで
すっとぼけて書いていやがる。
どこの小町だよ?
うちの小町でしたね。
小町悪く言ってごめんね。
今のは八幡ポイント的にどうなんだろう…… と脇道にそれた思考を巡らせていると雪ノ下が一言。
「そうねえ、それはかなり横暴だわ」
雪ノ下もムスッと怒っている。
おっと、話に戻らなければ。
295: 2013/09/05(木) 23:21:47.70
「それに担任が『面積を出すときはどうやったっけ?』なんて、面積の公式を確認したりするわけだろ。
だから、LだとかdLを使おうとしている身にすりゃカオスそのものだよ。それに面積の公式をやたらに
強調するもんだから、『かさ』の概念が見事に破壊されて一生懸命立方体の表面積を出そうとしたり
するんだよ」
雪ノ下の表情がどんどん険しくなる。
296: 2013/09/05(木) 23:25:00.46
「さんざん混乱させた挙句、担任が1辺1cmのサイコロを黒板に書きだしてこれが1立方センチメートル
だなんてやりだす。そんな簡単な事だったら最初から教えとけよって。それまでの努力がすべて否定
され、あの努力は何だったのか…… と著しくやる気を低下させてくれる。それに、赤ペン先生だと
か塾だとかで情報の恩恵を受けている奴だけあっさりと解いてしまう。小学生の時から情報戦だぜ。
そのおかげで俺は『働いたら負け』だということを学んだ」
全国の小学校教員よ、さっさとこの問題解決学習をやめろ。
文科省もこの指導法を推奨するのをいい加減やめろ。
こうしているうちに算数嫌いがどんどん量産されるぞ。
297: 2013/09/05(木) 23:26:49.26
「あなたの言っていることにはおおむね賛同するわ。だけど、その歪んだ性格を形成したのはあなた
自身のせいだけではなく、文科省にも責任の一端があるというのは早計だわ。どうしてそこまでの極
論に至ってしまうのかしら。これ以上あなたの話を聞いていると眩暈を起こしそうだわ」
そう言って額に手を当てている。
「さらにこの学習法には問題がある……」
「まだ続くのかしら……」
雪ノ下はやれやれと再び額に手をやった。
「まぁ、そう言うな。これはお前にだって覚えがあることだ……」
「……。私にも……?」
ときょとんとしている。
298: 2013/09/05(木) 23:29:06.48
「この学習法の最もいやらしい部分は練り合いだとか称してグループで解き方を話し合わせるんだよ。
俺のようなぼっちにとっては苦痛そのものの時間だ。もっとも俺は、だんだんと算数の勉強が嫌いに
なってグループの奴の説明を聞いていても何言ってんのかわからなくなってさらに混乱してたから何も
話さなかったたけどな。担任の説明ですらわからないことがあるのに、同級生の要領を得ない説明を聞
いて理解しろってことに無理がある……」
俺の話にめずらしく同意する雪ノ下は、うんうんと頷きながら掌をりしめる力が増しめ、いつの間
にか拳と化していた。
そして、雪ノ下も自らの体験談を語り始めた。
299: 2013/09/05(木) 23:31:03.97
「それと、黒板の前に立たされて説明されられるのだけど、間違えようものなら鬼の首を取ったかの
ようにやいのやいの騒いだと思えば、正解したらしたでチッとか舌打ちされたり嫌味を言われたり……。
あれを根絶やしにするのに一体どれだけの時間と労力を費やしたことかしら。あの低脳ども!」
怒りの籠った目と全身から憎悪の念を放ちながら語る雪ノ下に俺はただただ恐怖するばかりであった。
そっと視線を外した俺の前に回り込んだ雪ノ下は、冷気を帯びた口調でこう言った。
「ところで比企谷くん、すっかりはぐらかされてしまったけれど数学の勉強はどうなっているのかしら?」
満面の笑みをたたえているものの目は全く笑っていなかった。
300: 2013/09/05(木) 23:36:33.14
あーすっきりしたw
続き行きます。
続き行きます。
301: 2013/09/05(木) 23:38:54.25
× × × ×
「ここはこうやって代入するのよ」
そう言うなり、すらすらと俺のノートに代入式を書いていく雪ノ下。
雪ノ下の一生懸命な横顔も美しいが、雪ノ下の書いた字もその端正な顔立ちと同様に美しい。
鉛筆の先から次々と文字が書き出されていく様は、あたかも錦が織り上げられていくかのようだ。
思わずその文字に見惚れてしまった。
302: 2013/09/05(木) 23:39:48.94
「比企谷くん、あなた私の説明を聞いていたのかしら?」
ギ口リと睨んでくる。
「お、お前の文字があまりにも美しくて……」
すっかり心を奪われてしまったせいで、言い訳一つできなかった。
「そ、そう……」
急にしおらしくなった雪ノ下は、頬を朱に染めて俯く。
303: 2013/09/05(木) 23:41:38.39
これにはちょっと調子が狂ってしまった。
なんかこう、勉強に戻るきっかけを失ったというか。
このままじゃ、いちゃついて勉強したくなくなってしまう。
急に雪ノ下の氷の刃を突きつけられたくなってしまった。
「字は人の心を写すというが、お前の黒さは写されないんだな……」
と言い終わるが早いか両の目の前に先のとがった鉛筆が2本…… ゴクリ……。
「比企谷くん、心眼って言葉を知っているかしら?」
いやいや、お前のその邪眼がとっても怖いのだけど。
「その魚の腐った目を潰せば、あなたも開眼できるかもしれないわよ」
顔は笑っていても絶対零度よりも冷たい光を放つ目を添えるのは忘れてはいなかった。
「氷の刃-」の前言は撤回したい、いや、させてください。
304: 2013/09/05(木) 23:42:58.07
「そ、それだったら、この問題もこうやって代入したらいいのか?」
と震える手つきでノートに書き込む。
「そうよ。やればできるじゃない、比企谷くん」
カタツムリかカメかというくらいに一瞬にして殺意をひっこめた雪ノ下は、澄んだ目を輝かせな
がら無邪気に喜んでくれるのであった。
そう、この笑顔があるから俺も頑張ることができるのだ。
305: 2013/09/05(木) 23:44:25.27
例題をひと通り解いたところでティータイムになった。
今日は、雪ノ下と二人きりのときにだけ飲むシャンパーニュロゼという紅茶だ。
雪ノ下の淹れたての紅茶をふたりお揃いのティーカップを傾けながら飲むのは至福のひとときだ。
特に何か会話をするわけでもなく、ふたりぼっちの世界を楽しむ。
時折、視線を交わしてはそらししながら。
312: 2013/09/06(金) 19:33:58.99
× × × ×
冬至まで1週間を切った。
部室に来てからそんなに時は経っていなかったが、早くも夕陽は雪ノ下をカンバスにしてオレンジ
色に染め上げて、美しい陰影を作り出す。
日没ももうすぐだ。
ここらで休憩も切り上げ時だ。
そろそろ今日の仕上げだな。
練習問題に取り掛かる。
雪ノ下はそんな俺をそばでじっと見つめている。
雪ノ下の教え方は、的確にポイントをとらえていてわかりやすい。
自分でもみるみる力がついてきているのがよくわかる。
1問、2問と順調に解いていく。
しかし、ちょっとした小細工もする。
「これどうやって解くんだっけ」
って訊いたり、わざと凡ミスをして間違ったり。
雪ノ下は百も承知なんだろうが、
「……仕方ないわね」
なんてもったいぶって、さっと寄り添って教えてくれる。
そして、教え終えると引き潮のようにさっと引く。
どう見てもただのバカップルだが、つかず寄らずの間合いを取りながら過ごす2人の時間はやはり
格別だ。
313: 2013/09/06(金) 19:37:58.11
練習問題を解き終え、解答も済ませた。
なんとか今日の分はクリアした。
「今日はありがとな」
「ええ、合格してからたっぷり返してもらうわ」
と笑顔で答える雪ノ下。
もしかして、そのスマイルは利息じゃないよね。
雪ノ下とは心でしっかりと結ばれているとはいえ、まだまだ女性からの好意に抗体ができていない俺。
合格と引き換えに俺は何を代償として払わなければならないのか…… 考えるとちょっと怖い。
下校時刻まであと30分。
残りの時間は読書に充てることにした。
314: 2013/09/06(金) 19:45:49.01
さっきまですぐそばにいた雪ノ下が離れてしまったせいだろうか。
ちょっと肌寒さを感じる。
ふと、その温もりの源泉へと目を向けると、雪ノ下はぶるっと身震いをした。
もしかして俺の気配を感じちゃったから?
そんなことを考えて軽くショックを受けていると、足元が寒そうなことに気付いた。
雪ノ下の姿勢は良く、ピンと背筋を伸ばし、黒のニーソを履いた細く長い足も行儀よく床へと垂直に
延びている。
その様はさながら絵になっている。
そんなことを考えつつも俺の目は正直だ。
視線が上の方へ上の方へと向かっていく……。
なんかニーソとスカートの間ってドキドキするよね……。
おっと、違う違うそうじゃない。
冷暖房完備の総武高とはいえ、放課後は下校時刻が近くなると暖房が止められる。
ズボンを履いている俺とスカートの雪ノ下とでは感じる肌寒さも違うことだろう。
315: 2013/09/06(金) 19:49:14.53
文庫本を50ページほど読んだところでどちらともなく本を閉じた。
そろそろ下校時刻だ。
俺は雪ノ下のカップも一緒に洗い、棚に2つ寄り添うように並べた。
不注意でまた割ってしまわないように慎重な手つきで行う。
カップを並べる前に一度よけた3人用の紅茶の缶を掴んで元の場所にセットしようとした。
缶の軽さが気になった。
その気配を感じ取ったのか雪ノ下はこう言った。
「そろそろその紅茶も買い足さなければならないわね」
318: 2013/09/06(金) 20:43:59.71
レスどうもです。
再開します。
再開します。
319: 2013/09/06(金) 20:46:03.30
× × × ×
2人でこうして京葉線に乗って出かけるのはもう何度目だろうか。
ホームに着いた時ちょうど快速が来たが1本見送った。
快速で行けば停車駅が1駅減ってちょっと早く着くのだが、なんとなく各駅停車に乗りたかった。
雪ノ下も同じ気分のようだったのか特に異論はなかった。
ぼっち同士、大して会話を交わすこともない。
別に話す内容がないわけではない。
ただ、2人隣同士で座っているだけ。
たったこれだけのことだけど、2人にとっては大切な時間なのである。
320: 2013/09/06(金) 20:47:20.36
ワインレッドの帯のついた車両に乗ると、すぐに小町には夕飯は要らないとメールをした。
「まさかとは思うけど、相手は平塚先生かしら?」
雪ノ下は冷ややかな声で牽制をしてくる。
前は本気で平塚先生との仲を疑われたからな。
「いや、小町だよ」
俺に浮気するだけの甲斐性がないと思ったのか、
「そう」
とだけ返すとそれ以上は詮索してこなかった。
再び心地よい沈黙の時間がしばし続いた。
321: 2013/09/06(金) 20:49:45.62
降車駅に着いた時、俺はさっきの嫌味への仕返しにとばかりに
「もう一駅乗っていくか」
なんて軽口を叩いてみた。
しかし、すぐさま返り討ちに遭う。
「あなたにはまだ何か後ろめたいことがあるのかしら?」
般若のような表情を浮かべ、じっと睨む。
俺は恐怖新聞を一回分読んだ時と同じくらい命の灯が弱まった気がした。
322: 2013/09/06(金) 20:53:37.67
駅を出るとヒューッと一筋の風に吹かれた。
思わずコートの襟元を立てた。
塩の香りと一緒に冬の足音も運んできている。
雪ノ下は顎のあたりに手を当てて、俺と自分の襟元とを見比べている。
やがて、青地に白く雪の結晶やらトナカイやらが織り込まれたマフラーへと手を伸ばす。
ヒューー。
寒風がもう一筋。
今度は雪ノ下の手を吹き付けたようで、はーっと白くなった息を吹きかけて暖を取っていた。
323: 2013/09/06(金) 20:55:43.97
ショッピングモールに入ると、いつもの紅茶専門店へと向かった。
すっかりと顔なじみになってしまった店員に含みのある笑顔で迎えられる。
俺も雪ノ下もちょっと気恥ずかしい。
今日は最初から買うものが決まっている。
迷うことなく3人用の紅茶の缶を手に取った雪ノ下はレジに向かっていくが、俺は動きを止めた。
「どうしたの?」
雪ノ下が振り返ったとき俺はシャンパーニュロゼの缶を掴んでいた。
324: 2013/09/06(金) 20:57:54.10
「……、あらそれは?」
「俺用だよ」
最近苦手な数学の勉強を始めたおかけでストレスを感じがちである。
雪ノ下と同じ大学に行くためだと自分に言い聞かせて、コーヒーをがぶ飲みして机に向かっているが、
胃が荒れてきてしまった。
大好物のMAXコーヒーは勉強を終えて爽快な気分になったときのためにとっておきたい。
それに、このシャンパーニュロゼを飲むと、雪ノ下のことを想いながら頑張ることができそうだ。
325: 2013/09/06(金) 20:59:35.42
「私も買おうかしら……」
顎に手をやりながらぶつぶつと独り言を言う雪ノ下。
何を考えているのか知らないが相好が崩れている。
雪ノ下の心中を読もうとして眺めていると、急に背を向けた。
そして、睨みつけるようにしながら振り返ると無表情で
「何か?」
と冷たい声を返してきた。
326: 2013/09/06(金) 21:01:37.76
いいえ、何も言いません。
僕、命が惜しいですから。
でも、それは買うんですね。
そう思っていたら、
「……まだ何か?」
そう言う雪ノ下の目は「これ以上何も言うな、これ以上何も考えるな」とプレッシャーを与えてきた。
327: 2013/09/06(金) 21:07:12.49
さて、ひとまずは紅茶を買った。
あとは、本屋に寄ってファミレスにでも誘ってみるか。
あっ……、それともう一か所寄らないとな……。
「雪ノ下、悪いけどもうちょっと付き合ってくんないか?」
「さっき小町さんとメールしていたようだけど何か買うの?」
「いや、本屋によって数学の問題集買うんだよ。数Ⅰの整数問題ばかり乗った薄めのやつだよ」
それにしても整数問題ってなんであんなにも難しいんだ。
問題冊子をめくるといきなり一問目からあれだからな。
ただでさえ数学が苦手なのにいきなりあんなの出題されたら挫けちゃうでしょ。
それから「整数」って名乗っているくせに答えに√やら虚数が登場しちゃう。
あれって、全然整数じゃないでしょ。
これどういうことなの?
328: 2013/09/06(金) 21:09:15.68
「そうね、ある程度パターンが決まっているし、等式変形が適切にできれば問題はないのだけれど、
数をこなして慣れておくのも大切だわ」
「ああ、だから俺が一人で選ぶよりも、一緒に探してもらえればなと思って……」
「ええ、私も一緒に選んであげるわ」
雪ノ下は俺に頼られたことがうれしかったのかにこっと微笑みながらそう答えた。
この笑顔の分だけ頑張らないとな。
332: 2013/09/07(土) 00:16:39.02
「そのあと、サイゼで良かったら寄っていかないか? 小町には食べてくるってメールしておいた」
「あら強引ね。あなたにもそんなところがあるなんて……」
ともじもじしている。
案外押しに弱いんだな…… メモメモ……。
俺が亭主関白で雪ノ下がかわいい奥様か。
……。
ちょっと待った。鬼女板の名無しが「可愛い奥様」だったな……。
やっぱり雪ノ下はこっちの方だな。
急にムフフなシチュエーションの妄想がしぼみ、寒気がしてきた。
雪ノ下が照れている間に素早く気持ちを切り替え、気取られずにやり過ごすことができた。
いや……、無理だった。
「何か言いたいことでもあるのかしら?」
雪ノ下の勘の鋭さの前では俺は妄想一つできないのかよ。
俺には内心の自由って許されないの?
333: 2013/09/07(土) 00:18:51.57
吹き抜けに高くそびえるクリスマスツリーを2人で眺めながら、エスカレーターを上がって本屋へ
行った。
雪ノ下のアドバイスを聞きながら、数Ⅰの整数問題に特化した問題集を選ぶ。
真剣なまなざしで探す雪ノ下の横顔はいつ見ても美しい。
今自分が独り占めしているかと思うと嬉しさがこみ上げてくる。
しかし、そんな幸福感を一服たりと味わうことを雪ノ下は許してくれない。
「比企谷くん、真面目に探しなさい。そもそもあなたが今まで努力を怠ってきたからこうしているの
でしょ?」
と説教をされてしまった。
こんな俺だってちょっとくらいいい思いをしたっていいじゃないか……。
すっかり拗ねちゃった俺は雪ノ下に悪戯をすることにした。
334: 2013/09/07(土) 00:24:48.64
雪ノ下が書架から問題集を取ろうと手を伸ばす瞬間を見逃さなかった。
俺もすかさず手を伸ばし、雪ノ下のかわいらしい小さな手に触れる。
雪ノ下はヒャッと声を出して素早く手を引っ込める。
顔が真っ赤っかになっていて可愛い。
じゃあ、もう一度。
雪ノ下が手を伸ばした、今だ!
しかし、一度伸びた雪ノ下の手が一瞬引っ込む。
そして、次の瞬間俺の手の甲を書架にめがけて思いっきりひっぱたく。
い、痛ってぇ……。
俺の悪ふざけに雪ノ下はすっかりへそを曲げてしまった。
レジに向かって歩く俺の後ろから不機嫌オーラを発している。
どうしたらよいものか頭を悩ませてしまう。
雪ノ下とは心で結ばれた仲になったものの決してここまで平坦な道のりとはいえない。
些細なことで、危うくなったりもした。
335: 2013/09/07(土) 01:10:20.32
レジに辿り着いた時、ふと雪ノ下の気配が消えてしまったことに気付いた。
俺の勉強のことであんなにも真剣になって問題集を探してくれたのにちょっとやりすぎたかな。
慌てて雪ノ下を捜そうとキョロキョロする。
「比企谷くん、何を探しているのかしら? あなたの大好きな官能小説はあそこにあるわよ」
俺の真後ろで気配を消していた雪ノ下は、阿形吽形もびっくりのものすごい形相で一点を指さして
いた。
氷の女王こと雪ノ下が振りまいた強烈なブリザードのせいだったのか、それともあまりにも突飛な
発言のせいだったのか、はたまたその両方のせいだったのか、店内は一瞬水を打ったように静まり返
った。
336: 2013/09/07(土) 01:11:41.33
次の瞬間、雪ノ下に向かって店内にいる者すべての視線が集まった。
と同時に我に返った雪ノ下は顔を真っ赤にして、店から飛び出してしまった。
すると今度はその視線が全て俺へと突き刺さってきた。
えっ、何この視線?
俺は被害者なんだけど。
これって冤罪だよ冤罪!
普段、校内でいかんなく発揮されていたはずの俺のステルス性能はここでは全く機能していなかった。
337: 2013/09/07(土) 01:14:04.33
会計を済ませるとと這う這うの体で店から出てきた。
もうこの本屋には来られないな……。
脱力気味の体に力を入れて歩き出す。
ところで雪ノ下はどこにいるんだ?
俺、あいつの携帯の番号とかメアドまだ知らないんだよな。
未だに俺と雪ノ下は互いの連絡先を交換していない。
俺にとっては雪ノ下と連絡を取ることは、ゴルゴ13にコンタクトを取ることよりも難しいともいえる。
それにあいつは、極度の方向音痴と来たもんだ。
遠くに行かれたらたまったものではない。
だから、さほど怒っていなければ近くにいるはずだ。
いや、近くにいてくれ。
迷子センターに迎えに行くとかマジで勘弁だ。
338: 2013/09/07(土) 01:16:06.46
あれこれ考えていると、店の向かいの吹き抜け部分にあるアクリル板の壁の前で俯いてまだ羞恥の湯気を
上げている雪ノ下を見つけた。
ホッと安堵を感じながら一歩ずつ近づいていった。
あと数歩のところで、雪ノ下はまだほのかに上気した顔を上げた。
「ひ、比企谷く……」
「雪ノ下、さっきは悪乗りして悪かったな。夕飯おごるから気を直してくれないか」
これ以上、雪ノ下には何も言わせまいと身をひるがえし下りエスカレーターの方へ向かった。
雪ノ下は置いていかれまいと小走りをして俺の右側に並んだ。
必氏に追い縋ろうとする雪ノ下の横顔には、いつの間にか笑みが戻っていた。
342: 2013/09/07(土) 07:47:11.23
エスカレーターの前に来ると、雪ノ下は隣から離れて俺の後ろに着いた。
本屋でのことを振り返ってみた。
まぁ、確かに俺が悪かったな。ちょっと調子に乗っちゃったし。
それにしてもあの切りかえしはないだろう。
思わず苦笑いしてしまった。
雪ノ下は悪戯が嫌いと。メモメモ。
心にしっかりと書き留めておいた。
メモといえば、雪ノ下は閻魔帳をつけていそうだな。
何かの拍子に怒りをぶちまけられたりしなければいいなぁ。
そういえば、俺も「絶対に許さないリスト」をつけていた。
雪ノ下に見られる前に確実に処分しておかないとこれはマズいことになる。
343: 2013/09/07(土) 07:58:44.37
エスカレーターをを降りると再び俺の右隣に雪ノ下がやって来た。
そんな時だった。
「くしゅん!」
俺もつられてくしゃみが出た。
「っくしょん!」
思わず二人で顔を見合わせて笑ってしまった。
ほんとこいつの笑顔って見るたびに魅了されてしまうよな。
「ここって吹き抜けだからちょっと寒いな」
「ええ、冷気が流れ込んでいるようね」
冷気といえば……。
「そうだ……、サイゼに行く前に先に一か所寄っておきたいところがあるんだけど」
344: 2013/09/07(土) 08:08:21.71
× × × ×
女性向けのファッション関係の店が立ち並んでいるエリアにやって来た。
「小町さんにお土産でも買っていくの?」
「すぐ終わるからちょっと待っててくれ」
それには答えず、店内へとズカズカ入っていく。
雪ノ下は俺のらしくない行動に驚いたのか、ぽけーっと店の前で立ち尽くしている。
女性客しかいない場違いなところに勢いで来てしまったが、そんなことは気にしている場合ではない。
雪ノ下を喜ばせたい。
雪ノ下を驚かせたい。
雪ノ下に気づかれる前にスピード勝負で買い物してしまおう。
345: 2013/09/07(土) 08:17:31.46
努めて冷静に行動しているつもりだったが、チラチラとこちらに向けられる視線を感じるたびに
自分の突拍子もない行動を少しずつ自覚してきた。
俺、何やってるんだろう。
表情に出すと店内の女性客たちから気持ち悪がられそうだったので、心の中で苦笑した。
そういえば、夏に雪ノ下とこのエリアに来たときはあまりにも居心地悪くてきょどりまくりだった。
店員から不審者扱いされて間一髪通報されそうになったところで雪ノ下に引っ張っられて助かったな。
あの時、
「今日一日に限り、恋人のように振る舞うことを許可する」
なんて言われたな。
今だったら、気づけばちょこんと右隣にいてすっかり雪ノ下の定位置になった。
俺も雪ノ下も随分と変わったな。
小物が置かれた店先をちらっと見る。
季節商品がワゴンに載って店頭に並べられている。
雪ノ下は何か気になったものがあったらしく、顎に手をやりながらワゴンを一瞥している。
346: 2013/09/07(土) 08:19:35.05
少しは時間を稼げそうだが、あまり時間はかけられないな。
店員に声をかけて、目的のものを告げるとそのコーナーまで案内してくれた。
素早く棚を見渡すと清楚な感じの柄のものを一つ見つけた。
それをひょいと取り上げてレジへ急いだ。
雪ノ下はまだ催事ワゴンの中身をじっと見つめていた。
347: 2013/09/07(土) 08:23:34.84
レジを終えて出てくると、雪ノ下の姿が見えない。
迷子にでもなったかと心配になってきょろきょろしていると、背後からいきなり首にスポッと何かが
はめられた。
何事かと振り返ってみると雪ノ下がいた。
「比企谷君も寒そうにしてたから…」
雪ノ下は熱を帯びた視線で俺の襟元を見ている。
それにつられて襟元に手を伸ばすと輪になったマフラーが垂れていた。
雪ノ下は、俺に合うマフラーを探していたようだった。
俺はぼっちのくせにマフラーは女の子からプレゼントされるまで着けないと変なポリシーを持っていた。
その念願がついに叶うのかと思うと、言葉で言い表されないような感動と嬉しさがこみ上げてきた。
348: 2013/09/07(土) 08:29:59.41
照れながら近くにあった姿見に自分の姿を映してみる。
この柄はなかなかいいな……。
鏡越しに雪ノ下を見ると、もじもじと所在なさげにしながら上目で俺の姿を見ていた。
こんなかわいい仕草の雪ノ下もいいなぁと思わず惚けてしまう。
女性物の店の軒先で俺たち何をやっているんだろう。
えっ……!
急に冷静さを取り戻すと同時に俺は大変な過ちに気付いた。
「おい、これって女性物だろ……」
パッと一瞬にして赤面した雪ノ下。
顔を両手で覆い隠しても真っ赤に染まった耳まで隠せない。
「こ、これ……、き、きれいに畳んで元の場所に戻してちょうだい!」
早口でそう言い残すと、逃げるように店内に消えていってしまった。
ま、またかよこの展開、おい!
352: 2013/09/07(土) 17:15:56.06
取り残された俺は、マフラーを解きにかかる。
女性専門店の前で女物のマフラーをして突っ立っている俺をそのまんまにして放っとかないで
くれ……。
こっちの方がもっと恥ずかしいぞ。
焦れば焦るほど結び目は難く締め付けていき、なかなか解けない。
ウナギに首に巻きつかれて悶絶したごんぎつねの気持ちが今の俺にはよくわかった。
353: 2013/09/07(土) 17:21:13.43
道行く人にクスクス笑われながらもようやくマフラーから解放されワゴンに戻し終えるとちょうど
雪ノ下が戻ってきた。
雪ノ下はばつの悪そうな表情をして、目線を斜め下に向けていた。
「ほら、これやるよ」
さっき渡しそびれたというか、渡すタイミングも与えてくれなかったビニール袋を差し出す。
「あ、ありがとう……」
まさか自分へのプレゼントだとは思っていなかったのだろう。
店名の入ったピンクのビニール袋を大事そうに抱え込んだままフリーズしている。
そんな雪ノ下の姿が俺の庇護欲をそそってしまう。
354: 2013/09/07(土) 17:23:12.51
「中見なくていいのかよ」
そのままの姿勢でいつまでも固まっている姿が滑稽に思えて言い終える前に吹き出してしまった。
照れ隠しに軽くムスッとしながら袋を開けてみる雪ノ下。
取り出されたのは、ひざ掛けだ。
「部活の時間になったら暖房停められるだろ。寒いかと思って……。それに、勉強見てもらったり
しているから、お礼だ……」
「ちょうど家から持ってこようか、もう一枚買おうかと迷っていたのよ……。素敵な柄ね。ありがと
う……」
小首を傾げながら礼を言う雪ノ下の笑顔にもうどうにかなってしまいそうだ。
355: 2013/09/07(土) 17:27:43.98
そのあと、南館のサイゼに行った。
席に着くなり、ピンクのビニール袋からひざ掛けを取り出して眺めている。
気に入ってもらえたようで何よりだ。
356: 2013/09/07(土) 17:42:48.32
食べ物を注文したあと、ドリンクバーへ2人分の飲み物を調達しに行った。
俺はカプチーノで雪ノ下はカモミールティーだ。
いっぺんに済まそうと思ってカップを2つ持ったが、さすがにこれはきつかった。
こぼさないように慎重にゆっくりゆっくり亀の歩みの如く席に向かった。
あともう少しだ。
雪ノ下の背中がようやく近づいてきた。
どうしたんだあいつ?
急に雪ノ下がもぞもぞ動き始めた。
雪ノ下の奇怪な行動が気になったが、これまで通り慎重な足取りで違づくことにした。
357: 2013/09/07(土) 17:46:49.45
「!」
お、おい……。
なんと、雪ノ下はひざ掛けに頬ずりしていた。
お前、うちのカマクラかよ。
さすがの俺もこれには引いてしまった。
ちょっとこれは、直視できねぇ。
席に着こうかどうしようか迷っていると、俺の気配に気づいたのかさっと素早く膝の上に掛けた。
そして、振り向きざまに
「取ってきてくれてありがとう」
と微笑みながらごまかした。
今見たことに触れてはならない、命が惜しければ……。
賢明な俺は、
「カップ熱いから気を付けろよ」
と一言だけ言い添えてテーブルに置いた。
362: 2013/09/07(土) 20:26:33.93
レスどうもです。
デレ全開で再開します。
デレ全開で再開します。
363: 2013/09/07(土) 20:29:10.97
いつものようにぼーっとしながら二人の時間を過ごす。
雪ノ下は落ち着かないように何度も膝元に目をやっては微笑をたたえている。
自分でも何て言ったら良いのかわからないのだが、そんな雪ノ下の姿をなんか見ていられなくなっ
てしまった。
どうしたらよいかわからず、買ったばかりの問題集をパラパラめくることにした。
意味不明な文字列を眺めているうちにしだいに雪ノ下のことを忘れ、暗い気分になってきてしまった。
嗚呼、短い冬休みはこの問題集とともに過ごすんだなぁ。
364: 2013/09/07(土) 20:31:25.67
オーダーしたメニューが届いた。
二人でいただきますをした。
んっ……!
雪ノ下はひざ掛けをそのままにしている。
「食べる時よけないと、それ汚れるぞ」
雪ノ下は慌てて袋にたたみ入れる。
「それから、電車の中でも広げるなよ」
予め釘をさしておくことも忘れなかった。
雪ノ下の扱い方を心得てきた俺は雪ノ下から視線を外して、そっとカプチーノのカップに目をやった。
だから、雪ノ下がどんな表情をしていたのか俺は知らない。
365: 2013/09/07(土) 20:33:37.03
× × × ×
再び京葉線に乗った。
家路を急ぐサラリーマンでいっぱいの車内だったが席が一つ空いていた。
雪ノ下を座らせ、俺はその前に立った。
雪ノ下は後生大事にひざ掛けの入った袋を抱えている。
腕の前でなおざりになった通学カバンが何度も膝を滑って前につんのめる。
そのつど、あわててカバンを手繰り寄せるが、やっぱり袋だけを抱えている。
電車が揺れるたびにカバンは滑走を繰り返す。
こんな学習能力のない雪ノ下は初めて見た。
こういう時は、冷静な判断力が残っている俺の役目だ。
ひょいとカバンを持ち上げ、網棚の上に載せてやった。
「ありがとう」
と言ったものの、袋を抱えたまま微動だにしない。
こいつ、家に着く前に車にでも轢かれるんじゃないだろうかと不安になってしまった。
366: 2013/09/07(土) 20:36:47.27
電車に揺られること数分、雪ノ下の降車駅に着いた。
ここは俺の最寄り駅でもあるが、学校の近くの駅に自転車を停めている。
雪ノ下の輪禍を不安に思いつつ、別れることにした。
「雪ノ下、帰り気をつけろよ」
「ええ、比企谷くんも気を付けてね。また明日」
ウインクをして電車を降りていく。
「またあ……」
俺に別れの挨拶をする暇も与えず、破壊力満点で去っていった。
周囲の客の視線を集めてしまい俺は居心地が悪くなってしまった。
雪ノ下雪乃とこうして一緒に過ごすのは楽しいが、景色に溶け込んで存在感を消すという俺のスキル
は日々低下している。
微分方程式で空気になる方法とか計算してわからないのかな?
367: 2013/09/07(土) 20:38:39.49
そんなことを考えていると、さらに人目を惹くことになってしまった。
「比企谷くん!」
再び車内に飛び込んできた雪ノ下はそう言い終える前にむんずと俺の二の腕を掴み車外に引きず
り出そうとした。
えっ、これってなんなの?
SOS団とか書かれた部室にでも拉致されるの?
プシュー……。
い、痛ぇよ!
締まるドアに足がチョップされながら、とうとうホームに連れて出されてしまった。
368: 2013/09/07(土) 20:39:52.55
「お、おい……、雪ノ下……」
雪ノ下は俺に背を向けてスタスタ歩く。
その表情も意図も全く分からないが、とりあえず足を引きずるようにして歩いてついて行く。
足めっちゃ痛いよ俺の足。
改札に向かう階段を無視して先に進む雪ノ下は歩を休めたかと思うと急にベンチに座った。
何が何だかわからないまま俺もそれに倣った。
369: 2013/09/07(土) 20:41:37.67
「雪ノ下、お前のせいでさっき足挟まっただろ」
抗議の目で物申した。
「無事で良かったわ、ひざ掛けが」
やっぱりひざ掛けの入ったピンクのビニール袋を抱えている。
「なんだその倒置法は。俺のことは心配してないのかよ?」
ジトっとした目で睨んでやった。
「ええ、だってあなた一人で歩いていたじゃない」
いつの間にかひざ掛けを広げていた雪ノ下は悪びれずにそう答えた。
370: 2013/09/07(土) 20:49:36.37
「お前がさっさと歩いていくからだろ」
俺の言葉を無視してひざ掛けをそっと自分の膝の上に掛けてみせる。
しかし、雪ノ下の奴は涼しい顔をして無視しやがる。
こいつどうにかしてるぞ、大丈夫か?
はーっ…… と俯いて深いため息をついた。
そして、どうしようものかとそのまま視線を落としてぼんやりとホームの床を眺めていた。
「ねぇ、似合っているかしら?」
いきなり、俺の顔を覗き込みながらかわいらしい笑顔を見せる。
……ち、近い、近い。
雪ノ下の顔が近づいてくる。
「……ああ、似合っているよ」
のけぞるようにしながら答えるが、硬い背もたれのせいで俺の体はこれ以上後方へと動くことはできない。
371: 2013/09/07(土) 20:52:15.14
「そ、そのひざ掛け気に入ったのか?」
なおも近づく雪ノ下の顔をかわすのに精いっぱいな俺。
顔を横に背けながら雪ノ下に感想を求めた。
「ええ……、だって……比企谷くんが……比企谷くんが選んでくれたもの……」
羞恥で頬を朱に染めた雪ノ下は顔を少しずつ引きながらこう答えた。
……!?
あっ、じわじわ近づいてくると思っていたら、案外引くのはあっさりしているんですね……。
八幡ちょっと残念。
遠ざかった雪ノ下にちょっと未練を感じてしまった。
372: 2013/09/07(土) 20:53:49.06
「だから、こうして使っているところを見てもらいたくて……」
もじもじしている姿が戸塚なんか比べ物にならないくらい可愛い。
ごめん戸塚……。
この先フラグ立ってもへし折っちゃうから。
ついでに小町ごめん。
お兄ちゃん今日は……、家に帰らないから!
378: 2013/09/08(日) 02:04:40.23
ひざ掛けの上でもじもじさせていた雪ノ下の手が俺のコートの裾を引っ張り出す。
裾を引っ張ったところで俺はびくとも動かない。
っていうか、せめて引っ張るなら二の腕とかにしておけよ。
お前重心と勝手知らないの?
理系だろ……。
こんな突込みを入れてる場合ではないな。
仕方ないので、意を汲んでやって俺の方からベンチの上を横滑りして雪ノ下に膝を近づける。
それに合わせて雪ノ下の膝もすすっと近づいてくる。
381: 2013/09/08(日) 02:08:05.94
互いの距離が詰まったところで、不意にふわっと、ひざ掛けが舞い上がった。
俺の視界を遮ったのもつかの間、風船が一気にしぼんでいくかのようにみるみる降下を始めた。
そして、二人の膝の上に着地した。
一枚のひざ掛けで二人一緒に温まっている。
なにこのシチュエーション?
もうドキドキが止まらないじゃないか。
382: 2013/09/08(日) 02:09:27.14
「……それに、こういう事もしてみたかったから……」
雪ノ下の頭が静かに俺の肩にもたれかかってきた……
383: 2013/09/08(日) 02:12:11.52
思考が完全に停止してしまった。
いったいどれくらい時がたっていたのかわからなかった。
しかし、そう長い時間が経っていたわけではなかった。
気づけばホームに次発の電車が滑り込んできた。
ハッと我に返った俺は帰らねばと条件反射で体がピクリと反応する。
しかし、その瞬間ギュッと俺のコートの袖が強く握られる。
「あと、もう一本だけ……」
俺だっていつまでもこうしていたいさ。
「ああ……」
その瞬間、開いたドアから人波が吐き出された。
しかし、俺はその一団から向けられる視線は全く気にならなかった。
387: 2013/09/08(日) 02:25:34.07
× × × ×
一夜明けた放課後。
部室に向かう廊下で目前に迫った受験に憂うため息や冬休みを前にして浮かれ気味にはしゃぐ歓声と
すれ違った。
それらと隔絶された世界への入り口を開けた。
うつらうつらと静かに目をつむる美少女がそこにいた。
雪のように透き通った肌はみずみずしさをたたえ、長く伸びたぬばたまの髪はしっとりと潤い天使の
輪を描いている。
その美少女はまるで魔女の毒りんごで眠らされたかのように美しさを誇りながらもただただ時の流れ
に身を任せていた。
つややかな唇に挟まったかけらを吸い出してもらうのを待っているがの如く。
388: 2013/09/08(日) 02:26:31.03
ひざ掛けをかけているもののブレザーだけでは寒かろう。
きれいに折りたたんでいたコートをそっと肩にかけた。
その眠りを妨げないように。
389: 2013/09/08(日) 02:29:15.80
外は風が強いのだろうか。
ヒューヒューと唸りを立てながら、隙間風が入ってくる。
そろそろと静かに静かにカーテンを引く。その眠りを妨げないように。
部室に流れ込む冷気の流れを遮るためだ……。
いや、違う。それが一番の理由ではない。
ふたりぼっちの世界を守りたいがためにそうしていた。
カーテンの端と端とを重ね終えて、外界と遮断した。
390: 2013/09/08(日) 02:30:38.17
その時、誰かに背中にもたれかかられ、カーテンを挟みながら窓に体が押し付けられた。
足元に目をやると、もたれかかっている主は爪先立ちをしていた。
そして、芳香を漂わせている人影が動くと同時に俺の首筋には柔らかな感触が巻き付いた。
それから、俺の背中に感じていた体温と体重がゆっくりと引いていった。
391: 2013/09/08(日) 02:33:38.17
襟元に手を伸ばすと、毛糸のマフラーが巻き付いていた。
振り返って視線を前方にやると眠りから覚めた雪ノ下雪乃がうっすらと片目を閉じて生気に満ちた笑顔
でそこにいた。
俺の心を狂おしいぐらい乱してしまう小首を傾げたポーズをとりながら。
「比企谷くん、マフラー似合っているわよ」
雪ノ下は夜なべでマフラーを編んでいた。
そうか……、あの時……。
俺が首に固く巻きつけられた女性物のマフラーと格闘していたときに、雪ノ下は手編みセットを購入
していたのか。
俺の思考を読みとった雪ノ下は、フフフといたずらっぽく笑ってみせる。
「ありがとう、雪ノ下。これ大事にするから」
「ええ、いつまでも大事に使ってね」
雪ノ下を抱きしめたい衝動に駆られたが、すぐにそれを打ち消した。
今はこうして見つめ合うだけでいい。
抱きしめてしまったら、こんなにも心が安らぐ笑顔を見つめることができないのだから。
392: 2013/09/08(日) 02:35:04.55
「やっはろー」
「よう、由比ヶ浜」
「こんにちは、由比ヶ浜さん」
二人ぼっちのときは終わりを告げ、いつも通りの時間が流れ始める。
393: 2013/09/08(日) 02:37:43.88
「ねーねー、ゆきのん、ヒッキー、今度みんなで……」
突然言葉が途切れた。
そして、俺をジトっと睨みつける。
「ヒッキーってマフラーして無かったよね。そのマフラー何!?」
「うっせー、声でかいぞ。それに途中で話をやめるな。お前は3歩歩いたら忘れてしまうんだろ?」
「バカにしないでよー」
とプンスカ怒る由比ヶ浜。
お前は激おこぷんぷん丸かよ。
すかさず雪ノ下が俺の援護に回る。
「由比ヶ浜さん、あまり続きは聞きたくないのだけれど……、さっき『今度』のあと何を言いかけたの
かしら?」
394: 2013/09/08(日) 02:39:28.83
「あっ、そうだ! 忘れるところだった。今度みんなでクリスマスパーティーしようよ」
「断る!」
「遠慮するわ」
「えー、なんでなんでーー」
「俺は小町と二人きりで甘いイブを過ごす」
「ヒッキー、キモい!」
「うるせーピッチ」
「ピッチ言うなし、ヒッキーマジキモい!」
「私はそういうお祭り騒ぎは苦手だから……」
「ゆきのんまでそういうこと言うしー」
396: 2013/09/08(日) 02:49:31.55
こうして、いつの日かの光景を繰り返す奉仕部の日常。
しかし、俺たち - 比企谷八幡と雪ノ下雪乃の関係は変わっていく。
そう、一歩ずつ一歩ずつ互いにゆっくりと近づきながら……。
「もう……、わかったわ。だからくっつくのやめてもらえるかしら」
「……わかったから、騒ぐのはもうやめろ。じゃあ、24日18時千葉駅集合でいいか?」
「小町ちゃんとかさいちゃんとか呼んで、みんなで楽しもう!」
一人はしゃぐ由比ヶ浜。
どうせなら、きっと婚活クリスマスパーティーで失敗して荒れている平塚先生にまた
会うんだろうし、今回は最初からさせってやるか。
あと、材木座は要らないからな。絶対にな。
やれやれと雪ノ下に目線を送る。
雪ノ下もお手上げねと目線を送ってくる。
相変わらずお互い考えていることは一緒だ。
もう一度2人で視線をかわし直した。
いつものように口づけのような熱い視線を交わしあってから、再び3人の世界に戻った。
- ラブコメの神様、俺ちょっと調子に乗りすぎましたか? これって罰が当たったんですか?
雪ノ下と二人きりでクリスマスイブを過ごしたいんだけど、どうにかしてもらえませんか?
―完―
406: 2013/09/09(月) 20:20:02.42
レスどうもです。
励みになります。
まだ四分の一しか書きあがっていませんが、出だしの部分は変更する予定もないので、先行して書き込み
ます。
では、第5弾スタートです。
励みになります。
まだ四分の一しか書きあがっていませんが、出だしの部分は変更する予定もないので、先行して書き込み
ます。
では、第5弾スタートです。
407: 2013/09/09(月) 20:21:04.14
ベクトル糞つまんねー。
冬休み初日、俺は津田沼にある予備校で数学の冬期講習を梯子していた。
1講目のセンター数学と2講目の文系数学だ。
本当は国語と英語の講義を受けたかったが、私立文系から国立文系に照準を合わせ直したので、
数学漬けになる羽目となった。
ようやく2つの講義が終わり、オーバーヒートしている頭をクールダウンしているところだ。
408: 2013/09/09(月) 20:22:16.25
それにしてもなんなんだ、このベクトルというやつは。
どうも生理的に好きになれない。
まず、ベクトル記号が矢印であらわされているのが気に食わない。
なんなの、みんなで同じ方向見ないといけないの?
クラスでよくある「行事に向かってみんなで一直線!」って感じに似ててものすごく嫌だ、たまらな
く嫌だ。
409: 2013/09/09(月) 20:23:40.84
それから、あの矢印の方向も気に食わない。
「→」で表しているが、あの「僕たち、私たち前向きに頑張っていて今が充実しています」ってリア充
みたいな感じどうにかなんないのか。
「←」の後ろ向きな感じじゃだめなの?
ぼっち舐めんなよ!
410: 2013/09/09(月) 20:25:00.25
こんな風に憤ってみたが、欺瞞だ。論理のすり替えだ。
実際問題、ベクトルについてはまったくのお手上げ……。
ちっともわからない。ちんぷんかんぷんだ。
そういえば、ちんぷんかんぷんとちちんぷいってなんか似てない?
ちんぷんかんぷんのベクトルも、ちちんのぷいって…… ならないよね。
411: 2013/09/09(月) 20:26:26.15
はぁー……。
落胆のため息をついていると、聞き覚えのある声が後ろからかけられる。
振り返ってみると、川……、川……、川なんとかさんだった。
「……、あんたのおかげでスカラシップ取れたから……。ありがと……」
そう言ってそそくさと帰っていった。
412: 2013/09/09(月) 20:29:56.49
こんなところでクラスメートに会うとは露ばかりにも思っていなかったので、話しかけられて思わず
きょどってしまった。
俺の通う千葉市立総武高校は県下でも有数の進学校だ。
由比ヶ浜が通っているせいで勘違いされると困るのでもう一度言おう。
総武高は進学校だ。
だから、高二の冬休みともなれば、受験対策を始めていても不思議ではない。
ひょっとしたらほかにもクラスメートがこの中にいたのかもしれない。
さっきの川……川村さんだったっけ? みたいに未だに名前を覚えてないのはまだ良い方で顔を見ても
こんな奴いたっけ? って感じの奴らがたくさんいるので、クラスメートとはとても呼べないのだけど。
もっとも俺もクラスメートに認識されてはいないのだけど。
413: 2013/09/09(月) 20:31:25.12
さて、俺も帰るとするか。
雪ノ下からプレゼントされたばかりの手編みのマフラーを巻いて帰り支度をした。
そうだ、家に帰っても誰もいないんだよな。
小町も総武高の受験を控えて塾の冬期講習に行っている。
その留守宅には、カップ麺くらいしか食糧がない。
だから、ヨーカ堂のとこのマックで復習しながら何か食って帰ることにするか。
そんでもって、ヨーカ堂で食材買って帰って塾で疲れて帰宅した小町のために晩飯でも作ってやるか。
これって八幡的にポイント高いよな。
414: 2013/09/09(月) 20:33:06.62
予備校の校舎を出るといきなり風に吹きつけられた。
頬に12月の寒風を受け、目がしゃきっとする。
いつもなら首筋にも直撃して身震いするところだが、雪ノ下が編んでくれたマフラーが見事に防御し
てくれた。
服の耐久性にうるさい雪ノ下のことだから、このマフラーもかなりの防御度があることだろう。
ただし、肝心な雪ノ下の攻撃というか口撃は一切防ぐことはできない諸刃の剣。
あっ、防具だから剣ではないな。
盾でもないし……、もうやめておこう。
416: 2013/09/09(月) 20:39:45.55
そういえば雪ノ下は今頃何をしているんだろう?
目の前にいた。
なに俺、幻覚まで見ちゃって。
もしかして雪ノ下依存症なの?
そう思って目をこすりながら、そのままヨーカ堂へ向かって歩いた。
「比企谷くん、この私を無視していくとはどういう了見かしら?」
背筋に絶対零度の冷気が吹き付けた。
振り向くのが怖い。
俺の心は凍氏してしまった。
417: 2013/09/09(月) 20:42:12.07
>>415
自分もSS書こうかなと思ったきっかけとなった書き手さんなので。
そんでもって、同時間帯に書いていたもんだから、ついつい覗いているうちに誤爆してしまいました…orz
自分もSS書こうかなと思ったきっかけとなった書き手さんなので。
そんでもって、同時間帯に書いていたもんだから、ついつい覗いているうちに誤爆してしまいました…orz
433: 2013/09/10(火) 18:22:17.79
× × × ×
「あなたベクトルの公式を何一つ覚えていないのね。馬鹿なの?」
さっきの俺の行動で虫の居所が悪い雪ノ下雪乃は当り散らすように俺を罵倒した。
俺たちは今、予備校のすぐ近くにある駅の南口側のマックにいる。
今日も舌鋒冴えわたる雪ノ下の罵詈雑言を聞き終えるとコーヒーに一口手を付けてカップをソー
サーに静かに戻した。
434: 2013/09/10(火) 18:23:24.62
まさか雪ノ下が予備校の前で待ち伏せしているなんて思ってもいなかった。
っていうか何? お前ストーカーなの?
いや怖いんだけどマジで。
雪ノ下に平塚先生と似た怖さを感じた俺は絶対こいつに携帯番号とメアドを教えてはならないと
固く心に誓った。
435: 2013/09/10(火) 18:24:46.44
「お前の言う通り、数学の勉強を始めてからベクトルはまだ手を付けていなかったからな。
今から今日の復習と明日のセンター数学の予習をしようと思っているんだよ」
そう言うと雪ノ下に目もくれずテキストとノートを開いて交互に見比べ始めた。
雪ノ下には悪いが、5日間の冬期講習を無駄にはしたくない。
どうせ明日も特に文系数学の講座なんかは、説明を聞いてもろくに理解できず耳から耳へと抜け
ていくことだろう。
でも、今日こうやって復習をしておけば明日1つくらいこんな俺にだって理解できる事柄があるか
もしれない……。
そんな思考をここらで断ち切ってノートに鉛筆を走らせ始めた。
436: 2013/09/10(火) 18:27:50.60
「あ、あの……、比企谷くん……」
おどおどした口調で雪ノ下が話しかけてきた。
「何?」
視線を動かさずに答えた。
「こ、これ、あげるわ……」
鉛筆の芯の先に焦点を合わせた俺の視界が一瞬ぼやけた。
雪ノ下はテーブルの上をカタツムリのようにゆっくりと這わせて名刺サイズ大の単語カードを
差し出した。
「これ何に使うんだ?」
数学の勉強中に急に単語カードを出されて頭が混乱した。
「このカードって紙が大きいでしょ。だから、これに公式を書いておくとちょっとした時間に
確認できて便利なのよ」
さっきまでの罵倒とは違い、しおらしい口調になった雪ノ下は、俺にどう接したらよいのかわか
らずに困惑した表情を浮かべながら説明した。
どうやら、俺が怒っていると勘違いしたらしい。
437: 2013/09/10(火) 18:29:03.09
わざわざ俺にこの単語カードの使い方を教えに予備校の前で待ってれていた雪ノ下をしょんぼり
させて帰してしまうわけにはいかない。
「サンキュー。早速使わせてもらうわ」
努めて明るく答えると、リングからカードを外して公式を書き込み始めた。
雪ノ下がホッと安堵のため息をついているのが聞こえた。
さっきは一応謝ったけど、雪ノ下にここまで気を遣わせたのだから埋め合わせは必要だろう。
438: 2013/09/10(火) 18:30:14.74
鉛筆を走らせる手をピタリと止めて、雪ノ下の方を見つめた。
「悪いけどまた数学教えてもらえないか。そのあと……良かったら……、気分転換に付き合って欲しい」
雪ノ下はぱっと満開の花を咲き誇らせたような笑顔で頷いた。
「ええ、私もそのつもりよ」
そう、雪ノ下雪乃がこの笑顔を見せてくれるのが俺は好きなんだ。
「雪ノ下、悪いんだけどもう一つ頼みがあるんだ」
443: 2013/09/11(水) 19:24:22.92
× × × ×
「比企谷くん、お待たせ」
雪ノ下が番号札を持って戻ってきた。
テーブルの上にそれを置くと、俺の正面に座った。
さっきは、雪ノ下の尋問を受けることになったので、昼飯を頼む余裕もなくコーヒーしか頼んで
いない。
これから考えただけで頭の痛くなってくるベクトルを勉強するのにまずは腹ごしらえをしたい。
雪ノ下にお任せで二人分のオーダーをしてきてもらったのだ。
444: 2013/09/11(水) 19:25:52.79
「比企谷くん、公式はもう写し終わったの?」
単語カード改め数学公式カードをリングに留めて筆箱の横に置いていることに気付いたようだ。
「ああ、いっぺんに全部書いたって頭に入らないからな。今日出てきた分だけ書き留めておいた」
「そう、それなら今日のおさらいね」
そう言い終えるとシートから立ち上がった雪ノ下は、俺の方に歩み寄ってきた。
そして、俺のシートの端に座るともそもぞと尻を動かしながら接近してきた。
近い、近い。
思わず雪ノ下とは反対側にのけ反りながら、あわてて尻を動かす。
445: 2013/09/11(水) 19:27:25.69
「おいおい、いきなり隣に座ってきてどうしたんだ?」
ちょっと照れながら早口でこう訊くと雪ノ下はぼそぼそと答えた。
「だって、隣に座らないと教えづらいじゃない……」
確かにそうなんだけど、いきなりそんなことをされるとドキドキしてしまう。
それに、2人で対面席にいるのに横に並んで座るのってなんか変だろ?
でも、そんな考えとは正反対のことを口走ってしまった。
「そうだよな。じゃ、頼むわ……」
俺はたったこれだけの短い言葉を噛みそうになってしまった。
俺の心弱すぎだわ。
「え、ええ……」
俺の緊張が伝わってしまったのか、雪ノ下の声はますます弱弱しく聞き取りにくいものになって
いた。
446: 2013/09/11(水) 19:29:18.24
× × × ×
雪ノ下雪乃の説明はやはりわかりやすい。
理路整然としていて余計な単語や抽象的な表現は一切使わない。
普段あれだけストレートかつ的確に俺のことを罵倒しているのだから、そりゃ造作もないこと
だろう。
なんか悔しいけど事実そうだから仕方がない。
ベクトルを用いた三角形の面積を求める公式はさっきカードに書いたばかりだから覚えているが、
それをうまく使うことができなかった。
しかし、この公式を変形させれば問題を解くことができる。
そんな方法を雪ノ下が教えてくれたおかげで何とか例題を解くことができた。
早速その変形型もカードに書き込んだ。
447: 2013/09/11(水) 19:36:19.28
俺は入試まであと一体いくつの公式を使いこなせるようにならなければならないのだろうと一抹の
不安を感じたが、ここ2週間ほどの勉強でわずかではあるが自分の中で積み上げてきたものがある
という実感はある。
いつだか、川……なんとかさんからのお悩み相談メールに回答するとき雪ノ下が言っていた「勉強に
王道なし」という言葉を思い出した。
そう、何度も何度も繰り返し勉強して忘却曲線によって減退していく記憶量を補っていくしかない。
「比企谷くん、おどろいたわ。あなたは初対面の時に無駄に中途半端な自分のスペックを誇っていた
けれど、それ以上の能力はもっているわね」
448: 2013/09/11(水) 19:37:57.91
雪ノ下は乗せるのもうまかった。
今やっている内容は数Ⅱの一番最初の方で習う基本中の基本だから実際に雪ノ下はどう思ってい
るのかわからないが、他人から褒められることのないぼっちにとってはこれくらいでも嬉しい。
今までの俺だったらその言葉にも裏があるのだと勘ぐっていたが、雪ノ下に言われるとそう信じて
しまいたくなる。
俺の恋心をうまく使ってその気にさせる雪ノ下雪乃恐るべし。
いや、俺が単純でバカなだけかな。
ちょっと待て、……俺、すっかり褒められたと思っていい気になっていたけど、かなりバカにされ
ていたよな。
雪ノ下には何を言っても無駄だから、まぁいいか……。
449: 2013/09/11(水) 19:39:18.18
「15番のお客様、お待たせいたしました……」
女子大生と思われる店員がトレイを持ってやってきた。
2人でカップル席のように座っている俺たちを見て、にこっと微笑む。
その笑顔の意味を瞬時に捕えた俺たちは、羞恥で顔が紅潮してしまった。
そ、そうだよな、こんな風に座っていたらやっぱりただのバカップルに見えるよな……。
450: 2013/09/11(水) 19:41:15.57
「ど、ど、どうも……」
と2人同時に噛み噛みで答えてしまった。
それがいっそう羞恥の度合いを高めてしまい、目は完全に伏目になってしまった。
ちらっと横目で雪ノ下を見ると、肩を震わせながら完全に思考を停止させていた。
そんな俺たちを見ながらオーダーの内容を復唱してトレイをテーブルに置いた。
そして、
「ごゆっくりお過ごしくださいませ」
と言って去っていた。
その口調は一段階高めのトーンで弾んでいた。
そして、最後にくすっと暖かい笑顔を向けられたような気がした。
451: 2013/09/11(水) 19:42:34.09
この恥ずかしい空気を打破しようとハンバーガーに手を伸ばした。
雪ノ下も同時に手を伸ばしてきた。
俺は数日前に本屋で参考書に伸ばしてきた雪ノ下の手にわざと触れて怒らせてしまった。
今度もひっぱたかれないようにさっと手を引っ込めた。
雪ノ下も俺に触れられまいとしたのか同時に引っ込めてしまった。
ますます気恥ずかしさでいっぱいになってきた。
互いに異性に免疫のない俺たちはいつまでこんなことを繰り返すのだろう。
でも、こういうことにこなれず、いつまでもこんなときめきを感じ合える関係でありたいとも
思った。
457: 2013/09/12(木) 19:11:09.14
× × × ×
「雪ノ下、これハンバーガー代だ」
テーブルの上を滑らせるように指で500円玉を押した。
「いえ、いいわ。この間比企谷くんにはごちそうになっているもの」
雪ノ下もすっと500円玉を指で押して返してきた。
正直なところ、この数週間かなりの出費をしていて財布の中身が寂しくなっている。
格好が悪いがありがたくごちそうになることにした。
458: 2013/09/12(木) 19:13:06.94
「ところで、いつまでそこに座っているんだ?」
俺の隣でハンバーガーに小さな口でかわいらしくかぶりついている雪ノ下に言った。
「食べ終えたら勉強を再開するのだから、このままでもいいでしょ」
確かに雪ノ下雪乃の言う通り合理的に考えればその通りだ。
でも、そういう理屈で答えるべきことではないよな。
そこが雪ノ下雪乃なんだけど。
「……そうね。やっぱりちょっと変ね」
と意外なことにすんなりと俺の対面に移動した、とはいえちょっと拗ねている。
そんな雪ノ下がハンバーガーを食べている姿を見つめていると、それに気づいたのか気恥ずかし
そうにさっと斜め下に顔を背けた。
いつもなら何か一言言って悪態をついてくるところだが、そりゃ何も言われないに越したことはない。
俺は物足りなさを感じていたが、そっと視線を外した。
459: 2013/09/12(木) 19:14:39.38
さて、食べ終わったことだし勉強を再開するか。
「トレイを戻しに言ってくるわ」
そう告げてトレイ置き場に行って戻ってきた。
おいおい……。
思わず苦笑してしまった。
雪ノ下は既に俺の側のシートに移動してちょこんと座って俺の帰りを待っていた。
しかも、律儀にさっき座っていた場所と寸分たがわずに。
460: 2013/09/12(木) 19:16:08.32
「なぁー雪ノ下……」
声をかけるとビクッと反応し、狼狽している。
あたかも、知らぬ間に獣に間合いを詰められていたことに気付いた小動物のように。
「……そこに座っていると俺が座れないんだけど」
雪ノ下は俺から見てシートの手前に座っている。
そこをどけて中に入れてもらうか、雪ノ下に奥に詰めてもらうしかない。
いや、いっそのこと反対側のシートに座ってしまおうか。
でも、雪ノ下がわざわざこっち側に来た意味ないしな。
そんなことを逡巡していると、ようやく雪ノ下は俺の言葉を理解したようで奥に向かってシートの
上をもぞもぞと動き始めた。
461: 2013/09/12(木) 19:18:14.12
じゃあ、俺も座るか。
座るや否や急に雪ノ下は反転してこっちに向かって動き出した。
そのため、軽くぶつかってしまった。
お互い尻をもぞもぞしての移動だから大した衝撃はない。
「悪い……」
「ふぇっ……」
俺が謝ると同時に変な声を上げる雪ノ下。
羞恥で真っ赤になっている。
そして、テンパってしまった雪ノ下の体がよろめいた。
462: 2013/09/12(木) 19:20:30.00
ゴンッ……。
雪ノ下は鈍い音を立ててテーブルに額をぶつけた。
さすがに女の子の顔に傷をつけてしまうのはマズい。
きれいに手入れされている雪ノ下の前髪を掻き上げて額を見た。
ちょっと赤くなっているが、傷はついていないようだ。
ホッと一安心した俺だが、雪ノ下の顔はさらに赤くなって熱っぽくなっている。
「あ、あ、あ、あ……」
と雪ノ下は言葉にならない声を出している。
「だ、大丈夫か……、雪ノ下?」
そう声をかけると急にキッとした顔つきに変わった。
「比企谷くん、それ以上私に触れると通報するわよ」
そう言う雪ノ下の手には携帯が固く握りしめられていた……、ゴクリ……。
463: 2013/09/12(木) 19:22:45.50
結局、俺と雪ノ下は入れ替わる形で座ってベクトルの復習をじっくりと時間をかけて行った。
これで明日の講義でいくらかは内容が頭に入るだろう。
さて、せっかく俺のことを気にかけてわざわざ津田沼までやってきてくれたから、デートらしい
ことでもしてみようか。
デートと言う単語を使ったら、怒らせてしまいそうだから口には出さないけどな。
467: 2013/09/13(金) 04:38:56.47
× × × ×
15時を回ったところで店を出た。
雪ノ下にはついてからのお楽しみとだけ言ってしばしの散策をする。
すっかり俺の右側が定位置になった雪ノ下。
以前のように人目を気にしなくなった。
一応は俺の存在を認めてくれているようだ。
J組での追及はどうなったのか気になるが、これには触れない方が良いだろう。
相変わらずただ無言で歩いているだけだが、それで満足だ。
雪ノ下もそう感じているのか、終始にこやかだった。
468: 2013/09/13(金) 04:40:51.45
そんな俺と雪ノ下が入ったのはボウリング場であった。
冬休みに入ったばかりの3連休初日の土曜日というだけあってけっこうな賑わいだった。
小町と行こうと思って持っていた1ゲーム分無料のチケットを使って3ゲームすることにした。
初めてボウリングするという雪ノ下に靴の借り方やボールの選び方などを教えた。
雪ノ下が入念にボールを探している間に名前を入力した。
ちょっと悪戯してやろうと思い「YUKINON」とこっそり入力したそのとき、背後から一瞬にして氷漬けに
されてしまいそうな声がした。
「比企谷くん、いったいその名前は誰のことかしら?」
469: 2013/09/13(金) 04:42:02.61
入力した名前の修正を余儀なくされたのちスタートボタンを押す。
俺は悪戯した罰として危うく雪ノ下に「HIKIKOMORI」で登録されそうになった。
おいおい、やめてくれよ。
うっかりオックスフォード英語辞典に収録されちゃったらどうするの?
クールでポップな日本文化と認識されて世界中でひきこもりが流行してしまうぞ。
その時俺はトレンドの最先端を行くわけ?
さすがにこんなことで歴史に名前は残したくない。
ただでさえ黒歴史しかない俺なのだから。
なになに、もう既に収録されているって?
さすがユキペディアさんだ。
470: 2013/09/13(金) 04:43:19.99
雪ノ下に投球フォームを教えてから先攻の俺が投げる。
なんとかストライクを出して一応恰好はついた。
席に戻るとき、雪ノ下が遠慮がちに手を挙げた。
さっきからチラチラとほかのレーンの様子を見ていた雪ノ下。
ストライクやスペアが出るたびにハイタッチをしている姿を見ていたのだろう。
そんな雪ノ下の意を汲んだ俺はその手めがけて力強くタッチする。
手が触れた瞬間に顔赤らめる雪ノ下がかわいくてたまらない。
471: 2013/09/13(金) 04:44:58.16
1ゲーム目を終えて、雪ノ下と一緒に瓶コーラを飲む。
ボウリング場に来た時の醍醐味だ。
小町と一緒にプレーするときは2人ともスコアは100辺りでウロウロしているが、120台まで出たので
ちょっと気分がいい。
雪ノ下は超ビギナーだから勝って当然なのだが、完璧超人の雪ノ下にたった1つでも勝てることがあった
んだな。
雪ノ下も勝負を意識していないので、ここまで穏やかに過ごしている。
そんな雪ノ下はさっきから物憂げに同じレーンばかり見つめていた。
472: 2013/09/13(金) 04:46:43.64
そこにはボウリングを楽しむ家族がいた。
俺の視線に気付くと雪ノ下はこう問うてきた。
「比企谷くんは家族でボウリングしに来たことはあるの?」
「ああ、小学生の時だけどな何度か来たことがある。中学に入ってからは親の仕事も忙しくなって、もっ
ぱら小町と2人だけで来てたけどな」
「そう……」
寂しげな表情を浮かべた雪ノ下はそれきり黙ってしまった。
違う、違う。俺が見たい雪ノ下雪乃はこんなんじゃない。
「雪ノ下、俺に1ゲーム目負けてそんなに悔しいのか? そんなんじゃ勝負するまでもなく俺の勝ちだな」
そう言うなり雪ノ下の目の色が変わった。
「比企谷くん、何を言っているのかしら。あなたがこのあと負け犬の遠吠えをしている姿が見えるわよ、
犬がやくん」
そうだ、これだ。
雪ノ下雪乃はこうでなければ。
477: 2013/09/13(金) 20:02:05.09
× × × ×
2ゲーム目の火蓋が切られた。
火蓋を切るとは火縄銃の発射の動作から生まれた言葉だ。これ豆ね。
俺としては今日は雪ノ下と勝負をしようなんて考えてもいなかった。
純粋に2人でまったりとボウリングに興じたい気持であった。
あんな弱った雪ノ下を見たくはなかったので、勝負を吹っかけて気を紛らわせてやろうと思っただけ
だった。
しかし、雪ノ下は対決モード全開でいつものようになっていた。
自分から仕掛けたわけなのにどうも気が進まない。
478: 2013/09/13(金) 20:03:53.66
そんなことを口実に言い訳するつもりではないが、俺は1フレの1投目でいきなりスプリットになって
しまう。
こんなもん獲れるわけないだろ。
2投目はゲートボールでいうところの第一ゲート通過になってしまった。
対して雪ノ下はストライク。
なんだこの完璧超人は?
フフンと鼻を鳴らすのがたまらなくうざい。
2フレ、3フレとやっぱり1投目で割れてしまう俺。
雪ノ下はいつの間にか上達しちゃって、ターキーなんかを出しやがる。
勝負事には人一倍熱くなる雪ノ下だが、その投球は極めて冷静かつ沈着だ。
スコアを伸ばしていくにつれてさっきの憂いた表情が嘘のように影をひそめた。
479: 2013/09/13(金) 20:06:08.11
2ゲーム目は完敗だ。
俺は中盤から頑張って120台に持って行ったが、雪ノ下は160を超えている。
なんなのこいつは?
勝ち誇った顔が憎らしいけどやっぱりかわいい。
いろいろとけなされたり貶められたりしたが、そんな顔を見せられたら何も言い返せない。
「3ゲーム目で逆転ね」なんてもう勝った気でいやがる。
ここは一矢報いてやらないとな。
3ゲーム目も圧倒的に雪ノ下有利で進んでいった。
雪ノ下の表情はというと、もうなんていうか梅と桜が同時に満開になっちゃったくらいの華やかさ。
こんな笑顔をずっと見ていられるのであれば、もう負けてもいいやと勝負なんかどうでもよくなって
しまった。
そんな時雪ノ下の表情が再び暗くなり始め、スコアが落ち始めた。
隣のレーンに楽しげに歓声を上げる親子連れがやって来たからだ。
480: 2013/09/13(金) 20:08:33.72
ふと、雪ノ下の家族のことを考えてしまった。
一人暮らしをしたいという雪ノ下にポーンと高級高層マンションの一室を与えるくらいだから父親と
は間違いなく不仲ではないのだろう。
しかし、ひょっとしたら仕事の忙しさにかまけて金銭で解決しようとしているだけなのかもしれない。
母親との確執は雪ノ下の反応や陽乃さんの口ぶりからなんとなくわかっている。
その陽乃さんとも決して姉妹仲は良好ではない。
物質的に恵まれていても精神的には満たされていないのだろう。
そんなことに俺は立ち入ることができない。できるわけがない。
でも、立ち入ることができなくたって俺だけにしかできないことがある。
そう思ったせいか、柄でもないことを口走ってしまった。
「雪ノ下、お前はどこを見ている。そんな顔するな……」
481: 2013/09/13(金) 20:10:39.95
雪ノ下の表情はまだ曇ったままだ。
「お前はは俺だけを見ていろ。俺ならここにいるぞ」
雪ノ下の表情はめまぐるしく変化した。
曇った表情から一転ハッとした顔になったと思えば、今度は自嘲的な笑みを浮かべたのち、満面の笑
みへと変わり、最後は凛とした表情になった。
そう、お前はすぐに迷子になるんだからちゃんと俺のそばにいろよ……。
「ええ……、あなただけを見ているわ」
あまりにも真剣な眼差しを向けられるものだから心が乱されてしまいそうになった。
いかん、いかん、俺たち勝負の真っ最中だろ。
「何お前もう勝った気になってんの?」
ガコンと音を立ててコンベアで運ばれてきた俺のボールが戻ってきた。
ここでかっこよく決めたい。
「せーの……」
フォームも決まった、完璧だ……。
「ブ――――――――……」
思いっきりファールラインを踏み越んでしまった。
勢いよく転がるボールはピン先で弧を描きピンをすべて薙ぎ払った。
しかし、スコアを映すモニターにはファールを表す「F」が真っ赤に表示された。
雪ノ下はクスクスと笑いをかみ頃して笑っている。
「……フフ、……まるであなたの人生そのものね」
うっせー。
482: 2013/09/13(金) 20:12:29.15
なんか見たことのある光景だ……。
急に既視感を覚える。
- そうだ、家族で遊びにときこんなことがあったな。
今ではすっかり屑にしか見えない親父が激しく音を立ててガーターをやらかした。
椅子に座っていたおふくろがクスクス笑っていたっけ……。
そして、俺と小町がレーンの近くに並んで立ってやいのやいのとバカにしていたな……。
あの時の光景が雪ノ下と重なって見えた。
雪ノ下がいて……、俺がいて……。チッ、俺はやっぱり屑かよ……。
じゃあ、俺と小町は誰になるの? えっ……………………!
いやいや、俺なに考えてんの。
483: 2013/09/13(金) 20:13:46.62
この数週間、俺の心の奥底で熾火のようにくすぶり続けていたことが2つあった。
1年ちょっとののちにあるセンター試験の数学のことではない。
ましてや、その一月後の二次試験のことなんかではない、もっともっと大事なことが……。
そして、この瞬間、1つは決心にもう1つは決意となって昇華した。
- こう決心したのだから、もう俺……比企谷八幡は迷わない
こう決意したのだから、もう雪ノ下雪乃は迷わせない
487: 2013/09/13(金) 23:31:43.63
レスどうもです。
ちょびっとだけ進めます。
ちょびっとだけ進めます。
488: 2013/09/13(金) 23:33:16.58
× × × ×
雪ノ下にものの見事なまでに完敗してボウリング場をあとにした。
勝者である雪ノ下を讃えたが、勝負に勝ったというのに勝ち誇ることもなく、代わりに
「比企谷くん、……ありがとう」
とぼそりと言ったきり、ずっと伏し目がちである。
時々俺の歩みが早くなるとコートの袖をきゅっと軽くつまみ、俺が止まるとぱっと離す。
いつもなら小走りで追いついてきて俺がスピードを緩めるのだが、なんだかさっきから様子が変だ。
雪ノ下の表情をうかがい知ることはできないが、少なからず落ち込んでいる様子はない。
だから、きっと体力がない雪ノ下がただ疲れているだけだろうと深くは心配していない。
そろそろ帰らないと小町が腹をすかして帰宅してくる。
今晩は俺が夕飯を作ろうと思っている。
489: 2013/09/13(金) 23:34:13.12
「ところで雪ノ下、お前津田沼までどうやって来たの?」
「駅までバスに乗ってそこから総武線に乗って来たわ」
「じゃあ、一緒に帰るか」
「ええ」
雪ノ下はまだ伏目のままだったが、ギュッと固く俺のコートの袖を掴んだ。
490: 2013/09/13(金) 23:36:18.55
× × × ×
コートの袖を掴まれること数分、京成津田沼駅に着いた。
ボウリング場からはこっちの駅の方が近い。
なんか雪ノ下も疲れているようだし、歩く距離が短い方が良いと思ったから千葉線で帰ることにした。
2駅ほど乗ると俺たちの最寄り駅だ。
ちょうどタイミング悪く電車を逃してしまった俺たちはベンチに腰掛ける。
いつの間にか用意したのかちゃっかりとこないだプレゼントしたひざ掛けを掛けていた。
よほど気に行ってくれたらしい。
こういう風に小出しで見せられるのも悪い気がしない。
491: 2013/09/13(金) 23:38:24.97
次の電車まであと10分か。
いつものようにぼーっとして過ごすか。
そんなことを考えていると、雪ノ下の頭が肩にもたれかかってくる。
ちょっと待ってりゃ電車来るのに寝るなよ。
「おい、雪ノ……」
「なに、八幡?」
「へっ……?」
思わず声が裏返ってしまった。
「雪ノ下……、お前今なんて言っ……」
俺の言葉を遮るように雪ノ下はまくしたて始めた。
「比企谷くん、あなたはどうして私が眠くなったりしたのかわかる? そもそもあなたが無理やり私のことを半日連れまわしたあげく、ボウリングを3ゲームも……」
もういいよ雪ノ下、そんなに顔真っ赤にして必氏にならなくても。
クスッと笑ってやった。
雪ノ下はそれきり黙って俯いてた。
492: 2013/09/13(金) 23:39:44.00
「ほら、電車までまだ時間あるぞ。寝ないのか?」
雪ノ下の方へ膝を寄せた。
雪ノ下はもたれかかったと思うとぱっと離れ、ひざ掛けを俺の方へ引っ張ると、再びもたれかかって
静かに寝息をたてた。
本当に疲れていたんだな。
今日はたくさん付き合ってくれて、ありがとな。
それとお前のことを「雪乃」って呼ぶの、もうちょっと待ってくれな……。
497: 2013/09/14(土) 06:41:31.91
冬期講習2日目。
1講目のセンター数学を終え、2講目の文系数学を受講している最中だ。
昨日、雪ノ下に近くのマックでベクトルを教えてもらったので、今日は昨日よりも講義の内容について
いけた。
あくまで昨日との比較であって、一般的な理解の度合いとは違う。
強いてたとえるならの隅っこに小さく「当社比」と書かれたくらいの程度だ。
ベクトルと同様超苦手な行列やら一次変換やらに話題が移った途端、頭から湯気が立ってしまった。
新たな強敵の出現だ。
ちなみに湯気は液体であって気体ではない。
水の気体は水蒸気である。
みんな覚えているかな?
軽く話題をそらしてごまかすのは俺の悪い癖だ。
現実と向き合おう。
定期テストの数学で9点取った俺にそもそも得意分野があるのかって?
そりゃ当然一つもない。
数学は全くのお手上げだ。
でも、数Ⅰの整数問題は8割方解けるようになってきた。
こんな俺でも少しずつだが進歩している……、そう思いたい……。
思わないとやっていられない。
八幡はやればできる子と必氏に暗示をかけてしまう自分がいた。
498: 2013/09/14(土) 06:43:03.33
ふと、車のクラクションと混ざって別の音が聞こえてきた。
窓に目をやると雨が強く降っていた。
今日も予備校の前で待ってくれているであろう雪ノ下の身を案じてしまい、ただでさえ分からない一次
変換の説明が右から左へと抜けていく。
499: 2013/09/14(土) 06:47:18.75
- 昨日の駅のホームからの続きはこんな感じだった。
すっかり眠りに落ちた雪ノ下にしばし付き合うことにした。
雪ノ下は穏やかな表情で眠り姫のようにすやすやと眠っていた。
俺の肩にそっと頭を預けている雪ノ下の体温と鼓動を直に感じながら、静かに物思いに耽っていた。
しかし、冬至の前日とだけあって太陽が大きくなっていくにつれて気温が下がり始めていた。
このままでは風邪を引かせてしまうのではと心配になって2本目の電車が来たときに起こした。
電車を降りてからはすぐ隣の総武線の駅から自転車の後ろに載せて雪ノ下の家まで送った。
風を受けて雪ノ下の髪がたなびくたびに鼻腔をくすぐるような良い香りがして、ドキッとした。
雪ノ下が体を掴む手が時折強くなったり弱まったり、その強弱が妙に心地よくこのままずっと一緒に
いたくなってしまった。
別れ際、雪ノ下に何て声を掛けようものか迷った挙句に
「じゃあな」
と一言だけかけて去ろうとした。
しかし、雪ノ下からは、
「また明日」
と返って来たのだった。
そんな昨日の出来事を振り返っているうちに、雨脚はさらに強くなっていた。
500: 2013/09/14(土) 06:48:43.83
時計を見ると講義終了10分前になった。
雪ノ下のことだからもう到着しているのだろう。
ますます雨は強くなり、俺は一刻も早くここを抜け出したい気持になった。
しかし、そんなことをしてあの雪ノ下雪乃が喜ぶだろうか……。
- 否。これ以外の解なんて存在しない。
秒針の刻むスピードの遅さにただただもどかしく思いながら、板書された最後のまとめをノートに写し
ていたのであった。
501: 2013/09/14(土) 06:49:50.85
講義が終わると素早く荷物をまとめ教室を飛び出した。
後ろから声を掛けられるが、軽く振り返って
「悪い、川崎。今日は急いでいるんだ」
こう一言だけ告げて後にした。
あぁ、そういえば川崎って名前だったんだな……。
502: 2013/09/14(土) 06:54:58.37
このあと出来上がりがしっくりこなくて書き直し中です。
ストックが数レスくらいしか残っていないので、ここでいったん打ち止めです。
ストックが数レスくらいしか残っていないので、ここでいったん打ち止めです。
509: 2013/09/14(土) 23:39:14.03
× × × ×
降りしきる雨の中、雪ノ下雪乃は今日も立っていた。
良かった……。
雪ノ下は真っ赤な傘をさして俺の方をじっと見つめている。
濡れ猫のようになった雪ノ下の姿を想像していたので、まずはひと安心だ。
跳ねた水で裾をぬらしながら俺は雪ノ下のもとへと小走りで駆け寄った。
510: 2013/09/14(土) 23:40:23.24
「はい、比企谷くん……」
コンビニで売っているビニール傘を手渡された。
さすが雪ノ下。
こういう細やかなところまでよく気が回る。
相模が何もしなかった文化祭や相模が機能しなかった体育祭を切り盛りしただけのことはある。
「サンキュー、雨の中待たせてしまったうえに傘まで用意してもらって悪かったな」
雪ノ下の心配りに感謝しながら傘を素早く開いた。
511: 2013/09/14(土) 23:41:31.77
「それとこれ……」
きれいな花柄がプリントされたハンカチを差し出してきた。
さすがにこれを使うのはためらってしまう。
「お前のハンカチ汚してしまうのも気が引けるし自分のを使うからいいわ」
とポケットをまさぐる。
ジーンズのポケットの奥に入っているので、取り出すのに時間がかかる。
ようやくハンカチを掴むことができた。
512: 2013/09/14(土) 23:42:44.97
「!」
雪ノ下は俺に右手を伸ばしてきたかと思うと、ハンカチで額から頬へと伝っていく滴をふき取り始めた。
思いもよらぬ雪ノ下の行動で俺の体温が急上昇し、鼓動が早くなったのがわかった。
雪ノ下のハンカチでひと拭いされるたびに顔が紅潮している。
これは間違いなく周囲の視線を集めているはずだ。
きっと川崎にも見られたはずだ。
気配を消すのが得意だった俺はどこに行ってしまったのだろうか。
513: 2013/09/14(土) 23:44:21.34
雪ノ下はどんな顔をしているのだろうか?
そんなことを考えていると、雪ノ下は正面に回り込んできた。
まるで、ずぶぬれで帰ってきた幼子を拭いている母親のような温かいまなざしだった。
そして、目が合うと頬を染めながら、
「あなたって、本当に手がかかるわね……」
なんて憎まれ口をきいた。
514: 2013/09/14(土) 23:45:11.36
空は一面の曇天模様だ。
雲は流れるように動きトランスフォーマーのようにみるみる姿を変えていく。
まだ当分雨はやみそうもない。
雪ノ下は凍える手にはーっと白い息を吹きかけていた。
今日はすぐ近くの喫茶店に入ることにした。
516: 2013/09/15(日) 02:00:26.41
ローゼンメイデンが終わったので再開します。
アニメ版のまかなかったジュンって八幡よりも腐った目をしている気がするw
アニメ版のまかなかったジュンって八幡よりも腐った目をしている気がするw
517: 2013/09/15(日) 02:01:50.63
× × × ×
雪ノ下のポイントをとらえた指導のたまもので昨日よりも勉強が効率的に捗った。
講義中にその場で単語カード改め数学公式カードに公式を書きこんでいたおかげで、いくらかは記憶と
してとどめられていたことも良かったのだろう。
公式を覚えていないことで、雪ノ下に罵倒されなかったことが何よりの証拠だ。
昨日はベクトルの復習で時間を使い果たしたが、今日は明日のセンター数学の予習も終えることができた。
あとは、家に帰ってもう一度数Ⅱの復習をすれば他教科に時間を費やすことができる。
518: 2013/09/15(日) 02:03:59.26
「サンキュー、雪ノ下。今日もたっぷりつき合わせて悪かったな」
雪ノ下の方を向くが反応はない。
なにかぼんやりと見つめていたが、俺の気配に気づくと、
「……ええ、べ、別に礼には及ばないわよ。私がただこうしたいだけだから……」
と目を合わさない。
「どうした雪ノ下?」
俺は無意識のうちに雪ノ下に何か悪いことをしてしまったのかと思い、雪ノ下の顔を覗き込むように
言った。
俺と目が合うと、頬を朱に染めて再び目をそらす。
「俺なんかとんでもないことでも口走っていたのか?」
今日はかなり集中して勉強していた。
勉強中は思考を巡らせ、余計なことは考えていなかった。
一体何をやらかしてしまったのか?
考えれば考えるほど疑心暗鬼になってしまった。
519: 2013/09/15(日) 02:05:26.67
「雪ノ下……」
再び何かしてしまったのか問おうと向き直った時、雪ノ下と一瞬あった目が三度そらされた。
ますます混乱している俺に雪ノ下は顔をそらしたまま微かに聞き取れる声でこう言った。
「ひ、比企谷くんのそんな目……み、見たことないわ……」
俺の視線に気づくとしばらく顔をそむけたまま無言でいた。
いつも氏んだ魚の目だとか言われているが、今はどんな目をしているのか俺には分からない。
俺自身いつもと何も変わっていないはずだ。
でも、雪ノ下は明らかに戸惑っている。
何かが違う……。
520: 2013/09/15(日) 02:11:58.72
今日一日のことを思い返してみると、今日はまだ雪ノ下に罵倒されていないことに気付いた。
雪ノ下と出会ってから数か月経つが、今までこんな日はない。
そうか……、そりゃあ、雪ノ下の調子だって狂ってしまうよな。
勉強に気を取られ過ぎるあまり大切なことを忘れていた。
……って、おい。
さっきの雪ノ下の言葉は何だ?
今日はあれだ……、かなり勉強に集中していたから、魚の腐った目をしていなかったということか。
それを見て戸惑っちゃうってどういうことなの?
なんか俺の人格を否定されたようでショックを受けてしまう。
いや、ちょっと悲しいが、そんなことは置いといてまずはこっちを優先しないといけないよな。
521: 2013/09/15(日) 02:15:26.58
「お前なんであんな雨の中、突っ立てたんだ。渋谷駅前に鎮座する犬かよ」
待ってましたとばかりに沈黙を破っていつもの雪ノ下が帰ってきた。
「あら、犬はあなたの方ではないかしら。ほら、だってあなたの名前……犬っぽいでしょ。八公」
いつもより50%増しの笑顔で憎まれ口をきいてくる。
ああ、こいついつものようにこうしたかったんだな。
めちゃくちゃ楽しそうに弾んだ口調で言いやがる。
俺は自分でもだんだんといつもの目に戻っていっているのがわかってしまった。
悔しいかな、こっちの目じゃないと喜ばれないとかなんなんだ。
でも、そっちの方が良ければ俺もこれに乗らなきゃな。
522: 2013/09/15(日) 02:17:24.66
「お前、人の名前もじって遊ぶのやめてくれる? 人の名前を馬鹿にしちゃいけないって教わらなかっ
たのか?」
なんか俺も楽しそうに反撃しちゃったよ、はぁー……。
雪ノ下がさらに満開の笑顔で小首を傾げながら反駁してくる。
「しつけのなってない犬ね。犬の分際で人様に口答えするとはいったいどういう了見かしら。首輪でも
つけて調教する必要があるわね」
生き生きと俺を罵る雪ノ下は輝いていた。
こんな瞬間を褒められても本人は喜ばないだろうが、こんな雪ノ下雪乃も好きだ。
523: 2013/09/15(日) 02:18:18.88
傍から見れば間違いなくドン引きするであろうやり取りだが、俺たちにとってはこれは大切なコミュニ
ケーションだ。
今までこうやって2人の時間を紡ぎ続けてきたのだ。
ここはしっかりと時間を取って今日の埋め合わせをしないとな。
「マスター、コーヒー2つおかわり!」
こんなどうしようもない応酬を続けるためにわざわざコーヒーをもう一杯注文した。
524: 2013/09/15(日) 02:20:42.62
× × × ×
「あら、八公。犬のくせにご主人様をこんなところに待たせるとはいったいどういうつもりなのかしら?」
何それ、お前それ挨拶のつもりなの。
冬期講習も中日の3日目を終えてあと2日間頑張ろうと爽やかに決意を新たにしたところなのに、いきな
りこれはないだろう。
何その、俺が柄にもなく爽やかにしたから罰を与えちゃったりしたの。
まぁ、昨日は雪ノ下の罵倒はいつもより少なめだったからな。
今日はその反動でこうなったのだろう。
こればかりは致し方ないかとあきらめた。
525: 2013/09/15(日) 02:22:04.38
「うるせー、犬のように誰にでもいい顔して尻尾を振ってる真似ができてりゃ、ぼっちなんかやってねーよ」
雪ノ下は額に手をあてるお決まりのポーズで、
「犬がやくんはやっぱり私が調教しないといけなさそうね」
とさらりと言いやがった。
ところで「やっぱり」って何だよ。
さりげなくアピールされたら照れてしまうだろ。
526: 2013/09/15(日) 02:25:37.23
俺はもう一言反撃を加えたいところだったが、言葉を深読みし過ぎて軽くテンパってしまった。
言おうとしていたことを忘れてしまい、口を開けば、
「こ、これからも俺に……その、す、数学を教えてください」
なんて血迷ったことを頬を赤らめながら言ってしまった。
雪ノ下にもたちまち伝染してしまった。
「え、ええ……、こ、こんな私で良ければ、よろしくお、お願いします……」
と手をもぞもぞさせながらだんだんと声が小さくなっていった。
527: 2013/09/15(日) 02:26:51.82
2人向かい合わせで俯き、互いに次の言葉の糸を手繰り寄せようとしていた。
「あんたら馬鹿じゃねーの……」
川崎が不機嫌そうにこう言い放って駅の方へと去っていった。
532: 2013/09/15(日) 10:25:24.94
× × × ×
それにしても文系数学の講義では毎日毎日次から次へとわけのわからんものが登場してくる。
今日はファミレスで数列と格闘した。
なんだよこのΣってやつは!
上にも下にも右側にもaだとかnだとかkなんて意味不明な文字列をまとっていやがる。
ごちゃごちゃごちゃごちゃわけのわからん装飾を施しやがって、お前はデコトラかよ!?
この意味不明な数列というものに辟易し、ついには途方に暮れてしまった。
533: 2013/09/15(日) 10:27:10.70
「ここまでものの見事に何も身についていなければ正直なところ手の施しようがないわね」
そう言ったきりしばし額に手を当てていた雪ノ下を見て、さすがの俺も凹んでしまった。
そんな俺を見た雪ノ下は思い切り痛罵するかそれとも喝を入れるかするかと思っていたら、
「比企谷くん……、必ずあなたを国立……理系に合格させてみせるわ」
と言って俺の手にそっと自分の手を添えた。
「ちょ、ちょっと待て……、お、お、俺は国立文系だ」
あまりにも唐突な発言と雪ノ下の手のぬくもりにすっかりテンパってしまった。
534: 2013/09/15(日) 10:28:46.42
雪ノ下は細くしなやかな指を口元にやりながらくすっと笑った。
「比企谷くん、あなた今国立文系って言ったわよね。その気持ちがあればどうにかなるわ……」
いやいや、どうにもならんって。
気持ちだけで数列ができるようになんかならないし、これって解決策じゃねーよな。
あと気合いだけでもね。
こっちに至ってはますます解決策から離れて行ってるぞ。
何が何だかわからなくて目を白黒させながら雪ノ下を見た。
535: 2013/09/15(日) 10:31:14.09
「だって私、虚言は吐かないもの……」
雪ノ下は俺を一瞬にして手なずける仕草を心得ていた。
いたずらっぽくほほえみながらウインクし、それから小首をかしげる。
だめだ……、こんなシチュエーションでそんなことされたら……。
俺の顔はたちまち瞬間湯沸かし器のように熱くなり、そこから湯気が立ち込めてしまった。
雪ノ下もその熱にあてられたのか、顔を紅潮させながら、
「……だから私を信じて、は、は、はち、……はちがやくん」
と俺を悶氏させるには十分すぎる呪文を唱えた。
539: 2013/09/15(日) 16:13:20.39
× × × ×
余韻というべきか余熱というべきか、俺はもちろんのこと雪ノ下もさっきのことを引きずって互いに
凡ミスを繰り返しながら持参した参考書で初歩の数列から勉強した。
テキストの問題は解法を説明したところでどうにもならないと判断したのだ。
3パターンの数列をひたすら繰り返した。
「続きは今度時間をたっぷりとって教えるから、それまでに今日ここでやった分だけは必ず覚えておくの
よ」
そんなところで本日分の復習というよりも雪ノ下の数列超初心者講座を終えてティータイムにすること
にした。
カップに手を伸ばすとジャスミンティーは空になっていた。
雪ノ下はそれに気づくとドリンクバーに取りに行ってくれた。
雪ノ下が持ってきてくれたカップにはハーブティーが入っていた。
知恵熱が出そうなくらい頭を使ったので、ハーブの香りが妙に体に染み入ってくる。
540: 2013/09/15(日) 16:14:42.89
俺の正面に座りなおしていた雪ノ下はハーブティーを一口飲んでフーっと一息ついた俺を見て満足げに
ほほ笑んだ。
俺も自分の欲していたものを雰囲気で察してくれた雪ノ下に感謝の意を込めて微笑み返した。
今日は復習は基本中の基本にのみ焦点を絞って早めに終わったので、ゆっくりと見つめ合ったり、気恥ず
かしくなって俯いたりしながら至福の一服を楽しむことができた。
541: 2013/09/15(日) 16:17:22.43
「ところで、明日のプレゼント交換の品って何か買ったか?」
明日は由比ヶ浜企画のクリスマスパーティーだ。
奉仕部の3人と小町、平塚先生、戸塚の6人でやる予定だ。
6人でやるのだ。
決して7人になってはならない。
だから、材木座は来んな。
いや、予定というよりも無理矢理由比ヶ浜に決められたので既決事項と言った方が正しい。
その由比ヶ浜からプレゼント交換をするので500円以内のプレゼントを用意するようにとメールが
一昨日の晩届いた。
「ずっと比企谷くんと一緒にいたから……。だから私は買っていないわ」
いちいち言い方がかわいい。
さり気なく俺とずっと一緒にいたことをアピールするところがとにかくかわいい。
さっきの「はちがやくん」といい、俺のハートは完全に射抜かれてしまった。
542: 2013/09/15(日) 16:20:04.74
「お、お、俺……も……だ」
情けないかな、たったこれだけの言葉をまともにしゃべられない。
これから大事なことを話すのだから、気持ちを落ち着かなければ……。
「今からプレゼント買いに行かないか?」
フーッと一息ついてから雪ノ下にこう告げた。
「ええ、そうね……、そうしましょう」
雪ノ下も声を弾ませて快諾してくれた。
543: 2013/09/15(日) 16:22:25.45
正直なところそんなもんはそこらの100均で買えばよいのだが、そんなのはダミーで実は別に目的がある。
あの、その、なんだ……雪ノ下にクリスマスプレゼントを贈りたいんだ。
それにだな……えっと、明日はデ、デートにだな……誘おうと思っている。
うわっ、考えただけで恥ずかしい……。
そ、そういうわけだ。
「ところで比企谷くん、どこの店に行くのか決めているのかしら?」
544: 2013/09/15(日) 16:26:46.70
× × × ×
京成津田沼から2駅電車に揺られたあと、さらにバスに乗っていつもの場所に行った。
ただひたすら隣同士に座っているだけで終始無言で過ごす幸せなひとときだ。
リア充どもにはわからないだろうが、ぼっちどうしにはこんな時間も必要なのだ。
雪ノ下と一緒にここを訪れるのはこれで何度目だろうか?
面倒なので数えないけど。
別に津田沼のパルコでもよかったのだが、こちらは若者だらけなので疲れてしまう。
それにリア充率がららぽーとよりはるかに高い。
そんなわけで、リア充かどうか関係なく老若男女も集い、勝手知ったるららぽにやって来た。
545: 2013/09/15(日) 16:32:30.22
3連休最終日かつクリスマスイブ前日とあって通路には客がごった返していた。
サンタの格好をしてクリスマス商戦最後の売り込みに力が入る呼び込みの店員がそこらにいた。
それらを適当にかわして100均に着いた。
「比企谷くん、100円ショップだったらわざわざここに来なくても良かったと思うのだけれども」
何も気づいていない雪ノ下は何故という視線も同時に送ってきた。
「小町にも何かプレゼントしようと思ってな。あと、数列の問題集も薄いやつを1冊買っていきたいしな」
「……そう。小町さんにも……ね」
最後の「ね」の部分に異様に力こめて言う雪ノ下。
そのジト目もやめろ。
小町を口実にお前のプレゼントを買うだけだ。
だいいちここ数日の間は冬期講習が終わったら晩までお前とずっと二人きりだっただろ。
だから何とかしてお前へのプレゼントを買おうとしてこっちは必氏なんだよ。
初めての一緒に過ごすクリスマスイブなのに本人目の前にしてプレゼントを買うだとかいくらなんでも
興ざめだろ?
546: 2013/09/15(日) 16:34:07.03
「まぁ、とにかくそんなわけだ。あと、ここ数日数学漬けで精神崩壊しそうだから一緒にあの紅茶飲んで
いきたいしな」
あの紅茶とはシャンパーニュロゼ - 俺と雪ノ下との距離がここまで近くなるきっかけとなった紅茶だ。
2人であの紅茶をすすっているときの安らぎは格別なものがある。
「そ、そう……。それなら別に……」
ちょっと拗ねていた雪ノ下の表情がパッと明るくなって赤味を帯びた。
さて、雪ノ下へのプレゼントをどうやって気づかれないように買おうか。
547: 2013/09/15(日) 16:36:19.40
2人で100均に入ると自然と別の方向に向かって歩き出した。
悲しいかなぼっちの習性だ。
でも今日はそのほうが都合がよい。
雪ノ下とは店のすぐ近くのベンチで待ち合わせするように約束している。
さしもの雪ノ下もさすがに迷子になったりはしないだろう。
きっと雪ノ下のことだから、穴が開くほどじーっと商品を見つめていたり、商品を引っ張ったり、ぐり
ぐりいじったりして強度を確かめていることだろう。
ならば俺はスピード勝負だ。
どうでもいいプレゼントなんか選ぶのに時間を費やす必要はない。
それこそ人生の無駄遣いだ。
スナック菓子とジュースとラッピング袋を手に取ってさっさと会計を済ませた。
548: 2013/09/15(日) 16:40:46.57
ここからがいよいよ本番だ。
そうはいうものの、親が適当に選んで買ってきた服を着ている俺だ。
ファッションセンスのかけらも持ち合わせていない。
それにこじゃれた店に入ると場違いなパーティーに現れた勘違い野郎のような心境になってしまい
人目が気になって落ち着かない。
だから、そういう店には詳しくない。
ここは自分の知っている数少ない店に行くしかない。
そしてたどり着いたのは、雪ノ下にひざ掛けを買ってやったファッション小物の店だった。
クリスマスイブの前日というだけあって下心と妄想をきれいな身なりで包み隠している男単体も何人か
いたので、俺だけ浮くこともなさそうでちょっと安心した。
自分のことを決して多く語ろうとしない雪ノ下の好みは相変わらずよくわからないが、ここ数週間
長時間一緒に行動をともにした経験から、プレゼントしたら喜んでくれるであろうものが一つだけ浮
かんだ。
彼女の清楚なイメージに合うものを今度は時間をかけて探した。
552: 2013/09/15(日) 20:50:17.49
× × × ×
さっきのことですっかり調子の狂ってしまった俺と雪ノ下は凡ミスを繰り返しながら俺が持参した参考
書で初歩の数列から勉強した。
雪ノ下はこれまで勉強でこんなミスを連発したことなんかなかったのだろう。
俺でもわかるような簡単な計算を間違えて、指摘されるたびにテンパりながらも俺にわかりやすく教え
てくれた。
ところで今回はテキストの出番はなしとなった。
テキストに載っている問題は解法を説明したところで、今の俺にはどうにもならないと雪ノ下が判断し
たのだ。
そのため比較的簡単な3パターンの数列の問題を解くことをひたすら繰り返した。
「続きはまた今度教えるから、それまでに今日ここでやった分だけは必ず覚えておくのよ」
そんなところで本日分の復習というよりも雪ノ下による数列超初心者講座を終えてティータイムにする
ことにした。
553: 2013/09/15(日) 20:52:21.38
カップに手を伸ばすとジャスミンティーは空になっていた。
雪ノ下はそれに気づくとドリンクバーに取りに行ってくれた。
雪ノ下が持ってきてくれたカップにはハーブティーが入っていた。
知恵熱が出そうなくらい頭を使ったので、ハーブの香りが妙に体に染み入ってくる。
俺の正面に座りなおしていた雪ノ下はハーブティーを一口飲んでフーっと一息ついた俺を見て満足げに
ほほ笑んだ。
俺も自分の欲していたものを雰囲気で察してくれた雪ノ下に感謝の意を込めて微笑み返した。
今日は復習は基本中の基本にのみ焦点を絞って早めに終わったので、ゆっくりと見つめ合ったり気恥ず
かしくなって俯いたりしながら至福の一服をじっくりと楽しむことができた。
554: 2013/09/15(日) 20:56:45.69
スタート地点を間違えてしまった…… orz
今回分は次のレスからです。
今回分は次のレスからです。
555: 2013/09/15(日) 21:00:27.95
× × × ×
雪ノ下へのプレゼントと小町へのプレゼントを買った俺は雪ノ下との待ち合わせ場所へと向かった。
あまたのカップルが前から後ろへと流れていく。
いつもはこの時期になるとそれがものすごく嫌ですれ違ったカップルの数の分だけ卑屈になった。
それは軽く煩悩の数を上回ってしまう。
もはや除夜の鐘でも払拭できないレベルだ。
それゆえにこの冬休み序盤は特に引きこもりになる時期であった。
しかし、今はすがすがしい気分だ。
夏休みは平塚先生と小町に騙されて連れていかれた千葉村の件でしか会っていないのに今はこうして
毎日雪ノ下と2人で濃密な時間を過ごすことができている。
明後日で冬期講習も終わってしまうが、そのあとも毎日会うこと……いや、逢える気がする。
雪ノ下とは相変わらず連絡先を教え合っていない仲だが、俺と雪ノ下を隔てる最後の1枚の壁も
もうすぐ剥がすことができるだろう。
556: 2013/09/15(日) 21:01:37.02
待ち合わせのベンチに着いた。
予想はしていたが、やはり雪ノ下はいなかった。
相変わらず何を買うのか真剣に悩んでいるのだろう。
ネタ的にやるだけのどうでもいいプレゼント交換なのに何をそんなに真剣になっているのだろうか。
そんな雪ノ下の姿を想像してひとり笑いしてしまった。
でも、いつでも真面目で一生懸命で馬鹿がつくほど正直で不器用な雪ノ下雪乃を俺は愛している。
557: 2013/09/15(日) 21:03:22.61
100均の中に入って端の棚の通路から順に雪ノ下の姿を探す。
グレーのプラスチック製の買い物かごにはぽつぽつ物が入っている。
「プレゼントは選び終わったか?」
背後から声をかけると雪ノ下はビクッと反応し、やや遅れて振り返った。
「……誰? びっくりするじゃない」
俺の顔をしっかりと確認してからこんなことを言いやがる。
「いくら存在感がないからと言って俺を軽くなじるのはやめてくれない」
ところで、雪ノ下はいったい何を選んでいたのだろうか?
気になって買い物かごの中を覗こうとすると、キッと睨んで背中の後ろに隠した。
558: 2013/09/15(日) 21:05:35.36
かごの中にはA6番のミニ辞典が入っていた。
表紙には「四字熟語」「類語」「慶弔」なんて書かれていた。
いかにも雪ノ下らしい選択だ。
祭りの縁日やら商店街のくじ引きでハズレが出ると残念賞を渡されることがある。
その品物が自体が非常に残念なうえにそれが置き場に困るどうでもいい小物だったらさらに残念な気分
になる。
だから俺は仮に自分の選んだものが当たってもいいようにスナック菓子とジュースにした。
これだと形も残らないし、おいしくいただける。
超実用的かつ超現実的だ。
俺は「四字熟語」「類語」「慶弔」といったこの手のことについては一応の常識を持ち合わせている。
どうせなら著しく欠如しているであろう由比ヶ浜かうちの小町のところに行きますようにと切に願った。
559: 2013/09/15(日) 21:08:04.23
「ところで、お前ラッピング袋持ってるか?」
「いいえ、人に贈り物をするなんてことはないから持ってないわ」
なぜかもじもじしながらそう答える。
「ちょっとした小物が入るようなやつならさっき買ったからあとで1枚やるから。柄も全部違うから気に
しなくても大丈夫だぞ」
さり気なく気遣いを見せると雪ノ下は俺の言わんとしたことを理解したらしく、
「ええ、お言葉に甘えさせてもらうわ」
と目をそらしながら答えた。
でも、そんな杞憂ももうじき終わる-
雪ノ下は俺がそこまで考えていることに気付いていないかもしれないが。
567: 2013/09/16(月) 00:15:18.75
× × × ×
雪ノ下は買い物を終えると迷うことなくベンチに向かってきた。
入店前に何度も位置確認をしたのが奏功したようだった。
俺の隣に腰掛けると、ラッピング袋と付属品のリボン、シールを手渡した。
あとは、数列の問題集を買って紅茶を飲んで今日の予定は終了だ。
前回訪れたときに恥ずかしい思いをした書店に立ち寄った。
数Ⅰの整数問題ばかり載っている問題集をこの前ここで買ったが、これがなかなか良かった。
おかげで整数問題に抵抗なく取り組めるようになった。
今回は迷うことなく同じシリーズの数列のものを購入した。
たぶん、今後もこのシリーズを一冊ずつ潰しながら勉強していくことになるのだろう。
今日は雪ノ下も自分用のものを探す余裕があるので、タウンページほどの分厚さのある赤本なんかを
パラパラと見ている。
そして、俺の選んだ物よりもはるかに難しそうな国公立理系数学と書かれた問題集を一冊選んだ。
568: 2013/09/16(月) 00:18:27.98
会計を終えると俺にとってもなじみになった紅茶専門店へ寄った。
家でも勉強の合間に飲むようになったシャンパーニュロゼを2人で味わった。
何の間違いがあってこうなったのか、2人で何度もこうしてカップを交えながら過ごしているのが
不思議に感じる。
きっとこれがごくごく自然で当たり前のことになったとしても、きっといつまでも不思議に感じ続
けるのだろう。
ティーカップの水面でゆらゆらと揺れる自分の顔を見ながらそんなことをいつまでも考えていた。
そんな俺を見て何を思ったのだろうか?
雪ノ下は終始穏やかな表情で俺の方を見つめていた。
569: 2013/09/16(月) 00:30:10.50
× × × ×
京葉線に乗車して家路へと向かう。
今日は最初から雪ノ下とこうするつもりだったので、行きは自転車を使わずにバスを利用した。
だから今日も雪ノ下と同じで駅で一緒に降りて家の前まで送っていくことができる。
冬至も終わり日没が少し遅くなったとはいえ、相変わらず陽は短く車窓からは漆黒の空が見えた。
暗闇に浮かぶ人工的な光が次々と左から右へと流れていく。
もうそろそろ小町が腹を空かせて帰ってくる頃だろう。
小町には昨日作ったカレーを温めておいてくれとメールした。
578: 2013/09/16(月) 07:04:17.39
× × × ×
楽しい時間というのはいつでもあっという間に終わりの時を迎えてしまう。
俺と雪ノ下は今、京葉線に揺られて家路についている。
俺は今朝、自転車ではなくバスで総武線の駅まで移動したので、帰りもこうして一緒に雪ノ下と2人隣り
合わせに座わることができた。
冬至を過ぎ日没が少し遅くなったとはいえ、相変わらず陽は短い。
車窓からは黒一色となった空が見えた。
そして、その暗闇に浮かぶ人工的な光が次々と左から右へと流れていく。
そろそろ腹を空かせた小町が家に着く頃だろう。
昨日は今日の帰りが遅くなることを考慮して予めカレーを大目に作っておいた。
小町にはそれを温めて食べるようにとメールした。
雪ノ下には小町とメールをしたことを告げた以外には何も言葉を交わしていない。
しかし、それだけでも満足である。
ぼっちどうし、こうして適度な距離を保つことが何よりも心地よいのだ。
いつまでもこんな時間が続いてほしい。
そう願っているうちに無情にも電車は降車駅に到着した。
579: 2013/09/16(月) 07:10:49.62
× × × ×
改札を抜け南口を出ると海からの風が吹き付けてきた。
しかし、幸いにもそれはたった一度きりのことで辺りには海風の残した潮の香が漂っていた。
やがてその香りも消えた。
そんな時、雪ノ下の住む高層マンションの前に着いた。
「比企谷くん、今日も楽しかったわ」
雪ノ下は満ち足りたような笑顔を湛えていた。
「雪ノ下、俺も楽しかった。それに数学も教えてくれてありがとな。また明後日教えてくれ……」
俺はやっぱり雪ノ下の笑顔には弱い。
恥ずかしくなって最後の方は目をそらしてしまった。
「……えっ!?」
雪ノ下は一瞬固まった。
そして、困惑の表情を浮かべている。
「ひ、比企谷くん……、そ、それってど、どういうことかしら……?」
雪ノ下の声はだんだんとか細くなっていき、今にも泣きそうな表情をしている。
「雪ノ下、もしかして……お前勘違いしてないか?」
「……えっ!?」
雪ノ下は涙を浮かべながら、きょとんとしている。
「明日はせっかくのクリスマスイブだろ……、だから……、みんなと落ち合うまでの間、お前と2人きりで
デートし……」
まだ言い終えぬうちに雪ノ下が俺の胸にいきなり飛び込んできた。
そして、俺のコートの胸元を掴み、嗚咽を漏らし始めた。
そんな雪ノ下を抱きしめると、コートを握る手がギュッと固くなった。
「雪ノ下、誤解させて悪かったな……」
そう言いながら、きれいな黒髪を撫でてやった。
しばらくすると嗚咽が止まった、と同時に雪ノ下の手から力が抜けてだらんと垂れ下がった。
なおも甘えるように俺の胸に体を預けてくる雪ノ下を左手で抱きしめた、
そして、雪ノ下の気が済むまでつややかな黒髪を右手で撫で続けてやったのであった。
582: 2013/09/16(月) 07:25:36.61
× × × ×
12月24日、ついに訪れたクリスマスイブ当日。
今日は雪ノ下雪乃とのデートだ。
本当はまだデートという言葉を使うつもりではなかったが、雪ノ下の涙を見てしまっては致し方ない。
まだか……、まだか…… と時間を気にして全く身の入らなかった冬期講習も4日目の日程を終了し、
残すところあと1日となった。
いつもは講義から解放された解放感からか教室内でだらだらとおしゃべりしている連中が多かったが、
今日はそんな奴らでもそそくさと帰っていく姿が目につく。
今日はクリスマスイブだもんな、……今まで俺にはろくな思い出がなかったけど。
幼い頃くらいはあってもいいものだが、残念ながら俺にはない。
うちの屑親父が「悪い子のところにサンタは来ない」とかぬかしやがってプレゼントを用意しなかった
ことがあった。
あの時、母親があとから用意してくれたからいいものを俺は本気でサンタ狩りをしようと決意していた
のだ。
間違いなく今の俺の屑っぷりの大半はこの屑親父から施された英才教育のたまものだろう。
583: 2013/09/16(月) 07:27:58.75
こんな黒歴史も何とか今日で終止符を打ちたい。
雪ノ下雪乃からもらった手編みのマフラーを首に巻き、帰り支度を始めた。
コートを着てカバンを持ち上げると目の前を川崎が横切ろうとしていた。
「川崎、お疲れ」
「……今日も雪ノ下が待っているのか?」
「ああ」
「……じゃ、お幸せに」
そっけなくこう述べると教室を出ていった。
せっかくのクリスマスイブなのに家に帰ってから弟たちの面倒があって大変そうだな。
心の中で川崎の背中にメリークリスマスと声をかけ、俺も教室を跡にした。
584: 2013/09/16(月) 07:31:07.16
予備校を出ると雪ノ下がいつものように目の前に立っていた。
「雪ノ下、待たせたな」
「私もさっき着いたばかりよ」
弾んだ声でそうは言うものの、さっきガラス戸越しに手に息を吹きかけていたところを見てしまった。
けっこうな時間待っていたようだ。
「ところで比企谷くん、今日はどこへ連れて行ってくれるのかしら?」
幼な子のように目を輝かせながら雪ノ下は平静を装った口調で訊いてきた。
「誘った俺が言うのもなんだが、あまり期待するなよ」
照れ隠しにこう答えるのが精いっぱいなくらい、雪ノ下の笑顔はとても眩しかった。
585: 2013/09/16(月) 07:35:20.58
× × × ×
「一応コースは考えてきたけど、どこか行きたいところはあるか?」
南口のサイゼで食事しながら、雪ノ下と会話をしているところだ。
しゃれた店で食事なんてことも考えたが、俺はまだ親に養われている身だ。
分相応にサイゼに落ち着いた。
「まさかあなた、この私にこのあとの予定を全部丸投げする気ではないでしょうね」
相変わらず雪ノ下は雪ノ下だ。
ほんとこいつは、俺を罵ったり貶めたりすることにかけては天下一品だ。
……。天下って言葉を使うほど、俺と会話するような人間はいないけどな。
雪ノ下以外に家族と戸塚、平塚先生、由比ヶ浜、…… このくらいか。
もう一人顔が浮かんだのだが、今にも「けぷこん、けぶこん……」と得体のしれない咳払いをしながら
現れそうなので、禁断の5文字(奴の名前)を脳内で変換しないように努めた。
586: 2013/09/16(月) 07:40:12.32
「どこをどうやって聞き間違えたらそういう風になるんだよ。お前の耳は腐っているのか?」
「目と頭と心根が腐っているあなたには言われたくないわ」
さり気なく腐っているパーツを増量して俺のことを罵倒してきやがる。
その増えた分って、まさかクリスマスプレゼントだったりするの?
熨斗つけてお返ししたいんですけど。
「全部ネタばらしをするつもりはないが、このあとボウリングに行こうと思っている。嫌だったら予約
取り消すけど」
「いいえ、嫌じゃないわ。この前あなたといった時……、その、楽しかったから……」
俯き加減にぼそぼそ答える雪ノ下。
そういえばこいつってこないだ初めてボウリングしたのに2ゲーム目で168なんてスコアを出したよな。
楽しいんだったらもっとはっきり言えばいいのにどうしたんだこいつは?
そんなことを思っていると、まだ何かぼそぼそとをつぶやいていた。
「……それに、比企谷くんに……あんなこと言われたし……」
えっ、俺がどうしたって?
完全に俯いたうえに消え入る声でつぶやく雪ノ下が何を言っているのかほとんど聞き取れない。
そんな雪ノ下の耳は暑いくらいきき過ぎた暖房のせいか真っ赤に染まっていた。
587: 2013/09/16(月) 07:56:28.81
腹ごしらえをした後、雪ノ下も所望していたボウリング場にやって来た。
これからゲームを始めるところだ。
やはりレーンを予約しておいて正解だった。
フロント周辺には順番待ちのグループやカップルで溢れかえっていた。
予約していなければ軽く1時間は待たされていたことだろう。
さて、何ゲームしようか。
今晩はクリスマスパーティーと称したどんちゃん騒ぎがある。
雪ノ下の体力を考えると2ゲームプレーするのが妥当な線だろう。
雪ノ下に2ゲームでいいかと尋ねると、
「比企谷くんの誘いなのだから、あなたの好きなようにしていいわよ」
と天使のような笑顔で答えてくれた。
588: 2013/09/16(月) 07:58:40.74
クリスマス補正がかかっているせいか雪ノ下がめちゃくちゃかわいい。
とにかくかわいい。
それになんだって?
「あなたの好きなようにしていいわよ」だって!?
2人きりのシチュエーションで言われたら、八幡大暴れしちゃうよ!
すっかりムフフな妄想に悦に入っていると目の前に殺気に満ちた目をした雪ノ下が立ちはだかっていた。
そして、俺の頭上には雪ノ下が選んだ9ポンドのボールが静かに落下の時を待っていた。
「今度その下卑た妄想をしたら、この手を放すわよ……」
このとき、俺のまぶたの裏には過去のトラウマの数々の走馬灯が映し出されていた。
594: 2013/09/16(月) 18:36:14.25
× × × ×
「雪ノ下、悪い、待たせたな」
2人分の瓶コーラを買って席に戻ってきた。
ボウリングといえば、瓶コーラ、これ定番。
俺がいない間に雪ノ下は名前を登録していたようで、頭上のモニターに2人分の名前の入ったスコア表
が表示されていた。
なんとなく予想はついたが、俺の名前は「HACHIMAN」とちゃっかり下の名前で登録されていた。
雪ノ下の方を向くと頬を染めてそっぽを向いた。
そんなに呼びたきゃ、もう呼べよ。
お前には前科があるしな。
でも俺は口が裂けても……、ゆ、雪乃なんて呼べないけどな……。
なんか怖くて……。
595: 2013/09/16(月) 18:39:08.10
さて、ゲーム開始だ。
雪ノ下は今回は勝負なしで楽しみたいとサイゼからの道すがらに言っていたが、多分こいつの性格上
無理だろう。
でも、俺はどんな時も手加減なしで本気で全力を出すまっすぐな雪ノ下のそんなところにあこがれるし、
好きである。
まずは、俺の投球からだ。
調子に乗って要らないスピンをかけてしまった。
あーこりゃ、スプリットだわ。
無残にも最後列の両端にある7番と10番ピンだけが残ってしまった。
雪ノ下の方へ振り返り、お手上げのポーズをとる。
それでも何とか7番ピンだけは取っておきたい。
サクサクと終わらせようとコンベアから戻ってくるボールを取ってレーンに向かおうとすると、後ろ
から雪ノ下に声を掛けられた。
596: 2013/09/16(月) 18:40:14.09
「比企谷くん、待って……」
振り返ると雪ノ下は、顎に手をやって思案している。
なんだこいつは?
「このピンの並びの攻略法が浮かびそうなの……」
ウンウン頷きながら唸りそうな勢いで、必氏に考え込む雪ノ下が面白くてたまらない。
吹き出しそうなの必氏にこらえて観察した。
597: 2013/09/16(月) 18:41:38.93
- なぁ、雪ノ下……。
この7-10ってのはな、スプリットの中でも最も難しい部類でな、プロでも年間10人と成功しない
型なんだぜ。
素人芸でどうにかなるもんじゃないんだぞ。
心の中でこの物理学者様かはたまた名探偵殿にこう語りかけ、結論を出すまで生暖かく見守ってやったのだった。
602: 2013/09/17(火) 06:55:02.18
× × × ×
雪ノ下は今日も絶好調だった。
初っ端からターキーを出した。
そのため、順番待ちの客からの注目の的となっていた。
ターキーもさることながら、雪ノ下の見目の良さと華やかさも大きい。
しかも、困ったことに俺も注目されるポイントになっていた。
「なんであんな腐った魚の目をした奴が彼氏なんだ」
モブたちのそんな声や視線が突き刺さってくる。
とんだとばっちりだ。
603: 2013/09/17(火) 06:56:48.98
「雪ノ下、一つ聞いていいか?」
「ええ」
「なんでお前、俺の膝の上にまで膝掛けを掛けるの?」
しかも、肩に寄りかかってきている。
「……デ、デートなんだからいいでしょ……」
こら、上目づかいで見るな。
恥ずかしすぎて直視できないだろ。
目をそらすと、ジトっとしたモブ連中の視線が集まっていた。
確かにデートなんだけどな。
雪ノ下とデートをすれば、このように悪意のある視線を感じることくらい予想はできる。
そんなことはとっくに織り込み済みなので、覚悟もしている。
でも、膝掛けまではちょっとやり過ぎじゃないか。
604: 2013/09/17(火) 06:58:05.38
……。
雪ノ下の目が潤み始めた。
女の涙って、ずるいよな……。
「わ、わかった。デートだもんな……。だから、そんな目をしないでくれ」
雪ノ下はにこっとすると、肩にもたれかかったまま両手で俺の二の腕袖をぎゅっと掴む。
はぁー……。
恋する乙女ってすげえなぁ……。
ガゴンッと雪ノ下のボールがコンベアで戻ってきた。
ようやく、俺は雪ノ下の密着攻撃から解放された。
610: 2013/09/17(火) 20:39:02.71
× × × ×
苦悶の1ゲーム目が終わった。
俺のスコアは92。
対する雪ノ下は172。
何この大差……。
高校野球の地区予選だったら5回コールドになっているようなレベルだ。
小町と行くときは、「お兄ちゃん、女の子と勝負するときはハンデ20あげるものなんだよ」と
言われ、いつも小町のスコアに20プラスして勝負している。
この補正をかけてしまうと192になる。
ちなみに俺の最高スコアは184だ。
俺は今ボウリング経験2回目にしてこんなスコアをたたき出す化け物と一緒にプレーをしている。
前回と違って今日は少々気分が悪い。
別にこの実力差に辟易としているわけではない。
ましてや雪ノ下の密着攻撃のせいにするつもりはない。
順番待ちのモブどもがウザい。
とにかくウザすぎるのだ。
611: 2013/09/17(火) 20:40:37.61
これから2ゲーム目を始めるところだ。
それにしてもモブ連中がウザすぎる。
雪ノ下と不釣合いの俺を嗤うのは別にかまわない。
しかし、雪ノ下にそれが向けられるのなら俺は赦さない。
なら、やるべきことはただ一つ。
612: 2013/09/17(火) 20:42:48.53
「なぁ、雪ノ下……」
「な、何……」
いつになく真剣な表情の俺に驚く雪ノ下。
「この前ここに来た時、俺が言ったこと覚えているか?」
「え、ええ……」
雪ノ下は急に紅潮し、目をそらす。
「今から俺の本気を見せるから……。だから、一瞬たりとも俺から目を離すなよ」
「え、ええ……。わ、私は……この前から……ずっとそのつもりで……いるの……だけれど」
もはや何を言っているのかよくわからない。
普段腐った目をして、腐ったことを考えて、ただ腐っているだけの奴がこんなこといきなり言い出
したら驚いてしまうのはわけがない。
613: 2013/09/17(火) 20:47:35.32
自分でもわかっている。
自分に好意を寄せている人間が、その自分が傷つけられているのを見るのを良しとしないことを……。
俺は今までぼっちをやって来た人間だ。
ぼっちたるがゆえに自分のことを自分で守ってきた。
惨めな思いをしないようにそりゃ懸命だったさ。
学校では教室移動の情報でさえ、誰も知らせてくれないんだからな……。
でも、ぼっちからふたりぼっちになった今、守るべきものができた。
…… じゃあ、その懸命さを振り向ける先をちょっと変えればいいだけじゃないか。
614: 2013/09/17(火) 20:49:09.68
「さぁ、2ゲーム目始めるか?」
「ええ」
やっぱり目を合わせてくれない。
「……せめて笑顔で送り出してくれないか」
雪ノ下は目を合わすと上気した顔がさらに一段階赤くなってしまった。
耳まで変色したのがよくわかる。
「ひ、比企谷くん……………………、そ、そ、そんな目で……」
ああ、自分でもわかるさ。
今の俺は腐った目をしていないことくらい。
615: 2013/09/17(火) 20:54:21.44
× × × ×
ボウリングを終えて京成津田沼駅へと向かう。
雪ノ下は放心状態で俺のコートの右腕の裾を掴んで引きずられるように歩いている。
2ゲーム目は完全に俺の勝利だった。
別に雪ノ下に勝利したわけではない。
今日は雪ノ下とは勝負をしないで楽しもうと話していたしな。
ただ、俺に敵意や蔑みを向けていた順番待ちのモブどもを沈黙させたのだ。
でも、そんなことはどうでもいいや……。
616: 2013/09/17(火) 20:57:17.09
2ゲーム目のスコアは243。
1フレから7連続ストライクを出したのだ。
ターキーまでは冷ややかな目で見られていたが、フォースからは「オオー!」なんて声が聞こえる
ようになった。
フィフス、……その次は何て言うんだ?
今まで出したことないから……。
とにかく6回目、7回目と回を重ねる連れて、俺の投球のときにシーンと静まり返って、咳一つ
許されないような雰囲気になった。
8フレで7番ピン、10番ピンが残るとんでもないスプリットが出てしまっても静まり返っていた。
当然取れるわけもないのにだ。
2投目で10番ピンが1本残った時にようやく「アー……」って声が上がったくらいだ。
9フレと10フレの2投目でスペアをとって233。
ストライクが出なくなってしまったので、少し熱気は冷めてきたが、最後の3投目でストライク
を出して243。
さっきまで敵だった連中から拍手が沸き起こった。
617: 2013/09/17(火) 21:00:11.31
スケールはあまりにも些末で矮小なことかもしれないが、雪ノ下が初対面で言っていた「人ごと
世界を変える」とはこんなことかもしれない。
俺と雪ノ下の勝利だと思っていたが、今はそんなことはどうでもいい。
誰が誰に勝ったなんてあまりも些末なことだ。
人ごと世界が変わったら、こんなちっぽけなことなんてどうでもよくなるのだから……。
618: 2013/09/17(火) 21:01:47.57
雪ノ下がまた遅れだした。
俺の袖口が強く引かれる。
「ほら、雪ノ下……、のんびり歩いていると置いていくぞ……」
そんな言葉とは裏腹に、雪ノ下の華奢な左手を掴む。
そして、掴んだ手を今度は握りなおした。
すると、握り返されたかと思うと俺の右側に雪ノ下の姿が捉えられるようになった。
お前、道端に落ちている小銭でも探しているのか?
ちょっとは俺の方を見ろよ。
心の中で苦笑していると、ようやく雪ノ下のはにかんだ笑顔がこっちに向けられた。
- おかえり、雪ノ下……。お前はすぐ迷子になるんだから、いつもそこにいろよ……。
623: 2013/09/17(火) 23:43:22.01
× × × ×
冬休みに入ってから俺のぼっちスキルが著しく低下していることにようやく気づいた。
いや、気づくのが遅かった。
駅の改札口が目に入るその瞬間まで、全く気づかなかった。
その時、俺は雪ノ下雪乃と手を繋いでいた。
しかも、自分から繋いでいたのだ。
さっきは無意識に繋いでしまったとはいえ、ものすごく後悔している。
まさに「その時歴史が動いた」だ。
殿の末裔に重厚かつ渋い声で
「いよいよ今日のその時がやって参ります……」
なんて言われちゃうくらい俺にとっては重苦しい決断を今迫られているのだ。
624: 2013/09/17(火) 23:44:49.85
「……今夜も最期までご覧頂きありがとうございました」
ちょっと……、おい待ってくれ……。
終わらないでくれ……。
まだ解を出していないのに、そのまま黒歴史の荒波に飲み込まれていってしまうの?
それに「最期」ってなに?
「最後」じゃないの?
いや、どっちも困るんだけど……。
あの壮大かつ悲壮感漂うエンディングテーマが俺の頭の中ですでに流れ始めていた。
625: 2013/09/17(火) 23:48:14.25
改札はどんなリア充だって一瞬ぼっちにならざるを得ないエリアだ。
……ちょっと言い過ぎか。
手をつないだまま改札をくぐるカップルもいないことはないが、たいていはここで手を放す。
そして、そのあとは……。
そのあとはどうしようものか、俺……。
改札機と自分の右手とを思わず見比べてしまう。
そんな俺の気配に気づいた雪ノ下はまた急に俯き始めた。
雪ノ下の耳の色がみるみる紅潮していく。
雪ノ下雪乃もまた、その時、同様にどうしようものか迷い始めたようだ。
626: 2013/09/17(火) 23:50:09.11
解を見いだせないまま、とうとう改札口の前にやってきてしまった。
いっそのことこのまま手をつないだまま行ってしまおうか……。
あっ……! 俺の財布はコートの右ポケットの中だ……。
これは必然的に手を離さなければならない。
そのあとのことはまだ考えていない。
繋ぐべきか、繋がざるべきか、そこが問題だ……。
結局、解は見つからないままタイムアップを迎えてしまった。
627: 2013/09/17(火) 23:52:10.30
ピピッ……。
改札にかざした財布の中でペンギンさんが皮肉たっぷりなことに愉快な声でさえずってくれる。
ピピッ……。
雪ノ下のパスケースの中のペンギンさんまでも後ろでさえずってしまった。
嗚呼…… どうしよう……。
いつもの腐った目に戻りかけたその時、俺の袖口がギュッと引っ張られる。
振り返ると俯いた雪ノ下が袖口をつまんだまま腕を伸ばしている。
ありがとよ、ユキペディアさん改め知恵袋さん。
お前にベストアンサーをあげるわ。
雪ノ下の小さな手を掴んで、握り直して、キュッと握り返され……。
そんなことをして、ふたり並んでホームへと向かっていったのだった。
633: 2013/09/18(水) 07:02:47.13
ホームに着くとちょうど電車が入線してきた。
せっかくの好タイミングだが、どうも乗る気がしない。
雪ノ下の手を引き、ベンチに向かった。
腰かけると手が離れた。
やっぱりドキドキしてしまうのだが、雪ノ下に向かって膝を寄せていく。
雪ノ下は「よくできました」って感じでニコッと笑って、トートバッグから取り出した膝掛けを
いつものように被せてくる。
634: 2013/09/18(水) 07:04:15.77
その雪ノ下は再びトートバッグに手を入れる。
なんかいい道具でも出してくれるの、ユキえもんさん?
「へっ……!?」
白いトートバッグから出てきたのは、魔法瓶と取っ手付きの紙コップ。
素早く取っ手を組み立てた雪ノ下は紙コップに紅茶を注ぎ始める。
この香りは、シャンパーニュロゼ……。
駅のホームで俺たち何をしてんだか…… と思いつつも、その香りに心地よさを感じる。
635: 2013/09/18(水) 07:05:49.80
「はい、比企谷くん」
弾んだ声といたずらっぽい笑みで饗された特別な紅茶。
このシチュエーションだけでもう飲む前からお腹いっぱいになってしまいそう。
でも、せっかく雪ノ下が用意してくれたのだからいただこう。
これ遠足か? ピクニックか? なんてことを思いながらも、顔をほころばせながらしばしの
ティータイムを楽しんだ。
640: 2013/09/18(水) 21:04:32.61
× × × ×
「さて、比企谷くん、今度はどこに連れて行ってくれるのかしら?」
ひとときのティータイムを終え、小首を傾げながらにこやかに尋ねてくる雪ノ下。
その小首かしげるのやめてくれない。
俺はその仕草に弱いんだけど。
「……。いや実は……」
なんとも歯切れの悪い答えとか言えない。
641: 2013/09/18(水) 21:05:07.17
「……どうしたの?」
笑顔で小首を傾げながら尋ねてくる。
しかし、目は笑っていない。
あのー、雪ノ下さん……、小首をかしげても全然可愛くないんですけど。
いや、むしろ怖い、怖すぎる。
「ど・う・し・た・の?」
やっぱり小首をかしげたままの雪ノ下だが、その口調とこの仕草は見事にミスマッチだ。
とにかく怖ぇーよ、あと怖い。
「あのな、雪ノ下……。そうやって小首を傾げたらいつでも可愛いく見えると思うなよ。
今のは怖い……。……むしろその仕草がトラウマになりそうだ」
急に雪ノ下がしゅんとなった。
642: 2013/09/18(水) 21:07:07.44
「実は、このあと喫茶店に行こう思ってたんだ……」
雪ノ下はさらにダメージを受ける。
お前のメンタルどれだけ弱いんだよ。
普段お前の言っていることに比べりゃ、天と地の差だぜ。
ちょっと待て、今なんてひどいことなんて一つも言っていないよな。
「今日はクリスマスイブだろ。だからケーキでもって……思ってな」
家に帰ればケーキがあるけど、せっかくだから雪ノ下と食べたいのが人情だ。
ところで、こいつはケーキどうしてんだ?
ケーキ作るくらい造作ないけど、まさか一人でホールケーキとか食ってないよな?
643: 2013/09/18(水) 21:11:02.07
「……紅茶余計だったかしら?」
雪ノ下は泣きそうな声でブツブツ言っている。
そんなわけあるもんか。
俺はわざわざ家用にシャンパーニュロゼを買ったくらいだぞ。
えっと……、勉強に疲れた時だな……、お、お前のことを思い出しながら飲むのに……。
は、恥ずかしくなってきた。
……って、今はそんな場合じゃない。
644: 2013/09/18(水) 21:11:36.74
「なぁ、雪ノ下……」
俺はニヤッとしながらこう言うと、雪ノ下は涙目をこちらへ向ける。
「……俺にいい考えがある」
雪ノ下はくすっと笑いながら、小首をかしげる。
「あら比企谷くん、その腐った目で私を見ないでもらえるかしら……」
目はウルウルしているが、しっかり元の雪ノ下に戻ってくれた。
「またろくでもないことを考えているようだけど……、その目を見るとなぜか頼もしく思えてしま
うのが悲しいわ」
645: 2013/09/18(水) 21:13:16.48
× × × ×
京成津田沼から千葉線に乗った。
ちょうど今まさに雪ノ下がやっているように千葉線は総武線と寄り添うように千葉方向へ並行し
て走っている。
っていうか、くっつくなよ。
時折ガタンと揺れると鼻腔をくすぐるようないい匂いが右側から漂ってくる。
何この我慢大会? 俺の理性を保つのがつらすぎるんだけど。
ただいま4駅千葉寄りの駅に向かっている。
この辺りは総武線から少し海側へと離れていく。
決して京葉線とは交わらないが、少しずつ距離を縮めながら千葉へと向かっていく路線だ。
俺は今、雪ノ下の紅茶とケーキの両方とをおいしくいただく秘策を練り上げ目的地へと移動して
いるのだ。
646: 2013/09/18(水) 21:15:05.90
「雪ノ下着いたぞ」
俺の言葉に反応し、ようやくもたれかかるのをやめる。
「えっ……、ここは!」
まさかのまさか、そのまさかだよ。
俺は不敵な笑みを浮かべると、
「はぁー……。その腐った目で、その笑い……。あなた本当に小悪党ね」
こめかみに手を当て俯いたかと思うと、再び顔をあげ千年の恋も冷めたかのような目でジトっと
睨んできたのであった。
647: 2013/09/18(水) 21:16:15.75
ドアが開いた。
俺は先に立ち、雪ノ下はため息をつきながら俺のあとに続く。
あれっ……。
俺のコートの袖が引っ張られないのだけど、なぜ?
「ほら、雪ノ下」
頬を染めながら手を差し伸べるが無視。
おいおい、さっきまでの雪ノ下はどこに行ったんだよ。
軽くショックを受けてしまう。
648: 2013/09/18(水) 21:18:01.54
「そんなに俺の腐った目が嫌なのか?」
「ち、違うわ……。だって、その……、こんなところで……」
急にもじもじし始める。
「だ、誰かに……見られたら……」
もどかしい。
えいっ!
雪ノ下に一歩にじり寄りむりやり手を握る。
「あのなぁ、さっきボウリング場であれだけの大立ち回りをしたんだ。もうとっくに誰かに見られ
ただろうよ」
俺も雪ノ下と同感なのだが、この小さくて温かなぬくもりのある手の感触にもう病みつきになって
しまったのだから仕方がない。
強引に手を引いて、改札口へと向かった。
649: 2013/09/18(水) 21:19:25.22
雪ノ下と手をつないだまま改札機に財布をかざす。
もうこのまま行ってしまえ!
ピーーーーーーッ……。
えっ……?!。
俺の財布の中のペンギンさんは、腹を空かして甲高い声で叫んだ。
チャージするの忘れてた……。
その瞬間、ジトっとした目を向けた雪ノ下は手を放すなり素早く後ずさり、それきりもう二度と手
を繋いでくれることはなかった。
654: 2013/09/19(木) 06:44:21.87
× × × ×
駅の近くでケーキを2つ購入すると、バスに乗り込んだ。
一番後ろに陣取ったが、雪ノ下は反対側の角に座った。
まぁ、さっき強引に手を繋いだ挙句、改札で恥をかかせたのだからへそを曲げても致し方の無いこ
とだろう。
こうしてついてくる意志があるのだから、そこまでは怒ってはいないのだろう。
互いに反対方向の景色を見ながら終点までバスに乗った。
バスを降りると雪ノ下が間をあけてついてくる。
「比企谷くん……、一体あなたここで何をする気?」
雪ノ下が訝しげに訪ねてくる。
話しかけてくるくらいだから、特に何かに怒っていたわけではないようだ。
「まぁ、見てなって……」
655: 2013/09/19(木) 06:46:23.85
「比企谷、いったい何をしに来たんだ。それと学校に来るときは制服で来たまえ」
そう、やって来たのは総武高だ。
無断で学校に侵入するわけにはいかないので、平塚先生に一応断りを入れに来たのだ。
「ところで、あんなに学校嫌いの君が冬休みに自分からのこのこやってくるだなんて、いったいどう
いう風の吹き回しだ。まさか、クリスマスイブにこの私に逢いたくなったのか?」
にこっと微笑むとやっぱり美人なのだが、普段はちょっと残念すぎる。
でも、そんな笑みを見せられると恥ずかしくて直視できない。
「いいえ、先生とは年齢が……」
次の瞬間、目にもとまらぬ速さで打ち出された一撃で俺はうずくまってしまった。
656: 2013/09/19(木) 06:49:00.16
「……ところで、今日はいったい何をしに来たんだ」
平塚先生の目は生徒指導の教師の目になっていた。
「部室の鍵を借りに来ました……」
部室で何をするんだと聞かれたらなんて答えようかと考えていると、意外にもそれ以上理由は聞かれな
かった。
「そうか……、君は今日のパーティーに声をかけてくれたものな」
そっと頬に手を添えてくると、じっと俺の目を見てからにっこりとした。
俺は自分でもみるみる紅潮しているのがわかった。
しかし、照れ隠しに目を背けるのが何だか悪い気がして、温かいまなざしを送ってくる先生の顔を見つ
めていた。
「君も雪ノ下も互いに惹かれ合うのも訳はないな……」
そう言うなり、手をそっと放した。
「比企谷、30分だけだぞ。私も一度家に帰ってから準備をしないといけないからな」
平塚先生に一礼をすると、その場を辞した。
657: 2013/09/19(木) 06:50:06.94
「よう、お待たせ」
「比企谷くん、その皿とフォークは……」
「ああ、家庭科室から失敬してきた」
「あなたって人は……、まったく……」
こめかみに手をやっているが、声は弾んでいる。
「さぁ、部室に行くぞ」
俺もとびきり弾んだ声で言ってやった。
「ええ」
雪ノ下も負けじと、とびきりの笑顔で答えた。
658: 2013/09/19(木) 06:51:19.75
こんなところでいったん終了です。
次回は、いよいよラストに突入します。
次回は、いよいよラストに突入します。
661: 2013/09/19(木) 20:14:42.33
× × × ×
数日ぶりの部室だ。
冬季休業中とあって暖房も入っておらず肌寒い。
雪ノ下はカップを用意し、持参した魔法瓶から残りの紅茶を注ぐ。
俺も買ってきた苺ショートを皿に乗せフォークを添えた。
たったそれだけの準備が終わると、ふたりだけのティータイムの始まりだ。
時々、目を合わせては反らしを繰り返すだけのひととき。
そういえば、ふたりとも「いただきます」以外の言葉を発していない。
ただただ、静かに時間を過ごしていた。
662: 2013/09/19(木) 20:16:36.50
「……雪ノ下、これ……クリスマスプレゼントだ」
こう沈黙を破ると、小さな包みを手渡した。
「あ、ありがとう……」
上目づかいでチラチラと俺の顔を窺い見ながら、恥ずかしそうに受け取ってくれた。
「中を見てもいいかしら?」
「ああ」
雪ノ下は中身を一瞥すると慈しむように頬ずりすると早速手にはめてくれた。
雪の結晶があしらわれた毛糸の手袋だ。
「本当はスエードの手袋にしようか迷ったけど、お前のマフラーを見てこっちの方がいいと思ったんだ」
「ええ。こちらの方がいいわ。マフラーの柄と合っていて気に入ったわ」
満面の笑みを浮かべた雪ノ下は、片目をつむり、そして小首をかしげた。
口元は緩み、フフフ……と声が漏れた。
俺はこそばゆさを感じながらもその顔をじっと見つめた。
663: 2013/09/19(木) 20:17:56.60
「私も比企谷くんにプレゼントがあるの」
小さな包みを渡された。
その包みからは柔らかな感触がした。
中身は手編みの手袋だった。
それは、この前貰ったばかりのマフラーとお揃いのものだった。
「雪ノ下、ありがとう」
冬休みに入ってこの数日間、俺のために時間を割いて付き合ってくれた雪ノ下。
家に帰ってからも俺のために編んでくれていたのかと思うと感慨深い。
壊れ物に触れるかのようにそっと手にはめると思わず目頭が熱くなってきた。
「マフラーとは勝手が違ってなかなか納得がいく仕上げになるまで時間がかかったけど、プレゼントでき
てよかったわ」
俺につられてしまったのか、雪ノ下も目を潤ませていた。
664: 2013/09/19(木) 20:19:05.99
いつもなら、ここで熱い視線を口づけのように交し合うところだ。
でも、もうこれだけでは満足できない。
俺と雪ノ下の関係を隔てる最後の壁を壊したい。
俺はそっと手袋をはずし、立ち上がった。
雪ノ下もそれに呼応し、手袋を外すと俺に相対するように立ち上がった。
ふたり静かに互いの目を見つめ合ったところで、俺は言葉を紡ぎ始めた。
665: 2013/09/19(木) 20:20:40.52
「雪ノ下……」
「はい……」
互いに目を見つめあったままだ。
「俺は雪ノ下雪乃が好きだ。大好きだ。……俺は雪ノ下雪乃のことを愛している」
静かに一語一句ゆっくりとかつはっきりと雪ノ下に伝わるように告げた。
雪ノ下の目に湛えられた涙は今にもこぼれ落ちそうになっている。
その涙が黒く澄んだ瞳を大きく揺らしている。
俺の気持ちは十分に伝わったはずだ。
最後の一言を再び紡ぎだす。
「俺と……付き合ってください」
雪ノ下は涙をこぼすまいと懸命にこらえている。
そして、瞳に最後の力こめ、返答を返してくれた。
666: 2013/09/19(木) 20:21:54.71
「私もあなた、比企谷八幡のことが好きです。私も比企谷八幡のことを心から愛しています。こんな、
……こんな私で良かったら、あたなの恋人にしてください」
こう言い終えた瞬間、堰を切ったように雪ノ下の涙がこぼれ始めた。
そして、俺の胸に雪ノ下が飛び込んできた。
俺は懸命に雪ノ下の小さな体を受け止めて、強く引き寄せた。
それから、雪ノ下の手が背中に回ったのを確認するとギュッと抱きしめた。
667: 2013/09/19(木) 20:23:12.39
俺の胸で嗚咽を漏らす雪ノ下を見つめる。
- ようやく、言葉で互いの気持ちを伝えあうことができた。
そんな成就感から俺の目からも熱いものがとうとうこぼれだした。
「……雪乃、愛してる。愛してるよ雪乃……」
「八幡、八幡、……大好き。愛してる……」
668: 2013/09/19(木) 20:24:12.61
× × × ×
いつまでもこうしていたかったが、約束の30分が迫ってきた。
ふたりで慌ただしく後片づけを終えた。
俺は鍵をかける前にガラス戸の向こうをもう一度覗いた。
669: 2013/09/19(木) 20:25:17.11
広い教室の中に椅子と長机がぽつねんと置かれただけの無機質な空間。
雪ノ下と出会ったのは、桜の舞い散る頃だった。
互いの第一印象は最悪。
口を開けば、一触即発どころか即勃発の口喧嘩。
平塚先生も心配になってすぐに様子を見に駆けつけてくれたな。
でも、俺はすぐに雪ノ下雪乃の生き方に魅せられ、憧れた。
雪ノ下はいつの頃からか俺に信頼を寄せてくれるようになった。
そして、今日ついに恋人同士になった。
670: 2013/09/19(木) 20:26:25.06
この無機質な部室での一見何ら意味のない無駄に感じる時間の中で、互いに相手に対する想いを醸成し、
花咲かすことができた。
この部室がなければ、比企谷八幡と雪ノ下雪乃の時間は始まらなかったのだろう。
そう、俺はその時間を始めたくて、あの日ボウリング場で想いを伝えようと決心し、その時間をいつま
でもいつまでも永い時間をかけてふたりともに歩んでいきたいと決意したのだ。
胸の奥から様々な想いが去来し、感無量になった。
671: 2013/09/19(木) 20:28:33.29
「八幡、何を考えていたの?」
雪乃がくすぐったい笑みを浮かべ、尋ねてくる。
「いや、なんでもない」
決意のほどはまだ伝えていない。
いや、正しく言うと2人の思いが通じ合ったことに舞い上がってしまい、伝える余裕が自分にはなかっ
たのだ。
今はまだ早いか……。
そう思いながら鍵をかけて、ポケットに入れた。
そう、その決意を再び胸の中に静かにしまい込むように。
672: 2013/09/19(木) 20:30:35.11
「雪乃、平塚先生に鍵を返しに行くから、校門の前で待っていてくれ」
そう言って手を繋ぐ。
すぐにその手を離さなければならないのに。
「はい、八幡。平塚先生につかまらないで、すぐに駆けつけてきてね」
ああ、もちろんすぐに行くさ。
雪乃のそのとびっきりの笑顔を片時も離したくないしな。
673: 2013/09/19(木) 20:31:52.35
「なぁ、雪乃……。俺たちが恋人どうしになったことをみんなに伝えないとな」
「ええ……、みんなには誠心誠意伝えないといけないわね」
その言葉には純粋な喜びだけではなく、不安も入り混じっていた。
それは、俺も同じである。
しかし、俺は雪ノ下雪乃とともに歩むことを選んだ。
そして、俺の恋人 - 雪ノ下雪乃もまた二人で歩んでいくことを選んだ。
ふたり選んだ道のりだ。
苦楽を分かち合ってどこまでも歩んでいくつもりだ。
雪乃、心から愛しているよ。
- ラブコメの神様、雪乃とようやく結ばれました。今まで本当にありがとうございました。
これからも俺たち - 比企谷八幡と雪ノ下雪乃のことを温かく見守り続けてください。
―完―
674: 2013/09/19(木) 20:33:44.12
こんな感じで終了です。
今回はなんかすごいマジレスがついてびっくりしてしまいましたが、それだけしっかりと呼んでいただけた
のかなと思っています。
レスをくれた皆さん、最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。
今回はなんかすごいマジレスがついてびっくりしてしまいましたが、それだけしっかりと呼んでいただけた
のかなと思っています。
レスをくれた皆さん、最後まで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。
675: 2013/09/19(木) 20:39:38.39
ベリー乙
676: 2013/09/19(木) 20:42:14.66
ベリーベリー乙
続き 8月6日07:00頃更新
雪ノ下「比企谷君、今からティーカップを買いに行かない?」【後編】
コメントは節度を持った内容でお願いします、 荒らし行為や過度な暴言、NG避けを行った場合はBAN 悪質な場合はIPホストの開示、さらにプロバイダに通報する事もあります