3: 2011/04/13(水) 02:28:53.57
『第一話』 妖怪ぬらりひょんの献身
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
責任者に問いただす必要があるよ、責任者はどこだい?
○
1年前の4月、僕は中学2年生になったばかりだった。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父さんから手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、
同時にうれしかったのさ。
父さんとは3年ぶりの再会になる。苦手な存在ではあるものの、心の奥では
父さんに認めてもらいたいと思っていたんだ。
そして、
「父さんが僕を待っているんだ!」
という甘い幻想に惑わされ、新たな学校で友だち100人作るべく、その日のうちに
首都へ向かって旅立っていた僕は、来たるべきバラ色の未来への期待に
我を忘れていたとしか言いようがない。
「黒髪の乙女たちとさわやかに学生生活を送るんだ」
そう考えていた僕は手の施しようのない阿呆だった。
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
責任者に問いただす必要があるよ、責任者はどこだい?
○
1年前の4月、僕は中学2年生になったばかりだった。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父さんから手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、
同時にうれしかったのさ。
父さんとは3年ぶりの再会になる。苦手な存在ではあるものの、心の奥では
父さんに認めてもらいたいと思っていたんだ。
そして、
「父さんが僕を待っているんだ!」
という甘い幻想に惑わされ、新たな学校で友だち100人作るべく、その日のうちに
首都へ向かって旅立っていた僕は、来たるべきバラ色の未来への期待に
我を忘れていたとしか言いようがない。
「黒髪の乙女たちとさわやかに学生生活を送るんだ」
そう考えていた僕は手の施しようのない阿呆だった。
5: 2011/04/13(水) 02:31:06.18
越してきて一カ月、まだそれなりにバラ色だった僕の脳みそを現実という鋭い刃が一閃した。
僕は父さんのつてで、半ば無理やりNERVへ所属させられたものの、リア充特有の
腹立たしいほどの和気あいあいとした雰囲気に馴染むことができなかったんだ。
友だち100人出来るのも悪くないとタカをくくっていたけれど、人と爽やかに
交流することがいかに難しいかを思い知らされたよ。
ラリーどころかまともに打ち返すこともかなわず、打ったボールは帰ってこないし、
柔軟な社交性を身に着けようにも、そもそも会話の中に入れない。
会話に加わるための社交性をどこかで身につけてくる必要があったと気付いた時には、
すでに手遅れであり、僕はNERVでも学校も居場所を失っていた。
そこから僕は獣道へ迷い込み、友だちどころか敵ばかり作ったんだ。
そもそも訓練を満足に受けずにヱヴァなど操縦できるはずもない。
使徒との戦闘を重ねていく内に、皆が僕を見る目は鋭く、冷たくなっていった。
「これは乗り越えるべき試練なんだ。この異様な環境の中へ堂々と立ち交じってこそ、
バラ色の生活が黒髪の乙女がそして全世界が僕に約束される」
と自分に言い聞かせながらも、僕は挫けかけていた。
そして片隅の暗がりに追いやられていた僕の傍らに、ひどく縁起の悪そうな顔をした不気味な少女が立っていた。
繊細な僕だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
僕は父さんのつてで、半ば無理やりNERVへ所属させられたものの、リア充特有の
腹立たしいほどの和気あいあいとした雰囲気に馴染むことができなかったんだ。
友だち100人出来るのも悪くないとタカをくくっていたけれど、人と爽やかに
交流することがいかに難しいかを思い知らされたよ。
ラリーどころかまともに打ち返すこともかなわず、打ったボールは帰ってこないし、
柔軟な社交性を身に着けようにも、そもそも会話の中に入れない。
会話に加わるための社交性をどこかで身につけてくる必要があったと気付いた時には、
すでに手遅れであり、僕はNERVでも学校も居場所を失っていた。
そこから僕は獣道へ迷い込み、友だちどころか敵ばかり作ったんだ。
そもそも訓練を満足に受けずにヱヴァなど操縦できるはずもない。
使徒との戦闘を重ねていく内に、皆が僕を見る目は鋭く、冷たくなっていった。
「これは乗り越えるべき試練なんだ。この異様な環境の中へ堂々と立ち交じってこそ、
バラ色の生活が黒髪の乙女がそして全世界が僕に約束される」
と自分に言い聞かせながらも、僕は挫けかけていた。
そして片隅の暗がりに追いやられていた僕の傍らに、ひどく縁起の悪そうな顔をした不気味な少女が立っていた。
繊細な僕だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
6: 2011/04/13(水) 02:36:08.96
「アンタひどいこと言うわね。安心しなさい、私はアンタの味方だから」
それがアスカと僕とのファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトでもあったんだ。
○
アスカは僕と同学年だ。本名・式波・アスカ・ラングレー(14)。
特務機関NERVに所属するヱヴァンゲリヲンパイロットであるにもかかわらず、
NERVもヱヴァもパイロットも嫌いらしい。
僕はヱヴァのパイロットに抜擢されたものの、乗らない・勝てないの体たらくぶりに呆れた父さんが、
助っ人としてドイツから呼び出したと聞かされた。
彼女は元ユーロ空軍のエースで、大学も飛び級合格している秀才のはずだった。しかし日本に
来てからというもの、何かのタガが外れたかのように、だらけきった生活を満喫するようになっていった。
一学期が終わった時点でのシンクロテストの結果は恐るべき低空飛行であり、果たして一体
いつ首を切られるのかと危ぶまれているよ。しかし本人はどこ吹く風のようだね。
外ヅラは良く、一見すると美人に見られるが内情はボロボロさ。
野菜嫌いで即席ものばかり食べているから、なんだか月の裏側のから来た人のような
顔色をしていて甚だ不気味だ。
夜道で出会えば、10人中8人が使徒と見間違う。残りの2人は使徒だ。
あの顔が寝起きで顔も洗わずにヌっと現れるんだ、ホラーだよ。女性の化粧とは
恐ろしいものだね、ある意味尊敬するよ。
同僚に鞭打ち、上司にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、生活能力が皆無であり、
勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。
それがアスカと僕とのファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトでもあったんだ。
○
アスカは僕と同学年だ。本名・式波・アスカ・ラングレー(14)。
特務機関NERVに所属するヱヴァンゲリヲンパイロットであるにもかかわらず、
NERVもヱヴァもパイロットも嫌いらしい。
僕はヱヴァのパイロットに抜擢されたものの、乗らない・勝てないの体たらくぶりに呆れた父さんが、
助っ人としてドイツから呼び出したと聞かされた。
彼女は元ユーロ空軍のエースで、大学も飛び級合格している秀才のはずだった。しかし日本に
来てからというもの、何かのタガが外れたかのように、だらけきった生活を満喫するようになっていった。
一学期が終わった時点でのシンクロテストの結果は恐るべき低空飛行であり、果たして一体
いつ首を切られるのかと危ぶまれているよ。しかし本人はどこ吹く風のようだね。
外ヅラは良く、一見すると美人に見られるが内情はボロボロさ。
野菜嫌いで即席ものばかり食べているから、なんだか月の裏側のから来た人のような
顔色をしていて甚だ不気味だ。
夜道で出会えば、10人中8人が使徒と見間違う。残りの2人は使徒だ。
あの顔が寝起きで顔も洗わずにヌっと現れるんだ、ホラーだよ。女性の化粧とは
恐ろしいものだね、ある意味尊敬するよ。
同僚に鞭打ち、上司にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、生活能力が皆無であり、
勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。
8: 2011/04/13(水) 02:39:01.00
およそ誉めるべきところが一つもない。もし彼女と出会っていなければ、僕の魂はもっと
清らかだったに違いないんだ。
それを思うにつけ、一年前の春、NERVへ足を踏み入れたことが、そもそもの
間違いであったと言わざるを得ないね。
○
アスカと僕との出会いから、時は一息に10カ月後へ飛ぶ。三学期を迎えた2月の頭だ。
僕は愛すべき自室に座り込んで、憎むべきアスカと睨み合っていた。
僕とミサトさんが住まいにしているのは、第三新東京市の郊外にある「コンフォート17」というマンションだ。
聞いたところによると、15年前のセカンド・インパクトの混乱期も生き残り、この度改修を終えたばかりという物件だ。
葛城ミサト二佐は要人であるため、保安上の問題から現在マンションには僕たちしか住人はおらず、
部屋からの明かりが全くないため廃墟同然さ。
おまけに同居人は生活力が皆無であるため、部屋は散らかり放題になっているんだ。
第三新東京市に越してきた頃、葛城二佐の勧めでここを訪れたとき、ゴミ屋敷に迷い込んだのかと
思ったのも無理のない話さ。
彼女の生活無能力者ぶりはもはや重要文化財の境地へ達していると言っても過言ではないけれど、
僕たちがこの家ごと消失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。
本部に住んでいる父さんですら、いっそせいせいするに違いない。それくらい、僕とアスカは色々やりすぎた。
その夜、マンションにアスカが遊びに来た。
清らかだったに違いないんだ。
それを思うにつけ、一年前の春、NERVへ足を踏み入れたことが、そもそもの
間違いであったと言わざるを得ないね。
○
アスカと僕との出会いから、時は一息に10カ月後へ飛ぶ。三学期を迎えた2月の頭だ。
僕は愛すべき自室に座り込んで、憎むべきアスカと睨み合っていた。
僕とミサトさんが住まいにしているのは、第三新東京市の郊外にある「コンフォート17」というマンションだ。
聞いたところによると、15年前のセカンド・インパクトの混乱期も生き残り、この度改修を終えたばかりという物件だ。
葛城ミサト二佐は要人であるため、保安上の問題から現在マンションには僕たちしか住人はおらず、
部屋からの明かりが全くないため廃墟同然さ。
おまけに同居人は生活力が皆無であるため、部屋は散らかり放題になっているんだ。
第三新東京市に越してきた頃、葛城二佐の勧めでここを訪れたとき、ゴミ屋敷に迷い込んだのかと
思ったのも無理のない話さ。
彼女の生活無能力者ぶりはもはや重要文化財の境地へ達していると言っても過言ではないけれど、
僕たちがこの家ごと消失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。
本部に住んでいる父さんですら、いっそせいせいするに違いない。それくらい、僕とアスカは色々やりすぎた。
その夜、マンションにアスカが遊びに来た。
10: 2011/04/13(水) 02:41:51.12
「何か食べさせなさいよ」
と言うので、昼間に作りだめしておいた野菜炒めを温めてあげたら、一口食べただけで、
「肉が食べたい」
「高級ソーセージが食べたい」
と我儘を言った。
アスカはいつもそうさ。彼女が僕の言う事に素直に従った試しはないんだ。
僕はいったいどうしてこんな悪魔のような奴と、つるむハメになったんだろう。
○
今年の2月の頭、僕たちは10ヶ月にわたって内部の人間関係を悪化させることに一意専心していた、
特務機関NERVを自主追放になったばかりだった。
僕たちは大雨の後の濁流のごとく、渾身の力を振り絞って後を濁して去っていった。
アスカとは相変わらずの付き合いが続いていたけれど、NERVを追放になった後も、彼女は
あれこれ忙しく暮らしているらしい。
学校生活を満喫し、怪しい組織の活動にも手を染めているという。だいたいその夜の訪問も、
近所に住んでいる、ある人物を尋ねたついでだった。
彼女はその人物を「加持先輩」と呼び、半年前からその家へ出入りしていた。
そもそもアスカとの腐れ縁が断ち切りがたくなったのは、同じ組織で同じような隅の暗がりに
追いやられたというのもさることながら、アスカが頻繁にこのマンションを訪ねてくるからでもあったのさ。
その「師匠」というのは何者なのかと尋ねても、アスカはにやにやと卑猥な笑みを浮かべるばかりで
応えようとしないんだ。
おおかた縁談の師匠だろうと僕は思っていたけれどね。
と言うので、昼間に作りだめしておいた野菜炒めを温めてあげたら、一口食べただけで、
「肉が食べたい」
「高級ソーセージが食べたい」
と我儘を言った。
アスカはいつもそうさ。彼女が僕の言う事に素直に従った試しはないんだ。
僕はいったいどうしてこんな悪魔のような奴と、つるむハメになったんだろう。
○
今年の2月の頭、僕たちは10ヶ月にわたって内部の人間関係を悪化させることに一意専心していた、
特務機関NERVを自主追放になったばかりだった。
僕たちは大雨の後の濁流のごとく、渾身の力を振り絞って後を濁して去っていった。
アスカとは相変わらずの付き合いが続いていたけれど、NERVを追放になった後も、彼女は
あれこれ忙しく暮らしているらしい。
学校生活を満喫し、怪しい組織の活動にも手を染めているという。だいたいその夜の訪問も、
近所に住んでいる、ある人物を尋ねたついでだった。
彼女はその人物を「加持先輩」と呼び、半年前からその家へ出入りしていた。
そもそもアスカとの腐れ縁が断ち切りがたくなったのは、同じ組織で同じような隅の暗がりに
追いやられたというのもさることながら、アスカが頻繁にこのマンションを訪ねてくるからでもあったのさ。
その「師匠」というのは何者なのかと尋ねても、アスカはにやにやと卑猥な笑みを浮かべるばかりで
応えようとしないんだ。
おおかた縁談の師匠だろうと僕は思っていたけれどね。
11: 2011/04/13(水) 02:44:01.24
特務機関NERVと僕は完全な断交状態にあったけれど、耳ざといアスカは色々と新しい情報を
仕入れてきて、不機嫌な僕に吹きこんだ。
僕たちはNERVの変革のため、なけなしの名誉をかなぐり捨てたとも言えるし、もはやかなぐり捨てるほどの
名誉は残っていなかったと言えるのだけれど、アスカによれば、僕たちの捨て身のプロジェクトもむなしく、
NERVの内実は変わっていないようだった。
僕は退屈も手伝ってむらむらと腹が立ってきた。NERVからも追放され、学校とマンションを往復するだけの
禁欲的な生活を送っていた僕は、かつての暗い情熱が呼びさまされるような気がしたんだ。
そしてアスカはそういう暗い情熱を煽り立てるのだけはむやみにうまかった。
「ね、やるわよね? 」
「うん」
「約束だからね。じゃあ、明日の夕方、準備して来るから」
どうもうまくのせられた感じがしたよ。
僕は眠りに就こうとしたけれど、このところ続いている熱帯夜のせいで、なかなか寝つけなかった。
小腹もすいたので、屋台ラーメンでも食べようかと思い、僕はベッドから起き上がった。そうして
夜の街へさまよい出たんだ。
○
僕が第三東京市界隈に住む怪人と出会ったのは、その夜のことさ。
名前のないこの「屋台ラーメン」は、使途から出汁を取っているという噂の屋台ラーメンであり、
真偽はともかくとして、その味は無類なのさ。
いつだったかミサトさんに連れられて一度食べてからというもの、すっかり気に入り、足しげく通うようになった。
ラーメンをすすっていると、お客が来て隣へ腰掛けた。見ると、ここらでは見かけない顔だった。
仕入れてきて、不機嫌な僕に吹きこんだ。
僕たちはNERVの変革のため、なけなしの名誉をかなぐり捨てたとも言えるし、もはやかなぐり捨てるほどの
名誉は残っていなかったと言えるのだけれど、アスカによれば、僕たちの捨て身のプロジェクトもむなしく、
NERVの内実は変わっていないようだった。
僕は退屈も手伝ってむらむらと腹が立ってきた。NERVからも追放され、学校とマンションを往復するだけの
禁欲的な生活を送っていた僕は、かつての暗い情熱が呼びさまされるような気がしたんだ。
そしてアスカはそういう暗い情熱を煽り立てるのだけはむやみにうまかった。
「ね、やるわよね? 」
「うん」
「約束だからね。じゃあ、明日の夕方、準備して来るから」
どうもうまくのせられた感じがしたよ。
僕は眠りに就こうとしたけれど、このところ続いている熱帯夜のせいで、なかなか寝つけなかった。
小腹もすいたので、屋台ラーメンでも食べようかと思い、僕はベッドから起き上がった。そうして
夜の街へさまよい出たんだ。
○
僕が第三東京市界隈に住む怪人と出会ったのは、その夜のことさ。
名前のないこの「屋台ラーメン」は、使途から出汁を取っているという噂の屋台ラーメンであり、
真偽はともかくとして、その味は無類なのさ。
いつだったかミサトさんに連れられて一度食べてからというもの、すっかり気に入り、足しげく通うようになった。
ラーメンをすすっていると、お客が来て隣へ腰掛けた。見ると、ここらでは見かけない顔だった。
13: 2011/04/13(水) 02:46:51.66
よれよれな白いシャツの袖を肘までまくりあげ、無精ひげがぼさぼさに伸びている。しかしその目は眼光鋭く、
顔つきは整ってなかなかの色男だ。なにやら雰囲気を感じさせる人だと思った。傲然としていて、
何となく仙人じみている。
僕は丼から顔を上げて横目でしげしげと観察し、この人をNERVの中で幾度か見かけたことを思い出した。
NERV名物の長いエレベーターを登っていく後ろ姿、ジオフロントの自然庭園で野良仕事をしている後ろ姿、
共用の流しで大量のスイカを洗っている後ろ姿。
髪は台風が通り過ぎたようにもしゃもしゃ、手入れをする暇がないといったように、後ろで一つに束ねている。
年齢不詳で、おっさんかと思いきや、大学生のような幼さも垣間見える。
さすがの僕も、まさかそれが神だとは思わなかったよ。
男はラーメンを食べ終わった後、僕をじろじろと眺めた。
やがて、
「君」
とひどくもったいぶった口調で呼びかけてきた。
「NERVの人だろう」
僕が頷くと、男は満足げに笑った。
「俺もNERVで働いている。よろしく」
「どうも」
それきり僕が相手をしないでおくと、突然男が語りだした。
「俺は箱根神社の神だ。正確に言うと、九頭龍神社の龍神だ」
ブっと僕はラーメンを吹き出してしまった。
「りゅ、龍神?」
「九頭龍神社の龍神だ、二度も言わせないでくれよ」
顔つきは整ってなかなかの色男だ。なにやら雰囲気を感じさせる人だと思った。傲然としていて、
何となく仙人じみている。
僕は丼から顔を上げて横目でしげしげと観察し、この人をNERVの中で幾度か見かけたことを思い出した。
NERV名物の長いエレベーターを登っていく後ろ姿、ジオフロントの自然庭園で野良仕事をしている後ろ姿、
共用の流しで大量のスイカを洗っている後ろ姿。
髪は台風が通り過ぎたようにもしゃもしゃ、手入れをする暇がないといったように、後ろで一つに束ねている。
年齢不詳で、おっさんかと思いきや、大学生のような幼さも垣間見える。
さすがの僕も、まさかそれが神だとは思わなかったよ。
男はラーメンを食べ終わった後、僕をじろじろと眺めた。
やがて、
「君」
とひどくもったいぶった口調で呼びかけてきた。
「NERVの人だろう」
僕が頷くと、男は満足げに笑った。
「俺もNERVで働いている。よろしく」
「どうも」
それきり僕が相手をしないでおくと、突然男が語りだした。
「俺は箱根神社の神だ。正確に言うと、九頭龍神社の龍神だ」
ブっと僕はラーメンを吹き出してしまった。
「りゅ、龍神?」
「九頭龍神社の龍神だ、二度も言わせないでくれよ」
14: 2011/04/13(水) 02:48:52.63
「いや、いきなり何を」
僕はしどろもどろに答える。度重なる使徒襲来のストレスから、頭が残念な結果となってしまったのだろうか。
怪人はへらっと笑う。
「箱根神社の神話を知らないのかい?僕は君のことならなんでも知っているよ。ご両親の名前も知っている。
赤ん坊の頃はしょっちゅうゲロを吐いて、何だかいつも酸っぱい匂いのする赤ちゃんだったということも知っている。
小学校時代のあだ名、修学旅行の黒歴史、淡い初恋・・・もちろんこれは失敗に終わった。初めての工O本を
見たときの興奮というか驚愕、式波アスカとの出会い、NERVに入ってからの怠惰で破廉恥な日々・・・」
彼はまるで早口言葉をまくし立てるように、僕の愚行をとうとうと語った。しかし、それはデマカセなんかじゃなく、
真実だったから余計驚いた。
「嘘だ……」
「知っているんだよ。すべてを知っている」
彼は自信ありげに頷いた。
「たとえば君は、NERVのMAGIを使用し、碇司令の唾棄すべき行状を暴く映画をゲリラ上映して、
NERVから自主脱退を余儀なくされた。
なぜそんな風にいじける一方の半年間を過ごしたのかという原因を知っているのさ」
「それはアスカが」
思わず僕は口にしたが、彼は手を上げて僕を制した。
「君がアスカの薄汚れた魂に影響されたことは認めるよ。しかしそれだけじゃないだろう?」
僕の脳裏を、今までの苦い思い出が走馬灯のように流れた。
「お、大きなお世話です。あなたには何も関係ありません!」
僕が言うと、彼は首を振った。
僕はしどろもどろに答える。度重なる使徒襲来のストレスから、頭が残念な結果となってしまったのだろうか。
怪人はへらっと笑う。
「箱根神社の神話を知らないのかい?僕は君のことならなんでも知っているよ。ご両親の名前も知っている。
赤ん坊の頃はしょっちゅうゲロを吐いて、何だかいつも酸っぱい匂いのする赤ちゃんだったということも知っている。
小学校時代のあだ名、修学旅行の黒歴史、淡い初恋・・・もちろんこれは失敗に終わった。初めての工O本を
見たときの興奮というか驚愕、式波アスカとの出会い、NERVに入ってからの怠惰で破廉恥な日々・・・」
彼はまるで早口言葉をまくし立てるように、僕の愚行をとうとうと語った。しかし、それはデマカセなんかじゃなく、
真実だったから余計驚いた。
「嘘だ……」
「知っているんだよ。すべてを知っている」
彼は自信ありげに頷いた。
「たとえば君は、NERVのMAGIを使用し、碇司令の唾棄すべき行状を暴く映画をゲリラ上映して、
NERVから自主脱退を余儀なくされた。
なぜそんな風にいじける一方の半年間を過ごしたのかという原因を知っているのさ」
「それはアスカが」
思わず僕は口にしたが、彼は手を上げて僕を制した。
「君がアスカの薄汚れた魂に影響されたことは認めるよ。しかしそれだけじゃないだろう?」
僕の脳裏を、今までの苦い思い出が走馬灯のように流れた。
「お、大きなお世話です。あなたには何も関係ありません!」
僕が言うと、彼は首を振った。
15: 2011/04/13(水) 02:51:16.35
「これを見てごらん」
彼はシャツの中から一冊の帳簿を取り出した。ぺらぺらとページをめくり、帳簿の終わりに
近づいたところで指を止めた。
「ここだ」
薄汚れた灰色のページに、ある女性の名と、僕の名、そしてアスカの名前が毛筆で記されている。
「秋になれば、俺たちは出雲に集まって男女の縁を決める。この神話は君も知っているだろう?
俺が持っていく案件だけでも何百件にもなるけれど、そのうちの一つがこの問題だ。分かるだろう、どういうことか」
僕は首を横に振る。
「分かりません」
怪人は呆れたようにうなだれ、哀れみを込めた目で僕を見つめた。
「分からないだって?思いのほか鈍いんだな。つまり俺は、君と誰かの縁を結ぼうとしているんだよ」
神様は言った。
「ようするに、綾波嬢か、アスカ嬢かのどちらかだ」
あたりに強い風が吹きつけ、芦ノ湖の湖面が、激しく波打っていた。
○
翌朝の昼過ぎに起きだし、僕は腐りかけたベッドに正座して考えた。
箱根神社の神様が屋台ラーメンに現れ、しかも彼はNERVに所属しており、さらに
僕と乙女の仲を取り結ぼうというんだ。都合の良い妄想に耽るにもほどがあるじゃないか。
それに、綾波さんは大歓迎だとしても、よりによってアスカなんかが候補に入ってるだなんて、
出来すぎたシナリオさ。アスカと手をつないでいる場面を想像して、悪寒が走った。
彼はシャツの中から一冊の帳簿を取り出した。ぺらぺらとページをめくり、帳簿の終わりに
近づいたところで指を止めた。
「ここだ」
薄汚れた灰色のページに、ある女性の名と、僕の名、そしてアスカの名前が毛筆で記されている。
「秋になれば、俺たちは出雲に集まって男女の縁を決める。この神話は君も知っているだろう?
俺が持っていく案件だけでも何百件にもなるけれど、そのうちの一つがこの問題だ。分かるだろう、どういうことか」
僕は首を横に振る。
「分かりません」
怪人は呆れたようにうなだれ、哀れみを込めた目で僕を見つめた。
「分からないだって?思いのほか鈍いんだな。つまり俺は、君と誰かの縁を結ぼうとしているんだよ」
神様は言った。
「ようするに、綾波嬢か、アスカ嬢かのどちらかだ」
あたりに強い風が吹きつけ、芦ノ湖の湖面が、激しく波打っていた。
○
翌朝の昼過ぎに起きだし、僕は腐りかけたベッドに正座して考えた。
箱根神社の神様が屋台ラーメンに現れ、しかも彼はNERVに所属しており、さらに
僕と乙女の仲を取り結ぼうというんだ。都合の良い妄想に耽るにもほどがあるじゃないか。
それに、綾波さんは大歓迎だとしても、よりによってアスカなんかが候補に入ってるだなんて、
出来すぎたシナリオさ。アスカと手をつないでいる場面を想像して、悪寒が走った。
16: 2011/04/13(水) 02:53:25.71
しかし、真偽を確かめるのは簡単さ。今から神様の家へ行って、神様に面会してくれば良いんだ。
でも、ドアを開けて神が現れ、
「やーい、ひっかかった」
と言われたら、それこそ目も当てられない。
「決心がついたら訪ねてくれ。道路を挟んで左隣の家だ。ただし、三日以内には
答えをもらいたい。俺も忙しいんでね」
あの妙ちくりんな神様はそう言った。
学校とマンションを往復するだけの日々に打ちひしがれた挙げ句、こんな妄想に囚われて
右往左往していちゃ僕の沽券にかかわる。気を紛らわすために、僕は勉学に励もうとした。
しかし、教科書に向かっているうちに、この不毛に過ぎた半年の遅れをがつがつみっともなく
取り返そうとしているような気分になってきた。
したがって僕は潔く勉強をあきらめた。こうなると、提出すべき宿題はアスカに頼るしかない。
<印刷所>という秘密組織が学校にあって、そこに注文すれば偽造ノートが手に入るんだ。
<印刷所>というのは、アスカが日本に来てから立ち上げた組織の一つだ。アスカの写真を
ばらまいて金を稼いでいた相田・鈴原の悪行が本人にばれ、彼女の逆鱗に触れた為に
こき使われるようになったのが事の始まりさ。
大学卒業の知力を活かして宿題・テストを肩代わりする代わりに、多額の手数料をとっている。
ただしアスカは決して表へは出ず、相田・鈴原が矢面に立ち、数多くのトラブルの犠牲となっていた。
彼らも下半身の衝動に突き動かされることが無ければ、アスカにつけ入られることはなかったのだけれど……。
さすがにこれは、自業自得だろうね。
<印刷所>なる胡散臭い組織へ負んぶに抱っこでやってきたおかげで、僕はいまやアスカを介して
<印刷所>の助けを借りなければ急場をしのげない身体になってしまった。身も心も蝕まれてぼろぼろさ。
アスカとの腐れ縁が断ち切りがたい原因はここにもあるんだ。
でも、ドアを開けて神が現れ、
「やーい、ひっかかった」
と言われたら、それこそ目も当てられない。
「決心がついたら訪ねてくれ。道路を挟んで左隣の家だ。ただし、三日以内には
答えをもらいたい。俺も忙しいんでね」
あの妙ちくりんな神様はそう言った。
学校とマンションを往復するだけの日々に打ちひしがれた挙げ句、こんな妄想に囚われて
右往左往していちゃ僕の沽券にかかわる。気を紛らわすために、僕は勉学に励もうとした。
しかし、教科書に向かっているうちに、この不毛に過ぎた半年の遅れをがつがつみっともなく
取り返そうとしているような気分になってきた。
したがって僕は潔く勉強をあきらめた。こうなると、提出すべき宿題はアスカに頼るしかない。
<印刷所>という秘密組織が学校にあって、そこに注文すれば偽造ノートが手に入るんだ。
<印刷所>というのは、アスカが日本に来てから立ち上げた組織の一つだ。アスカの写真を
ばらまいて金を稼いでいた相田・鈴原の悪行が本人にばれ、彼女の逆鱗に触れた為に
こき使われるようになったのが事の始まりさ。
大学卒業の知力を活かして宿題・テストを肩代わりする代わりに、多額の手数料をとっている。
ただしアスカは決して表へは出ず、相田・鈴原が矢面に立ち、数多くのトラブルの犠牲となっていた。
彼らも下半身の衝動に突き動かされることが無ければ、アスカにつけ入られることはなかったのだけれど……。
さすがにこれは、自業自得だろうね。
<印刷所>なる胡散臭い組織へ負んぶに抱っこでやってきたおかげで、僕はいまやアスカを介して
<印刷所>の助けを借りなければ急場をしのげない身体になってしまった。身も心も蝕まれてぼろぼろさ。
アスカとの腐れ縁が断ち切りがたい原因はここにもあるんだ。
17: 2011/04/13(水) 02:55:58.07
まだ年が明けたばかりの2月だというのに、万年常夏の日本は今日も蒸し暑い。僕はたまらず
部屋にごろんと横になった。
○
昼過ぎに起きだしたために、日は早速暮れかかる。窓から射す西日がまた僕の苛立ちに拍車をかけた。
刻一刻と迫るアスカとの約束の刻限に思いを馳せると、もう自分をいぢめるのもお終いにしなきゃならないなあ、
と思い始めた。無駄なあがきと分かっていても、NERVに楯突くことで、父さんへの復讐になると信じてやってきた。
でもそれは、結局なんにもならなかったんだよ。
午後五時、不機嫌の極みに立ち尽くす僕のもとへ、アスカが訪ねてきた。
「あいかわらず冴えない顔してるわねえ」
それが彼女の第一声だった。
「君もね」
僕はぶすっと言い返した。
彼女はいつも、人の様子なんかおかまいなしだ。
「用意できたの?」
僕は尋ねた。
アスカは手にぶら下げたビニール袋をかすかに揺らして見せた。青や緑や赤といった毒々しい
色合いの筒がいっぱい飛び出していた。
部屋にごろんと横になった。
○
昼過ぎに起きだしたために、日は早速暮れかかる。窓から射す西日がまた僕の苛立ちに拍車をかけた。
刻一刻と迫るアスカとの約束の刻限に思いを馳せると、もう自分をいぢめるのもお終いにしなきゃならないなあ、
と思い始めた。無駄なあがきと分かっていても、NERVに楯突くことで、父さんへの復讐になると信じてやってきた。
でもそれは、結局なんにもならなかったんだよ。
午後五時、不機嫌の極みに立ち尽くす僕のもとへ、アスカが訪ねてきた。
「あいかわらず冴えない顔してるわねえ」
それが彼女の第一声だった。
「君もね」
僕はぶすっと言い返した。
彼女はいつも、人の様子なんかおかまいなしだ。
「用意できたの?」
僕は尋ねた。
アスカは手にぶら下げたビニール袋をかすかに揺らして見せた。青や緑や赤といった毒々しい
色合いの筒がいっぱい飛び出していた。
19: 2011/04/13(水) 02:59:13.22
「仕方がない。行こうか」
僕は言った。
○
僕たちは、コンフォート17を後にして、夕焼け色に染まった空の下を、てくてくと歩いて行った。
第三新東京市の堂々たるビル群が、陰鬱な日陰をつくりだしている。芦ノ湖の湖畔に近づいていくと、
そこで戯れるNERV職員たちの軟弱な気配が感じられる。
やがてあそこは阿鼻叫喚の地獄となるだろうね。
「本当にやるの?」
僕は彼女の良心が咎め、いたずらを中止してくれる事に、一縷の望みを託して問いかけた。
「天誅をくわえるって、昨日言ってたじゃないのよ」
とアスカ。うん、まあ、わかってたさ。
君がいたずらをためらうことなんてあり得ないものね。
「もちろん、自分では天誅だと思ってるさ。でも世間の人間から見れば、阿呆の所業だもの」
僕がそう言うと、アスカは鼻で笑ったんだ。
「世間を気にして、自分の信念を折り曲げるっていうの?私が身も心も委ねたのは、そんな人じゃないわ!」
オーバーな身振りで偉そうに説教してくる。
これ以上無駄な時間は潰したくない。僕は彼女の講釈を遮って言った。
「う、うるさいな!わかったよもう……」
彼女がこのような気色悪いことを言うのは、ただ僕を煽って愉快な揉め事を起こしたいからに過ぎないのさ。
「よし、やってやるさ!行こう」
彼女の愚劣な品性を軽蔑しながらも、敢えて一歩を踏み出した。
僕は言った。
○
僕たちは、コンフォート17を後にして、夕焼け色に染まった空の下を、てくてくと歩いて行った。
第三新東京市の堂々たるビル群が、陰鬱な日陰をつくりだしている。芦ノ湖の湖畔に近づいていくと、
そこで戯れるNERV職員たちの軟弱な気配が感じられる。
やがてあそこは阿鼻叫喚の地獄となるだろうね。
「本当にやるの?」
僕は彼女の良心が咎め、いたずらを中止してくれる事に、一縷の望みを託して問いかけた。
「天誅をくわえるって、昨日言ってたじゃないのよ」
とアスカ。うん、まあ、わかってたさ。
君がいたずらをためらうことなんてあり得ないものね。
「もちろん、自分では天誅だと思ってるさ。でも世間の人間から見れば、阿呆の所業だもの」
僕がそう言うと、アスカは鼻で笑ったんだ。
「世間を気にして、自分の信念を折り曲げるっていうの?私が身も心も委ねたのは、そんな人じゃないわ!」
オーバーな身振りで偉そうに説教してくる。
これ以上無駄な時間は潰したくない。僕は彼女の講釈を遮って言った。
「う、うるさいな!わかったよもう……」
彼女がこのような気色悪いことを言うのは、ただ僕を煽って愉快な揉め事を起こしたいからに過ぎないのさ。
「よし、やってやるさ!行こう」
彼女の愚劣な品性を軽蔑しながらも、敢えて一歩を踏み出した。
20: 2011/04/13(水) 03:01:40.42
僕らは木陰に隠れながら、湖畔に近づいて行った。湖を目の前に、青いシートを広げて
笑いさんざめく人々の様子が手に取るように分かる。
宇宙から突入してきた第八使徒を見事迎撃したため、今日はNERV本部上げての打ち上げが行われていた。
僕らは、茂みに身を潜めた。
僕はビニール袋から打ち上げ花火を取り出して地面に並べた。
アスカは僕が貸した単眼鏡を取りだし、宴会が行われている様を観察している。
「どう?」
僕は尋ねた。
「司令部のやつらはみんな居るわね。フフフ。でも、まだ冬月副司令の姿が見えないわ。碇司令の姿もない」
「酒呑みのくせに宴会に遅れるなんて、どういうつもりさ。常識が無いの?」
僕は唸った。
「あの二人がいなくっちゃ、奇襲の意味がないよ」
すると、アスカがつぶやく。
「あ、ファーストだわ」
ファーストとは、綾波さんのことで、僕たちと同学年だ。ヱヴァのファーストチルドレンに
抜擢されている、見た目通りの優等生だった。僕は昨夜、あの胡散臭い神様から見せられた
帳面を思い出し、ドキッとした。
「綾波さんも来ているの?」
笑いさんざめく人々の様子が手に取るように分かる。
宇宙から突入してきた第八使徒を見事迎撃したため、今日はNERV本部上げての打ち上げが行われていた。
僕らは、茂みに身を潜めた。
僕はビニール袋から打ち上げ花火を取り出して地面に並べた。
アスカは僕が貸した単眼鏡を取りだし、宴会が行われている様を観察している。
「どう?」
僕は尋ねた。
「司令部のやつらはみんな居るわね。フフフ。でも、まだ冬月副司令の姿が見えないわ。碇司令の姿もない」
「酒呑みのくせに宴会に遅れるなんて、どういうつもりさ。常識が無いの?」
僕は唸った。
「あの二人がいなくっちゃ、奇襲の意味がないよ」
すると、アスカがつぶやく。
「あ、ファーストだわ」
ファーストとは、綾波さんのことで、僕たちと同学年だ。ヱヴァのファーストチルドレンに
抜擢されている、見た目通りの優等生だった。僕は昨夜、あの胡散臭い神様から見せられた
帳面を思い出し、ドキッとした。
「綾波さんも来ているの?」
22: 2011/04/13(水) 03:03:45.86
「ほら、あそこの土手の上に座っているわ。手酌でLCLのスープを飲んでる。
相変わらず孤高の風を貫き通してるわね~」
「立派だ。でもこんなしょうもない宴に来なくっても良いのに」
「あの子を巻き添えにするのは、心苦しいわよね」
ああ、まったくだよ。アスカに人を思いやる心が残っていることに、僕はいたく感心した。
「あ、あ、あ」
アスカが嬉しそうな声を上げた。
「冬月副司令が来たわ!」
僕は彼女から単眼鏡をひったくり、松の間を抜けて土手を下りてくる冬月副司令の姿を追った。
湖畔で待つ職員たちが歓声を上げて迎えている。
冬月副司令は、特務機関NERVに君臨する父・碇司令の右腕であり、しつこく僕をいじめた人物だ。
副司令は僕の母さん、つまり碇ユイとねんごろの仲であったらしい。
父・ゲンドウと結婚したために、母を諦めざるをえなかったそうだけれど、それで割り切れる問題でもなく、
母の血を分けた僕のことを意図的に避けていた節がある。
それだけならまだマシで、なんと僕らが労働環境の待遇改善を要求しても父さんまで通さず、
途中でもみ消すという、いやらしい手法で僕らの立場を危ぶめてきたんだ。
ヱヴァパイロットとしての職務態度が悪いと難癖をつけて、給料の振込日を遅らせて生活に困らせるという
せこい手を使ってきたこともあった。
許すまじ!
彼はあんなに歓迎されているにもかかわらず、何故僕たちが茂みの中でこんな状況に
甘んじなければならないんだ。今日こそ正義の鉄槌を下し、積年の恨みを晴らしてやる!
相変わらず孤高の風を貫き通してるわね~」
「立派だ。でもこんなしょうもない宴に来なくっても良いのに」
「あの子を巻き添えにするのは、心苦しいわよね」
ああ、まったくだよ。アスカに人を思いやる心が残っていることに、僕はいたく感心した。
「あ、あ、あ」
アスカが嬉しそうな声を上げた。
「冬月副司令が来たわ!」
僕は彼女から単眼鏡をひったくり、松の間を抜けて土手を下りてくる冬月副司令の姿を追った。
湖畔で待つ職員たちが歓声を上げて迎えている。
冬月副司令は、特務機関NERVに君臨する父・碇司令の右腕であり、しつこく僕をいじめた人物だ。
副司令は僕の母さん、つまり碇ユイとねんごろの仲であったらしい。
父・ゲンドウと結婚したために、母を諦めざるをえなかったそうだけれど、それで割り切れる問題でもなく、
母の血を分けた僕のことを意図的に避けていた節がある。
それだけならまだマシで、なんと僕らが労働環境の待遇改善を要求しても父さんまで通さず、
途中でもみ消すという、いやらしい手法で僕らの立場を危ぶめてきたんだ。
ヱヴァパイロットとしての職務態度が悪いと難癖をつけて、給料の振込日を遅らせて生活に困らせるという
せこい手を使ってきたこともあった。
許すまじ!
彼はあんなに歓迎されているにもかかわらず、何故僕たちが茂みの中でこんな状況に
甘んじなければならないんだ。今日こそ正義の鉄槌を下し、積年の恨みを晴らしてやる!
23: 2011/04/13(水) 03:06:34.64
僕は飢えた獣のように鼻を荒くして、手近な花火を手に取った。
アスカが僕の手を押さえた。
「駄目よ。まだ碇司令が来ていないわ」
「もう構わない。冬月副司令だけでも亡き者にしてやるさ」
「気持ちはわかるわ。でも本丸は碇司令でしょ!」
押し問答がしばらく続いた。
動機はあくまで不純ながらも、アスカの言うことには一理あった。影武者というべき冬月副司令へ
一生懸命攻撃をしかけても馬鹿を見る。僕は抜きかけた太刀を鞘におさめた。
ところが許しがたいことに、いくら待っても碇司令は来なかったんだ。宴会場では皆が楽しげに騒いでいる。
「それにしても、これは見事に明暗を分けたわねぇ。いっそ私もあっちに混ざっちゃおうかな」
アスカが言った。
「ねえ、裏切るのかい?君はどっちの味方なんだよ」
「べつに何の約束もしてないじゃない」
「身も心も僕に捧げたと、ついさっき言ったじゃないか?」
「そんな昔のこと、わっすれちゃった~」
彼女はすっとぼけた顔をして、ひょうひょうと言ってのける。
「アスカ・・・」
彼女は旗色が悪くなるとすぐに行方をくらます。僕は、彼女が逃げないように睨みつけた。
しかし、彼女は僕の態度など気づかない風に、体をくっつけてきた。
アスカが僕の手を押さえた。
「駄目よ。まだ碇司令が来ていないわ」
「もう構わない。冬月副司令だけでも亡き者にしてやるさ」
「気持ちはわかるわ。でも本丸は碇司令でしょ!」
押し問答がしばらく続いた。
動機はあくまで不純ながらも、アスカの言うことには一理あった。影武者というべき冬月副司令へ
一生懸命攻撃をしかけても馬鹿を見る。僕は抜きかけた太刀を鞘におさめた。
ところが許しがたいことに、いくら待っても碇司令は来なかったんだ。宴会場では皆が楽しげに騒いでいる。
「それにしても、これは見事に明暗を分けたわねぇ。いっそ私もあっちに混ざっちゃおうかな」
アスカが言った。
「ねえ、裏切るのかい?君はどっちの味方なんだよ」
「べつに何の約束もしてないじゃない」
「身も心も僕に捧げたと、ついさっき言ったじゃないか?」
「そんな昔のこと、わっすれちゃった~」
彼女はすっとぼけた顔をして、ひょうひょうと言ってのける。
「アスカ・・・」
彼女は旗色が悪くなるとすぐに行方をくらます。僕は、彼女が逃げないように睨みつけた。
しかし、彼女は僕の態度など気づかない風に、体をくっつけてきた。
25: 2011/04/13(水) 03:08:46.75
「そんな怖い目でみないでよ」
「ちょ、ちょっとくっつかないでくれ!」
「だって寂しいじゃない。それに夜風が冷たいの」
「このさびしがりやさん!」
「キャー(棒)」
橋の下で意味不明の寸劇をすることにもやがて虚しさを感じ、むしろその虚しさこそが
僕たちの堪忍袋の緒を切った。
碇司令の姿は見えないけれど、こうなりゃ仕方ない。僕は宴会をしている群衆に
向かって、大声を張り上げた。
「よくも僕達を追いだしてくれたね!これから復讐を開始する!くれぐれも目に注意!」
大声を上げたあと、僕は宴会をやっていた人々を睨み回した。ぽかんと阿呆のように口を開けた面々が、
「なんのこっちゃ」
というようにこちらを眺めている。
なんのこっちゃ分からなければ、分からせてやるまでさ!僕はいきり立った。
ふと、土手のてっぺんに座っている綾波さんの姿が目に入った。
彼女は
「あ」
「ほ」
と口を動かし、そそくさと立って松の木の向こうに避難した。
「ちょ、ちょっとくっつかないでくれ!」
「だって寂しいじゃない。それに夜風が冷たいの」
「このさびしがりやさん!」
「キャー(棒)」
橋の下で意味不明の寸劇をすることにもやがて虚しさを感じ、むしろその虚しさこそが
僕たちの堪忍袋の緒を切った。
碇司令の姿は見えないけれど、こうなりゃ仕方ない。僕は宴会をしている群衆に
向かって、大声を張り上げた。
「よくも僕達を追いだしてくれたね!これから復讐を開始する!くれぐれも目に注意!」
大声を上げたあと、僕は宴会をやっていた人々を睨み回した。ぽかんと阿呆のように口を開けた面々が、
「なんのこっちゃ」
というようにこちらを眺めている。
なんのこっちゃ分からなければ、分からせてやるまでさ!僕はいきり立った。
ふと、土手のてっぺんに座っている綾波さんの姿が目に入った。
彼女は
「あ」
「ほ」
と口を動かし、そそくさと立って松の木の向こうに避難した。
27: 2011/04/13(水) 03:11:16.44
綾波さんが避難したとなれば、遠慮することはない。僕はさっそく配下のアスカに砲撃を命じた。
○
ひとしきり花火を打ち込んだ後、ぎゃあぎゃあ言っている宴会場をしり目に、颯爽と逃げ出す
つもりだったけれど、怒り狂う諜報部員たちがこっちへ走ってきたので、僕は慌てた。
「さあ、逃げるよ」
僕は言った。
「ちょっと待ちなさい。まだ何本か撃ち残しがあるわよ」
「放っておこう!」
僕たちは繁華街へ逃げ込もうと走り出したが、土手の上から駆け下りてくる人影がある。
その人影が叫んだ。
「貴様ら!」
そのやくざのような容貌・ドスのきいた声は間違いなく僕の父・碇司令だった。
「きゃああ!今さら碇司令が出たわ」
アスカは慌てて立ち上がり、手に持っていた花火を辺りにまき散らした。
「なんて間の悪い……」
僕たちは素早く方向転換し、彼らから逃げ回った。
アスカは逃げながらすでに、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
と叫んでいる。
誇りも何もあったものじゃない。
○
ひとしきり花火を打ち込んだ後、ぎゃあぎゃあ言っている宴会場をしり目に、颯爽と逃げ出す
つもりだったけれど、怒り狂う諜報部員たちがこっちへ走ってきたので、僕は慌てた。
「さあ、逃げるよ」
僕は言った。
「ちょっと待ちなさい。まだ何本か撃ち残しがあるわよ」
「放っておこう!」
僕たちは繁華街へ逃げ込もうと走り出したが、土手の上から駆け下りてくる人影がある。
その人影が叫んだ。
「貴様ら!」
そのやくざのような容貌・ドスのきいた声は間違いなく僕の父・碇司令だった。
「きゃああ!今さら碇司令が出たわ」
アスカは慌てて立ち上がり、手に持っていた花火を辺りにまき散らした。
「なんて間の悪い……」
僕たちは素早く方向転換し、彼らから逃げ回った。
アスカは逃げながらすでに、
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
と叫んでいる。
誇りも何もあったものじゃない。
28: 2011/04/13(水) 03:13:30.50
「貴様ら!いつまでこんなことやっているつもりだ。いい加減大人になれ!」
父が湖畔に立ち、説教言葉を投げつけてくる。
よりにもよってこの僕に説教するとは何事だよ!人をとやかく言う前に己の姿を
虚心に見つめてみろっていうんだ。
多勢に無勢、いくら僕が己の正当性を主張したところで多数派の横暴に敵うはずはない。
したがって戦略的撤退を試みる。すでにアスカは林を駆け抜け、僕の視界から消えようとしている。
おそろしいまでの逃げ足の速さだ。
さて、僕もあそこまで行かなければと思ったとたん、何か熱いかたまりがぼうんと
背中に当たって、僕はうめいた。誰かが報復のために発射した花火が、退却する
僕に追い打ちをかけたらしい。僕は悔しさを胸に、街へ向かって走り続けた。
○
僕は特務機関NERVの体制そのものに、まず苛立っていた。
NERVでは、碇司令の独裁体制が敷かれ、彼の指導のもと、みんなで和気藹々と
人類を守るという唾棄すべき体制が打ちたてられていた。
僕が第三新東京市に越してきてすぐの事。
使徒襲来の報を受けた父は、何の訓練もしていない僕のことを、有無を言わさずヱヴァの
パイロットに仕立て上げた。当然、制御できず暴走し、勝ったものの大怪我を負い、僕と父は
事実上最悪の再会を果たすことになった。
しかし、出て行くとしても他に頼る宛てがある訳ではなく、こんな子供を雇ってくれる場所も他にない。
当初は、やむを得ず父の采配のもとにパイロットとして使徒と戦い続けていた僕だったけれど、
やがて現行の体制に不満を抱いた。そもそも、未成年を戦場に送りだして平気な顔をしている父に、
いい加減怒り心頭だったのさ。
父が湖畔に立ち、説教言葉を投げつけてくる。
よりにもよってこの僕に説教するとは何事だよ!人をとやかく言う前に己の姿を
虚心に見つめてみろっていうんだ。
多勢に無勢、いくら僕が己の正当性を主張したところで多数派の横暴に敵うはずはない。
したがって戦略的撤退を試みる。すでにアスカは林を駆け抜け、僕の視界から消えようとしている。
おそろしいまでの逃げ足の速さだ。
さて、僕もあそこまで行かなければと思ったとたん、何か熱いかたまりがぼうんと
背中に当たって、僕はうめいた。誰かが報復のために発射した花火が、退却する
僕に追い打ちをかけたらしい。僕は悔しさを胸に、街へ向かって走り続けた。
○
僕は特務機関NERVの体制そのものに、まず苛立っていた。
NERVでは、碇司令の独裁体制が敷かれ、彼の指導のもと、みんなで和気藹々と
人類を守るという唾棄すべき体制が打ちたてられていた。
僕が第三新東京市に越してきてすぐの事。
使徒襲来の報を受けた父は、何の訓練もしていない僕のことを、有無を言わさずヱヴァの
パイロットに仕立て上げた。当然、制御できず暴走し、勝ったものの大怪我を負い、僕と父は
事実上最悪の再会を果たすことになった。
しかし、出て行くとしても他に頼る宛てがある訳ではなく、こんな子供を雇ってくれる場所も他にない。
当初は、やむを得ず父の采配のもとにパイロットとして使徒と戦い続けていた僕だったけれど、
やがて現行の体制に不満を抱いた。そもそも、未成年を戦場に送りだして平気な顔をしている父に、
いい加減怒り心頭だったのさ。
29: 2011/04/13(水) 03:16:13.97
かといって、易々と先生のところに舞い戻るのでは負けを認めるようでしゃくに障る。
そこで、司令たちの目の前で反逆の狼煙を上げるべく、パイロットの訓練をボイコットし始めたんだ。
ヱヴァを動かせる人間は世界でも限られている為、僕が欠けるだけでも勝率に多大な影響が出る。
しかし僕への賛同者は誰もおらず、やむなくアスカと二人で訓練のボイコットを続けた。
彼女はエリートとして育てられ、本当の自分を出せない事に不満をもっていたらしい。いつも完璧を
求められていた彼女の精神が、ついに決壊した。日本に出向の要請があったことを好機ととらえ、
今までとはまるで正反対の性格になってしまったようだ。
彼女の怠惰な性格が、僕のボイコット魂に拍車をかけた。彼女と一緒にサボタージュを続ければ続けるほど、
NERVの職員たちは腫れものを扱うかのように僕たちを避け始めた。最終的に、碇司令と冬月副司令は
僕たちを路傍の石ころも同然に無視し始めた。
怪奇なのは、僕たちが努力すればするほど、綾波さんと碇司令のカリスマぶりが上がっていくように感じたことさ。
彼女は何か弱みを握られているのか、司令のいいなりとなって必氏にヱヴァの訓練に取り組んでいた。職員たち
から見れば、不真面目な僕たちは綾波さんの頑張りを際立たせている。
いわゆるピ工口として利用されていたのだけれど、今頃そんなことを言っても後の祭りさ。じつに、生き方に
工夫が足りなかったんだ。僕はなんてまっすぐだったんだろう……。
○
そんなことがあってから、今度は司令の周辺の人間関係を乱すことで、内部から司令の立場を崩して行こうと、
復讐のベクトルを変えていった。ありていに言えば、他人の恋路を邪魔することにした。
僕は赤い糸を切って切って切りまくった。
そこで、司令たちの目の前で反逆の狼煙を上げるべく、パイロットの訓練をボイコットし始めたんだ。
ヱヴァを動かせる人間は世界でも限られている為、僕が欠けるだけでも勝率に多大な影響が出る。
しかし僕への賛同者は誰もおらず、やむなくアスカと二人で訓練のボイコットを続けた。
彼女はエリートとして育てられ、本当の自分を出せない事に不満をもっていたらしい。いつも完璧を
求められていた彼女の精神が、ついに決壊した。日本に出向の要請があったことを好機ととらえ、
今までとはまるで正反対の性格になってしまったようだ。
彼女の怠惰な性格が、僕のボイコット魂に拍車をかけた。彼女と一緒にサボタージュを続ければ続けるほど、
NERVの職員たちは腫れものを扱うかのように僕たちを避け始めた。最終的に、碇司令と冬月副司令は
僕たちを路傍の石ころも同然に無視し始めた。
怪奇なのは、僕たちが努力すればするほど、綾波さんと碇司令のカリスマぶりが上がっていくように感じたことさ。
彼女は何か弱みを握られているのか、司令のいいなりとなって必氏にヱヴァの訓練に取り組んでいた。職員たち
から見れば、不真面目な僕たちは綾波さんの頑張りを際立たせている。
いわゆるピ工口として利用されていたのだけれど、今頃そんなことを言っても後の祭りさ。じつに、生き方に
工夫が足りなかったんだ。僕はなんてまっすぐだったんだろう……。
○
そんなことがあってから、今度は司令の周辺の人間関係を乱すことで、内部から司令の立場を崩して行こうと、
復讐のベクトルを変えていった。ありていに言えば、他人の恋路を邪魔することにした。
僕は赤い糸を切って切って切りまくった。
30: 2011/04/13(水) 03:18:21.67
東に恋する女子職員がいれば
「あんなマッドサイエンテストやめろ」
と言い、西に妄想する男がいれば
「あんな酒狂いやめておけ」
と言い、南で恋の火花が散りかけていればすぐさま水をかけてやり、
北ではつねに恋愛無用論を説いた。
そんな僕の戦いを面白がり、僕を煽り立て、NERV内に揉め事の火種をまくのを無上の楽しみとする妖怪がいた。
そう、アスカのことさ。
彼女はそうとう汚い手を使って、NERV内部の人間関係をぶち壊して回っていった。つねにNERV内のどこかで
修羅場の不協和音が鳴り響くという彼女好みの環境を作り上げた。
まさに悪の権化というにふさわしい。
この行為によって、僕たちは多くの敵を作った。しかし僕は負けなかった。負けることができなかった。
そしてあの時負けていたほうが、きっと僕もみんなも幸せになったに違いない。アスカは幸せにならなくても良い。
○
芦ノ湖から無事に戦略的撤退を成功させた僕たちは、街へ出て戦勝祝いをすることになった。
冷たい夕風に吹かれながら歩いていると、
「ウフフ」
とアスカが急に笑った。
「碇司令はあんな風に部下の前では偉そうにしているけれど、もう内情はグダグダなのよね」
「そうなの?」
僕が問うと、アスカは偉そうな顔をした。
「あんなマッドサイエンテストやめろ」
と言い、西に妄想する男がいれば
「あんな酒狂いやめておけ」
と言い、南で恋の火花が散りかけていればすぐさま水をかけてやり、
北ではつねに恋愛無用論を説いた。
そんな僕の戦いを面白がり、僕を煽り立て、NERV内に揉め事の火種をまくのを無上の楽しみとする妖怪がいた。
そう、アスカのことさ。
彼女はそうとう汚い手を使って、NERV内部の人間関係をぶち壊して回っていった。つねにNERV内のどこかで
修羅場の不協和音が鳴り響くという彼女好みの環境を作り上げた。
まさに悪の権化というにふさわしい。
この行為によって、僕たちは多くの敵を作った。しかし僕は負けなかった。負けることができなかった。
そしてあの時負けていたほうが、きっと僕もみんなも幸せになったに違いない。アスカは幸せにならなくても良い。
○
芦ノ湖から無事に戦略的撤退を成功させた僕たちは、街へ出て戦勝祝いをすることになった。
冷たい夕風に吹かれながら歩いていると、
「ウフフ」
とアスカが急に笑った。
「碇司令はあんな風に部下の前では偉そうにしているけれど、もう内情はグダグダなのよね」
「そうなの?」
僕が問うと、アスカは偉そうな顔をした。
33: 2011/04/13(水) 03:20:44.29
「NERVトップの座に居座ってはいるものの、執務は副司令に任せっぱなしで仕事のひとつも
マトモに出来ないのよ。ゼーレは資金援助を減らすと言っているのに、日本政府とは喧嘩して
断交状態になっちゃったし。冬月副司令から奪った女の子とは先月別れたばかり。偉そうに
説教される筋合いは毛ほどもないってもんよ」
「君、なんでそんなことまで知ってるの?」
僕は、驚きと賞賛の入り交じった目でアスカを見た。彼女はいつも、人の知られたくない情報ばかり仕入れてくる。
街の明かりの中で、アスカはぬらりひょんのような顔をした。
「私の収集能力を舐めてもらっちゃ困るわね。アンタのことだって、アンタの恋人よりも知ってるのよ」
アスカは首だけをぐるっと後ろに回して、卑猥な眼つきで僕を見た。
「僕に恋人なんかいないよ」
「まァ、万が一の話よ」
それにしても、父さんは―――。
今日の乱暴な振る舞いを鑑みるに、父さんは全く反省していないようだった。特務機関NERVなんて名ばかりで、
所詮井の中の蛙さ。からっぽの補完計画をぶって、きわめて紳士的なふりをしているけれど、そのくせ興味が
あるのは乳ばかりさ。女性の乳と母さんの他は何一つ見えていない。やみがたい乳と母さんへの想いに
気を取られて、人生を棒に振ればいい……。
「ちょっと、ねえ、目が据わってるわよ!?」
アスカに注意されて、僕はようやく眉間の皺をゆるめた。
そのとき、街中ですれ違った女性が立ち止り、話しかけてきた。
「あら、あんたたち!」
そう言ってきたのは、僕たちの上司・ミサトさんだった。
彼女は僕の唯一と言っていい理解者であり、保護者でもある。
マトモに出来ないのよ。ゼーレは資金援助を減らすと言っているのに、日本政府とは喧嘩して
断交状態になっちゃったし。冬月副司令から奪った女の子とは先月別れたばかり。偉そうに
説教される筋合いは毛ほどもないってもんよ」
「君、なんでそんなことまで知ってるの?」
僕は、驚きと賞賛の入り交じった目でアスカを見た。彼女はいつも、人の知られたくない情報ばかり仕入れてくる。
街の明かりの中で、アスカはぬらりひょんのような顔をした。
「私の収集能力を舐めてもらっちゃ困るわね。アンタのことだって、アンタの恋人よりも知ってるのよ」
アスカは首だけをぐるっと後ろに回して、卑猥な眼つきで僕を見た。
「僕に恋人なんかいないよ」
「まァ、万が一の話よ」
それにしても、父さんは―――。
今日の乱暴な振る舞いを鑑みるに、父さんは全く反省していないようだった。特務機関NERVなんて名ばかりで、
所詮井の中の蛙さ。からっぽの補完計画をぶって、きわめて紳士的なふりをしているけれど、そのくせ興味が
あるのは乳ばかりさ。女性の乳と母さんの他は何一つ見えていない。やみがたい乳と母さんへの想いに
気を取られて、人生を棒に振ればいい……。
「ちょっと、ねえ、目が据わってるわよ!?」
アスカに注意されて、僕はようやく眉間の皺をゆるめた。
そのとき、街中ですれ違った女性が立ち止り、話しかけてきた。
「あら、あんたたち!」
そう言ってきたのは、僕たちの上司・ミサトさんだった。
彼女は僕の唯一と言っていい理解者であり、保護者でもある。
35: 2011/04/13(水) 03:23:20.55
越してきた当初、同居を申し出てくれたのも彼女だし、僕のやることをあまり注意せず見守ってくれている。
碇司令に復讐するんだと先の行動を起こした時も、立場上協力こそしてくれなかったけれど、上に報告も
せずに好きにやらせてくれた。悪く言えば放任主義だけれど、僕たちにはちょうどいい。
戦術作戦課作戦部長の地位に納まっているのも、そうした度胸ゆえなんだろうと思っている。
「こんな時間に、何やってんのよ?今日は打ち上げでしょう?私も仕事が終わったから、今から混ざるところなんだけど」
彼女は怪訝な顔つきで聞いてくる。
「ちょっとヤボ用があってね」
アスカがひょうひょうと答える。
「そうそう、そういえばアスカ。今後のことで話があるのよ。今ちょっと良い?」
彼女たちが話しだしたので、僕は距離を取って立った。盗み聞きするつもりはなかったし、何となく真剣な話の
ようだったからね。二人の様子を野次馬みたいに眺めているわけにもいかないので、僕は繁華街の街並みに
目をやった。
○
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。その軒下に、白い布をかけた
木の台を前にして座る少年がいた。
「……?男の子?」
台の上に掛けられた小さな行燈からの明かりが、その少年の顔を浮かび上がらせる。妙な凄味が漂っていた。
何か、人間じゃないような。彼は銀色がかった白い髪の毛をしており、顔色も負けないくらい白い。
目は赤かった。
碇司令に復讐するんだと先の行動を起こした時も、立場上協力こそしてくれなかったけれど、上に報告も
せずに好きにやらせてくれた。悪く言えば放任主義だけれど、僕たちにはちょうどいい。
戦術作戦課作戦部長の地位に納まっているのも、そうした度胸ゆえなんだろうと思っている。
「こんな時間に、何やってんのよ?今日は打ち上げでしょう?私も仕事が終わったから、今から混ざるところなんだけど」
彼女は怪訝な顔つきで聞いてくる。
「ちょっとヤボ用があってね」
アスカがひょうひょうと答える。
「そうそう、そういえばアスカ。今後のことで話があるのよ。今ちょっと良い?」
彼女たちが話しだしたので、僕は距離を取って立った。盗み聞きするつもりはなかったし、何となく真剣な話の
ようだったからね。二人の様子を野次馬みたいに眺めているわけにもいかないので、僕は繁華街の街並みに
目をやった。
○
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。その軒下に、白い布をかけた
木の台を前にして座る少年がいた。
「……?男の子?」
台の上に掛けられた小さな行燈からの明かりが、その少年の顔を浮かび上がらせる。妙な凄味が漂っていた。
何か、人間じゃないような。彼は銀色がかった白い髪の毛をしており、顔色も負けないくらい白い。
目は赤かった。
36: 2011/04/13(水) 03:25:45.95
人目を引く容貌をしているものだから、僕が目を離せないでいると、やがて相手もこちらに気づいたらしい。
夕闇の奥から目を輝かせて僕を見た。
でも妙だな、と思った。街を行き交う人には、彼のことが見えていないみたいだ。皆彼のことを気にも
かけずに素通りしている。僕だけが気付いたのだろうか?しかし、彼が発散する妖気にはなにやら
説得力があり、僕は論理的に考えた。これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが
当たらないわけはない、と。
僕がこの世に生まれて15年が経とうとしているけれど、これまで謙虚に他人の意見に耳を貸した
ことなんて、数えるほどしかなかった。もっと早くに自分の判断力に見切りをつけていれば、僕の人生は
違った可能性もあっただろう。
そうだ。
まだ遅くはないさ。速やかに客観的な意見を仰いで、あり得べき別の人生へと脱出するんだ。
僕は少年の妖気に吸い寄せられるように足を踏み出した。
「学生さん、何を聞きたいんだい?」
自称占い師のその少年は、とてもおっとりした口調でしゃべるので、実は年寄りなのかと
一瞬戸惑いを覚えた。しかし、なぜだか心を落ち着かせる声の持ち主だ。
「その前にちょっと聞きたいんだけれど、君も中学生ぐらいの歳じゃないのかい?
なんで、占いの仕事をしているの?」
僕は思わずそう言ってしまったけれど、彼はにっこりと笑っただけでその質問には答えなかった。
仕方なしに、僕の悩みを伝えようと考えを巡らせた。
「そうだね、何と言ったらいいか……」
僕が答えに詰まっていると、少年は微笑んだ。
夕闇の奥から目を輝かせて僕を見た。
でも妙だな、と思った。街を行き交う人には、彼のことが見えていないみたいだ。皆彼のことを気にも
かけずに素通りしている。僕だけが気付いたのだろうか?しかし、彼が発散する妖気にはなにやら
説得力があり、僕は論理的に考えた。これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが
当たらないわけはない、と。
僕がこの世に生まれて15年が経とうとしているけれど、これまで謙虚に他人の意見に耳を貸した
ことなんて、数えるほどしかなかった。もっと早くに自分の判断力に見切りをつけていれば、僕の人生は
違った可能性もあっただろう。
そうだ。
まだ遅くはないさ。速やかに客観的な意見を仰いで、あり得べき別の人生へと脱出するんだ。
僕は少年の妖気に吸い寄せられるように足を踏み出した。
「学生さん、何を聞きたいんだい?」
自称占い師のその少年は、とてもおっとりした口調でしゃべるので、実は年寄りなのかと
一瞬戸惑いを覚えた。しかし、なぜだか心を落ち着かせる声の持ち主だ。
「その前にちょっと聞きたいんだけれど、君も中学生ぐらいの歳じゃないのかい?
なんで、占いの仕事をしているの?」
僕は思わずそう言ってしまったけれど、彼はにっこりと笑っただけでその質問には答えなかった。
仕方なしに、僕の悩みを伝えようと考えを巡らせた。
「そうだね、何と言ったらいいか……」
僕が答えに詰まっていると、少年は微笑んだ。
37: 2011/04/13(水) 03:27:57.31
「今の君の顔からするとね、とてももどかしいという気持ちがわかるよ。不満というものかな。
君、自分の才能を生かせていないように感じるなあ。どうも今の環境が君にはふさわしくないようだね」
「うん、そうなんだよ。まさにその通りだ」
「君は、非常に真面目で才能もあるようだから…」
少年の慧眼に、僕は早くも脱帽した。
「とにかく好機を逃さない事が肝心だよ」
「好機?」
「好機というのは良い機会という意味さ」
「それはわかっているよ」
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
その妖気にふさわしい、実に深遠な言葉だ。
「でも、そんなにいつまでも待てないんだ。もっと具体的に教えてよ」
僕が喰い下がると、少年はまたにっこりと微笑んだ。
「具体的には言いにくいねぇ。僕が言ったせいで、好機が好機でなくなってしまうこともあるからね。
代わりと言ってはなんだけど、ヒントをあげる。それは"メガネ"さ」
僕はきょとんとして聞き返した。
「メガネ?何のことだいそれは。僕は近眼じゃないよ」
君、自分の才能を生かせていないように感じるなあ。どうも今の環境が君にはふさわしくないようだね」
「うん、そうなんだよ。まさにその通りだ」
「君は、非常に真面目で才能もあるようだから…」
少年の慧眼に、僕は早くも脱帽した。
「とにかく好機を逃さない事が肝心だよ」
「好機?」
「好機というのは良い機会という意味さ」
「それはわかっているよ」
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
その妖気にふさわしい、実に深遠な言葉だ。
「でも、そんなにいつまでも待てないんだ。もっと具体的に教えてよ」
僕が喰い下がると、少年はまたにっこりと微笑んだ。
「具体的には言いにくいねぇ。僕が言ったせいで、好機が好機でなくなってしまうこともあるからね。
代わりと言ってはなんだけど、ヒントをあげる。それは"メガネ"さ」
僕はきょとんとして聞き返した。
「メガネ?何のことだいそれは。僕は近眼じゃないよ」
38: 2011/04/13(水) 03:30:07.36
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
答えのようで、答えでないような事を言われた。
ふいに後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたので、驚いて振り向いた。
「なにブツブツ独り言呟いてんのよ?」
アスカがニヤニヤしながら背後に立っていた。そして、さっさと向こうに歩きだして行った。
僕は大事な話が中断されたことに苛立ちながら、また占い師の方を見た。
でもそこには、何もなかったんだ。
○
その日、夜の街へさ迷い出たのはアスカの提案だった。
アスカが、
「ビーフステーキとハンバーグが食べたい」
と繰り返すので、僕らは小洒落たレストランに入って日頃不足しがちな栄養を補うことにした。
肉料理の間にサラダや野菜料理を頼んで、僕が椎茸をほくほく食べていると、アスカはまるで
人が馬糞をつまみ食いしている秘密の現場を目撃したような目つきをしたんだ。
「よくそんな気色の悪い物体を食べられるわね。それ菌よ。菌の茶色い塊よ。信じらんないわ。
その傘の裏にあるヒダヒダ、何なの?何のためにソレあるのよ」
アスカが野菜を口にしないで、肉ばかり食べているのに腹が立ち、嫌がる彼女の口をこじ開けて
苦いゴーヤをぐいぐいねじ込んでやった。アスカの偏食は筋金入りで、僕は彼女がまともに
食事しているところを見たことが無い。
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
答えのようで、答えでないような事を言われた。
ふいに後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたので、驚いて振り向いた。
「なにブツブツ独り言呟いてんのよ?」
アスカがニヤニヤしながら背後に立っていた。そして、さっさと向こうに歩きだして行った。
僕は大事な話が中断されたことに苛立ちながら、また占い師の方を見た。
でもそこには、何もなかったんだ。
○
その日、夜の街へさ迷い出たのはアスカの提案だった。
アスカが、
「ビーフステーキとハンバーグが食べたい」
と繰り返すので、僕らは小洒落たレストランに入って日頃不足しがちな栄養を補うことにした。
肉料理の間にサラダや野菜料理を頼んで、僕が椎茸をほくほく食べていると、アスカはまるで
人が馬糞をつまみ食いしている秘密の現場を目撃したような目つきをしたんだ。
「よくそんな気色の悪い物体を食べられるわね。それ菌よ。菌の茶色い塊よ。信じらんないわ。
その傘の裏にあるヒダヒダ、何なの?何のためにソレあるのよ」
アスカが野菜を口にしないで、肉ばかり食べているのに腹が立ち、嫌がる彼女の口をこじ開けて
苦いゴーヤをぐいぐいねじ込んでやった。アスカの偏食は筋金入りで、僕は彼女がまともに
食事しているところを見たことが無い。
39: 2011/04/13(水) 03:32:42.21
「さっきはなんで一人で、ブツブツ呟いてたのよ? 」
アスカがニヤニヤして蒸し返した。
僕は今後の人生をいかにして生きるべきかという重要な問題について占ってもらったのに、アスカは
「どうせ恋の悩みでしょ、無駄なことをして」
と低次元な決めつけ方をした。
「ああいやだわ、男ってけがらわしい、サイテー」
「スケベスケベスケベ」
と壊れた目覚まし時計のように繰り返し、僕の思索を邪魔した。怒りにまかせて椎茸を口に
詰め込んでやると、しばらく静かになった。
「メガネ」と彼は言ったけれど、僕は眼鏡をかけるほど目は悪くないしなぁ。眼鏡を掛けている
知り合いなんて、沢山いる。だとすると、これからの僕の人生の中で、眼鏡に関わる出来事が
あるのかもしれない。それともひょっとして、それは既に起こった出来事の中にあるのかも。
一体それは何だろう?僕は不安だった。
店内は賑やかで、仕事帰りのサラリーマンや家族連れなど、様々な年代の人がいた。
なかには、新年会をここで済まそうと、乾杯の音頭を取っているグループもある。
思い出したくもないけど、今の僕にも、あの輪の中に入って笑いあう生活を送る
可能性もあったんだろう……。
「もうちょっとましな学生生活を送るべきだったとか思ってるんでしょ」
アスカが急に核心をつくようなことを言った。僕は鼻を鳴らして何も答えなかった。
アスカがニヤニヤして蒸し返した。
僕は今後の人生をいかにして生きるべきかという重要な問題について占ってもらったのに、アスカは
「どうせ恋の悩みでしょ、無駄なことをして」
と低次元な決めつけ方をした。
「ああいやだわ、男ってけがらわしい、サイテー」
「スケベスケベスケベ」
と壊れた目覚まし時計のように繰り返し、僕の思索を邪魔した。怒りにまかせて椎茸を口に
詰め込んでやると、しばらく静かになった。
「メガネ」と彼は言ったけれど、僕は眼鏡をかけるほど目は悪くないしなぁ。眼鏡を掛けている
知り合いなんて、沢山いる。だとすると、これからの僕の人生の中で、眼鏡に関わる出来事が
あるのかもしれない。それともひょっとして、それは既に起こった出来事の中にあるのかも。
一体それは何だろう?僕は不安だった。
店内は賑やかで、仕事帰りのサラリーマンや家族連れなど、様々な年代の人がいた。
なかには、新年会をここで済まそうと、乾杯の音頭を取っているグループもある。
思い出したくもないけど、今の僕にも、あの輪の中に入って笑いあう生活を送る
可能性もあったんだろう……。
「もうちょっとましな学生生活を送るべきだったとか思ってるんでしょ」
アスカが急に核心をつくようなことを言った。僕は鼻を鳴らして何も答えなかった。
40: 2011/04/13(水) 03:36:32.27
「無理ね」
アスカはステーキを頬張りながら言う。
「なにがさ」
僕はムッとして答える。
「どうせアンタはどんな道を選んだって、今みたいなありさまになっちゃうのよ」
アスカは得意げに、下手くそなウインクをする。
「そんなことあるもんか。僕はそうは思わないよ」
僕はため息をついた。ここ数週間溜め込んだ鬱憤をはらしてやろうと、ついつい本音が出てしまう。
「君がそんな生き方をしているから、僕もこんなふうになっちゃったんだ」
「無意味で楽しい毎日じゃない。何が不満なのよ?」
本気で言ってるのか君は。まあそうだよね、人がイライラしている原因が自分にあるなんて、
一度も考えたことなさそうだもんね。
「何もかも不満だよ。僕が感じているこの不愉快は、すべて君が原因なんだ」
「そんな人として恥ずべき言い草を、よくもまあ堂々と言えたもんだわね」
「君に会わなければ、僕にはもっと別の人生があったかもしれない。
君のせいで、僕の有意義な学生生活は台無しになっちゃったんだ!」
「あ~ら。それはお互いさまなんじゃない?運命に抗ってもしょうがないでしょう。
いずれにせよ私はアンタに出会って、全力でアンタを駄目にするわ」
「……君は、なんで僕につきまとうんだい?」
アスカはステーキを頬張りながら言う。
「なにがさ」
僕はムッとして答える。
「どうせアンタはどんな道を選んだって、今みたいなありさまになっちゃうのよ」
アスカは得意げに、下手くそなウインクをする。
「そんなことあるもんか。僕はそうは思わないよ」
僕はため息をついた。ここ数週間溜め込んだ鬱憤をはらしてやろうと、ついつい本音が出てしまう。
「君がそんな生き方をしているから、僕もこんなふうになっちゃったんだ」
「無意味で楽しい毎日じゃない。何が不満なのよ?」
本気で言ってるのか君は。まあそうだよね、人がイライラしている原因が自分にあるなんて、
一度も考えたことなさそうだもんね。
「何もかも不満だよ。僕が感じているこの不愉快は、すべて君が原因なんだ」
「そんな人として恥ずべき言い草を、よくもまあ堂々と言えたもんだわね」
「君に会わなければ、僕にはもっと別の人生があったかもしれない。
君のせいで、僕の有意義な学生生活は台無しになっちゃったんだ!」
「あ~ら。それはお互いさまなんじゃない?運命に抗ってもしょうがないでしょう。
いずれにせよ私はアンタに出会って、全力でアンタを駄目にするわ」
「……君は、なんで僕につきまとうんだい?」
41: 2011/04/13(水) 03:38:41.92
彼女は笑いながら答えた。
「私なりの愛ってやつよ。私たちは運命の黒い糸で結ばれてるってワケ」
ドス黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて、暗い水底に沈んでいく男女の
恐るべき幻影が脳裏に浮かび、僕は戦慄した。アスカはそんな僕を尻目に、二枚目の
ステーキに取りかかっていた。
○
「ファーストってどうなの?」
アスカがステーキをやっつけながら、唐突に聞いてきた。
「どうって何が」
僕はビクっとして、聞き返した。
「だからさ、アンタっていう未曽有の阿呆で醜悪無比な人間をよ、
理解出来ちゃう不幸な人はこれまで私しか居なかったわけじゃない?」
「うるさいな」
「でも、あの子にはそれができる……。これは好機よ!この好機を掴まなくっちゃ、
アンタにはもう手の施しようがないわね」
アスカは笑みを浮かべて僕を見た。僕は手を振って彼女を制した。
「あのね、アスカ。僕は、僕のような人間を理解できる女性はイヤだよ。もっと・・・何かこう・・・ぽかぽかして、
繊細微妙で夢のような、美しいもので頭がいっぱいな黒髪の乙女がいいんだよ」
「またそんなわがままを・・・」
「うるさいな、放っておいてくれよ!」
「私なりの愛ってやつよ。私たちは運命の黒い糸で結ばれてるってワケ」
ドス黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて、暗い水底に沈んでいく男女の
恐るべき幻影が脳裏に浮かび、僕は戦慄した。アスカはそんな僕を尻目に、二枚目の
ステーキに取りかかっていた。
○
「ファーストってどうなの?」
アスカがステーキをやっつけながら、唐突に聞いてきた。
「どうって何が」
僕はビクっとして、聞き返した。
「だからさ、アンタっていう未曽有の阿呆で醜悪無比な人間をよ、
理解出来ちゃう不幸な人はこれまで私しか居なかったわけじゃない?」
「うるさいな」
「でも、あの子にはそれができる……。これは好機よ!この好機を掴まなくっちゃ、
アンタにはもう手の施しようがないわね」
アスカは笑みを浮かべて僕を見た。僕は手を振って彼女を制した。
「あのね、アスカ。僕は、僕のような人間を理解できる女性はイヤだよ。もっと・・・何かこう・・・ぽかぽかして、
繊細微妙で夢のような、美しいもので頭がいっぱいな黒髪の乙女がいいんだよ」
「またそんなわがままを・・・」
「うるさいな、放っておいてくれよ!」
42: 2011/04/13(水) 03:41:17.13
「アンタ、まさか半年前に洞木さんに振られたこと、まだこだわってんじゃないでしょうね?」
また、思い出したくもない名前が出てきた。彼女のことは、僕の中じゃ黒歴史なんだよ。
「その名を口に出すなよ」
「やっぱりそうなの。アンタもしつこい男ねえ」
そう言うと、彼女はテーブルに身を乗り出して、意地悪満面な顔をして僕を見た。
「じゃあ、この好機、私が奪っちゃおう。アンタの好機を潰しちゃお♪」
「いつまでも好き放題やられてたまるか。綾波さんにまで嫌がらせをしてみろ、許さないからね……」
「ふっふーん、アンタに何ができるってのよ?」
「うるさい!」
○
そういう苛立たしやり取りを続けているうちに、ふいに心の中に浮かんできたのは、あの夢とも現実とも
つかない、屋台ラーメンでの、九頭龍神社の龍神との出会いだった。不届きにも神と名乗るあの男は、
綾波さんとアスカを天秤にかけていることを示唆したよね。
そうだそうだ!あんまり胡散臭かったんで、すっかり忘れていたよ。時間をおいた今、冷静に考えてみるに、
現在の状況はまさにあの謎の男が予見した通りと言えるんじゃないか?
いや、そんな馬鹿なことがあるわけないよね……。思考のループにはまっていた僕は、
宴会の笑い声にハッと我に返った。
さっきまで前に座っていたアスカがいない。トイレに行くとか行ったきり、帰ってこない。
また、思い出したくもない名前が出てきた。彼女のことは、僕の中じゃ黒歴史なんだよ。
「その名を口に出すなよ」
「やっぱりそうなの。アンタもしつこい男ねえ」
そう言うと、彼女はテーブルに身を乗り出して、意地悪満面な顔をして僕を見た。
「じゃあ、この好機、私が奪っちゃおう。アンタの好機を潰しちゃお♪」
「いつまでも好き放題やられてたまるか。綾波さんにまで嫌がらせをしてみろ、許さないからね……」
「ふっふーん、アンタに何ができるってのよ?」
「うるさい!」
○
そういう苛立たしやり取りを続けているうちに、ふいに心の中に浮かんできたのは、あの夢とも現実とも
つかない、屋台ラーメンでの、九頭龍神社の龍神との出会いだった。不届きにも神と名乗るあの男は、
綾波さんとアスカを天秤にかけていることを示唆したよね。
そうだそうだ!あんまり胡散臭かったんで、すっかり忘れていたよ。時間をおいた今、冷静に考えてみるに、
現在の状況はまさにあの謎の男が予見した通りと言えるんじゃないか?
いや、そんな馬鹿なことがあるわけないよね……。思考のループにはまっていた僕は、
宴会の笑い声にハッと我に返った。
さっきまで前に座っていたアスカがいない。トイレに行くとか行ったきり、帰ってこない。
43: 2011/04/13(水) 03:46:23.01
僕としたことが、途中で抜け出すのは彼女の十八番だということを、忘れていた。結局また、
僕が夕飯代の清算をしなくちゃならないのか。
「くそう、またかあ……」
僕が不貞腐れていると、ようやくアスカが帰ってきた。
「なんだ」
ホッとして向かいに座った人物を見てみると、これがアスカじゃなかった。
「時間、無いわ。食べないの?」
綾波さんは淡々と言い、肉を丁寧によけながらサラダを食べ始めた。
○
綾波さんは僕と同学年で、僕が来るずっと前からNERVに所属していた。歯に衣着せぬ厳しい物言いで、
中学のクラスメートからも敬遠されていたようだ。ここぞという場合には碇司令にも刃向かうことを厭わない
彼女を眺め、僕は好感を抱いた。
僕がこっちに越してきた夏、クラスでは夏休みをいかに過ごすかで盛り上がっていた。
クラスメートの一人が
「綾波さんて、夏休みはどう過ごすの?」
とへらへらと尋ねた。
綾波さんは相手の顔も見ずに答えた。
「あなた、誰?どうしてあなたにそんなこと言わなくちゃいけないの?」
それ以来、綾波さんに休みの予定を尋ねるものはいなくなったという。
僕が夕飯代の清算をしなくちゃならないのか。
「くそう、またかあ……」
僕が不貞腐れていると、ようやくアスカが帰ってきた。
「なんだ」
ホッとして向かいに座った人物を見てみると、これがアスカじゃなかった。
「時間、無いわ。食べないの?」
綾波さんは淡々と言い、肉を丁寧によけながらサラダを食べ始めた。
○
綾波さんは僕と同学年で、僕が来るずっと前からNERVに所属していた。歯に衣着せぬ厳しい物言いで、
中学のクラスメートからも敬遠されていたようだ。ここぞという場合には碇司令にも刃向かうことを厭わない
彼女を眺め、僕は好感を抱いた。
僕がこっちに越してきた夏、クラスでは夏休みをいかに過ごすかで盛り上がっていた。
クラスメートの一人が
「綾波さんて、夏休みはどう過ごすの?」
とへらへらと尋ねた。
綾波さんは相手の顔も見ずに答えた。
「あなた、誰?どうしてあなたにそんなこと言わなくちゃいけないの?」
それ以来、綾波さんに休みの予定を尋ねるものはいなくなったという。
44: 2011/04/13(水) 03:48:46.68
僕はその話をアスカから聞いたのだけれど、
「綾波さん、そのまま君の道をひた走れ」
と心の中で熱いエールを送った。
彼女がどうして幼いころからNERVなんぞに携わっているのか、その理由は定かじゃないけど、
彼女自身は段取りもうまく、何でもそつなくこなし、操縦方法も一瞬で呑みこんでしまう頭の良さがあったので、
遠巻きにされつつも尊敬されている面があった。
その点、同じ遠巻きにされつつ軽蔑されている僕やアスカとは雲泥の差がある。
そんな要塞都市のように堅固な彼女にも、唯一の弱点があったんだ。
夏の終わり、NERV内のケージでシンクロテストの休憩中、職員から僕たちに夜食の差し入れがあった。
餡子が入ってるよと言って渡されたアツアツのあんまんを、僕は頬張っていた。
すると、ケージの上の方で同じあんまんを渡されて食べていた綾波さんが、
「ぎょえええええ」
とまるでマンガのような声を上げて転落してきた。
僕はすばやく的確に彼女を受け止めた。正確に言えば、逃げ遅れて下敷きになったんだよね。
彼女は髪を振り乱して僕にしがみつき、半狂乱になって右手を振り回した。あんまんの中に
ひとつ肉まんが混じっていて、彼女がそれを食べたらしい。彼女は極度の肉嫌いだったんだ。
彼女は右手につかんでいる肉まんを茫然と見上げ、
「肉食べちゃった、血の味がする」
と顔面蒼白になってがたがた震え、何度もそう言っていたのだけれど、終始堅固な外壁に身を包んでいる人が
脆い部分を露わにしたときの魅力ってのは、筆舌に尽くしがたいもんだね。
「綾波さん、そのまま君の道をひた走れ」
と心の中で熱いエールを送った。
彼女がどうして幼いころからNERVなんぞに携わっているのか、その理由は定かじゃないけど、
彼女自身は段取りもうまく、何でもそつなくこなし、操縦方法も一瞬で呑みこんでしまう頭の良さがあったので、
遠巻きにされつつも尊敬されている面があった。
その点、同じ遠巻きにされつつ軽蔑されている僕やアスカとは雲泥の差がある。
そんな要塞都市のように堅固な彼女にも、唯一の弱点があったんだ。
夏の終わり、NERV内のケージでシンクロテストの休憩中、職員から僕たちに夜食の差し入れがあった。
餡子が入ってるよと言って渡されたアツアツのあんまんを、僕は頬張っていた。
すると、ケージの上の方で同じあんまんを渡されて食べていた綾波さんが、
「ぎょえええええ」
とまるでマンガのような声を上げて転落してきた。
僕はすばやく的確に彼女を受け止めた。正確に言えば、逃げ遅れて下敷きになったんだよね。
彼女は髪を振り乱して僕にしがみつき、半狂乱になって右手を振り回した。あんまんの中に
ひとつ肉まんが混じっていて、彼女がそれを食べたらしい。彼女は極度の肉嫌いだったんだ。
彼女は右手につかんでいる肉まんを茫然と見上げ、
「肉食べちゃった、血の味がする」
と顔面蒼白になってがたがた震え、何度もそう言っていたのだけれど、終始堅固な外壁に身を包んでいる人が
脆い部分を露わにしたときの魅力ってのは、筆舌に尽くしがたいもんだね。
45: 2011/04/13(水) 03:51:13.02
春以来、真っ白に燃え尽きていたはずの煩悩がふたたび燃えだしそうになったところを、僕はグッとこらえ、
「ぐにゅっとしてた・・・」
とうわ言を繰り返す彼女を、
「まあ、落ち着きなよ」
と紳士らしく慰めた。
僕とアスカの不毛な戦いについて、彼女が共感を持っていたとは思えない。少なくとも、NERV内の
浮ついた話については、彼女は終始冷やかな傍観者だったけれど、かといってことさら問題にすると
いう事もなかった。
僕とアスカが一緒にボイコット騒ぎを起こして、碇司令を煽って回った時の彼女の感想は以下の通りさ。
「あなた、面白い人」
彼女は僕に会うたびにそう言った。
ただ、僕たちが自主追放となるきっかけを作った、最後の映画だけは彼女の気に入らなかった。
彼女は、無言で僕をビンタした。
○
「綾波さん、なんで君がここにいるんだい?さっきまで芦ノ湖のほとりにいたじゃないか。
食欲に駆られてここに来たのかい」
僕がぼけっとした口調で訊ねると、彼女は眉をひそめて囁いてきた。
「碇司令、かんかん。それに、ここ、NERVの皆の、行きつけの店」
彼女は特徴的な話し方をする人だった。一語一語区切って、たどたどしく話す。
僕はそれが、とても可愛らしく感じられた。
「ぐにゅっとしてた・・・」
とうわ言を繰り返す彼女を、
「まあ、落ち着きなよ」
と紳士らしく慰めた。
僕とアスカの不毛な戦いについて、彼女が共感を持っていたとは思えない。少なくとも、NERV内の
浮ついた話については、彼女は終始冷やかな傍観者だったけれど、かといってことさら問題にすると
いう事もなかった。
僕とアスカが一緒にボイコット騒ぎを起こして、碇司令を煽って回った時の彼女の感想は以下の通りさ。
「あなた、面白い人」
彼女は僕に会うたびにそう言った。
ただ、僕たちが自主追放となるきっかけを作った、最後の映画だけは彼女の気に入らなかった。
彼女は、無言で僕をビンタした。
○
「綾波さん、なんで君がここにいるんだい?さっきまで芦ノ湖のほとりにいたじゃないか。
食欲に駆られてここに来たのかい」
僕がぼけっとした口調で訊ねると、彼女は眉をひそめて囁いてきた。
「碇司令、かんかん。それに、ここ、NERVの皆の、行きつけの店」
彼女は特徴的な話し方をする人だった。一語一語区切って、たどたどしく話す。
僕はそれが、とても可愛らしく感じられた。
46: 2011/04/13(水) 03:53:44.14
「それは知ってるよ。僕も何回か来たことがあるもの」
「碇司令が宴会の後、二次会をやりたいと、言い出したわ。場所を移したの」
彼女は店の出口の方を指差した。僕は椅子から伸び上がって衝立の向こうを見ようとしたが、
彼女に引っ張られた。
「見つかる・・・」
僕は出口を塞がれて途方に暮れたが、彼女は話を続けた。
「二号機パイロットは、先に出て行ったわ。私、代わりに清算しておいたから」
彼女は僕の為に気をまわしてくれていた。
司令の目をかいくぐって、そんなことまでしてくれたのかと、僕は驚いた。
「私、このお店好き、馴染みなの。知り合いの店員さんに話したら、裏口から通っても良いって、言ってたわ」
僕はおとなしく彼女の言うことに従うことにした。
「ありがとう綾波さん。この借りはいずれ返すよ」
「借りはいい、あの約束、ちゃんと守って」
彼女は眉間にしわを寄せて、僕を睨んだ。
「約束って、何だったっけ」
僕が首をかしげると、彼女は残念そうに肩を落とした。
「碇司令が宴会の後、二次会をやりたいと、言い出したわ。場所を移したの」
彼女は店の出口の方を指差した。僕は椅子から伸び上がって衝立の向こうを見ようとしたが、
彼女に引っ張られた。
「見つかる・・・」
僕は出口を塞がれて途方に暮れたが、彼女は話を続けた。
「二号機パイロットは、先に出て行ったわ。私、代わりに清算しておいたから」
彼女は僕の為に気をまわしてくれていた。
司令の目をかいくぐって、そんなことまでしてくれたのかと、僕は驚いた。
「私、このお店好き、馴染みなの。知り合いの店員さんに話したら、裏口から通っても良いって、言ってたわ」
僕はおとなしく彼女の言うことに従うことにした。
「ありがとう綾波さん。この借りはいずれ返すよ」
「借りはいい、あの約束、ちゃんと守って」
彼女は眉間にしわを寄せて、僕を睨んだ。
「約束って、何だったっけ」
僕が首をかしげると、彼女は残念そうに肩を落とした。
47: 2011/04/13(水) 03:56:35.71
「もう、いい。とにかく、早く逃げて。私も向こうに戻る」
僕は彼女に軽く会釈し、身を隠すように立ち上がりながら裏口から逃げだした。
レストランを無事逃げ出した僕は、アスカの姿を探したけれど、どこにも見えなかった。
○
僕が最後にゲリラ上映した映画について述べるよ。
僕がこっちに越してきて、半年がたった時、僕の苛立ちは限界を迎えつつあった。
碇司令は相変わらず偉そうに采配を振るい、僕たちの前に立ちはだかった。
碇司令は赤ちゃんがおしゃぶりをしゃぶるように箱庭の権力をしゃぶり続け、新入職員の
新鮮な乳に目をとられていた。そして職員たちは碇司令のちっちゃいカリスマぶりに魅了されたまま、
有意義に過ごすべき人生を棒に振るつもりらしい。
彼らの為に、冷や水を浴びせる役目が必要だと、僕は損な役回りを買って出た。それは、碇司令の
これまでの悪行を暴くドキュメンタリー映画を上映することだった。これまでの悪行を暴く為
極秘フィルムを入手し、一カ月かけて編集し、完成させた。
碇司令の裏話については、全体的にアスカの情報に頼った。アスカは、いくら僕でも
人間としての誇りが邪魔して暴露できない!という裏の裏まで碇司令について熟知していた。
「情報機関へ渡りをつけたのよ」
とだけ彼女は言った。改めて僕は彼女の人間としての邪悪さに心を打たれた。
僕は彼女に軽く会釈し、身を隠すように立ち上がりながら裏口から逃げだした。
レストランを無事逃げ出した僕は、アスカの姿を探したけれど、どこにも見えなかった。
○
僕が最後にゲリラ上映した映画について述べるよ。
僕がこっちに越してきて、半年がたった時、僕の苛立ちは限界を迎えつつあった。
碇司令は相変わらず偉そうに采配を振るい、僕たちの前に立ちはだかった。
碇司令は赤ちゃんがおしゃぶりをしゃぶるように箱庭の権力をしゃぶり続け、新入職員の
新鮮な乳に目をとられていた。そして職員たちは碇司令のちっちゃいカリスマぶりに魅了されたまま、
有意義に過ごすべき人生を棒に振るつもりらしい。
彼らの為に、冷や水を浴びせる役目が必要だと、僕は損な役回りを買って出た。それは、碇司令の
これまでの悪行を暴くドキュメンタリー映画を上映することだった。これまでの悪行を暴く為
極秘フィルムを入手し、一カ月かけて編集し、完成させた。
碇司令の裏話については、全体的にアスカの情報に頼った。アスカは、いくら僕でも
人間としての誇りが邪魔して暴露できない!という裏の裏まで碇司令について熟知していた。
「情報機関へ渡りをつけたのよ」
とだけ彼女は言った。改めて僕は彼女の人間としての邪悪さに心を打たれた。
48: 2011/04/13(水) 04:00:13.42
決行の日、僕たちは赤木博士という碇司令に恨みを持っている女性と取引をし、MAGIに
映像を流すよう話をつけた。彼女は碇司令の破滅する姿を想像し、嬉々としてその申し出を承諾した。
そして上映開始時刻前に、僕たちはNERVを抜け出したんだ。
○
打ち上げ花火の奇襲作戦を行ったその翌日。
夕刻に目を覚まし、冷蔵庫の中の食材を適当に見繕って、簡単な夕食を作った。
ミサトさんは最近仕事が忙しくあまり帰ってこないから、最近の食事は一人っきりだ。
満腹になって自室に戻り、綾波さんが貸してくれた「幸福な王子(オスカー・ワイルド著)」を読んだ。
これは、冬休みのある日、たまたま会話の中で、綾波さんの趣味が読書だと聞いた事があった。
綾波さんは
「よかったら・・・」
とこの本を貸してくれたんだ。
日もすっかり暮れた頃に、アスカが訪ねてきた。
「ヨッ!」
「君、相変わらず逃げ足だけは速いね」
「アンタも相変わらず、むっつりしてるわねえ」
と彼女は言い返す。
「恋人もいない、NERVからも自主追放された、真面目に勉強するわけでもない、
アンタはいったいどういうつもり?」
指で数えながら、僕を罵倒する。
映像を流すよう話をつけた。彼女は碇司令の破滅する姿を想像し、嬉々としてその申し出を承諾した。
そして上映開始時刻前に、僕たちはNERVを抜け出したんだ。
○
打ち上げ花火の奇襲作戦を行ったその翌日。
夕刻に目を覚まし、冷蔵庫の中の食材を適当に見繕って、簡単な夕食を作った。
ミサトさんは最近仕事が忙しくあまり帰ってこないから、最近の食事は一人っきりだ。
満腹になって自室に戻り、綾波さんが貸してくれた「幸福な王子(オスカー・ワイルド著)」を読んだ。
これは、冬休みのある日、たまたま会話の中で、綾波さんの趣味が読書だと聞いた事があった。
綾波さんは
「よかったら・・・」
とこの本を貸してくれたんだ。
日もすっかり暮れた頃に、アスカが訪ねてきた。
「ヨッ!」
「君、相変わらず逃げ足だけは速いね」
「アンタも相変わらず、むっつりしてるわねえ」
と彼女は言い返す。
「恋人もいない、NERVからも自主追放された、真面目に勉強するわけでもない、
アンタはいったいどういうつもり?」
指で数えながら、僕を罵倒する。
49: 2011/04/13(水) 04:03:04.78
「アスカ……、いい加減口を閉じないと、僕でも怒るよ」
「アンタにそんな度胸、あるかしらね?」
アスカはニヤニヤした。
「これあげるから、少しは気分変えなさいよ」
そう言って、彼女平たい箱を取り出した。
「なんだい、これ」
「あんたバカァ?見て分かんないの、カステラよ。
加持先輩から沢山貰ったから、おすそ分けってコト」
「めずらしいね。君がものをくれるなんて」
僕は、彼女からの意外すぎる心遣いに、素直に感激した。
「大きなカステラを一人で切り分けて食べるなんて、孤独の極地だもんねえ。
せいぜい、人恋しさをしみじみ味わいなさいな」
前言撤回。品性が下劣すぎる。こんな女とつるんでいては、僕が暗黒面に落ちるのも
時間の問題だろう。
「そういうことか。もういい、とっとと出て行ってくれ。僕は忙しいんだよ」
「アンタにそんな度胸、あるかしらね?」
アスカはニヤニヤした。
「これあげるから、少しは気分変えなさいよ」
そう言って、彼女平たい箱を取り出した。
「なんだい、これ」
「あんたバカァ?見て分かんないの、カステラよ。
加持先輩から沢山貰ったから、おすそ分けってコト」
「めずらしいね。君がものをくれるなんて」
僕は、彼女からの意外すぎる心遣いに、素直に感激した。
「大きなカステラを一人で切り分けて食べるなんて、孤独の極地だもんねえ。
せいぜい、人恋しさをしみじみ味わいなさいな」
前言撤回。品性が下劣すぎる。こんな女とつるんでいては、僕が暗黒面に落ちるのも
時間の問題だろう。
「そういうことか。もういい、とっとと出て行ってくれ。僕は忙しいんだよ」
51: 2011/04/13(水) 04:06:07.21
「言われなくてもそうするわ。今夜は師匠のところで闇鍋ってのをするそうだから」
にやにや笑うアスカを廊下の外へ追い出して、ようやく心の平安を得た。
○
夜も更けて、またお腹がグウとなりだし、僕はもそもそと腐りかけのベッドから起きだした。
屋台ラーメンでも食べようと、そのまま夜の街へ繰り出し、ぶらぶらと歩いて行った。
歩きながら、昨夜レストランで綾波さんが言っていた事を考えてみた。
彼女は「約束」を守ってくれと言っていた。何だったかな……。
僕はあれこれ考えた末、あっと声を上げた。NERVを辞める直前の出来事を思い出したからさ。
○
2月の頭。
ゲリラ上映が行われているであろう時刻、僕は司令部を抜け出し、パイロット専用ロッカー室に歩いて行った。
いかに間抜けな碇司令であっても、数分も観れば、あの映画の内容が把握できるだろう。
そうなれば碇司令直属の保安部の連中に吊るし上げられるのは明らかだったから、私物を持ち帰る為に
ロッカー室へ足を運んだんだ。
ロッカー室には僕より一足早くアスカが来ていて、うずくまり私物を漁ってリュックに詰めていた。
まるで妖怪が人骨を漁っているようだ。どこまでも逃げ足の速い奴だ、とある意味感心した。
「速いなあ」
僕は呻いた。
「だって面倒くさいのイヤだもの。後腐れなく、さっさと消えちゃいましょう。
もっとも、もう後腐れ切ってるけどねえ」
アスカはカラカラと自嘲気味に笑う。
にやにや笑うアスカを廊下の外へ追い出して、ようやく心の平安を得た。
○
夜も更けて、またお腹がグウとなりだし、僕はもそもそと腐りかけのベッドから起きだした。
屋台ラーメンでも食べようと、そのまま夜の街へ繰り出し、ぶらぶらと歩いて行った。
歩きながら、昨夜レストランで綾波さんが言っていた事を考えてみた。
彼女は「約束」を守ってくれと言っていた。何だったかな……。
僕はあれこれ考えた末、あっと声を上げた。NERVを辞める直前の出来事を思い出したからさ。
○
2月の頭。
ゲリラ上映が行われているであろう時刻、僕は司令部を抜け出し、パイロット専用ロッカー室に歩いて行った。
いかに間抜けな碇司令であっても、数分も観れば、あの映画の内容が把握できるだろう。
そうなれば碇司令直属の保安部の連中に吊るし上げられるのは明らかだったから、私物を持ち帰る為に
ロッカー室へ足を運んだんだ。
ロッカー室には僕より一足早くアスカが来ていて、うずくまり私物を漁ってリュックに詰めていた。
まるで妖怪が人骨を漁っているようだ。どこまでも逃げ足の速い奴だ、とある意味感心した。
「速いなあ」
僕は呻いた。
「だって面倒くさいのイヤだもの。後腐れなく、さっさと消えちゃいましょう。
もっとも、もう後腐れ切ってるけどねえ」
アスカはカラカラと自嘲気味に笑う。
55: 2011/04/13(水) 04:08:25.91
「そりゃ、そうだね」
僕も私物を用意してきた鞄に入れていった。
「僕に付き合ってやめる必要ないんだよ?」
「あんなことさせといて、よくそんなこと言えるわね!
あたしだけここに居座ったら、まるっきりバカじゃないのよ」
アスカはぷりぷりしながら言った。
「それに、あんたと違ってあたしは多角的に学生生活を送っているから、
居場所はいくらでもあんのよ」
「前々から思っていたんだけど、君、他に何をしてるのさ?」
「とある秘密組織に属しているし、手間のかかる師匠はいるし、
ある博士の研究の手伝いをしているし・・・・恋に遊びに大忙しってもんよ」
ん?ちょっとまてよ。今なんだか聞き捨てならない単語があったぞ。
「ちょっと待ってよ。君、恋人なんていないじゃないか」
「ムフフフ」
「何だい?その卑猥な笑い方」
「ヒ・ミ・ツ」
そうやってロッカーを漁っていると、アスカが
「あ、誰か来た」
と言った。
僕も私物を用意してきた鞄に入れていった。
「僕に付き合ってやめる必要ないんだよ?」
「あんなことさせといて、よくそんなこと言えるわね!
あたしだけここに居座ったら、まるっきりバカじゃないのよ」
アスカはぷりぷりしながら言った。
「それに、あんたと違ってあたしは多角的に学生生活を送っているから、
居場所はいくらでもあんのよ」
「前々から思っていたんだけど、君、他に何をしてるのさ?」
「とある秘密組織に属しているし、手間のかかる師匠はいるし、
ある博士の研究の手伝いをしているし・・・・恋に遊びに大忙しってもんよ」
ん?ちょっとまてよ。今なんだか聞き捨てならない単語があったぞ。
「ちょっと待ってよ。君、恋人なんていないじゃないか」
「ムフフフ」
「何だい?その卑猥な笑い方」
「ヒ・ミ・ツ」
そうやってロッカーを漁っていると、アスカが
「あ、誰か来た」
と言った。
56: 2011/04/13(水) 04:11:27.17
「待ってよ」
と言う暇もなく、彼女はリュックを担いでロッカー室から逃げ出した。相変わらず逃げ足の速い奴。
僕も追いかけようとして鞄を手に取ったところに、綾波さんが入ってきた。
「あ、あ、綾波さん・・・」
僕が立ち尽くしていると、彼女は腕を大きく振りかぶって僕の顔をぶった。パンッと良い音がして、
僕はよろけた。彼女は取った行動とは裏腹に、彼女の顔は普段とあまり変わらない、無表情だった。
「私、二人がする悪戯、好きだった。皆が困るし、やりすぎることもあったけど……。それでも、
碇司令の困った顔なんて、初めてみたの。NERVの皆は碇司令の目が怖くてあなた達を避けていたけれど、
心の中では皆応援してた。あなたのこと、面白い人だと思ってたのに」
彼女はぽつぽつと話し始めた。
「でも、さっきのは、ひどいと……思うわ……」
最後の一言は、搾り出すような言葉だった。
「ごめんよ。確かに今回はやりすぎた。でも、僕はやっぱり父さんを許せないんだ。今までやってきたことを、
ちゃんと反省してほしかった。僕はまだ子供だし、これくらいしかやり返す方法を思いつかなくて・・・」
僕はしどろもどろに弁明して、情けなくなってきた。
綾波さんを傷つけてしまった―――。
彼女が父さんになびいているのは知っていたけど、まさかこんなにも拒絶されるなんて……。
「もう、良いわ。それより早く逃げないと。碇司令があなたを探してる」
綾波さんは、言いたいことを言ってしまったことで落ち着いたようだ。
「ん、分かったよ」
僕は頷いて、後で彼女にきちんと謝り直そうと彼女に向き合った。
と言う暇もなく、彼女はリュックを担いでロッカー室から逃げ出した。相変わらず逃げ足の速い奴。
僕も追いかけようとして鞄を手に取ったところに、綾波さんが入ってきた。
「あ、あ、綾波さん・・・」
僕が立ち尽くしていると、彼女は腕を大きく振りかぶって僕の顔をぶった。パンッと良い音がして、
僕はよろけた。彼女は取った行動とは裏腹に、彼女の顔は普段とあまり変わらない、無表情だった。
「私、二人がする悪戯、好きだった。皆が困るし、やりすぎることもあったけど……。それでも、
碇司令の困った顔なんて、初めてみたの。NERVの皆は碇司令の目が怖くてあなた達を避けていたけれど、
心の中では皆応援してた。あなたのこと、面白い人だと思ってたのに」
彼女はぽつぽつと話し始めた。
「でも、さっきのは、ひどいと……思うわ……」
最後の一言は、搾り出すような言葉だった。
「ごめんよ。確かに今回はやりすぎた。でも、僕はやっぱり父さんを許せないんだ。今までやってきたことを、
ちゃんと反省してほしかった。僕はまだ子供だし、これくらいしかやり返す方法を思いつかなくて・・・」
僕はしどろもどろに弁明して、情けなくなってきた。
綾波さんを傷つけてしまった―――。
彼女が父さんになびいているのは知っていたけど、まさかこんなにも拒絶されるなんて……。
「もう、良いわ。それより早く逃げないと。碇司令があなたを探してる」
綾波さんは、言いたいことを言ってしまったことで落ち着いたようだ。
「ん、分かったよ」
僕は頷いて、後で彼女にきちんと謝り直そうと彼女に向き合った。
58: 2011/04/13(水) 04:14:09.36
「辞めちゃうの?」
綾波さんが聞いてきた。
「そりゃ、もうここには居られないよ。使途が現れれば無理やり乗せられるだろうけど、それまでの間は、
NERVには来ない」
僕はそう言いながら、彼女が右手に何か持っている事に気がついた。
「メガネケース?」
僕が訊ねると、彼女はそれを大切そうに自分の胸に当てて頷いた。
「中身をなくしてしまったの。大切な思い出の物なのだけれど・・・。どこかに行ってしまったわ」
「それなら、僕も探すのを手伝うよ」
僕はせめてもの罪滅ぼしのつもりで、彼女にそう持ちかけた。
「いいの。それより、前に教えてくれた屋台ラーメン、食べてみたい。連れていって」
「そんなことなら、お安い御用だよ」
「本当?約束」
「うん、また次回。でも、やってるのが夜遅くだから、学校が休みの時にね」
「約束・・・」
彼女は念を押した。
遠くから何人もの足音が近づいてきた。
「それじゃ、また今度。碇司令の言いなりになっていちゃ駄目だよ」
綾波さんが聞いてきた。
「そりゃ、もうここには居られないよ。使途が現れれば無理やり乗せられるだろうけど、それまでの間は、
NERVには来ない」
僕はそう言いながら、彼女が右手に何か持っている事に気がついた。
「メガネケース?」
僕が訊ねると、彼女はそれを大切そうに自分の胸に当てて頷いた。
「中身をなくしてしまったの。大切な思い出の物なのだけれど・・・。どこかに行ってしまったわ」
「それなら、僕も探すのを手伝うよ」
僕はせめてもの罪滅ぼしのつもりで、彼女にそう持ちかけた。
「いいの。それより、前に教えてくれた屋台ラーメン、食べてみたい。連れていって」
「そんなことなら、お安い御用だよ」
「本当?約束」
「うん、また次回。でも、やってるのが夜遅くだから、学校が休みの時にね」
「約束・・・」
彼女は念を押した。
遠くから何人もの足音が近づいてきた。
「それじゃ、また今度。碇司令の言いなりになっていちゃ駄目だよ」
59: 2011/04/13(水) 04:16:29.45
「碇司令は私に絆を与えてくれた。でも今は、碇司令の為だけにNERVに居るわけじゃないわ」
僕はそれを聞いて安堵し、ロッカー室を後にした。
○
思い出した。約束って、そうか……。
ゲリラ上映をしたあの日、僕は家に帰って洗濯機を回し、服を干していた。
すると、服の間から見慣れない黒ぶち眼鏡が見つかった。ロッカー室で誰かの荷物と混ざってしまったらしい。
今度NERVの誰かに会うことがあれば、落し物として渡そうと思っていたけれど、自主追放された身としては
なかなかその機会が無く、いつしかそのメガネの事は忘れてしまっていた。レンズの欠けたその眼鏡は、
今でも自室の机の奥にしまってあるはずだ。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
彼女の約束と、眼鏡。あのエセ占い師め、ずいぶんと回りくどい予言をするなあ……。
僕はラーメンを食べに行くのを辞め、回れ右をし走って家へ引き返した。
○
ついに意を決した僕は、神様に面会すべく、家へ向かった。
コンフォート17の道路を挟んで左隣にあるマンション。そこが神様の住居らしい。
神様にしては、いやに所帯じみているなぁ……。
色々と突っ込むところはあるが、今は深く考えない事にした。
あの怪人の言う事を、もちろん間に受けたりはしていないさ。
ただ、使徒やらヱヴァやらに関わっているうちに、神様みたいな連中には耐性がついてたってだけのことさ。
僕はそれを聞いて安堵し、ロッカー室を後にした。
○
思い出した。約束って、そうか……。
ゲリラ上映をしたあの日、僕は家に帰って洗濯機を回し、服を干していた。
すると、服の間から見慣れない黒ぶち眼鏡が見つかった。ロッカー室で誰かの荷物と混ざってしまったらしい。
今度NERVの誰かに会うことがあれば、落し物として渡そうと思っていたけれど、自主追放された身としては
なかなかその機会が無く、いつしかそのメガネの事は忘れてしまっていた。レンズの欠けたその眼鏡は、
今でも自室の机の奥にしまってあるはずだ。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
彼女の約束と、眼鏡。あのエセ占い師め、ずいぶんと回りくどい予言をするなあ……。
僕はラーメンを食べに行くのを辞め、回れ右をし走って家へ引き返した。
○
ついに意を決した僕は、神様に面会すべく、家へ向かった。
コンフォート17の道路を挟んで左隣にあるマンション。そこが神様の住居らしい。
神様にしては、いやに所帯じみているなぁ……。
色々と突っ込むところはあるが、今は深く考えない事にした。
あの怪人の言う事を、もちろん間に受けたりはしていないさ。
ただ、使徒やらヱヴァやらに関わっているうちに、神様みたいな連中には耐性がついてたってだけのことさ。
60: 2011/04/13(水) 04:19:45.35
部屋番号は210号室とある。
どうせ、冗談ならそれでもいい。笑って済ませようと、ここは男らしく心を決め、僕はドアをノックした。
「ふああい」
間の抜けた声がして、神様がひょんと顔を出した。
「ああ、君か。それで、どうするんだい?」
実にあっさりと、まるで週末の予定を会わせるように気軽に言った。
「アスカはいけません。僕と綾波さんにしてください」
僕が言うと、神様はにっこりした。
「ん、わかった。ちょっとそこで待っててくれ」
彼はそう言い残して、部屋へ引っ込んだ。
電話をしているらしい。神様が電話?アナログだなあ。
「そうか、わかった。はい、よろしく~」
そう言って電話を切った神様は、ドアを開け僕に向き直った。
「明日の夜7時、箱根神社の鳥居の前で待ち合わせだ」
神様とそう約束し、その日は別れた。
○
次の日の夜、約束の7時。
僕は箱根神社の鳥居の前で神様と会っていた。
何をするんだろう。
どうせ、冗談ならそれでもいい。笑って済ませようと、ここは男らしく心を決め、僕はドアをノックした。
「ふああい」
間の抜けた声がして、神様がひょんと顔を出した。
「ああ、君か。それで、どうするんだい?」
実にあっさりと、まるで週末の予定を会わせるように気軽に言った。
「アスカはいけません。僕と綾波さんにしてください」
僕が言うと、神様はにっこりした。
「ん、わかった。ちょっとそこで待っててくれ」
彼はそう言い残して、部屋へ引っ込んだ。
電話をしているらしい。神様が電話?アナログだなあ。
「そうか、わかった。はい、よろしく~」
そう言って電話を切った神様は、ドアを開け僕に向き直った。
「明日の夜7時、箱根神社の鳥居の前で待ち合わせだ」
神様とそう約束し、その日は別れた。
○
次の日の夜、約束の7時。
僕は箱根神社の鳥居の前で神様と会っていた。
何をするんだろう。
61: 2011/04/13(水) 04:22:00.52
まさか神社の中で生贄を捧げるとか、そういう作業をしなければならないんだろうか?
僕は不安におののきながら彼を待っていたけれど、当の本人は神社の境内へは行かず、
芦ノ湖のほとりに向かって歩いて行く。
僕が首をひねっているうちに、湖が見渡せる湖岸へたどりついた。
ここは左右に長く伸びた遊歩道があり、湖に落ちないように、欄干がついている。
日中はこの街の人が涼をとったり、散歩に来たりと、憩いの道として親しまれている。
今日は節分の日だ。
セカンド・インパクト後もそうした神社の慣習は残っていて、箱根神社の周辺には人が沢山いた。
日の暮れた芦ノ湖周辺は賑やかで、ぽつぽつと灯る街の灯の光が照り映えて、湖面は銀紙を
揺らしているように見える。道の太い欄干に点々と備え付けられた橙色の明かりが、ぼんやりと
夕闇に輝いているのが神秘的だった。今夜はやけに芦ノ湖が広く感じられる。
ぼんやりしていた僕の背中を、神様が叩いた。
「よし、この道を真っ直ぐ歩いて行くんだ」
「なぜです?」
「いいかい、向こうから綾波さんが歩いてくる。何か話しかけて、逢い引きにでも誘うんだ」
のほほんとした顔をしながら、この神様はとんでもないことを言い出した。
僕は不安におののきながら彼を待っていたけれど、当の本人は神社の境内へは行かず、
芦ノ湖のほとりに向かって歩いて行く。
僕が首をひねっているうちに、湖が見渡せる湖岸へたどりついた。
ここは左右に長く伸びた遊歩道があり、湖に落ちないように、欄干がついている。
日中はこの街の人が涼をとったり、散歩に来たりと、憩いの道として親しまれている。
今日は節分の日だ。
セカンド・インパクト後もそうした神社の慣習は残っていて、箱根神社の周辺には人が沢山いた。
日の暮れた芦ノ湖周辺は賑やかで、ぽつぽつと灯る街の灯の光が照り映えて、湖面は銀紙を
揺らしているように見える。道の太い欄干に点々と備え付けられた橙色の明かりが、ぼんやりと
夕闇に輝いているのが神秘的だった。今夜はやけに芦ノ湖が広く感じられる。
ぼんやりしていた僕の背中を、神様が叩いた。
「よし、この道を真っ直ぐ歩いて行くんだ」
「なぜです?」
「いいかい、向こうから綾波さんが歩いてくる。何か話しかけて、逢い引きにでも誘うんだ」
のほほんとした顔をしながら、この神様はとんでもないことを言い出した。
62: 2011/04/13(水) 04:25:24.12
「無理です!お断りします」
「そんな駄々をこねるもんじゃない。さあ行った行った」
神様はシッシッと手を払う。僕は犬じゃないぞ。
「おかしいじゃないですか!あなた、この秋に出雲へ出かけて縁結びをしてくれるんでしょう?
これじゃただの正攻法ですよ!」
「妙な理屈をこねるんだな。縁を結ぶにしても、こうした布石は大事さ。さあ行くんだ」
僕は至極まっとうな反論をしたつもりだけれど、神様は聞き入れてくれない。
神様にどんと背中を押されて、僕は仕方なく道を歩き出した。
そのまま歩いて行って、何人かとすれ違い、やがて見覚えのある顔が近づいてきた。
綾波さんが来た!
僕はいざ話しかけようとしたけれど、はたと当惑した。体は鉄筋が入ったようにガチガチになり、
口は火星表面のように、カサカサに乾燥した。
目は焦点が合わずに視界はかすみ、呼吸の方法を忘れてゼイゼイと音が出る、我ながら
未だかつてないほどの挙動不審ぶりを露わにした。
「こんばんは」
綾波さんは怪訝な顔をして言った。
「一昨日は無事、逃げられたの?」
「う、うん。ひょ、お、おか・・おかげさまで」
呂律が回らない。
「そんな駄々をこねるもんじゃない。さあ行った行った」
神様はシッシッと手を払う。僕は犬じゃないぞ。
「おかしいじゃないですか!あなた、この秋に出雲へ出かけて縁結びをしてくれるんでしょう?
これじゃただの正攻法ですよ!」
「妙な理屈をこねるんだな。縁を結ぶにしても、こうした布石は大事さ。さあ行くんだ」
僕は至極まっとうな反論をしたつもりだけれど、神様は聞き入れてくれない。
神様にどんと背中を押されて、僕は仕方なく道を歩き出した。
そのまま歩いて行って、何人かとすれ違い、やがて見覚えのある顔が近づいてきた。
綾波さんが来た!
僕はいざ話しかけようとしたけれど、はたと当惑した。体は鉄筋が入ったようにガチガチになり、
口は火星表面のように、カサカサに乾燥した。
目は焦点が合わずに視界はかすみ、呼吸の方法を忘れてゼイゼイと音が出る、我ながら
未だかつてないほどの挙動不審ぶりを露わにした。
「こんばんは」
綾波さんは怪訝な顔をして言った。
「一昨日は無事、逃げられたの?」
「う、うん。ひょ、お、おか・・おかげさまで」
呂律が回らない。
65: 2011/04/13(水) 05:06:36.32
「散歩?」
綾波さんは頭を傾けて、愛らしいしぐさで問いかけてくる。
「ふぁい!?え、ああ。そ……そうそう」
それっきり、僕の脳みそは活動を停止した。
「……そう、良かったわね。それじゃ」
会話が続かなくなった為、お互い気まずくなりそれ以上話すことが不可能になった。
「うん、それじゃあqwせdrftgyふじこ」
あいさつを交わし、彼女は僕の脇を通り過ぎようとする。
やむを得ないさ。
ただ人の恋路を邪魔することだけに身をやつして、恋路の走り方などかけらも学んでこなかった僕が、
いきなりうまくいくはずもなかった。今日はここまで。我ながら精一杯。僕は実によくやったよ。
そのまま行き交おうとした僕と綾波さんは、ふいに傍らの欄干へ仁王立ちする不気味な化け物の存在に気づき、
ぎょっとして飛び退いた。
○
欄干に立っているのはアスカだった。
何を考えているのかは分からないけれど、橙色の明かりが彼女を下から照らして、とても不気味だ。
僕たちは並んでアスカを見上げた。
「アスカ、そんなところで何をやってるの?」
僕が訊ねると、アスカはクワッとこちらへ喰らいつくような顔をした。
綾波さんは頭を傾けて、愛らしいしぐさで問いかけてくる。
「ふぁい!?え、ああ。そ……そうそう」
それっきり、僕の脳みそは活動を停止した。
「……そう、良かったわね。それじゃ」
会話が続かなくなった為、お互い気まずくなりそれ以上話すことが不可能になった。
「うん、それじゃあqwせdrftgyふじこ」
あいさつを交わし、彼女は僕の脇を通り過ぎようとする。
やむを得ないさ。
ただ人の恋路を邪魔することだけに身をやつして、恋路の走り方などかけらも学んでこなかった僕が、
いきなりうまくいくはずもなかった。今日はここまで。我ながら精一杯。僕は実によくやったよ。
そのまま行き交おうとした僕と綾波さんは、ふいに傍らの欄干へ仁王立ちする不気味な化け物の存在に気づき、
ぎょっとして飛び退いた。
○
欄干に立っているのはアスカだった。
何を考えているのかは分からないけれど、橙色の明かりが彼女を下から照らして、とても不気味だ。
僕たちは並んでアスカを見上げた。
「アスカ、そんなところで何をやってるの?」
僕が訊ねると、アスカはクワッとこちらへ喰らいつくような顔をした。
66: 2011/04/13(水) 05:11:08.64
「"今日はここまで"なんて思ってるんじゃないでしょうね?まったくアンタには呆れてものもいえないわ!
神の言葉に逆らわず、とっとと恋路を走っちゃいなさいよ!」
ふいに思い出して、僕は箱根神社の入り口の方を見た。
例の九頭龍神社の龍神が腕を組んで、僕たちのやり取りをニヤニヤと眺めている。
「さては全部君の企みなんだな、アスカ」
僕はようやく腑に落ちた。
「分かったぞ、仕組んだんだな……」
「何の事?何なの?」
綾波さんが囁く。
「箱根神社の神様に約束したじゃないのよ!」
アスカは言った。
「今こそ好機を掴むのよ。ほら、アンタには見えないの?ファーストはそこにいるのよ!この臆病者!」
アスカは唾が飛ぶほどの大声で叫ぶ。
「大きなお世話だよ!」
僕も負けじと応戦する。
「今すぐガツンと行かないと、ここから飛び降りるわ!」
アスカは訳の分からない事を言い、僕たちに背を向けた。
欄干から今にも空へ飛び立とうとするかのように両手を一杯に広げた。
「ちょっと待ってよ。僕の恋路と君が飛び降りることに何の関係があるのさ」
僕は言った。
神の言葉に逆らわず、とっとと恋路を走っちゃいなさいよ!」
ふいに思い出して、僕は箱根神社の入り口の方を見た。
例の九頭龍神社の龍神が腕を組んで、僕たちのやり取りをニヤニヤと眺めている。
「さては全部君の企みなんだな、アスカ」
僕はようやく腑に落ちた。
「分かったぞ、仕組んだんだな……」
「何の事?何なの?」
綾波さんが囁く。
「箱根神社の神様に約束したじゃないのよ!」
アスカは言った。
「今こそ好機を掴むのよ。ほら、アンタには見えないの?ファーストはそこにいるのよ!この臆病者!」
アスカは唾が飛ぶほどの大声で叫ぶ。
「大きなお世話だよ!」
僕も負けじと応戦する。
「今すぐガツンと行かないと、ここから飛び降りるわ!」
アスカは訳の分からない事を言い、僕たちに背を向けた。
欄干から今にも空へ飛び立とうとするかのように両手を一杯に広げた。
「ちょっと待ってよ。僕の恋路と君が飛び降りることに何の関係があるのさ」
僕は言った。
67: 2011/04/13(水) 05:15:55.27
「あたしにもちょっとわからない……」
とアスカ。
「弐号機パイロット、風で湖面が荒れているわ。飛び降りると危険」
綾波さんも、訳が分からないなりに、アスカを引き止めている。
そういう意味不明のやり取りをしているうちに、道の両端が騒がしくなってきた。
大勢の人間がこちらに向かって走ってきているらしい。
「見つけたぞ!」
「こっちだ!」
そんな怒声が聞こえてきた。
「ゲ!あいつら……」
アスカはぎくりとして、その群衆から逃げようとしたが遅かった。
良く見ると、彼らは僕たちが10カ月の間に行った、嫌がらせを受けた犠牲者たちだった。
恋路を引き裂かれた者、ボイコットによって徹夜の悪夢に苛まれた者、打ち上げ花火の被害にあった者。
皆どこかで見た覚えのあるNERV職員ばかりだった。
アスカの奴、今日また何か、とんでもないことをしでかしたらしい。
僕たちの前の欄干にはあっという間に人だかりができ、アスカは彼らに包囲されていた。
「きゃっ!」
綾波さんが悲鳴を上げて倒れた。
人波にもまれ、押し倒されてしまったようだ。
僕は姿が見えなくなってしまった綾波さんを探し出し、実に紳士らしく丁寧に庇った。
とアスカ。
「弐号機パイロット、風で湖面が荒れているわ。飛び降りると危険」
綾波さんも、訳が分からないなりに、アスカを引き止めている。
そういう意味不明のやり取りをしているうちに、道の両端が騒がしくなってきた。
大勢の人間がこちらに向かって走ってきているらしい。
「見つけたぞ!」
「こっちだ!」
そんな怒声が聞こえてきた。
「ゲ!あいつら……」
アスカはぎくりとして、その群衆から逃げようとしたが遅かった。
良く見ると、彼らは僕たちが10カ月の間に行った、嫌がらせを受けた犠牲者たちだった。
恋路を引き裂かれた者、ボイコットによって徹夜の悪夢に苛まれた者、打ち上げ花火の被害にあった者。
皆どこかで見た覚えのあるNERV職員ばかりだった。
アスカの奴、今日また何か、とんでもないことをしでかしたらしい。
僕たちの前の欄干にはあっという間に人だかりができ、アスカは彼らに包囲されていた。
「きゃっ!」
綾波さんが悲鳴を上げて倒れた。
人波にもまれ、押し倒されてしまったようだ。
僕は姿が見えなくなってしまった綾波さんを探し出し、実に紳士らしく丁寧に庇った。
68: 2011/04/13(水) 05:20:36.46
すると突然、芦ノ湖の近くの地面から爆音がし、木々に止まっているカラスが飛び立つのが見えた。
続いて巨大な手がぬっと飛び出し、次第に人の形が露わになっていく。
赤い巨人がガラガラと音を立てて這い出してきた。ヱヴァ弐号機が暴走している……。
一体何故?
○
訳も分からず、おびえて右往左往する人々にもまれてしまい、僕たちは立ちあがろうにも動けずにいた。
弐号機は我を忘れ、周囲の建物を破壊しながら這いずり回り、ざぶざぶと湖へ入ってきた。
波が湖岸に押し寄せ、振動がこっちまで伝わってくる。バランスを崩したアスカは足を滑らせ、
欄干から湖に落ちていくのが見えた。ここは水面からかなり高い位置にある為、この荒れようじゃ
落ちたらただじゃ済まないはずだ。
「なんてこった、今度はこっちか」
僕は綾波さんを離れた場所へ避難させ、這いずりながらアスカのもとへ向かう。人の波をすり抜け、
やっとの思いで欄干にすり寄った。
アスカは強い波に流されて、岸からだんだん離されていくのが見えた。僕はアスカに呼びかけたけれど、
彼女は波に飲み込まれまいと必氏に手足をバタつかせていて、こちらの声は届いていないようだった。
そして間の悪いことに、弐号機が欄干の目の前まで来てしまった。
僕はあまりの恐怖にへたり込んだ。弐号機が放つ振動が強くて、もはや立ちあがることもできない。
遠くで綾波さんが何か叫んでいるのが見える。しかし、パニックを起こした人々の怯えた声にかき消され、
何と言っているのかもわからない。
続いて巨大な手がぬっと飛び出し、次第に人の形が露わになっていく。
赤い巨人がガラガラと音を立てて這い出してきた。ヱヴァ弐号機が暴走している……。
一体何故?
○
訳も分からず、おびえて右往左往する人々にもまれてしまい、僕たちは立ちあがろうにも動けずにいた。
弐号機は我を忘れ、周囲の建物を破壊しながら這いずり回り、ざぶざぶと湖へ入ってきた。
波が湖岸に押し寄せ、振動がこっちまで伝わってくる。バランスを崩したアスカは足を滑らせ、
欄干から湖に落ちていくのが見えた。ここは水面からかなり高い位置にある為、この荒れようじゃ
落ちたらただじゃ済まないはずだ。
「なんてこった、今度はこっちか」
僕は綾波さんを離れた場所へ避難させ、這いずりながらアスカのもとへ向かう。人の波をすり抜け、
やっとの思いで欄干にすり寄った。
アスカは強い波に流されて、岸からだんだん離されていくのが見えた。僕はアスカに呼びかけたけれど、
彼女は波に飲み込まれまいと必氏に手足をバタつかせていて、こちらの声は届いていないようだった。
そして間の悪いことに、弐号機が欄干の目の前まで来てしまった。
僕はあまりの恐怖にへたり込んだ。弐号機が放つ振動が強くて、もはや立ちあがることもできない。
遠くで綾波さんが何か叫んでいるのが見える。しかし、パニックを起こした人々の怯えた声にかき消され、
何と言っているのかもわからない。
70: 2011/04/13(水) 05:28:05.87
潰される!
僕は氏ぬのか、こんな所で……。
弐号機が間近に迫っているのをぼんやりと感じながら、第三新東京市に来てからの数々の出来事を思い出していた。
あの運命の手紙を受け取ったとき、状況に流されるままNERVへ入ってしまったことへの後悔の念は振り払えない。
もしあのとき、他の道を選んでいれば……。
NERVへ入ることを拒否していたら。あるいは部活動に精を出し、友だちを沢山作っていたなら。あるいは
意地を張らずに先生の所へ帰っていれば、僕はもっと別の人生を送っていただろう。少なくとも今ほど
ねじくれていなかったのは明らかさ。
幻の秘宝と言われる「バラ色のスクールライフ」をこの手に握っていたかもしれないのに……。
いくら目を逸らそうとしても、あらゆる間違いを積み重ねて、大切な中学生時代を棒に振ったという事実を
否定することはできない。なにより、アスカと出会ってしまったという汚点は生涯残り続けることだろう。
「嗚呼、出来ることなら、第三新東京市に来る前に戻って人生をやり直したい……」
○
今にして思えば、あのアスカとのやり取りでさえ恋しい。僕は薄れゆく意識の中で、ある出来事を思い出していた。
いつだったか、使徒との戦闘でアスカが怪我をし、入院したことがあった。
僕は氏ぬのか、こんな所で……。
弐号機が間近に迫っているのをぼんやりと感じながら、第三新東京市に来てからの数々の出来事を思い出していた。
あの運命の手紙を受け取ったとき、状況に流されるままNERVへ入ってしまったことへの後悔の念は振り払えない。
もしあのとき、他の道を選んでいれば……。
NERVへ入ることを拒否していたら。あるいは部活動に精を出し、友だちを沢山作っていたなら。あるいは
意地を張らずに先生の所へ帰っていれば、僕はもっと別の人生を送っていただろう。少なくとも今ほど
ねじくれていなかったのは明らかさ。
幻の秘宝と言われる「バラ色のスクールライフ」をこの手に握っていたかもしれないのに……。
いくら目を逸らそうとしても、あらゆる間違いを積み重ねて、大切な中学生時代を棒に振ったという事実を
否定することはできない。なにより、アスカと出会ってしまったという汚点は生涯残り続けることだろう。
「嗚呼、出来ることなら、第三新東京市に来る前に戻って人生をやり直したい……」
○
今にして思えば、あのアスカとのやり取りでさえ恋しい。僕は薄れゆく意識の中で、ある出来事を思い出していた。
いつだったか、使徒との戦闘でアスカが怪我をし、入院したことがあった。
71: 2011/04/13(水) 05:33:17.95
僕は、
「ふだん悪さばかりしているから、罰が当って怪我をしたんだ」
と言ってやった。
「これに懲りて、人にいらないちょっかいをだすのはやめるんだね」
僕は見舞いの林檎を頬張りながら言うと、アスカは首を振った。
「お断りよ!それ以外に私がすべきことなんて何にもないんだから」
どこまでも根性の腐ったやつ。
いたいけな僕をもてあそんで何が楽しいんだと詰問した。そしたら、アスカは妖怪めいた笑みを浮かべて、
ムフフッと笑った。
「私なりの愛ってやつよ」
「そんな気色悪いもん、いらないよ」
僕は答えた。
第二話へつづく
「ふだん悪さばかりしているから、罰が当って怪我をしたんだ」
と言ってやった。
「これに懲りて、人にいらないちょっかいをだすのはやめるんだね」
僕は見舞いの林檎を頬張りながら言うと、アスカは首を振った。
「お断りよ!それ以外に私がすべきことなんて何にもないんだから」
どこまでも根性の腐ったやつ。
いたいけな僕をもてあそんで何が楽しいんだと詰問した。そしたら、アスカは妖怪めいた笑みを浮かべて、
ムフフッと笑った。
「私なりの愛ってやつよ」
「そんな気色悪いもん、いらないよ」
僕は答えた。
第二話へつづく
73: 2011/04/13(水) 05:43:18.79
『第二話』 出奔日和
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
責任者に問いただす必要があるよ、責任者はどこだい?
○
この手記の主な登場人物は僕さ。
第二の主役として加持さんがいる。
この高貴な男に挟まれて、矮小(わいしょう)な魂を持った脇役たるアスカがいる。
まず僕についてだけれど、誇り高き中学2年生であるということを除けば、さして述べることはないよ。
しかし読者の皆さんの便宜を図る為に、僕と言う男の風貌について述べるよ。
第三新東京市の街中、たとえば駅前のアーケードを歩いているとしよう。
春の週末だから人出も多くて賑やかだ。
食べ物屋や洋服屋を眺めながら歩いて行くと、ハッと目を惹くような黒髪の乙女がこちらへ歩いてくる。
まるで彼女のまわりの空間だけが輝いているかのごとく見える。彼女は涼しげな美しい瞳で、
傍らを歩む男性を見上げている。
その男性の年頃は14歳ぐらいだろう。目は澄み、眉毛がすっきりと濃く、頬にはすがすがしい
微笑を浮かべている。四方八方から見ても阿呆面には見えないという知的な顔をしている。
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
責任者に問いただす必要があるよ、責任者はどこだい?
○
この手記の主な登場人物は僕さ。
第二の主役として加持さんがいる。
この高貴な男に挟まれて、矮小(わいしょう)な魂を持った脇役たるアスカがいる。
まず僕についてだけれど、誇り高き中学2年生であるということを除けば、さして述べることはないよ。
しかし読者の皆さんの便宜を図る為に、僕と言う男の風貌について述べるよ。
第三新東京市の街中、たとえば駅前のアーケードを歩いているとしよう。
春の週末だから人出も多くて賑やかだ。
食べ物屋や洋服屋を眺めながら歩いて行くと、ハッと目を惹くような黒髪の乙女がこちらへ歩いてくる。
まるで彼女のまわりの空間だけが輝いているかのごとく見える。彼女は涼しげな美しい瞳で、
傍らを歩む男性を見上げている。
その男性の年頃は14歳ぐらいだろう。目は澄み、眉毛がすっきりと濃く、頬にはすがすがしい
微笑を浮かべている。四方八方から見ても阿呆面には見えないという知的な顔をしている。
74: 2011/04/13(水) 05:47:59.12
背は170センチほどあり、骨格はがっしりしているけれど、決して剥き出しの野性味を発散してはいない。
ゆったりと歩いているように見えて、足取りには力がある。すべてに品が良く、心地よい緊張感がある。
自己を律している男とは、まさに彼のことさ。
素直に、その男が僕であると考えてもらいたいね。
これはあくまで読者の便宜を図ってのことだから、決して自分を現実以上に美しく飾ろうとか、
女子生徒にキャアキャア言われたいとか、そういう不埒なことは露ほども考えていないよ。
したがって読者の皆さんは、僕が今的確に描写した男を、素直に僕の姿として脳裏に焼き付け、
そのイメージを守り通してほしいんだ。
たしかに僕の傍らに黒髪の乙女はいないよ。ほかにもいくつか相違点があるかもしれない。
でも、それは些細な問題だよ。
大切なのは心なのさ。
○
続いて、加持さんについて述べるよ。
僕は第三新東京市郊外にある、「コンフォート17」というマンションに住んでいるんだけれど、
何と彼は道路を挟んで左隣にあるマンションの210号室に居を構えているんだ。
中学2年の3学期に唐突な別れが訪れるまでの10ヶ月間、僕は彼に師事したんだ。
僕は加持さんのことを、師匠と呼んで慕っていたよ。
学問そっちのけで修業に励んだ結果、およそ役に立たない事ばかり学び、人間として高めるべきでない
ところばかり高め、高めるべきところはむしろ低まって見えなくなってしまった。
ゆったりと歩いているように見えて、足取りには力がある。すべてに品が良く、心地よい緊張感がある。
自己を律している男とは、まさに彼のことさ。
素直に、その男が僕であると考えてもらいたいね。
これはあくまで読者の便宜を図ってのことだから、決して自分を現実以上に美しく飾ろうとか、
女子生徒にキャアキャア言われたいとか、そういう不埒なことは露ほども考えていないよ。
したがって読者の皆さんは、僕が今的確に描写した男を、素直に僕の姿として脳裏に焼き付け、
そのイメージを守り通してほしいんだ。
たしかに僕の傍らに黒髪の乙女はいないよ。ほかにもいくつか相違点があるかもしれない。
でも、それは些細な問題だよ。
大切なのは心なのさ。
○
続いて、加持さんについて述べるよ。
僕は第三新東京市郊外にある、「コンフォート17」というマンションに住んでいるんだけれど、
何と彼は道路を挟んで左隣にあるマンションの210号室に居を構えているんだ。
中学2年の3学期に唐突な別れが訪れるまでの10ヶ月間、僕は彼に師事したんだ。
僕は加持さんのことを、師匠と呼んで慕っていたよ。
学問そっちのけで修業に励んだ結果、およそ役に立たない事ばかり学び、人間として高めるべきでない
ところばかり高め、高めるべきところはむしろ低まって見えなくなってしまった。
77: 2011/04/13(水) 05:52:38.58
加持さんはミサトさんとねんごろの仲であるというのがもっぱらの噂だ。
師匠は僕の父・つまり碇司令のお膝元で悠々と働いている。所属はたしか、特殊監査部という
部署だったと思う。
彼は整った顔立ちにいつも暢気な微笑を浮かべ、どことなく高貴だった。しかし顎は無精髭が生えていた。
いつでも同じよれよれのシャツを着て、寒い日にはその上から古いジャケットを着る。その恰好のまま、
洒落たカフェでのんびりとカプチーノを飲む。
扇風機すら持っていないけれど、夏の暑い日にタダで涼める隠れ家を百カ所は知っているだろう。
床屋に行く暇がないといった風に、髪を後ろで一つに束ねている。煙草をぷかぷか吸う。
時々思い出したようにNERVへ行くけれど、今さらどれだけ勤務日数を稼いでも手遅れだろうね。
来季の査定ではいよいよ首が危ないのではないかと囁かれているんだから……。
師匠は何らかの目的を持って、傲然とした生活を送っているようだった。
でも、僕がその目的を知ったのは、出会ってからずっと後のことだったんだ。
○
最後に、アスカについて述べるね。
アスカは僕と同学年だ。本名・式波・アスカ・ラングレー(14)。
特務機関NERVに所属するヱヴァンゲリヲンパイロットであるにもかかわらず、NERVもヱヴァも
パイロットも嫌いらしい。
ひょんなことから、僕たちの家に居候している。
同僚に鞭打ち、上司にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、生活能力が皆無であり、
勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。
師匠は僕の父・つまり碇司令のお膝元で悠々と働いている。所属はたしか、特殊監査部という
部署だったと思う。
彼は整った顔立ちにいつも暢気な微笑を浮かべ、どことなく高貴だった。しかし顎は無精髭が生えていた。
いつでも同じよれよれのシャツを着て、寒い日にはその上から古いジャケットを着る。その恰好のまま、
洒落たカフェでのんびりとカプチーノを飲む。
扇風機すら持っていないけれど、夏の暑い日にタダで涼める隠れ家を百カ所は知っているだろう。
床屋に行く暇がないといった風に、髪を後ろで一つに束ねている。煙草をぷかぷか吸う。
時々思い出したようにNERVへ行くけれど、今さらどれだけ勤務日数を稼いでも手遅れだろうね。
来季の査定ではいよいよ首が危ないのではないかと囁かれているんだから……。
師匠は何らかの目的を持って、傲然とした生活を送っているようだった。
でも、僕がその目的を知ったのは、出会ってからずっと後のことだったんだ。
○
最後に、アスカについて述べるね。
アスカは僕と同学年だ。本名・式波・アスカ・ラングレー(14)。
特務機関NERVに所属するヱヴァンゲリヲンパイロットであるにもかかわらず、NERVもヱヴァも
パイロットも嫌いらしい。
ひょんなことから、僕たちの家に居候している。
同僚に鞭打ち、上司にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、生活能力が皆無であり、
勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。
78: 2011/04/13(水) 06:04:05.32
およそ誉めるべきところが一つもない。
もし彼女と出会っていなければ、僕の魂はもっと清らかだったに違いないんだ。
それを思うにつけ、10か月前の春、加持さんに弟子入りしたことがそもそもの間違いであったと
言わざるを得ないね。
○
一年前の春。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父から手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。
急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、同時にうれしかった。
「父に会って、仲直りしよう」
そう考えていた僕は手の施しようのない阿呆だったのさ。
○
いざ、第三新東京市にたどり着いてみると、妙齢の美しい女性が駅で出迎えてくれた。
父の部下だと名乗るその女性は、名を葛城ミサトと名乗った。
着いたばかりでこんな美人とお近づきになれる機会があるとは、なんて幸先が良いんだろうと
浮かれ、良く考えもせずに彼女の車に乗り込んだ。そして、気分良く父のもとへ向かっていた
けれど、だんだん雲行きが怪しくなってきたんだ。
「皆で楽しく人類を守っているよ」
という爽やかさをウリにした機関にも関わらず、車はどんどん薄暗い地下に潜っていく。
もし彼女と出会っていなければ、僕の魂はもっと清らかだったに違いないんだ。
それを思うにつけ、10か月前の春、加持さんに弟子入りしたことがそもそもの間違いであったと
言わざるを得ないね。
○
一年前の春。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父から手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。
急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、同時にうれしかった。
「父に会って、仲直りしよう」
そう考えていた僕は手の施しようのない阿呆だったのさ。
○
いざ、第三新東京市にたどり着いてみると、妙齢の美しい女性が駅で出迎えてくれた。
父の部下だと名乗るその女性は、名を葛城ミサトと名乗った。
着いたばかりでこんな美人とお近づきになれる機会があるとは、なんて幸先が良いんだろうと
浮かれ、良く考えもせずに彼女の車に乗り込んだ。そして、気分良く父のもとへ向かっていた
けれど、だんだん雲行きが怪しくなってきたんだ。
「皆で楽しく人類を守っているよ」
という爽やかさをウリにした機関にも関わらず、車はどんどん薄暗い地下に潜っていく。
79: 2011/04/13(水) 06:09:47.62
嵌められたと気付いた時には左右の腕をがっちり掴まれ、巨大なロボットの操縦席に
詰め込まれていた。あれよあれよと言う間に、僕はパイロットに仕立て上げられ、謎の敵と
戦わされていたんだ。
僕がパイロットに選ばれたのには、色々と理由があるのだけれど、この話には余り
関係無いので割愛させてもらう。
当然、制御できず暴走し、勝ったものの大怪我を負い、僕と父は事実上最悪の
再会を果たすことになった。
病院のベッドから目を覚ました僕は、見栄も外聞もかなぐり捨てて、NERVから逃げ出した。
そうして一週間ほどさ迷い、路頭に迷っていたところを、捜索に来た葛城二佐に保護されんだ。
「僕はもうヱヴァには乗りたくない」
とはっきりと彼女に告げた。
しかし、
「この街で生きていく以上、NERVに何かしらの形で関わらざるを得ないのよ」
と言われた。
先生の元に帰りたくなかった僕に選択の余地は無く、仕方無しに訓練に
参加することになった。
しかし、このまま指をくわえて憎むべき父の采配に委ねているつもりはなかった。
葛城二佐は僕の事を色々考えてくれていたようだ。彼女のマンションに
住まわせてくれ、学校に通えるよう便宜を図ってくれた。
そして、加持という男を紹介されたのも、ミサトさんのつてだった。
詰め込まれていた。あれよあれよと言う間に、僕はパイロットに仕立て上げられ、謎の敵と
戦わされていたんだ。
僕がパイロットに選ばれたのには、色々と理由があるのだけれど、この話には余り
関係無いので割愛させてもらう。
当然、制御できず暴走し、勝ったものの大怪我を負い、僕と父は事実上最悪の
再会を果たすことになった。
病院のベッドから目を覚ました僕は、見栄も外聞もかなぐり捨てて、NERVから逃げ出した。
そうして一週間ほどさ迷い、路頭に迷っていたところを、捜索に来た葛城二佐に保護されんだ。
「僕はもうヱヴァには乗りたくない」
とはっきりと彼女に告げた。
しかし、
「この街で生きていく以上、NERVに何かしらの形で関わらざるを得ないのよ」
と言われた。
先生の元に帰りたくなかった僕に選択の余地は無く、仕方無しに訓練に
参加することになった。
しかし、このまま指をくわえて憎むべき父の采配に委ねているつもりはなかった。
葛城二佐は僕の事を色々考えてくれていたようだ。彼女のマンションに
住まわせてくれ、学校に通えるよう便宜を図ってくれた。
そして、加持という男を紹介されたのも、ミサトさんのつてだった。
80: 2011/04/13(水) 06:15:51.27
ミサトさんは
「加持という男に会ってみないか」
と持ちかけてきた。
彼はNERVの上層部に顔が利くし、僕の待遇を改善できるかもしれないと言われ、
藁にもすがる思いで彼のマンションを訪れたんだ。
○
彼の部屋のドアには、なにやら張り紙がしてあった。
「弟子求ム」
何じゃこりゃ……。
僕がぽかんと張り紙を見ていると、ドアが開き、一人の男が顔を出した。
これが、僕と加持師匠との出会いだったんだ。
彼は僕を見て、すぐに納得した顔をした。
「葛城が言っていたのは君か。ドアの張り紙を読んだかい?俺は弟子を求めていたのさ」
「弟子って何のことです?僕はあなたに助けてもらおうと……」
僕は事情を説明しようとしたが、彼はそれを遮った。
「まあまあ、そう性急に本題に入らなくたっていいだろう。これは君の姉弟子だよ」
師匠の傍らに、ひどく縁起の悪そうな不気味な女が立っていた。
繊細な僕だけが見える地獄からの使者かと思った。
「加持という男に会ってみないか」
と持ちかけてきた。
彼はNERVの上層部に顔が利くし、僕の待遇を改善できるかもしれないと言われ、
藁にもすがる思いで彼のマンションを訪れたんだ。
○
彼の部屋のドアには、なにやら張り紙がしてあった。
「弟子求ム」
何じゃこりゃ……。
僕がぽかんと張り紙を見ていると、ドアが開き、一人の男が顔を出した。
これが、僕と加持師匠との出会いだったんだ。
彼は僕を見て、すぐに納得した顔をした。
「葛城が言っていたのは君か。ドアの張り紙を読んだかい?俺は弟子を求めていたのさ」
「弟子って何のことです?僕はあなたに助けてもらおうと……」
僕は事情を説明しようとしたが、彼はそれを遮った。
「まあまあ、そう性急に本題に入らなくたっていいだろう。これは君の姉弟子だよ」
師匠の傍らに、ひどく縁起の悪そうな不気味な女が立っていた。
繊細な僕だけが見える地獄からの使者かと思った。
81: 2011/04/13(水) 06:26:20.87
「あんたひどいこと言うわね。私はアスカ。式波・アスカ・ラングレーよ」
と彼女は言った。
「姉弟子と言っても、来たのが15分早いだけだけどな」
加持さんはそう言ってからからと笑った。
そのまま駅前にあるレストランに連れて行かれることになったけれど、僕が師匠に
奢ってもらったのは、後にも先にもあの一度きりだった。
家族の団らんというものを知らなかった僕にとって、その会食は
とても楽しいものに感じさせた。僕は大いに羽目を外し、加持さんも
僕が隣近所に住んでいることを知って意気投合した。
そのまま加持さんの家へ転がりこみ、後はアスカと師匠と3人で
何かわけの分からない議論に花を咲かせていた。
かくして僕は加持さんの弟子になり、アスカと出会った。
僕が何の弟子になったのか?
それは加持さんとの別れの日に、初めて知ることになる。
○
師匠と付き合っていくために第一に欠くことのできないものは、ズバリ「貢物」さ。
ようするに、彼の喜びそうな「情報」を持ってくることなんだ。
僕は加持さんのもとに様々な情報を貢物として献上する代わりに、僕のNERVでの
待遇改善を働きかけてもらうという取引を交わしたんだ。
近年、師匠の所へ出入りしていたのは、僕とアスカ、綾波さん、あとは僕の保護者のミサトさん
だけだったけれど、師匠は僕たちが持っていく「貢物」によって、生計を補っていた節がある。
と彼女は言った。
「姉弟子と言っても、来たのが15分早いだけだけどな」
加持さんはそう言ってからからと笑った。
そのまま駅前にあるレストランに連れて行かれることになったけれど、僕が師匠に
奢ってもらったのは、後にも先にもあの一度きりだった。
家族の団らんというものを知らなかった僕にとって、その会食は
とても楽しいものに感じさせた。僕は大いに羽目を外し、加持さんも
僕が隣近所に住んでいることを知って意気投合した。
そのまま加持さんの家へ転がりこみ、後はアスカと師匠と3人で
何かわけの分からない議論に花を咲かせていた。
かくして僕は加持さんの弟子になり、アスカと出会った。
僕が何の弟子になったのか?
それは加持さんとの別れの日に、初めて知ることになる。
○
師匠と付き合っていくために第一に欠くことのできないものは、ズバリ「貢物」さ。
ようするに、彼の喜びそうな「情報」を持ってくることなんだ。
僕は加持さんのもとに様々な情報を貢物として献上する代わりに、僕のNERVでの
待遇改善を働きかけてもらうという取引を交わしたんだ。
近年、師匠の所へ出入りしていたのは、僕とアスカ、綾波さん、あとは僕の保護者のミサトさん
だけだったけれど、師匠は僕たちが持っていく「貢物」によって、生計を補っていた節がある。
82: 2011/04/13(水) 06:33:06.73
もっとも、僕たちが情報を届けなくても、師匠は決して仕事には困らないんじゃないかとは感じていた。
彼にはそれだけの人脈があり、その気になればありとあらゆる情報を集める能力があったからさ。
加持さんに怖いものがあったのかどうか、ちょっと想像がつかない。あのやくざ顔負けの顔をした
父さんの目の前で、胡坐をかいて昼寝をする度胸のある人だからね。この前なんて、やっとのことで
手に入れた「アダム」の入ったアタッシュケースを、碇司令の目の前で落とす振りをしてからかっていたらしい。
師匠はどうやら独自の情報網から、碇司令の弱みを握ったらしく、それをネタに碇司令をゆすっている。
それで、師匠を辞めさせるに辞めさせられなくなっているらしい。
そんな師匠も一度だけ、
「怖い」
と言ったことがある。
「俺は、赤木博士が怖い」
と言った。
「赤木博士って誰?」
僕はアスカに訊ねた。
「技術部の女部長よ」
アスカは恐ろしそうな顔をして言った。
「研究の価値ありと判断した人物を、いかなる手段に訴えてでも、強制的に遺伝子操作してしまう
研究組織があるのよ」
彼にはそれだけの人脈があり、その気になればありとあらゆる情報を集める能力があったからさ。
加持さんに怖いものがあったのかどうか、ちょっと想像がつかない。あのやくざ顔負けの顔をした
父さんの目の前で、胡坐をかいて昼寝をする度胸のある人だからね。この前なんて、やっとのことで
手に入れた「アダム」の入ったアタッシュケースを、碇司令の目の前で落とす振りをしてからかっていたらしい。
師匠はどうやら独自の情報網から、碇司令の弱みを握ったらしく、それをネタに碇司令をゆすっている。
それで、師匠を辞めさせるに辞めさせられなくなっているらしい。
そんな師匠も一度だけ、
「怖い」
と言ったことがある。
「俺は、赤木博士が怖い」
と言った。
「赤木博士って誰?」
僕はアスカに訊ねた。
「技術部の女部長よ」
アスカは恐ろしそうな顔をして言った。
「研究の価値ありと判断した人物を、いかなる手段に訴えてでも、強制的に遺伝子操作してしまう
研究組織があるのよ」
83: 2011/04/13(水) 06:41:19.86
「嘘つけ」
「嘘よ(笑)」
○
NERVに入って10カ月が過ぎた、2月の頭のこと。
日中は暑いけれど、夜になればそれなりに過ごしやすい。
今は、夜中の1時を回ったところだ。
ここはNERV本部の地下深くにあるフロアの一室だ。
廊下の非常階段口のライトが光っているだけで、薄暗いNERVの廊下にはほとんど人影が無い。
ときおり深海生物を思わせる夜勤の研究員が通り過ぎるぐらいだ。
これが、初々しい黒髪の乙女との深夜の甘い逢瀬であれば、空き部屋でぽつねんと一人、
相手を待つのもやぶさかじゃない。しかし、今夜ここに現れるのはアスカだ。
いっそのこと、このまま約束を破って帰ってしまおうかと思ったけれど、そうなると加持さんに
対して立つ瀬が無くなる。やむを得ず、僕は待った。
アスカは例の赤木博士という女部長から、荷車を借りてくると言っていた。
恐ろしい組織の噂はアスカの作り話だとしても、赤木博士という人物は本当にいたのかと、内心驚いていた。
やがて小さな荷車が廊下を進んできて、僕が隠れている空き部屋の前で止まった。
荷車の影からぬっと姿を現したのは、不幸なことにアスカだった。
「やっほー、待った?」
彼女は嬉しそうに言った。
「嘘よ(笑)」
○
NERVに入って10カ月が過ぎた、2月の頭のこと。
日中は暑いけれど、夜になればそれなりに過ごしやすい。
今は、夜中の1時を回ったところだ。
ここはNERV本部の地下深くにあるフロアの一室だ。
廊下の非常階段口のライトが光っているだけで、薄暗いNERVの廊下にはほとんど人影が無い。
ときおり深海生物を思わせる夜勤の研究員が通り過ぎるぐらいだ。
これが、初々しい黒髪の乙女との深夜の甘い逢瀬であれば、空き部屋でぽつねんと一人、
相手を待つのもやぶさかじゃない。しかし、今夜ここに現れるのはアスカだ。
いっそのこと、このまま約束を破って帰ってしまおうかと思ったけれど、そうなると加持さんに
対して立つ瀬が無くなる。やむを得ず、僕は待った。
アスカは例の赤木博士という女部長から、荷車を借りてくると言っていた。
恐ろしい組織の噂はアスカの作り話だとしても、赤木博士という人物は本当にいたのかと、内心驚いていた。
やがて小さな荷車が廊下を進んできて、僕が隠れている空き部屋の前で止まった。
荷車の影からぬっと姿を現したのは、不幸なことにアスカだった。
「やっほー、待った?」
彼女は嬉しそうに言った。
84: 2011/04/13(水) 06:48:30.75
まるでそこの角を曲がった地獄の一丁目からやって来たというような、いつにも増して深みのある顔を
しているのは、おそらく今夜の計画が楽しみで楽しみで仕方がないからに違いない。
他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰えるという女だ。
今夜の外道極まる破廉恥作戦は、すべて彼女の腹から出て来たのであり、僕の発案ではない事に
留意してほしい。僕は師匠の為に、やむなく参加しただけさ。
僕たちは荷車をコロコロと押しながら、そこからさらに地下深くに入り組んだ研究フロアに入っていった。
荷車を走らせながら、アスカはウキウキとしていた。
「いやあ。なかなかファーストがうんと言ってくれなくって、困っちゃったわ。
あの子も意外なところで情けの出ちゃう子よねえ」
アスカは、まるで綾波さんは悪い子だ、と言わんばかりに首を振る。
アスカの前には、倫理など何の意味もなさないらしい。
「まともな人間なら、こんな計画に加担したくはない。僕だってごめんだよ」
「またまた~。本当は楽しみなくせに」
「楽しみなもんか。師匠の命令だから仕方なく行くんだ。それを忘れないでくれ」
僕は言い返した。
「君、分かっているの?これは犯罪だよ」
「そうかしら」
そう言ってアスカは首をかしげたが、可愛らしい仕草が余計に不気味だった。
僕のたしなめる言葉にも、全く応えていないようだ。
しているのは、おそらく今夜の計画が楽しみで楽しみで仕方がないからに違いない。
他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰えるという女だ。
今夜の外道極まる破廉恥作戦は、すべて彼女の腹から出て来たのであり、僕の発案ではない事に
留意してほしい。僕は師匠の為に、やむなく参加しただけさ。
僕たちは荷車をコロコロと押しながら、そこからさらに地下深くに入り組んだ研究フロアに入っていった。
荷車を走らせながら、アスカはウキウキとしていた。
「いやあ。なかなかファーストがうんと言ってくれなくって、困っちゃったわ。
あの子も意外なところで情けの出ちゃう子よねえ」
アスカは、まるで綾波さんは悪い子だ、と言わんばかりに首を振る。
アスカの前には、倫理など何の意味もなさないらしい。
「まともな人間なら、こんな計画に加担したくはない。僕だってごめんだよ」
「またまた~。本当は楽しみなくせに」
「楽しみなもんか。師匠の命令だから仕方なく行くんだ。それを忘れないでくれ」
僕は言い返した。
「君、分かっているの?これは犯罪だよ」
「そうかしら」
そう言ってアスカは首をかしげたが、可愛らしい仕草が余計に不気味だった。
僕のたしなめる言葉にも、全く応えていないようだ。
85: 2011/04/13(水) 06:56:57.91
「立派な犯罪さ。不法侵入、窃盗、誘拐・・・」
僕は数え上げた。
「誘拐というのは人間相手の場合でしょう。私たちが攫うのはラブドールよ」
「はっきり言うなよ。もっとオブラートに包んで喋ってくれ」
「アンタはそんなこと言ってるけどね。恐らくどんなものなのか見てみたいと思っているに違いないわ。
長年の付き合いなんだから、私には分かるわ。見るだけじゃなくて触ってみたいとか思ってるんでしょう?
まったく手のつけられないスケベなんだから困っちゃうわ」
そう言って、アスカは弁護の余地のない卑猥な顔をした。
「分かった。もう僕は帰る」
僕が荷車から手を離して来た道を引き返そうとすると、アスカは
「まあまあ」
と猫なで声で言った。
「私が悪うございましたわよ。ね、機嫌直して。これは師匠のためなのよ」
○
そもそもの発端は実に単純明快だった。
加持さんに弱みを握られ、まな板の鯉のように心臓を鷲掴みにされた父・碇司令が、反撃に出たんだ。
と言っても他の職員の目もあるので、余り大っぴらに凶弾することはできない。
僕は数え上げた。
「誘拐というのは人間相手の場合でしょう。私たちが攫うのはラブドールよ」
「はっきり言うなよ。もっとオブラートに包んで喋ってくれ」
「アンタはそんなこと言ってるけどね。恐らくどんなものなのか見てみたいと思っているに違いないわ。
長年の付き合いなんだから、私には分かるわ。見るだけじゃなくて触ってみたいとか思ってるんでしょう?
まったく手のつけられないスケベなんだから困っちゃうわ」
そう言って、アスカは弁護の余地のない卑猥な顔をした。
「分かった。もう僕は帰る」
僕が荷車から手を離して来た道を引き返そうとすると、アスカは
「まあまあ」
と猫なで声で言った。
「私が悪うございましたわよ。ね、機嫌直して。これは師匠のためなのよ」
○
そもそもの発端は実に単純明快だった。
加持さんに弱みを握られ、まな板の鯉のように心臓を鷲掴みにされた父・碇司令が、反撃に出たんだ。
と言っても他の職員の目もあるので、余り大っぴらに凶弾することはできない。
86: 2011/04/13(水) 07:03:44.54
そこで、何人かの部下を使い、極めて低俗でくだらない、陰湿な嫌がらせをしてきたのが始まりさ。
師匠を精神的に追い詰め、退職に追い込もうという魂胆らしい。
師匠の戦いに僕たちも駆り出された。
仕返しに仕返しを重ね、汚い汁で汚い汁を洗うような、みっともない戦いの火蓋が落とされた。
それが半年たった今もなお、続いているというわけさ。
碇司令はときどき思い出したようにいやがらせをし、それに対して加持師匠も返報する
ということが繰り返されていたんだ。
師匠の弟子となった僕はこの戦いに巻き込まれ、そのあまりの不毛さに、人間としての
尊厳を踏みにじられてしまった。水を得た魚のごとく生き生きとしていたのはアスカばかりだった。
○
秋のこと。
アスカは策謀のかぎりを尽くして碇司令を窓際族へ追いやった。
今や名ばかり司令になり下がっている。
アスカは性根が腐っているから、そうとう汚い手を使ったらしい。
アスカは碇司令の右腕である冬月副司令をそそのかし、クーデターを起こさせたという。
碇司令は今でも冬月副司令を失脚劇の首謀者として恨んでいて、アスカが裏で
糸を引いていたとは露ほども知らないようだね。
NERVでの失脚で精力を持て余したのか、碇司令はぽつぽつと加持師匠に嫌がらせを再開した。
小競り合いが続いた挙げ句、今年の1月には師匠愛用の車が桃色に染められるという惨事が起こった。
師匠を精神的に追い詰め、退職に追い込もうという魂胆らしい。
師匠の戦いに僕たちも駆り出された。
仕返しに仕返しを重ね、汚い汁で汚い汁を洗うような、みっともない戦いの火蓋が落とされた。
それが半年たった今もなお、続いているというわけさ。
碇司令はときどき思い出したようにいやがらせをし、それに対して加持師匠も返報する
ということが繰り返されていたんだ。
師匠の弟子となった僕はこの戦いに巻き込まれ、そのあまりの不毛さに、人間としての
尊厳を踏みにじられてしまった。水を得た魚のごとく生き生きとしていたのはアスカばかりだった。
○
秋のこと。
アスカは策謀のかぎりを尽くして碇司令を窓際族へ追いやった。
今や名ばかり司令になり下がっている。
アスカは性根が腐っているから、そうとう汚い手を使ったらしい。
アスカは碇司令の右腕である冬月副司令をそそのかし、クーデターを起こさせたという。
碇司令は今でも冬月副司令を失脚劇の首謀者として恨んでいて、アスカが裏で
糸を引いていたとは露ほども知らないようだね。
NERVでの失脚で精力を持て余したのか、碇司令はぽつぽつと加持師匠に嫌がらせを再開した。
小競り合いが続いた挙げ句、今年の1月には師匠愛用の車が桃色に染められるという惨事が起こった。
87: 2011/04/13(水) 07:08:43.34
加持さんは、アスカに報復作戦の立案を命じたんだ。
アスカは悪の参謀としての本領を発揮し、弁護の余地のない最低の作戦を立てたのさ。
それが「ユイさん誘拐」計画だよ。
○
碇司令の第二執務室は、本部の地下10階にある。
普段は最上階の司令室に陣取っているので、ここには研究成果の確認以外に顔を出さない。
たいして重要な機密がある訳ではなく、警備も手薄だった。
表向きは……。
実態は違う。
司令が誰にも知られたくない秘密がこの部屋にあり、人目を避けるために敢えてこの部屋を
選んだようだね。
この部屋の中に、僕たちが求めている「ユイさん」なる人物が眠っている。
僕たちは第二執務室の近くで立ち止り、物陰に隠れた。
あたりは暗く、足元もほとんど見えない。
まるで自分が地獄からの使者になったような気がしたけれど、碇司令の立場からすれば
たしかにその通りだろう。彼の愛する者をかっさらいに来た僕たちは、氏神呼ばわりされても
文句は言えない。
アスカは廊下の物陰から第二執務室の入り口を覗いている。
ドアから明かりが漏れているようだ。
「あれ、何やってんのかしら。まだ碇司令、部屋にいるわね」
アスカは悔しそうに言った。
アスカは悪の参謀としての本領を発揮し、弁護の余地のない最低の作戦を立てたのさ。
それが「ユイさん誘拐」計画だよ。
○
碇司令の第二執務室は、本部の地下10階にある。
普段は最上階の司令室に陣取っているので、ここには研究成果の確認以外に顔を出さない。
たいして重要な機密がある訳ではなく、警備も手薄だった。
表向きは……。
実態は違う。
司令が誰にも知られたくない秘密がこの部屋にあり、人目を避けるために敢えてこの部屋を
選んだようだね。
この部屋の中に、僕たちが求めている「ユイさん」なる人物が眠っている。
僕たちは第二執務室の近くで立ち止り、物陰に隠れた。
あたりは暗く、足元もほとんど見えない。
まるで自分が地獄からの使者になったような気がしたけれど、碇司令の立場からすれば
たしかにその通りだろう。彼の愛する者をかっさらいに来た僕たちは、氏神呼ばわりされても
文句は言えない。
アスカは廊下の物陰から第二執務室の入り口を覗いている。
ドアから明かりが漏れているようだ。
「あれ、何やってんのかしら。まだ碇司令、部屋にいるわね」
アスカは悔しそうに言った。
89: 2011/04/13(水) 07:14:17.49
「ファースト、約束を守ってもらわなくっちゃ、困るじゃない」
「綾波さんも嫌な役目だ。彼女にそんなことさせるなよ」
「アンタバカァ?あの子も加持師匠の弟子なんだから、これぐらいの事するのは当然よ!
弟子に男女の区別なし、だわ」
僕たちは薄暗い廊下に立ち尽くした。電灯の届かない闇の中でもじもじする。
そうやって身を寄せ合っていると、だんだんアスカの黒い汁が闇の中へ溶け出して、
僕の身体に染み込んでくるように思われる。
なぜこのように不吉な女と身を寄せ合っていなければならないんだろう。
僕が何か間違ったことをしたというのだろうか。非は僕にあるというのかい?
「これはまた厄介なことになったわねえ、予定が狂っちゃうじゃない」
「綾波さんが犯罪に加担するわけがないさ。今日は中止にしよう」
計画が破綻になりそうで、僕はほっとした。
「そうはいかないわ。わざわざ赤木博士に頼んで荷車まで借りて来たのに、
今さら中止には出来ないわよ」
しかし、アスカは全く諦める様子がない。彼女は口をヘの字に曲げて、壁にへばりついている。
「それにしても、こんなくだらない争いに加担して、貴重な青春時代を無駄にしていいのかなあ。
もっと他にすることはないんだろうか……」
「これも人間としてひと回り大きくなる為の修業なのよ。でもこんな暗闇にアンタと二人立ちっぱなしって
言うのは明らかに無駄よねえ」
「綾波さんも嫌な役目だ。彼女にそんなことさせるなよ」
「アンタバカァ?あの子も加持師匠の弟子なんだから、これぐらいの事するのは当然よ!
弟子に男女の区別なし、だわ」
僕たちは薄暗い廊下に立ち尽くした。電灯の届かない闇の中でもじもじする。
そうやって身を寄せ合っていると、だんだんアスカの黒い汁が闇の中へ溶け出して、
僕の身体に染み込んでくるように思われる。
なぜこのように不吉な女と身を寄せ合っていなければならないんだろう。
僕が何か間違ったことをしたというのだろうか。非は僕にあるというのかい?
「これはまた厄介なことになったわねえ、予定が狂っちゃうじゃない」
「綾波さんが犯罪に加担するわけがないさ。今日は中止にしよう」
計画が破綻になりそうで、僕はほっとした。
「そうはいかないわ。わざわざ赤木博士に頼んで荷車まで借りて来たのに、
今さら中止には出来ないわよ」
しかし、アスカは全く諦める様子がない。彼女は口をヘの字に曲げて、壁にへばりついている。
「それにしても、こんなくだらない争いに加担して、貴重な青春時代を無駄にしていいのかなあ。
もっと他にすることはないんだろうか……」
「これも人間としてひと回り大きくなる為の修業なのよ。でもこんな暗闇にアンタと二人立ちっぱなしって
言うのは明らかに無駄よねえ」
90: 2011/04/13(水) 07:20:15.55
「そりゃ僕が言うことだよ」
「そんな怖い目でみないで」
「ちょ、ちょっとくっつかないでくれ!」
「だって寂しいじゃない。それに夜風が冷たいの♪」
「このさびしがりやさん!」
「キャー(棒)」
暇つぶしに、闇の中で意味不明の寸劇をすることにも、やがて虚しさを感じた。
しかも、なんだかそういったことを以前にやっていたような気がするので、ますます
やり場のない怒りに駆られたんだ。
「ねえ、僕たち、前にもこんな言い合いしていなかったかい?」
「バカねぇ、してるわけないでしょう。デジャヴよデジャヴ」
ふいにアスカがサッと身をかがめた。僕もそれにならった。
「部屋の電気が消えたわ」
闇の中で息を頃していると、プシュっとドアの開く音が聞こえ、碇司令が出てきた。
司令はそのまま廊下を歩いていき、コツコツという足音もしだいに小さくなっていった。
第三新東京市に越してからは、父さんに何度も会っているが、
「人類を守る立派な仕事」に従事しているというより、
その辺のヤクザを束ねている親玉と言った方がしっくりくるくらい、コワモテな男だ。
「そんな怖い目でみないで」
「ちょ、ちょっとくっつかないでくれ!」
「だって寂しいじゃない。それに夜風が冷たいの♪」
「このさびしがりやさん!」
「キャー(棒)」
暇つぶしに、闇の中で意味不明の寸劇をすることにも、やがて虚しさを感じた。
しかも、なんだかそういったことを以前にやっていたような気がするので、ますます
やり場のない怒りに駆られたんだ。
「ねえ、僕たち、前にもこんな言い合いしていなかったかい?」
「バカねぇ、してるわけないでしょう。デジャヴよデジャヴ」
ふいにアスカがサッと身をかがめた。僕もそれにならった。
「部屋の電気が消えたわ」
闇の中で息を頃していると、プシュっとドアの開く音が聞こえ、碇司令が出てきた。
司令はそのまま廊下を歩いていき、コツコツという足音もしだいに小さくなっていった。
第三新東京市に越してからは、父さんに何度も会っているが、
「人類を守る立派な仕事」に従事しているというより、
その辺のヤクザを束ねている親玉と言った方がしっくりくるくらい、コワモテな男だ。
91: 2011/04/13(水) 07:25:57.02
僕も将来あんな風になってしまうのかと思うと、今すぐにでも芦ノ湖に飛び降りたくなる。
亡き母の顔を知っている数少ない知り合いに言わせれば、僕は母さんの特徴を
多く受け継いでいるらしい。顔も知らない母さんに、僕は感謝しているよ。
碇司令はそのままエレベーターに乗り込み、地上へ出ていったようだ。
このフロアで、僕たちの息遣い以外の物音は完全になくなった。
「これでしばらく帰ってこないわ」
アスカはクスクス笑った。
「父さんはどこへ行ったんだい?」
「駅前のレストランよ。まあコーヒーをたらふく飲んで2時間は待つでしょ。
ファーストは結局来ないとも知らずにね。愚かな男……」
「ひどいよなあ」
「さあさ、仕事にかかるわよ」
アスカは第二執務室の入り口に近づいた。
そういう次第で僕たちは碇司令の執務室へ不法侵入を果たしたわけだけれど、
僕たちにピッキングの才能があったというわけじゃないんだ。
前もってアスカが用意してきたカードをスライドさせ、ドアのキーを解錠した。
一体何故、アスカが父のドアキーを持っているのか不思議に思った。
加持師匠が闇のルートから調達したのだろうか?
部屋は思ったより小ざっぱりしていた。
亡き母の顔を知っている数少ない知り合いに言わせれば、僕は母さんの特徴を
多く受け継いでいるらしい。顔も知らない母さんに、僕は感謝しているよ。
碇司令はそのままエレベーターに乗り込み、地上へ出ていったようだ。
このフロアで、僕たちの息遣い以外の物音は完全になくなった。
「これでしばらく帰ってこないわ」
アスカはクスクス笑った。
「父さんはどこへ行ったんだい?」
「駅前のレストランよ。まあコーヒーをたらふく飲んで2時間は待つでしょ。
ファーストは結局来ないとも知らずにね。愚かな男……」
「ひどいよなあ」
「さあさ、仕事にかかるわよ」
アスカは第二執務室の入り口に近づいた。
そういう次第で僕たちは碇司令の執務室へ不法侵入を果たしたわけだけれど、
僕たちにピッキングの才能があったというわけじゃないんだ。
前もってアスカが用意してきたカードをスライドさせ、ドアのキーを解錠した。
一体何故、アスカが父のドアキーを持っているのか不思議に思った。
加持師匠が闇のルートから調達したのだろうか?
部屋は思ったより小ざっぱりしていた。
92: 2011/04/13(水) 07:33:11.28
ドアを開けたところにデスクと研究資料の入った棚があり、
その向こうにガラス戸で仕切られた部屋が続いている。
アスカが先に入って、慣れた手つきで部屋の電燈をつけた。
まるで飽きるほどこの部屋に出入りしているかのように見える。
僕がそう言うと、アスカはあっさり頷いた。
「私、司令には信用があるのよ。この部屋へは、何度か入れてもらったことがあるわ」
アスカは平気な顔をして言った。僕は彼女を睨みつけ吐き捨てた。
「極悪人め」
「策士と呼んで頂戴」
こんな歪んだ人物とは一刻も早く袂を分けなきゃならないと、僕は焦燥感に駆られた。
それに、あんまり犯罪的なことをしたくなかったので、僕は紳士的にドアから
入ったところで踏みとどまったんだ。
「さあ、こっちへ来なさいよ」
アスカがせかしたけれど、僕は仁王立ちした。
「アスカが探してきなよ。僕はここを動かない。せめてもの礼儀さ」
「何を今さら。この期に及んで紳士ぶったってしょうがないでしょう!」
やや押し問答したけれど、アスカは諦めて一人で奥へ入っていった。
彼女は暗い部屋でがさがさやっている。
その向こうにガラス戸で仕切られた部屋が続いている。
アスカが先に入って、慣れた手つきで部屋の電燈をつけた。
まるで飽きるほどこの部屋に出入りしているかのように見える。
僕がそう言うと、アスカはあっさり頷いた。
「私、司令には信用があるのよ。この部屋へは、何度か入れてもらったことがあるわ」
アスカは平気な顔をして言った。僕は彼女を睨みつけ吐き捨てた。
「極悪人め」
「策士と呼んで頂戴」
こんな歪んだ人物とは一刻も早く袂を分けなきゃならないと、僕は焦燥感に駆られた。
それに、あんまり犯罪的なことをしたくなかったので、僕は紳士的にドアから
入ったところで踏みとどまったんだ。
「さあ、こっちへ来なさいよ」
アスカがせかしたけれど、僕は仁王立ちした。
「アスカが探してきなよ。僕はここを動かない。せめてもの礼儀さ」
「何を今さら。この期に及んで紳士ぶったってしょうがないでしょう!」
やや押し問答したけれど、アスカは諦めて一人で奥へ入っていった。
彼女は暗い部屋でがさがさやっている。
94: 2011/04/13(水) 07:39:11.03
すると突然
「いたわ!」
と歓声を上げた。
「ほらユイさん、恥ずかしがらないで。碇司令なんか置き去りにして、
私と一緒に行きましょう」
などと遊んでいる。
やがてアスカが抱えてドアまで運んできた女性を見て、僕は茫然とした。
「こちら、ユイさんよ」
アスカが紹介した。
「ふう、それにしてもこんなに重いとは計算外だったわねえ」
○
1月になってアスカが仕入れてきた情報は、このラブドールを隠し持っているということだった。
それがただのものとはワケがちがう。
遺伝子工学を駆使し、人間の肌を限りなく再現した、NERVの技術力の粋を集めたものだと
アスカは力説した。
それまで権力の座をほしいままにしていた地位を追われ、同時に愛人にも去られ、
失意のどん底にあった碇司令が、ついつい寂しさに駆られて製造を命じたというのであれば、
多少無理があるけれどもまだ筋は通る。
でも、そうじゃなかった。
「いたわ!」
と歓声を上げた。
「ほらユイさん、恥ずかしがらないで。碇司令なんか置き去りにして、
私と一緒に行きましょう」
などと遊んでいる。
やがてアスカが抱えてドアまで運んできた女性を見て、僕は茫然とした。
「こちら、ユイさんよ」
アスカが紹介した。
「ふう、それにしてもこんなに重いとは計算外だったわねえ」
○
1月になってアスカが仕入れてきた情報は、このラブドールを隠し持っているということだった。
それがただのものとはワケがちがう。
遺伝子工学を駆使し、人間の肌を限りなく再現した、NERVの技術力の粋を集めたものだと
アスカは力説した。
それまで権力の座をほしいままにしていた地位を追われ、同時に愛人にも去られ、
失意のどん底にあった碇司令が、ついつい寂しさに駆られて製造を命じたというのであれば、
多少無理があるけれどもまだ筋は通る。
でも、そうじゃなかった。
95: 2011/04/13(水) 07:46:21.07
父さんは、少なくとも数年前からそれを所持していたらしい。
その間、人間の女性にも手を出していたんだから、筋金入りのラブドール愛好家と言える。
ちょっと僕には想像がつかない事だ。
何より、実の父がラブドールなんぞにうつつを抜かしている現実に、眩暈を覚えた。
しかも、母さんの名前を付けるなんて、一体どういう神経してるんだ?
「あれは人形を大切にして暮らすことに意味があるのよ。だから女性と付き合うこととは
また別問題なの。アンタのように性欲処理の道具にしか見ていない野人には分からない
でしょうけど、ひじょうに高尚な愛の形なんだわ」
アスカの言うことなので、僕ははなから信用しなかった。
ところが、その夜、アスカが奥から引っ張り出して来た人形、「ユイさん」は、とうてい
人形に見えないほどに美しく、可憐だった。
ショートカットの黒髪は綺麗に撫でつけられ、きちんと襟のついた上品な服を着ている。
ふんわりと夢見るような目がこちらを見ている。
「それか!」
僕は感嘆した。
アスカが
「しいッ!声が大きいわよ」
と口に指を当てる。
その間、人間の女性にも手を出していたんだから、筋金入りのラブドール愛好家と言える。
ちょっと僕には想像がつかない事だ。
何より、実の父がラブドールなんぞにうつつを抜かしている現実に、眩暈を覚えた。
しかも、母さんの名前を付けるなんて、一体どういう神経してるんだ?
「あれは人形を大切にして暮らすことに意味があるのよ。だから女性と付き合うこととは
また別問題なの。アンタのように性欲処理の道具にしか見ていない野人には分からない
でしょうけど、ひじょうに高尚な愛の形なんだわ」
アスカの言うことなので、僕ははなから信用しなかった。
ところが、その夜、アスカが奥から引っ張り出して来た人形、「ユイさん」は、とうてい
人形に見えないほどに美しく、可憐だった。
ショートカットの黒髪は綺麗に撫でつけられ、きちんと襟のついた上品な服を着ている。
ふんわりと夢見るような目がこちらを見ている。
「それか!」
僕は感嘆した。
アスカが
「しいッ!声が大きいわよ」
と口に指を当てる。
96: 2011/04/13(水) 07:52:43.85
そして、
「ほら、この人よ。私が男だったら、下手すりゃ惚れるわ」
僕はユイさんの顔をのぞき込み、ハッと息を?んだ。
綾波さんの面影がある!
もちろん、ユイさんは妙齢の女性の姿をしているから間違えようもないけれど、
それでも似ている点が多すぎる。これはどういうことだろう……?
ぼんやりとユイさんに見とれていると、アスカが僕を急かした。
「ほら、これを荷車に運び込まなくっちゃ!」
アスカは僕にユイさんの身体を持てと言ってきた。
彼女は美しい顔をしていた。肌は人間そっくりの色合いをしているし、ソッと触れてみると弾力がある。
髪は丁寧に手入れされ、整えられた衣服には乱れがない。透き通る目を見ていると、吸い込まれそうになる。
不思議な感覚だ。
まるで、昔から知っている人のような、懐かしさを覚えた。しかし、彼女は微動だにしない。
どこか遠くに目をやった瞬間に凍らされた人のようだ。
じっと見つめているうちに、僕はむらむらとしてきた。否、むらむらと怒りが湧き上がった。
僕は父さんを憎んでさえいる。僕に対してあれほど理不尽な事をしてきた父さんを、
生涯許すことはできないだろう。
しかし、それとこれとは別問題だと感じた。
ここにあるのは非常に閉鎖的ではあるものの、高尚な愛の形だと認めざるを得ない。
洋服や髪型の丁寧な手入れのひとつひとつに、碇司令の愛の深さを示している。
「ほら、この人よ。私が男だったら、下手すりゃ惚れるわ」
僕はユイさんの顔をのぞき込み、ハッと息を?んだ。
綾波さんの面影がある!
もちろん、ユイさんは妙齢の女性の姿をしているから間違えようもないけれど、
それでも似ている点が多すぎる。これはどういうことだろう……?
ぼんやりとユイさんに見とれていると、アスカが僕を急かした。
「ほら、これを荷車に運び込まなくっちゃ!」
アスカは僕にユイさんの身体を持てと言ってきた。
彼女は美しい顔をしていた。肌は人間そっくりの色合いをしているし、ソッと触れてみると弾力がある。
髪は丁寧に手入れされ、整えられた衣服には乱れがない。透き通る目を見ていると、吸い込まれそうになる。
不思議な感覚だ。
まるで、昔から知っている人のような、懐かしさを覚えた。しかし、彼女は微動だにしない。
どこか遠くに目をやった瞬間に凍らされた人のようだ。
じっと見つめているうちに、僕はむらむらとしてきた。否、むらむらと怒りが湧き上がった。
僕は父さんを憎んでさえいる。僕に対してあれほど理不尽な事をしてきた父さんを、
生涯許すことはできないだろう。
しかし、それとこれとは別問題だと感じた。
ここにあるのは非常に閉鎖的ではあるものの、高尚な愛の形だと認めざるを得ない。
洋服や髪型の丁寧な手入れのひとつひとつに、碇司令の愛の深さを示している。
97: 2011/04/13(水) 07:59:08.66
たとえ師匠の命令とはいえ、この繊細微妙な世界をぶち壊すことは、僕には出来なかった。
ユイさんを持ち帰ろうなんて、言語道断だ。
いそいそとユイさんに手を触れようとしたアスカの肩を掴み、ぐいと引っ張った。
「やめよう」
僕のきっぱりとした決断に、アスカは怪訝な顔で聞き返してきた。
「なんで?」
「ユイさんに手を出すことは、僕が許さない」
僕はそう言い放った。
○
その夜、きいきいと謎の小動物のような悲鳴を上げて抵抗するアスカを引っ張って、
僕は師匠のマンションへ引き上げた。
既に時刻は午前3時を回っている。そのままアスカと一緒に階段を上った。
廊下に面したドア上部の小窓からは明かりが漏れていて、師匠は僕たちが
首尾良く作戦を成功させて帰ってくるのを待っているらしい。
正直なところ、師匠の期待を裏切り、報復計画を放りだしてしまったのは心苦しかったさ。
ドアを開けると、加持さんと綾波さんが座って向かい合っていた。師匠が弟子に
訓戒を垂れているのかと思いきや、訓戒を垂れているのは綾波さんらしい。
僕たちが手ぶらで入っていくのを見ると、綾波さんはホッとしたようだった。
ユイさんを持ち帰ろうなんて、言語道断だ。
いそいそとユイさんに手を触れようとしたアスカの肩を掴み、ぐいと引っ張った。
「やめよう」
僕のきっぱりとした決断に、アスカは怪訝な顔で聞き返してきた。
「なんで?」
「ユイさんに手を出すことは、僕が許さない」
僕はそう言い放った。
○
その夜、きいきいと謎の小動物のような悲鳴を上げて抵抗するアスカを引っ張って、
僕は師匠のマンションへ引き上げた。
既に時刻は午前3時を回っている。そのままアスカと一緒に階段を上った。
廊下に面したドア上部の小窓からは明かりが漏れていて、師匠は僕たちが
首尾良く作戦を成功させて帰ってくるのを待っているらしい。
正直なところ、師匠の期待を裏切り、報復計画を放りだしてしまったのは心苦しかったさ。
ドアを開けると、加持さんと綾波さんが座って向かい合っていた。師匠が弟子に
訓戒を垂れているのかと思いきや、訓戒を垂れているのは綾波さんらしい。
僕たちが手ぶらで入っていくのを見ると、綾波さんはホッとしたようだった。
99: 2011/04/13(水) 08:13:06.11
「あの計画、やめたのね?」
僕は無言で頷き、アスカは不貞腐れている。
「やあ、二人とも。お帰り」
加持さんは尻をもじもじさせながら言った。
僕はアスカを押しのけ、一部始終を説明した。加持さんは軽くうなずき、煙草を取り出すと
ぶわっと煙を吐いた。綾波さんは綾波さんで、ジュースをコクコクと飲んでいる。
何だか、僕たちがいない間に二人で言い合いをしたらしく、しかも綾波さんの
圧倒的優勢のうちに終わったと見えた。
「まあ、今夜のところはそれでいいだろう」
師匠は言った。
アスカが不平の声を上げると、師匠は
「黙れ」
と一喝した。
「ものには限度ってもんがある。愛車を桃色に染められたのは確かに近年まれにみる痛恨事だった。
しかし、だからと言って数年にわたって良好な関係にある碇司令とユイさんを卑劣な手段で引き離すのは、
残酷すぎる報復だと言える。たとえユイさんが人形だとしてもね」
「ええ!?師匠!この前と話がぜんぜん違うじゃない」
アスカが反論すると、綾波さんが
「二号機パイロットは黙って」
と言った。
「ともかく」
と加持さんは続ける。
僕は無言で頷き、アスカは不貞腐れている。
「やあ、二人とも。お帰り」
加持さんは尻をもじもじさせながら言った。
僕はアスカを押しのけ、一部始終を説明した。加持さんは軽くうなずき、煙草を取り出すと
ぶわっと煙を吐いた。綾波さんは綾波さんで、ジュースをコクコクと飲んでいる。
何だか、僕たちがいない間に二人で言い合いをしたらしく、しかも綾波さんの
圧倒的優勢のうちに終わったと見えた。
「まあ、今夜のところはそれでいいだろう」
師匠は言った。
アスカが不平の声を上げると、師匠は
「黙れ」
と一喝した。
「ものには限度ってもんがある。愛車を桃色に染められたのは確かに近年まれにみる痛恨事だった。
しかし、だからと言って数年にわたって良好な関係にある碇司令とユイさんを卑劣な手段で引き離すのは、
残酷すぎる報復だと言える。たとえユイさんが人形だとしてもね」
「ええ!?師匠!この前と話がぜんぜん違うじゃない」
アスカが反論すると、綾波さんが
「二号機パイロットは黙って」
と言った。
「ともかく」
と加持さんは続ける。
100: 2011/04/13(水) 08:18:38.60
「これは俺と碇司令が続けてきた戦いのルールを逸脱する。俺もちょっと車のことが
悔しくて、頭に血が上っていた」
そうして師匠は思いっきり煙を吐き出した。
「こんなもんでいいかい?」
師匠が綾波さんに訊ねた。
「ええ、それで良いです」
彼女は頷いた。
かくして、「ユイさん誘拐」計画は水に流れた。
アスカは他の3人からの冷やかな視線を浴びながら、そそくさと帰る支度をした。
「明日の夜は芦ノ湖のほとりで打ち上げがあるのよ。忙しい忙しい」
アスカがぷりぷり怒りながら、腹いせにそんなことを言った。
「ごめんなさい、二号機パイロット。明日は私、行けないわ」
綾波さんが言った。
「なんでよ?」
アスカはぐるりと振り返り、綾波さんを睨んだ。
「シンクロテストのせいで溜まっていた宿題を、済まさなければならないから。勉強の時間がいるのよ」
「勉強と宴会とどっちが大事なワケ?」
アスカは偉そうに説教した。
「ちゃんと宴会に出なさいよ」
悔しくて、頭に血が上っていた」
そうして師匠は思いっきり煙を吐き出した。
「こんなもんでいいかい?」
師匠が綾波さんに訊ねた。
「ええ、それで良いです」
彼女は頷いた。
かくして、「ユイさん誘拐」計画は水に流れた。
アスカは他の3人からの冷やかな視線を浴びながら、そそくさと帰る支度をした。
「明日の夜は芦ノ湖のほとりで打ち上げがあるのよ。忙しい忙しい」
アスカがぷりぷり怒りながら、腹いせにそんなことを言った。
「ごめんなさい、二号機パイロット。明日は私、行けないわ」
綾波さんが言った。
「なんでよ?」
アスカはぐるりと振り返り、綾波さんを睨んだ。
「シンクロテストのせいで溜まっていた宿題を、済まさなければならないから。勉強の時間がいるのよ」
「勉強と宴会とどっちが大事なワケ?」
アスカは偉そうに説教した。
「ちゃんと宴会に出なさいよ」
102: 2011/04/13(水) 08:24:35.38
「嫌」
綾波さんはにべもなく言った。
アスカは返す言葉も無いらしい。加持師匠はにやにやしている。
「君は面白いな」
師匠がそう言って、綾波さんを誉めた。
○
「ユイさん誘拐未遂」事件の翌日、夕暮れのこと。
万年常夏の蒸し暑さも、夕時になればいくらか和らぐ。涼しい風を身体に受けながら、
僕は駅前の商店街を、考え事をしながら歩いていた。
僕はこの街に来てからの10ヶ月間に思いを馳せていた。
あのときああしていなければと思うことは無数にあるけれど、やはりあのマンションで
加持さんに会ったのが決定的だったという考えは揺るがない。
あそこで会いさえしなければ、何だかわからないけれど、何とかなっていたはずなんだ。
師匠の力を借りず碇司令に直談判しに行く手もあったし、さっさと先生の家に帰る事もできたはずだ。
いずれを選んだにせよ、今よりは有意義で健康的な人間になれたんじゃないか、そう思ったんだ。
ユイさん誘拐事件失敗のこともある。僕は人生に投げやりになっていた。
もういっその事自主破門されてやろうか……。
そんなネガティブな考えを巡らせていた僕は、いつの間にか商店街を出て、歓楽街へと
ふらふら迷い込んでいた。
綾波さんはにべもなく言った。
アスカは返す言葉も無いらしい。加持師匠はにやにやしている。
「君は面白いな」
師匠がそう言って、綾波さんを誉めた。
○
「ユイさん誘拐未遂」事件の翌日、夕暮れのこと。
万年常夏の蒸し暑さも、夕時になればいくらか和らぐ。涼しい風を身体に受けながら、
僕は駅前の商店街を、考え事をしながら歩いていた。
僕はこの街に来てからの10ヶ月間に思いを馳せていた。
あのときああしていなければと思うことは無数にあるけれど、やはりあのマンションで
加持さんに会ったのが決定的だったという考えは揺るがない。
あそこで会いさえしなければ、何だかわからないけれど、何とかなっていたはずなんだ。
師匠の力を借りず碇司令に直談判しに行く手もあったし、さっさと先生の家に帰る事もできたはずだ。
いずれを選んだにせよ、今よりは有意義で健康的な人間になれたんじゃないか、そう思ったんだ。
ユイさん誘拐事件失敗のこともある。僕は人生に投げやりになっていた。
もういっその事自主破門されてやろうか……。
そんなネガティブな考えを巡らせていた僕は、いつの間にか商店街を出て、歓楽街へと
ふらふら迷い込んでいた。
105: 2011/04/13(水) 08:44:04.01
川にかかる橋のたもとに佇んで不貞腐れていると、歓楽街を行き交う人々の中に葛城二佐の顔が見えた。
どうやら今日の仕事を終えて、寄り道をしているようだね。
葛城二佐は僕の保護者で唯一の理解者でもある。戦術作戦課作戦部長を務めているキャリアウーマンだ。
彼女が何を求めて歓楽街を徘徊しているか、十中八九、エチルアルコール目当てだろうさ。
一度と言わず何度も彼女に付き合わされた苦い思い出が蘇る。
彼女は普段はとてもしっかりした常識人で、物腰柔らかで魅力的な女性なのだけれど、アルコールが
入ったとたん、その態度は豹変する。ジュースしか飲めない僕を、まるで西部劇の馬の引きずり刑のように、
街中の飲み屋に連れ回された。
今日もまた、そんな酔狂に付き合わされては堪らないと、僕は首を縮めて彼女の視線を回避した。
彼女をやり過ごしてホッと一息ついたものの、行くあてがある訳じゃない。
なんだか、本当に自主破門への誘惑に駆られ始めたところで、僕はその少年に出会った。
○
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。
その軒下に、白い布をかけた木の台を前にして座る少年がいた。
彼が発散する妖気にはなにやら説得力があり、僕は論理的に考えた。
これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけはない、と。
「学生さん、何をお聞きになりたいんだい?」
「そうだね、何と言ったらいいか……」
僕が答えに詰まっていると、少年は微笑んだ。
どうやら今日の仕事を終えて、寄り道をしているようだね。
葛城二佐は僕の保護者で唯一の理解者でもある。戦術作戦課作戦部長を務めているキャリアウーマンだ。
彼女が何を求めて歓楽街を徘徊しているか、十中八九、エチルアルコール目当てだろうさ。
一度と言わず何度も彼女に付き合わされた苦い思い出が蘇る。
彼女は普段はとてもしっかりした常識人で、物腰柔らかで魅力的な女性なのだけれど、アルコールが
入ったとたん、その態度は豹変する。ジュースしか飲めない僕を、まるで西部劇の馬の引きずり刑のように、
街中の飲み屋に連れ回された。
今日もまた、そんな酔狂に付き合わされては堪らないと、僕は首を縮めて彼女の視線を回避した。
彼女をやり過ごしてホッと一息ついたものの、行くあてがある訳じゃない。
なんだか、本当に自主破門への誘惑に駆られ始めたところで、僕はその少年に出会った。
○
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。
その軒下に、白い布をかけた木の台を前にして座る少年がいた。
彼が発散する妖気にはなにやら説得力があり、僕は論理的に考えた。
これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけはない、と。
「学生さん、何をお聞きになりたいんだい?」
「そうだね、何と言ったらいいか……」
僕が答えに詰まっていると、少年は微笑んだ。
106: 2011/04/13(水) 08:49:29.68
「君は、非常に真面目で才能もあるようだから…」
少年の慧眼に脱帽。
「とにかく好機を逃さない事が肝心だよ」
「好機?」
「好機というのは良い機会という意味さ」
「何か前にも聞いたような……」
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、
行動に出なくちゃいけない」
「でも、そんなにいつまでも待てないんだ。もっと具体的に教えてよ」
僕が喰い下がると、少年はまたにっこりと微笑んだ。
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
ふいに後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたので、驚いて振り向いた。
「何してるの?」
綾波さんが不思議そうな顔をして、僕を見ていた。
話を中断された僕は、もっとヒントが聞きたくて、慌てて占い師に顔を戻した。
少年の慧眼に脱帽。
「とにかく好機を逃さない事が肝心だよ」
「好機?」
「好機というのは良い機会という意味さ」
「何か前にも聞いたような……」
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、
行動に出なくちゃいけない」
「でも、そんなにいつまでも待てないんだ。もっと具体的に教えてよ」
僕が喰い下がると、少年はまたにっこりと微笑んだ。
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
ふいに後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたので、驚いて振り向いた。
「何してるの?」
綾波さんが不思議そうな顔をして、僕を見ていた。
話を中断された僕は、もっとヒントが聞きたくて、慌てて占い師に顔を戻した。
107: 2011/04/13(水) 08:55:18.30
でもそこには、何もなかったんだ。
○
綾波さんは秋頃から加持さんのもとへ出入りし始めた。
アスカと僕に続く加持さんの三人目の弟子だった。
僕たちが所属しているヱヴァパイロットの先輩であり、アスカの片腕ということだった。
そんな経緯からアスカとの縁が分かちがたいものになって、彼女は加持さんの弟子となったようだ。
彼女は僕たちと同学年で、クラスメイトだった。
歯に衣着せぬ厳しい物言いで、周囲からは敬遠されているようだった。
綺麗な青い髪を短く切り、気に入らない事があると眉間に皺を寄せて反論した。
目つきが冷ややかな所がある。そう簡単には弱々しいところを見せない女性だった。
なぜアスカみたいな女と親しむ羽目になったのか、なぜ加持師匠のマンションへ出入りするようになったのか。
ただ、彼女にも弱点はある。
肉ばかり食べるアスカとは対照的に、綾波さんは菜食主義の肉嫌いだった。
あんまんと思い込んで肉まんを食べてしまった彼女の慌てぶりを、僕は今でも思い出すよ。
○
僕は彼女と並んで歩きながら、これまでやってきたことを悔い、自主破門の道を選ぶか悩んでいることを
打ち明けた。綾波さんは眉をひそめて聞いていた。
「加持師匠も、あなた達には無理難題を言い続けてきたものね・・・」
○
綾波さんは秋頃から加持さんのもとへ出入りし始めた。
アスカと僕に続く加持さんの三人目の弟子だった。
僕たちが所属しているヱヴァパイロットの先輩であり、アスカの片腕ということだった。
そんな経緯からアスカとの縁が分かちがたいものになって、彼女は加持さんの弟子となったようだ。
彼女は僕たちと同学年で、クラスメイトだった。
歯に衣着せぬ厳しい物言いで、周囲からは敬遠されているようだった。
綺麗な青い髪を短く切り、気に入らない事があると眉間に皺を寄せて反論した。
目つきが冷ややかな所がある。そう簡単には弱々しいところを見せない女性だった。
なぜアスカみたいな女と親しむ羽目になったのか、なぜ加持師匠のマンションへ出入りするようになったのか。
ただ、彼女にも弱点はある。
肉ばかり食べるアスカとは対照的に、綾波さんは菜食主義の肉嫌いだった。
あんまんと思い込んで肉まんを食べてしまった彼女の慌てぶりを、僕は今でも思い出すよ。
○
僕は彼女と並んで歩きながら、これまでやってきたことを悔い、自主破門の道を選ぶか悩んでいることを
打ち明けた。綾波さんは眉をひそめて聞いていた。
「加持師匠も、あなた達には無理難題を言い続けてきたものね・・・」
108: 2011/04/13(水) 09:00:49.42
「昨日は遂に指令を全うできなかったしね。師匠も呆れているんじゃないかな」
僕が言うと、綾波さんは首を振った。
「そんなことはないわ。あれは師匠らしくもないことだったわ。私が昨晩そう言ったら、師匠も反省していたもの」
「綾波さんが言ったら、説得力があるもんなあ」
僕はうんうん頷きながら、笑いあった。
その後も、学校の事やNERVの事など、あれこれ喋っているうちに、僕の気もいくらか晴れていた。
「今後の振る舞いについて、もう少し考えてみるよ」
僕はそう言い、綾波さんに礼をして、その日は自宅に帰った。
○
今にして思えば、なんであんなことをして時間を浪費していたのか分からない。
加持さんの出す難題と言えば、ほとんどが意味不明なゴシップネタを集めてくることだったからさ。
第三東京市中のありとあらゆる破廉恥なゴシップを集め周り、師匠に届ける。
特に、NERV内部のゴシップを師匠は特に喜んだ。
師匠は、
「人間の欲深さを知る立派な勉強だ」
と言ったけれど、僕の人間性は高まるどころか埋もれていった。
なぜ僕らがそんな、不毛で修業と言えるかわからないものに明け暮れていたのかといえば、
ただ単に師匠の喜ぶ顔が見たかったからに他ならない。僕たちが無意味で阿呆な事をすれば、
師匠は腹の底から喜んでくれたんだ。
僕が言うと、綾波さんは首を振った。
「そんなことはないわ。あれは師匠らしくもないことだったわ。私が昨晩そう言ったら、師匠も反省していたもの」
「綾波さんが言ったら、説得力があるもんなあ」
僕はうんうん頷きながら、笑いあった。
その後も、学校の事やNERVの事など、あれこれ喋っているうちに、僕の気もいくらか晴れていた。
「今後の振る舞いについて、もう少し考えてみるよ」
僕はそう言い、綾波さんに礼をして、その日は自宅に帰った。
○
今にして思えば、なんであんなことをして時間を浪費していたのか分からない。
加持さんの出す難題と言えば、ほとんどが意味不明なゴシップネタを集めてくることだったからさ。
第三東京市中のありとあらゆる破廉恥なゴシップを集め周り、師匠に届ける。
特に、NERV内部のゴシップを師匠は特に喜んだ。
師匠は、
「人間の欲深さを知る立派な勉強だ」
と言ったけれど、僕の人間性は高まるどころか埋もれていった。
なぜ僕らがそんな、不毛で修業と言えるかわからないものに明け暮れていたのかといえば、
ただ単に師匠の喜ぶ顔が見たかったからに他ならない。僕たちが無意味で阿呆な事をすれば、
師匠は腹の底から喜んでくれたんだ。
110: 2011/04/13(水) 09:07:14.20
僕たちが師匠の意に沿うような情報を持っていけば、
「君も分かってきたじゃないか」
と満面の笑みで誉めてくれた。
少なくとも、師匠は僕に居場所を与えてくれたし、本当の父なんかよりずっと父のように慕っていた。
師匠は卑屈になることは決してなかった。あくまで傲然としていた。
それでも笑う時には、まるで子供のように無邪気だった。笑顔だけで僕とアスカを自在に動かす
師匠の巧みな技術を、葛城二佐は「加持マジック」と呼んでいたんだ。
彼が何故、碇司令の嫌がらせに耐えながらも、NERVなんぞに執着しているのか、全く分からなかった。
分かる日が来るのは、あの日。
師匠との、別れの日のことだった。
○
人生一寸先は闇だ。
僕たちはその底知れぬ闇の中から、自分の益となるものを掬い出さなければならない。
そういう哲学を学ぶために、加持さんが「闇鍋」を提案した。
たとえ闇の中であっても闇から的確に意中の具をつまみだせる技術は、生き馬の
眼を抜くような現代社会を生き延びる際に必ず役に立つというんだけれど、そんあわけあるか!
その宵、加持師匠のマンションで催された闇鍋会に集まったのは、アスカ、ミサトさん、そして僕だった。
宿題の提出期限が迫っているということで、綾波さんは来なかった。
僕だって極めて難しく、分厚い数学のプリントの束をやっつけなきゃならないと主張したけれど、
その主張は易々と却下された。ひどい男女差別だと言うほかないよ。
「君も分かってきたじゃないか」
と満面の笑みで誉めてくれた。
少なくとも、師匠は僕に居場所を与えてくれたし、本当の父なんかよりずっと父のように慕っていた。
師匠は卑屈になることは決してなかった。あくまで傲然としていた。
それでも笑う時には、まるで子供のように無邪気だった。笑顔だけで僕とアスカを自在に動かす
師匠の巧みな技術を、葛城二佐は「加持マジック」と呼んでいたんだ。
彼が何故、碇司令の嫌がらせに耐えながらも、NERVなんぞに執着しているのか、全く分からなかった。
分かる日が来るのは、あの日。
師匠との、別れの日のことだった。
○
人生一寸先は闇だ。
僕たちはその底知れぬ闇の中から、自分の益となるものを掬い出さなければならない。
そういう哲学を学ぶために、加持さんが「闇鍋」を提案した。
たとえ闇の中であっても闇から的確に意中の具をつまみだせる技術は、生き馬の
眼を抜くような現代社会を生き延びる際に必ず役に立つというんだけれど、そんあわけあるか!
その宵、加持師匠のマンションで催された闇鍋会に集まったのは、アスカ、ミサトさん、そして僕だった。
宿題の提出期限が迫っているということで、綾波さんは来なかった。
僕だって極めて難しく、分厚い数学のプリントの束をやっつけなきゃならないと主張したけれど、
その主張は易々と却下された。ひどい男女差別だと言うほかないよ。
113: 2011/04/13(水) 09:21:57.99
「大丈夫よ。私がちゃんと<印刷所>に手配してプリントを入手してあげるから」
とアスカは言ったけれど、そうやって<印刷所>からアスカが調達してくる偽造プリントに頼ることが、
僕の学問的退廃を決定的なものにしたんだ。
食材は各自が持ち寄るけれども、煮るまで正体を明かさないのがルールだ。
アスカは「ユイさん誘拐未遂」事件がそうとう腹に据えかねたらしく、
「闇鍋なんだから、何を入れても良いって訳よ、みんな」
と嫌らしい笑みを浮かべ、アヤシゲな食材を買い入れてきた。
人の不幸で飯が三杯喰えるアスカの事だから、言語を絶するものを入れるんじゃないかと、
僕は気が気じゃなかった。
アスカは野菜が大嫌いだけれど、わけてもキノコ類については人間の食べ物として
認めていない事を知っていたので、僕はキノコ類を豊富に持参した。
葛城二佐も悪戯そうな顔をしている。
相手の顔も良く見えない真っ暗な部屋にて、鍋に第一陣の具材が入った。
「いいかい、皆。箸で触ったものは責任を持って食べるんだよ」
師匠が言い渡した。
葛城二佐はエビチュを飲んでいるらしかったけれど、
「暗闇で飲むと麦酒っぽくないわね~」
とぶつぶつ言っていた。
「目に見えないとぜんぜん酔えそうにないわ」
とアスカは言ったけれど、そうやって<印刷所>からアスカが調達してくる偽造プリントに頼ることが、
僕の学問的退廃を決定的なものにしたんだ。
食材は各自が持ち寄るけれども、煮るまで正体を明かさないのがルールだ。
アスカは「ユイさん誘拐未遂」事件がそうとう腹に据えかねたらしく、
「闇鍋なんだから、何を入れても良いって訳よ、みんな」
と嫌らしい笑みを浮かべ、アヤシゲな食材を買い入れてきた。
人の不幸で飯が三杯喰えるアスカの事だから、言語を絶するものを入れるんじゃないかと、
僕は気が気じゃなかった。
アスカは野菜が大嫌いだけれど、わけてもキノコ類については人間の食べ物として
認めていない事を知っていたので、僕はキノコ類を豊富に持参した。
葛城二佐も悪戯そうな顔をしている。
相手の顔も良く見えない真っ暗な部屋にて、鍋に第一陣の具材が入った。
「いいかい、皆。箸で触ったものは責任を持って食べるんだよ」
師匠が言い渡した。
葛城二佐はエビチュを飲んでいるらしかったけれど、
「暗闇で飲むと麦酒っぽくないわね~」
とぶつぶつ言っていた。
「目に見えないとぜんぜん酔えそうにないわ」
114: 2011/04/13(水) 09:25:45.10
おかしいな?
まだ始まったばかりなのに、何だこの空き缶の山は……。
葛城二佐は、既に酒豪っぷりを発揮し、やりたい放題やっていた。
○
僕が葛城二佐に誘われて、彼女のマンションに居候するようになったのは、
4月の終わりのことだった。
使徒との緒戦から二週間、病院から逃げ出した僕を受け入れてくれた、頼りになる女性。
彼女は仕事が忙しく、あまり家に帰ってくることはなかったけれど、それでもたまの休みには
一緒にゲームをしたり、食事を楽しんだ。
僕たちが加持師匠のもとで色々なやんちゃをしていると知りつつも、何も言わずやりたいように
やらせてくれる器量がある。
彼女はとても美人だった。戦国武将の妻のように、きりりと覇気みなぎる顔をしているんだ。
その気になれば、僕やアスカなど一刀両断しかねない気迫もある。元軍人という話にも頷けるね。
好物は、エチルアルコールだ。
これまでアスカと何度か討議した事があるけれど、葛城二佐はそこはかとなく師匠の
恋人であるような気配がありながらも判然とせず、弟子というわけでもなく、もちろん妻というわけでもない。
謎めいていた。
葛城二佐は加持師匠と同い年で、赤木博士という女部長とも古い付き合いだという。
しかも3人は同じ大学の出身者で、今でも3人で呑む仲らしい。
まだ始まったばかりなのに、何だこの空き缶の山は……。
葛城二佐は、既に酒豪っぷりを発揮し、やりたい放題やっていた。
○
僕が葛城二佐に誘われて、彼女のマンションに居候するようになったのは、
4月の終わりのことだった。
使徒との緒戦から二週間、病院から逃げ出した僕を受け入れてくれた、頼りになる女性。
彼女は仕事が忙しく、あまり家に帰ってくることはなかったけれど、それでもたまの休みには
一緒にゲームをしたり、食事を楽しんだ。
僕たちが加持師匠のもとで色々なやんちゃをしていると知りつつも、何も言わずやりたいように
やらせてくれる器量がある。
彼女はとても美人だった。戦国武将の妻のように、きりりと覇気みなぎる顔をしているんだ。
その気になれば、僕やアスカなど一刀両断しかねない気迫もある。元軍人という話にも頷けるね。
好物は、エチルアルコールだ。
これまでアスカと何度か討議した事があるけれど、葛城二佐はそこはかとなく師匠の
恋人であるような気配がありながらも判然とせず、弟子というわけでもなく、もちろん妻というわけでもない。
謎めいていた。
葛城二佐は加持師匠と同い年で、赤木博士という女部長とも古い付き合いだという。
しかも3人は同じ大学の出身者で、今でも3人で呑む仲らしい。
116: 2011/04/13(水) 09:30:33.01
加持さん・ミサトさん・赤木博士の3人に、かつてどういういきさつがあってNERVに
入ったのかは定かじゃない。でもおそらく、加持師匠がこうした傲然とした生活を続けている訳を、
葛城二佐は詳細を知っているに違いなかった。
僕とアスカは葛城二佐が酔っぱらったところを見計らって聞き出そうと企てたことがあったけれど、
返り打ちにあった。それ以来、彼女から何かを聞き出そうとしたことはなかった。
○
見えないものを食べるというのは、思いのほか不気味なことだ。
しかも鍋を囲む4人の中には悪意の純粋結晶たるアスカという怪人がいる。
「何だかコレうにょうにょしてるわよッ?」
と葛城二佐が悲鳴を上げて放り投げたものが僕の額に当たり、僕はうぎゃッと呻いた。
僕はそのうにょうにょしたものを、アスカがいるらしい方向へ投げ返した。
向こうからも
「うえぇ~!」
というくぐもった悲鳴が聞こえた。
後に分かったことだけど、それはちぢれ麺に過ぎなかった。
でも、暗闇では何だか細長い虫のように思われたんだよ。
「なんなのよこれは!エイリアンのへその緒かしら?」
アスカが言った。
「どうせ君が入れたんだろう。君が食べなよ」
「イヤよ!」
入ったのかは定かじゃない。でもおそらく、加持師匠がこうした傲然とした生活を続けている訳を、
葛城二佐は詳細を知っているに違いなかった。
僕とアスカは葛城二佐が酔っぱらったところを見計らって聞き出そうと企てたことがあったけれど、
返り打ちにあった。それ以来、彼女から何かを聞き出そうとしたことはなかった。
○
見えないものを食べるというのは、思いのほか不気味なことだ。
しかも鍋を囲む4人の中には悪意の純粋結晶たるアスカという怪人がいる。
「何だかコレうにょうにょしてるわよッ?」
と葛城二佐が悲鳴を上げて放り投げたものが僕の額に当たり、僕はうぎゃッと呻いた。
僕はそのうにょうにょしたものを、アスカがいるらしい方向へ投げ返した。
向こうからも
「うえぇ~!」
というくぐもった悲鳴が聞こえた。
後に分かったことだけど、それはちぢれ麺に過ぎなかった。
でも、暗闇では何だか細長い虫のように思われたんだよ。
「なんなのよこれは!エイリアンのへその緒かしら?」
アスカが言った。
「どうせ君が入れたんだろう。君が食べなよ」
「イヤよ!」
117: 2011/04/13(水) 09:33:54.56
「皆、食べ物で遊んじゃいけないぞ」
加持師匠が家長のように言い渡したので、僕たちはおとなしくなった。
やがて椎茸を掴んだらしいアスカが、
「何よコレェ~?菌の塊じゃない!」
ときいきい言ったので僕はほくそ笑んだ。
僕の方は、親指ほどの大きさの妖怪めいたものを引き上げて心臓が止まりかけたけれど、
落ち着いて調べてみるとホタル烏賊だった。
第三陣まで食べ進んだところで、妙に鍋の具が甘くなってきた。
しかも何だか麦酒臭い匂いもする。
「ちょっと、アスカ。君、あんこ入れたな?」
僕は怒鳴った。
アスカは
「ムフフフ」
と笑い声を立てた。
「でもミサトは麦酒を入れたじゃないの」
「ばれた?でも味に深みが出るでしょう?」
「もはや深すぎて何だか分かりません。大体、僕たち未成年ですよ!」
僕は言った。
「深遠なる鍋だな……」
加持さんが感慨深げに呟く。師匠、今のは別にうまくないですよ。
加持師匠が家長のように言い渡したので、僕たちはおとなしくなった。
やがて椎茸を掴んだらしいアスカが、
「何よコレェ~?菌の塊じゃない!」
ときいきい言ったので僕はほくそ笑んだ。
僕の方は、親指ほどの大きさの妖怪めいたものを引き上げて心臓が止まりかけたけれど、
落ち着いて調べてみるとホタル烏賊だった。
第三陣まで食べ進んだところで、妙に鍋の具が甘くなってきた。
しかも何だか麦酒臭い匂いもする。
「ちょっと、アスカ。君、あんこ入れたな?」
僕は怒鳴った。
アスカは
「ムフフフ」
と笑い声を立てた。
「でもミサトは麦酒を入れたじゃないの」
「ばれた?でも味に深みが出るでしょう?」
「もはや深すぎて何だか分かりません。大体、僕たち未成年ですよ!」
僕は言った。
「深遠なる鍋だな……」
加持さんが感慨深げに呟く。師匠、今のは別にうまくないですよ。
118: 2011/04/13(水) 09:39:52.69
「皆、念のため言っておくけどね。マシュマロを入れたのは私じゃないからね」
アスカが静かに宣言した。マシュマロを掴んだらしい。
僕たちは鍋をつつきながら、最近あった出来事を話し合った。
僕は、「ユイさん誘拐事件」が綾波さんの主張によってお流れになった話をした。
葛城二佐はけらけら笑った。
「レイが正しいと思うなあ。誘拐はひどいわよ」
と彼女は言った。
アスカが憮然として反論した。
「万全の準備をした私の立場を、ちょっとは考えてよミサト!それに碇司令は加持さんの愛車を
桃色に染めたのよ。まったくやることが卑怯ったらないわ!」
「だって、それは笑えるじゃないの。車の色だってすぐに落ちたんでしょう?
司令も顔の割にやることが洒落てるわ~」
憮然としたアスカは黙りこみ、闇と渾然一体となった。そのまま暗がりに紛れ、
もはや何処にいるのか分からなくなった。
「自業自得とは言え、碇司令も良くやるわねぇ」
葛城二佐はしみじみと言った。
それから先はもうほとんど食べずに僕たちはあれこれ喋った。葛城二佐はまだぐいぐい
エビチュをあおっているらしい。不機嫌になったアスカがぜんぜん喋らないのが不気味だった。
「アスカ、何故黙ってるんだ?」
師匠が怪訝そうに言った。
アスカが静かに宣言した。マシュマロを掴んだらしい。
僕たちは鍋をつつきながら、最近あった出来事を話し合った。
僕は、「ユイさん誘拐事件」が綾波さんの主張によってお流れになった話をした。
葛城二佐はけらけら笑った。
「レイが正しいと思うなあ。誘拐はひどいわよ」
と彼女は言った。
アスカが憮然として反論した。
「万全の準備をした私の立場を、ちょっとは考えてよミサト!それに碇司令は加持さんの愛車を
桃色に染めたのよ。まったくやることが卑怯ったらないわ!」
「だって、それは笑えるじゃないの。車の色だってすぐに落ちたんでしょう?
司令も顔の割にやることが洒落てるわ~」
憮然としたアスカは黙りこみ、闇と渾然一体となった。そのまま暗がりに紛れ、
もはや何処にいるのか分からなくなった。
「自業自得とは言え、碇司令も良くやるわねぇ」
葛城二佐はしみじみと言った。
それから先はもうほとんど食べずに僕たちはあれこれ喋った。葛城二佐はまだぐいぐい
エビチュをあおっているらしい。不機嫌になったアスカがぜんぜん喋らないのが不気味だった。
「アスカ、何故黙ってるんだ?」
師匠が怪訝そうに言った。
119: 2011/04/13(水) 09:42:24.59
「本当にそこにいるのか?」
ぜんぜんアスカが応じないので、葛城二佐が
「アスカが居ないなら、アスカの恋人の話をしましょ」
と言った。
「アスカに恋人が居るんですか?」
僕は怒りに震えた。
「もう半年以上の付き合いなのよん。第三東京市に住んでる同い年の子らしいわ。見たことないけど。
一度彼に振られかけた時、アスカが私に電話で相談してきてね。夜通しめそめそ泣いて・・・」
闇に潜んでいたアスカが
「嘘よ、嘘っぱちだわ!」
とぎゃあぎゃあ叫んだ。
「やっぱりそこにいるじゃないか」
師匠が嬉しそうに言った。
「どうなのアスカ。彼とはうまくいってるの?」
ミサトさんが面白そうに追求する。
「黙秘権を主張するわ!」
アスカは闇の中で言い放った。
「どんな名前だったかなあ」
葛城二佐は思案している。
「たしか、なぎ・・・・・」
ぜんぜんアスカが応じないので、葛城二佐が
「アスカが居ないなら、アスカの恋人の話をしましょ」
と言った。
「アスカに恋人が居るんですか?」
僕は怒りに震えた。
「もう半年以上の付き合いなのよん。第三東京市に住んでる同い年の子らしいわ。見たことないけど。
一度彼に振られかけた時、アスカが私に電話で相談してきてね。夜通しめそめそ泣いて・・・」
闇に潜んでいたアスカが
「嘘よ、嘘っぱちだわ!」
とぎゃあぎゃあ叫んだ。
「やっぱりそこにいるじゃないか」
師匠が嬉しそうに言った。
「どうなのアスカ。彼とはうまくいってるの?」
ミサトさんが面白そうに追求する。
「黙秘権を主張するわ!」
アスカは闇の中で言い放った。
「どんな名前だったかなあ」
葛城二佐は思案している。
「たしか、なぎ・・・・・」
120: 2011/04/13(水) 09:45:15.46
彼女はそこまで言いかけたけれど、アスカが
「黙秘権を主張するわ」
「弁護士を呼びなさい」
と連呼し始めたので、笑いながら止めてしまった。
「アスカ~!自分だけムフフなことやりやがって!」
と僕が怒りに任せて言うと、
「何のことかしら」
とアスカは白を切った。
アスカ方面の闇を睨んでいると、隣に座って一人がむしゃらに鍋をつついていた加持さんが
「おや、これはとても大きいぞ」
とくぐもった声を上げた。
それから
「なんだかとても硬いな」
と怪訝な声を出し、とりあえずかじってみようと試みたらしい。
「これは食べ物じゃないようだ」
師匠は静かに言った。
「食べられないものを入れるのは、ルール違反だろう?」
「明かりを点けますか?」
僕が立ち上がって蛍光灯を点けると、アスカや葛城二佐が唖然とした顔をしていた。
師匠の取り皿には、黒ぶちのごつい眼鏡がのっていた。
「なんで眼鏡が鍋に入ってるのよ?」
葛城二佐が言った。
「黙秘権を主張するわ」
「弁護士を呼びなさい」
と連呼し始めたので、笑いながら止めてしまった。
「アスカ~!自分だけムフフなことやりやがって!」
と僕が怒りに任せて言うと、
「何のことかしら」
とアスカは白を切った。
アスカ方面の闇を睨んでいると、隣に座って一人がむしゃらに鍋をつついていた加持さんが
「おや、これはとても大きいぞ」
とくぐもった声を上げた。
それから
「なんだかとても硬いな」
と怪訝な声を出し、とりあえずかじってみようと試みたらしい。
「これは食べ物じゃないようだ」
師匠は静かに言った。
「食べられないものを入れるのは、ルール違反だろう?」
「明かりを点けますか?」
僕が立ち上がって蛍光灯を点けると、アスカや葛城二佐が唖然とした顔をしていた。
師匠の取り皿には、黒ぶちのごつい眼鏡がのっていた。
「なんで眼鏡が鍋に入ってるのよ?」
葛城二佐が言った。
121: 2011/04/13(水) 09:49:56.64
「誰だい?こんなものを入れたのは」
師匠が訊ねた。
「食べるに食べられないじゃないか」
しかし、アスカも僕も葛城二佐にも心当たりはなかった。
誰かの落し物が、僕たちの買い物袋に紛れ込んだのだろうと、その場は一応納得した。
NERVに行った時に落し物として届けようということで、僕が眼鏡を受け取った。
○
葛城二佐は気持ちのいい人ではあるけれど、酒を飲みすぎるのが困る。
だんだん顔が白くなってきて、目が据わってきて、おもむろに人の顔を舐め始める。
しかし、加持師匠は面白い一発芸でも見るような顔をしていた。
やがてアスカは背中を丸めて、部屋の隅で眠り始めた。
葛城二佐もようやく落ち着いて、うつらうつらしている。
「俺は旅に出るんだ」
師匠は歌うように言った。
「なんでよ……どこへ行くつもり?」
葛城二佐が眠そうな顔を上げて言った。
「アルバイトが公になったんでね。もう、NERVに俺の居場所は無くなったのさ。
身を隠すついでに、世界を見て回ろうと思う。葛城も一緒に来るかい?」
師匠が訊ねた。
「食べるに食べられないじゃないか」
しかし、アスカも僕も葛城二佐にも心当たりはなかった。
誰かの落し物が、僕たちの買い物袋に紛れ込んだのだろうと、その場は一応納得した。
NERVに行った時に落し物として届けようということで、僕が眼鏡を受け取った。
○
葛城二佐は気持ちのいい人ではあるけれど、酒を飲みすぎるのが困る。
だんだん顔が白くなってきて、目が据わってきて、おもむろに人の顔を舐め始める。
しかし、加持師匠は面白い一発芸でも見るような顔をしていた。
やがてアスカは背中を丸めて、部屋の隅で眠り始めた。
葛城二佐もようやく落ち着いて、うつらうつらしている。
「俺は旅に出るんだ」
師匠は歌うように言った。
「なんでよ……どこへ行くつもり?」
葛城二佐が眠そうな顔を上げて言った。
「アルバイトが公になったんでね。もう、NERVに俺の居場所は無くなったのさ。
身を隠すついでに、世界を見て回ろうと思う。葛城も一緒に来るかい?」
124: 2011/04/13(水) 10:03:57.98
「無茶言わないでよ。馬鹿馬鹿しい……」
「師匠、アルバイトってなんですか?」
僕が訊ねた。
「こいつはね、二重スパイをしてたのよ。日本政府とNERVのね。まったく、
私は黙ってあげてたのに、結局バレちゃったのねぇ」
葛城二佐が代わりに答えた。
あまりの答えに、僕は絶句した。
二人とも何気ないように話しているけれど、とんでもないこと言ってないか?
師匠がスパイ?それじゃ、僕とアスカを弟子に取ったのは何故?
二人とも、こうなることを覚悟していたの?思考の渦に巻かれ、頭がパンクしてしまった。
聞きたいことが沢山あるのに、うまく言葉にできない。
「でも加持君。あの約束はどうなったのよ?」
「いや、ちゃんと手は打つさ。それより、今夜は俺がこの街で過ごす最後の夜だ。
記念に屋台ラーメンを食べに行こう」
「アスカ、起こそうか?」
葛城二佐が言うと、師匠は首を振った。
すいません。所用が出来た為、ココで一旦区切ります。
夕方から再開します。
「師匠、アルバイトってなんですか?」
僕が訊ねた。
「こいつはね、二重スパイをしてたのよ。日本政府とNERVのね。まったく、
私は黙ってあげてたのに、結局バレちゃったのねぇ」
葛城二佐が代わりに答えた。
あまりの答えに、僕は絶句した。
二人とも何気ないように話しているけれど、とんでもないこと言ってないか?
師匠がスパイ?それじゃ、僕とアスカを弟子に取ったのは何故?
二人とも、こうなることを覚悟していたの?思考の渦に巻かれ、頭がパンクしてしまった。
聞きたいことが沢山あるのに、うまく言葉にできない。
「でも加持君。あの約束はどうなったのよ?」
「いや、ちゃんと手は打つさ。それより、今夜は俺がこの街で過ごす最後の夜だ。
記念に屋台ラーメンを食べに行こう」
「アスカ、起こそうか?」
葛城二佐が言うと、師匠は首を振った。
すいません。所用が出来た為、ココで一旦区切ります。
夕方から再開します。
136: 2011/04/13(水) 15:24:20.88
「アスカは寝かせておこう。俺達三人だけで良いだろう」
師匠はにっこり笑った。
「これから、赤木博士に会うのさ」
○
高層マンションの暗い通りを、加持師匠は悠々と歩いていく。
夜中なのでひっそりとしていて、ビルの隙間から吹きすさぶ風も、どこか悲しく感じさせた。
先に立つ師匠の後を、僕は黙ってついて行く。
葛城二佐はまだ足取りがふわふわしていたけれど、顔は暗く、緊張しているように見えた。
第三新東京市名物の屋台ラーメンは、使徒から出汁を取っているという噂だったけれど、
その噂の真偽はともかくとして、味は無類なのさ。
高層マンションの谷間の暗がりにぽつねんと屋台があって、電球の明かりがある。
涼しい夜気の中を温かそうな湯気が漂っていた。
師匠が楽しそうに鼻を鳴らして、くいっと顎をしゃくった。見てみると先客が一人だけいる。
彼女は床机に腰かけて熱燗をちびちびやっていた。
僕たちが近づいていくと、
「あら」
と先客が顔を上げた。
加持さん達と知り合いということは、この人が赤木博士なのだろう。
彼女は二人に笑いかけ、挨拶をしていた。
師匠はにっこり笑った。
「これから、赤木博士に会うのさ」
○
高層マンションの暗い通りを、加持師匠は悠々と歩いていく。
夜中なのでひっそりとしていて、ビルの隙間から吹きすさぶ風も、どこか悲しく感じさせた。
先に立つ師匠の後を、僕は黙ってついて行く。
葛城二佐はまだ足取りがふわふわしていたけれど、顔は暗く、緊張しているように見えた。
第三新東京市名物の屋台ラーメンは、使徒から出汁を取っているという噂だったけれど、
その噂の真偽はともかくとして、味は無類なのさ。
高層マンションの谷間の暗がりにぽつねんと屋台があって、電球の明かりがある。
涼しい夜気の中を温かそうな湯気が漂っていた。
師匠が楽しそうに鼻を鳴らして、くいっと顎をしゃくった。見てみると先客が一人だけいる。
彼女は床机に腰かけて熱燗をちびちびやっていた。
僕たちが近づいていくと、
「あら」
と先客が顔を上げた。
加持さん達と知り合いということは、この人が赤木博士なのだろう。
彼女は二人に笑いかけ、挨拶をしていた。
137: 2011/04/13(水) 15:28:49.04
「遅いわよ」
赤木博士は言った。
「わざわざ済まないな、りっちゃん」
加持師匠は言った。
「リツコったら、仕事ほっぽり出してラーメン食べてたの?」
葛城二佐がおどけたように聞いた。
「馬鹿言わないでよミサト。貴女じゃあるまいし。仕事はちゃんと済ませて来たわ」
僕たち三人はならんで床机に腰かけた。僕は何だか身の置き場に困惑し、一番隅でいじけていた。
一体この集まりはなんだろう?シンクロテストはいつも伊吹ニ尉という職員が担当している。
だから、技術部長なんて表に出てくることもなかったから、僕は彼女を初めて見たんだ。
話しかけるべきか、僕は戸惑っていた。
赤木博士は妙齢の美しい女性だった。髪を金髪に染めているのは、何かの
自己主張の現れなんだろうか?
なんにせよ、こうして三人揃ったところを観察してみる。ああ、似た者同士なんだな……、そう思った。
長年連れ添った人間が漂わせる雰囲気を、肌で感じることができる。
聞きたいことは沢山あったけれど、ここはぐっと我慢して、成り行きを見守ることにした。
○
「で、何の御用?」
赤木博士はラーメンをすすりながら、今日呼び出された理由を聞いてきた。
赤木博士は言った。
「わざわざ済まないな、りっちゃん」
加持師匠は言った。
「リツコったら、仕事ほっぽり出してラーメン食べてたの?」
葛城二佐がおどけたように聞いた。
「馬鹿言わないでよミサト。貴女じゃあるまいし。仕事はちゃんと済ませて来たわ」
僕たち三人はならんで床机に腰かけた。僕は何だか身の置き場に困惑し、一番隅でいじけていた。
一体この集まりはなんだろう?シンクロテストはいつも伊吹ニ尉という職員が担当している。
だから、技術部長なんて表に出てくることもなかったから、僕は彼女を初めて見たんだ。
話しかけるべきか、僕は戸惑っていた。
赤木博士は妙齢の美しい女性だった。髪を金髪に染めているのは、何かの
自己主張の現れなんだろうか?
なんにせよ、こうして三人揃ったところを観察してみる。ああ、似た者同士なんだな……、そう思った。
長年連れ添った人間が漂わせる雰囲気を、肌で感じることができる。
聞きたいことは沢山あったけれど、ここはぐっと我慢して、成り行きを見守ることにした。
○
「で、何の御用?」
赤木博士はラーメンをすすりながら、今日呼び出された理由を聞いてきた。
138: 2011/04/13(水) 15:32:44.05
「りっちゃんだって分かってるんだろう?俺は明日、姿を消すからね。挨拶に来たのさ」
「本当に行っちゃうのねえ……。今度ばかりは、碇司令も黙ってないかもね」
赤木博士は、感慨深そうに、また口惜しそうに言った。
「だから、りっちゃんに頼んだんじゃないか。アレ、出来てるんだろう?」
「問題ないわよ。いつでもどうぞ」
二人は、ふたりだけに分かる言葉と目配せで、お互いの伝えたいことを終えたようだ。
「それじゃ、安心して行けるな」
師匠はそう言うと、手をこすり合わせる。そうして、注文していたラーメンをすすり始めた。
「ま~た二人で悪だくみ?今度は何をやらかそうってのよ」
葛城二佐は気分が悪いらしく、机に突っ伏しながら聞いてきた。
「明日になりゃ、分かるよ。その為に、弟子たちにはもう一仕事してもらわないとな」
ふと、赤木博士が僕を見ながら聞いてきた。
「この子がそうなのね?」
「ああ、俺の弟子の一人さ」
話を聞いていても、僕にはさっぱり理解できなかった。
その後も三人は和やかに会談を続け、ラーメンの丼が空になったので、お開きとなった。
赤木博士は颯爽とタクシーで去った。
「本当に行っちゃうのねえ……。今度ばかりは、碇司令も黙ってないかもね」
赤木博士は、感慨深そうに、また口惜しそうに言った。
「だから、りっちゃんに頼んだんじゃないか。アレ、出来てるんだろう?」
「問題ないわよ。いつでもどうぞ」
二人は、ふたりだけに分かる言葉と目配せで、お互いの伝えたいことを終えたようだ。
「それじゃ、安心して行けるな」
師匠はそう言うと、手をこすり合わせる。そうして、注文していたラーメンをすすり始めた。
「ま~た二人で悪だくみ?今度は何をやらかそうってのよ」
葛城二佐は気分が悪いらしく、机に突っ伏しながら聞いてきた。
「明日になりゃ、分かるよ。その為に、弟子たちにはもう一仕事してもらわないとな」
ふと、赤木博士が僕を見ながら聞いてきた。
「この子がそうなのね?」
「ああ、俺の弟子の一人さ」
話を聞いていても、僕にはさっぱり理解できなかった。
その後も三人は和やかに会談を続け、ラーメンの丼が空になったので、お開きとなった。
赤木博士は颯爽とタクシーで去った。
139: 2011/04/13(水) 15:38:27.62
加持師匠は
「そろそろアスカを家に帰して、最後の仕事を済ませてしまおう」
と言い、大きな欠伸をした。
「師匠、まだ何も話してもらっていません!一体、何が起こっているんですか?」
僕は追求した。
「スパイって、どういうことなんです?」
「また明日きちんと説明するさ。今日はもう帰って休みなさい」
師匠は繁華街へ消えていった。
僕は同居人の葛城二佐を自宅へ送り届ける役目を仰せつかった。
彼女は首飾りにしている十字架をふわふわともてあそびながら、暗い夜道を歩いた。
そんな乙女チックな所作に励んでいるためか、戦国武将のような覇気はなりをひそめ、
やや寂しそうであり、むしろ悩める乙女みたいだった。
僕は怪訝に思いつつ、彼女と一緒に住宅街を歩いて行った。
「赤木博士は、何というか、クールですね」
僕が言うと、葛城二佐はふふんと笑った。
「本当は加持君とあんまり変わらないけどね」
「そうなんですか?正反対のように思えます」
「人間はロジックじゃない~なんて言って、いつも自分の気持ちをはぐらかして。
楽しいくせに、顔には出さないのよ」
「そろそろアスカを家に帰して、最後の仕事を済ませてしまおう」
と言い、大きな欠伸をした。
「師匠、まだ何も話してもらっていません!一体、何が起こっているんですか?」
僕は追求した。
「スパイって、どういうことなんです?」
「また明日きちんと説明するさ。今日はもう帰って休みなさい」
師匠は繁華街へ消えていった。
僕は同居人の葛城二佐を自宅へ送り届ける役目を仰せつかった。
彼女は首飾りにしている十字架をふわふわともてあそびながら、暗い夜道を歩いた。
そんな乙女チックな所作に励んでいるためか、戦国武将のような覇気はなりをひそめ、
やや寂しそうであり、むしろ悩める乙女みたいだった。
僕は怪訝に思いつつ、彼女と一緒に住宅街を歩いて行った。
「赤木博士は、何というか、クールですね」
僕が言うと、葛城二佐はふふんと笑った。
「本当は加持君とあんまり変わらないけどね」
「そうなんですか?正反対のように思えます」
「人間はロジックじゃない~なんて言って、いつも自分の気持ちをはぐらかして。
楽しいくせに、顔には出さないのよ」
140: 2011/04/13(水) 15:43:20.59
「信じられないなぁ」
「リツコは昔から、そんなヤツだったわ……」
葛城二佐はそう言って橋のたもとへ駆け寄った。
彼女はしばらく川の流れを眺めていたけれど、やがて
「ふん!」
と鼻を鳴らし、大声で叫んだ。
「いいわよ!どこへでも行っちゃいなさい!」
葛城二佐は鼻息荒く、僕に向かって言った。
「悪いけど、先に帰っていて?一人になりたいの」
女性にこう言われては頷くしかない。
僕は
「夜道に気をつけるように」
と言い残し、一人でコンフォート17へ帰っていった。
○
葛城二佐を橋に残し、自宅へ戻った。
ひどく疲れた―――。
玄関で靴を乱雑に脱ぎ捨て、部屋へ向かう。すると、部屋の奥から不吉な気配が漂ってきた。
こんな嫌な予感を感じさせる人物は、僕の知っている限り一人しかいない。
リビングの前にひどく不気味な獣が座り込んでいると思ったら、やはりアスカだった。
「リツコは昔から、そんなヤツだったわ……」
葛城二佐はそう言って橋のたもとへ駆け寄った。
彼女はしばらく川の流れを眺めていたけれど、やがて
「ふん!」
と鼻を鳴らし、大声で叫んだ。
「いいわよ!どこへでも行っちゃいなさい!」
葛城二佐は鼻息荒く、僕に向かって言った。
「悪いけど、先に帰っていて?一人になりたいの」
女性にこう言われては頷くしかない。
僕は
「夜道に気をつけるように」
と言い残し、一人でコンフォート17へ帰っていった。
○
葛城二佐を橋に残し、自宅へ戻った。
ひどく疲れた―――。
玄関で靴を乱雑に脱ぎ捨て、部屋へ向かう。すると、部屋の奥から不吉な気配が漂ってきた。
こんな嫌な予感を感じさせる人物は、僕の知っている限り一人しかいない。
リビングの前にひどく不気味な獣が座り込んでいると思ったら、やはりアスカだった。
141: 2011/04/13(水) 15:48:03.92
「加持師匠に帰れって言われたんだろう?早く自分の部屋へ戻りなよ」
と僕は言ったけれど、アスカは
「そんなつれない事言わないで」
と言いながらへ上がりこみ、僕の部屋の隅に氏体のように横たわった。
「何で僕の部屋に来るんだよ。君の部屋は隣だろう?」
「私をのけ者にして、みんなどこ行ってたのよ?」
彼女は聞き返してきた。
「屋台ラーメンだよ」
「ずるい!私はさびしい。さびしくて消えちゃいそうよ」
「願ったりかなったりさ」
しばらくアスカは何か哀れげな声を出していたけれど、やがて飽きたらしく、寝た。
床の上を転がしてベランダに押し出そうとすると、
「ムム……」
と抵抗した。
ベッドにもぐりこんで、僕は思案に耽った。アスカの奴、人の気も知らないで……。
と僕は言ったけれど、アスカは
「そんなつれない事言わないで」
と言いながらへ上がりこみ、僕の部屋の隅に氏体のように横たわった。
「何で僕の部屋に来るんだよ。君の部屋は隣だろう?」
「私をのけ者にして、みんなどこ行ってたのよ?」
彼女は聞き返してきた。
「屋台ラーメンだよ」
「ずるい!私はさびしい。さびしくて消えちゃいそうよ」
「願ったりかなったりさ」
しばらくアスカは何か哀れげな声を出していたけれど、やがて飽きたらしく、寝た。
床の上を転がしてベランダに押し出そうとすると、
「ムム……」
と抵抗した。
ベッドにもぐりこんで、僕は思案に耽った。アスカの奴、人の気も知らないで……。
142: 2011/04/13(水) 15:52:43.76
加持さんの身に、何か重大な危機が迫っているようだという事だけは分かる。
でもそれが、一体何故なのかが分からない。あれこれ考えているうちに、いつの間にか
眠ってしまっていたようだ。
○
休日の朝7時と言えば、学生にとっては夜のようなものだ。
そんな時間に、やかましくインターホンを鳴らす音で起こされた。
誰も出ないってことは、ミサトさんはまだ帰っていなのか……。
それに、アスカも姿が見えない。僕が寝ている間に、自室へ戻ったようだ。
ドアを開けると案の定、束ねた黒髪をもしゃもしゃにした加持さんが廊下に立っていた。
「今日、お別れなんて嘘ですよね……?」
僕が言うと、師匠は煙草を吸いながら、ゆったりとした表情で僕を見下ろした。
「終わったよ、終わったんだ」
達観したように、彼は言った。
僕は思わず緊張し、
「何が終わったんです」
と詰め寄った。
師匠は言い淀み、
「良い朝だ。少しドライブでもしよう」
とはぐらかして、車に乗るよう促した。
でもそれが、一体何故なのかが分からない。あれこれ考えているうちに、いつの間にか
眠ってしまっていたようだ。
○
休日の朝7時と言えば、学生にとっては夜のようなものだ。
そんな時間に、やかましくインターホンを鳴らす音で起こされた。
誰も出ないってことは、ミサトさんはまだ帰っていなのか……。
それに、アスカも姿が見えない。僕が寝ている間に、自室へ戻ったようだ。
ドアを開けると案の定、束ねた黒髪をもしゃもしゃにした加持さんが廊下に立っていた。
「今日、お別れなんて嘘ですよね……?」
僕が言うと、師匠は煙草を吸いながら、ゆったりとした表情で僕を見下ろした。
「終わったよ、終わったんだ」
達観したように、彼は言った。
僕は思わず緊張し、
「何が終わったんです」
と詰め寄った。
師匠は言い淀み、
「良い朝だ。少しドライブでもしよう」
とはぐらかして、車に乗るよう促した。
144: 2011/04/13(水) 15:57:25.37
そうして僕たちはひんやりした朝の空気の中、車を走らせていった。
○
たどり着いた場所はNERVの自然庭園だった。
師匠は林を抜けてゆき、土手を下りていく。
林を抜けると一面の野原が広がっていて、そのまま緑に吸い込まれそうだった。
ここは師匠のお気に入りの場所で、すいか畑がある。
僕やアスカもよく土いじりを手伝った。
遠くにNERV本部のピラミッド型の建物がそびえ立っているのが見える。
朝だというのに、研究員たちが早くも働きだしているらしい。ガラスから光が漏れている。
師匠はすいか畑の横の原っぱに寝転がり、煙草をぷかぷかとやりだした。
僕も師匠のそばに座った。
師匠は煙草を吸いながら、
「この場所に来るのも最後だな」
と言った。
「そんな、冗談やめて下さいよ……」
僕はいまだに、師匠がどこか遠くへ行くとは信じられないでいたんだ。
「……昨日、占い師に見てもらったんです」
重い空気に耐えきれず、話を逸らそうと、ぽつんと言った。
「おいおい、まだ人生がはじまってもいないのに迷ってるのかい?」
師匠は愉快そうな顔をした。
○
たどり着いた場所はNERVの自然庭園だった。
師匠は林を抜けてゆき、土手を下りていく。
林を抜けると一面の野原が広がっていて、そのまま緑に吸い込まれそうだった。
ここは師匠のお気に入りの場所で、すいか畑がある。
僕やアスカもよく土いじりを手伝った。
遠くにNERV本部のピラミッド型の建物がそびえ立っているのが見える。
朝だというのに、研究員たちが早くも働きだしているらしい。ガラスから光が漏れている。
師匠はすいか畑の横の原っぱに寝転がり、煙草をぷかぷかとやりだした。
僕も師匠のそばに座った。
師匠は煙草を吸いながら、
「この場所に来るのも最後だな」
と言った。
「そんな、冗談やめて下さいよ……」
僕はいまだに、師匠がどこか遠くへ行くとは信じられないでいたんだ。
「……昨日、占い師に見てもらったんです」
重い空気に耐えきれず、話を逸らそうと、ぽつんと言った。
「おいおい、まだ人生がはじまってもいないのに迷ってるのかい?」
師匠は愉快そうな顔をした。
145: 2011/04/13(水) 16:02:08.66
「君の歩んでいる道は、まだお母さんのお腹の延長だぞ」
「だって……だって……!せっかくの人生を、ヱヴァに乗って殺されかけたり、
アスカの悪ふざけに付き合ったり、父さんとのくだらない争いを続けたりして、
棒に振る訳にはいかないんです」
「パイロットのことならもういいぞ。最初に君と出会った時の取引を覚えているかい?
昨日NERVに手をまわしておいたから、もう無理やり乗れなんて脅されたりしないさ。
心配しなくても良い」
師匠は諭すように言った。
「君なら大丈夫だ。これまで10ヶ月よく頑張ってきたじゃないか。この先1年と言わず、
2年でも3年でも、きっと立派にやっていけるだろう。俺が保障する」
「何の根拠もないじゃないですか……」
僕はため息をついた。
「僕はいかに自分の意見を持たず、他人に振り回されてきたのかに気づいたんです。自分の可能性というものを、
もっとちゃんと考えるべきだった。僕はこの街に来た時に選択を誤ったんです。次こそ好機を掴んで、
別の人生へ脱出しなくっちゃ」
「好機ねぇ……」
師匠は無精髭の生えた顎をガリガリかきながら、僕を見た。
「可能性という言葉をところ構わず使っちゃいけない。人間は生まれた時から平等じゃないからな。
決してなりえないものも、中にはあるんだよ」
師匠は言った。
「だって……だって……!せっかくの人生を、ヱヴァに乗って殺されかけたり、
アスカの悪ふざけに付き合ったり、父さんとのくだらない争いを続けたりして、
棒に振る訳にはいかないんです」
「パイロットのことならもういいぞ。最初に君と出会った時の取引を覚えているかい?
昨日NERVに手をまわしておいたから、もう無理やり乗れなんて脅されたりしないさ。
心配しなくても良い」
師匠は諭すように言った。
「君なら大丈夫だ。これまで10ヶ月よく頑張ってきたじゃないか。この先1年と言わず、
2年でも3年でも、きっと立派にやっていけるだろう。俺が保障する」
「何の根拠もないじゃないですか……」
僕はため息をついた。
「僕はいかに自分の意見を持たず、他人に振り回されてきたのかに気づいたんです。自分の可能性というものを、
もっとちゃんと考えるべきだった。僕はこの街に来た時に選択を誤ったんです。次こそ好機を掴んで、
別の人生へ脱出しなくっちゃ」
「好機ねぇ……」
師匠は無精髭の生えた顎をガリガリかきながら、僕を見た。
「可能性という言葉をところ構わず使っちゃいけない。人間は生まれた時から平等じゃないからな。
決してなりえないものも、中にはあるんだよ」
師匠は言った。
146: 2011/04/13(水) 16:06:57.52
「君はバニーガールになれるかい?芸術家になれるかい?大工になれるかい?
七つの海を股にかける海賊になれるかい?」
「……なれません」
僕はうつむいた。
「人の苦悩の大半は、他人との比較から生まれるんだ。あの人は何不自由なく暮らしているのに、
なんで自分の家は貧乏なんだろう。あの人はあんなに頭がいいのに、どうして自分は駄目なんだろう。
あの人はあんなにかっこいいのに、なんで自分はこうなんだろう。」
「俺たちは子供の頃から、テストを受ければ比べられ、運動すれば比べられ、
比べられ続けて生きてきたから仕方がない部分もあるだろう」
「しかしな、生きる理由も定まらないうちから他人の批評を真に受けて、
右往左往したって何も実らないだろう?」
「君はいわゆるバラ色の学生生活を満喫できる訳がない。何故ならこの世は実に
雑多な色をしているからね。これからの人生の中で、どうにもならない事なんていくらでもある。
俺が保障するからどっしりかまえているんだ」
師匠の言う言葉にはハッとさせられたけれど、それでも
「綺麗事を言わないでほしい」
という思いが強かった。
僕はパイロットに選ばれる以外、人生の選択肢は無いとでも言うのだろうか?
僕はむっとして、師匠に訊ねた。
「師匠は何のために、今の仕事を選んだんですか?」
七つの海を股にかける海賊になれるかい?」
「……なれません」
僕はうつむいた。
「人の苦悩の大半は、他人との比較から生まれるんだ。あの人は何不自由なく暮らしているのに、
なんで自分の家は貧乏なんだろう。あの人はあんなに頭がいいのに、どうして自分は駄目なんだろう。
あの人はあんなにかっこいいのに、なんで自分はこうなんだろう。」
「俺たちは子供の頃から、テストを受ければ比べられ、運動すれば比べられ、
比べられ続けて生きてきたから仕方がない部分もあるだろう」
「しかしな、生きる理由も定まらないうちから他人の批評を真に受けて、
右往左往したって何も実らないだろう?」
「君はいわゆるバラ色の学生生活を満喫できる訳がない。何故ならこの世は実に
雑多な色をしているからね。これからの人生の中で、どうにもならない事なんていくらでもある。
俺が保障するからどっしりかまえているんだ」
師匠の言う言葉にはハッとさせられたけれど、それでも
「綺麗事を言わないでほしい」
という思いが強かった。
僕はパイロットに選ばれる以外、人生の選択肢は無いとでも言うのだろうか?
僕はむっとして、師匠に訊ねた。
「師匠は何のために、今の仕事を選んだんですか?」
147: 2011/04/13(水) 16:11:36.99
「俺や葛城は、セカンド・インパクトの被災者だ。あれは地獄だった。二度とあんな惨事を
繰り返しちゃいけない。それで、あの災害を調べていくうちに、裏で糸を引いている人間がいることに
気付いたんだ。それが誰なのか?必ず探し出すと葛城に約束した。スパイになってでも……。
NERVは良い隠れ蓑になってくれたよ。何とか潜り込んで、調査を続けていたんだ」
「そんな、自分の命を危険にさらしてまで、どうして?」
「俺と葛城は、セカンド・インパクトで家族を失い、孤児になった。憎しみのぶつけどころを
持て余していたんだ。ありていに言えば、復讐ってヤツだな」
加持さんは遠い目をして呟く。
「それじゃ、僕たちを弟子に取ったのは?」
「余り露骨に調査を進めると、すぐに気付かれてしまうからな。人間関係の調査を装った
カムフラージュだったんだよ。悪かったね、本当に。俺は君たちに色々無茶な要求をしていた。
でも、持ってきてくれた情報は大いに役に立ったよ。NERVの要人の生活パターンなんかも
把握できたからね。調査もはかどった」
謎のパズルが少しずつはまり、何故師匠が傲然とした生活を送っていたのかが分かってきた。
師匠は言った。
「俺は幸運な人間だ。あの時氏んでいてもおかしくなかったのに。また腹一杯食える日が来るなんてな。
それだけでも生き続けた甲斐はあったよ。昨日の闇鍋は楽しかった、ありがとう」
加持さんの表情を見て驚いた。普段、ニヤニヤとした作り笑いで取り繕う師匠が、
こんなにも顔いっぱいに笑顔をみせていたから。
「君にパイロットを強要する人間は誰もいない。しかし、これは君にしかできない、他の誰にも
出来ない事なんじゃないのかい?君の人生だ。どう過ごそうと君の自由さ。でも出来るなら、
葛城の事を守ってやってほしい」
繰り返しちゃいけない。それで、あの災害を調べていくうちに、裏で糸を引いている人間がいることに
気付いたんだ。それが誰なのか?必ず探し出すと葛城に約束した。スパイになってでも……。
NERVは良い隠れ蓑になってくれたよ。何とか潜り込んで、調査を続けていたんだ」
「そんな、自分の命を危険にさらしてまで、どうして?」
「俺と葛城は、セカンド・インパクトで家族を失い、孤児になった。憎しみのぶつけどころを
持て余していたんだ。ありていに言えば、復讐ってヤツだな」
加持さんは遠い目をして呟く。
「それじゃ、僕たちを弟子に取ったのは?」
「余り露骨に調査を進めると、すぐに気付かれてしまうからな。人間関係の調査を装った
カムフラージュだったんだよ。悪かったね、本当に。俺は君たちに色々無茶な要求をしていた。
でも、持ってきてくれた情報は大いに役に立ったよ。NERVの要人の生活パターンなんかも
把握できたからね。調査もはかどった」
謎のパズルが少しずつはまり、何故師匠が傲然とした生活を送っていたのかが分かってきた。
師匠は言った。
「俺は幸運な人間だ。あの時氏んでいてもおかしくなかったのに。また腹一杯食える日が来るなんてな。
それだけでも生き続けた甲斐はあったよ。昨日の闇鍋は楽しかった、ありがとう」
加持さんの表情を見て驚いた。普段、ニヤニヤとした作り笑いで取り繕う師匠が、
こんなにも顔いっぱいに笑顔をみせていたから。
「君にパイロットを強要する人間は誰もいない。しかし、これは君にしかできない、他の誰にも
出来ない事なんじゃないのかい?君の人生だ。どう過ごそうと君の自由さ。でも出来るなら、
葛城の事を守ってやってほしい」
148: 2011/04/13(水) 16:16:37.58
「ミサトさんを?何故です?」
僕は言った。
「アイツは俺の調査を引き継ぎたがるだろう。俺が調べ上げたデータはりっちゃんに託してある。
俺が姿を消したら、遅かれ早かれ葛城の手に渡るだろうからな」
師匠はそう言い大きく息を吸って、煙草の煙を吐き出した。
「そんな大役、僕には務まりません。無責任じゃないですか……」
僕はそう言いつつも、全てが遅すぎた事を痛感していた。
○
もう、どうにもならない……。
僕は色々な言葉で師匠を引き止めたけれど、師匠の気持ちは全く変わらなかった。
師匠は後戻り出来ない域に踏み込んでしまっていたらしい。
彼と初めて出会ったとき、弟子を欲しがっている理由を、もっとちゃんと考えるべきだったんだ。
結局僕は、他人に流され言われるがまま。
決断を人任せにして、師匠に依存していたってことだ。
僕と師匠は、すいか畑で別れた。師匠を見たのは、それが最後だった。
師匠はそのまま風のように消えてしまったんだ。
僕は言った。
「アイツは俺の調査を引き継ぎたがるだろう。俺が調べ上げたデータはりっちゃんに託してある。
俺が姿を消したら、遅かれ早かれ葛城の手に渡るだろうからな」
師匠はそう言い大きく息を吸って、煙草の煙を吐き出した。
「そんな大役、僕には務まりません。無責任じゃないですか……」
僕はそう言いつつも、全てが遅すぎた事を痛感していた。
○
もう、どうにもならない……。
僕は色々な言葉で師匠を引き止めたけれど、師匠の気持ちは全く変わらなかった。
師匠は後戻り出来ない域に踏み込んでしまっていたらしい。
彼と初めて出会ったとき、弟子を欲しがっている理由を、もっとちゃんと考えるべきだったんだ。
結局僕は、他人に流され言われるがまま。
決断を人任せにして、師匠に依存していたってことだ。
僕と師匠は、すいか畑で別れた。師匠を見たのは、それが最後だった。
師匠はそのまま風のように消えてしまったんだ。
149: 2011/04/13(水) 16:21:11.00
その後、師匠の行方は誰にも分らなかった。
あそこまで鮮やかに、何の挨拶もなく消えてしまうとは思わなかったよ。
果たして本当に国外へ脱出できたのかも分からない。
○
師匠が消えてから半月ほどして、僕は葛城二佐や綾波さんと協力して、
師匠の部屋の後かたづけをした。
でもそれが苦難に満ちた戦いだった事を記しておくよ。
葛城二佐は早々と自主的に戦力外通告を出し、綾波さんはあまりの不潔さに
パニック状態になったふりをして逃亡を図り、のんきな顔をして様子を見に来たアスカは
流し台にゲロを吐いて僕たちに課された任務をより一層困難なものにしたんだ。
加持さんを引き止められなかった後悔の念は振り払えない。
師匠がいなくなった後の葛城二佐の心中は、僕のような精神的無頼漢には想像すべくも
ないけれど、やっぱり寂しいに決まっているさ。
そういうわけで葛城二佐に誘われた時には、アスカや綾波さんを交えて夕飯を
食べることにしている。そしてたいてい、ひどい目にあうのさ。
○
師匠唯一の気がかりだったセカンド・インパクトの調査は案の定、葛城二佐に
引き継がれていた。そして僕は葛城二佐を守る為に、ヱヴァに乗り続ける。
師匠は僕に、ヱヴァに乗る理由を与えてくれた。でも僕は不満だった。
もっと良い解決法があったんじゃないかと思う。
あそこまで鮮やかに、何の挨拶もなく消えてしまうとは思わなかったよ。
果たして本当に国外へ脱出できたのかも分からない。
○
師匠が消えてから半月ほどして、僕は葛城二佐や綾波さんと協力して、
師匠の部屋の後かたづけをした。
でもそれが苦難に満ちた戦いだった事を記しておくよ。
葛城二佐は早々と自主的に戦力外通告を出し、綾波さんはあまりの不潔さに
パニック状態になったふりをして逃亡を図り、のんきな顔をして様子を見に来たアスカは
流し台にゲロを吐いて僕たちに課された任務をより一層困難なものにしたんだ。
加持さんを引き止められなかった後悔の念は振り払えない。
師匠がいなくなった後の葛城二佐の心中は、僕のような精神的無頼漢には想像すべくも
ないけれど、やっぱり寂しいに決まっているさ。
そういうわけで葛城二佐に誘われた時には、アスカや綾波さんを交えて夕飯を
食べることにしている。そしてたいてい、ひどい目にあうのさ。
○
師匠唯一の気がかりだったセカンド・インパクトの調査は案の定、葛城二佐に
引き継がれていた。そして僕は葛城二佐を守る為に、ヱヴァに乗り続ける。
師匠は僕に、ヱヴァに乗る理由を与えてくれた。でも僕は不満だった。
もっと良い解決法があったんじゃないかと思う。
151: 2011/04/13(水) 16:26:17.53
加持師匠は犠牲になり、葛城二佐は暗い表情が多くなった。
皆の心は、もはやあの頃に戻ることはできなくなっていたんだ。
僕は自室の腐りかけのベッドに寝転んで、ふさぎ込んでいた。
ふと、占い師の言葉を思い出す。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、
行動に出なくちゃいけない」
僕はフッと自傷的な笑みを浮かべ、黒ぶち眼鏡を手に取った。
結局、この眼鏡が何の好機だったのかも、分からずじまいだ。
僕はまた、漫然と同じことを繰り返していたに過ぎなかったってことか……。
あの運命の手紙を受け取ったとき、状況に流されるまま弟子入りしてしまった事への
後悔の念は振り払えない。もしあのとき、他の道を選んでいればと考える。
師匠の意図にもっと早く気付いていたら。
それとも、彼らに関わることなく、学生生活に精を出していれば。
あるいは意地を張らずに先生の所へ帰っていれば、僕はもっと別の人生を送っていただろう。
少なくとも今ほど陰鬱な状況になっていなかったのは明らかだ。
幻の秘宝と言われる「バラ色のスクールライフ」をこの手に握っていたかもしれないのに……。
いくら目を逸らそうとしても、あらゆる間違いを積み重ねて、大切な中学生時代を
棒に振ったという事実を否定することはできない。
皆の心は、もはやあの頃に戻ることはできなくなっていたんだ。
僕は自室の腐りかけのベッドに寝転んで、ふさぎ込んでいた。
ふと、占い師の言葉を思い出す。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、
行動に出なくちゃいけない」
僕はフッと自傷的な笑みを浮かべ、黒ぶち眼鏡を手に取った。
結局、この眼鏡が何の好機だったのかも、分からずじまいだ。
僕はまた、漫然と同じことを繰り返していたに過ぎなかったってことか……。
あの運命の手紙を受け取ったとき、状況に流されるまま弟子入りしてしまった事への
後悔の念は振り払えない。もしあのとき、他の道を選んでいればと考える。
師匠の意図にもっと早く気付いていたら。
それとも、彼らに関わることなく、学生生活に精を出していれば。
あるいは意地を張らずに先生の所へ帰っていれば、僕はもっと別の人生を送っていただろう。
少なくとも今ほど陰鬱な状況になっていなかったのは明らかだ。
幻の秘宝と言われる「バラ色のスクールライフ」をこの手に握っていたかもしれないのに……。
いくら目を逸らそうとしても、あらゆる間違いを積み重ねて、大切な中学生時代を
棒に振ったという事実を否定することはできない。
152: 2011/04/13(水) 16:30:59.70
なにより、アスカと出会ってしまったという汚点は生涯残り続けることだろう。
「嗚呼、出来ることなら、第三新東京市に来る前に戻って人生をやり直したい……」
○
今にして思えば、あのアスカとのやり取りでさえ恋しい。
すいか畑で加持さんと別れた後、僕はとぼとぼと家路へついた時の事を思い出していた。
コンフォート17の前には、アスカと綾波さんが立っていた。
二人は焦った様子で、師匠の行き先を問いただしてきた。どうやら、葛城二佐から
聞かされていたらしい。
僕はこれまでのいきさつを話すと、綾波さんはうなだれ、僕にもたれかかってきた。
アスカも茫然としている。そのまま彼女たちを放っても置けず、マンションに招き入れた。
「私がいない間に、大変なことになっていたのね。これでは弟子失格だわ」
「綾波さんに責任はないよ。話が唐突過ぎるしね」
僕は紅茶を淹れて、二人に渡した。
アスカは一口すすってから、
「私たち、これからどうなるんだろ」
と言った。
「どうもこうも、いつも通りだろう。父さんはこの事を公にしないだろうし」
「はぁ~、生き甲斐が無くなっちゃったわ。師匠、無事だといいけど……」
アスカにしては、珍しく萎れている。これはチャンスだ、と思った。
「嗚呼、出来ることなら、第三新東京市に来る前に戻って人生をやり直したい……」
○
今にして思えば、あのアスカとのやり取りでさえ恋しい。
すいか畑で加持さんと別れた後、僕はとぼとぼと家路へついた時の事を思い出していた。
コンフォート17の前には、アスカと綾波さんが立っていた。
二人は焦った様子で、師匠の行き先を問いただしてきた。どうやら、葛城二佐から
聞かされていたらしい。
僕はこれまでのいきさつを話すと、綾波さんはうなだれ、僕にもたれかかってきた。
アスカも茫然としている。そのまま彼女たちを放っても置けず、マンションに招き入れた。
「私がいない間に、大変なことになっていたのね。これでは弟子失格だわ」
「綾波さんに責任はないよ。話が唐突過ぎるしね」
僕は紅茶を淹れて、二人に渡した。
アスカは一口すすってから、
「私たち、これからどうなるんだろ」
と言った。
「どうもこうも、いつも通りだろう。父さんはこの事を公にしないだろうし」
「はぁ~、生き甲斐が無くなっちゃったわ。師匠、無事だといいけど……」
アスカにしては、珍しく萎れている。これはチャンスだ、と思った。
153: 2011/04/13(水) 16:35:30.47
「これを機会に、人に悪戯するのは止めるんだね。もういい加減、気が済んだだろう?」
僕はそう言ったけれど、アスカはへこたれていなかった。
「冗談じゃないわ!何のために師匠は犠牲になったのよ?今度こそ碇司令を
破滅させてやるわ!」
懲りない奴……。アスカは僕と綾波さんも戦争に参加するように誘ってきた。
「君はどうして、僕たちにつきまとうんだい?」
いたいけな僕をもてあそんで何が楽しいんだと詰問した。
そしたら、アスカは妖怪めいた笑みを浮かべて、ムフフッと笑った。
「私なりの愛ってやつよ」
「そんな気色悪いもん、いらないよ」
僕は答えた。
かくして、師匠の意思を受け継いだ僕たちは、今一度結束した。
「自虐的代理戦争」の幕開けだ。
綾波さんは、僕たちの事を呆れ顔で眺めていた。
第三話へつづく
僕はそう言ったけれど、アスカはへこたれていなかった。
「冗談じゃないわ!何のために師匠は犠牲になったのよ?今度こそ碇司令を
破滅させてやるわ!」
懲りない奴……。アスカは僕と綾波さんも戦争に参加するように誘ってきた。
「君はどうして、僕たちにつきまとうんだい?」
いたいけな僕をもてあそんで何が楽しいんだと詰問した。
そしたら、アスカは妖怪めいた笑みを浮かべて、ムフフッと笑った。
「私なりの愛ってやつよ」
「そんな気色悪いもん、いらないよ」
僕は答えた。
かくして、師匠の意思を受け継いだ僕たちは、今一度結束した。
「自虐的代理戦争」の幕開けだ。
綾波さんは、僕たちの事を呆れ顔で眺めていた。
第三話へつづく
154: 2011/04/13(水) 16:38:48.36
『第三話』 人形より愛を込めて
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
責任者に問いただす必要があるよ、責任者はどこだい?
○
かぎりなく実り少ない10ヶ月の後、中学校は三学期を迎えた。
その2月の始まりに起こった、僕と三人の女性を巡るリア王ばりの劇的事件について、
これから書こうとしているんだけれど……。
これは悲劇でもなければ、喜劇でもないんだ。
僕はこの事件を通してさまざまな事を学んだんだ。あまりにも学びすぎたんで、とても
すべて挙げることはできないけれどね。敢えて一つ選ぶとするならば、やすやすとジョニーへ
主導権を渡しちゃダメだってことさ。
そのほかについては、本文から読み取ってほしい。
○
2月の終わりの真夜中、3時を回った頃。
僕と葛城二佐が住まいにしているのは、第三新東京市の郊外にある「コンフォート17」という
マンションだ。
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
責任者に問いただす必要があるよ、責任者はどこだい?
○
かぎりなく実り少ない10ヶ月の後、中学校は三学期を迎えた。
その2月の始まりに起こった、僕と三人の女性を巡るリア王ばりの劇的事件について、
これから書こうとしているんだけれど……。
これは悲劇でもなければ、喜劇でもないんだ。
僕はこの事件を通してさまざまな事を学んだんだ。あまりにも学びすぎたんで、とても
すべて挙げることはできないけれどね。敢えて一つ選ぶとするならば、やすやすとジョニーへ
主導権を渡しちゃダメだってことさ。
そのほかについては、本文から読み取ってほしい。
○
2月の終わりの真夜中、3時を回った頃。
僕と葛城二佐が住まいにしているのは、第三新東京市の郊外にある「コンフォート17」という
マンションだ。
155: 2011/04/13(水) 16:40:52.25
質量保存の法則を無視して詰め込んでいる押入れのゴミたちが、今にも耐えかねて
僕に襲い掛かってくるのじゃないかと、ヒヤヒヤし通しだ。
彼女の生活無能力者ぶりはもはや重要文化財の境地へ達していると言っても過言ではないけれど、
僕たちがこの家ごと消失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。
本部に住んでいる父さんですら、いっそせいせいするに違いない。
自室で腐りかけのベッドの上に寝転んでいた僕は、おもむろにわいせつ文書などを
紐解こうとしていたんだ。
すると、唾棄すべき親友であるアスカが訪れてインターフォンを押しまくり、僕の大切な時間を
めちゃめちゃにしてしまった。
僕は居留守を使って読書に耽ろうとしたけれど、アスカは虐げられた小動物のような声を上げて、
ドアを開けろと迫るんだ。相手の都合を考えずに行動するのは彼女の十八番だった。
僕がドアを開けると、アスカは例のぬらりひょんのような笑みを浮かべ、
「ちょっと失礼するわよ」
と言うと、
「さあさ、ユイさん。ムサクルシイ所で悪いけど」
と廊下の暗がり声をかけている。
女性が居るのか!と慌ててわいせつ文書を収納する僕を尻目に、アスカは小柄な女性をおぶって、
部屋へ入ってきた。さらさらとなびく髪が美しいけれど、そんな可憐な女性がアスカのような妖怪に
身を任せているのは、弁護しようもないほどに犯罪めいた光景だった。
「何、その人。酔ってるのかい?」
僕が心配して声をかけると、
僕に襲い掛かってくるのじゃないかと、ヒヤヒヤし通しだ。
彼女の生活無能力者ぶりはもはや重要文化財の境地へ達していると言っても過言ではないけれど、
僕たちがこの家ごと消失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。
本部に住んでいる父さんですら、いっそせいせいするに違いない。
自室で腐りかけのベッドの上に寝転んでいた僕は、おもむろにわいせつ文書などを
紐解こうとしていたんだ。
すると、唾棄すべき親友であるアスカが訪れてインターフォンを押しまくり、僕の大切な時間を
めちゃめちゃにしてしまった。
僕は居留守を使って読書に耽ろうとしたけれど、アスカは虐げられた小動物のような声を上げて、
ドアを開けろと迫るんだ。相手の都合を考えずに行動するのは彼女の十八番だった。
僕がドアを開けると、アスカは例のぬらりひょんのような笑みを浮かべ、
「ちょっと失礼するわよ」
と言うと、
「さあさ、ユイさん。ムサクルシイ所で悪いけど」
と廊下の暗がり声をかけている。
女性が居るのか!と慌ててわいせつ文書を収納する僕を尻目に、アスカは小柄な女性をおぶって、
部屋へ入ってきた。さらさらとなびく髪が美しいけれど、そんな可憐な女性がアスカのような妖怪に
身を任せているのは、弁護しようもないほどに犯罪めいた光景だった。
「何、その人。酔ってるのかい?」
僕が心配して声をかけると、
156: 2011/04/13(水) 17:09:42.79
「ムフフ。コレ人間じゃないのよ」
とアスカは妙な事を言う。
アスカはその女性を本棚にもたれかかる格好にして座らせた。
重かったらしく、彼女は額に汗を浮かべていた。
アスカが女性の髪を整えると、隠れていた顔が覗いた。
彼女は美しい顔をしていたんだ。肌は人間そっくりの色合いをしているし、ソッと触れてみると
弾力がある。髪は丁寧に手入れされ、整えられた衣服には乱れがない。
しかし、彼女は微動だにしなかった。どこか遠くに目をやった瞬間に凍らされた人のようだったんだ。
「こちら、ユイさんよ」
アスカが紹介した。
「彼女は何だい?」
僕は彼女を遠巻きに眺めながら尋ねた。
「ラブドールなのよ。ちょっと私の部屋には置いておけないし、ここで預かっといて欲しいの」
アスカはまた、とんでもないことを言い出した。僕は慌てて首を横に振る。
「夜中の3時に押し掛けて、よくそんな勝手なことが言えるね?」
「まあまあ。ほんの一週間ぐらい良いでしょ。悪いようにはしないわよ」
アスカはぬらりひょんのような笑みを浮かべた。
とアスカは妙な事を言う。
アスカはその女性を本棚にもたれかかる格好にして座らせた。
重かったらしく、彼女は額に汗を浮かべていた。
アスカが女性の髪を整えると、隠れていた顔が覗いた。
彼女は美しい顔をしていたんだ。肌は人間そっくりの色合いをしているし、ソッと触れてみると
弾力がある。髪は丁寧に手入れされ、整えられた衣服には乱れがない。
しかし、彼女は微動だにしなかった。どこか遠くに目をやった瞬間に凍らされた人のようだったんだ。
「こちら、ユイさんよ」
アスカが紹介した。
「彼女は何だい?」
僕は彼女を遠巻きに眺めながら尋ねた。
「ラブドールなのよ。ちょっと私の部屋には置いておけないし、ここで預かっといて欲しいの」
アスカはまた、とんでもないことを言い出した。僕は慌てて首を横に振る。
「夜中の3時に押し掛けて、よくそんな勝手なことが言えるね?」
「まあまあ。ほんの一週間ぐらい良いでしょ。悪いようにはしないわよ」
アスカはぬらりひょんのような笑みを浮かべた。
158: 2011/04/13(水) 17:18:29.94
「それにほら、ムサクルシイ男部屋にぱっと花が咲いたようでしょ。これで少しは
明るくなるんじゃない?」
彼女は僕の意見など、最初から聞く気がないらしい。
○
アスカは僕と同学年だ。本名・式波・アスカ・ラングレー(14)。
特務機関NERVに所属するヱヴァンゲリヲンパイロットであるにもかかわらず、
NERVもヱヴァもパイロットも嫌いらしい。
同僚に鞭打ち、上司にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、生活能力が皆無であり、
勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。
およそ誉めるべきところが一つもない。
もし彼女と出会っていなければ、僕の魂はもっと清らかだったに違いないんだ。
それを思うにつけ、10か月前の春、アスカに関わってしまったことが、そもそもの間違いであったと
言わざるを得ないね。
○
10か月前の4月、僕は中学2年生になったばかりだった。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父から手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。
急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、同時にうれしかった。
父さんとは3年ぶりの再会になる。苦手な存在ではあるものの、心の奥では
父さんに認めてもらいたいと思っていたんだ。
明るくなるんじゃない?」
彼女は僕の意見など、最初から聞く気がないらしい。
○
アスカは僕と同学年だ。本名・式波・アスカ・ラングレー(14)。
特務機関NERVに所属するヱヴァンゲリヲンパイロットであるにもかかわらず、
NERVもヱヴァもパイロットも嫌いらしい。
同僚に鞭打ち、上司にへつらい、わがままであり、傲慢であり、怠惰であり、生活能力が皆無であり、
勉強をせず、誇りのかけらもなく、他人の不幸をおかずにして飯が三杯喰える。
およそ誉めるべきところが一つもない。
もし彼女と出会っていなければ、僕の魂はもっと清らかだったに違いないんだ。
それを思うにつけ、10か月前の春、アスカに関わってしまったことが、そもそもの間違いであったと
言わざるを得ないね。
○
10か月前の4月、僕は中学2年生になったばかりだった。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父から手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。
急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、同時にうれしかった。
父さんとは3年ぶりの再会になる。苦手な存在ではあるものの、心の奥では
父さんに認めてもらいたいと思っていたんだ。
159: 2011/04/13(水) 17:26:10.72
そして、
「父さんが僕を待っている」
という甘い幻想に惑わされ、新たな学校で友だち100人作るべく、その日のうちに首都へ向かって
旅立っていた僕は、来るべきバラ色の未来への期待に我を忘れていたとしか言いようがないね。
黒髪の乙女たちとさわやかに学生生活を送りながら、恋のラリーを打ち合うんだ。
そう考えていた僕は手の施しようのない阿呆だったのさ。
○
第三新東京市にたどり着き、父と再開を果たした僕は、あれよあれよという間に
ヱヴァパイロットに仕立て上げられてしまった。
その経緯は本編とは何ら関係がないので、説明を省かせてもらうよ。
でも僕はこのまま父の言いなりに、漫然と人生を棒に振るつもりは毛頭なかったのさ。
あらゆる活動を通して人間としての魅力を高め、黒髪の乙女と戯れるのも悪くない。
ボランティアや音楽活動なんかも良いだろう。
新参者の僕のもとには、あらゆる所から勧誘のチラシが舞い込んできた。
ライフスタイルをNERV一本に絞ることは危険だ。リスクは分散すべし。
そんな思惑から、数ある勧誘の中で僕が選びとったのは……、
秘密機関<印刷所>
英会話教室<ジョイングリッシュ>
の二つだった。
英会話や人脈は、社会に出て生きていくためにも、ぜひとも身につけて
おかなきゃならない能力さ。
「父さんが僕を待っている」
という甘い幻想に惑わされ、新たな学校で友だち100人作るべく、その日のうちに首都へ向かって
旅立っていた僕は、来るべきバラ色の未来への期待に我を忘れていたとしか言いようがないね。
黒髪の乙女たちとさわやかに学生生活を送りながら、恋のラリーを打ち合うんだ。
そう考えていた僕は手の施しようのない阿呆だったのさ。
○
第三新東京市にたどり着き、父と再開を果たした僕は、あれよあれよという間に
ヱヴァパイロットに仕立て上げられてしまった。
その経緯は本編とは何ら関係がないので、説明を省かせてもらうよ。
でも僕はこのまま父の言いなりに、漫然と人生を棒に振るつもりは毛頭なかったのさ。
あらゆる活動を通して人間としての魅力を高め、黒髪の乙女と戯れるのも悪くない。
ボランティアや音楽活動なんかも良いだろう。
新参者の僕のもとには、あらゆる所から勧誘のチラシが舞い込んできた。
ライフスタイルをNERV一本に絞ることは危険だ。リスクは分散すべし。
そんな思惑から、数ある勧誘の中で僕が選びとったのは……、
秘密機関<印刷所>
英会話教室<ジョイングリッシュ>
の二つだった。
英会話や人脈は、社会に出て生きていくためにも、ぜひとも身につけて
おかなきゃならない能力さ。
161: 2011/04/13(水) 17:40:25.11
しかし技術を身につけた結果、美女もついてくるんなら、とくにそれを
拒むつもりもないよ。大丈夫さ、安心して僕の所へおいで!
そういう風に僕は考え、武者ぶるいさえしたんだ。
かくして、NERVを含めた三つの機関をかけもちした僕は、にこやかに語らい、
爽やかに交流することがどんなに難しいかということをイヤというほど思い知らされたのさ。
会話に加わる為の社交性をどこかよそで身につけてくる必要があったと気付いた時には
すでに手遅れで、僕は居場所を失っていた。
いとも簡単に夢は破れたんだ。
そして片隅の暗がりに追いやられていた僕の傍らに、ひどく縁起の悪そうな顔をした
不気味な少女が立っていた。
繊細な僕だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
「アンタひどいこと言うわね。安心しなさい、私はアンタの味方だから」
それがアスカと僕とのファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトでもあったんだ。
○
大変な作業だったからお腹がすいちゃったわ、とアスカが言った。
嫌がる僕を無理やり引っ張り出し、屋台ラーメンを食べに外に出た。
第三新東京市でしぶとく営業しているその屋台ラーメンは、使徒から出汁を取っている
という噂があるけれど、その噂の真偽はともかく、味は無類なのさ。
拒むつもりもないよ。大丈夫さ、安心して僕の所へおいで!
そういう風に僕は考え、武者ぶるいさえしたんだ。
かくして、NERVを含めた三つの機関をかけもちした僕は、にこやかに語らい、
爽やかに交流することがどんなに難しいかということをイヤというほど思い知らされたのさ。
会話に加わる為の社交性をどこかよそで身につけてくる必要があったと気付いた時には
すでに手遅れで、僕は居場所を失っていた。
いとも簡単に夢は破れたんだ。
そして片隅の暗がりに追いやられていた僕の傍らに、ひどく縁起の悪そうな顔をした
不気味な少女が立っていた。
繊細な僕だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
「アンタひどいこと言うわね。安心しなさい、私はアンタの味方だから」
それがアスカと僕とのファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトでもあったんだ。
○
大変な作業だったからお腹がすいちゃったわ、とアスカが言った。
嫌がる僕を無理やり引っ張り出し、屋台ラーメンを食べに外に出た。
第三新東京市でしぶとく営業しているその屋台ラーメンは、使徒から出汁を取っている
という噂があるけれど、その噂の真偽はともかく、味は無類なのさ。
162: 2011/04/13(水) 17:45:52.15
中学生がこんな夜中に出歩いているのを見つかっては、一発で補導されてしまう。
僕たちはコソコソと街を歩いていった。
アスカは湯気の立つラーメンをすすりながら、あの人形「ユイさん」は、
師匠の命令に従って、ある人物の部屋から盗み出してきたものだと言った。
「君、それ犯罪じゃないか」
「そうかしらん?」
アスカは首をかしげた。
「あたりまえだよ。僕は共犯はごめんだね」
「師匠とその人はある意味切っても切れない仲だから、たぶん許してくれるわよ」
この女には良心というものが無いらしい。
アスカは
「それに」
と、弁護の余地のない卑猥な笑みを浮かべたんだ。
「アンタだって、ちょっとあの人と暮らしてみたいと思ったに決まってんのよ。私には分かるわ」
「アスカ……」
「そんな怖い目で見ないで」
「ちょ、ちょっとくっつかないでくれ!」
「だって寂しいじゃない。それに夜風が冷たいの」
僕たちはコソコソと街を歩いていった。
アスカは湯気の立つラーメンをすすりながら、あの人形「ユイさん」は、
師匠の命令に従って、ある人物の部屋から盗み出してきたものだと言った。
「君、それ犯罪じゃないか」
「そうかしらん?」
アスカは首をかしげた。
「あたりまえだよ。僕は共犯はごめんだね」
「師匠とその人はある意味切っても切れない仲だから、たぶん許してくれるわよ」
この女には良心というものが無いらしい。
アスカは
「それに」
と、弁護の余地のない卑猥な笑みを浮かべたんだ。
「アンタだって、ちょっとあの人と暮らしてみたいと思ったに決まってんのよ。私には分かるわ」
「アスカ……」
「そんな怖い目で見ないで」
「ちょ、ちょっとくっつかないでくれ!」
「だって寂しいじゃない。それに夜風が冷たいの」
165: 2011/04/13(水) 17:58:01.39
「このさびしがりやさん!」
「キャー(棒)」
暇つぶしに、屋台ラーメンで意味不明の寸劇をすることにも、やがて虚しさを感じた。
しかも、なんだかそういったことを以前にやっていたような気がするのが腹立たしい。
「ねえ、僕たち、前にもこんな言い合いしていなかったかい?」
「バカねぇ、してるわけないでしょう。デジャヴよデジャヴ」
そうやって阿呆なことを言い合い、ラーメンの美味しさに夢中になっていると、
新しい客が来て僕たちの隣に座った。
見ると、ここらでは見かけない顔だった。
僕は丼から顔を上げて横目でしげしげと観察し、この人をNERVの中で
幾度か見かけたことを思い出した。
「あら、師匠も来てたのね」
アスカがラーメンをすすりながら頭を下げた。
「ああ。ちょっと小腹が空いてね」
その男も腰かけてラーメンを一つ頼んだ。どうやらアスカの知り合いらしい。
「これであの人も大打撃を受けることは確実だわ。まさか喫茶店から戻ったらユイさんが
家出してるなんて、夢にも思わないハズよ」
アスカが勢い込んで言うと、師匠は顔をしかめてタバコに火を付けた。
「キャー(棒)」
暇つぶしに、屋台ラーメンで意味不明の寸劇をすることにも、やがて虚しさを感じた。
しかも、なんだかそういったことを以前にやっていたような気がするのが腹立たしい。
「ねえ、僕たち、前にもこんな言い合いしていなかったかい?」
「バカねぇ、してるわけないでしょう。デジャヴよデジャヴ」
そうやって阿呆なことを言い合い、ラーメンの美味しさに夢中になっていると、
新しい客が来て僕たちの隣に座った。
見ると、ここらでは見かけない顔だった。
僕は丼から顔を上げて横目でしげしげと観察し、この人をNERVの中で
幾度か見かけたことを思い出した。
「あら、師匠も来てたのね」
アスカがラーメンをすすりながら頭を下げた。
「ああ。ちょっと小腹が空いてね」
その男も腰かけてラーメンを一つ頼んだ。どうやらアスカの知り合いらしい。
「これであの人も大打撃を受けることは確実だわ。まさか喫茶店から戻ったらユイさんが
家出してるなんて、夢にも思わないハズよ」
アスカが勢い込んで言うと、師匠は顔をしかめてタバコに火を付けた。
166: 2011/04/13(水) 18:03:47.30
「さっきレイが来てね、ユイさんの誘拐はやり過ぎだと言われたよ」
「なんでまたそんな」
アスカは豆鉄砲に打たれたような顔をした。
まるで、こんなに秀逸で大義ある計画に水を差すなんて、信じられないと本気で思っているような顔だ。
「こんな風に他人の愛を踏みにじるのは冗談では済まないと言い張っていた。
例え相手が人形だとしてもね。彼女は自主破門する覚悟だそうだ」
師匠は無精髭の散らばった顎をごりごり掻いている。
「あの子もふだんは硬派なくせに、妙なところで情けを出すわねぇ。でも師匠、ここは師匠らしく
ガツンと言ってやらなくっちゃ!相手がファーストだからって遠慮しちゃダメよ」
「ガツンと言うのは俺の趣味じゃないな」
師匠と呼ばれた男は、どうも部下をしかるのが苦手な人間らしい。
「だってもうあの人の所から持ってきちゃったのよ?いまさら返しに行くのはお断りよ私は」
「それでユイさんはどこに置いてあるんだい?」
「彼の部屋よ」
アスカは僕を指さした。
僕は無言で頭を下げた。
よれよれシャツの男は
「おや」
と言うような顔をして僕を見た。
「NERVの人じゃなかったかい?」
「なんでまたそんな」
アスカは豆鉄砲に打たれたような顔をした。
まるで、こんなに秀逸で大義ある計画に水を差すなんて、信じられないと本気で思っているような顔だ。
「こんな風に他人の愛を踏みにじるのは冗談では済まないと言い張っていた。
例え相手が人形だとしてもね。彼女は自主破門する覚悟だそうだ」
師匠は無精髭の散らばった顎をごりごり掻いている。
「あの子もふだんは硬派なくせに、妙なところで情けを出すわねぇ。でも師匠、ここは師匠らしく
ガツンと言ってやらなくっちゃ!相手がファーストだからって遠慮しちゃダメよ」
「ガツンと言うのは俺の趣味じゃないな」
師匠と呼ばれた男は、どうも部下をしかるのが苦手な人間らしい。
「だってもうあの人の所から持ってきちゃったのよ?いまさら返しに行くのはお断りよ私は」
「それでユイさんはどこに置いてあるんだい?」
「彼の部屋よ」
アスカは僕を指さした。
僕は無言で頭を下げた。
よれよれシャツの男は
「おや」
と言うような顔をして僕を見た。
「NERVの人じゃなかったかい?」
167: 2011/04/13(水) 18:08:37.37
「そうです」
僕は頷いた。
男は手を擦り合わせて、そうかそうか、としきりに唸る。
「そうか。手をかけるね」
○
ラーメンを平らげ、僕たちはそこで別れた。
自室へ戻れば、大きな人形は相変わらず本棚にもたれて夢見るような目をしている。
僕が<印刷所>を追放になってからも、アスカはあそこで忙しく活動しているらしい。
学校生活を満喫し、怪しい組織の活動にも手を染めているという。
中でも隣近所に住んでいる人物を訪ねるのはアスカの大事な習慣だった。
彼女はその人物を「師匠」と呼び、半年前からその家へ出入りしていた。
そもそもアスカとの腐れ縁が断ち切りがたくなったのは、同じ組織で同じような隅の暗がりに
追いやられたというのもさることながら、アスカが頻繁にこのマンションを訪ねてくるからでもあった。
腐りかけのベッドに座り込んで、唐突に同居人となったユイさんを眺めた。
気のせいか、同級生の綾波さんの面影がある。
もちろんユイさんは妙齢の女性なので、14歳の綾波さんとは比べるべくもないけど……。
これは単なる偶然なんだろうか?
僕は頷いた。
男は手を擦り合わせて、そうかそうか、としきりに唸る。
「そうか。手をかけるね」
○
ラーメンを平らげ、僕たちはそこで別れた。
自室へ戻れば、大きな人形は相変わらず本棚にもたれて夢見るような目をしている。
僕が<印刷所>を追放になってからも、アスカはあそこで忙しく活動しているらしい。
学校生活を満喫し、怪しい組織の活動にも手を染めているという。
中でも隣近所に住んでいる人物を訪ねるのはアスカの大事な習慣だった。
彼女はその人物を「師匠」と呼び、半年前からその家へ出入りしていた。
そもそもアスカとの腐れ縁が断ち切りがたくなったのは、同じ組織で同じような隅の暗がりに
追いやられたというのもさることながら、アスカが頻繁にこのマンションを訪ねてくるからでもあった。
腐りかけのベッドに座り込んで、唐突に同居人となったユイさんを眺めた。
気のせいか、同級生の綾波さんの面影がある。
もちろんユイさんは妙齢の女性なので、14歳の綾波さんとは比べるべくもないけど……。
これは単なる偶然なんだろうか?
168: 2011/04/13(水) 18:13:55.04
僕はこの人形の持ち主の事が気がかりだったけれど、預かったからには仕方がない。
なるようになるさと、半分開き直った。
○
その動かない美女ユイさんが僕の部屋へ訪れたときから、歯車が狂い始めたんだ。
平凡だった僕の生活に、わずか数日の間に怒涛のごとく奇想天外な出来事が押し寄せた。
すべてはアスカの責任さ。
ユイさんは昨夜から身動き一つしていない。
彼女へ
「おはようございます」
と挨拶した後、コーヒーを沸かし、冷蔵庫に残っていた卵とベーコンを炒めて朝食にした。
先日から自宅の洗濯機が壊れてしまったので、コインランドリーに行かなくちゃならない。
もう一人の同居人は全く家事が出来ないので、いつの間にか僕が生活の面倒をみる
羽目になってしまったんだ。
ミサトさんにお願いして、早く洗濯機を買ってもらわなきゃ。
でも、最近忙しいと言っていたし、家に帰ってくるのは数日先だろうな……。
そんなことを考えながら、歩いて数分の所にあるコインランドリーへ向かった。
下着やらワイシャツやらごちゃ混ぜに洗濯機へ突っ込んで、しばらく街をぶらぶら散歩した。
洗濯が終わり、ふたを開けたとたん、僕は愕然とした。僕のお気に入りの洋服類は見る影もない。
代わりにぽつんと入っていたのは、黒ぶちの眼鏡だった。僕はしばらく、その眼鏡と睨み合った。
誰かが慌てていて、持ち帰る洗濯を間違えてしまったんだろうか?
持ち帰るときに眼鏡を落としてしまったのかな?
なるようになるさと、半分開き直った。
○
その動かない美女ユイさんが僕の部屋へ訪れたときから、歯車が狂い始めたんだ。
平凡だった僕の生活に、わずか数日の間に怒涛のごとく奇想天外な出来事が押し寄せた。
すべてはアスカの責任さ。
ユイさんは昨夜から身動き一つしていない。
彼女へ
「おはようございます」
と挨拶した後、コーヒーを沸かし、冷蔵庫に残っていた卵とベーコンを炒めて朝食にした。
先日から自宅の洗濯機が壊れてしまったので、コインランドリーに行かなくちゃならない。
もう一人の同居人は全く家事が出来ないので、いつの間にか僕が生活の面倒をみる
羽目になってしまったんだ。
ミサトさんにお願いして、早く洗濯機を買ってもらわなきゃ。
でも、最近忙しいと言っていたし、家に帰ってくるのは数日先だろうな……。
そんなことを考えながら、歩いて数分の所にあるコインランドリーへ向かった。
下着やらワイシャツやらごちゃ混ぜに洗濯機へ突っ込んで、しばらく街をぶらぶら散歩した。
洗濯が終わり、ふたを開けたとたん、僕は愕然とした。僕のお気に入りの洋服類は見る影もない。
代わりにぽつんと入っていたのは、黒ぶちの眼鏡だった。僕はしばらく、その眼鏡と睨み合った。
誰かが慌てていて、持ち帰る洗濯を間違えてしまったんだろうか?
持ち帰るときに眼鏡を落としてしまったのかな?
169: 2011/04/13(水) 18:20:35.84
他の洗濯機を開けても、僕の洋服は無い。地団駄を踏んで、すごすごと家へ帰った。
○
コインランドリーでの事件でぷりぷり怒っていた僕だけれど、ユイさんの静かな横顔を眺めていると、
心が落ち着いてくるようだった。
それから僕は机に向かい、服を盗まれたてささくれだった心を静めるために、先日届いた手紙を
読むことにしたんだ。
手紙の相手は女性だ。読者の皆さん、驚かないで欲しい。
僕は文通をしていたのさ。
彼女は第三東京市で一人暮らしをしていて、名を「霧島マナ」と言った。
同い年で、僕とは別の中学に通っているそうだ。
趣味は読書とダンス。
踊りが上達したことについて、彼女は楽しそうに書いた。
彼女の筆跡は美しく、手紙の文章も実に美しいし、非の打ちどころがないのさ。
でも、僕は彼女に一度も逢ったことがないんだ。
○
半年前のある日、いつの日か思いもよらぬ好機を得て、黒髪の乙女と文通がしたいなあと
夢見て、僕はうずうずしていた。
この秘めたる思いをアスカにもらしたとき、さんざん変態呼ばわりされた。弁護の余地もないほど
卑猥な上目遣いをして彼女は言った。
○
コインランドリーでの事件でぷりぷり怒っていた僕だけれど、ユイさんの静かな横顔を眺めていると、
心が落ち着いてくるようだった。
それから僕は机に向かい、服を盗まれたてささくれだった心を静めるために、先日届いた手紙を
読むことにしたんだ。
手紙の相手は女性だ。読者の皆さん、驚かないで欲しい。
僕は文通をしていたのさ。
彼女は第三東京市で一人暮らしをしていて、名を「霧島マナ」と言った。
同い年で、僕とは別の中学に通っているそうだ。
趣味は読書とダンス。
踊りが上達したことについて、彼女は楽しそうに書いた。
彼女の筆跡は美しく、手紙の文章も実に美しいし、非の打ちどころがないのさ。
でも、僕は彼女に一度も逢ったことがないんだ。
○
半年前のある日、いつの日か思いもよらぬ好機を得て、黒髪の乙女と文通がしたいなあと
夢見て、僕はうずうずしていた。
この秘めたる思いをアスカにもらしたとき、さんざん変態呼ばわりされた。弁護の余地もないほど
卑猥な上目遣いをして彼女は言った。
185: 2011/04/13(水) 19:37:17.13
「<印刷所>って言ってね、勉学に悩める子羊ちゃんたちに、素晴らしい商品を提供しているのよ」
アスカは手を大きく広げて、教室を紹介する。まるでこの世の天国だ、と言いたげな口ぶりだ。
「商品?」
「偽造レポート、偽造通知表、偽造ノート、およそ成績に関わるものなら何でもござれよ?」
どれも合法とは縁遠いものばかりに思えた。
いくらアスカが自由奔放にやっているといっても、超えてはいけない一線と言うものがある。
僕は頭に血が上り、つい叫んでしまった。
「そんな……そんな違法行為がまかり通ってたまるか!何考えてるんだよアスカ!」
僕は思い切って反論したけれど、彼女の態度は変わらなかった。
「この秘密を知ってしまったからには、アンタも一蓮托生よ。誰かに洩らしたりしたら……
社会的制裁というオシオキが待っているからそのつもりでね」
「僕はそんなものに屈しないぞ!」
「まあまあ、怒りを納めなさいよ。アンタも今まで碇司令に好き放題されてきたんでしょう?
せめて学校生活くらい、良い目を見ても良いんじゃないの?」
「良い目だって?」
何を行っているんだろう、この女は。
「アンタの待遇が改善されるように、私が取り計らってあげるわ。もちろん、
それ相応の働きはしてもらうけれど」
※>>184 一応、アスカの小津にしたのも最後に判明します。アスカファンの方、ごめんなさい。
>>170 いえ、違います。 ちなみに私もその作品読みました。面白かったです。
アスカは手を大きく広げて、教室を紹介する。まるでこの世の天国だ、と言いたげな口ぶりだ。
「商品?」
「偽造レポート、偽造通知表、偽造ノート、およそ成績に関わるものなら何でもござれよ?」
どれも合法とは縁遠いものばかりに思えた。
いくらアスカが自由奔放にやっているといっても、超えてはいけない一線と言うものがある。
僕は頭に血が上り、つい叫んでしまった。
「そんな……そんな違法行為がまかり通ってたまるか!何考えてるんだよアスカ!」
僕は思い切って反論したけれど、彼女の態度は変わらなかった。
「この秘密を知ってしまったからには、アンタも一蓮托生よ。誰かに洩らしたりしたら……
社会的制裁というオシオキが待っているからそのつもりでね」
「僕はそんなものに屈しないぞ!」
「まあまあ、怒りを納めなさいよ。アンタも今まで碇司令に好き放題されてきたんでしょう?
せめて学校生活くらい、良い目を見ても良いんじゃないの?」
「良い目だって?」
何を行っているんだろう、この女は。
「アンタの待遇が改善されるように、私が取り計らってあげるわ。もちろん、
それ相応の働きはしてもらうけれど」
※>>184 一応、アスカの小津にしたのも最後に判明します。アスカファンの方、ごめんなさい。
>>170 いえ、違います。 ちなみに私もその作品読みました。面白かったです。
171: 2011/04/13(水) 18:28:35.05
「それで見知らぬ女性にエOチな言葉を送りつけて興奮するんでしょう?まったく手のつけられない
スケベなんだから困っちゃうわね~。この変態!」
「そんなことしないよ」
「またまた~。私には分かってるのよ。アンタの半分は性欲で出来てるんだわ」
「うるさい!」
しかし、霧島さんとの文通のきっかけは、このアスカからやってきた。
数日後、ふだんはファッション雑誌しか読まないアスカが、めずらしく普通の小説を読んだらしく、
それを僕にくれた。駅前にある古本屋で物色していた所、自分でも読めそうな本だったから
買ってみたというんだ。
読み終わったし汚いからもういらないわ、と勝手なことを言った。
女性に縁のない学生の苦悩を延々と書いているその小説は典雅とは程遠く、
面白くもなかったけれど、僕の目は最後のページに釘づけになったんだ。
そこには美しい筆跡で名前と住所が書いてあった。どうやら以前の持ち主が消し忘れていたらしい。
ふいに
「これは絶好の機会だ」
と思った。
これこそ天が僕に与えてくれたチャンス!
見知らぬ女性と文通を開始する絶好の機会じゃないか。
スケベなんだから困っちゃうわね~。この変態!」
「そんなことしないよ」
「またまた~。私には分かってるのよ。アンタの半分は性欲で出来てるんだわ」
「うるさい!」
しかし、霧島さんとの文通のきっかけは、このアスカからやってきた。
数日後、ふだんはファッション雑誌しか読まないアスカが、めずらしく普通の小説を読んだらしく、
それを僕にくれた。駅前にある古本屋で物色していた所、自分でも読めそうな本だったから
買ってみたというんだ。
読み終わったし汚いからもういらないわ、と勝手なことを言った。
女性に縁のない学生の苦悩を延々と書いているその小説は典雅とは程遠く、
面白くもなかったけれど、僕の目は最後のページに釘づけになったんだ。
そこには美しい筆跡で名前と住所が書いてあった。どうやら以前の持ち主が消し忘れていたらしい。
ふいに
「これは絶好の機会だ」
と思った。
これこそ天が僕に与えてくれたチャンス!
見知らぬ女性と文通を開始する絶好の機会じゃないか。
174: 2011/04/13(水) 18:49:48.11
冷静に考えれば、その女性が若いと断定するには材料が足りないよね。
ましてや彼女が読書好きで少し内気でしかも自分の美しさにまだ気づいていない
女の子だと断定するに至っては、変態と呼ばれても仕方がないよ。
でも僕は、ここぞってときには敢えて変態の汚名を着ることも辞さない男さ!
そそくさと駅前商店街へ出かけて、美しく、かつ、この変態的所業を補って
余りあるほどに誠実さの溢れた便せんを購入したんだ。
こんな物騒な世の中だから、見ず知らずの他人から送ってよこした手紙に
返事をするのは勇気がいる。
「もし返事が来なくても傷つかないようにしよう……」
と僕は覚悟していたけれど、ちゃんと返事が来たので舞い上がってしまったよ。
こうして、嘘のような簡単なきっかけから、僕たちの半年にわたる、そして2月に
およそ考え付くかぎり最悪の結末を迎える文通の火蓋が切られたんだ。
○
午後になると部屋が蒸し暑くなってきた。
暑くなるとイライラしてきて、コインランドリーで服を盗んだ犯人への怒りがまた湧いてくる。
気分転換の為に勉学に励もうとした。
ましてや彼女が読書好きで少し内気でしかも自分の美しさにまだ気づいていない
女の子だと断定するに至っては、変態と呼ばれても仕方がないよ。
でも僕は、ここぞってときには敢えて変態の汚名を着ることも辞さない男さ!
そそくさと駅前商店街へ出かけて、美しく、かつ、この変態的所業を補って
余りあるほどに誠実さの溢れた便せんを購入したんだ。
こんな物騒な世の中だから、見ず知らずの他人から送ってよこした手紙に
返事をするのは勇気がいる。
「もし返事が来なくても傷つかないようにしよう……」
と僕は覚悟していたけれど、ちゃんと返事が来たので舞い上がってしまったよ。
こうして、嘘のような簡単なきっかけから、僕たちの半年にわたる、そして2月に
およそ考え付くかぎり最悪の結末を迎える文通の火蓋が切られたんだ。
○
午後になると部屋が蒸し暑くなってきた。
暑くなるとイライラしてきて、コインランドリーで服を盗んだ犯人への怒りがまた湧いてくる。
気分転換の為に勉学に励もうとした。
176: 2011/04/13(水) 18:54:06.14
しかし、教科書に向かっているうちに、この不毛に過ぎた半年の遅れをがつがつ
みっともなく取り返そうとしているような気分になってきた。したがって僕は潔く勉強をあきらめた。
こうなると、提出すべき宿題はアスカに頼るしかない。
<印刷所>という秘密組織が学校にあって、そこに注文すれば偽造ノートが手に入るんだ。
<印刷所>なる胡散臭い組織へ負んぶに抱っこでやってきたおかげで、僕はいまやアスカを介して
<印刷所>の助けを借りなければ急場をしのげない身体になってしまった。
身も心も蝕まれてぼろぼろさ。アスカとの腐れ縁が断ち切りがたい原因はここにもあるんだ。
一年中常夏のこの国は、今日もまた一段と蒸し暑い。僕はたまらず、腐りかけのベッドにごろりと横になった。
○
<印刷所>での出来事を思い出しながら横になっていた僕は、いつのまにかぐうぐうと眠っていた。
今日は珍しく早起きをしたので、眠りが足りなかったらしい。
ハッと目覚めるとすでに日は大きく傾いて、僕の休日は不毛に終わろうとしている。
この不毛な休日を、唯一、有意義なものとする「英会話教室」の時間が迫っていた。
僕は出かける準備をした。
秘密機関<印刷所>でしくじった僕は、時間が有り余っていた。
みっともなく取り返そうとしているような気分になってきた。したがって僕は潔く勉強をあきらめた。
こうなると、提出すべき宿題はアスカに頼るしかない。
<印刷所>という秘密組織が学校にあって、そこに注文すれば偽造ノートが手に入るんだ。
<印刷所>なる胡散臭い組織へ負んぶに抱っこでやってきたおかげで、僕はいまやアスカを介して
<印刷所>の助けを借りなければ急場をしのげない身体になってしまった。
身も心も蝕まれてぼろぼろさ。アスカとの腐れ縁が断ち切りがたい原因はここにもあるんだ。
一年中常夏のこの国は、今日もまた一段と蒸し暑い。僕はたまらず、腐りかけのベッドにごろりと横になった。
○
<印刷所>での出来事を思い出しながら横になっていた僕は、いつのまにかぐうぐうと眠っていた。
今日は珍しく早起きをしたので、眠りが足りなかったらしい。
ハッと目覚めるとすでに日は大きく傾いて、僕の休日は不毛に終わろうとしている。
この不毛な休日を、唯一、有意義なものとする「英会話教室」の時間が迫っていた。
僕は出かける準備をした。
秘密機関<印刷所>でしくじった僕は、時間が有り余っていた。
177: 2011/04/13(水) 18:56:40.23
霧島マナさんからの手紙に
「英会話学校に通っている」
と書いてあったことに刺激を受けて、前年の秋頃から駅前の英会話学校へ通うことにしたんだ。
ちなみに、僕たちが通い始めた英会話教室<ジョイングリッシュ>では、霧島という女性は
通っていなかった。
「じゃあ、ユイさん。お留守番を頼みます」
僕はそう言い置いたけれど、彼女は読書に夢中で顔を上げなかった。
彼女の横顔はとても美しかったよ。
○
コンフォート17から歩いて駅前へ向かった。
柔らかい雲が覆った空は薄桃色をしていた。つめたい夕風が吹き渡っている。
僕は箱根神社の脇を通り、参道を抜けた。
その先は芦ノ湖が広がっていて、湖の周りには欄干が左右に延びている。
湖を横に見渡しながら、僕はとぼとぼと歩いていく。
湖のほとりで和気あいあいと楽しんでいるらしい人たちを睨む。
すろと、賑やかに語り合う人たちの中にアスカの姿があることに気がついた。
あの不気味さは間違えようがない。思わず歩みをとめた。
そういえば、今日はNERVの打ち上げがあったんだっけ……。
僕は英会話教室があるからって断ったんだ。そうだ、すっかり忘れていたよ。
「英会話学校に通っている」
と書いてあったことに刺激を受けて、前年の秋頃から駅前の英会話学校へ通うことにしたんだ。
ちなみに、僕たちが通い始めた英会話教室<ジョイングリッシュ>では、霧島という女性は
通っていなかった。
「じゃあ、ユイさん。お留守番を頼みます」
僕はそう言い置いたけれど、彼女は読書に夢中で顔を上げなかった。
彼女の横顔はとても美しかったよ。
○
コンフォート17から歩いて駅前へ向かった。
柔らかい雲が覆った空は薄桃色をしていた。つめたい夕風が吹き渡っている。
僕は箱根神社の脇を通り、参道を抜けた。
その先は芦ノ湖が広がっていて、湖の周りには欄干が左右に延びている。
湖を横に見渡しながら、僕はとぼとぼと歩いていく。
湖のほとりで和気あいあいと楽しんでいるらしい人たちを睨む。
すろと、賑やかに語り合う人たちの中にアスカの姿があることに気がついた。
あの不気味さは間違えようがない。思わず歩みをとめた。
そういえば、今日はNERVの打ち上げがあったんだっけ……。
僕は英会話教室があるからって断ったんだ。そうだ、すっかり忘れていたよ。
178: 2011/04/13(水) 19:01:20.91
アスカは若い職員に囲まれて、心地よさそうにしていた。
僕の不毛な一日を尻目に、彼女はNERVの気心の知れた仲間と一緒に
盛り上がっているらしい。
あんな気味の悪い妖怪のような女を、新鮮な魂を抱えた若者たちが温かく
取り囲むなんて世も末だよ。
そんなことをしていても気が滅入るだけなので、気を取り直して駅前へ急いだ。
○
英会話のクラスが終わってから、日の暮れた夜の街を歩いた。
歩きながらアスカの事を考えていると、またムラムラと怒りが湧いてきた。
この10ヶ月、彼女は限りなく狭い僕の交友範囲の中核にあぐらをかき、ひっきりなしに
僕の平和をかき乱してきた。
昨夜は夜中の3時にラブドールを押し付けて風のように去るという身勝手ぶりだし。
でも、より本質的な問題は、本来純粋だったはずの僕の魂が、アスカのせいで
汚染されつつある事実だよ!黒に交われば黒になる。
人格の歪んだアスカに接するうちに、知らず僕の人格も影響を受けているんじゃないか?
アスカに対するいら立ちをくすぶらせながら、僕は繁華街に沿ってぶらぶらと歩く。
やがて僕は足をとめた。
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。
その軒下に、白い布をかけた木の台を前にして座る少年がいた。
彼が発散する妖気にはなにやら説得力があり、僕は論理的に考えた。
これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけはない、と。
僕の不毛な一日を尻目に、彼女はNERVの気心の知れた仲間と一緒に
盛り上がっているらしい。
あんな気味の悪い妖怪のような女を、新鮮な魂を抱えた若者たちが温かく
取り囲むなんて世も末だよ。
そんなことをしていても気が滅入るだけなので、気を取り直して駅前へ急いだ。
○
英会話のクラスが終わってから、日の暮れた夜の街を歩いた。
歩きながらアスカの事を考えていると、またムラムラと怒りが湧いてきた。
この10ヶ月、彼女は限りなく狭い僕の交友範囲の中核にあぐらをかき、ひっきりなしに
僕の平和をかき乱してきた。
昨夜は夜中の3時にラブドールを押し付けて風のように去るという身勝手ぶりだし。
でも、より本質的な問題は、本来純粋だったはずの僕の魂が、アスカのせいで
汚染されつつある事実だよ!黒に交われば黒になる。
人格の歪んだアスカに接するうちに、知らず僕の人格も影響を受けているんじゃないか?
アスカに対するいら立ちをくすぶらせながら、僕は繁華街に沿ってぶらぶらと歩く。
やがて僕は足をとめた。
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。
その軒下に、白い布をかけた木の台を前にして座る少年がいた。
彼が発散する妖気にはなにやら説得力があり、僕は論理的に考えた。
これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけはない、と。
179: 2011/04/13(水) 19:05:51.58
「君は、非常に真面目で才能もあるようだから…」
少年の慧眼に脱帽。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、
行動に出なくちゃいけない」
「何だか、前にも聞いたセリフだね」
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
ふいに後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたので、驚いて振り向いた。
「迷える子羊さん」
後ろには、ミサトが立っていた。
僕は彼女に出会ったことに驚きながらも、また占い師の方を振り返った。
でもそこには、何もなかったんだ。
○
ミサトさんは英会話教室で同じクラスなんだ。
英会話教室に通いたいとNERVに相談すると、護衛・監督役として、ミサトさんを
派遣すると言ってきた。
少年の慧眼に脱帽。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、
行動に出なくちゃいけない」
「何だか、前にも聞いたセリフだね」
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
ふいに後ろから僕を呼ぶ声が聞こえたので、驚いて振り向いた。
「迷える子羊さん」
後ろには、ミサトが立っていた。
僕は彼女に出会ったことに驚きながらも、また占い師の方を振り返った。
でもそこには、何もなかったんだ。
○
ミサトさんは英会話教室で同じクラスなんだ。
英会話教室に通いたいとNERVに相談すると、護衛・監督役として、ミサトさんを
派遣すると言ってきた。
180: 2011/04/13(水) 19:10:31.62
ミサトさんは、
「あなたの向上心に胸打たれたわ!知り合いが居たほうが心強いでしょう?」
と言い、快く了解してくれた。
こうしてNERVが休日の日には、二人で英会話教室に通っていたって訳なんだ。
彼女は教室に行く必要がないくらい、極めて流暢に英語を喋った。流石は元軍人。
僕がスピーチの題材に選ぶものは、きまってアスカの悪行だった。僕の交友関係の中核を、
アスカが占めているからさ。
正直なところ、彼女の不毛な行いをインターナショナルな場で公表することは気が引けたんだけれど、
やむを得ず言ってみたことろ、なぜかクラスメイトたちから喝さいを受け、毎週「ASUKAニュース」を
語らせられることになったんだ。
他人事だから、面白いんだろうね。
授業が終わった後、僕とミサトさんは決まって寄り道をした。駅前でお茶をするのが日課だった。
○
占い師の所で出会った後、僕たちはレストランに入ることになった。
英会話教室の後、駅前でお茶をして別れてから、彼女は誰かと約束があった事を思い出し、
回れ右をして駅前へ戻ってきたらしい。
しかし急にむらむらとそいつに対する嫌悪の念が湧き、しかし酒は呑みたい、しかしそいつとは
会いたくない、だがやんぬるかな酒は呑みたい、と悶々としていた所、ぶらぶらしている僕を見つけて、
声をかけてきたんだそうだ。
「あなたの向上心に胸打たれたわ!知り合いが居たほうが心強いでしょう?」
と言い、快く了解してくれた。
こうしてNERVが休日の日には、二人で英会話教室に通っていたって訳なんだ。
彼女は教室に行く必要がないくらい、極めて流暢に英語を喋った。流石は元軍人。
僕がスピーチの題材に選ぶものは、きまってアスカの悪行だった。僕の交友関係の中核を、
アスカが占めているからさ。
正直なところ、彼女の不毛な行いをインターナショナルな場で公表することは気が引けたんだけれど、
やむを得ず言ってみたことろ、なぜかクラスメイトたちから喝さいを受け、毎週「ASUKAニュース」を
語らせられることになったんだ。
他人事だから、面白いんだろうね。
授業が終わった後、僕とミサトさんは決まって寄り道をした。駅前でお茶をするのが日課だった。
○
占い師の所で出会った後、僕たちはレストランに入ることになった。
英会話教室の後、駅前でお茶をして別れてから、彼女は誰かと約束があった事を思い出し、
回れ右をして駅前へ戻ってきたらしい。
しかし急にむらむらとそいつに対する嫌悪の念が湧き、しかし酒は呑みたい、しかしそいつとは
会いたくない、だがやんぬるかな酒は呑みたい、と悶々としていた所、ぶらぶらしている僕を見つけて、
声をかけてきたんだそうだ。
181: 2011/04/13(水) 19:15:02.02
「NERVの宴会には行かないんですか?」
と僕は聞いたけれど、そんな気分でもないそうだ。
僕たちは最近起こった出来事を話し、和やかに食事をした。
「アスカにはさんざん迷惑をかけられました」
僕はうんざりした様子をオーバーに表現した。
「でしょうねぇ。あの子もそれが趣味だもんね」
ミサトさんは、テーブルに頬杖をついて、うんうん同意する。
「人の生活にいらないちょっかいをだすのが生き甲斐ですからね」
「そのくせ、自分の事は秘密にするでしょう?」
「そうそう。僕はアスカの住んでる場所も知らないんですよ。何回聞いても言ってくれませんし。
自分はうちに何度も転がりこんでくるくせに……」
「あら、私は行ったことあるわよ」
ミサトさんは得意げな顔をして言った。
「本当ですか?」
「そりゃ、あの子の上司でもあるしね。アスカが日本に来た時に、部屋探しを手伝ったから」
「へえ、どこなんですか?」
僕が聞くと、彼女は口に手を当てて思案顔になる。
と僕は聞いたけれど、そんな気分でもないそうだ。
僕たちは最近起こった出来事を話し、和やかに食事をした。
「アスカにはさんざん迷惑をかけられました」
僕はうんざりした様子をオーバーに表現した。
「でしょうねぇ。あの子もそれが趣味だもんね」
ミサトさんは、テーブルに頬杖をついて、うんうん同意する。
「人の生活にいらないちょっかいをだすのが生き甲斐ですからね」
「そのくせ、自分の事は秘密にするでしょう?」
「そうそう。僕はアスカの住んでる場所も知らないんですよ。何回聞いても言ってくれませんし。
自分はうちに何度も転がりこんでくるくせに……」
「あら、私は行ったことあるわよ」
ミサトさんは得意げな顔をして言った。
「本当ですか?」
「そりゃ、あの子の上司でもあるしね。アスカが日本に来た時に、部屋探しを手伝ったから」
「へえ、どこなんですか?」
僕が聞くと、彼女は口に手を当てて思案顔になる。
182: 2011/04/13(水) 19:20:44.65
「ええと……、箱根湯本駅の大通りから左へ折れて、ちょっと入ったところにある砂糖菓子みたいに
おしゃれなワンルームマンションだったわ。あの子、ユーロ空軍から仕送りをたんまりもらってるのよ」
「どこまでも腹の立つやつ」
僕は憤慨した。
「でも、アスカの一番の親友なんでしょう?」
彼女はそう言って、けらけら笑った。
「あの子、よくあなたの話ししてるわ」
「あいつ、何を喋ったんですか?」
僕は薄暗がりで怪しく微笑むアスカを思い浮かべながら訊ねたんだ。
葛城二佐は不埒な嘘を吹き込まれている可能性があるので、断固として否定しなきゃいけない。
「色々よ。変な組織に引き入れられた話とか」
「ああ」
それは本当の話だ。
○
僕が<印刷所>なんぞに関わってしまった経緯を述べるよ。
転校してしばらくたった頃の僕は、父の言いなりになってヱヴァに乗り続けることに早くも嫌気がさしていた。
いっそ先生の所に帰ってしまおうかと本気で悩んでいた頃だった。
おしゃれなワンルームマンションだったわ。あの子、ユーロ空軍から仕送りをたんまりもらってるのよ」
「どこまでも腹の立つやつ」
僕は憤慨した。
「でも、アスカの一番の親友なんでしょう?」
彼女はそう言って、けらけら笑った。
「あの子、よくあなたの話ししてるわ」
「あいつ、何を喋ったんですか?」
僕は薄暗がりで怪しく微笑むアスカを思い浮かべながら訊ねたんだ。
葛城二佐は不埒な嘘を吹き込まれている可能性があるので、断固として否定しなきゃいけない。
「色々よ。変な組織に引き入れられた話とか」
「ああ」
それは本当の話だ。
○
僕が<印刷所>なんぞに関わってしまった経緯を述べるよ。
転校してしばらくたった頃の僕は、父の言いなりになってヱヴァに乗り続けることに早くも嫌気がさしていた。
いっそ先生の所に帰ってしまおうかと本気で悩んでいた頃だった。
183: 2011/04/13(水) 19:25:24.49
僕は、同じクラスで仲良くなった相田・鈴原という2人とよくつるんでいた。
しかし、彼らは
「用事が出来た」
と言って時折姿をくらませたんだ。
あの日もそうだった。
彼らの携帯電話から着信を告げる音が鳴り出し、急にそわそわし始めた。
「すまんが、トイレ行ってくるワ」
と言いながら、彼らはそそくさと教室から抜け出した。
気になった僕は彼らの後を追い、空き教室へ入っていった彼らを覗き見た。
僕はあの時、好奇心に負け、知らなくても良い事を知ってしまった軽薄さに後悔したんだ。
覗いていた事がばれ、僕は教室の中に引きずり込まれた。そこで僕が見たものは、
約10数人の生徒たちが机にうずくまり、一心不乱にノートにペンを走らせている、
ある種常軌を逸した光景だった。
肝心の相田・鈴原の二人は教壇の前に正座させられ、なにやら説教を
食らわされているようだった。その説教をしている人物と言うのが、あの妖怪・アスカだったんだ。
アスカは僕の入室を見るなり、
「あらら、バレちゃったわね」
と悪びれもなく言った。
「君、いったいここで何やってるんだ?」
僕は恐る恐る訪ねると、彼女は例の嫌らしい笑みを浮かべて、ニヤニヤと笑いながら答えた。
しかし、彼らは
「用事が出来た」
と言って時折姿をくらませたんだ。
あの日もそうだった。
彼らの携帯電話から着信を告げる音が鳴り出し、急にそわそわし始めた。
「すまんが、トイレ行ってくるワ」
と言いながら、彼らはそそくさと教室から抜け出した。
気になった僕は彼らの後を追い、空き教室へ入っていった彼らを覗き見た。
僕はあの時、好奇心に負け、知らなくても良い事を知ってしまった軽薄さに後悔したんだ。
覗いていた事がばれ、僕は教室の中に引きずり込まれた。そこで僕が見たものは、
約10数人の生徒たちが机にうずくまり、一心不乱にノートにペンを走らせている、
ある種常軌を逸した光景だった。
肝心の相田・鈴原の二人は教壇の前に正座させられ、なにやら説教を
食らわされているようだった。その説教をしている人物と言うのが、あの妖怪・アスカだったんだ。
アスカは僕の入室を見るなり、
「あらら、バレちゃったわね」
と悪びれもなく言った。
「君、いったいここで何やってるんだ?」
僕は恐る恐る訪ねると、彼女は例の嫌らしい笑みを浮かべて、ニヤニヤと笑いながら答えた。
186: 2011/04/13(水) 19:42:13.91
僕の喉がごくりと鳴る。待遇の改善!
今の僕にとって彼女の提案は甘美な響きだった。
八方塞がりな状況から抜け出せるなら、悪魔にでもなってやるってくらい、
切羽詰まっていたからね。
でも、僕に残された少ない理性がそれを拒んだ。個人的な利益の為に犯罪行為に加担するなんて、
言語道断!断固、拒否するべし。
「冗談じゃない!片棒を担ぐなんて御免だよ。僕は帰るからね」
そう言って教室から出て行こうとしたら、両腕をがっしりと掴まれてしまい
身動きが取れなくなった。
驚いて振り向くと、相田・鈴原の二人がかりで僕を抑えつけようとしているじゃないか。
「ちょっと、二人ともどうしたんだよ?アスカなんかにペコペコしちゃってさ。
あんな奴の事なんて放っておこうよ」
「無駄よ。こいつらは私の言うことなら何でも聞くんだから」
アスカは自信満々に言い放つ。
「どうしてさ?何をしたんだアスカ!」
「こいつらが悪いのよ。私の写真を隠し撮りして売りさばいていたんだから。
トーゼンの報いを受けているのよ」
彼女の言い分に、二人は情けなさそうに頷いた。
「すまんのォ転校生。ワシの可愛い妹にこの事をバラす言われてのォ。
背に腹は代えられんさかいな」
今の僕にとって彼女の提案は甘美な響きだった。
八方塞がりな状況から抜け出せるなら、悪魔にでもなってやるってくらい、
切羽詰まっていたからね。
でも、僕に残された少ない理性がそれを拒んだ。個人的な利益の為に犯罪行為に加担するなんて、
言語道断!断固、拒否するべし。
「冗談じゃない!片棒を担ぐなんて御免だよ。僕は帰るからね」
そう言って教室から出て行こうとしたら、両腕をがっしりと掴まれてしまい
身動きが取れなくなった。
驚いて振り向くと、相田・鈴原の二人がかりで僕を抑えつけようとしているじゃないか。
「ちょっと、二人ともどうしたんだよ?アスカなんかにペコペコしちゃってさ。
あんな奴の事なんて放っておこうよ」
「無駄よ。こいつらは私の言うことなら何でも聞くんだから」
アスカは自信満々に言い放つ。
「どうしてさ?何をしたんだアスカ!」
「こいつらが悪いのよ。私の写真を隠し撮りして売りさばいていたんだから。
トーゼンの報いを受けているのよ」
彼女の言い分に、二人は情けなさそうに頷いた。
「すまんのォ転校生。ワシの可愛い妹にこの事をバラす言われてのォ。
背に腹は代えられんさかいな」
187: 2011/04/13(水) 19:44:44.89
「俺も、大事なビデオカメラのコレクション、オークションに売り飛ばすって脅されているんだ。
ま、そういうことだからさ」
僕は彼らの薄情さに絶望した。嗚呼、僕らの友情の薄っぺらいことよ……。
僕に逃げ道は無くなった。
仕方なしにアスカに従い、相田・鈴原と共に不毛な任務に明け暮れたんだ。
僕は配達部へ配属されることになった。
偽造ノートの注文を受け、商品を手渡し代金を受け取る、現場の任務さ。
僕は<印刷所>から一刻も早く足を洗いたい一心で、任務をこなし続けた。
最初は順調に行っているかと思われたよ。
でも、僕はある日重大なミスを犯してしまったんだ。
僕のちょっとした手違いで、生徒から依頼された大量の偽造ノートを紛失してしまった。
後で調べたところ、用務員のおじさんがゴミと間違えて焼却炉に捨ててしまったらしい。
燃えさかる炎を目の前に、僕は崩れ落ちた。
この事件によって、全校生徒の半数が成績を落とすという、
<印刷所>始まって以来の大失態を犯してしまった。
僕は責任を取らされ、生徒たちから村八分にされた。
しかし、アスカは僕に同情的だった。
あれだけ協力してくれたのだから、と僕に<印刷所>内でのポストを残してくれた。
僕の学校での居場所は、<印刷所>にしかなくなってしまった。
ま、そういうことだからさ」
僕は彼らの薄情さに絶望した。嗚呼、僕らの友情の薄っぺらいことよ……。
僕に逃げ道は無くなった。
仕方なしにアスカに従い、相田・鈴原と共に不毛な任務に明け暮れたんだ。
僕は配達部へ配属されることになった。
偽造ノートの注文を受け、商品を手渡し代金を受け取る、現場の任務さ。
僕は<印刷所>から一刻も早く足を洗いたい一心で、任務をこなし続けた。
最初は順調に行っているかと思われたよ。
でも、僕はある日重大なミスを犯してしまったんだ。
僕のちょっとした手違いで、生徒から依頼された大量の偽造ノートを紛失してしまった。
後で調べたところ、用務員のおじさんがゴミと間違えて焼却炉に捨ててしまったらしい。
燃えさかる炎を目の前に、僕は崩れ落ちた。
この事件によって、全校生徒の半数が成績を落とすという、
<印刷所>始まって以来の大失態を犯してしまった。
僕は責任を取らされ、生徒たちから村八分にされた。
しかし、アスカは僕に同情的だった。
あれだけ協力してくれたのだから、と僕に<印刷所>内でのポストを残してくれた。
僕の学校での居場所は、<印刷所>にしかなくなってしまった。
188: 2011/04/13(水) 19:49:31.52
だから自主追放された今でも、<印刷所>とは縁が切れがたく、
負んぶに抱っこでズルズルきてしまっていたんだ。
○
僕はミサトさんに、一連の出来事を話して聞かせた。
彼女は終始笑いながら僕の話を聞いていた。
「アスカが関わると、いろんな事があって面白いわ」
ミサトさんはお腹のひきつりをさすっている。
「冗談じゃありませんよ!あの出来事のせいで、より一層アスカは
僕に絡んでくるようになったんですから……」
「そうしてアスカとの友情が」
ミサトさんは身を乗り出す。
「いや。いっこうに育まれませんでした」
一刀両断。すると彼女はけらけらと笑う。
「アスカはね、でもあれで純粋なところもあるでしょう?」
「見当たりませんよ」
あのアスカが、あり得ないことだよ。
「またまた。アスカの恋の話知らないの?」
聞き捨てならない事だよ。僕は思わず身を乗り出した。
「え、え、え。アスカが恋?」
負んぶに抱っこでズルズルきてしまっていたんだ。
○
僕はミサトさんに、一連の出来事を話して聞かせた。
彼女は終始笑いながら僕の話を聞いていた。
「アスカが関わると、いろんな事があって面白いわ」
ミサトさんはお腹のひきつりをさすっている。
「冗談じゃありませんよ!あの出来事のせいで、より一層アスカは
僕に絡んでくるようになったんですから……」
「そうしてアスカとの友情が」
ミサトさんは身を乗り出す。
「いや。いっこうに育まれませんでした」
一刀両断。すると彼女はけらけらと笑う。
「アスカはね、でもあれで純粋なところもあるでしょう?」
「見当たりませんよ」
あのアスカが、あり得ないことだよ。
「またまた。アスカの恋の話知らないの?」
聞き捨てならない事だよ。僕は思わず身を乗り出した。
「え、え、え。アスカが恋?」
189: 2011/04/13(水) 20:06:07.62
「そうねえ、あなた達とは別の中学の生徒で、半年前に知り合った男の子らしいわ。
師匠にも会わせたことないみたいだし、私も見たことない。どうもその子には、
ほかの自分を見られたくないみたいねぇ。憎たらしいけど可愛いでしょう。
私、恋の相談も受けたのよん」
「くそう……」
怒りに震える僕を見て、ミサトさんはとても面白そうだった。
「なんて名前だったかしら……。うーん」
○
僕はやがて、コインランドリーの件を語り、一刻も早く洗濯機を買ってほしいとお願いした。
「そんなにあなたの服が欲しかったのかしら?」
彼女は笑いながら首をかしげた。
「ワイシャツがどっさり無くなったら困りますよ、ほんとうに」
そうこうしているうちに夜も更けてきたけれど、ミサトさんはいっこうに元気を失わない。
僕は夜の喧騒に揉まれて疲労を覚えた。ミサトさんは酒を無尽蔵に呑み、上機嫌だ。
酔っぱらったミサトさんの眼が何か妖しく煌めき始めると、愛すべき自室が懐かしくなってきた。
はやく家に帰りたい。帰って、あれこれと思いわずらうことなくわいせつ文書をひも解き、
そのまま布団へもぐり込みたい……。
夜も遅いので、一緒にタクシーで帰りましょうということになり、
さらに酔った彼女の眼がらんらんと輝きだすと、僕は現実をコントロールする自信を失っていたんだ。
師匠にも会わせたことないみたいだし、私も見たことない。どうもその子には、
ほかの自分を見られたくないみたいねぇ。憎たらしいけど可愛いでしょう。
私、恋の相談も受けたのよん」
「くそう……」
怒りに震える僕を見て、ミサトさんはとても面白そうだった。
「なんて名前だったかしら……。うーん」
○
僕はやがて、コインランドリーの件を語り、一刻も早く洗濯機を買ってほしいとお願いした。
「そんなにあなたの服が欲しかったのかしら?」
彼女は笑いながら首をかしげた。
「ワイシャツがどっさり無くなったら困りますよ、ほんとうに」
そうこうしているうちに夜も更けてきたけれど、ミサトさんはいっこうに元気を失わない。
僕は夜の喧騒に揉まれて疲労を覚えた。ミサトさんは酒を無尽蔵に呑み、上機嫌だ。
酔っぱらったミサトさんの眼が何か妖しく煌めき始めると、愛すべき自室が懐かしくなってきた。
はやく家に帰りたい。帰って、あれこれと思いわずらうことなくわいせつ文書をひも解き、
そのまま布団へもぐり込みたい……。
夜も遅いので、一緒にタクシーで帰りましょうということになり、
さらに酔った彼女の眼がらんらんと輝きだすと、僕は現実をコントロールする自信を失っていたんだ。
190: 2011/04/13(水) 20:10:40.05
タクシーの窓の外を流れる夜景を見ていたミサトさんが
「ふふん」
と息を吐いてこちらを見ると、なんだか僕を取って喰いそうな顔だったよ。
マンションの部屋まで、足取りの確かでない彼女を送り、リビングにたどり着いた時点では、
もはや自分が何者なのか、どこから来てどこへ行くのか、永遠の時の流れの中に
置いてきぼりにされたような心細さを感じていた。
○
呪われた思春期の門をくぐってこの方、僕のジョニーには惨めな思いを強いてきた。
僕のような主人を持ったばかりに、僕のジョニーは持ち前のやんちゃぶりを
広く社会一般に発揮することもできず、真の実力を押し隠している。
彼は隙あらば自己の存在理由を確認しようと、僕の制止を振り切り、その頭をむっくりもたげた。
「おいおい、そろそろ俺の出番じゃないのかい?」
彼は不敵な声で繰り返し言った。
そのたび僕は
「好機はまだ到来してない」
と言い渡し、
「君は出てくるな」
と厳しく叱責した。
僕は紳士であり、他にも用事はある。
ジョニーが思うさま活躍できるような余裕はないと説いた。
「ふふん」
と息を吐いてこちらを見ると、なんだか僕を取って喰いそうな顔だったよ。
マンションの部屋まで、足取りの確かでない彼女を送り、リビングにたどり着いた時点では、
もはや自分が何者なのか、どこから来てどこへ行くのか、永遠の時の流れの中に
置いてきぼりにされたような心細さを感じていた。
○
呪われた思春期の門をくぐってこの方、僕のジョニーには惨めな思いを強いてきた。
僕のような主人を持ったばかりに、僕のジョニーは持ち前のやんちゃぶりを
広く社会一般に発揮することもできず、真の実力を押し隠している。
彼は隙あらば自己の存在理由を確認しようと、僕の制止を振り切り、その頭をむっくりもたげた。
「おいおい、そろそろ俺の出番じゃないのかい?」
彼は不敵な声で繰り返し言った。
そのたび僕は
「好機はまだ到来してない」
と言い渡し、
「君は出てくるな」
と厳しく叱責した。
僕は紳士であり、他にも用事はある。
ジョニーが思うさま活躍できるような余裕はないと説いた。
191: 2011/04/13(水) 20:15:23.76
「本当に好機なんて来るのかよ」
ジョニーはブツブツ言う。
「俺を見下して、いい加減なこと言うんじゃねえ」
「そんなこと言ったって……。部位的に見下すのはしょうがないだろ」
僕は弁明するけれど、ジョニーは聞き入れなかった。
「どうせ俺より脳みそが大事なんだろ。チクショウ。脳みそはいいよなあ」
「すねるなよ。みっともないんだから」
「フン!待てど海路の日和なしか……」
そう言ってジョニーはごろんと横になって不貞腐れるんだ。
僕もこれまでの不毛な14年間を振り返って、枕に顔を埋めた。
「泣くなよ」
ジョニーは言う。
「すまない。俺がわがままだったよ」
「ごめん」
僕は言う。
そうして僕とジョニーは仲直りする。
まあ……、そういう日々だったと思って間違いはないさ。
○
僕はミサトさんを彼女の部屋に座らせた。
キッチンに戻って蛇口から水を出し、コップに注いで彼女に飲ませる。
ジョニーはブツブツ言う。
「俺を見下して、いい加減なこと言うんじゃねえ」
「そんなこと言ったって……。部位的に見下すのはしょうがないだろ」
僕は弁明するけれど、ジョニーは聞き入れなかった。
「どうせ俺より脳みそが大事なんだろ。チクショウ。脳みそはいいよなあ」
「すねるなよ。みっともないんだから」
「フン!待てど海路の日和なしか……」
そう言ってジョニーはごろんと横になって不貞腐れるんだ。
僕もこれまでの不毛な14年間を振り返って、枕に顔を埋めた。
「泣くなよ」
ジョニーは言う。
「すまない。俺がわがままだったよ」
「ごめん」
僕は言う。
そうして僕とジョニーは仲直りする。
まあ……、そういう日々だったと思って間違いはないさ。
○
僕はミサトさんを彼女の部屋に座らせた。
キッチンに戻って蛇口から水を出し、コップに注いで彼女に飲ませる。
194: 2011/04/13(水) 20:21:55.96
「ごめんねえ。ちょっち飲み過ぎたわ」
ミサトさんはコクコクと水を飲みながら、ケラケラ笑う。
眼は例の妖しげな光を湛えている。
いつの間にか上着を脱いで、半袖のシャツ一枚になっている。
いつの間に脱いだんだろう?
彼女は立ち上がってベランダのガラス戸を開け放った。
大通りに面したベランダからは、遠くに繁華街のネオンがかすかに見えた。
「風が気持ちいいわねぇ」
彼女は言った。
「屋上にのぼったら、東に下二子山が見えるのよ。以前、日本中の電気を集めて、
あそこでライフルを撃ったっけねぇ」
しかし、もはや僕には下二子山なんてどうでもよかった。
この余りにも典型的な異常事態を前に、いかに紳士的に切り抜けるかに
全神経を傾けていたんだ。今日のミサトさんは不用心に過ぎるんじゃないだろうか?
深夜を過ぎたころあいに、中学生の一男子を自分の部屋に招き入れるなんて
危険じゃないか。
たしかにNERVの上司・部下の関係として、10ヶ月の付き合いがあるさ。
英会話教室のクラスメイトでもあるよ。
しかし、まっとうな判断力を持つ女性であれば、僕を縄で縛り布団で
ぐるぐる巻きにして追い出した上で、自室に鍵を掛けなければ
安心できないだろう。
ミサトさんはコクコクと水を飲みながら、ケラケラ笑う。
眼は例の妖しげな光を湛えている。
いつの間にか上着を脱いで、半袖のシャツ一枚になっている。
いつの間に脱いだんだろう?
彼女は立ち上がってベランダのガラス戸を開け放った。
大通りに面したベランダからは、遠くに繁華街のネオンがかすかに見えた。
「風が気持ちいいわねぇ」
彼女は言った。
「屋上にのぼったら、東に下二子山が見えるのよ。以前、日本中の電気を集めて、
あそこでライフルを撃ったっけねぇ」
しかし、もはや僕には下二子山なんてどうでもよかった。
この余りにも典型的な異常事態を前に、いかに紳士的に切り抜けるかに
全神経を傾けていたんだ。今日のミサトさんは不用心に過ぎるんじゃないだろうか?
深夜を過ぎたころあいに、中学生の一男子を自分の部屋に招き入れるなんて
危険じゃないか。
たしかにNERVの上司・部下の関係として、10ヶ月の付き合いがあるさ。
英会話教室のクラスメイトでもあるよ。
しかし、まっとうな判断力を持つ女性であれば、僕を縄で縛り布団で
ぐるぐる巻きにして追い出した上で、自室に鍵を掛けなければ
安心できないだろう。
195: 2011/04/13(水) 20:26:45.72
彼女の身を案じている僕をよそに、ミサトさんは甘い口調で、今夕に
待ち合わせていた相手のことを喋り始めた。
彼女の相手と言うのは、同じNERVに所属している同僚で、なんと大学時代からの
腐れ縁だと言うから驚いた。彼の名は加持さんと言うらしい。
その人物の事を話している間の彼女は、終始寂しそうな顔をしていた。
「やっぱり約束をすっぽかしたのは悪かったかな」
彼女はそんなことを呟いている。
だんだん僕は黙しがちになっていった。
そうすると葛城二佐は僕のそばへにじり寄るようにした。
「なあに、なんでそんなに怖い顔しているの?」
ミサトさんは言った。
「もともとこういう顔ですよ」
「それはウソでしょう。さっきはそんなところに皺はなかったわよん」
彼女は言って、僕の眉間に顔を近づけた。
待ち合わせていた相手のことを喋り始めた。
彼女の相手と言うのは、同じNERVに所属している同僚で、なんと大学時代からの
腐れ縁だと言うから驚いた。彼の名は加持さんと言うらしい。
その人物の事を話している間の彼女は、終始寂しそうな顔をしていた。
「やっぱり約束をすっぽかしたのは悪かったかな」
彼女はそんなことを呟いている。
だんだん僕は黙しがちになっていった。
そうすると葛城二佐は僕のそばへにじり寄るようにした。
「なあに、なんでそんなに怖い顔しているの?」
ミサトさんは言った。
「もともとこういう顔ですよ」
「それはウソでしょう。さっきはそんなところに皺はなかったわよん」
彼女は言って、僕の眉間に顔を近づけた。
197: 2011/04/13(水) 20:31:18.43
そして、唐突に僕の眉間を舐めようとしてきた。僕はびっくり仰天して、後ずさりした。
彼女はあきらかにヘンテコな目つきをして、僕にくっついた。
○
そのとき、僕が気付いた事実として、次の4点がを挙げる事が出来る。
一点目は、彼女の胸のふくらみが僕に押しつけられていたということさ。
この事態を冷静に受け止めようとしたけれど、読者の皆さんの予想通りそれは困難を極めたんだ。
この女性特有の謎めいたふくらみに、なぜここまで心惑わされるのかわからない。
二点目は、彼女に舐められるのを避けるために顔を挙げた時、壁にかかっているコルクボードに気付いたことさ。
沢山貼り付けられた写真の中に、彼女が昔撮ったらしい写真がある。
軍人時代の思い出の写真だろうか?
その中の一枚に、彼女がふざけて眼鏡をかけている姿を見て、
僕は占い師の言葉を一瞬にして思い出したんだ。
あれほど待ち望んでいた「好機」は、今ここにあるんじゃないだろうか?
三点目は、ついに「海路の日和」とばかりに、暴れん坊なジョニーが己の存在を主張し始めたことさ。
「おいおい。俺の出番かい?」
と彼は頭をもたげた。
僕は彼を叱責しようとしたけれど、
「これこそ好機じゃないのか?」
と彼はもっともなことを言うんだ。
「俺はもう飽きるほど我慢してきたんだ。そろそろ俺に主導権を握らせてくれよ」
4点目は、僕たちが居る部屋から出るとすぐ隣がトイレになっているという事実さ。
すみやかに籠城して頭を冷やすべきじゃないだろうか?
彼女はあきらかにヘンテコな目つきをして、僕にくっついた。
○
そのとき、僕が気付いた事実として、次の4点がを挙げる事が出来る。
一点目は、彼女の胸のふくらみが僕に押しつけられていたということさ。
この事態を冷静に受け止めようとしたけれど、読者の皆さんの予想通りそれは困難を極めたんだ。
この女性特有の謎めいたふくらみに、なぜここまで心惑わされるのかわからない。
二点目は、彼女に舐められるのを避けるために顔を挙げた時、壁にかかっているコルクボードに気付いたことさ。
沢山貼り付けられた写真の中に、彼女が昔撮ったらしい写真がある。
軍人時代の思い出の写真だろうか?
その中の一枚に、彼女がふざけて眼鏡をかけている姿を見て、
僕は占い師の言葉を一瞬にして思い出したんだ。
あれほど待ち望んでいた「好機」は、今ここにあるんじゃないだろうか?
三点目は、ついに「海路の日和」とばかりに、暴れん坊なジョニーが己の存在を主張し始めたことさ。
「おいおい。俺の出番かい?」
と彼は頭をもたげた。
僕は彼を叱責しようとしたけれど、
「これこそ好機じゃないのか?」
と彼はもっともなことを言うんだ。
「俺はもう飽きるほど我慢してきたんだ。そろそろ俺に主導権を握らせてくれよ」
4点目は、僕たちが居る部屋から出るとすぐ隣がトイレになっているという事実さ。
すみやかに籠城して頭を冷やすべきじゃないだろうか?
198: 2011/04/13(水) 20:35:54.27
ミサトさんは僕の身体にからみつき、しきりに顔を舐めようとするんだ。
脳みそは迷走に迷走を重ねる一方、ジョニーが活躍の場を求めて不穏にうごめいている。
彼は僕のなかにある欲望をすべて吸い上げ、一気に覇権を握ろうと企んでいるらしい。
参謀本部に当たる前頭葉は未だゴーサインを出さないけれど、
ジョニーひきいる一党はもはや大脳新皮質の入り口で押し合いへしあいしている。
「何してる!」
「今こそ好機だろうが!」
「話がちがう!」
と雄たけびを上げている。
参謀本部の奥にじっとしている僕はジョニーの声に耳をふさぎ、
真剣に僕の人生の作戦地図を見下ろした。
「一時の欲望に押し流されて文明人と言えるもんか。命の恩人ともいえる保護者が酒で
ふわふわしているのに乗じるなんて、そんなのダメだ!」
僕が重々しく言うと、ジョニーは拳を振り上げて大脳新皮質の入り口をガンガン殴り始める。
ほとんど半狂乱だった。
「事を為せればそれで充分なんだよ!」
「事を成すことがどれだけ大事かわかってるのか!」
と叫んでいる。
脳みそは迷走に迷走を重ねる一方、ジョニーが活躍の場を求めて不穏にうごめいている。
彼は僕のなかにある欲望をすべて吸い上げ、一気に覇権を握ろうと企んでいるらしい。
参謀本部に当たる前頭葉は未だゴーサインを出さないけれど、
ジョニーひきいる一党はもはや大脳新皮質の入り口で押し合いへしあいしている。
「何してる!」
「今こそ好機だろうが!」
「話がちがう!」
と雄たけびを上げている。
参謀本部の奥にじっとしている僕はジョニーの声に耳をふさぎ、
真剣に僕の人生の作戦地図を見下ろした。
「一時の欲望に押し流されて文明人と言えるもんか。命の恩人ともいえる保護者が酒で
ふわふわしているのに乗じるなんて、そんなのダメだ!」
僕が重々しく言うと、ジョニーは拳を振り上げて大脳新皮質の入り口をガンガン殴り始める。
ほとんど半狂乱だった。
「事を為せればそれで充分なんだよ!」
「事を成すことがどれだけ大事かわかってるのか!」
と叫んでいる。
199: 2011/04/13(水) 20:40:23.74
「俺たちに主導権を委譲しろ!」
「事を為すことだけになんの意味があるんだよ。何より大切なのは相手の気持ちじゃないか!」
僕は言い返すと、ジョニーは一転して哀願口調になったんだ。
「ねえ、男の純潔に何の意味があるのさ。そんなものをいつまでも守って、いったい誰が、
よく出来ましたって誉めてくれるんだい?これで新しい世界が開けるかもしれないんだよ。
向こう側が見てみたいとは思わないの?」
「向こう側は見てみたいさ。でも今はまだその時じゃない」
「そんなこと言って、明らかに今が好機じゃないか。眼鏡もあったじゃないか。
あの占い師の言った通りじゃないか」
「好機を掴むべきかどうかは、僕が判断するんだ。君が判断する所じゃないのさ」
「また我慢しなきゃならないのかよ。この人でなし、臆病者!」
僕は心を鬼にして、にじり寄るミサトさんから逃れる様に、壁をするすると伝った。
そのまま葛城二佐もくっついてくる。二人揃って部屋を移動し、廊下に出た。
南無三!
こうなれば仕方ない、ちょっとずるいけれど、嘘を付くしか無い。
「あ、加持さんが……」
僕が言ったとたん、ミサトさんはぎょっとして後ろを振り返った。
そのすきに乗じて僕はついに立ち上がった。トイレに逃げ込み、鍵をかけて籠城したんだ。
ジョニーが切なく怒号したのは言うまでもなかったさ。
「事を為すことだけになんの意味があるんだよ。何より大切なのは相手の気持ちじゃないか!」
僕は言い返すと、ジョニーは一転して哀願口調になったんだ。
「ねえ、男の純潔に何の意味があるのさ。そんなものをいつまでも守って、いったい誰が、
よく出来ましたって誉めてくれるんだい?これで新しい世界が開けるかもしれないんだよ。
向こう側が見てみたいとは思わないの?」
「向こう側は見てみたいさ。でも今はまだその時じゃない」
「そんなこと言って、明らかに今が好機じゃないか。眼鏡もあったじゃないか。
あの占い師の言った通りじゃないか」
「好機を掴むべきかどうかは、僕が判断するんだ。君が判断する所じゃないのさ」
「また我慢しなきゃならないのかよ。この人でなし、臆病者!」
僕は心を鬼にして、にじり寄るミサトさんから逃れる様に、壁をするすると伝った。
そのまま葛城二佐もくっついてくる。二人揃って部屋を移動し、廊下に出た。
南無三!
こうなれば仕方ない、ちょっとずるいけれど、嘘を付くしか無い。
「あ、加持さんが……」
僕が言ったとたん、ミサトさんはぎょっとして後ろを振り返った。
そのすきに乗じて僕はついに立ち上がった。トイレに逃げ込み、鍵をかけて籠城したんだ。
ジョニーが切なく怒号したのは言うまでもなかったさ。
201: 2011/04/13(水) 20:44:57.80
○
僕はトイレの中で縮こまる。
ドアを叩いて僕を呼び掛けていたミサトさんも、しばらくして部屋へ戻ったようだ。
僕はトイレに立てこもり、自分をめぐる三人の女性の事を考えたんだ。
一人は顔も知らない文通相手で、もう一人は人形であり、最後の一人は酔っぱらって
人の顔を舐めたがる人だ。
でも、淡々と暮らして来たこれまでの14年間、身辺がこれだけ華やいだことはなかった。
ああ……、この甘い生活!
ひょっとすると、アスカがユイさんを自室へ持ち込んだ時から風向きが変わったのかもしれない。
これはひょっとしてひょっとするぞ。
この先の人生に、バラ色のスクールライフが見え隠れしているのを目の当たりにし、
急に浮き足立つ思いだった。
しかし、健全な交際を志す僕としては、一人に決めなくちゃならない。
三人の女性のうち、一人は無言の美女だから、これはいくら僕でも除外しないといけない。
もう一人は僕の「文通ルール」によって、逢うことは許されない。
当然、最後の一人、ミサトさんだけが残る。
占い師が「メガネ」と予言したとおり、まさにこの場で、僕は眼鏡をかけた彼女の写真を見つけた。
好機ならなおのこと、この場では紳士らしく理性を保ち、彼女がシラフに戻るのを待ってから、
正当な手段で「合併交渉」を進めるべきだ。
僕はトイレの中で縮こまる。
ドアを叩いて僕を呼び掛けていたミサトさんも、しばらくして部屋へ戻ったようだ。
僕はトイレに立てこもり、自分をめぐる三人の女性の事を考えたんだ。
一人は顔も知らない文通相手で、もう一人は人形であり、最後の一人は酔っぱらって
人の顔を舐めたがる人だ。
でも、淡々と暮らして来たこれまでの14年間、身辺がこれだけ華やいだことはなかった。
ああ……、この甘い生活!
ひょっとすると、アスカがユイさんを自室へ持ち込んだ時から風向きが変わったのかもしれない。
これはひょっとしてひょっとするぞ。
この先の人生に、バラ色のスクールライフが見え隠れしているのを目の当たりにし、
急に浮き足立つ思いだった。
しかし、健全な交際を志す僕としては、一人に決めなくちゃならない。
三人の女性のうち、一人は無言の美女だから、これはいくら僕でも除外しないといけない。
もう一人は僕の「文通ルール」によって、逢うことは許されない。
当然、最後の一人、ミサトさんだけが残る。
占い師が「メガネ」と予言したとおり、まさにこの場で、僕は眼鏡をかけた彼女の写真を見つけた。
好機ならなおのこと、この場では紳士らしく理性を保ち、彼女がシラフに戻るのを待ってから、
正当な手段で「合併交渉」を進めるべきだ。
202: 2011/04/13(水) 20:51:42.82
ジョニーが静かになるのを待っているうちに、うつらうつらと眠気が襲ってきた。
○
連日の夜更かしが祟ったんだろう。
僕らしくもなくトイレでうたた寝をしてしまっていた。
慌ててドアを開けて廊下に出る。リビングの方を向くと、何かただならぬ気配がする。
眠い目をこすり暗がりを見ると、そこにはぬらりひょんが立っていた。
「ギャ」
と飛び上がりそうになるのを堪えてよく見ると、それはアスカだった。
さっきまでこの家には葛城二佐しか居なかったはずなのに、彼女の姿は無い。
「なんで君がここにいるんだい?」
僕はようやく言った。
彼女は気取った仕草で頭を撫でた。
「イケメン職員たちと芦ノ湖で盛り上がっていたのを呼び出されてね。わざわざタクシー使って
来たのよ?こっちの身にもなってほしいわ」
どういうことか分からない。
「つまりね。ミサトは私の師匠の知り合いで、それなりに親しい付き合いがあんのよ。アンタみたく、
上司と部下の関係よりも深~い所でね」
「そんな自慢話はいいよ。彼女はどこだい?」
「アンタがトイレを占領しているもんだから、今はコンビニのトイレで酒の報いを受けているわ」
○
連日の夜更かしが祟ったんだろう。
僕らしくもなくトイレでうたた寝をしてしまっていた。
慌ててドアを開けて廊下に出る。リビングの方を向くと、何かただならぬ気配がする。
眠い目をこすり暗がりを見ると、そこにはぬらりひょんが立っていた。
「ギャ」
と飛び上がりそうになるのを堪えてよく見ると、それはアスカだった。
さっきまでこの家には葛城二佐しか居なかったはずなのに、彼女の姿は無い。
「なんで君がここにいるんだい?」
僕はようやく言った。
彼女は気取った仕草で頭を撫でた。
「イケメン職員たちと芦ノ湖で盛り上がっていたのを呼び出されてね。わざわざタクシー使って
来たのよ?こっちの身にもなってほしいわ」
どういうことか分からない。
「つまりね。ミサトは私の師匠の知り合いで、それなりに親しい付き合いがあんのよ。アンタみたく、
上司と部下の関係よりも深~い所でね」
「そんな自慢話はいいよ。彼女はどこだい?」
「アンタがトイレを占領しているもんだから、今はコンビニのトイレで酒の報いを受けているわ」
203: 2011/04/13(水) 21:01:52.34
僕は葛城二佐に対して申し訳なく思う反面、なぜアスカがここに来たのか気になった。
「ミサトには難点が一つあってね。酒を飲み過ぎると理性のタガがゆるむというか、まあそういうことよ」
そういうことって、どういう事か分からない。
「なんだい、それは」
「ひょっとして顔を舐められそうにならなかった?」
「うん、舐められかけたよ」
「普段は抑えてるんだけどねぇ。今夜はアンタとの食事が盛り上がったせいで、ちょっと度が過ぎた
ということよ。つまり、今夜起こったことは水に流してほしいって事」
「そうだったのか……」
僕は呆れた。
「悪かったって、ミサトは言ってるわ。今さら恥じらったってしょうがない気がするけどね」
「でも、なんで君が来るんだい?」
「ミサトの代理人として、アンタに事情を説明する役目を仰せつかったのよ。この私が直々に
来てあげたんだから、感謝しなさいよ」
相変わらずの言い草に腹が立ったけれど、僕は黙っていた。
「アンタ何もしなかったでしょうね?」
アスカが言った。
「何もしなかったよ。顔を舐められそうになっただけさ」
「ミサトには難点が一つあってね。酒を飲み過ぎると理性のタガがゆるむというか、まあそういうことよ」
そういうことって、どういう事か分からない。
「なんだい、それは」
「ひょっとして顔を舐められそうにならなかった?」
「うん、舐められかけたよ」
「普段は抑えてるんだけどねぇ。今夜はアンタとの食事が盛り上がったせいで、ちょっと度が過ぎた
ということよ。つまり、今夜起こったことは水に流してほしいって事」
「そうだったのか……」
僕は呆れた。
「悪かったって、ミサトは言ってるわ。今さら恥じらったってしょうがない気がするけどね」
「でも、なんで君が来るんだい?」
「ミサトの代理人として、アンタに事情を説明する役目を仰せつかったのよ。この私が直々に
来てあげたんだから、感謝しなさいよ」
相変わらずの言い草に腹が立ったけれど、僕は黙っていた。
「アンタ何もしなかったでしょうね?」
アスカが言った。
「何もしなかったよ。顔を舐められそうになっただけさ」
205: 2011/04/13(水) 21:06:45.17
「ま、アンタの器量ならどうせそんなとこでしょうけど。さては彼女に迫られて、ちょっと悪戯しちゃおう
とか考えたんじゃないの?」
「そんなことはしないよ。あくまで紳士的に介抱したんだ」
「どうだか」
アスカは最初から信用していないようだ。
「くそう、腹が立つなあ……」
「あんまりミサトを責めないでよ。今頃便器を抱えて唸ってるわ」
「ちがう、君に腹を立ててるんだ!」
「ひどいわねぇ、とばっちりだわ」
「僕がロクでもない目にあうときは、たいてい君がそこにいるんだよ。この疫病神!」
「あ、ま~たアンタはそんなヒドイことを言うのね。私がなんでわざわざ楽しい宴会を抜けだして、
こんなところへ来たと思ってるのよ。親友として、アンタを慰めるためなのよ?」
「君の気遣いなんて要らないよ。だいたい、僕が感じているこの不愉快は、すべて君が原因なんだ」
「そんな人として恥ずべき言い草を、よくもまあ堂々と言えたもんだわね」
「君に会わなければ、僕にはもっと別の人生があったかもしれない。勉学に励んで、黒髪の乙女と付き合って、
一転の曇りもない学生生活を思うさま満喫していたんだ。そうに決まってるよ!」
僕の言葉を聞いたアスカは、まるで可哀想な捨て猫を見るような眼つきをした。
とか考えたんじゃないの?」
「そんなことはしないよ。あくまで紳士的に介抱したんだ」
「どうだか」
アスカは最初から信用していないようだ。
「くそう、腹が立つなあ……」
「あんまりミサトを責めないでよ。今頃便器を抱えて唸ってるわ」
「ちがう、君に腹を立ててるんだ!」
「ひどいわねぇ、とばっちりだわ」
「僕がロクでもない目にあうときは、たいてい君がそこにいるんだよ。この疫病神!」
「あ、ま~たアンタはそんなヒドイことを言うのね。私がなんでわざわざ楽しい宴会を抜けだして、
こんなところへ来たと思ってるのよ。親友として、アンタを慰めるためなのよ?」
「君の気遣いなんて要らないよ。だいたい、僕が感じているこの不愉快は、すべて君が原因なんだ」
「そんな人として恥ずべき言い草を、よくもまあ堂々と言えたもんだわね」
「君に会わなければ、僕にはもっと別の人生があったかもしれない。勉学に励んで、黒髪の乙女と付き合って、
一転の曇りもない学生生活を思うさま満喫していたんだ。そうに決まってるよ!」
僕の言葉を聞いたアスカは、まるで可哀想な捨て猫を見るような眼つきをした。
206: 2011/04/13(水) 21:13:12.48
「アンタ、まだ寝ぼけてるみたいね」
「僕はいかに学生生活を無駄にしてきたか、今日気づいたよ」
「慰めるわけじゃないけど、アンタはどんな道を選んでも私に会っていたと思うわ。直感的に分かるのよ。
いずれにせよ私はアンタに出会って、全力でアンタを駄目にするわ。運命に抗ってもしょうがないでしょう」
アスカは小指を立てた。
「私たちは運命の黒い糸で結ばれてるってワケ」
ドス黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて、暗い水底に沈んでいく男女の
恐るべき幻影が脳裏に浮かび、僕は戦慄した。
「そんなことよりアスカ、半年付き合っている彼氏が居るらしいね。どうだい、図星だろう?」
僕が言うと、アスカは妖しい笑みを浮かべるんだ。
「ウフフ」
「その笑いは何だい?」
「ヒ・ミ・ツ」
どこまでもしっぽを現さないアスカに対して、苦々しい思いが募る。
「君みたいな奴が、僕を尻目に浮かれるなんて間違ってるよ」
「まあまあ。私が幸せであることはこの際、どうでもいいじゃない。とにかく今日の所はね、
夢を見たのだと諦めて早々に忘れることね」
アスカは菓子の箱を差し出したんだ。
「僕はいかに学生生活を無駄にしてきたか、今日気づいたよ」
「慰めるわけじゃないけど、アンタはどんな道を選んでも私に会っていたと思うわ。直感的に分かるのよ。
いずれにせよ私はアンタに出会って、全力でアンタを駄目にするわ。運命に抗ってもしょうがないでしょう」
アスカは小指を立てた。
「私たちは運命の黒い糸で結ばれてるってワケ」
ドス黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて、暗い水底に沈んでいく男女の
恐るべき幻影が脳裏に浮かび、僕は戦慄した。
「そんなことよりアスカ、半年付き合っている彼氏が居るらしいね。どうだい、図星だろう?」
僕が言うと、アスカは妖しい笑みを浮かべるんだ。
「ウフフ」
「その笑いは何だい?」
「ヒ・ミ・ツ」
どこまでもしっぽを現さないアスカに対して、苦々しい思いが募る。
「君みたいな奴が、僕を尻目に浮かれるなんて間違ってるよ」
「まあまあ。私が幸せであることはこの際、どうでもいいじゃない。とにかく今日の所はね、
夢を見たのだと諦めて早々に忘れることね」
アスカは菓子の箱を差し出したんだ。
207: 2011/04/13(水) 21:21:25.21
「なんだいこれは?」
「ユイさんをアンタの部屋に置いとく迷惑料よ、師匠からの」
箱の中身はカステラだった。
「甘いもの食べて、頭を冷やしなさい」
アスカはそう言って、コンフォート17から帰っていった。
○
空も白んできた明け方の街を歩いた。
トイレで思い描いた葛城二佐との未来が翌日を待たずに消えたのはつらいけれど、
よく考えてみれば振り出しに戻っただけじゃないか。
そんなことは日常茶飯事だったもの。
心の傷と引き換えにカステラが手に入っただけでも、割のいい話だと思おう。
これで我慢だ。我慢……。
でも納得できはしない。心の隙間が埋まらないんだよ。
アスカがユイさんを持ち込んだ時から風向きが変わったかと思ったのに、
僕をめぐる「三人の女性」のうち、葛城二佐は早々と脱落した。
夢を見たのは半日にも満たない。
僕に残されたのは、決して逢うことの許されない文通相手と、同居はしているけど
人間じゃない女性だ。
「ユイさんをアンタの部屋に置いとく迷惑料よ、師匠からの」
箱の中身はカステラだった。
「甘いもの食べて、頭を冷やしなさい」
アスカはそう言って、コンフォート17から帰っていった。
○
空も白んできた明け方の街を歩いた。
トイレで思い描いた葛城二佐との未来が翌日を待たずに消えたのはつらいけれど、
よく考えてみれば振り出しに戻っただけじゃないか。
そんなことは日常茶飯事だったもの。
心の傷と引き換えにカステラが手に入っただけでも、割のいい話だと思おう。
これで我慢だ。我慢……。
でも納得できはしない。心の隙間が埋まらないんだよ。
アスカがユイさんを持ち込んだ時から風向きが変わったかと思ったのに、
僕をめぐる「三人の女性」のうち、葛城二佐は早々と脱落した。
夢を見たのは半日にも満たない。
僕に残されたのは、決して逢うことの許されない文通相手と、同居はしているけど
人間じゃない女性だ。
208: 2011/04/13(水) 21:31:33.16
つまり、何も残されていないに等しいんだ。
自室に戻り、腐りかけのベッドにごろんと寝っころがって、ユイさんの横顔を見た。
彼女の美しい姿を眺めながら、いつの間にか眠りに落ちた。
○
夕方に目を覚まして、駅前商店街にあるレストランへ出かけて夕食にした。
芦ノ湖のそばを抜けるとき、夕日に照らされる湖畔がキラキラと輝いて見えた。
ここからは緑豊かな山々が見渡せる。
ここで霧島マナさんと一緒に散歩でも出来たらどんなものだろうと妄想を膨らましかけたけれど、
あんまり夕風に吹かれて妄想に耽っていても腹が減るだけなので、適当なところで切り上げた。
コンフォート17へ戻って机の前に座り、精神統一、これまでの霧島マナさんとのやり取りを読み返し、
このやり場のない思いを紛らわせることにした。
僕は霧島さんから返事が来た最初の手紙を引っ張り出した。
「拝啓 お手紙ありがとうございます―――」
その手紙には霧島さんの事が控えめにつづられ、彼女は麗しの黒髪の乙女であることが読み取れた。
ドンピシャだ!と思った。
あの時僕は、我を忘れて小躍りしたっけ……。それも、もう半年前の事なんだよなぁ。
こうして嘘のような簡単なきっかけから、僕たちの半年間に渡る文通のやり取りが始まったんだ。
「僕です。暦では秋も終わりだといのに、蒸し暑い日が続いていますね。
僕の部屋は中々風が通らないので、余計暑いです―――」
自室に戻り、腐りかけのベッドにごろんと寝っころがって、ユイさんの横顔を見た。
彼女の美しい姿を眺めながら、いつの間にか眠りに落ちた。
○
夕方に目を覚まして、駅前商店街にあるレストランへ出かけて夕食にした。
芦ノ湖のそばを抜けるとき、夕日に照らされる湖畔がキラキラと輝いて見えた。
ここからは緑豊かな山々が見渡せる。
ここで霧島マナさんと一緒に散歩でも出来たらどんなものだろうと妄想を膨らましかけたけれど、
あんまり夕風に吹かれて妄想に耽っていても腹が減るだけなので、適当なところで切り上げた。
コンフォート17へ戻って机の前に座り、精神統一、これまでの霧島マナさんとのやり取りを読み返し、
このやり場のない思いを紛らわせることにした。
僕は霧島さんから返事が来た最初の手紙を引っ張り出した。
「拝啓 お手紙ありがとうございます―――」
その手紙には霧島さんの事が控えめにつづられ、彼女は麗しの黒髪の乙女であることが読み取れた。
ドンピシャだ!と思った。
あの時僕は、我を忘れて小躍りしたっけ……。それも、もう半年前の事なんだよなぁ。
こうして嘘のような簡単なきっかけから、僕たちの半年間に渡る文通のやり取りが始まったんだ。
「僕です。暦では秋も終わりだといのに、蒸し暑い日が続いていますね。
僕の部屋は中々風が通らないので、余計暑いです―――」
209: 2011/04/13(水) 21:36:05.26
「霧島です。夏休みが始まったと思ったら、あっという間に終わってしまいましたね。
今夏は沢山の人との出会いがあり、充実した日々を送ることが出来ました。
学校で自由に勉強できる私たちは、とても恵まれていると思います。
私は国語や音楽が大好きです。貴方はどんな教科が好きなんですか?―――」
「僕です。得意と言うほどではないのですが、物理学が大好きです。科学とは興味深い世界です。
生半可なことでは全てを見渡すことが出来なくなったのが残念に思われますが、
だからこそ、今の僕たちの生活がある訳なので、ぜいたくは言えません―――」
「霧島です。素敵な勉強をなさっているのですね。私の方はこの間、
語学留学で日本に来ていた友人が帰国することになって、その送別会が箱根のアイリッシュパブで開かれました。
私はもちろんお酒は飲めないのですけれど、白身魚の揚げ物をとても美味しく頂きました―――」
「僕です。アイリッシュパブへは行ったことがないのですが、一度行ってみたいものです。
英国の文化にはとても興味があります。いつか本場で僕の語学がどれほど通用するのかを試してみたく思っています。
父の仕事の都合で、幼少期はアメリカで過ごし、チェロもそこで覚えました。
そのころの体験を活かして、今はインカレサークルで英会話講師のアルバイトをしています。
僕の体験が、少しでもクラスメイト達の役に立てばと思っています―――」
「霧島です。海外生活をなさっていたんですね。私の憧れです。
ただ、余り勉強に根を詰め過ぎると身体によくありません。無理はしないでください―――」
「僕です。ご心配ありがとうございます。おっしゃる通り、出来るだけ運動はするようにしています。
実は息抜きがてら、アクション俳優もたしなんでいます。子供っぽいと笑われるかもしれませんが、
ロボットパイロット物の番組です。鍛えた体を活かす機会を得ると同時に、子供たちに夢を与えることが出来る、
なかなかやりがいのある仕事です。正義は勝つと子供たちに伝えたい―――」
今夏は沢山の人との出会いがあり、充実した日々を送ることが出来ました。
学校で自由に勉強できる私たちは、とても恵まれていると思います。
私は国語や音楽が大好きです。貴方はどんな教科が好きなんですか?―――」
「僕です。得意と言うほどではないのですが、物理学が大好きです。科学とは興味深い世界です。
生半可なことでは全てを見渡すことが出来なくなったのが残念に思われますが、
だからこそ、今の僕たちの生活がある訳なので、ぜいたくは言えません―――」
「霧島です。素敵な勉強をなさっているのですね。私の方はこの間、
語学留学で日本に来ていた友人が帰国することになって、その送別会が箱根のアイリッシュパブで開かれました。
私はもちろんお酒は飲めないのですけれど、白身魚の揚げ物をとても美味しく頂きました―――」
「僕です。アイリッシュパブへは行ったことがないのですが、一度行ってみたいものです。
英国の文化にはとても興味があります。いつか本場で僕の語学がどれほど通用するのかを試してみたく思っています。
父の仕事の都合で、幼少期はアメリカで過ごし、チェロもそこで覚えました。
そのころの体験を活かして、今はインカレサークルで英会話講師のアルバイトをしています。
僕の体験が、少しでもクラスメイト達の役に立てばと思っています―――」
「霧島です。海外生活をなさっていたんですね。私の憧れです。
ただ、余り勉強に根を詰め過ぎると身体によくありません。無理はしないでください―――」
「僕です。ご心配ありがとうございます。おっしゃる通り、出来るだけ運動はするようにしています。
実は息抜きがてら、アクション俳優もたしなんでいます。子供っぽいと笑われるかもしれませんが、
ロボットパイロット物の番組です。鍛えた体を活かす機会を得ると同時に、子供たちに夢を与えることが出来る、
なかなかやりがいのある仕事です。正義は勝つと子供たちに伝えたい―――」
210: 2011/04/13(水) 21:40:34.73
「霧島です。すばらしい活動だと思います。実は私も、子供を元気づけるヒーローは大好きなのです。
私こそ、子供っぽくてお恥ずかしいのですけれど―――」
手紙が届くたびに、霧島さんの人柄が垣間見えてくる。
それはまさしく僕の理想と言うべき女性像だったんだ。
僕も自分のことをなるべく良く思われるように書いた。
多少美化した所もあるけれど、これはむしろ洒落た演出と言うべきでしょう?
そんなこんなで霧島さんとはこのままプラトニックな関係が続くのかと思われた。
しかし……。
「霧島です。前略。私たちが手紙のやり取りを始めてから、もう半年になります。
つきましては、あなたにお伝えしたい事があります。良ければ一度お会いできませんか―――」
彼女を本気にさせてしまったのは僕の文才のたまものだろう。罪な男だなァまったく。
でも、彼女には会えない。
この半年間で手紙の中の僕は独り歩きし、現実の僕を大きく引きはなしていたんだ。
手紙を書いている間はすっかり模範的学生になっているけれど、
手紙を書き終えたその場にいるのは、とうてい模範的とは言えない平々凡々な一男子だったから。
霧島さんを幻滅させることはできない。嘘を嘘で塗り固め、もはや引き返せない所まで来てしまった。
嗚呼、彼女はどんな女性だろう!
霧島さんからは何度か催促の手紙をもらうのだけれど、
僕は会う日を先送りにして、はぐらかしていたんだ。
私こそ、子供っぽくてお恥ずかしいのですけれど―――」
手紙が届くたびに、霧島さんの人柄が垣間見えてくる。
それはまさしく僕の理想と言うべき女性像だったんだ。
僕も自分のことをなるべく良く思われるように書いた。
多少美化した所もあるけれど、これはむしろ洒落た演出と言うべきでしょう?
そんなこんなで霧島さんとはこのままプラトニックな関係が続くのかと思われた。
しかし……。
「霧島です。前略。私たちが手紙のやり取りを始めてから、もう半年になります。
つきましては、あなたにお伝えしたい事があります。良ければ一度お会いできませんか―――」
彼女を本気にさせてしまったのは僕の文才のたまものだろう。罪な男だなァまったく。
でも、彼女には会えない。
この半年間で手紙の中の僕は独り歩きし、現実の僕を大きく引きはなしていたんだ。
手紙を書いている間はすっかり模範的学生になっているけれど、
手紙を書き終えたその場にいるのは、とうてい模範的とは言えない平々凡々な一男子だったから。
霧島さんを幻滅させることはできない。嘘を嘘で塗り固め、もはや引き返せない所まで来てしまった。
嗚呼、彼女はどんな女性だろう!
霧島さんからは何度か催促の手紙をもらうのだけれど、
僕は会う日を先送りにして、はぐらかしていたんだ。
211: 2011/04/13(水) 21:45:28.57
自らの墓穴で会うに会えなくなってしまった自分を、呪ったよ。
○
その夜、僕がユイさんに対して不埒な振る舞いをしていないか検査すると失礼なことを言いながら、
アスカが訪ねてきたんだ。
「君、いつになったらこれを引き取ってくれるんだい?」
僕は貧乏揺すりを隠し切れず、イライラしながら言い放った。
「もうじき引き取るってば」
アスカはニヤリとした。
「そんなこと言って、本当はユイさんとの生活をエンジョイしているんじゃないの?
こんな風に読書なんてさせてサ」
「今すぐ黙れよ!未来永劫黙れ!」
「それはお断りよ。私は無駄口がきけないと、寂しくて氏ぬのよ」
「氏ねばいいんだ」
「ところがどっこい、私は無駄口を叩いている限り、頃しても氏なないのよね~」
もうダメだ、彼女と口喧嘩しても疲れるだけだろう。
「もういいよ……、早く出て行ってくれ。僕は忙しいんだよ」
○
その夜、僕がユイさんに対して不埒な振る舞いをしていないか検査すると失礼なことを言いながら、
アスカが訪ねてきたんだ。
「君、いつになったらこれを引き取ってくれるんだい?」
僕は貧乏揺すりを隠し切れず、イライラしながら言い放った。
「もうじき引き取るってば」
アスカはニヤリとした。
「そんなこと言って、本当はユイさんとの生活をエンジョイしているんじゃないの?
こんな風に読書なんてさせてサ」
「今すぐ黙れよ!未来永劫黙れ!」
「それはお断りよ。私は無駄口がきけないと、寂しくて氏ぬのよ」
「氏ねばいいんだ」
「ところがどっこい、私は無駄口を叩いている限り、頃しても氏なないのよね~」
もうダメだ、彼女と口喧嘩しても疲れるだけだろう。
「もういいよ……、早く出て行ってくれ。僕は忙しいんだよ」
212: 2011/04/13(水) 21:49:58.61
「言われなくてもそうするわ。今夜は師匠のところで闇鍋ってのをするそうだから」
にやにや笑うアスカを廊下の外へ追い出して、ようやく心の平安を得た。
○
翌日のこと。
学校へ出かけて日がな一日、授業だ体育だと立ちまわった挙げ句、
駅前のハンバーガーショップで買い食いをした。
それから箱根湯本駅の大通りを考えもなしにブラブラ見て回り、ふと立ち止まった。
ああ。
魔が差すということは本当にある。
結論から言えば、僕は逢うことの許されない霧島マナさんの自宅へ足を向けてしまったんだ。
人恋しさに引きずられるようにして、僕は小道を歩いて行った。
「どんなところに住んでいるか見るだけさ。逢おうってわけじゃないんだ……」
自分に言い聞かせるようにして、フラフラと家を探していく。
かくして僕は、今まで一度たりとも近寄らなかった霧島マナさんの住所、
禁断の「ホワイトガーデン白樺」へ向かった。
○
「ホワイトガーデン白樺」は、こじんまりとして身をひそめているような、
まるで砂糖菓子のように白いマンションだった。
にやにや笑うアスカを廊下の外へ追い出して、ようやく心の平安を得た。
○
翌日のこと。
学校へ出かけて日がな一日、授業だ体育だと立ちまわった挙げ句、
駅前のハンバーガーショップで買い食いをした。
それから箱根湯本駅の大通りを考えもなしにブラブラ見て回り、ふと立ち止まった。
ああ。
魔が差すということは本当にある。
結論から言えば、僕は逢うことの許されない霧島マナさんの自宅へ足を向けてしまったんだ。
人恋しさに引きずられるようにして、僕は小道を歩いて行った。
「どんなところに住んでいるか見るだけさ。逢おうってわけじゃないんだ……」
自分に言い聞かせるようにして、フラフラと家を探していく。
かくして僕は、今まで一度たりとも近寄らなかった霧島マナさんの住所、
禁断の「ホワイトガーデン白樺」へ向かった。
○
「ホワイトガーデン白樺」は、こじんまりとして身をひそめているような、
まるで砂糖菓子のように白いマンションだった。
213: 2011/04/13(水) 21:55:39.90
霧島さんのような麗しの女性が住むには、イメージぴったりの建物だった。
しかし彼女の住まいを見つけたからといって、どうすればよいのか分からない。
さりげなく郵便受けを覗いてみたけれど、名札は出ていなかったし……。
玄関はオートロックだから入ることは望めないけれど、彼女が住んでいるはずの
一階の廊下は塀越しに見ることができる。
部屋番号は102号室だから、左端から二番目の部屋だろう。
閉じたドアを見ているうちに、自分がひどく罪深いことをしているように思われて、
彼女に見られないうちに立ち去らなきゃと思った。
でもよく考えてみると、彼女も僕を見たことがないんだから複雑な気持ちになった。
僕がその場で待つべきか帰るべきか決めかねていると、唐突に102号室のドアが開いた。
僕は霧島マナさんを見た。
そのとき僕が見た霧島マナさんはとても不気味な顔をしていた。
不摂生をしているらしく、月の裏側から来た人間のような顔をしている。
他人の不幸を乞い願うような不吉な笑みを浮かべていて、
妖怪ぬらりひょんと言うべきだろう。
まるでもうアスカだ。
アスカと瓜二つだ。
むしろ、アスカそのものだ。
アスカ本人だ。
「神も仏もないものか」
とは、こういう時に使うんだろうね。
しかし彼女の住まいを見つけたからといって、どうすればよいのか分からない。
さりげなく郵便受けを覗いてみたけれど、名札は出ていなかったし……。
玄関はオートロックだから入ることは望めないけれど、彼女が住んでいるはずの
一階の廊下は塀越しに見ることができる。
部屋番号は102号室だから、左端から二番目の部屋だろう。
閉じたドアを見ているうちに、自分がひどく罪深いことをしているように思われて、
彼女に見られないうちに立ち去らなきゃと思った。
でもよく考えてみると、彼女も僕を見たことがないんだから複雑な気持ちになった。
僕がその場で待つべきか帰るべきか決めかねていると、唐突に102号室のドアが開いた。
僕は霧島マナさんを見た。
そのとき僕が見た霧島マナさんはとても不気味な顔をしていた。
不摂生をしているらしく、月の裏側から来た人間のような顔をしている。
他人の不幸を乞い願うような不吉な笑みを浮かべていて、
妖怪ぬらりひょんと言うべきだろう。
まるでもうアスカだ。
アスカと瓜二つだ。
むしろ、アスカそのものだ。
アスカ本人だ。
「神も仏もないものか」
とは、こういう時に使うんだろうね。
214: 2011/04/13(水) 22:00:31.23
この僕が間違えるはずがない。
それはアスカだった。
混乱する僕を尻目に、アスカは悠々とオートロックを開けて、外へ出てきた。
そのまま駅前へ歩いて行った。
その間、塀の影に隠れていた僕はぷるぷると震えていた。
このときになって僕は、アスカの住みかを知らなかったことを思い起こした。
ここが箱根湯本駅からすぐ近くであることを思い起こした。
それから、二日前の夜、駅前のレストランで葛城二佐と交わした言葉を手繰り寄せた。
「ええと……、箱根湯本駅の大通りから左へ折れて、ちょっと入ったところにある
砂糖菓子みたいにおしゃれなワンルームマンションだったわ」
彼女の記憶が正しければ、ホワイトガーデン白樺102号室はアスカの
住みかであるという結論が出る。
そして霧島マナさんの下宿はアスカの住まいと同一であるという事実を認めざるを得ない。
そこから導き出される苦い結論を?みこむには、多大な精神力を必要としたさ。
霧島マナさんは存在しない。
僕は半年以上もの間、アスカと文通していたことになる。
○
かくして僕と霧島マナさんとの文通は唐突に終わりを告げたんだ。
これ以上残酷な締めくくりはあり得ないよ。
それはアスカだった。
混乱する僕を尻目に、アスカは悠々とオートロックを開けて、外へ出てきた。
そのまま駅前へ歩いて行った。
その間、塀の影に隠れていた僕はぷるぷると震えていた。
このときになって僕は、アスカの住みかを知らなかったことを思い起こした。
ここが箱根湯本駅からすぐ近くであることを思い起こした。
それから、二日前の夜、駅前のレストランで葛城二佐と交わした言葉を手繰り寄せた。
「ええと……、箱根湯本駅の大通りから左へ折れて、ちょっと入ったところにある
砂糖菓子みたいにおしゃれなワンルームマンションだったわ」
彼女の記憶が正しければ、ホワイトガーデン白樺102号室はアスカの
住みかであるという結論が出る。
そして霧島マナさんの下宿はアスカの住まいと同一であるという事実を認めざるを得ない。
そこから導き出される苦い結論を?みこむには、多大な精神力を必要としたさ。
霧島マナさんは存在しない。
僕は半年以上もの間、アスカと文通していたことになる。
○
かくして僕と霧島マナさんとの文通は唐突に終わりを告げたんだ。
これ以上残酷な締めくくりはあり得ないよ。
215: 2011/04/13(水) 22:07:00.98
僕は暮れかかる街を歩き朦朧(もうろう)とする意識の中、
なんとかコンフォート17へたどり着いた。
自室の隅には、ユイさんが相変わらず腰を下ろして読書に耽っている。
葛城二佐との夢ははかなく消え、霧島マナさんは存在しない事が判明し、
今の僕に残されたのはこの寡黙なユイさんだけということになった。
僕は樋口師匠からお詫びにと渡されたカステラを取りだした。
今までの嫌な思いを振り払うべく、切り分けもせずにかぶりついた。
カステラを食べながら、僕は大粒の涙を流した。
「俺の言うことをきかなかった報いだね」
ジョニーが嘲笑った。
「うるさいな、黙れよ」
「葛城二佐が酔っていたあの時、さっさと俺に任せればよかったんだ。
そうすれば少なくとも、今こんな惨めな思いはせずに済んだのさ」
「そんなこと信じないぞ」
僕はきつく腕組みをし、ジョニーの言葉に惑わされまいとした。
「まあ、これで、今の俺たちに残されたのは、このユイさんだけというわけだね」
「君、何を考えているんだい?」
ピクリ、と僕の肩が動く。
なんとかコンフォート17へたどり着いた。
自室の隅には、ユイさんが相変わらず腰を下ろして読書に耽っている。
葛城二佐との夢ははかなく消え、霧島マナさんは存在しない事が判明し、
今の僕に残されたのはこの寡黙なユイさんだけということになった。
僕は樋口師匠からお詫びにと渡されたカステラを取りだした。
今までの嫌な思いを振り払うべく、切り分けもせずにかぶりついた。
カステラを食べながら、僕は大粒の涙を流した。
「俺の言うことをきかなかった報いだね」
ジョニーが嘲笑った。
「うるさいな、黙れよ」
「葛城二佐が酔っていたあの時、さっさと俺に任せればよかったんだ。
そうすれば少なくとも、今こんな惨めな思いはせずに済んだのさ」
「そんなこと信じないぞ」
僕はきつく腕組みをし、ジョニーの言葉に惑わされまいとした。
「まあ、これで、今の俺たちに残されたのは、このユイさんだけというわけだね」
「君、何を考えているんだい?」
ピクリ、と僕の肩が動く。
216: 2011/04/13(水) 22:11:43.02
「おいおい、この期に及んでも紳士面をする気なのかい?
もういいじゃないか。一緒に幸せになろうぜ。もうこの際、ぜいたくは言わないよ」
彼の言葉に、僕は冷や汗をかいた。
ジョニーはどうやらユイさんに対し、何らかの不埒な振る舞いに及ぼうという魂胆らしい。
「彼女の顔見てみなよ。待ってるぜ?」
彼はユイさんを見るよう促す。
「ユイさんはそんな人じゃない」
「いくら品のいい顔をしてても、心の中はお前と同じ思いなんだよ!」
「嘘だ」
「嘘なもんンか!何故彼女はお前の前に現れた?これこそ好機だったんだよ。
ほら、ずっとお前を見てる」
『お別れする前に、あなたのぬくもりを分けて』
僕はついに気がふれたらしい。ユイさんから幻聴が聞こえてきた。
『私を愛してくれて、とっても嬉しかったわ』
「ユイさん……、でも」
『貴方にとって、私はずっと寄り添っていける相手でない事は分かっているわ。
でも、私はいつでも貴方を見ているのよ』
もういいじゃないか。一緒に幸せになろうぜ。もうこの際、ぜいたくは言わないよ」
彼の言葉に、僕は冷や汗をかいた。
ジョニーはどうやらユイさんに対し、何らかの不埒な振る舞いに及ぼうという魂胆らしい。
「彼女の顔見てみなよ。待ってるぜ?」
彼はユイさんを見るよう促す。
「ユイさんはそんな人じゃない」
「いくら品のいい顔をしてても、心の中はお前と同じ思いなんだよ!」
「嘘だ」
「嘘なもんンか!何故彼女はお前の前に現れた?これこそ好機だったんだよ。
ほら、ずっとお前を見てる」
『お別れする前に、あなたのぬくもりを分けて』
僕はついに気がふれたらしい。ユイさんから幻聴が聞こえてきた。
『私を愛してくれて、とっても嬉しかったわ』
「ユイさん……、でも」
『貴方にとって、私はずっと寄り添っていける相手でない事は分かっているわ。
でも、私はいつでも貴方を見ているのよ』
217: 2011/04/13(水) 22:17:53.79
「そんな悲しいこと言わないでよ!ユイさんまでいなくなってしまったら僕は…、
僕はどうしたらいいんだ」
『いいのよ、あなたとなら……』
その言葉が引き金となり、僕はゆっくりとユイさんに近づいて行った。
しかし目の前に座る彼女の可憐な顔を見たとたん、情欲は砕けた。
「う、美しすぎる!」
僕は後ずさりして彼女に背を向けた。
「逃げるな腰ぬけ!ずっと貧弱オクテ野郎のままでいいのか?人畜無害と呼ばれ続けていいのか?
彼女に恥をかかせるな。お前の熱い情熱をぶつけて欲しいと思ってるんだ。ずっと待ってるんだぞ!」
『いいの、ごめんなさい。所詮私は人形……』
「彼女を女にしてやれ!」
「駄目だよ、僕には出来ない!」
僕は力いっぱい叫んだ。
すると、ジョニーがすっくと立ち上がって……。
「……わかった。代わりに俺がやってやる」
「やめろ……、やめろよ。何をするんだ、ジョニー!」
『きて!』
僕はどうしたらいいんだ」
『いいのよ、あなたとなら……』
その言葉が引き金となり、僕はゆっくりとユイさんに近づいて行った。
しかし目の前に座る彼女の可憐な顔を見たとたん、情欲は砕けた。
「う、美しすぎる!」
僕は後ずさりして彼女に背を向けた。
「逃げるな腰ぬけ!ずっと貧弱オクテ野郎のままでいいのか?人畜無害と呼ばれ続けていいのか?
彼女に恥をかかせるな。お前の熱い情熱をぶつけて欲しいと思ってるんだ。ずっと待ってるんだぞ!」
『いいの、ごめんなさい。所詮私は人形……』
「彼女を女にしてやれ!」
「駄目だよ、僕には出来ない!」
僕は力いっぱい叫んだ。
すると、ジョニーがすっくと立ち上がって……。
「……わかった。代わりに俺がやってやる」
「やめろ……、やめろよ。何をするんだ、ジョニー!」
『きて!』
219: 2011/04/13(水) 22:24:50.88
「ユイさん!よすんだジョニー!」
めくるめく自問自答の嵐にもまれつつ、僕は手を伸ばしてユイさんの髪に触れた。
そのとき、マンションの外でどたばた暴れていた誰かが、
この建物に近づいてくる音が聞こえた。
そのまま廊下をこちらに進んでくる。
おや何だろうと思ったとたんに、部屋のドアが蹴破られた。
「貴様かッ!」
怒り狂った男が踏み込んできた。
その男こそ、ユイさんの持ち主であり、アスカの師匠と戦争を繰り広げている人物、
僕の父にしてNERV総司令・碇ゲンドウだったんだ。
○
僕は腕力に訴えるのを潔しとしなかったため、一方的に殴られた。
何のことかわからないまま僕は部屋の隅へ吹っ飛ばされ、
揺れた机からお気に入りのウォークマンが転げ落ちた。
この男、実の息子よりラブドールの方が大切なのだろうか?
先ほどまでユイさんへ向けて不穏に蠢いていたジョニーは
「キャアア」
と幼子のような悲鳴を上げて物陰に隠れた。
わが息子ながら逃げ足の速い奴……。
めくるめく自問自答の嵐にもまれつつ、僕は手を伸ばしてユイさんの髪に触れた。
そのとき、マンションの外でどたばた暴れていた誰かが、
この建物に近づいてくる音が聞こえた。
そのまま廊下をこちらに進んでくる。
おや何だろうと思ったとたんに、部屋のドアが蹴破られた。
「貴様かッ!」
怒り狂った男が踏み込んできた。
その男こそ、ユイさんの持ち主であり、アスカの師匠と戦争を繰り広げている人物、
僕の父にしてNERV総司令・碇ゲンドウだったんだ。
○
僕は腕力に訴えるのを潔しとしなかったため、一方的に殴られた。
何のことかわからないまま僕は部屋の隅へ吹っ飛ばされ、
揺れた机からお気に入りのウォークマンが転げ落ちた。
この男、実の息子よりラブドールの方が大切なのだろうか?
先ほどまでユイさんへ向けて不穏に蠢いていたジョニーは
「キャアア」
と幼子のような悲鳴を上げて物陰に隠れた。
わが息子ながら逃げ足の速い奴……。
220: 2011/04/13(水) 22:29:41.01
僕の前に仁王立ちする碇司令の後ろから、もう一人、アスカの師匠と言っていた男が
悠然と入ってきた。それを押しのけて息を切らせて走り込んで来たのは、
なんとクラスメートの綾波さんだった。
「碇司令!」
と彼女は声を上げた。
「いきなり殴るなんて、無茶です」
彼女は僕を助け起こしてくれた。
「大丈夫?ごめんなさい、司令は誤解しているのよ」
「碇司令、あなたは根本的な誤解があるのです」
アスカの師匠がのんびりと言った。
「息子も一枚かんでいるんじゃないのか?」
父は疑わしそうに言った。
「違います。彼は二号機パイロットに巻き込まれただけです」
綾波さんが言った。
「そうか、すまなかったな」
と父は僕に謝ったものの、早々にユイさんの方へ向き直った。
彼は彼女の無事を確認して平静を取り戻したらしい。
人を殴っといてそれだけ?
僕は茫然と見ていた。
手を伸ばして、まるで恋人を慈しむように彼女の髪を撫でていた。
もし不埒な行為に及んでいれば……と考えると恐ろしい。
悠然と入ってきた。それを押しのけて息を切らせて走り込んで来たのは、
なんとクラスメートの綾波さんだった。
「碇司令!」
と彼女は声を上げた。
「いきなり殴るなんて、無茶です」
彼女は僕を助け起こしてくれた。
「大丈夫?ごめんなさい、司令は誤解しているのよ」
「碇司令、あなたは根本的な誤解があるのです」
アスカの師匠がのんびりと言った。
「息子も一枚かんでいるんじゃないのか?」
父は疑わしそうに言った。
「違います。彼は二号機パイロットに巻き込まれただけです」
綾波さんが言った。
「そうか、すまなかったな」
と父は僕に謝ったものの、早々にユイさんの方へ向き直った。
彼は彼女の無事を確認して平静を取り戻したらしい。
人を殴っといてそれだけ?
僕は茫然と見ていた。
手を伸ばして、まるで恋人を慈しむように彼女の髪を撫でていた。
もし不埒な行為に及んでいれば……と考えると恐ろしい。
221: 2011/04/13(水) 22:36:51.08
おそらく碇司令は怒髪天をつく怒りに駆られ、保安部総動員で
僕をスマキにして芦ノ湖に沈めただろうね。
碇司令とユイさんの感動の対面が行われている間、アスカの師匠は
僕の椅子に我が物顔に座って煙草を吹かし、こちらへ事情を説明してくれる風もない。
僕にはまったく蚊帳の外だった。
○
「今回のことはアスカの暴走ということで丸く収めてくれませんか」
師匠は言った。
「我々もここまでするつもりでは無かったのです」
「とりあえずユイも無事に戻った。これで終わらせても良い。しかし、アスカ君とはきちんと
話をつけなければな。あの小娘、私の部屋に不法侵入をしたのだ」
父さんは強く言った。僕に負けず劣らずの怒りが渦巻いている。
「アスカなら、もうすぐここへ来るはずだ。煮るなり蒸すなり好きにしてください。
煮ても蒸しても喰えない奴ですがね」
師匠は無責任なことを言っている。
「そうね。もとはといえば二号機パイロットが原因だわ。報いを受けて然るべき……」
綾波さんが言う。
僕は事態を?みこみ、改めてアスカへの怒りをたぎらせた。
こうしてひどい目にあわされた父さんを目の当たりにしていると、怒りもまた一段と湧いてくる。
僕をスマキにして芦ノ湖に沈めただろうね。
碇司令とユイさんの感動の対面が行われている間、アスカの師匠は
僕の椅子に我が物顔に座って煙草を吹かし、こちらへ事情を説明してくれる風もない。
僕にはまったく蚊帳の外だった。
○
「今回のことはアスカの暴走ということで丸く収めてくれませんか」
師匠は言った。
「我々もここまでするつもりでは無かったのです」
「とりあえずユイも無事に戻った。これで終わらせても良い。しかし、アスカ君とはきちんと
話をつけなければな。あの小娘、私の部屋に不法侵入をしたのだ」
父さんは強く言った。僕に負けず劣らずの怒りが渦巻いている。
「アスカなら、もうすぐここへ来るはずだ。煮るなり蒸すなり好きにしてください。
煮ても蒸しても喰えない奴ですがね」
師匠は無責任なことを言っている。
「そうね。もとはといえば二号機パイロットが原因だわ。報いを受けて然るべき……」
綾波さんが言う。
僕は事態を?みこみ、改めてアスカへの怒りをたぎらせた。
こうしてひどい目にあわされた父さんを目の当たりにしていると、怒りもまた一段と湧いてくる。
223: 2011/04/13(水) 22:41:27.22
「それにしても司令。ユイさんはどうするのですか?」
と綾波さん。
「問題ない。車を手配しておく。あと数分もすれば着くだろう」
父さんは保安部に電話をしていた。ユイさんを車で運び出す魂胆だろうね。
アスカの師匠が一足先に僕の部屋から出た。
玄関を眺めて煙草を吹かしていたけれど、ふいに
「お!」
と声を上げた。
「アスカ、こっちこっち。ちょっとこっちへおいで」
彼はそう言って手招きしている。
父さんと僕はほぼ時を同じくして立ち上がり、部屋に踏み込んできたアスカを
粉砕すべく拳を握った。
「師匠、こんなムサクルシイところで何をやってるのよ?」
アスカはそう言いながら僕の部屋を覗きこみ、怒りに膨れ上がって仁王立ちしている
僕たちを見つけたとたん、身をひるがえして廊下をかけ出した。
アスカは走りながら、廊下で寝転んでいるペットのペンギンを蹴り飛ばした。
哀れな海鳥は
「クェエエエエエー!!!」
と悲鳴を上げたが、今はかまっている暇はない。
と綾波さん。
「問題ない。車を手配しておく。あと数分もすれば着くだろう」
父さんは保安部に電話をしていた。ユイさんを車で運び出す魂胆だろうね。
アスカの師匠が一足先に僕の部屋から出た。
玄関を眺めて煙草を吹かしていたけれど、ふいに
「お!」
と声を上げた。
「アスカ、こっちこっち。ちょっとこっちへおいで」
彼はそう言って手招きしている。
父さんと僕はほぼ時を同じくして立ち上がり、部屋に踏み込んできたアスカを
粉砕すべく拳を握った。
「師匠、こんなムサクルシイところで何をやってるのよ?」
アスカはそう言いながら僕の部屋を覗きこみ、怒りに膨れ上がって仁王立ちしている
僕たちを見つけたとたん、身をひるがえして廊下をかけ出した。
アスカは走りながら、廊下で寝転んでいるペットのペンギンを蹴り飛ばした。
哀れな海鳥は
「クェエエエエエー!!!」
と悲鳴を上げたが、今はかまっている暇はない。
229: 2011/04/13(水) 22:54:29.13
日の暮れた芦ノ湖周辺は賑やかで、ぽつぽつと灯る街の灯の光が照り映えて、湖面は
銀紙を揺らしているように見える。
道の太い欄干に点々と備え付けられた橙色の明かりが、ぼんやりと夕闇に輝いているのが
神秘的だった。今夜はやけに芦ノ湖が広く感じられる。
息切れしながら歩いていくと、向こうからアスカが逃げてくる。綾波さんがうまく箱根神社へ
誘い込んだらしい。アスカを陥れたことに僕は深い満足を覚えた。
「アスカッ!」
と両手を広げて叫ぶと、彼女は苦笑いして立ち止った。
父さんが車から降りて、反対側から遊歩道へ入ってくるのが見える。一緒に綾波さんもやってきた。
僕がアスカを追い詰めたのは遊歩道の真ん中であり、片側は背の高い塀、もう片側は湖。
逃げ場はない。
「助けて頂戴。アンタと私の仲でしょ?」
アスカが両手を合わせて言った。
「霧島マナさん、長い間文通してくれてありがとう。楽しかった」
僕は言った。
アスカは一瞬、何のことかという顔をしたけれど、すぐに観念したらしい。
銀紙を揺らしているように見える。
道の太い欄干に点々と備え付けられた橙色の明かりが、ぼんやりと夕闇に輝いているのが
神秘的だった。今夜はやけに芦ノ湖が広く感じられる。
息切れしながら歩いていくと、向こうからアスカが逃げてくる。綾波さんがうまく箱根神社へ
誘い込んだらしい。アスカを陥れたことに僕は深い満足を覚えた。
「アスカッ!」
と両手を広げて叫ぶと、彼女は苦笑いして立ち止った。
父さんが車から降りて、反対側から遊歩道へ入ってくるのが見える。一緒に綾波さんもやってきた。
僕がアスカを追い詰めたのは遊歩道の真ん中であり、片側は背の高い塀、もう片側は湖。
逃げ場はない。
「助けて頂戴。アンタと私の仲でしょ?」
アスカが両手を合わせて言った。
「霧島マナさん、長い間文通してくれてありがとう。楽しかった」
僕は言った。
アスカは一瞬、何のことかという顔をしたけれど、すぐに観念したらしい。
227: 2011/04/13(水) 22:47:08.94
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
アスカは走りながら謝っていた。謝るぐらいなら初めから何もしなきゃいいのに!
「待て!」
父さんと僕は怒号を上げて、アスカの後を追った。綾波さんと師匠もそれに続いた。
○
アスカは足だけは天下一品なので、夜の第三新東京市を軽やかな妖怪のように駆け抜けて行く。
全力を尽くして走ったけれど、僕は日ごろの運動不足がたたって既に息切れ切れだ。
夕闇に明かりを投げかけている駅前に来る頃には、僕は真っ白に燃え尽きかけていた。
父さんは途中で保安部の車を拾い、先に行ってしまった。
自転車に乗った綾波さんが追いついてきた。
「箱根神社の前にある遊歩道で挟み打ちするわ。通りの西側に廻って」
彼女は冷静にそう言い残すと、ハンドルをぐいっと行き良い良く切り、反対側の道路へと
走り去っていった。僕は商店街を駆け抜け、箱根神社の境内を突っ切り、遊歩道の西側へ出た。
東西に延びた遊歩道は湖に面している。湖に落ちないように、欄干がついていた。
日中はこの街の人が涼をとったり、散歩に来たりと、憩いの道として親しまれている。
今日は節分の日だ。
セカンド・インパクト後もそうした神社の慣習は残っていて、箱根神社の周辺には人が沢山いた。
アスカは走りながら謝っていた。謝るぐらいなら初めから何もしなきゃいいのに!
「待て!」
父さんと僕は怒号を上げて、アスカの後を追った。綾波さんと師匠もそれに続いた。
○
アスカは足だけは天下一品なので、夜の第三新東京市を軽やかな妖怪のように駆け抜けて行く。
全力を尽くして走ったけれど、僕は日ごろの運動不足がたたって既に息切れ切れだ。
夕闇に明かりを投げかけている駅前に来る頃には、僕は真っ白に燃え尽きかけていた。
父さんは途中で保安部の車を拾い、先に行ってしまった。
自転車に乗った綾波さんが追いついてきた。
「箱根神社の前にある遊歩道で挟み打ちするわ。通りの西側に廻って」
彼女は冷静にそう言い残すと、ハンドルをぐいっと行き良い良く切り、反対側の道路へと
走り去っていった。僕は商店街を駆け抜け、箱根神社の境内を突っ切り、遊歩道の西側へ出た。
東西に延びた遊歩道は湖に面している。湖に落ちないように、欄干がついていた。
日中はこの街の人が涼をとったり、散歩に来たりと、憩いの道として親しまれている。
今日は節分の日だ。
セカンド・インパクト後もそうした神社の慣習は残っていて、箱根神社の周辺には人が沢山いた。
230: 2011/04/13(水) 23:00:17.18
「悪気はなかったんだってば」
と言った。
「私はいつだって悪気はないのよ」
「純粋な僕をもてあそんで、おいたが過ぎるよアスカ。お仕置きが必要のようだね」
「オシオキなんて、そんな、ヒドイ」
アスカはヨヨヨとわざとらしい泣き真似をした。
いい度胸してるよ、本当。
そこへ父さんと綾波さんが追いついてきた。
「アスカ君よ、話がある」
父さんが重々しい口調で言った。
追い詰められたはずなのに、アスカは不敵な笑みを浮かべた。
ふいに彼女は欄干に手をかけると、ひらりと飛び乗った。
欄干に点いている橙色の明かりがアスカの顔を下から照らしだし、彼女は近年まれにみるほどの
不気味さを見せた。
「私に何かしようってんなら、ここから飛び降りてやるわ!」
アスカは訳の分からないことを言った。
「身の安全が保障されないかぎり、そっちへは降りないわよ」
「身の安全なんて要求できる立場だと思っているのかい?」
僕は言った。
と言った。
「私はいつだって悪気はないのよ」
「純粋な僕をもてあそんで、おいたが過ぎるよアスカ。お仕置きが必要のようだね」
「オシオキなんて、そんな、ヒドイ」
アスカはヨヨヨとわざとらしい泣き真似をした。
いい度胸してるよ、本当。
そこへ父さんと綾波さんが追いついてきた。
「アスカ君よ、話がある」
父さんが重々しい口調で言った。
追い詰められたはずなのに、アスカは不敵な笑みを浮かべた。
ふいに彼女は欄干に手をかけると、ひらりと飛び乗った。
欄干に点いている橙色の明かりがアスカの顔を下から照らしだし、彼女は近年まれにみるほどの
不気味さを見せた。
「私に何かしようってんなら、ここから飛び降りてやるわ!」
アスカは訳の分からないことを言った。
「身の安全が保障されないかぎり、そっちへは降りないわよ」
「身の安全なんて要求できる立場だと思っているのかい?」
僕は言った。
231: 2011/04/13(水) 23:04:36.93
「自分のやったことを考えてみたまえ」
父さんが同調した。
「ファースト、何とか言ってよ。私はアンタの姉弟子なのよ?」
アスカは甘えた声で懇願したけれど、綾波さんは肩をすくめた。
「弁護の余地はないわ、二号機パイロット」
「そんなふうにそっけないアンタも好きよ、私は」
「おだててもダメ」
アスカは欄干の縁へ足をずらした。飛び立とうとするかのように両手を広げた。
「もういい。飛び降りてやる」
と喚いた。
「分かったよ、引き留めやしないさ。今すぐ飛び降りてみなよ」
僕は言った。
そのまま芦ノ湖の湖に沈んでしまえ。それで僕にもようやく平穏な日々が訪れるんだから。
「飛び降りられるわけがない」
と父さんが小馬鹿にしたように言った。
「自分が一番可愛い奴なのだ」
そうやって押し問答を続けていると、通りの端から悲鳴が上がった。
遊歩道を歩いていた人々は何か大騒ぎをして逃げまどい始めた。
父さんが同調した。
「ファースト、何とか言ってよ。私はアンタの姉弟子なのよ?」
アスカは甘えた声で懇願したけれど、綾波さんは肩をすくめた。
「弁護の余地はないわ、二号機パイロット」
「そんなふうにそっけないアンタも好きよ、私は」
「おだててもダメ」
アスカは欄干の縁へ足をずらした。飛び立とうとするかのように両手を広げた。
「もういい。飛び降りてやる」
と喚いた。
「分かったよ、引き留めやしないさ。今すぐ飛び降りてみなよ」
僕は言った。
そのまま芦ノ湖の湖に沈んでしまえ。それで僕にもようやく平穏な日々が訪れるんだから。
「飛び降りられるわけがない」
と父さんが小馬鹿にしたように言った。
「自分が一番可愛い奴なのだ」
そうやって押し問答を続けていると、通りの端から悲鳴が上がった。
遊歩道を歩いていた人々は何か大騒ぎをして逃げまどい始めた。
233: 2011/04/13(水) 23:09:09.98
思わず欄干に手をかけて見渡すと、湖の向こう岸の地面から、巨大な手がぬっと現れた。
赤い巨人がガラガラと音を立てて這い出してきた。
ヱヴァ弐号機が暴走している……。一体何故?
○
二号機を見て茫然としていたアスカが、ふいに口を開いた。
「そんな……、予定より早いじゃない。まさか失敗?」
アスカはぶつぶつとそんなことを言っている。
「アスカ!これも君の仕業なのか?どういうことなんだよ」
「知らない、知らないわよ。こんなの」
「きゃッ!」
悲鳴を聞いて振り向くと、綾波さんが人の波に揉まれ、倒れているのが見えた。
パニックを起こして逃げまどっている人々を押しのけつつ、僕は綾波さんのそばに寄り、
じつに紳士らしく彼女をかばった。
弐号機は我を忘れ、周囲の建物を破壊しながら這いずり回り、ざぶざぶと湖へ入ってきた。
波が湖岸に押し寄せ、振動がこっちまで伝わってくる。
僕は綾波さんを離れた場所へ避難させ、事態の収束を図った。
電源が切れたのか、二号機は湖の真ん中で動かなくなり、そのままバランスを崩して沈んでいった。
ふと気づけば、僕たちの傍らに父が立ち尽くし、ずれたサングラスを直そうともせず湖を眺めていた。
赤い巨人がガラガラと音を立てて這い出してきた。
ヱヴァ弐号機が暴走している……。一体何故?
○
二号機を見て茫然としていたアスカが、ふいに口を開いた。
「そんな……、予定より早いじゃない。まさか失敗?」
アスカはぶつぶつとそんなことを言っている。
「アスカ!これも君の仕業なのか?どういうことなんだよ」
「知らない、知らないわよ。こんなの」
「きゃッ!」
悲鳴を聞いて振り向くと、綾波さんが人の波に揉まれ、倒れているのが見えた。
パニックを起こして逃げまどっている人々を押しのけつつ、僕は綾波さんのそばに寄り、
じつに紳士らしく彼女をかばった。
弐号機は我を忘れ、周囲の建物を破壊しながら這いずり回り、ざぶざぶと湖へ入ってきた。
波が湖岸に押し寄せ、振動がこっちまで伝わってくる。
僕は綾波さんを離れた場所へ避難させ、事態の収束を図った。
電源が切れたのか、二号機は湖の真ん中で動かなくなり、そのままバランスを崩して沈んでいった。
ふと気づけば、僕たちの傍らに父が立ち尽くし、ずれたサングラスを直そうともせず湖を眺めていた。
236: 2011/04/13(水) 23:14:42.52
僕は橙色の明かりが点々ならぶ、遊歩道の欄干を見まわした。
まるで飛び去ったかのように、欄干に立っていたはずのアスカが消えていた。
「あの小娘、本当に落ちた……」
父が呟き、欄干に駆け寄った。
○
二号機暴走事故の顛末は、闇に葬られた。
翌日のニュースにも載らなかったんだ。
NERVの報道規制は相変わらず徹底しているらしい。
幸い、現場に父が居たこともあり、処理もすぐに済んだ。
結局二号機暴走の原因について、詳しい事は分かっていない。
あれもアスカの仕組んだことのように思えてならないけどね。
足を滑らせて欄干から落ちたアスカは、足の骨を折り溺れてしまった。
しかし無事救出され、今は入院している。これも天罰なんだろうさ。
僕はというと……。
あの後、綾波さんと話す機会を得たので最後にそれを述べるよ。
○
二号機が回収され、事態は収束した。
後にはベンチに腰かけて青い顔を抱えている綾波さんと、僕だけが残された。
「大丈夫?」
僕は彼女に訊ねた。
まるで飛び去ったかのように、欄干に立っていたはずのアスカが消えていた。
「あの小娘、本当に落ちた……」
父が呟き、欄干に駆け寄った。
○
二号機暴走事故の顛末は、闇に葬られた。
翌日のニュースにも載らなかったんだ。
NERVの報道規制は相変わらず徹底しているらしい。
幸い、現場に父が居たこともあり、処理もすぐに済んだ。
結局二号機暴走の原因について、詳しい事は分かっていない。
あれもアスカの仕組んだことのように思えてならないけどね。
足を滑らせて欄干から落ちたアスカは、足の骨を折り溺れてしまった。
しかし無事救出され、今は入院している。これも天罰なんだろうさ。
僕はというと……。
あの後、綾波さんと話す機会を得たので最後にそれを述べるよ。
○
二号機が回収され、事態は収束した。
後にはベンチに腰かけて青い顔を抱えている綾波さんと、僕だけが残された。
「大丈夫?」
僕は彼女に訊ねた。
237: 2011/04/13(水) 23:19:53.96
「まだ少しふらつく」
彼女は呻いた。
「ジュースでも買ってくるよ」
近くの自販機でジュースを買い、彼女と二人で飲んだ。
僕もベンチに腰かけて、彼女が落ち着くように色々と話しかけたんだ。
僕はアスカとの腐れ縁について語った。
そしてここ数日に判明したアスカの悪行についても語った。
霧島マナさんという架空の乙女の名を騙り、僕の心をもてあそんだ罪は許されないと僕は憤った。
「ごめんなさい」
と彼女がふいに謝った。
「なんで綾波さんが謝るのさ?」
「二号機パイロットに頼まれて、私も文通に加担していたの」
「なんだって?」
彼女は涼やかに微笑みながら言った。
「あなたの手紙は良い手紙だったわ。嘘もあったけれど、読んでいて心が温かくなったもの」
「そうだったのか……」
彼女は呻いた。
「ジュースでも買ってくるよ」
近くの自販機でジュースを買い、彼女と二人で飲んだ。
僕もベンチに腰かけて、彼女が落ち着くように色々と話しかけたんだ。
僕はアスカとの腐れ縁について語った。
そしてここ数日に判明したアスカの悪行についても語った。
霧島マナさんという架空の乙女の名を騙り、僕の心をもてあそんだ罪は許されないと僕は憤った。
「ごめんなさい」
と彼女がふいに謝った。
「なんで綾波さんが謝るのさ?」
「二号機パイロットに頼まれて、私も文通に加担していたの」
「なんだって?」
彼女は涼やかに微笑みながら言った。
「あなたの手紙は良い手紙だったわ。嘘もあったけれど、読んでいて心が温かくなったもの」
「そうだったのか……」
238: 2011/04/13(水) 23:25:45.69
「良いの。私も嘘をついていたから、おあいこ」
彼女は言った。
○
碇司令はその夜のうちにユイさんを取り戻して、再び愛の生活を営み始めた。
息子としては正直、もう止めてほしいのだけれど……。
「あれは人形を大切にして暮らすことに意味があるのよ。だから女性と付き合うこととはまた別問題なの。
アンタのように性欲処理の道具にしか見ていない野人には分からないでしょうけど、ひじょうに高尚な愛の形なんだわ」
アスカは講釈を垂れた。
四日間ユイさんと一緒に暮らした経験から考えてみれば、その魅力も分かる気がする。
でも僕のような不器用な人間が足を踏み入れられる世界じゃないだろう。
あれ以来、綾波さんとの付き合いはますます疎遠になってしまった。
架空の自分を作りだしてまで文通をしていたのに、それが親しいクラスメートだったなんて、
こっぱずかしくて会わせる顔がない。
綾波さんは綾波さんで、文通に加担していた後ろめたさから、僕に遠慮して距離を置くようになった。
今では家と学校を往復する退屈な日々だ。このままじゃ一生、NERVの奴隷だよ。
僕は腐りかけのベッドに寝転びながら、黒ぶち眼鏡をいじっていた。
ふと、占い師の言葉を思い出す。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
僕はフッと自傷的な笑みを浮かべ、黒ぶち眼鏡を手に取った。
彼女は言った。
○
碇司令はその夜のうちにユイさんを取り戻して、再び愛の生活を営み始めた。
息子としては正直、もう止めてほしいのだけれど……。
「あれは人形を大切にして暮らすことに意味があるのよ。だから女性と付き合うこととはまた別問題なの。
アンタのように性欲処理の道具にしか見ていない野人には分からないでしょうけど、ひじょうに高尚な愛の形なんだわ」
アスカは講釈を垂れた。
四日間ユイさんと一緒に暮らした経験から考えてみれば、その魅力も分かる気がする。
でも僕のような不器用な人間が足を踏み入れられる世界じゃないだろう。
あれ以来、綾波さんとの付き合いはますます疎遠になってしまった。
架空の自分を作りだしてまで文通をしていたのに、それが親しいクラスメートだったなんて、
こっぱずかしくて会わせる顔がない。
綾波さんは綾波さんで、文通に加担していた後ろめたさから、僕に遠慮して距離を置くようになった。
今では家と学校を往復する退屈な日々だ。このままじゃ一生、NERVの奴隷だよ。
僕は腐りかけのベッドに寝転びながら、黒ぶち眼鏡をいじっていた。
ふと、占い師の言葉を思い出す。
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
僕はフッと自傷的な笑みを浮かべ、黒ぶち眼鏡を手に取った。
239: 2011/04/13(水) 23:31:12.81
結局、この眼鏡が何の好機だったのかも、分からずじまいだ。
僕はまた、漫然と同じことを繰り返していたに過ぎなかったってことか……。
何だか前にも同じようなことを考えていたような気がする。
もはや何をしても同じ結果になるんじゃあるまいか?
この街へ来てしまった後悔の念は振り払えない。もしあのとき、他の道を選んでいればと考える。
NERVに関わることなく、学生生活に精を出していれば。
あるいは意地を張らずに先生の所へ帰っていれば、僕はもっと別の人生を送っていただろう。
少なくとも今ほど陰鬱な状況に甘んじていなかったのは明らかだ。
幻の秘宝と言われる「バラ色のスクールライフ」をこの手に握っていたかもしれないのに……。
いくら目を逸らそうとしても、あらゆる間違いを積み重ねて、大切な中学生時代を棒に振ったという
事実を否定することはできない。
なにより、アスカと出会ってしまったという汚点は生涯残り続けることだろう。
「嗚呼、出来ることなら、第三新東京市に来る前に戻って人生をやり直したい……」
○
足を治して退院したアスカが、僕の自室を訪ねてきた。
アスカは碇司令から折檻を受けて、そうとう手痛い目にあったらしい。
入院中は監視がついて、三度の飯よりも好きな悪行に手を染めることが出来なかったと、
ブーブー愚痴を言っている。
相変わらずの態度に、僕は呆れた。
こいつ、全然懲りてないな……。
僕はまた、漫然と同じことを繰り返していたに過ぎなかったってことか……。
何だか前にも同じようなことを考えていたような気がする。
もはや何をしても同じ結果になるんじゃあるまいか?
この街へ来てしまった後悔の念は振り払えない。もしあのとき、他の道を選んでいればと考える。
NERVに関わることなく、学生生活に精を出していれば。
あるいは意地を張らずに先生の所へ帰っていれば、僕はもっと別の人生を送っていただろう。
少なくとも今ほど陰鬱な状況に甘んじていなかったのは明らかだ。
幻の秘宝と言われる「バラ色のスクールライフ」をこの手に握っていたかもしれないのに……。
いくら目を逸らそうとしても、あらゆる間違いを積み重ねて、大切な中学生時代を棒に振ったという
事実を否定することはできない。
なにより、アスカと出会ってしまったという汚点は生涯残り続けることだろう。
「嗚呼、出来ることなら、第三新東京市に来る前に戻って人生をやり直したい……」
○
足を治して退院したアスカが、僕の自室を訪ねてきた。
アスカは碇司令から折檻を受けて、そうとう手痛い目にあったらしい。
入院中は監視がついて、三度の飯よりも好きな悪行に手を染めることが出来なかったと、
ブーブー愚痴を言っている。
相変わらずの態度に、僕は呆れた。
こいつ、全然懲りてないな……。
240: 2011/04/13(水) 23:37:35.15
「いいかげん、人にちょっかい出すのやめたら?」
僕がカステラを頬張りながら言うと、アスカは首を振った。
「お断りよ!それ以外に私がすべきことなんて何にもないんだから」
どこまでも根性の腐ったやつ。
いたいけな僕をもてあそんで何が楽しいんだと詰問した。
そしたら、アスカは妖怪めいた笑みを浮かべて、ムフフッと笑った。
「私なりの愛ってやつよ」
「そんな気色悪いもん、いらないよ」
僕は答えた。
第四話へつづく
僕がカステラを頬張りながら言うと、アスカは首を振った。
「お断りよ!それ以外に私がすべきことなんて何にもないんだから」
どこまでも根性の腐ったやつ。
いたいけな僕をもてあそんで何が楽しいんだと詰問した。
そしたら、アスカは妖怪めいた笑みを浮かべて、ムフフッと笑った。
「私なりの愛ってやつよ」
「そんな気色悪いもん、いらないよ」
僕は答えた。
第四話へつづく
2: 2011/04/13(水) 23:21:43.98
『第四話』 畳の上の放浪
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
わかってるさ。
責任者は僕だ、今回ばかりは。
○
中学二年生の12月を迎えた僕は、勉学に励むでもなくマンションの一室にこもって暮らしていた。
この狭き空間をこよなく愛し、ひきこもり生活を満喫している。
僕は外の世界に嫌気がさしていた。
特に父やNERVの連中を相手にするのは、いい加減うんざりしていたんだ。
不毛な中学校生活を過ごして未来に泥を塗ったうえ、出席日数は決定的に足りなかった。
いくら必氏に足掻こうとも、どうにもならない泥沼の境地へ達している。
漠然と三年目を迎えるにあたって、僕が世間に求めるものは何もなかった。
この腐りかけたベッドと机、本棚と申し訳程度の服。
それが僕の小さな世界の全てだった。
そして今はそれが客観的な事実でもある。
僕がこのちっぽけな世界に追いやられてから、既に一カ月以上が経過している。
何故こんなことになってしまったのか。
○
この手記の主な登場人物は僕だ。本当に申し訳ないことだけど、ほとんど僕だけなんだ。
しかし、そんな世間から断絶された僕も、ついに部屋から外へ出る時が来た。
これほど世界を嫌っていた僕が、なにゆえそこから追われることになったのか。
その経緯を今から語ろうという訳さ。
○
中学二年生もとうに半分を過ぎた、12月29日。
年の瀬も押し迫り、街を歩く人々はいそいそと用事を済ます。
そんなせわしない人々の様子を、僕は窓から眺めていた。
僕が住まいにしているのは、第三新東京市の郊外にある「コンフォート17」というマンションだ。
聞いたところによると、15年前のセカンド・インパクトの混乱期も生き残り、
この度改修を終えたばかりという物件だ。
中学3年生になるまでの15年間、実益のあることなど何一つしていない事を断言しておくよ。
異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有意義な
人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの
打たないでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえだろう。
わかってるさ。
責任者は僕だ、今回ばかりは。
○
中学二年生の12月を迎えた僕は、勉学に励むでもなくマンションの一室にこもって暮らしていた。
この狭き空間をこよなく愛し、ひきこもり生活を満喫している。
僕は外の世界に嫌気がさしていた。
特に父やNERVの連中を相手にするのは、いい加減うんざりしていたんだ。
不毛な中学校生活を過ごして未来に泥を塗ったうえ、出席日数は決定的に足りなかった。
いくら必氏に足掻こうとも、どうにもならない泥沼の境地へ達している。
漠然と三年目を迎えるにあたって、僕が世間に求めるものは何もなかった。
この腐りかけたベッドと机、本棚と申し訳程度の服。
それが僕の小さな世界の全てだった。
そして今はそれが客観的な事実でもある。
僕がこのちっぽけな世界に追いやられてから、既に一カ月以上が経過している。
何故こんなことになってしまったのか。
○
この手記の主な登場人物は僕だ。本当に申し訳ないことだけど、ほとんど僕だけなんだ。
しかし、そんな世間から断絶された僕も、ついに部屋から外へ出る時が来た。
これほど世界を嫌っていた僕が、なにゆえそこから追われることになったのか。
その経緯を今から語ろうという訳さ。
○
中学二年生もとうに半分を過ぎた、12月29日。
年の瀬も押し迫り、街を歩く人々はいそいそと用事を済ます。
そんなせわしない人々の様子を、僕は窓から眺めていた。
僕が住まいにしているのは、第三新東京市の郊外にある「コンフォート17」というマンションだ。
聞いたところによると、15年前のセカンド・インパクトの混乱期も生き残り、
この度改修を終えたばかりという物件だ。
3: 2011/04/13(水) 23:23:08.33
同居している葛城二佐は要人であるため、保安上の問題から現在マンションには僕たちしか住人はおらず、
部屋からの明かりが全くないため廃墟同然だ。
おまけに同居人は生活力が皆無であるため、部屋は散らかり放題になっている。
第三新東京市に越してきた頃、葛城二佐の勧めでここを訪れたとき、ゴミ屋敷に迷い込んだのか
と思ったのも無理のない話さ。
彼女の生活無能力者ぶりはもはや重要文化財の境地へ達していると言っても過言ではないけれど、
僕たちがこの家ごと消失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。
本部に住んでいる父さんですら、いっそせいせいするに違いない。
忘れもしない、あの「冒険旅行」にでる前夜のことだった。
コンフォート17の一室で、一人でふくれっ面をしてジョニーを慰めていた僕を、アスカが訪ねてきた。
アスカとはこの街に越してきて知り合って以来、腐れ縁が続いていた。
秘密機関<NERV>から足を洗い、他人と交わることを潔しとせず孤高の地位を保っている僕にとって、
長く付き合っているのはこの腐れへっぽこ妖怪のような女だけだった。
僕は彼女によって自分の魂が汚染されることを厭いながらも、なかなか袂を分かつことが出来ないでいたんだ。
彼女は隣近所に住んでいる加持という人物を「師匠」と呼んで足しげく通っていたんだけれど、そのついでに
いちいち僕の部屋へ顔を出すんだ。
「相変わらず冴えない顔してるわねえ」
とアスカは言った。
「恋人もいない、学校にも行かない、友だちもいない、アンタはいったいどういうつもり?」
「アスカ……、いい加減口を閉じないと、僕でも怒るよ」
「アンタにそんな度胸、あるかしらね?」
アスカはニヤニヤした。
「そういえばおとといの夜、アンタいなかったでしょう。わざわざ来たのに」
おとといの夜?僕は記憶を手繰り寄せるため、思案する。
ああ、あの時のことかと思い当たる。
「おとといの夜は、たしか小腹がすいてコンビニに出かけたなあ」
「ユイさんっていう女性を紹介しようと思って連れて来たんだけど、アンタはいないし、
仕方ないからほかに連れてったわよ。残念だったわね」
「君の紹介なんかいらないよ」
「まあまあ、そんな不貞腐れないで。そうだ、これあげるわ」
「何だいこれ?」
「あんたバカァ?見て分かんないの、カステラよ。加持師匠から沢山貰ったから、
おすそ分けってコト」
「めずらしいね。君がものをくれるなんて」
「大きなカステラを一人で切り分けて食べるなんて、孤独の極地だもんねえ。
せいぜい、人恋しさをしみじみ味わいなさいな」
部屋からの明かりが全くないため廃墟同然だ。
おまけに同居人は生活力が皆無であるため、部屋は散らかり放題になっている。
第三新東京市に越してきた頃、葛城二佐の勧めでここを訪れたとき、ゴミ屋敷に迷い込んだのか
と思ったのも無理のない話さ。
彼女の生活無能力者ぶりはもはや重要文化財の境地へ達していると言っても過言ではないけれど、
僕たちがこの家ごと消失しても気にする人は誰もいないであろうことは想像に難くない。
本部に住んでいる父さんですら、いっそせいせいするに違いない。
忘れもしない、あの「冒険旅行」にでる前夜のことだった。
コンフォート17の一室で、一人でふくれっ面をしてジョニーを慰めていた僕を、アスカが訪ねてきた。
アスカとはこの街に越してきて知り合って以来、腐れ縁が続いていた。
秘密機関<NERV>から足を洗い、他人と交わることを潔しとせず孤高の地位を保っている僕にとって、
長く付き合っているのはこの腐れへっぽこ妖怪のような女だけだった。
僕は彼女によって自分の魂が汚染されることを厭いながらも、なかなか袂を分かつことが出来ないでいたんだ。
彼女は隣近所に住んでいる加持という人物を「師匠」と呼んで足しげく通っていたんだけれど、そのついでに
いちいち僕の部屋へ顔を出すんだ。
「相変わらず冴えない顔してるわねえ」
とアスカは言った。
「恋人もいない、学校にも行かない、友だちもいない、アンタはいったいどういうつもり?」
「アスカ……、いい加減口を閉じないと、僕でも怒るよ」
「アンタにそんな度胸、あるかしらね?」
アスカはニヤニヤした。
「そういえばおとといの夜、アンタいなかったでしょう。わざわざ来たのに」
おとといの夜?僕は記憶を手繰り寄せるため、思案する。
ああ、あの時のことかと思い当たる。
「おとといの夜は、たしか小腹がすいてコンビニに出かけたなあ」
「ユイさんっていう女性を紹介しようと思って連れて来たんだけど、アンタはいないし、
仕方ないからほかに連れてったわよ。残念だったわね」
「君の紹介なんかいらないよ」
「まあまあ、そんな不貞腐れないで。そうだ、これあげるわ」
「何だいこれ?」
「あんたバカァ?見て分かんないの、カステラよ。加持師匠から沢山貰ったから、
おすそ分けってコト」
「めずらしいね。君がものをくれるなんて」
「大きなカステラを一人で切り分けて食べるなんて、孤独の極地だもんねえ。
せいぜい、人恋しさをしみじみ味わいなさいな」
4: 2011/04/13(水) 23:26:53.69
「そういうことか。まったく、どうやって育ったらそんな風になるんだよ」
「これも師匠の教育のたまものよ」
「何の師匠なのさ」
「一言ではとても言えないわねえ。深遠だから」
アスカは欠伸をして言った。
「もう、とっとと出て行ってくれよ。僕は忙しいんだ!」
「言われなくてもそうするわ。今夜は師匠のところで闇鍋ってのをするそうだから」
にやにや笑うアスカを廊下の外へ追い出して、ようやく心の平安を得た。
そうして、この街へ来た時のことを思い出した。
○
8ケ月前の4月、僕は中学2年生になったばかりだった。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父さんから手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。
急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、同時にうれしかった。
そして、
「父さんがが僕を待っているんだ」
という甘い幻想に惑わされ、新たな学校で友だち100人作るべく、その日のうちに
首都へ向かって旅立っていた僕は、手の施しようのない阿呆だった。
幻の至宝と言われる「バラ色のスクールライフ」への入り口が、今ここに無数に
開かれているように思われ、誘われるがまま、ふらふらと父の元へ向かった。
そこで出会ったのが、秘密機関<NERV>だった。
秘密機関と大々的にビラを書く秘密機関がある訳がないのだけれど、驚くことに、
本当に秘密機関であることが後になって分かった。
第三新東京市に降り立った僕に声をかけたのは、NERVの技術開発部・部長、赤木博士だった。
いかにも頭が切れそうで、涼しげな目をきらりと輝かせている。
物腰は柔らかいけれど、どことなく慇懃無礼な印象を受けた。
「色々な人たちと付き合えるでしょうから、面白い経験が出来るかもしれないわよ」
赤木博士は僕をケージに誘い込んでそう説得した。
僕は考えた。自分の世間が狭い事は確かだ。
大人になる前に、世界で活躍する様々な人間たちと交わって見聞を広めることは重要だよ。
そうして積み重ねた経験こそが、輝かしい未来への布石となるだろう。
もちろん、そういった真面目な事を考えただけではなくて、赤木博士の成熟した色香に、
なんとなく魅力を感じてしまったという事実は否めない。
繰り返すけれど、手の施しようのない阿呆だったんだ。
○
NERVとは何か。
公には、みんなで和気藹々と人類を守るという唾棄すべき体制が打ちたてられていた。
しかしその真の目的は謎に包まれている。
「これも師匠の教育のたまものよ」
「何の師匠なのさ」
「一言ではとても言えないわねえ。深遠だから」
アスカは欠伸をして言った。
「もう、とっとと出て行ってくれよ。僕は忙しいんだ!」
「言われなくてもそうするわ。今夜は師匠のところで闇鍋ってのをするそうだから」
にやにや笑うアスカを廊下の外へ追い出して、ようやく心の平安を得た。
そうして、この街へ来た時のことを思い出した。
○
8ケ月前の4月、僕は中学2年生になったばかりだった。
先生のところに預けられていた僕に、単身赴任中の父さんから手紙があった。
手紙にはただ一言、「来い」とだけ書かれていた。
急な呼び出しの知らせを見て驚いたけれど、同時にうれしかった。
そして、
「父さんがが僕を待っているんだ」
という甘い幻想に惑わされ、新たな学校で友だち100人作るべく、その日のうちに
首都へ向かって旅立っていた僕は、手の施しようのない阿呆だった。
幻の至宝と言われる「バラ色のスクールライフ」への入り口が、今ここに無数に
開かれているように思われ、誘われるがまま、ふらふらと父の元へ向かった。
そこで出会ったのが、秘密機関<NERV>だった。
秘密機関と大々的にビラを書く秘密機関がある訳がないのだけれど、驚くことに、
本当に秘密機関であることが後になって分かった。
第三新東京市に降り立った僕に声をかけたのは、NERVの技術開発部・部長、赤木博士だった。
いかにも頭が切れそうで、涼しげな目をきらりと輝かせている。
物腰は柔らかいけれど、どことなく慇懃無礼な印象を受けた。
「色々な人たちと付き合えるでしょうから、面白い経験が出来るかもしれないわよ」
赤木博士は僕をケージに誘い込んでそう説得した。
僕は考えた。自分の世間が狭い事は確かだ。
大人になる前に、世界で活躍する様々な人間たちと交わって見聞を広めることは重要だよ。
そうして積み重ねた経験こそが、輝かしい未来への布石となるだろう。
もちろん、そういった真面目な事を考えただけではなくて、赤木博士の成熟した色香に、
なんとなく魅力を感じてしまったという事実は否めない。
繰り返すけれど、手の施しようのない阿呆だったんだ。
○
NERVとは何か。
公には、みんなで和気藹々と人類を守るという唾棄すべき体制が打ちたてられていた。
しかしその真の目的は謎に包まれている。
5: 2011/04/13(水) 23:27:46.81
それは複数の下部組織をまとめる一つの漠然とした名称だった。
その下部組織たるや、名前と活動内容を聞いても、まるでマンガに出てくるような話ばかりだった。
主なものだけでも、
優秀な子供を軟禁状態にして強制的にパイロットとして使役させる、<戦術作戦部>
クローン技術もなんのその、人体実験も辞さないという極悪非道のモルモット宣言<技術開発部>
組織一のパシリ屋、神様も運んで差し上げるという<特殊監査部>
など多岐にわたる。
歴史的に見て「<NERV>の母体は<技術開発部>であった」というのが共通の見解だった。
したがって、<技術開発部>発足当時からの古株である碇司令と冬月副司令が、組織全体の
最高指揮権を持っているとされた。
いずれにせよ、<戦術作戦部>の下っ端パイロットとしてこき使われていたに過ぎない僕は、
父と接触することもままならなかったんだ。
父は元々僕を嵌めるつもりで、第三新東京市に呼び寄せたということさ。
赤木博士の命令で<戦術作戦部>に所属することになった僕は、
「とりあえず、この子と組みなさい」
と言われて、ケージで一人の少女を紹介された。
暗いケージを照らすたった一つの明かり。
その明かりの下に、ひどく縁起の悪そうな顔をした不気味な少女が立っていた。
繊細な僕だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
「アンタひどいこと言うわね。安心しなさい、私はアンタの味方だから」
それがアスカと僕とのファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトでもあったんだ。
○
平凡な男がある朝目覚めると一匹の毒虫になっていたというのは、有名な小説の冒頭だ。
僕の場合、そこまで劇的ではなかったさ。
僕は相変わらず僕のままであったし、我が男汁を吸いこんできた自室にも、
一見何ら変わったところは無かった。
僕自身が毒虫ならぬ、ウジ虫だという最低の見識を、アスカという女は平然と言ってのけた。
しかし、それは例外すぎる例外だ。
読者の皆さんは、お願いだから僕をそんな目では見ないでほしい。
その下部組織たるや、名前と活動内容を聞いても、まるでマンガに出てくるような話ばかりだった。
主なものだけでも、
優秀な子供を軟禁状態にして強制的にパイロットとして使役させる、<戦術作戦部>
クローン技術もなんのその、人体実験も辞さないという極悪非道のモルモット宣言<技術開発部>
組織一のパシリ屋、神様も運んで差し上げるという<特殊監査部>
など多岐にわたる。
歴史的に見て「<NERV>の母体は<技術開発部>であった」というのが共通の見解だった。
したがって、<技術開発部>発足当時からの古株である碇司令と冬月副司令が、組織全体の
最高指揮権を持っているとされた。
いずれにせよ、<戦術作戦部>の下っ端パイロットとしてこき使われていたに過ぎない僕は、
父と接触することもままならなかったんだ。
父は元々僕を嵌めるつもりで、第三新東京市に呼び寄せたということさ。
赤木博士の命令で<戦術作戦部>に所属することになった僕は、
「とりあえず、この子と組みなさい」
と言われて、ケージで一人の少女を紹介された。
暗いケージを照らすたった一つの明かり。
その明かりの下に、ひどく縁起の悪そうな顔をした不気味な少女が立っていた。
繊細な僕だけが見ることができる地獄からの使者かと思った。
「アンタひどいこと言うわね。安心しなさい、私はアンタの味方だから」
それがアスカと僕とのファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトでもあったんだ。
○
平凡な男がある朝目覚めると一匹の毒虫になっていたというのは、有名な小説の冒頭だ。
僕の場合、そこまで劇的ではなかったさ。
僕は相変わらず僕のままであったし、我が男汁を吸いこんできた自室にも、
一見何ら変わったところは無かった。
僕自身が毒虫ならぬ、ウジ虫だという最低の見識を、アスカという女は平然と言ってのけた。
しかし、それは例外すぎる例外だ。
読者の皆さんは、お願いだから僕をそんな目では見ないでほしい。
6: 2011/04/13(水) 23:28:24.43
僕の記憶するところでは、あの事件が起こったのは12月30日のことだった。
朦朧とする意識の仲、目をこすって時計を見ると六時をさしていた。
朝の六時なのか夜の六時なのか判然としない。
布団の中で思案してみたけれど、いつの間に眠ったのか覚えていない。
誰かがインターホンを押したのでドアを開けたところで、記憶が飛んでいる。
僕は布団の中で毒虫のようにもぞもぞしてから、のっそりと起き上がった。
何だかひどく気分が悪い。まるで水の中を泳いでいるようにふわふわする。
しかし、愛すべき自室を見まわしてみても、特に変わった様子はない。
静かだ。
僕は自前の小型冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、コーヒーメーカーで珈琲を沸かして、
カステラを食べることにした。殺伐とした食事を済ますと、ふいにおしっこがしたくなった。
廊下へ出て、玄関脇にあるトイレへ向かおうとした。
ドアを開けた僕は、僕の部屋へ踏み込んでいた。
怪奇だ。
僕は振り返った。
混沌とした我が自室がそこにある。
ところが目の前で半開きになったドアの向こうにも混沌とした我が自室がある。
ドラえもんで言う、「鏡面世界」を見ているようだ。
僕はドアの隙間を抜けて、隣の部屋へ踏み込んだ。そこは間違いなく僕の部屋だった。
ベッドにごろんと横になった時のきしむ感触。雑多な書籍が並んでいる本棚。
壊れかけのウォークマン。ネジの取れかけた学習机。埃の積もった教科書の山。
生活感あふれる光景だ。
ドアをくぐって元いた部屋に戻ったけれど、そこも僕の部屋には違いない。
長きに渡る使途との戦いの末、ちょっとのことでは動揺しなくなった僕も、こればかりは動揺した。
何という怪奇現象。僕の部屋が二つになった!
ドアから出られないんじゃあ、窓を開けるしかない。
僕はこのところずっと閉めきってあったカーテンを開いたけれど、曇りガラスの向こう側には
蛍光灯の明かりが輝いている。
がらりと窓を開けた僕は、部屋を覗きこんだ。
窓枠を踏み越えて中に入り、詳しく調べてみたものの、そこは僕の部屋だった。
朦朧とする意識の仲、目をこすって時計を見ると六時をさしていた。
朝の六時なのか夜の六時なのか判然としない。
布団の中で思案してみたけれど、いつの間に眠ったのか覚えていない。
誰かがインターホンを押したのでドアを開けたところで、記憶が飛んでいる。
僕は布団の中で毒虫のようにもぞもぞしてから、のっそりと起き上がった。
何だかひどく気分が悪い。まるで水の中を泳いでいるようにふわふわする。
しかし、愛すべき自室を見まわしてみても、特に変わった様子はない。
静かだ。
僕は自前の小型冷蔵庫からミネラルウォーターを出し、コーヒーメーカーで珈琲を沸かして、
カステラを食べることにした。殺伐とした食事を済ますと、ふいにおしっこがしたくなった。
廊下へ出て、玄関脇にあるトイレへ向かおうとした。
ドアを開けた僕は、僕の部屋へ踏み込んでいた。
怪奇だ。
僕は振り返った。
混沌とした我が自室がそこにある。
ところが目の前で半開きになったドアの向こうにも混沌とした我が自室がある。
ドラえもんで言う、「鏡面世界」を見ているようだ。
僕はドアの隙間を抜けて、隣の部屋へ踏み込んだ。そこは間違いなく僕の部屋だった。
ベッドにごろんと横になった時のきしむ感触。雑多な書籍が並んでいる本棚。
壊れかけのウォークマン。ネジの取れかけた学習机。埃の積もった教科書の山。
生活感あふれる光景だ。
ドアをくぐって元いた部屋に戻ったけれど、そこも僕の部屋には違いない。
長きに渡る使途との戦いの末、ちょっとのことでは動揺しなくなった僕も、こればかりは動揺した。
何という怪奇現象。僕の部屋が二つになった!
ドアから出られないんじゃあ、窓を開けるしかない。
僕はこのところずっと閉めきってあったカーテンを開いたけれど、曇りガラスの向こう側には
蛍光灯の明かりが輝いている。
がらりと窓を開けた僕は、部屋を覗きこんだ。
窓枠を踏み越えて中に入り、詳しく調べてみたものの、そこは僕の部屋だった。
7: 2011/04/13(水) 23:30:07.20
もとの部屋へ戻った僕は、頭を抱えて唸った。
およそ80日間にもおよぶ僕の「冒険旅行」は、こうして始まったんだ。
○
もとの部屋へ戻った僕は、自分が今なすべきことについて思いを巡らせた。
慌てたところで埒があかない。
冷静になって考えてみるに、これまで熱心に出ようとしなかったものを、今さら慌てて出ようなんて
いかにも人間の底が浅いじゃないか?
今まさに危機が迫っているってわけじゃない。
腰を据えてどっしり構えているうちに、事態は自ずと好転するだろう。
僕はそう決めた。
そうして悠々とわいせつ図書をひも解き、適当なものを取り上げて、官能の世界へ思いを馳せた。
ひたすら馳せて、虚しくなってきた。
やがて時計の針が一回りした。
自室に置いてある小型冷蔵庫の中にはろくなものがない。
手で剥いて食べるタイプのソーセージが一本と、ミネラルウォーターが数本あるだけだった。
ソーセージに手をつけると、後には何にも残っていない。
携帯電話で助けを呼ぼうとしたけれど、無情にも圏外だった。
寝る前にもう一度確認したけれど、やっぱり窓の外もドアの外も
僕の部屋が広がるばかりだった。
明かりを消してベッドに横になり、天井を睨んだ。
どうしてこんな世界に迷い込んだのか?僕は一つの仮説を立てた。
「第三新東京市の占い師の呪い」仮説だ。
○
数日前、気晴らしに駅前アーケードへ出かけた。
古書店や洋服屋を覗いたりした後、僕は繁華街をぶらぶら歩いた。
そこであの占い師に出会ったんだよ。
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。
その軒下に、白い布をかけた木の台を前にして座る少年がいた。
「……?男の子?」
台の上に掛けられた小さな行燈からの明かりが、その少年の顔を浮かび上がらせる。
彼は銀色がかった白い髪の毛をしており、顔色も負けないくらい白い。
目は赤かった。
人目を引く容貌をしているものだから、僕が目を離せないでいると、やがて相手もこちらに気づいたらしい。
夕闇の奥から目を輝かせて僕を見た。
しかし、彼が発散する妖気にはなにやら説得力があり、僕は論理的に考えた。
これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけはない、と。
僕は少年の妖気に吸い寄せられるように足を踏み出した。
およそ80日間にもおよぶ僕の「冒険旅行」は、こうして始まったんだ。
○
もとの部屋へ戻った僕は、自分が今なすべきことについて思いを巡らせた。
慌てたところで埒があかない。
冷静になって考えてみるに、これまで熱心に出ようとしなかったものを、今さら慌てて出ようなんて
いかにも人間の底が浅いじゃないか?
今まさに危機が迫っているってわけじゃない。
腰を据えてどっしり構えているうちに、事態は自ずと好転するだろう。
僕はそう決めた。
そうして悠々とわいせつ図書をひも解き、適当なものを取り上げて、官能の世界へ思いを馳せた。
ひたすら馳せて、虚しくなってきた。
やがて時計の針が一回りした。
自室に置いてある小型冷蔵庫の中にはろくなものがない。
手で剥いて食べるタイプのソーセージが一本と、ミネラルウォーターが数本あるだけだった。
ソーセージに手をつけると、後には何にも残っていない。
携帯電話で助けを呼ぼうとしたけれど、無情にも圏外だった。
寝る前にもう一度確認したけれど、やっぱり窓の外もドアの外も
僕の部屋が広がるばかりだった。
明かりを消してベッドに横になり、天井を睨んだ。
どうしてこんな世界に迷い込んだのか?僕は一つの仮説を立てた。
「第三新東京市の占い師の呪い」仮説だ。
○
数日前、気晴らしに駅前アーケードへ出かけた。
古書店や洋服屋を覗いたりした後、僕は繁華街をぶらぶら歩いた。
そこであの占い師に出会ったんだよ。
飲み屋や風俗店がならぶ中に、身を細めるようにして暗い民家が建っていた。
その軒下に、白い布をかけた木の台を前にして座る少年がいた。
「……?男の子?」
台の上に掛けられた小さな行燈からの明かりが、その少年の顔を浮かび上がらせる。
彼は銀色がかった白い髪の毛をしており、顔色も負けないくらい白い。
目は赤かった。
人目を引く容貌をしているものだから、僕が目を離せないでいると、やがて相手もこちらに気づいたらしい。
夕闇の奥から目を輝かせて僕を見た。
しかし、彼が発散する妖気にはなにやら説得力があり、僕は論理的に考えた。
これだけの妖気を無料で垂れ流している人物の占いが当たらないわけはない、と。
僕は少年の妖気に吸い寄せられるように足を踏み出した。
8: 2011/04/13(水) 23:32:11.97
「学生さん、何を聞きたいんだい?」
「そうだね、何と言ったらいいか……」
僕が答えに詰まっていると、少年は微笑んだ。
「今の君の顔からするとね、とてももどかしいという気持ちがわかるよ。不満というものかな。
君、自分の才能を生かせていないように感じるなあ。どうも今の環境が君にはふさわしくないようだね」
「うん、そうなんだよ。まさにその通りだ」
「君は、非常に真面目で才能もあるようだから…」
少年の慧眼に、僕は早くも脱帽した。
「とにかく好機を逃さない事が肝心だよ」
「好機?」
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
「ヒントをあげる。それは"メガネ"さ」
僕はきょとんとして聞き返した。
「メガネ?何のことだいそれは。僕は近眼じゃないよ」
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
答えのようで、答えでないような事を言われた。
「もしその好機を逃したとしてもね、心配することは無いんだよ。君は立派な人だから、
きっといずれは好機をとらえることが出来るだろう。僕には分かっているさ。焦る事なんてない」
そう言って、占い師は締めくくった。
「ありがとう、なんだか気分が晴れたよ」
僕は頭を下げ、料金を支払った。
そして迷える子羊のように、フラフラと繁華街を後にした。この少年の予言について、よく覚えておいてほしい。
○
ひょっとしてこれは少年の呪いじゃないだろうか?
その恐るべき呪いを解くカギは、彼の言ったメガネという言葉に隠されているかもしれない。
僕は眼鏡をかけるほど悪くないし、眼鏡をかけている知り合いなんて沢山いる。
ひょっとして、既に起きた出来事の中にメガネに関わる好機を見逃しているんじゃないか?
そう思って思案しているうちに、僕は安らかな眠りについた。
目が覚めると、時計の針は12時を指していた。起き上がってカーテンを開いた。
ひょっとしたらと期待したけれど、窓の外は相変わらず部屋が続くばかりだった。
青空なんてこれっぽっちも見えない。
寝れば何とかなると思っていたけれど、目覚めてみても状況は変わらない。
ドアを開いてみても、鏡映しの部屋に出るだけだ。
僕は自室の真中にあぐらをかいて、珈琲がゴボゴボ沸く音を聞いた。
「そうだね、何と言ったらいいか……」
僕が答えに詰まっていると、少年は微笑んだ。
「今の君の顔からするとね、とてももどかしいという気持ちがわかるよ。不満というものかな。
君、自分の才能を生かせていないように感じるなあ。どうも今の環境が君にはふさわしくないようだね」
「うん、そうなんだよ。まさにその通りだ」
「君は、非常に真面目で才能もあるようだから…」
少年の慧眼に、僕は早くも脱帽した。
「とにかく好機を逃さない事が肝心だよ」
「好機?」
「好機はいつでも君の目の前にぶら下がっている。君はその好機をとらえて、行動に出なくちゃいけない」
「ヒントをあげる。それは"メガネ"さ」
僕はきょとんとして聞き返した。
「メガネ?何のことだいそれは。僕は近眼じゃないよ」
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
答えのようで、答えでないような事を言われた。
「もしその好機を逃したとしてもね、心配することは無いんだよ。君は立派な人だから、
きっといずれは好機をとらえることが出来るだろう。僕には分かっているさ。焦る事なんてない」
そう言って、占い師は締めくくった。
「ありがとう、なんだか気分が晴れたよ」
僕は頭を下げ、料金を支払った。
そして迷える子羊のように、フラフラと繁華街を後にした。この少年の予言について、よく覚えておいてほしい。
○
ひょっとしてこれは少年の呪いじゃないだろうか?
その恐るべき呪いを解くカギは、彼の言ったメガネという言葉に隠されているかもしれない。
僕は眼鏡をかけるほど悪くないし、眼鏡をかけている知り合いなんて沢山いる。
ひょっとして、既に起きた出来事の中にメガネに関わる好機を見逃しているんじゃないか?
そう思って思案しているうちに、僕は安らかな眠りについた。
目が覚めると、時計の針は12時を指していた。起き上がってカーテンを開いた。
ひょっとしたらと期待したけれど、窓の外は相変わらず部屋が続くばかりだった。
青空なんてこれっぽっちも見えない。
寝れば何とかなると思っていたけれど、目覚めてみても状況は変わらない。
ドアを開いてみても、鏡映しの部屋に出るだけだ。
僕は自室の真中にあぐらをかいて、珈琲がゴボゴボ沸く音を聞いた。
9: 2011/04/13(水) 23:32:51.57
流石にお腹が減っている。食べたものと言えば先ほどのカステラとソーセージ一本だけだ。
食べざかりの中学生にはとても足りない。
見知らぬうちに何か湧いてこないかという祈りを込めて冷蔵庫を開いてみても、あるものといえば
ミネラルウォーター数本のみだった。砂糖もミルクもない苦い珈琲を無理やり流し込んで、空腹をごまかした。
○
約二日目にして、食糧が完全に底をついた。
冷蔵庫にある水も飲みきって、残っているものといえばカステラの食べカスばかりとなった。
こうなると冷静な振りなどしていられない。一刻も早く自室から脱出しなければ、待っているものは氏だ。
人知れずこの部屋で餓氏し、朽ち果てる自分の姿をちらと想像し、全身から冷や汗が噴き出た。
僕はおもむろに立ち上がり、本棚やら押入れやら机やらを、めちゃめちゃにひっくり返し始めた。
何でもいい。何か食べるものが残っていないだろうか。
まずは押入れを念入りに調べた。
中学生男子といえば不潔。不潔といえばキノコだ。
押入れの隅にキノコの一本や二本生えていれば、それを調理して食べよう。
そう思ったものの、押し入れは乾燥していてとてもキノコが繁殖するような環境ではなかった。
畳をゆでで食べるというのも考えた。
しかし繊維質が多すぎる。お腹を下して氏期を早めるだけだろう。
本棚と机の間を漁ってみて、僕は埃の積もったビンを見つけた。
埃を払ってラベルを見ると、栄養補助食品と銘打ったビタミンの錠剤だった。
半年ほど前、風邪を引いた時に買ってきて、あまりのまずさに飲みきれず放置したものだ。
食糧不足の昨今、いかにまずいとはいえビタミン剤も貴重な栄養源だ。
水がないので、唾液で何とか飲み込むしかないだろう。
ほかにも机の棚から、食べかけのチョコレートを見つけた。
山で遭難した時に、生き残る命綱だったという逸話もある。
これは大きな収穫だと思ったけれど、箱に入っていたのはほんのひとかけらだった。
部屋の中を散々ひっくり返した挙げ句、見つけたのはビタミン剤とチョコレートひとかけらだった。
水も尽きている。
改めて自分の置かれている状況の切迫度を再認識し、僕は発狂しそうになったがぐっと堪えた。
太陽の光が見られないから、今が昼なのか夜なのか分からない。
だから一日一日と区切ってはいても、それが正確な区切りである保証もない。
そして、起きた時から感じるこの違和感。
水中をふわふわ漂う、何か空虚な感じは未だに続いていた。
カーテンを閉めてドアを閉じれば普段通りの景色だから、今にもアスカがドアを蹴り破って、
厄介な揉め事を持ち込んできそうだ。
しかし現実は、いくら待てどもそんな気配はない。嗚呼、僕は一体どうしたらいいんだ。
○
僕が部屋にこもって生活しだしたのは、10月の終わりごろだった。
あらゆる外界との連絡をシャットアウトして、ひきこもり生活を満喫していた。
そもそもの発端は父への反発心から生まれた行動で、ヱヴァに乗らない事で皆を
困らせてやろうと思ったんだ。
食べざかりの中学生にはとても足りない。
見知らぬうちに何か湧いてこないかという祈りを込めて冷蔵庫を開いてみても、あるものといえば
ミネラルウォーター数本のみだった。砂糖もミルクもない苦い珈琲を無理やり流し込んで、空腹をごまかした。
○
約二日目にして、食糧が完全に底をついた。
冷蔵庫にある水も飲みきって、残っているものといえばカステラの食べカスばかりとなった。
こうなると冷静な振りなどしていられない。一刻も早く自室から脱出しなければ、待っているものは氏だ。
人知れずこの部屋で餓氏し、朽ち果てる自分の姿をちらと想像し、全身から冷や汗が噴き出た。
僕はおもむろに立ち上がり、本棚やら押入れやら机やらを、めちゃめちゃにひっくり返し始めた。
何でもいい。何か食べるものが残っていないだろうか。
まずは押入れを念入りに調べた。
中学生男子といえば不潔。不潔といえばキノコだ。
押入れの隅にキノコの一本や二本生えていれば、それを調理して食べよう。
そう思ったものの、押し入れは乾燥していてとてもキノコが繁殖するような環境ではなかった。
畳をゆでで食べるというのも考えた。
しかし繊維質が多すぎる。お腹を下して氏期を早めるだけだろう。
本棚と机の間を漁ってみて、僕は埃の積もったビンを見つけた。
埃を払ってラベルを見ると、栄養補助食品と銘打ったビタミンの錠剤だった。
半年ほど前、風邪を引いた時に買ってきて、あまりのまずさに飲みきれず放置したものだ。
食糧不足の昨今、いかにまずいとはいえビタミン剤も貴重な栄養源だ。
水がないので、唾液で何とか飲み込むしかないだろう。
ほかにも机の棚から、食べかけのチョコレートを見つけた。
山で遭難した時に、生き残る命綱だったという逸話もある。
これは大きな収穫だと思ったけれど、箱に入っていたのはほんのひとかけらだった。
部屋の中を散々ひっくり返した挙げ句、見つけたのはビタミン剤とチョコレートひとかけらだった。
水も尽きている。
改めて自分の置かれている状況の切迫度を再認識し、僕は発狂しそうになったがぐっと堪えた。
太陽の光が見られないから、今が昼なのか夜なのか分からない。
だから一日一日と区切ってはいても、それが正確な区切りである保証もない。
そして、起きた時から感じるこの違和感。
水中をふわふわ漂う、何か空虚な感じは未だに続いていた。
カーテンを閉めてドアを閉じれば普段通りの景色だから、今にもアスカがドアを蹴り破って、
厄介な揉め事を持ち込んできそうだ。
しかし現実は、いくら待てどもそんな気配はない。嗚呼、僕は一体どうしたらいいんだ。
○
僕が部屋にこもって生活しだしたのは、10月の終わりごろだった。
あらゆる外界との連絡をシャットアウトして、ひきこもり生活を満喫していた。
そもそもの発端は父への反発心から生まれた行動で、ヱヴァに乗らない事で皆を
困らせてやろうと思ったんだ。
10: 2011/04/13(水) 23:33:38.10
タンポポの綿毛のように繊細な人間をもてあそんだ、NERVの連中に怒り心頭
だったのも理由の一つだ。
最初のうちは葛城二佐たちが心配して様子を見に来てくれたが、一週間ほどで
それも無くなった。
いつしか社会に戻るきっかけも失い、出るに出られなくなった。
踏ん切りがつかなくなってしまったんだ。
そんな孤独の極地に立たされた僕の下に、たった一人だけ足しげく通ってくる妖怪がいた。
「どうせアンタは自分の人生にスネてるだけよ。黒髪の乙女がどうとか、そんなことで悩んでるんでしょ」
アスカは変態を見る目つきをした。
「組織も辞めてのんべんだらりとしてるだけのくせに。悩んでるふりしたって、構ってくれる人
なんていないわ」
アスカのくせに、言っている事はもっともだ。
しかしいざ外に出たとしても、NERVの奴隷として命がけの生活に舞い戻るだけなんだ。
あんな仕打ちはもう耐えられない。
確かに表面上は何もしていないように見えても、報われない思索に日々性を出して自分を追い込んでいる僕は、
日々激烈なストレスに晒されているんだと主張した。
「アンタ大脳新皮質にウジでも湧いたんじゃないの?それ、きっとただの恋煩いよ」
アスカは索漠としたことを言った。
「私知ってんのよ、アンタ、ファーストのこと好きなんでしょう?」
唐突に彼女の名前が出てきたので、僕はドキッとしてしまった。
「なんで綾波さんが出てくるんだよ?」
「またまた~、とぼけちゃって。いつも目で追ってるじゃない。付き合うどころかアンナ事もしてみたいなんて考えているんでしょう。
まったく手のつけられない変態よねぇ」
アスカは弁護の余地のない卑猥な目つきをした。
「僕は変態じゃない!君みたいな奴と一緒にするな」
売り言葉に買い言葉だった。
要するに、アスカは僕を焚きつけて外に出そうと考えていたらしい。
しかし気が立っていた僕は、アスカの言うことにまともに取り合わなかったんだ。
○
心のどこかでどうせこんなことは夢なんだと、タカをくくっているところがあった。
しかし約三日が経っても、ドアの向こうも自分の部屋、窓の外も自分の部屋だ。
さすがにベッドに寝転んでいられなくなった。
チョコレートも底をつき、ビタミン剤も残すところ数粒となった。
できるだけ行動を起こさずに誇りを保つことだけに専念したかったけれど、
なけなしの誇りも氏んでしまっては意味がない。
だったのも理由の一つだ。
最初のうちは葛城二佐たちが心配して様子を見に来てくれたが、一週間ほどで
それも無くなった。
いつしか社会に戻るきっかけも失い、出るに出られなくなった。
踏ん切りがつかなくなってしまったんだ。
そんな孤独の極地に立たされた僕の下に、たった一人だけ足しげく通ってくる妖怪がいた。
「どうせアンタは自分の人生にスネてるだけよ。黒髪の乙女がどうとか、そんなことで悩んでるんでしょ」
アスカは変態を見る目つきをした。
「組織も辞めてのんべんだらりとしてるだけのくせに。悩んでるふりしたって、構ってくれる人
なんていないわ」
アスカのくせに、言っている事はもっともだ。
しかしいざ外に出たとしても、NERVの奴隷として命がけの生活に舞い戻るだけなんだ。
あんな仕打ちはもう耐えられない。
確かに表面上は何もしていないように見えても、報われない思索に日々性を出して自分を追い込んでいる僕は、
日々激烈なストレスに晒されているんだと主張した。
「アンタ大脳新皮質にウジでも湧いたんじゃないの?それ、きっとただの恋煩いよ」
アスカは索漠としたことを言った。
「私知ってんのよ、アンタ、ファーストのこと好きなんでしょう?」
唐突に彼女の名前が出てきたので、僕はドキッとしてしまった。
「なんで綾波さんが出てくるんだよ?」
「またまた~、とぼけちゃって。いつも目で追ってるじゃない。付き合うどころかアンナ事もしてみたいなんて考えているんでしょう。
まったく手のつけられない変態よねぇ」
アスカは弁護の余地のない卑猥な目つきをした。
「僕は変態じゃない!君みたいな奴と一緒にするな」
売り言葉に買い言葉だった。
要するに、アスカは僕を焚きつけて外に出そうと考えていたらしい。
しかし気が立っていた僕は、アスカの言うことにまともに取り合わなかったんだ。
○
心のどこかでどうせこんなことは夢なんだと、タカをくくっているところがあった。
しかし約三日が経っても、ドアの向こうも自分の部屋、窓の外も自分の部屋だ。
さすがにベッドに寝転んでいられなくなった。
チョコレートも底をつき、ビタミン剤も残すところ数粒となった。
できるだけ行動を起こさずに誇りを保つことだけに専念したかったけれど、
なけなしの誇りも氏んでしまっては意味がない。
11: 2011/04/13(水) 23:34:31.56
僕はビタミン剤を唾液と共に流し込み、カステラの敷き紙に残った食べカスをちびちびと食べて
空腹を紛らわした。
トイレもないから、空のペットボトルに用を足していたけれど、それももう限界だろう。
まずいなぁ、目がぼやけてきた。
僕たちは学校で、セカンド・インパクトの体験談を担任から聞かされた事がある。
先生たちの世代は、水も食べ物も無い絶望的な状況を、なんとか耐え抜いたと語った。
飢えも貧困とも無縁に育った僕は、今一つピンとこない話ではあったけれど、今なら分かる。
食べ物がある有難み。もし無事にこの部屋から脱出した暁には、先生にお礼を言おうと思った。
こうなればもう、僕自身が問題の解決に向けて立ち上がるしかない。
どのような世界であろうとも、頼れるものは自分だけなんだから……。
○
決氏の覚悟を決めた数分後に、食糧問題はあっさりと解決してしまった。
隣の部屋に移ったんだ。
ドアの向こうに現れた鏡面世界は、明らかに僕の部屋だった。
部屋の間取りが鏡映しのように逆ではあるものの、そこにあるのは間違いなく僕の部屋だ。
それならこのへやを僕が自由に使っても、悪いはずがない。
ドアを通りぬけて自室Aから自室Bへ踏み込んだ僕は、
二度と見ることはできないかもしれないと思っていたカステラとソーセージを見つけた。
ミネラルウォーターもある。
とりあえず魚肉ソーセージの皮をむき、三日ぶりの動物性たんぱく質を心ゆくまで味わった。
あれほどソーセージが美味しかったのは未だかつてなかった。
そのあとにデザートとしてカステラを一切れ食べた。
まるで生き返ったように力が漲ってくるのが感じられたよ。
僕は自室Bの窓から、さらに向こうの自室Cを眺めた。
自室D、自室E、自室F……自室∞というように、永遠に僕の部屋が続いているんじゃ
ないだろうか。
絶望的ではあったけれど、考えようによっては幸運と言える。
なぜならば、たとえこの部屋の食料を食べ尽くしたところで、
隣の部屋に移ればまたカステラとソーセージが手に入る。
栄養に偏りはあるけれど、それでも餓氏だけは避けられるからね。
それにしても、アスカがくれたカステラによって得られる栄養分は無視できない。
二年生の春に不本意な出会いを果たして以来半年間、切るに切れない腐れ縁だったアスカ。
ここにきて、彼女の存在が初めて役立った。
○
NERV加入後の数カ月は、<戦術作戦部>の活動で終わった。
既に述べたけれど、<戦術作戦部>なる組織の目的は、正体不明の「使徒」と呼ばれる生物を根絶やしにすべく、
ロボットを操縦するパイロットを徴兵し、戦地に送り出すことだった。
必要とあらば非人道的手段に訴えることも辞さない。
というか、人道的な手段でパイロットになった人間なんて、見た事がない。
僕が良い例だ。
空腹を紛らわした。
トイレもないから、空のペットボトルに用を足していたけれど、それももう限界だろう。
まずいなぁ、目がぼやけてきた。
僕たちは学校で、セカンド・インパクトの体験談を担任から聞かされた事がある。
先生たちの世代は、水も食べ物も無い絶望的な状況を、なんとか耐え抜いたと語った。
飢えも貧困とも無縁に育った僕は、今一つピンとこない話ではあったけれど、今なら分かる。
食べ物がある有難み。もし無事にこの部屋から脱出した暁には、先生にお礼を言おうと思った。
こうなればもう、僕自身が問題の解決に向けて立ち上がるしかない。
どのような世界であろうとも、頼れるものは自分だけなんだから……。
○
決氏の覚悟を決めた数分後に、食糧問題はあっさりと解決してしまった。
隣の部屋に移ったんだ。
ドアの向こうに現れた鏡面世界は、明らかに僕の部屋だった。
部屋の間取りが鏡映しのように逆ではあるものの、そこにあるのは間違いなく僕の部屋だ。
それならこのへやを僕が自由に使っても、悪いはずがない。
ドアを通りぬけて自室Aから自室Bへ踏み込んだ僕は、
二度と見ることはできないかもしれないと思っていたカステラとソーセージを見つけた。
ミネラルウォーターもある。
とりあえず魚肉ソーセージの皮をむき、三日ぶりの動物性たんぱく質を心ゆくまで味わった。
あれほどソーセージが美味しかったのは未だかつてなかった。
そのあとにデザートとしてカステラを一切れ食べた。
まるで生き返ったように力が漲ってくるのが感じられたよ。
僕は自室Bの窓から、さらに向こうの自室Cを眺めた。
自室D、自室E、自室F……自室∞というように、永遠に僕の部屋が続いているんじゃ
ないだろうか。
絶望的ではあったけれど、考えようによっては幸運と言える。
なぜならば、たとえこの部屋の食料を食べ尽くしたところで、
隣の部屋に移ればまたカステラとソーセージが手に入る。
栄養に偏りはあるけれど、それでも餓氏だけは避けられるからね。
それにしても、アスカがくれたカステラによって得られる栄養分は無視できない。
二年生の春に不本意な出会いを果たして以来半年間、切るに切れない腐れ縁だったアスカ。
ここにきて、彼女の存在が初めて役立った。
○
NERV加入後の数カ月は、<戦術作戦部>の活動で終わった。
既に述べたけれど、<戦術作戦部>なる組織の目的は、正体不明の「使徒」と呼ばれる生物を根絶やしにすべく、
ロボットを操縦するパイロットを徴兵し、戦地に送り出すことだった。
必要とあらば非人道的手段に訴えることも辞さない。
というか、人道的な手段でパイロットになった人間なんて、見た事がない。
僕が良い例だ。
12: 2011/04/13(水) 23:35:06.18
<戦術作戦部>に対抗する組織として、<特殊監査部>がある。
<特殊監査部>の役割は機密情報保護のほかにもう一つ、
これはと目をつけた人物の個人情報を網羅的に収集し、それを様々な用途に活用することだった。
もともと個人情報の収集は、パイロットの強制召集を可能にするための一手段だった。
相手の居場所を突き止めるためには行動パターンを把握しなければならないし、追い詰められても
シラを切り通そうとする悪質な輩に言う事を聞かせる為には、弱点を知ることも必要だったからさ。
しかし蓄積する情報が増えるにつれて、情報の力、情報の魅力が組織を虜にしていった。
<特殊監査部>の情報収集が当初の目的を大きく逸脱して肥大し始めたのは、10年前からだという。
日本国内は言うに及ばず、北は北極から、南は南極まで、<特殊監査部>の情報網は至る所に
張り巡らされていた。
世界中のありとあらゆる破廉恥な個人情報を網羅している<特殊監査部>の人間を、人々は
恐れてたんだ。
だから、ヱヴァシリーズの大量生産によって莫大な収益を上げ続ける<技術開発部>に対抗できるのは、
唯一<特殊監査部>だけだった。
しかし、<特殊監査部>部長の正体が謎に包まれている以上、<技術開発部>部長が
<NERV>の実質的な首領と目されたのも無理はない。
当時の僕は<戦術作戦部>の下っ端パイロットだった。
下っ端の任務は、戦地に赴いて使途を倒すことだ。
とはいえ、僕がスマートに任務をこなす訳がない。
使徒相手に好んで煙に巻かれてみたり、使徒と意気投合して吸収されたりした。
身の入らないことこの上なかった。
僕がそれでも成果を上げたのは、アスカがいたからだった。
アスカはあらゆる技巧を駆使して、使途を殲滅した。
闇打ち、泣き落とし、情報操作、卑劣な罠、戦略自衛隊への賄賂、暴走なんでもやった。
当然、戦績は上がる。連鎖反応的に、相棒である僕の戦績まで上がった。
<戦術作戦部>の存在そのものに疑問を抱き始め、適当にやっていた僕には迷惑な話さ。
さらにアスカは根っからの情報収集好きであった為に、その不可思議な人脈を広げ続け、
冬月副司令の右腕と言うべき存在に成り上がった。
ぼくが<NERV>に加入した夏、冬月副司令が僕たち二人に昇進話を持ちかけて来た。
僕とアスカを幹部に引き上げようというんだ。
でもアスカは意外にもその申し出を断って、<技術開発部>へ引き抜かれて行った。
やむなく僕が主任パイロットとして幹部になったけれど、見事なまでにやる気はなく、
<戦術作戦部>の戦績は下がり続けた。
あっという間に名目だけの幹部に転落したのさ。
冬月副司令は僕を軽蔑し、路傍の石ころも同然に無視し始めたんだ。
○
<戦術作戦部>時代、妙な人物に出くわした。
9月のことだ。
僕は冬月副司令に呼び出され、戦績が芳しくない事についてネチネチと小言を言われた。
挙げ句の果てに、
「パイロットもろくにこなせない人間には、使い走りがお似合いではないかね?」
と酷い侮蔑の言葉を投げつけられた。
<特殊監査部>の役割は機密情報保護のほかにもう一つ、
これはと目をつけた人物の個人情報を網羅的に収集し、それを様々な用途に活用することだった。
もともと個人情報の収集は、パイロットの強制召集を可能にするための一手段だった。
相手の居場所を突き止めるためには行動パターンを把握しなければならないし、追い詰められても
シラを切り通そうとする悪質な輩に言う事を聞かせる為には、弱点を知ることも必要だったからさ。
しかし蓄積する情報が増えるにつれて、情報の力、情報の魅力が組織を虜にしていった。
<特殊監査部>の情報収集が当初の目的を大きく逸脱して肥大し始めたのは、10年前からだという。
日本国内は言うに及ばず、北は北極から、南は南極まで、<特殊監査部>の情報網は至る所に
張り巡らされていた。
世界中のありとあらゆる破廉恥な個人情報を網羅している<特殊監査部>の人間を、人々は
恐れてたんだ。
だから、ヱヴァシリーズの大量生産によって莫大な収益を上げ続ける<技術開発部>に対抗できるのは、
唯一<特殊監査部>だけだった。
しかし、<特殊監査部>部長の正体が謎に包まれている以上、<技術開発部>部長が
<NERV>の実質的な首領と目されたのも無理はない。
当時の僕は<戦術作戦部>の下っ端パイロットだった。
下っ端の任務は、戦地に赴いて使途を倒すことだ。
とはいえ、僕がスマートに任務をこなす訳がない。
使徒相手に好んで煙に巻かれてみたり、使徒と意気投合して吸収されたりした。
身の入らないことこの上なかった。
僕がそれでも成果を上げたのは、アスカがいたからだった。
アスカはあらゆる技巧を駆使して、使途を殲滅した。
闇打ち、泣き落とし、情報操作、卑劣な罠、戦略自衛隊への賄賂、暴走なんでもやった。
当然、戦績は上がる。連鎖反応的に、相棒である僕の戦績まで上がった。
<戦術作戦部>の存在そのものに疑問を抱き始め、適当にやっていた僕には迷惑な話さ。
さらにアスカは根っからの情報収集好きであった為に、その不可思議な人脈を広げ続け、
冬月副司令の右腕と言うべき存在に成り上がった。
ぼくが<NERV>に加入した夏、冬月副司令が僕たち二人に昇進話を持ちかけて来た。
僕とアスカを幹部に引き上げようというんだ。
でもアスカは意外にもその申し出を断って、<技術開発部>へ引き抜かれて行った。
やむなく僕が主任パイロットとして幹部になったけれど、見事なまでにやる気はなく、
<戦術作戦部>の戦績は下がり続けた。
あっという間に名目だけの幹部に転落したのさ。
冬月副司令は僕を軽蔑し、路傍の石ころも同然に無視し始めたんだ。
○
<戦術作戦部>時代、妙な人物に出くわした。
9月のことだ。
僕は冬月副司令に呼び出され、戦績が芳しくない事についてネチネチと小言を言われた。
挙げ句の果てに、
「パイロットもろくにこなせない人間には、使い走りがお似合いではないかね?」
と酷い侮蔑の言葉を投げつけられた。
13: 2011/04/13(水) 23:38:30.41
冬月副司令から言い渡された任務はこうだ。
最近めっきり出勤してこない不良職員がいるらしい。自宅へ行って、NERVへ連れて来いというんだ。
組織にとってなんの益も生み出さないような男をクビにせず、僕ばかりこき使うなんて
ひどい差別というほかない。
ブツブツと文句を垂れながら、僕は不良職員の所に向かった。
彼は僕の住むコンフォート17の隣近所に住んでいて、名前を加持リョウジと言った。
謎めいた人物であり、社会人らしくない。部屋にいるのかいないのか分からない。
在室と睨んでドアを開けてみたら、ネコが部屋をウロウロしているばかりで、
本人はどこかに消えていたりした。
よれよれな白いシャツの袖を肘までまくりあげ、無精ひげがぼさぼさに伸びている。
髪は台風が通り過ぎたようにもしゃもしゃ、手入れをする暇がないといったように、後ろで一つに
束ねている。年齢不詳で、おっさんかと思いきや、大学生のような幼さも垣間見える。
目立つ容貌をしているから外出先で見つけるのは簡単だけれど、接触を図ろうとすると
煙のごとく消えうせるんだ。
ある深夜、屋台ラーメンでようやく捕えた。
「前から俺の回りをうろついているね」
とにこやかに彼は言った。
「行こう行こうと思っていたんだよ。でも俺は他の用事で忙しくってね」
「出勤日数は大幅に足りないんですからね」
僕は釘を刺した。
「うん。分かってる、もう諦めるよ」
僕たちは一緒にラーメンをすすった。
その人物の後にぴったりくっついて、彼の部屋に戻った。
「ちょっとトイレに行ってくる」
と彼は言い、トイレに入った。
しばらく待っていたけれど、中々出てこない。
しびれを切らしてトイレに踏みこむと、もぬけの殻だった。
トイレに備え付けの窓から外を見てみると、彼は悠々と道路を歩いてる。
神業だ。
その日以来、僕は何度も彼の部屋に行き、ドアをドラムのように叩いて
「加持さん」
と呼んだけれど返事がない。
人を馬鹿にしていると思った。
そうやって暴れているうちに、当時はまだ相棒だったアスカがやって来た。
「ごめんなさいね、この人は私の師匠なのよ」
アスカは言った。
「この人は大目に見てあげてよ」
彼女は下手なウインクでお茶を濁そうとする。
「そんな訳にはいかないよ。副司令の命令なんだよ?」
「無理よ。この人が司令たちの言う事を聞くなんてありえないわ」
アスカがそこまで断言するのであれば、僕も引かざるを得ない。
いったい何の師匠なのか分からなかったけれど、
アスカのような女が尊敬しているのだからろくな人間ではないだろう。
「師匠、こんばんは。差し入れよ」
アスカは僕を尻目に加持氏の部屋へ上がりこんだ。
最近めっきり出勤してこない不良職員がいるらしい。自宅へ行って、NERVへ連れて来いというんだ。
組織にとってなんの益も生み出さないような男をクビにせず、僕ばかりこき使うなんて
ひどい差別というほかない。
ブツブツと文句を垂れながら、僕は不良職員の所に向かった。
彼は僕の住むコンフォート17の隣近所に住んでいて、名前を加持リョウジと言った。
謎めいた人物であり、社会人らしくない。部屋にいるのかいないのか分からない。
在室と睨んでドアを開けてみたら、ネコが部屋をウロウロしているばかりで、
本人はどこかに消えていたりした。
よれよれな白いシャツの袖を肘までまくりあげ、無精ひげがぼさぼさに伸びている。
髪は台風が通り過ぎたようにもしゃもしゃ、手入れをする暇がないといったように、後ろで一つに
束ねている。年齢不詳で、おっさんかと思いきや、大学生のような幼さも垣間見える。
目立つ容貌をしているから外出先で見つけるのは簡単だけれど、接触を図ろうとすると
煙のごとく消えうせるんだ。
ある深夜、屋台ラーメンでようやく捕えた。
「前から俺の回りをうろついているね」
とにこやかに彼は言った。
「行こう行こうと思っていたんだよ。でも俺は他の用事で忙しくってね」
「出勤日数は大幅に足りないんですからね」
僕は釘を刺した。
「うん。分かってる、もう諦めるよ」
僕たちは一緒にラーメンをすすった。
その人物の後にぴったりくっついて、彼の部屋に戻った。
「ちょっとトイレに行ってくる」
と彼は言い、トイレに入った。
しばらく待っていたけれど、中々出てこない。
しびれを切らしてトイレに踏みこむと、もぬけの殻だった。
トイレに備え付けの窓から外を見てみると、彼は悠々と道路を歩いてる。
神業だ。
その日以来、僕は何度も彼の部屋に行き、ドアをドラムのように叩いて
「加持さん」
と呼んだけれど返事がない。
人を馬鹿にしていると思った。
そうやって暴れているうちに、当時はまだ相棒だったアスカがやって来た。
「ごめんなさいね、この人は私の師匠なのよ」
アスカは言った。
「この人は大目に見てあげてよ」
彼女は下手なウインクでお茶を濁そうとする。
「そんな訳にはいかないよ。副司令の命令なんだよ?」
「無理よ。この人が司令たちの言う事を聞くなんてありえないわ」
アスカがそこまで断言するのであれば、僕も引かざるを得ない。
いったい何の師匠なのか分からなかったけれど、
アスカのような女が尊敬しているのだからろくな人間ではないだろう。
「師匠、こんばんは。差し入れよ」
アスカは僕を尻目に加持氏の部屋へ上がりこんだ。
14: 2011/04/13(水) 23:39:01.45
振り返ってドアを閉めながら、
「ごめんなさいね」
と言い、ニヤリと笑った。
○
二日ほど、僕は自室Aから自室Fの間をウロウロして暮らした。
事態は好転しなかった。
それまでは自室に好きで籠っていたけれど、いつでも外へ出る事ができるという安心感があった。
ドアを開ければリビングへ通じる廊下があり、リビングを抜ければ玄関があり、
玄関を抜ければマンションから外へ出る事ができる。
いつでもその気になれば外へ出る事が出来るからこそ、僕は出なかったんだ。
いくら外へ出ようともがいても、自室であるという事実がやがて僕の心を圧迫し始め、
食糧事情によるカルシウム不足も手伝って、苛立ちは募った。
いくらおとなしく待っていても、事態は好転しない。
かくなる上は、この永遠と続く部屋の果てを目指して旅立ち、脱出を試みるしかない。
この不毛の地に閉じ込められて一週間ほど経ったある日の6時、
相変わらず朝なのか夜なのか分からなかったけれど、僕は出発することにした。
自室Aのドアを開くと、自室Bに出る。
そのまま自室Bを真っ直ぐ突っ切ると、窓がある。
窓を乗り越えて向こう側へ出ると、そこは自室Cだ。
僕はそうやって、真っ直ぐ突き進んだ。
「部屋の果てを目指す」
なんて大層な決意を固める必要はなかった。
要は部屋を横切る動作の繰り返しだったからね。
部屋の食べ物が無くなれば、隣の部屋に移ればいい訳だし、水もある。
疲れたら、腐りかけのベッドが僕を温かく包んでくれる。
初日、僕は20の部屋を横切った。それでも部屋は続いていた。
流石に阿呆らしくなって、その日はそこで宿泊することにした。
○
3日目、錬金術を発見した。
本棚の隙間に、千円札が挟まっていたんだ。
いつだったか、ゲームでも買おうと貯めるつもりで挟んでおいたのを忘れていた。
果てしない部屋の旅に、千円札なんて何の価値もない。
そう思って隣の部屋に移る。
しかし、その部屋でも本棚の隙間から千円札を発見した。
なんてこった!
これじゃ部屋が続くかぎり、無限に金を増やす事が出来るじゃないか。
部屋の脱出を果たした暁には、僕は大金持ちになっているだろう。
何という商売。
この金さえあれば、もうNERVに媚びへつらうことなんて無くなる!
この街からおさらばして、悠々自適な生活が待っているんだ。
「ごめんなさいね」
と言い、ニヤリと笑った。
○
二日ほど、僕は自室Aから自室Fの間をウロウロして暮らした。
事態は好転しなかった。
それまでは自室に好きで籠っていたけれど、いつでも外へ出る事ができるという安心感があった。
ドアを開ければリビングへ通じる廊下があり、リビングを抜ければ玄関があり、
玄関を抜ければマンションから外へ出る事ができる。
いつでもその気になれば外へ出る事が出来るからこそ、僕は出なかったんだ。
いくら外へ出ようともがいても、自室であるという事実がやがて僕の心を圧迫し始め、
食糧事情によるカルシウム不足も手伝って、苛立ちは募った。
いくらおとなしく待っていても、事態は好転しない。
かくなる上は、この永遠と続く部屋の果てを目指して旅立ち、脱出を試みるしかない。
この不毛の地に閉じ込められて一週間ほど経ったある日の6時、
相変わらず朝なのか夜なのか分からなかったけれど、僕は出発することにした。
自室Aのドアを開くと、自室Bに出る。
そのまま自室Bを真っ直ぐ突っ切ると、窓がある。
窓を乗り越えて向こう側へ出ると、そこは自室Cだ。
僕はそうやって、真っ直ぐ突き進んだ。
「部屋の果てを目指す」
なんて大層な決意を固める必要はなかった。
要は部屋を横切る動作の繰り返しだったからね。
部屋の食べ物が無くなれば、隣の部屋に移ればいい訳だし、水もある。
疲れたら、腐りかけのベッドが僕を温かく包んでくれる。
初日、僕は20の部屋を横切った。それでも部屋は続いていた。
流石に阿呆らしくなって、その日はそこで宿泊することにした。
○
3日目、錬金術を発見した。
本棚の隙間に、千円札が挟まっていたんだ。
いつだったか、ゲームでも買おうと貯めるつもりで挟んでおいたのを忘れていた。
果てしない部屋の旅に、千円札なんて何の価値もない。
そう思って隣の部屋に移る。
しかし、その部屋でも本棚の隙間から千円札を発見した。
なんてこった!
これじゃ部屋が続くかぎり、無限に金を増やす事が出来るじゃないか。
部屋の脱出を果たした暁には、僕は大金持ちになっているだろう。
何という商売。
この金さえあれば、もうNERVに媚びへつらうことなんて無くなる!
この街からおさらばして、悠々自適な生活が待っているんだ。
15: 2011/04/13(水) 23:40:07.72
それ以後、僕はリュックを背負って旅をした。
部屋を移るごとに千円札を投げ込んでいくのさ。
○
初めのうちは制覇した部屋の数を数えていたけれど、途中から数えるのを諦めた。
ドアを開け、入り、部屋を横切り、窓を開け、乗り越え、部屋を横切り、
ドアを開け、入り、部屋を横切り、窓を開け……
この作業が延々と続く。
千円ずつ儲かるけれど、脱出の希望が見えないため、僕は希望と絶望に影響されて、
千円札の値打ちが乱高下した。
ついに我慢の限界が来ると、僕は畳に丸太のように横たわって行軍を拒否した。
ビタミン剤をガリガリと噛み砕き、水で流し込む。
「なんで僕がこんな目にあうんだ!」
と天井に向かって喚き続ける。
己を押し包む無音の世界が怖くなって、知っている限りの歌を大声で歌った。
ただし何も発見がなかったわけじゃない。
僕は、全く同じに見える自室にも、少しずつ違いがあるらしいと気付いたんだ。
旅に出てから10日も経った頃だろう。
かすかな変化だけれど、本棚の品ぞろえが変わってたんだ。
「吾輩は猫である」
を読もうと思ったら、その部屋には「吾輩は猫である」が存在しなかった。
この事実は何を示すのか。
まだ答えは出なかった。
○
他に考えることもなかったので、不毛に過ぎた半年間について考えた。
あんな阿呆らしい組織に身をやつしていたことが、今さらながら悔やまれた。
夏になってアスカとのタッグを解消した僕は、
<戦術作戦部>史上空前の役立たずという勇名を馳せた。
でも、ぐうたらしていたのに、追い出される事は無かったんだ。
ヱヴァパイロットにおける輝かしい実績をひっさげて<技術開発部>幹部となったアスカが
しきりと僕を訪ねてくるので、彼女との関係を考慮に入れて、大目に見られていたのじゃないだろうか。
僕はアスカに
「辞めよう」
と相談を持ちかけたけれど、彼女は笑って取り合わなかった。
「まあまあ、何となく居座ってたら、それなりに楽しい事もあるってば」
いい加減な奴。
組織の連中は僕を阿呆幹部だと思っているし、NERVのブレーンとして君臨する冬月副司令は
僕と口もきかない。
冬月副司令への反感も増すばかりだ。
不毛な日々を過ごす内に、僕は「逃亡」について思いを巡らせるようになった。
ただ逃げるだけではつまらない。
NERV史上に残る派手な反抗を示して逃亡してやろうと思った。
秋のこと。
アスカと鍋をつつきながら僕がそんな事を漏らすと、彼女は、
「あんまりお勧めできないわねぇ」
と言った。
「いくら無能の冬月副司令でも、<特殊監査部>の情報網は本物よ。敵に回すとなかなか怖いもんよ」
「怖いもんか」
アスカは鍋に入っていた豆腐をひょいとつまみ、
「ふぎゅう」
と声を出して押しつぶした。
「こんな風になっちゃうわよ?私は心が痛むわぁ」
部屋を移るごとに千円札を投げ込んでいくのさ。
○
初めのうちは制覇した部屋の数を数えていたけれど、途中から数えるのを諦めた。
ドアを開け、入り、部屋を横切り、窓を開け、乗り越え、部屋を横切り、
ドアを開け、入り、部屋を横切り、窓を開け……
この作業が延々と続く。
千円ずつ儲かるけれど、脱出の希望が見えないため、僕は希望と絶望に影響されて、
千円札の値打ちが乱高下した。
ついに我慢の限界が来ると、僕は畳に丸太のように横たわって行軍を拒否した。
ビタミン剤をガリガリと噛み砕き、水で流し込む。
「なんで僕がこんな目にあうんだ!」
と天井に向かって喚き続ける。
己を押し包む無音の世界が怖くなって、知っている限りの歌を大声で歌った。
ただし何も発見がなかったわけじゃない。
僕は、全く同じに見える自室にも、少しずつ違いがあるらしいと気付いたんだ。
旅に出てから10日も経った頃だろう。
かすかな変化だけれど、本棚の品ぞろえが変わってたんだ。
「吾輩は猫である」
を読もうと思ったら、その部屋には「吾輩は猫である」が存在しなかった。
この事実は何を示すのか。
まだ答えは出なかった。
○
他に考えることもなかったので、不毛に過ぎた半年間について考えた。
あんな阿呆らしい組織に身をやつしていたことが、今さらながら悔やまれた。
夏になってアスカとのタッグを解消した僕は、
<戦術作戦部>史上空前の役立たずという勇名を馳せた。
でも、ぐうたらしていたのに、追い出される事は無かったんだ。
ヱヴァパイロットにおける輝かしい実績をひっさげて<技術開発部>幹部となったアスカが
しきりと僕を訪ねてくるので、彼女との関係を考慮に入れて、大目に見られていたのじゃないだろうか。
僕はアスカに
「辞めよう」
と相談を持ちかけたけれど、彼女は笑って取り合わなかった。
「まあまあ、何となく居座ってたら、それなりに楽しい事もあるってば」
いい加減な奴。
組織の連中は僕を阿呆幹部だと思っているし、NERVのブレーンとして君臨する冬月副司令は
僕と口もきかない。
冬月副司令への反感も増すばかりだ。
不毛な日々を過ごす内に、僕は「逃亡」について思いを巡らせるようになった。
ただ逃げるだけではつまらない。
NERV史上に残る派手な反抗を示して逃亡してやろうと思った。
秋のこと。
アスカと鍋をつつきながら僕がそんな事を漏らすと、彼女は、
「あんまりお勧めできないわねぇ」
と言った。
「いくら無能の冬月副司令でも、<特殊監査部>の情報網は本物よ。敵に回すとなかなか怖いもんよ」
「怖いもんか」
アスカは鍋に入っていた豆腐をひょいとつまみ、
「ふぎゅう」
と声を出して押しつぶした。
「こんな風になっちゃうわよ?私は心が痛むわぁ」
16: 2011/04/13(水) 23:40:33.74
「屁とも思わないくせに」
「またそんなこと言うんだから。今だって、アンタの評判は悪いけれども、私の天才的な立ち回りを見せて、
かばってあげているんだからね。少しは感謝してほしいってもんよ」
「感謝なんて、するもんか」
「感謝するのはタダよ」
秋の淋しさが身にしみてくる頃で、鍋のぐつぐつと煮える音が温かい。
こんな秋の夜を共に過ごしてくれる人がアスカだけというのは由々しき問題だと思った。
人間として間違っている!
妙な組織に紛れ込んで不貞腐れている場合じゃない。
組織の外には、まっとうなスクールライフが待っているんだ。
「もうちょっとましな学生生活を送るべきだったとか思ってるんでしょ」
アスカが急に核心をつくような事を言った。
「……僕はもっとほかの道を選ぶべきだった」
「慰めるわけじゃないけど、アンタはどんな道を選んでも私に会っていたと思うわ。直感的に分かるのよ。
いずれにせよ私はアンタに出会って、全力でアンタを駄目にするわ。運命に抗ってもしょうがないでしょう」
アスカは小指を立てた。
「私たちは運命の黒い糸で結ばれてるってワケ」
ドス黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて、暗い水底に沈んでいく男女の
恐るべき幻影が脳裏に浮かび、僕は戦慄した。
アスカはそんな僕を眺めながら、愉快そうに豚肉を食べている。
「冬月副司令にも困ったもんよ」
と言った。
「私は<技術開発部>に移ったというのに、色々と相談を持ちかけてくるのよね」
「君みたいな人間が、なんで気に入られるんだろうね?」
「非の打ちどころのない人柄、巧みな話術、明晰な頭脳、可愛らしい顔、こんこんと溢れて尽きない隣人への愛。
人から愛される秘訣はこれよ。少しは私に学んだらいかが?」
「うるさい!」
僕が言うと、アスカはにやにやした。
○
旅を始めて約20日が過ぎた頃のことだ。
何番目の部屋かも分からない自室を通りぬけて、そろそろ行軍にも嫌気がしてきた頃。
休憩することにして、大嫌いになったカステラを頬張った。
休憩を終えて窓を開けた僕は、隣の部屋を覗きこんだ。部屋の隅に誰かが座って、読書に耽っていた。
陳腐な表現を使えば、
「心臓が口から飛び出すほど」驚いた。
本を読んでいるのは女性だった。
静かにうつむいて、膝に乗せた「幸福な王子(オスカー・ワイルド著)」を読んでいる。
美しいショートカットの黒髪が肩にかかって、つやつやと光っている。
「またそんなこと言うんだから。今だって、アンタの評判は悪いけれども、私の天才的な立ち回りを見せて、
かばってあげているんだからね。少しは感謝してほしいってもんよ」
「感謝なんて、するもんか」
「感謝するのはタダよ」
秋の淋しさが身にしみてくる頃で、鍋のぐつぐつと煮える音が温かい。
こんな秋の夜を共に過ごしてくれる人がアスカだけというのは由々しき問題だと思った。
人間として間違っている!
妙な組織に紛れ込んで不貞腐れている場合じゃない。
組織の外には、まっとうなスクールライフが待っているんだ。
「もうちょっとましな学生生活を送るべきだったとか思ってるんでしょ」
アスカが急に核心をつくような事を言った。
「……僕はもっとほかの道を選ぶべきだった」
「慰めるわけじゃないけど、アンタはどんな道を選んでも私に会っていたと思うわ。直感的に分かるのよ。
いずれにせよ私はアンタに出会って、全力でアンタを駄目にするわ。運命に抗ってもしょうがないでしょう」
アスカは小指を立てた。
「私たちは運命の黒い糸で結ばれてるってワケ」
ドス黒い糸でボンレスハムのようにぐるぐる巻きにされて、暗い水底に沈んでいく男女の
恐るべき幻影が脳裏に浮かび、僕は戦慄した。
アスカはそんな僕を眺めながら、愉快そうに豚肉を食べている。
「冬月副司令にも困ったもんよ」
と言った。
「私は<技術開発部>に移ったというのに、色々と相談を持ちかけてくるのよね」
「君みたいな人間が、なんで気に入られるんだろうね?」
「非の打ちどころのない人柄、巧みな話術、明晰な頭脳、可愛らしい顔、こんこんと溢れて尽きない隣人への愛。
人から愛される秘訣はこれよ。少しは私に学んだらいかが?」
「うるさい!」
僕が言うと、アスカはにやにやした。
○
旅を始めて約20日が過ぎた頃のことだ。
何番目の部屋かも分からない自室を通りぬけて、そろそろ行軍にも嫌気がしてきた頃。
休憩することにして、大嫌いになったカステラを頬張った。
休憩を終えて窓を開けた僕は、隣の部屋を覗きこんだ。部屋の隅に誰かが座って、読書に耽っていた。
陳腐な表現を使えば、
「心臓が口から飛び出すほど」驚いた。
本を読んでいるのは女性だった。
静かにうつむいて、膝に乗せた「幸福な王子(オスカー・ワイルド著)」を読んでいる。
美しいショートカットの黒髪が肩にかかって、つやつやと光っている。
17: 2011/04/13(水) 23:41:09.93
僕が窓を開けたのに、彼女は反応しなかった。不審に思いながら部屋に入り、彼女に声をかけてみた。
「あの、失礼します」
いくら声をかけても彼女は反応しない。僕はおずおずと彼女の顔を覗きこんだ。
彼女は美しい顔をしていた。肌は人間そっくりの色合いをしているし、ソッと触れてみると弾力がある。
髪は丁寧に手入れされ、整えられた衣服には乱れがない。透き通る目を見ていると、吸い込まれそうになる。
不思議な感覚だ。
まるで、昔から知っている人のような、懐かしさを覚えた。しかし、彼女は微動だにしない。
どこか遠くに目をやった瞬間に凍らされた人のようだ。
「これはユイさんか?」
思わず呟き、僕は茫然とした。
○
秋の終わりの事だった。
冬月副司令は個人的な感情から、<特殊監査部>と<保安部>を私物化し、ある人物の失脚作戦を立案した。
陰謀の餌食となったのは我がNERVの長、碇司令だった。
碇司令と冬月副司令との間に個人的ないさかいがあったという説が最も有力だった。
面倒事は全て副司令に押し付け続けていた事に、堪忍袋の緒が切れたという説を唱える人もいた。
いずれにしても冬月副司令は碇司令を破滅に追い込むことに決めたんだ。何をおいても、まずは情報収集だ。
組織内に張り巡らされた情報網を伝って、碇司令にまつわるあらゆる情報が集められた。
そのなかに彼女の写真があった。
碇司令を失脚させる策を練る為に召集された会議の席上で、冬月副司令は弁護の余地のない最低の作戦を言い渡した。
碇司令はそのユイさんを目に入れても痛くないほどに慈しんでいる。これを誘拐すれば、碇司令はこちらの要求を
飲むと踏んだんだ。
計画遂行の夜。
碇司令は国連に呼び出されていて、その日は帰ってこない。
<保安部>の幹部数人と僕は闇にまぎれて地下10階へ集合した。
当初の計画では<保安部>の一人が第二執務室の鍵を開け、幹部たちが侵入、
ラブドール「ユイさん」を盗み出すという事だった。
しかし、計画は早くもとん挫しかけた。
犯罪めいた所業に手を染めると分かって腰が砕けた、根性も忠誠心もない男が一人いたからだ。
つまり僕だ。
僕は、
「いやだいやだ」
と駄々をこね、壁にへばりついて抵抗した。
他の幹部たちも、そもそも気が進まない事だったのだから、実行を躊躇した。
そこへ、まさかわざわざ来るまいと思っていた冬月副司令が現れた。
「お前たち、何をぐずぐずしているのかね?」
彼が一喝するが早いか、幹部たちは二手に分かれた。
すぐさま計画の遂行に向かう一派と、闇雲に逃亡を図る一派だ。
もちろん、逃亡を図ったのは僕だった。
闇夜に乗じて逃げ出しながら、僕は
「こんな阿呆なことするもんか!」
と捨て台詞を残した。
冬月副司令の眼が蛇のごとく輝いた。殺されるかと思った。
僕の抵抗もむなしく、ユイさんは冬月副司令によって連れ去られてしまった。
翌日、帰国した碇司令との間で取引が行われ、碇司令は冬月副司令の要求に膝を屈したという。
数日を経ずして、碇司令は自分が創設して以来手放そうとしなかったNERVの実権を、
冬月副司令へ譲り渡したんだ。
「あの、失礼します」
いくら声をかけても彼女は反応しない。僕はおずおずと彼女の顔を覗きこんだ。
彼女は美しい顔をしていた。肌は人間そっくりの色合いをしているし、ソッと触れてみると弾力がある。
髪は丁寧に手入れされ、整えられた衣服には乱れがない。透き通る目を見ていると、吸い込まれそうになる。
不思議な感覚だ。
まるで、昔から知っている人のような、懐かしさを覚えた。しかし、彼女は微動だにしない。
どこか遠くに目をやった瞬間に凍らされた人のようだ。
「これはユイさんか?」
思わず呟き、僕は茫然とした。
○
秋の終わりの事だった。
冬月副司令は個人的な感情から、<特殊監査部>と<保安部>を私物化し、ある人物の失脚作戦を立案した。
陰謀の餌食となったのは我がNERVの長、碇司令だった。
碇司令と冬月副司令との間に個人的ないさかいがあったという説が最も有力だった。
面倒事は全て副司令に押し付け続けていた事に、堪忍袋の緒が切れたという説を唱える人もいた。
いずれにしても冬月副司令は碇司令を破滅に追い込むことに決めたんだ。何をおいても、まずは情報収集だ。
組織内に張り巡らされた情報網を伝って、碇司令にまつわるあらゆる情報が集められた。
そのなかに彼女の写真があった。
碇司令を失脚させる策を練る為に召集された会議の席上で、冬月副司令は弁護の余地のない最低の作戦を言い渡した。
碇司令はそのユイさんを目に入れても痛くないほどに慈しんでいる。これを誘拐すれば、碇司令はこちらの要求を
飲むと踏んだんだ。
計画遂行の夜。
碇司令は国連に呼び出されていて、その日は帰ってこない。
<保安部>の幹部数人と僕は闇にまぎれて地下10階へ集合した。
当初の計画では<保安部>の一人が第二執務室の鍵を開け、幹部たちが侵入、
ラブドール「ユイさん」を盗み出すという事だった。
しかし、計画は早くもとん挫しかけた。
犯罪めいた所業に手を染めると分かって腰が砕けた、根性も忠誠心もない男が一人いたからだ。
つまり僕だ。
僕は、
「いやだいやだ」
と駄々をこね、壁にへばりついて抵抗した。
他の幹部たちも、そもそも気が進まない事だったのだから、実行を躊躇した。
そこへ、まさかわざわざ来るまいと思っていた冬月副司令が現れた。
「お前たち、何をぐずぐずしているのかね?」
彼が一喝するが早いか、幹部たちは二手に分かれた。
すぐさま計画の遂行に向かう一派と、闇雲に逃亡を図る一派だ。
もちろん、逃亡を図ったのは僕だった。
闇夜に乗じて逃げ出しながら、僕は
「こんな阿呆なことするもんか!」
と捨て台詞を残した。
冬月副司令の眼が蛇のごとく輝いた。殺されるかと思った。
僕の抵抗もむなしく、ユイさんは冬月副司令によって連れ去られてしまった。
翌日、帰国した碇司令との間で取引が行われ、碇司令は冬月副司令の要求に膝を屈したという。
数日を経ずして、碇司令は自分が創設して以来手放そうとしなかったNERVの実権を、
冬月副司令へ譲り渡したんだ。
18: 2011/04/13(水) 23:41:53.98
あまりの理不尽さに僕は憤った。冬月副司令、断固許すまじ。
僕はアスカの手配してくれた隠れ家に速やかに逃げ込み、冬月副司令に見つからないように息をひそめ、
生まれたての小鹿のようにぷるぷると怒りに震えていた。
○
この20日間あまり、単調にドアから入って窓から出るという行為ばかりを繰り返してきた。
考えてみればこれはあまりに頭の固いやり方じゃないか?
本当に脱出したいのであれば、壁を破ればいいじゃないか。
ひょっとすると、それだけで全てが解決するかもしれない。
隣は葛城二佐の部屋があるはずだけれど、もし僕が壁の穴から乱入してきても、
彼女なら笑ってすませてくれる気がする。たぶん。
そう考えると急に元気が湧いてきた。
僕は腕立て伏せ及び似非ヒンズースクワットをしてから、イスを持ち上げ壁に向かって放り投げた。
壁に壁が凹み、亀裂が入った。
亀裂が入ったところを思い切り蹴飛ばすと、直径15センチほどの穴が開いた。
穴の向こうには蛍光灯の明かりが見えた。
「やったー!」
僕は感涙にむせび泣き、穴を広げてくぐり抜けた。そうして僕が出たところは、やっぱり同じ部屋だった。
その後、僕は思いつくままに壁を壊し続け、ドアを開け、窓を開け、ジョニーを慰め、
カステラを食べ過ぎてゲロを吐き、また思い出したように壁を壊し続けたりした。
広大な自室を放浪し続けた。
○
冬月副司令が覇権を握った後の話をするよ。
「ユイさん誘拐計画」から逃走した後、僕は隠れ家に籠ってぷるぷる震えていた。
はっきりと反抗の意思を表明した以上、冬月司令は<特殊監査部>を動かして、
僕をひねり潰してしまうだろう。
父さんの運命は、僕の運命でもある。
アスカによると冬月司令は鵜の目鷹の目で僕の居所を探しているらしかった。
「冬月司令にも困ったもんよ。ちょっと暴走気味なのよねぇ」
とアスカは言った。
「<技術開発部>の方でもナントカしなくっちゃと話しあっていたところなの」
僕は隠れ家から一歩も外に出なかった。
隠れ家と言うのは、かつて僕がNERVへ出頭させようとしていた加持リョウジの自室だった。
加持師匠の部屋に隠れるというアスカの案を初めは真に受けなかった。
「ヘタに動くよりもここに隠れていたほうが良いのよ。灯台もと暗しと言うでしょう」
アスカに説得されて、僕は加持師匠のもとへ居候することにした。
アスカはしばらく姿を見せなかった。
僕の学生生活が終わろうとしている今、こんな所でうずくまっていていいんだろうか。
僕が陰気な顔をして本を読んでいると、加持師匠は煙草吸い、のんきな口調で慰めてくれた。
「まあ大船に乗ったつもりでいなさい。アスカならきっとうまく収めるだろう」
「あいつ裏切るんじゃないですかね」
僕は疑い深げに尋ねた。
「うん、ま、そういう可能性もあるな」
加持師匠は楽しそうに言った。
「あの子の行動は予測がつかないからな」
僕はアスカの手配してくれた隠れ家に速やかに逃げ込み、冬月副司令に見つからないように息をひそめ、
生まれたての小鹿のようにぷるぷると怒りに震えていた。
○
この20日間あまり、単調にドアから入って窓から出るという行為ばかりを繰り返してきた。
考えてみればこれはあまりに頭の固いやり方じゃないか?
本当に脱出したいのであれば、壁を破ればいいじゃないか。
ひょっとすると、それだけで全てが解決するかもしれない。
隣は葛城二佐の部屋があるはずだけれど、もし僕が壁の穴から乱入してきても、
彼女なら笑ってすませてくれる気がする。たぶん。
そう考えると急に元気が湧いてきた。
僕は腕立て伏せ及び似非ヒンズースクワットをしてから、イスを持ち上げ壁に向かって放り投げた。
壁に壁が凹み、亀裂が入った。
亀裂が入ったところを思い切り蹴飛ばすと、直径15センチほどの穴が開いた。
穴の向こうには蛍光灯の明かりが見えた。
「やったー!」
僕は感涙にむせび泣き、穴を広げてくぐり抜けた。そうして僕が出たところは、やっぱり同じ部屋だった。
その後、僕は思いつくままに壁を壊し続け、ドアを開け、窓を開け、ジョニーを慰め、
カステラを食べ過ぎてゲロを吐き、また思い出したように壁を壊し続けたりした。
広大な自室を放浪し続けた。
○
冬月副司令が覇権を握った後の話をするよ。
「ユイさん誘拐計画」から逃走した後、僕は隠れ家に籠ってぷるぷる震えていた。
はっきりと反抗の意思を表明した以上、冬月司令は<特殊監査部>を動かして、
僕をひねり潰してしまうだろう。
父さんの運命は、僕の運命でもある。
アスカによると冬月司令は鵜の目鷹の目で僕の居所を探しているらしかった。
「冬月司令にも困ったもんよ。ちょっと暴走気味なのよねぇ」
とアスカは言った。
「<技術開発部>の方でもナントカしなくっちゃと話しあっていたところなの」
僕は隠れ家から一歩も外に出なかった。
隠れ家と言うのは、かつて僕がNERVへ出頭させようとしていた加持リョウジの自室だった。
加持師匠の部屋に隠れるというアスカの案を初めは真に受けなかった。
「ヘタに動くよりもここに隠れていたほうが良いのよ。灯台もと暗しと言うでしょう」
アスカに説得されて、僕は加持師匠のもとへ居候することにした。
アスカはしばらく姿を見せなかった。
僕の学生生活が終わろうとしている今、こんな所でうずくまっていていいんだろうか。
僕が陰気な顔をして本を読んでいると、加持師匠は煙草吸い、のんきな口調で慰めてくれた。
「まあ大船に乗ったつもりでいなさい。アスカならきっとうまく収めるだろう」
「あいつ裏切るんじゃないですかね」
僕は疑い深げに尋ねた。
「うん、ま、そういう可能性もあるな」
加持師匠は楽しそうに言った。
「あの子の行動は予測がつかないからな」
19: 2011/04/13(水) 23:42:21.67
「冗談じゃないですよ」
「でも、君の事は身を挺してかばうと言っていたよ」
○
僕がこの世界に閉じ込められてから50日が経過した。
信じられない。
外はもうとっくに年が明け、三学期も終わろうとしている。1200時間もの間、
僕は外食をしていない。日光を浴びていない。新鮮な空気を吸っていない。
人間と言葉を交わしていない。例の錬金術にも嫌気がさして、真面目に千円札を
集めなくなっていた。
なんという世界だ。
何という世界。
地表はどこまでも隙間なく敷き詰められた畳で、朝も昼もなく、風も吹かず雨も降らない。
世界を照らすのは貧相な蛍光灯の明かりのみだ。
ただ孤独だけを友として、僕はがむしゃらに世界の果てを目指して歩き続けた。
数え切れない壁を破り、数え切れない窓枠をよじ登り、数え切れないドアを開けた。
秋に組織から足を洗って一カ月。僕は自室に立てこもってきた。
自分は孤独に耐えうる人間だと思っていたんだ。
浅はかだった。
僕は孤独なんかじゃなかったんだ。
今の僕に比べれば、あの頃の僕はちっとも孤独じゃなかった。
僕は孤独に耐え得ない。何としてもここから出なければならない。
そうして僕はよろよろと立ち上がる。ふたたび自室横断の旅に出るんだ。
○
誰もいない。
誰とも言葉を交わしていない。
最後にアスカと言葉を交わしたのはいつだったろう?
希望を持って歩く事は、日に日に難しくなった。
もはや僕は独り言も言わなくなった。
歌も歌わない。
身体も拭かない。
「でも、君の事は身を挺してかばうと言っていたよ」
○
僕がこの世界に閉じ込められてから50日が経過した。
信じられない。
外はもうとっくに年が明け、三学期も終わろうとしている。1200時間もの間、
僕は外食をしていない。日光を浴びていない。新鮮な空気を吸っていない。
人間と言葉を交わしていない。例の錬金術にも嫌気がさして、真面目に千円札を
集めなくなっていた。
なんという世界だ。
何という世界。
地表はどこまでも隙間なく敷き詰められた畳で、朝も昼もなく、風も吹かず雨も降らない。
世界を照らすのは貧相な蛍光灯の明かりのみだ。
ただ孤独だけを友として、僕はがむしゃらに世界の果てを目指して歩き続けた。
数え切れない壁を破り、数え切れない窓枠をよじ登り、数え切れないドアを開けた。
秋に組織から足を洗って一カ月。僕は自室に立てこもってきた。
自分は孤独に耐えうる人間だと思っていたんだ。
浅はかだった。
僕は孤独なんかじゃなかったんだ。
今の僕に比べれば、あの頃の僕はちっとも孤独じゃなかった。
僕は孤独に耐え得ない。何としてもここから出なければならない。
そうして僕はよろよろと立ち上がる。ふたたび自室横断の旅に出るんだ。
○
誰もいない。
誰とも言葉を交わしていない。
最後にアスカと言葉を交わしたのはいつだったろう?
希望を持って歩く事は、日に日に難しくなった。
もはや僕は独り言も言わなくなった。
歌も歌わない。
身体も拭かない。
20: 2011/04/13(水) 23:42:50.89
ソーセージを食べる気にもならない。
どうせ同じ部屋に出るだけだ。
どうせ同じさ。
僕はただ胸の内でそう呟いていた。
○
僕が加持師匠の部屋に潜み、読書に耽っている間に何が起こっていたか。
アスカが妖怪のように暗躍していた。
彼女は手始めとして、<技術開発部>の赤木博士が出張で松城に出かけた隙をつき、
代理権限を行使して<技術開発部>の操業を停止した。
そんなことは初めてのことだったから、冬月司令は僕の件を放りだし、急きょ<技術開発部>へ
駆けつけた。
アスカは悪徳商人のように物欲しげな顔をして冬月司令の前に姿を現したんだ。
「NERVの運営で疑問があるの。どうやら謀反を企てている奴がいるらしいわ。
それで会議を開いてほしいのよ」
まさかアスカが全てを乗っ取ろうとしているとは、冬月司令は考えもしなかっただろう。
冬月司令と交渉する一方、アスカは着々と他の組織に根回しをしていた。
<戦術作戦部>時代の人脈を使って、引きこめるだけの人間は自分の陣営に引き込んだ。
引き込めなかった人間は、<保安部>を差し向けて会議の当日には自宅へ閉じ込めることにしたらしい。
恐るべき八面六臂ぶりだよ。
縦横に巡らされた陰謀の中へ、冬月司令は誘い込まれたんだ。
会議は開かれるなり終わった。
個人的怨恨から冬月司令が組織を私物化し、碇元指令を追い出したという恥ずかしい事実が暴露され、
満場一致で冬月司令は追放されることに決まった。
まだ唖然としている冬月司令が、<保安部>によって議場から放りだされた後、会議は静かに続いた。
「アスカ、あんたがやればいいんじゃない?どうせ形だけの司令なんだし、私は忙しいし」
<戦術作戦部>の葛城二佐が、アスカを推薦した。
「私には荷が重すぎるわよ」
アスカは一応、遠慮して見せた。
けっきょく、アスカが<技術開発部>室長及び、NERV総司令を兼ねることが決まった。
○
アスカがNERV総司令に就任した夜。
僕は一週間ぶりに隠れ家から出て、恐る恐るNERV構内へ入った。
夜陰に紛れてケージを抜け、会議場となっていた指令室へ入り込んだ僕は、そこでアスカのクーデターが成功し、
冬月副司令がいともやすやすと放りだされるのを見たんだ。
散会して職員たちがいなくなった。司令の机にアスカがぽつんと座っていた。
僕は指令室の隅に座ったまま、アスカの顔を眺めていた。
NERV総司令たるアスカは、その堂々たる肩書にふさわしい貫禄を微塵も感じさせず、
相変わらずぬらりひょんのごときヘンテコな顔をしていた。
「恐ろしい奴だなぁ」
僕はしみじみと言ったけれど、アスカは欠伸をした。
「こんなのはごっこ遊びよ」
彼女は言った。
「いずれにしても、これでアンタは助かった訳じゃない」
僕たちはNERVから抜け出して、屋台ラーメンを食べに行った。
もちろん、僕のおごりだった。
こうして僕は<NERV>から足を洗い、バラ色のスクールライフに向けて船出したはずだった。
しかし、不毛に過ぎた半年間の遅れをやすやすとは取り戻せない。
僕はコンフォート17にこもりがちになった。
どうせ同じ部屋に出るだけだ。
どうせ同じさ。
僕はただ胸の内でそう呟いていた。
○
僕が加持師匠の部屋に潜み、読書に耽っている間に何が起こっていたか。
アスカが妖怪のように暗躍していた。
彼女は手始めとして、<技術開発部>の赤木博士が出張で松城に出かけた隙をつき、
代理権限を行使して<技術開発部>の操業を停止した。
そんなことは初めてのことだったから、冬月司令は僕の件を放りだし、急きょ<技術開発部>へ
駆けつけた。
アスカは悪徳商人のように物欲しげな顔をして冬月司令の前に姿を現したんだ。
「NERVの運営で疑問があるの。どうやら謀反を企てている奴がいるらしいわ。
それで会議を開いてほしいのよ」
まさかアスカが全てを乗っ取ろうとしているとは、冬月司令は考えもしなかっただろう。
冬月司令と交渉する一方、アスカは着々と他の組織に根回しをしていた。
<戦術作戦部>時代の人脈を使って、引きこめるだけの人間は自分の陣営に引き込んだ。
引き込めなかった人間は、<保安部>を差し向けて会議の当日には自宅へ閉じ込めることにしたらしい。
恐るべき八面六臂ぶりだよ。
縦横に巡らされた陰謀の中へ、冬月司令は誘い込まれたんだ。
会議は開かれるなり終わった。
個人的怨恨から冬月司令が組織を私物化し、碇元指令を追い出したという恥ずかしい事実が暴露され、
満場一致で冬月司令は追放されることに決まった。
まだ唖然としている冬月司令が、<保安部>によって議場から放りだされた後、会議は静かに続いた。
「アスカ、あんたがやればいいんじゃない?どうせ形だけの司令なんだし、私は忙しいし」
<戦術作戦部>の葛城二佐が、アスカを推薦した。
「私には荷が重すぎるわよ」
アスカは一応、遠慮して見せた。
けっきょく、アスカが<技術開発部>室長及び、NERV総司令を兼ねることが決まった。
○
アスカがNERV総司令に就任した夜。
僕は一週間ぶりに隠れ家から出て、恐る恐るNERV構内へ入った。
夜陰に紛れてケージを抜け、会議場となっていた指令室へ入り込んだ僕は、そこでアスカのクーデターが成功し、
冬月副司令がいともやすやすと放りだされるのを見たんだ。
散会して職員たちがいなくなった。司令の机にアスカがぽつんと座っていた。
僕は指令室の隅に座ったまま、アスカの顔を眺めていた。
NERV総司令たるアスカは、その堂々たる肩書にふさわしい貫禄を微塵も感じさせず、
相変わらずぬらりひょんのごときヘンテコな顔をしていた。
「恐ろしい奴だなぁ」
僕はしみじみと言ったけれど、アスカは欠伸をした。
「こんなのはごっこ遊びよ」
彼女は言った。
「いずれにしても、これでアンタは助かった訳じゃない」
僕たちはNERVから抜け出して、屋台ラーメンを食べに行った。
もちろん、僕のおごりだった。
こうして僕は<NERV>から足を洗い、バラ色のスクールライフに向けて船出したはずだった。
しかし、不毛に過ぎた半年間の遅れをやすやすとは取り戻せない。
僕はコンフォート17にこもりがちになった。
21: 2011/04/13(水) 23:44:17.43
アスカのような恐ろしい人間とは早く袂を分かとうと思っていたけれど、それもうまくいかなかった。
自室にこもる僕を訪ねてくるのは、アスカだけだったからさ。
○
僕は痛々しい行軍を続けた。
その日泊まった部屋には見覚えの無い写真があった。
加持師匠とアスカと僕と葛城二佐が、鍋をつついている写真だった。
四人で鍋をつついた記憶は無い。
その瞬間僕はこの部屋の仕組みを把握した。
かつて買いそびれた本が並ぶ本棚、僕が入っていないはずの英会話教室。
そうなんだ、ここは僕のパラレルワールドなんだ。
これまでの何十日の間、僕は様々な選択の中であり得た別の並行世界を横切って来たんだ。
ほんの些細な決断で僕の運命は変わる。
日々僕は無数の決断を繰り返すのだから、無数の異なる運命が生まれる。
無数の僕が生まれる。
無数の部屋が生まれる。
したがってこの世界には、果ては無かったんだ。
これは、70日目の出来事だった。
○
果てしなく広がる自室との戦い。その中で、色々と分かった事がある。
各々の部屋には各々の人生を歩んでいる自分がいる。
しかしその誰もが、不毛なスクールライフを謳歌しているように思えた。
そこで、各部屋に痕跡を残す写真や手紙などを手掛かりに、僕を取り巻く人物たちを
調べてみることにした。
赤木博士という女性は技術部の女部長だった。
明晰な頭脳と毒舌っぷりに、意外とファンの多い女性だ。
加持師匠という男はがけっぷちの不良職員だけれども、その態度はあくまで傲然としていた。
葛城二佐もNERVの職員であり、二人と同期であることが分かった。
頻繁に葛城二佐は加持師匠の部屋を訪ねており、数人の弟子まで取っていたようだ。
かくいう僕の一人も弟子になっているようだった。
碇司令はユイさんという恋人がありながら、赤木博士を気にかけているようで、葛城二佐は
加持師匠と付き合っているようでもあり、そうでもなさそうでもあり、なおかつ今度は加持師匠が
世界一周の旅に出るという。
加持師匠が葛城二佐に気があるのなら、葛城二佐を放置しているのは何とももどかしい。
道端に落ちているダイヤモンドに気付かないふりをしているようなものじゃないか。
しかし、これだけの面々に囲まれた僕のスクールライフははち切れんばかりに
充実していたはずだよ。
それに気付かなかった僕は馬鹿だ。
大馬鹿だったんだ。
○
アスカ。
ほとんど全ての僕の部屋にカステラを運ぶ女。
たくさんの組織に属し、その全容は把握しきれない。
情報通で、人の恋路を邪魔し、日常的に修羅場の炎があちこちに燃え盛るようにけしかけ、
加持師匠の弟子として碇司令の暴露映画を製作しながら、碇司令に取り入り、二重スパイとして
加持師匠の愛車をピンク色に塗り替えた。
やがて冬月副司令の手先となりながら、碇司令をNERVから追い出し、今度は冬月副司令をはめて
自分がNERVのトップへ躍り出た。
八面六臂の大活躍で己のスクールライフを謳歌しながら、全ての僕にちょっかいを出し続ける。
再びこの女の子に出会えるならば。
今度こそ充実したスクールライフを送ってみせる。
自室にこもる僕を訪ねてくるのは、アスカだけだったからさ。
○
僕は痛々しい行軍を続けた。
その日泊まった部屋には見覚えの無い写真があった。
加持師匠とアスカと僕と葛城二佐が、鍋をつついている写真だった。
四人で鍋をつついた記憶は無い。
その瞬間僕はこの部屋の仕組みを把握した。
かつて買いそびれた本が並ぶ本棚、僕が入っていないはずの英会話教室。
そうなんだ、ここは僕のパラレルワールドなんだ。
これまでの何十日の間、僕は様々な選択の中であり得た別の並行世界を横切って来たんだ。
ほんの些細な決断で僕の運命は変わる。
日々僕は無数の決断を繰り返すのだから、無数の異なる運命が生まれる。
無数の僕が生まれる。
無数の部屋が生まれる。
したがってこの世界には、果ては無かったんだ。
これは、70日目の出来事だった。
○
果てしなく広がる自室との戦い。その中で、色々と分かった事がある。
各々の部屋には各々の人生を歩んでいる自分がいる。
しかしその誰もが、不毛なスクールライフを謳歌しているように思えた。
そこで、各部屋に痕跡を残す写真や手紙などを手掛かりに、僕を取り巻く人物たちを
調べてみることにした。
赤木博士という女性は技術部の女部長だった。
明晰な頭脳と毒舌っぷりに、意外とファンの多い女性だ。
加持師匠という男はがけっぷちの不良職員だけれども、その態度はあくまで傲然としていた。
葛城二佐もNERVの職員であり、二人と同期であることが分かった。
頻繁に葛城二佐は加持師匠の部屋を訪ねており、数人の弟子まで取っていたようだ。
かくいう僕の一人も弟子になっているようだった。
碇司令はユイさんという恋人がありながら、赤木博士を気にかけているようで、葛城二佐は
加持師匠と付き合っているようでもあり、そうでもなさそうでもあり、なおかつ今度は加持師匠が
世界一周の旅に出るという。
加持師匠が葛城二佐に気があるのなら、葛城二佐を放置しているのは何とももどかしい。
道端に落ちているダイヤモンドに気付かないふりをしているようなものじゃないか。
しかし、これだけの面々に囲まれた僕のスクールライフははち切れんばかりに
充実していたはずだよ。
それに気付かなかった僕は馬鹿だ。
大馬鹿だったんだ。
○
アスカ。
ほとんど全ての僕の部屋にカステラを運ぶ女。
たくさんの組織に属し、その全容は把握しきれない。
情報通で、人の恋路を邪魔し、日常的に修羅場の炎があちこちに燃え盛るようにけしかけ、
加持師匠の弟子として碇司令の暴露映画を製作しながら、碇司令に取り入り、二重スパイとして
加持師匠の愛車をピンク色に塗り替えた。
やがて冬月副司令の手先となりながら、碇司令をNERVから追い出し、今度は冬月副司令をはめて
自分がNERVのトップへ躍り出た。
八面六臂の大活躍で己のスクールライフを謳歌しながら、全ての僕にちょっかいを出し続ける。
再びこの女の子に出会えるならば。
今度こそ充実したスクールライフを送ってみせる。
22: 2011/04/13(水) 23:44:45.98
「そうだ……」
僕は思わずつぶやいた。
アスカは、たったひとりの僕の親友だったんだ。
「アスカに、逢いたいなあ」
○
僕はそれからも壁を壊し、外の世界を求めてさ迷い歩いた。
そしてとうとう、ある部屋へたどり着いた。
ここは僕がもともと住んでいた部屋だ。
どうやら80日も掛けて僕は出発点となる部屋に戻ってきてしまったらしい。
恐らくこの無限に広がる並行世界を、小さく一回りしただけだったようだ。
サードインパクトが起こって、世界が氏んだのか。
それとも僕が氏んだのか。
皆元気に暮らしているのかな?
僕は畳にうずくまって、大粒の涙を流した。
胃液が出るまで泣きじゃくり、親しい人たちの名前を呼び続けた。
「アスカァ、ミサトさん、うう……、父さん」
「う、ううう……。うぇ、げぇ……」
不毛と思われた日常は、なんて華やいでいた事だろう。
ありもしないものばっかり夢見て、自分の足元に転がっている大切なものにさえ気付けなかった。
これは僕が選んだ人生。僕が望んだ一つの結果。
僕が望んだ世界だったんだ。
「わかったよぉ、もうわかったよぉ!」
「僕が悪かったんだ。僕のせいさ。もうしない、しないよ!」
「もう二度と自分の境遇に不満なんて言わない!だからここから出して、出してよぉ……」
二度と戻らない日々を悔やみ、誰に頼むでもなく泣き喚いた。
すると、部屋の隅から一人の女の声がした。
「良かったわ。やっと素直になってくれたのね」
○
僕は幻聴が聞こえたのかと思った。
だってこの80日間、他人の声など聞いていなかったんだもの。
声の聞こえる方を恐る恐る見ると、イスに女性が腰かけているのがわかる。
しかし、涙でかすんで顔がよく見えない。
僕は自分の腕で目をこすり、もう一度女性を見た。
僕は思わずつぶやいた。
アスカは、たったひとりの僕の親友だったんだ。
「アスカに、逢いたいなあ」
○
僕はそれからも壁を壊し、外の世界を求めてさ迷い歩いた。
そしてとうとう、ある部屋へたどり着いた。
ここは僕がもともと住んでいた部屋だ。
どうやら80日も掛けて僕は出発点となる部屋に戻ってきてしまったらしい。
恐らくこの無限に広がる並行世界を、小さく一回りしただけだったようだ。
サードインパクトが起こって、世界が氏んだのか。
それとも僕が氏んだのか。
皆元気に暮らしているのかな?
僕は畳にうずくまって、大粒の涙を流した。
胃液が出るまで泣きじゃくり、親しい人たちの名前を呼び続けた。
「アスカァ、ミサトさん、うう……、父さん」
「う、ううう……。うぇ、げぇ……」
不毛と思われた日常は、なんて華やいでいた事だろう。
ありもしないものばっかり夢見て、自分の足元に転がっている大切なものにさえ気付けなかった。
これは僕が選んだ人生。僕が望んだ一つの結果。
僕が望んだ世界だったんだ。
「わかったよぉ、もうわかったよぉ!」
「僕が悪かったんだ。僕のせいさ。もうしない、しないよ!」
「もう二度と自分の境遇に不満なんて言わない!だからここから出して、出してよぉ……」
二度と戻らない日々を悔やみ、誰に頼むでもなく泣き喚いた。
すると、部屋の隅から一人の女の声がした。
「良かったわ。やっと素直になってくれたのね」
○
僕は幻聴が聞こえたのかと思った。
だってこの80日間、他人の声など聞いていなかったんだもの。
声の聞こえる方を恐る恐る見ると、イスに女性が腰かけているのがわかる。
しかし、涙でかすんで顔がよく見えない。
僕は自分の腕で目をこすり、もう一度女性を見た。
23: 2011/04/13(水) 23:45:12.82
その人物をはっきり認識した瞬間、心臓が止まりかけた。
何か言おうとしても、ぱくぱくと魚のように口が動くだけで、声が出てこない。
僕は何とか最初の一言を絞り出した。
「ユイさん?」
○
僕のイスに座っていたのは、紛う事無きユイさんだった。
父さんが愛情を注ぎ過ぎた結果、魂を持って動き出したのかと思った。
しかしひとつだけ、大きく違っている点がある。
生きて、喋っているという事だ。
彼女は僕を見てニコニコと微笑んでいた。
しかし、呼びかけた瞬間あからさまに不機嫌になってしまった。
「なあに?実の母親に向かって、ずいぶん他人行儀じゃない」
ほっぺたを膨らましながら、ムスっと答える。年齢に似合わぬ可愛らしい仕草だった。
「え、え、母親?何を言ってるんです?」
僕は訳が分からず、目を白黒するばかりだった。
ユイさん、もとい母親と名乗る女性は、目をまん丸に見開き呆れ顔で僕を見た。
「あなた、ゲンドウさんから私の事聞いてなかったの?」
「そりゃ、聞いてますよ。数年前からあなたを愛でる様になったって。職員たちの噂になってたから」
「えっ?」
「えっ?」
「数年前って、どういう事?私が取り込まれたのって、10年以上前の事なんだけど」
何を言っているのか分からない。
僕の母さんは10年以上前に、ヱヴァの実験によって氏んだと聞かされている。
父さんは写真を全部処分してしまったらしく、僕は母さんの顔を知らなかった。
そこへ突然、自分が母親だと名乗る女性が現れた。しかもラブドールと全く同じ顔をして。
「なんだか、話が食い違っているようね。本当に私が誰だかわからないの?」
「うーん、知ってるはずなんですけどね。知り合いというか、なんというか、
ある人と瓜二つなんです。名前も一緒だし」
それを聞いたユイさんは、眉を歪ませ思案顔で尋ねてきた。
「その人って、ゲンドウさんの知り合いなのかしら?」
僕は説明する事を放棄した。早くこのヘンテコな世界から脱出したいと思っているのに、
余計な問題が増えただけのような気がする。
父さんとユイさんの関係は、はっきり言って世間体の良いものではない。
目の前にいる女性の正体は分からないが、あのラブドールのある場所へ連れて行って、
彼女自身に判断させようと思った。
何か言おうとしても、ぱくぱくと魚のように口が動くだけで、声が出てこない。
僕は何とか最初の一言を絞り出した。
「ユイさん?」
○
僕のイスに座っていたのは、紛う事無きユイさんだった。
父さんが愛情を注ぎ過ぎた結果、魂を持って動き出したのかと思った。
しかしひとつだけ、大きく違っている点がある。
生きて、喋っているという事だ。
彼女は僕を見てニコニコと微笑んでいた。
しかし、呼びかけた瞬間あからさまに不機嫌になってしまった。
「なあに?実の母親に向かって、ずいぶん他人行儀じゃない」
ほっぺたを膨らましながら、ムスっと答える。年齢に似合わぬ可愛らしい仕草だった。
「え、え、母親?何を言ってるんです?」
僕は訳が分からず、目を白黒するばかりだった。
ユイさん、もとい母親と名乗る女性は、目をまん丸に見開き呆れ顔で僕を見た。
「あなた、ゲンドウさんから私の事聞いてなかったの?」
「そりゃ、聞いてますよ。数年前からあなたを愛でる様になったって。職員たちの噂になってたから」
「えっ?」
「えっ?」
「数年前って、どういう事?私が取り込まれたのって、10年以上前の事なんだけど」
何を言っているのか分からない。
僕の母さんは10年以上前に、ヱヴァの実験によって氏んだと聞かされている。
父さんは写真を全部処分してしまったらしく、僕は母さんの顔を知らなかった。
そこへ突然、自分が母親だと名乗る女性が現れた。しかもラブドールと全く同じ顔をして。
「なんだか、話が食い違っているようね。本当に私が誰だかわからないの?」
「うーん、知ってるはずなんですけどね。知り合いというか、なんというか、
ある人と瓜二つなんです。名前も一緒だし」
それを聞いたユイさんは、眉を歪ませ思案顔で尋ねてきた。
「その人って、ゲンドウさんの知り合いなのかしら?」
僕は説明する事を放棄した。早くこのヘンテコな世界から脱出したいと思っているのに、
余計な問題が増えただけのような気がする。
父さんとユイさんの関係は、はっきり言って世間体の良いものではない。
目の前にいる女性の正体は分からないが、あのラブドールのある場所へ連れて行って、
彼女自身に判断させようと思った。
24: 2011/04/13(水) 23:45:44.16
「言葉で説明するよりも、見てみる方が早いんじゃないかなぁ。ちょっとついて来て下さい」
そう言って、彼女と一緒にユイさんのいる部屋へと歩いて行った。
○
ラブドールのユイさんを紹介したところ、彼女はあっけにとられて見ていたが、やがて笑いだした。
「どうしたんです?」
「ウフフ、だって可笑しいんですもの。あの人ってばやっぱり可愛いわあ。」
何を言っているんだろう、この人は。確かに自分とそっくりの人間がいれば可笑しいかもしれないが、
どっちかと言うと気味が悪いと思う。
そう問うと、彼女はゆでダコのように顔を真っ赤にして目を伏せる。
「だって、嬉しくって……」
モジモジしながらそんなことを呟いた。
やがて落ち着いたのか、彼女は色々な事を説明してくれた。
「厳密に言えば、私は氏んだわけじゃないの。あの日、ヱヴァの起動実験で事故を起こして
取り込まれてしまっただけ。」
「だからね、14歳を迎えたあなたに出会ったのは、今日が初めてじゃないの。いつだと思う?」
「まさか……」
「そう、あなたが第三新東京市に来たあの日。あの日からずっと、あなたの事を見ていたわ。大きくなったわね」
「そんな。でも、父さんが母さんは氏んだって言った!」
「あの人なりの優しさだったのかもね。今の私は身体もないし、声も出せない。ヱヴァに縛られたまま。
今日あなたに逢えたのも、いろんな偶然が重なったからよ。こんな機会は、恐らく二度とないわ」
「じゃあ、どうして今日は逢えたの?無限に広がるこの世界ってなんなのさ?知ってるんでしょう?」
彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。
「実はね、私が作ったのよ、この世界」
○
彼女は言った。
「あなたが今置かれている境遇に、とても強い不満を感じているのは分かっていたわ」
「あなたいつも言っていたわね。"出来る事ならこの街に来る前からやり直したい"って」
「だから私はヱヴァの力を使って、あなたに見せたのよ。他の選択肢を選んだあなたの人生を」
彼女は哀愁を込めた目で僕を見て、問いかけてきた。
「それぞれの部屋のあなたを見て、どう思った?」
「どう思ったかだって?情けなくなったよ。ほかの僕にも人生が楽しくなるきっかけが沢山あった。
それなのに、そのきっかけを掴むことなく言い訳をして生きていく奴ばっかりだったんだ。」
「ねえ、母さん。どんな境遇だろうと、もう文句なんて言わないよ。結局僕は、人との関わりに
臆病になっていただけなんだ。これからは、もっとうまくやれる気がする」
彼女は頷き、優しい目をして僕を見た。
そう言って、彼女と一緒にユイさんのいる部屋へと歩いて行った。
○
ラブドールのユイさんを紹介したところ、彼女はあっけにとられて見ていたが、やがて笑いだした。
「どうしたんです?」
「ウフフ、だって可笑しいんですもの。あの人ってばやっぱり可愛いわあ。」
何を言っているんだろう、この人は。確かに自分とそっくりの人間がいれば可笑しいかもしれないが、
どっちかと言うと気味が悪いと思う。
そう問うと、彼女はゆでダコのように顔を真っ赤にして目を伏せる。
「だって、嬉しくって……」
モジモジしながらそんなことを呟いた。
やがて落ち着いたのか、彼女は色々な事を説明してくれた。
「厳密に言えば、私は氏んだわけじゃないの。あの日、ヱヴァの起動実験で事故を起こして
取り込まれてしまっただけ。」
「だからね、14歳を迎えたあなたに出会ったのは、今日が初めてじゃないの。いつだと思う?」
「まさか……」
「そう、あなたが第三新東京市に来たあの日。あの日からずっと、あなたの事を見ていたわ。大きくなったわね」
「そんな。でも、父さんが母さんは氏んだって言った!」
「あの人なりの優しさだったのかもね。今の私は身体もないし、声も出せない。ヱヴァに縛られたまま。
今日あなたに逢えたのも、いろんな偶然が重なったからよ。こんな機会は、恐らく二度とないわ」
「じゃあ、どうして今日は逢えたの?無限に広がるこの世界ってなんなのさ?知ってるんでしょう?」
彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。
「実はね、私が作ったのよ、この世界」
○
彼女は言った。
「あなたが今置かれている境遇に、とても強い不満を感じているのは分かっていたわ」
「あなたいつも言っていたわね。"出来る事ならこの街に来る前からやり直したい"って」
「だから私はヱヴァの力を使って、あなたに見せたのよ。他の選択肢を選んだあなたの人生を」
彼女は哀愁を込めた目で僕を見て、問いかけてきた。
「それぞれの部屋のあなたを見て、どう思った?」
「どう思ったかだって?情けなくなったよ。ほかの僕にも人生が楽しくなるきっかけが沢山あった。
それなのに、そのきっかけを掴むことなく言い訳をして生きていく奴ばっかりだったんだ。」
「ねえ、母さん。どんな境遇だろうと、もう文句なんて言わないよ。結局僕は、人との関わりに
臆病になっていただけなんだ。これからは、もっとうまくやれる気がする」
彼女は頷き、優しい目をして僕を見た。
25: 2011/04/13(水) 23:46:22.85
「ちょっと荒療治だったわね。80日間も部屋をさ迷わせる事になっちゃったから。
でもあなたはきちんと気付いたわ。自分自身で殻を破った」
僕は母を誤解していたのかもしれない。こんなにも深い愛情に包まれたのは初めてだった。
○
僕たちは色々な話をした。
学校の事。アスカという悪友の事。葛城二佐にお世話になっている事。
父さんが相変わらずである事。
初めての母との会話は、とても楽しいものだった。でも、そんな楽しい時間にも終わりが来る。
「名残惜しいけど、そろそろ帰る時間よ」
「……」
「大丈夫、もう分かったでしょう。あなたは外の世界でも、ちゃんとやっていける。
私が現れたのは、その証拠よ」
「どういう事?」
僕が問うと、母はポケットからあるものを取りだした。
「私の役目はもう一つ。これをあなたに渡す事」
そう言って差し出されたのは、何の変哲もない黒ぶち眼鏡だった。いや、まてよ。
僕はこの眼鏡に見覚えがある。
恐る恐る眼鏡を受け取った僕の頭に、まるで走馬灯のように思い出が溢れた。
「綾波さんのだ」
僕は呟いた。
○
メガネ。綾波さん。約束。
越して来た夏。
青い正八面体をした使徒を殲滅すべく、徹夜の準備をしていた時だった。
僕はこの使途に一度殺されかけている。
氏への恐怖におびえながらも、プラグスーツに着替えていた。
その時一緒に作戦に参加したのが綾波さんだった。
彼女は青い髪を涼しげに短くして、理知的な顔をしていた。
冷やかな目が印象的な、美人だと思った。
彼女は作戦の決行までの間、じっと座って空を眺めていた。
胸に、茶色い革製のケースを抱えている。
でもあなたはきちんと気付いたわ。自分自身で殻を破った」
僕は母を誤解していたのかもしれない。こんなにも深い愛情に包まれたのは初めてだった。
○
僕たちは色々な話をした。
学校の事。アスカという悪友の事。葛城二佐にお世話になっている事。
父さんが相変わらずである事。
初めての母との会話は、とても楽しいものだった。でも、そんな楽しい時間にも終わりが来る。
「名残惜しいけど、そろそろ帰る時間よ」
「……」
「大丈夫、もう分かったでしょう。あなたは外の世界でも、ちゃんとやっていける。
私が現れたのは、その証拠よ」
「どういう事?」
僕が問うと、母はポケットからあるものを取りだした。
「私の役目はもう一つ。これをあなたに渡す事」
そう言って差し出されたのは、何の変哲もない黒ぶち眼鏡だった。いや、まてよ。
僕はこの眼鏡に見覚えがある。
恐る恐る眼鏡を受け取った僕の頭に、まるで走馬灯のように思い出が溢れた。
「綾波さんのだ」
僕は呟いた。
○
メガネ。綾波さん。約束。
越して来た夏。
青い正八面体をした使徒を殲滅すべく、徹夜の準備をしていた時だった。
僕はこの使途に一度殺されかけている。
氏への恐怖におびえながらも、プラグスーツに着替えていた。
その時一緒に作戦に参加したのが綾波さんだった。
彼女は青い髪を涼しげに短くして、理知的な顔をしていた。
冷やかな目が印象的な、美人だと思った。
彼女は作戦の決行までの間、じっと座って空を眺めていた。
胸に、茶色い革製のケースを抱えている。
26: 2011/04/13(水) 23:46:51.14
良く見るとメガネケースのように見える。
彼女は別段、目は悪くないはずだ。
誰かの持ち物なのかな。
僕は単純な好奇心から、彼女に訊ねた。
「それ、なんだい?」
彼女は眉を緩めて、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
「これは、ある人のメガネケース。中身をなくしてしまったの」
と言った。
彼女はある人からもらった大切な眼鏡を持っていたが、ロッカーにしまい忘れて
どこかへ行ってしまったという。
なぜ眼鏡を大切に思っているのかという理由も気になったが、彼女が微笑んだときの顔は、
よりいっそう印象に残った。
ようするに、率直に書いてしまえば、大方の予想通り、僕は惚れたんだ。
幾度かの試練を乗り越え、数ヵ月後の事。
僕がパイロット用ロッカールームで着替えをしていると、荷物に紛れて黒ぶち眼鏡が出てきた。
ひょっとしたら、これが彼女の探しものだったのかもしれない。
次に会う時に渡してあげようと思って僕はそれを持ち帰ったけれど、彼女とはすれ違う毎日が
続いてしまった。
それ以来、僕は綾波さんにいつか返さねばならないと考えて、メガネを大切にしていた。
しかし、返す機会もついに無く、眼鏡は机の中にしまい込んだままだった。
○
僕は繁華街で出会った、占い師の言葉を思い出した。
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
思い出した。約束って、そうか……。
「ありがとう母さん。今度こそ、好機を掴むよ」
母はドアを指差し言った。
「眼鏡を持って、ドアをくぐりなさい。サヨナラよ」
僕は母さんと握手をし、また必ず会おうと約束した。
今度は父さんも引きずって来ると言うと、母さんはクスクスと笑った。
「でもさ、母さん。どうしてユイさんの事を知らなかったの?母さんが作った世界なんでしょ?」
僕は尋ねた。
「私は、あなたの無数にある可能性を具現化しただけなのよ。実際に起こりうる未来を見せただけだから、
私の知らない事だってたくさんあるわ。流石に、ラブドールに手を出すとは思わなかったけどね」
「そうだったのか」
「でも、私に黙ってそっくりの人形を作るなんて、ちょっと趣味が悪いわよね。あの人にはオシオキが必要だわ」
そう言って、母は妖しい笑みを浮かべた。
彼女は別段、目は悪くないはずだ。
誰かの持ち物なのかな。
僕は単純な好奇心から、彼女に訊ねた。
「それ、なんだい?」
彼女は眉を緩めて、ほんの一瞬だけ微笑んだ。
「これは、ある人のメガネケース。中身をなくしてしまったの」
と言った。
彼女はある人からもらった大切な眼鏡を持っていたが、ロッカーにしまい忘れて
どこかへ行ってしまったという。
なぜ眼鏡を大切に思っているのかという理由も気になったが、彼女が微笑んだときの顔は、
よりいっそう印象に残った。
ようするに、率直に書いてしまえば、大方の予想通り、僕は惚れたんだ。
幾度かの試練を乗り越え、数ヵ月後の事。
僕がパイロット用ロッカールームで着替えをしていると、荷物に紛れて黒ぶち眼鏡が出てきた。
ひょっとしたら、これが彼女の探しものだったのかもしれない。
次に会う時に渡してあげようと思って僕はそれを持ち帰ったけれど、彼女とはすれ違う毎日が
続いてしまった。
それ以来、僕は綾波さんにいつか返さねばならないと考えて、メガネを大切にしていた。
しかし、返す機会もついに無く、眼鏡は机の中にしまい込んだままだった。
○
僕は繁華街で出会った、占い師の言葉を思い出した。
「メガネが好機の印ということさ。好機がやってきたら逃さない事だよ。その好機がやってきたら、
漫然と同じことをしていては駄目なんだ。思い切って、今までと全く違うやり方で、それを捕まえてごらん」
思い出した。約束って、そうか……。
「ありがとう母さん。今度こそ、好機を掴むよ」
母はドアを指差し言った。
「眼鏡を持って、ドアをくぐりなさい。サヨナラよ」
僕は母さんと握手をし、また必ず会おうと約束した。
今度は父さんも引きずって来ると言うと、母さんはクスクスと笑った。
「でもさ、母さん。どうしてユイさんの事を知らなかったの?母さんが作った世界なんでしょ?」
僕は尋ねた。
「私は、あなたの無数にある可能性を具現化しただけなのよ。実際に起こりうる未来を見せただけだから、
私の知らない事だってたくさんあるわ。流石に、ラブドールに手を出すとは思わなかったけどね」
「そうだったのか」
「でも、私に黙ってそっくりの人形を作るなんて、ちょっと趣味が悪いわよね。あの人にはオシオキが必要だわ」
そう言って、母は妖しい笑みを浮かべた。
27: 2011/04/13(水) 23:48:29.24
元の世界に戻ってから、父に言って欲しい事があると、伝言を預かる事になった。
母は僕の耳に手を当て、ぼそぼそと伝言を伝える。
それを聞いた僕も、ニヤリと笑みを浮かべた。
○
目が覚めた。
回りを見回すと、どうやらエントリープラグの中にいるらしい。
僕はシートの上で毒虫のようにもぞもぞとしてから、のっそりと起き上がった。
ふいに、頭上から声が聞こえて来た。
「ああ、良かった。戻ってきてくれたのね」
モニターを通じて呼びかけて来たのは、伊吹二尉だった。
「あなた、80日間もヱヴァに取り込まれてたのよ。急にシンクロ率が上がったから、
もしやと思ってたんだけど。本当に良かった」
伊吹二尉は目に涙を浮かべながら、そう言った。
「マヤ、ちょっとマイク貸して」
赤木博士の声も聞こえてきた。うしろから慌ただしい雑音が聞こえてくる。
どうやら僕の居ない間に、何かあったらしい。
「詳しく説明している時間は無いんだけど、そのまま出撃してほしいの。
二号機が原因不明の暴走中なのよ。地上に出て止めて頂戴」
「はあ、分かりました」
僕はいきなりの出撃命令に、曖昧に答えた。
身体に強力なGがかかり、初号機は地上に射出された。
○
地上に射出された僕は、芦ノ湖に向かって走り出した。
街は藍色の夕闇が垂れこめている。
向こうには繁華街のネオンがきらめいている。
僕は家々を一足で跨ぎ、第三東京市を駆け抜けていった。
やがて芦ノ湖のほとりにある、箱根神社が見えて来た。
箱根神社の回りにうっそうと生い茂る松林を抜けると、美しい銀色の波にゆれる芦ノ湖が見えた。
向こう岸からは、暴走した二号機が湖にざぶざぶと入って来るところだった。
湖のたもとには欄干があり、二号機から逃げまどう人々の姿が見える。
右往左往している人々の中に、見覚えのある顔がいた。
アスカだ。
アスカは欄干に立って、今にも飛び降りそうなしぐさを見せたりしている。
よく見ると、周りに人が詰め掛け、彼女を責め立てているようだ。
また阿呆なことでもやったんだろうか。
アスカだけじゃない。父も加持師匠も綾波さんもいる。
僕は懐かしさに万感の思いがこみ上げ、涙が止まらなかった。
○
僕は湖に入り、二号機を止めた。
必氏に押さえつけていると二号機は電源が切れたのか、そのまま湖深くに沈んでいった。
その視界の端に映ったのは、欄干に立っていた人影が湖に落ちる所だった。
ようやく事態が収束し、欄干では先ほどの恐怖体験を声高に語り合う人々の声に満ちたけれど、
僕は黙然とし対岸を見つめていた。
母は僕の耳に手を当て、ぼそぼそと伝言を伝える。
それを聞いた僕も、ニヤリと笑みを浮かべた。
○
目が覚めた。
回りを見回すと、どうやらエントリープラグの中にいるらしい。
僕はシートの上で毒虫のようにもぞもぞとしてから、のっそりと起き上がった。
ふいに、頭上から声が聞こえて来た。
「ああ、良かった。戻ってきてくれたのね」
モニターを通じて呼びかけて来たのは、伊吹二尉だった。
「あなた、80日間もヱヴァに取り込まれてたのよ。急にシンクロ率が上がったから、
もしやと思ってたんだけど。本当に良かった」
伊吹二尉は目に涙を浮かべながら、そう言った。
「マヤ、ちょっとマイク貸して」
赤木博士の声も聞こえてきた。うしろから慌ただしい雑音が聞こえてくる。
どうやら僕の居ない間に、何かあったらしい。
「詳しく説明している時間は無いんだけど、そのまま出撃してほしいの。
二号機が原因不明の暴走中なのよ。地上に出て止めて頂戴」
「はあ、分かりました」
僕はいきなりの出撃命令に、曖昧に答えた。
身体に強力なGがかかり、初号機は地上に射出された。
○
地上に射出された僕は、芦ノ湖に向かって走り出した。
街は藍色の夕闇が垂れこめている。
向こうには繁華街のネオンがきらめいている。
僕は家々を一足で跨ぎ、第三東京市を駆け抜けていった。
やがて芦ノ湖のほとりにある、箱根神社が見えて来た。
箱根神社の回りにうっそうと生い茂る松林を抜けると、美しい銀色の波にゆれる芦ノ湖が見えた。
向こう岸からは、暴走した二号機が湖にざぶざぶと入って来るところだった。
湖のたもとには欄干があり、二号機から逃げまどう人々の姿が見える。
右往左往している人々の中に、見覚えのある顔がいた。
アスカだ。
アスカは欄干に立って、今にも飛び降りそうなしぐさを見せたりしている。
よく見ると、周りに人が詰め掛け、彼女を責め立てているようだ。
また阿呆なことでもやったんだろうか。
アスカだけじゃない。父も加持師匠も綾波さんもいる。
僕は懐かしさに万感の思いがこみ上げ、涙が止まらなかった。
○
僕は湖に入り、二号機を止めた。
必氏に押さえつけていると二号機は電源が切れたのか、そのまま湖深くに沈んでいった。
その視界の端に映ったのは、欄干に立っていた人影が湖に落ちる所だった。
ようやく事態が収束し、欄干では先ほどの恐怖体験を声高に語り合う人々の声に満ちたけれど、
僕は黙然とし対岸を見つめていた。
28: 2011/04/13(水) 23:49:01.21
対岸の壁面に、赤くて汚いスルメのようにわだかまっているものがある。
あれはアスカじゃないか。
彼女は手足をばたつかせ、水に流されまいと溺れていた。
欄干を人々がびっしりと埋め尽くし、
「あいつ本当に落ちた」
「やばいやばい」
「助けてやれ」
「救急車はまだか」
などと口々にわめいている。
僕はエントリープラグのハッチを開け、初号機の外に出た。
そのまま勢いよく湖に飛び込み、対岸に向かって泳いでいく。
たとえようもなく良い匂いがした。
それは何か一つの匂いと言うわけじゃない。
外の匂い。
世界の匂いだ。
匂いだけじゃない。
世界の音が聞こえる。
森のざわめきや、小川のせせらぎ。
夕闇の中を飛び交うヒグラシの鳴き声。
幾度か足をつりそうになり、水に流されかけながらもアスカのもとへ急いだ。
アスカ、アスカ、アスカ!
ようやく壁面までたどり着いて、
「大丈夫?」
と尋ねた。
アスカは僕の顔をまじまじと見て、
「アンタ、生きてたの?初号機に取り込まれたんでしょう」
と言った。
「大変だったんだ」
「まあ、こっちもなかなか大変よ」
「助けるよ」
「あ、いたたた。駄目よ、これは絶対折れてるわ」
「ともかく浅瀬へ向かおう」
「いたい、いたい。動かしちゃダメだってば。なんで私に構うのよ」
「僕と君はどす黒い糸で結ばれているんだろ?」
「そんなの知らないわよ、イヤだってば~」
欄干で蠢いていた群衆のうちの一部が駆け下りてきて、助太刀してくれた。
「運ぶぞ」
「おまえはそっち」
「おれはそっち」
と頼りがいのある声を出し、手際が良い。
「痛い痛い、もうちょっと丁寧に運びなさいよ!」
とぜいたくな事を要求するアスカは岸まで運ばれた。
あれはアスカじゃないか。
彼女は手足をばたつかせ、水に流されまいと溺れていた。
欄干を人々がびっしりと埋め尽くし、
「あいつ本当に落ちた」
「やばいやばい」
「助けてやれ」
「救急車はまだか」
などと口々にわめいている。
僕はエントリープラグのハッチを開け、初号機の外に出た。
そのまま勢いよく湖に飛び込み、対岸に向かって泳いでいく。
たとえようもなく良い匂いがした。
それは何か一つの匂いと言うわけじゃない。
外の匂い。
世界の匂いだ。
匂いだけじゃない。
世界の音が聞こえる。
森のざわめきや、小川のせせらぎ。
夕闇の中を飛び交うヒグラシの鳴き声。
幾度か足をつりそうになり、水に流されかけながらもアスカのもとへ急いだ。
アスカ、アスカ、アスカ!
ようやく壁面までたどり着いて、
「大丈夫?」
と尋ねた。
アスカは僕の顔をまじまじと見て、
「アンタ、生きてたの?初号機に取り込まれたんでしょう」
と言った。
「大変だったんだ」
「まあ、こっちもなかなか大変よ」
「助けるよ」
「あ、いたたた。駄目よ、これは絶対折れてるわ」
「ともかく浅瀬へ向かおう」
「いたい、いたい。動かしちゃダメだってば。なんで私に構うのよ」
「僕と君はどす黒い糸で結ばれているんだろ?」
「そんなの知らないわよ、イヤだってば~」
欄干で蠢いていた群衆のうちの一部が駆け下りてきて、助太刀してくれた。
「運ぶぞ」
「おまえはそっち」
「おれはそっち」
と頼りがいのある声を出し、手際が良い。
「痛い痛い、もうちょっと丁寧に運びなさいよ!」
とぜいたくな事を要求するアスカは岸まで運ばれた。
29: 2011/04/13(水) 23:49:56.77
芦ノ湖のほとりには、大勢の人がウロウロしている。
二号機が暴走したのも相まって、相当の騒ぎになった。
人混みの中に冬月副司令の姿を見たような気がして僕は怯えたけれど、
もはや怯える理由は何もない。
群れに集まった人々は、河原に丸太のように転がされているアスカを取り囲んだ。
加持師匠が悠然と表れて、
「アスカは逃げないから安心しろ。俺が責任を持つ」
と言い放った。
「師匠!かっこいい~」
アスカは喚いた。
人混みから碇司令も現れた。
「救急車はレイが呼んだ。直に来る」
と言った。
加持師匠の傍らには葛城二佐もいて、呻くアスカを眺めていた。
「自業自得と言えば自業自得なんだけどねん」
と彼女は言っていた。
ほとりへ横になりながら、アスカは呻いた。
「痛い、痛い。とっても痛いわ。なんとかして」
加持師匠がアスカの傍らに跪いた。
「失脚しちゃったわ」
アスカが小さな声で言った。
「アスカ、君はなかなか見所があるな」
師匠が言った。
「師匠、ありがとう」
「しかし骨まで折る事は無いだろう。君は救いがたい阿呆だな」
アスカはしくしく泣いた。
冬月副司令が土手を駆け上がって、救急隊員と一緒に降りて来た。
救急隊員たちはプロの名に恥じない手際でアスカをくるくると毛布に包んで担架に乗せた。
そのまま芦ノ湖に放りこんでくれれば愉快千万だったけれど、
救急隊員は怪我をした人間には分け隔てなく哀憐の情を注いでくれる立派な方々だ。
アスカは、彼女の悪行には見合わないほどうやうやしく救急車へ運び上げられた。
「アスカには私がついて行くわ」
葛城二佐が言い、冬月副司令と一緒に救急車に乗り込んだ。
○
僕が知らない所で何が起こっていたのか。
アスカが芦ノ湖の欄干で追い詰められた経緯はとてつもなく入り組んでいるので、
事細かに説明しているとそれだけで一つのお話になってしまう。
二号機が暴走したのも相まって、相当の騒ぎになった。
人混みの中に冬月副司令の姿を見たような気がして僕は怯えたけれど、
もはや怯える理由は何もない。
群れに集まった人々は、河原に丸太のように転がされているアスカを取り囲んだ。
加持師匠が悠然と表れて、
「アスカは逃げないから安心しろ。俺が責任を持つ」
と言い放った。
「師匠!かっこいい~」
アスカは喚いた。
人混みから碇司令も現れた。
「救急車はレイが呼んだ。直に来る」
と言った。
加持師匠の傍らには葛城二佐もいて、呻くアスカを眺めていた。
「自業自得と言えば自業自得なんだけどねん」
と彼女は言っていた。
ほとりへ横になりながら、アスカは呻いた。
「痛い、痛い。とっても痛いわ。なんとかして」
加持師匠がアスカの傍らに跪いた。
「失脚しちゃったわ」
アスカが小さな声で言った。
「アスカ、君はなかなか見所があるな」
師匠が言った。
「師匠、ありがとう」
「しかし骨まで折る事は無いだろう。君は救いがたい阿呆だな」
アスカはしくしく泣いた。
冬月副司令が土手を駆け上がって、救急隊員と一緒に降りて来た。
救急隊員たちはプロの名に恥じない手際でアスカをくるくると毛布に包んで担架に乗せた。
そのまま芦ノ湖に放りこんでくれれば愉快千万だったけれど、
救急隊員は怪我をした人間には分け隔てなく哀憐の情を注いでくれる立派な方々だ。
アスカは、彼女の悪行には見合わないほどうやうやしく救急車へ運び上げられた。
「アスカには私がついて行くわ」
葛城二佐が言い、冬月副司令と一緒に救急車に乗り込んだ。
○
僕が知らない所で何が起こっていたのか。
アスカが芦ノ湖の欄干で追い詰められた経緯はとてつもなく入り組んでいるので、
事細かに説明しているとそれだけで一つのお話になってしまう。
30: 2011/04/13(水) 23:50:34.88
だから手短に済ませるよ。
碇司令と加持師匠は昔から小競り合いを続けていた。
今年の一月、愛車を桃色に染められた加持師匠は手下のアスカに報復を命じた。
そこでアスカは碇司令に一矢報いるために、ユイさんを盗み出した。
車を染めた報復だ。
ユイさんを預けようと当てにしていた僕が不在だったために、
アスカは彼女を<戦術作戦部>の幹部Aに預けた。
ところが、そのAがいともやすやすとユイさんとの禁じられた恋に落ち、
ひそかに第三新東京市から逃亡を図ったことから話しは大きくなる。
アスカは配下の<技術開発部>を私的に動かし、MAGIを使ってAの居場所を突き止めた。
レンタカーで逃亡しようとしたAを拘束、ユイさんを一旦は奪い返した。
ところが、アスカが組織を私的に動かしたことが明らかになるや、<NERV>を牛耳って来た
アスカに対し不満を抱いてきた職員がここぞとばかりに動き出し、彼らに買収された<特殊監査部>が、
<技術開発部>および<戦術作戦部>を占拠した。
さらにその過程で<技術開発部>の研究結果の一部をアスカが外部に持ち出していたことが判明、
彼らはアスカを確保して研究資料を取り戻そうと企てた。
アスカへの復讐の機会を狙っていた冬月副司令も、アスカ失脚の気配を察知すると、
彼女の身柄と引き換えに<NERV>へと復帰を果たそうと企てたらしい。
事件当夜、帰宅途中にあったアスカは敏感に危険を察知、マンションには戻らずに箱根神社の境内に潜伏し、
携帯電話を用いて葛城二佐に連絡、彼女を介して加持師匠に救援を求めた。
かくして、加持師匠から「アスカ救出」の命を受けた綾波さんがただちに箱根神社へ潜入したという訳さ。
加持師匠の家で息をひそめていたものの、ユイさんを盗まれて逆上した碇司令が間の悪い事に加持師匠の家へ乱入、
往来へ蹴りだされたアスカは巡回監視中の<保安部>関係者らに発見された。
碇司令と加持師匠は昔から小競り合いを続けていた。
今年の一月、愛車を桃色に染められた加持師匠は手下のアスカに報復を命じた。
そこでアスカは碇司令に一矢報いるために、ユイさんを盗み出した。
車を染めた報復だ。
ユイさんを預けようと当てにしていた僕が不在だったために、
アスカは彼女を<戦術作戦部>の幹部Aに預けた。
ところが、そのAがいともやすやすとユイさんとの禁じられた恋に落ち、
ひそかに第三新東京市から逃亡を図ったことから話しは大きくなる。
アスカは配下の<技術開発部>を私的に動かし、MAGIを使ってAの居場所を突き止めた。
レンタカーで逃亡しようとしたAを拘束、ユイさんを一旦は奪い返した。
ところが、アスカが組織を私的に動かしたことが明らかになるや、<NERV>を牛耳って来た
アスカに対し不満を抱いてきた職員がここぞとばかりに動き出し、彼らに買収された<特殊監査部>が、
<技術開発部>および<戦術作戦部>を占拠した。
さらにその過程で<技術開発部>の研究結果の一部をアスカが外部に持ち出していたことが判明、
彼らはアスカを確保して研究資料を取り戻そうと企てた。
アスカへの復讐の機会を狙っていた冬月副司令も、アスカ失脚の気配を察知すると、
彼女の身柄と引き換えに<NERV>へと復帰を果たそうと企てたらしい。
事件当夜、帰宅途中にあったアスカは敏感に危険を察知、マンションには戻らずに箱根神社の境内に潜伏し、
携帯電話を用いて葛城二佐に連絡、彼女を介して加持師匠に救援を求めた。
かくして、加持師匠から「アスカ救出」の命を受けた綾波さんがただちに箱根神社へ潜入したという訳さ。
加持師匠の家で息をひそめていたものの、ユイさんを盗まれて逆上した碇司令が間の悪い事に加持師匠の家へ乱入、
往来へ蹴りだされたアスカは巡回監視中の<保安部>関係者らに発見された。
31: 2011/04/13(水) 23:51:08.85
続々と集まる関係者たちの手から持ち前の逃げ足の速さで辛くも逃れつつも、ついにアスカは芦ノ湖へ
追い詰められ、行き場を失って欄干へ飛び乗った。
その挙げ句、彼女は欄干から湖に落ちて骨折した。
○
気になるのは二号機の暴走事故の事だ。
なにより不可解なのは、あんなに怠惰な性格のアスカが、何故あれほど精力的に活動し
NERV掌握を目論んだのかという、動機の部分だ。
ここからは僕の推測になる。
僕は初号機に取り込まれ、母に出会った。
これにより、ヱヴァという乗り物には、人間の魂が宿っている事になる。
そこで問題になるのは、二号機や零号機にも、同じように魂が宿っているのではないかということだ。
アスカの母親も、僕の母と同じように、ヱヴァ起動実験中の事故で氏んだと聞いた事がある。
アスカは、ドイツ支部に所属していた頃に、その事実に気付いたのかもしれない。
そして日本へ異動となってから、自ら二号機に取り込まれるチャンスを待っていたのではないだろうか?
アスカはパイロットの仕事を掛け持ちしてでも、<技術開発部>への異動を希望していた。
研究資料を持ち出すなんて危険な行為にもためらいは無かった。
これも二号機へ取り込まれる可能性を少しでも高めることが目的だとしたら、辻褄が合う。
アスカはあの日、<技術開発部>の人間を使って、二号機の軌道実験をわざと失敗させたんだろう。
二号機暴走は、彼女にとっての規定事項だったんだ。
そんな事を企んでいるなんておくびにも出さずに、悪戯をして回って、道化を演じるアスカ。
最後にはNERV職員全員を敵に回してまで、不敵に立ちまわったアスカ。
全ては、母に逢うため。
彼女は言っていたっけ。
「私なりの愛ってやつよ」
あれは僕にじゃなく、僕の後ろに見え隠れする、母に対して言った言葉だったんだ。
追い詰められ、行き場を失って欄干へ飛び乗った。
その挙げ句、彼女は欄干から湖に落ちて骨折した。
○
気になるのは二号機の暴走事故の事だ。
なにより不可解なのは、あんなに怠惰な性格のアスカが、何故あれほど精力的に活動し
NERV掌握を目論んだのかという、動機の部分だ。
ここからは僕の推測になる。
僕は初号機に取り込まれ、母に出会った。
これにより、ヱヴァという乗り物には、人間の魂が宿っている事になる。
そこで問題になるのは、二号機や零号機にも、同じように魂が宿っているのではないかということだ。
アスカの母親も、僕の母と同じように、ヱヴァ起動実験中の事故で氏んだと聞いた事がある。
アスカは、ドイツ支部に所属していた頃に、その事実に気付いたのかもしれない。
そして日本へ異動となってから、自ら二号機に取り込まれるチャンスを待っていたのではないだろうか?
アスカはパイロットの仕事を掛け持ちしてでも、<技術開発部>への異動を希望していた。
研究資料を持ち出すなんて危険な行為にもためらいは無かった。
これも二号機へ取り込まれる可能性を少しでも高めることが目的だとしたら、辻褄が合う。
アスカはあの日、<技術開発部>の人間を使って、二号機の軌道実験をわざと失敗させたんだろう。
二号機暴走は、彼女にとっての規定事項だったんだ。
そんな事を企んでいるなんておくびにも出さずに、悪戯をして回って、道化を演じるアスカ。
最後にはNERV職員全員を敵に回してまで、不敵に立ちまわったアスカ。
全ては、母に逢うため。
彼女は言っていたっけ。
「私なりの愛ってやつよ」
あれは僕にじゃなく、僕の後ろに見え隠れする、母に対して言った言葉だったんだ。
32: 2011/04/13(水) 23:51:40.89
僕とアスカは境遇が似ていた。
同じように母をヱヴァに奪われた僕に対して、親近感が湧いたのかもしれない。
やたらと僕に構うのも、そのせいだったのかな。
意識のない僕をエントリープラグへ沈めて、わざと起動を失敗させた人物がいる。
一つ一つを照らし合わせて考えると、犯人は自ずと浮かび上がる。
全ては僕の憶測に過ぎないから、真偽は定かじゃない。
でも、僕はこの事で犯人を問い詰める事はしなかった。
○
アスカが運ばれてしまうと、まるで潮が引くように人影が無くなった。
80日の一人ぼっち生活を経て、急にこんな大騒ぎに巻き込まれたので、
僕はしばらく呆然として、しきりに髪を撫でていた。
すると、加持師匠が僕に歩み寄り、言った。
「今回の事で、君には迷惑をかけたな。アスカに代わって礼を言うよ。ありがとう」
「そんな事は良いんです。加地さん、旅に出るんでしょう?一人で行っちゃいけません。
ミサトさんは待ってます」
僕は説得した。
加持師匠は、何故知っているんだろうと驚いた顔をしたけれど、
一瞬のうちに平静を取り戻した。
「ああ、分かってるよ。でも、彼女を危険な目にはあわせられない」
と言った。
「駄目です。男気を見せてください、ついてこいって!」
僕は叫んだ。
加持師匠はにっこりと微笑んで、僕を見た。
「君も面白いなぁ」
○
師匠が去って、ぼんやりと湖畔を見回していた僕は、ベンチに腰かけている綾波さんを見つけた。
眉をひそめ、青い頬に両手を当てている。僕は彼女へ近づいた。
同じように母をヱヴァに奪われた僕に対して、親近感が湧いたのかもしれない。
やたらと僕に構うのも、そのせいだったのかな。
意識のない僕をエントリープラグへ沈めて、わざと起動を失敗させた人物がいる。
一つ一つを照らし合わせて考えると、犯人は自ずと浮かび上がる。
全ては僕の憶測に過ぎないから、真偽は定かじゃない。
でも、僕はこの事で犯人を問い詰める事はしなかった。
○
アスカが運ばれてしまうと、まるで潮が引くように人影が無くなった。
80日の一人ぼっち生活を経て、急にこんな大騒ぎに巻き込まれたので、
僕はしばらく呆然として、しきりに髪を撫でていた。
すると、加持師匠が僕に歩み寄り、言った。
「今回の事で、君には迷惑をかけたな。アスカに代わって礼を言うよ。ありがとう」
「そんな事は良いんです。加地さん、旅に出るんでしょう?一人で行っちゃいけません。
ミサトさんは待ってます」
僕は説得した。
加持師匠は、何故知っているんだろうと驚いた顔をしたけれど、
一瞬のうちに平静を取り戻した。
「ああ、分かってるよ。でも、彼女を危険な目にはあわせられない」
と言った。
「駄目です。男気を見せてください、ついてこいって!」
僕は叫んだ。
加持師匠はにっこりと微笑んで、僕を見た。
「君も面白いなぁ」
○
師匠が去って、ぼんやりと湖畔を見回していた僕は、ベンチに腰かけている綾波さんを見つけた。
眉をひそめ、青い頬に両手を当てている。僕は彼女へ近づいた。
33: 2011/04/13(水) 23:52:38.18
「やあ、大丈夫?」
僕が声をかけると、彼女は弱々しい笑みを浮かべた。
「人ごみに揉まれて、ふらついてしまったの」
なるほどそういうことかと思った。
「二号機パイロットは、無事?」
「さっき救急車で運ばれていったよ。大した事は無いと思う。お茶でも飲んで落ち着くかい?」
僕は手近な自動販売機でジュースを買ってきて、彼女と二人で飲んだ。
「ところで、メガネケースはまだ持ってる?」
僕は尋ねた。
「ええ、でも、肝心の眼鏡が見つからなくて……」
と言ってから、僕がさし出す黒ぶち眼鏡を見て、口をつぐんだ。
それから僕の目をまじまじと見た後、ようやく納得が言ったという顔をした。
「以前、探す約束を、してくれたんだったわね。本当にありがとう」
彼女は僕の顔を見つめて言った。
もはやこの感情について、今さらつらつら説明してもしょうがない。
ともかくその場を何とか持たせようと四苦八苦して、僕は一つのセリフを吐いた。
「綾波さん、屋台ラーメンを食べに行かない?」
○
僕と綾波さんの関係がその後いかなる進展を見せたか。
それはこの記録の趣旨から外れる。
だから、そのうれしはずかしな出来事を逐一書いたりはしないよ。
読者の皆さんも、そんな唾棄すべきものを読んで、
貴重な時間を溝に捨てたくはないだろうしね。
成就した恋ほど語るに値しないものもないさ。
○
僕は加持師匠のもとへ半ば強制的に弟子入りさせられ、当の師匠は世界一周(逃亡)の旅へと消えた。
加持師匠は男気を見せたらしい。
先日届いた国際郵便には、葛城二佐と仲良く並んでいるツーショットの写真が入っていた。
二人とも元気でやってほしい。
父と冬月氏は元の鞘に収まり、司令と副司令を続投する。
そう言えば無言の美女、ユイさんはどうなったか、それを述べてなかったね。
○
二号機暴走事故から3日後、僕は司令の執務室へ呼び出された。
部屋には父しか居ない。
父は落ち着きのない様子で、僕の答えを待っている。
僕が声をかけると、彼女は弱々しい笑みを浮かべた。
「人ごみに揉まれて、ふらついてしまったの」
なるほどそういうことかと思った。
「二号機パイロットは、無事?」
「さっき救急車で運ばれていったよ。大した事は無いと思う。お茶でも飲んで落ち着くかい?」
僕は手近な自動販売機でジュースを買ってきて、彼女と二人で飲んだ。
「ところで、メガネケースはまだ持ってる?」
僕は尋ねた。
「ええ、でも、肝心の眼鏡が見つからなくて……」
と言ってから、僕がさし出す黒ぶち眼鏡を見て、口をつぐんだ。
それから僕の目をまじまじと見た後、ようやく納得が言ったという顔をした。
「以前、探す約束を、してくれたんだったわね。本当にありがとう」
彼女は僕の顔を見つめて言った。
もはやこの感情について、今さらつらつら説明してもしょうがない。
ともかくその場を何とか持たせようと四苦八苦して、僕は一つのセリフを吐いた。
「綾波さん、屋台ラーメンを食べに行かない?」
○
僕と綾波さんの関係がその後いかなる進展を見せたか。
それはこの記録の趣旨から外れる。
だから、そのうれしはずかしな出来事を逐一書いたりはしないよ。
読者の皆さんも、そんな唾棄すべきものを読んで、
貴重な時間を溝に捨てたくはないだろうしね。
成就した恋ほど語るに値しないものもないさ。
○
僕は加持師匠のもとへ半ば強制的に弟子入りさせられ、当の師匠は世界一周(逃亡)の旅へと消えた。
加持師匠は男気を見せたらしい。
先日届いた国際郵便には、葛城二佐と仲良く並んでいるツーショットの写真が入っていた。
二人とも元気でやってほしい。
父と冬月氏は元の鞘に収まり、司令と副司令を続投する。
そう言えば無言の美女、ユイさんはどうなったか、それを述べてなかったね。
○
二号機暴走事故から3日後、僕は司令の執務室へ呼び出された。
部屋には父しか居ない。
父は落ち着きのない様子で、僕の答えを待っている。
34: 2011/04/13(水) 23:53:19.68
「それで!」
父は叫んだ。
「それで?さっき伝えた通りだよ、父さん。母さんは戻って来るんだ。サードインパクトを防げれば」
「確かなのか?」
「直接聞いたよ、初号機の中で。母さんからの伝言。"プロポーズのセリフを世界中に言いふらすわよ"」
僕の答えを聞いたとたん、父は頭を抱えて唸り始めた。
父があらゆる言い訳を考えているのが、手に取るように分かる。
そもそもユイさんを愛でる様になったのは、妻が戻ってこないと踏んだ父が、
自分を慰めるために制作を命じたためだ。
しかし妻は帰ってくる。
妻には会いたい。
しかし会えば氏より恐ろしい折檻が待っている。
ならば人類補完計画は中止したい。しかし、中止すればゼーレが煩い。
それどころではない。
赤木博士との不倫がばれれば、どんなに恐ろしい修羅場になるかは、
火を見るより明らかだ。
「まあ、自分のまいた種だもの。自分で何とかしてね」
僕はそう言い残し、出口へと歩いて行った。
「分かった、ドールは手放す!ユイには気の過ちだったと口裏を合わせてくれ!」
父は立ちあがり喚いた。
「うん、それが賢明だよ、父さん」
僕はにっこりと笑った。
「みんなメデタシさ」
父へのささやかな反撃の成功を味わい、僕はそっとほくそ笑んだ。
父は叫んだ。
「それで?さっき伝えた通りだよ、父さん。母さんは戻って来るんだ。サードインパクトを防げれば」
「確かなのか?」
「直接聞いたよ、初号機の中で。母さんからの伝言。"プロポーズのセリフを世界中に言いふらすわよ"」
僕の答えを聞いたとたん、父は頭を抱えて唸り始めた。
父があらゆる言い訳を考えているのが、手に取るように分かる。
そもそもユイさんを愛でる様になったのは、妻が戻ってこないと踏んだ父が、
自分を慰めるために制作を命じたためだ。
しかし妻は帰ってくる。
妻には会いたい。
しかし会えば氏より恐ろしい折檻が待っている。
ならば人類補完計画は中止したい。しかし、中止すればゼーレが煩い。
それどころではない。
赤木博士との不倫がばれれば、どんなに恐ろしい修羅場になるかは、
火を見るより明らかだ。
「まあ、自分のまいた種だもの。自分で何とかしてね」
僕はそう言い残し、出口へと歩いて行った。
「分かった、ドールは手放す!ユイには気の過ちだったと口裏を合わせてくれ!」
父は立ちあがり喚いた。
「うん、それが賢明だよ、父さん」
僕はにっこりと笑った。
「みんなメデタシさ」
父へのささやかな反撃の成功を味わい、僕はそっとほくそ笑んだ。
35: 2011/04/13(水) 23:53:54.51
ユイさんとは、母さんをそっくりそのまま蘇らせたような姿だ。
僕は知らなかったとはいえ、魂こそ無いものの、母さんと数日間同居したことになる。
なんだか複雑な気分だった。
○
アスカはNERVの病院に少しの間入院していた。
彼女が真っ白なベッドに縛り付けられているのを見るのは、なかなか痛快な見ものだった。
もともと顔色が悪いので、まるで不治の病にかかっているように見えるけれど、
その実は単なる骨折だ。
病院の表には<保安部>の人間が常に張りこんでいて、アスカが逃亡しないように見張っていた。
ある日、僕と綾波さんがアスカの傍らで話をしていると、銀髪の美少年が見舞いの花を
携えて入ってきた。
アスカが異様に慌て、僕たちに出て行ってくれと言った。
病室の外に出た綾波さんは、フフと笑みを漏らした。
「あの男の子、見覚えがあるんだよ。駅前で占い師のまねごとやってた。綾波の知り合いかい?」
僕は尋ねた。
「渚カヲル君て言うの。別の中学に通っているのだけれど、半年前から
二号機パイロットと付き合っているそうよ」
「聞き捨てならないなあ。アスカに恋人がいたなんて」
「渚君、彼女にいろんなものプレゼントするからお金がないって嘆いてたわ。
占いの仕事はアルバイトの一環じゃないかしら」
綾波さんは面白そうに言った。
「あれだけ悪事を働いているのに、よく男と付き合う時間があるなあ」
「二号機パイロットはほかの人と渚君を会わせるのをとても嫌がるの。
多分渚くんの前では良い子でいるんだわ」
僕は知らなかったとはいえ、魂こそ無いものの、母さんと数日間同居したことになる。
なんだか複雑な気分だった。
○
アスカはNERVの病院に少しの間入院していた。
彼女が真っ白なベッドに縛り付けられているのを見るのは、なかなか痛快な見ものだった。
もともと顔色が悪いので、まるで不治の病にかかっているように見えるけれど、
その実は単なる骨折だ。
病院の表には<保安部>の人間が常に張りこんでいて、アスカが逃亡しないように見張っていた。
ある日、僕と綾波さんがアスカの傍らで話をしていると、銀髪の美少年が見舞いの花を
携えて入ってきた。
アスカが異様に慌て、僕たちに出て行ってくれと言った。
病室の外に出た綾波さんは、フフと笑みを漏らした。
「あの男の子、見覚えがあるんだよ。駅前で占い師のまねごとやってた。綾波の知り合いかい?」
僕は尋ねた。
「渚カヲル君て言うの。別の中学に通っているのだけれど、半年前から
二号機パイロットと付き合っているそうよ」
「聞き捨てならないなあ。アスカに恋人がいたなんて」
「渚君、彼女にいろんなものプレゼントするからお金がないって嘆いてたわ。
占いの仕事はアルバイトの一環じゃないかしら」
綾波さんは面白そうに言った。
「あれだけ悪事を働いているのに、よく男と付き合う時間があるなあ」
「二号機パイロットはほかの人と渚君を会わせるのをとても嫌がるの。
多分渚くんの前では良い子でいるんだわ」
36: 2011/04/13(水) 23:54:28.63
僕はため息をついた。
「ねえ綾波。アスカは敵が多いから、しばらく身を隠した方がいいと思うんだ」
「そう」
綾波さんはクスっと笑った。
「私も手伝う」
○
僕はこの半年間、ただ一人の親友であったアスカの苦境に際し、惜しみない援助をすると申し出た。
「君は退院しても酷い目にあうんだろう?」
「火を見るより明らかだわ」
「じゃあ、ほとぼりが冷めるまで匿ってあげるよ。費用は僕が持つから」
アスカは疑るような目で僕を見た。
「どういう魂胆?私は騙されないわよ!」
「君も少しは人間を信じる心を持った方がいいよ」
「アンタに言われたくない」
「いいから僕に任せてよ」
「何でそんなに助けたがるのよ?」
○
僕はにやりと笑みを浮かべた。
「僕なりの愛だよ」
「そんな汚いもん、いらないわ」
「バカシンジ!」
彼女は答えた。
終わり
「ねえ綾波。アスカは敵が多いから、しばらく身を隠した方がいいと思うんだ」
「そう」
綾波さんはクスっと笑った。
「私も手伝う」
○
僕はこの半年間、ただ一人の親友であったアスカの苦境に際し、惜しみない援助をすると申し出た。
「君は退院しても酷い目にあうんだろう?」
「火を見るより明らかだわ」
「じゃあ、ほとぼりが冷めるまで匿ってあげるよ。費用は僕が持つから」
アスカは疑るような目で僕を見た。
「どういう魂胆?私は騙されないわよ!」
「君も少しは人間を信じる心を持った方がいいよ」
「アンタに言われたくない」
「いいから僕に任せてよ」
「何でそんなに助けたがるのよ?」
○
僕はにやりと笑みを浮かべた。
「僕なりの愛だよ」
「そんな汚いもん、いらないわ」
「バカシンジ!」
彼女は答えた。
終わり
37: 2011/04/13(水) 23:57:10.82
全四部作と、大変長くなってしまい、申し訳ありませんでした。
読んでいただいた方、ありがとうございました。
今回の反省を元に、もっと面白い作品を目指していこうと思います。
読んでいただいた方、ありがとうございました。
今回の反省を元に、もっと面白い作品を目指していこうと思います。
38: 2011/04/14(木) 00:39:20.98
乙
40: 2011/04/14(木) 01:23:39.45
乙
引用元: アスカ「私なりの愛ってやつよ」
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