それより、ねぇ、この車タバコくさくない？

……禁煙って書いてあるのに、自分で吸ったの？
バッカじゃない？　自覚が足りないわよ！

……そう。
まぁ仕方ないわ、我慢してあげる。
この私が、我慢してあげるんだから、ありがたーく思いなさいよね。

それと、ラジオ止めて。
その男の笑い声、耳障りなの。

うん、それでいいわ。
そいつ、すっっっごく嫌なやつなのよ。

なんていうか、そいつ気持ち悪いのよ。そう思わない？

とりあえず、サイテーなやつだと、私は思うわ。

しかもそいつ、上には媚びるし、下にはふんぞり返るしで、ほんっとサイアク。
嫌なやつでしょ？　ね？

この前だってそう。

そいつが私の楽屋に来たんだけどね、
えらく高そうな菓子折り持って、
『素敵な人ですよね～、水瀬さんて』なんて抜かしたのよ。
しかも猫なで声で！

おべっか使ってるのがバレバレよ！　もう！
ホント、それだけでもむかつくわ～。

根っこから悪いやつじゃないとは思うんだけど、
明け透けだし、いちいち口が悪いのよ。

つまり、悪いやつじゃなくて、嫌な奴ってことね。
あら？　この場合、だいたい同じ意味になっちゃうのかしら？

まぁいいわ。
そういうやつ、アンタの会社にもいるでしょ？

……やっぱり。
どこの世界にも一人はいるわよねー、そういうやつ。

そう言うのと折り合いつけなくちゃいけないんだから、楽じゃないわ。

あー、思い出すだけで腹が立ってくるわ。
ねえ、もっとスピード出せないの？

え？　渋滞？
そんなの隙間を縫って行けばいいじゃない！

抜け道みたいなのはないの？

……知らないですって！？
あー、もう！

なに？
最寄駅までなら、すぐに行ける？

無理よ無理。
この私を電車にでも乗っけるつもり？

ばっかじゃないの！？
そんなことしたら、電車内が大パニックになっちゃうわ。

え？
なんでって……。あんた私のこと知らないわけ？

もう！　失礼しちゃうわ！！

普段は名乗らないことにしてるんだけど、特別に教えてあげるわ。
ありがたく思いなさい！

ほら、伊織ちゃんよ、伊織ちゃん。
あのスーパーアイドルの、水瀬伊織。
名前くらい聞いたことあるでしょ？

もう、そんな自信無げにうなずかないでちょうだい。

まったく、タクシーの運転手なら、
一般常識くらい、知っておきなさいよね！

……ふーん。頭、よくないの。
だったら、仕方ないわね。にひひっ♪

ほーら、男がそんなにへこへこしないの。
もっとどっしり構えたらどう？

そう！　そんな感じよ！

それにしても全然進まないわね。
雨のせいかしら。

……うん、そんなとこよね。

こういう時は焦っても仕方ないわ。
お話、しましょ？
時間つぶしにはなるわ。

光栄に思うことね！
なんてったって、スーパーアイドルの伊織ちゃんとお話しできるんだからね！！

何ならサインでもあげましょうか？
ボンネットのところにでかでかと書いてあげるわ。
もちろん、ハートマーク付きでね。

そうすれば、
あんたのタクシーに私のファンがいっぱい乗るようになるし、
今以上に私の名前も売れるわ。

いい提案だと思わない？

……なによその顔。
分かってるわ。冗談よ冗談。

だーかーらー、そんなにへこへこしないの！　もう！

退屈ね。
あんた、なんか面白い話しなさい。

無茶言うなって？
それも仕事のうちよ。

どんな仕事でも、馬鹿らしいことの一つや二つ、あるもんだわ。

それでも無理？

仕方ないわね……。じゃあ私から質問するわ。
それならいいでしょ？

質問一、アンタいくつなの？

……あら、結構いってるのね。
もうちょっと若いかと思ってたわ。

もし失礼だったら、敬語で話しましょうか？

……そう、ありがと。

なら良かった。
だって、こんなところでまで猫かぶるだなんて、肩が凝っちゃうもの。

あ、今の聞かなかったことにしなさい！　いい？

……うん、それで結構。
あーあ、アンタみたいな人ばっかだったら、私も楽なのにね。

じゃあ質問その二、この仕事は長いの？

……え？
たった半月？

危ないじゃない！
私、なんでこんなタクシー乗っちゃったのかしら……。

……なに？
運転には自信がある、ですって？

そう言うやつほど危ないのよ！

だって私の今のプロデューサーがそうだったもの！！
まぁ、最近はだいぶましになったけどね。

あーあ、サイアク。ついてないわ～。
ねえ、その歳でなんでタクシーの運転手なんかになろうと思ったの？

……ふーん。そんなもんかしら。

私だったら、老後は悠々自適に過ごしたいけどね。
海外とか行ったりして、思うがままに暮らしたいわ。

そういえば、奥さんとか子供はいるの？
あれ、これ質問いくつ目だったかしら……。
うーんと……、まぁいいわ。答えなさい。

……そう。息子さんは今何してるわけ？

……あーら、よかったじゃない。
うちのグループ会社だから、つぶれる心配はないわ。
それなら、あんたも枕を高くして寝れるわね
え？　どういうことって？

あ、ごめんなさい。
電話、でてもいい？
うん、ありがと。

もしもし？　何の用？
なに？　聞こえないわ！
もっと大きい声でしゃべりなさいよ！！

あら、リハーサル遅らせるの。朗報ね。
どれくらい集まってるの？

……ふーん、半々ってとこね。
私もできるだけ急がせてもらうわ。ねえ運転手さん、今どこらへん？

――だって。聞こえた？
なら、いいわ。じゃあまたね、バイバイ。

これでよしっと……。
そういえば、話の続きだったわね。
どこまで話したかしら？

ああ、息子さんの会社の話ね。
別に大したことじゃないわ。
気にしないで。

電話の相手？
プロデューサーよ。
今のじゃなくて、前の。

これがろくでもない男でね、
あんたほどじゃないけど、やたら腰が低いの。

しかもがさつだしね。

今の時代、男にも繊細さが必要だと思わない？
なーんて、あんたに言ってもわかんないか。

……へーえ、奥さんにも同じこと言われたの。

なんか、あんたの奥さんとは、気が合いそうね。
一度お話ししてみたいくらいよ。

それでね、その馬鹿の話なんだけどね、
私がオレンジジュース買ってきなさいって言ったら、ファンタ買ってきたのよ！
ありえないと思わない？

だって、オレンジってとこしかあってないのよ！？
しかも炭酸！　もちろん果汁100%じゃないわ！
サイアクよ、もう！！

当然、買いなおさせたわ。
呆れちゃうわよね。

あ、でもね、えーと……。
そう！　そんな馬鹿でも、一つくらい取り柄があるもんなのよね。

といっても、大した取り柄じゃないんだけど。
あの馬鹿、車の運転だけはやたらうまいの。

なんていうのかしら、こう、乗ってて安心できるっていうか……。
まぁ、ちょうどこんな感じね。

……やっぱ待って、今の無し！

別に、あんたの運転がうまいって認めたわけじゃないわ。
だって、まだわからないもの。
それに渋滞中だしね。

よく渋滞には引っかかるの？

……そう。まぁまだわかんないわよね。

ねぇねぇ、タクシーの運転手ってどうすればなれるの？

暇つぶしにはちょうどいいでしょ？
教えてちょうだい。

……へーえ、第二種の免許ってやつと、
試験をパスしなきゃいけないわけ。
それに研修が入るの？　結構めんどくさいのね。

で、その試験とやらに何回落ちたの？
え？
だって、自分で言ってたじゃない。あんまり頭良くないって。

…………聞いて悪かったわ。ごめんなさい。

でも、そんなになってよく試験を受け続けたわね。

もしかして、意地になっちゃったの？
それについて、奥さん何か言ってた？

……そう。
なんか、やっぱり私と気が合いそう！

だけど……そういうのっていいわね。憧れちゃうわ。

あら、ひょっとして、渋滞抜けた？
……どうやら、そうみたいね。
それなら話は別よ！　急ぎなさい！

私を待ってる人たちがたくさんいるのよ。
だから、お願い、ね？

そうそう、この角は左に曲がるのよ。
なーんだ、わかってるじゃない。

必氏で勉強した甲斐、あったみたいね。
奥さんには、ちゃーんと感謝しなきゃ、だめよ？

もししないなら、私はこのタクシー会社をぶっつぶしちゃうんだから！

……うん、それだったらいいわ。許してあげる。

それと、運転、上手いのね。
少し見直したわ。
どうやら、頭の良さと運転の上手さは、関係ないみたいね。

あ、もしかして……怒ってる？

……そう。ならよかった。

でも、さすがに言い過ぎたわね。ごめんなさい。

だーかーらー、シャキッとしなさいってさっきから言ってるでしょ？　もう！

それにしても、渋滞抜けると、やっぱり速いわねー。
この分だとすぐ着いちゃいそう。
ねえ、残念でしょ？

……そうよねぇ、なんせ天下の伊織ちゃんを乗っけてるんですものねぇ。
残念じゃないわけがないわよね、やっぱり！

そういえば、聞き忘れてたことがあったわ。
吸ってるたばこの銘柄、教えて？

……ふーん、やっぱり。

一応言っておくけど、私が吸ってるってわけじゃないわよ？
みんなの伊織ちゃんがそんなことするわけないじゃない！

やっぱりあんたって、ばかなのね。

あら？　もう到着？
本当に、あっという間だったわね。
ちょっとおしゃべりが、過ぎちゃったかしら。
いい？　今日しゃべったことは、絶対内緒よ！

それで、いくらになるの？

……喜びなさい、ちょうどあるわ。はいどうぞ。

ねえ、名刺ちょうだい。
誰のって……あんたの以外に誰のがあるのよ。

明日も似たような区間で移動があるの。
その時になったら、呼んでもいいわよね？

今日の帰りはいいの。
さっきの馬鹿が送ってくれるらしいから。

そうそう、たばこのにおいは、絶対消しときなさい。
せいぜい車内じゃ吸わないことね。
でも、私に呼ばれた時だったら、ここで吸うことをトクベツに許してあげる。にひひっ♪

その代わり、私を乗っけてるってことは、絶対に内緒よ？

……はい、どーも。
確かに受け取ったわ。
ここに電話して、呼べばいいのね？

……わかったわ。じゃあ、ありがとね。

あと、奥さんに伝えといて。『愛してるわ』ってね。
もちろん、私からっていうのは伏せとくのよ？

わかった？　……何よその顔。
言わなかったら、この車にサイン書いちゃうんだから！

そうね、ボンネット側にするかトランク側にするかくらいは選ばせてあげるわ。

……うん、それでよろしい。

じゃあね。
バイバイ。
また会いましょう。

……気を付けてね。

おわり

ええ話やん？

乙
こういうのも悪くない