1: 2011/05/14(土) 11:15:05.60

律「――それは誰の為にだ?」

唯「復讐なんて、常に自分の為だよ。でも私としては、それがりっちゃんの為にもなってくれると嬉しい」

その言葉を聞いた時、私の心は九割が喜びで満たされていた。私こそが正しかった、あいつらは間違っていたんだ、という醜い喜びで。
残り一割はそのあいつらに対する罪悪感。申し訳なさ。復讐される側への同情、かもしれない。
そのようなものが心を掠めるということは、やはり私も普通の人。過去の思い出を捨てきれない、弱い人。
だが、その弱さを見抜いているかのように、唯は問うんだ。

唯「りっちゃんも手伝ってくれるよね?」

もちろん、断る理由はない。私はその為にここにいる。ずっとここにいた。唯のそばにいた。
だから、すぐに頷けないのはやはり弱さ。迷い。でもいずれは頷かないといけない。その為に私はずっと待ったのだから。
唯と共にあるために、ずっと唯の目覚めを待ったのだから。

唯「……出来ない?」

律「……いや、出来るさ」

そう、出来る。出来ないといけない。出来ないと、唯の目覚めを待ち続けた二年間が無駄になる。私の二年間が無意味なものとなる。
私も、唯と同じように、私のため、ついでに唯のため。そんな気持ちで動けばいいんだ。


――私の名前は田井中律。留年二年目が確定している、冴えない女だ。


2: 2011/05/14(土) 11:18:58.67



――事の起こりは二年近く前。

大学の入学式を目前に迎えた私達に届いた、急な悲報。
唯の事故。意識不明の重態。入学式には出られない。そりゃそうだ。皆、気が動転していた。

最初のうちは皆で毎日。見舞いに行った。皆で願った。唯が目覚めますように、と。
だが一月、二月、半年と、ずっとその願いは届かなかった。そうしていつしか、願う事に疲れていった。
……その事で皆を責める気は無い。私も、疲れていたから。
だから、皆の正論が胸に刺さった。

『…私達は先に進もう。唯もきっと、それを望んでいる』

私が唯の立場でも、きっと同じ事を言うから、とか、そんな事を確か澪が言っていた。まぁ今となっては誰が言ったかはどうでもいいし、文章が一言一句同じである必要もない。
大切なのは、澪と梓は先に進む事を決意し、ムギは保留し、私は拒否した。その事実。
澪と梓に対し薄情だ、と責めることはしなかった。唯ならそう言うであろう、というトコロには私も同意していたからだ。

――まぁ現実は違ったのだが、そこは今はまだ置いておく。


3: 2011/05/14(土) 11:23:29.17

その時は、澪と梓のほうが大人であり、現実を認めたくない私だけが子供だった。それだけのことで。そんな『大人』にムギは引っ張られていき、私は一人になった。
一人といっても、大学ですれ違ったりすれば会話はする。孤立しているわけじゃない。ただ、歩む道が違っただけ。
しかし道を違えた代償は大きく、私は唯が目覚めるまで完全な無気力状態。一年目から単位が足りず余裕で留年。というか単位も友達もなにもかも足りていなかった。
そんな私を憂ちゃんは毎日のように心配してくれた。実際毎日病院で会っていたから、毎日心配してくれていたのかもしれない。
今にして思えば、私も憂ちゃんのことを心配してやるべきだったと思う。私以上に唯のことを気にかけているはずでありながら、私より真面目に学校に行き、お見舞いに来て、家に帰って両親の世話。
……ああ、唯の両親も流石に今は家にいるらしい。憂ちゃんを一人にも出来ないし、唯のこともあるし。というかこれで帰ってこないような人だったら私も憂ちゃんに愚痴の一つもこぼしていたかもしれない。憂ちゃんが困ると知りながらも。

――話が逸れた。ともあれ、そうして一年が過ぎ、二年目。憂ちゃんも梓も大学に進学。澪が主になっているバンドサークルは今や超有名で、私の抜けた穴はなんか覚えにくい名前の凄腕の誰かが埋めてくれたらしい。
憂ちゃんは唯のことや家事のこともありサークルには入らなったが、梓はもちろん澪の後を追った。
私のことは…語るまでもないだろう。学校に顔を出す方が珍しい日々だった。

そしてまた半年くらい経って。私は留年二年目もほぼ確定しつつも、最近ムギのこと聞かないなー、とか思っていたら久々に病室で再会した。

紬「私、留年するのが夢だったの~」

…だそうだ。とはいえ、そのまま受け取るほど私も愚かじゃない。
やはり、ムギも唯のいないバンドに耐えられなかったのだろう。ムギは、唯のことを好いていたから。
ラブかライクかは、私にはわからない。ただ、誰に対しても接し方を変えない唯という存在が、ムギの目には非常に美しく輝いて見えたのだろう、くらいは察しがつく。

4: 2011/05/14(土) 11:25:16.77

ムギからそう言われた頃だったか。今更ながら、どうしてここまで私と澪、ムギと梓に差がついたのか考えてみた。

私と澪については、思い至れば簡単な事だった。高校一年の頃、澪は私が強引に誘うまでは軽音部に入るつもりなどなかったからだ。
お互いが楽器をやっていると知りつつも、澪は違う道を選ぼうとしていた。今でこそ澪は音楽というものに傾倒しているが、あの頃は音楽を捨ててでも『私と違う道を選びたかった』のだ。
……言い方が悪いか。要するに澪は私から自立したかったのだ。出会いが私が助けたようなものだったからこそ、澪の中にはいつかは私から自立しないといけないという思いがあったのだろう。
今になって思えば高校三年間は私はそれを邪魔したわけだ。悪かったな澪。

ムギと梓は…正直わからない。どちらも唯のことは好きだったはずなのに。
梓が内心嫌っていたなら納得いくが、梓はそんなにヤな奴じゃないし、そんなに嘘の上手いタイプでもない。ありえない話だろう。


……しかしまぁ、復讐すると言っておきながら、案外私はまだあの二人のことは嫌いじゃないんだな。
でも、それでも距離感を感じる出来事は多々あった。最たるものは、ムギと再会してから少し後のあの日――唯が目覚めた日のこと。



5: 2011/05/14(土) 11:27:44.21


唯「――あ…れ、りっちゃん?」

律「!? ゆ、唯!?」

唯が目覚めた。その事に動転した私は、ナースコールのことも忘れて医者のもとへ走った。深夜も近いというのに、迷惑な話だ。
看護師に注意され、医者が唯のところへ向かい、ようやく私は『みんなにも連絡しないと』ということに思い至る。

そして私は――憂ちゃん以外には連絡しなかった。

結局みんな集まってきたのだが、それは憂ちゃんが連絡したからであって。
距離感なんて言ったけど、結局私は『ロクにお見舞いも来なくなった連中と喜びを共有したくない』という子供じみた感情から、自ら皆と距離を取ろうとしたのだ。
バカげたことをしたものだ。気を利かせてくれた憂ちゃんには感謝している。

憂ちゃんに呼ばれて駆けつけた澪と梓は泣いていた。ムギも涙ぐんでいた。憂ちゃんは言うまでもなく抱きつきながら泣きじゃくっていた。
……私だけが、涙を流すタイミングを逃していた。バカげたことをした罰だろうか。


6: 2011/05/14(土) 11:33:42.58
――そして、唯が目覚めた翌日。
約二年も経っているという事に愕然としつつも、唯は私達の事を案じ、「学校に行って」と言う。
梓や澪は「今日くらいは」と言い、渋る。きっとそれは本心だ。今まであまりお見舞いに来なかったことに対する罪悪感から来る醜い本心。
だから逆に私が、皆を引っ張って学校に行く。

律「じゃあな、唯。また来るよ」

唯「うん。またね、りっちゃん」

澪「お、おい律――」

律「――バカ、唯の気遣いを無駄にするな」

梓「そうは言いますけど…ちょ、引っ張らないで――」

――そうして、文句を垂れる二人をひきずって学校まで行き、1コマだけ講義を受けて、私は一人で再び唯の病室に戻った。
当然、唯は怪訝な顔をする。それに対する弁明とでも言うように、私はこの二年間のことをありのまま、唯に語った。



――そして「復讐しよう」と唯は言った。

11: 2011/05/15(日) 01:24:12.64

【第一章】:病院にて

12: 2011/05/15(日) 01:24:46.68

結局、私達が思っていたほど、唯は優しいやつではなかった。
毎日ニコニコしているわけではない。こうやって恐ろしい言葉を口にするほど怒る事もある、普通の女の子だ。

律「二年も置き去りにするような奴らのこと、やっぱ許せないか」

唯「そりゃあ、ねぇ。仲間だと思ってたのにさぁ」

律「……私も手伝うよ。けどさ、腐っても仲間だ、あまりひどい事はしないでやってほしい」

唯「……ん~? じゃあ逆に聞くけど、りっちゃんは私の立場ならどうする??」

唯の立場…か。仲間から二年も置き去りにされた立場……

律「……私なら、諦めているかも知れない。復讐なんてしないで、唯と二人でどうにか細々とやっていくよ」

唯「そうかなぁ~?? 私なら全力だよ全力! どれだけ酷いことをしたか思い知らせてあげないと!」

律「ははっ、怖い怖い」

もちろん全然怖くない。いや、言ってることは充分怖いはずなのだが。
……怖い事を言う、というのがそもそも唯のキャラじゃないからだろう。とはいえ、唯が本気だというのは充分に伝わ

る。
もっとも、そんな唯が本気を出したところでどの程度のものなのかもわからないけれど。

唯「でも、まぁそうだねぇ、ちゃんと反省して、謝ってくれればそれでいいんだし、そこまで酷いことをする必要はな

いよね」

律「そうだな。乱暴とかはゴメンだ」

唯「そしていずれは……またみんなでバンドやりたいね」

律「ああ…そうだな」

自然と同意してしまった。皆と距離感を感じていたはずの私が。
やっぱり、私は弱い。楽しかったあの頃を捨てられないでいる。
……でも。唯も同じ心境だったんだし、いいんだよな、弱い私でも。

唯「でもりっちゃん、さっき言ったよね? 私と二人で細々と夫婦生活でもいいって。プロポーズ?」

律「脳内で綺麗に完結していたのにボケで蒸し返すな」

13: 2011/05/15(日) 01:26:06.58
改行ミスったorz

14: 2011/05/15(日) 01:28:13.20

結局、私達が思っていたほど、唯は優しいやつではなかった。
毎日ニコニコしているわけではない。こうやって恐ろしい言葉を口にするほど怒る事もある、普通の女の子だ。

律「二年も置き去りにするような奴らのこと、やっぱ許せないか」

唯「そりゃあ、ねぇ。仲間だと思ってたのにさぁ」

律「……私も手伝うよ。けどさ、腐っても仲間だ、あまりひどい事はしないでやってほしい」

唯「……ん~? じゃあ逆に聞くけど、りっちゃんは私の立場ならどうする??」

唯の立場…か。仲間から二年も置き去りにされた立場……

律「……私なら、諦めているかも知れない。復讐なんてしないで、唯と二人でどうにか細々とやっていくよ」

唯「そうかなぁ~?? 私なら全力だよ全力! どれだけ酷いことをしたか思い知らせてあげないと!」

律「ははっ、怖い怖い」

もちろん全然怖くない。いや、言ってることは充分怖いはずなのだが。
……怖い事を言う、というのがそもそも唯のキャラじゃないからだろう。とはいえ、唯が本気だというのは充分に伝わる。
もっとも、そんな唯が本気を出したところでどの程度のものなのかもわからないけれど。

唯「でも、まぁそうだねぇ、ちゃんと反省して、謝ってくれればそれでいいんだし、そこまで酷いことをする必要はないよね」

律「そうだな。乱暴とかはゴメンだ」

唯「そしていずれは……またみんなでバンドやりたいね」

律「ああ…そうだな」

自然と同意してしまった。皆と距離感を感じていたはずの私が。
やっぱり、私は弱い。楽しかったあの頃を捨てられないでいる。
……でも。唯も同じ心境だったんだし、いいんだよな、弱い私でも。

唯「でもりっちゃん、さっき言ったよね? 私と二人で細々と夫婦生活でもいいって。プロポーズ?」

律「脳内で綺麗に完結していたのにボケで蒸し返すな」


15: 2011/05/15(日) 01:30:37.37

唯「――そうそう、特に異常も見当たらないし、リハビリ済めば退院自体はすぐに出来るらしいよ。あとりっちゃん髪伸びた? 憂まだかなー」

点滴などの器具から開放され、普通にベッドに上半身をもたれさせる唯はいつになくハイテンション。
とはいえリハビリという言葉が示すとおり、普通に動くことはまだ難しい。さすがに二年近く寝たきりでは仕方ないだろう。

唯「ねーりっちゃん聞いてるー?」

律「…聞いてるから、落ち着いて話せ」

すぐ退院できるというのはいい事だ。
髪伸びてるのはお前の方だ。ちょっと工口いぞ。
憂ちゃんはまだ学校だ、ちゃんと行けって言ったのはお前じゃないか。

唯「そうは言うけどね。澪ちゃんあずにゃんはまだ許せないから、りっちゃんくらいしか話し相手いないんだよ。落ち着いてる暇なんてないよ」

律「あるよ。どうせ私は唯と同級生だ、時間はいくらでもある。あと今言われたから、ついでに復讐について細かい話もしておこうか」

唯「ん~? どんなこと?」

律「何をするのかとか、誰にするのかとか、ずっと二人だけでやるのかとか、終わりはいつかとか…」

唯「いろいろあるねぇ~。頭痛いよぉ」

律「お、おい、大丈夫か唯? 無理して起きてないで――」スッ

唯「やだなぁりっちゃん、モノの例えだって」

律「…………」

唯「りっちゃん?」

確かに、病み上がり相手だからといって過敏になっていたのは私の落ち度だ。
それを抜きにしても、頭痛を訴える唯を、思わず抱き抱えて楽な姿勢でベッドに寝かそうとして。その身体の軽さにゾッとしてしまったのは、唯に対してかなり失礼だったと思う。

16: 2011/05/15(日) 01:31:56.29
唯「うわっ、私すごい痩せてる!?」

律「っておい、今更かよ!」

唯「いやぁ、太る事もない体質ですとつい自分のカラダに無頓着になってしまいまして」

律「……とりあえず復讐とか言う前に、ちゃんと飯食わないとな」

唯「もっちろんだよ。早く憂のご飯が食べたいよ~。今ならりっちゃんのご飯でも食べられるよ! りっちゃんでも食べられるよ!」

律「食べられたくないし食わせてやる気も失せる」

やはりこのハイテンションにはついていけないな――とか思ってると、病室の扉が開く音がする。
憂ちゃんが来たのか。もうそんな時間――

紬「唯ちゃん私を食べて!」

憂「お姉ちゃん私を食べて!」

律「……ここが病院でよかったなお前ら」

唯「脳外科はあるのかなぁ?」

律「せっかく私が遠回しに言ったのに…」

っていうか病院では静かにしろ。


17: 2011/05/15(日) 01:42:25.75

唯「――まぁそういうわけで、憂、何か食べ物ちょうだい?」

憂「あ、うん、一応お見舞いの定番、フルーツならあるけど…」

歯切れの悪い憂ちゃん。心配する気持ちはよくわかる。
……昔、私の弟が両親と喧嘩して、一週間くらい水だけで過ごした事がある。もちろん最後は弟が折れたんだが、弟は久しぶりに食べた食事をその場でリバースした。
まぁ、要は胃が弱りに弱っていたわけだ。ウチのバカ弟と比べるのは唯に失礼だけど、それでも唯が食事を口にしていない期間は弟とは比べ物にならない。

律「……昨日、目が覚めてから何も食べてないのか?」

唯「りっちゃんに言われるまでおなか空いてるとか考えもしなかったよ。良く考えたらペコペコってレベルじゃないはずだよねぇ」

そうだ。そうなのに体が認識していなかったということは、脳が空腹情報を遮断していたということ。たぶん。
つまり、やっぱり憂ちゃんの危惧するように。

律「それだけ食ってないなら胃が相当弱ってるはずだ。飲み物からにしたほうがよくないか?」

唯「ういだーいんゼリーとかいうギャグ?」

律「二番煎じにもほどがある。っていうかゼリーは分類的には食べ物だろ」

紬「そうなの?」

律「……たぶん」

18: 2011/05/15(日) 01:48:57.16
憂「とりあえず…水? お茶? ポカリ?」

唯「病人といえばポカリだよね!」フンス

紬「任せて! 買ってくるわ!」ダッ

……なんでムギは進んでパシられようとしているんだろう。っていうか病院で走るな。人の事言えないが。
あと余談だが私はアクエリアス派だ。

紬「買ってきたわ!」ビュン

律「瞬足でも履いてんの?」

紬「俊足のムギザウルス!」

律「早く渡すザウルス」

紬「はい唯ちゃん!」

唯「おー、ありがとムギちゃん」スッ

紬「っ…」ギョッ

あー、ムギも唯の腕見たな。骨と皮だけの腕を。
そして唯は唯で腕を伸ばしたまま固まってる…というか腕さえ伸ばしきれてないんだが…まさか?

律「無理するな、唯。ほらムギ、貸して」

紬「あ、うん……」

唯「あはは、ごめんね。なんか持ったら落としそうな気がして」

律「気にするな。憂ちゃん、念の為ゴミ袋か何か準備しといて」

憂「はい、ここに」サッ

律「さすが。じゃあほら唯、口開けて」

唯「んあー……」

………。

……その後、憂ちゃんのゴミ袋が大活躍して、テンパったムギがナースコールして、勝手に飲み食いさせたということで医者のセンセイに私だけが怒られた。マジ理不尽。

19: 2011/05/15(日) 01:53:42.63


――結局、食事もリハビリも病院と唯本人任せにするしか道はなく、当分は私達、さらに言うなら家族である憂ちゃんでさえも、してやれることは話し相手になることだけだった。
ただ、唯本人が非常に意欲的に取り組んでいる、とは医者のセンセイからも聞かされている。いいことだとは思うが、焦っているようにも見えない事も無い。



――ほぼ一日中唯の病室にいる私と、学校を早めに切り上げてきている様子のムギ、そしてサークル後に毎日寄って帰る澪と梓。
唯が目覚めてから、旧・放課後ティータイムはよく顔を揃わせた。
ただ、『復讐』の話は今のところ二人きりの午前中にしか話題に上らず、故にロクに話も進まず。
更に唯は「実行に移すまでは澪ちゃん達とも仲良く振舞う」と言っていた。
唯の意図はわからないでもないし、そもそも弱い私達だ、そういう時間も楽しかった。でも、復讐を誓った以上、どこか心の距離があり。
澪達も澪達で、唯の前では『唯のいない空白の二年間』の話題は避けているフシがあり。
『復讐』という暗い炎を宿す私達と、後ろめたい気持ちのある澪達。そして間に挟まれるムギ。やはりどこかギクシャクしていた。

唯「あずにゃん猫耳つけてー」

梓「なんでですかっ!」

……いや、『達』ではなかった。唯だけはいつも通りハイテンションだった。
復讐を誓い、そのためにリハビリを重ね、ちゃんと食事も摂って身体を戻しながら、毎日毎日唯は私にも澪達にも変わらぬ笑顔を振舞っていた。


――この時初めて、私は唯を怖いと思った。

20: 2011/05/15(日) 02:02:56.71

――そうして時は流れ、新年度が近づく。
大学の状況はというと、私とムギは立派に留年確定。澪と梓は普通に進級しそう。そして驚いていいのかわからないが、憂ちゃんも留年確定。
これで来年度は私と唯と憂ちゃんが大学一年。ムギと梓が二年。澪が三年となる。ひとりぼっちの澪が泣けば面白かったのだが、澪は澪で唯が眠ってから驚くほどの精神的成長を遂げており、泣くことはなかった。
澪は今やバンドサークルの中心人物だ。有名人であり、プレッシャーも責任も大きい立場なのだが、それを撥ね退けるほどの強さ、逞しさを持っている。
……なぜ、そんなにも成長したのか。理由など尋ねるまでもないだろう。自分と比べると泣きたくなるけど。

唯「っていうか私、まだ大学に籍あるの?」

律「奇跡的にな。さわちゃんとムギのおかげだな」

唯「……ムギちゃん、そういうのイヤそうなのに」

律「愛されてるな、お前」

唯「そうだね……」

律「…ムギは留年も確定したことだし、復讐の対象からは外そうと思うんだ」

唯「りっちゃんがそう言うなら、私はいいよ」

律「唯だって、そこまで積極的に復讐したいわけじゃないだろ?」

私の意見に流されるとは、そういうことだ。
思ったとおり唯は一つ頷き、しかしそれでも言葉を続ける。

唯「でも、全てを無かったことには絶対にしない。澪ちゃんとあずにゃんの選択を、私は許せない。二年の重み、思い知らせてあげないと」

……唯の恨みは私にはよくわかる。どうも私より唯の方が熱くなっているような気はするが、私も唯も『見捨てられた』立場にあるのだから。
とはいえもちろん、澪達の言い分もわかる。理解はしている。
澪達は澪達なりに、よくある『イイ話』風に、唯の気持ちを考えた。過去には囚われず、先に進もう、と。
……だがそれは、よくある『イイ話』の場合は、決して唯は目覚めないのだ。あるいは唯が既に氏んでいないと成立しない。
要するに、澪達は唯を『二度と目覚めない』と、氏んだも同然と見捨てた形になる。目覚めた今となっては所詮結果論にすぎないのだが。
……すぎないのだが、なまじ『見捨てきれなかった』私がいるせいで、澪達は唯にとって『自分勝手』と映ってしまうのだろう。唯と私の温度差は恐らくここにある。
もしも私が澪達と共にあり、目覚めた唯が一人、後から追いかけてくるカタチの話なら、唯は純粋に努力するだろうし、私達は皆で待つし、皆でフォローする。よくある『イイ話』になっていたはずだ。
私が今のままだとしても、いっそ唯が目覚めなければ、澪達は『悲しい過去を背負ったバンド』として有名になるし、私と唯が復讐を誓うこともなかった。なんにせよ『イイ話』だ。

まぁ現実を見ると、私は落ちぶれていて、澪達は充実した毎日を送っている。結局は『イイ話』の選択のほうが、人は幸せになれるのだろう。
だから、間違っているのは私で、きっと唯も間違ってて。梓と澪が正しくて。それだけの話。たったそれだけの。
でも、それでも私は、安堵しているんだ。

唯の恨みを買わなかったことに。

25: 2011/05/15(日) 17:08:57.41


【第二章】:退院、そして結成

26: 2011/05/15(日) 17:12:15.78

――そうしてまたしばらくの時が過ぎ、唯の退院日が決まった。生憎新年度にはなっており大学も始まっているが、まだまだ取り戻せる時期だ。
午前中のうちに私と唯と唯のご両親に先生が告げに来た日は、今週の中ごろ。なんとも中途半端だが、逆に混雑しないから都合がいいらしい。
後から来た憂ちゃんとムギにもそれは伝えたのだが、更に後から来た二人には、唯はこう答えた。

唯「週末退院だって。お祝いに来てね!」

えっ、と私が言葉を挟む間もなく、澪と梓が肯定の意思を強く示した。

澪「もちろんだよ!」

梓「パーティーとかします? あ、まだあまり騒がないほうがいいですかね…?」

ムギのほうを見てみるけど、やはり私と同じように困惑している。
憂ちゃんは無表情。何を考えているのかわからない。…何を考えているのかわからないのは唯もだが。

唯「もうだいぶ体力も戻ったしね、運動とかするわけじゃなければ大丈夫だよ」

澪「じゃあ…やるか、パーティー。週末だし、パーっといこう!」

憂「ふふっ、たくさんお料理作るね、お姉ちゃん」

梓「あ、私も手伝うよ、憂。手伝わせて?」

憂「お姉ちゃんのために?」

梓「ち、違っ、そんなんじゃ――いや、そうだね、唯先輩のためのパーティーなんだし、その通りだね」

27: 2011/05/15(日) 17:15:44.92
憂「素直な梓ちゃん可愛い~」

唯「あずにゃん愛してる!」

梓「や、やめてください!!」

澪「ははっ、やっぱりこうでなくちゃ。なぁ、律?」

律「…ああ。そうだな……」

澪「? どうかした?」

律「いや…あまりに懐かしくて、さ……」

澪「…そうだな。夢みたいだよ……」

咄嗟に出た言い訳だけど、澪は納得したようだ。
懐かしむ気持ちも確かにあるけれど、それ以上に唯の真意が掴めなくて、私は困惑している。さっきから言葉を発しないムギも同じだろう。
いや、厳密にはムギは『復讐』のことをまだ知らない。だから私のほうが困惑は大きい。
意図の掴めない唯の嘘に対する困惑。こちらは私もムギも一緒だ。
そして、復讐する相手に、あれほど笑顔で、仲良く接せる唯に対する困惑。こちらは私のみ。故にこちらのほうが度合いは大きい。
裏と表の顔を持ち、使い分ける。私の知ってる唯は、あんな奴じゃなかったはずだ。

……いや、それは最初からか。

私の知ってる唯は、そもそも「復讐しよう」なんて言う奴ではない。
最初から、私は唯のことをほとんどわかっていなかったのかもしれない。
あるいは、この眠っていた二年近くで、唯の中の何かが変わってしまったのか。

どちらなのかはわからないが、私の中の不安は大きくなっていく。
どちらなのかを真剣に考えてみようとしたが、それでは不安は晴れない。前者なら三年友人をやっていたのにも関わらず私には唯が理解できていなかったということになるし、後者なら『今の』唯はやはり私には理解できないのだから。
だから、不安は大きくなっていく。

唯は、本当に私と一緒に復讐をしてくれるのだろうか?

本当はこうして今のように、何も考えず皆と笑い合っていたいのではないか?

いや、でもそれなら嘘の退院日を告げた理由がわからない。
どちらにしろ理由はわからないのだが、そうではなくて。澪達と仲良くしたいのなら、嘘の退院日を告げる理由なんて全くない。
つまり、何かしら含むモノがあるはずなんだ。
だから…そうだよ、きっとまだ、唯の心は私のほうに傾いている。
澪達じゃないんだ。私と唯を見捨てて先に進んだ、澪達のほうにはないんだ。ざまあみろ。


……ああ、私は醜い。なんて子供なんだろう。
唯がこっち側に居てくれなかったら、きっともう鬱病で塞ぎこんで引き篭もりになっているレベルだ。
なぁ唯、お前が居てくれて嬉しいよ。だからお願いだよ、信じさせてくれよ。


……私を、一人にしないで。


28: 2011/05/15(日) 17:23:25.78

――そして退院日の木曜。細かい手続きなどを唯の両親に任せ、私と唯、そして学校を休んだ憂ちゃんとムギの四人でタクシーに乗る。
もちろん行き先は唯の実家。そう遠くはない距離だが、病み上がりが一人いるからタクシーという贅沢もやむなし、だ。
余談だが私だけ助手席に乗せられた。寂しくなんてないやい。

そうして数分車に揺られ、到着。病み上がりが真っ先に飛び降り、「一番乗りー」とか言っている。叩くぞ。

唯「…ふぃー。久しぶりの我が家だぁー」

玄関の扉を開け、早々に感嘆の声を上げる。まるで旅行帰りみたいだな。

憂「実に二年ぶりだもんねぇ」

唯「そこまでの時間の実感はないんだけどね。ふぅ」

玄関に腰を下ろす唯。疲れているような言いぶりだが、荷物持ちは私とムギだ。
まぁ病み上がりだから強くは言わないが叩くぞ。

紬「荷物、どこに置けばいい?」

憂「あ、私が運びます。紬さんと律さんはあがっててください」

私も荷物を憂ちゃんに手渡し、「悪いね」と一言言って家にお邪魔する。その後ろにムギも続く。
そのさらに後ろから唯が転がってきた。

唯「うへー」ゴロゴロ

紬「…唯ちゃん、大丈夫なの? もしかして歩けないほどとか…?」

唯「いやぁ、なんか気が抜けちゃって。体力的には問題ないんだけどね」ヘコヘコ

イモムシのように這いずってリビングに到着。ダラけることに関しては器用だな、コイツ。

憂「お父さんとお母さんは、細かい手続きとかがあるからもうちょっと遅くなるって」

唯「っていうかむしろ私達だけ早く帰してもらえたみたいな感じだよね」

紬「唯ちゃんリハビリ頑張ってたもの。先生も早く終わったって褒めてたわ」

唯「そりゃあまぁ、まだまだやること沢山あるからね。ね、りっちゃん?」

律「ん、あぁ、そーだな…」

……いかん、唐突に話を振られてドモってしまった。っていうか私の今日の初セリフか、これ。情けない。
ともあれ、ここでその話を振るということは。

29: 2011/05/15(日) 17:24:34.38
律「……ムギは、さ。アイツらのこと、どう思ってる?」

紬「…澪ちゃんと梓ちゃん?」

律「察しがいいね」

紬「どう、って……別に、友達だけど…」

律「私も友達だとは思っているよ。アイツらもそう思ってるだろう。建前上は、表面上は、さ」

紬「…なにが言いたいの?」

荷物を置き終えたらしき憂ちゃんが戻ってくる。異様な雰囲気を察し、身を引こうとしたようだが唯に止められ、座らされる。

唯「ムギちゃんが留年してから、いや、留年決まってからかな。どこかよそよそしく感じたりはしなかった?」

紬「……そんなの、唯ちゃんが事故にあって、りっちゃんと道を違えたあの日から…どこか感じてたわ」

唯「……そっか。ごめんね。そうだね、全ての原因は私だったね」

紬「ご、ごめんね、そういう意味じゃなくって……その、澪ちゃん達ね、まだ『放課後ティータイム』を名乗ってるの」

唯「大学の放課後なんて概念はバラバラだよねぇ」

律「きっとツッコミ所はそこじゃない」

30: 2011/05/15(日) 17:25:58.98
紬「…えっとね、私は、唯ちゃんのいるバンドが、あの5人のバンドこそが、放課後ティータイムだと思ってたの。でもリーダーの澪ちゃんはグループ名を変えようとはしなかった。唯ちゃんがいないのにも関わらず」

唯「ふーん……」

紬「私は…それが納得できなかった。唯ちゃんがいなくても放課後ティータイムは回るんだって、りっちゃんがいなくても何とでもなるんだって言われてるみたいで」

律「…ネームバリューで釣ろうとか思ったんかな?」

我ながら穿った見方だと思う。澪はそんな奴じゃない。
でも『放課後ティータイム、ギターとドラムス募集!』とかいって声をかければ、同じ桜高から進学した人とかは釣れそうなのは否めない。実際のところはどうだったのかは知らないけど。
いや、もしかしたら澪ではなく、誰かの入れ知恵という可能性もある。
極端な穿ち方をするならば、私や唯が帰ってくることを危惧した人とか。ムギを追い出したい人とか。
少なくともムギは不満を感じた。少なくとも、澪達とムギの間に亀裂は入った。
極端な話だとは思うが、私達に恨みを持つ人でもいれば、これくらいのことはやりかねない。やるだけの価値、効果がある。
……もしかしたら唯の事故だって仕組まれたものかも……とまで考えて、さすがにそれはないだろう、と妄想を打ち切る。


紬「――だから…友達だとは思ってるけど、考え方の相違を少し感じるわ」

律「そっか。どうだムギ、こっちに来るか?」

紬「こっち、って?」

律「チーム、リベンジャー」キリッ

唯「あんまりかっこよくないですね!」

律「バッサリだー」

自分でもどうかとは思うけど、それでも唯に言われるのは納得いかない。

31: 2011/05/15(日) 17:28:05.90
紬「……復讐?」

唯「うん。まぁほとんど寝ていた私が言うのは軽いから、りっちゃん説明お願い」

律「つってもなぁ……言いだしっぺはお前だろ」

唯「でも、やっぱり私じゃ軽いんだよ。私はりっちゃんの背中を押しただけ」

律「…そうか。まぁあれだムギ、復讐なんだよ」

紬「…それはさっき聞いたんだけど…」

律「えっと、さ。なんていうか、悔しいじゃないか。唯にしがみつく私を、唯がいたころの思い出に縋りつく私を置き去りにしていく澪達が。置き去りにした結果、成功している澪達が。…って、こう言うと私怨や妬みバリバリだけど」

唯「いいんだよ、復讐なんだからさ」

律「いや、澪達が自分で選んだ道だ、それを認めてやりたい気持ちもあるんだよ。でもさ、なんていうか、結局のところ、気に入らないんだよ。私というのを否定されてるようで」

紬「澪ちゃん達が成功してるから?」

律「それもないことはないけど、そうじゃない。唯が目覚めた時、いや目覚めてから、私と同じように『心配してました』と振舞うのが気に入らないんだ」

紬「それは……」

律「わかってる、実際に心配してたことくらい。でも絶対、何もかも投げ捨てて唯のそばにいた私のほうが心配の量は大きい。唯を大切に思う気持ちは大きい。なのにあいつらは、私と同じ顔をして、私と同じセリフを吐くんだ」

「心配したよ」
「早く元気になれよ」
「また一緒にバンドやろうよ」
「大好きだよ」

私と違って見捨てたくせに、切り捨てたくせに、あいつらはそう言うんだ。

律「何を言おうと…あいつらより、私のほうが、その気持ちは大きいんだ! ロクに見舞いも来なくなったクセして、唯が目覚めたら私と同じように毎日通いやがって…! 私は、私のほうが、絶対――!」

32: 2011/05/15(日) 17:30:46.36
唯「もういいよ、りっちゃん。大丈夫、私はわかってるから」ギュ

律「……抱きつくな、そんなの私のガラじゃない」

唯「今更だよ。ほら、涙拭いて?」

言われて、ようやく自分が泣いている事に気がつく。私はここまで激情に左右される人間だったのか。
……ああ、情けない。

唯「私はちゃんとわかってる。だから私は、りっちゃんのほうに付くって言ったんだよ?」

律「…ありがとう、唯。そしてごめんムギ、憂ちゃん。取り乱したわ」

憂「いえ、そんな……」

紬「私のほうこそ…ごめんね。そんな風に思われてるなんて考えもしなかったから…」グスッ

律「あ、違うって! ムギも私と一緒で唯とのバンドに未練があったから留年してるんだろ? しれっと留年してる憂ちゃんもさ」

紬「…私は…やっぱり、唯ちゃんがいないと、楽しくないから。何かが足りないと、いっつも思っちゃうから」

憂「私は…単に、お姉ちゃんの前を歩きたくなかっただけです。それに、律さんみたいに、お姉ちゃんのために全てを捨てる覚悟は、私にもありましたから」

律「…ははっ、言い方を変えても結局は唯に対する未練じゃないか」

紬「でも…やっぱり復讐なんていわれると、少し過激すぎる気がして…その…」

気が引ける、と言いたいのだろう。ムギも、友達という感情は今もあるし、昔と同じ5人のバンドを結成できるならそれが一番いいことだと思っている。
その気持ちはわかる、というかきっと寸分違わず同じ感情だ。だからこそ唯との間で『そこまで酷いことはしない』という取り決めもしてある。
だがそんなことを知る由もないムギは、優しいムギは、二つ返事で頷くはずがないのだ。
だから、私達が説得しないといけない。

33: 2011/05/15(日) 17:32:27.66
唯「…あのね、ムギちゃん。復讐の先に、何があると思う?」

紬「……何があるの?」

唯「復讐の先にはね、復讐から開放された日常が待ってると、私は思う。もっとも、背負うものは増えちゃってるかもしれないけど」

紬「日常……?」

唯「うん。私達の『想い』をぶつけた復讐の後に、またみんなで仲良くバンドしてる『日常』があればいいなって、私もりっちゃんも思ってる」

ムギは俯く。ムギだって、そんな日常を取り戻したい事は明らかだ。ムギの躊躇う理由はただ一つ、『友達に酷い事をしたくない』ということだけのはず。
なのに唯は『そんなに酷いことはしないと決めた』という言葉を言わない。そのカードを切れば、ムギがなびく事は確実だというのに。
それどころか。

唯「…もちろん私達がすることは、澪ちゃん達の頑張りを、二年間をムダにすることと同じだよ。澪ちゃん達の選択を否定することなんだから」

それどころか、もっとムギが躊躇うことを平気で言う。

唯「だから、復讐をした後は、責任を持たないといけない。その後にある日常を守り通す責任を。きっとそれは、とっても重い。だからムギちゃんに強要なんて、出来っこない」

紬「………」

唯「だから、断ってくれてもいいよ。私達は、既にムギちゃんに復讐はしないって決めてるから」

律「そうだな。ムギだって、気持ちだけならこっち側だし」

そこだけはハッキリ言っておかないとな。脅しと取られるのもイヤだし。
だが、そんな私のフォローは実に無意味なものだった。

34: 2011/05/15(日) 17:33:12.25
唯「でもね、ムギちゃん。断った時は、一つだけ約束して?」

紬「……なにを?」

唯「……私達の邪魔だけは、絶対にしないって。口も出さない、手も出さない。完全に蚊帳の外に居るって、約束して?」

紬「っ……」

その唯の一言に、ムギも私も、言葉を失った。

……コイツは、本当に唯なのか? また憂ちゃんの変装じゃないのか? いや、どちらにしろここまで酷い事を正面切って言えるものか?
ムギは唯を好いて、唯と一緒にいることを願い、澪達から離れたというのに。それなのに「手伝わないのなら私に関わるな」というのは、あまりにもムギの想いを見ていない。
もちろん、復讐という後ろ暗いことをすると打ち明けたのだ、邪魔を許したくないのは当然すぎる言い分だ。
でも、それにしたって、もっと言い方があるんじゃないか。
なんでわざわざ、何よりもムギが傷つく言い方をしなくちゃいけないんだ。
これじゃ結果的に脅迫と一緒じゃないか、唯ッ…!

紬「わ、私……唯ちゃん達の、仲間に、なります……」

唯「…うん」

紬「だ、だから……一人にしないで…!」ポロポロ

唯「…うん、わかったよ」


ムギが涙を流し、懇願する、その姿を見て。

――唯は、確かに、嗤ったんだ。


35: 2011/05/15(日) 17:35:20.12


律「……ダメだ。私が認めない」

唯「…りっちゃん?」

律「こんなのただの脅しだ。こんなやり方で仲間に引き入れて、泣かせて、それで満足なのか、唯は…!」

少なくとも私は満足できない。仲間を泣かせる事なんて、認めるはずがない。
この件に関してだけは…唯は絶対に間違ってる。

唯「…りっちゃんとは、あまり喧嘩とかしたくないんだけど」

律「ムギとならよかったのか? そうなっててもおかしくないことをお前はしたと、私は思ってる」

唯「ムギちゃんとそうなっちゃったら……別に、ムギちゃんにとって私が、それくらいの価値しかない友達だったってだけだよ」

律「そういう言い方をするなよッ!!! そういう言い方が何よりもムギを傷つけているって、そう言ってるんだよ!!」

唯「いいじゃん、結果的にそうはならなかったんだし」

律「そうじゃないだろ! 私の知ってるお前は、どんなことがあろうと友達を傷つけようとする奴じゃなかった…!!」

……あれ?

36: 2011/05/15(日) 17:36:22.57
私、今何かおかしい事を言った気がする。
何か、矛盾してる事を。


唯「りっちゃん。りっちゃんはきっと、まだ勘違いしているよ」

律「……何をだよ」

唯はすごく優しい声で、私に語りかける。
どこか母性を、姉らしさを感じさせる、温かい語りかけ。
自分の発言に違和感を持ってしまった私は、毒気を抜かれ、ただその声に耳を傾けることしか出来ない。

唯「私達がしようとしていることは、復讐だよ?」

……そうだ。復讐だ。でもそれが何なんだ?

……いや、違う。復讐なんだ。
復讐というのは少なからず、相手を傷つける行為なんだ。
だからそもそも。
それを私に持ちかけた唯が――

唯「復讐はね、社会的に、道徳的に、世間の常識で、悪い事なんだよ」


――復讐を語る唯が、私の知っている『イイ奴の平沢唯』であるわけが、ないんだ。

37: 2011/05/15(日) 17:38:02.24
唯「だから、復讐をする私は悪い人。目的のためなら友達を傷つけても平気な悪人。そして――」

律「そして、それに賛同した私も、悪い人でないといけない、と」

唯「…うん」

私は、唯の復讐の誘いに、嬉々として乗っかった。
その言葉を待っていた。その誘いに、誰よりも喜んだ。
それなのに今の私は、友達を傷つける事を許せない。善人であろうとしている。
それは、ひどく歪で、矛盾していて、滑稽で。

唯「ましてや、私達の復讐の相手だって友達なんだよ? りっちゃんにとっては一人は幼馴染」

ここで、友人であるムギを傷つけることに胸を痛めるような私なら。
イザというとき、幼馴染の澪に対しても躊躇いかねない。いや、むしろそっちの可能性のほうが高い。
そういうことを、唯は危惧しているのかもしれない。
そしてきっと、唯はもう躊躇うことは無い。

律「…唯の言い分はわかった。でもそれでもやっぱり、澪達とムギじゃ、私の中での立ち位置が違う。だから…ムギを傷つけた事、やっぱり許せない」

唯「……いろいろ言ったけどね、私はあくまで、りっちゃんを唆した側なんだよね」

律「うん?」

唯「だから、最終的には私はりっちゃんの意思のもとに行動するし、りっちゃんの言う事には従うよ。りっちゃんがリーダー…っていうか部長だからね」

なんでそこで部長が出てくるんだよ。復讐部ってか? 笑えない。

38: 2011/05/15(日) 17:45:42.85
唯「それに、虫が良すぎるかもしれないけど……ムギちゃんが仲間になってくれたなら、ちゃんと謝るつもりだった」

紬「唯ちゃん……」

唯「私達は世間から見れば悪で、もちろん世間には正義になりたい人のほうが多くて。だから敵はきっと多くて。そんなだからこそ、悪仲間はちゃんと団結しないといけないとは、私も思ってるから」

紬「そうよね…内部から綻びが出るようでは、組織としても末期よね。だからこそ、仲間は厳しく選別しないといけない…」

律「なんかムギが言うと説得力あるな…」

唯「だからムギちゃん……ううん、仲間になってくれた、頼もしいムギちゃん。酷いこと言って、ごめんなさい」ペコリ

律「待て待て、またそうやって逃げ道を塞いで――」

紬「ううん、いいのりっちゃん、ありがと。でも私は、やっぱり唯ちゃんとりっちゃんと一緒がいいの」

律「ムギ……」

紬「そして唯ちゃん……唯ちゃんは随分変わったね。強くなったし、冷たくもなった」

唯「……悪、だからね。必氏なんだよ、いろいろ」

紬「そこも。唯ちゃんはいつだって自分に素直だったけど、それでも進んで悪役になろうとはしなかった」

唯「そう、かな」

顔を上げた唯は、珍しく辛そうな顔をしている。私に復讐を持ちかける時も、ムギを追い詰める時も涼しい顔をしていたのに。
そんな顔をする唯を見て……私は嬉しくなった。張り詰めていた空気が緩んでいく気がした。
理由はわからないけれど、原因はムギだ。ムギが仲間になってくれて、そして、唯の変化点を突いたこと。

……ああ、そうか。仲間の前でしか見せない表情なんだ、今の唯の、その顔は。

39: 2011/05/15(日) 17:47:45.42
紬「でも、私はそんな唯ちゃんでも、私のことをまだ友達と思っていてくれるなら…それだけで充分なの」

唯「それは当たり前だよ。澪ちゃんあずにゃんまで含めて、私は友達だと思ってるってば」

紬「自分を置いて先に行った人達なのに?」

唯「りっちゃんはどう思ってる?」

なんで私に振るんだ? と些細な違和感。
でも、私の答えも唯と同じ。

律「みんな友達だよ。あいつらの考えだって、わからないわけじゃないんだ。納得いかないことは多々あるけど」

あいつらのほうが正しいとは常々思っているし、ムギにも伝わっているはずだ。
ただ納得いかないだけ。認められないだけ。
そして、そんな気持ちを抱えたまま、内に秘めたまま、あいつらと元通りの関係になるのは、きっと無理。
だから――私達は復讐をする。それだけなんだ、きっと。

紬「そっか。だったら私はそれだけで充分だし、唯ちゃんのことも、理由があってその上で謝られたら、友達として許さないわけないでしょ?」

唯「…ありがと、ムギちゃん。ムギちゃんと友達で、本当に良かった」

と、ムギ、私、唯の口論は一通り終息したところで、ずっと無言だった憂ちゃんに視線が集まる。

憂「……はい? ど、どうかしましたか?」

律「いや、憂ちゃんは……どうする?」

唯「えっ」

憂「えっ」

律「えっ」

唯「どうするって、憂は私と一緒に来るに決まってるじゃん」

憂「勿論です。だから私は聞かれなかったんだと思ってたんですけど…」

律「……そうか、なんかごめんな」


……こうして、ここに四人の『復讐部』が結成された。

って結局それで行くのかよ、名前。


紬「ところで唯ちゃん、黒唯って呼んでいい?」キラキラ

唯「え、なにそれ」

40: 2011/05/15(日) 17:52:13.39
二章終了

43: 2011/05/16(月) 08:34:09.40
【第三章】:嘘と不安と妄信と


44: 2011/05/16(月) 08:35:06.62
昼食はそのまま唯の家でご馳走になった。憂ちゃんの手料理は相変わらず美味で、私はその感動を素直にそのまま伝えた。
唯ももう普通に食事を摂れるようになっており、おいしいおいしい最高最高と繰り返すばかりだった。ムギも、家で食べるどんな食事よりも美味しいと絶賛し、「将来はお店を開かない?」とか言っていた。
……あれ、美味しいしか言わなかった私って冷たい?

ともかく昼食後。ひとまず復讐のことは横に置き、他愛ない話に花を咲かせる私達四人。
本当に他愛ない、ロクでもない話ばかりだったが、こんな時間が再び唯と過ごせるというだけで私は幸せだったし、ここにいる四人皆がそう思ってるはずだ。

――そうしてしばらく時間が過ぎて、唯が思い出したかのように憂ちゃんに問いかける。

唯「そういえば私の携帯は?」

憂「あ、ごめんねお姉ちゃん、解約しちゃった…」

唯「えー」

律「いや、それは仕方ないだろ。さすがに憂ちゃんは悪くない」

二年も使われないケータイの料金を払っているような酔狂な人はまずいない。
さすがにお金という現実的な問題を目の前にして「唯を見捨てた」と噛み付くほど、私も子供じゃない。

唯「憂を責めてるんじゃなくてね、これから不便だなぁって思っただけだよ」

律「ま、そりゃこの時代、ケータイ持たないと不便だけどさ、また買いに行けば――」

唯「んー、だからそうじゃなくって、そろそろだなぁと思ってさ」

律「? 何か電話がかかってくる予定でも――」

と、そこまで言ってようやく思い出す。

紬「……澪ちゃん達…!」

律「忘れてた……」

そろそろ学校も終わる頃だ。サークル活動があるだろうとはいえ、あまり時間は無い。

45: 2011/05/16(月) 08:39:13.10
唯「まぁ、明日か明後日あたり携帯ショップに行こうかな。それより問題は今日だよ」

紬「唯ちゃんが病院に居ないとわかると、まず電話するわよね…」

憂「家族である私に来るか、いつも一緒に居る律さんに来るか……」

憂ちゃん公認だぜヒャッハー、とか言ってテンションを上げようったって無理な話だ。私の方に電話が来たら絶対怒鳴られる。
澪ならきっと第一声は「どういうことだ、律!」だろう。おお怖い。

唯「りっちゃん、そんなに震えないで」

律「ふ、震えてねーし」

唯「………そう?」

……なんでこういう時だけよく見てるんだ、唯。いや、少なくとも震えてはいないはずだ、私の身体は。
震えているのは、内面。心。精神。きっと唯も、そこのことを言っている。
……さすがに二年も留年すると、真面目に頑張ってる澪に対する劣等感がヤバいんだ。
それでなくても私無しでも充分上手くやれるほどに成長した澪だ、私に対して強気に出てくるのは見えている。マジ怖い。
憂ちゃんの方に行かないかなぁ……電話。

紬「二人とも電源切っておけば、きっと私にくると思うけど…」

唯「ううん、それは流石に不自然だし、ここは上手くごまかして私に替わって欲しいんだ。私のほうから謝っておくから」

そりゃ、謝るとか以前にこうなったきっかけは唯の発言だ。言われなくとも唯に押し付けるつもりだったが。
って、なんか澪を避けたい一心で酷い事考えてるな、私。

……あれ、もしかして私、澪の存在自体がコンプレックスになってる?
いや、相手は澪だぞ? まさか…な。


46: 2011/05/16(月) 08:40:10.09
唯「…うん、電話は憂に出てもらおうか。りっちゃんは電源切ってて?」

律「ば、バカにするな! 私がやる! なんでもかんでも憂ちゃんに押し付けるもんか!」

紬「……私が出ようか?」

律「ム、ムギにはもっと別のことで助けてもらうから…」

唯「それこそ、りっちゃんにはもっと別のことで頑張ってもらうから」

律「頑張るってなんだよ、ただ澪と喋るだけなのに努力しないといけないような言い方じゃないか」

唯「うん」

律「…まるで…私が澪と喋りたくないような、避けてるような言い方じゃないか」

唯「だってりっちゃん顔色悪いんだもん。目も泳いでるし。誰でもわかるよ、無理してるの」

律「……嘘だろ?」

唯「ほんとだよ?」

即答する唯。私は助けを求めるようにムギを見て、

紬「……言いにくいけど」

そして、縋るように憂ちゃんを見て、

憂「………えっと」

律(目を逸らされた…)

……こうして、私はコンプレックスを自覚した。


47: 2011/05/16(月) 08:42:15.68

律「……意外とデリケェトだったんだなぁ私。りっちゃんマジ乙女。ああ鬱だ」

唯「まぁいいじゃん。復讐が終われば、そんなの軽く消えちゃうよ」

律「…そういうもんかねぇ」

唯「そういうもんだよ」

……唯の断言は、なんの根拠があるのかわからなくとも、信じたい気持ちにさせてくれる。それはきっと誰もが感じている事。
例えば高校一年の頃、引っ込み思案な澪を引っ張っていたのは私だったが、誰よりも背中を押していたのは唯だった。高校での澪の成長に一番関わっているのは間違いなく唯だ。
本人に深い考えなんて無かったのだろうが、唯は多くの人を救ってきた。私もムギも、唯がいてくれるだけで救われた。憂ちゃんが唯に心酔しているのも、きっとそのへんから来ているのだろう。
そして少なくとも私は、今も救われている。

律「…ありがとな、唯」

唯「えへへ…どしたの、急に」

律「……変か?」

唯「変だねー。そういうのはやっぱり、全部終わった後に言ってくれると嬉しいな」

律「そっか」

唯「うん」

唯がそう言うならそうしよう。唯がそうして欲しいと言うのだから、私が逆らう理由なんてどこにもない。


紬「多くを語らない関係って素敵…///」

憂「わ、私だって……」

……あっちは放っておこう。


48: 2011/05/16(月) 08:43:55.37

――そうして少し後、憂ちゃんのケータイが着信を知らせる。私? 電源切ってますが何か?

憂「来たよ、お姉ちゃん」

唯「うん、手短によろしく。憂のほうに来たってコトはあずにゃんの可能性もあるけどね」

ケータイを開いた憂ちゃんは、唯に向かって頷く。ということは梓か…
逆に言えば澪は私のケータイに電話かけてる最中なのか? 怖い、怖すぎる。

憂「もしもし、梓ちゃん? あ、お姉ちゃん? うん、いるよ――」

紬「あっ!」

憂ちゃんが話し始めた直後、ムギのケータイまでもが音を響かせる。
これは…澪か。疑うまでも無いだろう。

紬「唯ちゃん……」

唯「出ないで待ってて。憂、早くして」

憂「あ、うん。お姉ちゃんいるから替わるね? 梓ちゃん」

素早くケータイを受け取る唯。
ムギを制し、憂を急かした時の顔とはうって変わって、いつもの能天気な顔と声で梓に応じる。

唯「やっほーあずにゃん、元気ー?」

梓『元気ー? じゃないですよ!! なんで病院に居ないんですか!?』

梓、うるさい。音漏れしまくってる。

唯「あー、お父さんお母さんの都合と、病院の都合もちょっとあってね」

梓『だったらだったで連絡してくださいよ! 心配したんですからね!?』

唯「うん、ゴメンゴメン。まだ色々ゴタゴタしててさ、お父さん達なんてまだ戻ってきてないし」

梓『あ、そんなに急だったんですか…?』

唯「いや、たぶんお父さん達はそのままラブラブしてるんだと思う」

梓『もう、唯先輩!』

49: 2011/05/16(月) 08:48:43.07
唯「あはは、ごめんごめん。澪ちゃんも一緒だよね? 替わってくれる?」

澪、と聞いただけで身構えてしまった私を、目ざとく見ていた唯。立ち上がり、部屋を出て行ってしまう。
気を遣ってくれたのだとはわかるけど、やっぱりどうにも……

律「…情けねー」

憂「律さん……お茶でも持ってきますね」

律「ありがと、憂ちゃん…」

素早く台所に立ち、素早く持ってきてくれる。本当に出来た子だ、憂ちゃんは。
ほどよく冷えたお茶を受け取る。本当なら頭から被って頭を冷やしたいくらいだが、流石にそれは失礼だ。一気に飲み干す。

律「…ふう、少しスッキリした」

憂「よかったです」

微笑む憂ちゃんは可愛い。顔も瓜二つの姉妹だが、笑顔は唯とは違った方向性を持つ。
楽しくしてくれる唯に対して、憂ちゃんは落ち着き、安らぎをくれる笑顔だ。とはいえもちろん、純粋に楽しい笑顔も見せるのだろう。唯や、あるいは梓達同級生には。
ちょっとだけそんな距離感にしんみりしていると、唯が出て行ったほうを見やり、ムギが言う。

紬「……唯ちゃん、何を話しているのかしら?」

律「さあなぁ。言い訳と…あ、週末にパーティーやるんだっけ。それの打ち合わせでもしてるんじゃないか?」

紬「そうね、そうだといいのだけれど……」

50: 2011/05/16(月) 08:51:45.62
律「…何か不安が?」

紬「不安、というわけじゃなくて、わからないの」

憂「…何故、お姉ちゃんが嘘をついたか、ですか?」

紬「うん……こうやって慌てることになるのも目に見えてるはずだし、自分達を除け者にした、と向こうに怪しまれるリスクだってあるわ」

確かにそうだ。復讐をするなら疑われるのは避けたいし、それでなくても今日までは唯はむしろ率先して澪達に好意的に振舞ってきたのに。
あえてここでマイナスになる行為をする理由なんて、思いつかない。

憂「何か考えがあるんでしょう。私は何があってもお姉ちゃんを信じます」

律「それを言うなら…」

紬「うん、私達だって信じてる。ただ、一人で行動されてるみたいで、何か……うん、やっぱり不安なのかな」

私と同じような不安を、ムギも抱えている。もちろんムギも私と同じで、不安があろうとも唯を疑いはしないんだろうけど。
でも、ふと気になる。正確にはこの不安は何なんだろう?

唯が一人でいろいろ背負う事に対する不安?
それとも、私が背負わせてしまっているのではないか、という不安?
それとも……置き去りにされる不安?

きっとどれも正解で、そしてどれも唯からすれば有り得ない。
唯は一緒に居てくれると言ったんだし、ちゃんと私の事も気遣ってくれているのは明らかだ。
だから有り得ないはずなんだ。

でも、やっぱり不安というのは理屈じゃなくて。
この不安を払拭するためにも、やはり復讐を遂げるしかないんだ。


51: 2011/05/16(月) 08:53:46.55

――少しして、唯が部屋に戻ってくる。

唯「ふぅ。どうにか許してもらったよ」

律「なぁ唯、単刀直入に聞くけど、なんでわざわざ嘘ついたんだ? こうなることはわかってただろ?」

唯「うん、手段は選んでられないってことだよ。りっちゃんもムギちゃんも、引く気は無いでしょ?」

律「私は…唯が一緒にやってくれるなら、な」

紬「私も、みんながやるなら」

唯「なんか主体性ないなぁ……」

部長はりっちゃんなんだよ? と唯が頬を膨らませる。可愛い。話の内容を除けば可愛い。
とはいえ、まぁ、確かに主体性がないな、私。
唯のことを信じるんだろ? そうだろ? 田井中律。

律「…そうだな。澪と梓に思い知らせてやるまで、私は退かないよ」

唯「りっちゃんかっこいい~」

律「……でも、一人になっても最後まで戦う、とまではカッコつけられない。私は弱い。誰かがいないとカッコつけられない。だから…力を貸して欲しい」

唯「勿論だよ!」

ムギと憂ちゃんも頷いてくれる。やっぱり、仲間っていいものだと思う。
結局私は、どこか人を引っ張るのが好きなのかもしれない。人を引っ張っている時、誰かがついてきてくれる時、私は一人じゃないって思えるから。
……寂しがり屋は、人の中心に居たがるものだ。案外、澪以上に寂しがり屋なのかもしれないな、私。

52: 2011/05/16(月) 08:56:49.57

唯「――というわけで話は戻るけど。手段を選ばないなら、情報収集は私とムギちゃんに任せて欲しいんだ」

律「そういえばそんなこと言ってたっけ。どういうことだ?」

唯「うん。ムギちゃんはあずにゃんと学年が一緒だし、ね。私にはほら、毎日お見舞いに来てくれてるし」

なるほど、確かに適任だ。事情もだし、それに加えて唯とムギの人当たりの良さは折り紙つきだ。
二年も留年してしまった私には誰もが距離感を感じるだろうし、憂ちゃんも私の側と思われている可能性は高い。
とはいえあくまでも可能性。器用な憂ちゃんならそんなのものともしないとも思える。
あれ、一番役立たずなのは私か、またしても。

唯「りっちゃんはとりあえず、澪ちゃんへの言い訳を考えておいた方が…」

律「うっ……」

電池切れてた、で突っ走るしかない。もちろん実際に電源は落としておくよ、凡ミスやらかすわけにはいかないし。

唯「とりあえず、パーティーの日までに情報を集めておくから、それから復讐の作戦を練ろう」

律「唯は見舞いの時に情報を引き出すってコトだよな? 私はいないほうがいいのか?」

唯「別にどっちでもいいよ。あ、でも金曜と土曜はりっちゃんと一緒にいられないんだ、ゴメンね」

……あ、私今すげー凹んでる。
「なんで?」と、自分の心に聞いたのか唯に聞いたのかわからない言葉が、辛うじて口から出た。

53: 2011/05/16(月) 08:58:04.81
唯「えっとね、今日の退院を教えなかった埋め合わせでね、金曜があずにゃんと、土曜が澪ちゃんとデートなんだ」

よし氏のう。

唯「ほら、手段は選んでられないって言ったでしょ。デート利用して情報集めてくるからさ」

律「今日は木曜日だな」

唯「? うん」

律「つまり明日と明後日なんだな、デェト」

唯「そうだねぇ」

急すぎる氏にたい。

唯「あ、デートという名のパーティーの買い出しだけどね。というわけで憂、何か買うべきものあったら教えて?」

憂「…みんなの好みのメニュー聞いてからメモしといてあげるから、律さんを見てあげて?」

唯「ほえ? …うわっ!? どうしたのりっちゃん!? 灰になってるよ!?」

紬「天然って怖い」



54: 2011/05/16(月) 09:02:10.12

唯「――本当に大丈夫? りっちゃん、どっか悪いの?」

律「いや、大丈夫だから、ホントに。ところで、学校はいつから行くんだ?」

唯「んー? 学校は来週から行くよ。明日の午前中は憂とイチャイチャしとく」

氏のうか。

憂「あ、お、お姉ちゃん、私も明日は学校に――」

紬「いいじゃない憂ちゃん、唯ちゃんの望みだもの、一日くらい休んだってバチはあたらないわ」

憂「紬さんはどっちの味方なんですか!?」

紬「私は……唯ちゃんの味方、かな」

唯「わーい、さっすがムギちゃん!」ギュー

紬「やん、唯ちゃんったら///」

氏にたいけど説明しておくと、憂ちゃんは『律さんと私、どっちの味方なんですか』と言いたかった。ムギはそれを察してわざと嫌らしい答えを選んだ。
でも唯は『私と憂で私を選んだ』と勘違いしている。たぶん、きっとね。

唯「あ、ところでりっちゃん、一つお願いがあるんだけど」

律「……お、おう、なんだ?」

唯「来週からは学校行くからさ、私が戻りやすいように便宜図っておいてくれないかなぁ」

律「なにその無理難題」

唯「あ、やっぱり?」

まぁ、長老としてクラスの頂点に立つようなタイプの人なら出来ただろうけどさ。私は不登校レベルだし。
講師の人にクチ聞いておくくらいしか出来ないだろうなぁ。

……いや、曲がりなりにも二年間、唯より長く学校に通っている事実は変わりはない。
何か少しでも役に立てればそれでいいか。たまにはマジメに学校に行って、できることを探そうか。



――そして夕方。見舞いに訪れた澪と梓は、私やムギ、憂ちゃんには特に強くは当たらなかった。
これはあれか、結果として唯とデート出来ることになったから恨みつらみは水に流したという事か。
あぁ、氏にたい。

55: 2011/05/16(月) 09:10:39.07
翌日。珍しくマジメに一日中学校で過ごすと、周囲の視線が痛い。いや、高校ほど他人に興味のある連中ではないんだけどな。
昼食は便所飯を覚悟したが、ムギが誘ってくれた。そして、その時にした他愛ない会話の中で、一つだけ、抗いがたい魅力を持つ、いわゆる『誘惑』があった。


紬「今日と明日の唯ちゃんのデート、尾行しましょう」


その時のムギの真剣な顔といったらもう、あれだった。いや、やっぱよくわからん。
出歯亀あるいは野次馬根性が半分、嫉妬が半分。ムギのキャラと、ムギ自身の唯への好意。その両方が混ざっていた。
少なくとも私にはそう見えた。

私には…嫉妬しかなかった。
だから。

律「全力でやろう」

そう言うしかないだろう。



そして苦痛でしかない一日を終え、下校しようとした時。どこからか、澪の歌う声が聴こえた。
基本的にスタジオを借りてると思っていたが、校内でも練習してるんだな、と耳を澄ます。あまり気は進まなかったが。
そして、当然のごとく後悔した。

昔よりも綺麗で、なおかつ力強い澪のボーカルが。

澪のものではない、少々自己主張の激しいベースが。

私とは違う、正確なリズムキープをするドラムが。

ムギとは違う、可憐さよりも力強さを押し出したキーボードが。

それらが奏でる音楽が、今の放課後ティータイムが奏でる音楽が、私の心に暗い澱みを作った。
何もかもが、私達の頃とは違っていた。音も、色も、曲の表情も。
更に言うなら私は澪がベースを辞めてボーカルに専念していることすら知らなかった。

私が知ろうとしなかったのもあるが…澪だって、少しくらい言ってくれても……

律「ッ……!」

耳を塞ぎ、頭を振り、全てを振り払う。

律「……くそっ…」

そこでようやく、さっきの演奏にギターの音が無かった事に気づき。
ギターがないのは、梓が唯とのデートの為に活動を休んだからだろう、と思い至り。
ムギとの尾行の約束に間に合わせるため、私は走って帰った。

56: 2011/05/16(月) 09:14:25.04


紬「むぎぎ……ムキー!」

律「落ち着け」

ムギがハンカチを噛んで悔しがる。そう、今は梓と唯のデートの尾行中。

紬「なんであんなに引っ付いてるのよぅ……昨日は私にぎゅーってしてくれたのにぃ…」

律「キャラ変わってるぞ、腹立つ気持ちはわかるけど…」

紬「わかるわよね!? もう出て行ってぶっ壊しましょうよ!」

律「だからキャラが……」

嫉妬全開じゃないか。どこからどう見ても嫉妬に狂う山姥じゃないか。鬼婆だっけ。どっちでもいいや。
まぁしかし、言ったとおり嫉妬する気持ちは私にもわかる。梓が恥も外聞も捨ててベタベタと唯にひっついているから。
生憎、会話の内容までは聴こえない。だがとにかく二人とも楽しそうで、そりゃ嫉妬もするってもんだ。

紬「ホラっ!通行人、もっとドン引きの視線を送って梓の野郎を正気に戻して!!」

……もう何も言うまい。

律「……おや、軽食屋を指差してるな、梓」

紬「食べちゃダメよ唯ちゃん! 憂ちゃんのご飯が待ってるのよ!?」

律「お、ちゃんと断ったか。病み上がりだし、外食は控えるべきだよな、うんうん」

そのへんは梓も心得てるらしい。申し訳なさそうに頭を下げると、唯がナデナデし、梓はまた笑顔になる。 
うらやましい。

紬「くっ…梓ちゃん、まさかそこまで計算して…!?」

律「どうだろうなぁ……単に浮かれてただけだと思うが。梓、たまに抜けてるトコあるし」

紬「あ、ファンシーショップに入った! ファンキーな野郎だぜ、梓ちゃん!」

律「どうすんの? 私達も中に入る? 外から見張る?」

紬「あの店を潰す」

律「パンとご飯どっちがいいって聞いたら牛乳って言われたような、そんな感覚と非常に似ている今の私の心境」

紬「カレーは飲み物よ、りっちゃん」

律「なぁ、会話も通じないなら私達一緒に居る意味あんの?」

紬「外で待ちましょう」キリッ

律「………」

57: 2011/05/16(月) 09:17:20.07


律「――お、出てきた」

紬「持ってる袋はパーティーグッズかしら」

一応名目上はパーティーのための買出しだし、それで間違いないだろう。

律「っていうか今更だけどさ」

紬「うん」

律「なんか唯が色っぽいよな、今日」

紬「うんうん! それ私も思った!!」

まぁ、退院後始めて見る唯のマトモな私服姿だからというのもあるだろう。実に二年以上ぶりに見るその姿。懐かしくも、時の流れを感じさせて。
あとは入院していたが故に伸び放題だった髪の毛か。意識不明だったからかバカみたいに伸びてはいないし、憂ちゃんが綺麗に整えているんだが、なんかこう、高校時代より遥かにオトナっぽい。
肌も、唯の性格上化粧とかはしていないはずだが、なんだろう、あの瑞々しさは。
もしかしてあれか、二年間寝ていたが故に細胞が老化しなかったとか、そんなSFな話なのか。うらやましい。

紬「あっ、梓ちゃんが誰かにぶつかった!」

律「何!?」

ケガしてないだろうな、トラブルになりそうだったら出て行くか、とか考えていたが、唯があっさりとその場を収めてしまい、梓の様子を見ている。

律「……なんだ、大丈夫か」

58: 2011/05/16(月) 09:18:23.00
紬「…そうか、そういうことだったのね!」キラキラ

律「な、何が?」

紬「今日の唯ちゃんがなんかステキに見える理由よ! 梓ちゃんが甘えたりして子供っぽく見えるのも一因よ!」

律「あー、なるほど。梓が子供っぽいと相対的に唯がオトナっぽく見えるってことか」

確かにベタベタ甘える梓からはいつものしっかり者の雰囲気なんて微塵も感じられない。
なんかなー、アイツも二年間、いろいろ抱え込んでたんだな……
……ま、もう私はアイツの先輩でもないし、部長でもないんだ、関係ないさ……

紬「……りっちゃん?」

律「んー? どした、ムギ」

紬「……帰りましょうか、そろそろ」

律「なんで?」

紬「見ていたくないから」

律「……そっか」

それが少し前を歩く女の子二人のことなのか、私のことなのかはわからないが。
どちらにしろ、不快な思いをさせたのなら謝って、さっさと帰るべきなんだろうな。

律「ゴメンな、帰ろうか」

紬「…うん」


――その日の夜、ムギにもう一度メールで謝ると『明日も行きましょう』と返ってきて。
ついでに唯が午前中に憂ちゃんとケータイ買いに行ったと聞いたので特に内容も無いメールを送ったのだが、返事は次の日の朝まで返ってくることは無かった。

59: 2011/05/16(月) 09:27:06.58

土曜日は休日で、昼過ぎからすぐ唯は澪とのデートに向かってしまった。
ムギと再び後をつけたが、詳しい描写は割愛する。

唯は今日もどことなくオトナっぽくて、澪は言うまでも無く美人で。
澪が唯に気を配りながらも常にリードしようとして、でも唯を気にかけるあまり躊躇する事もあって、その時はちゃんと唯が背中を押す。
食事こそ避けたが、それ以外は特に拒む事無く、澪の描いたとおりのデートプランになったようだ。
最後に憂ちゃんのメモを見ながら食材を二人で買う。その姿はどことなく新婚夫婦のように見えた。


……唯はこう、ちゃんとするべきところではちゃんとする奴だ。その分、普段は全然ダメダメだが。
逆にイザってときに萎縮しがちな澪や、日頃強く振舞っているが脆い面もある梓。そういう奴と一緒に居ると、お互いの良さが引き出されて、お似合いだなぁ、とか思ってしまう。
そして、どう見ても唯自身もまんざらじゃなさそうで。

律「……なんだかなー」

紬「不安?」

一言で言い当てられ、思わずビクッとしてしまう。

紬「ふふっ、私も不安だから」

律「…だよな。なんで唯は、あんなに楽しそうなんだろうな。なんで唯と一緒に居る澪や梓は、輝いて見えるんだろうな」

紬「唯ちゃんの心は、こっちにあるはずなのにね」

律「なのに、向こうにいるべきに見えてくるんだよな、唯が」

紬「……実際、向こうにいるべきなんじゃないかしら」

律「…え?」

60: 2011/05/16(月) 09:29:00.63
紬「復讐なんて…唯ちゃんには、絶対に似合わない」

そうだ、それは私だって理解している。
でも、唯は。

律「……私に持ちかけたのが、そもそも唯だ」

紬「でもそれは、唯ちゃんの本心だったのかしら? 唯ちゃんはどんな気持ちで、それを告げたのかしら?」

律「……どういう意味だ?」

紬「わからないわ。私にも唯ちゃんの気持ちはわからない。考えはわからない。友達なのにね」

律「じゃあ、考えたところで――」

紬「でも、りっちゃんならわかるんじゃないかしら? 一番近いって言い張ってた、りっちゃんなら」

律「………」

紬「わからなくても…考えてみるくらいは、してもいいと思う」

……確かに、真剣に考えたことはなかった。
唯がいてくれる、それだけで充分だったから。唯が味方でいてくれるだけで嬉しいから、考えもしなかった。
だから唯が復讐を持ちかけた件についても、それがそのまま唯の本心なんだろうと思っていた。

律「………」

でも。
考えてみたところで。

私は唯を盲目的に信じる事しか頭になかった。

だって、澪達が私を見捨てたのと同じように、私も澪達を見捨てたのだから。道を違えるとは、そういうことだから。
見捨て、見捨てられ、唯だけを信じてきたのだから。
だから。


私と唯の考えが違うなんてこと、あってはならないんだ。


そんなことがあれば……私は一人ぼっちになってしまうじゃないか。

そんなのはイヤだし、怖い。

絶対に…あってはならない。だから。

私は、唯が何を考えていようと、信じ続ける。

そうすれば、ほら。


二人は、ずっと一緒。



61: 2011/05/16(月) 09:37:25.03

第三章おわり

65: 2011/05/17(火) 10:54:14.28

【第四章】:作戦開始

66: 2011/05/17(火) 10:55:14.55


――週末に開かれた退院祝いパーティーについては、語ることも特にない。

唯と梓が買ってきたパーティーグッズは全て使い果たしたし。
唯と澪が買ってきた食材は、憂ちゃんと梓の手で、他に例えようのないくらい豪華なご馳走へと昇華された。

終始、笑顔は絶えず。誰もが心の底から笑い合い。
引け目を感じていた私ですら、澪と仲良く笑い合い。

まさに、高校時代に戻ったような。
小さなわだかまりの一つもない、ただ楽しいだけの毎日を送っていたあの頃に戻ったような。


……そんな錯覚をさせてくれた。


私は、気づいていた。
錯覚だと。ここは作られた空間だと。

何も知らない澪と梓。そして、最大の立役者、唯。

この三人によって錯覚させられた、偽りの幸せの空間。

たとえ、その三人の中で、意図していたのは唯だけだとしても。
他の二人は、本当に心の底から笑っていたとしても。
私の笑顔も、心の底からのものに見えたとしても。

本当の私は、一歩退いた場所からその様子を眺めているだけだった。


――全ては、嘘。

67: 2011/05/17(火) 10:58:32.03

私は嘘が特別下手という訳ではない。だが、付き合いの長い澪になら見抜かれる可能性もある。
そう危惧し、パーティーが終盤に差し掛かったあたりで酔い潰れて寝ることにした。
正確にはそのフリをしたのだが、いつの間にか本当に寝ていたらしい。目を覚ました時には、唯と憂ちゃん以外の姿は無かった。
もっとも、唯もリビングの床で酔い潰れて寝ていたのだが。

憂「あ、律さん。お水いります?」

律「あー、うん、もらう…」

台所から姿を見せ、私が返事すると水を取りに小走りで駆けていく。
酒+寝起き特有のボーっとした頭でそれを見ていたが、水を受け取り、一気に飲み干したあたりで正気に戻る。

律「…みんなは?」

憂「紬さんの寄越した車で帰りましたよ。律さんによろしく、と言って」

律「そっか……片付け、手伝うよ」

憂「いえ、もう終わりますので。お姉ちゃんがついさっきまで手伝ってくれてたんですよ」

律「ん……ごめん、何もしなくて」

憂「いえ…あ、そうだ律さん。それならちょっと相談相手になってくれませんか?」

律「相談? まぁ、私にわかることなら」

憂「はい。私達、実家通学仲間じゃないですか」

あ、なんとなく察した。住居の話だろう。
知ってる人もいるかもしれないが、私達の大学にはちゃんと寮があり、私達もみんな入寮『していた』。
過去形なのは寮のオキテのせい。『留年したら即追放』ってヤツ。
これのせいで留年生の私、ムギ、憂ちゃんは実家に戻るハメになった。もっとも、私は大学にほとんど行ってなかったから原付でも持ってれば充分だったし、ムギは家の車でも回してもらえばいい。
でも憂ちゃんだけは電車などを駆使する事になる。これはなかなかの負担だ。

憂「というわけで、どこか大学の近くに部屋を借りません? 四人で」

律「いいね。ムギにも相談しておくべきだとは思うけど、実際それがベストな気がする」

憂「少し広めの部屋がいいですね、そうなると」

律「出来れば防音しっかりしてるところがいいな。唯のギター、久々に聞きたいし」

憂「私は律さんのドラムも聞きたいですけどね」

律「嬉しい事言ってくれるねぇ。でもそうなると条件厳しすぎないか?」

憂「そうですね…さすがに。スタジオ借りるくらいが関の山でしょうか」

律「だな。ま、ムギにも相談して、明日いろいろ考えてみようよ」

憂「そうですね」

――後日、ムギの力でスタジオ近くの広めの防音設備のいい部屋が借りられることになるとは、夢にも思っていなかった。

68: 2011/05/17(火) 11:00:05.00

憂ちゃんの勧めと、飲酒運転になるということもあり、その日は唯の家に泊めてもらった。
そして翌日、唯と憂ちゃんと一緒に電車で大学に向かう。

唯「……お酒怖い」

律「いつの間にか寝てたか?」

唯「うん……」

律「まぁ、二日酔いとかしてなけりゃ大丈夫だよ」

話を聞く限りでは記憶もあるし体調も悪くないようだ。純粋に酒で勢いのついた寝落ちをしただけだろう。
それよりそんなこと引きずらないで、ちゃんと大学のことを考えないと。

律「あー、唯。この時期の復学なら一応頑張れば進級できるってさ。がんばれよ?」

唯「りっちゃんもでしょ?」

律「まあな。あ、あと悪いとは思ったが時間割とかも私と一緒にしといたから」

予想通りというか何と言うか、大学のほうは平沢唯という休学中の生徒がいる、程度にしか思っておらず。唯が決めるべきことは全て放置状態となっていた。
だから先週末、私は極力、唯と一緒に居れるように駆けずり回った。唯に無断でいろいろやるのは気が退けたが、互いのためにもこれが一番だと思ったから。
……とかカッコイイこと言ったが、そもそも学部が一緒だったし、実際は大して労せず全てを仕込み終えた。

唯「うん、ありがとーりっちゃん。これでいつも一緒だね?」

憂「むー…ズルい」

律「いや、憂ちゃんも一緒の学年なんだし、会うこともあるって!」

ともあれ、ムダに何年も一年生をやっている『先輩』として、これで唯を引っ張ってやれる。

……と思ったが学校にそもそも来ていなかった私にそんな事はなく、曲がりなりにもマジメに通っていた憂ちゃんのフォローにほとんど助けられる事となった。

69: 2011/05/17(火) 11:08:00.10

そして放課後。澪達からの見学の誘いを憂ちゃんが「お姉ちゃんが全快してから」とうまく回避し、私とムギもそれに便乗し。
こうして多少の猶予を得、私達復讐部は唯の家に集結した。


唯「――さて、そろそろ本題に入りたいと思います!」フンス

律「おーおー、部長を差し置いて偉そうだこと」

唯「ははぁー、申し訳ありません。このおやつでどうか怒りを沈めてくだせぇ」スッ

律「うむ、くるしゅうない」

紬「私のお菓子……」

律「いや冗談だから。さぁ唯、続き頼むわ」

唯「うーん、やっぱりりっちゃんが仕切るべきじゃない? 部長だし」

律「そうか? うーん……じゃあ唯隊員とムギ隊員、情報収集の結果を報告したまえ!」

唯「ははっ!」ビシッ

紬「はっ!」ビシッ

憂「ノリノリだー」

憂ちゃんがボヤくが、ノリでいけるのもここまで。
ここから先は間違いなく『復讐』の話なのだから。

唯「……私とムギちゃんが集めた情報では、やっぱり澪ちゃんとあずにゃんはバンド活動に何よりも精を出しているのは間違いないね。そして、そのバンドに私達が戻ってきてくれることを何よりも望んでる」

紬「唯ちゃんはもとより、私やりっちゃんに対しても、二人はちゃんと心からそう思ってるわ。サークルの人数も、演奏が出来る最低限の数で回してるみたい」

唯「そもそも部があるのにサークルでやってるあたりからもそれは伺えるよね」

律「……そうか」

いい奴なのか、甘いのか。どちらにしろ、それは二人の長所。
それなのになぜ……私の気持ちを理解出来ないんだ。私と唯の気持ちを、わかってくれないんだ。ムギとの間に出来た亀裂を、埋めようともしないんだ。

元より、無理なことなのかもしれない。経験したことのない者には、わからない気持ちなのかもしれない。

勝者が敗者の気持ちなど、知る理由がそもそもないように。
聖者が愚者の気持ちなど、考える意味がないように。

勝者は常に上を見ていればいいし。
聖者は常に人を見下していればいいのだから。

だが、その時の私は、頭を掠めたそんな考えになど見向きもしなかった。

律「……じゃあ皆、本格的な復讐の案を出してもらおうか」


70: 2011/05/17(火) 11:13:08.61

唯「――澪ちゃん達のバンドの当面の目標がね、近々開催されるライブイベントらしいんだ」

律「ふむ、どんな?」

紬「ほら、唯ちゃんがギター買った時の楽器店覚えてる? あそこで店員さんに聞いたんだけど、アマチュア限定のやつが毎年開催されてるの。大学の近くで」

律「へー。あれ、ムギは一度も出てないの?」

紬「うん……新しい子の方が、私より上手かったから交代させられちゃって」

……そんなバカな。幼い頃から賞を獲るほどのムギだ、腕前はズバ抜けているはずだ。
それに新しい奴には失礼だが……この前聴いた新しいキーボードの音は、私はあまり好きじゃない。
好みの問題なのかもしれないが、やっぱりムギの音のほうが、私達には合っていると――

律「…ああ、そうか、そういうことか」

紬「うん。澪ちゃんがボーカルに専念してるし、ギターも唯ちゃんの音が足りないし、ドラムもりっちゃんじゃないから、単に私の音が合わなかった、って言うべきかも」

今や高校時代の放課後ティータイムと同じ要素は、梓のギターと澪の声のみ。
こう言っちゃ何だが、梓が入部する前のほうがムギのキーボードは輝いていた。梓の加入後は、キーボードのパートを一部ギターに振り分ける編曲をしたりしたからだ。
つまるところ、梓のギターの有無はあまり関係なく。
そして、文化祭まではそもそも私達のバンドにボーカルはいなかった。
そう考えると、最初期の放課後ティータイムと同じ要素は、今の放課後ティータイムには皆無だ。
少々強引な仮説だが、ムギの音が合わなくなった可能性として充分だろう。

唯「何かが足りない、っていう気持ちは今ならよくわかるなぁ。最初に私が三人の演奏を聞いた時、そう思ったもん」

律「まぁあの時は実際にギター足りてなかったんだけどな」

唯「それも含めて、なんていうのかな、音のバランスっていうか。りっちゃんの元気なドラムばっかりが前面に出てたんだよ、あの時」

律「オウフ」

唯「澪ちゃんの真面目で丁寧なベースと、ムギちゃんの優しく綺麗なキーボードに後押しされて、りっちゃんだけが暴れまわってる感じ?」

律「酷い言い草だ」

でも言いたいことはなんとなくわかる。
唯の入部後はその三つに天真爛漫なギターが乗っかって。支える人が二人、前に出る人が二人。単純な数としてもそれでバランスが取れて、梓が感動して入部するほどになった、というわけだ。
一方、今の梓の演奏がどうなのかは知らないが、要は私が抜け、澪もボーカルに専念したことで、ムギの音ではバランスが崩れてしまうんだ、今の放課後ティータイムは。

71: 2011/05/17(火) 11:19:09.13
紬「あの、それにね、私、やっぱり唯ちゃんがいないバンドって嫌だったから。だから半分は辞退したようなものなの」

唯「嬉しいような、申し訳ないような……」

紬「唯ちゃん、私は負い目や罪悪感は感じて欲しくない。それよりももう一度、私とバンド組んでほしいの」

唯「それは勿論だよ。断る理由、ないもん」

律「私はー?」

紬「もちろんりっちゃんも。あのね、話を戻すけど、それが具体的な復讐の案なの」

そう言い、ムギと唯が視線を交わす。どちらかの案なのか、二人ともの案なのか。どちらにしろ二人はその案に自信があるようだ。

唯「その近々開催されるライブイベント、澪ちゃん達は常連らしいんだ。人気も知名度もあるし、今年はそのイベントのラストを飾らせてもらえるらしいよ」

律「…大トリってか? すげーな、あいつら」

紬「だいぶ評価されてるってことよね。だから、そこでその評価をひっくり返す、あるいは崩す、壊す、覆す」

律「……というと?」

唯「そのイベントの話題を、私達が掻っ攫っちゃおうってコト」

紬「放課後ティータイムのファンを、みんな奪っちゃうくらいにね」

なんだ、澪達に不祥事でも働かせる陰湿な案かと思ったが、正攻法らしい。もっとも、陰湿すぎると唯との協定に反するし、当然といえば当然なんだが。
だが、正攻法であるからこその問題点も勿論ある。

律「それは……また、難しそうなことで」

唯「そうだね、ブランクもあるし、知名度ゼロの新生バンドで初参加の私達はアウェー。かなり厳しいことになる」

紬「でも、もしこれが叶えば……満たされると思わない?」

それは確かにそうだ。私達を見捨てて二年間好き放題やってきたあいつらより私が上に立てば、それは確かに胸躍る最高の『復讐』となる。
だって、あいつらは絶対に後悔する。自分の選択を。私と唯とムギを見捨てたことを。
そして…私が正しかったと、思い知る。私達には唯が必要なんだと思い知る。そんな唯をずっと待っていた私こそが正しかったと、思い知る。

万が一、思惑通りにいかなかったとしても、別にいい。復讐に失敗したとしても、澪達に私の想いをぶつけることは出来る。
私が澪達に抱いている不満を、ぶつけることは出来る。

二人の提案に乗らない理由など、何もなかった。

72: 2011/05/17(火) 11:26:30.55


律「でもバンドを組んで乗り込むとして、ベースがいないぞ?」

唯「そう? ここには四人いるんだよ?」

律「…憂ちゃん、やれるの?」

憂「やったことはないですけど…やれと言うなら、頑張ります」

……私が命令していいのだろうか、そんなことを。
とはいえ、ベースがいないとどうにもならない。そしてこれ以上メンバーを増やす気もない。答えは出ているようなものなのだが…

唯「憂は器用で丁寧だからね、きっと澪ちゃんみたいなベース、奏でると思うよ」

律「いや、そのへんは心配してないんだけどさ…」

憂「……律さん、毎日欠かさずお姉ちゃんのお見舞いに来てくれて、ありがとうございます」ペコリ

律「お、おう。いや、私が好きでやってたことだし……でもなんで今?」

憂「律さんが毎日来てくれたから私も毎日頑張れた面も、少なからずあるんです。ですから恩返しの意味も込めて、私に出来ること、何かやらせてください」

律「…それは、私だって一緒だよ。憂ちゃんが毎日頑張ってるから、私はせめて唯のことだけは諦めないって思えたんだ。学校と両立していた憂ちゃんのほうが、私より凄い」

憂「でも、それは――」

律「だから、さ、憂ちゃん。私にはお願いしか出来ない。忙しいとは思うけど、私に力を貸してくれないか?」

憂「……忙しくても何でも、お願いなら断りませんよ。仲間ですから」

律「ありがとう。憂ちゃんの負担は、少しでも減らすよう努力するから。唯が」

唯「えっ、私!?」

律「当たり前だ。お前が寝てる間の憂ちゃんの奮闘ぶりは24時間使っても語り切れないぞ、聞くか?」

唯「うえぇ……」

憂「り、律さん、いいですから。私が好きでやったことですから」

73: 2011/05/17(火) 11:29:20.09
唯「…でも、確かにそうだね。私は二年間、何もしてないどころか憂の仕事も増やしてりっちゃんムギちゃんにも心配かけてたんだもんね、何かしら報いないとね」

律「…私のことはいいよ、私がそうしたかっただけなんだし」

紬「私だってそうよ」

憂「わ、私もだよ、お姉ちゃん」

律「それじゃ話が振り出しじゃないか」

唯「ううん、決めた。どうにかしてみんなに恩返しはする。絶対。私が決めたんだからノーサンキューとは言わせないよ?」

憂「別にいいのに……」

ムギも憂ちゃんも、『自分はいいから他の人にしてやれ』という気持ちだろう。もちろん私もだが。
特に憂ちゃんは、唯の世話をどこか当然の責務と思っているフシがあるし。

唯「でも…許して貰えるなら、復讐が終わるまで待って欲しい。そっちに集中して、なんとしても成功させたいから」

憂「それはもちろんだよ、お姉ちゃん」

紬「うん」

律「………」

本当になんだろう、この私と唯との温度差は。
勿論、私だって復讐を望んではいる。だが私はそれこそ『復讐をする』ことだけが目的なのに対し、唯は『復讐を遂げる』ことが目的なように見える。
もちろんそれは、私にとってはこの上なく頼もしい。でもやっぱり、どこか危なっかしい。
それこそ澪達に退院日を告げたときのように、一人で突っ走る可能性がある。
だから、私は釘を刺す。

律「…病み上がりなんだし、無茶はするなよ、絶対に。唯が一番大事なんだから、私達は」

唯「…うん、ありがと、りっちゃん。幸せ者だよね、私は」

私自身はどうかはわからないが、あんな健気な妹や、心の広い友人を持っているんだ、幸せ者じゃないわけないだろう。
でもそれを伝えて諌めるよりも、唯にちゃんと言っておかなければいけないことがある。

74: 2011/05/17(火) 11:36:19.65
律「なぁ唯。私達もさ、唯がいてくれて、友達でいてくれて、それが幸せなんだ」

唯「…あはは、照れる照れる」テレテレ

律「だからさ、ちゃんと聞いてくれ。絶対に無茶はするな。私達も頼れ。部長命令だ、いいな?」

唯「……心配しすぎだよ、りっちゃんは」

律「…そうじゃない。心配じゃないんだよ。わかってくれよ、唯…」

そうだ、これは心配じゃない。そんな尊い気持ちじゃない。もっと醜い、自分本位の感情。

律「不安なんだよ。寂しいんだよ。怖いんだよ。もう二度と、唯のいない日常に戻りたくないんだよ…!」

唯がいてくれるだけで幸せだから。
だからこそ、失うのを誰よりも恐れているんだ。

唯「…よしよし。りっちゃんも弱いトコロあるんだね。普通の女の子みたいだよ」ナデナデ

律「……どういう…意味だよっ…」

唯「…言っていいの?」

律「……言ってみろよ」

唯「……可愛いよ、りっちゃん。とっても」

律「っ~~~!!///」

やべぇ、すっげぇドキッとした。
あいつらのデェトの時に確証は持てたが、ホント、最近のコイツはなんか時々オトナっぽくて困る。

唯「あっははっ、りっちゃん真っ赤~!!」

律「う、うるせー! もう、このバカ!!」

なんだよ、なんなんだよもう、こんちきしょう。
ムギも憂ちゃんも笑ってないで助けろよ!

律「あーもう、やっぱりこんなの、私のガラじゃない!!」


75: 2011/05/17(火) 11:48:59.33


唯「落ち込んでるりっちゃんは放っておいて話を進めまーす」

律「聞こえてるからいいよチクショウ」

唯「とりあえずね、そのバンドイベントに参加するために猛特訓するのは当然だけど、その前にどうやって参加するかが問題なんだよね」

憂「普通に申し込めばいいんじゃないの?」

紬「それでも勿論いいわ。でもどうせならサプライズ的なイベントで飛び入り参加させてもらった方が印象に残ると思うの」

唯「主催者にクチ聞いて『放課後ティータイムにライバル登場!』みたいな煽り文句で参加させてもらえれば効果てきめんだよね」

紬「もちろん、澪ちゃん達には内緒でね」

憂「確かにそうですね…でもそんなの可能なんですか?」

紬「可能といえば可能だし、そんなツテは無いといえば無いわ」

憂「……少々申し訳ないやり方、ってことですか」

紬「私には、それくらいのことをやる覚悟はあるわ」

唯「そういえばムギちゃんにギー太安くしてもらった時のお金返さないと。事故の慰謝料か保険金が少しは余ってるはずだし」

紬「唯ちゃん、そういう話は今しなくてもいいじゃない? っていうかそんなの気にしなくていいのに」

唯「ダメだよ、お金のことはちゃんとしないと。10万円だったよね」

原作設定ですね、わかります。

憂「お姉ちゃん、余ってるかどうかはお母さん達に聞いてみないと。っていうか話が逸れてるよ」

唯「あー、うん。なんだっけ。あぁそうだそうだ。要は主催者に会えればいいんだよね?」

紬「そうだけど、何か作戦が?」

唯「作戦ってほどのものじゃないけど、澪ちゃん達が常連なんでしょ? 澪ちゃんに頼めば普通に会わせてくれそうじゃない?」

76: 2011/05/17(火) 11:53:20.69
紬「そうかもしれないけど…怪しまれない?」

唯「私が行けば多分大丈夫だと思うよ。「主催者さんに会って、澪ちゃん達の二年間の活躍を見たい」とか言えば」

憂「そっか、お姉ちゃんが戻ってきてくれるのを待ってる澪さん達だもんね、確かに疑われにくいかも」

仮に私が行きでもしたら「どんな心変わりだ」と疑われること請け合いだ。
ずっと眠っていた唯以外に適役はいない。

紬「主催者さんの方にはなんて説明するの?」

唯「そこは澪ちゃんしっかりしてるから説明してくれるよ。そして私の顔を覚えてもらったら、次の日にでも四人で申し込みに行こう?」

憂「お姉ちゃんが打算で動いてる……かっこいい!」キラキラ

紬「……えっと、そうね、そこまで言うなら唯ちゃんに任せてみましょうか。ダメだったら普通に電話ででもエントリーしましょ?」

唯「うん。まぁ見ててよ、上手くやってみせるから」

……あれ、私がいなくても話がまとまったぞ?
まさかホントに最初から最後までスルーされるとは思わなかった…

唯「りっちゃん、聞いてた?」

律「あ、あぁ、うん。いいんじゃないか?」

唯「違うよー。いいと思うなら号令かけてよ。檄を飛ばしてよ。鬨の声を上げてよ」

律「檄を飛ばすの使い方が合ってるかどうかわからないけど、まぁいいや」

偉そうにふんぞり返って指示をするだけの上司みたいな立場で、あまり気が進むものじゃないけれど。
でも唯が求めてくれているんだ、それに応えよう。

律「じゃあこの件については明日から唯の個人行動を許可する。私に逐一報告は欠かさないように」

唯「ラジャー!」

律「そして唯も含めだが、演奏で復讐を果たす以上、私達は演奏に妥協は認められない。各自、本腰を入れて鍛錬に励むこと!」

紬「サー、イエッサー!」

律「なおかつ勉学にも励むこと。勉学をこなしながらも演奏で奴等を上回ってこそ、真に復讐は達成される!」

自分で言ってて耳が痛いけど、要は留年しない程度に頑張れってことだ。

律「苦しい戦いになると思うが、諸君の奮闘を期待する!!」

憂「りょ、了解です隊長!」

紬「恥ずかしがってる憂ちゃん可愛い~」

憂「もうっ、紬さんっ!///」


唯「っていうかこれ部活じゃないよね、軍隊だよね」

律「散々乗っておいてここで冷静になるなよ」

77: 2011/05/17(火) 12:00:45.19


――それから数日で、ムギも含めた四人で部屋を借りて。唯の作戦も無事成功して。
だが、そこで思ったよりもイベント開催まで時間が無いことが発覚し。
比喩ではなく血反吐を吐く思いで私達四人は練習し、勉強した。
「一気に痩せた気がする」とはムギの言。それほど私達は頑張った。正直、澪達に構う暇さえなかった。

何よりも頑張りが顕著だったのは唯で、ガチで文武両道を貫いている。あと早寝早起き。
早寝すぎて夜に会話出来ない日があるほどだ。寝室の同じ憂ちゃんの話ではそれこそ「氏んだように寝ている」そうだ。
夜遅くまで勉強して「頑張った」と言い張る私のような人もいるが、唯は短期集中型なのでそれには当てはまらない。実際、音を合わせてみるたびに驚くほど上達しているのがわかる。
それに加え、澪がいない分のボーカルまで一手に引き受ける事となっている。澪に似せたボーカルの『色』を出そうと四苦八苦しているのをよく聞く。生憎、私では力になってやれそうもないが。

次に頑張っているのは憂ちゃん。とはいえ、それは単純にベースの上達具合を見ての判断だ。
憂ちゃんはあっという間に高校時代の澪のような正確なリズムキープをするベースを奏でるようになった。気配り上手で世話焼きな性格からか、他人に合わせるのも合わせさせるのも非常に上手い。
それだけのテクを持ちながらもあくまで表に出てこようとしないので、正直勿体ないと思う。
あと勿論歌も上手いので、コーラスでいいから参加してもらえないかと画策中だ。
余談だが、作詞もほとんど憂ちゃんに任せてしまった。余談で済ますには酷い話だが。

ムギは技術のほうは問題ないので作曲の方に専念してもらっている。
話し合いの結果、『私達はあくまで私達らしい曲を』ということになったので作曲は全てムギに丸投げだ。
実は最後まで『似たような曲をぶつけ、わかりやすく優劣を決める』との二択で悩んでいたのだが、作曲者ムギの鶴の一声で前者に決まった。
やはり書きたい曲を書いて欲しいし、ムギはちゃんと私達の技量を見て作曲してくれる。変に意識した縛りを持たせて作曲してもらうよりは、ずっと私達の力が発揮できると思ったから。
そうして書き上がった曲は二曲。演奏時間の関係もあってそうなったが、ムギ自身はまだまだ書き足りないご様子。頼もしい。

一方私は、別に昔から自分の演奏技術に自信を持っているわけではないが、それでも上達はしていると思うし、皆にちゃんと合わせられていると思う。
でもある日。いろいろと皆に投げっぱなしで任せているので、せめて演奏くらいは、と頑張っていると唯に釘を刺されてしまった。

78: 2011/05/17(火) 12:03:26.07
唯「りっちゃん、焦ってる」

律「…そうか? 頑張ってはいるけど」

そんなに頑張らなくていい、私達を頼れ、と唯は言う。あの時とは立場が逆だ。
でも実際、そこまで無理をしている自覚は無い。思い当たるフシがない私の顔は、唯には雲って見えたのだろうか、心配そうに覗き見られる。

唯「…まだ、何か不安なの? それともまだ悩んでる?」

律「いや、そんな暇さえないよ、最近は。ある意味、凄く充実してる」

これは嘘偽りない私の気持ちだ。生きているという実感がある。復讐によって。
と、そこでふと疑問を持つ。

律「…でもさ、これって本当に復讐なんかな?」

唯「どういうこと?」

律「逆恨みとか、そういうのに近いだろ、私の感情は。あいつらに直接危害を加えられたわけじゃないんだし」

私が自分で、澪達と同じ道を歩くことを拒否した結果がこうなっただけだ。私が唯にしがみついた結果がこうなっただけだ。
私が澪達にぶつけたい気持ちは、見捨てられた恨みではない。いや実際はそれも少しはあるんだけどそれ以上に、その先にあった『唯』という光を、私が手にしたということを思い知らせてやりたいだけだ。
純粋には『復讐』ではなく、私は私が正しかったことを『証明』したい、それだけだと思う。
でも、唯はそれを否定する。

唯「…二年間捨て置かれるのは、危害じゃないってこと? 仲間だと思ってたのに簡単に道を違えた、それだけで私がどれだけ傷ついたか、思い知らせようというのは間違ってるの?」

律「……いや、そりゃ唯にとってはそうかもしれないけど、私は……」

唯「りっちゃんは傷ついてないの? 澪ちゃんもあずにゃんも、りっちゃんより自分の道を選んだんだよ。りっちゃんの悩みも苦しみも、わかろうとしなかったんだよ?」

律「それは…そうだけど」

唯「……りっちゃんが全く傷ついてないっていうなら、これは復讐じゃなくなる。だったら、もう復讐部も解散だね」

律「え……ちょ、ちょっと待てよ唯。解散ってそんな、いくらなんでも……」

唯「意地悪で言ってるんじゃないよ。私はりっちゃんに従うって言ったじゃん。りっちゃんが本当に望まないことなら、私も諦めるよ」

唯は、真っ直ぐ私を見つめ、言葉を紡ぐ。
らしくないほどいろいろと打算で動いてきた唯だけど、目覚めてから今まで、私に嘘をついたことは、無い。

79: 2011/05/17(火) 12:05:47.94
唯「本当なら一人ででもやり遂げたいけど、大事なのはりっちゃんの意思だから。りっちゃんが、澪ちゃん達を傷つけることを一切良しとしないくらい恨んでないなら、ちゃんと諦める」

それは、つまり。
私が、唯の意思より澪達の心身を大事だと言うならば、諦めると。
唯自身の恨みより、私の意志を尊重すると。そういうことなのか。

もしかして私に惚れてるのか、唯。
……なんてな。

でも、そんなことを言われて唯の意思を否定できるわけも無く。それにそもそも。

律「……勘違いしないでくれ、唯。私は逆恨みかもしれないと言っただけで、恨んでないとは言ってない」

唯「…傷ついたから、恨むんだよね。だからこれは、復讐で合ってると思うよ」

律「そうだなぁ……傷ついてない、と言えば嘘になる、かな」

ムギに告げた『あいつらの振る舞いが気に入らない』というのは確かに逆恨みに入りかねない。
でも同時に、澪達が躊躇無く私を見捨て、別の道を歩いたことに、傷つかなかったなんてとても言えない。
あいつらに悪意は無い。あいつらはあれが正しいと信じていたし、私もちゃんとわかってくれる、という考えだったんだ。私もそれは理解できる。だから胸を張って復讐とは言えなかった、今までは。

でもやっぱり、思い返してみれば、澪達の選択は私を一人ぼっちにすることで。それを受けて、私は傷ついたし。
そして同時に、私が全てを捨ててでも待つと決意した相手、唯をも一人ぼっちにしかねない選択で。そんなことをする奴らを、到底許すことなど出来ない。
傷つけられ、許せない。ならばそれは、復讐といって差し支えないのではなかろうか。

律「…やめないよ、復讐は。あいつらに思い知らせてやるんだ。自分達のしたことを」

唯「うん。そして私は、どんなことがあってもりっちゃんの味方だから。りっちゃんに従うから」

律「…そっか、頼もしいよ」

唯「…だから、と言っちゃ何だけど、りっちゃんはちゃんとりっちゃんのままでいてね? 自分を見失わないで、自分の感情に正直でいてね?」

律「……覚えとくよ」

何故、唯がそんな心配をするのかはわからない。私は常に私であってきたはずだ。
それに、私というものは、私の感情というものは、唯に言われて再認するまでもないものだ。

唯を信じる。
唯のことが大好き。

それが私というものだ。言われるまでもないし、これからもブレることはない。


80: 2011/05/17(火) 12:11:38.11
第四章終わり

84: 2011/05/19(木) 11:15:30.80

【第五章】:イービルライヴ


87: 2011/05/19(木) 11:19:47.43


――あっという間に時は過ぎ、イベントの日がやってきた。
現地にはそこそこの広さの屋外特設ステージと、なかなかの人数の入る観客席。思ったより金をかけたイベントのようだ。
唯とムギの話では幅の広い多数の主催者だか出資者だかがいるらしい。まぁ誰が主催だろうと演奏には関係ないんだけどな。

律「…ふむ」

私達も出場するわけだが、出番はだいぶ後。澪達の応援に来たフリをして、観客席で手元のプログラムに目を落とす。
唯の作戦の成功により、プログラムの放課後ティータイムの前に『シークレットイベント! 放課後ティータイムに史上最強の挑戦者現る!?』みたいな一文が唐突に追加されている。

律「……煽りすぎだろう。シークレットなのは挑戦者の名前だけだし、このイベントに参加してる奴ら全員挑戦者みたいなもんじゃないのか」

紬「そうねぇ。澪ちゃん達はそこそこ知名度あるからここに雑誌の取材とか来ててもおかしくないし、それに便乗、あるいは上回ろうという野心のある人は多いはずよね」

憂「まぁ、私達もなんですけどね」

唯「やっほー。澪ちゃん達のご到着だよー」

律「お、来たか」

澪達と行動を共にしていた唯が私たちのほうに来る。といっても唯以外にいるのは澪と梓だけ。追加メンバーは合流していないようだ。
そして澪と梓は私達の所に来るまでに声をかけられまくっている。やはり人気はダテじゃない。

澪「…ふう、久しぶりだな、皆」

梓「お久しぶりです」

律「おっす。人気者だなー?」

澪「嬉しいけど楽なことばかりじゃないよ。なんだよ、シークレットチャレンジャーって」プンプン

プログラムを見て、澪が憤る。本当に主催者側からは内緒にされているようで一安心。

88: 2011/05/19(木) 11:27:35.17
梓「かなり煽ってますからね、実力は申し分ないんでしょう」

澪「別に戦いたくてバンドやってるわけじゃないのにな……皆、互いを高めあうライバル、それでいいじゃないか」

紬「澪ちゃんかっこいい~」

ムギが一見自然な笑顔で澪を持ち上げるが、内心は私と同じだろう。
内心は、この場で「相手は私達だよ」と言ってやりたい。言って、驚愕に歪む顔を見たい。
でもそれはこの場ではいけない。ステージの上でないといけない。
澪、梓。その時を楽しみに待っていろ。私も今は笑顔をこらえてるんだから。

唯「澪ちゃん達は今からずっと控え室にいるんでしょ?」

澪「ああ。たぶんその謎の対戦相手も控え室にいるとは思うんだけどな……ま、そう時間はかからないよ、ゆっくり見ていってくれ」

梓「私達の仕上がりも上々です、きっと感動しますよ! だから唯先輩、そろそろ戻ってきませんか?」

思わず、表情が歪みそうになった。
梓は本当に楽しそうで。澪も満更ではなさそうで。
そこに唯は、ムギは、私はいないのに。なのにお前達は楽しいと、人を感動させるような演奏が出来ると、そう言うんだな。

律「………っ」

思わず拳を握り締めていたらしい。右隣からムギが、左隣から憂ちゃんが、手を重ねてくれた。
そして唯も、私の方を一目だけ見やって、澪と梓に向き合う。

唯「そだねー。本当に私達を感動させるような演奏だったら戻ろっかな」

澪「約束だぞ?」

唯「勿論だよ。心に響く音楽ってのは、あると思うし」

梓「そうまで言われちゃ気合いも入るってもんですよ!」

澪「よし、行くぞ梓!」

梓「はい!」

来た時と同じように多数のファンに見送られ、控え室の方に向かう澪と梓。
二人に笑顔で手を振りながら、唯は誰にともなく呟いた。

唯「……心に響かせてあげるよ。私達の音楽を、ね」

その暗い呟きに同調するかのように、私の心も暗く、黒く淀んでいく。
ああ、今なら確かに最高の音楽を響かせてやれそうだ。

私達の、復讐のメロディーを。


89: 2011/05/19(木) 11:37:36.31

唯「ムギちゃん、準備は出来てる?」

紬「ええ、大丈夫よ。ホラ」

ムギが指差した先。ステージの近くに停められた、スモークガラスの大型バン、というかキャンピングカー? とにかくデカすぎる車。
私達は控え室での澪達との鉢合わせを防ぐため、外で着替え、準備をすることになっている。その為の車があれだ。
主催者側も了承済みらしいが、ホント、唯らしくないほど手回しがいい。ムギの力を借りるハメになったのは少し申し訳ないけど。

律「ありがとな、ムギ。いろいろと」

紬「いいのよ、仲間だもの。あ、ところで衣装の件なんだけど」

律「…え、衣装とかあんの?」

紬「もちろんよ。今の格好でやるつもりだったの?」

律「……それもそうだけど」

すげぇラフな格好である。私だけじゃなくて皆。
今は観客なんだし、それで間違いではないのだが、確かに演奏するとなると話は別だ。どうするのだろう?

紬「まぁ大丈夫よ、よく知ってる人が衣装準備してくれたから」

律「イヤな予感しかしない」

憂「そろそろ着替えた方がよさそうですよ? 係員らしき人が手を振ってます」

律「あー、行くか…」

……その後、車の中でメガネの悪魔と再会したのは言うまでもない。

90: 2011/05/19(木) 11:42:56.28


悪魔「音楽でケンカとかロックじゃない。一発カマしてきなさい!」

とかいう悪魔の囁き…ではなく喝を背中に受け、車を降りる。衣装が地味に重い。
衣装について詳しく言及できるだけの知識は私には無いが、一言で言うなら『カッコよさ』を前面に押し出したデザインだ。
とは言うが、さわちゃんの昔のように、化粧やペインティングで無駄にメタルっぽさを出したりはしない。髪もいじったりはしていない。
ただ、私はカチューシャを、唯はヘアピンを外し、少し背伸びした感じに。憂ちゃんは髪を解き、高校時代の唯とそっくりに。まぁ、演出の一環だ。
といっても見分けはつく。衣装は唯が赤を基調とした色合いで、憂ちゃんは青と区別してある。色以外は全く一緒だけど、そもそも今は唯のほうが髪が長い。

唯「あー、前髪がうっとうしい……スカートも短くて寒いし」

紬「唯ちゃん、色っぽくてオトナっぽくてえOちくてステキよ!」

律「その褒め方はどうなんだ」

言ってることは一言一句否定しないけどな!

憂「うへへへ…お姉ちゃんとお揃い…うへへ…」

律「憂ちゃん戻ってこーい」

唯「りっちゃんとムギちゃんは露出少なめでいいねぇ…」

紬「後衛ですから!」

律「っていうか寒い季節でもないだろ。それともスカートの中身覗かれそうでイヤなのか? 見せパンなのに」

唯「風が強いじゃん、今日。なんかそういう目で見られるのには抵抗あるよ、やっぱり」

羞恥心のない唯でも見世物になるのは好まない、か。新しい発見だ。
まぁ確かに知ってる人に見せるのと知らない人に見せるのでは大違いだ。しかも大多数相手にとくれば、少し考えればわかること。

唯「ひゃっ!」

そんな唯を、不意に横殴りの風が襲う。どうにも私達の出番が近づくにつれて風が強くなってきた気がしてならない。

律「……風、か……私達のやる事を後押ししてくれてると信じたいな」

紬「そうね…」

唯「大丈夫だよ。風の一つや二つ、味方につけてみせるよ」

紬「なんか赤壁の戦いみたいね!」

憂「孔明のお姉ちゃんもかっこいいよ!」

律「あ、帰ってきたのか」

唯「じゃあ総大将のりっちゃん! よろしく!」

律「おう! 皆、全てをぶつけに行こう! 出撃だ!!」

「「「おー!!」」」


たとえ直前までバカやってたとしても、私の声で凛とした表情になってくれる。
……ありがとう、みんな。もう少しだ、もう少しだけ、私についてきてくれ。


91: 2011/05/19(木) 11:46:45.64


『さぁ、この後は皆お待ちかね、人気絶頂の現役女子大生ガールズバンド、放課後ティータイムの登場……なのだ、が! 今回は命知らずにも彼女たちに正面から勝負を挑む猛者が現れたァー!!』

誰かは知らんが本当、無駄に煽ってくれる。

『放課後ティータイムと因縁を持ち、ヒールを自称する4ピースガールズロックバンド、その姿を見て恐れ慄け、放課後ティータイムッ!!!』

煽りが終わった後、会場からブーイングが上がり、ステージには非常に濃いスモークが焚かれる。
係員の話では、舞台袖に澪達が待機しているから、そこから見えないようにする措置だそうだ。
実に至れり尽くせり、最高の舞台を整えてくれる。

律「………」グッ

唯「………」フンス!

紬「………」ムギュ!

憂「………」コクリ

言葉を交わさず、私達は一斉にステージに飛び乗り、配置についた。



――まだスモークも濃く残るうちから、一曲目の演奏を始める。

律「ワン、ツー、スリー、フォー!」カンカン

一曲目は、ムギらしい、もっと言うならまさに『放課後ティータイム』らしい、ふわふわの唯の声を活かしたポップ寄りな曲。
ロックバンドと紹介されておいてポップなのは少々気が引けるが、こういう曲こそが私達らしいとは思う。
……ムギからの伝聞になるが、今の澪達はこのような曲を歌うことは非常に少ないらしい。やはり唯の歌声が無いとこういう曲は成り立たないとわかっているのだろう。
だから、そういう意味でもこれは私達の最大の武器。一曲目で武器を掲げ、二曲目で振り下ろす。それが私達の作戦だった。

……この曲が終わる頃には、スモークは充分に晴れるだろう。

そう思いながら演奏を続ける。演奏には誰も一点の曇りも無い。観客のブーイングも一瞬で止んだ。皆、過去最高の演奏をしている自覚があった。

曲が終わる。

スモークが晴れる。

どうだ、見ているか、澪。
どうだ、聞こえているか、梓。

……どうだ、思い知ったか、二人とも。

92: 2011/05/19(木) 11:53:49.60


澪「……どういう、ことだよっ!!!!」

舞台袖から澪が唯に歩み寄る。今にも掴みかからんとする勢いだったが、後ろから梓が抑え、唯の前には憂ちゃんが立ちはだかる。
念の為スタンバイしている係員は、ムギが視線で制していた。

梓「落ち着いてください、澪先輩!」

澪「なぁ唯、一緒にやってくれるって言ったじゃないか! なんで…なんでお前達だけでバンド組んでるんだよ!!」

梓「澪先輩ッ!!」

梓の静止も聞かず、激情に身を任せ、前のめりの澪。対する唯はあくまでクールに、憮然と告げる。

唯「なんでって…聞いてなかった? 放課後ティータイムに因縁のある人が集い、打倒を誓った。私達はティータイムから零れ、はみ出した者達」

澪「因縁って何だよ…私達が何をしたって言うんだ!? 一緒にやってくれるっていうのは嘘だったのか!?」

唯「嘘に決まってるじゃん。今のそっちのバンドに、私達の居場所が無いのが何よりの証拠だと思うけど?」

澪「っ、違う、違うよ唯……私は――!」

感情のまままくし立てる澪に対し、唯は観客も意識した会話をする。
あぁ、もちろんマイクは入っている。澪の悲痛な叫びも会場にずっと響いている。
だが客席は、澪に対する同情よりも唐突に現れた実力者、唯に対する興味の方が勝っている。
それは唯の話術、演出の賜物。今、間違いなく唯はこのステージを掌握する支配者だ。

唯「……でもね澪ちゃん、心配しなくてもこのバンドは一回きりだよ」

澪「え……?」

唯「だって、この一回で――」

人差し指を、澪に突き付け。唯は宣言する。


唯「――放課後ティータイムを、潰すから」


今、風は間違いなく私達の方に吹いている。


93: 2011/05/19(木) 12:06:25.11

――そして二曲目。梓に引きずられる澪を尻目に、唯がギターをかき鳴らす。
ギターリフから始まる、看板に偽りの無いガールズロック。今の放課後ティータイムが得意としそうな曲調を、私達らしく奏でた旋律。
それに乗る、唯が猛特訓の末に会得した、もう一つの声色。澪のような凛々しさを思わせる声色。
まったく『色』の違う歌声に、観客はどよめく。そこに畳み掛けるように憂ちゃんのコーラスを乗せ、私はハイハットを刻みながらスネアを軽快に響かせる。
間奏ではギターとキーボードが華麗に絡み合う。もちろん一歩引いた憂ちゃんのベースにしっかり乗せて。
そしてブレイクの後にもう一度……爆発する花火のように、唯が声を張り上げる。
私から見て当然、その姿は誰よりもカッコよく、輝いて見えて。観客の反応を見る限り、それは同じだったようで。

私達の演奏は、大歓声の後に幕を閉じた。


唯「――みなさん、どうもありがとうございます。えー、ご存知の通り、私達は皆、放課後ティータイムに因縁のあるメンバー達です。こうしてバンドを組んだのも、彼女たちに対する復讐です」

物騒な言葉を口にしたが、観客席は思ったより静かだ。先程のやり取りで冗談では済まされない関係であるということはわかっているのだろう。
舞台袖の澪に目をやると、既に膝をついて泣き崩れていた。

唯「――ですが、ここは音楽の祭典です。私達の私情など、貴方達には何の意味も持ちません。純粋に音楽として、バンドとして、私達と彼女達のどちらが優れていたか、評価して欲しいと思います」

梓もただ顔を伏せ、肩を震わせている。
残る三人のメンバーが慰めもしていないのが少し気になった。

唯「次は放課後ティータイムによる演奏です。全てが終わった後に、また会いましょう」

ピッ、と少しカッコよく指を振り、澪達とは反対の方に退場していく唯。もちろん私達も遅れないように後を追う。
何度か瞬くカメラのフラッシュが心地良かった。


94: 2011/05/19(木) 12:10:28.83


――その後の澪達の演奏については、コメントするのも憚られる。
演奏技術の面で私達が追いついていた、とは決して言えない。二年ものブランクを、そんな僅かな時間で埋めれるはずがない。良くてもどっこいどっこいレベルだろう。
だから結局は、このカタチで私達が現れたという事実、それだけで全てが決まったと言える。

私達の存在が。
唯の言葉が。

澪と梓の心を、粉々に打ち砕いた。

そしてそれは――


『投票の結果ァー! 今回の突発バンドバトル、勝者は――』

それは、ステージ上で膝を折る澪と、見下す唯の構図が何よりも示している。

今、私達は、彼女たちが積み上げてきたもの全てを、打ち砕いたのだ。


『勝者のコメントォ、どうぞ!』

唯「……と言われましても、実際のところ困るんですよね。私達は今、目的を果たしました。達成感こそありますが…言った通り、このバンドを続ける意味も、もうありません」

事情を知っている私達は、その言葉にはただ頷くしかできない。復讐を達成した私達は、あとは日常を取り戻す、それを頑張らなければならないのだ。
だが、その言葉に顔を跳ね上げたのは澪だった。

澪「ゆ、唯! だったらバンドを解散した後は、こっちに来ないか?」

唯「…澪ちゃん?」

澪「唯はさっき、居場所が無いと言った……けど、それは間違いだ! 見ての通り、私達にはギターは一人しかいない!」

唯「確かに、梓ちゃん一人だね」

『梓ちゃん』と言われ、梓が少し身を縮こまらせた。

95: 2011/05/19(木) 12:17:11.25
澪「だから、戻ってきてよ、唯! ずっとその場所は開けておいたんだから! 放課後ティータイムをずっと守り続けてきたんだから、私は!」

ムギが澪から視線を逸らした。
ムギは過去に言った。澪は唯がいなくても放課後ティータイムは回ると言っている気がする、と。でも生憎それは間違いで、澪もまた、唯の居場所には執着していたんだ。
私も微妙な気分になった。澪は少なくとも、唯は見捨てていなかった。唯の居場所を守るため、放課後ティータイムを名乗り続け、自分も強くなったんだ。
そして、そんな真摯な澪に心打たれたのは私達だけではなかったようで。

唯「……りっちゃん、私、どうすればいい?」

唯が、私を振り返る。
その表情には、何も無く。
本当に私に尋ねているのか、それさえ疑いたくなる表情で。
だから、思わず問い返す。

律「…なんで、私に聞くんだ?」

そこでようやく、唯の表情に色がつく。
その色は、紛れもない『寂しさ』で。

唯「…私は、りっちゃんの何?」

律「………」

唯「私は、何でここにいるの?」

重ねて問われ、ようやく唯の表情の意味に思い至る。


唯『――私は、どんなことがあってもりっちゃんの味方だから。りっちゃんに従うから』


唯はあの日、確かにそう言った。そう言ってくれたんだ、私に。私だけに。

ならば、私がすることは、バカみたいに問い返すことではなく。


律「行くな、唯。私のそばにいろ」


唯「――うん!」


この笑顔を、守ることだ。


98: 2011/05/19(木) 12:50:14.18


律「――悪いな澪、唯は渡せない」

澪「律……どうして…」

律「……もう、今となっては過ぎた事だよ」

復讐を果たした今となっては、それを持ち出すことさえも憚られた。
復讐とは常に一方的なもの。もちろん問われれば納得いくまで答えるが、それは今じゃない。
今するべきことは、他にある。

律「……澪、お前がこっちに来ればいい」

澪「え……?」

律「それが、私達の望みなんだよ」

うん、と背後で皆が頷いてくれた気配がする。
私にとっては、復讐はあくまで通過点。皆もそれは一緒のはずだ。

澪「いい、の…? 私のこと、恨んでるんじゃないの…?」

律「言っただろ、過ぎた事だって。それとも今度は、澪が私達に復讐するか?」

澪「い、イヤだ…! 私だって、皆と一緒がいい…!!」

律「心配しなくても、納得いくまで説明はする。納得いかなければ罵りも謗りも受ける。だから今はこれだけを聞いてくれ」

日常を求めるための、第一歩。
全てを元通りにするための、第一歩。

律「……私達は皆、澪にこっちに来て欲しいんだ。それだけは信じてくれ」

手を伸ばす。
澪は熟考し、少し躊躇し、その後――

澪「……信じる」

――手を取ってくれた。


99: 2011/05/19(木) 12:54:52.21

唯「梓ちゃんは、どうする?」

梓「っ……! 唯、先輩……!」

唯「よく考えたら私のほうが学年下なのに先輩って変だよねー」

梓「私にとっては…いつまでも先輩です。でも…貴女にとっては、違ったんですね…」

唯「違わないよ。そっちにいれば『梓ちゃん』、こっちに来れば『あずにゃん』。それだけの話だよ」

梓「っ……わ、私は……」

唯「放課後ティータイムは、後ろの三人にあげちゃえばいいよ」

梓「……そんな無責任なこと、出来ませんよ……」

観客席のほうは大騒ぎだ。「放課後ティータイム分裂か!?」「いや壊滅、消滅か!?」とか、実に好き放題言っている。
さっきのカメラのフラッシュやムギの話を思い出す。好き放題言ってる連中は、音楽雑誌の編集者だろうか。だとしたら私達もついに雑誌デビューだな。喜んでいいのかわからないけど。
そんな中、唯と向き合う梓は、どうにか一言だけ言葉を搾り出した。

梓「……何日か、時間をください」

唯「うん。いつでも連絡してね」

それだけ言い残し、うなだれたまま他のメンバーと一緒に梓は退場していった。
それを見届け、ステージから降りた私達は、あっという間に人混みに囲まれ、質問の嵐を受けた。
えっ、なにこれ。

唯「ちょっ…今は立て込んでるので、後にして……!」

やはりというか何と言うか、人の群れはボーカルとして目立っていた唯に集中しているようだ。私の前には少ないが、それでも無視できる人の量ではない。
強行突破か…とムギと目線で語っていると、私達の背後ギリギリに勢いよく滑り込む車が一台。

さわ子「乗れやああああああぁぁぁ!!!」

律「おっしゃぁ!!」

扉を開け、ムギを乗り込ませる。憂ちゃんが滑り込み、澪をムギが引き上げ、私は唯の手を引いて文字通り飛び込む。

さわ子「飛ばすぜえええぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

唯「ちょ、さわちゃんドア開けっぱなし!!」

さわ子「知るかぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

澪「ひいいいぃぃ!!」

なんで車運転するのにメガネ外してるの、この人。


唯「……はあぁぁ~…」ドンヨリ

憂「お姉ちゃん、どうかしたの?」

唯「ん…思い過ごしだといいんだけど、さっきね、りっちゃんと一緒に飛び乗った時ね…」

憂「うん」

唯「シャッター音がしててね」

憂「うんうん」

唯「…パンツ撮られた気がして」

憂「」

澪(シンパシー)


100: 2011/05/19(木) 12:57:23.48

そんなこんなでイベント会場から逃げ戻ってきた私達。

律「………」

澪「………」

部屋に戻ったはいいが、二人きりで空気が重い。
メガネの悪魔は私達を送り届けてすぐ颯爽と走り去ってしまったし、ムギと憂ちゃんは夕食の買い出しに行ってしまった。
唯に至っては精魂尽き果てたのか自室で寝ている。おいおい。

律「えっと、どこから説明すればいい?」

澪「…復讐について。まぁ、頭の冷えた今なら少しは予想つくけど」

律「うん、なら話は早い。えっと――」

順を追って、澪と道を違えてから私がずっと抱いていた気持ち、唯が目覚めてからの澪達の態度に対する不満、ムギの抱えていた悩み、それらを語って。
ただずっと神妙な顔で聞いていてくれた澪は、話が一区切りつくと、ちゃんと頭を下げてくれた。

澪「……ゴメン。律がそんなに思いつめてるなんて、考えもしなかった」

律「もういいよ。もういいんだ。正直、やりすぎたような気もしてるんだよ、今は」

何か言いたそうな様子の澪だが、それ以上口を開くことはしない。

律「…澪達の選択はさ、間違っていたとは思ってないんだ、私は。私の復讐が成功したのは、唯がたまたまこっちに付いてくれたからに他ならない」

澪「唯にも…謝らないとな」

律「アイツ超怒ってるぞ~? なんせ私に復讐を持ちかけたのも、いろいろ仕組んだのも全部唯なんだからな」

澪「そ、そうなのか……うぅ、イヤだなぁ…」ガクブル

律「まぁ、怖いとは思うけど謝れば許してくれるよ。そう言ってたし」

澪「怖くはないし、謝るのは当然だ。ただ、そこまで唯を怒らせたという事実だけが怖いんだ……唯に、嫌われてるんじゃないかって」

結局怖いんじゃないか、それ。

律「あぁ……それは…どうだろう。でも一緒にバンドしたいとは言ってたぞ?」

澪「そうか……よし、今から言ってくるよ」

律「いや寝てるだろ今は。起こすのも可哀相だ」

澪「いや、善は急げだ。私の覚悟が変わる前に!!」ダッ

律「……行っちゃったし。嫌われたくないとか言いながら嫌われそうなことするなぁ、アイツ」


……数分後、泣きながら戻ってくる澪の姿があった。
最悪の事態を想定しながらも、恐る恐る何があったのか聞いてみたら「唯がいい奴すぎて」とか言っていた。とりあえずは一安心か。

101: 2011/05/19(木) 13:06:36.61

その後しばらく、澪との会話に花を咲かせた。お互いの今までのこと、これからのこと、そして唯のこと。
昔と変わらないように語り合った。語り合えた。全部、唯のおかげだ。

そしてムギと憂ちゃんが帰宅した頃、丁度唯が目を覚まし、姿を見せた。

律「おや、お早いお目覚めで」

唯「澪ちゃんと…あずにゃんのせいだよぉ」

澪「ご、ごめん…って梓?」

唯「うん。あずにゃんからメールきてね、今から会えないかって」

律「ふーん、結論出したみたいだな」

唯「何日か、って言ってたのにねぇ…ふあぁ~、ねむ…」

憂「替わりに行ってこようか?」

唯「いいよ、すぐ終わるだろーし……いってきまー」

フラフラと玄関を開け、頭と足の小指を一回ずつぶつけてから唯は出て行った。
……大丈夫か、本当に。

澪「…なんというか、アレが私達を追い詰めたとは思えないな……ステージの上ではカッコよかったのに///」

紬「白くなっちゃったわねぇ」

澪「…しろ?」



102: 2011/05/19(木) 13:08:20.71


唯が出て行ってから一時間くらい後。本当に唯をあのまま見送ってよかったのか悩んでいると。

律「ん? 電話か」

ディスプレイには唯の名前。少し嬉しくなり、それと同時にわざわざ電話してくることに少し疑問もあり。
でも何にせよ無事なようで何よりだ。

律「もしもし、唯?」

そうして、唯の言葉を僅かだけ聞き届けた後。

私は、家を飛び出していた。


――後悔に押し潰されそうになりながら。



律「待ってろ唯、今行くから――!」

唯『…りっちゃん…あの、ね…』

律「苦しいなら喋るな!」

唯『…苦しい、よ。だから…もう、会えないかもしれないから……言っておきたいことが、あるんだ…』

律「バカな事を言うな! そんなの聞いてたまるか! 生きて私に伝えろ!!」

唯『聞いてなくても、いいから……せめて、録音でも、しといて』

律「ッ……」

言われるまま、ケータイのボタンを押し、それからの会話を録音する。


だが、それから唯と何を話したかはほとんど覚えていない。


私は、息をするのも忘れ、膝が笑うくらいに全力で走って。

辿り着いた、その場所で。

ただ、氏んだように横たわる唯の姿を眺めながら。

実際、ピクリとも動かない身体と、青ざめたその顔を見ながら。


救急車が到着してから、ようやくケータイの通話終了ボタンを押した。




――肋骨が折れている、とか。内臓が傷ついている、とか。同時に頭も打ったのだろう、とか。
なんかいろいろ言われたが、それらは全て私の耳を右から左へすり抜けていった。

大事なことは、ただ一つ。


――唯はまた、いつ目覚めるかわからない眠りについた、ということ。

103: 2011/05/19(木) 13:12:04.15
第五章終わり

107: 2011/05/19(木) 17:45:43.98

【第六章】:   


108: 2011/05/19(木) 17:46:57.11



澪「――梓が自首したそうだぞ、律」

律「………」

澪「氏んでいないのに自首ってのも少し違和感あるよな、この時代」

律「……そう、だな」

澪「…聞いてるのか?」

律「……返事はしただろ」

澪「……そうだな」

私の隣に椅子を持ってきて腰掛ける澪。その姿は…こう言っては何だが、あまり落ち込んでいるようには見えず。

澪「落ち込んでるぞ、当然だろ」

律「…口に出してたか?」

澪「顔に出してた」

律「……そうか」

澪「………」

律「………」

澪「こういう時は、思いっきり殴り飛ばして、さ」

律「……ん」

澪「お前がそんなんでどうするんだー、とか。アイツの意思を無駄にするなー、とか」

律「………」

澪「そういうのが『正しい』展開で、『イイ話』なんだろうな」

律「……だったら何だよ」

澪「いや、何でもないな。私は少なくとも、それをするつもりはないから。というか何もするつもりはないよ」

律「………じゃあ、出てけよ」

澪「……ふう、そうだな。確かに邪魔かな、私は」

109: 2011/05/19(木) 17:48:22.24
律「………」

澪「…あまり握り締めてると壊れるぞ、携帯電話」

律「……いっそ、壊してしまうか」

澪「大丈夫、流石にそんなことしたら殴り飛ばすから」

律「……そうか」

澪「何が入ってるのかは知らないけどさ」

律「……教えてないし」

澪「……私さ、部屋の写真立ての掃除は怠らないようにしてるんだ」

律「……なんだよ、急に」

澪「埃被って、色褪せてしまう前にどうにかしてやれ、ってことだよ」

律「……出てけよ」

澪「そうだな。30分で戻るよ」ガタッ


律「……アイツ、学校はいいのかねぇ」

呟きに反応する人は誰もおらず。
それどころか、音を発するモノが私以外皆無だ。
……ただ一つ、その気になれば音を発する手の中のモノを除いて。

律「……病院でケータイって、ダメだろ、よく考えたら」

そんなことにも気づかなかったのか、澪は。
それほど、私を心配していたのか?
それとも、気づいていてなお無視するほど、私のほうが大事なのか?

マナーやモラルより、こんな私を見ているのが苦痛だったのだろうか?
いつも通り、いや、いつも以上に冷静ぶって振舞っているように見えたんだが。

……違うな。これは私への当てつけだ。
私は以前、間違っていると知りながらも復讐の道を選んだ。それと同じように、間違ってると知りながらも病院でケータイを使えと、そう言っているんだな。

110: 2011/05/19(木) 17:50:10.26

律「……バカか」

流石に命に関わるような間違いを自ら犯す気にはならない。それが大切な人の命なら尚更だ。

……いや、でも。よく考えたら、復讐の道を選んだ結果、こうなったのではないか?
犯人は梓と言っていた。ということはやはり、私達の復讐に対する復讐。
『憎しみは、憎むべきものが氏んだ後まで残る』と、どこかで耳にした。ならばやはり、復讐という道は……私と唯の選択は、間違っていたのだろうか?

律「……そんなの、嫌だ」

正しいか、間違いかなんてどうでもよくて。単純に嫌だった。私と唯を否定されるのが嫌だった。
私は、私達の選択を、悔いてはいけない。復讐したことを悔いてはいけない。

唯が梓にやられたからといって、落ち込んではいけないし、憎んでもいけない。
これは私達の『選択』であり、『責任』である。
唯は言っていた。復讐を遂げたら、日常を守る責任が発生すると。

ここで私が落ち込んだり、梓を憎んだりしたら、また日常が遠ざかる。
唯の望みが。私の望みが。私達の思い描いた未来が。
そんなの……

律「…そんなの嫌だよな? 唯ッ…!」

……私達の思い描いた未来は、まだ色褪せてなんていない。唯の想いは、埃を被らせておくわけにはいかない!


手の中のケータイの感触を確かめ、部屋を出た。

111: 2011/05/19(木) 17:52:17.33

澪「――うわっ、びっくりした。まだ30分には早くないか?」

律「お前は病院内でケータイ使えって言うのか? バカ澪」

澪「……いや、そうだな、それはダメだよな、律」

律「守るべきものは弁えてるつもりだからな、これでも」

澪「ふふっ、それは頼もしいな」

律「こう見えても部長なんでね。もう少しカッコつけてみようと思ってさ」

私は一人じゃカッコつけられない。
でもまだ、私は一人じゃない。それに仮に一人でも、まだ唯の想いが、この手の中にある…!


――病院の外に出ると、少しだけ蒸し暑い空気にげんなりする。
そんな私を見て、澪は「車で来てる」と言い、案内してくれる。

律「…車の中も蒸すけどな」バタン

澪「うるさい、エアコンつけるから待て」ピッ

まぁまだ夏というほどでもない。うだるような暑さには程遠い。それほど経たずに快適といえる温度になった。

澪「…で、その携帯電話に何が入ってるんだ?」

律「……地図、かな」

澪「…私のでも見れそうなもんだけど」

律「いいや、唯が残してくれた、私だけの地図さ」

澪「……なるほど」

念の為車載充電器を借りて繋ぎ、ケータイを操作する。

律「えーっと……」

澪「…機械オンチキャラじゃなかっただろ?」

律「うるへー」

……通話を録音することなんて滅多にないから、どこに保存されるかなんてわからねーんだよチクショウ。
あ、もしかしてこれか?


唯『りっちゃ…ん……』


澪「唯!? これ、まさか――」

律「静かにしてくれ澪、一生のお願いだ」

澪「…ゴメン」


112: 2011/05/19(木) 17:53:33.24


唯『みんなに……ゴメンねって、伝えて…』

律『真っ先にそれかよ…このバカ』

唯『うん…澪ちゃんには、酷いことしたし、ムギちゃんにも、結局、いろいろ、背負わせちゃった……』

律『………』

唯『憂には、結局、何も、返してあげられなかった……げほっ』

律『ッ…!? 痛むのか…!?』

唯『階段で、足、滑らせちゃって……ドジだよね、はは…』

律『救急車は呼んだか!? 呼んでなければ――』

唯『いちお、自分で呼んだんだけど、ね……』

律『なら尚更大人しくしてろっ!』

唯『こほっ……あー、りっちゃんには……何言えばいいか、わからないや…。何を言っても、きっと、りっちゃんは、泣いちゃうし』

律『……泣かねーし』

唯『えへへ……最初から、ずっと、涙声……』

律『…うるせー』

唯『…何を言っても、ね、りっちゃんは、抱え込んじゃうし、背負い込んじゃう。だから、きっと、何も言わない方が、いいんだよ』

律『………』

唯『でも、もし、いろいろ抱えたままでも、りっちゃんが、立ち上がることがあったら……みんなを、ちゃんと、助けてあげてね?』

律『……どういうことだよ』

唯『澪ちゃんは、きっと、強気に振舞って、でも、きっと傷ついてて。ムギちゃんも、なんか、いろいろ抱えすぎて、きっと、おかしくなっちゃう頃だよ』

律『………』

唯『憂は、その、もう、ダメかも。だから、憂は、間に合えば、でいいから』

律『…重い、な』

唯『あと、あずにゃんのことも、お願い。あずにゃんは、やっぱり、いい子だから……』

律『……私には、本当に何もないのな』

唯『……そろそろ、限界、っぽいし』

律『っ、少し待て、もう少しだから、もう着くから!』

唯『………りっちゃん……』

律『黙って待ってろ!!』

唯『…氏にたくないよ……』グズッ

律『……今更泣くなよ、バカ…!』

唯『……大好きで、ゴメンね……りっちゃ……』

律『………私だって、大好きだよ。だから黙ってろ!』

唯『………』

律『……唯?』

唯『』

律『唯……?』

113: 2011/05/19(木) 17:55:29.07


――ボタンを押して、再生を止める。
ここから先は、私のみっともない問いかけが繰り返され、救急車が到着して終わり、だ。

律「……ったく、カッコつけるなら最後までカッコつけろよな…」

最後に、最後の最後に、大好きとかゴメンねとか言われたら。
そりゃ、私だって落ち込むに決まってるだろ。抱え込んで、背負い込んで、澪にハッパかけられるまで動けなくなって当然だろ。
……そういうことにしといてくれよ。

律「……なぁ、澪」

澪「…なん、だよ…」

律「お前、唯がこうなってから、泣いたか?」

澪「……まだ、だな…」

律「…ちょっと用事が出来た。後でまた電話するから、ここにいろ」

『泣いてない』ではなく『まだ』と言うか。
ゴメンな、お前だって落ち込みたいだろうに。私が先にしっかりしなくちゃいけないのにな。

律「…あー、そうだ、これ聴いてろよ」

澪「……何が入ってるんだ?」

私が差し出した携帯プレイヤーを手に取り、問い返す。
正直言うと片時さえも手放したくない物だが、澪になら渡せる。

律「唯の歌。今回は全部唯ボーカルだったろ? 唯、頑張ってたんだぞ」

澪「……私が聴いていいの?」

律「…当たり前だ。澪には世話かけたし」

澪「……そっか」

律「トラック7とかオススメだぞ。じゃあな」


114: 2011/05/19(木) 17:57:44.95



澪「――トラック7、か……順番に聴いてみたいけど、まあ、騙されたと思って……」


唯『……あー、あ゛ぁ~~~↑↑』

律『ブッ!? な、なんつー声出してんだ、お前!?』

紬『唯ちゃん、この音よ、この音』ピーン

憂『頑張って、お姉ちゃん!』

唯『うーん、澪ちゃんみたいな声って意識すると、音程取るのが難しくて』

律『音程以前に澪っぽい声ですらない』

唯『うーん、澪ちゃんどうやってあんな声出してるんだろ』

律『胸から出してるに決まってるだろ』

唯『おお、あのボリュームの胸には二つの意味でボリュームがあったんだね!』


澪「んなワケあるか!!!」


憂『大丈夫だよお姉ちゃん、胸が小さくても声がカッコイイ女の人は沢山いるよ?』

唯『遠回しに胸が小さいって言われた気がするよ』

律『実の妹に言われるとダメージでかいな』

憂『え、そ、そんなつもりじゃ……』

紬『うふふふふ』

唯『うわああああ~ん、澪ちゃん助けてー!』


澪「…ははっ、あいつら結局バカやってるのか。あまり憂ちゃんに迷惑かけるなって言ってるのに…」

115: 2011/05/19(木) 17:59:21.50


律『……澪、か…』

紬『澪ちゃんコンプレックスのりっちゃん、どうしたの?』

律『イヤな言い方するな』

紬『……まだ、躊躇ってる? それともまだ不安?』

律『まさか。そんなことないさ』

唯『あ、じゃあ当ててあげましょー! あれでしょ、早く澪ちゃんともう一回バンドやりたいなーでしょ!』

律『………』

唯『図星でしょ~? 私もそう思ってたからねー。憂とツインベースとかどうだろう?』

紬『…ちょっと書いてみたいわ、それ』

憂『え、私は澪さんが戻ってきたら抜けるよ、お姉ちゃん…』

唯『え~、それは勿体ないよ。勿体ないし、私も寂しいよ』

律『そう簡単に脱退なんてさせないぞー? 我がバンドを抜けるには血湧き肉踊る100の試練を突破せねばいかんのだ!』

憂『今夜はしゃぶしゃぶにしましょうか』

律『『血湧き肉踊る』から適当に連想されたようだ』

憂『血湧き肉踊る試練って想像できなくて…つい』

唯『澪ちゃんのツッコミが恋しいねー』

紬『…でも、これも澪ちゃんを仲間に迎える為よ。頑張りましょ?』

唯『そうだね……よーし、澪ちゃんを想ってもう一回歌うよ!! ♪~~』


澪「……ははっ、酷い声だ……」

澪「………」ポロポロ

澪「唯……唯ぃ……」

澪「ずっと、待ってるからな……」


116: 2011/05/19(木) 18:02:59.82


――原付をカッ飛ばして、私達の部屋まで戻る。
ムギも憂ちゃんも電話は繋がらなかった。ここにいないとなると探し出すのは少々骨が折れるが……

律「ムギ! 憂ちゃん! いるか!?」

紬「あ、りっちゃん。おかえりー。憂ちゃんなら寝てるから、静かにね」

ムギに頷き、憂ちゃんの姿を確認して一安心。念の為言っておくがちゃんと息もある。
ムギの様子も普通だし、最悪の事態は避けれたようだ。

律「……学校、やっぱ行ってないのか」

紬「行ける訳ないわ。憂ちゃんが目を覚ましたら病院に行こうと思ってたのに、りっちゃんこそどうしたの?」

律「…ま、いろいろあってな」

紬「ふーん…? あ、ちょっと相談があるんだけど、いいかしら?」

律「ああ、別に、私で手伝えることなら何でも」

その為に戻ってきたと言っても過言じゃない。ほとんど病院で過ごしていた私はムギに負担をだいぶかけていたとは思うし、唯に言われた件が無くとも何かで償おうとは思っている。
そして、そんなムギは、

紬「うん、あのね、大したことじゃないんだけれど――」

ニコニコと、いつものムギの笑顔で。


紬「――憂ちゃんが氏にたがってるんだけど、どうやって氏なせてあげればいいと思う?」


117: 2011/05/19(木) 18:10:59.98


二の句を告ぐ前に、私はムギを抱きしめていた。

紬「……りっちゃん?」

律「………」ナデナデ

紬「…ふふっ、唯ちゃんみたいなこと、するのね…」

律「…あいつほど上手くやれないよ」

紬「……憂ちゃんがね…お姉ちゃんがいない、って、いっつも言ってて。手首とか首筋とか、見た?」

律「……見てなかった」

紬「………そう」

律「…今だけじゃない。いつだって、私は、ムギや憂ちゃんのこと、ちゃんと見てこなかったのかもしれない」

二人とも、私なんかよりずっと人間が出来てると思ってた。
しっかりしてるし、自分というモノをちゃんと持ってると思ってた。
世話してもらうことこそあれど、世話する機会なんて永遠に訪れないだろうと思っていた。

でも唯に言われた通り、現実は違っていて。

紬「……りっちゃん、私ね、もう、疲れちゃった。憂ちゃんを憂ちゃんから守るの、もう、無理…」

律「…疲れたら、休めばいいよ。もう何もしなくていいから」

紬「……でも、それじゃ…」

律「ムギはこうして、私に相談してくれたじゃないか。後は任せろ、なんとかする」

紬「……本当に…?」

律「あまりみんなのこと見てない、ダメな部長だったかもしれないけど。言われればちゃんとしただろ?」

紬「…りっちゃんは…ダメなんかじゃない。私だって、私のほうが…いつも無力で…!」

笑う場面じゃないのに、笑ってしまう。ムギが無力だなんて、何を見てればそんな風に思えるんだろうか。
いや、言うまでもないか。自分以外、だ。
自分のことなんて二の次で、他人のことばかり見ているから。常に他人のことを気にかける、優しいムギだから。

律「…みんな、優しすぎるんだよ。背負いすぎるんだよ、一人で。勿論、憂ちゃん自身も」

紬「そう、かな……」

律「そうだよ。たまには怠けて、サボっていいんだ。私や唯みたいにさ」

紬「…ふふっ、そうね。……あぁ、またみんなで、お茶したいな…」

律「……そう遠い日じゃないよ。取り戻そう、みんなで」

紬「…うん」


安心したように、ムギが目を閉じる。抱きかかえ、憂ちゃんが寝ているところまで移動。
……ムギ、太ってるとか気にしてたけど、随分と軽いじゃないか。ゴメンな、ずっと世話かけてばかりだ。

118: 2011/05/19(木) 18:12:55.73


律「――憂ちゃん、起きて」

憂「……律…さん?」

律「ムギが寝るから、交代。ホラ起きて」

紬「あはは……ごめんね、憂ちゃん」

憂「……はい…」

緩慢な動作で身体を起こす憂ちゃんを咎めはしない。少なからず私の責任もあるんだから。
憂ちゃんが這い出た布団にムギを寝かせ、「今はおやすみ」とだけ告げ、目を閉じるのを見届ける。

律「憂ちゃんは着替えてきて」

憂「……どこに連れて行くつもりですか」

律「トゲトゲしいなーもう。梓のところだよ」

憂「梓ちゃん…? どうしてですか?」

律「聞いてないの? 唯をやった、って自首したらしいよ」

我ながら随分と軽く言ってしまったと思うが、隠す理由は何もない。
澪からの伝聞に過ぎないが、状況から考えても梓で決定だろうし、冤罪の可能性は考えなかった。
もっとも、被害者の唯の証言とは食い違うのだが……そこまで憂ちゃんに伝える必要は、まだない。
勿論、それを聞いた憂ちゃんがどんな行動に出るか、それも考えなかったワケではない。

律「手ぶらで行くんだぞ、手ぶらで」

憂「………着替えてきます」

律「着替えも見張っとくからな?」

憂「………」

……憂ちゃんの目に、生きる意志が宿っている。光が、炎が宿っている。
色や形はどうであれ、そのこと自体はいい傾向だと思う。

119: 2011/05/19(木) 18:16:29.52

――さて、こっからが部長のウデの見せ所なわけだが、正直何も考えていない。どうしよう。

憂「着替え、終わりましたよ」

律「…ん、歩きでいい?」

憂「はい、構いませんよ」

律「よし。多分まだ梓は警察署にいるだろ。のんびり行こう」

憂ちゃんと手を繋ごうとしたが流石に恥ずかしいので、手首を握って手を引く程度に留めておく。
これはこれで警戒しているとかそういう風に取られるかもしれないけど、それはそれで構わない。

のんびり、という言葉が示すように、極力ゆっくり歩き。
途中寄り道したり、遠回りしたり。憂ちゃんに合わせて食事を軽く取ったりして。
時間稼ぎのようだけど、きっとこうやって間を空けないと、憂ちゃんは私の言葉に耳すら貸さなかったと思う。

……そろそろ、いいかな。


律「――先に言っておくけど、私は梓を責めにいくわけじゃない」

憂「……じゃあ、許すんですか?」

律「逆に、憂ちゃんはどうなの? 親友であった時期を全部無かった事にして、梓を恨むの?」

憂「…そんな質問は卑怯です」

律「……そうだな、ゴメン。憂ちゃんだって悩んでるよな。優しいもんな」

憂「……でも、親友のままでも、許せはしないと思います。どんな理由があっても」

律「…いや、たぶん理由なんて特にないと思うよ。カッとなっただけだと思う。梓って怒りっぽいし」

憂「……それだと、余計許せないと思うんですけど」

律「そうかな? あっちに理由があれば、梓は反省も後悔もしないと思う。でもついカッとなったとかなら、梓はたぶん今、氏ぬほど自分を責めてるとは思わないか?」

憂「……そんなの、律さんの推測ですよね?」

律「私と、唯の推測だな。だから間違ってるとは思わない」

憂「お姉ちゃんの…?」

律「ああ。唯が言ったから、言ってくれたから、私はこうして動いてる」

120: 2011/05/19(木) 18:20:01.38
唯が最後に吹かせようとしたお姉ちゃん風。代わりに私が、ちゃんと吹かせる機会、与えてあげよう。
そして私が、最後にさせない。この先に絶対、繋いでみせる。

律「梓はやっぱり、いい子だから。だから助けてあげてくれって、私は言われた。憂ちゃんだって梓がいい子なのは知ってるだろ?」

憂「……それは…」

律「あと、唯さ。憂ちゃんに、ゴメンねって言ってた」

憂「え……?」

律「いろいろしてもらったのに、いろんなものを貰ったのに、何も返せなくてゴメンって」

憂「そんな……そんなの…!」

律「……澪やムギにはさ、復讐のせいで傷つけて、背負わせて、ゴメンねって言ってたんだ。でも憂ちゃんには違った。今まで生きてきて、沢山助けてもらって、それら全部を含めた話をしてた。正直、羨ましいよ」

憂「……ズルいよ、そんなの……! お姉ちゃんが、お姉ちゃんがいてくれるだけで、私は見返りも何も要らなかったのに…!」

律「…うん、その気持ちはよくわかるよ」

憂「っ…ぐす、お姉ちゃん、おねえちゃぁん……!」

律「……唯はまだ生きてるよ、憂ちゃん」

憂「………?」

律「待とうよ、憂ちゃん。何もしないで、何も背負わないでいいから待っててくれよ。全てを諦めて自分を終わらせようとしないで、憎しみに駆られて梓を傷つけたりもしないで、ただ待っててくれ」

憂「………」

別に復讐をするな、と言っているわけじゃない。待ってと言ってるだけだ。
私も復讐をしたし、それを後悔はしていないから、復讐をするななんて言える訳がない。
ただ私が唯からの言伝を、依頼を果たすのを待ってて欲しい。そして、更に言うなら……

律「唯は目を覚ますよ、ちゃんと」

だから、それまで待ってて。

121: 2011/05/19(木) 18:21:33.31
律「唯がいないとダメなんだろ? だったら先のことをいろいろ考えるのは、唯が目を覚まして、唯が隣に居てくれて、それからでもいいじゃないか」

一人で何でも出来るのは、確かに憂ちゃんの長所だけど。

律「一人で何でも全部決めちゃうのは、やっぱり違う。私には今の憂ちゃんが、唯がもう目覚めないと決め付けて自棄になっているようにしか見えない」

憂「っ……!」

律「あの時の澪や梓と同じように、唯のことを見捨てて一人で先に行っているようにしか見えない」

数時間前の私にも同じことが言えるのだけど、それは置いておく。

律「あの時と同じように、憂ちゃんの気持ちもよくわかるんだけど。それでも私の出す結論も同じだよ」

憂「……律、さん…」

律「置いていくなら、復讐するよ。何度でも、相手が誰でも。……でも、あの時とは違う点も、いくつかある」

ぐっ、と憂ちゃんの手首を握る手に力を入れる。

律「…厳密には、憂ちゃんはまだ、ここにいる」

憂「………」

律「それに、私は唯から頼まれた。憂ちゃんを救ってあげてくれと。この二点が、あの時とは違う。……さあ憂ちゃん、どうする?」

尋ねはしたものの、答えなど何であろうと関係ない。
唯に頼まれた以上、私はそれを必ず遂げる。遂げてみせる。
憂ちゃんが拒否したとしても、この手は離さない。

でも、それでも聞いた理由はある。だって……


憂「……ごめんなさい…律さん……ごめんね、お姉ちゃん……!」ポロポロ

律「…謝ることはないよ。まだ、何も起こってないし、何も間違ってないんだ、憂ちゃんは」ナデナデ


……だって、どうせなら理解して欲しいじゃないか。
唯の、妹にかける無償の愛を、さ。



122: 2011/05/19(木) 18:24:47.86


律「――お、出てきたぞ」

梓「!? り、律先輩、と、憂……」

警察署の前で待つこと――何時間だっけ? まぁいいや。とにかく待ちに待って、ようやく梓とご対面。

梓「どうして、ここに……」

律「梓に会いに来たんだけど、どうすりゃいいかわからなくてな。丁度ムギから電話かかってこなければ殴り込みに行くところだったよ」

決して冗談ではない。唯に託された以上、それくらいの覚悟はあった。
ムギがタイミングよく電話で「あと何時間かで一旦解放される」と教えてくれなければ、本当に。

憂「紬さん、警察事情にも詳しかったんですね」

梓「ムギ先輩? じゃあ、さっきのももしかして…」

律「…どうした?」

梓「いえ、なんでもないです。それより――」

梓はきっちりと姿勢を正し、そして膝をつき、頭を地面にこすりつけて。

梓「――ごめんなさい!!!」

土下座して、私達に許しを請う。その様子は、やはり唯の予想通り、反省はしているようで。

憂「…謝るより、聞かせてよ。あの日、何があったのか。どうしてあんなことになったのか」

梓「語るような事は…特にないよ。感情に任せて唯先輩に私が酷いことをした、それだけだよ」

憂「……どんなやり取りがあったの?」

梓「…あの後、澪先輩を失った放課後ティータイムはそのまま解散になったんだ。メンバーからもファンからもいろいろ言われたよ。でも、どこか私もスッキリしてた」

憂「じゃあ、あの日のメールって…」

梓「うん。一応、そっちに行くつもりだった。でもいざ唯先輩に会うとそれもなんか悔しくて、唯先輩に愚痴をぶつけて……」

憂「うん……」

123: 2011/05/19(木) 18:25:37.36
梓「唯先輩は全然動じてなくて、ますます悔しくて。それで私、言っちゃったんだ。「復讐とか言って私達を解散にまで追い込むなんて、唯先輩がそんなに心の狭い人だとは思いませんでした」って」

憂「……心が狭い、かぁ」

別の言い方をすれば自分勝手。自分だけにしかわからない理由で他人を苦しめた。
それは…言われても仕方ない。唯だって覚悟の上だったはずだ。

梓「でも、そこで唯先輩は――」


唯『――梓ちゃんだって、私の立場になれば同じ事をするよ』

梓『……バカにしないでください。誰のせいでもないのに復讐なんて…くだらないです』

唯『誰のせいでもない…? 梓ちゃんは、人を傷つけた自覚はないの? 傷つけられた人の気持ち、わからないの?』


梓「――って初めて言い返してきて……頭に血が上っちゃって…」

うわぁ、それはなんとも。売り言葉に買い言葉じゃないか。

梓「…私は…気づいたら唯先輩を突き飛ばしてて……唯先輩、そのまま階段を転げ落ちていって…」

憂「じゃあ、救急車を呼んだのは…」

梓「……ううん、私じゃないよ。私は、怖くなってそのまま走って逃げた……!」

救急車は確かに唯が自分で呼んだと言っていた。もしあの時に唯の意識がなかったらと思うとゾッとするが。
……しかし、階段の方の証言は…唯と梓、どちらが正しいのだろう?

梓「私は、唯先輩にも憂にも、許されないことをしたと思う…!」

憂「……そっか」

梓「……それだけ?」

憂「……救急車を呼んでくれなかったのはマイナスだけど…律さん」

律「うん、唯の言い方も悪いな……」

人を傷つけた自覚がどうとか、復讐をした人にだけは言われたくないだろう――

124: 2011/05/19(木) 18:27:12.74


「――いや、そうでもないぞ」


律「うおっ、澪!?」

梓「澪先輩……」

澪「や。ムギに聞いたらここに向かったって聞いてね。乗せてきてもらっちゃったよ」

憂「紬さん、もう起きていいんですか?」

紬「うん、充分休ませてもらったわ」

図らずとも唯以外が勢ぞろい、か……
いや、それよりも。

律「そうでもないって、どういうことだよ、澪」

澪「そう難しいことじゃないだろ? 復讐と心の狭さは、唯の中では無関係だったって事だよ。唯と梓で話がズレてるんだ」

律「……いや、さっぱり意味がわからん」

憂「復讐をする人は心が狭いと言われても仕方ないとは思いますよ?」

復讐なんて結局は自己満足。自分の恨み、憎しみのためにするんだから、心が狭いと言われてもその面では否定しない。
心が広ければ、そりゃ何もかもを許して生きていけるはずだし。それこそ私が唯が目覚めた時まで抱いていた、唯という人物像のように。

澪「うーん。っていうかそもそも、なんで唯が心が狭いってことになってるんだ?」

律「いや、そりゃ復讐したからだろ…」

澪「律…その態度はないだろ? 唯はお前の為に復讐してたんだろ?」

律「……え?」

125: 2011/05/19(木) 18:28:38.90
……何を言っているんだ?
唯と私は…同じ目的の元に集った対等な『仲間』だぞ?
そりゃ確かに唯はやたら私を持ち上げていたけど……、

澪「お前……まさか、知らなかったのか?」

律「え、だって唯は、澪達に置き去りにされたことを恨んで……」

澪「恨んで、悲しんで、苦しんでたのは律だろ? 違うのか?」

律「い、いや、確かにそうなんだけど…あれ?」

澪「律が苦しんでるから復讐するんだ、って唯は言ってたぞ?」

紬「言われてみれば確かに…唯ちゃん自身が置き去りにされたことに対しては、何も言ってなかったような…」

そう……だっけ?
しかし確かに、私の知る唯という人間ならそう簡単に人を憎んだり恨んだりはしない。原因が自分の事故にある今回のような事態だと尚更だ。
それこそ最初に私が、そして澪達が抱いていた『平沢 唯』という人間像は、他人の選択をそう簡単に否定はしないのだ。唯はああ見えて、人の悩みや苦しみには敏感だから。
でも、でも、だからって……

律「で、でも唯も許せないって言ってたじゃないか!」

澪「うん。唯に謝りにいった日は怒られたよ。律を置いて先に行ったこと、絶対に許さない!ってさ」

唯の怒りの原因は、『自分を見捨てた選択』ではなく。
私を、『田井中 律を見捨てた選択』に対してで。

律「ゆ、唯も、傷ついたって――」

澪「私達が律を見捨てたことに傷つき、ショックを受けてたな。あんなに仲良しだったのに、って」

傷ついた事こそ否定しなかったが、唯は『自分が見捨てられた』事に傷ついていたわけではなく。
私が、『田井中 律が見捨てられた』事に傷つき、憤り。

律「じゃ、じゃあ……まさか…」

……私の為だけに怒っていたというのか? 唯は。
私の為だけに復讐を計画し、いろいろ仕組んで、ムギ達を巻き込んで、ステージに立って、そして…梓に突き飛ばされた。
まさか……とは思うが、私の為だとすれば、それこそが唯の望みだったと思い上がるなら、唯と私の復讐に対する温度差、会話の些細な違和感、いろいろ説明がつく。

梓「もしかして…律先輩の為だけに行動していた唯先輩だから、あんな事を言った…?」

澪「かもな。人の痛みを良く知り、それを癒すために復讐の道を選んだ唯だから……そんな生き様を否定するような事を言った梓に、諭すようにそう言ったんだろう」

梓「そ、そんな……わ、私、そんなつもりじゃ…!」

憂「し、仕方ないよ梓ちゃん! 私達だって知らなかったんだから…!」

梓「う、憂ぃ……だ、だって私、唯先輩が、あの優しかった唯先輩が、変わっちゃったって、酷い人になっちゃったって思って……」

紬「梓ちゃん……」

梓「ほ、本当のこと言うとね、カッとなったなんて言ったけど、突き飛ばす瞬間、一瞬考えたんだ……いいのかな、って」

憂「………」

梓「でも私、復讐に対する復讐とか、そんな風に自分を正当化して……これで、後はお互いゴメンなさいすれば、いつかはまた、仲良く演奏できるかな、なんて汚いこと、私、思ってて……!」

……復讐に対する、復讐。
梓は自分勝手な唯に復讐をした、自分勝手な唯が許せなかった。そのつもりだったのに。

梓「でも、でも唯先輩は、自分の事なんて二の次だったんだ…! 純粋に人の為に行動してたんだ…! なのに私は…!」

憂「いいよ、もういいよ梓ちゃん! お姉ちゃんだってわかってくれるよ…!」

梓「やだ…やだよぉ、もう……唯先輩に合わせる顔がないよぉ…! 最低だよ、私ぃ……!!」

126: 2011/05/19(木) 18:30:05.64
―――
――

憂「大丈夫、大丈夫だから! ちゃんと許してくれるから!!」

梓「憂も憂だよ…! なんで私を責めないの!? 唯先輩を、大好きなお姉ちゃんを傷つけた私を!!」

憂「私は…梓ちゃんの事、許すなんて言ってないよ? でも、責めもしないよ……そんなに傷ついて、後悔して、泣いてる友達を、責めれるわけないよ…!」

梓「イヤだよ、責めてよ、怒ってよ…! 優しくしないで…!!」

憂「……梓ちゃんがその気持ちを忘れたら、その時にちゃんと責めるよ。私はお姉ちゃんほど優しくはないから。だから――」

紬「はいはい、待って待って。憂ちゃん、ちょっといい?」

憂「…紬さん?」

紬「あのね、梓ちゃん、実はそこまで酷いことしてないの。突き飛ばしたのは梓ちゃんだけど、突き落としてはいない。目撃者もいるわ」

憂「え……?」

紬「梓ちゃんが突き飛ばして、別の人にぶつかって、その結果バランスを崩して階段に落ちた。梓ちゃんが原因には違いないけど、梓ちゃんは階段から落とすどころか、怪我をさせるつもりさえなかったってことね」

梓「ッ!? やっぱり、急に私が解放されたのは、ムギ先輩の――!」

紬「あら、何かしら? 私はただ『唯ちゃんがぶつかった相手』を見つけただけよ? それ以上でもそれ以下でもないわ。ついでに言うとその人の証言で――」

梓「やめてくださいムギ先輩ッ!!!」

紬「その人の証言によると、梓ちゃんはちゃんと唯ちゃんを心配して走り寄って謝ってた。救急車も呼ぼうとしてたけど、周りの人が騒ぎ始めて梓ちゃんが疑われることを恐れたのでしょうね、唯ちゃんが突き放して――」

梓「っ…! 違うよ憂、私が突き落としたの! だから――」

憂「……梓ちゃん、もう、どっちでもいいんだよ」

梓「っ! で、でも、原因は結局私なんだから、私を責めてよ!」

憂「どっちでもいいんだってば。今はまだ梓ちゃんを責めない。そう約束したから。お姉ちゃんと、律さんと」

梓「で、でも……!」

憂「だから、梓ちゃんも逃げないで待ってね? お姉ちゃんが梓ちゃんのことをどうするか。私はそれに従うから」

梓「憂……」

憂「逃げるのだけは、許さないよ。それが私の、精一杯の厳しさだから」

梓「っ…ぐす、うん……」

127: 2011/05/19(木) 18:31:06.73
――
―――

梓が憂ちゃんに当り散らしている辺りから、私にはそっちを見る余裕など無くなっていた。
だって。

律「……まさか、そんな、全部、私の為に?」

澪「そうだな、私はそう聞いてる」

だって、唯が本当に、全てを私の為に、と行動していたというのならば。
それならば。

律「じゃあ…なんだよ、今唯が倒れて目を覚まさないのも、私の為に頑張った結果だって言うのかよ…!」

澪「……そうなるな」

律「そうなるな…じゃねぇよ…! なんだよそれ…! 全部、ぜんぶ私のせいじゃないか…!!」

そう、ぜんぶ、だ。

唯が目を覚まさないのも。
ムギが悩み苦しんだのも。自らを追い詰めてしまったのも。
憂ちゃんが自らを傷つけたのも。憎しみに駆られそうになったのも。
梓が唯を傷つけてしまったのも。自分を責めるのも。
澪が自分のことを二の次に、私を立ち直らせようと時間を割いたのも。

ぜんぶ、私が弱かったから。
弱い私を助けようと、唯を頑張らせてしまったから。

私のせいで、私の大切な人が、そして仲間が傷ついた。

澪「律のせい、じゃないよ」

律「違うものか!!」

澪「違う。律のため、だ。唯はずっとそう思っていた。何度も言わせるな」

律「ッ…! なんだよ、そうだったら、何が違うって言うんだよ…!」

128: 2011/05/19(木) 18:31:59.62
澪「自分を責めるなってことだよ! お前の為にしてくれた相手に、言うべき言葉は何だ!? ゴメンナサイか!? 違うだろ!!」

律「っ……」

澪「言葉だけじゃ足りないかもしれない。一生をかけても伝えきれないかもしれない。でも、それでも言うべき言葉があるだろ!?」

律「……それ、は…」

澪「ゴメンナサイと言われて唯が笑うのか!? お前の大好きな唯は、お前を笑わせるために自分の全てを賭けたんだぞ!?」

律「……それは…!」

澪「唯がお前を想ってくれたように、お前も唯を想って考えてみろよ! 何て言ってあげれば、唯は喜ぶ!? 何と口にすれば、お前の大好きな笑顔がまた見れるようになるんだ!?」

……わかってる。その問いの答えは。
誰でもわかる。小学生でも、幼稚園児でもわかる。
自分の為にしてくれたなら。それで少なからず、自分が救われたなら。
その想いを、ただ素直に、相手に伝えることができる言葉は。


律「……ありがとう、か」


そういえばずっと前、唯にそう伝えたら拒否された事もあったな。
「全てが終わったら、その時にまた言って欲しい」って言われて。
そうしてくれたら嬉しいって。
ちゃんと、私に言ってくれてたじゃないか、唯は。
私にして欲しいこと、教えてくれたじゃないか。


……教えてくれたんだから、ちゃんと応えないとな。





律「……澪、ムギ、憂ちゃん。梓を頼むわ」

澪「…ん。任せろ」

紬「…病院、戻るの?」

律「ああ」

憂「…私達も後で行きますよ」

紬「そうよ。今度は、みんな一緒よ」

憂「お姉ちゃんが、そうしてくれたから」

律「…梓も、ちゃんと来いよ。唯なら許してくれるさ」

梓「ひぐっ、うっく……わ、わかってます。逃げませんから…」

憂「よしよし、梓ちゃん」ナデナデ

なんかよくわからんが、私が澪と押し問答してる間に憂ちゃんに何か言われたのだろう。
涙を流す梓の頭を撫でるその仕草に、姉から受け継がれた優しさを垣間見た気がした。

澪「……忘れ物だ、律。ほら」

律「……ん。唯の歌、どうだった?」

澪「下手くそ。目が覚めたら、私が直々に声の出し方から指導してやる」

律「はは、手厳しい。泣き言を言うのが目に見えてる」

澪「私にも見えてるさ。近い将来の、お前達が望んだ未来だもんな」

律「ああ。澪達も、みんなも望んでくれるなら、きっと叶う未来だよ」

紬「もちろんよ。みんな望むわ」

憂「…だから、行ってあげて、言ってあげて下さい」

律「ああ。みんなありがとう、行ってくる…!」

129: 2011/05/19(木) 18:33:46.67


――足りない。

たった一つだけ、足りないんだ。

私の人生に、絶対に必要なものが、それだけが足りないんだ。


他は全て揃えた。お前を迎える準備は万端だ、唯。
……ちゃんとやったんだぞ? 私が。お前のお願い、ちゃんと叶えてやったんだぞ? 何か言うことがあるだろ?


――言うことがあるのは、私も同じか。


伝えそびれた言葉。

復讐を成し遂げて。

その先にあるものを手に入れて。

私は幸せを得た。一応は、幸せのカタチを手に入れた。

そのはずだから、あとはそれを実感させてくれ。

私の言葉で。

お前の存在で。



律「――唯っ!!!」



すべてのおわりに。


そして、すべてのはじまりに。


「ありがとう」を。



唯「――りっ…ちゃん?」



――――隣に居てくれる、大切な人へ。

130: 2011/05/19(木) 18:35:01.31


――おしまい。

131: 2011/05/19(木) 19:33:41.87

132: 2011/05/19(木) 19:46:41.56
各キャラの唯我独尊具合がハンパなかった

133: 2011/05/19(木) 20:04:45.87
乙 面白かった

142: 2011/05/27(金) 10:55:28.27

以下、人によっては気に入らない描写を含む、かも。

綺麗に終わった、と思う人は見ないことを推奨。





 【番外編】:彼女の視界

143: 2011/05/27(金) 10:56:17.01



――私には聞こえたんだ。

悲痛な叫びが。

無念の嘆きが。

そして、僅かばかりの愉悦の笑い声が。


それは子供じみた、感情の奔流。

自分を肯定して欲しい。
たったそれだけの、幼い願望。

だから、私は言ったんだ。


唯「復讐しよう、りっちゃん」


144: 2011/05/27(金) 10:57:11.92
◆◆


律「二年も置き去りにするような奴らのこと、やっぱ許せないか」

唯「そりゃあ、ねぇ。仲間だと思ってたのにさぁ」

仲間だと思ってたのに、りっちゃんと澪ちゃんなんて特に強い絆で結ばれていると思っていたのに。
なのに、現実は違った。私なんかに後ろ髪引かれたりっちゃんを、澪ちゃんは容易く見捨てた。
……許せるわけがない。二年も置き去りにされたりっちゃんの気持ちを思うと尚更だ。

律「……私も手伝うよ。けどさ、腐っても仲間だ、あまりひどい事はしないでやってほしい」

唯「……ん~? じゃあ逆に聞くけど、りっちゃんは私の立場ならどうする??」

私の立場。二年も置き去りにされた大事な仲間を想う立場。

律「……私なら、諦めているかも知れない。復讐なんてしないで、唯と二人でどうにか細々とやっていくよ」

……りっちゃんは、もしかして澪ちゃんより私のほうが大切、って言ってくれてるのかな?
それは嬉しい…けど、それでも、そんな心の傷を抱えたまま、りっちゃんが泣き寝入りするのは間違ってるよ。

唯「そうかなぁ~?? 私なら全力だよ全力! どれだけ酷いことをしたか思い知らせてあげないと!」

律「ははっ、怖い怖い」

全然怖がってそうに見えない。相変わらず酷いよりっちゃん。

唯「でも、まぁそうだねぇ、ちゃんと反省して、謝ってくれればそれでいいんだし、そこまで酷いことをする必要はないよね」

律「そうだな。乱暴とかはゴメンだ」

唯「そしていずれは……またみんなでバンドやりたいね」

律「ああ…そうだな」

……りっちゃんが時折見せる、寂しさの片鱗。とても似合わない、その表情。
りっちゃんがこんな顔をするようになった原因は私だ。私の事故だ。
だから、私は身心を賭けて、全てを賭して、そんな顔をしないで済む『未来』を――『日常』をりっちゃんに与えてあげないといけない。

それが、私に出来る唯一の償い。


……なんて、カッコつけてみたけれど。
結局は、私がりっちゃんを好きだから、の一言で済む。私が、りっちゃんの笑顔が好きだから。りっちゃんに笑っていて欲しいから。
たぶん、ただそれだけの話。たったそれだけの。



145: 2011/05/27(金) 10:59:54.26
――ただ、当時の私は言葉だけで、身体がついていけなかった。

唯「痛っ……!」

今日もまた転ぶ。リハビリという名の転倒会だ。
握力は多少戻った。腕力はまだまだ。そして脚力が全然ダメ。当たり前のことが出来ない、そのもどかしさに唇を噛む毎日。

唯「っ……!」

でも、私は立ち上がる。何度でも。
倒れる訳にはいかない。寝ている訳にはいかない。約束したから。誓ったから。
手伝う、と。
大好きな人を助ける、と。
でもそれは私の自己満足。感謝こそすれ、感謝されるようなモノではない。

でも、人の動く動機ってそんな物だと思う。

大好きな人の笑顔が見たいから。
大好きな人には笑っていて欲しいから。

そんな、自分本位の我が侭。
だけど、その我が侭を通せば、その人は笑ってくれる。

だから、全力を出せる。
だから、身も心も尽くせる。

たとえ、その先で朽ち果てようとも。
全てを失うことになろうとも。

唯「……負けない……!」


――もう、食事は一人で出来る。スプーンを取り落とすこともなくなった。転ぶことも少なくなった。
でも、時間が惜しい。少しでも、一日でも早く退院しないと。

医師「平沢さん、頑張りすぎじゃないかい?」

唯「そうですか? でも、早く学校に行きたいですし」

医師「それはいいことだが……無理はしちゃいけないよ」

唯「はい、大丈夫です」

心配してくれる先生に笑ってみせる。私は上手く笑えているだろうか?
先生だけじゃない。澪ちゃんやあずにゃんにも見抜かれない笑顔を作らないと、全てが無駄になる。
私が本当の笑顔を見せるのは『仲間』の前だけでいいんだ。澪ちゃんやあずにゃんは、今はまだ『仲間』じゃない。

じゃあ、どうやって笑顔を作るか?
……心を頃す。それが最も簡単な方法だろう。
でも、私には無理だった。自分の甘さを呪った。でも同時に、そこまでしたら憂やりっちゃんに心配をかけるんじゃないかとも思っていたから、そこだけはホッとしていた。

だから私は、『今』の澪ちゃん達を見ないで笑うことに決めた。

『過去』の、楽しく仲良くやっていた時を思い出して笑い、
『未来』の、楽しく仲良くやれるであろう光景を想像して笑う。
『今』なんていらない。見る必要はない。

そう考えることで、無理矢理心を凍らせた。


その作戦はどうにか上手くいっているようで。

唯「あずにゃん猫耳つけてー」

梓「なんでですかっ!」

澪「ははっ、相変わらずだな」

……と、どうにか見抜かれていないようだ。
だってそうだよね。笑顔を作るとは言ったけど、これはある意味本物の笑顔だもんね。

律「…………」

……むしろ、りっちゃんのほうが笑顔が硬いよ?
胸がチクりと痛む。悪いことをした時の、悪いことをしたとわかっちゃった時の痛み。
誰かを悲しませた時とか、誰かを怒らせた時。そして……誰かを騙した時。

……でも、この痛みに慣れないといけないんだ。
慣れれなくとも、堪えないといけない。そうでないと、目的は果たせない。復讐は果たせない。りっちゃんの笑顔を取り戻せない。

全てはりっちゃんの為。胸が痛むたびにそう確かめることで、私はどうにか心の均衡を保っていた。

146: 2011/05/27(金) 11:02:03.10

唯「ハッピーニューイヤー!」

憂「あけましておめでとう、お姉ちゃん!」

律「あけおめー」

澪ちゃんやあずにゃんがいない時は素が出せる。
ある意味、心休まる時間だ。心休まる……

唯「……病室で年越しなんて……ううっ」

憂「な、泣かないでお姉ちゃん!」

唯「初詣も行けない……っていうかよく考えたら私、成人式も出れなかったんだよね……」

一生に一度のイベントを……寝過ごしたんだよね、私…
寝過ごすってのはなんか意味が違う気がするけど。

律「心配するな、私も出てないよ」

唯「そうなの? んじゃいっか」

律「軽っ!」

別に、今でも勿体ないことをしたとは思ってるよ。
でもただ、その勿体ないことをした人が他にもいるなら、その人の前でグダグダ言っても仕方ないなぁ、ってだけ。

唯「っていうかりっちゃん、なんでここにいるのさ」

みんながお見舞いに来るのは目に見えていたから、今日だけは断固拒否してたのに。こんな日くらいは、私よりも自分のことを優先してほしかったのに。
実際、ムギちゃん澪ちゃんあずにゃんはギリギリまで渋りこそしたけど言うこと聞いてくれたのに。

律「……居心地悪いんだよ、家。どうしても居ちゃダメなら帰るけどさ」

唯「……別に、どうしてもとは言わないけど」

律「…そっか。ならもう少し居させてくれ」

……私のようにやむにやまれぬ事情があるわけでもなく留年を重ねたりっちゃんには、いろいろ厳しいのだろう。世間の目とか、そんなものが。
……本当なら、そんなもの壊してあげたい。けどそれはさすがに難しいだろうし、それに復讐を果たせばきっと、そんなの気にならないくらい楽しい毎日が戻ってくるよ。
私は、そう信じてるから。

唯「……来年には、学校行けるといいな」

律「そうなると私と同学年だな」

唯「そうなるとっていうか、りっちゃんが私のお見舞いを止めない限り同学年じゃない?」

律「返す言葉もありません!」

憂「……あの、お姉ちゃん」

唯「ん? どしたの憂」

憂「お、怒らないで聞いてね?」

唯「怒るって言ったら?」

憂「え? えっと……」

ちょっと意地悪だったかな。でも、憂がそんな前置きをするなんて珍しくて、ついからかいたくなっちゃう。
だから、憂の中で『よっぽどのこと』なのだろう、今から言おうとしていることは。
そして、そこまで思い詰めて言おうとしていることを、私は、いや『姉』というものは、

唯「怒らないよ。ちゃんと聞くから、言ってごらん?」

真剣に、真摯に受け止めてあげないといけない。

147: 2011/05/27(金) 11:03:03.63

憂「……あの、ね。私も来年、お姉ちゃんと同じ学年に…なる、から」

律「ぅぇえええええええええええ!?」

唯「りっちゃんうるさい」

律「ごめんちゃい」

そんなに驚くほどのことかなぁ?

律「いや、あんなに真面目で何でも出来るいい子の憂ちゃんが留年なんて、普通に考えれば驚くだろ!」

唯「うーん、まぁ、そうとも言えるし、そんなことないとも言えるよねぇ」

律「なんだそりゃ?」

りっちゃんだってすぐにわかるよ。
憂だけじゃなくて、『私と憂』というものを見てれば、きっと誰でもわかる。

唯「……ねぇ、憂」

憂「は、はい!」

そんなに硬くならなくても。
私は憂のその選択を予想していたし、憂だって、私がそんなことでは怒らないとわかっているはずなのに。
それとも……わかっていても不安なのかな。なら、ちゃんと一から十まで言葉にしないとね。

唯「私は怒りもしないし、驚きもしないけど………でも、ごめんね」

律「……あぁ、なるほど」

唯「りっちゃんにも言わなくちゃいけないことだけど……私は、本当に、いろんな人の人生を狂わせてる。いくら謝っても足りないよ」

憂「お、お姉ちゃんが謝る必要なんてないよ!」

唯「ううん、やっぱり謝らないといけないんだよ。必要はなくても、理由はあるよ」

例えば今回の件。私は憂がその選択をすることを予見していたし、憂という子なら当然だろうと思っていた。妹なら当然、ではなく、憂なら当然、だ。私の知る憂なら。
でも逆に、憂の心には罪悪感があった。ただこれもまたややこしく、私ならそれを咎めないが、姉なら、世間一般の人なら咎めるであろう、という系統の罪悪感だ。
だって、憂も私の考えること、ちゃんとわかってるはずなんだから。
でも、それでも。

唯「私が留年してるのは不可抗力で、でも憂はそれに引け目を感じて留年した。そして憂は、それをちゃんと『間違った』ことだってわかってる」

あくまで世間一般から見て『間違ってる』選択、だ。
私はその選択を正しいとも間違っているとも言いたくない。憂が決めたことなら。二人きりの世界に生きていたら、絶対に何も言わない。
でもそんな世界に生きてはいない。私達は世間に『見られている』。外聞を気にして生活しないといけない。それを踏まえると、わかってくれる人こそいるけれど、それでも憂の選択は『間違っている』んだ。

唯「だから、私が間違った選択をさせたんだから、れっきとした謝る理由だよ、それは」

憂「で、でも――」

唯「でも、あのね、正直言うとね、私は思い上がってる。憂なら何も言わずとも私の気持ちをわかってくれてると思ってるし、りっちゃんは何でも覚悟の上だと思ってる」

律「…まぁ、私はここまで落ちぶれたんだし、後はもうどうにでもなれ、だな」

憂「わ、私だって姉妹だもん、世界にたった一人の姉妹だもん。お姉ちゃんのこと、ちゃんとわかってるよ!」

もちろん、そんな風に信頼してくれる二人を裏切り、傷つけることなんて絶対にしない。
ただ、きっとこの先の私には余裕が無い。復讐を始めたら、きっと仲間のことは二の次になってしまう。
大切な仲間なのに、そこまで気を配ってやれないかもしれない。もちろん極力そんなことがないようにはするけど、私は基本的に非力で、不器用だ。
……偉そうに言うけど、不安なんだ、私も。

唯「……だったら、さ。今ここで決めて欲しいな。こういう時、二人はちゃんと、私の考えを、気持ちをわかってくれる? 言葉にしなくても大丈夫?」

憂「…わ、私は――」

律「憂ちゃん、答えが出てるなら、同時に言わない?」

憂「は、はい」

律「じゃあ、せーの――」

148: 2011/05/27(金) 11:04:05.45

憂「大丈夫!!」

律「わからん!」


……えぇー。

唯「……いや、りっちゃん、わからんって何さ」

律「いや、な。確かに覚悟はしてるし、唯のことも信じてる。でも私は…その、唯と喋るのがそもそも好きなんだよ。だから、どんな短い言葉でもいいから、言葉にしてから会話したいというか……」

あ、これはヤバい。りっちゃん可愛い。
リハビリの成果、見せる時が来たようだ。

唯「りっちゃ~ん!」ダキッ

律「ぎゃああああああぁぁあ!?」

唯「かわいいこと言ってくれますなぁ~うりうり」

りっちゃんの答えは私が求めていた答えとは違ったけど、可愛いからいいや。
この可愛さは、私の不安なんて吹き飛ばしてくれる。いつだって。

律「た、助け、憂ちゃん助けて!」

憂「ズルい! 私も混ぜて!!」ピョーン

律「やっぱりかぁぁぁ!」

……その後、看護師さんに説教されるまでりっちゃん愛でタイムは続いた。
新年早々これとは、実にめでたい。


149: 2011/05/27(金) 11:06:17.02


律「――ムギは留年も確定したことだし、復讐の対象からは外そうと思うんだ」

新年度が近づいたある日、りっちゃんはこう結論を出した。
ムギちゃんも憂と同じく留年。私はまた一人の人生を狂わせてしまったようで。
ムギちゃんに対する償いの意味も込めて、一応はりっちゃんの意見に同意するけれど。

……内心、ムギちゃんをそう簡単に許すつもりは、私にはなかった。

一年だけといえど、実際はそれ以上に短かったといえど、ムギちゃんは澪ちゃん達の側についた。
澪ちゃん達と同じく、りっちゃんを置いていった。
澪ちゃん達より短い期間だし、今はきっと心はこっち寄り。だけど、だからといってりっちゃんを孤立させた人の一人であることには変わりはない。
りっちゃんを傷つけた人に復讐する、という私の目標からすれば、ムギちゃんだって大小の差異はあれど同罪なんだ。

でも、私はりっちゃんの意図に反することはしない。
私の行動原理がりっちゃんなんだから、それは当然だ。『しない』ではなく『できない』のだ。

だったらどうするか、と少し考え。

そして、私は一つ、汚いことを思いつく。


……ずっと気になってたこと、ムギちゃんで試してみよう。


――必要悪。何かを成すために、やむを得ず必要とされる悪。
私達の復讐もこれに含まれると私は考えているけど、それ以上に私達自身がそれである。それでないと成し遂げられない。
そして私は、みんなに大切にされて育ってきた私は、きっと悪からは最も程遠い。だから、ここいらで試しておこう。
私が、どこまでやれるのか。どこまで悪になれるのか。
やらなくちゃいけないんだ。私の目的の為に、りっちゃんの為に。
かつての友達も、平気で傷つけられるくらいにならないといけないんだ。

だからムギちゃん、あなたの立場、利用させてもらうよ。


――そう決意した私は、夜の誰もいない病室で、一人でずっと、静かに涙を流し続けた。




――そして退院後、私のその作戦は上手くいった。ムギちゃんは「仲間にして」と懇願してきた。思わず笑みがこぼれた。
その笑顔は、きっとすごく歪なその笑みは、今までの私に対する決別。

やれる。私は悪として、りっちゃんの為に振舞える――!

そう思うと、嬉しくて仕方なかった。
りっちゃんの優しさからくる反論も、ちゃんと冷静に受け止め、それでも私の主張も理解してもらった。
りっちゃんに嘘はつけない。だから、私のことはちゃんと理解してもらわないといけないから、この時は正直ホッとした。

でも。
やっぱり、そう何もかも上手くいくわけではないようで。


紬「――唯ちゃんはいつだって自分に素直だったけど、それでも進んで悪役になろうとはしなかった」

唯「そう、かな……」

変わったね、と、ムギちゃんは言う。
ちゃんと私の考えも理解してくれたはずのムギちゃんは、もしかしたら私の作戦も、私がムギちゃんに対して小さな悪意を潜ませていたことも、気づいてしまったのかもしれない。

……私の復讐は、完全にりっちゃんの為だ。私の全てはりっちゃんの為に。それが今の私の『在り方』だ。
更に言うなら、復讐という悪の行為を誰かの為とすることで、少なからず自分を正当化していた面もあった。
でも、その復讐とは直接関係のない今の私の行為は、完全に私の悪意によって引き起こされたもの。
りっちゃんが許したムギちゃんを、私が許せなかった。それに一見正当な理由をつけただけの、言わば私の暴走。私が私のために、自分が満足するためにやったこと。
少なくとも、りっちゃんは今の私の行動で喜ばなかった。納得こそしたけれど、微塵も喜んではいない。

そのことに、ようやく私は気づく。
私は、私自身の感情『だけ』に任せて行動した。確かに全体として見れば必要な行為で、これから先の展開も良くなるであろう行動だが、それでも私はりっちゃんの意思に反することをした。
同時に、私の『在り方』にも反することを。

私は間違いを犯した。
それも、決して許されない間違いを。

私は、侵した。
越えてはいけない一線を踏み越えてしまった。

150: 2011/05/27(金) 11:08:59.97


イヤだ。

ごめんなさい。

助けて。

許して。


苦しい。胸が痛い。今すぐ泣き出してしまいたい。
ごめんね、りっちゃん。ごめんねムギちゃん。私は、私は――!


紬「でも、私はそんな唯ちゃんでも、私のことをまだ友達と思っていてくれるなら…それだけで充分なの」

でもそんな私に、ムギちゃんはそう言って笑いかけてくれる。
慈愛に満ちた、全てを包み込む、そんな笑顔。
きっと、澪ちゃん達にもそんな笑顔を見せていたのだろう。全てを大切にしたかったんだ、ムギちゃんは。
私とは違う崇高な思考。文字通り、私とは格が違う。それでもなお、私のことも、こんな汚い私の事も大切にしてくれる。
間違いを犯した私の事も……許してくれる。間違っても、先に進むことを許してくれる。
それに思い至った私は、謝るよりも、お礼を告げていた。

唯「…ありがと、ムギちゃん。ムギちゃんと友達で、本当に良かった……」





――久しぶりに食べる憂の料理は極上の美味さで、まさに天にも昇る心地だった。
みんなと仲良くおしゃべりしながら、そんな極上の料理を食べる。そこはまさに天国だったとも言える。

けど、いつまでも天国にいられないのが私達の現実であって。

憂「――来たよ、お姉ちゃん」

憂が着信を知らせる。あずにゃんからだったらしく、早々に替わってもらうと開口一番、怒鳴られた。
やっぱり変わらないね、あずにゃんも。
ま、今はちゃっちゃと進めよう。りっちゃんの為にも。

唯「――澪ちゃんも一緒だよね? 替わってくれる?」

律「………」

……やっぱり、ここで会話しない方がいいよね?
とりあえず出ていこう。りっちゃんに負担かけるわけにはいかないよ。


澪『……もしもし、唯か?』ゴゴゴゴ

唯「…み、澪ちゃん、やっほー」

しまった、いきなり気圧されてしまった。
でもしょうがないよ、あずにゃんみたいに怒鳴り散らしてくれたらまだやりやすいんだけど、こう、静かに怒りを湛えているような澪ちゃんは本当に怖い。

唯「…あの、怒ってる?」

澪『怒ってないと思うか?』

唯「……思いません」

電話の向こうでこれ見よがしに溜息一つ。

澪『…まぁ、いろいろ事情があったんだとは思うけど。正直、怒ってもいるけどそれ以上に落ち込んでる』

唯「え……?」

澪『唯の退院の時、隣に居たかった。図々しいかもしれないけど、喜びを共有したかった』

唯「澪ちゃん……」

澪『……もう、叶わないけど』

唯「……ごめん、本当に…」

涙が出そうだった。胸は間違いなく締め付けられているし、心は悲鳴を上げている。
本当なら、復讐のためにはこんな感情に左右されてはいけない。こんな状況をも利用して、次に繋げないといけない。

151: 2011/05/27(金) 11:10:46.19

でも、私はさっきのムギちゃんとの一件を、間違いなく引きずっていた。

ムギちゃんは優しかった。高校時代と何も変わらず、いや、もしかしたらそれ以上に優しくなっていたのかもしれない。
だからきっと、澪ちゃんやあずにゃんもあの頃と何も変わっていない。二人とも、私が大好きだった二人のまま。
……復讐に目が眩んで、私はそんなことさえも忘れていた。みんなの優しさを忘れていた。


でも。

……でも。


違う。違うんだ。惑わされるな。過去に惑わされるな。現実だけを見るんだ。


……そうだ、現実では。
その、きっと優しいはずの二人も。


りっちゃんを見捨てて、先に行ったじゃないか。



唯「――ごめんね、澪ちゃん。本当に……澪ちゃん達の気持ち、無駄にしちゃったんだね、私…」

澪『…いや、もういいんだ。そこまで思い詰められると、私達が気持ちを押し付けたみたいじゃないか。さっき言ったこと、もう忘れてくれ』

……優しさの上に優しさを重ねてくる澪ちゃんは、本当に人間が出来てると思うよ。
なのに、なんで。

唯「なんで……」

澪『ん?』


「なんで、りっちゃんを置いて行ったの?」


……とは、さすがにここで口にするわけにはいかない。
ここで澪ちゃんに、私の悪意をぶつけるわけにはいかない。ムギちゃんのときと同じ轍を踏むわけにはいかない。
そんなことをしても何にもならない。何より、りっちゃんの想いが果たされない。

唯「…なんで、そう簡単に許すの? ダメだよ、私に償う機会をちょうだい、澪ちゃん」

澪『償うだなんて…大袈裟な』

ちょっとだけ危なかった。抱えている気持ちが少しだけ漏れていた。
私は澪ちゃん達がしたことをそう簡単には許さないし、償わせるつもりだから、ね。ちょっと生々しい言葉になっちゃった。

とりあえず、感情にだいぶ左右されちゃったけど、ここまではどうにか予定通り。

嘘の日付を教え、澪ちゃん達を怒らせ、私は素直に詫び、負い目を作る。
さて、ここからが問題だ。下手に出ながらも会話の行き先を誘導しなくてはいけない。
行き先は……澪ちゃん達と密着できる時間。それを作ること。情報を得るために、それが欠かせない。

今、情報を二人から一番聞きだしやすいのは私だ。
他の三人は皆、留年というカタチで目に見えて二人と亀裂を作ってしまっているから。私は留年してこそいるけどちゃんと理由があるし、だからこそやる気を見せれば二人とも快く協力してくれるのは目に見えてる。
……こうやって頭を使うのは得意じゃないけど、間違ってないと思う。

唯「ねぇ澪ちゃん、何か手伝わせてよ、私に。何か困ってることとかない?」

澪『えぇ? 急に言われても…』

唯「学校は来週から出ようと思ってるんだ。だから今週の間に、何か用事ない?」

澪『……勉強、とか?』

唯「それは……私じゃ力になれないかなぁ…」

澪『ははっ、わかってるよ。冗談だ』

唯「ぶー。人に言われるとなんか悔しい…」

何か……何かないの? 私にも出来ることで、澪ちゃん達が私の手を借りたい、と思えるような……

152: 2011/05/27(金) 11:12:32.66

澪『……ん? なんだ、梓?』

ん? あずにゃん?

澪『ああ、そうか。なぁ唯、週末のパーティーだけど、何を買っていけばいい?』

唯「え、えーっと、考えてなかったね……っていうか澪ちゃん達が買ってきてくれるの?」

澪『唯の退院祝いなんだから、私達が準備するのは当然だろ?』

唯「あ、じゃあそれ手伝うよ! あずにゃんにナイスって伝えといて!」

梓『聞こえてますよ。でも唯先輩にやらせるわけには…』

唯「いいの! 私が手伝いたいの! せめてこれくらいやらせて? ね?」

澪『あ、ああ。それはいいんだが……その、二人ともバンド練習休むわけにはいかないから、明日と明後日で一人ずつ買出しに行く予定だったんだ』

唯「ふむふむ」

いい、いい流れだよそれ。これはもしかしなくても、意図せずとも――

唯「二人っきりってことだね!」

澪『ッ!?』

梓『ッ!?』

実に都合がいい。いろいろ情報を聞き出さないと……!

梓『私が明日行きますよ、唯先輩! 一緒に買い出し!!』

澪『あっ…ちょ、待っ――』

唯「おー、明日はあずにゃんとデートかぁ」

梓『なっ、何バカな事言って――あぁちょっと澪先輩、少し黙ってて! 携帯渡してください!!』

澪『ふ、ふざけるな、私の携帯――』

梓『シャー!!!!』

澪『爪ぇぇぇぇぇ!?』

……電話の向こうで何が起こってるんだろう。

梓『と、とりあえず明日は私、明後日が澪先輩です』

唯「う、うん、もちろん両方ついていくよ。買うものは分担してあるの?」

梓『土曜の人――澪先輩が食べ物関係、私がそれ以外ですね。正直、唯先輩が買うもの決めてくれると助かります』

唯「りょーかーい。よかった、楽しくなりそうだよ」

楽しく、ね。……ふふっ、いろいろ聞き出させてもらうよ。
あ、私今悪役っぽい!

梓『は、はい! 楽しくしましょう!!』

唯「? うん、まぁ、楽しみにしてるよ…でいいのかな? 一応私のお詫びなんだけど」

梓『いいんです、細かいことは! そ、それじゃ明日ですね! また!』ピッ

……なんであずにゃんテンション高かったんだろう?
っていうかあずにゃん、澪ちゃんの携帯なのに勝手に切ったし……

まぁいいや。りっちゃん達に報告に戻らないと。
デートとか、りっちゃんからすれば格好のからかいネタだよね。少しは元気になってくれればいいな。



――とか思ってたんだけどなぁ。言い方が悪かったのかな?
よくわからないけど、ごめんねりっちゃん。


153: 2011/05/27(金) 11:13:49.67

翌日。午前中に憂と携帯ショップに行って携帯を購入。さすがに二年も経つと進化してるねー。スマートフォンってどのへんがスマートなの?
……まぁいいや、とりあえず新しい携帯の最低限の使い方だけ勉強して、待ち合わせ場所へレッツゴー。


唯「――ちょっと早かったかな」

今日は金曜、普通に学校がある曜日だ。あずにゃんもまだ学校で勉強している頃だろう。
……学校、かぁ。ちょっと不安だけど、りっちゃんが同学年、同学部だし大丈夫だよね。

そういえばりっちゃん、今日は何してるのかな?
あずにゃんと同じ頃までは大学にいるとしても、私達がデートしてる頃は何してるんだろ。ムギちゃんと一緒に遊んでるのかな?

まぁ、気にしてもしょうがないか。デートに集中しないと。
……そうだ、集中しないといけないんだ。いくら復讐の相手とはいえ、りっちゃんの許可無しに私は動くわけにはいかないから。
だから、今は――今日と明日のデートは、ちゃんと相手のことを考えて動く。何度も言うが、ムギちゃんの時みたいに感情に任せて行動してはいけない。
あくまで普通に、仲良く、楽しく振舞わないといけない。表に笑顔を貼り付けて、裏で爪を研がないといけない。
……本当にできるのかな、私に。そんなことが。

唯「……ううん、出来るのか、じゃない。やらないといけないんだ」

そう、他ならぬりっちゃんの為に。


……待ち合わせ時刻から10分過ぎた頃、あずにゃんが走ってくるのが見えた。
こう見ると……あれだね、あずにゃん全然成長してないね。可愛い。

梓「ゆ、唯先輩! ごめんなさい、遅れました! 待ちましたよね?」

唯「んーん、今来たところだよ。……って一度言ってみたかったんだよねー」

梓「す、すいません。メンバーの人に捕まっちゃって」

唯「あれ? 休むってちゃんと澪ちゃんから言ってあるんじゃなかったの?」

梓「あー、まぁ、いろいろあるんですよ……」

目を逸らすあずにゃん。
……あれかな、有名アマチュアバンドとはいえど一枚岩じゃないのかな?
もしそうだとしたらいきなり有益な情報だけど、こういう事は澪ちゃんに揺さぶりをかけたほうが良さそうだよね。
澪ちゃんが実質バンドのリーダーのはずだし。

唯「ま、いっか。ちゃんと来てくれたんだからそれだけで充分だよ。来なかったらどうしようかと」

梓「何があっても来ますよ。せっかく久しぶりに唯先輩と遊べるんですから」

唯「おー、ずいぶん素直だのぉ。可愛い可愛い」ナデナデ

梓「もう! 子供扱いはやめてください!!」

唯「……ん、そういえばそうだね、あずにゃんのほうが学年も経験も上なんだしね」パッ

別に変な意味じゃない。一年後輩のあずにゃんと、空白の二年を持つ私。実質追い越されているようなものだ。
私があずにゃんより優れているのは事故の経験くらいだろう。何の自慢にも得にもならないけど。

梓「あ……そ、その、そういう意味じゃなくて……」

唯「いいよ、行こっか」

梓「う…あ、や、やめないで!!」ダキッ

唯「おふぅ」

タックルで抱きつかれた。なんぞ。

梓「……もう、唯先輩のばか。調子狂うじゃないですか」

唯「…気まぐれなネコさんは扱いが難しくて、ね」

梓「普通に…普通に扱ってくださいよ。今まで通り、いつも通りでいいんです」

唯「いろいろ変わっちゃったけど……いいの?」

梓「いいんです。私達の関係は、変わってません」

……そうかな? いや、そうだね。変わってないね。
私自身はあずにゃん達に置いていかれたこと微塵も恨んでないんだし、関係自体は何も変わってないんだ。

154: 2011/05/27(金) 11:17:12.75

変わったのは、私のあずにゃんを見る目だけ。
でも、今はそれは忘れておかないといけない。

唯「……じゃ、行こっか」ギュ

梓「あ……は、はい!」

久しぶりに握ったあずにゃんの手は、あの頃と変わらず小さかった。



梓「――人気バンドって言っても、局地的なものですよ。澪先輩の外見だけで追っかけてる人もいるようですし」

店までの道すがら、近況をいろいろ聞かせてもらう。
近況とは言っても学校の話をされてもしょうがないし、あずにゃんもそれは別に面白い事だとは思ってないようで、バンドサークルの話がメインになっていた。

唯「…澪ちゃん、そういうの怖がってるんじゃない?」

梓「ええ、まぁ。だいぶ慣れてきてはいるようですけど、ちゃんと私がフォローしてあげてますよ」

唯「……あずにゃんもマニアックな人気がありそうだけどね」

梓「どういう意味ですかっ!」

そのまんまの意味です。無い胸を張るあずにゃんが悪いんです。
……そういえば私も胸は成長してないなぁ。むしろガリガリに痩せてた影響か、しぼんでるような……

唯「…胸の話はやめようか。ヘコむし」

梓「ほー、人の胸を見てマニアックとか言ってたんですか」

唯「あ、自爆……」


155: 2011/05/27(金) 11:17:45.49


梓「――そういえば、憂は元気ですか?」

唯「んー? 元気だと思うけど、どうして?」

梓「いえ、高校ではいろいろ助けてもらったのに、その、最近は…唯先輩に憂が付きっ切りだったから、疎遠気味で…」

……確かに、全ての原因は私にある。けどどうなの、その言い方は。
あずにゃんに悪気は無いんだろうけど、憂と疎遠になったのを全て私のせいにするようなその言い方はどうなの。

……でも確かに、この二人の関係は澪ちゃんとりっちゃんのようにわかりやすい決別ではないのかもしれない。

りっちゃんと澪ちゃんは、単純に意思を違えた。同じ道を歩けない、と。

でも憂とあずにゃんは違う。あずにゃんは自分の意思を通す余地があったけど、憂が私を選んだのはほとんど『家族としての責務』のようなもので。
ある意味それも自分の意思ではあるんだろうけど、普通の人は友人と家族なら家族を大切にする。そういう意味では憂に選択の余地は無かった。
仲良し姉妹であればあるほど、選択の余地は無かった。皮肉なものだと思う。

唯「……ごめんね」

梓「いえ、そんな…唯先輩が謝ることじゃ…」

一応、二人の関係を狂わせた立場として謝った。けど内心、あずにゃんより憂に対する申し訳なさのほうが大きかった。
憂はいつも私と一緒にいてくれる。そんな憂を私も信頼している。お互い、胸を張って大好きだと言い合える存在。
でもそういう風に絆が強ければ強いほど、どこか相手を束縛してしまうんだ。
今回も憂は二つ返事で私の復讐に手を貸してくれている。でも憂だって、よく考えるまでもなくあずにゃんを敵に回して心中穏やかであるはずはないんだ。
……いつもごめんね、憂。絶対に、何かでお返しするからね。

梓「……唯先輩?」

あずにゃんが不安そうに覗きこんでくる。繋いだままの手にも、どこか力が入ってる。
……今日のあずにゃんはいつもより甘えてきて、些細なことで落ち込んで、不安になって。どこか寂しがり屋さんかな?

唯「ん、あのねあずにゃん、疎遠だなんて言ったけど、まだ憂のこと、友達だと思ってくれてる?」

梓「そんなの、当たり前じゃないですか!」

唯「だったら連絡してあげて。憂もあずにゃんのこと、まだ友達だと思ってるよ」

梓「……そう、ですかね」

唯「本当だよ。憂のお姉ちゃんとして、それは断言できるよ。だからあずにゃんの先輩として、大丈夫だよってアドバイスできるんだ」

梓「……ふふっ、そうですね、そう考えるとすごく頼もしいです」

唯「私もね、憂とあずにゃんにはいつまでも友達でいて欲しいし」

梓「むしろ私が憂に友達でいてくれってお願いする側ですよ。憂は優しくて可愛くて何でも出来て、非の打ち所がない子です」

唯「自慢の妹だからね!」フンス

……その自慢の妹を自分の復讐に引きずりこんでるんだけど、ね。
でも、私達の復讐の目指す先は、みんな仲良しの日常。そこではもちろん憂とあずにゃんも仲良し。
だから、憂のためにも、巻き込んでしまった責任という意味でも、ますます失敗できない。

……『りっちゃんの為』という私の自己満足で始めたことのはずなのに、意外といろんなモノを背負ってしまっていることに今更気づく。

りっちゃんの笑顔。憂の笑顔。ムギちゃんの笑顔。
そして復讐を果たした先にある、澪ちゃんやあずにゃんの笑顔。みんなで笑い合う未来。

うん、結構重いね、この想い。
でも心地よい重さだ。他人の為に頑張るというのは、自分の為よりも数倍やる気を出させてくれる。無理も無茶も苦にならない気がする。


唯「ところであずにゃん、今のバンドってさ――」

……だから、今はごめんね、あずにゃん。
私達の復讐の為の情報源として、役目を全うしてね。


156: 2011/05/27(金) 11:19:42.60


唯「――ほらほらあずにゃん、鼻メガネー」

パーティーグッズを買いにきたはいいんだけど、まるで決まらない。
そもそも定番がクラッカーくらいだし、実際それくらいあればあとはどうとでもなる気がするし。
というわけでもういろいろ見て遊んでるだけの時間になっている。

梓「もう、いい歳してそれは……」

唯「ぶー。心はまだ未成年だもん」

梓「あ……えっと、その」

唯「でもカラダはオ・ト・ナ。なんちゃってー」

梓「っ……///」ゴクリ

ちょっと気まずい空気になりかけた。危ない危ない。

唯「そういえばあずにゃん、そういう話はないの?」

梓「は、はひ!? どういう話ですか!?」

唯「? ほら、彼氏とかさー」

梓「な、ないですよ。あるわけないじゃないですか」

そうかなぁ。澪ちゃんもあずにゃんも、普段は可愛いけど演奏を始めるとカッコイイ。
そのギャップに魅力を感じる人は多いと思うんだけど。

梓「さっきも言いましたけどそういうのは澪先輩の方が多いですね。澪先輩は…ほら、外見も魅力的ですし。私なんかよりずっと…」

唯「あっ、これ可愛い! よーしあずにゃん、レジ行くよ!」

梓「………」


ごく僅かばかりの買い物をして店を出る。残った予算は明日に回そう、うん。
それよりも。

唯「あずにゃんも可愛くて魅力的だと思うけどなぁ」

梓「……聞いてたんですか。今更蒸し返さないでくださいよ」

唯「そこはハッキリさせとかないとねー。あずにゃんは可愛いよ。食べちゃいたいくらい」

よく聞くセリフだけど食べるって何だろう。私はゾンビじゃないのにね。

梓「そ、そういう冗談はやめましょうね?」ヒキ

唯「あ、あずにゃん危な――」

梓「痛っ!?」

後ろをすれ違おうとした人にあずにゃんがぶつかる。
男の人だったからか、あずにゃんのほうが当たり負けして地面にお尻をついた。
あずにゃんも心配だったけど、いやむしろ心配だったから男の人にさっさと頭を下げて謝り、先に行ってもらった。

157: 2011/05/27(金) 11:20:26.02

唯「大丈夫? あずにゃん」

梓「は、はい……ケガとかはしてないです」

唯「よかった。ゴメンね? 変な事言って」

梓「いえ……その、ありがとうございます」

唯「へ? 何が?」

梓「……謝らせちゃったじゃないですか、あの人に」

唯「どっちが謝っても一緒だよ、そんなの」

梓「…その、正直、唯先輩に守られる日が来るなんて思いませんでした」

唯「なんか酷い言われよう……っていうか別に守ったなんて、そんな大袈裟なことしたつもりもないんだけどね」

梓「いつもは私が澪先輩のファンを追い払う為に頭を下げてるんですよ。だからそう見えたのかもしれませんけど」

唯「あー……だったら丁度よかったじゃん」

梓「何がですか?」

唯「いっつも守ってるんだから、たまには守られてもいいじゃない?」スッ

いい加減立たせてあげよう、と手を伸ばす。
尻餅をついたままのあずにゃんは何故か一瞬頬を染めて、私の手を握ってくれた。



――結局、あずにゃんからは明確な情報と呼べる情報はあまり手に入らなかった。
ただ、心情的、内情的なものを多く知れた。澪ちゃんとあずにゃんは何よりもバンド活動に精を出していて、その点で他の三人と少し距離がある。
その距離を埋めようと頑張っているのは、意外にも澪ちゃんよりもあずにゃん。澪ちゃんは何と言うか『バンドを続けている』ことだけに固執しているようにあずにゃんには見えている、ということ。
それでも澪ちゃんの(正直意外な)リーダーシップにつられてバンドはまとまっている、ということ。
有名バンドになっちゃったのは微妙に複雑な事情で、その『バンドを続けている』ことに固執する澪ちゃんがわかりやすく『続けている証』として求めたモノの一つのカタチでもあり、他の三人の持つごく一般的な『有名になりたい、もっと評価してもらいたい』という願望の現われでもあり。
だからこれからも積極的にバンド活動をしていくだろう、という事も聞いた。
そして――

梓「唯先輩、ギター弾いてますか?」

唯「…あんまり。でもそろそろ弾きたいね、リハビリも兼ねて」

梓「……いつかまた、一緒に演奏しましょうね」

唯「…うん。約束だよ?」

梓「はい、約束です」

――そして、私のことをまだ必要としてくれてるということも。

158: 2011/05/27(金) 11:21:37.70

――いろいろ考えながら家に帰り着くと、どっと疲れが押し寄せてきた。

唯「ただいまぁ~……」

憂「あ、お姉ちゃんお帰りー。どうだった?」

唯「…どう、って?」

憂「な、なんか疲れてる? 大丈夫?」

唯「うん、大丈夫……だけど早く寝たい」

憂「うん、わかった。ご飯もお風呂も準備できてるから、どうぞ」

渡されたお箸を手に取り、憂といただきますの合唱。
憂のご飯はいつも通り美味しいけど、今日は考えることが多くて、どこか口数が少なくなってしまって。
というか、今日でこのザマなんだからきっとこれからずっとこんな調子なんだろうけど。
でも、そんな私にも憂は文句の一つさえ言わなくて。

唯「……ねぇ、憂」

憂「ん? なぁに?」

唯「今のうちに言っておいていいかな」

憂「……「ごめんね」と「ありがとう」以外ならいいよ」

唯「……じゃあ、何もないや」

憂「だよね」

前に病院で約束した通り、憂は口にせずとも私のことをわかってくれていた。
少し嬉しくて、でもやっぱりそれ以上に申し訳なくて。
でも口にせずともわかってくれているんだから、申し訳ないと思うこと自体が憂に対する侮辱、冒涜で。
……ああ、頭がこんがらがってきた。本当に今日は、考えることが多い……

憂「お姉ちゃんはね、一つのことに集中するほうが向いてるよ」

唯「……復讐にだけ、集中してていいの?」

憂「私の事も、言わなくてもわかってほしいな」

当然だ、言われなくてもわかっている。憂は私の意志を否定したりなんて絶対にしない。
それどころか自分の全てを賭けてフォローしてくれる。そしてそれは暗に「自分のことは気にするな」と言っているという事で。
そして先に言った通り、憂は私が謝ることもわかっていて。そしてきっと感謝したい気持ちもわかってくれていて。
つまり、憂に伝える言葉は何もなくて。
だから私は。

唯「……よし、頑張る!」

憂「うん。頑張って、お姉ちゃん」

自分に言い聞かせるという体を取って、遠回しに憂に伝えようとしたけれど。
でもそんな考えも、憂には見透かされているんだろうなぁ。
……本当に、自慢の妹だ。



あ、余談だけど夜中にりっちゃんから一見すごくどうでもいいメールが来てたんだけど縦読みしたら殺人予告になったので通報しといた。


159: 2011/05/27(金) 11:23:14.96

――次の日。澪ちゃんは私より先に待ち合わせ場所に来ていた。

唯「…澪ちゃん、時間までまだ10分あるよ?」

澪「うわっ!? い、いつの間に来てたんだ、唯」

唯「今だよー。なんか真面目な顔して手帳見てるから声かけづらかったけど」
 
澪「う、うん、ゴメン。っていうか唯も随分と早いじゃないか」

10分前行動で「随分と早い」と評価される私って。

唯「まぁ、憂が起こしてくれたからなんだけど」

澪「やっぱりか。まったく、憂ちゃんがいなかったら唯はどうなってしまうのやら…」

唯「澪ちゃんが起こしてくれるんじゃないかなぁ」

澪「甘えるな。私は憂ちゃんみたいに甘やかし一辺倒じゃないぞ?」

憂だって怒る時は怒るんだけどね。
もちろん、私のためを思っての事だけど。

唯「でもその言い方だと結局面倒見てくれるんだねぇ」

澪「……じゃあ面倒見てやらない」

唯「あぁん嘘ですーお願いしますーっ」

澪「…はぁ。全く……変わらないな、唯は」

唯「澪ちゃんはせくしーになったよね」マジマジ

あずにゃんの言う通り、魅力的な外見である。
というか何ていうのかな、見られることに慣れてきたのかな? 今日みたいに身体のラインがわかりやすい服を着てくるってことは。

澪「外見の話じゃない! っていうか見るなー!」

……あれ、そうでもないのかな。



唯「……澪ちゃんは変わったよね」

澪「まだ言うか…」

唯「んーん、外見じゃなくて内面だよ」

澪「…そうかな? 自覚はないけど…」

とは言うけど、そもそも私は澪ちゃんというものを理解していなかったのかもしれない。
私の知る澪ちゃんなら、りっちゃんを見捨てはしなかった。だからこそ私の受けたショックは大きかった。
澪ちゃんの行動に対するショックもだけど、澪ちゃんが私の思っていたような『幼馴染を大切にする人』じゃなかったことに。
……でも、もちろんそれを今言うわけにはいかない。

唯「あずにゃんから色々聞いたよ。バンド、頑張ってるらしいじゃん」

澪「ああ、そういうことか……頑張ってるというか、必氏なだけだよ。放課後ティータイムのメンバーとして、私が出来ることがそれくらいしかなかったから」

唯「有名になることが?」

澪「ん……というか、続けること、かな。放課後ティータイムというバンドを、ね」

……あずにゃんに聞いた通りだ。でもどうなんだろう、それは。
澪ちゃんが放課後ティータイムを好きでいてくれるのは間違いないし嬉しいけど。でもそこには私もりっちゃんもムギちゃんもいないんだよ?
ムギちゃんが言っていた言葉を思い出す。結局、澪ちゃんにとって『放課後ティータイム』とは何なのだろう?

160: 2011/05/27(金) 11:24:52.69

澪「なぁ唯、いつか私達の演奏、見に来て欲しいんだ。そして……気が向いたら、戻ってきて欲しい」

唯「戻るもなにも……私は抜けたつもりはないんだけどなぁ」ボソッ

澪「……唯?」

唯「ん? どうしたの?」

……しまった。口が滑った。つい本音が出てしまった。
どうしよう、聞こえてたかな。大きな声は出してないつもりだけど。

澪「……見に来るときは、律やムギも連れて来てくれ。私はみんなを待ってるから」

唯「…うん、みんなで行くよ、絶対に」

……察されたのかな、これは。
でも、みんなを待ってるという事は、みんなで戻ってもいいってことだよね。
よかった。私達の目指す未来と、澪ちゃんが望む未来も一緒なんだね。


……去るムギちゃんを引き止めもしなかったくせに、戻ってこいなんて、随分と調子のいい言い分だと思うけどさ。




澪「――お腹の空く時間帯だな」

唯「言われてみれば……」

いろいろ歩き回り、明日のお菓子等を買って。
確かにそろそろ小腹の空く時間帯ではある。

澪「この辺にはちょくちょく来てるんだ。いい店も知ってるけど、どうかな?」

唯「んー、昨日あずにゃんにも誘われたんだけど、ごめんね。念の為外食はまだ避けるようにって言われてるんだ」

澪「あ、そっか……ごめんな」

唯「ううん、謝ることじゃないよ。謝るのはむしろ私だよ」

澪「いや、体調のことで念には念を入れるのは当然だよ。私の思慮が足りなかったんだ、唯は悪くない」

唯「うーん……」

澪「…ほら、落ち込んでないで次行こう?」

いや、どう見ても落ち込んでるのは澪ちゃんなんだけどね。
そういう反応まで昨日のあずにゃんと一緒で…昨日のあずにゃんも、純粋に私と食事を楽しみたいという気持ちから誘ってくれたんだとはわかってるんだけど。

澪「どこか行きたいところある? お詫びと言っちゃ何だけど、どこでも行くよ」

お詫びと称して主導権を私に譲る澪ちゃんは、きっと今の一件で萎縮してしまったんだと思う。
私の機嫌を損ねることを、私に気を遣わせることを恐れ、私の主導に従う方法を採ろうとした。
……手帳にいろいろメモして、待ち合わせ時間よりずっと前から来てシミュレートしてたはずなのにね。

唯「…澪ちゃんの行きたい所でいいよ」

澪「え、でも……」

唯「この辺り、ちょくちょく来るんでしょ? だったらオススメの場所とか教えて欲しいな」

澪「……私の主観だよ? 唯には合わないかも……」

唯「いいの! 澪ちゃんが好きなところなら興味あるし」

澪「そ、そっか。うん……じゃあ、行こうか」

唯「うん!」

……どことなく、高校時代を思い出す。
やっぱり澪ちゃんも、根っこのところは変わってない。

161: 2011/05/27(金) 11:26:02.98

……昨日のあずにゃんとのデートでも感じたけど、本当に、二人はそんなに変わってしまったわけではなくて。
でも、内面は変わってないのに距離は変わってしまっていることが悲しくて、それ以上に理解できなくて。
みんな一緒にいたいという気持ちさえ変わってないはずなのに、今はみんな一緒ではなくて。

どうしてこうなってしまったのかといえば、やっぱり原因は私で。
だからこそ、私が元に戻さなくてはいけなくて。


……なんて、『みんなのため』を装おうとしたけど、心の奥底で私がそれを否定していて。
やっぱり私はりっちゃん側なんだ。どんなに昨日や今日が楽しくても、やっぱり私はりっちゃんがいないとダメで。

だからりっちゃんの為に、私はやるべきことをやらないといけない。
悲しむのも、悩むのも、全部後回しでいい。
今はただ、頑張るだけ。

唯「――そういえば澪ちゃん、今のバンドのことなんだけど、聞きたいことが――」




唯「――あ、楽器店だ」

もうそろそろ日も沈もうかという時間。たまたま見つけたその店に目が止まった。
高校時代によく行っていたあの店とは系列が違うのかな? 詳しくないから良くわかんないけど。

澪「あぁ、唯はこっちの方にはあまり来ないよな。私達が最近懇意にしてる店はここなんだ」

唯「へぇー。安いの?」

澪「いや、単に店員が学生バンドとかに協力的でさ。私達もイベント紹介してもらったりしてて」

唯「イベント?」

澪「うん。そうだ、もうすぐあるんだよ、イベント。見に来ないか?」

唯「澪ちゃん達が出るなら行かない理由はないよ!」

澪「もちろん出るさ。毎年出てるんだ、是非とも来てくれ」

唯「うん!」

友達としても純粋に見てみたかったし、二つ返事で了承する。復讐の案を考えるにしてもこれは有益な情報になるだろう。
ついでだからとそのまま楽器店に入ってちょっとだけ見て回った後、明日の食材を憂のメモに従って買い揃えて届けて解散になった。




唯「――はぁ、疲れた…」

憂の夕食を食べてお風呂に入り、パジャマに着替えてそのままベッドに倒れ込む。
もう動きたくない。本当に疲れる。身体より精神がやられてる気がする。
……実際、仲良しを演じながら内面でいろいろ考えるのは予想以上に苦痛だ。裏と表で頭も顔も使い分ける、という難易度の高い行為に、更に良心の呵責にも悩まされ続ける。
裏で考えてることを読まれないようにしながら、裏で胸の痛みに堪えてることに気づかれないようにしながら笑顔を振舞う。正直、いつまで耐え切れるか。いつまで我慢できるか。
そもそも私はそんなに頭が良いほうではない、というかぶっちゃけバカだ。絶対にどこかでボロを出す。

……でも、まだ泣き言を言う時じゃない。

枕元に置いてあるノートに鉛筆を走らせる。復讐用の情報を書き溜めたノート。この二日で随分とページは増えた。
ただ、寝る前の氏にかけの頭と視界で書いているのでもはや自分にしか読めない字だけど別に内容が内容なのでそれでいいと思う。

唯「…あとは、ムギちゃん次第、か……」

ノートを読み返し、そう呟いたあたりで意識は自然と闇に呑まれていった。

162: 2011/05/27(金) 11:32:26.33


――パーティー。なんといい響きだろう。そこはみんなが笑顔になれる場所。そう、みんなが。

私も、澪ちゃんも、あずにゃんも、憂も、ムギちゃんも、りっちゃんも。

……ちなみにこの順番が何の順番かというと、心の底から笑っていた順番。
澪ちゃんあずにゃんは疑いもしなかったのだから当然。憂はなかなかの演技派。ムギちゃんはやっぱり優しいから、どこか心の底から笑えてなくて。
りっちゃんの笑顔に至っては、完璧すぎて逆に不自然だった。それこそ、笑顔の写真を印刷して貼り付けたような。
澪ちゃんくらい付き合いが長いなら気づきそうなものだけど、逆に最近のりっちゃんが曇っていたせいで気づかなかったのかな。
「ようやく律に笑顔が戻った」――とでも思ってたのかな。

あ、私の笑顔が一番先にある理由は、またちょっと落ち込みたくなるものであって。
ええ、恥ずかしながら最近、非常に精神が不安定でして。

澪ちゃんあずにゃんとデートしたことで、楽しかった頃を嫌でも思い出してしまって。
望郷といいますか、何か違うね。憧憬? もっと違うね。郷愁? とりあえずあれだよ、過ぎ去りし日を懐かしむ気持ち。
セピア色の軽音部を、夢にまで見るくらいに懐かしんでしまって。

今朝、憂に起こされて、言われるまで泣いているのに気づかなくて。
心配した憂から「今日はひとまず全部忘れて、素直に心の底から笑って?」と言われて。

だから、私はそうしたつもりだから、きっと私が一番先に名前が上がるはずなんだ。そうでないといけないんだ。



唯「カルピスサワー最高!」

律「スクリュードライバーだろ、常識的に考えて」

澪「……ま、私達にはチューハイくらいが丁度いいよな」

なぜかりっちゃんが独断で買ってきたお酒を飲む。
別に私も(気づかぬ間に)ハタチにはなってるんだし、法的には問題ない。澪ちゃんは渋っていたが、ムギちゃんの後押しで渋々飲み始めた。
でも当のムギちゃんは飲んでない。というか憂とあずにゃんも飲んでない。いや、憂達はまだ未成年だっけ?

紬「のんべぇ三人、シラフ三人でバランスいいじゃない?」

澪「無理矢理飲ませたくせに飲兵衛扱いとは酷いな」

律「そう言っても楽しんでるじゃないか」ケラケラ

澪「……うるさい。私だって飲みたいときくらいある」

律「なら素直に最初から飲んでろよー、この天邪鬼ー」

澪「……うるさい、ばか」

163: 2011/05/27(金) 11:33:07.91
梓「徐々に出来上がりつつありますね……唯先輩は大丈夫ですか? お酒、初めてですよね?」

唯「あずにゃんがいつもより可愛く見えます」

梓「大丈夫なのか判断しづらい」

正直、自分ではよくわからない。一応憂の監視の下で飲まされてるからペース配分とかは大丈夫だと思うけど。

憂「気分悪くなったらすぐ言ってね?」

唯「大丈夫だよー」

そしてそんな調子で少しだけ飲み進めた頃。

澪「……おい、律が寝てるぞ」

紬「あらあら」

澪「こいつ思ったより弱いんだな。さぁ唯、もう一本開けるぞー、自棄酒だー」ヒック

唯「あっはは、どんとこーい」ケラケラ

梓「あっダメそうだこの人達」

紬「仕方ないわねぇ……澪ちゃん、私じゃ不満?」

澪「ふむ…唯がいいけど無理はさせられないしなー……よしムギ、梅酒とハイボール、どっちか選ぶ権利をやろう」

唯「なんかりっちゃんみたーい」ケラケラ

憂「もうお姉ちゃんったら。はい、お水も飲もうね?」

唯「はーい」

貰った水を一気に飲み干す。お酒とはまた違う冷たさが胃に染み渡る。
気のせいかクリアになった気がする視界の端で、ムギちゃんが梅酒とハイボールをグラスに注いで混ぜていた。

164: 2011/05/27(金) 11:35:47.46

――ムギちゃんが家の人に連絡して、大きな車を迎えに寄越した。
それを合図に、今日のパーティーはお開きとなる。

梓「澪先輩……大丈夫ですか?」

澪「うへぇ、だいじょび」

梓「大丈夫な人の返事じゃないですね」

澪「だいじょーブイ」ピース

梓「ほら、肩貸しますから。それじゃ唯先輩、憂。お先に失礼します。律先輩にもよろしくと」

憂「うん。梓ちゃん、またねー」

まだ寝ているりっちゃんと、どことなく立ち上がるのが億劫な私とは対照的に、憂は元気だ。これが若さか…
若い憂に見送られ、三人は車に乗り込んだ――と思ったら、ムギちゃんが慌てて戻ってきた。何か忘れ物かな?

紬「唯ちゃん、あとでメールするわね」ボソッ

唯「……ほえ? なんで?」

紬「情報収集係でしょ、私達」

唯「………」

ちょっとだけ、ボーっとしちゃって。
自分が定めた期限すら忘れていたことに愕然とし、勢い良く立ち上がる。

唯「ムギちゃん、ちょっと待ってて。手提げ袋持ってるよね?」

紬「う、うん」

ちょっとだけフラつく足取りで、自室とリビングを往復して。ムギちゃんの手提げ袋にノートを突っ込んだ。

紬「……ノート?」

唯「私なりに情報纏めておいたから」

すごいわぁー、と感心した顔のムギちゃんがパラパラとめくって、一言。

紬「読めない」

唯「ごめん」



結局ノートは私の手元に戻ってきた。おかえり。
まぁいいや、ムギちゃんが家に戻るのもまだまだ後だろうし、とりあえずは憂の片づけを手伝うことにする。

憂「いいよ、まだお酒残ってるでしょ?」

唯「危なくないことくらい手伝わせてよ。っていうか憂一人に全部押し付けるなんて出来ないよ」

憂「うーん……じゃあとりあえずはゴミとか纏めてくれる?」

唯「りょーかーい」

ちょっとだけボーっとするけど、燃えるごみと燃えないごみの違いくらいわかる。
もちろんペットボトルとビン、カンの違いもわかるよ。みんなもちゃんと分別して捨てようね。

唯「終わったよー……ってありゃ、もうほとんど片付いてる」

憂「こういうのは経験がモノを言うからね。量が多ければ多いほど」

唯「ほへぇ。さすがは憂」

憂「もうすぐ終わるから、ちょっと横になってたら?」

唯「そうするー」ゴロン

……と、ここで私の記憶はしばらく途切れる。お酒恐るべし。


165: 2011/05/27(金) 11:37:05.74


――ピロリロリロ――ピロピロ――

唯「――はッ!?」

今のは……携帯の着信音?
随分とチャチい……いや、そうか、買い換えたばっかで設定してないんだ…
っていうかここリビングじゃん……なんでこんな所で寝て――

唯「じゃなくて、今何時!?」

素早く携帯を開き、時間を確認。丁度日付が変わるくらい。思ったより時間は経ってないけどヤバい、明日は学校だしあまり時間は無い。
ムギちゃんからのメールは……二通。30分くらい前のが最初。
最初は起きてるか尋ねるメールで、次のは寝てると仮定して長文で情報収集の結果を纏めてある。最後に「起こしたらゴメンネ」と添えられて。
実際起こしてもらっちゃったワケだけど、その優しさに甘えて寝たフリをしていたら復讐にも遅れが出る。それは許されない。

……あまり頭は冴えていないけど、気持ちだけは元通りだ。憂のアドバイスはいつも的確だなぁ、ホントに。

私が集めた情報は結果的にほとんどバンドの内情のようなものばかりだった。バンドは一枚岩ではなく、澪ちゃんはバンドを続けることに固執していて、あずにゃんは板挟み気味で。それでも二人とも私達三人が戻ってきてくれればいいと思っていてくれてる。
大学に軽音部がちゃんと存在することは…ムギちゃんなら知ってるだろうけど、一応。
あと一番大事なのが、澪ちゃん達が近々開催されるバンドイベントに出ようとしていること。昨日最後に運よく聞き出せたこれを忘れちゃいけない。
とりあえずその辺りを簡潔にメールしておく。『起きてたけどメールには気づかなかった』体を装って。

憂「あれ、お姉ちゃん起きた?」

唯「あ、憂。どこ行ってたの?」

憂「今日律さん泊まってくから、寝る場所を、ね。あ、律さんは今お風呂だよ」

唯「うん……私も後でお風呂入って寝るから、憂ももう寝たら?」

憂「そうだね、一番風呂貰っちゃったし……ここで寝ちゃダメだよ?」

唯「大丈夫……もう大丈夫だから、全部」

憂「……そっか。頑張ってね、お姉ちゃん」

憂を見送り、ムギちゃんのメールに再び目を通す。
ムギちゃんは外からわかるようなことを調べてくれていた。バンドのメンバーの名前、出身校、担当楽器、簡単な生い立ちや人間性……って怖いなぁ、なんか。どうやって調べたんだろ。
あと、有名バンドを擁するサークルであるにも拘らず、メンバーは5人きっちりで回しているということ。それ以上は軽音部の方に紹介しているらしい。ってやっぱ知ってるじゃん、部があること。
ともあれムギちゃんの情報は、親しい人に聞いただけの私と違ってちゃんと自分の足で調査したようなものが多かった。すごい。

と感心していると、ムギちゃんからメールの返信が来て。
冒頭から私の情報も褒めてくれていて、ちょっと嬉しくなって。
そしてその次の文は、凄く目を惹いた。

『私もバンドイベントのことは梓ちゃんに聞いたし、一年目は私自身も応援に行ったわ。そして今年のイベント、楽器店とかを回って裏を取ってみたんだけどね、澪ちゃん達は大トリで計画されてるみたい。
 凄い人気よね。まさに積み重ねてきたものの大きさ、って感じ。澪ちゃん達、頑張ってたんだね』

読み進めていくだけで、少しの落胆から大きな驚喜へと感情が滑らかに移り変わってゆく。きっとムギちゃんもわかってて言ってるんだろう。
だから私は、嬉々としてその誘いに乗ってムギちゃんに電話をかけた。

……そしてもちろん、結論は短時間で出る。

『復讐』は、澪ちゃん達のその頑張りを、積み上げてきたものを、全て壊す方向に決定した。


166: 2011/05/27(金) 11:38:28.71


そして翌日。
全てが新鮮な大学を、りっちゃんと共に憂のフォローで乗り切って。
澪ちゃん達から逃れ、私の家に集合して作戦会議。
りっちゃんの同意も得られ、私には重大な任務が課せられることとなった。っていうか自分で言ったんだけどね。

ともあれ、私の任務は『バンドイベントの主催者に会う』こと。
本当はその先もあるんだけど、今のところはこれでいい。


というわけで翌日。放課後に会いたいと澪ちゃんにメールしておく。朝の下準備はこれだけ。
そして日中は真面目に授業を受ける。これは昨日のりっちゃんとの誓いでもある。違えるわけにはいかない。

そして、待ちに待った放課後。
澪ちゃんに件のバンドイベントの主催者に会いたい旨を伝える。

澪「へぇ……なんでまた急に?」

唯「んー、澪ちゃん達が常連だって聞いて、さ」

澪「常連なんてそんな……大袈裟な。っていうかあんまり答えになってないぞ」

唯「うーんとね、だから常連ならさ、写真とかビデオとか沢山撮られてそうじゃん? そういうの見たいの」

澪「う、確かにあるかもしれないけど……は、恥ずかしいし」

しまった、恥ずかしがりやな澪ちゃんにこの言い方はマズかった……
っていうか恥ずかしがりや克服してなかったんだね、やっぱりというか何と言うか…

唯「えー、見ーたーいー」

澪「あ、そ、そうだ、ビデオは流石に恥ずかしいからダメって伝えてあるんだよ。なんかこう、流出とか怖い時代だろ?」

唯「じゃあ逆に言えば写真はいいってことだね?」

澪「くっ……で、でも…」

唯「お願いだよみおちゃん……写真とかそういうのでしか、私は知ることが出来ないんだから」

澪「あ……」

唯「私が寝てる間、どれだけ澪ちゃん達が頑張ってたか……私が見れなかったもの、少しでいいから見たいんだ」

情に訴えかけるようだけど、これは本心。
実際、二年も何もせず寝ていたなんて勿体なすぎるとは思っているんだから。
せめて、その時を生きていた澪ちゃん達がどんな表情をしているか、それくらいは見たい。

澪「……わかった。主催者の人達の中には雑誌系の編集者を自称する人もいたから写真は残ってるはず。きっと頼めば見せてくれるよ」

音楽イベントは昔、町内会主催でやってたりもしたし、結構いろんな種類、数の人が主催者なんだろう。
というか個人でやるよりそっちの方が楽なんじゃないかな、と思う。
ただ、大前提として音楽が好きであることは必要だとは思うけど。

……澪ちゃんはそのまま、バンド練習を放り出して私をその人の所に案内してくれた。
リーダー権限だ、とは言っていたけど……それ、またあずにゃんの負担になってると思うよ。
……ま、言葉にはしないけどね。


167: 2011/05/27(金) 11:39:35.56


――そして。

男「――あぁどうも、○○という雑誌の編集者してます、△△という者です」ペコリ

唯「あ、どうも、ご丁寧に。……えっと、平沢唯です。名乗る必要があるのかわかりませんが…」

男「秋山さんのお友達でしょう? これから先、会うこともあるかもしれませんし。あ、これ名刺です」スッ

唯「ありがとうございます……すいません、私名刺とか持ってなくて」

澪ちゃんが電話して待ち合わせ場所を決め、時間通りにそこに来た男の人は予想外というか、なんというか、とにかく丁寧で腰の低いオジサンだった。
やっぱり音楽関係者に関する私のイメージはいろいろと間違ってるらしい。

男「ははっ、構いませんよ。それで、写真でしたっけ?」

唯「はい。澪ちゃんがカッコよく写ってるやつとか見たいです!」

男「沢山ありますよ。過去に雑誌に載せた分ばかりになってしまいますけど……」ドサッ

唯「やったぁ!」ガサゴソ

なかなかの量である。一枚くらい持って帰ってもバレないかな? なんちゃって。
まぁこれだけあれば結構見るのに時間かかるよね。というわけで探すのに熱中してる『フリ』をする。
そうすればきっと、二人だけで何かしらの会話を始めるはず……

澪「他のも持ってきてくれてよかったんですけど…」

男「……それほど深い関係のご友人だったんですか? 失礼ながら、よくあるファンかと思って当たり障りのないところにしといたんですが」

澪「…唯は、私の親友です。二年間、事故で昏睡状態で……ようやく目を覚まして、同じ道を歩けるようになった…唯一無二の親友です」

男「そう、ですか……」

澪「彼女がいるから、生きてるから、私は頑張れたんです」

唯「………」

……私は、写真選びに熱中するフリをしながら聞き耳を立てていた。
澪ちゃんは予想通り、いや予想以上に私のことを印象的に紹介してくれている。これならこの男の人は私の事をそうそう忘れはしないだろう。
自分で言うのも何だけど、事故で昏睡状態とかなかなかの悲劇のヒロイン的な生い立ちみたいで、雑誌のネタにはなるんじゃないかな、と思うし。
そして澪ちゃんは一途な主人公。澪ちゃんの頑張りに応えて私が目覚めてハッピーエンド、ほら携帯小説レベルのありがちな感動の話が一本出来た。
……そういうのが音楽雑誌に載るとは思えないけどね。

168: 2011/05/27(金) 11:40:15.11


唯「――ありがとうございました! いろいろ見れて嬉しかったです!」

男「いえいえ。秋山さんのお墨付きですし、またいつでもお見せしますよ。あ、そういえば平沢さん」

唯「はい?」

男「あなたは楽器、何かやってないんですか?」

そういえば言ってなかったっけ、当然の疑問でもあるけど。

唯「えっと、ギターを少々……」

男「ほう! ギターですか。秋山さんと一緒に演奏されないのですか?」

……なんだろう、この食いつき。気のせいか目が輝いてるような。

唯「え、えーっと、一応いつかは一緒にやりたいと思ってますけど、いかんせん病み上がりで」

男「あ、失礼しました……そうですね、では一緒に演奏する時は呼んでください。私の雑誌で特集組みますよ!」

唯「わぁっ、私も雑誌に載れるんですか!?」

男「ええ、勿論です。あ、一応秋山さんの意思も確認しておかないといけませんが」

澪「唯と一緒なら、拒む理由はありませんけど。そろそろいいですか?」

男「あ、失礼しました。それではまたいずれ」

……腰が低い人だと思ってたけど、終盤はテンション高かった。
なんだろう、と思っていると。

澪「……あまりあの人を喜ばせるようなこと言うな」

唯「ほえ?」

澪「いや、悪い人じゃないんだけどな……あれでも一応、雑誌の編集長として野心はあるようで、さ。いいネタを捜し歩いてることには違いないんだ」

唯「へぇ……って、編集長!?」

澪「名刺に書いてるだろ……」

唯「ホントだ……そういえば「私の雑誌」って言ってたっけ」

澪「私達の事も、目をかけてくれてるといえば聞こえはいいが……無駄に大袈裟に煽られるのは、私は好きじゃない」

唯「澪ちゃんならそうだろうねぇ……ところで目をかけてくれてるってことは、あの人は主催者の中でも権力あるほうなの?」

澪「ん、確かにな。毎年参加してるし、腐っても雑誌編集長だからコネ多いし、ある意味スポンサーとも呼べるけど……なんでそう思ったんだ?」

唯「え、目をかけてくれてるから澪ちゃん達が大トリなんでしょ?」

澪「は? なんだそれ……聞いてないぞ!?」

……えーっと、どういうこと?
ムギちゃんの情報が間違ってるワケないし、でも澪ちゃん達には知らされてなくて…?

澪「くそっ、電話して確かめてやる…!」

……あぁ、もしかして。というか安直に考えられる理由は、一つ。

澪「は? 本当に…? なんで黙ってたんですか!? ビックリさせたい!? ふざけるなぁぁぁ!!」

うん、やっぱりね。なかなか面白い人のようだ。
……これは…上手く使えれば、もっと盛り上げることが出来そう。



次の日。ムギちゃんが「サプライズプレゼントがあるの~」とか言うからついて行ったらなんか部屋をプレゼントされました。広かったです。

169: 2011/05/27(金) 11:41:15.50


そしてそのまた次の日。私はみんなを集め、バンドイベントの申し込み…というか殴り込み? まぁ、あの人の所へ行くことにした。
名刺に書いてある番号に電話して、あえて私達から「そちらに行かせてください」と頼み込む。
この時はまだ深い理由はなくて、編集者の仕事場を見てみたかっただけなんだけどね。

律「……思ったより散らかってないんだな」

唯「そうだねぇ」

紬「一般的なイメージが偏見になってるいい例ね」

憂「それでも私達、場違いな気がしますけどね」

いかんせん、多数の人がせわしなく働いている…と言えば聞こえはいいが、ひたすら机かパソコンに向かって黙々と何かを書いている。
そして部屋も狭く、かなりすし詰め状態。誰もが均等に狭いスペースで頑張っている。編集者って言うとカッコよく聞こえるけど、普通にサラリーマンみたい。
編集長であるあの人の机も一人だけ大きいというわけでもなく、威厳らしさを感じる要素と言えば上座にあるということだけ。
と、そこでその机から顔を覗かせたあの人がこちらにやってくる。

男「ああ、すいません。ちょっと立て込んでまして。別室で話しましょうか」

律「いえ、そう長い話でもないので」

男「君は?」

唯「あ、私の友達です。というかここにいる人みんな、私が目を覚ますのをずっと待っててくれた大切な友人です」

男「なるほど。そういうことなら」

律「ええっと――」

とりあえず、リーダーであり部長であるりっちゃんが話を通す作戦になっている。
といってもりっちゃんは台本を読むだけの簡単なお仕事で、憂とムギちゃんが適宜フォローするんだけど。
りっちゃんがバンドとして参加したい旨、そして澪ちゃん達にぶつけて欲しい旨を伝えると、当然あの人は怪訝な顔をする。それをどうにかフォローしようとする二人を尻目に、私はのんびり部屋の中を見て回っていた。
自分でも結構酷いと思います。そしてだいぶ邪魔くさかったと思います。

唯「ふーん……」

会話に熱中しているのをいいことに、あの人の机まで見て回る。
そして、そこでつい見てしまった原稿に書かれていた文字を見て。

唯「へぇ……」

思わず、笑みを浮かべた。



男「――とりあえず、参加はこちらとしても嬉しい事ですが……放課後ティータイムにぶつけて欲しい理由が『ライバル視してるから』では弱い…というか信じられません」

律「そんな!」

男「そうは言いますが、あなた達も秋山さんと同じく平沢さんの目覚めを待った仲間なのでしょう? それでライバルなんて言われても、イマイチ、ね」

律「っ……あんな奴、仲間なんかじゃ――」

紬「ダメよりっちゃん!」

ふと見ると、ムギちゃんがりっちゃんを制してる。
理由はもちろん、私達の抱える『復讐』という理由を語ることは、放課後ティータイムに目をかけてるこの人にとってはマイナスになるからだ。
この人から見れば私達は、自分が気にかけてる存在の敵なのだから。
だから、あくまで『友達』として対立する必要があった。それが『ライバル』という妥協点。そういう作戦だったのだけれど、どうも弱かったらしい。

170: 2011/05/27(金) 11:43:00.42

男「それに生憎、あなた達みたいにライバルとしてぶつけて欲しいと言う人は多いんです。あなた達の実力は知りませんが、よほどの実力でないとぶつけるわけにはいきません」

律「じゃあ、私達の演奏を聴いてくれ!」

紬「ちょ、ちょっとりっちゃん!?」

律「実力があればいいんだろ!? 見せてやるさ!」

憂「律さん、落ち着いてください…! 律さんもですけど、それ以上に今のお姉ちゃんに演奏は酷です…!」

律「あ……っ」

……さすがに二年も寝ていた私ではみんなの足を引っ張るのは目に見えている。たぶんりっちゃんも同じくらい演奏はしていないと思うけど。
とにかくそういうことだから、私達が『演奏』でこの人の気を変えるのは…残念ながら不可能。

律「くっ……そんな、ここまで来て…」

男「……何か事情があるようですが、申し訳ありません。今年演奏を見せてもらって、充分な実力があると思えれば来年は優先的に――」

律「来年じゃ遅いんだよ…! 畜生、私達が一番、放課後ティータイムに勝ちたいと思ってるのに!」

男「…いえ、そう思ってる人は大勢いますよ。誰だって有名になりたいものです。ですから私共としては実力を見て決めているわけです」

律「クソっ、何でもかんでも実力主義なのかよ…!」

男「…そういうものですよ、世の中は」

皆、黙りこくってしまう。
りっちゃんの熱意も通じず、ムギちゃんや憂のフォローも意味がない。そう思い知らせるに充分な、取り付く島のない態度だった。
あくまで冷静に反論してくるのが私達の歯がゆさを倍増させていた。

……諦めよう。

みんな、そう思ってしまった。私も例外ではない。本当に、取り付く島もなかった。


唯「……あの、一ついいですか?」

ただ、私には諦める前に打ちたい手がまだあった。
他の皆とは違う方向からの一手が。

唯「……演奏が実力順なのは、強敵であればあるほど記事として盛り上がるからですか?」

憂「お姉ちゃん!? 失礼だよ!」

男「……なぜ急にそんなことを?」

少々不機嫌になったようだ。でも構わない。
なぜなら――

唯「一昨日の澪ちゃんの話、記事にするんですか? 確かにお涙頂戴にはもってこいのいい話でしたもんね」

男「……!?」

――勝手に記事のネタにされそうだった私も、そこそこ不機嫌だから。

まぁ、利用できると思った途端、笑っていたんだけどね。なかなか悪役が板についてきたかな?

唯「『目覚めない親友のために、ただ彼女は歌う――放課後ティータイムの悲劇のボーカル、秋山澪』でしたっけ」

男「見たんですか…」

唯「いやぁ、広げてあったんで、つい」

まさか私の妄想シナリオとほぼ一致している煽り文で来るとは思わなかったけど。
どうやら私の中の音楽雑誌のイメージも間違っていたらしい。

唯「別に記事にするなとは言いませんけど、私がもう目覚めちゃってるのが少し問題ですよねー」

男「……『彼女の願いは届いた』とでも締めますよ。こういう話、売れますからね」

紬「貴方ッ……!」

171: 2011/05/27(金) 11:44:36.72

唯「ムギちゃん、待って」

現実に起きて、更にその事でいろいろ苦しんだムギちゃん達からすれば、面白おかしく人の目に触れるカタチで書かれるのはそりゃ腹立つだろう。
ムギちゃんが私のために、私達のために怒ってくれるのは嬉しいけど。

とはいえ、この人にも悪意があるわけではないのだ。仕事だからやっているだけ。仕事だから澪ちゃん達に目をつけているだけ。割り切っている大人なんだ。
正直、こういう人のほうが利用しやすい。そして利用してもあまり良心が痛まない。私もこの人のことなんて考えずに、りっちゃんの為と割り切るだけで済むから。

唯「まぁ、私としては書いてくれて構わないんですよ。ただ、そしたら…その記事の『続き』も欲しくなりません?」

男「……どういう意味です?」

唯「『ライバル』なんて嘘だってコト。私達はもっと大きな存在になる。澪ちゃん達にとって、ね」

男「……一応聞きますが、詳しく話してくれる気はあるんですか?」

一応、とは言うが、この人は既に食いついている。
予想外の一撃を受け、弱った魚は容易に餌に食いつく。
そして今や、餌のついた針ごと既に口の中。あとは――


唯「貴方が『放課後ティータイム』を捨てる覚悟があるのなら。捨てて、より大きな反響を得られる記事の糧にする非情さがあるのなら」

男「………話を…聞かせてくれますか」


――あとはその針を、深く深く刺してしまえば、逃げられない。





――帰り道。

上手くいった。全て上手くいった!
これで最も望ましい形で私達は澪ちゃん達の前に立てる。まさに最強の布陣を敷いた形だ。私、頑張ったよりっちゃん!

……と、テンション最高潮だった私……なんだけど。

律「いや、喜ぶには全然早いから」

唯「あ、やっぱり?」

紬「ごめんなさい……時期までは聞いてなかったわ」

憂「まさか来月だなんて…」

そう、いろいろ(一部伏せて)話して快諾してもらったまではいいんだが、そこで聞かされたイベントの開催時期がまさかの来月だった。
時間的にはもう全然足りない。私とりっちゃんが二年のブランクを取り戻せるかさえ怪しい上に、みんなで合わせることも意識しなければいけないし。
っていうか実はそれ以前に演奏する曲がない。詞もない。どうすんのこれ。

律「こうなったらあれだな、あまり好ましい手段ではないけど……」

唯「どんな手段?」

律「勉強は最低限にして、バンドに打ち込む!」キリッ

唯「私、今までとあまり変わらない気がするよ」

律「実は私もだ」

紬「私達には大きな変化よね、憂ちゃん」

憂「あはは……」

172: 2011/05/27(金) 11:45:48.26

ともあれ、方向性だけはガッチリ固まった。あとは私達の努力次第で全てが決まる。
私『達』の部屋に戻り、作戦会議。

紬「とりあえず、りっちゃんと唯ちゃんはがっつり練習してカンを取り戻さないとね」

唯「返す言葉も」

律「ありません!」

実を言うとこの時点でだいぶ私の身体には疲労が蓄積されていた。やっぱり頭を使うと疲れやすい気がする。
でもみんながやる気になってるところに水を差すわけにもいかないし、何よりまだ夕方。寝るような時間でもない。

紬「憂ちゃんはどう? 私のあげたベース、調子は?」

憂「うーん、まだまだですかね……澪さんと対等なんて畏れ多いくらいに、まだまだです」

憂の『まだまだ』ほどアテにならないものはないんだけどね。
あ、あと憂のベースはムギちゃんがあげたつもりの借り物。ムギちゃんがあげるって言うんだから貰っちゃえ、とも思ったけど、値段を聞いたら教えてくれなかったので絶対無傷で返そうと憂と約束した。

紬「うん、じゃありっちゃん、作曲は私がやっていい? もちろん練習もちゃんとするけど」

律「そりゃ、やってくれるなら是非ともお願いしたいくらいだけど……いいのか?」

紬「もちろん。だからといっては何だけど、作詞を三人に任せていいかな?」

律「それくらいならどんとこい」

唯「りっちゃん安請け合いしすぎじゃ……」

律「三人だぞ? 唯も手伝うんだよ」

唯「あ、そっか。よーし、私の才能ってやつを見せてあげましょう!」

律「なんか私達が無駄にやる気になると最終的に憂ちゃんに負担がかかるのが定番パターンな気がするんだ」

唯「私もだよ」


紬「ところで、どんな曲がいいかの希望とかある?」

律「うーん、そうだな……やっぱ澪達を意識した曲になるんじゃないかな、なるべくして」

憂「まぁ、ライバルって言い張ったくらいですからね」

唯「そうかなー? 無理しないで私達らしい曲でいいと思うよ」

律「う……まぁ確かに、背伸びしても良い事はない、か…?」

憂「どっちも一理ありますよね」

律「うん。でも結局は優劣を決めるんだから、そこだけ考えればやっぱ似たような曲のほうがいいよなぁ」

唯「それはそうなんだけど……その結果失敗しちゃったら元も子もないよ?」

憂「うーん、確かに……」

律「……いいや、ムギ、決めてくれ。っていうかムギの希望を聞こう」

全員の視線がムギちゃんに集まる。

紬「……私は、やっぱり変に意識しないで楽しくやりたい。私達らしい曲をやれば、澪ちゃん達の心にも何かしら響くものがあるはず」

律「はい決定」

唯「じゃあ解散~」

憂「お疲れ様でしたー」

173: 2011/05/27(金) 11:47:26.12

紬「ちょっ、ちょっと待ってみんな、そんな簡単に――」

律「いいんだよ。ムギの書いた曲は、いつだって私達にピッタリだった」

唯「いつだって私達のことを考えてくれてる。だからムギちゃんが思うまま、書けばいいんだよ」

紬「私は、確かに楽しくやりたいけど……でも、もしそのせいで負けちゃったりしたら…」

律「別に誰も、ムギだけを責めたりしないよ」

唯「そうだよ。みんなでやって負けたなら、みんなの責任だよ。負けたくはないけどね」

律「一言多い」

唯「じゃありっちゃんは負けてもいいの?」

律「いや、そりゃ勝てるなら勝ちたいけど」

紬「うぅ……」

律「あ、いや、ムギにプレッシャー与えたいわけじゃなくて……」

唯「あーだ」

律「こーだ」

紬「うだうだ」

なんか収拾つかなくなってきた。ムギちゃんはもっと自分に自信持っていいと思うんだけどなぁ。
いや、自信どうこうじゃなくて、背負いすぎて萎縮しちゃってるのかな。それとも『想い』を背負うのに慣れてない?
もし、私達の想いだからこそ萎縮してるんだとしたら、それは私達をかけがえのない仲間と思ってくれてるってこと。それはそれで嬉しいんだけど……
どういう理由だとしても、私達みんなムギちゃんを信頼してるから気にしなくていいのになぁ。

それを伝えようとする私達と、踏ん切りのつかないムギちゃんでグダグダ言い合う。そんな収集のつかない時間は、憂の一言であっさり片付いた。

憂「あのー」

律「ん? どしたの憂ちゃん」

憂「いえ、一曲だけしか演奏できないんですか?」

唯「あ」

紬「そういえばそうね。イベントって最低でも二曲は演奏できるわよね、確か」

律「じゃあ一曲目は私達らしく、二曲目は澪達意識した曲で行こうか」

唯「そうだねー」

紬「……憂ちゃん、もっと早く言って欲しかった」

憂「ご、ごめんなさい……って私が悪いんですか? これ」

紬「まぁ様式美みたいなものよ♪」


――そんなこんなで数日後、出来上がった曲を打ち込みで聴かせてもらったら。
結局、一曲目は私達らしい曲で、二曲目も澪ちゃん達を意識した私達らしい曲になっていた。
これなら楽しくやれそうだね、とみんなとハイタッチした。


174: 2011/05/27(金) 11:49:18.18

……実際、練習に没頭してる間は凄く楽しい。
もちろん事情が事情だから高校時代とは比べ物にならないくらい厳しい練習なんだけど、それでもそれらでは心は痛まないから。
誰かを騙す必要もない。誰かを利用する必要もない。誰かに嘘をつく必要もない。
普通に、いつも通りやればいい。そんな、ありのままの私でいられる時間。
だから楽しくて、心地いい疲労になる。



唯「――ふあぁ……おやすみ、憂…」

憂「うん、おやすみ、お姉ちゃん」

全力投球の毎日を繰り返してすっかり早寝早起きになってしまった。
二人分の広さのベッドの奥半分に潜り込み、目を閉じる。
……そういえば私と憂はなんとなく二人部屋で一緒にしてもらったけど、りっちゃんとムギちゃんは個室。寂しくないのかな?
寂しいといえば……しばらく澪ちゃん達にも会ってないや。忙しすぎて。
いつか会って、イベント当日の日程とかを聞いておかないといけない。私達も出るんだから、あっちの動きを把握しておく必要がある。
私達の出番の前にネタバレなんてしたら泣くに泣けない。何が何でも騙し、隠し通さないといけない。

……久しぶりに胸の奥が痛み、それから逃げるように、私は眠りに落ちていった。


175: 2011/05/27(金) 11:50:10.42

――主催者の人達とのすごく細かいところの打ち合わせは、私とムギちゃんでやった。あの人以外の主催者とも顔を合わせ、事情をある程度話したけど、意外にも嫌そうな顔はされなかった。
それどころか『大々的に宣伝しよう』と言い出す人もいた。結局この人達、というか大人にとっては話題性が何よりも大事なんだ、とかムギちゃんがボヤいていた。
ちなみに打ち合わせをしたのは一度や二度ではない。演奏前にこちらから澪ちゃん達に接触なんてもちろんしないけど、向こうから接触してしまう可能性というのももちろんゼロではないから、その辺は綿密に打ち合わせた。
着替える場所、演奏するポジションから、観客席からの見栄え、舞台袖からの見え方、そしてあの人の準備したカメラにどう写るか、とか、演出面も抜かりない。
あと私の希望で、ステージに立つ前にはスモークを焚いてもらうことにした。演奏前に澪ちゃん達にいろいろ言われると皆のテンションも下がるというものだ。
勿論、私も。いつまで経っても胸の痛みには慣れないから。慣れなくちゃいけないとあの日に誓ったのに、結局今でも慣れていない。やっぱり私はダメな人間だなぁ。



――イベントも目前に迫った頃、ようやく私達の『秘密兵器』が完成した。
って言っても私なんですけどね!

唯「~~♪」

憂「」

律「おお……すげぇ、カッコイイ声がちゃんと出てる」

紬「ふっ……私が教えることはもう無いわ…」

律「師匠かよ」

唯「どうかな、りっちゃん」カッコイイボイス

律「声優かよ」

唯「ふっ、また一つ大きくなってしまったぜ…」

律「あ、戻った」

唯「ありゃ。さすがに日常会話に使うには難しいかな」

律「日常で使われても困るしな」

紬「カッコよすぎて?」

律「まぁ、それは否定しないけど……でもやっぱ唯は唯らしくしていてほしいし」

唯「なんかりっちゃんも恥ずかしい事堂々と言うようになったねぇ」

律「流してくれよ。恥ずかしくなるだろ」

紬「無意識……くっ、二人の絆はそこまで深いというの…!? 間に入るスキを探さないと!」

唯「ムギちゃんサンドイッチ~!」ギュー

律「イェーイ」ギュー

紬「や~ん」ムギュー


律「……ところで憂ちゃん息してる?」


血反吐を吐くほどの練習。その表現に偽りはなく、私に限って言えば、夜にはすぐに氏んだように眠ってしまうほどに身体が疲弊する。
そんな練習でも、漂う空気は確かに私達らしい空気で。そこに笑顔はちゃんとあった。

……まだ、足りない笑顔もあるけれど。

176: 2011/05/27(金) 11:52:52.56


――ライブイベント当日のことは、実はほとんど覚えていない。

理由はもちろんちゃんとある。
その日、本番にして最後の日。全ての集大成。
澪ちゃん達の前に立ち、傷つけ、地に伏させないといけない日。
澪ちゃん達の全てを、否定しないといけない日。

……そんな日に、私はようやく、心を殺すことを覚えたからだ。

ステージに上り、心を頃して。
澪ちゃんとあずにゃんの涙を、見ないフリをして。
二人の悲しみの叫びも、聞こえないフリをして。

涙を見たら、心が折れそうだったから。
叫びを聞いたら、心が砕けてしまいそうだったから。

結局、私の心は誰よりも弱くて。
弱い心を守るために、守った上で人を躊躇なく傷つけるために。
私は結局、心を頃した。


――つもりだった。


涙も叫びも届かないところに、氏なせた心を置いていたつもりだった。

でも。

澪ちゃんの想いが、届いてしまった。


その想いは、温かくて。
私の心を、蘇らせてしまいそうで。

……いや、そもそも最初から、心を殺せてなんていなかったのかもしれない。
殺せていたのなら…今、こんなに寂しい気持ちにはならない。
今までよりも上手に心を凍らせていただけで、結局、私らしい中途半端な出来だったのかも。

どうしよう。やっぱりダメなのかな。弱い私じゃ、最後まで立っていられないのかな……?

177: 2011/05/27(金) 11:53:33.38

唯「……りっちゃん、私、どうすればいい?」

できるだけ無表情を装って、りっちゃんに問う。
でも肝心な時にニブいりっちゃんは、問い返してきて。

いつだってそうだ。りっちゃんは、心の奥底の想いには気づいてくれない。
表面に見える変化には敏感なりっちゃんだけど、奥底に秘めた心には鈍感。
憂なら気づいてくれる。ムギちゃんならきっと疑問に思ってくれる。でもりっちゃんは気づきもしない。

……でも、そんなりっちゃんでも、私は好きなんだ。
誰よりも大事なんだ。そんなところも含めて、大好きなりっちゃんなんだ。

だから、私は言葉にして問う。問わないといけない。
りっちゃんは言ってくれた。私と話すのが好きだって。そんな時間が好きだって。
問いというのは、答えがないと成立しない。問いと答えで、会話になる。言葉に言葉を返す、それが話すということ。
寂しさに心を塗りつくされそうになった私は、それを求めた。

唯「…私は、りっちゃんの何?」

せめて。

唯「私は、何でここにいるの?」

せめて私に……想いを、言葉をちょうだい。
少しでいいから、何でもいいから、私にりっちゃんを見せて――!
そうすれば、私は――


律「――行くな、唯。私のそばにいろ」


唯「――うんっ!」


――私は、りっちゃんのことをもっともっと、まだまだ好きになれるから!


178: 2011/05/27(金) 12:03:38.02


――私達の復讐は、幕を閉じた。

私達の部屋に辿り着き、そう実感した私は、みんなとの会話もほどほどに「寝る」と言い残して寝室へ。
着替えすらせずにベッドに倒れこみ、枕に顔を叩きつける。

寝ると言ったのは嘘ではない。ひたすら眠りたかった。
全てを忘れて眠りたかった。

私が、かつての仲間にしたこと。
嘘をつき、騙して傷つけたこと。
それらを全て忘れ、明日目が覚めて昔のように笑い合えたら、どんなに幸せだろうか。

……もちろん、許されないことだとわかってはいるけれど。
責任は持たなければいけないと、わかってはいるけれど。

りっちゃんの為だと、割り切ったはずなのに。

唯「……っ……ごめんね、澪ちゃん、あずにゃん…!」

この胸の痛みには慣れないといけないと、ずっと昔に覚悟したはずなのに。

今日に至るまでに自分がしてきたこと。
今日のライブでの、澪ちゃんとあずにゃんの表情。声。涙。
思い出してしまうことはいくらでもあって、それら全てに私はちゃんと謝らないといけない。
ずっと前に、りっちゃんの為に全てを背負うと約束した時から覚悟はしていた。でもいくら覚悟をしていようと、痛いものは痛いのだ。
謝らないといけないほどのことを、そうとわかっていて実行したところで痛みは消えず。
その痛みが、私の背負うべき責任で、罪で、業なのだとしても。全てがりっちゃんの為だったとしても。
私の心は、その痛みに黙って耐えられるほど、強くはない。

唯「ごめん……ごめんね……!」

私の流す涙も、私が洩らす謝罪の声も、枕だけしか受け止めてくれなかった。





――私が泣き疲れた頃、ドアをノックする音が響いた。

澪「唯? 寝てるよね……入るよ」

唯「あ…っ」

反射的に頭から布団を被って縮こまる。
寝てると決め付けて入ってきた澪ちゃんも少し気まずいんだろう、小声で話しかけてきた。

澪「…ごめん、勝手に入って」

唯「……ううん、別にいいよ…」

澪「…何か言う事があって来た筈なんだけど…唯の顔を見たら忘れちゃったよ」

うわぁ、布団被って逃げたのにちょっと遅かったのか……
あれだけ泣けば、一目見てわかるくらい目も腫れてるよね、きっと。

澪「……聞いていいかな、なんで泣いてたのか」

唯「…こんな形で言っていい理由じゃないよ」

こんな、澪ちゃんに慰められるような状態で言っていい理由じゃない。
ちゃんと私から頭を下げて、許しを請わないといけないんだ。
でも、澪ちゃんはそれを許さなくて。

澪「…ボロボロだよ、今の唯」

唯「……見えないくせに」

澪「声でわかるよ。まったく、律の奴は……どうしてこんな唯に気づかないんだ?」

唯「りっちゃんを悪く言わないで!!」

……あぁ、ダメだ。澪ちゃんの言う通り、今の私はボロボロなのかも。
ボロボロだから、少し突っつかれただけで壊れて、砕けてしまいそうで。
そうならないように、必氏に抵抗するしか出来なくて。

179: 2011/05/27(金) 12:06:35.26

唯「りっちゃんは悪くない……悪いのは、私。だから……私が、全部背負わないといけないのに…!」

澪「……唯…」

ぽふん、と。布団の上に澪ちゃんの手が置かれる。
鈍い感触だけど、重みは確かにそこにある。

澪「…思い出した。唯に謝りに来たんだった。ごめん、唯」

唯「………」

澪「唯と律の悩みに、苦しみに、気づいてあげられなかった。寝ている唯を置いていったこと、待とうとした律を置いて行ったこと、そんなに恨んでるとは思わなかった。ゴメン」

唯「………ん?」

澪「言い訳にしかならないけど、当時の私達はさ、先に進んで道を示してやるのも友達だと思ってたんだよ。律も考えとしては理解してるって言ってくれたけど……理解してくれてるからって、唯や律が恨まないって理由にはならないよな…」

唯「………あれ?」

澪「もう遅いかもしれないけど、本当にゴメ――」

唯「あの、みおちゃん、ちょっと待って」

布団から顔を出し、澪ちゃんを制する。

澪「……すごい顔だな」

唯「言わないでー…って、そうじゃなくて! 一つだけハッキリさせておきたいんだけど」

澪「……何を?」

唯「あの、私は別に澪ちゃんのこと、恨んでないよ?」

澪「……へ?」

唯「……もちろん、りっちゃんを置いていった澪ちゃん達を許さない。そう思ったのは事実だよ。あんなに仲良しだったのに簡単に置き去りにしたって聞いて、私は…胸が痛くなった」

澪「……うん」

唯「でも、私自身のことはしょうがないよ。事故だったんだし、事故は私の不注意の面もあるし、私だって立場が逆なら同じ事をすると思う」

だから、えーっと。

唯「…だから、そんなにたくさん私に謝られても困るんだよね。私よりりっちゃんに謝って?」

澪「……一応、謝ったよ。そして律から、唯はかなり怒ってるって聞いたから来たんだけど…」

唯「…そうでもないんだけどなぁ。そもそもリーダーのりっちゃんが澪ちゃんを許したなら、私からはもう何も言えないよ」

澪「……でも、たとえそれでも唯を傷つけはしたんだ、謝らせてくれ」

唯「もういいってば。むしろ私のほうが謝らないといけな――あっ」

しまった、口が滑った……不自然なほどに自然に口が滑った。

澪「…唯が私に謝ることこそ、何もないだろ」

唯「それは違うよ!」

それだけは絶対に違う。謝ることは山ほどある。
……今なら、澪ちゃんに慰められているわけでもないし、いいのかな。

唯「私だって…澪ちゃん達を傷つけた。謝らないといけないし、許されなくても仕方ないと思う」

澪「…許さない訳がないし、謝る必要さえないよ。間違っていたのは…私達なんだ」

唯「間違いじゃない! ちゃんと私もりっちゃんも理解はしてる! それに……」

それに加え、計算外な事実もあった。
所詮は私のスッカラカンな頭の計算だ、計算外なことはむしろ少なかったくらいだけど。

唯「……ライブの時、澪ちゃんがね、放課後ティータイムを私の為に守ってくれてるって聞いて、ものすごく心が揺らいだ。りっちゃんが助けてくれなかったら、きっとダメだった」

180: 2011/05/27(金) 12:08:12.63

澪「…ああは言ったけど、そんな大層なものじゃ…」

唯「ううん、私達みんな、誤解してたの。澪ちゃんは放課後ティータイムを私物化しているようなものだって。私達がいなくても回るんだって思ってる、って」

澪「…そう、か……」

唯「ごめんね。本当に酷い誤解だった。本当は守るために、頑張って澪ちゃんとあずにゃんで回してたのにね」

澪「……それこそ、もういいよ。またみんなでバンドやれるなら、別に放課後ティータイムである必要はないんだってわかったから」

唯「…みんなで、だよ? もう二度とりっちゃんを置いていっちゃだめだよ?」

澪「……そんなに律が大事か?」

唯「どういう意味?」

澪「…私は、正直言うと唯のほうを大事にしたい。悪い意味ではなくて、律とはホラ、ケンカしてもすぐ仲直りできる。唯とは二度とケンカなんてしたくない。もう今回の件でこりごりだ」

りっちゃんと澪ちゃんのそれは、幼馴染として、腐れ縁としての信頼なんだろう。
そして私に対する想いは、純粋な好意。それほど大切だと思ってくれてるってコト。
後者は素直に嬉しいんだけど、生憎前者はちょっと説得力がない。

唯「……怒っていいかな、澪ちゃん」

澪「え…?」

唯「澪ちゃんがりっちゃんのことをそんなに軽く見てるから、今回のことは起こったんだよ?」

澪「あ……」

唯「澪ちゃんがりっちゃんをどう見てるかは大体わかったけど、それはきっと間違ってるよ。みんなから見捨てられれば傷つくし、恨むし、寂しがる。りっちゃんはそんな普通の女の子だよ」

たまーにかわいい面も見せてくれる、本当は誰よりも表情豊かな、私の大好きな女の子。
それがりっちゃんなんだよ。

唯「大切な幼馴染なんだから…ちゃんと見てあげてよ、りっちゃんのこと」

澪「…そっ、か……私は、いつしか律との関係にも、甘えていたのかもしれないな…」グスッ

唯「……ごめんね、説教なんて出来る立場じゃないよね、私…」

どんな理由があれ、正当化できるとはいえ、私は澪ちゃんを傷つけた。
大好きなりっちゃんの為とはいえ、加害者が説教してる光景は、なんとも可笑しいと思う。

澪「…そんなこと…ないよ。唯は…私より、律のことをちゃんと見ていたんだから……」

唯「大好きなりっちゃんの事だから見ていたし、りっちゃんの為だから何だって出来た。それだけだよ」

澪「はは……妬けるなぁ、もう。全部、律の為だったのか…」

唯「…こうでもしないと、りっちゃんはきっと昔みたいに笑えなかったと思うから…」

一度、全部吐き出してしまったほうがいいことってあると思う。あの時のりっちゃんを見て、私はただそう思った。
負の感情にしろ、涙にしろ、溜め込みすぎはきっと良くないんだ。

澪「そう、だな……あぁ、もう、悔しいなぁ…」ポロポロ

唯「…よしよし」ナデナデ

澪ちゃんが悔しいと言いながら流す涙が何なのか、私にはよくわからなかったけど。
でも、これできっと全部元通りになれる。そんな予感だけはひしひしと感じていた。


181: 2011/05/27(金) 12:09:07.77


――ピロリロリロ――ピロピロ――

唯「――う、ん?」

携帯電話の電子音で目が覚める。なんか前にもこんなことがあったような。

唯「…メール?」

時間を見てみると、澪ちゃんと別れてからそんなに過ぎていない。
そのままボタンを押してメールを開くと、あずにゃんからの呼び出しのメールだった。

唯「……もう決めたのかな。だいぶ早いけど…何かあったのかなぁ?」

早く決めざるを得ない理由、とかね。
まぁなんにせよ、呼び出しなら行かないといけない。いつでも連絡してと言ったのは私だ。

私の心に、不安なんてカケラもなかった。
あずにゃんが一人で頑張れるとは思わなかったし、それ以前にあずにゃんだって皆と一緒がいいだろうし、私達の行動の意味だってわからない子じゃない。

大丈夫。あずにゃんがこっちに来てくれる事はもう目に見えている。だからこそ、すぐに向かわないと。
寝起きでだるい全身を引きずって、私は出かけた。


……澪ちゃんにはもう一度、あずにゃんには一からちゃんと謝らないとなぁ、と、そんなことをぼんやり考えながら。



182: 2011/05/27(金) 12:12:34.40

番外編終了

183: 2011/05/27(金) 12:20:09.66
続いて

【最終章】:その後の話

184: 2011/05/27(金) 12:21:47.73

【温もり】


――謝罪合戦。

私と唯先輩のやり取りを見ていた律先輩は、笑いながらそう称した。

唯先輩を結果的に階段から突き落としたことを謝る私と、復讐の為に私を騙し、傷つけたことを謝る唯先輩。
どちらも一歩も譲らなかった。

梓「っていうか……唯先輩のおかげで今があるんですから、唯先輩が謝る必要なんてどこにもありませんよ…!」

唯「それを言うならあずにゃんだって……私が勝手に落ちたんだって言ってるじゃん…!」

梓「むむむ……」

唯「ぬぬぬ……」

律「どっちもどっちだなぁ。早く決着つけないと外で待たせてる三人に悪いぞー?」

……唯先輩が意識を取り戻したと聞いて、私達は皆で病院へ向かった。元々向かうつもりではあったんだけど、急すぎてみんな気が動転していた。
皆が皆、我先にと唯先輩の顔を見たがった。そこを冷静に仕切ったのが律先輩だった。
一番負い目を感じているであろう私を優先してくれたのは、素直に感謝している。でもどうせならそこでニヤニヤしながら観戦するのをやめてくれるくらいの気遣いまで欲しかった。

唯「…ねぇりっちゃん、私のほうが悪いよね? 謝らないといけないよね?」

梓「何言ってるんですか。全部唯先輩のおかげじゃないですか。害しか成してない私こそ責められるべきですよね、律先輩?」

律「おまえらマゾなの?」

唯「マジメな話なの!!」
梓「マジメな話なんです!!」

律「おぉぅ……じゃ、えっと…」

……そりゃ私だって、唯先輩に騙されたと思ったときは傷ついた。それは否定しない。
でもやっぱり結果的に、私達を再び一つにしてくれたのは唯先輩のその行いで。あれがなければ私達はまだバラバラで、お互い悩みながら生きていた。
そういう結果が出てしまった今、私の心に唯先輩に対する恨みなんて、あるわけなくて。

律「――なんて梓は思ってるだろ?」

梓「なっ!? 当たってる!?」

律「はっはー。部長を舐めるなよー?」

まぁ実はそれに加えて澪先輩から、唯先輩も唯先輩なりに私達を傷つけたことを悔いていると、こっそり聞かされていたりもするんだけど。

律「唯は唯で、梓を傷つけた事に対する罰として甘んじて受けようとしてるだろ」

唯「うっ……で、でも――」

律「これくらいじゃ足りない、ってか?」

唯「………」

図星ですか……というか、それは…

梓「何を馬鹿なことを…! もう恨んでないって言ってるじゃないですか!」

唯「で、でも、私は酷いことしたんだよ!?」

梓「~~~ッ! じゃあもう、こんなこと言いたくありませんでしたけど、私が突き落としたことでおあいこです! そうしましょう!」

唯「で、でも……」

正直、私は私のほうが酷いことをしたと思っている。でもきっと唯先輩も自分のことを同じように思っている。
だからきっと、どっちかが強引に解決しないといけない。

梓「それでもまだダメだって言うなら――」

ニヤニヤしてる律先輩を睨みつけると、ようやく肩をすくめて出て行った。
それを見届け――唯先輩に近づき、手を取る。

……あぁもう、ついこの間まで凛として私達に敵対していたのに、なんで今、この人の手は震えているのだろう。
なんでそんな、怯えた子犬のような瞳で私を見上げるんだろう。

185: 2011/05/27(金) 12:23:32.99

そんな目をされると、私は――

梓「…な……」

私は――

梓「……撫でてくださいっ!」

――寂しくなっちゃうじゃないですか。


唯「……はい?」

梓「だ、だから、その……いつも通り、いつも通りにしてください!」

この間、唯先輩とその、デ、デートした時にも同じような事を言ったような気がするけれど。

梓「いつも通りが…いつも通りの関係が、私はいいんです…! 唯先輩だって、それを望んでくれたんじゃないんですか…?」

唯「それは……そう、だね」

梓「じゃあ、なんで自分からそれを遠ざけるんですか……私と距離を取ろうとするんですかぁ…!」

唯「あずにゃん……私は、そんなつもりじゃ…」

梓「そんなつもりじゃなくても、私にはそう映ってます! 私のこと、嫌いですか? 復讐なんて関係なくて、本当に私のこと、嫌いなんですか?」

唯「そんな、そんなわけないよ!」

梓「じゃあ、そんな態度、やめてください……寂しいですよぉ、私…」

律先輩を出て行かせたのは正解だった。きっと私は今、生きてきた中で一番みっともない顔をしている。
たった一人の存在に、自分の全てをかけて、あるいはかなぐり捨てて、すがり付いている。みっともないと言わずに何と言おうか。
でも、そんなみっともない真似をしてでも、誰に何と言われようと、私は、私には――


唯「……そっか、ごめんね、あずにゃん」ギュ

梓「ゆい、せんぱいぃ……」


――私には、この温もりが必要なんだ。


186: 2011/05/27(金) 12:25:27.98

【親友】


病室から出てきたのは律だった。少し怪訝に思っていると、律が手招きする。

澪「私か?」

律「ああ。ちょっと話そうぜ」

澪「正直、お前より唯と話したい」

律「つれないこと言うなって、親友」

……どうやらマジメな話らしい。

澪「…なんだ?」

律「……あのさ、澪にもさ、ありがとうって言っておきたくて」

澪「………」

視線を合わせようとしないながらも、チラチラと私の表情を盗み見る律。これは照れ隠しの仕草。見たのは何年ぶりだろう?
……唯の言葉を思い出す。律だってこんな表情くらいするんだ。それを何年も見ていない私は、やっぱりいつの間にか『親友』という立ち位置に甘えて、律のことを見なくなっていたのかもしれない。

……果たしてそんな私に、律の『親友』を名乗る資格があるのだろうか?
確かにさっき律は、私のことを親友と呼んでくれたけれど。
今や私より唯のほうが、律に近いところに立っている。唯のほうが、律をちゃんと見て――

――いや、違う気がする。

だって唯と律の距離は『親友』では不適切なモノにしか見えないから。ハッキリと言葉にはしたくないが、まぁ、そういうモノに見えてしょうがないんだ。本人達に自覚があるとは思えないけど。
ともかく、『親友』というのは距離より時間じゃないかと、私は思っている。
幼い頃からずっとずっと長く付き合ってきた律のことを、私は親友だと思っている。それ以上にはならないが、それ以下になることも決して無い。
そして律も、きっと同じように思ってくれている。だからさっき、真っ先に私のことを呼んでくれたんだ。

律「……おーい、澪?」

だったらこれからは、ちゃんと見てあげないといけない。きっとこいつは、これから先もいろいろ悩むのだろうから。
唯との関係とかで、私が相談を受ける日も近いだろう。そういう時にはちゃんと親友として、私が答えを出す手伝いをしてあげないと、な。

律「みーおー?」

澪「なんだ、気色悪い声出して」

律「ヒドいっ!? ボーっとしてたのはお前だろ!?」

澪「あははっ、ゴメンゴメン。あまりに律が気持ち悪くてトリップしてた」

律「酷すぎる!?」

澪「……冗談だって。私のほうこそ、ありがとな」

律「んー? 私は澪に礼を言われるようなことしてないけどな…?」

澪「ニブいなぁ、律は。いろいろ苦労しそうだ」

律「どういうことだー!?」

「親友でいてくれて、ありがとう」……なんて、恥ずかしくて口に出せないけど。
そのへんくらい察せるようにならないと、唯が可哀相だぞ?


187: 2011/05/27(金) 12:26:55.71

【無力な自分】


梓ちゃんが出てきて、次に呼ばれたのは私と憂ちゃん。
りっちゃんと澪ちゃんは少し離れたところで仲良く漫才してる。幼馴染っていいなぁ。
とりあえず、吹っ切れた感じの梓ちゃんと入れ替わりに二人で病室へ。

唯「……憂、ムギちゃん。ごめんね、また心配かけちゃった」

憂「ううん……」

紬「いいのよ、そんなこと。唯ちゃんが無事でいてくれたなら」

唯ちゃんは「そっか」と短く頷く。あの日の澪ちゃんの様子や、さっきの梓ちゃんの様子を見るに、唯ちゃん自身の罪滅ぼしはだいたい終わってるみたい。
私に対しては――ううん、私に対してはそもそも何も無かった。最初から。唯ちゃんも私も、そう振舞ってきたんだから、それでいいの。

唯「……ねぇ、憂」

憂「…なぁに? お姉ちゃん」

唯「服、脱いで」

紬「ええええええっ!?」

ちょ、ちょっと何この急展開!?
総まとめに入ったような段階だからきっとシリアス展開だと思ってたのに、ここでまさかのお色気展開!?

唯「……? ムギちゃん、少し静かにしてね?」

紬「あ、はい、ごめんなさい」

憂「………」

唯「…脱げないなら、ちょっと言い方を変えるよ。首元と手首、見せて」

憂「っ!?」

紬「あ…!」

……迂闊だった。唯ちゃんの表情を見てれば、すぐに気づけたはず。

紬「ちょ、ちょっと唯ちゃん、あのね? それは――」

唯「ムギちゃん」

紬「…はい、黙ってます」

私の抵抗虚しく、憂ちゃんは言われるまま首元のボタンを外し、袖を捲り。
そこにある、己を傷つけた証と、己の命を奪おうとした証を露わにする。

唯「……憂。私とあの日、約束したよね? 私が言いたいこと、ちゃんとわかってくれてるって」

憂「……うん」

唯「嘘だったの?」

憂「嘘じゃ…ないよ」

約束のくだりの話は見えないけど、唯ちゃんが憂ちゃんを責めているのはわかる。っていうか責めるのも当然だけど。
憂ちゃんの行いは、それこそ理解はできるけど、決して許せるものじゃなくて。唯ちゃんだって、きっと今はカンカンに怒ってる。
……でも、唯ちゃんが私も一緒に呼んだ意味がわからない。正直、ここは居心地が悪い。

唯「じゃあ、私が言いたいこともわかるよね?」

憂「うん……」

唯「じゃあ……憂は今、何をするべきだと思う?」

責められているなら、謝るべきだと思う。それくらい、私にもわかる。
そして憂ちゃんは、予想通りに謝る。

188: 2011/05/27(金) 12:27:54.22

憂「……ごめんなさい」

紬「………へ?」

……しかし、私に向かって。

紬「な、なんで私に? 私じゃなくて唯ちゃんに謝らないと…」

憂「…私を助けてくれたのは、紬さんですから」

唯「私は憂を追い詰めて、ムギちゃんに手間かけさせただけだよ。私に謝ったってどうにもならない」

紬「手間だなんてそんな……私は憂ちゃんのこと、見て見ぬフリなんて出来ないから、当然のことをしただけ…」

憂「でも、いえ、だからこそ紬さんは私の命の恩人です」

唯「ありがとね、ムギちゃん。憂を守ってくれて」

紬「え、えっと、その……」

正直、そう言われても困る。
憂ちゃんがいなくなるのは私だって嫌だったし、ただ必氏だった。それに、最後は投げ出そうとした。
結局は全て、自分勝手だった。だから、そんな私に……

紬「お礼なんて言わないで…! 私は……!」

唯「ムギちゃんに言わないで、誰に言うの。憂がもしこの場にいなかったら、私だってきっと――」

唯ちゃんは目を伏せ、少し悩んで、言葉を紡ぐことはせずに窓の外を、遠くを眺めた。
それの意味するところは、私にもわかる。そしてもちろん、

紬「そ、そんなの絶対ダメよ!!」

唯「うん、だからそうならないように頑張ってくれたムギちゃんに、お礼を言うのが間違いなわけないよ」

憂「私の事も、お姉ちゃんの事も守ってくれた紬さんに」

唯「うん。ありがと、って言いたいの」

……そう、なのかな。それを、素直に喜んでいいのかな。
本当に、私はただ、必氏だっただけ。自分のことだけを考えて、勝手に必氏になってただけ。
それなのにお礼を言われるというのは、何か違う気がする。

……するんだけど、それでも私の心は、今までになく満たされていて。

紬「……私も、守れたのかな? 唯ちゃんみたいに、大切なものを、みんなを、守れたのかな?」

唯「…うん。ムギちゃんのおかげだよ、全部」

紬「そっか……よかったぁ……」

唯ちゃんのその言葉を受けて、私はようやく、心から安堵することができた。


189: 2011/05/27(金) 12:29:50.53

【甘え】


唯「――ねぇ、憂」

お姉ちゃんは以前より格段に短い入院期間を終え、退院しました。
みんなで借りてた部屋はそのままです。もしかしたらそのうち入居者が増えるかも知れませんが。
ともあれ、私と相部屋、そして今同じベッドで横になっているお姉ちゃんが、何かを言おうとしました。

憂「ん? なぁに?」

唯「あのさ……もう、やめようと思うんだ」

憂「……なにを?」

何の話か、私には想像もつきません。
お姉ちゃんが私だけに言うこと、二人だけでしていること。何だろう?
思い当たる節は、そう多くないはずなのですが。

唯「あれ。憂との、『何も言わないでもわかって』ってヤツ」

憂「……やめるって、そしたらどうすればいいの?」

唯「…昔みたいにしよう? 難しいことなんて何も考えないで、言いたいこと言い合おうよ」

復讐はもう終わった、と。そういう意味も勿論含んでいるんだと思います。
でも、それだけと済ませるには、お姉ちゃんの態度は真剣すぎて。
いつものように、笑って軽く返事をするのは憚られました。

憂「…何か、言いたいこととかあったりするの?」

唯「ううん、そうじゃないけど。でも、聞きたいことがある、かな」

憂「……私に?」

唯「うん。そういうのも含めて憂といろいろお話したいから、もうやめよう?」

それは、どうしても言葉にしないと伝わらないことがある、ということでしょうか?
確かに、お姉ちゃんがここまで改まって聞きたいことというのは、私には想像できません。

……まさか私、お姉ちゃんを怒らせるようなことをした? それとも、自分を傷つけた私のこと、まだ許してないとか…

悪い方向にばかり考えは転がっていきますが、それでも私はお姉ちゃんから逃げることはしたくありません。
もう二度と、お姉ちゃんから逃げて悲しませたくはありません。

憂「……うん。何でも言って」

唯「うん、それじゃあね……」

ジッと、私の目を見て。目を逸らすことを許さない、そんな瞳で見つめて。

唯「――憂が私にして欲しいこと、教えて欲しいんだ」

……と、よくわからない、いえ簡単なことなんですが、今更改まってそういうことを聞いてくるのがわからない、そんな質問をぶつけてきました。

唯「どんな小さなことでも、大きなことでもいいよ。何でもするから」

憂「……え、っと…」

唯「もちろん憂ほどちゃんとはできないかもしれないけど……頑張るから、何でも言って欲しい」

憂「そ、その、なんで? どうして?」

唯「約束したじゃん。復讐が終わったら、みんなに恩返しするって」

憂「そんなのいいのに……」

唯「じゃあ聞くけど、憂はこの二年間で疲れなかったって言える? 楽しいことの方が辛いことより多かった毎日だった?」

憂「それは……」

そう聞かれると言葉に詰まってしまいます。
私にとって、お姉ちゃんの為にすることは苦痛ではありません。でもそれは疲労とはまた別問題で。
そして、お姉ちゃんのいない毎日なんて楽しくもなんともなくて。たとえ辛い事の全く無い毎日を過ごしていたとしても、その質問に頷くことは絶対に出来ません。

190: 2011/05/27(金) 12:30:46.05

唯「それに二年間に限った話じゃなくて、ね。私の存在は、きっとずっと憂の時間を奪ってきたよね」

憂「それは違うよ! お姉ちゃんさえいてくれれば、あとは何もいらない!」

唯「嬉しいけど、それはダメだよ。友達と過ごす時間も大切にしなきゃ。あと自分の為の時間も、ね」

憂「でも…!」

唯「あまり否定するのはあずにゃん達にも失礼だよ?」

また、言葉に詰まります。
梓ちゃんとはいろいろあったけど、律さんの言う通り、やっぱり今でも大事な親友で。
純ちゃんとは長いこと会ってないけれど、今でもメールは続いているし、たびたび遊びに誘ってくれます。
そういう友達と過ごす時間も確かに楽しかったと言えますし、色褪せない思い出です。

唯「憂はもっと欲張らなきゃ。私だけに絞らないで、楽しいこともっとやろうよ。順番つけないで、全部楽しもうよ」

その為の協力をしたい、と。お姉ちゃんはそう言ってくれます。

唯「気づくのも口にするのも、だいぶ遅くなっちゃったけどね。そもそも原因も私だし」

憂「それは――!」

唯「でも、憂がそんな私でも許してくれるなら……お姉ちゃんと慕ってくれるなら、もうちょっと私に甘えて欲しいな」ニコッ

憂「っ……」

……その笑顔は卑怯です。
私が心身共にお姉ちゃんに尽くすことを厭わない最大の要因は、その笑顔の温かさ。
それを見るだけで何でも許せるし、何でもしてあげたくなります。
そう、何でも。

憂「じゃ、じゃあ……」

唯「うん」

憂「……その、抱きついて寝ていい?」

……甘えろと言うなら、甘えてあげないといけません。
言葉にせずとも伝わる絆も温かいですけど、言いたいことを言い合う関係というのも悪くないかもしれません。


191: 2011/05/27(金) 12:34:24.36

【約束】


男「――まったく、平沢さんに一杯喰わされたかと思いましたよ」

唯「すいません……また意識不明になってまして」

この人とこのお店で相対するのは二度目。
しかも最初の時と同じように澪ちゃんと二人で。

男「病院代も馬鹿にならないでしょうに…いくらか貸しましょうか? おかげさまで売り上げは伸びましたからね」

唯「結構です」

この人と私の利用し合う関係はもう終わり。あとは今まで通りに戻ってくれないと困る。
『最後の約束』を果たせば、もう私がこの人を利用することは無いのだから。
だから、こういう風に話をするのもこれで最後になればいいんだけど。

澪「……なんだ、唯、何か汚い取引でもやってたのか?」

唯「…別に、この人に『未来』を教えてあげただけだよ」

男「そうですね。『放課後ティータイム』を捨てろ、と言われて――」

澪「な…っ!?」

男「――その後に出来る『新生放課後ティータイム』のことを見ろ、って言われましたよ」

……破壊と再生。私達が復讐と称して行うそれをちゃんと支援すること。
それがこの人達との関係であり、同時に約束でもあったとも言える。
再生まで含めて私達の目的であると告げたからこそ皆が協力的であったと言えるし、出会い頭のこの人の発言にも繋がる。

澪「え…? どういうこと? 唯…」

唯「……全部言葉にしないと、わからない? それとも、どうしても私の口から聞きたい?」

ぎゅっと、澪ちゃんの手を握る。
想いは、きっと通じているはずなんだけど。

澪「……唯の口から、聞きたい」

寂しがりの澪ちゃんは、やっぱりそう言うんだ。

唯「……もう一回、みんなでバンド、やろ? あの時みたいに楽しく、仲良く」

私達のバンドの再結成。それが最後の約束。
この人との約束でもあるけど、それ以上にりっちゃんとの約束でもある。
だってそれが、私達の望む日常。私とりっちゃんが欲しがった、ずっと求めていた、遠いあの日の再来。

――みんなが、りっちゃんが笑顔でいられる場所。

ようやく取り戻した場所を、笑顔を、私はこれからも守り続ける――


192: 2011/05/27(金) 12:37:14.34

【と、彼女は言った】


律「えー、それではー、澪の大学卒業を祝して!!」

「「「「「かんぱーい!!」」」」」

澪「いやぁ、悪いな、なんか」テレテレ

唯「照れてる場合じゃないよー、澪ちゃん!」

律「そうだぞ、無職の澪さん」

澪「うるさい。夢追い人になるって決めたんだ」

紬「澪ちゃんカッコイイ! イマドキの若者って感じね!」

梓「それ絶対褒めてませんよね」

憂「あはは……」

――あれから色々なことがあった。
とりあえず、澪と梓は寮を抜け、図々しくも私達の住居に押しかけてきた。さすがに部屋数が足りるか怪しかったので、澪は私と同室に、梓はムギと同室になった。
そしてそれを期に放課後ティータイムは再始動。それ自体は何より喜ぶべきことなのだが、そこで唯一問題になったのは、憂ちゃんが澪に遠慮して抜けたがったこと。
もっとも、憂ちゃん以外の全員が引き止めようとしたためにそれは叶わなかったが、憂ちゃんもなかなかに意地っ張りで、とりあえずはサポートメンバー扱いにしておいた。
まぁライブには毎回出て貰ってるんだけどな! 唯と並ぶと絵になるし。

そしてメンバー唯一の大学四年生だった澪は就職活動をしなかった。
もっとも、再始動した放課後ティータイムの勢いが絶好調すぎてデビュー間違いなしと囁かれているから誰も気に留めはしなかったのだが。
だが、澪は澪で「全員が卒業するまで待つ」と言って聞かない。どいつもこいつもワガママだ。
まぁ、今はとりあえずそれに乗っておく形になっている。澪が待ちきれなくなったなら、いつでも大学なんて辞めてやるんだけど。

あとの皆は順当に進級して、それくらいかな。忙しかったけれど、そこまで大きな変化というのは無かったかもしれない。
メンバー全員が同じ所に住んでるのをいいことに、何かにつけてこうして家で酒盛りをするくらいか。
そう、特に大きな変化は何も無く。

澪「…おい律」ボソッ

律「…なんだ、澪」グビ

スクリュードライバーを飲みながら澪と囁き合う。

澪「お前、唯と進展はないのか」

律「」ブー

梓「律先輩きたなっ!?」

律「お前は急に何をのたまうんだ!?」

澪「お前も早く卒業しろってことだよ」ポンポン

律「何をだよ!?」

唯「うへぇ…びちょびちょ」

憂「お姉ちゃん大丈夫? はいタオル」

唯「ありがとー…」

193: 2011/05/27(金) 12:38:52.65

律「……スマン、唯。タオル貸せ、拭いてやる」

唯「いいよー、それくらい自分でできるって」

律「私のせいなんだから。ほら」

唯「んむー……あ、ちょっと待って」

タオルを奪い取って拭こうとした私を唯が制する。
何をするかと思えば……

唯「ぺろ……あ、なかなか美味しい?」

律「ひ、人が吹き出したやつを舐めるな汚い!」

唯「むー、じゃあそれ一口ちょーだい?」

律「い、いいけど、もっと気にすることあるだろ!」

唯「ほえ?」

ダメだ、こいつにはきっと何かが欠けている。
私が気にしすぎってわけではないはず、決して。

澪「間接キッス! 間接キッス! ヘーイ」ヘーイ

紬「へーい」ヘーイ

律「ガキ臭い煽りだなおい」

唯「………」

律「…ん? どうした、飲まないのか?」

唯「ん…やっぱいいや///」

律「なんだ、もう酔いが回ったのか? 相変わらず弱いなー唯は」

唯「あはは……///」


梓「ちくしょうちくしょうちくしょう」

澪「どーすんだよあの鈍感夫婦」

紬「タイミングよくすれ違ってるわねぇ」

憂「がんばって、お姉ちゃん!」

澪「…でも逆に考えれば、私達にもチャンスはあるってことか?」

紬「まぁ、奇跡でも起きればあるかも?」

梓「…やめときましょうよ。悔しいですけど、このままが一番丸く収まる気がします」

澪「……そうかもな。あー、飲むぞムギ!」

紬「今日はマッコリとどぶろくを混ぜてみようと思うの!」

梓「うい~……仲良くしようよぉ…」

憂「あはは……よしよし」ナデナデ


唯「……いつの間にか向こうが出来上がってる」

律「ははっ、私と唯が除け者にされてるのはなんか変な感じだけど……楽しいな、こういうのも」

唯「……うん、そうだね」

楽しいと胸を張って言える毎日。これが、私達の日常。
いろいろあったけれど、そしてきっとこれからもいろいろあるけど、それでも変わらない日常。
変えちゃいけない日常。

……もう、あんな思いはしなくないから。だから私は、私達は、この日常を壊さないために、頑張れる。

全部、唯のおかげ。
私達を一つにしてくれて、私達の心も一つにしてくれた。

本当に、いくら感謝しても足りないけれど。

194: 2011/05/27(金) 12:39:53.81


律「……ありがとな、唯」

唯「ん? 何が?」

律「全部だよ、全部」

唯「そっか」

もう何度目かわからない「ありがとう」だけど、唯は私のありがとうに「どういたしまして」と返したことは無い。
何故だろうと、疑問に思ったこともないわけではないけれど。

唯「……りっちゃん、ありがとね」

律「何が?」

唯「全部だよ、全部」

律「……そっか」

もう何度目かわからない、このやり取り。
「どういたしまして」では出来ない、お互いの感謝を示すやり取り。結局は、これが心地いいからなんだと思う。
もし、ありがとうの言葉に上位互換があったら。大ありがとうとか、超ありがとうとか、そういうのが正式な日常用語として存在したら、言い合いになっていたんじゃないかな。
でもそれだとキリがないから、やっぱり「ありがとう」の言葉を往復させるだけで充分だと思う。

「ありがとう」がいつも往復できる、それが私と唯の距離。
そして、私は今のこの距離に心地良さを感じている。

……まぁ、もし何かあったら、もっと近くなるかもしれないけどさ。
でもそれは、慌ててまですることじゃないと思う。

律「……な、唯」

唯「なにが?」

律「…いつまでも一緒だよな、って話」

唯「……うん!」


――そう言って笑う唯の笑顔は眩しくて。

  その笑顔に、言葉を一つ、捧げるなら―――

195: 2011/05/27(金) 12:45:48.18

今度こそおしまい

html申請のタイミングわからなくて未練がましくしがみついてたらこんなの書いてたぜ
ある意味本編ぶち壊しかもしれないので気分悪くした人いたらスマン

記念あげ

197: 2011/05/27(金) 14:58:06.86
面白かったです

引用元: 律「「復讐しよう」と唯は言った」