1: 2012/01/01(日) 00:44:57.19
ひらさわけ!
唯「うぅーん・・・・っと! そろそろ行こっか?」
憂「そうだね。あっ待って、もう一枚着てった方がいいんじゃないかな」
唯「うい、こっちおいで」
くるくるっ
唯「こうしてマフラーすればだいじょうぶ!」
憂「えへへ、あったかいね……あ、でも」ぐいっ
唯「わわっ!・・・・じゃあ、ちょっとだけはずそっか」
憂「ううん、もう靴はけたから大丈夫だよ」
唯「よかったあ……じゃ、いこっか」
憂「うん!」
2: 2012/01/01(日) 00:46:38.51
唯「ううっ、外さむいねえ・・・・」
憂「くもりだもんねー。卒業式はあったかかったのにね…」
唯「でも、ぎゅってすればあったかいよ?」ぎゅっ
憂「ふふ、そうだね。・・・・お姉ちゃんの手、あったかい」ぎゅ
唯「憂の手もあったかいよ?」
憂「そうかなあ? あっお姉ちゃん、これからまずはどこに行こう?」
唯「うーん……そうだ。はじめに小学校、いってみない?」
憂「小学校かー……なつかしいな。でもどうして?」
唯「だって、今日は“こどもの日”なんだよ?」
3: 2012/01/01(日) 00:52:41.91
そう言ってお姉ちゃんは私にふわっと笑いかけた。
ほっぺたを冷やす風のせいで身をよせそうになるのに、お姉ちゃんの笑顔はあったかい。
お天道様に見つめられてるみたいな気がして、なんとなく冷たい風の方に顔を向けてしまう。
だけど、ぎゅっと握った私の手も胸の奥も確かに熱くなっていた。
憂「そうだね。……今日は、お姉ちゃんと私の“こどもの日”だもんね」
繰り返してみる。なんでもない春休みの一日に、お姉ちゃんが付けた名前。
その響きもむかし食べた飴みたいにじゅわって熱くなって、うれしいのに懐かしさがさみしくなった。
唯「憂も、がんばって“こども”にならなきゃだめなんだよ?」
そう言うと、ちょっとだけ強めに手を引っ張られたからどきってしてしまう。
私たちの道の向こうには、まだ掛け布団みたいに広がるくもり空。
二人で一緒にくるまってるみたいな気がして、抱きしめられたみたいにぼんやりしてしまう。
だから外の寒さを言い訳にして、先を歩くお姉ちゃんの方に身体をほんのちょっとだけ近づけた。
4: 2012/01/01(日) 00:58:45.26
くっついて歩いていくにつれて、少しずつ雲の向こうの明かりがにじんでいく。
今朝のテレビで夕方までには晴れると聞いた時は素直に喜んだけど、今はどこか違う。
着込んできてしまったから、昨日や一昨日ぐらいには暑くなってはほしくない。
あ、でも洗濯物が……そんなことを考えてた矢先、甲高い男の子の声が児童公園の方から聞こえた。
冷たい外壁の一戸建てと高い木々に囲まれた小さな公園は、いつも以上に子どもたちでにぎわっている。
サッカーボールを奪い合う男の子たち。二重飛びを練習する女の子。しゃぼん玉を吹いてる子も見える。
唯「めずらしいね、いつも人いないのに」
憂「ほら、橋の方の大きい公園が工事してるからじゃないかな」
それに、みんな学校も終わって春休みだから……そう言おうとして、急に言葉に詰まってしまう。
唯「……小さいころ、よく来たよねえ。和ちゃんと」
憂「でも、今日は人が多いよ」
唯「だいじょうぶ、私たちだって今日はこどもなんだから!」
お姉ちゃんが手を引いて言うもんだから、帰りにまた寄ろうってことにしてどうにかその場を後にした。
小さい子たちが遊んでる中に入っていくのは、さすがにちょっと気が引けたから。
5: 2012/01/01(日) 01:04:53.58
ちょっと焦るように歩いていったせいですぐ小学校に着いてしまう。
つないだ手の中の熱がこもるようで、少し離した方がいいのかもしれない。
唯「わ、あのうさぎ小屋まだ残ってる!」
お姉ちゃんが指さす。体育館の陰、六年ぐらい前と変わらない飼育小屋が静かに立っている。
四年生ぐらいかな、二人でキャベツの芯やニンジンなんかを持っていったっけ。
唯「うさ太郎、まだいるかなあ?」
憂「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん?」
お姉ちゃんは大丈夫なんて歌うように言いながら飼育小屋の方へと私を引っ張ってしまう。
こんなことしてて周りにあやしまれないか不安になるけど、そんなの気にする暇もない。
気づいたら敷地内に踏み込んで、中が見えるところまで来てしまった。
本当は私も後ろめたさにどきどきして、一緒に育ててたうさぎを探すのにもわくわくしちゃったけれど。
7: 2012/01/01(日) 01:10:57.01
「ちょっと、なにしてるの?」
びくん、と肩がはねる。見つかっちゃった。ごめんなさい! あわてて振り返る。
和「……あんたたち、また小学校に入学するつもり?」
公道を隔てた反対側、よく知った姿がそこにあった。
ため息が出てしまう。安心した頃、ようやく声が和ちゃんのものだって理解した。
唯「あはは……ちょっと、散歩してたら、つい」
憂「ごめんなさい……ちょっと、気になっちゃって」
あきれたような眼ざしと自分の謝った声のせいか、なんだかひどく悪いことをした気がする。
唯「あのね、和ちゃん。今日の私たちは“こどもの日”なんだよ?」
びくびくしてた私やぽかんとした和ちゃんに気にせず、お姉ちゃんは得意げに言う。
和「……よく分からないけど、二人ともとりあえずこっちにいらっしゃい」
ちぇー、なんてふくれる声がそばで聴こえて吹き出しそうになる。
いつしかそらしていた目を上げたら、和ちゃんもあきれながら笑ってくれた。
8: 2012/01/01(日) 01:17:00.31
唯「――というわけで。今日は憂と私の“こどもの日”なのです!」
お姉ちゃんが昨日の思いつきを自信たっぷりに説明すると、暇なのね、と冷たく返されてしまう。
いいじゃんちょっとぐらい、なんてふくれるお姉ちゃん。
出かける前までタイムトラベルだなんて言ってたのに、まるでいつも通りの私たちだ。
憂「ふふ、和ちゃんも一緒に行く?」
和「あいにく暇じゃないのよ……そういえば唯だって、明日じゃないの?」
どきっとする。やけどしたみたいに指がはねた。その手をお姉ちゃんが握る。
唯「ちっちっ、明日の準備はもうカンペキなのだよ和ちゃん。それに今日はお昼ごはんも作ったんだよ!」
憂「そうなの、お姉ちゃんすごいんだから!」
さっき食べたばかりのお昼ごはん、私の分まで作ってくれたんだよ。
和ちゃんだって、お姉ちゃんのおいしいごはんを食べたらびっくりするんだから。
和「相変わらずね。それで、うさぎはどうだったの?」
唯「まだみてないよ?! 和ちゃんがさっきじゃましたんじゃーん」
小学校の側でうちに来た時みたいな軽口を投げあう二人を、なぜか忘れないでいようと思った。
9: 2012/01/01(日) 01:24:04.49
和「……ニワトリ小屋になってたわね」
唯「はぁ……がっかりだよ。なんにも言わないでいなくなっちゃうなんてさあ」
憂「あはは、さすがにお姉ちゃんには言えなかったんじゃないかな……」
あれから三人でもう一度小屋を見に行って、三人で落ち込んで戻ってきた。
でも、本当にこどもみたいにしょぼくれた二人がおかしくって、ほっこりしちゃった。
憂「たぶん、きっとどこか別のところで元気に生きてるはずだよ!」
唯「そうかなあ……?」
元気になってほしくて、私も元気にはね回っているうさ太郎の姿を思い浮かべながら言う。
憂「ほら、あの時はうさ太郎まだ子供だったよね? 成長して、もっと広いところに行ったんだよ!」
和「憂も案外見てたのねえ」
どこか遠くで大人になったうさ太郎は、見えないところでも元気にはね回っているはず。
そんな姿を三人で考えるうちに、お姉ちゃんもいきおいを取り戻したみたい。
気がつけば雲はだいぶ薄れて、明るい陽の光が私たち三人を照らして出していた。
10: 2012/01/01(日) 01:29:26.04
唯「めっきり晴れちゃったねえ」
憂「そうだね、お姉ちゃん……」
ぼーっとする私の首から、お姉ちゃんがするりとマフラーを外す。
まとっていた熱が晴れて、ベッドから出たような解放感と心もとなさがある。
和「いい天気じゃない。最近はぐずついたり晴れたり、落ち着かなかったでしょう」
唯「そうだねえ……もう春だもんねえ」
ついそんなことを口ずさんだお姉ちゃんは、あわてて「でも今日はこどもだよ」と付け加える。
おどけた笑顔が春の陽射しみたいにまぶしくて、どうしていいかわからなくなって、私も笑う。
そんな私たちを見つめる和ちゃんの眼ざしに、こうして三人で歩くのも最後なのかなって気づいた。
三人で昔話をしているうちに小学校を通り越して、隣の中学校の辺りまで来ていたらしい。
入学した時に制服の先輩が大きく見えたはずなのに、いま目に映る中学生はまるで幼く見えて、
唯「……うい?」
憂「ん、なんでもないよ」
いつの間に触れてしまった手の甲がまだ冷たくて、もう少しだけ握っていられるなって思ってしまった。
11: 2012/01/01(日) 01:38:59.10
中学校を通りすぎた頃、本屋さんに向かう和ちゃんとは別れた。
暇つぶしにTOEICの参考書を探しに行くらしい。和ちゃんは大人だね、ってお姉ちゃんが茶化してた。
校門のそばのソメイヨシノが少しずつ緑を灯していて、散らばった足下の花びらも色あせている。
明日も見送りに来るって言ってくれたけど、もう二度と今みたいには会えないような気もした。
唯「それじゃあ、次はどこいこっか?」
憂「……公民館の方の駄菓子屋って、おぼえてる?」
数秒考え込んだお姉ちゃんが、ぱっと目を輝かせる。よかった、おぼえてたんだ。
自転車に乗れるようになった頃、お姉ちゃんが思いっきり遠くまで行こうって連れ出して、見つけた店。
唯「ああ……なつかしいね! そうだよ、こどもといえば駄菓子屋だよ!」
憂「しゃぼん玉、まだ売ってるかなあ?」
唯「売ってるよぉ! あ、あとふえになるラムネあったよねっ」
あの頃どんな遊びをしたか、おもしろかったこと、はずかしいこと、いろいろを思い出しながら歩く。
まだ身体も小さかったせいでどこまでも広く見えたこの町も、今では知らない道さえなくなってしまった。
ぼやけた思い出に引き寄せられるようにして、私たちは数年ぶりの駄菓子屋に向かう。
12: 2012/01/01(日) 01:53:53.66
唯「あれえ・・・? この辺りのはず、なんだけどなぁ……」
憂「おかしいね、あの橋を渡っていったから、もう見えてもおかしくないのに……」
十数分か数十分ほど探してみたけれど、お目当ての駄菓子屋は見つからない。
同じところばかりうろうろしているけど、距離にすればずいぶん長く歩いてしまって、暑くなってきてしまう。
それでもときょろきょろ探し回っていたら、見覚えのある看板を見つけた。
憂「ねえっ、あの印刷工場! お姉ちゃんが間違えて入っちゃって、あぶないよっておこられちゃった」
唯「あはは、よく覚えてるね……ってことは、」
そこではっきり気づいてしまう。お姉ちゃんも、困ったような笑い顔を浮かべて向こうの地面を指差した。
指の先には、アスファルトに塗り固められた駐車場が広がっていた。
唯「ついちゃった、ね……」
お姉ちゃんのため息が想い出のはじけて消える音に聴こえて、たまらなくなってしまう。
憂「しょうがないよ、私たちが通ってた頃だってあのおばあちゃん、けっこう年いってたはずだから……」
「――あれ? 唯先輩?」
うなだれるお姉ちゃんの肩にそっと手をあてたとき、少し先の方で声がした。
13: 2012/01/01(日) 02:11:23.64
梓「うわー……そういうのは、結構へこみますね」
唯「そうなんだよあずにゃん! 私も憂も、ここのおばあちゃんのおかげで今こうしてるんだよ!?」
憂「お姉ちゃん、それは言いすぎかな……あはは」
梓ちゃんを見つけたお姉ちゃんは、犬がしっぽを振るみたいに笑顔で手を振って呼び寄せた。
制服を着てギターを背負った梓ちゃんと、抱きつこうとしてはかわされるお姉ちゃん。
なんだかまだお姉ちゃんの高校生活が続いてるような気がして、自然と口元もゆるんでしまう。
なくなってしまったらしい駄菓子屋について三人で話していたら、お姉ちゃんも元気を取り戻したみたい。
憂「あれ? ところで梓ちゃん、高校にいくの?」
梓「あっうん。純からジャズ研の練習手伝ってよって言われちゃってさ」
えーずるーい、なんて声を上げるお姉ちゃん。
先輩が教えてあげよう、なんて背筋をのばしてみたりするのがかわいいな。
あ、お姉ちゃんが行くなら私も……って思いかかった時、梓ちゃんは言った。
梓「だめです。唯先輩は卒業生なんだから、もう校舎に入れません」
ぴしゃっと閉め出すみたいな声。なぜか私の方がふるえてしまう。
14: 2012/01/01(日) 02:28:26.98
えーそんなあー、なんてなさけない声を上げるお姉ちゃんの声も聞こえないぐらいに
梓「あっ憂はいいんだよ? っていうか、唯先輩がちゃんと卒業してくれないとこまるから……」
私のほうに気づいてあわてる梓ちゃんに「なんでもない」って言うけど、やっぱりさっきの言葉が響いてしまう。
お姉ちゃんは、もう卒業していて、子供じゃなくなって、だから明日には――
唯「えー、今日は“こどもの日”だからゆるしてよぉ!」
そんな時、お姉ちゃんの変わらない声が聞こえて、あ、まだそばにいるんだって気づいた。
冷たい風がそっと吹いて、その流れに乗せられるようにして私はこっそり手をつなぎなおしてしまう。
梓「子どもの日は五月五日ですよ……大丈夫ですか?」
あきれた顔の梓ちゃんがさっきの和ちゃんと一瞬重なって、ふきだしそうになる。
するとお姉ちゃんがさっき伸ばした指先をぎゅっとにぎってつないだ。冷たい指先に、胸の奥がはねた。
唯「あのねーあずにゃん、今日は私と憂が“こども”になる日なのです」
またさっきみたいに得意げな解説を始めたお姉ちゃんのやわらかい腕に、少しだけ体を近づけた。
お姉ちゃんの声はやっぱり魔法だった。和ちゃんみたいに、すぐ梓ちゃんもほほえませてしまう。
15: 2012/01/01(日) 02:46:09.53
梓「……つまり明日には唯先輩も上京してしまうから、無責任に遊べるひと時を満喫しよう、みたいな企画ですか?」
唯「あーんあずにゃん言い方つめたいよー……!」
桜ヶ丘高校の前までは梓ちゃんにつきあうことにして、また今日のことを教えてあげた。
私と二人ですてきなアイデアを説明し終わるころには、梓ちゃんの目もだいぶ柔らかくなっていた。
昨日の夜、お姉ちゃんと一緒に寝ていたときにこっそり耳打ちされた。
最後の日ぐらい、一緒に遊ぼう。桜ヶ丘で過ごした思い出を一つ一つ確かめてから、東京の大学でがんばろう。
その口ぶりだけは私にどうか一日だけと頼み込むようだったけど、本当は私へのプレゼントだったんだと思う。
梓ちゃんは昨日の話を聞くにつれて、私の方を不安げにちらちら見つめていた。
梓「そっか、じゃあ憂も昨日はよく眠れたんだね」
憂「うん。ひさしぶりにぐっすり眠っちゃった。そしたら朝ごはん作ってくれたんだよ」
お姉ちゃんのごはん、すごいんだよ。びっくりするぐらいうまくなったんだから。
ついついうれしくて言葉数を増やしてしまうけど、梓ちゃんはやっぱり困ったような顔でほほえんでいた。
16: 2012/01/01(日) 03:14:13.74
それから三人で、高校生活のことをまた思い出しながら通学路を歩いた。
梓ちゃんといる時はお姉ちゃんの話ばかりで、お姉ちゃんといると梓ちゃんの話ばかりしていたっけ。
そしたら梓ちゃんに「私も二人でいると憂の自慢ばかりされたよ……」ってあきれてみせた。
じゃんけんみたいだね!って言ったお姉ちゃんの言葉に、三人で声を出して笑ってしまった。
それから、二つの学園祭。
お姉ちゃんが風邪を引いた年と、私が風邪を引いた年。
あの時のことを梓ちゃんに謝ると、おかげでU&Iが生まれたんだからむしろ感謝してるよ、って言ってくれた。
お姉ちゃんが「あの曲は私と憂の子どもだね」なんて言うから、顔が熱くなってしゃべれなくなっちゃったけど。
17: 2012/01/01(日) 03:16:42.15
アスファルトの上でまばらに散った桜の花びらに気づいて顔を上げると、通いなれた校舎が見えてきてしまう。
もう陽もだいぶ傾いて、冬が忘れてきたような風が冷たくひびく。
梓「じゃあ、この辺で」
唯「あずにゃん、元気でねー!」
出会った時みたいに手を振るお姉ちゃんに、梓ちゃんは「明日も見送りに行きますよ」って笑った。
それから校舎に入っていこうとして、ふと私のほうに言う。
梓「……ていうか憂、これもしかしてデートだったの?」
憂「ちっちがうよ?! ……ええーっと、ちがう、のかな?」
急にはずかしくなって助けを求めるようにお姉ちゃんの方を向いた。
お姉ちゃんは、傾きかかって色づき始めた太陽が窓ガラスに映るのをぼんやり眺めていた。
話しかけようとしたのに、お姉ちゃんがやけに美しく見えて、急に遠ざかった気がして、言葉がはじけてしまう。
梓「だったら、さ。デートだってことでいいじゃん」
憂「あずさ、ちゃん……?」
お姉ちゃんらしいことがしたかったって、唯先輩にもメールもらってたんだよね。
そう言って少し笑った梓ちゃんがなんだかまぶしくて、私は同じように笑うことができなかった。
19: 2012/01/01(日) 03:56:02.90
梓ちゃんがいなくなった頃から、急に辺りが冷えてきたらしい。
オレンジ色に染まっていく空は出かけた時が嘘みたいに晴れきっているのに、風の強さは増していった。
お姉ちゃんのかじかむ手をぎゅって握りながら、行くあてもなく通学路を逆にたどっていく。
足が重く感じる。止まってしまえたらいいのに。自分でも分からないうちに、そんなことを思い始めてしまう。
たまらず次の行き先をお姉ちゃんに尋ねようとした時、夕焼け放送が鳴り出した。
立ち止まって見上げたサイレンが、夕陽の逆光で黒ずんで燃えたように見えるのが、意味もなく怖くて。
唯「よい子はもう帰る時間、なんだって」
憂「……そうだね」
私たちは今日だけの“こども”で、それが終わる時間はとっくに過ぎていた。
そろそろ、帰ろっか。お姉ちゃんが私を見つめて呼びかける。
でも、動けなかった。歩みは止められないのに、止まらなかった。
私のわがままで始まったデートの中で、私の口から、きょう一番のわがままがこぼれ落ちてしまう。
唯「――じゃあ、あの公園にもう一度いってみよっか?」
そらしてた目をなんとか持ち上げてお姉ちゃんのほうを見たら、やっぱりあったかい笑顔が浮かんでた。
20: 2012/01/01(日) 04:12:57.95
もう一度踏み込んだ児童公園では、人影がひとつ残らず消えていた。
さっきそこらを駆け抜けていた子どもたちはみんな放送に従って帰ってしまったらしい。
私たちにせものの子ども二人は、凍える身体をくっつけ合うようにして木陰の遊具に近づく。
時々吹き付ける強い風に身を寄せるたびに、髪の匂いや肌の熱を感じてどきどきしてしまう。
結局、今日の私はにせものの、わるい子だった。
だからわがままを言って、こんな時までお姉ちゃんにしがみついてしまっている。
上京が近づくほどにお姉ちゃんなしでいられなくなって、
一昨日なんて一緒じゃなきゃ寝付けないほどで、梓ちゃんや純ちゃんにも心配されちゃって、
「陰からあの笑顔をずっと見守っていたい」なんてうそぶいたって、私はどうしようもなく子どもだった。
握った手の汗がひどく熱を発している。
気持ちわるくないのかな、私の手。とにかく、この手は離さなきゃいけないんだってば。
言い聞かせるけど、三月の冷たい空気に甘えたまま、お姉ちゃんのそばで立ちすくんでいた。
21: 2012/01/01(日) 04:18:05.61
唯「うーい、こっち向いて?」
はっと振り向く。心のうちをとがめられる気がして、身をすくめる。
するとお姉ちゃんの手が伸びて、冷えたうなじにやわらかい布がくるくるって巻かれた。
あったかい。でも、伸びたマフラーの先は私のポケットの中にしまわれて、お姉ちゃんに届かない。
憂「えっ、いっしょに巻こうよ……?」
切り取られたような感じがして思わずきいてしまうと、それじゃあケガしちゃうよってお姉ちゃんが笑う。
よく分からないままの私の手を引っ張って、お姉ちゃんはブランコに私を腰掛けさせた。
唯「ね?」
ああ、そっか……。そういうことだったら、つながってると危ないよね。
お姉ちゃんのために編んだマフラーの温かさが、やっと私のことを暖めてくれた気がした。
見上げたムラサキ色の空には、もう星が灯りはじめている。
22: 2012/01/01(日) 04:24:27.36
唯「いくよ?」
憂「うん!」
足をそっと浮かせると、お姉ちゃんがいきおいよく背中を押した。
薄い色の月に向かって身体が浮かんで、一瞬、羽根をもらったみたいに重力を忘れる。
浮かび上がった私の身体はすぐに地面へと引き寄せられて、お姉ちゃんの手のひらに戻ってくる。
背中が押される。何度も、何度も。ひな鳥が羽ばたくみたいに、きこきこと音を立てて私が浮かぶ。
気づいたら、お姉ちゃんと一緒になって本当の子どもみたいにきゃらきゃら笑う、私の声に気づいた。
唯「ねえっ! ……陽がしずまないうちにっ、月まで飛んじゃおうよ!?」
めちゃくちゃな思いつき。だけど私の眼に映る児童公園が、秘密の発射基地みたく見えてくる。
憂「あはははっ! そこまで、飛べるかなあ……?」
私の後ろ、風の吹く方に向かって聞いてみる。だけど、本当にどこへでも飛んでいけそうな気がした。
お姉ちゃんがすぐ、「憂は飛べるよ」って背中を押してくれたから。
23: 2012/01/01(日) 07:59:36.27
しばらくブランコで遊んだあとで、向こう側に見えてたベンチに二人で腰掛ける。
周りを取り囲む乾燥した木々のすき間から見える空の色は、とっくに赤から青に変わっていた。
唯「……冷えてきちゃったね。そろそろ四月なのに」
憂「……そうだね」
私は自分の首に巻かれたマフラーをお姉ちゃんのうなじにそっと巻き付けようとする。
でも、一度お姉ちゃんの方に伸ばした手があったかい身体に触れたら、動けなくなった。
暮れていく夕陽となにもかも分かっていたみたいなお姉ちゃんが、怖くなって。
ああ、明日の今ごろには、この町には、もう。
唯「……ねえ、」
憂「やだよ。おねえちゃんが、いないなんて……!」
押し込めていた気持ちが声になって、自分のそれが聴こえた時。
小さい子どもみたいに、涙があふれてきた。
24: 2012/01/01(日) 08:00:37.74
生まれたての赤ちゃんと同じぐらい泣きじゃくる私の背中を、お姉ちゃんはずっとさすっていてくれる。
だいじょうぶ、いいこいいこ。お姉ちゃんの声が、私の心をやさしく溶かしていく。
そんな魔法の声の呼びかけだって、明日の不安につながるばかりで、忘れてた記憶さえひもといてしまう。
遠い昔、冗談半分に口づけをかわしたことがあった。
まだ小学校にも行ってなかった時、テレビに映る大人の男女のまねをして。
触れあわせる意味も分からないまま、「大好き」って気持ちばかり膨らんでいった。
お姉ちゃんと一緒に三つの学校に通って、その気持ちはどうにかしずめていったはずなのに。
家族として、お母さんやお父さんが私たちを見るような気持ちだって、頭で封じ込めたはずなのに。
でも、いま、涙が止まらなくって。
唯「……うい、ごめんね」
思わず顔を上げてしまう。ごめんね? 謝るのは、私の方なのに。
向き合った私とうりふたつの顔が、今の私と同じように涙でくずれている。
25: 2012/01/01(日) 08:02:35.73
――ごめんね、お姉ちゃん、ダメだよね。
ういのことを見てると、どんどん大事にしたくなっちゃうの。
憂はわたしと違ってなんでもできて、やさしくて、あったかくて、
だけど甘えんぼで、がまんばっかりして、私はなんにも返せなくて、ごめんなさい――
憂「おねえちゃんは、悪くないよ」
私だって、今日のことは、自分の気持ちを思い出にしてしまうために歩いてた。
だけどお姉ちゃんの手の温かさと大事な思い出をいっぱい見つけてしまって、
“こども”だからいいやってそのままにしてたらどんどん「好き」が膨らんでいって、
ほら、こうして、お姉ちゃんを動けなくしてしまってる。
わるい子どもは、私なんだ。
26: 2012/01/01(日) 08:03:44.53
汗の熱か涙かなにかでぐしょぐしょになったマフラーを見て、たまらなくなった。
二人であったまるマフラーなのに、私がこんなに汚してしまったから。
憂「……私は、こどもになっちゃいけなかったんだね」
ごめんなさい。わるい子で、ごめんなさい。
ひとりごとみたいにつぶやいたら、お姉ちゃんが私の顔をつかまえた。
……急だったから、そのときのお姉ちゃんの顔はわからない。
だけど、その瞬間、私はお姉ちゃんにキスされた。
27: 2012/01/01(日) 08:06:08.99
頭で考えるのが追いつかないままに、私はお姉ちゃんのキスを受け入れた。
強く押しつけあった唇の熱が、いつまでも冷めない。
でも外の寒さを言い訳に抱きしめようとするには、この胸が熱くなりすぎてしまったようで。
唯「……ほら、ね。わるい子は、お姉ちゃんのほうだよ」
ほっぺたに流れた涙が冷たく感じだした頃、お姉ちゃんがそう言った。
憂がわるい子なら、私はもっとわるい子でいい。
だから、お願いだから、こどもにならなくていいなんて、そんな淋しいこと、言わないで。
憂の気持ちは、お姉ちゃんの気持ちなんだから。
しがみつく私を抱きとめたお姉ちゃんが、そう言った。
28: 2012/01/01(日) 08:06:53.01
ずっとずっと抱きしめていたい。このまま二人で溶けてしまえばいい。
どうしてもそんな風に思ってしまって目をつむってみるけど、
すぐそばの街灯がやけにまぶしくて、目を閉じていても光は見えてしまう。
たぶん、夜が明けたらもっと強い光が私の目を開けてしまうんだと思う。
憂「……ありがとう、お姉ちゃん」
必氏になって私を支えたり、背中を押してくれた人が、さっきの私みたいに顔を上げる。
憂「あの、ね? 私、お姉ちゃんの言うこと、信じるから、そしたら、大人になれるから」
唯「うん……ごめんね。私も、大学生になるから」
憂「うん、うん……だから、きょうだけ、もう一度だけ、“こども”になっていいかな……?」
29: 2012/01/01(日) 08:10:46.15
最後の方、涙声のせいでぜんぜん言えなかった。
だけどお姉ちゃんがぎゅってして、うなづいてくれてる。
「あのね、お姉ちゃん。
私、お姉ちゃんのこと、だいすきだよ」
子どもみたいに泣きながら、それだけどうにか伝えて、
――私はその時もう一度だけ、唇を重ね合わせた。
お姉ちゃんは私の身体をさすってあたためながら涙がおさまるのを待ってくれた。
あの日、私たちは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、二人で手を取りあって、
抱きしめたり、冷えた身体を暖めあったりしながら、
こどもを、終わらせた。
30: 2012/01/01(日) 08:18:25.23
◆ ◆ ◆
あの日から二週間が経って、私も高校三年生になる。
一ヶ月ぶりに着た制服は冷たくてふるえるけど、家を出る頃には身体になじんでくれたみたい。
憂「お母さん、いってきまーす」
忘れ物ない?って呼びかける声。お母さんはすぐ、はっと気づくと照れ笑いを見せた。
憂「ううん、大丈夫だよ」
いつもお姉ちゃんに向けられた呼びかけを、私が代わりに返す。
見渡した通学路がやけに遠く見えてしまう。
一人で踏み出すアスファルトは生まれて初めてプールに入った時みたいにこわくて、でもどきどきした。
憂「……別のところで、元気、かあ」
お姉ちゃんがうさぎみたいに原っぱを駆けている姿が浮かんで、ふきだしちゃった。
31: 2012/01/01(日) 08:49:12.41
通学路を歩きながら、あの日のことを心の中で繰り返しかみしめる。
あの日の夜、いったん二人の気持ちは閉じこめて、いつもの私たちに戻した。
だからお姉ちゃんが家を出た日、二人ともどうにか笑って別れることができた。
私たちにとって大人のはじまりの日だったから、子どもみたいに泣くのはよそうって決めてたから。
この町にお姉ちゃんはもういない。
でもあの日、お姉ちゃんがくれたあの日、私は二人で思い出を拾い集めることができた。
本当に二人きりでタイムトラベルに出かけていたのかもしれない。
だからほら、通学路の標識からも、道路へ踏み出す感触からも、思い出のかけらを見つけることができる。
32: 2012/01/01(日) 08:50:02.07
梓「おはよう、憂」
ぼんやり思い返していたら、声を掛けられた。
いつ話しかけようか迷っちゃったよ、なんて言われてごめんねって返す。
純ちゃんは先に桜高に向かったみたい。
梓「晴れたね。よかったよ、新勧の打ち合わせもしなきゃだし」
憂「そうだねー。一年のはじまりに、いい天気なのかもね」
そういうと、梓ちゃんもそうだねって笑い返してくれる。
もうさすがにマフラーは暑い季節だけど、まだ指先を冷やす風も吹いている。
33: 2012/01/01(日) 08:51:03.60
憂「そうだ、梓ちゃん。手、つないでもいいかな」
梓「いいけど……どうしたの、急に?」
梓ちゃんはちょっと首をかしげたけれど、小さくてかわいい指を差し出してくれた。
最初は冷たかった指が、だんだんあったかくなっていく。
暖めるように握ってみると、ぎゅって握り返してくれる。
それだけのことがなんだかおかしくって、気づいたら梓ちゃんだってにやけてた。
34: 2012/01/01(日) 08:54:19.65
またいつか会えたら“こどもの日”にしよう、ってきのう電話でお姉ちゃんが言った。
そのときまでに、少しでも遠くの世界を知って、誰かの手も借りて、
くずれないぐらいに大人になっていればいい。電話口にそう話した。
子どもだったり大人だったりしてしまう私だけど、支える手はここにだってある。
梓ちゃんや純ちゃん、いろんな人とほほえみを分かちあって、
そしたら大人に近づいていくことができる、ということに今はしておこうって決めた。
憂「そうそう、お姉ちゃんも今日が入学式なんだって」
梓「そっか……向こうも晴れてるかな?」
憂「晴れててほしいなあ」
梓ちゃんと手をつなぎながら、道の向こう側の空を見上げてみる。
この太陽がお姉ちゃんのはじまりの日も照らしてくれたらいいなって、そう願って。
おわり。
引用元: 憂「こどもの日→はじまりの日」
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