2: 2012/05/13(日) 23:01:27.68
昔、明日がすごい怖かった。
笑わないで聞いてね……と、言いつつも実はこのジョークをわたしは気に入ってて、そのたびに自分で笑っちゃうんだけど、わたしは将来犯罪者になるんじゃないかって思ってたのだ。
あーあ。

でも実際、そのせいで眠れない夜もあった。
ほら、夜にしか鳴かない鳥っているよね。くわあああんくわああああんって。
眠れない夜には、あの鳥の鳴き声を数えてた。そうしてると、だいたい4000回あたりで飽きちゃう。それでひとつ教訓を得たんだけど、どんな繰り返しも4000回まで、それ以降は無理、少なくともわたしたちには耐えられないよ。

そもそもさ、なんでそんなこと思ったかっていうと、それには理由があるんだ。
まあ、何もないのに自分が未来の犯罪者だって信じこむなんて頭が変だ。それか自意識過剰だろう。
この2つはちょっと似てるって気がするけど、どうかな。わたしはよく的外れだって言われるから。

閑話休題。
中学生のときだった。その頃のわたしは今よりもずっと人の話を信じこみやすいおばかさんだったのだ。
これは嘘。
今も昔も大差ない。
昨日もデパートのチラシに騙された。ダイヤル式ドライヤーと電動ハブラシ。10段階に風量が調整できるからって、髪を乾かすのに役立つ?

3: 2012/05/13(日) 23:04:22.01

とにかく、当時のわたしには誰にも話したことない夢があった。それはお話を書く人になりたかったってこと。
でも、真剣に思ってたわけじゃないよ。
いやいや、照れ隠しじゃないって。

小さい頃好きなことが2つあって、ひとつは公園で遊ぶことで、もうひとつはちょっとしたお話を作って誰かに聞かせることだった。
もっとも、そんな話相手になってくれたのはおかあさんと憂くらいだったけど。
しかも一番多くつきあってくれたのが年下の憂だったから、いつもわたしは「すごいねーおねえちゃん」って褒められた。
それにおかあさんはよく頭をなでてくれた。よくできましたってふうに。それがすごく好きだった。

やっぱりおばかさんだったわたしはそんな態度をそのまま信じこんで中学生になった。
わたしはすごいねってわけ。
その歳にはわたしも自分の夢がおおげさなものだってことくらいわかってたから、それを心のなかにしまい込んで一応はなんでもないふりをした。
でも、ちゃんと叶えられると確信してたのだ。
哀しいかな。

4: 2012/05/13(日) 23:06:34.64

その夢がバレちゃって、まあ結果あきらめることにもなるのだけど、それは冬の頃、中学生1年生の夕暮れの帰り道のことだった。
わたしは珍しく学校から一人で帰っていた。
その途中でおねえさんに会った。
おねえさんというのはあだ名で近所の子はみんな彼女のことをそう呼んでいた。
おねえさんが誰とでも仲良くて、物知りだったからだ。
5歳年下のわたしもそれにもれなかった。
なぜか、わたしは小さい頃から遊び相手として特に連れ回された。おねえさんは後でわたしにこう教えてくれた。

唯ちゃんはなんでも信じるからおもしろかったの。

そんな話をあずにゃんにしたら、もしかしたら唯先輩が明るいのはそのせいもしれませんねと言っていた。
つまり、幼い頃から冗談ばかり聞かされたから。
それでも、暗いばかより明るいばかのほうが周りからすればいくぶんか気楽だ。
ちなみにこれもあずにゃんの受け売り。
ばーか。

6: 2012/05/13(日) 23:08:15.07

というわけで、そのときもわたしはおねえさんの言うひとつひとつの冗談に笑ったり驚いたりしていた。
変に曲がりくねった道(それはその頃新たに付け足された道だったから古い家にあわせていびつな形をしていた)を歩いているときのことだった。
不意におねえさんがわたしに尋ねた。
 
「ねえ、唯ちゃんは自分の将来が見える?」

その質問があまりに唐突だったのと、隣家のカレーの匂いに心を貸し出してしまっていたので、わたしはいとも簡単に8年間のちょっとした脆い秘密をさらけ出してしまった。

 どかーん!(こういう安い表現はあまり使わないほうがいいと澪ちゃんが後で教えてくれた。澪ちゃんが教えてくれたのはこれともう一つ、えくすくらめーしょん・まーくはひとつまでだということだ。!!なんて言語道断。お話が薄くなるだけだ、と)

おねえさんは驚いた顔で、唯ちゃんが読書好きだとは知らなかったな、と言った。わたしもそれは知らなかったと言い二人で笑った。
それからおねえさんはわたしに書いたものを読ませてくれないかしら、と尋ねた。わたしは断った。
それはこういうことだった。
自分の天国――憂の褒め言葉やお母さんが頭を撫でてくれるあの感じの外側に自分の世界を放り投げだす勇気がわたしにはなかったのだ。
自分の書いたものが中学生の平均的なそれから言っても稚拙なものだということを、なにかあるたびわたしはひしひしと認識しなければならなかった。
それでも、わたしは自分の個人的なお話が好きだったし、自信もあった。でも、それに何の意味があるだろう。
棒つき飴で戦闘機に向かっていける?
同情はひけるかも。
それで、あっさりと夢を諦めた。
あーあ。


7: 2012/05/13(日) 23:10:47.89

おねえさんはわたしにどんなものを書いてるの、と聞いた。
ファンタジーだよ、とわたしは言った。
わけのわからないものを説明するのには便利な言葉だ。
もっと現実的なものを書かなきゃダメだとおねえさんは忠告した。
現実的ってどんな感じってわたしが聞くと、おねえさんはいくつもの例をあげて教えてくれた。
離別、孤独、嫉妬、誰かの氏、裏切り、などなど。
そこで、わたしは一時期この現実感というものに悩まされることになった。
きっと、そんな恐ろしい未来が誰の前にも待っていて、幸せでいれるのは子供だけだって。
挙句の果てには、おねえさんは高校を卒業したら氏ぬんだとまで言い切った。
もちろん、今も彼女は生きていて、ときどきメールを交換したりする。
わたしがこのことを問いただすと、生き返ったのだという。おねえさんは一度も嘘をついたことがないから案外そんなこともあるのかもしれない。

そして、残念ながらわたしはまだこのうちのどれにもお世話になっていない。
だから、もしかしたらわたしは現実じゃないどこか――例えば、夢の中で生きていたりするのかもしれないな。



8: 2012/05/13(日) 23:13:30.08

ずいぶん話が変な方向にそれちゃったな。
わたしにはどうもそういうとこがあるみたい。
注意注意。
さて、わたしは6年ぶりにちょっとした物語を書こうと思っている。というかそのほとんどはもうできあがってしまった。
たいていは朝、夢から覚めたあとにあくびをしながら机に向かう。物語といったって日記みたいなものだ。
あの澪ちゃんがご教授してくれたので、それなりの形にはなったんじゃないかなと思う。

わが愛すべきハッピーエンド主義者の妹(そうなったのはわたしのせいだ)、憂に言わせればこういうことだ。
真の幸福な物語とは何も起きないことだ。
というわけで、幼い頃、わたしの口から飛び出た懐かしい物語たちにならい、このお話にはどんな悲しいこともおきない。
誰かの氏もその他いろいろも。




9: 2012/05/13(日) 23:14:50.76
『0回目』

この線の向こう側に天使がいる。
すぐに顔が赤くなった。
そんな風に考えるのはなんだか恥ずかしかったから。
どうしたんですか。
右側で声がした。
どうでもいいけど音ってのは空気が震えておきるんだって。
知ってた?
へんだよねあはは。
おかしいですよ。
この線を越えないであずにゃんに抱きつく方法を考えてたんだ。
無理ですよ。
そんなのは最初からわかってるんだって。
はとが目の前で羽を広げて飛び立った。
もし人が空をとぶくらいの奇跡を用いれば、それができるのかな?
ねえ。
無理ですよ。
また言った。
あずにゃんはすぐ諦める。
天使だったくせに一度も空を飛べなかった。
ばかなんだ。
あーあ。
ゆらゆら伸びたその線をなぞっていく。
指が汚れた。
そっと触れた最後の隙間は不思議と暖かいような気がしちゃったんだ。


10: 2012/05/13(日) 23:15:41.98


「この線からこっち側には来ないでくださいよ」

あずにゃんが言った。
午後5時の人気のない公園。
絶賛立ち入り禁止中。

今日はくもりだった。
昨日は晴れだった。
一昨日は晴れだった。
だから今日はくもりだった。
曇天特有の気だるさが街を支配していて、わたしはいつもよりすこし退屈な気分になった。
夕暮れに染められた雲はオレンジだった。

11: 2012/05/13(日) 23:16:16.95

唯「見て見てきれいだよ」

梓「そうですね」

あずにゃんは下を向いたまま手頃な木の枝が落ちていないか探していた。
公園の地面が鏡張りだったらよかったのにね。
わたしは口をとがらせた。
少しあとで、木の棒を手に持って戻ってきたあずにゃんが歓声を上げた。

梓「わっほんとに綺麗な空じゃないですか」

唯「だから言ったのにさ」

12: 2012/05/13(日) 23:17:09.80

空を見上げる。
厚い雲の切れ間からまっすぐ地上に向かって真っ赤な光が降り注いでいる。
何本も何本も。
あずにゃんが隣で息を呑んだ。

梓「天国の梯子でしたっけ」

唯「素敵な名前だよね」

あずにゃんのほうをそっと見た。
ほっぺに着色。
こんな真っ赤なあずにゃんは見たことないなって思った。
ほっぺたをつねったときも、わざとえOちな事を言って照れさせたときも、絵の具でべちゃべちゃにしあったときだってこんなには赤くはなかった。
すごくすごくきれいな赤。


13: 2012/05/13(日) 23:17:46.31

砂場に腰を下ろした。
わたしたちはひどく疲れていた。
今日は一日中いろんなところで遊んだ。
そして最後にはあの箱からにげだした。ぽろりってこぼれおちるみたいに。
あずにゃんが砂の上に長い線を引いた。
わたしとあずにゃんを隔てる線。
曲がってる。

梓「この線からこっち側には来ないでくださいよ」

あずにゃんが言って線のぎりぎりに座った。
わたしはあずにゃんからのびたもう一本の別の線を眺めていた。
その白い糸の先には真っ赤な風船がくっついてる。
わたしのは白だった。
無理やり言って交換してもらった。
そっちのほうが天使に会えそうだったから。


15: 2012/05/13(日) 23:18:51.33

唯「ねえねえ、ほんとにここに天使が舞い降りると思う?」

梓「多分ダメですよ。あの人怪しかったですし」

唯「そっかあ。本物の天使だもんね。あずにゃんみたいなにせものじゃなくて」

梓「にせものってひどいですね」

唯「じゃあ、空飛べる?」

梓「無理ですよ」

唯「触ることだってできないし」

梓「この線を越えなきゃいいですよ」

唯「あーあ」

梓「これは唯先輩のためでもあるんですから」

唯「むう」

16: 2012/05/13(日) 23:19:38.54

砂の上に星座を描いた。
いつの間にか手が砂で汚れていた。

唯「これからどうしよっか?」

梓「どうもしませんよ。これで最後です」

唯「そのあとは?」

梓「めでたしめでたし。ですよ」

唯「ふうん」

わたしたちは話すことがなくなって、それっきり黙ってしまう。
隙を見ては線を越えようとするわたしの左手をあずにゃんは睨んでいた。


17: 2012/05/13(日) 23:20:26.31

唯「あ、線の上はセーフだよね」

梓「まあ」

そっと線に触れた。
うねった線をゆっくとなぞった。
わたしの左手の右から数えて二番目の指は線上を何度も往復して真っ黒になった。
その間、わたしは空っぽについて考えていた。
あずにゃんとわたしの隙間、風船の中、そしてあの街もみんな空っぽだった。

唯「あーあ、あーあ、あーあ。」

梓「どうしたんですかいきなり」

唯「空っぽだから声が響くんだ」

この街ともさよならだね。
わたしも強くなったかな。


18: 2012/05/13(日) 23:22:19.95

【1】

公園は天国だった。
少なくとも幼いわたしにとってはそうだった。
小さい頃の思い出はほとんど公園のものだ。
友達のはしゃぎ声、錆びた遊具、薄いカルピスみたいな色した水道水、昼の匂い、はしからはしまで走るだけで疲れてしまった。
そんな風景を明確に記憶している。
そこでわたしはよく憂や和ちゃんなんかと缶蹴りをした。
缶蹴りはわたしにとって最高の遊びだった。
3人でやるにはおおげさすぎるということを除いてはだけど。そこで、わたしは知らない子なんかにも声をかけて一緒になって遊んだ。
その場所では誰もがひとつの家族のようだった。それはわたしたちが隣の家の年上の女の子をおねえさんと呼んでいたことからもわかる。
あの頃のわたしはもし誰かがそんな天国の影で泣いてたって気がつかなかっただろうな。
今でも気づかないかもしれないけど。
だから、あずにゃんがそんな天国の影にいたって聞いたときは少し驚いた。


19: 2012/05/13(日) 23:23:56.55

少なくとも、とあずにゃんは言った

梓「わたしにとって公園は天国じゃなかったです」

唯「そうなの?」

わたしたちは商店街に向かう道を歩いていた。
わたしはこの道が好きだったんだ。
思い出の公園が見えるからかな。

梓「小さい頃、母が姉の家によく行ってたんですけど」

唯「へ?あずにゃん妹さんだったの?」

梓「なわけないじゃないですか。母のですよ。それでいつも公園で遊んでてねって言われたんですよ。母の姉はこどもが嫌いでしたから」

唯「かわいそうなあずにゃん」


20: 2012/05/13(日) 23:26:07.65

梓「それ自体はいい思い出なんですけどね」

唯「あれれ、なんでさ?」

梓「帰りに好きなジュースとお菓子買ってもらいましたからね」

唯「その頃からあずにゃんはげんきんだったんだねえ」

梓「今も昔もそんな覚えはないですけど。まあそれで公園でひとりだったんですよ」

唯「何してたの?」

梓「絵を書いてました砂場で」

唯「あ、それってさっき通った公園?」

梓「違いますけどなんでです?」

唯「いやさ、わたしが遊んでる横であずにゃんが寂しそうにしてるのは耐えられないからね」

じゃあ、わたしじゃない人ならいいんですか。と、別のあずにゃんの声がした。
それはわたしの小さい頭の中でいくぶんか誇張された重みを持って響いた。

いつからだろう、わたしはその手の病的な妄想にとりつかれていた。
1人の人間が生きる世界は1つではないという感覚。
妄想。
こういう気分になるのはたいていが夜のことだった。
お酒好きの人も酔うのは仕事から帰ってきてからだ。昼間から酒を飲みはじめたらまずい。
黄色信号。
アルコール中毒更生の会にでも行ったほうがいいだろう。
わたしの場合は、脳中楽園中毒と戦う会にいくべきだろうな。
そんなものがあればだけど。


21: 2012/05/13(日) 23:27:18.29

商店街の前では、白い服を着た少女が募金を呼びかけていた。
わたしはその子たちが胸につけたマークをいつかのCMで知っていた。
わたしは彼女たちの1人に近づいていって、380円(自販機でジュースを買ったお釣り)を箱の中に入れた。
わたしの目の前の女の子が満面の笑みを浮かべて、ありがとーございます言ったから、わたしもつい笑顔がこぼれてしまった。

梓「唯先輩が募金なんて天地がひっくり返るんじゃないですか」

唯「ひどいっ。これもあずにゃん教の活動の一環だよ」

梓「はあ……それは素敵ですけどなんでまた」

唯「ふっふっふ。超絶理論聞きたい人ー」

梓「しーん」

唯「聞いてよっ」


22: 2012/05/13(日) 23:28:26.37

わたしはあずにゃんのほっぺを軽くつねった。

梓「ふぁありましたふぁありました。何ですか?」

唯「みんなが幸せになっちゃえばいいと思うんだ」

梓「……いやそれは思うだけなら小学5年生でもできますけども」

唯「だってさあれだよみんな幸せならきっとあずにゃんが悲しんでも許されると思うんだ」

梓「なんですかそれ。わたしは悲しくなんてないですよ」

唯「だって、あずにゃんは素直じゃないから」

梓「うるさいです」

唯「ほら」


23: 2012/05/13(日) 23:29:44.78

梓「じゃあ、どんなふうに悲しめばいいんですか」

唯「えー。こうやって煙草ふかしながら『世界終わればいいのにな』って」

梓「ぷっ。昨日夜、テレビで映画見ましたよね?」

唯「あったりー」

梓「まったく。唯先輩は棒つき飴のほうがぴったりですよ」

そう言うとあずにゃんはぺろちゃんキャンディーをポッケからだして、くれた。

唯「ねえ、あずにゃんはどんなことされれば幸せになる?」

梓「そうですね」

ちょっと間があった。
道を曲がった。

梓「先輩が真面目に部活して、ティータイムも返上して、抱きつくのもやめるとかですかね」

唯「えー」



24: 2012/05/13(日) 23:30:36.09

梓「どうです?」

唯「でもあずにゃんが寂しいんじゃない?」

梓「そんなことはないです」

あずにゃんは否定して、歩くペースを上げた。
でも、ほっぺたをハムスターのそれみたいにふくらませてもかわいいだけだ。もし、わたしに抱きつかれたくないならハリネズミにでも生まれてくるべきだった。
後ろからとびつく。
くちゃって音がした。
たまにあずにゃんが軽く感じるんだ。ちゃんと紐をつかんでないと飛んでっちゃうんじゃないかと思うほど。
なんでだろう?

25: 2012/05/13(日) 23:31:34.34

一日中遊んだあとで家に帰った。
夜になった。
わたしはあずにゃんに尋ねた。

ねえ、あずにゃんが軽いのはちっちゃいからかな。
そう思いたいだけですよ。
なんだか少し耐えられないよ。
いつもじゃないですか。
うん。
ベットに滑り込んで、灯りが消えたら天国に迷い込む。


26: 2012/05/13(日) 23:32:38.44


午前9時20分。
日曜日。
天気予報は晴れ。
約束の時間に20分も遅れた。
あずにゃん怒ってるだろうなあ。
空を見上げると、思わず目をつむってしまいそうになるほどたくさんの星が瞬いている。
あれなに座だっけ。
集合場所のファストフード店の一番の奥の席であずにゃんは退屈そうにしていた。

唯「ごめんっ。おくれちゃった」

梓「いつものことじゃないですか。唯先輩は絶対遅れるんですよ」

唯「そう言われると……あれだけど」


27: 2012/05/13(日) 23:33:08.38

あずにゃんはコーヒーを飲んだ。

唯「甘い?」

梓「コーヒーにあまいとか聞くなんて違法ですよ」

唯「じゃあブラック?」

梓「そりゃもう吐くほどあまいですけど」

唯「ひゃあ。さすがっ」

梓「まあ」

あずにゃんからコーヒーを受け取って飲む。
たしかに甘い。
どろどろ。
わたしもあずにゃんも甘いコーヒーが好きだった。
ブラックを砂糖水で割ったみたいなやつが。
だからなんだって話だけど、生活感が必要なんだ。
ここなら特に。


28: 2012/05/13(日) 23:33:45.36

星が綺麗ですね。
外に出てすぐあずにゃんが言った。

唯「わざと言ってるでしょー」

梓「はい。でも実際毎日見てるとあきちゃますよね」

唯「あずにゃんには空模様の機微はわからないんだ」

梓「唯先輩に機微とか言われたくないですって」

唯「うへえ」


29: 2012/05/13(日) 23:35:31.58

人口夜。
星のカーテンの下にわたしはいたんだ。文字どおり。
大きなとびっきり大きな、街くらいあるプラネタリウム。
だからいつだって夜なんだ。
ほんとは人口昼でもよかったんだけど技術が足りなかったとかなんとか。
まあ、どこかの誰かが夜のほうが好きだから夜になったとかいうふざけた話もあるけれど。
そもそも、どうしてこんなおおげさなものが作られたかって話なんだけど、やっぱりどうも戦争が絡んでいるようだ。
今でもこの街というかこの箱というかの外では戦争が行われていて、それもどうやら記憶が戦争をしているらしい。
記憶が戦争っていうのはよくわかんないけど、誰かの記憶がこの場所に思い出されないまま残ってしまって、その記憶の中の人々がまだ自分たちは本物だって勘違いして戦争を続けてるんだって、一昨日あずにゃんから聞いた。
それは記録映像みたいなもんだから実害はないんだけど、でもやっぱり戦争は戦争だし何しろたくさんの記憶だから一気に観たらたいへんなことになっちゃうかもしれないから、わたしたちはこのプラネタリウムにこもってるんだ。
トラウマの地雷に嫌な思い出の銃弾。
笑っちゃうよ。

あくびが出た。
ひぃあああ。

梓「眠いんですか」

唯「ちょこーっとね」


30: 2012/05/13(日) 23:36:18.32

その後、あずにゃんと商店街を回って遊んだ。
服屋をひやかしたり、ゲームセンターのスロットマシーンを回したり、空き地の猫を観察したりした。
生活感。
ねえ、もっとたくさんのことを知っていればよかったのにね。
わたしは言った。
駄菓子屋の前で綿菓子を食べている時だった。

唯「18年も生きてきて遊ぶことさえろくにできないんだよ」

梓「わたしは楽しいですけど」

唯「そう言ってくれるのは嬉しいけど……なんかわたしってこどものままだね。ほら、もっとすごいことしてもいいのにさ」

梓「じゃあ、それをすればいいじゃないですか」

唯「だってさ、思いつかないんだよ。なにも。いつもなんとなくすごしてきたからかなあ」

梓「他にどんなすごし方があったって言うんですか?」

唯「それは……なんというかつまり自分が変われるような何かだよ」

梓「……例えば?」

唯「ほらっ映画とか本とかだとさ。奇跡がおきてめでたしめでたしってなるじゃん。その奇跡だよ」

梓「ここならなんだってできるじゃないですか」

唯「それは思いつけばね」

ふうんとあずにゃんは呟いた。
そのことに興味ないみたいだった。


31: 2012/05/13(日) 23:37:09.65

唯「あずにゃんは何がしたい?」

梓「唯先輩がしたいことならなんでもいいですよ」

ほら、これだ。
ここではあずにゃんはいつもわたしのために何かをしてくれる。
でも、それは結局のところ、この場所が不完全だってことの証にしかならない。
あーあ。

梓「あ、でも映画見たいです」

あずにゃんは言った。
わたしがそうしてほしいと望んだからだというのは穿ちすぎるかな。

わたしたちはこの街に1つしかない映画館向けての偉大な1歩目を踏み出した。


32: 2012/05/13(日) 23:38:42.21
【2】

あずにゃんは弱かった。
あつれき。
と、あずにゃんはわたしに説明してくれた。
つまり、人と人が関わることで生まれる摩擦――例えば、誰かに否定されるとか、それとも別れ道でお互い違うほうを指さしてしまったときの一瞬の沈黙、それに耐えられないという。
自分の存在を何かにぶら下げていて、それが切れてしまうなんていう錯覚。自分を信じれない。
だけど、そんなことは誰でも感じることだ。
ごみ箱を見て泣かない人がいるだろうか。

ただ、あずにゃんはその傾向が強かっただけ、ということになる。
それについてわたしはこう宣告したい。
あなたは病気にかかっています。風邪を引いただけで氏に至らせるあの病気みたいに絶望的ですが、諦めてはいけません。現代医学を信じて下さいと。
結局、わたしがあずにゃんに信じさせたのは宗教だったんだけど。
あーあ。




33: 2012/05/13(日) 23:39:40.94

わたしはこの病気を天国病と呼ぶことにした。
理由はいくつかある。わたしが日頃あずにゃんを天使だと(半ば本気、半ばからかいで)褒めたたえているのと、ちょうどそのとき天国は寂しいところだという話をしていたのと、そこが公園だったということで。

唯「あの人、疲れた顔してるね」

わたしたちは錆びた黄色いベンチに並んで座っていて、アイスを食べていた。その反対側のベンチに白い服を着た男の人がひとりで座っていた。

唯「さっきまでそこでなんか配ってたよね?」

梓「たぶん宗教の布教かなんかでしょうね」

唯「あんな調子だと天国はさびしいところだよきっと」

誰もいない公園、とわたしは思った。


34: 2012/05/13(日) 23:41:05.78

唯「それにしても誰も受け取ってくれないなんてかわいそうだね」

梓「む……どうでしょうか」

唯「なんで?」

梓「いえ、そういうのはよくないものが多いと聞きますし」

唯「あ、憂も言ってたおねえちゃんは人がいいから心配だって」

梓「わたしも心配ですよ」

唯「わたしはだいじょうぶだよっ」

梓「ほんとですか? ただでさえ世の中にはたくさんの悪意があるんですから」

唯「えへへ、だってふたつは信じられないよ」

梓「へえ。唯先輩は仏教でも信じてるんですか?」

唯「あずにゃん教だよっ」

梓「は?」


35: 2012/05/13(日) 23:43:29.42

唯「わたしはあずにゃん教の信者だからね。会員第一号だよ」

梓「なんですかそれは」

唯「今考えたんだー。これなら悪徳宗教にも騙されないよー」

梓「先輩の宗教が一番怪しいですよ」

唯「ほらほらーあずがみ様が何を言うー」

梓「やめてくださいって。ていうかどんな宗教なんですか?」

唯「それは、そうだなあ……夜になるたび、ある言葉を大切な人にこっそりおくるんだよっ」

梓「どんな言葉ですか?」

唯「ひーみつ」

梓「なんでですか」

唯「じゃあ入信しましょう」

梓「嫌ですっ。ていうかわたし関係ないじゃないですか」

唯「あったほうがよかった?」

梓「そういうことじゃないですけど……」


38: 2012/05/14(月) 17:15:54.72

唯「あずにゃんのため宗教って、意味のあずにゃんだよ」

梓「そんなものなくてもわたしは大丈夫ですよ」

あずにゃんは笑ってみせた。
あずにゃんは笑うのが下手だ。生まれる前、笑顔の練習をサボってきたのだろう。
それかあんまり笑うことが少なかったのかも。
継続は大事だよ。
それに比べればわたしはよく笑う。
明るくいるのは何よりも簡単に思える。
きっとまだ胎児だったころのわたしは真面目だったのだろう。
どうしてこうなったか?
あーあ。

唯「でもさ、さっきまであずにゃん泣いてたじゃん」

梓「泣いてないですし」

唯「泣き虫」

梓「ちがうもん」

唯「ばーか」

梓「ばーか」


39: 2012/05/14(月) 17:17:00.92

唯「じゃあなんでこんなとこにひとりでいたのさ?」

梓「あつれきが」

唯「あつれき?」

梓「ときどき自分が存在しないように思えるんです。いつもはへいきですけど、ときどき病気みたいに」

唯「それは天国病だ」

梓「なんですか?」

唯「日本ではじめてそれにかかったのは仔犬なんだ。夜になるたび、うわんうわんうわんうわんってさすごい鳴くんだよ」

あまりに吠えるから飼い主さんは獣医さんにその仔犬を連れて行った。
ところが病気は見つからない。現代医学の許容範囲を越えていたんだろう。
そこで獣医さんは考えた。この犬は氏ぬのが怖いんじゃないかと。
獣医さんも小さい頃は氏ぬのが怖くて毎日泣いてたのを思い出したのだ。
しかし、そんな診断をくだすわけにもいかない。
そこで獣医さんは言った。
 「天国病だ。ここ最近見つかった精神病でね」
男は聞いた。
 「その病気はどういう病気なんでしょうか?」
獣医さんは答えた。
 「君は天国はどんなものだと思う?」
 「テーマパークみたいなものでしょうか」
 「わたしは小さい頃から巨大なわたあめだと思っていたよ」

梓「はあ。それでどうなったんですか?」

唯「飼い主さんはね、正体不明の病気をかわいそうに思って毎日そばにいてあげたんだ。そしたらいつの間にか犬は鳴くのをやめた。で、ふたりは幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし」

梓「それって、仔犬が寂しかっただけじゃないんですか」

唯「それは、犬のみぞ知るってやつだよ」

梓「つまんないです」

唯「ちえー」

40: 2012/05/14(月) 17:18:10.32

ちなみにこの話はあずにゃん教の経典が完成した暁には、そこに載ることになるだろう。
この他にもでっちあげの神話が30個ほど収録される予定。
例えば、ポップコーンを食べる怪物の話だとか、雲からできた人間の話だとか。その他いろいろ。
そのすべてはわたしがあずにゃんに話聴かせてあげたものだ。
結果、その本は経典や聖書などというものではなく、でっちあげを集めたくだらないジョーク集になってしまうことだろう。
残念ながら。

唯「あ」

さっきの男の人がじっとこっちを見ているのに気づいた。もしかしたら、わたしの冗談に気を悪くしたのかもしれない。
あずにゃんが体を固くしたのがわかった。わたしも少し怖くなる。わたしは――たいていの明るく見える人がそうであるように――臆病だ。
それにあの病気は感染するみたい。

しかし男の人は、はにかんでから、何か言っただけだった。それから公園を出ていった。
小さい声だったなんて言ったのか絶対の自信はないけれど、あの人が言ったのはたぶんあの言葉だろう。

唯「おおっ……しょっぱなから奇跡だ」

梓「え……うわっ抱きつかなでくださいって」

あず神様にお祈りを。
あーめん。


41: 2012/05/14(月) 17:18:42.09



目が覚めたら、映画館にいた。
真っ暗だった。
前の方で爆発音。銃声。
寝ぼけた目をごしごしと左手でこすった。
すぐ左に椅子一個分の距離を空けてあずにゃんが座っていた。

唯「ねえ、寝ちゃってた?」

梓「はい」

唯「映画おもしろい?」

梓「あんまりです」

42: 2012/05/14(月) 17:19:11.48

わたしはスクリーンの方に目をやった。
話の筋はまったくわからなかったが、戦争映画を見てたんだったと思いだした。
スクリーンの光が眩しくて目が痛かった。

唯「ねごととか言ってた?」

梓「言ってないのと今考えるのどっちがいいですか?」

唯「考えてほしい」

梓「えと、コーヒークリープを一気飲みしたいって」

唯「クリープは粉だよ。あずにゃん」

梓「あ」

わたしたちは笑った。
二人だけの映画館に笑い声はよく響いた。
ずっと向こうで兵士が英語で何か言った。
字幕上映だった。


43: 2012/05/14(月) 17:20:02.00

唯「なんでこんなに人気が無いんだろうね?」

梓「何回も同じ映画をやってますから。もうずうっと」

唯「じゃあなんであずにゃんは見たいとか言ったのさ」

梓「好きなものは何回見ても良いですから」

唯「あんまりおもしろくないんじゃないの?」

梓「そりゃあもう何回も見てますから」

唯「でもはじめて見たわたしが寝ちゃうんだからやっぱつまんないんだよ」

梓「む……」

そんなことはないですって言いたげな顔であずにゃんはまたスクリーンに目を戻した。
その横顔はどうみても退屈そうだった。


44: 2012/05/14(月) 17:20:29.47

唯「あ、そういやわたしのポップコーンは?」

梓「知らないですよ」

唯「なくなってるんだよ。ぜんぶ」

梓「それはたぶんポップルのせいですよ」

唯「ポップル?」

梓「そうです。映画館に住み着いて、寝てる客のポップコーンを食べちゃうんです」

怖いですね。
全く怖くなさそうにあずにゃんは言った。


45: 2012/05/14(月) 17:21:00.94

わたしはポップルについて考えてみた。
それはたぶん、あずにゃんの左手くらいの大きさで、鳥のような形をしてて、映画館の天井にこうもりみたいに逆さまにくっついて、猫風の黄色い目を細めながらまぬけな客がいないかを監視しているんだ。
そんなふうに考えてたら愉快な気分になって、ポップコーンのことをつい許しそうになった。

唯「ポップルを見かけたらどうすればいいの?」

梓「かわいがってあげてください」

唯「喉渇かない?」

梓「すごく」

唯「あずにゃんなんてポップルに食べられちゃえばいいんだ」

梓「それは怖いですね。すごく」

そういうあずにゃんはやっぱり全然怖くなさそうなのだった。


46: 2012/05/14(月) 17:21:39.46

わたしは退屈になって隣の椅子の背を何となしに倒していた。
がらんどうの箱のなかでは乾いた音がよく響いた。
あずにゃんが迷惑そうな顔でこっちを見た。
わたしは舌を出してやった。
べえ。
使い終わったストローであずにゃんのほっぺたをつつく。
椅子1つ分の隙間と眠ってしまったような映画館にわたしは妙な心持ちがした。
おかしくって苦笑する。

梓「さっきから何してるんですか」

唯「えー。暗いとこにいるとテンションがあがらない?」

梓「そんなんだと夜になるたびトリップしなくちゃいけませんよ」

唯「そうそう。テレビで見たんだけど人間は夜のほうが興奮するんだってね。なんだっけ?」

梓「こーかんしんけい」

唯「それそれ。あ、だからえOちは夜するんだねー」

梓「な、なに言ってるんですかっ」

唯「あー。あずにゃん顔まっか―」

梓「そんなことないですっ」

唯「だって暗くてよくわかんないよ」

梓「あ」

唯「ムキになっちゃってーもう」

梓「あーあー」

唯「そうだ。せっかくのふたりきりの映画館なんだ……」

梓「な、なんですか?」

唯「探検しようよ」

47: 2012/05/14(月) 17:22:08.01

梓「……はあ」

唯「ほら、はやく」

梓「唯先輩といると普段の3倍疲れますよ」

唯「それは普段怠けすぎなだけだよっ」

梓「そうかもしれないですね」

席の間を歩いて上のほうへのぼった。
少し歩くと一番上にたどり着いてしまった。
今度は下りてスクリーンの前で影をつくってはしゃいでみたけどすぐに飽きた。
探検なんてするとこないじゃないですか。
あずにゃんの言ったことは正しい。

48: 2012/05/14(月) 17:22:36.93

梓「もう終わりですか?」

唯「待って……そうだっあそこに行ってみたかったんだ」

梓「そこって……映写室ですか?」

唯「あそこっておじいさんがいるんだよね。映画だとそうだよ」

梓「まあ、おじいさんとは限りませんが、でも最近はどこもデジタルですからね」

唯「じゃあおじいさんはロボットになっちゃったの?」

梓「そういうことじゃないですってば。まあとりあえず行ってみましょうか」

【映写室】と刻まれたドアはひどく錆び付いていた。
ぎいぃぃぃ。
開くときにきしんで音をたてた。
そして、そこにいたのはおじいさんでもロボットでもなかった。


49: 2012/05/14(月) 17:23:04.80

埃っぽいにおい。
薄暗い部屋。
かりかりかりかりかり。
開かれたドアの先から、震動音。
床に転がったフィルムの上に小さな影。
じっと見つめていると、その影が小刻みに動いてフィルムを食べているのがわかる。

梓「……なんですかね」

唯「ポップル?」

梓「ポップルはもっと愛くるしいですよ」

唯「そう思ってた」


50: 2012/05/14(月) 17:23:33.36

瞳が暗闇に慣れていって次第にあたりがはっきり見えるようになった。
それは1匹の動物だった。
あずにゃんは獏だと言った。
わたしは獏がなんだかわからなかったけど、前にテレビで見たアリクイみたいだと思った。

映画館を出てからわたしはあずにゃんに聞いた。

唯「獏ってなに?」

梓「人の夢を食べる想像上の動物ですよ」

唯「へえー。でも、あれは映画を食べてたね。シネマアリクイかと思ったよ」

梓「アリクイじゃないじゃないですか」

唯「あはは。たしかにそうだねー」

梓「ていうかなんでフィルムなんて食べるんでしょう」

唯「きっと、つまんないものを何度も流されるのが嫌いなんだ」

梓「む……でももう頭の中に全部あるから平気です」

唯「今度はあずにゃんの頭の中を食べちゃうかも」

梓「それは怖いですね」

あずにゃんはちょっと震えた。
きっと、抱きしめて安心させたいと思ったけどそれは禁則事項。
映画館で喋ってはいけませんってさ。


51: 2012/05/14(月) 17:24:01.22
【3】

じゃかじゃか。
じゃかじゃか。
じゃかじゃか。
じゃかじゃか。
疲れたあ休憩にしようぜー。
りっちゃんが言った。
次にくる言葉は予想できたから先回りして言ってみた。

澪「まだ30分しかやってないだろーっ」
唯「まだ40分しかやってないだろーっ」

唯「あ」


52: 2012/05/14(月) 17:24:29.26

澪「惜しかったよ。さああと10分頑張ろう!」

唯「ちょっと待ってよ。澪ちゃん時間偽装したよこれは許されないよっ」

梓「往生際が悪いですよ先輩?」

唯「はああ。善人がいつも損をするんだ」

紬「ふふっ」

唯「あー笑うとこじゃないよー」


53: 2012/05/14(月) 17:24:59.15

じゃかじゃか。
じゃかじゃか。

疲れたあ休憩にしようぜー。
りっちゃんが言った。
次の言葉を予想して言う。

唯「じゃあ次でさいごにしようか」
澪「ティータイムにしようか」

唯「あ」

澪「唯はまじめだなあ」

満面の笑み。

唯「くそう……くそう……あっ」

54: 2012/05/14(月) 17:25:27.54

澪「……なに?」

唯「……ははあ。わかったよこれは澪ちゃんじゃないよ」

律「ほんとかっ」

澪「え。いやいや」

唯「では、あそこに今日のショートケーキがあります。さあ澪ちゃんはどう食べるっ」

澪「そうだなあ……まずはちょっとクリームの味を確かめてそれで、一回紅茶を飲んで落ち着いて、ほうっと一息ついてから食べるかな」

唯「ぶっぶー。やっぱりこの澪ちゃんはにせものでーす」

澪「おいっ。じゃあ本物のわたしはどう食べるんだ?」

唯「ケーキをパーツごとに分解して食べるよ」

澪「おかしいだろっ」

紬「たしかに澪ちゃん凝り性のところあるものね」

澪「なっとくするなあっ」

律「おおーすごい変装だっ。このわたしを欺くなんて……」

澪「……まったく。梓から何とか言ってくれよ」

梓「そりゃあもちろん……」

唯「ポッケにあめちゃんが」

梓「あーっ。この先輩はにせものですよっ」

澪「お、おいっ。あずさああああああ」

55: 2012/05/14(月) 17:25:55.41

紬「あっ! ちょっとまって」

みんなぴくっ、って止まった。
沈黙。
5秒たった。

紬「あ。ごめんなさい。もういいの」

律「どうしたの?」

紬「え、その、さっきの瞬間見たことあるなあって」

澪「ああ、デジャブだな」

唯「よくあるよくあるっ」

律「うん。そういやわたしも最近2回くらいあったなあ」


56: 2012/05/14(月) 17:26:22.98

梓「何ですか?そのデジャビューとかいうの」

澪「梓、デジャブ知らないのか?」

梓「ええまあお恥ずかしながら」

唯「はじめてなのにああこれ前に見たことあるなあって感じがすることだよっ。あずにゃんも経験ない?」

梓「えーと……ないですね」

唯「えー」

紬「夢で見たとかいう気もするのよね」

澪「そうそう前世の記憶が関係してるなんて話もあるよね」

梓「全然わかんないんですけど」

律「デジャブなんてだれでも一度は経験してると思ったけどなあ」

紬「梓ちゃんは1回目なんじゃないかしら?」

澪「ああ」

梓「どういうことですか?」

紬「つまり前世がなくて、今回の人生がはじめてなんじゃない?」

律「そういう意味でも梓は後輩だったのかあ」

梓「そう……なんですかね」


57: 2012/05/14(月) 17:26:52.19

唯「あずにゃん、クリスマスプレゼントもらったことないでしょ?」

梓「はい。うちにはそういう習慣はなかったですけど……それがなにか?」

唯「やっぱり」

紬「なになに?」

唯「あずにゃんはいい子じゃないからプレゼントもらえないし、デジャブもみれないんだっ」

律「いやいや関係ないだろ」


58: 2012/05/14(月) 17:27:20.18

澪「一理ある……梓はわたしよりあめをとっちゃう薄情な女の子だから」

梓「あれはじょうだんですよっ」

唯「あずにゃん。はい、あめ」

梓「だーからっじょーだんですってば」

唯「そんなあ、てれないでよー。ははーあず神さまーあめをどうぞ」

梓「何言ってるんですか」

澪「梓はかわいいなあ。あはは」

梓「その、ケーキあげますから許して下さい」

律「澪を太らせて食べるつもりだなー」

澪「うるさいっ」

律「なんでわたしっ?」

唯「めでたしめでたしだねっ。あめどうぞ」

梓「どうも」

澪「こつん」

梓「いたい」

59: 2012/05/14(月) 17:28:03.50

【4】

学校からの帰り道をみんなで歩いてた。夕暮れのことだった。
5人ていうのはすごく歩きづらいと思わない? 
つまりさ、2人づつ並んで歩けば1人余っちゃうし、縦や横に一列に並ぶのなんてもっとおかしいよ。
どうすればよかっただろう?
なんかいい案が浮かんだらわたしまで、どーぞ。

わたしたちはいつもそんな試行錯誤の中で生きいてかなくてはならなかったんだけど、今日に限ればそんな心配はなかった。
あずにゃんが学校に用があるとかなんとか。
そういえば、あずにゃんがいなかった頃もそんな心配もいらなかったのだ。だからどうってわけでもないけど。

それまでわたしたちは最近発売された話題のグミについて話していて、りっちゃんが言った。

律「あれ、そんなにおいしくなかったよ」

そう言うりっちゃんは口の中でコーラ・グミを転がしていた。
それはいつもの光景だったし、わたしたちはそれを中毒だね、なんて茶化したりもしていた。
りっちゃんに言わせればこういうこと。
タバコより安くて、お酒より健康的だろ。
今のところこれに対する反論をわたしたちは見つけられていない。
だから今日もりっちゃんはコーラ・グミを食べている。
ぽりぽり。


60: 2012/05/14(月) 17:28:31.50

紬「そうなの? おいしいって評判なのに」

律「コーラ・グミの権威のりっちゃんが言うんだから正しい」

澪「新しいグミはオレンジだろっ」

澪ちゃんがりっちゃんを叩くふり。
それもいつものことだ。
わたしはこんなあたりきりのお芝居に安心できる。
あーあ。

61: 2012/05/14(月) 17:28:58.13

唯「なんでいつも澪ちゃんはりっちゃんを叩かないの?」

律「なあにいってんだ。すぐたたくだろー」

澪「ほんとは、たたいてないだろっ」

律「いたい」

紬「ふふっ」

唯「さっきのは、たたいたっていえる?」

紬「たたきもどきね」

唯「もどきたたき」

律「もぐらたたき」

澪「はあ……」

62: 2012/05/14(月) 17:29:24.68

唯「ていうかごまかされた!」」

律「唯も乗ってたくせにー」

澪「それでなんだっけ」

紬「なんで、澪ちゃんはりっちゃんに触れないのかってことよね」

唯「うん」

はれちゃったんだ。

少し間が開いてその後でりっちゃんが言った。
その声にはあきらめともやけくそともつかないような冗談めいた響きがあった。
わたしが考えたのはなぜか朝のやるせなさだった。

63: 2012/05/14(月) 17:30:05.22

澪「わたしたちって昔から肌が異常なほど弱くてね。人に触れるだけで炎症をおこしちゃうんだよ」

律「昔、頭叩かれまくったときは頭皮が大変だったんだぜ。そうそう、ムギもなんだよな」

紬「うん。触られるとそこが痛くなっちゃうの」

律「まさか唯もなーんて?」

唯「さわってみてよ?」

わたしの左の手のひらにりっちゃんが軽く触れる。
2秒くらいそのまま握っていて、もういいかなと言って手を放した。

唯「ほら、まっかだよ」

わたしはみんなによく見えるように手を振った。
それはちょうど絵の具で着色したかのような鮮やかな赤色をしていた。
あまりにも純粋な赤色だったから見てるとなんだか現実感が遠くなってしまいそうだった。
空気にさらされてはれた部分が痛んだ。

64: 2012/05/14(月) 17:32:39.59

唯「いちち」

澪「わかってるならなんでやったんだ」

唯「だってさ、あずにゃんは触っても平気だからもしかしたらなあって思ってさ」

律「あーそういや梓にはよく抱きついてるもんな」

紬「わたしも梓ちゃんにはなんともなかったのよね。どうしてかしら?」

澪「なんだろ。ぬいぐるみみたいだよな。だきついても赤くならないのは」

唯「へえー。澪ちゃんってぬいぐるみにだきついたりしてるんだあー」

澪「え、あ、そ、そういうことじゃないって」

唯「えへへー澪ちゃんかわいいねー」

紬「ねー」

澪「わらうなっ」

65: 2012/05/14(月) 17:33:46.67

夕日が細長くていびつなわたしたちの影を道路の上に落とした。
わたしたちは黙ったままそれぞれに何か考えていた。今日の夕飯とかそんなの。
手のひらの皮膚がまだひりひりした。
わたしたちは4人はどんな神様(あず神様じゃないことを祈ろう)のお導きがあったのか知らないけど、みんな人と触れるだけで炎症をおこさずにはいられないらしい。

わたしは小さい頃からそうだった。
両親はわたしをならべく直接的に刺激しないようにすごしてきたのだ。
それは普通にこどもを育てる――つまり、抱いたり、手をつないだり、時にはたたくかもしれない――よりずっと大変なことだった。
だから、ときどきお母さんが我慢できずにわたしに触れたことを非難はできないだろう。
なにかわたしにとって(それは他の誰にとってでもなく必ずわたしにとってだった)良いことがあると、ときどきわたしの頭をそっとなでた。
そのせいで、わたしは嬉しい記憶を、ぴりっとした痛みとともに思い出す。

そんなふうに育ったわたしは、抱きしめることが親しさを伝える最良の方法ではないと、言い切ることができる。
しかしまた、こう感じずにもいられない。
誰かに触れることは途方もなく幸福な行為なんだって。

66: 2012/05/14(月) 17:34:16.02

唯「最近ね、よく人生についてかんがえるんだ。それで眠れない夜もあるんだけど……」

律「唯はばかだなあ」

唯「なんで?」

律「そんなの小学5年生には考え始めて、中学生になったらもうあきらめちゃうんだ」

唯「なんで?」

律「なんでなんでってお前はなんで星人かっ!」

唯「宇宙人だよー澪ちゃん!」

澪「はいはい。まあわかるよ。わたしも宇宙人とか怖くて眠れない夜あったもん。小学生まではな」

紬「今もじゃないの?」

澪「ぶっ。そ、そんなことあるわけないだろー。あははー」

律「よく言った」

紬「えへへ」

澪「おぼえとけ」

唯「あ、ゆーふぉー」

澪「ひっ」

唯「えへへ、澪ちゃんはまだ小学生なんだね。ぬいぐるみ?」

澪「だーかーら、違うっ」


67: 2012/05/14(月) 17:34:43.34


 『未知の宇宙に君も触れよう!』

映画館の入り口に積んであったパンフレットをわたしは眺めた。
それによるとこの街の端っこには天文台があるらしい。
ここからそう遠くはないみたいだ。
人工の星や惑星を見てどうするんだよって思うかもしれないけど、とにかくわたしはそこに行くことにした。
暇なんだ。

梓「へええ。そんなものがあったんんですか、はじめて知りました」

唯「あずにゃんは星見るの好き?」

梓「昨日まではそうでした」

唯「なんでさ?」

梓「ずっと夜じゃ飽きますよ」

唯「そう? 夜には飽きるけど星には飽きないよー」

梓「はやく飽きないと食べられちゃいますよ」

唯「それは映画だけだよー」

梓「ずるいです」

68: 2012/05/14(月) 17:35:10.11

天文台は小さな丘の上にあった。
そこまでは階段を500段ほど登ればいいだけだ。
上についた時にはくたくただった。

梓「下りもあるんですよね」

唯「それは、禁句、だよ」

その建物は真四角で、てっぺんに半球型のドームが備え付けられていた。
思ったよりも小さいんだ、とわたしは思った。
中に入ると係員のおねえさんが現れて言った。

係員「ここに人が来ることはめったにないのよ。暇すぎて氏んじゃいそうだったわ」

69: 2012/05/14(月) 17:35:39.42

それから、天文台(さっきの半球ドームだ)に案内された。
いろんな機械がピコピコ動いていて目が回ってしまいそうだった。
係員のおねえさんは望遠鏡の前に立って、おほんと咳をした。
そして、わたしには到底理解できないようないくつのも事柄を喋りはじめた。

唯「あずにゃん理解できる?」

梓「だめです」

それでも、熱心に話すおねえさんの好意をむだにしたくはなかったので、わたしたちは話を聴き続けた。
ときどきうなずいたりもした。
しかしわたしにわかったのは結局、宇宙はとてつもなく広いのだというよくある事実だけだった。

係員「……というわけでここの望遠鏡は自動で星を捉えるようになってるのだからあなたたちは見たい星のボタン押せばいいわけ。わかった?」

唯梓「はーい」

係員「ではごゆっくりどうぞ」

70: 2012/05/14(月) 17:36:21.38

そう言うと係員さんはどこかへいなくなってしまった。
わたしは望遠鏡を覗いてみた。
ごつごつした赤い半透明の星が見えた。

梓「何か見えました?」

唯「星が見えたよ」

梓「それはそうですけど」

唯「なんかおいしそうー」

梓「ちょっとみせてください……ああ、これは飴ですよ」

唯「あめ?」

梓「星って言うのはあめとかチョコとかそういうものでできているんですよ」

あずにゃんが誇った顔で言った。

唯「へえーあずにゃんものしりだねー」

梓「まあ、さっきの人がいってたんですけどね」

唯「あーずるいー」


71: 2012/05/14(月) 17:37:09.42

梓「でも、お菓子の星なんて唯先輩向きじゃないですか」

唯「そうだねー。宇宙旅行に行きたいな」

梓「100年すれば行けますよ」

唯「その頃生きてないよー。あ、もしかしてさ?」

梓「なんですか?」

唯「惑星がお菓子だったらさ雲は綿菓子だよね」

梓「でも、ずっと晴れですから」

唯「そっかあ。ざんねん」

その後、2人でいろんな星を見た。
これはいちごの味だとか、このチョコはミルクだとか、これが一番おいしそうとか。
そんなふうにして長い時間が過ぎた。

72: 2012/05/14(月) 17:37:36.38

唯「そろそろ帰ろっか」

梓「そうですね」

帰り際、おねえさんに挨拶をしていこうと思ったけど見当たらず、結局そのまま天文台をあとにした。
階段をおりたところで幼いはしゃぎ声が聞こえた。
風船を持った3人のこどもたちが目の前を横切っていった。

唯「いいなあ」

梓「風船?」

唯「うん」

梓「こどもですね」

唯「あずにゃんものくせにー」

梓「わたしは風船なんていらないですよ」

唯「こどもってことがだよっ」

梓「むう」

唯「すぐすねるのは子どもの証拠だよ」

梓「すねてないですっ」

唯「そうかなあ……あっ」

73: 2012/05/14(月) 17:38:03.19

わたしは風船の出どころを発見した。
風船を配っている男の人は真っ白い服で身を包んでいた。
そこに近づいていく。

唯「あのー風船2つください」

男「どうぞ」

唯「ありがとございます。あ、風船のこのマークはなんですか?」

風船には羽の絵がプリントしてあった。

男「ああ。天使のマークだよ。街の外の公園でこの風船をもっているとこれを目印に天使が降りてくるんだ」

コールする。
と、男の人は言った。



74: 2012/05/14(月) 17:38:30.75

唯「何を?」

男「天使をじゃないかな」

言った後でそれがまるっきりの冗談だとでもいうように男の人は笑った。

梓「それ、ほんとなんですか?」

男「どうだろう。伝説みたいなものじゃないかな。僕らの間ではそう信じられてるんだ」

でも、あんまり本気にしないほうがいいと男の人は言った。
僕らの間だけの伝説なんだ。
神話とか言い伝えは、こども同士のひみつみたいにその中でとどめておくべきだ。

わたしたちは2つの風船をぶら下げて街の入口にむかって歩いていた。

唯「試してみる?」

梓「いいですよ」

やっぱりあずにゃんは肯定した。
不完全なこの場所からわたしは抜けだそうとする。

75: 2012/05/14(月) 17:38:58.50
【5】

わたしはテレビに映ったことがある。
それも一瞬だけとかじゃなくて、ちゃんと、ひとりきりの舞台が用意されてたのだ。
わたしが5歳の時、両親はいかに自分のこどもの幽霊をこの世に長くとどまらせるかということにやっきになっていた。
それでわたしの愛すべき両親が考えたのは、今や日本中を支配するあの電波に自分の娘をのせるという恐ろしいものだった。
わたしはあるテレビCMのオーディションを受けに行って見事それに合格してしまった。
それはこういうCMだった。

子供が台所を歩いている。
自分の高さにある引き戸を開けると容器に入った油がある。
そのキャップを開けて飲もうとすると……隣に緑色の容器があるのを見つける。
飲んでも安心『万能オイル』ってわけだ。


76: 2012/05/14(月) 17:39:26.44

もう1パターン。これは深夜用。


こどもがろうかを歩いている。
扉の向こう側から喘ぎ声が聞こえる。
こどもはその扉をあけて……そこに同じ緑色があるのを見つける。
 えOちにも使える『万能オイル』

77: 2012/05/14(月) 17:40:57.44

結論を言えば両親のこの試みは失敗に終わった。当然だ。
何年も前のぱっとしないCMに出ていた子どもを誰が覚えてる?

今や、『万能オイル』は大ヒット商品でどの家庭にも2つはあり、そのCMには有名な女優が出演していて、他のCMと同じようにみんなはそこでチャンネルを切り替える。
そして人々は『万能オイル』を使ってえOちを盛り上げ、生まれたこどもの5歳の誕生日にはやはり『万能オイル』で作ったステーキを食べる。
あーあ。


しかし、この報われない大女優を覚えていてくれた人が1人だけいたんだ。
それはあのムギちゃんである。

78: 2012/05/14(月) 17:41:25.25

紬「実はねわたしもあのオーディションうけたのよー」

そんなふうにムギちゃんは教えてくれた。

唯「え、ほんとに?」

紬「うん。お母様がね、紬はかわいいから絶対に合格するわって」

唯「ごめんね」

紬「ひどいわー唯ちゃんわたしショックでCMになるたびチャンネルかえるようになっちゃったのよー」

唯「そんなあ」

紬「ふふっ。冗談よ」

唯「おおっ」

紬「でもね、それ以来お母様テレビあんまり見せてくれなくなったの。テレビは害悪なのって」

ムギちゃんはお母さんの声を真似た。
ムギちゃんのお母さんにはあったことなかったけど、厳格そうなその声はそれっぽくてわたしは頬を緩ませた。

79: 2012/05/14(月) 17:41:52.16

唯「それはひどいねー」

紬「でしょ。でも唯ちゃんが出てたCMは覚えてるわ。なかなか演技派ね」

唯「えへへ、すごいでしょー。本番だって一発でOKだったんだよー」

紬「おー。さすがっ」

唯「練習4000回くらいしたけど」

あはは。
わたしたちは声を上げて笑った。

80: 2012/05/14(月) 17:42:19.48

そういえば、とムギちゃんが声を落としてわたしに尋ねた。

紬「ねえねえ、あのろうかのほうのCMなんだけどけど唯ちゃん意味わかってた?」

唯「わかんなかったよもちろん。ムギちゃんは?」

紬「中学生のときまでは知らなかったなあ。でも、唯ちゃん今なら意味わかるんだ?」

唯「『万能オイル』で快適なライフを!』」

 これはつい最近の『万能オイル』のキャッチコピーだ。



81: 2012/05/14(月) 17:42:47.03

後にわたしはこんなことをムギちゃんに聞いてみた。
自分の存在がずっと残っているのはそんなに素晴らしいものなのかなあ、と。
天国病がわたしにも感染し始めた頃のことだ。

紬「どうかしら。でも終わったことをとやかくいわれるのはあんまりいい気がしないんじゃないかしら」

唯「でも寂しいんじゃないかな」

紬「それはわからないのよね。ほら、ほんとは何かが終わったわけじゃないから」

唯「いなくなった人とお話できたらいいのになあ」

紬「そしたら、天国が楽しすぎることがわかってみんな氏んじゃうかも」

唯「えー。でも、なあ。
ばいばいするたび悲しくてしかたないって言ってたあずにゃんの気持ちが今ならちょっとわかるなー」

紬「ふふっ心配症ねふたりとも。唯ちゃんの18年間の一番すごかったことは?」

唯「むむぅ……なんだろ? 急に言われてもわかんないなあ」」

紬「ほら、その程度よ。そんなにすごいことはおきないのよ」

唯「でも何がおきるかわからないのが人生だってみんな言うよ」

紬「それはうそよ」

82: 2012/05/14(月) 17:43:15.27

これは今でもあずにゃん教の基本理念になっている。
もし、あずにゃん教の教典がつくられるなら最初のページにはこう書かれるだろう。
ヒトは誰しもが予言者である。
皆、そのことから目を背けているのだ。

ぜひとも、唯一神である、あず神様にも何か教典に残るようなことを言ってもらいたいものだ。

83: 2012/05/14(月) 17:43:45.58
紬「でも、実はね、わたしも同じようなことしてるのよ」

唯「なに?」

紬「ティータイム」

唯「どういうこと?」

紬「ほら、毎日ティータイムしてるじゃない? だからきっとみんな紅茶を見るたびけいおん部のこと思い出さずにはいられないと思うの、ね?」

ムギちゃんはいたずらっぽく笑った。
この企みは非常にうまくいった。わたしはどこかで紅茶を飲むにつき、ムギちゃんのうしろ姿が浮かんでくるし、みんなの笑い声が聞こえてくる。
それはずっとあともそうだろう。
100年後、縁側で紅茶を片手にみんなのことを考える自分は容易に想像できる。
そして、きっとその頃には一層進歩した通信技術を用いて、すぐにでもみんなと会おうとするはずだ。
人間は誰しも予言者である。

同じ質問をわたしはさわちゃんにもしてみた。その答えはこうだった。
どうせ明日になれば誰もなにも覚えてやしないわよ。
ロック万歳。

84: 2012/05/14(月) 17:44:15.59

【6】

りいいいいいい。りいいいいいい。
電話の音で起こされた。
わたしは電話で起こされることに対しては極めて寛容な方だった。だから、15秒の現実逃避だけで見逃した。その間わたしは電話が切れてくれないかと心から願ったものだ。
世間ではそれだけで1つ事件が起こることだってあるらしい。くわばらくわばら。
電話はりっちゃんからだった。

唯『ふあああああ。どしたの?』

律『今日何曜日かわかるかー?』

唯『みんなの日曜だよ』

律『日曜といえば?』

唯『洋画劇場?』

律『ばかっ。数学の補習だろ』

唯『あ、そうか』

律『今から来るのか?』

唯『今日はサボるよ』

律『えーずるいぞー』

唯『今日はあれだから安息日だから』

律『わたしもサボればよかったー』

85: 2012/05/14(月) 17:44:46.62

これは今決めたのだった。
しかし、この考えはなかなか素晴らしいもののように思えた。聖人でいるのだって楽じゃない。
あの、神様だって7日で世界を作ったあとはずっと休憩中なんだ。わたしのたった一日なんてかわいいものだ。

その後、2、3言話して電話を切った。りっちゃんの捨てぜりふはこう。
ばーか。

なんて単純!

86: 2012/05/14(月) 17:45:19.13

下の階では憂が朝ごはんを作っていた。
香ばしい香りが漂ってきたのでキッチンをのぞくと、フライパンの上で目玉焼きが音を立たていた。

憂「おねえちゃん、日曜日にしては起きるの早いねー」

唯「電話は世界一のすごい発明だよ」

憂「何だったの?」

唯「補習だってー」

憂「の、のんびりしすぎじゃない?」

唯「今日はサボる」

憂「いいの?」

唯「安息日だからね」

憂「変な宗教のせいでおねえちゃんが堕落しちゃうよー」

唯「き、今日だけだよっ」

憂「じょーだんだよー。ほら、朝ごはんできたよ」

唯「いただきまーす」

87: 2012/05/14(月) 17:46:22.14

昼ごろまで家の中でゴロゴロしていたら、不意に思いつくものがあって散歩に行くことにした。
その日の天気は曇だった。
残念ながら、曇天の日はお散歩にはむかない。
しかしそれでも、わたしは2倍増しで全身の歯車を回して、口笛なんかを吹いたりした。
そのうちだんだんほんとに気分が良くなって、最終的には鼻歌に声がまじり、歩みは軽やかになっていった。
わたしは途中、花屋で何本か気に入った香りの花(花の名前を聞いたんだけど忘れてしまった)を買った。白い花だった。
花屋の店員はわたしに向かってこう忠告した。
あんまりきれいだからって花びらを触りすぎちゃダメよ。すぐダメになっちゃうの。

それから、近所のデパートで憂に頼まれた買い物をすませて、帰路についた。
わたしはわざと回り道してある場所に行った。実は最初からこのつもりで今日は出かけたのだった。
楽園からあずにゃんが話しかけてきた。
憂の言うとおりですよ。
堕落してるんです。
きっと大変ですよ。無理しようとすればもっといろんなところが壊れますから。
その他いろいろ。

88: 2012/05/14(月) 17:46:53.33

和「あら、唯じゃない」

唯「わあっ、和ちゃん」

和「……ここで誰かが亡くなったのかしら」

和ちゃんが聞いた。和ちゃんの質問は全くおかしくない。
何といったって、さっきわたしがしたことといえば、ビンにさした花を道路に添えることだった。

唯「違うよ。あずにゃんのためなんだ」

和「どういうこと?」

唯「あのね、ここはあずにゃんの家への帰り道なんだよ。でもここにはいつも不良みたいのがたまってて通るたびにすごい怖い思いをするんだって。話しかけられたときは泣きそうだったって。他に帰り道がないわけじゃないけど倍近くかかるから。それに部活で帰りだって遅いし。それで前にどこかで花がそなえられてるとこには不良も近づかないって聞いたから……」


89: 2012/05/14(月) 17:47:58.44

わたしたちはそこを後にして歩き出した。
長い間の友達と歩くのはとても楽だ。それは話に事欠かないからじゃなくて、最良の歩幅をお互いが無意識にわかっているというわけで。
こういうのがわたしはすごく嬉しい。
それは退屈な毎日の繰り返しが、出会った一目で好きになるなんてロマンチックな運命を超える瞬間だからだ。

唯「怒ってる?」

和「うん」

唯「やっぱだめだよね。ほんとは亡くなったひとのためだもん」

和「そうじゃないわよ」

唯「え」

和「補習、サボったって律からきいたわよ。それくらいでなきゃダメじゃない。ただでさえ唯は成績よくないないのに」

唯「ごめんなさい」

和「……笑うとこなんだけど」

それでわたしたちは声を上げて笑った。

90: 2012/05/14(月) 17:48:53.20

だいぶ日が暮れて、街がオレンジがかりはじめた。
家の近くまで近づいてきたら、公園が見えた。

和「あの公園、今はいろいろ厳しくなってるらしいわね。ろくに遊べないとか何とか」

唯「なんで?」

和「遊具で事故があったのよ。あとは時代の流れかしら」

唯「ふうん。昔、好きだった場所は減ってくね」

普段、あらゆるものは瞬く間に減っていき、すぐにそれに変わる新しいものが現れるから何かがなくなったことにわたしたちは気が付かない。
毎日通った駄菓子屋はつぶれてしまい、ザリガニを釣った沼地はコンクリートで舗装されて、わたしの出ていたCMはもう見れない。
それでも、デパートで駄菓子は買えるし、ザリガニは絶滅したわけじゃない。『万能オイル』は今もフライパンの上でダンスを続けている。
何がなくなって何が残るのかはわたしに決められるようなことじゃないんだろう。
ただ、それで悲しいとか嬉しいとかがあるだけ。それはちょうど、入ってきたお金の分だけ回るスロットマシーンみたい。
絵柄が揃わないたびに台を蹴ったって仕方がない。
あーあ。




91: 2012/05/14(月) 17:49:52.96



曇り空をはじめて見た。
アスファルト舗装の1本道をわたしたちは歩いていた。
あんまりいい気分じゃないかも。
後ろを振り返るとドーム状になっているわたしたちのユートピアがあった。
それはあまりに大きかったため、街というよりは1つの世界のようだった。
風が吹いて、風船を揺らし、頬を撫でた。
なんだか不思議な気分だった。
あずにゃんは眩しそうに目を細めた。
今のわたしたちに太陽の光は刺激がつよすぎた。たとえその間に厚い雲があってもだ。
ずっとむこうで銃声が聞こえた。
その音は戦争映画なんかであるような緊張感とは無縁な、やけに間の抜けた稚拙なものだった。
おもちゃみたいだとわたしは思った。
ぱきゅーん。
その間にも、雲の切れ間を戦闘機が飛んでいき、地平線の上を戦車が横切った。

どこかに飛んで行かないようにと、わたしは風船のひもを強く握り直した。

92: 2012/05/14(月) 17:50:19.73

出し抜けに兵隊の格好をした女の子が現れた。その姿は不安定に揺らいでいて、今にも消えてしまいそうに見えた。
女の子はわたしの隣にいたあずにゃん言った。

「あずにゃん。やっと発明できたんだ。空も飛べるよっ」

これ以上ないってほどの笑顔を咲かせて、消えた。


93: 2012/05/14(月) 17:50:46.41

唯「あずにゃんの知り合い?」

そんなわけないと知っていてわたしは聞いた。

梓「違います。でもなんとなく唯先輩に似ていませんでした?

唯「そうかな?」

梓「はい。なんというか笑い方とか」

唯「わたしってあんなにふわふわして見えるのかあ」

梓「それはそうですよ。唯先輩はテキトーで脳天気過ぎます」

唯「でも、わたしだってごちゃごちゃ考えるときもあるもん。例えば、今とかさ」

梓「唯先輩は明るく振る舞っているように見えて実は深く考えてるようでぼうっとしてるだけですからね」

唯「む……」

ばあか。
あずにゃんは言った。
表、裏、表。
あーあ。


94: 2012/05/14(月) 17:51:21.46

それから、ずいぶん長い間、ひたすら道を歩き続けた。
その公園が視界に映ったとき太陽はすでに沈みかかっていた。
ひと通りの遊具が揃ったこじんまりとした公園だった。
それでも、小さな子どもにとっては十分な遊び場だったはずだ。
今のわたしたちにはどうなんだろう。
わたしたちは立入禁止のフェンスの前で一度顔を見合わせてから、そこに開いた小さな穴をくぐり抜けた。
あずにゃんが木の枝を持ってきて砂場に線を引いた。
わたしは天国から降り注ぐ光の束を見ていた。
砂で汚れた手をあずにゃんに見せたら、かぶれますよって笑われた。
ここならそんな心配はないのにな。
おかしいや。あはは。

唯「この場所なら天使が見れるんだよね」

梓「あの人がほんとのことを言ってるならですけど」

唯「風船大切に握りしめて、信じてるの?」

梓「唯先輩が言ったんじゃないですか」



95: 2012/05/14(月) 17:51:52.48

空にはいくつかの星がうっすらと浮かび上がりはじめていた。
わたしはそれを結んで形を見い出そうと努力したが、とうとうそこに星座を作ることはできなかった。

この世界はわたし史上最高のジョークだったんだ。
それを信じちゃったばかは誰だった?
もし、それを本当のことにできたならどんな痛みにだって耐えられただろう。

唯「わたしがんばってみたよ」

ふと、言葉が口をついて出た。
自動機銃みたいにとまらなくなってしまう。

唯「何度も、がんばってがんばったけど空回りしちゃった」

梓「そうですか?」

唯「あと何回続ければうまくいくと思う?」

梓「そんなのわかりませんよ」

唯「こどもの頃はね、自分のお話が世界を変えられるって本気で思ってたんだ」

梓「今は思ってないから、この場所をこんなふうにしたんですか?」

唯「うん。想像力が足りないんだ……天使は来ないよ。知ってるんだ」

96: 2012/05/14(月) 17:52:19.16

梓「唯先輩?」

唯「もう。耐えられないよ……ごめんね」

わたしはあずにゃんの描いた線をまたいだ。
その拍子に線は砂粒の中に埋もれてしまう。
あずにゃんの頬に触れた。
柔らかった。
赤く染まる。
そこにわたしの指で黒い跡をつけた。
何度も何度も。

唯「ごめんねごめんね……いっぱい考えたんだけどね……」

わたしはあずにゃんを抱きしめてしまう。
それと同時にあずにゃんはこぼれ落ちていく。
欠片になってぽろぽろと崩れていく。
それでも、左手に握った風船は放さないままで。


わたしは必氏になってあずにゃんをかき集めようとする。
そこにはさっきまであずにゃんだったものがあって、あずにゃんの声を出した。

「もうちょっとがんばってくださいよ。ほらっ」

そんなわけで、今もまだ日々は続いて行く。
あーあ。


97: 2012/05/14(月) 17:52:48.53

『1回目』

あのさ、雲の上にいたんだよ。
そこにはいっぱい人がならんでて、え、そうだな50人くらいかなあ、そうわたしはその真ん中あたりにいてね……

さわ子「けいれえいいいいい」

唯「へ、え、なんて言ったの?」

律「敬礼、な。新入りだよね。名前なんて言うの?」

唯「え、ひ、平沢唯。ていうか敬礼してない」

律「いいんだよどうせみてないんだから。あ、わたしは田井中律」

唯「ああうん。お話してても平気なの?」

律「へーきへーき。どーせ……」

さわ子「そこっ。私語はつつしみなさいっ」

98: 2012/05/14(月) 17:53:17.24

唯「わあ、怒られたよ。りっちゃん」

律「大丈夫。わたしたちに言ったんじゃないから。てか誰に向けていったわけでもないんだよ。ああいうふうにしたほうがそれっぽいだろ」

唯「へええ。りっちゃんは詳しいね」

律「まあわたしもおととい来たばっかだけどな」

唯「す、すごい」

律「とにかくさ、こんな話は退屈だから逃げ出そうぜ」

唯「で、でもあの人話し中だし怖そうだし」

律「なんだよけっこう心配症なのかあ」

唯「だって……ほら、他の人たちなんてあんなに真っすぐ立ってるし」

律「鍛えられた兵士だからな」

唯「おお……ますますなんでわたしがここにいるのかわかんなくなったよ」

99: 2012/05/14(月) 17:53:46.87

律「じょーだんじょーだん。こいつらなんてたいしたことないって……ほらっ」

どうなったと思う?
その兵士はくずれちゃったんだよ。ぼろぼろに。

唯「ひっ」

律「驚くなって。ただの雲くずだから」

唯「雲くず?」

律「そ。よくわかんないけど、どっか特別な雲からつくられるんだって。わたしたちもそこで生まれたとかなんとか」

唯「ほへええ。なんでこんな人が?」

律「カッコつかないだろ。人がたくさんいないと。これから戦争するのに」

唯「え……そんなことするのっ」

律「いいからっ。いこうぜっ」

100: 2012/05/14(月) 17:54:17.27

わたしはりっちゃんにひっぱられてそこから連れてかれたんだ。
どこを行ったかなんてのはもちろんおぼえてないけど、雲の上を歩くのは気持よかったよ。
あ、そうそう言い忘れてたけど天国はね暗いところなんだ。ほら宇宙に近いから。
太陽?
ええとね、たしか、なんだっけ? 前に聞いたんだけど忘れちゃった。
そうしてわたしは最終的に周囲の雲が少し高くなっていてまるでかくれんぼにぴったりなところについたんだ。

律「これから唯にここでずっとやってく仲間を紹介するから」

まさかずっとがそんなずっとだなんてそのときは思いもしなかったよ。

律「おーい、みおーむぎー新入りだー」

澪「あ、それがうわさの」

唯「うわさっ?」

紬「こんにちは」

唯「こ、こんにちはっ」

律「そう緊張するなよ」

澪「どうせお前が無理やり引っ張ってきたんだろっ」

律「いたい」

澪ちゃんがりっちゃんをぶつふりをした。りっちゃんも痛がるふりをした。
ふりをしたのはほんとにぶったらいたいからかな。

101: 2012/05/14(月) 17:54:47.22

紬「大丈夫?」

律「うん」

紬「あ、こっちの子に言ったんだけど……」

律「ひどいっ」

紬「大丈夫?」

律「おせーって」

その後わたしたちは簡潔に自己紹介をした。

102: 2012/05/14(月) 17:55:16.91

澪「まあ、なんか聞きたいこととかあったらなんでも聞いてね」

唯「あ、じゃあさっそくいいかな」

澪「うん」

唯「戦争って何?」

律「そりゃあもうあれだよ武器持ってさ……」

澪「そうじゃないだろ」

律「いちっ」

唯「もう2回目だね」

紬「うん」

103: 2012/05/14(月) 17:55:43.96

澪「ああそれでな。なんで戦争なんかしてるかってことだとおもうんだけど、だけどざっくり言うとわたしたちがにせものだからだ」

唯「へ? にせもの?」

澪「えと、つまり、わたしたちはにせもので生まれてきちゃったから、余分だから、やることとか居場所とかないわけだ。それで生きてるからには何かしなくちゃいけないし戦うわけだよ」

律「まあ戦争は人とかいっぱい必要だからな。たりないくらい」

唯「誰と戦ってるの?」

澪「天使とか。ほかいろいろ」


104: 2012/05/14(月) 17:56:12.78

唯「じゃあわたしたちは悪者なの?」

澪「たぶん」

唯「なんで?」

律「ぐーぱーで決まったんだろ」

唯「あ、じゃあなんでわたしは生まれたの?」

律「なんでなんでってお前はなんで星からきたのかよ」

紬「大丈夫?」

律「え、ひどくね」

紬「えへー。じょーだん。人をからかうのを一度やってみたかったのー」

律「それはやんなくてもいいだろ」

紬「叩いてもいいのよ?」

律「やだ」

紬「むう」

105: 2012/05/14(月) 17:56:39.17

唯「えーと、やっぱりわかんない?」

澪「こういうことじゃないかな。どこかに本物がいてそれでやっぱり本物を見たどこかの誰かがにせものを欲しがったとか」

唯「それで作られたの?」

澪「うん」

唯「雲で」

澪「そう」

唯「必要としたならやることくらい準備してくれればいいのに」

律「それはあれだろマシンガン」

唯「マシンガン?」

律「そうそう。マシンガンさん、ほんとはあの武器を戦争の氏者を減らすために作ったんだって。失敗もあるってことじゃね?」

澪「それはちょっとちがくないか」

律「ええー」

106: 2012/05/14(月) 17:57:07.04

びいいいいいいいいいい。びいいいいいいいいいい。
音がした。

紬「あ、敵襲ね」

澪「そうだな」

唯「え。え、えと武器は?」

律「空気銃」

唯「勝てるの?」

澪「戦争ごっこだからね」

苦笑い。
でもゴッコでも戦争は戦争じゃないの?

唯「あ、撃たれたら?」

紬「氏んだふりするのよ」

ええとそうって感じになったんだ。
あ、案外てきとーかなって思ったんだよ。

107: 2012/05/14(月) 17:57:34.46

律「あ、これ」

唯「風船?」

律「負けたら空に上げるんだ。降参ですごめんなさいって」

唯「へえおもしろいね。やったことある?」

律「ない」

唯「なんで?」

律「意地はってどっちも負けを認めないんだよ」

唯「そんなあ」

流れ弾が飛んできて目の前が真っ暗になった。
風船のことはもう忘れてたよ。
すっかり。
あーあ。



108: 2012/05/14(月) 17:58:01.67
【7】

その日――補習をさぼった日曜日のまだ夜の浅い時間、海に行こうとわたしが提案したら、まるでありもしない陰謀論を聞いたときのように受話器のむこうであずにゃんがため息をついて、その後がなりたてた。

梓「唯先輩が突拍子もないことを言うのはいつもですけどそれにしたって、今何時かわかってるんですか?」

唯「それって、わたしがなんか言うとざんねーん今は1秒違いますとか言うやつかな?」

梓「違いますよ。ていうかなんで海なんて行きたいと思ったんですか」

唯「なんで? なんでかあ……あ、前にあずにゃん、夜の海見に行きたいってたじゃん」

梓「そんなこともいったかもしれませんが急すぎますって」

唯「ふと、人のために何かしたくなったんだよー」

梓「おせっかいです」

唯「そんなこと言われてもなあ」

梓「とにかく行きませんからね」

唯「そんなんだからあずにゃんはすぐにうそつきになっちゃうんだ」


109: 2012/05/14(月) 17:58:40.48

あずにゃんは今ごろ玄関を出て、公園に向かっているはずだ。
それから、少しの間そこで1人、まちぼうけをくらうだろう。なぜ、そうするのか?って聞かれたらこう返すしかないだろうな。
いつものことなんだ。

もちろん、わたしが待たされることだってある。ここだけの話、そのパターンは珍しいけど。
とにかくわたしたちは、お互いを待たせるというか、自ら待ちに行くというか、そんなふうにいつもしていた。
別に待つのが好きだったわけじゃないんだ。(待たされて嬉しい人がいるかな?)
でも、今ではお互いあのなんともいえない退屈さに慣れてしまっている。
その手の勘違いはよくあるけど、なんというかその時間が、かかせないもののようにわたしたちには思えてしまえるのだ。
あーあ。

110: 2012/05/14(月) 17:59:35.95

そうそう、なんで急に海に行こうと思ったかってことだけど、それにはこんなわけがある。
わたしがさっき夕ごはんに焼き魚を食べていると、藪棒に頭の中でベルがびいいいいいって鳴って、天使が二人目の前に現れてこう告げた。
海に行きなさい。
嘘。

買い物のあと、家に帰ってお風呂の中で差し込んでいる西日に浸っていたら、そのまま寝てしまい嫌な夢を見た。
そのせいで、起きたあとの自分がまるでさっきまでとは別人になってしまったような感覚に陥った。(あるいは、ほんとに別の人になっちゃったのかも)
それでいろいろと考えてたんだけど、結局、せっかくの日曜日がこんなふうに終わってしまうのは耐えられないなあということになった。
おかしな話かもしれない。でも、その夢はそのくらいわたしを傷つけたんだ。


111: 2012/05/14(月) 18:00:04.33

あずにゃんは缶コーヒーを飲みながら、錆びたベンチの下で足をぶらつかせていた。わたしの姿を認めるといかにも退屈なんかじゃなかったって顔を即席で作り上げた。
放られた空き缶がゴミ箱のすぐ横でワンバウンドした。わたしはそれを拾って、捨てた。

それはブラックコーヒーだった。
何もかもがうまくいかないなんてことは21世紀にはもう一般常識になってるけど、それでもすこし悲しくなった。
それは、頭の中の天国であずにゃんは甘いコーヒーが好きだったという簡単な理由から。
普段のわたしなら絶対にそんなふうには思わないだろう。おやつは別腹だって知ってる。
でも、昨日までのわたしの秘密基地は壊れてしまっていた。その感覚があまりに明瞭だったものだから、わたしはそれをありのままに受け入れないわけにはいかなかった。
最後の線は消されて、2つの世界が混ざってしまう。

112: 2012/05/14(月) 18:00:32.57

唯「ごめんね、待たせちゃった」

梓「へーきです」

唯「うそだー。怖かった?」

梓「ちょっとだけ……夜は苦手ですから」

唯「でも、朝が来るからっていうのは、なし?」

梓「はい。ていうかはやくしないとおそくなっちゃいますよ」

唯「そうだね」

113: 2012/05/14(月) 18:00:59.84

暗いホームで電車を待った。
わたしは空を見上げた。
しかし、大気の汚れのせいなのか単に時間の問題なのか、そこにわたしは星を認めることができなかった。
あずにゃんと触れ合った腕の部分が微震動した。震えていたのはあずにゃん? それともわたし?

唯「あずにゃん寒いの?」」

梓「別にです……」

唯「こうするとあったかいよ」

いつもどおり。

わたしは今まで、実にたくさんの触れ合うための口実を探してきた。それらをみんな、例えば大犯罪の弁明に用いていれば、1つや2つくらいの罪なら許されてしまっただろう。

唯「あずにゃんってお人形さんみたいだって思うときがあるよ」

梓「む……」

唯「なんだかほんとっぽくないんだ。もしかして幽霊とか?」

あずにゃんのほっぺたをつねった。足元には蛍光灯が2人分の影をちゃんと落としていた。

114: 2012/05/14(月) 18:01:29.42

梓「わたし悪夢をよく見るんですよ」

唯「怖い夢?」

梓「はい。悪夢のなにが怖いかっていうと、夢から醒めたあともまだ夢がつづいてるんじゃないかって思うことなんです」

唯「それで?」

梓「でも、もし悪夢がつづいていたとしても結局はそこで生きるしかないんだと思いません?」

唯「そうかも」

梓「現実感なんてそんなものですよ」

残念だけど、この問答はわたしたちの聖書には記されていない。
なぜか?
答え。抱き締めあったまま喋りあうのは間抜けだから。

115: 2012/05/14(月) 18:01:57.65
『9回目』

唯「いーちいい。にいいいい。さああああん。しいいいいい」

律「唯はまじめだなあ。準備運動なんかしたってしかたないだろ。ふあああああ、ねむ」

唯「ごおおおおお。ろくううううう。しちいいいい。はちいいいい。いつ敵に襲われるかわかんないんだよ。そのときにそなえなきゃ。ほらっりっちゃんもいーちいい」

律「だいたいなあれだよ。にー。唯は、ばかのくせに変なとこで気にしすぎるからダメなんだ。さんしー。なあ、澪?」

澪「え? どうかなあ。まあ、わたしはいつも準備は怠らないけどな」

唯「じゃあ澪ちゃんもほらっ。ごおおおおお。ろくううううう」

澪「なな、はち」

律「のわりには、いざとなると膝を抱えるんだよな」

澪「うるさいー。律だってはしゃぐくせにすぐにやられるじゃないか」

律「何をー」

唯「どんぐり?」

律澪「お前には言われたくないいっ」

唯「うわっ」

116: 2012/05/14(月) 18:02:31.85

ぱたぱた。
向こう側からムギちゃんが走ってきたよ。

紬「号外ー号外ー」

律「新聞なんてあったっけ?」

唯「さあ?」

紬「みんな、ニュースよ」

律「号外っていうのは?」

紬「言ってみたかっただけよー。それよりね、新入りの子がくるんだって」

唯「ほんとっ? とうとうわたしも先輩かあ」

律「唯が先輩なんて大丈夫なのかー?」

唯「む……りっちゃんだってわたしと同期じゃん」

律「でも、わたしのほうがちょっと先にいたぞー」

唯「ぬぬうー。そんなちょっとだけはのーかんだよっ」

紬「ここはどんぐり村かしら?」

澪「うん」

117: 2012/05/14(月) 18:03:01.03

唯「ていうかどんなふうにみんなは一緒になったの?」

律「それはだなあー。わたしが澪を救ってやったのがはじまりだったかな。敵の兵士に囲まれて、今にも大ピンチってとこにわたしがばばーんと現れてどっかーんと澪を助けたってわけ。それで澪に感謝されてどうしてもついてきたいって……」

澪「捏造するな」

律「あうちっ」

唯「じゃあホントはどうだったの?」

澪「大したことはないよ。わたしは記録係になるつもりだったのに、律が戦おうってむりやり。それだけ」

唯「なあんだ。まありっちゃんに限って、だよね」

律「なあにぃ」

118: 2012/05/14(月) 18:04:01.82

唯「ムギちゃんは?」

紬「わたしは最初工務部に行く予定だったんだけど……」

唯「あーそこわたしの妹がいるよー」

澪「へえ。唯に妹なんていたんだな」

唯「そーだよ。で、工務部って何するとこなの?」

律「しらないんかいっ」

紬「いろんなものを作ったりするところよ武器とか何やら」

唯「ふむふむ。それで、ムギちゃんはなんでそこに入らなかったの?」

紬「道……間違えちゃって。たまたまりっちゃんたちに出くわしたの」

唯「そっかあじゃあみんなが出会ったのは偶然なんだあ」

律「まあ」

紬「そういうことに」

澪「なるな」

119: 2012/05/14(月) 18:04:30.46

びいいいいいいい。びいいいいいいい。
警報がなった。何度聞いてもこの音は慣れない。体がぴくっと震えた。

唯「わわってきだあ」

律「よおし」

紬「あ、ちょっと……」

律「くらえええ」

りっちゃんの放った弾丸は目の前の女の子をあえて避けるかのようにずっと向こうに飛んでいった。
わたしは笑った。

梓「わわっ」

澪「あ、もしかしてこの子が新入り?」

紬「たぶん」

律「すまんっ」

澪「まったく。あやうくあたるところだったじゃないか」

唯「あはは。それはないよー」

律「おいっ」

りっちゃんが頭を下げて、澪ちゃんがその頭をはたいたんだ。
という芝居だけど。
新入りさんがぽかーんとしていたのでここは笑うところだと教えてあげた。

120: 2012/05/14(月) 18:04:59.41

紬「お名前なんていうの?」

律「好きな食べ物は?」」

唯「血液型はー?」

梓「えーと……」

澪「やめてやれ困ってるだろ」

律「じゃあ、まずは名前からだな」

唯「あずにゃん、だよ」

わたしは言った。

梓「へ?」

紬「なに?」

唯「え、なんでもないー」

梓「中野梓といいます」

なんでそう思ったんだろう。
どこかで会ったようなそんな気がしたんだ。
デジャヴ。

ほんとに、なんでそう思ったんだろう?

121: 2012/05/14(月) 18:05:28.13

律「他に自己紹介してみてよ?」

梓「じゃあその……コーラ・グミが好きです」

「え」

言ったあとであずにゃんは顔を赤らめた。

梓「いやその……さっき誰かが好きな食べ物聞いてきたので……場面間違えましたよね。たぶん」

律「まああれだ。誰にでも失敗はあるさ」

澪「それにしてもなんか梓はわたしたちとはちょっと違うよなあ」

紬「それそうよー。だって梓ちゃんは最新型だものー。より天使に近いのよー」

わたしはあずにゃんのきめ細やかな肌を無意識に見ちゃってた。
確かに柔くて触ったら心地よさそう。
気づかないうちににやにや笑い。

122: 2012/05/14(月) 18:05:56.04

梓「あのーこの人やばい人ですかね」

あずにゃんがこっちを指さした。

律「そりゃあ」

澪「すごい」

紬「変態よ」

あーあ。

わたしはあずにゃんに触れようとした。

梓「ダメですっ」

あずにゃんは後ろに身を引いた。
わたしの手は中途半端に晒されたまま、宙に浮いていた。

123: 2012/05/14(月) 18:06:25.29

律「唯はばかだなあ」

唯「なんで」

澪「ほら、わたしたちは雲くずだから触れただけで崩れちゃうんだ」

律「唯知らなかったっけ?」

唯「うん」

梓「もうそんな事しないでくださいよ?」

唯「はーい」

律「よしっ。梓、これから戦うわけだけど覚悟はできてるか?」

梓「へ? 戦うって何とですか?」

たぶん、誰でも通る道なんだろう。
あーあ。


124: 2012/05/14(月) 18:06:53.95

【8】

電車のなかであずにゃんは泣きそうな顔をしていた。だいいち、わたしだってそんなにいい気分にはなれなかった。
会社帰りであろうサラリーマン(日曜日も仕事なんて!)、遊び疲れて憔悴した顔の学生、その他たくさんの人々で電車内はごったがえしていた。
電車に何度も乗っていればたいていの種類の人間に会える、とあずにゃんは言った。
それはおそらく誤った見解だろう。
そこにいるのはいつも変わらぬ同じ人々だ。
でも、あまりにたくさんの人が生きているのを見ると息が詰まるというのはわかるな。
きっと、そこを探せば自分の代用品が見つかるから。

125: 2012/05/14(月) 18:08:21.45

こんな話がある。
これはわたしのつくり話なんかじゃなくて、ほんとにあった話。
おばあちゃんの家でのことだ。
夏休みがくるたびにわたしはその家に行くことになっていたのだけれど、おばあちゃんは子だくさんで、毎年多くの孫が集まった。
わたしには実に13人もの従兄弟がいたのだ。
わたしたちはさまざまな遊びを考え、実行した。
中でも一番人気は缶蹴りだった。いつもの公園でやる缶蹴りも楽しかったけど、人数が多くなるとまたひとつ別の遊びになる。
そんなわけでわたしもその缶けりが大好きだった。
その缶の役割にはおばあちゃんの家で使われていた油の容器が抜擢された。250のアルミ缶よりも太っちょで少し背の低いやつだ。

それが採用されたのはこんな理由からだ。
わたしの従兄弟にはひとり性格の曲がった男の子(わたしより1歳年下だった)で、いつも遊びには混ざらずにわたしたちのほうを見てにやにやしているような子がいた。
わたしはどんくさいからかよくその男の子によくからかわれた。

それについてあずにゃんは、唯先輩のことが好きだったんじゃないですかと刺のある声で言及したことがある。
りっちゃんいわく、唯はほんとのことが言えないやつばっかに好かれるんだな。
うそを信じやすいものにうそつきが寄ってきただけだと、わたしは思う。

126: 2012/05/14(月) 18:09:01.09

閑話休題。
その男の子のいたずらの中に、缶けりをしているときの缶の中に砂なんかをこっそり詰めておき、思いきり蹴った者の足を痛めつけるというのがあった。
そこで、いろいろな紆余曲折を経た結果、片側がぽっかり穴になっている油の缶が採用されることになった。
底を上に向ければ中に砂がたまることはない。
それはうまくいった。
もう缶をけるたびにつま先をおさえなくてもよくなったのだ。
だが、ある年からこの油の缶が使えなくなった。
おばあちゃん家じゅうの油があの『万能オイル』にすり替わってしまったのだ。当時、『万能オイル』には他の多くの製品と変わらぬようにプラスチックケースが用いられていた。
わたしは足を何度か痛め、アルミ缶は踏んだ瞬間ぐにゃりと潰れた。
あの缶の油は唯一何者にも代えがたい素晴らしい油だったと、わたしたちは口々に言い合った。

でも、驚かないでね――来年には缶バージョンの『万能オイル』が発売されたんだ。
あーあ。


127: 2012/05/14(月) 18:09:29.85

【9】

3駅すぎる間に1つ大きな駅があってそこで大半の人が降りたから空白の席がずいぶん目立つようになった。
小腹がすいたので憂の持たせてくれたおにぎりをわたしたちは食べた。
わたしは出かける少し前、憂と話したのを思い出した。

憂はあんまり自分のことを喋らない。
だから、わたしは憂のことで知らないことはいろいろある。
例えば、わたしが部活から帰ってくるまでの間、家で何をしているのかとか。
前に聞いたときは家事だと答えた。でも、そのときの憂は眠そうだった。
眠そうなときの憂は一番適当で簡単な返事しかしないのだ。
なんとなく話の切り口に困ったわたしはそれをもう一度聞いてみた。
その憂は眠気とは遠いところにいた。

128: 2012/05/14(月) 18:09:58.00

憂「えー? ジグソーパズルとかかなあ」

憂はまさにそのジグソーパズルを組み立てている最中だった。
ぱちぱち、と音がした。

唯「へえーわたしは苦手だなあ。頭がごちゃごちゃってなっちゃうから」

憂「あはは。やってみると案外おもしろいよー」

唯「そりゃあ、できればやったああああってなるんだろうけどさあ」

憂「でも、ジグソーパズルの楽しいのはだれでもがんばれば完成できることだと思うな。すっごく難しいのもあるけど」

唯「えー。わたしはすぐピースなくしちゃうからがんばっても完成できないんだ」

憂「それはおねえちゃんに問題があるよー」

わたしたちは笑った。
完成させるのが好きなんだと憂は言った。

129: 2012/05/14(月) 18:10:26.16

憂「おねえちゃんのせいだ。完成させる仕事ばっかりやらされたから」

憂はハッピーエンドの権威だった。
わたしは小さい頃、たくさんのお話を作って聞かせたが、そのほとんどはオチがテキトーで締まらなかった。
そんなわけで、憂には最良のおしまいをいつも考えてもらったものだ。

わたしが提示した条件はたったひとつだった。
ハッピーエンド。それも底抜けのめでたしめでたしであることだ。
だから、憂はハッピーエンドということに関しては人一倍正確だった。

130: 2012/05/14(月) 18:10:54.87

唯「そう、最近、わたしまたお話を書いてるんだ」

憂「そうなんだ。どんなおはなし?」

唯「えーと……ファンタジーかな」

憂「おねえちゃん、覚えてる? どんなおはなしって聞かれるといつもそう答えたんだよ」

唯「えへへ、うん。まあ、まだどうなるかは自分でもよくわかんないんだけど」

憂「そっかあ」

唯「でも、少なくとも、あずにゃんを救えたらなって」

憂「聖書だね」

唯「え」

憂「世界で一番人を救ったファンタジーだよ」

唯「そんなにすごくないよ」

憂「でも、おねえちゃんの怪しい宗教の聖書にはなるんじゃない?」

唯「あやしくないんだってばー」

131: 2012/05/14(月) 18:11:22.41

憂はあずにゃん教に否定的な唯一の人物だった。
もちろんこれは憂なりの冗談だ。
強い弾圧を乗り越えてその偉大さはより明白になる。
なーんてさ。

唯「ねえ、予言みたいな終わりはハッピーエンドなのかな? つまり、なんていうか……これからも幸せなんじゃないかって予想できるの」

憂は丁寧に考えたあとで言った。

憂「うーん……それは微妙だねー。天気予報くらいの正解率ならハッピーエンドだと思うんだけど。みんながみんなよかったって思わなきゃダメなんじゃないかな」

唯「そうかな」

憂「ほら、占いは信じる人も信じない人もいるけど、天気予報はみんな信じる」

唯「うーむ……どんなふうなのがいいんだろ?」

憂「今回はおねえちゃんが自分で考えなきゃだよ」

唯「むむむ……」

132: 2012/05/14(月) 18:11:50.35

憂「あ、じゃあひとつコツを」

唯「なに?」

憂「昔ばなしなんかはだいたい幸せに暮らしましためでたしめでたしっていうふうに終わるよ」

唯「……ちょっと、大先生」

憂「どうしたの?」

唯「そんなふうに純粋なこどもをだますのは、ずるいんじゃないでしょうか」

憂「えー」

唯「もしかして、昔からいつもそれだった?」

憂「おねえちゃん気がついてなかったの?」

唯「うん。てっきり憂がすごいのかなあって」

憂「それだってじゅうぶんすごいんだよー」

忘れる前にかいておくことにする。
それからわたしたちは幸せに暮らし続けました。
めでたしめでたし。



133: 2012/05/14(月) 18:12:19.38

『2030回目』

りっちゃんがいたんだ。
りっちゃんは何かをしゃべっていてね、わたしはそのうしろから驚かせようと試みた。

唯「わあっ」

律「うわあっ」

唯「えへへ」

律「……あ、じゃあそういうことで」

唯「なに?」

律「電話してたんだよ。それよりお前よくも驚かせてくれたなー」

唯「へへーん。てか電話なんて持ってないじゃん?」

律「ああ、それだよ」

りっちゃんが指さしたところにはなんと紙コップ。
負け続きで頭がおかしくなっちゃったのかな。
あーめん。

134: 2012/05/14(月) 18:13:05.84

律「なにがアーメンだっ」

唯「じょーだんだよもう。それより紙コップで電話なんてどういうことさ?」

律「糸電話だよ」

なるほどなるほど。
たしかにりっちゃんの言うとおり紙コップのお尻のところにちゃんと白い糸がつながっていてそれがずっと向こう見えなくなるまでのびている。
その糸が振動してはるかかなたまでメッセージを届けるわけだ。
まさに糸電話。
わかる?

135: 2012/05/14(月) 18:14:14.55

唯「でもなんで糸電話なんて使ってるの?」

律「いろいろあるんだよ」

唯「例えば?」

律「景観の問題とか? だってさ、天国に公衆電話ボックスなんてあったらおかしいだろ」

唯「それもそうだね」

真っ白い雲の上の真っ白い世界に真っ白い紙コップと真っ白い糸そして真っ白い心。
天国のキャッチコピーはこれでいこう。

136: 2012/05/14(月) 18:14:43.10

唯「そういえば、誰からの電話?」

律「さわ子長官だ」

唯「ふうん、なんだって?」

律「工務部に発注を伝えてくれだってさ」

唯「工場に電話すればいいのに」

律「糸電話はりいいいいいいいいいいいってなんないだろ?」

唯「じゃあ、りっちゃんはなんで電話に出られたの?」

律「一日中、ここにいたからな」

唯「なんでまた?」

律「なんたってわたしは隊長だからな」

唯「隊長ってたいへんなんだねっ」

律「だから明日からは交代で電話番をすることにした」

唯「りっちゃんってひどいんだねっ」

律「なんだとー」

唯「じょーだんだよぉー」

137: 2012/05/14(月) 18:15:09.52

いつもの秘密基地には、ムギちゃんはいなかった。
でもその代わりってわけじゃないけど別の人がいたんだ。

唯「あれ、むぎちゃんは?」

澪「さあ、どうしたんだろうな?」

梓「あの人、だれですか?」

唯「和ちゃんだよ」

梓「そのひとって?」

律「偉い人なんだ。ここだけの話、すっごい厳しいぞ、鬼だからな」

和「ちょっと律、変なこと言わないで」

律「ひゃあ」

和「もう……」

138: 2012/05/14(月) 18:15:36.13

唯「でも、遠足なんてはじめてだねー」

和「遠足なんかじゃないわよ?」

律「お菓子は300円までだっけ?」

梓「わたし全部コーラ・グミだけでいっぱいになっちゃいました」

澪「わたしはスニッカーズにした」

律「それだと量が少なくね?」

澪「うるさい。スニッカーズは腹持ちがいいんだ」

和「この子たち……」

139: 2012/05/14(月) 18:16:05.29

それから、わたしたちは工場に向けて行進をはじめたんだ。
出発する前、和ちゃんからいくつかの説明を受けた。
今回の発注は重要なものであそびじゃなくて任務だということ。これをうまく成功させるために和ちゃんがついていくということ。なのに、特に危険はないということ。くれぐれも注意すること。
和ちゃんは決して遠足気分になるなって言ったけど、それはまるで遠足前の先生のいろんな説明みたいでわたしはつい笑って、和ちゃんに怒られちゃった。

わたしたちは遊歩道の上をオレンジに光る街灯に沿って歩いて行った。
いつもと違うのがなんだか楽しくてわたしはずっとはしゃいでいて、なんども和ちゃんにお咎めをくらったんだ。
なによりもおかしかったのがさ、和ちゃん、澪ちゃん、あずにゃん、わたし、りっちゃんというように5人で縦にならんで歩いたってことなんだよ。

140: 2012/05/14(月) 18:16:33.66

律「なあなあのどかー」

りっちゃんが後ろから大声で和ちゃんを呼んだ。和ちゃんが急に止まるからわたしたちは詰まってぶつかった。

和「なにかしら」

律「休憩時間とかないのかー?」

和「ないわ」

そしてまた歩き出す。
前へすすめー!

そんなわけで工場についたときにはもうわたしたちへとへとだった。

141: 2012/05/14(月) 18:17:00.89

和「ごくろうさま。じゃあこれからわたしは発注を伝えに行くから、自由に工場見学でもしてていいわよ」

やったあっ。
と、みんな。

和「あ、律は一緒に報告よ」

律「なんでだよおおお」

和「だって、隊長じゃない。ほらいくわよ」

律「ああーーー」

ごくろうさまでーすっ。
と、みんな。

142: 2012/05/14(月) 18:17:29.65

工場の中は珍しいものでいっぱいだったんだよ。
ベルトコンベアを流れてくるなんだかよくわからないかたまり。聞いてみると作ってるほうでももう何がなんだかよくわからないらしい。まあ、よくあることだよね。
その隣では水鉄砲を作っていた。澪ちゃんが言うには今の主流は空気銃から水鉄砲に移ってるんだって。時が流れる速さにはいつも驚かされるよ。
すっごい大きな風船も見た。そこでは風船の改良を進めているのだという。現場の人は誰も風船をあげないんだ。負けず嫌いなんだね誰もが。
そこを担当していた純ちゃんと少し話をした。

純「たまには、せっかくの風船を空にあげてやってくださいよ」

唯「タイミングがわかんないんだよー」

純「こーさんの合図ですって」

唯「あっちむいて、ほい」

純「……あ」

唯「純ちゃんの負けだ」

純「なんの勝負ですか」

唯「今、風船あげてもいいんだよ?」

純「そんなたいした負けじゃないですって」

唯「ほらあ、ねっ」

純「えーー」

143: 2012/05/14(月) 18:17:58.11

そんな異世界を上機嫌で闊歩していると、おねえええちゃんと声がした。
振り向くと、憂が手をぶんぶん振っていた。
その隣にはなんとムギちゃんまでいたんだよ。

憂「おねえちゃんなつかしいねー」

唯「おー。あいたかったよー」

梓「家で会ってるでしょ」

憂「えへへー。梓ちゃんと澪さんもおひさしぶりです」

澪「うん。ひさしぶり」

梓「元気そうでよかったよ」

憂「そりゃもちろんだよー」

澪「ムギはなんでここにいるんだ?」

紬「バイトよっ」

梓「へえームギ先輩バイトしてたんですね」

紬「最近、はじめたのよ」

唯「どんなことしてるの?」

紬「見てみる?」

唯「うん」

144: 2012/05/14(月) 18:18:26.31

案内されたのは、こぽこぽと音がする四角い部屋だった。その中央に大きな大きな雲があってね、そこからにょきにょきと何かが生えていたんだ。

唯「ここは?」

紬「ここから雲くずというか、天使もどきができるのよー」

唯「へえー。あずにゃん。えOちな気分にならない?」

梓「なんでですか?」

唯「だってさ、自分が生まれた場所だよっ。あそこだ」

梓「ならないですっ。ひわいですっ。ば-かば-か」

唯「そこまでっ?」

澪「妥当だ」

145: 2012/05/14(月) 18:18:55.21

中央の雲はまるで呼吸でもするみたいに膨張と収縮を繰り返していた。
その動きのたびに鈍い音がして、それがまさに、こぽこぽ音の正体だったんだ。
雲から突き出た突起のひとつはすでに人の形をなしていて、じっと見ているとぽとりと下に落ちた。それから、その人は夢遊病患者みたいにふらふらふらふら、転んだり、つまずいたり、そのうちわたしたちとは反対側のドアから外に出ていちゃった。

唯「なんだかあの人見たことあるような」

紬「きっと、前に見たのよ」

唯「今、生まれたのに?」

紬「天使は氏んだあと、自分の記憶だとか情報だとかをもって生まれ変わるのよ。唯ちゃんだってほんとは絶対ありえないはずなのに体験したように思えることあるでしょ? 同じ誕生日の記憶がいくつもあったり」

唯「そういえばそうだ」

ふだんそんなこと考えたこともなかったな。

唯「あのさ」

紬「どうしたの?」

唯「生まれ変わる前のわたしたちと今のわたしはおんなじ?」

紬「それは考え方によってどうにでもなるんじゃないかしら」

唯「そっか」

146: 2012/05/14(月) 18:19:21.88

沈黙。
誰も何も言えなくなっちゃったんだ。
あずにゃんが隣で震えてた。
澪ちゃんは不安そうな顔をしてた。
こぽこぽって音が耳の奥の方の空洞でどんどんおおきくなっていってわたしは急にやるせなくなったんだ。

ねえ、昨日までの自分と今日の自分は同じだと思う?


147: 2012/05/14(月) 18:19:49.55
【10】

海があった。暗い海だ。
わたしたちは並んで水平線を眺めていた。実際のところ、夜の暗闇の中ではその境目はひどくあいまいなものにすぎなかったのだけれど。

そこでわたしは2つの不思議な物体を見つけた。
赤と白。
どこかで知ったような色の組み合わせだ。
どこでだろう?

これはなにかな、とわたしはあずにゃんに尋ねた。

148: 2012/05/14(月) 18:20:16.77

梓「そうですね、藻みたいなものじゃないですか?」

唯「……あ、ふわふわだ」

梓「変に触らないほうがいいですよ。なんなのかわからないんですし」

唯「大丈夫みたいだよー。なんだろ、雲みたいだね」

梓「きっと、ティッシュペーパーですよ」

唯「あずにゃんは夢がないよ……あ、他にもなにかある」

梓「今度は何ですか?」

唯「ほら、ぷにぷにだ」

梓「だから、また勝手にさわる」

唯「赤の半透明できれいだよー」

梓「ただのガラスじゃないんですか?」

唯「違うよー丸くて、柔らかいんだから」

149: 2012/05/14(月) 18:20:43.55

それをあずにゃんの前でかざした。
あずにゃんはそれをじっと見ていたがやがて言った。

梓「星のかけらですよ。そういうやらかい惑星があってそれが寿命で崩壊して地球に降ってきたんですよ」

唯「へえー」

梓「夢があったでしょう」

唯「あずにゃんはやればできる子だよ」

梓「どうも」

150: 2012/05/14(月) 18:21:14.86

それから、しばらくわたしたちは海を相手におはなしをした。
わたしがさっきの惑星について質問して、あずにゃんが答え、海がそれを聞くという形式で。
あずにゃんはわたしの問に対し、必氏に考えてひねった返しをしようとした。ときにはちょっとしたその星についての逸話を聞かせてくれたりした。
あずにゃんの一生懸命な姿がかわいくてわたしはついつい難しい問いかけをした。
 もし、誰かを好きにならなければいけない状況に追いやられたらその人に難問をぶつけてみるといい。誰かが必氏に何か(それはできる限りバカげたことのほうがいい)を考える様子ほど愛おしいものはないとわたしは思う。

そのうちにあずにゃんは寝てしまって、わたしは1人で海と対峙しなければならなくなった。
あずにゃんはお人形さんみたいにくたりとわたしの膝に頭を預けていた。
夜に勝手に連れだしてきたのだ。眠くなるのも仕方ないだろう。
わたしは恐ろしいうねりをあげる海をただ見つめていた。
なんだか吸い込まれてしまいそうだと思った。

151: 2012/05/14(月) 18:21:42.61

それが起きたのは、わたしがあくびをしてそろそろ帰ろうかと考えたちょうどそのときだった。
わたしがあずにゃんを起こそうとする直前。
海がまるであずにゃんには秘密だよとでも言いたげに。

それは映画だった。

海面いっぱいをスクリーンにして、月の光が映し出した。
そこに映ったものがなんなのかわたしにはうまくわからなかった。途中から映画を見たような気分になった。にもかかわらずわたしがそのとき感じていたのは不思議な懐かしさとでもいえそうな感覚だった。
わたしはそこに自分の姿を見た気がした。
りっちゃんの姿も。澪ちゃんも、ムギちゃんも、憂も、和ちゃんも、さわちゃんも。純ちゃんも。
でもーーなんでだろうーーあずにゃんの姿は一度も、どこにも見ることができなかったのだ。

あずにゃんが起きて映像が消えてもまだわたしは海を凝視し続けていた。


152: 2012/05/14(月) 18:22:14.30

梓「どうしたんですか?」

唯「わたしあずにゃんを忘れたことは一度だってないんだ」

梓「唯先輩も寝ぼけてるんですか……ふあああああああ」

帰りは最終電車だったためか人はほとんどいなかった。
あずにゃんはまた隣で寝てしまいわたしの肩をその頭で重くした。
心地良い重さだった。
髪の毛が首にかかってくすぐったいのはご愛嬌だろう。
その間もわたしの脳裏ではさっきまでの映像がフラッシュバックしていた。ぱちんぱちんと切り替わっていく光景は紙芝居みたいだった。

153: 2012/05/14(月) 18:22:51.48

ある着想が頭の隅に浮かんだ。わたしは、それがこぼれ落ちてしまわないように気を使いながら、かといってどうすることもできずにそれをぶら下げていた。

あそこで見た映像は無数の物語だった。
真実味にかけた乱雑に散らばった物語たち。
それはいつかわたしが考えたものだっただろうか?
残念ながら、それを知るにはあまりに彼らの輪郭はぼやけすぎていた。
遠い間、おきざりにされていたため風化してしまっていた。

キリスト教で聖人に認定されるには3つの奇跡に立ち会わなければならないとどこかで聞いたことがある。
ある意味ではあの映像は1つの奇跡だったといえるかもしれない。
だけど、わたしがあの映像から感じたのはそんな超然的なものではなく、むしろなんだかあたりまえの、喩えるならお芝居でもう誰もがあきてしまったあの決まりきったやり取り――悲劇のヒロインは氏んで、主役の登場には長い口上があって、澪ちゃんはりっちゃんをたたくふりをする――のようだった。

154: 2012/05/14(月) 18:23:19.35

長い時間がたったあとその頭の中の不明瞭な着想はようやく1つの形をなした。
わたしとあずにゃんで家に向かって歩みを進めているときのことだった。
それは結局、ちゃちなジョークだけで構成されたわたしのおはなしの一部としてまとまった。
それは奇跡ではなく、偉大なジョーク集、あずにゃん教の聖書の1エピソードとなったのだ。
あーあ。



155: 2012/05/14(月) 18:23:46.80

『4000回目』

この雲の上でわたしたちは幸せだったんだ。
ほんとに。
それは今までのお話からもわかってもらえると思うな。
だけど、触れたら崩れちゃった。それだけ。

結局のところ、何かのせいってわけじゃないんだよ。
つまりね、4000回失敗してちょっと新しい方法を試してみようとしただけなんだ。
少なくとも、今のわたしにもこれだけは言えると思う。
天国には氏んだあとでいくべきなんだ。

156: 2012/05/14(月) 18:24:16.07

澪「ほ、ほんとに行くんだな?」

唯「うん」

澪「こ、怖くないのか?」

律「なんで、澪がそんなびびってるんだよー」

澪「だって、だってさ、よくわかんないけど、すごいだろ? 誰もやったことないんだぞ。それってすごいよ」

唯「そんなことないよー。いつもと一緒だよ」

澪「ううん。唯と梓はわたしの誇りだよ。もう会えなくなっても忘れないでくれよ」

梓「澪先輩はおおげさですね。また会えますよ」

澪「だって……嬉しいんだ。わたしずっと怖かったんだよ。ときどき、自分がこのまますり切れちゃうような感じがして眠れない日だってあったんだ。でも2人が、がんばるところみてたらわたしにも何か、何かあるんじゃないかって」

律「澪はこどもだなあ」

澪「そんなことないっ」

157: 2012/05/14(月) 18:24:44.60

紬「うまくいくかしら?」

唯「大丈夫だよ。だってわたしがにせものならにせものになればいいんだよ。にせものの反対は本物だからね」

律「人間になるのが梓なんだよな?」

梓「はい」

紬「それで唯ちゃんが人形になるのよね」

唯「うん。逆だときっとダメなんだ。だって、わたしがばかだから残されたらなにもできなくなるよ」

律「でも、それだと梓はやっぱりにせもののままじゃないか?」

唯「それは大丈夫だと思うな。ほらっ雲くずのわたしたちでさえ、ものには触れても平気だから」

梓「ものって言い方は悲しいからやめましょうよ」

唯「しかたないよ。人形はやっぱりものでしかないんだ」

158: 2012/05/14(月) 18:25:13.02

澪「怖くない? 人間は一回氏んだらそれでおしまいなんだよ」

唯「どう、あずにゃん?」

梓「すこしだけ」

律「だいじょーぶ。変わんないって。今だって氏んだらおしまいだよ。そうじゃないってきがしてるだけで」

梓「……そうですよね。だいじょうぶです!」

紬「わたしたちにはこうやって応援することしかできないけど……がんばって」

159: 2012/05/14(月) 18:25:49.72

唯「それだけでじゅうぶんだよー。あ……そうだ。1つだけおねがいしたいんだ。いいかな?

紬「もちろん」

唯「わたしとあずにゃんがちゃんと出会えるようにうまく取り計らって欲しいんだ。ここまでして会えなかったんじゃ悲しいからさ」

紬「うんっ。まかせて」

唯「ありがと……じゃあ、そろそろいこうかな」

律「達者でな」

澪「がんばれっ」

紬「お幸せに」

わたしとあずにゃんは雲の端っこに立った。
眼下に長くて黒い空が広がっていた。

唯「きっと触れるよ、ね?」

梓「……はい」

地面に向けてわたしたちは飛び立つ。

160: 2012/05/14(月) 18:26:17.78
【11】

家の中は静まり返っていた。
もうみんな寝てしまったのだ。そんな時間。
昔、『深夜はおれたちの時間だ』というキャッチコピーがあったのを思い出す。たしかなんかえOちなやつだった気がするな。
わたしふうに言えばこう。
深夜は妄想の時間。
昨日までは。

いろんな可能性を考慮してあずにゃんはわたしの家に泊まっていくことになった。
これは予定調和。
深夜はわたしたちの時間だ。
なーんて。

161: 2012/05/14(月) 18:26:46.14

そんなことをほんとにあずにゃんの前で言ったらほっぺたをつねられた。
ずいぶん長い間。
着色。

ふと、考えた。
ほっぺたが赤くなったのはもちろんつねられたからだ。
しかし、本当にそれだけだろうか?
例のあの炎症のせいなのかもしれない。

それから、寝る場所のことについて、多少の議論があった。結果、わたしの部屋のベットに二人で寝ることになった。
わたしのほっぺたが赤いままなのにあずにゃんは気が付かなかった。
灯りを消したから。

162: 2012/05/14(月) 18:27:13.57

あずにゃんは震えていた。
お互い薄いTシャツを着てたから肌が触れ合って、それがよくわかった。

唯「こわいの?」

梓「だいじょうぶです」

唯「泣いたりしてもいいんだよ? わたしはもう寝てるから」

梓「喋ってるじゃないですか」

唯「これは寝言だよ」

おかしいですって。
あずにゃんは無理に笑おうとした。
うまくはいかない。

163: 2012/05/14(月) 18:27:41.03

梓「唯先輩はわたしが触っても炎症をおこさないんですよね。人と触れ合うのダメなのに」

唯「きっと、あずにゃんは特別製なんだよ」

梓「ときどき、こんなふうに考えるんです。自分は作り物でしかも失敗作じゃないかって」

唯「特別製ってのは冗談だよ?」

梓「わかってますって。でも……」

唯「ねえ、あずにゃんは夜になるとこわいって言ったよね?」

梓「はい」

唯「わたしだってそうなんだ。夜が怖くない人なんていないよ」

梓「そうでしょうか?」

唯「そうだよ。それに耐えられないから病気になるんだ」

風邪菌は誰の中にだって常に侵入してくる。
負ければ風邪をひく。それだけ。

164: 2012/05/14(月) 18:28:10.00

梓「唯先輩はどうやって戦ったんですか?」

唯「作戦があったんだ。昨日までだけどね」

梓「昨日まで?」

唯「なくなちゃったんだ。だから、今は無防備できっといつもの明るいわたしのようにきれいでいれないけど。いいかな?」

梓「いつもだってそんなすごくないくせに」

唯「えへへ、そうかも」

梓「そうですよ」

165: 2012/05/14(月) 18:28:38.19

唯「わたしが戦うのにどんな武器を使ったわかる?」

梓「そんなのわかんないですって」

唯「あずにゃんだよ」

梓「わたしですか?」

唯「うん。いつも頭の中であずにゃんがわたしを励ましてくれたんだ」

梓「それって?」

唯「妄想って言うんだって。嫌になった? もうやめる?」

梓「……へーきです」

166: 2012/05/14(月) 18:29:06.39

唯「そこではおんなじ遊びを繰り返してたんだ。他にどんなことをすればいいか思いつかなかったから」

梓「なんで昨日までなんです?」

唯「壊れちゃったんだよ」

わたしは言った。
これは嘘だった。
失ったのは線だけだ。

唯「あずにゃんがよわいふりするから」

梓「む……」

唯「あずにゃんを見てたら泣きそうでさわらずにはいられなかったんだ。それがさ、わたしの作ったにせものだってわかっててもだよ?」

わたしはあずにゃんのほっぺたにふれた。
そんなのただのおせっかいですとこのあずにゃんは言った。

167: 2012/05/14(月) 18:29:33.92

唯「そのままなら、頭の中のあずにゃんもわたしも幸せだったのに」

あずにゃんのほっぺたをつねった。

唯「さっきあずにゃんは自分が作り物だって言ったよね?」

梓「はい」

唯「きっとわたしたちお似合いだよ。ぬいぐるみとままごとを忘れられない女の子だったら」

梓「……うん」

暗かったからあずにゃんがどんな表情をしたのかわたしにはわからなかった。
ねえ。
わたしは言った。

168: 2012/05/14(月) 18:30:00.51

唯「ねえ、わたしの頭の中の天国のものがたりはどんな形でもあずにゃんを笑わすことができたんだ。それが、ここでもできるっていうのは間違ってるかな?」

梓「じゃあやってみてください」

唯「がんばったんだ……ずっと考えてたんだよ。あずにゃんのためのものがたりを。聞いてくれる?」

梓「はい」

唯「あのね……えーと……えへへ……」

梓「どうしたんですか?」

唯「やっぱ、なんか、恥ずかしいなあって」

梓「……む」

唯「だって、ほんとに、うまく話せなかったら嫌だからさ……あ、ちょっとまってて」

169: 2012/05/14(月) 18:30:28.13

わたしは部屋を出てキッチンに行って工作をする。
何度か深呼吸をした。
手が震えてなかなかそれは完成しなかった。
やっと、部屋に戻るとあずにゃんは窓から夜空を眺めていた。
ほら。
糸電話。
やっぱり電話は最高の発明だよ。

床に布団を敷いてわたしはそこに座る。あずにゃんは少し高くなったベットに横になっている。
その間を白い線が走っていた。

梓「これいみあるんですか?」

唯「あずにゃん相手に話すのは恥ずかしいけど、紙コップ相手なら恥ずかしくないよっ」

梓「唯先輩がいいならそれでいいですけど」

唯「じゃあいくよ。寝ちゃわないでね」

糸が揺れた。
わたしは話しはじめる。

――あのさ、雲の上にいたんだよ。




170: 2012/05/14(月) 18:31:05.40

『4001回目』

あずにゃんはあらゆる意味で弱い子でした。
笑い声にかぶれて氏んじゃうような子でした。
窓の外から楽しそうなはしゃぎ声が聞こえました。
あずにゃんは暗い部屋の隅っこで丸くなっていました。
その部屋はあまり掃除をしていないのでいろいろなものが散らかっていました。特に赤い袋はありとあらゆるところを占領していました。
あずにゃんは制服のポケット(学校から帰ったばっかりなのです)からコーラ・グミの袋をとりだして気が狂ったみたいにそれをつまみ上げて食べました。
あまりに急いで取り出そうとしたので、何度もつかみそこねていくつかのグミは手からこぼれ落ちて床の上をコロコロ転がっていきました。
あずにゃんはグミを3つほど口の中にいれてしまうと急にほっとして、ため息をつきました。
あーあ。
なんでわたしはこうなっちゃったんだろうなあ。なにも悪いことなんてしてないのに毎日が退屈で孤独で寂しい。何かがかけてしまっているんだ。
そんなことを考えていると暗い気分になってしまうのは知っていたので、大丈夫大丈夫と呟いてから立ち上がり大きくのびをしました。
そこでコーラ・グミのストックがなくなっていることに気づき、買いに行くことにしました。

171: 2012/05/14(月) 18:31:48.51

近所のスーパーまでは歩いて10分はかかりません。
しかし、あずにゃんにとってはそれがとても長く感じられました。
そういえば、隣の町の歩道はみんな自動化されたってテレビでやっていたなあと思い出しました。それならずいぶん楽なのに。
それでこの街はもう時代遅れだと思いました。
空を見上げるとひどく重そうな雲が立ち込めていました。
頭がズキズキしました。
それは、コーラ・グミがなくなったのと、この街の空気が自分にうまくあわないのと、そのどちらかなのだろうとあずにゃんは考えました。

スーパーにつきました。
入り口の近くのあたりにもコーラグミは投げ売りされているのですが、それらはたいてい賞味期限が切れそうで貯めておくのには不向きなので、目もくれず奥に向かって歩みを進めます。
店の奥のお菓子売り場までやってきました。幸いなことに今日は小さい子どもはいませんでした。
高校生にもなって嬉々としてコーラグミを買うのは恥ずかしいからね。
そんなわけで、後ろから不意に声をかけられた時はとても驚きました。
ちょうどあずにゃんは品定めをしているところだったので、後ろに立つその人に気が付かなかったのです。

172: 2012/05/14(月) 18:32:15.99

律「梓、コーラグミ中毒なんだ?」

梓「へ?」

その女の人はラフな格好で黄色カチューシャをして、しかもあずにゃんと同じ学校の制服を着ていました。
だからといっていきなり名前を呼ぶのは失礼だ、とあずにゃんは憤慨しました。
もちろん、あずにゃんが知らない人に対してそんな強気になれるはずもないので、例の下手くそな愛想笑いを浮かべただけでしたが。

律「いやコーラグミばっかかごに入れてるから中毒なのかなあって」

梓「え、あ、まあ、そうですね」

律「おすすめはなんかある?」

梓「えあ、え、えーと、こ、これがいいと思いますよ」

律「ふうん。あ、まさか1袋食べただけで禁断症状おきたりしないよな?」

梓「あたりまえですよ」

律「だよなあ。あははー」

梓「はい」

なんて馴れ馴れしいんだーとあずにゃんは思いました。
でも不思議と嫌な気はしませんでした。どこかで会ったことがあるようなそんな懐かしい気さえしました。

173: 2012/05/14(月) 18:32:43.27

律「あ、自主治療協会とかは行ってないの?」

梓「コーラグミ中毒の?」

律「うん」

梓「あれはいってもしかたありませんよ」

律「そうなの?」

梓「そこに入るときには最初にこう言わなきゃなんないんですよ。『中野梓というものです。わたしはコーラ・グミ中毒です』」

律「あははっ。それでわたしはこう聞くわけか。あなたは本気で自分と戦う気がありますか?」

梓「いえす」

律「なんていうかばからしいな。そうだ。じゃあこれはどう?」

そういうとりっちゃんは1枚の紙をあずにゃんに手渡しました。
あずにゃんはそれを見てみました。どうやら何かの割引券のようです。
その真ん中には太いゴシック文字で「ぬいぐるみLOVERS」
ふとあずにゃんが顔を上げると、りっちゃんの姿はどこにもありませんでした。


174: 2012/05/14(月) 18:33:25.15

それから、一週間くらい過ぎた日のことでした。日曜日でした。
あずにゃんはあいも変わらずつまらないつまらないとつぶやきながら毎日を過ごしていました。
もし、あずにゃんの周りに少しでもおせっかいな人がいればこう言いたくなったことでしょう。
そんなにつまんないばっか言ってるからほんとにつまんなくなるんだよ。
それが正しいのかはまた別ですけど。
あずにゃんはいつものようにあの部屋の中で特になにもせず一日を過ごすつもりでした。
せっかくの日曜日なのにです。
でも、机の上に1枚の紙を見つけて気が変わりました。家を出て、となり街まで出かけることにしたのです。
その紙というのは先週カチューシャをつけた女の子がくれた何かの割引券でした。裏側に店の住所が書いてあってそこに行く気になったのです。
となり街までは電車を使うのが一番です。
休日の電車にはたくさんの乗客がいて、ついついあずにゃんは縮こまってしまいます。
電車が目的の駅に到着すると、あずにゃんは車両から早足で駆け下りました。
駅の外に出て新鮮な空気を吸い込むと、ほっとため息をつきました。
割引券の後ろ側の地図を頼りに道を曲って、曲って、時には戻ったりして目的地を目指します。
とはいってもこの街の歩道は動く歩道になっているので疲れたりはしませんでしたが。

175: 2012/05/14(月) 18:34:13.01

知らない街というのは不思議な感じがします。
自分が少し前のよく知ってる自分とは違う人間になってしまったように思えます。
新しい街ではよそ者の自分が透明になってしまうようなそんな感じがします。
それはあずにゃんにとって嫌なことではありませんでした。
あずにゃんは今の自分が嫌いだったのでしょうか?
少なくとも、もっと素晴らしい自分がいるとは思ったことでしょう。

そうしてやっと目的の場所につきました。その建物はあまり大きくないけれど派手な外観をしていました。
入り口の自動ドアの上にうさぎをかたどった大きな看板があり、ぬいぐるみLOVERS(きっと店の名前なのでしょう)と文字が記されていました。
あずにゃんはためらいがちに自動ドアをくぐります。

「いらっしゃーい」

入り口の真横のレジのむこうから元気な女の人の声が聞こえてきたと思うと、その声の主がとたとたとやってきました。

176: 2012/05/14(月) 18:34:47.52

紬「えと、梓ちゃんはまだ初めてのお客よね?」

梓「ムギ先輩、またバイトですか?」

紬「そうよー」

梓「え」

紬「なに?」

あずにゃんは混乱していました。自分がおかしなことを言っていたと。
この人のことは知らないのになんであんなことを聞いたんだろう?
なんであの人はわたしのことを知ってたんだろう?
でも、あずにゃんは臆病なので、小さい頃この人にあったのかもしれないとか何とか理由をつけてその不可解さを誤魔化してしまいました。

梓「それより、ここはどんな店なんですか?」

紬「りっちゃん言ってなかったのね……」

梓「はい?」

紬「あ、こっちの話よ。それより、ここはぬいぐるみのレンタル店なの」

梓「レンタル? 売ってるんじゃなくてですか?」

紬「そうよー。ずっと同じじゃあみんな飽きちゃうもの」

梓「人の使ったぬいぐるみなんて抱きたくないじゃないですか。わたしはそうですよ」

紬「大丈夫よー。ぬいぐるみの洗浄技術はここ20年ですっごく発達したのよ。そうね、たき火からIHくらいには」

177: 2012/05/14(月) 18:35:15.54

梓「でも……やっぱ印象悪いですよ」

紬「見てみる?」

梓「いいんですか?」

紬「特別よ」

そう言うとムギちゃんは【関係者以外立入禁止】の扉の向こう側に行ってしまいました。あずにゃんもあわててそれを追いかけます。
扉の先には小さな事務室があってムギちゃんはその奥にあずにゃんを案内しました。
その部屋はとても大きな部屋でした。真ん中ではなにやらすごそうな機械が、うううううぎゃりぎゃりぎゃりと大きな音を立てています。
ムギちゃんはそれに近づいて言いました。
その手にはどろどろに汚れたうさぎのぬいぐるみを持っています。

178: 2012/05/14(月) 18:35:43.34

紬「見ててね? この穴にこのぬいぐるみを入れると……」

ムギちゃんは機械の左側にぽっかり空いた穴にそのぬいぐるみを放り込みました。
ぎぃぃぃいいいい。ぎゃりぃぃいいいい。
大きな音がしたかと思うと、すぐに今度は右側のほうから真新しいさっきと同じうさぎのぬいぐるみが現れました。
ムギちゃんは得意げな笑みを浮かべました。
にっこり。

紬「ね、すごいでしょ。触ってみて、ほらっ」

梓「うわあー。ていうかこれ別の新品じゃないんですか?」

紬「それくらいきれいなのよ。それにもし新品でもお客さんは困らないわよね?」

梓「たしかに……」

紬「ね? 梓ちゃんも借りてみる気になった?」

梓「ムギ先輩は販促がうまいですね」

紬「ふふっ。ありがとっ、でいいのかしら?」

梓「たぶん」

179: 2012/05/14(月) 18:36:11.11

それから、あずにゃんはぬいぐるみを並べてあるたくさんの棚を見て回りました。
こどもの頃からぬいぐるみという文化にあまり触れて来なかったので、それらがとても新鮮なもののようにあずにゃんの目には映りました。
やがてその中からひとつのぬいぐるみを選んでムギちゃんの前に持って行きました。女の子のぬいぐるみでした。
それを見るとムギちゃんは満足そうにうなずきました。


紬「それにすると思ったわ」

梓「他のでもいいですけど」

紬「だめよー。これじゃなきゃ」

梓「そうですか?」

紬「そうよ」

梓「じゃあ、これにします。いくらですか?」

紬「1週間300円よ」

梓「安いですね」

紬「全国均一よ」

180: 2012/05/14(月) 18:36:40.06

梓「……ぁ」

紬「どうしたの?」

梓「この年になってぬいぐるみってちょっと恥ずかしくないですか?」

紬「ちょーっとね」

あずにゃんはそのぬいぐるみを抱きかかえるようにして帰りました。
ある程度大きさがあったのでそうするしかなかったのです。
道行く人に視線をぶつけられるたびあずにゃんは顔赤く染めました。
特に電車の中は大変でした。あずにゃんは、駅につくまでじっと丸くなって涙目でいなくてはなりませんでした。
そんなことですから、自分の部屋に戻ってきたときにはそのぬいぐるみが戦友かなにかのように思えました。
試しに頬ずりをしたり抱きしめたりしてみました。なんだかすごく嬉しい気分になりました。
そういえば、今日はコーラ・グミを食べていないな、と気づいて一層嬉しくなりました。

181: 2012/05/14(月) 18:37:19.26

あずにゃんはすっかりぬいぐるみの虜になってしまいました。
こう書くとあずにゃんに文句を言われる気がするので言い直します。毎週日曜にぬいぐるみをレンタルしにいくというのがあずにゃんの日課になりました。
とはいってもあずにゃんが借りるぬいぐるみはいつも同じものだったのでそのぬいぐるみをきれいにしに行くと行ったほうが正しいでしょうか。
ぬいぐるみはあずにゃんの唯一の友達でした。
そのぬいぐるみを見たり抱いたりするのがあずにゃんの毎日の楽しみになりました。
もちろん、あずにゃんだってそれがいけないこと、またはおかしいことだとはわかっていました。
ぬいぐるみじゃなくって犬だったらどんなによかっただろう、とあずにゃんは考えました。
犬と人間の友情ほど美しいものはこの世にありませんからね。
そんなことを思うたびにあずにゃんはコーラ・グミに手を出さずにはいられませんでした。そして日に日に摂取するコーラ・グミの量は多くなっていきました。
もし、あずにゃんのことをよく知っている人がいればこう言ったことでしょう。
そんな偽りの世界に閉じこもっていないで、現実の世界に出てきなさい。それは間違ったことなんだから。
これは正しい。100ぱーせんと。

182: 2012/05/14(月) 18:37:48.13

ある日曜日、あずにゃんはぬいぐるみのレンタル延長のためとなり街まで出かけました。
何度も経験しても、ぬいぐるみをもって外を歩くのには慣れません。人々の視線はまるであずにゃんはを避難しているかのようです。
その頃のあずにゃんはだいぶ心が弱っていて、それこそコーラ・グミを常に口の中で転がしていないと耐えられないほどでした。
それでもなんとかレンタルショップの自動ドアをくぐることができました。

紬「いらっしゃいませー」

梓「こんにちは」

このムギちゃんだけにはあずにゃんも平常心で接することができました。
それはムギちゃんがあずにゃんのぬいぐるみ中毒をよく理解しているというのもありますが、それよりもあずにゃんがムギちゃんにはじめてあった時のあの不思議な感じがその信頼をより強いものにしていました。

183: 2012/05/14(月) 18:38:16.03

紬「はい。きれいになったわよ」

梓「ありがとうございます」

紬「あ、そうそうポイントカードが一番小さな景品と交換できるくらいには溜まってるけど、どうする?」

梓「なにがもらえるんですか?」

紬「えとね……裁縫セット」

あずにゃんはそれとポイントを交換しました。なんだっていいのです。温泉旅行だってお菓子の詰め合わせだって。あずにゃんにとって大切なのはそのぬいぐるみなのですから。

梓「あ、じゃあまた今度」

紬「今度……今度はわたしも行くね」

もう外は夜になっていました。
いつもはそんな遅くなることはないのですが、今日は寝坊したのと、いつもよりコーラ・グミ中毒が酷かった
のでなんどか補充のため商店によらなければいけなかったのが原因です。
帰りの電車は最終電車1本しかありません。
そして、その電車にはたくさんの人が乗ろうとしていました。
あずにゃんは少し迷ってから、逆方向に向かう空いた電車に乗ることにしました。人ごみの中にいくのはきっと耐えられない。そう考えたのです。

184: 2012/05/14(月) 18:38:44.02

駅の売店で夕食の弁当とコーラ・グミを4つ買って、待っていると少しして電車がやってきました。左右に2席づつ並んだ電車でした。
あずにゃんは窓側の席にぬいぐるみをおいて、ここなら空いているし人も来ないだろうと考えました。
しかし、その目論見は失敗だということはすぐにわかりました。
電車が動き出した頃、隣いいかな? と声をかけられたのです。
あずにゃんはとっさにどうぞと答えてしまい、後悔しました。
きっと、あの人はわたしが大事そうにぬいぐるみを抱えているのを見て気味悪がるぞ。
あずにゃんは思いました。

澪「そのぬいぐるみかわいいね」

梓「え、あ……はい」

あずにゃんは顔が赤くなりました。
ばかにされてるのかとも考えましたが、すぐにこう思いました。
この人は絶対に人をからかったりするタイプじゃない。なぜだろう? わたしはそう知っているんだ。

185: 2012/05/14(月) 18:50:27.68

澪「でも、あれだよなあ。はしゃぎすぎるのがたまに傷っていうか」

それはまさに日頃、あずにゃんがそのぬいぐるみについて感じていたことだったので、あずにゃんはとても驚きました。

澪「そうだ。わたしは澪っていうんだ。よろしく」

梓「あの、どこかで会ったことあります?」

たまらなくなってあずにゃんは聞きました。澪ちゃんは、ほぅっとため息をつきました。

澪「梓は今満足してる?」

梓「へ?」

186: 2012/05/14(月) 18:50:57.61

澪「ああ、ごめん。こんな事言われたってわかんないよな。秘密にしておくつもりだったけどさ、なんだか失敗しちゃったみたいだったから言うよ」

そう言って澪ちゃんは1つの物語を話しはじめました。
その話は途方もなくて、にわかには信じられないようなものでした。
しかし、あずにゃんは今までにもなんどか経験したあの不思議な感じをここでもまた抱いて、最後にはそれが本当のことであると考えるようになりました。
それはこんな話。

天使みたいなのが天国にいた。
彼女たちはお互いに触れることができないまま何度も日曜日を繰り返していた。
ある日、その1人が言った。
わたしは今のままに耐えられない、と。
彼女たちは幸せだった。
でも、彼女たちは結局のところ複製品にすぎなかった。
それで、その1人はある計画を考えそれを実行した。その結果、それを実行した2人のうち1人はにせものの人間になって、もう一人は本物のぬいぐるみになった。
そうして、やっと触れ合うことができるようになったのだと。

187: 2012/05/14(月) 18:51:25.71

話し終わったあとで澪ちゃんは言いました。
ごめんな。

梓「なんで澪先輩が謝るんですか」

澪「だって、きっとわたしたちにもなにかできたはずだから」

梓「澪先輩たちは十分やってくれたじゃないですか。それにこれはわたしたちが勝手にはじめたことみたいですし」

澪「そうじゃないよ。ただ……なんていうか……うまく言えないな。それよりこれからどうするの?つまり、秘密を知った梓は?」

188: 2012/05/14(月) 18:51:53.10

梓「実は考えたんです……」

澪「どんな?」

梓「逆ですよ。唯先輩がしたことの逆をしようかなって。唯先輩のほうがにんげんっぽいです」

澪「でも……梓は……」

梓「唯先輩がきっと優しくしてくれますよ。わたしにはできなかったんですけど」

澪「……そっか、梓が決めたなら仕方ないな」

梓「それに氏ぬわけじゃないですしね。人間の人生は1回だけですけど……それは次回、ですよ」

澪「あのさ、もしかしたら、わたしたちも人間になるかもなあって」

梓「もう怖くないんですか?」

澪「律が、言って聞かないんだよ天国にあんなおいしいコーラ・グミはないってさ」

2人は声を上げて笑いました。
もしかしたら、あずにゃんが笑ったのは生まれて初めてかもしれません。
列車が音を立てて、終点に止まりました。

189: 2012/05/14(月) 18:52:23.81

澪「じゃあ……さよならだな」

梓「あの、ありがとございますっ。きっといろいろ迷惑かけたと思いますから」

澪「そんなこと……」

澪ちゃんは言いかけてから、やめて、あずにゃんを叩く真似をしました。
あずにゃんは叩かれる真似をします。

梓「あ、いたいです」

澪「心配しなくてもいいよ。迷惑かけた分は次のときにでもさ。そのときならほんとに梓を叩けるしね」

もう一度、2人は笑いました。
そして、手を振って別々の方向に歩いていきました。


190: 2012/05/14(月) 18:52:57.79

駅から見える景色は夜でした。
真っ黒な夜空に輝く星。その下には黒々としたうねりをあげるもう一つの夜。
潮風が吹いてきてあずにゃんの髪をさらいました。

あずにゃんは砂浜まで歩いて行くとそこに腰を下ろしました。もちろん、隣にはあのぬいぐるみも一緒です。
あずにゃんは考えました。
ここが海であるというのはとても都合がよかった。ここならもう一度、世界をひっくり返せる。
コーラ・グミの袋を開けて全部一気に口に放り込みました。
いくつもの選ばれなかったグミが砂浜をころがっていきます。袋が風にさらわれて踊り出しました。
ひらひら。
そういえば、律先輩はコーラ・グミ中毒の素質があるような。

191: 2012/05/14(月) 18:53:42.25

あずにゃんはポケットからポイントカードでもらった裁縫セットを出しました。
それで丁寧にぬいぐるみのツギハギ部分をほどいていきます。ある程度の大きさ穴を作ってしまうと、そこから中の詰め物を引きずり出してしまいました。
その綿は真っ白でふわふわで雲みたいでした。
そして、最終的にはぬいぐるみを空っぽにして、裏返しました。

そこで、あずにゃんは思いつきました。
そうだ、わたしの記憶を、何千回も回り続けた記憶をここにおいていこう。
そうすれば、もしみんなに会えなくて、ひとりになってしまっても寂しくないから。

そのぬいぐるみをもって海の前に立ちます。あずにゃんの足は震えていました。
海は星や月の光を反射して、夜空のように見えました。
そう、わたしは海に落ちるんじゃなくてもう一度、空に帰るんだ。
あずにゃんは考えました。

192: 2012/05/14(月) 18:54:09.67

そうして、海の中に飛び込みました。
暖かくて冷たい海の中に。
だんだんと落ちていく間、あずにゃんは思いました。
どこが間違っていたんだろう。もしかしたら、最初の1歩から失敗だったのかな。つまり、必要ないのに生まれちゃったから。
あーあ。
全身の力が抜けるにつれ口の中に水が侵入してきても苦しくなくなって、自分が空っぽになっていくのをあずにゃんは感じました。
わたしは残ったみんなに罪をかぶせて消えます。何も考えないことより楽なことはないですから。
ごめんなさい。ほんとに。

すると、あずにゃんは声を聞きました。海の上、空のほうから。
それはお決まりの言葉でしたが、あずにゃんにほんの少しだけ上向きの力をあたえました。
あずにゃんは海面にむかって泳ぎ始めました。
これだけの力でどこまでいけるだろう?
あずにゃんは考えました。
暗い暗い海は空のようでした。

おわりっ!

193: 2012/05/14(月) 18:54:37.34

――それで……それでどうなったんですか?

――うーん……どうなったと思う?

――考えてないんですか?

――うん。どうしたらハッピーエンドにできるかわかんなくて……

――陸にもどれてめでたしめでたしでいいじゃないですか

――ぬいぐるみはどうなっちゃったのさ

――奇跡がおきて人間になりましたって

――人間になれたらハッピーエンドなのかな? それに海の上には上がれないよ。きっと、途中で……

――自分で作ったお話くらい最後まで完成させましょうよ

――中途半端なんて、わたしたちみたいだね……あ、そうだわかったよっ。ちゃんとした終わり方。

――なんですか?

――続く!

194: 2012/05/14(月) 18:55:06.58


変な感じがしていた。
ずっと昔からだ。
こどもの頃、眠れないまま考えたいくつもの悲しい結末が目の前できらめいていた。
実にいろんな種類の不幸があるんだ。わたしは思った。
その逆も。
だけど、それらすべてはわたしのところには降りてこなかった。
いったい、ここには何がやってきたんだろうな。少なくともそれが天使じゃないことは確かだ。
そしたらまた繰り返す。昨日までの日曜日。

だから、この小さな公園の片隅で一度崩れてしまったあずにゃんが隣であくびをしたのが聞こえてもわたしは驚かなかった。
空は暗くなり始めていた。
夜ですよ。
あずにゃんは言った。

195: 2012/05/14(月) 18:55:34.61

唯「夜がわたしたちを隠してくれたのは昨日までだよ」

梓「ふあああああ」

あずにゃんは目をこすった。
眠らないように努力してるみたいだった。

梓「やっとですか」

寂しそうな顔をした。
そうだね、とわたしは笑ってみせようとしたけど、うまくはいかなかった。
また失敗。

唯「あのさ、なんていうか……」

梓「何ですか?」

唯「不思議と悲しくはないんだ。なんでなんだろう?」

196: 2012/05/14(月) 18:56:02.31

遠くで大きな地鳴りがした。
さっき歩いてきた道のほうを眺めた。
残念だけど、昔いたあの街は見えなかった。
それでもわたしは地平線から目をそらすことができなかった。まるでそこから何か素晴らしい奇跡でも起きるんだと思っているかのように。
そうしていると、その線が歪んで、そしてこっち側にゆっくりと近づいてきているのがわかった。
もうこの場所も必要なくなってしまったんだ。きっと。
そして、ここにいる人たちも。
でも、ほんとにそうなのかな?

唯「あずにゃんは生まれ変わりを信じる?」

梓「まるで今から氏んじゃうみたいないいようですね」

唯「たとえば、だよ」

梓「でもそうですね。あんまり信じてません」

唯「なんでさ?」

梓「なんだかずるい気がするじゃないですか」

唯「そうかなあ」

197: 2012/05/14(月) 18:56:30.88

梓「そうですよ。唯先輩は生まれかわると思いますか?」

唯「そうだったらいいなって思うかなあ。でもずるくはないよ」

梓「なぜですか?」

唯「だって、生まれ変わってもきっと何も変わらないよ」

梓「……じゃあ、意味ないじゃないですか」

唯「まあ、ねえ」

わたしは言葉を濁した。
でも、ほんとは、いつかあずにゃんが言っていた通りわたしはなにもわかってないのかもしれないな。
地平線はすぐそばまで迫ってきていた。



198: 2012/05/14(月) 18:56:58.23

梓「あ」

あずにゃんが驚きの声を上げた。
袖を引っ張っられ、その顔をうかがうとひどく興奮しているのが見て取れた。

梓「すごいですよすごいですよっ」

あずにゃんはぴょんぴょんと飛び跳ねた。
早くあそこみてくださいよ。
わたしはあずにゃんが指さした方向に視線を向けた。

風船。

風船が空をとんでいた。
それもひとつやふたつだけじゃなくてたくさん。
赤、青、黄、ピンク、緑。
風船風船風船風船風船風船風船。
無数の風船が空を、夜に飲み込まれてしまう前のその空を埋めつくしていた。

唯「わあ。すごい……」

199: 2012/05/14(月) 18:57:25.80

うまくは言えないけど、なんだかばかげた気分になった。
冗談を言ってはずす。
大敗退してるのに開き直る。
そんな感じ。
それはわたしが昔幼い頃に、今あずにゃんのために語ったいくつもの物語のようだった。
不意に、今もまだ風船を握りしめていることに気がついて、それがなんとなくおかしくって吹き出した。

唯「そうだ。わたしたちの風船も飛ばそうよっ」

梓「はいっ」


手をひらいた。
わたしたちの風船はちょっとためらってから空に舞い上がった。
そして、ぐんぐん昇って空を覆うカラフルな雲になる。

200: 2012/05/14(月) 18:57:53.49

唯「いけいけ。ごーごー」

梓「あがれー」

唯「がんばれーがんばれーがんばれえええ」

それらが見えなくなってしまうまでわたしたちは声を出し続けた。
ある考えが、それまで少しも気に留めたことのなかった考えがわたしの頭をかすめた。
わたしは言った。

唯「ねえ、あずにゃん。これが最初だったんだよ」

梓「さいしょ?」

唯「そうだよっ。わたしたちのほんとの1回目なんだ」

それは間違ったことなのかもしれないな。
わたしたちは不完全ででき合わせでしかなかったけど、それでも誰かに必要とされたんだ。
それが、いつかの公園で泣いてたはずの自分だったとしても。
わたしたちはコールされる。



201: 2012/05/14(月) 18:58:21.38
『4002回目』

夢を見た。
長い夢だ。
どんな夢かはもう思い出せない。
ただ、1ついえるのは起きたあとでわたしは何ひとつ変わっていなかったということだ。

202: 2012/05/14(月) 18:58:49.24

目を開けたとき、自分がいつもと違うところにいるのが変な感じだった。
わたしは布団の上であくびをした。
痛い、と思った。
腕を見たらちょっとだけはれていた。
他にも身体で服の外に出ている部分は赤くなっていた。
ほっぺたのあたりがひりひりして、わたしは笑わずにはいられなかった。
とても嬉しかったんだ。

あずにゃんは作り物ではなかったのだ。
少なくとも、完全には。
もし、これが普通の人だったらわたしは炎症で氏んじゃうだろう。
だから、やっぱりあずにゃんはなにも変わってはいない。
ただ長い間ふれていたからというだけだ。
それが嬉しかった。
あずにゃんはわたしにふれていた。
しかも、寝ている間ずっと。
それだけ。

203: 2012/05/14(月) 18:59:17.30

リビングではあずにゃんがニュースを見ていた。
どこかの海(どこだったのかはわからなかった)でたくさんの風船が見つかったとかなんとか。
ずいぶんバカげたいたずらだと誰かが言っていた。

梓「あ、おはようございます」

唯「おはよー」

梓「憂が言ってました。今日は風邪をひいたってことで休みにしておくからって」

唯「あ、今日学校だったんだね」

梓「そうですよ。月曜日ですから」

唯「あずにゃんは大丈夫?」

梓「昨日から親はふたりとも家にいませんから」

唯「そっか。朝ごはんにする?」

梓「そうですね」

204: 2012/05/14(月) 18:59:56.58

ふたりで目玉焼きを作って食べた。
あずにゃんは料理が下手だ。
わたしも。
生活できないねって2人で笑った。

唯「あれ、あずにゃんコーヒーに砂糖入れるんだ?」

梓「ダメでした?」

唯「ううん。ブラックが好きだったんじゃなかった?」

梓「そんなことはないです」

唯「昨日は?」

梓「気分ってあるじゃないですか」

唯「苦いの我慢してごくごく飲んでたの?」

梓「うるさいです」

205: 2012/05/14(月) 19:00:25.81

それから、わたしたちは外に出てみることにした。
空があまりに晴れていたからだ。
朝の道。
たくさんの人が大通りをカラフルに埋めていった。
だけど、もうどんなに人がいたってわたしたちは平気だった。

白線の上をなぞる。
はみださないようにおっこちないように。
ちょうど真ん中。

206: 2012/05/14(月) 19:00:53.80

唯「あずにゃん向こうにはジャンプだよ」

梓「えー。やですよ」

唯「じゃあ、わたしがまずやるよ」

線から線に飛んだ。
着地。

唯「ほら次はあずにゃんの番だよー」

梓「……えいっ」

あずにゃんがわたしのほうに飛んでくる。
わたしは抱きかかえるみたいにしてそれを受け止めた。
バランスを崩して白線からはみ出す。
あーあ。

207: 2012/05/14(月) 19:01:22.26

梓「わわっ、危ない。どいてくださいよ」

唯「も-失敗だよーどうしてくれるのさー」

梓「唯先輩のせいですよ」

唯「あずにゃんのせいだ」

梓「ばーか」

唯「ばーか」

わたしたちは笑った。
抱きあったままけんかするのはあまりにおかしかったから。

208: 2012/05/14(月) 19:01:49.79

そのままの体位であずにゃんが言った。
今なら言えるとでもいうように。

梓「教えてくださいよ」

唯「なにを?」」

梓「唯先輩がいつも夜になるたび言うお祈りの言葉」

唯「えー。じゃあ、あずにゃん教を信じる?」

梓「それは無理です」

唯「なんでさ?」

梓「わたしも信じてるものがあるんです」

唯「あててみよっか?」

梓「やめてくださいっ」

唯「えへへーまっかだ、あずにゃん」

梓「むう」

唯「すねないでよー。わたしが夜ごとにあずにゃんなんて言ったのか教えるから」

梓「何ですか?」

209: 2012/05/14(月) 19:02:33.69

わたしはあずにゃんの耳に顔を近づける。
そして、大声を出した。
あずにゃんが後ろに飛び退いた。

梓「びっくりするじゃないですか」

唯「えへへ……ずっとひみつだよ?」

梓「がんばります」

わたしたちは吹き出さずにはいられなかった。

210: 2012/05/14(月) 19:03:07.42

どこに行こうかとわたしが聞くと、どこでもとあずにゃんが答えた。
そうやって自分の未来を決められないからあずにゃんはいつまでもこどもなんだとわたしは言った。
明日は行きたいところができますって、とあずにゃん。
いや、絶対、100歳になってもあずにゃんはわたし任せにすると思うな。
わたしが言うと、あずにゃんが笑った。

そんな未来を予言するのはあまりに簡単で、自分たちの人生のつたなさにわたしたちはもっと笑う。
そして、わたしたちはどちらかがちょっとでも悲しくなるたびにこう言い合えることだろう。

がんばれ!!

211: 2012/05/14(月) 19:03:48.65
おわりです
ありがとうございました

212: 2012/05/14(月) 20:52:08.55
乙!
面白かった!

213: 2012/05/14(月) 22:32:37.93
乙乙!!!

ひょっとして前にシャボン玉の話書いてた人?
よかったよすごく

引用元: 唯「天使だった日曜日」