1: 2012/08/16(木) 07:48:50.85


――
―――



かみさま『オヌシに魔法をくれてやろう』

紬「えっ」

かみ『金を持つ家に生まれ、かけがえのない仲間も得て、ならば次に望むものは魔法じゃろ?』

紬「えっ」

神様『しかし不老不氏になどなられても困る。他人にのみ作用する魔法を、一人に二度きりの魔法を貴様にくれてやろう!』

紬「えっ」

神『二度とはすなわち、一度目で魔法をかけて二度目で魔法を解除するということだ。詳しくはこの説明書を読め』ピラッ

紬「えっ――」



―――
――


https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1345070930/

2: 2012/08/16(木) 07:49:32.82



紬「……酷い夢を見た」

目覚ましより30分くらい早い時間に目が覚めてしまった。目を開ければ見慣れた高い高い天井。見慣れたとはいえ特別好きというわけでもないけど、とにかく自室であることは間違いない。
きっと家の執事やメイド達はもう起きているのだろうけど、私の睡眠を邪魔しないようにいつも物音一つさせずに働いている。
目覚めは最悪だけど、そんな執事達を驚かすことが出来ると考えれば、30分の早起きも悪くはないかな。

そう思い、身体を起こして伸びをして。

紬「んん~っ………ん?」


クシャリ


……右手に握り締められた、『説明書』とデカデカと書かれた紙に目が行った。



3: 2012/08/16(木) 07:50:25.52



紬「――菫ー、すみれー」

菫「はいはい、何でしょうお嬢様」

『説明書』に一通り目を通すと、結局いつも通りの時間になっていた。
そのまま起きて皆に挨拶し、朝食まで済ませて。お互いに学生モードに切り替わる直前、菫に声をかけた。

紬「誰もいないからいつも通りでいいわよ……っと、危ない危ない」→

菫「? どうしたのお姉ちゃん、急にむこう向いて」

……それはね、あなたに魔法がかからないようにするためよ。


『説明書』に書かれていた『魔法』のかけ方。相手の目を見て、命令すること。それだけ。
こんな簡単なやり方では家の中の私じゃ知らないうちに魔法を使ってしまいかねない。学校ならそんなことないだろうけど。
っていうか魔法なんていうけど、要は相手に行動を強制するような用途ばかりになるんじゃないかな、これ。

そもそも、夢で見た『説明書』が手元にあるからといって魔法の存在を信じたわけじゃない。
信じたわけじゃない、けど、たぶん本物なんだろうなぁ、とも思ってるから慎重になってる。
魔法なんて現実に存在すると思うほうがおかしいんだとしても、夢と現実がシンクロしちゃってる今を、どうやっても証明できないから。
だからきっと、『まだ』信じていない、信じれない、それだけのこと。
本当は、どうせこれは、否定できない非日常。
信じがたい現象だけど否定できないから、たぶん全部本当のこと。

だから、菫で試してみようと思う。
試すと言えば聞こえは悪いけど、魔法はなるべく害のないものにするし、それにあの神様(?)の言うことと説明書が正しいなら、一度魔法をかけてしまえば二度目は『解除』しかないから。
言ってしまえば、先に意図的に魔法をかけることで『誤爆』の可能性も減るはず。これは菫達を守ることにも繋がるんだ。

でも、あまりにも害がないような日常的な命令だと魔法の効果かどうかわからない。
ギリギリのラインを見極めないと……


紬「……菫」

菫「なぁに?」


4: 2012/08/16(木) 07:51:18.12


紬「……『今から裸で私の部屋を掃除してきなさい』」


ギリギリのライン…じゃないかな?
いくら私の前とはいえ裸で掃除なんて普通なら抵抗あるはず。そして私の部屋に限った行動内容なら他の人の目にも触れない。
……菫の肌は綺麗だから眺め甲斐がある、って下心もあったことは否定しないけど、長年連れ添った菫は妹のようなものだから一生一緒に居たいとは思えどそこまで邪すぎる感情はない。本当ですよ?

菫「………」

紬「………」ゴクリ

……ちゃんと目を見て言った。物理的に不可能な内容でもないから、魔法が本物ならちゃんとかかるはず。かからなかったら赤っ恥だけど、ギリギリおふざけの範疇にできるはず。

どう…なの? 魔法は本物なの? それとも…?

きっと、私達の沈黙は一瞬だったはず。
それでも、よく聞く陳腐な表現になっちゃうけど、私にはその一瞬のはずの沈黙がとてもとても長い時間に思えた。

そして。


菫「……うん、任せて、お姉ちゃん」ヌギヌギ

紬「ちょっ、ここで脱いじゃダメぇぇぇ! 忘れて! 『忘れて』!!」

『説明書』に書かれていた解除方法。魔法にかかっている相手に、「忘れて」とか「忘れろ」とか、そういう言葉を向けること。
そうすることで、魔法にかかっていた人はその間の出来事を全て忘れ、元に戻る。そう書いてあった。

菫「………」

紬「忘れなさい!」

菫「………ふぇ?」パチクリ

紬「ほっ……」


5: 2012/08/16(木) 07:55:10.85

呆けた菫を見て、ほっと一息。どうやら『解除』は成功したみたい。
実に簡単すぎる解除方法。もちろん解除なんて簡単なほうがいいんだけど、これまた『誤爆』する可能性もありそうだよね。
……ううん、きっとそっちのほうがいいんだ。
魔法に頼って得たものなんて、所詮は一時の幻。誤爆してあっけなく全てが無に帰ってしまうくらいのリスクを常に抱えておくくらいしないと、高望みしちゃいかねない。
望みが何でも叶うような、便利すぎるものは人をダメにする。高望みすることに抵抗を持たなくなったら、人としてよくないことになる。私はそれをよく知ってるから。

……よく知ってるから、私はこの想いを胸の奥に抱えてきたんだから。

だから、私がこの『魔法』で見たいものは、一時の幻。醒めないといけない幸せな夢。
高望みしすぎにも程がある、人間としてこの上ない幸福。


想いを寄せる人と、両想いになりたい。

唯ちゃんと付き合いたい。


現実的に考えて叶うはずもないことだけど、魔法なら叶えられる。
たとえ泡沫の夢だとしても、今の私はそれを求めてる。ううん、夢だとわかっているからこそ、自分の感情に素直に向き合うことが出来るとさえ思えてる。

夢だから、魔法の産物だから、私は唯ちゃんに告白できる。
そんな開き直りが、確かにそのとき私の胸の内にあったんだ。


菫「……くしゅん! あ、あれ、なんで私裸なの!?」ブルブル


6: 2012/08/16(木) 07:56:05.52



――駅の改札口を抜け、階段を下りてすぐ。その目の前の道は、私と唯ちゃんの最初の接点。
念には念を入れて電車を一本早めて、私はこっそり唯ちゃんを待つ。

そして、運命の時。

唯「あっ、ムギちゃんだ」

紬「あら唯ちゃん、おはよう」

唯「おはよ~。キグウだねぇ」

紬「そうだね~」

電車を早めまでしたのに、私は偶然を装った。
そうした理由は一つ。なぜなら、まだ魔法はかかっていないから。夢から醒めても、今のこのやりとりは記憶に残るから。
「唯ちゃんを待ってたの」なんて思わせぶりな言葉を吐くことも出来たけど、そこ『だけ』が唯ちゃんの記憶に残るのはなんか嫌だった。


……そう、ここから先は、醒めてしまえば二度と思い出せない、意味のないただの夢。


紬「……唯ちゃん」

唯「ん? なぁに?」

紬「あのね……」

唯「うん?」

ただの夢だとわかっていても、緊張してしまう。
でも、言わないと始まらないんだ。覚悟を決めるのよ、紬!


紬「……唯ちゃん! わ、『私と付き合いなさい』!!」


言った! 言ってやった!!


唯「………」


大丈夫、魔法はかかる。ちゃんとかかる。
そうわかっていても、この瞬間はとても緊張する。
だから、やっぱりまたしてもこの沈黙の時間がとても長いものに思えた。

7: 2012/08/16(木) 07:57:20.52


唯「……ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします……///」

紬(いよっしゃあああああああああああああ!!!)

頬を染め、頭を下げる唯ちゃんに何かが吹き出そうになる想いをこらえながら心の中でガッツポーズ。

今この瞬間、私の大願は叶ったんだ。
ずっとずっと願い続けてきたと同時に諦め続けてきた理想の現実が、今、目の前にあるんだ。嬉しくないわけがなかった。


唯「えへへ……ム~ギちゃんっ♪」ギュッ

紬「うふふ……このまま腕組んで学校まで行く?」

唯「……が、学校まではまだちょっと恥ずかしい…かも///」

紬(か、かわええッッ!!)

滅多に見ることの出来ないであろう唯ちゃんの照れ顔が、この上なく可愛く思えて。
確かにその時の私は舞い上がっていたんだろうけど。

紬「………」

でも、それが恋人関係だからこそ見れる顔だ、ということに気づいた時、少しだけ胸の奥が痛んだ。

今の私と唯ちゃんは、まごう事なき恋人関係。
でも、この顔を引き出したのは、私の努力じゃない。私の想いが通じたからじゃない。
所詮は魔法。ただの夢。

確かに恋人関係だけど、それを作り上げたのは私一人。
そこに唯ちゃんはいるのに、そこに唯ちゃんの意思はない。

そんな現実から来る虚しさと、そして、そんな自分勝手な夢につき合わせてしまっている唯ちゃんへの、少しの罪悪感。
そんな罪悪感からせめて僅かでも逃れるようにと、私の口は言葉を紡いだ。どうせ後で忘れるんだからといって、何もしないなんて出来なかった。

紬「……ごめんね、唯ちゃん」

唯「えっ? 何が?」

紬「……好きで、好きすぎて、ごめんね?」

唯「……そんなことないよ。私もムギちゃんのこと好きだから、別にいいんだよー」


……夢じゃなければ、その言葉はとても嬉しいものだったんだろうなぁ、と思った。


8: 2012/08/16(木) 07:58:56.47



――私は、急いだ。

醒めなくてはいけない夢。醒めるべき夢。
唯ちゃんのことを思えば思うほど、今の状況をそうとしか認識できなくなっていった。

魔法を使ってまで叶えたかった今の状況、それに浸りたい気持ちももちろんある。
私自身のことだけを考え、神様のくれた非日常を心行くまで楽しみたい。そんな気持ちがないといえば嘘になる。

でもやっぱり、唯ちゃんのことを考えると、それは間違ってるって思う。

気持ちを、行動を、魔法なんかで好き勝手に操るなんてこと、やっぱり許されないんだ。
どうせすべて忘れてしまうとはいえ、ううん、忘れてしまうからこそ唯ちゃんの時間を独り占めすることはいけないんだ。
唯ちゃんさえも忘れてしまうこの時間は、本当の意味で私だけのものになってしまう。

唯ちゃんの気持ちも、時間も、私が奪ってる。それはよく考えたりなんてしなくても、悪いこと。いけないこと。

なのにそれでも、すぐに手放すのは惜しすぎた。夢にまで見た、願い続けたこの現状を、すぐ切り捨てることなんて出来ないくらい私は弱かった。

だから、期日を定めて急いだ。
今日一日で、出来るだけ唯ちゃんとの恋人関係を味わい尽くそうって決めた。
恋人同士でしか見れない唯ちゃんの表情を、少しでも多く見ようって決めた。

授業中。休み時間。お昼ご飯の時間。
いつも以上に輝く、いつもの時間。いつも通りじゃない時間。

笑顔、照れ顔、安堵の顔。
呼び名は一緒でもみんなといる時とは少し違う、二人きりの時だけに見せるそんな顔。

それらは、とてもとても愛おしくて。


そうして味を占めた私は、最後にあるものを望んでしまった。


唯ちゃんを困らせてみたい。


マンガとかでは割とある、好きだからこそ困らせたい、みたいな感情。

いつの間にかそんな感情が芽生えてきていた事に、せめて少しくらいは驚くべきだった。
唯ちゃんを好きなはずなのに、困らせたいという矛盾に、疑問を持つべきだった。
こういうことは大体ろくでもないトラブルの元になるって、思い出すべきだった。

でも、そのときの私は何ら躊躇わなかった。
これで最後だから、とか、どうせ夢だから、とか、逃げ道はいくらでもあった。きっとそれに胡坐をかいていたんだ。
もしかしたら、ちゃんと自分を自制して今日一日で夢から醒める、そんな決意をした『自分へのご褒美』とか、そんな考えだったのかもしれない。
私は偉い子、いい子だから、全てを手に入れる権利がある。そんな思い上がりと言い訳だったのかもしれない。

高望みしちゃいけないって、わかってたはずなのに。


9: 2012/08/16(木) 08:03:27.43



――その日の最後、部活の時間。愚かな私は、馬鹿な考えを行動に移してしまった。

唯「はぁ~……今日もケーキ美味しいねぇ…」

いつもにこやかで可愛い唯ちゃん。どうすればこんな唯ちゃんが困った顔をするのか。
じっくり考えればもっといい方法もあったのかもしれないけど、急いでいて、焦っていて、それでも愚直に自分の感情に従うしかできなかった私は、結局手っ取り早く魔法に頼ることにした。
魔法に頼る道を、選んでしまった。

紬「……ねぇ、皆。ちょっと話があるんだけど……」

律「ん?」

澪「なんだ?」

梓「はい?」

さわ子「」ズズズ

唯「ん~?」

りっちゃん、澪ちゃん、梓ちゃん、ついでにさわ子先生。
もう魔法にかからない唯ちゃんは除外するとして、他の4人の目を同時に見つめられるよう、席を立ってちょっと距離を取る。
ちょっと訝しんだ目で見られてるけど、こうすればみんなに同時に魔法をかけられる。
みんなに同時に魔法をかけられるということは、みんなの記憶を同時に操れるということ。
これが一番都合のいい方法だ、と冷静に悪知恵が働くほどに、この時の私は『何か』が見えていなかった。


紬「……皆、『私を好きになりなさい』!!」


10: 2012/08/16(木) 08:05:23.71


言うまでもなく、この時の『好き』とは恋愛的な意味のこと。
こうすることで唯ちゃんの嫉妬を煽る。そんな考え。

……4人の目をちゃんと見つめることだけに集中していた私は、この刹那に唯ちゃんがどんな顔をしたのかを知らない。
でも、

律「……ムギ、愛してるぞ!」
澪「ムギ、私の愛の詩を聞いてくれ!」
梓「ムギ先輩、同棲から始めましょう!」
さわ子「ムギちゃん、ウェディングドレス作ってくるわね!!」


唯「………え?」

皆に魔法がかかった後、唯ちゃんの手から、ケーキの乗ったままのフォークが零れ落ちた光景は目に焼きついている。

フォークは机で跳ね、床に落ちたはずなのに、金属音が一切しなかった。

その瞬間、フォークはきっと私の胸に刺さったのだろう。
刺さった瞬間は、痛みを感知できなかったけど。

唯「……ムギ、ちゃん……?」

呆然とした顔で、僅かに動く唇から私の名前が紡がれて。
私を見つめて微動だにしない瞳が、まばたきも忘れて涙を流し始めた時。


ようやく私は、自分がしでかしたことの最低に気づいた。


紬「ゆ、唯ちゃん、あのね、これは……!」

唯「っ……!」ダッ

紬「ま、待って唯ちゃ――」

ガシッ

紬「!?」

追おうとしたけど、誰かに手とか脚とかいろんな場所を捕まれて追えない。
誰かなんてわかってる。みんなだ。私が『好きにさせた』みんなが、私がどこかに行くなんてこと、許すはずがない。

律「ムギ、どこに行く? どこでもいいぞー、エスコートは任せろ!」
澪「キミの眉毛は綺麗な半月、まるで分度器トキメキドキドキドキマギ♪」
梓「ムギ先輩、泊まりに来ます? それとも私が泊まりに行きましょうか?」
さわ子「いいから脱げよ」

紬「っ……待って皆、待って唯ちゃんっ…!」

唯「知らないっ! ムギちゃんなんて知らないっ!! ムギちゃんなんか――」

ドアに手をかけた唯ちゃんが、振り向き様に言う言葉の、その先。
言われなくてもわかってる。私を傷つけるその言葉は、ちゃんと聞こえてるから。
ちゃんと心に刻むから、だからせめて、言わないで――!


唯「ムギちゃんなんか―― 
紬「忘れて! 『みんな、全部忘れて』ッ!!!」


11: 2012/08/16(木) 08:09:11.91

………

……


律「……あれ?」

澪「ん?」

梓「…私たち、何してたんですっけ?」

さわ子「お茶、お茶……」ズズズ

唯「………」

……よかった。唯ちゃんも含めた全員、ちゃんと魔法は解除されてるみたい。
よかった、本当に……

律「……ムギ? どうした?」

紬「え?」

澪「……辛そうだぞ」

梓「大丈夫ですか?」

辛そうな顔……してるのかな、今の私。
辛くなんてない、とは言えない。唯ちゃんを悲しませ、苦しめて、辛くないはずがない。
こんなに心配してくれる仲間の心まで好きに操って、胸が痛まないはずはない。

でも、それを表に出していいはずもない。
これは私が自分の意思でやったことなんだから。
気づけなかった私が馬鹿なだけで、今頃になって気づいたから辛いだけで、それらは結局、私の中で完結させるべきこと。
表に出して、気を遣ってもらって慰められちゃいけない。私一人でちゃんと後悔しないといけない。

だから、私はいつも通りの表情を作って、いつものように笑ってないといけない。みんなに心配かけちゃいけない。
心配してもらえるだけの価値なんて、私にはないんだから。

だから、私は、自然に、いつものように――


12: 2012/08/16(木) 08:12:00.96


唯「……私…なんで、泣いてるの……?」


フォークが音を立てて、胸に一際深く食い込んだ気がした。


梓「唯先輩も、どうしたんですか?」

唯「さ、さぁ…? なんでだろうね、あずにゃん…」

律「とりあえず、こっち来いよ。というかなんでそんなとこにいるんだ?」

唯「なんで、だろうね……わかんないよ……」

澪「……唯?」

そんなやりとりを呆然と眺めることしか、私には出来なかった。

痛いよ。
とても、胸が痛いよ。
息をするのも苦しいよ。


「助けて、唯ちゃん」


そう言いたいけど。
それでも、唯ちゃんを傷つけるほどに酷い私は、それでも卑怯者にはなれなかった。
でも、やっぱり弱い子なんだ、私は。だって。

唯「…………」

紬「……みんな、ごめんね。体調悪くて、今日は帰っていいかな……」ガタッ

律「えっ? ちょ、ムギ……」

だって。
たった今、呆然と眺める私と目が合いそうになった唯ちゃんは、確かに目を逸らしたから。
それだけで、ここに居られる気がしなくなったから。


紬「……さよなら」


ここに、二度と来られない気がしたから。

13: 2012/08/16(木) 08:44:40.00


―――
―――――


なのに。
それなのに。


廊下に一歩出た、その場所で。
私の制服の袖をつまむように、引き止めるのは。
最初から最後まで、私を振り回すのは。心も身体も、振り回してくれるのは。


紬「……離して、唯ちゃん」


唯「……やだ」

紬「………大丈夫だから」

いったい何が、どう大丈夫なのかわからないけど。でもそう言えば隠せると思った。
私の異変を感じ取って席を立ち、手を伸ばしたのなら、察してくれると思った。
でも、そんなことはなかった。

唯「……大丈夫じゃないよ」

紬「…大丈夫だから」

唯「大丈夫じゃないよ……」

  「………私が」


部室の扉が閉じる音が、遠く聴こえた。


唯「「またね」って言ってよ、ムギちゃん」

紬「………」

唯「「さよなら」じゃ、怖いよ……」

ぐっ、と、飲み込んだ。
何かを。

紬「……またね、唯ちゃん」

唯「だめっ!!」

でも、彼女は手を離してくれない。

14: 2012/08/16(木) 08:57:02.50

紬「……なんで?」

唯「……まだ、怖いから」

わがままばかり言って私を困らせる唯ちゃんは、まるで子供のよう。
私が大好きな純粋な子供。同じわがままでも、私のとは大違い。
どれくらい違うかなんて、言葉にできないほど違う。

唯「笑ってよ、ムギちゃん……明日ムギちゃんに会えるのが楽しみになるように、いつもみたいに、笑ってよぉ…!」

紬「っ……」

唯ちゃんのわがままは、いつも私の心と身体を振り回す。振り回してくれる。
私は、それが嬉しかった。一緒にいて楽しかった。

なのに、私のわがままは。魔法は、唯ちゃん達の心を、一方的に握り潰した…!

間違った事だってわかってた。
ただの夢だってわかってた。
割り切ってたつもりだった。

私がわかってなかったのは、私のこと。
私は、そんな一回の間違いさえも許せないほどに、唯ちゃんのことが好きだったってこと。

誰にも責められるはずのない間違いでも、自分が許せない。それほどに…!


でも、そんな私の耳に届いた次の言葉は。

唯「……ごめんね、ムギちゃん」

紬「えっ…?」

予想外な、そんな言葉。

唯「ムギちゃんが、辛い顔してるの、きっと私のせいなんだよね?」

紬「………」

唯ちゃんとの件、という意味では否定はできないけど。でも唯ちゃんは悪くない。
そう否定しないといけないのに、言葉が出てこなかった。
唐突にそんなことを言い出した唯ちゃんに、呆気に取られていた。

唯「今日一日のこと、なんでか全然おぼえてないんだけど」

うん、覚えてないはずなんだ。そういう魔法なんだから。
なら、なんで……

唯「でも、わからないけど、すごく胸が痛くて……」

紬「………」

唯「……私、ムギちゃんに何かひどいこと言っちゃったような気がしてっ…!」

紬「っ…!」

それは。
唯ちゃんがあの時言うはずだった言葉は。
私を否定し、拒絶するその言葉は、私の「忘れて」と重ねたはずだったけど。
『忘れさせる』のではなく、重ねることで『聞かないようにした』んだけど。

もしも。
有り得る可能性として。
もしも私が、自分勝手に、自分本位でそんなことをしたせいで、唯ちゃんの中から一部が消えきれなかったというのなら。
そのせいで、唯ちゃんが自分を責めているんだとしたら…!

紬「違う、違うの唯ちゃん! 悪いのは全部私なの…! だって――」


……全部、ありのままを伝えるしかないよね。
唯ちゃんは悪くないって、私から言い切る方法は、それだけだから。


15: 2012/08/16(木) 09:01:17.90

――
―――


紬「――ごめんなさい!」

洗いざらい説明して、頭を下げる。
魔法とかなんとか、そんな突拍子もないことを信じてもらえるかはわからない。嘘つきと謗られるかもしれない。
けど、信じてくれても信じてもらえなくても悪者は私。そうなるならそれでいいと思ったから全部そのままに話した。

でも、予感はあった。

唯「……いいよ。ムギちゃん、怒ってないから顔上げて?」

優しい唯ちゃんなら、純粋な唯ちゃんなら、そうやって全てを信じ、許すんじゃないか、って予感が。
でもそれは打算じゃない。その証拠に、そうやって許されても全然嬉しくないから……

唯「……えへへ」

紬「……へ?」

言われて顔を上げたけど、そこにあったのは予想外の顔。
ニコニコと、私の今の説明をむしろ喜んでいるような顔。
むしろ頬を染めているようにさえ見える……

唯「嬉しいなー、そこまで好きって思ってもらえてたなんて///」ギュッ

紬「へ? ほぇ!?」

今朝のように腕を絡め、抱きついてくる唯ちゃんに私は適切な反応を返せなかった。
というか、え? なんで??

唯「……私も好きだよ、ムギちゃん」

紬「えっ!? え、でも、ちが、それは魔法でっ……」

私は、魔法で唯ちゃんとそういう関係になった。だから、その気持ちは魔法のせいのはず……
だけどよく考えなくても、魔法はもう解けてるはずなんだ。実際、他のみんなはちゃんと忘れてる。
とすれば、唯ちゃんだけ魔法が残ってる? でも、なんで……?

唯「……魔法じゃないよ。ずっと前から、私の気持ちは変わらないよ」

紬「……私に、言われる前から…?」

唯「うんっ」

でも、それだって魔法のせいでそう思い込んでるだけかも……

唯「……ムギちゃんの言ったことが、全部本当っていう前提だけどね」

紬「うん」

唯「ムギちゃんは、私の気持ちは変えなかったんだよ」

紬「………えっ?」

唯「魔法で」

16: 2012/08/16(木) 09:02:17.18

思い返す…までもない。さっき唯ちゃんに説明したから。
私は唯ちゃんに「付き合いなさい」と命令し、魔法をかけた……
だって、好きだったから、付き合いたかったから。

唯「……他のみんなとは、違って」

他のみんなには……唯ちゃんにやきもち焼かせたかったから、そのために私を好きになってもらおうとした。
思い出したくもない誤ちだけど、私はみんなに「私を好きになりなさい」と命令して……

紬「……あっ!!」

唯「…ね?」

そもそもの目的が違う以上、このことで記憶違いはないはず。
だとすれば、唯ちゃんの言う通りの理由…? そして、唯ちゃんの気持ちも本当…?

紬「ほ、ほんとう……?」

唯「うん」

紬「じゃ、じゃあ……それなら……」

それなら。それが本当なら。
そう考えた時。その考えに思い至った時。

紬「っ、ひっく、ひぐっ……」ポロポロ

唯「む、ムギちゃん!? どうしたの!? なんで泣くの!?」

紬「っく、だ、だって、私……」


だって、唯ちゃんが私を好きって言ってくれたから。
だって、魔法なんて無くても私達は両想いだったんだから。

だから、それを自ら壊した自分自身が、どうしようもなく惨めで。

両想いだったという事実は、本来なら嬉しいはずなのに。
唯ちゃんが許してくれたのも、ありがたいことのはずなのに。


唯ちゃんが好きだと言った『私』を、私自身は大嫌いにしか思えない。


馬鹿で愚かで救いようのない私が、私は大嫌い。
そんな考えが頭の中でぐるぐる回って情けなくて悔しくて、涙が溢れて止まらない。



唯「だ、大丈夫? ムギちゃん……えっと、よしよし――」

……私は、私を大嫌い。

紬「ッ!?」バッ

唯「えっ――」

だから、唯ちゃんがそんな私に手を伸ばそうとした時、過剰なほどに身を引いた。
その手を振り払うように逃げた。綺麗な手で、汚いものに触って欲しくなかったから。
「触らないで!」って叫ばなかったのは奇跡だったとしか思えない。焼け石に水程度の奇跡だけど。

拒絶というたった一つの事実の前では、何の意味も成さない小さな奇跡だけど。

17: 2012/08/16(木) 09:02:49.90

唯「…………」

とても、傷ついた顔をしてる。
傷ついた顔を、私がさせてる。

そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。
好きな相手で、好きと言ってくれた相手に、そんな顔をさせたいはずがないのに。

でも、私は唯ちゃんの優しさを向けられていい存在だとは思えないから。

だから、やっぱり。
いくら唯ちゃんが好きと言ってくれても、私は唯ちゃんの隣にいるべきじゃ――


唯「……ホントに「さよなら」するの…?」


「さよなら」
私は確かにそう言った。あの時は、そう言った。


唯「…「さよなら」したいの?」


今だって、私は私のことが大嫌い。
消えることが出来るなら消えてしまいたい、消してしまいたい、それくらいには嫌い。

それなら、返事なんて決まってる。


紬「……「さよなら」したい」


唯「………」

これは、嘘偽りの無い、感情。

紬「……こんな『私』と、「さよなら」したい。全部消して、無かったことにしたい……!」

後悔という名の、感情。

紬「今と「さよなら」して、魔法なんて無かった頃に戻って、唯ちゃんの隣にいたい…!!」

唯「……そっか」

そんな私の感情に、唯ちゃんは一言、そう返しただけだった。

紬「………」

『魔法』なんて無ければよかった、そうも思ったけど。
結局は私の心の弱さが招いたことなんだから、私はどの道なにか別の方法で唯ちゃんを傷つけていたかもしれない。
それでも、今が全部夢だったらなぁって、そう思わずにはいられない。
それも心の弱さ、ただのわがままだって言われたらどうしようもないけど……


唯「――出来るよ、今と「さよなら」したいなら」


紬「……えっ?」

18: 2012/08/16(木) 09:03:17.71

唯「私もね、使えるんだ、『魔法』。ムギちゃんと違って、忘れさせるだけだけど」

紬「えっ、そ、それって……」

唯「うん。忘れちゃえばいいよ、全部。私の『魔法』で」

まず最初にびっくりした。
次に、正直、喜んだ。
でも、やっぱり最終的には。

紬「……それは、ズルだよ」

唯「…ムギちゃんなら、そう言うと思ってたよ。私の好きなムギちゃんなら。だから」

紬「…だから?」

唯「だから、忘れても、忘れないで。忘れても、同じ間違いを繰り返さないように、頑張って」

ちょっとだけ、言ってることが矛盾してる気がしたけど。
それでも言いたいことはわかった。わかってしまった。

唯「今度は、ちゃんと隣にいて?」

唯ちゃんの悲壮な表情は、私の反論を許さない。

唯ちゃんにはわかっているんだ、未来が。
自分を責め続ける私は、唯ちゃんの隣にはいられないと思い続けるって。
皆に対しても距離を置くか、あるいは償いたいがために自分のしたことを告白し、それでも許されることを良しとしないって。
そしてそんな私を見て皆は悩んで、でも私も自分を許せなくて。
ずっと。永遠にそれを続けるって。

そんなの、誰も幸せにならないって。

唯「……あと、これは私のわがままだけど」

紬「………」

唯「…今度は、普通に「好き」って言って欲しいな」

紬「……全部、忘れるんでしょ?」

唯「そうだけど……」

そうだからこその「わがまま」なのかもしれないけど。
でも皆が幸せになるために唯ちゃんは言った。忘れても忘れるな、って。

だったら頑張ろう。忘れて逃げるかわりに、忘れずに向き合おう。
皆を傷つけることが無いなら、それのほうがいいんだから。
傷つけることはなくとも傷つけてはいけないことを知っているなら、それが一番いいんだから。

紬「……どうするの?」

唯「ん、目を閉じて? それだけでいいから」

紬「わかった……」

ゆっくりと目を閉じて、忘れないよう決意する。
決意しただけで何が変わるのか、とも思うけど、忘れたら今度こそ私は私を許せないから。
忘れてしまうならそもそも意味が無いんだけど、それならそれで同じ過ちを繰り返すから。
だから、絶対に忘れな――

チュッ

紬「!?」

唇に、唐突に温かい感触。
そして、唐突に訪れる意識の淵――


19: 2012/08/16(木) 09:05:30.74

――
―――

紬「――……覚えてる……」

自室の見慣れた高い高い天井を視界に認識し、最初の言葉。

覚えてた。
全部、覚えてた。

覚えておくべきことだけじゃなくて、それこそ文字通り全部のことを覚えていた。
それでもそれらは少しずつぼやけてきているような気はする。寝起きだから。

でも、どういうことだろう?

紬「……って、あれっ!?」

カレンダーに目をやる。
記憶を辿る。
もう一度カレンダーに目をやる。
念の為、携帯電話のカレンダーも見る。
更に念の為、あとで菫にも聞いてみよう、と考える。

そうして出した結論は。


紬「……夢オチ!?」


唯ちゃんに魔法をかけて過ごしたはずの日付と、今日の日付が一緒なら、そう結論を出すしかないよね。

紬「そっか……」

魔法なんてなかった。私の貰った魔法も、そして唯ちゃんの忘れる魔法も。
だから私は覚えてる。そうすれば説明はつくし、それでも私が魔法から学んだことは胸の中にある。
そして、私が皆に魔法をかけたという事実は存在しない。ただの夢。
これは考えられる限りでは最良の状況なんじゃないかな。

紬「……最良…?」

……ううん、そんなことはない。
私のこの気持ちは、唯ちゃんに対する気持ちは、夢じゃない。
だから夢の中のほうが良かった点もある。一つだけある。

紬「……でも、夢は夢だよね……」


20: 2012/08/16(木) 09:06:26.39



――夢は夢。

唯ちゃんが私を好きだったのも、ただの夢。

紬「……うん」

電車から降りながら、思い返していた夢との決別。

あれは夢。現実では両想いなんて滅多にないし、心を操る魔法もないし、全てをなかったことにする魔法もない。
現実は、いつだって冷たい。だから私はずっとこの気持ちを押さえ込んできたんだ。

紬「………」

……唯ちゃんの「わがまま」も、ただの夢。
思い込みじゃなくて、駅の階段を下りたその場所で見た顔が、そう思い知らせてくれたんだ。

唯「あっ、ムギちゃんだ」

紬「あら唯ちゃん、おはよう」

唯「おはよ~。キグウだねぇ」

紬「そうだねー」

いつも通りの唯ちゃん。
到底、私のことが特別好きになんて見えない唯ちゃん。

だからきっと、「好き」って伝えても、私の望む答えは返ってこない。


でも。

紬「ねぇ、唯ちゃん」

唯「んー?」

それでもいいかな、って思った。
唯ちゃんのわがままに振り回されるのが好きだから、それくらいいいかな、って思った。


そして内心、あわよくば『魔法』がかからないかな、って思った。


その『魔法』は、もちろん夢のような能力なんてないものだけど。
現実にある魔法は、とても不確実で、不安定だけど。
願わくば。


紬「あのね、わたし、唯ちゃんのことが――」


――恋の魔法を、わがままな貴女に。




21: 2012/08/16(木) 09:07:11.22
おわり

23: 2012/08/16(木) 11:43:33.67

24: 2012/08/16(木) 15:05:41.52

これはなかなか

引用元: 紬「わがままマジック」