女「うう……」ﾄﾞﾛｯ…

男（目の辺りから血が……やばい）

男「あ、あそこに病院がある！　すぐ連れていきます！　立てますか！」

女「は、はい……」

男「すみません、本当にすみません！」

男（俺はなんてバカなことをしちまったんだ……。なんで牙突なんか……）

医者「ふーむ……」

男「いかがでしょう？」

医者「さいわい、傘は目の近くに当たっただけです。失明のおそれはないでしょう」

男「そうですか……」ﾎｯ

医者「ただし……」

男「ただし？」

医者「傷が残ってしまう可能性があります」

男「……！」

女「すみません、治療費を出して頂いて」

男「なにいってるんですか。当然のことです！」

男「それより、これからのことなんですが、やはり警察に……」

女「いえ、そのつもりはありません」

男「え」

女「わざとやったわけじゃないですし、私も悪いんですから」

男（全く悪くないのになんて優しい人だ……）

男（それだけに、この人に傷が残ってしまうかと思うと……辛すぎる）

男「あ、あのっ！」

女「はい？」

男「加害者から申し出るようなことじゃないんですけど……」

男「その傷について責任を取らせて欲しいというか……もう少しお付き合いを……」

女「まあ……喜んで！」ﾆｺｯ

男「よろしくお願いします！」

その後、交際は順調に進み――

司会者「それでは、ケーキ入刀です！」

男「はい」

女「じゃあ一緒に……」

ﾊﾟﾁﾊﾟﾁﾊﾟﾁﾊﾟﾁﾊﾟﾁ…

同僚「よっ、幸せ者！」

女友「おめでとう！　恋が実ってよかったねー！」

…………

……

夫（こうして傘を持ってると思い出す。あれが妻との出会いだった）

夫「ただいまー」

妻「お帰りなさい。あら、ちょっと濡れてるね」

夫「いやー、さっきは大変だったよ」

妻「こっちもよ。雨にザーザー降られちゃって」

夫「こういうゲリラ豪雨みたいなのが一番厄介だよな」

妻「はい、ビール」

夫「ありがとう」

夫（妻の目の傷は……だいぶ薄れてきた。だけどまだちょっと残ってる）

夫（本当に悪いことした……。もう数ミリずれて、失明させてたらと思うと今でもゾッとする）

夫（つうか、俺はなんであんなことしたんだっけ？）

夫（ちょっと思い出してみるか……）

…………

……

男「ふぅー、やっと仕事終わった」

男「ん？」

ﾄﾞｯｻﾘ…

男「なんだよこれ。人んちの前に漫画が捨ててやがる」

男「これは……『るろ剣』じゃん。懐かしいなー、昔読んでたわ」

男「……」ｷｮﾛｷｮﾛ

男（どうせ捨ててあるんだ。俺がもらっちゃおう）

これが剣心と葵さんですか

男「なんだよ、全巻揃ってるわけじゃないのか。中途半端なことしやがって」

男（お、斎藤が出てくる巻からある）

男（斎藤と剣心の戦いはベストバウトだよなー、氏闘って感じで）

男（斎藤と宇水の戦いも、斎藤の最後の台詞がイカすよな。無論、氏ぬまで）

男（んで、かっこいいのはやっぱり牙突よ。真似したくなる）

～

夫（そうだ……）

夫（捨ててあったるろ剣を読んだから、牙突が脳裏にこびりついてたんだ）

そんなある日――

男「さて、会社行くかぁ～」

ﾌﾟﾙﾙﾙﾙ…

男「なんだ？　はいもしもし」

相手『おはよう！　ちゃんと傘持った？　今日雨ザーザー降るみたいよ！』

男「……？　すみません、どなたですか？」

相手『あ、間違えましたっ！』

男「……なんだったんだ。こんな朝っぱらから間違い電話か」

男（まあいいや、いいこと聞いた。傘持っていくか）

夫（だけど、結局雨は降らず――）

～

男「この傘邪魔だなー……そうだ、牙突しよう！」

ドウッ！

女「きゃっ！」

男「え！」

グサッ！

～

夫（ああなったわけだ）

夫（面白い運命のイタズラで、俺と妻は出会ったわけだけど――ここでふと思う）

夫（あれは……本当に運命のイタズラだったのか？　全て偶然だったのか？）

夫（例えば、家の前に捨てられてたるろうに剣心……）

夫（妻は……洗い物してる。よし……電話しよう）

夫「もしもし、お義母さんですか？」

義母『あら、なんです？』

夫「結婚前の妻についてちょっと聞きたいことが……」

義母『漫画？　ええ、集めてましたよ』

夫「るろうに剣心も？」

義母『ああ、たしか集めてましたねえ』

夫「今、部屋にありますかね？」

義母『ちょっと待っててね。確認してくるから』

……

義母『お待たせ。今もありましたよ。ただ、中途半端に』

夫「中途半端……というと？」

義母『全巻はないんですよね。歯抜けになってて』

夫「そうですか……ありがとうございます」

夫「……」

夫（あの捨ててあったるろ剣、まさか妻が……？）

夫（いやいやいや、そんなまさか！）

夫（だけどそういえば、あの時の間違い電話――）

『おはよう！　ちゃんと傘持った？　今日雨ザーザー降るみたいよ！』

夫（今思うと、妻の声だったような……。ザーザーっていう言い回しも……）

夫「……」

夫（明日、“彼女”に会って色々話を聞いてみるか）

次の日――

女友「どうしたんです？　急に話を聞きたいなんて」

夫「ちょっとね。結婚前の妻について色々教えてもらいたいなと思って」

女友「いいですよ、私中学時代からの付き合いですから！」

夫「えぇと……彼女ってなにかスポーツやってたかな？」

女友「やってましたよ、剣道を！」

夫「剣道……！（知らなかった……）」

夫「腕前はどうだったのかな？」

女友「結構強かったみたいですよ。特に“見切りの達人”っていわれてて」

夫「見切りの……」

女友「間合いを見切るのが上手かったみたいです。だから強い人でもなかなか一本取れなかったって……」

夫「じゃあ、例えばの話なんだけど……」

女友「はい？」

夫「もしも、その辺の素人が、妻に傘で殴りかかったらどうなると思う？」

女友「うーん……きっと避けられちゃいますよ」

夫「そうか……ありがとう」

夫（スポーツ経験もほとんどない俺の牙突を、剣道経験者が避けられないとは思えない……）

女友「ああ、それと今だから言いますけど……」

夫「？」

女友「あの子、かなり前からあなたのこと好きだったんですよ」

夫「え、そうなの？」

女友「たまたま見かけたあなたに惚れてしまって、なんとかアプローチしようとずっと考えてたみたいです」

女友「その矢先に、あなたの傘とぶつかっちゃう事故が起きちゃったみたいですけど」

女友「目をケガしちゃったのは不幸だけど、あなたと付き合えたのは幸運ですよねー」

夫「……！」

怖くなってきた

夫（もしかしたら、こういうことなのか……？）

夫（俺とどうにか知り合いたい、交際したいと思った妻は俺の住所や電話番号を調べ――）

夫（まず、俺の家の前に『るろうに剣心』を置いた。斎藤が出てくる巻を中心にだ）

夫（次に、雨が降りそうにない日に『今日は雨が降る』っていう間違い電話をする）

夫（晴れなのに傘なんか持ってしまった俺は、漫画の影響で牙突をする）

夫（そこへ現れ、見切りの才能を生かし、目ギリギリのところにわざと怪我をする）

夫（罪悪感もあって、俺の方から交際を申し出る――）

夫「バカな！　こんなの上手くいくわけない！　思いついても普通実行しない！」

夫（しかし、どう考えても……！）

夫（もし、妻を問い詰めたらどうなるだろう？）

夫（優しい妻のことだ。きっと全てを白状してしまうに違いない）

夫（漫画に出てくる恐妻のように、包丁持って襲いかかるなんてことはないだろう）

夫（後は……俺の問題だ）

夫（俺は彼女をどうしたい？　回りくどすぎる作戦にハメたことを恨んでいるのか？）

夫（俺は――）

…………

……

夫「ただいまー」

妻「お帰りなさい」

夫「……あのさ」

妻「なに？」

夫「……」

夫「目の傷……だいぶ薄れたね」

妻「そうね、このままいけば治るかも。だから、あなたは何も気にすることないのよ」

夫「そういってくれるとホッとするよ」

夫（確かめるのは……やめておこう）

夫（俺は今幸せで、妻を愛してる。このまま一生一緒にいたい）

夫（だから……確かめない）

夫（もし、妻が俺の推理通りのことをしてたとしても、何も気にしない）

夫（彼女が狙った獲物を逃さない優れた狼だったというだけさ）

夫（そう、斎藤一の所属した新撰組……“壬生狼（みぶろ）”のような――）







― 終 ―

乙
奥様は新撰組だったか

わざわざ怪我してまで気を引こうとするくらい愛されてるのが羨ましいわちくしょう