1: 2012/09/30(日) 16:23:47.69
唯「木登りしようよ、あずにゃん!」
――と、或る日、我が敬愛する平沢唯先輩殿は申したもうた。
いえ、冗談です。この歳にもなって木登りとか言い出す女性をどう表現すればいいのか悩んだだけです。
しかも校内で。私の在籍する桜が丘女子高等学校で。
ぶっちゃけ、正気を疑います。
唯「じゃあ先登るねー」
いやちょっと待ってくださいよ本気なんですか
っていうかこんな大樹校内にありましたっけ
っていうかスカートの中身見えますよタイツですけど
っていうかよく考えたらなんで大学生のはずの唯先輩が制服着てここにいるんですか
っていうか落ちたらどうするんですか危ないですよ!
唯「だいじょーぶ、ほら、マットしいてあるから」
そう言われて上にいる唯先輩が指差す方に目を向けると樹の周囲にはいつの間にか体育倉庫にあるようなマットが一面に敷かれていたわけです。
いつの間にか私もその上に立っていて足場が少し不安定でした。さっきまで普通に地面に立っていたのに。
こんな超展開を何と説明付ければいいか。私の中で答えは一つ。
梓「夢ですか、これ」
唯「そうだよ」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1348989827/
2: 2012/09/30(日) 16:25:58.66
なんだー夢かーじゃあいいかー、と私は思い切り良く眼前の樹の枝に手をかけました。
私の身長でも届く場所にある妙に低い枝はなかなか細いですが、私の体重ごときでは悲鳴の一つも上げません。
一応下に誰もいないことを確認してよじ登ると、唯先輩が一段(?)上の枝で手を伸ばしていました。
「持ち上げてあげるよ」と言うので、それを無視して枝に飛びつくとそこが少しだけ軋んだ音を立てました。唯先輩もついでに少しだけ驚いた音を立てました。
唯「あぶないよー?」
梓「別に……落ちても平気なんでしょう? マットあるし、そもそも夢なんですし」
唯「でも落ちる夢って気分のいいものじゃないよ」
梓「それはたしかに」
正論を言われては形無しなので先輩の言う事には大人しく従って無理せず普通に木登りを続行します。
唯先輩が先に掴んで登った枝に同じように手をかけて、私の脚で届く範囲の樹の幹に足をかけて、体重をかけながら腕に力を入れて身体を持ち上げます。
まあやってることは普通の木登りです。女子高生が普通にやることかと言われればNOですけど。
でも普段見られない高いところからの眺めはそんなに悪いものでもありません。
上を見上げれば唯先輩のスカートの中身と黒いタイツの脚線美が見えますがそれは別にいいとしてその更に上にある枝から伸びる葉っぱが太陽光に透かされて黄緑気味に見えるのはそれなりに美しいと思います。
夢だからか毛虫とかもいませんが、何故か葉っぱの量が少なくも感じました。葉っぱの隙間から青空が見えるというより、青空の隙間に葉っぱが浮かんでいるようにも見えます。
森林浴をしているわけでもありませんし、本来こんなものなのかもしれませんけど。
というかよく考えたら私は木登りとか今までしたことなかった気がするんですけど。この景色、どうやって私の脳は作り出しているんでしょうか。
おーい、答えなさーい、私の頭。返事は期待していませんが。
唯「あずにゃんあずにゃん、もうすぐてっぺんだよ!」
梓「早いですね」
唯「夢だからね! とりあえず礼儀として、下を見てみようよ」
梓「嫌ですよ」
唯「すごいよー、人がモミのようだよ」
梓「もみ?」
唯「ほら、あのトゲトゲして服にくっつくやつ」
梓「オナモミ…でしたっけ。で、それがどうかしました?」
唯「だから、人がモミのようだ!」
梓「意味わかりませんよ」
唯「夢だからね!」
和先輩からメガネ借りてきたほうがいいんじゃないですか、とか言いながらついつい下を見てしまいました。
すると確かに遠くにモミが……ってあれ律先輩じゃないですか。
たぶん澪先輩の髪にオナモミを投げて遊んでいるんだろう。良い子は真似しちゃいけません。ムギ先輩も真似しちゃいけません。あれ取るの地味にめんどくさいんですから。
3: 2012/09/30(日) 16:26:25.36
唯「ほら、あずにゃんおいで。早く行くよ」
梓「あ、はい」
唯先輩は今度は手を伸ばさずに手招きしながら言います。
ずっと下を見ていた私はハッとして「すいません」とかいいながら登ろうとして、それでもさっき見た律先輩の小ささ(胸の話ではない)からここが相当な高さであることを察していました。
梓「落ちたらどうなるんでしょうね」
唯「あずにゃん、そういうこと言わないほうがいいよ」
唯先輩の言いたいことはわかります。それは落ちるフラグ的な何かだと言いたいんですよね。
だから私は「そうですね」と普通に返せばそれでいいんですけど、
ズルッ
梓「あっ」
唯「あっ」
いやはや、言うより先に落っこちてしまいました。
落ちる夢は見たくなかったんですが……
唯「あずにゃん!」ガシッ
梓「わ、ゆ、唯先輩っ」
唯「へっへーん、ナイスキャッチ」
唯先輩が私の手首を掴んでくれました。悔しいけどこの時ばかりは少しかっこよかったです。
っていうか意外と力ありますね唯先輩。私が軽いだけですか。
唯「夢だからね!」
梓「それもそうですね」
唯「というわけで今から颯爽と引き上げてあげるから、そしたらお礼にキスしてくれる?」
梓「ほっぺになら」
助けられたのは事実ですし、どうせ夢ですし、それくらいならいいか、と軽く返事をしましたが。
それを聞いた唯先輩は「ぅえっ!? いやぁんどうしよう、あずにゃんったら大胆っ」とか言いながら両手を頬に当ててクネクネし始めました。
いやアナタが言ったんじゃないですか。まるで私が変なこと言ったような反応は止めてくださいよ。
反応自体は可愛いので特に文句は無いですが、私からすれば理不尽なんですよ。
っていうかそれ以前にですね。
梓「ひゃー」
唯「ああっ、あずにゃーん!」
……手、離さないでくださいよ。
5: 2012/09/30(日) 16:31:11.06
「確かに落ちる夢は気持ちのいいものじゃなかった」
唯「リトライだね、あずにゃん!」
梓「残機が1減りましたね」
唯「大丈夫、1UPスター取ってきたから!」スッ
梓「なんでスターなんですか?」
唯「ほら、とんがってる場所5ヵ所! 私たちと一緒だね!」
梓「よく見たらそれ保安官バッジか何かですかそれ」
唯「キミのハートを狙い撃ち!」バキューン
梓「保安官が積極的に銃を抜かないでください。無法地帯ですか」
後で保安官バッジをグーグル検索したら6角形のもたくさん出てきたのですがさすがに私は黙っておきました。
私は空気の読めるレディです。
唯「さぁ、陽が落ちる前に登っちゃうよ!」
言われて気づきましたが、今回は夕刻のようです。茜色の空が物悲しい気分にさせてくれます。隣の能天気な先輩さえいなければ。
それでも軽く首を上に向けてみると、夕暮れ空に溶ける緑の木の葉はそれはそれで趣のある、綺麗なものではありました。
でもやっぱり、唯先輩に夕暮れが致命的に似合わない気がします。いや、唯先輩が夕暮れに合わせる気がないだけなのでしょうけど。
6: 2012/09/30(日) 16:33:42.53
唯「あずにゃん、はやくはやくー」
梓「あ、はい」
前回と変わらず唯先輩のタイツを追いかけていくうち、木の枝の配置について少しの疑問を抱きました。
私は背が低いほうなのに、枝はどれもギリギリ届く範囲にあるんです。「あそこに届けば楽なのに」と歯噛みすることが無いんです。
唯「夢だからね!」
そういうことなんでしょうね。
唯「はい、中野梓さん、二度目のチャレンジです!」
梓「もうこんな所にまで来てたんですね」
枝の配置は覚えている限りでは前回と変わっていません。前回足を滑らせたあの枝もちゃんと覚えています。
下を見たらマットを菫がメイド服で掃除していました。大変だなぁ。
梓「とりあえず唯先輩、もう一つ先に行ってください」
唯「えー、大丈夫?」
梓「大丈夫です」
前回の夢で、私は自分一人で集中して成功させることの大事さを学びました。
いえ勿論唯先輩が悪いというわけではないのです。助けてくれたことはありがたかったし、カッコよかったです。
そもそも私が迂闊にも足を滑らせたのがいけなかったのですから、今回は唯先輩を先に行かせることでそのへんの気を引き締めよう、ということです。
決して唯先輩が頼りにならないというわけではありません。ホントですよ。
梓「よっ、と」
はい、変に気を逸らさなければこんなものですよ。
7: 2012/09/30(日) 16:37:19.20
唯「やったー! やったねあずにゃん!」ピョンピョン
梓「あー、はいはい、危ないからそんな跳ねないで――」
唯「あっ」
ズルッ
梓「唯先輩っ!?」ガシッ
先の枝でピョンピョンしていた唯先輩が今度は足を滑らせ、真っ逆さまという直前。
私は手を伸ばして、唯先輩の手首をどうにか掴むことに成功しました。
ですが、
梓「ゆ、唯先輩、重っ」
唯「夢だからね!」
梓「何ですかそれぇ……あっもう無理」ズルッ
結局、唯先輩と一緒に私も真っ逆さまに樹から落ちていきました。
手は離しませんでした。私えらい。
唯「あっはっはー、だめだよあずにゃんあんなこと言っちゃー」ヒュゥゥゥゥゥ
梓「私のせいなんですかあぁぁぁぁぁぁぁ」ヒュゥゥゥゥゥゥ
8: 2012/09/30(日) 16:38:11.23
「唯先輩は重かった」
唯「はい、三度目です!」
梓「誰のせいですか前回は」
唯「私だね!」
梓「あ、一応そういう事でいいんですか」
今回のシチュエーションは早朝のようです。空気が少し肌寒いです。
太陽はまだ地平線から半分顔を出した程度のところにありますが、木登りが出来る程度には明るくなっていました。
唯「あの陽が完全に出てしまう前に登りきるよ!」
梓「そういえば初日の出とか、なんとなく太陽が顔を出した瞬間に拝みますけど厳密には全部出てしまうまでは日の出って言えそうですよね?」
唯「あずにゃん、そんなことは今はどうでもよくないかい?」
梓「夢ですからね」
唯「言うようになったね」
そのままひょいひょいっと、相変わらず意外と身軽に唯先輩は登っていきます。
この人、運動は苦手と言っていたはずですが。あくまで自称である、ということでしょうか。
マラソン大会でも最後は軽音部全員本気で横並びで走ってましたし。運動神経のいい澪先輩や律先輩と並んで。
唯「夢だからね!」
梓「慣れたものですね、もう」
もしかしたら私の理想の唯先輩像なのかもしれない、と思うと居心地が悪くなってきたのでその想像を振り払う為にも目の前の枝に手をかけました。
少しだけ冷たさを感じたので唯先輩が触れていたあたりに手を移動すると、そこは温かくなっていました。
「よっ」と体重をかけて登ると、唯先輩は既に二つ以上先に登ってしまっていたので、私も少し急ぎます。
梓「次は……あれっ?」
何故か前回の夢もちゃんと覚えている私は、すぐに気づいてしまいます。
今回は枝の配置が妙に簡単になっていることに。
9: 2012/09/30(日) 16:38:58.06
唯「今回はイージーモードだねー」
梓「ですねー」
唯「もうこの前のポイントだよー」
梓「そうですねー」
唯先輩は相変わらずひょいっとそこをクリアします。私も普通にクリアして、唯先輩が変な動きをしないうちに隣に並びます。
前回の失敗は唯先輩を先に行かせたこと、だと思います。私が集中するために必要な気がしたとはいえ、この人を一人にしておくのは危なっかしいです。
身近な人では唯先輩ですけど本来この人に限ったことではないのでしょう。私だって誰かに心配されてる自覚はあります。
つまり要は何事も自分のことが最優先ではありますけど、だからといって他者をないがしろにしていいはずはない、ということでしょう。
自分に出来る範囲で気を配っていてあげれば、たとえ唯先輩といえども阿呆な真似はしないはずです。
唯「えへへー、やっと隣に並んでくれたね」
梓「そんなに嬉しいですか」
唯「イージーモードにしてまで並んでくれたのは嬉しいよ」
梓「私がしたんですか?」
唯「だってあずにゃんの夢でしょ?」
梓「それはそうかもしれませんけど」
でも少なくとも意識的にしたわけではありません。
そう考えると、無意識のうちに唯先輩と並ぶことを目標にしていたようで、余計に悔しかったりするのですが。
というわけで話題を逸らしましょう。ひそかに。したたかに。
梓「でもあれですよね、こんな枝に二人で乗っていると折れそうですよね」
唯「だからあずにゃん、そういうこと言っちゃダメだってば」
梓「えっ」
バキッ
あらら。
再び私たちは地面へと真っ逆さま。
唯「そろそろ学習しようね?」
梓「はい…面目ないです……唯先輩に言われると特に」
10: 2012/09/30(日) 16:39:37.24
「もうそろそろ落ちたくない」
唯「ザ・4回目です!」
梓「あの」
唯「4とか不吉な感じがするけど頑張ろうね!」
梓「あの」
唯「もうそろそろめんどくさいから特に目標とか無しで確実に登り終えよう!」
梓「あの、雨降ってるんですけど」
唯「降ってるね」
「あずにゃんの頭の中の天気のレパートリーが少ないんだよ」とか言って唯先輩が私を馬鹿にします。
悔しいですが私の夢らしいので否定は出来ません。しっかりしろ、私の頭。
梓「でも大降りじゃないだけ感謝して欲しいですね」
唯「あずにゃんが急に偉そうになった」
梓「すいません」
唯「木登りが出来れば私はそれでいいんだけどねー。ほいっ、と」
唯先輩は相変わらず軽やかに登っていきます。
私も追って手と足をかけてみると、雨の影響はさほどないようで滑ったりはしませんでした。
上を見上げてみても雨に打たれて揺れる木の葉が写るだけで、雨自体は目に入るほど落ちてきたりはしません。
空はひどくどんよりとしていますが、手元が見えないほど暗くもありません。実に都合のいい夢です。
いえ、都合のいい夢、だったはずなのですが。
梓「くしゅん!」
唯「あずにゃん、大丈夫?」
梓「あ、はい、寒くはない…はずです」
登っていくにつれ、雨を遮る葉っぱも少なくなってきます。
前回と同じ簡単な配置の木の枝をどんどん登っていくと、どんどん雨に濡れることが多くなってきました。
上を見ても雨粒は上手い具合に目には入らなかったり、いくら濡れても手や足を滑らせたりしないあたりは、やはり都合のいい夢なのでしょうけど。
梓「唯先輩こそ大丈夫ですか?」
唯「夢だからね!」
梓「あぁそうですか」
唯「雨よりあずにゃんのほうが冷たくない?」
梓「気のせいですよ」
11: 2012/09/30(日) 16:41:25.51
そんなこんなで何度も落ちているあの場所に近づきながら下を見下ろしてみると、唯先輩の大学の同級生らしき人が声を張り上げていました。
「ゆいー、お前まぁた制服着てるのかぁー?」とかなんとか。
私の夢なのに私が知らないはずの唯先輩の大学の同級生が出てくるというのも変な話です。あれ、唯先輩から写メで見せてもらったこととかあったのかな?
しかし仮にそうだとしてもあの人の発言内容はどうなんでしょうか。私の中では唯先輩は大学で制服ばかり着ているんでしょうか。深く考えないようにしましょう。
唯「さてっ、と。あずにゃーん」
気づけば唯先輩が前回折れた枝の上で私を待っていました。
前回あの枝が折れたのは、要は二人で枝の上に長く留まり続けたせいでしょう。
ああいう予想外のアクシデントが起こる可能性も考慮していかなくてはいけないことを学びましたけど、同時にこの場合は長い間留まらなければ防げたはずです。
つまりそれを知っている今は同じ愚を犯すことはありません。何事も経験が大事、ということも同時に学ばされました。
いろんなことを経験し、そこから先を予測し、それでもなお予想しきれないアクシデントが起こる可能性は捨てずにおく。身構えるとまではいかずとも、頭の片隅にとどめておく。
そして。
唯「はーやーくー」
梓「はいはい、っと」
そして、それでも前に進むことをやめてはいけない。
これは、最初からずっと唯先輩が前に立って教えてくれていたことです。
唯先輩が、先輩として、私に。後輩に。
梓「…じゃ、さっさと行ってしまいましょうか」
唯「てっぺんまで一気に、ね!」
とは言ったものの、真の意味でこの樹のてっぺんまで登るというのは無理でしょう。
上のほうは枝も幹も細くなっているのが樹という植物の常ですから。
ですから、人が登れる限界をもってしててっぺんと定義するのが妥当なところだと思います。
と、思っていたのですが。
唯「おやまぁ」
梓「これはこれは」
登りながら、急に上を見ていた視界が開けて同時に雨にも今まで以上にうたれ始めて、何事か、と思えば。
大樹の幹は私や唯先輩の背より高いあたりでバッサリと斬られ、切り株状になっていました。
まるで頭頂部ハゲ。かわいそうです。
唯「夢だからね!」
梓「私のせいだって事ですか」
唯「そうじゃないよ、わかりやすいゴールってことだよ」
唯先輩は「ここに旗を突き立てれば制服完了だよ!」とか言っていますが無視します。
目の前の樹の幹の太さから考えて、私と唯先輩がそこに立つ、あるいは腰を下ろすには充分な広さがあると思われます。
今更ですけど本当に規格外の大きさのまさに大樹だったわけです。だいぶ登ってきたにも関わらずそれだけの太さがあるということは。
ま、夢の中ですしね。
というか、問題はそこではありません。
12: 2012/09/30(日) 16:42:33.97
梓「登れる気がしませんね」
身長より高いとはいえ、手は届きます。
しかし、手というか指が届く程度のため、体重をかけることができません。
そして何故かここより上に枝がありません。私たちが今いるこの枝が一番近くなっているのです。
身長差的に唯先輩は私よりマシな状況だと思われますが、それでも危険を感じているのでしょう、登るのを躊躇しているようです。
どうしましょうか。一応枝の上ですので、あまり悩んでいる時間はありません。
だいぶ登ってきたので下を見るのも怖いです。そんなところから落ちるのは夢であってもご遠慮願いたいところ。
梓「どうしましょうか」
唯「えー、この状況でやることっていったら一つしかないでしょあずにゃん。へい、カモン!」
唯先輩が背中を向けて屈み、私を呼びます。
梓「……え、何ですか?」
唯「かたグルマーに決まってるでしょ!」
梓「決まってるんですか? あとなんか発音おかしくないですか」
唯「いいから、ほらほら急いで」
梓「はぁ……無理しないでくださいね」
正直かなり危ないとは思いながらも、そっと唯先輩の肩に座るように脚を回します。
ふとももが唯先輩のブレザーに密着した時、びちゃり、と音がしました。
先に行っていた唯先輩は私より多くの雨を浴びていたようです。夢につき合わせてしまっている身として、申し訳なさを覚えます。
そんな私の感情なんて知らないであろう唯先輩は、樹の幹に手を添えて体重をかけながらゆっくりと腰を上げます。
唯「お…おおお……」プルプル
梓「だ、大丈夫ですか??」
唯「ふ、これがあずにゃんの愛の重み……そう思うといくらでも頑張れるよ……」プルプル
梓「……不安だなぁ……」
唯「はぁ…あずにゃんのふとももがあったかいぃ……」スリスリ
梓「締めますよ」
唯「冗談ですよ」
梓「スリスリしといて冗談とは盗人猛々しいですね」
唯「どうやらあずにゃんのハートを盗んでしまった罪は重いみたいだnぐえぇ」
梓「両ふとももと両手の4点締めです」
さすがに唯先輩もすぐに「ギブギブ」と言いながら私の脚を叩いてタップしてきたのですぐに緩めます。
そもそもそんなに力も入れてませんが、どちらにしろ本気でやっていたわけじゃありませんし。
それに何より、そんなことしてふざけている時間はありません。枝が折れる可能性があることは既に学んでいます。
13: 2012/09/30(日) 16:44:48.90
梓「唯先輩」
唯「うん。これでどうかな、届く?」
梓「あ、はい、手は届きそうです、だいぶ」
唯「じゃあ、ゆっくり私の肩の上に立って登ってね」
梓「えっ、でも私靴履いたままですよ?」
唯「いいよいいよ。それより早くしないと……」
梓「あーあーーその先は言わないでくださいよー」
樹の断面に深く手を置いて、体重を手で支えながらゆっくりと唯先輩の肩に足を乗せます。右足から。中腰で。
両足を乗せ終え、「立っていいですか?」と聞きながら顔を下に向けると唯先輩が思いっきり何かを楽しみにしているような顔で見上げていたのでどうしてやろうかと思いましたが、サッと下を向いて逃げたのでとりあえずはよしとします。
これ以上コントやっている時間はありません。掛け声一つで飛び上がるように樹の断面に登り、下にいる唯先輩に手を伸ばします。
梓「どうぞ、登ってきてください」
でも、何故か唯先輩は優しい顔で微笑むだけで手を取ろうとはしません。
別に私のスカートの中を見れて嬉しいというような微笑みではありません、断じて。
唯「あずにゃん、どう? いい眺め?」
梓「えっ? はい、まぁ」
唯「達成感はある?」
梓「えぇーっと、あるんじゃないですか、たぶん」
唯「そっか、よかった」
よかった、だなんて言われるとどう反応すればいいのか困ってしまいます。
だって私は唯先輩を引き上げることを真っ先に考えていて、眺めに見入ることも達成感に震えることも頭の中に無かったのですから。
言われて気づいた程度のことですから、そこで喜ばれると居心地が悪いです。
梓「えっと、唯先輩も来てみればわかりますよ、ほら早く――」
唯「私は、そこに必要かな?」
梓「え?」
唯「あずにゃんの夢の中で、あずにゃんが何度もチャレンジして、あずにゃんは成し遂げた。それでいいじゃん。私はそこにいらないよ」
14: 2012/09/30(日) 16:45:38.41
梓「………」
何を言っているんだろう、と思いました。
ずっと一緒に登ってきたのに、ここに来て何を、と。
でも理屈もわかります。だってこれは私の夢なんですから、私の夢は私のものなんですから、私さえハッピーエンドならそれでいいんです。
唯「はい、旗。これを立てればクリアーだよ」
そう言って、猫の絵が描かれた旗を差し出す唯先輩。
梓「……はい」
私はそれだけ言って、その旗を受け取りました。
梓「………」
唯「……あずにゃん?」
……ただし、唯先輩ごと。
手首ごと掴んで、引き上げようとします。
梓「せっかくですから、二人でやりましょうよ」
唯「………」
梓「せっかくここまで一緒に来たんですから」
本当は。
本当は、そんな適当な理由じゃありません。
唯先輩がいたから、ここまで来れた。だから、です。
唯先輩が先に行ってくれたから、その背を追えた。唯先輩がいたから、何度でもチャレンジしようと思った。唯先輩がいたから、ここに手が届いた。ここに立てた。
でも、それを全部伝える必要は、別に無いと思います。
梓「夢ですしね」
唯「?」
梓「なんでもないです。はい、引き上げますよ。せーのっ」
唯「う、うん……わあぁっ」
何故か今回は唯先輩が軽くて、少し危ないくらい勢いよく持ち上がってしまいました。
勢い余った私はしりもちをつきながらも、二人とも落ちることはありませんでしたが。
唯「だ、だいじょうぶ? あずにゃん」
梓「大丈夫ですよ。それより、どうです? 眺めは」
唯「あずにゃんと一緒に観る景色なら、どこでも最高だよ」
梓「そういうことを言ってるんじゃないんですけどね」
唯「じゃあ前半はカットで。最高だよ」
梓「……まぁ、いっか」
15: 2012/09/30(日) 16:46:35.82
いつの間にか雨もあがっていて、遠くに見える町並みや山々に雨雲の間から陽光が降り注いでいます。
どこか神々しいその光景が最高の眺めなのは事実なので、野暮なことは言わないでおきます。
唯「あ、はいあずにゃん、旗」
梓「そういえばそうでしたね」
唯先輩から猫の描かれた旗を受け取って立ち上がると、樹の断面の全体図が目に入ります。
ぐるぐるぐる。
部活の時間に食べたこともあるバウムクーヘンを思い出しますね。
唯「じゃあド真ん中にザクっと!」
梓「ブスっと?」
唯「ドスっと!」
梓「まあ何でもいいんですけど」
唯「冷たいなー」
唯先輩の愚痴を聞き流しながら、ぐるぐるの真ん中に狙いを定めて。
そんなときにふと思いついたことが、そのまま一瞬で確信に変わりました。
きっと、これを立てたらこの夢は終わりを迎える、ということ。
もう二度と唯先輩と木登りをすることもなくなって、この光景を一緒に見ることも出来なくなります。
二度と、このシチュエーションを体験できる場所にこれなくなります。
だってきっと、私がこの夢を求める理由がなくなってしまうから。
いえ、正確にはこの樹の先がないということが、既に求める理由がないことを明示しているのです。
寂しいな、と思います。
夢に理由とか意味なんて求めないほうが幸せなのでしょう。寂しさを知らずにいられますから。
でも、その代わり。
唯「あずにゃん」
梓「はい?」
唯「がんばってね、応援してるから」
何かが、小さな何かが貰えるのなら、これは寂しいばかりの損な夢ではありません。
だから。
梓「……はい!」
だから、きっと私はそのとき、笑顔で旗を突き立てたんだと思います――
16: 2012/09/30(日) 16:47:02.05
おわり
17: 2012/09/30(日) 22:33:10.21
おつおつ
引用元: 梓「木登りの夢」
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