1: 2013/05/01(水) 22:33:31.31


  いつまでも試合が終わらず、このままプレーしたいと思うときがある



  ――元フランス代表 ジネディーヌ・ジダン





https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1367415211

2: 2013/05/01(水) 22:34:41.26

春香「ねえねえ、千早ちゃんっ」

千早「どうしたの?」

春香「これっ! 見て見てっ」

 お昼過ぎ、私の所属する芸能事務所、765プロ。
 隣に座っていた友人の春香が、スマホの画面を私の鼻に押し付けてきた。

千早「春香、近すぎるわ」

春香「あ、ごめんごめん」

 ニュースサイトが表示されていて、『如月千早・眠り姫、4週連続TOP5入り』という見出し。

千早「これ……音楽ランキングのこと?」

春香「そうそう、すごいよっ!」


3: 2013/05/01(水) 22:35:47.62

千早「そんなに、いろんな人が聞いてくれているのね……」

春香「ねー。……千早ちゃんの新曲、早く聞きたいなぁ」

千早「まだ、レコーディングしていないから……。終わったら、データを持って行くわ」

春香「やった! ありがとう!」

 春香はスマホをもってウットリ。

千早「……ところで、春香」

春香「んー?」

千早「コラムの続き、書かなくてもいいの? 今日が締め切りなんでしょう?」

春香「あっ」

 春香のコラムはファッション誌に載っていて、反響がすごいらしい。
 私も読んだことがある。面白くて、いかにも春香らしい素敵な文章だ。


4: 2013/05/01(水) 22:36:56.43

春香「忘れてたのに、千早ちゃんのいじわるぅ」

千早「私は別にいいけれど、早ければ今日中に自分の身に返ってくるわよ」

春香「むー……テーマが思いつかないんだよ」

 カップを持って、コーヒーを一口すする。
 音無さんがキーボードを叩く音に合わせて、指をなんとなく動かした。

 春香がペンを持って、考えるポーズ。

春香「ねぇ千早ちゃん、響ちゃんのおうちでやる鍋パーティーのこと、だけど」

千早「ええ」

 今度の日曜日、事務所のみんなで集まって我那覇さんの家で鍋をする。
 春先に鍋って少し変だけれど、要するにみんなで集まってワイワイやりたいということらしい。


5: 2013/05/01(水) 22:38:27.18

 春香との話が続く。この心地いい時間がたまらなく好きだ。
 ただ、タイムリミットというのは、人生に常につきまとう。

P『もしもし、千早か。悪いんだけど、ちょっとアクシデントで迎えにいけない』

千早「アクシデント、ですか?」

P『だから悪いんだが、自分でテレビ局に来てくれないか? 緊急のタクシー代は俺の机の引き出しにあるから』

 プロデューサーからの電話。
 音楽番組の収録のため、プロデューサーが車で迎えに来てくれることになっていた。
 ただ、何かあったらしい。詳しくは分からないけれど。

 分かりました、と電話を切る。

 春香と音無さんに軽く挨拶をしつつ、タクシー代2万円の封筒を見つけて事務所を出た。

小鳥「気をつけてね」

春香「いってらっしゃい! あ……キャラメルあげる! 元気でるよっ」

 春香からキャラメルをひとつ、手渡された。

千早「ありがとう……行ってきます」


7: 2013/05/01(水) 22:39:05.71



  人生の無駄を精算する、生涯最後の一時
  ――それが、ロス:タイム:ライフ




9: 2013/05/01(水) 22:39:54.98

千早「…………」

 なんとなく、身体が急いだ。
 私は階段を猛スピードで駆け降りる。

千早「っ」

 ドアを思い切り開けて、大通りに面した歩道に出る。
 タクシーを探そうと、車道の方に走った瞬間、足がもつれた。

千早「きゃあっ!」バタッ

プーッ

千早「あ――っ!」

 ――車道に転がった私に、自動車が突っ込んできて……。


10: 2013/05/01(水) 22:40:47.46

 ……ああ、目の前の風景が、ゆっくり動いているように見える。
 これが最期、なのかもしれない。

 目を瞑る。

 新曲を歌いたかった。
 また、事務所のみんなと笑い合いたかった。

 そして…………プロデューサーに。
 ありがとうと、伝えたかった。



11: 2013/05/01(水) 22:42:10.40


 …………あれ?
 車が来ない。目を開けると、目の前の自動車はとてもゆっくりと動いていた。

千早「えっ……?」

 次の瞬間、黄色のユニフォームを着た男の人たちが、たるき亭の入口から続々と出てきた。

 ピーッ!


実況『さて、今回も試合開始のホイッスルが鳴り響きました! それにしても、所属事務所の前で事故氏、ですか』

解説『うーむ、しばらくは週刊誌に呪いの事務所とか書かれるでしょうね』


千早「……え?」

 サッカーの審判のような人たちが、私にフラッグを振ってくる。
 一番後ろの、黒いユニフォームの男の人が電光掲示板を持っていて、そこには――。

千早「……ろく……てん……に……さん……?」


実況『如月千早のロスタイムは6時間23分! この時間、どう精算するのでしょうか?』


主審「……」ピッ!


12: 2013/05/01(水) 22:43:26.92

実況『如月に主審が手を差し出します』

解説『これ、彼女相当動揺しているようですけども。やはり理解に時間がかかるんでしょうかね』


千早「……あ、あの……これ、なんですか?」


実況『立ち上がった選手、さあ本格的に試合が始まります!』


副審1「……」フッフッ

千早「走る……?」


解説『ジェスチャーでどこまで理解できるかですよね、ロスタイムは今も減り続けていますから』


副審2「……」パッ

千早「6時間22分……減ってる?」

主審「……」トントン

千早「腕時計……時間…………時間がない?」


13: 2013/05/01(水) 22:44:05.86

主審「!」コクリ

千早「時間がないから、走れってことですか?」

副審1「!」コクコク

千早「そんなにプロデューサーのアクシデントというのが、深刻な」

副審2「……!」ブンブン

千早「へっ……?」


実況『おおっと、これは勘違いしている!』

解説『無理ありません』


14: 2013/05/01(水) 22:45:20.95

実況『主審、真っ赤な自動車を指さします』


千早「車」

主審「……」シュッ

千早「……これにひかれた?」

主審「……」パッ

第4審判「…………」[6:22]

千早「6時間22分……というか、どうしてサッカーのような…………サッカー?」

主審「……」トントン

千早「時間……サッカー…………ロスタイム!」


実況『ちなみに、この6時間23分……グラビアの練習と称して、鏡に水着姿の自分を映して眺めていた時間、だそうです』

解説『うーん、末代までの恥ですね』

実況『何の因果か彼女が末代となってしまったわけですが』


15: 2013/05/01(水) 22:46:12.62

副審1「……」フッフッ

千早「じ、時間がないから……走れ、ってことですよね」

副審2「……」コクリ

千早「…………プロデューサー」ダッ



実況『今、如月千早が走り出しました! 華麗に身体を翻す!』

解説『彼女らしい、思い切りの良いプレーを期待したいです』


16: 2013/05/01(水) 22:47:12.72

実況『早い、早いぞ如月千早! どこに向かっているんでしょうか……?』

解説『最寄りの駅のタクシー乗り場ですかね。確実に乗ることができますから、良い判断ですね』


千早「……はぁ…………はぁ……!」タッタッタッ

主審「……! …………!」フラフラ

副審1「!」パッ

副審2「……!」パッ


実況『おおっと主審が倒れそうになっている! 副審が両サイドを支えます! あっ、給水していますね』

解説『あれ猫除けの水ですよね……? 腐ってるんじゃないかなぁ』

実況『それでも走りを止めない如月!』


17: 2013/05/01(水) 22:48:48.23

 駅前のタクシー乗り場で、適当なタクシーに乗り込んだ。

千早「あっ、あの……! 道波テレビまで、お願いします!」

バンッ ブロロロ…


実況『軽い身のこなしでタクシーに乗り込みました!』

解説『あー、審判団がタクシーを追ってますね。スタミナ切れるぞ……?』


18: 2013/05/01(水) 22:49:28.27

千早「……プロデューサー!」

P「お、千早! こっちだこっち!」


実況『道波テレビに到着しました。これから如月には音楽番組の収録が待っています』


千早「お待たせしました……」

P「どうしたんだ、汗だくじゃないか」

千早「ご、ごめんなさい、少し、急いだので」

P「そっか……俺の方は、なんとか解決したよ。ありがとな。それじゃあ、準備してくれ」

千早「はいっ……」

主審「……」

第4審判「…………」[5:46]


19: 2013/05/01(水) 22:50:13.43

解説『この中で如月が着替えているわけですから、審判団も入ることは出来ないですよね』


副審2「……!」スック スタスタ

主審「!」ピーッ!

副審2「……」


実況『いま副審が立ち上がって中に……注意を受けました!』

解説『あーあ、首根っこ掴まれてますね』


副審1「……!」スック

主審「!」ピーッ! パッ

副審1「!?」

第4審判「……」ピロン


実況『おおっと、立ち上がったもうひとりの副審にイ工口ーカードが出ました!』

解説『第4審判がスマホを操作してるのにも、イ工口ーカード出すべきですよ』


20: 2013/05/01(水) 22:51:21.99

千早「お待たせしました」

P「おう、それじゃあ……この番組は、スタジオゲストライブだけだから楽な気分で行け」

千早「はいっ」チラッ

第4審判「…………」[5:29]


千早「如月千早です、よろしくお願いします」

♪~


実況『これは……眠り姫、ですか』

解説『ロスタイムだからと言って、声量などに手を抜いてないですね』

実況『彼女にとって歌は疎かにできない大切なもの、
   幼い頃、低身長に悩んでいたリオネル・メッシが欠かさなかった練習と同等の意味を持ちます』

解説『なるほど』


21: 2013/05/01(水) 22:52:05.36

スタッフ「お疲れ様でした!」

千早「ありがとうございましたっ」

P「お疲れ様」

千早「ありがとうございます、プロデューサー」チラッ

第4審判「……」[4:30]

P「それじゃあ、着替えてもいいぞ。今日はもう仕事はないから、明日の雑誌取材に向けて備えてくれ」

千早「あ、あの……プロデューサー」

P「ん?」

千早「新曲のこと、なんですけれど」

P「あ、ああ……どうした?」


22: 2013/05/01(水) 22:53:09.13

千早「今日、レコーディングしたいんです」

P「きょ、今日? どうして、お前が土曜日がいいって言ったのに」

千早「そ、その……私」

P「……?」

千早「私、氏んだんです」

主審「!」ピーッ! ピーッ!

千早「え……?」

主審「……」バッ

千早「っ!」


実況『イ工口ーカードが出てしまいました! 如月千早にイ工口ーカードです!』

解説『氏んだということを伝えるのはいけません』

実況『イ工口ーカードが2枚累積すれば、次の人生を送ることができません』


P「氏んだ……? ど、どういうことだ!?」

千早「あっ……えー……その、私の歌が、氏んでしまう……んです」


23: 2013/05/01(水) 22:53:55.34

千早「今日、レコーディングした方が……私の歌を、伝えられると思って」

P「そうなのか……? ……よく分からないけど、ちょっと連絡してみるよ」


実況『うまく切り抜けました』

解説『ピンチを凌ぐプレー、日本代表にも見習って欲しいと思いますよ』


 ロスタイムは……4時間27分。衣装を着替えて、移動したとしても3時間は確保できる。
 それだけあれば、充分だ。

 こんなに素敵な曲を、歌えないなんて絶対に嫌。


24: 2013/05/01(水) 22:54:41.66

P「……そ、そうですか! ありがとうございますっ」ピッ

千早「……」

P「今日、亜美がちょうどカップリング曲のレコーディングをしてるみたいでさ」

千早「亜美が?」

P「終わった後なら、レコーディング出来るって」

千早「ほ、本当ですか!」

P「ああ……だから、今から向かおう。その前に着替えなきゃだけどな」

千早「は、はいっ! ありがとうございます!」タッ

P「お、おい、走ると危ないぞ!」


25: 2013/05/01(水) 22:57:01.72

実況『如月、駆け足で楽屋に戻ります』


千早「…………」スルッ

ブーッ ブーッ

千早「……メール?」ピッ

〈はいさい! 千早、最近会えてないけど元気か?〉

 我那覇さんからのメールを、着替えながら目で追っていく。

〈鍋パーティー、すっごく楽しみなんだ! 当日はワイワイやろうね!〉

 ……行けなくて、ごめんなさい。

〈今日の夕方、電話してもいいかな?〉

 そのときに、私のロスタイムは残っているだろうか。
 みんなに何も言えないまま、氏んでしまうかもしれない。

 何か、形に残せたら。

千早「……!」

 バッグの中を探す。……あった、いつか何気なしに買ったレターセット。
 私はバッグに詰め直すと、コートを羽織って楽屋を出た。


26: 2013/05/01(水) 22:58:40.79

実況『如月のプロデューサーが運転する車は、レコーディングスタジオという新たなフィールドへ向かう最中です』

解説『いやぁ……審判団もよく乗れたなぁ。満杯ですよねぇ』


 歌詞の印刷された紙に目を通していると、プロデューサーがハンドルを握りながら話しかけてきた。

P「千早、その曲だけど」

千早「はい?」

P「実は、春香たちが作詞したんだよ」

千早「……この曲を、ですか」

P「千早がパーフェクト・ソングスコンテストで、優勝を逃してさ。お前、しばらく落ち込んでたろ?」

千早「……はい」

 私の時だけ、音響にアクシデントがあった。マイクが壊れ、音楽が止まった。
 周りの人は皆、そのせいだと言う。
 でも、会場の都合に振り回されるようではいけないのだ。私は、アカペラでも歌わなければならなかった。


27: 2013/05/01(水) 23:00:42.96

P「それで、千早を勇気づけようって」

千早「……この曲を?」

P「ああ。俺と千早が海外で眠り姫をレコーディングしてる間にな」

 歌詞を見る。
 まるで、私のことを指しているような歌詞じゃないか。

 ああ、だからこの曲……特別に素敵だ、って思えるのか。

28: 2013/05/01(水) 23:01:22.47

 歌おう。仲間と今。
 ……祈りを、響かすように。

千早「…………プロデューサー」

P「ん?」

千早「……私、この歌……ずっとずっと、大切にします」

P「…………それ、みんなに言ってやれ。すっごく喜ぶぞ」

 車は、レコーディングスタジオの駐車場へと進んだ。


29: 2013/05/01(水) 23:02:09.97

第4審判「……」[3:57]

亜美「~♪」

律子「千早、プロデューサー」

P「よう、律子」

千早「律子……ありがとう、私のわがままを聞いてくれて」

律子「いいのよ。歌いたいときに歌うからこそ、音楽なんだから」

 レコーディングブースは、マジックミラー越しに見ることが出来る。
 中にいる亜美が、私を見ることはできない。

P「いま、どれぐらいだ?」

律子「そう、ですね。今3テイク目なんで、あと2テイク撮らせてください」


30: 2013/05/01(水) 23:02:47.94

千早「あの、プロデューサー」

P「なんだ?」

千早「私、少し外に出ていても、いいですか」

P「ああ、いいぞ。ちゃんと戻ってこいよ」

千早「ありがとうございます」


実況『ブースを抜け出しました如月』

解説『あれ、廊下を進んでますね』

実況『そして別の部屋に入りました。……ミーティングルームです。
   その手には先ほどの手提げ鞄、何をしようと言うのでしょうか』


31: 2013/05/01(水) 23:03:35.05

 鍵をかけて、電気をつける。
 長机とパイプイス、適当なイスを選んだ。
 亜美が歌い終わるまでに、みんなへの手紙を書くことに決めた。

千早「……」


解説『便箋じゃあないですか?』

実況『なるほど、手紙ですか』


千早「……」カチッ

 ――765プロの皆様へ。

 ちゃんと挨拶できなくて、ごめんなさい。
 みんなに伝えたいことがあって、手紙を書きました。

千早「……」サラサラ


32: 2013/05/01(水) 23:05:22.08

 春香は、いつも私に優しくしてくれたわね。本当に嬉しかった。ありがとう。
 あなたと過ごす時間が楽しくて楽しくてしょうがなかった。
 また、クッキーを食べたいわ。あなたの隣で、一緒に。

千早「……」

 我那覇さん、鍋パーティーに行けなくてごめんなさい。
 あなたの明るさと言葉には、何度も助けられた。ありがとう。
 これからも、その元気さで事務所を支えて欲しい。

千早「……」

 萩原さん、「Little Match Girl」のダンス、私に教えてくれたの、覚えている?
 一番強い心の持ち主で、私の憧れだった。
 あなたのいれてくれたお茶の味、忘れないわ。ありがとう。

千早「……ふぅ」

 ねえ、真。あなたと私って、正反対だと思わない?
 真みたいな強さも、可愛さも私は持っていなかったからね。
 でも、お互いを知っているから……良いところが分かるから、真を大親友って言える。ありがとう。


33: 2013/05/01(水) 23:06:28.56

 四条さん、私が歌のことで悩んでいるときに、真っ先に助言をくれましたよね。
 私、「心で歌え」って言葉、忘れたことなんてありません。
 あのとき奢ってくれたラーメンも、美味しかったです。ありがとうございました。

主審「……」

 真美。私、あのゲームの一面クリアできるようになったのよ?
 真美はいたずらっ子だけれど、事務所を盛り上げてくれて楽しかった。
 また、対戦したかった。ありがとう。

副審2「……」

 亜美。竜宮の活動があって、真美と会えなくなって寂しかったと思う。
 でもあなたはそんなことは一言も言わずに、笑顔で事務所を支えてくれた。
 元気をもらえたわ。ありがとう。


34: 2013/05/01(水) 23:07:17.00

 水瀬さん。あなたは自分を強く持っていて、すごく格好良かった。
 私、言わなかったけれど……尊敬していたのよ。
 困ったときにくれたアドバイス、嬉しかった。ありがとう。

 高槻さん、あなたの太陽みたいな明るさと笑顔、みんな大好きよ。
 家族の面倒も見ながら、本当にすごいわ。
 765プロのみんなを、これからもあたたかい気持ちにさせてね。ありがとう。

千早「……っ」

 あずささん。あなたがいないと、事務所は成り立ちません。
 私の話を親身になって聞いてくれて、ありがとうございました。
 これからも、みんなのサポートをよろしくお願いします。

 音無さん。あずささんと三人で銭湯に行ったときのこと、覚えていますか?
 音無さんが何気なくお風呂で口ずさんだ「空」、綺麗でした。
 事務所にあなたがいて、頼もしかったです。ありがとうございました。


35: 2013/05/01(水) 23:08:19.85

千早「……――」

 律子。もうすっかり、頼れるプロデューサーね。
 竜宮小町がトップに立つのを見られなくて、残念で仕方がない。
 これからも、みんなを導いて。今までありがとう。

 美希、昼寝のときの抱きつき癖、そろそろ治したほうがいいわよ?
 あなたは、未来のトップアイドルなのだから。輝く星々の中、一際目立つ一等星。
 持ち前の明るさで、みんなを支えて。本当に、ありがとう。

千早「……おかしいわね…………これじゃあ、まるで遺書よ……」

 社長。私、数年間で素敵な夢をいっぱい見させてもらいました。
 全員が頂点に行けるように、手をひいてください。
 ティンと来る、素敵な楽曲と衣装で。ありがとうございました。


36: 2013/05/01(水) 23:09:10.40

千早「…………かけない」

 プロデューサーへの思いを、書けない。……ここに、書きたくない。
 書けば、それで手紙が終わってしまう。

 涙が、勝手にこぼれだした。

千早「…………まだ、みんなとトップに、行けてない……っ!」

 氏にたくない。
 ロスタイムなんて、こんな時間じゃ全然足りないわよ。

 ステージで歌いたい曲だって、いっぱいある。

37: 2013/05/01(水) 23:09:56.58

 ……歌いたい、曲――――。

 ふと、バッグの中の歌詞カードが目に入る。

千早「…………そうだ」

 思いついたまま、文章を書いた。

 封筒を取り出して、裏側に小さく名前を書く。
 手紙をその中に入れて、バッグにしまった。


38: 2013/05/01(水) 23:11:13.45

亜美「千早お姉ちゃん! 久しぶりっ!」

千早「亜美、久しぶりね」

第4審判「……」[3:11]

P「千早、準備は出来たか?」

千早「はい」

律子「それじゃあ亜美、事務所に戻るわよ」

亜美「おいっすりっちゃん! バイバイ兄ちゃん、千早お姉ちゃん! またねっ」

千早「バイバイ、亜美」

 またねとは、言えなかった。
 そんな言葉、無責任だから。


39: 2013/05/01(水) 23:11:53.78

 レコーディングブース。ヘッドホンをつける前に、みんなの顔を思い浮かべた。
 みんなが私のために作ってくれた曲なら、私はみんなに向けて歌いたい。

千早「よろしくお願いします」


 ヘッドホンをつけて、流れる音楽に合わせて歌い始めた。

 ――最期の歌は、事務所のみんなに捧げる。


 ねぇ 今 見つめているよ 離れていても
 もう涙を拭って笑って 
 ひとりじゃない どんな時だって
 夢見ることは生きること 悲しみを越える力

 歩こう 果てない道 歌おう 空を越えて
 思いが届くように
 約束しよう 前を向くこと

 Thank you for smile


40: 2013/05/01(水) 23:12:49.85

 駐車場、車に乗り込む前にプロデューサーに声をかけた。

千早「プロデューサー」

P「ん、どうした?」

千早「その…………今日の音源、今度もらえますか」

P「ああ、いいぞ」

 プロデューサーが鍵のボタンを押すと、車のライトが点滅した。
 違う、こんなことを言いたいんじゃない。

千早「……あのっ!」

P「え?」


41: 2013/05/01(水) 23:13:18.16

 私はバッグから封筒を取り出して、プロデューサーに渡した。

千早「それ……明日、読んでみてください」

P「明日でいいのか?」

千早「はい。できれば、事務所のみんなで」

P「みんなで、って……明日は千早にも仕事があるぞ?」

千早「そ、そうですね」

 プロデューサーが車に乗り込んだので、私も助手席へと座った。


42: 2013/05/01(水) 23:14:06.16

千早「プロデューサー……いつもありがとうございます」

P「あはは、どうしたんだよ急に」

千早「ただ、なんとなく言いたくなりました」

P「……そっか」

主審「……」ピッ!

千早「…………」チラ

第4審判「……」[0:24]

 やっぱり、歌へのこだわりは捨てられなくて、時間を使ってしまった。


43: 2013/05/01(水) 23:14:46.55

P「……これから雪歩と真美を迎えに行くけど、ついていくか?」

千早「えっと……」

主審「……」フルフル

千早「……すみません、遠慮しておきます。……ここで、降ろしてくれますか」

P「ここで?」

千早「事務所を経由すると、プロデューサー、走る距離が遠くなりますから」

P「……サンキュな、千早」

44: 2013/05/01(水) 23:15:20.67

P「それじゃあ、また明日」

千早「はい。……また明日」

バンッ ブロロロ…

千早「…………さようなら」


実況『如月、担当プロデューサーの車をずっと見送っています』


45: 2013/05/01(水) 23:16:08.87

主審「……」ピッ!

千早「……ゆっくり、歩いてもいいですか?」

副審2「……」コクリ

 無意識にポケットに手を入れると、朝に春香からもらったキャラメルがあることに気づいた。

千早「…………」

 口に含む。懐かしい甘さと香りが広がって、心地良い。

千早「……春香」


46: 2013/05/01(水) 23:16:49.30

 歩きながら、携帯を操作していると、さっきの我那覇さんのメールが出てきた。

千早「……」ピッ

 電話帳から彼女の番号を探し、通話ボタンを押して、携帯を耳に当てる。

響『もしもし、千早?』

千早「もしもし。突然電話してごめんなさい」

 彼女の声が、聞こえてくる。

響『ううん、自分も丁度今かけようと思ってたんだよ』

千早「ふふっ、嬉しいわ」


47: 2013/05/01(水) 23:17:35.21

響『そうだ、今度の土曜だけど、闇鍋パーティーになったんだ』

千早「闇鍋?」

響『そーそー! それで、みんなで一個ずつ具材を持ってくるんだけど』

千早「それで、電話するって言っていたのね」

響『その通り! 千早、何を持っていく?』

千早「それ、言ったら面白くないんじゃない?」

響『ハハハ……ま、まあそうだけど、カブらないようにさ』

千早「そうね……まだ決めていないけど、なるべく早く伝えるわ」

響『おっ、了解だぞ!』


48: 2013/05/01(水) 23:18:42.62

千早「…………ねぇ、我那覇さん」

響『うん?』

千早「私、いま……幸せよ」

 大切な友達と、氏ぬ前に話せているから。

響『なんだよいきなり』

 我那覇さんは笑いながら言う。


49: 2013/05/01(水) 23:19:34.27

千早「そうね……いきなり、変だった」

響『あっ、そうだ千早。今日の夜、一緒にごはんでもどうかな』

千早「今日の夜は……ごめんなさい」

響『そうか……残念だな。じゃあ、今度どこかで一緒に食べない?』

千早「…………ええ、楽しみにしてる」

響『うん! ……それじゃ、そろそろ自分次のお仕事だから、切るぞ』

千早「ええ、それじゃあね」

 無機質な音が聞こえ始めたので、電話をゆっくりとポケットの中に仕舞った。


50: 2013/05/01(水) 23:20:56.53

実況『試合終了の時刻が、近づいて参りました』


 気づけば、もう事務所の前に着いていた。
 さっきよりも前に動いている、私を轢く自動車。

千早「……もう、着いたんですか」

副審1「……」ビシッ

 審判の人がフラッグで車の前を指した。

千早「…………ひかれた時と、同じ風にするんですか?」

副審2「……」コクリ


51: 2013/05/01(水) 23:21:27.38

 車の少し前で、うつ伏せになる。
 ……もう、本当に終わりなのね。

千早「…………あの」

主審「?」

千早「……私にロスタイムをくれて……ありがとうございました」

主審「……」ニコリ

第4審判「……」[0:01]

 上手く使えたかどうかは、分からない。
 それでも私は、最期のあがきに……満足できている。

 生まれ変われるならば、また歌いたい。
 765プロのみんなのような、素敵な仲間と共に。

 ――ありがとう、さようなら。

52: 2013/05/01(水) 23:22:01.63


 [0:00]


 ピーッ ピーッ ピーッ……



53: 2013/05/01(水) 23:22:37.25

 ―― 半年後 ――

美希「三階席の人も、ちゃーんと、見えてるよーっ!」

 ワアアアアアアア!

春香「……皆さん、今日は私達のライブに来てくれて、本当にありがとうございます!」

 パチパチパチパチ…

春香「集まってくれたのに、ごめんなさい。今から歌う曲は、ある一人だけに、心をこめたいと思います」

 ザワザワ…

響「このステージに、もう立つことの出来ない仲間がいるんだ」

貴音「その仲間は、わたくし達に手紙を残してくださいました」


54: 2013/05/01(水) 23:23:11.08

雪歩「私達のことを、一番見てくれていて」

真「一番ボク達のことを助けてくれた、アイドル仲間で」

あずさ「私達の、大切な大切な……お友達です」

亜美「イタズラには、耳を真っ赤にして怒って」

真美「真美にいっつもゲームで負ける、不器用なお姉ちゃん」

伊織「あの歌声はもう聞くことは出来ないけれど」

やよい「私達の心の中で、ずっとずーっと、響き続けてます!」


55: 2013/05/01(水) 23:23:46.01

美希「ミキ達ね、千早さんと……約束したんだ」


 ――プロデューサー。いつか、また私を見つけて……アイドルにしてください。――


美希「不思議なんだ、千早さん……事故なのに、まるで自分がいなくなるって分かってるような手紙だったの」


 ――その時が来ると信じて、いつまでもいつまでも待っています。――


美希「でも、その中身からみんなへの強い思いが伝わってきた」



56: 2013/05/01(水) 23:24:56.86

 ――最後に、みんな。

美希「春香……」

春香「……うん」

 ――わがままになるけれど、私と約束をしてくれないかしら?

春香「今日、私達は……千早ちゃんに見守ってもらいながら、千早ちゃんのために歌います」

 ――ライブで、『約束』を歌って欲しいの。
 私が居なくなっても、みんなが私のために作ってくれた歌があれば。

春香「ぜひ、一緒に歌ってください」

 ――――私は、生き続けることが出来ると思うから。

 これが、私がみんなに望む…………。

春香「――『約束』」


57: 2013/05/01(水) 23:26:35.86

 美希編ややよい編のSSに感動して、千早で書きました。2つ共別の方のSSですが、ぜひどうぞ。
 原作はドラマ「ロス:タイム:ライフ」です。
 お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

 EDはORANGE RANGEの「君 station」をどうぞ。

59: 2013/05/01(水) 23:32:33.26


天国までコンサートしに行ったってわけか…

引用元: 千早「ロス:タイム:ライフ」