1: 2010/09/20(月) 00:43:34.72
こんにちは、琴吹紬と申します。
桜高軽音部所属、毎日楽しく暮らしています♪
わたしは、自宅から少し離れた学校へ通っています。
なので、軽音部では唯一の電車通学です。

両親は心配のようで、斉藤さんに送迎を言いつけましたが…。

出来るだけ色んなことをしてみたい。
自分の目で、体で、たくさんの経験を積みたい。
わたしは精一杯、両親に頭を下げました。
紬を電車通学させてください、と。

そんな苦労の甲斐もあり、晴れて電車通学の毎日です♪
しかし、わたしにはまだまだ達成していないことがあります。

4: 2010/09/20(月) 00:48:28.50
そう、座席に座ることです。
通学も帰宅も満員とまでは言いませんが、たくさんの人が電車を利用します。

一度でいいから…座ってみたいのです。

そして、座りながらメールを打ってみたいのです。
はしたないことだとはわかっています。
両親がこんな姿を見れば…悲しむかもしれません。
でも、そんな思い出もあっていいと思いませんか?

わたしはこの楽しい高校生活に、悔いを残したくないのです。
気合いはあれど、なかなか実行出来ずにいました。

なので、どうすれば座席を確保出来るかを考えてみました。

5: 2010/09/20(月) 00:57:41.77
まず、自宅又は学校の最寄り駅からの座席…絶望的です。
自宅の最寄りでは、既に空席なし。
だから、いつもドア付近の手すりにつかまって景色を眺める…

それがダメなのです!
ドア付近の手すりなんて…試合放棄もいいところです!
もし、ドアから一番近い座席…端が空いたなら、それは幸運。
ですが、もし座席の真ん中辺りが空いたら?
ドア付近に居れば、移動距離が長い。
その間に、空席は埋まってしまいます。

「端っこ」の人気は高いです。
もし「端っこ」が空いたとしても、そこを狙うライバルはたくさん居ます。
「空いた!」と思って座ろうとしても、それまで端から2番目に座っていた人が、端につめてしまう可能性が高いです。
そしてその隙に、端から2番目ですら、座席の真ん中辺りのつり革に掴まる人に取られてしまうのです…。

すると、どうなりますか?
座ろうと移動したにも関わらず、座れないわたし。
こんなの、澪ちゃんじゃなくても恥ずかしいです…。

6: 2010/09/20(月) 01:04:49.81
ここで掴んだポイントが一つ。
思わぬ空席にも即座に対応出来る場所…。
それは、「座席の真ん中辺りのつり革に掴まる」ことです。

そこから全てが始まる、と言っても過言ではありません。

しかしこれもまた、ただの準備に過ぎないのです。
次のポイント…それは、「空く座席を予測する」です。
学生が多い朝の車内なら、制服で予測することも可能です。
しかしわたしが利用する線は桜高生が多く、他は桜高より遠い学校の生徒。
この「学生狙い」は通用しないと言うわけです。
服装とは別のことで予測をしなければなりません。
なのでわたしは、色んな人を観察しました。
座席を立つ前の行動…皆さんいくつかの共通点がありました。

7: 2010/09/20(月) 01:09:44.10
それは、「定期や切符を用意する」です。
スムーズに改札を通るためでしょう。電車を降りる前に、定期や切符を予め用意する方が多いのです。
他には、開いていた本や携帯をしまうなど、そこにはたくさんの「前兆」がありました。
その行動を目にした場合…その座席は空くということ。

でも、気の早い人も居ます。
何も考えず、その行動に走る人だって居ます。
それらはただの、「前兆」にしか過ぎません。
行動には、決定打が必要なのです。

そして、決定的なものをわたしは見つけました。

電車が止まる瞬間、或いは止まった直後のことです。

8: 2010/09/20(月) 01:12:48.55
座っている人が、つり革に目をやる場合があります。
そう…席を立つため、つり革に掴まる人が居るのです。
もちろん、全員が全員つり革を確認するわけではありません。

しかし、つり革を確認する人は、100%席を立つのです。
その行動を目にすれば、空席を事前に察知出来る!と言うわけです。

9: 2010/09/20(月) 01:15:27.23
空席確保のポイント。
「座席の真ん中辺りのつり革に掴まる」
「空席の前兆を探す」
「つり革に目をやる人に全てを賭ける」

以上、この三つをわたしは導き出しました。

10: 2010/09/20(月) 01:19:15.90
今日、わたしの密かな挑戦が始まります。
何だかんだ言いましたが、チャンスは帰りの電車に絞っていました。

だって、朝はたくさんのケーキやお菓子を持っています。
そのケーキやお菓子を、わたしの勝手な挑戦で崩してしまったら…。
楽しみにしていてくれる、皆に顔向け出来ません。

部活も終わり、一人ホームで電車を待っていました。

「まずは座席の真ん中辺り…よし!」

11: 2010/09/20(月) 01:24:41.49
電車に乗り込むと、わたしは計画通りその場所を確保しました。

(これで準備万端ね~...ふふふ)

そのことで既に達成感を感じ、座席に目をやるのを忘れてしまっていました。

(…あっ!)

「端っこ」が空きました。
しかし、すかさず端から2番目の方がつめてしまいました。
空席になった端から2番目は、その前に立っていた方が座ってしまいました。

不覚です…。

空席はすぐ、埋まってしまいました。

12: 2010/09/20(月) 01:28:33.67
(次の駅で挽回しなくては…)

つり革を強く握り直しました。

次の駅に停車前。
今度はわたしが立っている斜め前の方が「前兆」を示しました。

(携帯を閉じた…)
(鞄にしまって…定期を用意した…)

(くる…!)

その予感は的中です!
その方は、席を立ちました!

ですが…。

13: 2010/09/20(月) 01:31:41.16
停車した電車に乗り込む老婦人が見えました。
お年寄りには、席を譲らねばなりません。
人として、琴吹家の人間として。
人を敬う気持ちを忘れてはなりません。

お年寄りや、妊娠中の方。
小さなお子さんや、体調の優れない方。
いくら席が空こうが、その人たちにはお譲りしなければなりません。

「…どうぞ♪」
「あら、ありがう。親切なお嬢さんね~。」
「そんなことありません♪」

当たり前のことをしたまでです。

その後チャンスは訪れることなく、電車を降りるときが来ました。

「ああ…今日はダメだった。でも明日があるもの!」

14: 2010/09/20(月) 01:38:16.08
翌日。
部活を終え、いつも通り電車に乗り込みました。
立ち位置は完璧。乗客のチェックも怠らない。

何だか今日は成功しそうです!

ゆっくり止まる電車。
わたしの目の前に座るのは男子学生。

携帯をしまい、手すりを確認しました。

(いける…!)

三つがそろいました!
スロットで言うところの、BBです!

お父様、お母様、紬をここまで育ててくれてありがとう。
紬はまた一つ、夢を叶えることが出来そうです。

(…あれ?)

わたしは電車を降りました。

15: 2010/09/20(月) 01:45:29.66
「待って下さい!忘れ物です!」
「え…?俺?」
「はい、この定期、電車にお忘れでした!」

男子学生が座席を立った後、そこには定期入れが残されていました。
それを見たわたしは、とっさに定期入れを持って彼を追いかけていました。

「あ、ありがとうございます。」
「いえいえ♪では♪」

せっかくのチャンスでした。
でも、この後困るであろう人を見過ごすわけにはいきません。

「結局、座れなかったな~…。」

そう思いながら、また次の電車を待ちました。

16: 2010/09/20(月) 01:53:36.30
初めて降りる駅でした。見慣れない風景に、少しドキドキしました。
そして電車はすぐに来ました。

(あれ…空いてる?)

一人座れるほどのスペースが、そこにはありました。
ライバルが多い「端っこ」でした。

(座って…いいのよね?)

わたしは腰掛けました。
浅く、緊張したように。すると、自然に笑顔がこぼれました。

(あ…メール!)

鞄から携帯を取り出し、メールを打ちました。

17: 2010/09/20(月) 01:59:52.46
帰り道
律「おっ!ムギからメールだ。」
澪「わたしもだ。」

平沢宅
唯「ムギちゃんからメールだ~。」

中野宅
梓「ムギ先輩からメール、珍しいな。」


紬「また一つ夢が叶いました!」


律澪唯梓「…どういうこと?」

こうしてわたしの挑戦は、成功を収めました。
せっかく編み出したポイントは、一つとして使われませんでしたが…。

18: 2010/09/20(月) 02:09:26.13
でも今は、別の楽しみを見つけました。
定期を車内に忘れた彼です。

特に会話をするわけではありませんが、彼はわたしを見つけると、必ず軽く会釈をしてくれます。
その度、わたしは笑顔を返すのです。

座席ではなく、彼を探すのが今では習慣になりました。

毎日楽しい電車通学、わたしは幸せです♪



終わり。

29: 2010/09/20(月) 02:37:26.36
秋山澪の密かな挑戦


こんにちは、秋山澪です。
桜高軽音部所属、毎日勉強に部活に大忙しです。
軽音部には部員が5人、1つのバンドを組んでいます。
わたしはベースを担当。お金を貯めて、頑張って買いました。
この大切な、フェンダージャズベース左利き仕様。

そうです、わたしは左利き。
この世の中は、左利きには生きにくいのです。

31: 2010/09/20(月) 02:40:34.64
誰かと並んでごはんを食べる時、自分の座る位置を考えたりしますか?

わたしは考えます。
だってわたしが一番左じゃなきゃ、右利きの子と肘がぶつかるんです。

国語の授業でノートをとっている時、小指の横側が黒になることがありませんか?

幸い、わたしはなりません。
その代わり、その他全授業で黒くなります。
真っ黒です、真っ黒。

字だって、右利きの書きやすい構成になっています。
気付いていましたか?

皆が普通に使う道具も、わたしには使いづらい物ばかりです。
楽器、ハサミ、缶切り、マウス、改札、自販機の挿入口…挙げればキリがありません。
どれも右利き用になっています。

32: 2010/09/20(月) 02:42:49.02
こんな右利き社会。
左利きの人間は、自分でも気付かないストレスに見舞われるそうです。
寿命だって、右利きに比べて短い傾向があるそうです。

だからですか、わたしの髪が少し薄くなってきたの。
毛穴、もう氏んだのですか。

33: 2010/09/20(月) 02:43:10.29
おい

35: 2010/09/20(月) 02:44:48.21
何で右利きに産んでくれなかったのかと、ママに八つ当たりしたこともあります。

ママは言いました。
「それも澪の個性じゃない」と。
生きにくさまで感じて、それが個性なんて。
もちろん、左利きはスポーツの世界で重宝されることは知っています。

でも、スポーツをやっていないわたしには、ただのコンプレックスです。
体育でソフトボールだった時のこと。

わたし、ずっと攻撃側のチームに回りました。グローブがないんだもん。

どちらを応援しても、悲しい結末が待っている。
勝った喜びも負けた悔しさも、どちらもピンと来ません。
せっかくのチームプレー、自分が中途半端な立場で終わる気持ちがわかりますか?

36: 2010/09/20(月) 02:46:39.47
右利きが良かった。
右利きになりたい。
昔からそう思っていました。
幼い頃、律に左利きだと騒がれたことがあります。

…泣いてしまいました。

そんな律に、今日はこんな話をされました。

37: 2010/09/20(月) 02:48:28.25
律「なあ澪。左利きの双子説知ってるか?」
澪「何だそれ?」
律「一卵性双生児って、片方が右利き、もう片方が左利きが多いらしくてさ。」
澪「へえ、初耳だな。」
律「ミラーツインって言うらしいんだ。
  でも澪は一人っ子だろ?」
澪「そうだぞ?」
律「それはな、澪。
  澪には右利きの双子の片割れが居たはずなんだ。」
澪「おいやめろ」
律「本当は、澪は一人っ子じゃないんだよ。
  産まれるはずの片割れが居たんだ…。」
澪「」
律「受精段階では双子だった。でもその子は何らかの原因があって、母体に吸収されてしまったんだ。」
澪「」
律「澪ってさー、発育いいじゃん?
  きっと会わずとして離れ離れになった片割れの分も、澪が育つ運命だったんだよ。」
澪「」
律「澪…おい聞いてっか?」

38: 2010/09/20(月) 02:50:13.21
途中から意識が遠のいてしまいました。
もう律と話したくありません。絶交です。
元々、アイツはわたしにちょっかい掛けてばかりです。
親友だと思っていましたが、ただのおもちゃなのです。
そう気付きました。

そして同時に決意しました。
わたし、秋山澪は…右利きになります。

39: 2010/09/20(月) 02:52:12.42
ありとあらゆる動作を右で行います。
まずはお箸からはじめてみました。

…いきなりの挫折です。
でも負けるわけにはいきません。
今日の夕飯のハンバーグは、お箸で突き刺しかぶりつきました。

ママは怒りました…そんな品のない食べ方をするな、と。

ママが怒るのは無理ありません。
でも、わたしの決意は固いのです。

ママを説得しました。
今まで左利きで生きてきた辛さ。
そして右利きになることへの挑戦、決意。

41: 2010/09/20(月) 02:54:23.24
ママは黙って頷きました。きっと呆れたのでしょう。

お弁当は、フォークにしてもらうことになりました。

それだけではありません。
ドアノブに掛ける手も右、メールを打つ手も右。
ペットボトルのフタも右手で開けました。
右手は添えるだけで、結局ボトルを左手で回してしまう自分がいました。

眉毛のお手入れも右手でしました。
するとどうでしょう、見事失敗です。

でもめげません。
わたしは、右利きのわたしに生まれ変わるのです。

42: 2010/09/20(月) 02:57:55.50
翌朝。
右利きへ道のりは、まだまだ始まったばかりです。
朝は律と一緒に登校しています。絶交…するつもりですが。

律「お~はよ~!」
澪「お、おう…おはよう。」

右手を挙げてみました。
律気付いた?今のわたし気付いた?

バカ律は気付くわけもありませんでした。

誰かの顔を見るたび、右手を挙げて挨拶をしました。
律だけではなく、誰もそこに触れることはありませんでした。


授業が始まりました。
右手で字を書く…それはさすがにハードルが高すぎます。
人生には、突破しなければならない壁と、回避すべき壁があります。

44: 2010/09/20(月) 03:00:14.50
今のわたしには、「回避すべき壁」でした。

受験生なので、授業には集中せねば。

でもいつか越えてみせる。
そう誓いを立て、ペンは左手で握りました。
でも、昨日までのわたしではありません。

消しゴムは左手で使いました。
すると…あることに気付きました。

ペンから手を離し、消しゴムに持ちかえる。
この当たり前で、疑問を持ったことすらない行動。
その無駄が省けました!

(これはテストで使える…よし。)

そう思うと、自然に笑みがこぼれました。

45: 2010/09/20(月) 03:04:06.82
お昼休みがきました。
軽音部4人と和。いつものメンバーで机をくっつけます。

他愛もない会話。おいしいお弁当。
右手でフォークを握るわたし。

フォークなら何とか、右手でも大丈夫です。
お弁当のおかずは小さめに作ってあるから、難なく食べられます。

しかし、誰もわたしの挑戦には気付かないままでした。


唯が分け目を変えた時。
誰もが気付かず、声をそろえて「地味」だと言いました。

利き手を変える…地味なのか?
この生きにくい世の中に悩んだわたし。
その悩みを解消する策が、唯の分け目程度に…地味なのか?

何だかちょっと、悲しいです…。

46: 2010/09/20(月) 03:07:37.28
朝ほどの勢いはなくし、部活です。
部活には梓も来ます。梓なら…気付いてくれるんじゃないか!?
さすがにベースは…左じゃなきゃ弾けない。
右利きようのベースを弦を逆さに張り替えて使う、と聞いたことはありますが、
それは一から練習するようなものです。
バンドはみんなの力で成り立っています。
わたしのこの挑戦で、みんなに負担を掛けるわけにはいきません。

(右利き用のベース…買おうかな。)

今軽音部はティータイム。
ケーキを食べながら楽しい会話…でもわたしの耳にはほとんど入ってきません。
もちろんスプーンを持つ手は右。しかし誰も気付いてくれません。

(はあ…)

憂鬱なまま、練習に入ります。

47: 2010/09/20(月) 03:10:10.86
律「何か今日…まとまり悪くないか?」
唯「りっちゃん、気のせいじゃない?」
梓「わたしも思いました。何かリズムが悪いって言うか…」
紬「そうかしら?楽しかったわ~。」

ごめんなさい、わたしのせいだ。
右利きになることばかり考えて、全然集中出来ませんでした。

帰りもまた、律と二人きりです。
こいつはやっぱり、散々幼なじみだと言い合ったくせに、わたしの挑戦には気付いてくれませんでした。
その程度の仲なんだ。だからあんな話するんだ。

もう、本当に絶交だからな!

48: 2010/09/20(月) 03:13:14.99
律「なあ…」
澪「何だよ。」
律「わたしがした話、そんなに気にした?」

(…!)

律「気にしたよな。悪かった。」
澪「何の話だ?」
律「今日の澪、ずっと右手使ってもの食べてたじゃん。」

(気付いてたのか…!)

律「ごめんな。ちょっと面白い話聞いたもんだからついいじめたくなって…」
澪「わたしには本当にショックな話だったんだぞ!」
律「ごめんごめん、わたしは左利きの澪が好きだよ。」
澪「な、何言ってんだ…」
律「ほんとだぞ?左利きじゃなかったら、この立ち位置も定着してないだろ。」

49: 2010/09/20(月) 03:17:51.90
いつも律は、わたしの右に居ました。
今まで気付かなかったけど、それが自然でした。
もしかして律は、考えてわたしの右を選んでいたのか…?

律「それに、さ…」
澪「!急に何すんだ…」
律「手繋いでも、利き手が空くんだぞ?」

律に手を握られてしまいました。


今のわたし、顔赤くないか…?

澪「やめろ、離せよ…」
律「やーだ!今日はこれで帰る!」
澪「ちょっと律…恥ずかしいんだけど…」
律「言ってんだろ、左利きの澪が好きだって…」


その日はそのまま、手を繋いで帰りました。

50: 2010/09/20(月) 03:22:08.60
左利きは、やっぱり生きにくいです。
でも律の左側は、とても居心地がいいです。


夕飯の時、ママはスプーンを用意してくれました。

「ママ、お箸ちょうだい。」


今日は、お箸を左手で握って食べました。


「こら澪、お皿からシチューすすらないの!」



終わり。

51: 2010/09/20(月) 03:31:33.13
楽しかった

引用元: 「琴吹紬の密かな挑戦」