1: 2010/04/15(木) 22:03:53.21
それはsos団の活動が長引いてすっかり遅くなった時だった。俺とハルヒがどうして一緒に帰る事になったのかは聞かないでくれ。

ハルヒ「きれいね。」
キョン「は?」

いつものハルヒからは考えられない言葉がでた。

キョン「お前なんかおかしいもんでも食ったか?」
ハルヒ「なんでよ。」
キョン「いやまさかお前の口からそんな言葉がでるとはな。」
ハルヒ「私だって一応女の子よ。きれいだとか可愛いだとかは口に出るわよ。」

まあそれもそうだな、俺だって蛍はきれいだと思うしな、でもおまえの口からそんな言葉がでるなんて思いもよらなかったからな。


6: 2010/04/16(金) 00:53:53.83
そういえば、最後に蛍を見たのは叔母の家に行ったときだったろうか。
俺にキョンだなんて間の抜けたあだ名を付けた叔母の家の近くには田んぼがあって、夜に連れて行ってもらった覚えがある。

星がすぐ頭上から降り注ぐような夜空の下、真夏の暑い中をシャツを汗だくにしながら歩いて、蚊に刺された場所をボリボリ掻くことにひたすらご執心だった。

正直、クーラーの効いた室内でゲームでもしていたかった、というのが歩いていた俺の本音だった。隣の妹も眠たそうに目を擦っていたしな。そういえば、あの頃はまだお兄ちゃんと呼んでくれていたっけ。

とにかく、田んぼに着くまでの俺は、暑さとダルさにうんざりしていたわけだ。



それが、どうだろう。

田んぼに着いた俺は、目の前に広がった光景に、暑さもダルさも痒さも、現実感すら吹き飛んだ。

無数の光が明滅し、ゆらゆらと宙を舞う。
それは、頭上で燦然と輝く星たちが地上に降りてきたかのような、幻想的で優美な世界だった。

妹ははしゃいでいたが、俺ははしゃぐことすら忘れてただあんぐりと口を開けたアホ面を晒していただけだったな。

とにかく、今この瞬間、俺はあの日の光景を思い出していた。

ハルヒ「……キョン、なにボーッとつっ立ってるのよ。行くわよ?」

気が付くと、ハルヒは既に歩き出していた。

キョン「スマン、少し純粋だったあの頃の思い出に浸っていただけだ」

ハルヒ「なんかジジ臭いわねー」

いいじゃないか、過去の郷愁を感じることの一つや二つ。あの頃には今の俺が欲しがってる色んなモノがあるんだ。
純粋さとか、平和とか、呼び名とか。

9: 2010/04/16(金) 21:53:10.62
さて、翌日。

昨夜、過去に懐かしさを感じた俺はダメ元で妹に呼び名の変更を申し出てみたが、案の定無邪気な笑顔で拒絶されてしまった。

そんなワケで今朝もいつも通り、「キョン君!起きて!」という喧しいアラームと共に物理的な衝撃を感じながら、ノソノソと起きるハメになったわけである。

身内にすらささやかな願いを聞き入れて貰えないとは、まったく世地辛い世の中になったもんだ。

そんな事を考えながら歩くいつもの坂道は、冬の冷たい風も相まって俺の身も心も見事に萎縮させ、ますます俺の気分をブルーにしていった。

こんな時は、朝比奈さんにお茶を淹れてもらいたいもんだ。
現実は放課後までお預けだが。

谷口「よーう、キョン!」

後ろから、ブルーな朝にブラックな気分を追加させる不快な声が聞こえてきた。

谷口、お前は朝からノーテンキに元気だな。羨ましいぞ。

谷口「そういうキョンは随分とテンションが低いな?なんだ、涼宮にフラれたのか?」

キョン「なぜハルヒの名前が出てくる。そもそも、俺たちは断じてそういう関係じゃないからな」

谷口「ほうほーう」

何故そんなニヤニヤするんだ。

谷口「水くさいじゃねえか。昨日だって二人ラブラブ帰ってたんだろ?」

キョン「なんで知ってるんだ。というか、別にラブラブしていなかったぞ。団活とやらの居残りをさせられていただけだ。団長命令とか言ってな」

谷口「おうおう、変人に付き合わされてお前も大変だなー」

13: 2010/04/17(土) 11:09:15.43
まったくその通りだ。
ハルヒの珍妙極まりない脳みそは、俺に苦労をかける方向にしか考えを向けないらしい。

少し前の対生徒会長戦である。
SOS団の隠れ蓑である文芸部の存続を賭けた文芸部誌を発刊するにあたって、俺たちSOS団員たちと予備団員(どちらもいつの間にかそういう肩書きになっていた)は、くじ引きで決まったジャンルの文章を書く羽目になった。

俺に課されたのは恋愛モノ。
色恋沙汰などまったくの専門外である俺は、仕方がなく過去にあったなんでもない出来事を脚色して、恋愛モノ『風味』に仕立てあげたのであるが、これがハルヒ元編集長には気にくわなかったらしい。

なんと既に好評のうちに配布を終了した文芸部誌に掲載した原稿の、やり直しを命じてきやがったのだ。

よりによって、俺一人にである。

谷口「はは、お前の文章は悪くなかったが、他のやつのレベルが高すぎたんだ。まあめげずに頑張れよ」

慰めるように肩を叩くんじゃない。

キョン「言っておくが谷口、件の文芸部誌での人気アンケート最下位はダントツでお前のクソ面白くない日常エッセイだったんだぞ」

本当に、なぜお前じゃなくて俺なんだ。

谷口「さあな。変人の考えることは普通を自負する俺には分からねえよ」

役に立たん男だな。

14: 2010/04/17(土) 15:47:22.97
そんなこんなで、今日も不機嫌面をぶら下げる女の気配を背後に感じながら一日の授業を消化し、放課後である。

珍しいことに、朝からずっと大人しく(とはいえ棘付きのオーラを放ってはいたが)肘をついて席に座っていたハルヒは、担任岡部の退室と共にゆっくりと起き上がった。

様々な出来事を経て培われた、俺の勘が告げる。ヤバい。特大の嵐が来るぞ。

ハルヒは、仏頂面のまま口を開いた。

ハルヒ「……アンタ、昨日の蛍を見たわよね?」

キョン「?……ああ、見たな」

俺はかなり拍子抜けていた。

コイツは、バネみたいな性格をしている。大人しく縮まる期間が長いほど、反動でかなり高く跳ね上がるのだ。周りに甚大な被害を与えることも省みずに。

だからこそ、神妙な顔をして悩むハルヒが気になったのか。
ハルヒが大人しい今のうちに、居残り回避のためさっさと帰宅すればよかっただろう。
が、俺は席を立たずに、ハルヒの方へ体を向けていた。

キョン「なにか気になるのか?」

ハルヒ「……私の記憶違いじゃなけりゃ、蛍って夏の生き物よね」

俺は再びあの日の記憶を振り返っていた。確かに、あの時も蒸し暑い夏だった。

ハルヒ「今は冬よ?雪だってついこの間降ったばかりなのに、蛍がいるわけがないじゃない」

……言われてみれば。だが、俺たちは確かに見たじゃないか。

ハルヒ「そうなのよ。だから、意味が分かんないの」

15: 2010/04/18(日) 20:14:06.18
冬にいるはずのない蛍。
もし蛍じゃないなら、アレは一体なんだったんだ?

ハルヒ「……ねえ、キョン。今日も遅くまで居残るわよ」

キョン「どうせ何がなんでも残されるんだろう。部室に行くぞ」

ハルヒ「あら、随分と聞き分けが良いわね」

団長様の権限で好き勝手やられるよりは、自発的に動いた方が気分は良いってもんだ。

キョン「それに、また見に行く気だろ?俺だって気になるからな」

ハルヒ「アンタにしては察しが良いわね。その通りよ」

キョン「今日の俺は冴えてんのさ」

ハルヒ「調子に乗るな、バカ。冴えてるなら文章のネタでも頭から捻り出しなさいよ」

ぐっ、キツイ注文を食らってしまった。
過去の恋愛なんて、さっぱりだからな……って、あ。

ハルヒ「……なにか思い付いたワケ?」

思い付いたというか、思い出したというか。
かなり断片的ではあるが。

キョン「蛍に感謝しなきゃな。いたよ。……恋愛とは程遠いが、一時期ときめいていた相手が」

ハルヒは眉をひそめると、仏頂面のまま顎で先を促した。

ハルヒ「続けなさい」

キョン「続きは部室でな」

17: 2010/04/21(水) 21:21:23.62
部室の扉を開けると、朝比奈さんが既にメイド姿になってお湯を沸かしていた。
相変わらずのお目麗しさだ。眼福眼福。

キョン「こんにちは、朝比奈さん」

みくる「あ、こんにちはキョン君。今お湯を沸かしているので、もうすぐお茶出来ますから」

貴女にお茶を注いでもらえるなら、俺は何百年でも黙って待っていられますよ。
俺が可愛らしく温度計とにらめっこをしている朝比奈さんに見とれていると、視界をさえぎるように黒い物体が突き出された。

キョン「……なんだハルヒ」

ハルヒ「ほら、パソコンよ。みくるちゃんに見とれて鼻の下伸ばしてないでとっとと書きなさい、このバカ」

ハルヒはノートパソコンを俺の胸に押し付けた。仕方がなくソレを受け取ると、席について淡々と準備をする。
ノートパソコンにアダプタのコネクタを接続するとき、机の反対側に座る男と視線が合った。

キョン「……なぜニヤけてやがる、古泉」

古泉「いや失礼、微笑ましいなと思いまして」

どこが微笑ましいものか。こっちはやりたくもない仕事を押し付けられているんだぞ?しかも、目の保養をする権利すらないときた。
更に給料も休暇もなし、どこぞのブラック会社でももう少しマシな待遇だろうな。

古泉「そうでしょうか?無理難題や欲しくもない能力を押し付けられたり、命の危険がないだけマシだと思いますが」

お前はその超能力で命を賭けて戦っているのかもしれんが、俺はなんの不可思議能力もない一般人であるにもかかわらず、世界を背負っているんだぞ?
なぜ俺の一挙一動が世界の命運を握っているんだ……。まあ、お前の境遇にも同情はするがな。

18: 2010/04/21(水) 21:50:49.42
古泉「一応釈明すると、僕はこの能力を恨んでなどいませんよ。当初はそう思っていましたが、今は感謝すらしています」

キョン「……SOS団の一員だからか?」

古泉「その通りです。この力のおかげで、僕は貴方たちと出会えた。これは素晴らしいことです」

気持ちいいほどのプラス思考だ。お前もすっかりこのイカれた団体の一員になっちまったな。

古泉「貴方は違うのですか?」

……考えるのも馬鹿馬鹿しい。

古泉「ふふ、素直なのか素直じゃないのか分かりませんね貴方も。……ついでに追求するとして、実際は分かっているのでしょう?どうして貴方が世界の命運を握っているのか」

……それも馬鹿馬鹿しい質問だな。俺は黙って思い出を掘り返す作業に入るぞ。

古泉「おや、はぐらかされてしまいますか。仕方がないですね、どうぞ作業に入ってください。あまり邪魔をして、彼女の機嫌を損ねるわけにも行きませんし」

古泉の目配せした方向には、団長と書かれた三角錐の乗る机に仏頂面で頬杖をついている、ハルヒの姿があった。
その目は俺をじっと睨みつけていて、無言の圧力をかけているようだ。

キョン「……ハァ」

俺はパソコンのキーボードに指を走らせた。もっとも、特に文章が決まっているわけでもなく、断片的に思い出した記憶を箇条書きにしているだけである。
カタカタカタと数行の情報を書いていくと、視界の横からいつのまにやら近づいてきていたハルヒの顔がぬっと飛び出した。

キョン「うおっ!」

ハルヒ「……教室で言ってたことの続き。教えなさい」

パソコンの画面を覗き込む体勢のまま、ハルヒは顔を俺に向けた。近い、近すぎるぞハルヒ。

20: 2010/04/21(水) 22:30:41.06
思い切り顔に吐息の掛かる距離だが、俺はとりあえず口を開いた。

キョン「この画面に箇条書きにされているとおりだ。随分昔だが、俺の叔母の家の隣にはえらい美人のお姉さんが住んでいたんだ」

俺はパソコンの画面へ視線を向ける。視界の隅では、ハルヒが相変わらずの距離にいるのがチラチラと映って鬱陶しい事この上ない。
いい加減に顔を離せ。なんでそんな距離で平気なんだお前は。

ハルヒ「で?その綺麗なお姉さんとなんかあったの?」

キョン「いや、何もなかった。当時はガキもガキだった俺だ、色恋の仕方なんざ分からなかったし、あれは恋というより憧れのようなもんだったからな」

もっとも、今でも色恋の仕方なんてわかっちゃいないんだが。

ハルヒ「ふーん。で、それでをネタにしようっての?」

キョン「ああ。といっても、断片的にしか思い出せていないと言っただろ?多分半分以上捏造になるな」

俺はパソコンのメモ帳の箇条書きから数行空けて、その下に思いつきのネタを書き連ねていった。真実と虚構を織り交ぜるのが上手い嘘のつき方だと誰かが言っていたな。
そして、

ハルヒ「―――却下よ!!」

言うや否や、ハルヒの人差し指はback spaceキーを思い切り押し込んだ。
俺の書き連ねていった文章が、瞬く間に白紙に返っていった。

キョン「……これを却下されるとどうしようもないんだが」

ハルヒ「うっさいわね、そんな捏造だらけの文章なんて読者は求めていないのよ!リアリティの中にこそ文章は輝きを持つの!!!」

読者って、誰がいるんだよ。

21: 2010/04/21(水) 23:00:37.73
結局、俺はまた頭を悩ませて過去を振り返る作業をするハメになっていた。
朝比奈さんが持ってきてくれたお茶は既に冷め、あれから一文字も進んでいないメモ帳には虚しく文末を示すカーソルが点滅している。
頼む、誰でもいいから俺に文才をよこせ。もしくは、恋愛経験とか。

無論、どちらもありえない事であることは重々承知だ。それでも、そう願わずにはいられないのである。
俺が恨めしく事の元凶であるハルヒを見やると、ハルヒはハルヒで団長机に置かれたパソコンの画面に向かって睨めっこをしていた。
一体何に憤ってるんだお前は。

ハルヒ「蛍よ」

蛍?まだ悩んでいたのか。俺の頭の中じゃ、すっかり隅っこに追いやられていたぞ。

ハルヒ「アンタのニワトリ脳とは出来が違うのよ。……で、色々調べてたんだけど」

随分な言い草だ。あながち間違っちゃいないのが悔しいところだが。

キョン「なにか進展があったのか?」

ハルヒ「ある意味で進展ね。冬に発光する蛍はいることはいるの。でも、生息地は沖縄の西表島。こんな場所にいるはずがないの」

……つまり、やっぱり昨日見たものは蛍じゃないって事か?

ハルヒ「そう考えるしかないって気もするのよね。でも、蛍じゃなかったらなんだって言うのよ」

キョン「俺に聞くな。俺だってさっぱりだ」

24: 2010/04/21(水) 23:33:58.75
全く、お手上げ状態である。二人で眉をひそめながらうーん、と唸っていると、

古泉「おやおや、なにやら面白そうな話をしていますね。よろしければ僕も混ぜていただけませんか?」

ハルヒ「いいわよ、古泉君。実は……」

ハルヒは昨日の出来事を、身振り手振りを交えながら古泉に説明した。
その間俺は二人をただ眺めていたわけだが、俺は気がついてしまった。古泉のいつも通りの笑み、その目の奥は、笑っていない。
……どうやら、またハルヒの不思議パワー絡みなのか?

一連の話を聞き終えると、古泉はハルヒに提言した。

古泉「……涼宮さん。朝比奈さんと共に、生物研究会に行かれては如何です?ちょうどこの部室に程近いところに居を構えていますし、そちらでなら真新しい情報が手に入るかもしれません」

ハルヒは、ぽんと手を打った。

ハルヒ「さっすが古泉君ね!それは名案だわ!じゃ、行きましょみくるちゃん!!」

みくる「ふぇ?で、でも着替えが……ふぁあっ!」

ハルヒに手を引かれるままの朝比奈さんは情けない声を上げると、引きずられるように扉の向こうへ消えていった。
俺は哀れなスケープドールとなった朝比奈さんを見送ると、古泉に言った。

キョン「……どういうことか、見当がついているのか?」

古泉「ある程度は。ただ、その前に確認しておきましょう」

古泉は、部室の窓際に座っている、ほぼ存在を消していた宇宙人に声をかけた。

古泉「……長門さん。昨夜、なにか涼宮さんの周辺で情報の改変がありましたか?」

25: 2010/04/21(水) 23:57:05.36
長門は、じぃっとこちらを見た。
……なんだ、その間は。また面倒なことをしてくれたとでもいいたいのか。

長門「……情報の改変は、あった。涼宮ハルヒを中心に、一部の生物情報が改変された」

古泉「つまり?」

長門「そこに存在するはずのない生物が、涼宮ハルヒの力によって生み出された」

……なるほど、蛍はハルヒが生み出したもんだったのか。

古泉「なるほど、合点がいきました。……恐らくですが……」

そこで少し言い澱むと、古泉は俺のほうを向いた。正直、コイツがこんな真面目面をしているところに視線を合わせたくはないのだが。

古泉「貴方が今行っている作業、いつかの小説のやり直しでしたね?お題は恋愛でしたか」

キョン「そうだ。俺に恋愛経験がないもんだから、滞りに滞っているがな」

古泉はふむ、と息を漏らす。そして少しの間思案し、

古泉「まだ予想程度なので、これは言わないできましょう。ただ、一つ忠告を。もしかしたら、近日中に何かが貴方の身に起こるかもしれません」

物騒なことを言うな、縁起でもない。……ちなみに、お前のその予想は大体どのくらいで当たると思っている?

古泉「五分五分、といったところでしょうか。しかし、涼宮さんの内面の把握に関してはかなり自信を持っていますよ」

……古泉の予想が当たらないことを祈る。切実に。
俺たちの間に妙な沈黙が横たわってすぐに、部室の扉が勢い良く開いた。
団長様のご帰還だ。

31: 2010/04/23(金) 00:00:57.33
ハルヒ「たっだいまー!」

古泉「おかえりなさい、涼宮さん。進展はありましたか?」

ハルヒ「それが全然よ!あの連中、爬虫類だとかには詳しいけれど、虫についてはさっぱりだったわ!名前の変更をすべきね!」

ツカツカと部室の奥へ進みながら、ハルヒはややご機嫌斜めであるようだった。
が、その顔は心なしか笑んでいるようにも見える。器用な表情をする奴だ。

そんなハルヒの後から、顔を青くした朝比奈さんがヨロヨロと入ってきた。
ハルヒ曰く生物研の連中は爬虫類マニアであるそうだから、恐らく部室で飼われていたヤモリだのカエルだのを見て目を回したのだろう。
いや、カエルは両生類だったか。

ハルヒ「まったく、とんだ無駄足だったわね!期待していた私が哀れだわ!!」

そんな無駄足に付き合わされて精神を疲弊させた朝比奈さんが一番哀れだと思うぞ。

キョン「にしても、その割にお前は嬉しそうじゃあないか?」

ハルヒ「そうかしら?」

古泉「ええ。心なしか、なにか新しい期待をしているようにも見えますね」

どうやら、俺の勘違いというわけではなかったらしい。
ハルヒは笑いをこらえきれなくなったのか、やや不機嫌そうだったその顔にパァッと大輪の花を咲かせた。
はじける様な笑顔。コイツに一番似合う表情だと俺は思う。

ハルヒ「ふふ、まだ秘密よ!それよりキョン、さっさと書き上げちゃいなさい!読者と期限はノンビリ待ってくれないのよ!」

だから、読者なんていないだろうが。

32: 2010/04/23(金) 00:32:23.23
ふと、ハルヒの笑顔を見ていた俺は、妙な既視感に襲われた。
なんだろう。この、向日葵のような笑顔を、今日までに何度も見ているはずだ。
なぜ、今になって既視感が?

ハルヒ「……なに見てるのよ、キョン」

ボーっと見つめていた俺に、睨み返すハルヒ。
このまま釈明しないのも、あらぬ誤解を受けそうで気まずいな。
とりあえず、言うだけ言っておこう。

キョン「いや、お前のその笑顔を見ていたら、なんだか既視感があってな」

ハルヒ「なによ、私が笑顔なのが珍しいって言うの?」

お前は不機嫌面でいることが多いが、その笑顔が少ないわけじゃあない。
この既視感は……

キョン「……ああ」

思い出した。

ハルヒ「なによ、妙に感慨深げな顔をして」

キョン「いや、例の叔母の家の隣にいた綺麗なお姉さん。その人が、よくお前みたいに笑っていたんだ」

はじける様な、どんな大輪の花にも負けない、圧倒的な笑顔。
愉楽と快感を全面に飛び出させた素直な笑顔は、そういえばかつてはあの人と妹の特権だった。
そして、俺はその笑顔に惚れていたのだ。

33: 2010/04/23(金) 00:56:32.05
ハルヒ「……私と、似てたわけ?」

キョン「笑顔のはじけ加減が特にな。……そういえば、顔も似ていないこともないか?」

面影があるようなないような、といったかなり曖昧な線ではあるが、あの人から感じていた印象とハルヒから感じる印象は近いような気がする。
もっとも、俺自身の記憶がおぼろげであるから正直なところ似ているか分からんのだが。

ハルヒは、笑顔を顔の奥に引っ込めると、少し眉をひそめた。

ハルヒ「ふーん……まあいいわ。似てても似てなくても、私には関係ないしね」

ハルヒは団長机に座ると、頬杖をついてなにやら考え込みだしたようだった。大方、また蛍のことでも考えているんだろうな。
古泉の含んだニヤケ笑いが、妙に視界にチラつくが、ええい無視させてもらおう。



そんなこんなで、時刻は昨日と同じくらいの時間となっていた。
古泉・朝比奈さん・長門は既に帰宅し、部室に残るは俺とハルヒのみである。
ハルヒはいつのまにやら机に突っ伏して、可愛らしい寝息を立てていた。まったく、いつもこうなら可愛げもあるのに、残念美人とはこういう奴を言うのだろう。

肩を揺り動かしてやると、ううん、と呻きながら小さく顔を動かした。

ハルヒ「なによぉ……」

キョン「完全下校時刻だ。帰るぞ、ハルヒ」

ハルヒ「課題は……?」

キョン「すまんな、全然進んじゃいねえ」

ハルヒ「…………このバカキョン」

38: 2010/04/25(日) 01:16:43.50
てなわけで、昨日と同じ帰り道である。

やたらと暗い山道を下りながら、ガードレール下に広がる町並みを見下す。
いくつもの光が乱雑に並び、その内いくつかは忙しなく動き回る。
……こうしてみると、離れた上方から眺める車などの動きは、蛍にも通じるものがある気がする。

いくつもの光が幾何学的な模様を描きながら光の間を縫って、交差していく。
そのうち、光の軌跡がいつかのSOS団シンボルのように偶然不可思議パワーを持った図形を描くのではないか、と要らぬ心配をしたりなどするわけであるが、
まあハルヒが車のヘッドライトとかに興味を持たない限りはないだろうな。多分だが。

ハルヒ「なに街なんて見下ろしているのよ。もう見慣れて目新しいものなんてないでしょ?」

俺の少し前をヅカヅカと歩きながら、ハルヒは少しも振り返らずに言った。
お前は後頭部に第三の目でも持っているのか?

ハルヒ「持ってるわけないでしょ。アンタだって持ってないんだろうし、よそ見して下り坂でコケないで頂戴ね。私が巻き添え食らうんだから」

キョン「へいへい、気をつけます」

どうでもいいところで細かい女だな。別に、俺がどこ向いてたっていいだろうが。

ハルヒ「……道、暗いんだから。前向いてなさいよ、前」

前にあるお前の後頭部を見つめ続けろとでも言いたいのか、ハルヒ。
どうせ足元だって大して見えないのだ、アスファルトで舗装してある道だし、そうそうコケることもないだろうに。

結局、すぐに街並みを見ることに飽きた俺は、ハルヒの滑らかに揺れる後ろ髪を眺めながら歩いた。
下り坂も緩やかになりはじめ、もうこの面倒な道が終わるということを告げている。

そして、再びあの場所へとやってきた。

39: 2010/04/25(日) 01:40:29.52
ハルヒ「…………いない、わね」

キョン「ああ」

そこには、ただ暗闇が覆いかぶさっていた。
昨日はいくつもの明かりを灯した虫たちが、ゆらりゆらりと優しく飛んでいたというのに。
今は、影も形もない。

ハルヒ「……こんな、たった一日で消えるってあるの?……っていうか、昨日出てきたばっかりなのよ!?」

キョン「分からん。この土地を持ってる人が駆除したのか、それとも蛍がどっか移動したのか」

ハルヒ「移動って……それはないわね。蛍ってのは、成虫になってから氏ぬまで水しか飲まないの。それも、たった二週間から三週間の間だけ。
移動って言ったら、餌不足とかが主な移動理由だけど、水しか飲まないんなら関係ないじゃな―――……い……」

ハルヒが、急に語気を弱めた。そして、その顔に浮かぶのは、何かが理解の範疇を超えたときの顔である。
こんな顔を見るのは、夏休みに多丸兄が殺されている場面を見たとき以来だと思う。

キョン「……どうした、ハルヒ?」

ハルヒ「キョン、ちょっとこの場所、よーく見て」

俺は目の前に広がる、雑草だらけの空き地を眺めた。それなりに背の高い草が、びっしりと茶色い地面の上に生えている。

キョン「とくにおかしな点なんてないぞ?」

ハルヒ「どこがよ!大アリじゃない!!」

ハルヒは、怒鳴るように言った。

ハルヒ「蛍ってのは、水辺に住んでいるのよ!?ここの、どこに水があるわけ!?」

……言われてみれば、確かにそうだ。

40: 2010/04/25(日) 01:52:20.47
ハルヒ「ちょ、ちょっと待って、キョン。私たちは、確かに見たわよね!?」

キョン「ああ、見た。アレは蛍だった。尻に灯りつけて飛ぶ虫なんてそういるか」

そう、昨日はいたのだ。
俺たち二人が揃いも揃って幻覚を見ていた、なんて愉快な展開ではない。
俺の脳裏に、古泉のニヤケ面が浮かんだ。……クソ、アイツの予想通りかよ。気に食わん。

キョン「……実は、もっと別の場所にいたとかは?」

ハルヒ「……アンタ、昨日の帰り道も思い出せないわけ?」

それはないな。やはり、この場所で間違いはない。
……だが、ハルヒにどう説明したものだろうか。
まさか、お前のトンデモ能力が時期はずれ場所はずれの蛍を一瞬だけ顕現させたのです、とでも?
そんなことを言った暁には、頭のおかしい雑用扱いが決定するだろう。
下手をすれば、クラス中にも俺が痛い奴だという噂が広まるかもしれん。それはお断りだ。

俺は、自然と携帯を取り出していた。

キョン「……古泉か」

古泉『おや、貴方から電話を掛けてくるとは。珍しいこともあるものです』

ハルヒ「……古泉君に電話してるの?」

キョン「そうだ。……古泉、内容は大方分かってるんだろう?」

古泉『ええ。恐らく、今日も昨日と同じ場所に来たが、蛍はいなかった。それに対して混乱している涼宮さんを、落ち着かせたいのでしょう?』

相変わらず、ハルヒのことならなんでもござれだな。

41: 2010/04/25(日) 02:03:35.57
古泉『このまま涼宮さんを混乱させておくのは、確かに得策ではありませんね。ここから繋がって、更に大きなことが起こりかねませんから』

そうだ。ハルヒは自分の力について何も知らん。
かといって、このまま不思議なことを放置する性格でもない。
今のうちに手を打たねば、ハルヒパワー関係にしろ団活関係にしろ面倒なことになること請け合いだからな。

古泉『いいでしょう。ならば、不思議なこと以外に興味をそらすのがもっとも有効な手段だと思います』

この、不思議大好きな脳内お花畑女の、興味を別の方向へずらす?
少しはなれたところで、顎に手を当てて考え込んでいるハルヒを見ながら、受話器越しに心の底からの疑問をぶつけた。

キョン「そんなことが、可能なのか?」

古泉『ええ。貴方の、今日言っていた過去の思い出。それについて語ってあげれば、彼女の興味はそれると思います』

俺の取るに足らない思い出話が、ハルヒの中じゃ目の前の不思議よりも興味を引く話題だってのか?
どうやら、一番の不思議はそう断言できるお前とそんな思考回路を持つ団長様らしい。

古泉『疑うなら、べつにそうしなくて構いませんよ』

いや、実行させてもらおう。
このまま何もせずに面倒ごとに巻き込まれるくらいなら、多少あがいたっていいだろう。

古泉『ふふ、貴方らしい。それでは、ついでにもう一言。これを言えば、ほぼパーフェクトに気がそれますよ』

キョン「参考までに聞こう」

古泉『―――   、  ―――』

……そんな、小っ恥ずかしい台詞を吐けと?お前も大概にサドッ気のある奴だ。無茶振りにも程があるぞ。

42: 2010/04/25(日) 02:23:14.33
キョン「なあ、ハルヒ」

古泉との密談を終えた俺は、携帯を学生服のポケットに突っ込むと、ハルヒのほうへ足を踏み出した。

ハルヒ「なに?古泉君との電話は終わったの?」

キョン「ああ。古泉も、何がなんだか分からんそうだ」

俺は、当たり障りのない言葉を選びながら、空き地を見る。
……ハルヒの顔を、見れないからだ。これから言うはずの台詞を考えると、耳まで急激に熱を持ち始める。
俺はこのクソ寒い冬の夜空の中、自分の顔だけが急激に熱を持ち始めるのを感じていた。

ハルヒ「なあんだ、じゃあ収穫なしだったのね。古泉君にもわからないなんて……」

ハルヒは、少し頬を膨らませながら空き地を睨む。
ここでようやく、俺はその横顔を視界の真正面に捉えることができた。

キョン「なあ、ハルヒ。……今回のこと、考えるのをもうやめてみないか?」

ハルヒ「はぁ?何言ってんのよ。不思議を不思議のままで放置しとけっていうの?目の前にあるのに!」

ハルヒは憤然と吼えた。こいつの性格を考えれば、いたって当然の反応だ。
だが、俺は動じず。白い息を吐き出した。

キョン「ああ、そうだ。……俺は思うんだ。こういう不思議は不思議のままにしておくほうが良いんじゃないかってな」

星がうっすら浮かぶ夜空に、俺の言葉が霞み消えていく。
なんとも愉快な光景だ。

キョン「不思議ってのは、出会えたそのときを喜ぶべきなんじゃないのか?そもそも、俺たちの団は不思議と遊ぶのが目的であって、不思議を解き明かすことじゃあなかったじゃないか」

不思議なんて面倒なだけだ、と思っている俺が、不思議に対する持論を、不思議信者のハルヒに語って聞かせる。
まるで小僧が法師に説教しているようなものだ。見る人が見たら、さぞ滑稽な様子だろうな。

43: 2010/04/25(日) 02:38:04.05
ハルヒ「……まさか、団の内容についてアンタに諭されるとは思わなかったわ。……で、だからなんなのよ?」

キョン「つまりだな、俺は……」

すこしだけ言葉に詰まると、少し深呼吸をした。
刺さるように詰めたい空気が、肺に流れ込んでくる。はっきり言って、気持ちの良いもんじゃない。
だが、ある程度のやけくそ感は与えてくれた。

俺は、古泉の助言に俺なりの言葉を付け加えたものを、ハルヒに向けて言い放った。

キョン「……俺は、昨日の出来事を、お前と二人だけの思い出にしたいんだ。俺たち二人だけが、出会った不思議。それでいいんじゃないかってな」

言い切った。はっきりいって、顔がやたらと熱くて熱病にでも侵された気分だ。
明るいところで見たら、俺の顔は熟れたリンゴのようであるのに違いあるまい。

ハルヒ「……なによ、それ。バッカみたい」

俺の渾身の一言に対する、ハルヒの第一声はそれだ。
ハルヒがうつむいている所為で聞こえにくかったが、正直それはないだろうと思う。
俺の恥ずかしがり損か。

ハルヒ「……でも、まあいいわ。そうね、この不思議は、私たち二人だけの胸に仕舞っておきましょ。……ま、古泉君たちもちょっと触れてるけど」

キョン「実際に見たわけじゃないしな。別に構わないさ」

ハルヒは、それもそうね、とつぶやくと、スタスタと歩き出した。
切り替えの早い女だ。さっきまでの不思議への姿勢は一体どうした。

ハルヒ「ちょっとだけ名残惜しいけど。私はね、過ぎたことを考えない女なのよ!」

そうか?結構過去を振り返ったりする気がするが。
……いや、俺が過去に飛んでいるだけか。

44: 2010/04/25(日) 02:46:21.69
キョン「そうだ、ハルヒ。代わりといっちゃなんだが、俺の昔話聞くか?」

ハルヒ「どうせ大して思い出せてないんでしょ?」

キョン「まあいいじゃねえか。話しているうちに思い出すこともあるかもしれないからな」

ハルヒ「……勝手にしなさいよ」

ハルヒがまた蛍に興味をもたないように、念には念を押しておこうと思ったのだ。
古泉に教わった通り、俺は思い出せる限りの昔話を語って聞かせた。

二人の影が幾度も伸びては縮んででいく中で、特に語って聞かせたのは憧れのお姉さんの話だったか。
そこにもっともハルヒが食いつたからなのだが、その中でボソッと呟いていた。

キョン「……ただ、お姉さんの顔を良く思い出せないんだよな。なんとなく、雰囲気はお前に似ているんだが」

ハルヒ「なによ、それ。写真とかないの?」

キョン「お姉さんと撮った記憶もないしな。多分ないだろ」

そのときは、ふーんと相槌を打つだけだった。
俺も、そこからは花火だのスイカ割りだの流しソーメンだのの話へと移行していった。
いつの間にか流されていた、憧れの人の会話。


そして、その会話が俺を更なる面倒ごとに巻き込むことになるとは、このときの俺は知る由もない。
いつものお決まりパターンだな。

51: 2010/04/27(火) 00:18:11.69
朝日がやたらと眩しく、妙に瞼にチラつくと起き上がった俺は、今までに何度も経験してきた感覚が体を支配するのを感じていた。
即ち、現実感が宇宙の果てまで吹っ飛んでいく感覚である。

一体、ここはどこだ。誰の部屋なんだ。昨日は、確かに自分のベッドで眠ったはずだぞ?

妙に窮屈なベッドから体を起こしながら、俺は冷静に身に起こった状況を整理することにした。
やれやれ、こういう状況に陥っても慌てなくなったのは、間違いなくSOS団のせいだな。慣れってもんは恐ろしいね。

さて、俺は今、見知らぬ部屋にいる。……といいたかったところだが、実はそうでもない。
妙な既視感がある部屋だ。俺は、ここに前にいたことがあるらしい。

眠気も覚めた俺は、目やにを手の甲で擦り取りながら、よくよく周りを見渡す。

今、俺が寝ているのはベッドだ。ちょっと子供っぽい戦隊ヒーローの柄のタオルケットは腹からずり落ち、なぜか俺は北高の制服を着ている。
どうやら、ベッドは子供向けのもののようである。ただし、ある程度は使いこまれているようで、タオルケット共々それなりのボロさ、もとい年季を醸し出している。

そして、部屋全体の家具も、全体的に子供っぽい。そして、なんだか懐かしかった。
今時掛け算のポスターなんぞ、通信教育の教材でも見かけん。今じゃ妙にデジタルな、小型の電卓モドキでゲームのように学べるのだ。もっとも、妹はすぐに投げ出したがな。

……って、おい。ちょっと待て。このポスター。そして、このベッド。なにより、この部屋の間取り。
ここは、どう考えたって……

キョン「……俺の、部屋だぞ」

そう、この部屋は、俺のガキの頃の部屋まんまだった。
今乗っているベッドは、ある日底が抜けてしまったために今使っているベッドと交換した。ポスターは、俺が中学に入る頃に剥がして捨てた。
机の上に積みあがる教科書も、使われていないであろうサッカーボールも、何もかもが懐かしく、そして、まるで他人のもののようだった。
それもそうだ。この場所は、今の俺の場所じゃない。ガキの頃の俺の場所だ。

……つまり。どうやら、今度は過去に飛ばされたらしい。クソ、ハルヒの奴め。

52: 2010/04/27(火) 00:47:35.12
枕元にある時計を見る。今は、午後一時すぎ。そういえば、日にちはいつだろうか?
何か手がかりはないかとポケットを探ってみると、携帯が入っていた。

迷わずフリップを開く。が、携帯の時間は、元の時間から変わることなく刻み続けていた。
昨日の翌日の時間を表示する携帯の画面を眺めながら、もう一つ、思わぬ事実に気がつく。

……どうして、電波が圏外なんだ?

まあ、今は考えても仕方がない。
とりあえず、湧いた疑問と一緒に携帯をしまいながら俺はベッドから降りると、物音を立てないように部屋を探る。
この部屋にカレンダーはあったっけ?あれば、一発で今日がいつか分かるのだが。

……いや、この部屋にはなかった。カレンダーなんて殊勝なもんを使う習慣は、今も昔も俺には存在しない。
カレンダーが我が家で唯一置いてあるのは、リビングだ。
もし、今日の日付を確認するのなら、俺はリビングに行かなくてはならない。

だとすると、今このとき、家族が果たして家にいるのだろうか?
もしいたとする。見つかったら、間違いなく警察沙汰だろう。そんなことって、俺の記憶の中であっただろうか?
……いや、ないな。妹が迷子になったときに、家まで連れてきてもらった記憶はある。
が、そんな見知らぬ他人がいつのまにやら家にいた、などという恐ろしい記憶は俺にない。ということは、家族は不在のはずだ。そう信じたい。

そろりそろりと部屋を出て、これまた抜き足差し足で階段を下っていく。物音一つしなかった。本当に我が家には誰もいないらしい。
安心した俺は、リビングを見回した。テレビが古いのと、ビデオデッキが置いてある以外は、とくに変わりないリビングだった。

そして、キッチンとリビングを繋ぐカウンターの真横の壁に掛けられたカレンダー。
そこには、今日がすくなくとも八月であることという事実があった。年は、十年近く前だ。
これまた随分前まで飛ばされたもんだ。しかも、随分微妙な年に。

俺はカレンダーに書き込まれた行事予定を眺め、そして気がついた。
この年は、例年通りの年だった。この頃の俺にしてみれば。
だが、その後に、この年が持つ意味は変わったじゃないか。次の年から、彼女はいなかったのだから。

八月も中ごろに差し掛かった、数日間。
その日付けには全て丸がしてあり、『叔母の家』という、いたってシンプルな行事予定が書き込まれていた。

53: 2010/04/27(火) 01:10:09.66
俺は、半ば確信めいたことを考えていた。
今日は、叔母の家にこの頃の俺が家族旅行をしている期間のうちのどれかだ。正確な日付まではまだわからないが、それはすぐに分かるだろう。

携帯が圏外なのは、この頃に携帯電話はないからだ。
まだポケベルすら出ていない時代だ。こんな、時代を先取りしすぎた利器が使えるはずがない。

そして、なぜ飛ばされたのか。
……朝比奈さんである可能性は無い。あの人は、いつかの春先にこう言っていた。
ハルヒの力が時空の断裂を引き起こし、三年前以前に時間素行が出来なくなった、と。
つまり、明らかに三年以上前のこの時代は、朝比奈さんの管轄外ということになる。
更に言うなら、長門や古泉の可能性もありえない。アイツらが活動を始めたのも、元の時代から三年前。
つまり、この世界に俺を呼べる人間は一人しかいない。

ハルヒだ。

そう考えると、なぜこの時代なのか、今日がいつなのかなど、全てに答えが出る。
きっかけは単純。俺の思い出話だろう。それ以外に考え付かん。
そして理由だが、一向にネタを思いつかない俺の不甲斐なさに腹が立ったのか、それとも、俺曰くハルヒに似ている憧れだったあの人を一目見たかったのか。
このあたりは予想を出ない。考えるだけ無駄だな。

だが、俺が飛ばされたところを見ると、恐らくネタ集めではないかと睨んでいる。
この時代を実際に動くことで、思い出を取り戻せと、そういうことに違いあるまい。
だとすると、今日は旅行初日である可能性が一番高い。

ズボンの尻ポケットを探ると、財布が出てきた。
これで、叔母の家まで行く。そして、そこで物陰なりから俺自身の行動を見て、ネタにする。

きっと、これがハルヒの狙いに違いあるまい。
まったく、アイツの鬼編集長ぶりには頭が下がるな。ホントに。

54: 2010/04/27(火) 01:35:59.62


暑い。外に出てまだ十秒程しかたっていないのに、俺の額にはじんわり汗が滲んでいた。

真夏という言葉の持つイメージをまんま具現化させたような風景は、見ているだけでも体中にだるさが沸き起こってくるようだ。
まったく、少しくらい休んでもいいんじゃないか、太陽さんよ。

そんな感じで、外は鳴く蝉も黙るような、重ったるい日差しが満遍なく降り注いでいる。

もちろん、実際に蝉が黙ることなどありえない。
熱く激しい日差しへの対抗心を燃やす某宇宙人に似た面構えの虫どもは、その一週間の余命を文字通り全身全霊で使い切るために、みんみん五月蝿く鳴いていたりとかする。

さて、余命まだ何十年と残る人間の俺はといえば、とりあえず北高の冬服仕様のブレザーを脱ぎネクタイとシャツの第二ボタンまでを外すだけで、とくに熱いパトスをほとばしらせてみようとか考えたりはしないのだが、とにもかくにも駅に行かねば始まらない。
よし!行くか、などと意気込む気も更々おきず、とりあえず我が家の軒下から一歩踏み出しておこう、程度の気持ちであった。

そんな矢先である。

「あ、いたいた!!」

聞き覚えのある、というかありすぎる声が、俺の鼓膜を震わせた。
遠くにいるにもかかわらず、他に追随を許さないその音量と張りを持って激しい自己主張を行う声の主。
考えるまでも無かった。

キョン「……ハルヒ」

ハルヒ「キョン、よかった、探したのよ!」

ハルヒは、手を振りながら駆け寄ってきた。コイツも、見慣れた北高の制服だ。コイツだけちゃっかり夏服使用なのが気に食わん。

ハルヒ「大変なの!ここ、昨日までと違うのよ!」

状況を理解してない人間が聞いたら更に混乱するであろう台詞を飛ばしながら、団長様は俺の胸倉を掴んできやがった!おい、放せ!!

ハルヒ「キョン!どういうことよ!」

知るか!俺が知りたいくらいだ!とにかくその手を離せ!息苦しい上に暑苦しい!!

55: 2010/04/27(火) 02:25:15.68
キョン「―――つまり、お前も目が覚めたら過去の自分の部屋にいたっていうことか」

胸倉をなんとか放してもらった俺は、馬鹿力によって赤くなった首を撫でながらそうまとめた。

ハルヒ「アンタもなの?……ま、アンタみたいなのだけでもいただけマシね」

キョン「俺だけって、どういうことだ?」

はっきりいって案の定といった気持ちだったが、とりあえずハルヒに話を伺っておくことにした。下手に訳知り顔をして追求を受けてもたまらんしな。
……というか、アンタ「みたいなの」ってどういう意味だ、コラ。

ハルヒ「有希もみくるちゃんも古泉君も、いないのよ。アドレス帳とかを頼りに家まで行ったけど、誰も住所通りの場所に住んでいなかったわ」

それもそうだ。
朝比奈さんも長門も、元の時代の三年前にこの世界に来たはずだし、古泉はそもそも謎の転校生としてSOS団に加入したじゃないか。
元々この地域に住んでいたのは、俺とお前だけだ。

キョン「鶴屋さんとか谷口とかは調べなかったのか?」

ハルヒ「神聖なSOS団の正団員以外を調べる必要なんて無いわよ。……まあ、鶴屋さんくらいは調べても良かった気がするけど」

俺としては、調べなくてラッキーだったとしか言いようが無い。
今のコイツがこの時代の鶴屋さんにあったとて、何も出来ないだろうからな。せいぜい罪無き幼女を混乱させるだけだろう。

ハルヒ「とにかく、今がいつなのかが知りたいのよね……」

キョン「今は、俺とお前が小学四年の頃、つまり、お前に話した叔母の家に行った年だな。今、俺の家族は叔母の家に旅行中だ」

ハルヒ「あら、アンタにしては冴えてるのね。あらかじめ日付を調べるだなんて、殊勝な心がけだわ!!」

褒められてもあまり嬉しくない。つまりそれは、俺がちゃくちゃくと不思議探しの雑用へ進化……というか、退化しているという証拠じゃねえか。そんな変化は断固断る。

56: 2010/04/27(火) 02:47:48.84
ハルヒは腕を組んでアヒル口を作ると、うーんと考え込みだした。
その珍妙な顔をこっちに向けるな。なんだか無性に笑えてくる。

やがて、ハルヒの中である程度の方向性は決まったらしい。
腕とアヒル口を解くと、暑さのせいか興奮のせいか、濃い紅に染まった形艶のいい唇を動かした。

ハルヒ「そうね……このままなんにもしないのも嫌だし」

ハルヒは、俺の家の郵便ポストに溜まっている郵便物のはみ出た部分を指で弾きつつ、

ハルヒ「そうだ!アンタの叔母の家まで行きましょう!!」

そう、いけしゃあしゃあとのたまいやがったのである。

おい。予想していたとはいえ、なんだそりゃ。

キョン「おい、なんだそりゃ。なぜ俺の叔母のところへ行くんだ」

ハルヒ「だって、ここでうだうだしてたって元の世界に返れるとは限らないじゃない?それに、せっかくちょうど良くこの時代に来たのよ?アンタの憧れの人とやらを、見ておかなきゃ損よ!!」

俺の憧れだった人をみないことで一体どんな損害がお前に降りかかるのか、俺には皆目見当がつかん。

だが、俺がなんと言おうと、コイツの思い付きが暴走するのを止める手段など、俺には皆無だった。いつだってそうだ。
今回も、俺の制止など聞く耳持たず、ノリノリで駅へと突っ走るハルヒの手に引かれるまま、俺はついて行く他無かったのである。

……というのは建前で、正直、俺も行く気でいた。恐らく、元の時代に帰る鍵は俺の叔母の家にある。
SOS団のなかで培ってきた感覚が、今度こそ正確に俺に告げていた。

そして、俺たちは列車に乗り込んだ。ガタゴトと揺られて目指すは、山ばかりのド田舎である。
さて、今度は一体何が待ち受けているのやら。やれやれ。

60: 2010/04/27(火) 20:52:13.05
俺たちの住む町から列車をいくつも乗り継ぎながら、俺とハルヒは北へと向かった。

気候にあまり詳しくない俺だから、とりあえず北に行けば多少なりとも涼しくなるのではないか、などという淡い期待を抱いていたのだが、ところがどっこいそうでもなかったと思い出した。

俺の叔母の家は盆地にある。盆地は基本的に夏場は暑く、冬場は寒いといわれる。
どうしてそうなるのかのメカニズムも知らんし、言われてみればそれは当然じゃないかといわれても俺には何の返しも出来ないわけであるが、とにかく季節の温度差が極端なのであった。

つまりどういうことかといえば、いくら北に行ったとて、体感温度自体はそう変わり映えしない。
むしろ、若干余計に熱くなったんじゃなかっただろうか。俺の思い出はそう告げている。

かのようなことを、移動中の列車の中でハルヒにぼやいてみた。
ハルヒ曰く、「盆地は山に囲まれているから風がないのよ。風がないと、暖かい空気も冷たい空気も中和される要因が無いから……」云々。

そのようなご高説を聞くだけで、俺の頭はカキ氷をかっ込んだ後のごとく耐え難い痛みを発する。知恵熱で頭がパンクしてしまいそうだ。
そんなわけで、知識を披露するハルヒの声を尻目に俺は列車の窓から流れ行く風景なんぞを堪能したりするのである。
話を振ったのは俺だが、知ったことか、そんな事。

窓から見る景色は、延々と緑色が流れていた。

山。ひたすら木の生えた山しかない。
もちろん、俺たちの町にも山はある。毎朝、山の上に立つ学校目指してその上を歩いているのだから、当然だ。
だが、「山の上に立っている」という表現は、山が一つ二つ程度しかない状況でしか成り立たない表現だろうな。
ここには、山しかない。そんな状況で「山の上に立っている」というのは、いささか間抜けな物言いだろう。

などとくだらないことを考えている間にも、ひたすら山ばかりが続く。

ハルヒ「……キョン、そんな山しかない景色見て楽しい?」

お前の講義を聞いているよりは、よっぽど楽しいぞ。疲れるのは目だけだ。

ハルヒ「なによ、私の講義はそんなに疲れるってわけ?せっかく丁寧に説明してやってるのに」

疲れるぞ。耳と、頭と、精神的にも疲弊する。それにくらべりゃ、緑しかねえ風景のなんと優しいことだろうと思う。

62: 2010/04/27(火) 21:21:19.22
次第に、列車はトンネルへと入っていった。
外は緑から黒へと様変わりし、妙な閉塞感を与えてくる。
トンネルの外と中で受ける印象ってのは、ここまで様変わりするもんだったか?

ハルヒ「なんていうか、トンネルって窮屈よね。壁近いし」

どうやら、ハルヒも似たようなことを考えていたようである。

ハルヒ「真っ黒な壁が延々と続くだけって、すっごくつまんないと思うの。いっそ、壁をカラフルに原色で塗りたくるべきね!SOS団のシンボルみたいに!」

そんなサイケデリック極まりないトンネルを通るくらいなら、真っ黒なトンネルのほうが大分精神衛生上マシだろうな。
何が悲しくて、目にチカチカする色使いの壁が迫っては遠のく様を見続けなくちゃならんのだ。子供たちが泣くぞ。

ハルヒ「いい案だと思ったのに。……じゃあ、アンタならどうするのよ」

俺なら、そうだな。

キョン「青じゃないか。青というか、水色」

ハルヒ「まさか、空みたいだから、なんて安直な理由じゃないでしょうね?」

キョン「悪いか」

いいじゃないか、水色。あれほど透明感があって、奥行きのある色はそう無いと思う。
内面がずべて水色のトンネル。トンネルに入る前の空の水色から、自然に繋がっていく。
そうすれば、トンネル独特の閉塞感は、多少なりともよくなるんじゃないだろうか。
あくまで俺の感性だが。

ハルヒ「……アンタって、そんな詩的なこと考えるキャラだっけ?」

たまにはいいだろ、こういうこと考えたって。キャラじゃないのは重々承知だ。

63: 2010/04/27(火) 21:54:46.00
さて、トンネルを抜けたあと、再び延々と続く緑を眺め、やがて、寂れた駅に着いた。
ここが、叔母のいる村の最寄駅である。
最寄り駅といっても、都会で言う最寄り駅とは大分意味合いが異なる。
俺たちの地元じゃあ、家から自転車で10分の範囲までなら大体最寄り駅であるが、ここじゃ一日に数本しか来ないバスで20分揺られるくらいが最寄である。
まったく、食料だなんだってのはどうやって見繕っているのか、俺には不思議でしょうがないな。

ハルヒ「それにしても、人いないわねー」

キョン「だろうな。こんな何にもねえ田舎に来るやつは、里帰りしてる奴か何かから逃げている奴以外にありえねえよ」

ハルヒ「凶悪犯罪者とかいないでしょうね?こんな所で出くわすのはいやよ」

キョン「そんなもんいねえから安心しろ」

根拠はと問われれば、俺の記憶にそんな物騒な記憶がないからとしか言えん。
根拠を聞かずに信じてくれるってのは、いやはやありがたい限りだな。団長様もこの一年で丸くなったもんだ。

俺たちは駅員すらいない改札を出ると、雑草の間に細々と続く道を道なりに進んでいった。
この田舎に来るときはいっつも車で、その場合はこんな道を通らなくともすんなりと到着したものである。
それなりの頻度で来ていた場所のはずなのだが、俺にはどうも、まったく来たことのない場所のような気持ちだった。

ハルヒ「ああ、もう、邪魔よこの草。もっと整備してくれないかしら?」

キョン「整備したって維持する奴がいねえよ」

顔に掛かる草を掻き分けながら、申し訳程度の道を踏みしめる。
やがて、耳に効きなれた文明の音が聞こえてきた。

ハルヒ「近くに道路があるみたいね。バス停ってそこ?」

キョン「確か、そこの道沿いにあったはずだ。ボロッちい小屋みたいな造りのが」

64: 2010/04/27(火) 22:19:04.62
そんなわけで、ところどころトタン屋根に穴の開いた日陰で過ぎ行く車を見送ること、一時間近く。
硬いベンチに背を預けながらハルヒの地方村再生論をダラダラと聞き流していた俺だったが、目の前を見覚えのある車が通り過ぎていくのをみて、思わず体を跳ね起こしていた。

ハルヒ「ちょ、ちょっとどうしたのよキョン!?」

キョン「い、今の車は!」

徐々に遠くなっていく車のナンバープレートを確認する。やはりだ。

キョン「……今、俺の家族の乗った車が通り過ぎていった」

ハルヒ「へ?」

車が向かった方向は、村から離れていく方向。つまり、今俺の家族は帰路についているということになる。
どうやら、今日は俺の家族旅行の最終日だったらしい。
そして、あの時の帰りは、確か夕方近く。もうそんな時間なのか。

キョン「……とりあえず、今日がいつなのかはハッキリしたな。そして、もうすぐ日が落ちるぞ」

ハルヒ「……ってことは、もう七時近いわね。バスはもう来なさそうよ」

電車もおそらくもう打ち止めだろう。ということは、俺たちはこのあたりで一晩明かさなきゃならんということだ。もしくは、歩いて帰るか。

ハルヒ「とりあえず、歩いて村まで向かいましょ。田舎だし、もしかしたらどっか泊めてくれるところがあるかも」

野宿はできればお断りしたいし、それがよさそうだな。
田舎の人情というものに淡い期待を抱きつつ、俺たちは山道を歩き出した。
すぐ真横を、いくつもの方遅れの車が通り過ぎていく。
そういえば、この時代じゃ最新なんだったか。時代の流れってのは、実に速いね。

69: 2010/04/28(水) 21:12:28.47
車通りの少ない山道をひたすら登ること、既に一時間。
空はとっくの昔に日が沈み、今は星と月が慎ましくも自己主張していた。。
都会だと雲に隠れてしまいがちな夜空だが、こういう山しかない田舎に来ると、ここぞとばかりに輝きだすものなんだなあ、などと見上げながら感慨に浸ってみたりするのだが、別に俺がロマンチシズムに目覚めたわけじゃあない。
一時間も何もない山道を歩かされ続けてみろ。延々と同じような風景しか見れないってのは、想像以上に精神に堪える。
俺の少し後ろを歩くハルヒも、先ほどから不機嫌オーラを放ちっぱなしである。

ハルヒ「アンタの叔母さんのいるところ、まだなの?」

キョン「もう少しだと思うんだが……」

ハルヒ「もう少しもう少しって、さっきからアンタそればっかじゃない」

車で移動するのと歩きで移動するのとじゃ、距離感が分からんのだ。目印のない山道だと特に。

ハルヒ「ああー、もう。嫌になるわね……」

額に滲む汗を腕でぬぐいながら、ハルヒはぼやいた。
俺も先ほどから汗を流しっぱなしだ。体中が足りなくなった水分を欲しているのが、否応にもなく感じられた。

ハルヒ「ペットボトルももう空っぽよ……どっかに水でもないかしら?」

そんな都合良く水道なんてないだろう。
顔にたかるブンブン五月蝿い虫どもを手で追い払いつつ、俺はハルヒに手に持っていたものを差し出した。

ハルヒ「これ、アンタのじゃない」

キョン「喉が渇いたなら飲めよ。多分、村に着くまで水飲めないだろうしな」

ハルヒは俺の差し出したペットボトルをしばらく睨みつけると、ズンズンと俺を追い抜いた。

ハルヒ「団長を馬鹿にすんじゃないわよ!ぜんっぜん平気なんだから!それはアンタのなんだから、アンタが飲みなさい!」

やれやれ。団長様の思いやりには頭が下がる。

70: 2010/04/28(水) 21:37:54.40
そして、更に十分。やっと山道が平坦になりだし、俺の視界に見覚えのある分かれ道が見えた。
やっと、俺の記憶になじみのある景色が見れたというのが、俺にかなりの安心感を与えてくれる。
プチホームシックなのだろうか。ホームといっても、自分の知る元の世界のことなのだが。

キョン「やっとだ。この分かれ道を左に下れば、村に着くぞ」

ハルヒ「はあ、やっとね……おなか減ったわ。コンビニとかあるかしら?」

キョン「こんな辺鄙な村にそんなものはない」

ハルヒは、再びハァ、とため息をついた。
近くを探れば、食えそうな野草の一、二本くらい生えているだろう。探してみるか?

ハルヒ「野草があっても生じゃ食べる気が起きないわよ」

それもそうだ。じゃ、さっさと村まで行くぞ。

再び歩き出した俺とハルヒは、木々によって月明かりさえ阻まれる真っ暗な中を、慎重に歩いていった。
真っ暗闇のため、足元がおぼつかない。せめて道が整備されていれば救いがあったのだが、こんな細い山道にそんなことを求めるのも酷だろう。
少しずつ、少しずつ。やや急勾配な坂道を歩いていく。
遠くで、野犬が吼える声が聞こえた。狼のようなものではなく、大方捨てられた野良犬の類だろうが。

ハルヒ「はあ、明かりでも欲しいところね……って、きゃあ!?」

ズルッと、土の滑る音が聞こえた。

キョン「は、ハルヒ!!」

急いでハルヒの腕を掴む。どうやら、単純に足を滑らせただけらしい。ハルヒは呻きながら、俺の腕を掴み返して体勢を立て直した。

ハルヒ「ああ、もうビックリした……。ありがと、キョン」

腕を掴んだままお礼を言う。……もう体勢は立て直しただろう。なぜ手を離さん。

ハルヒ「……また滑ったらやだし。このまま行くわよ」

ハイハイ。じゃあしっかりと掴まっててくださいよ、姫。

ハルヒ「だ、誰が姫よ!」

71: 2010/04/28(水) 22:05:26.29
しばらく山道を下ると、後ろからエンジンの音が聞こえてきた。

キョン「……車だ。ハルヒ、端によるぞ」

ハルヒ「村の人かしらね?」

後ろを見ると、遠くから明かりが近づいてくるのが見えた。どうやら、ヘッドライトらしい。
青色の車体の軽トラックは、唸るような低音を撒き散らしながら俺たちの真横で停車した。

「おい、こんなとこでなにやってんだ?」

運転席の窓がスルスルと開き、人懐っこい顔の爺さんが顔を出した。
微妙に発音の訛った標準語なのが、なんだか余計に愛嬌を増させているんだが、別に俺に野郎趣味はないと言っておこう。一応。

キョン「この先の村へ行こうと思っているんですが、ご覧の通り車もないので歩きでして」

「あん?おまえたち、村に用があんのか?誰んちだ?」

俺は、自分の叔母の名を出そうかしばらく逡巡した。
だが、今の俺が叔母に用があると告げてみても、叔母は俺のことを知らないのだ。それはマズイだろう。

キョン「いえ、誰に用があるというわけじゃないんですが……その、こういう山間の村々を巡るのが趣味でして」

ちょっと無理があるか?
ハルヒが、もっと上手い嘘はつけないのかいう目でと睨んできた。スマン。

「ふうん。おもしろい趣味じゃなあ。あれか、くらぶってやつか?」

どうやら、こんな嘘で通じたらしい。こうなりゃ押し切ってしまえ。

キョン「ええ。そうです、部活の一環でして。都会じゃ忘れがちな人々の人情というものを、再発見しようという部活なんです」

そういえばそんな番組があったなあ、と思いつつ、俺は嘘八百を並べる。爺さんはうんうんと頷くと、

「よくわかんねえが、要はおまえら宿探してんだろ?俺んち泊めてやるから、後ろに乗んな」

トントン拍子に事が進むな。俺とハルヒは爺さんに頭を下げ、ブルーシートの敷かれた荷台に乗り込んだ。

82: 2010/04/30(金) 23:59:36.86
「ばーさん、帰ったぞ」

「あらあらお帰りなさい。あらあ、お客さん?」

パタパタと玄関先に出向いてきたおばあさんに、俺は軽く会釈する。
ハルヒはというと、いつかの多丸邸で見たような綺麗な礼をしていた。

ハルヒ「どうも、始めまして。この度は、旦那様のご好意に預かり宿を貸していただくことになりました。心からお礼申し上げます」

その礼儀の少しでも、学校にいるメンバーに分けてやって欲しいな。谷口なんかは一回やっただけで一週間天狗になるだろうよ。
長門は相変わらずの無反応で、古泉はおやおやと困り顔になるに違いあるまい。
朝比奈さんはひええとか可愛らしい声を上げて慄き、鶴屋さん辺りはノリノリで礼儀正しく返答することだろう。
国木田?阪中?知らん。どうしたんだ急に、みたいなことでも聞くんじゃないか?

おばあさんは人の良さそうな笑みを浮かべると、聞くだけで安心できるような柔らかな声で言った。

「あらあら、それはそれは。よかったらゆっくりなさっていってね」

いきなり来ていきなり泊めてくれる。田舎の人情ここに見たり。

ハルヒ「ありがとうございます。……ホラ、アンタもお礼言いなさいよ」

ハルヒに小突かれ、俺は慌てて直立不動の礼を決めた。直角の礼なんて、いつぶりだ?

キョン「あ、あの、急に押しかけてなんかこんなわざわざ……え、えーっと、ありがとうございます!」

思いっきりアガってしまった。なんと情けないんだ、俺。
ハルヒは、なにやってんのよ恥晒し、と言わんばかりの目を向ける。スマン。重ねてスマン。

「ふふふ、面白い学生さんねえ。じゃ、さっそくお夕飯にしましょうか。お腹は空いてる?」

奇跡的なタイミング。その瞬間、俺とハルヒの腹の虫が鳴いた。

83: 2010/05/01(土) 00:27:26.02
惣一「ふうん、ここまで電車できたんか。そんじゃあ、バスには乗らんかったのか?」

キョン「バスが終わっちまいまして」

トヨ「あらまあ。大変だったわねえ」

ハルヒ「おかげで喉もカラカラお腹ペコペコだったのよ!あ、この漬物おいしい」

食卓ってのは、人の距離を縮める魔法が掛かっているらしい。
おばあさん特製の田舎料理は、頬がとろけ落ちる、とまでは行かないが、なんだか素朴で安心できる味だった。
そんな飯を共に囲めば自ずと会話は進み、いつの間にかハルヒもフランクないつも通りの口調で会話をするようになっていた。
そんなハルヒを見て朗らかに笑う二人。良い人たちだな。

トヨ「この人の畑で取れたキュウリを、家で漬けたのよ。栄養たっぷりよ?」

旦那さんと同じく訛った発音のおばあさんは、トヨさんというらしい。
世代差を感じる名前だな。
一方の旦那さんの惣一さんは、大根の煮物を口に放り込みながらぼやく。

惣一「近頃のモンはひょろっこくていけねえ。もっと栄養つけねえと、なあ?」

いかん、話題を振られた。
酒の入った惣一さんは顔も赤く、どうやら絡み酒の気があるようだった。
ちなみに、まだ発泡酒3缶目である。俺のほうがまだ飲めるぞ……って、イカンイカン。このことは内密に。な?

ハルヒ「そうよそうよ!日本男児たるもの、もっと頑丈じゃなきゃ!キョン、アンタマッチョになりなさい!」

キョン「馬鹿をいうな!頑丈までは分かるが、マッチョにはなりたくねえぞ?」

テカテカの筋肉でポージングを決めながら、白い歯でニッと笑う俺。……考えるだけで頭痛が……。

84: 2010/05/01(土) 00:53:13.59
晩飯後、ひたすら絡んでくる惣一さんの猛攻を凌ぎきった俺が風呂に入ったのは、もう十時を回る頃だった。
惣一さんは床の間でつぶれ、トヨさんは自室で既に眠っている。年を食うと早寝早起きになるのは何でだろうな。

そんなわけで、ちゃぷん、とただ一人の空間を堪能している俺である。
湯気が視界を霞ませ、カビで黒ずんだタイル張りの壁は水滴塗れになっていく。
妙に熱い湯加減のお湯につかる中で、俺はノンビリとこんな事を考えていた。

ああ、極楽極楽。

上手い飯を食い、お湯につかりながら、ぼんやりと水の揺れを胸の辺りで感じる。
これが恐ろしく俺に安心感を与えてくるのだ。
別に俺の家の飯が不味いわけじゃないし、風呂がぬるいわけでもない。
なのに、どうしてこうも田舎は落ち着くのか。これってかなり不思議だぞ、ハルヒ。

キョン「いーいゆっだぁ~な、ハハハン」

風呂の定番ソングを歌いながら、俺は湯船から体を引き上げた。
纏わりつくようなお湯が体から剥がれ落ち、一緒に疲れまで連れ去ってくれたようだ。
山歩きでくたびれきっていた俺の体は、既に元気を取り戻しつつあった。

そして、俺がカエルの絵が描かれた風呂椅子にお湯をかけ、いざ座ろうと腰を下げかけたとき、事件は起きた。

ハルヒ「キョン、ちょっと」

ガララ、という音が背後から鳴り響き、時間が止まった。
ただシャワーがざらざら流れる音だけが、浴場および洗面所に響く。

……なにこれ、俺はどういうリアクションをとれば良い?

とりあえず、俺は手近にあった風呂桶で股間を隠す。そして、一言。

キョン「……まいっちんぐ☆」

思い切り頭をはたかれた。

86: 2010/05/01(土) 01:31:44.96
人がこの状況を和らげてやろうと、わざわざポージング付でボケてやったのになぜ叩く。

ハルヒ「目の前で男が全裸でそんなポーズをとったらそりゃ叩くわよ!セクハラで訴えるわよ!?」

そもそも、俺の風呂中に殴りこんできたのはお前だろうが。

キョン「……で?なんだってんだ?」

ハルヒは、顔を背けながら本題を切り出した。
顔が耳まで赤かったのは、湯気の熱気に当てられたからだと信じたい。

ハルヒ「……おじいさんたち、良い人だったわよね」

キョン「そうだな」

ハルヒ「今日の漬物、おじいさんの作った野菜だったじゃない?それ以外のも」

キョン「そうだな」

ハルヒ「……明日、畑仕事手伝うわよ」

キョン「……そうだな」

ハルヒが人の役に立とうなんて、まったく明日は雨でも降るんじゃないか?
だったらいっそ、大人しくしておいた方がおじいさんのためだな。

文化祭のときのように、不機嫌に眉を寄せながら俺を見るハルヒに、俺はそんな軽口を叩く気にはなれなかった。
ハルヒが人の役に立ちたがる。いいことじゃないか。
俺まで巻き込むなと言いたいが、まあ今回くらいは付き合ってやろう。

87: 2010/05/01(土) 01:55:16.83
そして、その後。

俺は、かなり大きな危機に直面していた。

キョン「……」

ハルヒは、今俺と交代して風呂に入っている。
果たして、アイツは知っているのか?

トヨさんが就寝する前、俺に言い残した言葉。

トヨ『階段上がって左の部屋に布団敷いておきましたよ』

ああ、本当に感謝したさ。
わざわざ布団まで敷いてくださって、実にありがたいと思った。

……だが、俺は知らなかった。

キョン「……なぜだ」

なぜ、俺の目の前には布団が二つある?しかも隣り合わせに。

91: 2010/05/01(土) 23:36:29.23
よし、冷静になるんだ俺。素数を数えて落ち着くんだ。

いいか。まず、目の前には布団が二つ。
この二つの布団が、両方とも俺のために用意されたものであるとは、到底考えにくい。
俺がずば抜けて横幅が広い人間ならまだ可能性もあるのだが、残念ながら俺はいたって平均的な横幅をしている。
つまり、片方のみが俺の布団である、ということに他ならないだろう。

では、もう片方の布団は?一体、誰のものか?

決まっている。ハルヒだ。
ああ畜生、トヨさんめ、いらん気を利かせたのか?
それとも、単に部屋がここしか空いていなかったということか?
……まあ、泊めてもらっている身分だ、文句を言える立場じゃない、というのは十二分に分かっているのだが、それでもコレばかりは……どうする?

とりあえず、布団の位置くらいは離しておくべきだろうか。
そんなことを考えていた矢先、するっと背後の扉が開いた。

ハルヒ「……キョン?なんでアンタがここにいんのよ?」

キョン「……ここに布団が敷いてあるからだ」

ハルヒは、ハァ?といった顔をして、部屋を覗き込んだ。

…………おい、固まるなハルヒ。何か言え。いや、何を言って欲しいというわけじゃあないんだが。反応がないと、それはそれで困る。理由は知らん。

たっぷり十秒ほどの間を空け、ハルヒはブッハア!!と息を吐き出した。
どうやら、息をすることすら忘れるレベルで愕然としていたらしい。

ハルヒ「ちょちょちょ、ちょっとキョン!な、なななななななによこれ!!」

キョン「うるさいぞ、ハルヒ。下の階でお二人は寝てんだから声のトーン落とせ」

93: 2010/05/02(日) 00:13:13.06
ハルヒ「だ、だって……ふ、布団が二つ敷いてあるじゃないの!」

んなもん、見りゃあわかる。

ハルヒ「……キョン、アンタ、廊下で寝なさい」

キョン「なんで廊下で寝にゃあならんのだ。だったらお前が寝ればいいだろう」

ハルヒ「私は団長よ!これは、団長命令なの!!」

キョン「……今は団活中じゃあないだろうが」

夜だってのに元気だなあ、コイツは。

キョン「もう、腹括っちまった方がいいだろう。布団を離すだけでも気分は楽になるぞ」

何か言いたげなハルヒを尻目に、俺は黙って布団を引っ張る。
部屋自体は狭くないから、両方の布団を端まで寄せれば、間に2、3人は寝れる程度の隙間は出来るだろう。

キョン「ほら、これで文句ないだろ」

ハルヒ「……仕方ないわね。変な事したら承知しないから」

誰が好き好んでお前に変な事するか。転地が逆さになってもありえん。

ハルヒ「……もういい、馬鹿。さっさと寝るわよ」

そういうと、ハルヒはさっさと布団にもぐりこむと、俺に背中を向けてしまった。
なぜ急に怒り出すんだ。情緒不安定なお年頃なのか?

背中を向けたままピクリとも動かないハルヒを見ながら電気を消すと、俺も布団にもぐりこんだ。

94: 2010/05/02(日) 00:50:59.96
さて、翌朝。
なぜかしっかり目の下に隈を作っているハルヒが、不機嫌に俺をたたき起こした。
いつもの妹ボディプレスがないと、なんだか新鮮だ。その代わり、ハルヒの容赦ない蹴りが俺の下腹部を襲ったわけだが。
もう少し位置がずれていたら大惨事だったと、俺は今更ゾッとしている。

そうして、眠そうに瞼を半開きにしているハルヒを眺めながら布団を仕舞い(なぜだか、俺がハルヒの分も仕舞うハメになった。くそ、コレだから男女差別は……)、
朝っぱらからいつもの晩飯ほどの量の飯をかっ込むと、食器をさげながら畑仕事について切り出した。

キョン「あの、惣一さん」

惣一「あん?」

爪楊枝をくわえる惣一さんは、いっぱい食ったばかりの腹をさすっていた。
膨れた腹で、腹巻がパツンパツンに張ってしまっている。

キョン「畑仕事なさってるんですよね?」

惣一「そうだあ。興味あんのか?」

キョン「興味というか、こう親切にしていただいているので、何か手伝えないかなあと」

ちなみに、言いだしっぺのハルヒはテーブルの横で寝転がっている。
食事にもあまり手をつけていなかったし、相当眠いらしい。
これじゃあ、手伝いは無理だろうな。無理矢理にでも畑までは連れて行くが。

惣一「そうか、そういうことなら、手伝ってもらおうかね。別に俺一人でも何とかなんだけどもよ」

貫禄のある動きでのっそり立ち上がると、惣一さんは奥の部屋へ入っていった。

惣一「軍手とかは貸してやる。……ただよお、お前ら、その格好で畑仕事すんのか?」

そうか、言われてみれば。学生服のままじゃ畑仕事なんて出来ないな。

98: 2010/05/04(火) 06:21:14.70
その後、俺たちは再び荷台に乗っていた。

惣一さんの軽トラックに揺られ、山道を上り下りすること二十分。
山の起伏の間に、大きく開かれた平野が広がっており、そこにはいくつかの民家と見渡す限りの田園風景が広がっていた。
広いな。とにかくただっ広い。
そのまま軽トラックは田畑の合間のあぜ道をすり抜け、やがて一つの畑の前で止まった。

惣一「ここだあ。俺ん畑は、ここの一つだ」

惣一さんは、区画分けされた田畑の一角へと踏み込んでいった。
例に倣って、俺とハルヒも惣一さんの後へと続く。
ちなみに、俺もハルヒもローファーからゴム長靴へとクラスチェンジを果たしていた。
頭には麦藁帽、首にはタオル、上はワイシャツのままで、下はジャージを膝の辺りまで折っている。我ながら、見事な農家スタイルだな。
ちなみにワイシャツ以外は惣一さんからの貸与物で、なんでも惣一さんの孫が里帰りのたびに手伝ってくれるそうで、これらはお孫さんらの私物らしい。
勝手に借りても良いのだろうか、と考えつつ、惣一さんのお言葉に甘えた次第である。

さて、一人でやりくりするには広そうな畑を、惣一さんの後を追って進んでいく。
すぐ横の地面には、こんもりと盛られた土の列がいくつも並び、その中から葉っぱがいくつも飛び出ていた。
葉っぱの種類で野菜を当てることが出来るほど俺は野菜に詳しくないが、葉っぱの形からして未成長の茎野菜なのではないか、と予測はしている。
もっとも、当たるかはわからん。当てる気も特にない。

そしてハルヒは、俺の後ろをダラダラと歩いていた。
荷台でも思い切り爆睡し、畑についてから再び起こされたため、イマイチ機嫌はよろしくないようである。
やれやれ。コイツ、気がついたら顔面から土に突っ込んでそうだな。ちょっと見てみたい気もする。

惣一「ここが、キュウリだ。とりあえず、そっちからおっきいの取って来てくれねえか」

キョン「わかりました」

小学校のときの夏休み課題のアサガオのように、支え棒に巻きついているキュウリを見て、俺はふと気がついた。
キュウリって、こんなに曲がっていたっけ?

99: 2010/05/04(火) 06:57:41.23
S字だったり、妙に長い真っ直ぐだったり、JとUの中間くらいの曲がり具合だったりと、様々な形のキュウリを手にした鋏で一つ一つ切り落としていくのだが、コレがなかなか手間のかかる作業だった。

背の高い支柱に巻きついたキュウリはさながら巨大な壁となって、俺の目の前に堂々と立ちふさがっていおり、この段階でヤル気20%減。

いくつもの茎が雁字搦めになり、葉っぱがあちらこちらを覆い隠す。その中からキュウリを見つけ出すのだから、まるでいくつ隠されているのか分からない宝探しゲームをさせられている気分だった。更にヤル気30%減。

しかも、茎も葉っぱも緑ならばキュウリの実も緑である。当然のことなのだが、こうして完璧に保護色に紛れたキュウリは俺の視界から見事に隠れおおせた。
通り過ぎた後に、ふと振り返ってみるとキュウリがぶら下がっているなどザラである。またまたヤル気30%減。

そして、照りつける日差しにワイシャツはみるみる汗塗れになっていった。が、コレは麦藁帽とタオルのおかげで何とか乗り切れた。

そんなこんなで残ったヤル気20%でキュウリ狩りを執り行うわけであるが、果てさて、あといくつ取れば終わるのだろうね。

惣一「キュウリとったら、この籠にいれえや」

キョン「はーい」

キュウリの壁の向こう側から、惣一さんの声がした。どうやら、惣一さんは反対側のキュウリを狩っているらしい。

さて、ハルヒはこの間なにをしているのか?
これが腹の立つことに、キュウリのすぐ近くの木陰で、惰眠をむさぼっていやがった。

なんでコイツは昨夜寝なかったんだ。そして何で今寝ているんだ。言いだしっぺがサボるとはこれ如何に。
文句は考えれば考えるほど浮かんでくるので、そんなことに限りあるカ口リーを使うよりは、キュウリ狩りに精を出したほうが有効利用といえるな。
そんなわけで恨めしい気持ちを抑えつつハルヒから視線をずらし、俺は目の前のキュウリの壁を再びにらみつけた。
せめて、コイツらは刈り倒す。

そんな意気込みに燃えるも、結局片面の半分ほどを刈り取っただけで一旦休憩をとることにした。
ああ、都会っ子の体力のなさよ。

100: 2010/05/04(火) 07:10:56.08
惣一「ほれ、茶ぁだ」

ハルヒの寝る隣で涼む俺に、惣一さんは大きな水筒を手渡してくれた。
中には、キンキンに冷えた麦茶。ああ、喉に染み渡っていく。
家で作り置きされている麦茶は毎日飲んでいるが、とても美味しさが違うように感じられた。
単純に茶っ葉や淹れ方が違うのか、それともこの暑さだからか。
恐らくは、後者の理由が少し。そして、肉体労働の後だから、というのが八割方だろう。勤労の尊さって奴が身に染みるね。

俺は、ハルヒを揺さぶった。
コイツも勤労の尊さを味わうべきだ、と少し考えたからと言うのもあるが、単純に水分を取らせるためだ。
人間、寝ているときに汗をかくものである。
いくら木陰にいるとしても、汗をかいたら水を飲む。熱中症予防の基本である。

キョン「ハルヒ、起きろ」

ハルヒ「う、ううん……なによ、ばかきょん……」

キョン「水分取れ。冗談じゃなく氏ぬぞ」

寝ぼけ眼を擦りながらむくりと起き上がるハルヒに、俺は水筒のお茶を差し出した。
ハルヒはそれを受け取ると、グイッと飲み干す。

ハルヒ「う~……頭キンキンするー」

キョン「一気飲みしたらそうなるに決まってんだろ、アホ」

アホって何よう、バカぁ、とぼやくハルヒ。仕草がどことなく幼く、不覚にもときめいてしまったのは俺の心にしまっておこう。
……いや、幼い仕草にときめいたとは言っても、俺は断じて口リコンではない。
たしかに長門のような幼児体型も嫌いではない。が、それは口リータコンプレックス的ペドフィリア的思考に基づくものではない、と俺は強く主張する。
誰に弁解しているのかは分からないが、一応そう言っておこう。必氏すぎる気がするが、まあいい。

102: 2010/05/04(火) 07:20:01.42
ハルヒ「……もう一杯ちょうだい」

キョン「ほらよ。ただ、あんま飲みすぎるなよ。水分の取りすぎは逆効果だからな」

ハルヒは、ぐいー、と再びお茶を煽る。そして、再び痛そうに頭を押さえる。
学習能力がないのか、コイツは。
そして、水筒を俺に突き出すと、半分寝ている瞳(若干涙目)で睨んできた。

ハルヒ「……じゃ、また寝るわ」

キョン「おい、アホハルヒ」

水筒を受け取りながら、俺はハルヒの頭を小突く。

キョン「少し体を動かせ。やってる最中は目が覚めるぞ」

ハルヒ「いやよ、面倒くさいもの」

にべもなく断られた。なんというストレートさ。いっそ腹立たしさも起きん。

キョン「面倒くさいって、そもそも手伝おうと言い出したのはお前だろうが」

ハルヒ「だからなによ。手伝うのは一人でも十分よ。SOS団の誰かが手伝ったって事実が大事なんだから」

なんという傍若無人さだ。ある意味、涼宮ハルヒSOS団長の面目躍如と言える。だが、許す気はさらさらないぞ。

キョン「良いから働け。お茶まで貰ってんだろうが。少しは勤労の尊さをだな」

ハルヒ「うるさいわね、アンタは親か。……わかったわよ、やればいいんでしょ」

ハルヒは、面倒くさそうに倒しかけていた体を起こしなおすと、ウーンと伸びをした。
……そして、俺は思わず視線をはずしていた。

103: 2010/05/04(火) 07:29:41.91
ハルヒ「? ……なによ?」

キョン「あ、いや、その……」

ここで思い出して欲しいのは、俺とハルヒの格好だ。
上半身はワイシャツ、下半身はジャージ。
そして俺は肉体労働で汗まみれになり、ハルヒは睡眠で寝汗まみれになっている。
……では。ワイシャツをx、汗をyとおいた場合のxとyの積を求めよ。……正直言っている意味が自分でも分からん。
とにかく。

キョン「……とりあえず、ハルヒ。その、なんだ……ジャージの上でも、惣一さんに借りて来い。トラックの中にあったはずだ」

ハルヒ「はあ?なんで私がそんな事……って」

ハルヒの声が、何かに詰まったように止まった。
どうやら、気がついたらしい。

ハルヒ「ど、ど、ど、どこ見てんのよバカキョン!アホキョン!工口キョン!!」

キョン「俺だって見たくて見たわけじゃない!不可抗力だ!!」

ハルヒ「なによ、私の下着見て鼻の下伸ばしてんじゃないでしょうね!?だとしたら氏刑よ、氏刑!!」

キョン「伸ばすか!!」

ハルヒ「なっ、私には魅力がないとでもいいたいわけ!?そりゃ、みくるちゃんより胸はないけど、これでも大きいのよ!?失礼しちゃうわ!!」

キョン「なっ、鼻の下伸ばしたら氏刑じゃないのか!?矛盾しているぞ!」

ハルヒ「うっさいうっさいうっさい!!」

そう叫ぶと、俺は背後から思い切りのしかかられた。ぐおお、首!首が絞まる!!

104: 2010/05/04(火) 07:42:26.29
ハルヒ「鼻の下伸ばしなさいよ!!」

キョン「い、意味が分からんぞ!と、とにかく苦しい!離れろ!!」

ハルヒのいろんな部分の薄着ゆえに生々しく伝わる感触を背中で感じつつ、俺はそれでも懸命にもがく!
だが、ハルヒは強い!このバカヂカラ女!!

キョン「は、ハルヒ!これをやっていたら余計にワイシャツが透けるだろう!!」

ハルヒ「う、うるさい!アンタが私を見て何にも感じないのが悪いのよ!!」

キョン「そんなわけあるか!何の感想も抱かなかったら視線をそらすはずがないだろう!!」

すると、ハルヒの腕の力が緩んだ。

ハルヒ「……じゃあ、どんな風に思ったのよ?」

後ろから、首に手を回したまま顔だけ覗かせる。ハルヒの大きな瞳が、俺の瞳を俺の視界の端から捉えてきた。
……なんとなく、視線を合わせるのが恥ずかしかった。俺は、目をそらしていた。

ハルヒ「……なんで目をそらすのよ」

キョン「……わからん。なんというか、その、気恥ずかしいんだ」

首に回されたハルヒの腕の感触も、首筋に感じるハルヒの柔らかい感触も、背中に感じるハルヒの体温や小ささのどれもが、俺の寿命を着実に縮めていた。
一生に動く心臓の鼓動の数が決まっているのなら、俺は今何倍速で氏に向かっているのだろう。考えたくもない。

ハルヒは、そのまま俺の方に顎を乗せた。

ハルヒ「……なによ、なんか私まで恥ずかしくなって来ちゃったじゃない」

俺とハルヒの間に伝わる温度が妙に熱っぽいのは、俺のせいか、ハルヒのせいか、それとも両方なのか、はたまた暑い陽射しのせいなのか。
……この暑さのせいだと願う。または、この暑さに俺たちの頭がやられたっていうんでもいい。

105: 2010/05/04(火) 07:55:01.94
そのまま、どちらが動くわけでもなく、俺とハルヒは密着したままただ時間を受け流す。
青空に、雲が流れていくのを眺めた。

キョン「……天気いいな」

ハルヒ「……うん」

手元にある水筒のお茶を、煽る。
後ろでハルヒがピクッ、と小さく震えるのを感じた。

キョン「どうした?」

ハルヒ「……あ、アンタ、なんでお茶を?」

キョン「……喉が渇いたからだが」

ハルヒ「あ、いや、それはそうなんだけど……あうう」

肩の上に頭が乗っているので表情は見えなかったが、肩にのしかかる重量が急に増えたのだけはわかった。

キョン「肩に顔を押し付けるなハルヒ。……っていうか、汗臭いだろ」

ハルヒ「私だって汗かいてるし。……なんか、そんなに気になんないし」

のんびりと、真上を雲が泳いでいく。鳥が、数羽連なって通り過ぎていった。
蝉の声が、やけに耳に心地良い。

キョン「……気持ちいいな」

ハルヒ「……そうね」

時間とか、どーでもよくなってくるな。たまにはこういうのも悪くない。

106: 2010/05/04(火) 08:08:01.18
惣一「おうい、飯にしねえか」

惣一さんが、木陰にやってきた。

キョン「あれ、キュウリの続きを先にやった方がよくないですか?」

惣一「んなもんおめえ、俺がやっちまったよ」

なんてことだ。手伝いに来たってのに。

惣一「なあに、気にすんじゃあねえよ。普段は俺一人でやってんだ、キュウリの一本取るんでも十分な手伝いじゃ」

そんなことを人懐っこい笑顔で言われては、もはや何もいえまい。
俺とハルヒは、惣一さんの持ってきた弁当を受け取った。

惣一「ウチのかあちゃんの手作りだ。今日は人数多いから、気合はいってるっていっとったなあ」

弁当の中身は、おにぎりが三つ、から揚げが四つ、色とりどりの湯で野菜という、シンプルでかなりスタンダードなものだった。
よく、運動会でこれをタッパーに詰めている家族を見かけるな。ベターな弁当ってワケだ。
だが、味は恐ろしいほどにスタンダードからかけ離れて美味しかった。
おにぎりの塩加減、から揚げの下味、湯で野菜の湯で具合。
全てを絶妙のタイミングと完璧な味付けのバランスで作った弁当。これって、もはや芸術の域なのではないだろうか。

隣でおにぎりを頬張るハルヒは、なによこれ、おいしい、と呟きながら懸命に口を動かしている。
頬が膨らんで、まるでハムスターだな。

ちなみに、おにぎりの具は、鮭、海苔の佃煮、昆布の佃煮だった。多分、佃煮も自家製だったりするんじゃなかろうか。
田舎ってのはなんでも自家製だと、ここに来て感じた。糠床なんて、初めて見たぞ俺は。

114: 2010/05/07(金) 01:55:02.90
青空の下で食べる、質素ながらも絶品の昼飯を食った俺とハルヒは、惣一さんの畑仕事の手伝いに再び勤しんでいた。
労働は最高の隠し味、というのは正にこのことだろう、と実感した直後なので、今の段階で今晩の飯が楽しみだったりするのだが、そんな邪念はさておいて。
キュウリ収穫はとりあえずクリア、そして、次に俺たちが手伝うことになった仕事は、とんでもなく地味ーな仕事だった。

キョン「…………」

ハルヒ「…………」

燦然と輝く日差しは今までに増して槍の雨のごとく俺たちの肌に容赦ない紫外線を突き刺し続け、近くの畑じゃあ他の農家の方のお子様が元気にはしゃぎまわり、セミ達はみんみん喧しい。
だというのに、その傍らでは一言も喋らずに淡々と作業をこなす俺たちがいたりして、なんとも言えない空気の綯い交ぜ感が俺の思考を作業とは違った方向へともって行きかけていた。
集中集中。この作業をしっかりやれば、その分飯は美味くなるんだ。流されるなよ。

そんなわけでなんとかして目の前の仕事に意識を持っていこうとするのだが、年の割に落ち着いている(または、老けているとも言うが)とよく言われる俺ですらこんなうんざりという体であるのに、まあ落ち着きのない奴が耐えられるわけもないんだよな。
結局、勉学には一切向けられない集中力を発揮しようとした俺の努力は、すぐ隣から上がった声に阻害されてしまったのである。

ハルヒ「ああーっ!もう、なんか喋んなさいよ、キョン!!」

ああ、コイツはこういう単調な作業が大嫌いな部類だった。この団長様は、いつでもなにかソワソワしていないと氏んでしまうような生き物なのだ。
たまにはいい加減に少しは落ち着いて欲しい、と思わなくもないのだが、コイツがいつも冷静でいるというのもなんだか恐ろしい気がする。
せめて不思議だなんだと面倒を呼び込まない程度には落ち着いて欲しいか、とまあ、そんな世界が反転してもありえない儚過ぎる願いはさておいて。

キョン「なんかってなんだってんだ」

ハルヒ「なんでもいいわよ。ただ黙ーって作業するよりは、アンタのちっとも面白くない話を聞いているほうがいくらかマシよ」

キョン「……面白くないは余計だ。事実でも傷つくぞ」

俺は、手に持っていたキャベツを目の前のダンボールに置いた。
ダンボールの中には、つるんと丸くなったキャベツが敷き詰められている。
今、俺とハルヒは、仲良く並んでキャベツの葉を剥がす作業に勤しんでいるのである。

115: 2010/05/07(金) 02:23:44.48
ハルヒ「でも、ちょっと意外だったわ。キャベツってこんなに大きかったのね」

収穫されたてのキャベツを手に取り眺め、続いてダンボールに収められたキャベツへと視線を移す。
ダンボールの中のキャベツはスーパーでよく見かける大きさと形なのだが、手に持ったキャベツは見た目だけならその何倍もの大きさだった。
もっとも、葉が広がっているから大きく見える、と言うこともあるのだが、それでも剥がした葉でもう一つキャベツを作れそうな程度には大きい。

ハルヒ「この葉っぱ、捨てちゃうのかしら?」

キョン「さあな。スーパーで売られないことだけは確かだが」

ダンボールの横にうず高く詰まれた濃い緑色の葉っぱの山を見て、なんとも言えない気分になる。
貧乏性というのかね、これだけの量の葉っぱならば、一体どれくらいの飯を作れるのだろう、とか考えてしまうのだ。
もっとも、もったいないお化けに急き立てられて育ってきた純日本人の俺としては、それはある種の誇れる事柄であるのだが。

そして、ハルヒもどうやら似たような考えらしい。

ハルヒ「この葉っぱ、別に食べられないことはないわよね?ちょっぴり虫に食べられてるけど、そこだけ切るなりすれば大丈夫だろうし」

キョン「まあ、農家の方なら捨てずに食うんだろうな。葉も大きいし、ロールキャベツにしたらかなり頑丈に作れそうだ」

ハルヒ「これだけ新鮮な野菜なんだから、サラダとかにしなさいよ」

これは後から聞いた話なのだが、キャベツの栄養価として最も栄養豊富なのは、芯とこの外側の葉らしい。
つまり、俺たちは一番栄養の詰まっている部分を食べていないと言うことになる。
ああ、もったいないもったいない。

そんなようなことを喋りながら、俺とハルヒは着実に丸いキャベツの生産を進めていった。
瞬く間にダンボールが積みあがっていき、気がつくと目の前に積まれていた取りたてキャベツの山はすっかり消えうせ、剥いた葉っぱは雪崩を起こしそうになっていた。これ、どうやって運ぶんだ。

116: 2010/05/07(金) 02:53:19.56
その後、他の作業を終えて来た惣一さんと共にダンボールをトラックに積み込み、大量の剥いた葉っぱも載せて、それから撤収のための一連の作業を終えるころには、もう日が傾き始めていた。

惣一「じゃあ、これからスーパーに野菜降ろしてくんけど、お前ら先に帰ってるか?」

キョン「そうします」

惣一さん曰く、今から今日収穫した野菜をスーパーに送り届けるらしい。
降ろされた野菜は貯蔵庫で保管され、翌日に店頭に出回るそうだ。
だが、肝心のスーパーまでは車を使った片道で一時間半近くかかるらしく、ここから家に帰るのならば歩いて帰る方が早いだろう、だそうで。
道は特に迷うこともない一本道なので、惣一さんの乗った軽トラを見送り、俺とハルヒは夕日を背にノンビリと歩き出した。

キョン「つっかれたなあ」

ハルヒ「クタクタよ……って、そういえば、キョン」

キョン「んあ?」

伸びをしながらだったため、なんとも間の抜けた応答をしながら、俺はハルヒを横目に見た。
ハルヒは、じっ、と黒目の大きな瞳で俺を射抜く。

ハルヒ「アンタのお隣さんの件、どうすんのよ」

キョン「あ」

なんてこった、すっかり忘れていた……どうやら、俺は思っていた以上に農作業に夢中だったらしい。
上り坂を歩きながら、俺は頭をかいた。

キョン「うーむ……直接会うのはマズいからな、とりあえずひっそり物陰から覗き見るのが一番だと思うが」

ハルヒ「それはそれで、見つかったときには目も当てられないと思うんだけど」

117: 2010/05/07(金) 03:22:37.16
キョン「見つからなきゃいいんだ。コソコソ長々見ずに、一瞬確認すれば問題ないだろう」

見ず知らずの奴がいきなりやってきても、向こうは困り顔になるばかりだろうからな。
とくに何を話すわけでもあるまい。チラッと見て、それでいいじゃないか。

一歩手前をいく俺とハルヒの影が、山道を進むごとに段々と薄れていき、何度目かの下り坂へと突入した頃には、すっかり宵闇と同化してしまっていた。
電灯もない夜道。明かりは自然の月と星の明かりのみで、足元どころか目の前すら危うい。
周囲からは草むらの動く音と、眠ることを知らない蝉の声が大音量で聞こえ、それ以外の人肌を感じる音と言えば、二人分の足音くらいのもんだ。
肝を試しているわけでもないのだが、いかんせん不気味だ。

ハルヒ「……今、どの辺かしら」

キョン「さあな。一本道だし、どっかに迷ったりすることはないだろうが」

額を伝う汗を首にかけたタオルでぬぐいながら、俺は多少は闇に慣れた目で周りを見渡した。
暗闇に慣れたとはいえ、うっすらとしか確認できない。が、周囲は木々ばかりで、目印となるようなものはなかった。

キョン「……今、何時か分からないよな」

ハルヒ「携帯も時計も持ってないわ」

キョン「だろうな。……せめて、灯りでも欲しいところなんだが」

不意に、クイッと、シャツの袖を引かれる感触。
後ろを見ると、ハルヒが、指先で摘むようにして俺のシャツの袖を捕まえていた。

ハルヒ「……もうちょっと、ゆっくり歩きなさい。離れないで」

スッ、と、ハルヒが俺のすぐ横にならんだ。
袖を掴んだままなので、傍から見れば手を繋いでいるようにも見えるかもしれない。
ハルヒの意外な行動に驚きつつ、とりあえず俺は、一人の男子としてなにをすべきだろうかね。

うつむくハルヒを少しだけ見つめ、俺はそっと袖を掴む手を、俺の手で包み込んだ。

ハルヒ「……っ!」

キョン「転ばないように、掴んでてやるよ。これなら、離れることもねーだろ」

118: 2010/05/07(金) 03:35:04.31
ハルヒの顔が、驚きの色一に染まる。
金魚みたいに口をパクパクし、まるでサンタがプレゼントを置いているのを目撃したみたいな顔をしていた。
喜びと、驚きと、そしてなにか現実感を吹っ飛ばされたような、色々な感情が混濁した表情だ。
ハルヒは更に数度口をぱくつかせて、そして、ゆっくりと顎の形を『い』の形へ変えていった。

ハルヒ「……し、しっかりエスコートしなさいよ、バカキョン」

キョン「せっかく気を使ってやったのにバカはねーだろバカは」

そして、握った手をゆっくりと引っ張りながら、再び暗闇を歩き始める。
ハルヒの手は以上にこわばっていて、なんだか汗もじっとりとしている。
コイツ、意外に怖がりだったりするのか?

ハルヒ「……な、何見てんのよ」

キョン「いや、怖がりだなんて、意外にお前にも可愛いところがあんだなあと思って」

ハルヒ「は、はぁ?なんにも怖くないわよ」

キョン「じゃあ、なんで袖引っ張って、その上今も強張ってんだ?」

ハルヒは、言葉に詰まったようだった。

ハルヒ「う……その、それは……怖いわけじゃなくて、その……」

キョン「別に怖がりは恥ずかしいことじゃないさ。素直に言った方が楽だぞ?」

ハルヒ「だ、だから違うって―――って、あ……」

俺に反論しかけたハルヒが、大きく口を開けたまま一瞬とまって、やがて口を閉じていった。
ハルヒの視線を、俺もゆっくりと追う。

キョン「……おお、灯り発見だな」


そこには、仄かな光を明滅させながら宙を舞う、蛍の姿があった。

126: 2010/05/11(火) 22:10:33.33
ゆらゆらと、自分の存在を知らせるためのメッセージを宙に描く蛍は、俺とハルヒの間を通り過ぎていく。

キョン「……ハルヒ、追いかけるか」

ハルヒ「……迷わないようにしなさいよ。迷ったら氏刑だから」

キョン「保障はできねえな」

蛇行しながら、それでもゆっくりと飛んでいる蛍は、やがて山の中へ続く小さな小道へと入っていった。
小道の奥は真っ暗で、なにも伺い知る事が出来やしない。
ただ、深く深く続く闇の向こうへと蛍は俺たちを誘うかのように進んでいく。

キョン「足元には気をつけろよ、転ぶぞ」

ハルヒ「転びそうになったらアンタが支えればいいのよ」

とんだ我が侭なお姫様だ。今更ではあるが。
ガサガサと足元の枝を踏み潰しながら、歩きやすいとは言い難い道を進んでいく。
明かりはない。目の前をゆらゆら進む蛍に導かれるままに歩いているだけだ。
このまま妙な不思議空間に連れてかれたりはしねーだろうな、と微妙な不安感にかられたりするのだが、過去に吹っ飛ばされた上にそんなことが重ねて起きることもねーだろうと信じたい。
……いつかの世界改変時は別世界に飛ばされた上に過去に遡行したが、まあアレは長門が一枚噛んでいたわけだし、今回は大丈夫。根拠はない。

しばらく蛍の後をつけていると、徐々に視界が明るみだした。どうやら、少し先に開けた場所があるらしい。
ハルヒの手の感触で俺たちがはぐれていないことを確かめつつ、俺は段々とハッキリ見えてくる風景を眺めた。
これは……田んぼ、だな。

ハルヒ「……キョン、ちょっとストップ」

山道の出口付近で、ハルヒは小さく声を出す。立ち止まると、蛍はそのまま山道を抜けて何処かへ行ってしまった。

キョン「……どうした、ハルヒ」

ハルヒ「声よ、声。誰かの話し声が聞こえるわ」

128: 2010/05/11(火) 22:58:04.83
草の影に身を潜ませながらじっと耳を凝らしてみると、なるほど、確かに誰かの話し声が聞こえてきた。
女性二人と、男性の声だ。
女性の片割れはおっとりとした口調で、声も柔らかい。もう片割れはハキハキとした口調で、その割に妙な落ち着きを感じる。そして男性は、なんだか無気力というか、流れに身を任せるような会話の仕方だ。

ハルヒ「誰かしらね。こんな時間の田んぼに用があるなんて」

キョン「蛍でも見に来たんだろう」

俺は、顔だけを出して辺りを窺う。いた。
目と鼻の先にある田んぼの前に、三人の人影が立っていた。
彼らは目の前で輝く蛍たちを見に来たようで、こちらに背を向けているため顔までは分からなかった。

が、俺には、彼らが誰なのか分かっていた。
一人は全く知らないし、一人は随分前に会って以来それきりだったが、一人はほぼ毎年のように会っているからな。

キョン「ハルヒ。ここ、村から近い田んぼだ」

ハルヒ「なんで分かるのよ?」

そんなのは決まっている。来た覚えがあるからだ。

キョン「ここなんだ。俺が叔母に連れてきてもらった場所は」

空にかかっていた雲が、ゆっくりと流れていった。月が顔を出し、人影の正体がおぼろ気にあぶり出される。

予想通りだ。叔母と、見知らぬ男性、そして、憧れだった女性―――年月を経ても、なお凛として立つ、月下の石南花のような立ち姿。
いや、年月は経ていなかったか。あの日そのままの姿を見ているのだから、あの日の輝きのままであるのは当然だろう。
だが、幼い頃の俺の人を見る目は、間違っちゃいなかった。ああ、そう断言できる。

ハルヒ「……綺麗なひと」

俺は、数年ぶりに見惚れてしまっていた。

130: 2010/05/11(火) 23:46:01.48
「……綺麗ですね、蛍」

「本当にねえ。もう二日早ければ、あの子たちと一緒に見れたのだけれど」

「それは、ちょっぴり残念な感じです。……いきなりいなくなっちゃうなんて、あの子たちには悪い事しちゃうかな」

叔母と、あの人が会話している声が聞こえた。どうやら、なにか事情があって今日蛍を見に来たらしい。

「……まだ、残るか?」

「ううん、いいの。私は貴方と一緒に行くから。そう決めたし、そうしたいし」

「……そうか。なら良いんだけど」

婚約者とか、そんな感じの関係なんだろう。男性は少しだけ気遣うように声をかけ、彼女の決意を聞くと口を閉ざした。
お互いを思いやってるんだろうな。一番理想的な関係だと思う。

「でも、寂しい反面嬉しいわよ。こーんな素敵なひとを見つけてくるんだもの」

叔母は、からかうように笑う。

「んもう、やめてくださいよ」

「……素敵って柄じゃないですよ。素敵な旦那になれるよう努力はしますけど」

「ほうら、カッコいいじゃない」

「もー、照れ臭いこと言わないでよ、バカ」

「イテ、叩くなよ」

はにかみながら、あの人は隣に立つ男性の腕を叩いた。男性も少しよろめきながらも、その声色には照れが混じっていた。
叔母は、そんな二人を見ながらクスクスと笑う。

「とにかく、元気で頑張ってね。またいつか、気が向いたら戻ってきて頂戴」

「はい。貴女もお元気で」

「……そろそろ家に帰るか。俺、腹減ったぜ」

「ちょっとー、空気読みなさいよバカ」

笑いあいながら、三人は段々と離れていった。
きっと、明日辺りに彼女たちは村を離れるのだろう。
そして、それを俺が知るのはこの翌年になる。

132: 2010/05/12(水) 00:29:08.22
ハルヒ「……なんか、素敵な会話だったわね」

キョン「聞いてるこっちが恥ずかしくなっちまうくらいにな。幸せそうでなによりだ」

俺とハルヒは、ゆっくりと草影から出た。蛍が、辺りをゆらゆらと舞う。
鮮やかに明滅する星空が地上に出張してきたかのような光の渦の中へ、俺はハルヒの手を引きながら入り込んだ。

ハルヒ「……さっきの男の人、アンタみたいだったわね」

キョン「そうか?」

ハルヒ「そうよ。無気力っていうか、流れに流される癖に、ヘンに人を気遣うところとか」

俺は大概に気を遣わないタイプだと自負しているんだがな。自分が大好きな事なかれ主義だ。

キョン「それをいうなら、やっぱりあの人はお前に良く似ていたぞ」

ハルヒ「そうかしら?あの人の方が落ち着きはあったわよ」

自分が落ち着きがないって自覚があったのか。

キョン「まあ、良いんじゃないか、今はまだ落ち着かなくても。落ち着いているハルヒなんてハルヒらしくないし、なにより今のお前には飽きがこないからな」

ハルヒ「アンタ、平団員の癖に団長に対して随分と上から目線ね?」

悪いか。結果としてどうであれ、そもそも望んで手に入れた役職じゃないのだ。そんな身分に俺が縛られる必要もあるまい。

キョン「細かいことを気にするな。禿げるぞ」

ハルヒ「絶対にアンタの方が早く禿げるわね。雰囲気がそんなカンジだもの」

キョン「雰囲気で禿げてたまるか」

……まあ、家系的に不安感は残るがな。

133: 2010/05/12(水) 00:43:00.75
ふと、視線を感じた。

ハルヒに目を向けると、透き通ったビー玉のような目で俺を見つめていた。

ハルヒ「……キョン。アンタの顔、すっごく良く見えるわよ」

蛍の明かりで、お互いによく顔が見えていた。
……見れば見るほど、あの人に似ている。
いや、あの人がハルヒに似ているのかもな。
まあ、どちらでも構わんが。

大事なのは、どちらも俺にとって大切な人間だったハズで、今現在もそうであるということだ。
そうだろ?

ハルヒ「すっごい間抜けな顔ね、ホント」

キョン「余計なお世話だ」

ハルヒの顔が、すぐ間近にある。
俺は、いつかの夏前を思い出していた。

sleeping beauty。白雪姫。

今回は一体なんなんだろうか。
まあ、わざわざ童話になぞらえる必要もないわけだが。

いいじゃないか。
今いる俺とコイツが、リアルタイムで物語をつむいでいく。
十分に素敵なお話だ。

キョン「……ハルヒ」

ハルヒ「……なに?」

キョン「また、夏休みにSOS団で蛍でも見に行こうぜ。今日の蛍は、俺たち二人の秘密にしてさ」

ハルヒ「……二人だけの秘密、二つ目ね」

キョン「両方とも蛍絡みなのが笑えるけどな」

俺たちは、お互いに笑いあう。


そして、どちらからともなく、影が近付く。


ゆっくりと、重なった。

134: 2010/05/12(水) 01:01:41.11
鈍い痛みが、俺の首筋と後頭部を襲った。

キョン「……痛え」

なるほど、これが既視感、デジャヴという奴か。
夏前にも似たような体験をしたことがある。
似たような、などという曖昧模糊な表現は違うな。
かなり酷似したシチュエーションだ。

俺は、ベッドからずれ落ちて床に寝そべっていた。
冬の気温に晒され、冷たくなっているフローリングが俺の肌から熱を奪っていく。
汗なんて欠片もかいちゃいなかった。

キョン「……今はいつだ?」

いつの間にか上下スウェットへとコスチュームチェンジを果たしていた俺は、とりあえず起き上がり、枕元の携帯を見る。

……どうやら、元の時代らしい。
携帯が、圏外からバリ3へと復活を果たしていた。

キョン「……戻ってこれたか」

俺は、窓の外を眺める。
空は明るくなりだして、窓には霜がついていた。
……寒いな。

とりあえず、布団に潜り直す。
唇に残る感触を確かめながら、さて学校でどういう顔をすればいいのかとか、ムードに流されてなにやってんだ俺はとか、惣一さんたちはどうしているのだろうとか、色々と悩み、やがていつの間にか眠りについていた。

夜は明けるのだ。

135: 2010/05/12(水) 01:20:30.09
さて、学校である。

教室に入ると、いつも通りハルヒが俺の後ろの席に座っていた。
珍しいことに、なにか雑誌を開いているようで、熱心にページをめくっては蛍光ペンで線を引いている。

キョン「おはよう、ハルヒ」

ハルヒ「あ、キョン。いいところに来たわね」

ハルヒは、柔らかな笑みを浮かべながら、雑誌を俺に向けてきた。

ハルヒ「夏あたり、蛍を見に行くわよ!」

雑誌は、夏の観光スポットを纏めた旅行誌だった。
その中で、ハルヒは蛍の見れる場所をピックアップしていたらしい。

キョン「いいんじゃないか。SOS団のメンバーで行こう」

ハルヒ「当然じゃないの!」

ハルヒは、過去に遡ったことを現実とは思っちゃいないらしい。
まあ、それでいいんだろう。

それからは、ハルヒがやたらと上機嫌である以外はいつも通りの一日を過ごした。

放課後、長門が俺たちがこの時間軸から消えていた云々と説明したりだの、朝比奈さんが三年前以前に戻ったことに驚いたりだの、古泉が今回の件についてアレコレ推察したりだの、そんなことは大したことじゃない。

結局、俺の小説書き直しは振りだしに戻り、未だに思いつかないネタに頭を捻っていることも、大したことじゃないのだ。

とりあえず、帰り道俺の手を引きながら跳ねるように歩くハルヒと、夏の予定を決めなくちゃならない。
それが目下最重要の案件だろう。
俺は、夏にハルヒが叫ぶだろうセリフを楽しみにしているのだ。


ハルヒ「見てキョン!蛍がいるわ!」


fin

136: 2010/05/12(水) 01:26:15.03
なんという尻すぼみ感
初期に色々考えていたネタは一切合際忘却の彼方で、もはや何がなにやら

また機会があれば、手直しして投下させていただこうかな、と考えつつ
いつになるか分からない上に、やるかも分かりませんが。ぐは

そんなわけで、とんでもないスローペースの中お付き合い下さいまして本当にありがとうございました
読んでくださった皆様に感謝をば

さて、他のスレも進めなきゃ……

140: 2010/05/13(木) 18:41:18.43
乙でした

引用元: ハルヒ「見てキョン!蛍がいるわ!」