4: 2010/11/10(水) 17:04:21.58
「澪、こっち来て」

誰もいない部室は静かだ。
だからどんなに小さい声でも、私のことを無駄に意識している澪を驚かせるには
充分だった。

「……うん」

澪は私のほうを見ることなく、頷く。
その頬は、微かに赤く染まっていた。

たぶん、内容などまったく頭に入っていないだろうが、澪は読んでいた本を閉じると、
私の座るソファーの前に、やっぱり私の目を見ることはせずに立った。

5: 2010/11/10(水) 17:06:13.30
西日が眩しいくらいに差込み、お互い相手の表情は確認できなかった。
見えたとしても、私たちはきっと普通の恋人がするように、見つめあったりは
しないのだけど。

澪に手を伸ばした。
澪は拒まなかった。
腕を掴んで、自分の方へ引き寄せる。
私の唇と、澪のそれが軽く触れ合った。

一旦離れると、美緒を自分の隣に座らせて、何度も触れるだけのキスを繰り返す。

6: 2010/11/10(水) 17:07:49.38
それ以上のことはしないし、したいと望んだこともない。
ただ、キスをするだけ。

私たちは、“親友”と“恋人”の中間地点にいた。
宙ぶらりんの関係。

それでも、私はこの関係に満足していた。
昔のように、ただの“親友”にも、それ以上の“恋人”にもならなくていいと
思っていた。

7: 2010/11/10(水) 17:15:06.67
そもそもの始まりは、軽音部が私たち二人だけのときだった。
まだムギも、もちろん唯も梓も軽音部に入っていない頃。

私たちは、初めてキスをした。
今みたいに、意識的にではなく、最初はただの事故だった。

8: 2010/11/10(水) 17:17:25.68
「部員、集まらねーな」
「そうだな」

そんな会話をしていた時だったと思う。
正直、その時の澪の唇の感触が衝撃的すぎて、よく覚えていないのだが。

本当によくあるパターン。
椅子に座っていた私の上に澪が覆いかぶさってきて、私たちのファーストキスは
終了。

澪は私の座っていた椅子が置いてあったステージの段差に躓いて、
そのまま私のところにダイブしてきたらしい。

9: 2010/11/10(水) 17:19:38.00
私たちは最初、何が起こったのかわからなかった。
やがて、澪が自分の口許に手を持っていったのを見て、私は我にかえった。
それから、私たちの間に何があったのか理解するのに、そう時間は要らなかった。

「律……」

澪が最初に声になっていない声を発した時の言葉は、「ごめん」だった。
私は笑い飛ばそうとした。
だけど上手く笑えなかった。

澪と帰すしたことが嫌だったわけではない。
ただ、自分の中のよくわからない衝動を抑える為にしたことだった。

11: 2010/11/10(水) 17:22:10.31
澪の顔が、みるみるうちに歪んでいった。
その目尻に涙が溢れて、堪えきれなくなった水滴が、澪の頬を流れ落ちていく。
私はそれを見てない振りをして立ち上がった。

澪はもう何も言わなかった。
もしかしたら何か言ってたのかも知れない。
だけど私には聞こえなかった。

12: 2010/11/10(水) 17:24:40.37
それから暫く、私たちの間には何も会話がなかった。
それでも、日が経つごとに私は澪の唇に目を奪われるようになってしまった。

澪のそれに触れたい。
そんな衝動が、私の中でだんだん大きくなっていく。

それを堪えようにも、その頃の私はその我慢の仕方さえわからなくて、
気付けばある日の朝、私は無理矢理に唇を重ねていた。
それが二回目のキスだった。

それからは、私たちは今までの関係に戻ると同時に、新しい二人の秘密を
抱えるようになった。

13: 2010/11/10(水) 17:26:16.01
誰もいない時、私たちは人知れず口付けを交わした。
学校も、家も関係なかった。
したいと思ったらする。
それだけ。

澪はいくら回数を重ねても、唇を離した後、いつも真っ赤な顔をしていた。
恥ずかしそうに目を伏せるくせに、二度目は自分からしてくる。
私の名前を囁きながら。

14: 2010/11/10(水) 17:28:22.16
「……律」

今もまた、私の制服の袖口を掴んで、
そんな掠れた声で囁いて。

澪の唇が好き。
変態みたいな言い種だけど、それが紛れも無い私の気持ちだった。
私も澪と同様、何度キスしたって慣れなかった。
いくら重ねても、私は澪の唇に酔いしれた。
ヘンな魔力でもあるんじゃないかと思うほど。

15: 2010/11/10(水) 17:30:13.53
「澪」

私も澪の名前を呼んでやる。
澪の体が小さく震えた。
もう一度、今度は私からしようと顔を近付けた。

その時、その場に不釣合いなほど能天気な声と共に、部室のドアが突然、
ガチャリと大きく音をたてて開いた。

「やっほー……って、……りっちゃん、澪ちゃん?」

唯がいた。

24: 2010/11/10(水) 21:03:01.15
いくら鈍感だとはいっても、唯だって女子高生だ。
「そういうこと」を何も知らないわけは無いし、現に今、唯は私たちのしていたこと
を見て、澪より真っ赤な顔をして何も言わずにどこかへ走って行ってしまった。

「あ……っ」

澪が呼び止めようとしたが、唯は振り向かなかった。


25: 2010/11/10(水) 21:06:28.43
「はい、りっちゃん」

ムギが私の前に紅茶の入ったカップを置いてくれる。
「ありがとう」と礼を言って、火傷しそうなくらい熱いお茶に口をつける。
さっきから澪は、ちらちらと誰も座っていない唯の席のほうを気にしている。

結局、唯はあの後一度も戻ってきていない。
唯のことだから、さっきはただ動揺しただけですぐにへらりと笑って戻ってくると
思っていたから、さすがの私も少しだけ気になってはいた。

「梓ちゃん、来ないわねえ」

ムギがゆっくりとした仕草でお茶を飲みながら、言った。
そういえば、梓もいない。
私はぐいっとお茶を飲み干すと、なんとなく練習する気もおきずに、「帰るか」と
一言、呟いた。

26: 2010/11/10(水) 21:09:25.18
帰り道。
私と澪は、並んで歩いた。
たまに、ぽつりぽつりと思い出したように会話をする。
澪が言葉を紡ぐたび、私はその口許に目をやらずにはいられなかった。

足を止めると、「澪」と名前を呼んだ。
「ん?」と澪が振り向く。

振り向いた澪に、私は不意打ちのキスを――

 「だめ」

しかし、顔を逸らして澪は言った。
私は背伸びをしたまま、「え?」と間抜けな顔をする。

27: 2010/11/10(水) 21:11:25.30
「だから、だめ」

「なんで?外だから?」

「違う」

私が訊ねると、澪は首を振った。
地に足を戻して、私は再度澪を見上げて訊ねた。
「じゃあ何で」と。

不機嫌な声になっていたのかも知れない。
澪が困ったように眉を顰めた。

28: 2010/11/10(水) 21:19:50.92
それでも澪は、「だめだよ」と呟いた。

「こんなのおかしいし」

「そんなの最初からわかってるだろ」

「そうだけど。律だって唯の反応、見ただろ?私たちは同性だし、そもそも付き合っても
いないのに……」

「すとーっぷ!」

確かに澪の言う通りだった。
お互い「好きだ」なんて言い合ったこともなければ、付き合おうという話に
なったことだって一度もない。
それに何より、私たちは女同士。

だけど、私たちはそんなことを知らずにいたんじゃなく、知らない振りをして
今まで過ごしてきた。
だから私は、きっと澪は唯のことで少し混乱しているんだと思って、澪の言葉を
遮った。

大体、今の今までそんなこと気にせずにいた。
このまま、ずっとこんな関係が続くんだとばかり思っていた。

ただのお遊び。
戯れの延長。
そう思えばいい。

何で私はこんなにも澪の唇を欲しているのかさえ、私は考えたことがなかった。

29: 2010/11/10(水) 21:22:42.01
「じゃあどうすればいいわけ?付き合おうと?それとも好きだーって愛のコトバでも
囁けばいいの?」

「違う!」

澪が少しだけ大きい声で、私の言葉を否定した。
それから自分の声にハッとしたように首をすくめた。

「そんなんじゃない。ただ……」

「ただ、なんだよ?」

「もうやだよ、こんなの。これ以上、律の遊びに付き合いたくない」

澪はそう言うと、私に背を向けた。
「あぁ、そうかよ」と私は言った。

――――― ――

30: 2010/11/10(水) 21:32:37.17
次の日も、また次の日も、私たちは始めてキスしたときのように何も話さなかった。
私は出来るだけ澪のほうを見ないようにした。
見たらきっと、キスしたくなってしまうから。

そして、あの日から丁度一週間後。
澪は突然、「付き合って」と言ってきた。

何の冗談かと思った。
笑って「そんな冗談やめろよ」と言うと、澪は泣きそうな顔になって「もういい」と
私の前から走り去ってしまった。

それ以来、私たちは何も話さないどころか、
一緒に居ることさえなくなってしまった。

31: 2010/11/10(水) 21:42:26.81
唯とは初め、ぎくしゃくしてはいたが、今までどおりの関係を続けている。
澪は部室にも来なくなった。

ムギが「いいの?」と訊ねてきた。
私は曖昧に首を振った。
正直、どうすればいいのかなんてわからなかった。

謝って、“親友”に戻るのか。
それとも、“恋人”になってしまえばいいのか。
私にはわからなかった。

ただ、心に小さな穴が開いてしまったように感じていた。

32: 2010/11/10(水) 21:45:44.84
帰り際、久しぶりに澪の姿を見つけた。
その背中は、以前よりも小さいように思えた。

私は「澪」と声を掛けた。
澪の体が小さく揺れ、澪は振り向いた。

「律」と澪の唇が動いたその瞬間、私は澪のそれに自分のそれを重ねていた。

澪のことが好きなのか嫌いなのかさえわからない。
私はただ、澪の唇が欲しい。
それだけじゃだめなのだろうか。

澪は抵抗しなかった。
もう何もわからなかった。
呆とした頭の奥で、この宙ぶらりんな気持ちは“恋”なのだと思い込もうとした。

終わり。

33: 2010/11/10(水) 21:51:52.02

34: 2010/11/10(水) 21:52:05.49
宙ぶらりんだな

35: 2010/11/10(水) 21:53:06.22
おちゅ
この煮え切らない感じがいいね好きだよ

引用元: 律「宙ぶらりん」