1: 2012/12/17(月) 00:10:42.65
ある地方にあるホテルの一室で、思慮にふけりながら佇む男がいた。

彼の名はP。

765プロという小さな芸能プロダクションで、

プロデューサーという肩書とは裏腹に、マネージャーのような

雑務をこなしている。


彼には、冬になると、ふと思い出される記憶がある。

2: 2012/12/17(月) 00:12:13.96
2年前の、底冷えのする寒い日であった。

彼は、自らの担当アイドルである水瀬伊織とともに、

ある地方へロケに来ていた。

見目麗しい外見とは裏腹に、気の強い

水瀬伊織という少女を扱うのは

彼にとって大きな負担であった。

3: 2012/12/17(月) 00:13:35.13
大金持ちの令嬢という境遇がそうさせるのか、

彼女は、地道な仕事をやりたがらなかった。、

そのため、彼は足を棒にして方々駆けずり回り、

ようやくジュブナイル映画出演の仕事を得たのだった。


この仕事は、水瀬伊織にとって初めての台詞付きの役であり、

彼女は大層よろこんだ。この仕事に対する思い入れも強かった。

5: 2012/12/17(月) 00:15:11.18
監督「はいカットカット、そこ違うんだって!」

伊織「ちょ……」

P「!!」

P「まずい!!」

P「い、伊織ー……どうしたんだー?

 ちょっとわからないところがあるのかー?」

伊織「何すんのよ!!離しなさいよ」

7: 2012/12/17(月) 00:16:45.19
伊織は、熱がこもるあまり、子役でありながら

あろうことか監督と喧嘩を始めようとしていたのだった。

P「ははは、す、すいませーん……

 少しだけ休憩ください」

監督「チッ、しょうがねえな」


ガブリ、と伊織が腕に噛みついた。

伊織をなだめる際、上着を脱いでいたのが災いした。

8: 2012/12/17(月) 00:17:56.80
P「痛!!」

伊織「離しなさーい!!」

P「駄目!!」

涙目で抗議する彼女を前に、

彼は確実に、この仕事に限界を感じていた。

9: 2012/12/17(月) 00:20:13.51
結局、撮影が終わったのは、予定より5時間も押していた。

P「ふーむ、もう帰れんな……」

伊織「……だって……あそこのシーンは絶対私のほうが……」

伊織「ねっ、プロデューサーもそう思うでしょ?!」

P「え?あ、うん、ああ」

伊織「そうよねー」


P「あ、○○ホテルさんで……。あの、今日お部屋の空きは……」

P「あ、そうですかありますか。では、その2部屋お願いします」

P「え、ええ、シングル2部屋」


P「ふう、何とか部屋が取れたか……。ホントこの辺田舎だよなー」

10: 2012/12/17(月) 00:22:54.89
本来、伊織は、日帰り撮影の予定であった。

この周辺のホテルはほぼ撮影隊に貸し切られて空きは無く、

何とか見つけ出した小さな宿に宿泊することになった。


社長『高木だ』

P「すいません、先ほど音無さんに伝言頼んだ通りですね、

 こっちで一泊することにしました。

 撮影長引いて伊織も疲れてますから」

11: 2012/12/17(月) 00:24:29.13
社長『ああ、その件に関して、伊織君の実家からも

 先ほど了承を得たよ』

P「ありがとうございます」

社長『ただねー、一つ注文が付いてしまって……』

P「と、言いますと?」

社長『夜中じゅう、2時間おきに伊織君の様子をご実家に連絡すること』

P「は?」

12: 2012/12/17(月) 00:26:45.25
社長『……』

P「お、俺はいつ寝るんですか?」

社長『その……合間合間に……』

P「そんな……」

社長『あー、言いにくいが、これを怠った場合、君の将来は保証しかねる』

社長『中学生になろうかという年頃の娘を外泊させるのだから、これでも充分な譲歩でしょう!!』

社長『……と、あの執事の人に凄まれてしまってな……』

社長『そのいうわけでよろしく!あ、手当は弾んでおくから」

P「ちょ、社長!!?社長!!」

13: 2012/12/17(月) 00:29:07.74
ツー、ツーという力ない音が携帯から漏れるだけであった。


P「……」

伊織「どうしたのよ?辛気臭い顔して」

P「はは……何でもないよ……」

伊織「タダでさえあんた辛気臭いんだから、もう少しシャキっとしなさいよね」

P「ははは……ごめん……」

14: 2012/12/17(月) 00:30:52.76
結局、周辺に食事をするような場所も無く、辛うじて見つけたコンビニの

食料の貧弱さに文句を言いながら、彼らはホテルへたどり着いた。

思いのほか、内装の綺麗なホテルであった……

と思ったのは、Pだけであった。

15: 2012/12/17(月) 00:33:07.46
伊織「ちょっと……何よこれ……」

P「?」

伊織「この部屋、ジャンバルジャンの小屋より狭いじゃないの……」

P「そ、そうですか……。まあでも、安い田舎のビジネスホテルは

 こんなもんじゃないかなあ」

伊織「何だって私がこんな目に……」

伊織「キー!!むかつくわー!!」

P「こら、伊織!俺を蹴っちゃいけません!!」

伊織「フンだ!!プロデューサーのバカ!!」

16: 2012/12/17(月) 00:35:38.45
がちゃりと鈍い音がして、彼は締め出された。

中から、勝手に入って来たら引っ掻くわよ、という声が聞こえた。


P「誰が勝手に入るかよ……」

中に聞こえないように小さくそう呟くと、彼は自分の部屋へ戻った。

宿へ到着したこと、伊織が随分ご機嫌斜めであったことを

新堂と名乗った執事に伝えた。

そうですか、では粗相のないように。また2時間後に。

という言葉を残して電話は切れた。

P「ふー……」

彼は大きく息を吐いた。

本日初めての、つかの間の自由時間であった。

17: 2012/12/17(月) 00:36:45.65
しばらく経った後、トントン、とドアをたたく音が聞こえた。

もう既に時刻は夜中である。

まさか幽霊……という自らの思考を馬鹿馬鹿しく思いながら

ドアを開けると、伊織が立っていた。


P「お、おう、どうした?伊織」

伊織「……」

18: 2012/12/17(月) 00:38:57.37
伊織は無言で、ベッドの所まで歩いた。

もう既に寝間着姿である。

そのままベッドにもぐり込むと、


伊織「さ、はじめなさい」


と言った。

20: 2012/12/17(月) 00:41:46.87
P(何が何だかわからない……)

P「は、始める……?」

伊織「そうよ。私、寝るから」

P「へ……?あ、ああそりゃそうだが……」

伊織「だーかーらー、寝る前にお話ししなさいよ」

P「お、お話?」

伊織「そう、早く、お話」

P「お話ってーとアレか?むかーしむかし、みたいな」

伊織「?そうよ。何馬鹿なこと言ってるの」

伊織「早くはじめなさいよ」

21: 2012/12/17(月) 00:43:26.59
想像を越えた出来事に、彼の判断力は追いつかなかった。


P(お話……、お話……)

伊織に催促されながら、しばし考えた結果、彼は

通勤途中電車の中で読んでいた推理小説を要約して話すことにした。


P「よし、話すぞ」

伊織「わくわく」

…………

……


24: 2012/12/17(月) 00:46:03.99
P「それでなー、物陰から男を狙う影!!哀れ胸を深々と貫かれた男は……」

伊織「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!!」

P「え?ここからいい所なのに」

伊織「そんな話で気持ち良く眠れるわけないでしょ?!」

P「……あー……」

伊織「あー……、じゃないわよ、このバカー!!」

25: 2012/12/17(月) 00:49:19.40
伊織「やり直し!!」

P「はいはい……」

伊織「返事は一回!!」

P「はーい……」

伊織「あ……ちょっと……」

P「ん?」

伊織「さっきの話で怖くなったじゃない。私の手を握りなさい」

P「え?あ、ああ」

伊織「まったく、気が利かないんだから」

26: 2012/12/17(月) 00:52:20.72
結局、彼は、魔法の国から現代のニューヨークに来てしまったお姫様の話をすることにした。

愛を信じない弁護士に、お姫様が恋をするところに差し掛かると、

伊織は興味深そうにしていた。


伊織「……今度の話はなかなかいい感じよ」

P「そりゃどうも」

伊織「やれば出来るじゃない」

P「ははは」

27: 2012/12/17(月) 00:53:49.05
しかし、睡魔が勝ったか、お姫様の決断に至る前に、

伊織は眠りについた。

P「やべっ、連絡の時間だ」


新堂『お嬢様の様子は?』

P「さっき眠ったところです……」

新堂『それはそれは』

28: 2012/12/17(月) 00:56:49.81
P「しかし……事前に話してくださいよ」

新堂『……なるほど……あなたにも……』

新堂『失礼ながら、他人であるあなたには、もしかしたらそういう面は見せないのでは、

  と、そう思っていたもので』

P「そうですか」


新堂の話によると、夜泣きが酷かった伊織に、メイドたちがかわるがわる

話を聞かせていたのがそもそもの始まりであるということだった。

成長した今も、何のためらいも無く受け入れているらしい。

30: 2012/12/17(月) 01:00:03.01
新堂『私も、もういかがなものか、と思っているのですが』

P「難しいですね……」


Pと新堂が話し込んでいるその頃、

32: 2012/12/17(月) 01:01:39.33
(P『物陰から男を狙う影!!』)


伊織「ふえっ……怖い……」

伊織「……夢?」

伊織「……あら……?」

伊織「……暗い……」

伊織「だれか……いないの……?」

伊織「いおりん怖いよう……」

伊織「ふえっ……ふえーん……」

33: 2012/12/17(月) 01:02:29.19
P「まずい、泣き声が」

新堂『お嬢様をよろしくお願いします』

P「はいっ」


P「伊織、どうした?」

伊織「おきたら、誰もいなかったから……」

伊織「怖かったの……」

34: 2012/12/17(月) 01:04:48.82
P「ごめんごめん」

伊織「どこにもいかないでね……」

P「わかったわかった」

伊織「手、握ってて」

P「うん」

伊織「にひひ……あったかい……」

35: 2012/12/17(月) 01:06:47.30
伊織「あのね……?」

P「どうした?」

伊織「あの……隣でいっしょに寝てくれる?」

P「それは……まずいんじゃあ」

伊織「ふえっ……」

P「あー、泣かないで。わかったから」

伊織「にひひ……やったあ……」

36: 2012/12/17(月) 01:09:02.16
程なくして、伊織は寝息を立て始めたが、

Pは眠るわけにはいかなかった。

時折目覚めそうになる伊織に気を遣い、手をつないだままで、

そっとベッドから抜け出した。

それからは、手を握ったままひたすら小声で連絡を取り合うPの

涙ぐましい努力があった。

結局彼は、ほとんど一睡もしないまま、連絡の仕事を終えたのだった。

37: 2012/12/17(月) 01:11:16.19
しかしながら、伊織は

伊織(怖い夢見ちゃった……おもらししてないわよね……)

伊織(ほっ……大丈夫だったわ……)

ということを考えていたので、彼の努力は意識されることはなかった。

38: 2012/12/17(月) 01:12:54.66
P「ぐーぐー」

伊織「こら、何人のベッドにもたれかかってぐっすり寝てんのよ?」

P「うーん……あと1時間……」

伊織「起きなさーい!!」

P「はっ!!!」

P「お、おはよう……」

伊織「はい、おはよう」

伊織「だらしない顔ね。早く顔洗ってきなさいよ」

P「お、おう」

40: 2012/12/17(月) 01:14:53.23
P「顔洗ってもまだ眠い……」

伊織「だらしないわねえ」

P「そりゃお前、一晩中起きてるとそうなるぞ……」

伊織「一晩中って何よ?あんたお話した後すぐ寝たんじゃないの?」

P「え?いや、お前……」

伊織「?」

P「いや、なんでもないよ」

伊織「気になるじゃないの。話しなさいよ!」

41: 2012/12/17(月) 01:17:00.41
彼は、この話を誤魔化すのに大変苦労することになる。


P(覚えていないなら、それはそれで好都合だろう。

 新堂さんにばれたら殺されかねん)


その後、伊織を屋敷まで送り届けてこの仕事は終わった。

42: 2012/12/17(月) 01:21:39.47
あれから、2年がたつ。

伊織は、仕事を通じ、精神面で大きな成長を見せた。

わがままも、常識的な範囲に収まるようになった。

あの時の話を、一度だけ振ってみたことがある。

43: 2012/12/17(月) 01:25:15.02
伊織は、顔を真っ赤にして、


伊織「ち、違うのよ、あれは……あの、あの時は普通だと……

  しょうがないじゃない!!だって……だって……」

という反応を見せた。

今、同じ状況になっても、伊織が俺の部屋に来るようなことはあるまい

と、彼は思っていた。


P(それは少しさびしい気もするな。

 いや、別にわがままな娘に振り回されるのが好きというわけじゃないんだが)

P(ともかく、これは俺の胸にしまっておくことにしよう)

45: 2012/12/17(月) 01:27:17.72
彼は、今、担当アイドルの伊織と共に、

地方にロケにやってきて、

今度は悪天候のため撮影が延期になり、

帰宅もできなくなってしまったのだった。

何とか2部屋確保したホテルの一室で、彼はあの時のことを思い出していた。

そう、今は、あの時と、きわめて似た状況にあった。

46: 2012/12/17(月) 01:30:12.09
P(だから、あの時のことを思い出したんだな……)


ふと、扉をたたく音がした。

P「……伊織か?」

伊織「早く開けなさいよ……」

P「どうした?こんな夜中に」

伊織「あの……その……」

伊織「あんたがどうしてもしたいっていうなら……」

伊織「私が寝るまでお話しさせてあげてもいいわよ!!」

P「……はあ?」

伊織「……」

47: 2012/12/17(月) 01:31:43.44
伊織は、無言で彼のベッドにもぐり込んだ。


伊織「さ、さあ、早く始めなさい!」

P「え?お、おう……」

伊織「あ、それと」

P「何だ?」

伊織「新堂が、今度は1時間おきに連絡しろ、ですって」

伊織「何のことかしら?」

P「…………まあ、こっちの話だよ」

P「さて、何の話をしようかね?」


終わり

48: 2012/12/17(月) 01:35:18.39
ふむ

51: 2012/12/17(月) 01:46:44.16
読んで下さった皆さん、ありがとうがざいました

52: 2012/12/17(月) 01:49:52.89
おつおつおー

引用元: P「思い出のいおりん」