1: 2014/05/22(木) 22:07:55.86
律は顔を上げてチラリと唯の方を見たが、
すぐに手元の雑誌に目を戻した。

「なんだー? 唯。昨日の探偵ドラマ見たのか」

唯の方を見ずに言う。

「そうなんだよぉ!すごい面白かったよねぇ」

唯はうっとりとした表情を浮かべている。
全く、影響を受けやすいやつだな。そう律は思った。

3: 2014/05/22(木) 22:10:55.87
「だからさ、だからさ!律ちゃん何か困ってることない?
名探偵唯ちゃんが全部解決してあげるよ!」

律の腕をグイグイと引っ張りながら、唯は言った。
ため息をつきながら、律は雑誌をパタリと閉じる。
どうやら読むことを諦めたらしい。

「困っていることって言ってもなぁ……」

「今のお前の行動に困ってるよ」という言葉は、一応飲み込んでおく。
こういう時の唯は、放っておくのが一番だ。
律はとりあえず、考える素振りだけ見せることにする。
すると、そんなやり取りを見ていた紬が、口を開いた。

「ちょっと、いいかしら」

4: 2014/05/22(木) 22:15:52.19
紬は少し、思案するような表情を浮かべていた。
その様子に、唯はやや興奮気味に言う。

「なに、なに!?お困りごとは!」

自称名探偵は、相談者の前にある机に手をついて、
ぴょんぴょんと跳ねる。
紬はやや困ったような笑みを浮かべた。

「実は今朝、学校に来たら。上履きが片方だけなくなってたのよ」

律が「えっ」という声をあげた。
唯は紬の言葉を受けて、机の下をのぞき込む。
ちゃんと左右揃った上履きを履いている、紬の足が目に入った。
それだけ確認すると、顔を上げ、紬の目をまっすぐ見て、言う。

「詳しく、お話を聞こうか!」

そのセリフに、律は昨日見た探偵ドラマを思い出した。

6: 2014/05/22(木) 22:18:05.02
「1限目は仕方なくスリッパで過ごしたのよ。
2限目の体育が、今日は外でやる日だったじゃない?
それで下駄箱に行ったら、朝片方しかなかったはずの上履きが、
両方揃っていたの」

唯が「ふーむ」と唸った。
腕を組んでなにやら思案している。

「スリッパだって、全然気付かなかったな」

律が言った。「私も」腕を組んだまま唯が同調する。

「まぁ人の足元なんて、そうそう見ないわよね。
それに1限が小テストだったから、私も普段より早く席について、
ずっと勉強していたから」

紬が顎に手を当て、何やら考えながら言う。
しばらく三人の「うーん」という唸り声が部室に響いていたが、
唯が突然パッと顔を上げ、はっきりとした声でこう言った。

「犯人が、分かったよ!」

8: 2014/05/22(木) 22:21:24.09
律と紬が声のした方へ向き直る。

「その前に一つだけ確認したいんだけど」

唯はオホンと咳払いをした。

「今までにも、こういうことはあった?」

紬は顎に手を当てたまま、下の方へ視線を逸らし、
何やら考えている風だった。
そして横に首を振る。

「今までは、なかったわ」

唯の目を見る。
が、すぐに下へ視線を這わせて「あ、でも」と付け加えた。

「帰るときにちゃんと揃えて上履きをしまったはずなのに、
朝来ると少し乱れていたことは何度かあったわね。
ただの気のせいだと思っていたけど」

唯がうんうんと頷く。

「これだけ聞けば、もう十分だよ!」

9: 2014/05/22(木) 22:25:29.33
翌日、早朝。校舎内には、朝練をする生徒の声が響いている。
唯、律、紬の三人は下駄箱の陰に隠れていた。

「おいおい、本当に現れるのか?その犯人ってのは」

律がさも半信半疑といった様子で尋ねた。
「しっ!声が大きい」唯が声を潜める。

「現れるはずだよ。絶対に」

まぁ確かに、さっき確認したら上履きは片方無くなっていたけど。
律はそう思ったが、犯人が今この時間に現れるかどうかは、
まだ信じられなかった。
紬は心配そうな面持ちで様子を窺っている。
そのとき。

「あ」

律が思わず声を発した。
唯が口元に人差し指を当てて、それを咎める。
あたりの様子をキョロキョロと窺う、小さな人影がひとつ。
紬の下駄箱に少しずつ近づいてきていた。
それを見て、紬が驚いたように言う。

「あれ、あの子」

11: 2014/05/22(木) 22:29:29.01
「確保ー!」

唯の合図で、三人は一斉に飛び出し、小さな人影を取り囲んだ。

「こいつが、犯人か」

本当に現れやがった。律はそう思った。
近づいてよくよく見ると、かなり小柄だ。律と比べてもかなり小さい。
手に上履きを片方だけ持っているのが、目に留まった。
制服のリボンの色から、1年生だということが分かる。

「それで」律が顔を近づけて言う。
「2年生の下駄箱に、何の用?」

その少女は俯いて「ごめんなさい」としきりに謝っていた。
唯が律の袖をぐいっと引っ張る。

「ダメだよ、律ちゃん。威圧したら」

律はチェッと舌打ちをした。
入れ替わるようにして紬が、耳元の髪をかき上げながら、
覗き込むようにして少女の顔を見る。
少女は距離を取ろうと後ずさりをして、後ろの下駄箱にぶつかった。
金属製の下駄箱が、ガシャンと音をたてる。

「あなた、文化祭のライブを最前列で見てくれてた子よね?」

紬が窺うような表情で言った。

13: 2014/05/22(木) 22:34:36.09
少女はその言葉に驚いて視線を上げたが、
数cmほどのところに紬の目があったので、慌てて顔を逸らす。
唇が触れそうなほどの距離だった。

「ね、そうでしょう?」

紬にそう問われ「はい」と力なく答えた。
目に涙をためて、小刻みに震えている。

「ごめんなさい。琴吹先輩に、迷惑をかけるつもりは、なかったんです」

あさっての方向を見ながら、必氏に言った。
罪を暴かれたためか、頬が紅潮している。

「ムギでいいわよ」そのままの距離で紬が言う。
「それで。上履きは何に使っていたのかしら」

その言葉を聞いて、少女の震えは大きくなった。
後ろの下駄箱が、ガタガタと音をたてている。
紬は微笑をたたえて、さらに距離を詰めた。

15: 2014/05/22(木) 22:37:03.85
「ねえ。何に使っていたのか、お姉さんに教えてくれる?」

紬は耳元に吐息を吹きかけるようにして言う。
体はほぼ密着状態にあった。
「ひっ」と少女が短い悲鳴を上げる。

「ちょっと待て!ストップ!ストップ!」

律がそれを止めた。ぐいぐいと紬の腕を引っ張る。

「なんかやらしいから!それ!」

言って、少女から引き離す。

「あらー?そうかしら」

紬はうふふ、と満面の笑みを浮かべている。
「全く」律は呆れたようにそう言って、下駄箱の方へ向き直った。
少女は胸に手を当てて、ふうふうと苦しそうに息をしている。
顔が真っ赤だ。

「なんで、上履きを隠したり戻したりしていたの?」

唯が思っていることをそのままぶつけた。

18: 2014/05/22(木) 22:43:32.81
「それは……」

少女はそこで口ごもってしまった。
チラチラと、紬の方を窺っているように見える。
理由を聞かれたくないのだろうか。唯は考える。

「じゃあ私にだけ教えて。ね、内緒にするから」

そしてそう提案した。
律がそれに対してぶーぶーと文句を言ったが、
唯が手を広げて制する。
少女も「それなら」と渋々承諾してくれた。
唯が手招きをして、少し離れた所へ移動する。

「実は」

キョロキョロとあたりを窺った後、小声で少女は語り始めた。

20: 2014/05/22(木) 22:46:08.28
「ライブで見て、琴吹先輩のことが好きになったんです。
それで」

そこまで言って、また震え始めた。
唯は黙って次の言葉を待つ。
少女はしばらく思いつめた表情で俯いていたが、
意を決したのか「ふう」と短く息を吐いた。

「上履きのにおいを、嗅ぎたいな、と、思って」

先程とは一転して血の気の失せた顔で、
ガタガタと震えながら必氏に言葉を紡ぐ。

「いつも放課後に借りて、朝返しに来てたんです。
最近はこれがないと眠れないようになって」

そして手に持った物を見る。

「なるほどね。この間はムギちゃんがテストで早く来たから、
返すタイミングが遅れちゃったんだ」

少女はコクリと頷いた。

22: 2014/05/22(木) 22:52:36.64
「絶対内緒にするからね。もうこんなことしちゃダメだよ」

唯がそう諭すと、少女は「ごめんなさい」と何度も謝った。
その後、紬と律にもしつこいくらいに謝罪の言葉を述べて、
その少女はパタパタと駆けて行った。

「で。どういう理由だったのか、教えてくれよ」

律が肘で唯を小突いた。

「ダメだよぉ、律ちゃん。内緒にするって約束したんだから」

目の前で腕を交差させ、大きなバッテンを作る。
律がチェッと舌打ちをした。
一方、紬は終始ニコニコとしている。
ムギちゃんは何か分かったのだろうか。
唯が不思議そうに見ていると、目が合った。
紬は意味ありげに「うふふ」と笑った。

24: 2014/05/22(木) 22:55:08.32
「名探偵と言えば、やっぱり孤島の洋館だよね!」

唯の声が、部室に響いた。
「んあ?」と寝ていた律が起きて、大きなあくびをする。
早起きしたせいで寝不足らしい。

「なんなんですか。その、名探偵って」

梓が怪訝な顔をした。その疑問に、紬が答える。

「名探偵唯ちゃんはね、もう難事件をひとつ、解決しちゃったのよ。
それもあっという間にね」

唯がえっへんと胸を張る。
それを聞いて、澪が怯えた表情を浮かべた。

「な、難事件って、怖い話?」

心なしか震えているようにも見える。
唯と紬が顔を見合わせ、クスクスと笑った。
「あれで解決って言えるのかー?」律が文句を言った。

25: 2014/05/22(木) 22:59:32.24
「わー!見えてきたよー!」

唯が歓喜の声を上げる。梓も目をキラキラとさせていた。
その様子を、紬がニコニコとして見ている。

「うう、気持ち悪い」
「孤島、洋館、殺人事件……」

その横に船酔い気味の律と、恐怖に震える澪がうずくまっている。
そんな二人をよそに、唯、梓、紬の三人はきゃっきゃとはしゃいでいた。

「なんであんなに元気なんだ、あいつら」

律が呆れた顔で言う。
けいおん部の五人は、紬が所有する孤島へ、
これまた紬が所有するクルーザーで向かっていた。
唯ご所望の洋館も、昼夜問わずの突貫工事で建てたらしい。

「上履き事件を解決してくれたお礼よ」

言いながら、紬は微笑んだ。

28: 2014/05/22(木) 23:05:11.93
「すごいです!感動です!」

梓が腕をブンブンと振りながら叫ぶ。
けいおん部ご一行は、外周が2kmほどの小さな島に上陸した。
木々がうっそうと生い茂る、巨大な森のような島だが、
ちゃんと洋館や浜辺へ向かう道は舗装されているようだった。

「じゃあ、また四日後に迎えに来ますので」

琴吹家の執事兼運転手は、
そう言ってクルーザーに乗って帰って行った。

「探検!探検しましょう!」

目をキラキラとさせたまま、梓が叫ぶ。
それを聞いた唯が「ぷぷー!」と吹き出した。

「探検だって。あずにゃんは子どもだねぇ」

よしよし、とその頭を撫でる。

「子ども扱い、しないでください!」

ムキー!と顔を真っ赤にして、梓は怒った。

30: 2014/05/22(木) 23:14:06.08
「これは、すごいな」

ようやく気分の良くなった律がそう呟く。
先程まではしゃいでいた唯と梓、
震えていた澪までもが揃って息を呑んだ。

「急いで建てたって言ってたから、
あまり期待はしていなかったんだけど」

紬がにこやかに言う。
五人は巨大な建造物の前にいた。
西洋建築を思わせる、豪奢なデザイン。
門扉の高さは5メートルほどあるだろうか。
外から見える窓の数から見ても、ワンフロアの部屋数は100を下らない。
それが、天に向かってそびえている。
紬以外の四人は、ただただ感嘆のため息を漏らすことしかできなかった。

「じゃあ、とりあえず荷物を置いちゃいましょうか」

そんな四人をよそに、紬は横のパネルで門扉を開くと、
スタスタと玄関に向かって歩いて行ってしまった。
大きな玄関を開けると、振り返って言う。

「みんなー!どうしたのー?」

四人はただひたすら、目の前の光景に釘づけになっていた。

31: 2014/05/22(木) 23:16:55.90
「わぁ」

玄関をくぐると、誰ともなく声を漏らす。
外観もすごかったが、内装もそれに勝るとも劣らない、
とても立派なものであった。
まず目に付くのが、異国の公園を思わせるような見事な噴水。
その後ろにはローマ彫刻が鎮座していて、
まるでトレヴィの泉を模したかのようだ。
さらにその後ろに二階へ抜ける階段がある。
全体に赤いじゅうたんが敷かれていて、
手すりは金ぴか、複雑な装飾が施されていた。
そして三階までは吹き抜けで、
天井から豪華なシャンデリアが吊り下がっている。

「いくらかけたんだよ、これ」

律が呆然とした顔で言った。
彼女含め全員の目が完全に点になっている。

「さぁ、いくらかしらねぇ」

紬はそれらの芸術品を一切無視して、
右手の方向へ歩いて行く。
その先には小さな、と言っても普通よりは大きいが、
木の扉があり、そちらへ向かっているようだった。

34: 2014/05/22(木) 23:20:11.87
木の扉の向こうはダイニングだった。
その奥がキッチンになっている。
こちらは玄関ロビーとは違い、とてもシンプルなつくりだったが、
どことなく高級感が漂っているように思えた。
四人が席に座って待っていると、
紬が人数分の紅茶を持ってキッチンから現れた。

「お待たせ。あんまり見ないでよ。恥ずかしいから」

笑いながら言う。
四人はキョロキョロとあちこち見渡していたが、
慌てて正面に向き直った。
顔が紅潮する。

「あは、は。恥ずかしいな。
こんな豪華なところは来たことがなくって」

澪が照れ隠しに言い訳をした。
それを受けて紬が笑う。

「いいのよ、そんなに気張らなくても。
自分の家だと思ってくつろいでね」

自分の家? 思えるわけないだろ!
四人全員が心の中で突っ込んだ。

36: 2014/05/22(木) 23:28:10.79
「じゃあ部屋割りを決めちゃいましょう」

紬がそう言って屋敷の見取り図を出した。
一本の真っ直ぐな廊下の両側に部屋がある、
とても単純なものだった。
少し離れて見ると、細長いホットドッグのように見える。
右上に2Fと書いてあった。

「これ、色が違う部屋があるのはなんで?」

唯が疑問を口にした。
たくさんの部屋が並んでいるが、五つだけが白抜きで、
その他は黒く塗りつぶされていた。

「それは」紬が答える。
「急いで作ったせいで、内装が間に合わなかったんだって。
白いところだけが部屋として使えるのよ」

「そうなんですかー」と梓が言う。

「入れる部屋は、みんなが使う二階の五部屋と今いるダイニング。
あとはここの反対側にある物置部屋だけね」

紬はそう説明した。

38: 2014/05/22(木) 23:31:39.91
「じゃあ私がこっちな」

律はそう言って、階段を昇ってすぐの部屋に荷物を置いた。

「あ、ありがとう、律。恩に着るよ」

後ろにある西洋甲冑の置物をチラチラと見ながら、澪が言った。
元々はそこは澪の部屋だったのだが、
目の前にある置物が怖いと言って、律と部屋を交換したのだった。

「全く、澪ちゅわんは怖がりだねぇ」

ヘラヘラと笑いながら、馬鹿にしたように律が言う。
澪は何か言い返そうとしたが、やめたようだった。
そのまま踵を返して、廊下の突き当りの部屋まで歩いていく。
距離にして100メートル以上はあるだろうか。

「待ってください、私も行きます!」

そのひとつ手前の部屋を割り振られた梓も、澪について行った。

39: 2014/05/22(木) 23:36:44.54
荷物を置いた律が自分の部屋の前で待っていると、
三つ隣の部屋から唯が顔を出した。

「律ちゃん、準備するの早いねぇ」

そしてパタパタと足音をさせて出てくる。

「おー」律が答えた。
「それにしてもすごい屋敷だな。
私たちの部屋もすごいゴージャスだし、
各部屋オートロック完備、風呂トイレ付とは恐れ入ったね」

声の調子に驚きが混じっている。

「そうだねぇ」と唯が相槌を打った。
「名探偵的には、何か事件のにおいがするよ」

「なにがだよ」

律がそう言うと、二人は声を出して笑った。

42: 2014/05/22(木) 23:43:25.96
「ごめんね、お待たせー」

唯の隣の部屋、つまり律の四つ先の部屋から紬が出てきた。
そのさらに向こうで二つのドアが開くのが見える。
梓と澪も準備ができたらしい。
パタパタと足音を響かせ、早足で駆けてくる。
この廊下は互い違いに扉が並んでいて、
奥に行くほど照明が暗くなっているため、遠近感が狂ってしまう。
近いように見えるが、実際はかなりの距離があるようだ。
そのため、律の部屋の前で合流した時には、
二人とも軽く息が切れていた。

「じゃあ、行きますよ!」

言い出しっぺの梓の先導で、五人は屋敷を出発した。
結局みんなで島を探検することになったようだ。

「あははー、あずにゃんワクワクしてるねぇ。
かわいいねぇ」

頭を撫でようとする唯の腕をササッと避けた。

「ふふん!同じ手は二度くわないですよ!」

そう言いながらバランスを崩し、そのまま後ろ向きに倒れた。

43: 2014/05/22(木) 23:47:16.06
時折「うーうー」と梓が呻いている。

「大丈夫?梓ちゃん」

紬が心配そうに言う。

「大丈夫です。ちょっとコブになったけど」

梓が後頭部をさする。
先程倒れた時に地面に打ち付けたのだった。

「お、発見!」

律が叫ぶ。そして何やらガサゴソとやり始めた。
屋敷から見て左手の道を歩き出してから、約10分後のことだった。
ちなみに正面の道を行くと船着き場、右手の道を行くと浜辺である。
何があるか分からない左の道へ行ってみようという、
澪以外のみんなの意見が尊重された結果であった。

「な、何があったんだ?」

澪が恐る恐る尋ねた。

46: 2014/05/22(木) 23:51:21.47
「じゃじゃーん!カブトー!」

満面の笑みの律の右手には、巨大なカブトムシが納まっていた。
「ひっ」澪が悲鳴を上げる。

「あー、いいなー!律ちゃんだけずるい!」

唯が悔しそうな表情を浮かべている。
梓も紬も虫には興味ないのか、ただニコニコとしていた。

「なんだ、澪。お前カブトもだめなのか」

そちらに向き直りながら律が言った。
「ひぃ!」と先程より大きな悲鳴が上がる。

「こっち!それこっちに、向けないで!」

背を向けてうずくまり、頭を抱えた。

47: 2014/05/22(木) 23:55:27.21
「もうさー、これだけ謝ってんだから、いい加減機嫌直せって」

律が澪の腕を掴み懇願する。

「うるさい!馬鹿律!」

澪はそれを払いのけ、スタスタと早歩きで行ってしまう。
「はぁ」と律がため息をついた。
さすがに背中にくっつけたのはやりすぎだったかな、と思う。

「うーん、これからどうしましょうか」

澪が屋敷に帰ってしまったので、梓が困ったように言った。

49: 2014/05/22(木) 23:58:00.91
「じゃあ行くよ!あずにゃん!」
「おー!」

律は先程「なんか白けちまったぜ」と言い残して屋敷に戻って行った。

紬は迷っていたが
「喧嘩してる二人だけにすると不安だから」
と結局戻ることにした。

残った唯と梓の二人は、探検を継続する。

「あずにゃん!こっち行ってみよう!」
「いえ唯先輩!あっちですよ!」

キャーキャーと言う歓声が、日が傾くまで続いていた。

51: 2014/05/23(金) 00:02:10.88
「あーずにゃーん。どーこー」

泥だらけの唯が屋敷の玄関をくぐった。
その声を聞きつけたのか、キッチンから紬が出てくる。

「あらー、唯ちゃん。すごい格好よ」

ちょっと待ってて、と言って奥に引っ込むと、
濡れたタオルを持ってきてくれた。

「わー、ありがとう」

お礼を言っていったん外に出ると、体についた泥を掻き落とす。
西日がまぶしい。

「梓ちゃんなら1時間くらい前に帰ってきて、
屋敷の探検するって張り切ってたわよ」

「えー、そうなんだー」

濡れタオルで体を拭きながら、唯がまた玄関をくぐった。

「途中ではぐれちゃったんだよねぇ」

53: 2014/05/23(金) 00:07:49.05
唯は部屋でシャワーを浴びると、しばしベッドに横になった。
心地よい疲労感で、少し眠気を催したためだ。
しかし、先程まで興奮状態だったせいか、一向に眠れる気配が無い。
30分ほど寝返りを繰り返していたが、結局まどろみに落ちることは無かった。

「ちょっと下に行ってみようかな」

夕食の時間にはまだ早いが、
誰かしらダイニングにいるだろうと思ってのことだった。
ガチャリ、と扉を開けると紬の姿が目に入った。

「あら、唯ちゃん。どうしたの?」紬がそう声をかけた。

「うん。寝ようと思ったんだけど、眠れなくて」

えへへ、と笑う。

「ムギちゃんは一人でいたの?」

テーブルの上には三つのティーカップが並んでいる。
一つは紬のだが、残りの二つは半分ほど紅茶が入っていて、
もう半ば冷めているように見えた。

「さっきまで、澪ちゃんと律ちゃんがいたんだけど」

困ったような笑顔を向ける。
どうしたんだろうか、と唯は思った。

54: 2014/05/23(金) 00:12:47.69
「ふ、二人とも。とりあえず落ち着きましょう」

「うるせぇ!関係ないやつは黙ってろよ!」

紬がなだめようとしたが、律に一蹴されてしまった。

「律!ムギに当たるなよ!」

そんな律の態度に澪が激昂する。
二人を仲直りさせようと、紬がお茶会を提案したのだったが、
どうやら逆効果だったようだ。
話し合いのさなかに、また口喧嘩に発展してしまった。

「澪ちゅわんはヨロイが怖いー虫が怖いーって、
付き合ってるこっちが疲れちまうよ」

嫌な笑いを浮かべて律が言った。
澪が睨み付ける。そして、静かに言った。

「分かってるんだったら、やるなよ」

56: 2014/05/23(金) 00:16:39.13
「こっちは軽い冗談でやってんだろ!?
マジになってんじゃねーよ!」

律が言いながらテーブルを叩いた。
ドン!という音に澪の体がビクリと跳ねる。
その様子を見て鼻で笑った。

「あっはははー。大きな音も怖いんでちゅかー」

「この……。馬鹿律」

澪は何か言いたいようだったが、うまく言葉にならない。

「そんなだからろくに友達もできねーんだよ!
昔だって私がいなきゃ、ずっと一人だったじゃねぇか!」

律のその言葉で、ダイニングは静寂に支配された。

57: 2014/05/23(金) 00:24:17.79
「ちょっと、律ちゃんそれは……」

さすがに紬がたしなめた。
律もまずいと思ったのだろうか。
「悪い、ちょっと言い過ぎた」とばつの悪そうな顔をしていた。

「馬鹿律……」

澪の目にみるみる涙が溜まっていく。
そして。
バタン!
それが決壊する前に、けたたましい扉の音をたてて、
澪は出て行ってしまった。

「あーあ」

律がわざと大きな声を出す。

「ごめんな、ムギ」

そう言って、その場を後にした。

59: 2014/05/23(金) 00:30:26.06
そのまま放心していると唯がやってきた。

「また喧嘩しちゃったんだぁ」

紬の話を聞いて、至極残念そうに言う。

「食事の時に、ちゃんと仲直りできるといいんだけど」

「そうねぇ……」

しばし二人は無言で紅茶をすすっていたが、
どちらともなく部屋に戻って行った。

「ふう」

ボスン。とベッドに身を投げる。
時計を見ると、食事まではまだ1時間ほどあった。

「澪ちゃんと律ちゃん。仲直りできるといいなぁ」

唯は案じていたが、気付くとそのまま浅い眠りについていた。

62: 2014/05/23(金) 00:37:41.48
「唯先輩!晩御飯の時間ですよ!」

ドンドンという扉を叩く音とともに、梓の声がうっすらと聞こえる。
時計を見ると、食事の時間を15分ほど過ぎていた。

「ごめんねぇ、あずにゃん」

扉を開けると、先程までくぐもって聞こえていた梓の声が、
はっきりと聞こえるようになった。

「もう!子どもじゃないんですから!」

ずっと言い返すタイミングを窺っていたのだろうか。
唯を子ども扱いできて、少しご満悦な表情の梓がそこにいた。

「そうだねぇ。じゃあ下行こっか、あずにゃん」

パタパタと二人で階段を降りる。

「律先輩とムギ先輩は、もうずっと待ってるんですからね」

梓はプンプンとした顔で言った。

63: 2014/05/23(金) 00:40:56.89
「おー、唯。お前も寝坊かー」

律がニヤついた顔で言う。
「お前も?」唯が聞き返した。

「梓も寝てたからなぁ、私が起こしたんだよ」

相変わらずニヤついた表情を浮かべている。
唯は「なんだー」と梓の顔を見た。

「唯先輩よりは、早く来ましたけど」

そう言い訳した。

「あれ?」唯が不思議そうに首をかしげる。
「澪ちゃんは?」

律が「ふん」と鼻を鳴らした。
「ああ、あいつはふて寝だよ。どれだけやっても起きやしねぇ」

かなり憤慨している様子だった。

65: 2014/05/23(金) 00:48:43.68
「わー、これおいしいです!」

梓が驚嘆の声を上げた。
唯と律は無心で骨付きのチキンにかぶりついていた。
紬が菩薩のような表情でそれを眺める。

「そう、良かったわぁ」

それがホストとしての責務なのだろうか。
ゲストが喜んでいると、安心するらしい。

「まだたくさんあるから、足りなかったら言ってね」

「はい!」「うん!」「おう!」

三人がまちまちに返事をする。
料理は全て琴吹家のシェフが用意したもので、
紬はそれを盛りつけたり、温めなおしただけだった。
五日間飽きさせず、かつ傷まないようにしなければならない。
超一流料理人の苦心の結晶とも言えるものが、まずいわけがない。
テーブルに並んだ料理は、
あっという間にあらかた食べつくされてしまった。

「あー、おいしかったねぇ」
「私、幸せです!」
「もう今氏んでもいいな」

それぞれ感想を述べる三人を、紬がニコニコと眺めていた。

67: 2014/05/23(金) 00:54:13.25
後片付けが終わると、みんな揃って階段を昇った。

「あれ、律先輩。部屋そこじゃないんですか?」

確か階段を昇ってすぐの部屋だったはずだ。
横に並んで歩く律に、梓は疑問をぶつけた。

「ああ」めんどくさそうに律が言った。
「澪にまた声かけておこうと思って。
あいつ怒るとめんどくさいから」

そしてため息をついた。

「あー、そうなんですか」

ここまで世話焼く人だったっけ。
律の態度に梓は違和感を覚える。
普段なら「あんなやつほっとけよ」とか言い出しそうなのに。
そんなことを考えていると廊下の突き当りに着いた。

「おーい、澪。悪かったって。いい加減機嫌直してくれよ」

扉をドンドンと叩く音が、廊下に響いた。

68: 2014/05/23(金) 00:57:05.10
5分ほどたっただろうか。
ドンドンと言う音は響き続けている。

「ムギの料理な、めちゃくちゃうまかったよ。
食べないと絶対損するぞ」

明らかにおかしい。梓は思う。
こんなにしつこくする人だったっけ。
律の性格の変化に違和感しかない。

「澪ちゃん、まだ出てこないの?」

気付くと唯と紬が後ろにいた。
どちらも心配そうな表情を浮かべている。

「ダメ、だね」

律は手を広げるジェスチャーをした。
思いつめたような顔で、紬が口を開く。

「こんなことは、あまりしたくないんだけど」

そして、電子キーを取り出した。

69: 2014/05/23(金) 01:01:42.79
「澪ー、入るぞー」

律がそう声をかけた。
ガチャリ、と音がして扉が開く。
紬のマスターキーで部屋の鍵を開けたのだった。

「機嫌直してくれよ」

そう言って扉を開け放つ。
瞬間。
全員の時間が止まった。
言葉すら出ない。
ただひたすら、その光景に目を奪われる。
部屋の中心で、澪が宙に浮いていた。
腕をだらりと力なく下げ、足先はピンと伸び、
首を不自然に伸ばした澪が。

「み、お?」

律が掠れた声を出す。
一歩、踏み出した。
部屋に立ち込める、氏の匂い。
澪が、首を吊って、氏んでいた。

71: 2014/05/23(金) 01:08:28.88
「澪!」

律が叫んで、止まっていた時間を無理やりに動かす。

「澪ぉお!!!」

ガシリと体を抱えると、異常なほどの重さだった。
下ろしてやるつもりだったが、一人の力じゃ到底無理なようだ。
後ろを振り返ると、半ば放心状態の三人が目に映る。

「誰か!手伝ってくれ!」

唯が弾かれるように駆け寄ってきて、
力を合わせて、なんとか下ろすことができた。
二人はぜーぜーと肩で息をする。

「澪ぉ!澪ぉぉおお!!!」

肩を抱きかかえ声をかけるが、明らかに氏んでいると分かる。
肌の色が、生きている人間のそれではない。

「くそう。なんで……!」

律はボロボロと涙をこぼした。

74: 2014/05/23(金) 01:14:08.66
「とにかく、警察を呼ばないと」

努めて平静を装った唯が、スマフォを取り出すと、圏外の表示が出ていた。

「あれ、圏外だ」呟くように言う。

「ダメなのよ、ここは」紬は苦しげに呻いた。
「なぜか、電波自体が届かないの」

そして俯いてしまう。
この様子だと固定回線も引いてないだろう。

「じゃあ、外部との連絡は」

「五日後に迎えが来るまで、できないわ」

唯が言い終わる前に、紬がそう言った。

75: 2014/05/23(金) 01:18:16.16
全員はダイニングに集まっていた。
先程のような楽しい団らんはそこにはない。

「ちきしょう、なんで、自殺なんか」

律のすすり泣く声が部屋を支配している。
他の三人も泣きたい気持ちではあったが、
ここは気を強く持たないと、と心を奮い立たせていた。
そこにはある恐るべき事実が存在する。

「ちょっと、いいかな」

何事か思案していた唯が口を開く。
紬と梓の視線に、唯はほぼ確信に近い印象を得た。
やっぱり二人とも気づいていたんだね。それとも。

「なんだよ、唯」俯いたまま、涙声で律が。

唯は一瞬言いよどんだが、もう後には引けなかった。
意識が沈んでいくような感覚を抱く。

「澪ちゃんはね、自殺じゃないよ」

律が顔を上げた。

「誰かに、殺されたんだよ」

76: 2014/05/23(金) 01:21:18.91
律が泣き笑いのような表情を浮かべた。

「何を、言ってんだよ」

ガタガタと震えている。

「何を!言ってるんだよ!」

やおら立ち上がると、一気に唯に掴みかかろうとした。

「やめて!律ちゃん!」

それを紬が制止する。
梓もそれに加わり押さえつけた。
律はしばらく荒い呼吸で抵抗していたが、
やがて、ドスンと椅子に座り込んだ。

「どういう、ことだ」

完全に目が座っている。今にも人を頃しそうな。
唯は寂しげな表情を浮かべていた。

77: 2014/05/23(金) 01:26:31.85
「足元にね、台になるようなものは、何も無かったでしょ?」

一言一言区切るように言った。
律が唖然とした表情を浮かべる。

「つまり、どういうことだよ」

「つまり」唯がまた言うのを少し躊躇した。
「誰かに、吊り下げられたんだよ。あそこに」

「誰か?」律が固く拳を握る。それがブルブルと震えた。
「誰か、ってのは」震えが激しくなる。

ガン!とテーブルを拳で激しく叩いた。

「お前ら三人のうちの誰かってことか!?」

肩が大きく上下している。
沈黙が訪れたが、意外にもそれは早く破られた。

「違いますね」

律が梓の方を見る。

「あなたじゃないんですか。律先輩」

78: 2014/05/23(金) 01:31:47.97
律の目に怒りの炎が宿った。

「やめて!二人とも!」

たまらず紬が止めに入る。
しかし、ジ口リと律が睨み付けると、
その迫力に気圧されたのか、引き下がってしまった。

「本当に人頃しみたいな目、しますね」

言いながら梓が立ち上がった。
律がギラギラとした目でそれを見つめる。

「どこに、行くんだよ」

「戻るんですよ、自分の部屋に。
殺人犯がいるところになんか、いたくないですから」

ガチャリとドアを開ける。
律がその背中に飛びかかるのではないかと、
唯は気が気ではなかったが、どうやら杞憂で終わった。

80: 2014/05/23(金) 01:38:56.64
梓は部屋に戻るとトイレに駆け込み、
先程食べた夕飯をすべて吐き戻してしまった。
隣の部屋に氏体があると思うと、吐き気がおさまらない。
でも、みんながいる一階の部屋にいるよりは、
ここにいた方が気持ちが楽なのは確かだった。
カチリ、とトイレのドアを確実に施錠する。

「大丈夫、大丈夫」

すーはーと深い呼吸を繰り返し、自分に言い聞かせる。
そのまま、固く目を閉じた。

82: 2014/05/23(金) 01:41:39.32
「ちょっと待って、それなら私も一緒に行くわ」

紬の声は震えていた。
「好きにしろ」律は吐き捨てるように言う。

「私も行くよ」唯も紬に続いた。

律はその言葉をため息で返す。
それから数分後。
三人は澪の部屋の前にいた。

「いい?開けるわよ」

ピー、という独特の電子音がして開錠される。
律がノブに手をかけると、一気に扉を押し開いた。
また、先程と同様、全員の時間が止まる。
しかしその理由は、先程とは真逆のものだった。
澪の氏体が、こつ然と消えていた。

83: 2014/05/23(金) 01:45:03.67
誰も言葉を発さず、ダイニングに戻った。
部屋の様子が思い出される。
天井の梁から吊るされたロープなどは残っていたのに、
氏体だけが無くなっていた。
三人で探したけれど、どこにも見当たらなかった。
何があったのだろう。

「梓だ」

律が呟くように言うと、
唯が「無理だよ」と即座に否定した。
「なんでだよ」ジ口リと睨みつける。

「あずにゃんが二階に上がってせいぜい数分だよ?
時間が無いよ。それに澪ちゃんの部屋の鍵もないし」

「犯人なら鍵持っててもおかしくはないね。
それに隣の自分の部屋に運べばいいだけだ。
そんなもんは数分で済む」

唯は首を振った。

「律ちゃん、手分けして下ろしたから分かるでしょ?
意外と人間って重たいんだよ。
扉を二つ、しかも電子ロックを外さなきゃだし、
引きずりながらだと手間取ると思うな」

84: 2014/05/23(金) 01:48:10.59
律はギリギリと拳を握った。
その目は血走っている。

「やってみなきゃ分からないだろうが!」

テーブルに拳を叩きつける。
それにも怯まず、唯は淡々と続けた。

「しかも下は真新しい真っ赤な絨毯だし、
なんの痕跡も残さず運ぶのは、やっぱ無理だよ。
私さっき注意深く見たけど、
何か引きずったような跡なんてついてなかった」

律は呻いた。
「でも、でも」としきりに呟いている。

そのとき。
紬が口を開いた。

「どちらにしろ無理なのよ、それ」

律と唯は視線を向けた。
紬は自分を抱きしめるようにして、ガタガタと震えていた。

85: 2014/05/23(金) 01:52:43.13
手には一枚の電子キーが握られていた。

「それは?」唯が尋ねる。

俯いて震えていた紬だったが、意を決して言う。

「澪ちゃんの部屋の鍵」

顔面が蒼白に染まり、今にも気を失いそうだ。

「さっき二人が氏体を下ろした時に、
床に落ちてたから拾ったの」

「なるほど」律が言う。
「つまりあれから澪の部屋に入れたのは、
お前しかいないってわけだ。ムギ」

ギラリとした目を向ける。
紬はそれきり俯いてしまった。

87: 2014/05/23(金) 01:56:57.06
「ちょっと待って」唯が言った。
「電子キーって障害を考えれば入れたのはムギちゃんだけだけど、
あれからずっと一緒にいたんだし、移動させるのは物理的に不可能だよ」

「どうだかな」と律。
「これだけ豪勢な建物なんだ。
どんなからくりが用意されてても不思議はないだろ。
そもそもが屋敷に”琴吹家”の誰かが潜んでてもおかしくねぇ。
とにかくムギには ”頃して” ”移動させる” この二つが可能なんだよ」
 
バン!とテーブルを叩く。
紬は俯いて震えていた。

「そうね。何も、反論できないわ」
胸を押さえ、荒い息をつく。

「はん!」律が一笑に付した。
「言い訳は、無しか」

そして立ち上がると、紬に向かって椅子を振り下ろした。

89: 2014/05/23(金) 02:00:23.28
「大丈夫? ムギちゃん。吐き気とかはない?」

頭を押さえているタオルが、真っ赤に染まっている。

「ええ、なんとか」

紬は力なくそう答えた。
良かった。命に別条は無さそうだ。
唯は人心地ついた。
しかし。
あの時の律の形相を思い返すと、身震いがする。
律は椅子を振り下ろすと、何も言わずに部屋を出て行ってしまった。

「じゃあ」紬が言う。
「私も部屋に戻るわ」

「もうちょっとちゃんと手当した方が良いよ。
救急セットとかあれば、私がやるけど」

紬はゆっくりと首を振った。

「気持ちはありがたいけど、ごめんなさい。
私、自分が嫌になるけど。すごく、怖いのよ」

そう言うと扉を開け、部屋を出て行ってしまった。
唯は寂しげな表情を浮かべてそれを見送った。

90: 2014/05/23(金) 02:03:17.23
ムギちゃんの気持ちはすごいよく分かる。
誰が犯人か、分からないんだもんね。
そりゃ誰とでも、二人っきりになんて、なりたくないよ。

「そう、だよね」

唯も部屋に戻ることにした。

「ふぅ」

ベッドに身を投げ出し、息をつく。
今日は色々なことがあった。
クルーザーにも初めて乗ったし。
無人島探検もした。
豪華なお屋敷で豪勢なご飯食べて。
そして。
澪ちゃんが、仲間の誰かに、殺された。
グルグルと思考が巡って目が冴えてしまっていたが、
一日の疲れもあり、気付くと唯は眠り込んでいた。

93: 2014/05/23(金) 02:07:06.64
「ひぃ」澪が悲鳴を上げた。

「あははー、澪ちゃん。怖がりなんだねぇ」

どうやら西洋甲冑の置物に驚いたようだった。
唯がそれを見て笑う。
西洋甲冑が剣を持った腕を振り上げた。

「ひぃぃぃ」また澪が悲鳴を上げる。

「あははー、大丈夫だよぉ。ただの置物なんだから」

澪が頭を抱えている。
その首筋に。
西洋甲冑が剣を振り下ろした。
ごろんごろんと頭が転がる。
頭が無くなった首から、噴水のように血が噴き出す。
唯はそれを見て、ロビーにある噴水を思い浮かべた。

96: 2014/05/23(金) 02:11:05.07
「…………っっっ!!!!!!!」

ガバ、と起き上がる。
体全体に汗をびっしょりかいていた。
時計を見るとまだ朝の四時だ。
唯はシャワーを浴びることにした。
お湯の温度を調整するためにコックを倒したが、
方向を間違えて服を着たまま頭から冷水を浴びてしまう。
寝ぼけた頭を覚醒させるのに、ちょうどいいかも知れない。
どうせこの服ももう着ないだろうから。
唯はそのまま冷水をしばらく浴び続けていた。
そして考えたくもないのに、夢の内容について考えてしまう。
澪ちゃんが驚いたから私が笑って、
西洋甲冑が澪ちゃんの首をはねて、最後に噴水が出てきた。

……噴水?

噴水。なんだろう。引っかかるな。
唯は何か違和感を覚えたが、結局その正体は分からなかった。

98: 2014/05/23(金) 02:15:04.64
どうせ誰もいないだろうと思ったが、
朝食の時間にダイニングに行くと、意外なことに全員が揃っていた。

「おはよう、みんな」

唯が努めて明るく言う。
「おはよう」と返してくれたのは紬だけだった。
頭に巻いている包帯が痛々しい。

「さっきから、どっちも一言もしゃべらないのよ」

唯の耳元で紬が囁く。
険悪なムードが漂っているのは、誰が見ても明らかだった。
そうこうしているうちに、紬が食事の配膳を終えた。

「じゃあ、いただきましょうか」と紬が言うと、
「待て」と律が口をはさんだ。

99: 2014/05/23(金) 02:18:20.24
「何、かしら」

紬が怯えた表情を浮かべる。
やはり昨日のことが効いているのだろう。
律はその様子を見て少し苛立っているようだった。

「ちっ」舌打ちをする。
「お前の皿と交換しろ。毒を盛られてちゃかなわんからな」

紬が悲しげな表情を浮かべる。

「分かっ、たわ」

泣くのをこらえているようにも見えたが、
配膳した律の皿と、自分の皿を交換した。
律は不機嫌そうにそれを見ていた。

「いつまで続けるんですかね。その演技」

梓が冷やかに言った。

「そろそろ教えてくださいよ。
どうやって澪先輩の氏体を消したのか」

100: 2014/05/23(金) 02:22:08.43
「何?」律がギ口リと睨み付けた。

梓は表情のない顔で言う。

「私のことも殴るんですか。ムギ先輩みたいに」

律がやおら立ち上がる。

「お望みと、あらばな」

ゆっくりとした動作で椅子を構えた。
梓は相変わらず無表情でそれを眺めている。
紬は完全に腰が抜けて動けないようだった。

「ダメだよ!律ちゃん!」

唯が叫んで止めようとしたが、
その時にはもう、振り下ろされていた。
テーブルの上の料理が飛び散り、
ガシャンという食器の割れる音が響く。
梓の体が座った姿勢のまま、横に倒れた。

101: 2014/05/23(金) 02:24:54.42
「あずにゃん!」

唯が倒れた梓に駆け寄る。
頭から大量の血を垂れ流し、固く目を閉じてはいるが、
意識はあるようだった。

「ムギちゃん!タオル持ってきて!」

唯がそう叫ぶと、半ば放心状態だった紬が、
弾かれたように動き出す。
梓は荒い呼吸を続けていた。

「律ちゃん!なんでこんなひどいことするの!?」

唯が食って掛かった。
その鼻先に椅子を突きつけられる。

「ぶん殴られたいのか? お前も」

地を這うような声だった。
目が血走っており、完全に常軌を逸している。
唯はゆっくりと、首を振った。

103: 2014/05/23(金) 02:28:37.11
「あずにゃん、大丈夫?」

「はい。大丈夫では、ないですけど」

しばらくタオルで押さえて止血した後、
ガーゼを当てて包帯を巻いた。
この程度の応急手当しかできないが、
会話ができる程度には落ち着いたらしい。
その横で律がビーフパストラミサンドをがっついていた。
三人ともさすがに、文句を言う気力などは持ち合わせていない。
しばらくして食べ終わると、何も言わずに出て行ってしまった。

「氏んじまえ。糞野郎」

ぼそり、と梓が言う。
まるで別人のような声だったので、
唯はぎょっとして梓の方を見た。

104: 2014/05/23(金) 02:32:20.12
梓は結局食事をとらずに部屋に戻ってしまった。
紬は思いつめたような顔をしている。
やはりまだ怯えているのだろうか。唯は思う。

「あの、ムギちゃん。いくつか確認したいことがあるんだけど」

紬が顔を上げる。

「なぁに?」寂しげな笑みが浮かんでいた。
唯は気になっていることをあげつらった。

物置部屋のこと。
噴水のこと。
私たちの部屋のこと。
他の部屋のこと。
電子キーのこと。
第三者の侵入は可能なのかということ。

それらについて紬は全て答えてくれた。
これで一歩、真実に近づくことができる。
紬が犯人でなければ、の話だが。
唯は少し気にかかっていたのだった。
紬が自分と二人きりになることに、
昨日とは一転して異を唱えなかったことが。

105: 2014/05/23(金) 02:36:24.83
ムギちゃんは言葉で簡単に表せることは、
その場で全部説明してくれた。

まず、私たちの部屋のこと。
出入口はオートロックの扉のみ。
窓は頭がようやく通るくらいしか開かない。
自分でも実際に外に出れるか試してみたけど、
無理だったからこれは間違いない。

他の部屋のこと。
ここに来た時は内装ができてない、って言ってたけど、
実際は部屋自体が存在していないらしい。
壁にただハリボテの扉をくっつけてるだけなんだって。

電子キーのこと。
各部屋ひとつとムギちゃんの持ってるマスターキーしかない。
それぞれが持っている鍵を整理すると、
私、律ちゃん、あずにゃんはそれぞれ自分の部屋のをひとつ。
ムギちゃんは自分の部屋、澪ちゃんの部屋、マスターキーのみっつ。

第三者のこと。
これは存在しないって琴吹家が保障するらしい。
「なんで?」って聞いたら「なんでも」だって。
これはちょっと怪しいけど、信じてもいいのかな。

111: 2014/05/23(金) 03:01:16.70
物置部屋は勝手に見てもいいとのことだったので、
紬が部屋に戻るのを見送ると、唯は物置部屋に向かった。
扉を開けると、工事現場のような独特なにおいがした。
だだっ広い空間に、建物を建てるときに余った資材だろうか、
それらが整然と並べられている。
飾り切れなかった置物に、釘打ちやドリル、粘着テープ、絨毯の切れ端、
ロープ、壁紙、カーテン、窓ガラス、テーブル、椅子などが見て取れた。
なぜか噴水に飾ってあるのと同じローマ彫刻まで置いてある。
予備のためだろうか。

「ここは、これだけかな」

見て回ったが、氏体を隠せそうなところなんてない。
唯は物置小屋を出て、そのまま噴水のところへ向かった。

「どこが変なんだろう」

じーっと観察する。
離れたり、近づいたり。

「あ」

そして、気づいた。
これ、遠近感が狂ってる!

112: 2014/05/23(金) 03:06:23.02
噴水の真後ろに階段があるため、彫刻にピントを合わせて見ると、
階段が疑似的な壁のような役割を果たしているのだ。
しかし実際は、噴水から離れた場所に階段はあり、
見る位置によって”壁”が移動してしまう。
さらに階段なので、上に行くほど”壁”との距離が離れることになる。
だからローマ彫刻は、それに合わせて大きさが変えられている。
壁を意識せずに見ると、彫刻の大きさがまちまちに見えて、
それが無意識下に違和感として刷り込まれていたのだろう。

「なるほどねぇ。動く壁かぁ。
物置部屋にあったのは、調整用だったんだね」

違和感の答えが出たので唯は満足した。
そして「うーん」と唸る。

「これで気になったものは、全部調べたかなぁ」

部屋に戻るため、階段を昇りながら考える。

「んー、何かが足りないような」

階段を昇り切ったところで、西洋甲冑が目についた。

114: 2014/05/23(金) 03:11:17.01
仮面の目の部分を上げてみる。
カシャリ、と音がしてスライドした。
覗き込むと、中はがらんどうだった。

「こんなとこには、隠さないよね」

もしかしたら、と思ったが、澪の氏体は出てこなかった。
唯は部屋に戻った。
ベッドに倒れ込むと、そのまま眠りに落ちた。

115: 2014/05/23(金) 03:15:17.17
いったい今は何時だろうか。
唯は上半身だけ体を起こした。
夢を見ない、深い深い眠りだった。
そのまましばし考える。
どうやってあの部屋から澪ちゃんを消したんだろう。
扉から出るのはやっぱりリスクが高いし、
律ちゃんが言うようにムギちゃんが犯人で、
隠し扉や隠し通路か何かがあるのかな。
そこまで考えて、もうひとつ方法があることを思い出した。

「やっぱり無理かぁ」

窓から頭だけ出した状態で、困ったような表情を浮かべる。
どうやっても体の厚みで、肩から胸のあたりが窓枠に引っかかってしまう。

「頭だけ出してもしょうがないしなぁ」

そう言って思い出した。
あの夢のことだ。
澪は西洋甲冑に首を切り落とされていた。

「頭だけ、だったのかな」

唯は不自然に伸びた澪の首を思い出していた。

117: 2014/05/23(金) 03:20:56.31
どうやら半日も寝てしまっていたらしい。
もう夕食の時間だった。
ダイニングに行くと、紬だけがそこにいた。
ガチャリ、という扉を開ける音に、異常なほど反応した。

「ゆ、唯ちゃんか」

顔は蒼白でビクビクと怯えている。

「どうしたの?ムギちゃん」

「実は」口元に手を当てて、俯いてしまう。
「律ちゃんに、殺されかけたのよ」

唯の頭の中で半鐘が鳴った。

「すごい、怖かったの」

そう言ったきり俯いて、ガタガタと震えていた。

「ちょっと嫌かも知れないけど。詳しく、教えてくれる?」

紬から少し離れた位置に、唯が座った。

118: 2014/05/23(金) 03:25:33.31
「30分くらい前かしら」

紬がとつとつと語り始めた。

「夕食の準備をしていたら、律ちゃんが入ってきたのよ。
そのままキッチンに入って、包丁を手に戻ってきたわ」

しばし黙ってしまう。
「それで」紬の喉が鳴った。

「私に包丁を突き付けて、マスターキーを出せ、って」

紬はひとつひとつ思い返しながら話しているようだった。
そこまで言うと震えがより一層大きくなる。

「焦らなくていいから、ね」

唯がそう言うと、
「ありがとう」と紬は息を整えた。

119: 2014/05/23(金) 03:28:51.16
「なんで。って私は聞いたわ。そうしたら」

紬は立ち上がって服をまくり上げた。
わき腹のあたりが赤く染まっている。

「刺さ、れたの?」

動揺した唯が聞くと、紬は首を振った。

「軽く切られただけよ。もう血も止まってる」

紬は俯いた。
「けど」そして続ける。

「殺されるかと思った……。とても、怖かったの」

目には涙が浮かんでいる。
唯はかける言葉が見当たらなかった。

「だから」紬は振り絞るようにして言葉を続ける。
「マスターキーを、渡してしまったわ」

122: 2014/05/23(金) 03:35:19.66
「あずにゃん!開けて!」

唯と紬の二人は梓の部屋の前にいた。
ドンドンと扉を叩く。

「あずにゃん!」

きっと律ちゃんは梓ちゃんを頃すつもりなの。
先程の紬の言葉が思い返される。
そのとき。
ガチャリ。と扉が開く。
とてもゆっくりとした動作だった。

「あずにゃん!」

やきもきした唯が扉に手をかけ一気に開いた。
そこで。
二人の目に血塗れの梓の姿が映った。

123: 2014/05/23(金) 03:39:01.91
梓がシャワーを浴び終わり、少し落ち着くのを待ってから、
三人はダイニングに移動した。

「それで、何があったの?」

唯が何度目かの同じ質問をぶつけた。
梓は蒼白の顔でただ黙っているだけだ。

あのとき梓の部屋で見たものは。
血塗れの梓と、胸に包丁を突き立てて血の海に沈んでいる律の姿だった。
紬からマスターキーを奪った律は、そのまま梓の部屋に行って、
そして返り討ちにあったのだろうか。

澪を頃した犯人も律なのか。
それとも律には梓が犯人だという確証が何かあって、
澪の弔い合戦のつもりだったのか。

分からないことだらけだった。

とにかく梓に話を聞かなければ。
唯はそう思っていた。

124: 2014/05/23(金) 03:41:34.26
「律先輩が、犯人だったんです」

梓が絞り出すように言った。
唯と紬は、それを黙って聞いている。

「突然部屋に来て、お前も頃してやる、って」

梓は血の気を完全に失った顔で震えていた。

「なんで、あずにゃんを」唯が言った。

「それは」梓がまっすぐに唯を見つめる。
「私が、トリックを暴いたからだと思います」

「え」唯と紬が表情を驚愕に染める。

「ついさっき、夕食の1時間ほど前のダイニングでのことです」

127: 2014/05/23(金) 04:11:09.03
屋敷の部屋の外に出ると、澪の部屋の窓の真下までやってきた。
そこには梓の言った通り、不自然な砂の山ができている。

「これですよ。澪先輩の体だったものは」

紬が信じられない、といった風に首を振った。

「あの氏体は頭だけ本物で、あとは砂が詰まった人形だったんです」

唯は手に持った澪の氏体を思い出していた。
確かにどこかおかしかったかも知れない。
氏体なんて触ったことなかったから、その時は気にも留めなかったけど。

「部屋は薄暗くて、見た目でもよく分からないでしょう。
ましてや突然あの状況が与えられて、冷静でいられる人はいませんから」

梓は続ける。

「それに氏体に触ったのは犯人である律先輩と、
唯先輩だけですよね。まず、気付かれませんよ」

128: 2014/05/23(金) 04:16:38.20
「梓ちゃん。ちょっといいかしら」

紬が口を開いた。
「なんでしょう」と梓。

「でもどうやって動かしたの?
律ちゃんはあのとき、私たちとずっと一緒にいたのよ」

確かにそうだ。唯は思い返した。
氏体を発見して、その氏体が消えるまで、
ダイニングでずっと一緒にいたはずだった。

「それは」梓は言う。
「波の力ですよ。あの時間はちょうど引き潮が始まる頃合いなんです」

「どういう、こと?」紬が聞く。

129: 2014/05/23(金) 04:22:39.75
「ある程度海水を入れたポリタンクか何かを、海に放っておくんです。
そして長くて丈夫なロープを括り付けて、ここ、
つまり澪先輩の部屋の真下までロープを引っ張っておきます。
部屋からテグスを垂らしてロープに括り付けます。
ロープがあるとさすがに誰かが気付きますからね。
テグスでグルグル巻きにした澪先輩を、まぁ頭以外はただの砂袋ですけど、
あの部屋に吊り下げてトリックは完成です。
あとは引き潮が始まって勝手に引っ張ってくれるんですよ。
窓枠に引っかかれば、砂袋が破れて、こうして砂の山ができるんです。
頭だけならあの狭い窓でも通れますし」

梓はやや興奮気味にここまで一気に言った。
練習していたかのように、言葉に淀みが全くなかった。
紬は絶句している。
やっぱり頭だけだったんだ。唯はそう思っていた。

130: 2014/05/23(金) 04:28:34.19
「とにかく、犯人が分かってよかったですね」

梓が心なしかうれしそうに言った。
先程律を頃したばかりなのに。唯は少し疑問に思ったが、
異常な心理状態で少しハイになっているだけかも知れない。
そうやって自分を納得させた。
三人で玄関をくぐり、ロビーに出る。
やはりこんな時でも、豪奢なデザインが目につく。
立派な階段に金ぴかの手すり。噴水にシャンデリア。
その時唯は気付いた。
噴水の遠近感を狂わせていたのは階段だけではない。
ロビーには二階までしか階段が無いのに、
三階の天井まで吹き抜けになっているんだ。
はるか高いところで、シャンデリアが揺れていた。

131: 2014/05/23(金) 04:37:41.59
律が氏んでいる梓の部屋と、澪の部屋はもう使えないので、
梓は紬の部屋で一緒に寝ることになったようだ。
ドアの前で別れをつげて部屋に入ると、
唯はすぐにベッドに倒れ込んだ。

さすがに、疲れてしまった。
唯はベッドで横になり、延々と考えていた。

まだこの島に来て、二日しか経っていないのに。
友人を二人、亡くしてしまった。
これまでは『自分が殺されてしまうかも』という不安があり、
悲しみよりも恐怖が優っていたが、
犯人である律が氏んでそれも無くなった。

ただただ、友人を亡くしたという悲しみが襲ってきて、
その晩は涙が溢れて溢れて、止まらなかった。

132: 2014/05/23(金) 04:47:08.16
もう、明け方頃だっただろうか。
泣き疲れてウトウトとしていると、唯はまた夢を見た。
重い砂袋を背負って、長い長い廊下を歩いている。
ずっと同じ景色が続いていて、
いくら歩いても進んでいるような気がしない。

「ちょっと、休憩」

床に砂袋を置いて、座り込んだ。
ぜえぜえと肩で息をする。
砂袋の上に乗った澪の首が、こちらを向いていた。

133: 2014/05/23(金) 04:49:39.01
唯はパチリと目を覚ました。
あまり寝た気はしなかったが、朝食の時間なので部屋を出る。
階段を降りながら夢のことを考えていた。
律ちゃんはどうやって、砂袋を澪ちゃんの部屋まで運んだんだろう。
澪ちゃんの胴体はどこへ行ったんだろう。
昨日は動転していて頭が働かなかったが、
よくよく考えれば気になる部分が多い。
朝食の前に、ダイニングに集まっていた紬と梓に疑問をぶつけてみる。

「ああ」梓が言う。
「それなら簡単ですよ」

まるで手に頭を抱えているようなジェスチャーをする。
唯はそれを見て少し気分が悪くなった。

「澪先輩の部屋の下に、
これくらいの大きさの砂袋をいくつか置いておくんです。
それに窓から垂らしたロープを括り付けて、
部屋へ引き上げればいいんです。
もしかしたら頭もそうやって運んだのかもしれないですね」

137: 2014/05/23(金) 04:56:37.70
唯は宙を舞う澪の生首を想像した。
さらに気分が悪くなる。

「砂袋の砂を、胴体を模した人形に詰め替えて完成です」

梓は手を広げた。

「肝心の胴体は、どこへ行ったのかしら」

紬が口元を押さえながら言う。
少し気分が悪そうだった。

「それは分かりませんけど、
山の中か海の藻屑じゃないでしょうか。
何も屋敷の中で頃す必要はないんです。
外へ呼び出して頃して、首を落として胴体はどこかへ捨てる。
氏体の移動トリックを使ってみんなと一緒にいれば、
アリバイは成立するんですからね」

紬と唯は、梓の話を聞いて俯いてしまった。

138: 2014/05/23(金) 04:59:05.17
「ごちそうさま」

カチャリと音をたてて食器を置く。
唯と紬の前には、ほとんど手付かずの朝食が残されていた。
どうやら梓の話で食欲が無くなったらしい。

「もう食べないんですか?」

口にパンを頬張ったまま、梓が不思議そうに聞いた。
もう食事の大半を胃袋に収めている。

「あずにゃんは心が強いねぇ。
私はちょっと、参っちゃったよ」

唯が困ったような笑顔で言った。
「私も」と紬が同調する。
梓がきょとんとした顔で二人を見た。

「犯人は氏んだんだから、もう大丈夫ですよ?」

ぞわり。
唯と紬は、背筋に何か這うような感覚を抱いた。

139: 2014/05/23(金) 05:04:26.12
梓はまだ食べるというので、唯は先に部屋に戻ることにした。
唯は自分の部屋のドアに手をかけながら、
ふと右手の方向に目線を上げ、廊下の先を見やった。

あの奥の部屋で澪ちゃんが氏んでいた。
その手前の部屋には今でも律ちゃんの氏体がある。
そう思うと、自然と足が廊下の先へと向いた。
長い長い道のりを歩く。

澪の部屋の前と元梓の部屋の前で、それぞれ黙とうをした。
視線を下に向けると、二つの部屋のちょうど境目に、
何かがついているのが目に入った。

「これは」

触ってみるとネバネバとしていた。
粘着テープか何かが貼り付けてあったのだろうか。
その部分だけ、少し壁紙がはがれている。

「急いで作ったから、ってムギちゃんが言ってたっけ」

唯は踵を返して、自分の部屋に戻った。

141: 2014/05/23(金) 05:09:23.06
昼食の時間なので、唯は階下のダイニングへ行くことにした。
赤いじゅうたんが敷かれた階段を、一歩一歩踏みしめる。

「あ」

がくんと躓いたが、手すりにつかまってなんとか耐える。
すると、後ろから支えられる感覚があった。

「大丈夫ですか?唯先輩」

振り返ると、心配そうな顔の梓と目が合う。
唯は笑った。

「ごめんねぇ、大丈夫だよ。
全部真っ赤だから感覚がおかしくなって」

言ってから唯は思う。
この屋敷は、感覚を狂わされるものばかりだと。

「もう、しっかりしてくださいよ」

ニコニコと笑みをたたえながら、梓は先に降りて行った。

143: 2014/05/23(金) 05:13:40.76
なんだろう。
何かがおかしい。

唯は考える。

この島に来てからのことを。
この屋敷に来てからのことを。

唯は考える。

澪が氏んだ状況を。
律が氏んだ状況を。
そして。

「あ」

気付いてしまった。
そう、気付いてしまったんだ。
とても嫌なことに。

「澪ちゃんを頃したのは、律ちゃんじゃないかも」

145: 2014/05/23(金) 05:19:58.75
昼食の間中、梓はずっと上機嫌だった。
楽しそうに色々な話をしている。
紬と唯は引きつった笑みで相槌を打っていた。
そして食べ終わると、梓がとんでもないことを言い出した。

「そうだ、唯先輩!今日は浜辺に行きましょう!」

唯はぎょっとした。紬も同様だったであろう。

「ごめんね、あずにゃん。ちょっと気分が優れなくて」

悲しげな笑みで提案を断る。
仲間が二人氏んだのに、梓は何を言っているんだろうか。
唯も紬も、梓の心情が全く分からなくなっていた。
ただの空元気には到底見えない。

「そうですか。分かりました」

梓は至極残念そうに言った。

「じゃあ、一人で行ってきますね」

ぱっと笑顔をのぞかせて、パタパタと駆けて行った。
唯はそれを黙って見送る。
気分が優れないのは本当だったが、
それ以上に確かめたいことがあった。

148: 2014/05/23(金) 05:24:45.06
「あーん。やっぱり無理だぁ」

唯は自分の部屋の窓から、
顔と腕を無理やり外に向けて伸ばしていた。
手にはロープが握られていて、
それは真下に真っ直ぐ降りていた。
ロープの先端には、
砂が詰まったビニール袋が結び付けられている。

「重たいよぉ」

ロープから手を放すと、ビニール袋が落下し、
ドシンという音をたてた。
唯は手をプラプラと振る。

「律ちゃんにも、できるとは思えないね」

唯よりは多少腕力があるだろうが、
あの細腕ではたかが知れているだろう。
胴体人形に詰めるには、これが7、8個は必要になるはずだ。

151: 2014/05/23(金) 05:30:09.74
唯は犯行前後の時系列を確認することにした。

律ちゃんと澪ちゃんがダイニングで口論していた。
そのすぐ後に私がダイニングへ。
しばらくして部屋に戻った。
その間は玄関の開く音がしなかったので、
私が部屋に戻った時点では全員屋敷の中にいたはず。
部屋で1時間と少々寝る。
夕食の時間にあずにゃんが起こしに来る。
その時の話によれば、
ムギちゃんと律ちゃんは時間通りにダイニングにいたらしい。

上記を整理すると、律が犯行を行える時間は最大でも1時間しかない。
実際はもっと短いだろう。

「1時間足らずじゃ、無理だよねぇ」

澪を頃して首を落とし胴体を捨て、砂袋とロープを用意する。
それらを部屋に引き上げ、澪の氏体を偽装し天井から吊り下げる。
到底できるとは思えない。

「じゃあ一体、どうやったんだろう」

何か別のトリックがあるのかな。
唯の思考はグルグルと回っていた。

154: 2014/05/23(金) 05:34:24.55
あのトリックが使えない以上、
律は犯人ではないということになる。
何か他に方法があるというのなら、話は別だが。
唯は砂袋を片付けようと、部屋の外に出た。

「せめて口論してる時に気がつけばなぁ」

この屋敷は部屋の中にいると、外の音が全く聞こえなくなるのだ。
部屋の前で大声を張り上げて、ようやく聞こえるレベルになる。
そんなことを考えながら階段を降りていた時、噴水が目に留まった。

「後ろから見るとただの壁みたいなんだよねぇ、これ」

正面から見るとローマ彫刻が並んでいるのだが、
後ろからだとそれらが折り重なって陰になり、壁のように見える。
当然だが、彫刻の大小など分からなくなるのだ。

「遠近感をごまかすために大きさ変えてるのを、
ばれないようにしてるんだね」

唯はうんうんと頷いた。

157: 2014/05/23(金) 05:39:25.18
砂袋を片付け、部屋に戻る。
階段を昇る途中で後ろを振り返った。

「やっぱり壁みたい」

光の加減なのか、完全に壁に見える。
そのとき。
不意に気付いた。
唯は慌てて階段を駆け下り、噴水を正面から見る。

「そうか。そうだったんだ」

唯の頭の中で、パズルのピースが次々にはまっていく。
そして、最後のひとつがカチリと音をたてた。

「犯人が、分かったよ」

しかし唯の心に高揚感などはなく、その指先は震えていた。

160: 2014/05/23(金) 05:44:17.69
「唯先輩。なんですか、話って」

梓が首を傾げた。
夕食を食べ終え、片付けを終えたところだった。
紬がどこか落ち着かなそうにしている。

「ちょっと二人に聞いてもらいたいことがあって」

唯は真剣な眼差しを向ける。
カラカラの喉を、紅茶で潤した。

「何かしら」紬が問う。

「澪ちゃんを頃したのはね、律ちゃんじゃないんだよ」

ガタリ!二つの音が重なった。

「何を言ってるんですか!私は殺されかけたんですよ!」
「そうよ!私だって殺されかけたわ!
律ちゃんが犯人でいいじゃないの!」

二人が一様に叫ぶ。
立ち上がった拍子に椅子が倒れた。

161: 2014/05/23(金) 05:51:54.53
スーハ―と、唯は呼吸を整えた。

「そう、それはそうなんだけど、澪ちゃんは違うの。
澪ちゃんを頃したのは」

「唯先輩!」「唯ちゃん!」

紬と梓が同時に唯に掴みかかった。

「ダメです!もうやめましょう!」
「やめて、唯ちゃん!」

二人は懇願した。
何やら喚きながら、両側からしがみついてくる。

「澪ちゃんを頃したのは!!!」唯が負けじと叫ぶ。

「あずにゃん!そうだよね!」

163: 2014/05/23(金) 05:57:21.17
梓が膝から崩れ落ち、紬は頭を抱えた。

「そこまで断言するなら、トリックも分かってるんでしょうね」

梓が頭を垂れたまま言った。

「うん」唯は頷く。

「じゃあ、唯先輩の話、聞きますよ」

梓はフラフラと立ち上がり、椅子に座った。
紬は頭を抱えたままでいる。

「どうやって氏体を動かしたのか、ってずっと考えていたんだけど、
そうじゃなかったんだよ。動いたのは氏体じゃなくて壁だったんだ。
そうだよね?あずにゃん」

梓は力なく頷く。そして、そのまま俯いてしまった。

164: 2014/05/23(金) 06:01:03.59
「澪ちゃんの部屋とあずにゃんの部屋の間に、
粘着テープと壁紙の切れ端が残ってたんだ。
私たちが思いのほか早く二階に上がってきたから、
慌ててはがしたんだろうね。」

梓と紬は黙って聞いていた。

「物置部屋にあった壁紙を粘着テープで貼り付けて、
壁に見せかけてたなんてね。
奥の方は照明も暗いし、あれだけ扉があるんだもん。
一つくらい減ってても誰も気づかないよ
つまり、私たちが最初に澪ちゃんの氏体を見つけたのは、
澪ちゃんの部屋じゃなくて、一つ手前のあずにゃんの部屋だったんだ」

唯は手元のティーカップに口を付けた。
手が震えてうまく飲むことができない。

「正解です。唯先輩」

色のない顔で梓が言った。

「でも、いったいどうして頃したりなんか」

唯の言葉の端々が震えていた。
梓はしばし思案にふけっていたが、覚悟を決めたようだった。

「全て、お話します」

166: 2014/05/23(金) 06:05:21.40
「この島に来た時は、殺そうなんて気は全くありませんでした」

梓の独白が始まった。
唯も紬も黙って耳を傾ける。

「澪先輩と、律先輩。この二人が疎ましかったのも事実です。
誤解しないでほしいのは、そこに殺意なんてものは無かったし、
人としてはとても好きでした。
新入部員勧誘でのライブは、とても素晴らしかったです。
唯先輩、ムギ先輩、澪先輩、律先輩。
私が入部を決意した時、この四人の先輩のことを、
心の底から尊敬してました。憧れていました。
でもけいおん部に入って一緒に練習を始めると、
否応なく見せつけられました。
澪先輩、律先輩。この二人の才能の無さを。
音楽の才能が無いことが、ただただ許せなかったんです。
あれだけ尊敬していたのに。
あれだけ憧れていたのに。
とても悲しく、裏切られた気分になりました。
特に許せなかったのは」

梓は水が入ったグラスを掴むと、一気に中身を飲み干した。
「ふぅ」と短く息をつく。

「そこを認めていやがったことですよ」

169: 2014/05/23(金) 06:11:13.49
「『梓はいいなぁ。才能があって』

そんなことをいつも言われ続けていました。
そのたびに胸が怒りに震えていたんです。
才能が無いくせに、なんで音楽なんてやってるんだ。
なんでライブなんてやったんだ。
なんで私の心を動かしたんだ。
そう思いました。
でも普段一緒にいると楽しいし、
音楽のことを抜かせば、とてもいい先輩たちでした」

梓はグラスに手を伸ばしたが、
中が空なのを思い出し、手を引っ込めてしまう。
それを見ていた、紬が言った。

「いいのよ、梓ちゃん。慌てなくても。
ちょっと待っててね」

そう言ってキッチンへ引っ込むと、
なみなみと水の入った水差しを持ってきた。

「ありがとう、ございます」

それをグラスに注ぐと、一気に飲み干した。
その顔は、雪のように真っ白だった。

171: 2014/05/23(金) 06:16:08.35
「殺そうと思ったのは、本当に頃す直前、
澪先輩が私の部屋を訪ねてきたときです。
律先輩と口論した、と言ってとても荒れていました。
聞けば、原因は糞みたいにくだらない事でした。
この人と一緒にいると、
どんどん幻滅していってしまうような気がします。
まだ私の心には、憧れや尊敬が少しは残っていたのです。
そのときでした。
憧れや尊敬があるうちに、思い出に変えてしまえ。
もう頃してしまえ、と。
私の中の悪魔が囁きました。
先程唯先輩が暴いたトリックは、
屋敷を探検していた時に思いついたものです。
最初はそこに私が隠れて、
みんなを驚かしてやろうくらいにしか考えていなかったので、
まさか殺人を隠すために使うとは思いにもよりませんでした。
しかし、実行するなら今しかありません。
ベッドに座っている澪先輩に向かって
『澪先輩に似合いそうな、かわいいネックレスがあるから』
と、嘘をついて後ろに回り込みました。
それで」

そこまで言って、ガタガタと震えながら水を一気に飲み干す。
紬が心配そうにそばによると、
「大丈夫です」とそれを手で制した。

174: 2014/05/23(金) 06:21:15.69
「澪先輩の首にロープをかけ、一気に引っ張りました。
首の絞め方なんて知らなかったので、
澪先輩と背中合わせになるように、
ちょうど荷物を背負うようにして全体重をかけると、
すぐに動かなくなりました。
ロープは何かに使えるだろうと、
物置部屋から拝借しておいたものです。
念のため、数分はそのままでいました。

何も考えていませんでしたが、その後が問題だったのです。
どうやっても、天井からぶら下げたロープに、
澪先輩を引っ掛けることなんてできませんでした。
何度もチャレンジしましたが、埒があきません。
試行錯誤を繰り返すうち、思いつきました。
梁を滑車のように使えばいいのです。
澪先輩の首にロープの輪っかをかけ、
もう一方にも輪っかを作り、梁の向こうへくぐらせます。
そしてギターアンプとギターを背負ってぶら下がりました。
ズリズリと音をたてて澪先輩が天に昇っていきます。
私は地面に着くと、こちらの輪っかをベッドの足に引っ掛けました。
そのまま固定させると、梁にロープを結びつけたのです。
首つり氏体が完成しました」

177: 2014/05/23(金) 06:26:21.58
「その時でした。ノックの音が聞こえ、
心臓が飛び出るかと思いました。
律先輩が食事の時間だからと、呼びに来たのです。
私は寝ぼけたふりをして、すぐ行きます、と答えました。
部屋の前から、人の気配が消えたのを見計らって外に出て、
自分の部屋と澪先輩の部屋の間に、
壁紙を急いで貼り付けました。
そのあとはみなさん、ご存じのとおりです」

グラスを手に取るとグビグビと喉を鳴らした。
しかしうまく飲み込めずに、
口の端から水が伝って胸元をびしょびしょにした。
紬は相変わらず、心配そうな面持ちでそれを見ていた。
今まで黙って聞いていた唯が、口を開く。

「あずにゃん。いくつか質問いいかな」

梓は水を注ぎなおして、二杯目を飲んでいたところだった。

「ええ、いいですよ」飲み終ると、そう言った。

179: 2014/05/23(金) 06:31:31.04
「律ちゃんに突っかかってたのはなんで?
あと澪ちゃんの氏体はどこにあるの?」

「澪先輩の氏体は今も私の部屋にあります。
ベッドの下に隠しておいたんです。
律先輩に突っかかったのは、頃して罪を着せるためですよ。
私に殺意を抱かせれば、
正当防衛って言う大義名分が成り立つでしょう。
まさかマスターキーを奪ってまで、
部屋に来るというのは想定外でしたけど」

紬がゴクリと喉を鳴らした。

「じゃあ、梓ちゃん。初日の夜は」

梓の顔からさらに色が無くなる。

「ええ。そうです。
澪先輩の氏体の横で寝ました。
さすがにおかしくなりそうだったんで、
ずっと鍵をかけたトイレの中にいましたけど。
何度も悪夢を見て、目を覚ましました。
ムギ先輩の部屋に移るまで、ずっとそうでしたよ」

「そう……」紬が俯き加減で言った。

181: 2014/05/23(金) 06:36:01.70
「澪先輩を自殺に見せかけたのは、
壁紙をはがすトリックを使う時間を稼ぐため。
すぐばれるようにしたのは律先輩を頃すためです。
律先輩に関しては、本当に正当防衛ですよ。
澪先輩を頃したことをにおわせたら、
完全に頃す気でやってきました。
揉み合ってるうちに、
律先輩に包丁が刺さって動かなくなっていたんです。
途中で澪先輩の氏体を見つけて動揺したんでしょうね。
あれが無ければ、おそらく私が殺されていました」

唯は真剣に話に聞き入っていた。
仲間の心の内を、ずっと知りたかったのだった。

「あのトリックはなんだったの?」

唯の言葉に、梓が首をかしげた。

「砂人形のこと」

「ああ」梓は合点がいったようだった。
「あれですか」

182: 2014/05/23(金) 06:39:18.91
「あれも探検中に思いつきました。
律先輩に罪を着せるには、
氏体を消すトリックが確実に必要でしたから。
窓から出るのは頭だけ。
ここを取っ掛かりにすれば、すぐ思いつきますよ。
あの砂の山も私が作っておいたものです」

梓は今度はこぼさないように、
ゴクリゴクリと慎重に水を飲む。

「これくらい、ですかね」

梓は「ふぅ」と息をつき、俯いてしまった。
心配の色を顔に浮かべた紬が問いかける。

「澪ちゃんの氏体を見つけるとき、
私がマスターキーを出さなかったら、どうしていたの?」

梓はゆっくりと顔を上げて、紬の顔を見た。

186: 2014/05/23(金) 06:44:55.08
「それなら私が開けるつもりでした。
さっき拾ったって嘘をついて、自分の鍵でね。
それで氏体を見つけた後、すり替えた本物の澪先輩の部屋の鍵を
ムギ先輩に渡すつもりでいたんですけど、
結局それもする必要が無かったんで、
隙を見て床に放り投げておきました。
誤算だったのは律先輩の行動でしたね。
本当ならみんなで声をかけに行く予定だったのが、
勝手に個人行動取っちゃうんですから。
でもしつこくやってくれたおかげで、
当初の想定通りに事が運んだのでそこは良かったですけど」

今度は水をコップの半分くらい飲んで、息をつく。
そして唯をまっすぐに見据えた。

「唯先輩に聞きたいんですけど、
どうして私が犯人だと分かったんでしょう。
そう断定する何かがあったんですか」

残りの水を一気に飲み干した。

「壁紙のトリックを使った証拠なんてないでしょうに。
私が認めなかったらどうしていたんですか。」

190: 2014/05/23(金) 06:49:47.85
「すぐ認めてくれてうれしかったよ。
やっぱりあずにゃんはあずにゃんだって」

唯は言った。

「でもそうじゃない時のことも、もちろん考えてた」

梓が窺うような表情を浮かべる。
唯は言葉を続けた。

「二日目の朝食の時に、
律ちゃんに向けてあずにゃん言ってたよね。
『そろそろ教えてくださいよ。
どうやって澪先輩の氏体を消したのか』って。
でもあの時のあずにゃんは知らないはずなんだよ。
澪ちゃんの氏体が消えたことなんて」

「あっ」と梓が声を上げた。

「実際見てもいないし、誰にも聞いてない。
部屋の中は、外で言い争ってる声すら届かないほどで、
外での会話なんて聞こえるはずもない。
だから知ってるのはおかしいんだよ」

「そう、ですよね」梓はがくりとうなだれた。

192: 2014/05/23(金) 06:54:19.59
「完璧な計画だと、思っていました」

梓はうなだれたままで言う。

「最初は何を言われても、白を切るつもりでした。
でも唯先輩にあなたが犯人だ、って言われて、
もう無理だなって思いました。
結局、どちらにしてもダメだったんですね」

紬は悲しそうな顔で、その告白を眺めていた。
突然、梓が顔を上げ、そして目が合う。

「ムギ先輩は何か知ってたんですか。
さっきもだいぶ取り乱していましたけど」

梓の問いに、紬は困惑した。
しばし思いつめたような顔で俯いていたが、やおら口を開く。

「この屋敷ね、監視カメラがあるのよ」

苦しげに呻いた。

193: 2014/05/23(金) 06:57:39.41
梓はため息をついた。

「なるほど。完璧も何も、無かったわけですね」

力なく笑う。
紬は変わらず苦しそうに唇を噛み締めていた。

「でもね」そして呻くように言う。
「梓ちゃんを警察に突き出そうとか、
そんなことは思わなかった」

梓と唯の二人が驚いて紬を見る。

「だって、そうしたらみんなバラバラになるじゃない。
ここに連れてきたのだって私の責任だし、
澪ちゃんにはとても申し訳ないけど、
梓ちゃんだって私の大事な仲間だもの。
自分の手でそれを壊すなんて、
そんなことは考えもしなかったの」

握った拳がブルブルと震えていた。

194: 2014/05/23(金) 06:59:18.92
「でもそうこうしているうちに、
律ちゃんまで氏んでしまった。
後悔したわ。また私のせいで仲間を亡くしたって。
だからこそ思ったの。
梓ちゃんだけはなんとしてでも失いたくないって。
さっき唯ちゃんが、「澪ちゃんを頃した犯人は」
って言い出した時、どうしても止めなくちゃって。
そう、思って」

紬はボロボロと涙を流していた。
梓の目にも光るものがある。
唯はそれを黙って見ていた。

ムギちゃんの言葉は真に迫るものがあった。
心を打つものがあった。
私も同じことを思ってた。
それでも。
結論だけは変えちゃいけないんだ。

「あずにゃん」唯の声は震えていた。
そこで呼吸を整え、力強く言う。

「帰ったら、ちゃんと自首するんだよ。
罪は償わないとね」

196: 2014/05/23(金) 07:05:02.63
梓は黙って、コクリと頷いた。
そして手元のコップを一気に呷る。

「よし、いい子だね」

唯がそう言ったとき。

「?」

一瞬意識がブラックアウトした。
なんで、こんな時に。
……そういえば。
この屋敷に来てからおかしかった。
眠いのに寝れなかったと思えば、
眠る気もないのに寝過ごしてしまったり。

「ムギ、ちゃん」

必氏に意識をつなぎとめる。
無表情でこちらを見ている紬。
その向こうに、水を飲み続けている梓の姿が映った。

「何を、した、の」

唯はそのまま意識を失った。

197: 2014/05/23(金) 07:09:02.18
一瞬、どこにいるのか分からなかった。
私、何をしていたんだっけ。

「ムギちゃん!」

一気に脳みそが覚醒し、弾かれたように立ち上がる。
バタン、ガタン。
と椅子が倒れる音と、テーブルに唯が膝をぶつける音が響いた。

「大丈夫よ」

悲しげな笑みを浮かべる紬がそこにいた。

「ムギ先輩。もっとお水ください」

焦点の合わない目で梓がそう懇願していた。
紬の袖のあたりに、しっかりとしがみついている。
その胸元は先程よりもびしょびしょになっていた。

「別に誰をどうこうしようなんて、思って無かったの。
まさかこんなことになるとはね」

紬は目線をやや下にやりながら、そう言った。

198: 2014/05/23(金) 07:12:57.59
「ちゃんと、一から説明してもらうよ」

唯が語気を強める。

「ええ」紬は俯きながら言う。
「私もそのつもりよ。梓ちゃんも頑張ったんだからね」

ちらりと横の梓を見る。
先程から延々と袖を引っ張り続けているのだった。

「頑張りました。だから、お水くださいよ」

相変わらず焦点の合わない目で言った。
それを見て紬は悲しげな表情を浮かべる。
そして不意に時計に目をやった。
唯も釣られてそちらに視線を送る。
意識を失ってから15分ほどしか経っていなかった。

「私ね」紬は一度ため息をついた。
「みんなに薬を盛っていたのよ」

199: 2014/05/23(金) 07:17:13.23
「なんで、そんなこと」

唯は震える声で疑問をぶつけた。
紬がゆっくりと首を振る。

「違うの。さっきも言ったけど、
みんなをどうこうしようなんて気は、全くなかったのよ」

胸を押さえ、時折苦しそうに呻いていた。

「眠れないって言っていた唯ちゃんには睡眠薬を」

そこまで言うと両手で顔を覆うようにして目頭を押さえた。
涙がボロボロと溢れている。

「ごめんなさいね、唯ちゃん」

呻きが嗚咽に変わる。

「いいよ、ムギちゃん」

唯が真剣な眼差しを向けた。

200: 2014/05/23(金) 07:22:25.11
「喧嘩ばかりしていた二人には、精神安定剤を飲ませたわ。
よく分からないから、適当に混ぜたんだけど、
それが良くなかったみたい」

泣き笑いのような顔で、言葉を絞り出していた。
時折喉が異様な音をたてる。

「梓ちゃんには」

先程から袖を引っ張り続け、
ぶつぶつと何かを言っている梓の方へ目を向けた。
もはや紬が顔を向けても、名前を言っても、何の反応もない。
ただひたすらに水を渇望している。

「軽い、くすりのようなものを与えてたの。
この島に来る、ずっと前からね」

ちょっと間があって「もちろん、合法なものよ」と付け加えた。

201: 2014/05/23(金) 07:26:52.11
確かに心当たりはある。
唯はそう思った。
ムギちゃんの差し入れを、
一番楽しみにしてたのはあずにゃんだったっけ。
ふざけて横取りすると、本気で怒っていたっけ。
連休に入ると、ムギちゃんとよく遊びに行ってたっけ。

「どうしてそんなことしたの!」

唯はバン!とテーブルを叩いた。
はぁはぁと荒い息をつく。
怒りなのか、はたまた悲しみなのか、手が震えていた。
紬は俯いたままだった。
その袖を梓は引っ張り続けている。

「ふざけないで!」

バン!とまたテーブルを叩く。

「私、だって」

おもむろに紬が口を開いた。

203: 2014/05/23(金) 07:32:22.38
「梓ちゃんに、懐かれたかったのよ」

顔を上げたが、もう正気のそれではなかった。
目は大きく見開かれ、瞳孔まで開いているように見える。
表情からは心情が全く分からなくなっていた。
怒っているのか、悲しんでいるのか、楽しんでいるのか。
それ以前に笑っているのか泣いているのかも判別がつかない。

「唯ちゃんも律ちゃんも澪ちゃんも。
みんな梓ちゃんに懐かれていたわよね。
私だけ疎外感を噛み締めていたの。ずっと、ずっとね。
試しに少し薬を混ぜてみたら、「ムギ先輩、ムギ先輩」って。
もう癖になっちゃったわ。
だからこの島に来てから、少し量を増やしてみたの。
もっと懐かれたいって。
そうしたら」

横を見る。
同じく正気のそれではない梓がそこにいた。

「壊れちゃったのよ」

紬がよく分からない奇声を発した。

「ムギちゃん、まさか」

204: 2014/05/23(金) 07:37:54.01
何やら梓に耳打ちをして、紬はキッチンに引っ込んだ。

「ダメだよ!ムギちゃん!何をするつもり!?」

唯が慌てて追いかける。
が。

「ダメですよー。唯先輩ー」

梓はフラフラ立ち上がると、唯の体を抱きしめた。

「離して!あずにゃん!」

ギリギリと体を締め付けられる。
異常な力だった。

「痛いよ!離して!」

唯は全く身動きが取れなくなった。
体がギシギシと軋む。骨が砕けてしまいそうだった。

「ムギ先輩は、今からお水を持ってきてくれるんですぅ」

うっとりとした表情で梓が言った。

205: 2014/05/23(金) 07:42:12.77
ゆっくりとした動作で、紬がキッチンから現れた。

「梓ちゃん。そのままいい子にしててね」

焦点の定まらない目でそう言った。

「はいー。早くお水くださいぃ」

同じく焦点の定まらない目で。

「やめてよ!ムギちゃん!どうしちゃったの!?」

唯はもがいたが、締め付ける力は一切緩まない。

「先に唯ちゃんに飲ませてあげるからね」

焦点の定まらない目で。

「わかりましたぁ」

同じく。

「はーい、唯ちゃん。口開けてねぇ」

その目で。

207: 2014/05/23(金) 07:47:33.72
「ぐぐ、むぐぐ」

唯は必氏に口を閉じて抵抗する。
そんなことはおかまいなしに、
紬はジャバジャバと水を浴びせかけてきた。

「ダメじゃない、唯ちゃん」

そう言いながら鼻をつまむ。
苦しい。息ができない。
唯は口を開けそうになるが、懸命に耐える。

「あら」

水差しの水が空になったようだ。

「ゲホッ!ごほっ!」

飲み込まないように耐えていたため、
咳き込んだ拍子に鼻に水がだいぶ入ったらしい。
がふっがふっ、と不思議な呼吸音が鳴る。

「じゃあ次の持ってくるから、梓ちゃんまたお願いね」

紬がキッチンに引っ込んだ。

209: 2014/05/23(金) 08:02:54.57
「梓ちゃん。何をしてるの?」

紬がダイニングに戻ってきてみると、
梓は唯のことを開放していた。
優しく背中をさすっている。

「何をしているのよ」

紬が語気を強めた。

「唯先輩を開放して、介抱してるんですよ」

梓が震えながら言った。

「はぁ?何よそれ。ダジャレのつもりかしら?」

紬が呆れたように言う。

「ええ、そのつもりです」

ガン!と机が鳴った。
紬が水差しを叩きつけたのだ。
水しぶきが舞う。

「つまらないこと言ってないで、唯ちゃんを押さえつけなさい!」

210: 2014/05/23(金) 08:06:45.91
「嫌です」

紬の命令を、梓は蒼白の顔で拒否した。
ガタガタと震えている。

「お薬切れちゃったの?じゃあ飲まないとねぇ」

狂気の顔でそう言うと、紬が近づいてくる。

「もうやめて!ムギちゃん!」

唯が立ち上がった。
目には闘志の炎が宿っている。

「目を覚ましてください!ムギ先輩!」

梓も縋るように叫ぶ。

「ふぅ」と紬はため息をついた。
「結局、こうなるのよね」

紬の手を離れた水差しが、ガチャンと音を奏でた。

211: 2014/05/23(金) 08:10:28.41
「梓ちゃん、すごいわね。
あそこまで中毒症状が出ていたのに、
自力で立ち直れるとは思わなかったわ」

悲しげな笑みを浮かべる。
そして足元の水差しを軽く蹴った。

「これはただの水よ。
さっき梓ちゃんが飲んでいたのもね」

「じゃあムギちゃんも」唯が問う。

「ええ」紬は頷く。
「もちろんくすりなんて飲んでないわよ。
ただ梓ちゃんと遊びたかっただけ」

目からボロボロと涙が溢れてくる。

「律ちゃんと澪ちゃんに飲ませた精神安定剤も、
唯ちゃんに飲ませた睡眠薬も、全部私のなの。
今ので分かったけど私、
くすりなんて無くても元々頭がおかしいのよ」

212: 2014/05/23(金) 08:13:41.85
「そ、そんなこと」

ないよ。
唯はそう言おうと思ったが躊躇った。
梓も黙っている。

「いつからだったろうな」

沈黙に耐えかねたのか紬が言った。

「まぁ、そんなことはどうでもいいか……」

そしてしばらく俯いていたが、
スッと目線を上げて二人を見据えた。

「私も向こうへ帰ったら、ちゃんと自首します」

214: 2014/05/23(金) 08:18:51.54
「二人とも、本当にごめんなさいね」

四日目の夕方。
帰りのクルーザーの上で、紬は謝罪の言葉を述べた。

「いいよ、もう」
「ええ。大丈夫ですよ」

二人は笑いこそしなかったが、
紬に対する怒りは持ち合わせていなかった。

「特に梓ちゃんには」

「やめてください」紬の言葉を梓が遮った。
「私も取り返しのつかないことをしました。
謝られるような立場じゃありません。
澪先輩と律先輩。あとはそのご家族や友人たちに。
謝っても謝り切れません。
これから一生をかけて償っていくんです」

クルーザーが水しぶきを上げ、
船体が大きく揺れた。

215: 2014/05/23(金) 08:20:59.10
遠くに沈みゆく夕日を見つめながら梓は続ける。

「償っていく途中で私が折れそうになったら、
ムギ先輩が支えてください」

紬の方に真っ直ぐ向き直る。

「ええ」紬は強く頷いた。
「じゃあ梓ちゃん。私のことも支えてくれる?」

梓はそこで初めてニッコリと笑った。

「ええ。もちろんですよ」

そのとき。
二人の肩に手が乗せられた。
振り向くと唯の顔がある。

「私も支えるからね!」

三人の抱き合うシルエットが、波間に揺れていた。

終わり

217: 2014/05/23(金) 08:28:11.57
読んでくれた人、支援してくれた人、レスくれた人、みんなありがとう
途中何度も規制食らってうまいこと投下できませんでした
すみません

220: 2014/05/23(金) 08:56:21.58
おつ

引用元: 唯「犯人はあなたですね。律ちゃん」