4: 2012/02/09(木) 02:07:20.92
 幸せの形は人によって様々だ。


 暖かい家庭、大切な仲間、愛しい恋人……。

 好きな仕事、楽しい趣味……


 幸せは、人と、その人の現在(いま)の数だけ存在する。


 でも、巡るめく生活の中で、もしもそのどちらかを選ばなければならなくなったとなったら……。


 ―――あなたは、どちらを選びますか?

5: 2012/02/09(木) 02:08:37.63
 それは、年明けまで残り数日となった冬のある日の事。

 学校も冬休みに入り、今日は久々の休暇。 私も大掃除を終えた部屋で、のんびりと休日の一時を過ごしていた。


さわ子「大掃除も終わったし年賀状も書いた、仕事もとりあえず区切り付けたし、今日は久々のオフといきますかねぇ……♪」

 私は意気揚々とパソコンの電源を立ち上げ、ネットを開き、お気に入りの動画サイトにアクセスする。


さわ子「えっと……」

 カタカタとお気に入りのアーティスト名を入力し、検索タグから表示されたサムネイルの中から、好きなアーティストの動画を適当に選んでし、その音源を聴いてみる。

 ~~♪ ―――!!


さわ子「んんん……や~っぱ海外のメタルは、クオリティが違うわよねぇ~~」

 ネットの動画サイトに上げられているメタルを聴いては時に調子良く乗ってみたりして、私は自分だけの時を過ごしていた。

8: 2012/02/09(木) 02:10:31.90
 ……この学校に赴任して早数年、今年は教師として初の担任になったり、これまでに続いて吹奏楽部と軽音部の2つの部活の顧問を掛け持ちしたりと、私の教員生活も、慌ただしいながらも相応に充実していた。

 そう、ある一点を除けば……だけど。


さわ子「~~♪……ん?」

 パソコンを立ち上げて何時間か経った頃。

 ふと、振動音と共に部屋に響く携帯の着信音に気付き、私は携帯に出る。


さわ子「はいはーい……って、珍しい、母さんからだ」

 着信を告げた主は、実家の母からだった。


さわ子「もしもし、母さん?」

母『ああーやっと出た、さわ子、元気だった?』

 電話越しからは普段と変わらない母の声が聞こえてきた。

 ここ最近は仕事続きで実家に電話すら掛けれない日が続いてたが、母も特に変わりがないようなので、どこか安心する。

9: 2012/02/09(木) 02:11:44.10
さわ子「うん、色々と大変だけど、なんとかやってるわよ」

母『そう、それなら良いんだけどねぇ……あ、あんた、今年のお正月はウチに帰ってくるの?』

さわ子「お正月……ん~……一応帰るつもりだけど、どうかしたの?」

母『いえね、今年は遠くに住んでるおばさん一家もウチに来るみたいだから、さわ子も来るかと思ってねぇ』

 遠くのおばさん一家か……

 最後に会ったのは、確か私が高校生の頃だから、会うのはだいたい10年近くになるのかな……。

 懐かしい顔が頭をよぎる、みんな元気にしてるだろうか。


さわ子「そっか、うん、わかったわ」

母『向こうの家のお子さんも大きくなったって言うからねえ……あんた、今年はお年玉くらい用意しときなさいよ?』

さわ子「お年玉ねぇ、あ~あ……私ももう貰う側じゃなくて、あげる歳かぁ」

母『なーに言ってんの、あんた来年でいくつになると思ってんの?』

さわ子「と、歳の事はいいでしょ……?」

 歳の事を言われ、思わず眉間にシワが寄る。

10: 2012/02/09(木) 02:13:01.73
母『仕事もいいけど、そろそろ将来の事も考えておかないと……でないとさわ子、あんたそのまま行き遅れちゃうわよ?』

さわ子「あーあー、何も聞こえませーん」

母「あのねぇ……」

 ふざけてその場をしのぐように話を終わらせようとするも、母の話は一向に終わる様子が無かった。


母『私も、早く孫の顔が見たいんだけどねぇ……』

さわ子「もー母さんったら、私だってまだまだ若いんだし、今はそんなに焦る事ないって……」

母「そう言っていられるのも今の内だけよ、年なんてあっという間に過ぎちゃうんだからね?」

さわ子「……母さん、あんまりしつこいと私行かないわよ?」

 少しだけ語尾を荒くし、私の不快感をそれとなく母に伝えてみる。

 すると気を悪くした事に気付いてくれたのか、母は平謝りで話を止めてくれた。

11: 2012/02/09(木) 02:14:37.87
母『あらごめんなさい、私ったらつい愚痴っぽくなっちゃってやーねぇ』

さわ子「……もう、とりあえず元旦にはそっち向かうから、おばさん達にもよろしく言っといて」

母「ええ、それじゃあさわ子の好きなお雑煮作って待ってるからね?」

さわ子「ありがと、それじゃあね」

 ――ピッ

 そして、半ば強引に話を切り上げ、電話を切る。


さわ子「ふぅ……まったく、母さんったら……」

さわ子「………分かってるわよ、そんな事…………」

 ……そう、そんな事、自分でも分かっていた事だ。

 歳だって25も過ぎ、友達も次々と結婚して行き、いわゆる『行き遅れ』っていう、耳が痛い単語が脳裏をかすめる。

 そんな歳に、私は差し掛かっていた。

 ――三十路……俗に言うアラサーなんて言われる嫌な言葉は……気付けば、目前にまで迫って来ていた……。

12: 2012/02/09(木) 02:15:47.77
さわ子「でもでも、今はその……仕事だって忙しいし、軽音部だって吹奏楽部だってまだまだこれからだし……あああもう、やめやめ!!」

さわ子「ったく、せっかくの気分が台無しじゃないの……もーーっっ!」

 抱えていた頭を上げ、誰にでもなく虚勢を張ってみるけど……それで現実から逃れられたら苦労はしないものだ。

 座布団に座り直し、財布を手に考えてみる。


さわ子「……んんん~、お年玉かぁ……もうあげる歳になっちゃったのねぇ……私って……」

 ほんの少し前までは、祖父母や親戚のおじさん達から楽しみに受け取っていた筈だったのに、今度は私がそれをあげる側になるとは……。

 ほんと、知らない間に歳を重ねてしまったと、自分でも思うなぁ……。


さわ子「……お年玉って、今いくらぐらいが普通なのかしら?」

 財布の中に入ってる紙幣の枚数を数え、それを計算してみる。

13: 2012/02/09(木) 02:17:08.84
さわ子「私の時はだいたい1~2万円ぐらいだったけど……いや、でもそれだと来月発売のアルバムが遠のくし、車検だって近いし車のローンもまだ残ってるし……ううう……」

 頭の中でソロバンをはじき、大体いくらぐらいが相場なのかを考えてはみる……が、考えれば考える程にまとまらなくなって行く。

 て言うか、……そんな計算をしてる自分がどこか嫌になった。

 でも、私だって一応は教師なんだし……大人だし、親戚に見栄ぐらいは張りたい……けど、見栄を張りすぎて自爆するのも、大人としてそれはそれでかっこ悪い。


さわ子「んんん~~……どーすりゃいいのよ~~」

 己の懐具合と世間体が頭の中で渦を巻き、それが葛藤となって余計に私を悩ませる。

 あの頃笑顔でお年玉をくれたおじさん達の中にも、実はこんな葛藤があったのだろうか……?

 財布の中の紙幣を睨みつけては、私はそんな事を考えていた……。

15: 2012/02/09(木) 02:18:24.58
――――――――――――――――

 簡単な食事を終え、動画の続きを見ていた時だった。


さわ子「あ……」

『――ド○ンゴが、午前0時をお知らせします……』

さわ子「もーー、いいとこだったのに時報うざったいなぁ……って、0時?」

 ふと、ある事に気づき、カレンダーで日付を確認してみる。


さわ子「そっか……もう、クリスマスなんだ……」

 そう、日付は変わり、今日は12月の24日。

 今時の独り者には無縁となる、忌まわしい聖夜の日となった。


さわ子「生憎と予定はないし……また今年のクリスマスも紀美達と一緒……かなぁ~、あーあ……」

 放っておいた携帯を取り、紀美に電話をかけてみる。

 そして数秒のコール音の後、紀美の声が受話器から通って来た。

16: 2012/02/09(木) 02:20:34.55
紀美『はーいもしもし? さわ子どったん?』

さわ子「久しぶり~、あの紀美、今日の夜ヒマしてる?」

紀美『今日って……ああ、もうクリスマスか』

さわ子「うん、もし予定がなかったら、またみんなで集まって、私の家で鍋パでもやらない?」

紀美『はっは~ん、さてはまた今年も一人だなぁさわ子~?』

さわ子「べ……別にいいじゃない、そんな事~」

 紀美のこのリアクションも半ば予想はしてた……が、実際に言われると少々キツイ物があるなぁ。


紀美『あっはっは、ごめんごめん、冗談だって』

さわ子「まったく、笑えないってーの」

紀美『まぁまぁ……うん、私も一人だからいいよ、今年も付き合ってあげる』

さわ子「ありがと、ごめんね? 急にさ」

紀美『気にしない気にしない、アタシとさわ子の仲っしょ?』

17: 2012/02/09(木) 02:22:20.92
紀美『一応デラとジェーン達にも声かけてみるよ、明日の夕方ぐらいに適当に買い物してからそっち向うから、料理の方よろしくね~』

さわ子「うん、分かった~」

紀美『んじゃ、またあとでね、メリクリ~』

さわ子「めりくりー」

 ――ピッ

 通話を終え、冷蔵庫の中を開けてみる。


さわ子「それじゃ、明日は鍋と行きますかね……」

 献立は何が良いだろうか。

 去年は確かカレー鍋だったし、今年はシンプルに水炊きでもいいかな?

 ん~……でも、すき焼きも捨てがたい………。


さわ子「ま、明日買い物しながら考えよっと」

 そう思い立ち、今日はもう時間も時間だし、私ももう寝る事に決めたのだった。

18: 2012/02/09(木) 02:25:03.39
 …………。

さわ子「……………」

 敷いた布団に潜り、昔を思い出す。

さわ子(…………今年も……かぁ)


 一昨年は確か唯ちゃんの家で、軽音部のみんなや憂ちゃん、和ちゃん達を交えたクリスマス会をやったんだっけ……その次の年には紀美達と一緒に鍋パをやって……

 今年も、去年と同じように紀美達と一緒に……。


さわ子(……思えば、あの時彼氏にフラれてからもう2年も経つのかぁ)

 それから今日に至るまで、それらしい男は未だ現れず……か。

 我ながら、結構寂しい生活を送ってるものだ。

19: 2012/02/09(木) 02:25:32.58
さわ子(…………来年こそは、私だって……………っ)

さわこ「……ふんすっ」

 唯ちゃんの言葉を借り、とりあえず意気込んでみる。

 そうだ、来年こそは……私だって………。


 …………


 ――夜は更けていく。

 どこか空虚な気持ちを残したまま、私の意識は、次第にまどろみの中に溶けて行った……。

20: 2012/02/09(木) 02:27:01.98
―――――――――――――――――

 翌日

 ――ピンポーン…♪

さわ子「来た来た…♪ はーい、今開けるわよー!」

 家のチャイムが部屋に鳴り響き、来客を告げる。

 それが紀美達の到着と確信した私は料理の火を止め、彼女達を出迎える。


 ……ちなみに今年の鍋は新たな挑戦の意味合いも兼ね、トマト鍋にしてみた。

 味付けは問題ないし、他のみんなの口にも合うとは思う、たぶんだけど。


紀美「やっほーさわ子、披露宴のライブ以来だねぇ」

さわ子「いらっしゃーいってあれ? 他のみんなは?」

紀美「あー実はさ……デラもジェーンも他のみんなも、どうしても都合つかなくってさ……」

さわ子「マジで……?」

紀美「うん、マジで」

21: 2012/02/09(木) 02:28:52.39
 紀美のその一言に思わず固まる私。 まさか……こうなるとは予想外だった。

 料理も結構作ってしまったし、どうしようかな……。


紀美「デラは最近できた彼氏と一緒って言うし、ジェーンも今実家に帰ってるって事でね…」

紀美「……ああ、ジャニスは仕事だって言ってた、一応あそこのライブハウス、クリスマスの夜はそれなりに盛り上がるからねぇ」

さわ子「まぁ……あそこはね」

 確かに、クリスマス限定のライブなんて、よくある話だからなぁ。


紀美「ミホコは当然旦那と一緒で、そんなわけで、今年は私一人になりましたとさ……あはは」

 渇いた笑いのまま、紀美もまた残念そうに項垂れていた。

 まぁ………急だったし……仕方ないっちゃ仕方ないか……


紀美「そ、その代わり、お酒はたくさん買っておいたよ! だから今日はとことん飲もう! ね?」

 紀美の持つビニール袋の中には、確かに大小様々な酒瓶が入っていた。

 けど……それを1日で飲む気なのか、紀美は。

22: 2012/02/09(木) 02:31:20.79
さわ子「いいわよ、そんなに気を遣わなくても。 今日だって、もともとは私の思い付きだったんだしさ」

紀美「まーまー、たまにゃー二人で飲むのも悪くないって事にしてさ……ね? ほら、せっかくの女子会だし、何よりクリスマスだしさ」

さわ子「女子会ってあんたねぇ…………まぁいっか、とりあえず上がってよ、お鍋ももうじき出来上がるから」

紀美「じゃーお邪魔しまーす♪ おー、いい匂いだねぇ♪」

 やたらと上機嫌に振舞う紀美だ。 私に気を使ってるのがよく分かる。

 そういう分かりやすいところは、昔も今も変わってないなと思う私だった。


さわ子(……ま、いっか)

 ――いきなりって事もあったし、それで来なかったみんなを悪く言うのは止そう。

 それはさすがに大人気が無いし、何よりも……自分が余計惨めになるだけだ。


さわ子(……しかし、デートに帰省に仕事に旦那…ねぇ……みんな、充実してるじゃないの……)

 うん、仲間が充実してるって事は、きっと良い事なんだ……そうなんだ。


 そう、良い事なんだ―――。

23: 2012/02/09(木) 02:35:37.64
紀美「じゃー、メリークリスマース!」

さわ子「メリークリスマース」

 ――カンっ!

 私と紀美はグラスを交わし、乾杯をする。

 コタツの上には大鍋がどっかりと陣取り、脇にはケーキにつまみに酒瓶が並ぶ。

 適当につけたテレビもそう、サンタの格好をしたお笑い芸人がどこかで見たようなネタをやっていたりで、普段一人で過ごす私の居間は、いかにもな宅飲み場と化していた。


紀美「しかし、すごい量だね、こりゃあ……」

さわ子「あはは……やーっぱり作りすぎちゃったわよねぇ」

 まー、勝手に大人数が来る事を予想して作った鍋だし、こりゃー明日まで絶対に余るだろうなぁ……。

 なんて事を思いながら、私と紀美は酒を煽っては鍋に箸をつけて行く。

 ……うん、我ながら熱々のスープにトマトの酸味が効いて、それが酒によく合う味だと思う。

 もしも居酒屋で出るんなら、それなりに値の張るメニューになるだろうなぁと、そんな勝手な事を考える私だった。

24: 2012/02/09(木) 02:37:27.57
紀美「うん、この鍋なかなかイケるよ、さわ子」

さわ子「ありがと、これでも結構味付けとかこだわってみたのよ……あ、そっちのお酒もう一本取って貰っていい?」

紀美「はいよ、注いであげる」

さわ子「ありがと」

 トクトクとグラスに注がれるワインを一気に飲み干す。

 酸味とアルコールが少々キツいが、でもどこか上品な味わいがして、実に美味しいと思えるワインだった。


紀美「おーおー、行くねぇ…」

さわ子「今日ぐらいは…ひっく……特別よ~」

紀美「あはは、じゃあアタシもいただくよ」

さわ子「はい、じゃあ今度は私が……」

 手頃な瓶を開け、紀美のグラスにその中身を注ぐ。

25: 2012/02/09(木) 02:40:36.54
紀美「って……あんたそれウイスキー! しかも割る用のヤツ!」

さわ子「あれ? あーごめんごめん、間違えちった♪」

紀美「お前はアタシにそれを飲めってか……」

さわ子「だいじょーぶだいじょーぶ、紀美ならイケるって♪」

紀美「さわ子、酔うの早すぎだっつーの」

さわ子「あははは、今日ぐらいはいいじゃないの♪」

紀美「ま、いっか……」

 並々と注がれた琥珀色のウイスキーを、紀美は一気に口に流し込む。


紀美「………くううう……!!…うん、やっぱしキツい!」

 ウイスキーを飲み干し、そのアルコールに一気に顔を赤める紀美だった。


さわ子「ぷっ、紀美顔真っ赤~」

紀美「だーれのせいだだれの」

さわ子「それ、もうひとこえー」

28: 2012/02/09(木) 02:46:54.49
紀美「だ~~~、もう、あんたは~~」

さわ子「なーんで持ってんの?」

紀美「ネタが古い! ……ええい、もう知らないわよ、どうなっても!」

 そして再び紀美はグラスの中身を一気に飲み干す。


紀美「っっっはぁぁ!! もー無理! 絶ッッ対無理!!」

 さっきよりも一層顔を赤くし、紀美は息を切らしていた。


さわ子「あはははっっ、あ~楽しい~~♪ こんなに楽しいの久々~♪」

紀美「まったく……まぁ私も、こんなに楽しく飲むのも久しぶりかも」

さわ子「紀美を誘って正解だったわよ、ありがとね」

紀美「こっちこそ、声かけてくれてありがと、さわ子♪」

さわ子「あはは、どういたしまして……♪」

 賑やかな声が部屋に響く。

 こうして、私達の密やかなクリスマス会は進んで行ったのだった……。

30: 2012/02/09(木) 02:49:06.23
――――――――――――――――――

 酒のペースも進み、私達の話は途切れることなく進んでいく。

 お互いの仕事の愚痴に、私の受け持つ軽音部の話、学生時代の頃の思い出話に……恋愛の話……。

 女二人とはいえ、ことこの手の話題は幾つになっても尽きないものだった。


さわ子「しかし……来てくれたのが紀美だけとはねぇ……みんな、それなりに充実してるのねぇ~」

紀美「まー、みんないい歳してるからねぇ」

さわ子「私達もそれと同じ歳なんだけど」

紀美「ま、それもそっか……」

さわ子「そうそう、ウチの母さんなんだけどさぁ」

紀美「お母さんと何かあったの?」

さわ子「うん、昨日も久々に電話かかってきたと思ったら、やれ『早く結婚しろー』だの、『他の親戚は子供がいるのに』だのってさ~」

紀美「ははは、そりゃ災難だったねぇ」

33: 2012/02/09(木) 02:53:16.50
さわ子「まーったくいつまで経ってもお節介なんだから、うっさいったりゃありゃしないっつーの……」

紀美「きっとお母さんも心配してるんだよ、さわ子の事さ」

さわ子「心配って言うか、老婆心ってやつでしょ、まさに」

紀美「……いいじゃないの、そうやって、独立しても娘の将来の事心配してくれる親がいるってさ」

さわ子「紀美……」

紀美「アタシはさ、散々勝手やって、んで、勢いで家飛び出してきたよーなもんだからねぇ」

 そう、タバコの煙をくゆらせながら、紀美は遠い目で言う。


紀美「全然実家にも帰ってないし、そーやって気兼ねなく実家に電話できるさわ子の事、少しだけ羨ましいと思うよ」

さわ子「……ごめん」

紀美「いいっていいって。 あ、それよりもあんた、次の彼氏はどーすんのさ?」

さわ子「彼氏なんて全然よ、今は仕事でそれどころじゃないわ」

34: 2012/02/09(木) 02:55:33.03
紀美「ま、初の担任で3年生なんか受け持っちゃ、そんな余裕あるわけない……か」

紀美「……一応さわ子の好みのタイプで紹介できる男ならアタシ何人か知ってるから、落ち着いたらいつでも話してくれていいからね」

さわ子「うん、ありがとね……」

 紀美の言葉がちくりと胸を刺す。

 やっぱり心配、かけてるのかな。


紀美「なーに落ちてんの、せっかくのクリスマスなんだし、今日は楽しく飲も! ほら、あんたもコレ飲む!」

さわ子「それウイスキー……しかも割ってないでしょ」

紀美「ふふふ、さっきの仕返しだ」

さわ子「おーおー、やったろーじゃないの!」

 紀美の注いだウイスキーを勢いに任せて一気に飲み干す。

 ……あまりのアルコールの濃さに若干視界がふらつくが、もう気になんてしていられなかった。

35: 2012/02/09(木) 02:57:37.05
さわ子「えっぷ……っっ! き……今日は飲みまくるわよー!」

紀美「いい飲みっぷりだねぇ♪ おうよ、行ったれキャサリン!」

さわ子「おうよクリスティーナ! メリークリスマーース!!」

紀美「メリークリスマース!」


 ………二人の飲み会は続く。

 寂しさを酒と一緒に飲み込むように、私達は次々とグラスを空けて行く。

 明日も休みだし、今日は二日酔いの事なんか気にせずに飲んでやろう。

 それが、気を使って来てくれた紀美への、私に出来る恩返しだと思うから……。

 だから飲む、とにかく私は飲む。 飲んで飲んで……飲み潰れて……そして、そのまま眠りについていた。


さわ子「んん……らい…ねん……来年こそは、かっこいい男と迎えてやるんだからぁぁ……」


さわ子「まってなさいよぉ……らいえんの……くりふまふぅぅ……」

36: 2012/02/09(木) 02:58:45.27
――――――――――――――――――

 それから1週間。

 年も明け、新年になった日の昼ごろ、私は久々に実家に顔を出していた。


さわ子「ただいまー、明けましておめでとー」

母「ああ、おかえりさわ子、あけましておめでとうね」

 久方ぶりに訪れた実家の戸を開けると、母が出迎えに来てくれていた。


さわ子「この時期はやっぱりどこもかしこも混んでるわね~、車がちっとも進みやしないわ、あはは」

母「お正月だし仕方ないわよ、荷物、部屋まで持ってくわよ?」

さわ子「うん、ありがと」

母「おばさん達、もう来てるからしっかり挨拶なさいよー?」

さわ子「はーい…って……いつまでも子供扱いしないでよー」

 そして母に荷物を渡し、居間に向かう。

 居間にはテレビを見ながらくつろぐ父と、伯父一家の姿が見えた。

37: 2012/02/09(木) 03:00:23.32
父「さわ子、おかえり」

伯父「さわちゃん久しぶりー、また綺麗になったなぁ~」

伯母「さわ子ちゃんやっほー、元気だった?」

さわ子「お久しぶりです皆さん、明けましておめでとうございます」

 そして恒例の挨拶を済ませ、私も団欒に加わる事にしたのだった。


さわ子「父さんも久しぶり、変わりはない?」

父「ああ、おかげさまで、元気でやってるよ」

さわ子「うんうん、相変わらず元気そうで安心したわ」

伯父「さわちゃんは確か……今高校で先生をやってるんだったっけ?」

さわ子「ええ、去年初めて担任を受け持ったんですよ」

38: 2012/02/09(木) 03:01:48.63
父「仕事はどうだ? 順調か?」

さわ子「ん~、さすがに3年生は大変よ、みんな揃ってやんちゃなんだから」

伯父「はっはっは、さわちゃんも昔はそうだったからなぁ」

さわ子「私はもうちょっと落ち着いてましたよー……たぶんだけど……」

一同「ははははっ、よく言うわ」

さわ子「もー、久しぶりに会ったんだしいきなりいじめなくてもいいでしょー?」


 そんな感じで、久方ぶりに山中家一同が集うお正月が始まった。

 およそ10数年ぶりの、親戚揃っての団欒の一時。

 正月ぐらいしか家に帰る事は無かったし、何よりも普段一人の日が多いせいか、団欒の空気がとても落ち着く。


 ―――やっぱり、家族っていいもんだなぁ……。

39: 2012/02/09(木) 03:05:07.26
 そして、母と伯母の作ったおせちが広げられ、新年の挨拶が交わされた。

さわ子「はいこれ、お年玉よ?」

姪「わーい♪」

 姪っ子にお年玉袋を渡す。

 考えに考えた結果、少し奮発してしまったけど、姪っ子のその元気な笑顔を見ると、あれぐらいでも良かったかなと私は思っていた。

 うん、これで良かったのだろう、きっと。


伯母「さわ子ちゃんありがとうねぇ、わざわざお年玉まで用意してくれて」

さわ子「いいんですよ、叔父さんにも子供の頃はよく頂いてましたから」

伯父「ありがとうさわちゃん。 そっかぁ、さわちゃんももう貰う側じゃなくて、あげる歳になったのか」

さわ子「そうなっちゃいましたねぇ……あははは」

母「これからは毎年あげないとね、子供も増えるだろうし、毎年大変になるわよ?」

さわ子「あはははは……まぁ、大丈夫っしょ」

伯父「っはっはっは! 大人になるってのは、大変だからねぇ~」

41: 2012/02/09(木) 03:06:52.24
――――――――――――――――――

 お酒も程よく進み、団欒の一時は続いて行く。

 私も可愛い姪っ子と存分に遊んだりで、久々の団欒を十分に満喫していた。

 ――そんな時だった。 母が持って来た年賀状から、それが起こったのは。


母「年賀状届いてるわよ、ほら、お爺ちゃん達といとこのみんなからも」

さわ子「懐かしい~、みんな元気かしら?」

父「こっちは母さんの実家だな……おお、あちらさんの長男の娘さん、また子供生まれたって」

母「こっちはお父さんの同級生からねぇ、あら、あちらの息子さんも、去年の秋に結婚したそうね?」

さわ子「…………」

 ……なーんか、まずい気がする。

 第六感と言うべきだろう、話が嫌な方向に進んでるような、そんな予感が全身に感じられた。

 そして、それは伯父のある言葉から確信へと変わった。


伯父「そーいや、さわちゃんもそろそろじゃないのかい?」

42: 2012/02/09(木) 03:09:05.62
伯母「あなた……」

さわ子「えっと……な、何がでしょう?」

伯父「いや、確かさわちゃんももうそろそろ良い歳なんだし、結婚相手の一人や二人ぐらい……」

さわ子「…………」

 ……やっぱり来たか、この話……。

 ここ最近かなりの頻度で聞かれてる気がするが、それは私の考えすぎか?


母「そうなんですよ~、まったくこの子ったら、全然それらしい事言わないで……」

父「んー、確かに……さわ子もそろそろ、そういうのを考える歳ではあるよなぁ」

 それに便乗するように、母も父もその話題を口にする。

 こりゃ、もう誤魔化しきれるような状態じゃないな……


さわ子「あの……私はまだ結婚とかそういうのは……」

さわ子「今の仕事だって充実してるし、まだ結婚は早いって言うか……その……」

母「だめよ~、そうやって仕事仕事だと、あんた本当に行き遅れるわよ?」

43: 2012/02/09(木) 03:10:42.29
 母も父も……特に母はそうだ、頭の硬い古風な家柄のせいか、いつまでもその古い考えが拭い切れていないでいた。

 『女は外で仕事をするよりも家で家事をし、子供の面倒を見る』 という古風な考え……別にその考えを悪く言うつもりは無い……けど。

 私も、もうそこまで親の言いなりになる様な歳じゃない。 自分の人生ぐらい、自分できっちりと責任を持って生きたい。


 ……母の気持ちも確かに分かる。

 そんな古風な家系だからこそ母も、その母の兄弟姉妹も、みんな二十歳の初め頃には結婚しては子供を産んでたし……

 その考えを基準にすれば、20後半で結婚もせずに仕事に打ち込んでる私は、その面では確かに心配されても仕方無いだろう……。


 それに、以前紀美に言われた通り、父も母も、私の将来を心配してくれているのも確かに分かる。 ……大きなお世話ではあるが。

 でも、だからこそ……そんな両親の心配を無下に扱えるほど、親不孝にはなり切れない私だった……。

 それに、私自身も、ここ最近の友達の事とかもあり、確かに焦りはしていたし…………。


伯父「そうだ、いい事思いついた」

伯父「実はさ…………」

 …………………。

さわ子「……え?」

44: 2012/02/09(木) 03:12:40.92
紀美「はぁ? お見合い? あんたが???」

 ファミレスの店内に紀美の大声が響く。

 その声に、周りの客の注目が私達の席に集まっていた。


さわ子「声が大きい! もし生徒に聞かれたらどーすんのよ!」

紀美「あ……ああ……ごめん……」

紀美「でもあんた……いきなりお見合いって……」

さわ子「しょーがないでしょ……伯父さん、酔ったら話止まらないんだから……」

紀美「でもねぇ……」

 ……正月の一件から数日経った頃、私は紀美を呼び出し、事の始まりを話していた。

 自分ではどうすることも出来ないこの話を、私はとにかく誰かに話したかった。 

 ――そして出来れば、解決策を教えてもらいたかったんだ……。

45: 2012/02/09(木) 03:14:16.00
 ――年明けのその日、叔父の切り出した言葉は、私を驚かせるには十分な内容だった。


伯父『僕の会社にいい男がいるんだよ、これがまた顔は整ってるのに独身でさ、よくそれ系の愚痴を聞かされたもんだよ』

さわ子『へ、へぇ……そ、それで?』

伯父『彼にも相当結婚願望はあるんだけど、それで良かったらどうかな? 僕が彼を紹介してあげようか?』

母『まぁ……! いいじゃない! 今時お見合いなんて珍しいっ』

父『……ふむ』

さわ子『え……えっとその……お、伯父さん??』

 伯父のその言葉に母は目を輝かせ、父は考え事をしているかのように口を閉ざしている。

 この場で私の味方をしてくれるのは……どうやら伯母さんだけのようだった。

46: 2012/02/09(木) 03:15:33.67
伯母『あなたったら……さわ子ちゃん気にしなくて良いからね?』

伯父『いいじゃないか、これも何かの縁だし……』

伯母『でもあなた、さわ子ちゃんの意見も少しは聞いたらどうなの?』

伯父『まぁまぁ、こういうのは思い切りが大事なんだって』

伯母『あなた……』

 ここ一番で思い切りと行動力に溢れているのは、確かに伯父の良い所なんだろう……でも、言い方を変えればそれは傍若無人で猪突猛進、あまり褒められる事ではなかった。

 この性格が無ければ、伯父も間違いなくいい人なんだけどなぁ……。


伯父『んで、どうだろう、これがその彼なんだけど……』

 伯父が携帯を取出し、1枚の写真画像を私に見せる。

 会社の慰安旅行で取った物なのか、画面には、浴衣姿でさわやかに笑う男性の画像が映し出されていた。


さわ子『……………』

紀美「それで……まさかその顔に一目惚れして、『あ、悪くないかも……』なーんて思ったんじゃ……」

さわ子「そ、そんな事ないわよ! 確かに顔は整ってたけど……その……」

47: 2012/02/09(木) 03:17:41.32
紀美「んでさ、どんな人なの? その見合い相手って」

さわ子「伯父さんの話だと仕事の業績も上々で、一応次の専務候補って言われてるみたい」

紀美「ふむふむ」

さわ子「性格も人当たりが良くて、酒好きだけどタバコもギャンブルもやらない、音楽もクラシックが好きな、決して悪い人ではないって……言ってた」

紀美「ま、結婚相手にゃもってこいの男だねぇ、そりゃ」

さわ子「そうなのよ……」

 これで多少は素行が悪いような男だったらそれを理由に撥ねつける事も出来たのだけど……伯父が紹介してくれたその男性は生憎と、話を聞く限りでは完璧で……。

 私が過去に付き合ってきたどの男よりも、完成された経歴と性格をしていたのだった。


紀美「……さすがに、それは断ったら、お前どんだけ強欲なんだって話になるわな……」

さわ子「……でしょ、客観的に見ても、断るには勿体なさすぎるのよ、その人……」

紀美「まぁいいけどさ……んで、結局その人、来るには来るんでしょ? こっちに」

さわ子「うん、今年の春……3月ぐらいに、顔見せに来るって……」

紀美「……まだ先の話ではあるけど、あまり遠い日でもないね」

さわ子「うん……母さんも伯父さんも、すごく乗り気だったからね……」

48: 2012/02/09(木) 03:19:41.21
 ……結局、伯母の静止の声も聞かずに、伯父は母と一緒にお見合いの話を勝手に進めてしまった。

 父が始終無言だったのは、母と伯父が一度言い出したら聞かない事を知っていたからに違いないだろう。

 そんな母の性格もあり、私が教師を志した時だって、説得に随分骨を折らされたからなぁ……。

 ……でも、私だってただ流されて行く事を選んだわけじゃない、それなりに食い付こうと試みたけど……。

 見合い話に意見をする私を見る母の、その残念そうな顔が……あと一歩の所で、私を引き留めていたのだ……。


紀美「別に、結婚してからでも教師は続けられるんじゃないの?」

さわ子「……それは無理、母さんが絶対に許してくれない」

紀美「結婚したら女は家に引き籠って家事か……頭硬いねぇ、あんたのお母さんもさ」

さわ子「悪い人ではないのよ……ちょっと、ほんのちょっと……考えが古風なだけなの」

紀美「……んん……じゃあ、まさにあれだ、結婚を取るか、それとも仕事を取るかってやつだ」

紀美「うへぇ……どーしたもんかねぇ……」

 タバコに火を付け、紀美は悶々と考え込んでいた。

49: 2012/02/09(木) 03:20:43.02
 私自身の問題なのに、紀美はああでもないこうでもないと考えを巡らせてくれている。

 それがやっぱり嬉しくもあり……また同時に、こんな個人的な事で考えさせてしまって悪いと、私は思ってしまっていた。


さわ子「紀美……」

紀美「……理由はどうあれ、見合い話を了承したのはさわ子自身だろ?」

さわ子「うん……」

紀美「確かに、見合いなんて今時古臭いとも思うし……アタシもどっちかってえとそれには反対だよ」

さわ子「うん……」

紀美「でも、あんた自身はどうなのさ?」

さわ子「私自身……?」

紀美「そ、さわ子はどう思ってるの?」

紀美「あんた今悩んでるっしょ、結婚と仕事、どっちを取るべきかって」

さわ子「……………」

 鋭いな……紀美……。

 いや、紀美じゃなくても、私の話を聞けば、普通は察しが付くか。

50: 2012/02/09(木) 03:23:43.42
紀美「いい男と結婚して親を安心させたいし、友達だって相次いで結婚して子供をこさえてるし……自分もそろそろ結婚したいっていう気持ちと……」

紀美「今の仕事を、教師を続けたいっていう純粋な気持ち、今のさわ子の中にはこの二つがある、そうでしょ?」

さわ子「……うん」

紀美「でも、自分は遅かれ早かれ、そのどっちかを選ばなきゃならない」

紀美「けど、どっちも悪くは無い、このまま仕事に打ち込むのもいいし、結婚して家庭を築くのだって、きっと悪い事じゃない」

さわ子「……うん」


紀美「私にはどっちがいい、なーんて事は言えない。 だってそれは、さわ子自身が決める事だからね」

紀美「……だからさわ子、あんたはどっちなのかを聞くよ」

さわ子「私自身………か」

 しばらく俯き、自分なりに考えを巡らせてみる。

 その時だった。

52: 2012/02/09(木) 03:24:41.61
声「ママー、はやくっはやくっ♪」

声「そんなに慌てないのー、まったくあの子ったら……」

声「ははは、いいじゃないか、元気で何よりだ……ああすみません、3人禁煙でお願いします」

ウェイトレス「かしこまりました、こちらへどうぞー♪」


さわ子「…………子連れ…か」

 入口から入ってきた、ある家族の姿が目に止まる。

 私と同年代ぐらいだろう、落ち着いた声の旦那さんに、優しい声のおっとりとした奥さんと、その奥さんの手を引っ張り、元気に笑う子供の姿が見えた。


男の子「ママー! ぼくジュースのみたいっ!」

女性「うふふ……じゃあ、今日だけ特別よ?」

男の子「うんっ!ママだいすき♪」

男性「ははは、母さんも何か飲むかい?」

女性「じゃあ……コーヒー、いただこうかしら?」

53: 2012/02/09(木) 03:26:16.89
 遠くの禁煙席のテーブルに見える、ある家族の光景。

 その夫婦の薬指には、うっすらと輝く銀の指輪と……

 そして、その指輪の輝きにも負けないぐらいの、明るい表情の家族の姿が、そこにあった。


さわ子「…………幸せそう……」

 そう言えば……去年の結婚式もそうだった。

 愛する人と結ばれたその友人の笑顔はとても綺麗で……とても幸せそうだった……。


さわ子「…………結婚……かぁ」

54: 2012/02/09(木) 03:28:23.35
 私の結婚生活は、どうなるんだろう。


 ……私の手料理を楽しみに、仕事先から帰ってくる旦那さん。

 その旦那さんを小さな子供と一緒に玄関で出迎えて……私の作った料理を、家族3人で食べて……夜には布団の中で川の字になり、安らかに眠って……。

 連休には実家に帰り、孫の顔を楽しみに出迎えてくれる母と父……そんな二人にべったりな子供と、その光景を優しく見守る私がいて……


 ……普通の幸せ……ありふれていて……とても些細な、幸せな結婚生活……。


 ……私にも、得られるだろうか。

 あの家族にも、あの時の友達にだって負けない……素敵な笑顔に満ちた、幸せな日々が………。


さわ子「……私……お見合いの話、進めてみる」

55: 2012/02/09(木) 03:32:26.73
紀美「そっか……まぁ、さわ子が決めたんなら、私は応援するよ」

さわ子「うん……ありがと、紀美」

紀美「いいって……んじゃぁ見合いに似合う和服ぐらい、今度見に行こっか?」

さわ子「そうね……いつぐらいが予定取れそう?」

紀美「アタシもこれから仕事で忙しくなるからなぁ……来月ぐらいでどう?」

さわ子「うん、じゃあ来月の頭ぐらいに、ちょっと買い物付き合って」

紀美「おうよ、どーせやるんなら、バッチリやっちゃいな♪」

さわ子「あはは、そうねぇー」

 ……きっと、これで良かったのだ、うん。

 そう、自分の中に残ったわだかまりを流し込むように、私はコーヒーを飲み干す。


さわ子「お姉さん、コーヒーもう一杯」

ウェイトレス「かしこまりました~♪」


 ――やってやる、やってやるんだから。

57: 2012/02/09(木) 03:34:33.45
さわ子「――ふんすっ!」

 そう、教え子の言葉を借りて、私は意気込むのであった。


――――――――――――――――――

 そして月日は流れて行く。

 新学期も始まり、1月の終わり……。


 職員室には、合格通知を貰って歓喜してる生徒や……それとは逆に不合格を告げられ、落ち込んでいる生徒等、様々な生徒の顔がちらほらと見え隠れしていた。

 私がこの学校の生徒だった時も、この時期はそうだったっけ……

 確か、職員室のあちこちでこんな光景があった事を、うっすらと覚えていた。


さわ子「うん……第二志望には落ちちゃったけど……まだ第一志望が残ってるから、焦らずにね?」

生徒「はい、ありがとう……ございます……っっ」

さわ子「そんなに落ち込まないの、気分が暗いと、受かるものも受からなくなるわよ?」

さあこ「……大丈夫、自分でたくさん考えて悩んで……それで進んだ道なら、きっと後悔はしないと思うから……ね?」

生徒「はい……っっ……えへへ……うん、山中先生、私もう一度頑張ってみる!」

58: 2012/02/09(木) 03:37:38.83
さわ子「ええ、それじゃ……寄り道しないで早く帰るのよ?」

生徒「はーいっ、山中先生ありがとうございました!」

 そう、元気にお礼を言い、一人の生徒は職員室を飛び出して行った。


さわ子「きっと後悔はしない……か」

さわ子(私が言っても、なんか白々しいなぁ……)

さわ子「んんん……」

 大きく伸びをして、肩を鳴らしてみる。

 ぽきりと鳴る肩の音がどこか気持ち良い……反面、そんな年寄り染みた事をしてる自分がちょっぴり嫌になった。


堀込「山中先生」

さわ子「っと……堀込先生、お疲れ様です」

 かつての私の担任であり、今は私の上司である堀込先生が、コーヒーカップを片手に声をかけて来てくれた。


堀込「ああ、お疲れ様……どうだ、生徒の進路は」

さわ子「まぁ……みんな落ちたり受かったりで、一喜一憂ですねぇ……私もなんだか飲まれそうで……さっきの生徒も、あんなに頑張っていたのに、それが残念で……」

59: 2012/02/09(木) 03:39:31.28
堀込「はっはっは、まぁ、それが担任ってやつだからな……ほれ、ブラックだが、飲むか?」

さわ子「ありがとうございます……」

 先生の淹れてくれたコーヒーを飲み、一息つく。

 インスタント独特の苦みが口から頭を刺激し、若干ではあるが、目が覚めた気がする。


堀込「生徒の学生生活も残り僅かか……山中、最後までしっかりと頼むぞ」

さわ子「はい、あの子達は、私が最後までしっかりと面倒見ます」

堀込「良い返事だ、それではな」

さわ子「はい、お疲れ様です」

堀込「っと……そうだ、2年の軽音部の生徒が言っておったぞ、最近先生が来てくれないから、練習がいまいち進まんとな」

さわ子「……梓ちゃんが?」

 そういえば……3年生の進路の事もあってか、ここ最近は吹奏楽部にも軽音部にも私…全然顔出してなかったな……

 吹奏楽部は部長や2年生に任せてたけど、軽音部には今梓ちゃんしかいないだろうから、きっと寂しがってる事だろう。

 仕方ない事とはいえ、梓ちゃんには悪い事をしたと思う私だった。

60: 2012/02/09(木) 03:43:03.48
堀込「部活の顧問なら、請け負った部の方もしっかりと見とれ、生徒は3年生だけではないんだぞ?」

さわ子「そうだった、私、今からちょっと見てきます」

堀込「ああ、まだ部室にいるだろうから、行ってやれ」

さわ子「はい、ありがとうございましたっ」

 先生の言葉に頷き、私は書類をまとめ、そのまま音楽室に向かう事にした。

――――――――――――――――――

 音楽室の扉を開けると、窓際の椅子にちょこんと座ってた梓ちゃんが一人で練習をしていたのが見えた。

 誰もいない部室で一人で練習……か……先輩達も受験でそれどころではないだろうし、こりゃぁかなり寂しかっただろうな……。


さわ子「梓ちゃん、いる?」

梓「あ……先生、今日は大丈夫なんですか?」

さわ子「うん、時間も空いたから、今日は暗くなるまで付き合うわよ」

梓「あ、ありがとうございます!」

さわ子「唯ちゃん達は……もう帰ったのね?」

梓「はい、少し前までは先輩達もいたんですけど……今日は図書館で和先輩達と勉強みたいで……」

61: 2012/02/09(木) 03:46:23.48
さわ子「そっか……じゃあ、今日は私がみっちりと教えてあげる」

梓「はい、ありがとうございます♪」

さわ子「覚悟なさいよー? 私の特訓、結構厳しいんだからね?」

梓「ゆ、唯先輩にだって出来たんです、私だって……!」

さわ子「あはは、やる気があって良いわねぇ」

さわ子「じゃー、まずは歯ギターとシャウトのやり方から……」

梓「それは結構です」

さわ子「も~、ノリ悪いわねぇ~~」

梓(今更だけど、この人に教えてもらって大丈夫なのかな、私……)


 そして、私と梓ちゃんの二人だけの個人レッスンが始まった。

――――――――――――――――――

さわ子「じゃあ、何かそらでも演奏できるやつ、試しにやってごらんなさいな」

梓「えっと……じゃあ、ふでペン、行きますね」

62: 2012/02/09(木) 03:52:30.08
 ――♪ ~~~♪

 梓ちゃんのギターから音がこぼれ始める。


さわ子「……………」

さわ子(へぇ……こうして改めて聴いてみると、梓ちゃん、結構やるじゃないの……)

梓(せっかくさわ子先生に教えてもらうんだもん、私も頑張らないと……)

梓(普段通りにやれば大丈夫……普段通りに……)


 梓ちゃんの演奏は、つたない部分こそあれど、そのバランスは唯ちゃん以上に安定が取れている音だった。

 要所要所の音は間違いなく安定しているが、梓ちゃん単体では若干それが隠れ気味で、唯ちゃんの様に一本抜け出た感があるとは、確かに言い辛いのかも知れない。

 ……でも、唯ちゃんとは対照的に長年ギターに触れて来た事もあってか、瞬時に自分の音に微調整を加える辺り、彼女自身の相対音感は相当に高いと言うのがよく分かる。


 絶対音感と言う天賦の才を持つ唯ちゃんに対し、長年音と共に培ってきた梓ちゃんの相対音感……俗にいう『天才型』と『努力型』の、相反する二つの才能。

 その音は決して唯ちゃん一人では生み出せない。 その支えとなるギター、それが梓ちゃんだったからこそ生み出せたギターの音色……

 ……放課後ティータイムのギターは、この二人だったからこそ、成り立っていたのだと、今更ながらに確信する私だった。

63: 2012/02/09(木) 03:53:49.14
梓「……どう……ですか? 私の演奏……」

さわ子「うん、基礎もできてるし、リフも唯ちゃん以上に正確だったと思うわ」

さわ子「でも、やっぱり……ん~~~……何か、足りないのよねぇ」

梓「えっと……何が足りないんでしょうか……」

さわ子「んんん……」

 私はしばし考え込む……。


さわ子(……あ、もしかして……)

 そして、梓ちゃんの音に感じた、一つの持論を投げかけてみた。

64: 2012/02/09(木) 03:54:38.43
さわ子「もしかして梓ちゃん、さっきの演奏、いつものライブの感覚でやってなかった?」

梓「えっと……はい、普段通りで行こうって思って弾いてました」

さわ子「きっとそれよ」

梓「それ…?」


さわ子「ええ、梓ちゃん、メインになろうって気で弾いてないんだもの」

梓「メイン……?」

さわ子「梓ちゃんはきっと今まで、唯ちゃんを引き立てようって気で演奏をしていたと思うんだけど、違うかしら?」

梓「……それは……はい、やっぱり私達の演奏って唯先輩のギターが一番のポイントですから……あ……!」

さわ子「気付いたわね……」

65: 2012/02/09(木) 03:55:55.95
 ……そう、今までの梓ちゃんは、唯ちゃんを支える音を奏でていた。

 それは、リードギターを支えるリズムギターの役割としては決して間違ってはいない……が、それはあくまでもリードがいればの話。

 先程の梓ちゃんの演奏だってそう、彼女の奏でた旋律は確かにリードギターの主旋律ではあったが、弾いてる本人はあくまでもサブの気持ちであり、メインで弾こうって気がなかったのだ。


梓「私……もう、唯先輩を支える必要、ないんですよね」

さわ子「そうよ、唯ちゃん達が卒業したら、これからは梓ちゃん、部長のあなたがメインなんだからね?」

梓「私……自覚が足りてませんでした」

さわ子「もう一度弾いてごらんなさい、今度は、自分の音が主役って気になって……ね?」

梓「……はい!」

66: 2012/02/09(木) 03:57:19.94
 ~~♪ ……♪


 先程の演奏とは打って変わり、梓ちゃんの音からは存分に力を感じられる。

 自分の音を精一杯表現しようと言う気が音にもしっかりと表れ、先程の控えめな音とは比べものにならないほどに、表現力が増していた。



 ……特筆した唯ちゃんの音を陰から支え、そのギターの音色をより一層豊かにする梓ちゃんのギター。

 それに加え、若干走り気味ではあるが非常に力強く、全体をがっしりと支える基礎となるりっちゃんのドラムに、その基礎を正しく導くように奏でられる澪ちゃんのベース。

 それらの『音』を彩り、まるで花のようなアクセントを添える、ムギちゃんのキーボード……。


 全ての音と、彼女達の何よりも純粋に音を楽しもうとする想い。

 それらの全てが合わさるからこそ、彼女達の演奏は素晴らしい。

 放課後ティータイム……一つのバンドとしては、すごく完成されてるバンドなんだなと、改めて思う。


 これからは、そんな彼女達の意思を引き継ぐであろう梓ちゃんが、軽音部を担っていくのだ。

 そして……梓ちゃんの育てた後輩が……またそれを引き継いでいって……私はそれを、いつまでも、いつまでも見守っていって………。

67: 2012/02/09(木) 03:59:07.91
さわ子「………………」

 なんで、今更になってこんな事を思うのだろう、私は。

 こんな当たり前の事に、どうして今になって気付いてしまうのか。

 ――結婚するって決めたのに。 教員を辞めて、それとは違う新たな幸せを……手に入れようって気になったのに。


 もう、教員生活にも区切りをつけるべきだと言うのに……どうして、今更になって……。

 ……明るい未来に、期待をしてしまうのだろう……。


さわ子「…………っっ………」

 梓ちゃんの演奏を聴きながら私は、目頭からこみ上げてくるそれを、懸命に堪えていた……。

――――――――――――――――――

 それからどれ程の時間が経っただろうか、演奏と指導に夢中だった私達が気付いた時には、既に日暮れの時間を大きく過ぎている頃になっていた。


さわ子「もうこんな時間か……」

梓「いっぱい練習できて、すごく為になりました、先生、ありがとうございました」

さわ子「いいえ……私も、久々に顧問らしいことが出来て良かったわ……梓ちゃん、また来るから、練習頑張って続けてね?」

68: 2012/02/09(木) 04:00:54.41
梓「―――はいっ!」

 元気な返事をして、梓ちゃんは帰り支度を整える。

 そして……。


梓「うわ、だいぶ暗くなっちゃった……」

 梓ちゃんの言う通り夕日もすっかり沈み、校門前には、街灯に照らされる道があるだけだった。


さわ子「梓ちゃん、今日は私が車で送ってあげる」

梓「でも、悪いですよ」

さわ子「いいのよ、こんなに遅くまで残した私も悪いし……それに、こんな暗い中を、女の子が一人で出歩くなんていけないわ」

梓「……すみません、ありがとうございます」

 説得に応じてくれた梓ちゃんを助手席に乗せて、私は車を走らせる。


69: 2012/02/09(木) 04:02:52.54
梓「やっぱり、先生って素敵ですね」

さわ子「そう?」

梓「はい、さわ子先生が先輩達の間で人気なの、なんだかわかった気がします」

さわ子「ふふふ、やっと梓ちゃんにも、私の偉大さが分かったかしら?」

梓「……はい、生徒一人一人の事や、部活の事もよく考えてくれて……さわ子先生が軽音部の顧問で、本当に良かったと思います」

さわ子「……ありがと……ね」

 梓ちゃんの素直な言葉が私の胸を打つ。

 その言葉に、私も最大限の気持ちを込めて、応えるのであった。

――――――――――――――――――

 ~♪

 車を走らせること数分、ジュースホルダに立て掛けていた携帯が鳴った。


梓「先生、携帯鳴ってますよ?」

さわ子「ああ、メールよ、しばらくすれば止まるわ」

70: 2012/02/09(木) 04:04:09.95
 運転してる今は見れないし、あとでも大丈夫だろう。

 ~♪ ~♪

 それから数秒後、再び私の携帯が鳴った。


梓「あ、また……」

さわ子「随分来るわねぇ」

梓「迷惑メール…でしょうか?」

さわ子「ちぇー、アドレス変えたばっかなのになぁ」

さわぉ「またアドレス変えてみんなに送らないといけないのか……結構面倒なのよね、あれ」

梓「分かります……」

 なんて事を言いながら、尚も私は車を走らせる。

71: 2012/02/09(木) 04:05:53.54
 ~♪ ~♪ ~♪

梓「ちょっと……多すぎじゃないですか?」

さわ子「確かに変ね……ちょっと止めるわね?」

 車を適当な駐車場に止め、携帯をチェックしてみる。


さわ子「うわ、メールが20件も……あ、また受信した」

梓「いたずら……でしょうか?」

さわ子「ったく……誰だか知らないけどタチ悪いわねぇ~」

 受信したのは、いずれも見覚えのないアドレスからのメールだった。


さわ子「まったく……削除削除……あれ?」

梓「どうかしましたか?」

さわ子「唯ちゃんに……りっちゃん……あ、澪ちゃんにムギちゃんからも来たんだけど……」

梓「先輩達から…ですか?」

さわ子「うん……何かあったのかしら?」

72: 2012/02/09(木) 04:07:02.88
さわ子「えっと……」

 唯ちゃんからのメールを読み上げてみる。


さわ子「何々……?」

――――――――――――――
・From 平沢唯

・本文
さわちゃんお誕生日おめでと~♪

クラスのみんなからのあっつーいラブメール、見てくれたかな?
――――――――――――――


さわ子「って……まさか……」

 続いて、りっちゃんからのメールも見てみる。

75: 2012/02/09(木) 04:08:55.03
――――――――――――――
・From 田井中律

・本文
さわちゃんお誕生日おっっめでとう☆☆

目指せ今年こそハネムーン!なんちて(笑)
――――――――――――――

さわ子「澪ちゃんに、ムギちゃん……」

――――――――――――――
・From 秋山澪

・本文
さわ子先生お誕生日おめでとうございます。

軽音部で3年間、私達の指導をしてくれて本当にありがとうございました。

特に何も贈り物はできませんけど……せめてクラスのみんなで気持ちだけでも伝えようと思い、こうしてメールを送ってみました。

…私達の気持ち、先生には届きましたか?
――――――――――――――

76: 2012/02/09(木) 04:11:36.06
――――――――――――――
・From 琴吹紬

・本文
さわ子先生お誕生日おめでとうございまーす♪

いきなりで驚いたかと思いますけど、クラスのみんなにアドレスをこっそり教えちゃいました♪

しっかり、全員に返信してくださいね~♪
――――――――――――――


 他にも、和ちゃんに憂ちゃん、ジャズ研の純ちゃんまで……アドレスを知ってる限りでは、私の知りうる生徒全員からメールが寄せられていた。

 その全部が短いながらも、名前と一緒に、私の誕生日を祝ってくれる内容のもので……


さわ子「まさか……このメール全部、クラスのみんなから…?」

梓「そっか……先生今日、お誕生日だったんですね」

さわ子「すっかり忘れてたわ……今日、31日だったのね……」

 お見合いの事やら生徒の進路の事やらで、すっかり自分の誕生日の事なんて忘れていた……。

 でもまさか、こんな嬉しい事してくれるなんてね……

77: 2012/02/09(木) 04:12:55.60
さわ子「……あの子達ったら…………」

 中島さんに瀧さん……若王子さん……他にもたくさん、たくさん……

 全員が私のアドレスを唯ちゃん達から聞きだして、こうしておめでとうのメールを送ってくれた……。


さわ子「まったく……みんな……こんなに大勢、どうやって返信するってのよ~、も~~~」

 あまりの嬉しさに涙がこみ上げてくる……。

 私自身忘れていた誕生日なのに……あの子達、こうして覚えてくれていて……。


梓「先生…」

さわ子「良い歳した女を泣かせるなんていい度胸してるじゃない……帰ったら、全員に返信してやるんだから」

 ~♪

 その時、またもメールが来た。


さわ子「あら、今度は誰かしら?」

78: 2012/02/09(木) 04:15:05.24
――――――――――――――
・From 中野梓

・本文
☆☆先生、お誕生日おめでとうございます☆☆

――――――――――――――

梓「えへへ……」

さわ子「も~~、嬉しいじゃないのこの子は~」

さわ子「みんな…みんな……ありがと……ありがとぅ……っ」

 それは、私の生まれて初めての、最高の誕生日だった……。

 おそらく、この日程、教師をやってて良かったって思える日、きっとなかったと思う。

 でも、だからこそ、複雑だった………。


 ―――こんなに楽しいって思えるのに……私、それを辞めようとしてる……。


 ………結婚と仕事、どちらを取るべきなのか。

 前に決心した事がまた……私の中で揺らいでいくのを、この時、私ははっきりと自覚していた………。

79: 2012/02/09(木) 04:19:38.00
――――――――――――――――――

 月日はあっという間に流れて行き、季節は2月。

 受験生もあちこちの大学から合否の通知が出たり、先生方も卒業式の打ち合わせに来学期の準備と、仕事の方も一層の慌ただしさを見せていた。


 その傍らで私は軽音部のサポートに単身ロンドンに出向いたり、あの子達の歌の録音に付き合ったり……

 忙しい中でも、私は彼女達の先生として、精一杯できる限りの事をやっていた。


 来月への準備だってもう、始まっている。

 お見合い写真の撮影に伯父との電話、度々母から実家に呼び出されては、そればかりやっていたような気がする。


 その2月も終わり……街には、徐々に春の兆しが見え始めていった……。


 …………。


 教壇に立ち、私は生徒の前でホームルームを始める。

80: 2012/02/09(木) 04:20:59.30
さわ子「ここにいるみんなもそのほとんどの進路が決まり、あとは残りの数週間だけね」

さわ子「そーゆーわけだから、卒業式までの間に問題起こして留年、なーんて事が無いように気を付けて、みなさん、最後まで節度ある高校生活を送ってください」

さわ子「いーい? 浮かれて夜まで遊んで事件に巻き込まれるとか、勘弁してよー?」

生徒一同「はーーいっ」

さわ子「うん、みんないい返事ね♪」

さわ子「はーい、それじゃあ今日のホームルームはここまで、委員長さん、号令をお願いします」

和「起立、礼」

 委員長の和ちゃんの号令で、各々が解散していく。

 この光景も、もうすぐ見れなくなると思うと、やはり寂しい気がするなぁ……。


生徒「先生さよなら~♪」

さわ子「はい、さようならー」

81: 2012/02/09(木) 04:22:07.03
律「ん~~っと……ふぅ、卒業式まであと2週間かぁ……」

澪「やる事は大方済んだし、あとは卒業式を待つだけだな」

唯「ねーねーみんなー」

律「んー? 唯、どーした?」

唯「せっかくだし、今日これからどこか遊びに行かない?」

澪「唯……先生も言ってただろ、卒業式まで気を抜くなって」

唯「だって最近私達全然遊んでなかったしー、たまにはどこか遊びに行こうよー」

紬「はーい、私唯ちゃんに賛成~♪」

律「私も賛成~、ここ最近梓への曲作りやら部室の片付けやらで、あんまし遊んでなかったしさー」

律「たまにゃー思い切ってカラオケでも行こうぜぇ♪」

澪「まったく……暗くなる前には帰るからな?」

83: 2012/02/09(木) 04:24:07.54
律「へへへ、わーかってるって♪」

唯「そう思ってあずにゃん誘ってみたんだけど、今日はお家の都合で無理みたいだねぇ……残念」

律「じゃあ今日は、久々に4人で遊ぼっか♪」

紬「うふふ、なんだか久しぶりね~♪」

唯「じゃー、一旦着替えてから駅前でね~♪」

律「あいよーっ」

――――――――――――――――――

さわ子「さてと……行きますか」

 事務整理を終え、私は一足先に職員室を抜けようとする。


堀込「おや、山中先生今日は早いですな?」

さわ子「ええ、ちょっとこの後友達と予定がありまして……」

堀込「ふむ、そうですか」

さわ子「はい……あ、堀込先生、近々、折り入ってお話したい事があるのですが……」

堀込「……?」

84: 2012/02/09(木) 04:25:29.26
さわ子「まだ詳しい事は決まってないんですけど……いずれ時期が来たら、お話します」

堀込「……ほほぅ、山中もついに結婚か」

さわ子「な…何を……! 私、別にそんな事!!」

堀込「冗談で言ったんだが、まさか本当か……?」

さわ子「………………まだ、はっきりとはしてないんですけどね……」

堀込「……ほっほっほ…ま、具体的な話が出たらまた聞いてやる……頑張れよ」

さわ子「……ありがとう……ございます」

 一言礼を言い、私は職員室を抜ける。

 さすが、長年私を含めいろんな生徒見て来ただけあって鋭いな、堀込先生は……。

86: 2012/02/09(木) 04:26:57.92
 ……今日は、紀美と一緒に街でお見合い用の着物を見る約束をしていた。

 互いに仕事続きでなかなか都合が合わなかったが、それが今日、やっと叶ったのだ。


 ……確かに、正直まだ迷ってるところはある。

 けど、悩んでても時間は待ってはくれないし、何もしないわけにも行かない。

 だからこそ、私は動ける時に動いておかないと……。

 立ち止まりたくとも、もう立ち止まる訳には行かなかった。

 いずれにせよ、私は近い内に決めなければいけないのだ。


 ――仕事か結婚か……その、どちらかを……。

―――――――――――――――――――

 街に出た私は夕暮れの頃合いになり、紀美と合流する。


紀美「よ、さわ子待った?」

さわ子「ううん、私も今来たところ」

88: 2012/02/09(木) 04:29:30.44
紀美「そっか、んじゃー時間もあんまり無いし、すぐに行こっか?」

さわ子「和服って言うと当然呉服店よね、確かあそこら辺にあったと思うけど……私に似合うのあるかしら」

紀美「さわ子スタイルいいからねぇ、何着ても似合うと思うよ」

さわ子「あはは、褒めても何も出ないわよ?」

 そんな感じで話をしながら、私達は呉服店に向かう。


店員「いらっしゃいませー」

 通りに見えた小さな呉服店に入ってみる。

 店内に掛けられた和服は、どれも色合いがとても綺麗でかつ、きめ細かい刺繍が施されている。

 それが店に流れるBGMと相まってなのか、とても雰囲気が良いと思えた。


さわ子「すみません、お見合いの場に似合う和服って、ありますでしょうか?」

店員「はい、少々お待ちくださいませ……」

 そう言って奥に下がる店員さんを待つ間に、近くの着物を見てみる事にする。

89: 2012/02/09(木) 04:31:58.00
紀美「……綺麗な着物…………」

さわ子「そうね……こうして見ると、和服もなかなかいいわよね……」

 着物を見ながら紀美と私もうっとりしていた。

 これをあの子達が着たら、さぞ可愛く着こなすだろうと、頭の中でそんな事を想像してみたりもする。

 ……しかし、見れば見る程に衣装の創作意欲が膨らむ柄だな……試しに1着、安いの買って帰ろうかな?


店員「お待たせ致しました、お見合いと言う事でしたら、このような物がお客様にはお似合いかと思いますよ?」

さわ子「わぁ……素敵な柄ですね……」

 店員さんが持って来てくれた振袖は、地味か派手かと言うと、少し地味な感じがあった。

 それでも柄は丁寧に染められ、要所要所には細かくも綺麗な刺繍が施されているものばかり。

 落ち着いた場に着て行くのなら、これぐらいが丁度良いのだろう。

90: 2012/02/09(木) 04:33:09.95
紀美「私的には少し地味に見えるけど、こんな感じでいいの?」

店員「結婚式とかなら多少は派手でも良いんですけど、お見合いとなりますと……あまり派手さは必要ないですからね」

店員「お客様の美しさをより引き立てられるよう、若干控えめではありますが、この様な柄の振袖が相応しいと思い、ご用意いたしました」

さわ子「あ、ありがとうございます」

 面と向かって美しいなんて言われ、思わず照れてしまう。

 今まで頑張って来た甲斐、あったかな。


紀美「じゃあ、試しに試着して見なよ」

さわ子「そうね……うん、そうしてみる」

紀美「ばっちり写メっておくからね」

さわ子「恥ずかしいから、他の人には見せないでよー?」


店員「でしたら試着室へどうぞ、着付けのお手伝いをさせていただきますわ」

91: 2012/02/09(木) 04:34:59.70
 そして店員さんに連れられ、私は試着室へ向かう。

 ……それから数分。


さわ子「どう紀美、似合ってるかしら?」

紀美「わぁ……すげー美人」

さわ子「うふふ、それはどーも」

 試着室から出る私を見る度に、紀美は驚きの声を上げてくれる。

 帯が少しきついけど、鏡を見た感じでは問題なさそうだし、これなら……大丈夫かな?


紀美「これなら大概の男はイチコロだねぇ……あんたやっぱすげーわ、うん」

紀美「……上手く行くよ、これならさ」

さわ子「……ええ、そうだと……いいわね……」


 そう、紀美の言葉に少しだけ戸惑いを感じながら……私は、静かに頷いた……。

93: 2012/02/09(木) 04:37:07.39
 それから数時間、あれこれと着物を見ては着てを繰り返し、レンタルの料金プランとの見合わせで、私はなんとかお気に入りの振袖を確保する事ができた。

 そして、私達は夕飯がてらに近くのファミレスで来月の事を話していたのだった。


さわ子「しっかし……振袖一式ともなるとレンタルでも結構かかるのねぇ……びっくりしたわぁ」

紀美「まー、買うに比べたら全然安いんだし、いいんじゃないの?」

さわ子「値段もびっくりよ、安くても5万円以上とか……いやはや、なんというか……」

紀美「ともあれ、これで準備は整ったんだし、あとは当日にヘマしなきゃ大丈夫っしょ」

さわ子「……そうねぇ」

紀美「何よ、まーだ悩んでるの?」

さわ子「……そう簡単に割り切れるもんでもないわよ…………長年の夢だったんだし……先生の仕事……」

紀美「……ま、今すぐに結論出すこともないって。 何もその日に結婚が決まるってわけでもないんだしさ」

紀美「実際に相手と会って話してみて、それからでも大丈夫だよ、きっと」

 と、優しい目で紀美は言ってくれた。

 その言葉に、少しだけ気が楽になる私だった。

94: 2012/02/09(木) 04:39:57.75
紀美「じゃー、次は見合いが終わった後だね……結果、楽しみにしてるよ」

さわ子「うん、ありがとうね、色々と相談乗ってくれて」

紀美「いいって……あーそうそう、あんたその話、生徒にはもうしたの?」

さわ子「ううん、まだ」

紀美「そっか……」

 まだ不確定って事もそうだったけど、それは、唯ちゃんや梓ちゃん達には怖くて言えなかった。

 祝福されるにせよ、引き留められるにせよ……どっちにしたって、考えが揺らぎそうだったから……。


紀美「そろそろ出よっか、もう10時超えてるしさ」

さわ子「もうそんな時間か……そうね、そろそろ帰らないと、紀美も明日早いもんね」

 支払いを済ませ、私達は店を出る。

 春も近くなったとはいえ、夜はまだ寒い。

 吹きすさぶ風が並木を揺らし、車のライトが辺りを照らしている。

 まだ冬は残ってるなぁと思った、その時だった。

95: 2012/02/09(木) 04:42:06.57
紀美「ねえさわ子……あれ……」

さわ子「……?」

 紀美の指差す方向を見ると、道路を挟んだ反対側の歩道に、人の集まりが見える。

 歳は高校生から大学生ぐらいだろうか、顔の数ヶ所にピアスを付けた若い男の子が集まって、女の子をナンパしてるように見えた。


さわ子「ったく、女の子を壁に寄せてナンパなんて……見てられないわね」

紀美「あそこで声かけられてるの……多分だけど、あんたんトコの生徒じゃない?」

さわ子「まさか…………」

 男達の背中に隠れてた女の子の顔が、一瞬だけ車のライトに照らされる。


さわ子「……………っっ!!」


 そこには……怯えた顔で震えている、私服姿の唯ちゃん達の姿が見えた―――。

96: 2012/02/09(木) 04:44:52.80
さわ子「……っっ! あの子達ったら……!」

 車が途切れたタイミングを見計らい、私は道路に飛び出した。


紀美「あ、さわ子! 待ちなよ!」

 紀美が後ろで静止の声を上げるが、そんな悠長な事していられる場合じゃない。


 ……なんで、あれほど言ったのに……あの子達は……あの子達は!!

97: 2012/02/09(木) 04:47:36.66
男A「いーじゃん、番号ぐらい教えてよ~」

律「てめーら……いーかげんにしろよ……!」

男B「随分元気な子だねぇ~、どうせ暇してんでしょ? これから俺っちと遊ぼうよ」

律「っく! は、離せ!!」

唯「やめてっ! りっちゃんに乱暴しないで!」

澪「律……ムギ……私……こわい………っっ」

紬「大丈夫よ澪ちゃん……あれ……? いやだ……わ、私も……足……震えて……っっ!」

男C「おいおい、あんま怖がらせんなよ」

男B「おーおー、ごめんねぇ……でも、泣きそうな顔も可愛いよ……♪」

澪「ひっ…っ!」

律「…それ以上澪に触れんじゃねえ、ぶっ飛ばすぞ」

男A「へぇ……どーやって?」


律(ちぃ……っ相手が一人や二人ぐらいなら容赦なくやれんだけど……こう人数多いとなぁ……!)

律(あ~、澪の言う通り、延長なんかしないで早めに帰ってれば良かったかなぁ……っ!)

98: 2012/02/09(木) 04:49:05.44
さわ子「――あなた達、何やってるの!!」

 男達に近付きながら、私は大声を張る。


男A「んあ?」

男B「…誰?」

男C「さぁ……?」


唯「さ……さわちゃん先生……」

律「さわちゃん……」

澪「せん……せいっ……」

紬「紀美さんも、どうしてここに……?」

99: 2012/02/09(木) 04:50:03.54
さわ子「その子達を離しなさい、今すぐに!」

 低い声で男達を威圧するように私は言う。

 ……しかし、揃いも揃って子供じみた顔をしてる男たちだ。

 私からすればなんて事もないのだが、この子達からすれば、さぞ怖い男に見えた事だろう……。

 私の可愛い生徒に手を出して……絶対に許すものか。


紀美「ごめんねー、ナンパの途中悪いんだけど、その子ら私達の知り合いでさ、今日の所は見逃してやってくんないかな?」

 そんな私とは対照的に、軽い口調で話す紀美だった。 ……が、その眼は決して笑ってはいない。

 むしろ、男たちのやり口に嫌悪し、怒りさえ感じられた……

 紀美のやつ、相当怒ってるな……。

100: 2012/02/09(木) 04:51:48.26
男A「知るかよ、帰れよオバサン」

さわ子「…お、おば……」

男B「それよりもさぁ~、ほんっと可愛いよね、キミ達さ♪」

唯「や……やめてくださいっ……さわちゃん…た、助け……!」

律「唯っ! てめえ、いいかげんに……っっ!」

 男が唯ちゃんの顔に手を伸ばそうとする。

 が……その手は私にがっしりと掴まれ、唯ちゃんに届く事は無かった。


男A「はぁ……? なんなのアンタ? いいかげんウザいんだけど」

さわ子「………みんなを離しなさい、いい歳した男がかっこ悪いわよ」

紀美「……そうそう、みんな顔はいいんだし、ちゃんとやれば、もっといい子見つけられるよ」

101: 2012/02/09(木) 04:53:04.00
男A「アンタらにゃ関係ねーだろ、とっとと消えろよオバサン」

男B「どーしてもって言うなら、オバサンでも容赦しないよ?」

男C「それともあれ? オバサン達も俺たちと遊びたいの??」


 尚も男達の暴言は留まる事を知らない。


 というか……さっきから……


 ………さっきからこいつらは…………っ


 ――人の事を、オバサン…オバサンって……!!


さわ子「……………………っっ」

紀美「……………………………」

102: 2012/02/09(木) 04:54:24.92
律「……こいつら、一番言っちゃいけない事をあんなに……」

澪「私……この人達よりも……先生たちの方が怖くなってきた……」

唯「ムギちゃん……今の内に安全なとこに避難しよ……」

紬「え……ええ………そ、そうね……」

律(合掌…)



 ……私も紀美も極力平和的にに収めようとしたけど……もう、限界だった……。

 このガキ共は……大人を舐めすぎている。


 私は紀美に目で合図を送る。

 紀美ももう限界だったらしく、いつでも行けると、その眼が唸っていた。


 ―――コイツら、絶対ニ殺ス―――!

103: 2012/02/09(木) 04:55:26.03
さわ子「おい……てめえら」

男A「……なんだよ? いーかげんマジうっせえって……ああ?」

 メガネを外し、私は男に向き直る。

 ここにいるのは、もう既に山中さわ子でも河口紀美でもない。


 地獄よりその轟音を音色として響かせる魔のへヴィメタバンド……そう……


 ――DEATH DEVILメンバー、キャサリンとクリスティーナだ!!!


キャサリン「テメーら……覚悟は出来てんだろーな……?」

男A「はぁ?? 一体何の覚……」

キャサリン「ガキが……ナマ抜かしてんじゃねえェェーーーッッッ!!!!」

 ――ばきいいぃいい!!


男A「ぶべっっ!!」

104: 2012/02/09(木) 04:56:56.19
 男の一人に向かい、私は渾身の力でフックを見舞う。

 瞬間、男の顎が外れた感覚と共に、男が歩道の植え込みに頭から突っ込んでいった。

 だが、それでも私は止まらず、その背中に向け、履いていたヒールの踵をグリグリとねじ込む。


キャサリン「大人に対する言葉使いってのを教えてやろうかコラ、あああああ!!!!???」

男A「ぁ……ぁごが……アゴがぁぁぁ……!!」


クリス「オラァ!!……今アタシになんつったよテメェ、誰がオバサンだぁ?? ミリ単位で刻まれてえかクソガキがぁ!!」

男B「ぐ……ぐるじぃ……だ、助げ…げほっ……!」

男C「お……俺っちが悪かったっす……か、勘弁……してくだっ…べほぉっ!」


 向こうも向こうで、男二人の胸倉を掴み上げては怒鳴り声を上げている。

クリス「オラ、さっきの威勢はどうした? ざけてんじゃねえぞコラ、そのピアス、○ンタマン中にブチ込んでグチャグチャにしてやろうか、ああ??」

クリス「氏ね、氏ね氏ね氏ねェェェ!!!!」

105: 2012/02/09(木) 04:59:46.43
 ――ばきっ!! がすっ!! ごぐしゃあっ!!


 みるみる内に青くなっていく男二人の頭を掴み上げ、クリスティーナはその顔面に、暴言と共に容赦なく頭突きをぶちかましている。

 ……いや、クリスティーナごめん、私でもそれはちょっと引く……。


唯「あ……あわわわわわわ……」

澪「怖いよぉぉぉ!! 律…!! この人達すっごくこわいよぉぉぉぉぉっっっ!!」

紬「はははは……わ、私……腰……抜けて………っっ」

律「私達……よく今まで生きて来れたな………」


 ――そして……


男達「す……すみませんでしたああああ!!!」

 私達の強さと罵声に圧倒され、すごすごと男たちは引き下がって行った……。

 一人は顎を、残りの二人は顔を抑えながら夜の街に消えていく。

 ……三人とも、あれじゃ当分は病院通いだろうな……。

106: 2012/02/09(木) 05:00:39.04
クリス「チッ、根性なしのクソガキが」

さわ子「あんた……いくらなんでもやりすぎ……」

紀美「いやぁ~~、久々にキレちゃったからさ、あはは♪」

さわ子「……あんたが私の味方で、ホントに良かったわ」

唯「さ……さわちゃん……」

澪「先生……」

律「………っっ」

唯「さ……さわちゃん……怖かったよぉぉ……ぐずっ…うぅぅっっ」

唯「うわぁーんっ…っ…」

 唯ちゃんが泣きながら私に駆け寄ってくる。

 その唯ちゃんに対して……私は手を振り上げ……


 ――パシンッ!

唯「…っ!」

 一発、平手を打った。

107: 2012/02/09(木) 05:01:29.21
紀美「さわ子……あんた……」

 同様に、りっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃんにも平手を一発づつ打つ。

 みんなが揃って左頬を少し赤くし、涙目で私を見ていた。

 ……こんな風に生徒に手を上げるなんて生まれて初めての事だ。

 叩いた手の平が痺れ、心がどこか痛い。

 ……でも、私はやった。

 それが、この子達の先生として、また、先輩としてのケジメだと思ったから……。


さわ子「あなた達!! 夜まで遊ぶなってあれほど言ったでしょ!!」

唯「ご……ごめんなさい……!」

さわ子「私と紀美が来たから良かったようなものの、もし私達が来なかったらどうなってたと思ってるの!」

律「……ごめん……っ!」

さわ子「まったく……今日、あれだけ注意したのに……あなた達は……!」

さわ子「卒業まで残り少ないんだから……あんまり心配かけさせないでよ……! あなた達に何かあったら、私は……わたしは……っ」

さわ子「いえ、私だけじゃない……あなた達に何かあったら……梓ちゃんや憂ちゃん、和ちゃんや純ちゃん……みんなの大切な人が悲しむの、それ、分かってるの…?」

109: 2012/02/09(木) 05:03:48.91
澪「さわ子先生……っっ…うっ…ひっく……っ」

紬「私達……楽しい事に夢中で……全然、気が回ってませんでした……ごめんなさい……っっ!」

さわ子「揃って卒業して……同じ大学に行くんでしょ……? だったら、もっと周りの事も考えないとダメよ……ね?」

唯「ごめんなさい……ごめんなさぃ………」

律「私のせいだ、私が……澪の言う事をしっかり聞いてれば……」

澪「ううん……律だけじゃない、私だって……」

さわ子「誰かじゃないの、今日は、みんなが悪いのよ」

紬「……うん、先生の言う通り……だね」

紬「みんなが悪い、だから、みんなで謝ろう……ね」

唯「そうだね……」

 四人が私と紀美に向き直り……そして。


「――先生、紀美さん、心配かけてごめんなさいっ!」

 と、腰を大きく曲げて、泣きながら謝ってくれた。

110: 2012/02/09(木) 05:04:50.93
さわ子「……もういいのよ、だから早く泣き止みなさい……それに、女の涙は、もっと大事な時に使うものよ?」

紀美「さわ子もああ言ってるしさ、だから、もう気にしなくてもいいよ?」

さわ子「私タクシー呼んで来るわ、紀美、ちょっとこの子達の事、お願いね」

紀美「うん、分かったよ」

 少し離れ、携帯を片手に近場のタクシー会社に電話をして、それを二台ほど手配して貰う。


さわ子(……ちぃっとばかし、強くやっちゃったかな)

 叩いた手の平がまだじんじんとする……。 でも、自分のしたことに後悔なんてない。

 だってみんな、大切な教え子で……大事な後輩だから……。

 3年間私は……あの子達の為に、邁進して来たのだから……。

111: 2012/02/09(木) 05:05:40.58
唯「さわちゃん……」

澪「怖かったけど……でも、かっこよかった……」

律「あんな人に私達、ずっと守られてたんだよな……」

紬「うん……私、叩いてくれて……すごく嬉しかった……」

唯「暖かかったよね……痛かったけど……でも、それ以上に私……嬉しかった……」

澪「ああ………」

律「なんか、卒業すんのも寂しくなっちゃうよなぁ……」


紀美「ったく……ほんっといい先生じゃない、あいつ……」

紀美(そりゃ、生徒がこんなに可愛いんじゃ……結婚と仕事、どっちを取るか、悩みもするよなぁ)

紀美(さわ子……あんた、どうするんだ?)

112: 2012/02/09(木) 05:07:16.20
さわ子「はい……はい、ええ……では二台、お願いします」

 電話を終え、紀美たちの所へ戻る。


紀美「お、熱血教師のお戻りだ」

さわ子「だーれが熱血教師か」

紀美「十分熱血だって、まったく、どこのヤンキー教師ドラマだよ」

さわ子「もう、好きに言ってなさい」


紬「ところで、どうしてお二人はここに?」

澪「その荷物、呉服店のものみたいですけど……」

律「着物でも買ったの? さわちゃん」

 脇に置いてある着物の箱を見て、次々と生徒の間に疑問符が投げかけられる。

 やば、気付かれたかな……?

113: 2012/02/09(木) 05:10:26.77
さわ子「こ、これは……そう、今度梓ちゃんに新歓ライブで着せる衣装の材料よ、おほほほっ」

唯「なーんだ、てっきりお見合いでもするのかと思った」

さわ子・紀美(ぎくっ)

 それは天然ならではのボケか、それとも思いつきなのか、唯ちゃんの言葉にどきっとする。

 まさか……本当に気付かれてるなんて事、ないわよね?


律「それはないない、さっきのを見たろ? あんな凶暴になっちゃ、旦那さん喧嘩の度に氏んじゃうってーの」

さわ子「りっちゃん……それはどういう意味かしら…………?」

律「べ………べべ別に深い意味はありましぇんっっ!」

さわ子「まったく………」

 さっきまであんなに怯えてたのに、すぐに調子を戻すとコレなんだから……。

 でもま、それが彼女達の良い所でもあるか。

 そうこうして、少しだけ話をしていた時、呼んだタクシーがやって来た。

114: 2012/02/09(木) 05:12:11.07
紀美「あ、タクシーってあれじゃない?」

さわ子「うん、来たみたいね」

さわ子(とりあえず……あれ以上詮索されることはもうないかな……)

 タイミング良くタクシーが来てくれたので、紀美と私は別々に乗り込み、生徒達も家の方角に別れて乗り込む事になった。


紀美「じゃあさわ子、私この子達送ってくから、またね」

さわ子「うん、紀美も今日はありがと、唯ちゃんとムギちゃんも気を付けて帰ってね?」

唯「はーい、先生じゃーねー♪」

紬「ではまた学校で、先生、今日はありがとうございましたーっ」

澪「唯、ムギ、また学校でな」

律「じゃーなー♪」

 紀美たちを乗せたタクシーが動き、二台目に私と澪ちゃん、りっちゃんが乗り込む。

 そして、運転手さんに道先を指示して、私達のタクシーも発進した。

115: 2012/02/09(木) 05:13:17.49
さわ子「ふぅ……なんか疲れたわぁ」

律「ごめんねさわちゃん、わざわざタクシー代まで出して貰っちゃって…」

さわ子「いいのよ今日ぐらい……それに、高校生に出させるほど、お金に困ってもないしね」

律「よっ、さすが大人♪」

 そう、調子良く笑うりっちゃんだった。


澪「それで……先生、さっきの話なんですけど……」

律「そーそー、本当にその着物、どうしたの?」

さわ子「………………」


 それを言ったらどうなるだろう……。

 二人なら反対するだろうか……それとも、応援してくれるだろうか……。

 ……………もしも、それを言ったら………私はその言葉を、素直に受け入れられるだろうか。

 彼女達の希望に、私は……本当の意味で、応える事ができるのだろうか……。

116: 2012/02/09(木) 05:15:57.94
さわ子「ふふ、内緒……よ……」

律「ちぇー、ずるいなぁ」

澪「まぁまぁ……先生……」

澪「いつの日か落ち着いたら、教えてください……」

さわ子「……ええ、その時までの、お楽しみにね♪」


 結局、私は最後まで言う事は出来なかった。

 でも、今はこれで良かったんだ……。

 最後の最後、本当にどちらかが決まったら言えばいい……。

 今はまだ……きっと、おそらく……たぶん……言うべき時ではないと……思うから……。


 タクシーは夜道をひた走る。

 街灯やネオンが滲んで見え、視界が霞む。

 涙を止める為に私は少し、目を閉じる。

 そんな私の涙に、後部座席の二人が気付けるわけがなかったのだった……。

117: 2012/02/09(木) 05:17:09.67
――――――――――――――――――

 そして数日後、生徒の卒業式も終わり………。


母「うん、着付けは問題なさそうねね」

さわ子「帯、少し曲がってないかしら?」

母「母さんが着付けてあげたんだもん、ばっちりよ」

さわ子「ふふ、ありがと」

母「じゃ、行きましょう……先方にも、既にお待ちいただいてるようだしね」

さわ子「………ええ………そうね………」


 この日、おそらく、私の人生のの最大の分岐点………。


 ―――お見合いの日が、やって来た……。

118: 2012/02/09(木) 05:19:00.58
 私達のお見合いは、桜が丘から少し離れた所の、とある料亭で行われた。

 外からでも手入れの行き届いた大きな庭園が見え、舞い落ちる桜が、その料亭の上品さを一層引き立てている。

 店に入り、女将さんの案内で、私は母と共にその部屋に辿り着く。


 ここに……彼がいる。

 おそらく将来の私の夫になるであろう、その人が……。


母「失礼します」

さわ子「失礼します」

 すっと襖を開け、私は母と共に中に入る。

 部屋の中には、呑気にくつろいでいる伯父と……その横に、彼はいた。

 高級感のあるスーツが実に似合い、落ち着いた印象で、これまた整った髪型と、それに似合った顔をしている。


 ……写真で見る以上にかっこいい男性だと、この時素直に思ってしまっていた。

119: 2012/02/09(木) 05:24:10.48
伯父「おおー、二人ともよく来てくれたね」

母「すみません、遅れてしまって」

さわ子「伯父さん、今日はこの様な素敵な場をご用意してくれて、真にありがとうございます」

伯父「いやいや、小さい頃から可愛がってたさわちゃんのせっかくの見合いとあっちゃ、これぐらい何てことないさ、はっはっは♪」

 と、上機嫌に笑う伯父だった。

 そんな伯父の横で正座をしていた男性が、私達の方を向き、深々と頭を下げて挨拶をする。


男「……始めまして」

母「まぁまぁ……この度はわざわざ遠い所からありがとうございます、さわ子の母でございます……」

さわ子「はじめまして、山中さわ子と……申します」

 私も母も彼に頭を下げ、挨拶を済ませる。


母(話に伺ってた以上に立派な方じゃない……やったわね、さわ子)

さわ子(………………)

 礼儀正しい彼の態度に、母もすっかり気を許してしまったようだった。

120: 2012/02/09(木) 05:26:19.38
男「今日は、実りある一日にしたいですね……」

 ……そう、初対面の私に向け、優しい顔で微笑んでくれる彼に対し……


さわ子「……はい、そうだと……良いですね……」

 と、私もまた、ぎこちない笑顔で返すのだった。

―――――――――――――――――


 最初は伯父と母を交え、軽く雑談をした。

 互いに少し緊張してると言う事もあってだろう、伯父と母が上手に話を進行してくれていた。


伯父「しかしなぁ……いやはや、振袖を着て来ると聞いてはいたが、まさかさわちゃんがここまで美人になるとは思わなかった、どうだ? 綺麗な女性だろう?」

男「はい、さわ子さんの和服姿、とても綺麗だと思いますよ?」

さわ子「あ、ありがとうございます……」

 彼の言葉に俯き、思わず下を向く。


母「あーら、この子ったら照れちゃって…♪」

さわ子「……………」

121: 2012/02/09(木) 05:27:32.83
 正直、今かなりどきどきしている。

 それは私が単にスーツ姿の男性に弱いだけなのか……場の雰囲気に緊張しているだけのかは分からない。

 理由はともあれ……私はどうにも彼の顔を直視できなかった。


母「そちらのお仕事は順調なのかしら? 聞けば、昇進が近いのだという事らしいけど」

男「はい、まだ確定ではないんですが……再来月より、僕にもう少し上の仕事を任せてくれると、先輩が……」

伯父「いやぁ……彼のおかげでウチの業績もだいぶ伸びてねぇ……私が専務に直々にお願いしたんだ、彼にももっと、もっと上の仕事を任せてもらえませんかってね♪」

男「先輩の進言で多少責任は増しましたが……それでも、先輩のその期待に応えられるよう、僕も頑張りますよ」

伯父「はっはっはっ、その調子でこれからも頼むよっ」

男「はいっ!」

さわ子(……仕事が出来て私よりも高給取りで、おまけにかっこいい……かぁ)

母「素敵よねぇ……なんだかさわ子には勿体ない気がするわぁ」

さわ子「母さんったら……」

122: 2012/02/09(木) 05:28:43.34
男「さわ子さんは、その……」

さわ子「は、はいっ」

 不意に彼から話を振られ、思わず声が上がってしまった。

 ……何も、ここまで上がらなくても良いのになぁ……。


男「さわ子さんは現在、教員としてのお仕事をなされてると伺いましたが……」

さわ子「え……ええ、まぁ……桜が丘の女子高で、音楽を担当してます……」

男「ああ……いいですよねー、僕、モーツァルトとショパンが好きで……一応、ピアノも弾けるんですよ」

さわ子「まぁ……では、学生時代は音楽を?」

男「ええ、一応、器楽を専攻してました……っても、大学も補欠合格みたいなものだったし……当時はほとんどサークルばかりで、講義にはあまり出てなかったんですけどね…」

さわ子「…………伯父の地元で音大と言うと……もしかして、S音大?」

男「はい、あ、分かります?」

さわ子「ええ……3年生の担任だったので、多少は……」

124: 2012/02/09(木) 05:30:35.43
 ―――S音大、決して一流とは言えないけど、それでも伯父の地元ではかなり高偏差値の音大だ。

 おそらく、私の卒業した大学よりもその偏差値は高かったと思う、今現在はどうなのかは分からないけど。

 ……少し前に生徒の進路関係で書類をまとめていた時、そんな内容のデータがあったのを、私はふと思い出した。


男「おかげで単位はいつもギリギリで……就職にも随分苦労しました……」

男「そんな時だったんですよ……先輩の勤めてた会社に受かって、それから心を入れ替えて、真面目に働こうって思って……」

伯父「彼は今もよくやってくれる、いやぁ、あの時君を選んだ僕の目に狂いは無かったよ、はっはっはっ」


男「いえいえ……先輩に比べたら、僕なんてまだまだです……」

さわ子(…………彼も…最初から完璧ってわけじゃなかったんだ……)

125: 2012/02/09(木) 05:32:13.45
 ……正直、少し驚いた。

 話を聞いた限りのイメージだと、まるでドラマにでも出て来るような……完璧な人だと思ってたけど……。

 ……でも、彼は違ってた。

 学生の頃はひたすらサークル活動でクラシックを聴いて、それを演奏して……彼も、彼なりに青春を謳歌していた……

 彼も、どこにでもいるような、音楽が好きな普通の学生だったんだ……。

 それに拍子抜けした反面……どこか、彼に親近感が沸いた。

 まるで、勝手に作っていた壁が一気に取り払われたような……そんな、親近感が。


男「あ、すみません…脱線してしまって………」

男「……でもいいですよねぇ……交響曲や合奏団の演奏って……」

さわ子「……ええ、心が洗われると言うか……音に触れる事で、音楽が心に潤いを与えてくれると言うか……」

男「ええ、分かります……なんだか疲れも吹っ飛ぶ感じがするんですよね……あははっ」

さわ子「ええ……そうですよね……うふふっ……」

 彼の言葉に自然と笑みがこぼれる……。

 少し低く…それでいてよく通った優しい声で、彼は次々と私に話しかけてくれた。

126: 2012/02/09(木) 05:38:50.10
男「何か得意な料理ってありますか?」

さわ子「お鍋でしたら……最近、トマト鍋なんかを作ったりしましたねぇ」

男「いいなぁ、僕、料理の方は自信がなくて……」

さわ子「あら、お鍋くらい、誰でも簡単に作れると思いますよ?」

男「いやいや……料理が苦手な男にとっては、鍋一つを取っても、なかなか難しい所があるんですよ……」

 ……話の華は、少しづつ膨らんでいく。

 お互いの仕事の事、プライベートの過ごし方、学生時代の事……

 どれだけの時間が経ったのか、何を話したのかはあまり覚えていなかったけど、彼との話はとても楽しいと、素直に思えた。


 ……けど、さすがに“あの事”は話せなかった。 私が、へヴィメタバンドのボーカルをやってたなんて事は……。

 言ったら余計な角が立ちそうだし、前にも同じ事で失恋した事もあったし……この事は黙っていよう……少なくとも、今はまだ……。

127: 2012/02/09(木) 05:39:46.27
伯父「……二人とも、だいぶ打ち解けて来たみたいですなぁ」

母「ええ、そうですねぇ…」

伯父「では、そろそろ僕たちはここで……あとは、若いのにお任せしましょうか……」

母「うふふ、そうしましょうか」

さわ子「え、母さん、もう行っちゃうの?」

母「年寄りがいたんじゃ、込み入った話も出来ないでしょ?」

さわ子「でも……」

 私の静止も聞かず、母と伯父は立ち上がる。


伯父「じゃあ二人とも、僕たちはこれで失礼するよ……あとは、二人で心行くまで楽しんできなさい」

母「さわ子、何なら今日はそのまま帰って来なくてもいいわよ? ……せっかくなんだし、彼に桜が丘を案内して差し上げたらいかが?」

さわ子「か~あ~さ~ん……」

男「あはははは……」

 まったく、初対面の人の前で何を言い出すんだ……この人は。

 ……でも母さんらしいな、既に上手く行く事が前提かの様に、すっかり安心しきっていた。

128: 2012/02/09(木) 05:40:33.25
母「さわ子」

さわ子「……何よ?」

母(いーい? 仕事が出来て高学歴、しかもイケメンってオマケつきなんて……これを逃したらアンタ、もう二度とチャンスはないんだから、絶対に次に繋げなさいよ?)

 と、去り際に私に小さく耳打ちして、伯父と共に、部屋を抜けて行った……。


さわ子(……次に繋げろって言われてもなぁ……)

男「………お母様、何か仰ってましたか?」

さわ子「…………あっ、い、いえ……大したことじゃないんです………」

男「そう……ですか」

さわ子「はい………」

129: 2012/02/09(木) 05:41:36.18
男「………………………………」

さわ子「…………………………」


 ……………………………。

 ……沈黙。

 ……気まずい、とても気まずい沈黙……。

 そよぐ春風が桜の木々を揺らす……風の音しか聞こえない、無言の空間……。

 何か話さなければならないだろうけど、一体何を話せば良いのだろうか。

 ……さっきの話の続きか……それとも、別の話題か。

 なんとかこの沈黙から抜け出そうと、少し息を飲んだ時だった。


男「……とに」

さわ子「………え?」

男「僕達も外に出ませんか? 良い天気ですし……その、散歩でも……どうでしょう?」

さわ子「……え…ええ……そうですね」

 そして、ゆっくりと彼は立ち上がる……。

130: 2012/02/09(木) 05:43:24.54
さわ子(あ……私より背、高い……)

 座っていた時は気付けなかったけど……立ち上がった彼の背は、私の頭一つ分は上だった。

さわ子(高学歴に高収入……おまけに高身長ときたか……)


 ほんと、どこまで理想の男性像を体現しているんだ…この人は……。

―――――――――――――――――

 外に出た私達は、澄み切った青空の下で少しだけ、庭園の散歩をしていた。

 ひらひらと舞う桜と、一際輝いた陽光が私達を包む、そんな二人だけの世界がそこにあった――。


男「それでですね……その時、目の前には……」

さわ子「うふふ……もしかしてそれ、実は鏡に映った自分の姿……だったりして」

男「あ~、先に言うのは反則ですよー」

さわ子「あら、それはそれは……失礼しました…うふふっ」

さわ子(楽しいな……すごく、楽しい……)

131: 2012/02/09(木) 05:44:55.57
 私も、これまでに様々な男性に恋をして……相応に付き合いを重ねて来たりもした。

 でも、その誰よりも彼は誠実で……真面目で、優しかった。


 それは、見合いの場で猫を被ってるだけの私とは違う、ありのままの表情。

 彼の笑顔には嘘が見えない……いくら粗を探しても……それを見つけられない。

 それに、単に完璧なだけじゃなく、料理が出来ない所があったりと、案外可愛らしい所もあったりして……


 うん、きっと……彼となら、良い夫婦になれるに違いない。

 互いに足りない所を支え合い……好きな事を分かち合いながら……幸せを育み、未来へ進む……そんな夫婦に。

 彼となら、どんな事があっても…何が起ころうと……それを乗り越えられる、輝きに満ちた毎日を歩んで行ける。

 ……いつの日か紀美と見た、あの家族以上に素敵な家庭を築けるに違いないと、そう……思い始めていた……。


 そして……手頃なベンチに腰を下ろしたところで、彼が突如、口を開いた。


男「……すみません……少し、下らないことをお話してもいいですか?」

133: 2012/02/09(木) 05:46:15.45
さわ子「……はい」

 私は、彼の言葉にゆっくりと耳を傾ける。

 少し間をおいてから彼は、真顔で……ゆっくりと話し始めた。


男「実は僕……小さい頃から、親は共働きで、なかなか両親と遊んでもらえなかったんです」

男「家に帰っても勉強や習い事の毎日で、それから帰っては、冷たい食事を一人で温めて……一人で食べる、そんな毎日で……」

男「それで親と過ごす時間はほとんどなくて……普通の人よりも寂しい子供時代を過ごしていたと、自分でも思います」

男「だから……もしも自分に子供ができたら、そうはさせたくないなと、思うんです……」

さわ子「……………」


男「……ずっと前からの夢だったんですよ……」

男「夜に仕事から帰って……奥さんのご飯を食べて、奥さんの沸かしてくれた風呂に浸かって……子供と一緒に寝て……朝を迎えるの……」

男「そんな……すごく小さい、ごく普通の夢なんですけど……さわ子さんは、どう思いますか」

さわ子「…………」

137: 2012/02/09(木) 05:50:54.83
 少し間をおいて……私もまた言葉を返す。

さわ子「素敵な……とても素敵な夢だと、思います……」


 ……ずるいなぁ……この人は……

 優しいだけじゃなくて……口まで上手いなんて……ほんと、ずるいな……


 そんな事言われたら……私、結婚してからでも教師の仕事を続けさせてくれなんて、言えるわけがないじゃない……。


男「さわ子さん………あの……」

 少し顔を赤らめ……強い眼差しで、彼が私に向き合う。

 そんな彼の表情に、思わず心臓が高鳴り出す。


さわ子「……は…はい?」

男「さわ子さん……こんな僕で良ければ、是非これからも……お付き合いを続けて頂けないでしょうか……」

さわ子「私と……ですか?」

138: 2012/02/09(木) 05:52:12.02
男「っ……はい……僕、きっとさわ子さんとなら……良い関係を築けると思うんです……その……一人の人間として……」

男「も、もちろん結婚とかはまだでも良いと思うんですけど……その………あ、ああれ、僕、何言ってんだろ……?」

男「すみません、何か、どうかしちゃってますね、僕……」

さわ子「……いいえ、大丈夫……ですよ」

さわ子「………………」


 ……あーあ……ついに来てしまったな……この時が。


 結婚はまだと言っても、それはもう遅い。


 このまま行けばきっと……ううん、確実に、もう2~3回も会えば、私はこの人の事を、愛してしまう。

 収入とか学歴とか……そんな事を抜きにして……私は、この人の事を……好きになってしまう。


 それは私からすれば……彼の言葉は……仕事を辞め、僕と結婚してくれと言ってるのと同じだ。

140: 2012/02/09(木) 05:55:03.11
 もう私は……決めなければならない。


 教員としての仕事の生活か……それとも、二人で歩む、素敵な結婚生活か。

 一人の“女”としての幸せか……一人の“教師”としての幸せか……その、どちらかを。


 ―――私は………………






「もう少しだけ……歩きませんか?」

 彼の言葉から逃げ出すように、私は立ち上がった。



「………ふつつかな女ですが、それでも宜しいのでしたら、よろしくお願いします……」

 私は、彼の言葉にそっと頷いた……。


選択肢で分けましたが両方書き溜めてあるのでどっちも投下します。

142: 2012/02/09(木) 05:56:38.37
さわ子「もう少しだけ……歩きませんか?」

 彼の言葉から逃げ出すように、私は立ち上がった。


男「え…? あ……はい……」

 彼の返事も聞かず、私は無言のまま歩き出す………。


男(やっばぁ……怒らせちゃったかな……)

さわ子「………っっ」

 ――何をやっているんだ……私は……!

 このまま逃げ続けたってダメなのに……意味なんてないのに……どうしてこの土壇場で逃げるようなことをしてしまうんだ……私は!

143: 2012/02/09(木) 05:57:46.11
さわ子「………はぁ…」

 あまりの自分の情けなさに、ため息すら出て来る。

 それを後ろの彼に気付かれぬよう、肩を落とし、そっと息を付く。


男「さわ子さん……」

 私を心配してくれるのか、それとも自分の失言が私を怒らせてしまったと思ったのか、彼は落ちた声で私に声をかけてくれた。

 その声に、私も気落ちした声で応える。


さわ子「……すみません………」

男「いいえ……僕の方こそ、すみません………」

さわ子「………」

男「……………」


 ……お……重い。

 ……さっきよりも、数段重い空気が二人の間に広がって行く……。

145: 2012/02/09(木) 05:58:36.92
 その時、やけに軽いトーンの会話が遠くの方から聞こえて来た。


声「いっやぁぁ~~♪ 向こうの社長もまさか、こーんな料亭用意してくれるなんてな~」

声「俺らのデビューが決まったって聞いて、ジャーマネ君も泣いてたしなぁ」

声「これで、もうゴミカスみてぇな小っせぇライブハウスをハシゴすんのも終わりだ、こっからは、俺らが日本のミュージックを変えてやっぞ!!」

声「まずはオリコン一位だなぁ! うおおおぉぉ!! 燃えて来たぜぇぇぇ!!!」

 話を漏れ聞くに、どうやら、メジャーデビューが決まったメタルバンドの様だった。

 ものすごい場違い感はあったけど、個人的になかなかイカしたメイクをしている四人組だ。

 そう言えば……どこかで見た事のある顔だけど……どこで見たんだっけ……?


さわ子(………ああ、思い出した)

 ……少し前に動画サイトにちらほら、彼らに似た容姿のバンドの歌が上がっていたけど、あの人達が……そうか。

 マイナーバンドにしてはなかなか歌詞と演奏の勢い、それにパフォーマンスが私の好みにぴったりで、それで何曲かブックマークに入れてたっけな。

147: 2012/02/09(木) 06:00:04.04
声「っしゃあ! 俺達のソウルをこのまま日本中にブチ広めていくぞおおお!!」

声「よーっっし! 今日はこのままパーリーだ! 朝まで飲むぞテメェら!!」

声「おうっっっ!!」


 場違いに騒がしい声を上げながら、彼等の姿は見えなくなっていった。

 そっか……、良かったじゃない。

 彼等の、自分の好きな音楽が認められたって事と、私と同じ志を持った人が、日本の音楽シーンにデビューする事。

 他人事の筈なのに、それがどこか嬉しいと感じる私だった。


男「まったく……関心しませんね」

 そんな彼等のやり取りを見てた隣の彼が、やや怒り気味に言い捨てた。


さわ子「……はい?」

男「あんな素行の悪い連中が音楽をやってるなんて……悲しいです」

さわ子「そう……ですか?」

男「ええ……ああやって大声を上げて、自分を大きく見せるのは臆病者の証拠です」

148: 2012/02/09(木) 06:02:10.75
男「ああいう連中の奏でる音楽は、もはや音楽ではありません、むしろ……ただの騒音です、歌詞も汚い暴言ばかりで支離滅裂、とても音楽を愛してる人間とは思えない」

男「情けない話ですよ、あんな歌とも呼べない単なる叫び声が支持されるなんて……」


さわ子「……………」

 ――何を言っているんだ……この人は。

 確かに、メタルが人を選ぶジャンルなのは理解できる。 ましてやクラシックとかの真面目な音楽が好きな彼がそれを毛嫌いする気も、確かに分かる。

 ………でも、それでも……いや、それも音楽の一つの在り方だと思う。

 例え笛一つで演奏する歌手がいようが、カスタネットだけで歌を歌うような人がいても、私は良いと思う。

 音楽にこれっていう明確な基準は無いし、形は違えど、音を楽しむ事こそが音楽の本質。

 でも、彼の考えは違っていた……。


男「音楽と言うのは、音と音が重なり、それが演奏になり……聴く側を感動させる、そう言うものだと思います」

男「でも、ああいう連中の歌には感動のカケラすらない、さわ子さんも、そう思いますよね?」

149: 2012/02/09(木) 06:03:23.48
 それを、この人は……さも自分の価値観が当然だとも言わんばかりに、私に同意を求めてくる。

 違う……私は、彼の意見とは違う……。


 メタルは、言えば私の青春そのものだ。

 そりゃ……きっかけこそ、当時思いを寄せていた男を振り向かせるためだなんて小さな理由だったけど……。

 でも、この音楽に出会えたからこそ、私は紀美やデラ、ジェーン達にも出会えた。


 ……そして大人になって……桜高で唯ちゃん達や梓ちゃん達の、軽音部の顧問を務めるようになって……そんな彼女達の青春の手助けと、後押しが出来るようになって……それがすごく、すっごく嬉しいと思えて……!

 ……でも、彼は違った。

 いや……むしろ、私の好きな音楽を……私の青春を見下し、否定し、虚仮にして……この人は……こいつは………!

 ……その時。


さわ子「―――っっ!」

 ぷちんっと……私の心の中で……何かが………弾けた―――。

151: 2012/02/09(木) 06:04:13.52
さわ子「…………」

男「………? さわ子さん?」

 私は彼の後ろに回り、背中から彼の懐に腕を絡ませる。

 そして……


男「さ……さわ子さん……その…他の人に…見られますよ……っ」

さわ子「……ルを……」

男「……へ?」

さわ子「メタルを……」

男「さ……さわ子さん……?」

さわ子「メタルを……舐めんじゃ……ねえええぇぇぇーーーっっっっっ!!!!」

男「…………へ……!!??」

 ―――ばっしゃーーーん!!!


 静かな池のほとりに……水音の弾ける音と共に、彼の悲鳴が響き渡っていった―――。

152: 2012/02/09(木) 06:05:05.56
―――――――――――――――――

 それから、数ヶ月の月日が流れ……

 いつぞやのファミレスに紀美を呼んだ私は、あの日、何があったのかを紀美に話していた。


紀美「……んで、見合い相手に思いっきしジャーマン決めて縁談は破談、あんたはあんたで両親に勘当されたと……」

さわ子「…まぁ、そんな所……」

紀美「……………っっ……」

 私の前の席に座っていた紀美はふるふると震え、そして……


紀美「………っっぷ……っっっ!!」

紀美「あーーっはっはっはっはっは!!!! あーっっっっはっはっはっはっはっっ!!」

紀美「……ひーっっ……っくっ…! あっははははっっっ!! も、もうダメ……! お……お腹痛い……っっ!!」

 げらげらと周りの目線もお構いなしに、ひたすら笑い転げていた。

153: 2012/02/09(木) 06:05:58.01
さわ子「そ、そんなに笑う事ないでしょ!!」

紀美「だーってさわ子……っっくっっくくく…っ!! いやー、いくらなんでもそれはダメっしょ!」

紀美「ひーっ…ひー……と、途中までは上手く行ってたのに……っっ! そんで……キレてジャーマンって……! どんだけ…っ!」

さわ子「だってーー、あんなにメタルの事馬鹿にされたらそりゃー……」

さわ子「てか、紀美だったらどうだったのよ、いくら知らなかったとはいえ、私達の青春をバカにされたのよ? こっちは…」

紀美「アタシ? ま~……あはは、そんな事言われた日にゃ、アタシでも張っ倒してたね、うん」

さわ子「でしょ?」

 私の言い分ももっともだと、それでも大笑いを続け、紀美は私の言葉に同意していた。


紀美「でも、あんた本当にどーすんの? このままじゃ、結婚どころか実家にだって……」

さわ子「……もういいのよ、それは」

紀美「……?」

さわ子「あれから考えてみたの……私にとって、何が幸せかって…」

155: 2012/02/09(木) 06:06:44.43
さわ子「彼にああ言われて、それで、後先も考えずにあんな事やるぐらい怒るって……私、やっぱりこの仕事も、メタルも大好きなんだって……改めて思ったのよ」


 ――そう、あれから私は吹っ切れた。

 幸せな家庭を作るのももちろん、幸せな事だと思う……。

 でもそれ以上に、自分が好きな事を好きなだけ続けて行く人生……それもきっと、素晴らしい。

 だから私は、後悔なんてしない。


 自分のした事が間違いだったなんて……思ったりしない。

 だって、私は―――。

157: 2012/02/09(木) 06:07:54.92
紀美「……いい顔になったね、さわ子」

さわ子「……そう?」

紀美「うん、少し前とは大違い、まるで憑き物が取れたみたいに、スッキリしてる」

さわ子「あはは、それはどうも…♪」

 私の言葉にうんうんと頷き、紀美は笑っていてくれた。

 この数ヶ月、色々と紀美を付き合わせてしまい、それでこの様だから言うのは少し気が重かったけど、そんな事気にしてないかのように、紀美は笑ってくれた。


紀美「さわ子の幸せはさわ子のもんだ、誰にだって口出しできやしないよ」

さわ子「そう言ってくれて嬉しいわ、ありがと」

紀美「っかし、随分遅いね、みんな……」

さわ子「そうねぇ~、そろそろ来ると思うけど……」

 時計を見ては店の出入り口をちらちらと見る。

 予定の時間はとっくに過ぎているし……あの子達、そろそろ来ると思うんだけど……。


 その時、店のドアが開かれ、楽器を持った女の子達が、私達のテーブルに駆け足で向かって来た。

158: 2012/02/09(木) 06:09:26.00
さわ子「あ、来た来た……」

声「す、すみませーん! お、遅れちゃいましたー!」

さわ子「遅いわよみんなー」


梓「ったく……純が寝坊なんてするから……」

純「ご、ごめんなさい……」

憂「まぁまぁ梓ちゃん…」

菫「先生、遅れてすみません…」

直「あれ……この方は?」

紀美「えっと……さわ子、この子達は?」


さわ子「紀美に紹介するわ、彼女達が現軽音部、『わかばガールズ』よ」

さわ子「んでもって、菫ちゃんや直ちゃんは初めてよね、私の友達で元DEATH DEVILのギターの、クリスティーナよ」

 そう、双方にお互いを軽く紹介する。

160: 2012/02/09(木) 06:10:33.18
梓「紀美さん、お久しぶりです♪」

憂「この人が……さわ子先生のお友達の、クリスティーナさん……」

純「わぁぁ……か、かっこいい! なんか、大人って感じがする…!」

菫「は、初めまして!」

直「初めまして…それで先生、私達を呼んで一体何を……?」

梓「あ、もしかして練習……ですか?」


さわ子「ええ、今日みんなを呼んだのは他でもないわ、私達が今日一日、あなた達に色々とみっちり叩き込んであげるから、覚悟なさいよー?」

さわ子「特に憂ちゃんと梓ちゃんはギターを徹底的に強化! 文化祭まで時間はあるけど、先輩達に負けないバンドにするつもりだから、みんなしっかりついて行きなさい!」

憂・梓「は……はいっ!」

紀美「デラにジェーンにジャニス、それにミホコも例のライブハウスに着いたってメール来たよ、じゃーそろそろ行こっか、みんな」

一同「――はいっ!」

161: 2012/02/09(木) 06:11:20.08
梓「大先輩たちに教えて貰えるなんて……今日一日、絶対に無駄にしないようにしなきゃ!」

憂「私、頑張るよ! お姉ちゃんにも負けないぐらいギター上手になる…!」

純「うんっ! 私も今から燃えてきた……っ♪」

菫「DVDで見た律先輩に負けないドラム……私も頑張らなくっちゃ…!」

直「わ、私も……!」

 そうして意気込む彼女達を引き連れ、私と紀美はライブハウスへと赴く。


さわ子「紀美、今日はありがとね、付き合ってくれて……」

紀美「いいって、どうせ暇してたしさ~。 ……っかし、休日使ってレッスンだなんて、さわ子もホント、軽音部が好きだねぇ…」

さわ子「なーに言ってんの、軽音部は私達の青春よ?」

紀美「ああ……そうだね♪」

162: 2012/02/09(木) 06:12:09.44
憂「先生~、お姉ちゃんたちも後で来るそうですよー!」

梓「先生方に久々に会えるからと聞いて、みなさんとても嬉しそうでしたっ」

純「わぁ…♪ わ、私、澪先輩にも教えて貰おっと!」

菫「紬お姉ち……紬さん…元気かな?」

直「梓先輩達の先輩かぁ……き、緊張して来たなぁ……」



さわ子(あははは……こりゃまた、騒がしい一日になりそうだわ……)


 あの日の事を後悔せず、糧として、私は今日を言う日を生きる。
 
 ――だって私は……


 この子達の……いいえ、みんなの先生であって……そして、一人の軽音部員なのだから――――!

165: 2012/02/09(木) 06:13:30.11
教師編END AFTER


 ―――更に月日は流れ、数年後の春……。


教師「山中学年主任、コーヒーをどうぞ」

さわ子「ええ、ありがとうございます……」

 後輩の先生が淹れてくれたコーヒーを飲み、一息つく。

 教師としての仕事も順調に進み、業績を積んだ私も今は学年主任として、この学校に欠かせない存在へとなって行った。


 ……あれから、結婚の“け”の字もない生活が続けていたけど……それでも私は今が幸せだった。

 好きな仕事をやれてる今が……とても幸せだった。


さわ子「っかし……菫ちゃん達も卒業して……軽音部はまたも廃部寸前……かぁ……」

 現在活動中の部活動が記入された書類を眺め、私は何度目かのため息を吐く。

 吹奏楽部、合唱部、ジャズ研と続く音楽部の欄で唯一、軽音部にだけ『廃部』の項目がチェックされていた。

 このままでは菫ちゃんも直ちゃんも浮かばれないだろう。

166: 2012/02/09(木) 06:15:03.13
さわ子(何とかしないとなぁ……でも、どうすれば良いのかしら……)

 どうしようかと考えあぐねいていたその時、職員室の戸が開かれ、数人の生徒の元気な声が聞こえて来た。


生徒「すみませーん、あの……音楽の先生いらっしゃいますか?」

さわ子「はい、私ですけどあなた達は……ああ、そのタイは新入生ね? どうかしたの?」

生徒「あの……私達、軽音部に入りたいんです!」

さわ子「軽音部……に?」


生徒「はい!私、佐藤聡美っていいます! こっちは、幼馴染の日笠陽子!」

生徒「日笠陽子です……私、ベースをやりたいと思ってます!」

生徒「私、豊崎愛生! ギターはあまり弾けませんけど……でもやってみたいです!」

生徒「寿美奈子と申します、キーボードしか弾けませんけど……けど、それでも私達、やってみたいんです!」

一同「――先生! 私達を軽音部に入れて下さい、お願いします!」

さわ子「………」

167: 2012/02/09(木) 06:16:02.23
 その姿が、かつての“彼女達”の姿と重なる。

 目の前の彼女達の顔は……遠い昔、私が見た顔そのもので……それが、すごく懐かしくって……!


さわ子「そう………」

さわ子「いいわ、私が“また”、面倒見てあげる!」

一同「『また』……?」

さわ子「さあ、みんなついてらっしゃい!」

一同「は……はいっ! 先生!!」


堀込「山中先生? …ったく……まーた騒がしくなりそうじゃな」

堀込「ま、それも良いか……」

堀込「山中……頑張れよ……」

168: 2012/02/09(木) 06:17:47.95
 職員室を抜け出し、私は生徒を連れ、音楽室へ走り出す。

 この子達なら……きっとやれる……! あの子達に似た笑顔のこの子達なら……きっと………!


 春が始まる。

 あの日のように騒がしく……また暖かく……輝きに満ちた三年間が、これから始まる……!


 私は紡ぐ。 いつまでも……どこまでも……!

 ―――先生として、この子達の顧問として……! 一人の軽音部員として……!


さわ子「さーて!! 軽音部! 行っくわよぉぉっっ♪」

 音楽室からは今日も、賑やかな歌声と……生徒達と私の、絶える事の無い笑い声が絶えず、響いていた……。



さわ子「結婚……かぁ」教師編END

おしまい

169: 2012/02/09(木) 06:19:33.73
>>140より②のルート


さわ子「………ふつつかな女ですが、よろしくお願いします……」

 私は、彼の言葉にそっと頷いた……。


 それから………2年の月日が流れた。

―――――――――――――――――

母「うん、着付けは大丈夫ね」

さわ子「母さんったら、そんなに何度も確認しなくっても大丈夫だって……」

母「なーに言ってんの、せっかくの娘の晴れ舞台なんだから、これくらいさせてちょうだい」

さわ子「はーいはい……」

 眼前の鏡を見る。


さわ子「………」

 鏡の向こうには、純白のウェディングドレスに身を包んだ私がいる。

170: 2012/02/09(木) 06:21:46.14
 ……今日は、待ちに待った結婚式。

 私の、一世一代の晴れ舞台。

 私が、愛する彼と結ばれる、大事な日……。


紀美「よ~っすさわ子、みんな連れて来たよ~」

さわ子「紀美久しぶりー、来てくれてうれしいわー」

紀美「せっかくのあんたの結婚式だもん、たとえ仕事ブッチしてでも行くっつーのっ」

 控室に入ってくれた紀美を出迎える。

 その紀美の後ろには、かつての仲間のデラやジェーン、ジャニス達の姿も見えた。


デラ「さわ子おめでとう~、そのドレス、すっごく綺麗だよ」

ジェーン「まさかさわ子に先を越されるとは思わなかったなぁ~……でも、ほんと綺麗だねぇ……」

ジャニス「招待状が来た時はびっくりしたわー、まさかさわ子が、あーんなに素敵な男性と結ばれるなんてねぇ」

ミホコ「さわ子、結婚おめでとう~、これで私と同じだね~、結婚生活で困ったことがあったら、いつでも相談してくれていいからね?」


さわ子「みんなありがとう、こうしてみんなと再会できて、私もすっごく嬉しいわ」

171: 2012/02/09(木) 06:23:27.68
紀美「ほい、喉渇いてると思ったからジュース買って来たよ、口紅乱れるから、ちゃんとストロー使って飲みなさいよ?」

さわ子「うんありがと、助かるー」

 紀美のジュースを受け取り、早速ストローで頂く。

 爽やかな果汁の風味が口の中に広がり、緊張で硬くなった気が少しだけ休まる気がした。


紀美「いやぁ~……しっかし、ホントに変わったよねぇ、さわ子もさ…」

さわ子「そんなに意外? 私のウェディングドレス姿」

一同「うん」

 まるで合わせたかのように揃って声を上げるみんなだった。


さわ子「……あんた達ねぇ……」

デラ「やっぱさわ子っつったらあれだよ、ド派手な衣装に観客を唸らせるあのデスボイスで……」

ジェーン「前みたいに、『お前らが来るのを待っていたー!』ってやってよ、その格好でっ」

さわ子「嫌よ、ぜーったいにやりません」

一同「あははははっっ」

172: 2012/02/09(木) 06:25:01.36
 少しだけ、私は紀美たちと昔を懐かしみつつ談笑する。

 それが懐かしくて……嬉しくて……、今日来てくれたみんなに、私は何度も感謝をしていた。


 そして、少ししたその時、控室のドアが勢いよく開かれた。


 ――ガチャッ!

声「さわちゃんおめでと~~~~!!!」

声「おい唯、あんまりはしゃぐな…」

声「そうでうよ先輩、少しは落ち着いて下さい」

声「えへへ……だってだってぇ~♪」

さわ子「この声は……」

 声と共に控室に大勢の人が部屋になだれ込んで来る。

 そこには、スーツ姿の唯ちゃんや澪ちゃんや梓ちゃん、憂ちゃん達や、制服姿の菫ちゃんに直ちゃん……他にも大勢の、私がかつて教鞭を振るっていた頃に請け負った生徒がいた。

174: 2012/02/09(木) 06:26:48.51
さわ子「みんな……来てくれてありがとね」

唯「わぁぁ……先生、すっごく綺麗っ!」

律「少し見ない間に見違えたっつーか……この人本当にさわちゃんか?」

梓「し、失礼ですよ律先輩……」

澪「今日は良い写真、取れそうだなぁ……」

紬「ええ、素敵な結婚式になりそうねぇ~」

さわ子「……あなた達も相変わらずねぇ、でも、来てくれて嬉しいわ、ありがとうね」

 唯ちゃん達も特に変わりがないようで安心する。

 澪ちゃんに聞けば、みんな高校時代に比べて演奏も一層上手になり、それなりに明るい大学生活を送っているらしい。

 彼女達のかつての担任としては、鼻が高いと思える話だ。

175: 2012/02/09(木) 06:28:28.93
和「先生、ご結婚おめでとうございます」

憂「先生おめでとうございます♪ 私もこうして、またみんなに会えて嬉しいなぁ…♪」

純「うんうん、みんな卒業してから、なかなか会えなかったもんねー」

和「唯にも久々に会ったけど……みんな相変わらずねぇ」

憂「でもお姉ちゃん、高校生の頃に比べてすっごく綺麗になったんだよ?」

和「憂も、そう言う所は変わってないわねぇ」

憂「えへへへ…♪」


菫「先生、おめでとうございますっ!」

直「私達……先生には一年しか教えてもらえませんでしたけど……今でもはっきり覚えてます、先生に教えてもらった事……たくさん……」

紬「そっか……菫ちゃん達は、一年だけさわ子先生に教えて貰ってたのよね?」

さわ子「ごめんなさい、あなた達の事、最後まで見てあげられなくて……」

菫「いいんですよ……私達もいつまでも、さわ子先生に頼ってばかりいられませんから」

梓「それから軽音部はどう? 新入部員とか、顧問の先生とか来てくれた?」

176: 2012/02/09(木) 06:29:44.02
菫「はい、なんとか新入部員も入ってくれて元気に活動やってます、顧問の先生も決まったんですよ♪」

さわ子「うふふふっ、それは良かったわねぇ♪」

律「んで、誰が顧問になったの?」

堀込「私だ」

 りっちゃんの声に脇から堀込先生が顔を覗かせ、返事をする。

 その姿に、みんなが驚きの声をあげた。


純「え……? ほ、堀込……先生が??」

律「えええええ!!! 嘘だろ、なんで……??」

紀美「てか……堀センまだいたの??」

 予想外の人物の登場に、私以外のその場のみんなが固まる。

 まさか、この人が軽音部の顧問になってくれるなんて……誰しもが思わなかっただろう。

177: 2012/02/09(木) 06:31:02.54
堀込「河口、お前もその口の悪さは変わっとらんな」

デラ「でもなんで? ホリーが軽音部の顧問に……」

堀込「こほん、まぁ、山中から頼まれてな」

さわ子「うん……私達やりっちゃん達がどんな音楽をやってたのかを知ってる先生と言えば、もう堀込先生ぐらいしかいないと思ったからね……」

さわ子「だから退職する直前に私、先生に頭下げてお願いしたのよ」


堀込「ま、音楽は専門外じゃから山中のように教えてはやれんが、こっちも教員歴は長い、顧問ぐらいなら何てことないわ」

直「えへへへ……私知ってるんですよ、先生、最近になってバンドの音楽聴いてくれてるの」

堀込「これ奥田、余計な事を言うなっ」


律「カタブツの先生が……なんかすっげー意外だな……」

堀込「……せっかくの教え子の晴れ舞台だしな、山中……あんまり派手をやるなよ?」

さわ子「大丈夫ですよ、もう昔みたいな無茶、できませんから……」

179: 2012/02/09(木) 06:34:00.93
紬「堀込先生もさわ子先生も……すごく嬉しそうねぇ」

和「堀込先生からすれば、かつての教え子であり、また後輩……山中先生からすればその恩師で大先輩だからね」

澪「お互いに、嬉しくないなんてわけないよなぁ」

さわ子「……私がいなくても、軽音部、大丈夫そうね…………」


エリ「先生~♪ 写真、一緒に撮ろうよ」

三花「エリずるい~! 次は私も~!」

姫子「じゃあ、みんなで一緒に撮ろっか?」

いちご「……賛成」


さわ子「もーあなた達は……委員長さ~ん、みんなをまとめて~」

和「やれやれ……みんなー、あんまし先生を動かさないのー、せっかくのドレスが乱れるでしょー?」

「はーいっ!」

律「さすが元生徒会長、上手くまとめたなぁ」

澪「和も、変わってないなぁ」

さわ子「みんな、本当に昔のまんまねぇ」

180: 2012/02/09(木) 06:36:28.20
 そうこうしてみんなのやり取りを見ていた時、彼が控室を訪ねてくれた。


男「さわ子ー、そろそろ時間だよーって……わ、すごい人数……」

紀美「お、新郎の登場だ」


唯「か……かっこいい旦那さんだねぇ~」

律「なんか……さわちゃんには勿体ない気がするな……」

紬「素敵な旦那様ですねぇ…」

さわ子「へへん、どうよ? 彼が私のステキな旦那様よ?」

紀美「おーおーごちそう様、新婦のヤツ、デレデレとノロケてんな」


男「……な、なんだか照れるなぁ」

 みんなが彼を見ては驚きと、絶賛の声を上げている。

 それを見て少しだけ、優越感に浸る私だった。

181: 2012/02/09(木) 06:38:04.35
さわ子「あなたにも紹介するわね、ここにいるみんなが、私の大事な教え子と…その仲間よ」


男「あ、ああ……さわ子の夫です、みなさん、よろしくお願いしますっ」

純「……しかも、すっごく紳士的……」

憂「こんなに素敵な旦那さんと結婚出来て……さわ子先生、幸せだね♪」


堀込「……ほーれみんな、そろそろ会場に行くぞ?」

和「みんなー、他のお客さんの邪魔にならない様にね~」

「はーいっ!」


 堀込先生が扇動し、それを和ちゃんが誘導する。

 それはさながら、学校行事の団体行動かのようだ。

 かつての懐かしい光景が頭をよぎり、ふと昔を思い出す。

182: 2012/02/09(木) 06:39:36.14
紀美「じゃあさわ子、またあとでね」

唯「式が終わった後に私達、紀美さんやあずにゃん達みんなで演奏するんだ、楽しみにしててね~♪」

梓「さ、私達も早く行きましょう」

さわ子「ええ、それじゃあまたねー」


 ――バタンッ

 扉が閉まり、控室に彼と二人っきりになる。

 騒がしかった先程と一変し、静かな時が、私と彼の間に流れて行く……。

 
さわ子「みんな、来てくれてありがとう……」

男「みんな、さわ子の事が大好きなんだよ」

さわ子「あなた……」

183: 2012/02/09(木) 06:42:31.79
 彼と二人っきりか……。

 それはこの二年間で何度もあった事だけど……今日は、より特別な気持ちでいられるな……。


男「さわ子……すごく、綺麗だよ……」

 若干顔を赤めながら、でも、とても強い眼差しで、彼が私を見ながら言ってくれる。


さわ子「ありがとう……あなたも、今日は一段と立派よ……」

男「絶対に幸せにするよ……僕の為に君が教師を辞めてくれた事……後悔なんて絶対にさせない」

さわ子「うん………お願い………」

男「ずっと一緒だよ……さわ子……」

さわ子「……ありがとう……私も……よ……」

さわ子「いつまでもずっと……あなたの傍にいるわ……」

184: 2012/02/09(木) 06:43:59.19
 そっと、彼が私に口づける。

 私も、目を閉じて、彼の口づけを受け入れる。

 うん……大丈夫……。


 この人となら……私は……大丈夫………。

 教師を辞めた事は確かに、今も心の端に残ってはいるけど……彼となら、私は大丈夫……。

 私の苦悩を誰よりも傍で受け入れ、私を支えてくれた彼となら……絶対に…………。


 ――長い口づけの後、彼が私の手を引いてくれた。


男「行こう……」

さわ子「ええ……」

 彼の手をしっかりと掴み、私は歩く。

 そして……大勢の歓声に包まれる中、私と彼の結婚式が始まったのだった…………。

185: 2012/02/09(木) 06:46:19.17
―――――――――――――――――

 式は順調に進んで行く。

 挨拶に始まり、ケーキカット、新郎新婦の友人によるスピーチ、生徒全員の合唱……。

 そして、指輪の交換……ブーケトス。


 それらに笑い、時に泣き……私と彼は、その素晴らしい一時を噛みしめるように過ごしていた。

 みんなには、一生かけても感謝しきれない。

 ありがとう……みんな……。

 彼と私の為に……本当に……ありがとう―――!!


 ――そして、そんな賑やかで幸せな一時も、気付けば既にフィナーレに差し掛かって行ったのだった。


司会「それでは、新郎新婦の退場です、みなさん、お二人の門出を、盛大な拍手でお見送りください!!」


 ―――ワーワーワーワー!!――パチパチパチパチ!!

 式場を大きな拍手と歓声が包み、私は彼と共に、ゆっくりと歩み出す。

 出口へ向かう彼と私に、大勢の生徒や仲間から、祝福の言葉が送られる。

187: 2012/02/09(木) 06:48:29.60
唯「さわちゃーーんっっ!! おめでとーーーーっっ!!!」

律「さわちゃんおめでとーー!!! キレても旦那さんに怪我とかさせんなよ~!」

澪「写真は現像したら送ります!! 先生ありがとうございましたーー!! お幸せにーー!!」

紬「お二人ともおめでとうございます!! いつか、みんなでお家に遊びに行きますね~!」

梓「先生今までありがとうございました!!! たくさん幸せになって下さーい!」

憂「先生おめでとうございますっ! 今度また、私達の演奏も聴きに来てくださいっっ!!!」

純「その時は先輩達も一緒です! 絶対に、絶対に聴きに来てくださーいっっ!!」

紀美「さわ子ーー!! 幸せにねーーー!!」

エリ「旦那さんもかっこいいですよー!! さわ子先生の事、幸せにして下さーい!!」

姫子「私達、先生の生徒でホントに良かったです!! お二人とも、お幸せにーー!!」


「――おめでとうございます!! お幸せにーーーっっっ!!」

 たくさんの歓声と祝福が私達を包む……。

 一歩一歩……私達は歩く。


 ―――彼と共に……輝く未来へ……。

188: 2012/02/09(木) 06:50:10.30
結婚編END AFTER


 それから数年後……


紀美「お、きたきた……」

さわ子「ごめんね、遅れちゃって」

 私は、いつかのファミレスで久方ぶりに紀美と会っていた。


紀美「ううん、いいよ……あら、また大きくなったのね?」

 大きくなった私のお腹をさすりながら、紀美が言う。

 結婚して早数年……ついに念願だった子宝に恵まれ、私もまた、母親として新たな舞台に立とうとしていた。


さわ子「うん、予定日は……来月ぐらいかな?」

紀美「あんたもいよいよ母親かぁ……いやはや、アタシも、そろそろ結婚ぐらい考えないとマズいかなぁ?」

189: 2012/02/09(木) 06:52:27.99
さわ子「そうよ~、でないと年なんて、あっという間に過ぎちゃうんだからね?」

紀美「結婚前まで、結婚するだ仕事を続けるだなんだで悩んでた奴にだけは言われたくないなぁ」

さわ子「あははっ、それもそっか……」

紀美「んで、旦那さんとはあれからどうなのさ?」

さわ子「それが……あの日以来、だいぶ腰が低いのよ……」

紀美「ま……あんだけの大立ち回りをやったら、普通はそうなるか……」

さわ子「まぁね~……」


 ……それは、あの結婚式の後に開かれた、二次会での出来事に遡る。

192: 2012/02/09(木) 07:00:02.67
 紀美にりっちゃん、梓ちゃんら各グループのリーダー同士の提案により、私にお祝いのライブを開いてくれると言う事で、私達は式場近くのライブハウスに移動したのだった。

 ちなみに、会場の観客一同が収容できるそのライブハウスを用意してくれたのは、ムギちゃんと菫ちゃんの二人。

 琴吹家に直々に掛け合ってくれたとの事で、その行動力と家柄にはつくづく驚かされる。


司会「ではここで、新婦と共に青春を歩まれたバンドと、新婦が教職時代に愛を持って育てた二組のバンドによる、合同演奏を始めさせて頂きます!!」

司会「みなさん盛大な拍手でお出迎え下さい、DEATH DEVIL、放課後ティータイム、わかばガールズのご入場です!」

唯「みなさ~ん! 私達が『放課後デスガールズ』でーす!」


 司会の声に応え、楽器を携えた全員が観客の歓声を受け、舞台に上がる。

 三組のバンドによる合同演奏って事もあってか、12人もの人数と楽器が揃ったライブの舞台は、まさに圧巻の一言だった。

 そして一通りのメンバー紹介を終え、新旧が入れ混じった、新たな軽音部による演奏が始まろうとしていた。


 ……って言うか『放課後デスガールズ』って言うのはどうなの、唯ちゃん。

193: 2012/02/09(木) 07:01:24.23
唯「今日は、さわ子先生の為に私達、精一杯歌います!」

クリス「っしゃあ!! 一曲目から飛ばして行くぞ!! まずは『光』ッッ!!」

律「ワンツースリーフォーワンツースリー!!」


 ――――ッッ♪ ―――♪

唯「何があるかなんてわかんない そんな最高のシチュエーション……!!」


 紀美の声に合わせ、唯ちゃんが精いっぱいの声を張り上げる。

 ……まさかあの子達がメタルをここまで完璧に演奏するなんて………成長したのね、みんな……。


 ――演奏は続く。

 ふわふわ時間、U&I、ラヴ、GENOM……私の思い出の名曲が、彼女達の演奏で次々と蘇る。


声「きゃあーーっっ!! DEATH DEVILかっこいいい~~!!」

声「澪ー!唯ーー!! また歌ってくれてありがとーー!放課後ティータイムさいこ~~~!!」

声「わかばガールズも素敵よ~!! 憂ちゃん、純ちゃん!梓ちゃん! みんな頑張って~~~っっっ!!」

194: 2012/02/09(木) 07:02:40.55
 背後の歓声に合わせ、彼女達の演奏を聴いていく内に、私の中にも熱が宿って来る………。


さわ子(だめよ今日は……この人の前で、この人の家族の前で……私も歌いたいなんて……思っちゃダメ……!)

男「なんか……すごいな……」

さわ子「……やっぱり、メタルは苦手?」

男「ううん……確かにあまり聴きなれてなかったけど……でも、大丈夫だよ」


 ……彼は今まで落ち着いたクラシックを好んで聴いていた。

 その反面、メタルとかロック等の激しい曲に対し、苦手意識があったと言ってたっけ。

 でも、付き合いを重ねるうちにそれもだいぶ取れ、軽いロックぐらいなら私に合わせて少しづつ聴いてくれるようになったんだった。


さわ子(……歌いたい…………)

 ……だめだ……心がうずく……。

 いけないって分かっていても、止められない……!

 でもここで歌うなんて……できっこない!

 そうして悶々とした気持ちのまま私は紀美たちの歌を聴いていた……その時だ。

195: 2012/02/09(木) 07:04:56.03
クリス「ここで真打の登場だ!! 来い!! キャサリンッッ!!」

さわ子「……へ?」

 突如、舞台上のクリスティーナが私に向かい、手を差し伸べる。


唯「さわちゃ……ううん、キャサリン!! キャサリンも歌おうよ!」

律「そうだよキャサリン! やっぱここには、キャサリンがいなきゃダメだよ!!」

さわ子「みんな何を言って……ていうか私は新婦よ? そんな……歌えるわけがないじゃない!」

梓「でも、キャサリンが歌いたがってるの、私達舞台からずっと見てましたよ!!」

直「私達、もう一度先生の歌が聴きたいんです!」

純「お願いします、キャサリン!!」

 舞台上のみんなが私を呼ぶ……けど、やっぱり無理だ……みんなの気持ちは嬉しいけど……!

 でも、あああ……歌いたい…!! 歌いたい歌いたい!! 私も……舞台に上がって……みんなと歌いたい……!!


クリス「やれやれ………」

クリス「テメェラーーー!! なんか照れて奥に引っ込んでるチキンがいっから、アタシらで呼ぶぞぉぉぉ!!」

観客「―――おおおおっっっっっっ!!!!!!!」

196: 2012/02/09(木) 07:06:27.38
唯「キャサリン! キャサリン! キャサリン!!」

声「――キャサリン!キャサリン!キャサリン!!!!」

声「さわ子歌ってぇぇ!! 私達、やっぱりさわ子の歌も聴きたい!!」

声「先生~~!!! お願いします!! 舞台に上がってくださいーーっっ!」

さわ子「みんな……」

 次第に会場を包むキャサリンコール。

 それは、この場の大勢の人達が、私の歌を心待ちにしてると言う何よりの証でもあった。


さわ子「……みんな……………」

男「さわ子……行ってきなよ」

さわ子「あなた……でも、私は……」

男「僕も聴いてみたい、さわ子の歌を……さわ子の……青春を、見てみたいんだ……」

さわ子「………………」

197: 2012/02/09(木) 07:07:40.94
 彼が、言ってくれた。

 私の歌を聴きたいと、言ってくれた……。


さわ子「もう……仕方ないわね」

さわ子「ええ……あなたにも聴いて欲しい、私の歌を……!」

男「ああ、楽しみにしてる」

さわ子「じゃあ、行ってくるわね……♪」

男「うん、頑張れー! さわ子ーー!!」

 彼の声援に後押しされるように私は立ち上がり、舞台に上がる。


声「――きゃああぁぁ!! さわ子~~~~!! 頑張ってーーーー!!!」

クリス「……来たね、キャサリン」

さわ子「もう、私を舞台に上げた以上、どうなっても知らないわよ?」

唯「うんっ! それでこそ私達の先輩で、先生だね♪」

憂・純「先生、よろしくお願いします!」

菫「が……頑張ります!」

199: 2012/02/09(木) 07:09:02.29
さわ子「全力で行くから、振り落とされないでよ、みんな!」

一同「――はいっ!!」

 沸き上がる大量の歓声の中、みんなが用意してくれたギターを構えた私は、精一杯の声を張り上げた。


キャサリン「テメエらに祝われて………アタシャ最ッッッッ高に気分がいいぜええええええッッッ!!!!!」

キャサリン「行くぜええええーーー!!!! アタシ達の歌を聴けェェェェーーーッッッ!!!」

「――きゃああああっっっっ!!!先生かっこいいいいいいい!!!!!」


クリス「テメエラもっとアゲろーーーーーっっっ!!! 夜はまだまだこっからだああああーー!!!!」

キャサリン「ウオオォォォォォォォォーーッッッ!!!!!!!!」

200: 2012/02/09(木) 07:10:42.04
堀込「……まったくあいつは……」

和「でも、先生……すごく楽しそうですね♪」

堀込「……どうにもしとやかには行かんわな……あいつは……」

信代「とか何とか言って、先生もホントは嬉しいくせに~」

堀込「…何を言うか、そんなの……言うまでも無かろう」


男(さわ子かっこいいけど……ちょっと…こわいなぁ……)

和「……旦那さん、やっぱり少し引いてる……」


キャサリン「そこのボブぅ……ソコノ素足ぃ…………そこの……ダンナぁぁぁ!!」

男「ぎくっ…えっと……ぼ、僕の事?」

キャサリン「そうだよテメェ!! 立ってノれええぇ!! テメェはアタシのダンナだろうがよおおお!!!!!」

男「は……はい!!」

202: 2012/02/09(木) 07:12:11.79
唯「あははは……さわちゃんやっちゃってるねぇ……」

澪「でも……それでこそ私達の先生だ」

紬「やっぱり、私達の先生は…」

律「こうでなくっちゃ……な♪」

梓「えへへへ……♪」

 私は歌う。 声を張り上げ……歌う。

 輝きを失わぬよう……未来を導くように歌う。

 この場の全員に…私達の幸せを約束するように……それから私は、一心不乱に歌い続けたのだった―――。

―――――――――――――――

紀美「それから、すっかり旦那はあんたに頭が上がらなくなったと」

さわ子「まぁそんなところ………はぁ……ほんとはこうじゃなかったのになぁ……」

紀美「はっはっは!! 今更無理だって、あんたにおしとやかなんて……似合わないよ」

さわ子「もう、紀美ったら~」

紀美「……いいじゃないの、それでも受け入れてくれる旦那ができてさ」

さわ子「……まぁ……そうよね……」

203: 2012/02/09(木) 07:13:37.88
 ふふふと笑みを浮かべ、私は笑う。

 それに釣られるように、紀美もまた笑顔で応えてくれた。


紀美「じゃ、そろそろ行くか」

さわ子「ええ……そうね……っと……!」


 ――がたっ!

 足元がふらつき、思わず転びそうになったが、咄嗟の所でそれを堪える。


紀美「だ、だいじょーぶ? あんま無茶しないでよ?」

さわ子「だ、大丈夫よ…………ゔ……っ!」


 その時、ある違和感が私のお腹を襲う……いや、この痛みは……!

205: 2012/02/09(木) 07:14:42.48
さわ子「痛い……!! 痛い痛い痛い!!!!」

紀美「ど、どうしたのさわ子? さわ子??」

さわ子「やばい……う……産まれるかも……」

紀美「はぁ?? マジで言ってんのアンタ?」

さわ子「うん……かなりマジ……っつぅ! 痛っ……痛たたたっっ!!!」

 今まで感じたこともないぐらいお腹が痛い……予定日まだ先なのに……もう来たか……!


さわ子「ごめん、ホントに出そう……!!」

紀美「ちょちょちょちょっと待ってよ……! す、すみません!誰か救急車!! 救急車をーーー!!!」

さわ子「だめぇぇ~~、誰か……助けてえええ!!」

店員「お、お客様!! どうかなさいましたか!?」

紀美「いいから救急車! 救急車ーーっ!」


さわ子「う~ま~れ~る~~!!」

206: 2012/02/09(木) 07:15:45.27
――たとえ激痛に苛まれても、私はそれが嬉しかった。

 だって、その痛みの中で私は感じられたのだから……。

 あの人の夢と、私の幸せ……その全部が、もうすぐ産まれて来てくれる事を…感じられたから。

 痛みと共に幸せが芽吹いて行く……私と彼の……大切な未来が……もうすぐ、ここに……!


 ―――私達は歩き出す。

 愛する夫と、愛しい我が子と共に。

 輝きに満ちた未来へ……幸せな家庭を築く為に……


 妻として……また、母として……

 私は、果てしない幸せな日々を生きるのだった……。


さわ子「結婚……かぁ」結婚編

おしまい

208: 2012/02/09(木) 07:16:28.17
AFTER THE AFTER


 そこは、とある公園。

 暖かな春の日、そこにスーツ姿の女性が一人、ベンチに座っては難しい顔で書類を睨んでいた。

女性「本年度の予算また引かれてるなぁ……まったく、役所ももうちょっとだけ現場の人達の事も考えて貰いたいもんよねぇ……これじゃ仕事だって手に付かないわよ…」


声「すみません、お隣、よろしいでしょうか?」

女性「ん……? あ、ええ、すみません……」

 子連れの母親が大きいお腹をさすりながら女の子の手を引き、女性の隣に座る。

 ベンチに座った母親の手を離れた女の子は、笑顔で公園の中を元気に駆けて行った。

 そんな子供の姿を、女性も母親も、優しい目で見守る――。

209: 2012/02/09(木) 07:17:07.50
女の子「ママ―っ! おはなみつけた~♪」

母親「あらあら、あんまり走ると転ぶわよー?」

女の子「だーいじょーぶーっ!」

女性「うふふ、可愛いお子さんですね…」

 書類を戻しながら子供の姿を見て、女性は母親にそう話しかけていた。


母親「ええ……でも、おかげですっかりやんちゃになって……まったく誰に似たのやら……」

女性「幸せそうで、羨ましいですわ」

母親「うふふ……そちらはお仕事、お忙しいですか?」

女性「ええ、今は忙しいですけど……でも、最近になってようやく落ち着いてきたって感じですねぇ」

母親「……もし失礼でなければ、何のお仕事をしているか、伺ってもよろしいかしら?」

女性「あはは……ええ、私これでも、学校で先生をやってるんですよ」

母親「あら……実は私も、数年前まで先生だったんですよ」

女性「それはそれは……何だか奇遇ですね」

母親「……そうですねぇ」

210: 2012/02/09(木) 07:17:50.52
女の子「ねえねえママー、このおばさん、ママのおともだち?」

母親「こーら、そんな失礼な事言っちゃいけません」

女性「うふふ、いいんですよ……私も、もうすっかりオバサンだしね」

母親「すみません……」

女の子「えへへへっ♪」

女性「可愛いわぁ……すみません、良かったらこの子の事、少し抱かせて貰っても宜しいかしら?」

母親「ええ……この子、抱っこ大好きですから、たくさんしてあげて下さい」

女性「じゃ、ちょっと失礼しますね~」

 母親の了承を得た女性は女の子を身体を優しく抱き、その小さな身体を持ち上げる。

 ふんわりと優しい香りが女性を包み、そこに、和やかな光景が生まれて行く……。

211: 2012/02/09(木) 07:18:33.37
女性「よしよし……いいこね~」

母親「どう? お姉さんの抱っこ、気持ちいい?」

女の子「うんっ! えへへへ……ママとおなじにおいがする~♪」

女性「あら、そう?」

女の子「うんっ♪ おばさん、ママみたい♪」

母親「あらあら、この子ったら……」

女性「ママみたい……か、うん……ありがと…」

 そして女性は子供を優しく降ろし、腕時計を見て、荷物をまとめ始めた。


女性「ありがとうございます、ではすみません、仕事の時間が来たので私はこれで……」

母親「では私達も……そろそろ、お家に帰ろっか?」

女の子「うんっ! ばいば~い♪」

女性「うん、じゃあねっ」

212: 2012/02/09(木) 07:19:05.89
母親「ありがとうございました……宜しければ、また、どこかでお会いできるといいですね……♪」

女性「そうですねぇ…………♪」

 そして、 一人の教師と一人の母親……互いに似通った姿の二人は背を向け、歩き出す。


 一人は、忙しくも充実した仕事が待つ職場へ……

 もう一人は、愛情に満ちた、暖かい家族が住む家へ……


女性(頑張ってね……お母さん……)

母親(頑張ってね……先生……)

213: 2012/02/09(木) 07:19:52.15
 ―――それはもしかしたら……違う未来を歩んだ、自分自身の姿だったのかも知れない。

 別々の幸せを見つけ、それを輝かせる為に邁進した二人……その二人は形は違えど、共に大きな幸せを手にした。


 ――何が幸せかは問題じゃない。 どんな結果であろうと、幸せの形に一番なんて存在しない。

 いつでも、どこでも、“一番”は無数にある。


 何故なら……“一番”は、決して……一つではないのだから―――。



さわ子「結婚……かぁ」

おわり

215: 2012/02/09(木) 07:24:39.94
あとがき

元々は一週間前にさわちゃんの誕生記念に書いたネタがきっかけだったんですが、膨らませまくってこうなりました。

需要があったかは分かりませんが、もしも読んでくれた方がいたら、お付き合いいただきありがとうございました。

219: 2012/02/09(木) 07:28:00.42

224: 2012/02/09(木) 08:03:13.35

ルート分岐まで書くだなんて 面白かった

引用元: さわ子「結婚……かぁ」