2: 別人 ◆Q7pSHpMk.k  2010/08/30(月) 22:32:40.46

8月16日、学園都市のとある研究所



2人の研究者が、言い争いをしていた。


「ドクター天井、これは決定事項でス」

「そ、そんな!?それでは、私に入る金が…」

「このままでは、『絶対能力進化計画』そのものが破綻しますヨ」


1人は天井亜雄。かつて『量産型能力者計画』を指揮していた、優秀な科学者である。

だが、その計画は樹形図の設計者の予測演算の結果不可能と判断されたため、凍結されてしまった。

その時負った負債を返済するため、彼はこの『絶対能力進化計画』に参加していた。


「ようやく実験が軌道に乗ったところなんだぞ!」

「それをみすみす外部研究施設へ引き継ぐなど、話にならない!」

「…では、このまま謎の襲撃者が計画を台無しにするのを待ちますカ?」

「クソ…」

「お引き取りを、ドクター天井。借金の返済プランはご自分でお考えくださイ」


結局、失意のうちに天井は研究所を後にした。

3:

『絶対能力進化計画』

――超電磁砲こと御坂美琴のクローンを、2万回一方通行に殺させることで、レベル6へ進化させるという狂気のプラン。

その計画を知った御坂美琴が、実験関連施設を無差別に破壊。

すでに残る実験施設がわずか2基となり、実験存続が危ぶまれることになった。

実験責任者は、計画維持のために外部研究施設へ実験を委託することを決定した。

もちろん、そのためには多額の利権を相手に支払う事になる。

つまりそれは、天井に入ってくる報酬が格段に下がることを意味していた。


(…どうすればいいのだ、私は…)

(これというのも、全ては『量産型能力者計画』が中止させられたから…!)

(私なら成功できたかもしれないじゃないか…)

(とにかく金、金が必要だ)

4:

(!)

(そうだ、アイツを売ってしまおう。少しは金になるはずだ)


天井はすぐに自宅へ戻ると、その地下室で保存されている『実験動物』に目をやった。

さっと目を通し、異常が無い事を確認。

それを確認すると、学園都市外部の知り合いへ電話をかけた。


(すでに役に立たない『量産型能力者計画』の残骸、検体番号00000号を外部に売ってしまおう)

(欲しがっていた連中なら山ほどいるんだからな)


やがて取引が成立し、すぐに『検体番号00000号(フルチューニング)』を渡すことになった。


(焼け石に水だが、当座の金にはなった。悪く思うなよ)


そして天井は培養器ごと、その中で眠る少女をどこかへ運び出した。

5:

それから4時間後、学園都市を遠く離れたとある港


フルチューニングを買ったのは、とある魔術結社だった。

彼らは『学園都市に敵対する研究所』の振りをして、天井と取引をした。

謎の多い科学サイドの情報を手に入れるためである。

無事にフルチューニングを受け取った彼ら4人が、彼女を培養器から取り出し、急いで船に積み込もうとした時…


「いかんよなぁ、こんなモノを見ちまったら、助けない訳にはいかないのよ」


フランベルジェが神速で舞い、4人の魔術師を圧倒した。


「…バカな、天草式十字凄教の人間だと…!?」

「おや、知っているのか。我らも有名になったものよな」


フランベルジェを握る男が、この場にそぐわぬ笑顔を見せる。


「…落ち着け、奴は1人だ!あの女教皇(プリエステス)がいないなら、数で倒せる!」

「いやあ、話はちゃんと聞くべきなのよな?…“我ら”って言ったろ?」

6:

その言葉にギョッとして魔術師が辺りを見まわし、ようやく彼らはその気配を感じ取ることが出来た。

40、いや50人ほどの天草式十字凄教のメンバーが、武器を構えて包囲している事を。


「…何故だ、何故お前らが邪魔をする…?」

「そんなことは“決まっている”のよな」


そして、フランベルジェを軽く振りまわして、男――天草式の教皇代理、建宮斎字は1つだけ尋ねた。


「…我らが女教皇から得た教えは?」


天草式十字凄教が、声を揃えて答えた。


「救われぬ者に救いの手を!!」


それからわずか30秒後。天草式十字凄教は“救われぬ者”だったフルチューニングを救い出し、姿を消した。

7:

天草式十字凄教のとある拠点


「無事に間に合って、なによりなのよな」

「結構ギリギリでしたけどね」


笑顔の建宮に答えたのは、五和と呼ばれる少女だ。

培養器から取り出されていて、意識の無いフルチューニングを五和が看病していた。


「それにしても、魔術結社が誘拐を企んでいるって教えてくれた“電話の人”は誰なんでしょうね?」

「それが分からんのよ」


五和の問いに、困ったように頭を掻きながら建宮が答える。


「電話の声も、機械で変えてあったみたいだしね」

さらに、実際に連絡を受けた金髪の女性、対馬も2人の会話に加わった。

8:

「まあ、エグい事で有名なあの魔術結社に連れて行かれずに済んで、結果オーライなのよな」

「それはそうですけど…」


釈然としない様子の五和に、対馬が同意して言った。

「この子の名前や所属すら分からないし、早いとこ目が覚めるといいわね」


その言葉に建宮がイヤ、と反応した。

「所属は予想できる。多分、学園都市の能力者ってヤツなのよな」

「どうして建宮さんはそう思うんです?」

「簡単なことだ、五和。この子が入っていたと思われる培養器が、学園都市製だったのよ」

「あ」


思わず五和は項垂れる。あまりにも簡単なヒントが有ったではないか。

9:

「でも、どうしてあいつらはこの子を培養器から取り出したのかしら?」

「多分、学園都市の人間を信用していないからだろう。発信器か何か付けられていると思ったのかもしれん」


対馬の疑問にも、よどみなく建宮が答えた。


「う…あ…」


その時、意識の無いフルチューニングが声を上げた。

慌てて五和が駆け寄って、話しかける。


「大丈夫ですか?ここは天草式の隠れ家で安全です。安心してください」

「…?…状況の把握が…出来ません…」


思わず顔を見合わせる天草式十字凄教のメンバーたち。



『妹達』の試作型が天草式十字凄教と交差するとき、物語は始まる――!

21:


天草式十字凄教のとある拠点


見た目高校生ぐらいの少女が、まるで赤ん坊のようにキョロキョロと辺りを見回す。

意識を取り戻したフルチューニングに、建宮が笑顔で話しかけた。


「まあ、混乱するのも無理は無いのよな。お前さんは誘拐されかかっていたんだぜ?」

「…誘拐?」

「はい。とある魔術結社によって、船で外国まで連れて行かれるところだったんです」


五和も笑顔で説明するが、フルチューニングは意味不明な事を聞いたように困り顔をした。

22:

「『魔術結社』とやらはよく分かりませんが…ミサカは確か先方に売却されたはずでは?」

「え…」

「すでに代金も受け取っていたという情報も、インプットされています」

「様子を見る限り、あなたたちはその取引先相手ではないのですね。…むしろ誘拐犯は、この場合あなたたち…」

「ちょ、ちょっと待つのよな!」


平然として自分が売られたと語るフルチューニングに、建宮が慌てて詰めよった。


「お前さん、自分から売られたのかよ!?」

「いえ。ミサカを作った研究者、天井が売買契約を結んだという事ですが」

「…作った?どういう意味ですか?あなたは一体…?」


困惑気味に尋ねる五和に、フルチューニングは平然と答えた。


「ミサカは『量産型能力者計画』の試作型クローン、検体番号00000号です」


計画は凍結されているので、符丁(パス)の確認は要りませんね、とフルチューニングは呟いて話し続ける。

23:

「『量産型能力者計画』のため、試作されたのがこのミサカです」

「ところが『量産型能力者計画』は実現不可能と判断され、ミサカが作られた後中止になりました」

「そのためそれを主導していた天井は金策に困り、廃棄されたこのミサカを売却した」

「だから相手先の指示に従え」

「という情報を、売却前に彼から直接インプットされています」

「ますます意味が分からんな」


難しい顔をして建宮が座り込んだ。


「つまり、その、お前さんは実験の為に作られたクローン…なのよな?」

「はい。ちなみにミサカの素体となったのは、レベル5の第3位『超電磁砲』御坂美琴です」

「なんでその人のクローンを作ったんですか?」

「レベル5を人工的に作り出し、量産するためです。それが計画の目的ですから」

「そりゃまたスゴい話なのよな」

「ですが、試作型のこのミサカが製造された直後、レベル5をクローンから作りだすのは不可能だと分かりました」

24:

フルチューニングは淡々と話を続ける。

徐々に険しい顔をしていく五和には気づかなかった。


「責任者の天井は、あれこれ弄ってミサカをレベル5にしようとしましたが、結局能力の上昇はレベル4止まりでした」

「実験中止で借金だけが残った天井は、必要無くなったこのミサカを外部の人間に売ってお金にすることに…」

「そんなの、間違ってますよ!」


突然五和が怒って大声をあげたので、フルチューニングはキョトンとして話を止めた。


「例えあなたを作った人だからと言って、勝手に売り払っちゃうなんて酷いです!」

「五和、落ち着け」

「建宮さんは落ち着いていられるんですか!?」


五和の迫力に、思わず建宮が後ずさった。

25:

「何故、あなたは怒っているのですか?」

「どうしてあなたは怒らないんですか!?」


質問を質問で返されて、フルチューニングは無言になった。


「良いですか、あなたはもう少しで非道な魔術結社に連れて行かれるところだったんですよ!?」

「あのままだったら、きっと体をバラバラにされたり、危険な魔術を掛けられたりしていたんです!」

「どうしてもっと自分の身を考えないんですか!?」


ハーハー、と息が荒い五和に、冷静にフルチューニングが答えた。


「ですが、ミサカはただのクローンです」

「!」

「しかもすでに存在意義を無くしている以上、売却されるのは仕方ありません」

「!…そんなこと、言わないで下さい!」


五和は目に涙を浮かべて、その場を走って後にした。

26:

「やれやれ、こいつはどうにも厄介な話になりそうなのよな」


頭を抱える建宮に対し、今まで無言だった対馬が声をかけた。


「で、結局この子どうするの?」

「取りあえず、我らで保護するしかないのよ」

「?」

「いいかいお前さん」


建宮がフルチューニングにズイ、と顔を近づけた。


「まだ状況が全部分かった訳じゃないが、これだけはハッキリしている」

「我ら天草式十字凄教は、お前さんをあの連中に渡すつもりはないのよのな」

「ついでに言うと、その天井っていう大バカ者の所へ返す気も無い。そんな事をしたらまた売られちまうだろう」

「ですが、ミサカはクローン…」


フルチューニングの言葉を遮って、建宮が稲妻のように断言した。


「これはお前さんがクローンだなんだ、っていう話とは無関係なのよ!」

27:

「意味が分かりませんが…」

「簡単な話よ。地獄へ行くお前さんを、みすみす見捨てるわけにはいかないっていう意味よな」

「何故ですか?」

「“理由なんてねえのよ”」


その真っ直ぐな意思に、フルチューニングは思わず目を見張る。


「我らは、昔からそうやってきた。その生き方を女教皇様が先頭に立って教えてくれた」

「人はどこまでも強く、優しくなれるとその身をもって示された」

「…だから、我らも救われぬ者に救いの手を差し伸べる」


建宮の語る言葉には、誇りと悲哀が込められていた。

そこに偽りは全く無い。

28:

(こんな人は、初めて見ました)

(理由もなしに、廃棄されたクローンを助けようとするなんて…)


初めて自分に向けられた『感情』に圧倒され、フルチューニングは返事が出来なかった。

そしてそれ故、建宮の言葉に隠された後悔の念までは感じ取ることは出来なかったのだ。

かつてその女教皇の居場所を、自分たちの未熟さゆえに失ったという懺悔の思いまでは。


「…ミサカは、どう判断していいか分かりません…」

「だって、廃棄されたクローンに居場所などないのですから…」

「お前さんは、五和…さっきの女の子の話を聞いていたのかよ?」

「えっと…」


建宮はフルチューニングの顔を両手でガシッと挟み込み、目を合わせた。

29:

「俺もあいつと同じでな、そのクローンとやらに用は無いのよ」

「…」

「助けたいのは、クローンじゃなくてここにいるお前さんという1人の人間なのよな」

「!」

「安心しろ。ここに居場所を作ってやる」

「あ、え…」


混乱するフルチューニングに、建宮はニッ、と歯を見せて笑いかけた。


「とりあえず、お前さんをみんなに紹介しないとな」

「…紹、介?」

「あ。大事な事を忘れていたのよな」


そう言うと、建宮はフルチューニングに手を差し出した。


「俺の名前は建宮斎字って言うのよ。一応この天草式十字凄教の教皇代理なのよな」


そして返事も聞かずに、他のメンバーのいる場所に手を引っ張って連れていく。

30:

当然ながら、フルチューニングが一度にこんなに大勢の人間から自己紹介をされたのは初めてだった。


先ほど真剣に怒って泣いてくれた「五和」、

説明を受けるなり、なんてひどい話だ!と歯噛みした初老の「諫早」、

よしよし、と頭を撫でてくれた金髪女性の「対馬」、

既に結婚していて、指輪を自慢げに見せてくる「野母崎」、

大柄な割にとても優しげな笑顔の「牛深」、

小柄な割に生意気そうな少年の「香焼」、


50人以上の紹介が終わるころには、フルチューニングの体調もすっかり回復していた。

そして段々とフルチューニングがその空気に慣れてきたとき、建宮が突然あ!と声を上げた。

31:

「お前さんの名前を、教えてもらわなくちゃいけないのを忘れてた」

「ミサカの名前は、検体番号00000号ですが?」

と言っても、結局ミサカ以外にクローンは作られませんでしたが。という呟きと一緒に当たり前のように返答。

ところが、それを聞いて全員が渋い顔をした。


「そんな長ったらしく呼べるわけないのよな」

「じゃあ、新しく名前を考えましょうか」

「対馬先輩は、センスがないすから辞めた方が…」

「如何にも。ここは俺が…」

「待て待て。貴様らよりもこのわしが…」


途端に賑やかになる天草式のメンバーたち。

32:

「皆さん、私に任せてください!」

その場を静まらせたのは、握りこぶしの五和だった。


「検体番号00000号なら、ゼロちゃんでどうでしょうか!」


全員が「えー、それは無いわー」という感じで黙り、一気にシーンとなった。

フルチューニングも、どう反応していいか分からずにオロオロする。


「五和、ゼロじゃ外国人みたいだろう。――レイ、で良いと思うのよな」

その空気を戻そうとして、建宮がフルチューニングの頭をポンポン、と叩きながら宣言。


(ゼロよりはマシでしょうか)

「分かりました。これからレイでお願いします」

「おう、ヨロシクなのよレイ」

33:

名前が決まって再び場が盛り上がり、一気にフルチューニングの歓迎パーティーへとなだれ込むことに。

パーティー用のジュースやお菓子をみんなが用意している間に、フルチューニングはそっと建宮に近づいた。


「…ところで、ミサ…レイは疑問に思っていたのですが」

「疑問?なんなのよ?」

「天草式十字凄教とは、一体何のグループなのですか?」


建宮はなんだそんなことか、と笑って説明。


「ああ、我らは十字教宗教団体の魔術結社なのよ」

「なるほど」


あっさり頷こうとして、フルチューニングはピシリと固まった。


「…十字教?魔術結社?」

「おうよ」

「…良く分かりました。どうやら新興宗教の信徒たちが、このミサ…レイを生贄にしようとしているのですね?」

「何でそうなる!?」

「今時、魔術なんて堂々と言い張るとはナンセンスです」


ジリジリと後ずさりし、逃げようとするフルチューニング。

結局、天草式十字凄教の説明はそれから3時間以上もかかる事になった。

48:

8月20日、天草式十字凄教のとある拠点


フルチューニングが天草式十字凄教に拾われて4日後。

その日もフルチューニングは、五和に魔術や十字教の知識を教わっていた。


「なるほど。つまり『聖人』と呼ばれる人は、肉体強化レベル4以上の強さを生まれながらに持っているということですか」

「えっと…『肉体強化レベル4』がどれぐらいか私には分かりませんが…」

「聖人であるうちの女教皇は、音速以上で走ったり、100分の1秒の領域に対応する反射神経を持っていますよ」

「どんな化け物ですかソレは…」


フルチューニングはベッタリと机に伏した。

『学習装置(テスタメント)』で入力された常識と、あまりにもかけ離れた魔術という世界。

いい加減カルチャーショックで頭がおかしくなりそうだった。

自分の知る理屈が通用しない『魔術』を初めて見せてもらった時は、衝撃でしばらく動けなかったぐらいだ。

49:

もっとも、それは五和たち天草式十字凄教のメンバーも同じ事であった。

一切の術式や霊装を用いることなく、2億ボルトもの電気を放射された時は腰を抜かした人もいるほどだ。

そんな事を平気な顔して行えるフルチューニングは、五和たち魔術師にとってある意味『化け物』と言える。


((常識が通用しない…))


五和とフルチューニングは同時に溜息をつき、顔を見合わせて苦笑した。


「じゃあ、休憩にしてお茶でも淹れましょうか」


その言葉に、フルチューニングが目を輝かせた。


「ミサ…レイのお茶へのこだわりは、ハンパではありません!」

「分かってますよー。ちゃんと美味しいのを用意しますから。…緑茶で良いですよね?」

「もちろんです。昨日は紅茶でしたし」

50:

一昨日、生まれて(?)初めてお茶を飲んだフルチューニングはその味にいたく感激した。

そのため、天草式十字凄教の中でも最もお茶の淹れ方がうまい五和にとても良く懐いている。


「はい。高いお茶っ葉だからそこまで温度は高くしてませんけど、ゆっくり飲むんですよ?」

「当然です。ミサ…レイはドジっ子キャラではありません」


ズズー…

言葉通りゆっくりと口に含んで味を楽しむフルチューニング。


「ムッ!…この温度は茶葉の渋みを抑え、甘くまろやかな味を楽しむのに最適です。グッジョブです!」

フルチューニングは思わずグッと親指を立てて賞賛する。

その喜びように、思わず五和も笑顔になってフルチューニングの頭をなでた。

51:

「喜んでもらえると嬉しいですねー。あ、お茶菓子もどう?」

「ミサ…レイは甘いものが好きです!このお饅頭を戴きます」

「あーあ。慌てて食べるから、口の周りに餡子が…」


2人が和気あいあいとしていると、建宮がその場に笑顔で現れた。


「おー。美味しそうなもの食べているのよな」

「このお饅頭を狙うとは…ですがもし食べたければ、このミサ…レイを倒してからにしてもらいます!」

「その気はないのよ。ま、何にしろすっかり打ち解けたようで、なによりよな」


そう言って建宮は、お土産のみたらし団子をフルチューニングに渡した。


「おお…これがあのお団子ですか…」

「プ。ホント、レイちゃん見てると飽きませんね」


お団子に目を奪われるフルチューニングを見て、五和がクスクスと楽しそうに笑った。

その態度に若干不満げなフルチューニングだったが、結局お団子の魅力に勝てず笑顔で食べ始めた。

52:

「モグモグ。ところで、建宮さんはどうしてここに?」

「そう言えば、あと2日は帰ってこれないってみんなから聞いてましたけど」

「いや、まだ仕事は途中なんだけどな」

「?」

「レイが遠出するって言うから、ちいと見送りに顔を出したのよ」


思わず団子を食べる口が止まるフルチューニング。

理由は良く分からないが、なんとなく胸が暖かくなって嬉しい気分になった。


「それほど距離はありませんが…」

「それでも、心配はするのよ」

「確かにそうですよね。…やっぱり私も付いて行きましょうか?」

「問題ありません。ちゃんとすぐに戻ってきますから」

53:

フルチューニングが断言しても、2人はどこか心配そうな顔をしている。

それでも、彼女は自分の意思を変えようとしなかった。


「ミサ…レイはどうしても、確認してみたいのです」

「…分かった。気を付けて行くのよな」

「お守りも用意しましたよ」


五和手作りのお守りをギュッと握りしめ、フルチューニングはその方向へ目を向けた。


――彼女が悩んだ末、明日1人で出かけることにしている場所。

――自らを作りだした場所。世界で唯一『超能力』を開発している、学園都市へと。

54:


8月21日(午後7時30分)、学園都市第11学区


「流石はミサ…レイですね。難なく侵入に成功しました」


自画自賛しているフルチューニングは、現在輸送用トラックの荷台の中にいた。

荷台の警報機は全て能力で無力化してあるので、のんびりどら焼きを食べている。

ガタガタと揺られながら、フルチューニングはここに来ようと思ったきっかけを思い出していた。


(あれは夢だったのでしょうか…)


天草式に拾われてから、いや、正確には培養器から出て覚醒してからずっと、妙な感覚がしていた。

どこか“チリチリ”とした感覚が、肌や頭を覆うように自分を包んでいる。

徐々にその違和感を無視できなくなり…ついにフルチューニングはある夢を見た。

55:

(ミサ…レイ以外の“クローンが何者かと戦っている夢”…あれは妙にリアルでした)

(『量産型能力者計画』はすでに凍結されたというのに、この感覚は一体何なのでしょう)


その感覚の正体を確かめるため、フルチューニングは学園都市へ戻ってきたのだった。


やがて第7学区でトラックが止まった隙を見計らって、フルチューニングは荷台から飛び降りた。

そして10分ほど走り、『量産型能力者計画』の研究所跡地に到着。

正面ゲートは太い鎖と錠で完全に封鎖されていたため、裏口の電子ロックを解除して中に侵入する。


(施設は完全に封鎖されたまま…やはり研究は行われていない…)

(……)

56:

フルチューニングは、そっと近くのコンピュータに触れた。

そして能力を使って起動させると、メモリの中から『量産型能力者計画』について調べ始める。

だが、そのデータは完全消去されていた。


(ここまで完璧に消えているのは妙ですね…)

(失敗した役立たずの実験計画を、ここまで入念に消す理由があるんでしょうか?)


嫌な予感を感じたフルチューニングは、研究所同士のネットワークに侵入してさらに痕跡を探す。

そして、ついに1つのデータを発見した。




「『量産異能者「妹達」の運用における超能力者「一方通行」の絶対能力への進化法』…?」

57:

「…通称『絶対能力進化計画』」

「…学園都市第1位をレベル6へ進化させる方法」

「…超電磁砲を128回殺害することで、レベル6になれる」

「…だが当然128人も用意できないので、代わりに量産計画「妹達」を流用することにした」

「…2万通りの戦場を用意し、2万人の妹達を殺害することで目的は達成される…」


モニターには、妹達の“頃し方”が2万通り表示されていた。

そして一番最後には…



次回の開始時刻:8月21日午後8時30分(日本標準時間)

次回の絶対座標:X228561・Y568714

次回の使用検体:検体番号10032号

次回の状況設定:反射を適用できない戦闘における対処法


現在の進行状況:10031/20000



フルチューニングは、瞬きすら出来ずに画面を凝視していた。

63:



8月21日(午後8時00分)、第7学区『量産型能力者計画』研究所跡地


想像もしていなかった事実を知ったフルチューニングは、しばらく呆然としていた。


(クローンが、このミサ…レイ以外に2万体も作られた…)

(『絶対能力進化計画』で殺されるためだけに)


フルチューニングは極めて混乱していたが、やがて研究所を飛び出した。

何故かは自分でも分からない。けれども、その足は次の実験場所へと向かっていた。

64:

(行って何をしたいのかも分かりません)

(こんな感覚は初めてです)

(とにかく、その『一方通行』という人と話し合いを…)

(何故)

(何故)

(何故)

(何故、ミサ…レイはこんなに落ち着かないのか、自己分析が出来ません!)


そしてフルチューニングは、実験場所の第17学区操車場へ到着する。


65:

8月21日(午後8時30分)、第17学区操車場


フルチューニングが実験場所へ到着したその時、楽しげな声が聞こえてきた。


「そろそろ氏ンじまえよ。出来損ない乱造品」

「――これより第10032次実験を開始します」

(そんな…!)


フルチューニングの前に映るのは、楽しそうに両手を広げる白い『最強』。

そして、自分よりわずかに幼いが同じ顔をした『人形(クローン)』。

どちらもフルチューニングの存在に気づいてはいないようだ。


(実験が、始まった…)


思わず五和から貰ったお守りを握りしめる。

66:


(精神状態に異常発生…状況判断が出来ません…)

(あああああああ!!!)


無計画のまま、2人の前に飛び出そうとして――


「学園都市のIDを持たない侵入者を発見しました、とミサカは報告します」

「『実験』の妨害を看過することはできません、とミサカも攻撃態勢に入ります」


タタタタタ、と足元に銃撃を受けて足止めされた。


(実験前の妹達がここを守っていたのですか…迂闊でした!)


フルチューニングは後悔するが、その間にも妹達が四方を包囲してしまう。

そして月明かりがフルチューニングの姿を照らすと、銃を向けていた4人のミサカが混乱しだした。

67:

「あなたは…『妹達』?とミサカは驚きます」

「いいえ、ミサカネットワークへの接続を確認できません、とミサカは事実を突きつけます」

「可能性があるとすれば、第1次製造計画では?とミサカは推理します」

「ミサカ達が作られることになった最初の理由、『量産型能力者計画』ですね、とミサカは納得します」


4人は無表情ながらも、フルチューニングの正体を予測して頷きあった。


「…あなたたちも、その、御坂美琴のクローンなんですね?」

「その通りです。そして現在このエリアは実験の為使用中です、とミサカは驚きを隠しながら警告します」

「そもそも、どうして廃棄されたはずの試作型がここに居るのですか、とミサカは問いかけます」


容赦なく突き刺さる妹達の言葉が、フルチューニングの思考を促した。

68:

(どうして?)

(ミサ…レイは、自分の行動に合理的な理由を見つけられません…)

(この子たちも、今『一方通行』と戦っている子も、全て指示通りの事をしています)

(クローンとして、製造目的通りの事を行っています)

(だと言うのに…)


わずか数日前のフルチューニングなら、この光景を見ても何も感じなかったはずだ。

でも、彼女はたった数日を天草式十字凄教の仲間と過ごしたことで変わってしまっていた。


――そんなの、間違ってますよ!

――どうしてあなたは怒らないんですか!?

――これはお前さんがクローンだなんだ、っていう話とは無関係なのよ!

――助けたいのは、クローンじゃなくてここにいるお前さんという1人の人間なのよな

――レイ、で良いと思うのよな



(どうして、どうしてこんなにもこの実験が“ムカつく”のでしょう)


69:

「レイがここに居る理由は、自分でもまだ分かりません」

「?」


疑問の表情を浮かべる妹達に、フルチューニングは今までとは明らかに違う表情を見せた。

それはまるで、人間のような――


「ですが、それでもハッキリ分かった事があります」

「今レイがやるべき事は――“救われぬ者に救いの手を差し伸べる”ことです!」


そしてフルチューニングの体から、白く光る電流が迸った。


「そこを通してもらいます!あそこで殺されてしまうミサカを、助けなくてはいけません!」

「…仕方ありません。強制排除を実行します、とミサカは号令をかけます」


その言葉に従って、4人の妹達が一斉に武器を構える。

銃口が向けられても、フルチューニングは目を逸らさずに不敵に告げた。


「…試作型が量産型より強いのは、昔から物語のセオリーです!」

「能力レベルが少し高い程度では、このミサカ達の相手になりません、とミサカは嘲笑します」


フルチューニングが、雷光を纏って突撃するが…それはあまりにも無謀な戦いだった。

70:

四方八方から飛んでくる銃弾を避け、避けきれないものは電撃で撃ち落とす。

だが、一瞬目を逸らした隙にミサカの1人がフルチューニングの腹部を蹴り上げる。


「グ…ゴホッ」


思わず咳き込むフルチューニングを、今度は別のミサカが強襲。

避けようとするが、そこにさらに別のミサカが待ち構えていて逃がさない。

ミサカネットワークで完璧な連携を可能にした妹達に、あっという間に体中をボロボロにされる。

なんとか抵抗しようと放電するも、あっさりとかわされて反撃をくらう。

同じ顔をしている4人が、やはり同じ顔をしている1人を叩きのめす光景は、酷く凄惨なものだった。

71:

「う…」


5分後には、ボロ雑巾のようになったフルチューニングが倒れていた。

もっとも、この結果は当然のことではある。

フルチューニングは、レベル5を目指して作られたので「能力」は他の妹達よりも高い。

だが、そもそも能力者と言うのは戦闘目的で開発されるものではない。

あくまでその発生原理とメカニズムを探るためのものだ。

言ってしまえば、フルチューニングは戦闘などしたこともない素人の女の子でしかない。

それに引き換え、妹達は初めから『対一方通行用戦闘モデル』として製造されている。

すでに学習装置によって、銃器の扱い方を含む戦闘情報をインストールされている兵士なのだ。

フルチューニングは致命傷こそ無いものの、すでに戦闘続行は不可能なレベルにまで追い込まれている。


「あ…あ…」

「これまでですね、とミサカは状況を確認します」

「う…レイ、は…」

72:

戦闘の余波で吹き飛んだお守りに、フルチューニングが手を伸ばした。


(何故、レイはあの人達のように誰かを救えないのですか…?)

(何が違うと言うのですか…?)


圧倒的な無気力感が、フルチューニングの全身を襲う。


「未熟さというのは辛いのよな」


だが、ぼんやりとした頭に聞きなれた声がかすかに届いた。


「けど、だからこそ助けあえる仲間っつーのがいるのよ」


その言葉に何人かが笑顔で頷く気配。

包みこまれるような感覚を最後に、フルチューニングは意識を失った。

78:



8月22日(午前2時00分)第7学区のとある病院 とある病室


フルチューニングが意識を取り戻した時、既に時間は深夜を過ぎていた。

痛む体を無理やり起こして辺りを見回す。

そしてどうやらここは病院らしい、と判断を下した時。


「…目が覚めましたね、とミサカは声をかけます」

「!」


唐突に自分と同じ声が聞こえてきたので、フルチューニングはビクリと反応した。

暗くて見えづらいが、足元の方に妹達の1人がいるのが分かった。

79:

「殺される前に、1つ聞きたいのですが」

「?」

「レイが意識を失う直前、天草式のみんなの声が聞こえた気がするのです。…見かけませんでしたか?」

「天草式?…ひょっとしてあのクワガタみたいな奇妙な髪色の男と、その仲間達の事ですか、とミサカは確認します」


フルチューニングはコクリと頷いた。


(やっぱり、みんなもここに来ていたのですね)

(なのに、ここに妹達がいると言う事は、もしかして…)

(まさか、まさか、殺され…)


一瞬で、フルチューニングの脳裏に最悪の結末が描かれた。


「彼らなら今廊下で仮眠をとったり、思い思いの事をしていますが、とミサカは率直に告げます」

「…え」

80:

「それと、あなたは何か勘違いをしています、とミサカは溜息をつきます」

「勘違い?」

「ミサカはあなたを頃すつもりはありません、とミサカは少々あきれて誤解を解きます」

「どういう事ですか?」

「…ミサカの検体番号は10032号です。つまり、今日の実験に使われた個体です、とミサカは事実を明らかにします」

「どうしてあなたが…実験の結果殺される予定だったはずでは?」

「その実験が中止になりました、とミサカも未だ信じられない事をお知らせします」


その言葉を聞いて、フルチューニングは思わず力が抜けてしまった。


「中止…何があったのですか?」

「あなたと同じように、実験を止めようとある人が来て…」


そこで一旦言葉を区切る御坂妹。

まるで大切なものを自分の中だけに隠しておきたいような、そんな子供っぽい逡巡をして――


「このミサカの為に、命懸けであの第1位『一方通行』を倒し、計画を中止させました、とミサカは正直に語ります」

81:

「そんなことが…」


信じられない奇跡を目の当たりにしたかのように、2人とも無言になった。

いや、確かにそれは奇跡的とも言っていい出来事である。

なにせあの『最強』は、世界で最も強い超能力者なのだから。


(一体、誰がそんなことを成し遂げたのでしょうか?)

(誰が、救われないはずの妹達を救ってくれたのでしょうか?)


ほんの僅かな時間。

静寂がこの病室を包んでいたが、コンコン、というノックが時間を動かした。


「では、ミサカは研究施設へ一旦戻る事にします、とミサカは空気を読める事を証明します」

「あ、そういえばあなたと戦ったミサカ達から伝言です」

「伝言…なんですか?」

82:

「『高レベルとはいえ、廃棄された素人相手に大人げない事をしました。ごめんなさい』」

「な……」


あまりの言葉に、カチンときて無言になるフルチューニング。


「『悔しかったら、またいつでも相手になります。まあ、ミサカ達が負ける事はありえませんが』」

「『ミサカ達にも、氏ねない理由が出来ましたから』」

「…」

「と、ミサカは一字一句正確に伝えます」

「…」

「まあ、ただ単に“長女”ともう一度会いたいという意味でしょう、とミサカは事実を暴きます」

「長女…」

「「妹達」最初の個体なのですから、長女で合っていますよね、とミサカは告げて部屋を後にします」


ぎこちない笑顔を浮かべて立ち去る御坂妹と入れ替わるように、建宮と五和が病室に入ってきた。

83:

「建宮さん、五和さんも…」

「おー、大事に至らなくて良かったのよなー」

「心配しましたよレイちゃん!」


ヒシ、と抱きついてくる五和の背中に手を回しながら、フルチューニングは質問した。


「レイが気絶した後、何があったのですか?」

「ソレが俺にも良く分からんのよ」

「しばらく私たちとあのクローンの子たちが睨みあっていたんですけど」

「突然『風車を回します!』ってみんないなくなっちゃって…」


どうやら、五和も事情を把握していないらしい。


「で、とりあえずお前さんを病院に連れてきた訳よな」

「その後しばらくしたらさっきの子が来て、『もう戦う事はありません』って」

84:

事情はよく分からないが、どうも天草式と妹達が戦う前に実験が中止に追いやられたらしい。

誰も氏ななくて良かった、とフルチューニングは安堵して…重大な疑問に気が付いた。


「ところでどうして、みんながここにいたのですか?」


あー、それは…と言葉を濁しつつ、諦めたように建宮が回答する。


「五和がおまえさんに渡したお守りは、一種の護符になっていたのよ」

「ゴフ?」

「おまえさんが危ない状況になると我らにそれを教えてくれる、発信器のようなものよな」

「結局、レイちゃんが心配だったのでみんなで近くまで来ていたんですよ」


2人の言葉に、フルチューニングは呆気にとられた。

85:

(なんだかんだ言って、みんなはずっと傍にいたのですか)

(レイがやられたのを知って、あんなカッコ付けた登場をしたのですね)

(まったく…あれ?)

「…建宮さん、確かあなたはまだお仕事の途中だったのでは?」


ギックウ!と反応する建宮を、ジト目で睨むフルチューニング。

あはははー、と誤魔化し笑いをする教皇代理(今一番偉い人)。

結局、建宮が降参してゴメンナサイすることで、この話題は片づけられた。


「とりあえず、ここのお医者さんは優秀だから、明日には退院できるって話ですよ」

「だから我らも一泊して、明日全員で帰る事にしようと思うのよ。ちょうど新しい拠点に行くころ合いだしな」

「…分かりました」


その後、五和が仮眠をとるため病室を後にし、フルチューニングは建宮と2人きりになった。

86:

(何も、聞いてこないのですね)


不思議な事に、建宮は今回の事件について何も聞こうとしなかった。


(レイと同じクローンが他にもいて、しかも戦っていたというのに、どうしてでしょう)


「あの」

「言っておくが、俺から聞く事は何もないのよ」

「…」

「お前さんが、誰かを助けるために手を伸ばした」

「それだけ知っていれば、十分なのよな」


どこまでも優しく、労わるような心地よい空気。

けれども、フルチューニングは自分の手をギュッと握りしめた。


「…ダメなんです」


建宮が、目だけ動かしてその独白に耳を傾ける。

87:

「レイは、何も出来なかったんです」

「あの子を助けたかった、救いたかったのに!」

「レイは、役立たずでしかありません」

「…」


自分を言葉で傷つけるフルチューニングを見て、それでも建宮は返事をしない。


「だから、お願いがあります“教皇代理”」

「!」

「レイに、戦い方を教えてください」

「もう役立たずは嫌です。このまま倒れたままなのは嫌です!」

「レイは、助ける力が欲しいです!」


歯を食いしばり、瞳を揺らして絶叫するフルチューニング。

建宮はしばらく無言だったが、やがて笑顔を浮かべて“あるモノ”をフルチューニングに放り投げた。

88:

「これは…?」

「我ら天草式十字凄教が使う、『蜘蛛の糸』と呼ばれる鋼糸なのよな」

「お前さんなら、きっと誰よりもうまく扱えるようになる」

「しかもそれは、“通電性”が高い特別製なのよ」

「あ…」


渡された鋼糸を、フルチューニングは大切そうに抱き込んだ。


(もしかしたら、この人は待っていてくれたのかもしれない)

(無様に負けた自分が、それでも立ち上がろうとするのを)


「とは言え、それ以外にも覚えるべき魔術、戦術は山ほどあるが…」

「レイは優秀ですから、きっちりこなして見せます!」

「…それはそれで、イロイロ問題なのよなー」

「?」

89:

天草式十字凄教の中でも、フルチューニングを戦闘に参加させるかどうかは議論されていた。

大能力者(レベル4)が戦力となってくれれば、もちろん嬉しい。

だが、当然ながらこの無垢な女の子を自分たちの都合で戦士にしてしまう訳にはいかない。


みんなが悩んでいる時、建宮は厳然と告げた。

このまま自分たちと一緒に行動すれば、いつかレイを戦いに巻き込むことになる、と。

ならば、レイと別れる覚悟、またはレイを戦わせる覚悟が必要になる、と。

彼らプロの魔術師は知っていたから。

戦場は、戦う意思のない人間が生き残れるほど甘くは無いことを。

自分たちの実力では、レイを守りきることが難しいことを。


当初は、その事実をハッキリ説明してレイ自身にどうするか選ばせようと思っていたのだが…


(まさかレイの方から、戦う事を選ぶとはなー)

(やると決めた以上、本当に戦う術を叩きこむことになる)

(…対馬や諫早あたりが知ったら、やっぱり怒ると思うのよな…)


明日のみんなの反応を考えて、ちょっとだけ憂鬱になる現教皇代理であった。

90:

8月22日(午前10時00分)第7学区のとある病院


退院手続きを終了し、ようやく拠点へ向けて出発しようとした天草式は、建宮が来るのを待っていた。

その建宮は、今もカエル顔の医者とレイの体調について話し合っている。


「だから、クローンとはいえ他の「妹達」と違って調整の必要はないね」

「そもそも基本コンセプトが異なっているから、当然と言えば当然なんだけどね」

「…良く分かりませんが、このまま素直に退院ってことで大丈夫なのよな?」

「そういう事だね。ただ、もし何かあったらすぐに僕の所へ連れてきてほしい」

「ちゃんと覚えておくのよな。じゃ、どうもお世話になりました」


笑顔で握手を交わし、走り去る男の姿を見て、カエル顔の医者は表情を曇らせた。

91:

(確かに、あの子は「妹達」と違って細胞の成長速度に異常は無い)

(あの子を作った研究者が、出来る限りの対処を施したみたいだね)

(そう…)

(あの子の体が抱える問題は“そんなレベル”じゃない)

(能力補佐の為、体中に得体の知れない部品が取り付けられている)

(しかも脳の中には、僕にも手を出せないマイクロチップが埋め込まれている…)

(間違いなく、アレイスターの仕業だね)

(すでに彼女は、いつ“壊れて”もおかしくはない)


(…それでも、何とかするのが医者(ボク)の仕事なんだ)


カエル顔の医者は、新たな決意を胸に病院へ戻って行った。

92:

同時刻、窓の無いビル


闇に包まれたその空間で、『人間』アレイスターは1人佇んでいた。

彼が見つめる先にはモニターがあり、天草式のメンバーをリアルタイムで映している。


「おい、これで良いんだな?」


突然、案内人のテレポートで出現した土御門元春がアレイスターに詰めよった。


「…ああ、ご苦労だったね」

「一体、どんな理由があったのか教えてもらおうか?」

「ふむ。理由とは?」

「なぜ廃棄処分されたクローンを、天草式とつるませたのかって事だ」


そう。天草式十字凄教にフルチューニングの売買をリークしたのは、土御門であった。


「大したことではないよ」

「では理由を聞かせろ」

93:

アレイスターは、何でもない事のように淡々と告げた。


「あの検体番号00000号は、特殊なチップを脳に埋め込んである」

「チップ?なんの?」

「能力者が、魔術を使えるようになるチップだ」

「なんだと!」


土御門は驚いて声を上げた。

彼自身もそうであるように、能力開発を受けた人間は魔術を行使できない。

能力者は『回路』が異なるので、無理に魔術を使うと体が爆砕する危険すらあるのだ。


「とはいえ、検体番号00000号以外には使用できないものだがね」

「どういう意味だ?」

「あのチップを使うには、ミサカネットワークが必要不可欠。この意味が分かるか?」

「…確か同一脳波による並列型ネットワークだったな」

「そうだ。あのチップはそれを利用した変圧器みたいなものでね」

「魔力の流れを、ミサカネットワークを通じて強引に適合させることが出来る代物だ」

94:

「しかも各個体が受ける影響は、極めて軽微で無視できるレベルだと予測されている」

「まあ結果、検体番号00000号自身はミサカネットワークに接続できない状態らしいが、大したことではない」


本当にどうでもよさそうに答えるアレイスターに、土御門は嫌悪感を隠そうともしない。


「だから、魔術結社と接触させたかったのか?」

「そんなところだ」

「だが、“何故”天草式を選んだ?」

「一応魔術師とはいえ、本場イギリスの『必要悪の教会』のような連中とは趣が異なるぞ?」

「さて、ね。気になるなら予想してみたまえ」


アレイスターは、土御門の苛立ちをどこか楽しげに眺めつつ呟いた。


「私としては、コレに大して重きは置いていないのだよ。…プランとは関係の無い話だからな」



これにて第1章終わり

101:

9月7日(午前12時00分)、天草式十字凄教のとある拠点


フルチューニングが、正式に天草式十字凄教の一員となって2週間以上が経過した。

その期間には、『御使堕し』、一方通行と打ち止めの出会い、シェリー・クロムウェルの学園都市侵入など

様々な出来事があったのだが、天草式の面々とは基本的に無関係であった為ここでは省略。

そして今、フルチューニングは天草式の少年香焼と模擬戦をしていた。

フルチューニングは鋼糸を巻いた木刀を、香焼は短剣を持って戦っている。

優勢なのは香焼の方だった。

102:

「く…!」

「簡単に気を取られるようじゃ、まだまだ甘いすよ!」


身軽な香焼が、そのスピードを生かして短剣を振るう。

それだけではない。香焼はわざと数枚の“ポケットティッシュ”を模様を描くように辺りに落とす。

そのティッシュをフルチューニングが踏むと、彼女の足は根が生えたかのように動かなくなった。


「これは!?」

「ふふん。こいつの象徴は“樹木の根”。隠した術式は『大地との一体化』って事すよ!」

まあ数秒しか持たないすけど、と言って香焼は余裕の表情を浮かべるが…


「まだまだ甘いですね」


フルチューニングは一瞬で木刀に巻き付けてあった鋼糸を展開し、“磁力”で操って香焼に襲いかからせる。

ギョッとして逃げようとする香焼だが、鋼糸の方が一瞬早く足を絡め捕り、あえなく全身を縛られてしまった。

103:

「オリジナル(お姉さま)の様に地面の砂鉄を操る事は難しいですが、鋼糸程度なら問題ありません」

「ズルいすよ!卑怯だ!反則だ!」

「ふふん、負け犬の遠吠えですか」

「ちくしょう…俺の方が勝ってたのに!」


動きを封じられながら、ギャアギャアと抗議する香焼。

素知らぬ顔をするフルチューニングだったが、そこに五和が現れた。


「あ、レイちゃんに香焼君。そろそろお昼にするから、終わりにしてほしいって建宮さんが言ってましたよ」

「そう言えばもうこんな時間でしたね」

「五和ー!レイが卑怯な真似してくるっす!」

「ム!術式を使ってきたのは香焼が先です!」

「まあまあ、2人とも仲良くしてください。…それにしても、鋼糸を触らずに操れるって言うのは凄いですねー」

「そうなんですか?」

「そうですよー。これだけ自在に操れると、立派な主武器(メインウェポン)になるじゃないですか」

104:

キョトンとした様子で、フルチューニングがミノムシ状態の香焼に目を向けた。

香焼は大きく頷いて、恨みがましく説明を始める。


「普通、鋼糸って言うのは“あらかじめ”張って用意しておく迎撃型の武器なんすよ」

「または、戦闘中にこっそりと準備していざという時の“補助”として使うのが主流ですね」

五和も楽しそうに説明に参加する。


「なるほど。言われてみれば、鋼糸だけで戦う人は誰もいませんでしたね」

「そもそも鋼糸はトラップ用に作られたものですから…レイちゃんみたいに能力が無いと無理ですよ」

「魔術で操る事は出来ないのですか?」

「うーん、出来なくはないですけど…術式の手間ばかりかかって、割に合わないと思います」

「?」


魔術に関する理解が未だ不十分なフルチューニングは、良く分からない、という感じで首をかしげた。

105:

だが五和が解説を続ける前に、香焼が拗ねたようにポツリと呟いた。


「…だからと言って、すぐ能力使うのは卑怯者すよ」

「えい」

バリバリバリ!と音を立てた電流が、鋼糸を通じて香焼に流れ込んだ。


「ギャアアア!!!」

「れ、レイちゃーん…?」


恐る恐る五和が、プリプリ怒っているフルチューニングに声を掛ける。

そのフルチューニングは大人しくなった香焼を一瞥し、あっさりと返事した。


「これがレイの編み出した必殺技、『ミノムシ頃し』です」

「絶対今適当に考えたすよね!?」


黒焦げ状態の香焼が思わずつっこむものの、フルチューニングは出来ない口笛を吹いて誤魔化した。

106:

「お前さんたち、いつまで待たせる気なのよ?」

「あ、建宮さん。今レイは必殺技を編み出したところです」


なかなか来ない3人を、教皇代理の建宮が迎えに来た。

その建宮に、フルチューニングが笑顔で今日の特訓の成果を報告するが…


「ん?レイ、その黒ミノムシは?」

「建宮さん!俺っすよ!」

「…げ、お前さんは香焼!?」

「いいえ建宮さん。レイを卑怯者呼ばわりする負け犬です」

「ちっくしょー!次は絶対勝ってやるからな!っていうか早く外せよー!」

「五和、これは一体何があった…?」

「えーと、その、いつもと同じ喧嘩、ですかね」


その日の午前は、普段と変わらぬ賑やかな特訓の風景だった。

107:

9月7日(午後2時00分)、とある大通り


建宮とフルチューニングは、仲間の買い出しの為2人で出かけていた。

その帰り道、フルチューニングはローマ正教の教会を発見したので、建宮に質問した。


「そう言えば、天草式十字凄教には教会は無いのですか?」

「ああいう立派な建物は、我らには分不相応っていうヤツなのよ」

「?」

「そもそも、迫害から逃れる隠れキリシタンが我ら天草式の始まりだ」

「その本質は偽装。故に我らは力が無くても生き延びてきたのよな」

「目立つ拠点を持つと、狙われやすいということですか?」

「まあ、そんなとこよなー。元々我らはローマ正教やイギリス清教とは格が違いすぎるのよ」

「そういうものですか」

108:

宗教事情については詳しく教えていなかったな、と建宮が考えていると、ある事を思い出した。


「あ、そういや近くの博物館で、ローマ正教が国際展示会を開催していたのよな」

「ああ、確かチラシが入っていましたね。歴史的な美術品なんかも取り寄せた、とか」

「ちょうど良い機会なのよな、勉強にもなるだろうし後で一緒に行くか?」

「はい!」


2人がのんきな会話をしていると、後ろから声を掛けてくるものがいた。


「あの…少しお話を聞いていたのですが…」

「ん?どなたさんなのよ?」

「あなた方は天草式十字凄教の方なのですか?」


修道服を着た外国人の女性が、やけに真剣な表情で話し続ける。

建宮は思わず警戒心を高めて、聞き返した。


「そうだが…それでお前さんは?見たとこローマ正教の修道女さんのようだが…」

「はい。私は、 オルソラ・アクィナスと言います」


そしてオルソラと名乗った女性は、迷いを振り切るようにこう言った。


「お願いでございます――どうか、助けてくださいまし」

116:


9月7日(午後2時30分)、天草式十字凄教のとある拠点


オルソラの言葉に顔色を変えた建宮は、とりあえず拠点に戻って詳しい話を聞くことにした。

ちなみにフルチューニングは、お出かけの約束が中止になったので微妙に不機嫌そうである。


「『法の書』の解読法が分かった、だと…!?」

「はい…」


オルソラの言葉に驚愕する建宮たちであったが、1人フルチューニングだけが理解できずに首を傾げた。


「建宮さん。『法の書』って一体なんですか?」

「恐ろしい力を持つ魔道書の1つで、解読不可能と言われた本のことよな」

「…オルソラさん、解読不可能な本を解読しちゃったんですか?」

117:

フルチューニングが素直に驚くが、オルソラはゆっくり首を振った。


「いえ…解読法が分かっただけで、まだ実際に読んでいないのです」

「モノを読まずに、どうやって解読法を見つけたのよ?」

「私は『法の書』の目次と序文の写本を持っておりまして、そこから導き出したのでございます」

「そんなことが出来るなんて…」


五和も目を大きく開いて驚いている。


「で、お前さんは自分がその事で狙われていると気づいて、この日本に逃げてきた、と」

「かなりマズいんじゃないの、それって…」


対馬が、珍しく冷や汗をかいて怯える素振りを見せた。

118:

事情が分からないフルチューニングが、困惑気味に尋ねる。


「そもそも、どうして解読法を見つけたオルソラさんが仲間に狙われるんですか?」

「その『法の書』の内容が問題なのよな」


建宮が青ざめた表情で説明する。


「『法の書』が読まれた瞬間に、十字教の時代は終わりを告げる」

「?」

「つまりローマ正教にとっては、是が非でも“読まれる訳にはいかない”魔道書なのよ」

「読まれる訳にはいかない…?」

「それこそ、万一解読できる人がいたら頃すぐらいにはな」

「…」

あっさりと不穏な事を口にする建宮に、フルチューニングは無言で固まった。

119:

「私はただ、誰も幸せにしない魔道書を壊したかっただけなのでございます…」

「それを信じてくれるほど、世の中は甘くないってことよな」

ましてあれだけ大きい組織ならなおさらな、と建宮は天を仰いだ。


それから10分。

天草式のメンバーが無言で悩んでいるのを見て、オルソラがそっと立ちあがった。


「申し訳ありません。どうか今までの話は全てお忘れください」

「…どういう意味よ?」

「良く考えれば、いえ考えなくても分かることでありましたが…」

「何の関係も無い皆様を、私の問題に巻き込む訳にはいきません」


諦観して、とつとつと言葉を紡ぐオルソラ。

120:

「先ほどは混乱していた為か、酔狂にも助けを願い求めてしまいました」

「ですが、ローマ正教のお相手など“誰も”出来るはずはございません」

「ただ…1つ許されるのでしたら、私を見た事を黙っていただければ幸いでございます」


それだけ言って立ち去ろうとするオルソラの背中に、建宮が声をかけた。


「お前さん、何か勘違いしているようなのよな」

「え…?」

「我らが悩んでいるのは、どうやって助けるか、という1点のみよ」


その言葉に、天草式全員が頷いた。

フルチューニングも自然に頷く事が出来た。


「ですが、皆様では、とてもローマ正教と戦う事など…」

「いやいや、戦う必要もないわな」


建宮は静かに断言した。

121:

「オルソラ・アクィナス、お前さんを天草式十字凄教に迎え入れる」

「我らの本拠地は仲間以外には誰も知らないし、『縮図巡礼』っちゅートッテオキもあるからな」

「ほとぼりが冷めるまで、我らが匿う」


――救われぬ者に、救いの手を。

みんなの変わらないその意思の強さに、フルチューニングは嬉しくなる。

だが、フルチューニングと異なりローマ正教で長年を過ごしたオルソラは、戸惑いを隠せない。

端的にいえば、そんな“夢物語”を素直に信じる事は出来なかった。


「あ、え、何故…?」

「“理由なんてねえのよ”」

「そうです。レイも、理由も無いのにみんなに助けてもらいましたから!」

「そうですか…分かりました、ありがとうございます」


オルソラが一瞬浮かべた表情に、天草式は最後まで気づく事が出来なかった。

122:

9月8日(午前8時00分)、天草式十字凄教のとある拠点


翌朝。オルソラが客室でまだ休んでいる中、天草式は会議をしていた。


「昨日の夜も言ったが、やはりここは四国辺りに移った方が良いと思うのよな」

「ですが、2週間単位で拠点を変えるとなると、最初は群馬の方陣起点から始めるべきでは?」


フルチューニングが分かる事は少ないが、それでも大規模な引っ越しをするというのは理解できる。


(流浪の民みたいで、刺激的な感じです)

(レイも運転技術を学ぶべきでしょうか?)


…ローマ正教を知らないフルチューニングは、少しばかりのんきに考えていた。

慌てた諫早が、最悪の知らせを持ってくるまでは。


123:

「建宮、不味い事になったぞ」

「どうしたのよ?」

「ローマ正教が動いた」

「そんな!幾らなんでも、早すぎですよ!」


五和が吃驚して大声を上げるが、建宮は無言で続きを促した。


「タイミングが悪すぎたようじゃ。…今『法の書』は、日本にある」

「なんだと!?」

「『ローマ正教の国際展示会』で展示するため、運搬されていたようでな」

「…『されていた』?」

「左様。非公式ながらもローマ正教は、『法の書』がすでに盗まれたと発表した」

「まさか」

「犯人は『天草式十字凄教』であり、解読の為オルソラまで誘拐したと断定されておる」

「クソったれ!」


建宮が怒りのあまり壁を殴った。

124:

その様子を見て、フルチューニングも事情を把握する。


(どうやらオルソラを捕まえるため、天草式を悪人にしたらしいですね)

(…なんだかとっても“ムカつきます”)

(今のレイは、天草式十字凄教の一員ですから)


建宮は、全員の顔を見渡して宣言した。


「…女教皇の為にも、我らはオルソラを守りきらなきゃならんのよ」

「そうでなくては、あの方の居場所に相応しくないからな!」


(…!)

(まだ、レイは顔を見たことも無い女教皇…神裂火織…)

(建宮さんは、レイには詳しい事を話しませんでしたが)

(一体、どのような人なのでしょう?)

(こんなに大切に思われているのに、戻ってこないなんて…)

(…あれ?…今、レイは何故不快感を感じたのですか?)

125:

フルチューニングの軽い混乱をよそに、話は続いて行く。


「どうするよ教皇代理。すでに連中は数百人以上の討伐隊を派遣したそうだが?」

「…仕方ない。今夜中に『縮図巡礼』で飛ぶしかないのよな」

「えー、後16時間もあるすよ?」

「そうする以外ないのよ。『パラレルスウィーツパーク』で準備をするぞ」

「とりあえず、レイはオルソラを呼んできます」


まだ“ねむねむ状態”のオルソラを連れて、天草式が移動を開始する。

彼ら天草式にとって、長い1日の始まりだった。


132:


9月8日(午後1時00分)、とあるレストラン


天草式のメンバーは現在主に2手に分かれている。

パラレルスウィーツパークで『縮図巡礼』と呼ばれる魔術の準備をする別働隊と、

オルソラと一緒に行動し、追手に備える本隊である。

魔術に詳しくないフルチューニングは、現在建宮と一緒に本隊として行動していた。

133:

「それにしても、その移動魔術ってこんなに早くから準備しないと間に合わないんですか?」

「いや、急げば準備自体は2時間程度で完了するのよ」

「じゃあ、どうして今から取り掛かっているんです?」

「相手がいつ来るか分からない以上、あらかじめ準備を終えておくのがベストよな」


『縮図巡礼』自体は、午前0時からわずか5分しか発動しない。

ただ、その為の準備儀礼はあらかじめ終了しておくことが出来る。


「それにローマ正教の連中に、『渦』の場所がバレる訳にはいかないのよな」

「だからゆっくり少人数で行う必要がある。そのため早めに取り掛かっているのよ」

134:

いかに隠密性特化型の天草式十字凄教といえども、ローマ正教の大部隊にかかれば姿を発見されてしまう。

それを警戒して、現在儀式に取り掛かっている別働隊はわずか2人だけにしているのだ。

そして当然人数が少なければ、準備に必要な時間は長くなる。

フルチューニングは納得して、デザートのパフェを食べ始めた。


「オルソラさんはデザートいらないんですか?」

「…」

「オルソラさん?」

「あ!…ええ、私は結構ですから、お気になさらず…」

「まあ、緊張するのも無理無いのよな」

135:

建宮が苦笑して声を掛けるが、オルソラは誰にも聞こえないように呟くだけだった。


「…どうして、天草式の皆様はここまで…?」

「ん?何か言ったか?」

「いえいえ。それで、この後はいかがされるおつもりですか?」


オルソラの問いに、建宮は難しそうな顔で答えた。


「そこよ。『縮図巡礼』で飛べればこっちの勝ちだが、多分そう簡単にはいかないわな」

「先ほど聞いた話によると、ローマ正教が派遣したのはアニェーゼ・サンクティス率いる修道女部隊」

「…有名な人なんですか?」

「良くも悪くもローマ正教のお手本のような人間よな」


いい加減慣れてきたのか、建宮はフルチューニングがするこの手の質問に淀みなく回答した。

136:

「まだ10代前半の年齢でありながら、250人以上の部下を持つ優秀な人間だ」

「それは…すごいですね」

「頭も切れるし容赦も無い。そんな相手が敵だと、最悪術を使う前に全滅させられかねないってことなのよ」

「だから時間いっぱいまで隠れるしかないのだが…」


建宮の言葉を遮るように、レストランの扉がドガガ!と粉砕された。

そして土煙りの中、件のアニェーゼがゆっくりと姿を現した。


「いやー、やめてくださいよ。あんた方みたいな豚さんに褒められたとこで、気持ち悪いだけじゃないですか」

「ローマ正教…!」

「天草式、でしたっけ?…獣の分際で、十字教を名乗るなんて図々しいとは思いません?」

「さあ、そこのオルソラっていう『神の敵』を引き渡してもらいますよ」

「…悪いが、我らの仲間に『神の敵』なんて人間は誰1人いないのよな!」


教皇代理、建宮の言葉を合図に、レストランにいた天草式のメンバーが逃げ出し始めた。

137:

「ち!逃がすと思ってんですか!?」


修道女部隊が周りに散開するも、地の利がある天草式はバラバラになって逃げてゆく。

建宮が通信術式を使って全員に指示を飛ばした。


『今あの連中と戦う意味は無い』

『時間いっぱいまで逃げ切れば勝ちだ』


フルチューニングも、オルソラを連れて急いで逃げだした。

そして途中で牛深にオルソラを預けて、地下水道へ駆け込む。


(あれが、ローマ正教…)

(一番頭のおかしい人種は科学者だと思っていましたが、修道女も負けず劣らずです!)

(…今は私も修道女でしたか?)

138:

9月8日(午後5時30分)、とある地下道


緊急時以外は連絡をしないよう言い渡されていたため、フルチューニングは1人で逃げながら時間を待っていた。

そして途中何度か発見されそうになりながらも、ようやく日暮れまで時間がたった時、牛深から連絡が入ってきた。


『すまん!オルソラをあいつらに攫われた!』

「!」

『ポイントはどこ!?』


対馬が怒鳴りながら場所を訪ねる。


『○○通り2丁目、バスターミナル近くだ!』


そこは、今レイがいる地下道のほぼ真上だった。

反射的にフルチューニングは返事をする。


「レイは今そこの近くにいます!オルソラを取り戻します!」

139:

『そんな、レイちゃん!?』


五和が驚いて止めようとするが、建宮がそれを遮った。


『いや、まだオルソラは敵の本隊に合流していない。今のうちに取り返さないと厄介だ』

『でも…』

『五和、レイも天草式の一員なのよ。…レイ、俺もすぐに行く。やれるな?』

「はい!」

『…分かりました。私もすぐ行くから、それまでレイちゃんお願い!』

「もちろんです!」


仲間の信頼が嬉しくて、フルチューニングの顔にわずかだが笑顔が浮かぶ。

そして、猛スピードで地上へ戻り、アニェーゼ部隊を追いかけた。

140:

「天草式!?」

「オルソラさんを返してもらいます!」

「ここで叩いておきましょう」


フルチューニングが見たのは、オルソラを連れて行こうとする4人の修道女だった。

すぐに彼女たちは武器を取り出し、迎撃態勢を取る。


(最優先はオルソラさんを連れて逃げる事です)

(4人を足止めする程度なら、問題ありませ…)


ゴッ!!!!

修道女の1人が取り出した車輪が、突如爆発してフルチューニングに襲いかかった。

咄嗟に電撃を放ち、大きい破片を撃ち落とす。

だが、抑えきれない破片がフルチューニングの腕を幾つも切り刻んだ。

141:

(あれはいったい何ですか!?)

(破片がこっちにだけ飛んでくる…指向性の爆弾…?)


「…罪ある者にこそ罰は下る――あなたに救いはありません」


謳うように修道女が断罪すると、辺りに散らばった破片が元の車輪の形に戻って行く。


(自動修復…ただの木材が形状記憶能力を持つなんて…!)

(やっぱり魔術は常識が通用しませんね)


それでも、フルチューニングは不敵に笑った。


「残念ですが、レイはあなたに救ってもらう気は全くありません」

「すでにレイは、みんなに救ってもらったのですから」

142:

「世迷言を…天草式など、異教徒とさして変わらぬ異端の連中ではないですか」

「そんな判断しか出来ない心の狭い神様なんて、こっちから願い下げです」

「な!神を侮辱するのですか…!?」

「そもそも、レイは神様ではなく“人間”が作りだした試作品ですしね」


その言葉に、修道女――ルチアは怪訝そうな表情を浮かべた。


「あなたは一体何を言っているのです?」

「レイより長生きしているのというのに、あなたはお馬鹿さんですね」

「レイは、救われるためではなく――“救われぬ者に救いの手を差し伸べる”ためにここにいるのです!」


言葉と同時、操られた鋼糸が空中に広がり、4人の修道女に纏わりつく。


「バカな…これは何の術式ですか!?」

「ここで一々解説するのはお馬鹿さんである、と相場が決まっています」


そして、フルチューニングの流した強力な電流が、修道女の意識を刈り取った。

143:

「オルソラさん、大丈夫でしたか?」

「…はい」

「おーおー、エゲツない攻撃をしたものよな」

「建宮さん!不意を突いての攻撃、大成功です」

「だが、喜んでばかりもいられない。本隊がこっちに向かっている。すぐに逃げるべきなのよ」

「分かりました!」


天草式とオルソラは、再び姿を消した。

それから数分後。倒れている4人を見つけたアニェーゼは、1人静かにクツクツと笑った。


「…天草式ね。随分引っかき回してくれるじゃないですか」


「逃げられる訳もねえのに。…このくそったれな世界からは、ね」


ローマ正教と天草式十字凄教の戦いは、未だ幕すら開いていなかった。

152:


9月8日(午後6時00分)、とある地下道


現在天草式は、そのほとんどが地下の下水道に集合していた。

アニェーゼ部隊と何度もオルソラをとり合ううちに、当のオルソラが姿を消してしまったのだ。

そこで建宮は、敵の指揮官アニェーゼに追跡術式を仕掛けて、彼女をこっそり追いかける事にした。

オルソラが捕まった場合、必ず彼女のもとに連れてこられるだろうと予測したからである。

暗い地下に、フルチューニングのささやき声が響く。


「それにしても、どうしてオルソラさんは天草式からも姿を消したんでしょうか?」

「…」


珍しい事に、建宮は返事をしなかった。

153:

思わぬ反応に、フルチューニングは建宮の弱りきった顔をマジマジと見つめる。

その表情を見て、彼の中で予想は出来ているらしい、と判断してそれ以上は何も聞かなかった。

しばらく黙って追跡を続けると、やがてアニェーゼは誰かと会話を始めた。


『…お宅から『法の書』とオルソラ・アクィナスを拝借したっていう天草式だけど…』

『…数や武装ならこちらが上なんですけどね…』


会話相手である“赤髪の神父”を術式で確認した建宮が、好戦的な笑みを浮かべた。


「イギリス清教の『必要悪の教会』――本物の魔術師サマかよ」

「ねせさりうす?」

「イギリスが誇る、対魔術師用の魔術師集団です。私たちの女教皇も今はそこに所属しています」


五和の答えに、さらにフルチューニングは混乱した。

154:

「…そのイギリスの魔術師が、何故ローマ正教と一緒にいるんですか?」

「恐らくローマ正教と協力して、『法の書』とオルソラ・アクィナスを取り戻す為に来たのよな」

「じゃあ、あの人も敵ってことですよね…」


新たな強敵の出現に、うんざりとするフルチューニング。

建宮も、頭をガシガシと掻いて一言吐き捨てた。


「まったく、こっちは只でさえ弱い少数勢力だって言うのにな」

「しかも相手は『必要悪の教会』…やる気が出ちまうじゃないの」


その言葉に、フルチューニングはゾクリと背筋を震わせた。

自分たちの教皇代理、建宮の本気を初めて目の当たりにしたからだ。

155:

「建宮、あれは!」


野母崎が緊張を含んだ声をかけた。

なぜなら、新たな人影――ツンツン頭の少年が現れたからだ。

それもオルソラと一緒に。


「…ドンピシャなのよな」

「こちらに余裕はない。オルソラを奪還したら、一気に離脱する!」


教皇代理の号令に、天草式の全員が応!と武器を構えて返事をした。

それを見届けると、建宮は術式を通じてオルソラたちに話しかけ始める。


「そう簡単に引き渡されては困るよなぁ?」

「オルソラ・アクィナス。それはお前が一番良く分かっているはずよな」

「お前はローマ正教に戻るよりも、我らと共にあった方が有意義な暮らしを送る事ができるとよ」

156:

アニェーゼたちがその言葉に意識を集中しているその瞬間。

ゾフ!!

建宮たちは、正確にオルソラを囲むように剣を下から突き出した。

そしてオルソラのいる地面を正三角形に切り取って、地下へ落下させる。


「天草式!!」


アニェーゼが慌てて手を伸ばそうとするが、その時には牛深がオルソラを抱えて走り出していた。

建宮は時間稼ぎをするため、さらに語り続ける。


「ローマ正教の指揮官さえ追っていれば、オルソラ・アクィナスはいずれここまで連れて来られると踏んでいたのよ」

「まったく地下を辿って待ち構えていた甲斐があったというものよなぁ!!」

157:

「くそ!」


話しながら逃走準備をしていると、先ほどのツンツン頭の少年が悪態をついて地下へ飛び込もうとしてきた。

だが、鍛えられた天草式のメンバーによる殺気が、素人である彼の動きを封じ込める。

プロの魔術師であるステイルだけが、その横で殺気をものともせず行動した。


「我が手には炎、その形は剣、その役は断罪――ッ!」


彼が捨てた煙草の軌道から、紅蓮の炎が出現した。


(なんですかアレ!?炎剣!?)


フルチューニングが驚愕するのと同時、あらかじめ用意しておいた逃走魔術が発動した――。

158:

9月8日(午後7時00分)、パラレルスウィーツパーク


『渦』に到着した天草式約50人は、あっという間に一般客に紛れ込んだ。

そしてローマ正教の魔力探査を防ぐため、ゆっくりと何気ない仕草だけで『縮図巡礼』の準備をしている。

その儀式に参加していない建宮とフルチューニングは、現在2人で話し合いをしていた。


「つまりあの炎剣はルーン魔術で作り上げた、と」

「その高熱は3000度を超えるらしい。いやー、恐ろしい術なのよな」

「あと一歩遅ければ、みんな黒焦げになるところじゃないですか…」


フルチューニングが改めて魔術の恐ろしさを実感していると、対馬が建宮に話しかけてきた。

159:

「建宮。もうすぐ閉園時間よ」

「そんな時間か。仕方ない、一旦姿を隠すぞ。準備の続きは警備の人間が消えた11時から行うべきよな」

「分かった。けど…その間にローマ正教はここに気づくかもしれない」

「…どっちみち、0時までは術の発動は不可能なのよな」


一瞬不安そうな表情を浮かべた対馬に、建宮は肩を叩いて安心させる。


「仮にココに気づかれても、向こうは大部隊。人員の再編成や道具の準備に数時間はかかる」

「しばらくはお前さんも休むと良い」

「…そうね。そうさせてもらうわ」


手をひらひらと振って、対馬はお土産ショップへ姿を消した。

160:

「そういえば、オルソラさんは?」

「今は、動かないように捕縛術式を掛けて見張りを付けている」

あんまり得意な術式じゃないけど、この場合仕方ないのよなー、と建宮がぼやいた。


「…説得しないんですか?」

「恐らく、今は言葉では何も伝わらんのよ」

「…」

「ならばこそ、実際に助け出すという行動で示すしかない」

「…」

「せっかくイギリスの人間も来ていることだし、我らが女教皇に見せてやるのよ」

「…」

「天草式十字凄教の今の姿をな」

「…はい」


その会話を最後に、フルチューニングは建宮と別れて姿を隠した。


(…顔も知らない女教皇)

(あなたの生き方は、建宮さんたちが受け継いでいます)

(……)

(どんな人なんでしょうか…レイも一度会ってみたいですね)



そして午後11時27分。

静寂に包まれたパラレルスウィーツパークを、アニェーゼ部隊が強襲した。

166:


9月8日(午後11時30分)、パラレルスウィーツパーク


『縮図巡礼』のタイムリミットまで残りわずか30分。

ローマ正教が誇るアニェーゼ部隊が、怒涛の勢いで天草式に襲いかかった。


「超怖いですマジやばいですあいつら完全に目がイッちゃってます」

「逃げるな神の敵!」

「修道女のくせに!平和に話し合いとかしないんですか!?」

「異端者は神の名のもとに粛清されるべきです」

「ダメだこいつら話にならない」

167:

当然フルチューニングも修道女部隊と戦闘中である。

だが、鋼糸を取り出す間もなく7人の修道女が魔術をバカスカ撃ってくるので、ひたすら逃げ惑うだけだった。


(ここで逃げ回ってるだけでは、やられるのは時間の問題です…!)


追いかけ回されたフルチューニングは、その7人を引き連れて室内アトラクション『巨大迷路』の中へ逃げ込んだ。


(確かこの先に…あ…)

「…行き止まり、ですね」


迷路に入ってすぐ、フルチューニングは行き止まりへ突き当たった。

立ち止まったフルチューニングを見て、7人の修道女は嗜虐的な笑みを浮かべる。

168:

「さあ、懺悔をなさい」

「あなたが鋼糸を操る前に、体をバラバラにしてあげましょう」

「心安らかに、自分の罪を悔い改めれば…」

「逃亡など無意味でしたね」


次々と修道女が放つ勝利宣言を聞いて、フルチューニングは溜息をついた。


「…逃亡ではありません」

「レイは、計画通り目的地への誘導を達成しました」

「!」


言葉と同時、“あらかじめ”張って用意しておいた鋼糸が蛇のように襲いかかった。

手に持っている霊装ごと縛り上げられた修道女たちは、ほとんど抵抗も出来ないまま悔しそうにしている。

169:

「そんな…!」

「卑怯者!」

「どうやって術式を欺いたのですか!?」


混乱している様子を見て、フルチューニングは得意げに告げた。


「そもそも、鋼糸は罠として発明された迎撃用の武器ですよ?」

「ありえない…ただの鋼糸を、私たちが探知出来ないはずはありません!」

「早くシスター・ルチアに連絡を…」

「えい」


バリバリバリ!!

魔術的防御を完全に無視して、フルチューニングの電撃(ノウリョク)が修道女を沈黙させた。

全員が意識を失った事を確認すると、ようやくフルチューニングはほっと一息ついた。

170:

(ふふん。この鋼糸の張り方が示すのは“蛇の狡猾さ”。隠した術式は『探査術式のかく乱』です)

(魔術に頼らず、しっかりと自分の目で見れば、あるいは気づけたかも知れませんでしたが)

(ともかく、この魔術を対馬さんに教わっておいて正解でした)


7人を念入りに縛りあげて、フルチューニングは仲間の加勢に向かった。


フルチューニングが園内を走っていると、フランベルジェを振りまわす建宮と出会った。


「建宮さん!」

「おお、怪我はしてないな」

「当然です」

「よしよし。俺は今からあのイギリス神父サマとやり合ってくる」

「あの炎剣使いですか…」

171:

最初から強烈な印象を残したルーンの魔術師。

彼が操る炎剣は、普通の方法では太刀打ちできない代物だ。

確かに、天草式のメンバーであの魔術師と一対一で勝負できるのは建宮ぐらいだろう。

フルチューニングは、そう言い聞かせて不安がる自分を納得させた。


「レイは浦上たちの援護に向かって欲しいのよ」

「分かりました」

「…いいな、無茶はするなよ」

「建宮さんこそ、気を付けてください」


その言葉を最後に、フルチューニングは迷いを振り切るように駆け出した。

そして、援護に向かった彼女が見たものは――


「遅っせえ!!」


天草式の仲間である浦上が、ツンツン頭の少年によって地面に叩きつけられたシーンだった。

172:

衝撃的な瞬間を目撃し、フルチューニングは頭が真っ白になった。

そして何が起きたかようやく事態を把握すると、怒りのままに突進する。


「あなたは!レイの仲間になにするんですか!」

激怒したフルチューニングが、強力な雷撃の槍を少年に向けて放つ。


「新手かよ!」

だが、少年が咄嗟に右手を伸ばして雷撃に触れると、跡形も無く消滅してしまった。


(…能力の無効化!?)

(なら、これで!)


自分の能力が通用しない事に驚きながらも、フルチューニングは冷静に戦闘を続行する。

手持ちの鋼糸を操って、少年を縛り上げようと目論むが…


「無駄だ!」

「そんな…」


信じられない事に、少年が右手で鋼糸を掴むと、突然操る事が出来なくなった。

鋼糸を通じて電流を流しても、少年にはまるで効果が無い。

173:

「それでも…負ける訳にはいきません!」

「まだやるのかよ!」


能力が通用しない以上、フルチューニングは只の女の子と変わらない。

それでも、今は天草式十字凄教の一員。逃げる選択肢など持っていなかった。


(相手は男、肉弾戦では勝ち目なしですが…)

(ここで引き下がるわけにはいかないんです!)


一気に距離を詰め、ハイキックをしようとする――ヒラリ、と簡単に避けられた。

急いでもう一度攻撃しようとするが、その前に少年が体当たりをしてきた為、フルチューニングは地面に倒れ込んだ。


「うう…」

「テメェ、いい加減にしやがれ!」

「ここで諦めるはずがありません!」

174:

怒鳴りつけてきた少年に、フルチューニングも反射的に怒鳴り返す。

さらに少年が何かを言おうとして…ピタリと固まった。

先ほどまで浮かべていた怒りの表情と違い、戸惑うような顔をしている。


「…お前、御坂!?…いや、ビリビリより背が高い…」


そして少年――上条当麻は、何か信じられないものを見たかのように問いかけた。


「まさか、お前は『妹達』なのか…?」


上条が口にした言葉に、フルチューニングも動きを止める。


「何故、あなたがオリジナルや『妹達』の存在を知っているのですか…?」

「ってことは、やっぱりお前も妹達なんだな?」

「…今は、関係無い話です」

175:

動揺を悟られぬよう、フルチューニングは淡白な口調で言い返した。

ところが、上条が続けて吐き捨てた言葉を聞いて、フルチューニングから冷静さは失われることになる。


「なんだって妹達が、あんな連中と一緒に行動してるんだよ!」


(何ですって…!)

「…撤回してください」

「え?」

「レイを救ってくれた仲間を、“あんな連中”呼ばわりした事を撤回しなさい!」


作られて間もない、未熟なフルチューニングの唯一譲れない一線。

それなのに、目の前の男はその一線を土足で踏みにじった。

176:

「目を覚ませよ!あいつらは、武器を持って女をさらうような凶人達だぞ!」


上条も必氏で説得しようとするが、フルチューニングには届かない。


「どこまでもレイの仲間を、天草式を侮辱しますか!」


フルチューニングが、目に涙を浮かべて上条に電撃を放つ。


「くそ!後でお前の事情は聞いてやる。だがな、オルソラを渡す訳にはいかねぇんだ!」


電撃を無効化した右手が、そのままフルチューニングの腹部を強打し…


(あ…レイは…また…助け…られない…?)


強制的に意識を奪われたフルチューニングが、頬を濡らしたまま地面に崩れ落ちた。

192:


9月8日(午後11時45分)、パラレルスウィーツパーク


建宮は、戦いの末傷つきながらも逃走したステイルを追いかけていた。

彼は一緒に居た純白のシスターが大切らしく、自分を盾にしてでも守ろうとしているのが見て取れる。


(そういう戦い方をするヤツは嫌いじゃないが…ローマ正教に味方するなら斬るしかない)


だが、ここが戦場だと理解している建宮は、その弱点を遠慮なく狙って攻撃していた。


(ふん。思った通り、相手が常に移動するよう仕向ければ、ルーン魔術なぞ怖くないのよな)

(ただ、このままだとタイムリミットが来てしまう)

(まったく香焼のやつめ、保護していたオルソラを見失っちまうとは情けないのよな…)

194:

建宮は急いで決着をつけるため、ステイルが逃げ込んだ店舗の壁ごと木っ端微塵に打ち砕いた。


「くっく。なぁにをやっとんのよイギリス清教の神父様」

「おら、英国紳士の誇りはどこ行った? この建宮斎字に見せてみろ」

「いかんよなぁ、そんなんじゃ女の1人も守れんぞ」


挑発に答える事も無く、必氏にステイルが立ち上がろうとする。

その横には、何故かオルソラと魔術師ではなさそうな少年――そして意識の無いフルチューニングがいた。

195:

(……)

(…レイたちをこいつがやったのか…?)

(随分と真っ直ぐな目をしているじゃないの…こういうのは頃したくないんだがなぁ)

(だが、ここまで体を張ったレイたちの為にも、オルソラを渡す訳にはいかんのよ)


そして、建宮は目の前の少年と幾つか言葉を交わした。


――彼が魔術の素人で、ほとんど丸腰であると言う事

――浦上やレイを倒したのが彼で間違いないという事

――彼が、他の人のために行動できる人間だと言う事


そんな彼が、どうしてローマ正教にオルソラを引き渡そうとしているのかは分からないが…


「けどまぁ、やるってんなら仕方がねえ。今日がお前さんの命日だ」


傷ついた仲間の為、オルソラを救う為、建宮は目の前の少年に斬りかかった。

196:

奇妙な静寂の中、フルチューニングは朦朧としながら意識を取り戻した。


(…静か…)

(戦闘が終わっている…?)

(天草式は、オルソラさんは?)


状況が分からず戸惑うだけのフルチューニングに、建宮の切り裂くような鋭い声が届いた。


「断言できるなら根拠を言え。できないならば自分の疑念に立ち向かえ!」

「冷静になれば誰でも分かるだろうよ、どちらが本当の敵なのかぐらい!」


霞む目でよく見ると、建宮は体のあちこちにルーンのカードを張られ、拘束されていた。


(まさか、あの建宮さんが負けたのですか!?)

(あの酷い少年が、建宮さんに勝った…!?)

(でもそれなら、今の言葉はどういう意味でしょうか…)

197:

ぼんやりとする頭で2人の会話を聞く限り、どうやらあの少年もオルソラを助けに来たらしい。

天草式に誘拐されたオルソラを、仲間のローマ正教の元へ返すために戦ったという事だ。


(つまり、この馬鹿(現在の友好度:最悪)はアニェーゼに騙されていた、と)

(…えー)


それでもなお、天草式を信じられない少年に、建宮は自分たち天草式の行動理由を語り出す。

それは、フルチューニングも聞いていなかった思い出。

天草式十字凄教の女教皇が、今は共にいない理由そのものだった。

198:

他人の為にどこまでも優しさを示した女教皇は、その優しさゆえに仲間の氏に耐えられなかった。

その仲間の氏を全て自分の責任だと思った女教皇は、自らの居場所を捨てて旅立ってしまった。

だが、それに苦しんだのは女教皇だけではない。

他ならぬ天草式十字凄教の仲間こそが、その決断に苦しんだ。

自分たちの未熟さ、弱さ。それこそが女教皇を苦しめた、と自分たちを責めた。

故に彼らは決意した。

誰も傷つかず、誰も悲しまず、誰かの笑顔の為に戦い、その幸せを守るために迷わず全員が立ちあがれる居場所。

自分たちの女教皇が戻るに相応しい、そんな居場所を必ず取り戻して見せると。


(そうだったのですか…だから、レイを助けたときに…)

――だから、我らも救われぬ者に救いの手を差し伸べる

――未熟さというのは辛いのよな

(あの時の顔は、悔しさだったのですか)

(そんな思いをしても、諦めることなくレイやオルソラを救おうとしていたのですね)

(ならば、レイも寝ている訳にはいきません…!)

199:

「た、建宮さん…」

「!」


今まで気絶していた少女の突然の呼びかけに、建宮だけでなく上条も驚いた。


「オルソラさんは…今どこですか?」

「すまないなぁレイ。俺たち以外の天草式メンバーと一緒に、ローマ正教の連中に連れて行かれた」

「!…そうですか、なら助けに行かなくてはいけませんね」


そう言って立ちあがるフルチューニングを見て、上条は愕然とした。


「じゃあやっぱり、天草式はオルソラを助けるために行動してたのかよ…」

「……」


上条が事実を知って後悔するのと同時、静かすぎるほど静かだった夜に絶叫が響き渡った。

そしてそれは、オルソラの出したものに違いなかった。

200:

(どんな事をされれば、こんな声を上げるのですか…!)

(早く、助けに行かないと本当に危ない気がします)

(…今動けるのは、何故か拘束されていなかったレイだけです)

(魔術に詳しくないレイでは、建宮さんに張られたルーンを解除できませんし…)

(!)

(どうやら、悠長に待っている時間もなさそうです!)


自分の発した電磁波から、敵の修道女たちが近づいてくるのを察知したフルチューニングは、

痛む体を無視して1人で走り去って行った。

201:

9月9日(午前0時30分)、オルソラ教会


フルチューニングは、走りながら電磁性ソナーを発動。

こんな時間に200人以上の人間がいる、この教会が怪しいと判断して踏み込むことにした。

だが、フルチューニングはその扉に『アエギディウスの加護』と呼ばれる結界が用意されているのを知らない。

躊躇せずその扉に触れたフルチューニングに激痛が襲いかかり、彼女は叫び声をあげて倒れた。


「ああああああァァァ!!!」

「おやおや、確か天草式のお仲間じゃないですか」

「あ、ニェー、ぜ…」

「良いザマですねー、こんな結界に引っかかるなんて。流石は聖典も読めない獣、這い蹲る姿がお似合いですよ」

「…オル、ソラさん…は…?」

「ははぁ。罪人同士気が合うんですかね?…良いですよ、見せてあげましょう」


アニェーゼはそう言うと、部下の修道女に命令してフルチューニングを中へ引きずり込んだ。

202:

その闇の中、教会の大聖堂でフルチューニングが見たものは――狂気そのものだった。

数百人の修道女がオルソラ1人を殴り、蹴り、踏みつけ、笑い、蔑んでいた。

そしてそんな状況で尚、オルソラはフルチューニングを見て弱弱しく謝罪した。


「レイさん…本当に…申し訳…ありません…」

「オルソラさん…!」

「私が…天草式の…方々を…あなたを…信じていれば…こんな事には…」


その姿を見て、フルチューニングは建宮に言われた事を思い出した。


「…建宮さんが…言っていました」

「私たちの…やり方は…言葉では何も…伝わらない、と」

「…実際に…助け出すという…行動で示すしかない、と」

「レイも…天草式の、一員。…待っていて…ください…信じさせて…見せます」

「かつて…レイを実際に…救ってくれた、みんなと同じように!」


そして、互いにボロボロの体でありながら、フルチューニングとオルソラは笑い合った。

203:

そんな2人をつまらなさそうに眺めていたアニェーゼが、冷酷に指示を出す。


「オルソラはともかく、こっちの女は生かす理由がありません」

「ただ…めんどいですが、この大聖堂を異教徒の血で汚す訳にはいきませんね」

「奥の倉庫に連れてって、始末しておいてください」

「はい、分かりました」


何のためらいも無く頷いた修道女たちが、フルチューニングを奥の倉庫へ乱暴に連れて行った。

そして倉庫に入った途端、フルチューニングはゴミのように投げ飛ばされる。

続いて中に5人の修道女が入ってくる。最後の1人が、しっかりと扉を閉め鍵まで掛けた。

204:

「……」

「……」


もはや侮蔑の言葉すら投げかけることなく、修道女たちは無力なフルチューニングを踏みつけた。

力も入らず、碌に抵抗できないフルチューニングは、ひたすら踏まれ続ける。


「…ッ」

「……」


徐々に体が冷たくなり、フルチューニングが氏を意識したその時。

1人の修道女が、フルチューニングの頭を思い切り踏みつけた。

それが、異変の始まり(キッカケ)であった。

205:

目から完全に光を無くしたフルチューニングから、突然ハッキリと言葉が紡ぎだされた。


「――魔術変換用チップの重大な損傷を確認」

「――自己修復完了まで残りおよそ400秒」

「――魔術使用モードを強制的に終了します」

「――通常モードでネットワーク再接続開始」

「――成功。当個体の現在状況を送信します」

「――危険度A判定。解決方法を受信します」

「――敵対勢力の無力化を最優先項目に設定」

「――有効な解決法:酸素の電気分解と判断」

「――検体番号10032号のデータを受信」


今までが嘘のようにしっかりとフルチューニングは立ちあがった。

206:

そして、彼女の周囲で電気の火花がバチバチと音を立て始める。

だが、修道女たちはそれでも慌てずに構えていた。


「感電攻撃は無意味です」

「すでにシスター・ルチアから、あなたの攻撃方法は電流だと報告を受けています」

「ですから、私たちは電撃を無効化する魔術を構築しています」

「今さら抵抗したところで、あなたに勝ち目など…」


「いいえ。ミサカの勝ちです、とミサカは断言します」


御坂妹が同じ方法を使った時と異なり、ここは狭い密室空間。

しかも今回の使い手は強力なレベル4の発電能力者。

その効果は劇的に現れた。

207:

「…がはっ」

「ごえぇ…」


酸素が分解され、有毒なオゾンが大量に発生。

警戒をしていなかった修道女たちは、それを吸い込んで昏倒した。

フルチューニングは呼吸を止め、その様子をじっと冷たく見ている。

そして全員の無力化を確認すると、倉庫の扉を開けて大聖堂へ向かった。


「…オルソラの救出にいかなくては、とミサカは自分を鼓舞します」



その目に、今まで確かにあった美しい光を宿さないままで。

220:


9月9日(午前1時00分)、オルソラ教会


ボロボロになり、氏にかけていたオルソラは、それでも笑っていた。

自分を引き渡した馬鹿どもを恨みながら氏ね、とアニェーゼに言われているのに。

なぜなら、彼女は幸せだったから。

天草式やあの少年は、見ず知らずの自分を助けようとしてくれた。

そんな理由も、義務も無かったにも関わらず。

それ以上に素敵な贈り物など、この世界のどこにもないではないか。

だから。

オルソラは朦朧としながらも、アニェーゼの見当違いの言葉に言い返す。

221:

「…こんなにも、素晴らしい贈り物をくださった……方々に…」

「私は…一体、何を恨めば…よいと言うので…ございますか?」


その言葉に答えるように、2億ボルトの電流が周りの修道女たちに襲いかかった。

無警戒のまま強力なエネルギーを受けた修道女が、4,5人ほどまとめて吹っ飛んでいく。


「……」

「はっ、そういう事ですか」


ゆっくりと近づくフルチューニングの姿を見て、アニェーゼは何かを確信したかのように笑った。


「こちらに解析できない“謎の魔術”の正体は…超能力っつー事ですね」

222:

「ですが、そいつは妙な話ですね。能力者に魔術は使えない、って言うのは常識でしょう」

「一体どんな方法で超能力と魔術を両立してるのか、是非とも教えて欲しいもんです」

「それに、何だって学園都市の人間が天草式と一緒に行動しちまってたんですか?」

「……」


フルチューニングは、侮蔑するような態度のアニェーゼに言葉で返答しなかった。

言葉の代わりに、隠し持っていた最後の鋼糸を展開する。それも、アニェーゼを縛るのではなく切り刻むために。


「まだそんだけの事が出来る力があったとは驚きです。…が、無駄ってもんですよ」


アニェーゼは欠片も動じない。

傍に控えていた沢山の修道女たちが、それぞれの魔術で鋼糸を迎撃し、バラバラにしてしまった。

223:

「大体ですね、『アエギディウスの加護』の直撃を食らった上に、体中怪我しちまってるじゃないですか」

「そんな動く氏体と変わらねえ様な能力者1人、何も出来やしませんよ」

「……」

「大方、ご自慢の能力とやらで無理やり体を動かしてるんでしょうが、無駄なあがきってもんです」

「…それでもミサカは諦めません、とミサカは端的に告げます」

「…? すでに口調もいかれちまいましたか?」

「いかれてるのはテメーの頭だボケナス、とミサカはあなたをバカにします」


フルチューニングの安い挑発に、アニェーゼは溜息をついた。

224:

「…もう良いですね。ほら、皆さんさっさとコレを始末してください」

「倉庫は使えねえし…しょうがないから、ここでパパッと終わりにしちまいましょう」

「ああ、なるべく血で汚さねえようにに頼みます、掃除が面倒ですからね」




「もう…止めてください…」

「!」


今にも戦闘が始まろうとしたその時、オルソラのか細い声が全員の注意を引いた。


「…レイさん…もう、私は…十分なのです…」

「何を…言っているのですか、とミサカは…!」

225:

「“レイさん”。…あなたたちが、こんな…私の為に…立ちあがってくれた…それで十分です…」

「最期に…あなたたちのような…素敵な方々と…出会えた…それで…満足です…」

「私には…これ以上の…幸せなど…とても…抱えきれませんから…止めてください…」


そう言って美しく微笑むオルソラに、フルチューニングは何も言い返せない。

それでも前に進もうとしたフルチューニングの頭の中で、再び異変が起こる。


「――魔術変換用チップの完全修復を確認」

「――魔術使用モードの再起動を行います」

「――ネットワークの通常接続を強制終了」


400秒経過したことで、チップは修復を完了し、再び魔術を使えるようになる。

だがそれは、もうミサカネットワークへ普通に接続できないという意味でもあった。

フルチューニングは“レイ”を取り戻すと同時、能力の優れた応用法や戦闘知識を参照できなくなる。

226:

(一体、レイは体に何をされたのですか…?)

(どうして、レイは妹達と接続できなくなるのですか…!)


フルチューニングが愕然とする中、わずかに繋がっている妹達が、最も親しく知る人物の接近を感知した。


(この気配は…あの時の少年…?)


通常の接続が切れるその瞬間、フルチューニングに妹達から次々に寄せられる声(キオク)が届いた。


『俺は、お前を助けるためにここに立ってんだよ!』

『――お前は、世界でたった一人しかいねえだろうが!』

『――今からお前を助けてやる』


それは紛れもなく、あの日実験を止めたヒーローの話だった。


(そうでしたか…あの時役立たずだったレイの代わりに、妹達を救ってくれたのが…)

(ならば、今こうして“上条当麻”が来ている理由もきっと…)

227:

事情を知ったフルチューニングは、こんな状況なのに思わず笑いたくなる。

しかも、トドメとばかりに最後に届いたのは、元気いっぱいの末っ子からの応援メッセージだった。


『あなたがアマクサシキから教わったように、ミサカも彼から教えてもらったの』

『ミサカ単体の命にも価値があり、その氏に涙を流す人がいるんだっていうことを』

『だから“ミサカ”は、これ以上1人だって氏んでやる事はできない』

『あなたはレイだけど、あなたもミサカだから、絶対に氏ぬ事は許さない!ってミサカはミサカは激励してみる!』


「ふふ…妹の頼みぐらい、しっかり聞かないといけませんね…」


突然笑い出したフルチューニングに、アニェーゼが怪訝な顔で質問する。

228:

「何がおかしくて、笑ってるんですか?」

「…オルソラさん」

「え…?」


完全にアニェーゼを無視して、フルチューニングは誇らしげに宣言した。


「あなたの、そしてレイの幸福は――まだ止まらないみたいですよ?」


次の瞬間。先ほどレイを痛めつけた『アエギディウスの加護』が、完全に消し飛ばされた。

考えられない事態に動揺するアニェーゼ部隊。

急いで敵を探そうとするが、それよりも早く“敵”が中へ踏み込んできた。

250人の相手。恐ろしい魔術を使う修道女部隊のただ中に、たった1人で。

かつて学園都市最強のレベル5と戦って、妹達を救い出した無能力者(ヒーロー)。

――“戦う理由”ではなく、“戦い続けたい理由”で行動できる素人。上条当麻その人が。

229:

「ったく、本当に馬鹿も馬鹿、大馬鹿ですね」

「ほら、これが最後のチャンスです」

「自分が何をすべきかぐらい分かっちまってますよね?」


その上条に、アニェーゼは挑発するように近づいて行く。

250人を相手に戦えるはずが無い。だから何も出来ないと確信して。

胸の悪くなるようなその態度に、フルチューニングの怒りが燃える。


(いくら上条当麻とはいえ、1人で良い格好はさせません…借りは返さなくてはいけませんから)


次に上条がとる行動を“本当に確信した”フルチューニングが、アニェーゼに電撃を放つ。

鬱陶しそうにそれを払いのけるアニェーゼが、次に見たものは――


「何をすべきか、ね」

「確かにこれが最後のチャンスだ。良く分かってるよ」


電撃に反応して、碌にガードも取れない自分の顔を、迷わず右手で殴るド素人の姿だった。

230:

「き、サマら。何の真似だ、これはァ―――!」

アニェーゼの怒りに、フルチューニングと上条は2人そろって答えた。


「「助けるに決まってんだろうが(るじゃないですか)!!」」

「おもしろいですね…この状況で、たかが2人に何が出来るっていうんですか!」


250人の敵が、たった2人相手に武器を構えたその刹那。


「まったく、勝手に始めないで欲しいね」


爆炎を司るルーンの魔術師、ステイルがその象徴である炎剣と共に現れた。

ステイルの話を聞く限り、彼ら魔術師がこの問題を決着させる予定だったらしい。

にも関わらず、もう関係の無くなった上条が1人でここに来てしまった、ということだ。

231:

(やっぱり、上条当麻は妹達を助けた時と変わらないのですね)

(誰かの為に、命懸けで戦う事の出来る…天草式のみんなのような人です)

(もっともそのせいで、誤解を受けたレイや建宮さんは酷い目に遭いましたが…)

(…ん?)

(…建宮さん…魔術師が決着…もしかして…?)


フルチューニングがある可能性に気付いた時、アニェーゼが苦々しく吐き捨てた。


「2人が3人に増えたところで、何が…!?」


その言葉に答えたのは、フルチューニングが一番声を聞きたい人だった。


「3人で済むとか思ってんじゃねえのよ」

「建宮さん!」


横合いの壁を吹き飛ばし、捕まっていたはずの天草式メンバー全員と一緒に、教皇代理の建宮が姿を見せる。

232:

「待たせてすまんかった、レイ」

「諫早さん」

「ごめんね、レイちゃん」

「…五和さん」

「後はまかせといていいすよ」

「…香焼」

「いやいや。…レイ、お前さんに戦う理由はまだあるか?」


涙で滲みそうになる視界を、ゴシゴシとこすって必氏に見つめる。

涙で震えそうになる返事を、出来る限りシャッキリしようとする。

「…はい、教皇代理」


「っ…どいつもこいつも!!」

激昂したアニェーゼがただ一言、殺せ、と250人の部下に命令した。

それに従い飛びかかってくる修道女たち。


「さあさあ、我らがやるべき事はただ一つよな?」


対し、正反対の指示を受けた天草式十字凄教が、果敢に声を上げて迎撃する。


「救われぬ者に救いの手を!!」

240:


9月9日(午前1時30分)、とあるビルの屋上


天草式十字凄教の女教皇、神裂火織はその戦いを優しく見つめている。

自分が信じていた通り、天草式は変わらぬ思いを持ち続けていてくれた。

それだけを確認するためイギリスから来ていた神裂は、深い満足感を味わっていた。

神裂にとって唯一残念なのは、横に土御門元春がニヤニヤと笑いながら立っていることだ。


「助けに行かんでいいのかにゃー?」


その問いかけに、神裂は少しだけ寂しそうな顔をして答える。


「私には、彼らの前に立つ資格などありません」

「それに、今の彼らには私の力はもう必要ないでしょう」

「私は自転車の補助輪のようなものなんですよ」


その言葉は、寂しいながらどこか誇らしげであった。

241:

「…ところで土御門」

「んー?」

「あなたに聞きたい事があります」

「なにかにゃー?」

「あそこにいる天草式の“新しい一員”である少女についてです」

「…それは…俺に聞かれても困るんだぜい?」

「いいえ。あの子は学園都市の能力者でしょう。ならば、確実にあなたは事情を知っているはずです」


チャキ、と神裂は七天七刀を動かした。


「…名乗らせないで下さい、土御門。私は、もう二度とアレを名乗りたくない」

「ちょっ、ねーちん目がマジなんですけど!?」


その日。

フルチューニングが知らないところで、救われぬ者(ウソツキ)が1人いたのだが、詳しくは割愛。

242:

9月9日(午前1時30分)、オルソラ教会


天草式の面々は、数に勝るアニェーゼ部隊と何とかわたり合っていた。

正確にいえば、真正面から打ち合うのではなく、偽装や隠ぺいを駆使して誤魔化していたというべきか。

その中で、体を満足に動かす事の出来ないフルチューニングも氏闘を繰り広げていた。

その場を動かず、電流を放射したり、磁力で操った鉄製品を盾や飛び道具とすることで戦っていたのだ。

幸いにもこの教会は工事中だった為、鉄骨や工具が至る所に散らばっていたのである。


(修道女の何人かは、対電気用の術式を構築しているっていうのが厄介です…)

(ですが、ここをレイが離れる訳には…!)


徐々に修道女に囲まれ、消耗していくフルチューニング。

243:

メキャッ!!

(…ッ!)

盾にしていた鉄骨を粉砕され、破片がフルチューニングに襲いかかる。

何とか避けて直撃は防ぐが、わずかに掠めた破片が額を切り裂き、出血で視界の半分が赤く染まる。

それを見たオルソラと上条が、何故か自分よりも痛そうな顔をしたことにフルチューニングは笑いそうになった。

急いで助けに走ってこようとする上条に、フルチューニングは大声で叫んだ。


「来る必要はありません!」

「馬鹿言うな!」

「大丈夫です。…もう“準備”は整いましたから」


その言葉に、修道女たちが警戒を強めて…ハッと気がついた。

244:

自分たちの知らぬ間に、辺り一面に鋼糸が張り巡らされていたのだ。

もちろん、張ったのは動けないフルチューニングではない。

天草式の仲間たちが、戦いながら鋼糸の準備をしてくれていたのである。


(流石に、鮮やかな手並みです!)


かつて五和に教わった事を思い出して、フルチューニングは尊敬の念を抱く。

――または、戦闘中に“こっそりと準備して”いざという時の補助として使うのが主流ですね


(おかげで、まだレイは戦う事が出来ます!)


ちょうどフルチューニングのいる地点を中心にして。

辺りに張り巡らされた鋼糸が、ただの足止め用トラップから高圧電流の流れる凶器へとその姿を変えた。

あるいは、対電気用の術式を構築している修道女には、鋼糸が巻きついて動きを封じて行く。

245:

「全員、避けなさい!」

鋼糸に気づいていなかった、あるいは気づいていても警戒はしていなかった修道女たちが慌てて逃げる。

そして、そのバラバラになった隙を逃がすほど、天草式は甘くない。

一気に攻勢に転じて、次々と修道女の意識を刈り取っていった。


炎剣という圧倒的な武器を使うステイル。

何十人もの修道女を相手に「膠着状態」を作り上げる建宮。

『魔滅の声』と呼ばれる、魔力を使わない魔術を使うインデックス。

そして、超能力と魔術を駆使しつつ、高度な連携を見せる天草式。


(もしかして…このまま勝てる…?)


フルチューニングはそう思えるほど、余裕を取り戻していく。

この場において、素人の上条を除けばフルチューニングだけが知らなかった。

ローマ正教の“狂気”が、この程度で済むはずが無いという事を。

――フルチューニングは、シスター・ルチアの号令を聞いた時、初めてそれを目の当たりにする。

246:

「攻撃を重視、防御を軽視! 玉砕覚悟で我らが主の敵を殲滅せよ!!」

「?」

言葉の意味が分からず、フルチューニングが戸惑っているその時。

インデックスと戦っていた修道女たちは、万年筆を取り出して両手に持ち始める。

そして、迷わず万年筆で両耳の鼓膜を突き破った。


「な、にを…!?」


魔術に詳しくないフルチューニングは、その行為が『魔滅の声』を防ぐためであるという事を知らない。

だが例え知っていても、平然と己の鼓膜を突き刺すという行為を受け入れる事が出来ただろうか。


(これが、ローマ正教のやり方なのですか!)


そして、一気に戦局が塗り替えられる。

今まで敵の修道女たちが冷静であったからこそとれていたバランスが、向こうが全力で攻撃を始めることで崩れたのだ。

こうなると、圧倒的に少ない天草式は、数の暴力で押しつぶされてしまうのは明らかだった。

247:

特に多数を相手に戦っていたインデックス、ステイル、建宮の3人が追い込まれ、急いで奥の聖堂へ向かっていく。

近くに居たオルソラと上条も一緒に中に入り、5人はその中で立て篭もる事にしたようだ。

その扉を破壊しようと、100人以上の修道女が武器を打ちつけている。

思わず駆け出したくなる気持ちを、フルチューニングは必氏で押さえこんだ。


(建宮さんたちを信じる事にします)

(きっと、打開策を見つけてくれるはずです)

(ならば、レイたちは少しでも相手の戦力を減らしておくべきでしょう)

(助ける可能性を、少しでも高めるために)


近くに居る天草式の仲間と頷き合ったフルチューニングは、建宮が来るのを信じて再び戦いを始めた。


248:

「吹っ飛べ!」

「こ、の、ローマ正教でもないくせに!」

「分からず屋!」


血まみれで戦うフルチューニングに、後ろから対馬が声をかけてきた。


「レイ、無茶しちゃダメよ」

「対馬さん…」


対馬がフルチューニングの背中をさすり、回復魔術を施す。


(こんな回復方法が…!?)

(やっぱり魔術ってデタラメですね)

「ありがとうございます!」

「当然のことよ。さあ、もうちょっと頑張りましょう」

「はい!」

249:

それから10分後、打ち破られた聖堂から5人が飛び出してきた。


「レイ!」


建宮の鋭い呼び声に、敵に電撃を放っていたフルチューニングが即答した。

「はい、建宮さん!」

「簡潔に言うぞ。この状況を何とかするためには、このルーンのカードを使う必要があるのよな」

「それは、確か炎剣使いの…?」

「そうだ。俺が指示を出すから、レイは鋼糸を使ってこのカードを配置していってくれ」

「分かりました」

「その間、俺や他の仲間が必ずレイを守るから、何も気にせずカードだけに集中するのよな」

「はい!」


返事をしながら、大量のカードに鋼糸を突き刺していく。

250:

その作業中、あの上条当麻が立った1人でアニェーゼのいる場所へ走って行くのが見えた。

きっと妹達を救った時も、同じように立ち向かっていったのだろう。


(そうですよね…誰かを助けたいのなら、出来る事をしなくては)

(レイは、今度こそ信頼に応えなくてはいけません!)


「いつでもいけます!」

「よし、まずは説教壇後方の壁、その中心に40枚!」

「続いて右の壁、こちらから数えて2つ目の窓の上方10センチに28枚!」

「天井の左隅、ピッタリ端から6センチへ53枚!」


流れるような建宮の指示を受けて、次々とフルチューニングの操る鋼糸がカードごと指定の場所へ刺さっていく。

そして、その効果は劇的に現れた。

251:

「…なるほど、これが天草式の多重構成魔方陣…なかなかやるじゃないか」


ステイルが、珍しく感嘆したように呟いた。

その背後には彼の誇る炎の魔術、『魔女狩りの王』が顕現している。

しかも、フルチューニングがカードを張って行くごとに、目に見えるほどその炎が強くなっていく。

無謀にも飛びかかった何人もの修道女が、その燃える怪物に薙ぎ払われた。


(これが…本物の魔術…)

(…ルーン、ですか)


眩しげにその様子を見るフルチューニングに、建宮が声をかけた。

252:

「良くやったのよ。見ろ、敵さんが突っ込んでこなくなった」


言われてフルチューニングも気が付いた。あれだけ激しい戦闘の音が、今は止んでいる。

仲間があっさりやられたのを見た後では、流石にあの怪物相手に不用意には近づけないのだろう。


「本当ですね…」


フルチューニングから、思わず力が抜けそうになる。

その様子を見て、建宮が笑いながら肩を貸して立たせた。


「じゃあ、決着をつけに行くのよな」

「はい!」


そしてフルチューニングたちは、上条とアニェーゼが戦っているであろう奥の部屋へ歩き出した。

最高のハッピーエンドを迎えるために。

261:


9月9日(午前1時50分)、オルソラ教会婚姻聖堂


フルチューニングたちが聖堂へ踏み込んだ時、上条はアニェーゼと対峙しているところだった。

こちらを見て愕然とするアニェーゼに、上条は不敵に告げる。


「言ったろ。作戦があるって」


上条は、フルチューニングを含む天草式の仲間が、必ず作戦を成功させると信じていた。

その絶対の自信に応えられた事に、フルチューニングは笑みを浮かべる。

262:

「ざまあみろ、です」

「仲間どころか、自分自身すら信じられないようなあなた方に、レイたちが負けるはず無いでしょう」

「随分良い気になってんじゃねえですか…さすがは神をも恐れぬ超能力者、ってことですか」

「…」

「ふざけてもらっちゃあ困るんですがね!」

「こちとら、その神様にテメェの想像出来ねえようなどん底から拾い上げてもらったんですよ!」

「そのおかげでこいつらとも出会えたんです…」

「その十字教を台無しにするような裏切り者を、逃がす訳にはいかねえって分かりませんかねぇ!?」

「…なら…」

「あぁ?」


アニェーゼの怒りに、フルチューニングがそれ以上の怒りを滲ませて叫んだ。

263:

「その大切な神様を、人を傷つける理由に使うな!」

「なっ」

「レイは能力者として製造されましたが、今は天草式十字凄教の一員です!」

「だから分かるんです…神様を理由にしていいのは、人を救う時だけなんですよ!」

「…人工的に作られたレイに、神様なんていないのかも知れませんが…」

「そんなレイを助けてくれたのは、この天草式十字凄教のみんなです」

「その理由が十字教で、その支えが神様だったから、こんなレイだって神様に祈ろうと思えるんです!」

「今のあなた方を見て、誰が神様に信仰を抱く事が出来るんですか!」


一歩も引かないフルチューニングに、アニェーゼは口を歪ませる。

264:

「ここまで互いに暴力を振るっておいて、自分たちだけは正しいと主張出来るなんざ、大したもんですね」

「それは」

「こっちも引けねえ理由があるんですよ!…暴力の連鎖を、簡単に止められるなんて思わねえ事です!」

「さあ、なにをやっちまってんですか!数の上ならまだ私たちの方が断然多いんです!」

「まとめて潰しにかかりゃあこんなヤツら、取るに足らねえ相手なんですよ!!」


一気にケリをつけようとするアニェーゼが、部下へ指示を飛ばす。

だが――


「何を……!?」


勝てるはずなのに、それでも修道女たちは動かなかった。…いや、動けなかった。

265:

ようやくアニェーゼは理解する。これは不審だと。

今、修道女たちが数にものを言わせて飛びかかれば間違いなく勝てるはずだ。

だが彼女たちは、それを心の中で信じ切れていないのだ。

ならば、無理やりにでも信じさせればいい。


(司令塔である私が、この男を叩きのめしてやりゃあいいんですよ)

(そうです、あんな素人、一撃で――)

(けど…本当に?)

(確実に勝つには…何をすれば…!?)


アニェーゼの心に、自分に対する疑念が生じる。

266:

自分を信じきれないアニェーゼに、上条が近づいて行く。

なぜなら、この場で1人で勝たなくてはいけないのは、上条にとっても同じことだったから。

そして、アニェーゼと違って上条は信じることで行動している。


息が詰まる静寂の中、ジリジリと間合いを狭める2人。

ついに、迷いのない声が上条から発せられる。


「終わりだ、アニェーゼ」

「テメェももう自分で分かってんだろ。テメェの幻想(じしん)は、とっくの昔に殺されてんだよ」


言葉と同時、上条は迷わずアニェーゼに突撃した。

267:

(…あ)

その光景を目にしたフルチューニングが、思わず目を疑った。

上条に殴り飛ばされるアニェーゼが、ほんの一瞬。

あの白い『最強』と重なって見えたからだ。


(…どんな敵でも、どれほどの人数が相手でも、迷わず助けに飛び込める)

(そんなあなた(ヒーロー)だからこそ…妹達も、オルソラも、救う事が出来るのかもしれません…)


ガラン……

自分たちのリーダーを撃破された修道女が、自分の武器を力なく床に落とした。

ゴトン……

その反応は連鎖していき、その場にいたアニェーゼ部隊の修道女が同じように武器を投げだす。

ガラガラガラガラ!

やがてその音は教会中に響き渡り…1つの戦いが終わりを告げた。

その音を、聞いたことも無い子守唄のように感じながら、フルチューニングもゆっくりと意識を手放した。

268:

9月9日(午前2時30分)、オルソラ教会


フルチューニングがふと目を覚ますと、天草式の回復術によって体の痛みが和らいでいた。

隣にはオルソラも居て、安らかな顔で眠っている。

ローマ正教の修道女部隊は、すでに立ち去った後のようだった。


(…良かった)

(本当に良かった)

「レイちゃん、もう起きたんですか?」

「!…五和さん」

「無理しちゃだめですよ、一番重症なんですから」

「大丈夫です。建宮さんは?」

「今、イギリス清教の人たちと打ち合わせ中なんです」

「…イギリス清教と、何を?」

「それは…」


五和が答えるよりも早く、建宮とステイルが揃って現れた。

269:

「話はまとまったよのよな」

「建宮さん…」

「あ、レイ。お前さんも起きたか。ちょうど良かった」


ニコニコと笑顔な建宮のところに、天草式のメンバーが集合していく。

どことなく、フルチューニング以外の人間は建宮の言葉を予想しているようだ。


(何故かみんな、笑いをこらえるような顔をしています)

(…むー)


ちょっぴり疎外感を感じて、ふてくされ気味な顔をするフルチューニング。

そんなフルチューニングの気持ちを、、一瞬で吹き飛ばすほどの発表がされた。

270:

「たった今、この神父様に確認してもらったのよ」

「現時点を持って、オルソラ嬢及び我ら天草式は、イギリス清教の傘下に入る事になった」

「そう言う事だ。最大主教ローラ・スチュアートの許可は取り付けたからね」


ステイルの言葉に、フルチューニング以外の天草式がワァ!と歓声を上げる。


「…どういう事ですか?」


1人事情の分からないフルチューニングの質問に、建宮が笑顔で説明する。


「何しろ、我ら天草式十字凄教はローマ正教相手に喧嘩を売ってしまったわけよ」

「はい」

「それにオルソラ嬢も、いつまた暗殺されるか分からない」

「…」

「相手は我らと比較にならん巨大組織。ならばこそ、イギリス清教の保護を受ける必要があるのよな」

「…確かに」

271:

教皇代理建宮の言葉に、周りの仲間も嬉しそうに同意する。


「そう、これは当然の成り行きですよね!」

「…五和さん?」

「選択肢が無い以上、仕方ないすよ!」

「…香焼?」

「そうだ、これは決してあの方を追いかける意味は…」

「…諫早さん?」

「全く、みんなガキじゃないんだから…しょうがないわね」

「…何で対馬さんまでそんなに笑顔なんです?」


どうも天草式のみんなは、この発表を予想して喜びを隠していたらしい。

イギリス清教の保護下に入るのが、そんなに嬉しいのだろうか?

272:

(…あ!)


そこまで考えて、フルチューニングは初めてステイルを見たときに五和とした会話を思い出した。


――「イギリス清教の『必要悪の教会』――本物の魔術師サマかよ」

――「ねせさりうす?」

――「イギリスが誇る、対魔術師用の魔術師集団です。“私たちの女教皇も今はそこに所属しています”」


そう。イギリス清教には、女教皇が所属しているという話だった。


(もしかして…イギリス清教に属する事じゃなく、女教皇を追いかけられる事が嬉しくて…?)


フルチューニングがその事に気が付くと、途端に天草式のみんなが子供っぽく見えるようになった。

これでは、親離れできない子供みたいではないか。

273:

「あの、建宮さん…」

「どうしたレイ?」

「ひょっとして、最初から女教皇の後を追うつもりだったんですか?」

「…」


目を逸らす建宮に、ステイルがああ、と気づいた事を口にした。


「そういえば、あなたの服の赤い十字架…イギリス清教のシンボル、聖ジョージの印じゃないか」

「…タテミヤサン、ヨクワカラナイ」


白々しい教皇代理に、フルチューニングが冷たい目を向ける。

だが、一瞬感じた強い気配に思わず後ろを振り返った

274:

(今のは…?)

(これほど大きな、人間のエネルギーを初めて感じました)

(持っていたのは、大きな刀のようでしたが…)

(ひょっとすると、あの人が?)

(…間違いなさそうですね)

(まあ、どの道今は追いかけることなんて出来ませんし)

(いつか、ちゃんと挨拶する日が来るのでしょう)

(子離れできない、天草式の女教皇様に)


丁度その時。

魔術で気配を消していたものの、フルチューニングの電磁波で一瞬感知された女教皇が、

包帯を持って急いで立ち去ったのを、天草式のメンバーは誰も知らなかった。

275:

フルチューニングが追求を止めたことで余裕を取り戻した建宮が、ゴホン、と咳払いして場の空気を元に戻す。

そして全員が注目する前で、堂々と宣言した。


「とにかく、これより我らの拠点は英国ロンドンに移る事になる」

「ろんどん?」

「というわけで…明日より、天草式引っ越し大作戦を実行するのよな!」

「……わあ」



こうして、彼ら天草式の長い1日が終わりを告げた。



これにて第2章終わり

291:

9月9日(午後2時00分)、天草式十字凄教のとある拠点


計画通り(?)イギリス清教の傘下に入る事になった天草式の面々は、現在荷造りに励んでいた。

日ごろから比較的頻繁に拠点を変えているとはいえ、本拠地を国外に移すのはさすがに手間がかかる。

そんな中1人荷物の少ないフルチューニングは、早々に支度を終えて退屈そうにしていた。

もちろん他の人の手伝いをしたいのだが、フルチューニングは魔術に詳しくない。

素人が触ると危険な霊装が有ったりするので、手を出し辛いのだ。

しかも天草式の霊装は、傍目にはただの日用品に偽装してある事が多いので、魔術師でも見わけが付きにくい。

292:

(ゴミだと思って捨てようとした和紙が、間違って濡らした途端に30mの船になるってどういう事ですか!?)


ついでに言うと、昨日の戦いで重傷を負ったフルチューニングをこき使うような人間もいない。

長々説明したが、一言でいえばフルチューニングは暇だった。


(…建宮さんの所へ行こうかな)

(きっと一番荷物が多いはずだし、魔術品以外を運搬する手伝いでもしよう)


そう判断するや否や、フルチューニングは建宮の部屋へ向かって歩き出した。

部屋の扉をノックすると、陽気な声で中へ呼ばれたので、おずおずと中に入る。


「あれ…もう準備終わってるんですか?」


驚いた事に、教皇代理として様々な資料を持つ建宮の荷物は、ほとんど綺麗に纏められていた。

293:

「大体のところは終わってるのよな。レイは手伝いに来てくれたのか?」

「はい。…そのつもりだったんですが、流石は教皇代理。すでにここまで纏めてあるなんて…」

「いやー、動かすのに儀式が必要な霊装の類がここにはないからな」

「本や道具を適当に段ボールへしまうだけだから、早いのは当たり前ってわけなのよ」


なるほど言われてみれば、建宮の部屋にある段ボールには、本や手紙、文房具等の小物が多く入っていた。

これでは手伝う意味が無いなあ、とフルチューニングが辺りを見回していると、部屋の隅に目を引くものが有った。


「建宮さん…このフリップボード、建宮さんのですか?」

「お、すまん。危うく入れ忘れるところだったのよな」

294:

「…何に使うんです?ひょっとしてそれも魔術的な…」

「ん?当然これは字を書いて見せるために使うのよ」

「…そうですか」


何分この世界の常識に疎いと自覚しているフルチューニングは、それ以上突っ込むのをやめた。

そして他の段ボールに目を向けると、何故かサッカーボールが入っている。


「建宮さん、このサッカーボールは?」

「当然蹴るために使うのよな」

(天草式のみんなでサッカーゲームでもする気なんでしょうか?)


他にもよーく見てみると、双眼鏡や望遠鏡を始めとする、今まで使ったのを見た事が無い道具がいくつも存在していた。

295:

フルチューニングはそれらをゆっくり見ていたが、やがて興味は建宮の所持する本へ移った。


(いろんな本が有りますね…『聖人の成り立ち』『確実に当たる競馬予想』『これであなたもマッサージマスター』)

(ジャンルがバラバラ…乱読家なんですかね?)


その様子に気づいた建宮が、フルチューニングに声をかけた。


「そうだレイ。お前さんにもマッサージしてやろうか?」

「え、でも…良いんですか?」

「もちろんよな。俺の荷造りも終わるし、流石に昨日の今日でレイを働かせる訳にはいかないのよ」

「…」

「それに、五和には中々好評だったのよな?」

「じゃあ、お願いしま…」


内心喜んだフルチューニングが、いそいそと横になろうとたその瞬間。

抱えていた本――『聖人の成り立ち』――が落ち、カバーが外れて中身が見えてしまう。

296:

「…『巨乳と貧乳、正義はどちらに』…?」

「あ、ちょ、レイ!今のは忘れて――」


嫌な予感がしたフルチューニングは、他の真面目そうな本のカバーを次々と外していく。


「『脚線美の魅力に迫る』『今、メイド服がアツイ』『熟女と少女、その美しさ』…なるほど?」


ぶっちゃけて言うと、隠されていたのは工口本やマニアックなフェチ本だった。


「わわわわ、レイ、そう言うのは男のロマンでな…?」


フルチューニングは、無言のまま笑顔で一旦本を集め始める。

そして顔を青くする建宮の目の前で、能力全開で焼き出した。

297:

「ギャー!!」

「安心してください、建宮さん」

「…今から建宮さんにも電気マッサージをしてあげます」

「落ち着け、な!お前さんもいずれは分かるようになるのよ!」

「レイは極めて落ち着いています。これは倫理に基づく適正な判断を行っているに過ぎません」

「いやいや、なんかメッチャ切れてるじゃないの!?」

「…レイが、建宮さんをその下らない煩悩から救ってあげます」


それから数分後。

真っ黒になった教皇代理を、レイがまるで荷物のように引きずって行くのが目撃された。

こうして、天草式の引っ越しは(ごく一部を除き)順調に行われた。

298:

9月9日(午後6時00分)、とある飛行機の中


フルチューニングを含む天草式は、現在ロンドン行きの飛行機に乗っている。

てっきり、魔術で瞬間移動でもするのかとフルチューニングは期待したのだが、そんな事は無かった。

『縮図巡礼』は日本国内しか移動できないし、他の大掛かりな魔術を発動させるよりは飛行機の方が遥かに速い。


(魔術は便利なのか、それとも不便なのかイマイチ判断できませんね)

(デタラメに思える魔術にも、一定の法則は存在するって事は聞きましたが…)

(その法則とやらをレイが実感出来るようになるには、修行が足りないってことでしょう)

299:

そう思案するフルチューニングの手には、天草式魔術の説明書が握りしめられている。

と言っても、初心者用に分かりやすい表現でまとめられた、五和お手製の薄い本だが。


一日も早く仲間の役に立つために、フルチューニングは魔術を詳しく知ろうと決意していた。

それは単に、天草式の魔術だけではない。


(ロンドンに慣れたら、イギリス清教『必要悪の教会』を訪ねてみたいですね)

(他の天草式のみんなと違って、レイは圧倒的に経験が足りないですから)


天草式十字凄教が誇る魔術の真髄は、何と言ってもその『隠密性』だ。

日常生活の中にわずかに残る魔術的要素を拾い上げ、術式として組み上げていく。

300:

だが、生まれて日の浅いフルチューニングは、そもそも日常生活そのものにすら慣れていない。

そこからさらに術式を組み上げるには、どう考えても長い鍛錬と慣れが必要になる。

いかに超能力という武器が有っても、このままでは本当の意味では役に立てない。


(あのステイルさんが使ったルーン魔術…ああいう術式を覚える事が出来れば)

(きっとレイも、今以上にみんなをサポートする事が可能なはずです)


だからこその、即効性のある『本物』の魔術。

フルチューニングは、さらなる力を求めていた。

長い道のりの中、結局フルチューニングは一睡もすることが無かった。


やがて。

1人の少女の強い決意を乗せた飛行機が、天草式の新たな舞台、ロンドンへと到着する。

307:



9月12日(午前10時00分)、ロンドンの日本人街


無事に日本人街に拠点を移し、天草式が落ち着きを取り戻しつつあったその日。

フルチューニングは、久しぶりにご機嫌な様子で歩いていた。

ちなみに機嫌の良い理由は、この辺りでは珍しい、日本茶の茶葉も取り扱うお茶屋さんを見つけたからである。

店主に勧められ、さっそく試飲したフルチューニングはその味をとても気に入った。

そして迷わず1キロもの茶葉を購入し、みんなのところへ帰ろうとしている最中である。


(五和さんに美味しいお茶を淹れてもらいましょう!)

(今日のレイはラッキーですね)

308:

ドン!

笑顔で考え事をしていたフルチューニングは、曲がり角で1人の女性とぶつかった。

その拍子に、五和の作ってくれた天草式魔術の説明書を落としてしまう。


「すいません…」

「いや、私も前見てなかったから…」


そう言って、金髪で褐色の肌を持つ女性が説明書を拾おうとして――固まった。

より正確に言うと、説明書に描かれていた、天草式だけが持つ特異な術式の図面を見て固まったのだ。


「あの?」

「これは…大地の特性を利用した拘束術式…?」


その女性――シェリー・クロムウェルが思わず漏らした呟きに、今度はフルチューニングが固まる。

309:

(一発で術式に見当を付けるなんて、この人も魔術師なんでしょうか?)


「ひょっとして、あなたは魔術師なんですか?」

「ん?あー、あなたも?」

「いえ、一応勉強中ですが、レイはまだ見習いレベルです」

「…日本人で、魔術師の見習い?」


わずかな時間黙考して。シェリーはああ、と思い当たった事を口にした。


「そういやあ、天草式っていうのがイギリス清教の保護下に入ったっていう話だっけか」

「はい。レイは天草式十字凄教に所属しています」

「ふーん。じゃあこの術式は、その天草式のオリジナル構成ってことよね」

「そうですよ」

「日本なんて、魔術の遅れた科学かぶれの国だと思ってたが、なかなか味のある術式を使うじゃねーの」

「は、はあ…」

「ゴメン、名乗り忘れてたわ。私はシェリー・クロムウェル。シェリーでいい。…あなたはレイ、でいいのよね?」


310:

フルチューニングは、戸惑いがちに頷いた。

このシェリーと呼ばれる女性は、イマイチ口調が定まらない。

男のような粗雑な口調と、女性の丁寧な口調が混ざり合っているのだ。

ただ、悪い人ではないらしい、とフルチューニングは判断し、恐る恐る質問した。


「シェリーさんは、どこに属する魔術師なのですか?」


その問いに、シェリーはバツが悪そうに頭を掻きながら答えた。


「一応、イギリス清教『必要悪の教会』に所属はしてんだけど…」

「『必要悪の教会』ですか!?」

「そ。ただ、今は謹慎中で…ぶっちゃけ処分待ちってところかな」

「?」

311:

シェリーの言った通り、現在彼女は宗教審議中であった。

去る9月1日のこと。学園都市に攻め込んだ彼女は、上条たちによって敗北しイギリスへ強制送還された。

その為、本来ならば処刑されてもおかしくないはずだった。

ただ、シェリーは極めて優れた暗号解読及び戦闘能力を持っている。

その能力を惜しむ最大主教ローラ・スチュアートが、現在裏で手を回して寛大な処置を下そうとしているのだ。

罪人であるシェリーが、比較的自由に動けるのはそのためである。

そんな事情を知る由も無いフルチューニングは、渡りに船とばかりに飛びついた。


「シェリーさんにお願いが有ります」

「初対面の相手に突然お願いするなんて、意外と図々しいのね」

「まあ、一応聞くだけ聞いてやるけどさ。何?」

「レイに、魔術を教えて欲しいのです!」

「はあ?」

312:

9月12日(午前10時30分)、とある喫茶店


話が長くなりそうだと感じたシェリーは、フルチューニングを連れて贔屓の喫茶店へ入る事にした。

そこでお茶を飲みながら、今までフルチューニングの説明を聞いていたのである。


「はー、つまりメチャクチャ簡単に言うと、お手軽で強い魔術を教えて欲しいと?」

「はい」

「あるわけねーだろ、そんなモン」


にべも無く一刀両断されたフルチューニングが、ガックリとうなだれた。


「大体そんな便利な術が存在したら、魔術師は全員それを使うだろうよ」

「う…確かに」

313:

「こんだけ魔術が細分化されてんのは、どんな術式にも一長一短有るからなの」

「そりゃあ『聖人』みてーな例外はあるけどさ、そう都合よくはいかねえんだよ」

「…はい、すいません…」

「いや、そんなにガッカリしなくても…」


素直に落ち込むフルチューニングを見て、流石にシェリーも言葉に詰まる。


「っていうか、そもそも何であなたは魔術を使いたい訳?」

「え?」

「魔術師っていうのはな」


一呼吸置いて、シェリーが挑むように話しだした。

314:

「何が何でも叶えたい願いがあるのに、“普通の方法”じゃ叶わない」

「そうやって世界に裏切られた果て、最後に裏技として魔術にすがるような人間の事を言うんだ」

「その象徴が『魔法名』。自分の願いを名前に示すのさ」

「魔法、名…」


フルチューニングも、漠然と感じる事が出来た。

きっとこのシェリーにも、魔術を求めるに値する願いがあり、それを示す魔法名を持っているのだろうと。

顔つきの変わったフルチューニングを見て、シェリーは励ますように話を続ける。


「力が足りない。仲間の役に立ちたい。その気持ちはもちろん分かるけどさ」

「そんなに急いで魔術を学ぶほど、焦る必要があるのかよ?」


その問いかけが、フルチューニングの奥底まで入り込んできた。

315:

(焦り…これは焦りなのでしょうか?)

(…きっとそうなのでしょう)

(この前のアニェーゼ部隊との戦闘で、レイは確信しました)

(この体は、単にクローンとして製造された訳ではないようです)

(レイの体には、“レイも知らない”改造が施されているのは間違いない)

(もしかしたら、いつ異常が生じても不思議では無いのかもしれません)

(元々レイは生まれるはずの無いクローン、命は惜しくありませんが…)

(天草式のみんなに、恩を返せないままで終わるのは我慢できません!)


自分の中で結論を見つけたフルチューニングは、もう一度シェリーに頭を下げた。

316:

「お願いします、シェリーさん」

「…」

「天草式の魔術は日常動作が基本ですから、レイが習得するには時間がかかります」

「ですがレイには、もう残された時間がありません」

「このまま、レイを助けてくれたみんなのお荷物で終わる訳にはいかないんです!」

「…大したことは、教えられねーんだけど」

「魔術師についてレイに教えてくれた、シェリーさんから学びたいんです」

「…めんどくさい子供に懐かれちゃったなぁ」


その言葉に、フルチューニングが目を輝かせた。


「ありがとうございます!」

317:

「しょうがないわね。ところで、あなたが今使える術式は?ゼロって事は無いでしょ?」

「はい。天草式の魔術を7つほど覚えています!」


そして。次の言葉を聞いた瞬間、シェリーの表情が激変した。


「後は、魔術ではなく“超能力”で2億ボルト程度の発電が出来ますが…」

「“超能力”?…あんた、まさか学園都市の能力者?」

「? はい、そうで…」


言葉が終わる前に、シェリーがフルチューニングを掴み上げた。

フルチューニングがゴホゴホと苦しそうに咳き込むが、シェリーは全く気にしていない。


「どういうことなの…?」

「…な、にが…?」

「なんで、能力者に魔術が使えんのかって聞いてんだよォッ!!!」


そう叫ぶ魔術師の目には、今まで見たことも無い感情が燃えるように浮かびあがっていた。

327:



9月12日(午前10時50分)、とある喫茶店



突然胸倉を掴まれたフルチューニングは、咄嗟にシェリーへ電撃を放つ。

バチン!と目の前で火花が飛び散り、シェリーは思わずその手を離した。


「…術も霊装も使ってないどころか、魔力の流れすら感じられない。マジで能力者かよ」

「いきなり何をするんですか!」

「能力者なのは間違いない、か。…あなた、本当に魔術が使えるの?」


フルチューニングの怒りを無視して、シェリーが押し頃したような声で問いかける。

328:

「シカトですか!?…魔術なら何度か使用していますけど、それが一体…」

「超能力者に、魔術は使えない」


再度フルチューニングの声を無視して、シェリーは冷たく断言した。


「使えない?…何か罰則規定でもあるんですか?」

「罰則? ハ、とぼけんなよ。魔術師の中じゃ常識じゃねーか」


要領を得ないフルチューニングに、シェリーは顔をズイ、と近づけた。


「もう一度言うが…超能力者は魔術を使わないんじゃねえ、“使えない”んだよ」

「超能力者っていうのは、普通の人間と『回路』が異なっている。つまり…」

「テメェら超能力者が魔術を使えば、その体は破壊されて氏んじまうって事なんだけど?」

「そんな、まさか!?」

329:

驚くフルチューニングに対し、シェリーは俯きながら首を振った。


「他の誰よりも、私が“一番良くその事を知っている”」

「…どういう事ですか?」


尚も理解できないフルチューニングを見て、シェリーは自嘲しながら全てを話しだす。


「簡単な話さ。20年ほど前、学園都市と協力して試したんだよ。能力者に魔術を使わせてみようってな」

「じゃあ、もしかしてその結果」

「そうさ」


フルチューニングの言葉を遮り、シェリーが苦い過去を口にする。


「私の教えた術式を使った途端、友達のエリスは血まみれになって倒れた!」

「!」

「挙句の果てに、その実験施設を潰しにやってきた『騎士』に殺されたのよ!」

「そんな、事が…?」

330:

絶句するフルチューニングに、シェリーは自分の思いを叩きつけた。


「だから科学と魔術は、その領分を守らなくちゃいけねーんだよ!」

「だっていうのに、なんで…」


相当混乱しているのか、シェリーの声は徐々に小さくなり、フルチューニングの耳に届かなくなる。

だが、シェリーは目に浮かんだ涙を拭い、今度はしっかりと声を響かせた。


「さあ、今度こそ質問に答えやがれ。何でテメェは魔術を使えるんだ、ああ!?」

「分かりません」


端的に一言で返され、ポカンとするシェリー。

フルチューニングも軽い混乱状態に陥っていて、目をぐるぐるとさせている。

331:

「そもそも、超能力者に魔術は使えないという事を、今初めて知りました」

「…いやいや、確かにさっきからそんな感じの態度だったけどさ…本当に?」

「はい」

「ちっ、そもそも天草式って言えば、学園都市のある日本が拠点だったはずだろ」

「その科学のお膝元にいた癖に、誰も気にしてなかったのかよ?」

「はい」


困った顔をしながらも、フルチューニングは素直に答えていくしかない。


(そう言えば建宮さんたちは、能力と魔術の関係については何も口出しをしませんでしたね)

(天草式は魔力よりも日用品の霊装を利用した術式がメインですし、みんなも知らなかったんでしょうか?)


黙り込んだフルチューニングに、シェリーは難しそうな顔をして質問をする。

332:

「じゃあ、何の心当たりも無い訳?」

「あります」

「まあ、そりゃあるはず無いわよね…え、は?」

「?」

「心当たりはあんのかよ!?」

「はい」

「何で魔術使えるのか分からねえって、自分で今言ったばかりだろーが!」

「分かりません。が、1つ仮説なら立てられるのです」

「仮説?」


(仕方ありません、ここは全て話しておくべきでしょう)

(それに、これでレイも確信できました)

(やはりレイには、何か特別な処置が施されているのですね)


そしてフルチューニングは、自分の境遇を話し始めた。

333:

すなわち、自分がクローンである事。

売り払われたところを、天草式に助けてもらった事。

自分以外にも1万体近くの同型クローンが存在している事。

かつて戦闘中に、そのクローンたちと脳波ネットワークが繋がった事。

普段は、どう頑張ってもそのネットワークに繋がらない事。

そしてネットワークに繋がらない理由と、魔術を使える理由は同じだと思っている事。

シェリーは最後まで黙って聞いていたが、フルチューニングが口を閉じたのを見てようやく口を開いた。


「科学の話は良く分からないけど…つまり、あなたたちクローンは特別なネットワークで繋がっている」

「で、あなただけは何か特殊な繋がり方をしているから、他のクローンとは自由に話も出来ない」

「その特殊な繋がり方っつーのが、自分が魔術を使える秘密かもしれない、と」


それなりに理解してくれたシェリーに、フルチューニングはコクンと頷いた。

334:

「レイの予想では、能力者の『回路』を、ネットワークを利用して魔術用に書き換えているのだと思います」

「信じらないわ…つくづく科学ってのは狂ってる」

「ただ、具体的にどうやって脳波ネットワークをいじっているのかは、レイにも分かりません」

「もういいわ、それ以上想像したくねえし」


顔色の悪くなったシェリーが、手を振ってフルチューニングの言葉を止めさせた。


「じゃあ、これでレイの話はおしまいです」

「あ?」

「今度は、シェリーさんがレイに魔術を教えてくれる番ですよ?」

「喧嘩売ってんのかよ?」


ガタン!と音を立ててシェリーが立ちあがった。

335:

「話を聞いていなかった?」

「私が教えた術式はなあ、エリスを頃しちまったんだよ!」

「例えあなたが例外的に平気だとしても、超能力者だと分かっているのに魔術を教える訳ないでしょうが!」

「レイは、エリスさんではありません」

「っそういう話をしてんじゃねえんだよ!」

「科学と魔術、その両者は絶対に相容れないんだ!」

「不用意に互いに干渉すれば、また悲劇は起こる…」

「ですが」


今度は、フルチューニングがシェリーの言葉を止める番だった。


「『能力者』であるレイを救ってくれたのは、『魔術師』の天草式のみんなです」

「…」

336:

「そしてレイは、あなたのいう絶対に相容れない人たちとすでに一緒に行動しています」

「…」

「レイの居場所は、天草式です。そして、天草式十字凄教は魔術組織なんです」

「だからレイも、魔術師になるんです」


あまりにも子供っぽく、真っ直ぐな主張。

わずかな説得にさえならないような我儘。


「そして、レイにはその為の時間も技術も足りません」

「…」

「ですが、レイは元々実験用のクローン。“実験をされる”のはお手の物です」

「もしレイが壊れても、それはシェリーさんの責任ではありません」

「レイがポンコツなだけです」

「だから、心おきなくレイで実験をしてください。レイに魔術を叩き込んでください」

337:

そしてフルチューニングは、子供であると同時に、どこまでいっても試作型(ジッケンドウブツ)だった。

ここに建宮たちがいれば、引っぱたいて怒ってくれたかもしれない。

そんな事の為に助けた訳じゃない、と涙ながらに語ってくれたかもしれない。

でもここにいるのは、たった1つの願いをその名に刻む、不器用な魔術師だけだった。


「壊れてもいい?心おきなく実験?…駄目に決まってんだろ」

「!」

「私は、もう2度とあんな思いをしたくない」


その言葉に、思わず目を伏せるフルチューニング。

だが、俯くフルチューニングに対して、シェリーの話はまだ続いた。

338:

「“だからこそ”、レイ。…鍛えてやるよ」

「え…?」

「言ったろ。もうあんな思いをしたくねーんだ。つまり、もう2度と壊れる超能力者を出す訳にはいかないって事だ」

「は、はい」

「なのにこのままあなたを放っておいたら、どんなバカをしでかすか分かったもんじゃない」

「シェリーさん…」

「氏ぬ気で付いてこい。そのどこまでも甘い顔を、グシャグシャの泣き顔に変えてやるから」

「よ、よろしくお願いします、師匠!」


こうして。

僅かに歪みを持ったまま、事態は大きく進んでいく。

新たに生まれた魔術師(ジッケンドウブツ)が、再び無能力者(ヒーロー)と出会うまで。

345:

9月25日(午後1時30分)、ロンドンの日本人街(天草式の拠点)


フルチューニングが、シェリー・クロムウェルに弟子入りして2週間近くが経過した。

その期間には、『残骸』を巡る戦い、『大覇星祭』、リドヴィアの使徒十字を使った学園都市攻略未遂など、

様々な出来事があったのだが、天草式の面々とは基本的に無関係であった為ここでは省略。

そして今、フルチューニングは天草式の少年香焼と立ち話をしていた。


「まだお茶っ葉は残っているのに、何でまた新しく買っちゃうんすか!」

「む!…店長が、これは最近仕入れたばかりの特別製だってお勧めしてくれたんです!」

「大して味なんて変わらないすよ!」

「そんなことありません。レイは香焼と違って舌が繊細なんです!」

「嘘だ!だって昨日レイが作ったエビチリ、ぶっちゃけまずい…」

「えい」


バリバリバリ!とすっかりお馴染みの音を立てて、フルチューニングの電流が香焼に直撃した。

346:

「だからそれ卑怯…ギャアアア!!!」


ぷしゅー、と空気が抜けたように倒れる香焼。

それでも怒りが収まらないフルチューニングだったが、約束の時間が近い事を思い出して意識を切り替える。


「もうこんな時間ですか。ちょっとレイはお出かけしてきます」

「え!?…ここ最近しょっちゅう出かけてない?」

「ふふん、年頃の女性には色々お付き合いというモノがあるのです」


そう言い残すと、フルチューニングはいそいそと外へ出て行った。


「…」


どことなく香焼がむくれていると、対馬がやってきて彼の頭をポンポン、と慰めるように叩いた。


「何落ち込んでるのよ…最近レイに構ってもらえなくて寂しいんだ?」

347:

珍しくニヤリとした笑みを浮かべる対馬に、香焼は必氏で反論する。


「違うすよ!別に寂しくないし!」

「ホント?」

「当然じゃないすか!」

「そっか、分かった。あのね、男がツンツンしても意味無いのよ?」

「全然分かって無いじゃん!」


顔を真っ赤にして怒鳴る香焼を見て、対馬は溜息をついた。


(こりゃー苦労しそうね)

(レイからの進展はまず期待できないし…)

(どっちもまだまだお子様っていうのが問題よね)

(まあ、レイをしっかりリードするなんて、期待できるとすれば…)


対馬がチラ、と後ろを見ると、ちょうど建宮がレイを探しに来たところだった。

348:

「あれー、またレイは外出中なのよな?」

「そうみたいね。…あなたもやっぱり心配?」


対馬が探るように質問すると、建宮はニヤリと笑った。


(お、余裕ね。ちゃんと信頼してるって事かしら?)


心の中で、対馬が珍しく建宮を高く評価をする。

そんな事を知る由もない建宮は、チチチと指を振って答えた。


「確かに危なっかしいところはあるが、それでもレイは馬鹿じゃないのよな」

「まあ、そうよね」

「大体、俺はレイが“いない”事を確かめに来たのよ」

「…へ?」

349:

「何せ、アイツは俺の秘蔵本(コレクション)を遠慮なく燃やしちまうからな」

「は?」

「鬼の居ぬ間になんとやら、今のうちに無事な本を隠さないといけないわけで…」


その言葉を聞き終える前に、対馬は教皇代理(今一番偉い人)の股間を蹴り上げた。

ぐおおおお!と悶絶する教皇代理(繰り返すが、今一番偉い人)。


(このバカに期待した私がバカだった!)

(っていうか、リードするどころかこいつが一番ガキじゃない!)


怒り気味に歩いて、対馬はその場を後にする。


今日も天草式は平和だった。

350:

9月25日(午後2時00分)、ロンドンのとある廃墟


日本人街からやや離れたこの廃墟が、フルチューニングにとっての教室である。

フルチューニングが時間通り到着すると、すでにシェリーがいつもみたいに不機嫌そうな顔で待っていた。

そのシェリーに、笑顔で頭を下げるフルチューニング。


「いつもありがとうございます師匠」

「毎回頭下げなくていいって言ったでしょう」

「でも…」

「それより、『課題』はキッチリこなしてきたんだろうな?」

「成功したのは一回だけでしたが」

「ふん、じゃあとりあえずここで試しにやってみろ」

「はい!」


元気良く返事したフルチューニングが取りだしたのは、シェリーからもらったオイルパステルだ。

351:

「まずは復習。――浮遊術」

「はい」


フルチューニングが、勢いよくオイルパステルで自分の靴に魔方陣を描く。

5秒ほどで完成した術式は、すぐにその効果を発揮する。

最初は少しふらつきながらも、フルチューニングは地上15センチのところで浮いたまま安定した。


「うん、良い感じね。後は構築スピードを上げる事。何千回と反復しなさい」

「はい!」

「じゃあ本番。――人形作りを始めな」


その言葉に、フルチューニングも緊張する。

この術式は極めて難易度が高く、成功した(ように思えた)のはたった一回だけだからだ。


(落ち着いて、今まで習った事を確認)


それでも、フルチューニングは臆することなくオイルパステルで魔方陣を生成する。

352:

(大事なのは、具体的なイメージの構成と力の流れ!)

(いけえ!)


「おいおい、まさか本当にゴーレムを!?」


誰よりもその難しさを知るシェリーが驚嘆する。


(ありえない…たった2週間程度学んだだけでゴーレムを作り上げるなんて、天才ってレベルじゃねえぞ!?)


慄くシェリーを無視して、フルチューニングは術式の完成を急ぐ。

術式の完成に3分ほどかかりながらも、フルチューニングは遂にゴーレムを出現させた!

言葉を失うシェリー。


「…なに、ソレ?」

「これがレイのゴーレムですが?」

「…」


フルチューニングの足元には、10センチほどの大きさで、一応2足。だが頭部が明らかにカエルっぽいモノがいた。

353:

(焦らせやがって…良く見りゃ基礎理論のカバラからしてガタガタじゃねえか)

(人間の複製どころか、これじゃ精々出来の悪いオモチャってとこね)

(まあ、それでも一定の成果が出たのは褒めてやるべきか…?)


安堵するシェリーに、フルチューニングは少しムッとして告げる。


「レイのゲコ太をバカにするのですか?」

「いやいや、まずはここまでやれりゃあ…ゲコ太?」

「はい」

「ゲコ太ってナニ?」

「? 愛らしいカエルのキャラクターですが」


そう言ってレイは、お茶屋の主人から貰ったストラップを取り出した。


「確かに、最初に師匠が見せてくれた『エリス』とは比べ物になりませんが…」

「こっちの方がかわいいですよ?」

354:

だが、シェリーはフルチューニングの話を聞いていなかった。

その取り出されたストラップと、ゴーレムを真剣に見比べている。


(…最初から、ゴーレムの造形はあのストラップを目指していた、ということ?)

(私が教えた術式は、あくまで人型を作るための術式)

(どう頑張ってもカエル顔になるわけがねえ)

(それなのに、自分の中のイメージをここまで具現化させるなんて!)

(これが、超能力者の持つ『自分だけの現実』ってやつなのかしら…)


フルチューニングの作ったゴーレムは、大きさも強度も大したことはない。

ましてや、シェリーの『エリス』のように天使をモチーフにすることで強化されている訳でもない。

戦闘力としては0と断言できるレベルだ。

それでも、シェリーはそのゴーレムに恐れを抱いた。

355:

魔術は学問だ。科学とは違うが、厳密なルールと法則が存在している。

あのゴーレムは、その法則を捻じ曲げなければ作り上げることは出来ない。


(そう、普通の魔術師には曲げる事の出来ないルールがある)

(…私は、あの術式であんなゴーレムは作れない)

(けど、レイは超能力者だ。“普通じゃない”)


そもそも、超能力というものは物理法則を捻じ曲げて超常現象を起こす力の事を言う。

だから。

もしも超能力者が魔術を使えるならば――その曲げられない魔術のルールを捻じ曲げる事も出来るのでは?

そこまで思い至って、シェリーはごくりと唾を飲み込んだ。


(あるいは)

(レイに魔術を使えるようにした誰かさんは…)

(それこそが目的だったのかもしれないな)

356:

シェリーがそこまで考えているとは知らないフルチューニングは、見つめられてもキョトンとしている。


「…やっぱり、全然ダメでしょうか…?」

「いやあ…」

「次は50センチ以上を目標に頑張りますから!」

「…そうだな」


ようやくほっとしたフルチューニングは、さらにシェリーに問いかけた。


「何か造形のコツがあれば、詳しく教えて欲しいのですが」

「…うーん…」


返答に悩んだシェリーは、結局こう答えた。


「とりあえず、レイの場合は…完成形を強くイメージするのが効果的だと思う」

「はい」

「ただ、なぜゴーレムが出来んのか、その理論体系もちゃんと頭の中に入れておけ」

「分かりました」

357:

その時、フルチューニングの携帯に着信が入る。

シェリーが無言で出ても良いと促すと、フルチューニングは頭を下げて通話を始めた。


「はい」

「…いつですか?」

「…分かりました」

「はい、では」


20秒足らずの会話を終えると、フルチューニングはもう一度頭を下げた。


「すいません、もう帰らないといけなくなりました」

「別に構わねえけど、何かあったのか?」

「明日、天草式のみんなでイタリアへ行く事になりました」

「イタリアに…何で?」


フルチューニングは、少し嬉しそうに笑った。


「オルソラさんの、お引越しのお手伝いです」

375:



9月27日(午前11時00分)、イタリアのキオッジア


キオッジアでは珍しく、うだるような暑さを感じるほど気温の高いその日。

天草式のメンバーは、元ローマ正教(現イギリス清教)の修道女オルソラの引越しの手伝いをしていた。

当然フルチューニングも、汗を流して部屋の片づけに参加している。


「オルソラさん、この台所用品はもう箱詰めしますか?」

「あ、それはまだ置きっぱなしで大丈夫でございますよ。後でお昼ご飯を作る必要もありますし」

「そうですか。ではこっちの衣類を纏めておきますね」

「あ、レイちゃん。それ埃がすごいから、おしぼり使って?」

「ありがとうございます。…ところで五和さんは幾つおしぼりを持っているんですか?」

376:

ただし、今この場で引っ越し作業をしているのはフルチューニングや五和を含む5人だけであった。

他のメンバーは、建宮と共にどこかへ出かけてしまっている。


(建宮さんは、『気になる事があるからちょっと調べてくるのよな』って言っていましたけど…)

(いつものふざけた感じで話していましたが、やけに目が真剣だったのが気になります)


少し不安げな顔をするフルチューニングだが、そこにオルソラがいつもの笑顔で話しかけてきた。


「あらあら、レイさんはちょっとお疲れですか?」

「違いますよー」

「では、一緒に買い出しに行きましょう」

「…この場合話は繋がっていると判断するべきでしょうか…?」

377:

マイペースなオルソラのおかげで、とりあえずフルチューニングは不安を一旦脇に置いておくことが出来た。

それにどうやら、オルソラは天草式のみんなに必要な日用品を買いに行くつもりらしい。

みんなに必要なものを聞いて回っている。


「分かりました、ご一緒します」

「さあさあ、外は良い天気でございますわよ」

「だから行くって言ってるのに、何でレイを引きずって行くのですか!?」


ズルズルと首根っこを掴まれながら、フルチューニングは買い物に出発した。

378:

必要なものを購入し、オルソラの家へ2人が向かおうとした時のこと。


「あれ?」


フルチューニングの視界に、見た事のある純白のシスターが映り込んできた。

しかも、何故かジェラート専門店のウィンドウに張り付いている。


「…オルソラさん、あの子はもしかして…?」

「まあ、イギリス清教のインデックスさんでしょうか」


フルチューニングの声かけで気づいたオルソラも、はんなりと驚いた様に声を上げた。

とりあえず、2人はインデックスに話しかけてみる事にした。


「あれ?オルソラ、久しぶりだね!」

「お久しぶりでございます、インデックスさん」

「ねえねえ、オルソラ。これが本場のイカスミジェラートかな!?」

「そんなことより」


話が進みそうになかったので、フルチューニングが強引に割って入った。

379:

「どうしてあなたがイタリアにいるのですか?」

「あれ?あなたは一緒にオルソラを助けてくれた…」

「レイです。で、何でイタリアに?」

「とうまと旅行に来たんだよ!」

「それは楽しそうでございますねえ」

「…で、その『とうま』は今どこですか?」


フルチューニングが呆れながら尋ねると、インデックスは顔を青くした。


「ああ!とうまが迷子になった!?」

「って言うか、あなたが勝手にはぐれたのでは?」

「違うもん!」


フルチューニングの辛辣な突っ込みに、インデックスが今度は顔を赤くした。


「どうしよう、とうまはイタリア語を喋れないんだよ!」


とりあえず、このままオルソラとインデックスを連れて人を探すのは遠慮したい。

380:

ついでに引越しの人手も足りないから、インデックスと上条当麻にも協力してもらおう。

そう考えたフルチューニングは、インデックスとオルソラを先に家に帰し、自分で上条当麻を探すことにした。


「…オルソラさん、インデックスさんを連れて先に家に帰っていてください」

「あら?」

「レイが上条さんを探して、一緒に帰りますから」

「でも、とうまはこれから観光とか食事をするって…」


少し渋るインデックスを、オルソラが魔法の言葉で説得する。


「私がこれからお昼を作りますので、ご一緒されるのはどうですか?」

「行く!」

「…極めて簡単に説得できましたね…とにかく、レイは付近を探してみます」

「分かりました、気を付けるのでございますよ?」

「…はい」


そっちこそ気を付けて欲しい、と口に出せないフルチューニングは、とりあえず返事をして走り出した。

381:

9月27日(午前11時30分)、キオッジアのとある大通り


フルチューニングが上条当麻を見つけた時、予想通り彼は弱りきった顔をしていた。


「…こんにちは、久しぶりですね」

「あああ、インデックスはいねーし、言葉は分からねーし、マジどうすればいいんだよ!」

「あの」

「ちっくしょう、この異国の地で天涯孤独になるなんて、なんて不幸なんだー!」

「話聞けよ」


バリバリバリ!とフルチューニングが電撃を放つ。

右手にスーツケースを持っていた上条は、何の防御も出来ずに直撃を食らった。


「オアアアアア!?」

「ようやく気付いてくれましたか…でも、何故能力の無効化をしなかったのでしょう…?」

382:

「な、なんでビリビリがイタリアに…って、あれ?」

「残念ですが、レイはオリジナルではありません」

「お前、確か天草式と一緒にいた妹達…」

「はい。名前はレイと言います。」

「レイ?」


何故か不思議そうな顔をする上条に、フルチューニングは堂々と説明した。


「妹達の試作型、検体番号00000号という最初の名前を元に、天草式のみんなが名付けてくれました」

「試作型…一番最初に作られたって事か?」

「はい」

「だって、その、妹達っていうのは、実験で殺される為に…」

「いいえ。妹達を作る最初の目的は、レベル5を人工的に作り出す事でした」

「試作型としてレイが作られた後、それが不可能と分かり実験は凍結。その後妹達はレベル6を作る実験に流用されたのです」

「そうか…で、なんでレイは天草式と一緒にいるんだ?」

383:

「実験が凍結され廃棄されたレイを、製造者が金策の為売り払おうとしたのです」

「なんだって!?」

「ところが、その取引現場にいた天草式のみなさんが、レイを助けてくれました」

「そしてここにいろ、と居場所を作ってくれたんです」

「そっか…良かった…」


ほっとする上条に、フルチューニングは冷たい目で糾弾した。


「それなのに、あなたは天草式のみんなのことを、『あんな連中』だの『凶人』だのと…」

「う!」

「しかもレイや建宮さんを、思いっきり殴ったりするなんて…」


すいませんでしたー、と上条が土下座ダイヴを披露。

やたらと土下座に慣れた様子を見て、フルチューニングは彼の日常生活が気になった。

384:

「もういいですよ」

「え?」

「あなたは、妹達をあの実験から救ってくれましたから」

「それでチャラにして上げます」


ポカンとしている上条に、レイは笑顔を向けた。


「それよりも、さっきインデックスさんを見かけましたが」

「ああ、そうだインデックス!」

「今は、オルソラさんと一緒に彼女の家へ向かっているところです」

「オルソラ?…オルソラはイギリス清教に入ったから、ロンドンにいるはずだぞ」

「オルソラさんは元々ここに住んでいて、まだ家財道具なんかが残っているんです」

「レイたち天草式は、その荷物をロンドンへ運ぶお手伝いに来ているんですよ」

「はー、なるほど。それでインデックスは…」

「たまたま買い出し中に、インデックスさんがジェラート専門店のウィンドウに張り付いているのを見つけました」

「あの馬鹿!」

「大丈夫ですよ。お昼を御馳走すると言ったら、喜んでオルソラさんに付いて行きましたから」

385:

「ちっとも大丈夫じゃねえー!何だよアイツ、俺を置いて食べ物の事ばかり!」


今日はこっちが噛み付いてやる!と怒る上条だが、レイはそれを無視して会話を続行。


「とりあえず、オルソラさんの家に案内します。あなたの分のお昼もオルソラさんが用意してくれますよ」

「でも、それは悪いよ。それに俺たちこれから観光もするし…」

「ぶっちゃけますと、引越しの人出が足りないんです。黙って付いてきてください」

「ひど!?それが本音かよ!」

「じゃあ、このままイタリアで孤独に彷徨うといいでしょう」

「ちくしょう、拒否権がねえ!」


ガックリと項垂れながら、上条はフルチューニングと一緒に歩き出した。


「あれ、レイはイタリア語喋れるの?」

「当然です。学習装置によって、主要20カ国の言語をマスターしています」

「何かそれズルイだろ!?」



イタリアを舞台にした陰謀劇は、賑やかな2人の預かり知らぬところで密かに進行していた。

399:

9月27日(午後3時00分)、オルソラのアパート


上条がオルソラのアパートに到着し、インデックスと合流してからおよそ3時間。

ジェラートを頬張るインデックスに脱力したり、何故か自分を見て怯える天草式に突っ込みを入れたり、

五和と呼ばれる少女からおしぼりを貰ったり、オルソラの作った絶品パスタに感動したり、

1品だけ美味しくないラザニアに顔をしかめたら、何故かフルチューニングから電撃を食らったり。

賑やかに過ごしながら、上条とインデックスも引越しの手伝いをしていた。


「なあ、なんでお前が怒ってるんだよ…?」

「別にレイは怒ってなどいませんが?」


嘘だよ、絶対キレてるよ!とは言いだせず、上条はピリピリしているフルチューニングと一緒に箱詰めをしている。

400:

お昼を食べ終えてからもう2時間以上もずっとこんな調子なので、そろそろ上条の心も折れそうだった。


「…まだレイは経験が浅いから…!」

「いつか必ず…」

「それともオリジナルのセンスの所為で…?」


フルチューニングが、まるで呪詛のようにブツブツと独り言をいっていると、埃まみれのインデックスが現れた。


「うあー。とうま、何だか修道服のあちこちが汚れてきたかも」

「あのな。引越しの作業をしてんだから少しぐらい汚れるのは当然だろうが」

「それはそうですが、確かにこの汚れはレイも気になりますね」


上条が、ようやく呪詛を終えたフルチューニングに目を向けると、確かに彼女は人一倍埃まみれだった。

フルチューニングはずっとイライラしていた為、わずかに電撃が漏れていたらしい。

その電撃がまるで静電気のように埃を吸い集めた結果、フルチューニングの全身に埃が集まっていたのだ。

401:

「まあまあ。では、お二人は先にシャワーを浴びるといいのでございますよ」

「…良いんですか?」


レイの問いかけに、オルソラは笑顔で頷いた。


「はい。まだ箱詰めされていないのは食器ぐらいですし、先にシャワーを済まされた方が時間を短縮できますでしょう?」

「じゃあ、そうさせてもらうんだよ!」

「ありがとうございます、オルソラさん」


そしてオルソラは、2人をシャワー室へ案内するため出て行った。


それから15分後。包装用新聞紙が足りなくなった上条は、新聞紙を探していた。

一応置き場所は聞いたのだが、オルソラに言われた場所は只の廊下で、その廊下には2つのドアが並んでいる。

どちらの部屋かオルソラに聞こうにも、彼女は今外にいるトラック運転手と打ち合わせ中だった。

402:

(しょうがない、片っぱしから入って見るか…)


上条が大して考えずに左のドアを開けようとすると、中からインデックスの気持ちよさそうな鼻歌が聞こえてきた。

しかもご丁寧に、水音…シャワーの音までセットで。


(うお!…これはお風呂場という名の罠か!)

(危うくボコボコにされるところだった…)


上条は慌てて手を離し、ホッとしながらもう一つのドアを開け放った。


「…何をしているのですか?」


その上条の眼前。溢れる湯気と共に、タオルすら纏っていないフルチューニングが無表情で立っていた。


「うぎゃああ!!え、あれ!?…こっちも風呂!?」

「…そう言えば、建宮さんが言っていました。あなたは夏の終わりに、女教皇の裸身も目撃していた、と」

「ひょっとして…そう言う趣味ですか?」

403:

淡々と質問するフルチューニング。何分羞恥心が薄いので、誰かさんのように慌てることも無く冷たい目で見つめてくる。


「ち、違う!俺はただ新聞紙を探しに来ただけで…!」

「新聞紙?…廊下の奥に纏めてありますが」

「マジか!…っていうか、シャワー室は隣じゃねえのかよ!?」

「ここは“2部屋共”シャワー室ですが?」

「そんなのありかよ!?どっちを選んでも地獄しかねえじゃねえか!」

「…あなたには、ノックをするという概念が無いのですか?」

「あ」


その言葉を最後に、上条はフルチューニングによって蹴り飛ばされた。

さらにタイミングの悪い事に、その直後。

ドライヤーに驚いて飛び出したインデックスと遭遇した上条は、いつも以上に噛み付かれることになった。

404:

9月27日(午後5時30分)、オルソラのアパート前


いつもどおりのお色気&暴力イベントが有ったものの、それ以外は順調に作業は進行した。

そして日が暮れた頃、ようやく引越し作業は終了となった。

荷物を積んだトラックが走り去るの確認したフルチューニングは、建宮に渡された通信術式でその報告をしている。


「こちらは無事に終わりましたよ」

『ご苦労さんなのよな。人手を送れずに悪かったなあ』

「それは構いませんが、一体建宮さんたちは何をしているんです?」

『あー…実はこの辺りで、不穏な魔術の動きがあってな』

「不穏な魔術?」

『そう、それも恐らくはローマ正教の術式と見て間違いない』

「まさか、オルソラさんを狙って?」

『“違う”。少しばかり連中を掻きまわしてみて分かったが…かなりの大規模魔術なのは間違いないのよな』

「?」

405:

『要するに、オルソラ嬢1人を狙う術式にしては、どう考えても釣り合わんのよ』

「詳しい事は分かりませんが、とりあえずオルソラさんは心配ないのでしょうか?」

『・・・多分、としか言えないが。とりあえずお前さんたちもこっちに合流してほしいのよな』

「分かりました、どこに行けば?」

『ああいや、今から30分後に迎えに行く。何せ今我らは海の中なのよな』

「海の中?」

『そう、お前さんに携帯ではなく通信術式で連絡を取らせたのもそれが理由だ』

「電波が届かないからですか…」

『そう言う事よな。天草式の上下艦で海の中に逃げ込んで、連中から隠れたってわけよ』

「また危ない事を…!」

『ちなみにこの上下艦っちゅーのは、引越しの時レイが間違って濡らして大慌てしたあの霊装なのよ』


そう言って、建宮がクスクスと笑った。

もちろんこれは、心配したフルチューニングの意識を逸らすための誤魔化しである。

だが、そうとは気づかないフルチューニングは顔を真っ赤にして怒った。

406:

「あ、あれは建宮さんたちがちゃんと説明してくれないから…!」


その時。

フルチューニングの耳に、インデックスの緊迫した声が届いた。


「みんな伏せて!」

「狙いを右へ(AATR)!!」


咄嗟にフルチューニングが振り返ると、オルソラが持っていた鞄が横に飛ばされるのが見えた。


「とうま、そこから離れて!!」

「狙撃!?オルソラ!!」


インデックスの声に反応し、上条がオルソラを押し倒して狙撃から守る。

その上条を、運河から伸びた手が海へ引きずり落とした。


(まさか、襲撃!?)


入れ替わるように這い上がってきた襲撃者に、フルチューニングが駆け寄った。

407:

襲撃者は小柄な男で、柄の短い槍をオルソラに突き刺そうとしている。


「させません!」

フルチューニングがそう叫ぶよりも早く、彼女の鋼糸が襲撃者の腕に絡みつく。

そして、強力な電流がその腕を完全にマヒさせた。


「オルソラさん、大丈夫でしたか?」

「は、はい。私はなんともございませんが…」


フルチューニングが襲撃者を拘束するのと同時、上条も海から上がってきた。

さらに狙撃手の方は、インデックスが対処したらしい。

ほっとするフルチューニングに、焦る建宮の声が届いた。


『レイ、何があった!?』

「…オルソラさんを狙った魔術師の攻撃がありました」

『なんだと…』

「しかも服装は、ローマ正教のものだと思います」

408:

『なんてこった…!』

「ですが、とりあえず全員の無力化に成功していますし…」


フルチューニングが言い終える前に。


「今すぐここで撤退の船を出せ!あの女は船の上で頃してやる!」


報告の途中で、狙撃手がイタリア語で怒鳴りながら海へ逃げようと走り出した。


「逃がしませんよ!」


そうはさせない、とフルチューニングが追いかけようとするが――

ドパァ!!という轟音と共に撒き散らされた海水が、その足を止める。


「なんですかコレは…!?」


驚愕するフルチューニングを威圧するように、運河に巨大な帆船が現れた。

409:

(目測で40m以上…この運河のどこにも、この大きさの船を隠せる場所は無かったはず。すると…)

(この常識外れな現象…タイミング的にも間違いない…)

(これが、建宮さんたちが気にしていた『魔術』ってことですか!)

(…!)


その時、フルチューニングがある事に気づく。

急いで鋼糸を近くの家の屋上へ結びつけると、その鋼糸に巻きついた自分ごと磁力で引き寄せた。


(鋼糸を利用した高速移動、何とかうまくいきましたね)


そしてその屋上から下を見つめて、フルチューニングはやっぱり、と呟いた。


(あの溢れた海水ごと、魔術船を構築しているのですね)

(今もあの場に留まっていれば、レイも船に攫われるところでした)


思わず座り込みそうになるフルチューニングに、掠れた建宮の声が聞こえてきた。

410:

『レイ…大丈…なのか…』

(術式の調子がおかしい見たいですね…この魔術の所為でしょうか?)

「建宮さん?」

『異常…術式を…感知…イは…で待機…』

「待機?」


思わずムッとするフルチューニング。

その彼女の目に、上条たち3人が船の上で降りられなくなっている様子が飛び込んできた。


「あれは…マズイですね、あの先にはヴィーゴ橋があります。きっと砕いて進む気です!」


フルチューニングは完全に沈黙した通信術式を投げ捨てると、鋼糸を操って船の後端に結ばせた。

そして先ほど屋上へ移動した時と同様に、自分ごと引き寄せて船へと移動する。


(また誰かを傷つけるつもりなのですか…ローマ正教は!)


その目に怒りを宿して、フルチューニングは事件の中心へ飛び込んだ。

この事件が、彼女に今までを遥かに超える絶望を与える事になるとは、微塵も知らないまま。

416:

9月27日(午後5時45分)、女王艦隊の一隻


フルチューニングが船に乗り移った直後、凄まじい破壊音と共にヴィーゴ橋が破壊された。

それでもこの船は、わずかに速度を落とす事も無く海へ向かって進んでいく。


「うわあ、とうまー!」

「きゃあああ!」

「っ危ない!」


その衝撃で外に吹き飛ばされそうになるインデックスとオルソラを、フルチューニングの鋼糸が絡めとる。

ギリギリ間に合ったことにホッとしながら、フルチューニングは2人を甲板へ降ろした。

417:

「ありがとうございます、レイさん」

「た、助かったんだよ…」


お礼を言う2人の後ろから、上条が咳き込みながら現れた。


「マジでありがとうな…にしても、この船は一体どこに向かう気だ?」


その問いに答えたのは、バタバタという複数の人間の足音だった。


「探せ。奴らはこの中に乗っているはずだ!」


それに続くように響く男の怒鳴り声を聞いて、フルチューニングは焦り出す。


「マズイですね。レイたちを捕まえようとして、大勢の人間が探し回ってます」

「くそ…こうも暗いと、飛び込む訳にはいかねえし…」


上条が周りを見回しながら、困ったように呟いた。

418:

(…建宮さんたちが来るまで、後15分以上…)

(幸い、この船はバカでかいですし…オルソラさんたちはどこかに隠れるべきでしょう)


そうフルチューニングが結論するよりも早く。

上条がインデックスとオルソラの手を引っ張って、走り出した。


「船の中に行くしかねえな。ここにいたら間違いなく見つかっちまう。隠れてチャンスを窺おう」

「では、ここでレイは別行動をとります」

「え?」


その言葉を聞いて、上条が思わず立ち止まる。

心配そうに見つめてくる3人に、フルチューニングはあえて明るく言った。


「流石に4人で行動すれば目立ちますから」

419:

「でもよ…」

「大丈夫です、レイには能力も鋼糸もあります」

「それに、議論している暇は無さそうですよ?」


徐々に近づいてくる敵の足音が、上条の迷いを断ち切らせた。


「分かった、うまく逃げろよ!」

「それはこちらのセリフです」


その言葉を最後に、フルチューニングは鋼糸を使った高速移動を開始する。




上条がこの判断を後悔するのは、それからしばらく後のことだった。

420:

9月27日(午後5時50分)、旗艦『アドリア海の女王』


フルチューニングが隠れながら情報収集を開始してわずか5分。

危険を冒して『アドリア海の女王』まで来たためか、あっという間に情報は集まった。


(まさかここで、アニェーゼ部隊の修道女たちが働かされていたなんて…)

(しかもここにいる連中の話を聞く限り、どうもアニェーゼさんは魔術の“検体”として使われるみたいです)

(脳を破壊され、ただ心臓を動かすだけの廃人にされる…)


その趣味の悪さに、フルチューニングが笑みを浮かべる。


(…良い勝負ですね)

(2万体のクローンを簡単に頃す『科学者』と、人を平気で廃人にする『魔術師』)

(本当にどっちも救われない!!)

(ですが、アニェーゼさんがその犠牲になるというのなら、レイはそれを助けなくてはいけません)

421:

そう決意するフルチューニングの背後で、パキパキという奇妙な音が聞こえてきた。

振り返って良く見てみると、アーチ状の氷の橋がこの旗艦と護衛艦を繋げたらしい。


「アニェーゼ…!?」

「あの時の能力者じゃないですか…まあ、天草式のあなたならオルソラと一緒に居てもちっともおかしくありませんがね」

「そんな事より!早くここから逃げないといけません!」

「…何だ、あなたは知っちまったんですか?『刻限のロザリオ』のことを」


平然と言い放つアニェーゼに、フルチューニングが詰め寄った。


「それが分かっているなら、どうしてここに来たんですか!」

「それが分かっているからですよ」


尚も表情を変えないアニェーゼ。

黙り込むフルチューニングに、追い打ちをかけるように説明する。

422:

「ついさっき、オルソラたちには頼み事をしましてね」

「頼み事?」

「脱獄して捕まった、シスター・ルチアとアンジェレネの救出ですよ」

「……」

「それをやりやすくするために、陽動しなくちゃならねえからここまで来たんです」

「そんな!…聞いた限り、あの術式は」

「廃人になる、ですか。十分承知ですよ、んなこたぁ」


アニェーゼが、何でも無いかのように語る。


「ですが、その術式に適合しているのは私だけなんでね」

「私が逃げたら、すぐにバレちまうんですよ。…だから私だけは、逃げる訳にはいかねえんです」


(自分が廃人になるのを覚悟で、陽動に…!?)

(どうしてそこまで…)


慄然とするフルチューニングの脳裏に、あの日対峙した記憶が蘇る。

423:

――「こちとら、その神様にテメェの想像出来ねえようなどん底から拾い上げてもらったんですよ!」

――「そのおかげで“こいつら”とも出会えたんです…」

――「その十字教を台無しにするような裏切り者を、逃がす訳にはいかねえって分かりませんかねぇ!?」


(そうか、この人にも…)

(何が何でも守りたい、大切な仲間が…)

(それが分かった以上…)


「アニェーゼさん」

「まだ何か?」

「“救われぬ者に救いの手を”…今、レイには戦う理由が出来ました」

「はぁ!?正気ですか!」

「もちろんです」

「以前私が、あなたたちに何をしたのか忘れちまったとでも?」

「今は関係ありません。前回助けたかったのはオルソラさんで、今回助けたいのはアニェーゼさんです」

「…そりゃー無理ってもんです」


「その通りだ、シスター・アニェーゼ」

「!?」

424:

突然。2人の会話に割って入るように、重たそうな法衣を着た男が姿を見せた。


「ビショップ・ビアージオ…!」


その姿を見て、アニェーゼが苦い声で呻く。

対し、フルチューニングは動揺を見せずに向き合った。


「あなたがここの責任者ですか」

「…ふん。報告は聞いている。忌々しい能力者め」

「しかも神を否定する身でありながら、魔術を扱う事が出来るらしいな?」

「レイ自身は神様を否定した事などありませんが?」

「何も分かっておらぬな。その存在自体が神への冒涜なのだよ」


いささかの揺らぎも見せずに答えるビアージオに、フルチューニングは溜息を洩らす。

425:

「どうしてこういう人種は話し合いが出来ないんでしょうかね」

「所詮猿に、我ら人の真似ごとは出来ないという事だな」


そして、ビアージオは首にかけていた十字架を取り出した。


「まあいい。何故君が魔術を使えるのかは、ゆっくりと調べさせてもらおう」

「!」


フルチューニングが反応するよりも早く。


「――十字架は悪性の拒絶を示す」


ゴッ!!と膨張した十字架が、フルチューニングの体に直撃し、一瞬でその意識を奪い取った。

426:

同時刻、女王艦隊の一隻


侵入者を迎撃するための氷の鎧。

それは船の一部がその形を変えた、極めて高い破壊能力を持つ番人だ。

その無敵の番人が、ここでは悉く沈黙している。

理由は1つ。その鎧にオイルパステルで描かれた魔法陣だった。


「くだらない」

「こうも簡単に“接続”を分断できるなんてな…」

「さて、と」


金髪で褐色の肌。着古したようなゴス口リドレスを纏う魔術師。

シェリー・クロムウェルは退屈そうに首をコキリと回した。


「あの馬鹿はどこかしらね?」

432:



9月27日(午後6時00分)、旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


フルチューニングが目を覚ましたその場所は、ひどく静かだった。

その静寂の中で、フルチューニングは仰向けに寝かされている。


(ここは…?)

(痛っ)

(硬いベッドの上でしょうか?)


状況を把握するため、起き上ろうとするフルチューニング。

だが、上体をわずかに浮かせたところで両腕に激痛が走る。


433:

(うああ!…レイの腕が…)

(いえ、腕だけでなく足も…!)


フルチューニングの四肢が、氷のベッドに半分以上埋まっていたからだ。

そこから無理やり抜こうとしても、たったの1ミリも動かす事は出来なかった。


(最悪ですね)

(レイは、あの男に捕まったって事ですか)

(…近くに鋼糸は見当たらないですし、電撃で破壊を…)


自分が感電する事も恐れず、フルチューニングは能力を使おうとする。

だが…


「発動しない!?」


何故か、一向に電撃は発生しなかった。

434:

思わぬ事態に混乱するフルチューニングに、男の笑い声が届く。


「無駄な事は止めたまえよ。その寝台は特殊でね、雷を無効化させる」


いつの間に部屋に入ってきたのか、ビアージオが嘲るように断言した。


「聞いても分からぬだろうが、教えてやろう」

「その寝台には、聖ニコラオスの伝承に則った術式が組み込んである」

「?」

「聖ニコラオスは、エルサレムへ行く途中で恐ろしい雷雨を鎮めてみせた」

「つまり神に逆らう雷は、この術式の前では全てその力を失うという訳だよ」

「そんな、レイの電撃は魔術ではないのに…!」

「“同じ事”だ、罪人」

「この術式が無効化するのは、『電気の流れ』そのものなのだから」

435:

その言葉に、フルチューニングは愕然とする。

つまり今、自分に武器は一つも無いという事ではないか。


(何という失態…!)


この場における優位性を自覚しているビアージオが、ゆっくりとフルチューニングに近づく。

そして一言の警告も無く、フルチューニングの右腕を叩き折った。


「あああああァ――――!?」


フルチューニングの二の腕が、それを見た人間に寒気を与えるほどグシャリと歪んだ。

その光景を見て、それでもビアージオは表情を一切変えることなく淡々と告げる。


「喚くな、耳障りだ」

436:

「グ…あああああ…」

「大体、貴様がこれから受ける苦しみは、この比では無いというのに」


その言葉と同時、数人の『職制者』と呼ばれるビアージオの部下が部屋に入ってきた。

彼ら職制者が、痛みに呻くフルチューニングを無視して魔術の準備に取り掛かる。


「頃しても構わん」

「この罪人が魔術を使える理由を、明らかにさえすればな」


そう言って立ち去ろうとするビアージオだが、小さな声がその足を止めた。


「それ、が…あなたの、やり方…ですか…!」

「違うな。少しは聖書から学べ」

「敵対する者を苛烈に裁くのは、我が主の御業だ」

437:

「いいえ…」

「なに?」

「これは、単に…あなたが、リョナ趣味に…走る、変態だと…言う事、です」

「…喚くな、と言ったはずだが?」


ビアージオが完全に無表情になり、首にかかっているネックレスを弄る。

するとフルチューニングを拘束していた寝台が、両足をさらに強く締め付けた。

その痛みでもはや言葉も発する事が出来ないフルチューニングから、コヒュー、と息だけが漏れる。

そして―――彼女の絶望はまだ終わらなかった。


『報告します。侵入者の乗っていた三七番艦を撃沈しました』


ビアージオの持つ十字架から、信じられないような報告の声が聞こえてくる。

438:

僅かな力を振り絞り、フルチューニングが問いかけた。


「ま、さか…?」

「ふん。君と一緒に入り込んだネズミ共は、全員船ごと海へ沈んだようだな」

「嘘…」


完全にフルチューニングへ興味を無くしたビアージオが、無慈悲に指示を飛ばす。


「念のため、砲撃はまだ続けろ」

『了解』

「全く、下らないな。…わたしはシスター・アニェーゼの所へ行く」


その言葉を残して、ビアージオは部屋を後にする。

部屋に残った職制者が、フルチューニングの知らない魔術儀式の準備を始めた。


「よし、使徒トマスの術式『聖痕の確認』を開始する」

「こいつの体を、バラバラに引き裂くぞ」


狂気の時間は、始まったばかりだった。

439:

同時刻、天草式の上下艦


海へ投げ出された修道女やオルソラ、ルチア、アンジェレネ、インデックス、そして上条当麻。

彼らを海中から拾い上げた天草式十字凄教の教皇代理、建宮斎字は全員が目を覚ますのを待っていた。

その隣では、五和が心配そうに看病をしている。

建宮が五和の肩をポン、と叩いた。


「落ち着け五和、もうすぐ目を覚ますだろうよ」

「はい…」


その言葉通り、インデックスと上条がゆっくりと目を開ける。


「た、建宮、斎字か?」


上条の声に、インデックスも頷いた。


「天草式の教皇代理さんなんだよ…」

「その通りだ。今は手前にイギリス清教所属ってつくけどよ」

440:

上条が安堵して、周りをキョロキョロと見まわした。


「そうか、天草式がオルソラの引越しの手伝いに来ていたっけか…」

「そうだ、オルソラ達は!?」

「海に落ちた人間は、一応全員拾っておいたのよ。身元が分かっているのはオルソラ、ルチア、アンジェレネ。他にローマ正教の修道女も」

「そうか、良かった」


ところが、その言葉を聞いてインデックスが声を上げた。


「…ねえ、レイは?」

「あれ?…そういや、レイはどこだよ?」


上条の何気ない質問に、天草式の全員がザワリ、と雰囲気を変える。

戸惑う上条に、建宮が詰め寄った。

441:

「どういう事だ?」

「へ?」

「レイは、イギリス清教との連絡役として、拠点で待機するよう伝えているのよな」

「何言ってんだ?レイは俺たちと一緒にあの船にいたんだけど…」


五和が驚いて大声を上げる。


「じゃあ、まさかレイちゃんは!?」


上条の答えに、顔を青ざめていた建宮が静かに呟いた。


「まさか、今もあの船の中にいるってことか…!?」


建宮がその事実を知った時、事態はすでに最悪の展開を迎えていた。

447:



9月27日(午後6時30分)、キオッジアのソット・マリーナ


海に落ちた全員が意識を取り戻したので、天草式は一旦上陸して夕食をとる事になった。

慌ててフルチューニングを助けに行こうとするみんなを、建宮が止めたからである。

それは上条にとって意外な事に思えた。この中で建宮こそが、一番彼女の身を心配しているように見受けられたからだ。


「なあ、本当にすぐ行かなくていいのかよ?」

「…」

「アイツが捕まったかどうか分からねーけど、一刻も早く行ってやった方が良いんじゃねーか?」

「今すぐ行っても無駄なのよ」

448:

上条の訴えを、建宮は一言で切り捨てた。


「我らがさんざんかき回した後なのよな。警戒態勢を解くために、時間を置かなくちゃならねえ」

「でもよ…」

「今行ったところで、ガッチリ待ち構えた敵さんに全員殺されるのがオチよな」

「そうなれば、誰がレイを助けられるのよ?」


沈黙する上条を、イタリアの海風が包む。まるでその熱を冷ましてくれるかのように。

449:

「それに、ああ見えてレイは優秀だ。…きっと大丈夫に決まっている」


そう言われて、上条は今度こそ言い返すのを止めた。

建宮の必氏な言葉に説得されたからではない。

そう告げる建宮が、思いつめた表情で拳を握っているのに気づいたからである。


(そうか、本当は…)

(建宮こそが、今すぐに助けに行ってやりたいんだ…)

(なのに、確実にアイツを助けるために、あんな顔をして耐えている)


上条は、その事に気づかなかった自分を責める。

その様子を見て、建宮が困ったようにヘラリと笑った。


「さあさあ、食事の準備も出来たし、食べながら打ち合わせをするのよな」

450:

建宮たちが、食事をしながら情報整理と作戦会議を始めた頃。

1つの人影が、こっそりとその場を抜け出した。

そして女王艦隊へ向かって走り出そうとして――


「どこへ行くのかしら?」


別の人影に、その動きを止められた。


「…邪魔をする気すか?」

「あなた1人が突っ込んで、何か解決出来るの?…香焼」


香焼と呼ばれた少年が、ギリ、と歯噛みして振り返る。


「お節介は要らないすよ、対馬先輩」

「…馬鹿ね、そのお節介が私たちの生き方じゃないの」

451:

女性らしく柔らかな仕草で、対馬が香焼の頭を撫でた。

その思わぬ反応に、香焼は動きをピタリと止める。

そして目を潤ませると、対馬にギュッとしがみ付いた。


「どうしよう…レイが、レイが…!」

「落ち着きなさい」

「けど、レイは今もあの船に!…きっと、捕まって…」

「教皇代理も言っていたでしょう。今行っても殺されるだけだわ」

「ヒック…そんな…でも、早く助けなきゃ…グス…」

「あの子を助けたいのは、みんな一緒よ」

「ううう…」


対馬が優しく説得するが、香焼は涙を拭うと怒りの表情を見せた。

452:

「だったら、何でもっと早く…!」

「だからそれは…」

「結局、教皇代理は臆病ってことじゃないすか!」

「…何ですって?」

「だから、レイをすぐに助けないんだ!」


香焼の言葉に、対馬は彼以上の怒りを露わにした。


「もう一回言ってみなさい!!」


対馬が、先ほどとは打って変わって荒々しく香焼を突き飛ばし、彼の顔に平手打ちを喰らわした。


「つ、しま先輩…」


ジンジンと痛む左頬を、香焼が呆然とさする。

453:

「香焼、あなたは教皇代理の顔をちゃんと見たの!?」

「え…」

「あんなに悔しそうな、辛そうな表情をしていたじゃない!」


そう叫ぶ対馬に、香焼が目を見開いた。

叫んで落ち着くことが出来たのか、静かに対馬が語る。


「助けたいから、すぐに危険へ飛び込む。それは確かに勇気がいるけど、ある意味楽な事なのよ」

「…っ」

「だって、自分の気持ちに正直に動くことほど、簡単な事は無いんだから」


そして対馬は、どこか遠くを見つめるように暗い空を見上げる。

454:

「ねえ香焼。どうして今みんなで策を練っていると思うの?」

「そ、れは…」

「今救出のために突撃したら、レイを助ける前に殺される。そうしたらレイも氏ぬの」

「!」

「教皇代理は、何が何でもレイを助けたいと思ってる」

「その為に歯を食いしばって耐えるあの人を、臆病呼ばわりなんて許さないわよ?」


それだけ言うと、対馬は自分の席へ戻って行った。

やがて香焼も、その後を追いかけるために走り出した。

455:

同時刻、旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


使徒トマスの術式『聖痕の確認』の開始から30分ほど立った今、フルチューニングは無言だった。

ただしそれは、彼女が無事だからではない。

今まで叫びすぎて、既に喉が潰れていたからであった。


「……!」

「次、お前は右腕を」

「了解した」


フルチューニングを囲む職制者が、淡々と“作業”を続ける。

その作業とは、自らの手を直接フルチューニングの体内に貫通させ、魔術の痕跡を探るというものだった。

今フルチューニングの右腕と、左の脇腹には彼らの腕が埋まってゴソゴソと蠢いている。

この貫通を可能にする、同化術式こそが『聖痕の確認』であった。

456:

フルチューニングが知らない事だが(知りたくもないだろうが)、

かつて使徒トマスがキリストの復活を信じるために、キリストの脇腹の傷口に自分の手を差し込んだという伝承を元にしている。

この術式で、フルチューニングは職制者の手が体内に入ってきても無事でいられる。

ただし、この術式は痛みは欠片も消さない。

体に異物が入るその激痛を、抵抗せずに受け入れるしかないフルチューニングは、すでに精神状態が危険な域に達していた。


「また有った。これだから科学は…」


そう吐き捨てて、職制者がフルチューニングの右腕から取り出した謎のパーツを引きちぎって取り出した。

レベル5を目指すため、天井亜雄が取り付けた能力強化用部品である。

職制者は『魔術師』であって『科学者』ではない。

その部品の意味を理解することも無く、ひたすらに見つけては引きちぎって取り出すのを繰り返す。

457:

(あ、るいは…)

(レイが…魔術を使える、理由なんて…)

(…本当は、どうでも…良いのかも、しれません)


また一つ、レイから無造作に部品が投げ捨てられる。


(…五和さん…香焼…対馬さん…上条当麻…師匠…)

(それに…)

(建宮さん…助けてください…会いたいです)


そう願うフルチューニングの耳に、幻聴が聞こえてきた。


――我らが女教皇から得た教えは?

――救われぬ者に救いの手を!!!


その幻聴に、フルチューニングは力無く微笑んだ。

思わず動きを止める職制者たち。


(そう言えば、元々レイは魔術結社に売られて、こうされる運命でしたね)

(あの時。天草式のみなさんに助けてもらった時は、どうして五和さんが怒るのか理解できませんでした)

(…その理由が分かる今になって、こんな状況になるなんて…これが皮肉というものでしょうか)


フルチューニングも、職制者も気づかなかった。

ちょうどまさに同じタイミングで、天草式が同じ言葉を大声で宣言している事を。

自分の足元で、ゴーレム・エリスの目が睨みつけるように職制者を見ている事も。

465:



9月27日(午後7時00分)、天草式の上下艦


建宮は、180センチもあるフランベルジェを片手で軽々と引っ提げて甲板に立っていた。

その見つめる先には、女王艦隊の大軍勢が君臨している。


(…ちくしょう…)

(レイが指示通り拠点に向かったか、あの時ちゃんと確認さえしていれば…)

(そんな当たり前の事も忘れちまうとは…この建宮斎字は何を府抜けてんのよ!?)

(全く、こんなんで教皇代理って言うんだから笑わせるのよな…)


そう自嘲する建宮の目は、恐ろしいほど剣呑に光っている。

466:

(もうこれ以上、ミスは許されねえ)

(待っていろ、レイ。今迎えに行くから)


全員の準備が出来た事を確認すると、建宮は紙束を海へ投げ込んだ。

水を吸った紙が、瞬く間に帆船になる。その数は50ほどだろうか。


「こっちも大艦隊かよ。これなら女王艦隊にだって、正面からぶつかれんじゃねえのか?」


呆れながら話す上条に、建宮は首を横に振った。


「それは買い被り過ぎってヤツよ。これは女王艦隊と違って軍艦じゃないからな」

「…そんなモンを用意してどうするんだ?」


建宮は不敵に笑って告げた。


「海で戦うのは軍艦だけじゃねえのよ」

「?」


こうして、天草式十字凄教が最も得意とする『海戦』が始まった。

かつて敵対したアニェーゼを、そして大切な仲間を助けるために。

467:

同時刻、旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


大量に用意した帆船を、女王艦隊に接近させ『火船』として自爆させる。

海中には、無人の上下艦を囮として配置しておく。

さらに『火船』の振りをした一隻に天草式の本隊が隠れて、一気に女王艦隊へ飛び移る。

天草式の用意した、大胆な囮作戦は成功した。


「何だ、この音は…?」

「敵襲か!?」


部屋の中まで響く戦闘音に、職制者たちが警戒をする。


(…?)

(な、にが…)


意識が朦朧としているフルチューニングも、その振動を感じ取った。

だが、すでに目を開ける事も出来ない彼女は、再び何も考えられなくなっていく。

468:

天草式の戦闘員は50人余。その中で、香焼は最も年齢の若いグループの1人だ。

日々の鍛錬をこなしているとはいえ、その戦闘力は建宮などに比べるとはるかに劣る。

だが、只一つ。

香焼は、天草式の中で自分が一番だというモノを持っていた。

それはスピードである。

小柄な体格に、武器は小さな短剣。

破壊力を犠牲にした結果、彼は誰よりも早く動く事ができる。

だからこそ、偶然とはいえ香焼は一番に到着出来たのかも知れない。

フルチューニングが捕まっている部屋に。


(ここにも魔術の痕跡…)

(もしかしたら、レイはここに?)


アニェーゼのいる隣の部屋と違い、防御術式の施されていない扉を強引に開ける。

469:

そこで香焼が見たものは、氷の寝台に拘束され、意識の無いフルチューニングだった。

しかもフルチューニングの周りには、彼女から摘出したらしき血塗れの物体が散乱している。


「て、メェ…!」


香焼の体全体が、感じた事の無い怒りで染まる。


「ここにまで侵入者が来たか」

「迎撃しろ、頃すのだ」


慌てもしない職制者に、我を忘れた香焼が襲いかかった。


「レイに何してるんすか!!!!!」


けれども、その刃は職制者まで届かない。

突如出現した2体の守護氷像が、その攻撃を阻んだからだ。

470:

「邪魔する気すか!?」


それでも香焼は短剣を振りまわすが、氷像を砕くにはあまりに非力だった。


「クソ…」


徐々に追い詰められ、ついに香焼は膝をつく。

それでも、燃えるような目で氷像を睨みつけた。


「異端者が…そこで氏ぬと良い!」


職制者の言葉に反応し、氷像が棍棒を香焼へ振り下ろす。


(ちくしょう、レイ…!)





「――心の底からつっまんねえモンをこの俺に見せんじゃねえのよ!!」


その棍棒が直撃する刹那。建宮の振るうフランベルジェが、棍棒を氷像の腕ごと粉砕した。

471:

「レイ!助けに来たぞ!」

「教皇代理…どうしてここにいるんすか…?」


敵の修道女部隊をこの旗艦から引き離すため、現在天草式の主力は護衛艦を移動しながら時間を稼いでいるはずである。

当然建宮も、主力の1人としてそうしているはずだった。


「対馬と五和に、とっととレイを助けろと背中を押されてな」

「あの2人が…」


建宮がその場からいなくなれば、当然五和たちの負担は激増する。

それでも、2人は笑って建宮を送り出した。

ならば。

その思いに応える事ができなければ、今度こそ教皇代理失格だ。


「…で、これは一体どういう事なのよ?」


仲間の後押しを受けた建宮が、低い声で職制者に問う。

472:

グッタリとしたフルチューニングから目を一時も離さず、建宮は脇に居たもう一体の氷像を破壊する。

一歩一歩職制者に近づく建宮の姿に、香焼は安堵と無力感を感じていた。


(やっぱり、まだまだ“遠い”って事すかね)

(…悔しいなあ)


だが、近づく建宮を見て、職制者たちはそれでも余裕だった。


「異端者に対し、『聖痕の確認』を執り行っただけだ」

「お前たちを排除した後、さらにコイツを詳しく調べる必要があるがな」


その嘲るような言葉に、建宮と香焼が顔色を変える。


「そんな事を、この俺が許すと本当に思うのか?」

「レイをこんな目にあわせて…絶対許さないからな!」

473:


立ちあがって短剣を握り締める香焼と、フランベルジェを構えた建宮。

その2人を見て、職制者たちは尚も慌てない。


「潰せ」


その号令に応じて、今度は10体以上の氷像が部屋に現れた。

しかもそのうちの一体は、剣をフルチューニングの頭の真上にかざしている。


「抵抗すれば、もちろんコイツの命は無い」

「素直に降伏し、神の審判を待て」


人質を取られ、天草式の2人は身動きが取れなくなった。

474:

揺らぐ意識の中、フルチューニングは確かに聞きたかった声を聞いた。


――レイ!助けに来たぞ!


(…建宮さんの声)

(レイを、助けに…?)


自分の目で姿を確認する事は出来ないが、確かに建宮の声だった。


(それに、香焼も一緒…)

(天草式のみんなが女王艦隊へ乗り込んできたのでしょうか…)

(アニェーゼさんは、まだ無事ですか…?)


助けに来てくれた事にホッとするフルチューニングだったが、そこへ恐ろしい宣告が聞こえてきた。

475:

(まさか、レイを人質に…!?)

(ダメですダメです、絶対ダメです!)

(建宮さんや香焼が、レイの所為で氏ぬなんて、絶対許される事ではありません!!)

(早く2人は逃げてください!)

(みんなに恩返しできないまま氏ぬのは嫌ですが、レイなんかの為に2人が氏ぬのはもっと嫌です!)


そう叫びたくなるフルチューニングだが、今の彼女は喉が潰れ声など出るはずもない。

どうにもならない状況に彼女が絶望したその時。


「――Intimus115(わが身の全ては亡き友のために)!」


この場にいる人間では、フルチューニングだけが知っている魔術師の声が響いた。

そして溶けた天井からこの部屋に降り立ったシェリーが、フルチューニングを狙う氷像へ稲妻のように魔法陣を書き込んだ。


「これで今からアンタはエリス。…さあ、存分に破壊しな!」

476:

ゴォォォン!と唸りをあげて、ゴーレム・エリスとなった氷像が周りの氷像を粉砕して回る。

その破片を吸収し同化して、あっという間に巨大な氷のゴーレムが誕生した。


「馬鹿な!?」

「何故守護氷像を操れる!?」


初めて動揺を見せる職制者に、シェリーは何でもないかの様に告げた。


「護衛艦の一隻に籠って、2時間も術式の分析をした結果よ」

「すでにこの魔法陣の刻まれた所は、その属性を『水』から『地』へと書き換えてあるのさ」


誰1人気づかなかったが、フルチューニングがいるこの部屋は、すでに“外側”からシェリーの魔法陣が刻まれていた。


「そして地は私の味方。しからば地に囲われし闇の底は我が領域」


歌うように告げるシェリーの目には、建宮たちに勝るとも劣らない怒りが宿っていた。


481:



旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


突如現れて状況を覆したシェリーに対し、建宮が静かに問いかける。


「お前さんは、一体…?」

「フン。あなたたちの女教皇と同じ、『必要悪の教会』所属の魔術師よ」

「…まあ、謹慎処分を食らってる私の顔は、知る訳もねえか」


建宮に答えたというよりも、むしろ独り言を洩らすかのようにシェリーが呟いた。


「…確かに『必要悪の教会』の魔術師を呼びはしたが、幾らなんでも来るのが早すぎるのよな」

「それに…イギリス清教の魔術師が、こうもハッキリとローマ正教と戦闘行為をするのはマズイはず」


警戒を解かず疑問を口にする建宮を、シェリーは鼻で笑った。

482:

「私がここにいるのは、依頼を受けたからじゃないのよ」

「?」

「言ったろ?私は謹慎処分を食らってるって」


シェリーの持つオイルパステルが、流れるように紋様を描く。


「――つまり私が暴れても、イギリス清教は全く関係ねえって事なんだよォ!!」


呆然とする職制者たちを、エリスの巨大な腕が文字通り叩き潰した。

壁の染みとなった彼らを一瞥もせず、シェリーは氷の寝台を眺めてチェックする。


(これは…聖ブラシウスの氷拘束術式の応用)

(聖ニコラオスの抗電術式、十字架の特性を利用した拷問術式…ちくしょうキリがねえぞ)


天草式の2人を無視しながら分析作業を続けるが、背中に刺さる視線に耐えられなくなったシェリーは、溜息と共に告げた。

483:

「そんなに私がいる理由が気になるのかよ…」

「私が戦う理由は、そこで捕まってる馬鹿にお説教するため。もういいわね?」

「じゃ、じゃあ…あなたはレイの事を知ってるって事すよね?」


おずおずと尋ねる香焼だが、シェリーはそれ以上詳しい事は喋らない。

やがてシェリーは舌打ちをすると、踵を返して部屋から出て行こうとする。


「どこへ行く気なのよ?」

「…レイを拘束しているこの寝台は、術式を全て解除するのにえらく時間がかかる」

「さっきの天井みたいに、魔法陣で溶かす事は出来ないすか?」

「無理ね。こいつは大量の術式を複合させた力技で、解除術式を迎撃してくるから」

「これが暗号による隠蔽術だって言うなら、私が解読してやるんだけどな」

「だから、こういう事に打ってつけの“専門家”を呼んでくる」


それだけ言い残すと、シェリーはエリスを連れて今度こそ部屋を後にした。

484:

旗艦『アドリア海の女王』船底のとある小道


その時インデックスは、自分を容赦なく狙う氷像や大砲から逃げ回っていた。

オルソラがアニェーゼの部屋へ入れるように、その場にあった防衛機能を引きつけたからである。

大量の敵に襲われながらも、『強制詠唱』を使う事でなんとかうまく立ち回っていたが…。


「こ、これ以上は厳しいかも…」


体力が限界に近くなり、足がもつれてくる。

その隙に自分を囲んだ氷像へ、インデックスが『強制詠唱』を唱えようとして――その必要は無くなった。


「全部ぶっ壊しちまいな、エリス」


恐ろしい速度で突進してきた氷のゴーレムが、周りの氷像へ体当たりしたからだ。

そして後ろにいたシェリーが、オイルパステルを一閃して“場”を整える。

砕いた氷像を吸収して、より巨大なゴーレムが誕生。

まるで産声をあげるかのように、おぞましい咆哮が辺りに轟いた。

485:

突然の出来事にポカンとするインデックス。

尤も、それも当然のことと言える。

かつて学園都市で自分を襲ったゴーレム使いが、何故かこの場に現れたからだ。


「…どうして、あなたがここにいるの?」

「説明は後。それよりもあなたの助けが必要だから、とっとと行って頂戴」

「え、え?」

「いいから。見りゃあ分かるからさ」


一方的に会話を切り上げると、シェリーは再びオイルパステルを振るう。

途端にゴーレムがインデックスを掴み上げ、フルチューニングのいる部屋へ進んでいった。

486:

(…もう、私が行く必要は無いな)


ほんの一瞬だけ、シェリーは不出来な弟子のいる方へ目を向けた。


(……)


それでも、彼女の歩みは止まらない。

以前インデックスを襲った時と全く逆の理由が、彼女の足を推し進めたからだ。

――すなわち、戦争を起こさせないこと。ただその一点のため。


「…しまった、先にオルソラがいる場所を聞いとくべきだったわね」


そう独り言を漏らして、かつて戦争の火種を求めた魔術師は船内を走り出した。

487:

旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


建宮たちがフルチューニングへ回復術式を施していると、ゴーレムに掴まれたインデックスがやってきた。

事態が把握できずインデックスは混乱していたが、部屋にいるフルチューニングを見て慌てて駆け寄る。


「酷い…!しっかりしてレイ!」

「そうか、あの魔術師はお前さんを呼びに行ったのか!」


その事に気付いた建宮が、インデックスに頭を下げる。


「頼む、この拘束術式を解除して欲しいのよ!」

「分かってる」


インデックスが、氷の寝台を睨みつけたまま頷いた。


「絶対に助けるから!」


微塵の迷いも無い断言。

建宮には、その言葉を聞いたフルチューニングが微かに笑みを浮かべたように見えた。

492:


旗艦『アドリア海の女王』最下層の部屋


未だ無事な姿のアニェーゼを見つけて、それでもオルソラは絶望を感じていた。

理由は1つ。その場に現れたビアージオが告げた、この計画の真の目的。

対ヴェネツィア用大規模攻撃術式『アドリア海の女王』。

アニェーゼを犠牲にして、その術式の照準制限を解除する。

その標的は、学園都市。――いや、科学サイドそのものだった。


「始めるぞ。喜べシスター・アニェーゼ」

「君は十字教の歴史上、最も多くの敵を葬った名誉を得る!」


狂気の笑い声が部屋に響き渡る。

493:

それでも。

すでにビアージオに叩きのめされ、満足に動けないはずのオルソラが立ちはだかった。

かつて自分を殺そうとした、アニェーゼを守るために。


「私は、そんなつまらない事を実現するために、アニェーゼさんが使い潰されるのが納得できないと言っているのでございます!」

「それによって多くの人が傷つくのが耐えられないのだという事が、何故信じられないのでございますか!!」


オルソラの放つ魂の叫びは、しかしビアージオには届かない。


「終わりだ、シスター・オルソラ」


迷いなき宣言と共に、ビアージオの十字架がオルソラを襲う。


「笑えシスター・アニェーゼ。君の夢が砕ける様を眺めて!」

494:

こんな自分を助けに来てくれた、オルソラが抵抗も出来ずに殺される。

ビアージオの嘲笑に、アニェーゼの意識が爆発した瞬間。

その場の全てを蔑むような冷笑が聞こえてきた。


「醜いわね。…“砕く”ってのはこうやるのよ」


巨大化して飛んでくる十字架を、壁から出現した腕がゴギュリ、と握り潰す。


「ふん、随分酷い格好してんじゃねーかオルソラ」

「シェリーさん…」


予想だにしない人物の登場に、オルソラもアニェーゼも呆然とする。

只1人ビアージオだけが、さして驚いた様子も無くシェリーを睨みつけた。

495:

「また邪魔者か、面倒臭い。わたしは面倒臭いのは大嫌いなんだ」

「だから…全員まとめて潰す事にしよう」


ゴーレム・エリスがビアージオを襲うよりも早く。


「――シモンは『神の子』の十字架を背負うッ!!」


その場にいた3人が床へ崩れ落ちた。

さらにゴーレム・エリスまでもが倒れ伏し、再び船と一体化して消滅していく。


「クソ…この術式は…!?」


オイルパステルを動かす事も出来ず、シェリーが悔しげに呻く。

オルソラやアニェーゼも同様に全く動けない。

496:

しかも諦めずに何とか起き上ろうとするアニェーゼの顎を、悠然と歩くビアージオが思い切り蹴り上げた。


「どこぞの魔術師が侵入している事ぐらい、最初からお見通しだよ」


今度はシェリーに近づいて、オイルパステルを握ったままの左手を踏み砕く。


「ガ、ア…テメェ…!」

「邪魔者は全て消す。己の無力さを知ると良い」


自らの勝利を疑わず、ひたすら殺戮という悲劇へ向けて進むビアージオ。

だが、その悲劇を破壊するヒーローが近づく足音に、彼は気づいていない。

497:

旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


インデックスが、フルチューニングを助けるための作業を始めて5分。

この部屋で再び異変が始まった。

先ほど戦ったのと全く同じ氷像が、続々と復活してきたのだ。

その氷像が狙うのは、作業中で動けないインデックス。

咄嗟に構えたフランベルジェで氷像を砕きながら、建宮は質問した。


「作業終了まで、あとどれぐらいかかるのよ!?」

「…後10分は欲しいかも」


冷たい汗を流しながら、インデックスはそう言った。

498:

その言葉を受けて、建宮と香焼は互いに目を合わせる。


「分かった。必ずここは守るから、お前さんは作業に集中してくれ」

「教皇代理だけに、良い格好はさせないすよ…!」


天草式の真骨頂はその支え合いだ。

仲間と戦う事で、その戦力を何倍にも引き出せる。

ましてや、戦う理由がフルチューニングという大切な仲間を救うためなら尚のこと。

何十体もの氷像に囲まれて、それでも2人は迷わずに突撃した。

499:

同時刻、窓の無いビル


いつもと同じく、闇に包まれたその空間。

『人間』アレイスターは、送られてくる情報を吟味していた。

情報の送り主は、意識の無いフルチューニング…の脳内チップである。

だが、アレイスターは『アドリア海の女王』による攻撃を警戒している訳ではない。

そんな事は“最初から”眼中にないかのように、別の事に集中している。


(ふむ、検体番号00000号の損害領域が87%を超えたか…)

(だが3時間以内に氏亡する可能性は、“たった”65%でしかない)

(学園都市への輸送時間を考慮しても…『彼』ならまず救命できる)

(まあ仮に氏んだところで、肉体を第三次製造計画(サードシーズン) へ流用してしまえばいい)


アレイスターの口元に、誰もその意味を窺い知ることが出来ない笑みが浮かぶ。


(それにしても、計画以上の働きだ)

(天草式十字凄教、予想を超えて役に立つ)

(あるいは、このまま検体番号00000号をプランへ組み込めるかもしれんな…)


常人には計り知れない思惑が、遠い異国のフルチューニングを狙っていた。

516:


旗艦『アドリア海の女王』最下層の部屋


シェリー・クロムウェルは、目を見張った。

絶対的に優位だったはずのビアージオが、一撃で倒されたからだ。

それをしたのは、かつて学園都市で自分を同じように殴り飛ばした少年。


「テメェが思ってるより、俺の右手は甘くなんかねえんだよ!!」


その右手に『幻想頃し』を持つ無能力者、上条当麻だった。

上条はオルソラとアニェーゼに声をかけた後、シェリーにも手を差し出した。


「…何してんのよ?」

「ありがとうな。お前が、オルソラたちを守ってくれたんだろ?」

「チッ!」


上条の手を振り払って、シェリーは1人で起き上がる。

517:

「相変わらず、気持ち悪い育ち方してるのね」

「ひでえ言い草だなオイ!」


ショックを受ける上条を無視して、シェリーは無事な右手でオイルパステルを握りしめた。


「…レイの所へ行く前に、こっちを片付けた方がいいのかしらね」

「え?」


シェリーの呟きに、上条がキョトンとした。

思わぬ2人の繋がりに驚いたからだ。

だが、そんな事はお構いなしにシェリーが話を続ける。


「とっととこの『アドリア海の女王』を破壊しちまった方が良い。放っておくのは目覚めが悪いでしょう?」

「ああ。アニェーゼを二度と利用させないために、完全に破壊しよう。でも、そうするにはどこを壊せばいい?」


上条の問いかけに、アニェーゼが静かに返答した。

518:

「私たちがいるこの部屋だけは、替えが利かねえそうです。現在の技術ではもう作れないそうなので」

「なら、この部屋を片っぱしからぶっ壊そう」


船を海水に戻して、後は天草式のみんなに引き上げてもらおうと考えた上条が、右手を構える。

オルソラが、アニェーゼ部隊250人のこれからを心配して独り言を漏らした。


「船から降りた後どうするか、それぞれご自分でお考えにならないと…」


その言葉が終わる前に、アニェーゼが崩れ落ちた。


「い、ぎ。がァァあああああああああアアアアアアアアアアアアア!!」


そして苦痛に満ちた表情で、絶叫する。

理由は1つ。

先ほど敗北したビアージオが、強引に『刻限のロザリオ』を発動させたからだった。

519:

その目的は、自爆。

自分1人が負けるぐらいなら、全てを巻き込んでやろう。

恐ろしくねじ曲がった執念が、ここにいる全ての人間に悲劇をもたらそうとしている。

そんなことを、許すわけにはいかない。

上条は迷うことなく叫んだ。


「オルソラ、アニェーゼを連れて先に甲板へ出ろ!」

「シェリーも、レイの所へ行きたいんだろ!? 早く行ってやってくれよ!」

「…本気かよ。あれか、左手潰れた私は戦力にならねえとか思ってんのか?」


右手でもゴーレム・エリスは作り出せる。

単純な事実として、この場において最も戦力となるのはシェリーだ。

その自分を頼ろうとしない上条に、シェリーが詰め寄ったが…


「違う!」


上条は力強く断言した。

520:

「一度命懸けで戦ってんだ、お前の強さは身に沁みてる」

「アイツは、俺1人で十分なんだよ!」

「…な、に?」

「まだ近くには、レイに天草式のみんな、修道女部隊の人間がいるんだ。そいつらを助けてやってくれ」

「それは…俺には出来ないことだから」


議論は、そこで終わった。

アニェーゼを抱えたオルソラと一緒に、シェリーもその部屋を後にする。


(どこまで馬鹿なヤツなんだよ…)

(…くそ、ちくしょう)

(あんな根拠のない戯言に、この私が乗せられちまうなんて…)

(いや、そういうのも私らしいのかもな)


シェリーは一瞬だけ笑うと、フルチューニングの待つ部屋へ向かった。

521:

同時刻、旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


全ての術式を無効化し、フルチューニングが寝台から解放された。

だが、それで全てが解決したわけではない。

幾らでも復活してくる氷像との戦いは、未だに終わっていないからだ。

フランベルジェを振りまわしながら、忌々しそうに建宮が言う。


「ようやくレイを取り出せたっていうのに、このまま釘づけにされたら意味が無いのよな!」

「倒しても倒してもキリが無いし、どうするんすか教皇代理!?」


建宮がチラリとフルチューニングに目を向けた。

すでに彼女の呼吸音は、ほとんど聞こえない。

得体の知れない方法で体から数十もの部品を奪われた彼女は、傍目から見ても危険な状態だと分かる。

522:

(クソ、こんな結末を認めてたまるかっていうのよ!)

(どうやってここを切り抜ける?)

(…助けを呼んで、助けが来るはずもない)

(当然よな…そもそも我らが助けに来たというのに、そこから助けを求めるようでは本末転倒だ)


氷像は砕いてもすぐに修復される。

だが、体力に限りのある建宮たちはどんどん消耗していく。

確実に敗北が待っている悪夢のような戦場。

その中で、建宮たちはあるはずのない助けが差し伸べられたのを感じ取った。


「…イの…間に、手を…な…!」


この場で戦うのは、どんな状況でも救いの手を差し伸べる天草式の人間。

その“3人目”が、動かせない体でズルリと立ち上がる。

すでに声が出ないはずのフルチューニングから、音無き叫びが放たれた。


「レイの仲間に、手を出すな!」

527:



旗艦『アドリア海の女王』船底のとある一室


唖然とするインデックスを庇うように、フルチューニングが前に出る。


(レイは、レイは、レイは……!)

(建宮さんたちを、助けたい!)


体中に走る痛みを無視して、フルチューニングがオイルパステルを構える。


「無茶だレイ、ちょっと待っていろ!」

「必ず助けて見せるから!」


建宮の懇願も、朦朧としているフルチューニングには届かない。

528:

そして。

これ以上は無いと思われた悲劇が、さらに続く。


(……、…)


フルチューニングが、近くにあった氷像へオイルパステルを走らせた。

だが、もはや意識のはっきりしないフルチューニングが、適切な魔法陣を描けるはずはない。


(レ…イ…う…あ…?)

(ああああアア…!?)

(――ふむ、土より出でる人の虚像、か)


それなのに、フルチューニングの魔法陣は極めて正確に氷像を支配した。

何故ならば、その魔法陣を描いたのは彼女ではなく――。


(幸い、既にこの“場”は魔術師シェリー・クロムウェルが属性を書き換えた異空間)

(検体番号00000号に残るわずかな魔力でも、接続を断ち切ることは可能だ)


脳内チップを使って彼女の体を操った、歴史上最大の魔術師。


(どうせ氏ぬかもしれない体なら、少しばかり“使って”将来の予測に役立てる事にしよう)


アレイスター・クロウリーその人だったからだ。

529:

途中見かけた人たちを、片っぱしから船の外へ放り出す。

シェリーがその作業をしながら、ようやくフルチューニングのいる部屋にたどり着いた時。

信じられない光景に彼女は絶句した。


(何だよ、これは!?)


氷の部屋の至る所に正確な魔法陣が浮かびあがり、氷像の動きが止まっていく。

満身創痍のはずのフルチューニングが、シェリー以上の正確さと速度でそれを行っていた。


「どういう事だ!?」

「俺が聞きたいのよ!」


シェリーの怒声に、建宮がそれ以上の大声で怒鳴り返した。


「今のレイは明らかに普通じゃないのよな! 一体何が…!?」

「…シェリーが教えたんじゃないの…?」


建宮の言葉を遮って、インデックスが静かにシェリーに尋ねる。

530:

「ここまで正確なカバラの魔法陣を描けるのは、私の知る限りあなたぐらいだもん」

「確かに術式だけなら教えたけど、この子がここまで出来るはずない!」

「でも…」

「ハッキリ言うが、この魔法陣は私以上の使い手が描いたとしか思えねえんだよ!」

「クソ!」


疑問が解決されない事に業を煮やした建宮が、フルチューニングを背後から抱きしめて動きを止めた。


「おい、しっかりしろレイ!」

「…みや、さん…?」

「レイ!?」


建宮の体に、完全に意識を失ったフルチューニングが倒れこむ。

531:

「教皇代理、今は早くここを逃げるべきすよ!」

「…ああ。全員でこの場を離れるぞ!」


とりあえず疑問を脇に置いた建宮が、フルチューニングを抱っこして走り出した。



その時遠く離れた学園都市で、魔法陣を描いた人物がどこか楽しそうな表情をしていた事を誰も知らないまま。


(わずか5分も操れないとはな…)

(最後の最後で、意識を取り戻されてしまった)

(ふふ…だが収穫は有ったし、良しとしよう)

(『科学』と『魔術』の融合…第三次製造計画(サードシーズン) に大きく利用できる)

532:

旗艦『アドリア海の女王』


「テメェらがまたアニェーゼを達を狙うってんなら、俺は何度でも歯向かってやる」


上条の一撃が、ビアージオの持つ十字架を粉砕した。

それと同時に、旗艦が音を立てて崩れていく。

甲板に出た建宮たちも、それを察知して慌てだした。


「術式が崩壊していく…?」


建宮の言葉に、シェリーが呆れたように吐き捨てた。


「あの気持ち悪い馬鹿が、『アドリア海の女王』の自爆を止める為に術式ごと破壊したみたいね」

「ま、まずいんだよ! このままだと船が海水に戻って沈んじゃうんだから!」

「んなこた分かってんだよ!」


わたわたと動くインデックスに、シェリーが怒鳴る。


「けどな、幾らなんでも只の海水を、人形として使役出来るはず無いでしょう!?」

「じゃあ、このまま沈むしかないのかも…」

533:

「心配しなくて良いのよな」


そう言い放つと同時に、建宮が和紙を海水にばら撒いた。

和紙はあっという間に木製の浮き輪となって、辺りに浮かぶ。


「それに捕まっていれば、溺れる事は無いのよ」

「わ、分かった!」


インデックスと香焼が、躊躇い無く海へ飛び込んだ。


「お前さんも早く行け。他の人間も、我ら天草式の仲間が救助を始めている」

「…分かった。“その馬鹿”を放すんじゃねーぞ?」


それだけ言い残すと、シェリーも船から身を躍らせた。

この場に残った建宮が、フルチューニングを抱える腕に力を込める。


(放す訳、ないのよ)

(…絶対にな!)


ドボンッ!

氷の船が崩壊する直前、最後の2人が脱出した。

534:

キオッジアの、とある沿岸


意識の無いフルチューニングを連れて、何とか建宮が陸地にたどり着いた。

背負っていた彼女を地面に降ろすと、急いで呼吸の確認をする。


(…クソ、止まってやがる!)


フルチューニングの呼吸は、完全に停止していた。


(氏なせてたまるか…お前さんを氏なせてたまるか!)


建宮は急いでフルチューニングの気道を確保すると、迷わず人工呼吸を始めた。


(悪く思うなよ、レイ)


幾度となくそれを繰り返す。

だがフルチューニングからは体温も感じられず、まるで本当に人形のようだった。

535:

「ゴフッ」

「!」

「ガバ…ッ!」

「レイ!」


ようやく呼吸が戻り、フルチューニングは海水を吐き出した。


「良かった、本当に良かったのよな!」

「…ごめん、なさ…い……ニ…ーゼさ…」

「大丈夫だ、さっき連絡を受けた。アニェーゼも他のみんなも、全員無事に引き上げた!」

「…良かった…」

「……です」


フルチューニングが最後に言った言葉は、誰にも聞こえないまま。

ゆっくりと彼女は意識を失った。

さらに、体力の限界に達していた建宮も。


(やばいな…俺の意識も持たないか…!)

(救援信号を…)


フルチューニングが蘇生したことで安堵した所為か、その意識が漆黒の闇に沈んでいった。

536:

「やれやれ、えらい事になったもんだにゃー」


こうして倒れ伏した2人へ、1人の魔術師が近づいてきた。

一見すると、能天気な足取りにしか見えない様子で。


「とりあえず面倒くさいことに、こっちのクローンは回収しないといけないんだぜい?」


「それとも、俺とやり合う気か?…シェリー・クロムウェル」

「回収してどうする気なのか、によるけどね」


近づいてきた魔術師――土御門元春に、ボロボロのシェリーがオイルパステルを向けた。


「そーんなマジな顔しないで欲しいにゃー」

「……」

「このクローンの体は、学園都市じゃないと助ける事は出来ないって分かるだろう?」

「……」

537:

それでも厳しい顔をするシェリーに、土御門はへらへらと笑った。


「安心するにゃー。“都合良く”1時間で学園都市に到着する飛行機がイタリアに来てる」

「こういう事にピッタリの凄腕の医者が待機してるから、こっちに任せて欲しいんだけどにゃー」


そう言うと、土御門はシェリーの返答を待たずにフルチューニングを担いで歩きだした。


「…ちくしょう…」

「ちくしょう!!!」


結局、そこで戦闘は起こることなく。

イタリアを舞台にした1つの戦いは幕を閉じた。

癒える事の無い、傷跡を残して。



これにて第3章終わり


とあるミサカと天草式十字凄教【後編】