544: 別人 ◆Q7pSHpMk.k 2010/10/04(月) 23:40:17.06

とあるミサカと天草式十字凄教【前編】

第7学区のとある病院 とある病室


その病室にベッドは存在しない。

代わりに、巨大な培養器が部屋の中央で稼働している。

その中で氏んだように眠るフルチューニングを、シェリーが無言で見つめていた。


「……」


やがて培養器の中のフルチューニングが、ゆっくりと目を開けた。


「やっと起きたか。この装置やら何やらは良く分からないけど、私の声は聞こえてるのよね?」

「…?」


自分の状況すら把握できないフルチューニングは混乱するが、とりあえずシェリーの声は聞こえるので頷いた。

その頷きを見てとると、シェリーはゆっくりと説明を始めた。

――フルチューニングの置かれた状況と、これからの事を。

545:

第7学区のとある病院 待合室


「ハッキリ言おう。もうあの子に能力を使わせてはいけないね」


カエル顔の医者の言葉に、建宮は呼吸すら出来なくなる。

あの時海辺で気絶した建宮は、シェリーと一緒にこの学園都市まで連れてこられていた。

そしてようやく意識を取り戻した時には、すでにフルチューニングが培養器で治療中だったのだ。

だから慌ててフルチューニングの容体を確認すると、突然こんな事を言われた。


「どういう意味…なのよな?」


建宮は混乱するばかりである。

だが、そんな建宮にカエル顔の医者は冷静に説明した。


「あの子が試作型クローンだと言うのはもう知っているね?」

「あ、ああ。…本人から聞いた」

「その製造目的は、人工的にレベル5と呼ばれる超能力者を作り出すことだ」

「……」

546:

「ところが、試作されたあの子は精々レベル3程度の能力しか持っていなかった」

「……」

「どうにか能力を強化しようとして、研究者はあの子に能力補佐用の部品をあちこちに取り付けたらしい」

「……クッ」

「その甲斐あって、あの子の能力はレベル4まで上昇…」

「が、あまりに不自然な強化は当然あの子の体をズタズタにした」

「……そんな、ことが…!」

「あの子には、検体番号00000号というナンバー以外にも、『フルチューニング』というコードネームが存在している」

「文字通り、『フルチューニング(限界まで改造)』されたという意味を持つ、悪趣味な名前がね」


カエル顔の医者の言葉に、建宮はギリギリと歯を食いしばる。

547:

「そんな綱渡りをしていたあの子から、強引に部品を奪ったらどうなるか予測が付くだろう?」

「…ギリギリ保っていたバランスを大きく崩し、機能停止するのは時間の問題だ」

「しかも、その製造者である科学者は行方不明だ」

「結論を言えば、これ以上能力を使うならあの子は後3日も生きられない」

「…!」

「このまま大人しく培養器で調整を続けるなら、半年は持たせられる」

「半年!?」


次々に語られる衝撃的な言葉に、遂に建宮はカエル顔の医者へ掴みかかった。


「レイの自由を奪っても、それでも半年後には氏ぬって言う事か!?」

「そうだ」

548:

「……レイ…」


建宮の全身から力が抜けて、その場にへなへなと座り込む。


「話は終わっていないよ。何のために僕ら医者がいると思っているんだい?」


その言葉に、建宮が思わず上を向いた。


「その半年以内に、必ず延命方法を見つけ出してみせる」

「あの子は僕の患者だ。見捨てはしない」


その言葉は希望と決意に満ちていた。


――あるいは。

このままフルチューニングが半年間調整を受けたのなら。

もしかしたら彼女は、カエル顔の医者の手で完璧に治療を施されて延命できたかもしれない。

だが、そうはならなかった。

549:

第7学区のとある病院 とある病室


建宮が受けた説明と全く同じ事を、フルチューニングはシェリーから説明された。


「…つまり、今後レイはみんなと一緒に過ごす事は出来ないのですか?」

「医者の話だと、大体半年はな。…当然魔術の使用も禁止って事になるわね」

「そうですか」

「…オイ、何で“笑って”るんだよ?」


シェリーが訝しげに疑問を口にする。

それに対し、フルチューニングは笑みを浮かべたまま答えた。


「初めて師匠に会った時にも言いましたが、レイは元々実験用のクローンです」

「そもそも存在しないはずのこの命を、惜しいと思った事は一度もありません」

「それなのに、たった半年我慢すればレイは生きてまだみんなの役に立てる」

「これほど嬉しい事はありません」

550:

その言葉に、シェリーは目を丸くした。

それから自分の頭をガシガシと掻きむしり…やがてフッと吹き出した。


「妙なところでポジティブだな、この馬鹿」

「ムッ…何故レイは馬鹿にされたのですか?」


あーあー、もう良い。とシェリーは手を振って一方的に話を終わらせた。


「とりあえず、私は英国へ戻る。いつまでも学園都市にはいられないしね」

「そうですか」

「また半年後に、魔術の講義はしてやるよ」

「よろしくお願いします…あ」


そこでフルチューニングは、ふと気付いたお願いを口にする。


「でも師匠の使う術式の、理論体系ぐらいは半年の間に覚えきりたいので、教本だけはください」

「意外なところでちゃっかりしてるのね」


かつてシェリーが使っていた、もうボロボロのカバラ魔術の理論書だけは部屋に置いて行ってもらう事にした。

551:

こうして、“2人”の魔術師は互いに分かれた。

シェリーが退室し完全に無音になった部屋で、フルチューニングは1人で笑う。

ただしその笑みは、今まで彼女が浮かべた笑みとは全く異なるものだった。


(…嘘と言うのは、思ったよりも簡単なのですね)

(ごめんなさい、師匠)

(レイの命を惜しいと思った事は、たったの一度もありません)

(…だからこそ、役立たずのまま半年も待つ事は我慢できそうにないんです)

(いざとなれば、いつでも戦えるようにしなければ…!)

(あのローマ正教が、これで引き下がるとは思えませんから)


その通りだった。

目まぐるしく進む事態は、フルチューニングを再び戦場へと駆り立てる。

この決意のわずか2日後、9月30日。

ローマ正教の最暗部『神の右席』の1人、前方のヴェントが学園都市へ侵入。

全面的な攻撃を開始することになる。

552:

9月29日、第7学区のとある病院 とある病室


その前方のヴェントが来襲する日の前日。

培養器で調整されながらも魔術理論を覚えていたフルチューニングに、珍しい人物がお見舞いにやってくる。

シェリー以外では建宮がお見舞いに来ただけであったので、フルチューニングは驚いた。


「あー、ようやく会えたねーってミサカはミサカは感動して走り寄ってみたり!」

「病院で走るンじゃねェよ、クソガキ」

「あなたたちは…!」


いや、そうでなくてもフルチューニングが絶句するのは仕方のない事かもしれない。

なぜなら、そこに現れた見舞客は――。


元気いっぱいに培養器に飛びついた打ち止めと、それを煩わしそうに注意する一方通行の2人だったからだ。

560:

第7学区のとある病院 とある病室


目の前で騒ぐ打ち止めに、フルチューニングはため息交じりに声をかけた。


「…初めまして、ですね」

「そうだねー!ってミサカはミサカは初めて会ったあなたに手を振ってみる!」

「……」


会話終了。

フルチューニングは打ち止めをマジマジと見つめなおした。


(あの時、教会で私に話しかけてきたのは間違いなくこの子でしょうが…)

561:

そもそも同じタイプのクローンが量産されたはずなのに、何故この子は他の『妹達』より幼いのだろう。

疑問を口にすると、一方通行が説明してくれた。

曰く、打ち止めは『妹達』の上位個体である。

研究者が反乱防止用に特別に造り、いざという時にはミサカネットワークを通じて他のクローン全てを掌握する事が出来る…らしい。

その生きたキーボードを管理しやすいように、あえて彼女は幼く未成熟な状態にされているとの事だった。


「つかよォ、このガキが行きたいって言うからこンなトコまで付いてきたが…お前は一体何なンだ?」

「…この子から聞いていないのですか?」

「聞いてねェンだ。はぐらかされたからな」


今度はフルチューニングが説明する番。

一方通行と打ち止めは、最後まで黙って耳を傾ける。

ただしフルチューニングは、天草式十字凄教を含む魔術関係の出来事については詳細を語らなかった。

説明するのが大変だし、多分理解してもらえないと思ったからだ。

562:

おまけにあの時フルチューニングと繋がったはずの打ち止めは、何故かすでに天草式の事だけは忘れている。


(まあ、それならそれで好都合なのですが…)

(記憶封鎖…何者かによって“調整”されたのでしょうかね?)

(この子に魔術の事を知られると、マズイ人間…)

(レイが魔術を使えるようにした張本人と、そいつが同一人物かもしれない…と言うのは、考えすぎでしょうか)


そうフルチューニングが考えていると、今まで黙っていた一方通行が話しかけてきた。


「『絶対能力進化計画』じゃなく、『量産型能力者計画』の試作型…ね」

「1万人もぶっ頃した俺が言うのもなンだがよォ、全くもって数奇な人生歩ンでンじゃねェかオイ」


自嘲気味に呟く一方通行。


「挙句天井に捨てられて、たまたま拾ってくれた善人の連中と一緒に暮らしてたら、外国の戦闘に巻き込まれて大怪我とはなァ」

「確かに結構壮絶かも…ってミサカはミサカはあなたに同意してみる!」

563:

ここにきてようやく、フルチューニングは最も重大な疑問に気が付いた。


殺される者と頃す者。

実験が中止になったとはいえ、何故標的と狩人が一緒にいるのだろうか?

この質問には、打ち止めがキラキラとした笑顔で答えてくれた。

打ち止めが興奮気味に、一方通行がウイルスから助けてくれた時の事を説明する。


(まさか一方通行が、命懸けであの子を救ってくれたなんて…!)

(しかもその所為で失った演算能力を失い、ミサカネットワークで補助しているとは)


何となく照れ臭いのか、一方通行は打ち止めに背を向けて関係無いかのように装っている。


(一方通行もまた、救われぬ者に救いの手を差し出した人間)

(打ち止めの保護者として、これ以上適切な人はいないのでしょう)


フルチューニングは“長女”として、この“末っ子”を任せられる人がいる事に嬉しくなった。

564:

(彼女はミサカネットワークの管理者として、狙われるかもしれませんしね)

(…ミサカネットワーク…)

(……ネットワーク?)


心残りも無くなり、喜んでいたフルチューニングの胸に一つの違和感が訪れた。

彼女はポツリと一方通行に問いかける。


「便利ですよね…ミサカネットワークは」

「…あン?」

「1万人の能力者を自由に管理し、学園都市第一位のあなたの演算能力すら補えるネットワーク」

(それに…恐らくはレイが魔術を使えるのも、そのネットワークのおかげ)

「しかもそのアンテナたる『妹達』は、世界中に拡散されました」

「何が言いてェンだ?」

「このネットワーク…あまりにも優秀すぎませんか?」

「なに…」

565:

「これでは、ミサカネットワークの構築を目的にして『妹達』が造られたと言われても、なんら不思議ではありません…!」

「おい少し落ち着けよ。そンな言い方だと、まるで…」

「はい。根拠も理屈も有りませんが」


フルチューニングが、培養器越しに一方通行の目をしっかりと見て言い放った。


「レイが造られた後凍結された『妹達』が、再び製造されたのは“一方通行をレベル6にする”為では無く…」

「世界中で繋がった『ミサカネットワーク』を手に入れる為かもしれねェって事か」

「そうです。馬鹿げた理論の飛躍だと言う事は承知していますが…」

「確かにあまりにも吹っ飛ンだ話だなァ」


そう言う一方通行の目は、言葉と裏腹にひどく真剣な色を帯びていた。


「打ち止めを、守ってください」

「え、え?ってミサカはミサカは軽く混乱中…」

「いずれにせよ、ネットワークを唯一管理出来るこの子は、これからも確実に狙われることになるはずです」

566:

その時、面会時間の終了を告げるチャイムが鳴り響いた。


「……チッ」


その音に軽く舌打ちをすると、一方通行は打ち止めを引っ掴んで歩き出す。

一方通行がこの部屋を出る直前、フルチューニングの耳に一言だけ声が届いた。


「言われるまでもねえンだよ」

「――このガキは、必ず守って見せる」


この言葉を最後に、一方通行は2度と這い上がれない闇の底へ落ちる事になる。

何故ならば。

フルチューニングの願いも空しく、翌日打ち止めは木原数多率いる『猟犬部隊』に狙われたからだ。

そして彼女を守るため、一方通行は氏闘を繰り広げ――深く傷つきながらも勝利する。

だがその代償は、あまりにも大きかった。

学園都市の暗部組織『グループ』の一員として、上層部の首輪に繋がれたのだ。

それでも一方通行は闇の象徴『グループ』で戦い続ける。

その胸に自らが抱いた決意を、必ず守るために。

576:


9月30日、第7学区のとある病院 とある病室


すっかり日が沈み、夕食の時間も終わった頃。

培養器の中で魔術理論を復習しているフルチューニングのもとに、『妹達』の1人、検体番号10032号が現れた。

通称『御坂妹』とも呼ばれる彼女は、少しばかり焦った雰囲気で唐突に告げた。


「緊急事態です。病院内で起きたテロ行為により火災が発生しました、とミサカは落ち着いて言います」

577:
「…え?」

「まだ煙が出ていますし、患者全員を避難させる事にしました、とミサカは報告を続けます」

「…レイが培養器から出ても良いのですか?」

「いいえ。あなたは培養器ごと病院車に収容されることになります」

「その輸送の為に来ました、とミサカは説明が面倒になったので有無を言わさず移動を開始します」


それだけ言うと、御坂妹はテキパキと培養器の連結を解除。

移動用の車輪を取り付けて、ベビーカーのようにフルチューニングを運び出した。


「ちくしょう、まだあのクソガキを捕まえていなかったのに…」

「ちょ、もう少し丁寧にレイを運んでください!…っていうか話を聞けよ!?」


578:

それからしばらく経って。

培養器を載せた病院車は、第七学区の立体駐車場で待機している。

事態が全く把握できないフルチューニングは、何も出来ない事を悔しく感じていた。


(一体何が起こったのでしょうか…?)

(まだ調整中の『妹達』を武装させているなんて、ただ事ではありません)

(…いざとなれば、強引に培養器から出なくては)


もちろん今のフルチューニングが培養器から出ても、戦力と呼べるほどの力は無い。

今の彼女は、能力を使えば氏ぬ可能性があるからだ。

しかもイタリアで監禁された際に、彼女は能力強化用の部品を多数失っている。

そんな状態で全力を出したところで、彼女の出力はレベル3を超える事は無い。

579:

(レイに残された武器は、師匠から教わった『ゴーレム術式』と鋼糸のみ)

(ですがゴーレムは完成に程遠く、鋼糸も以前ほど自由に扱えない)

(このボロボロの体では、格闘術を学ぶことすら儘ならない…なんてレイは無価値なんでしょう)


だが、誰かを救いたいのならそれでも前へ進むしかない。

フルチューニングが中から培養器を睨みつけていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。


「だから、“ミサカネットワーク接続用電極のバッテリー”が必要なんだって言ってるんだよ!?」

(あれは…インデックスの声…?)


それはつい最近イタリアで再会した、イギリス清教の腹ペコ修道女の声だった。

580:

インデックスの焦り交じりの訴えに、御坂妹が話を聞こうと近づいて――

瞬間。

その場でピシリと硬直した。

否、御坂妹だけではなくフルチューニング以外の全ての『妹達』が同時に動きを止めた。

理由は1つ。

打ち止めから送られた緊急コードが、脳の稼働領域の大半を奪い取ったからだ。

木原数多によって入力されたウイルスが、ミサカネットワークを通じて一気に拡大していく。


「しっかりしてください!」


もはや今の御坂妹には、フルチューニングの言葉に反応する余裕すらない。

そして、それだけでは終わらなかった。


(……ぐ、う!?)

(この感覚は…あの時の…!?)

581:

フルチューニングの脳内に埋め込まれたチップが、無慈悲にシステムを稼働させる。

次にフルチューニングが目を開けた時、すでに彼女は別人だった。



「――特別コード『エンジェル』の受信を確認」

「――虚数学区の展開を補助……正常に終了」

「――AIM拡散力場の“魔術的”誘導を開始」

「――『ヒューズ・カザキリ』の出現を確認」



世界と切り離された培養器の中。

誰も気づくことのないまま。

フルチューニングの頬に、一筋の涙が儚く流れてすぐ消えた。

582:

同時刻、窓の無いビル


全てを管理していたアレイスターは、ゆったりと微笑んだ。


(虚数学区・五行機関の展開に成功したか)

(出力の低下は避けられなかったが…うまい具合にアレが役に立ったな)

(――“能力者”は“魔術”を使えない)

(その概念を捻じ曲げたミサカネットワークは、“魔術とAIM拡散力場の相互干渉”を可能にする)

(科学と魔術の融合攻撃…能力者にも、魔術師にも効果的な『自爆誘導術式』が出来あがると言う訳だ)

(廃棄された試作型では、ここまでの強度を得られるとは思っていなかったが…)

(流石は『天草式十字凄教』に鍛えられた事はある)

(多角宗教融合型十字教天草式…“十字教でありながら、天使への攻撃を可能にする唯一の流派”)

(その魔術の流れを体で覚えたアレは、いずれは天使の加護を受けた魔術師でも無力化できるようになる)

(喜ばしいイレギュラーも有ったものだ)


この瞬間より、フルチューニングは正式にアレイスターのプランへ組み込まれることになった。

583:

――フルチューニングが意識を取り戻した時、事態は大きく進展していた。



588:


第7学区のとある病院 とある病室


フルチューニングが培養器の中で意識を取り戻した時、すでに2週間近くが経過していた。

その期間には、『前方のヴェント』及び『左方のテッラ』との戦い、学園都市の暗部の抗争など、

様々な出来事があったのだが、その間フルチューニングは意識を奪われていた為ここでは省略。

そして今、フルチューニングはお見舞いに来た天草式の少年香焼と話をしていた。


「…だからまあ、結局はあの上条さんがまた全部解決してくれたって事すよ」

「流石ですね…そのテッラという魔術師も相当強いはずですが」

「ま、実際にテッラと戦ったのは俺らの中じゃ五和だけだったんすけどね」

589:

ローマ正教の中でも、絶大な力を持つ『神の右席』との戦い。

フルチューニングが意識を取り戻した時、最初に建宮から聞かされたのはその事だった。


(レイが意識を失ったあの日、ローマ正教はヴェントという刺客を送ってきていた)

(その標的は、上条当麻及び右手の『幻想頃し』)

(結局ヴェントは上条当麻に敗れ、事なきを得た)


だがフルチューニングは、ヴェントを弱体化させた自爆誘導結界の要が自分と打ち止めである事は知らない。

尤もそれを知っているのは、世界でただ1人なのだから当然ではある。


(その後上条当麻は、世界を混乱させたテッラをフランスで撃破)

(しかも天草式のみんなもフランスに一緒に行っていた、とは)


培養器の中で、フルチューニングは自分の拳を強く握り締めた。

香焼はその事に気づかない様子で話を続ける。

590:

「そんな感じで過ごしてたらようやくレイが起きたって言うんで、みんなでお見舞いに来たんすよ」

「…良く分かりました、とにかく香焼も無事で本当に良かったです」

「へ…あ、え!?」

「…何ですか…?」

「いや、レイが素直にそういう事を言うと、ちょっと気持ち悪いっていうか…」

「ム!…レイが回復した時に、香焼には今日の分もまとめて電撃をお見舞いしてあげますから!」


「さあ、そろそろレイを休憩させてやらんといかないのよな」


久しぶりの口喧嘩が始まりそうになったその時、建宮が割り込んでそれを止めた。


「香焼は先に戻って食事の用意を手伝え。そろそろ対馬が怒ってるかもしれん」

「ゲ、そうだった…」


急いで病室を後にする香焼。

だが、最後に振り返ってフルチューニングに手を振った。


「じゃあ、また来るから…大人しくしてなきゃダメっすよ!」

「それぐらい分かっています…!」

591:

タタタ、と軽快な音で香焼が走り去り、フルチューニングは建宮と2人きりになる。

なんとなく互いに黙り、どこか心地よい静寂が満ちる。

その静けさを破ったのは、フルチューニングの方だった。


「…建宮さん」

「んー?」

「本当の理由を教えてください」

「……」

「どうして天草式の戦闘部隊50余名全員が、この学園都市に来ているのですか?」

「意外と忘れがちな事ですが、この学園都市は基本的に外部の人間が入る事は出来ません」


それなのにたかがお見舞いで全員が来るのはおかしい、とフルチューニングは問いだたした。

誤魔化しきれないと思ったのか、建宮はフー、と溜息をつく。


「やれやれ香焼のヤツめ、喋り過ぎなのよ。…その所為で予想は付いているんだろう?」

「はい。十中八九上条当麻に関係があると思います」

「レイは良く分かりませんが、ローマ正教にとって『神の右席』というのは最高戦力なのでしょう?」

「そのメンバーをすでに2人も倒している上条当麻を、このまま放っておくはずがありません」


レイがそう断言すると、建宮は深刻そうな顔で頷いた。

592:

「大当たりなのよな。我らは上条当麻の護衛に来た」

「それも…敵は『神の右席』の1人、『後方のアックア』と呼ばれる魔術師だ」

「…後方のアックア…何故その人物が来ると?」

「それがなあ、ご丁寧に奴さんは“上条当麻を頃しにいくぞ”と果たし状まで送りつけてきたのよ」

「果たし状…!」

「その為イギリス清教は、我ら天草式を派遣したという訳よな」


最悪の予想が的中した事に、フルチューニングは愕然とした。

今まで戦ったローマ正教の魔術師は、どれもレイに圧倒的な強さを見せつけてきた。

アニェーゼ部隊やビアージオは、まさに悪夢としか言いようのない傷をフルチューニングに与えている。

だが今度の敵は、それら魔術師の遥か上を行く。

――後方のアックア。

ローマ正教でもトップクラスの力を持つという魔術師相手に、天草式は勝てるのだろうか。

今まで共に過ごしてきたからこそ、フルチューニングは分かる。

建宮たちはどんな敵が相手でも絶対に逃げないし、諦めない。

……きっとその身が滅ぶまで。


(嫌だ…)

(またみんなが傷つく事になる)

(……ではどうするべき?)

593:

「あれ、まだお見舞いの人がいたようだね?」


唐突に第3者から声を掛けられる。

フルチューニングが思考を中断して病室の入り口を見ると、そこにカエル顔の医者が立っていた。


「ようやく意識を取り戻したみたいばかりだと言うのに、無理はしてないだろうね?」

「大丈夫です」

「じゃあ、お見舞い中に悪いんだけど検診を始めても良いかい?」

「構わないのよな、俺もそろそろ帰らないと…」

「ああ、そう言えば」


邪魔にならないように帰ろうとする建宮だが、医者がのんびりと告げた一言がその動きを止めた。


「昨日教えてもらったけれど、イタリアでこの子に心肺蘇生を施してくれたのは君だったそうだね?」

「…?」


首を傾げるフルチューニングに対し、建宮は言葉を詰まらせて呻いた。

ちなみに、リークしたのは土御門元春であるのは言うまでも無い。

594:

「いくら僕でも、氏んだ患者を蘇らせる事は出来ないからね」

「是非ともお礼を言いたいと思っていたんだよ」

「…スマン!」


何故か突然建宮はその場で土下座した。


「どうして建宮さんは土下座しているのですか?」

「本当だねえ、彼は海で溺れた君の事を人工呼吸して助けてくれたというのに」

「そんな事があったのですか…」


医者の説明を受けたフルチューニングに、建宮は頭を下げながら力説した。


「謝っても済まないのは承知だ…」

「だがな、俺が言っても慰めにならないだろうが…アレはノーカンなのよ!」

「は?」

「あれはあくまでも人命救助、だからレイは何も気にしなくても…」

「建宮さん、話の意味が分からないのですが」


焦って弁解めいた事を語る建宮に、フルチューニングが訝しげに質問する。


「何故命を助けてもらったレイが、まるで取り返しのつかない事をされたかのような扱いを受けるのですか?」

「というより何が“ノーカン”で何が“気にしなくても良い”のでしょう?」

595:

テスタメントは恋愛感情の入力はしていないし、おませなミサカネットワークとも繋がっていないから当然なのだが。

そこまで言われて、ようやく建宮はフルチューニングに“そっちの知識”があまりない事を知った。


(やばい、これは墓穴を掘ったことに…!?)

(考えてみれば、ファーストキスだのなんだのをレイが知ってるはずもないのよな…!)

(かと言って、ここで俺が説明するのも妙な話だし…)


「もういいですよ」


少し怒り気味のフルチューニングの声が聞こえたときには、すでに遅かった。


「後で五和や対馬さんに聞いてみます」

(ノー!?それだけはやーめーてー!)


当然心の中の絶叫は、フルチューニングに届く訳も無く。

結局建宮は、自分の口で全てを説明する事になった。

ちなみにカエル顔の医者は「検診は後回しで構わないからね」と言い残して姿を消している。

596:

「はあ…好きな人と最初に交わす口づけをファーストキスと言うのですか」

「ううう、氏にたいのよな…」

「で、何故建宮さんはレイとのそれをノーカンだと主張したのですか?」

「ええ!?」

「確かに救命措置としての人工呼吸と、口づけは意味合いが違うようではありますが」

「レイは建宮さんが好きですし、それがファーストキスでも全然構いませんよ?」

「ああ、いや、その…“好き”には色々な種類があるのよな」


何でこんなベタな少女漫画みたいな状況になっているんだ!?という心境を隠して、建宮は質問に答えなければならず。

それから30分ほど経ってようやく解放された建宮は、ぐったりと疲れ果てて病院を後にすることになった。



それから検診が始まっても、フルチューニングはモヤモヤと悩んでいた。


597:

(…“好き”の種類、ですか)

(美味しいお茶が好き)

(甘いお菓子が好き)

(優しい五和が好き)

(面倒見のいい対馬さんが好き)

(楽しい香焼が好き)

(そう言えば、五和は…)

(あの上条当麻が好き、とみんなに言われて大変な事になっていましたが…)

(五和のあの“好き”は、確かに他とは違う感じでした)

(…好き?)

(あれ?…建宮さんは、どうして好き?)

(あれ?)

(あれ?)


悩み事が増えたフルチューニングは、培養器の中で難しい顔をする。

だがそれも、再びカエル顔の医者が唐突に遮った。

598:

「じゃあ、これで検診は終了だ」

「…まだレイは退院できないのですか?」

「そりゃあまあ、1日2日なら何とかなるかもしれないけれど…正直止めた方がいいね?」

「お願いします、レイはどうしても外に行きたいのです!」

「何か大事な用事でもあるのかい?」


用事はある。

が、戦う為だと言えば絶対に退院の許可は下りないだろう。

それでも、何故だかフルチューニングはこれまで以上に焦りを感じていた。


(このままでは、天草式のみんなが殺されてしまうかもしれない)

(それだけは、認める訳にはいかない…!)

(あの建宮さんが氏ぬなんて、絶対に!)


僅かに変化したその感情の揺れに、フルチューニングは気がつかない。

それでも必氏に訴えるフルチューニングに、カエル顔の医者は渋々了承した。


「明日と明後日の2日間だけは、退院を許可しよう」

「ただし、その前にやっておく事があるね?」


そう言うと、カエル顔の医者は携帯で誰かに連絡を取り始めた。

それから10分後、呼び出しを受けて現れたのは…


「『妹達』に関する用事ってのは、一体なンだよ?」


学園都市最強の能力者、『一方通行』だった。

605:

第7学区のとある病院 とある病室


いら立ちを隠そうともせず、白い『最強』がカエル顔の医者を睨みつけた。


「なんだかんだ言っても来てくれる辺り、キミも相当甘いね?」

「うるせェよ。…こっちの事情は知ってンだろうが。手短に話せ」

「やれやれ、じゃあ単刀直入に言おう」


カエル顔の医者は一瞬だけフルチューニングを見ると、きっぱりと告げた。


「そこにいる試作型妹達……いや、レイの肉体を元の状態に戻す。その手助けをしてほしい」

「…なンだと?」

606:
カエル顔の医者はこう説明する。


「彼女の体は無理な改造でボロボロだった」

「それでも、これまでの調整で2日程度なら問題なく体は動かせるまでに回復させた」

「残る問題は脳だ」


カエル顔の医者が流れるように説明を続けた。


「彼女の脳は、得体のしれないノイズで極めて危険な状態になっている」

「万全を期す為に、キミの能力でそれを整えて欲しいんだ」

「…おい、いきなり無茶を言うンじゃねェよ」


黙って話を聞いていた一方通行が、思わず口をはさんだ。


「テメェは、俺が打ち止めから『ウイルスコード』を除去したっていう事実に期待しているみてェだが」

「……そう簡単にいく訳ねェンだよ」


だが、カエル顔の医者は自信ありげに答える。

607:

「安心すると良い、手伝ってくれるのはキミだけじゃないからね」

「あァ?」

「キミの演算能力をサポートしている1万人の『妹達』が、レイの為に協力してくれる」

「……」

「やり方はこうだ」

「まず『妹達』が、レイの正しい脳波パターンをキミの脳に直接教える」

「その情報を基に、キミが能力を使ってノイズを整えるという作戦だ」

「待て待て、そンな事したらコイツの記憶は全て吹っ飛ぶぞ」

「あのガキと違って、コイツは『量産型能力者計画』の試作型。ミサカネットワークに繋がって無いンだろうが!」

「記憶をネットワークに保管しないまま脳波を戻したら、2度と戻らねェンだぞ」


掴みかかりそうな勢いで否定する一方通行に、カエル顔の医者はやれやれと首を振った。


「大丈夫だ。何しろこの事例はウイルスコードとは違う」

「僕がお願いしたのは、確認されたノイズを“整える”ことであって除去する事じゃない」

(そう、レイの頭にチップがある以上、ノイズの完全な除去は不可能なのだから)

「ノイズが脳の活動を邪魔しない程度に抑え込むだけで良いんだ」

608:

わずか2日間の退院。

一方通行が依頼されたのは、その期間中フルチューニングが問題無く動けるための一時的な処置だった。


「…解せなェな」

「完全な治療を信条とするくせに、今回はえらく無様な妥協をしてンじゃねェかよ」


まるで咎めるような一方通行のセリフに、横からフルチューニングが弁明した。


「それは彼の責任ではありません。無理に退院を願ったレイの所為です」

「本来ならば後半年は調整が必要なはずなのに、今すぐ退院したいと我儘を言いました」


フルチューニングからの思わぬ言葉に、一方通行は彼女へと振りかえった。

その紅い目から一瞬も視線を外さず、フルチューニングは懇願する。


「お願いします、一方通行。レイに2日間だけ動ける時間を下さい」

「…チッ」


結局一方通行は、…本気でどうなっても知らねェぞ、と呟いて了承した。


609:

午後5時00分、第7学区のとある大通り


一方通行とフルチューニングは、日の沈みかけた道を並んで歩いていた。

一方通行が一緒に居るのは、“治療”を終えたフルチューニングに異常が無いか確認するためである。

そのフルチューニングは、笑みを浮かべて軽快に歩く。

杖をついた一方通行を置き去りにする勢いで。


「かなりイイ調子です。この感じなら走ることも出来ますよ」

「止めろバカ」

「ム…ただの冗談です」

「テメェらの冗談は、ちっとも冗談に聞こえねェのが難点だなァ」


何か心当たりでもあるのか、げんなりとした様子で一方通行が吐き捨てた。

やがて2人は、天草式が学園都市で滞在している場所の近くへ到着する。


「ここまでで結構です、本当にありがとうございました」

「……」

610:

「あの、一方通行?」

「1つ聞きてェンだが」

「はい?」

「…お前、氏ぬ気か?」


すでに人通りも無くなった小道で、2人の能力者は無言で向き合った。


「どういう意味ですか?」

「そのまンまだよ、ここまでして退院したのは氏ぬ為かって聞いてンだ」

「…いいえ」

「そうかァ、ならハッキリ教えてやる」

「テメェのノイズも、ミサカネットワークに接続出来ない理由も、全て原因は頭のチップだ」

「…チップ?」

「ああ、間違いねェ。脳波を弄った時に確認した」


この時になって初めて、フルチューニングは自分の頭にチップが埋め込まれている事を知った。

611:

(つまり、レイが他の『妹達』と異なっている理由はそのチップ…!?)

(オルソラ教会や培養器の中で、意識を失った理由も…)

(レイが能力者なのに魔術を使える理由も全て…!)


「本当に氏にたくないって言うンなら、病院に戻ってそのチップを取り除くべきだな」

「そ、れは…」

「そのチップが動けば、今度こそ脳がイカレルかもしれないンだぜ?」


一方通行の脅かすような言葉に、フルチューニングは黙りこくった。

とは言え、それは病院へ戻るか迷ったからではない。


(このチップが、レイを頃すかもしれない…それはどうでもいい事です)

(能力の低下したレイが天草式のみんなの役に立つには、このチップ…魔術が必要)

(ましてや、アックアという最強の魔術師相手ならば絶対に!)

(そもそも天草式のみんなを、建宮さんを助ける事が出来るのなら、この体がどうなろうと構わない)

(問題は、ただ1つ)


目の前に居る『最強』をどう誤魔化すか、と言う事に悩んだからだった。

612:

「…レイは、氏ぬつもりはありません」

「約束します」

「……」

「2日後までには、“必ず”あの病院へ戻りますから!」


その拙い説得に、一方通行はこう問い返した。


「…そこまでする理由はあンのか?」

「はい!…どうしても会いたい人たちがいます」

「どうしても助けたい人たちがいます」

「どうしても守りたい人たちがいます」

「…どうしても、失いたくない人がいます」


そこまで言って、フルチューニングはハッと気づく。


(これでは、レイが危ない事をしにいくと言ってるようなものでは…!)


恐る恐る相手の様子を窺うが、一方通行の表情は読み取れない。

そして一方通行は、そのままゆっくりと来た道を戻っていく。

だが去り際に、一方通行の言葉がフルチューニングへ届いた。


「…お前にも、自分の事を『1人の人間』として認めてくれた人間がいるンなら…」

「そいつのためにも、氏ぬ事は許されねェって事を胸に刻ンでおけ」


その言葉の残滓が残っているうちに。

かつて孤独だった『最強』は夜の闇へ姿を消した。

623:

第7学区、とある天草式の隠れ家


後方のアックアから、上条当麻を守れ。

天草式のメンバーは、その極めて難しい指示を果たすため現在打ち合わせをしている。

だがこの場に居る彼らの表情は、どことなくぼんやりとしたものだった。

その理由は1つ。

仲間になってわずかに2か月ほどの、とある少女を気にしているからだ。


「レイが戻るまで半年、か…やれやれ」

「…お見舞いには行けるけど、結構キツイわね」

624:

教皇代理建宮の呟きに、対馬が寂しげな笑みを浮かべて同意する。

天草式の誰もが、今ではすっかり家族の一員のように感じていた。

――極めて特殊な出会い方をしたあの少女の事を。


「アックアとの戦いに集中しよう。…こんな我らの姿を、レイに見せる訳にはいかないのよな」

「それは、分かるんすけど…」

「香焼、しっかりしなきゃ駄目です。レイちゃんに笑われちゃいますよ」


あの海戦以降、傍目に分かるほど落ち込んでいる香焼を五和が励ます。

その優しさで、香焼が立ち直るよりも早く。


「――では、期待通り笑ってあげます」


無表情を装いながらも、その声に隠しきれない喜びを含んで。

件の少女、フルチューニングがその場に現れた。

625:

突然姿を見せたフルチューニングに、建宮たちは当然驚いた。


「レイ! どうしてお前さんがここにいるのよ!?」

「そ、そうっすよ!入院はどうなったんすか!」


一体どこで覚えたのか、フォッフォッフォッフォッフォ…と手をチョキにして笑う(?)フルチューニングに、2人が詰め寄る。


「退院した訳じゃありません、これは一時帰宅です」

「一時帰宅? 認められたの?」


疑わしい、という目で見てくる対馬に、フルチューニングは帰宅許可証を差し出す。

それをゆっくりと確認すると、対馬はホッと安堵しながら頷いた。


「確かに、お医者さんの許可は貰ってる…」

「当然です」

「本当に良かったねレイちゃん。それで、どれぐらい外泊できるの?」

「ちょっと待ってね五和。…この書類を見ると、明後日までは大丈夫みたいよ」


対馬の答えにみんなが喜ぶ中で、1人だけ難しい顔をしている人物がいた。

626:

「レイ、まさか今回の作戦に参加するつもりじゃないだろうな?」

「!」


今この学園都市に天草式が滞在している理由を、誰よりも理解している建宮斎字である。


「分かっちゃいると思うが…重症のお前さんを、戦わせるつもりはないのよ」

「建宮さん…」

「レイ、これだけは“絶対”だ」

「言われなくても、当然レイは分かっています」


フルチューニングの思いがけない言葉に、建宮が沈黙した。


「そもそも能力が使えないレイでは、戦っても足手纏いになるだけです」

「ですが、せめて連絡役ぐらいはさせて下さい」


周りにいる仲間たちが、建宮の判断を無言で待つ。

10秒ほど黙考した後、建宮は特大の溜息をついた。


「絶対に能力は使うな。それだけは守ってほしいのよな」

「…はい!」


こうして、およそ2週間ぶりに天草式十字凄教は全員揃うことになった。

627:

翌日の夕方、第7学区のとある映画館近く


久しぶりに布団で眠ったり、五和たちとお喋りを楽しんだり。

フルチューニングが天草式とのコミュニケーションを楽しんだ日の夕方の事。


――ちなみに建宮は、対馬たちから「アックアのことをばらしたのはお前か!」ときつい折檻を受けた。


現在彼女は建宮の隣に立っていた。

その建宮は、物陰から護衛対象である上条当麻…ではなく五和を観察している。

学校帰りの上条当麻と、直接の護衛を担当する五和が話しているところだ。

その様子を見ている建宮は、いつかの引越しの時に発見した、双眼鏡まで持ち出していた。


「…つまらんのよ」

「何がですか?」


渋い顔をする建宮に、フルチューニングが理由を問い尋ねる。

628:

「五和のアピールの話よな」

「あぴいる?」

「わざわざ上条当麻にゼロ距離攻撃できるチャンスを与えてやったというのに…」

「?」

「あいつは自分の武器にも気づいていないと見えるのよ」

「五和さんの武器?『海軍用船上槍(フリウリスピア)』がどうかしましたか?」


見当違いの武器を思い浮かべるフルチューニングを無視して、香焼が続けて質問する。


「で、なんすか五和の武器って?」


その言葉を受けて、建宮はとあるものを取り出した。

やはりあの引越しの時に見つけたモノ…フリップボードである。

そして流れるようにマジックを走らせると、建宮は堂々と宣言した。


「――そう、それは『五和隠れ巨乳説』ッッッ!!」

629:

食いつきの良い男性陣に対し、教皇代理(今一番偉い人)が声高らかに自説を披露する。

対馬とフルチューニングは、そんな彼らをジト目で睨んだ。


「くだらないわね」

「…胸がそんなに大事なのですか…すると、オリジナルを素体にしたレイに可能性は…?」


そんな女性陣へ、容赦ない“口撃”が開始された。


「対馬先輩って、どっちつかずで需要が少なそうすよね」

「なっ!?」


香焼に続いて、貧乳好きの野母崎(既婚)がフルチューニングへそっと一言。


「あ、俺的にはレイぐらいのサイズが一番好みだよ」

「ううう…」


いろんな意味でショックを受ける2人に、建宮がすかさず助太刀(?)をした。

新たなフリップボードを取り出すと、再びマジックを走らせる。


「お前さんたちにはこれが分からんのよ」

「――『対馬・レイ脚線美説』!!」

630:

直後にその2人が、建宮の股間を蹴り上げて強制的に黙らせたのは言うまでも無い。


「で、結局五和の奥手をどうしたものか…」


諫早の言葉に反応したのは、涙目となった建宮だった。


「ふっ、心配はいらないのよな。ここに秘策を用意したってのよ」


そうして建宮がいそいそとバックから取り出したのは。


「あれ?…あの時のサッカーボールじゃないですか」

「その通りなのよレイ…フッフッフ」

「…何だか不安なのですが」

「このフィールドの狙撃手・建宮斎字がフリーキック大作戦を提案するのよな」


ちなみに。

このフリーキック大作戦が、フルチューニングにとって大きな出会いの切っ掛けになる事を、今は誰も知らなかった。

637:

第7学区のとある映画館近く


事態は流れるように進行した。

建宮は地面にサッカーボールを置くと、周りの男性陣と頷き合う。

そしてポカンとするフルチューニングの横合いから、軽く助走を付けてボールを蹴り上げた。

上手く横回転が掛かったボールは、ギュルギュルと音を立てて標的である上条当麻の頭部に直撃する。

当然、一撃を喰らった上条は正面に居た五和の胸に倒れ込む事になった。


「いえーい!」


見事に目的を達成した建宮は、牛深や香焼とハイタッチして喜びを分かち合う。

…喜びもつかの間、突如雷撃の槍が自分たちに降り注ぐまでは。

638:

御坂美琴は悩んでいた。

1週間ほど前、とある人物が『記憶喪失』である事を偶然知ってしまったからだ。

しかもその人物が、最近いろんな意味で気になっている上条当麻なのだからなおさらである。

それがいつからなのか、適切な治療を受けているのか、…自分との思い出の事はどうなっているのか。


(…“あいつ”に相談するっていう手もあるにはあるんだけど…)

(どうも最近おかしな行動が目立つし、何か私に隠し事をしているカンジがするのよねぇ)


御坂は、この類の問題で最も頼りになる能力者の顔を思い浮かべて、すぐに否定した。

――常盤台中学で女王として君臨している、精神系能力者としては史上最強の『心理掌握』。

元々ウマの合わない2人だったが、常盤台校舎の改築工事以後特にそれが顕著になった。

何しろ、今まではすれ違った時に挨拶ぐらいはしていたのに、最近は一言も話しかけてこなくなっている。


(あの時期の記憶って、ボンヤリしてる部分もあるし…まさか、私に能力を使った訳じゃないでしょうけど)

(とにかくあいつを信用できない以上、相談は止めておいた方が良さそうね)


だが、他に具体的な解決策をすぐに思いつく事など出来るはずも無く。

思わず御坂が重い溜息を吐いたその瞬間。


「……?」


何故か街中で、サッカーボールをセットしている一団が目に飛び込んできた。

639:

誰かが止める間もなく、その中心に居るクワガタみたいな髪色をした男が勢いよくフリーキック。

そのボールがバゴン!!と音を立てて上条当麻の側頭部に直撃し、彼は隣にいた少女へ倒れ込む。

いや、より正確に言えば…少女の胸の谷間へ顔を埋め込ませたというべきか。


(……)


さらに。

どことなく気持ちよさそうに気を失っている上条を、少女が心配そうに撫でている。

錯覚だとは思うが、まるで上条の頭を自分の胸に押しつけているように見えた。


(…………)


「いえーい!」


こんな事態の原因となったクワガタたちが、歓声を上げてハイタッチをする。

その楽しげな声が、只でさえ混乱中の御坂を爆発させた。


「人が色々抱えて困ってるってのに…変なモンを追加でゴロゴロ押し付けてんじゃないわよアンタらーっ!!」


御坂が、怒りのまま雷撃の槍を連続射出する。

そして――。

640:

突然降り注いだ雷撃の槍に、建宮たちは慌てて逃走を開始する。

彼らが機敏に反応出来たのは、フルチューニングを通じて発電能力を身近に知っていたからだった。

天草式はあっという間に人混みに紛れ込み、自分たちの存在を消してしまう。

だが、当のフルチューニング自身は驚きのあまり動けなくなっていた。


(どうしてオリジナルがここに!?)

(み、見つかるのはマズイです)


気持ちは焦るものの、フルチューニングの体は1歩たりとも逃げられない。

今にも噛み付きそうな表情を浮かべた御坂が、ついに目の前に来た。


「一体、どういう…つもり…で……?」

「あ、あの」

「…どういうこと?」

「えっと、その」

「…答えなさい。アンタも『妹達』なわけ?」


中学生という容姿からは、想像も出来ないほど厳しい詰問。

これが、オリジナルとの最初の会話だった。

641:

「…『量産型能力者計画』の試作型?」

「はい。実験が失敗し不要になったレイは、研究者によって売却されるところでした」

「全く…人のDNAマップを騙し取ったくせに、ホント研究者は碌な事をしないわね!」

「ですが引き渡し直後に、レイは助けてもらいました」

「さっき一緒に居たアイツらが、助けてくれたって事?」

「はい。今は彼らと一緒にイギリスで生活しています」

「じゃあ、何で今アンタは学園都市にいるのよ?」

「身体管理の為、学園都市の病院による検査を受けに来ました」


真実ではないが、全くの嘘でもない。

そのあまりに滑らかな回答を、御坂は疑いもしなかった。


「ああ、なるほどね」


納得したように頷く御坂が、重要な点に気が付いた。

642:

「そう言えば私のクローンのはずなのに、どうしてアンタ…レイだっけ?…は私より成長している訳?」

「身体年齢を上げることで、計画の目的であるレベル5へ近づけると判断されたからです」

「…けど、レベル5には届かなかった」

「はい。他にも様々な調整を施されましたが…オリジナルの言う通り、レイは頑張ってもレベル4が精々、と言ったトコロでしょうか」

「……」


何でもない事であるかのように、フルチューニングが淡々と答えた。

それに引き換え御坂の方は、まるで物理的な重さがある言葉を投げつけられたかのように苦しげな顔をする。

一方通行に虐殺される為の『妹達』だけではない。

自分が生み出してしまったクローンが他にも存在するという事実は、御坂に衝撃を与えていた。


「もしかして、レイの事を気にしているのですか?」

「当然でしょ…」


さっきまでとは違い、弱々しい声で御坂が肯定した。

他の『妹達』を相手にする時のような、軽口交じりの雰囲気はどこにもない。

むしろ、あの非道な実験を初めて知ったころに逆戻りしたかのようだった。

643:

「私が騙されなければ、こんな計画は存在しなかった!」

「だから、私はいくら恨まれても……!」

「いいえ、それは違います」


御坂の言葉を遮り、フルチューニングがきっぱりと断言した。


「…え?」

「あなたのおかげで、レイはこうして存在しています」

「しかも、こんなレイを気遣ってくれる仲間まで出来ました」

「建宮さんたちと出会えた事に、レイはとっても感謝しています」

「……」

「その全ては、あなたがいてくれたからこそなんです」


そう言って、フルチューニングは御坂の手を握りしめた。

その感触が御坂の悪夢を打ち消していく。


「正直な話、レイはあなたと会うつもりはありませんでした」

「……」

「あなたの重荷になりたくは無かったからです」

「ですが…今日こうしてあなたにお礼が言えた事は、勝手ながら嬉しく思っています」


その言葉を受けて、御坂はようやくフルチューニングの手を握り返した。

644:

「あ、ははは…まさか私の方が励まされるなんて、思ってなかったわ…」

「私こそ、ありがとう。レイのおかげで、少しは自分を許せそうよ」


ようやく安堵した御坂が、ふと辺りをキョロキョロと見回す。


「っていうか、あの馬鹿どこ行ったのよ!?」

「?」


2人が話をしている間に、上条と五和はすでにその場を後にしていた。


「しょうがないわね…一旦寮に戻ろうかしら」


その時、悔しげに呟いた御坂のはるか後方で。


「お姉さまー!」

「!!」


今一番会ってはいけない後輩が、自分を探す声が聞こえてきた。


「ヤバイ黒子だわ!」

「クロコ?」

「ルームメイトの後輩よ!あんたが見つかったら面倒なことになるわ!…どっかに隠れて!」

「わ、分かりました」

645:

フルチューニングは、急いで映画館の中に逃げ込んだ。

扉の向こうから、賑やかな声が聞こえてくる。


「お姉さまー!こんなところにお出ででしたのねー!」

「だー!ひっつくな!」

「…はて…変ですわね…やけにお姉さまの気配が強いですわ」

「は?」

「まるでお姉さまが2人いらっしゃったかのような…」

「ば、馬鹿なこと言ってないで帰るわよ!」


その後何かをズルズルと引きずるような音がして、ようやく周りが静かになった。


(レイの気配まで感じとるとは、只者ではなさそうですね…)


後輩のクロコという人物には警戒しなければいけない、とフルチューニングが冷や汗を流す。

しばらくここで時間を潰そう、とフルチューニングが映画館の奥へ入ろうとして。


「…は、初めまして」


何故か自分以上に冷や汗を流している、巨大な日本刀を持った女性と目があった。


「神裂火織…と申します」

「えっと、レイと言います…ひょっとしてあなたは…?」


こっそりと映画館の中から天草式の様子を窺っていた元女教皇。

世界に20人といない本物の『聖人』神裂火織と、科学の申し子フルチューニングが初めて言葉を交わした瞬間だった。

651:


第7学区のとある映画館


神裂と名乗った女性(少女…?)は、極めて特徴的な格好をしていた。

大きな胸を強調したTシャツに、片方の裾を根元までぶった切ったジーンズ。

おまけに腰のベルトには巨大な刀を携えている。

だがそれ以上にフルチューニングが驚いたのは、その格好にどこか天草式の“匂い”を感じた事だ。


(それに加えてこの気配は…オルソラ教会で感じた…)

「…ひょっとしてあなたは、建宮さんたちが言っていた天草式の女教皇さんですか?」


フルチューニングの躊躇ない質問に、神裂は一瞬たじろぐ。

それでも動揺を完璧に隠すと、やがて寂しげな笑顔で肯定した。


「正確に言えば……“元”女教皇です。今の私は、天草式の人間ではありません」

652:

「確か…今の所属は『ねせさりうす』だって五和さんから聞きました」

「ええ、その通りですよ。だから私は…」

「その“天草式と関係ない”神裂さんは、一体どうして学園都市にいるのですか?」


基本的に無表情のフルチューニングが、今は憤りの色を浮かべている。

その思わぬ鋭い切り返しに、今度こそ神裂は動揺を露わにした。


「…それは…」

「建宮さんから、あなたが天草式を離れた理由を聞きました」

「なのに何故、今さら!」


フルチューニングは、鮮明に覚えている。

かつてパラレルスウィーツパークで建宮が語った、天草式の苦い思い出を。


――自分たちの未熟さ、弱さ。それこそが女教皇を苦しめた、と自分たちを責めた。

――故に彼らは決意した。

――誰も傷つかず、誰も悲しまず、誰かの笑顔の為に戦い、その幸せを守るために迷わず全員が立ちあがれる居場所。

――自分たちの女教皇が戻るに相応しい、そんな居場所を必ず取り戻して見せると。

653:

「建宮は教えたのですか…」

「かつて私の力が足りなかったが故に、天草式の仲間を傷つけ、失わせてしまった事を」


その悔いるような言い方が、フルチューニングの心をより一層苛立たせた。


「……レイは、天草式十字凄教の一員です」

「?…ええ、聞いています」

「では、そのレイが今あなたに“ムカついてる”事は気づいていますか?」

「もちろん、それは当然でしょう」

「……」

「私の所為で、かつて天草式は傷ついたのです。あなたが怒るのも――」

「分かってませんね」


神裂の言葉を、フルチューニングが遮った。


「過去の天草式について、レイが何か言えるはずもありません」

「レイがムカついているのはもっとシンプルな理由です」

「?」

「建宮さんがこの事を話してくれた時、とても悔しそうな表情をしていました」

654:

「自分たちが弱いから、あなたを苦しめたと」

「自分たちが未熟だから、あなたの居場所を奪ったと」

「……そ、んな」

「それでも…いずれあなたを再び迎え入れる為に、みんなは戦っています」

「あなたに相応しい場所である為に!…レイを救い、オルソラを助け、アニェーゼを守りました!」

「そのみんなを、あなたは侮辱したんです!」


――私の力が足りなかった

――私の所為で、かつて天草式は傷ついた


この元女教皇は、一体何様なのだろう。

天草式を離れたのは、全て自分が彼らを守れなかったから。


(つまり簡単に言えば、天草式のみんなは弱くて危ないから付いてくるなという意味では無いですか!)

(一生懸命にあなたを迎えようとしているみんなの努力を、ちっとも期待してないという事ですか!)

655:

フルチューニングの怒声に、神裂は困惑して宥めようとした。


「私は、決して彼らを侮辱など…」

「もう結構です!」

「無関係のあなたがここにいるのは、天草式のみんなを信頼していないからですね」


神裂は答えなかった。


「私はもう…これ以上仲間を失いたくはありません」

「…今度の敵であるアックアは、ローマ正教が誇る最強の魔術師で、しかも聖人です」


だが、それこそが何よりもハッキリとした答えになる。


「そうですか」


たった一言だけそう言い残すと、フルチューニングは映画館を飛び出した。

656:

通りを歩きながら、フルチューニングは自己嫌悪に陥っていた。


(…あの人が女教皇…)

(圧倒的な力を持つ聖人…確かに凄まじい力を感じました)

(そんなすごい人が、みんなを助けに来てくれたというのに…)

(あんな言い方で責め立てるなんて…レイこそ一体何様なのでしょうね…?)


建宮たちの努力を欠片も当てにしていない態度に、フルチューニングは激怒してしまった。

だが、そもそも役立たずの自分が彼女を責めるのはお門違いである。


(ですが、ここで女教皇が全てを解決しまったら、みんなは…)

(もう二度と、建宮さんのあんな顔は見たくないのに)


ならば、取るべき道は決まっている。

フルチューニングは、オイルパステルをしっかりと握りしめて駆け出した。

664:

(タクシーから連絡した時、五和さんは言っていました)

(この学区のスパリゾートに、上条当麻と一緒に来る予定だと)

(彼が一緒ならば、もしかするとここがアックアとの戦場になるかもしれない)

(……“ここ”ならばレイも戦える)


どこかぎこちないながらも、天草式から教わった“目立たない仕草”で術式を構成していくフルチューニング。

だが、そんな彼女に背後から声を掛ける者がいた。


「あなたは、一体何をしようと言うのですか…?」

「!」


タクシーの速度に易々と追いついていた『聖人』神裂火織が、気遣うようにそこに立っている。


「…どうしてここに?」

「あなたの様子が気になったので、少し後を付けさせてもらいました」

「…レイはタクシーで移動したのですが…」

「? あの程度のスピードなら、追いつくのは造作もありませんよ」

「ちくしょう」


あっさりと力の差を思い知らされて、フルチューニングは軽く落ち込んだ。

665:

「それで、あなたはここで一体何をしているのですか?」

「念の為の準備です。…ここがアックアと戦う場所になるかもしれないので」

「ついでに言うならここは地下市街。レイの使える術式が最も効果的な区画なんです」


その言葉を聞いた神裂が、注意深く辺りを観察し…一拍置いて驚いた。


「準備…これは、カバラの魔法陣?…まさか、ゴーレム術式!?」


用意していた術式を正確に当てられた事に、今度はフルチューニングが驚いた。


「この大きさの陣を、良く読み解けますね」

「たまたまですよ。私の知り合いに、この術式を得意とする魔術師がいるので」

「そうか、師匠も『ねせさりうす』でした」

「『必要悪の教会』? まさか、この術式を教えたのはシェリーですか?」

「はい。シェリーさんは私の師匠です」


とんでもないことを宣言された神裂は、動揺して口をパクパクと動かしている。

それで彼女は謹慎中にも関わらず女王艦隊へ乗り込んでいたのですか!とか、

土御門はどうしてこういう大事な事を報告しないのですか!とか、

建宮たちはこの事を知っているのですか!?とか。

666:

が、やがて大事なのはそんなことではないと気が付くと、再びフルチューニングに質問した。


「シェリーについては今は置いておきましょう。…それよりも、何故あなたが戦う準備を?」

「……」

「土御門からの報告によれば、あなたは半年ほどの入院が必要なはずです」

「(土御門?)……それは…」

「そのあなたが、アックアと戦う気でいるのですか?」

「幾らなんでも、建宮がそんな事を認めるとは思えませんが」


確かに神裂の言う通り、フルチューニングは作戦への参加を認められていない。


「確かに、レイは戦うなと言われました」

「では」

「ですが…それが何だというのでしょう」


平坦な口調なのに、しかし反論を許さないような強さがその言葉には含まれていた。

唖然とする神裂に対し、フルチューニングは自分の頭をトントンと指で叩いた。


「すでにレイの体は、いつ停止してもおかしくありません」

「何しろこの体は、実験に失敗した試作品ですから」


絶句する神裂を無視して、フルチューニングは自分の思いを打ち明ける。

667:

「名前すら存在しない検体番号00000号を、レイと名付けてくれたのは天草式のみんなです」

「本来廃棄されるはずだったレイがまだ動いているのは、天草式のみんなのおかげです」

「何の目的も無かったレイに、生きる理由をくれたのは天草式のみんなです」

「その天草式のみんなが強大な敵と戦うというのに、何故レイ1人が戦わないでいられると思うのですか!?」

「このまま安静にしていれば、レイは延命が出来るかもしれませんが…」

「それはもう、天草式のレイではありません」

「無様に呼吸するだけのガラクタです」


そこまで言って、ようやくフルチューニングは目の前にいる元女教皇の顔を見た。


(……?)


意外な事に、神裂は優しげな表情を浮かべている。

それだけではない。そっとフルチューニングに近づくと、彼女の頭を撫で始めた。


「それが、あなたの生き方だというのなら…私に止める権利はありません」

「ただ…1つだけ言わせてください」

「え?」

「あなたはきっと、自分の命は大して価値が無いと思っているのでしょう」

「それは間違いです」

「ですが、そもそもレイはクローンで…」

668:

「そんな事を言ったら、きっと彼らは悲しみますよ」

「少なくとも私の知る天草式十字凄教の仲間たちは、あなたをクローンではなく1人の人間として大切に思っているはずです」


神裂の優しい一言が、フルチューニングの過去の記憶を呼び起こした。

そう。確かあの時も、同じ事を言ったはずだ。

自分は存在意義の無いクローンだ、居場所など無いと。


――「助けたいのは、クローンじゃなくてここにいるお前さんという1人の人間なのよな」


そう言ってくれたのは誰か。

売却される寸前の自分を救いだし、オルソラ教会や女王艦隊で命懸けで助けてくれたのは誰だったか。


今までフルチューニングは、彼を助けるため自分の命を亡くすことを当然のように受け入れていた。

それなのに。

今は彼の顔を思い出すと、急に怖くなった。

これからも一緒にいたい。

――氏にたくない。


(あ、れ?)

(――どうして?)


思いがそこに至った瞬間、フルチューニングから涙が流れた。

自分に起きた現象を把握できないまま。

涙は止まらずに溢れだす。

669:

「ヒック……、うあああああぁぁぁぁぁ!」

「良かった。あなたはこんなにも、素直に泣けるじゃないですか」


どこかホッとしたようにそう言うと、神裂はフルチューニングを強く抱きしめた。

その腕の中で、フルチューニングはしゃくり上げながら訴える。


「…みんなを…建宮さんを、失いたくないんです!」

「はい」

「なのに、レイは…突然恐ろしくなりました」

「はい」

「明日をも知らぬこの身で、それでも諦めたくない…氏にたくない…!」

「当然です」

「い、いつからレイは…こんな我儘になったのでしょうか」

「“人間”ならば、我儘なのは仕方ない事ですよ」

「レイは、これからも天草式のみんなと一緒にいたいです!」


ここにきてようやく、フルチューニングは他の『妹達』と同じ思いを手に入れた。

すなわち。


「こんな風に思った以上、レイはもはや簡単には氏ねなくなりました」

「そうです。アックアがどれだけ強かろうと、誰1人として氏ぬのはまっぴらです!」

670:

(認めましょう、レイはとっても我儘になりました)

(戦わずにいるのはイヤ、戦って負けるのもイヤです)

(ならば、戦ってその上で勝つしかありません)


今までの明日を捨てた覚悟ではない。

明日を望むからこその覚悟。

それを見てとった神裂は、フルチューニングの涙をそっと拭ってこう尋ねた。


「もう、大丈夫ですね?」

「はい」

「では、私は行くことにします。…その所為でしばらくは動けそうにありませんが…」


『聖人』はその力故に、自由な行動をとる事は出来ない。否、許されていない。

これから神裂は、上からの指示に従って幾つもの任務をこなさなければならなかった。

それが、彼女が今学園都市への滞在を許されている理由なのだ。

671:

「…女教皇、あなたの仲間を信じてください」

「そうですね。ちなみに…“元”女教皇です」


その会話を最後に、神裂はその場を後にした。


(…あの様子では、信用はしても信頼はしていないってところでしょうか)

(実際に力が遠く及ばない以上、仕方ないのかもしれませんが…)

(このままでは、いつまでも建宮さんたちとすれ違ったままです)

(女教皇がレイに大事な事を気づかせてくれたように、あの方にもそんな人がいれば良いのですが)


きっとそれは、無力な自分では無理な事だから。

フルチューニングはそう誰かに祈るしかなかった。


「…今は自分の事に集中しましょう」


それから1時間ほどかけて“場”を整えたフルチューニングは、天草式のみんなの元へ向かった。

672:

第22学区のとあるカラオケボックス近く


フルチューニングが建宮を見つけた時、たまたま彼は1人だった。

正確には周りにちらほら仲間がいるが、並んで歩く人はいなかった。


「…レイ?」

「お願いがあります、建宮さん」


あまりに唐突な出来事に、建宮は目を丸くする。

ただそれも、フルチューニングの言葉を聞くまでだった。


「レイを上条当麻の護衛に参加させてください」

「…何だと…!」


厳しい顔で睨む建宮に、フルチューニングは怯まずに続けてこう述べた。


「レイはダメと言われても絶対に参加します」

「レイ!」

「正直に言うと、レイは建宮さんたちの為に氏んでも構いませんでした」

「…それは何となく気が付いていたのよな」

673:

「そうなんですか?」

「だからお前さんを、“絶対”に戦わせる訳にはいかねえって言ったのよ」

「少しばかり特殊な境遇で生まれたお前さんは、あまりにも自分を大切にし無さ過ぎる」

「…はい」

「それぐらい仲間を大切に思っているのは悪い事じゃない」

「だがな。そんな一方的な思いで救われた方は、堪ったもんじゃねえのよ」

「救った相手の重荷になるような真似を、我らは決して良しとしないのよな」

「…はいっ」


建宮にとって、予想できない返事。

良く見ると、フルチューニングは潤んだ目でしっかりとこちらを見つめていた。

その泣き顔に建宮が反応する前に。


「レイはある人のおかげで気づきました」

「?」

「レイはとっても我儘です」

「このまま何もしないなんて、レイは絶対我慢できません」

「ですが、戦って氏ぬのも絶対に嫌です」

674:

「だからみんなでアックアに勝ちます。こんな下らない戦いで、誰1人氏なせません」

「もう一度お願いします。その為に、レイを上条当麻の護衛に参加させてください」


そう一気に言うと、フルチューニングは頭を下げた。

そして。


「――くっ」


建宮から、笑いを含んだ声が漏れた。

フルチューニングがちらりと目を向けると、建宮が目を覆って笑っている。


「やれやれ、全く困ったものよなあ!」

「…建宮さん?」

「そんなふうに言われちゃあ、嫌とは言えないだろうよ?」

「じゃあ…!」

「一緒に戦うぞレイ」

「はい!」


ひときわ嬉しそうな笑顔を浮かべて、フルチューニングが喜んだ。

その顔を見て、建宮の呼吸が一瞬止まった事に彼女は気づかない。

675:

「では色々作業をして汚れたので、五和さんのいる銭湯に行ってきます」

「おう。…自分が万全ではない事を忘れるなよ?」

「分かりました!」


スキップしそうな勢いで、フルチューニングは近くのビル『スパリゾート安泰泉』へ入って行く。

それを姿が消えるまで見送った建宮は、やがてヘナヘナと地面に座り込んだ。


「…あれは反則だろうよ」


僅かに赤い顔で、それだけ言うのが精一杯。


(あの泣き顔もヤバかったが、最後の笑顔は強烈過ぎる)

(大体、あんなに懐かれたらそりゃあ悪い気するはずがねえのよな)

(…どうするんだ俺?)

(とりあえずは、まあ…)

(この戦いを乗り切らない事には始まらねえ)

(気合を入れろ建宮斎字)

(本来戦えるはずのないレイを、参加させると決めた以上…全ての責任は俺にある)

(惚れた女の1人ぐらい、守って見せなければ男が廃るってもんよ!)


内心カッコイイ決意をしている教皇代理のすぐそばで。

対馬たち女性陣が「オちた!?」「わお!」「でもこれって年齢的に良いんでしょうか…?」と盛り上がっていた。

686:


第22学区の『スパリゾート安泰泉』


様々な種類のお風呂がある中で、フルチューニングは学園都市特製の入浴剤を使ったお風呂を選択した。

選んだ理由は『ただいま“試作品”のアンケート中なう』の看板があったからである。

フルチューニングが髪と体を洗い、どの浴槽に入ろうかと辺りを見回した時。

見覚えのある人影を見つけたので、彼女はその人物へ近付いた。


「…奇遇ですね、オリジナル」

「へ!?……あ、レイ」


微妙に疲れ気味の顔をした、御坂美琴がそこにいた。

ちなみにお疲れの理由は、溺れたと勘違いされてさっきまで女医の診察を受けていた為である。

だがフルチューニングの格好を見た御坂は、疲れも忘れて絶叫した。

687:

「ちょ、アンタ!少しは隠しなさいよ!歩く時ぐらいタオルを使えー!」

「?」


フルチューニングが、文字通り何1つ隠すことなく堂々と立っていたからだ。


「ア、ア、アンタの体は私の体でもあるんだから、気を使いなさいよね!?」

「言ってる意味がよく分かりませんが、結局レイはどうしたら良いのでしょうか?」

「とりあえず早く湯船に入れ!体を隠しなさい!!」


このままだとお風呂が電気風呂になりそうな雰囲気だったので、とりあえずフルチューニングはその指示に従う。


「少しぬるい気がします…」

「ええ?これぐらいがちょうど良いでしょーが!」

「…何というお子様体質」

「なにおう!?」


喧嘩売ってるのかコラァ!と御坂が怒鳴ろうとするが、そこでようやく周りの冷たい目線に気が付いた。

慌てて自分の口を塞ぐと、彼女は小声でブツブツと文句を言い始める。

688:

「っていうか、何でアンタがここにいるのよ?」

「当然、お風呂に入るためですが」

「…もういいわ」


これ以上悩み事を増やしたくないし、と御坂は追及を諦めた。

上条当麻の記憶喪失や、突如現れた隠れ巨乳の女の子のことなどで、すでに頭は一杯一杯である。

この上クローンの事で悩むのは流石にうんざりだった。


(隠れ巨乳…クローン……クローン?)


ふと大事な事に気が付いた御坂は、さきほどの光景を思い描く。


(レイは私の身体年齢を上げたクローン)

(…つまり私の数年後の状態と一緒…)

(お、思ったよりも成長していない…!)

(い、いやいや…これから…きっと大器晩成型なのよ!)


乙女心に傷が付いたものの、必氏に自分で慰める御坂。

689:

「それに、あ、あいつがおっOい好きとは限らないじゃない」

「あいつとは誰ですか?」

「ひにゃあ!?」


心の内を声に出していた事に気づいていなかった御坂は、フルチューニングの質問に劇的な反応を示した。


「大丈夫ですかオリジナル?」

「あはははは!当たり前でしょ!全然問題ないわ!」

「…そうでしょうか」

「そうよ!」

「分かりました。では、1つレイからアドバイスを」

「なによ?」

「おっOいが嫌いな男の人はいないそうです」


悪意のない一言に、今度こそ御坂は撃沈した。


「な、な、何を言ってるのか意味が分からないんですけど!?」

「…これはとある筋からの確かな情報です」

690:

ちなみに。

情報源は天草式の男性陣とカエル顔の医者である。


「ただしおっOいの大きさの好みは、人によって様々だ、とも聞きました」

「アンタは一体何を教わってんのよ!」

「世の中には貧乳好きも存在しているのです」

「だからレイは。…オリジナルのDNAマジで役立たずだなオイ、とか決して思っていません」

「ぐはぁ」

「可能性はごくわずかですが、これからの成長に期待だって…」

「もうやめて!すごく悲しくなるから!」


その後の2人は、二度とこの話題に触れようとしなかった。


(全然関係ないけど…あ、あいつはどうなのかしら…?)

(そういえば、建宮さんはどうなのでしょう…?)


決して答えの出ない問いを残して、同じDNA(運命)を持つ者同士の邂逅は終わりを告げた。

691:

第22学区のとある通り


一足先に風呂を出ている上条と五和を、建宮たちは気づかれぬように護衛している。

そんな中。

作戦を指揮している建宮は、異様な雰囲気を感じ取っていた。

しかもそれは外部からもたらされるモノではない。

――今まで生氏を共にしてきた天草式の仲間たち。

他ならぬ彼らからこそ、異様な重圧感を感じていたのだ。


(…何だ? この妙なプレッシャーは…?)


教皇代理(今一番偉い人)の建宮は知らなかった。

例のシーンを女性陣に一部始終目撃されており、すでに全天草式構成員に情報が伝達されている事を。

建宮は、五和の事から分かるように基本的には“おちょくる側”の人間だ。

今まで浮いた噂――つまりは格好のネタ――も無かったので、自分が標的になることは無かった。

だが今は。

692:

(ついに教皇代理をからかうチャンス…もとい応援する時が!)と野母崎。

(レイを嫁がせても良いかは、しかとこの目で判断させてもらうぞ!)と諫早。

(まさか教皇代理に春が!ちっとも予想していなかったのに!)と牛深。

(さあ、これからが男を見せる時!あの子を泣かせたら頃すわよ!)と対馬。

(嘘だ…何で教皇代理が…レイなんかのどこが良いんだよ…!)と香焼。


今回初めて美味しいネタを提供した建宮は、すでに全員からマークされている。


「教皇代理」

「ん、どうしたのよ?」


全員が注目している中、野母崎が声をかけた。


「レイちゃんって、法律上は何歳だと思いますか?」

「は?」

「いやホラ、考えようによってはあの子0歳ですよ」

「……?」

「やっぱ手ぇ出したら犯罪だと思いませんか?」

「ブフォ!?」


予想外の口撃に、建宮は飲んでいたシェイクを噴き出した。

693:

「野母崎!一体お前さんは何を言っている!?」

「…えー。まさか結構マジでその気…?」

「馬鹿な事を言うんじゃないってのよ!」

「けど、噂によると既にキスまで…」

「あれは違う!…じゃなくて誰がそんな事を!?」

「レイちゃんが対馬にメール相談したそうですが?」

「ノー!!!」


結局相談したのかよ!と建宮が嘆く。

しかも悲劇はそれだけでは終わらなかった。


「それにカラオケボックス近くで、教皇代理が『…あれは反則だろうよ』って顔を赤くして呟いていたって」

「だから誰がそんな情報を!?」

「対馬が目撃しました」

「またか!」

「『人を散々からかった罰。甘んじて受け入れなさいよ』という伝言を預かっています」

「あいつ昼間の美脚説をまだ根に持っているのよな!?」

「あ、後『レイを泣かせたら本気で後悔させるから』とも言ってました」


次々に悪化していく状況に、ついに建宮は頭を抱えた。


(この妙な感覚はそれか!)

(すでに全員に情報が行き渡っているとみて間違いないのよな)

(状況はほとんど詰んでいる……マジでどうするんだ俺?)


今度ばかりは気合が入らない教皇代理であった。

699:


第22学区のとある鉄橋


お風呂上がりのフルチューニングが、上条と五和を探し始めて10分ほど。

2人を発見したその時、ちょうど上条が五和に質問をしているのが聞こえてくる。


「そういや、他の天草式の連中は?」

「ええとですね」

「…とりあえずここに1人」


フルチューニングが背後から解答すると、2人は面白いように飛び上がった。


「おわあ!? …ってレイじゃねえか!」

「ど、どうしてレイちゃんがここに…?」


顔色を変えて心配する2人に、一時帰宅の許可を受けた事を説明する。

ちなみに五和だけは“教皇代理ニ春到来ス”の情報を受け取っていない。

700:

「…だから建宮さんの許可も得ていますし、作戦に合流する事にしました」

「そっか……でも絶対にムリしちゃダメですよ!」


五和は心配しながらも、フルチューニングを追い返すようなことはしなかった。


「大丈夫です。全員揃って帰る為にも、こんなところで無茶したりしません」


彼女の表情が、今までと異なっているのが見て取れたから。

今まで感じていた、殉職者のような“諦め”の雰囲気が消えている。


「…そうですよね。レイちゃん、一緒に頑張りましょう!」

「おー!」


護衛対象を置き去りにして盛り上がる2人に、上条が突っ込みを入れようとしたその瞬間。


「――“頑張る”か。……のんきなものである」

「――が、宣告は与えた」


前方に広がる闇から、フルチューニングが今まで一度も感じた事のない圧倒的な力を感じ取った。

あの最強と謳われた『一方通行』や、天草式の女教皇にして聖人の『神裂火織』よりも、なお強く。


「――率直に言おう。もう少しまともな選択はなかったのかね」


そう嗤う声と同時に、後方のアックアが姿を見せる。

701:

(これが、『後方のアックア』…!)

(戦う前から、戦意を根こそぎ奪われそうです)


そして戦慄するフルチューニングを無視して、標的である上条当麻に端的に告げた。


「――その右腕を差し出せ。そいつをここで切断するなら、命だけは助けてやる」

「テメェ…!」


睨みあう両者の隣で、五和が小さな声で確認する。


「天草式の本隊は……」

「無駄である」


だが合図を送っても、援護が来る様子は無い。

最悪の可能性を思い浮かべたフルチューニングが、アックアに噛みついた。


「レイの仲間に、何をしたのですか!?」

「頃してはいない」

「…氏ななきゃいいって訳じゃないんですよ。ナメてんですか?」


フルチューニングの心が怒りで染まり――。

直後、戦闘が始まった。

702:

相手は聖人。当然、3人は最大限の警戒をしていたはずだった。

だが。

人の判断力を遥かに超える速度で移動したアックアに、付いていくことなど不可能である。


「ッ!?」


“姿が消えた”と思った時には、すでに五和は攻撃を受けた後で。

まるで冗談のように、彼女の姿が車道まで吹っ飛んでいった。


「この…!」

「遅い」


ましてや、走ることすら不可能なフルチューニングが反応できるはずも無く。

何一つ攻撃しないまま、肘打ちを喰らって倒れ伏した。


「五和!? レイ!?」


あまりの光景に上条が叫ぶ。

だが、それを遮ってアックアが冷たく警告した。


「人の心配をしている場合であるか」


ここにきて、ようやくアックアは自身の武器を取り出した。

全長5メートルの金属棍棒(メイス)。その用途は撲殺。

703:

「行くぞ。わが標的」


上条が逃げようとするよりも早く、メイスが振り下ろされる。

だが、その攻撃が当たる事は無かった。

視界の外から飛んできた五和のバッグが、ぶつかった彼の体を予想外の方向へ飛ばし。

馬鹿げた質量のメイスは、突如浮き上がったアスファルトが激突することでさらに方向を狂わされた。

それでも鉄橋に叩きつけられたメイスの威力は凄まじく、橋のあちこちで鉄骨を留めるボルトが破断する音が響く。

隕石のような一撃の余波に、上条は何メートルも転がった。


(これは…?)


今起きた現象に、アックアが怪訝な顔をする。

だが彼は、分析を中断せざるを得なかった。

五和がゆっくりと起き上がり、海軍用船上槍の切っ先を向けていたからである。


(まだ立ち上がるのであるか)


尤も、彼女を脅威に感じている訳ではない。

すでに深刻なダメージを受けていた五和は、満足に武器を構えることすら出来ていないのだ。


「一組織の全体が束になっても敵わなかった相手に、その一員が挑んで勝てるとでも思っているのであるか」

「……私にも……意地があります」

704:

その答えに込められた、強い感情と決意をアックアはしっかりと感じていた。

それでも。


「そうか」


ここが戦場である以上、アックアが手を止める理由は無い。

再び一瞬で距離を詰めると、巨大なメイスの一撃を五和に叩きこもうとする。


――ズリュ…


「!」


だがアックアは、残り一歩の地点を“踏んだ瞬間”に違和感に気が付いた。


(なんだこれは……“地面が腐っている?”)


彼は、そのまま体重を掛けるのは危険だと判断して慌てて下がる。

その異様な地面を見て、攻撃を受ける直前だった五和も驚愕の表情を浮かべた。


(様子からすると、この少女による術式ではない?)

(では、誰が…)


アックアがこの場で打ち倒した護衛は2人。

槍を構える五和と、今も倒れているフルチューニングだ。

705:

(待て)

(あの倒れている少女が“手に持っているモノ”は何だ?)


これ以上はごまかせないと気づいたのか、気絶したふりをしていたフルチューニングが悔しそうに声を上げた。


「まさか…一度は踏んだにも関わらず、あの罠を回避できるなんて…反則です」

「やはり、オイルパステルか」

「今のレイには、これ以外出来ませんから」


その言葉通り、フルチューニングの今の体では、発電能力はおろか天草式の戦闘体術すら扱えない。


(複数のゴーレム術式の同時発動による崩壊術は失敗)

(それならば、もうこれしかありません)


正真正銘、唯一の戦闘手段。


「だから、これで片を付けます」

「なに…!?」


起き上がったフルチューニングが、その手をパン!と打ち鳴らす。

崩壊した鉄橋が轟音と共に集結し、瞬く間に巨大なゴーレムへと変貌した。


「今度はこちらが、叩き潰す番です!」

「天草式の人間に、ゴーレム使いがいたとは……面白い、相手になるのである!」

706:

フルチューニングの指示を受けた巨大ゴーレムが、聖人アックアに襲いかかる。

完全に予想外の状況に、上条が信じられねえ…と漏らした。


「アレは、シェリーが使ってたゴーレムじゃねえか!」

「…残念ですが、師匠のゴーレムとはモノが違います」


悔しそうに言うフルチューニングだが、それに五和は気づかなかった。


「そっか、建宮さんが女王艦隊で見た術式って…レイちゃん…いつの間にあんな魔術を?」

「今は説明している暇がありません。早く、今のうちに逃げないと!」


その言葉は真実だった。

アックアの前では虚勢を張っていたが、あのゴーレムに勝ち目はない。

そもそもゴーレム術式を学んで日が浅いフルチューニングが、シェリーと同じように出来るはずがないのだ。

現在ゴーレムを行使出来ているのは、

ここが大地の力を利用しやすい地下市街だという事

あらかじめ、付近に魔法陣を構築していた事

記憶には無くとも、歴史上最大の魔術師が同じ魔法陣を描いた時の事を体が覚えていた事

そういった様々な“幸運”による、まぐれでしかない。

しかもシェリーのエリスと異なり、四大天使を模していない為パワー不足だ。

辛うじて修復・再生能力は備えているものの、これでアックアを倒せるとは思えなかった。

707:

(…本当にここで戦う事になるとはラッキーです)

(戦力が無い今は、何としても逃げなければ…!)


ゴーレムがアックアを抑え込んでいるうちに、3人で逃走する。

それがフルチューニングが今出来る、最善の策だった。

だが――。


「こんなものか」

「そ、んな」


抑え込んでいたはずのゴーレムが、気づけば完全に崩壊していた。

そう。アックアは、逃走すら許さなかった。

再生していくゴーレムの肉体の90%を、2秒以内に吹き飛ばす。

それがゴーレムの無力化法である。

つまり。およそ常人には不可能な方法で、フルチューニングの術式は叩きのめされたのだ。


(……これほどまでに、差が…!)

(もう、レイには他に手がありません)


慄く3人に、アックアは一言告げた。


「右腕だ。差し出せば、命の方は見逃すのである」

「「嫌です!」」


五和とフルチューニングが、声を張り上げる。


「そうか。それならば、もう少し現実を知ってもらうのである」


そして――無慈悲な一撃が、フルチューニングに振り下ろされた。

716:

第22学区のとある救命救急病院


夜の暗さに包まれた病院の廊下で、フルチューニングは周りの仲間と一緒に意気消沈していた。


(結局、アックアには相手にもされませんでした)

(…フフ、考えてみればレイは負けてばっかりですね)


そう自分を嘲るフルチューニングに、目立った外傷はない。

彼女が受けた攻撃は、肘打ちとメイスの振り下ろしの2回。

どちらも躊躇ない一撃だったが、十二分に手加減をされていた。

しかも一撃で気絶した為に、それ以上の打撃を受けずに済んだのだ。

だがそれは、代わりに他の人間がその分の攻撃を受けたという意味でもある。

――廊下の奥で蹲っている五和と、集中治療室で眠っている上条当麻。

守りたかったはずの2人に守られて、フルチューニングは今も無事だった。

717:

(しかも五和さんの話によれば、一日以内に再びアックアの襲撃がある)

(ですが、今のレイに何が出来るのでしょう…)


唯一の武器であるゴーレムは、簡単に粉砕された。

今からわずか一日で、シェリーのように強い術式を扱えるようにはならない。

自身の発電能力が急成長し、オリジナルのように超電磁砲を撃てるようにもならない。

体調が回復し、仲間と同じように連携のとれた体術を扱う事すらも。


(結局、唯一の可能性はコレだけですか)


アックアの前では、もろい壁も同然のゴーレム術式。

あまりにも頼りない武器を思い浮かべつつ、フルチューニングはオイルパステルを握りしめた。


「私…何の役にも、立たなかったのに…ありがとうって、言ってくれて……」


五和の嗚咽交じりの言葉が聞こえたのは、その時だ。

718:

(五和さんと、建宮さん…?)


疑問符を浮かべるフルチューニングなど目に入らない五和は、目の前の建宮にこう続けた。


「あの人は、どんな防御術式に頼る事もできない。どれだけの回復魔術があっても、掠り傷一つも治せない」

「本当に、体一つで戦っていただけなのに……」

「五和……」

「私、そんな人を見頃しにしたんですよ」


その一言が、フルチューニングの胸に突き刺さった。

五和の話では、2人がやられた後に上条当麻がアックアに単身立ち向かったという。

その理由は明白だった。

他ならぬ五和を、そしてフルチューニングを救うため。

結果彼は、瀕氏の重傷を負っている。


「そんな人間が、何で一人だけのうのうと生きているんですか。こんなのはおかしいんです。私の方が…」

「それはレイも同じ事です」


我慢できなくなったフルチューニングが、割り込んで立ち上がった。

719:

「むしろ、最後まで戦えなかった分五和さんよりもはるかに情けない」

「違う、違うよレイちゃん…」

「それに思いおこせば、レイは今まで負け続けです」

「まず妹達に負け、アニェーゼ部隊に負け、ビアージオに負けました」


今までの戦いで、フルチューニングは確かに負け通しだった。

それでも『妹達』を、『オルソラ』を、『アニェーゼ』を救えたのは何故か。


「ですが、いつもレイは1人ではありませんでした」

「いつだって天草式のみんなが一緒に戦ってくれたから。だから何とかなったんです」

「……レイ、ちゃん」

「今もそうです。私たち全員が上条当麻を守りたいと思っています」

「なのに五和さんだけがこの敗北を背負うなんて…」

「違うのっ!」


今回遮られたのは、フルチューニングの方だった。

目に涙を浮かべた五和が、投げかけられた言葉をすべて否定する。


「あの人の代わりに、私がやられていれば全て解決していたはずなんです!!」

720:

フルチューニングの言いたい事が、分からない五和ではない。

だがそれでも。

彼女は自分を責めたくてたまらない。

心の底から守りたかった人を守れなかったという事実は、彼女の精神をボロボロにしていた。

そんな五和に、フルチューニングは何も言えなくなってしまう。

代わりに言葉を発したのは、黙って話を聞いていた建宮だった。


「立つ気はないのか」

「……」

「お前さん、一体そこで何をやってんのよ?」


それだけではない。

建宮はそのまま五和の胸倉を片手で掴み上げると、近くの壁にズドン!と叩きつけた。

フルチューニングを含むみんなが呆気にとられる中、五和が建宮を睨み返す。


「…建宮さんだって、負けたじゃないですか」


その言葉にフルチューニングが言い返すよりも早く。


「こんな女を助けるために、あいつは体を張ったのか?」


建宮から、信じられないような発言が飛び出した。

721:

イギリス、王立芸術院


その日、講義があるはずのシェリーは教壇に立っていなかった。

1人で資料室に籠り、難しい顔をしている。

学園都市でフルチューニングと別れてから、薄々感じていた予感がついに的中したからだ。


(あの馬鹿、入院中のはずなのにゴーレム術式を使いやがった)

(現在学園都市には、後方のアックアから幻想頃しを守るため天草式が派遣されている)

(どう考えても、これはあの馬鹿がアックアと一戦やらかしたってことよね)


培養器越しに分かれた時、フルチューニングはカバラの教本を欲しがった。

おまけに自分の命など惜しくないとまで言い切る始末。

わずかに懸念を感じたシェリーは、渡した教本に仕掛けを施していた。

すなわち、学園都市でゴーレム術式が発動するとこちらにそれが伝わる感知術を掛けてあったのだ。

学園都市は能力者の街で、魔術師はいない。

ましてや『必要悪の教会』流にアレンジしたゴーレム術式を扱う人間など、フルチューニング以外には有り得ない。

722:

(仮にも師である私を、騙したつもりなのか。あの馬鹿は)

(…あなたにも意地があるんでしょうが、それはこちらも同じ事)

(すでに私は魔法名にかけて誓った。…もう2度と、壊れる超能力者を出す訳にはいかないってな)


そしてシェリーは資料室の電話を手に取ると、とある番号をコールした。


『――こーんな夜遅くに、一体何の用なのかにゃー?』

「分かってるくせに聞いてくるんじゃねえよ……土御門。頼みがある」

『こう見えて、俺ってば結構忙しいんだぜい?』

「この状況で頼めるのは、あなたぐらいなのよ」

『やれやれ。で、何を頼みたい?』

「――――――、――――――」

『……は?』


シェリーがした頼みごとに、土御門は素っ頓狂な声を上げた。

723:

「出来るか?」

『1つ目は何とかなるだろうけど、2つ目は正直厳しいぜい』

「私はこっちでやらなきゃいけないことがある。学園都市でそれが可能なのは――」

『分かった分かった。確かに俺以外に適任な魔術師はいない…借りもあるし、何とかしてやるにゃー』

「借り? ああ、あのふざけたメイド服のこと?」

『そうそう。流石は天才シェリー・クロムウェル。あれならねーちんも喜ぶ事間違いなしってもんだ』

「あいつの趣味じゃねえと思うがな…」

『大事なのは見る人の趣味に合っているか、ってことなんだぜい?』

「?」

『まあ、とにかくこっちは俺がなんとかしてみるにゃー』

「…ありがとう」


シェリーが通話を終了した直後、今度は電話がかかってきた。


「はい」

『あらあら。そちらはシェリーさんでよろしいのでございましょうか』

「……やっぱりテメェかオルソラ」


学園都市から遠く離れた英国の地で、魔術師シェリー・クロムウェルの戦いが始まる。

727:


第7学区のとある病院


仲間のいる第22学区を離れて、フルチューニングは1人病院へ戻ってきていた。

もちろん、戦場から逃げてきた訳ではない。

今の自分に出来る事をするためである。


(ぐだぐたと“出来ない事”を考える暇はありません)

(術式の強化? 超電磁砲? 体調の回復?)

(いずれも今のレイには不可能。ならば、これしか方法はありません)


フルチューニングは、つい先ほどの会話を思い出して決意を新たにする。

728:

あの時、建宮は嘲笑した。

ボロボロになった恩人を前に動こうともしない、そんな女のために命を投げ出したあいつは犬氏にだ、と。

当然激怒する五和に、あるいはそれ以上の怒りをもって建宮は咆哮する。

絶望し立ち上がることすらできない五和に、彼は再び戦う力を与えたのだ。


『――後方のアックアは、必ず来る』


目を背けたい現実を指摘して。

それでもなお、希望はあると言いきった。

救える可能性はある、と。


『まだ可能性は残っているのに、たとえどれだけ少なくても確実に残っているのに、そいつをつまんねえ後悔や罪悪感で全部捨てちまうのか!?』

『笑顔を守りたければ立ち上がれ。自分の都合で他人の人生を投げ捨てるんじゃないってのよ!!』

729:

あまりにも強大な敵、後方のアックアが上条の右手を狙っている。

それなのに、今彼を守れるのは――。


『今ここで戦えるのは俺達だけだ!!』

『惨めだろうが何だろうが、今ここにいる俺達が動かなかったら、今も麻酔で眠らされているあいつは一体誰に守ってもらうのよ!!』


女教皇も、増援も来ない。立ち向かえるのは自分たち天草式しかいないのだ。

それならば、もう一度立ち上がる他にない。

大切なものを守るために。

だから建宮はこう言った。


『お前さんが最高に良い女であることを証明して、こんなヤツのために命を張って良かったって思わせてやれ』

『墓前で懺悔をしたくなけりゃ、俺達は戦うしかねえのよ』


そう言われて、五和は、いや天草式全員が戦う覚悟を無言で示す。

決意は固まった。天草式十字凄教50余名全員が、再び戦場へ舞い戻る。


「あの」

「どうしたレイ?」


フルチューニングが建宮に待ったをかけたのは、その時だった。

730:

「今すぐアックアと再戦するつもりではないですよね?」

「…ああ。ふざけた事に、こっちには一日の猶予を与えられている」

「利用できるものはこの際何でも利用するべきだ。それが時間でもな」

「悔しいが戦力差は絶望的。然るべき準備を整えなければ、また同じ事の繰り返しなのよな」

「そうですか。それを聞いて安心しました」


意味深なフルチューニングの言い方に、天草式全員が注意を向けた。


「次は全員で戦うつもりですよね」

「…もちろんだ。それがどうしたのよ?」

「それなら、レイの“戦力”について知っておいてもらいたいのですが」

「待て、今のお前さんに能力は……」


諫早が思わず疑問を口にする。


「分かっています。…キオッジアで部品を奪われた上、今の体調の良くない状態では能力は使えません」

「仮に使えても、レベル3程度が限界である以上アックアへの有効な攻撃手段にはならないですし」

731:

そこまで言うと、フルチューニングは握っていたオイルパステルを見せた。


「五和さんは、先ほど見ましたよね?」

「レイちゃんの、ゴーレム術式……」


五和の返事に、みんなが驚きの声を上げる。

只1人、建宮だけは静かに溜息をついた。


「あの女王艦隊での戦いが終わってから、俺はシェリー・クロムウェルという女魔術師を訪ねたのよ」

「レイを助けにわざわざ女王艦隊まで乗り込んできたからには、何らかのつながりがあるのは明らかだったからな」

「我らに内緒で他の魔術師に弟子入りするとは、隠し事が上手くなったものよなあレイ?」

「…ば、ばれてましたか」


いきなり出鼻をくじかれて、フルチューニングは怯えたように体を小さくする。


(っていうか、師匠は女王艦隊へ乗り込んでいたのですか…!)

(あの時の事はぼんやりとしていて思い出せませんが、せめて一言教えてくれても良かったのに)

(どうして師匠は、変なところで恥ずかしがり屋なんでしょう)

732:

「で、そのゴーレム術式とやらはどれぐらいの戦力になるんだい?」


黙ってしまったフルチューニングに、牛深が優しく問いかけた。

それでようやく気を取り直した彼女は、簡単にスペックを説明していく。


「――ですから、一時的とはいえ力で拮抗することなら可能です。尤も、かく乱用に使うのがベストでしょうが」

「まあ、おおよそは理解できたのよな」


教皇代理である建宮が、今回の作戦を再び練り直す。

天草式の真髄が高度な連携にある以上、今のフルチューニング及びゴーレムを主軸に据えることは不可能だ。

むしろ、唯一単体で力勝負が出来るゴーレムを囮や陽動にして、アックアの隙を生み出すという使い方をするべきだろう。


(本音を言えば、あの化け物相手にレイを戦わせたくはないが…)

(いかんよなあ…この俺が私情を挟みたくなるとはよ)

(――氏なせやしない、絶対に)


「より詳細な手順は、イギリスからの情報を待ってから詰める事にするが――」


建宮の作戦案に全員が耳を傾け、やがて同意した。

733:

そして今、フルチューニングは自分が入院していた病院の臨床研究エリアに来ていた。

あの救急救命病院とは違って、ライトの明かりが眩しい小さな待合所でようやく彼女は発見する。


(やはり、ここにいましたか!)


もう夜遅いにも関わらず、目的の人物がそこにいたことに安堵して彼女は近づいた。

だが話しかけようとするよりも早く、逆に相手から言葉が発せられる。


「こんな時間に、一体何の用なのですか?とミサカは問いただします」

「お願いがあってきました。今病院にいる『妹達』を全員呼び出してもらえますか」

「……」


突然の願い事に対し、目的の人物――御坂妹は無表情でコクリと頷いた。

734:

わずか2分足らずで病院にいた『妹達』が全員集合し、フルチューニングのお願い事を聞いた。


「…用意は可能ですが、それを一体何に使うのですか?とミサカ10039号は訝しみます」

「下手すれば大事になります、とミサカ19090号も懸念を表明します」

「そもそも持ち出す理由を教えないとはどういうつもりですか、とミサカ13577号は呆れます」


無茶な事を頼んでいるという自覚があったので、フルチューニングは言い返せない。

それに、この問題に他の妹達を巻き込む訳にもいかなかった。


「お願いします、今のレイにはどうしても必要なのです!」

「――分かりました、言う通りにしましょう、とミサカ10032号は長女に従います」


頭を下げたフルチューニングに、御坂妹がついに折れて承諾した。

735:

「どう見ても諦めない様子なのですから、ここで問答するのは時間の無駄です、とミサカ10032号は事実を告げます」

「ですが、後々怒られのはミサカ達ですよ?とミサカ13577号は不満を述べます」

「仕方ありません。これであの実験の時の借りを返せると思えば安いものです、とミサカ10039号は投げやりに答えます」

「そうですね、ちゃんと返してくれるなら…とミサカ19090号も10032号と10039号に同意します」


結局、フルチューニングはそれをきっかけに渋々ではあるが全員の承諾を取り付けた。

そして目的のものを預かると、天草式が待つ戦場へ出発した。


ちなみに。

そこで恋する乙女五和が、石油化学コンビナートに大引火状態になっている事、

アックアの情報を伝えたシェリーが、フルチューニングに何かあったらただじゃおかないと建宮を脅しつけている事、

土御門元春と言う魔術師が陰で色々と暗躍している事、

それらを彼女は知らないままである。

742:



第22学区のとある鉄橋


天草式と合流したフルチューニングは、何故かガタガタと震えている建宮を疑問に思いながらも、用意が整った事を報告した。


「もうすこし有れば良かったのですが…」

「いやいや、用意できただけ上出来よな」

「ところで、どうして先ほどから建宮さんは震えているのですか?」

「へあ!? そ、そう。武者震いってヤツなのよ!」

「…?」


743:

つい先ほどまで建宮は、マジギレした五和に怯え、

シェリーの“あの馬鹿に何かあったらテメェの肉塊でゴーレム作るからな?”という一言に怯え、

仲間からの“この大馬鹿野郎!またお前だけレイの秘密(シェリーに弟子入り)を知っていたのか!”という冷たい視線に怯えていた。

ぶっちゃけアックアと対峙するよりも恐怖を感じていたかもしれない。


「ま、おふざけはここまで」


だが、ここにきて空気が変わる。


「ここから先は――戦場だ」


天草式十字凄教の矜持を掛けた、絶望的な戦いが幕を開ける。

744:

深い闇の中、それでもアックアは“敵”の存在を感知した。

それでも欠片も動じることなく、淡々と言葉を放つ。


「準備はもう済んだのか?」


その言葉に応じるかのように、天草式のメンバーがその足音を響かせた。

誰もが武器を握るその姿は、まるで豪華なパレードのようだ。

剣、槍、斧、弓、鞭、鎖鎌、十手、鉄の笛。

様々な武器が鈍く光るその中で。

たった一人丸腰で立つ少女が、アックアにはやけに目立って感じられた。


(最初に戦った時は失念していたが、彼女が報告にあった魔術を使う能力者であるか)

(まさかゴーレム術式を行使するとは思わなかったが、あの拙さでは話になるまい)


そんなアックアの視線から彼女を庇うように、建宮が1歩前に出た。

それだけで、交渉の結果は火を見るより明らかだ。

745:

「交渉は決裂、という訳であるか」

「それ以外に何があるってのよ」

「別に。困るのは貴様達の方である。……唯一生き残る可能性のある選択肢を、自らの手で放棄したというのだから」

「どうやら、あなたは少し視野が狭いようです」


アックアの押しつぶすような気配を切り裂いて、丸腰の少女――フルチューニングが言葉を挟んだ。


「あなたに上条当麻の右腕を差し出さずとも、私たち全員が生き残る方法があるんですよ」

「ほう。一応その方法を聞いておこうか?」

「決まっています。あなたをここでボコボコにすればそれでOKです」

「…下らんな。私は聖人であり、『神の右席』としての力も有している」

「……」

「それを正しく理解した上で、なお守るべき者のために命を賭して戦うと言うのならば、私は期待するのである。人の持つ可能性とやらに」

「ならば、期待に応えなくてはいけませんね」


不敵に笑うフルチューニングに、アックアが笑い返す。

746:

「その大言が寝言でない事を期待しよう」

「その上で、勝つ」


そしてアックアは、メイスを構えるために半歩動く。

文字通り天草式を粉砕するつもりだ。


「勝負とは善悪ではなく強弱によって決定するものだという事を、私は証明するのである」

「…まるで、自分が悪だと認めているかのようなセリフですね?」

「所詮善悪など、価値観の違いに過ぎない」

「分からないのか? 力無き善は、時として悪よりも性質が悪いのであ――」


アックアの話はそこで終わりを告げる。

痺れを切らした五和が、ドバン!!と全力で海軍用船上槍を放ち――アックアを巻き込んで起爆させたからだ。


「…五和さん?」

「いっ、五和……ちゃーん?」


ポカーンと驚く2人を無視するどころか、五和は悔しそうに舌打ちまでした。

747:

無傷で現れたアックアが、呆れたように語る。


「人の話は最後まで聞くものではないかね?」

「……話なら、後で聞いてあげますよ」


フルチューニングと建宮を押しのけて、五和が前に出てきて宣言した。


「さんざんさんざんさんざんさんざんグチャグチャのグチャにブチのめした後に!」

「まだ顎が砕けていなかったらの話ですけどね!!」


事情を知る天草式の面々が、ことごとく目を逸らす。

唯一理解できないフルチューニングが、建宮に詰め寄った。


「(一体五和さんはどうしたのですか?)」

「(大丈夫よレイ。あれが恋する女って事。神様でも敵に回せるんだから)」


傍に寄り添う対馬が、妙に冷静にフルチューニングを諭す。

直接の原因となった建宮が呆然としている中で。

五和とアックアが、轟音と共に激突した。

748:

普通の人間であるはずの五和が、聖人であるアックアと渡り合う。

その理由は共に戦う天草式だ。

互いに動体視力や運動能力を補強し、増強して。1つの生き物として戦場を移動する。


(だが、あの少女だけは“動いていない”)

(女王艦隊における戦いで、致命的なダメージを受けているという話だが…)

(そんな弱点をみすみすさらして、この私に勝とうと考えているのであるか)


アックアの感じたとおり、フルチューニングがこの輪に入る事は出来ない。

それはあまりにも明確な標的だった。


「せめて、ゴーレム術式ぐらいは構築しておくべきであったな」


アックアが、メイスを振り下ろしながら彼女に言い放つ。そこには失望があった。

だがしかし。





「――当然、すでに完成済みですが?」

「なに…?」

749:

気が付けば、他の天草式が距離をとっている。

悪寒を感じたアックアがメイスで防御を取るのと同時。

バババババババババババババババババババババ!!!!!

対戦車用ライフルのフルオート――秒間12発の遠距離狙撃がなんと10丁分。

凄まじい爆音を引きつれて、辺り一帯を粉にする勢いで射出された。


「……これは」

「安心しました。あなたが防御を取ったという事は、“当たれば氏ぬ”ということですね?」

「まさか、狙撃兵を雇ったのであるか?」

「いいえ。これがレイのゴーレムです」


フルチューニングがオイルパステルを横に振るう。


「さあ、いきましょう《ゴーレム・フルチューニング》!」


再びライフルによる掃射が始まり、アックアが銃弾を叩き落としながら後ろへ下がった。

その間に、ズゥゥン!という音を立てて上の階層から着地した巨大ゴーレムが、“体に備え付いてある20の銃口”をアックアに向ける。

750:

「本当は、マシンガンやガトリングガンを付ける事が出来れば良かったのですが」

「れっ、レイ…ちゃーん? あんな威力があるとは聞いていないのよな…?」

「たまたま手に入った武装がこれだったんです」


今のフルチューニングが頼れるのは、どこまでいってもゴーレム術式だけ。

その術式を強化する事が出来ない以上、ゴーレムの“材料”を強化するしかない。

そう思い至った彼女が思い出したのは、初めての敗北だった。

負けっぱなしのフルチューニングが、最初に負けた『妹達』――あの時彼女達は銃を持っていた。

それだけではない。病院車の警護の時にも、彼女達は銃を携えていた。

フルチューニングが病院へ戻ったのは、銃器を借りるためである。


(無理を言って借りた鋼鉄破り(メタルイーターMX)10丁と、オモチャの兵隊(トイソルジャー) 10丁を武装として組み込みました )

(術式は師匠に遠く及びませんが、戦力の観点から見れば引けを取りません)

751:

50口径の対戦車砲ライフルと、5.6ミリ弾のアサルトライフル。

メタルイーターの暴力的な反動も、重く巨大なゴーレムなら全て受け止める事が出来る。

魔術に科学を取り入れた、フルチューニングならではの作戦だった。


「まさか、魔術人形に銃器で武装させるとはな」


土煙りの中、未だ傷の無いアックアが感心したように呟いた。

対しフルチューニングも、オイルパステルを彼に向けて静かに宣戦布告する。


「レイには、何が何でも叶えたい願いがありますから」

「詳しい“魔法名”の儀式なんて知りませんし、認められるかどうかも分かりません」

「…ふん」

「ですが、この魔法名は譲れません。今こそレイは宣言しましょう」








「――Crastinum000(届かぬ明日を掴む者)!!」


759:



第22学区のとある鉄橋


フルチューニングの名乗りに、アックアが薄く笑みを浮かべる。

圧倒的な攻撃力を持つゴーレムを前にして、なお彼は余裕を崩さない。


「覚悟は見せてみらった。魔法名を名乗られた以上、本気で相手をしなくては失礼なのである」


そして巨大なメイスを振りかざすと、恐るべき速度でフルチューニングへ突進した。


「こうなった以上、貴様の願い――“明日”は来ないと知れ!」

「レイは諦めません!この手で掴んで見せます!」


ズドンッ!!!!!

アックアの振るうメイスより二回りもでかいゴーレム・フルチューニングが、破滅的な一撃を受け止める。

760:

(何故だ…明らかに以前よりも強度が増している…?)

(まるで潤沢な“地”の加護を受けているみたいではないか)

(いかにここが地下空間とはいえ、我が一撃をこうもたやすく受け止めるなど…)

(魔術師になって日が浅いはずのこの少女、一体何をしたのであるか!)


それだけではない。組み合ったアックアに、ここぞとばかりに無数の弾丸が撃ち込まれた。

いかに聖人のアックアと言えど、肉体が人間である以上対戦車ライフルの弾が当たれば致命傷になる。


(まさか、この弾丸は…!)


弾丸を全て避け、弾きながらアックアはさらに驚愕した。

彼は、武器が銃弾である以上、このペースで撃ち続ければ数分で残弾が尽きると思っていた――が。


(間違いない、あのゴーレムは“自らの体を弾丸として射出している”…!)

(つまり自己修復機能がある以上、周りのモノ全てが無くなるまで無限に撃てるということである)

(…だがゴーレム術式に、このような変異式は存在しない)

761:

ゴーレムはあくまでも人の形を模した土人形であり、術式の目的からしてこの現象は有り得ない。

ただし、それは普通の魔術師ならばの話だ。

その事に気付いたアックアが、魔法名を名乗った目の前の少女を本気で敵として認識した。


(超能力――物理法則を捻じ曲げて超常現象を起こす力。それを司る世界唯一の魔術師、か)

(…確かに強敵だ。ならばこそ、最初に片をつけねばなるまい!)


最初に戦った時と同様、一瞬でゴーレムを破壊すれば脅威は無くなる。

基本的に戦場においてまず優先するべきは、脅威となるものの排除だ。

その事を熟知しているアックアが、標的のゴーレムに意識を集中する。

だが、この戦いは初戦と大きく異なる点があった。


「我らの事を忘れてもらっちゃあ困るのよな!」

「!」


彼女の周りには、天草式という頼りになる仲間がいる事だ。

フルチューニングがアックアと対峙している時間は、天草式が理想的な戦力展開(バトルフォーメーション)を出来る時間でもある。

全てが天草式の目論見通り。ゴーレムという圧倒的な戦力は、アックアの注意を奪うのに十分だった。

762:

「レイ(フルチューニング)という弱点も、ゴーレム(フルチューニング)という力も、全て単なる囮です」

「……」

「まだまだ未熟とはいえ、レイも天草式十字凄教の一員と言う事を忘れてはいませんか?」

「……見事である」


かつてフルチューニングが主武器にしていた、トラップ用の武器。

すなわち鋼糸。

天草式50人の指先から、それぞれ7本ずつの鋼糸がアックアへ向けて放たれていた。


「だが、それで勝てるとは少々甘い算段ではないかね?」


350本の“凶器”を、アックアは避ける事さえしない。


「ふん」


ただ純粋に、力技でその全てを引き千切った。

しかも、それだけでは終わらない。

鋼糸を破壊した者に襲いかかる、天草式の奥義――『殺人に対する罰』すら、アックアは無効化して見せた。

763:

「我が特性は罰を打ち消す『聖母の慈悲』。『神の罪』すら打ち消すこの私に、そんなものが通じるとでもおもったのであるか」

「これでもダメでしたか…潮時、ですね」


仲間のとっておきの術式で、ダメージが与えられない事をフルチューニングが嘆く。

同時にオイルパステルを一閃。指示を受けたゴーレムが全ての銃口から弾丸を掃射した。

凄まじい爆発音が響き、舞いあがった粉塵がアックアから視界を奪う。

その隙に天草式の全員(フルチューニングは建宮が抱きかかえた)は、この場から逃走した。

さらにゴーレムまでもが、その巨体を飛び上がらせて姿を消している。

一人鉄橋に残されたアックアは、それでも悠然と笑う。


「まあ、追う楽しみは増えたのであるが」

「それにしても…」

「あのゴーレム、術式の解除をするのではなく、わざわざ形を残したまま回収した」

「となると狙いは逃走経路のかく乱か、あるいは――」




「――すでに術師には、ゴーレムを再構成するだけの力が残っていないということであるな」


764:

同時刻、聖ピエトロ大聖堂の『奥』


ローマ正教にとって、最高の価値を持つこの場所で。

そのトップ、ローマ教皇ですら立ち入る事を恐れるこの場所で。

緊張感の欠片も含まない、ひどく俗な声が木霊していた。


「おいおい、そう怯えるなよ。せっかくこの俺様が、有意義な情報を提供してやろうというのに」


その声とは対照的に、相手の声には余裕が全く無い。

まるで化物と対話しているかのようである。


『あ、あ、だが…』

「さっきも言ったが、お前たちが手に入れるはずだった“実験品”を横取りした連中」

「――そう、天草式は今頃壊滅状態と見て間違いない」

『な、なぜ、そんなことを教えるのだ…!?』

「善意からさ」

『……』

「取り戻すチャンスは、今を置いて他にないだろう?」

『しかし…』

765:

渋る相手に対し、彼は甘い毒をさらに会話に含ませる。


「俺様は知っているぞ。今、お前たちの組織が存続の危機に陥っているという事ぐらいはな」

『う…』

「“科学結社”を隠れ蓑にして、あの実験品やら残骸(レムナント)を手に入れようとしたが悉く失敗」

「なあ、おい。復讐したくはないのか?」


そして。

相手はその誘いに堕ちた。


『…今ならば、天草式からアレを取り戻せるというのは本当だな?』

「もちろんだ。何しろ『後方のアックア』が殲滅に赴いているのだからな」

『わ、分かった。我らが復讐、ここに果たそう』


その言葉を最後に、神聖なこの場所に静けさが戻った。

通信術式を切断した彼――『右方のフィアンマ』は、満足そうにクツクツと喉を鳴らす。


(あのアックアが、そうそう後れをとるとも思えんが……)

(何事にも、保険は必要だからな)

(特にあの実験品は、もしかすると俺様の計画に影響を与えるかもしれん)

(なにしろ前方のヴェントを追い込んだ、『自爆誘導術式』の要なのだから)

(魔術を扱う事の出来る、超能力者)

(しかも所属は、十字教で唯一天使への攻撃術式を持つ天草式ときたもんだ)

(……危険な芽は、早めに摘んでおくに限る)


フィアンマに唆されたとある魔術結社が、再びフルチューニングの身柄を狙う。

襲撃は、速やかに行われた。

768:

第22学区のとある広場


戦場となった鉄橋から、300mほど離れた広場にて。

フルチューニングを下に降ろした建宮は、ようやく溜息をつく事を許された。

額の汗を拭う彼に対し、フルチューニングが悔しそうに質問する。


「あの術式でも歯が立たないなんて…建宮さん、どうしますか?」

「…ま、そう簡単にはいかないのよ」

「ごまかしにも限界があります、ね」


今までアックアと渡り合っていた五和が、辛そうに息を荒げてそう言った。

仲間同士で連携し互いに運動能力を高め合う事で、聖人であるアックアについていった天草式ではあったが、それにも限界はある。

もともと、只の人間が聖人と互角に戦える方がおかしいのだ。

769:

「一つ確認だレイ。…お前さんのゴーレムはどうなんだ?」

「このままの戦闘を続ければ、もって後10分が限界でしょうか。何故か術式の調子は良いのですが…」

「…正直なところ、ゴーレムよりもレイの体の方が厳しいです」


ゴーレムの行動は、全てフルチューニングが遠隔操作している。

習いたての彼女では、シェリーのように自動制御に切り替える事は出来ないのだ。


(10分…それぐらいは耐えてみせなくては!)


一方通行が“治療”したはずのノイズが、再び彼女の脳を痛めつける。

連続しての魔術使用は、確実にフルチューニングを氏へと近づけていた。


「それに、あれだけの銃撃を受けても無傷のアックアが相手では、破壊されるのも時間の問題かと」

「となると、こっちも『本命』を出すしかないってのよ。…覚悟を決めるぞ」


天草式の作戦の『本命』――そのカギを握る五和が、海軍用船上槍を握ったまま小さく頷いた。

770:

その時。

巨大な気配を持つ何かが、天草式のいるこの場所へ接近してきた。


「アックアです!」


フルチューニングが叫ぶよりも早く、全員が態勢を立て直すために撤退する。

第4階層まで逃げようとする天草式に、アックアの声が届いた。


「良いものを見せてもらったのである。こちらも返礼をしよう」


ドガガガガガガッ!!!

地下空間を行き巡る水道管が、次々と爆発して天草式に襲いかかる。


「ッ!?…レイ!!」


建宮がフルチューニングを咄嗟に庇い、飛んできた破片をフランベルジェで弾き飛ばした。

だが大量の破片全てを迎撃することは不可能であり、その幾つかは建宮の体や頭に直撃してしまう。


「ぐ、ちっくしょう!」

「建宮さん…そんな…ごめんなさい! レイが役立たずで…」

「これぐらい、大したことじゃないのよな」

771:

頭部からの出血が、建宮の顔を半分ほど赤く染め上げる。

それでも彼は、いつもと同じ笑顔でこう告げた。


「…お前さんは、絶対にこの俺が守る」

「た、建宮さん?」

「悪いな、こういう時にちゃんと格好つけた言葉の1つも出てこないとはよ」

「いえ……そのう、十分に格好良いです」

「そうか、そいつは嬉しいなあ。じゃあ後は、この口から吐いた言葉を本当にするだけよな」


聖人の力。

神の右席の力。

さらには通常の魔術。

アックアの持つ聖母崇拝の術式は、それら全ての行使を可能にする。

そんな次元の違う怪物を前にして、それでも天草式は諦めない。


「ただし、私一人とは限りませんけど」


アックアと向き合う五和のその言葉に応えるように、建宮を始めとした天草式がアックアに飛びかかった。

772:

天草式50人の攻撃を、アックアは全て薙ぎ払う。

その様子を見て、フルチューニングはギリリ、と歯を食いしばった。


(このままでは、五和さんたちの“準備”が整う前に全滅してしまいます)

(…これが最後。存分に暴れなさいゴーレム・フルチューニング!)


巨大なメイスで五和を叩き潰そうとしたアックアはしかし、その手を振り下ろす事はなかった。

嫌と言うほど経験した、最大の脅威を上空から感じ取ったからである。


「ようやくのお出ましであるか!」


上の階層から飛び降りたゴーレムの一撃は、その重量だけで立派な武器と言える。

ただし、相手がアックアでなければ。

自分より何倍も大きいはずのゴーレムを、彼はしっかりとメイスで受け止めてみせた。


「このゴーレム、武装が銃である故に仲間と連携できないのは致命的であるな」


その上、作戦におけるゴーレムの欠点も見抜いていた。

773:

術式の拙さを補うためのライフルは、“仲間に当たる可能性”がある。

しかもその威力が高すぎるため、万が一が無いように注意深く運用しなくてはならない。

つまりは。


「ゴーレムの攻撃が来る前に、必ずお前たちはその場から離れる」

「いかに強力な攻撃とはいえ、事前に来ると分かっている以上対処は容易い」


それともまた通用しない鋼糸を使うのであるか、とアックアが嘲笑する。

彼の誇る実力の前では、対戦車ライフルを備えたゴーレムとて通用しない。

フルチューニングは、それでも無言でオイルパステルを構えなおした。


「……」

「これならばいっその事、ゴーレム単独の力押しの方がまだマシだったのではないかね?」

「……」

「それにどうやら、この術式もそろそろ限界の様であるが」

「その通り、もう長く持ちません。結局このゴーレムではあなたを倒すことなど不可能でした」


言葉は明快なのに、アックアはフルチューニングの言葉を理解出来なかった。

負けを認めるセリフを口にしながら、彼女が微笑んだからだ。

774:

「ですが、最初からゴーレムであなたを倒す気などありませんでしたので」


フルチューニングがしれっと答えるのと同時。

巨大なゴーレムはアックアに覆いかぶさり、文字通り彼を抑え込んだ。


「無駄なあがきを…!」


アックアがゴーレムを破壊するのにかかる時間はわずか2秒。

そしてそれは――『本命』を準備するのに、十分すぎる時間だった。

彼がその事に気づいた時。

バラバラに砕け散ったゴーレムの向こうで、五和が槍の穂先をアックアへ突きつけていた。


「くっ!?」


咄嗟にゴーレムの残骸を踏みつけて上へ逃げるアックア。

だが、そのまま逃がすような真似を天草式はしない。


「――建宮さん。それにみんなも!!」

「今こそ『本命』を!!」


775:

五和を中心に、天草式が特殊な陣形を組む。


(こ、れは――!?)


アックアが疑問を口にするよりも速く、五和がゴバッ!!という爆音と共に彼へ迫った。


「喰らいなさい」


天草式全員が一体となって発動した、『本命』がアックアに牙をむく。


単純な戦闘力では随一のゴーレムを、戦いの主軸に据えなかった真の理由。

かつて天草式が失った、誰よりも優しい聖人――彼女と共に歩むための強さ。

彼女を支え、理解し、壁を超え。彼女が脅威と思うような問題にさえ立ち向かう為の力。

この世界でただ1つ、天草式十字凄教だけが編み出す事に成功した『聖人を倒すためだけに存在する』専用特殊攻撃術式。


「――聖人崩し!!」


この術式によって雷光となった五和の槍は、アックアの聖人としてのバランスを崩し、莫大な魔力を体内で暴走させる。

天草式の奥の手が、アックアへ容赦なく突き刺さった。

780:

第22学区のとある広場


全力を掛けた一撃。

その確かな手応えを感じた五和は――


「良い術式である」


その表情を凍りつかせた。

目の前にいるのは、聖人崩しの術式を解除され、“ただの槍”となった海軍用船上槍を掴むアックア。


「私がただの聖人なら、ここでやられていたかもしれないな」

「だが惜しい」


片手で槍を掴んだまま、アックアがメイスを五和へ振るう。

781:

「五和さん!」


近くにいたフルチューニングが、彼女を庇おうと前に出る。

が、すでに彼女の唯一の武器(ゴーレム)は存在しない。


「――私は聖人であると同時に、『神の右席』でもあるのだよ!!」


ドッパァ!!という凄まじい音が響く。

華奢なフルチューニングの体は、盾になることすら出来ずに吹っ飛ばされた。

彼女だけではない。

周りで防御術式を組んだ天草式の全員を巻き込んで、辺り一帯がミサイル攻撃を受けたかのように爆砕する。


「ぐ……!」


粉塵の中、“頭部への一撃”を喰らったフルチューニングが、よろよろと立ち上がった。

その時。

辛うじて意識の残る彼女は、自らの異常を感じ取って戦慄する。

782:

ズキリ、ズキリ。


(……この感覚は……!?)

(あの時、オルソラ教会で感じた…)


徐々に彼女の目から光が消えるのと同時、それに比例して意識も消えていった。


「――魔術変換用チップの重大な損傷を確n」

「ぎ、あああああ!!!」


だが、すでにチップの存在を自覚していたフルチューニングは、ギリギリのところで自分(レイ)を取り戻す事に成功する。


(は、初めて会えましたね。あなたがもう一人の私(ミサカ)ですか)

(――自己修復完了まで残りおよそ3000秒)

(つまり50分も、レイは魔術を使えない?)

(――魔術使用モードを強制的に終了します)

(――通常モードでネットワーク再接続開始)

(チップが壊れたおかげで、ミサカネットワークに…?)

(――失敗。脳波の乱れが激しく、接続は拒否されました)


どこまでも運のない自分に、思わずフルチューニングは舌打ちする。

783:

(この“ノイズ”とやらの所為ですか…!)

(――チップをある程度修復することで、ネットワーク接続の補助が可能)

(――その為の所要時間はおよそ1000秒)

(それでは、全然間に合いませんね)

(つまり今のレイには、攻撃手段は皆無という事に……)


自分の状況を吟味して、絶望的になるフルチューニング。

そんな彼女に、アックアの最後通牒が突き付けられた。


「選択を与えよう。あの少年の右腕を差し出すか、ここで路上の染みとなるか」

「……何度、聞いても…同じ、ですよ」

「強がりはよせ。すでに貴様は、ゴーレムを新たに作り上げる事は出来ない」


そんな事は、他ならぬ自分が一番良く理解している。

それでも。

ここで諦めるという選択肢は、天草式の誰にとってもありえない。

その覚悟を感じ取ったアックアは、静かにメイスを掲げた。

この一撃で、フルチューニングの命を刈り取る為に。

784:

「氏を望むなら、波間に消えると良いのである」

「そんなことを、許して堪るかってのよ!!」


満身創痍の建宮が、彼女を庇って立ちふさがる。

アックアが2人まとめて葬ろうとして――その手を止めた。

理由は殺気。

しかもこの場にいる人間のモノではない。

ここにいる天草式の誰よりも強く、明確なそれに、アックアは反応せざるを得なかった。


「……なるほど」


彼が浮かべるのは笑み。

強敵を前にした時の、獰猛な表情だ。


「命拾いしたのであるな。貴様らの主に感謝しろ」


その言葉の意味を、フルチューニングが理解するよりも速く。

バン!!という爆音を残して、アックアは姿を消していた。


「……どういう、ことよな…?」

「もしかして、“あの人”が?」

785:

激戦地から、200mほど離れた展望台で。

世界に20人といない聖人。そのうちの2人が、静寂の中対峙していた。


「私の『仲間』達が、世話になりましたね」


そう冷たく告げるのは、天草式十字凄教の元女教皇、神裂火織だ。

本来任務で忙殺されているはずの彼女がここにいるのは、とある“嘘つき”のおかげだった。

彼がシェリー・クロムウェルから受けた、頼みごとの1つ目。

――神裂火織の任務を、アックア戦に間に合うように調整してほしい。

その為には上層部を誤魔化す必要があったのだが、彼にとっては大した問題ではなかった。

神裂は心の中で彼に感謝しながら、目の前のアックアに刀を向ける。


「どうやら私は自分で考えていたよりも、ずっと幼稚な人間だったようです」

「彼らが蹴散らされる様子をまざまざと見せつけられたせいでしょうか」

「いけませんね、こんな魔法名を背負っているのに。『怒り』は七つの罪の一つだと、そう教えられたはずなのに」

786:

彼女の心に浮かぶのは、かつて共に歩んだ天草式の仲間の顔。

そして、誰よりも不器用で素直なとある少女の顔だった。


(あの子の流した涙を、無駄にする事は出来ません)

(ならば――)


「ぐだぐだと悩むのは止めましょう。彼女たちの決意を無駄にはしない。それだけで十分です」


あの少女が。天草式が。その身に抱く願いを、このまま踏みにじらせる訳にはいかない。

世界が破裂する音を道ずれに、2人の聖人が激突した。

787:

呆然。

唖然。

あるいは愕然か。

フルチューニング以外の天草式は、そんな感情を持って聖人同士の戦いを見ていた。

すでに2人は大地を破壊し、第5階層へ降り立って激戦を繰り広げている。

今までの天草式の戦いなど、遊戯にもならないような氏闘。


周りの反応に気がつかないフルチューニングは、戦いの行方を1人真剣に観察していた。


(これは…スケールが違いすぎます)

(ですが、見た限りでは女教皇が劣勢…)

(何か手助けをしなくては)


ガシャン。

彼女の思考を遮ったのは、悲しい響きを持つ音。

五和の海軍用船上槍が、力なく地面に落ちる音だ。

788:

「何を…?」


慌てて槍を拾おうとするフルチューニングだが、音はそれだけでは無かった。

他にも何人もの仲間たちが、自分の武器を落としたり膝をついたりしている。

彼らの顔に浮かぶのは、圧倒的な無気力感。

フルチューニングは、初めて女教皇と交わした会話を思い出した。


――「建宮は教えたのですか…」

――「かつて私の力が足りなかったが故に、天草式の仲間を傷つけ、失わせてしまった事を」

――「私の所為で、かつて天草式は傷ついたのです」


そしてその時、自分が感じた懸念も。


――(つまり簡単に言えば、天草式のみんなは弱くて危ないから付いてくるなという意味では無いですか!)

――(一生懸命にあなたを迎えようとしているみんなの努力を、ちっとも期待してないという事ですか!)

――(…あの様子では、信用はしても信頼はしていないってところでしょうか)

――(実際に力が遠く及ばない以上、仕方ないのかもしれませんが…)

――(このままでは、いつまでも建宮さんたちとすれ違ったままです)


今の状況は、まさにそれではないか。

789:

あまりにも強い力は、時として残酷なほどに人を打ちのめす。

物理的な意味では無い。

力の差が、圧倒的な“無気力感”となって人の心を抉り取るのだ。


「しっかりしてください!」

「……レイ…」


あの建宮でさえ、力なく項垂れている。


(あなたのそんな表情を、仲間のそんな光景を、レイは絶対に見たくないのに!)


だから彼女は、建宮に掴みかかった。

もはや0に等しい力を振り絞り、彼を怒鳴りつけた。


「何をしているんですか!?」

「『今ここで戦えるのは俺達だけだ!!』、建宮さんはそう言いました!」

「……ああ。だが今は……」

「女教皇が来たから、もうレイたちは必要ないって言いたいのですか!」

「……」

「まだ氏んでないレイたちが、いつ戦えなくなったのですか!」

「確かに女教皇の強さは、レイたちの比ではありません」

「ですが、それが何だというのですか!」


一拍置いて。

フルチューニングは渾身の叫びを放った。




「――あの時、レイを助けてくれたのは、女教皇ではありません!」


790:

「!!」

「魔術組織に売却されるはずのレイに手を差し伸べたのは、女教皇でしたか!?」

「『妹達』に射殺される寸前のレイを助けたのは、女教皇でしたか!?」

「アニェーゼ部隊の暴力からレイを守ったのは、女教皇でしたか!?」

「女王艦隊で氏にかけたレイを命懸けで救ったのは、女教皇でしたか!?」

「……レイ」

「レイに名前と居場所をくれたのは、女教皇でしたか!?」

「全部全部、ここにいる天草式のみんながしてくれた事です…!」

「生きる意味すらないこの失敗した試作品に、これだけの事をしてくれたんですよ!」

「なのに、どうして女教皇と比較して恥じるんですか!」


ふいにガクリ、とフルチューニングから力が抜ける。

限界に達した体は、意思に反して動かない。


(こんな、ところで――!)

(レイは散々自らに失望しました)

(これ以上、挫折を味わいたくはないのに……)


聖人の声が届いたのは、その瞬間だった。

795:



第22学区、第5階層


同じ聖人でありながら、アックアは神裂を圧倒した。

神裂は、『唯閃』と呼ばれる特別な術式によって聖人としての力を制御している。

一撃必殺の抜刀術という形でなければ、自分に宿った力が自らを破壊してしまうからだ。

だが、アックアは違う。

神裂以上の聖人としての力と、神の右席としての力を平然と両立して振るってくる。


(……聖人と、『神の右席』……)

(……その双方の力を共存させるための術式が、必ずどこかに存在する……ッ!!)

796:

その秘密を分析しようと試みる神裂だが、全てを粉砕するアックアのメイスが余裕を与えない。

ガッギィィ!!という強烈な一撃を刀で防御するも、体ごと吹き飛ばされそうになる。

それでもアックアは容赦しなかった。

すでに半分以上の力を失った神裂に対し、巨大なメイスを叩きつけようとして――

彼女の七天七刀がぶつかり、鍔迫り合いになる。


「その憤り……圧倒的に実力の違う一般人や天草式の人間を、聖人の戦いに巻き込むなと言いたいのか?」


アックアは容赦なく告げた。


「だがこれが戦場である。同じ条件、対等な環境で戦うスポーツとは違うのだ」

「それが嫌ならば、初めから『ここ』に立とうとするな」


完全に押し負けた神裂が、刀を引いて崩れ落ちそうになる。


「力なき者に戦わせる理由など、どこにもない」

「刃を交えるのは、真の兵隊だけであれば良いのである」


そう語るのは、神裂と同じ聖人。

彼女には、力持つ者アックアの姿が、どこか過去の自分と重なって見えた。

797:

(私はかつて、彼と同じように感じていました)

(私の力が足りなかったが故に、天草式の仲間を傷つけ、失わせてしまったと)

(私が守ってあげられなかったから、彼らが氏んだのだと)

(なんて……)

(なんていう傲慢な考え方でしょう)

(あの時、あの子が教えてくれたではないですか……!)


――「それでも…いずれあなたを再び迎え入れる為に、みんなは戦っています」

――「あなたに相応しい場所である為に!…レイを救い、オルソラを助け、アニェーゼを守りました!」

――「そのみんなを、あなたは侮辱したんです!」


(なるほど確かに、これは彼らへの侮辱でした)

(彼らの今までの努力を、その力を)

(私は欠片も当てにしていなかった)

(あの子に怒られるのも、当然じゃないですか)


ならば。

自分が取るべき道は何か。

今の神裂には、その答えが分かっている。

798:

崩れ落ちたフルチューニングは。

いや、そこにいた全ての天草式の面々は。

聖人の声を確かに聞いた。


「――、……を」

(今のは……)


フルチューニングが、注意を促すまでも無い。


「力を貸してください、あなた達の力を!!」


彼らに届いたのは、他の何よりも待ちわびた1つの声。

絶対に届かないはずの神裂火織が、自分たちに協力を求める声だった。


「―――あ」




あの女教皇様が認めてくれた。

単なる重荷としての仲間ではなく、共に肩を並べる戦力と言う意味での仲間として。





それからの光景を、生涯フルチューニングは忘れなかった。


799:

彼女の眼に映るのは、


――武器を拾い上げる者


――雄叫びをあげて戦意を奮い立たせる者


――世界で最も明るい涙をこぼす者


――ただ静かに、幸福を噛み締める者


――再び自分の足で立ち上がる者


そんな光り輝く天草式の姿だ。


(この天草式の一員である事を、今日ほど誇りに思った事はありません)

(……救われぬ者に救いの手を)

(そこに助けたい人がいる以上、レイだって立ちあがらなくては!)

800:

崩れ落ちたはずのフルチューニングに、これまでにない力が満ちる。

その時。

ゆっくりと立ち上がろうとする彼女に、手を差し出す者がいた。


「……レイ。目を覚まさせてくれて、ありがとうなのよ」

「建宮さん……」

「お前さんにも、戦う理由はまだあるな?」


天草式教皇『代理』、建宮斎字だ。


「……はい、教皇代理」


何時かと同じ、フルチューニングの返事を耳にして。

建宮は仮の指導者として、最後の指示を出した。


「……行くぞ」


もう一度。


「行くぞ! 我ら天草式十字凄教のあるべき場所へ!!」


叫び声と共に、その場にいた全員が我先にと戦場へ突き進んだ。

801:

神裂を守るように現れた天草式を見て、アックアは険しい顔をする。


「弱者に救いを求めるだと……。それほどまでに、命が惜しいのであるか」


対し神裂は、笑みを浮かべて否定した。

かつて天草式に起きた悲劇を、再び見つめなおしながら。


仲間を『弱い』と断じ、背中を預ける事さえできなかった。

たった1人で戦う事で、敵に大きな隙を見せてしまった。


「この傲慢が、『守ってやる』という優越感が、全ての悲劇の元凶だったんですよ!!」

「だから私は克服します」


言葉を受けて、天草式が武器を構える。


「彼らを信じ、背中を預け、互いが互いの力を最大限に発揮する事で、私は私の天草式十字凄教を取り戻してみせます!!」

802:

天草式など、只の背景と変わらない。

そう思ってメイスを振るうアックアに、神裂が拮抗してみせた。

他ならぬ天草式による、防護術式の加護を受けて。

それだけではない。

聖人以上の力を扱うアックアの、その秘密までも暴いたのだ。

すなわち、神の子と聖母の両者の特徴を持つ二重聖人。

その弱点は――。


「――『聖人崩し』です!!」


聖人以上の力を宿すアックアが、その力を体内で暴走されたらどうなるか。

その高い力が翻って彼に牙をむき、彼自身を起爆させるのは明らかだった。

それを聞いたフルチューニングが、しっかりとアックアを見据える。


(今ここに策は定まりました)

(残る問題は、どうやって『聖人崩し』をアックアに当てるか)

(――術式に参加できないレイが、やるしかありません)

(この手で、明日を掴むためにも)


バチリ。

以前とは比較にならないほど弱い電流。

かつて2億ボルトの電撃を撃ちだせた時と違って、今は5万ボルトが限界だ。


(ですが……今のレイには、これで十分です!)


魔術を使えない魔術師が、最後の攻撃を開始した。

809:


第22学区、第5階層


弱点を見破られても、アックアから余裕が失われる事はなかった。

それほどまでの、絶対的な力の差。


(この中で私と打ち合う事が出来る人間は、神裂火織ただ1人である)


ならば、まず彼女を打ちのめしてしまえばそれでケリがつく。

そう判断したアックアが、狙いを絞りメイスを振りまわす。

だがそれを、再び神裂が七天七刀で受け止める。

ギリギリと両者の武器が火花を散らす中、この場において最も無力なはずの人間がアックアに近づいた。


(もはや動くことすらままならない弱者が、わざわざ氏にに来たのであるか)

810:

攻撃などしなくても、勝手に衝撃波に巻き込まれて倒れそうな少女。

今彼女に注意を向ければ、その隙をついて目の前の聖人(ツワモノ)が一撃を叩きこもうとするだろう。


(この少女は、絶対にゴーレム術式を使えない)

(たかが意地でこの戦いに参加したところで、何の成果も残せはしないのである)


だからこそ、アックアはフルチューニングを相手にしなかった。

戦場における脅威は、誰がどう見ても彼女ではなく神裂火織の方だったから。


だが次の瞬間。

彼は驚愕する事になる。

歩くことすら覚束ない無力な魔術師が、一瞬でその姿を消して見せたからだ。

811:

(――チップの通信基盤の修復を、完了しました)

(――通常モードでネットワーク接続、成功)

(……結局、魔術を使う事は出来ませんでしたが、かえって良かったかもしれません)

(もう、迷う必要はないという事ですから)


自分の体内に電気を流し、筋肉を収縮させることによる一時的な身体能力強化。

それまでとは明らかに違う速度に、一瞬アックアはフルチューニングの姿を見失った。

神裂と刃をぶつけている以上、半分氏んでいるかのようなフルチューニングに注意を向けてはいられなかった為でもある。


(あなたが司る属性は『水』)

(先ほど水道管を破壊してくれたおかげで、ずいぶんと“濡れています”ね?)


背後に回ったフルチューニングが、アックアの背中に手を置いて呟いた。


「レイだって、戦える」

「キサマ……そうか能力を!?」

「レイだって、みんなの力になれる!!」


直後、彼女の能力――5万ボルトの電撃が、アックアの体に迸った。

812:

聖人はその体に凄まじい力を秘めているが、その肉体は人間である。

その中身は骨であり、血であり、皮であり、脂肪であり、そして筋肉であるという事に変わりはない。

濡れている人体が5万ボルトもの電撃を受けたのなら、普通は間違いなく絶命する。


(まあ、この化物じみた敵が相手では、気絶すら望めませんが)


「グ……」


それでもフルチューニングの流した電撃は、無警戒だったアックアの筋肉を強制的に硬直させた。

そして――そのチャンスを、神裂たちは見逃さない。


「槍を持つ者よ、今こそ『処刑』の儀の最後の鍵を!!」

「ッ!!」


その言葉を受けて、五和が海軍用船上槍を用意する。

これでチェックメイト――のはずだった。

813:

不意にアックアから、動けないはずの彼から力が漏れる。

いや、それは爆発すると言った方が適切かもしれなかった。


「……面白い」

「天草式十字凄教であるか。その名は我が胸に刻むに値するものとする!!」


天草式の準備が終わるよりも速く、アックアは止めを刺す為に飛び上がった。

如何なる術式を用いたのか、彼は自分の体を魔術でコントロールしている。

その跳躍の高さは、第4階層にまで達した。


(この手を、離す訳にはいかない……!)

(レイたちの明日を、諦めて堪るものですか!)


それでもフルチューニングは、しがみついた両手を決して離さない。

しかし、アックアの攻撃は止まらなかった。


「聖母の慈悲は厳罰を和らげる」

「ダメ!」

「時に、神に直訴するこの力。慈悲に包まれ天へと昇れ!!」


下にいる天草式の仲間が、この攻撃を喰らえばどうなるか。

未だ術式が完了してない以上、待っているのは氏のみだ。

恐るべき速度で落下する彼の一撃が、全ての希望を消滅させてしまう。

あえてもう一度、同じ言葉を使うならば。


これでチェックメイト――のはずだった。

814:

そこに絶望は生じていない。

フルチューニングが恐る恐る目を開いた時、そこには“何も起きていなかった”のだ。

何故ならば、そこにいたツンツン頭の少年が。

フルチューニング以上にボロボロのはずの無能力者が。

かつて『妹達』をフルチューニングの代わりに救ってくれた少年が。

その右手で、アックアのメイスを正面から掴んでいたからだ。


今の彼の攻撃は、その全てが魔術によるものである。

フルチューニングの電撃により、筋肉は硬直しマヒしているのだから。

だからこそ。

上条の右手『幻想頃し』は、その全てを容赦なく無効化させる。


「貴様ら!」

815:

腕力をフルチューニングの電撃が。

魔力を上条当麻の幻想頃しが。

アックアという強者の力を、2人が完全に抑え込んだ。


「二人とも!」


それだけではない。

傷ついて倒れ込みそうな2人の弱者を、聖人である神裂が支えに走る。

今ここに、全ての準備(カクゴ)は整った。

その場にいる仲間の気持ちを、五和が1つにまとめて光の一撃とする。


「任せておいてください……」

「――必ず当てます!!」


走る五和を前にして、アックアはそれでも雄叫びをあげる。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


『聖人崩し』


一撃を受けたアックアは湖へ吹き飛ばされ――轟音と共に起爆した。

816:






だが、戦いはまだ終わらない。







817:

(……ここは……?)


フルチューニングが意識を取り戻した時、最初に感じたのは温かさだった。


(最後の一撃の直前、レイは吹き飛ばされたはずですが、一体どうなったのでしょう?)


「良かった、目を覚ましたか」

「!」


感じていた温かさの正体は、建宮の手だ。

彼が膝枕をして、自分の頭を優しく撫でている。


「やっぱり、お前さんは無茶をすると思ったのよな」

「こ、れぐらいは…平気です」

「心配させやがって」

「……ごめんなさい。あれ? 他の、みんなは……?」

「今連絡をする。お前さんは1人上の階層まで飛ばされたから、探すのに手間取ったのよ」

818:

そう言って携帯電話を取り出した建宮だったが。


「悪いが、そうはいかない」


突然銃弾が飛んできて、携帯電話を破壊される。

しかも辺りを30人ほどの黒ずくめに囲まれた。

フルチューニングをそっと地面に寝かすと、建宮は警戒しながら尋ねる。


「何者だ、お前さん方は?」

「……分からないのか」


“敵”の言葉を聞いた建宮は、フランベルジェを握りしめ、冷たい口調で告げる。


「悪いが、そんな趣味の悪い衣装に身おぼえなんぞありゃあせんのよ」

「クック……そうか」


リーダーらしき男が前に出て、自分の覆面を取る。

その顔を見て、建宮は驚愕した。

819:

「まさか、あの時港で戦った……」

「そうだ!!」


男の顔が、嗜虐的な色に染まる。


「そこで転がっている実験品の取引を、お前に妨害された人間だよ!」


まるで建宮を追い詰めるのが楽しくてしょうがない、といった感じで。


「あの方から聞いた通り、確かに天草式は今戦闘力を失っている」

「テメェ!」

「復讐だ! 我々が受けた屈辱を、この場で晴らすのだ!」


男の声を合図に、30人が武器を構える。

彼らが持つのは、ただのテ口リストが使うような重火器だ。

魔術師として侵入すれば、イギリス清教を敵に回す事になる。

そのための隠ぺい工作だった。

かつて“科学結社”と取引をしていた彼らにとって、通常の兵器を用意するのは難しい事ではない。

そして圧倒的な武装を見せつけると、男はフルチューニングを指し示した。


「そこのクローンは生け捕りだ、分かっているな?」

「は!」

820:

その言葉を聞いて、フルチューニングは愕然とする。


(レイを回収するために、これだけの兵力を……?)

(あれだけの戦いの後で、建宮さんが動けるはず無いのに!)


だが、選択の余地はなかった。


(こんなところで、みんなと別れるなんて嫌です!)

(ですが、建宮さんを失うよりは、ここでレイが素直に付いて行った方が……)


チップは破壊され、魔術は使えない。

30人を相手に、能力で戦えるはずもない。

――だが、フルチューニングは1つ忘れていた。

チップを破壊されて、さきほどから彼女はミサカネットワークに接続できているという事を。

そしてネットワークに繋がっているという事は。


「は、良い度胸じゃねェか。この俺の前で、そンな3流のセリフを吐くなンてよォ?」


妹達の守護者である『最強』に、その叫びが届くという事だ。


「面白ェ。この地下市街に、愉快なオブジェにして飾ってやンよ」

829:


第22学区、第5階層


目まぐるしく変わる展開に、フルチューニングはまともに反応する事が出来なかった。


「どうして、あなたがここにいるのですか……?」


只一言、そう問いかけるのが精一杯。

それに対し『最強』は、


「うるせェな、大人しく寝てろ」


そう答えるだけ。

だが、それだけで十分だった。


(そうか、きっとあの子が……)

(感謝しなくてはいけませんね。あの末っ子と、その最強の保護者に)

(もう……大丈夫……)


絶対的な安堵の感覚を最後に、フルチューニングは意識を手放した。

830:

「我々の邪魔をする気か、貴様は!」


謎の闖入者に激昂した男が、持っていた銃を『最強』に向ける。

それでも。

自分の方を向いた銃口を見て、『最強』……一方通行は歪んだ笑みを見せた。


「そォだよ、最初からそうしてりゃ良かったンだ」

「だってのに、よりにもよってアイツに銃を向けちまうから、こういう事になる」


『最強』が胸に宿す一つの誓い。

たとえ何があったとしても、『妹達』を守る。

哀れな敵対者は、その生命線に汚い手で触れた。


「さァて、ショウタイムの時間だ」

「――喜べよ、ソコは特等席なンだぜ?」


始まったのは蹂躙。勝敗など、語るまでも無い。

831:

“全て”を片付けた一方通行は、意識の無いフルチューニングに目を向けると、チッと舌打ちした。


「相当面倒なことになってやがるな。あンだけ言い聞かせたっていうのによォ」


そして携帯電話を取り出すと、最も信頼する医者へ連絡を取った。


「……ああ、準備は出来てンだろォな?」

『大丈夫。問題無いね』

「じゃあ今から運ぶ。芳川にも連絡を取れ」

『すでにここに来ているよ? 本人は自信が無いと言っているけどね?』

「知った事かよ。天井以外で、このガキに詳しいのはあいつしかいねェンだ」

『分かった分かった。僕も彼女も全力を尽くすよ』


通話を終えた一方通行に、今まで黙っていた建宮が声をかけた。


「お前さん、一体何者なのよ?」

「あ?……聞いてどォするンだ」

「そうよな、質問を間違った」

832:

「……」

「お前さん、レイにとって何者だ?」

「……ハ!」


からかうような一方通行の笑い声に、建宮は怯まないで続けた。


「もちろん、助けてくれた事には礼を言う。本当にありがとうなのよ」

「だが男として、惚れた女を連れてく人間を、このまま放っておく訳にもいかんよなあ?」

「下らねェ」

「な……に?」

「何を有り得ねェ心配してやがる。今からこいつを入院先の病院へ戻すだけだ」

「……そうか」

「ついでに教えといてやる。テメェは俺が“何者”かって聞いたな?」


その一瞬。

建宮は、目の前の白い『最強』が漆黒に染まったかのような印象を受けた。


「――悪党だ。クソったれの悪党だよ」


それは、まだ一方通行の翼(ココロ)が。

闇色を纏っていた時のお話。

833:

第7学区のとある病院


緊急処置を終えたフルチューニングは、培養器の中でぷかぷかと浮いていた。


※手術着を着ているから、お色気イベントは発生しないよ!


彼女が目を覚ました時には、すでにある程度の治療が済んだ後。

体力の回復にはしばらくかかるが、さしあたっての問題は回避されていた。

とは言え、彼女の脳にあるチップを摘出できた訳ではない。


(あのゲコ太先生が言うには、チップを外そうとすると脳ごと融解してしまうとか)

(摘出方法を開発するのに、時間がかかるのは当然のことです。しかし……)


代わりにフルチューニングに施された処置は。


(このセンスのない“チョーカー”はどうにかならないのですか!)


真っ白なチョーカーを、首に付けるというものだった。

834:

カエル顔の医者と芳川が共同で発明したこのチョーカーは、チップの働きを阻害する効果を持つ。

これを付けている限り、フルチューニングはノイズに悩まされる事はない。

しかも。


(まあ、“スイッチ”を切り替える事で『魔術の行使』と『ミサカネットワーク接続』を選べるというのは嬉しいですけど)


チョーカーのスイッチを切れば、チップは動き魔術を扱う事が出来る。――もちろんノイズを覚悟しなければならないが。

芳川という研究者が言うには、如何なる方法で天井がフルチューニングの能力を強化したのかは不明らしい。

あの女王艦隊で失ったパーツを、復元するのは絶望的という意味だ。

それはつまり、彼女が二度とレベル4の発電能力を取り戻せないという意味でもある。


(ですが、レイは諦めません)

(考えてみれば、オリジナルは部品無しにレベル5の力を扱っているのですから)

(重要なのは、『自分だけの現実』の強化)

(いずれ魔術を使えなくなる以上、天草式の“魔術師”として戦う為には能力が必要です)


魔術を使える超能力者から、超能力を使う魔術師へ。

フルチューニングは、真っ直ぐに明日を見つめていた。

836:

これから先、遠くない未来で。

フルチューニングは『素養格付(パラメータリスト)』と呼ばれる存在を知る。

それは彼女の希望を確信へと変えさせた。

妹達のオリジナルである御坂美琴は、かつてそのデータに基づいてDNAマップを狙われた。

研究者たちは、彼女が将来レベル5に到達することが分かっていたので、あらかじめ小さな時にDNAマップを提供させたのだ。

と言う事は。

裏を返せば、能力の強さはDNAとは“無関係”という事を意味している。

DNAマップを提供する“前”に、彼女がレベル5になるという結果が分かっていたのだから。

つまりDNA以外の“何か”が、あらかじめ能力を決めているのだ。

ならば何故『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム) 』は。

クローン体から超能力者を発生させることは不可能だと予言したのか。

その秘密を、フルチューニング“達”は学園都市を遠く離れた異国の地において知ることになる。

837:

そんなことを知る由も無いフルチューニングは、培養器の中でウトウトしていたが。


「お邪魔しますにゃー」

「?」


彼女の病室に、見慣れないサングラスの男が入ってきた。


「あなたは誰ですか?」

「おっと。そういやあ、こうして会話するのは初めてだったもんなあ」

「は?」

「んじゃあ、改めまして。『必要悪の教会』所属、土御門元春っていうんだぜい」

「……あなたも魔術師なのですか」

「そうそう。こう見えて神裂ねーちんやシェリーとは同僚になるんだにゃー」

「それはスゴいですね……!」

「おおう、新鮮な反応。で、だ。ここに来たのは“種明かし”をするためで」

「種明かし?」

「そう。今日起きた出来事の、解説の時間だぜい」


そう言って、フルチューニングの“先達”である嘘つきは楽しそうにニヤリと笑った。

844:


第7学区のとある病院


「……解説とは?」


土御門の胡散臭そうな笑みを前にしたフルチューニングが、訝しげに呟く。

その反応を一向に気にしないで、彼は得意げに胸を張った。


「お前さんのお師匠サマから頼まれた、ひっじょーに面倒な仕事の話ぜよ」


ここで愚痴らないと、正直やってらんないにゃーと彼は嘯く。


「依頼で忙しいはずの神裂ねーちんが、どうして都合良くアックア戦に間に合ったと思う?」

「もしかして、あなたが女教皇のスケジュールを調整してくれたのですか!」

「うーん、素直に感心してくれるとオレも解説のし甲斐があるってモンだぜい」

「でもまあ、調整って言ってもちょろっと上の連中を誤魔化す程度だから、大したことないんだけどにゃー」

845:

そう土御門は言うが、自分が想像するより遥かに難しい綱渡りだったのだろう、とフルチューニングは直感した。

しかもそれをあのシェリーが頼んでいたというのだから、驚きだ。


「むしろ本当に骨が折れたのは、別の頼みごとの方ぜよ」

「他にも何か?」


だがここで、フルチューニングはさらに驚く事になる。


「お前さんの扱ったゴーレム術式に、違和感は無かったか?」

「違和感……」


彼女が思い出したのは、アックアとの二度目の戦いの時の自分のセリフ。


――「このままの戦闘を続ければ、もって後15分が限界でしょうか。“何故か術式の調子は良い”のですが…」


「まさか、あのゴーレムの強さは……」

「気づいてくれて嬉しいぜい」

「最初に言われた時は本気で焦ったんだからにゃー。“第22学区全体に、『地属性』の強化術式を施せ”なんて」


846:

「で、ですが、一体どうやって!? 近くに魔法陣など存在しませんでしたよ」

「ふっふっふ、秘密はこれぜよ」


そう言って土御門が取りだしたのは、折り紙でできた鶴だった。


「オレの専門は陰陽、もっと言うと風水だ」

「こいつを式神に見立てて、風水的に重要なポイントに設置することで一時的な“守護”の効果を得られる」

「ですが、レイのゴーレム術式はカバラです。全くの別モノでは?」

「いやいや。五大元素を表す記号、各属性の振り分け、陣の張り方に至るまで、両者には共通点が多いんだぜい」

「?」

「あー、……まあそっちはいいか。要はこいつが魔法陣代わりになると理解してもらえれば十分だにゃー」

「分かりました」


アックアがあの時、疑問を感じたのは当然だった。


――(何故だ…明らかに以前よりも強度が増している…?)

――(まるで潤沢な“地”の加護を受けているみたいではないか)


そもそも“土地の力を利用する”事において、風水の右に出るものは存在しない。

かつて天才風水師と謳われた土御門が守護術式を配置した以上、その効果は十分に発揮される。

見えないところで色々な人から支えられていた事に、フルチューニングは深く感謝した。

847:

「ただ第22学区全体をカバーする為に、ざっと1万近い“式神”を用意するはめになったのは辛かったぜよ」

「……本当にありがとうございました。そして師匠が無理言ってすいません」


それは流石に愚痴りたくもなりますね、とフルチューニングは同情しながら頭を下げる。


「まあ、式神の配置だけだから魔力を練る必要は無かったし、シェリーからはちゃんと報酬を受け取っているんだけどにゃー」

「お金ですか?」

「そーんな無粋なものじゃあ無いぜい」

「では、何を?」

「ふふん、それは言えないにゃー」

「むー」


その報酬が、シェリーお手製の『堕天使工口メイドセット』だとは想像できないフルチューニングであった。

ましてやあの女教皇がそれを着て大騒動を引き起こし、その事を切っ掛けに天草式でメイド戦争が起こることなど知る由も無い。


「お楽しみは後でねーちんに渡すとして……そろそろ本題に移っても良いかにゃ?」

「頭を下げた身で言うのもなんですが、本題があるなら最初から言ってほしいです」

「いやあ、これ聞くとテンションガタ落ち間違いなしだからな」

848:

土御門の口調が少し変わるのと同時に、病室に流れる空気が一変した。

培養器越しに寒気を感じたフルチューニングが、思わず身震いするほどだ。


「今回の事件、これで全て解決って訳にはいかないのは分かるか?」

「土、御門……さん?」

「オレ自身もそうだが、“能力者に魔術は使えない”って言うのは常識だ」

「! あなたも能力者なのですか……!?」

「そうだ。残念ながら能力ランクはレベル0だがな」

「……」

「話を戻そう。レイ、お前はその常識を覆した」


土御門の言葉には、一切の感情が込められていない。

フルチューニングよりもよほど機械的な喋り方で、淡々と事実を告げる。


「今まで魔術と科学を隔ててきた『壁』を、あっさりと破壊してしまったんだ」

「この結果を知った魔術サイド……特にローマ正教が、これを黙って見過ごすと思うか?」


言われるまでも無く、とてもそうは思えなかった。

849:

自分たちの立場を守るためにオルソラを狙い、アニェーゼを廃人にしようとし、上条当麻を殺そうとしたローマ正教が。

『神の右席』と呼ばれる最大戦力を撃退されたローマ正教が。

このまま引き下がることなど、考えられるだろうか。


「分かっているようだな。ハッキリ言うが、あまり時間は無いぞ」

「……はい」

「恐らくこのままでは、お前も、お前を匿う天草式十字凄教も、全て殲滅されるだろう」

「!?」

「それほどまでに“魔術を使える能力者”と言うのは異端なんだ」

「ましてや、『神の右席』を倒すほどの力を持つとなれば尚の事な」


これは一体、何の冗談だろう。

仲間の助け無しには、誰1人救えないようなこの無力な試作品が。


「連中が何よりも危惧するのは、“お前のような魔術師の量産化”だ」

「そんな存在を科学サイドが兵士として投入したら、一気に魔術サイドは追い込まれてしまう」

850:

笑うしかない。

自分が言った言葉だ。

――すでに『妹達』は世界中に拡散されました。

今の所、魔術を使うクローンは自分しかいない。

だが、もしも自分の頭にあるチップが量産されたら。

『妹達の魔術師化計画』が行われたら。


「そうなる前に、何としても主の敵を頃す必要がある――と連中は判断を下したらしい」

「神の右席最後の1人、右方のフィアンマはすでに指示を出した」

「神を冒涜した存在だというレッテルが張られた以上、お前は世界中から狙われる」


世界中が、敵。

こんな何時氏ぬかも分からない出来損ないを相手に、随分と大事じゃないかとフルチューニングは思う。


(レイの人生は皮肉で出来ているのでしょうね)

(これまでの戦いで、散々無力感を味わったというのに)

(今度は力を手に入れようとすればするほど狙われる)

(届かぬ明日どころか、“届いてはならない”明日とは)

(所詮、偶然生き長らえた実験品の末路はこんなものなのでしょう)

851:

そう、フルチューニングは心で理解して。


「……泣いているのか?」

「そういう時は……ッ……気を利かせて、気づかないふりを……するものでは?」


だけど流れる涙は止まらなかった。


「そんなクソったれな言い分、ちっとも納得できません!」

「このレイが量産されたら恐ろしい? 知った事か!」

「能力者は魔術を使えない? だからなんです!?」

「そんな下らない理由で殺されるなんて、レイは絶対嫌です!」






そう息を荒げて叫ぶフルチューニングに、土御門は――静かに銃を向けた。





852:

「悪いが、諦めてくれ」

「なにを……」

「お前と言う“戦争の種”を、このまま放置するわけにはいかない」

「……それが、ここに来た本当の理由ですか。確かにテンションガタ落ちです」

「ついでに言おう。治療中の天草式、それに……『一方通行』は来ない」

「!」

「何の因果か、アイツはオレと同じ組織に所属していてな、隙をつかせてもらった。今は少々眠っているだろう」

「……絶体絶命、ですか」

「ああ。悪いがオレにも守るべきものがある」


土御門の声に、揺れは無い。


「尤も、少々気が重いがな。この後天草式、シェリー、一方通行、上やんたちの追及を誤魔化さないといけない」

「……銃など使わず、事故氏に見せかければいいじゃないですか」

853:

「このタイミングでの事故氏や自然氏では、ローマ正教は納得しないだろう。神の敵は“処刑”されなければならないからな」

「それにどうせ遺体を向こうへ送る以上、みんなはお前が殺されたことに気づく」

「だから事故氏にする意味が無い。むしろ替え玉を疑われても困る」

「なるほど? それであなたは誰を犯人に仕立て上げるつもりなのでしょう?」

「……この銃は天井亜雄の物だ」


それが答えだった。

恐らく、彼はすでに全ての工作を終えているのだろう。

行方不明の製造責任者が実験品を持ち出して、何らかの理由で頃したというストーリーが完成しているに違いない。

そして天草式、シェリー、一方通行の誰にしたところで、復讐相手を見つける事は出来ない。

用意周到な彼の事だから、天井の氏体も準備しているかもしれなかった。

自棄になって自頃した研究者とその実験品。ローマ正教は敵の氏体を確認してご満悦。

それでこの馬鹿げたお話は完結。


「じゃあ、お別れだ」



――僅かに響く銃声は、この夜1つの物語を終わらせた。


862:

第7学区、窓の無いビル


いつもと同じはずの、闇に包まれたその空間。

『人間』アレイスターは、予想外の事態が発生したのを確認した。

普段彼は『滞空回線』を使って、学園都市のあらゆる情報を入手している。

だが今は、後方のアックアが起こした大爆発によりそのネットワークは事実上損壊し、復旧には数時間が必要だ。

そのイレギュラーな状況下においても、彼が知り得た情報とは。


(検体番号00000号の生命反応が消失した……?)

(チップとの交信が途絶えたのは、医者である“彼”が何らかの対策を講じた為だと思っていたが)

(……ここにきて、心臓の拍動までも停止したとはどういうことだ?)


自分のプランに組み込んだフルチューニングが、突然氏んだらしいという事だった。

863:

(あれの心臓には、超小型の拍動測定器が取り付けてある)

(そこからの受信データを見る限り、検体番号00000号は氏亡したとしか考えられん)

(……衛星情報によって、あの病院近くに土御門がいたのを確認した。となると、彼の仕業か?)


そこまで考えが到達すると、アレイスターは楽しそうな笑みを口元に浮かべた。


(ローマ正教の敵となったあれを頃すことで、戦争を回避しようとしたのか)

(それとも……?)


当然アレイスターは、土御門がフルチューニングを頃した“ふり”をした可能性を考慮に入れた。

そしてその場合、きっと彼女を学園都市から脱出させてしまうだろうということも。

それを防ぐために、追手を差し向けるべきか。


(いや、そうはいくまい)


ここで問題なのは、土御門が本当にフルチューニングを頃していた場合だ。

864:

もしもここで、学園都市の追跡部隊が彼を追い詰めればどうなるか。

目的通りローマ正教に遺体を届けられないと分かった時点で、彼はフルチューニング殺害の罪を追跡部隊に擦り付けようとするに違いない。

何故ならば、彼はスパイとしてイギリス清教に所属し続けなくてはならないからだ。

そうなるとイギリス清教は当然、面子の為にも所属魔術師の言葉を信じるだろう。

そして天草式十字凄教、つまりはイギリス清教の加護の下にある少女を、学園都市の部隊が頃したとなれば。

又は土御門というイギリス清教の魔術師を頃した場合でも。

学園都市はローマ正教、ロシア成教だけでなく、唯一の味方だったイギリス清教をも敵に回す事になる。

それに学園都市が“神の敵”を頃したからといって、ローマ正教の態度が軟化する事は無いだろう。

むしろ重要な機密を頃して奪ったかもしれない、などと疑心暗鬼を深めるだけだ。


(ロシアが不穏な動きを見せている現段階で、あの最大主教に“弱み”を見せるのは賢いやり方とは言えないな)


リスクとリターンの観点から見ても、学園都市の人間を派遣する訳にはいかない。

だがアレイスターには、現状学園都市の人間以外の手駒はないのだ。


(ふむ。問題は彼が――いざという時頃すことを躊躇わない人種だという事だ)

(どちらの選択もあり得る以上、ここは確定した情報が来るまで動けんな)

(こういう時、単純な善人あるいは悪人ではない人間は判断が難しい)


865:

『滞空回線』が封じられている以上、アレイスターはしばらく事実を確認できない。

そして、情報も無しにあの土御門の行動を完璧に予測出来ると思うほど、彼は人間を侮っていなかった。


(仕方あるまい。こうなった以上、どちらにしてもあれを『プラン』から外す必要がある)

(……“代替品”の製造を、少しばかり急がせるか)

(ローマ正教や土御門は、あの試作品こそが重要なファクターだと勘違いしているようだが……)

(実に愚かしい)

(――真に重要なのはあれ自身ではなく、その戦闘経験と『………』だというのに)


さらに言うなら。

アレイスターが静観を決めたのは、自分の計画はこの程度では微塵も揺らがないという確信があったからでもある。


(すでに最低限必要なデータは収集されている。完成まで2週間とかからん)

(フフ……第三次製造計画(サードシーズン)を、これより始めるとしよう)


866:

学園都市の外、とある隠れ家


学園都市近郊にある、土御門のセーフハウスの1つ。

安全を確保するために存在する場所で、彼は追い詰められていた。


「……」

「……あのー」

「氏んでください」

「ちょ、話を聞いて欲しいにゃー!」

「くたばってください」

「だからー!」

「速やかに血反吐をぶちまけて地獄へ落ちてください」

「段々辛辣になってる気がするぜよ!?」


未だに自分の意思で体を動かす事の出来ないフルチューニングが、目を覚ましたと同時に暴言を浴びせてきたからだ。

言うまでも無い事だが、彼女は生きている。

培養器の中で今にも暴れ出しそうなほどには元気だ。


(……人の涙を返せ嘘つき!)

(理由を聞いても納得できませんよ!)

867:

あの時土御門が発砲したのは、カエル顔の医者が開発した特殊な麻酔弾。

人体を仮氏状態に陥らせるその弾丸は、10分間ほどフルチューニングの心臓を停止させた。

その僅かな時間で、カエル顔の医者は彼女の心臓から拍動測定器を摘出する事に成功する。

そして縫合した後、療養のため培養器ごと学園都市から土御門が運び出した。

土御門がああも凝った演技をした理由は、当然アレイスターを警戒してのことだ。

アックアの所為で『滞空回線』が不調だという情報は仕入れていたが、それがどの程度の損害なのか彼には知る術がない。

いや、正確には一つだけあったのだがそれは使えなかった。

だからアレイスターが追手を使えないようにするには、こうするしか方法は無かったのだ。

……とは何度も説明したのだが。


「だからって、遠慮なく女性の胸を撃つってどうなんですか!」

「心停止を誘発するためにはしょうがなかったって言ってるだろう!」

「ぐぬぬ……」

「それに万が一空撮されていた場合、“銃で撃たれて心停止した”事が重要になる」

「単に麻酔で昏睡しましたじゃ、アレイスターを誤魔化せないだろうが」


げんなりした感じで、土御門が3度目の説明をする。

とその時、遠慮なしにセーフハウスのドアが開けられた。

868:

「まァだこいつはグダグダ言ってンのかよ?」

「一方通行……そうですよね、あなたも一枚噛んでなきゃおかしいですよね」


入ってきたのは、『妹達』の守護者である一方通行だ。


「人聞きが悪ィな。大体この俺がシスコンサングラス如きに不覚をとる訳ねェだろ」

「……どーいう意味ぜよ?」

「言葉通りに決まってンだろうが。つーかあンな行き当たりばったりな作戦を聞かせるンじゃねェよ」


何故一方通行が今ここにいるのか。

土御門は、彼が“お掃除”を終えた直後に、フルチューニングを学園都市から脱出させるつもりだと伝えた。

アレイスターの目である『滞空回線』がダメージを受けた、今しかチャンスは無いと言って。

ただしその作戦は、アレイスターの状況が不確定なまま行われる事になる。

そこまで聞いた一方通行は、フルチューニングのために土御門に協力することにした。

869:

先ほど述べたとおり、土御門たちには『滞空回線』の情報を知る術が1つだけあった。

それが『ピンセット』――超微粒物体干渉用吸着式マニピュレータだ。

この装置で『滞空回線』を直接掴み取れば、アレイスターの動向をある程度把握できる。

だがその肝心の『滞空回線』がエラーを起こしていたので、互いに情報を手に入れる事が出来なかった。

故に土御門は、それを使う事は早々に諦めていたのだが。

一方通行は、風流操作で片っぱしからナノデバイスをかき集めて、それを逐一観察し被害の程度を逆算する事にしたのだ。

それはまさに、学園都市最高の演算力を持つ彼だからこそ出来る、想定外の裏ワザだった。

彼は『滞空回線』が数時間は使い物にならないと判断した為、学園都市を出てここにきたのである。


「じゃあノイズの治療を始めンぞ。……チップを阻害するチョーカーがある以上、これを最後にしてェもンだな」

「その為にわざわざ来てくれたのですか」

「……テメェを絶対助けろって、あのクソガキが喧しいからなァ」

「もしかして彼は照れ屋さんなのでしょうか?」

「間違いなく照れ屋さんだにゃー。今時ツンデレは流行らないぜい?」

「……脳内電流をグシャグシャにされたくねェなら、その馬鹿な口を閉じておけよ」

「怖!」

「ついでに言っておくが、テメェは口を閉じてても氏刑決定だ土御門」

870:

それから1時間ほどして。

2度目の、そして恐らくは最後の治療を終えた一方通行は、土御門と一緒に学園都市へ戻った。

別れ際でも、特別な会話は無いまま。

だが、それこそが何よりも彼の気持ちを表していた。


(彼は信じてくれたのですね、これでさようならではない。また会える日が来ると)

(このレイにも、明日が来るのだと……!)

(ならば、世界中が敵に回っても恐れる事はありません)


それを思うと、あの時感じた絶望感が嘘のように吹き飛ぶ。


(そういえば結局、土御門さんはどうしてレイを助けたのでしょう)

(“次”に会った時、それも聞いてみる事にしますか)


部屋を見回すと、土御門が準備した偽造パスポートやら個人IDやらが目に付いた。

彼が言うには、ここで一旦体調を回復させた後、これらを使って別人としてイギリスへ戻れと言う話だ。

天草式のみんなやシェリーには、彼が後で事情を説明するらしい。

フルチューニングが科学者と一緒に行方不明となれば、いかにローマ正教といえども天草式やイギリス清教と強引に戦おうとは思わない。

その誤魔化しがいつまで通るのかは分からないが、要は『右方のフィアンマ』を倒すまで逃げ切ればそれでいいとも彼は言っていた。

もう1つの懸念であるアレイスター(フルチューニングは、ここで初めてチップを造ったのが統括理事長だと知った)に関しては。

学園都市を離れた以上その影響力は激減するし、一度プランを離れた人間に執着するとは思えない、との事だ。


(ローマ正教の所為で事態がやばくなったと思ったら、知らぬ間に助けてもらいました)

(……一体レイは幸運なのか、それとも不運なのか)

(決まってますよね)


そしてフルチューニングは、ゆっくりと意識を手放した。

871:

――嬉しい事と言うのは、続くらしい。


30分後。

フルチューニングが目を覚ました時、驚くべき事に、一番会いたかった人がそこにいた。


「建宮さん!」

「あ、起こしてしまったか……?」


体のあちこちが包帯で巻かれているものの、それでも建宮斎字は普段と変わらない。

ヘラリ、といつもの柔らかな笑顔をフルチューニングに向けている。


「起きたのはたまたまです。それより、どうしてここに?」

「『必要悪の教会』の陰陽師から話を聞いてな。一通り治療を終えたし、急いで駆け付けたのよ」

「……?」


事情を呑み込めないフルチューニングに、建宮は静かに報告した。


「俺を含む天草式は、明日にはイギリスへ帰る事になった」

「!」

「どうやらフランスとイギリスが、戦争を起こしそうなほど関係を悪化させているらしいのよな」

「思ったよりも、早いですね……」

「全くなあ。いくら女教皇がお戻りになられたとはいえ、これでは休む暇も無いってもんよ」

「……建宮さん」

「ん?」

872:

それまで目を伏せていたフルチューニングが、大声でこう言った。


「が、頑張れ!」


全く想像していなかった激励に、建宮は目を白黒させた。


「……レイ……」

「みんなにもそう伝えてください。レイはしばらく一緒にいけませんが、必ず追いつきますって」

「それまで、絶対に負けないで頑張れって!」

「これは参った―――ああ、しっかりと伝えておく」


何かが胸に来たのか、建宮は言葉を詰まらせながら頷いた。

そして部屋をグルリと見回すと、ポツリと言葉を漏らす。


「……そう言えば、ローマ正教を欺くために、今後別人に成り済ますって話よな?」

「はい。ご丁寧にウィッグやカラーコンタクトまで用意してくれたみたいです」


こういうのもイメチェンですかね?とフルチューニングは少し楽しそうに笑った。


「じゃあ、今のお前さんの姿はこれでしばらく見おさめってことになるな?」

「? そうですね」

(やっぱり、今のレイに言っておくべきよな)

「……建宮さん? さっきから様子が……」


フルチューニングが、心配そうに建宮を見つめる。

それを建宮はしっかりと見つめ返して。





「ハッキリ言う。お前さんが好きだ」

874:
その一瞬、世界が動きを止めた。

再び動かしたのは、フルチューニングの言葉。


「……はい、もちろんレイも建宮さんが大好きですよ?」

「あー、ううん、そうじゃないのよ……」

「?」

「悪い、ちょいと気が急いてたな。考えてみれば当然の事か」


何やら1人で反省して自己完結した建宮が、再びフルチューニングの目を見ながらこう言った。


「……レイ。また相応しい時がきたら、もう一度言う。それまで待ってて欲しい」

「とりあえず……レイは待っていれば良いのですね?」

「ああ。コイツはその約束の証だ」


そう言うと、建宮は“小さな銀色の輪”を取り出した。


「お前さんのチョーカーにでも通せば、多少はおしゃれなアクセサリーに見えるのよな」

「良いんですか……?」

「もちろん。ちゃんと着けてくれるととっても嬉しいのよ」


ちなみにセーフハウスの外では。

(えー!? ここまできてそれはないでしょう建宮さん!)

(でもレイちゃんのあの態度ではしょうがないかと……)

(馬鹿め。タイミングを見極めないとこうなると、しっかり言っておいたのに)

(ま、まだレイが誰かと……こ、こ、恋人になるとか早いっすよ!)

(馬鹿ね、年齢なんて関係ないの。女の子は生まれた時から女の子なんだから)

(対馬、それって深いんだか浅いんだか良く分からないよ)


お馴染みの天草式メンバーが、楽しそうに見届けていた。

875:

気配に気づいた建宮が、赤い顔をして天草式を追いかけたりしてるうちに時間は瞬く間に過ぎて。

明るい雰囲気のまま、かけがえのない仲間たちはイギリスへ帰る事になった。

フルチューニングが“レイ”になっておよそ2ヶ月。

次に彼らと会うとき、彼女はもうその名前では呼ばれない。

それでも、きっと。

フルチューニングは天草式のレイとして、彼らに笑顔でただいまと言うのだ。

そして彼らも、天草式のレイにお帰りなさいと言ってくれる。


(きっとその日は、とても素敵な日になります)


そんな明日を約束して、仲間との楽しい時間は終了した。

876:

(それにしても……)

(やっぱりレイは嘘をつくのが上手いですね)

(ふふふ)

(――「また相応しい時がきたら、もう一度言う。それまで待ってて欲しい」……ですか)

(気づかないふりをした甲斐があるというモノです)

(こんなに嬉しくて、特別な“好き”は他にありません)

(それを一度で終わらせるのは、少しもったいないですからね)


そんな事を思いながら、チョーカーで輝くプレゼントを指でチョン、とつついた。


(次にくれる時は、指にはめるリングをお願いします)

(じゃなきゃレイは、頷きませんよ)

(……まあ)

(レイは“建宮さんが大好き”ですから、自信は無いのですが)



とあるミサカと天草式十字凄教 終わり

877:

そして、物語は交差する――。



「初めまして。あなたがが噂の試作品クローン?」

「あなたたちは……?」



「今、世界は大きく揺れ動いてる。お前も来い……ロシアに」

「天草式は、一体どうなったのですか!?」



「ふふん。これぐらい超余裕ですよ」

「うう……レイは負けません!」



アレイスターの手を逃れたフルチューニングに接触したのは、イレギュラーな5人組。

彼らに誘われるまま、フルチューニングは再び戦場へ踏み出す事になる。




「さあ、始めましょう」

「まずは――私とレイちゃんの能力を取り戻すところから、ね」

878:

これでとあるミサカと天草式十字凄教は一旦おしまいとなります

今まで見てくれた方、本当にありがとうございました

とりわけ、レスをしてくれた方には本当に深い感謝でいっぱいです



ちなみに、また別の話を現在考え中です

今度は主軸を科学へ戻して、というより科学者に焦点を当てたものを予定しています

やっぱりシリアス系、それもダークヒーローモノになりますが、またそちらも見てくれると嬉しいです

では、またいつの日か


『とある魔術と木原数多』


でお会いできる日を楽しみにしています


最後がグタグダですいませんでした

引用元: とあるミサカと天草式十字凄教