5: 2010/11/27(土) 00:10:56.93
 それは、本当に何気ない日常の一コマに過ぎない……そのはずだった。

 それは、冷静な私なら見過ごせる程度のこと……そのはずだった。

 それは、唯先輩からしたら只のお遊びでしかない……そのはずだった。
 
 でも、私は耐えられなかった。

 優しい笑顔も、ふんわりとした高い声も、温かい身体も、

 全部が――嫌いになっていった。

 その感情は恋ではない。

 この感情は憎しみでもない。

 あの感情は焦燥に近い。

 ひとつだけハッキリしていることは、嫌い、大嫌いだということだけだ。

7: 2010/11/27(土) 00:11:40.01
「唯先輩、嫌いです……」

 照明の点いてない部屋の中、

 私は一人、自室のベッドの上で呟いた。

 嫌い、という言葉を口にするたび、胸が痛くなる。

 左の手のひらを天井に翳して、右腕で視界を覆う。

 暗い視界が漆黒に変わる。

 今の私には心地よい、何も考えたくない、このまま海の底に沈んで眠ってしまいたい。

 今日あった出来事は、私を苦しめたのだ。悲しみが溢れ続ける。

 十秒……三十秒………百秒…………千秒、時間が虚しく経過していく。

 ――気がつけば、午前二時の深夜。

「唯先輩、嫌いです……大嫌い、です」

 私は繰り返し、自認させるかのように呟き、意識を闇に沈めていったのだった。

 

8: 2010/11/27(土) 00:12:29.64
――今朝。


 下駄箱を通り過ぎた辺りの廊下で、背後から包まれる感触を味わった。

「おはよー、あーずーにゃーん♪」

 声を聞く前に、誰だかわかってしまった。

「おはようございます唯先輩、でもいきなり抱きつかないで下さい!」

 体温が、グンと上がったのを自分でも感じた。
 恥ずかしさから反射的に否定の言葉が出てしまう。

「えー、じゃああずにゃん、後ろ向いてー」

「どうしてですか……」

「いいからー、はい!」

「もう、しょうがないですね」

 後ろを振りむくと、律先輩、澪先輩、紬先輩の3人がいた。
 視線があったので挨拶をしようとするけど、

「あーずーにゃーん、抱きついていい?」

9: 2010/11/27(土) 00:13:14.76
 唯先輩が確認を取ってくる。
 どうやらいきなりではなく、したいようだった。

「ダメです」

 私は、すかさず拒否をした。

「えいっ! う~~ん、柔らかーいよー」

 でも、唯先輩はお構いなしに抱きついてくる。
 髪の毛から漂ってくるシャンプーの甘い香りが鼻腔を刺激する。

「おまえらー、相変わらず仲いいな」

「律先輩、おはようございます。……呑気に見てないで助けてください」

「ヤだよ、大体そんなニヤケ顔で助けを求められてもねー」

「そうだねー♪ 梓ちゃん、嬉しそうだし」

「ムギ先輩まで……!」

「あずにゃーん、可愛い」

「もう、いい加減離れて下さい!」

「ちぇー」

 これが私の日常風景。
 大好きな、私のやり取りだった。

10: 2010/11/27(土) 00:14:06.87
 だけど、戸惑いも感じた。
 初めて経験した学園祭でのライブの日から、
 自分の中にしこりみたいのを意識してしまうのだ。
 特に、唯先輩に対して。
 そんなことを考えながら、先輩たちと別れて、一年の教室へ。
 入り口付近にいたクラスメイトと挨拶を交わし、自席に座る。
 既に教室に来ていた友人が、私の席に集まってくる。

「おはよう、梓ちゃん」

「おはよう、梓」

「おはよう、憂、純」

「あれ、梓ちゃん、元気ない?」

 たった一言言葉を交わしただけなのに、私の気分がわかるなんて、
 憂はシックスセンスの持ち主……なのかな。

「……どうだろ、たぶん大丈夫」

11: 2010/11/27(土) 00:15:13.18
「悩みあるんだったら、私たちに相談しなさいよー」

「純、ありがとう、本当に大丈夫だから」

「……あ、もしかしてけいおん部の先輩に関係してること?」

 なぜか、純にもバレていた。
 憂と純が凄いのではなく、私が単純なのかと不安になった。

「ち、違うの! 別に、唯先輩は関係ないから!」

 言ってから、自爆したことを悔やんでしまう。

「……梓、何もいうまい」

 どうやら私は、単純だったみたいだ。

「えっと、お姉ちゃんがどうかしたのかな?」

 憂の優しい視線が心に沁みた。
 これは、話さないといけない気がしてきた。
 それに、自分一人で悩んでいても、解決できないのはわかっていたから決心する。

「あぁぁぁ! もう! 話すから二人とも一緒に来て!」

 二人の手を取り、席を立つ。廊下に連れていこうとするが、
 担任の先生がドアをガチャっと開けて入ってきた。

「はーい、HRを始めますので着席してください」
「……じゃあ、お昼休み!」

12: 2010/11/27(土) 00:16:05.83
 お昼休み。私はパン派だ。
 購買でアップルパイとミニ三色パンとぞうさんの紅茶紙パックホットを購入した。
 冬という季節柄、あまり人が立ち寄らない中庭での食事、だったのだが……。

「いや、寒すぎだろ!」

 純が耐えられなかった。

「確かに寒いけど、他に良い場所なんてないし」

「部室は開いてないの? けいおん部の」

 部室は使える。だけど、あの部室は先輩たちがいて初めて『部室』になる。
 けいおん部にとって大切で特別な場所。
 だから、嘘を吐いてしまう。

「……部室は使えないんだ、ごめん」

「そっかー、残念」

 あっさりと下がってくれた純に心の中でもう一度謝った。

「でも、食べながら話していれば暖まってくるよ」

 憂が、手を擦り合わせながらベンチに座った。

14: 2010/11/27(土) 00:16:50.08
「憂は寒くないわけー?」
 
 純が続いて憂の右側の席に腰を下ろし、私は憂の左側に座る。

「うーん、じゃあ人間カイロしようか」

「なにそれ?」

「こうやって、固まって身体を密着させるの、寒いときにお姉ちゃんと良くやってて」

「なんかおしくらまんじゅうみたいだね」

「……恥ずかしい」

 ここは中庭。廊下、教室などのどこからでも、誰でも注目することができる場所。
 つまり、数多くの視線に晒されていた。

「大丈夫だよ、どこのグループも似たようなことやってるから」

 女子高には数多くのグループ、もとい縄張りみたいのが存在している。
 だけど、女子高に限った話ではない。女の子の集団があったならどこでもグループが生まれるし。

「そうそう気にしない、気にしない、ほら梓、悩み事をパパ~っと話してみなって」

 軽いノリだが、その方が暗くなりすぎず、話しやすくなった。

15: 2010/11/27(土) 00:17:36.18
「なんか、距離感がわからなくなってきちゃって……」

「……距離感? 部内での?」

「最近、私が私じゃなくなっていくみたいなの、近すぎて流されていくというか、でもこのままでも良いなぁって」

「これまたわかり辛い悩み方だな。
 梓がいいんならそれで良いんじゃない? 私だって、ジャズ研の先輩たちの雰囲気に流されるし」

「良いんだけど、ダメなの! 自分でも良くわからないから悩んでるの!」

「うーん、じゃあ一度距離をゼロにして、そこから梓ちゃんが一番理想的な距離感を図ってみたらどうかな?」

「……ゼロ?」

「思い切って、梓ちゃんから抱きついたりして甘えてみるの、たぶん受身でいるから判らなくなるの。
 そこから、どの程度までの接し方が梓ちゃんにとって心地いいか考えていくの」

「普通、逆じゃないか? 梓の場合、近すぎて判らないから一度距離をとって大切さを実感させる方がいいような」

「……それじゃあ、ダメなんじゃないかな、今の梓ちゃんが距離を取るってことはどうするの?
 けいおん部に出ない? それとも、部内で会話を減らす? 不自然極まりないし、
 関係をこじらせるだけじゃなく、距離感がもっと混乱しちゃうよ」

17: 2010/11/27(土) 00:18:17.89
「……言われてみるとそうかも、雨降って地固まる作戦は見送りかー」

「今大切なのは、すれ違うことじゃなくて、ありのままの事実関係を見つめることだと思うんだ」

 憂の言ってることは、ボンヤリとだけど解る気がした。
 私は、すれ違いたいわけじゃない。
 気持ちに整理をつけておきたいだけなんだ。
 それが解っただけでも、価値があった。

「……私、頑張ってみる! 憂と純に相談してよかった」

「梓、やる気なのか!」

「私は、応援してるよ、梓ちゃんファイト!」

「勿論! や、やってやるです!」

 そうして、私は放課後に実行しようと決意するのであった。

18: 2010/11/27(土) 00:19:14.03
 帰りのHRも終わり、とうとう放課後がやってくる。
 昼休みの時は大丈夫だと思ったけど、いざ実行する時間が近づいてくると、
 緊張が私の足を重くさせた。

「梓、けいおん部いくんでしょ?」

「う、うん……」

「ほら、お姉ちゃん達が待ってるから、梓ちゃん頑張って!」

 憂の声援を前向きに受け止め、なけなしの勇気を振り絞り、
 愛用のギターであるムスタングをいつものように背負い、部室へ向かった。
 私を出迎えてくれる先輩方の笑顔を思い浮かべて、部室の扉を開ける。

「おっ、梓が来た」

 真っ先に気づいたのは律先輩だった。
 口にポッキーを銜えた姿はどことなく男の子っぽい。

「待ってて、今お茶の準備するから」

 紬先輩は給仕に手馴れていて、すぐ準備に取り掛かる。
 一度くらいは後輩の自分が、お茶汲みをするべきだとは思っている。
 だけど、紬先輩が淹れてくれる紅茶は格別に美味しいから手が進まない。

19: 2010/11/27(土) 00:20:17.13
「飲み終わったら、ふわふわの練習だからな」

 やる気に満ち溢れていたのは澪先輩。
 何か、触発されることでもあったのだろうか。

「えー、今日は寒いし、お茶飲んでお喋りしてよーよー」

 相変わらずLAZYなのは唯先輩。
 このボンクラでズボラで能天気な唯先輩が、私の心をかき乱した張本人。
 ただ、グータラなだけでなく、やる時はしっかりとこなすだけに性質が悪い。
 それに、唯先輩がいると部室全体の空気が暖かくなる。あと、身体だけでなく心も。
 新入生歓迎会で始めてけいおん部を見たとき、私は唯先輩の演奏と魅力に惹かれていた。
 入部するキッカケとなったのも、唯先輩によるところが大きかった。
 なんていうか、居心地が良かったのだ。
 たった一つのことだったけど、それが全てを物語っているような気がした。

20: 2010/11/27(土) 00:21:02.46
「今日は、しっかりと練習しますです! 良いですね! 唯先輩」

「まぁまぁ、あずにゃん、ケーキだよ、あ~ん」

「……あ~ん……はぁ、美味しいです」

 はっ!
 ついいつもの調子で受けてしまった。
 憂の言葉を思い出す。

『受身でいるからわからなくなるの』

 そう、ここは、私から動くとき……。

「ゆ、ゆ唯先輩、あ~ん」

 手が若干震えながらも、フォークでガトーショコラケーキを刺し、唯先輩の元へ。

「おぉっ! あずにゃんがあ~んしてくれるの? ん~~」

 口を大きく開けて私のケーキを待つ唯先輩は、どうしようもなく可愛かった。

「あ、あ、あ~ん!」

 唯先輩の口内にガトーショコラケーキが落とされる。
 でも、これじゃ只のバカップルみたいだ!

21: 2010/11/27(土) 00:21:43.38
「いやー、今日は暖房の必要がないんじゃないかー暑い暑い」

「そうだな、梓と唯を見ていたら歌詞が思い浮かんだぞ……」

「お、澪も絶好調じゃん」

「そ、それでは……ふたりの距離 縮められればガトーショコラの味
 甘い香りが君を運んでくる このまま時間が止まればいいのに
 だめだよまだ離れないで ずっと君を感じていたい……とか」

「澪ちゃん素敵! 私が後で作曲するからね」

「ムギ……澪もベタな歌詞というか、そのまんまというか……」

「なんだよ律、これはイケるって思ったのに」

「澪ちゃん、私も気に入ったよー、あずにゃんはどう?」

「え? 私ですか? というより、そのふたりって私と唯先輩のことなんですよね……」

 そこまで甘い関係を演出していたわけでもないのに……。

「では澪ちゅわーん、私たちもあーん」

「止めろ律、そんな恥ずかしいことが私にできるか!」

22: 2010/11/27(土) 00:22:27.16
「りっちゃん、りっちゃん、私にあ~ん」

「唯は食いしん坊だな、ほら、あ~ん」

「あ……」

 律先輩が唯先輩に食べさせてあげる姿を見て澪先輩の表情が翳る。
 まるで、おもちゃを取り上げられた子どもみたいだった。

「律のばか……」

 小声で呟いたのを、私は聞き取ってしまった。

「澪先輩……」

「ほーら、澪、あーん」

「あ、あーん……」

 結局、律先輩に食べさせて貰っていた。
 なんか、こっちのふたりのが本物のカップルみたいだ。
 お互いの気持ちを分かり合ってるというか、フォローが自然だ。
 ふたりを見ていたら、歌詞が、私の頭の中に流れてきた。
 視線はそらさないで わたしはいつだって 君の瞳に映っていたい
 そう 気まぐれな気持ちは許さない 真っ直ぐわたしをみて欲しい
 月が輝くように アネモネが笑うように いつまでも……
 ……口にしないでよかった、と改めて思う。
 詩はやっぱり恥ずかしいから。

23: 2010/11/27(土) 00:23:08.14
「へぇー、梓も中々良い詩が思いついてるじゃないか」

 澪先輩の一言は、私につうこんの一撃を与えた。

「……え”」

「思いっきり声に出していたぞ」

「むふふ、あずにゃん、今日は一段と可愛いねー」

「うぅぅぅ~~」

 声にならない叫びがこだまする。頭が沸騰してきた。
 今なら勢いでアンジェロラッシュができるかもしれない。

「唯はなんか歌詞思いつかないか」

 律先輩がケーキを口にしながら尋ねた。

「うーん、サンデー ケーキの日 マンデー アンコの日 チューズデー チョコの日 ウエ――」

「もういい、相変わらず食べ物が多いな……」

「だってー、私の動力源だしー美味しいじゃんー」

「ムギは何かない?」

「私は、ちょっと……」

24: 2010/11/27(土) 00:24:03.41
「そういうりっちゃんは何かないの?」

「律に歌詞を期待するだけ無駄だよ、唯」

「なにをー! ……好き放題言われってるレッテル貼られってる、なんちってーあっはは」

 どっかで聞いたことあるフレーズ……。

「練習しますか」

「そうしましょうか」

「そだねー」

「律、早くきなよ」

「おまえらぁ……」

 今日もけいおん部のコンビネーションは抜群です。

25: 2010/11/27(土) 00:24:57.74
 それから、ふわふわ時間、ふでペン~ボールペン~、私の恋はホッチキスを通しで演奏した。
 演奏する瞬間に気が引き締まるけいおん部の空気がとても好きだ。
 それぞれ、演奏のなごりを味わい、私のミストーンが少し目立ってしまったことや、
 律先輩のドラムが少し走りぎみになってしまっていたことなど指摘しあった。
 珍しく、有意義な練習になった日であったため、憂のアドバイスを実践する機会が殆どなかった。
 ……これでは部活が終わってしまう。
 もうすぐ、冬休みに突入してしまうため、なんとしても行動に移したかった。

「あ、あの! 唯先輩! ちょっと、そこでじっとしていて下さい」

「ん~? だるまさんがころんだでもやるの?」

 ギターを背負い、少しうつむき気味の体勢の唯先輩に私は、そのままで、と指示した。
 なんだなんだ、と律先輩を含め、澪先輩、紬先輩までもが私のことを注視した。
 私は、無言のまま唯先輩に近づき、距離を縮めていく。
 残り七メートル、まだ遠い。今の私はきっと顔が赤い。
 残り四メートル、これでもまだ届かない。心音が煩く、耳と脳に響く。
 残り二メートル、お互いが手を伸ばせば届く距離。手足が震えた。
 残り一メートル、もう躊躇わない、そのまま距離をゼロにして唯先輩を抱きしめた。

「…………」

26: 2010/11/27(土) 00:25:38.97
 私のほうが身体が小さいので包み込むようなことはできなかった。
 でも、いつもは抱きしめられてばかりいるので、新鮮な感覚だった。
 桃みたいな柔らかさの唯先輩の感触にやすらぎを感じた。
 緊張からか、はたまた羞恥からか動くことができなくなった。
 唯先輩はこんな恥ずかしいことを良く抵抗なしで出来るものだと凄さを改めて実感。

「なでりなでり」

「……な、なんですか?!」

 急に頭を撫でられ、私は俯かせていた顔を上げた。

「ちゅー」

「…………~~~~~~~っ!」

27: 2010/11/27(土) 00:26:20.50
 え? 何? 今何か口に当たった!

「なななな、何をするですか!?」

「いやー、あずにゃんが可愛かったからついー」

「……は、初めてだったのに! こんなところで酷いです!」

「だってだって、あずにゃんの貴重な甘えんぼシーンだよ!」

「……唯、とりあえず梓に謝っておけ、女の子のファーストキスはそんなに軽くないだろー」

「えー、女の子同士だしノーカンだよー」

 ノーカンだよー。
 のーかんだよー。
 NO-COUNTだよー。
 足元がふらついた。
 これは、めまい……?

28: 2010/11/27(土) 00:27:03.34
「あずにゃんのファーストキスおすそ分けー」

「……は? ……っておい!」

「んちゅー……ちゅぷー……ペロペロ」

 なんだろう……唯先輩と律先輩は何をしているのだろう。
 なんか唇から舌も出てるような気もするけどなんでしょうね。
 あぁ、キスをしているのかぁ、私のキスのおすそ分けって言ってたもんね……。

「……しかも梓の時より濃いぞっ!」

「ふへへー、りっちゃんの唇げっとー」

「……ゆーいー……」

 澪先輩が二人にゆらりゆらりと近づいて行った。
 そして拳を振り上げ、思いっきり振り下ろした。

「いだぃ! ってなぜ私!?」

「律も唯を止めなかった責任があるからだ」

「すみません! 理不尽すぎるんですけどっ!」

29: 2010/11/27(土) 00:27:44.60
「唯ちゃん唯ちゃん、私も私も~」

「かもーん、ムギちゃんにも、おすそわけー」

 うっとりした目でこのやり取りを続ける紬先輩。
 遠い世界の出来事のように感じられた。
 唯先輩を見ていると、なんだかバカバカしくなり、怒りが沸々こみ上げてくる。
 さっきまであんなに緊張していた自分に。
 何で悩んでいたのか、どうでもよくなるくらい目一杯に握り拳を作った。
 長くないはずの爪が皮膚に食い込んで痛かった。

「唯先輩の、バカァァァァァァァ!」

 ありったけの声量を込めて叫んだ。

30: 2010/11/27(土) 00:28:25.88
 叫んで、スクールバッグとギターを持って、部室から逃げるように走り去った。
 背後から呼び止める声が飛んできていたが、構わず階段を駆け降りる。
 下駄箱に着くまでに、何人かの生徒とぶつかってしまった気もするが、
 俯いていたので、あまり覚えていない。

「はぁはぁ……なにやってんだろ私」

 空回りもいいところだった。
 自分自身でも何がしたかったのか、要領を得ていなかったかもしれない。
 そもそも、距離をゼロにした結果があれなんだとしたら、やっぱり私には無理がある。
 ハグまでが私の境界線だ。
 その先は、まだ早い。
 結局はいつもの距離が一番居心地がよかったというわけだ。

「……けど」

 けど、今日は失敗してしまった。
 はぁ……金曜日だったから土日を挟んじゃうし、月曜日の部活、行きづらい……。
 でも悪いのは唯先輩、あんなに無神経だとは思わな……いや、思いたくなかった。

32: 2010/11/27(土) 00:29:33.68
 外に出ると、雪が地上に化粧をしていた。

 ザクザクと積もった雪を踏み鳴らしながら、私は走った。

 ローファーだったのですぐに転んだ。痛い、この痛みも唯先輩のせいだ。

 身体が冷たいのも、転んで擦りむいたのも、涙が止まらないのも、全部。

 無様な姿の身体を起こし、一歩。また一歩。

 そして小走りに、通学路を駆ける。

 何度転んでも関係ない。ただ、ギターだけは、汚さないように……。

 いつの間にか、普段は唯先輩と別れる場所にまで辿り着いていた。

 木枯らしが吹きすさび、私を冷やしていく。

 一人で帰る通学路がこんなにも虚しいものだとは思わなかった。

 けいおん部に入る前までは、一人でいることの方が普通だった。

 友達はいるが、クラスで会ったら挨拶と流れで行動する程度で、深い付き合いではない。

 それに、暇があれば友達と遊ぶより、ギターを弄っていたから。

 お世辞にも私は、人付き合いが上手いほうではなかったと自覚していた。

 言いたいことは素直に発言してしまうし、おべっかを使うのは苦手。

36: 2010/11/27(土) 00:30:59.41
 だけど、けいおん部の人たちは、そんな私も受け入れてくれた。

 一年生なのに、練習しましょうとか文句を言ったり、

 先輩方の演奏に堂々と口を出したりしても、態度が変わることはなかった。

 私が私のままの姿でいられて、安らげる空間が初めて学校で持てた瞬間だった。

 クラスでは友達もできた。だけど、けいおん部にいる方が楽しいと感じてしまう。

 唯先輩たちと一緒に活動しているほうが、充実しているのだ。

 もう、一人では、クラスでは、物足りなくなっていた。

「なんなんですか、この感情は……っ!」

 全部ホッチキスで綴じれませんよ! 全然っ!

 隣にいてくれないと、寂しいじゃないですかっ!

 けだるそうな顔でも、笑顔でも、泣き顔でも、

 視界にいないと、手の届く範囲にいないと、胸が苦しいよ……。

 この気持ちを紛らわすために、どこかで寄り道しようとしたが、財布が軽かったので、我慢した。

37: 2010/11/27(土) 00:31:49.52
 それからは真っ直ぐ家に帰り、髪に積もった雪を玄関で払うこともなく自室へ直行する。

 バッグを放り投げ、ギターを壁際に置く。

 制服姿のままベッドに倒れこみ、毛布を被る。

 全身にくっついていた雪が水となってベッドを濡らした。

 湿ったベッドはあまり心地よくなかった。

 意識を失う前に、夕食だと呼びかけてきた親の声が聞こえたような気がした。

 数時間後、起き上がった私はありったけの不満を口にするのであった――

38: 2010/11/27(土) 00:32:41.07
 唯先輩なんか嫌いだ、そう思って眠りについた私は、あっけなく朝に目を覚ました。

 改めて今の格好を見直すと、とても外に出れる状態じゃない。

「制服が皺くちゃ、それに髪の毛のゴムが片方ない……」

 片方だけ、髪が括ってあり、もう片方はバサっと広がっていた。

「最悪の寝覚め……髪の毛、痛んでないよね……」

 髪だけでなく、身体がベトついて気持ち悪いのに気づく。
 一度、意識してしまうともう耐えられない。
 制服を脱ぎ、替えのパンツなど着替えを持って脱衣所へ行く。
 全ての服や下着を脱ぎ、浴室へ。
 シャワーの栓を開け左腕を差し出す。
 指でお湯の温度を確かめてから、鎖骨部へシャワーをかける。

「気持ちいいです……」

40: 2010/11/27(土) 00:33:22.59
 全身くまなく身体をボディシャンプーで洗っていき、髪の毛をお湯に丁寧に染み込ませる。
 フローラルな香りのシャンプーを使い、コンディショナーでケア。
 長い髪を頭の上でまとめて、お風呂に浸かる。
 39℃と少しぬるかったが、ボーっとした頭には丁度良かった。

「……ふぅ」

 ゆっくり湯船に浸かるだけで、精神にだいぶ余裕が出てくる。
 安心したらお腹がキューっと音と立てた。
 昨晩、夕食は取らなかったのだ。
 身体が空腹を訴えるのにも、頷けた。
 食欲が戻ってきたということは元気になってきている証拠。

「朝ごはん、何食べよう……」

 そんなことを考えつつ、浴槽から身体を出して、もう一度シャワーで全身をさっと洗い流す。
 脱衣所で白のパンツとブラジャーを身につけ、私服に着替える。

41: 2010/11/27(土) 00:34:03.72
 朝食もそこそこにとった後、自室へ戻る。

 ふと、携帯電話の電池残量が気になった。

 スクールバッグから取り出した携帯には着信アリのメッセージ。

 ピカピカと青いダイオードが発光していた。

 誰からだろう、携帯を手に取り開く。

 着信はメールが2件。電話が1件だった。

 まずはメールから確認する。

 1件目は唯先輩から。時間は、私が帰宅するちょっと前くらいだろうか。

42: 2010/11/27(土) 00:34:47.19

『あずにゃんさっきはゴメンね(><)
 明日時間あったら、先輩が何か奢ってあげるよ~!
 1時過ぎに、商店街の入り口で待ってるから!』
 
 写メが添付されており、土下座していた。

 誰かに取って貰ったのだろう。

 次に2件目を開く。純からだった。

『結果はどうだったの?』

 酷く単調であったが、この短さが返信する気分にさせた。

『ゴメン、ちょっと携帯見てなかった。
 昨日は大失敗、普段しないことに挑戦しても上手くいかないね、やっぱり』
 
 絵文字も顔文字も使うことなく、メールを送った。

 唯先輩への返信は、出来そうになかった。

43: 2010/11/27(土) 00:35:28.57
 電話の着信履歴を見ると、憂からだった。時間は20:20。

 唯先輩と夕食の後の会話なんかで、私のことを聞いたのだろうか。

 恐らく、昨日私を焚きつけた本人として、心配しているのだと思う。

 憂が責任を感じることは全然ないのに……。

 今の時刻は、午前10時30分。

 商店街で待つらしい唯先輩の一方的な約束の時間まで、充分に余裕があった。

 だけど……。

「どうしよう、行くの止めようかな……」

 ここでホイホイついて行くというのは釈然としない。

 それに、メールで謝られても嬉しくない。

 むしろ、なんで追いかけてきてくれなかったんだろう、なんて考えてしまう。

 もしあそこで私を追いかけてきて、抱きしめてくれたのなら、素直に許せたかもしれないのに……。

44: 2010/11/27(土) 00:36:09.40
「あぁ、もうっ! 本当に唯先輩は……」

 ギターを手に取り、チューニングをする。

 チューニングを終わらせた後は、聞きなれた音楽を流し、ギターパートを模倣していく。

 だけど、音にキレがない。

 いつもはできるスウィープもテンポが崩れてガタガタだった。

 変拍子で構成されていたのも、テンポを崩す要因。

 ギターを一度置いて、携帯を見る。

 すると、丁度憂から電話が掛かってきた。

46: 2010/11/27(土) 00:36:52.61
『梓ちゃん、おはよう』

「お、おはよう」

『今日、時間取れるかな? 
 お姉ちゃんが、梓ちゃん怒らせちゃったって反省しているの……
 30分でいいからお姉ちゃんに付き合ってあげて』

「憂……うん、わかった、ちゃんと今日行くよ……」

『ありがとう! さすが梓ちゃん、それじゃあ今日は宜しくね!』

「ん? んん……じゃあまたね」

47: 2010/11/27(土) 00:37:34.43
 ツーツー。

 相も変わらず憂はできた人間だと思う。

 憂の電話がなかったら、たぶん唯先輩と会いに行こうとする気はおきなかった。

 悩んでいるうちに時間が迫って、悪いのは唯先輩なんだって思って、

 一人でギターでも弾いてたかもしれない。

 そんなことをしても、結局は何のプラスにもならないと解っていても、だ。

 だから、憂のフォローは嬉しかった。

 時刻は午後12時、そろそろ準備し始めないと間に合わない。

 身だしなみを整え、家着から外に出る用の服に着替える。

 髪を括って、いつものツインテールに。

「そういえば、唯先輩と二人っきりなのかな? それとも澪先輩とか律先輩、ムギ先輩も一緒?」

 果たして、今の私には、どちらの方が嬉しいのだろうか……?

50: 2010/11/27(土) 00:38:22.88

 ――結局、約束通りに商店街の入り口に来てしまった。
 時刻は、集合時間の5分前。
 辺りに、知っている人の気配はない。

「……唯先輩、まさか遅刻なんてしてこないよね……」

「……あーずーにゃーん!」

「ひゃぁ!」

「良かったーあずにゃん来てくれたよー」

 いつの間に、背後に……。
 ぎゅーって抱きしめてくれる唯先輩は、いつもの唯先輩だった。
 唯先輩が来たら、文句の一つや二つくらいは言うつもりだったのに、全部吹っ飛んだ。
 なので、一番真っ先に思った疑問を口にした。

「唯先輩はなぜギターを持ってきているのですか?」

「あずにゃんと練習するためだよー」

「休日に練習? 熱でもあるんですか?」

51: 2010/11/27(土) 00:39:10.63
お言葉に甘えてちょっと休憩するわ

53: 2010/11/27(土) 00:45:16.02
「酷いよあずにゃーん! 私だって、いつまでもぐーたらしてるわけじゃないんだよ」

「……ではなんで私にギターを持ってくるように言わないのですか?」

「……てへっ」

「可愛く誤魔化さないで下さい!」

「よし、じゃあしゅっぱーつ!」

「ええっ!?」

 手を引かれ、歩き出すものの、この強引さは嫌いじゃなかった。
 手袋ごしに伝わる手の感触はしっかりとしていた。
 商店街の中を突き進む、唯先輩と私は手を繋いだまま歩いていた。
 唯先輩の後ろから横に並ぶ。顔を覗き込むとやたらニコニコしていた。
 スタジオでも借りるのかと思ったけど、そうじゃなかった。

54: 2010/11/27(土) 00:46:26.06

 たどり着いた先は――

「じゃーん、カラオケボックスー」

「……そうきましたか」

 そういえば、カラオケをけいおん部のメンバーで行ったことがないのに気づく。
 そもそも、カラオケ自体あまり行かないので無理はなかった。
 私は歌うより、弾く方専門だし、歌いたい曲ってなかなか入ってないことが多い。

「まあ、これならスタジオを借りるよりかは安くすみますけど……」

「2人じゃちょっとお小遣いが厳しいよねー」

「それじゃあ、入りますよ」

 休日だというのに、人は少なく、受付もすんなりと終わる。
 2名様、301号室でございます。
 ごゆっくりどうぞ、という店員の挨拶を聞き、部屋に向かう。
 エレベーターを使い三階へ、端っこの部屋であることを確認し到着、ドアを開ける。

55: 2010/11/27(土) 00:47:14.81
部屋は2人で使用するにはやや広かった。六畳くらいのスペースはあるだろうか。
 照明のスイッチを入れ、唯先輩の隣に腰を下ろす。

「あずにゃん、せっかくカラオケ来てるんだし、曲と一緒に弾いてみてよー」

「ええ、いいですけど、ギターのフレーズが印象的な方がいいですよね」

「あずにゃんの選曲したものだったら何でもばっちこいこいー」

「では……」

 デンモクを使い、曲名を検索。
 幸いにもカラオケに入っていたおかげで演奏できそうだった。
 唯先輩からギターを借りて番号データを送信する。
 曲タイトルが表示された。マイクは使えないので、演奏の音を少しだけ絞っておく。

「この曲はイントロのリフが耳に残りやすく印象的なんです、こんな感じで」

 出だしのリフを、カラオケBGMと一緒に演奏していく。
 しかも映像PV付きだった。

56: 2010/11/27(土) 00:47:56.55
「おお、なんかカッコいい! ……あれ? ギー太の親戚さんみたいなギター使ってるよ、この帽子の人」

「たしか、唯先輩の使ってるのと同じでレスポール・スタンダードです」

「おぉ、あずにゃん物知りだねー」

 イントロのギターを一番聞いて欲しかったのだけど、もう終わってしまったので弾きながら歌に移行する。

「She's got a smile that it seems to me Reminds me of childhood memories
 Where everything was as fresh as the bright blue sky 」

「あずにゃん、英語もできる……実は完璧超人?」

「歌で使われる英語は簡単なことが多いですから」

「あっ、歌ってていいよー私のは独り言、独り言」

「そうですか――Oh, Oh,Oh, Oh! sweet love of mine」

 サビを終え、間奏に移る。

57: 2010/11/27(土) 00:48:40.55
「これどういう意味の歌なのあずにゃん?」

「奥さんに向けて作ったラブソングだそうです。英国なんかでは子守唄としても知られています」

「じゃあ私が、あずにゃんの奥さんかぁー」

「唯先輩はどちらかというと子どもです」

 それから二番を歌い、また間奏に。その間もギターは弾き続ける。
 さすがに歌いながらだと、慣れていないので手元が狂いがちになっていた。

「お、おおっ!」

 唯先輩がなにやら映像を見て唸っていた。

「どうしたんです?」

「この腕をぶんぶん回すのカッコいいかも……」

 それはギター奏者のパフォーマンス。
 唯先輩が食いついたのは、演奏しながら腕を大回転させている映像だった。
 確かにインパクトはあるけど、あまり意味ないんじゃ……。

58: 2010/11/27(土) 00:49:21.50
 ラスサビを、力強く歌う原曲とは反対に優しく歌い上げ曲も終わりを告げた。
 アウトロもしっかりと演奏する。

「――こんな感じですが、どうでしょうか」

 パチパチパチパチという拍手を貰い、唯先輩のハイテンションっぷりは健在。

「凄いよ、あずにゃんは何でも出来るよ、天才だよ!」

「そこまで、褒められるのもなんだか恥ずかしいです」

「えっとー、次も次もあずにゃんが――」

「唯先輩も、弾いてみて下さい」

「わ、私? えっとー、そうだ、ドリンク頼まないと!」

「逃げましたね……」

「あずにゃんは何飲みたいー?」

「……紅茶のストレートでお願いします」

「じゃあ、私も紅茶……あ、ホットの紅茶二つお願いしまーす」

 唯先輩が受話器を取り、注文した。

60: 2010/11/27(土) 00:50:07.03
「私たちの曲もカラオケに入ってくれればいいのにー、そしたらいっぱい練習できるよー」

「まずはレコーディングをして売り出すことから始めないとダメですね」

「うぇー、めんどうだよー、ムギちゃんが何とかしてくれないかな……」

「いくらムギ先輩でもそこまでは……、ほら、唯先輩も何か曲入れて下さい」

「うむむ、じゃあ私の、思い出の一曲を入れますか」

「唯先輩にもあるんですね、そういうの」

「さりげにひどいよあずにゃん!」

 ピピピ、と機械にタッチしていき、選曲が終わる。
 表示されたのは『翼をください』だった。

「この曲はね、私がけいおん部に入るキッカケになった曲なんだよ」

 唯先輩は席を立ってイントロのフレーズ弾き始める。
 どうして、翼をくださいなんだろう。凄く興味が沸いてきた。

61: 2010/11/27(土) 00:51:19.31
「いまーわt」

「失礼しまーす、紅茶ホットをお二つ、お持ちいたしました」

 歌いだしのタイミングで店員さんが入ってくる。
 唯先輩は気にもせず、歌い続ける。
 仕方がないので、私が対応に回った。

「ありがとうございます、ここに置いて頂ければ大丈夫です」

 店員さんが軽い礼とともにドアを閉める。

「……かなーうーなーらばーケーキがー欲しーいー」

「結局、お菓子に釣られただけだったんですね!」

 期待して損しました……。
 でも、唯先輩のギター、リズムを崩すことなくしっかりと弾けている。
 歌も、唯先輩の、口内、鼻腔内まで共鳴させることで生み出す、
 倍音の多いふんわりとした歌い方は聴き心地がいい。

「ねがーいーごーとがーかなーうなーらばーあずーにゃんーがほしーいー」

 …………。

「もう、まじめに歌ってくださ――」

62: 2010/11/27(土) 00:52:06.84
 唯先輩が目の前にいた。文字通りに。

「あずにゃん、ごめんね」

 不意打ちでキスされていた。あまりの唐突さに目を見開いた。
 唯先輩の二度目のキスは、しょうゆラーメンの味がした。

「わけわかりません! どうして……」

「私、あずにゃん、傷つけちゃったよね? あずにゃんに嫌われたくないよ」

「……嫌いません」

「本当?」

「唯先輩のことは好きですよ……それなりに、ですけど」

「昨日のこと、許してくれる?」

「……それはダメです、許せません」

「え?」

「……ん」

 目を閉じて待つ。

「ん?」

 だけど、唯先輩は意図を解ってくれなかった。

63: 2010/11/27(土) 00:52:51.13
「……全然足りません! さっきのだけじゃ許せそうにないです!」

 催促してしまう、もうヤケクソ。

「……あずにゃーん!」

 ソファーを背に押し倒される。
 と思ったら、ギターをケースにしまっていた。

「ギー太は、見ちゃダメだからね」

「…………」

 何をするつもりなんでしょうか。
 疑問はすぐに打ち消される。
 言葉もなく、私たちは口付けを交わしたから。
 瞳と瞳、唇と唇を合わせるだけ、それだけなのに、なんでドキドキするのだろう。

「キスすると、ドキドキだね、あずにゃんはどうかな?」

 唯先輩の背中に腕を回すことで返答する。

64: 2010/11/27(土) 00:53:31.74
 私は、なんて現金な子なんだろう……。
 結局は、唯先輩にすがってしまう。

「えへへ、あずにゃんあったかいよー」

 あったかいのは、唯先輩のほうです……。

「もう許してあげます、でも傷ついたのは本当です」

「幸せの、おすそ分けーのつもりだったんだけど、
 澪ちゃんに『梓の気持ちをもっと考えてあげろ』って叱られちゃった……」

「だから、写メが添付されていたんですね」

「~~♪」

 口笛で誤魔化しますか……。
 翼をくださいはとっくに終了していて、
 画面にはアーティトへのインタビューなんて映像が流れていた。
 とても、カラオケを続ける気にはならなかったので、紅茶だけ飲んで退店することにした。


66: 2010/11/27(土) 00:54:38.81
「あずにゃん、家に来ない?」

 カラオケ店を出て、この後はどうしようか、考えていたとき、唯先輩が提案してきた。

「……いいですけど、その前に私の家に寄って行ってもいいですか?」

 手ぶらでお邪魔するのは忍びないから。
 憂にも、お礼したいし。

「むふふ、あずにゃんの部屋でゴロゴロするチャンス」

 唐突に、手ぶらで行きたくなった。

「あんまり、部屋の中を弄らないでくださいね」

「だーいじょうぶ、先輩の私が後輩の部屋を荒らすなんてことはしないから」

 不安だったけど、唯先輩なら別にいいかな、なんて不意に思ってしまった。
 ペリペリと心の壁が剥がされていくみたいだったけど、やっぱり不快じゃない。

67: 2010/11/27(土) 00:55:23.79
 徒歩で帰れる距離だったので、二人で雪道を歩いていく。

 しゃく、しゃく、雪を踏み鳴らす音にリズムをつけていきたい衝動に駆られる。

 青い空を見上げ、立ち止まる。

 ふと振り返ると、二つの足跡が連なっていた。

 私が立ち止まることで、一つになっていく足跡を見ていたら、たまらなく泣きたくなった。

「あずにゃーん、どうしたの?」

 唯先輩は、急に立ち止まった私を不思議に思ったのだろう。

「……なんでも、ありません、行きましょう」

「手、繋ごうか」

「……はい」

 今は、これだけで――

68: 2010/11/27(土) 00:56:22.96
 数十分後、自宅に着き、私は唯先輩を招きいれた。

 唯先輩の挨拶もそこそこに済ませる。

 友達、というか先輩を連れてきた私たちに、お母さんがお茶を用意してくれた。

 部屋の中での唯先輩は、音楽CDを取り出したり、おせんべいをボリボリ食べたり、

 ベッドの上でもふもふしたり、ゴロゴロしたり、これ以上ないくらいまったりしていた。

 お母さんに、これから先輩の家に行くから、と言うとお茶菓子をいくつか持たされた。

 革のボストンバッグに必要な荷物を全部入れて、準備を終わらせる。

 それから、唯先輩と一緒にまったりすること二時間。

 ようやく、唯先輩の気力が補充されたのか、移動を開始した。
 

69: 2010/11/27(土) 00:57:15.80
 唯先輩の家に着いたのは既に夕暮れ時だった。

「じゃあ、今度は私のお家にあがってあがって、あずにゃん」

「お、お邪魔します」

「梓ちゃん、いらっしゃーい」

「憂、お邪魔するね」

「うん、ゆっくりしていってね」

 唯先輩はギターを部屋に置きにいくということで、居間には私と憂の二人だけ。

「梓ちゃん、昨日はゴメンね、結局混乱させちゃったみたいだったし」

「憂が謝る必要はないよ、進むも退くも結局は私次第だったし、停滞より変化を選んだだけ」

 うじうじしてるよりかは、成果があったのも事実。

「良かった、そう言ってくれると安心する」

「そうだ、これお母さんから、ここに来る前、私の家に寄っていったの」

70: 2010/11/27(土) 00:57:58.38
 鞄から、お茶請けを取り出していく。
 もうすぐ夕食の時間が近づいていたので、迷惑かもしれないけど。

「ありがとう、すぐにお茶の準備するから」

「お茶だけでいいから、お茶請け食べちゃうと、お腹いっぱいになっちゃうでしょ」

「うーん、あっ、そうだ! 梓ちゃんも一緒に夕食を食べていかない?
 そうすれば、食後に皆で食べられるから」

「……でも、憂だけじゃなくて、憂の両親にも迷惑かけちゃうし」

「大丈夫、今日、お父さんもお母さんも国内小旅行に行ってて家にいないから」

「……そ、そうなんだ」

 唯先輩と憂のご両親、そういえばまだ会ったことがない……。

「梓ちゃん、電話しなくていいの?」

「……あ、そうだった、ありがとう」

 自分の家に電話を入れておかないと……。
 連絡もなしに遅く帰ったら、叱られるし。
 携帯電話を使って、自宅へ。

71: 2010/11/27(土) 00:58:38.94
『あ、お母さん、今日は夕食いらない、うん、うんそう、
 唯先輩の家で食べてくから……大丈夫、迷惑かけないから、うん、それじゃよr』

「梓ちゃん、ちょっと変わって貰ってもいいかな?」

『ちょっと待って、まだ切らないで、同級生の憂が話したいみたいだから変わるね』

「初めまして、私は梓ちゃんのクラスメイトの平沢憂です。先ほど、お邪魔していた姉である唯の妹です」

 なんという礼儀正しさだろう。

「はい、い、いえそんなことないです、こちらこそいつもお世話になっております」

 電話なのに、頭を下げる憂。
 まるで、目の前に私のお母さんがいるかのように話していく姿は、とても同じ女子高生とは思えない。

「それでですね、今日は梓ちゃん、いえ梓さんの夕食は私に任せて頂けないでしょうか、
 あ、はい、私が普段、料理をしていますので――」

 なんだか会話を聞くのが忍びなくなってきた。
 丁度戻ってきた唯先輩に、しーっ、と指を口に当てて状況を伝える。

72: 2010/11/27(土) 00:59:31.38
 唯先輩は、口にチャックをする動作をした。
 動作を、繰り返して、口を閉じたり開いたり……って何やってるんですか!
 地味に凄いのが一層むかつきます!

「(遊ばないでください! 新しい遊びが出来たよーあずにゃんみたいな視線もやめてください!)」

 小声で、叫ぶ。
 だけど、唯先輩が実に楽しそうにしているので、つい笑いがこみ上げてきてしまう。

「(……っぷぷ! もう止めてくだっくくくっ! ダメです、笑っちゃって……)」

 そんなくだらないやり取りがどうしようもなく、楽しかった。

「……もし遅くなるようでしたら、泊めていくよう話をしておきますので――」

 ん? なんか今泊めていく云々という言葉が耳に入ったような……。
 意識が急に現実に引き戻された感じ。

「ちょっと、憂?」

「――はい、大丈夫です。それでは失礼いたしました。あ、梓ちゃん、変わるね」

「ありがと……お母さん? じゃあ夕食は唯先輩のお家で食べてくから……
 え? ううん、今のところ泊まる気はないけど、
 え? よろしく伝えてって? ご迷惑かけないようにって? ちょっとま――」

 電子音が耳元で鳴っている。つまり、電話が切れた。

73: 2010/11/27(土) 01:00:14.25
 なぜか私が宿泊することが決まった瞬間だった。

「……というわけで、梓ちゃんは今晩、我が家に泊まることになりましたー」

「おおっー、どういうことなのかさっぱりわからないけど、今晩はあずにゃん抱いて寝れるのかな?」

「だ、だだだ抱くってなんですかっ!」

「……? そのままの意味だけど」

 私の勘違いを憂が横で笑っていた。
 だって、『今晩』に『抱く』なんて連想させるから悪い。

「もぅ、憂も、勝手に話を進めちゃって……」

「ごめんね、でも梓ちゃんといっぱいお喋りしたかったから」

「……いいよ、それより夕食作るの手伝おうか?」

「梓ちゃんはお客さんなんだし、大丈夫。お姉ちゃんの相手をしていてくれるかな」

 ここは、憂に甘えてもいいかな……逆に手伝うことで邪魔になったりもするし……。
 純粋に憂の手料理も食べたいし。

「ありがとう、憂」

「じゃあ、お姉ちゃんをよろしくね」

75: 2010/11/27(土) 01:00:56.74
 エプロンをつけてキッチンに戻っていく憂。

 後ろを見れば、床に転がっている唯先輩。

 この差は、一体どこから生まれるのだろうか……。

「唯先輩は、料理作らないんですか?」

 唯先輩の隣に腰を下ろして、素直に思ったことを聞いてみた。

「あずにゃん、私が作った料理食べたい?」

 唯先輩が作る手料理……。

 砂糖と塩を間違えたり、調味料は目分量ならぬ、袋分量だったり、

 お味噌汁がお味噌煮になったり……だめです! まともに作れる場面が想像できない。

「……やめてください! せめて食べられるものを……っ!」

「ぶぅー、私だってちゃんと食べられるもの作れるよー」

 完全に寝そべりながら、手を伸ばしてバタバタする唯先輩。

 この光景が、こんなにも安心するのは、なぜなんだろう。

77: 2010/11/27(土) 01:01:50.46
「唯先輩は、いいですね」

「……? 何がかな?」

「それでこそ、唯先輩って気がするだけです、気にしないでください」

「ええー、そんなこと言われると気になるよー、教えてよー、あずにゃん」

「時間がありますので、ギターの練習でもしますか?」

「うっ……腰が痛くて起き上がれない」

「……痛いのはどの部分ですか、ここですか、ここですね?」

「あ、きゃは、やめ、くすぐらないで、あはははっ、あはっ……はぁはぁ、
 もう、あずにゃんがそんなことする子だったなんて」

「唯先輩が仮病を使うからです」

「お・か・え・し~」

「やっ! もう、や、やめっ! ど、どこ触ってるんですかぁ!」

「ここがええんか~、ここがええんか~」

「んぁっ! あっ、ハハハッ! ヤぁあ! んっ!」

「……何やってるのかな、お姉ちゃんも梓ちゃんも」

 お玉を片手に持った憂が呆れていた。

78: 2010/11/27(土) 01:02:55.37
「あぁ~、憂もほら、あずにゃんくすぐってみなよ~、楽しいぞぉー」

「ワキワキ時間?」

「君を見てるといつもハンドわきわき♪」

 歌いだす唯先輩。
 それけいおん部で歌ったらさわこ先生とか実践しそう。
 そして、限りなくセクハラ臭がします……。

「揺れるバストはマシュマロみたいにふーわふわ♪」

「澪先輩が泣きますよ……あと私に対するあてつけですか」

 揺れるほど、胸がない。
 この中で一番胸が大きいのは――

「憂っておっOい大きいよね」

 ボソっとつぶやく。

「……どれ、お姉ちゃんが確かめてあげよう!」

79: 2010/11/27(土) 01:03:37.88
「え、ちょっとお姉ちゃん……」

 床に身体を引き摺らせながら憂に迫る唯先輩は、どことなくゾンビっぽい。

 この危機を果たして憂はどう切り抜けるのだろうか……。

「あ、あの、遊んでると、今日の夕食焦げちゃうよ!」

「あずにゃん、大人しく待ってようか」

「不戦勝っ!?」

 戦う前に勝利を収めるなんて、憂に弱点はないのかな……。

 それからは、唯先輩とトランプで遊び、夕食まで待った。

82: 2010/11/27(土) 01:05:05.90
 完成し、出てきた料理は凄かった。

 まず品数が多い。煮物、魚、コロッケ、漬物、お味噌汁、和え物、ハンバーグ……etc。

 どれだけ効率よく動けばこんなに多くの料理を作れるのか想像してしまう。

「いただきます」

「いただきまーす」

「いただきマンモス」

 ……それは氏語だと思うよ、憂。

 でも、料理の味は本物だった。

 何を食べても、舌が美味しいと感じた。

 人情が詰まったような味、もしくは家庭の味とでも言うのだろうか、いくらでも食べられそう。

83: 2010/11/27(土) 01:06:08.66
「料理、憂に教えて貰おうかな……」

「梓ちゃんは家で家事とか手伝わないの?」

「……ごめんなさい」

「せ、責めてるわけじゃないからっ!」

「あずにゃん怠け者だね~」

 …………。

「あぁっ! あずにゃんが私のハンバーグを誘拐したよ~!」

「泣かないでお姉ちゃん! 私のハンバーグ分けてあげるから」

「ありがと~憂ぃ~」

「駄々甘……」

「美味しいよ~憂~」

「ありがとうお姉ちゃん♪」

 なんだろう、この疎外感……。

84: 2010/11/27(土) 01:06:49.50
「でも、本当に美味しいよ憂の料理」

「梓ちゃんもありがとう、いっぱいあるからお腹いっぱい食べていってね」

「うん、でも全部食べたら太っちゃいそう……」

「憂の料理は美味しいから太らないよ~」

 それは何処の世界の物理法則なのでしょうか……。

「そういえば、唯先輩はいくら食べても太らない体質でしたね」

「んあー、そうだよー」

「私のコロッケも食べてください、先ほどのお詫びと残してしまうと勿体無いですので」

「じゃあ、私のにんじんをあげよう」

 ……なぜにんじん?

「私からは、はい、沢庵どうぞ」

 ……憂まで。

85: 2010/11/27(土) 01:07:42.57
 貰ってしまったので素直に食べる。
 あつあつの白いご飯に渋い色の沢庵を乗せ食べていく。
 噛むと、ポリッ、ポリッ、と心地よい食感がした。
 結局、ご飯のおかわりまでしてしまった。
 普段はそんなに食べるほうではないのに……。

「ご馳走様でした、この料理を毎日食べてる唯先輩が羨ましいです」

「憂のご飯とムギちゃんのケーキは欠かせない毎日の動力源だよー」

「ふふっ、お粗末様でした」

 食器くらいは洗わせて、そう伝え、あと片づけを手伝う。
 30分程の時間を置いてから、食後のデザートが出てきた。
 私が持ってきたお茶菓子、中身はラスクとスイートポテトだった。

「デザートは別腹、別腹♪」

 唯先輩は気にせずむしゃむしゃと食べる。

「あうー、このお菓子も美味しいよー」

 やすらぎってこういうことを言うんだろうか……。
 安心したら眠気が強烈に襲ってきた。
 部屋の暖かさと満腹感、それと……。

86: 2010/11/27(土) 01:08:37.13
 それと、ああ、昨日はあんまり寝れてなかったんだっけ。

「…………」

「あれ、あずにゃんもう寝そう……」

「本当だ、疲れてたのかな?」

 …………声が遠い。

「でもここで寝かせるわけにはいかないから……梓ちゃん、梓ちゃん」

 身体が揺すられている、この振動すら心地良い……。

「ダメ、眠りの世界に入っちゃいそう」

「ここは私に任せるのだ! ……あーずーにゃん、ふぅー、れろれろ」

「……んぁ!」

 今、耳になんか……なんか!

「あ、凄い、起きた」

「あずにゃん、寝るなら、お風呂入ってからにした方がいいよ」

「……すみません、なんかうとうとしてしまって……」

99: 2010/11/27(土) 01:29:57.00
「よし、お風呂に行こう!」

「……はい、行きましょう」

「憂、あずにゃんに貸せる着替えとかある?」

「パジャマならいくらでもあるよ。

 下着はさすがに私たちのは貸せないから、お客様用にまだ使ってない新品のが用意してあるの」

「さっすが憂、準備万端だね!
 それじゃあ、あずにゃんをお風呂にれんこーしていきます」

「……はい、どうぞ」

「はーい、こっちだよー」

 唯先輩に手を握られている。
 どこかに向かうのだろうか。
 空気の質が変わったように感じた。

「じゃあ、ばんざーいしてみようか」

「……ばんざーい」

「おおっ、あずにゃんが素直に私に従っている、そーれ、脱ぎ脱ぎ」

100: 2010/11/27(土) 01:31:06.09
 ……寒い。すーすーする。

 気温の低下が意識を急激に覚醒させていった。

 自分の状況を確認していく。真っ先に気づいたのは身体的変化。

「……え? な、なんで私上半身裸……っ!」

 頭が真っ白になる前に、

 手元にあった、バスタオルで身体を隠す。

「お風呂に入るからだよ、あずにゃん」

「ああ、お風呂ですか、それじゃ仕方ないですね……ってそうなりません!」

「一緒にお風呂入ったことあるしいいじゃん」

 それはきっと、合宿の時のことを言っているのだろう。

 でもあの時は限りなく広く開放された空間だから大丈夫だったわけで、

 個室となると意味合いが変わってくる。

 しかも、一緒に入る気なのですか?

「合宿とは状況が違いすぎます! 少しは考えてから行動して下さい!」

101: 2010/11/27(土) 01:32:14.62
「あずにゃん……」

 肩を落として、しんみりと熟考する唯先輩。
 私だって、一緒にお風呂に入ることは別に嫌じゃない。
 だけど、私の矜持が一線を外れないよう保たれていた。
 たぶん、ここが私にとってのゼロ距離だった。
 ここを超えると、たぶん、戻ってこられない。

「解ってくれましたか……唯先輩」

「……うん、大丈夫、私も貧乳だから……うぅ」

 なんの話ぃ!?

「そういう問題ではありません! 大体なんですか! 私『も』って!」

「え? あずにゃん、コンプレックスがあるから一緒に入りたくなかったんでしょ?
 私とあずにゃん、ほら大差ない……し」

「自分で言って、勝手に傷つかないで下さい! いくら唯先輩でも失礼すぎます!」

「……じゃあなんであずにゃん一緒に入らないの?」

「そ、それは、恥ずかしいから、です……。
 でも、これはコンプレックスとかじゃなくて、別次元の話です」

「……よくわからない」

「もぅ、いいです! 一緒に入りましょう! 唯先輩の背中流してあげますから!」

103: 2010/11/27(土) 01:33:04.11
「……っふっふっふっふ、覚悟しなせぇ、あずにゃん殿ぉ」

 何口調? 
 すごく前言撤回したい。
 唯先輩には後ろを向いて貰って、着ていた服を全部脱ぐ。
 バスタオルで鎖骨から下、ふともも辺りまでを隠す。
 下着は、上着で包んで隠しておく。
 と、代えの下着がないことに気づく。

「……あの、唯先輩」

「どーしたのかな? あずにゃん」

「その、代えの下着は……ないのでしょうか?」

 質問を投げかけるのと同時に、ガラガラっと脱衣所のドアが開いた。

「あれ? まだ入ってなかったの? はい、これ梓ちゃんの下着」

 新品の白ショーツが一枚。ありがたい配慮だった。
 でも、憂の手にはもう一枚、しましまのパンツがあった。

「ありがとう、憂……ってなんで憂も脱いでるの?!」

「どうせなら、皆で一緒に入っちゃおうよ」

「そだねー、憂も入っちゃおうー」

「重く考えてたのは私だけだったのかな……」

105: 2010/11/27(土) 01:34:28.73
 こうして、なし崩しに三人での入浴が始まるのであった。

 全員が身体にバスタオルを巻いて、浴室に突入。

「さ、さささささ寒い……」

 浴室は見事に冷え切っていた。

 お風呂は沸いていたけれど、室内を温める効果は薄かったようだ。

 三人で抱きしめあい、体温を上げていく。

 浴室は、三人で使うにはやや狭かった。

 結局、私、唯先輩、憂の順に並んでシャワーを浴びていく。

 お風呂場はシャワーと湯気により、段々と室温を高くしていった。

「ふぃー、やっと身体がポカポカしてきたよー」

 私が真ん中に入り、目の前に唯先輩、後ろに憂で浴槽に浸かる。

 でも身体の一部にどうしても伝わってくる感触が、私を苛んだ。

107: 2010/11/27(土) 01:35:39.39
「憂、おっOいが背中に……」

 私にはない、ふくよかなおっOいが押し付けられていた。

「ごめんね、浴槽が狭くって……」

「憂ばっかり成長してずるいです」

「そうだー、憂ばっかり成長してるなんて不公平だよ!」

「ええっ!?」

「……その細い身体を維持できる唯先輩も充分に恵まれてます」

「そうだよ、お姉ちゃん、私より細い……」

「あずにゃんは可愛いじゃん、こうやって、ぎゅーってしたくなるよー」

 こんな密室空間で密着されると心臓のバクバクしてる音が伝わりそう。

 あったかいし、まあいいか……。

109: 2010/11/27(土) 01:36:30.81
「あずにゃん、髪の毛しっとりつやつやだね」

「本当だ、いつ見ても綺麗なストレートだよねー」

「私なんてくせッ毛だからいつもセットが大変なのにー」

「お姉ちゃんは、雨の日はいつも格闘してるもんね」

 二人の会話をBGMにしてしまい、
 だんだんと、頭がボーっとしてくる。
 髪の毛を弄られているのも気持ちいい。
 憂のおっOいを枕代わりにして寄りかかってしまう。

「……梓ちゃん? 梓ちゃん?」

「ここで寝たら溺れ氏んじゃうよーあずにゃーん」

110: 2010/11/27(土) 01:37:42.03
 このまま湯船に浸かって、眠りながら氏ぬのも悪くない、なんて思ってしまった。

 でも、もっともっと、唯先輩、憂、純、けいおん部のメンバーで楽しいことがしたい。

 うん、やっぱりダメだ、ずっと一緒にいたい。

 目を見開き、意識を覚醒させる。

「そろそろ、出ましょうか……このままだと、本当に寝てしまいそうです」

 立ち上がると、ザバーっとお湯が排水溝に流れた。

「あずにゃん、つるつるだね♪」

 唯先輩は、私の目の前にいた。

 私は、何も身に着けていなかった。

 つまり、今の発言は……。

「唯先輩の、バカァァァァァ!」

111: 2010/11/27(土) 01:38:35.58
 
 ―――――――
 
 これから、私と憂は二年生、唯先輩は三年生になる。
 したいこと、やりたいことを唯先輩の部屋で語り合った。
 目指すのは、最高に楽しい高校生活。
 そう、私にはある予感がした。
 人生の中で、おそらく次の一年が一番充実したものになるんだと。
 でも、楽しくて、楽しすぎて、家に帰って一人になったとき、
 不意に涙が零れたりもするかもしれない。
 不安がないわけではない。
 だけど、

「おやすみ、あずにゃん」

「おやすみなさい、唯先輩」

 この顔が、この声が、この関係が、私の不安を払拭してくれる。
 私は、大丈夫。
 一人になっても独りじゃない、そう思える仲間がいるから。
 好きな人がいるから。大切な友達が、いっぱいいるから。

113: 2010/11/27(土) 01:39:21.37
「唯先輩、好きです……」

 照明の点いてない部屋の中、

 私は、唯先輩のベッドの上で一人でに呟いた。

 好き、という言葉を口にするたび、胸が温かくなる。

 左の手のひらを唯先輩の右手と繋ぐ。

 今の私には心地よい、何も考えたくない、このまま海の底に沈んで眠ってしまいたい。

 今日あった出来事は、私に答えをくれたのだ。嬉しさが溢れ続ける。

 十秒……三十秒………百秒…………千秒、時間が虚しく経過していく。

 ――気がつけば、午前二時の深夜。

「唯先輩、好きです……大好き、です」

 私は繰り返し、自認させるかのように呟き、意識を闇に沈めていく。

 眠りにつく前、私は寝ている唯先輩の頬に、軽いキスをした。

120: 2010/11/27(土) 01:48:48.75
 それは、本当に何気ない日常の一コマに過ぎず、

 それは、冷静な私が見過ごせる程度のことで、

 それは、唯先輩からしたら只のお遊びでしかない。
 
 でも、私は受け入れることが出来た。

 優しい笑顔も、ふんわりとした高い声も、温かい身体も、

 全部が――もっと好きになっていった。

 その感情は恋ではない。

 この感情は憎しみでもない。

 あの感情は焦燥に近い。

 ひとつだけハッキリしていることは、好き、大好きだってことだ。

123: 2010/11/27(土) 01:50:19.60
 そう、この感情は――愛。

 笑っても、泣いても、怒っても、全てがこの感情に繋がっている。

 人生に張りを与えてくれる、私の、ガールズライフの源だった。

 今日を過ごした明日は、昨日よりも笑顔に満ちている。

 そんな予感がするのを、私はひしひしと感じたのであった。
 

 END

124: 2010/11/27(土) 01:51:59.48
以上、全三章の内の一章『梓高校編』でした。
 最後の梓の呟きを聞いてしまった唯が……な展開も用意できたら、
 よかったかなーとも思ったが、百合以上になるので今回はカット。
 第二章「唯大学編」で書こうかと……。
 拙い文と展開で申し訳ない。
 梓と唯と憂から、それぞれとある感情を意図的に出来る限り排除して書きました。
 そうしないとド口リ濃厚ジュースになりそうだったので。
 本当は、憂の視点からも書きたかったけど、
 それはそれで、別に書きたいなあと思い全削除。
 第三章『憂の裏工作編』、書けたら書く、それじゃあお疲れさまでした。
 読んでくれた人、支援してくれた人ありがとう。
 慣れない投下で、グダってすまない。
 規制解けたっていうのはよく解りませんが、けいおんのSS書いたのは初めてです。

125: 2010/11/27(土) 01:53:23.22
ぬあ
おつかれ次もまってるよ

引用元: 梓「唯先輩なんか……大嫌いです」