1: 2009/09/21(月) 00:11:20.51
唯「どうしよう~。道、わかんなくなっちゃったよ」

ある日、学校帰りの唯は「たまには趣向を変えてみよう!」といつもとは違う道で家に帰ろうと試みたところ、道に迷ってしまった。

憂『お姉ちゃんはすぐに道に迷うから、一人のときはまっすぐ帰ってこないと駄目だよ?』

妹の忠告を思い出すが、今となってはもう遅い。

唯「こんなことなら、澪ちゃん達や和ちゃんと一緒に帰ってくるんだったよ~」

わからないながらも勘を頼りに歩を進めた唯は、やがて大きな十字路に行きついた。

唯「あれ?」

2: 2009/09/21(月) 00:13:26.41
唯「う~、怖いよ~……。ギー太……」

唯は恐怖心を紛らわすかのように背負ったソフトケースの中のギターに語りかけた。
勿論、返事などかえってくるはずもないが、その時であった。

?『お前、ギターを弾くのかい?』
唯「えっ」

突然、聞こえた声に唯は身を固くした。周囲には人の姿など見えない。

?『お前だよ、お前。そこのちょっと抜けてそうなお嬢ちゃん』
唯「え、えーっ!?」

そして突如目の前に陽炎のように現れた人影に、唯は思わず絶叫した。

?『いきなり叫ぶなんて失礼だな』
唯「う、う、う、う……浮いてる……」
?『浮いてるってそりゃ当り前だろ。俺は悪魔なんだから』
唯「あ、あ、あ、あくま?」
?『そうだよ。この姿のどこが悪魔以外に見えるって言うんだい?』

とは言え、唯にとって目の前の存在は、ぱっと見にはただのどこにでもいそうな少年にしか見えない。
ただ、空中に浮遊していることを除いては。

3: 2009/09/21(月) 00:17:52.09
唯「ひ、ひっ! 私は食べても美味しくないですよ!?」
悪魔「はぁ?」
唯「だ、だって、アクマっていったら、私のような可憐な美少女を頭からパクって……!」
悪魔「別に取って食いやしないから安心しな。
   それに俺はお前みたいなつるぺったんよりもボンキュッポンの大人のオンナの方が好みだ」
唯「そ、それはそれでひどいかも……」
悪魔「時にお前、名前は何と言う」
唯「平沢唯です」
悪魔「ユイ……か。人間がココに迷い込むなんて相当久しぶりだな」
唯「迷い込む?」
悪魔「ああ。この十字路はユイが元いた世界とは別の、俺のような悪魔の住む世界さ」
唯「そ、そんな……。どおりで誰も人がいないと……」
悪魔「ま、心配するなや。時がたてばすぐに元の世界に戻れる。それよりも……」

そう言って悪魔は唯が背負っているギターケースに目をやった。

悪魔「ユイはギターを弾くんだろ?」
唯「う、うん。高校で軽音部に入ってるからね。このギターはギー太って言って……」
悪魔「どれくらいギターをやってるんだ?」
唯「まだ初めて1年ちょっとだから全然弾けなくて……えへへ」
悪魔「初心者ってわけか」

4: 2009/09/21(月) 00:21:20.12
すると悪魔の瞳が初めて悪魔らしく妖しく光った。

悪魔「ユイはギターが上手くなりたいとは思わないか?」
唯「えっ」
悪魔「俺にはギタリストと契約することで、そいつのギターの腕前を上げることのできる能力があるんだ」
唯「ずいぶんピンポイントな能力だね……」
悪魔「ほっとけ。それより、今の話はマジだぜ。
   俺と契約すれば初心者の唯でもあっという間にパガニーニのカプリースだって弾けるようになる」
唯「えっと……」

明らかに妖しい悪魔の提案に、いくら天然の唯とはいえ、不信感は拭えなかった。

唯「遠慮しておきます……」
悪魔「そうか。もったいねえな。しかし、俺はお前のことを気に入ったぞ」
唯「気に入った?」
悪魔「男ならともかく、女のくせにココに辿り着ける『素質』を持った奴なんて、この100年間、一人もいなかったからな。
   ま、気が変わったらいつでもこの十字路にこいよ。すぐに契約してやるから」
唯「別にいいです……って、え?」

瞬間、唯の目の前がまばゆい光に包まれる。思わず目を閉じ、数秒後に開けると、

唯「あれ……?」

見覚えのあるいつもの通学路に戻っていた。

唯「夢だったのかな……」

5: 2009/09/21(月) 00:24:48.93
その翌日。
学園祭が近いということで、珍しく音楽室では軽音部の練習が行われていた。

澪「よし。それじゃあ全員でもう一度『私の恋はホッチキス』を合わせてみよう」
律「ミドルテンポの曲は退屈なんだよな~。走りたくなっちゃって」
紬「ふふっ。律ちゃんらしいですね」
梓「唯先輩、出だしのフレーズ大丈夫ですか?」
唯「……うん」
律「それじゃあいくぞー。わん・つー・すりー!」

演奏終了後――。

澪「唯、また出だしのフレーズミスってたな」
律「まったく、相変わらずだなぁ」
澪「そう言う律も曲の後半になるにつれリズムがグダグダだったけどな」
律「ハハハ……しっかし唯のミスはちょっと深刻だったな」
梓「唯先輩……」
紬「あんなに練習してたのに……」
唯「…………」

8: 2009/09/21(月) 00:28:17.37
ここのところ、ギターに関して唯は深刻なスランプに陥っていた。
もともと初心者だった唯はその分吸収がよく、新しいコードやフレーズをどんどん覚えていた。
その証拠に1年時の学園祭や2年時の新入生歓迎会では、とても初心者とは思えない演奏を見せたものだった。しかし、

澪「ここにきて、壁にぶつかってるのかもな」
紬「この1年というもの、すごい上達でしたからね……」
律「その反動ってやつか?」
梓「文化祭まで残り少ないですし……どうしましょう」
唯「みんなごめんね……」

澪「仕方ない。難しいフレーズはなるべく梓に弾いてもらうようにして、唯にはリズムに専念してもらうということで……」
梓「えっ……でもそれは……」

思わず唯の表情を窺う梓。

律「まぁ仕方ないさ。その分唯にはボーカルで頑張ってもらえばいいし」
紬「リズムギター専門なら、ボーカルも取りやすいですしね」
唯「……うん」


9: 2009/09/21(月) 00:30:40.51
帰り道。
唯は鬱々とした気持ちで背負ったギターに語りかけていた。
愛機のギー太でカッコよくソロを取って声援を浴びてみたかったが、それも今は叶わない。
しかもよりによって、ギター歴は自分より長いとはいえ、後輩の梓に自分のパートを奪われてしまった。
これで気にするなという方が無理である。

唯「私の演奏がもっと上手ければ……」

もともと高校入学まで、何かに打ち込むことがなかった唯が初めて打ち込んだのがギターだった。
日に日に新しいことを学んでいき、バンドでそれを演奏することが、最近になって本当に楽しくなってきていたのだ。

唯「どうやったらギターが上手くなれるんだろう?」

ひたすら練習するしかないというのはわかっているものの、文化祭はもう目の前である。
練習してまた数年後などというのは、今の唯にはとてもではないが待っていられる話ではない。

悪魔『俺はギタリストと契約することで、そいつのギターの腕前を上げることのできる能力があるんだ』
唯「!!」

瞬間、唯は昨日の悪魔のことを思い出した。

唯「でも、あれは夢だったんだし……。悪魔なんて本当にいるわけないよね」

そう自分に言い聞かせたものの、帰途を辿る足は無意識のうちにあの十字路へ向かっていた。

10: 2009/09/21(月) 00:33:26.36
悪魔「なんだ、結局来たじゃないか」

そして件の十字路には、本当に昨日の悪魔がふわふわ浮いたまま、唯のことを見下ろしていた。
あれは夢などではなかったのだ。

唯「……どうしてもギターが上手くなりたくて」
悪魔「そうかい、そうかい。いい心がけだ」
唯「でも本当にあなたと契約したらギターが上手くなるんですか?」
悪魔「おいおい、疑ってるというのかい? だったら今まで俺のとこにやってきたギタリストの話をしてやるよ」
唯「今までにも私と同じようにここに来た人がいるの?」

12: 2009/09/21(月) 00:36:06.58
悪魔「ああ、勿論、それに足りるだけの『素質』がある人間だけだがな。
   最初にココに人間が来たのは、70年くらい前だったかな。ロバートっていう名前の黒人だったよ」

悪魔「次はその20年後、これもジミっていう名前の黒人だったな」

悪魔「その後にもデュアンっていう典型的なアメリカ南部男、ランディっていう小柄な白人の金髪男――」

悪魔「スティーヴィーっていう帽子の良く似合う、これもアメリカの白人。
   あとはダイムバッグっていうあだ名のあごひげが特徴的だった地獄から来たカウボーイ男」

悪魔「あとユイと同じ日本人ならアベっていう背の高い男もいたな……。
    ま、いろんなのが来たけど、どいつもこいつも俺と契約した後はギタリストとして成功してるぜ?」

唯「名前は聞いたことないけど、なんかすごそうですね……」
悪魔「当たり前だろ? 悪魔を舐めてもらっちゃ困るぜ? それでユイも契約するんだろ?」
唯「…………」

13: 2009/09/21(月) 00:39:09.79
ここに来て唯は迷った。本当にこの胡散臭い悪魔と契約などしてもいいものか。
しかし、その瞬間、最悪の想像が唯の脳裏をよぎる。

澪『唯は駄目だなぁ~。いつになってもマトモにギターが弾けやしない』
梓『後輩の私の方が全然上手いですもんね』
律『唯を軽音部に引き入れたのは失敗だったかなあ』
紬『ギターをまけてあげたのも失敗でしたね』
憂『私が3日練習しただけで、お姉ちゃんより上手く弾けるよ。おっOいも私の方が大きいよ』
和『せっかく打ち込めるものを見つけたと思っていたのに、やっぱり相変わらずだったのね』
さわ子『もう唯ちゃんにギターを教えても仕方ないわね』

唯「ひっ!」

澪『これじゃ唯が居ない方が演奏はまとまるよな』
梓『寧ろギターは私さえいればいいと思います』
律『やっぱり唯を入れたのは間違いだったなあ』
紬『紅茶とお菓子返してください』

唯「そ、そんな……」

澪『ま、なんというか……』

唯「や、やめて……」

澪梓律紬『唯が居なくても別に構わないよね~』

14: 2009/09/21(月) 00:41:34.56
唯「いやっ!!!」

悪魔「おいおい……。いきなり叫び出してどうしたんだ」
唯「……します」
悪魔「?」
唯「私、あなたと契約します!」
悪魔「本当か?」
唯「ギター、もっと上手くなりたいから!」
悪魔「ククク……そうかそうか。いい心がけだぜ」

こうして唯は十字路の悪魔と契約し、ギターの技術を手に入れることとなった。

唯「これで本当にギターが上手くなったの?」
悪魔「不安なら後で実際に弾いてみればいい。そうすればすぐにわかるさ」
唯「わかった! ありがとう、アクマさん!」

喜んで十字路から走り去って行った唯。
しかし、唯は忘れていた。
契約とは常にそれ相応の対価をもってなされるものであるということを。
そして『悪魔』などとそれを交わすということは、それ相応の『代償』があってしかるべきだということを。

悪魔「ククク……これでしばらくは退屈しないで済みそうだな……」

16: 2009/09/21(月) 00:45:27.86
翌日。音楽室にて。

唯「早速だけど私のギターを聴いてほしいの!」
澪「おっ、へんに張り切ってるな」
律「さては珍しく練習してきたか?」
紬「是非聴いてみたいですわ」
梓「唯先輩?(なにか様子がおかしい?)」

唯は即座にケースから愛機のレスポール(=ギー太)を取り出し、
部室備え置きのアンプにプラグインすると、六本の弦を力いっぱいかき鳴らし始めた。
それは他の4人のうちだれもが聴いたことのないような演奏だった。

澪「な、なんだこれ……」
律「めちゃくちゃ上手くないか?」
紬「凄いリズムギターです……」
梓「しかもリズムと同時にリードまで……。まるでギタリストが2人いるみたい……」

そしてあろうことか唯はギターをかき鳴らしながら歌い始めた。

18: 2009/09/21(月) 00:49:03.83
I went to the crossroads, fell down on my knees♪
(私は十字路へ行って、跪いた)
I went to the crossroads, fell down on my knees♪
(私は十字路へ行って、跪いた)
Asked the Lord above,
(そして天の神様にお願いした)
Have mercy now,Save poor Yui if you please♪
(「お情けをください、哀れなユイをお救いください」と)

澪「あんな複雑なフレーズを弾きながら歌うなんて……!」
律「しかもなぜか英語!?」
紬「唯ちゃん、英語の成績いつも赤点なのに……」
梓「(この曲、どこかで聴いたことがある?)」

唯「えへへ~、すごい~? 私、すごい~?」

20: 2009/09/21(月) 00:51:06.95
澪「すごいもなにも……一体どうしたっていうんだ」
律「英語の曲なんていつの間に覚えたんだ?」
唯「う~ん、なんていうか自然に。いつの間にか覚えてた」
紬「そ、そんなことがあるんですかね?」
梓「それにギター……いつの間にそんな上手く?」
唯「えへへ~♪」
さわ子「全盛期の私と比べても甲乙つけ難いわね」
唯「さわちゃん先生いつの間に!? とりあえずえへへ~♪」

そしてその後、5人合わせての演奏では、鬼門だった『私の恋はホッチキス』をはじめ、
全ての曲で唯は完全にギターパートを弾きこなしてみせた。

あまりの急激な上達ぶりに驚く一同であったが、最後までその上達の秘密を明かそうとせず、
笑って誤魔化していた唯に、全員一抹の疑問は拭えなかった。それでも、

澪「まぁ演奏が形になっているならそれでいいか」
律「形になっているどころか、ググっと良くなったもんなぁ」
紬「これで文化祭のステージもどんとこいですね」
さわ子「これならいつでも歯ギターを伝授出来るわね」
梓「(確かに演奏は良かったけど……何かおかしい)」

この時、唯の異変に気づいていたのは、現役ギタリストとしての感覚を持った梓だけであった。

23: 2009/09/21(月) 00:53:20.40
そして文化祭本番――。

唯「それじゃあ行きま~す! 『私の恋はホッチキス』!」
客「ワーッ!!」
唯「ギョワワーンピロピロピロブボボッピキピキギュイーン!!」

澪「(……す、凄すぎるギタープレイだ)」
律「(歯弾きところか背面弾きまで披露してるし)」
紬「(濡れた)」
梓「(まるで……ギターの悪魔が乗り移ったよう……)」

唯「ありがとう~♪」
客「アンコール!!アンコール!!」

こうして熱狂、大成功のうちに文化祭のステージは終わった。
舞台裏では興奮冷めやらぬメンバーが唯のプレイを賞賛していた。

澪「唯! お前は最高だ!」
唯「澪ちゃんのボーカルも相変わらずキュートだったよ♪」
律「唯をギターに据えた判断はやっぱり間違ってなかったな!」
唯「えへへ~、ほめてもなにもでないよりっちゃん隊員♪」
紬「私なんか興奮過ぎてイキかけましたわ」
唯「濡らしたステージの床は自分で掃除してね、ムギちゃん♪」
梓「……凄かったですね、唯先輩」
唯「でしょ~♪ もうあずにゃんにも負けてないよ~!
  これからはギターのことはこの唯先輩になんでも聞きなさい(キリッ)」

25: 2009/09/21(月) 00:57:57.92
唯を囲みはしゃぎ合う先輩達を眺めながら、梓は一人心の中で燻ぶる疑問と格闘していた。

梓「気のせいか……ステージでギターを弾いている唯先輩の背後に誰かいた気がする」

それはどこにでもいるような普通の人間の形をしていたような気がした。
しかし、空中に浮遊していることとその表情が邪悪な愉悦に歪んでいたのは、どう考えても普通ではない。

梓「いや、そんなことあるわけない。あれは錯覚だよ……」

そう自分に言い聞かせ、疑惑を忘れようとした梓だったが、

梓「でも音楽室で唯先輩が弾き語ったあの英語の曲……やっぱりどこかで聴いた気がする」

帰ったら父親所蔵のレコード棚を漁ってみようと心に決め、梓ははしゃぐ唯らとともに帰途についた。

一方、自宅に戻った唯は――。

悪魔「どうだ? 最高のギターの腕前をオーディエンスの前で披露した気分は?」
唯「わわっ!!」

自室のベッドの上で、我がもの顔であの悪魔が胡坐をかいていた。

唯「……びっくりしたなぁ、って、なんでここに?」
悪魔「あの十字路で人間界を覗く生活にも飽きてきたんでな。
   ユイが上手くやってるか心配で見に来てしまった、ってわけさ」

そういってニヤリと口の端を上げる悪魔の姿は、どう見ても「心配だった」というより「興味本位」というのが相応しかった。
しかし、興奮冷めやらぬ唯はそれには気づかなかった。

27: 2009/09/21(月) 01:00:24.37
唯「気持ちよかったなぁ~、ステージで浴びるあの歓声は格別だよね♪」
悪魔「ほうほう」
唯「それに自分の思った通りに指はすらすら動くし、出したい音もなんでも出せる。ギー太も喜んでたよ!」
悪魔「それはそれは」
唯「ほんと! アクマさんと契約して良かったよ♪」
悪魔「ククク……それはありがたい」
唯「でもアクマなのにこんな良くしてもらっちゃっていいのかなぁ?」
悪魔「人を不幸にするだけが悪魔じゃない。悪魔にだっていろんな種類がいるのさ」
唯「へ~、そうなんだ」
悪魔「とにかく、あれだけのギターの腕前を手に入れたんだ。これからもせいぜい……っと、誰か来たようだな。それじゃまた」
唯「え、あ、うん! ばいばーい」

唯が消えていく悪魔を、手を振って見送ると、控え目なノックとともに部屋のドアが開いた。

憂「お姉ちゃん、なんか声が聞こえてたけど、誰か来てるの?」
唯「ううん、なんでもないよ。それより憂、今日の軽音部のライヴ、見てくれた?」
憂「勿論だよ~! お姉ちゃん、かっこよかったよ~!」
唯「えへへ~♪」

まさにこの世の春を謳歌する唯。
一方、唯の部屋を去った悪魔は、あの十字路からじゃれ合う平沢姉妹を覗き見ていた。

悪魔「ククク……これからもせいぜい、俺のことを愉しませてくれよ? ユイ」

28: 2009/09/21(月) 01:02:11.53
ある日の平沢家の朝、顔色は真っ青で目の下には大きなクマが出来ている姉の姿に、憂は心底驚いた。

唯「なんだか最近寝付けなくて……昨日も結局徹夜でギター弾いてたんだ……」
憂「どおりで夜通し部屋からカチャカチャ音が……って、お姉ちゃん、そんなの身体に悪いよ!?」
唯「う~ん、行ってきま~す……」
憂「お姉ちゃん……朝御飯も残してる……。今までこんなことなかったのに……」

教室で――。

唯「エフッエフッ」
紬「唯ちゃん? 風邪ですか?」
唯「うん、エフッ、最近、エフッ、咳がよく出て」
律「唯でも風邪をひくんだなぁ」

30: 2009/09/21(月) 01:05:00.12
音楽室で――。
紬「あれ……。唯ちゃん、今日はお菓子食べないの?」
唯「うん……最近食欲がなくて」
澪「あの唯が!? これは明日ヤリが降るぞ」
律「いや、でも実際最近の唯、どこか調子が悪そうなんだよなぁ。ちゃんと睡眠とってるか?」
唯「あんまり……」
紬「そう言えば最近、唯ちゃん少し痩せました?」
唯「……○キロ痩せた」
澪「なっ……!(うらやましすぎる)」
梓「…………」

そして練習中――。
唯「(ギュイーンバリバリバリ!!)」
澪「(体調は悪そうだったのに……)」
律「(ギタープレイは相変わらず鬼気迫るものがあるなぁ)」
紬「(でも心なしか表情もつらそうな……)」
梓「…………」

放課後――帰途に着きながら。

梓「唯先輩、最近おかしくないですか?」

唯と二人きりになったタイミングを見計らって、意を決して梓は尋ねた。

31: 2009/09/21(月) 01:07:00.87
唯「え、なんで?」
梓「何ていうか、最近体調悪そうですし……」
唯「アイス食べすぎてお腹壊したのかもアハハ……」
梓「部室のお菓子に一つも手をつけないのにその理由はおかしいですよ」
唯「………」
梓「何かあったんですか?」
唯「……何かって?」
梓「唯先輩、文化祭の前のある日から、急激にギターが上手くなりましたよね?」
唯「(ビクッ)」
梓「それと何か関係があるんですか?」

核心をついたか?――そう思った梓であったが、

唯「あずにゃんはアクマって聞いたら何をイメージする?」
梓「は、はい?」

33: 2009/09/21(月) 01:09:05.99
予想の斜め上をいく唯の返答に思わずたじろいでしまった。
が、唯の声色があまりにも真剣なので一応返答する。

梓「アクマ……悪魔ですか。悪魔っていったら……怖くて……不気味で……人間を不幸に陥れる……」
唯「それは違うんだよ、あずにゃん」
梓「え?」
唯「アクマさんはね、心からお願いすれば、その人が本当に欲しかったものを与えてくれるんだよ?」
梓「は、はぁ……」
唯「アクマでも、人を幸せに出来ることがあるんだね」
梓「幸せ……ですか?」
唯「そう。ロバートさんもジミさんもデュアンさんもランディさんもスティーヴィーさんもダイムバッグさんもアベさんも、
  みんなアクマさんに幸せにしてもらったんだよ?」
梓「????」
唯「あ、私はこっちだから、ここでお別れだね。じゃあまた明日部活で。ばいばい、あずにゃん」
梓「は、はい……」

遠ざかる唯の背中を見つめながら、梓は唯の放った「悪魔」という単語を何度も脳内で反芻していた。

梓「悪魔……アクマ……あくま……! そう言えば!」

そして何かを思い出した梓は、一路駆け足で帰路へついた。


34: 2009/09/21(月) 01:11:53.64
その翌日。音楽室にて――。

澪「今日は唯、休みらしいな」
律「ああ。なんでも風邪をこじらせたとか」
紬「やっぱりずっと体調が悪かったのはそのせいだったんですかね?」
梓「そこで皆さんにお話ししたいことがあります」
澪律紬「???」

突如、真剣な口調で語り始めた梓に三人は首を傾げたものの、一枚のレコードを卓上に置くとともに放った次の一言に、

澪「そ、そんな……」
律「バカな……」
紬「唯ちゃんが……」

三人は一様に表情を歪ませた。

35: 2009/09/21(月) 01:13:49.17
唯「うーん、身体が重いよ~……頭が痛いよ~……」

一方その頃、唯は自室のベッドの中にいた。
憂が作り置きしていったお粥に口をつける食欲もなかった。
すると、

悪魔「どうしたんだユイ、そんなにウンウン唸って」

あの悪魔がいつの間にか唯の枕元に浮遊していた。
唯は最近体調が悪くて仕方なかったこと、そして今日、とうとう倒れてしまったことを咳交じりに伝えた。すると、

悪魔「あっちゃ~、今回は意外と早かったなぁ。
   まぁ、ユイの場合、俺と契約する前の腕前が酷いもんだったからなぁ。その振れ幅を考えれば、仕方ないか」

悪魔は妙なことを言い始めたのだった。

36: 2009/09/21(月) 01:16:50.47
澪「唯が!?」
律「悪魔に魂を!?」
紬「奪われるですって!?」
梓「はい」

至極真剣な様子で頷く梓の顔を三人は思わずまじまじと見つめた。

澪「いや、いくらなんでもそれはおかしいから」
律「梓はちょっとおかしなライトノベルの読みすぎなんじゃないか?」
紬「中2病ですか?」
梓「……でもそれしか考えられないんです。
  そうでもなければ、いくら唯先輩でもあんなに急激にギターが上手くなるわけがありません」
澪「いや、でも上手くなった=悪魔と魂の取り引きをした、なんて発想は……」
梓「この前一緒に帰った時に唯先輩……唐突に私にこう言ってきたんです。
  『悪魔でも人を幸せにすることが出来る』って……」
律「唯が寝惚けてたんじゃないか?」
紬「そもそも梓ちゃんはどうしてそんな考えに至ったんですか?」
梓「実はこんな話を聞いたことがあるんです――」

そう言って、父親の蔵書の中ににあったとあるミュージシャンの伝記本にあったとある逸話を、梓は語り出した。

39: 2009/09/21(月) 01:20:44.93
梓「戦前の話です。アメリカのとある片田舎に、一人の黒人ブルースマンがいたそうです。
  その男はギターの腕前を上げたい一心で、毎日練習に励んだそうですが、なかなか思うように上達しない――」
律「なんか最近の唯みたいな話だなぁ」
澪「毎日練習に励んでいたとは言い難いけどな」
梓「そこで男は悪魔が出ると噂になっていたとある十字路(クロスロード)を訪れたんです。
  そして悪魔にこうお願いしました。『俺の魂と引き換えに、悪魔のように、恐ろしいまでのギターの腕前を与えてくれ』と」
紬「その話と同じことが唯ちゃんにも?」
律「まさかぁ。だいたいその話自体、眉唾もんだろ?」
梓「私も最初はそう思いました。でも、この曲を聴いてその考えは覆りました」

そう言うと梓は、持ってきたレコードを音楽室のステレオにセットし始めた。
すると最初に流れてきたのはプツプツと耳障りなノイズだった――。

澪「随分と古い録音みたいだな……」
梓「なんてたって戦前の、1936年の録音ですからね」


40: 2009/09/21(月) 01:23:26.78
次の瞬間、スピーカーを突き破るように流れ出したのは、咽び泣くようなアコースティックギターの咆哮、そして、

I went to the crossroads, fell down on my knees♪
(俺は十字路へ行って、跪いた)
I went to the crossroads, fell down on my knees♪
(俺は十字路へ行って、跪いた)
Asked the Lord above,
(そして天の神様にお願いしたのさ)
Have mercy now,Save poor Bob if you please♪
(「お情けをください、哀れなボブをお救いください」と)

世の無情をこれ以上ない切実さで表現して見せる情感ダダ漏れのボーカル。
まさにこれぞブルース。ホンマモンの戦前ブルースだ。

律「なんじゃこりゃ。随分と古臭い曲だなぁ」
紬「でもこのギタープレイ、凄いですね。とても70年も前とは思えない……」
澪「! ちょっと待てよ!」

それに最初に気づいたのは澪だった。

澪「これって唯が歌っていた英語の曲じゃないか?」
律「はぁ? 全然違う曲じゃないか」
紬「……! でも唯ちゃんが歌っていたのと歌詞が同じ……!」
澪「アレンジはかなり違うけど……間違いない!」

41: 2009/09/21(月) 01:25:22.17
梓「澪先輩の言うとおりです。これは、『クロスロード・ブルース』、戦前の伝説的ブルースマン、ロバート・ジョンソンの代表曲です――」

澪「そう言えばエリック・クラプトンが演奏しているバージョンで聴いたことがあるよ」

梓「そしてこのロバート・ジョンソンこそが先の悪魔と契約して魂を売り渡し、
 その代償として恐るべきギターの腕前を手にしたと言われている『クロスロード伝説』の張本人です」

紬「まさかその『クロスロード伝説』を歌ったのが……この歌?」
律「マジかよ……?」

42: 2009/09/21(月) 01:28:54.15
音楽室が悪魔のブルースの音色で戦慄していたその頃、
平沢家では本物の悪魔がにやけた顔で唯と対峙していた。

悪魔「あっちゃ~、今回は意外と早かったなぁ。
   まぁ、ユイの場合、俺と契約する前の腕前が酷いもんだったからなぁ。その振れ幅を考えれば、仕方ないか」
唯「そ、それはどういうこと……? 私の身体の調子がおかしいのと、あの契約は何か関係があるの?」
悪魔「おや、言ってなかったか?
   古今東西、俺のような悪魔と人間が契約する時の代償となるもの、それはソイツの生きた魂だ」
唯「た、たましい……?」
悪魔「言いかえれば寿命ってところだな。
   どうやらユイは得た技術が大きすぎた分だけ、早くガタが来たってことさ。ま、仕方ないことだね」
唯「そ、そんな……」

悪魔の言葉に、唯の身体中の細胞が震えあがった。

唯「そんなの……聞いてないよ」
悪魔「言ってなかったからなぁ。
   そもそも俺のような悪魔と契約して、何の代償も差し出すことを想定していなかった自分の頭のおめでたさを呪った方がいいぞ?」

なんてことだろう。人を幸せにする悪魔なんて、やっぱりいるわけなかったのだ。


43: 2009/09/21(月) 01:32:04.58
唯「わ、わ、私……氏んじゃうの……?」
悪魔「遅かれ早かれな。ま、悪魔的予想としてはあと数週間ってところか」
唯「そ、そんなの嫌だよ……氏にたくないよ……」
悪魔「仕方ねえだろが。俺は『素質がある』とは言ったが、それに乗って『契約する』って言ったのは唯の方だぜ?
   それにあと数週間の間でもギターの腕前は変わらないんだ。残り少ない人生を燃え尽きるくらいに、弾きまくった方が楽しめるんじゃねえか?」

確かに、体調最悪の今でも、ギターを持つとなれば烈火のごときプレイが出来そうな妙な確信が唯にはあった。

悪魔「短い間だったけど、思う存分ギターを弾けて楽しかっただろ?」

確かに、最近では頭の中で弾きたいメロディを思い描くだけで、その半秒後には自然と左手の指がフレット上をものすごい速さで走り、思い通りの音を出せた。
あんな感覚は、唯は今まで味わったことがなかった。

悪魔「ほら、十分元はとれたじゃねえか。やっぱり俺は人を幸せにする悪魔なんだよ。そういう意味じゃ」
唯「でも氏んじゃったら意味ないよっ!!」
悪魔「だから仕方ねえんだって言ってるだろうが。
   それに俺と契約した人間は皆、遅かれ早かれギターの腕前と等価交換で命を燃やしつくしているんだぜ?」
唯「えっ……?」

44: 2009/09/21(月) 01:34:06.07
悪魔「そうさ。
   最初に契約したロバートって男は他人の女に手を出したせいで怨みを買ってボトルに毒を盛られて27の時にバタリ。
   次のジミって男はヤクと酒のやりすぎで寝ゲロでコ口リ。こいつも確か27だったかな。
   デュアンって男はバイク事故、24の時だな。ランディって男は25の時、遊びで乗ったセスナ機が墜落しちまった。
   スティーヴィーって男も35の時に飛行機事故。ダイムバッグって男は38の時、こいつは結構長生きしたからその代わり氏にザマはひでえもんだったぜ?
   ステージで演奏中にイカれたファンにピストルで撃たれちまった。
   で、アベって男もつい最近氏んだぜ? ちなみにコイツは悪魔ならぬ鬼って呼ばれてたらしいな。ま、悪魔と契約した分すげえプレイしてたらしいぜ?
   んで、このリストに平沢唯が17歳で加わるってわけだ。」

唯「…………」

唯はもはや言葉すら出なかった。

45: 2009/09/21(月) 01:36:38.24
澪「それじゃあ何か? 唯はギターの腕前を得るために自分の魂と引き換えに悪魔と契約したと……」
律「ちょっと待ってくれよ……。魂と引き換えってことはつまり……」
紬「氏n――」

言いかけた紬の口は自然と止まった。そんな言葉、軽々しく口に出せるわけがない。しかし、

梓「唯先輩から、悪魔と契約したと言われるギタリストの名前を何人か聞きました――そしてその全てが若くして……」
律「や、やめてくれよ!!」

律がヒステリックに怒鳴った瞬間、梓の携帯電話がけたたましく鳴った。

それは、『風邪で寝込んでいた唯が突如意識を失い、重篤状態で病院へ搬送された』という涙交じりで声にならぬ憂からの報せであった。

47: 2009/09/21(月) 01:38:55.26
唯は幸いにも一命を取り留め、数日内に意識も回復した。
しかし原因不明の身体の衰弱は半端なものではなく、
医者からは『持ちこたえて数週間』との非情な通告を、憂はじめとする唯の家族と、軽音部の4人は受け取ることとなった。

そして、氏の床についた唯は、何かに取りつかれたかのようにギターを欲した。

唯「うい……ギー太はどこ……?」

虚ろな目でベッドに横たわりながらか細い声で唯は尋ねる。

憂「お姉ちゃんのギターなら……家だけど」
唯「持ってきてくれないかな……」
憂「その身体でギターを弾くの!?」
唯「お願いだよ……うい……」

最愛の姉の、最後になるかも知れぬ望みなら、と憂は泣きながらギターを持ちこみ、恐る恐る唯に手渡した。すると、

憂「お姉ちゃん……!?」

驚くことに、唯はギターを弾き始めたのだ。それも、倒れる前と寸分違わぬ流麗な指使いで。
そしてひとしきりの速射砲のようなフレーズを弾き終えると、急に涙を流し始めた。


48: 2009/09/21(月) 01:40:34.65
唯「だめ……やっぱりだめだよ……」

唯「あんなにギターが上手くなりたいって願ったのに……」

唯「ひとりで弾いたってちっとも楽しくなんかない……」

唯は思い返した。そもそも自分はなぜ悪魔に縋ってまでギターが上手くなりたいと思ったのか。

唯「みんなといっしょに演奏しなきゃ……上手く弾けても楽しくないよ……」

唯「もっとみんなといっしょに演奏したいよ……」

唯「氏にたくない……氏にたくなんかないよ……」

49: 2009/09/21(月) 01:44:36.66
梓「――と、唯先輩の最近の様子はこんなところらしいです……」

梓が憂から伝え聞いた悲壮な唯の近況を話し終えると、澪は唇を噛んで肩を震わせ、
律は「クソッ!」と嘆くと苦々しく顔をしかめ、紬は両手で顔を覆って嗚咽を漏らした。

澪「どうして気づいてやれなかったんだ……」
律「唯がそこまで追い込まれていたなんて」
紬「私……唯ちゃんの友達失格です」
梓「…………」

4人にとって何よりも悲しく、同時に悔しかったのが、唯が自らの技術の稚拙さから、
軽音部内で孤立感を感じた末に、悪魔との契約などという最悪の方法に縋ってしまったことだった。

しかし、梓だけはまだ希望を失っていなかった。

梓「こうなったら、直接悪魔のところに乗り込んで、唯先輩との契約をなかったことにしてもらうようにするしかないですね」
澪律紬「!!!」

ただ、それはあまりにも非現実的だった。

50: 2009/09/21(月) 01:49:39.79
澪「そんなこと言ったって……悪魔なんてどこに……」
梓「わかっているのは『十字路に悪魔が棲んでいる』ということだけです」
律「町中の十字路を探しまわるか?」
紬「そもそも、悪魔なんて本当にいるのかしら……」
梓「なんにせよ、こうして音楽室で何もできずに唯先輩の氏を待つより行動を起こすべきです!」

梓の言葉に、絶望に塗りつぶされかけた3人の心に一筋の薄明かりが照らされかけたその時だった。

?「別に苦労して探しまわる必要なんかないぜ」
澪律紬梓「!!!!」

突如、音楽室に現れたのは、どう見てもただの少年の外見をしたヒトガタ。
ただ、ふわふわと宙に浮遊するその不気味する在り方が、そのヒトガタが人外の存在であることをなによりも雄弁に物語っていた。

梓「もしや……」
悪魔「推察の通りさ。ユイと契約した悪魔はこの俺だ」

ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべる悪魔。

52: 2009/09/21(月) 01:52:32.23
律「キサマか! キサマのせいで唯はッ!!」

律が思わずドラムスティックを引っつかんで悪魔に殴りかかったが、相手は人外。あっさりとかわされてしまった。

悪魔「おいおい嬢ちゃん、引っぱたくなら空気じゃなくてスネアドラムにしときな」
梓「……唯先輩が急に上手くなったのは貴方のせいなんですね?」
悪魔「その通りさ」
澪「そしてその代償に唯の命を奪おうとしているのも……」
悪魔「奪おうなんて酷い言われようだな。その対価として相応しいだけのモノを俺はユイに与えたはずだぜ?」
紬「だからって命を奪うなんてあんまりです! 許せない……!」

厳しく眉をしかめた紬をちらっと見ると、悪魔は一つ舌打ちをし、

悪魔「お前らは分かってねえな。ミュージシャンってのは太く短く生きて、若いうちにコ口リと氏んじまう方がいいんだぜ?」
律「そんなわけあるか!」
悪魔「いや、あるね。歴史が証明してるじゃないか。
   ロバート・ジョンソンもジミ・ヘンドリックスもデュアン・オールマンもランディ・ローズもスティーヴィー・レイ・ヴォーンも
   ダイムバッグ・ダレルもアベフトシも、全盛期の若い内にコ口リと逝っちまったからこそ、今こうして伝説のギタリストとしてもてはやされてるんじゃねえか。
   唯もそんな伝説の仲間入りをするんだ。これが幸せでなくてなんだよ?」
梓「それは違います!」
澪「私たちはまだこれからもずーっと一緒に演奏して行くんだ!」
紬「それがこんなところでお別れだなんて……耐えられません!」
律「そうだ! 唯は氏なせないぞ!」

熱を帯び、自分達の絆の深さを訴える4人であったが、残念ながら相手は悪魔であった。

53: 2009/09/21(月) 01:55:45.21
悪魔「ふん。知るかよ、そんなこと。どっちにしろもう手遅れさ」
梓「そ、そんなっ……!」
悪魔「せいぜいこれから伝説になろうとしているギタリスト、平沢唯を賞賛してやれよ。
  それがユイにとっては、何よりの喜びなはずだぜ?」

絶望に呆然とする4人の頭上を飛び越えると、悪魔は窓から飛び去って行ってしまった。

その後、病状が悪化の一途をたどる唯はとうとう自力でベッドから起き上がることもできなくなるほど衰弱し、
憂の呼びかけに応えることも少なくなってきた。ただそれでもギターだけは手放そうとはしなかった。
親族以外面会謝絶のため、軽音部の面々が会うことも出来ない。
日がな孤独にギターをかき鳴らし、陰鬱なメロディを奏でて朽ちていく身。

そんなある日、甲斐甲斐しく姉の身の回りの世話をする憂に唯はか細い声でこんなことを言いだした。

唯「憂……外……でたい……」
憂「!? 外に……出たいの、お姉ちゃん?」
唯「学校……音楽室……軽音部……演奏……ギー太……」
憂「そんな身体で……無茶だよ!!」
唯「憂……私……たぶんもうだめ……最後に軽音部のみんなと……もういっかい……」
憂「!!」
唯「おねがいだよ憂……おねえちゃんの……さいごのおねがい……」

ここまで言われて心が動かないほど憂は薄情な妹ではなったし、それ以前にあまりにも姉思いであった。


54: 2009/09/21(月) 01:57:56.62
憂「わかったよ……お姉ちゃん。そしたら車いす……借りてくるね」

そう言って顔をぐしゃぐしゃにしながら憂が病室を出た時、

悪魔「解せん。実に解せんなぁ」
唯「あ……」
唯の頭上にあの悪魔が現れた。

悪魔「ユイ……お前はいまだに『氏にたくない』だなんて考えているだろう?」
唯「そんなの……あたりまえだよ。私はもう一回、軽音部に戻りたい」
悪魔「その考えが俺には解せん。ユイ、お前は誰もが羨むような最高のギタープレイを可能とする指を得たんだぜ?
   それだけで十分じゃないのか? なにをそんなにあの軽音部にこだわるんだ?」
唯「…………」
悪魔「実際、俺は軽音部の連中に会ったけどな。どいつもこいつもなんもわかっちゃいなかったぜ。ユイが伝説になるっていう、その意味がな」
唯「わかっていないのは……悪魔さんの方だよ」
悪魔「はぁ?」

唯の言い分に思わず顔をしかめた悪魔。しかし、唯はたじろぐことなくきっぱりと言い放った。

55: 2009/09/21(月) 01:59:39.82
唯「いくらギターが上手くなっても……ひとりじゃ意味がないんだよ」

唯「りっちゃんのドラムがあって、ムギちゃんの鍵盤があって、あずにゃんのギターがあって、澪ちゃんのベースと歌があって――」

唯「――それに乗せてギターを弾かないと意味がないんだよ」

悪魔は怪訝な表情で唯を見つめると、

悪魔「ふん、好きにしな」

と、捨て台詞を残して消えていった。

一方、音楽室では――。

澪「せめて……せめて唯の最期を看取ってやることは出来ないかな」
律「な! 縁起でもないことを言うなよな!!!」
紬「でも……私たちに出来ることはもうそれくらいしか……」
梓「私……っ! もう一度あの悪魔を探し出してなんとか……っ」

梓がたまらず音楽室を飛び出そうとしたその時、一歩先に扉が開かれた。

56: 2009/09/21(月) 02:03:35.10
梓「せ、先生……」

現れたのは神妙な表情のさわ子と、

澪「和まで……」

複雑そうな面持ちで軽音部の面々を見回す和だった。

さわ子「本当は教師として……軽音部の顧問として……こんなことは絶対に認められないんだけれど……あそこまで言われちゃあね」
律「そ、それは一体どういう意味……?」
和「私も生徒会の一員としてはこんなこと許可できない。でも唯の幼馴染としては別。とにかく見て」

すると和は、音楽室の外を覗きこむと、一つ手招きをした。

和「憂ちゃん、入ってきていいわよ」

次に見た眼前の光景に、4人は一様に驚愕した。

澪律紬梓「!!!!」

憂が恐る恐る押している車いす、そこに座っていたのはもはや生きているのかどうかすらも分らない顔面蒼白の唯だった。

57: 2009/09/21(月) 02:07:53.36
さわ子「本当なら絶対安静、面会謝絶。外出だなんてもってのほかだけど……」
和「特別に病院から外出の許可が出たそうよ」

それは唯の命脈がもはや風前の灯であり、『最期の瞬間くらいは本人の望む場所で』という医者の悲しい心遣いだったのかもしれない。

澪「唯……」
律「……ぐっ」
紬「……ウッ」
梓「……ぶわっ」

目の前の唯のあまりにも悲惨な姿。見ていられないと4人は顔を反らした。
すると、車いすを押していた憂が意を決して、

憂「お姉ちゃんがどうしても皆さんにお願いしたいことがあるというんです。どうか聞いてあげてくれませんか」

そして憂に促されるように唯が消え入りそうなか細い声をひねり出した。

唯「み……みんな……さ、最後に一緒に……演奏しようよ……」

澪「そ、そんな身体で……か?」
唯「えへへ……。ボロボロだけど、ギターはちゃんと弾けるから……」
律「しかも……最後ってなんだよ……」
唯「ごめんね……わたし……もうだめみたいだから……」

そう言うと、唯はなんとか自力で車いすから降りる――も、すぐさま転んでしまう。

憂「お姉ちゃん!」
唯「えへへ……だいじょうぶ、だいじょうぶ」

58: 2009/09/21(月) 02:13:42.33
憂に支えられていないと歩くことすらままならない。
それでも軽音部の一員としてもう一度だけ演奏したい。
あまりにも悲しい唯の最後の願いに、妹の憂だけではなく、顧問として唯を見守ってきたさわ子も、
幼馴染としてそれ以上の長い時間唯とともに時を過ごした和も、周囲の目を憚ることなく嗚咽を漏らした。

そしてそれは軽音部の面々も同じ事であった。
目の前で苦しみながらもギターを手にしようとする唯を、ただ黙って見ていることしかできない。
助けてあげることもできない。そんな自分達が悔しくて、恨めしくて、悲しい。

しかし、そんな中で梓だけは違った。
グズグズに涙を流しながらも、ギターケースから愛機のフェンダー・ムスタングを取り出すと、アンプにプラグインし、背後を向いて一心不乱にチューニングを始めた。

唯「あずにゃん……ありがとう」

すると、そんな梓の心意気に感化されたのか、

紬「唯ちゃんのためなら……」

紬も涙をぬぐうとキーボードの前に立ち、鼻を真っ赤にしながら鍵盤の感触を確かめた。

律「うぐっ……ちくしょう……! 唯がそこまで言うなら……私だって腕がぶっ壊れるまで叩くしかないじゃないか」

律もまたドラムセットに腰かけると、沈み込んで駄目になりそうな己の気持ちを鼓舞するかのように、一発スネアドラムを鳴らした。

澪「わかった……演奏しよう!」

そして澪もまたフェンダー・ジャズベースを抱えると、マイクの前に立ち、左手で涙を拭うと、フラフラになりながらレスポール(=ギー太)を肩にかけた唯を見据えた。


59: 2009/09/21(月) 02:17:45.31
そして唯はと言えば、憂の支えがなければ一人で立つことすらままならない状態だったのが、ギターを持った途端にしかと自分の脚で立って見せた。

そして始まった演奏。

『ふわふわ時間』、『私の恋はホッチキス』etc……5人は、自分たちの手でものにしたオリジナル曲の全てをがむしゃらに演奏した。

唯は相変わらずとても半氏人とは思えないすさまじきギタープレイを披露した。
速射砲のように繰り出されるカッティング。血わき肉躍るリフ。うねり、咆哮をあげるソロ。
その全てがパーフェクト。これぞ悪魔に魂を売り渡して禁忌の技術を手に入れた伝説のギタリストのプレイだ。

しかし、唯にとって大事なのは『上手く』ギターを弾くことではなかった。

唯「(やっぱり……楽しい!)」

唯「(このメンバーの中で演奏するのは……たまらなく楽しい!!)」

律のドラムス、澪のベース、紬のキーボード、梓のギター……それらの演奏に鼓舞されるかのように熱さを増し、疾走する唯のギター。
上手いか下手かなんて本当は関係なかったのだ。バンドの、軽音楽の醍醐味はとにかく楽しく演奏すること。
それが、いつから強迫観念に囚われるまでに目先の技術ばかりを追い求めてしまったのか。
悪魔に魂を売り渡してまで得たかったものは本当に自分にとって価値があるものだったのか。

答えはわかっているがもう既に遅い。
だとすれば最期の瞬間まで、唯は自分が追い求めた最高の演奏をこの5人で成し遂げることに全身全霊を込めたのであった。


60: 2009/09/21(月) 02:21:26.02
憂「お姉ちゃん……」
さわ子「唯ちゃん……」
和「唯……」

見守るのはたった3人の観客。5人の放課後ティータイムの最後のライヴの、平沢唯の最後の演奏の観客としてはあまりにも寂しすぎるものだったが、そんなものは気にならない。

そして、

梓「(唯先輩……あなたは最期まで私の憧れのギタリストでいてくれたんですね……)」

唯の背中を見つめる梓の視界はやがて涙で歪み、

紬「(今なら言える……私はそんな一生懸命な唯ちゃんが好――)」

紬はその言葉を飲み込み、墓まで持っていこうと決意しながら鍵盤を叩き、

律「(だ、だめだ……もう、涙で前が見えなくて……スネアも見えない……)」

律はドラミングを荒れさせながらも、最後まで力いっぱいビートを叩きだし、

澪「(私たちが唯のために出来ることは……もうこれくらいしかないんだ)」

澪は涙声を枯らしながらも必氏にマイクに向かい、4本の弦を弾きまくった。

そして全てのレパートリーの演奏を終えると、

唯「これだよ、これ……。あぁ……幸せだなぁ……」

唯はマイクに向かって小さくそう呟き、そのまま糸が切れたマリオネットのように倒れ込んだ。

62: 2009/09/21(月) 02:22:56.45
そしてそんな唯達の最後の演奏を遠巻きに眺めていたもう一人の観客がいた。

悪魔「だから言わんこっちゃない」

悪魔「しかし、もうちょっと早く逝くかと思ってたけど、意外に持った方かな」

悪魔「あ~あ、どいつもこいつもアリみたいにユイに群がって……。
    そんなに呼びかけても無駄だって。救急車呼んだって無駄だって。どうせもう氏んでるぜ」

悪魔「しかし、なんでどいつもこいつも泣き喚いてるんだ?
   ユイは悪魔との契約の引き換えに、伝説になって氏んだんだぜ? 崇め奉られたとしても、そんなに悲しむのはおかしくねえか?」

悪魔「いや、絶対におかしいだろ」

悪魔「おかしい……んだよなぁ?」

悪魔「……………」

悪魔「チッ」

65: 2009/09/21(月) 02:27:45.00
唯「ふわ~ぁ、よく寝た~。うい~、今何時~?」

憂「!?」
さわ子「!!??」
和「!!!???」
澪律梓紬「!!!!????」

66: 2009/09/21(月) 02:28:51.64
唯「あれ~、みんなどうしたの~……って、そう言えばさっきからやたら私の名前を呼ぶ声がいっぱい聞こえてきた気がしたけど
  ……って、ここ音楽室? あれ?」

律「唯、お前……氏んだんじゃないのか?」
唯「氏ぬ? 私がなんで?」
紬「重篤状態で……一人で起き上がるのもままならなくて車いす状態で……」
唯「やだなぁムギちゃん、いくら私がグータラでも、立つのくらい一人で出来るよ~」
澪「最後に私達5人で演奏したいって……」
唯「最後? どうして最後なの? 軽音部の活動はこれからもまだ続くでしょ? 変だなぁ澪ちゃん」
梓「悪魔と契約をして……魂を奪われたんじゃなかったんですか?」
唯「あくま? 何いってんのあずにゃん、ライトノベルの読みすぎだよ~。でもそんな中2病なあずにゃんもかわいいなぁ~」

律「おい、これって……まさか」
紬「そのまさか、ですね……唯ちゃん、どう見てもピンピンですもの」
澪「さ、さっきまでの感動的な展開は何だったんだ……」
梓「で、でもとにかく……」

唯「あ~、ぐっすり寝たらお腹すいちゃったなぁ。うい~、アイスある~。それかムギちゃん、いつものケーキ……って」

次の瞬間、唯が見たものは、涙目になって一斉に自分に飛びついてくる4人の姿であったという。

67: 2009/09/21(月) 02:32:25.88
ところは変わって……人影一つ見えない不気味な十字路。
物憂げな顔で人間界を覗きこむ悪魔に、同僚の悪魔が声をかけた。

悪魔2「おい、聞いたぜ~。お前、成立しかけの契約フイにして、人間一匹の魂食い損ねたんだってな?」
悪魔「チッ、悪魔の世界は噂が広まるのが早いから嫌になるぜ」
悪魔2「しかも土壇場で自分から契約を取り消しにしちまったっていうじゃないか。何考えてんだよ」
悪魔「別に。ただあの人間はここでさっさと命を食い尽くしちまうよりも、生きながらえさせて高みの見物を決め込んだ方が楽しめると思っただけだ」
悪魔2「マジかよ」
悪魔「マジだ」
悪魔2「とか言いつつよ。お前、まさかあの人間の女に惚れたんじゃないのか?」
悪魔「(ドキッ!!)」
悪魔2「あの血も涙もない最悪の悪魔と言われたお前が、契約を途中で打ち切るだなんてそんな理由しか考えられないぜ」
悪魔「そそそそそそ、そんなわけあるかよッ!!!!」
悪魔2「(うわッ、バレバレwwww)」
悪魔「お、俺はなあんなちんちくりんのガキじゃなくて、もっとオトナないい女が好みなんだよッ!!!」
悪魔2「はいはい。わかったわかった」

悪魔「フンッ。しかし、ユイよ、俺に空腹を味あわせたからには……これからのお前のギタリスト人生……しっかりと見せてもらうぜ」

68: 2009/09/21(月) 02:37:33.12
それから数日後。

澪「唯、『私の恋はホッチキス』の出だし、弾いてみて」
唯「ブペブペッ!! ブヒョッ!! チャルメラ~♪」
紬「全然弾けていませんね……」
唯「うえ~ん!! どうして~!?」
律「前の駄目駄目唯に戻っちゃったなぁ」
唯「こんな難しいフレーズ、初心者にすぐ弾けるわけないよ~!」
梓「しかも唯先輩、バカテクだった頃の記憶がないみたいですからね」
唯「みんな言いたい放題言って~……ひどいよー!(チャルメラー♪)」

澪「でもなんていうか、この方が唯らしいというか……」
紬「前は上手すぎて不気味なくらいでしたからね(それに上手く弾けなくて困ってる唯ちゃんの方が性的に興奮するし)」
律「これでこそ、我が軽音部って感じだよなぁ」
梓「そうですよね! 多少下手くそでもその分演奏のまとまりで勝負すればいいわけで」

唯「うえ~ん、みんな酷いよ~!(チャルメラー♪)」

70: 2009/09/21(月) 02:41:09.57
そして放課後――。不意に唯は道に迷ってしまった。

唯「どうしよう~。道、わかんなくなっちゃったよ」

そして、いつの間にか辿りついいたのはどこか見覚えのある風景の十字路(クロスロード)。

唯「ここ……前に一度来たことがあるような……」

すると、どこからか聞き覚えのある声が唯の耳に木霊した。

?「唯は……ギター弾くのが楽しいか?」

この問いに、今度こそ迷わず答えられる。

唯「うん! 楽しいよ!」



(終わり)

71: 2009/09/21(月) 02:43:06.70
乙!
唯生きてて良かった

72: 2009/09/21(月) 02:46:03.30
ストーリーとして良かった。


たまにはこうしたまともなストーリーのSSも読みたいものだぜ。

75: 2009/09/21(月) 03:00:03.06
以上です。

所々のレスでお察しの通り、元ネタは悪魔に魂を売った早氏ブルースマンを描いたクロスロード伝説です。
まぁ、ロックの世界に伝わる眉唾話の一つみたいなもんです。

もし、興味を持たれた方がいたらエリック・クラプトン(クリーム)のカヴァーバージョンか、
ロバート・ジョンソンのオリジナルバージョンを聴いてみてください。
特に後者は安眠を誘うには最適ですw

しかし、規制に巻き込まれて二か月近く書き込めなかったのはつらかったなぁ……。

89: 2009/09/21(月) 04:32:54.35
クロスロードで悪魔に魂を売り渡した人

名前が思い出せない、誰だっけ?

90: 2009/09/21(月) 04:43:34.69
>>89
スティーヴヴァイだよ

91: 2009/09/21(月) 04:56:46.00
>>90
ありがとう
ギタルマン思い出した。

引用元: 唯「くろすろーど!」