1: 2013/03/17(日) 09:57:37.67
 
 雇い主の奴隷商人は、この仕入れがいかに大事であるかを何度も彼に繰り返した。
 だから彼は、そんなこたあ分かってますよ、と何度も答える破目になった。
 ええそうでしょうとも。半年は遊んで暮らせるだけの金が動くんですからな。あんたには重要でしょうよ。

 だがそれでも知ったこっちゃねえやなと、彼は一人呟いた。
 金で適当に拾ってきたごろつき風情に変な期待されても困る。
 彼にとって重要なのは、手の届かない高みを流れていく大金ではなく今日の飢えをしのぐだけの稼ぎなのだから。
 

3: 2013/03/17(日) 10:02:01.66
 
 彼に課せられた役割は荷の護衛だった。
 エルフを買い付けるために旧エルフ領まで長々半月。
 往復だから都合一ヶ月程。その間このどうにも気に入らない奴隷商人と過ごすことになるわけだ。

 人の命をどうこうするのを生業としている人間は勘違いをする。
 神にでもなったように錯覚するのだろうか。物に値段をつけるのと同じ目で人を見る。

 まあこの奴隷商人が気に食わないのはそのせいだけではないだろうが。
 人の命をどうこうするのは俺も同じだしな、と彼は苦笑いした。
 

4: 2013/03/17(日) 10:15:16.93
 
 それよりも気に入らないのは、この商人が何かにつけて彼への報酬を減らそうとすることだった。
 十分値切ったろうにそれでも飽きたらないらしい。
 商人らしいといえばらしいが、それで苛立ちがおさまるかといえばそんなことはない。

 だいたい大事な仕入れと言う割に護衛を彼一人しか雇わないのはどうかしている。
 阿呆かと思うが、まあ自分を雇うような人間にも変な期待はできないのだろう。とりあえず納得はした。
 

7: 2013/03/17(日) 10:24:58.02
 
……

 旧エルフ領に着くまでの暇つぶしにはずいぶん苦労した。
 現在、人間の生活圏でやりとりされているエルフは極めて少ない。
 どれだけ退屈な道のりだろうと、確実に手に入れるためにはこうしてはるばる遠隔地に出向くしかないわけだ。

 その苦労の割に買い付けがうまくいかなかったらしく、奴隷商人は不機嫌だった。
 エルフのメス一匹しか手に入らなかった、だそうだ。
 ざまあねえですな、旦那。値切りのために道中いちいち難癖をつけられていた彼は、いい気味だとせせら笑った。
 

9: 2013/03/17(日) 10:31:19.80
 
 拘束具で括ったエルフを積み込んで、馬車は復路を進み始めた。
 なんとしてでもこいつは高く売りさばく。そう息巻く商人を後目に彼は商売道具の点検に入った。
 刃物の切れ味、歪み、欠け具合。革鎧の調整、薬や包帯の類は紛失していないかどうか。

 一つ一つ確認していくにつれて心が静まって行くのを感じる。
 安心して、穏やかな心地になる。

 賊が狙うのは価値あるものを積み込んだ帰りの馬車だ。
 特に、夜が危ない。
 

10: 2013/03/17(日) 10:37:50.03
 
……
 
 暗闇の中で、彼は目を開いた。
 眠っていたわけではない。特別気が張るわけでもないが、眠るべきでない時には眠らない。

 周りを見回す。
 闇夜だが、それなりに夜目は利く。
 すぐそばに馬車が二台停まっているのが見えた。
 野営地に選んだ街道脇の緩やかな窪地。焚き火がまだくすぶっている。
 

11: 2013/03/17(日) 10:50:21.67
 
 護衛とはいえ、近辺の警戒が終わればやることもない。
 だから適当な場所に座って目を閉じていたのだが、何か聞こえた気がして瞼を持ちあげたのだった。

 それが例えば何者かが忍びよってくる音だったら彼も即座に対処に動き出しただろう。
 が、それはおおよそ危険とは縁遠いものだった。

 馬車の一つに近寄って、彼は軽く首を傾げた。
 歌声はそこから聞こえていた。

 人の言葉ではないようで、歌詞の意味は分からない。
 音程は甲高く不安定なようだが、不思議と耳障りには感じない。
 不思議と聞き入ってしまう透明な声だった。
 

12: 2013/03/17(日) 10:56:16.33
 
 歌はしばらく続いて夜の空気をささやかに揺らした。
 だが、不意に途切れて静寂が落ちる。

 沈黙の後に声がした。
「誰かいるの?」
 今度は聞き取ることができた。人語だ。
 

13: 2013/03/17(日) 11:05:18.32
 
 彼は無視して馬車に背を向けた。
 必要もなく売り物にかまえばあの商人がひどく腹を立てることも目に見えている。

 離れて座りこむと、若干の間をおいて再び歌声が聞こえてきた。
 自分の行く末が分からないわけではあるまいに、と彼は苦笑した。
 再び目を閉じる。希望のない未来を知ってなお歌えるその神経を疑いながら。
 

14: 2013/03/17(日) 11:11:38.90
 
 先ほどの馬車の中にはエルフがいるはずだった。
 人より優秀な頭脳を持ちながら人に屈服した哀れな奴隷。
 そんな惨めな敗北者と会話する趣味など、彼にはなかった。
 

15: 2013/03/17(日) 11:22:25.59
 
……

 往路と変わりなく馬車は進み続けた。
 面倒がなくていいものの、退屈なのも同じだ。

 まあそれは我慢することにする。どうにもならないことに愚痴を言っても始まらない。
 本当にわずらわしいのは商人の難癖がよりやかましくなっていることだった。
 やれ彼が寝てばかりだの手が足りないのに手伝わないだの。
 彼の領分ではないことにいちいち騒ぎ立て、うざったいことこの上ない。

 だからだろうか。
 闇夜に歌うエルフに、彼はふと声をかけてしまったのだった。
 

17: 2013/03/17(日) 11:31:17.17
 
「下手糞な歌だな」
 正確には話しかけたわけではなくただの独り言だったのだが。
 馬車のすぐ脇にいたためかエルフは耳聡く聞きつけたらしい。

「こんばんは」
 まるで彼がそこにいることをあらかじめ知っていたかのような口ぶりだった。
「ええ知っていたわ」

 彼は違和感に眉をしかめた。
 エルフが魔力で人の心を覗きこむという噂はあるが信じたことはなかった。
 

18: 2013/03/17(日) 11:39:21.66
「いいえ。考えていることが分かるわけじゃない。なんとなく予想しているだけ」
「……へえ」 
 思わず感心してうめき声が漏れる。

「いつから気づいてたんだ?」
「最初の夜、この馬車から……十一、二歩離れた場所に座っていたわね?」
 当たりだ。もちろん正確な歩数まで覚えているわけではないが。
 

21: 2013/03/17(日) 11:46:13.64
 
「どう?」
「ああ、すごいな」
 それきりしばしの沈黙が落ちた。

 待つような気配の後、訝しげなエルフの声がする。
「……なんで何も言わないの?」
「あいにく物と話すための話題は持ち合わせてないだな、これが」

 少しばかりの嫌味を混ぜて言った。
 それで意味のない会話を切り上げるつもりだった。
 

22: 2013/03/17(日) 11:52:37.17
 
「あらよかった。わたしの方はたくさん話したいことがあるの」
 怒りか絶望か。とにかくどちらかで黙るかと思ったのだが、むしろエルフは嬉しげに声を弾ませたようだった。
「人に捕まってからずっと暗いところに閉じ込められて、ろくに誰かと会話もできなかったのよ」

 はあ? こいつ今、なんて言った?
「なんなんだお前」
 思った事がそのまま彼の口をついて出た。
 

23: 2013/03/17(日) 12:01:59.88
 
……

 まず分かったのは、こいつの頭は相当にゆるいということだった。
「あら、そんなことはないわ。エルフと人、両方の言葉を使いこなせるくらいには切れるわよ」
 知るか、と彼は一蹴した。

「あなたの名前を教えて。じゃないと話しにくいわ」
「物に教える名前もねえやな」
「じゃあ適当に決めるわね」

 考えるためなのだろうか。間があいた。
 

24: 2013/03/17(日) 12:11:02.90
 
「用心棒さん」
 そうして決まった呼び名は、確かに宣言通りの適当さだった。

 次に彼女は自分の名を彼に教えようとした。が、それを遮って彼は口を開く。
「俺の呼び名はお前が決めた。だったら俺もお前の呼び名を決める権利がある。違うか?」
 エルフはきょとんとしたようだった。
「そうかしら?」

 無視して彼は彼女の名前を決めた。
「奴隷。これで十分だあな」
 

25: 2013/03/17(日) 12:22:13.46
 
 エルフは不服だったらしく、しばらく食い下がった。
 が、彼が取り合わずにいると、未練を残しつつも諦めたようだ。

「ねえ、用心棒さん」
 呼びかけてくる声には多少の恨みの色が残っている。
「まずはあなたの事を聞かせて」
 

29: 2013/03/17(日) 12:42:39.83
 
「俺は護衛だ。ここから北に行ったところの町で雇われた」
 言って、黙る。
「……それだけ?」

「他になんか付け加えることなんてあるか?」
「あるでしょう。あなたの生い立ちとか、どんな人なの? とか」
「言う必要がないわな」
「聞く必要はあると思わない?」

 思わないと切り捨てると、エルフは残念そうな声で「そう」と返してきた。
 

31: 2013/03/17(日) 13:02:57.86
 
「他の人たちよりは愛想があると思ったけれど、そうでもないのね」
「俺ァごろつき風情に変な期待はしない方がいいと思うがね」
「ふうん。あなたはごろつきなの」
「かもな。そしてお前は惨めな敗北者、奴隷なわけだ」

 言い捨てて夜空を見上げた。
 一面の星の海は地上にささやかな光を投げかけている。

 ごろつきと奴隷。
 似たようなものかもしれないが、その光を見られるか否かぐらいの違いはある。
 

32: 2013/03/17(日) 13:13:58.98
 
「似たようなものかもしれないけれど、全然違うわね」
 エルフも同じようなことを考えたのか、呟いたのが聞こえた。
「そうある目的があるものと、ないものと」

 気になって訊ねた。
「どういう意味だ?」
「ごろつきに目的はない。性質としてそうあるだけ。奴隷には目的があるわ」
 

34: 2013/03/17(日) 13:22:45.72
 
「押し付けられたものだろうがよ」
 呆れて言うのだが、エルフは大真面目に続ける。
「たとえそうであっても、目的があるのは分かりやすくていい」

 そして言うのだった。
「あなた、なんでわたしたちがここにいるか知ってる?」
 彼には当然、その言葉の意味からして分からなかった。
 

36: 2013/03/17(日) 13:32:49.62
 
「わたしたちがここに存在することに意味や理由はあるのか。そういうことよ」
 言い直しても分からないのは同じだ。
「意味や理由だあ?」

「例えば馬車は人や物を運ぶ。例えば奴隷は主人のために働く」
「そして例えば護衛はそれを守る、ってか?」
 そうね、と彼女は答えた。
 

39: 2013/03/17(日) 13:40:51.16
 
「いろんなものに存在する意味や理由がある。でもわたしたちそのものはどうかしら?」
 自分たちがここに存在することに意味や理由はあるか? 
 柄にもなくしばらく考え込んだ。

 だが、柄ではなかったので途中で馬鹿馬鹿しくなってやめた。
「分からねえ。分かるもんでもねえな。神さんにでも訊いたらどうだ?」
 

41: 2013/03/17(日) 13:50:37.09
 
「そうね、分かるはずもないわね。でもわたしたちはその答えを見つけようとしたのよ」
 そりゃあご苦労なこって。また呆れて息を吐く。
 このエルフと話し始めてから呆れる頻度のなんと多いことか。

「この世の中には正しい答えが用意されている。わたしたちはそう信じているの」
 エルフのきっぱりと言い切ったが、彼は当然のように聞き流した。
 明日もやっぱりあの野郎がウゼぇんだろうな。そんなことを考えながら目を閉じた。
 

46: 2013/03/17(日) 14:05:00.85
 
……

 生命には存在する意味や理由がある、と仮にする。
 たとえば、神が望んだからと、そういう理由。
 人間や、かつてのエルフも同じように考えていた。

 今でもその考えが真実と(自覚があるなしは別として)信じているのが人間。
 一方、エルフはその先に踏み込んで考えを広げた。
 即ち神がなぜそれを望んだのか。そして神とは一体何なのか、ということだ。
 

48: 2013/03/17(日) 14:07:05.01
 
「つまり神はなぜ存在するのか、という疑問が次にくるわけね」
 長々とした講釈の果てに、エルフはそう締めくくった。

「そんなの分かるわきゃないだろうに」
「そうね。苦労したわ。いえ、今もまだ」

 馬車に寄りかかって幌のあちらとこちら。
 エルフの方は拘束具でろくな自由もないだろうに、まるっきりくつろいだ声でしゃべり続けている。
 

52: 2013/03/17(日) 14:15:53.88
 
 このところ夜になると、警戒のための時間を除いてエルフと話し通しだった。
 というより主にエルフが話し通しであって、彼はそれを聞くもしくは聞き流すという具合だが。

「逆に、生命には存在する理由がないとすると、それはなんだか悲しいわよね」
「そうかい」
「ええ」
 

55: 2013/03/17(日) 14:27:11.34
 
 彼はぼんやりと考える。
 自分はなんとなくそこにいて、なんとなくその日その日を越してきた。
 そこに意味や理由があるなんて思ったこともない。
 もちろんそれを悲しいなんてかけらも感じなかった。
 大体の人間にしたってそんなものだろう。考える余裕すらありはしない。

 逆にいえば。
 悲しいと思えるのがエルフということなのか。
 

56: 2013/03/17(日) 14:39:18.01
 
「エルフ様はご立派でいやがるんだな。そんなまあ益体もないことをくどくどと」
 だから人間にも負けるのだ。
 驕り高ぶり、目の前のこともしっかり見えていないから。

「確かに日々の生活に役立つものではないかもしれない」
 彼女の声のトーンが一段下がった。
「でもわたしたちはそれを大切にしているの」
 

57: 2013/03/17(日) 14:52:18.32
 
 人間がエルフを打ち破ってからまだ何年もたっていない。
 そして、戦争が始まったのもそれほど前のことでもない。
 エルフは驚くほど呆気なく人間に敗北した。

 そのことについては諸説ある。
 もともとエルフと人間は、良好とは言えないまでも別に一触即発の関係だったわけではない。
 争いの発端は人間の内輪もめだった。
 エルフと直接交渉する人物を選出するにあたって、大国二つの間で対立が生じたのだ。
 

58: 2013/03/17(日) 15:03:34.94
 
 対立は争いを生み、争いは瞬く間に大きく膨らんでいった。
 エルフはそれに大きな干渉はしなかったのだが、当然無関係でもいられなかった。
 ほぼ無理矢理に巻き込まれ、気づいた時には壊滅状態になっていたとか。

 つまり、予想していないところにとばっちりをくらったゆえの敗北ということだ。
 

60: 2013/03/17(日) 15:13:37.29
 
 他にもエルフの敗北について論じた説はいくつかある。
 が、市井でまことしやかにささやかれているのはもっと違うものだ。

 エルフは人間など歯牙にもかけていなかった。
 驕り高ぶり、人間を見下していた。
 だから思わぬ人間の力の前に膝をついた。そういう類の話である。
 

62: 2013/03/17(日) 15:29:37.10
 
 彼女と話をしていると、どうにもそれだけではないな、と感じる。
 もしエルフたちが全員こんな調子ならば、確かに負けるのも道理だ。

(まあ……本当のところはどうなんかね)
 当のエルフがそこにいる。
 訊けば分かるのかもしれないが、あまり興味はない。
 

65: 2013/03/17(日) 15:42:33.72
 
 負けるべくして負ける、というのは素人の考え方だと彼は思う。
 理由などなくて負ける事だってざらにある。
 少なくとも簡単に解明できる敗北ばかりではない。

 エルフはそこに意味や理由を求めるかもしれない。
 だが彼は求めない。
 

66: 2013/03/17(日) 15:50:32.68
 
……

「正しく生きるのって難しいわよね」
 その夜はその言葉で会話が始まった。
 いつもと同じようにも思えたが、少し声の調子が違った。

 気のせいかもしれない。
 エルフが気を使ったかどうかは分からない。
 

68: 2013/03/17(日) 16:02:34.06
 
「正しく、ねえ」
 商売道具を磨きながら胡散臭い心地で返した。

「そう。正しい生き方」
 エルフは続ける。
「用心棒さんは正しく生きてる?」
 

71: 2013/03/17(日) 16:10:54.79
 
 清く正しい生き方。
 思い浮かべていかにもしっくりこないことに笑う。
 少なくとも宗教屋の言う規範に沿った生き方はしていない。

「そういうのは夢見がちな馬鹿に任せるもんじゃねえのか?」
 馬鹿にして笑う。
「『正しい』なんて勝手に誰かが吹聴して回ったタワゴトだろうに」
 

72: 2013/03/17(日) 16:19:57.62
 
「そこよね」
 いつものごとくエルフはめげる気配すらない。
「『正しさ』って本当にこの世にあるのかしら」

「ねえだろ」
 即答する。
 考えるまでもない。
 

73: 2013/03/17(日) 16:27:43.88
 
「本当にそうかしら。断言できるだけの根拠はある?」
「いちいち証明しなきゃ信じられないか?」
 面倒くさい事を考える種族だと思う。

「厳密に考えるなら必要よ」
 確かにそうかもしれないが、彼がやらなければならない理由もなかった。
 

75: 2013/03/17(日) 16:37:29.60
 
 無視して黙り込む彼に構わず、彼女はひょうひょうと会話を続ける。
「少なくとも多くの人が正しいと信じているものはある。なければもっと世の中は荒んでいたはず」
「例えばエルフが奴隷にされたりな」
「そうね」
 彼の悪意もどこ吹く風だ。

「誰かを頃すことは悪いことかしら」
 急に話し向きが変わった。彼は手を止めた。
 

77: 2013/03/17(日) 16:48:00.78
 
 短くはない沈黙が落ちる。
 彼はナイフをぬぐっていたボロ布を見下ろした。
 赤黒く濡れて、月明かりにまだわずかに光っている。

 浅く息を吸って、視線を上げる。
 立ち並ぶ木々の奥に闇が黒々と淀んでいるのが見えた。

「どうだろうな」
 それだけを呟く。気だるい疲労感が、言葉を少し重くした。
 

81: 2013/03/17(日) 17:01:58.27
 
 先ほど、賊を一人頃した。
 昼ごろから馬車をつけていた、恐らくは斥候の類だろう。

 賊の本隊もこちらに気づいているかどうかは分からない。
 だがそのまま帰すわけにもいかないので頃すしかなかった。

 背後から忍び寄って心臓を一突き。
 これまで何度も繰り返したことで、今更何を感じるわけでもないはずだった。
 

82: 2013/03/17(日) 17:10:19.49
 
「エルフを守るために同胞を頃すのね」
「雇い主の商品を契約通りに護衛しただけだ。変な解釈入れんじゃねえ」
 あるいはなによりも正確な解釈だったかもしれないが。

 ボロ布を草むらに放った。
 闇にまぎれて血の色は見えなくなった。
 

83: 2013/03/17(日) 17:20:20.78
 
「あなたが神を信じているのは意外だったわ」
 馬車を振り返ると、彼女は申し訳なさそうに続けた。
「……ごめんなさい。祈りを捧げる声が聞こえたの」

 それは彼の習慣だった。
 別に正しく生きているわけでもそうありたいわけでもない。
 そんなのは端から諦めている。神を頼ったこともない。
 それでも、重くなった心を少しでも和らげるのは、神への祈りだった。
 

86: 2013/03/17(日) 17:32:02.09
 
「俺ァろくな氏に方しねえだろうな」
 ぽつりとこぼす。
「妙なところで、妙な感じに氏ぬんだ。多分」

 思っているよりは人の命は軽い。存外簡単に消えていく。
 それは感傷ではなく実感だ。
 だが同時に、変な粘り気がある。
 吹き消した者の喉に絡みつき、ゆっくりゆっくり締めあげていく。

 だからきっと殺された者よりマシな氏に方はしないのだろうと、そう思う。
 

88: 2013/03/17(日) 17:43:56.05
 
 目を閉じた。
 安心する。心が落ちつく。
 虫の声に、風の音。ひそやかに彼の鼓膜を揺らす。

 と。それに混じって歌が聞こえた。
 相変わらず歌詞の意味は分からない。
 それでいて聞き入ってしまう透明な声。
 空気を震わせて甲高く響き、かと思えば地を揺らす程に低くとどろく。
 

89: 2013/03/17(日) 17:51:09.93
 
「エルフの子守唄」
 歌い終わって彼女が言う。
「これが嫌いなエルフはいないのよ」

 はっ、と彼は笑い飛ばした。
「相変わらず下手糞が過ぎるんだよ」

「ひどいわね」
 さほど傷ついた調子でもなくエルフが答える。
「すまんね。耳が肥えてるもんでな」
 

91: 2013/03/17(日) 17:58:47.70
 
 ふうん? とエルフは声をもらした。
「誰の歌?」
「母親がな。上手かったんだ、これが」

 母は彼以外に聞かせることはなかった。
 だから彼しか知らないことだが、母は歌の名手だった。
 知っている歌は数え切れないほど多く、彼の記憶違いでなければいつも違う歌を口ずさんでいたはずだ。
 彼は十になるまで母の歌を聞いて育った。
 

95: 2013/03/17(日) 18:15:28.27
 
「あれだな。母親が氏んでからだ。何かがおかしくなったのは」
 父はろくでもない人間だったように思う。
 思う、というのは、まず父親の記憶が曖昧だからだ。

 父親は家にいることが少なかった。
 ひょっこり帰ってくることもあったが、すぐに出ていく。
 その日は母親が歌わないので、彼は父親の事が嫌いだった。
 

96: 2013/03/17(日) 18:23:44.08
 
 母親が氏んでからは、父親が家に寄りつくことはなくなった。
 頼る相手がいなかった彼は、とにかく食うための金を稼がなければならなかった。

「つってもガキが十分稼げる仕事なんて限られてる」
 足元を見られて給金は微々たるものだ。
 一時は氏ぬことも覚悟した。
 母親と同じところに行けるのなら、それも悪くないかとも思ったが。
 

97: 2013/03/17(日) 18:31:04.55
 
 それでも生き延びているうちに転がり落ちたのが、ここだった。
 エルフを運ぶ馬車脇の、この暗がりだ。

「まあそんな感じだあな」
 彼は立ち上がった。もう一度近辺の見回りをしてくるつもりだった。
「ねえ」
 歩きだした足が、エルフに呼ばれて止まった。
 

98: 2013/03/17(日) 18:39:18.70
 
 逡巡と思しき間をはさんで、彼女の声が聞こえる。
「エルフはね、この世には唯一無二の答えがあると信じているの」
「前にも言ってたな」

 言葉を選ぶように彼女は続ける。
「あらゆる謎を解き明かす答えよ。生命の意味も、正しい生き方も」
 そんなものがあったらいいだろうな、と彼は思った。
 それが分かったら、もう何を考える必要も悩む心配もない。
 

99: 2013/03/17(日) 18:46:10.87
 
「エルフはそれをずっと求めてきた。それは脱出の鍵だから」
 耳慣れない単語を聞いて彼は眉をしかめた。脱出の鍵?

「わたしたちはこの世での生は仮初のものだと考えてる。理解した者だけが抜けだせる」
 意味が分からなかった。
「エルフは下手に寿命が長いから、ただ生きるのが嫌になったのね。そういう一種の信仰があるのよ」

 言葉が積み重なってもやはり意味は分からないが。
「それは……慰めようとしてるのか?」
「そうね。そうかも」
 

100: 2013/03/17(日) 18:50:07.01
 
「……」
 ならば返す答えは決まっている。
 口を歪め、笑い顔と言えなくもない表情で彼は言葉を放った。
「余計なお世話だ、奴隷風情が」

「ごめんなさいね、ごろつき風情さん」
 エルフの返事の声は、いつもの調子に戻っていた。
 

102: 2013/03/17(日) 18:58:13.17
 
……

 数日後の夜。町も近付いてきた頃。
 彼は馬車の前に立っていた。

 彼が足を止めるのに合わせて、聞こえていた歌声も止まった。
 軽い間をはさんでエルフの声がする。
「……行っちゃうのね」
 

104: 2013/03/17(日) 19:05:59.61
 
 彼は頷いた。
 が、それは見えないと気づいて「ああ」と言葉で肯定した。

 一人目の賊を始末した時には既にまずいということは分かっていた。
 町までの距離は何とも微妙なところだったが、戻ってこない斥候を不審に思った賊の本隊が動きだす可能性があった。
 というより動きだしたようだった。

 今もこちらをうかがう視線を感じる。
 今日明日中には襲撃があることは容易に予測がついた。
 

106: 2013/03/17(日) 19:12:20.02
 
「だからすまんね、俺はとんずらこくよ」
 黙って抜けだすこともできたし、一刻を争う今、そうしたほうがいいことも分かっている。
 だが、なんとなくエルフの反応が気になったのだった。

「そう。気をつけてね」
 この返事は予想通りだった。
 予想と違ったのはここからだ。
「あ、でもひとつだけ」
 

107: 2013/03/17(日) 19:16:48.99
 
「エルフは唯一無二の解答を求めている。それは脱出の鍵だから」
「三回目だな」
「この話には続きがあるの」

 ん? と彼は首を傾げた。
「エルフはほぼ全員がそれを信じていた。でも、それに対してある反論を唱えたエルフがいたの」
「反論?」

 厳密には反論とは違うけれど、と前置きして彼女は続ける。
「その信仰はエルフを幸せにはしない」
 

108: 2013/03/17(日) 19:20:22.94
 
「幸せ?」
「そう、幸せに生きるというのは、信念とは別のところにあるの」
 そういえば彼女はどんな顔をしているのだろう、とふと思った。
 幌越しに話をするだけで、対面したことは一度もない。

「幸せに生きる方法。それは、答えが見つからないことを知りつつ探し続けること。それを楽しむこと」
 

110: 2013/03/17(日) 19:24:48.76
 
 存在する問いにはしかるべき答えを提示する。
 それがエルフの生き方なのだろう。それはこれまでの会話で彼にも理解できた。
 しかし、幸せに生きる方法とやらはその生き方を否定するものだ。

 彼は味を確かめるようにそれを噛みしめた。
「覚えておいてやるよ」
「ありがとう」
 その声は柔らかかった。微笑んだのかもしれない。
 

111: 2013/03/17(日) 19:28:39.03
 
 もう時間だ。
 彼は馬車に背を向けて歩きだした。

 が。
 向かう先から、人影が跳び出し、彼に掴みかかった。
 彼はナイフに手を伸ばしたが、相手の手にも刃物が光っているのが見えた。
 鋭い痛みが、身体を貫いた。
 

112: 2013/03/17(日) 19:31:45.66
 
     ・
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114: 2013/03/17(日) 19:37:33.57
 
……

 奴隷商人はぐっすり寝ていて、その夜起こったことは何一つ知らなかった。
 朝になって目にしたのは、彼の商品が積んであった馬車が全焼した跡だけ。

 残った人手に探させたが、商品は持ち去られてしまったらしく見つからなかった。
 ただ、焼け跡から一体の焼氏体は見つかった。
 護衛として雇ったごろつきの革鎧を身に付けた氏体だ。

 賊が襲ってきたことは想像できた。
 できたが、他には呆然とすることしかできなかった。
 

115: 2013/03/17(日) 19:44:31.83
 
……

「ああ、くそ!」
 彼は痛みに毒づいた。
 手当は終わっているし刃物の傷は急所を外しているものの、その事実が痛みを和らげるわけもない。

 歩いている道は、道と呼ぶこともはばかられるような獣のそれだ。
 だから、歩く振動が余計に痛みを増幅する。
「用心棒さん、大丈夫?」
 脂汗を流す彼の前方から声がした。
 

116: 2013/03/17(日) 19:53:18.36
 
 顔を上げてまず目に入るのは、ふわりと広がるまばゆい金色だ。
 その髪を撫でつけて、エルフが心配そうに近寄ってくる。
 不安に曇る顔も、まあありていに言って美しい。
 着ているものは粗末なぼろだが、むしろその対比が美貌を際立たせている気もする。

 エルフは見る者の心を奪っていくという噂は本当だったんだな、と彼は胸中で呟いた。
 

118: 2013/03/17(日) 19:59:37.18
 
 さて、彼らがなぜこんな場所を歩いているのか。
 一言でいえば成り行きである。

 あの夜、襲ってきた賊の氏体に彼の革鎧を着せて、馬車もろとも火を放った。
 賊は一人だけで、まだ本隊は到着していなかったようだ。それが幸いした。
 後はなんとなくの流れでエルフを奪って逃げてきた。

 いや、と理性が否定する。
 これではまるでエルフを奪うために全てを行ったようではないか?
 

119: 2013/03/17(日) 20:04:19.11
 
 色々な考えが頭を回ったけれど。
 結局は痛みで混乱していたんだろうと結論付けた。

 契約をほっぽり出した上に荷を盗む形にもなったわけだが、
(まあごろつき風情に変な期待はすんな。そういうこったな)

「ここ、どこかしらねえ」
 エルフが先を眺めて言う。
 木々が立ち並ぶばかりで他には何も見つからない。
 

121: 2013/03/17(日) 20:07:11.82
 
「……そうだな」
 文字通り先の見通しが全く立たない。
 かなり絶望的な気分にもなるが。

「まあ、探すことを楽しみましょう」
 エルフは振り返って笑う。
「ね?」
 

124: 2013/03/17(日) 20:12:08.70
 
 エルフは。この世にある謎全てを解くただ一つの解があると信じている。
 人間とは違う、遠く大きいものを見ているようだ。
 だが、代わりに近くの小さいものを見落としてしまうようでもある。
 だから人間にも負けたのだろう。勝つことに興味がなかったに違いないのだから。

 彼女らは明日を見る。
「そして俺は今日を見る」
「え?」
 聞き返してくる彼女を無視して背筋を伸ばした。

「よし、じゃあ、探しに行こうかね」
 

125: 2013/03/17(日) 20:12:53.78
終わり
ありがとでした

127: 2013/03/17(日) 20:14:14.65
バッドエンドっぽい空気の中からハッピーエンドに辿り着けそう

128: 2013/03/17(日) 20:17:48.27

悪くなかった

129: 2013/03/17(日) 20:32:20.72
おつおつ

引用元: 優秀なはずの「エルフ」がなぜ奴隷に堕ちるのか。考えながらSS書く