2: ◆OFPPQdZV86  2012/07/02(月) 00:39:40.80
第一話「鴉鳴いてわたしもぼっち」



色々あった夏休みが終わり、二学期に入ってからもちらほらと平塚先生によって舞い込んでくる依頼もとい命令をそれなりに、おざなりにこなしていた。

雪ノ下との勝負にはいつの間にか由比ヶ浜も加わっていて、現在勝負は一進一退の膠着状態に陥っている、らしい。

勝負とか何でしたっけ、俺すっかり忘れてたんだけど。ねえ誰かこれ覚えていた人いんの? 

そもそもなんで勝負しているのかもわからない。由比ヶ浜はともかく、雪ノ下と戦って勝てる事なんて殆ど無いに等しい。

痛い目や辛い目を見るのは必至である。常に敗者の俺は陽の目を見ない。ついでに言えば雪ノ下は俺の目を見ない。

しかし、殆どないということは逆に言えば少しはあるということである。

容姿端麗成績最高スポーツ万能県議会委員の娘で帰国子女の雪ノ下に勝る俺。

俺SUGEEEEEEEE! どのくらいかって言えば魔法科高校のお兄さんくらい。

過去の痛い勘違いなら雪ノ下なんて目じゃないぜ! なにそれよけい辛い。

3: 2012/07/02(月) 00:40:52.43
ちなみに一位を争っているのは雪ノ下と由比ヶ浜のようだ。俺はたいてい見てるだけ。もしくは呼ばれもしない。

いや、だってほら、あれだよ。最近のあいつら超仲良いからね。俺の入り込む隙間なんて1ミリもないからね。

入る気なんてもとから無いからいいんだけど。いやもうほんとこれっぽちもないし。ほんとほんと。

まぁ夏休み中に何かあったのだろうが、それはあいつらの問題であって俺がとやかく言う事ではない。

由比ヶ浜にとって雪ノ下は、空気を読みまくって維持しなくてもいい関係を教えてくれた大切な存在なのだろう。

雪ノ下にとって由比ヶ浜は、唯一と言っていい理解者だ。最近は小町も雪ノ下に毒されてきているが。

だが雪ノ下、お前に小町はやらん! なんなら誰にもやらねえ! 小町には一生養ってもらうんだからねっ!

きっと小鳥遊さんちの泉さんならわかってくれるはず。あの人はいろいろと完成されている。

4: 2012/07/02(月) 00:42:58.39
小町に一生養ってもらうことも視野に入れている俺だが、当の小町は現在受験生である。

普段家事は専ら小町が担当していたが、最近は俺が代わりにやり勉強にあてる時間を増やしている。

というのも、志望校、つまり俺が通っている学校への進学は学力的に厳しいのだ。

夏休みにほぼ付きっきりで教えた甲斐もあって多少は良くなったが、元がアレなのでまだ難しいだろう。

ちなみにほぼ付きっきりというのは割と厳密な意味で付きっきりだった。風呂とトイレ以外は、とかそういうレベル。

これは兄妹の絆がそうさせるのであって、重度のシスコンだからだとか、全く出かける予定が無かったからとかではない。

ついでに言えば、たまに嫉妬した親父も混ざってきたので家族の絆と言えなくもない。

と思ったが親父は俺に対して各種嫌がらせをしただけなのでやっぱりそんな絆はなかった。

まぁ小町関連ならなんてことはない。深夜に痛チャリで秋葉原から帰宅は余裕だし、なんならアメリカに連れ戻しに行くまである。

だからこうして休日である日曜日にはるばる夕食、夜食の買い出しに行く事は当然であり、むしろ誇らしい。近所のスーパーだけどな。

5: 2012/07/02(月) 00:44:17.29

さすがに近所なだけあってダラダラ歩いていてもすぐに着く。

どこにでもある普通のスーパーで、あまり特徴はない。半額弁当を狙った狼もでないし、小さい虎を連れた凶悪目つきの竜も現れない。

不定期に行われる魚やら野菜やらの詰めにくい詰め放題と、微妙に安いらしいタイムセールがあることが特徴といえば特徴か。

自動ドアをくぐり、カゴだけ持つ。今回の目当ては野菜の詰め放題である。

昨日の夜、リビングで勉強している時、小町が『夜食にサラダバーとかあったらもっと勉強はかどるのになー』と言っていたからだ。

兄として当然聞き流すことなどできない。小町其処に在り、故に比企谷家在り。比企谷家の家訓だ

6: 2012/07/02(月) 00:45:29.16
次の開催時間までには少し間があるので、それまで適当に回りぽいぽいと品物を放り込む。

調味料は買う機会が少ないのでついつい忘れがちになる。しかし今日は忘れてはいけないのは醤油だ。

もちろん銘柄は世界に名だたるソイソースメーカーのキッコーマン。千葉県野田市に本社がある。

というか野田市は醤油工場しかない。一部の人からは醤油の聖地と呼ばれているくらいだ。

あの市で寿司や刺身を食べるときは、空気中に醤油分が豊富にあるので空中にくゆらせて食べるのがマナーになっている。

正しい作法を知りたければ、もの知りしょうゆ館での工場見学の後に亀甲仙人から学ぶことが出来る。そんなわけあるか。

7: 2012/07/02(月) 00:47:23.90

時間が近づいてきたので、詰め放題が行われる場所に向かう。

詰めにくいことに定評がある詰め放題だが、地味に混んでいる。

なんでも、高度な空間把握能力と創意工夫を求められるドM仕様が逆に人気を集めているらしい。

わからなくもない。ついついキャサリンをいきなりハードモードで始めてしまうあの感覚である。ツィゴイネルワイゼンはもうトラウマ。

まぁ、この前来た時のように、晩白柚とかいう巨大な柑橘系の何かとか、やたらでかい大根やゴボウといった巨大シリーズで攻めてきて、

用意された小袋どころかカゴよりもでかいという、詰めにくいどころかそもそも無理ゲーな場合も多々ある。店長マジオチャメ。

無理ゲーの時は、やりたい放題な店長のドヤ顔に苦笑して帰るしかないが、それでも以降の参加者数が減らないのはある意味凄い。

毎回違ったコンセプトで行われる高難易度のイベントは、なんらかの中毒性があるのだろうか。

8: 2012/07/02(月) 00:48:11.50
そんな好き者達の僅かな隙間を縫うようにして良いポジションに潜り込む。人間関係界の隙間産業と呼ばれた俺には造作もないことだ。悲しい。

だが隙間産業は上手くやれば大成功できる可能性を秘めている。良い隙間を見極め、それを有効に活用すれば良いのだ。

周りを見渡せば、チャンスもとい隙間はいくらでも転がっている。

そう、俺自身が教室の隙間であるように。もうやめたげて。

9: 2012/07/02(月) 00:49:35.15
独り地雷処理をしているところで、店長が出てきた。

手には詰め放題が開催中である事を記した立て看板を持っている。

でかでかと書かれた文字は、『盛ってっけ! もぎたてprettyちゃんす』。

おい店長。

マクロス好きでアルカナ勢な店長は立て看板を置くと、一度バックヤードに戻り、野菜や果物の乗ったワゴンを運び込んでくる。

積まれた物をぱっと見る限り、どうやら今日は巨大シリーズではないらしい。

一番上のものは普通の野菜のようだが、もちろん全てがそうであるはずがない。

良く見てみれば、捻じれたキュウリにやたら細長いジャガイモ、妙に工口い大根など普段店に並んでいる野菜とは明らかに形が違う。

いわゆる規格外、あるいは規格落ちというやつだろう。

まったく、嫌な言葉だ。

10: 2012/07/02(月) 00:50:54.57
それらは規格品と比べて味、栄養共に劣る事は無くむしろ優秀である事が多い。

にも関わらず、見た目が悪い、運搬の効率が悪いというだけで廃棄されてしまう。

枠に納まるものしか受け入れず、はみ出すものは容赦なく排除する。まさに社会の縮図だ。

個性を育むと言いつつ、結局は自らのコピー品を作ろうとする教育となんら変わりない。

ラテラルシンキングで傷物を有効活用した特等添乗員を見習って欲しいものだ。

その点ここの店長は好感が持てる。また参加しようという気にもなるものだ。

思えば、行儀よく並んだ野菜は欺瞞に満ちた紋切型の青春を謳歌するリア充どもと似ている気がしてきた。

つまりイライラしてきた。もう今日は我が道を行く自由奔放な野菜しか買わない事にしよう。

ぼっち万歳!

11: 2012/07/02(月) 00:52:36.43

決意を新たにしていると、店長がようやくワゴンを運び終えた。ワゴンは俺達が待機している場所から5メートル程離れている。

溜めに溜めるうっとおしい店長に焦らされつつ開始の合図を待つ。

無駄に上手いGガンの司会者のモノマネで合図された、その瞬間、わっと走り出す群衆。

というわけもなく、急ぐことなく普通に歩いて行く。成果は殆ど各個人の能力次第なのでその必要がないのだ。

最初のポジション取りもいち早く袋を取ることが出来る以外にあまり意味はない。

ひたすら自らの能力と向き合うこの競技は、無理やりねじ込みたがるおばちゃんを除き、

常連達の間では慌てず騒がずスマートにこなすという不文律の紳士淑女協定が結ばれている。

12: 2012/07/02(月) 00:53:58.32
だが一人、空気を読まずに突貫する者がいた。

ダッシュでワゴンの傍まで行くと、慌ただしい様子で小袋を手に取る。

見るからに娘を溺愛していそうな眼。

友好的な女を見たら美人局だと思えと言う口。

娘と仲の良い息子を追い払う手足。

つまるところ、俺の親父である。

なにしてんだよ……。

13: 2012/07/02(月) 00:55:02.01
呆れた視線で親父を見ていたら目が合った。

親父は俺を見てニヤリと笑い、再び猛烈な勢いで様々な野菜を小袋に詰め込み始める。

ワゴンには野菜だけでなく果物もあるのに、ひたすら野菜のみを詰めている。

……どうやら親父も昨夜の小町のつぶやきを聞いていたのだろう。

ときおり挑発するようにこちらをチラ見してくるのがその証拠だ。うざい。

しかし、なぜわざわざ詰め放題に来るのか。

その理由は明白である。

14: 2012/07/02(月) 00:56:06.47
普段、親父は殆ど自分の買い物をしないようだ。ときおり幸せの壺や絵画を買わされるぐらいである。

そのせいか小遣いが元々少ない上に、頻繁に小町に貢ぐものだから財力は俺と同等かそれ以下だろう。

ゆえに金に物を言わせて買い込む事ができないのだ。

小町の為に出来る限りのことをするのは比企谷家の人間にとって当たり前のことである。

その点のみにおいて、親父は尊敬できる人物である事は確かだ。

しかし、親父に小町の親としての矜持があるように、俺にも小町の兄としての矜持がある。

負けることはできない。

恥も外聞もなく、遅れを取り戻すようにワゴンに飛びつく。

視線に敏感な俺は周囲の人間が言外に非難するのを感じ取ったが、そんなことはどうでもいい。

紳士淑女協定? 知るかそんなもん。

15: 2012/07/02(月) 00:57:01.89

小袋を手に取り、頭の中でルールを確認する。

この詰め放題は、商品が一部でも小袋の中に入っていれば良い、と言う事になっている。

あとは商品に傷を付ける事と小袋以外の道具を使う事が禁止されているぐらいで、ほぼ何でもありだ。

小袋は何枚でも使用していいし、上下に組み合わせて包んだり紐状にして商品を結ってもいい。

しかし、価格は小袋一枚又は一部分につき算定されるので使い方を誤るとかえって割高になってしまうので注意が必要だ。

16: 2012/07/02(月) 00:58:33.48
ルールを再確認した後は大まかなプランを立てる。

今回の目的はサラダバー用の材料を確保する事だ。種類はそんなに多くなくていいだろう。

勉強しながらでもつまめるもの、ということを考えると自ずと材料と量が限定されてくる。目安は3袋程度だろうか。

条件を確認し、のびのびと自由気ままに育った野菜達と向き合う。

奇怪な形をした野菜同士を組み合わせ、なるべく直方体に近い形にしたあと細長い円筒状にまとめる。それを繰り返し、徐々に円周を大きくしていく。

小袋の直径と同じくらいになったところで中に入れ、まだ入りそうなが隙間あればそこにもどんどん詰め込む。

盛るぜ~盛るぜ~、超、盛ってやんぜぇ~。

親父への闘争心、もとい敵愾心からか、いつもより調子が良い。

17: 2012/07/02(月) 01:01:01.67
この調子なら負けることはないだろう。なんなら千年パズルを解くまである。闇八幡が出てきたらどうしよう。

雪ノ下あたりに『罰ゲーム!』とか言ってみたいが、どうせ『あなたの人生が罰ゲームみたいなものでしょう?』と言われるのでやめておこう。

あ、今日はこの台詞で練習しよう。雪ノ下のモノマネはもはや日課だ。

ちなみに、逆にきれいな八幡とか出てきたら超絶リア充になるだろう。ググったら詳しく分かるかもしれない。

しばらくすると親父は絶好調な俺を見て不安を感じたのか、途中からわざとぶつかったり俺が取ろうとしたものを横取りしたりと露骨に邪魔してきた。

全く持って陰湿である。

卑怯な行いなど断じて許すことは出来ない。

仕返しに足を踏みながら突き飛ばしたり、袋にこっそり穴を開けたりしてやった。

卑怯な行いなど断じて許すことは出来ない。

18: 2012/07/02(月) 01:02:43.28

ある程度時間が経つと詰めやすいものは少なくなるので難易度が跳ね上がる。

やはり今回も順調だったのは最初だけで、どうにかこうにか目標である3袋を詰め終えた。

後半は殆ど邪魔してこなかった親父が気になったので様子を窺ってみる。

なんと親父は限界まで密度を高めた状態で5袋も完成させていた。

対人関係、特に女関連の詐欺に弱いだけで、基本的にはハイスペックであることを忘れていた。

俺が見ていることに気がついた親父は、かなりむかつく表情をして鼻で笑う。

そしてワゴンに殆ど野菜類が残っていない事を確認すると、意気揚々と去ってく。

だが、それは間違いだ。

親父のカゴに入った袋を見て、俺は勝利を確信した。

19: 2012/07/02(月) 01:05:09.25

詰め放題コーナーを後にし、必要なものを買って回る。

野菜コーナーでぼっち化していたキンバーライトさんを救出した以外は予定通りの品物を揃えた。鐘が響くぜ。

小町の頭のことを考えれば、冬月先生ばりのマグロの目玉ゼリーとかの方が良いのだろうが、あらゆる面で非現実的だ。

そもそもマグロの目玉なんて売っている所はあるのだろうか。わたし、気になります。

店員に聞いてみようか。だが気遣いの出来る俺はもちろん仕事中に声をかけるなんてまねはしない。やらなくていいことならやらない、だ。

ちなみにこの野菜達は農薬等で奇形になったのではない。そこは生産者並びに各方面に確認済みだ。

放射能の影響とか馬鹿馬鹿しいデマに流されていはいけない。

少なくとも千葉県のピーナッツは影響ないからどんどん買うべきだ。むしろ買え。みそピーは世界観変わるレベル。

まぁ、アヤシイ食材の安全を確認するのは専業主夫を目指すものとして、なにより小町の健康を預かる者として当然の義務である。

日々向上していく俺の主夫スキル。働かない為なら努力を惜しまないぜ。

20: 2012/07/02(月) 01:05:54.46

レジを抜け、カゴからエコバッグに商品を移していく。

隣のおばちゃんのエコバッグはたぶん海外からの輸入品だ。

資源を節約するための物を空輸。なにこの自家撞着。

欺瞞を横目に淡々と作業をこなし、店を出た。

21: 2012/07/02(月) 01:08:01.50

俺がもし物語の主人公であれば、どこかへ出掛ければ知り合いに偶然会ったりしただろう。

近くに住んでいて、料理が趣味であるはずの――断じて『特技』ではない――由比ヶ浜あたりが妥当だろうか。

しかし、現実はこの通りだ。出掛けたところで誰にも会わず、俺は物語の主人公ではなくただのぼっちだ。

それが悪いことだとは決して思わない。

ただ、もし、俺が。

暮れかけた空を背に鴉が一声鳴く。

22: 2012/07/02(月) 01:09:20.10

野菜がたっぷり詰まったエコバッグの重みを感じながら歩く。

レジ待ちで結構並んでいたので、親父は既に家に着いているはずだ。

喜々として小町に戦利品を見せていることだろう。

しかし、小町が言うサラダバーとはサラダ=salad=野菜、バー=bar=棒で野菜スティックの事なのだ。

量を優先して詰めやすい葉物ばかり狙ったのが親父の敗因だ。

親父は小町の理解度が低い。まだまだだね。小町の英語の理解度も相当低いが。

……あいつ本当に合格できるのか?

やっぱり今後も付きっきりで教えてやるしかないだろう。

夕飯の手順と勉強のメニューを考えつつ、俺は家路を急いだ。





つづく

28: 2012/07/08(日) 01:33:55.27
第二話



教室において窓際とは、主人公の定位置である。

漫画やアニメでは殆ど間違いなく主人公は窓際の席にいる。

光溢れる窓際。若々しく瑞々しい青春を象徴するのは、やはり光だ。

輝く汗。溢れる涙。それらは光を受けてキラキラとさんざめく。そう、青春は光を受けてこそ青春たり得るのだ。

ゆえに当代随一の真リア充である葉山隼人が席替えで窓際になるのは当然と言うよりもはや必然だろう。

そして主人公の隣か前後にはヒロインがいるのも定番である。

ご多分にもれず葉山を中心に、前に海老名さん、右隣に三浦、後ろに由比ヶ浜と、クラスの一軍リア充女子で固められている。

作為的なものを感じないでもないというか確実に何らかの力が特に三浦あたりに働いたのだろうが。

作為的と言えば、中学生時代俺の隣の席になった女子はみんな急に目が悪くなって前の方に行ったんだけどアレ何?

若林さんメガネしてたけど度が合ってなかったのかな。

前の席が埋まってもう移動できないと悟ったときの彼女の泣きそうな表情は忘れられない。

分かってないと思うけど一番泣きたいのは俺だからね? それ以降俺はあらかじめ一番前の席に固定されたし。

おかげで授業に集中できたけどな!

29: 2012/07/08(日) 01:35:03.97
その点、最近の席替えはかなりマシになった。

隣になった女子は俺をチラ見しただけで直ぐに自分の所属するグループに行く。もしくは携帯を弄り始める。

居ても居なくてもいい奴、どうでもいい奴としてのポジションを確立した賜物だ。

意識しなければ存在すら忘れられている。思い出すのはそれこそ席替えや英語の授業のペアを組む時ぐらいだろう。

もはや忍者である。世が世なら立身出世も夢ではない。忍者的に考えて俺マジ半蔵。

ただし専業主夫に出世はないのでやっぱりただの夢だった。というかそもそも出世に興味がなかった。

30: 2012/07/08(日) 01:36:54.52
席替え直後は教室が騒がしいのはどこも同じだろう。

幸い今はSHRなので、騒ぐ相手もいない俺はさっさと帰り支度をして教室の出口に向った。

動いても誰も気付かない、気にしない。やっぱ忍者になろうかと本気で検討しながら廊下を歩いていると、いきなり背中を突つかれた。

隠密行動中の俺に気付くとは!

「なにやつ!?」

「うわっ!?」

バッと素早く颯爽と振り返ると、驚いてわたわたしている由比ヶ浜がいた。

「きゅ、急に振り返らないでよ! あと、今のキモい」

「あ、あぁ……、悪い」

アホな妄想をしていたせいで言動が変になってしまっていたようだ。

「それで、何の用だ? 三浦あたりとわいきゃい無意味にはしゃいでなくて良いのか? 猿みたいに」

「言い方に悪意があるよ!? キモいって言ってごめん!」

「いや別に気にしてない」

由比ヶ浜結衣、ちゃんと謝れる子である。今の場合悪いのはたぶん俺だろうし。

「う、うん、そっか。あ、あのさ、ヒッキー今日も部活行くよね?」

「まぁな。進級がかかってるからな」

正直帰りたいのはやまやまだが。

「したらさ、あたしこの後優美子達とちょっと話あるから遅れるんだけどさ……、ヒッキーにも話あるから、その……、帰らないで待ってて欲しいんだけど……」

何が言いにくいのか、由比ヶ浜は視線を下に向けて胸の前で合わせた指をいじいじしている。

「……ああ、わかった。どうせ本読んでるだけだしな」

俺が答えるとぱぁっと顔を輝かせて、次いでほっとしたような表情をする。

「そっかぁ! じゃあ待っててね! 絶対だよ!」

「おう」

由比ヶ浜は一度にっこり笑って手を振ると廊下を駆けて行った。

なんとなく見送った後、昇降口に向かって歩き始める。

「さて、……帰るか」

31: 2012/07/08(日) 01:39:39.85

「待ちたまえ」

歩き始めて数歩も行かないうちに襟首を掴まれる。この万力のような力は……

「ひ、平塚先生!」

「たった今待つと約束をしたばかりなのに何故帰ろうとするのかね?」

「聞いてたんですか!?」

「偶然通りかかってね。と言うより、天下の往来であんな青春していたら注目を集めるのは当然だろう」

ぎりぎりと肘関節を決めながらガッチリホールド。

「違うんです! それが誤解なんです! 今日は、今日だけは見逃して下さい!」

「誤解?」

「そうです誤解です! あれは青春なんかじゃないんです……」

この流れには覚えがある。

教室の端でうっとおしく盛り上がるリア充達。そしてその輪から抜け出し、俺に近づいてくる女子。

羞恥で泣きそうな顔を真っ赤に染めながら俺に嘘告白をする女子。

そう、いわゆる罰ゲームというやつだ。

もし受けたら気持ち悪さで泣かせてしまい、勘違いナル谷扱いされ地獄に落ちる。

断ったら断ったで屈辱で泣かせてしまい謝罪のシュプレヒコールで地獄に落ちる。

イベントが発生した時点で既に不可避なのだ。

「だからその前に逃げるしかないんです! わかって下さい先生!」

説明しつつ必氏に説得を試みる俺。

「トラウマを掘り返しつつ涙ながらに懇願するな……さすがに憐れになる……」

「だからその悲劇を繰り返さないためにも、ここは

「だがな比企谷、由比ヶ浜はそのような真似をするような人物だと、本当に思っているのか?」

「……っ」

「私には、以前の彼女ならともかく今の彼女がするとは思えないがね」

「それは……そう、ですが……」

32: 2012/07/08(日) 01:44:12.52

しかし、自己防衛の基本は逃避にある。

暴言や罵倒は聞き流して避け孤独感からは妄想で逃げる。優しさはまず疑ってかかり、疑わしきは逃げろ、だ。

ぼっちはそうやって強くなっていくものだ。ならざるを得ない。

世間ではそれを弱さと呼ぶかもしれない。雪ノ下なら間違いなくそう断言するだろう。

だが、世間での評価などそれこそぼっちには何の影響もしない。

その強さの根底を覆しても良いのだろうか。

「ふむ、どうせ君はまたろくでもない理屈を並び立てているのだろう。それはまあいい。しかし、私との約束を忘れたわけではないだろうな?」

部活に行かなければ留年&私刑というアレである。

「あれは約束と言うより脅迫じゃ……いえなんでもないです」

肘がゴリッと嫌な音を立てた時点で屈服した。痛いの怖い。強さとかそんなの超どうでもいい。

「よろしい。ではさっさと行きたまえ」

「はい……」

背中を押されというか突き飛ばされ、とぼとぼと歩き始める。

「後で確認しに行くからな。私に自慢の拳を使わせるなよ」

先生……スクライド好き過ぎだろ……。

結局逃げることも出来ずに部室に着いてしまった。

33: 2012/07/08(日) 01:45:48.30

戸を開けると、いつものようにいつもの場所に雪ノ下がいた。

「よう」

俺が声をかけると、雪ノ下は本を閉じ顔をこちらに向ける。

「…………こんちには、比企谷君。……はぁ」

「おい、今の間はなんだ。あとお前かよ的な溜息やめろ」

「そうね、なんで比企谷君なのかしら」

「俺に聞くな。傷付くだろ。っていうかこの流れ前にもやったろ……。由比ヶ浜はなんか遅れるらしいぞ」

「そう」

「ってかお前、来るの早いよな。いつも一番にいるし」

「比企谷君に遅れを取るなんて、それがどんなことでも耐えられないもの」

「はっ、珍しく弱気だな。俺ごときに耐えられないだなんて」

「あなたは変なところで強気ね……」

一通り挨拶を終えて俺もいつもの席に着く。

34: 2012/07/08(日) 01:50:44.76
鞄を開いて本を取り出したところで、雪ノ下がまだこちらを見ていた事に気がついた。

「な、なんだよ……」

そんな真っ直ぐな目で見つめるなよ……。怖いだろ。

「いえ、どうして比企谷君は比企谷君なのかしらと思っただけよ」

「お前どこのジュリエットだよ。何? 俺の事好きなの?」

雪ノ下は無言でスッと目を細める。やばい、俺氏んだかも。

「……もし、あなたが比企谷君じゃなかったら私達が出会うことはなかったわ」

……良かった。ただ完全に無視されただけで済んだ。伊達に普段から発言どころか存在すら無かった事にされてないぜ。

「いやに感傷的だな。急にどうした?」

「別にどうもしないわ。ただ、ここ数ヶ月間の事を思い返して、この私にも大切に思える人が出来た事に驚いたのよ」

「俺はお前がそんな事言ったのが驚きだよ……。ってかその言い回しは完全に中二病だな。材木座と仲良くしたらどうだ」

「今まで私が受けた中で最大級の侮辱だわ……」

柳眉を逆立てて肩をわなわなと震わせる雪ノ下。

あまりにも意外な事言うものだから、思わず命の危険とか考えずに発言しちゃったじゃねーか。というかこの雪ノ下本物? どう考えても偽者だろ。

ちらりと雪ノ下の方を見てみると、引きつった笑みを浮かべて辺りに吹雪を撒き散らし始めていた。だめだ、本物だ。今度こそ氏んだかも。

「い、いやほらあれだから。材木座とすら仲良くできる雪ノ下さんマジ天使って事だから。材木座的に考えて雪ノ下さんマジウリエル」

「火であぶって欲しい、ということかしら?」

今度は背後に黒い炎が立ちこめる。火であぶるどころじゃ済まないだろ。

てか天使の役割とか中二病じゃないと知らないよな、普通。雪ノ下はやっぱり中二病だ。

つまり俺は間違っていない! 謝るなんてことしないからな!

「ごごごごめんなさい!」

頭を机にこすりつける勢いで下げる。さすが俺、プライドとか無いぜ!

「……はぁ、話が進まないようだから今は不問ということにしといてあげるわ」

35: 2012/07/08(日) 01:53:18.91
雪ノ下は、こほんと咳払いすると改めて話を始める。

「どこまで話したかしら……あぁ、比企谷君が屑だったから私達は出会えたわ。半分は平塚先生のお陰だけれど」

断罪しないだけでやっぱ根には持ってんのか……。後が怖い……。

「それで、話の本題なのだけれど、一般的には仲の良い人達は名前で呼び合うじゃない。やはり私達もそうした方が良いのかしら?」

今まで仲の良い人とか出来た事が無いぼくに聞かれてもですね……。

けどまぁ、

「別に気にする必要ないだろ。お互いわかってりゃわざわざ演出する必要はないんじゃね」

よくリア充様は名前で呼び合うがあんなもん演出でしかない。

本物の友情はそのような演出など必要としないだろう。友達出来た事ないから知らないけど。

というか雪乃だなんて恥ずかしくて呼べないですし。あ、ゆきのんは論外な。

「そう……、そう、かしらね」

納得したのかしてないのか、雪ノ下は首を捻っている。

首を捻るって言葉、雪ノ下と組み合わせるとなんか猟奇的に聞こえる。どうでもいいか。どうでもいいな。

「そういや、由比ヶ浜の誕生日パーティー?してたときに名前で呼ぶってなったけど、結局うやむやになったよな」

「だから今その話をしているじゃない」

……え?

36: 2012/07/08(日) 01:55:19.10
………………。

っあぁー! そういうことですかー! 『私達』って雪ノ下と由比ヶ浜だけの事だったんですねー!

なにこの勘違いトーク。どこのアンジャッシュだよ! い、いや、ししし知ってたし! 勘違いなんてしてなかったし!

なんなら一人なったときに「うわあぁぁぁぁぁっ」て叫ぶまである。なにこれ超勘違いしてる。

「比企谷君とは、その演出とやらも遠慮したいわね」

取り乱している俺を見てその理由を悟ったのか、いやにイイ笑顔で追い打ちをかけてくる雪ノ下。こいつ性格悪すぎだろ……。

「私は始めから由比ヶ浜さんのことを話していたつもりだったのだけれど……。勘違いさせてしまったのならごめんなさいね」

「頼む、もうやめてくれ……」

「それと、これは言っておきたいのだけれど、人を弄んで喜ぶような趣味は持ち合わせていないからそれは勘違いしないでちょうだい」

……雪ノ下が言った事は本当だろう。こいつは人を弄んだりしない。ただ俺の傷を見つけては塩をすり込むだけだ。どっちにしろ性格悪い。

「まぁ、あなたの意見も参考にさせてもらうわ。どうもありがとう、比企谷君」

「……どういたしまして」

こうして日常的にトラウマは出来ていくものである。

37: 2012/07/08(日) 01:57:22.85
しかし呼び方か……。

せっかくだし想像してみよう。

雪ノ下が笑顔で『ヒッキー♪』。

対する俺も爽やかに『ゆきのん♪』。

………………………………なるほど。

確実に血を見るな。

俺は雪ノ下をそんなふうに呼ぶくらいなら氏を選ぶし、雪ノ下は俺を頃すだろう。

なにそれどっちにしろ俺が氏んじゃうのかよ。

38: 2012/07/08(日) 01:59:54.12

不毛かつ不愉快な想像をしていたら、部室のドアがガラッと開けられた。

「やっはろー」

頭の弱そうな挨拶をしたのはもちろん由比ヶ浜だ。

「こんにちは、由比ヶ浜さん」

由比ヶ浜は挨拶を返した雪ノ下のもとに駆け寄ると、がばっと抱きつく。

「ゆきのん! 会いたかったよ~!」

「あまりくっつかないでくれるかしら……」

おい雪ノ下、そう言いながらも頬染めてんじゃねえよ。

「いや、会いたかったって土日挟んだだけだろ」

目の前で繰り広げられる百合百合な光景にぶっちゃけ引いた。

なにお前ら、そんなに会ってどうすんの? 会えないとふるえんの? どこ野カナ?

なもり先生どうにかして下さい。

「だって昨日二人で遊ぶ予定だったのに、サブレが調子崩しちゃって流れちゃったし……」

「大事には至らなかったのね」

「うん。なんか変な物食べただけっぽい」

「そう、それは良かったわ」

「でねでね、病院行ったら…………」

話し始める由比ヶ浜達を見て、俺は読書することにした。

由比ヶ浜が入部してからは一人と二人になるのが当たり前になっていた。

専ら俺は邪魔にならないようになるべく存在感を消している。ここでも俺の忍者スキルが有効に活用されているのだ。

忘れられているだけ、とも言う。

39: 2012/07/08(日) 02:01:57.22

忘れられて早数時間。

ひとしきりいちゃついて満足した由比ヶ浜は携帯を弄り、雪ノ下と俺は読書といういつもの光景に落ち着いている。

今日も今日とて誰も来ず、日も暮れかけたところで雪ノ下が本を閉じた。

いつもの合図を機に、銘銘が帰りの支度を始める。

「って忘れるとこだった!」

突然の由比ヶ浜の大声に驚いたのか、びくぅっと跳ねる雪ノ下。

ちょっと可愛い反応だったが、その後直ぐに睨んできたのでやっぱり可愛くなかった。っていうか何で俺?

「……いきなり大声を出さないでくれるかしら」

「ご、ごめん、ゆきのん。……でさ、ヒッキーさっきの話覚えてる?」

「んあ? ああ、夕食の食べ残しを喰ってお前んちの犬が病院送りになったことか? ほんと気をつけろよ。
ネギとかニンニクとかマジで氏ぬからな。あと、お前の料理も」

「う、うん気をつける。……って最後が余計だ!」

「植物毒は基本的に体重に左右される上に、そもそも個体差があるから量を考えればニンニクは有効な食材らしいけれど」

「へぇー、そーなんだ。ゆきのんペットいないのによく知ってるね」

「……ちょっと知る機会があったのよ」

……猫だろうな。公園とかの野良猫に餌あげてそうだな、こいつ。

「さすがゆきのん、もの知りだね」

ほへーっと感心しきりの由比ヶ浜であった。

40: 2012/07/08(日) 02:05:57.22
「……じゃなくてっ!」

憤慨した様子でぶんぶんと鞄を持った手を振り回す由比ヶ浜。危ねえな。

「ヒッキーに話しあるって言ったじゃん! もしかして忘れてた!?」

「いや忘れてたのお前だろ」

俺はちゃんと覚えてた。むしろ今か今かとビクビクしながら待ち構えてたまである。

「覚えてたし! ちょっと言うのが遅れてただけだし!」

「一般的にはそれを忘れてたと言うのよ、由比ヶ浜さん」

「ゆきのんまで……」

雪ノ下に指摘されてしゅんとなる由比ヶ浜。飼い主とその犬っぽい。

「まあ、話ってなんだ?」

「う……。え、えっとさ、最近文化祭シーズンじゃん? 優美子達から面白そうな学校があるって聞いてさ……。
でさ、もしよかったら……一緒に行かない? あ、べ、別に深い意味は無いって言うかゆきのんもいるし二人でとかじゃなくて……」

先の廊下での時のように、またしても胸の前で合わせた指をいじいじし始める。後半になるにつれ声も小さくなっていった。

お前はあれか、外国人にいきなり道を聞かれたときの俺か。ちゃんと喋れちゃんと。

とにかく、文化祭のお誘いのようだ。こういう場合はどうするか。やることはひとつ。

そう、周囲の確認である。三浦達と話していたという事は今のは罰ゲームである可能性も否定しきれない。

骨の髄まで染みこんだ習性はもう条件反射レベル

41: 2012/07/08(日) 02:09:07.57
「あ、や、ヒッキー違うよ。罰ゲームとかじゃないから! そりゃ昔はまわりの空気というかやむをえずにというか……やったことはある、けど……さ」

「何を気持ち悪くキョロキョロしているのかと思えば、そんな心配をしていたのね。でも、あなたは今由比ヶ浜さんと話しているのでしょう?
ちゃんと目を見て……いえ、それはいいわ。由比ヶ浜さんが気の毒だもの」

「ねえお前罵倒とセットじゃなきゃ注意できないの?」

マックでもそんなセット販売してねえよ。チーズバーガーとご一緒に罵りの言葉はいかがですかぁー? なにこのドM仕様。

「まさか。比企谷君だけ、特別よ」

嬉しくねえ特別だな……。というかキラキラ笑顔で言うなよ、余計イラッとするわ。

「安心なさい、由比ヶ浜さんにそんな恥辱を味わわせる輩がいたら私が叩き潰しているわ」

そうですかーぼくと話すのは恥辱なんですかー。

「っておい、それ由比ヶ浜の事も馬鹿にしてないか?」

「してないわよ、由比ヶ浜さんの事は」

「その倒置法いらねぇから。わかってるから」

「そう。私もわかっているわ」

oh……この女……。

「ちょ、ちょーっとストーップ! 二人ともあたしを置いてけぼりにしないでよ! ……それで、ヒッキーどう? 行かない?」

正直俺もどうしたいのか分からん。今までなら念のため断っておくんだが……。

とりあえず、今の段階では『やだね』とか言ったらだめだろうか。

「ふむ、今の話、聞かせてもらったぞ!」

42: 2012/07/08(日) 02:11:39.38
ヒーロー漫画のサブキャラ的な発言と共に現れたのは平塚先生だった。そういやこの人俺が逃げてないか確認しに来るって言ってたな。

「比企谷、行きたまえ」

「出てきていきなり命令ですか!?」

「なに、そろそろ先の合宿と同様に別のコミュニティとの関わりを持ってもらおうと考えていたところだ」

「先方と何かツテでもあるんですか? 俺は行き先すら知らないですけど」

「そうだな、由比ヶ浜、どこに行くつもりなのかね?」

「あ、聖クロニカ学園ってとこですけど」

「なるほど、無いな」

「無いのかよ!」

「そもそも聞いたことすら無い」

あまりの適当さに思わずドン引いていると、先生は俺の方を向いて真剣な顔をする。

「いいか、比企谷。時には全く別の、それこそ人種が違うコミュニティと渡り合っていかねばならん時がある。前にも言ったように、うまくやる術を身につけてくるのだ。
このままではいつか、同じ目的を持ったもの同士の集いに参加した際に追い出されることになりかねんぞ。あそこには全く方向性の違う者しかいないからな」

「それって先生が参加して追い出された婚活パー

「俺の拳が真っ赤に燃えるぅ!」

「ごごごごめんなさい! 何でもないです!」

ゴッドフィンガーかよ自慢の拳じゃないのかよ。そういう痛々しい行動してるから結婚できないんじゃないだろうか。

「まったく、どうして比企谷は比企谷なんだろうな」

「それはもういいです」

なにはともあれ、文化祭に行くのは既に決定事項のようだ。

こうなっては今更俺がじたばたしたところでどうにもならない。なんなら始めからどうにもならない。

聖クロニカ学園か……。

なんとなく、残念な人達と残念なことが起きる、そんな予感がした。





つづく

56: 2012/09/02(日) 13:17:22.72
第三話 前編



時は過ぎ、土曜日。

いつもの小町シフトの休日なら、一通り家事を終えた後は小町の勉強に付き合っているのだが、あいにく今日は予定がある。

例の約束の日だ。

自分で作った朝食を取り、準備を終えた後は時間までゆっくりしていようとリビングでぼーっとしていた。

しばらくすると、スリッパをパタパタ言わせながら小町がやってきた。

「おはよーお兄ちゃん。今日は涼しいねー」

そう言って食卓に着く小町の姿は下着の上に夏前にあげたTシャツ一枚というかなりの軽装。

Tシャツの裾から伸びる白い足が目に眩しい、なんてことは思わず、ただ風邪を引かないか心配なだけだ。

「おはよう。これからどんどん気温下がるっぽいから、寝る格好気を付けろよ」

「分かってるよー。お兄ちゃんは心配性だなぁ。ってかやけに早起きだけど、どしたん? どっか行くの?」

「ちょっと予定があってな。なんとかって学校の文化祭に行く」

「ふーん。……小町も行きたいなー」

小町はいつものおねだりの表情をする。この表情には弱い俺だが、今日は簡単に折れてやるわけにはいかない理由がある。

「勉強はどうした、受験生」

そう、小町は受験生だ。一日だって無駄には出来ない身分なのだ。

「大丈夫! 一日やらなかっただけで落ちるくらいなら始めから受からないよ!」

自信満々になんてこと言いやがるんだこの妹は……。

「それは普段からやってた奴だけが言える台詞だ」

「えぇー、小町最近がんばってるじゃん……」

唇を尖らせて拗ねる小町。正直可哀想だと思うが、これも小町のためだ。

大抵の場合、誰だれのためという言葉はほぼ間違いなく自分の為だが、こと小町に関してだけは本物だ。

世の中には、本物の気持ちというのは確かに存在する。

だからここは心を鬼にしてでも連れて行くべきではない。俺は厳しい兄でなくてはいけないのだ。

57: 2012/09/02(日) 13:19:13.12
「……けどまぁ、夏休み頑張ったからな。今日一日くらいはいいか」

やっぱり妹には激甘な俺だった。小町マジ天使。

「やったぁ! いやー、話の分かる兄で良かったよ」

「うぜぇ……」

偉そうな言い方と共にぽんぽんと肩を叩かれて若干イラッとしたが、嬉しそうにむぐむぐとトーストを頬張る姿を見てしまっては怒る気にもなれない。

そそくさと朝食を終えた小町は、「着替え持ってくるー」と言って自分の部屋に引っ込んでいった。

しばらく捕食後のパンダのパンさん並みに何もしないをしていると、下着姿で小町が戻ってきた。

「お前なぁ、ちゃんと着替えてから来いよ……。時間はまだまだあるんだし」

「小町は着替え持ってくるって言ったよ?」

「それはそうだが、ならせめて何か着とけ」

「まぁまぁ。ってかお兄ちゃん! こっちとこっち、どっちがいいかな?」

小町は右手と左手に持った服を付き出してくる。

「どっちでもいんじゃね」

「うわー適当だぁ」

「いや妹の服装とかどうでもいいし」

「もー、お兄ちゃん、可愛い妹が一人ぼっちで出掛けるはずだった兄のためにおしゃれして行こうって言ってるんだよ? あ、今の小町的にポイント高い!」

「それほんとうぜぇな……。っていうか一人って決めつけんな」

「あはは、まっさかー」

妹にすら完全にぼっち認定されている俺であった。普段の自分を振り返ると否定のしようもないのが更に痛い。

58: 2012/09/02(日) 13:21:03.98
俺が何も言わずにジト目で小町を見つめていると、恐るおそるといった感じで小町が口を開いた。

「……え? マジ?」

「お前それすげえ失礼だからな? 泣かすぞ」

「だってお兄ちゃんと誰かが文化祭に行くなんて、小町、罰ゲームくらいしか思いつかないよ!」

「お前それすげえ失礼だからな? 泣くぞ」

さすがマイリトルシスター、トラウマをしっかりおさえていらっしゃるぜ。

「いや小町はお兄ちゃんと行きたいよ? でも他に誰が……あ! わかった、戸塚さんだ!」

「戸塚かぁ……。戸塚は今日は部活の連中と別の学校の文化祭行くんだってさ……」

「お兄ちゃん泣かないで……。キモいから」

「ばっかお前、戸塚が他の男とデートしてんだぞ!? これが泣かずにいられるか!」

「あぁー、確かに戸塚さんと男子が文化祭行ってたら普通デートだって思うよね」

「やめろよほんとにデートだったらどうすんだよ。滅多なこと言うんじゃねえよ」

「自分で言ったじゃん……」

「それはそうだが……」

けど、冗談で言ったつもりでも誰かに同意されると急に不安になることってあるよな。

例えば、中学生の頃に好きな子が他の男と楽しそうに喋っていて「あいつら付き合ってたりしてな」とか呟いたら、

誰かが聞きとめて皆言い始めて結局それがきっかけで付き合ってなにこのキューピッドってなったりするとか。

ないか。ないよね。でもあるんだよ!

59: 2012/09/02(日) 13:23:39.60
「まぁ冗談はさておいて、やっぱ結衣さん?」

「あー、まぁ、そうだな。由比ヶ浜だけじゃねえけど」

「おお、そっちのパターンか」

うむうむ、と一人で何やら楽しそうに頷く小町。

どっちのパターンだよ。そんな何通りもルートねえよ。あるとしたら誘われないぼっちルートくらい。

「ふーん、へぇー、そっかー」

小町は何やら妖しげな光を灯らせた目をして、ニタニタ笑いを浮かべながら俺を見てくる。

「やっぱ小町行くのやめる!」

「……別に俺はどっちでもいいけど。行かないってなると勉強することになるぞ?」

「うん、勉強するよ。受験生だし。お兄ちゃんと一緒の学校行きたいもん」

「はいはい、ポイント高いな」

「もー、それ小町の台詞だよー」

纏わりついてきてぶーぶー文句を言う小町。お前もうさっさと勉強しろよ。というか服着ろ。

「そんなことよりお兄ちゃん! もっとおしゃれで爽やかな格好しなきゃ! せめて格好だけでも!」

「最後の一言はいらねえだろ。目の方はもうどうしようもねえんだから」

「それだけは自分で言っちゃだめだよ……」

そうは言っても、腐ってなかったらマズイだろ。きれいになったら大変なことになるぞ、主に雪ノ下が。

結局小町に身ぐるみを剥がされ、おしゃれで爽やかになりました。

ついでとばかりに「遅刻は絶対ダメだからね!」と言われ家を追い出された。

小町曰く、『ごっめーん、まったぁ?』『好きで待っていたんだよ(キリッ』が昨今のテンプレらしい。

ソースはヘブンティーン。相変わらず頭が空っぽな内容らしい。ぺっ。

気分を変えようと空を見上げる。

今日の天気は晴れ。先日まで荒ぶっていた残暑は鳴りを潜め、秋らしい清々しい空気に包まれている。

……たまには散歩も良いか。

俺は駅に向かってゆっくりと歩き始めた。

しかし、この調子だと集合時間よりかなり早く着くだろう。

まあ暇つぶしなら携帯がある。

携帯がある時代に生まれてよかったぜ。

60: 2012/09/02(日) 13:26:37.32


集合時間の5分前、雪ノ下がやってきた。というか、気付いたら俺から10メートルくらい離れたところに立っていた。

俺が見ていると雪ノ下もこちらに気付き、離れたまま声をかけてくる。

そんなに俺と並ぶのが嫌なのかよ。まあ別にいいんですけど。

「ごめんなさい、待たせてしまったかしら」

「まだ集合時間前だし、気にすんな」

「待ってくれていたようだけれど……、ごめんなさい」

「それだと俺がお前と一緒に行きたがっていてしかも断られてるみたいだろ。わざわざ言い直すな」

「そうかしら。それは被害妄想よ、比企谷君は大変ね」

ああ大変だよ、朝からお前の相手をするのは。

なんてもちろん口には出さない出せないダメ絶対。

そんな事を口に出すのは、台風の日にちょっと京葉線見てくるとか言うのと同じレベルの氏亡フラグである。

「それと、携帯を弄りながらニヤニヤするのはやめなさい。とても気持ちが悪いわ」

「だからその位置なのな」

どうやらまた一人でニヤついていたらしい。これからは邪神が出てくるラノベだけではなくギアスのSSも外で読むのを止めよう。

ナナリーの扱いの酷さに思わず笑ってしまう。イヌリーでまともな方ってどういうこと? 面白いからいいんだけどさ。

「にしても、ちょっと離れすぎじゃないか? 誰かが近くに来ればさすがに一人笑いは控えるし」

「私が隣に立ったら比企谷君が通報されてしまうでしょう? 私なりの気遣いよ」

「気遣いが斜め下すぎる……。言ってくれりゃいいだろ。……まぁ、助かった」

「通報される可能性は否定しないのね……」

「そりゃそうだ。俺は美少女といる男を見かけたら即座に通報できるよう常に準備を整えているからな」

「っ……、あなたは本当に性根が腐っているわね」

一瞬言葉を詰まらせたが、相変わらず俺のことを罵倒してくる雪ノ下。

だが、今の会話のポイントはそこではない事に気がついた。

重要なのは目は腐っていると言わなかったところ……あとは分かるな?

頬を僅かに染めて髪を払う雪ノ下を今朝の小町のようにニタニタ眺めていると、横目でキッと睨まれる。

「その笑顔まがいの醜い表情、やめてくれるかしら。アレルギー反応を起こしそうだわ」

……さっくりとアレル源扱いされた。瞬時に思い起こされる数々のトラウマ。

っていうか笑顔が醜いとか酷過ぎじゃないですか?

雪ノ下をからかうのは面白いが、もうやめよう……。代償が大き過ぎる。

61: 2012/09/02(日) 13:29:10.10
由比ヶ浜がなかなか来ないので、冷たい目線でチラ見し合うというなんとも不毛な勝負(?)を繰り広げる。

一度捨て猫のようにいたいけな目と表情をしてみたら雪ノ下は本気で嫌そうな顔をしてさらに10メートルほど離れた。

そんなこんなで集合時間の5分前になった頃、携帯が震えた。

メールが届いていて、差出人は『☆★ゆい★☆』。スパムかと思い削除した直後に由比ヶ浜だと気付いた。やべっ。

だが消してしまったのはどうしようもないので、もう一度送ってくれと送り返す。

由比ヶ浜から瞬時に再び届いたが、今度はバッテリーが切れてしまった。

……朝早くからずっと使っていたとはいえ、さすがに早過ぎないですかね、リンゴさん。

まあ集合時間になっても来ていない事を考えると、遅れるとかそんな所だろう。詳しくは雪ノ下に聞けばいい。

とりあえず雪ノ下の元へと向かうと、雪ノ下もこちらにやってきた。

案の定、同様のメールが届いていたようだ。

「由比ヶ浜さんは遅れるみたいね。動物病院に行っているようだから結構時間かかるみたいだけれど、待つ?」

「あー、俺はどっちでもいいけど。まあここで待っててもあいつの事だから恐縮するだろ。どうせ待つなら現地で待とうぜ」

「そうね、では行きましょう」

改札を抜け、タイミング良く到着した電車に乗り込む。

車内の席はほぼ埋め尽くされていたが、ちょうど二人分空いていた。

迷うことなく座り、雪ノ下も隣に腰を下ろす。

もし隣にいるのが雪ノ下以外の女子か戸塚だったらかなり緊張しただろう。

だが、こいつは別だ。

特別だ。

雪ノ下といえども嘘を付くが、自分の言動に不誠実ではない。

付いたら付いたで、その嘘を本当にしようとする。

その姿勢は、自覚する事無く周囲や自分自身でさえも騙そうとするその他大勢と比べて遥かに好感が持てる。

俺は雪ノ下の事を誰よりも高く評価し、信頼さえしていた。

だから、安心して他人でいられる。

あまりの眩しさ故に、存在そのものの違いを自覚し続ける事が出来る。

電車に乗っている間中、俺と雪ノ下は一言も会話を交わさなかった。

62: 2012/09/02(日) 13:33:31.09


電車は目的の学校の最寄り駅で降りた。

本来なら駅からはバスで向かうらしいのだが、

歩いて行けば時間も潰せて由比ヶ浜とちょうど良く合流できるかもということで歩くことになり、見知らぬ初秋の町を練り歩いていた。

そして駅を出発して30分、今に至る。

振り返ると200mくらいのところにさっき降りた駅が見える。

「おかしいわね……」

「ああ、おかしいな。お前の方向感覚はおかしいな」

歩き出す前に駅前の地図見て『よし』とか言ってたけどあれなんだったの? 自信満々に一人でずんずん進んでたけどあれなんだったの?

雪ノ下が真性の方向オンチだということを忘れていた。

「おかしいわね……。駅と学園の座標関係はちゃんと覚えているはずなのに……」

「ああ、おかしいな。それだけで辿り着けると思っているお前はおかしいな」

考えに没頭している雪ノ下に俺のツッコミは届かない。

埒が明かないので尚も何かぶつぶつと呟いている雪ノ下に提案する。

「なあ、せっかく駅の近くに戻ってきたんだし、もうバスで行こうぜ」

「それは私に降参しろと言っているのかしら? 舐めないで頂戴」

「なんでそうなる……。……なら、せめて人に聞こうぜ」

「嫌よ。人に聞いたら負けだわ。自力で着いてこそよ」

お前はドライブデートで迷った時の男かよ……。

どうやらどこかで負けず嫌いさんのスイッチが入ってしまったらしい。

こうなってしまってはもう手遅れだ。ほとぼりが冷めるのを待つしかない。

まあ時間に余裕が無くなってきたら流石に雪ノ下も折れるだろう。由比ヶ浜を待たせるわけにはいかないだろうし。

それまでは傍観者を決め込もう。

「駅を原点Oとすると学園は第一象限だから……」

第一象限ね、知ってる知ってる。範囲系の心意技だろ。

AWといいSAOといい最近超売れてるよな。電撃勢は相変わらず売れ行きが好調だ。

それに比べてガガガ文庫ときたら……。

ガガガ文庫はこの先どうなるのだろうか。人類はよくわからない方向に衰退してしまったし、飛行士は映画で爆氏した。

有望な新人が望まれるところだ。一瞬、材木座に期待してやろうかと思ったが、作品の質は置いておくにしてもあいつの性格上間違いなく電撃に出すだろう。

いずれにせよ完成すればの話だが。

まあ材木座の話はどうでもいいか。

「……なるほど、わかったわ。比企谷君、こっちよ」

雪ノ下は自信満々に左に向かって歩き出す。

……右だと思うんだけどなぁ。

63: 2012/09/02(日) 13:43:15.04


「……比企谷君、ひとつ聞いていいかしら?」

更に1時間ほど歩いていたら、雪ノ下が唐突に口を開いた。

「なんだ?」

「……ここはどこかしら?」

「知らねえよ……」

「そろそろ着いてもおかしくないと思うのだけれど……」

だいぶ前から雪ノ下は地図を表示させた携帯を片手に持っていた。

往生際悪く地図をくるくる回して現在地を確かめようとする。それが駄目なんだっての。

「なあ、もう満足しただろ? そろそろ誰かに聞こうぜ」

そろそろ時間もなくなって来たし、何より歩いて疲れた。

体力ゼロの雪ノ下に至ってはフラフラしている。

とは言っても辺りを見渡せばあるのは田園と山ばかり。

刈り入れは既に終わっているようで人影は無い。

「……とりあえず、携帯貸してくれ。地図見たい」

雪ノ下は渋々、といった感じで渡してくる。

まずは現在地の確認をしないとな。シャカシャカと操作し、画面に現在地を表示させる。こいつ全然違う場所見てたんですけど……。

思わず雪ノ下を見ると、一瞬バツが悪そうな顔をしたがすぐにフイと目を逸らす。子供かよ……。

ガキのんはほっといて地図を見てみると、なぜか俺たちのいる場所と駅とのちょうど中間辺りに学園がある。

……地図を持ってこの状況とかもう方向オンチってレベルじゃねえ。

この先こいつと結婚する猛者がもし存在するのなら、牛乳を買いに行って迷子になってそのまま失踪した雪ノ下を探す羽目になりそうだ。

とにもかくにも、ざっくりと道を確認して歩き始める。

かなり距離があるようだが、動き始めないことにはどうしようもない。

せめてバスがどこを走っているかを誰かに聴ければいいのだが……。

と、そこに救いの神が舞い降りた。

後ろの方からビーっと原チャの音がする。知らない人と話すのは緊張するが、会話の目的が明確な場合はその限りではない。

振り返って手を振って「すいませーん」と声を上げる。

近づいてきて止まった原チャに乗っていたのはフルフェイスのメットにシスター服の少女だった。

すげえ画だな……。

64: 2012/09/02(日) 13:47:39.11
シスター服の少女は原チャを止めて「どっこらしょ」と降りる。

メットを外すと、下から現れたのは超絶美少女だった。なんかもう雪ノ下レベル。

銀髪で、明らかに日本人ではない造形の顔。フランクな感じに修道服を着こなす見事に整った体型。

澄んだブルーの瞳を少し爛々とさせていて、成長途中の狼のようなイメージを受ける。

見れば見るほど完璧な造形に思わず見蕩れてしまう。

そして銀髪美少女はその形の良い唇で音を紡いだ。……尻を掻きながら。

「どしたん? 迷える子羊ちゃんたち」

……随分砕けたシスターだな。っていうか尻を掻くな尻を。

「いやーずっと座ってるとケツがムズムズすんだよねー」

俺の視線に気がついたのか、銀髪美少女はカラカラと笑いながら言う。

美少女がケツとか言うなよ……。

俺がげんなりしていると、雪ノ下が銀髪美少女の奇行を無視して尋ねた。

「聖クロニカ学園というところに行きたいのですが、関係者の方でしょうか?」

「ん、そうだよ。あ、もしかして迷子ちゃんかな? こりゃ本当に迷える子羊ちゃんだねえ」

なにが楽しいのか銀髪美少女はニコニコとしている。

「うちの学園にはこの道を通ってるバスに乗れば行けるよん。結構距離あるから歩くのは大変だからねー。あと本数少ないから逃すと大変だよー」

「そうですか。ありがとうございます」

「ありがとうございます」

雪ノ下に倣い、俺もお礼を言う。

「なんのなんの。それじゃ、わたしはここでドロンさせてもらうよ」

手を『ドロン』の形にしたあとメットをかぶり、去っていく銀髪美少女。

てかドロンて。おっさんかよ……。

65: 2012/09/02(日) 13:52:25.65
道を進むこと5分。雪ノ下は既に疲労困憊でかなり歩くのが遅くなっているが、遠くにバス停が見えたのでまあ安心だ。

銀髪美少女の言う通り、ここの道はちょうどバスの路線だったようだ。

しかし、どのくらいの本数が走っているのだろうか。少ないとは言っていたが、田舎にありがちな朝に1本、昼に1本とかだったら目も当てられない。

まあ学園に繋がっているのだし銀髪美少女の口ぶりからするともう少しあるだろうが、それでも乗り遅れる訳にはいかないだろう。

乗り遅れる訳にはいかないが、後ろから不吉な音が聞こえた。

案の定、振り向くと遠くにバスが見える。

「おい、雪ノ下! やばいぞ!」

雪ノ下も振り返り、事態を察知する。

「急ぎましょう」

判断は早い。早足で歩き始める雪ノ下。

しかし当然バスの方が速く、ぐんぐん近づいてくる。

「そんなんじゃ間に合わねえって! ほら走れ!」

俺は思わず走り出す。つられて雪ノ下も走り出すが、みるみる失速していく。

「比企谷君、待って、今、走るのは、ちょっと……」

息も絶え絶えといった様子で訴えかけてくる。しかし休んでいる時間などあるはずもない。

「もう少しだから頑張れ!」

雪ノ下の腕を掴み、体を支えるようにして走る。

「やっ、ちょっ!?」

何か言った気がしたが無視。足をもつれさせながらもなんとか走り、ぎりぎりでバスに乗り込むことが出来た。

66: 2012/09/02(日) 13:54:55.84
ぐったりしている雪ノ下を座席に座らせ、その隣に座る。

「強引なのね……」

頬を上気させ、はあはあと荒い息をしながらそんなことを言う雪ノ下。

……。

少ししてようやく落ち着いてきた雪ノ下が口を開く。

「比企谷君、私のこと責めないの? 私のせいで迷って、しかも私の体力のなさで迷惑かけているのに」

「なにお前、責めて欲しいの? ドMちゃん?」

雪ノ下は無表情になり、ふざけた事言うなら黙れと目だけで語る。やめて超怖い。

「でぃゃってほら、責めてぃぇもどうにもなんないだろ。結果的にはバスに乗れて由比ヶ浜を待たせることもなさそうだし」

恐怖のあまり前半噛んだが、何とか最後まで言う。

実際あれだ。ぼっちは基本的に人を責めない。自分の事は自分でどうにかし自分に関することに限り全ての責任は自らが負う、というのが熟練されたぼっちの標準的な思考だ。

逆に言えば、自分に関わりのないことは全て他人の責任であり、だいたいそれを呪っているんだけどな。

まあ今回の事は雪ノ下について行くと決めたのだから雪ノ下だけが悪いとは思わない。

「……でも、私の勝手な行動に付き合わせてしまったのは謝らせて頂戴」

隣に座っている雪ノ下は体をややこちら側に向け頭を下げて「ごめんなさい」と言う。

「気にすんなって」

俺は正面を向いたまま努めて無表情を保つ。

雪ノ下が頭を下げた拍子に髪からふわりといい匂いがして超ドキドキしているのは秘密だ。

67: 2012/09/02(日) 13:56:11.43

しばらくバスに揺られていると、再び雪ノ下が口を開く。

「比企谷君、少し眠らせてもらっても良いかしら」

「ああ、いんじゃね」

さっきからこくりこくりと船を漕いでいても我慢していたようだが、ついに眠気に耐えきれなくなったらしい。

「そう。では学園に近づいたら起こして頂戴」

「わかった」

と返事をして直ぐに隣から寝息が聞こえてきた。

寝るの早っ! お前のび太君かよ。けどあやとりと射撃が得意な俺の方がのび太君だからな!

何この無駄な一人相撲。

68: 2012/09/02(日) 13:58:12.95

ぼーっといつまでも代わり映えのない風景を眺めていると、肩にコツンと何かが当たった。

そちらを向くと、姿勢が崩れたのか雪ノ下が頭を乗せてきていた。

ふさふさまつげの目を閉じ、くぅくぅと可愛らしい寝息を立てている。雪ノ下の長い髪が腕にさらさらとかかってくすぐったい。その髪からは相変わらずいい匂いがする。

どどどどうしよう!?

驚いて思わずビクッとしてしまい、雪ノ下が「んんっ」と小さく呻く。

ごくり。

いや待て、落ち着け。

雪ノ下は特別で、ただの他人だ。今はこんな状況だがこの先関係が変わる事もないだろうし期待もしていない。

しかし人生で最も女子と接近しているのもまた事実。しかも超絶美少女。そんなこと言っている場合じゃない。

こんなときはあれだ。素数だ……素数を数えて落ち着くんだ。素数はぼっちのための数字。俺に勇気を与えてくれる……。

1、2、3……あれ1って素数だっけ? 駄目だ数学苦手だから余計混乱してきた! 素数使えねえ!

結局どうしていいかわからず、やたら姿勢良く硬直することしかできなかった。

車内に俺みたいな奴がいなかったのがせめてもの救いだ。俺だったら確実に通報していただろうからな。

69: 2012/09/02(日) 14:06:26.09

「そろそろ起きろ。もうすぐ着くぞ」

相変わらず肩に寄りかかったままの雪ノ下を揺り起こす。

「……んぅ?」

まるで荷馬車のわっちちゃんのように甘い声を上げる雪ノ下。……あの場面のケモナー行商人の気持ちを深く理解した。

目を覚まし、そのままの姿勢で顔を上げた雪ノ下と至近距離で目が会う。

……。

…………。

雪ノ下はスッと離れると、コホンと咳払いした。平静を装っているがみるみる顔が赤くなっていく。

正面を向いたまま頑としてこちらを見ようとしない。

思いっきりからかってやりたい衝動にかられたが、命は大事なのでやめておこう。

程なくして学園前に着き、バスを降りてお祭り気分満載の過度に装飾された校門をくぐる。

そこかしこに飾りやポスターが貼り付けられていて、その傍で宣伝や客引きが声を張り上げている。学園内は文化祭特有の雰囲気に満ちていた。

「とりあえずどうすっかな」

「由比ヶ浜さんと合流するまでは見て回るのはやめておきましょう。今回の発案者は彼女なのだし」

雪ノ下が携帯を確認したところ、由比ヶ浜からの連絡はないようだ。まだ到着していないらしい。

「そうだな。じゃあどっか適当に休める場所でも探すか」

校門でもらったパンフを見る。

「礼拝堂があるみたいだな。ここなら休めそうじゃないか?」

「そうね。ではそこに行ってもいいかしら?」

「ああ、行ってこい。俺はここで由比ヶ浜を待ってるから」

「……わかったわ」

わかったと言いつつも雪ノ下は歩き出そうとせずに手元のパンフをじっと見つめている。

そして軽く嘆息し口を開いた。

「……あの、比企谷君……」

うっすらと頬を染めて何かを言い淀む雪ノ下。

まあ何かっていうか何を言いたいのかはわかるんだけどな。それを俺に言おうとしているという事は驚きだが。

放っておいて迷子になった雪ノ下を探すのは面倒だし、俺から言ってやるか。

「……あー、雪ノ下、やっぱ俺も少し休みたいから行くわ」

「そ、そう。……では行きましょう」

俺たちはゆっくりと歩き出した。

70: 2012/09/02(日) 14:09:45.15
歩きながら改めてパンフを見ると、敷地がかなり大きい事に気付いく。礼拝堂までは意外と距離がありそうだ。

「……気を遣わせてしまったようね。ごめんなさい」

疲労のせいか、屈辱のせいか、雪ノ下の声は消え入るように小さい。

「気にすんな、嫌ならしねえし」

「……でも、……いえ、あなたがそう言うのならいいわ」

それきり俺と雪ノ下は無言で歩く。

道は屋台やその客、各団体の宣伝をする人などで賑わっている。

ここの文化祭は敷地の広さを活かし敷地中に模擬店やステージがあるようだ。

しばらく歩くと、前方に奇妙な集団が見えた。

先頭を歩く金髪の女子の後ろにぞろぞろと連なる男共の列。

おお、さすがミッション系の学園。あれが司祭とその他大勢ってやつか。うん、違うよね。

近づくと会話が聞こえてきた。

「あんたたち、付いてきてんじゃないわよ。散れ散れ」

「セナサマ、またあのような場所へ行くのですか!?」

「セナサマ、おいたわしや!」

男共は口々に「セナサマーセナサマー」と言っている。あ、やっぱりちょっと宗教っぽい。

まあなんだっていいのでさっさと通り過ぎようとしたが、いきなり怒声が響く。

「ちょっとあんた! 今の台詞聞き捨てならないわね。『あのような場所』ってどういう意味よ!」

「い、いえ……それは……」

「いい? あんたごときがあいつらを馬鹿にしたら承知しないわよ!」

「セナサマ、そのようなつもりでは……」

「黙りなさい。……ほら、あんたたちもさっさと消えなさい」

金髪がそう言うと、男共はすごすごと散り始める。

騒ぎに驚いていた俺と雪ノ下も再び歩き始めた。

集団と擦れ違うとき何となく横を見ると、人垣の向こうから蒼い眼がこちらを見ているような気がした。

71: 2012/09/02(日) 14:12:40.56
にしても、すげえ迫力だったな……。取り巻きに囲まれてほとんど金髪の姿は見えなかったのに、その存在感はばしばし伝わってきた。

あの金髪にとって『あいつら』ってのはよっぽど大切なんだろうな。

「どうしたのかしら? 比企谷君」

斜め前で雪ノ下が振り返る。隣を歩いていた雪ノ下といつの間にか数歩の差が出ていたようだ。

「いや、なんでもない」

そう言って隣まで追いつく。

「そう。では行きましょう。次の角を右だったかしら?」

「真っ直ぐだろ……」

ついてきて完全に正解だったな……。

ツッコミつつ呆れていると、後ろからかなりアブナイ匂いのする叫びが聞こえてきた。

「くっ、黒髪ロングの美少女キターーーーーーーー!!!! 黒髪ロングぺろぺろ! 黒髪ロングクンカクンカスーハースーハー!! デュフフ……」

……やばいのがいる。

雪ノ下も身の危険を感じたのか歩く速度がかなり速くなり、俺を盾にするように若干前に回り込む。やめろよ俺だって怖ぇよ。

絶対に関わってはいけない気配を背に、俺たちはほとんど走るような速度で礼拝堂に向かった。



つづく

86: 2012/09/10(月) 02:22:46.23
遅くなりました

若干量は少ないかもですが投下します

87: 2012/09/10(月) 02:25:09.95
第三話 中編



アブナイ人物は追ってくる様子は無く、どうにかこうにか無事に礼拝堂に着いた。

扉は開かれていて、中ではミサっぽい何かが行われている。

「これ中に入ってもいいのか?」

「礼拝の最中のようだけれど、入っても特に問題は無いわ」

問題は無いと言われても宗教施設特有の何となく入りづらい雰囲気はあるのでこそこそ人目に付かないように歩き、礼拝堂の中ほどの長椅子に座る。

「……硬いな」

長椅子は硬い木製で、背の部分が座面に対して90度なのでかなり座り心地が悪い。

「文句を言っては駄目よ。礼拝堂としては間違っていないわ。誤用の方の意味だけれど、清貧という言葉があるくらいだもの」

「清貧か。……お前にぴったりの言葉だな」

本来の意味通り、私欲に負けず常に正しくあろうとし、ついでに言えば清々しいほどの貧nyゲフンゲフン。……まさに雪ノ下のための言葉だ。

「なぜかしら。今、比企谷君がとても不愉快なことを考えている気がするわ」

「べべべべつにそんなこと考えてねえし!」

か、顔に出てたのか!? ……いや待て、もしそうだったら俺は既に息をしていない。視線には気をつけたし、外見からじゃ分からないはずだ!

おそらく、ただ単純に鋭いだけだろう。それはそれで恐ろしくはあるが。

「そ、そんなことよりあれだ、由比ヶ浜はいつ着くって?」

全力で誤魔化しにかかった俺を見ても、雪ノ下は「はぁ」と軽く溜息をついただけでちゃんと質問に答えてくれる。

「……そろそろ着くとは言っていたけれど、正確な時間まではわからないわ。確認してみるから少し待っていて頂戴」

携帯を操作し、メールを打つ雪ノ下。

雪ノ下が動きを止めて1、2分もしないうちに携帯が震える。もう返信が届いたようだ。

「あと10分程で着くようだわ」

「そっか。なら……」

ふとそこで嫌な予感がよぎりなんとなく後ろを向くと、礼拝堂の入り口の向こうに先程の金髪が見えた。

88: 2012/09/10(月) 02:29:12.94
「さっきの黒髪ロングの子どこに行っちゃったのかしらハァハァ」

荒い息をして辺りをキョロキョロしながら礼拝堂に向かってくる。

恐ろしいまでの変態オーラだ……。

「おい雪ノ下隠れろ!」

「っ!?」

咄嗟に肩を掴み雪ノ下を背もたれに隠す。

「比企谷君!? いきなりなっ

「黙ってろって!」

小声で言い、口を手で塞ぐ。暴れないようにもう片方の手で雪ノ下の両手を押さえる。

座る位置をずらし雪ノ下を通路側から見えなくすると、程なくして金髪がぶつぶつと呟きながら横を通り過ぎる。

「こっちの方に来てたわよねハァハァ……後で探してみようかしらハァハァ……」

金髪は座面に伏せた雪ノ下には気付かずに奥まで進むと、横の扉を開けて入って行った。

「……ふぅ」

ひとまず安心、か。

まるでスプラッターものの映画の登場人物のような気分だぜ……。

雪ノ下から手を離しほっと胸をなで下ろしていると、さっきよりも強烈な悪寒が横からする。

恐るおそるそちらを見ると、うっすらと涙を浮かべ顔を紅潮させた雪ノ下が柳眉を逆立てている。

全然安心できねぇ!!

89: 2012/09/10(月) 02:32:24.42
「『ふぅ』ではないわ、比企谷君」

「い、いや……さっきのはだな

「大体の状況は理解しているわ。でも、やり方というものがあるでしょう? あれでは本当に通報されても文句は言えないわよ?」

そう言う雪ノ下の手元をよく見ると、携帯にとても覚えやすい3ケタの数字が並んでいる。

「あなたは保身第一の小悪党だから女性に乱暴狼藉を働くような人間ではないと思うけれど、性犯罪、特にセクハラは受け止め方によってはいつでも成立してしまうのよ」

「は、はひ……」

「わかったのなら二度とさっきのような真似はしないで頂戴」

「でもさっきの場合は緊急避難的な

ピッ、と通話ボタンを押す雪ノ下。

「ごめんなさい二度としませんごめんなさい!」

やや唇を尖らせ、横目でこちらを睨みながらも武器を収めてくれる。

「……では、ここを離れましょう。いつまた出て来るとも限らないし」

「ひゃ、ひゃい」

ブルブルしながら椅子から立ち上がり、雪ノ下を先に歩かせやや距離をとるようにして歩く。今のあいつに近づきすぎると通報されかねない。

まるで例の金髪とその取り巻きのような位置関係だ。

「由比ヶ浜さんも到着するのだし、校門まで行きましょう」

「ひゃい」

「……その気持ちの悪い態度もやめないと通報するわよ」

どうすりゃいいんだよ……。

90: 2012/09/10(月) 02:37:02.47
俺が何も言わないでいると、先を歩く雪ノ下は入り口のあたりでくるりと振り返る。

「はぁ……、先程の話はもう終わったのだから、いつも通りにすればいいでしょう?」

「そ、そうか」

それだけ言うとすぐに歩き出す雪ノ下。

こいつは根に持つタイプではあるが、物事のけじめには相変わらず厳格なようだ。

神経質な完璧主義者だが他人にそれを強く求めることはしない。正しくあれと促し、それ以上は踏み込まない。

……それは周囲への絶望だろうか、それとも優しさだろうか。

仮に絶望していたとしても、だからこそ彼女はその優しさ故に救いを求める手を掴まずにはいられないのだろう。

奉仕部なんてものが存続しているのは、ひとえに彼女の優しさの賜でしかない。

由比ヶ浜も彼女の優しさに救われ、それに惹かれているのだろう。

……まぁ、所詮こんなのは俺の穿った見方でしかない。

実際に聞いたところで違うと言われればそれまでだし、そもそも『本当の誰それ』なんてものは知る必要もない。

人は見たいものしか見ない。たとえ対象が自分自身だったとしても。

俺たちは自分自身ですらまともに見ることができないのだ。

だから、何も見えていない俺が礼拝堂から出たときに真横から来た人が見えなくてぶつかってしまうのも仕方のないことだろう。

雪ノ下に追いつくために小走りになっていたのだからなおさらだ。

91: 2012/09/10(月) 02:39:02.04
結構派手にぶつかってお互い尻餅を着いた状態である。

街角でパンを咥えた女の子とぶつかる古典的ギャルゲイベントのシーンを思い浮かべてくれれば概ね正しい。

パンツが見えていて『何見てんのよっ』と言われればもう完璧である。

しかし悲しいかな、今回の相手は男だ。

見えるのはパンツではなく、裾をまくったズボンからでている足と、染めるのに失敗したであろう黒が混じった金髪。

そして何より虎連れ竜もびっくりの狂乱の目つき。

「うわっ! なにここ津田沼駅のロータリー!?」

思わずそんな言葉が口を衝く。

「……初対面の人をいきなり不良扱いするのはやめなさい。それに、柏駅よりはマシよ」

「突然の千葉県縦断ウルトラクイズに答えられるとかお前どんだけ千葉好きだよ……」

確かに柏よりマシだ。噂によればもはや天然記念物レベルのカラーギャングが未だに棲息しているらしいし。

以前、柏市は「千葉の渋谷」と述べたが、一部の柏市民は『東の原宿』と言い張っている。『ウラハラ』と同じノリで『ウラカシ』もあるようだ。

むしろ柏自体が裏だが。

まあどちらにしろ渋谷とか原宿とかじゃなくてスラム街と言った方が正確だろう。ちなみに木更津市はゴーストタウンで松戸市は天外魔境。

92: 2012/09/10(月) 02:43:17.67
閑話休題。

ウルトラクイズに正解した雪ノ下は当然、とばかりに片眉を上げる。が、それも一瞬の事ですぐに冷たい表情に戻った。

「話を逸らさない。見た目で人を判断してはだめよ、比企谷君」

「いや驚いただけなんだけど……」

まあ、悪いと思ったのは本当なので素直に頭を下げる。

「あ、ああ、慣れてるから大丈夫。け、ケガとかしてませんか?」

失敗金髪ヤンキー風の彼はそう言ってくれる。

「そ、そっか。いや、大丈夫、です。ケガとかしてない」

立ち上がりつつお互いに苦笑いしながらぎこちないやり取りをする。

やっぱ初対面の人と話すのは緊張するな……。初対面じゃなくても緊張するが。

次の会話を探りさぐり視線を交わしていると雪ノ下が割り込む。

「そもそも、あなたのように腐った目をした人間が人を評価するのなんておこがましいわ」

「「注意してんのそこなの!?」」

意図せずハモりながらのツッコミになってしまった。

チラリチラリとお互いを窺う。

先程のやりとりといい、真リア充の葉山みたいに「ハモったな」とかどうでもいいことを気さくに言わないあたり、

コミュ力的にこの失敗金髪ヤンキー風の彼もぼっちである確率が非常に高い。

俺のぼっちセンサーが反応していることに当然気付くこともなく、雪ノ下は話を続ける。

「もちろん、行為自体も褒められたものではないわ。そんなことをされた相手がとても不愉快な気持ちになるのは当たり前でしょう?
その手の輩は、外見から勝手に自分の都合の良いように内面を想像して、それが違っていたら相手を糾弾する。
挙げ句にはあることないこと周りに言いふらすのよ。ソースは私」

「お前の話かよ……」

「一緒に帰るのを断っただけで、佐川さんはどうしてあそこまでできるのか理解できないわ」

雪ノ下はそう言って薄く微笑んだ。佐川さんチェーンメール以外にもなんかやったのか……チャレンジャー過ぎだろ。

「別に佐川さんだけではなくて、あの頃誰かと一緒に下校した事なんて一度もないのだけど」

「自分で地雷を踏み抜くのはやめろ」

さらりとぼっち宣言をする雪ノ下であった。

93: 2012/09/10(月) 02:45:25.83
しかし雪ノ下は気にする様子もなく、

「それもそうね。では1973年の手賀沼のように濁った目をした比企谷君が悪い、という事でこの話は終わりにしましょう」

「お前それ水質汚濁の全盛期だろ! これから27年間無双状態じゃねえか! ってかなんで俺!?」

「……仕方ないわね。印旛沼と好きな方を選らばせてあげるわ」

「結局ワースト5位圏内の常連さんじゃねえか! 一時期はチャリが浮いてたレベルだぞ!」

「あなたも本当に千葉好きね……」

失敗金髪ヤンキー風の彼は、繰り出される千葉ネタに全くついて行けてない様子だった。

94: 2012/09/10(月) 02:47:54.42
「え゛え゛っと! …………文化祭を見に来たんDEATHか?」

唐突にどう聞いても恫喝しているようにしか聞こえない謎の発声をしたあと、質問するまでもない事を聞く失敗金髪ヤンキー風の彼。

突然のことに雪ノ下はビクッと一歩退き、失敗金髪ヤンキー風の彼はそれを見て恐ろしい目つきのまま少し悲しそうな顔をする。

だが、俺にはわかる。

ぼっちは急に喋ろうとすると変な声が出ることがままある。初対面となればその確率は倍増する。

更に言えば会話のネタも無難なものしか選択できないので当たり前の事を聞きがちになるのだ。

俺は彼がぼっちである事を確信した。

まぁそれがわかったところでどうということはないんだけどな。

真のぼっちはぼっち同士のつながりがないからこそぼっちである云々。

という訳で会話は雪ノ下に任すことにした。

目で促すと雪ノ下はこちらを一瞥した後、失敗金髪ヤンキー風の彼の方を向く。

「ええ、友人とその他とこの学園の文化祭を見に来ました」

しっかり俺をその他扱いしつつ質問に答える。

「そ、そうDEATHか……。た、楽しんで下さい」

「はい。ありがとうございます。では」

なんとも無難そのものの会話だったが、きっと失敗金髪ヤンキー風の彼はこのあと普通に会話出来た事を喜ぶのだろう。俺ならそうする。

雪ノ下に続き俺も軽く会釈して校門の方に向かおうとした。

95: 2012/09/10(月) 02:49:46.76
「きゃはぁぁんっ! こんな所にいたのね黒髪ロングたん!」

突然の奇声にまたしても雪ノ下はビクッとしてそちらを向く。

見れば猛然と駆けてくる例の金髪がいた。瞬く間に俺たちのところまで来るとその勢いのまま雪ノ下に迫っていく。

が、寸前のところで失敗金髪ヤンキー風の彼がなんとか羽交い締めにして止めることに成功した。

「落ち着け星奈! ここは二次元の世界じゃない!」

……なんて残念な説得なのだろうか。

「離しなさいよ! あんなにきれいな黒髪ロングはゲームでもアニメでもあんまりいないんだから! きっと二次元の世界からあたしに会いに来てくれたのよ!」

……なんて残念な主張なのだろうか。てか怖ぇよ。

関係のない俺がこんなに怖いのだから雪ノ下は当然もっと怖いはずだ。

だから既に早足で歩き出しているのは責められないだろう。……いや待てよ置いてくなよ。

「ああっ、待って! あたしはただ仲良くしたいだけなの!」

慌てて追いかけていると、その言葉を聞いて雪ノ下がはたと足を止め振り返る。

96: 2012/09/10(月) 02:51:47.42
「仲良くなって、ちょっとぺろぺろできればいいだけなの!」

おい。

驚愕に目を見開き、顔を青ざめさせて後ずさりをする雪ノ下。

「あなた……自分が何を言っているのかわかっているのかしら? とても人間が言う言葉とは思えないわ……」

「そんな……ひどい……。あたしのこと嫌いなの!?」

「いや嫌いというか純粋に怖いんだろ」

あまりにもぶっとんだ思考回路に思わずツッコんでしまう。

そこで初めて俺の存在に気付いた金髪はこちらを向く。

ようやくまともに見ることが出来たが、かなりの美少女だ。

金髪碧眼で蒼い蝶の髪飾りをしていて、迷子中に出会った銀髪美少女と同様、日本人離れした白人系の顔の造りをしている。

が、なんとなくビXチっぽい。

それはきっとメガ盛りMAXの巨乳のせいだろう。

恐らくそう感じるのは俺だけでは無いはずだ。金髪+巨乳=ビXチはもう数学の公式にしてもいいレベル。

完全にラノベやアニメの影響なんですけどね。

まあとにかく、失敗金髪ヤンキー風の彼に羽交い締めにされているので只でさえ主張の激しい胸がさらに強調されている。

しかし俺は大きさにそこまで価値を感じない。

故に目を奪われるということなど断じてない。み、見てないからな! ホントだぞ!

「この下衆……」

横から絶対零度の視線をばしばし感じるのは気のせいだと信じたい。

97: 2012/09/10(月) 03:00:31.82
金髪ビXチは俺と雪ノ下のそんなやりとりには意を介さず、さっきまでの態度とは打って変わって凶暴な目つきで睨んでくる。

「はぁ? 愚民ごときが何あたしに話しかけてんのよ。さっさと失せなさい」

「ごめんなさいなんでもないです」

反射的に謝ってしまう俺。 だって超怖いんだもん!

「……比企谷君、あなたにはプライドとかないのかしら?」

「いや……あったら外歩けねぇだろ」

「あなたは本当に……まあいいわ、もう行きましょう」

……ん? さっきまでこいつ怯えていたのに今はなんかピリピリしていないか?

とにかくここを離れるのは賛成だったので並んで歩き始める。

しかし、というか当然というか、後ろで金髪ビXチが叫ぶ。

「待って、せめてお名前だけでも教えて! まずは自己紹介から始めましょ! あたしは2年3組の柏崎星奈。星奈って呼んでね!」

雪ノ下は振り返り、金髪ビXチを数瞬眺めてから口を開く。

「私は雪ノ下雪乃。あなたと同じ2年よ」

「雪乃ちゃんね! よろしくね!」

「ええ、よろしく柏崎さん。あなたと友人関係になることは未来永劫ないからそのつもりで」

初対面でこの対応とか雪ノ下さん流石です! 出会ったばかりのことを思い出すぜ……。

「えっ!? じゃ、じゃあ……恋人とかは?」

……マジかよ本物かよこの女。ここまでいくともう逆になんか凄い。

「無論、ありえないわ」

律儀にも否定する雪ノ下。

そして俺に目で語りかけてきた。わかってるっつーの。

「比企谷八幡だ。雪ノ下とは一応同じ部活に所属している」

「あんたのは聞いてないから。あたしたちの間に入ってくんじゃないわよ」

……まあこうなるだろうな。

予想通りの反応だったので特別何も思うところはなかったが、雪ノ下はとても不快そうに眉根を寄せている。

険悪な空気を察知したのか、失敗金髪ヤンキー風の彼が続いて自己紹介をする。やはりぼっちは空気を読むスキルが高い。

まあここまで露骨だと誰でも気付くだろうが。

「俺は……小鷹、羽瀬川小鷹だ」

小説等でよくある、何故か名前から始まる自己紹介をドヤ顔でする失敗金髪ヤンキー風の彼。なんかちょっと悦に入っている。

駄目だこいつ空気読めてねえ!

確かに何となく一度はやってみたいことではあるが、それをこの状況でやるとは……。

98: 2012/09/10(月) 03:06:49.18
失敗金髪ヤンキー風の彼はその勢いで続ける。

「星奈とは同じ『隣人部』って部活に入ってる。活動内容がちょっと特殊で……」

「特殊とはなんだ。わかりやすくかつ真っ当な目的だろうが」

唐突に横から新しい人物が割り込んできた。

セミロングの黒髪でどことなく中性的な顔立ちをしているが、間違いなく美少女にカテゴライズされるであろう造形。

涼しげな目をしていて黒髪美人と言う表現がぴったりだが、表情や喋り方がどうにも鬱っぽいので色々と台無しにしている。

「それで? これはどういう状況なのだ?」

黒髪鬱美人は当然の疑問を発する。

羽交い締めにされた金髪ビXチを見て、その視線の先の雪ノ下を見ると再び口を開く。

「いや、やっぱり説明はいい。どうせ肉が突然発狂したのだろう。BSEは潜伏期間が長いからな」

……肉、って金髪ビXチのことか? 的確だがひどいあだ名だ……。まあ心の中で金髪ビXチ呼ばわりしている俺も人の事は言えないか。

「ちょっと夜空! 人を狂牛病扱いしてんじゃないわよ!」

「黙れ肉」

どこから取り出したのか、黒髪鬱美人はハエ叩きで金髪ビXチの額をペチペチ叩いている。

この状況で羽交い締めにしているのは流石にやばいと判断したのか、失敗金髪ヤンキー風の彼は腕を放す。

「ちょ、やめなさいよ!」

自由になった金髪ビXチはハエ叩きを掴む。

「何をするのだ。せっかく私が海綿状態になった貴様の脳みそを心配して叩いて固めて治そうとしてやっているのに」

「えっ、心配してくれてたの……? じゃ、じゃあいいけど……ってそんなわけないでしょ!」

「当たり前だ。貴様の心配などする暇があるならその辺のミミズさんの心配をした方が遙かに有意義だ」

「ミミズなんかどうだっていいでしょ!?」

「貴様は馬鹿か? ああ、馬鹿だったな。汚物製造器の貴様とミミズさん、どちらが重要かなど考えるまでもないだろう」

怒濤の言葉責めを繰り広げる黒髪鬱美人。なんというか、汚物製造器はひでえ。金髪ビXチも涙目になっちゃってるし。

同じ言葉責めを得意とする雪ノ下もかなり引いているのだから凄い。

「比企谷君、今のうちに行きましょう」

雪ノ下が耳打ちし、失敗金髪ヤンキー風の彼も申し訳なさそうな顔(目付きは除く)をして手振りで、『行ってくれ』と示す。

「……そうだな、行くか」

残念なイベントをこなして、俺たちはようやく校門に向かうことが出来た。





つづく

114: 2012/09/18(火) 03:20:32.49
第三話 後編・上



道中も、校門に着いてからも、雪ノ下はどことなく不機嫌だった。

何故不機嫌なのか考えられるパターンは何種類かあるが、原因をわからないままにしておくのは不安なので当たり障りのないところから探ってみよう。

「何もしていないのに絡まれるってのは本当にあるんだな」

「そうね、何もしていないわね。比企谷君はただ今日会ったばかりの女性の胸を凝視していただけ……だけだもの」

はい、原因判明しましたー。

「けだものを強調するな。同意のフリしてなじるのはやめろ」

夏の一件以来、雪ノ下の胸に関することは禁忌になっているが、どうしてもおちょくりたい俺ガイル。

でも本当に危険なのでここはスルーが正解。

「あら、自覚があるからそう聞こえるだけよ、変態」

「やっぱりフリだけでもして下さい……」

無表情かつ冷静な口調で言われると本当に俺は変態なんじゃないかと思ってしまう。

金髪ビXチが羽交い締めにされている時、金髪ビXチの後に安心安全の雪ノ下を見たのが間違いだったのだろうか。

俺はただ冷静になろうとして雪ノ下の慎ましさを……ってあれ? これってやっぱり変態じゃね?

いやいやそんな馬鹿な。ハハ……。

とにかく、ちょっと視線が痛いが雪ノ下の不機嫌の理由が胸の件で良かったぜ。

……。

…………。

由比ヶ浜よ、早く来てくれ。

116: 2012/09/18(火) 03:33:52.94
願いが通じたのかどうなのか、バスが到着する。

そのバスからは文化祭目当てであろう人たちが十数人降りてきて、その中に由比ヶ浜がいた。

由比ヶ浜は辺りをキョロキョロし、雪ノ下を見つけるとぴゅうっと慌てて駆け寄ってくる。

「ゆきのん遅れてゴメン! ヒッキーもゴメン!」

開口一番、両手を合わせて謝ってくる。

「気にしなくていいわ。あなたが原因というわけではないもの」

「ああ、実際そんな待ってないからな」

雪ノ下と俺がそう言うと、由比ヶ浜はやや窺うように俺を見ながらも、「ごめんね、ありがとう」と言った。

「では、どこから回って行きましょうか? パンフレットは……貰っていないわね」

「あっ、ごめんすぐ貰ってくる!」

「別にわざわざ貰いに行かなくてもいいわ」

雪ノ下はパンフレットを配っている校門に向けて駆け出そうとする由比ヶ浜を止めた。

そして少し照れながら言葉を続ける。

「私のを一緒に見ればいいでしょう」

「ゆきのん……」

以前の雪ノ下からは考えられない台詞を聞いて由比ヶ浜が嬉しそうにしながら傍まで行く。

一緒にの部分が特に驚きである。

「えーっと、じゃあどこから行こっか? 普通の学校じゃあんまりないような部活が多いって話だけど」

パンフを覗き込みながら会話をする二人。

完全に蚊帳の外の俺は、ぼーっと辺りを見回す。

山、校舎、人……。

見るともなしに全体を見る。どうやらこれが『見る』ということらしい……。

117: 2012/09/18(火) 03:41:40.73
「では、特に目的を定めずに全体的に見て回りましょうか」

「うん、そうしよっか」

「比企谷君」

脳内で対胤瞬戦を繰り広げているうちに方針は決まったようで、雪ノ下が声をかけてくる。

「あいよ」

遠足や修学旅行で慣れたもので、3人以上で行動するときは黙って待っていればいい。

いざ目的が決まったら大和撫夫になるだけ。

ちなみに2人で行動するときは、そもそもその状況にならないように動くのが肝心である。

いざ歩き始めようとしたところで由比ヶ浜がくいくいと袖を引っ張ってくる。

「……ヒッキー、待たせちゃってごめんね。怒ってるよね……? でも、メールに書いたこと、本当だから……」

「は? 別に怒ってねえけど?」

俯きがちの由比ヶ浜は唐突に訳のわからないことを言い始めた。

「だって、さっきから全然喋ってないし……」

「喋ってないのは部室でお前と雪ノ下が話してるときと一緒だろ」

「そうだけど、メールも返してくれなかったし……」

「あー、悪い。携帯バッテリー切れなんだわ」

「へ? じゃ、じゃあ怒ってる訳じゃないの?」

「そう言ってるだろ」

「そ、そっか。よかったぁ……」

叱られている子犬のようだった由比ヶ浜はようやく表情を明るくする。

「で、なんてメール送ったんだ?」

「はっ!? や、そ、それは……」

「それは?」

「なんでもない! 充電したら読まずに消して! ってか絶対読んじゃダメだから!」

「お、おう」

剣幕に圧倒されながらも頷く。まあ、確実に読むんですけど。

むしろこう言われて読まない奴はどうかしている。黒山羊さんだって読むレベル。

「絶対だかんね?」

「任せろ」

読まないと聞いて由比ヶ浜は安心して顔をほころばせる。

こいつ将来簡単に騙されそうだな……。

118: 2012/09/18(火) 03:52:55.59
「話は終わったようね。では行きましょう」

「あ、うん。校舎内から行ってみよっか」

「そうね」

雪ノ下たちは校舎に向かって歩き始める。半歩遅れて俺も付いて行った。

昇降口で靴を入れるビニール袋と来客用のスリッパを貰う。

1階から適当にプラプラとうろつくことになった。

由比ヶ浜が言うように確かに参加団体は多く、またジャンルも多岐にわたるようだ。

ミッション系だからかは知らないが、割とおとなしめな学風なのか土星のコスプレをするようなぶっとんだ人はいない。

コスプレといえば、各団体のテーマに合わせたものは散見する。

定番の甚兵衛や浴衣、メイドはもちろん、ハロウィン風やディーラーっぽい服装をした人などは見かけた。

貸し出しコスプレ屋なんてものあるらしい。

まあ一番コスプレっぽいのはリアルシスターの修道服であることは間違いない。

119: 2012/09/18(火) 04:03:54.05
基本的に俺は黙って付いて回っているだけだが、たまに由比ヶ浜が俺にも話を振ってくるのが修学旅行とかと違う。

少しでも参加している感があるせいか、いつもこの手のイベントはうっとうしく感じるのに今日は違って見えるから驚きだ。

俺ですら少し楽しくなっているのだから、小さい子供がはしゃぐのは当然だろう。

ちょうど先程まで入っていたお化け屋敷的な教室から出たところでも、子供が二人ドタバタと何か言い争っていた。

通行の邪魔になっているようで、若干人だかりができている。

片方は修道服を着た銀髪で、来る途中に会った銀髪美少女を幼くしたような感じだ。恐らく小学生で年の頃は十歳程度だろう。

もう一方は金髪でゴス口リファッションに身を包み、青と赤のオッドアイという厨二街道まっしぐらの外見。

二人共が年相応に可愛らしく整った顔立ちをしており、俺が口リコンだったら垂涎ものであろうレベルだ。

何を言い争っているのかと耳を傾けてみる。

「オバケはいないのだ! お化け屋敷なんてうんこ高校生どもがオバケの振りをしているだけなのだ! ワタシはおりこうさんだからしってるのだ!」

どうやらオバケやら幽霊やらの存在の有無で言い争っているようだが、ここでしていい発言ではない。

しかしお化け屋敷の受付の男は怒る様子もなく若干よだれを垂らしてニヤニヤと二人を見ている。

おまわりさんこいつ口リコンです!

男の様子に気が付いた雪ノ下と由比ヶ浜が子供二人を隠すように立つ。

男は高校生の美少女二人を前に、とても不快そうな表情をして「この年増どもがっ」と小さく呟いた。

おまわりさんこいつ真性の口リコンです!

……後で学園の自治組織あたりに通報しておこう。

120: 2012/09/18(火) 04:05:54.76
突如、金髪ゴス口リは意味不明なポーズを決める。

「……ククク……貴様は我が何者であるかまだ理解してないようだな。我こそは吸血鬼が真祖にて闇の主、レイシス・ヴィ・フェリシティ・煌であるぞ!」

外見だけじゃなくて中身までバッチリ邪気眼だったか……。

「吸血鬼はオバケだったのか!? でもどっちにしろ神の力の前には無力なのだ!」

銀髪少女、いや言いにくい、銀髪幼女は議論が面倒になったのか首から下げた十字架を手に持つと、そのまま殴りかかった。

「いだっ! 何するんじゃアホ! ……ククク、我を怒らせたようだな!」

……今一瞬地が出たな。

銀髪幼女を押しのけたゴス口リ邪気眼は何事もなかったように演技を再開し、再び例のポーズをとる。

「来たれ! 我がしもべよ!」

そう言ってキョロキョロと辺りを見渡し、俺と目が合うと「見よ!」と指差した。

銀髪幼女と人だかりが一斉に俺を見る。

「あやつは我が最も下級のしもべ、グールぞ!」

……視線が痛い。さらに痛いのは言うまでもなくゴス口リ邪気眼だが。

てか千葉村のときといい、小学生の間でグールって流行ってるんですかね。

121: 2012/09/18(火) 04:08:55.02
「あれで最下級なのか!? 目の腐り方がもの凄いのだ!」

真に受けた銀髪幼女が驚く。素直というかなんというか、アホの子だった。

「あんなキケンな奴を召還するなんてやっぱり吸血鬼はぶっ頃すのだ!」

またしても銀髪幼女が十字架で殴りかかり、ゴス口リ邪気眼も負けじとペンダントで殴り返す。

「ふんぎゃー! 百倍返しじゃ! もっと痛いのしちょるばい!」

言い争いが取っ組み合いになり激しさを増す。

見かねた由比ヶ浜が慌てて止めに入る。さすが『みんななかよく』がモットーの由比ヶ浜だ。

雪ノ下も由比ヶ浜を手伝うように止めに入った。

俺はもちろんそんなことはしない。今の時代、何してもセクハラとか口リコンとか言われるからな。世知辛いぜ。

「ちょっとキミたち、暴力はダメだよ」

「うるさいのだ! 邪魔するななのだこのビXチが!」

「び、ビXチじゃないし!」

突然の暴言に面食らう由比ヶ浜。てか誰だよこんな言葉教えた奴……。

「巨Oの女は全員ビXチだって夜空が言っていたのだ! ビXチじゃなかったらリアルダッチワイフなのだ!」

ひでえ。

なんてことしてくれてんだよその夜空とか言う奴! こんなんじゃ世の中にドM口リコンが増えちゃうだろうが!

「あなた、そんなことを言うのはやめなさい。それはとても恥ずかしい言葉よ」

雪ノ下は銀髪幼女に向けて言ったのだろうが、何となく俺に言っているような気がしてならないのは何故だろう。

「は、恥ずかしい言葉なのか!?」

「ええ、そんな言葉を使うのは変態だけよ」

「変態!? それは『小鳩ちゃんぺろぺろ』とか言うのと同じくらいなのか!?」

「そうよ」

バッサリと切り捨てられた銀髪幼女は、

「は、はは……そうかー。ワタシは星奈と同じ変態だったのかー」

と魂の抜けた顔で呟いている。

「キミも、自分の言動を省みた方が良いよ。今のうちに直しておかないと、後で恥ずかしい思いをするのはキミなんだから」

今のはゴス口リ邪気眼に向けてのお言葉なのだろうが、何となく前例を見て言っているような気がしてならないのは何故でしょうか由比ヶ浜さん。

「うぅ……あんちゃんにおんなじことゆわれた……」

結局二人は喧嘩をやめ、どちらからともなく手を繋ぎトボトボと去っていった。

……なんだかんだでやっぱり仲がいいんだろうな。

ちょっと微笑ましい光景だった。

122: 2012/09/18(火) 04:11:11.91
幼女二人が角を曲がるのを見送った後、由比ヶ浜が言う。

「やー、可愛い子たちだったねー。二人ともちょっと言ってることとかはアレだったけど」

「『中二病』とやらは男女共通で疾患するもののようね」

「けど、あれだけの見た目であれば多少の欠点はむしろ良く見えるだろうな」

実際に、人間とラノベは見た目が9割である。中身が大切、なんてのは嘘だ。もしくはただの希望や幻想でしかない。

つまりいいイラストを描く絵師はもっと敬られるべきだ。ぽんかん⑧神しかり、ブリキ神しかり。さぁ、祈りましょう……。

まぁ真面目な話、いかに中身がしっかりしていようが外見が残念であればその中身を知るまでいかないだろう。

外見が良ければ大抵の事はまかり通る。某福山さんは工口工口でも格好良く、某エリカ様は不機嫌でも許される。

ただし某斉藤、お前だけは許さねえ。あの茶番以来、種島社の本は買っていない。一人不買運動は今も継続中だ。テーマは『命』です(キリッ

「どうしたのヒッキー? いつもよりちょっと目が腐ってるよ?」

由比ヶ浜が心配そうに顔を覗き込んでくる。これでも本人は本気で気遣っているつもりなんだろうな……。

「いつもよりちょっと、ってなんだよ。別にいつも腐ってるわけじゃねえよ。主に人と接してる時だけだ」

「それほとんどいつもじゃん!」

「違うわよ由比ヶ浜さん。比企谷君はいつもは一人よ」

「あー、や、ごめん……」

雪ノ下のツッコミを受けてマジで謝ってくる由比ヶ浜。なにこの子? 狙ってやってんの?

「とにかく、さっきの金髪口リがいくら可愛くても、戸塚や小町の方が可愛いけどな」

「小町ちゃんはともかく、さいちゃんの評価そんなに高いんだ!? 確かに可愛いけど男の子だよ!」

「関係ないだろ。小町は世界一可愛い妹で、戸塚は世界一可愛い」 

「か、関係ないのは可愛さの評価だけだよね……? 色々と超えちゃってたら、うん、ちょっとそーゆーのは……無理」

海老名さんが聞いてたらブチ切れそうな台詞を吐いたところで、突如誰かの声が会話に割り込んできた。

「ちょっと、そこのキミ」

123: 2012/09/18(火) 04:16:49.58
そのとても綺麗な声はさほど大きい声でもなかったのに、不思議と騒々しい廊下でも耳を引く強さを持っていた。なんとなく聞き覚えがある。

だがまぁ、あれだ。全てのクスクス笑いやヒソヒソ話は俺をバカにしていると思ってしまうくらいの自意識過剰な俺は騙されない。

今のはきっと罠だ。うっかり振り向くと『うわなにこいつ勘違いしてんの? キモッ』とか言われる。ナル谷君は学習できるのです。

しかし学習したところで『ホントは聞こえてんじゃないのー?』と笑われ、最終的には『聞こえないふりしてんじゃねーよギャハハ』とバカにされる。

マジ不可避。

なにはともあれ、声をかけられたであろうリア充を呪いつつ歩き去ろうとした。

が、腕を掴まれる。

えっ!? ホントに俺だったの!? でもこれどうせ美人局か幸せの壺売りの類だろ!?

やめて! やめて離して! ヘンティカン! ヘンタイ!

動揺しまくってる俺をよそに、俺の腕を掴んだ手は焦れた様子でぐいぐいと引っ張ってくる。

あまりに強引な行動にびっくりして驚いた。振り返った。

腕を掴んでいるのは迷子中にお世話になった銀髪美少女だった。

そして銀髪美少女は目を爛々とさせ攻撃的ともとれる声音で言う。

「うちのマリアの方が可愛い」






つづく

149: 2012/10/15(月) 03:11:57.65
第三話 後編・中



「うちのマリアの方が可愛い」

銀髪美少女は世迷い言を言ってのけた。

その馬鹿な発言を聞いて思わず鼻で笑ってしまう。

「なんだい? その反抗的な態度は? なにか文句でもあるのかい?」

あぁん?と四街道の田舎ヤンキーを彷彿とさせる、下からえぐり込むような絡み方をしてくる銀髪美少女。

「いやいや、文句があるわけじゃねえよ。ただ、ちょっと、間違ってる部分があるなって」

言ってみろ、と目で促される。

「小町より可愛いってのはありえない。なぜなら、小町は無条件で世界一可愛い妹だからな」

「はっ、ねーよwwww」

先程俺がしたように鼻で笑われた。馬鹿にしきった表情のおまけつきで。

おおう、ちょっとイラッとしちゃったぞ。

だがまあ、意地を張った子供に腹を立てるのも大人げないからな。

ここは冷静に諭してやるべきだろう。

150: 2012/10/15(月) 03:14:05.15
「確かに、お前の言い分にも一理ある。美少女であるお前の妹は、なるほど可愛いのかもしれない。
それだけの見た目でなおかつ妹であれば、一番可愛いと思ってしまうのも無理のないことだろう。
でもな、それはお前が小町を知らないから言える事なんだぜ?」

「キミだってマリアを知らないだろう!」

「いや、さっき見た。10歳くらいで金髪ゴス口リと一緒にいるやつだろ」

「それは確かにうちのマリアだけど……。つまり、キミはマリアを見た上でそう言ってるのかい?」

「ああ。まあ所詮いつだって確認作業でしかないが、小町の方が圧倒的だな」

「はぁ? 目ぇ腐ってんじゃねーの!?」

唸り声が聞こえてきそうな表情で迫ってくる銀髪美少女。

「おいおい、事実を指摘されたからってキレるな……って噛み付き攻撃はやめろ!」

「キレてないんだよ! わたしをキレさせたら大したものなんだよ!」

「言動が一致してねえ! てか別のシスターとかいろいろ混じってんぞ!」

ガウガウと噛み付いてくる銀髪美少女をなんとか引き剥がす。

ラノベや漫画ならここでラッキースケベ的なイベントが発生したのだろうが、実際は本当に痛いだけである。

現実は厳しい。

「……どうやら話は平行線のようだね」

「平行線もなにも、初めから結論は出てるだろ」

俺はただ当然の事を述べているだけなのに、ヒクッと顔を引きつらせる銀髪美少女。

まったく、感情的なやつだ。

「そうだね、もちろんマリアの方が可愛いもんね。見ただけで知ったような顔をする閉じた世界にいるキミにはわからないだろうけどね」

「く、くくく……言ってくれるじゃねえか! だったら俺の妹とお前の妹、どっちが世界一可愛い妹なのか決闘だ!」

「その勝負、受けて立つ! 結果は見えてるけどね!」

感情的なのはもちろん俺もだった。

151: 2012/10/15(月) 03:22:02.94
「じゃあわたしから行かせて貰うよ!」

言うやいなや、服のそこかしこから写真を取り出す銀髪美少女。

「ふふふ……これを見て冷静でいられるかな?」

取り出した写真をチラッと自分で見てデレデレしている。いやまずお前が冷静になれよ。

とにかく相当自信がある代物なのだろう。

「さあ、恐れおののくがいい!」

銀髪美少女は、バッ、ババッと霧江さんのような謎ポーズをとってから写真を見せつけてくる。

「マリアのベストナデポシーン10選集!」

「なにっ!? ラノベファンタジーの一つ、ナデポだとっ!?」

現実でも有り得たのか!?

見れば礼拝堂で遭遇した金髪ヤンキー風の彼に頭を撫でられ幸せそうかつ気持ち良さそうな顔をしている銀髪幼女が写っていた。

こ、これは凄まじい破壊力だ! 妹属性と幼女属性との組み合わせで攻撃力が2乗になっている!

しかも隣にはぐぬぬ顔の金髪ゴス口リがいる。

あまりの衝撃に直接体にダメージを受けたようにのけぞってしまう。

あ、危ねえ……。俺が口リコンだったら今ので膝をついていたかもしれない……。

だがな、

「俺は口リコンではなく、シスコンだ!」

「くっ、なんて濃密なシスコンオーラ……! さては強化系シスコンだな!?」

「そう言うお前は変化系だな? この明らかに盗撮された写真を見れば一目瞭然だ!」

「ふん、わたしは普段シスコンだということを隠しているからね。そう大っぴらには撮れないさ。そのおかげで盗撮はうまくなったけどね!」

確かにこの写真の銀髪幼女は撮影者の存在を全く意識していない、限りなく自然な表情をしていて盗撮スキルの高さがうかがえる。

だが、それが間違いの元凶になることに気付いていないとは……。

152: 2012/10/15(月) 03:24:11.49
「ふっ……、甘いな」

思わず呟いてしまう。

それを耳ざとく聞きつけたのか、銀髪美少女は剣呑な目つきをして聞き咎めてくる。

「なにがだっ!?」

「わからないのか? 確かにその写真の破壊力は凄まじい。お前の妹は可愛いということもわかる。だが、お前はひとつ致命的なミスを犯している! それは……」

「……それは?」

「それはな、写真を持ち歩いたら痛む、と言う事だ! ここを見ろ! ちょっと皺が寄っちゃってるだろう!」

「えっ!? うわホントだ!」

今初めて気が付いた様子の銀髪美少女は必氏に皺を伸ばそうとする。

「たとえ写真であろうと妹を傷つけるお前はその時点で負けている!」

ビシィッ、と効果音が付いてもおかしくない勢いで指を突き付ける。

「くぅっ!」

今度は銀髪美少女がダメージを受けてふらつく。

「さらに言えば写真などという媒体を使う事自体が浅ましい!」

「じゃあキミはどうやってキミの妹の可愛さを証明するんだい!?」

「そんなもの、俺が経験した妹萌えシチュエーションを並びたてるだけで十分だ」

「そ、そこまで言うなら聞いてやろうじゃないか!」

「言ったな。……いろいろと思い知ってもらおうか!」

153: 2012/10/15(月) 03:25:45.56
ウェヘン、と仰々しく咳払いをする。

「まず一つ、俺の着古したTシャツを既に勝手に着ているにもかかわらずこれ頂戴とねだる小町!」

「なっ!? ……ふん、やるじゃないか。でもまだまだその程度じゃ納得なんてできないね」

その余裕、いつまで持つかな?

「次! おちょくるつもりで俺の残念エピソードを他人に語るもついつい小さい頃からの惚気話をしてしまう小町!」

「羨ましい! ……くなんてないし。ぜ、全然ないし!」

銀髪美少女は思わず発してしまったであろう言葉を必氏でごまかす。

「おいおい、もうメッキが剥がれてきたのか? まだまだあるぜ」

「う、うるさい! まだ負けを認めたわけじゃない!」

「じゃあ、とっておきを行くぜ……!」

「ふ、ふん……どうせたいしたことはないさね」

「さあ、聞いて驚け!」

154: 2012/10/15(月) 03:26:21.31
脳内で勝手にドラムロールが鳴る。

┣¨┣¨┣¨┣¨ ┣¨┣¨┣¨┣¨ デデン!

155: 2012/10/15(月) 03:28:29.87
「下着姿でも厭わずに俺に接する小町!」

「………………それはただ男として見られてないだけなんじゃないのかい?」

「……そう思うか?」

「思うね。はっ、それがとっておきだなんて笑わせるよ」

やれやれといった様子で両手を広げて首を横に振る銀髪美少女。

「……やはりお前は何もわかっていないな。お前の言うとおり、俺は男として見られていない。だが、男として見られていないということは……」

そこで一度言葉を切り意味ありげに銀髪美少女を見やる。

銀髪美少女は若干首を傾げていたが、数瞬後にハッとした表情をした。

「ま、まさか……!?」

どうやらやっと気付いたようだな……。

「そう! つまり俺は、小町にとってどこまでも『兄』なんだよ! 妹を持つ者にとってこれ以上の悦びなんてあるか!」

「な、なんという完成された兄!!」

銃で撃たれたように胸を押さえ、へなへなと崩れ落ちた銀髪美少女は膝を付きこんなふう→orzな体勢になる。

「妹は兄や姉といてこそ最高の可愛さを発揮する……。完全で純粋なお兄ちゃんであるキミといる小町ちゃんはさぞ可愛いんだろうね……」

「そうとも、俺は小町の兄だからな」

格好良く捨て台詞をキメて、くるりと銀髪美少女に背を向ける。

「ま……負けだ……。わたしの、負けだよ。ゴメンな、マリア……うぅっ……」

後ろから嗚咽が聞こえてくるが、振り向かずにゆっくりと歩き出す。

勝者が敗者に向ける言葉などない。それがどのような言葉であっても、傷口に塩を擦り込むことにほかならないからだ。

156: 2012/10/15(月) 03:29:19.23
だが、その逆は許されても良いだろう。

「小町ちゃんのお兄ちゃん……わたしが、わたしが完全で純粋な姉になったら……また、勝負してくれるかい?」

顔だけで振り返り、肩越しに超格好良く返事をする。

「……ふっ、返り討ちにしてやるぜ」

銀髪美少女はぐしぐしと袖で涙を拭い、スッっと立ち上がる。

「わたしは高山ケイト。いつかキミを倒す姉だよ」

「俺は比企谷八幡。お前に勝ち続ける兄だ」

お互いにニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「それじゃあ、八幡君。……覚えてろよ!」

もはや定番過ぎて逆に誰も使わない捨て台詞を言い残し、銀髪美少女もとい高山ケイトは走り去って行った。

157: 2012/10/15(月) 03:29:58.11
「覚えてろよ、か……」

高山ケイトが言い残した言葉を反芻する。

言われなくても今日の事は恐らく覚えているだろう。

勝者は敗者に対して責務を負う。勝てば勝った分だけ打ち倒してきた相手の想いも引き継ぐことになるのだ。

ゆえにこれからも俺は兄として恥じない生き様を貫かなければならない。

小町のためにも、今日出来たライバルのためにも。

ちょっと格好良くまとめてみたが、つまるところ何が言いたいかというと小町マジ天使、ってことで。

ちなみに雪ノ下と由比ヶ浜は俺が噛みつかれそうになっているあたりでどこかに去っていた。

不思議。

158: 2012/10/15(月) 03:31:12.36
高山ケイトと熱い戦いを繰り広げているうちにさっくり置いて行かれた俺だが、こんな事は慣れっこである。

別に雪ノ下や由比ヶ浜といなければならない理由はない。むしろ俺が邪魔ですらある。

俺には戸塚さえいればいいとつかわいい。

だがその戸塚も今日はいない。戸塚には戸塚の友達がいるのだから仕方がないが。

コミュニティというものは大概において形成された時点で既に完結している。

外に開かれたそれも当然存在するのだろうが、こと高校生に限ってはほとんど無いだろう。

クラスにしても部活にしても、闖入者を白眼視する傾向が強いのは明らかである。

自分が所属していないクラスの教室は妙に居心地が悪いのもそのせいだろう。

俺にとっては自分が所属しているクラスも居心地が悪いのだが。所属していると言えるのかすら微妙である。

しかし、部活は居心地が悪いと言うわけではない。

部室では専ら雪ノ下と由比ヶ浜が色々と深め合っているだけで、俺が入り込む余地も必要もない。

あいつらの関係は、相手を化かし合い自分すら欺く俺が憎悪するそれなどではない。

まさに本物と呼称するに相応しい関係だ。

そんなところに俺のような不純物が混ざることなど許されないだろう。なにより俺自信が許せない。

俺が奉仕部に所属しているのは、平塚先生の脅迫もあるが、嘘偽りのない関係を近くで見ていたいだけなのかもしれない。

159: 2012/10/15(月) 03:31:49.75
なにはともあれ、出先ではぐれた際はどうすべきか。

答えは簡単だ。行きも帰りも必ず通る場所、つまりこの場合は校門にいればいいのだ。

常に行動を先読みし、最も効率の良い選択をする俺マジ合理的。

ちなみに遠足や校外学習ではぐれた場合は、バスにいればいい。

そして班が帰ってきたときに俺が居ないことを完全に忘れ去っていた様子の連中と目が合って気まずく逸らすことになる。ソースは俺。

実際ははぐれたのではなくハブられただけなのは言うまでもない。

まあ過去の話は置いといて、待っている間はさしあたりやることもないので人間観察でもすることにした。

160: 2012/10/15(月) 03:33:46.22
校門に着き人間観察を始めてしばらくすると、校舎の方から雪ノ下が一人でやってきた。

雪ノ下もこちらに気付き、近づいてくる。

「由比ヶ浜はどうした?」

近くに来るのを待ってから声をかける。

「……。さっき廊下でまた例のアレに遭遇してしまって、撒いている最中にはぐれてしまったのよ」

「で、校門にいればそのうち来るだろうと思ってここに来たわけか」

「ええ、学校行事で団体行動の際は大抵そうしていたから」

自分以外の人間から聞くと悲しくなる台詞だな……。俺も同じ穴の狢なんだけど。

「で、連絡は取ったのか?」

「それが……携帯のバッテリーが切れてしまったのよ」

「あれだけ長時間起動してればな……」

迷子中は常に地図を表示させていたのだから、バッテリー切れを起こしても不思議ではない。

「つまり、由比ヶ浜がここに来るためにはあいつが自発的に思いつくしかないのか」

「そういうことになるわね」

「それは無理だろ」

恐らく今頃は電話が通じなくてわたわたしているといったところか。

「ええ、私もそう思うわ。とりあえず比企谷君と合流しようと思って来たのよ」

「さっきは置いていったのにわざわざ来たのか」

「……あれは比企谷君が楽しそうにじゃれているのを邪魔してしまっては悪いと思ったからよ」

さいですか。

「まぁ、なんだっていいか。とにかく捜しに行くしかなさそうだな」

「そうね。では早速行きましょう」

「ああ」

由比ヶ浜の性格からして、恐らくはまだ校舎内を捜し回ってうろついていることだろう。

雪ノ下も考えていることは同じなようで迷いなく校舎の入り口へと向かっていた。





つづく

169: 2012/10/28(日) 16:48:37.45
第三話 後編・上の壱



二人そろって校舎に入る。

本来ならここで集合場所を定めてから二手に分かれて捜す方が効率が良いのだが、雪ノ下がアレなのでその方法は使えない。

運に任せて適当にうろつくしかないだろう。

廊下を見渡せば、先程よりも多くの人がいる。今が最も人が多くいる時間帯のようだ。

なかでも目を引くのは、学園の生徒、一般客を問わず様々な種類のコスプレをした人達だ。

どうやら貸し出しコスプレ屋は大盛況らしい。

ミクさんは当然として、紫ナコルルとかコアなやつまでいる。どこのコミケだよ。

「ものすごい光景ね……。いくらお祭り気分だからとはいえ、恥ずかしくないのかしら……?」

雪ノ下が感嘆したような、呆れたような声を出す。

「ほんと、せめて京葉線とか武蔵野線内だけにして欲しいよな。総武線でもまだ耳つけてるとか痛過ぎだろ」

「ネズミの国の話はやめなさい。相手が強大過ぎるわ」

おっと、確かに今の発言は危なかった。誰がどこで聞いているかわからないからな。

害を及ぼした者はもれなくキャストにされるという噂もあるくらいだ。

「まぁアメリカネズミは置いといて、コスプレならお前も何回かしてただろ。メイドとか、雪女とか」

「別に行為自体を否定しているわけではないのよ。必要があればその手の格好をするのに抵抗はないわ。ただ……」

途中で言葉を切った雪ノ下の視線を追うと、着るだけで必然的に胸が強調されるデザインをした某喫茶店の制服や某選挙学校の制服を着た女子がいる。

……こいつ完全に胸にコンプレックス持っちゃってるじゃねーか。

全ては合宿のときの三浦のせいだ。

……奴だけは絶対許さねえ!

被害に合うのはなぜかいつも俺だからな!

とにかくこの場はなるべく当たり障りのない言葉を選んで切り抜けるしかない。

雪ノ下の胸には何も当あたりも触りもしないが。

あ、こういうこと考えてるから被害に合うのね。

納得。

170: 2012/10/28(日) 16:49:32.71
雪ノ下がばら撒いた地雷を注意深く回避しつつ由比ヶ浜の捜索を続ける。

廊下には看板やら受付用のテーブルやらが置いてあり、ただでさえ狭いのに人が多くてさらに歩きづらい。

雪ノ下が教室を覗きその間俺が廊下を見張る、という分業制で捜しているが、やはりどうしたって効率は悪い。

もし由比ヶ浜が同じ方向に進んでいたら見つけるのにはかなり時間を要してしまう。

はぐれている時間が長ければ長いほどあいつはより自分を責めるだろう。

ただでさえ遅れて来た事に負い目を感じているはずだ。

そんな必要は全く無いというのに。

俺はそもそも時間に無頓着なので責める気は毛頭無いし、雪ノ下だって今日のように正当な理由があれば同じだろう。

あいつには、雪ノ下に気を使って欲しくない。

「比企谷君、ごめんなさい。私が迂闊だったわ」

唐突に謝ってくる雪ノ下。

「は? 謝られるようなこと何かあったか?」

「私がもう少し気を付けていれば、こんなことにはならなかったわ」

「別に雪ノ下が謝るような事じゃ無いだろ」

「でも、焦れているようだったから」

む、態度に出ていたようだ。気を付けなければ。

「そんなことないから気にすんな」

「そう……。わかったわ」

雪ノ下は納得していなさそうな様子だったが、とりあえず引き下がってくれたようだ。

171: 2012/10/28(日) 16:52:45.29
歩みは遅いがどうにか1階を回り終え、2階へと上がる。

階段を登り切り廊下を見渡すと、1階と同じくらいの人がいた。ざっと見た限りでは由比ヶ浜はいないようだ。

人の多さにややうんざりしていると、その人混みが妙なざわつきを見せる。

直後、廊下にいた人たちは慌てて両脇に寄り、人ごみの中からモーゼのように二人の人物が現れた。

先程礼拝堂付近で出くわした失敗金髪ヤンキー風の彼と黒髪鬱美人だ。

確か名前は、羽瀬川とか言ったか。

羽瀬川は若干悲しげな表情と凶悪な目つきで辺りを見回していた。

「小鷹が一般人どもを蹴散らすから歩きやすくて良いな」

「……これ結構精神的にキツイぞ? 夜空も常に避けられてみればわかる」

両脇に寄った人々は息を頃しているので会話が漏れ聞こえる。

夜空が、小鷹が、と名前を呼び合い親しげに話している。……仲良いなあの二人。

「ぼっちでも名前で呼び合うような人はできるんだな」

やっかみ半分、感心半分で呟く。いつか俺も名前で呼び合う人は出来るのだろうか。

だが、俺は本当に親しいと思っているか本当に親しくしたいと思う人しか名前で呼びたくない。

「あなたに親しい人はいないし、これからも出来ないからそれは杞憂よ」

雪ノ下は当然のように思考を読んできたが、これは予測できた。

「言うと思ったぜ」

俺の反応に、例によってイイ笑顔をしていた雪ノ下はむっとした表情になる。

そんな表情されてもな……。

ふと横を見ると、羽瀬川がこっちを見ていた。

その目と俺の目とが合う。

172: 2012/10/28(日) 16:57:30.50
彼は俺達がさっき会った二人だと認識したようで、戦慄のうすら笑いを浮かべながらこちらに近づいてくる。

うおぉ、すげえ迫力! いざとなれば俺を即座に使い捨ての盾として扱えるように、雪ノ下が若干移動したレベルだ。

「こ、こ゛ん゛に゛ち゛はぁ゛!?」

俺たちのそばまで来ると、どう好意的に解釈しても恐喝しているようにしか聞こえない挨拶をした。

俺と雪ノ下はビクッとして一歩下がる。羽瀬川は苦笑いし、黒髪鬱美人はそんな彼を見てやれやれといった表情をしている。

このままでは意思疎通が困難だと判断したのか、黒髪鬱美人が口を開く。

「ちょっと聞きたいんだが、ビXチっぽい金髪の女を見かけなかったか?」

ビXチっぽい金髪の女とは間違いなく雪ノ下に入れ込んでるアブナイ奴のことだろう。どうやら彼らも人捜しのようだ。

「さっきこの校舎で追い回されたわ。撒いたから今どこにいるかはわからないけど」

本人は確実に否定するだろうが、未だに俺を気持ち盾にしながら雪ノ下が答える。

「そ、そっか。悪かったな、うちの部員が迷惑かけて」

怖がられていることがわかっているのか、精一杯優しげな声を出そうという努力が伝わってくる。もちろん怖いままだが。

173: 2012/10/28(日) 16:58:14.91
「いえ、貴方が謝ることではないわ」

淡々と答える雪ノ下。冷たく感じるが、別に雪ノ下は責めているわけではないだろう。

あいつが人を責めるときはもっと嬉々として責めるだろう。俺の時だけかもしれないというのは考えてはいけない。

「で、もし見かけたら『部活の事で話があるから部室に戻れ』と伝えてくれないか?」

黒髪鬱美人が俺に向かって言う。

「ああ、わかった。……会話が通じればな」

「それは……そうだな。とりあえず言っておく、という程度でいいからよろしく頼む」

「まあ、それでいいなら言っとくわ。ところで、俺たちも人を捜しているんだが、明るめの茶髪でお団子頭をしたちょっとバカっぽい女子を見なかったか?」

「微妙に抽象的だな……。……私は心当たりは無いな。小鷹は?」

「……俺もたぶん見かけてない。えっと、携帯で連絡は?」

「事情があって、長時間使用していたら電池が切れてしまったのよ」

羽瀬川の問いに雪ノ下が答えた。ってか事情ってお前ただ迷子になってただけだろ、とはもちろん言わない。絶対言いませんので睨むのやめて下さい。

「比企谷くんは?」

「彼には何も期待しない方が賢明よ」

俺が問いに答える前に即座に雪ノ下がバッサリと切り捨てた。

「おい、頭ごなしに決めつけるな」

全く失礼な奴である。当然抗議する。

「あら、何か役に立った事はあったかしら? そんなに記憶に無いのだけれど」

「情けは人の為ならずって言うだろ。俺は時と場合を選んでいるだけだ。ちゃんと役に立つこともある」

「つまり、見返りが確定している場合のみ手を貸す、ということかしら」

「そうだ」

「はぁ……意味を正しく理解した上で使っているあたりが本当にどうしようもないわね」

「うるせ。ところで、そっちこそ携帯は繋がらないのか?」

羽瀬川に話を振る。

「ああ、電話してみたんだが部室に置きっぱなしでな……」

「ぼっちは携帯不携帯でも問題ないからな」

羽瀬川の言葉に補足した黒髪鬱美人が自嘲気味に笑う。

「そうね、私も最近までは調べ物にしか使わなかったわ。比企谷君は今も、でしょうけれど」

「いちいち俺を槍玉に上げるな。……別にいいんだよ、携帯は暇つぶし機能付きの時計なんだから」

「私もカラオケを探すくらいにしか使っていなかったな」

……なにこのぼっちあるある。

174: 2012/10/28(日) 16:59:15.88
「ま、まあとにかく、星奈は何かと目立つから見かけたら頼むわ」

暗くなりかけた空気を察知した羽瀬川が話を戻す。

「そうだな、肉は自分の事を神だと言い張って何かと面倒事を起こすからな」

神か……すげえ自信だな……。ってかミッション系の学園でそれはまずくないか?

「そう言えばうちの学校にも神がいたわね。ねえ? 名も無き神さん?」

「おいやめろ。それだけはやめろ」

なんで覚えてんだよ忘れろよ。というか忘れたい。あと、ほんとにやめて下さい。マジで。

「比企谷くんもだったのか……」

羽瀬川は戦慄の表情を浮かべる。

「比企谷君の過去のことは触れないであげて。いっそのこと存在そのものにも触れないで。これ以上彼を傷つけないでちょうだい。……もう、手遅れなのよ」

俺が痛い過去の痛い記憶にさいなまれている横で、雪ノ下は嗚咽を堪えるように口元に手を当てて俯く。

「現在進行形で傷ついてるんですけど。それもお前のせいで」

「そう、致命傷だといいのだけれど」

顔をあげて、ふふん、と満足そうな顔をする雪ノ下。

はい、出ましたー。うまいこと言ってやったぜの表情頂きましたー。雪ノ下さん超楽しそうー。ふざけんな。

175: 2012/10/28(日) 17:02:05.31
ドヤ顔をしている雪ノ下はほっといて話を変える。

「部活って確か隣人部って言ったか? どんな部活なんだ?」

俺が聞くと羽瀬川は少し困ったような表情をして隣の黒髪美人をちらりと見る。

「どんなって言われてもなぁ……目的は友達づくりらしいんだが」

……本当にどんなだよ。活動目的悲しすぎるだろ。

「実際はゲームしたり、合宿や夏祭りに行ったり、映画作ったりしてて目的不明だけどな」

羽瀬川は、ははは、と怖い顔で苦笑する。だが怖くても突っ込まずにはいられない。

「それ完全に友達じゃねえか」

「え? なんだって?」

「隣人部でやってることは友達同士で遊んでるようにしか聞こえないんだが」

この距離で聞こえなかったという事もないだろうと思いながらも、今度は黒髪鬱美人にむかって言う。

「ど、どうしてそう聞こえるのかわからんな。目だけではなく耳も腐っているのか?」

……やっぱ目は腐ってるのか。けど初対面の相手に言うことじゃねえだろ……。

それはともかく、誰がどう聞いてもそう思うだろうが本人たちは認めないようだ。

羽瀬川は押し黙り、黒髪鬱美人は気まずげに目を泳がす。

……まあ、こいつらの考えには共感できる。

世の中にぼっちは俺一人だけでなく、無数にいる。それぞれが痛かったり黒かったりする歴史をもっていることだろう。

彼らだって無闇に他人に近づいて現実に打ちのめされた事は一回や二回じゃないはずだ。

だから、結局傷つくくらいなら中途半端な関係のまま何となく絡み何となく離れる。そういう方針のコミュニティがあってもおかしくなんてない。

だがしかし。

その中に先へ進もうとする者がいたらどうするのだろうか。

邪魔をするのか、逃げるのか。それとも他に何か方法があるのか。

不意に頭の中に由比ヶ浜の顔が浮かんできた。

176: 2012/10/28(日) 17:05:28.60
慌ててそれを振り払い、誤魔化しついでに提案をする。

「……ところで提案なんだが、適当に集合場所を決めて二手に分かれてお互いの捜している人を捜さないか?」

「た、確かにその方が効率が良いな。だが、私と小鷹はどんな人を捜せばいいのか正確にはわからないのだが」

同じく直前の話題を誤魔化したかった様子の黒髪鬱美人が答える。

「そうね……では、比企谷君と羽瀬川君、私と貴女の二組に分かれるのはどうかしら」

「俺は別にいいぞ」

「そうだな、それでいいんじゃないか? 俺と夜空は連絡取れるんだし」

雪ノ下の案に俺と羽瀬川が頷く。

「わ、私は……できれば、小鷹と一緒の方が……」

「え? なんだって?」

「……っなんでもない! ……動線を考えると、校舎を回ってから体育館に集合するのが効率的だな」

「じゃあそうしよう。見つけた場合はその場で夜空に連絡するから」

「……わかった」

「では、比企谷君、また後で」

「ああ」

男と女が二人ずついて、男二人、女二人に分かれる。これが現実というものである。

ここで男女がペアになるなど、ラノベだけの話だ。

……そう信じたい。リア充爆発しろ。

余談だが仮にリア充が本当に爆発するとしたら、千葉市では真っ先に美浜大橋が崩壊する。夜景が見られる時間帯には100%の確率でカップルがいるからだ。

ちなみに美浜区の海は場所によってはなんかタプタプしてる。全く美しい浜ではないから注意が必要。

兎にも角にも、こうして俺と羽瀬川、雪ノ下と黒髪鬱美人の二組に分かれて由比ヶ浜と金髪ビXチを捜すことになった。





つづく

202: 2012/12/03(月) 01:25:51.07



二組に分かれて由比ヶ浜と金髪ビXチを捜すことになったが、雪ノ下といたときと同様の手順で由比ヶ浜を捜す。

俺と羽瀬川が担当している範囲の捜索はかなり順調に消化していた。

なぜなら横にいるのが雪ノ下はではないからだ。

雪ノ下は何もしなくても人目を引き、それを離させない容姿をしている。必然、周囲の動きは鈍る。

うっとうしいことこの上なかった。

その点、現在同行している羽瀬川も人目を引く容姿はしているが、周囲の人間は目が合うことすら避けようとするので快適に進める。

ここまで露骨に避けられるのはなかなかダメージが大きいかもしれない。

事実、羽瀬川は少しだけ悲しそうに苦笑している。それが顔面の凶悪さに拍車をかけているのだが。

まあ、クラスにおいて存在ごと無かった事にされている俺からすれば、避けられているだけ救いがあると思ってしまう。

まだ認識はしてもらえているのだから。

いずれにせよ、所詮他人の話だ。

今日初めて会ったばかりで、紛う事なき他人である。

いつだったか雪ノ下が言ったように、俺にとってはいつだって何だって他人事なのだ。

そもそも羽瀬川も初対面の奴に解った気になられても不愉快なだけだろう。

お前が俺の何を知っているんだ、こう言われて終わりである。

見せかけの理解などでうわべだけ取り繕うぐらいなら始めから無視してくれた方がよっぽどいい。

故に俺は何も言わない。言うつもりもない。

正直、さくさく進めて超楽です。

203: 2012/12/03(月) 01:30:32.69
「比企谷くん、さっきの雪ノ下さん?は彼女とか何か?」

この階の半分を捜し終えた辺りで、唐突に話しかけてきた羽瀬川。

「……いや、ただ部活が同じだけだ。部活メイトだ」

何かってなんだよ、と突っ込むのは心の中だけ。

「なんだそりゃ……」

「俺も知らん。とにかく雪ノ下の前でそういうことは言わない方がいいぞ。心に消えない傷を負わされるから」

「そ、そっか。なんか仲良さそうに見えたから……気をつける」

「ああ」


……。


…………。


………………。


…………。


……。


これはあれだ、あのパターンだ。

一度話しかけてしまった以上、何となく話を続けなければいけないような強迫観念にとらわれるアレである。

このままいくと、話題もスキルも無いのに無理矢理続けようとするから噛み噛みになったり意味不明な事を口走る。

そしてそれが恥ずかしくてまた黙り込むが強迫観念は残っているからまた口を開いてしまう。

どうやら羽瀬川はこの負のスパイラルにはまりかけているようだ。

甘いな。

高位カースト連中のような似非リア充はらいざ知らず、高度に訓練されたぼっちは沈黙をものもとしない。

羽瀬川はまだまだぼっちレベルが低いようだ。

それもそうだろう。初見でも解るほど明確で、中途半端な関係の中にいればぼっちのレベル上げなんて望むべくも無い。

避けられて、拒絶されて、最終的にはいないことにされる。

それでも心が折れないように進化を遂げたのがこの俺、ぼっちマイスター比企谷八幡である。

なにこの悲しい自己紹介。

204: 2012/12/03(月) 01:31:31.44
にしても、中途半端な関係、か……。

「そっちこそ、あの黒髪の美人は彼女とか何か?」

今度は俺から質問した。何かってなんだよ。

「いや、クラスメイトで……部活メイトだよ」

……そんな無理矢理あわせなくていいから。ニヤリ笑いが怖いから。

「そ、そっか。なんか仲良さそうに見えたから……向こうはそうなりたいんじゃないか?」

「それはないだろうな」

やけにきっぱりと言い放つ羽瀬川。

「でも黒髪は羽瀬川と一緒が良いって言ってただろ」

「え? なんだって?」

……。

再び訪れる沈黙。

……。

用がない限り、沈黙が苦痛ではない俺が話しかけることはもうないだろう。

今のだって普段の自分を考えれば珍しいほどだ。

俺と羽瀬川は黙々と捜索を再開する。

205: 2012/12/03(月) 01:32:48.56

捜索上必要な最低限の言葉のみ交わしつつ、順調に進む。

相変わらず羽瀬川が一般客どころか呼び込みの生徒まで蹴散らしてくれている。

それゆえ急いていた気が少し楽になり、ちゃんと周りを見る余裕が出てきた。

改めて周囲を見渡すと、前述の通り妙にコスプレした人が多い。

しかしレイヤーは多いが、お化け屋敷、コンセプト喫茶、縁日や演劇など、出し物としては一般的な学校と変わらないものも多いようだ。

一般的と言っても、俺が知ってるのは自分の高校の文化祭だけなので他はどうか知らないが。

他校の文化祭を直に見るのは今日が始めてでも、各種創作物ではお馴染みのイベントである。

ぼっち故に、必然的に読書が趣味な俺にかかればイメトレは完璧だ。

文化祭が中止の危機に追い込まれても、怪盗が現れても、舞台で人が潰れても、猫背のアインの襲来ですら問題ではない。

鍛え上げたぼっちスキルでどんな場合でも参加しないからな。

206: 2012/12/03(月) 01:35:46.17
まあ、この手のイベントは容易に避けられる。

今日だって特別だ。由比ヶ浜に誘われて、それを目撃した平塚先生に脅されたから来ただけ。

でなければ学校行事というトラウマ名産地になど来なかっただろう。

だから、もし先生に脅されなかったら。

……脅されなかったら。

あの時俺はどう答えていただろうか。

やはり罰ゲームの可能性を警戒して断っていただろうか。

だが、由比ヶ浜はそういう行為をしない。

奉仕部に入ってから半年近く、クラスでの、部活での彼女を見て来た。

基本的に争いを好まず、波風が立たないように立ち回り、手当たり次第に気を遣いまくる。

みんななかよく出来たらいいと思い、同時にそれが不可能な事とだと知りながらも俺みたいなぼっちにまで気を配る、とても優しい女の子。

生々しい愛憎入り乱れるクラス内政治を常に最前線で見てきたであろう由比ヶ浜。

彼女の優しさの本質は、ある種の諦観にあるのだと思う。

だからこそ、その優しさに偽りがないのがわかる。

敵意に敏感で、善意には過敏な俺が言うのだから間違いない。

誰にでも優しい由比ヶ浜は、周りから見れば只のキョロ充であり八方美人どころか十六方美人である。

そんな彼女も、よく見れば控え目ながらもちゃんと自己主張はしている。

特に雪ノ下が絡むと驚くほどの芯の強さを見せ、意外と強情な面もある。

それが本当に、本当の由比ヶ浜かどうかは知る由もないが、俺は多少なりとも彼女のことを知っているはずだ。

知っていると言って良いはずだ。

だから言い切れる。今日の事は罰ゲームなどではない。

では、改めて問おう。

俺はあの時、由比ヶ浜の誘いを断っていただろうか。

207: 2012/12/03(月) 01:38:34.64
答えは出ている。

恐らく、俺は、

「あ、ヒッキー!」

突然、頭の中を占めている人物の声がした。

考えるまもでもなく由比ヶ浜だ。俺をそう呼ぶのはあいつくらいだし。

ていうか廊下で大声とかやめて下さい。注目されちゃうだろ。

ほら、みんなこっち見て……すぐに逸らされちゃうだろ。

由比ヶ浜はもちろんそんなことはお構いなしにぱたぱたと駆け寄ってくる。

「ごめん、ヒッキー!」

すぐ傍まで来るなり、遅刻してきたときと同じようにまたしても両手を合わせて謝ってくる由比ヶ浜。

「なんか、凄いのに追いかけられちゃって、ゆきのんとはぐれちゃったんだ……ってかケータイ繋がらなくてどうしようかと思ったよ!」

案の定、校門に戻るという選択肢は思いつかなかったようだ。

「これからはぐれたときは最初のところに戻るようにしとけ。集団行動の鉄則だろ」

「ヒッキーに集団行動について諭された!?」

「ばっかお前、俺ほど集団行動中の単独行動を極めた奴はなかなかいねえから。なんなら本を出せるレベルだ」

「それ結構売れそうだな!」

黙っていた羽瀬川が急に食いつく。

……目がマジなのが残念でならない。

いや、売ってたら俺も欲しいけどね。

208: 2012/12/03(月) 01:41:55.73
ここでようやく俺が一人ではないことに気が付いた様子の由比ヶ浜は、俺と羽瀬川を数回見比べてから俺の耳元に顔を寄せておずおずと小声で聞いてきた。

いや近いから。いい匂いしちゃうから。

「え、えと……ヒッキーの友達、じゃないよね。 誰?」

「おいなんで真っ先に友達の選択肢を外した」

「えっ!? 友達なの!?」

両手を口に当てて驚く由比ヶ浜。

おいおい、大げさ過ぎだろ。年収低過ぎる人みたいになっちゃてるぞ。

「違う」

「やっぱ違うんじゃん!」

ぷりぷり怒る由比ヶ浜をなだめつつ状況を説明する。

カクカクシカジカシカクイキューブ。

209: 2012/12/03(月) 01:44:41.05
「じゃあ、ヒッキーもゆきのんもあたしを捜してくれてたんだ」

由比ヶ浜は始めは申し訳なさそうな顔をしていたが、今は遠くを見るような眼をして少し嬉しそうな表情で微笑んでいる。

その表情のまま、ポツリと呟く。

「……ありがと」

なぜかその表情の由比ヶ浜から目が離せない。

自然、目が合ってしまう。

慌てて由比ヶ浜に張り付いた視線を無理矢理引き剥がすように横を向き、「それは本人に言ってやれ」と、自分ですら意図の分からない発言をしてしまう。

これはあれだから。不意に人と目が合うとやましいことはなにも無いのになんか逸らさなきゃいけないようなごめんなさいなあれだから。

って誰に言い訳してんだ俺は。

「じゃあ、本人に言うね」

由比ヶ浜はキョドリ始めた俺を見てクスリと笑うと、身を屈めて逸らした視線の先に回り込む。

「ありがと」

……流石に回り込まれてしまっては仕方がない。1ターンはたたかわなければならないからな。

とは言っても俺に出来るのは「お、おう」と間抜けな返事をすることぐらいだった。

210: 2012/12/03(月) 01:46:54.78
「仲良いんだな……」

俺と由比ヶ浜のやり取りを見ていた羽瀬川が生温か恐ろしい目を向けながら呟く。

「や、全然そんなことないし! ただのクラスメイトで部活メイトなだけだし!」

散歩中にクラクションを鳴らされた犬のように面食らった由比ヶ浜が必氏に否定する。

だがそれは逆効果だったらしい。

羽瀬川はなおも生温かい、いや恐ろしい目をしている。

何となくその態度が気に食わなかったので当てこする。

「これで仲が良いってなんなら羽瀬川と黒髪もだろ」

「……」

羽瀬川からの返事はない。

……聞こえなかったようだ。

まあ、いいんですけどね。

「てか、羽瀬川くん、だよね。ありがとね、ヒッキーとゆきのんを手伝ってくれて」

不穏な空気を感じ取ったのか話題を切り替える由比ヶ浜。

今度はなぜか羽瀬川が驚く番だった。

口を半開きにして絶句している羽瀬川を見て、由比ヶ浜がまたぞろ慌て始める。

「どしたの? も、もしかしてあたしなんか変な事言った!?」

「いや……その、社交辞令でもお礼を言われたのはいつぶりだったかと思って」

「や、でも、社交辞令とかじゃなくて普通に感謝してるけど……」

「あ、ああ」

……。

しばし訪れる沈黙。

……。

「そ、そーだ! 自己紹介まだだったね! えと、由比ヶ浜結衣、です。ヒッキーとゆきのんと同じ部活の奉仕部ってのに所属してて……」

やはり沈黙に耐えられない様子の由比ヶ浜はどうにかこうにか話題を提供する。

「お、俺は……小鷹、羽瀬川小鷹。隣人部ってのに所属してる」

うわぁこいつこの自己紹介の仕方気に入っちゃってる!

相変わらずちょっとドヤ顔だし!

くそう、俺もやっときゃよかった!

思わずツッコミそうだったが、さすがにエアリードスキルがカンストしているだけあって、由比ヶ浜は華麗にスルーしていた。

「挨拶遅れちゃったけど、改めてよろしくね」

「あ、ああ、こちらこそよろしく……」

……。

会話続かねー。

211: 2012/12/03(月) 01:48:41.92
助けを求めるように由比ヶ浜がこちらをチラチラ見てくるが、

俺や羽瀬川のようなぼっちを相手にするなんて由比ヶ浜も大変だなー、と完全に他人事モードの俺。

そもそも俺に会話スキルとか期待するのは間違っていると思います。

まあ日常会話は出来なくても仕事の話ならできる。

ビジネスライクな関係なら気が楽だ。

由比ヶ浜あたりが勘違いしそうだが、言うまでもなく、ビジネスライクとは決して仕事が好きという意味ではない。

決して仕事が好きという意味ではない。

決して仕事は好きではない。

「由比ヶ浜も見つかったことだし、一度連絡取った方が良くないか? 捜す対象が一人と二人とじゃ色々違うだろうし」

「……そうだな。わかったちょっと連絡してみる」

羽瀬川は携帯を取り出し、電話をし始めた。

由比ヶ浜と共にぼんやりと待っていると電話はすぐに終わった。

「なんかあっちもちょうど見つけたみたいだ。下の階で合流することになった」

「了解。じゃ行くか」

212: 2012/12/03(月) 01:50:24.62
雑踏を蹴散らしつつ先行する羽瀬川について行く。

途中、由比ヶ浜が俺の肘をつつき話しかけてきた。

「にしても、ヒッキーが誰かと協力するなんて珍しいね」

「そうだな、俺もそう思う」

確かに今思い返せば普段の自分とは違うように感じる。それだけ速く早く見つけ出しかったのだろうか。

「まあ、ちょうど向こうも人捜し中だったからな、手は多い方が良い。お互い得をする、WIN-WINの関係だし」

「へ? 機械の関係?」

…………いや擬音じゃねえからな? 無理があるし、無駄だから言わねえけど。

と言うか思考をトレース出来た自分をまず褒めてあげたい。

とにかく由比ヶ浜のアクロバットなおバカ発言は無視して先に進むことにした。

213: 2012/12/03(月) 01:54:59.99

階段を下り、次の階へと進む。

こう言うとなんかダンジョン系のゲームっぽい。

たいして欲しくもないのにどうにか店の品物を持ち去ろうと四苦八苦し、結局店主に頭突きされて氏んだのはいい思い出。あ、パンの方は世代じゃないので。

それは置いといて、ダンジョンにいるのはモンスターと相場が決まっている。

合流地点である縁日風の模擬店で俺が目撃したのもモンスターと言っても過言ではないだろう。むしろ的確過ぎてちょっと怖いくらいだ。

そのモンスターとは、言うまでもなく金髪ビXチの事だ。

金髪ビXチはやはりというか何と言うか、雪ノ下に鬼絡みしていた。辺りには人だかりができている。

「ねえねえ雪乃ちゃん、この後あたしと二人っきりで文化祭回らない?」

「絶対に嫌」

「え~、いーじゃん行こうよ~。きっと楽しいからさぁ~」

「だから、絶対に嫌」

「はっ!? もしやこれがリアルツンデレ!? デレは!? デレはマダー!?」

「何を訳の分からないことを……それよりも離れてくれないかしら」

息を荒げて今にも掴み掛からんばかりの金髪ビXチに対し、雪ノ下は両手を突き出してぐいぐい押し返している。

「いい加減にしろ馬鹿肉。お前には二次元があるじゃないか。それで充分だろう?」

「うるさいわね! 目の前に三次元に舞い降りた黒髪ロングの美少女がいて冷静でいられるわけないじゃない! それにあたしは雪乃ちゃんと会話イベントの最中なんだから邪魔すんじゃないわよ!」

「こちらは会話が成立しているとは思っていないのだけれど……」

うんざりした顔で雪ノ下が呟き、

「私にとっては貴様の存在自体が邪魔だ」

と、黒髪鬱美人はハエ叩きで金髪ビXチをペチペチ叩いている。

……ひどい光景だ。

214: 2012/12/03(月) 01:57:47.12
あまりのひどさに俺も羽瀬川も由比ヶ浜も声をかけるタイミングを失ってしまい、人だかりの外から遠巻きに見るしかない。

端から見れば美少女同士がじゃれ合っているように見えるかもしれないが、会話の内容を聞いてしまうともう残念と言うしかない。

てか会話イベントとかギャルゲーかよ。仮にそうだったとしても明らかに選択肢間違えてるだろ。

爆弾が爆発するレベルだぞ。ちょっと匠に電話してこい。

「黒髪ロングとやらがいいのならゲームの中に行けばいいだろう。いつも言っているではないか。ゲームの中に入れたらいいのにって」

「はぁ? 実際に行けるわけ無いでしょ!」

「えっ!?」

横から驚いたような声がした。

ここまでずっと見守っていた羽瀬川が驚いた顔をしている。

「気付いてたのか……」

……マジかよ。普段からギャルゲ脳でしかも諦められちゃうほどどハマリしてたのか……。

羽瀬川は驚いているようだが、黒髪鬱美人は不意に優しげな表情になる。

「諦めるな、肉。お前なら出来る。必ずゲームの世界に行けるはずだ」

「えっ……ほ、ホントに?」

「ああ。行って、その世界の住人になるといい」

「ど、どうしたら行けると思う?」

「そうだな……とりあえず、氏ね」

「っ! あんたねぇ……」

ギリギリと歯ぎしりの音がここまで届きそうな鬼の形相で黒髪鬱美人を睨むちょっと涙目な金髪ビXチ。

金髪ビXチはぶっ飛んだ性格のわりには打たれ弱いのかな。どうでもいいけど。

215: 2012/12/03(月) 02:03:00.98
「ふ、ふんっ! こんな性悪貧乳はほっといてあたしと雪乃ちゃんだけで楽しくお喋りしましょ!」

っあぁー! それ氏亡フラグ!

「……別に三日月さんは小さくないわ。そもそも大きければ大きいほど良いというわけではないし、それに自身の意志や力だけではどうしようもないことをあげつらって貶めるのは人間として最低に属する行為よ。アピールとして考えるのならば一考の余地はあるけれど、それだって結局は全体的なバランスを考慮した結果やはり大きすぎるのは不利と断じるしかないわ。機能的、経済的に考えても同様の事が言えるわ。スポーツはもとより、日常生活全般でも邪魔になるし、サイズがなくて可愛い下着は値段が高いものしかないと友人が言っていたもの」

その友人とは間違いなく由比ヶ浜のことだろう。

由比ヶ浜……お前っ、なんて残酷なことを言うんだっ……。

「こ、こっち見るなし! てか変なとこ見るなし!」

思わず由比ヶ浜、いや由比ヶ浜のを見てしまい頭をはたかれる。

視線を雪の下たちに戻すと、二人はいきなりまくし立て始め今も何か言い続けている雪ノ下に唖然としていた。

正直、見ていて居たたまれない。由比ヶ浜も同じ事を思ったのか「行こう」と囁きかけてくる。

羽瀬川にも目で促し、人だかりをかき分けていく。

216: 2012/12/03(月) 02:04:32.63
「ゆきのん!」

人だかりを抜けると由比ヶ浜は、たたたっと駆け出し、がばっ、ひしっ。

「ごめんねゆきのん! もうはぐれたりしないから!」

先程のやりとりに色々と思うところがあったのか、いつも以上にスキンシップが多い由比ヶ浜。

「由比ヶ浜さん、暑苦しいわ」

口ではそんなことを言いつつも、若干頬を染めているのは見なかったことにしておいてやろう。

例によって睨まれているので。

「ゆきのん大丈夫だよ! ゆきのんの脚はカモノハシみたいな脚だもん!」

「カモシカのよう、と褒めようとしてくれてるのはわかるのだけれど……急にどうしたの?」

なるほど確かに、カモノハシの脚には人が氏ぬレベルの毒がある。由比ヶ浜にしては上手いこと言うな。

「毒があるのはオスだけよ」

雪ノ下が半眼でこちらを睨みながら言う。なんでこんな的確に考えてることわかんだよぅ……。

エスパー? 魔女? 魔法少女ゆきのん? なにそれ超怖い。たぶん使うのは即氏系の呪文ばっか。

217: 2012/12/03(月) 02:07:13.28
「ちょ、ちょっとあんた! なにあたしの雪乃ちゃんに馴れ馴れしくしてるのよ!」

突然の闖入者に驚きつつも金髪ビXチが由比ヶ浜を威嚇する。

一瞬にして女×女×女の三角関係が成立した。なにこのガチゆり。だからなもり先生どうにかして下さい。

「ってか『ゆきのん』てずるい! あたしもそう呼んで良いよね? ゆきのん?」

「気持ち悪いからやめて」

心地良いほどにバッサリ斬り捨てる雪ノ下。

「そ、そんな……」

斬り捨てられた金髪ビXチはがっくりとうなだれる。

「ほら、星奈、もういいだろ。行くぞ」

大人しくなった隙に羽瀬川が金髪ビXチの腕を掴み、引いていこうとする。

しかし金髪ビXチはその手を振り払うと顔を上げ、由比ヶ浜をきっ、と睨み付け指を指す。

「決闘……決闘よ!」

218: 2012/12/03(月) 02:09:14.90
「「「……は?」」」

俺、羽瀬川、黒髪鬱美人の声が重なる。

雪ノ下は冷たい目で見据え、由比ヶ浜は慌てた様子でキョロキョロしている。

「どっちが雪乃ちゃんの隣に相応しいか、決闘よ!」

「へ? それって意味あんの? ゆきのんが決めることじゃん」

これまた由比ヶ浜には珍しく、反論を許さない超正論だ。これを言われてはもうどうにもならないだろう。

「何? 勝つ自信ないの?」

だがどうにもならないことをどうにかしてしまうのが我らが雪ノ下さんである。

「由比ヶ浜さん、勝ちなさい」

「ゆ、ゆきのん……」

やっぱ煽り耐性ゼロだこいつ。ツイッターとかやってたらそれはもう毎日燃えまくるだろう。

由比ヶ浜ですら若干呆れているのだから相当だ。

まあ俺はツイッターやっても誰にもフォローされないから炎上なんてしないだろう。

燃えない主人公、比企谷八幡。

いや俺主人公じゃねえけど。あくまで奉仕部の主役は雪ノ下と由比ヶ浜だ。

ちなみに萌えないヒロインは桜小路さん。

おっと失礼、燃えない、だったのだ。

219: 2012/12/03(月) 02:11:57.24
「ほら、雪乃ちゃん公認の決闘よ! 正々堂々、受けて立ちなさい!」

「そりゃあたしだって、ゆきのんの隣がいいけど……もし負けちゃったらあたしのせいでゆきのんが……」

あくまで渋る由比ヶ浜に雪ノ下がそっと身を寄せる。

「大丈夫よ、由比ヶ浜さん。私が全力でサポートするわ」

雪ノ下を巡る争いで雪ノ下自身が手を貸しちゃ意味ないだろ。

……なんかもうこの闘いやる前から趣旨ずれてないですか?

「けど星奈、決闘と言ってもどうすんだ?」

「雪乃ちゃんがその女に手を貸すんだったら、いっそチーム戦にってのはどうかしら」

「私は構わないわ」

「ゆきのんがいいなら、あたしも」

「それならこっちは……小鷹、あたしと組みなさい」

「まあ、別にいいけどよ」

「ま、待て肉! そういうことなら私も参加してやろう! お互い人数は同じだし3対3の方が勝敗が明確だろう」

「……確かにそうね。夜空、脚引っぱんじゃないわよ!」

「はっ、誰に物を言っている? 貴様こそ無様な姿を見せるなよ」

俺を除いた5人がにわかに盛り上がりを見せる。

220: 2012/12/03(月) 02:13:25.13
あれ? なんかもうこれやる方向で進んでんの?

なんでみんなこんなにやる気なの?

俺は何一つ聞かれてないんですけど。

やるんなら俺関係ないんでもう帰ってもいいですかね。

「比企谷君、もし帰ったら部長として平塚先生にあなたが部活をサボったと伝えなければならないわ」

「喜んで参加させて頂くであります!」

「そう、戦果は期待していないけれど」

くそっ、帰りてぇ!

ってかさっきから恐ろしいまでに心を読まれているのはなぜでしょう。

「ヒッキー、なんかごめんね」

由比ヶ浜が申し訳なさそうな顔で謝ってくる。

……退路は既に断たれてしまった。

だったら後はどうやって早く終わらすかだけを考えよう。答えは簡単、負ければいい。

でもきっと雪ノ下が許してくれないんだろうなぁ。

221: 2012/12/03(月) 02:16:22.63
とりあえずルールを決める。

協議の結果、文化祭の出し物で勝負できそうなものを交互に適当に見繕って種目を決め、先鋒・中堅・大将の1対1の勝負で2勝先取すればその種目において勝利を収め1ポイント。

5ポイント先取で勝利、という一日使い切る気満々の勝敗条件になった。おうちが恋しい!

「じゃ、ちょうど縁日のところにいることだし、まずは的当てで勝負よ!」

ちなみに先に種目を決める権利は向こうにある。

「いっとくけど、あたしは勉強も運動もこの学園で一番成績いいから。もちろん見た目も一番だわ。まさに完璧な女神ね」

女神ときたか。

初戦を前に、大言壮語を臆面もなく言ってのける金髪ビXチ。

しかし雪ノ下はそれを無視して、こちらを向く。

「良かったわね、比企が……ヒキガエル君。こんなところに仲間がいたわね。二匹で仲良くしていたら?」

「なんであたしがそんなのと仲良くしなきゃなんないのよ」

どうやら金髪ビXチには伝わらなかったようだが、俺にはバッチリ伝わった。

「井の中の蛙、と言いたいのは分かるがわざわざ俺をダシにするな」

俺のツッコミを受けた雪ノ下はうまいこと言ったつもりなのか満足そうに頷いている。

嫌な以心伝心だ。

222: 2012/12/03(月) 02:17:33.27
兎にも角にも、順番を決める。

俺はどこになろうがどうでも良いので、雪ノ下たちに任せることにした。

結果、先鋒・雪ノ下、中堅・由比ヶ浜、大将・俺、という順番になった。

これ完全に期待されてないね。

向こうの順番は始まるまでわからない。

まあなんだっていい。負けたって構わない。何があるわけでもなし。

223: 2012/12/03(月) 02:19:05.09
的当て勝負のルールは、単純に景品を打ち落とした数が多い方の勝ちである。

どれもこれも等価で1点だが、いくつかの例外品がある。

主にプラモデル系の箱はおもちゃの銃で撃つにはあまりにも大きくて重い為か、箱を支えるいくつかの紙を全て打ち抜けば倒れる仕組みになっている。

箱を倒せば、支柱と同じ数だけの得点が得られる。注意しなければならないのは得点は最後に撃ち倒した者に入るということだ。

団体戦と言うこともあり、ある程度の戦略が必要となるが、そこは戦略レベル、戦術レベル共に最強クラスの雪ノ下がなんとかするだろう。

かくして、闘いの火蓋は切られたのである。

ああ、帰りたい。





つづく

233: 2012/12/10(月) 03:41:12.24
まずは両陣営とも作戦会議に入る。

もちろん仕切るのは雪ノ下だ。

「二人とも、射撃の経験はあるかしら?」

現代日本社会においてゲームの画面内でならともかく、実際に射撃をする機会なんてほどんどないだろう。

だが俺は正直超自信がある。

中学生の頃、地域の祭に一緒に行く人がいなかったが小町に心配をかけたくなかった俺は射的屋で一日を潰した経験を持つ。

一人でずっと比企谷無双をしていたら出入禁止にされたくらいだ。

射撃は俺の特技のひとつで、あやとりの次に得意だ。

野比家のご子息とは良い酒が飲めそうだな。未成年だから酒飲めねえけど。

まあこう言うのは言わぬが花、である。

ちょっと控えめに言っておいて実は……的な方がかっこいい。

視線を明後日の方向に向けて、いつもより卑屈分を多めにブレンド。これで少し噛みながら言えば、自信のないボク、の演技は完璧である。

234: 2012/12/10(月) 03:42:40.31
「俺のための競技だな!」

え? 控えめ? 無理無理!

得意なことぐらい得意って言って何が悪い!

戦力は正確に把握したいだろうしな!

「入れ込み過ぎ。期待出来なさそうね」

……結局期待されなかった。

「あたしは……ほとんどやったこと、ない……。あんま当たった記憶ないし……。ごめん……」

「謝らなくていいのよ、私がフォローすると言ったでしょう?」

「ゆきのん……」

はい、ここまでテンプレ展開。

235: 2012/12/10(月) 03:44:17.78
お約束を終えた雪ノ下は会議を再開する。

「ざっと見たところ、的の数は40といったところかしらね。そのうち、相手に点を奪われる可能性のある箱物は10強で的の補充は無し。
さっきお店の人に聞いたのだけれど、弾数は10発。つまり、全員が百発百中だったと仮定すると三戦目である比企谷君は役立たずということね」

「異議あり! 表現に悪意を感じる!」

「例えばの話よ」

向こうから絡んできたくせにさっくりと流される。

おまけに、いいから黙ってろというような目をしてくる。

俺は全く悪くないはずなのにリアクションが面白くなかったのかと反省してしまう自分が悔しい。

「今回のルールだと前の人の戦果が直接それ以降の戦況に影響してくることになるわ。つまり何が言いたいかと言うと、この勝負で重要なのは早さ、と言う事よ」

「なるほど……」

どこにその要素があったのかは謎だが、しきりにこくこく頷いてる由比ヶ浜。

「つまり……どゆこと?」

うん、やっぱわかってなかったね。

てかお前どこの忍者だよ。ヒゲ書いてやろうか。

「由比ヶ浜さん……わからないならそう言ってくれていいのよ。ちゃんと説明するから」

「うう……ごめんなさい……」

縮こまる由比ヶ浜の頭を慈愛顔でぽふぽふ撫でて『いい子いい子』する雪ノ下。

学校の一部の奴らからは、クールビューティー(笑)と言われている雪ノ下だが、実は結構表情豊かだったりする。

ほら、今も俺の視線に気がついて睨んできてるし。きっと俺がされるのは『痛い痛い』だろう。

あと気付いていないと思うけどお前の睨み顔相当怖いからな?

236: 2012/12/10(月) 03:44:46.13
怖いのが苦手な俺は視線を逸らす。しかし逸らした先にも怖いのがいた。

羽瀬川だ。

「なあ、さっき気付いたんだけど、的に限りがあるから合計点で勝敗を決めないか?」

俺に聞かれてもな。どうでもいいとしか。

雪ノ下に視線で問うと、数瞬の間を置いて答えが返ってくる。

「了解したわ。そのルールでいきましょう」

「じゃ、そういうことで」

無事に他人への連絡事項伝達という大任を果たした羽瀬川は颯爽と去っていく。

背中が頼もしすぎるぜ! ……悲しすぎるぜ。

237: 2012/12/10(月) 03:46:46.04
「ねえねえ、ヒッキーはさっきのわかったの?」

ルール変更により作戦の練り直しをしているであろう黙り込んだ雪ノ下。

由比ヶ浜はそれを横目で確認して何がまずいのか雪ノ下には聞こえないようにこっそり耳打ちしてくる。

「わかったって、なにが?」

「ゆきのんが言ってたこと」

「ああ、そのことか。先鋒の雪ノ下が確実に速攻で的を減らすから、お前と俺の難易度が上がるってことだろ」

「そうね、端的にはそれで正解ね」

「ええ!? フォローしてくれるんじゃなかったの!? てか聞こえてたの!?」

後ろを振り向くと、雪ノ下がすぐ後ろにまで来ていた。

「……普段の私が悪いのでしょうけれど、別に怒ったりしないから直接私に聞いてくれた方が……ちゃんと教えられるし、その……、私も嬉しいのだけれど……」

てっきりカンニングじみた事をした由比ヶ浜を叱るのかと思ったが、意外なことに雪ノ下は多少の照れとほんの僅かの悲しみを込めたような口調で告げる。

「ち、違うの、ゆきのん! あたしはただ、あんましゆきのん迷惑かけちゃいけないと思って……」

なんだそんなことか。

だが、そうじゃないだろう由比ヶ浜。

「そう言う気遣いはいらねえだろ。お前らの仲なんだから」

「……え?」

「……へ?」

二人が目を丸くしてこちらを見つめてくる。

238: 2012/12/10(月) 03:48:11.80
「ど、どうした?」

急に美少女二人にまじまじと見つめられて冷静でいられるような経験は積んでいない。冷たい目で、と言う言葉が付けばその限りではないが。

「ヒッキーこそ、急にどうしたの?」

「何か変な物でも食べたの? 頭でも打った? それとも心臓でも止まっているのかしら」

「おい雪ノ下、最後のは俺の歪んだ性格は氏ななきゃ治らないって意味か?」

「……どうやらいつもの比企谷君のようね」

判断方法おかしくないですかね。

「ヒッキーがそんな事言うなんて、意外」

「……別におかしなことは言ってないだろ」

「そうね、おかしなことは言っていないわ。ただ、あなたがそれを言うこと自体がおかしいのよ」

「そうかよ」

そんなに不思議なことだろうか。

歪んで捻くれて拗くれた性根でも、いや、だからこそ、そうでないものがわかる。

真っ白な紙に付いた黒い点が目立つように、真っ暗闇から見る光は眩しいように、真逆の存在というのは目に付くものだ。

掃き溜めに鶴、とでも言えば理解しやすいだろうか。

「まあとにかく、比企谷君の言う通りよ。遠慮や気遣いは無用だわ、由比ヶ浜さん」

「うん、わかった。……ゆきのん、教えて?」

「もちろん、そのつもりよ」

239: 2012/12/10(月) 03:49:59.37
こほん、と軽く咳払いする雪ノ下。

「早さが重要、というのはルール改変前の話だったけれど、改変後も変わらないわ。それどころか、個々がではなく全員で限られた点を奪い合うのだからより重要度が増したと言っていいわね。
例えば以前のルールだと、ある一人が9-10で負けるのと0-10で負けるのはほぼ同義だったけれど、今は違う。ここまでは大丈夫かしら?」

「うん」

「ではここで先程の、簡単なものから落とす、という事の理由を考えてみましょう。比企谷君が言ったように、先に簡単なものを落とせば難易度は上がるわ。
でも、ここでよく考えて欲しいのは、条件は常に相手も同じと言う事なの。相手の実力がわからない以上、論理的に考えてこちらに確実に点をとれる人が二人いる分、始めから相手の得点率を下げておいた方が有利になるのよ」

「なるほど……さすがゆきのん、ロンリテキだね!」

論理的の発音があやしい辺りその言葉自体を理解しているのか不安だ。

てか雪ノ下、お前しっかり俺のこと戦力扱いしてんじゃねえかよ。

「あれ? でもその作戦ならゆきのんの次はヒッキーの方がいいんじゃないの?」

「それは……そうなのだけれど、何か、癪だから」

うわぁ超感情論! 誰だよ論理的とか言ってた奴!

「あは、あはは……」

ほら、由比ヶ浜まで困った笑顔してるじゃねーか!

悪いのは雪ノ下、お前だ! ダブルスタンダード反対!

……糾弾するのはもちろん心の中だけ。怖いし。無駄だし。

「いずれにせよ、由比ヶ浜さんは自分が出来るだけのことをやればいいのよ。後は私達がなんとかするわ」

「そっか……、二人が手伝ってくれるなら、安心。何にでも勝てる気がするよ!」

「いや何でもは無理だろ」

「ヒッキーうるさい!」

240: 2012/12/10(月) 03:53:41.18

その後、隣人部チームからお呼びがかかる。

「では、行ってくるわ」

「おう」

「ゆきのん、頑張って!」

雪ノ下は由比ヶ浜の声援を受けて僅かに微笑むと射的屋の前に向かう。

対して、向こうからは羽瀬川がやって来た。

「小鷹、最初なんだから負けんじゃないわよ!」

向こうの陣営からも激励が飛ぶ。

どうやら隣人部の先鋒は羽瀬川のようだ。

お気の毒に。

雪ノ下と羽瀬川が位置に付くと、金髪ビXチの一声によって審判と化していた射的屋の係が二人に銃を渡す。

羽瀬川は手持ちぶさたに銃をもてあましているのに対し、雪ノ下はやや体を開き頬付けと肩付けをしっかりこなしまるでクレー射撃でもするかのようである。

ていうかあいつ間違いなく経験者だろ……。ちなみに俺は中二病経験者故に各種銃火器の撃ち方は知っている。

「弾数は10発。ポンプアクションで連射は可能です」

「了解したわ」

「お、おう」

競技者の二人は理解しているようだが、隣の由比ヶ浜の頭の上にははてなマークが浮いている。

「ぽんぷあくしょん、って何?」

「あー、もの凄く噛み砕いて言うと弾を込める動作ってことだ。撃つ度にやる必要がある」

「ふーん。どうやんの?」

「まあ、雪ノ下を見てりゃわかる」

「わかった」

由比ヶ浜に基本的な事を教えている間に二人の準備は終わったようで、審判が手を挙げる。

「それでは、隣人部VS奉仕部先鋒戦……始め!」

いやにノリノリな審判から開始の合図が下される。

刹那、間断なく続く10発の発射音と命中音。

呆気にとられる周囲の人間を無視して、雪ノ下は審判に銃を渡すとこちらに戻ってくる。

「終わったわ」

241: 2012/12/10(月) 04:00:01.87
えげつねえ……羽瀬川に狙う間も与えず10発落としやがった……。

しかもどれもこれも本当に狙いやすいものばかりで、残っているのは重そうだったり小さかったりするものばかりだ。

いつの間にか出来ていたギャラリーがざわついてくる。

そのざわめきにはっとした由比ヶ浜が雪ノ下に飛びつく。

「ゆきのん凄い! あたしなんか感動しちゃったよ!」

「そう、ありがとう。でも、別に……これくらい普通よ」

いつもの調子で由比ヶ浜を引き剥がしつつ答える。

「どう見ても普通じゃねえだろ……」

取り残された羽瀬川はといえば、ようやく撃ち始めるも無茶スペックの雪ノ下の後ではあまりにも空気が悪過ぎ、早々と撃ち尽くすと相手陣営に戻っていった。

得点数は6。決して悪くないスコアなのにギャラリーからは、そんなもんか……とか、しょぼ、という囁きさえ生まれていた。

あまりにもあんまりだ……。

とにもかくにも、現在のスコアは10対6。なかなかの出だしであることに間違いはなかった。

254: 2012/12/13(木) 03:25:44.67
「ほら、次は由比ヶ浜だぞ」

あまりにも早く自分の番が来てしまったせいか、由比ヶ浜はなかなか行こうとしないので声をかけて促す。

「えっ、う、うん」

ビクッとしておずおずと頷くが、やはり行くのは躊躇われるようだ。

由比ヶ浜は周りを取り囲むギャラリーを気にしている様子を見せる。

俺もぐるりと周りを見回してみると意外と多くの人がいて、今も徐々にその数を増やしている。

男率がやや高い事を鑑みれば、目当ては美少女×4だろう。

確かに、紛れ込んだ異物×2を除けば見た目のレベルは本当に高い。

俺もギャラリーがよかったなぁ。

255: 2012/12/13(木) 03:26:54.53
俺が現実逃避をしている横では雪ノ下が由比ヶ浜に基本的な事を教えていた。

「由比ヶ浜さん、相手には構わず自分のペースを守って、当てやすそうなものから狙いなさい。狙うときはちゃんと両目でね。箱物は駄目よ」

「わ、わかった」

雪ノ下のアドバイスに背中を押されて、ようやく歩き始めた。

しかし衆人環視の環境に置かれているせいか、巣穴から出た小動物のようにビクビクしながら進んでいる。

あんなに緊張しちゃ当たるものも当たらないだろうな……。

雪ノ下が作った勢いに乗って勝った方が早そうだし、ここはひとつ声でも掛けてやるか。

「由比ヶ浜、気楽にな」
「由比ヶ浜さん、気楽にね」

……。

雪ノ下さん、その、うへぇ顔はやめてくれませんかね。意図してなかっただけに傷つきますので。

だが由比ヶ浜はそんな俺と雪ノ下を見比べると、

「うんっ! 頑張るっ!」

と満面の笑みを浮かべて答えた。

……まあ、あいつの硬さが取れたんならそれでよしとするか。

256: 2012/12/13(木) 03:28:30.53
向こうからは羽瀬川と入れ替わるようにして既に黒髪鬱美人がやってきていた。

作戦を考えているのかカウンターの前で的を見つめている。

そんなことは全く気にせず、位置に付いた由比ヶ浜は教えられたことをうわ言のように繰り返していた。

「撃つ度にぽんぷあくしょん、当てやすそうなものから、両目で狙う、箱物はダメ。撃つ度に……」

その表情は真剣そのものだ。初心者丸出しかつ作戦だだ漏れなのはご愛嬌。

まあ実際ここまで露骨だと逆に罠だと疑ってしまうレベルだろう。

少なくとも俺が黒髪鬱美人の立場だったら確実に疑っていたし。

しかし、俺は由比ヶ浜の事を知っている。あいつは罠を仕掛けたりしない。

決して、しない。

なぜなら、バカだからだ。

「撃つ度ぽんぷ、当てやすそうな両目はダメ。撃つ度ぽんぷ、当てやすそうな……」

そうだね、目は危ないね。

……大切な事だ、もう一度言おう。

由比ヶ浜結衣は、バカなのである。

257: 2012/12/13(木) 03:29:35.15
由比ヶ浜の恐ろしさを確認したところで諸々の準備が整う。

審判が再び手を挙げ、勝負開始の宣言をする。

「隣人部VS奉仕部中堅戦……始め!」

かしゃこん、と弾を装填し慣れない手つきながらも一生懸命的を狙う由比ヶ浜。

慎重に慎重に、こちらが焦れるくらい狙いをつけてから、意を決したように撃つ。

だが、やはり的中せず、弾はむなしく壁にぶつかるとポトリと落ちた。

それでもめげずに、その後も二回程同じように撃つが一向に当たらない。

隣人部の中堅である黒髪鬱美人は由比ヶ浜の様子を見てから対応を決めるようで、まだ一発も撃っていない。

それが余計に焦りに拍車を掛けているのか、由比ヶ浜が不安そうな顔をしてこちらを向く。

「大丈夫。私達は決して負けないわ」

間髪を入れず雪ノ下が言った。あたかも、それが確定事項であるかのように。

258: 2012/12/13(木) 03:32:36.84
大見得を切った事でギャラリーがにわかにざわめきをみせる。

ついさっきとんでもない能力を見せ付けた雪ノ下の言葉だ。観客にとっては良い余興だろう。

その容姿とも相まって視線が雪ノ下に集中する。

なるほど……こういうフォローの仕方もあるのか。

人目に晒されるのを好まない雪ノ下がこんな事をするとはな。

注目度が減っている今のうちにやってしまおうとでもいうのか、

由比ヶ浜は一度だけ大きく深呼吸をすると先程とは打って変わってテンポ良く撃ち始める。

するとどうだろう、驚く事に連続で2つも的中した。

続く一発は外れてしまったが、動揺した素振りは見せずに変わらず同じペースで撃ち続ける。

静観するのはマズイと判断したのか、黒髪鬱美人も行動を開始した。

二人が撃つペースはほぼ同じで、まさに競うように的を狙い撃つ様子に再びギャラリーが熱を帯びる。

それでももう由比ヶ浜が動揺する事はなく、あくまで眈々と、かつ真剣に自分のやるべき事に集中している。

どちらかが的中させれば歓声が上がり、外れれば声援が飛ぶ。

盛り上がりは最高潮。縁日というテーマにふさわしく、教室の中はまさに祭の様相を呈していた。

259: 2012/12/13(木) 03:34:07.84
「お帰りなさい、由比ヶ浜さん。上出来よ」

結果は3点。予想より遙かに健闘した由比ヶ浜を雪ノ下が労う。

もちろん予想は0点だった。

「なんとかまぐれで3つ当たったけど……あっちは凄かったね……。ごめんなさい……」

「お疲れさん。0だったら正直キツかったがそれだけ取れりゃ十分だ。まだ勝てる可能性はだいぶある」

「そうなの?」

「ええ。その為にあらかじめ点を取っておいたのだし。それに、あなたが点を取れたのはまぐれでは無いわ」

「……まぐれじゃないなら、ゆきのんのおかげだよ」

「そうかしら? 自分で言うのもなんだけど、的確なアドバイスは出来てなかったと思うのだけれど」

「確かにアドバイスはあんま活かせなかったけど、『私達』は負けない、って言ってくれたから……。ゆきのんにそんな事言われたら、情けない姿なんて見せらんないもん」

「由比ヶ浜さん……」

周りそっちのけで二人の世界入って行く由比ヶ浜達。

ぼく何でここにいるのかな?

完全にいらないよね?

まあ次はいよいよ、というかあっけなく大将戦である。

260: 2012/12/13(木) 03:36:51.82
とりあえず、どうするべきかでも考えとくか。

黒髪鬱美人の結果は単品で3点、箱物で4点の計7点だった。

由比ヶ浜が先に撃ち切り、単独になってからはほどんど撃ち損じが無かったところをみると、なかなかの実力の持ち主だったようだ。

なにはともあれ、現在の総得点数は13対13で同点だ。

つまり勝敗は俺の双肩にかかっていて、勝負的には超おいしいポジションだ。

やっぱ控えめに言ってた方が良かったかな……。

まあとにかく、残りの的を確認しよう。

射的屋の棚を見ると、単品が5個、箱物が2つあり3点と5点だ。つまり取得可能な点数は合計で13点。

景品内容は単品の方が使いかけのフード消しゴムやレゴの部品というふざけたもので、

箱の中身は赤い魚介類っぽいMAとラムダ・ドライバを積んだM9の完成済みかつ欠損アリのプラモデルというこちらもふざけたものだ。

ちなみに支柱は紙でできた、それぞれの作品の関連キャラクターが勤めている。

どれもこれも的がかなり小さいが、俺にとってそれは問題にならない。

問題なのは、的が全て落とされる前提で行くと、少なくとも相手より1点多く取る必要があるから最低でも7点は取らなければならない事だ。

……状況はなかなか厳しい。

261: 2012/12/13(木) 03:38:35.02
「比企谷君、やるべき事はわかっているかしら」

こちらの世界に帰ってきていた雪ノ下が尋ねてきた。

「ああ、真っ先に残った単品5つと3点の箱物を狙う。5点の箱物は無視。箱物はできれば横取り」

「よろしい。では……行ってらっしゃい」

「ヒッキー頑張ってね! 応援してるよ!」

「まあ、やれるだけやってくる」

口ではそう言いつつも、自信満々に歩き出しついでに周りを確認してみるとギャラリーは半分くらい去って行った。

おいおい、美少女じゃないからってそれはないだろう。目的露骨過ぎだろ……。

気持ちは超わかるけど。

262: 2012/12/13(木) 03:40:18.27
カウンターに着くと、先に来ていた金髪ビXチと黒髪鬱美人が話をしていた。

「夜空、あんた7点しか取れなかったの? あっは! ヘタクソ!」

「あれだけ取れば十分だろう。そもそも勝負に勝ちたいのは貴様だけで、私は負けようがどうでもいい」

「あっそ。でも、あんたはこの後10点とるあたしに負けるのよ! この負け犬!」

「くっ……! 腐れ肉の分際で……」

訂正、口論をしていた。

口論はしばらく続いていたが、突然、挑発を続ける金髪ビXチを無視して黒髪鬱美人がこちらにやってくる。

「……おいお前、必ずあの駄肉に勝て。決して点を取らせるな。なんなら銃で撃つ……のは弾の無駄か。銃で殴ってもいい」

いきなりとんでもないこと言い始めやがった……。

「さすがにそれはダメだろ……」

「とにかく、絶対に勝て」

言いたいことだけ言って黒髪鬱美人はそのままどこかへ行こうとする。

が、俺の傍を通り過ぎる瞬間に、

「最後まで待て。奴は自滅する」

と小さく呟いてから去った。

何だったんだ今のは……。罠か?

263: 2012/12/13(木) 03:41:03.68
審判から銃を受け取る。射的屋で扱われている一般的なもので、祭りで出入り禁止になったところでも同じ銃が置いてあった。

あの当時の感覚を思い出すように、いろいろと弄ってみる。

……これは運が向いてきたな。

「準備はいいですか?」

しばらくして審判が聞いてきた。

「ああ」

「いつでもいいわよ!」

「では、隣人部VS奉仕部大将戦……始め!」

比企谷八幡、狙い撃つぜ!

264: 2012/12/13(木) 03:42:02.61
開始の合図が下された瞬間、1発目を放つ。的中。

次弾を装填し、狙いをつけて発射。的中。

再度装填、発射、的中。

俺の正確無比な射撃に残り少ないギャラリーが沸く。ふふふ……もっと俺を見ろ! もっと俺を褒めろ! 俺はフクちゃんタイプなんだ!

視界の端では金髪ビXチが慌てて撃つのが見えた。適当に撃ったようにも見えたが、残念ながら落とされてしまった。

だが次のは俺がいただく!

既に装填を終えていた俺は遠慮無く撃つ。見事、というか当然的中したが、一瞬遅れて別の弾も当たった。

ギリギリで俺の得点になったが、今のは危なかった……。

どうやら金髪ビXチは雪ノ下レベルの早撃ちが出来るようだ。さらに正確な精度をも合わせ持つ。

奴の大言壮語は伊達ではなく本当に実力があるようだ。

出だしは好調だが、決して油断は出来ない。

265: 2012/12/13(木) 03:43:57.36
そして、本当の勝負はここからである。

現在の状況は17対14で奉仕部がリードしているが、残弾数は俺が6発で金髪ビXチが8発。

残りの的は3点の箱物か5点の箱物がそれぞれ1つ。

最後に落とした者が点を取れる以上、順当に行くとそれぞれ2つの支柱を残した状態で膠着状態に陥るはずだ。

残り2つの状態でどちらかが支柱を落としたら、すぐさまもう一人が最後の1つを撃ち落とすのは明白だからだ。

しびれを切らして先に手を出した方が負ける。

通常はそうだ。だが俺には秘策がある。

とっておきの、秘策が。

266: 2012/12/13(木) 03:46:34.94
反掛け、と俺の中だけで言われている裏技をご存じだろうか。

比企谷無双の時に会得した崇高なる奥義である。

スライド部分をあらかじめギリギリまで引いておいて、撃った瞬間に引ききる事でほぼノーモーションでの2連射が可能になるのだ。

機構が適度に単純な射的屋用の銃だからこそ可能な芸当。

これを使えば、衝撃を重ねられるので通常倒せない景品を倒せたり、所定の弾数より少なかった言い張り、いちゃもんをつけて景品をおまけしてもらったりできる禁忌の技だ。

やりすぎるとばれて出禁になるから注意が必要だが。

とにもかくにも、俺は瞬間的にだがあの雪ノ下さえ凌駕する速射が出来るのだ。

通常の装填方法でも可能は可能だが、装填時に手がブレる以上どうしたって精度が落ちてしまう。

故に、残り2つの状態での俺は無敵。

さあ、後はその状況になるまでひたすら待たせてもらうぜ!

267: 2012/12/13(木) 03:52:48.83
金髪ビXチは動きを止めた俺を見て少し考え込むそぶりを見せたが、5点の方に狙いをつけると素早く2連続で撃つ。

狙いは逸れず、正確に2つの支柱をはね飛ばした。

「今の得点はあんたたちが勝ってる。あとどっちかひとつでも取ることが出来たらあんた達の勝ちが確定するわね。
でも、残りを全部落とせばあたしたちの勝ち」

唐突に話しかけてきた金髪ビXチだが、今の俺は無双乱舞状態なので何があっても動じたりはしない。

「そうだな」

「あんたは今、残り2つになるまで待ってる。それは何か特別な事ができるからね?」

「どうだろうな」

どどどどうしよう!? ばれてる!?

何これ超動じてる。

……まあ、そうだとしてもやる事は変わらないんだけどな。

目論見がばれている以上、2つ撃ち落としたのは両方残り3つの状態にして俺に狙いを定めさせないため、といったところだろうか。

その程度はなんら影響ないが。

あくまでスカした態度を取ってやろう。

しかし金髪ビXチは俺の超むかつく態度を気にする風もなく、逆に鼻で笑われる。

「あんたは負けんの。これからあたしが存在の格の違いをわからせてあげるから。天才の雪乃ちゃんの傍にいられるのは同じ天才であるあたしだけよ」

自信過剰ともとれる発言だが、それなりの根拠があるのはなんとなくわかる。

こいつの能力は恐ろしく高い。

さらに先程の2連射はデモンストレーションという可能性もある。

警戒しておいて損は無いだろう。

だが現状としては奥義を持つ俺がかなり有利な状況だ。

3点でも5点の方でも、あと1発でも支柱を撃ち落としたのなら、即座に点を取らせてもらう。

点数差的にそれだけで勝ちが確定するのだ。

あとは金髪ビXチの動きに意識を集中させて、奴が撃ち、的中させた瞬間に行動を開始すればいい。

268: 2012/12/13(木) 04:00:43.10
構える金髪ビXチ。

さて、どちらに来るかな。

静止すること約10秒、奴は弾を発射した。

一挙手一投足、その動向に注意し限界まで集中力が高まっていた俺にはスローモーションに見える。

金髪ビXチが発射した弾は、5点の方の支柱であるキャラクターにぐんぐん迫ると、その中央にめり込む。

ここだ!

即座に一発目を放つ。それとほぼ同時に残りの支柱へと照準を合わせつつスライド部分を引き絞り二発目を発射する。

弾は吸い込まれるようにそれぞれの標的へと向かって行く。

祭で培った経験をフルに活かした、人生におけるベストショットとも言っても良い。

完璧だ……。

269: 2012/12/13(木) 04:02:37.60
しかし、俺の弾は虚しく空を切るだけだった。

「なん……だと……」

俺の弾より一瞬早く、別の弾が支柱をはじき飛ばしていた。

「ふふん。残念だったわね!」

勝ち誇ったような顔でこちらを見てくる金髪ビXチ。

奴は装填+狙う+撃つ+装填+狙う+撃つの動作を、反則気味の裏技を使った俺より早くこなしたというのか……。

しかも精度を落とすことなく。

まさか、これほどとは……。

これでお互いの得点は17対19。

まだ3点の方を落とせば逆転できるが……駄目だ。

あれが通じない以上、もうどうやっても勝てない。

俺が先に撃つのは論外だし、奴の3連射の最後を狙って割り込むように撃とうとしても、恐らく視認できない。

雪ノ下や由比ヶ浜の健闘に泥を塗るのは心苦しいが、無理なものは無理だ。

金髪ビXチの能力を呪うか、甘い考えをしていた自分を責めるしかない。

俺は銃を構えるのをやめた。

270: 2012/12/13(木) 04:03:42.00
金髪ビXチは勝負を投げた俺を見て見下すように鼻で笑う。

「なあ肉、貴様にあれが落とせるのか?」

唐突に、どこからとも無く現れた黒髪鬱美人が3点の箱を指差して言う。

「はぁ? あんたさっき何見てたのよ。あたしにかかればどんなに小さい的でも、どんなに早く撃ったって百発百中よ!」

金髪ビXチは余裕たっぷりに狙いをつける。

「そうか、だがよく見た方が良いんじゃないか? 油断大敵だぞ」

「別に油断なんてしないわよ」

口ではそう言ったが、改めて構え直しているところをみると、一応アドバイスとして聞いているようだ。

再び狙いをつけた直後、はっとした表情をして銃を降ろす。

「あれって……ウニコーンガムダンのロミじゃない……」

黒髪鬱美人が一瞬だけニヤリとしたように見えたのは気のせいだろうか。

271: 2012/12/13(木) 04:05:33.15
「なんだ? 自信をなくしたのか?」

青ざめた顔で呟く金髪ビXチに嘲笑混じりで黒髪鬱美人が問いかける。

「違うわよ! ロミはね、原作ではパパに撃ち殺されてアニメ版では戦闘中に主人公と和解したにもかかわらず七光りのクソ野郎にやっぱり撃ち殺されてるのよ! これ以上あの子を撃つなんて可哀想でしょ! これ作った奴どういう神経してんのよ!」

金髪ビXチは憤怒の形相で売り子でもある審判を睨む。なまじ整った顔の造りをしているだけに、とてつもなく恐ろしい。

「そうか。だが撃たなければ貴様の負けだぞ」

そんな金髪ビXチの感情はおかまいなしに黒髪鬱美人がふっかける。

「だ、だからってそんなことできないわ!」

「では貴様は初戦から負け、その上あれだけ挑発しておいて私にも負けた無様で惨めな姿を晒すと言う事だな?」

「それは嫌……でも、やっぱり無理っ!」

あくまで頑なに拒む金髪ビXチの耳元で黒髪鬱美人が囁きかける。

「よく見ろ、何のキャラかは知らんがあれはただの紙だぞ?」

「確かに紙だけど、あれはロミでもあるの!」

何故かだんだん涙目になってきている金髪ビXチ。

272: 2012/12/13(木) 04:08:06.15
「何を迷う? 負けるのは嫌なんだろう?」

「負けたくないけど……負けるのは嫌、だけど……」

黒髪鬱美人の笑顔が妖しさを増し、なにやら抗いがたい魅力を醸し出す。魅力というよりなんかもう魔力っぽい。

「いいから、撃つんだ。何も心配する事はない。お前は全てにおいて正しいのだ」

「……いいの? 撃っても、いいの? あたし、まちがってない?」

黒髪鬱美人の妖しく優しい囁きを聞き続け正常ではなくなってきているようだ。紙とキャラを同一視するのは正常な発言だったのかは今は置いておこう。

「ああ、お前が、お前だけがいつも正しい」

金髪ビXチの腕がふらふらと上がり、標的に狙いを定め、そこに黒髪鬱美人がさらに甘言を叩きこむ。

「勝利は目前だぞ。お前は奴らにも、この私に勝つのだ。誰もが認める完全な、決定的な勝利だ」

「かつ……よぞらに……あたしが、かつ。うつ……あたしは……ロミを、うつ……」

うっとりとした表情で銃を構える美少女。やべえ超怖い。

「ほら、撃て、撃ってしまえ!」

黒髪鬱美人の声に押されて、ついに引き金を引く金髪ビXチ。

273: 2012/12/13(木) 04:08:58.74
が、弾は出ていない。直前で止めたようだ。

「だめ……やっぱりだめなの……」

なんと金髪ビXチはぼろぼろと涙をこぼしていた。

マジかよ……。

「何をしている! 早く撃つんだ!」

「やだ……だめ……うてないよ…………うてませぇぇぇぇーーーーん!!」

「ちっ、貸せ!」

金髪ビXチから銃を奪うと黒髪鬱美人こちらを向き、撃て、と目で命令してくる。

その眼力に気圧された俺は反射的に撃ってしまう。弾は狙いを逸れずビシッと撃ち抜き、紙(ロミ)はぱたりと倒れた。

「あ…………ぁあ…………」

「ふ、哀しいな……」

泣き崩れた金髪ビXチと何かに浸っている黒髪鬱美人。

とりあえず、残りのを落としとくか……。

ギャラリーの目が痛いぜ。

274: 2012/12/13(木) 04:11:28.12
結果、第一種目は20対19で奉仕部の勝利。1ポイント獲得。

「釈然としないわ……」

「あたしも何か勝った気がしない……」

「勝ちは勝ちだろ。良かったな」

おいおいお前ら、そんな目で俺を見られても困るぜ。

てか今思えば、黒髪鬱美人は始めからこれ狙ってただろ。

あのとき俺に呟いた言葉は確かに罠だったし。ただし、それは金髪ビXチを嵌める罠だったが。

的の前で考え込んでいたのは、どうやってさっきの状況に持っていくかの検討をしていたのだろう。

かなりの策士と言えるが、能力と努力があさっての方向を向き過ぎている……。

「はぁ、まあいいわ。次の勝負に移りましょう」

気を取り直した雪ノ下がパンフを開く。

「そうだな。先は長いんだからさくさく行こうぜ」

「うん……。次はあたしたちが決めるんだよね? 何が良いかな」

話し込む二人から少し離れて遠巻きに見る。

なんだかんだ言って参加してしまっているが、これは結局あいつらの勝負なのだから俺が口出しをするところではないだろう。

次の種目が決まるまで俺はただ由比ヶ浜達をぼーっと見ていた。





つづく

290: 2012/12/25(火) 04:53:48.90
射的勝負が終わり、今度は奉仕部が競技種目を決める番だ。

由比ヶ浜と雪ノ下は二人してパンフを覗き込み、○○があるとか××も面白そうとか楽しそうに話していてなかなか決まらなかったが、

しばらくして由比ヶ浜がポツリと呟いた「おなかすいた」の一言でようやく決定された。

すぐ近くにあったイタリア料理店で早食いだ。

結果は隣人部の勝利。

詳細は省略。

2回戦のイタリアは飛ばされる運命にある。

291: 2012/12/25(火) 04:54:53.45
続いての競技は、文化祭の出し物として定番と言って良いであろうお化け屋敷が舞台だ。

一人ずつ入り、出てくるまでの時間が最も短かった者がいるチームが勝利となる。

おどろおどろしく飾り付けられた壁には、ボロボロに裂けた服を着てちぎれた脚を引きずりながら杖を構える二人の少年と一人の少女が描かれている。

傍には血に汚れ折れた翼を振りかざす白フクロウがいる。

モチーフは世界的ベストセラーの魔法使いが主人公な物語のようだ。

懐かしいものを出してきたなぁ……。

「こんなことをして大丈夫なのかしら……。非営利かつ学業に準ずるから著作権的には問題ないのでしょうけれど……」

同じく壁を見ていた雪ノ下が言う。

確かにメインの三人以外は腸を撒き散らしたり腐れ落ちたりバラバラだったりと、CEROはZ指定間違い無しで洋ゲーもかくやの惨然たる状況だ。

まぁグロ方面の改変ならまだマシといえるだろう。

同じ題材で『ハミー・ポッターと賢者タイム』という工口パロを見かけたときには愕然としたものだ。

著者がJ・K・口リというのだから手に負えない。続編の『ハミー・ポッターとヒ・ミ・ツの部屋』は良作だとか。

超どうでもいい。

292: 2012/12/25(火) 04:56:19.74
「文化祭だしだいじょぶなんじゃないかな。てか、ゆきのんもこれ読んだ事あるんだ?」

「ええ、一応全巻読んだわ」

「……意外だな」

流行物だったし、個人的にはジャンルとしてはラノベと似たようなものだと思っていたので雪ノ下が読んでいたとは正直意外だった。

「原書、日本語版と読んだけれども、やはり原書の方が良いわ。『マーリンの髭』を削除した翻訳者には疑問を感じざるを得ないわね」

しかも原書厨でした。

お前ミサワかよ。

「両方読むなんて、そんなに好きなのか」

これまた意外だったので思わず聞いてしまう。

「いえ、別にそう言うわけではないのよ。初めに読んだのが原書で途中から日本語版にしたから少し戸惑って、それが印象に残っていただけよ」

「へぇ……、どうして途中から日本語版にしたんだ?」

「……英語の復習も兼ねていたのだけれど、クラスの女子に『気取っている』とか『やっぱりキコクシジョ様は凄いね(笑)』とか言われて隠されたり捨てられたりしたのよ。でも物語の途中で投げるのは癪だったから、仕方なく図書室から日本語版を借りて読んでいたの。本当に、人の足を引っ張るのが得意な連中だったわ」

雪ノ下が黒い笑顔でにっこりと笑う。

「そ、そうか……」

うっかり地雷を踏んでしまったようだ……。

というか、時間的にも文法的にも正しいのだが、『連中だった』と過去形になっているのが無性に気になってしまうのは俺だけでは無いだろう。

安否が気になるな……。

293: 2012/12/25(火) 04:57:07.03
ちなみに俺は5巻あたりまでは読んだ。

これ見よがしに流行の物を読んでおけば会話のきっかけなったり、輪に加われたりできると思ってたからな。

途中で意味がない事に気付いてやめたが。

……あの頃の俺は若かった。

まぁ、読むのをやめたのはキャラの一人がどうしても好きになれなかったと言うのもある。

今となってはどうということはないが、当時の俺には決して許せないことをしでかしたのだ。

奴だけは許せなかった。

294: 2012/12/25(火) 04:58:16.06
「あ、あたしも全部読んだよ! 色んな魔法があって面白かったよね! 凄いって思ったよ!」

あやしくなりかけた雲行きを察知した由比ヶ浜が小学生並の感想で空気を変える。

それに真っ先に反応したのは何故か少し離れたところにいた羽瀬川だった。

「お、俺も読んだな。魔法の闘いとかワクワクしたよな」

「えっ? う、うん。あたしも、結構したかも。羽瀬川くんはこのシリーズ好きなの?」

唐突にカットインしてきたにも拘わらず会話を繋げられる由比ヶ浜は凄いと思った。

「あ、ああ。こういうわかりやすいものは結構好きだ。読んでて疲れないし」

「へぇ~、そうなんだ。あたしもそういうのは読めるから好きかも」

聞いてもいないのに好みを話す羽瀬川に合わせられる由比ヶ浜は凄いと思った。

羽瀬川の奥にはふきげんそうな顔をした黒髪鬱美人と金髪ビXチがいて怖いと思った。

俺の後ろにはまだオソロシイふいんきを出している雪ノ下のけはいがしてふりむけなかった。怖いと思った。

何これ俺まで小並感。

295: 2012/12/25(火) 05:00:08.92
「ふむ、私もこれは読んだ事があるな」

今度は羽瀬川に続いて黒髪鬱美人が参加してきた。

「ロヌが酷い目に遭うと胸がスカッっとする作品だったな」

「読み方がヒドすぎるよ!?」

さらりとクズ発言をした黒髪鬱美人に由比ヶ浜がつっこむ。

さっき初めて会ったばかりの人間にツッコミを入れられるなんて、こいつのコミュ力は恐ろしくさえあるな……。

しかし黒髪鬱美人は気分を害したのか、語気を強めて言い放つ。

「何を言うか。ぼっちに『だから友達が出来ない』なんて言う奴こそ最低だろう!」

「へっ!? あ、や、ごめん……」

いきなり怒り始めた黒髪鬱美人。

まあ奴の言わんとする事はわかる。

そう、それは物語の序盤にハミーの親友のロヌがまだ仲良くなる前のハームオウンニーに言い捨てた一言だ。

俺もこの台詞を見たときに本気でロヌが嫌いになった。先程の許せなかった奴とはもちろんロヌの事である。

いっそ氏ねばいいとすら思う。

ていうか最後まで生き残んの?

「奴があの発言をして以降、いつ苦しみ抜いた上で無様に野垂れ氏ぬのか楽しみにしていたのにハッピーエンドで終わらせた作者の底意地の悪さに驚きを隠せなかったぞ」

「俺はお前の意地の悪さに驚きを隠せねぇよ……」

「む、ふん……」

小さくなった由比ヶ浜のかわりに羽瀬川が言うと、黒髪鬱美人はさらに不愉快そうに眉を寄せる。

「ちょっと! いつまでも下らない話なんかしてないでさっさと順番決めるわよ!」

こちらはこちらで何故か不機嫌MAXの金髪ビXチの発言だ。

MAXと言っても缶コーヒーの話ではない。念のため。

「なんだ肉、仲間外れで寂しかったのか? だが安心しろ、貴様に初めから仲間はいない」

「別にそんなんじゃないわよ! ……こ、小鷹はあたしの味方よね?」

黒髪鬱美人に煽られて不安になったのか、金髪ビXチが羽瀬川に確認する。

数瞬間が空いてから口を開く。

「……星奈の味方って言うか、この場合は隣人部の味方だろ」

その答えに納得しなかった様子の二人は小さく呟いている。

「どうだか。さっきは自分からあの乳女に話しかけに行ったくせに……」

「あたし達を差し置いてね」

「え? なんだって?」

「「なんでもない!!」」

……またこの流れか。

296: 2012/12/25(火) 05:01:33.27


「にしても、お化け屋敷かぁ……」

それぞれの部が作戦会議に入ったところで由比ヶ浜が小さく独りごちる。

「どうした?」

「う、うん、ちょっとね……」

「怖いのが苦手とかか? でも千葉村のときは夜の森でも割と平気そうだったろ?」

「や、あんときはだいじょぶだったけど幽霊とかはちょっと怖いかも。でも、お化け屋敷は人がやってるってのはわかるから平気なんだけど……」

「怖いと言うよりびっくりすると言う事かしら」

「それもあるんだけどさ……その、ちょっと言いにくい事なんだけど……」

言葉通りとても言いにくそうにしている由比ヶ浜。

その両手は自分をかき抱いている。

「由比ヶ浜さん、どうしたの?」

普段とは若干違う様子に雪ノ下が気遣わしげな声で尋ねる。

「その……、中って暗いじゃん?」

「そうだろうな」

「……だから、たまに触ってくる人がいるんだよね……」

「は?」

「酷いのになると脅かす振りして露骨に抱きついてきたりするのもいるって話だし、あたしも去年、む、胸とか掴まれたし……」

胸、と言うあたりで由比ヶ浜は僅かに頬を染めて俯く。そしていっそう強く腕に力を込める。

「実際に被害に遭う子って結構いるらしいんだけど、大事にするのは勘違いしてるみたいで恥ずかしいし、文化祭を台無しにしちゃうのも悪い気がしてほとんどが泣き寝入りしちゃうみたい……」

……そういうことか。

297: 2012/12/25(火) 05:04:58.25
文化祭のこの手のアトラクションに入った事はないが、由比ヶ浜が言ったように中は暗いはずだ。

その上ゾンビとかに仮装している可能性が高く、更に言えば壁から腕のみ出したりと姿を見せないものも存在するだろう。

故に個人を特定する事は難しい。

加えて、ホラー系である以上悲鳴を上げる事は前提とされているので仮に触られた悲鳴であっても外からは判別は付かない。

物理的な条件が整い、心理的な要素を逆手に取ることができる。

確かにそう言った行為をするには絶好の場所だろう。

……不愉快な話だ。

「……不愉快な話ね」

俺の心の声とほぼ同時に雪ノ下が吐き捨てる様に言う。

「や、全部が全部そうって訳じゃないから! あくまで一部の話だからね?」

「でも、由比ヶ浜さんはそう思ってないのでしょう?」

「そ、そんなことないよ! あたしはだいじょぶだよ!」

明るい笑顔で取り繕う由比ヶ浜。

だが、

「無理すんなよ、由比ヶ浜」

「あなた、震えてるじゃない」

「っ!!」

雪ノ下の指摘にビクッとする由比ヶ浜。

こいつは隠し切れているようだったが、様子がおかしい事は見れば一発でわかるし、なにより話し始めてから自分をかき抱くその姿勢を全く変えていない。

「由比ヶ浜さん、あなたはこの勝負は棄権しなさい」

「でも、あたしが原因で始まった勝負だし……」

「バカかお前は……」

そんな責任を感じてたのか。

男の俺でさえ満員電車で近くのおっさんがはぁはぁ言ってるだけで怖いのに、暗闇で体を触られるのはきっと計り知れない恐怖だったろう。

それを押さえて、文字通り押さえつけてまで自らが思い込んだ責を果たそうとしていた。

これをバカと言わずして何と言おう。

298: 2012/12/25(火) 05:06:09.15
「バ、バカって言うなし! ってかバカじゃないですぅー。バカってゆうほうがバカなんですぅー」

……お前はどこの金髪美少女だよ。

「いいえ、バカはあなたよ、由比ヶ浜さん」

「ゆきのんまで……!」

思わぬところからの攻撃に泣きそうになる由比ヶ浜。

「ついさっき、遠慮や気遣いは無用と言ったばかりじゃない。それをもう忘れたと言うのなら、バカとしか言いようがないわ」

言い回しこそ普段の雪ノ下だが、その表情は怒っているというより拗ねていると言った方が正しいだろう。

そんな雪ノ下を見て由比ヶ浜は若干ばつの悪そうな表情をする。

299: 2012/12/25(火) 05:07:10.71
だが珍しく由比ヶ浜は引かなかった。

「ごめん、ゆきのん。でも、やっぱり迷惑はかけられないよ」

「……そんなに、私は信用がないのかしら」

俯いて哀しそうに軽く嘆息した雪ノ下だが、顔を上げた次の瞬間にはもう俺が奉仕部に入った頃の冷めた表情になっていた。

そして由比ヶ浜の方を見もせずに淡々と告げる。

「わかったわ。では私が最初に行って安全を確かめてくるから、その上で由比ヶ浜さんの出場の可否を決めるわ」

なんでそうなる……。

「バカかお前は……」

「……何を根拠にそんな事を言うのかしら。はっきり言って私が比企谷君に劣っている事は皆無よ。私は合気道の有段者だし自分の身くらい自分で守れるわ。出しゃばらないでくれるかしら」

雪ノ下は俺をギ口リと睨むと、舌鋒鋭く無意味に罵倒してくる。

……お前でも余裕を失う事もあるんだな。

って結構あるか。由比ヶ浜関連だと。

300: 2012/12/25(火) 05:10:38.54
「お前なぁ、自分も女だって事を忘れてないか?」

「……は?」

いやそんなキョトンとされてもな。

「正直、男の俺から言わせてもらうと、お前も由比ヶ浜も十分標的になるぞ。むしろ率先して襲うレベルだ」

「「……」」

二人は押し黙り、自然と顔を見合わせる。

沈黙が続き、何かとてもマズイ事を言ったような雰囲気が流れた。

いや実際マズイ事を言ったのだが。

「比企谷君、通報して欲しいの?」

「違えよ!」

確かに言い方が悪かったが慌てて携帯を取り出すのはやめてほしい。

てかお前それバッテリー切れだろ。

「ま、まぁ俺が言いたいのはあれだ、仮にこのお化け屋敷の奴らがセクハラを目論んでいたとして、相手もバレないようにそれなりの対策は施しているだろ」

「……それは、そうね」

「だったらまず危険度MAXのお前達より危険度皆無の俺が行くのが合理的だろ。お前の好きな論理的思考ってやつだよ。それに、どこに何があるくらいは調べられるし」

地の利を潰せばいくらでも対策が取れる。

最悪、雪ノ下たちが襲われた場合は隣人部巻き込んで全員で突入してやる。

恐らく金髪ビXチが先陣切って突っ込むはずだ。羽瀬川も相当な戦力になるだろう。

雪ノ下は目を瞑り、数呼吸間を置いてから答える。

「……わかったわ。それで行きましょう」

「んじゃ、向こうも準備できたようだし早速行ってくるわ」

「ええ」

二人に背を向けて入り口に向かう。

すると、後ろから声がかけられた。

「ヒッキー」

振り向くと由比ヶ浜がちらりと雪ノ下を見てから言う。

「ありがとね」

軽く手を挙げて答えて、再び入り口へと向かう。

礼を言われる事なんて何もしてないけどな。

301: 2012/12/25(火) 05:13:59.71
入り口には羽瀬川がいた。

じゃんけんをして先攻後攻を決める。

俺の石のように硬いグーは羽瀬川の紙のようなパーに包まれて敗北した。

いつも思うけどこれグーの方が強くね? だって石は紙突き破っちゃうよ?

同じ理屈で猟師は役人より強いと思います。銃持ってるし。

なんにせよ先行は羽瀬川になった。

タイムトライアル形式ということで、道順を教えてもらえる後の人間が有利になる。

そして先程の話もあって、偵察の役目は大きいだろう。

俺の責任は重大である。

第一、セクハラごときがあいつらの関係にヒビをいれるなんて許せる事ではない。

今の俺はやる気に充ち満ちているッ!

302: 2012/12/25(火) 05:16:22.41
そんな俺を尻目に、羽瀬川が中へと入っていく。

教室2つを使っているようなのでそんなすぐには出てこないだろう。

しばらくして、男の野太い悲鳴が短く上がった。

羽瀬川がこういうのが苦手だったのか、それともクオリティが高いのかはわからないが、これはしばらくかかりそうだな。

ほどなくして再び悲鳴が上がる。

女子の悲鳴が。

え?

続けざまにいくつもの叫びが聞こえ、そこからは阿鼻叫喚のおおわらわだった。

「や、やめてくれ!」だの「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」だの「おかあさぁぁぁぁん!」だの、男女問わず様々な悲鳴が巻き起こっていた。

そしてある瞬間を境に、ぱたりと悲鳴が止む。

呆気にとられていると出口がガラガラと音を立てて開き、引きつった笑みを浮かべた羽瀬川が出てくる。

不審に思った様子の受付が中に入り、数分後に出てきた。

そして手には看板を持っている。

『本日の営業は終了しました』

その看板を入口と出口の前に立てると、無言で去っていった。

……うん、掛ける言葉もねえ。

303: 2012/12/25(火) 05:16:48.51
「お、俺たちの負けでいいわ」

なんとかひねり出した言葉が虚しく廊下に響く。

お化け屋敷の中からはもはや物音一つしない。

「……そっか。……悪いな」

なんとも言えない曖昧な表情をして羽瀬川は隣人部の元へ戻っていった。

俺も戻るか……。

304: 2012/12/25(火) 05:20:38.02
「ヒッキー、おかえり」

「お、おかえりなさい」

「何もしてねえけどな……」

あれだけ息巻いていた自分が恥ずかしい。

たはは、と由比ヶ浜が力なく笑う。さすがに羽瀬川の事が気の毒になったのだろう。ついでにたぶんきっと俺の事も。

「雪ノ下、俺たちの負けって事にしたけど、それでいいか?」

「……ええ。続けられない以上、仕方ないものね」

これで1対2。まだまだ始まったばかりだというのにこの疲労感は何だろう……。

次はまた俺たちが種目を決める番だ。

出来るだけ楽なのが良い。

「で、次は何にするんだ?」

雪ノ下に水を向ける。

「それはこれから決めるわ」

「そっか」

「……その前に、その、……さっきはごめんなさい」

ぺこりと頭を下げて蚊の泣くような声で言う。

「……はぁ? なんのことだ?」

『さっき』に限定すれば謝られるようなことをされた覚えはない。

むしろ普段の暴言を謝って欲しい。絶対に許さないリストはもう2冊目を終えそうだ。

「……相変わらずなのね」

雪ノ下は顔を上げて少し不満そうな顔をした。位置関係的に上目遣いになっている事にあざとさを感じる。

恐らくというか確実に無意識なのだろうが。

「そりゃ、人はそうそう変わらねえよ」

思わず目どころか顔をそらして答える。

「ふふっ」

そんな俺たちを見て由比ヶ浜がくすくす笑っているのがなんとも無性に気恥ずかしかった。





つづく

320: 2013/01/04(金) 02:16:10.25

「それで雪ノ下、負け越してるけど次はどうするんだ?」

「……そうね、これ以上負けが続くと士気にかかわるから、次は確実に勝てる種目にしたいわね」

「となると千葉県横断ウルトラクイズか」

「ヒッキー、千葉県の学校でもそんなの文化祭でやってないと思うよ……」

「大体それは由比ヶ浜さんの誕生日パーティーの後にやったじゃない」

「あぁ、確かにやったな。伊勢海老(キリッ)とか言ってたもんな。けどあんなんじゃまだまだ千葉の事は語り尽くせて無い!」

「ふうん。あなた、また負けたいのかしら?」

「はっ、平塚先生の年齢に合わせたあんな前時代的で古いバラエティ番組みたいなルールで勝った気になられてもな」

「それ平塚先生が聞いてたら危ないよ?」

「まぁ、どんなルールでも千葉の事で私が比企谷君に負けるなんてありえないけれど」

「おいおい、言ってくれるじゃねえか。なんなら今から再戦してもいいんだぜ?」

「望むところよ。では、交互に一問ずつ出していくというルールでいいかしら」

「二人とも千葉への愛が深すぎるよ!? ウルトラクイズの前にこっちの戦いを終わらせようよっ!」

由比ヶ浜に諫められてようやく冷静になる俺と雪ノ下。

いかんいかん、どうも千葉の事になるとつい熱が入ってしまうな。

それは雪ノ下も同じなようで、コホン、とごまかすように咳払いしている。

321: 2013/01/04(金) 02:20:48.27
「では、気を取り直して考えましょう」

雪ノ下が言うのもおかしな気がするが、ここは黙っておこう。

「何かこれだけは負けない、ということはあるかしら

「千葉愛

「それはもういいってば!」

食い気味に即座に答えた俺に更にかぶせてツッコミをいれる由比ヶ浜。

こいつ、腕を上げたな……。

「なんだよ……。……じゃあ、学生生活における独りでの過ごし方、とか」

「独りになってる時点でなんか負けてるよ!」

「由比ヶ浜さん、それは少し違うわ。独りにならされているのなら負けているけれど、自ら進んでそうなっているのならその限りではないわ」

なんとも意外な事に、雪ノ下がフォローしてくれた。

さすがぼっちマイスターだぜ雪ノ下さん! 言ってやれ!

「比企谷君の場合は社会そのものに負けているのよ」

さすが罵倒マイスターだぜ雪ノ下さん! やめてくれ!

やっぱりフォローなんてされてなかった。

322: 2013/01/04(金) 02:24:56.48
「おい雪ノ下、人を社会不適合者みたいに言うな」

「え? 違うの?」

「違えよ。社会の方が俺に適合していないんだよ」

「比企谷君、そのネタはもう使い古されているわ。やり直し」

「えっ!? やり直し!? なんかポイントずれてないですか!?」

ふむ、と呟き小首を傾げる雪ノ下。

その姿勢のまま目を閉じつつ頬に人差し指を当てて、何かを考えるそぶりを見せる。

「……」

珍しく子供っぽい仕草をしている雪ノ下はとても可愛らしく、思わず目を奪われていると、やがて目を開きまっすぐこちらを見つめてきた。

「比企谷君の場合は社会そのものに負けているのよ」

「本当にやり直す気なのかよ! さっきの間はなんだったんだよ!」

思わずつっこんだ俺の隣では由比ヶ浜が、ぷっと吹き出すと声を上げて笑い始めた。

「あははっ! ……もう、二人ともちゃんとやろうよ。……ぷふっ」

「……そうね。比企谷君、ちゃんとしなさい」

「そうだよヒッキー、ちゃんとしようよ」

「二人ともって言ってただろ……。てか今のは主に雪ノ下が悪いだろ」

何この理不尽に叱られる感じ。ハチマン、しっかりしなさい。

323: 2013/01/04(金) 02:28:13.29
まぁ実際いい加減にしないと隣人部もそろそろしびれを切らしているところだろう。

ちらりと彼らの方を窺うと、しかしどうしてあちらはあちらで楽しそうに談笑中だった。

金髪ビXチが何か言い、黒髪鬱美人が混ぜっ返し、羽瀬川がつっこむ。

一見、金髪ビXチと黒髪鬱美人はいがみ合っているように見えるが、その実楽しんでいるのが透けて見える。

……仲がよろしいこって。

「で、雪ノ下、何やるかは決まったか?」

「……三人が三人とも得意なものがあればよかったのだけれど、そう甘くはないものね。だから、誰かに何か特化したものがあればそこに賭けるのが現実的ね」

なるほど、さっきの質問はそういう意図だったのか。

「なら、射撃はさっきやったから、あとはあやとりだな」

「使いどころの難しい特技ね……」

役立たずと素直に言わないのは優しさだろうか。たぶんきっと遠回しな当てこすりだろうが。

「特技かぁ……メールの返信には結構自信あるけど……」

「それは勝負には使えなさそうね」

「だ、だよねー……」

こんどはあっさり斬り捨てる雪ノ下。

判断基準がわからねえ……。

「そう言う雪ノ下はどうなんだ?」

「私は大体の事なら平均以上の事は出来るわ」

……確かに雪ノ下ならその言葉通り、大抵の事はやってのけるだろう。

ただそれを自分で言うのはどうかと思うが。

「……なら一人ずつ勝負していくものじゃなくて、全体で最も成績が良い者がいるチームが勝ちってルールにすればいいんじゃね?」

「さっきのお化け屋敷みたいな感じだよね?」

由比ヶ浜が確認してくる。

「そうなるな」

「では、そのルールを念頭に置いて考えてみましょうか」

そう言って二人は再びパンフを見始めた。

324: 2013/01/04(金) 02:29:55.35

「比企谷君、これでどうかしら?」

数分後、雪ノ下がパンフを指差しながら聞いてくる。

「いいんじゃね?」

それをろくすっぽ見もせずに答えた。

さっきの形式であれば大概の事は雪ノ下がどうにかしてくれるだろう。

つまり、俺はおざなりになあなあでやっても良い事になる。

楽が出来そうで何よりだ。

「そう。では伝えてくるわ」

意気揚々と雪ノ下が隣人部の方に向かう。

その背中を見送っていると、つんつんと肩をつつかれ、そちらを見てみると由比ヶ浜が何やら微妙な表情をしていた。

由比ヶ浜は俺の左耳のあたりに手を当てると、顔を近づけ耳元で囁く。

「ねえヒッキー、ほんとにあの種目でよかったの?」

射的の時の反省を活かし、雪ノ下に聞こえないように最大限配慮しての事だろうが、どうにもこうにも近い。

てか耳がくすぐったい。

てかなんかいい匂いがする。

てかこいつの手柔らかいな。

てかいつまでそのポジションにいるの?

「な、なにがだね?」

思わず動揺して気持ち悪い答えをしてしまった。

ぼっちに不用意に近づくとこうなる。そこのところをこいつは理解すべきだ。

325: 2013/01/04(金) 02:31:21.94
「ヒッキー、ゆきのんが選んだのって迷路だよ?」

……は?

「なんでお前止めないの? バカなの?」

「だってヒッキーも止めなかったし!」

それを言われたら何も言い返せない。

ちゃんと確認しなきゃ。

某消費者金融のCMが脳内で勝手に再生された。

最近あの人あんま見ないよね。あ、妊娠したんだっけどうでもいいな。

「とにかく、どうする?」

「そうだな……今日もこの学園に来るのですら迷ったのになんであいつがあんな自信満々なのかは知らないが、俺たちでどうにかするしかないだろうな……」

「うん、そだね。……あたしたちでなんとかしよう」

「ああ」

そうは言ったものの一体どうしたものかと考えていると、隣ではなぜか由比ヶ浜が嬉しそうにニコニコしている。

何がそんなに楽しいのか……。迷路で勝つための戦術なんて何も思いつかねえぞ……。

326: 2013/01/04(金) 02:32:51.19
俺が頭を抱えているうちに雪ノ下が戻ってくる。

「どうしたの比企谷君。リストラでもされた?」

「馬鹿を言うな。俺がリストラされるわけないだろ。専業主夫になるんだからな」

「あら、専業主夫にだってリストラはあるわよ。離婚という名のね」

「ふっ、離婚されるような主夫にはならないぜ。養ってもらうために愛想尽かされない程度には家事をこなすからな!」

「相変わらず頭の痛い事を言う人ね……」

雪ノ下はやれやれと溜息をつくと、由比ヶ浜の方を向く。

「では由比ヶ浜さん、次の場所に向かいましょう。校庭にあるみたいよ」

「うん! ほら、ヒッキーも行くよ!」

雪ノ下は意図的に俺を除外したようだが、気にせず楽しそうに俺の手を引く由比ヶ浜。

「やけにやる気のようね。頼もしいわ」

……一番頼りにならない奴に頼もしいとか言われてもな。

327: 2013/01/04(金) 02:38:18.73

現地に着いてみると、その迷路の巨大さに驚く。

学園の広大な敷地を活かしているようで、入口側から見える面の長さは約50メートルといったところだろうか。

こちら側からは奥行きはわからないが高さは目測でおよそ2.5メートル。

タイトルは『Minotauros』で結構まんまな命名である。

外観は薄汚れたコンクリート風に描かれているが、若干塗装が甘く下地の木が見えていることから察するに、恐らくベニヤ板だろう。

しかしその稚拙な感じが急に曇り始めた空と相まって逆に不気味な雰囲気を演出している。

完成度はなかなかだが、気になる事がある。

時折、中から獣のような雄叫びと人の悲鳴が聞こえる事だ。

迷路でそれはおかしいだろ……。まあタイトルを見れば大体想像はつくが。

ついでに言うと見た限り屋根がない。

屋外だし雨降ってきたらどうすんだこれ……。

328: 2013/01/04(金) 02:42:36.83
疑問はさておき、受付に近づいてみると見知った顔がいる事に気がついた。

「やあ、お兄ちゃんたち。迷路をやりに来てくれたのかな?」

受付にいたのはシスコンシスター、銀髪美少女こと高山ケイトだった。

「ケイトか。じゃあここは教会の出し物なのか?」

羽瀬川が質問している。

「違うよー。有志の子たちがいてね、監督を頼まれたんだよ。規則はザルだけど、大規模のものだと一応形だけでも監督者がいないといけないらしいからね」

「そんなことより、ちょっと頼みがあんだけど」

会話に割り込んだ金髪ビXチは例のごとく、勝負中だという事を説明し便宜を取りはからうよう要請する。

この間、奉仕部の面々は少し離れたところで待つのが既に慣例化していた。

ところで、お兄ちゃんと呼ばれた羽瀬川と高山ケイトはまるで顔が似ていないが、そう呼ぶからには妹なのだろう。

もし義妹とかそんな感じだったら税を取るべきだ。義妹は嗜好品だとどっかのヤバめの文豪が言っていたし。

ていうか名字違くね?

……課税決定!

329: 2013/01/04(金) 02:46:47.50
説明が奉仕部のあたりまで及んだのか、高山ケイトはこちらを見ている。

彼女は俺に気付くと、軽く手を振ってくる。

「おや、八幡君。また会ったね」

「……ああ、意外と早い再会だったな」

本音を言えば意外と早いどころか二度と会わないと思っていたのだが。

「知り合いだったのか?」

羽瀬川が意外そうな顔をして聞いてきた。

「まあな。と言っても、知り合ったのはついさっきだけどな」

「そうそう、熱い戦いだったよ。わたしは負けちゃったけどね。でも、次は負けないからね」

へへっ、と不適な笑みを向けてきたので俺も負けじと不遜な笑みを返す。

「ふっ、それはどうかな」

バチバチと視線が火花を散らす、と言う事もなく高山ケイトはその視線を逸らして微笑む。

「まぁ、今はそんな場合じゃないね。お兄ちゃんたちと勝負しているんだって?」

「成り行きでな。俺たちの勝ちって事にしてくれないか?」

俺の直截的な発言に苦笑する高山ケイト。

「それは駄目だよ、八幡君。どちらかと言えばわたしはお兄ちゃんの味方だからね」

それはそうだろうな。

ついさっき知り合ったばかりの人間よりかは、元々知っている方を応援したくなるのは当然の心理だろう。

程度の差こそあれ、人は知っているものに親近感を覚え、知らないものには嫌悪感ないしは恐怖感を覚えるものだ。

だから中学生のときに好きだったクラスの女子にメールアドレスを聞いて、

「まだ比企谷君のこと良く知らないし、もうちょっとよく知ってからでいいかな」

とやんわり明確に断られたのも当然と言えよう。

それ以来一向に会話もしなかったが彼女はどうやって俺の事を知るつもりだったのだろうか。

330: 2013/01/04(金) 02:50:01.46
俺が過去の甘酸っぱいというか超酸っぱい思い出に捕らわれていると、横から呟きが聞こえた。

「なんかだいぶ仲良さげだし」

さっきまでの上機嫌はどこにいったのやら、由比ヶ浜は口を尖らせている。

それに気付いていない様子の高山ケイトは話を進める。

「とは言っても審判を頼まれた以上、公平にやらせてもらうからお兄ちゃんたちもそのつもりで」

その言葉に頷く隣人部。

「じゃルールの説明に入らせてもらうよ」

高山ケイトは抑揚たっぷりにモチーフから設定されているストーリーまで事細かに説明し始めた。

が、大部分は勝負に関係ない事なので省略。

要約すると、ルールは以下のようになる。

基本的な勝利条件はこちらが指定した通り、先程のお化け屋敷と同様に最も早く抜け出した者の所属するチームが勝利となる。

しかし他の客もいるため、それぞれのチームから5分おきに一人ずつ入るという形になった。

通常は同じ間隔で一つのグループを入れているようなので、これでもだいぶ配慮してくれている方だろう。

その他の点で特に留意する必要があるのは、ただ大きいだけの迷路では無いという事だ。

どういう事かというと、Minotaurosと銘打たれているようにこの迷路にはミノタウロスがいる。ギリシャ神話の半牛半人のアレである。

予想通り、そのミノタウロスがギリシャ神話よろしく迷路内を徘徊していて侵入者を発見し次第追いかけてくるようだ。

もし捕まった場合はゲームオーバー。強制的に外に連行される。

もう一つ何か仕掛けがあるらしいが、それは入ってからのお楽しみ、とのことだ。

ちなみに無事にクリアできたグループは今日でわずか4グループというかなりの高難易度に設定されていらしい。

以上のことを踏まえて作戦を立てなければならない。

331: 2013/01/04(金) 02:57:33.22
それぞれ受付から少し離れたところで作戦会議に入っている。

とは言っても、全員がほぼ同時に入ってしまう以上、作戦も何もない。

最初に入る人と最後に入る人では10分の開きがあるが、難易度の高さを考えるとそもそもクリアできるのかが怪しいので大した意味は無い。

「順番どうするか? 正直あんまり関係なさそうだけどな」

雪ノ下も同じ事を思っていたのか、大きく頷く。

「出来る事と言えば、最初の分岐でそれぞれ別の方向に行くと言う事ぐらいかしら」

「だな。立体構造じゃなさそうだし、一応迷路の法則は使えそうだからな」

「何その法則って。そんなのあんの?」

まだ機嫌が直っていなさそうな由比ヶ浜が首を傾げる。

「ええ、いくつかあるけれど道具無しで最も簡単に実行可能なのは、左右どちらかの壁に手をずっと触れさせたまま進むという方法よ」

「効率は決して良くないが確実にゴールできる。ただ、ゴールが外周沿いに無い場合と立体構造になっている場合は逆に絶対にゴールできないが。
とは言っても、施設の運用を考えると内部にゴールがあるのはどうしたって不便だから考えにくい。そして高さ的に立体構造は不可能だ」

「地下が造られている可能性は否定しきれないけれど、見たところ元はただの広場のようだし文化祭程度ではこれも現実的ではないわ」

「えっと、じゃあその方法は使えるんだね」

「そう考えていいと思う。明かされていない仕掛けが気になるけれど、それは臨機応変に対応していくしかないわね」

「順番は雪ノ下、俺、由比ヶ浜でいいか?」

方針がまとまったところで、一瞬由比ヶ浜に目配せをしてから確認する。

「あたしはそれでいいよ」

どうやら意図は伝わったようで、間髪入れず由比ヶ浜が応えてくれた。

「私も異論はないわ」

「分担は雪ノ下が左壁沿い、由比ヶ浜が右壁沿い、俺は真っ直ぐがあれば直進してから左壁沿いで、無ければ左壁沿いに行って最初の分岐で右に移る」

「それもそれでいいわ」

もちろん意図があっての順番と采配だがそれに気付くことなく雪ノ下は頷き、由比ヶ浜がそれに続く。

「んじゃ、作戦も決まった事だし、さっさと行くか」

332: 2013/01/04(金) 03:16:08.83
受付の前に行ったが、隣人部は先程の俺たちと同様に少し離れたところで作戦会議をしていた。

「八幡君、順番は決まったかい?」

「ああ。こいつが一番最初だ」

投げかけられた質問に答えつつ雪ノ下を見る。

「そっか。さっきも説明した通りリタイアする場合はいたるところに非常口があるから、そこから出てね。ミノタウロスを捜してわざと捕まってももいいけど、こっちはあまりオススメできないかな」

「了解したわ」

口ではそう言いつつも、リタイアするつもりなど毛頭無いのは明らかだ。

相変わらずの負けず嫌いさんである。

「ああ、それと、いろいろと作り込み過ぎちゃって結構精神に来るものがあるから、不安を感じたら早めにリタイアしてねー」

なにやら恐ろしい事を超カルい感じで言う。

精神に来るものってなんだよ。

その時、すぐ近くでミノタウロスとおぼしき唸り声と悲鳴が聞こえた。

「うおっ!?」

「うわっ!?」

由比ヶ浜と同時に声を上げる。

近くで聞くと結構迫力あるな……。

視界の端では雪ノ下も肩が跳ねていが、平然を取り繕っているのが見なくてもわかる。

「やー、また誰か殺られたみたいだね」

そんなことをニッコリ笑って言う高山ケイトも十分恐ろしかった。

346: 2013/01/08(火) 03:03:18.69
ほどなくして隣人部も受付前にやってきた。

「よし、早速始めようか。最初の一人は前に出て」

こちらからはもちろん雪ノ下、向こうからは黒髪鬱美人が出てきた。

二人して入口前に並ばされる。

「わたしとしてはあんまり勝負に拘らないで純粋に楽しんでくれた方が良いんだけど。……そういうわけにもいかなそうだね」

雪ノ下のあまりにも真剣な表情を見て苦笑している高山ケイト。

「ゆきのん、無理しないでね」

「ええ、無理をするつもりはないわ。その必要が無いもの。私に任せて頂戴」

無根拠に自信満々な様子の雪ノ下だが、未だかつてこれほど頼りにならない場面があっただろうか……。

「それじゃあ、ごゆっくり」

高山ケイトはニヤリと笑うと、扉を開け放ち二人を押し込むとすぐにその扉を閉めた。

「さて、次までは5分あるからそれまでに準備しといてねー」

そう言って受付カウンターから這い出ると、交代の生徒を呼びどこかに行こうとする。

「わたしはこれからうんこしに行くからちょっと席を外すよ。頑張ってね、お兄ちゃんに八幡君」

「ケイト……人前でうんこ言うのはやめろよ……」

羽瀬川の言葉に尻を掻きながら適当に返事をしてそのまま去っていく。

……あんな美少女がうんこしに行くとか言うのはマジでやめてもらいたい。

347: 2013/01/08(火) 03:04:51.76
「ゆきのんだいじょぶかな……?」

固く閉ざされた扉を見つめながら由比ヶ浜が言う。

「どうだろうな……」

正直、未知数としか言いようがない。

あいつは大抵のことに関しては突出した能力を発揮するが、迷子になることにかけては完全に他の追随を許さない領域にいる。

さらに彼女の性格上自主的なリタイアはまずしないだろうから、最悪の場合いつまでたっても出てこない事態も想定される。

携帯電話もバッテリー切れで連絡は取れないから打つ手が無い。

ミノタウロスさんに捕まってくれれば御の字、と言ったところだろうか。

しかし、もしかしたら迷うことが前提である迷路であれば逆になんか正解の道を選ぶ可能性が考えられない事もないというかむしろそうであって欲しい。

勝つためには最低でも一人はゴールしなければならないのだから、雪ノ下も無事に到達してくれればそれにこしたことはないからな。

まぁ、なんにせよ俺がゴールすることが出来れば勝つ確率は上がる。

「ちょっと俺行くとこあるから、順番待ちしといてくれ」

「うん、わかった」

やれることはやっておいた方が良いだろう。

348: 2013/01/08(火) 03:07:45.74

5分というのは意外と短いもので、すぐに俺の出発時間が来た。

もちろん高山ケイトは戻ってきていない。うんこしているのだから仕方がない。

交代で入った受付の人は先程俺たちが受けたものと同じ無駄に長い説明を後続の待っている人たちにしている。

待ち時間の退屈しのぎという配慮かもしれない。

彼らはまだしばらく待つことになるが、出発を控えた俺には時間がない。

行く前にやっといた方が良い事がいくつかある。

「由比ヶ浜、行く前に一つ確認したいんだが」

「何?」

「お前自分がどっちに行くか覚えてる?」

「へ? ひたすら右沿いにいってればいいんでしょ?」

よし、ちゃんと覚えてたか。

由比ヶ浜は俺の表情から考えている事を読み取ったのか、軽く睨むような目付きをしてびしっと指差してくる。

「いくらなんでもそんくらい覚えてるよ!」

憤慨する由比ヶ浜を宥めつつ、追加の作戦を伝える。

「じゃ、その覚えているついでに入口の方向も覚えていた方が良いな」

空き時間を利用して軽く迷路の周囲を調べてみたところ、入口を正面として両側の側面には非常口がいくつかあるのみだった。

さすがに裏側には回れなかったが、必然的に出口は背面にあると言う事になる、ということを手短に説明する。

349: 2013/01/08(火) 03:17:59.22
「とにかく入口との距離感を頭に入れておけば自分の居場所がざっくりでもわかるからな。気休め程度でしかないが」

「どっかいっちゃったと思ってたら一人でそんなことしてたんだ……」

意外そうな顔をした由比ヶ浜は、しかし次いでなぜかバツの悪そうな表情をする。

「てっきり受付の可愛い子を追いかけてヒッキーもトイレ行ってたのかと思ってた。なんかやたら仲良さそうだったし……」

「別に仲が良いって訳じゃねえよ」

てかたとえ仲が良かったとしても、連れションならぬ連れうんはないだろうに。

そもそも男女で連れうんは色々と問題だらけだ。

「でも、ヒッキーのこと名前で呼んでたし……」

「名前で呼んでたからって仲が良いってことにはならないだろ。例えばほら、たいていの人は織田信長のことを信長って呼ぶけど仲が良い奴なんて一人もいないし」

「でた屁理屈……」

「うるせ。俺は名前呼び=仲良しじゃないと言っているだけなのに、お前はそれは屁理屈だと言う。由比ヶ浜は、自分の意見は理論で他人の意見は屁理屈って言うような奴なのか? 酷い奴だな」

「ち、違うし! そんな酷いことしないし!」

「ほら、違うだろ。今お前が認めたように、名前で呼ぶのは仲良しこよしって訳じゃない」

「う、うん、そだね。 ……え? ……なんか違くない?」

ちっ、バレたか。完全に詭弁というか論点のすりかえだからな。

「まぁそんなことは置いといて、とにかくさっきの点に注意しといてくれ」

「……わかった」

まだ納得いっていなさそうな様子だが、強引に話を進める。

「それと、途中で雪ノ下を見つけたら合流しといてくれ。ほっとくと色々大変な事になりそうだからな」

「それは任せて。ゆきのんは別行動の方が効率いいとか言いそうだけど」

確かに超言いそうだ。まず間違いなく言うだろう。

「でもなんとか説得してみるよ。一人にしとけないもん」

……たぶん、お前のその気持ちをそのまま言えば大丈夫だ。

とは言わない。俺が言う事ではない。その必要もない。

由比ヶ浜は一人で楽しそうにというか嬉しそうに頷くとこちらを向く。

「ヒッキーもゆきのんが心配だったんだね」

……微笑みつつそんなふうに言われたんじゃどうしていいかわからない。

「……んじゃ、行ってくるわ」

微笑みが苦笑に変わったような気がしたが、背を向けてしまえばわからないので問題ない。

「うん、頑張ろうね」

後ろから聞こえる由比ヶ浜の声。

「……ああ、それなりにな」

……頑張ろう。

350: 2013/01/08(火) 03:19:34.57
入口の前に立つと、金髪ビXチが横に立つ。

間髪入れず、受付の人が扉を押すと、ギギギギッっと軋みながら開いた。

「どうぞ、ごゆっくり」

先程の雪ノ下たちと同様に押し込まれるとすぐに扉が閉り始める。

完全に閉まるその一瞬前、扉の奥では並んだ由比ヶ浜と羽瀬川が何か会話をしていたのが目に入った。

だからどう、というわけではないが。

横では金髪ビXチが閉まったばかりの扉を憎々しい目付きで見ている。

だがそれも数瞬のことで、すぐに右奥の方へと突き進んで行った。

351: 2013/01/08(火) 03:20:48.24
さて、俺も進むとしよう。

入口扉前は既に前方と左右に道が分岐していた。

俺が進むべきは前方の道だ。

壁は外壁と同様のペイントがなされていて、ところどころに継ぎ目があるにはあるが、模様から場所を特定するのは難しいだろう。

グループ客を考慮してか、幅は1.2メートル程度で二人くらいなら並んで歩くことは可能だ。

人生ソロプレイヤーの俺やもこっちにはなんの関係もないが。

とりあえず直進し、左の壁に触れる。

後はこの手を離さずひたすら歩き続けるだけだ。

ぜ、絶対離さないんだからねっ!

……よく考えたらこれって結構ヤンデレっぽい台詞だよな。

いやまあ、比喩なんだろうけどさ。

352: 2013/01/08(火) 03:22:29.68

とりとめもない事を考えつつただただ進み続ける。

高山ケイトが言っていたように、作り込みは相当なものだ。

進んでも進んでも見えるのは全く同じグレーの塗装の壁のみ。

天井がないために空が見えるが、うまく高さ設定がされていて広場周辺に生えていた木々は見えない。

なおかつ曇っているために空でさえグレーだ。外観から推測した規模を考えても、しばらくはずっとこの光景を見せられ続けるのだろう。

いたるところに非常口があるとのことだったが、もう10分くらいは歩いていて相当数の分岐を潰しているはずなのにまだ一つも見ていない。

俺には壁に触れつつ歩き続けるという明確な指針があるからまだ良いが、これで何の目的も無くただ歩くだけになったり、本気で迷ったりしたら精神的な負担はかなり大きいだろう。

加えて、時折聞こえる雄叫びと悲鳴。

この状況で追いかけられたりしたらパニックを起こしてしまいかねない。

是非とも遭遇したくは無いものだ。

353: 2013/01/08(火) 03:34:22.36

効率が悪い方法をとっているのはわかっている。

だが歩いても歩いても完全に同じ景色にいい加減にうんざりする。

きっともし俺が専業主夫になれなくて働くはめになったらこれと同じ光景を見るのだろう。

歩いても歩いても変わらない景色。

働いても働いても変わらない仕事量。

毎日毎日同じ職場に通い続け、同じ景色を見続け、やがては俺もその景色の一部になってしまうのだろう。

……絶対働かない。

ああ、情報量が少ない空間は駄目だ。

こうやって何も考えなくて良い空間に放り出されたら思わず自分を見つめ直しちゃうだろ。

目に映る光景はグレー一色だが、俺の歴史は真っ黒だからな。

白ヒゲガンダムが3、4体は発掘される勢い。

354: 2013/01/08(火) 03:35:20.94

思考能力の一部が麻痺してきたところでようやく変化が訪れた。

件の非常口だ。

枠は黒と黄色の縞々にペイントされ、扉部分には赤い下地に黒い文字で『非常脱出口』とでかでかと書かれている。

見つけて思わずほっとしてしまい、実は俺もやや参っていた事に気付く。

ここでリタイアするつもりはないが、外の景色を見たい気持ちも相当にあったので、確認の意もこめて扉を開いてみる。

景色で大体の場所をつかめもするだろう。

だが、ノブを捻り手前に引いた俺が見たものは外の景色ではなかった。

見えたのはまたしても同じグレーの壁。顔だけ出して扉の外を見てみるが『→出口』との表示はあるが、一本道である事以外は全て迷路内と同じだった。

そういうことか……。

どうやら迷路全体をこのリタイア専用通路とも言えるもので囲んでいるようだ。

俺みたいにセコい真似をする奴への対策だろう。

さらに非常口はオートロックで迷路側からしか開かないと言う念の入れようだ。

本当に作り込んでるなぁ……。

355: 2013/01/08(火) 03:36:49.51
とにかくチェックポイントともいえる目印を見つけたので一度頭の中を整理してみる。

ここは外周部であることと、かろうじて覚えている入口の方向とを照らし合わせると、恐らく入口から見て左側面の半分よりやや奥側といったところだろうか。

左側はおよそ半分程度制覇したと言って良いだろう。

そして俺が左の端部に到達したということは、歩くペースにもよるが、先に左側を攻めていた雪ノ下とそろそろ会うはずだ。

情報を交換し合う為にも、一度会っておくべきだろう。

壁に触れる手を右に切り替え、分岐を少し遡る。

いくらか前に通過した十字路まで戻り、まだ俺が通っていない分岐の前で立ち止まった。

壁沿いに歩き続けていれば合流できる箇所は必然的に限られてくる。まだ踏破していないところがある分岐がそれにあたる。

運が良かったのか悪かったのか、俺が通った道はほとんど全て分岐を潰せている。

おそらくはこの辺りで合流できるはずだ。

356: 2013/01/08(火) 03:38:24.61

ほどなくして、雪ノ下がひょっこりと顔を出す。

「……比企谷君」

雪ノ下は俺を見ると、足早に近寄って来る。

「雪ノ下、遅かったな。待ちくたびれたぞ」

「待ってたの?」

実際はそれほど待ってもいないし、そもそも待ち合わせもしていないのだから待ちくたびれたはおかしいが、ただ単にアロハのおっさんの真似をしてみたかっただけである。

「いや、気にするな。……雪ノ下から見て左が俺が来た道だ」

「そう、了解したわ。では、次の分岐まで案内して頂戴」

「おう」

最低限の説明で言わんとしている事が伝わった。話が早くて助かるな。

歩き始めると雪ノ下がスッと隣まで来て並ぶ形になる。

「ああ、それと、非常口を見つけたから一応そっちも案内しとく。目印になりそうだからな」

雪ノ下は返事をせず、こくりと頷く。

ずっと歩いていたのだから疲れているのかもしれない。

少し歩くペースを遅くしてやるか。

こういう時間がとれるように雪ノ下を一番早く行かせたんだからな。

無論、迷子になって一番時間がかかりそうだから、というのもあるが。

357: 2013/01/08(火) 03:40:09.68
非常口からはあまりはなれていなかったのですぐに着く。

「あれが非常口ね。確かに目印として使えそうね。入口と非常口それぞれとの距離関係を覚えていればおよその現在地がわかるもの」

「そうだな。で、入口はどっちだと思う?」

「あっちよ」

雪ノ下は非常口に背を向けて自信満々に真っ正面を指差す。

うん、まあ、そっちでいいや。

「じゃ、次の分岐に行くか。そこでまた別の道に分かれよう」

「……ええ」

358: 2013/01/08(火) 03:49:49.22
目的の分岐に向かう道中、雪ノ下が口を開く。

「比企谷君、ミノタウロスは見た?」

「いや、まだ見てないな。何回か壁越しにすぐ近くにまできたっぽいが。雪ノ下はどうだ?」

「私もまだ出会っていないわ」

「なんか悲鳴を聞いてるとガチで怖いみたいだな。必氏に走りまわる音がよく聞こえるし」

「そうね。出来ればこのまま出会わずにゴールしたいわね」

お前は走ると体力尽きそうだからな。

もし体力が尽きた雪ノ下を支えることにでもなったらそれこそ大変だ。

その状態で男子グループにでも出くわしたら全員ミノタウロス化して襲いかかってきそうで命がいくつあっても足らない。

むしろ須川君を筆頭としたFFFがやって来るまである。

「……本当に遭遇したくないな」

「対処方法が無い訳じゃないけれどね。逃げる以外の選択肢もあるわ」

「へぇ、そりゃ心強いな。じゃあもし出くわしたら何とかしてくれ」

「ええ、私も心強いわ。今は比企谷君がいるもの」

横目でちらりと見てくる。

「人を便利な盾扱いするのはやめろ」

「心外だわ。そんなことは思っていないのに」

「じゃあそのニンマリした腹の立つ笑顔は何だ」

俺が指摘すると、雪ノ下はわざとらしく表情を引き締める。

「比企谷君、決してあなたは便利な盾なんかではないわ」

じっ、と見つめてくる。

「な、なんだよ……」

「あなたは、使い捨ての盾よ」

そうかよ。

例によって雪ノ下は小さく拳を握ってドヤ顔をしている。

……まぁ、雪ノ下が楽しいんならそれでいいんですけどね。

いくらぼっちマイスターの俺でも精神と時の部屋並に何もない迷路で独りで黙って歩いているのはさすがに気が滅入るからな。

こうして歩くのも悪くはない、と思っている自分がやや意外だった。

379: 2013/01/15(火) 04:15:28.60
やがて分かれるべき十字路に着く。

「俺は左に行くから、雪ノ下は右を頼む。これからは右側沿いに進んでくれ」

「……了解。次に会うときは、塀の外ね」

心なしかキメ顔で頷いた雪ノ下を確認して、背を向けて歩き出す。

なにやら囚人(俺)と面会者(雪ノ下)のような構図が一瞬脳裏にちらついたが気にしないでおこう。

より正確を期するなら囚人(俺)と刑事(雪ノ下)かもしれない。

それはさておき、このまま俺がこちらを攻略すればもしゴールが入口から見て左寄りにあればそう遠くない先に発見できるだろう。

逆に右側にあれば雪ノ下や由比ヶ浜が近くなる。

そして何より、あいつらが合流できる可能性が増える。

雪ノ下だけでなく由比ヶ浜まで勝負に拘っているが、本来の目的は別のところにある。

よくわからない勝負に巻き込まれてすっかり忘れていたが今日は文化祭に遊びに来ていただけのはずだ。

であれば、あの二人は別行動をするべきではない。

まあ、右に行かせたところで合流できるかはわからないが。

何となく後ろを見てみると、雪ノ下はちょうどくるりと背を向けて歩いて行くところだった。

380: 2013/01/15(火) 04:17:11.28
さて、再び気の滅入る作業の開始である。

ここからは時間の問題ではあるが進んでやりたい作業ではない。

やりたい作業ではないが、やらなければいけないのであればちゃんとやろうとしてしまう自分の社畜根性が恨めしい。

このままでは将来養ってもらうつもりがなんだかんだで働いてしまいそうで怖いな……。

今から気を引き締めて、働かない道を歩み続ける決意を新たにする必要がありそうだ。

絶対働かない!

さあもう一度!

絶対働かない!

381: 2013/01/15(火) 04:17:56.00
最初の角を折れると、俺の選んだ道は行き止まりだった。

……これは何かの暗示かと思ってしまうのは考え過ぎなんだろうな。

馬鹿な考えを振り払い、後ろへと引き返した。

先程雪ノ下と分かれた十字路を左に曲がる。

この道はやや長い真っ直ぐの道のようだ。

「比企谷くん」

振り返ると雪ノ下がいた。

「そっちも行き止まりだったのか?」

「ええ」

雪ノ下は答えると先に進む。

「そうか」

後ろからではその表情は伺い知れないが、やはり疲れているのだろうその足取りはやや重い。

俺はその背を追うように続いた。

382: 2013/01/15(火) 04:22:00.02
「由比ヶ浜さんは大丈夫かしら……」

雪ノ下がポツリと呟いた。

単なる独り言のような気もするが、一応答えておく。

「由比ヶ浜っぽい悲鳴は聞いてないから、たぶんまだ無事じゃないか?」

「それはそうだろうけれど、何もミノタウロスに追われることだけの心配をしているわけではないのよ」

「……ああ、お化け屋敷の時の話か」

「由比ヶ浜さんは『走って逃げれるから大丈夫』と言っていたけれど……」

元々遅かった雪ノ下の歩調がさらに鈍くなる。

まぁ雪ノ下の言うことはわからないでもない。

まさかこんな場所でそんな愚行を犯す輩がいるとは考えにくいが、しかしあの話を聞いた後では心配にもなるだろう。

雪ノ下のことだろうから迷路で勝負することを決める際に考慮しなかったはずはない。しかし今更それを口に出すというのはやはり弱気になっているのかもしれない。

「……そんなに心配なら、会ったら一緒に行動すればいいだろ」

いくらかの間をおいて、雪ノ下が小さく呟く。

「……そうね。……そうよね」

前を進む雪ノ下。その後ろを歩く俺。お互い前を向いたまま言葉を交わす。

「比企谷くん、あなたは、一人でも大丈夫かしら」

「はぁ? 誰にものを言ってるんだ? 俺はぼっちで過ごすことにかけては一家言あるぞ。自伝をラノベにしたらこのラノで上位に食い込むのは間違いないな」

「……そう。……でも、もし比企谷くんも心配なのだとしたら、一緒に……」

さらに小さい声で言う雪ノ下。前を向いているのでさらに聞き取りづらい。

……聞こえないふり、というのも相等に魅力的な案だがそれはできない。

やってはいけない事だと今日気付かされた。

俺はこいつとの距離感を、奉仕部との距離感を正確に把握している。

であれば、俺は明確にその立場を示すべきだろう。

「必要ない。お前がついてりゃ大丈夫だろ」

「……わかったわ」

今雪ノ下がどんな表情をしているのかはわからない。それは考えても仕方のないことだ。

だから、俺はそのことについて何も考えはしない。

383: 2013/01/15(火) 04:22:52.79
一人で歩くより時間は多少かかったが、やがて次の分岐に着く。

「では私は右に行くわ、比企谷く

振り返りつつそう言った雪ノ下の表情が固まる。

「どうした?」

「う、うしろ」

震える声で言い、震える手で俺の後ろを指さす雪ノ下。

……もう大体察しは付いている。

このままダッシュで逃げようとも思ったが、あの雪ノ下があれだけびびっているのだ。これが振り返えらずにいられようか。

384: 2013/01/15(火) 04:24:47.64
意を決して後ろを向くと、3メートルくらい離れたところに化物がいた。

もう、本当に化物。

足下の蹄まで赤銅色の短い毛で覆われた体は恐らく2メートルを超える巨躯で、頭はもちろん牛のそれだ。

牛とは言っても、ゆめ牧場あたりでモーモー言いながらのんきに草を食っている可愛いアイツらではない。

顔周りだけ毛が無く、いわゆるファンタジー風の骨々しく荒々しい造形をしていた。

両側に伸びた角は中程でねじれ、前に立つ者を狙うように突き出している。

首回りは体毛と同色のやや長い毛をしていて、胸と腰には金属製の防具。

極太の血管が浮きでた両腕は鎧のような筋肉を纏い、その手には全長1.5メートルはあるであろう両刃斧が握られていた。

刃の側面に幾何学模様が刻まれ、鈍い光を放つそれは重厚な存在感を放っている。

日曜朝のヒーローたちや、夏と冬の祭典に集うコスプレヤーたちが持っているような、いかにもプラスチックじみたものではなく、本物の鉄のような質感が見て取れる。

そして、その斧や体のあちこちにべっとりとこびりついた赤黒い何か……。

385: 2013/01/15(火) 04:26:31.71
「ひ、ひきがやくん……!」

あまりの威圧感、存在感に呆然としていた俺の袖を雪ノ下が引く。

それが引き金になったのか、こちらの様子を窺っていたミノタウロスはゆっくりと斧を構える。

数瞬後、大きく息を吸い込むように胸を反らした。

「ヴォロロルルヴァラアアアーーーーッ!」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

到底人間が出せるような声ではなく、まさに獣のような恐ろしい雄叫びを上げたミノタウロスはいつでも俺たちを叩き殺せるように斧を振り上げると、その姿勢のまま突進してくる。

俺と雪ノ下は同時に駆け出し、必氏に逃げる。

雪ノ下は俺の袖どころか手首をつかんだままで、雪ノ下が本来の進むべき道とは別の方向に逃げてしまっているが、今はそんなことを言っている場合ではない。

今は方針も何も全て頭から吹き飛びひたすら逃げる事しか考えられない。

走りつつ後ろを確認してみると、ミノタウロスは斧が邪魔になったのか、通路に投げ捨てると速度を上げてガチャガチャと腰当てを鳴らしながら猛然と襲いかかって来る。

「捨てんのかよ!」

無意味とは知りつつもつっこんでしまう。

「な、なに!?」

息を荒げ、若干涙目になっている雪ノ下がびくっとする。

「なんでもないっ!」

386: 2013/01/15(火) 04:27:25.00
無我夢中で逃げ回り、何度も適当に角を曲がる。

雪ノ下はもう体力が尽きかけているのか、俺の腕を引く力が強くなっている。

再び後ろを確認してみると、直線では速かったが曲がるのはそれほど得意ではないのかミノタウロスの姿は見えず、また音もしない。

まだ安心は出来ないが、どうにか撒いたようだな……。

「なんとか撒いたみたいだが、大丈夫か?」

立ち止まり、雪ノ下に問いかける。

だが彼女はそれに答えることなく、床にへたり込んだ。

俯いたまま左手を胸に当て、どうにか荒い息を整えようとしている。

……まぁ、今は安全そうだし落ち着くまで待つか。

387: 2013/01/15(火) 04:29:17.12
しばらくしてようやく雪ノ下が顔を上げる。

「ごめんなさい、もう、大丈夫よ」

そう言ってヨロヨロと立ち上がる。

全く大丈夫そうじゃないんだが……。

……まあ、そっとしといてやろう。

「にしても、あれは作り込んでるってレベルじゃないだろ……」

「……ええ、あれ程とは思わなかったわ。もし捕まったらと考えるのも恐ろしいわ」

確かに恐ろしい。たとえいくら迷路で迷ったとしても、あれに捕まるくらいなら野垂れ氏んだ方がマシだ。

「正直、出くわすまではたいしたことないだろうと舐めてたけど、もう無理だな。次にちらりとでも視界に入ったら俺は迷わず逃げるぞ」

「……同感。もう、ほんとにいや……」

心底怯えた声で言いながら、雪ノ下はしきりに逃げてきた方向を確認している。

「それで、どうしましょうか」

「……今どこにいるか完全にわからなくなったからなぁ、取りあえずあっちに進んで適当なところで別れるか」

俺も逃げてきた方向を確認しつつ、来た道から見て左の方向を右手で示す。

雪ノ下はこくりと頷く。

388: 2013/01/15(火) 04:33:15.75
「んじゃ行くか……雪ノ下、逃げるぞ!」

ミノタウロスが角から姿を現わすのを見て即座に走り出す。

追いつかれたようだがミノタウロスは投げ捨てた斧の状態を気にしていたようで、こちらを見ていなかった。

もしかしたら気付かれていないのかもしれないが、離れているに越したことはないだろう。

またしても何度か無作為に角を曲がる。

先程とは違い全力で走っているわけではないから、雪ノ下の状態もそこまで悪くはなさそうだ。

「ここらへんで別々に行くか。二人とも同時に捕まるのだけは避けなきゃだしな」

「えっ? ……ええ、その通りね」

立ち止まってそれぞれが行く道を指さす。

一度現在地を見失った以上、やれることはもうほとんど無い。

あとは適当にうろついて偶然のゴールにかけるか、非常口を見つけてだいたいのあたりをつけるかぐらいしか選択肢はない。

「じゃ、行くか」

「わかったわ」

……。

いや、あの、このままじゃ進めないんですが……。

「……雪ノ下、俺は左の道を左手で壁に触れ続けて進む。お前は右の道を右手で壁に触れ続けて進むんだぞ」

「わかっているわ。……あっ」

雪ノ下は目にも止まらぬ早さで背を向けると、右の道に入っていく。

「では比企谷くんまたあとで」

早口でそう言い残し足早に去って行った。

389: 2013/01/15(火) 04:34:03.78
心なしか取り残される様な形になった俺も、探索を再開する。

ミノタウロスが近くにいる以上、これからは注意深く進まなければならない

また遭遇してしまったらあまりに恐ろしすぎる故に冷静ではいられないだろう。

まぁ自分で投げ捨てた斧を気遣っている姿は若干コミカルではあったが。

てか結局斧拾うんなら捨てんなよ、とも思ってしまう。

だが、その無駄な行為のおかげで逃げられているのだからこちらとしては都合が良いことは確かだ。

もしかしたら発見された際の救済措置としてそういう演出がなされているのかもしれない。

とにかく、もう俺に出来ることはミノタウロスに出会わないように祈りつつひたすら歩く事しかなかった。

407: 2013/01/28(月) 02:22:18.94
ビクビクしながら迷路をひた歩く。

見通しが悪い故に常に耳を澄まして歩き、角を曲がる際には念のため様子を窺ってから進むようにしていた。

既に方向感覚が失われてから久しい。

ただでさえミノタウロスに追われて気が滅入っている上に、まるで代わり映えのない風景がさらに精神を圧迫してくる。

呼吸は浅く、鼓動がやけにうるさい。

俺は本当に進んでいるのだろうか。いや、そもそも迷路において進むとは一体何を指すのか。

俺は今、前進している。しかし、文字通り前に進んでいるだけに過ぎない。

隣人部の連中がミノタウロスに襲われたかは確認のしようもないが、俺と雪ノ下は遭遇してしまった。

その分時間を浪費している。

もしあれがなければ例の法則で今頃ゴールできていたかもしれない。

考えても仕方のないことではあるが、そうせざるにはいられない。

作戦上、こちらで機能しているのは既に由比ヶ浜だけだ。

俺はこんな状態だし、雪ノ下は体力が尽きるのは目に見えている。

このままでは負けてしまうかもしれない。

せめて、由比ヶ浜だけでも無事でさえいてくれれば。

408: 2013/01/28(月) 02:26:29.35
しかしよくもまあ作り込んだものである。

その完成度は、一度でも現在地を見失ってしまったらのならもう二度と外には出られないのではないかと思ってしまう程だ。

正常な思考能力を奪う灰色空間、見る者に根源的な恐怖を抱かせるミノタウロス。

聞こえるのは、風に揺られた壁が鳴らすガタガタという音と、時折遠くから聞こえる悲鳴だけ。

こんな状況で非常口を見つけたら、出てしまうのも頷ける。

俺たちがとったのと同じ、割とポピュラーな法則を実践していればほぼ確実にゴールだけは出来るはずだが、到達できた数が少ないのはそういう理由もあるだろう。

かく言う俺も、目の前に非常口があったら危ない。

一瞬も躊躇わずに出る自信しかないからな。

とにかく、非常口を見つけるまでは出来る範囲で出来るだけのことをやろう。

……もう既にリタイア前提で動いている俺、嫌いじゃないぜ!

409: 2013/01/28(月) 02:27:21.65
何度かミノタウロスをやり過ごし、迷路内を徘徊し続ける。

覚悟を決めてからは不思議と少し気が楽になっていた。

人間、目標を決めてしまえばある程度の苦痛には耐えられるらしい。

まあこの場合の覚悟とは後で雪ノ下になじられる覚悟だが。

それさえ腹をくくってしまえば後は問題ない。

ない、はずだ。

410: 2013/01/28(月) 02:31:42.63
気が楽になったと言っても、警戒を怠ってはいけない。

この様な状況で調子に乗るのは氏亡フラグでしかないからだ。

それを示すかのように、角を曲がった先の袋小路に惨殺現場があった。

そこは通路より広く、小部屋のようになっている。

まあ惨殺現場と言っても学祭だからだろうが、そのまま氏体があるわけではない。

しかし、食い散らかされたのか壁や地面の至る所に赤黒い血や肉片のようなモノが飛び散り、ズタズタに引き裂かれ血に染まった服と折れた剣、何か骨っぽいものまで落ちている。

グロいよ……。

ここまでの演出はいらねえだろ……。

長居したい空間ではない。

早々に立ち去ろうとしたが、奥の方の壁に何か文字らしきものが書いてあるのを目の端で捉えた。

好奇心も高精度な氏亡フラグではあるが、さすがに見過ごすことはできない。

近くまで行き目を凝らす。

凝、である。

いや念能力使えねえけど。

まあ、気分だ気分。

411: 2013/01/28(月) 02:32:11.27
壁には血文字でこう書かれていた。

『テセウスは敗れた』

負けちゃったのかよ!

414: 2013/01/28(月) 02:33:41.12
テセウスとは何か。

かなり有名な話なので知っている人も多いかと思うが、テセウスはギリシャ神話の登場人物でミノタウロスを倒した英雄だ。

そのミノタウロス討伐の際にアリアドネちゃんから渡されたアイテム、『アリアドネの糸』が迷宮の脱出に必須のものとされている。

ついでに言えばテセウスはイケメン王子様であり、美少女のアリアドネちゃんに一目惚れされていたにもかかわらず離島に置き去りにしてその妹と結婚する鬼畜系リア充。

……負けても仕方ないよね! よくやってくれたぜミノさん!

415: 2013/01/28(月) 02:35:23.48
とにもかくにも、情報は得られた。

まぁまさか負けていたとは思わなかったが、ミノタウロスに関する逸話はこの迷路に入る前に高山ケイトから聞いていた。

割と短い間隔で繰り返し説明していたし、恐らく全員に聞かせてから入れているのだろう。

あの説明は設定厨のようにただ言いたいだけではなく、参加者の条件を平等にする為のものだったのだろうと今更気付く。

テセウスがミノタウロスの討伐に向かったところまでは神話と同じ。

しかし、彼は敗れている。

ミノタウロスを倒せる者はもはや存在しない。

つまりどういう事か。

……ええっと、詰み?

なにこの無理ゲー。

416: 2013/01/28(月) 02:37:35.61
そんなわけあるか。

……ないよね?

だ、だって高山ケイトはゴールできた4グループがいるとか言ってたし!

その言葉を信じるのであれば、何か必ず脱出の糸口があるはずだ。

まあ何かというか、一つしか考えられないが。

テセウスはミノタウロスの討伐に向かい、敗れた。

その敗北した現場には血と肉片と装備以外何も残っていなかった。

肉体はミノタウロスが美味しく頂いたとして、足りない物がある。

アリアドネの糸だ。

恐らくそれは奴が何らかの形で所持しているのだろう。

そしてそれをどうにかして奪うのが脱出への一歩ということが推測される。

……やっぱこれ無理ゲーじゃね?

417: 2013/01/28(月) 02:39:01.33
奪う方法は後回しにして、とりあえずミノタウロスを捜そう。

強奪するにしても、まずは何がアリアドネの糸とされているのかを確認しなければならない。

考え得るのは、最も直截的な物で言えば地図だろう。

次点でヒントが書かれた紙やそれに類する物といったところか。

あるいは更なるヒントへのヒントという可能性もあるがそれはやめて欲しい。

いずれにせよ、まずは確認、である。

にしても、あれだけ逃げ回っていたのにまさかこっちから捜すことになるなんてな……。

できれば由比ヶ浜や雪ノ下にこの情報を伝えたいところだが、まあ出会える望みは薄いだろう。

とにかくミノタウロスを見つけ出ださなきゃな。

418: 2013/01/28(月) 02:39:52.70
捜し出す事自体は悲鳴を追いかければいいだけなのでそこまで難しい話ではない。

現に今も誰かが追いかけられている。

恐ろしい雄叫びが轟き、甲高い悲鳴が響く。

相変わらずミノさんは絶好調である。

いやミノさんとか言ってるけどマジで怖いからねこれ。

先に非常口見つかんないかな……。

419: 2013/01/28(月) 02:41:15.72
悲鳴が上がった方へと進む。

襲われた人はどうやら撒いたようで捕まった気配は無い。

鬼畜リア充が食い散らかされたあの現場を見てしまった後では、捕まるとどうなるかは想像したくもない。

強制的に退場させられるとのことだったが、ひょっとしてこの世からの強制退場なんじゃ……。

あり得ないと思いつつも、奴はそれを完全に否定しきれないほどの迫力を持っているのは確かだ。

距離が近いようだし、念のため角でR1ボタンの覗き込み確認をする。

ダンボールさえあれば!

420: 2013/01/28(月) 02:43:08.35
……大丈夫、いないようだ。

確認を終え、若干ホッとして角から身を出そうとしたその刹那、見覚えのある逞しい腕がチラリと見えた。

瞬間、全身が粟立つ。

無理矢理行動をキャンセルして咄嗟に壁に張り付いた。

まだ気付かれてないようで、ミノタウロスはカチャリカチャリと恐らく腰当てであろう金属音を鳴らしつつ近づいてくる。

その音が、気配が近づくにつれ全身から冷や汗が吹き出てくる。自然、心拍数は上がり聴覚に意識が集まる。

幸か不幸か、奴と俺との間を隔てているのは、壁一枚。すぐ近くにまで来ることが出来たようだ。

だが、ここからどうする?

このまま姿を晒して奴がアリアドネの糸らしきものを持っているか確認するか?

いや駄目だ! 正気の沙汰ではない!

そんなのは自ら氏にに行くようなものだ。俺はまだ氏にたくない!

落ち着け、あれは所詮中に人が入っている着ぐるみだ、と頭の中の冷静な部分が諭してくるが、もはやそんなレベルではない。

最初に遭遇した際に、既に恐怖は魂にまで打ち込まれている。

駄目だ。

無理だ。

あいつから何かを奪うだなんて不可能だ。

大人しく非常口を探そうか……。

421: 2013/01/28(月) 02:44:22.21
息を頃し、どこかへ行くのを待つ。

しかし奴はこちらへと近づいているようだ。

このままでは見つかってしまう。

一旦離れようかと考えたところで、状況が変わる。

「ひっ!?」

誰かが小さく悲鳴を上げた。

位置関係で言えば、恐らくミノタウロスの後ろ。

もしその誰かを標的に定めたのなら、俺はミノタウロスの後ろを取れるかもしれない。

これは……チャンスだ。

タイミング的にも、精神的にも今しかない。

これを逃せば恐らく俺はもう二度と立ち向かわないだろう。

奪うとまではいかなくても、何か有益な情報を得るくらいのことはできるかもしれない。

ミノタウロスは毎度お馴染み獣の雄叫びを上げ、追跡を開始する。

今だ、覚悟を決めろ!

俺なら出来る!

諦めちゃ駄目なんだ、その日が絶対来る!

START:DASH!!

422: 2013/01/28(月) 02:45:44.19
「や、やめろ! 来るな!」

追いかけられている人が叫んでいる。

来るなと言われて逆に興奮した訳でもないだろうが、ミノタウロスが短く唸る。

俺はその毛深い背中を見失わないようにギリギリの距離で追いかけていた。

この距離から目視する限りでは何かを持っている様子はなさそうだ。

もう少し近づくしかないか……。

423: 2013/01/28(月) 02:49:00.98
例によって邪魔になった斧が投げ捨てられた直後、不意に追いかけっこ×2は終わる。

逃走者は行き止まりにあたってしまったらしい。

その人は振り返ると、へなへなと腰を抜かした。

ミノタウロスはゆっくりと近づいていく。

俺は直前の角から顔だけ出して覗いている。家政婦とかそんな感じ。

「待て、来るな……」

追いかけられていた人は腰を抜かしたままずりずりと後ずさる。

てかあれ、黒髪鬱美人だね。

彼女は目に涙を溜めながら必氏に距離をとろうとしている。

「待って、待って……やだ……」

しかしミノタウロスとの距離どんどん近くなり、ついに壁際まで追い詰められパニックを起こす黒髪鬱美人。

「や、やだ! 助けて! 助けてよぉ! こだかぁ!」

髪を振り乱しながら壁を叩き、ここにはいない羽瀬川に助けを求めている。

……赤の他人とは言え、正直かなり心が痛む。

だが俺に出来ることはなにもない。状況は既に詰んでいるのだ。

せめて、せめて由比ヶ浜たちがここから抜け出す為の、あるいは奴を打ち倒すための情報を得なければ。

かなり近くにいるが、やはり奴が何かを隠し持っている様子はない。

424: 2013/01/28(月) 02:50:02.19
あえなく黒髪鬱美人は捕まり、斧を回収した化物に連行されていく。

さすがに食われるとか裸に剥かれるとかそういったことはなく、縛られたりもせず普通に前を歩かされ、時折後ろから化物がどちらに行けと指示を出す。

その間ずっと黒髪鬱美人はえぐえぐとマジ泣きしていた。

……悪いな。

敵チームとはいえ、あまりの痛ましさになぜか心の中で謝っている俺がいた。

425: 2013/01/28(月) 02:50:47.05

やがて、非常口に着く。

黒髪鬱美人はぺいっと放り出され、すぐに扉の向こうに消えた。

……彼女は犠牲になったが、そのおかげで重要なことがわかった。

恐らくこの迷路を脱出するにあたって、最も重要なことが。

426: 2013/01/28(月) 02:52:37.68

得た情報を整理しよう。

一つ、この迷路は神話をモチーフにしている。

一つ、英雄テセウスがミノタウロスの討伐に向かうところまでは神話と同じ。

よって、テセウスはアリアドネの糸を所持していたことは確定的である。

ここまでは全員が事前に説明を受けている。

ちゃんと聞いてさえいれば、誰でもわかることだ。

これに俺が迷路内で得た情報を合わせて検証を進めよう。

例の小部屋の文字によると、テセウスは敗れた。

氏体すら無く、残されたのは血まみれの服と折れた剣のみ。

だが化物は何かを隠し持っている様子はない。

にもかかわらず、ゴール出来たグループが存在する。

以上のことから、一つの結論と一つの脱出方法が導き出される。

427: 2013/01/28(月) 02:54:10.85
今更ながらに、高山ケイトが雪ノ下と黒髪鬱美人、ひいては俺たちに言った「ごゆっくり」の意味を悟る。

……全く、これを考えた奴はなんて性格の悪さだ。

まあいい。

検証は終わりだ。次は行動に移そう。

もはや当初の作戦になんの意味もない。

まずは由比ヶ浜や雪ノ下――可能であれば両方――と合流しなければ話にもならない。

逆に言えば、合流さえすればなんとかなる。

あいつらには、この迷路をクリアした5グループ目になってもらおう。





つづく

445: 2013/02/12(火) 04:13:42.76

さて、どう合流したものか。

方法はいくつか思いつくがどれも実行したいものではない。

やはり場当たり的に走り回るしかないだろう。

あいつらが捕まってしまったらその時点で詰みだ。

出来るだけ急いだ方が良い。

446: 2013/02/12(火) 04:14:13.24
得も言われぬ焦燥感に迫られつつ迷路を走る。

化物から離れる方向には進んでいるつもりだが、どこでどう繋がっているかわからないのが迷路だ。

安心は出来るはずもない。

直線は走り、角では立ち止まり耳を澄ますという行動を繰り返す。

奴の防具が鳴る音で彼我の距離は確認できるはずだ。

この点ひとつをとってもこの迷路はゴールできるように配慮されていることがわかる。

あの音は回避する際にも見つけ出す際にも有益な要素だろう。

447: 2013/02/12(火) 04:15:08.40
精神的な疲労に加え普段の引きこもり系運動不足がたたり、すぐに息が上がってしまう。

広くもない通路で男が独りはぁはぁしているのは非常に気味が悪い。

海老名さん的な理由でのはご勘弁願いたいが、はぁはぁして許されるのは女の子だけ。

しかし全力坂は制作者の煩悩と下心が透けて見えてるから気持ち悪い。

「お前らこういうの好きだろ?」的な感じがとても腹立たしくちくしょう大好きだぜ。

高校生の頭の中の8割は工口い事でいっぱいなのです。

ちなみに中学生だとほぼ10割。

胸に手を当てて自分の過去を思い返して欲しい。

ちなみに『胸に手を当て』の部分に反応したあなたはまだまだ中学生でも通用します。通報します。

448: 2013/02/12(火) 04:18:26.96
警戒しつつもなんとか息を整えようとしていると、ふと一つの疑問が頭をよぎる。

なぜこうも負けないように頑張っているのか?

俺はそこまで負けず嫌いではなかったはずだ。

というか千葉愛と妹愛についてを除いて言えば勝敗自体にあまり興味がない、はずだ。

無性にもやもやする疑問だったが、結論が出る前に突如思考を中断させる声が響く。

「あっ、無事だったんだ!? 良かったぁ」

声のした方を見れば、壁に右手をついている由比ヶ浜がいた。

「なんとかな。お前こそ……」

無事で良かった。

なんて言えるかコノヤロウ。

思わず口を衝きそうなった言葉をギリギリで飲み込む。

由比ヶ浜は「ん?」と首を傾げていたが、やがてにへらと相好を崩す。

……由比ヶ浜といい雪ノ下といい、なんか俺の内心筒抜け過ぎないですかね。

もうちょっと筒隠した方が良いかもな。半分くらいなら月子ちゃんに本音をあげたいくらいだぜ。

月子ちゃん月子ちゃん、俺の後輩になってくれない?ハァハァ

え? そういう本音じゃないって?

知るかよ!

……まぁ、あれだ。作戦の面から見ても無事で良かったのは本当なのでそういう事で。

449: 2013/02/12(火) 04:19:43.42
「ねえ、ミノタウロスは見た?」

「見たと言えば見たな」

「あたしも見たけど、アレ超怖いよね……」

由比ヶ浜の台詞に反応したわけでもないだろうが、そこでタイミング良く化物の雄叫びが聞こえた。

俺も由比ヶ浜もびくっとしてそちらの方向を見る。

「誰か追われてるみたいだな」

「そうだね……ゆきのん無事かなぁ」

「わからん。まだ捕まってなかったとしてもそろそろまずいだろうな。一度会ったんだがそんとき追いかけられて体力尽きかけてたっぽいし」

「そっか、心配だなぁ……。でも、別々に行動した方が勝つ確率高いんだよね……?」

「まあ確かにそんな話をしたな。けどそれはあくまで入る前の話であって、今は状況が違う」

「じゃ、じゃあ一緒にいてもいいの?」

「当然だ。むしろその方が都合が良い」

まさに当然だ。作戦云々は置いておくにしてもこんな無意味な勝負さえなければ由比ヶ浜と雪ノ下が離れることはなかった。

そもそも別行動している事自体がおかしいのだ。

ここの迷路も由比ヶ浜あたりが入りたいと言い、なぜか自信満々の雪ノ下が先導してひたすら迷い、化物に出くわしては逃げ惑うという流れになるのが想像できる。

こんな灰色一色の精神空間でもきっとあの二人は楽しめていただろう。

それなのに今こいつらは別々に迷っている。

本来そうなるはずだった形と異なり、今が間違っているのなら、そんな意味のない事はさっさと終わらせるべきだ。

少なくとも俺は、俺はそう思う。

450: 2013/02/12(火) 04:20:54.06
「と、当然なんだ……。そか、そっか」

何かを勘違いしているのかしていないのか、由比ヶ浜は照れた様子でしきりに手をもじもじさせている。

「そりゃ、お前と雪ノ下は友達なんだから一緒に遊んでても別におかしくはないだろ」

「へっ? あ……そ、そーだよ! あたしはゆきのんの友達だもん!」

慌ててわたわたし始め、大声で誤魔化す由比ヶ浜。

……うん、こいつ本当にわかりやすいなぁ。

まず表情に出過ぎ。次いで態度が感情を子細に説明する。

驚異のエアリードスキルを持っている割に感情だだ漏れ過ぎだろ。

爽やか王子に建前分けてもらえよ。

いや奉仕部に入る前のあのうすっぺらな笑みを浮かべていた当時に比べれば、こっちの方が断然魅力的なんだけどな。

やだ私ったら何考えてるのかしら! 破廉恥な!

……本当に何考えてんだ、俺。

451: 2013/02/12(火) 04:22:11.25

「ヒッキーすごい!」

とりあえず得た情報と、一部は省略してあるがそれに基づく脱出案を伝えた後の、由比ヶ浜の第一声である。

そうだろうそうだろうすごいだろう。もっと褒めてもいいんだぜ!

なんてのは嘘です気恥ずかしくてドギマギしてマドマギしちゃうのでやめて下さい。なにそれ絶望しちゃう。

無視されたり罵倒されたりは慣れてるけど褒められるのは年に数えるほどしかない。

もっとあるかもしれないが、褒めそやす由比ヶ浜とセットでいる奴がその数十倍、いや数百倍の勢いで馬鹿にしてくるので俺の記憶領域を圧迫している。

だから俺が解き明かした攻略方法を説明する瞬間が待ち遠しくて仕方ない。

奴のぐぬぬ顔が楽しみだぜ!

452: 2013/02/12(火) 04:24:18.36
「国語は学年3位って言ってたけど、ホントに頭良かったんだね!」

「お前まだそれ疑ってたのかよ……」

由比ヶ浜にジト目を向けていると、ポツリ、ポツリと雨が降ってきた。

ほとんど気にならない程度ではあるが、大降りになったら大変なことになる。

なにせこの迷路には屋根がない。

いくら今日は暖かいと言っても冬を目前に控えた時分だ。最悪風邪を引きかねない。

そう思ったところで、スピーカーが出すノイズが聞こえた。

『本日はMinotaurosにお越し頂きありがとうございます。雨が降ってきましたが、強くなるようなら当施設は一時閉鎖となります。その場合、係の者が即座に迎えに行きますので、その場を動かずにお待ち下さい』

どこからともなく聞こえてきた放送は同じ内容を繰り返してプツリと途絶える。

まずいな……時間制限が出来てしまったか……。

「とにかく雪ノ下を捜すぞ」

「でも、捜すって言ってもどうするの? ゆきのんのケータイはバッテリー切れだから繋がんないし」

「いや繋がってもどうにもならないだろ……。まあ、方法が無いわけでもないが……」

「じゃあそれやろうよ! きっとゆきのん一人で不安だろうし!」

「よし。じゃあ由比ヶ浜、叫べ」

「えぇっ!? なんで急に!?」

「目印が無く連絡手段もない以上、声で位置を確認し合うのが一番簡単で確実だ」

コマメちゃん的に言えば『イルカの気持ちになってお互いの距離と気持ちを確かめ合うの!』だ。

「や、なんか恥ずかしいし他の方法はないの?」

「恥ずかしくなんて無いぞ。他の方法はあるかもしれないが、俺はこれ以外思い付かない」

「で、でもなんて叫べばいいの?」

「なんでもいい。『うわーん助けてゆきえもーん!』でもいいし、『教えてユキペディアさん!』でもアリだ」

「どっちもナシだよ! ってかヒッキーがやっても変わんないじゃん? 思い付いてたんならヒッキーやってよ」

「馬鹿を言うな。仮に俺が雪ノ下を呼んでもあいつはむしろ遠ざかるだろ」

「確かにそれはそうだけど……」

叫ぶのは余程恥ずかしいのか、必氏に食い下がる由比ヶ浜。

確かに、他人に叫べって言われる事なんてほとんど無いだろうからな。

気持ちはわからんでもないが、こいつにはやってもらわなければならない。

だって俺だって恥ずかしいし。

453: 2013/02/12(火) 04:28:30.51
「うぅー、わかった……。あたし、やるよ」

無言で見つめ続けていると、ようやく由比ヶ浜が折れた。

「普通に『ゆきのん』でいいよね?」

「ああ、いいんじゃね?」

「じゃ、じゃあ……」

由比ヶ浜はくるりと背を向けると、大きく深呼吸する。

そして胸を反らして一際大きく息を吸い込み、今まさに叫ばんとする。

「ゆk

「恥ずかしいからやめなさい」

突然現れた雪ノ下に出鼻をくじかれた由比ヶ浜がむせ込む。

その背中をさすりながら詰問の視線を向けてくる雪ノ下。

「全く……あなたは由比ヶ浜さんに何をさせているのかしら」

「とりあえずお前と合流しようと思ってな。正直、聞いてるこっちも恥ずかしそうだから今来てくれて助かったぞ」

「やっぱ恥ずかしいって思ってたんじゃん!」

おっと、バレてしまったか。てへぺろすれば許してもらえるかな?

「由比ヶ浜さんも、あの男の口車に乗せられては駄目よ。一度目でも十分恥ずかしかったのだから」

そう言う雪ノ下の方こそ恥ずかしそう、というか照れた様子をしている。

「え? 一度目って?」

突然の雪ノ下の台詞に由比ヶ浜は目をぱちくりさせていた。

……あぁ、由比ヶ浜が誤魔化しついでに言ったあの台詞か。その声を頼りにここまで来たってことか。

454: 2013/02/12(火) 04:33:14.29

雪ノ下にも先程由比ヶ浜にしたのと同じ説明をする。

彼女は時折口を挟みたそうにしていたものの最後まで黙って聞いていた。ちなみにぐぬぬ顔はしていない。

「ってな感じで、これが成功すればこの灰色空間ともおさらば出来る訳だ」

「確かに、成功すれば脱出は可能でしょうね。もっとも、比企谷くんが灰色の人生から脱出するのは不可能でしょうけれど」

「おい雪ノ下、一体いつから俺の人生の話になったんだ?」

「いえ、ふと思っただけだから気にしなくていいわ」

「ならそういうことは心の中だけにしておけよ……。大体、灰色の人生がつまらないものだなんてのは間違いなんだよ」

「でもその表現は雑誌とかであたしもよく見かけるけど? 『灰色からバラ色に変身しちゃおう!』とか」

「だからその、灰色=悪でバラ色=善っていう認識が間違ってるんだよ。いいか? そもそも灰色ってのは良い色なんだ。ハイイロオオカミやハイイログマは生態系の頂点だし、灰色の脳細胞はどんな難事件でも立ち所に解決しちゃうし、シンデレラに至っては説明不要だ。つまり灰色の人生を歩む俺は力強く聡明で健気であり、しかも大きな幸福を得られる道を歩んでいる事になる!」

「ねえねえゆきのん、灰色とシンデレラって何の関係があるの?」

「日本では灰かぶり姫と呼ばれる事もあるのよ」

「へー、さすがゆきのんもの知りだね。じゃあアリエルは日本だとなんて言うの?」

「デスティニー作品の事を言っているのなら、人魚姫でしょう?」

「あ、そっかぁ! うっかりしてたよ!」

「もう……ちゃんと考えてから発言しなさい。……私がいるところならいいけれど」

「ゆきのん……」

……。

なにこの放置プレイ。一分の隙もない完璧な灰色な俺カッコイイ理論の話題はどこに行ったんだよ。

ただの屁理屈だけど。

まあ経緯はともかくこれで全員揃う事ができ、ついに脱出の為の条件がそろった。

雨も降りそうだし、さっさと化物の追跡を始めよう。

479: 2013/03/18(月) 03:41:56.87

「そろそろいいか? 雨が降ってきたらまずいだろ」

未だにイチャコラしている二人に言う。

由比ヶ浜はハッとしてから恥ずかしそうに顔を俯かせ、雪ノ下は邪魔すんなというかのような視線を向けてくる。

なんかごめんなさい俺みたいな端役が話しかけてごめんなさい。なんなら生まれてきてごめんなさい。

「比企谷くん、私も例の小部屋を見たからあなたが導き出した推論は正解で良いと思う」

罵倒される心の準備をしていた俺にかけられたのはそんな言葉だった。

「じゃあさっさと実行に移ろうぜ」

返事を待たずに歩き始めると、由比ヶ浜も付いてくる。

せっかくここまで来たのに雨で無効試合ってのはやるせないからな。

だが、雪ノ下は会話を終わらせるつもりは無いようで、歩き出した俺たちを引き留める。

「待ちなさい。脱出案の方にはひとつ問題が、と言うか未解決の事項があるわ」

……やはりこいつは気付いたか。

「えっ? そーなの? あ、でも確かにどうやって何とかの糸を奪うかは聞いてないかも」

「そりゃ言ってなかったからな。けどまぁ、それはもう解決済みだ。対策は取れる」

「……そう。参考までにその対策とやらを聞いても良いかしら」

「奴を見つけ出してから話す。別に今じゃなくてもいい事だし、そう難しい話しでもないし」

「……わかったわ」

雪ノ下が頷いたのを確認して、俺も由比ヶ浜も再び進む。

後ろから付いてくる雪ノ下の足取りは重く、俺たちから一歩遅れた形となっている。

「比企谷くん」

「なんだ」

振り向かず返事をする。

「あなたの言いたい事は、わかったわ」

「そうか」

後ろから聞こえてきた声だけでは、彼女が何を思っているか読み取る事はできない。

……悪いな。

480: 2013/03/18(月) 03:42:51.13
雪ノ下が俺の考えに賛同してくれたかどうかは知りようもないが、とりあえず反対はされていないようだ。

あとは由比ヶ浜を丸め込めば下準備は完了だ。

こいつは間違いなく反対するだろうから、先に言質をとってしまおう。

「由比ヶ浜、ちょっといいか?」

「ん?」

隣を歩いていた由比ヶ浜は体を傾け、ぐいっと顔を寄せる。

髪が揺れた拍子にふわりと由比ヶ浜の匂いが舞う。

……あの、近寄れなんて言ってないんですけど。

てか今日散々嗅いだせいでもうお前の匂い覚えちゃったじゃねーか。

街を歩いてるときに似た匂いを嗅いで思わず振り返っちゃったらどうしてくれる。

と思ったがそもそも街を歩く事自体が稀だから別にいいか。

「なに?」

由比ヶ浜は俺の男子高校生的逡巡に気付く由も無く、そのままの位置で先を促す。

「さっき雪ノ下が言っていた事なんだが……」

「どうやって奪うかの話でしょ?」

「そうだ。その件でちょっとやってもらいたい事がある」

「……そ、それって、あたしに頼んでるの?」

「この状況で他に誰がいるんだよ……」

1対1で話している上にこの距離だ。これで他の誰かに言っているように受け取られていたらもうどうしていいかわからない。

見えない誰かでもいるんじゃないかと思うほどだ。怖えよ。

あ、雪ノ下が後ろにいるけどあいつは論外だから。奴は俺が靴を舐めながら土下座して何かを頼み込んでも鼻で笑うだけだろう。

「ヒッキーがあたしに何か頼み事してくれるなんて……、頼ってくれてるなんて、なんか、嬉しいな……」

「……由比ヶ浜がどう思おうが勝手だが、別に頼るとかそんなんじゃねえよ。……ただ、俺たちでどうにかするって約束したからな」

言ってから、はたと気付く。

そうか……これか。これだったのか。

俺が、途中で投げ出さなかった理由、負けたくないと思った理由は。

……自覚してしまったのなら、誤魔化しちゃいけないよな。

そしてそうであるのならば、まだ説明していない例の作戦はなおさら俺がやるべきだ。

「ま、まぁとにかく、化物を見つけたらお前と雪ノ下はやりすごしてから逃げてくれ。恐らく雪ノ下はもう一人じゃそう長く走れないだろうから、支えてやって欲しい」

「うん、わかった! 任せてよ!」

由比ヶ浜は力強く頷く。

「ああ、頼む」

……きっとこいつなら、ちゃんとやり遂げてくれるだろう。

これで下準備は完璧だ。

481: 2013/03/18(月) 03:44:17.20
「じゃあさっさと見つけて、さっさと終わらせるか」

少し考えれば、いくら由比ヶ浜がアホの子でも未説明の部分がある事に気付かれてしまう。

何か突っ込まれる前に行動に移してしまおう。

しかし、俺の思い通りには決してさせない奴がいる。そう、雪ノ下だ。

案の定、話しを切り上げた俺と由比ヶ浜の手が引かれる。

「比企谷くん、説明が足りていないのではなくて?」

雪ノ下は俺の袖を掴み、由比ヶ浜の手を握っている。

「あなたの案を、今ここで説明しなさい。でなければ、私は反対するわ」

くそう、雪ノ下め……。予想通りとは言え、こんなタイミングで邪魔してくるなんて……。

こいつはもう納得というか見逃してくれている可能性もあると思っていたがやはりそうでもなかったようだ。

……まあそれも当然か。俺の作戦はどうやったってこいつらに不快な思いをさせることになるからな。

確かに説明しないのも不誠実だろう。

だが、出来ればこのまま悪徳金融のごとく未説明で押し通したかった。

完全に俺の我儘でしかないのだから。

「本当にお前は律儀と言うか、生真面目だよな」

「あなたも、大概でしょう?」

不機嫌そうに言い捨てた雪ノ下は少し悔しげな顔をしている。

その理由は想像するしかないが、きっと俺が思っている事で間違いはないだろう。

そう言い切れる程には、俺は雪ノ下の事を知っているつもりだ。

だからこそ、この作戦が成り立つ。

482: 2013/03/18(月) 03:44:58.22
「由比ヶ浜、これからどうやって化物からアリアドネの糸を奪うか説明する。だがその前に、さっきの約束を忘れるなよ」

「う、うん」

その返事さえあればいい。

ひとまずは安心と言ったところだろうか。

「作戦内容自体はそれほど難しくはない。まず、奴を見つけたらどこか適当な分かれ道にお前達が隠れる。次に俺が囮になって追いかけられるから、お前達が化物をさらに追いかける。このとき見つからないように注意してくれ。しばらく走ると奴は斧を投げ捨てるはずだ。それを回収したら直ぐさま反転して離れてくれ」

「なんで斧を拾うの? ってかそれだとヒッキー危ないじゃん! その後ヒッキーはどうするの!?」

「一度にいくつも質問するな。斧を拾うのは、それがアリアドネの糸だからだ」

有無を言わせない口調で説明を続けると、由比ヶ浜も取りあえずは口をつぐむ。

「俺が奴を追いかけているとき、何かを隠し持ってはいなそうだった。黒髪鬱美人が捕縛された後も何かを取り出している様子はなかったのに、迷うこともないどころか一度も立ち止まることなく非常口へと連行していた。しかし、どうやって? 完全に全ての道を記憶しているという事も考えられるが、自身も常に迷路内を徘徊していることも考えると、それは現実的じゃない。であれば、地図的な物を持っているか、あるいはどこかに目印があるかの二択になる。ここまではいいか?」

「……うん」

説明中、ずっと口を尖らせたままの由比ヶ浜だったが、話はちゃんと聞いていたようだ。

「二択にはなったが、後者である確率は相当低い。なぜなら、簡単に判断できるような目印だったらもっと多くのグループがゴールしているだろうし、逆に判断しにくい目印だったら立ち止まらずに連行するのは難しいだろう。実際、俺は結構注意して壁をや床を見ていたがそれらしきものは見つからなかった。なら、化物は地図あるいはそれに類する物を持っている事になる。そして隠し持っている様子はない。以上の事から、アリアドネの糸は隠すまでもなく持っている物、つまり、斧であると導き出される」

483: 2013/03/18(月) 03:47:12.43
「だから、ヒッキーが囮になってそれを奪うんだね」

由比ヶ浜が呟く。そしてまたしても口をつぐみ、何かを言いかけてはやめるということを幾度か繰り替えす。

「……ダメだよ、やっぱりそんなのダメだよ! あたしたちでなんとかするって言ったじゃん!」

やはり、こいつは反対するか。

「そう言ったな。だからこれが最適の方法だ」

「じゃあ、あたしが囮になる! あたしがやってもおんなじでしょ!」

「いや、駄目だ」

「なんでよ!?」

「囮って言ってもただ逃げるだけじゃない。恐らく奴は一定距離を追いかけないと斧を捨てないだろう。お前は今歩いてきた道を覚えているか? 途中で行き止まりに当たらない自信はあるのか? 囮が途中で捕まったらそれで終わりだ。後は全滅する道しか残されない」

「っ……それは、覚えてないけど……言ってくれればあたしだってちゃんと覚えるし!」

「そうかもな。だが、今は時間が無いんだ。雨が本格的に降ってきたらこの勝負は流れる。みすみす勝ちを逃す事になるのは避けたいだろ?」

「でもっ、それでもっ、あたしはヒッキーを犠牲にしてまで勝ちたくなんてないよっ!」

由比ヶ浜のその言葉に雪ノ下の顔が強張り、俯いてしまう。

……違うぞ雪ノ下。お前の判断は正確だ。

体力が尽きかけている雪ノ下は囮に適さない。しかし斧を奪った後ではかなりの戦力になる。仮に新たな謎があったとしても、雪ノ下なら何とかするだろう。

由比ヶ浜では囮役を完璧にこなせない可能性がある以上、俺がやるのは勝つためにこの上なく正しい選択だ。

だから、お前は悪くなんて無いんだ。いつも通り、真っ直ぐ前を向いていればいいんだ。

そんな表情は、お前には似合わない。

484: 2013/03/18(月) 03:47:38.13
「由比ヶ浜、約束は守るって言っただろ」

「言ったけど……言ったけど!」

ぐっと拳を握り、潤んだ目で睨み付けてくる由比ヶ浜。

まだ反対するのか……。なら最後の手段を使うしかない。

あの、伝説の言葉を言うしかない。

「ところで由比ヶ浜、一ついいか? さっきから俺がやられる前提で話しているが……別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?」

「………………なにそれ」

485: 2013/03/18(月) 03:48:32.72
超ドヤ顔の俺に対して、由比ヶ浜は気の抜けた顔をしている。

この隙に話をまとめてしまおう。

「まあ、そう言う事だ。よろしく頼む」

言い切った矢先に近くで悲鳴が上がった。

「……近いようだな。行くぞ」

返事を待たずに進む。

「あっ、待ってよヒッキー!」

由比ヶ浜が後ろで何か騒いでいるようだが、俺は歩みを止めない。

ほどなくして、標的が見つかる。

「よし、じゃあ予定通り俺が化物を引きつけて逃げるから、あとはさっき言った通りにしてくれ」

「……ヒッキー、あたしはまだ納得してないから」

「納得してくれなくても、やってもらわなきゃ困る」

由比ヶ浜の方は決して向かない。傲慢かもしれないが、俺がさせてしまっている表情は見たくない。

「……」

答えが無く、しばらく沈黙が流れる。

「……ねぇ、ヒッキー。……そんなことして、あたしたちのためだなんて、あたしたちが喜ぶだなんて思ったら、……大間違いだよ」

「わかってる」

俺だって、こんなことが、自己犠牲が他人のためだなんて、ましてや格好良い事だなんて思わない。

その行為はただ相手に自分自身を押し付けているだけに過ぎないのだから。

そして質の悪い事に、される側はほぼ不可避なのだ。

勝手に行動を起こされ、勝手にその結果を押し付けられる。受け手にとってみれば、自分の意志、意見が介入する隙間もない一方的な結果でしかない。

あなたの為にやりましたよと言われても、言われなかったとしても、不愉快極まりないだけだ。

今だって由比ヶ浜を怒らせて、雪ノ下に惨めな思いをさせている。

だが、それがわかっていても、俺は俺を押し付ける。

こいつらを負けさせたくない。

ただ、それだけの為に。

どうしようもないほど、俺だけの、為に。

486: 2013/03/18(月) 03:49:57.17
由比ヶ浜達から離れ、一人こっそり化物の後を追う。

後ろ姿を見ただけでも足が震える。

正直今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、あの世界一カッコイイ氏亡フrげふんげふんを立ててしまった以上、それは許されない。

それがなくても、いまさらその選択肢はあり得ないけどな。

ほど良く彼女たちから離れたところで、壁をコツコツと叩く。

奴は立ち止まると、ゆっくりと振り返る。

ディン!

頭上にエクスクラメーションマークが現れるのを幻視した。

ゲームのやり過ぎですかねあれ撃ち抜くと気絶するんですよねてか超怖いですふざけてないと恐怖で正気を失いそうでうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

奴の咆吼と共に実際に叫びながら何とか今まで歩いてきた道を辿り、なるべく長い距離を逃げようとする。

離れ過ぎても、撒いてもいけない。

でもやっぱり怖いので全力で逃げたいです。

ギリギリで理性を保ちつつ走りながらチラリと後ろを確認すると、ちょうど由比ヶ浜たちが斧を回収しているのが見えた。

よし、囮は終わりだ! もう道も覚えてないし!

俺は逃げ切る! 俺には希望に満ちたこれからのSomedayがあるんだ! いつの日か叶うよ願いは!

487: 2013/03/18(月) 03:50:36.43

囮役は終わった。

ついでに俺の人生も終わった。

要するに行き止まり。

……まあ、あれだ。より確実にあいつらを逃がすなら、俺がここで捕まって時間をかけた方がより良い。

なんかもうここまで追い込まれると逆に冷静になる。

せっかくなので、気になっていた事を聞いてみよう。

演出なのかどうなのか奴もゆっくり近づいてきているし。

「……なあ、お前はミノタウロスじゃなくて、テセウスなんじゃないか?」

その言葉に化物は歩みを止め、短く唸る。

488: 2013/03/18(月) 03:51:47.22
俺がそう思ったのにはいくつか理由がある。

まず、なぜミノタウロスはアリアドネの糸を持ち去ったのか。

アリアドネの糸の意味を知っていて、それを手にしたのならここから脱出しようと考えるのが普通だ。

しかし奴はまだここにいる。

なら、アリアドネの糸の効果を知らなかったと考えるのが妥当だろう。

なのに持ち去った。ここで矛盾が生じている。

次いで、『テセウスは敗れた』という文字が書かれていたこと自体がおかしい。

ミノタウロスは自分が闘った相手の名前など知らない。

テセウスがテセウスだと知っているのはこの迷路内では彼自身のみだったはずだ。

何に敗れたのかは知りようもない。己の心にか、殺戮への欲望にか。

それが何にせよ、あの文字を書くことはテセウス自身にしか不可能だったのだ。

メタ的な視点で言えばスタッフが書いたということもあり得るが、ここまで作り込んでおいてそれはないだろう。

血文字以外で書かれていたのならその可能性は決して低くはなかったが。

このいくつかの矛盾に気が付けば、連行現場を見なくてもあの化物が脱出の糸口になることは十分推測できたことだと今更思う。

489: 2013/03/18(月) 03:52:23.09
さて、奴の回答はどうだろう。

しばらく動きを止めていた化物だったが、ゆっくりと右腕を上げ、親指を立てる。

おお、これは正解という事か!?

無意味な歓喜もつかの間、化物は立てた親指を下へ向けた。

うん、氏ねってことね。

俺は氏んだ。

490: 2013/03/18(月) 03:52:52.91

非常口からぺいっと放り出され、真っ直ぐな道を歩く。再び非常口がありそこは外へ繋がっていた。

ちなみに化物がどうやって俺を非常口まで連行したのかというと地図も斧もないのに普通に辿り着きました。

どういう事でしょうか。

まあ今更考えても仕方ないので、受付近くまで戻り、近くにあったベンチに座る。上に木の枝がかかっているから雨宿りにもなるだろう。

ここであいつらの帰りを待とう。

近くには先に捕まっていた黒髪鬱美人の他に、同様に捕まったのであろう羽瀬川もいた。

黒髪鬱美人は泣き腫らした顔が恥ずかしいのか、ずっと顔を伏せている。

それでも、ぽつりぽつりと会話は交わしているようだった。

491: 2013/03/18(月) 03:53:18.45

しばらく待っていると雲が厚みを増し、いよいよ雨が本降りになってきた。

受付の中の生徒達が慌ただしく動き始める。

まずい、時間切れか……?

あそこまでやって駄目だったのか? 由比ヶ浜や雪ノ下に嫌な思いまでさせて勝ちに拘ったのに、結局無効試合になってしまうのか?

ここまできてそれはないだろう。

頼む、もう少し待ってくれ。

……無意味かもしれないが直談判してみよう。

あいつらもきっと、中で頑張っているのだから。俺も出来るだけの事はしよう。

俺は雨の中へと進む。

492: 2013/03/18(月) 03:54:24.01
「高山ケイト、雨が強くなってきたが、もう中止にするのか?」

「ああ、八幡君。そうだね、皆をずぶ濡れにするわけにはいかないからね」

「……少し待ってもらえないか? あいつらは既に糸を手にしている。もうすぐゴールするはずなんだ」

「……なるほど。八幡君はこの迷路のクリア条件を看破したんだね」

「ああ。考えた奴を一発殴りたい気分だ。ぼっちに厳しすぎだろ」

俺の言葉を聞いて高山ケイトはからからと笑う。

この迷路の脱出に必須である斧は、グループの誰かが囮になるか、あるいは他人をストーキングしてそいつが追いかけられている隙にこっそり拾うかしかない。

迷路内で他人と歩きたい奴なんているはずもないから、後者の実現はかなり難しいだろう。

いづれにせよ、絶対に一人ではクリアできないのだ。

493: 2013/03/18(月) 03:55:06.13
高山ケイトはひとしきり笑うと、少しだけ表情を引き締め正面から俺を見据えた。

「でも、君は一人じゃなかった。だからこそ、今ここに君だけが、一人で待っている」

「……確かに一人じゃなかったな」

「本当は、お兄ちゃんたちにも気付いて欲しかったんだけどね……」

そう言って、チラリと羽瀬川たちのいる方を見る。

「まあ、そう言うことなら少し待ってあげようかね。でも、一応規則だからね。あと10分だけだよ」

「それでいい。ありがとな」

肩をすくめると、腕を組んでニヤリと笑う高山ケイト。

極度のシスコンであることを除けば結構いい奴かもな……。

はいそこ、お前もシスコンだろとか言わない。別にシスコンって言われてもむしろ誇らしいだけだけど。

494: 2013/03/18(月) 03:56:26.50

刻一刻と時間は過ぎていく。

今ここに至って俺に出来る事は何もなく、ただ待つしかない。

待つだけというのが、こんなにも重苦しい気分になるとは思わなかった。

黒々と蠢いていた雲はいっそう厚みを増し、心なしか雨脚も強くなっている。

水気を含んだ空気が地面から立ちこめ、鬱陶しく纏わり付いてくる。

さらに悪い事に、雷まで鳴り始めた。

「八幡君、時間前で悪いけど、さすがに雷は危ないから終わりにさせてもらうよ」

俺にそう言いつつ、係の者にてきぱきと指示を出す高山ケイト。

「……いや、こっちこそ悪かったな、我儘聞いてもらって」

「あと少しだったろうに、残念だったね」

「仕方ないだろ。天気は

どうしようもない、と言おうとした矢先に受付のすぐ後ろの壁が内側から開く。

中からは出てきたのは、見間違えるはずもない、由比ヶ浜と雪ノ下だった。

「やっと出られたのね……」

「長かった……あ! ヒッキー!」

びしょびしょでくたくたの二人が近寄ってくる。

やっと外に出られた安心感と達成感からか、二人とも疲れた様子ではあるが明るい顔をしている。

しかし、慌ただしく撤収作業を進めているスタッフを見て次第に暗くなる。

「……もしかして、もう終わってた?」

「……ああ。もう少し引き延ばせれば良かったんだが……悪い」

「そんなぁ……隠し扉を見つけたり走ったりくぐったり乗り越えたり頑張ったのに……」

由比ヶ浜は心底残念がり、雪ノ下も言葉にはしないまでも徒労感たっぷりに溜息をついている。

……本当に、悪いな。

495: 2013/03/18(月) 03:57:05.61
「おめでとう三人とも、ギリギリセーフだよ」

俺たちの様子を見ていた高山ケイトが言う。

「……いいのか?」

「いいも悪いも、わたしたちはまだ迎えに行ってないからね。君たちは自力で出てきた。だから、おめでとう」

高山ケイトが拍手し始めると、周囲にいたスタッフたちも拍手をしながら口々におめでとう、おめでとうと言い始め、某アニメの最終回の様相を呈している。

うわぁ、居心地悪い。

そもそも無事に脱出に成功したのは由比ヶ浜たちであって、俺じゃない。ここに俺がいるのは相応しくないだろ?

と言うわけで、この衆人環視から抜け出させて頂きます。

二人に気付かれないようにそっと背を向け、逃げだそうとする。

が、瞬時に襟首を掴まれる。

恐るおそる振り返ってみると、超冷たい目が4つこちらを見ていた。

ごごごごめんなさい!

496: 2013/03/18(月) 03:58:09.93

「もう、こういうことは無しだからね」

自己啓発の輪から解放されてからの、由比ヶ浜の第一声である。

さっきからむすっとした表情を崩さない。相当トサカにきているようだ。

あ、でもトサカに来ていると言ってもこいつの場合雌鳥だからトサカ小さいしあんまり怒ってない感じになるのかな。

「ねえ、聞いてんの?」

「は、はいっ! 拝聴しているであります!」

未だかつて無いほどの怒気を発している由比ヶ浜の雰囲気に飲まれまくっている俺がいる。

「……はぁ、もう、ほんとにヒッキーは……」

気分を落ち着けるためにか、由比ヶ浜はふーっ、っと大きく息を吐く。

「約束」

「な、なんでしょう?」

「もう、絶対にあんなことしないって約束して。自分が犠牲になればだなんて、絶対に思わないで」

「……すまん、悪かった」

本当に悪いと思っていたので素直に謝る。

だが、由比ヶ浜は謝った俺を見てさらに語気を強めた。

「違う。謝るんじゃなくて、約束」

常にはない威圧感に圧倒され、思わず唯々諾々と従ってしまう。

「わ、わかった、約束する」

「なら、よし」

ここでようやく、ふっと表情を緩める由比ヶ浜。

ああ、よかった……マジで怖かった……。こいつは雪ノ下とはまた違った恐ろしさを秘めているな……。

497: 2013/03/18(月) 03:59:54.44

やがて今後の戦いについて隣人部と協議していた雪ノ下が戻ってくる。

「次の種目からは、屋内の種目に限定する事になったわ」

「そりゃ雷雨の中やるわけにもいかないからな」

「ええ。それで、次に移る前に彼女の厚意で着替えを貸してもらえる事になったわ」

雪ノ下は少し離れたところにいる高山ケイトを視線で示す。見られている事に気がついたのか、高山ケイトはこちらを見やりひらひらと手を振る。

ありがたい申し出だ。俺も由比ヶ浜も雪ノ下も全員ずぶ濡れだ。隣人部も同様で、特に迷路のスタッフに回収された金髪ビXチが酷い。

風邪を引く前に着替えた方が良いだろう。

軽く手を挙げて高山ケイトに礼を述べる。

「助かる。ありがとな」

「いいってことよ。迷える子羊ちゃんの世話はシスターの本懐だからね」

なんとも鷹揚な台詞の後、付いてこいと身振りで示す。

高山ケイトが歩き始めたのを見て、奉仕部と隣人部はぞろぞろと後を追う。

ちなみに由比ヶ浜たちは斧を回収した後どうしたのかというと、斧の刃の部分にあった幾何学模様の暗号を解き、柄の部分から偏光フィルターを取り出したらしい。

それを使って、壁にあった肉眼では見えない目印を辿って隠し扉を見つけたようだ。俺の推測外れまくりですね。お恥ずかしい。

なにはともあれ長い長い迷路戦は終わり、現時点で2対2。勝負は振り出しに戻る。

何故か途轍もなく長い間迷路にいた気がするのは気のせいだろうか。

498: 2013/03/18(月) 04:00:56.05
「さあ、ここだよ。好きなのを選ぶといいさね」

高山ケイトが示したのは本日大盛況の貸しコスプレ屋である。

「とは言っても、人気のあるものは大体捌けちゃってるから残り物になるけどね。まぁわたしはまだ仕事があるからなんかあったらスタッフにでも聞きんさい」

なにやら不安な言葉を残し、飄々と去っていく高山ケイト。

何となく見送っている、廊下の角の曲がり際にこちらに向けて大きく手を振る。

「お兄ちゃんに八幡君、また会ったらよろしくね~。ばーい、はどそん! ぶははっ!」

……ああ、なんて残念な去り際なのだろうか。

499: 2013/03/18(月) 04:02:18.31
高山ケイトが去った後も、俺たちはなかなか店に入れずにいた。

「ねえ、ゆきのん、ここって……どう見てもコスプレの衣装しかなさそうだよね?」

「……貸してもらう身だもの。贅沢は言えないわ」

「だ、だよねー。……はぁ、せっかく今日は気合い入れてきたのに……」

ちろり、と俺の方を見る由比ヶ浜。

「なんだよ」

「……別に?」

言いたい事があるなら言えよ。……言いたい放題言われるのは色々と困るが。

500: 2013/03/18(月) 04:05:42.93
「……八幡君、かぁ」

由比ヶ浜がポツリと呟く。

「……あっちはみんな名字じゃなくて名前で呼び合ってるよね。シスターちゃんだってなんかヒッキーの事名前で呼んでるし」

「そうだな」

だからと言って俺たちまでそうしなきゃいけないってことはないだろ。

……言おうとしたはずの言葉はなぜか出てこない。

「前にさ、誕生日パーティーしてくれたときにあたしのことは名前で呼んでくれるって言ってたのに……誰も呼んでくれてないよね……」

後半になるにつれてどんどん声が小さくなっていき俯く由比ヶ浜。

そのとても小さな声は、その哀しそうな仕草は、俺の胸を強く打つ。

雪ノ下も同様だったのだろう、僅かに顔を歪めると、取り繕うように言った。

「ゆ、由比ヶ浜さん、それは私も気にしていたのだけれど、どうしても踏ん切りがつかないというか……今までは例外なく全員名字で呼んでいたから……。
もう少し、待ってくれると、その……ありがたいのだけれど」

「ゆきのん……。……うん。待つよ。あたし待ってる」

見つめ合って頷き合う二人。ああ駄目だまた二人の世界には入り始めちまった。

最近もうガチ百合化が激しすぎてぼくもうついて行けないです。

というか初めからついて行く気は毛頭無いです。ぼく男の子ですし。

とにかく居場所も無く居る必要も無いのでさっさと着替えに行こう。

男子用のブースに入ろうとすると、後ろからがしっと襟首を掴まれる。

なにこれ最近由比ヶ浜たちの中で流行っているんですかね。結構苦しいのでやめて下さい。

「……ヒッキーも、あたしのこと、名前で呼んでね?」

……まぁ、今の場合は顔を突き合わせなくて済むから、流行ってて良かったかもしれない。

「……そうだな。そのうち、適当にな」

そう遠くないうちに、きっとな。





つづく

501: 2013/03/18(月) 04:07:12.71
こんばんはどうも>>1です

大変お待たせしました

そして大変お待たせします

次回は確実に来年度になりますがんばります

502: 2013/03/18(月) 04:17:43.58


待ってます
待ってますからゆきのんとの絡みもう少し増やしてくれるとうれしいです

503: 2013/03/18(月) 12:05:45.19
すっげえ面白い!!
次回も楽しみにしています!!

引用元: 八幡「青春ラブコメの主人公」