1: 2012/07/18(水) 21:34:38.02
とある病院

看護婦「四条さん、おはようございます」

看護婦がカーテンを開けると、個室の病室に朝の光が降り注がれました。

貴音「……」

病室のベッドで寝ている銀髪の女性は、眩しい光に動じることもなく眠り続けています。

看護婦「今日も天気がいいですね」

貴音「……」

看護婦「……今日も、よく眠ってますね」

貴音「……」

看護婦は銀髪の女性に話しかけますが、女性は変わらず眠り続けています。

4: 2012/07/18(水) 21:39:33.10
看護婦「一体、どんな夢を見ているんでしょうね」

貴音「……」

看護婦「今日の昼食はラーメンにしようかな……?」

看護婦のその一言で、銀髪の女性は一度軽く身震いした後……

貴音「!!」パチリ

看護婦「!」

銀髪の女性はゆっくりと目を開けました。

貴音「……ここは……」

女性は、自分が目覚めた場所を確認するように、ゆっくりとあたりを見渡します。
対して看護婦は、目をまん丸に見開いたまま固まったかと思うと

看護婦「せ、先生!患者が!四条さんが目を覚ましました!」

慌てたように病室を飛び出して行きました。

銀髪の女性、四条貴音は、およそ50年もの長い長い昏睡から目を覚ましたのです。

10: 2012/07/18(水) 21:50:51.98
医者「よく、目を覚ますことが出来ましたね」

医者は、貴音を診察した後、そう告げました。

貴音「……」

貴音は、首元をゆっくりとさすりながら、しかしなにも答えることはしませんでした。
いえ、そうではありません。彼女は混乱して上手く返答できなかったのです。

医者「無理もありません。これほどの長い昏睡から目が覚めた例など、ほどんどないのですから」

看護婦「……」

貴音「私は、どうしてしまったのでしょうか」

医者「どうやら、そこらへんの記憶が曖昧になっているようですね」

看護婦「……」

医者の横には、先ほど貴音が目を覚ました時にそばにいた看護婦もいました。

貴音「……はぁ……」

医者は、難しそうな学術用語が詰まった言葉で説明しますが、詳しい内容は読み取ることができません。

貴音「つまり、こういうことですか……」

貴音は、言葉の意味をかみ砕くために、必氏に自分に言い聞かせます。
要約すると、50年前に交通事故に遭い、それ以来昏睡状態が続いていたということらしいのです。

14: 2012/07/18(水) 21:59:55.40
医者との会話を終えた後、看護婦の押す車いすに座った貴音が一言いいました。

貴音「……ものすごく、疲れました」

看護婦「無理もありません。私も何年も前からあなたを見てきましたけど、今も驚いているんです」

看護婦は、どこかうれしいような、悲しいような、複雑な表情をしていました。

貴音「長い間、どうもありがとうございました。なんとお礼を申したらよいか……」

看護婦「構いませんよ。それが私たちの仕事なんですから」

貴音「そうですか……」

貴音は、そう答えながら、やはりあたりを見渡しています。
50年。それほどの長い年月のなかで、病院という建物自体も、彼女が知るものとは少し違うものになっていたからです。

貴音「あの……看護婦殿。あそこにあるのは一体……?」

看護婦「ああ、あれは、診察用のロボットですよ」

貴音と看護婦の視線の先には、丸みを帯びた、どこかやさしさを感じさせるデザインの機械が病室を回っていました。

看護婦「ここ数年のことなんですけどね。こういった機械が病院に導入されるようになったのは」

貴音「……面妖な」

貴音は、それ以外言葉に出来ない様子でした。

17: 2012/07/18(水) 22:09:44.12
貴音と看護婦はそれから無言のまま、病室へと到着しました。

貴音「ありがとうございます」

看護婦「お気になさらずに」

貴音は、静かにあたりを見渡しました。
目覚めたときに気付かなかったことですが、やはり病室内も彼女の言うところの「現在」とは違うものとなっていたのです。

貴音は、それから一つ溜息をつくと、看護婦に話しかけました。

貴音「あの、看護婦殿。一つお聞きしたいことがあります」

看護婦「はい、なんですか?」

貴音「私は、50年ほど前、765プロという事務所でアイドルをしておりました」

看護婦「!!」

貴音「年齢でいえば、今はもう68歳のアイドルということになりますね」

看護婦「そう、ですね」

看護婦は、また困ったような表情を見せながら答えます。
これから来るであろう彼女の質問を想うと、そうならざるを得なかったのです。

18: 2012/07/18(水) 22:17:43.43
貴音「今、765プロは、他の仲間たちはどうしているのでしょう」

看護婦「……」

看護婦は、一度視線を足元に落とした後、貴音に目線を合わせます。

看護婦「765プロは、もう何年も前に倒産しましたよ」

貴音「……そうですか。残念です」

看護婦「他の、当時のアイドルの方の消息も分かりません」

貴音「……」

看護婦「ですけど、心配はありませんよ。きっと、他のアイドルの方も元気にしていると思います」

貴音「……それを聞いて、少し安心いたしました」

看護婦「……」

貴音「そう気を落とさないでください。あなたには関係のないことですよ」

看護婦「そう……ですね。ええ」

看護婦はそう一言言うと、話題を無理やり変えようとします。

看護婦「その!リハビリはそう遠くないうちに始まると思いますので、そのつもりでお願いしますね」

貴音「はい……」

22: 2012/07/18(水) 22:25:17.22
貴音「最後に一つ、質問をしても」

看護婦「はい」

貴音「なぜ、私の姿は50年前と変わらないのでしょう」

看護婦「それは……分かりません」

看護婦「ですけど、そのおかげで今までの治療費も賄えたんですよ」

貴音「どういうことですか……」

看護婦「四条さんは50年もの昏睡の間、全く老化しなかったんです」

貴音「……つまり?」

看護婦「あなたの体は、徹底的に調べつくされました。その不老のメカニズムを調べるために」

看護婦「その……検査のおかげで、あなたの莫大な治療費が賄われたんです」

貴音「……!」

貴音は思わず吐き気を催しました。しかし、何も食べ物が入っていない胃は胃液を吐きだそうとするばかりです。

看護婦「四条さん!?」

看護婦が、突然身を折った貴音に寄り添います。
貴音は、自分が寝ている間にされた凌辱ともいえる行為を想うと、悲しさよりも悔しさがこみあげていたのです。

26: 2012/07/18(水) 22:34:29.85
貴音をなんとか寝かしつけ、看護婦は医者のもとへ戻りました。

看護婦「……軽率でした」

医者「全く、患者が混乱しているのは分かっていただろうに」

看護婦「はい、すみません」

看護婦は少しうなだれますが、医者もそれほどきつく責めているようではありませんでした。

医者「まぁ、君の気持ちは分からんでもないけどね」

看護婦「……ありがとう、ございます」

医者「今度からは気をつけてくれよ。この双海病院も、あまり経営はよくないんだ」

看護婦「……はい」

医者「あの患者のおかげで、この病院は持っているんだからね」

看護婦「……」

看護婦は、きゅっと唇をかみしめました。
医者の言葉はもっともなのですが、それを言い返せない自分が悲しくなったのです。

看護婦「すみません、四条さん」

医者が去った後、看護婦は一言、そうつぶやきました。

34: 2012/07/18(水) 22:41:11.35
数日後

看護婦「おはようございます、四条さん」

貴音「おはようございます」

貴音の病室のもとへ、いつものように看護婦がやってきます。

看護婦「様子はどうですか?体調に何か変化は」

貴音「いえ、特には」

貴音は喉元をさすりながら、静かにそう答えました。

看護婦「気になりますか?」

貴音「はい?」

看護婦「その、首元の傷跡ですよ」

貴音の喉には、丸い傷跡が残っていました。
それは、かつての流動食を流し込むチューブを通す穴の傷跡でした。

看護婦「何年か前に、新しい栄養剤が出来てからは、もう必要がないってことでふさがれたんです。いろいろ危険ですし」

貴音「……」

貴音は、まだ喉元をさすっているようでした。ただ無心に。

36: 2012/07/18(水) 22:47:48.49
貴音「今日は、どのような御用で。看護婦殿」

看護婦「ええ、今日から四条さんのリハビリが始まります」

貴音「リハビリ……?」

看護婦「はい、幸い、筋肉の硬直もないようなので、軽い歩行訓練などをやりますね」

貴音「私、歩けるのですが」

看護婦「えっ」

貴音は、さも当たり前のようにベッドから立ち上がって見せました。

貴音「ほら、私は自らの足で、立って歩けるので……」

看護婦「あっ」

そう言っているそばから、貴音は力なく崩れていきました。
それを看護婦が慌てて支えます。

看護婦「無理をしないでください!」

貴音「……申し訳ありません」

貴音は、驚いたように目を見開きながら、看護婦に謝ります。
外見はそのままでも、長い昏睡のおかげで運動もままならないのです。

38: 2012/07/18(水) 22:54:51.93
リハビリ場

医者「それでは、この機械を装着してください」

貴音「はい」

医者が指示するままに、貴音は従いました。
目の前にあるのは、人の体を外側から支える骨組みのような機械です。

貴音「なんと、面妖な……」

貴音が驚く間もなく、他の看護婦や医者になすがままにされ、機械を装着しました。

医者「これは歩行訓練用のロボットです。基本的には自立をしていただきますが……」

医者「万が一転倒しそうな場合は、機械がそれを支えますので安心してください」

貴音「……はい」

貴音は、いまいち釈然としませんでした。自分が知っている世界とは、かけ離れていたからです。
仲間もなく、ただなすがままにされるしか方法はありませんでした。

貴音「……」

貴音が一歩踏み出すと、骨組みのようなロボットが作動音を響かせました。
どうやら、ほどんど自分の足では歩けていないようです。

貴音「なんと……なんと……」

41: 2012/07/18(水) 23:00:46.67
それでも貴音は、一歩一歩歩き出します。
ただ機械に支えられ、なすがままにされるのは彼女にとって侮辱といってもいいものです。

貴音「……くっ」

医者「あまり無理はしないように。かえって逆効果になりかねません」

貴音「私は……無理などしておりません」

医者「……」

貴音は、ただ無心に足を踏み出し続けます。
その様子を、あの看護婦が遠くから見詰めていました。

看護婦「……」

患者「あの……看護婦さん?」

看護婦「あ、はい。何でしょう」

他の患者に声をかけられ、看護婦は目線を映しました。

貴音「ふっ……ふぅ……」

看護婦は患者の対応をしながら、耳だけは貴音の方へと注意を向けていました。

彼女の吐息、そして機械の動作音が少しずつ少なくなるのを、聞いていました。

44: 2012/07/18(水) 23:06:34.25
その日の夜

またいつものように、看護婦は貴音の病室を訪れます。

看護婦「四条さん、夕飯の時間で……す?」

貴音「……」

真っ暗な病室の中、貴音はベッドの上で毛布にくるまっていました。

看護婦「疲れて、寝ちゃったのかな……?」

看護婦が部屋を出ようとしたとき、静かな部屋の中でひと際大きな腹の虫が鳴きました。

貴音「看護婦殿」

看護婦「!!」

貴音が突然声をあげます。看護婦は思わず驚いてしまいましたが、同時にほっと胸をなでおろします。

看護婦「四条さん……起きてたんですか」

貴音「今日の晩御飯は、何でしょうか」

看護婦「残念ながら、ラーメンではないですね」

貴音「そうですか……」

貴音は、毛布にくるまったまま、残念そうにそう答えました。

51: 2012/07/18(水) 23:13:16.02
看護婦が部屋の電気をつけ、夕食を貴音のベッド脇にある机に配膳し始めたとき、貴音ももそもそと毛布から出てきました。

貴音「おかゆ、ですか」

看護婦「四条さんには、物足りないでしょうけど……」

看護婦「これで、我慢してくださいね」

貴音「いえ、食は皆平等に味わうのが私の主義ですので」

貴音は静かに、おかゆに手を伸ばし、口に運びます。

貴音「なんと……」

看護婦「どうしました?」

貴音「……なんと、美味なのでしょう……」

貴音は、おかゆを一口くちにすろと、静かに涙を流しました。

看護婦「四条さん!?どうされました!?」

看護婦は、慌てて貴音のそばへ詰め寄ります。

貴音「いえ……こうして食事をしていると、つい昔のことを思い出してしまいまして……」

看護婦「あ……」

貴音「ラーメンが、食べたいですね……」

58: 2012/07/18(水) 23:20:40.26
看護婦「ふふ……」

貴音「なにがおかしいのです」

看護婦「いえ、昼間、あれだけ頑張っていたのに、ラーメンのことで涙を流すなんて……」

貴音「……」

看護婦「なんだか、四条さんらしいなって思ったんですよ。50年経っていたとしても」

貴音「ふ、ふふ……」

貴音と看護婦は、静かに笑いました。そうすることで、互いに意思疎通が図れたような気がしたのです。

貴音「本当に、おかしなことですね。あれほど辛いリハビリよりも、ラーメンへの情が勝っているなんて」

看護婦「ええ……本当に」

貴音「私は、本当にラーメンが好きなのです」

看護婦「そうでしたね」

看護婦が答えた後、何か思いついたようなしぐさをします。

看護婦「そうだ!もしこのままリハビリが順調にいくようなら、一緒にラーメン食べに行きましょうよ!」

貴音「それは、真魅力的な提案ですね」

そう答えながらも、貴音はおかゆを食べる手を休めることはありませんでした。

64: 2012/07/18(水) 23:27:38.59
夕食を食べ終えた後、看護婦は一言貴音に声をかけました。

看護婦「また明日も、リハビリ頑張ってくださいね」

貴音「ええ、看護婦殿も」

看護婦「はは……」

短い受け答えの後、看護婦は病室を後にしました。

貴音「……よい、目標が出来ましたね」

貴音は、どこか満足げにそうつぶやきました。

突然目が覚めたら50年後になっていて、右も左も分からず、そばには共も仲間もおらず。

世界に突然取り残された気持ちになっていた貴音にとって、そのラーメン一杯が生きる希望となったのです。

貴音「ふふ……」

小さな笑い声の後、また病室は静かになりました。
そして、静かになった途端に、一つ疑問が浮かび上がってきます。

貴音「はて……私、いつ看護婦殿にラーメンが好物だと伝えたのでしょうか」

少し気になりましたが、もしかしたら昔の自分の情報が残っていて、それを見て知ったのかもしれないと、そう結論付けました。
ラーメンのうれしさの前には、あまりに些細な疑問でした。

70: 2012/07/18(水) 23:35:30.46
一カ月後

看護婦「おはようございます、四条さん」

貴音「おはようございます」

もう決まり切ったように、看護婦は貴音の病室を訪れます。

貴音「今日は、いよいよ待ちに待った日ですね」

看護婦「ええ。今日、上手くいけばリハビリも終わりですね」

貴音「長いようで、あっという間でした」

看護婦「四条さんの努力の賜物ですよ。先生方も驚いてました」

貴音「ふふ……」

そう一言笑った後、貴音は言いました。

貴音「ラーメンのためなら」

看護婦「ラーメンのためなら」

貴音がそういうのを予期していたように、看護婦もそれに合わせて言います。
貴音は少し驚いたような、でもうれしそうな表情を浮かべます。

看護婦「いっつも言ってましたもんね、それ」

71: 2012/07/18(水) 23:41:44.07
貴音「ずっと楽しみにしていたのですよ。あなたとの約束」

看護婦「私もです、四条さん」

それから少し二人で談笑した後、看護婦は時計に目をやります。

看護婦「もうそろそろ、時間ですね」

貴音「ええ、それでは参りましょうか」

看護婦に支えられ車いすに乗って、二人はリハビリ場へ向かいます。

貴音「まだ、残っているといいのですが」

看護婦「何がです?」

貴音「私行きつけの、ラーメン屋がありました」

看護婦「ああ、二十郎ですね。まだまだ健在ですよ」

貴音「なんと!それはよいことです!」

貴音は思わずはしゃぎました。50年たっても変わらない物を見つけたのですから。

貴音「ますます気合いが入りますね」

看護婦「ええ!」

二人は、明るい未来を想像していました。
この後何が起こるかは、全く想像していませんでした。

75: 2012/07/18(水) 23:48:23.67


貴音「……」

看護婦「……四条さん……夕食を」

貴音「そこへ。後で食します」

看護婦「……はい。でも、ちゃんと食べてくださいね」

病室には、重い空気が流れていました。
ベッドに寝転がる貴音は、ただただ真上をみつめているだけです。

看護婦「頭の傷の具合、どうですか……?」

貴音「……問題ありません」

貴音の頭には、包帯が巻かれていました。うっすらと血が滲んでいます。

看護婦「残念、でしたね……」

貴音「……」

貴音は何も答えません。

昼間のリハビリの時、貴音は運悪く転んでしまい、頭を切りました。
その結果、リハビリは延期され、貴音のこれまでの努力はすべて崩れ去ってしまったのでした。

上手くいっていれば、今頃は特別に外出許可をもらい、ラーメンを食べているはずだったのです。

80: 2012/07/18(水) 23:55:32.80
貴音は打ちひしがれていました。
たかがラーメン、というわけではありませんが、そのラーメンは特別なラーメンだったのです。

これまでの努力と、孤独感と、それらに耐えるために張っていた気が一気に尽きてしまいました。

貴音「……もう、よいでしょう」

看護婦「……」

貴音「申し訳ありませんが、一人にしてください……」

貴音は、看護婦に八つ当たりしてしまいそうな感情を必氏に抑えています。
そのことで看護婦に気を使わせているのも分かってはいるのですが、今はそうすることしかできません。

貴音「また、きっと……」

言葉を区切りました。きっと、今は何を言っても看護婦に気を遣わせるだけなのです。
なら、いっそ自分が鎮まるまでは関わらないでほしい。そう思いました。

看護婦「私は、いつまでも待っていますから」

貴音「……」

看護婦が病室を後にします。

病室は、貴音の静かな呼吸音以外、何一つ響きませんでした。

81: 2012/07/19(木) 00:02:46.42
深夜

貴音「……」

貴音は、なかなか寝付けづにいました。
寝てしまって、この気持ちの昂りをなんとかして抑えたかったのですが、それは叶わなかったようです。

貴音「……今宵は……」

カーテンの方に目をやると、どうやら外は月が出ているようで、ほのかに明るくなっています。

貴音「月……月は変わらず、輝いているのでしょうか」

むくりと起き上がると、貴音はベッドに腰掛けたまま、そっと足をおろします。

貴音「……くっ」

昔、友人が良くそう言っていたのを思い出しながら、立ち上がります。

貴音「なんの……その……」

貴音は、見事立ち上がりました。そして少し頼りない足つきのまま、病室を出て行きました。

目指す場所は屋上です。ただそれだけのために、必氏に足を動かし続けました。

85: 2012/07/19(木) 00:11:30.09
屋上

貴音「良かった……幸い、鍵はかかっていないようですね」

無事に屋上までたどり着いた貴音は、ほっと一息つきます。
ドアを開けると、そこには月の光が降り注いでいました。

貴音「あそこに、腰かけましょうか」

少し歩くと、貴音は屋上にあるベンチに腰掛けました。
そのまま見上げれば、夜空には満月が輝いています。

貴音「なんと……美しいのでしょう」

貴音「こうしていると、765プロの屋上で、皆と星を見上げた日を思い出しますね」

誰にでもなく、貴音はつぶやきました。
そして、懐かしく思うあまり、涙がこみ上げてきます。

貴音「私は……なぜ……」

思わず息が詰まります。一度昔を思い出した途端、あふれ出るように思い出がこみ上げてきました。

貴音「なぜ……このような目に遭わなければならないのでしょう……」

貴音「私は、それほどまでに重い罪を犯したというのでしょうか……」

それからしばらく、貴音は静かに泣き続けました。

93: 2012/07/19(木) 00:22:32.51
貴音「ふぅ……」

泣きやんだ貴音は、一息つくと、ベンチからそっと立ち上がりました。

そして、そのまま屋上の端のフェンスへと向かいます。

貴音「面妖な……」

貴音は、眼下の街の風景に息をのみました。
そこらじゅうで機械が動きまわり、街の様子は様変わりしていたのです。

貴音「50年……」

50年という長い時間は、世間を変化させるには十分すぎる時間です。
世界から完全に置いてけぼりにされたと認識させるには、十分すぎる光景でした。

貴音「……」

思わず、言葉を失います。自分は、この世界で必要とされていないのだと、そう思います。

満足にアイドルもやれず、ラーメンも食べられず、この世界に何の未練があるのだろうと。
いっそ、このまま消えてしまってもいいのではないかと、そういう考えが脳裏をよぎりました。

貴音「ふふ」

なぜか、笑みがこぼれます。なぜそうなったかすらも分かりません。
ただ、そうするのが正解なのだとも考えられました。

95: 2012/07/19(木) 00:29:28.31
そうしているうちに、背後のドアが勢いよく開かれました。

看護婦「四条さん!!」

貴音「!!」

突然の出来事に、貴音は思わずよろけます。
その様子を見るまでもなく、看護婦は貴音のもとへ駆けつけました。

看護婦「もう……もう……」

貴音「あの……看護婦殿……?」

看護婦「どうして……どうしていつも」

貴音「?」

看護婦「そうやって、私を置いてけぼりにしようとするの!?」

貴音「その……看護婦殿……」

看護婦は鳴きながら貴音を抱きしめます。貴音は、その状況が理解できないようでした。

看護婦「また……私のもとからいなくなっちゃうの……?」

看護婦「ねぇ、お姫ちん……」

貴音「!?」

看護婦は、年を重ね63歳となった、双海真美その人でした。

100: 2012/07/19(木) 00:36:40.34
貴音と看護婦こと年老いた双海真美は、ベンチに腰掛けていました。

貴音「……ふふ」

真美「もう……笑わないで……」

貴音「いえ、申し訳ありません」

真美が病室を巡回中、貴音が病室を抜け出したことに気付き、慌てて探し回っていたのです。
そして嫌な予感がよぎり、屋上へ向かってみたところ、貴音がいました。

貴音「まさか、あなたが双海真美だとは……」

真美「本当は……ばらさないつもりだったんだけどね……」

貴音「ええ、驚きました」

真美「そうだよね」

貴音「ずいぶん、口調も落ち着きましたね。そのたち振る舞いも」

真美「……全然そんなことないっしょ→!お姫ちん!」

貴音「なんと!!」

真美「とか、言うような年齢でもないし」

貴音「そう……ですね。ええ」

105: 2012/07/19(木) 00:45:18.03
貴音「ということは、双海亜美はどこへ……」

真美「亜美は……別の病院で院長やってるよ。もっと大きい病院でね」

貴音「ほう……」

貴音は、真美をじっと見つめます。言われてみれば、どこか真美の面影を残しているような気もしますが。

貴音「時の流れとは、残酷ですね」

真美「そんなことないよ。真美はちゃんと50年分しっかりと生きたけど、お姫ちんは……」

貴音「長い昼寝をしておりました」

真美「そっちの方が残酷じゃん……」

二人は、しばらく会話を続けました。

他のアイドルたちの行方は本当に分からないこと、眠り続けていた貴音のために真美は実家の病院に残ったこと。

二人は、正体がばれてからというもの、50年の空白を埋めるかのように、ひたすら話し続けました。

しばらくして、真美がはっとしたように表情を変えます。

真美「その頭!大変!」

貴音「?」

見ると、貴音の頭の包帯は、酷く血がにじみ出ていました。

111: 2012/07/19(木) 00:51:04.03
翌朝

医者「また君は……なんてことを」

真美「……申し訳ありません」

医者「患者を連れだして長々と夜風に当てるなんて、一体何を考えているんだ」

真美「……」

貴音「あの……」

医者「あなたは安静にしててください」

医者は、貴音の言葉をきっぱりと切り捨てました。
真美は、ただ黙って医者の叱責に耐えています。

貴音「……」

真美が、自分をかばっているのだと分かっていたので、これ以上口出しをするわけにもいきません。
申し訳なさに胸がいっぱいになりながら、ただ黙っているしかできずにいることが悔しくてたまりませんでした。

医者「大体だね……」

真美「はい……はい……」

医者の叱責はまだ続きます。かつての仲間が責められているというのは、やはり見ていても辛いものです。
貴音は思わず目をそらしてしまいました。

112: 2012/07/19(木) 00:57:01.95
数日後

医者「しかし、一体どういうことだろうか」

貴音「はい?」

医者「その頭の傷です。いくらなんでも治りが遅すぎる」

貴音「……」

貴音の頭には、まだ包帯が巻かれていました。そして、うすく血も滲んでいます。

医者「詳しく検査をした方がいいかもしれないですね」

貴音「検査……」

嫌な想像が頭をよぎります。かつて自分がされたであろう、凌辱の限りをまたされるのかと。

医者「なにせあなたは、この50年もの間年を取らずにいるのです。医学的にはあり得ない事です」

医者「ですから、悪いようにはしません。検査を受けてもらいます」

貴音「はい……」

自分の体に、何かが起こっている。それが何かは貴音には分からないのです。
しぶしぶ、検査を受けることを承諾せざるを得ませんでした。

122: 2012/07/19(木) 01:05:48.99
数週間後

貴音「結果、異状なしですか」

医者「ええ……」

真美「……」

診察室は、重い空気に包まれています。
数週間に渡るながい検査を終え、今日その結果を知らされたのです。

貴音「……」

真美「……四条さん」

真美が声をかけます。医者がいる前では、真美も四条さんと名字で貴音を呼びます。

貴音「真美。そう気を落とさずに」

真美は、いたたまれない気持ちになりました。
辛い目に遭っているであろう貴音に、逆に心配されてしまったのです。

そして、その貴音の姿は……

真美「……」

顔には少しずつ、しわが刻まれていきました。
貴音の体は、この数週間で急激に老化していったのです。

130: 2012/07/19(木) 01:14:06.04
病室に戻ると、真美と貴音は一息つきます。

真美「四条さん、その……」

貴音「双海真美」

真美「はい……?」

貴音は、真美の目をじっと見つめて言いました。

貴音「せっかく二人きりなのですから、その四条さんというのはやめなさい」

真美「でも……お姫ちんはちょっと恥ずかしい……」

貴音「私をだましていた罰です。今後は必ずお姫ちんと呼びなさい」

真美「……分かった。お姫ちん」

恥ずかしそうに呼びかける真美を、貴音は笑いながら見つめていました。
その笑顔も、つい顔のしわに目が行ってしまい、真美は直視することができません。

貴音「そう気を落とさずに。この老化も、普通の人であったなら当然のことなのです」

真美「……」

貴音「私は、こうして年老いて、朽ちていくことが、何よりもうれしい」

貴音「やっと私は、普通の人間に戻れるのですから」

134: 2012/07/19(木) 01:21:40.84
真美「しじょ……お姫ちん……」

真美の瞳に思わず涙があふれてきます。
そして手で顔を覆い、そのまま泣き崩れてしまいました。

貴音「真美……」

車いすに座ったまま、貴音は真美に手を差し伸べます。
すると、真美は泣き顔のまま貴音の膝元にすがりつきました。

真美「どうして……どうしてそんなに笑っていられるの?」

真美「お姫ちんばっかりこんな目にあってるのに……どうして……」

貴音「私も、なぜかは分かりませんが……」

貴音「今までずっと、真美が私のそばにいてくれていたことを知ってから……」

貴音「不思議と、辛いと思わなくなりました」

真美「え?」

真美は不思議そうに貴音を見上げます。
その貴音の顔は、本当に穏やかな表情をしていました。

139: 2012/07/19(木) 01:27:38.92
貴音「真美に、これほどまでに思われていたと」

貴音「それだけで、この50年の眠りは十分に価値のあるものになったのですよ」

真美「……うぅ」

真美は、一層泣き出してしまいました。
その真美の頭を、貴音は優しく優しくなでています。

しばらくした後、泣きやんだ真美は貴音をベッドに寝かせ、その脇に椅子を用意して腰掛けます。

真美「お姫ちんが、そう思ってくれてるなら、私も今まで看病してた甲斐があったよ」

貴音「ふふ……」

真美「恥のかきついでだけどね、実はずっとお姫ちんのことが好きだったんだ……」

貴音「なんと……」

思わぬ告白に、50年越しの告白に、貴音はおどろきを隠せません。

真美「だからさ、そう言ってもらえたから、すっごく嬉しい」

貴音「真美は一途なのですね」

真美「……」

真美は赤面して、視線を落としてしまいました。

143: 2012/07/19(木) 01:32:58.99
またしばらく談笑をした後、貴音は眠たそうにし始めました。

貴音「真美……」

真美「どうしたの?」

貴音「私はもう、疲れました……」

真美「そう……」

貴音「少しだけ、横になりますね」

真美「うん」

真美は、貴音に毛布をかけてやります。

真美「あのさ、お姫ちん」

貴音「何でしょう」

真美「このまま、氏んじゃったりしないよね」

貴音「ええ、私はまだ氏ねませんよ」

そういうと、貴音はゆっくりと目をつぶります。とっても静かに。

貴音「50年の眠りを想えば、ほんの少し、仮眠をとるだけのことです」

真美「……うん。そうだね」

147: 2012/07/19(木) 01:39:43.25
貴音「それでは、おやすみ。真美」

真美「うん、おやすみ。お姫ちん」

貴音「……」

真美「……」

静かな空気が、病室を包みます。

貴音「……」

真美「ねぇ、お姫ちん……?」

貴音「……」

真美は貴音に話しかけますが、貴音は一切返事をしません。

貴音「……」

真美「お姫ちん、ありがとう。大好きだよ」

貴音「……」

真美の感謝の言葉に答えることもなく、貴音はそのまま、深い深い眠りに落ちて行きました。
その表情は、安らかで、安堵に満ちている様子でした……。

150: 2012/07/19(木) 01:45:34.34
数日後

真美「おはよう、お姫ちん」

貴音「おはよう、真美」

真美「今日は元気だね。やっぱりうれしい?」

貴音「ええ、今日は、待ちに待った日なのですから」

貴音の表情はうれしさにあふれていました。
あれから貴音は年相応の姿となり、老化も止まりました。

真美「あの日、本当に氏んじゃうのかと思ったよ」

貴音「何を言うのです。私はまだ氏なないと言ったでしょう」

貴音はにやりと笑うと、真美に一言告げます。

貴音「一緒にラーメンを食べに行くと、約束したではありませんか」

真美「そうだよね」

今日は、貴音に外出許可をもらい、真美と一緒にラーメンを食べに行く約束をした日でした。

真美「でも、若いころ見たいに無茶したらダメだよ。今はもう完全におばあちゃんなんだから」

貴音「……面妖な……」

153: 2012/07/19(木) 01:49:40.32
それからというもの、50年の溝を埋めるかのように、二人は仲むつまじく過ごしました。

今でも時々、ラーメン屋で仲良く麺をすする二人の姿が見れるようです。

真美「ねぇ、お姫ちん」

貴音「何でしょう、真美」

真美「氏ぬまで、ずっと一緒だよ」

貴音「ええ、私も、あなたと添い遂げるつもりですよ」

かくして、二人は末長く(短く)幸せに暮らしたようです。


おわり

155: 2012/07/19(木) 01:50:54.10
長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

157: 2012/07/19(木) 01:52:06.52

159: 2012/07/19(木) 01:53:35.64
乙 アイドルは年老いても魅力的

168: 2012/07/19(木) 02:03:11.63
最後に一言

BJでもおんなじネタあったけど、フォーエバーヤングって映画見てみてください。イメージ的にはあっちです。

あと、まみたかもっと増えろ!

引用元: 貴音「……おはよう、ございます」