1: 2014/03/19(水) 19:27:31.53

 早く目が覚めてしまったので、そのまま事務所にやって来た。
 朝早くのやわらかい光が窓から入ってくる。

「早いですね、プロデューサー」

 デスクの上に置いてあるノートパソコンの起動をする。

「ああ、まあな」

「もしかして、仕事溜めてたんですか?」


2: 2014/03/19(水) 19:28:29.60

 プロデューサーが仕事を溜めるなんて珍しい。
 小鳥さんが同人誌用に妄想を貯めることならよくあるけど。

「それもあるけど……たまたま早い電車に乗ったからさ」

「そうなんですか? 私もなんです」

 ……やっぱり、やり手のプロデューサーだなぁ。

「へえ、なんか今日はお互いに、良い日かもしれないな」

「そうですね」

3: 2014/03/19(水) 19:29:00.30

「……あれ?」

「ん、どうした?」

 窓際の壁に、アコギが裸のままで立てかけてある。

 木のぬくもりを感じる外面。触り心地の良いネック。表面を撫でてみる。
 ……勝手に触ってしまった。

「ああ、俺のギターだよ」

「プロデューサーって、ギターも弾くんですか?」

「ああ」

5: 2014/03/19(水) 19:29:52.84

「……あの」

「ん?」

「これ、少し弾いてみてもいいですか」

 プロデューサーは少し驚きの感情が入った顔で、

「ああ、いいけど……律子ってギター弾けるのか?」

「……ちょっと、ですけどね」

6: 2014/03/19(水) 19:30:45.95

「俺、律子がギターを弾いてるとこ、見たこと無いな」

 そういえば、事務所の誰かの目の前で弾いたことはないっけ。
 高校の時、フォーク研の部室で何回か弾いたけれど、アイドルになってすぐに部活は辞めてしまった。

「えっと、それじゃあ……」

 昔の癖で、ポケットを探ってしまった。んなとこにピックはないっつの。
 プロデューサーが白いピックを差し出してくれた。

「ありがとうございます……っしょ、と」

 椅子を引いて、腰掛ける。
 昔のように、ギターを持った。

7: 2014/03/19(水) 19:31:24.81

「……よっ……と」

 試しに1弦から3弦までを弾いてみた。
 うん、音はズレていないかな。

「っ……」

 プロデューサーが息を呑んだ。
 そんな大したものじゃないから、若干気後れする。

「それじゃあ……聞いて下さい」

 観客はひとり。小さな拍手が私を再び、音楽の世界へいざなってくれる。

8: 2014/03/19(水) 19:32:08.99

「海岸沿い Waveチューナー FMに耳を沈めて……」

 あ、楽しいな……これ。
 最後に弾いてみたのはいつのことだったかは忘れたけれど、指が思ったより動いてくれる。

「有能なサーファーは夜の暗い海で泣いてた♪」

 なんていうか、すごく気持ちが良い。

「っ」

 ここのコードを押さえるの、指が短くていっつも苦労してたっけ。

9: 2014/03/19(水) 19:32:41.78

 曲は進んでいく。
 途中から、ほとんど何も考えずにギターを弾いて歌っていた。

「2人で夢見ている、花火が今消えぬように……」

 プロデューサーはリズムにのって指を動かして、

「愛しい日々は旅を終えて赤道線の上……♪」

 私もまた、ギターを弾きながら身体を揺らす。

10: 2014/03/19(水) 19:33:42.21

「追い風を辿れば 雲が晴れてゆく……」

 今……結構、楽しい。

「灯台のスポットライトっ、青空を探しーてっ」

 ah-huh、と続けていって、最後に思い切りジャン、と音を鳴らした。
 『Brand New Wave Upper Ground』。私の青春の曲。

「えっと、ありがとうございました」

11: 2014/03/19(水) 19:34:27.03

 プロデューサーは拍手をしながら、笑顔で言った。

「律子、ギターうまいんだな」

「うまくなんか無いです。下手の横好き、ってやつで」

「弾くために、いっぱい練習したんだろ」

「そう、ですね……学生の頃は、ギターたくさん弾いてました」

 ギターを壁に立てかけ直して、ピックをプロデューサーに返した。

12: 2014/03/19(水) 19:35:17.53

「どうして事務所に持ってきたんですか?」

「ん、なんとなく」

「なんとなくでそんな重いモノを持ってきたんですか、あはは」

「いいだろ、気分なんだから」

 プロデューサーのデスクの下には、ギターケースが横に置かれている。
 このケースに入れてもってきたんだろうな、かなり年季が入っている気がする。

13: 2014/03/19(水) 19:36:05.88

「なあ、律子」

「はい」

「律子は、どうしてギターを始めたんだ?」

 キャスター付きの椅子に座って、ホットコーヒーを飲みながらプロデューサーはたずねてくる。

「あー……そう、ですね」

 ――この人になら、言ってもいいかな。
 別に秘密だったわけでもないのに、誰にも言っていなかった。

14: 2014/03/19(水) 19:36:52.78

「その、私がアイドルだったのは、知っていますよね?」

「知ってるよ。俺もファンだったから」

 ……ファン。
 数が少なかったとしても、私というアイドルを見てくれる人はちゃんと居て。

 その内の一人が、目の前に居る。

「……アイドルはサバイバルな世界です。足を踏み入れた時点で、私は理解していなきゃいけなかった」

15: 2014/03/19(水) 19:37:21.61

「ファン数が少ないアイドルが引退する……ってのは、今はもう無いですけど」

 私がアイドルだったころ、丁度私がアイドルを辞めるまで。
 ファン数が少ないアイドルは1年で引退する、という業界のルールが定説となっていた。

「それで、私もその煽りを受けて引退することになって。……でもまだ、歌うことが諦められなかったんですよね」

「……うん」

16: 2014/03/19(水) 19:38:10.42

「それで、えーと……元々ギターには興味があって結構触ってたんですけど、もう一回人前で弾いてみようって思って」

「ストリートミュージシャン?」

「そうです」

 真夜中の街で、シャッターの前で歌を歌う。弾き語り。
 なんだかテレビの中に出てくるバンドマンみたいで、格好良かった。憧れていたんだと思う。

「元々、部活でギターを弾いてて。アイドルに専念したいからってやめちゃいましたけど」

17: 2014/03/19(水) 19:38:45.99

「それで、ちょっとだけ路上で歌ってたんです」

「そっか……見たかったなぁ、律子が路上で弾き語るところ」

「あはは、今歌ったじゃないですか」

「うん、そうだけど……こうやって室内で歌うのと、夜の街で歌うのってまた違うじゃないか」

 声の響きも違うから、とプロデューサーは残ったコーヒーを一気に飲んだ。

18: 2014/03/19(水) 19:39:42.22

「……竜宮小町やみんながどんどん売れっ子になっていって、だんだん弾かなくなっていったんですよね」

 すごく、嬉しい事だと思う。765プロのアイドル達は、私の誇りだから。
 ギターは自室の奥に置いたまま、ずっと触っていない。

「…………なぁ、律子。俺はさ」

「えっ?」

「みんなのダンスとか、歌とかを見て……こう、無性に歌いたくなる時があるんだ」

19: 2014/03/19(水) 19:40:23.53

「無性に、ですか」

「そうそう。知らないうちに影響されてんのかな、春香とか千早が歌ってる姿とか、響や真が懸命に踊ってるのを見ると」

 俺も何かしたくなるんだよな、とプロデューサーは頭を掻いた。

「……私も、よくあります」

 竜宮小町のパフォーマンスを指導して、完璧なものをステージの脇で見ると、どうしても。
 アイドルに戻りたい――わけではないけれど。

20: 2014/03/19(水) 19:41:29.81

「律子、かなり良い技術を持ってるじゃないか」

「技術?」

「ああ。ギターを弾くのって、やっぱり練習の成果が出てくるからさ」

 ……ちょっと貸してくれ、と言われたので、プロデューサーにギターを渡す。
 白いピックを使って、知らない洋楽を演奏し始めた。

21: 2014/03/19(水) 19:42:18.51

「…………すごい」

 明るいメロディの曲と、プロデューサーの歌う声がマッチしている。
 アコースティック・ギターの旋律が、電気を帯びているようにも聞こえた。

 ストリングスやベース、ドラムまで聞こえてくるようで……格好良かった。

「……ってまぁ、こんな感じかな」

「すごいです、プロデューサー」

「あはは……俺は路上で歌ったことはないけど、たまにこうやって弾いてるんだ。それこそ、持ってきたり」

22: 2014/03/19(水) 19:42:54.05

「あの……」

「ん?」

 ポロロン、と弦を弾いて音を鳴らしているプロデューサーに、私は言う。

「プロデューサーがギターを持ってきた時、たまに貸してくれませんか?」

「……ああ、もちろん」

 音楽はやっぱり、楽しくて。その時のワクワクを私はまだまだいっぱい経験したくて。
 今日帰ったら、とりあえずギターケースからアイツを取り出そうなんて、ふとそんなことを考えた。

23: 2014/03/19(水) 19:43:34.39

 律子がギターを弾くのは格好いいと思って書きました。
 お読みいただき、ありがとうございました。お疲れ様でした。

24: 2014/03/19(水) 20:25:37.46
おつおつ

25: 2014/03/19(水) 21:19:24.19
乙 律子はギターうまそう

引用元: 律子「プラグレス・ミュージック」