2: 2011/01/25(火) 01:38:05.24

私の名前? 若王子いちご。

「いちご」なんて痛い名前だよね。自分でもわかってる。苗字とも合っていないし、ほんとうに変な名前。

名前のせいでバカにされたことは幾度かある、その度に私は傷ついて、泣いた。好きでこんな名前にしているわけじゃないのだ。

自己紹介とかが苦手だった。自分の名前を人前で言うのが苦痛だった。いちご、なんて、私のキャラじゃない。ダサい名前。

こんな変な名前を付けた両親を、私は憎んでいた。私は加南子、とか単純な名で良かったのだ。若王子加南子、何かイケてる。

だから、私がやさぐれたキャラを演じているのは、両親へのささやかな復讐だった。

いちごという名前とは似つかわしくない言動をとるようにした。出来るだけ冷たく、そして薄情になれ、と自分に戒めた。

3: 2011/01/25(火) 01:40:01.68
――はず、なのに。

高校生活初日、一年生の教室では自己紹介があった。私の大嫌いな自己紹介だ。

私の苗字は「わ」から始まるので、出席番号はいつも一番最後だった。

自己紹介は決まって出席番号順だから、きまって私がトリを飾る。クラス中の嘲笑が目に浮かぶ。

いちご、という名前がトリなのだ、笑わない奴はいないだろう。憂欝。

数分して、私の自己紹介の番。立ち上がり、屈辱に震えながら自己紹介をした。

いちご「私は若王子いちごです、……一年間よろしく」

出来るだけ冷たい声を心がけた。

すると、クラスの中の何人かが、ぷっと苦笑するのが聞こえる。私は歯噛みしながら、席に座った。

4: 2011/01/25(火) 01:41:56.81
朝のホームルームが終わる。周りの女子は早速中のいい女子を見つけて、談笑しあっている。その光景を横目で眺めていると――ふと、彼女たちに気づいた。

一人は黒髪ロングの女の子。すらりとした体躯。彼女の机の横には、カチューシャをした女の子が立っていた。茶髪のセミロング。

彼女たちはちらちらと、私の方を見てきていた。視線を感じる。私の名前でも、嘲笑っているに違いない。

?「――あの子って、いちごって名前だっけ?」

カチューシャの女の子が、私を指差しながら言ってくる。目が合わないよう気をつけながら、私は彼女たちを横目で見続ける。

席の距離が離れているため、彼女たちは私の視線に気づかぬまま話を進めた。

?「あぁ、さっきの自己紹介聞いていなかったのか? 律」

6: 2011/01/25(火) 01:43:40.40
カチューシャの女の子は、律、という名前らしい。いちご、なんかよりはかなりましな名前だ。

律「いやー、何か眠くてな。でも、いちごかぁ……、珍しい名前だよな。澪はどう思う?」

黒髪ロングの女の子は、澪というのか。なんとなく、その名前の響きが素敵だと思った。

澪「可愛い名前だと思うよ、うん」

…………………………。

え?

私は耳を疑った。

可愛い? いちごという名前が? そんなこと生まれて初めて言われた。不覚にも、胸が高鳴る。

7: 2011/01/25(火) 01:45:23.39
澪「孤高って感じがして、何か格好いいし」

律「へぇ、澪らしい……。じゃああの子は?」

澪「たしか……紬って名前だっけ?」

その後の話には耳を貸さなかった。ただ、彼女が……澪に言われたことの余韻が、何度もよみがえる。

格好いい。孤高。

その台詞が胸に響いた。

今まで味わったことの無い感情が、昂ぶる。

体が熱くなるのが、わかる。

いちご、という名前がちょっとだけ好きになった。

9: 2011/01/25(火) 01:46:56.54

いちご(――――…………あぁ、夢か)

まわりを見やる。エリとかいう女子がアカネとかいう女子と会話している。

姫子とかいう不良女が教壇のところでヤンキー座りをしている。

信代とかいうデカ女が、大声をあげて笑っている。

見慣れた三年生の教室。机に突っ伏したまま私は寝ていたらしい。時計を見る。昼休みはまだまだある。

もう一眠りでもしようかな、そう思いながら、私は教室の後ろに目線をやる。

軽音部の面々と生徒会長が談笑していた。その中に、彼女の姿を認めた。見紛うことない、滑らかな黒髪――。

10: 2011/01/25(火) 01:48:30.58
いちご(澪……笑っている)

いちご(何の話ししてるんだろう)

律が澪に小突かれていた。金髪眉毛はそれをなだめている。天然娘は朗らかに笑っていて、生徒会長は無表情だった。

いちご(……楽しそう。あの中に入りたいな)

いちご(でも、私は孤高だから…………、クールでいないと、格好よくいないと)

いちご(…………綺麗な笑顔。もっと近くで、あの澪の笑顔を見てみたい…………)

私は首を振った。雑念を払う。変なことを考えてはいけない。私は『孤高』なのだ。

いちご(でも…………せめて、ご飯くらいは一緒に食べたい)

いちご(………………あぁ、私変だ。孤高でいようと決めたのに、澪のことを見ていると気持ちが揺らいじゃう)

いちご(寝よう…………それがいい)

そして私は、再び目をつぶった。

12: 2011/01/25(火) 01:50:05.01

律「わ、私がジュリエットはありえないだろ! ……例えば、いちごとか! 御姫様見たいで可愛いし!」

あのとき、私が『ジュリエット』になりたい、と希望していれば。

私は澪と、もっと仲良くなれたのだろうか。

でも、私は孤高であるべき存在だから。

私の愛する人は、私が孤高であることが格好いい、と評してくれたから。

いちご「え? やだ」

13: 2011/01/25(火) 01:51:44.36
そう、答えてしまった。

律「えぇー……」

ほんとうは、ジュリエットを演じたかったのだ。

澪と一緒に、壇上で熱い抱擁を交わしてみたかった。

でも私は、孤高であることを優先した。

もしも、時間を戻すことが出来るなら。

ほんの数ヶ月前に戻りたい。

文化祭の役決めをしているあのころに戻って、ジュリエットになりたいと言うのに。

15: 2011/01/25(火) 01:53:33.67
教師「おい、若王子。起きろ!」

男の声で、私は眼を覚ました。

また、深く眠っていたのか。授業はもう始まっていたようだった。黒板を見る。訳のわからない数式が羅列されていた。

教師「……ったく。居眠りするんじゃないぞ」

いちご「……はい」

孤高が聞いてあきれる、と私は思った。こんなヘマを犯すなんて。くすくすと、どこからか笑い声が聞こえた。

ため息。男性教諭は黒板に向きなおり、再び数式を描いていった。私は教室の壁に貼られたカレンダーに目をやる。

もう、二月か。

16: 2011/01/25(火) 01:55:22.08
三年生のほとんどが受験をする中、私は進学ではなく就職を選んだ。

高卒は不利、とか聞いているが知ったことではない。大学でまた勉強をするなんて、まっぴらごめんだ。

高校を卒業したら働くつもりの私には、もう、勉強など必要ないのだ。出席日数も足りているのだから、卒業式までサボっても何も言われないだろう。

それでも学校に来ているのは、澪がいるからに他ならない。

くだらない、と私は思う。

彼女が私に好意を抱いていないなんて、わかりきっていることなのに。

私は何かを、まだ期待している。

18: 2011/01/25(火) 01:57:06.84

放課後になると、そのまま帰宅する生徒が大半だった。二次試験というものがあるらしい。ご苦労なことだ。

軽音部の面々は、そのまま部室へと向かったようだ。彼女たちも受験はあるはずなのに、余裕を感じる。

遠くの方で、今日のおやつはシュークリームよという声が聞こえる。金髪眉毛のものだろう。

いちご「楽しそうだなぁ………………」

ウカツ。気付いた時にはもう遅い。声に出してしまっていた。

まだ教室にいた何人かの生徒が、私の声に気づいて、こちらを見てくる。

猛烈に恥ずかしくなって、私は学校を出た。

19: 2011/01/25(火) 01:58:31.70
その日は曇りだった。昨日から天気は変わっていない。灰色の空。灰色の世界。

コンビニの前を通ると、その店舗の前に大きな垂れ幕がかかっていた。

『バレンタインフェア 実施中!』

赤色の紙に、白抜きの文字。

いちご(バレンタイン……)

いちご(今日は2月11日…………あと3日か)

いちご(去年も一昨年も、澪の下駄箱の中にチョコ入れたっけ…………、私が入れる前から、たくさんチョコが入っていたけど)

いちご(人気者なんだよね…………)

20: 2011/01/25(火) 02:00:46.92
孤高、という言葉を思い出す。

私には似つかわしくない言葉だ、とつくづく感じる。

いちごという名前以上に、私には相応しくない形容。

私は誰よりも、甘えたがりなのだ。それを隠しているだけで……。

いちご(……今年も、チョコ渡そうかな)

いちご(下駄箱に入れるとかじゃなく、直接……)

いちご(手渡したいけど…………変に思われたら嫌だし……)

コンビニの前で、私は立ち続けていた。垂れ幕の文字を見ながら考える。

いちご(今年も結局、何の返事もなくバレンタインが過ぎ去るのか……)

いちご(………………まぁいいや。チョコは買っておこう)

孤高なはずの私が、チョコ一つでウジウジ悩んでいるなんて、澪に見られたら幻滅されるだろうな。

そう自嘲しながら、コンビニに足を踏み入れた。

22: 2011/01/25(火) 02:02:17.78
店員の機械的な「っらっしゃあせー」という台詞を聞きながら、チョコが売られているところに向かった。

包装されているはずなのに、甘いにおいがする。チョコのにおい。香ばしい。

いちご(甘いもの好きそうだよね……澪って)

いちご(だからビターチョコとかは避けて……、あ、ホワイトチョコでいいかな)

いちご(下駄箱の中に入れても……食べてもらえないだろうし。他の子も下駄箱の中に入れているしなぁ)

いちご(やっぱり、手渡しした方がいいのかな…………)

23: 2011/01/25(火) 02:03:25.10
いちご(でも、私の孤高ってイメージが壊れてしまう…………)

いちご(………………いいかな、別に。もう高校生活最後なんだし)

いちご(ちょっとくらい大胆になってもいいよね)

よみがえる、澪の笑顔。今日の休み時間見た、あの自然な微笑み。上品で、綺麗で……。

つい、私の顔も緩んでしまう。

いけない。せめてバレンタインまでは、孤高でいよう。

格好いいと言われた、孤高の私のままで。

24: 2011/01/25(火) 02:04:56.49

翌日も、曇っていた。一週間ほどこの天気が続くらしい。

目ざましテレビでそう言っていた。バレンタインの日には雨まで降るかもしれないという。

天気の神様はどうやら、空気が読めないみたいだった。

昨日買ったチョコは、コンビニで包装してもらったまま、冷蔵庫に保管してある。

自分でも、気が早いのはわかっている。

いちご(明後日が、バレンタインか……)

高校最後のバレンタイン。

そう意識するだけで、胸が痛むのはなぜなのか。

25: 2011/01/25(火) 02:06:35.96
私が学校につく時間は、きまってHRが始まる直前だ。今日も、私が教室に入るなり朝のHRを告げる鐘が鳴った。

自分の席に座った瞬間、その異変に気付いた。

いちご(……澪が、いない?)

欠席だろうか。

不安になる。

内心の動揺を悟られないように、冷静な表情を作る。

そのとき教壇の上で、女教師が口を開いた。

さわ子「えー、秋山さんは、風邪により欠席です」

天気の神様だけじゃなく、病気の神様まで空気の読み方を知らないようだった。

27: 2011/01/25(火) 02:08:36.39
その日、何があったか覚えていない。

ただ空虚に時間だけが経過していって、気付いたら、放課後になっていた。

軽音部の面々と生徒会長は、お見舞いに行かない? とかいう話をしていた。そこには二年生のツインテールの子もいた。

言うまでもなく、澪のお見舞いの話だろう。

私も行きたかったが、いかんせん、澪の家を知らなかった。私の恋は、一方的すぎる想いにすぎないのだ、ということを自覚させられた。

いちご(胸が苦しい……)

いちご(心配だなぁ……)

軽音部の面々と生徒会長が教室を出ていく。彼女たちが向かった先は音楽室ではなく、校舎の外だった。

28: 2011/01/25(火) 02:09:55.31
付いていこうか、と私は考えた。

でも、いきなり行っても迷惑になるかもしれない。

それに、と思う。

私が澪を好いているだけで、澪は私のことなど見てくれていないのだ。

私は軽音楽部の一人でもなければ、クラスメイトと言えるほどの間柄でもない。

ただ、澪のことが好きな人。

二年も前の時に、名前が可愛いって言われて、孤高であることを格好いいって誉められて、以来澪を好きになった一人の女の子。

それが、私。若王子いちご。

30: 2011/01/25(火) 02:11:28.98
私は変な名前を授けやがった両親に、並々ならない憎悪を持っている。

でも、この名前のおかげで、澪に恋慕を抱くことが出来たのだとしたら――。

それはとても幸せなことだ、と思えた。

私は孤高の女の子を演じていた。そして演じている。今この瞬間も。

ほんとうは、孤高なんかじゃない。甘えんぼなのだ。誰かとずっと一緒にいたいのだ。一緒に笑いあって、一緒にご飯を食べたりしたい。

名前という劣等感が、誰かと関わるのを躊躇わせていただけで。

名前で笑われたりするのが恐くて。

臆病になって、やがて、ひとりになった。

けれど、彼女は私の名前を可愛いと言った。

孤高で孤独な私を見て、そこに格好よさを見出してくれた。

彼女なら、私のことを受け止めてくれるんじゃないかと。

私が澪のもとに行って悪い理由があるだろうか?

いや、ない。

31: 2011/01/25(火) 02:13:06.81

外はまだ曇っていた。晴れるわけがないと知っているのに、晴天になるのを望んでいる。

私は軽音部の面々の後ろを追った。彼女たちはきっと、澪の家に向かうはずだ。

数分後、予想通り彼女たちは一軒の民家に入った。玄関より中に入って行くのを眺めた後、私はその家の表札を見る。

『秋山』

いちご(……澪の家だ)

いちご(よし、大体の道のりは覚えた……あ、でも今行くと律とか生徒会長とかと鉢合わせに…天)

いちご(時間、ずらして行こうかな。うん、そのほうがいいよね)

いちご(どこかで時間つぶそうかな……)

いちご(バレンタインまでには治っていてほしいな……、風邪ならすぐ治るよね、きっと)

32: 2011/01/25(火) 02:14:44.95
ふと、自分を客観的に見た。

いちご(あぁ……駄目だ、私。全然孤高じゃなくなっている)

いちご(行動も何もかも、全部感情的になってる……)

いちご(よく考えたら、家の場所が分かっても入れてくれるかどうか…………。それほど……仲好くはないんだし)

つきん、と心が痛んだのは気のせいではあるまい。

いちご「あぁ……何かお見舞いの品持っていけば大丈夫かも……」

ちょうどいい時間つぶしにもなるし。

そう思った私は、コンビニを求めてその場から離れた。

33: 2011/01/25(火) 02:16:07.55
品物を選ぶのに、三十分もかかってしまった。

何を買えばいいのかよくわからず、結局、カ口リーメイトを持っていくことにした。四本入りの奴だ。

秋山家のインターホンを押す。さすがに軽音部の面々はもう帰っているだろう。

?『はい? どちらさまですか』

その声は、聞き覚えのあるものだった。

いちご(……澪の声)

澪「あの、新聞とかは要りませんので……」

いちご「あ、その、お見舞いに来ました、若王子いちごです」

何故か敬語になってしまった。澪の方も敬語だったからだろうと思うことにした。

34: 2011/01/25(火) 02:17:32.60
私は澪の部屋に招かれた。熱も下がってきていて、明日には治ると医者に言われているらしい。

私はその澪の言葉にそこはかとなく安堵した。

澪「いやぁ、それにしても、いちごが来てくれるなんてなぁ」

気恥ずかしさを覚える。

いちご「……その、受験まであと少しだから、心配になった」

言い訳するような口調で、私は澪に言った。

冷たい口調になってしまったのが、少し悔やまれる。

澪から、ありがとう、という返答が一つ。

35: 2011/01/25(火) 02:19:22.62
いちご「あ、これ、お見舞いの品みたいな……」

す、とカ口リーメイトを手渡す。フルーツ味。

澪「いいのか? ありがとう」

受け取ってもらえた。

澪「昨日の夜くらいに高熱が出てさ、一時はどうなるかと思ったけど、受験には間に合いそうでよかったよ。一日落としたのは痛いけど」

言いながら、澪は机の方を見やった。私も視線をそちらに移す。勉強道具がひろげられていた。

いちご「……どこの大学受けるんだっけ?」

澪「N女。いちごは……?」

普通に会話していることが何だか可笑しくて、笑いを噛み頃しながら、私は「就職」と答えた。

36: 2011/01/25(火) 02:20:52.84
澪「へぇ、高校卒業と同時に働くなんて、親孝行だな」

親孝行。そのフレーズが意外で、私は吹き出してしまった。

いちご「そうでもない。私はただ、勉強がしたくないだけ」

悪い気分では、なかった。

私は部屋中を見渡す。と、一点で視線が止まった。

見覚えのある豪奢な衣装。中世の貴族が着るような刺繍の服が、ハンガーでつるされていた。

37: 2011/01/25(火) 02:22:41.31
いちご「あれって……ロミオの服?」

その衣装を指差し、尋ねる。

澪「あ? ああ。うん。文化祭の時のね」

澪が遠い眼をする。

いちご「……あの時の澪、格好良かった」

澪「そうか? 何かそう言われると恥ずかしいな」

いちご「何か、覚えている台詞ある? あの劇の時ので」

そう尋ねる気分になったのは、単なる気まぐれだろうか。

澪「ああ、うん。一つだけ、印象に残った台詞なら」

いちご「どんなの?」

38: 2011/01/25(火) 02:24:25.54
澪はすぅ、と深呼吸した。

澪「愛に導かれてやってきました、案内人などいません。しかし、あなたがどれほど離れていようと、
  
  そこがはるか海に洗われている広々とした岸辺だったとしても、私はあなたのような宝を見つけて旅に出ますよ」

すらすらと紡いで見せた澪に、私は羨望のまなざしを向ける。すごい、と思えた。

ジュリエットになりたい、とあの時言っておけばよかった。

39: 2011/01/25(火) 02:25:46.35
澪の口から、あの場所で、この台詞を生で聞けたのだ。

澪「何か、今思うと大仰な台詞だけどさ、ロミオになり切っている時は、金言に感じられたんだ」

感慨深そうに、澪が呟く。

私はジュリエットじゃないけれど、その言葉の重みが伝わってきた。

〝愛に導かれてやってきました〟

私も、愛に導かれてやってきた。

愛? それはあまりにも一方的な片想いだけど。

いちご「……素敵な台詞だった」

ジュリエットになり損ねた私は、目の前のロミオに向かってそう答えた。

40: 2011/01/25(火) 02:26:35.95
異変は、私がそろそろ帰ろうかな、と立ちあがったときに起こった。

窓の外から、音。ぽつり、ぽつり。音は大きくなっていく。ざぁ……ざぁぁぁぁ……。曇り空が崩れた。シャワーのように、雨が降り始めた。

澪「うわ、ついに雨が降っちゃったか……。天気予報では明日とか明後日に振るって言ってたのに……」

いちご「……あ、私傘持ってきていないや」

澪「あ、家のでよかったら、貸すけど」

断る理由はなかった。

紺色の傘が手渡される。重い。男性用の傘だろうか。

澪「ありがとう、今日はお見舞いに来てくれて」

41: 2011/01/25(火) 02:27:58.47
いちご「ううん、どういたしまして」

あ、そうだ。と私は澪に言う。

いちご「2月14日の放課後……四時半くらいかな。三年二組の教室にさ、来てくれない?」

私は、笑ってみることにした。上手く笑えている自信がない。

澪「――え?」

いちご「渡したいものがあるんだよね」

それだけを言って、私は秋山家を出た。

42: 2011/01/25(火) 02:29:30.50
雨は12日から13日まで降り続いた。14日の今日はすっかり晴れ模様で、天気予報は信用ならないと痛感した。

朝から私は落ち着かなかった。それは何故か? きまっている。

放課後になるまでは、それほど時間はかからなかった。四時半になるまでなんて、あっという間だった。心の準備は出来ていないと言うのに。

そういえば、澪や他の軽音部の面々は、もう少しでN女の試験があるらしい。

澪がN女に合格したら、会う機会が少なくなってしまう。それ以前に会えるかどうかも怪しい。それが、残念でならなかった。

〝しかし、あなたがどれほど離れていようと、そこがはるか海に洗われている広々とした岸辺だったとしても、私はあなたのような宝を見つけて旅に出ますよ〟

ふと、その台詞を思い出す。

いずれ、会えるだろうか。

別れてしまった後も、十年後か二十年後か、もっと後。ふたたび澪に逢うことはできるだろうか。

きっとできる。そうに違いない。逢えなかったら、こちらから逢いに行ってやろう。あなたのいる場所が遠く離れていようとも。

この想いを伝えるために。

43: 2011/01/25(火) 02:31:07.49
教室の扉が開く。

澪がいた。

澪「こ、この前言われたとおりに来たけど……」

澪の顔は少し赤い。私の顔もそうかもしれない。

私は澪に歩みよる。

いちご「ありがとう。来てくれて」

そして、私は言うのだ。

いちご「あのさ、どうしても食べてほしくて――――」

まだ想いは伝えない。いずれ、その時が来たら伝えたい。今、この時は、少しでも澪と一緒にいよう――。

私はホワイトチョコレートを手渡す。澪は、ゆっくりと受け取ってくれた。まだら模様の包装紙のかかった、一枚のチョコ。

その味は、とてつもなく甘いに違いない。

                              終わり

44: 2011/01/25(火) 02:36:05.59

もっと読みたいその後の話とかないの?

45: 2011/01/25(火) 02:44:26.86
おつ

引用元: いちご「ジュリエット」