1: 2011/06/30(木) 12:00:09.49

 とある、ちょっぴり暑い日の夕方のこと。

 お部屋ですこしぼーっとしていると、

 下の階からガチャンと大きな音と、お姉ちゃんの悲鳴が聞こえてきた。

憂「お姉ちゃん!?」

 慌てて下に降りると、台所でお姉ちゃんが泣きべそをかいていた。

唯「う、うい……」

憂「わっ、お姉ちゃん」

 お姉ちゃんは私を見つけると、駆け寄ってきて抱きつく。

 震えているお姉ちゃんの頭を撫でてあげながら台所の様子を見ると、

 それはそれは、私の想像以上の惨状だった。

憂「お姉ちゃん、あのお皿割っちゃったの!?」

唯「憂ぃ……」

4: 2011/06/30(木) 12:03:20.13

 見事に砕け散ったお皿の模様には覚えがある。

 あれは家にあるものでいちばん高い、大きな大きな焼き物。

 大正時代の有名な職人さんの傑作だとかいう自慢をお父さんにされたことがあって……

 たしか、お父さんの家の家宝だとか……

 値段はいくらだったか、ひゃくまんだとかいっせんまんだとか……

憂「……」

 お姉ちゃんをぎゅっと抱きしめる。

 もうおしまいだ。

 わたしたちはお皿の代償としてお父さんに売られるんだ。

 そして知らない人のところで奴隷にされそうなって、だけどすんでのところで紬さんあたりに助けてもらって召し使いになって忙しいながらも幸せに暮らしてたんだけど突然紬さんに「憂ちゃん、お姉ちゃんと絡んでみない?」とか言われるんでしょ?

 そんな感じの展開のニオイがするもん。

憂「……」

 そんな、そんな運命は受け入れない。

 わたしはお姉ちゃんと、誰かの前で、誰かのために結ばれたりするのは嫌だ。

6: 2011/06/30(木) 12:06:06.60

憂「お姉ちゃん、まずはあれを片付けよう」

憂「なんとかして、割ったことをバレないようにしないと……」

唯「う、うん……」

 お姉ちゃんをぽんぽん撫でて、台所へ行く。

 破片を集めて、袋に入れるんだ。

 捨てる場所は近くのコンビニとかだって問題ない、別に氏体じゃないんだから。

 ただ、お父さんかお母さんが帰ってくる前に済ませないと。

憂「お姉ちゃん、手伝って。ビニール袋を2枚持ってきてくれる?」

唯「わ、わかった。ごめんね、憂」

 私はちりとりとほうきを取って、欠片を集めて重ねるとお姉ちゃんを待つ。

憂「ハァ、ハァ……」

 心臓がばくばく跳ねまわって、氏にそう。

9: 2011/06/30(木) 12:09:12.06

唯「ういっ、持ってきたよ」

憂「ありがとう、お姉ちゃん!」

 袋を二枚重ねて、チリのように細かい破片まで全部残さず掃除する。

 ひとまずはこれで、あとで掃除機もかけておかないと。

憂「じゃあ私はこれ捨ててくるから」

憂「その間にお父さんとか帰ってきても私は友達のところだって言っておいてね」

 お姉ちゃんに指示を渡し、玄関へと走り降りる。

唯「あっ、憂ー!」

 大丈夫だ、間に合わないなんてことはない――

 靴をひっかけドアノブを掴み、玄関のドアを開けようとした。

 けれどドアはその一瞬前に「かちゃり」と言ったし、それにやけに軽くって。

母「あれ、憂なにやってるの?」

父「なんだその袋? おみやげか?」

 奴隷商人、ダブルで帰宅。

10: 2011/06/30(木) 12:11:50.75

憂「あ、ぁ……」

 まともに喋ろう、

 普段通りにしてたら何も怪しまれないでコンビニくらい行けるはず、

憂「あ、あのっ、えっとっ」

 動いて、私の口、

 はたらいて、私の頭、

 じゃないと、じゃないと。

憂「……ごめんなさいお父さんっ! 大事なお皿割っちゃったの!」

唯「おぉ……」

 ごめんなさい、お姉ちゃん。

 お姉ちゃんを守れなかったよ、私。

父「皿って……これは!」

11: 2011/06/30(木) 12:15:26.31

 事情をのみこんだお父さんたちは、私たちを居間で正座させた。

父「……これ、いくらしたか分かるか?」

 お父さんは私を睨む。

憂「わ、わからない……です」

父「……はぁ。とにかく、割ってしまったものは仕方ないな」

憂「……」

 仕方ないよね。

 何百万だなんて、私たちの命で弁償しないと……

父「だが……」

 と思っていたけれど、お父さんは逆接でつなげた。

父「何より、割ったことを隠そうとしたのが父さんは気に入らない」

憂「……」

13: 2011/06/30(木) 12:18:11.17

憂「……うん?」

 えっと。この人、何言ってるんだろう。

母「うん? じゃないでしょ憂」

憂「あっ、ご、ごめんなさい」

 どういうこと。

 お皿を割ったことはどうでもいいんだろうか。

 混乱しつつもお父さんの声をしっかり聴く。

 少しして、重たげにため息をついたお父さんはこう問った。

父「お皿を割ったのはどっちだ?」

憂「私っ」

 即座に答える。

 せめてこうなった以上、お姉ちゃんだけは。

15: 2011/06/30(木) 12:21:12.09

唯「憂じゃないよ、私が割ったの」

 けれど、横でお姉ちゃんはまっすぐな瞳をして言う。

憂「そんな」

父「じゃあ、」

 お父さんは言いかけた私の言葉を大きな声で遮る。

父「割ったことを隠そうと言い出したのは?」

憂「それも私!」

唯「ちがうよ、それも私!」

 お姉ちゃんがかばってくれる。

 嬉しいけど、お姉ちゃんはそんな嘘ついちゃだめだよ。

母「……やれやれ」

父「参ったな。これじゃ……どうしたもんか」

 お父さんたちは頭を抱えて、しばらく考え込んでいた。

18: 2011/06/30(木) 12:24:13.16

父「……しょうがないな。かくなる上は」

唯「上は?」

父「唯と憂、両方とも一晩地下室行きだな」

憂「……?」

 地下室?

 それってあの、子供のころたまに閉じ込められた、あの暗いところ?

 お姉ちゃんと和ちゃんとたまに探検した、倉庫代わりになってるあそこ?

憂「……えっ、奴隷は? 紬さんのメイドに襲われる展開は?」

唯「憂、お父さんたちの前でなに言ってるの?」

母「ほらほら、ご飯はあとで持っていくから。唯、さっさと地下室行くの」

唯「はーい」

憂「ちょっ、ちょっとー!?」

 かくしてお姉ちゃんに引きずられ、私は地下室に閉じ込められる次第となった。

19: 2011/06/30(木) 12:27:22.61

――――

憂「どういうことなの……」

 ほこりっぽい床に体育座りをして、私は嘆息した。

 あれから少し落ちついて分かったのは、

 とりあえずお皿を割ったことに対する罰はこの折檻くらいで、

 まず家のお父さんが奴隷商人とつながりなんてありえないってことと、

 この晩は壊れたベッドが一つ置かれているだけの地下室で過ごさないといけないということ。

唯「憂、さっき言ってたムギちゃんのメイドって?」

 ろうそくの火の向こうで、お姉ちゃんは不思議そうな顔をしていた。

憂「なんでもないの。忘れてお姉ちゃん」

唯「気になるよ……」

21: 2011/06/30(木) 12:30:29.59

憂「それより、このままで大丈夫かな?」

 そんなことよりも、ここで一晩過ごすことのほうが重要だ。

 子供のころは、ここに閉じ込められるのは長くても1時間だった。

 しかし一晩となると困ったことになる。

唯「大丈夫かって?」

憂「たとえばそれだって、到底ひと晩中はもたないでしょ」

 私は赤い火をゆらすロウソクを指差した。

 地下室に入れられるとき、ライターと一緒に一本だけ手渡されたものだ。

 その胴は血のような赤色……ではない。真っ白だ。

唯「でも、ご飯食べる時までもてば十分だよ」

憂「それからずっと真っ暗は怖いよ……」

23: 2011/06/30(木) 12:33:28.40

唯「だーいじょうぶ! お姉ちゃんがついてるから!」

 お姉ちゃんが後ろからどんっと抱きついてくる。

唯「ね?」

 ひょこんと横から顔を出して、お姉ちゃんはにこりと笑顔を向けた。

憂「……うんっ」

 なんだか、子供のころにかえるような気持ちだった。

唯「ほら憂、床なんか座ってたらばっちいから、ベッドに座ろうよ」

 お姉ちゃんが手を引く。

 連れられて立ち上がり、半ば押し倒されるような形でベッドのへりに座る。

 倉庫がわりと言っても大抵の荷物は棚や引き出しに仕舞われているから、

 ちゃんと座れてクッションにもなるのはこのベッドぐらいだ。

 ベッドは長らく使っていないはずだけれど、二人で勢いよく座ってもホコリは舞わなかった。

 ほこりっぽいとお姉ちゃんが体を悪くしかねないから、これは嬉しかった。

25: 2011/06/30(木) 12:36:21.49

 ぼーっとロウソクの火を見つめていた。

 これが消えたら、部屋はすっかり真っ暗になってしまう。

 換気がないせいで、少しばかりの湿気が肌にまとわりついている。

 この分だと、夜から蒸し暑くなってきそうだった。

 地下室には窓も光源も無い。

 本来だったら蛍光灯があるんだけれど、ずいぶん昔に切れてからは懐中電灯だのみだ。

 もちろん今日は懐中電灯なんて渡されていない。

憂「……はぁ。退屈だなぁ」

唯「そだねー。お腹もすいた……」

 何より辛いのが、携帯を奪われて時計もないこと。

 罰なんだから辛くて当たり前だけど、時間の感覚がないのは困る。

 あとどれぐらいこれは続くのかとか、

 自分の眠気や空腹の感覚がほんとに正しいのかとか、わからなくなる。

27: 2011/06/30(木) 12:39:26.85

唯「……ろうそく、もう半分くらいになっちゃったね」

憂「うん……食事に間に合うかな?」

 言ったところで、ドアがノックされる。

唯「あっ、なぁに?」

 お姉ちゃんが答えると鍵が開かれる音がして、人型の影と一緒に強い光が射した。

憂「んっ……」

母「唯、憂、ご飯持ってきたから食べなさいね」

唯「ありがと、お母さん」

 ひとつの深皿に盛られて運ばれたのは、どうやらカレーライス系の食べ物だ。

 匂いからしてビーフシチューか、ハヤシライスか。

 ロウソクの明かりのもとではよく見分けがつかない。

母「あとこれもね。お茶。こんなにいらないかもしれないけど2Lね」

 1Lのペットボトル2本がお姉ちゃんに渡された。

28: 2011/06/30(木) 12:42:12.49

母「それじゃ、朝になったらとりにくるから」

 それだけ言ってお母さんは出ていってしまった。

 本当にこれから朝まで閉じ込められるんだ。

 がちゃりと鍵のかかる音がする。

唯「器がプラスチックだね……」

憂「プラスチックのほうがいいよ。また割っちゃうと大変だし」

 器を膝に乗せて、ペットボトルはベッドに倒し、ロウソクを近くに引き寄せる。

憂「……あれ?」

 そこで、ようやく気付いた。

唯「うん?」

憂「スプーンが一個しかないや……」

唯「えっ」

29: 2011/06/30(木) 12:45:30.44

憂「……」

 器をお姉ちゃんに託し、扉に近づく。

 まずはそっと、ノックする。

憂「おかあさーん?」

 さすがにこれじゃ返事はないよね。

 もう少し強く叩いて、お母さんでもお父さんでもどっちでもいいから呼びよせる。

憂「おかーさーん? スプーン足りないよー!」

唯「……」

 まさか、ね。

 扉を思いっきりバンバン叩いてみる。

憂「おかあさんってば!」

唯「憂、あきらめよう……」

 お姉ちゃんが静かに言った。

30: 2011/06/30(木) 12:48:12.03

唯「どっちかが体調崩すとかでもない限り、お母さんたちは開けてくれないよ」

憂「……やっぱりそうかな」

唯「だと思う。それより、冷める前に食べたほうがいいよ」

憂「……そうだね」

 仕方なくベッドに戻り、お姉ちゃんの横に座る。

 仮病を使ってお母さんたちを呼ぶこともできたけれど、

 もしそれで仮病だとバレようものならこの折檻はさらに延長される可能性がある。

 しかも、私ひとりでだ。

 そうなったら本当に耐えられない。

憂「でもどうする? スプーン一個じゃ……」

 わたしが言う間に、お姉ちゃんはかちゃかちゃとスプーンを鳴らして

 何かのルーとライスをちょっと混ぜ合わせた。

32: 2011/06/30(木) 12:51:18.68

唯「はい、あーん」

 喜色満面のお姉ちゃんがスプーンを向ける。

 ……いいのかな?

憂「あ、あーん」

 先にひとくち食べさせてもらった。

 トマトの酸味がして、ようやくトマトハヤシだとわかった。

憂「……おいし」

唯「えへへ……さてさて」

 お姉ちゃんは再度スプーンを器に差し込むと、スプーンにひと口ぶん掬う。

 そしてそのまま、ぱくりと食べてしまった。

唯「おー、おいしいね」

 間接キスがね……なんてお姉ちゃんは思いもしないんだろうけれど、

 にっこりとしておいしいと言ったお姉ちゃんはすごく可愛かった。

33: 2011/06/30(木) 12:54:27.89

憂「……ね、ねぇ、お姉ちゃん?」

 いけない。

 食事中なのに、ドキドキしてきちゃった。

唯「ん?」

 お姉ちゃんはまた同じようにハヤシライスをすくう。

憂「も、もしかして、ずっとこれ続けるの?」

唯「あ、憂もお姉ちゃんにあーんってしたい?」

憂「え、えっと」

 お姉ちゃんは思わず浮いた私の手に、スプーンをぎゅっと握らせた。

 私がくせで手を開くのを見越していた動きだった。

唯「へへ、あー」

 お姉ちゃんが口を開ける。

35: 2011/06/30(木) 12:57:58.34

 落ちつくんだ、私。

 普段通りに、よこしまな気持ちを抱かずに。

憂「……あーん」

 ぱくり、とお姉ちゃんが差し出したスプーンに食い付いた。

 歯の当たった振動と、するりとくちびるが抜けていく感触が伝わって……

 どうしよう、ぜんぜん興奮がおさまってくれない。

唯「えへへー。はい、憂も食べないと」

 器を押し付けられ、お姉ちゃんに促される。

憂「う、うん……」

 お姉ちゃんの口の中に入ったスプーン。

 お姉ちゃんが舐めたスプーン。

 わたしは、ほんの少しだけご飯をすくった。

憂「……い、いただきますっ」

36: 2011/06/30(木) 13:00:18.66

 思い切って、口の中へ。

 お姉ちゃんがやったであろう形と同じように、舌を這わせて……。

唯「うい、おいしい?」

 お姉ちゃんが頭を撫でる。

 お姉ちゃんの中では私なんて、まだちっちゃな子供なんだろう。

憂「っん、おいしいよ」

 どうやら、私の気持ちはひとつの臨界点をこえたようで、

 スプーンを離すころにはかえって落ちついていた。

唯「はい憂、食べさせてー」

憂「うん。はい、あーん」

 結局わたしたちは器がすっかり空になるまで、何度もご飯を食べさせあった。

 ロウソクの火の色のせいで、お姉ちゃんは私が顔を赤くしていたのには気付かなかったみたいだ。

 おかげでずっと見続けていられたお姉ちゃんの笑顔は、一生の思い出になりそうだった。

38: 2011/06/30(木) 13:03:15.05

 器を床に置いたころには、ロウソクがもうじりじり言い出していた。

 ペットボトルのお茶を飲みながら、お姉ちゃんは消えかけのロウソクを見ている。

唯「憂も……飲んでおいたほうがいいよ」

憂「えっ?」

唯「暗くなって、ペットボトルがどこいったか分からなくなったら困るでしょ?」

唯「だから暗くなる前に、しっかりお茶飲んでおかないと」

 そう言って、お姉ちゃんはさらにお茶をがぶがぶ飲む。

 でも言うとおりだ。

 水分はとっておくにこしたことはない。

 ただでさえ蒸し暑く、汗をかきそうな夜なのだ。

憂「そうだね、そうする」

 私もペットボトルを拾って、お姉ちゃんのようにがぶがぶ飲む。

 お腹一杯になったころには、ペットボトルは半分ほどの軽さになっていた。

39: 2011/06/30(木) 13:06:23.48

 私は蓋を閉めてペットボトルを床に立てた。

 さきに水分補給を終えたお姉ちゃんと同じようにしたのだ。

唯「……あっ」

 お姉ちゃんが声を上げる。

 明かりが弱まりだしていた。

憂「もう消えちゃうね」

唯「う、うん。そうだね」

 お姉ちゃんは今更不安になってきたのか、すこし吃った。

 明かりはどんどん小さくなって、最後は火花のようになって消えた。

唯「……ふーっ」

 お姉ちゃんが長く息を吐いた。

憂「……消えちゃったね」

40: 2011/06/30(木) 13:09:29.39

唯「うん、まっくら」

 明るさに目が慣れていたのもあって、何も見えない。

 お姉ちゃんがぺたぺたと私の背中に触れた。

 私を探してるのかな。

憂「……お姉ちゃん、わたしはここだよ」

 わざと少しお姉ちゃんから離れて、お姉ちゃんを呼ぶ。

唯「わっ、憂どこー?」

 慌てた様子でお姉ちゃんが腕を伸ばしているようだ。

 そんなお姉ちゃんが可愛くてもう少し感じていたくて、またちょっと距離を取る。

憂「ここだってば」

唯「ん、そこかな?」

 お姉ちゃんが五感で私をとらえたのが分かった。

 次の瞬間、お姉ちゃんにぎゅっと抱きしめられる。

42: 2011/06/30(木) 13:12:16.33

唯「みつけたー、つかまえたー!」

 お姉ちゃんは正面から抱きついてきていた。

 正面はいちばん気持ちいいしくちびるも触れそうになるから好きなんだけれど、

 ドキドキしてるのがいちばんバレやすいからちょっと怖い。

憂「えへ、つかまっちゃった」

唯「ふっふっふ……よいしょ」

 ベッドの上で抱き合っている。

 真っ暗だから大丈夫だけど、

 もしお父さんたちが今の私たちを見たら何か勘違いをするかも、なんて思った。

唯「ふー。落ちつく」

 お姉ちゃんがくったりと私にもたれかかる。

 私もお姉ちゃんに寄りかかって、少し強く抱きしめた。

43: 2011/06/30(木) 13:15:19.46

唯「……ねぇ、憂」

憂「ん?」

唯「真っ暗だとさ……何にも見えないね」

唯「それに、何にも見られない」

憂「……でも、私にはお姉ちゃんが見えてるよ」

憂「お姉ちゃんだって、私が見えてるでしょ?」

 闇の中に、お姉ちゃんの輪郭が見える。

 それはきっと、暗闇に目が慣れたせいだけではなかった。

唯「うん。憂が見える。見えるんだけど……ね」

 抱きしめているお姉ちゃんの体が、すこし震えたように感じられた。

唯「それってことはさぁ……私、いま、憂しか見えてないってことなんだよ」

 お姉ちゃんの抱きしめる手がゆるんで、顔が私の目の前にきた。

 頬を撫でていった息は、すごくしめっぽくて熱かった。

44: 2011/06/30(木) 13:18:15.46

憂「お姉ちゃん……?」

唯「憂は、いい子だよね」

 泣きそうな目をして、お姉ちゃんは言う。

唯「さっきだって、お皿割ったこと正直に言ったし」

憂「……でも、私が隠し通してたら、お姉ちゃんはここに閉じ込められずに済んだのに」

唯「いいの。今そんな話してないから。……それに、私」

 お姉ちゃんがまた微かに震えた。

唯「わたし、むしろ嬉しいんだ。憂と一緒に閉じ込められたんだから」

憂「……」

唯「……ねぇ、うい」

 お姉ちゃんが、再度問いかける。

憂「……なあに、おねえちゃん」

45: 2011/06/30(木) 13:21:16.08

唯「……憂は、いい子だから」

 お姉ちゃんがごくりと唾をのんだ音が、耳に残る。

唯「私の、質問にも……素直に答えてくれるよね」

憂「……う、ん」

 腕の中のお姉ちゃんがぶるぶる震える。

 もしかして、震えているのは私のほうなんだろうか?

 うまく、しゃべれないし。

唯「あのねっ……憂は……」

唯「憂は、こんな、ね? わたしに……」

 お姉ちゃんは泣いていた。

 蒸し暑い中で、汗のようにぽたりと垂れた涙が、服のお腹にしみた。

唯「……わたしがっ。好きだっていったら……」

唯「付き合って……なんて……くれないよね」

46: 2011/06/30(木) 13:24:20.87

 お姉ちゃんが後ろに下がろうとした。

憂「……」

唯「ごめん、うい……わ、わた、じぃ……」

 やっぱり震えているのはお姉ちゃんだよ。

 ぼろぼろ泣いてるお姉ちゃんを力の限り抱きしめる。

唯「ごめん、ごめんねぇっ……好きに、なっちゃったぁ」

唯「ごぇ、んねっ……許してぇ」

憂「……お姉ちゃん」

 私はお姉ちゃんを抱き寄せて、耳にくちびるを近づけた。

憂「……嘘はだめだよ? 私だけしか、見えないんでしょ?」

唯「うい……?」

憂「ちゃんと私を見て。お姉ちゃんだけを見てる私だけのこと」

47: 2011/06/30(木) 13:27:31.32

 泣きはらした目で、はなの垂れた鼻で、汗ばんだ肌で。

 ろれつのまわらない舌で、赤く色づいた耳で。

 お姉ちゃんは私を見た。

憂「……はい、嘘泣きやめようね」

 お姉ちゃんの頭を撫でて、だきしめるのを一旦中断。

唯「……ぁ」

 お姉ちゃんはくたびれたみたいで、肩をおろしてしばらく荒い呼吸をしていた。

 だけど、わたしが笑顔を向けると、

 あやされた赤ちゃんみたいに満面の笑みになった。

唯「……憂ぃ」

 お姉ちゃんが、ゆっくりもたれかかるように私に寄り添った。

唯「……わたしは」

 お互いにドキドキしてるのが、くっついた胸からよく伝わる。

48: 2011/06/30(木) 13:30:15.47

唯「……私は、憂のことが大好きです」

唯「だから……つきあってください!」

 お姉ちゃんは私を見つめて、言いきった。

 わたしも、全身でお姉ちゃんを見つめる。

憂「……はい。喜んで」

 ぴったり抱き合ったまま、私たちは離れなかった。

 底も見えない暗闇の中で、お姉ちゃんの存在だけがはっきりわかる。

 世界中に、私とお姉ちゃんだけがいる。

唯「ういっ……」

憂「うん……」

 表情も格好も、気持ちもわかる。

 わたしはほんのすこし首を傾けるようにして、待ち受けた。

49: 2011/06/30(木) 13:33:46.79

――――

 翌朝、私たちは寝乱れた服とベッドを直して、鍵の開くのを待った。

 ペットボトルを探してお茶を飲み、お姉ちゃんの求めに応じてキスをする。

 そんなことをしていると、やがて鍵の開く音がした。

母「二人とも、朝よ。しっかり反省したかしら?」

 扉を開けたお母さんは、とたんになんだかなんともいえなそうな顔をした。

 苦笑い?

憂「まぁ……そうかな?」

唯「うん、もうおっけーだよ!」

母「そう。じゃあ出なさい」

唯「えへへ、やった!」

 お姉ちゃんはベッドから飛び出すと、我先にと地下室の扉に走っていき――

 お母さんに服を掴まれ、捕獲された。

51: 2011/06/30(木) 13:36:30.75

唯「え、な、なにお母さん?」

 お姉ちゃんはなんだか焦ったような顔。

 そんなに慌てることかな? どうしたんだろう。

母「……唯」

 一方、お姉ちゃんをつかまえたお母さんはそれはそれは笑顔で。

母「うまくいったみたいねー?」

 そう言ってお姉ちゃんの頭をがしがし撫でた。

憂「うまく……いった?」

 その言葉によって浮かぶ、ひとつの疑念。

 もしかして、まさかお姉ちゃん、そんなわけないよね。

唯「な、なんでもない、なんでもないよ憂!」

52: 2011/06/30(木) 13:39:25.26

憂「……お母さん、お姉ちゃんと話があるからちょっと鍵かけてくれない?」

母「オッケー!」

 お母さんは身をひるがえすとドアの外に出て、鍵をかけてくれた。

憂「さて……説明してもらおうかな、お姉ちゃん?」

唯「ひいいいぃぃ!!」

 ドアの前でうずくまるお姉ちゃんを抱き上げて、ベッドに投げ込む。

 まっくらは、時間の感覚をなくす。

 この暗闇に朝がやってくるには、まだしばらくかかりそうだった。


  おっしまい

56: 2011/06/30(木) 13:56:04.15
普通に告白できんかったのか、唯は

57: 2011/06/30(木) 14:15:37.24
乙!

引用元: 憂「密室と暗闇とお姉ちゃん」